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東京人の堕落時代
杉山萠圓(夢野久作)

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)糜爛《びらん》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)長さが約六万|呎《フィート》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)このようなあらわれ[#「あらわれ」に傍点]の裡面には、
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   はしがき


 この稿は昨年末まで書き続けた「街頭より見たる新東京の裏面」の別稿である。記者は特にこの稿を作るためには、単に街頭観にのみ依らず、この方面に責任を持っている医師、教育家、司法官、興行者、その他多数の人々に御迷惑をかけて記事の正確を期した。そのような人々の意見とても、記者が実地に調査し且つ共鳴し得たところだけを記者の意見として責任を負うて書いたのであるから、一々氏名を挙げる事は遠慮した。本人の御迷惑になる意味もあるし、さもなくとも不公平になる点が多いから一様に差し控えた訳である。ここに謹んでお詫びをすると同時にお礼を述べておく。只《ただ》その中に警視庁の不良少年少女係後藤四方太氏はこの稿のために非常に有力なヒントを与えてくれた。特に記して謝意を表する事を許して頂きたい。
[#改頁]


   各方面の徴候



     和漢洋の堕落風俗

 東京人は今や甚だしい堕落時代を作っている。西洋風、支那風、日本風のあらゆる意味で堕落腐敗し糜爛《びらん》して行きつつある。
 その影響は日本全国に行き渡りつつある。仮令《たとい》これを一時の事と見ても、その影響はかなり永く後を引く虞《おそ》れがある。
 現在の日本人は「東京」を無暗《むやみ》に崇拝している。何でも東京が本場でなければならぬ。すべてのものは東京が最新式の最上等と心得ている。この意味から見て東京人の堕落はやがて日本人の堕落である。三百里先の事と思うのは昔の頭である。
 この現象がいつ迄続くか。浜口蔵相の節約主義がこれをどの辺《あたり》で喰い止めるか。
 この疑問が解決される時機は手近く見たところで今年の三四月であろう。毎年の花時《はなどき》……特に昨年の花時は東京の人気に一大変化を画した時であったから。
 しかし今の通りの勢《いきおい》ならば、東京人の堕落傾向はなかなか止まるところでない。却《かえっ》てこの花時を区切って全盛時代を見せるかも知れぬ。又は第二期の深刻味をあらわし始めるかも知れぬ。
 いずれにしてもこの春が問題である。この記事がそうした人気や風俗の移りかわりを見分ける標準となったら幸である。
 更に地方の特色の美しさや尊さを忘れて、東京を神様のように思っている人々のために、又はその子弟を東京に遣っている人々のために参考となったら、記者の苦心はどれ位酬いられるであろうか。

     警視庁の映画検閲官|曰《いわ》く

 東京人の堕落時代を描き出す前に、取り敢ず読者の記憶を呼び起しておかねばならぬ事がある。
 昨冬二十六日付の九州日報夕刊に大略左のような記事が載っていた。

       ×         ×         ×

 大正十三年の一月から十一月まで警視庁で検閲した映画の数が一万八千巻、千六百|呎《フィート》、切った長さが約六万|呎《フィート》……以て如何に「活動」が盛《さかん》であるかがわかる。
 次に切ったフイルムを国別にして見ると、
        検閲巻数        同上呎数       切除呎数
  日本物    七、九五四    六、九一七、三二一   三六、四三四
  米国物    七、六九六    六、八一〇、五六三   一九、三三六
  欧州物      九一三      八三二、七四八    三、七〇〇
  合 計   一六、五六三   一四、五六〇、六三二   五九、四七〇
 となる。即ち割合から見て日本映画は欧州物よりも二三割方多く切られているし、米国物に比べると殆ど二倍近く切られている。
 外国映画が教育に有害だと今頃云っている人は、本当に頭の古い人である。
 尚、右に就いて警視庁の興行係長長田島太郎氏は左のように説明を付け加えている。
「由来、大災害の後には人心が弛緩して、民衆の実生活も余程淫蕩に流れる。安政の大地震や明暦の大火の後にも、放逸な仮宅《かりや》生活や、諸職人の金廻《かねまわ》りのよかった関係から、淫風蕩々たるものがあったことは史実の証明するところである。昨今、淫蕩場面の映画が歓迎されるのも、昨秋の大震災の民心に影響した結果であろうと思われる」云々。

     映画製作業者曰く

 東京郊外の或る大撮影所長は云う。
「活動の筋書欠乏は久しい話ですが、集まって来る原稿が皆狙いどころをそれているのにも困ります。先ず濃厚なところが七分、活劇的なところが二分、革命的な思想が一分といった割合で作れば大丈夫受けます。その中でも革命的な思想という奴は、ホンの筋を運ぶための背景位に取り扱って差支えないので、濃厚なところを主眼にして、ダレさせないために和漢洋各式の立廻りで気分を破って行くといったようなのが一番よろしい。つまり現代人の要求する場面は徹頭徹尾性的に深入りした場面で、ほかはホンのあしらいに過ぎませんネ」
 と。そこの撮影監督は又これに裏書して曰く、
「まったくです。近頃は甘物の連続でウンザリしているのです。大体わかり切った甘い材料を、どう料理したら飽きさせずに喰わせる事が出来るかと、毎日毎日そればかり苦心させられます。地震後は一層それが非道《ひど》くなったので、もう今ではこちらが中毒のフラフラ気味です。面白いのは地震ものが一向受けないのに、集まって来る脚本はどれもこれも地震を取り扱っていることです。一ツは当局初め一般の所謂《いわゆる》常識階級が、あの大地震を一種の教訓の意味にばかり考えて皆に宣伝するために、反感を起したものとも見えます。現在の東京人は『地震』と云うと――すぐに『ソラ又《また》天の何とかだ』と感づいて、出来る限りこれを避けよう、思い出すまい、そうして享楽しよう享楽しようとばかり考えているようです。地震の反動とでも云いましょうか」
 云々と。これ等の話は皆よく東京人の堕落時代を裏書している。

     痛切な悪魔の標語

 震災直後の東京ではライスカレー一皿で要求に応じた女が居たと甲《たれ》も乙《かれ》も云う。そのライスカレーは、玄米の飯に馬鈴薯と玉葱の汁をドロドロとまぜてカラシ粉をふりかけたもので、一杯十銭位であった。
 これ以上の高等なのも居たろう。これ以下の無茶なのも居たろう。とにもかくにも震災後間もない東京の人間は、人間性の美点と醜点とを極度までさらけ出した。その醜い半面のこうした傾向が如何に烈しいものであったかという一例がこれである。
 彼等東京人は食物に飢えたように性欲にも飢え渇いた。その烈しい食欲と性欲は、彼《か》の灰と煙の中でかようにみじめに交易された。
 彼等の自制力は地震で破壊された。土煙と火煙を吹いた。
「こうなればもう何でもいい」
 という投げやりの考え、六ケ《むずか》しく云えば彼等は悪魔の標語を徹底的に味わった。
「必要の前に善悪無し」
 この悪魔の標語ポスターは今も尚、新東京の暗黒面の至る処にブラ下がっている。上中下各階級の人々は互にその同階級の人々と風儀を紊《みだ》し合っている。同時に上流は下層に、下層は上流に対して、益《ますます》その自由行動の範囲を広めつつある。

     性欲秘密薬と書画

 最近の東京では、性病又は性病予防等に関する秘密薬の売れ行きが盛である。Y書(学生語)出版も同時に大流行である。これ等の売薬や書籍は白昼堂々と店頭に曝《さら》されている。いずれも数年以前はその筋のお許しが出なかったものばかりである。
 これと同様に秘密の石版画、秘密のP・O・P、秘密の謄写版刷は、東京の暗《やみ》から暗《やみ》へ、恰《あたか》も独逸《ドイツ》の紙幣のように波を打ちまわっている。その価格も震災前の半分内外だという。
 このような商売をするものは、震災後、その筋の調《しらべ》の行届かぬのに乗じて非常に沢山出来たらしく、その商品は一時東京市中に生産過剰を来たした。一方に、被服廠その他の死体写真の秘密売買で呼吸を覚えた連中は、引続いてこの商売を引き受けたと伝えられる。
 現在では市内の商売が落ち付いて来た結果、このような生産物がよほど減ったらしいが、それでもかなり多い事はその筋の差押え高でわかる。

     怪しい大道商人

 以前東京では、縁日の出はずれ、浅草、神田、京橋|辺《あたり》の露店の切れ目、活動館の付近、人通りの多い近所の蔭暗い処に、蝋燭《ろうそく》を一本立てて怪し気な絵を売買したものである。あとで見ると、忠臣蔵、弥次喜多、女と男の柔道の絵なぞで、買って少し行ってのぞいて見る間のねうちであった。中には本物もあったという。
 この商売が今は動的となった。
 日が暮れて九時頃になると、見すぼらしい風をして往来に出る。番頭風もある。労働者風もある。いずれにしても見すぼらしくなければいけないそうである。程よい人間を見るといきなり擦寄《すりよ》る。絵をチラリと見せて、一枚一円とか二円とか云う。相手を恐れるような、脅迫するような、そうして今にも逃げ出しそうな態度を見せるのが一番有効だそうである。これは死体写真の売り方と同一で、慣れると相手に品物を渡す。自由に見せながら、見え隠れについて行く。程よいところで金をせびる。もっと熟練すると、白昼、繁華な往来でもやれるそうである。
 同じ夜の九時過に、前のよりすこし上等の風をしてお客を探し出す。二三間離れた処から帽子を脱いで、心安げな、意味ありげな笑顔を見せて近付く。品物は見せずに、肩を並べてあるきながらお客の顔をのぞき込んで、
「突然失礼ですが、例の秘密写真は如何で。一枚一円から二十円までいろいろあります。ブックもあります」
 と露骨に云う。声は低いがハッキリしている。道でも聴くか、煙草の火でも借りるような態度である。そうして相手がうなずくと、共同便所や自動電話に連れ込む。
 この売り方は最新式で、二十円云々は只相手の好奇心をそそるに過ぎぬ。一枚二十円の秘密写真ときくと、見るだけでも見たくなるのが人情だそうである。
 このような行商人? の中に、只美人の絵葉書だけを持っているのがある。これはどんな人間が買うか。いくらで買うか。何になるのか。後に職業婦人の項で説明する。
 東京市中の暗い処を歩いていると、時々この種の商人にぶつかる。バラックになってから、特に暗い横町が殖《ふ》えたから便利である。
 何々ビル、何々会社という処には、白昼、こうした商人が出没するという。実見はせぬが、事実であろうと思われる。

     その筋の取締《とりしまり》が弛んだ

 俗に云う禁止物に対するその筋の取締が、この頃では眼に見えてゆるやかになった。特に東京ではそう見える。
 裸体物を取り入れた公刊の絵葉書、書籍の表紙なぞが、九州よりも多く店頭に曝されている。展覧会の絵や彫刻、活動写真の濡れ場、接吻なぞの場面も同様に殖えた。
 その中でも活動の看板やビラに血をあしらったのが殖えて来た。これは九州方面も同様らしく思われるが、特に注意する価値がある。頽廃思想の産物である変態性欲と関係があるから。そうしてこの傾向は、目下、東京で盛に醸成されつつあるように記者の眼に見えるから。(後段参照)
 いずれにしても、二三年前と比べると隔世の感がする。
 尚、このようなあらわれ[#「あらわれ」に傍点]の裡面には、堪切れぬ社会の要求が、ある拒み難い力となって当局を動かしているのではあるまいかと疑っている向きもある。参考のため書き添えておく。

     或る秘密画家の話

 或る日の正午、記者は日比谷交叉点付近のカフェーに腰を卸《おろ》して、注文の来る間ズボンのゴミを払っていた。
 すると直ぐ横の卓子《テーブル》に、ダブダブのズボンを穿いた長髪の青白い男が来た。その男は、記者がテーブルの上に投《ほう》り出した大型のスケッチブックとマドロスパイプを見て、ニコニコと話しかけた。
「バラック建築の御研究ですか」
 これをキッカケに二人は同じ卓子《テーブル》に向い合った。名刺を交換していろいろ話し込んだ揚句《あげく》、彼は自分が秘密画家である事を告げた。
 彼は最初にこんな謎のような事を云った。面白いから書いておく。
「物には裏と表があります。私自身にもあります。そうして問題は、只、この裏と表を自分の頭でハッキリと区別して使いわけながら、生活し得るか得ないかにあります。特に芸術ではそうです」
「私は嘗て文展に能のお面を出して落選しました。その原因がこの頃になってわかりました。平生私が秘密画ばかり描いているために、お能のお面にもその気持ちがうつって、上品さを傷つけるのです。殊にあの不可思議な唇の開き工合のところで迷わされています」
「これは私が修養の出来てないせいでしょう。私が秘密画とお能の面とを美事に描き別け得た時は、私が芸術家として成功した時でしょう」
 彼はこう云いながらウイスキーを飲んだ。彼の眼は彼自身の神聖さに輝いた。
 彼は大森の下宿へ記者を引っぱって行った。そこで更に飲み続けながら、記者にいろんなものを見せ且つ話した。いろいろ儲かる話を持ちかけた。是非Y文を書いてくれ、それによって絵を描くからと云った。彼は記者を掘り出したつもりでいた。記者は掘り出される約束だけして逃げた。

     芸術家の生活と誘惑

 自分の高尚な絵が売れぬ。売れても絵の具代に追っつかぬ。一方に秘密画さえ描けば、粗末なものでも非常に高価《たか》く早く売れるという事実は、不断に在京の画家を誘惑している。
 文展や院展に出す絵のモデル代、旅行費、絵の具代、間借り代、その他の生活費は、つまらぬ絵を二三十枚描く辛棒さえあれば訳なく取れる。そのためには仲買人も居れば、モデルも居る。只、いつも浮世絵風の線で(無論ゴマカシでよい)描かなければならぬのが、洋画家なぞにとっては困るといえば困る位のものである。
 このような絵の直接御用命者には然《さ》る○○な方々もある。西洋人もある。間接の手を経て外国へも続々行くらしい。某ホテルのボーイ頭なぞはその仲介に立って大金を蓄《た》めていると聞く。
 同時に東京で出来る秘密画の最近傾向として、或る残忍な画題が喜ばれて来た事は、前記、活動の絵看板の赤ペンキと同様注目に価する。
 例えば殷《いん》の紂王《ちゅうおう》、生蕃軍、玉藻前《たまものまえ》、○○侯等の暴虐の図、又は普通の美人や少年などに血をあしらった場面等の注文が次第に殖えて来た。
 かようなデカダン傾向……それは単にこのような方面ばかりでない。東京市中の到る処にあらわれている。その中でも特に記者の注意を惹いたものが二つある。その一つは産児制限に関するパンフレットの流行である。

     「最新式避姙法」の書物

 マリーストーブとかブラングエンとかいう人々の著書の和訳、又は「性」という文字を標題に取入れた雑誌は、記者が街頭の書物屋で見ただけでも十種近くある。これ等は皆、○○や××、又は……をあしらったもの、又は医学上の説明にかたどった肉体、又は精神の解剖説明書である。いずれも辛うじてその筋の許可を得たものらしく見える。
 しかし、ここに取り立てて云うのは、こんな出版物ではない。謄写版、もしくは旧活字の、しかも滅字同様のもので、誤植だらけにきたならしく印刷されたもので、如何にも秘密出版物らしく装うたものである。
 その一例を挙げると、標題には、
「最新式避姙法」
 とあって、内容を見るとラード博士、バックスター博士、バスレー博士、メシンガ博士、レンデル氏、サンガー夫人等いう大家? の避姙法が詳細に比較研究されてある。その筆者は原著者たる「満鉄社人事課××氏」の名を掲げ、その原本が大正十年中発売禁止となった事を述べた上、次の如き意見を付け加えている。
「これ位のものは外国では公然と出版されているのであるが、遺憾ながら日本では文化程度が低いから、これを秘密出版としなければならぬ。そもそも産児制限なるものは、法律上文化的の生活が許されたる智識階級の……」云々。
 この書物は某教育家が記者に見せてくれたのであった。某氏は海軍出身で、退職後、軍隊、船舶、監獄等の性的衛生に就《つい》て研究し一家を成している人である。
 氏は次のような事を記者に云った。

     近代文化と民族的自滅

「この種の性的秘密出版物を見ると、いずれもその筆者が立派な高等教育を受けた人間である事がわかる。このような表面上高尚で、実は恐ろしく愚劣な仕事を敢てする勇気と知恵とを持っているものは、必ず高等教育を受けた人間である。高等教育を受ければ受ける程、良心が鈍くなるとも云える。これが近代文明の特徴である事を、私は経験上明言し得る。そうして今の東京の文化の裡面には、この傾向が日一日と濃厚になって行く。誠に遺憾である。たとえばこの書物『最新式避姙法』の文中にある、文化程度という言葉の意義なぞは頗《すこぶ》る可笑《おか》しいではないか。文化程度が高くなればなる程産児制限が公行するものとすれば、最高の文化は民族の自滅を意味する事になる。その事実は決して些《すくな》くない。元来、日光と土とは最大の享楽である。生命は最高の富源である。その民族の文化の第一義は、この富源を尊重するところにある。同時にその民族の教育の第一義は、その民族の生活を出来るだけ土と日光とに親しませる事にある。軍隊、船舶、刑務所、礦山、工場等の生活に対しては、今少しこのような注意が払ってもらいたい。現代の文化は人間に土と日光を軽蔑させるようにばかり仕向けている。そのために変態性欲なぞが流行するようになる。又、近代の文明は高価な生活を要求するようにばかり人間を教育している。そのために産児制限なぞがはやるのだ。文化が自滅を意味する事になるのだ。日光と土に親しい文化、農民やプロの文化、都会以外の地方的文化、これ等が発達しなければ、日本の文化は日本の自滅を意味する事になる。東京の裡面にこのような出版物が横行するのは、日本の前途のためにどうあろうか」云々。
[#改頁]


   上流社会



     秘密フイルムの流行

 震災後の東京の荒れ野原に、真っ先に興行物の色旗を翻えしたのは、浅草の活動写真十三館である。市内外各所の活動写真館は続いてイルミネーションを付けた。
 この勢《いきおい》につれて東京市内外の到る処に小さな撮影所が出来た。
 どんな仕事をするかというと、たとえば多摩川で情死があったと新聞に出る。直ぐに俳優を連れて現場に出張し、その新聞記事を脚本としてそのような場面を撮影し、活動小屋に売りつける。又は広告や宣伝用のフイルムの請負い、家庭の子供向き短尺物なぞを作る。その他いろんな事をしている。
 彼等の中には或る種のフイルムを作って大金儲けをしているのがある。否、このような小撮影所ばかりでない。現在日本で片手の指で数えられている大会社の重役で、これをやっているのがある。
 東京郊外にある自宅の天井を打ち抜いて、小さな撮影所《セット》を設ける。これに強力な電気を盗用して、その素晴らしく儲かるフイルムを作る。
 そのフイルムとは秘密映画の事である。

     映画室兼用の寝室

 秘密フイルムの場面の大抵は「間男」で、怪しい役者と女優? が演ずる。実にタワイもないものであるが、出来上ると「家庭教育フイルム」とか何とか真面目な名前をつけてブローカーの手に渡す。もしくは、自分の配下か又は自身に「○○活動写真会」なぞいうものを組織して、映写して廻らせる。
 お花客《とくい》は常に上流の家庭である。だから料金はいつも高価である。外国にあるという、興行的な料金を取るものがどこかで秘密にやっていはしまいかと注意して見たが、これは気が付かなかった。当局でも当業者も、無論そんなものはまだあるまいと云った。
 結局、日本では上流の家庭ばかりという事になる。
「近頃の富豪の家には映画室を兼ねた寝室だの書斎だのがありますよ。外国では普通だそうですが……」
 と或るフイルム仲買人は笑って云った。(後に出る変態性欲用具の項参照)
 こうした上流の人士が民心の頽廃を嘆いて、吾が児の活動見物を差し止めるのかと思うと可笑しい。

     押収フイルムの公開

 震災前、このようなフイルムに対する当局の取締がちょっと厳重になった事がある。但《ただし》、ことがある[#「ことがある」に傍点]だけで、結局、製造の手段が以前よりも巧妙になっただけに止まった。
 現在東京で流行しているこの種のフイルムの中には、舶来物もあるにはあるが僅《わずか》らしい。十中八九和製と見ていい程に製造が盛である。ほかのものと違って密輸入が六ケしいというような関係があるのかも知れぬ。
 警視庁にはこの種のフイルムの押収したのを沢山溜めている。それを昨年の夏、或る特別な人々に限って映じて見せたそうである。特別な人とは映画関係業者、教育関係者、映画関係係官の中から撰まれた少数の人々で、参考のためとも、見せしめのためとも、又は御愛嬌とも考えられた。
 場所は警視庁の検閲室で、次から次へ映写される場面はいずれも型の如きものであった。何等芸術的の価値あるものでなかったが、官吏も商売人も昂奮の極情欲なぞは少しも起らなかった。只悽愴たる感じにのみ打たれた。
 済んで室を出てから笑う者などは一人も無かった。血色のある者も一人も無かった。皆青白く唇を噛んで、眼が血走って、まるで地獄の責苦から逃れた人のように生汗を流していた。挑発も度を過すと、却《かえ》ってその情を圧迫して萎縮させてしまうものだとその中の一人は云った。
 尚、右に就いて一人の官吏はこんな話をした。

     検閲係官の苦痛

「世間ではよく小説や何かの検閲係の役人が、只文句ばかりに拘泥して禁止をする。裏面の意味は却って見逃す事が多いために、いろんな不公平が起る。つまり検閲官に頭がないからだと云う人があります。この不平は尤《もっと》も千万ですが、一方に又止むを得ない事情があります。どんな頭のある人でも毎日毎日変な文字や絵を見ていると、頭がすっかり麻痺してしまって、どこを取締っていいかわからなくなります。文章の裏面からどんな非道《ひど》い意味を発見しても、ちっともわるいと感じなくなります。自宅へ帰ってから、又は旅行して平生の常識に立ち帰ってから……ああ、あすこはヒドかったなと気が付くような事が屡《しばしば》あります。そんな風ですから、毎日検閲をしていると、勢《いきおい》文字や文句ばかりによって禁止をしなければ、ほかに見当のつけようがないような頭になります。その上に忙しいと来たらなおの事です。書いた人間に依って、あまり非道くないものでも禁止するというような傾きがあるのも、こうした原因から来るものと思われます。何しろ一冊の本を押えるという事は相手にとって大打撃で、どんなに公平にしても不平は必ず出るものですから、その苦心といったら大変です。この点は大いに同情してもらわないと遣り切れませんよ」云々。

     美しい顔、拙い技巧

 東京人のうち上流に位する人々の堕落は、このほか各種の方面に証拠立てられている。そうしてその堕落の最近の原因を尋ねると必ず彼《か》の大震災に結び付く。彼の大震災は東京人の堕落を深むべく一新紀元を画したものと云い得る。
 東京人のプロ階級で震災後生活のために堕落したものは非常に多い。そしてこれを堕落すべく誘惑したものの大部分はブル階級と見られる。
 東京の上流人士は震災後の血迷った、混乱した人心につけ込んだ。あらゆる手段であらゆる異性を堕落さした。彼等が金や権力を持っている事その事が既に誘惑そのものであった。
 記者は社会主義者ではない。今の世の中で金や権力を持つ事を罪悪とは思わぬ。しかしこのような実例をあまりに多く見る事が出来る。
 嘗て帝劇が出来て女優を養成した事は、上流の東京人の裏面の生活に一新生面を開いた。それ以後、歌劇女優、女流声楽家等いう各種の職業婦人? が日本の芸術家に生み出されて、あまねく上流人士に新しい美の世界を提供した。
 その美のグループが今では暁の星のように光りを喪《うしな》った。活動女優全盛の世となってしまった。
 新しいスターが次から次へと現われる。その技巧が如何に下手《へた》で、その美が如何に甚だしく塗り飾られたものであるかは誰しも認むるところであろう。その傾向が震災後特に甚だしくなった事も、「そういえば成程」とうなずかれるであろう。

     女優は資本か玩具か

「芝居をする役者は、フイルムに入れると実感を壊すからダメだ。殊に日本の女は芝居をし過ぎるか、いじけ過ぎるかしていて、とてもアカン。野生のノビノビした女を探すに限る」
 というわけで、撮影場の首脳者が、帽子目深に東京の街頭をウロ付くようになったのは、二三年前の事である。
 一方に、現在の日本の活動会社の成功不成功の一面は、会社の役員が女優を自分のオモチャにするかしないか……言葉を換ゆれば、上流人士のオモチャに提供して資本の世話をさせるかさせないかにあるとさえ云われている。
「女優は活動会社の資本である」
 という意味を芸術的の意味に考えているファンがあったら、その人は最も幸福なファンであろう。

     上流人の女狩り

 現在、或る大フイルム会社では、女優撰択や教育等をその撮影場の重役と監督の考え一つに任せている。そのためにそのセット付属の女優は、いつも重役や監督の御機嫌を伺わなければならぬ。セット以外の処で甘い筋の試演に応じなければならぬ。でなければ、スターとしての運命は暗黒になる。ほかの会社の者はこれを羨しがっている。
「あの会社は大きいから、女優を富豪に売り付けなくとも、資本に事は欠かぬ。貧乏会社は女優を二重にも三重にも抵当に入れるので、こちとらの手にはまわらない」
 と。この話は一つの常識としてその仲間に語り合われている。
 以て推して知るべしである。
 次は上流人士の「女狩り」の話に移る。

     警官に対する誘惑

 上流人士の美の要求に対する仲介業は、昔から東京に沢山ある。待合、ホテル、料理屋等いうのは問題にしなくていい。女衒《ぜげん》、桂庵はどちらかといえば表面的にやっている。その他、出入りの理髪師、その他の商人で極めて裏面的にやっているものは数限りない。大きいところでは旧式の政治家、又は所謂政商なぞにも、商売上この手腕を振う者がいくらでもある。彼等はあらゆる手段で、あらゆる方面に「玉」を探している。
 彼等が今度の震災のドサクサを機会に、どれだけ沢山の「玉」を探し出したかは想像に余りある。
 しかし、こうした職業的、又は半職業的な周旋人にかかると、いい食い物にされる上に、あとがウルサイ。のみならず愉しみも薄い。そこでもっと秘密な、もっと巧妙な、そうして新しい味をしめようと種々に苦心をする。
 象潟《きさかた》署保安係の某氏は記者にこんな事を云った。
「この頃、上流の堂々たる人が私に『珍らしい女は居ないか』とよく尋ねられます。私は熊本県人ですが、どうもそんな方面には暗いので、いつも返事に困ります」
 と。記者がもし外国にこうした実例のある事を聴いていなかったならば、どんなに驚いた事であろうか。
 彼等上流人士は、自分の財産や権力の魔力を自惚《うぬぼ》れた結果、神聖な警官を女衒と間違えるようになった。幸いにして吾熊本県人某君はこの誘惑にかかっていなかった。御蔭でこのような証拠を記者に掴ましてくれた。記者は満腔の敬意と謝意とを表しないわけに行かぬ。
 しかし、東京市中のすべての警官が果してこの誘惑から免れているであろうか。彼《か》の震災に続く大騒動と新警官の採用は、却《かえっ》てこのような誘惑に乗ぜられる機会を作りはしなかったろうか。
 記者はその実際を見ている。
 しかし判断は読者の自由に任せる。

     不良老年の辣腕

 かように東京の風紀頽廃の原因を煎じ詰めると、
「不良老年が悪い」
 という事になる。不良老年とは所謂成功者、又は伝統的の有力者で、つまり上流社会に於ける相当の年輩の人々である。
 今度東京で知り合いになった司法官や教育家――と云うと大層立派であるが実は刑事や学校教員――でこの事を口にせぬものは無い。殊に刑事や巡査は、平生、彼等上流社会から抵抗すべからざる圧迫を受けているので、この実情をよく知っていると同時にその怨みも深い。
「震災後、私等は下層社会の堕落よりも、上流社会の堕落を余計に見せ付けられるようです。社会主義はこんなところから起るのかも知れませんね」
 とさえ云う。
 事実、彼等権力者、もしくは金力者は、混沌たるバラック都市の裡面に遺憾なく魔力を揮っている。それ程左様に新東京ではイージーに女が得られるのである。
 震災は大地からあらゆる女の塵《ごみ》をたたき出したらしい。
 その結果、上流人士の女道楽が次第に進んで来て、変態性欲にまで高潮して来た。安くて手軽なバラック建築の流行は、一層こうした傾向を助けた。毒々しい刺戟の強いバラック式の装飾は、こうした趣味の背景となるのに最もふさわしいのである。
 たとえば……と云い出すと、これ又無限にある。

     小事務所の秘密

 彼等上流人士が、東京市内到る処に建てている小事務所や、市街の各方面に建てている小住宅には、こうした趣味の享楽物が多い。
 表の方の事務室、又は応接室らしい処には暗い電燈……裏手の方には白昼を欺く光線を洩らしている家が数限りなく発見される。そんな家は、写真屋その他の特殊の工場でない限り、又は宿直の者が電流を盗用しているのでない限り、何かの秘密を含んだ家である。殊に表に何々事務所と書いてある以上、怪しいと思わぬわけに行かぬと、或る刑事は語った。
 このような見すぼらしい事務所から、眼の醒めるような美人が現われて、ピカピカした自動車に乗って去る光景を、近頃の東京人はあまり怪しまなくなった。これも震災の御蔭であろう。
 又近頃、東京には自動車が殖えると同時に、運転手も殖えた。彼等がその乗せた主人の行く先を決して口外せぬという事は、その運転手たる資格の中で最も大切な一つである。しかし彼等の仲間同志には、この秘密が輪に輪をかけて発表されている。

     特別収入煙草買い

 彼等自動車運転手連の話に依ると、震災後の東京には、彼等の所謂私設待合が到る処に殖えた。その待合では、普通の待合でも出来ない事が行われる。あんな事がある、こんな事があると、彼等は眼を丸くして語る。その中の一つとして、ここに書く事が出来る話がないのは遺憾である。只、彼等上流人士の最高? 道楽である賭博と性的遊戯……麻酔と昂奮のあらゆる方面に、最近に於て支那式と西洋臭味が加味されて来た事が、運転手の話に依って推察されると云い得るだけである。
 尚、彼等の話に依ると、私設待合には特別なのがある。彼等は、夜半、美人と弗旦《ドルだん》らしいのを乗せる光栄を有した場合に、郊外の人跡|稀《まれ》な処でよく買い物に遣られる。これは真面目に買いに行かなくてもいいので、暫くそこいらで様子を見た上で、こんな物を売る店はありませんと云って帰って来ても、旦那は格別残念そうな顔をしないのが多いそうである。
 彼等はこれを「煙草買い」と名づけて、特別収入の一つに数えている。
 又、或る秘密フイルム周旋業者は、電車の中で記者にこんな話をした。

     変態性欲用具

 彼等の秘密映写は、いつも当り前の上流人の家庭ばかりで行われるのではない。堂々たる帝都の大通りに並んだ、金看板の事務室の裏二階や地下室等でも行われる。そのような処で彼等は、最近、奇妙な事実を発見し出した。
 初め、鞭《むち》、拍車、鞍《くら》、手綱なぞいう乗馬用具を見た時は、格別怪しいと思わなかった。
 毛皮や短銃《ピストル》、短剣なぞを発見した時も同様であった。
 支那や朝鮮にあるという手枷《てかせ》、足枷があるのは、一種の標本かとも思えた。
 只それだけであったが、その後度々こうした処に招かれているうちに、これらの器具の不思議な働きがわかった。
 秘密フイルム映写の場合は、一方の壁やカアテンがスクリーンに応用されるので、器械貸の場合でない限り、映写技師は別室から小さな穴を通じて映写せねばならぬ。無論、内部でどんな人間が、どんな態度で見物しているかわからないように出来ている。
 ところがそうなると、いよいよのぞきたいのは人情である。遂に彼等の中には、いろんな工夫をして、中をのぞきながら映写する方法に成功するものが出来た。
 その実見談は、遺憾ながらここに書く事が出来ぬ。只、前に述べた不思議な道具の使用法が如何に深刻なものであるかを、彼等はあらかた知る事が出来たと云うに止めておく。
 勿論、この話は彼等の話の要点だけであって、作り話や針小棒大と思われるところは皆|削《けず》った。
 信ぜられぬと云う人は、信ぜられぬ方がいいかも知れぬ。

     上流婦人の堕落

 他所《よそ》では知らぬ。
 東京の女道楽に飽きた男は、次第にこうした変態性欲に落ちて行く。平凡な春画の他に、血を流す美少年、猛獣に喰われる美女なぞの絵を愛好する。そのような幻想に近い実感を得ようとあせっている。
 東京人の堕落は、こうして爛熟期が糜爛期に入って行く。
 上流婦人の堕落は、更にこの傾向を助けている。
 所謂紳士淑女の裡面が如何に醜いものであるかという事は、今に初めて知られた事でないが、今日の如く表面的に、当り前であるかのように露骨になった事はまだ聞かぬようである。
 東京又は東京付近に居る上流の婦人、殊に未亡人たちの或る要求を満たす機関は、男のそれと同時に昔から東京にあった。役者、蔭間《かげま》、力士、その他の芸人、占者《うらない》、祈祷師、絵草紙、薬種、化粧品の行商人等の中にこの種の商売人が居たのであるが、今ではずっとこの範囲が広まっている。

     色魔的商売人

 上流の婦人を相手とする色魔的商売人は様々の仮面を持っている。
 音楽や茶の湯、生花の師匠に怪しいのが少くない。近頃では、美容術師やマッサージなぞいうのが盛に上流の家庭に出入りして、婦人を直接間接に誘惑するそうである。
 又、何々光線、又は気合術、呼吸法なぞいう新治療の出張応需式なのも逐次増加の傾向である。甚だしきに至っては、仏教や基督《キリスト》教の牧師、又は家庭教師と称するもので、怪しい商売をするものが殖えたと聴いた。
 こんな商売は、遊芸や何かの師匠と違って、素人でも割合い手に入り易いと同時に、上流の家庭に出入りするのにも都合がいい。逆に云えば、上流の家庭から電話や何かで自由に呼び出しが利く便利がある。又、その家庭の秘密を掴む上にも好都合なので、扨《さて》こそかように流行するのだと云う。
 このような色魔式商売の中で、最も斬新奇抜と思われるのは保険会社の勧誘員である。

     最新式の色魔業

 このような保険会社員は、眼星をつけた夫人や未亡人に時間を見計らって電話をかけて、面会の許諾を得る。次に堂々たる男振りと、立派な保険会社の名刺を振りまわして面会に来て、加入の許諾を得る。勿論、この間《かん》には何回も断られたり、追い返されたりするのであるが、そこを根よく押して行くと、相手の方が次第に動いて来る。そこで加入? をすすめて、金を払込ませて、受取を渡す……とは表面で、金は本物、受取は偽ものである。しかも相手の夫人が承知の上だから恐ろしい。
 元来が保険会社の事だから、何回尋ねて来ても不審を持たれるようなことがすくない。未亡人は勿論の事、夫ある婦人でも、旦那の留守勝ちな場合なぞは殊に便利である。そうして関係を続けようとやめようと自由自在で、保険会社員として他の処で面会したり……今一歩進んで、相手の婦人の法律顧問になったりする事も可能である。
 只、この間《かん》最も警戒しなくてはならぬ事は、その名乗りをあげた保険会社に電話をかけられぬように注意を払う事、云い換ゆれば、未亡人にたしかに渡る時以外に取次に名刺を渡さぬ事だそうな。
 因《ちなみ》にこの行き方は震災前からもあったので、震災後、それが本当の商売化したまでの事である。又、日本で新発明の商売でなく舶来の古物(日本では新しい)である事は、その筋の役人でなくとも、少し外国の事情に通じている人々は容易に認めるところだそうである。

     未亡人の下宿屋

 上流(すなわち金持ち)婦人の秘密は、まだいくらもある。何々夫人、又は何々未亡人の手芸研究所通いの中には随分怪しいのが多い。非道《ひど》いヒステリーの夫人や未亡人が、妙な神様や気合術なぞに凝り固まって音《おと》なしくなったなぞいう例がいくらもある。
 中には、嫌がる亭主を無理に連れ出して、相手の技術者に紹介をする。こうして信用を得た上で、その技術者を自宅に引っぱり込むという式は、こうした婦人連の紋切型の手段である。
 尚《なお》このほかに、金のある未亡人に特に多く行われている方法で、震災後急に殖えたのは素人下宿である。
 これは一つには、震災当時の状況がこうした要求に満ち満ちていたためでもあろうが、しかし、それを機会に未亡人たちが新しい自己満足の途を求めた事が疑われぬ。
 それはいいが、今では、この素人下宿の女主人が商売人なのか、又は下宿人が商売人なのかわからぬ程度まで、お互に進化しているらしい。うっかり素人下宿に泊って非道《ひど》い眼に会った学生、又はうっかり腰弁さんを下宿さして散々な眼に会った未亡人なぞがいくらもある。「下宿代を払わないので困る」とか、「下宿人が出て行かないので困る」とかいう法律相談や人事相談の裏面には、よくこうした事情が含まれている。
 東京に行く学生諸君、又は故郷から仕送る父兄達なぞ、心しても心すべき事である。

     若い燕を求むる心

 話がすこし固くなるが、日本婦人の教育程度の向上は、すべての意味で喜ぶべき事である。現在では、この教育程度向上のお蔭で、黒人《くろうと》上がりでない限り、日本の上流婦人は女学校卒業程度以上の学力あるものと限られているようである。最近の分では、賢母良妻主義|凋落《ちょうらく》以後の教育を受けた若い婦人が沢山にある。そのような女性の最も多く進出する処は、云う迄もなく東京であった。
 然るに、維新後の日本の教育は、智識教育に偏り過ぎていた。本能、真情等の、所謂人間味の教育の方はお留守になっていた。この事実は万人の認むるところで、「性教育」などが高唱されるのも、このような欠陥がある事を証明しているのではないかとさえ考えられる。
 この欠陥は現代の婦人(勿論男子も)の性格の上に遺憾なく現われている。現代婦人は名誉を重んじ、人格の意味を解し、新智識と見識とプライドを有している。そうして、このようなものを弥《いや》が上にも刺戟し、向上させ、極端化するのは東京である。
 但、それは智識と見識とプライドの上だけである。彼女達の本能、又は盲情というものは、持って生れたままなのが多い。只、その盲情や本能の発露を、極めて自然的に合理化する智識と弁才を持っているに過ぎぬ。
 彼女達は、嫁いだ家、又は夫の名誉、手腕、財産等に奉仕せねばならぬ不平を、何者かに依ってなぐさめてもらわねばならぬ理由を持っていた。
 彼女達は、自分の智識や容貌の権威に媚び、且つ盲従する異性が欲しかった。さもなくとも、男性の秘密境――とそこに流露される男の真実性を認め得る年頃になった時、彼女達の智識は、当然、男子と同様に心の自然を求め得る理由を発見した。
 彼女達は皆、実際上か、又は空想上の「若い燕」たるべき相手を求めていた。

     地震と智識階級婦人

 彼等智識階級の婦人は、それでも永年の習慣で、そうそう思い切った事をし得なかった。筑紫の女王白蓮夫人? を初め、日向きむ子、神近市子、平塚明子、又は武者小路夫人などいう人々の、所謂合理的な行いを、彼女達は口先だけででも驚き呆れていた。彼女達は彼女達の自然(獣性)を彼女達の不自然(良心)の城廓に封じ込めていたのである。
 ところへあの大震災である。
 彼《か》の土煙と火煙は、彼女等の頭の中のこうした城廓を、かなり烈しく打ち壊した。これと同時に、夥しい「若い燕」が東京市中に孵化して飛びまわる事になった。
 曠古《こうこ》の大震災はこのような人々を一様に単純化した。情熱化した。智識、見識、プライド、又はこれに伴う人格等のすべてを奪い去って、平等に本能の飢渇に陥れた。明日をも知れぬ運命を、引き続く余震で暗示した。彼等は、最も浅ましい事以外に、最も貴いことを認めなくなった。
 しかもそれは一時の現象でなかった。

     私のお馬鹿さん

 現在の東京には、このような浅ましい傾向が、どれだけ増大して行くかわからぬ勢である。そうしてこの中に浸《ひた》る東京の上流婦人の中に、次第にサジスムス性のソレが殖えてゆくのは、男性のソレと同様止むを得ない事である。
 このような婦人は、愛欲という言葉の中に含まれている「快感」が、必ずや「残忍」と「苦痛」とに依って強められなければ、本当の満足は得られないものと考えている。このような要求に応ずる男性は、初めから自分に征服されに来る者でなければいけない。学問あり見識ある智識階級の婦人が、特にこうした傾向を有する事は無論である。
 ところで、幸いにしてそのような性格を持った男性とスイートホームを作り得た婦人は、それこそ例の文化生活を徹底的に味わい得るわけであるが、さもない限りこうした要求は、自分の夫以外の「私のお馬鹿さん」や「お人形さん」に求めねばならぬ。そのような商売人が前述の通り東京にはいくらでも居る。殊に震災後急増したところを見ると、新東京の新文化の裏面が、如何に陰惨を極めたものであるかがわかるであろう。

     変態性欲と虚栄

 東京に於ける上流婦人のサジ式傾向の具体的説明はここに避ける。その男性(夫をも含む)を虐待し、その苦痛を忍受しつつ唯々諾々として自分の美の光りを渇仰する有様を見て、初めて愛欲の徹底的満足を受ける実況は、容易に覗《うかが》い得られぬと云うに止めておく。只ここに特筆しておきたいのは、このサジ式の性格を有する婦人のサジ趣味が所謂虚栄というものと関係がある、恰《あたか》も教育とヒステリーのそれのごとく切っても切れぬ関係があるということである。
 但、これは記者の新説でも何でもない。
 事実上、婦人のサジ性が生んだ虚栄は、新東京の新文化に興味ある影響を与えているのである。
 又話が理窟っぽくなるが、事実を説明するためには止むを得ない。
「理解ある結婚」という言葉が非常に流行するが、言葉と実際とは大きな違いで、現在のところでは、「理解ある」という言葉を「野合」の「野」の字に当てはめた方が早わかりである。
 九州あたりではそうではあるまいが、震災後の東京ではそうである。強いて理窟をつければ、教育ある男女の「野合」のことを「理解ある結婚」と名づくるとでも云おうか。そうして東京は、この流行の中心と認められている。
 こうした結婚が永続するかしないかは、男が女のヒス性又はサジ性を甘受するか否かにある。何でもハイハイと尻に敷かれるか否かにある事は、常識で判断してもわかる。

     二重の意味の快感

 女が一旦男を支配するようになると、どこまでも増長する。男を極度まで苦しめて飽きないものである事は、昔からその例証が多い。
 殊に、我儘からヒス性へ、ヒス性からサジ性へと加速度で進んで行くのは、教育ある婦人に限られているそうである。何故かと云うと、
 一、教育から見識が生れる。
 二、見識からプライドが生れる。
 三、プライドからヒステリーが生れる。
 四、ヒステリー性からサジスムス性が生れる。
 という四段論法が、最近の智識を有する男性社会に於て、真実と認められているからだそうである。
 ところでここに面白い事には、夜間はともかく、昼間に於て男性を窘《くる》しめる方法の第一は、買物に同伴する事だそうである。自分の好きなものを一ツ一ツ撰《え》り出す毎に、男が青くなったり赤くなったりするのを見るのは、二重の意味で云うに云われぬ面白さと愉快さだそうな。

     理解ある同伴

 東京が「理解ある結婚」の中心地である証拠に、最近の東京の街頭に異性と二人連れの姿を非常に多く見受けるのは記者ばかりでない。尤も、これを全部、街頭に於ける「理解ある結婚」の姿と名付けるのが無理ならば、単に「理解ある同伴」と云ってもいい。散歩もあろう。見物《みもの》、聞きものもあろう。しかしこの中に「買物のため」が沢山あるのは否まれぬ。
 前に述べた新東京の商売の模様を調べる序《ついで》に、店の者に聴いて見ると、
「近頃は御夫人連れのお客様が非常に殖えました。殊に御婦人の御趣味が高くなりまして、旦那様のお帽子からネクタイまで、なかなかお上手にお撰みになる向きが多いのです。殊にお帽子や何かにツヤツヤした毛のものとか、スベスベした絹のもの、又は冬の白い襟巻なんぞが流行《はや》りますのは、御婦人のお好みが大分まじっておりますようで……」
 と眼を細くして笑った。話だけでも身の毛が竦立《よだ》つようである。
 否、まだ恐ろしい話がある。

     変態性欲とヘアピン

 或る米国帰りのドクトルは記者にこんな話をした。
「近来、若い婦人は様々の形をしたヘアピンを挿しているが、最近では若い夫人でもよく用いるようになった。然るに自分は、彼《か》の鬼のような、獣《けもの》の頭のような、又は異形の鋸《のこぎり》のようなヘアピンを見ると、ゾッとするのを禁ずる事が出来ない。それは、震災後、彼《か》のヘアピンで傷つけられた男を二人程手当をしてやったからである。その一つは頸動脈のところ、今一つは眼の近くで、いずれもかなりの傷であったから理由を問うたところが、二人共顔を赤らめて語らなかった。しかしその傷から私は察して、兇器はヘアピンであると思った。あの式のヘアピンは閨房に於ける婦人の唯一の武器らしい。彼《か》のヘアピンの形は、婦人のヒステリー性や、サジスムス性を象徴した形をしている。流石《さすが》女性尊重の本家本元アメリカから輸入された事は争われぬ」
 おさし合いがあったら御免なさい。

     平民主義と風紀頽廃

 東京の上流人士が男女を通じてかように次第に堕落して行く原因の中に、今一つ記者の注意を惹いたものがある。それは古い言葉ではあるがデモクラシー世界の実現である。
 学生の鳥打帽――軍人の平服の事は前に書いた。畏《かしこ》きあたりの御事は申すも畏し、一般の華族と富豪とかいう者は、元来非常に見識を貴《たっと》ぶものであるが、それが今では頽《すた》れて来た。平民的になって来た。
 これはまことに結構な事であるが、一方から見るとあまり面白くないことがないでもない。
 見識を取るとか威張るとかいう事は、一面、家内万事を儀式張らせる事で、殊に家柄を重んずる華族とか、家風を八釜しく云う町人とかは、こうして家風の取締をしたものであった。そのために深窓に育った子女達は、非常にその世間を狭められると同時に、堕落の機会をも亦甚だしく狭められていたのである。
 デモクラシーと名づくる春風は、次第にこの善良なる美風を吹き破り始めたのであった。某華族や某富豪の家庭の素《す》っ破《ぱ》抜き記事が、次から次へと新聞を賑わした。デモクラ式男女関係を作る事が、新人の使命であるかのように思わるるに到った。

     天のデモクラ宣伝

 この傾向に大油をかけたのが過般の震火災であった。あれは天が人間界に試みた大々的デモクラ行為であった。あの名状すべからざるドサクサが、どれだけ上流の家庭に平民式を煽《あお》り込んだか。現在の新聞紙上で、上流の家庭の紊乱《びんらん》が如何に平凡な材料として取り扱われているかは、読者の熟知せらるるところであろう。思えば地震もいろんな揺れ方をしたものである。上下動何寸、水平動何寸という大ゆれのほかに、このような複雑な大震動が交《まじ》っていた事を思えば、東大の地震計が匙《さじ》を投げたのも無理はない。
 しかもその震動の影響は、なかなかこれ位のことに止まらないのである。
 下層社会の者は、革命と云えば、人殺し泥棒勝手次第という意味に考えるのと同様に、上流社会の人々は、平民的と云えば、不義乱倫自由自在と解釈するのは止むを得ないかも知れぬ。さもなくとも「恋は思案のほか」とやら。
 ……こんな事で記者の頭は古いと思われては困るから、これ位にして上流社会の堕落記をやめる。
 そうして職業婦人の話に移る。
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   職業婦人



     職業婦人の真意義

 職業婦人!
 聞くだに美しく、勇ましい名前である。清い、新しい理想の光りをふり仰いで、一心に働く女性の姿が連想される。
 記者はそんな風に考えて東京に来て見た。そうしたらまるで違っていた。
 職業を持っている婦人……すなわち稼ぐ女を職業婦人というのなら何でもない。上は女官から女学校の教師、小学校教員、女判任官、女医、女歯科医、女薬剤師、婦人記者、婦人速記者、女会計、婦人外交員、女製図師、図書館その他の整理係。すこし有りふれては産婆、看護婦、保姆、タイピスト、女事務員、女店員、見張女、マッサージ師、美容術師、女車掌や運転士、交換嬢、モデル女、女優一切。女給、案内女、仲居、お茶子、芸娼妓もかためて中流に入れようか。ドン底に近付いてはトロの後押し、土方の手伝い、ヨイトマケ、紙屑|撰《え》り、工女、掃除女に到るまで、数えて来ると随分ある。これ等はみんな職業婦人に相違ない。
 しかし、復活した東京の新文化の華《はな》然として、大道を闊歩している所謂職業婦人というのはそんなのではない。もっと新しい、現代的な意味でいう職業婦人である。

     自己見せ付け競争

 現代的職業婦人の名称には、単純な意味と複雑な意味と両方ある。
 単純な方はつまり醜業婦の事である。救世軍や婦人矯風会、又はその筋の言明に依ると、震災後特に馬力をかけて撲滅に努力しているという。又、実際、撲滅されかけているように見える。
 複雑な意味の職業婦人というのは、要するに裏と表と二重の職業を持っている婦人で、こちらは反対にドシドシ増加しつつある。
 この事実を疑うものは、東京人の中に一人も無いと云っていいであろう。
「ああ、あれかい。あれあ、君、職業婦人だよ」
 という言葉は、大抵の場合、この種類の婦人を意味すると考えるのが現代式だそうである。だから記者も、この種類の職業婦人のことを職業婦人と名づけて取り扱う事にする。
 彼女たち職業婦人は、その名前の美しく雄々しいように、その姿も派手で活溌である。最新流行は愚かなこと、永年東京に住んでいる東京人でも眼を丸くしてふり返るような、思い切ったスタイルでサッサと往来を歩いて行く。流行の競争はとっくの昔に通り越して、自分自身が万人の注目の焦点となるべく、あらゆる極端な工夫を凝らしているかのように見える。

     九州で福岡は東京流行の魁《さきがけ》

 九州で東京風の流行の真先に這入《はい》って来る処は福岡で、その次が大分県の別府だそうである。
 それかあらぬか、記者が東京の職業婦人の新スタイルを見て仰天して帰って来て見ると、こはいかん、ツイ一ヶ月ばかり前まで気ぶりも見えなかった福岡の淑女令夫人達が、堂々とその風《ふう》を輸入して、得意然と大道を練り歩いて御座る。別府には行って見ないからわからぬが、これは流行《はや》っているにしても、福岡のように土着の人がやっているのではあるまいから、さまで驚くにも及ばぬであろう。
 四五年このかた流行《はや》り始めた頭の結い方に、「ゆくえしらず」というのがある。今では通俗化して、一般の真面目な人――主として中年以上の婦人がやっておられるようであるが、髷《まげ》が無いために前髪や鬢《びん》をかなり思い切って膨らさねばならぬ。
 東京の職業婦人の頭はここいらから発達したものであろうか。その形の思い切って大きいのが何よりも先に眼に付く。

     頭髪の大きさの競争

 職業婦人の頭といえば、直ぐに一抱えもある毛髪の集団《かたまり》を思い出す。日露戦争当時流行した二百三高地どころでない。五百三から八百三位まである。それへ櫛《くし》やピンの旗差し物が立てられて、白昼の往来をねって行く……と云ったら法螺《ほら》と云う人があるかも知れぬ。
 法螺かも知れぬが、記者は間もなくそんな頭を見慣れてしまった。更にそれ以上の変妙不可思議な頭をいくつも見た。
 尤《もっと》も彼女達は初めからこんな大きな頭をしていたのではない。
 彼女たちは自分の頭を嘗《かつ》て見た最大の頭よりも見栄《みばえ》あらしめるために、一袋十銭のスキ毛を一ツ宛《ずつ》突込んで、遂に三十四十に及んだまでの事である。列強の大艦巨砲競争と似たような原因結果である事は疑われぬ。只、これを制限する華盛頓《ワシントン》会議がない代りに、讃美する新東京人があるだけ違う。だから彼女たちの頭の大きさの競争が、斃《たお》れて後《のち》止《や》むところまで行く。

     丸ビル式と銀座髷

 流石《さすが》に福岡あたりを歩いている新式の髷には、東京の職業婦人のそれのように非常識者なのは無い。これは、福岡の婦人に東京のような意味の職業婦人が少い、従って自己見せ付けの競争が東京程烈しく行われないからであるらしい。
 しかしこの競争もある程度まで行くと、行き詰まりになるのは止むを得ない。そこで今度は恰好の競争が始まる。
 その頭の恰好にも又いろいろある。記者が見たり聴いたりしただけでも新旧百幾通りもある。皆新聞や雑誌で宣伝されているから略するが、その中《うち》で有名な丸ビル式と銀座髷というのについて一寸《ちょっと》説明を加えておく。
 丸ビルというのは東京で丸の内ビルディングの事、銀座は同じく目抜の通りと云ったら笑われるかも知れぬ。それ程|左様《さよう》に有名な建築や町の名を髷に戴いているわけは、その建築や町に出入りする職業婦人に新しい意味の職業婦人が多い証拠である。職業婦人たちが人気と注目の焦点となっている結果である。

     第二職業広告用の理髪

 彼女達職業婦人のグループはこうしたわけで派手を競うた。そうして、その背景や職業に依って服装が違って来ると同時に、頭もこれに釣り合って変化して来た。すなわち背景と職業が似通っているために、その服装から次の恰好にまで共通点が出来て来る。丸ビル式や銀座髷はこうして出来た。
 丸ビルの方は、丸ビルそのものはもとより、付近の背景が皆ガッシリした大建築ばかりで、そこに出入りをする職業婦人は大抵事務員式のスタイルであった。
 銀座の方は大部分バラック式の派手やかなもので、職業婦人といえば大部分飲食に関係ある店の女給である。
 そうした空気の中からこんな髷が生れたのか、それとも或る一人がその特徴から工夫し出して全体に広めたものか、その辺は判然せぬ。いずれにしてもこのような背景や職業に……そうしてその第二の職業の広告に最適当したスタイルである事は云う迄もない。
 尚、丸ビル式は大正十三年の秋の末まで勢《いきおい》があったが、例の不良少女団ジャンヌダルクの一件以来、勢力を打ち消された形になった。これに取って代るべく生れたのが銀座髷かどうか知らぬ。
 もしそうだったら、近い中《うち》に又一騒ぎ持ち上るかも知れぬ。

     髷の恰好とお手本

 職業婦人の頭には、こうしてチャンと名前の付いたのもあるが、尚このほかに名前のわからぬので凄いのが多い。猫型、木魚型、鳥型、帽子型、真甲鯨《まっこうくじら》型とでも名付けたい位である。
 その上から鏝《こて》をかけて大波小波を打たせる。耳のあたりは渦を捲いたように見せかける。それから髷の競争である。
 髷は前髪や鬢《びん》と平均を取るために極度に大きくしたのもあれば、正反対に首の根づるに押下げて小蜜柑大にしたのもある。又は様々の形に結んだり、横たえたり、ブラ下げたりして、横から見ると随分気味の悪い恰好をしているのがある。そこへ例の色羽根や花飾り、飾り櫛、ピン、その他様々の旗差し物を出来るだけ賑やかにあしらったところは、奇観というも愚かである。
 しかし彼女たちが決して出放題にこんな頭を発明したものでない事は、その恰好や装飾品の取合わせをよく気をつけて見ているとわかる。
 彼女たちの頭のお手本は、大抵日本や外国の活動女優、又は雑誌、新聞の挿し絵や口絵を真似したものらしい。中には自分の顔に似合わせたものもある。又はそんな事をお構いなしのもある。

     和漢洋入り乱れた様式の流行あたま

 雑誌や新聞に宣伝されている、新しい髷の結い方を真面目に研究して応用しているのは、職業婦人には皆ないと見た方が至当であろう。勿論、多少影響はしているに違いないが、とてもそんな手ぬるい結い方では満足しないらしい。
 又、例外と見えるのがいくらでもある。
 眉の上まで庇を冠せて、そのうしろに中将姫のようなビラビラを戴いているのがある。
 一方に、低い束髪にしてから、元禄髷に似た縦長い髪毛の束を三寸ばかり上に突上げたのが居るかと思うと、洗い髪同様の髪を玄冶店《げんやだな》のお富《とみ》式にうしろに投げ卸して、その先を三つ組にして輪飾りの七五三のようにしているのがある。この式は将来職業婦人用の頭として最新流行を作るかも知れぬ。
 サザエのツボヤキをずっと大きく高くして、リボンで鉢巻をしているのは、希臘《ギリシャ》の巫女の真似であろうか。行衛《ゆくえ》知らずの行衛を半分見せたようなの、蓮の巻き葉のように左右から巻き込んだのなぞ、数え立てれば限りもない。
 その中で最も風変りな二つの流行は、襟足を剃ることと梳《す》きまき毛をブラ下げることである。これは流石《さすが》の福岡でもまだ行われていない。

     襟足を剃る式

 襟足を剃るのは、無論、束髪に限っている。多分、首を長く見せるつもりでもあろうか。剃り上げた首の左右に限って、二本の毛の束がブラ下がっているのを見受けるところから考えると、アヤツリ人形の真似をしたのかとも考えられる。とにかく、首の付け根からボンノクボの上まで、頭のうしろの半分ばかりを、耳の高さと並ぶ位にむごたらしく剃り上げて終《しま》う。そこへ白粉《おしろい》をコテコテと塗るのであるが、大抵は斑《まだら》になった上に、キメが荒いから粟肌《とりはだ》が一面に出来ていて、首の方向を変えると白い皺《しわ》の波が出来る。そのきたないこと。殊に非道《ひど》いのになると、毎日剃らないせいか、黒い毛がプツプツと芽を吹いて、白粉《おしろい》とゴチャゴチャになって、二《ふ》タ眼と見られぬ醜態である。他人《ひと》のを見てもわかりそうなものだが、自分のは見えないから立派にしているつもりらしい。冬なぞは嘸《さぞ》寒いだろうと同情に堪えぬ。

     梳き毛ブラ下げ式と頬に描いたホツレ毛

 次に、梳き毛をブラ下げたのはあまり多くないようであるが、奇抜なだけに、見たと云う人はいくらもある。見ない人はタボ毛が抜け落ちたんだろうと云うが、決してそうでない。わざわざ瓢箪《ひょうたん》型や糸瓜《へちま》型にこしらえた梳き毛の固まりを、耳の前にブラブラと釣るして歩くので、ドンタクでもあまり見かけない新型である。記者も初め遠くから見た時は、大昔の美津良《みずら》式を復活させたものかと思ったが、近付いてよくよく見ると、髪毛とは全く別の感じを持った黒い固まりなので腹の皮が拗《よ》れた。しかも、本人、大澄ましだから豪気である。多分、外国の活動女優の舞台姿か何かを真似たものと思われるが、本人に訊《き》いて見る勇気を持たなかったのは遺憾であった。
 尚《なお》、参考のために書き添えておくが、現在の東京で中年以下の婦人の断髪は時々見かける。しかし前髪を切って縮《ちぢ》らした式は、在京中、只一人しか見受けなかった。それから、職業婦人で日本髪に結っているのは、その職業が特別のものでない限り極く珍らしい方である。
 尚今一ツ、眼のふちを隈取ったのは九州方面でもよく見受けるが、鬢《びん》のホツレ毛を書いている人はあまり無いようだから、参考のために書いておく。実は東京でもたった一人しか見なかったのだから、流行とは云えぬかも知れぬ。しかし、ほかに見たと云う人が二人ばかしある。
 その女は二十歳前後で、例の耳隠しの大渦巻きの下から頬紅の下へかけて、左右平等に二本並んだ波形の直線を、黒く斜めに描いていた。ほかの連中が見たのも同様であったかどうかは聞き落した。とにかく新しい方では特等賞請合いである。
 次は職業婦人の服装である。

     職業婦人の服装

 職業婦人の服装は、その頭やお化粧程奇抜ではない。田舎風に、無暗《むやみ》にケバケバしいだけである。しかし、中には素晴らしく上品なのや、恐ろしく凝ったのも居ないではない。
 概して、産婆や、女事務員の年増や何かは、貴婦人風を理想としているようである。タイピストや看護婦、女給等は令嬢風、交換嬢や看視女等は女学生に見られよう見られようとつとめているように見える。
 しかし、いくらそんな風になり切っているつもりでも、生活がそうでない限り、どこかにお里があらわれているのは止むを得ない。第一、貴婦人らし過ぎたり、令嬢らし過ぎたり、女学生じみ過ぎたりしているところに、何となく不自然な感じを受ける。まして親たちの指図や許可を得て買った身のまわりと、自分達の勝手な趣味や思う通りの金で買い集めた身のまわりが、感じの点で非常に違うのは当り前である。一方がつつましやかに落付いているのに反して、一方が派手やかに気取っているところに、ありありとネタが暴露している。その上に、彼女等の職業や生活の上から来る気持ちの反映、身体《からだ》のこなし、顔の表情、眼の光りの澄み加減や落ち付き加減にまで注意したら、職業婦人であるかないかは、如何なる場合でも一目瞭然であろう。

     職業婦人が理解し得るバラック趣味

 第二は、彼女たちの背景である。彼女たちの背景となっているバラック都市は、彼女たちの姿をイヤでも派手にせねばならぬように、寝てもさめても刺戟している。
 バラック建築の色や形が如何に派手で変化が多くて、薄っぺらで毒々しいかは前に述べた。そのケバケバしい色や形の中に住む人間は、互に負けないようにケバケバしくするか、又は反対に陰気にジミにするかしなければ引っ立たない。
 新東京の新東京人の中で、男は後の方法を取った。中流社会の着物道楽の項で述べたように、現在の東京で最もハイカラな男といえば、最もジミな青白い服装をした男である。
 一方に、女がこれと反対の流行を作ったのは止むを得ないところであろう。彼女達の服装は弥《いや》が上にも派手に突飛《とっぴ》になって行った。
 芝居の書割りよりも、もっと自由に奔放な形式を使っているバラック建築のデコレーションに調和すべく、彼女達職業婦人は舞台化粧以上に白く塗らなければならなかった。唇を血のように染めなければならなかった。頬をダリヤのように赤く隈取らなければならなかった。思い切って大きな飾りを活躍せしむべく、頭髪の舞台面をどこまでも拡大しなければならなかった。着物の柄は調和を破る位に極端な取り合わせを用いなければ引っ立たなかった。それは趣味の低い彼女たちにもよく理解される趣味であった。

     バラック都市の夜の光線と処女達の美

 彼女達職業婦人が真面目な仕事をする時間は大抵昼間である。したがって、彼女達がその持ち前の美を自由に発揮する時は夜である。
 然るにバラック都市の夜の光線は、水蒸気の多い日本の昼間の光線がすべてをドス暗くみじめにすると正反対に、華やかである。だから彼女たちの姿が、夜の光りに調和すべく、仰山に毒々しくなって行くのは止むを得ないであろう。
 その真似をして真昼間の平和な町をあるく九州地方の婦人の姿が、如何に不気味に阿呆らしいかは皆さん御承知のところであろう。
 神田の或る美容術師はこんなことを云った。
「田舎へのお土産に東京の最新式の髪をという意味の御注文がよくあります。しかし東京式の結い方はあまりお上品向きでありませんから、お客様のお姿や服装から御家庭をお察しして、苦心しいしい調和よく結って差し上げますと、どうも御気に召しません。反対に職業婦人風にして差し上げますと、一も二もなくお喜びになります。すべてお髪《ぐし》は御家庭や、御職業や、又はそのお帰りになるお国の風土によって違います。外国でも気の利いたお方は、御旅行先や御転居先の風俗をよく研究されて、これに調和されて行きます。お料理なぞと些《すこ》しも違いません。福岡ならば福岡風があるのが本当なのです。日本中が東京風になるのは、日本の方がまだ本当の趣味を御理解なさらぬためだと考えられます」云々。

     千束町式、蠣殻《かきがら》町式

 東京の職業婦人の服装を、あんなに馬鹿馬鹿しく派手にした第三の原因は極めて深刻である。
 御存知の方もあろうが、昔、東京に千束町風又は千束町式、千束町スタイルなぞいう熟語があった。千束町というのは浅草観音の裏手にある醜業窟で……なぞ云ったら笑われるかも知れぬが、順序だから仕方がない……醜業婦の理想的なのがウジャウジャ居て日本中の男の油を絞った。その税金は浅草区有数の財源となっていた。
 そこの女達はあらゆる派手な姿をしていた。頭の天辺《てっぺん》から足の爪先まで、極端な派手ずくめの低級趣味で男を引き付けた。その女達特有の毒悪な安香水は千束町香水と呼ばれた。
 今の東京の職業婦人のスタイルは、この千束町式の変化したものに外ならぬ。その派手やかさとダラシなさ加減は、低級趣味の男の欲情をそそるのに最も適当している。
 今一つこれも知ったか振りであるが、約二十年近く前から東京に蠣殻《かきがら》町式という言葉が出来た。これは蠣殻町の取引所界隈にあった高等内侍のスタイルで、千束町式ほど下劣でなく、どちらかと云えば貴婦人好みが多かった。多分はお相手をする相場師連の嗜好から生れたものであろう。これが発達して帝劇美人式となって、現在の貴婦人のスタイルに影響したものかどうか知らぬが、そんな感じがする位である。今の東京に於ける女医、産婆、美容術師等いう年増の職業婦人は、大抵この流れを汲んだスタイルをしているので、駈け出しの刑事なぞにはとても見分けが付かないそうである。

     アレは職業婦人!

 職業婦人はその服装が如何に立派であっても、どこかに彼女たちの裏面の生活が反映しているものである。彼女たちは金を儲けるために働かなければならぬ。一日のうち何時間かは自己を殺していなければならぬ。その代り、彼女達は又、家庭の女が持ち得ない自由な時間と金を毎日いくらか宛《ずつ》持っている。その時間と金とを彼女たちは勝手気儘に使って、虐《しいた》げられた自己を慰める。これを妨げようとするものがあると、彼女たちは猛然として反抗するのが普通である。そうして益《ますます》勝手気儘になる。ダラシなくなる。ムシャクシャを増長させる。彼女達を高尚に、シッカリと、奇麗に、健康に育て上げようという指導者が次第に遠退いて行く。その結果が彼女達の服装に先ず現われる。
 白粉《おしろい》を塗り過ぎる。しかし襟垢《えりあか》は残り勝である。
 髪を大切にする。しかし毛の根は油でよごれている。
 美しい着物を着る。しかし裾にしまりがない。
 取り澄まして歩む。しかし眼づかいは下品である。
 そのほか唇のしまり、好みの調和なぞ、彼女たちのダラシなさを挙げたら数限りもない。しかも現在の東京人は、こんな風に見える女をすぐに解放された女と認めて讃美するのである。そうして男同士の間では、
「彼女は職業婦人だよ」
 と冷笑し合うのである。

     洋装の流行と活動

 職業婦人には時々洋装を見受ける。普通の婦人にも時々見かけるが、よく似合っているのは十人に一人もない。
 洋装の生命とするところは、顔でもなく、尻でもなく、只首と足の恰好だそうで、その中でも足は最も大切な条件なのだそうであるが、日本人の足……殊に女の足は十人が十人駄目である。東京の女学校で汐干狩をやると、皆足を気にしてとやかく云うそうであるが、さもあろう。日本婦人がズングリムックリした、無暗《むやみ》に派手な洋装を尾張大根のような足で運んで行く恰好はあまりよくない。
 おまけに彼女たちはダンスのダの字も知らないのだから、身体《からだ》のこなしが洋服とまるで調和していない。曰《いわ》く何、曰く何と、日本婦人の洋装批難の声はすべての男の批難の的になっている。それでも流行するのは、大方、活動の宣伝がきいているのであろう。

     職業婦人の服装が派手になって行く訳

 職業婦人の服装がどうしてこんなに派手になって行くか。どうしてそんな突飛な流行にまで突きつめて行くか。
 これには大略三つの理由がある。
 第一は彼女達が解放されていることである。彼女たちは金が自由になると同時に、親兄弟の意見を聴かないでも済む権利が出来た。即ち家庭から精神的に解放された。彼女たちは勝手なものを買って、好きに身を飾り得る境遇に這入った。一方、新東京の街頭には、原価の二倍以上の掛け値をした新織物や、新装身具が一パイに並んで彼女達を誘惑しているのである。抜け目のない商人たちはこう考えている。
「今の職業婦人は、今までの日本人の娘としては、真に驚く程の小遣いを持っている。しかも彼女たちの趣味は、育ちが育ちだけに極めて低級である。大きいか、美しいか、珍らしくさえあればいい。安くて、派手で、ちょっと上等のに見えさえすればいい」
 と。彼女たちは、毎日毎日、この手で誘惑されつづけているのである。

     消えゆく処女美

 彼女たち職業婦人はこうした昔の職業婦人の流れを汲んで、更にそれ以上に文化的な、蠱惑《こわく》的な風俗を作るべく工夫を凝らしている。首のつけ根を剃り上げたり、梳き毛をブラ下げたり、ホツレ毛を描いたりするのは、その苦心の最高潮のあらわれと見るべきである。
 職業婦人の名が二重の職業を意味しているとは、彼女たちのこうした風俗からでも訳なく察せられる。
 彼女たちはこうして処女の美を早くから失って行く。同時に夜ふかしや白粉《おしろい》焼け等が、彼女達の「美」と名づくる資本を奪って行く。そのために彼女達のお化粧は日に増し濃くなり、彼女達の頬紅、口紅は日毎に赤くなり、彼女たちの服装は年毎に若返って行く。哀れと云うも愚かである。
 このような不自然な美しさは、昔では色町やその他の限られた場所でしか見られなかったそうである。それが今では全東京の街頭に流れ出した。病院、学校、会社、銀行、商店、カフェー、バーは云うに及ばず見受けられる事になった。時勢の進歩の中でも最もハッキリした進歩はこれではあるまいか。

     彼女達はどうして堕落するようになったか

 記者は弁護する。
 彼女達職業婦人は決して初めから二重の職業を持っていたものでないことを。
 同時に記者は確実に予言し得る。
 一度《ひとたび》此《かく》の如く滔々と白昼の街頭に流れ出して、此《かく》の如く公然と官私の仕事に喰い込んだ職業婦人の職業だけを、二度と再び昔の色町や醜業窟に追い込む事が永久に不可能である事を。
 どうしてこんな事になったか……彼女たち職業婦人の大部分が、どうしてかように二重の職業を習い覚えるようになったか。
 只《ただ》この問題一つを研究するだけでも、人間一代を棄てるねうちがあるかも知れぬ。大正十二年九月以降、東京の市中に二重の職業を持つ婦人が激増した。その後に日本国中の婦人の風俗までが影響を受けて大変化を来たしたという事は、社会学上の大きなレコードだから……。
 しかし又一方から見れば、頗《すこぶ》る簡単明瞭である。彼女たち職業婦人の身の上を出来るだけ沢山に調査すれば、わけなく解る問題である。東京市内にある相談所、紹介所、又は会社や銀行の職業婦人を取り扱う掛りの人々は、こんな材料をいくらでも話してくれる。
 職業婦人堕落の原因は、極めて平凡で、しかも最も奇抜な結果になるのである。

     世間の世智辛さと教育から来た弊害

 世間がだんだんと世智辛くなるのは、大昔から今日まで引きつづいた事である。その中でも最も早く世智辛くなる処は、何といっても東京であった。田舎の人々が都会へ都会へと集まる傾向は、一層この状態を甚だしくした。
 女子供でも遊んでいられなくなった。親子兄弟の間でも、個人主義にならなければやり切れなくなった。
 外国から輸入された思想はこの傾向をいよいよ高潮さした。日本の教育=忠孝仁義を説きながら、実は物質万能、智識万能を教える日本の教育当局の方針も、この思想を益《ますます》底深く養い上げた。
 日本の女子供は、非常に早くから、生活とか権利とかいう言葉の意味を知るようになった。試験に及第する事、学問のよく出来る事が、即ち生活の基《もと》であり、享楽の種であるという意味で、現在の日本の若い男女は悉《ことごと》く文化の歎美者であり、物質万能主義者となったわけである。
 そうした事情と、こうした教育の中から職業婦人が生れた。紡績の工女、看護婦、交換嬢、女給、店番なぞいう、小学卒業程度でもつとまるのを初めとして、タイピスト、事務員、女教員なぞいう高女卒業程度のものまで盛に要求され出した。もっと進んだものとしては、婦人速記、製図手、外交員、会計助手、歯科医なども近々殖えそうである。このような傾向に伴った、日本女性の向学心の旺盛な事は、日に月に当局を喜ばした。
 同時に、無智で単純な女でなければつとまらぬ「女中」は、益《ますます》払底して来た。「高級家政婦」を求むる広告が、日に増し新聞紙上に増加して来た。
 これに対して、時間|極《ぎ》めの女中を世話する派出婦会が、東京市中に殖えて来た。これも新生な意味の職業婦人に入れられると云う人と、入れられぬと云う人とあるそうである。前者は大抵婦人で、後者は大抵男だそうである。

     彼女達の三資本

 職業婦人はこうして次第に東京を横行し始めた。
 彼女たち職業婦人は裏と表と両方の意味に於て、生活という事を理解している。
 彼女たちの資本は、その「健康」と、「美」と、「あたま」との三つである。その中で最もねうちある資本が、その「美」であることは云うまでもない。だから彼女たちの大部分はうら若い連中である。
 彼女たちのこの三つの資本のうち二つか三つかが使い切られた時、彼女達の職業婦人としての価値はどうなるか。彼女達は如何にして生きて行こうとするであろうか。それは今から十年後の東京に来て見なければわからない。又彼女達自身も考える余裕を持たぬであろう。
 彼女たちはこの三つの資本を最も大切に且つ最も厳重に保護してくれる人々、即ち旧式の家庭や社会から逃れ出た。彼女達はこの意味に於て全然解放されていると云ってもいい。彼女達が自身に金を儲けるという事は、直《ただち》に家庭と社会に対する精神的の自由を意味するからである。

     職業婦人の新智識

 彼女達は、その「健康」、「美」、「あたま」という三つの資本を自分の思う通りに使い棄て得る新世界に、「職業婦人」の名に依って解放された。
 その自由境は五色七彩の目も眩《くら》むばかり輝くバラックの都市であった。彼女たちの「あたま」はあまり要求しない代りに、彼女達の「美」を無理に要求する震災後の東京であった。
 その新世界の夜を飾るイルミネーションを、彼女達はベツレヘムの星と仰いだ。そこに存在するあらゆるものを、その新たに解放された眼で見、耳で聴いた。そのために彼女達は現代婦人の中で最も新しい頭を持つことになった。
 教育、理智、常識、道義心、そのようなものに囚われた婦人とはまるで違った意味で社会を理解した。彼女たちは社会をありのままの状態で知った。
 彼女達職業婦人は、雑誌を読んで新しい事を知ると同時に、これを実地に見ることが出来た。新しい言葉を知った時は、実地にこれを使った時であった。新しい歌をおぼえた時は、異性の喝采を受けている時であった。同様に社会の暗黒面、又は人間の弱点なるものを想像でなく体験する事が出来た。
 彼女達は生活というものの本当の意味を知ると同時に、ストライキ、サボタージ、反逆、裏切り、社会主義、享楽主義、刹那主義なぞいう言葉の本当の意味をも知った。知ると同時にこれを実行し得る自由を持っていた。何となれば、彼女達は自分で働いて喰っているからである。
 彼女達はこの意味で新東京の新文化の表面と裏面とを同時に支配している。そこに最も自由な華やかさと、最も深刻な暗さとを刻み込んでいる。

     不浄世界と紙一重

 職業婦人が見た実際の世界……それは、吾家の忠孝仁義から他家の温良貞淑へ渡されることに慣れていた、在来の日本婦人の大部分が夢にだも想像し得ないものであった。
 彼女たちは驚いたであろう。魘《おび》えたであろう。しかし、生活の鞭に追われて毎日毎日この社会に出入りしているうちに、彼女達は次第にこの不忠孝不仁義の気儘さに見慣れ、聞き慣れて来た。そうして、男と同様に社会に働く彼女たちには、矢張り男と同様に享楽する権利を与えられなければならぬ理由を認めた。
 彼女たちが男性の弱点――もしくは裡面というものを真実に知り得るのはこの時代でなければならぬ。あとは只、これに共鳴するかしないかという紙一重の境目《さかいめ》に彼女達は毎日毎日立たなければならなかった。
 しかし、因襲的につつましやかな日本婦人の血を受け継いだ彼女たちの大部分は、幾度《いくたび》か迷いつつ踏みこたえた。
 けれども又一方に、どうしても踏みこたえ得ない立場に陥ったのもあった。

     堕落を早めた地震

 彼女達職業婦人はどこに雇われたにしたところが、極めて低い階級に辛棒せねばならぬ。その収入や地位の向上はもとより、その首の切り継ぎまでも彼女達の上役の異性の手に任せねばならぬ。
 しかもその上役には彼女達の手腕よりも、彼女たちの美を求むるものが多かった。
 彼女達の中には、こうした余儀ない事情から、第二の職業を習いおぼえたものも少くなかったろう。否、職業婦人堕落の原因の中でも、こうした原因はかなりの重大さを持っていると見ていい。
 しかしそのほかの光明界に踏み止まった職業婦人――即ち第一の職業だけで満足し、且つこれを一生懸命護り固めて来た若い女性たちの大多数が、遂にその暗黒と光明を隔つる紙一枚の境を踏み破らなければならぬ時が来た。
 それは大正十二年の九月一日であった。
 読者は記憶しておられるであろう。大正十二年九月一日の大震火災後一二ヶ月の間、東京市中に婦人の戒厳令が布《し》かれた事を。勿論それは公式のものではないが、当局の達示によって自警団員が夜間婦人の外出を禁ずる旨を布告《ふれ》てまわった。

     婦人への戒厳令

「新宿、品川、吉原等の遊廓は潰れた。その他の醜業屋も大部分は焼けてしまった。各券番は休業した。東京のあらゆる街々は、夜になると飢えた狼が横行するに任せてある……」
 といったような風説、又は事実が口から口へ、又は新聞紙上にあから様に伝えられた。それ程に震災後の東京は飢《う》えていた。この飢に堪え得たものは教育ある上流人士よりほかにない。否、その上流の男女があの震災後如何に身を護りかねて来たか……堕落して来たかは前に述べた通りである。況《いわ》んや下層社会に住む職業婦人がどうして身を護り得よう。
 ライスカレー一皿で要求に応ずる女が震災直後に居た事は前に述べた。その後東京市中の秩序が回復して来るに連れて、そのライスカレー一皿の価十銭が五十銭となり、一円となり、五円となって来たことは云う迄もないが、しかし、それは只高価になった迄の事である。野天で売買されなくなっただけであることは云う迄もない。

     安飲食店激増の理由

 震災後の東京で最も増加したものが飲食店と自動車である事も前に述べた。殊に飲食店は東京市中のすべての半町|毎《ごと》に一つ宛《ずつ》位は必ずある。多いところは一町内の過半数が飲食店と云ってもいい位である。これ等の飲食店は一般東京市民の要求に依って出来たもので、市民と彼女達の仲介業者であった。結局、震災後の東京でその甚だしく増加した商売は、職業婦人の第二職業という事になる。
 彼女たちは現在でもこうした安飲食店から、高級な処ではカフェー、洋食店にまで行き渡って第二職業を本職としているのが多い。
 一方に復興の東京は彼女達職業婦人の多数を第一の職業に呼び返した。その上に更に夥しい新米の職業婦人を迎え入れた。震災の御蔭《おかげ》で第二の職業を知った職業婦人の多数と、まだ第一の職業しか知らぬ新米の職業婦人の多数とは、こうしてゴッチャになって東京の復興に努力し始めた。

     震災後の淫風と生活難の誘惑

 昔から大変災のあとに必ず吹き起る事になっている淫風は、蕩々として彼女達職業婦人を包んだ。第二職業の味を占めたものも、占めないものも、一様にポーッとなった。
 更に、バラック都市のアクドイ色彩は、夜となく昼となく彼女達を刺戟した。着物道楽の流行で、震災前よりも一層デカダン式にリファインされた男性の姿は、彼女達を朝な夕な眩惑した。
 第一の職業しか知らぬ新米の職業婦人は、次第に第二の職業を習いおぼえて来た。
 そればかりでない。
 震災後の東京に於ける生存競争が、震災前のそれよりも数層倍烈しく乱雑になった。弱い彼女たちを死に物狂いになるまでいじめ上げた。これも彼女たち職業婦人を堕落させる有力な原因となった。
 時は金なり、金は生活也。生活の真髄は享楽なりという実際の証拠が、彼女達の眼の前に朝から晩まで走馬燈の如く廻転した。
 時、金、生活、享楽――即ち物資文明の産物たる東京のバラック、イルミネーション、エレベーター、店頭装飾、そのようなものの間を駈けめぐる電車、自転車、荷車、汽車、オートバイの響は砂煙を上げ、天地に轟きつつ、まだ気の弱い、生れ立ての職業婦人たちの神経を戦《おのの》かした。
 自分の持っている限り無形の資本を、一日も早く有形の資本に易《か》えて、生活の安定を得ねばならぬ、という事以外に彼女たちは何事もわからなくなった。その時に彼女達は、その持っている三つの資本、健康、美、あたまのうち、美がすべてに勝る資本である事を知った。全東京の男性は彼女達の美に飢えている事を知った。殊に彼女達の出世の直接原因となるべき上役、又は彼女達の保護者となるべき富豪を自由にするには、彼女達の美を提供するのが一番である事を知った。彼女達の「美」は彼女達の「頭」の良さを保証し、彼女達の「健康」と「勤勉」とをさえ保証する事を見慣れ、聞き慣れて来た。
  ………連載一回分(二千字前後)欠………

     堕落し立てのホヤホヤ

[#ここから台詞の2行目以降1字下げ、本文とはアキナシ]
記者の友人[#「記者の友人」に傍点]甲「女なら今の東京だね」
記者の友人[#「記者の友人」に傍点]乙「どうして」
甲「どうしてだって、東京の職業婦人はまだ出来立てのホヤホヤだろう。そいつが又堕落し立てのホヤホヤと来ているから、面白いだろうじゃないか」
乙「という意味は……」
甲「頭がわりいな。第一、往来をあるいて、本物の職業婦人かどうかという事をめっけるのが面白いじゃないか。その次には、どんな風に渡りをつけるか。彼女達のブローカーはどこに居るのか。居れば店の中か外かという事を探し出すのが、又探偵小説以上の興味だぜ」
乙「フン、それだけか」
甲「どうして……これからさ。そこで彼女達い有り付くと、玄人《くろうと》ともつかず素人《しろうと》ともつかぬ新しい味わいがあるね。これが前芸で、だんだん深くなると、彼女たちは根が半玄人だからじきにまいって、あべこべに夢中になるのがある。そいつをからかう面白さったらないね。さもなくとも手堅い奴を口説き落して、何とかしてこちらに向かす。向いたら最後、こちらから引外《ひきはず》して逃げまわると、半玄人の悲しさには、青くなったり、赤くなったりして追っかけて来る。そんなのを二三人持っていると、大いに青春の慌しさを感ずるね」
乙「どうも驚いた。君にそんな手腕があろうとは……」
甲「何が君。芸者や女郎とはたちが違うもの。君にその手腕がないので不思議な位なもんだ」
乙「いよいよ呆れたね」
甲「何《な》んならお伴しようか。安値《やすね》で清潔なところを……」
乙「ウン……」
[#ここで字下げ終わり]

     堕落程度と相場

 職業婦人の堕落程度にはいろいろある。
 人間と名のつく以上、堕落の機会を持たぬものはないので、職業婦人は殊にその機会が各種各方面に多いが、ここには只売り物としての堕落方面を述べるに止める。
 芸妓《げいしゃ》はあまり有りふれているから略するとして、その次にありふれているのは女給、女案内人、稍《やや》高級なところではモデル女、女優一切であろう(女車掌の事は前に「新東京の裏面」の項で書いたから略する)。この種の職業婦人は、職業婦人と云えば云えるようなものの、そう改まった名称をつけなくともいい。女優は貴族的の気分で、モデル女は下宿にでも公然と来る点で、女給は安値な点で、又案内女はもっと安値な点で盛に売れている。相場は無論一定しないが、女給が二十円以下、案内女は十円以下と云ったら中《あた》らずといえどもである。普通の安いところを云えば、女給十円、案内女五円位でもあろうか。
 十円位の相手で待合(待合と云ってもいろいろあるが後段参照)に五円乃至三円、花に二三円、合計二十円もあれば充分で、僅々十円乃至七円でも受け合われるという。この辺になると大分|通《つう》になる。
 仮にも女優と名が付くと、女給業よりいくらか高い。モデル女と活動の案内女の話は古いからここには略する。

     女優の券番は?

 職業婦人の第二職業の紹介者、女衒《ぜげん》、周旋人、又はブローカーといったようなものは名前を換えて色々いる。
 女優と云えば、大抵活動や芝居のそれであるが、社長や所長、又は何々主任、専務なぞいうものに渡りをつけなければ、先ずお眼にかかれぬ――そのような仲介者への紹介者は、無論、金と友人である。
 女優はそんな連中の命令? で、セット(待合)にでもローケーション(旅行)にでも来る。時と場合では宴会の席上にも来るが、芸妓のように「アラチョイト」式の活躍はしない。如何にも芸術家然と気取っていて、先ず飾り物といった風である。その癖《くせ》金のかかる事帝劇女優以上だと云う人もあるし、以下だと云う人もある。但、これは宴席の飾り物としての事で、第二次の御馳走としてのねだんは帝劇の以下だと聴いた。いずれにしても、将来、文化的の意義を以て益《ますます》流行する事請合いである。
 その中《うち》政府から勲章が下がるようになるかも知れぬ。

     或る大カフェーの一例

 女給のブローカーは店の番頭や帳場のお神、老女給なぞが受け持っているときいた。しかし実際に当って見ると、どれがどうなるのか一寸見当が付きにくい。
 見当の付いた一例ではこんなのがある。それは浅草の或るカフェーである。
 広い天井一パイの花や紅葉の間に昼夜輝く電燈の下を、十七八から二十歳前後の揃いも揃ったのが二十人程、友禅模様に白エプロンの結び目高やかに右往左往している。ここの女給は、ほかの処みたようにキャッキャとしゃべったり、笑ったりしない。皆伏し目勝ちにして、時たまニコリする位のことで、それが又特徴になっている。聞けばここの女給は或る限られた地方から、或る手段で連れて来て仕込んだもので、うっかり口を利かせると売れ口に関係するのだそうな。つまり顔と肉体美だけを見せ付ける方針らしい。
 それかあらぬか、ここのお客には凄いのが多い。浅草辺のゴロ付き、隠れたる凄腕記者、何々団の壮士、札付きの主義者なぞが、あちらの机、こちらの椅子に陣取って、チビリチビリやりながら、用あり気に出入りのお客に眼を光らしている。
 これに対して、店の入口の処にコック帽の男が一人、そのうしろの机に背広服が一人、帳場に禿頭一人、女給頭一人と居て、なかなか監視が厳重である。こんな処ではなかなか女給と直接交渉(一名万引き)は出来ない。
 ところで尚このほかに、今一人、背広に縞ズボンのリュウとした男がブラブラしていて、時々テーブルの傍《かたわら》へ来て、お客の顔を見ながらヒョコリとお辞儀をする。ニコリと笑うこともあれば、
「入らっしゃいませ」
 とも云う。
 この男を呼び付けて女給の番号を云うと、喰ってもいない洋食の勘定書を持って来る。又はお酒の代として、別勘定にして来ることもあるそうである(この式で只口先だけでいくらと払わせるのも、ほかにいくらもある)。金を払うとすぐにその女給がテーブルに来るという(来ない処もあるが、チップ次第が多いと聞く)。

     奇妙な喫茶店

 以上述べたのは東京の目抜の処の一例であるが、それ以外の低級な処へ行くと、こんな心配も気兼ねもいらぬ。極めて平凡で乱雑である。
 大森、蒲田、その他東京の郊外、市内でも早稲田、下谷なぞのカフェーやバーに這入ると、真白なお化けが飛び付いて来る。椅子が無ければ、初めてのお客の膝の上にでもイキナリ腰をかけかねない。実に手軽い歓楽境である。
 神楽坂のような震災後の目抜の処でもこの流儀のがある。お客はビールと豆位でいつまでも騒いでいるが、流石に女は酒を飲ませぬ事になっている。殊に十二時キッチリに店を締めるから、場末のように見苦しい事はない。但、このような店は、単に十二時以後に於ける、店以外の商売の取引場と見てもいい位のものである。
 尚、特別の特別――かどうか知らぬが、記者の眼にそう見えたのがある。
 一軒しかないのだから処は挙げられぬが、浅草か銀座かと思って頂きたい。或る狭い横町のカフェーに這入ったら、表の割りに内部は奇麗である。
 狭い壁を全部、印度更紗《インドさらさ》模様の壁紙で貼り詰めて、床にはキルクが敷いてある。大理石の机が階下に二つ、二階には只一つある。その只一つの机の真ん中に、香り床しいクリサンセマムドワーフの鉢が、これも只一つ置いてあった。それから正面の壁に美人の写真の額が、これもたった一つかけてある。そこへ十四五の小娘が白いエプロンをつけてチョコチョコと出て来たから、紅茶とお菓子を命ずると、ハイと云って降りてゆきかけた。
「店にはお前一人かね」
 ときくと、黙ってうなずいて降りて行った。記者は煙草を吸いながら考えた。
 ……表は見すぼらしい――内部は見事なカフェー――小娘が唯一人――お客はあまりないらしい。それでいて場所は日本一である。これでどうして商売になるのかしら……。
 こんな事を考えているうちに、小娘がお茶とお菓子を持って階段をソロリソロリと上って来たから、受け取って飲んで見るとなかなか上等のものである。菓子も※[#「※」は「凩」の「木」の代わりに「百」、読みは「ふう」、「風」の古字、239-14]月か木村屋かと思われる。記者は小娘に聞いてみた。
「この店ではお料理もするの」
「イーエ、お茶とお菓子だけよ」
「お客がないね」
「……………」
 小娘は無邪気に笑った。いよいよおかしい。
 記者は正面の壁にかかっている美人写真の絵葉書を指して問うた。
「この写真は誰なの?」
 小娘は又ニコリと笑った。
「このうちの姉さんよ」
「どこに居るの」
「知らない――」
 小娘は笑いながら駈け降りて行った。
 その額縁に立ち寄って見ると、その写真は額縁のうしろからさし込み式になっていて、表面のほかに四枚の美人写真があった。年頃は十七八から二十四五まで順々になっている。それからその額ぶちのうしろに電鈴《ベル》が一つある。
 記者は一寸考えてから、その電鈴《ベル》を押して見た。
 間もなく下から、立派な三つ揃いのモーニングを着た、四十恰好の苦味走った男が上って来た。
「いらっしゃいまし。毎度どうも……」
 とお辞儀をして、記者の向う側に腰をかけた。あらかた様子を察した記者は、この男とこんな問答をした。
「僕は田舎ものでね。勝手がわからないが……」
「エヘ……恐れ入ります……」
「……………」
「……………」
「エー、どれかお気に召したのが?」
「どこに居るね?」
「エー、ここでは御座いませんので」
「どこだね……」
「エエ、いつでも御案内致します。エヘ、そのお気に召したのを御指名下されますれば、エヘ」
 男の眼は早くも用心深そうに輝き始めた。
 記者は失敗《しま》ったと思った。
「いつでもいいって!」
「左様《さよう》で、ここにありますのならどれでも、エヘ……」
「これはどうだね」
「ヘエ。これは三十五円で……」
「半夜かい、終夜かい」
「半夜で、室とお料理だけが別で御座います。終夜だと今二十円お願い致しますので……エヘ」
「高価《たか》いな。じゃ、これは……」
「みな同じで御座います……」
 男の眼はいよいよ警戒的に光って来た。
 記者は社用の名刺以外に、或る特殊な名刺を持っていたので、よっぽどそれを出して見ようかと思ったが、さりとはと思い切ってここを出た。
 その後、或る友人にこの話をしたら、
「それあ新発見だ。恐らく最高級の奴だろう。早速行って見よう」
 と云った。記者が高価《たか》い事を説明して押し止めると、彼は高らかに笑った。
「アハ……。馬鹿な……。それあ出たらめだよ。君は体《てい》よく追っ払われたんだ」
 然るにその友達もその後《ご》そこへ行って失敗したと見えて、帰って来るとすぐ記者に電話をかけた。
「君。駄目だったよ、あそこは。誰か紹介者がなくちゃ……君は例外らしいぜ……」
「そうかなあ……じゃ、名探偵だな、僕は……」
「馬鹿な……いい椋鳥《むくどり》に見えたんだろう」

     文明病としての神経痛

 女医、美容術師、マッサージ師、派出婦、助産婦、保姆、看護婦なぞは、大抵、何々会というものに付属しているが、この何々会に頗《すこぶ》る怪しいのが多い。
 九州地方の看護婦会の会長さんはよく云う。
「看護婦は奥さんの御病気の時に行くのを嫌がります。つい旦那様のお世話をさせられたりして、誤解を受けたりする事がありますので……どうも困ります」
 東京はこれと正反対で、そんなところを撰んでつけ狙う。一方、お客の需要もそんなのが珍らしくない。独身男から、奥さんが病気だと、電話がかかって来るのもないと限らぬ。勿論、会長も看護婦もその方の収入の方がずっと大きい。
 その他、子供の世話と名付けて保姆を、その他の仕事に家政婦や派出婦をといった風に、前の看護婦と同様の意味で営業しているのが、東京市中にかなりあるらしい。但、見わけはなかなか付かない。
 今度、東京でいろんな新智識を得たが、その中でも面白いのは、マッサージ師の上得意で、神経痛という病気である。これは文明病の一種であるが、ちょっと医師にも素人にも見わけが付かないところに、一層文明病としての価値があるのだそうな。というのは、奥様が神経痛にかかって別荘に御祈祷師を呼び寄せると、旦那も又神経痛で本宅に女マッサージを出入りさせるというわけである。最近の神経痛は痛くとも何ともなくて、かかり易くてなおり易く、おまけに見分けが付かないという。便利な病気もあればあるものである。
 但、これ等は、東京人の堕落時代に乗じて今更|流行《はや》り出した病気とは云えないかも知れぬが――。

     恐ろしい看護婦

 私立病院の看護婦に醜業婦同様のものが居る事は古めかしい話である。嘘か本当か知らぬが、看護婦に美人の多い病院は繁昌するという。又、病院の種類に依って、美人を必要としない病院もあるという。さもありそうな事である。
 尚、これも余談ではあるが、こんな話を聞いた。
 東京の女が如何に堕落しても、又はどんなに凄腕になっても、看護婦のそれ程深刻にはなり得ないであろう。言葉を換ゆれば、東京の婦人の第二職業で、看護婦程恐ろしい度胸を要するものはないであろうという。
 看護婦さんは自分の手にかけた患者が死ぬとお悔《くや》みに行かねばならぬ。お手当によっては会葬もせねばならぬ。それが当り前に手にかけて当り前に殺したのならば何でもないが、何でもあるのに平気で遺族の前に行って、平気で涙をこぼさねばならぬ。これが普通の第二職業婦人には滅多に必要のない芸当で、この点だけは如何なる阿婆摺《あばず》れでも看護婦さんの平気さに舌を捲くそうである。
 知っていて損はあるまい。

     真面目な職業婦人のグループの苦しみ

 美容術師は看板や広告の意味で美人を仕込むので、特に上流向きに出来ている。しかし、有名なビルディングの美容術師の入口の大鏡の前に、絵のような美人がうつむいて腰をかけている姿を二三度見かけた。雑誌を読んでいたり、編み物をしていたりした。お湯屋の看板娘程度の意味か、それとも張り店式の意味のものかどうかは、考える人の考えようである。
 こうした中を抜けつくぐりつ営業する真面目な職業婦人や、何々会なぞのやりにくさといったらないそうで、そんな不平は到る処耳に胼胝《たこ》である。
 尚、このほかに女流音楽家というのがあるが、これにはあまり別嬪が居ないそうで、手固いのも珍らしくない。手柔《てやわら》かいのでも、あまり民衆的ではないようだからここには敬遠する。
 九州方面に特に音楽家崇拝者が多いために遠慮したものでないことを、特にお断りしておく。

     第二職業の秘密程度

 各種職業婦人の第二職業の秘密程度には何となく階級がある。
 芸妓《げいしゃ》は秘密とはいう条、公然同様であるから略するとして、女給、家内女等を仮に第三級とする。但、これも公然といえば公然である。派出婦、美容術師、助産婦、看護婦なぞの第二職業は大分《だいぶん》秘密の程度が高くなる。前の第三級に対して第二級とでも云おうか。尤もこの中で看護婦はほかのよりも有りふれているようだから別格かも知れぬ。
 女事務員、女タイピスト、女医者、女薬剤師、女会計なぞいうのは、或る一面から見れば秘密程度が第二級よりも低いといえるが、眼先の新しい点では他の各級各種類のどれよりもすぐれている。つまり、その秘密ぶりがあまり知られていないから第一級とした。今の東京の暗黒面を最も深刻に、且つ不可思議な美しさで彩《いろど》っているは、実にこうした職業婦人なのである。
「ナアニ、そんなに秘密でもなければ珍らしくもないよ」
 と云う人があったら、その人は新東京人のチャキチャキである。それだけ東京人の堕落に対する批判の公平を喪っているものと見ねばならぬ。

     白昼街頭の怪しい女のむれ

 丸ビルの悪魔式少女団の話は早くも過去の夢になった。
 彼女達の重立《おもだ》った者は、数名一団となって或る店に雇われていた。鉛の強いお化粧をコテコテと塗って、青い事務服を着て、店一パイの硝子《ガラス》窓の前に並んでカチャンカチャンとタイプライターを打っていた。その向うに四十代と二十代と二人の好男子が、リュウとした背広を着て、腰をかけて見張っていた。お客はあまりないようであった。
 通りかかりの人が大勢、冷たい硝子窓に額や頬を押つけて、そのカチャンカチャンを飽かずに見ていた。
 まだこのほかにも丸ビルには、彼女たちと似たようなお化粧ぶりの女がいくらもいた。
 否、ここばかりでない。有名な駅の切符売場、郵便局の窓にも、問題の女がチョイチョイ居るのを見た。
 銀座の或る菓子屋には、欧州風の部屋着の揃いに、揃いの頭、揃いの髪飾りの美少女が五人、輪を作って椅子に腰をかけていた。只それだけの役目らしく、お客が来ると男の店員が代って応対をした。
 神田の某文具店の女店員は、鉛筆部、ノート部、帳簿部、万年筆部といった風に受け持ちがあって、勘定一切の責任を負うている。仕事は親切で態度も慎ましやかである。しかもそれが化粧は揃いも揃って夜の光線向きで、一見怪しい女だと思わせられた。
 某大百貨店と某大呉服店の女店員(茶酌み女も含む)が平均十円程度の売り物である事は、上流の貴婦人にもかなり知られているらしい。
 これに対抗して銀座の或る大ビルの事務所では、事務員に東京生れの醜婦ばかりを集めているとこの頃聴いた。事実とすれば、東京人の堕落に対する一種の裏書とも考えられる。

     近代式挑撥的化粧法

 この式に見てまわると、東京市中美人ならざるなしである。殊に最近、印象派とか、表現派とかの絵が極めて通俗的に流行するようになったので、女は皆お化粧が上手になって、美人でなくとも挑撥的には見える化粧法が発達して来た。この傾向は第二職業を持つ婦人に特に有利で、そのためか東京市中の女が特に毒々しく引立って見える。結局、純然たる第一種の職業婦人に見える女性でも、その化粧ぶりを見ると、あらかたこの女はと思える事になった。
 第一種職業婦人式第二種職業婦人は、かように到る処に居るには居るが、慣れない者には猿猴《えんこう》が月で手に取る方法がわからない。
 但、この道の通人を友人に持っていれば訳はない。どこのタイピストはどこの煙草屋のおやじが世話をしている。どこの女店員はどこの桂庵が一手販売だ。あそこの工女は何というゴロツキの縄張りで、どこの缶詰屋で切符(線香?)を売っているなぞと、わけはない。

     専門又はデパート式別嬪屋

 京橋|木挽《こびき》町の或る大建築の前の缶詰兼洋酒類煙草屋は、震災前、海軍大学その他、高等海員向きの女の世話をするので通人間に知られていた。今もあるかどうか知らぬが、こんな風に職業婦人を紹介する処が、今では東京市中到る処にあると云っていい。どこの工女とか、女店員とか専門のもあれば、お望み次第のデパート式もポツポツある。そこで一度顔なじみになれば、別の専門へ紹介してくれるのもあるそうな。
 線香、席料なぞは芸妓と似た組織で、もっと手軽で安値で自由であると思えばいい。勿論、ここに述べた第二級、第三級の職業婦人も同様である。このほか、カフェーや料理屋の密室組織もあるが、古めかしいから略する。
 友人の紹介でこんな処に行くのは、安心であるが興味が薄い。勇敢な連中は新しい処を新しい処をと探す。今一歩進んで直接交渉や街頭の奇襲、又は家庭訪問などと出かける英雄もいる。その結果、田舎者と同様の失策をやる事が珍らしくない。

     あとをつけたら警察署長官舎へ

 カフェーで飯を喰っているうちに、これは素敵と見当をつけてあとをつけたら、電車に乗って山の手へ来た。その降り口の交番の巡査がその女に敬礼をしたから、これは珍だとついて行ったら、或る門構えの家へ這入った。どうも変だから最前の巡査にきいてみたら、「あの家は警察署長の官舎です」……。
 マッサージをやる美人後家の下宿をねらって這入ったら、奥の間に脊髄病の入れ墨男が居て、その後家を女衒《ぜげん》の手先に使っていた……。
 さる三人の女タイピストが居る会社に定宿直をする四十男が眼付きの怪しいところに見当をつけて、夕方その男を電話で呼び出してタイピストの世話を頼んだら、「すぐにお出《いで》なさい」と云った。行って見たら危うくなぐられそうになって、命からがら……。
 ……なぞと嘘か本当か限りもないが、この辺で略する。
 成功談も無論ある。バラック都市の人々は、寄るとさわるとこの種の新発見の話ばかりしている。しかし、あんまり紹介すると一種の奨励になるから、その中でも最も新しい、且つ事実に相違ないところを綜合して二三紹介する。

     素晴らしい秘密の一夜

 嘗《かつ》て、丸ビルの靴磨きが女事務員のブローカーである事が某雑誌で素《す》ッ破《ぱ》抜かれると、そのおやじは早速消え失せた。しかし、そのあとが決して消滅した訳ではない。石川や浜の真砂と同じ事である。
 但、靴磨きだけは、その後、或る種の恐慌を感じたという。
 ずっと前の項で秘密画売買の件の中に、普通の美人写真の絵葉書ばかり持っているのがあるとだけ書いておいた。その大道で秘密に売る普通の美人絵葉書は、大抵一枚七八円から四五円迄ある。黙ってこれを買うと、向うから時間と場所を云う。終夜か半夜かと聞くものもある。聞かぬのもある。
 そこへ出かけると、表はつまらぬ家だが、裏には一寸した室が二つか三つ以上ある。そこに控えていると、約束に一分違わず、最前買った絵葉書の主が出て来る。
 喰い物や飲みものは出前で取る。火鉢、座布団、その他は、その家から賃借りをする。気の利いた処になると、床の間の掛物、屏風、机、電燈の燭光まで金ずくで、相手が美しいと、総計三十円も奮発すればとても素晴らしい一夜が明かせるという。飽く迄もバラック式の文化式である。

     第二職業婦人仲介業いろいろ

 この手の商売が絵葉書屋にもある。
 記者は東京市中の秘密出版物の景況を探る目的で、絵葉書屋を見当る毎度《たびごと》に飛び込んで、
「男の裸体の絵葉書はないか」
 ときいてまわった事がある。その返事は大抵、
「御座いません。その筋が八釜しいので」
 という意味のものであった。そこで女の裸体の絵葉書を出していろいろ話していると、秘密画を出して見せるところもあるが、前に説明した高価な美人絵葉書を出して見せるところもある。
 大道の美人絵葉書売りと違って、店で売るのは種類が多いのが通例である。
「これは特別のですが、如何様で……」
 とニヤリと笑う。人が見ていても、価格さえ聞かねば、普通の絵葉書と変りはないのだから便利である。
 気に入ったのがあれば、そこで協商が成立する。時間と場所を聴いて、金を払っておきさえすれば、決して間違いはない。
 中には、かような絵葉書屋で、裏二階や何かを利用して待合兼業でやっているのもあると聞いた。
 まだある。

     到る処の怪しい家

 東京市中にある各種のホテル又は宿屋等で、宿屋は宿屋としてチャンと商売していながら、兼業に怪しい男女を泊めるのが大変多い。そんなので通人仲間に名の知れた手堅い? のに泊まって、番頭とか支配人を呼んで頼めば直ぐに電話をかけてくれる。しかし、そんな処へ行くのは、どちらかと云えば平凡な組の通人だそうな。
 まだある。
 東京市の郊外、又は東京市内のちょっとした横町、又は坂道や高台の近くの見晴らしのいい処に、宿屋ともつかず下宿屋ともつかぬ家がよくある。有り体に云えば、同伴客昼夜宿泊所又は仲介業とでも云うべきで、東京市中にいくらあるか知れぬ。夫婦者で、表に「精進上げ」なぞを並べて、二階二間位を使ってコヂンマリやっている式に到っては数限りなかろう。
 但、この程度まで来ると強《あなが》ちに職業婦人に限ったわけでなく、又震災後に限ったわけでもない。昔から東《あずま》にあり来りで、それが最近に到って急にふえたまでのことである。
 この式の宿屋に出入りするものは、良家の子女、純職業婦人はもとより、駈け落ちもの、出来合いものの数をつくして自由自在である。
 東京人の堕落時代は、こうしてあらゆる方面に色彩を深めて行く。
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   下層社会



     安飲食店の女

 東京の上流社会の紊乱《びんらん》は既に書いた。中流社会の堕落と認められている職業婦人の堕落も、以上述べる通りである。
 そんなら下層社会はどうか。
 下層社会の堕落の対象は、大体に於て所謂低級な醜業婦、即ち単純な意味の職業婦人である。どちらかと云えば何等の仮面をも冠《かぶ》らぬ。――初めから醜業婦として客を招く女である。
 この方面に関する記者の報道は極めて簡単で済む。東京市中到る処魔窟ならざるなしという一語で済む。
 天麩羅、おでん、すし、一ぜんめし、酒肴、一品洋食、支那料理、簡易食堂、平民バーといったようなのが東京市中到る処にある。その中の十中八九は怪しいと云ってよい。ほんの申訳《もうしわけ》に食器や空瓶を並べたのが、どうかした横町に行くとザラにある。そこには必ずその白い頬と唇の赤い女が居る。
 何々紹介所、又は周旋所、口入所《くちいれしょ》なぞ看板をかけたのもある。中に這入ると粗末な椅子やテーブルがあって、変な男が出て来て応対をする。何も知らずに世話を頼みに来た男女は、大抵一円か五十銭か取られて追払われる。それっ切りである。しかし、案内を知って来た男は奥や二階に通されるという仕かけである。こんな処のは、飲み喰い抜きの切り売りが多い。

     安価な食欲と性欲の共同提供

 東京市中がこんな浅ましい状態になった原因が、取りあえず二つある。一つは云う迄もなく一昨年の大地震である。
 あの大地震は東京市中の到る処に安飲食店をゆすり出した。同時に東京市中にありとあらゆる女のクズをたたき出した。
 喰い飢えた東京人、女に渇《かわ》いた東《あずま》の男は、滅多無性に安い食物と安い女を求めた。
 職を失った人々は何という事なしに手軽な飲食店を開いた。中には一攫千金を極め込んだものも居る。同時に途方に暮れた弱い女たちは、何故という事なしにその唯一の財産を大道に晒《さら》して売らなければならなかった。彼女達の場合は、最初、野天が多かった。併し後《のち》になって、この二つの商売……安価な食欲と性欲の提供業は期せずして共同した。そうして今日までズーッと繁昌して来た。その当時と今の違うところは、その間《かん》に著しい価格の階級が出来ているだけの事である。

     飛んだ紀の國屋文左衛門

 昔、紀の國屋文左衛門は、江戸の大火と見ると、すぐに木曾に材木を仕入れに行ったという。大正の大震火災では、東京が灰燼《かいじん》になったと見ると、一目散に東京を飛び出して、五人十人二十人三十人と醜業婦を仕入れて帰って来て大金儲けをしたものが多い。
 相生署の某刑事は云った。
「大抵は芸者にしてやるからと云って連れて来たのが多いようです。勿論、芸者にはしません。非道《ひど》いのになると、四人の少女を一人一人一室に監禁して、便器と枕と布団だけ宛《あて》がっていたのもあります。稼がなければ喰わせないのだから堪まりません。経験のある女を仕入れて来た奴の中には、富豪の邸の焼けあと、空虚になった工場の中などで切り売りをさせたのもあったそうです。私はこの頃東京に来たので事実は知りませんが、先輩がそんな話をしておりました。遠いのは東北から越後方面から連れて来たのもあったそうです。何しろ震災後今日まで、警察の方でも仕事が多過ぎて手のつけようがないので、仕方なしにポツリポツリとやっている状態ですから、そう隅々まで行届きますまい。風紀の取締なんかは当分ほったらかしておくつもりらしいのです。怪しい処を一々手を入れていたら際限がありませんからね」
 云々と。以て推して知るべしである。
 一方に、震災当時の有様を今日まで残している処もある。去年の秋あたり、日比谷、上野、小石川のバラックの裏手を夜十二時過ぎに通ると、そこにもここにも怪しい男女が蠢《うご》めいていた。その付近は真面目な男女が通れなくなっている位であったという。
 東京郊外、川向うの深川、本所、向島、亀井戸あたりの暗《やみ》から暗に続く木立の中や、バラックの空隙がどんな状態であったかは読者の想像に任せる。
 この冬の寒気はこの風俗をその筋の取締以上に厳重に禁止した事であろう。しかし追々《おいおい》と近付く春のぬくみは、又もやこの醜態を東京市の内外に復活するであろう。

     東京は文明国の都市か殖民地か

 東京市内に於ける魔窟大繁昌の第二の原因は極めて皮肉で面白い。即ち震災を機会として試みられた当局の「私娼撲滅」である。
「公娼私娼の存在は文明国たる日本の恥辱」といったような議論をよく聴かされる。救世軍、婦人矯風会、その他の宗教関係の人々、又は或る一派の社会政策研究者、人道論者等のそれがそうである。
 このような人々はよく外国の例を引くようである。
「外国の都市には私娼も公娼も無い。それでいてチャンと風紀が保たれている。公娼私娼を置かなければ遣り切れないような国民では駄目だ」
 というような説さえも耳にする。
 一方に、海外の殖民地を見て来た人なぞには、よく日本の娘子《じょうし》軍の威力を賞《ほ》め千切《ちぎ》る人がある。
「彼女達の魔力は無人の野山を見る間《ま》に都会にして終《しま》う。これを以て見れば、東京から吉原や千束町を除くものは東京の繁昌を呪うものだ。醜業婦は都市の繁昌のため欠くべからざるものだ」
 なぞ云う人もある。
 この二様の議論のどちらが怪《け》しかるか怪《け》しからないかは、人々に依ってそれぞれ意見があるであろう。
 論より証拠、当局が東京第一、否、日本第一の魔窟浅草の千束町をたたきつぶした結果を見ればわかる。

     醜業窟撲滅の結果

 私娼は撲滅すべきものである。
 人身売買のあらわれである。
 青年堕落の直接原因である。
 病毒の巣窟である。
 曰《いわ》く何、曰く何……。
 東京の浅草千束町――詳しく云えば千束町の一部と猿之助横町の一画全部、三町四方に蟠《わだ》かまる三百余軒の醜業窟六百余人の醜業婦は、このような理由で久しい間狙われていた。
 しかし震災前までは当局でもどうする事も出来なかった。浅草区役所の収入の大部分が、彼女達の納むる税金で持っていたためだと皮肉る者もあった。
 それが震災と同時に不許可を申し渡された。記者の勘定するところに依ると、現在では十三軒の果物、菓子店があって、お化粧をつけた女の姿がチラホラしているだけである。もし彼女たちが醜業をすると二十九日間の拘留に処し、写真を撮って所払いにする……こうして取締っていると処の警察では威張っている。
 誠に大英断である。否、誠に結構な「試み」である。しかしその結果はどうか……。
 東京市内付近へかけて八方に散った千束町の醜業婦は、その行く先々で醜業をやっている。

     浅草券番の出現

 浅草では同時に六百人を包容する券番が許可された。
 この券番許可の裡面には、千束町の繁昌に依って存在していた或る二つの勢力、二百名の新生会員と百名の大成会員が大々的の暗中飛躍を試みた。新生会の方は千束町の撲滅に対して正面から反対して、飽く迄も昔の千束町を復活させてもらうべく運動をした。これに対して大成会の方は早く見切りをつけて、代りに券番の許可を出願した。そうしてその又裡面には、魔窟の中を横行していた公園ゴロが必死の活動を試みた。大和民労会の五六十名、河井徳三郎や高橋金次郎の乾児《こぶん》なぞが血眼になったという面白い来歴があるが、古い話だからここには略する。
 こうしたヤッサモッサに対して、その筋は断乎たる方針を取った。そうして大成会の券番設置運動に対して最後の栄冠を与えた。この当局の措置に対しては、怪《け》しかるとか怪《け》しからぬとかいろんな噂もあるが、要するにその筋では最穏健な措置を取ったつもりらしい。

     一円五十銭から七八円の女を求むる者が大多数

 この浅草の大券番設置出願の本当の理由は、今までの千束町の女を利用する目的でなかった。各地から新しい職業婦人を輸入して、千束町に代るべき頽廃気分を作るためであった。又、そうでなければ当局が許可する筈もなかった。
 しかしその結果が可笑《おか》しな事になった。東京市内の遊蕩児の相手になる女は、全体から見て却《かえ》って増加した事になった。つまり浅草では、六百人の女がタタキ散らされたあとに、又六百人の女が公然備え付けられた事になった。
 しかもそれ許りに止まらぬ。
 浅草は震災前から特別な処である。しかも震災後、各種の興行物や飲食店なぞが作る、所謂浅草気分は数層倍濃厚になった。これに吸い寄せられて来る人々も震災前に数倍した。
 ところで浅草気分に浸《ひた》りに来る人々は皆、或る種の欲求を持って来る人々である。その欲求の大部分は芸者では満たされない。一円五六十銭から七八円の女を求めて来る者が、二三十円から四五十円の女を求めて来る者よりずっと多いのは無論である。
 こうした低級な享楽的要求に満ち満ちた浅草界隈に、こうした低級な享楽気分を売る店が出来るのは当然である。券番だけで足りないのは当り前である。事実、浅草の千束町が潰れると、浅草全体が千束町となった。もっと華やかな、もっと濃厚な、そうしてもっと広い区域になった……と知るや知らずや、その筋のお役人は、千束町のあとに並んだ果物屋だけを勘定して、浅草は廓清《かくせい》されたと云っている。
 それだけならまだいい。

     醜業道の奨励、宣伝、講習のためその筋の鞭に追われて

 吉原の遊女は震災前より約一千人程減った。おまけに千束町が潰れた。
 一方に、東京市民の淫蕩気分は弥《いや》が上に甚だしくなって来る。どこかにセリ出されねば納まりが付かぬ。
 ところで、千束町に居た六百人の私娼はどこに行ったかと云うと、亀井戸、柳島、玉の井、尾久の方面に固まって逃げ込んだ。そのせいか、震災後のその方面の繁昌は恐ろしい程だという。
 御存じの方は御存じであろうが、警察官やその方面の営業者の話に依ると、千束町の女は日本全国のどこの女にもない特徴を持っている。何という事はなしにお客を引きつける力を持っている。その代り一度千束町に落ち込んだ女は、永久に醜業を止めようとしない。この傾向は一般の醜業婦にもあるが、千束町のは特別だという。
 こうした特徴を持つ千束町の女が逃げ込んだ処の女たちは、皆非常に刺戟された。イヤでも腕を研《みが》かなければならなくなった。一方にお客の方でも、なじみであるなしにかかわらずそんな方面を撰んで押かけて、そんな女を奪い合って遊ぶようになった。何の事はない、千束町の女は、醜業道の宣伝と奨励と講習のため、その筋の鞭に追われて、東京市内外の各所に派遣されたようなわけになった。

     何百何千の女の祟《たた》り

 記者は私娼公娼の廃絶論に満腔の敬意を払うものである。同時にその議論が事実上常に裏切られつつある事を悲しむものである。
 東京の千束町を只一ヶ所たたき潰したために、東京はその何層倍の呪いを受けている。この上吉原まで潰したらどんな事になるかわからない。
 宗教上、道徳上、社会政策上、又は単なる体裁上、私娼公娼の存在に反対する人々は大切な事を忘れている。女というものは殺すと化けて出るものである。況《ま》して、何百何千の無恥無教育の女の生業を奪うような事をしたら、どれ位祟られるかわからない。
 目的は要するに一般の風俗の改善である。この目的が達せられない限り、私娼公娼の絶滅論は考えものである。本《もと》を忘れて末《すえ》に走った議論である。或る一時の人気取りの議論であると云われても仕方があるまいと思われる。
 これは議論に対する議論でない。
 議論に対する事実である。
 東京人の堕落時代が明瞭に証拠立てた事実である。
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   不良少年少女



     東京に行きたがる子女

「東京に行きたい」と、あこがれ望む少年少女は、天下に何人あるかわからぬ。その子女を東京に遣っている父兄、又はこれから東京に遣ろうとする親達も現在どれ程あるかわからぬ。東京は若い国民の教育の中心地である。同時に少年少女の魂の華やかな自由境である。殊に地方に在る子女が、監督者の手を離れ、知人朋友の注視から逃れて、腹一パイに新しい空気を吸いに行く処である。
 そこの空気が如何にみだりがわしく汚れているか。如何に甘い病毒に満ち満ちているか。殊に最近の腐敗が如何に爛熟を極めているかを描く事は心ない業《わざ》でなければならぬ。
 しかし止むを得ない。
 記者はそのような人々のために特に慎重にこの筆を執《と》らねばならぬ。出来る限り露骨に真相を伝えねばならぬ。

     不良性と震災後の推移

 清浄無垢な少年少女の空前の不浄化は、東京人の堕落の中でも最も深刻な意味を持っている。
 不良少年少女の激増は、東京人の堕落時代を最も深く裏書するものである。その時代相は日本文化の欠陥そのものを指さし示している。そうしてその堕落ぶりは、将来に於ける日本民族の堕落ぶりを暗示しているものと考えられねばならぬ。
 不良という意味にはいろいろある。喧嘩や恐喝をやる式、泥棒や万引きをやる式、女をたらす式、又はこれ等をまぜこぜにやる式と、大体に於て四通りある。尤《もっと》も不良少女の方は喧嘩はやらぬ。やっても掴み合わないからわからぬ。しかし恐喝以下は皆やる。
 震災前の東京の不良少年には、喧嘩、恐喝の傾向が漸次減少しかけていた。浅草あたりで初心な少年少女を脅かして金を捲き上げるために、喧嘩を吹っかけたり、短刀を見せたりするのがある位のものであった。それ以上の乱暴や無鉄砲を働くものは、壮士か不良青年に属すべきものであった。それが震災直後には急に殺伐になった。
 自警団やその他のやり口にかぶれたものかどうか知らぬが、団体を組んで長い物をふりまわしたり、又は焼け残りの刀剣類を荷《かつ》いだりして喧嘩をしてまわった。

     殺伐から淫靡へ急変

 この時代は東京市中の混乱時代で、取締りが不行き届きであったため、一層彼等は乱暴を働いた。方々の焼け野原でよく乱闘が行われた。そのほか、個人的に兇器を持ったり、棒を持ったりして衝突してあるいた奴はどれ位あるか知れぬ。
 東京の不良少年がこんなに乱暴になったのは、明治初年以来の事だそうな。日清戦後当時、一時気が荒くなったが、これ程ではなかったと警視庁では云っている。
 あまり甚だしいので、警視庁令で三寸五分以上のものを所持する事を禁止したが、これはかなり効果があったという。
 この殺伐な傾向は間もなく脅迫、泥棒、掻《か》っ浚《さら》い式に変化し、続いて急激な速度で淫靡な傾向とかわって来た。
 その淫猥化の速かさ、深さ、広さは真に驚くべきものがあった。殊に昨大正十三年の春から夏へかけては、その絶頂に達したかと思われた。

     不良性は如何にして地方に伝わるか

 どこでもそうであるが、不良少年少女の活躍が最も眼に立つのは春から秋へかけてである。そうしてその活躍の影響が地方に及ぶのは、夏と冬と春の休暇後である。殊に冬の間は、表面上不良性の潜伏期であると同時に、内実は蔓延期であるらしい。東京の不良性を受けた者が、冬と春の二度の休暇に帰って来て、地方の子女に直接に病毒を感染させる時季であるらしい。
 昨年の夏から秋へかけての東京の子女の不良ぶりが、吾が九州地方の少年少女に如何に影響しているかがわかるのは今からでなければならぬ。その病的傾向は各地でこの春に芽を吹き、来るべき夏に全盛期を見せ、秋に到って固定するというのが順序である。
 新東京の堕落時代……あの大震火災の翌年、即ち大正十三年度中に見せた東京人の腐敗堕落が、如何に地方に影響しているかがわかるのはこれからである。

     青春の悩みと社会

 少年少女(青年処女をも含む)時代には先祖代々からの遺伝がみんな出て来るという。
 獣《けもの》のような本能、鳥のような虚栄心、犯罪性、残虐性、破壊性、耽溺性などいうのが下等の部類に属するのだそうである。上等の方では事業欲、権勢欲、趣味欲、研究心、道徳心、宗教心、英雄崇拝心なぞいずれも数限りない。
 この中で下等の方は堕落性、上等の方は向上性とでも云うべきものであろうが、今の社会ではこの向上性をも一種の危険性と認めて、この堕落性と共に不良性の中に数えている場合が多い。少年少女がこんな性質を無暗《むやみ》に発揮してくれると、教育家は月給や首に関係し、父母は面目や財産に関係し、当局は取締に手古《てこ》ずるからであろう。
 要するに、今の社会が少年少女の不良性とか危険性とか名づけているものは皆、若い人間の心に燃え上る人間性に外ならぬ。
 或る哲学者はこの時代を人間の最もキタナイ時代だと云った。又或る者はこの悩みを世界苦とも名づけた。
 この青春の悩みを煎じ詰めると、芳烈純真なる生命の火となって永劫に燃えさかえる。この世界苦を打って一丸として百練千練すると、人類文化向上の一路を貫ぬく中心力[#「中心力」に傍点]が生れるという。しかし、そんな事を体現したり、指導したりするような、物騒な教育家は居ないようである。
 だから、彼等少年少女は、自分勝手に迷い、疑い、悩んで行かねばならぬ。何か掴みたいとワクワクイライラしながら、夢うつつの時間を過ごさねばならぬ。だから、ちょっとした事でも死ぬ程亢奮させられる。

     大人の堕落性の子女に対する影響

 かような少年少女の悩みに対して、日本人の大人はどんな指導を与えて来たか。どんな模範を示して来たか。
 彼等少年少女の宗教心、道徳心、芸術心、野心、権勢欲、成功欲等のあこがれの対象物である宗教家、教育家、芸術家、政治家、富豪等は皆、その誘惑に対する抵抗力が零であることを示して来た。
 彼等偉人たちは、すこし社会的に自由が利くようになると、ドシドシ堕落してしまった。豪《えら》い人間は皆、堕落していい特権があるような顔をして来た。えらいと云われる人間ほど、破倫、不道徳、不正をして来た。
 それを世間の人間は嘆美崇拝した。そうして、そんな事の出来ない人間を蔑《さげす》み笑った。つまらない人間、淋しいみすぼらしい人間として冷笑した。
 そんな堕落――不倫――放蕩――我儘をしたいために、世間の人々は一生懸命に働いているかのように見えた。
 この有様を見た少年少女は、えらいという意味をそんな風に考えるようになった。成功というのは、そんな意味を含んでいるものと思うようになった。日本中の少年少女の人生観の中で、最も意義あり、力あり、光明ある部分は、こうして初めから穢《よご》された。その向上心の大部分は二葉《ふたば》の中《うち》から病毒に感染させられた。
 彼等少年少女の心は暗くならざるを得なかった。その人生に対する煩悶と疑いは、いよいよ深くならねばならなかった。
 今でもそうである――否、もっと甚だしいのである。

     教育に対する少年少女の不平と反感

 一方に、こうした彼等の悩みを、今日までの教育家はどんな風に指導して来たか。
 現代の教育家は商売人である。
 だからその人々の教育法は事なかれ主義である。
 その説《と》くところ、指導するところは、昔の野《や》に在る教育家の、事あれ主義を目標にした修養論と違って、何等の生命をも含まぬものばかりであった。そうして、哲学や、宗教や、主義主張、又は血も涙も、人間性も……彼等少年少女の心に燃え上るもの一切を危険と認めて圧殺しようとする教育法は、あとからあとから生れて来る少年少女の不平と反感を買うに過ぎなかった。
 彼等少年少女の向上心は、これ等の教育家の御蔭で次第次第に冷却された。現代の日本の教育家が尊重するものは、どれもこれもいやな不愉快なものと思われて来た。残るところは堕落した本能ばかりである。彼等少年少女は、そのような心をそそるものばかりを見たがり、聞きたがり、欲しがるよりほかに生きて行くところがなくなった。
 幸いにして堕落しなかった者は、持って生れた用心深さや、気の弱さ、又は利害の勘定に明らかなために、只無意味にじっと我慢しているに過ぎない。
 今から五六年前までの教育及社会対不良少年少女の関係はこんな調子になっていた。

     全人類の不良傾向

 ところが、この事なかれ式の圧迫的教育法が、最近数年の間に大きなデングリ返しを打った。
 理窟詰めの禁欲論、味もセセラもない利害得失論で少年少女の不良性を押さえつける事が不可能な事を知った学校と社会とは、慌てて方針を立て直した。正反対の自由尊重主義に向った。
 この傾向には過般の欧州大戦が影響している。
 欧州大戦は民族性や個性の尊重、階級打破、圧迫の排斥なぞいう、いろんな主義を生んだ。それは皆、今まで束縛され、圧迫されていたものの解放と自由を意味するものであった。
 世紀末的の様子や主張、ダダイズム、耶教崇拝、変態心理尊重等いう、人類思想の頽廃的傾向がこの中から生み出されて、更に更に極端な解放と自由とを求むる叫びが全世界に漲《みなぎ》った。
「自分の権利はどこまでも主張する。同時に何等の義務も責任も感じないのが自由な魂である」
 というような考えが全人類の思想の底を流れた。
 このような思想は不幸にして、人間の人間味を向上させるためには無効力であった。却って不良性を増長させるのに持って来いの傾向であった。全人類の享楽性はここから湧いた。

     学校と父兄が生徒に頭が上らぬ

 日本人の頭は何等の中心力を持たぬ。「正しい」とか「間違っている」とかいう判断の標準を持たぬ。「善」とか「悪」とかいう言葉よりも、「新しい」とか「古い」とかいう言葉の方がはるかに強い響を与える。
 そこへこの世界的不良傾向が流れ込んだからたまらない。
 政治、宗教、芸術、教育方面には特に著しくこの傾向が現われた。昇格問題や徴兵猶予、又は無試験入学に関する各種の運動、又は官私立の区別撤廃といったような叫びが起った。
 自発的教授法、自由画、自由作文、児童の芸術心を尊重するという童謡、童話劇、児童劇なぞが盛に流行した。何事も子供のためにという子供デーなぞが行われた。「子供を可愛がって下さい」というような標語が珍らし気に街頭で叫ばれた。
 それまではまだ無難である。
 尋常一年生位が遅刻しても、
「まだ子供ですから」
 という理由で叱らない方針の学校が出来た。大抵の不良行為は、「自尊心を傷つける」という理由で咎《とが》めない中学校が出来始めた。
 親が子供を学校にやる時代から、子供が学校に行ってやる世の中になりかけて来た。
 先生が生徒に頭を下げて、どうぞ勉強して下さいという時代に変化しかけて来た。
 学校へ行くという事のために、子供は親にいくらでも金を要求していい権利が出来そうになって来た。同時に服装の自由はもとより、登校の自由、聴講の自由までも許さなければ、学校の当局がわからず屋だと云われる時勢となって来た。

     東京に鬱積した不良性

 金取り本位、人気取り専門の私立学校や職業学校、又はその教師たちは、先を争ってこの新しい傾向に共鳴した。前に述べた各種の運動でねうち[#「ねうち」に傍点]を削られた官立の諸学校も、多少に拘らず、こんな私立学校とこんな競争をしなければならぬというような気合になって来た。
 学生の自由は到る処に尊重された。無意味に束縛されていた人々が、今度は無意味に解放されるようになった。
 その結果は、益《ますます》男女学生の自堕落を助長するのみであった。
 若い人々に無意味の自由を与えるという事は、無意味に金を与えるのと同じ結果になる。いい方に使おうとしないのが大部分である。
 最近の日本の無力な宗教家、道徳家、政治家、教育家及一般社会の人々は、総掛りで少国民の向上心を遮った。堕落の淵に落ち込むべく余儀なくしてしまった、と云っても過言でない。
 そうして、この傾向の最も甚だしかったのは震災前の東京であった。
 都会の少年少女は取りわけて敏感で早熟である。就中《なかんずく》東京の少年少女は最も甚だしい。東京人がその敏感と早老を以て誇《ほこり》としているように、少年少女もその早熟と敏感とをプライドとしているかのように見える位である。
 彼等少年少女は逸早くこの世紀……〔以下数行分欠〕……
 性教育の必要はその中から叫ばれ始めた。これは解放教育の結果がよくないのを見て、まだ解放し足りないところまで公開せよ、そうしてあきらめをつけさせろという議論である。
 ところへ過般の大地震が来た。解放も解放……実に驚天動地の解放教育を彼等子女に施した。
  ………連載一回分(二千字前後)欠………

     男女共学と異性の香

 震災後、東京の各学校の大多数は、一種の男女共学を試みねばならなかった。
 焼け出された女の学校が、男学校の放課後を借りて授業を続けた。倒れた学校の男学生が、女学校の校舎を借りて夜学をしたなぞいう例がいくらもあった。
 これがわるかったと警視庁では云う。
 都会の子女は敏感である。彼等は、僅の時間を隔てて同じ机に依る事に、云い知れぬ魅惑をおぼえた。そこに残る異性の手すさびのあと、そこにほのめく異性の香《か》はこの上もなくなつかしまれた。そこに落ちている紙一枚、糸一筋さえも、彼等には云い知れぬ蠱惑《こわく》的なものに見えた。殊にその校舎の中の案内を知ったという事は、その子女の不良化に非常な便宜を与えたという。
 こうして彼等はその異性の通う学校に云い知れぬ親しみを感ずるようになった。そうした男女共学が止んでも、その魂はその校舎の中をさまようた。その筋に上げられた子女、又は記者と語った不良少年で、この心持ちを有りのままに白状したものが珍らしくない。

     地震後の学校のサボの自由

 男の学校を借りて男の生徒を教育したのにも弊害が出来た。
 午前、午後、夜間と引き続いて教授をしたところなぞは殊にそうであった。
 そうした学校の付近の飲食店やミルクホール、カフェーなぞは不良学生の巣窟となった。午前中から来る学生は、放課後そんな処に居残って、午後に来る少年を待ち受ける。夜間に来る不良生徒は、早くから来て飲み喰いをしながら、純良な美しい少年を引っかけようと試みる……といった風で、どちらにしてもいい事は一つもなかった事も原因している。
 そうしたさなかの事とて、学校当局はもとより、父兄側の取締の不充分であった事も勿論であった。
 このような一時|間《ま》に合わせの授業が、校舎の都合や教師の不足等のため、授業開始や放課の時間を改めたり、又は場所を換えたりするのは止むを得なかった。
 そのために生徒は何度も面喰らわせられた。うっかりすると真面目な生徒にでさえも、この頃の課業はいい加減なものだという感じを抱かせた。
 一方、父兄も共に、子女が「今日は学校は午後です」とか、「今日は午前です」とか、「学校がかわったから」とか、「一時休みです」とかいうので、かなり間誤付《まごつ》かせられた。
 このような事実は、なまけものの生徒にとって、この上もない有り難い口実であった。震災後の、万事に慌ただしい、猫の眼のようにうつりかわる気分に慣れた父兄は、わけもなく胡麻化《ごまか》された。日が暮れて帰って来ても、「今日は課業が夜になっちゃって」と済ますことが出来た。
 こうしたエス(学校を勝手に休む事)の自由が、どれだけ学生の堕落性を誘発したか知れぬ。

     吹きまくる不良風

 震災前、東京には各種の学校が、著しい増加の傾向を示した。
 私塾程度のものから、半官立と云っていいもの、又は純然たる官立のものまで、あらゆる階級と種類がミッシリと揃った。そのために官立は真面目なもの、私立はズボラなものという、昔の区別が曖昧になって来た。
 同時に、私立に通う男女生徒の服装に、官立と見分けのつかないのが殖えて来た。殊に私学の権威が高まったこと等は、一層、この官立の真面目さと、私立の不真面目さを歩み寄らせた。
 男の生徒では、私立の職業学校生徒も、官立の生徒も、睨みの利き方が同等になって来た。女学生では、私塾の生徒も、大きな学校の生徒も、幅の利け方が似寄って来た。
 官立も、私立も鳥打帽が大流行で、職業婦人の卵も、賢母良妻の雛《ひよ》っ子も、踵《かかと》の高い靴を穿いた。
 取締のゆるい学校生徒が、厳重な学校生徒を恐れなくなって来た。
 こんなのが震災後ゴチャゴチャになって、時間を隔てた――又は隔てない共学をやった影響がどんなものであるかという事は想像に難くない。
 不良風はその後|益《ますます》増加した各種学校の官私立を隔てずに吹きまくった。驚くべく悲しむべき出来事が到る処に起った。

     家庭の価値《ねうち》がゼロ

 東京は昔から不良少年少女の製造地として恐れられていた。そこへこの間の欧州大戦が思想上から、又、大正十二年の大地震が実際上から影響して、今のように多数の不良少年少女を生み出すに到った順序は今までに述べて来た。
 あとに残って少年少女の堕落を喰い止めるものは、唯家庭の感化ばかりである。
 ところが、現在の東京人の家庭の多数はこの力を失っている。お父様やお母様の威光、又は兄さまや姉さまのねうちが零になっている家庭が多い。
 第一に、現在の親たちと、その子女たちとは思想の根柢が違う事。
 第二に、上中下各階級の家庭が冷却、又は紊乱している事。
 主としてこの二つの原因があるために、現在の東京の子女には、その家庭に対するなつかしみや敬意を持てなくなっているのが多い。

     明治思想と大正思想

 東京は明治大正時代の文化の中心地である。だから、そこに居る子女の父兄たちは、大抵明治時代のチャキチャキにきまっている。
 明治時代は、日本が外国の物質的文明を受け入れて、一躍世界の一等国となった時代である。だから、その時代に育った人の頭は物質本位、権力本位でかたまっている。
 ところがその子女となると、大抵明治の末から大正の初めの生れで、その頭には欧米の物質文明が生み出した、するどい精神文明が影響している。
 共産、過激、虚無、その他あらゆる強烈な思想が、宣伝ビラや小冊子となって、欧州大戦の裡面を波打ち流れた――ツァールの帝国主義、カイゼルの軍国主義と戦った――そうして遂に大勝利を博した事を知っている。
 欧州戦争の結末は独逸《ドイツ》に対する聯合軍の勝利でない、我が鉄砲玉に勝った結果であるというような事を小耳に挟んでいる。そうして、その結論として、「個性を尊重するためにはすべてを打ちこわしても構わない」というような声を、どこから聞くともなく心の奥底に受け入れている。
 だから、明治時代の人々の頭に残っている家族主義や国家主義なぞは、とても古臭くて問題にならぬ、何等《なんら》の科学的根柢を持たぬ――何等の生命を含まぬ思想位に思っている。科学が何やら、生命がどんなものやら知らないままにそう信じている。
 まだある。

     家を飛び出したい

 現代の少年少女がその親達から聴くお説教は、大抵、生活難にいじけた倫理道徳である。物質本位の利害得失論を組み合わせた、砂を噛むような処世法である。殊に震災後の強烈な生存競争に疲れ切った親達は、もうそんな理窟を編み出す力さえ無くなったらしい、大昔から何の効能もないときまった、「恩の押し売り」を試みる位が関の山らしい。あとは学校の先生に任せて、「どうぞよろしく」という式が殖えて来たらしい。
 単純な少年少女の頭は、そんな親たちの云う通りになったら、坊主にでもなった気で味気ない一生を送らねばならぬようにしか思われぬ。親のために生れたので、自分のために生れたのではないようにしか思われぬ。とてもやり切れたものでない。「おやじ教育」なぞいう言葉が痛快がられるのは、このような社会心理からと思われる。
 少年少女は、だから一日も早く、こんな家庭から逃げ出そうとする。何でも早く家を出よう、独立して生活しよう、そうして享楽しよう……なぞと思うのは上等の方であろう。
 こうした気持ちは東京の子女ばかりではない。地方の子女も持っている。地方の若い人々が「東京に行きたい」と思う心の裡面には、こうした気持ちが多分に含まれているであろう。
 明治生れの親たちが、その子女から嫌われて、馬鹿にされている裡面には、こんな消息が潜んでいる。
 なおこのほかに今一つ重大なのがある。

     お乳から悲喜劇

 ついこの頃のこと……。
 九州方面のある有名な婦人科病院で、こんな悲喜劇があった。
 或る名士の若夫人が入院して初子《ういご》を生んだ。安産で、男子で、経過《ひだち》も良かったが、扨《さて》お乳を飲ませる段になると、若夫人が拒絶した。
「妾《あたし》は社交や何かで、これから益《ますます》忙しくなるのです。とても哺乳の時間なぞはありません」
 というのが理由であった。付添《つきそい》や看護婦は驚いた。慌てて御主人に電話をかけた。
 やって来た御主人は言葉を尽して愛児のために夫人を説いた。しかし夫人は受け入れなかった。頑固に胸を押えた。
 御主人は非常に立腹した。
 そんな不心得な奴は離縁すると云い棄てて帰った。
 夫人は切羽詰まって泣き出した。大変に熱が高まった。
 付添と看護婦はいよいよ驚いて、一生懸命になって夫人を説き伏せた。夫人が泣く泣く愛児を懐に抱くのを見届けて、又御主人に電話をかけた。
「奥様が坊ちゃまにお乳をお上げになっています」
 御主人はプンプン憤《おこ》って来たが、この様子を見ると心|解《と》けて離縁を許した。
 夫人の熱は下った。無事に目出度く退院した。
 これを聴いた記者は又驚いた。
 東京|風《ふう》がもう九州に入りかけている。今にわざわざ愛児を牛乳で育てる夫人が殖えはしまいかと。

     上流家庭に不良が出るわけ

 東京の社交婦人の忙しさは、とても九州地方の都会のそれと比べものにならぬ。哺乳をやめ、産児制限をやり、台所、縫物、そのほか家事一切をやめて、朝から晩まで自動車でかけ持ちをやっても追付《おっつ》かぬ方がおいでになる位である。その忙しさの裡面には風儀の紊乱が潜んでいる場合が多い。遠慮なく云えば、上流の夫人ほど我ままをする時間と経済の余裕を持っている。
 そんな人の子女に限って家庭教師につけられているのが多い。その又家庭教師にも大正の東京人が多いのである。
 震災前の不良少年は、大抵、下層社会の、割合いに無教育な親を持つ子弟であった。それが震災後は反対になって来た。上流の方が次第に殖えて来たと東京市内の各署では云う。
 こんな冷たい親たちを持つ上流の子弟が不良化するのは無理もない。
 そんな親様がいくら意見したとて利く筈はない。
 それでも親としてだまって頭を下げているのは、只お金の関係があるからばかりでなければならぬ。

     青春の享楽を先から先へ差し押える親

 明治時代の親たちが、大正時代の少年少女の気持ちを理解し得ないのは当り前である。「権利と義務は付き物」という思想では、「人間には権利だけあって義務はない」と思う新しい頭を理解し得られる筈がない。
 今の少年少女にとっては、学校は勉強しに行く処でない。卒業しに行く処である。又は親のために行ってやるところである。も一つ進んで云えば、学資をせしめて青春を享楽しに行く処である。
 親はそんな事は知らぬ。
 早く卒業させよう――働かせよう――又嫁や婿を取らせようと、青春の享楽の種を先から先へと差し押えようとする。
 少年少女はいよいよたまらなくなる。益《ますます》家庭から離れよう、せめて精神的にでも解放されようとあせる。
 華やかな、明るい、面白い、刺戟の強い、甘い、浮き浮きした方へと魂を傾けて行く。そうしていつの間にか不良化して行く。
 親はこれを知らない。
 現代の子女がどんな刺戟に生きているかを、明治時代の頭では案じ得ぬ。

     良心から切り離されて

 台湾征伐、熊本籠城、日清日露の両戦役、又は北清事変、青島征伐等を見た明治人、勤倹尚武思想を幾分なりとも持っている明治人は、科学文明で煎じ詰められた深刻な享楽主義をとても理解し得ない。日本化された近代芸術が生む不可解な詩――鋭い文――デリケートな画――音楽――舞踊――そんなものの中に含まれている魅惑的な段落やポーズ、挑発的な曲線や排列の表現を到底見破り得ない。
 一方、都市生活で鋭敏にされた少年少女の柔かい頭には、そんなものが死ぬ程嬉しくふるえ込む。メスのように快く吸い込まれる。
 その近代芸術、又は思想の底に隠されている冷たい青白いメスは、彼等少年少女の精神や感情を、一つ一つ道義と良心から切り離して行く……その快さ……。
 彼等少年少女は、言わず語らずのうちにそんな感情を味わい慣れている――街頭から――書物から――展覧会から――活動から――芝居から――レコードから――そうして、そんなもののわからぬ親たちを馬鹿にしている。
 明治人はこうして、大正人であるその子弟から軽蔑されなければならなくなった。それは嘗て自分たちが天保人を時代|後《おく》れと罵ったのと同じ意味からであった。
 因果応報なぞと笑ってはいられぬ。時代後れが出来る毎に日本は堕落して行く。亡国のあとを追うて行くのだから。
 明治人はしかしこれを自覚しない。明治時代と大正時代の思想の差が、旧藩時代と明治時代のそれよりもずっと甚だしい事すら知らない。

     世界一の不良境

 東京の子女が不良化して行く経路は極めてデリケートである。殊に現在の不良化の速かさ、不可思議さは世界一かも知れない。
 都会の子女は生意気だという。それだけ都会が刺戟に満ちているからである。
 震災後の東京は殊に甚だしい。毒々しい、薄っぺらな色彩のバラック街……眼まぐるしく飛び違う車や人間……血走った生存競争……そんな物凄い刺戟や動揺《どよ》めきをうけた柔かい少年少女の脳髄は、どれもこれも神経衰弱的に敏感になっている。ブルブルと震え、クラクラと廻転しつつ、百色眼鏡式に変化し続けている――赤い主義から青い趣味へ――黄色い夢幻界から黒い理想境へ――と寸刻も止まらぬ。その底にいつも常住不断の真理の如く固定して、彼等を刺戟し続けているものは、本能性や堕落性ばかりである。
 このような刺戟に対する敏感さと、これを相手に伝える手段の巧妙さと新しさとは、彼等都会の子女が常に誇りとしているところである。
 生活にいじけ固まった明治生れの親達は、こんな気持ちを忘れている。

     ボンヤリする心

 彼等都会の少年少女は、その頭の鋭さ、デリケートさに相応する相手を求むべく、飢えかわき、ふるえおののいている。――秘密、犯罪等を扱った科学雑誌等を読みたがっている。――その中に隠されている、人生に対する皮肉、反逆、嘲罵の巧妙さを直感して快がっている。そうしていつの間にか、そんな事をやって見たい気持ちになっている。
 内外の小説に極めて繊巧に、又は露骨に描かれた挑発的な場面を、紙背に徹する程眼を光らして読んでいる。
 友達と話が出来ないというので活動に這入る。先ず俳優の名前を覚えて、その表情から日常生活まで研究する。そうしてこれを嘆美したり、崇拝したり、通を誇ったりする。
 その中《うち》に世間が活動のように見えて来る。或る場面が自分の境遇のように思える。あの人があの俳優のように見える。圧迫から逃れて恋に生きる場面が、自分を中心にいく度《たび》か妄想される。そうしてボンヤリと明かし暮らす。
 親はそんなことに気付かぬ。

     ルパシカを着る息子

 たとえば息子がルパシカを着て喜んでいるとする。
 親は、単純な物好きか、又は社会主義にカブレたのかと思って叱り付ける。
 ところが見当違いである。本人は物好きでも社会主義者でもない。
 近頃の東京の若い女、殊に自堕落な気分に浸《ひた》る女の中には、そんな風な男を好く国もない。家もない。思想的に日本よりもはるかに広く思われる露西亜《ロシア》、政治上の最高権威者が労働者と一緒に淫売買いに行く国、婦人子供国有論が生れる国――そんな国にあこがれているために日本の社会から虐げられている青白い若い男……そんな男は小説を読む淫売なぞに特にもてはやされることをその息子は知っている。だからそんな風をするのだ。
 ……と知ったら、親はどれ位なげくであろう。
 まだある。
 机にかける布《ぬの》切り子やセルロイドの筆立て、万年ペンのクリップ、風呂敷、靴にまで現われている趣味を通じて、その子女が世紀末的思想から生れた頽廃趣味に陥っていることを見破り得る親は先ずあるまい。
 その持っているノートの黒い小さなゴムの栞《しおり》や、万年筆用の黒いクリップが、ナイフや針で文字を彫って、異性の家の壁や約束の立ち木やに隠して、秘密通信をやるのに便利な事を知っている監督者も先ずあるまい。
 男のような字を書く娘、女のような字を書く息子が、変名を使って異性と通信しているに違いない事を看破し得る父兄もあまりあるまいと思う。
 まだまだ驚く事がある。

     大人に対する反逆

 近頃の少女はハンケチを畳んで、胸の肌に直接に押し当てている。又、男の子は帽子の中にハンケチを入れて冠っている。
 それは、少女はお乳をふくらすため、又、男の子は香水を湿《しめ》して入れておくためと思っていたら大違いだと、一人の不良少年が笑った。
 そんなら交換して異性の香《におい》を偲ぶためかときいたら、
「まあ、そんなところでしょう。ハハハハ」
 と又笑った。その笑い方が変だったから、根掘り葉掘り尋ねたら、彼は一種皮肉な、イヤな笑い方をしながら、こう答えた。
「それあ云ってもよござんすがね、あなた方に必要のない事なんです……何故ってあなた方は皆、情欲の方のブルジョアなんでしょう。奥さんもおなりになれば、芸者買いも出来る。だから必要はないんです……若いものはみんなみじめな肉欲のプロですからね……女の子だってそうです。大人が受けている自由を吾々は禁ぜられているのです……ですから異性の香《におい》を嗅ぎながら眼を閉じて……」
 記者はこれ以上書く勇気を持たぬ。しかし何という巧《たくみ》な議論であろう。何という不愉快な風潮であろう。
 少年少女の不良行為が、大人の専制に対する反逆的意味を持っていようとは、この時まで気が付かなかった。記者も矢張り明治人であった。
 こうした反逆気分は、少年少女が使う新しい言葉にもうかがわれる。

     おやじのシャッポ

 新しい言葉の字引きなぞいう書物が近頃流行するが、現在の東京の少年少女が使う新しい言葉は、その中には一つも見当らぬと云っていい。又見つかる筈もない。日毎に月毎に、次から次へと新熟語が出来て、或は親たちを馬鹿にするために、又はいい人と秘密通信をするために用いられている。
 ブル、プロ、ファン、セット位しか知らない明治人に、彼等の会話や手紙が理解されよう筈がない。
「おやじのシャッポ(ポコペンとか駄目とかいう意味)がホームラン(流連《いつづけ》のこと)」だの、「彼女のラジオ(色眼)がミシン(意味深長)」なぞ云って、わかる気づかいは毛頭ない。
 否、こんなのももう古い。記者がこう書いている間にも、新しい単語が本場の東京でドンドン殖えているに違いない。
 こんな事のすべてに対して、今日までの生活本位の親たち、月給取り本位の教育家、月謝取り本位の学校、政党本位の当局は注意が行き届かなかった。
 これからもそうに違いない。
 御蔭で不良少年少女は大手を振って殖えて行く。禁漁区の魚のように新東京のバラック街をさまようている。

     若い女性の享楽気分

 ここで是非特筆大書しておかねばならぬ事は、最近の東京に於ける若い女性の享楽気分である。
 よく「女は女らしく」、「男は男らしく」と云うが、今の東京では、その「男らしい」と「女らしい」との意味が昔と違っている。「男が人間なら女も人間だわ」という意味である。だから、今の東京の女らしい女は、なかなか活溌で、華やかで、積極的で、魅惑的である。
 そんなのの前に男らしく跪《ひざまず》いて、堂々と満身の愛を告白する。昔のように自己を偽って見識ばらぬ。そんなのが「男らしい男」らしい。
「神様が男の粕《かす》から女を作った」の、「女は家庭の付属物」だのと心得ているのは、中世紀か封建時代の思想である。その粕が馬に乗って民衆運動の先登《せんとう》に立った時代も過去の事である。新しい婦人が吉原へ女郎買いに行ったのは更に古い時代である。議会で男の席までも占領したとて、ちっとも驚く事はない。
 婦人参政――被教育権の主張――その他社会的の地位を要求する黄色い声は、天下に満ち満ちて来た。
 産児制限に依て象徴される、婦人の享楽的権利の主張は、医術と薬剤の発達でドシドシ貫徹されている。
 職業婦人の増加に依って、婦人の独立生活、享楽生活の容易な事は明らかに証明されている。
 女性崇拝の外国映画は盛にこの傾向の太鼓を持つ。
 欧米の新思想は又、精神的方面からこの傾向を刺戟して、目下八度五分位の熱を出しているところである。
 新しい女の先覚者の活躍時代は過ぎた。今は一般に普及しつつある時代である。男女同権――否、女尊男卑がドシドシ流行する。

     反《そ》り女に屈《かが》み男

 呆れても驚いても追付かぬ。東京の女は男と同様に自由である。眼に付いた異性に対して堂々とモーションをかける。異性を批判し、玩味し、イヤになったらハイチャイをきめていい権利を、男と同じ程度に振りまわしている。只、全部が全部でないだけである。
 こうした傾向にカブレた東京の少女は、知らぬ男から顔を見られても、耳を赤くしてうつむいたりなんぞしない。アベコベにジッと見返すだけの気概? を持っているのが多い。これはどなたでも東京に行って御試験になればわかる。
 往来を歩く姿勢も、昔と違って前屈みでない。昔は「屈み女に反り男」であったが、今では「反り女に反り男」の時代になった。今に「反り女に屈み男」の時代が来るかも知れぬ。
 表情も昔と違ってキリリとなった。触《さわ》らば落ちむ風情なぞは滅多に見当らぬ。八方睨みを極めてあるきながら、たまたま男と視線が合っても、じっと一睨みしてから、「チッ」とか「フン」とかいった風に眼を外《そ》らして通り抜けるのさえある。
 田舎からポット出の学生なぞは、あべこべに赤面させられそうである。

     同性愛の新傾向

 女学生間に同性愛が流行したのは震災前が最も甚だしかった。
 先ず同級か下級の生徒の中で、好ましい風《ふう》付きと性質の少女《ひと》を見付け出して同性愛《シスター》関係を結ぶ。二人切りで秘密の名前をつける。手紙のやり取りをする。持物や服装を人知れずお揃いにする。これが嵩じて、情死する迄愛するのもある。これは「性」の悩みの不自然な慰め方として憂慮されていた。
 その話がこの頃下火になった。異性愛流行の結果、あっても目立たなくなったのか、それとも異性との交際が自由になったために、そんな必要がなくなって減少した者かと、一部の教育家は首をひねっている。
 一方に或る私立女学校の舎監であった人は記者にこんな話をした。
 ――男学生の悪いのは下宿屋|住居《ずまい》で、女学生のいけないのは寄宿舎と、あらかた相場が極っている。その女学校の寄宿舎に来る手紙を、学校によっては舎監が一先ず受け取って、怪しいと思われるのは、秘密に開封した上で渡したり、又は握り潰しているところがある。そうでもしなければ、絶対に学校の風紀は保たれないと云っていい。
 その手紙の中には、女文字の男の手紙がいくらもある。封筒だけ女生徒が書いて送ったのもある。その内容を見ると、女生徒が出した手紙の内容を察せられるのもある。そのほかいろいろあるが、中には舌を捲くような名文や、際《きわ》どい告白がある。芸者の内証《ないしょう》話にも負けない位である。
 ――そんなのの中には、同性愛と認められるのも珍らしくない。震災前より殖えるとも、減っていない事を明言出来る。但、異性関係のそれと比べると問題にならぬ。
 私の学校では、上級生と下級生とを、一人か二人|宛《ずつ》組み合わせて一室に入れている。その中で一番上級の年嵩《としかさ》なのを「お母さん」と呼ばせて、一切の世話と取締をやらせる。そのほかの目上の生徒は「姉さま」と呼ばせ、下級生は「何子さん」と呼ばせて、家族みたいな生活をさせている。
 ところで、以前、怪しい文句の手紙が来るのは、三年生以上に限られていたが、それも現在の十分の一位で、大抵は同性愛式のものであった。それが今では、三年生以上に来る男の手紙が殖えると同時に、入学し立てのホヤホヤの生徒に迄同性愛が及んで来た。或は小学生時代から持って来た習慣ではあるまいかと思われる節がある。
 というのは、或る立派な家庭のお嬢様が、優等の成績で入学しながら、何故か学校に来ない。その両親から沢山の寄付が学校にしてある関係から、学校側でも心配して、内密に欠席の理由を調べて見ると、そのお嬢さんと同性愛に落ちている生徒が、不成績で入学していないからであることがわかった。
 そんな例がある一方に、上級生の堕落やおのろけや、落《おと》し文《ぶみ》が、下級生を刺戟しているのではあるまいかと考えられる廉《かど》もあるから、いっその事、同級生ばかりを一室に入れて成績を見てはどうかという意見が教員間に持ち上っている……云々。
 この話だけでも、東京の女性の積極化傾向が如何に急激であるかが、充分に裏書されている。

     持てる一高と帝大生

 麹町《こうじまち》の某署の刑事は、こんな事を記者に話した。
「東京の女学生の好き嫌いは大抵きまっています。明治や慶応の生徒はニヤケているからダメ、早稲田は豪傑ぶるからイヤ。一高と帝大が一番サッパリしていて、性格が純だから[#「性格が純だから」に傍点]つき合いいいと云います。それから、そんな学生の中でも一番好かれるのは運動家で、その次が音楽の上手、演説、文章、絵の上手はその又次だそうです。学生以外で好かれるのは活動俳優で、とても一生懸命です。『日本の男俳優は肉体美がないから駄目』なぞとよく云っています。運動選手を好くのはそんなところからでしょう」云々。
 昔の少女はかぐわしい夢のようなヴェールを透して世界を見た。今の少女はそのヴェールをかなぐり棄て、現実界を直視している。
 先年、英国皇太子が日本を訪《と》われた時、
「英国の皇《こう》チャーン」
 とか何とか連呼してハンケチや旗をふりまわしたはまだしも、本郷付近で算を乱して自動車のあとを追っかけた女学生の群があったと聴いた時、記者はまさかと思った。
 ところが、今度上京して見て驚いた。とてもそれどころでない。

     式前にふざける花嫁

 警察で自由恋愛論をやった女学生があった事は前に書いた。
 結婚式の始まらぬ前から婿殿の処へ押かけて、キャッキャと笑い話をした某勅撰議員の令嬢があった。そのほか、式の最中から色眼を使ったり、式が済むと直ぐに倚り添って、ねえあなた式のそぶりや口の利き方をする花嫁が殖えたという某神官の話はまだ書かぬ。
 某女学校で震災前に投書箱を据え付けたが、一人も投書するものがなかった。それが震災後急に殖えたはいいが、大部分は仲間同志の不品行を中傷したものであった。最も甚だしいのは、昨年の秋の事、二三十人申し合わせたらしく、性教育の必要を高唱した投書が、しかも堂々と署名して箱一パイに投げ込まれた……という事も今初めて書く。
「あたし、電車の中で不良少年から手を握られたのよ。癪に障ったからギュッと握り返してやったわ」と友達に自慢話をするような少女、「あなた、この頃メランコリーね。ホルモンが欠乏したの」と笑いくずれる程度の女学生なぞはザラに居る。
 これ位積極化すれば沢山である。

     二匹の白い蛾

 東京の若い女の享楽気分は、日に増し眼に余って行く。そうして、「性の悩み」に魘《うな》される少女を、次第に東京に殖やして行く。
 或る女学生が、不良行為をやって警察に引っぱられて行く途中で、懐中からマッチ箱を出してソッと棄てた。刑事が気付いて拾って見ると、中には一枚の厚紙があって、雌雄二匹の白い蛾が、生きながら二本のピンで止められて、ブルブルふるえていた……。
 記者はこの話をきいた時、馬鹿馬鹿しいと笑う気になれなかった。その少女がそんな事をした時の気持ちをよく考えているうちに、恐ろしいような、悲しいような、一種形容し難い鬼気に襲われた。
 孕《はら》み女の腹を裂かせてニッコリと笑った支那の古王妃の気持ち――それを近代式にデリケートにした気持ちを味わいつつ、その女学生は二匹の白い蛾を生きながらピンで突き刺したのではあるまいか。その二匹がブルブルとふるえつつも離れ得ぬ苦しみをマッチ箱に封じて、懐に入れて、独りほほえんでいたのではあるまいか。そうして、この頃の若い女性の胸にあふるる「性」のなやみの、云うに云われぬ深刻さ、残忍さ、堪え方さ、弱々しさが、そこにありありとあらわれているのではあるまいか。

     堕落して冷静に

 各種の避姙薬は彼女たちに安全な堕落の道を教える。化粧品屋は彼女達に永久の美を保証する。活動女優の表情はいつしらず彼女達に乗り移る。そうして、彼女達にその芸術的表情を実演すべき場面を心の底から求めさせる。
 気の利いた女学校の先生は、この時代相に迎合して、「そもそも姙娠という事は……」と性教育を試みる。生徒は真青《まっさお》に緊張してそれを聴く。
 このような気分に蒸し焼きをされる若い女性がどうして堪え得よう。実際に異性の香《か》を知らぬまでも、禁欲の苦痛を感じずにはいられぬ。
 その苦痛を一度でも逃れた経験を持つ女性は、必ずや男性に対する感じ方が違って来る。昔のように赤くなったり、オズオズする気持ちは出そうと思っても出ない。同時にそんな感じを超越して男性を見たり、批評したり、交渉したりする心のゆとりが出来て来るわけである。
 彼女たちはこうして益《ますます》その批評眼を高くし、享楽趣味を深くし、独立自由の気分を男子と同等にまで高潮させて行く。親の厄介になって好かぬ結婚に縛られるより、職業婦人になってもというような意味の向学心を強めて行く。
 これは男子学生とても同様である。
 将来の日本には独身の男女が嘸《さぞ》かし殖えることであろう。

     交際の場所と機会

 さて、かような異性同志の交際はどんな風に結ばれて行くか。
 学校や家庭の眼を忍んで、若い同志享楽したりすると、九州地方では直ぐに「不良」呼ばわりをされる。記者も九州の人間だから、そんなのを不良の中に数え入れたわけである。
 しかし、東京ではそんな心配はない。よしんば八釜《やかま》しく云う者が居るにしても、この頃の東京の少年少女は滅多に尻尾を押えさせぬ。探偵小説的、又は活動写真的の巧妙な手段で、警察でも友人でも煙に捲こうとする。そんな事をわざわざやって喜ぶ位である。
 しかも東京にはそんな手腕を揮う場所と機会が無暗《むやみ》に多い。
 震災後の東京には街頭の展覧会が殖えた。写真、絵、彫刻、ポスター、技芸品といったようなものを、目抜の町の或る家の階上や階下、わかり易い横町の空屋などに並べて見せる。新聞、ビラ、掲示なぞを気をつけていれば、すぐにわかる。東京市中で毎日十箇所を下るまい。
 これが少年少女の落ち合い場所になり勝ちである。人に怪しまれずに見に行けるし、いつまでも相手を待っていられる。来れば何やかや見るふりをして、極めて自然に寄り添えるといったようなわけである。
 学校の運動会も、この頃は異性の入場を許す傾向になった。許すと素敵にハズムという。
 剛健質朴を以て天下に鳴った一高の生徒たちにカルメンと持てはやされる一人の少女が居る。昨年あたりは、学生仲間の会合や催しによく顔を出したものだそうな。一説には、これが、現在、東京で最も有力な不良少女団の団長だともいう(後に詳しく説明する)。が、そこを特に突止め得なかったのは惜かった。

     眼と眼――心と心

 近頃は福岡にも出来たが、東京のカフェーその他の飲食店では、テーブルとテーブルの間を仕切るのが流行《はや》る。そこにはよく若い男女が同席してヒソヒソやっている。
 東京の市内電車が素敵に混雑《こ》むのも便利である。同じ吊り革にブラ下ったり、膝っ小僧で押合ったり、いろんな事が出来る。
 省線の電車も朝と夕方は一パイである。郊外から通う人が大部分なのと、停留場が遠い関係から、市内のようにザワザワしない。その間《かん》に眼と眼と見合ったのが度《たび》重なって、心と心へという順序である。
「殊に不良少年は郊外の方が多いのですよ。毎日見ているとよくわかります。後の方が空いているのに前のに乗ろうとしますから、無理に止めたら、泣き出した娘がありました。誰かと約束してたんだなと、あとで気が付きました」
 と一人の車掌は語った。
 音楽や舞踊、英語等の先生の処で出来た社交関係も随分多いらしく、新聞や雑誌によく出る。
 浅草の奥山、上野の森、その他の公園の木といわず石といわず、若い人々の眼じるしにされて飽きている。上野の西郷銅像の前に夜の十時過ぎにしゃがんでいれば、待っている男女、連れ立って去る男女の二十や三十は一時間の中《うち》に見付かる。西郷さんが怒鳴り付けたらと思う位である。
 バラック街は電燈で一パイであるが、裏通りには歯の抜けたように暗い空地がある。そのほか、公園の暗《やみ》、郊外の夜の木立ちをさまよい蠢《うごめ》く、うら若い魂と魂のささやきは数限りもない。行きずりの人も怪しまぬ。

     夥しい会合、催し、年中行事

 泰平が続くせいか、いろんな芸術的の催しが盛になった。家庭的、個人的、小団体的といろいろある。
 東京はその流行の中心地である。
 子供のために舞台を作った富豪がある。アトリエを持っている中学生がある。活動写真機を持っている家も多い。ピアノの無い小学校が稀であると同時に、中流以上の家庭で蓄音機の無い処は些《すく》ない方であろう。レコードなんぞは縁日で売っている。
 こんな調子だから「催し」も夥しい。やれ野外劇、それレコードコンサート、又は新舞踊、芸術写真、その他在来の趣味や、新しい道楽の会、切手、書物、絵葉書、ポスター、レコード等の交換会、奥様やお嬢様御自身のおすしやおでんの会、坊ちゃまお嬢様のオモチャの取かえっこの会なぞと、大人のため、子供のため、男のため、女のためとお為づくしである。マージャンの会は今が盛りである。ラジオの会はこれからであろう。
 年中行事の多い事も東京が一番である。
 三大節、歌留多《かるた》会、豆撒き、彼岸、釈迦まつり、雛《ひな》と幟《のぼり》の節句、七夕の類、クリスマス、復活祭、弥撒《ミサ》祭なぞと世界的である。そのほか花の日、旗の日、慈善市、同窓会、卒業祝、パス祝、誰さんの誕生日まで数え込んだら大変であろう。又、そんなのに一々義理を立てたら、吾家《うち》の晩御飯をいただく時はなくなりそうである。
 少年少女が又こんなのに行きたがる事、奇妙である。

     案内書の秘密

 美しいお嬢さんの居る家に一枚のビラが配られた。青白い上等の紙に新活字で印刷してある。
   ……………………
  ××社交クラブ成立案内書
[#次の段落は1字下げ、本文とはアキナシ]
大正の大震火災後社会の風潮は著しく悪化して参りました。良家の子女は今や全く社交を禁ぜられているかの観があります。(中略)吾々はここに見るところあり、××社交クラブを組織し、(中略)特に良配偶を求めらるる子女及び父兄のためには、この会ほど安全で適当なものは他にあるまいことを信じて疑いませぬ次第であります。(下略)
  大正十三年九月一日
 とあって、賛助員に後藤新平、中村是公、目賀田種太郎、金子堅太郎なぞいう名士の名がズラリと並び、発起人に何々会社重役、何々病院長、何々ビルディング支配人なぞいうのから、肩書も何も無いのまで、綺羅星《きらぼし》の如く並んでいる。その先の方に「案内」とあって、小さな活字がギッシリ詰っている。
[#ここから項目の2行目以降2字下げ、本文とはアキナシ]
 ▽会費 一ヶ月金三円(毎月三回会合)。
 ▽会合の種類 (第一類)音楽、絵画、その他芸術的の集まり、展覧会等。(第二類)政治、外交、社会問題に対する質問会。文化、学術講演会。(第三類)洋食、技芸、洋式作法講習会等。(第四類)慈善市、各種交換会等。
 ▽備考 (一)加入者は品行方正の証明(父兄、学校、青年処女会)ある青年処女に限る。(二)会合の種類に依り父兄同伴随意。(三)何等宗教的意味を含まず。
[#ここで字下げ終わり]
 といったようなもので、仮申込所を東京府下中野○○番地、松居博麿(仮名)方としてある。
 この案内書を貰ってポケットに畳込んだ記者は、そのまま省線に飛び乗って中野で降りた。決して名探偵を気取ったわけではない。流石《さすが》東京と実は大《おおい》に感心させられた。その会合の遣方《やりかた》を習ったら、九州へのいいお土産が出来ると考えたからであった。
 ペンキ塗りの小ぢんまりした文化住宅に、「マツイ」と小さな表札を見つけて案内を乞うと、都合よく御主人在宅であった。本紙記者の名刺を出して応接間に通されると、卓子《テーブル》の上に博多人形の「マリア」が置いてあったので一寸《ちょっと》嬉しかった。
 松居博麿氏は青白い貴公子然とした人で、大島の三つ揃いを着て、叮嚀な口の利きようをする人であったが、記者が大正社交クラブの事を尋ねると、又かというような情ない笑い方をした。弱々しい咳払いをして云った。
「どうも困りましたね。あれは僕の知らない事なんで……」
 記者はポカンとなった。
 ところへ、恐ろしくハイカラな金紗の奥様が這入って来た。こぼるるばかりの表情をして、御主人の話を引き取った。
「まあ。矢張りあの事で――! どうも困っちまうんですよ。宅の名前が通っているものですから、あんなお名前と一緒に並べ立てて(下略)」
 記者は恐ろしくテレて来た。
「ヘエー。それじゃ誰があんな計画をしているかお心当りでも」
「それがないので困っているんですよ。警視庁の知り合いにも電話で頼んでいますし、(中略)方々からの質問でホントにウンザリしているのですよ。そうしてあなたはやはり九州の……まあ、こんな処まで……よくおわかりになりましたのね……まあ、九州《おくに》の方はいい処だそうですね……まあ、およろしいじゃありませんか……今紅茶を……」
 記者は這々《ほうほう》の体《てい》で此家《ここ》を出た。
 出ると同時にサッパリ訳がわからなくなった。
 ポケットから例の案内書を出して見つめながら、頭をゴシゴシ掻きまわしたが、わからないものはどうしてもわからない。それかといって、今一度引返してあの奥さんを詰問する勇気もなくなっていた。
 翌《あく》る日から記者は用事の序にポツポツと賛助員の諸名士を訪問して見た。一軒は不在で、二軒は多忙であった。しかし三日目に四軒目の家の玄関に立った時、又新発見をした。
 玄関の敷石の打水の上に、赤い紙に刷った「文化生活研究会案内書」というのがヘバリ付いていた。その発起人の名前は半分以上違っているが、最後に松井広麻呂というのがあって、上に(申込書)と割り註がしてある。
 記者は昂奮した。すぐに中野の文化住宅に行ったら、もう遅かった。「マツイ」の表札はあったが、家はガラ空きであった。近所の人にきいても、どこに行ったか知らぬ――家主は蒲田に居るという。
 記者は取りあえずガッカリしたが、なお念のためきいて見ると、松居氏の家には若い男女がチョイチョイ出入りしていたそうな。一度レコードコンサートらしいことをやっていたが、夜遅くまでかかったかどうかは知らないと云った。それから、交番の巡査にきいて見ると、子供上りのような巡査で、その文化住宅の番地だけしか知らなかった。
 郵便局へ名刺を出して見ると、親切に答えてくれたが、
「あの家はあまり手紙を出しません。来るのはかなり来ますが」
 というのが結論であった。
 記者はそれでもあきらめが付かなかった。
「マツイ」氏が名士であろうがなかろうが、そんな事はどうでもよくなった。
「何のためにこんな宣伝ビラを配るか」
 という疑問が晴れるまではと、不断に気を配っていた。
 ビラを配る男さえ見れば、傍へ寄って何のビラかのぞいて見た。しかし運悪く、「松居」もしくは「松井」の名前を刷込んだのは一度も見当らなかった。
 その中《うち》にウンザリして来た。
 成るべく東京の同業の助力を借りずに材料を集めようと決心していた記者も、とうとう兜《かぶと》を脱いで、或る雑誌記者にこの事を尋ねたら、その記者は腹を抱えた。
「君はまだ不良少年少女の仕事が資本化した事を知らないね」
 と云った。
 この時記者が受けた暗示は極めて大きなものであった。この暗示に依って得た材料が、この中にどれ位あるかわからない。少なくとも、今まで信ぜられぬと思った事が信ぜられるようになったと同時に、疑問にしていた事が一時に解決されたような気がしたのであった。
 財産を持って遊んでいるような若夫婦の中には、道楽に少年少女を集めて喜んでいるのがあるという。中には夫婦了解の上で、夫人は少年を、又、主人は少女を堕落させて楽しんでいるのもある。色餓飢道、畜生道を通り越した堕落ぶりだという。但、松居氏もそうかどうかは未だに疑問である。
 信ぜられぬという人は信じなくとも差支えない。
 記者は敢《あえ》て健全なる家庭の人のためにこの失敗記を書いておく。
 まだある。

     不良のブル化

 現在の東京の不良少年少女は明らかにブル化している。当局でも寒心している位である。
 昔の不良少年少女は上流社会の子弟のために一敵国を作っていた。上流社会の子女を誘惑したり、誘拐したり、又は脅迫したりして、金品を巻き上げるとか、堕落させるとかするのを不良少年少女と考えられている位であった。
 ところがこの頃では上流のお坊ちゃまやお嬢様がこれをやる。しかも、捕まっても大抵は揉み消されるから、いよいよ増長する傾向がある。
 一方、父兄や母姉にも、なっていないのが多い。自分たちの不品行を素っ破抜かれぬ交換条件として、その子女の不良行為を補助しているのさえある。
 上流社会の婚約が社会の環視の裡《うち》に破談になった。その理由がどうしてもわからぬ。又は、名士の結婚に深刻な非常手段でケチをつけた少女があった。その少女の遺言が闇から闇に葬られた……というような話をチョイチョイ聞く。その裡面には、大抵、こうした上流の家庭の不浄化が臭気を洩らしている。
 美人の奥様の子弟には必ず不良少年が居るというが、今の東京の時代相では一部の真理があると考えられる。
 しかし、これも信ぜられぬという人は信じない方がいいであろう。

     「秘密」の魅力

 次に少年少女の文通に就いて見聞した事を述べる。
 若い男女は妙に「秘密」を好む。「秘密」という言葉が、「性」という言葉と因縁があるばかりではない。秘密という言葉そのものが、若い心に対して云い知れぬ魅惑を持っているからである。
 大人は自分勝手な秘密をいくらでも持ちながら、子供に対してこれを隠す。しかも子供が大人に対して秘密を持つことは許さぬ傾きがある。これに対する若い心の反逆の意味もあろう。一種の好奇心もあろう。自分達も秘密を持ちたいという欲望もあろう。秘密を持つと何だかえらくなったような気がするというような関係もあろう。
 今の若い異性間の交際、殊にその取りかわす手紙にはそんな気分が濃厚にあらわれている。
 A何号よりとか、BBBよりとかいうのはもう古い。暗号、隠語、切手の貼り方、封筒の色、封筒の使い方、又は花言葉なぞが盛に研究されている。そんな事を書いた新聞や雑誌を切り抜いて持っているものもある。男が女文字の女名前、女が男文字の男名前なぞいうのは古手で、この頃は邦文タイプライターを利用するのもある。

     奇妙な店頭の封筒

 東京市中到る処の縁日や露天には、封筒や書簡箋の店が多い。三角や五角、六角、八角、又は蹄形、不整形なぞと、形はいうまでもなく、色や模様までいろいろある。これによって秘密通信の暗号はいくらでも作れる。
 中には、如何《いか》がわしい絵や文句が透かしになっているもの、又は内側に印刷してあるのもある。二重袋の外を水色、内部を紅色にして挑発気分を見せたり、外を灰色に、中を黒にして病的思想を象徴したりしているのもある。
 切手を貼る処を破線(……)で囲んで、中に七号位の活字で恋の格言、投げやりな思想、耽溺気分の歌なぞを刷り込んだのは殊に眼新しい。
「ちござくら、そばによりそう、うばざくら、ともにうきよの、はるをこそおしめ」
「みだれなと、いとあさましく、くくられし、はぎなぞに、みを、よそえては、なく」
「少年の恋は、禿頭のように捕えにくい、ツルツルして毛が無いから」
 なぞいうのがある。呆れ返っても足りない。

     冒険式文通

 こんな手紙を郵便で出してはけんのんというので、秘密に渡す方法が又様々に研究されている。あまり詳しく書くと方法を教える事になるから差し控えるが、棒に捲いて銀紙を冠せてチョコレートに見せかけたもの、ヘアピンにナイフで彫り込んだものなぞいう念の入った手紙を、警察に引かれた少年少女が持っていたという。中には好んで奇想天外の手段を執る者も殖えて来たらしいが、大方矢張り探偵小説や活動写真の影響であろう。
 一例を挙げると、女学校の廊下にかかった先生の帽子に文《ふみ》を挟んで、女学生に取らした私立専門学校の生徒が居る。
 その生徒は、約束の時間に普通の紳士の服装《なり》をして、課業中の人の居ない廊下に這入った。帽子を探すふりをして、右から何番目かの茶の中折れに文を入れた。
 放課後までその帽子に手を触れる者は無い筈と、安心して帰ったら、豈計《あにはか》らんや、その帽子の先生が急用で自宅に帰ると、発見して、中の文句まで読んでしまった。そのまま封を直して帽子に入れて、急いで学校に行って、旧《もと》の処にかけておいて、放課後調べて見ると無くなっていた。
 その翌る日、その先生は又|旧《もと》の処に自分の帽子を掛けて、今度は見張りをつけておいたら、昨日《きのう》の男学生が返事を受け取りに来たから直ぐに取って押えた。何とか彼《か》とか弁解をする奴を相手の女学生と突合わせると、流石《さすが》に両方共一度に屁古垂《へこた》れてしまった。そこで厳重に将来を戒めて家庭に引渡した。
「活動の影響だ。人を馬鹿にしている」
 と、その先生は素敵に憤慨して記者にこの話をした。
「そればかりではありますまい。そんな冒険をやれなければ、この頃の女性に持てないからでしょう」
 と記者が云ったら、
「成程、それも面白い観察だ」
 とうなずいていた。

     少年少女の手紙の内容の進歩

 七八年前の事……。
 ペン習字手本というような小冊子が流行《はや》った。その中に随分|非道《ひど》い文句を含んだのがあった。
「あなたとあの野を散歩した時、足袋が露でグショグショに濡れました。いっその事二人共身体中グショグショになればいいとおっしゃった事はお忘れでないでしょうね」
 なぞとあるのを、福岡の或る教育家が見て驚いて、
「ペン習字は絶対に禁止せねばならぬ。家庭でも取締ってもらうつもりだ」
 と記者に話した事がある。
 又、ついこの頃の事……。
 或る地方の高等学校で、生徒が女と文通したのを先生が罰した。
 昔ならその生徒を同級生が擯斥《ひんせき》するか、ブン殴るところを、反対に級全体で同情して先生に迫り、「罰した理由」を責め問うたという事実がある。
 こんな風に時勢が違って来ているのだから、男女学生の手紙の内容も進歩しているにきまっている。左に掲げるものは、警視庁の後藤四方太氏が記者に示してくれた少女の手紙で、いずれも昨年の夏迄に不良少女や友達に与えられたものである。氏名だけは仮名にしたが、ほかはすこしも筆を入れてない。挑発的なところには係官の手でインキの線が引いてあった。○○○にしようかと思ったが、却《かえっ》て挑発するから同じ事だし、東京人の堕落時代が如何に戦慄に価するかを証明する力が薄くなるからそのまま掲げた。
 これ等の手紙を妙な意味の眼で読まれるのは記者の本意でない。そこに見え透いている少女の青春の危機と、そこにあらわれている恐ろしい時代相を見て、心の底から戦慄し、戒慎してもらいたいためである。こんなものに注意を払うことを好まぬ人々が多いために、その子女の堕落が益《ますます》深まって行く事を、これ等の手紙が明らかに証拠立てている事を理解して頂きたいために敢て掲げるのである。

     少女のレター

   ……………………
[#ここから1字下げ、本文とはアキナシ]
楽しみにしていたレター本当にサンキュー。逗子も暑くて、全く世の中がいやになってしまうわ。休みなので人が一杯。アンチソラチンのオバケが来たこと。
さしも広かった浜べもすっかりかくれた事よ。なんでも、羊と二人して紅と白との腕を振るってね、クロールをみせびらかしてやりました。そればかりか、海の真中の赤ハタまで行って、不良少年をこらしめてやりました。
「オーイ足長まてまて」とあとから変な人が泳いで来ましたが、皆ここまで来られないで帰ってしまいました。羊と二人して大いに笑ってやりました。気が清々しました。
毎日羊だの、松本君、喜多君、徳川君等と一緒に泳いでおります。不良の病ますます重くなるを知るべし。
若い西洋人も羊と仲よしです。それで皆で「マルオニ」をして遊びます。おしまいに人がたかるので一勢に海へと飛び込みます。
もう手足の紅色でビリビリします。帰る頃はタドンのオバケでしょう。すみちゃんもよしちゃんも皆一緒です。としちゃんは大分上手に泳ぎます。よく笑うので方々で可愛がられています。そしてもう真黒くなりました。元気でピンピンはねています。
チクオンキ毎夕ですって? うらやましいわ。チャールスレイ君すきなの? 本当に加勢が出来てうれしい。二人で大いにやるべし。
菊池さんの真珠夫人(トテモモーレツな本)を読んで、女は大いに不正してよろしいものだという事がわかりました。
ただしこれは処女のみにかぎるよ。又東京のはなしして。ハイチャイ。
それから山口家のニワトリの家内の病気は如何。
 大正十三年七月二十七日真昼
み つ 子 か ら[#行末より1字上げ]
  は ま 子 君 へ
[#ここで字下げ終わり]
   ……………………
 この手紙を見て、そのお転婆ぶりに驚かぬ人はなかろう。海水浴で若い男に取捲かれて得意になり、女の友達を何子君と呼び、怪しい新語や俗語を振りまわすところ、その見方、考え方等、皆現代式のハネッ返りである。殊に「女は不正なるべし、但《ただし》処女に限る」とか、「不良病|益《ますます》重《おも》る」とかいうあたり、冗談かも知れぬが舌を捲かざるを得ない。果然、一人の不良少年は鎌倉海岸の脱衣場で彼女の袂からこの手紙を盗み取ると、彼女を与《くみ》し易いと見込んだ。仲間と謀《はか》って彼女の居る宏壮な別荘を調査し、魔の爪を磨いていたのを、東京から尾行して来た刑事が引っ捕えたのだという。

     少女のラブレター(一)

   ……………………
[#ここから1字下げ、本文とはアキナシ]
お懐しい
芳夫様、お手紙を有難う御座いました。私は、私の胸はどんなにか轟《とどろ》いた事でしょう。ふつつかもの花子に愛するというお言葉……何だかもったいないような気が致しますの。けれども貴方の淋しいみ心を省り見ますれば……本当にお察し致します。新ちゃんという方は、誰の前でもはばからずなんでも話す方ですから、純な清いお友達として、Sとして御交じわり下さいませ、お願い致します。
まだまだ書きたい事がございますが、何からお話し致してよいか……今日、私、お会いしたかったのですけれど、或る事から急に厳しくなって、夜は外へ出てはいけないと云うので、どうしても出られませんでしたの。どうぞあしからずお許し下さいませ。
それでは悪筆乱文お許し下さいませ、さよなら。
幸多き  花  子[#行末より1字上げ]
永久に永久に
 芳夫様みハートに
[#ここで字下げ終わり]
   ……………………
 文体で見るとこの少女はまだ若い。相手を不良少年と知らずに謹んで書いている。一方に両親からもその危険性に気づかれて悩んでいる。極めて平凡で、こんな少女はいくらでも居そうである。そうして恐ろしく危いところである。或は最初の危機を通過しているかも知れぬと思われる節がある。尚、文中Sとあるのはシスター(同性愛の事)の略字であるが、ここではそんな意味はない。同胞という意味らしい。

     少女のラブレター(二)

   ……………………
[#ここから1字下げ、本文とはアキナシ]
御許様には、昨夜私の留守に御電話を掛けに成り、さぞかし私が居りませんので御立腹遊ばされ、私を御うらみなされたでしょう。雨降ります所をお出下され、まことに相済みませんでした。私、いつもの所へ一時半頃行って待っておりましたが、御出に成りませんので、雨が降っておりますから、きっと入らっしゃらないのかと思い、私宅へ戻って来まして、用事がありましたので出掛けたあとへ、吉井様からのお電話でした。私、戻って来てすぐ第一の処へ行って見ましたが、恋しい吉井様の御すがたが見えませんでした。
私の写真をこの中へ一緒に同封してありますから、どうぞこの間お約束致しました通り、どなたにも見せないで下さい。御願いを致します。又こんど出来ましたら差上げます。
それから恋しき吉井様の御写真をどうぞ一枚御送り下さいませ。
M子より[#行末より1字上げ]
私の永久に愛する
 吉井様ハートへ
[#ここで字下げ終わり]
   ……………………
 この少女は前の花子よりもませている。関係も進んでいるが、不良少女でない事は写真の送り方でわかる。却て旧式の立派な家庭に育っている、家庭のお嬢さんと思われる節がある。吉井という男に引っかけられて、いい加減にされているらしい事が略《ほぼ》推測出来る。前のと同様にハートなぞいう言葉をこんな風に使うところは、どう見ても江戸ッ子でない。

     少女のラブレター(三)

   ……………………
[#ここから1字下げ、本文とはアキナシ]
毎日青くなったり赤くなったり、七面鳥で、随分大変でしょう。御察し致します。七面鳥さんのために私随分祈っていますの。ですから、あんまり七面鳥になって心配しなくとも、大てい落っこちないから御安心遊ばせ。
十一日ね、随分待ちましたのよ。いくら待っても入らっしゃらぬのですもの。ほんとに悪々《にくにく》しくなってしまいましたの。もう真琴ちゃんの云う事なんか聞き入れない事に定《き》めてしまったの。御自分から話し出しておきながら、入らっしゃらぬなんかあんまりですわ……ほんとに貴方は嘘|吐《つ》きね……それは全く私の方が嘘つきなのよ。御免なさい。
私もあの日は朝から気分が悪くて寝ていましたの。三日間会社を休んで、月曜から床の中で暮しました。けれど床の中で何事も忘れて、真琴ちゃんのタメに祈りましたの。今度の試験は成績良好でしょうよ。三日も会社を休んで祈っていますもの? こんな思いをしているのに、真琴ちゃんは一人音楽をのん気なかおして聞いているなんて、ほんとにあんまりと、プリプリ内心怒っておりましたの。でもレター拝見して、やっと胸が落ちつきましたわ。二十一日にきっと行きますわ。それまでは苦しみね。でも今日は十六日でしょう。後五日すぎれば御逢いできるのね。試験がすむと、後はしばらくお休みでしょう。そうなると真琴さんがうらやましくなってしまいますわ……。
御休みになったら、御都合のよい時に春の海……ほんとうに行きましょう。どこがいいでしょう、よろしく願います。
真琴さん。いつも御無沙汰ばかりして済みません。決して忘れているのでは御座いませんのよ。一時だって忘れやしませんわ。けれど悪筆の筆不精故、悪いとは思いながらついサボってしまいますのよ。御免なさい。さらば。
と き 子 拝[#行末より1字上げ]
愛する真琴様
[#ここで字下げ終わり]
   ……………………
 書いた主は職業夫人で、相手は学生? である。文章は雑誌や小説に影響されたところが到る処にあって、調子だけは現代式であるが、最初に出したみつ子のそれのように気持ちまで現代式でもなければ名文でもない。世間なれていて男も珍らしくないらしく、甘い言葉が力なく上辷りしている。職業婦人らしい気の疲れも見える。しかし、男性に誘惑され易い気の弱さがよくあらわれている。そこにつけ込んでいる男の手加減も見すかされるようである。

     少女のラブレター(四)

[#ここから1字下げ、本文とはアキナシ]
恋しき玉雄様!
先夜は申訳ありません。ほん当にすみませんでした。すまないすまないという思いで……お許し下さいませ。
あの夜、皆の眼をかすめて家を出たのでした。松坂屋の前へ参りましたが、恋しきあなたのお姿が見えません。私が後《おく》れたので、もしやお怒りになってと思って、辺りを捜しましたが見当りませんでした。再び松坂屋のところへ引返してお捜ししたのですけれど、遂に懐しいあなたのお姿は見当りませんでした。
で、丁度八時半に広小路から電車に乗って、芝園橋行の電車に身を任せましたの。金杉橋でのりかえ、一の橋までまいりましたの。でも時間は刻々と迫って……時の神がうらめしくなりました。もっと先まで行って、あなたに逢うべく……決心しましたけど、もう十時近くなりましたから……残念でしたけれども、芝園橋で乗りかえて帰宅いたしましたのよ……。
宅を出ます時に、十時迄に帰るように申して参りましたから……あなたに逢うべく一の橋までゆきましたが、せめて一時間でも、否、一分間でも……そしてあなたの温い胸に……しっかりと抱かれて……と、そればかりを希《のぞ》んでおりましたのに、予想はすっかり裏切られてしまいましたの……あなたに会えたらどんなに幸福だったでしょう? ほん当に残念でなりませんわ……もしも自由の身であったならと、いつもそればかりを……。
家へ帰って参りまして、茫として何物も手につきませんでした。他の人々から、どうかなさいましたのと云い寄られても、それに答える事も出来ませんでしたの……二時過に床に入りましたけど、あなたの事ばかり思い出して……眠られませんでしたの。すまないという心で私のハートは満ちておりました。
束縛を呪い、自由を渇仰する私は……この泪《なみだ》する淋しい妹を慰めて下さいませ……。
いつもいつも、どうせ生きるなら、もっともっと意義のあるように生きたく……望んでおりますけど、けれどけれど私の願いはすっかり裏切られて了《しま》いますの。ミゼラブルな人生を……歎き悲しみましたの。歎いたとて応える何物もありませんでした。玉雄様――こう叫んだ時に、あの四月十日がほんとうに慕わしくなりますの。そうして、まぼろしのようにあなたの面影が表われ……私はたまらなくなりました。そして、そのまぼろしに対して私は何か囁きたかったのですけど、併しそのあなたの面影は長くは続きませんでした。なつかしく、また慕わしかったけれども、私はあなたのまぼろしに無言のうちに別れを告げてしまったのです。噫《ああ》、こうした中にも物淋しい生命は刻々と過ぎて行きます……筆を止めて、静かに黙して、祈るともなく祈る時……私の全身は氷のように冷たく……私の瞳はいつしかうるおいをおぼえました。私はただ泪にうるむ眼をとじて思考すること五分間……又となき若き日の思い出は……ああ、頼もしくもあり寂しくもある日は……時の運行! 尚相変らず慌《あわただ》しゅう御座いますのね。
乱筆お許し下さいませ。そして長い長いお便りを首をのばして待っております。玉雄様、ほんとに親しく、何でも赤裸々に仰言《おっしゃ》って下さいませ……。
一九二四、四、三〇 夜[#行末より2字上げ]
す え 子[#行末より1字上げ]
なつかしい……私の
 玉雄様御許へ
二伸
誠に恐れ入りますけれど、お写真がありましたら、
一枚お恵み下さいませ。お送り下さってもよろしゅう御座います。私のもお送りしちゃ不可《いけ》ないでしょう? でしたらお目にかかった時に、あなたのお手にさし上げますわ……ほんとに貧弱ですが。
今度会われる時は午後の三時頃で御座いますわ。
夜は絶対に出られないのですもの……昼ならよろしいのですけど。二十九日に逢われなかったのが何より残念ですわネ。
一の橋まで行ったのに……も少しであなたのお家でしたのに……いつかは神様が……その時を楽しみに待っております。
[#ここで字下げ終わり]
   ……………………
 この文を通じて、この少女の家庭は真面目である。女学校の上級生位の年頃で、しかも人生とか、自分の心とかいうものに対して、少女には珍らしい程はっきりと考え得る頭を持っている。それだけに人生に対して或る苦しい淋しい空虚を認めて、何物かを求めつつ悩んでいることがわかる。同時に、彼女の家庭も、学校も、宗教も、道徳も、彼女の魂の飢えを満たすべく何物も与えていない事がわかる。そのために彼女は、おぞましくも唯《ただ》性の労働に走るほかはなくなっている。空漠たる時間と空間の中に、只青春のときめき、それだけしか認めなくなっている。そうして不良とは知らずに、不良性の萌芽を心の奥に育ていつくしんでいる。それに対して、学校も家庭も無関心な冷たい眼で見ている。一方、不良少年は冷笑しているという、現代社会の時代相がありありとうかがわれる。

     少女のラブレター(五)

   ……………………
[#ここから1字下げ、本文とはアキナシ]
敏雄様……。
十五夜の月が、淋しく物思う地上の一人子を哀れむように照らしております。虫の声もいたしましたけど、何故にかく泣き止むのでしょう?
唯一人なのに……私はやはり淋しいのです……自分で淋しいと思うからなのでしょうけど、私達の若さに同情してくれる人はないのですもの……私の一番大事なお兄さま、昨夜は久しぶりで夢で御目にかかれました。でも、あなたは御元気がなく、お言葉さえかけて下さらないのでした……で、悲しゅう御座いましたの。ですから忘れて下さいませんようにと[#「忘れて下さいませんようにと」に白丸傍点]書きますわ。その後お体はつづいておよろしいの?
今日は何だか心細くてなりませんの。
先達《せんだっ》てのレターに、姉の来ていますことを申上げましたために、あなたは御遠慮遊ばしていらっしゃるのじゃなくって? 御心配には及びませんわ。あなたからのお便りのない日は、私は寂しくてなりませんのよ。ですから、早くお便りをお恵み下さいませ。
病の床に是非なく伏しておりましたけれど、私はたまらなくなって………。
呪われた東京を思い出して……今はこの書く手もふるえて、この窓から見れば――赤い血のような無数の星の流れ、空一面に気味悪くそまって。
真紅のほのおの高く高く息づくのを! 恐ろしい……そうして、人々のどよめきの中を依然として星は乱れ飛ぶ! 鐘は鳴る! おお、今は午前三時よ! 床をぬけ出たためか、風邪の復活! ほん当に悲しゅうございます……お願いですからお便りを! 病の床に伏す身は! 遠い都にいますあなたを思い出しては……おしのび下さいませ。
また後便でゆっくり申し上げます。
小夜なら  つ る 子[#行末より1字上げ]
私の兄さまへ
[#ここで字下げ終わり]
   ……………………
 この少女の悩みは、前の哲学的なのに比べて感傷的である。「私達の若さに同情してくれる人はない」の一句はことに強い感銘をあたえる。現代のあらゆる教育は、少年少女の若さにすこしも同情をしていない。只|無暗《むやみ》に押さえ付けようとするか、ほったらかしておくか、二つの間を出《い》でぬ手段を執るのみで、動《やや》もすれば彼等子女を罪人扱いにして、自分達の誠意の足らぬ事を考えまいとする。彼等の青春に同情する不良芸術、不良人間の魅力の方が、教育の力よりもはるかに強いのは無理もない。「私達の若さに同情してくれる人がない」という言葉は、無能な現代教育の心臓を刺す短剣である。

     少女のラブレター(六)

   ……………………
[#ここから1字下げ、本文とはアキナシ]
略――
この前差し上げましたレター御覧になりまして?
――さぞお笑いなすった事と思いますわ。だって、何度レターを差し上げても御返事がないから、もしや発見されたのじゃないかと思いまして、逃れるためにあんな事を記しまして……おゆるし下さいませ。本当に不可《いけ》ない子でございますのね………。
お願いが只一つ御座いますの。日本橋の姉が只今突然帰って参りました。ですから、これからお手紙下さる時も、麻布だと分るかもしれませんから、誠に恐れ入りますが、
「林町にて、すみ子」としてお出し下さいませ。ほん当に失礼なんですけど、おしのび下さいませ。時間を見計って見守っておりますから、大抵は大丈夫で御座いますけど、もしやと思いまして………。
略――
姉の居る間は多少出られないだろうと思っております。そして、十二月のくるのを指折り数えて待っておりますの。駒込へ参りますの。そしたらゆっくり出来ますわ。それこそ本当にゆっくりどこかへ遊びに参りましょう………。
この苦しいハート……私はただその時のシーンを! 空想を……それで慰めておりますの。女の生命は愛ですわ。愛なしには生きてゆかれませんものを………。
私はあなたなしにはこの世に一日だって、一時間だって生きていられませんのよ。あなたのためなら、どんな事をも厭いませんわ。献身的の愛を……いつまでもね。最後という事なしに……お願い致しますわ。
略――
あなたの  つや子より[#行末より1字上げ]
なつかしい
 私の邦彦兄さまへ
[#ここで字下げ終わり]
   ……………………
 この少女は明らかに江戸ッ子で才気がある。しかも色事に対する趣味を理解している。都会人の冴えた才智と不良性とが如何に密接な関係があるかは、この手紙の文句だけでも証拠立てられる。

     少女のラブレター(七)

   ……………………
[#ここから1字下げ、本文とはアキナシ]
ただ今なつかしいお便り有がとう存じました。
白秋のわすれな草を手にして……おりましたら、恋しいあなたからのお便り、……私の手は戦《おのの》きました。嬉しさに……二十七日には日比谷までお出下さったのですってね。
おゆるし下さいませ……すべては私が……ほんとうにすみませんでした。
こちらへお出下さるそうですわね……わざわざすみませんわ。水戸でもよろしいのですけど、人目が多いからよしましょう。
途中と申しましてもよく存じませんけど、利根川べりは?
あまり奇麗な町でも御座いませんけど、利根川が。土浦で下車しますの。上野から土浦までの切符をお求め下さいませ。そして土浦で下車して……わたくしも一番で参りますから……もしも早くお出になりましたら、停車場でお待ち下さいませ……。
お逢いするのはいつでもお逢いしたいのですけど……五日はいかがでしょうか。いつでもとのお言葉故、五日ときめますわ。では五日に土浦駅で御まち下さいませ。私、二十八日水戸へ参りまして海岸へ参りましたら、それはそれは色が黒くなりましたの。まるで土人のように……おわらい下さいますな。
お頭が痛みになるのですってね。お大切に遊ばせ。あなたの御健在を毎日祈っております。
こちらへ参りましてから、ほん当に無意味な日のみつづいてさびしいのです。時折あなたからのお便りを取り出しては、思いなやんでおりましたの。でも逢われて嬉しゅうございますわ。早く五日の来るのを待っております。ではね、何卒お願い致しますわ。五日に土浦までね。私ほんとに嬉しゅうございますわ。何と申し上げてよいやら……いずれお眼もじのうえ……。
もしも五日に雨が降りましたら、六日にいたしましょう。曇っておりましても実行します。神様は大丈夫お天気にして下さいますから。
 恋しい欣吾様御前に
喜のうちに  智 恵 子[#行末より1字上げ]
[#ここで字下げ終わり]
   ……………………
 媾曳《あいびき》に慣れた少女の手紙である。東京付近の郊外が、到る処こうした男女のために利用されている事が推測される。

     本物の不良いろいろ

 次には本物の不良少年少女に就いて研究して見る。
 実を云うと、不良に本物だの贋ものだのとある筈はない。只、程度が高いか低いかだけの違いで、煎じ詰むれば人間性の低級な表現に過ぎぬという事は誰しも認むるところであろう。
 ところで、その「不良性」のあらわれに幾通りもあるように思われる。
 第一は最初から生活難の背景、又は商売的の意味を持ったもので、男性では俳優その他の芸人、外勤員、祈祷師、各種の治療師、活弁、呉服屋、ボーイ等の男淫売式《サイドビジネス》? の「不良」、又女性ならば職業婦人の第二職業、女優、女給、芸者、半玉、魔窟の女なぞが発揮するアレである。
 第二の方は興味本位、享楽本位から来たもの――今一つ突込んで云えば、思想カブレ、流行カブレ、虚栄、ウヌボレ、自暴自棄なぞいう内的原因から起った不良性の嵩じたもので、生活難の背景だの、商売的の意味だのが極めて薄い。たとえば男女の学生、華族や富豪のお坊ちゃん嬢ちゃんなぞがあらわす不良性は、大部分この方に属すると見ていい。
 一般にはこれをゴッチャにして、一列一体に不良と名付けているようであるが、記者の云う「不良」は、どちらかと云えば後者を指しているつもりである。
 ところで、後の方の不良性を調べて見ると、三期に分ける事が出来るようである。
 先ず人間性が卑屈な形式であらわれるとする。初めのうちは親兄弟や先生を困らせる程度であるが、だんだんと図々しくなって深みに這入る。この程度を第一期と名づける。
 とうとう社会を困らせるようになって、その筋の閻魔帳《ブラックリスト》に割り込む。この程度を二期とする。
 もっと進むと商売化する。社会から圧迫されて、不良を本職にしなければ喰えないようになる。これを第三期と見る。
 これ以上は大抵大人の仲間に這入ってしまう。そうしてもっと悪性になるか、真面目にかえるかする。いずれにしても「不良少年少女」とは云えない。
 記者が最初に「本物の不良」と名づけたのは、この中の第二期から三期のものを指しているつもりである。
 但、実際上うようよしている不良を、第何類だの、第何期だのとハッキリ区別する事は絶対に出来ない。皆、複雑した動機と経過を持っているにきまっている。只、記者の心持ち――又は不良本人の意識だけで出来る区別である。そうして、要するにこの記事を読んで下さる人々の理解を助けるために、こうした区別を試みたに過ぎぬ事を含んでおいて頂きたい。

     八幡市の不良団に関する福岡県知事の質疑

 大正十二年の暮の事――。
 沢田福岡県知事から内務当局へ宛て一つの問合せを発した。その内容は今日迄発表されていないが、一時新聞に伝えられた八幡市の不良少年団に関したものであった。
 その意味は大略左の通りであった。
[#ここから1字下げ、本文とはアキナシ]
大正十二年の十一月頃からの事、当福岡県下八幡市に不良少年団が出来た。彼等は父兄監督者の眼を潜って会合協議の上、活動写真式の団体を組織することとし、秘密契約を結び、左の腕を切って血を啜り合い、兄弟の義を固め、兇器等を懐にして活動館の付近に潜伏出没し、誘惑脅迫等の手段を以て良家の子女を窘《くる》しめた。これは東京の震災後、九州方面に流れ込んだ避難民の中に不良少年が居て、こんな事を始めさせたものと考えられるが、貴方の意見如何云々。
[#ここで字下げ終わり]
 この質問書を内務省からまわされた警視庁では、大略左の意味の回答をしたという。
[#ここから1字下げ、本文とはアキナシ]
そのようなやり口は必ずしも東京式とは認められぬ。八幡市の不良少年が、ある刺戟によって独立的に思い立ったものであろう云々。
[#ここで字下げ終わり]

     三千の不良少年、三百の不良少女

 東京は、こんな風に日本全国から「不良」の本場と考えられているが、実際それだけの価値は充分にある。
 目下警視庁の黒表《ブラックリスト》に控えられている不良少年が約三千、不良少女が約三百もある。然《しか》も一粒撰りの者ばかりで、これ以下の「イケナイ」のは無数だという。東京全市が不良の支配下にあるのではないかと疑われる位である。これ等の不良少年少女は震災後激増して、今日の数に達したものである。
 同時に彼等は、震災後、殆んど全部が郊外に引っ越してしまったのであった。というのは、市内が一時|寂《さび》れて、郊外の町々が大繁昌をした……即ち彼等の狙う相手が市外に避難したのが主な原因である。
 そのほか、郊外に暗い処が多いこと――警察の取締が行届きかねる事――又は東京市の中心に到る電車の距離が長いため誘惑に便利な事――なぞいろいろの原因がある。
 しかしこの頃になって、郊外が万事に不便なのと、道路が悪いので、少し位家賃が高くとも構わずに市内に引返す人が殖えて来た。そのために郊外に空屋が殖《ふ》えて来て、家賃がドシドシ下落するという。
 不良連中もこの春あたりからポツポツ市内に引返すであろう。
 ところで、「不良」と「善良」との区別は一見してなかなか付きにくいので、当局でも家庭でも困っている。何でもないのに不良|気取《きどり》のが居る一方に、不良の方でも研究して、そう見られまいとするからとてもわからない。

     鳥打帽と制服の特徴

 一般に、震災前と震災後とは、東京人の風俗に一大変化を来した。改め切れなかったものが、あの大きなショックで改められたのだと、学校当局や警視庁では云う。しかし、今一層これを深刻に見れば、物質的方面ばかりでなく、精神的方面にもそうである。殊に、堕落気分を持ちながら実行出来なかったものが、あのドサクサに紛れて思い切って堕落したとも見られる。
 或る呉服屋で震災後、絹の上物一切を倉庫にブチ込んだ。こんなものは当分売れまいと思っていたら、豈《あに》計らんや。十日にならぬ中《うち》に売り切れてしまったという。ザッとそういったような気持ちの変り方である。
 その中《うち》に不良のスタイルが生み出された。
 学生間に於ける鳥打帽の大流行は、カフェー、活動、その他に横溢している享楽気分にふさわしい気分のあらわれである。その冠り方や柄で不良かどうかはわかると、狃《な》れた刑事は云う。
 同様に制服にも不良化傾向が現われた。昨年の秋あたり、制服の詰め襟の背を割いて、袖口を腕の処よりも広くした、所謂|喇叭《ラッパ》袖を尾行して行くと、大抵不良行為を発見したと、警視庁の捜索課では云う。甚だしい学生は、制服の背中の中央近くまで裂いているのがあった。袖口を裂いたのもチョイチョイ見受けたと云う。

     不良少女の服装と着こなし方

 不良少女の服装はまちまちで、その筋でも見当が付かぬらしい。職業婦人が出て来て、矢鱈《やたら》と風俗を突飛にするので、いよいよわからなくなるという。成程と思わせられる。
 オールバックに濃化粧、漆《うるし》のような引き眉に毒々しい頬紅口紅をつけ、青地か紫色の綿紗に黒手袋、白絹模様入りの靴下に白鞣《しろなめし》の靴の踵《かかと》を思い切り高くして、虹のようなショールを波打たせながら八方に眼を配って行く……といったような女学生をいきなり不良とは断定できぬ。
 しかし、記者の見たところを綜合すると、不良少女は割合に狭い帯を締めているようである。これは胸のふくら味と下腹と尻との丸味を区切って見せるためで、昔流に広いシャンとした帯で、その辺から受ける肉感を芸術的に殺して終《しま》うのと正反対の行き方である。そのために羽織の紐の付処《つけどころ》と締《しめ》加減に巧な手加減がしてあって、どことなく洋服の感じが取り入れてあるように見える。
 同時に、昔は襟足を見せて美感をそそったものを、彼女たちは反対に襟元を心持ちくつろげて、襦袢《じゅばん》の襟を大きく見せながら反《そ》り身になって歩くようである。これは新しい女や外交官の夫人なぞによくある着こなし方である。又は、舶来のフイルムに出て来るキモノの感じを学んだものであろう。裾が長くて締りのないのは云う迄もない。
 但、こんな着こなし方は、強《あなが》ち不良ばかりに限ったわけでもないようである。

     歩き方に現われる特徴

「不良」の中でも、屈指の少女は却《かえっ》て質素な風姿《なり》をしている。
 西洋の諺か何かに、
「本当の悪魔は平凡な人間に見える」
 とあるが、事実かも知れぬ。とにかく、普通の少女と不良少女の区別は出来ないと云った方が早わかりである。
 唯ここに一つだけ、殆ど不良少女に限られた特徴がある。それは足の運び方である。それも、和服に袴《はかま》で靴を穿いている場合に限って見分けられる位、微妙なものである。
 不良少女が行くのをうしろから見ると、所謂「内がま」とも「外がま」とも付かぬ。それかといって真直《まっすぐ》でもない。心持ち爪先が外を向いたり、内を向いたり、一足毎に一定せぬ。
 又、踵を卸《おろ》して次に爪先を地に付ける時、何となくパタリとして力無く見える。普通の少女だと、往来をあるく時は多少に拘らず緊張しているから、爪先を先につけるか、又は爪先と踵を同時に落すところである。
 不良少女のはその腰から股《もも》のあたりにも緊張味がなく、膝の関節の曲り加減が、急ぐともなく、ゆっくりするともなく見える。注意して見ると、サッサとあるく時にもこの気持ちがある。要するに、腰から下の三段の関節に一種の締りが抜けた歩き方と云えば、あらかたわかると思う。
 これは、「普通の家庭に育った少女の不良気分」が、歩き方に反映したものと思う。職業婦人のだともっと硬《こわ》ばるか、ゾンザイに見えるかして、どちらかと云えば男性化した気分があらわれている。
 あれが不良少女と、記者に指さし示された女学生は、一人を除いたあと全部が、この特徴を持ったあるき方をしていた。股《また》をすぼめて恥かし気に歩いて、処女を気取る不良少女は一人も居なかった。

     東京の土を踏んでドキドキと躍る心

 大正十二年の秋以後、東京は特に夥しい人間を吸収した。その中にまじる少年少女は片端から不良化した。そうして本物の不良をドシドシ殖やした。
 その順序を考えて見ることは、この稿の最重要な使命の一つと思う。
 第一、田舎から出て来た少年少女は、永らく東京に住んでいる家庭の子女より堕落し易いというが、さもありそうに思われる。
 少々惨酷な云い方ではあるが、しっかりした身よりがあって東京に来たのは別として、只|無暗《むやみ》に東京にあこがれて吾家《うち》を飛び出したりするのは、東京に着かぬ前から不良性を帯びていると云っていい。田舎を嫌ったり、窮屈がったりして飛び出した気持ちには、既に不良性の種子《たね》が宿っている。「何でも東京へ」とあこがれる気持ちの裡面には、自堕落によく似た自由解放や、虚栄と間違い易い文化的生活に対する欲望がチラ付いている。
 あこがれの東京に着く。
 震災後、思い切って華やかになった東京のすべては、彼等の眼を驚かし、耳を驚かす。面喰らって感じてドキドキキョロキョロする。
 その中《うち》に落ち付いて来る。
 新聞や雑誌で見聞きした東京の風物が、一々実物となって彼等を魅惑し始める。欲しいものがいくらでもある。好ましい男女の姿、羨ましくも自由に楽しげなその身ぶりそぶり、そのまわりに光り、かがやき、時めき、波打つもののすべては、彼等の心を惑わせ、狂わせ、躍らせずには措かぬ。その中《うち》でも「不良性」は真っ先にこの刺戟に感じ易い。

     自分の心から生存競争の邪道へ

 田舎出の少年少女は、東京の「不良」の誘惑がどんなに恐ろしいかを知っている。そんな忠告をうるさがりながらも、自分の清浄|無垢《むく》を信じている。「だから東京に行っても差支えはない」と思う……その心の奥に不良の種が蒔《ま》かれている事を気付かずにいる。そうして、只東京の「不良」の誘惑ばかりを警戒している。
 ところが、東京で出来た知り合いの中に不良らしいのは一人も居ない。同時にその友達の中に、この偉大な大都会を物とも思わぬ少年少女があって、面白く親切にいろんな事を教えてくれるのが居る。そんな友達の話を聞いていると、何でも東京でなければならぬように思われて来る。つい感心して夢中になってつき合っている中《うち》に、今まで悪いと思っていた事がいつの間にか悪いと思えなくなる。
 殊に東京でエライと云われる大人は、白昼堂々とそんな事をやっている。それが最新式だの、文明式だのと持てはやされている。そんなのを見たり、真似たりして、天晴れ東京通になって、田舎者を馬鹿にしている時は、もう平気で「不良」をやっている時である。「自分の不良性」が「東京の不良性」と共鳴して、自分を不良化してしまっている時である。
 この時に自覚しても最早《もう》遅い。
 友達を怨んでも、東京を呪っても追付かぬ。学校は追い出されている。故郷《くに》からの送金は絶えている。イヤでも不良かゴロに仲間入りしなければやり切れなくなっている。
 いよいよ不良が上達する。
 生存競争の邪道に陥る。
 ……といったような順序である。

     押え切れぬ勇気や智恵

 又、こんな風にして本物の不良は出来る。
 生れ付き智恵や勇気があり余った青年、自分の美貌や才智にうぬぼれた少女等は、よく平凡な田舎を嫌って東京に飛出す。しかし、そこで仕事に有り付いて、コツコツと働いて、結婚して、子供を設けて、平和な家庭を……そんな事で満足出来ない。
 何でも強い刺戟を受け続けて行きたい。いつも大勢をアッといわせて見たい……そんなのを「東京」は待ち構えて「生存競争の邪道」に陥れる。東京にはそんな「生存競争の邪道」が横路地の数だけある。
 精神的に悪い境遇に育ったもの、生れ付きヒネクレたもの、又は、良心欠乏、無智なぞいう先天的の犯罪性を帯びたものも、静かな地方を嫌って東京に出て来る。曇った空気を恋い、彩られた光りを慕って、それからそれと飛びまわるうちに金箔付きの不良になる。こんなのになると、この節の教育や制裁では押え切れない。説教すれば、抗弁するか泣くかする。拘引さるれば却って箔をつける。

     善良が不良に急変

 前にも述べた通り、「不良性」は要するに「人間性の卑屈な表現」である。即ち不良性は直《ただち》に人間性で、逆に云えば人間として不良性を備えざるなしという事になる。孔子の「習《ならい》」、基督《キリスト》の「罪」、釈迦の「業《ごう》」等いう言葉は、この意味を含んでいはしまいかと思われる。
 この人間性、即ち不良性はいろんな因縁に依って善ともなり悪ともなるので、天性善良な素質を豊に備えた少年少女でも、一度不良的刺戟を受けると、存外容易に不良化する傾きがある。
 東京の二三署の刑事や部長が記者に話した事の中で、左の意味の処だけは共通していた。
「不良になった動機の中で、何の気もない少年少女が偶然に一度不良から被害を受ける。それがキッカケになって案外容易に不良化する。時と場合に依っては、良心の極めて鋭い少年少女がかなり甚だしい不良になっている場合さえある」
 云々と。尚、記者の見たところに依れば、良心の鋭いというよりも、気の小さい者が、一朝の刺戟で大胆な自暴自棄的境界に踏み込むことはあり得る。

     「不良化率」減少法

 たとえば或る少年か少女かが、何品《なにしな》かを不良少年に捲き上げられる。ところで父兄母妹にそれを発見されてはならぬ……というような申訳ない心の苦しみから、ツイ不良な方法でその捲き上げられた品に似たものを手に入れて当座を胡麻化す。その時に動いた不良性がそのまま静まらずに、一度二度と罪を重ねて、いつしらず不良になるといったようなのが極めて多い。又は自分が遣られた手口に感心をする。「巧いな」と思ったり、「あんなにやれたら面白いだろう」と思ったりする。つまり、自分の不良性を他人の不良性から誘発されて不良化するのも珍らしくないように見える。善良な少女が一朝の過失に身を汚されて心を悩ました揚句、良心や理智が昏迷し、麻痺して、遂に棄て鉢的の不良少女になる場合も亦《また》決して少くないと信ずる。
 尚、記者の見るところに依れば、このような動機で不良性を帯びた少年少女の中には、両親や何かの怒りや警戒、又は排斥的の冷たい待遇に依って、一層その不良化を早めたのが非常に多い。もしこのような少年少女にその教育の責任者が今少し強い忍耐力を持って、温かい、そうして明らかな教育を施したならば、どれ位その「不良化率」を減少したであろうかという事を記者は深く感じたことを付記しておく。

     東京の学生生活に狃《な》れ過ぎて

 大きな声ではいえないが、東京の学生生活に狃れ過ぎると不良になる。故郷を遠ざかった世間見ずの若い連中が、次第に大胆になっていろんな不良性を発揮する。
 嘘を吐いて為替をせしめる。学校をサボってゴロゴロする。エラガリ競争をして低級なイタズラをやる。又は新智識を衒《てら》って雑誌や新聞の受け売りを吹く。女を見ては色眼を使う。
 それが学生だというので、ドンドン通ったり、モテたりすると、世間はこんなものかと思われて来る。
 図々しい奴は実社会に応用し始める。一度二度と成功すると、いつの間にか学校|糞《くそ》を喰らえで純粋の不良になってしまう。侮辱していると云う人があるかも知れぬが事実である。その筋に睨まれた不良にはそんなのが多いから困る。
 苦学生のは又違う。
 彼等は何でも成功しようと思って東京に来るのであるが、案外うまく行かないとジリジリする。世間の冷たさが骨身にこたえる。自分の青春が見る見るイジケて行くのがわかる。とうとう我慢し切れなくなって、「成功」と「享楽」の「早道」に這入る。とうとうしまいには「成功」の方を忘れてしまって、「享楽」だけを追いまわし始める。それでおしまいである。

     苦学成功の油断から

 反対に苦学に成功した場合でも堕落する可能性がある。
 苦学に成功すると独立独歩で、誰も八釜しく云う者が無い。つい慰安の意味で遊んで見る。忽ち苦学では追付かなくなる。
 さもなくとも初めから成功が目的だから、喰えさえすれば学校なんぞはどうでもいい。学費を稼ぐのが馬鹿げて来る。
 おまけに「世間はこれ位のものか」という気になっている。その油断から不良風を引込む。東京市中の到る処の抜け路地は、苦学の御蔭でチャンと飲み込んでいるから、堕落するのに造作はない。
 東京の家庭の婦人、色町の女、魔窟の女なぞが、苦学生というと無暗《むやみ》に同情するのも彼等のためにならぬ傾向がある。
 帝大の苦学生で、苦学生の元締めをやっているのがある。本郷に大きな家を借りて苦学生を泊める。納豆を二銭乃至二銭五厘で仕入れて来て、三銭五厘で卸してやる。苦学生はこれを五銭に売って食費を払う。その二階に大学生は陣取って、変な女を取り換え引き換え侍らして勉学? をしている。
 不良とは云えまいが、ざっとこんな調子である。

     少年の悩みから

 一般に今の若い人々は、「将来」に対して一つの大きな悩みを持っている。
 少年の方は、学校を出てから何になろうか、自分の才能がどんな仕事に向くだろうかという事を発見し難く、モヤクヤと困《くる》しんでいる。
 十人十色の才能を見分ける事をせずに、一列一体の学課を詰め込む主義の今の教育法は、一層この悩みを深刻にする。猛烈な成績の競争と試験制度は、彼等を神経衰弱になるまでいじめ上げる。
 その結果、彼等はいよいよ実社会に対する気弱さを増す。そうして遂に自暴自棄に陥る。
 或る一つの天才しか持たぬ青年、又は生れ付き学問に不向きなタチの少年は、いつも成績不良の汚名を受けて、学校や家庭から冷遇される。その果《はて》は矢張り自暴自棄で、踵《くびす》を連ねて不良の群に入る。
 これは云い古された議論である。寧《むし》ろ記者の受売りである。
 併し、現在の東京と対照させると、この議論は決して古いものでなくなる。却て新しい、高潮さるべき実際問題となって来る。
 現在の東京に見る見る増加して行く極端な対照――非常な華やかな生活と恐ろしくミジメな生活――遣り切れぬ享楽気分と堪え切れぬ生存競争――その中にニジミ流るる近代思想は、彼等少年の「勉強」に対する頭の集中力を攪乱し、その「誘惑」に対する抵抗力を弱むべく、日に日に新しい深刻味を加えて来つつある。

     少女の悩みから

 少女の悩みは又違う。
 どうせお嫁に行かねばならぬが、その婿は自分で撰むわけに行かぬ場合が多い。そうして、いい処に行くために、面白くも何ともない学校の成績を挙げねばならぬ。ジッと音《おと》なしくしていなければならぬ。
 ――家事を習って――お裁縫を習って――作法を習って――お化粧をして――そうしてお婿さんの趣味と一致せねばならぬ――何でも盲従しなければならぬ――。
 女なんて、そんなつまらないものかしら。
 そんなら独立するとすれば――職業婦人にならねばならぬ。内的にあらゆる誘惑と戦って――外的には男子と実力の競争をして――そんな事が妾《わたし》に出来るか知ら――妾の趣味、智識の内容にそんなねうちがあるのか知ら――。
 今の東京はそんな悩みを刺戟する最新、最鋭の材料に満ち満ちている。
 こんな悩みが深ければ深いだけ、それだけ少女の頭に湧く空想や妄想が殖える。次第にセンチメンタルになり、神経衰弱になり、刹那の感興に涙ぐんだり狂喜したりする傾向が極端になる。そうして欺され易く、感化され易くなる。又は悩み抜いた揚句が、投げ遣りの自堕落になる。
 いずれも不良の原因である。
 こうして一度傷ついた彼女の心の痛みは、だんだん早い速力を持って彼女を不良の谷に引き落す。

     おいらのせいじゃない

 すべての子女は、親よりも純清な心を持っているにきまっている。それが不良になるのは、家庭と社会の欠陥――即ち大人の不始末からである。
 先天的の不良性でも、それは矢張り数代、もしくは数十代前からの大人の不仕鱈《ふしだら》が遺伝したものである。子女の不良を責める前に、大人は先ずこの事を考えねばならぬ。
 ところが実際は反対に見える。
 子女の不良が或る程度まで進むと、不良仲間から認められると同時に社会からも認められる。親兄弟、一家親族、知人朋友、学校警察まで、よってたかって善良世界を追い出して、不良の世界へ追い遣ってしまう。そうして「おれたちのせいじゃない」と思ったり、云ったりしている。
 言語道断である……。
 ……と、今の不良たちは、また殆ど十人が十人思っている。「おれがこんなになったのは境遇からだ」とか、「すべては運命だ」とか云っている。「おれたちが悪い事をしているのじゃない。世間がさせるのだ」位に心得ている。
 これが又言語道断であるが、事実、そんな錯覚に陥る原因が多いのだから仕方がない。警察で説諭をしても、こんな理窟で逆《さか》ねじを喰わせられる。少年ばかりでない、少女がやるから困ると係官は云う。
 彼等不良少年少女は、だから案外堂々と不良行為をやる。捕まるとウルサイから用心をする位の事である。中には積極的に社会や警察をカラカッテ面白がるのさえある。

     女性の自由解放と虚栄奨励

 本物の不良少女になる順序に二タ通りある。第一は虚栄から始まって万引に移る。その虚栄の本場は東京である。最近の派手な風俗は、一面から見れば狂的の虚栄競争である。その万引心理をそそる品物が全市に満ち満ちている。
 しかし、こちらの話はよく雑誌や新聞に載っているから略するが、こんなのが高じて良心を喪うと詐欺をやり、恐怖心を磨《す》り減らすと恐喝までやる事になる。
 近頃の女学校の個性尊重、自由解放主義も、虚栄を奨励していると見られる。
 若い女性の個性尊重、自由解放は、正面から見れば誠に結構な事であるが、裏面から見ると実につまらないものである。
 極端に皮肉に見れば、東京の女学校――わけても私立の教育方針は、真実に近代思想を理解して、指導的に女性解放をやっているように見えない。反対に、人気取りのためにお嬢さん方の希望と迎合しているかのように見える。だからその結果は、無意味な虚栄奨励、見栄坊許可という事実に堕ちている。
 その結果、彼女達仲間の嫉妬心や羨望心を増長させている。手癖の悪い娘が出来たり、虚栄のために身を持ち崩すお嬢さんが出来たりしている。
 その証拠は新聞の軟派の雑報を見るがいい。又は警察に行って聞いて見るがいい。

     自惚《うぬぼ》れから堕落へ

 少女の堕落の今一つは、矢張り近代思想の誤解から始まって享楽主義に落ちる事である。この世は無意味である。只、享楽だけがある。人生は零である。只、刹那の感興だけしかない。これに対して人間は絶対に自由でなければならぬ……といったような思想を、極めて低級な意味に考えて実行する。
 実は、うぬぼれていい――堕落して構わない――と考えて堕落した事になる。
 今の東京はうぬぼれの大競争場である。あらゆるおめかしの大品評会場である。大抵の風姿《なり》をしても驚かぬ程、その競争は激烈である。
 活動役者の表情の技巧や、近代芸術の線や色彩は、そんなに別嬪《べっぴん》でなくとも挑発的に見える化粧法や表情法を、到る処に鼓吹している。
 そんな研究に浮身を窶《やつ》しているうちに、彼女たちは自分の持っている性の強さ、魅力を知るようになる。又は、女の弱身をそのまま男性に対する強みにする方法を飲み込むようになる。
 これが堕落の初め終りである。
 芝居や実世間のバムパイヤになれる唯一の大道である。
 女学生なら、先生に泣き付いて出欠を胡麻化《ごまか》す。色仕掛で落第を喰い止める。職業婦人だと、会計を軟化させて前借をして逃げる。重役の令息の新夫人に脅迫状を送る……なぞいうのがいくらも暗《やみ》から暗《やみ》へ葬られている。新聞に出ているのはその一部分である。

     泥棒の手習い場

 一方、本物の不良少年も、異性を引っかけるばかりでない。泥棒、詐欺、脅迫なぞいろいろやる。そうしてこの種類になると、極《ごく》軽いのでも本物の不良としてお上《かみ》から睨まれるのである。男女関係のそれのようにありふれていないからでもあろうか。東京市中はこんなあらゆる種類の「不良養成所」である。殊に現在のバラック街はそうである。
 震災後急増した飲食の新店、又はその新しい雇人は、不良式ゴマ化しに持って来いの研究相手である。
 そんな飲食店の食器や備《そな》え付《つけ》品を、初めは楊子《ようじ》入れ位から始めて、ナイフ、フォークに到る迄失敬して、泥棒学のイロハを習う。だんだん熟練して、額縁や掛物、皿小鉢や鍋に及ぶ。
 いい洋食店なぞは入口でマントや帽子を預かるが、これが盗難警戒である事なぞは先刻御承知であろう。
 尤《もっと》もこの式は大人もやるが、若い者も面白半分に盛にやる。だんだん慣れて来て、こんな楽なものかと思うのが本手になる始まりである。喰い逃げもよくやるが、詐欺の第一歩である。
 澄まして喰物を注文してポツポツやりながら、椋鳥《むくどり》を見つけて話し込む。その中《うち》に都合よく表に飛び出す……といった式が一番ありふれている。ポット出の学生なぞはよくやられる。

     借りたインバネス

 大勢連れで露店を掻きまわしたり、飲食店の皿数を胡麻化《ごまか》したりするのは、東京に限らぬ学生たちのわるさである。
 隣席の客の下足札をすり換えて穿いて行く。あとでお客が面喰らうのを見ているとなかなか面白いという。面白いかも知れぬが立派な泥棒行為である。
 一人の青年が、田舎者と公園で知り合いになって、一緒に飲食店に這入った。煙草を買いに行こうとすると、生憎《あいにく》雨が降り出したので、一寸のつもりで田舎者のインバネスを借りて出て行った。
「貸さない」
 とは云えないまま貸したものの、田舎者は心配になった。急いで金を払って、雨の中を青年の行った方へ行くと、二人の友達と四辻で話をしている。その中《うち》に電車が傍《かたわら》を通ると、三人共飛び乗って行った。
 田舎者は驚いた。
 近所の交番に駈込んで、電車の番号とその青年の風采を告げた。交通巡査が直《すぐ》に赤いオートバイを飛ばして、その電車を押えて、青年と友達を引っぱって来た。
 青年は三人共某大学生と名乗って、しきりに田舎者にあやまったが、田舎者は承知しなかった。三人は警察へ連れて行かれた。
 一時は真黒な人だかりであった。記者もその中の一人であったが、今でも本物の不良かどうかわからずにいる。
 大正十三年十月二日午後二時頃、浅草公園雷門前での出来事――。

     色魔学のイロハ

 女給をからかうのは、色魔学のイロハのイである。
 眼ざすカフェーに毎日行って、十銭ずつ珈琲《コーヒー》を飲む。それ以外に何も取らずに、必ず五銭|宛《ずつ》余計に置いて来る。こうして三円使ううちには、きっと女給を二人以上引っかけて見せると、或る不良が云ったそうである。不良学も容易でない。
 この頃は、女学生だの、職業婦人だの、又は上流の淑女、令夫人たちが、ドシドシカフェー程度の飲食店に這入る。デモクラ精神の普及であろう。御蔭で不良は満作である。
 気の利いたカフェーやその他の飲食店には、よく別室の設備がある。これは温泉の家族風呂、料理屋のチョンの間と同様、いろんな男女が人を馬鹿にする処である。外からは何も見えないが、○○と同じ程度に挑発する。
「不良」はよく一人でここに入って女給を呼ぶ。人待ち顔に話しかけて口説き落す。その代り失敗すると、コックや何かに半殺しの眼に合わされるが、その危険があるのでなお面白いと云う。
 大きな有名なカフェーには御定連の名士? が居る。名高いカフェーゴロ、顔の古い艶種《つやだね》記者、不良老年、壮士の頭目、主義者のチャキチャキなぞが、午後の或る時間になるとズラリと顔を揃える。駈け出しの不良なぞはそれと知ったら縮み上る。そうして早くあれ位の顔になりたいと思う。学生が博士になりたいと思うのと対《つい》である。

     好男子で乱暴者でピストルの名手

 極印つきの不良少年に二種類ある。昔は硬軟の二つであったが、今では、その中に又、文化式と非文化式の二派が出来ている。たとえば、硬派で斬るの突くのというのは非文化式で、地位や名誉なぞいう社会的の生命を脅かすのは文化式である。軟派では野合式が非文化組、社交式が文化組である。昔もこの区別があるにはあったが、今の東京程著しくなく、又、今の東京程入り乱れていない。
 その中でも硬派の非文化式という奴は、人間が怜悧になったせいか非常に減って来た。居ても満州や支那に飛んで行ったり、又は文化式の手先に使われて改宗したりするらしい。その代り文化式の方は恐ろしく発達して来た。
 世の中の変遷はこうした不良の世界にもちゃんと現われているから面白い。否、「不良」の方が「世の中」に先立って変化して行くのかも知れぬ。
 硬派の非文化式の中で、或る一人の事蹟は、今でも東京のカフェーゴロの間に語り草になっている。その話は、その男に脅迫された人の友人で、立派な官歴を持った人の談とよく一致しているから、聞いた通りここに書いておく。事実の有無は保証出来ない。只参考迄である。
 その男は高い身分を持つ某家の令息で、好男子で、ピストルを撃つ手腕に独特のものがあった。
 彼は十代から家を出て、乾児《こぶん》を連れて東京市中のカフェーを押しまわった。彼の前でちょっと生意気な素振りをする者があると、彼はいつも相手の意表に出る乱暴を加えてタタキ伏せた。
 彼の乱暴とピストルは仲間の敬意の焦点となった。

     警視庁を横目に睨んで脅迫

 彼は遂に警視庁に挙げられて処分されたが、出獄すると間もなく、嘗て警視庁の巡査の先生であった有名な武術家某氏を単身訪問して暇乞いをした。
「今から東京を立ち去るから、旅費二百円程頂きたい」
 と要求した。
 武術家某氏は言下に拒絶した。
 彼は黙って懐中から短銃を取り出して見せた。
「今この中に六発の弾丸が這入っております。その第六発目で貴方を撃つのですから、そのつもりで見ていて下さい」
 と念を押して、悠々と一発放った。その弾丸は武術家某氏の耳朶とスレスレに飛んで天井を貫いた。
 某氏は粛然としていた。
 ――二発――三発――四発――。
 皆耳とスレスレに飛んだ。
 ――五発――。
 武術家某氏は手を挙げて制止した。望み通りの金を与えた。
 これは今日迄秘密にされているという。
 彼はその金を持って有力な乾児と共に東京を出た。各所の有名な富豪を訪れて金を強要したが、
「今日金が無ければ、明日《あす》何時に貰いに来る。警察に訴えるのは自由である」
 といった調子であった。その中の一つで釜山《ふざん》に起った事件は、その当時、本紙にも載ったから思い出す人もあるであろう。
 彼は満州から支那方面に去ったらしく、その後の消息は聴かぬ。

     文化式不良学

 今の東京にはこんな非文化式は流行《はや》らぬ。その代り文化式が全盛で、極印付きが三千何百も居るのだからウンザリする。今から二十何年前の非文化旺盛時代が坐《そぞ》ろになつかしまれる位である。
 こんな文化式不良の札付きになると、東京市内外の不良の系統がわかって来る。同時に不良学上の智識と興味がズンズン付いて来る。
 第一に東京市中の案内が、親の家の中よりもよくわかって来る。それも町筋や電車系統位の事でない。眼ぼしい店ならば、その営業振りや店員の顔ぶれ、お客の筋。工合のよさそうな異性の家ならば、その内情や生活振り、家の構造、近所との関係なぞを、その家の主人よりもよく知るようになる。
 警察や憲兵署員の顔と名前、性質等は特に大切である。交番の所在はもとより、抜け路地や飲食店の案内、眼じるしになる家とか木や石の形まで、必要に応じて記憶して、抜け目なく利用し得るようになる。
 警官達を親友みたようにしているのも居る。手先になっているのも居るらしい。

     世間が馬鹿に見える

 不良学の中で最も六ケ《むずか》しく、面白いのは、他人の心理を見抜く術と、その隙《すき》に乗ずる呼吸である。これは普通の世渡りにも必要なものであるが、不良の方の術と呼吸は世間並の裏を行くのだから六ケ《むずか》しい。
 人間の心理を、大人と子供、男と女、又は職や生活に依って区別して、あらかたこんなものと飲み込んでいるばかりでない。その場の調子に依って自分の心理状態までも一瞬間にかえてしまって、相手の気持ちに吸付いたり、又は薄トボケて捕まり損ったりする術と呼吸の必要は、不良生活の到る処に出て来る。理想的に云えば実世間の名優でなければならぬ。
 この辺まで研究が積むと、人間が皆馬鹿に見えて、面白くてたまらない。講談本や探偵小説にある巨盗怪賊の忍術は、こんな事を云ったものかと思われると吹き立てる不良さえある。無論当てにはならないが……。
 現代の教育には、この人間学の一科目が欠けているため、学生は皆、学校を出てからポツポツ研究に取りかからねばならぬ。それは不良は早くから裏面的に研究して、ドシドシ実際に応用している。世間見ずの令息令嬢が引っかかるのも無理はない。
 ところで、そんな人間学の先輩――不良学のお手本が日本一に集中しているのは東京である。

     場所に依って違う不良の種類《たち》

 東京の不良は場所に依ってタチが違うようである。土質に依って植える草が違うのと同じわけであろう。
 浅草は主として脅迫や誘拐で、千住方面は相も変らず遊廓や魔窟相手のゴロが多い。神田、本郷、早稲田方面は書物泥棒や下宿屋荒し、麹町、青山、牛込、渋谷あたりへかけては誘拐や色魔式が横行する。又、下町一帯は万引やカフェーゴロの仕事場で、山の手は色魔や詐欺の本場と云ってよかろう。東京市外となるとそんなのがゴッチャで、しかも盛《さかん》に行われる。飲み逃げや喰い逃げは無論全部共通である。
 気の利いた不良になると、遠く東京郊外の温泉地、遊覧地、海水浴場までも活躍する。但、こんなのには色魔式が多いので、東京市内及付近では、小石川の植物園が何といってもこの式の大中心地である。しかも最高級から最低級まで横行するので、バラックの裏手の午前零時頃は、用事が無ければ通る気になれない位であった。
 その次は井《い》の頭《かしら》で、これはどちらかと云えば高級なのが多いらしい。但、夜は高級か低級か保証の限りでない。根津権現はその又次という順序である。その他大小の公園、神社、仏閣、活動館、芝居小屋、カフェー、飲食店なぞが、色魔式の活躍場所である事は云う迄もない。
 このような不良の活躍ぶりを見ると、社会の欠陥がよくわかる。三千何百の不良を養う東京の社会的欠陥はどれだけに大きいのであろう。

     浅草の商売の弱点

 浅草はいろんな興行物や飲食店、又は半詐欺的の店なぞいう景気商売が多い。
 だからその商売の弱みが多く、不良につけ込まれるところがザラにある。しかし又、それだけ不良に慣れ切っているから、滅多な不良は寄せ付けぬと同時に、不良|除《よ》けの不良を飼っておくような処もある。
 こんな複雑な関係で、浅草界隈に居る不良には、ほかの処と違った共通のスゴ味があるようである。どちらかと云えば、ゴロ式が多くて、色魔式は割合に少いように見えた。尚、昔は随分非文化式が多かったが、今はゴロ式にも色魔式にも文化式が多いようである。
 この辺の不良には共同の宿を持っているのがある。活動館の裏手の煮売屋とか経師屋の二階、又は土一升に金一升の処に居ながら何商売も持たぬように見えるシモタ家の裏二階なぞに、帽子や着物を掛並べて、昼間でも一人二人は熟睡しているといった塩梅《あんばい》である。踏込んで押入れを開くと、汚い夜具の間に女の着物や持ち物がギッシリなぞいうのがある。
 木賃宿に泊っているのは、どちらかと云えば浮浪に近い方で、あまり上等でないのが多い。将来の立ちん坊の卵もその中に居ると思われる。
 それから、この頃の浅草で単独の仕事をするのは、余程腕の冴えた縄張荒しか、又は顔の通った首領株だそうな。単独のように見えて、実は見え隠れに相棒を連れているのもあるという。
 彼等の仕事振りの中で、読者の警戒に価する例を二つ三つ挙げる。

     案内女を情婦にして無切符をパクル

 浅草の不良少年の中の或るものは、活動の案内女を情婦に持っている。その情婦が入口を預かっている時にスルリと這入って、場内の無切符をめっける。もちろん無切符は表方の方でも見張っているから、それ以上に眼を利かせなければいけないが、素振《そぶり》や何かでそれと察すると、ハネるのを待って物蔭へ連れ込んで脅迫する。
「僕はアノ館《コヤ》の見張りだが、君は無切符で見ていたろう。君は知るまいが、浅草の活動小屋でそんな事をすると命がけだよ。見つかり次第、楽屋へ連れて行かれてノメされるのだよ(ノメスとは半殺しにする事で、この習慣は今でも盛に行われる。平生ヘイヘイやっている館の男の鬱憤晴らしなので、館側では勿論、警察も知らぬ顔をしている)。君は初めてだから、僕が話をつけて連れ出したんだが、無代ではほかの奴が承知しまい。僕も話をつけると云った以上、いくらか飲ませなくちゃならないのだが、一体いくら持ってるね」
 なぞと捲き上げてしまう。手強いのは懐手をした相棒が居て横からジロジロ睨んでいるから、無切符位の奴なら大抵落城する。しかも、無切符だけならいいが、立派に金を払って見ている人間の中で気の弱そうなのを見つけると、この手と同様の云いがかりを作ってパクルと云うから恐ろしい。気の弱いものは浅草の活動を見に行けなくなる。
 又、ある一人はカフェーに這入って網を張る。お坊ちゃん式の学生が這入って来ると、待ち構えて話しかける。相手が煙草でも吸っていれば一層妙である。

     君はまだ禁止物を見ないでしょう

「君、活動を見に来たんでしょう。浅草でも普通の活動は駄目ですよ。秘密に営業している禁止物を見たまえ。それあ面白いですよ。僕はそこの技師を知っていますから、映写室から見せてあげましょう」
 なぞと連れ出す。
 それから、道筋を記憶出来ないように大急ぎでグルグルと引っ張りまわして、裏口からヒョイと自分の根城に連れ込む。
 そこで脅迫して、金や時計をふんだくっただけで帰せば、大抵の坊ちゃんは秘密を守るそうであるが、タチの悪いのに引っかかると、自宅に電話をかけて金を持って来させる。
 それも、バットの空箱に入れてどこの石の上に捨てろの、どこのカフェーの鏡の前のテーブルで渡せなぞいうのは、古い上に危険が多い。最新式のは、囮《おとり》の少年に手紙を書かせて、自身にその家を夜中にたたき起す。
「この手紙を受け取ってから十分以内にお金を渡して下さい。そうしないと、僕は打たれた上に監獄部屋(北海道の)に売られます云々」
 というような手紙を渡して、時計をジッと見つめている。
 家庭でもあとはあとの事として、金を遣らないわけに行かぬ。
 そもそもの原因は、その被害少年の心得違いである事無論であるが、活動を見に遣る家庭でもよほど注意せねばならぬ。

     連れにはぐれた少女

 連れにはぐれた少女もよくこの手でやられる。
「僕は少年団の者ですが、あなたのお連れがあそこで待っておいでです」
 なぞと云いながら、つまらない徽章を出して見せる。
「まあ、有難う御座います」
 と感謝して随《つ》いて来る少女を、うまく不良事務所へ連れ込むのであるが、少女の場合は少年のと違って、第一に着物に眼をつける。その次が手紙である。
「こちらが今から二時間以内に電話をかけなければ妾は汚されます。
 午後何時    何子より」
 以前では、そんな手紙を書かせて金を受け取りながらも、その少女を傷物にして返したものだそうだが、今はそうでもないという。不良の仕事が文化的になった事はこのようなところからも覗《うかが》われる。
 同時に彼等のプライドも高くなったし、要求の金高も多額になった。やり口もこれに随《したが》って冴えて来たという。
 こんな風に発達しておったら、米国式の黒手《ブラックハンド》が出来るのも遠くあるまい。
「他人の親切を無暗《むやみ》に受けるな。連れにはぐれたら、すぐに自宅へ帰れ」
 という注意を、これからの活動を見に行く少女にくれぐれ云いきかせてもらいたいと或る刑事は云った。
 最後に、彼等の中で下等なのになると、公園内の悪少年《チンピラ》を使って物を掻っ払わせて、喰物やお金と取換えてやるのがある。
 ところで面白いのはこの浅草のチンピラである。

     浅草公園内のチンピラ

 浅草公園内のチンピラは一種独特のものである。ユーゴーの小説に、「町の子」と名づけられた宿なし少年が出て来るが、あんなたちのもので、九段下の公園、芝の増上寺、それから昔の新橋(今の汐留)駅前の塵埃溜場《ごみためば》なぞによく居た。
 まだほかにも居たであろうが記憶しない。その中でも浅草のが一番眼に立つし、多くもあるので、よく人が気が付いている。要するに大東京の産物――否、大都会特有のもので、自身、不良だか何だか……人間の子だという事すら知っているかどうかわからぬ、一種の不良少年である。
 浅草にはよく大人の浮浪人で、一名立ちん坊というのがウロウロしているが、そんなのの子かも知れぬ。又は乞食に拾われた捨子の成り上り、置いてけぼりを喰った私生児、迷児の拾い落しなぞもあろう。
 この浅草公園内のチンピラが、いつも四五十人位の範囲で殖えもしなければ、又減りもしない事が、又一つの不思議である。ずっと以前からそれ位居たのであるが、震災当時行って見ると、三四人残って池の中に石を投げ込んでいた。それが今度行って象潟《きさかた》署で聴いて見ると、矢張り四五十人居るという。
 不思議といえば不思議であるが、よく調べて見ると成程と思わせられる。

     チンピラの生活

 このようなチンピラは、親兄弟、身よりたよりは勿論、家も無ければ、名前も持たぬ。友達同志でつけ合った綽名《あだな》をそのまま自分の名前にしている。着物は大抵夏冬通しの一枚で、裾《すそ》は膝限りの両袖無しなぞが居る。頭を苅っているのは不良少年の世話だという人もいるが判然しない。片チンバのゴム靴を穿いたり、学校帽の古いのを冠っているのもある。
 彼等は方々の料理屋のゴミ溜めを漁ったり、掻《か》っ浚《さら》ったりして喰っている。浅草公園界隈には、丁度彼等四五十人を養うだけの残物が年中ある訳で、彼等の人数が殖えも減りもしないのは、そんな原因からに相違ないと見られている。
 寝る処は軒の下や木の蔭、石段の上なぞで、大抵仲間と背中をくっ付け合っている。冬なぞは寒さにふるえて泣いているのがあるという。
 天気のいい日で、お腹の空かない奴は、弁天山付近に集まって石蹴りなぞをして遊んでいる。そんなのをジッと見ていると、たまらなく可愛相になる。
 彼等の嗜好は云う迄もなく菓子で、朝飯だの晩めしだのというものはまるで知らないのが多い。鳥獣と同様である。
 彼等の遊んでいるのを見ると、いろんな面白い事が発見されると、古くから公園に居る巡査さんは云う。
 彼等の中で背丈けの高いもの、力の強いもの、掻っ浚いの上手なもの、物真似、悪口、流行歌の上手なものは幅が利く。巡査と口を利いたもの、雷門の大提灯の骨の数(以下数字分脱落)、震災前の十二階を見たことがあるものも尊敬される。頭のうしろに大きな禿《はげ》のある一人は、オジイと呼ばれて矢張り畏敬されているという。
 彼等はおしまいにどうなるのでしょうと、その巡査に尋ねたら、
「さあ、よくわかりません。誘拐されて……と云っても、別に誘拐という程の意味もありませんが、つまり拾われて、労働者や乞食の手伝いになるか、顔立ちのいい物は見世物師に連れて行かれるなぞは出世の方でしょう。それもタマにあるので、大抵は立ちん坊か乞食にでもなるのでしょう。病気で死ぬのは滅多にありませんが……」
 と淋しく笑った。

     人間苦を知らぬ哀れ

 浅草公園内のチンピラは、よく不良少年の手先になって手紙なぞのお使いに遣られる。
 しかし彼等は頭が単純だから、複雑な用事は出来ない。お使いの出来る範囲も大抵は浅草界隈に限られているので、遠方でもお使賃《つかいちん》欲しさに頼まれはするが、当てにならぬという。又、彼等は割りに正直で、何でも包み隠しをしないのが多いので、返事の要る手紙なぞを持たせると危険だそうである。
 彼等は又、醜業婦とその情夫の間の文使《ふみづかい》もやる。こっちは不良少年のようにスッポカシを喰わするような事はなく、きっといいお使賃を呉れるので、彼等はどこの伯母さん、ここの伯父さんと尊敬している。
 彼等の言葉は立ちん坊と同様に、最下等の江戸弁を今一つ下等にして、おまけに恐ろしく略した早口で云う。生え抜きの江戸ッ子でもわからない位であるが、醜業婦や女給はそれらをよく聞きわけて、彼等にわかるように云い聞かせるから、割りに面倒な用事が頼めるという。その代りその女たちの雇い主に発見されると、思い切り非道《ひど》い眼に合わされる。
 その又《また》返報には、綽名を付けたり、汚物を入口にぬすくったり、小便を引っかけたりするという。勿論、いいも悪いもわからない。
 彼等はこうして浅草公園内を全世界として、何の苦もなく、喰い且つ遊んでいる。そうして物心が付いて人間世界のわびしさを知る頃になると、何処へともなく消えて行く。
 彼等の生涯は影のように無意味である。彼等の魂は天使のように悪を知らぬ。
 あらゆる人間苦を集めた大都会の寂しい反映でなくて何であろう。
 享楽の浅草の中心に沁み出た、はかない哀愁の影でなくて何であろう。

     鳥打と中折れ

 昨年の十月の或る日の正午――。
 雨上りの青空が浅草観音堂の上一面にピカピカと光っていた。
 瓜生岩子《うりゅういわこ》の銅像の横のベンチに、青い派手な鳥打帽と、黒のジミな中折れ帽が腰をかけていた。黒の中折れは何か気味悪そうに青い鳥打の話をきいていた。二人共まだ若かった。
 記者はその横に腰をかけて、懐中からノートを出して何やら書いていた。
 青い鳥打帽が二三度話をやめて記者をジッと見ていたが、突然声をかけた。
「オイ、オトッツァン。済まないが退《ど》いてくんないか。こちらの話の邪魔になるから」
 記者はドキンとして顔をツルリと撫でた……風邪が抜けないので鬚蓬々《ひげぼうぼう》としていた。次に帽子を冠り直した……古ぼけた茶の中折れであった。おとっつぁんと呼ばれても文句は云えなかった。
 記者は眼をパチパチした。
 何だか可笑《おか》しくなりながら、相手の鳥打帽の下にキラキラ光る二つの眼を見た。虚勢を張っていたせいか、その光りがだんだん怖くなった。記者は静かに帽子を脱いで、わざと福岡弁で云った。
「共同椅子だすけん……よござっしょうもん」
 鳥打は意味がわかったらしく、青い顔をサッと青くしたようであった。黒い中折れをふり返って云った。
「君はいいから行き給え」
 黒い中折れはペコペコお辞儀をして去った。あとを見送った青い鳥打は記者の方を向いた。
「おめえ、東京初めてか」
「……ヘエ……」
「こっちへ来い」
 記者は随《つ》いて行った。
 鳥打帽は馬道へ出た。交番の前で又記者をふり返ってギョロリと見た……それからがよくわからないが、焼け木の積んである横路地を二つ三つ抜けて、夕顔を絡ませた新しい板塀にぶつかった。その横の切り戸を開いて、又、横路地のような処をすこし行くと、長屋式の板壁の途中に小格子がたった一つあった。そこを開くとすぐ狭い梯子段で、それを上って洋式のドアーを開くと……。
 意外にも立派なカフェーの二階に出た。前はどこか知らぬがかなり賑やかな通りである。
 鳥打はインバネスを脱いで、帽子と一緒に壁にかけた。記者もその真似をした。
 二人は卓子《テーブル》を隔てて差向った。
 擬《まが》い大島を着た二十ばかりの美青年である。「案外若い」と記者は心の中で驚いた。
 何も云わぬのに美しい女給が珈琲を二ツ持って来た。
 青年は飲んだ。
 記者は飲まずに云った。
「何か御用で……」
 青年は飲みさした茶碗をしずかに置いた。片手を懐にして肩を聳《そび》やかした。
「先刻《さっき》のノートを出し給え」
 記者は又可笑しくなった。彼等の話を書き止めていたと思っているらしかったから……。
 しかし記者は素直にノートを渡した。
 青年は、「籠の鳥」の歌や看板の珍文句なぞを、たった二三枚だけ書いた本社用の新しいノートを見ていた。最後に表紙に付いた本社のマークをジッと見詰めて、当惑した表情をした。そうしてしきりに襟元を繕《つくろ》った。
 記者はもう大丈夫だろうと思った。思い切って微笑しながら云った。
「失敬ですが、君は不良青年でしょう」
 青年はハッとした。記者の顔をギラギラ睨みながら真青になった。
 記者の胸の動悸が急に高くなって、又次第に静まって来た。同時に自分でも気障《きざ》に思われる微笑が腹の底からコミ上げて来た。
「僕はソノ……地方新聞の記者なんですがネ。不意にこんな事を云い出して失敬ですが……浅草の話を探りに来たんですが……生憎《あいにく》知り合いが無いんで……誰かこの辺の裡面を御存知の方に……と思いましてね……実はソノ……丁度いい都合だったんです……」
 と不思議に言い淀んだ。
 彼はスッカリうなだれて考え込んだ。
 記者はベルを鳴らして女給を呼んだ。
「失敬ですが、お近付きに一杯差し上げましょう。丁度いい時分ですから。僕はいただけませんがね」
 彼は静かに頭を上げた。決心したらしく、顔をツルリと撫でて淋しい苦笑いをした。
「どうも済みません……実はあなたを新米の刑事か何かだと思ったもんですから……ついカラカッて見る気になって……」
「アハハハハハハ、似たようなものです」
「フフフ……しかし浅草の話だけは勘弁して下さい。ほかの処なら構いませんが……仲間が居るんですから……」
「ええ、結構ですとも。何でも記事になれば……君のお名前もきかなくていいんです。僕も云いませんから……」
「痛快だな……しかし弱ったな……」
「アハハハハ。まあ、一杯干し給え……この女給さんは君の?」
「弱ったな、どうも……」
 彼は紅くなって頭を掻いた。
 記者は、この恐ろしく単純な、且つ正直な不良美青年との約束を固く守ってやろうと決心した――神田の駿河台下で本紙を売っている、いないに拘らず……。
 因に彼はその後、芝の或る製菓会社に這入ったと聞く。

     ◇おことわり

 途中ではあるが、ここでちょっとお断りしておきたいことがある。ほかでもないが、この稿を書き始めて間もなくから今日まで、各方面からいろいろの言葉や手紙を記者は受けた。
 その中には記者に対する激励の言葉……たとえば、
「この際東京に対する日本人一般の迷信を徹底的に打破せよ」
 なぞいうのがあった。又は、わざわざ面白い且つ信ずべき材料を賜わった向きもある。
 それ等の方々の厚意に対して、記者は先ず以て深甚の感謝の意を表する。
 同時に批難の言葉も沢山あった。その一二例を挙げると、
「このような記事を生徒に読ませるわけに行かぬ」
 というのや、
「あの記事があるために、毎日、非常な不愉快を感ずる。早くこの不良記事を紙面から葬れ」
 というなぞが最も多かった。無論、こうした批難の方は大抵は匿名の手紙が多かったが、それでも相当の教育や責任を持った人々の言葉と受け取れるのが多かった。
 記者はこれ等の批難を賜わった方々に対しても亦深くお礼を申し述べる。
 それ等の方々は、云う迄もなく、非常な同情ある本紙の愛読者であると共に、特に深甚の注意を以て本紙の記事を読んで下さる人々でなければならぬからである。
 同時に記者は、それ等の批難に対しても、衷心から同感の意を表明するに躊躇しないものである。
 この記事中に出て来る事実は、今迄のは無論の事、これからの記事の中で最も甚だしい一つでも、平生の新聞の社会面に現われる記事のヒドサよりもヒドクないつもりである。
 しかし、それでも実を云うと、記者はこの記事の材料を集めつつある際に、これはとても書けないと思った事が屡々《しばしば》であった。到底、紳士淑女の前で公表出来ない事ばかりと云ってもよかった。そうして、それをこの程度にまで手加減して公表する迄には、幾度か考え直して後決心した事であった。
 この記事を忌み嫌われる方々は、今一度考え直して頂きたい。
 たとえば――。
 紳士淑女として口にすべからざる事も、口にする事を憚《はばか》るために、一般の人々が如何に堕落という事に対して無智識になっているか。如何に見当違いの警戒、筋違いの注意が施されているか。そうして、そのために如何に多数の不良少年少女が善良な家庭から出ているか。
 そうして、その原因を調べて見ると、その両親や監督の責任者が、堕落という事に対して無智識なためというのが大部分を占めている。
 如何なる理由で、如何なる順序で子女は堕落するか。又は、これから述べようとする事例、即ち不良少年少女の魔の爪は、如何にして、如何なる場合に善良なる子女に打ち込まれて行くかという事を、口にしたり、耳にしたりする事を恥ずるからである、と云っていい状況である。
 現在の東京では、そんなウッカリした態度では、不良少年少女に対する取締が出来ない事が各方面に証拠立てられている。
 しかも、この傾向は現に西部日本にもドシドシ浸潤しつつある事を、記者は充分に認め得るのである。関門連絡船に二三回乗って、若い男女の東へ行く風俗と、西へ行く風俗を注意しただけでもよくわかる。福岡あたりの活動のハネ時に半時間程立って見ても一目瞭然である。
 そればかりでない。東京人の堕落はかくして日本人の堕落となるであろう。これに対して如何に戒心し、警備すべきかは、単に本紙愛読者のみの責任に止まらぬであろう。
 更に、このような事を耳にしたり、研究したりする事を卑しめるために、このような事実を知らずして警戒の方法を誤り、又は無関心にしておいて、他日、東京人の堕落の影響が新聞紙上に事実として現われた時、初めて驚く事が賢明であるかないかは議論の外であろう。
 記者は深く謝する。記者が、冒頭、この事をお断りしておかなかったために、この記事が或る誤解を惹起したのみならず、読者諸君に対する非礼を意味することになった事を、ここに更めてお詫びをする。
 尚、この稿を起した根本の目的は末尾に述べるつもりである。この稿を読まれる方々はその局部――のみを見ず、全体を一貫した趣旨をそこで看取して頂きたい事を併せて希望しておく。

     家庭荒しの団体

 浅草に限らず、不良少年は団体を組んでいるのがいくつもある。「三人行けば必ず師あり」で、彼等が寄り合うと、その中にはきっと得手《えて》が出て来る。顔だけでも正直そうなの、女の好きそうなの、睨みの利きそうなのと、いろいろ特徴が違うところから、協同して仕事をした方が便利である。首領も無論、その中から出て来る。
 昔は小桜団とか二組とか大きな団体があって、他の団体と争ったり、又は単独行動に出る奴を迫害したりしたが、これは大抵非文化的の不良であった。文化的の方はコソ泥あしらいをされて、ドチラかと云えば軽蔑されていた。
 ところが、彼《か》の大地震後は反対に文化的の方が勢を得た。同時に、非常に多数の不良が出たので混沌状態を呈した。すくなくとも昨年の秋まではそうであった。
 その中《うち》にポツポツと固まったのがあって、記者が聞いたのは下谷に一つ、麹町から牛込へかけて二つ、青山に一つある。大抵一組十人位から三十人位まで居るという。浅草にはいくつもあるが、皆小さいように思う。その代り亡命印度人の配下になっているようなのがある。
 こんなのの名前は、始終取りかえるのでわからない。仕事は、浅草のを除いていずれも家庭荒《はとがりあら》し(鳩狩?)が主で、しかも、ほかの脅迫《ぱくり》や誘拐《かたり》見たように少数の黒人《くろうと》の腕揃いではない。団結も固くなければ、仕事もチャチなのがあるという。つまり、まだ発達向上の余地がある訳である。
 こんなことを書いているうちにも、東京では有名な不良少年少女団が二つ三つ挙げられた。足もとの明るいうちに切り上げたい。
 しかし、それでもまだ、一般家庭の参考になる事や、当局にも知られていまいと思う事がないでもないから、そんなのを一まとめにして次に述べる。

     少女誘惑ラムプ団

 麹町に二つあった団体の中《うち》の一つは、一昨年の暮あたりまでラムプ団と云っていた。今は何と云うか知らぬが、本拠は牛込か四谷辺に移動しているらしい。
 震災当時、四五人の不良が集まって、どこからか拾って来たラムプを取り捲きながら仕事の相談をしたのが始まりで、追々《おいおい》人数が殖えて来ると、そのラムプの形を知っているものは団員に相違ないと認める組織になっていたという。今では、そのラムプは勿論、団体のあるなしすらわからなくなっているが、仕事はチャンとしているらしい。日比谷と九段はその二大中心で、青山方面にも手を延ばしているという。
 仕事というのは以前は誘拐であったが、この節ではやりにくくなった上に、足が付き易い。又、万一挙げられた場合に刑罰も重いので、もっと文化的な、安全な方法を執るようになった。
 先ず良家の令嬢を誘惑して関係を結ぶ。それからその両親や監督者に手紙を出して、手切金をせがむ。呉《く》れなければその令嬢の嫁ぐ先々に或る手段を施して呪う、場合に依っては死ぬ迄結婚させぬ――なぞいう威し文句を送る。「警察に訴えてその相手を捕えても、あとに団員が残って仕事はする。あなたのお家の名誉と金の引換えだがどうだ」なぞと来ると、不良少年の慣用の文句を知らない親たちは本当にしてふるえ上る。
「そんなヘマな相手には引っかかりませんよ」
 とか何とか威張る新しい令嬢があるかも知れぬが、そんなお方は前に掲げた「少女のラブレター」を今一ペン読み直して頂きたい。そうして、そのレターが全部、不良少年の懐中から出たものである事を考えて頂きたい。
 青山や下谷のも略《ほぼ》似たようなものらしいが、青山のは赤十字社があるだけに博愛式の汚行専門らしく、下谷のは又誘拐が多い。それも小学生程度の少年をモノすることがチョイチョイあるという。

     令嬢を狙う団体の攻撃準備いろいろ

 不良少年団体は、皆結束を作って神出鬼没する。合言葉や暗号なぞを作って用心をするのは事実で、なかなか捕まりにくいという。
 彼等の団体は団員を方々にブラ付かせて、眼ぼしい少女を物色させる。物になりそうなのを見つけると、あとを跟《つ》けて家を突止める。それから手をわけて調査を始める。
 ちょっと嫁探しに似ているが、条件は大分違う。別嬪に限らぬ事、色気のある事――新しい風《ふう》付きであればなお結構――イヤラシイ位であればなおなお結構である。家庭が裕福でなければならぬ事は云う迄もない。
 調査をする事も嫁探しと趣が違う。その家の構造、その令嬢の部屋の位置、財産預金先、家族の状態、起床時と就寝時、一般の家風、令嬢の生活状態、お小遣いの多寡、趣味嗜好、朋友関係、月経の来潮期、手紙を遣る人と来る人の名前、殊にその内容は必要で、ドンなタチの女か、物になるかならないかを判断する。その他まだいろいろあるが略する。
 こんな調査事項の中には、関係をつけたあとから聴き出す方が容易なのが多いが、成るべく前に調べておいた方が安全な事は云う迄もない。第一、余り早く関係をつけると、見損いをして、飛んでもない失敗をする事があるという。
 こうして、愈《いよいよ》見込が付くと、一人の選手が出て誘惑に取りかかる。
 学生風でも、サラリーマン風でも、成るべくその家の人々が案内を知らぬ方面で、その令嬢が好きそうな風采《なり》をして接近する。

     手紙で誘惑する方法

 少女を誘惑する方法に二つある、なぞと云うと八釜《やかま》しくなるが、実は何でもない。一つは手紙を出して見るので、普通の少年でもよくやる。只、不良少年少女のは、大抵慣れた奴が文案したのを本人が書き直して出すので、芸妓や女郎のと同じねうちしかない。又、その令嬢の素質、頭、顔付きなぞに依ってコタえるように書くところも違う。
 見本を出そうかと思ったが、前の少女のラブレターと違ってなかなか手に入り悪《にく》かったのと、判で押したように空《から》お世辞の千篇一律だったから止した。
 要するに普通の色文《いろぶみ》だと、こちらがのぼせ[#「のぼせ」に傍点]ているから、初めから無暗《むやみ》にセンチメンタルな事ばかり書く。一方に相手の方は惚れても何もいないのだから、あまり感服しない。
 これに反して、不良少年の文《ふみ》の上乗《じょうじょう》なのになると極めて冷静である。相手に依って美文的に、又は哲学的に辻褄を合わせて書いてある。相手の得意なもの、又は姿の特徴なぞは、抜け目なく巧みに賞めてある。万事が向う本意で、こちらを出来るだけ謙遜して、お上品ずくめである。尤も新しがりの色気たっぷりな相手らしいのは、初めから思い切り甘ったるく持ちかけてある。
 不良が最も困るのは手紙に書く所番地である。無暗《むやみ》に改めると相手が信用しなくなるし、改めなければ危険が伴う。そのほか色んな面倒がある上に、能率も上らない。だから腕に覚えのある奴は直接法で行くか、又は両方を用いて行く。

     直接の誘惑法

 直接の方法というのは、ザッとこんなやり方である。
 眼星をつけた少女の学校の往復、外出の道筋なぞを狙って一緒の電車に乗り込む。少女《スター》に近付いて前に立つ。
 それから機会を作って話しかけ、足を踏んであやまる式もあれば、吊り皮を譲る式もある。狎《な》れた奴になると、初めからピッタリと寄り添って、肘で乳を押し上げ押し上げしながら相手の反応を見る。これは近頃のダンス流行から出たヤリ口だそうな。しかも、ダンスの奥許しの秘伝を電車の中で応用するのだから適わない。
 相手が腰をかけていれば、こっちの膝で向うの膝を小突く。程よいところでニッコリして見せる。これに相手が応ずればもう成功だそうな。
 そんな安っぽい女の子があるものかと云う人があったらば、前の「若い女性の享楽気分」の章を今一度読み直して頂きたい。
 勿論、不良の方も第一回で成功しようとは思わぬ。根強くこれを繰返して、いよいよ言葉を交わす段取りになると、又の逢う瀬を約束する。あとは大抵きまり切っている。仲間同志で散々オモチャにしたあとを、ユスリの種に使うのである。以上はほんの一例で、まだこのほかにどれ位交際の機会があるかわからぬ事は、既に東京の年中行事の項に記載した通りである。
 最近では、こうして交際をして関係をつけると、あとはあんまり深入りしない。只、相手の少女から来た手紙や貰ったハンケチなどを飽く迄も大切にして、脅迫の役に立てる。その少女が夢中にでもなって来れば、いよいよ証拠物件がふえるだけで、「不良」の方でも、そうした目的以外に深入りを望まぬ傾向が出来たという。
 こうして不良少年少女のやり口は、だんだん凄くなる一方である。

     緑色の平面に静止する象牙の玉

 不良上りの或る会社員は云う。
 ――彼等善良なる少女が堕落しない第一の原因は、不良少年に対する恐怖心で、第二は羞恥心である。これは最初の取かかりに気をつけて、その少女の気位にふさわしい気位を以てあしらえば、信用を得るのはあまり困難でない。あとには羞恥心が残るが、これはジリジリと挑発すれば消え失せてしまう――。
 ――恐怖心と羞恥心を除いた少女の心は、玉突台の羅紗の上に静止している象牙の玉のようなものである。表面は品よく静かにしていながら、内心はどちらかへ転がりたさに悩んでいる。何物かを崇拝したい。たよりすがりたい。迷い込んで夢中になりたいという気持ちでいたみ疼《うず》いている――。
 ――宗教でもいい――小説でもいい――音楽でもいい――空想の人格――実在の人――何でもいい――。
 ――何でも自分を突いてくれるものを待っている――。
 ――その証拠には、彼女たちに与える手紙や言葉に「神様」という文句を使うと素敵に利くという……。
 可愛相なのは迷い悩める現代の少女である。
 彼女たちは解放を望む羊の群である。柵外がことごとく狼の世界である事を知らない、憐なる羊の群である。

     刹那刹那の気分

 解放を望む少女は、特に刹那刹那の気分に動かされ易い。
「試験中ですけど構いませぬ。学校の一年よりも、あなたと話す一分間の方がどれ位貴いか」
 なぞいう言葉が、どれ位そんな少女を動かすか。
「今夜、活動を見ているうちに、何だか急につまらなくなって、下宿へ帰ってこの手紙を書きます。何故という事はありません。この手紙を書いている間だけは、自分が生きているような気持ちがするからです」
 といったような書き方が、素敵に相手を動かすという。
 そんな風に感じ易い気持ち――刹那的の軽い、しかし鋭い情感、感興、主観等の変化のつながりに生きて行きたい気持ち――それを軽々と撰り好みして、その上に踊り、歌い、遊戯し、口笛を吹き、笑い、泣き、怒りして行くのが新しい少女である。自分の心にかかるすべての重み――物質の威力、道徳の権威、良心の束縛を下界はるかにふり棄てて、空中に吹き散る紙のように、気楽に、面白くひるがえって行きたいのがモダンガールである。
 そんなところまで飛び上って彼女を捕え得るもの、又は相手になって導き得るものは、唯不良少年ばかりである。地上の「面目」や「生活」に釘付けにされている親達や教育家は、只アレヨアレヨと騒ぐばかりである。

     巡査の少女誘惑

 不良少年といっても、皆が皆、懐手でブラブラしているわけではない。事実何もしないのでも、学生風か何かで真面目腐っている。殊にこの頃は堂々たる官立の学生に不良が殖えたという。
 不良少年の職業は、警視庁や、その他市内の各署で昨年の冬まで捕まったのが統計に出来ているとかきいたが、その方は調べ得なかった。その代り、質屋さんが商売柄よく知っていることがわかった。
 尤も質屋さんは、「不良」ばかりでない、泥棒、スリ、そのほか何でも見わけなければならぬ商売であるが、不良も同様で、どちらかと云えば見分けにくい方だそうな。
 不良少年で一番多いのは矢張り学生で、その次が会社員、ボーイ、活弁、俳優、苦学生の順らしい。巡査も居ると云った番頭さんがあったのには驚いた。
 ――持って来た少女の着物の襟に、その巡査の手紙が縫い込んであったのでわかったんです。尤も初手からあの巡査は不良だという評判がありましたが、相手の少女がそこまでレターを秘密にしていようとは、流石《さすが》商売柄のお巡りさんも気が付かなかったんでしょう――。
 記者はそれ以来、この頃の東京の巡査に若いのが無暗に殖えて来るのが気になり出した。交番の前に立っている、色の白い若いのを見ると、ちょっと顔を見て行く癖が付いた。
 いずれにしても、真面目に働きながら不良性を発揮するのが殖えて来た事は事実であるという。
 近代文化の裡面に於ける一つの重大な特徴である。

     不良少女団の草分時代

 次は不良少女の番である。
 不良少女に就ては誠に貧弱な材料しか得られなかった。何しろ震災後急速の発達を遂げて、やっと三百人の名をブラックリストに並べただけで、その団体も鞏固《きょうこ》なのはすくなく、仕事ぶりも不良少年のそれのように露骨でないから、なかなか当りが付きにくい。又、相手が女で極めてデリケートな手腕を要するので、明治生れの、九州育ちの、しかも長男が七つにもなる記者にとっては不向きであった。
 その代り記者はあまり骨を折らずに材料を得た。つまり、記者の狙ったところは全部的を外れていた代りに、意外な方面から意外な暗示を得た。又は、思いもかけぬ材料が思わぬところで転がり込んでいるのを、あとから気が付いたなぞいう次第で、どちらかと云えば極まりの悪い方である。
 しかし、負け惜みにも何も、その他に材料が無いのだから仕方がない。記者が面喰らいながら材料を得て行くところが、却て読者の興味を引くかも知れぬ。

     芸道の先生お弱りの事

 或る芸事の先生の処で、昨年の夏頃からお嬢さん方のお稽古がパッタリ絶えた。昔の通りにあるにはあるが、皆出稽古で、稽古場には二三人しか居ない。
 その先生は変に思って、内々理由を調べて見ると、その稽古場がある付近が不良少年の本場だからという事であった。
 先生は弱った。
 折角焼け残った稽古場をほかへ移すわけにも行かず、思案に暮れていると、その中《うち》に又、その界隈が不良少年の本場でも何でもない、そうしてお嬢さん方のお稽古の減った原因は、その習いに来ている少女の中に有名な不良少女が二人いる事を、お嬢さん方の家庭で知って警戒したためだとわかった。
 先生は、「早くそう云ってくれればいいに」と、上《うえ》つ方《がた》のお上品さんを怨んだ……しかし、とにもかくにもいろいろと苦心して、その二人の少女を遠ざけた。それから各家庭を訪問して、不注意を詫びた。おかげで今では昔にまさる繁昌をしているという。
 その令嬢たちの中の一人の保護者に、独身の女流教育家で、新聞や雑誌にチョイチョイ名を出す人がある。四十前後の、極《ごく》率直な、アッサリした人で、今の話をしてくれた揚句《あげく》、不良少女の男性誘惑法を記者に教えてくれたのには驚いた。
「私はまだほかに二三人の女生徒の親代りになっていますが、方々でいろんな事を聴きますよ。あなたもよくおぼえていらっしゃいよ。引っかからないように……」
「冗談じゃありません……」

     少年誘惑第一日

 東京の不良少女は、まだ少年のそれのように深刻な悪事を働かない。ただ男学生を誘惑して享楽する位が関の山らしい。それ以外の仕事をするのは大抵単独の不良少女で、団体的の背景を持たぬのが多いと思う。
 若い男性を誘惑する方法も、少年のソレのように念の入った研究や調査なぞしない。或る男学生を一人の不良女学生が狙うのを、ほかの団友が賛助する位の事で、それを団体的行動と心得ている位の事らしい。
 しかし、彼女たちが単身少年に接近して誘惑して行く手段は、男のそれと負けない位大胆である。
 たとえば電車に乗って、星をつけた少年の前に立つところは、不良少年式とすこしもかわらない。
 ところで、チラリと相手の顔へラジオを放射する。先方が注意しない時は、足を踏むか何かしておいて、思い切り恥ずかし気にあやまる。おまけを付けて、二三度も気の毒そうなシナを見せる。引続きラジオを放射する。その放射の反応具合で相手の真実程度が大抵わかる。
 第一日はそれ位にして、別れがけに特別な振幅を含んだお辞儀をする。しかも成るべく気品を見せながら、依々《いい》たり恋々たる風情で袂を別《わか》つ。
 しかしまだ呆れてはいけない。

     少年誘惑第二日

 第二日も同じ頃、同じ電車に乗って、同じ相手の前に立つ。但、今度は多少心安くなった風で、程よく気軽に振舞う。ニッコリ位する……。
 ……応ずる…………。
 これを三日か四日位まで続けて、相手の学生が何となく自分の乗っている事を期待している風情に見えて来たら、ここで一日二日スッポカシを喰わせる。
 これを「手紙デー」、又は「デー」という。
 相手の少年が、「今日はあの女学生が乗らなかったな」と思っている矢先へ手紙が届く。
「女の癖にぶしつけなと思召《おぼしめ》すかも知れませんが、ほかにこの苦しみを洩らす道が一つもありませんから……」
「只愛する……というお言葉だけで妾は……」
「こんな事を申し上げましたからには、妾はもうあなたにお眼にかかられませぬ。お眼にかかれば、この悩みがいよいよ堪えられなくなるばかりで御座いますから……ああ神様……」
 とか何とか書いてある。
 本当にする少年は本当にする。そうしていろいろ悩み始める。
 こうしておいて、早いので二三日、長いので一二週間の後、如何にも偶然のように電車の中で逢う。但、少年の学校の帰りがけでなければならぬ。
 この時が成功不成功の分れ目だそうで、又一番|六ケ《むずか》しい技巧を要するのだそうな。
 ……真赤になって、うつむいて、ハンケチを顔に当てたり、一しずくホロリと落したりするのだそうな。
 相手の様子に依っては、慌てて降りる風をする。それを見て相手も立ち上れば、もうこっちのものだという。
 さもない時は少年の降りる処で降りで[#「降りで」は「降りて」の誤記か]、叮嚀にお辞儀をして、その少年が帰って行くのをいつまでも立って見送る。
 ……先へ行き得るのはないという。
 しかし、まだ感心してはいけない。

     煙草を吸う女学生

 東京の或る女学校では、健康診断や体格検査の時に女生徒に口を開かせて、虫歯の有る無しを調べさせる。実は煙草を飲んでいるかどうか見させるのだそうな。そうして発見次第、その名前をブラックリストにつけても、大抵間違いはないという事である。
 但、煙草を吸うからブラックリストにつけるのではなくて、男と交際している何よりの証拠だからだそうである。夜間なぞは、煙草を利用して男の学生に近付く不良少女がチョイチョイ居るという。
「一寸《ちょっと》済みませんが燐寸《マッチ》を……」
 と云うかどうか知らないが、九州の男学生にそんな事を云ったら気絶する……と云っておく。
 活動館で様子のいい学生を見つけて、その近くに割込むのもある。
 先ずハンケチを出して、かぐわしいエマナチオンを漂わせる。その学生が手でもたたくと、すぐに共鳴して、
「マア……」
 とか何とか、つつましやかに溜息をする。これ位の技巧なら新しい少女は大抵心得ている。
 そのうちに、
「あの……本当に失礼で御座いますが……プログラムをちょっと……あの……」
 と引っかけて見る。熱狂したふりをして学生の膝に手を突いたり、ピッタリと寄り添ったりする。
 相手の身体にズンズン電気が充実するのがわかる。
 借りたプログラムに手紙を書いたり、仮病を使ったり、映画の批評や何かを話し込んで別室に連れ出したり、自由自在とある。
 しかし、まだ驚いてはいけない。

     少年の二段誘惑法

 悲しい事に、今の女学生は男学生のあとをつける程の力を持たぬ。だから、活動なぞで誘惑するのは、ハネたあと数時間、もしくは一二時間の間で、その間にカフェーや何かに這入って必要な約束をせねばならぬ。故郷に遠い男学生で、旅の恥は掻き捨てなぞいう連中があったら、恐ろしく手軽で済む。カフェーの家族室やホテル、宿屋なぞで、「即決可決」が随分多いと聞く。
 又、もし一人が失敗と見たら、ほかの団友に渡す。こうして前後二段に攻め立てると、そこは人間の浅ましさで、大抵固い少年でも自惚《うぬぼ》れが出て来る。これが油断の始まりで、つい気がうきうきして、第二の女学生の手段に引入られて見たくなる。
 又、第一の少女「何子さんの友より」とか何とか書いて、第二の少女から手紙を出すのがある。
「あなたのために何子さんは病気におなりになりました。どうぞ助けると思って……」
 但、ここまで来るのはよほど手強いので、もっともっと手軽いのが最近の東京では普通だという。
 往来で知らぬ少女に名刺を突つけて結婚を申込む男……又は見も知らぬ男に、
「あなたの理想の御婦人はどんなのでしょうか。参考のために是非お知らせ下さいませ」
 と手紙を出す少女が居るという位だから……。

     匙《さじ》を投げかけた記者

 東京はこんな風に、大人の享楽主義の天国であるように、少年少女の花の都である。
 牛込の神楽坂、渋谷の道玄坂、神田の神保町付近、本郷の湯島天神あたりの夜は、今でもそんな気分の「淀み」を作っている。
 そうして、そんな処を摺り鉢の縁《ふち》とすると、底に当るのが銀座である。
 その銀座が夜になると、来るわ来るわ、東京市に居る人で銀座散歩《ぎんぶら》を知らぬ人は余程の野暮天と笑われる位である。
 色セメントや色ペンキで近代様式の数寄《すき》を凝らした家並み……意匠の変化を極めた飾窓……往来に漲る光りの洪水……どよめき渡る電車、自動車の響の中《うち》に、ささやき合い、うなずき合いつつ行く、華やかな「希望」や、あでやかな「幸福」の姿は、十分間も立ち止まっていれば、ガッカリする位眼の前を横切って行く。
 どれが不良やら善良やら、見当が付きそうにも思えぬ。
 しかし、記者はガッカリしなかった。そんな処を毎日うろついて、或る事を探ろうと試みた。或る事とは、不良少年少女の団体が、どんな風に活躍しているかという事であった。
 しかし、それが又、片っ端から骨折り損になって行くのにはウンザリした。何一つ収穫なく、コーヒーで腹をダブダブにして、電車に揉まれて帰るのは全くイヤなものであった。
 しまいには事実上殆ど匙を投げてしまった。
 ところが――。

     Mの字の売り切れ

 ずっと前、東京市中の学生仲間に鳥打帽大流行の事を書いた。そんな材料を調べている最中の事であった。
 神田の或る大きな帽子屋に、ちょっと気に入ったネクタイがあったから、這入って見ているうちに、一人の学生が這入って来た。
「Mって字、ありますか」
「Mは生憎《あいにく》売り切れまして、ほかの字では如何《いかが》で……」
 と、番頭はボール箱を取り出した。中には、鳥打帽の前庇を止める、金文字付きの留針《ピン》がズラリと並んでいる。
「弱ったなあ。しようがないな、どこでも売り切れて」
 と学生はボヤきながら、何文字か一つ買って行った。
 記者は別に深い考えなしに、只一寸した好奇心に駆られて、その四十恰好の番頭にきいて見た。
「Mって字はどこでも売り切れかね」
「ヘエ。Mの字が一番よくお持ちになりますようで……」
「どこでもそうかね……」
「さあ……手前共では特別にMの字をよく仕入れますが、いくら仕入れましても無くなりますので……Mという頭字《かしらじ》の付くお名前の方が余計においでになるからでも御座いましょうか、エヘヘヘ」
「じゃ、一番売れないのは何の字だね」
「さあ……さようで御座いますね……LだのQだのは全く売れませぬので、最初から仕入れませぬが、そのほかで売れませぬのは……サア」
 と、彼はピンを一渡り見渡した。
「只今残っておりますのはP、A、E、J、Y、X……」
「いや、どうも有難う」
 記者は安ネクタイを一つ買ってそこを出た。
 それから記者は、一町ばかり行く間に、Mという字が特別によく売れるわけを考えるともなく考えたが、とてもわかりそうにもないのでやめにした。
 そんな事をすっかり忘れたまま、一週間ばかり過ぎた。

     ABCの秘密

 天気のいい午後であった。
 秋の西日を背中に受けながら、記者は上野動物園の杉木立に這入った。
 日当りのいい、人糞に遠い、という条件の処に一つの平石を見つけて、腰をかけて、杉の木に倚りかかりながら居ねむりを始めた。これは、そのころ記者に出来ていた習慣で、毎日是非一度やらなければ頭の工合がどうもよくなかった。女なら血の道とでもいうところであろう。
 暫く舟を漕いでから、ウトウト眼を覚ましていると、うしろの大きな杉の幹の向う側の根元に、中学二年位の生徒が来て話を始めた。何でも紙片《かみきれ》か何かを開いて、一人が講釈をするのであった。子供の声で、おまけに誰も居ないと思っているのでよくわかる。
「いいかい、君。ABCの秘密ってんだよ」
「ウン。この鉛筆で書いたの、みんなそうかい」
「そうさ」
「驚いたな。君、書いたのかい」
「ウン。兄貴のを写したのさ」
「兄さんもきいたのかい」
「ウン、一緒さ。……いいかい。Aは第一の恋人《ラバー》、Bが第二の恋人《ラバー》、Cが第三の恋人《ラバー》なんだよ。大人だとA子は奥様で、B子だのC子だのといったらお妾さんの事さ。面白いだろう」
「ウン。もっと云って見給え」
「それからBだのPだのはお屁《なら》のこと、Cは女が小便《シッコ》をする事」
「ウフン」
「Dはウンコの事。Eは知らぬ顔をする事」
「何故?」
「何故だか知らないけれど、そうなんだっさ。それからFはお嬢さんの事。Gは芸者の事。Hは散歩をするとか、ハイカラとかいう意味。Iはお眼にかかりたいとか、承知しましたとかいうんだっさ」
「変じゃないか、それあ」
「なぜ?」
「Iってなあ自分のことじゃないか、英語で……」
「そうじゃない。『アイタイ』っていう『アイ』じゃないか」
「勝手にこしらえたんじゃないかい」
「僕がかい」
「そうじゃない。君に教えた英語の先生が、いい加減に教えたんじゃないかい」
「どうだか知らないけど……まあ、聞いて見給え。Jは質屋の事、Kはブンナグル事。KKは仇討ち。KKKはストライキで……(此処不明)……Lは永久に忘れないって事。Mは男のMで、あべこべにすると女のWになるってんだ……」
「フフフフ、面白いね」
「……ね……それからMはABCの真ん中にあるから、神様だの、真ん中だの、秘密だの、意味がいろいろあるんだそうだ。Nは反対って意味、Oは嬉しいとか承知したとかいう意味。OMとくっつけると、MWとおんなじに変な事」
「フフフフフフ」
「PQと書くとお金が無いという意味、QPと書くと愛するってこと」
「フーン、QPって人形じゃないか」
「違うんだよ……それから、ラブレターの隅にQPと書いてあると、そこにキッスしなくちゃいけないんだっさ」
「おかしいね」
「おかしいんだよ……それからRは本気だっていう事、Sはエスだから知ってるだろう(課業を逃げる意味)。二つ寄せると女同志ラブする事だっさ。Tは金槌だからなぐられた事や叱られた事、Uは共鳴したり賛成する事。Vは駄目だの、おしまいっていう意味。Wは女の意味だの、女のアレ……」
「ウフフフフフフ」
「……だの奥様だのいう……」
「Aと同じだね」
「ウン。Xは疑問の事、Yは枕草紙だのあんなものの事、Zは脅迫だの、誘拐だの、泥棒だの、いくらも意味があってわかりにくいんだっさ」
「みんな、君の英語の先生が教えたのかい」
「ウン――まだこんなのを二つも三つも重ねると、まだいろんな面白い事があるけれど、君達が不良になるといけないからって、そう云ってやがったぜ」
「馬鹿にしてらあ。じゃ、今度習ったらいいじゃないか」
「だけど、おれあ彼奴《あいつ》嫌いさ。好色漢《すけべえ》だってえから……」
「誰が?」
「兄貴がそう云ったよ。兄貴はもっと習ったかも知れないけど……君、これを写さないかい」
「ウン、帰ってから写そう、貸し給え」
 二人の少年は立ち上って、塵をハタキながら去った。
 記者はノートを伏せて、彼等が見えなくなるまで見送った。
 あの少年兄弟は教師に誘惑されているらしい――とその時思った――こんなつまらない事を教えてやると云って、生徒を誘惑する先生がよく居るからである。
 こう考えると、アルファベットの秘密も何だかつまらなくなって来た。探偵小説の重大発見か何かのように、あの生徒の話をノートに取ったのが、無暗に馬鹿馬鹿しくなって来た。
 それから四五日経った。

     Mの字の秘密

 記者がある老刑事さんを訪うて苦心談をきいていると、偶然こんな事を云い出した。
「この頃は学校生徒が無暗に鳥打帽を冠るので困るよ。変な事をやってる奴を押えても、出鱈目《でたらめ》の名前を云って困るんだ。和服ん時に名前が書いたるのは鳥打帽だが、大抵は英語の金文字一字ッキリだからしようがない。学校の名前だと吐かしア、それでもいいし、自分の名前だと云っても、そうかってなわけだからね。麦稈《ばっかん》帽や中折れだと、Wは大概早稲田だし、Kは慶応、Mは明治と学校の名前を使っているのが多い。鳥打帽でも昔のだとそうなんだが、この頃は全く出鱈目らしいね。その中《うち》でもMなんて字は、学校の名前だか自分の苗字だか見当が付かないね。医科大学がMだし、明治がそうだし、まだあるだろう。自分の名前にしても、松田だの、前田だの、村井だの、三井だの、何でもその場で云えるだろう。Rだの、Cってな、そんなわけに行かないからね。Mって字はだから便利な字さ」
「そんなら、Mの字をつけてる奴は大抵不良なんですね」
「アハハハハ。そんなわけじゃないがね。とにかく気をつけて見たまえ。Mの字を帽子につけてる奴が馬鹿に多いから。おれあ、どうも腑に落ちないと思っているんだがね……」
 記者はこの最後の言葉にあまり注意を払わなかった。只、Mの字がよく売れることだけは間違いないと思っただけであった。
 すると今度はその翌日の事……。

     英語の先生の話

 冷い雨の降る日――四谷から牛込へ帰る途中――飯田橋から新宿行の急行電車に乗り換えると――あの中学生――一週間余り前に、上野公園の杉の木蔭で、友達にアルファベットの秘密を教えた生徒が、偶然に記者の前に立っているのを発見した。
 記者はニコニコして問うて見た。
「どこまで帰るのですか、君は」
 彼はハニカミ笑いをしながら答えなかった。
「あなたの英語の先生は何といいますか」
 これは頗《すこぶ》るまずい問い方であったが、ついそんな調子になってしまった。彼は矢張り答えなかったが、その代り意外の処から返事が来た。
「私ですが、何か御用ですか」
 記者は驚いてふり返った。すぐうしろに一人の学校教師らしい四十恰好の人が立っている。あまり立派でない背広に中折れで、ゴムのコートを着て、ゴムの長靴を穿いている。背はあまり高くなく、強度の近眼鏡をかけた学者風の丸顔で、一見神経質の人らしく見える。好色漢《すけべえ》らしいところは微塵《みじん》もなく、却て記者を不良か何かと見たらしい顔付である。
 記者は面喰らいながら帽子を脱いだ。
「ハイ、実はここではお話も出来かねる事で……」
 と傍の少年をかえり見た。
 先生は何と思ったか、急に物柔かな態度になった。
「ア……そうですか。では恐れ入りますが、私の宅までお出《いで》願われますまいか」
「それは恐縮ですが……」
「イヤ、お構いさえなければ……むさくるしい処ですが」
 記者は風向きがあまり急に変ったので少々面喰らった。しかし兎《と》も角《かく》も、抜け弁天の付近にある先生の私宅まで、ザアザア降る中をお伴して行った。
 その私宅というのは或る富豪の長屋で、少年はその家の三番目の令息であった。兄と一緒に(この日は何故かその兄と一緒でなかった)神田辺の或る中学に通っているので、その中学英語の先生田宮(仮名)はその家庭教師として長屋に居るのであった。ところが兄弟とも成績と品行があまりよくないので困っているらしい事が、田宮夫人のオシャベリでわかった。
 先生が私服に着かえて出て来ると、記者は改めて職業と名前を名乗って用件を話し出した。ABCの一件からMの字の秘密なぞをザッと述べて、もっと詳しくお話を承わりたいと云った。
 田宮氏は顔色をかえて狼狽した。奥さんと不安そうな顔を見合わせた。しかし最後には、青白い顔を心持ち赤くしながらオズオズと云った。
「そんな事を云っておりましたか。どうも困りますので……実は最前の生徒の父兄に、こんな事があると話しておりましたのを、蔭から聴いたものと見えます。しかし、そんなに詳しくは話しておりませんので……実は私も直接にきいたわけでは御座いません。永年家庭教師をやっておりますうちに、又聞きや何かでききまして……参考にもなりますし……つい興味を持ちまして調べましたので……」
 聴いている記者の胸は躍った。
「あなたの御職業を信じてお話し致しますが……御参考になりますかどうか……」
 と田宮先生が話し出した事は、ABCの話かと思ったら、これこそ又意外千万の話であった。記者はその話が次第に脱線して行くのを止める事が出来なかった。
 震災前、SSS団という団体が某私立中学に出来ていた。Sというのはエスケープの略語、即ち学校をなまける事で、日本の学生特有の読み方である。それを米国のKKK団、又はIWW団の真似をしてSSSとしたのであったが、この時まではまだ不良と名づける程の仕事もしていなかった。活動見物とか、カフェーの只飲み、喰い逃げ、付け文位が関の山であった。しかしそのSSSへ不良青年がまじるようになると、いつの間にか仕事が著しい不良性を帯びて来た。同時に文房具にSSSというのが出来たので、改めてSMSと改名した。
「このMという字が問題です。元来日本の学生は外国の文字に勝手な意味をつけるので、漢字でもそうだそうですが、Bの字を臀部の恰好に考えたり、IWを色女なぞと読んで見たり、実にどうも……」
 と先生は茶を飲んだ。
 この流儀でSMSは、Mの字を男性のあるもの、Sを少年の意味に使って、SMSというと或る怪《け》しからぬ行いを仕事にする団体という意味にしたものであった。無論、かなり堕落した学生ででもなければ、そんな意味はつけ得なかったのである。
 その中《うち》にSMS団はMMM団と改称された。Mの字の意義が高潮して女の方にも関係するようになった事が、この改称に依て察せられる。
 その中《うち》に又、MMMが飽かれたかして、後《のち》には単に「享楽団」と呼ばれるようになった。
 その時に地震が来た。
 ところで、彼《か》の大地震で引っくり返ったものは単に家ばかりではなかった。
 男性の享楽団MMMも引っくり返ってWWW団となった。但、そんな名前が出来たわけではない。MMMが地震と共に音も沙汰もなくなって、その代りに少女ばかりで組織された享楽団なるものが現われたのであった。
 その途中の経過としてMWWとか何とかいった時代があったかどうかわからぬが、男の享楽団の名は消え失せたらしく、どこの家庭にも、Mよりとか、Sよりとかいう名前の手紙が来たという事を聴かなくなった。
 同時に、その享楽団の団長は一人の私立高女の上級生で、その団長の指揮に依ってその団員は盛に享楽事業を拡張しているという噂が、どことなく耳寄りの人に耳寄って来た。
 その不良少女享楽団長の名前を聴くと、記者は思わず膝を打った。
「ああ、あれですか」
 と声を出した。
 田宮先生は面喰らったらしかった。
「あなたは御存じで……」
「イヤ、一寸聞いた事があるのです。一高生にカルメンと呼ばれて持てはやされている和田(仮名)の事でしょう」
「さあ、名前は同じですが、同じ人間ですかどうですか。私共の仲間では、何故あの女を放校しないのでしょうと云っていますがね」
「ヘエ、そんなに有名なのですか」
「あの女学校で知らぬ生徒は恐らくありますまい。皆名前は云わずに団長団長と云っている位です」
「一体、団長ってどんな仕事をしているのでしょう」
「さあ……何でも中学生や高等学校生徒を誘惑するのが上手だと云いますがね。エー、あと月だったかね(と夫人をかえり見て)、私の学校の生徒の中から二人ばかり連れ出して、或る珈琲店へ這入って、今夜上野で望遠鏡で月を見る会があるからと、いろいろ面白い話をしたそうです。少年は二人共本当にして、誘い合わして行こうとしたのを、一方の親御さんが気付かれて止められたそうですが……上野にそんな会があったかどうか存じませぬが、話上手は事実らしいのです」
「ヘエ、先生はよく詳しく御存じですな……」
 と云いさして、これは失礼と思ったが、果して田宮氏は赤面した。
「ハイ……その、実は私の同窓がその女学校におりますので……実は貴方の御職業を信じてお話し致しますわけで御座いますが……必ず御内分に願いたいので御座いますが……」
 記者はこのほかに二三、田宮夫人からの話をきいて引上げた。
 心から感謝の辞を述べて……。

     不良少女享楽団長

 ××女学校の名は日本中に響いている。畏《かしこ》きあたりの御おぼえ目出度い某名流夫人が創立して以来数十年、今年の某月某日、やんごとなき方々の台臨を仰いだ程の学校である。七百余人のお嬢さんに一定の制服を着せて、頭髪《かみ》の結び方まで八釜しく云っている。設備の完備している事は東都の私立女学校でも有数である。
 その上級生に和田(仮名)という生徒が居る。
 背丈けはあまり高くなく、どちらかと云えば痩ギスで面長である。心持ち眼が下がっているのと、眉毛の細くて長いのが特徴といえば特徴であるが、鼻は尋常である。全体に美人《シャン》という程でもなく不美人《ウンシャン》という程でもない。只平凡な可愛い顔である。
 陸軍中将か何かの未亡人の独り子で、学校の成績は中位、持ち物や髪の結い方等も質素だから、大勢の中に居ると一寸探し出し難い位である。
 しかし、彼女の行動を見ると、不思議に思われる事がいくつも出て来る。
 第一、彼女の顔は極めて平凡で、これという特徴は一つも無いが、一度見たら永久に忘れられぬ程印象が深い。相手の心に何物かを遺さねば措かぬといったような気味合いがある。これは同窓の生徒同志でも不思議がっている事である。
 彼女は平凡な顔でありながら、表情が極めて上手である。送別会とか何とかいう会合に出ると、あまり嫌みを見せずに盛に切ってまわす。一高生徒の会合なぞに臆面もなく乗り込んで、カルメンと持てはやされるというが、彼女以外にそんな大胆な手腕を揮い得る少女は滅多にあるまいと考えられる。
 彼女は全校の生徒七百の中《うち》二三十人の友達を持っているが、その友達との交際振りがまた一種特別である。どんな事かわからぬが、彼女の命令に従う少女を彼女は手を尽して可愛がる。これに反して、彼女の命令に従わぬ少女は、自分の持ち物を持たせたり何かして、云うに云われぬ虐待をする。だから彼女の友達は彼女の思い通りにかわって行く。
 彼女の学校の帰り途を知っているものは一人も無い。昨日《きのう》は西、今日は東と、まるで方向違いの道をどこへか消えて行く。全くどこへ行くのかわからぬ。
 彼女は丸い、黒い、径二寸位の化粧箱を持っている。中には頬紅と白粉《おしろい》が這入っている。頗るハイカラなもので、一個九円である。某化粧品屋の特製とかで(この間福岡の新道《しんみち》で只一個見かけたが、価格は四円五十銭と云った。安くなったと見える。しかも、その後二三日して行って見たら売れていた)、あまり方々で売っていない。これは東京随一の不良少女享楽団が全部揃いで持っているもので、どこかに合印《あいじるし》か何かあるらしいがハッキリとわからない。
 彼女のこうした振舞は、いつの間にか学校生徒の大部分に知られてしまっている。誰も彼女の本名を呼ぶものはない。「団長」とか「団長さん」とか蔭で云って敬遠している。
 彼女が支配している享楽団の性質を探って見ると、更に奇怪なことが多い、
 第一、享楽団という名前が随分古くからあるが、これは仮りにその団体の正体を指した通り名で、実際は始終名前を換えているらしく、何を目標に、どこで会合しているのか、記者の力では探り得なかった。彼女はいつも一人で、いろんな男の学校の生徒の会合、慈善市、又は東京市内の方々で催される展覧会、その他あらゆる会合に関係をつけて出席しては、気の利いた社交振りを見せているが、彼女の助手や部下がその裡面でどんな活躍をしているかは露程も感付かせぬ。彼女から、自分の身元の何から何まで探られていながら、気付かぬ男が随分多いという。
 彼女はそんな方面に素晴らしく明晰な頭脳を持っているらしい。
 彼女の支配する不良少女の団体は水も洩らさぬ活躍ぶりを示すが、その仕組みは皆彼女の胸三寸から出るらしく、彼女以外の団員の姿は一人も見えない。いつも彼女は一人ぼっちの少女のように見える。
 享楽団というのは、名の通り少女達が男性を誘惑して享楽する団体で、それ以外の事は何もしないらしい。只、その仕事が組織的にキビキビしているために有力な不良少女団と認められている。その組織の中心はいつも彼女である。彼女は片っ端から少女を誘惑して団員とし、一方から望み次第に若い男性を引っぱって来てその少女に宛がって享楽させる。しかも彼女自身は割りにその方面に超然としているらしく、さればといっていい人があるようにも見えぬ。
 どちらかと云えば八方美人にも見えるし、一種の変態性欲主義者ではないかと思われる。又は、そうした悪魔的の仕事その物の興味に満足しているに過ぎぬのではないかと思われる節もある。
 ――そこが彼女の凄いところだ――彼女の血色、表情、身体《からだ》のこなし等から見て、彼女は恐ろしい男喰いとしか思えない――彼女は自分の不行跡を蔽い隠すために享楽団を作っているのだ――享楽団員は彼女のお下りを頂戴して、彼女の享楽の後始末をつけてやっているのだ――そこに彼女の表情上手な性格から来た極端な社交性と、その深刻な個人主義とが生きているのだ――。
 ――と反駁する人があれば、記者は否定する材料を一つも持たない。
 彼女の団体は他の不良少年団と協力して悪い事をするとの噂もある。しかし、彼女の怜悧さ、警戒心の強さ、又はそのプライドの高さから見て、そんな事は有り得まいと思う。
   ……………………
 記者はこれだけの材料を集めると、もう一歩も進み得なくなった。いろいろと考えた揚句、警視庁に出かけて彼女の事を暗示して見た。しかし、警視庁の二三の人は、そんな真面目な学校に、そんな生徒が居られるだろうかというような、疑いの眼付きで記者を見た。却《かえっ》て震災後のいろんな犯罪の統計や報告を作るのに忙しいように見えた。
 記者は失望して引き退った。その翌々日、「東京全部」に見切りをつけて郷里へ帰ってしまった。
 因《ちなみ》に、去る二月頃、東京で捕まった不良少年少女の一団の中には、彼女の名は無かった。彼女はもう無事に卒業しているかも知れぬ。
[#改頁]


   結  論



     東京人の堕落に対する各方面の驚きの声

 以上は、東京人の堕落に就いて見聞した事実の概要である。誇張されたらしい噂や誤聞を避けたため、材料が不徹底に感ぜられたところもあったろう。又は、書いているうちに旧聞になって、読者のお笑い草になった箇所もあったろう。
 併《しか》し同時に、本紙がこの稿の過半を掲載し終えた頃から、東京の各方面に於て、「東京人の堕落」に関する驚きの声が俄然として起り始めた事は、予期していた事とはいえ、記者の報道が如実に裏書された点に於て満足を感じないわけには行かなかった。
 同時に別の意味で、記者は頗《すこぶ》る不満に感じた点があった。それ等の報道の大部分が、東京の堕落を説明するのに、恰《あたか》も東京の「堕落の甚だしさ」を、恰も東京の「文化の向上した程度」を示す者であるかのように、寧《むし》ろ誇りかに叙している点であった。
 記者は明言する。
 東京人の堕落は東京の文化の向上を意味するものでない。却《かえっ》て東京の文化の滅亡頽廃を表明しているものであることを。
「東京人の堕落時代」の一篇を読んだ人々は、この意味を正しく理解されたことであろうと信ずる。そうして、東京人の堕落がどんな色彩と傾向を帯びて移りかわっているかという事を、多少に拘らず知り得たであろうと思う。

     東京の名に於て踏み潰された日本の面目

 明治維新後六十年に近く、日の丸の旗の下に、あれだけの犠牲と努力とを払って築き上げられた、吾が大和民族の文化の中心は、一朝の地震で「ゼロ」にまでたたき潰されてしまった。あとには唯浅ましい本能だけが生き残って、大正十三年以降の大堕落時代を作ったのであった。
 これは日本人として――殊に文化という事に就て考える人達が、特にその眼を見開いて、徹底的に観察せねばならぬ大きな出来事であろうと思う。
 大正十二年の夏まで、日本を背負って立つ意気を示しているかのように見えた江戸ッ子の、現在の屁古垂《へこた》れ加減を見よ。
 そうして、これに取って代った新東京人の風俗のだらし[#「だらし」に傍点]なさ加減を見よ。
 その武威に、その文化に、東洋の新興民族として、全世界の眼を瞭《みは》らした日本人の化の皮は、その首都の名に於て、美事に引っ剥がされてしまったのであった。
 彼等東京人の云う忠君愛国、勤倹尚武、仁義道徳は皆虚偽であった。
 彼等東京人の持つ外国文化の驚くべき吸収力、その不可思議な消化力、並びにその文化方面の宣伝力……それ等は只一時の上辷りのカブレに過ぎなかった。
 彼等東京人は文化民族としての日本人の価値を、真実の意味で代表していたものではなかった。
 彼等東京人が真実に模倣し得るものは、只外国文化の堕落した方面のみであった。彼等が本当に持っているものは、唯浅ましい本能だけであった。
 東京人は、日本中で先登《せんとう》第一に、アメリカ魂、イギリス魂、独逸《ドイツ》魂、ロシア魂のすべてにカブレて、そのどれにもなり得なかった。只、大和魂をなくしただけであった。そうしてそのあとに、浅薄な意味の文化的プライドに包まれた、低級な本能だけを保有しているに過ぎなかった。だからイザとなると、今までのプライドをなくしてしまって、禽獣の真似をして恥じないのであった。
 ――新しい東京の女の美しさは鳥の美しさである。その無自覚さと口巧者《くちこうしゃ》さは、鳥の無自覚と口巧者そっくりである――。
 ――新しい東京の男のエラサは獣《けもの》のエラサである。その無作法さ、図々しさは、獣《けもの》の不作法さ、図々しさと撰ぶところない――。
 これは記者が作った形容詞ではない。東京人が実地にやって見せている実況である。
 一切の説明を超越した「事実」である。
 この事を報道し、且つ警告したいために、記者はこの筆を執った。
 地方の人々は考えて頂きたい。
 特に東京を吾が日本民族のすべての中心とあおぐ大人諸氏、及び「東京に行きたい東京に行きたい」とあこがれ望む地方の若い人々は、今一度考え直して頂きたい。
 諸君は何故にそんなに東京を尊敬されるか。東京のどこにそんな価値を認められるか。
 東京は事務を執りに行く処という。しかし厳密に云えば、東京は事務を堕落させに行く処と断定すべきである。
 地方から起った神聖な精神的運動、又は真剣な殖産興業等の事業は、それ等が土地で企画されているうちは、まことに真剣で且つ純真であるが、一度東京に持ち込まれると、忽ちその真剣味が抜き取られて、空虚な、不真面目な、汚らわしいものと化せられてしまう。
 東京には、地方から上って来る純真なもの、生き生きしたもの、又は充実したものを取って喰う商売人が、お互に爪を研ぎ、牙を磨いて、雲霞の如く待ち構えている。否、「東京」は、そのような無残なもののすべてを人格化した「悪魔」の別名である。
 地方から上京した真剣な事業や運動が、東京と名乗る悪魔の乾児《こぶん》たる横道政治家の金儲けの種、高等遊民の飯喰い種として、片っ端から犠牲とされ、腐敗堕落させられて行く有様は、恰も地方から上京する青年処女の純真な志が、東京に入ると忽ち不浄化され、頽廃化させられてしまうのと同様である。否、すべての事は、東京に入って堕落させられなければ、本場を踏んだと云われない。東京の「腐敗」そのもの以上に「腐敗」しなければ、日本第一流と云われないとさえ考えられる。

     日本人に対する東京の不浄な使命

 茲《ここ》に於て、東京の所謂「生存競争」なるものは、事実上、「腐敗堕落競争」である事が容易《たやす》く理解されるであろう。
 学問とても同様である。地方の少年少女は東京を学問の府としてあこがれている。しかし、東京の学校のどこに、地方の学校のような純真なる風が認められるか。
 この事を詳しく説明すると限りもないが、多少脱線の嫌いがあるから略するとして、要するに東京は、学者として、又は学生として摺《す》れっ枯《か》らしに行く処である。もしくはいろんな風潮にカブレて、自分の学問の根底を握る精神力を空《から》っぽにしに行く処である。少くとも東京の学校の学生と教師は、日本を指導する意気はない。学者も学生も、唯、自分の地位や飯喰い種に、学問を売り買いしているとしか見えないのである。
 重ねて云う。
 東京は日本のすべての文化の中心機関の在る処と認められている。
 東京というボイラーに投げ込まれて初めて、石炭は火となり、水は水蒸気となるが如くに考えられているが、これは大変な感違いである。
 東京は、地方に芽ざした聖い仕事の種子を積上げて、腐らして、あらゆる不良政治家、不良事業家、不良学者、不良老年、不良少年少女の根を肥やすための大堆肥場である。そのためにあれだけ大きな家が並び、あれだけの砂ほこりが立ち、あれだけの電燈が輝いているのである。その中に身も心も投げ込んで、腐れ爛れて行く自己を楽しむべく、人々は東京へゆくのである。
 そのほかに東京に何の用があるであろうか。
 静かに胸へ手を置いて考えて頂きたい。
 東京は旧時代の産物たる科学文明に依て築かれた都である。
 科学文明の都市――折角《せっかく》向上しかけた人類の精神文化の象徴たる宗教――道徳を数字攻めにして責め殺し、芸術をお金攻め、実用攻めにして堕落させて、精神美を無価値なものにして、物質美を万能にして、遂に文化的に禽獣の真似をするよりほかに楽しみを持たぬ程度にまで落ちぶれ果てた人類――その真似をするのは無上の光栄と心得る、日本人の中での罰当りが寄り集《たか》る処――それが東京である。
 数字とお金とで動かせる死んだ魂の市場――それが東京である。
 智識と才能と人格の切り売りどころ――それが東京である。
 たとえば……。

     東京に欺かるるな、何物をも与えるな

 大きな立派な人間が仕立卸しのハイカラな服を着て、表情沢山の誇張だらけで地方の人々を手招きしている。彼もしくは彼女の機智頓才、魅力弁力、その衒学的の博引広証、いずれも一時的に人を煙に捲くに足る。
 しかもその腹を割れば、何等の理想も主義もない。只、金と獣欲ばかりである。一朝事があれば、彼もしくは彼女は畜生のように、又は餓鬼のように昏迷して地面《じびた》を這いまわる。そうして一朝事が無くなると、又澄まして文化面をして田舎者を馬鹿にする。
 そんな人間を「東京」と名づけるとすれば、諸君は果して尊敬するであろうか。諸君はこんな人間を吾が大和民族の代表者として許すであろうか。
 序の事に、今一つの方面から東京を批判させて頂きたい。
 従来、日本の首都(都会と云いたいが、ここでは取り敢ず首都だけに就いて考えたい。無論、都会という意味に取られても構わないが)は、吾が日本民族に対してどんな仕事をしたか。
 奈良でも、大阪でも、京都でも、又は今の東京でも、皆日本民族のブル思想の反映に過ぎなかった。地位、名誉、傲奢の府として、地方に悪感化を及ぼす使命しか持たなかった。
 これに憤慨して起った地方的勢力も、一度時を得て都に入ると、すぐに堕落してブル政治を施し、ブル生活を壟断《ろうだん》して、自分の一族一派以外のものを賤民扱いにした。
 源の頼朝は極度にこれを嫌った。
 京都を離れた鎌倉に幕府を開いたところに、この首都のブル式悪感化を避けた用意が見える。戦功に傲《おご》ってブル化しようとした義仲、義経を片っ端から殺してしまった。範頼もとやかく攻め亡ぼした。そこに頼朝の生真面目な性格がほの見える。彼のブル嫌い、都会嫌いの気持ちがあらわれている。
 しかし、実朝に到って、源氏のブル化が次第に濃厚になって、遂に北条に亡ぼされた。
 北条氏は頼朝の遺志を最もよく理解して、殆ど極端なプロ式武人政治を行った。しかし、高時に到ってブル化して亡びた。
 それから後は、ブルに代るにブルを以てしたのみで、明治に入っては薩長土肥のブル思想は東京を濃厚に彩り、遂に今日に及んだものである。
 彼等藩閥は初め、徳川のブル的腐敗を憎んで起った、地方的の勢力であった。「王政維新」なる標語の中には、そのような地方的勢力が懐抱する真実さが、底知れぬ程満ち溢れていた。
 しかし、一度首都の地を踏むと、それ等の勢力の純真さ、熱烈さは、いつとなく方便化され、御都合化されて、結局、ブル生活の根底を培う腐土と化し去ったのである。
 茲《ここ》に於て読者は理解されるであろう。
 日本の生命は首都には無くて、地方に在る。すべての地方の純美さ、真面目さが、日本の命脈を精神的にも物質的にも支持しているので、東京が日本を支持しているのでは決してない。
 江戸の昔、或る有名な侠客は、ボロボロの百姓おやじに訪問を受けた時、わざわざ土間に降りて、低頭平身して挨拶をした。
「私どもは娑婆のアブク銭を掴んで喰う罰当りで御座います。お百姓様のような、正真正銘の仕事をするお方の上手に座るような身分のものでは御座いません」
 というのがその趣旨であった。
 当局の農村振興宣伝と間違えてはいけない。それとこれとは意味がまるで違う。都会に住む、手の白い役人や学者が、日給を貰って名文に綴り上げて、メガホンで吹き散らすお役目物の宣伝と、この侠客の態度とは、その真実味に於て、鉄の弾丸と風船玉ほどの違いがある。
 吾々日本人は、この博徒の一親分の言葉に依って自覚せねばならぬ。同時に、地方の自然を相手に稼ぐ労働者諸君は、この言葉に依って覚醒せねばならぬ。
 吾々地方人は東京に何物をも与えてならぬ。東京が如何に巧言令色を以て吾々を招くとも、これに眩惑されてはならぬ。東京の中で最も美しく、大きく、貴《たっと》く見えるものでも、地方人の額の汗の一粒に及ばぬ事を知らねばならぬ。
 現在|擡頭《たいとう》しつつある無産階級の運動でもそうである。それが都会人、殊に東京人の指導下にある間は、将来、結局無価値なものとなりはしまいかと憂慮される余地が十分にある。
 同時に、それ等の無産階級の人々が目標とし、規準とする生活が、東京人の生活と同様の意味の文化生活を夢見るものであったならば、それ等の人々の覚醒と運動とは、将来に於て無価値のものとなり終るべき可能性を、充分に持っていはしまいかと疑い得られるのである。

     口も筆も不調法な地方の若い人の自覚の力

 さなきだに、毒々しい薄っぺらな都会の文化は全人類に飽かれつつある。反対に、ジミな、精神の籠もった地方色や、真剣な個性に依って作り上げられた農民文化が尊重される傾向が出来つつある。そうして、その個性や地方色を集めたものを民族性と名づけ、その民族性に依って荘厳された文化を人類文化と称える、そこに個性と人類性との共鳴があり、そこに民族の自由解放の真意義がある――というような説が次第に高まりつつある形勢である。
 吾が大和民族は一民族を以て一国家を形成している。すくなくとも欧米各国のように雑然たるものでない。そこに吾が民族性の強みがあり、そこに吾国の地方色の真実味が生れ、そこに洗練された吾が国民の個性の貴重さと偉大さが表現されなければならぬのではあるまいか。
 日本民族の全人類に対する使命を自覚し、これを達成する程の活力ある生命は、ペンキ塗の窓の中に人工の光りに照らされて、ストーブに蒸されて濁った空気を与えられて育てらるべきものでない。新しい、強い、生きた魂は、清らかな太陽と、シットリした大地と、真面目に真面目に伸びて行く草木との間に立って、爽やかな空気を呼吸しなければ美しく生長せぬ。
 新たに天下を取る者は常に田舎者である。都会人は常に田舎者の支配下にある。死んだ魂――売り物買い物である魂――投げやりな魂が、売り物買い物でない、生きた魂に支配されなければならぬのは当然の事である。
「都会」が「田舎」を軽蔑する理由は絶対にない。同時に、地方人が東京を尊敬し、憧憬するところも亦絶対にあり得ない――という事を、今の「東京人の堕落時代」は最も明瞭に証明しているのではあるまいか。
 そうして、吾が日本民族は、今の中《うち》にこの意味で覚醒する必要はあるまいか。
 今日の如く、東京を憧憬する人々、東京の文化を本当の文化と信ずる人々が無暗《むやみ》に殖えて行ったならば、今に日本人全体が東京人のようになってしまいはしまいか。一朝国難にでも際会したならば、吾が大和民族は、遂にその首都の東京人が地震の打撃に依って本音を吹いた如く、ダラシない民族と成り果てはしまいか。
 しかも――。
 このような自覚――思想は都会人に依って宣伝されたのでは駄目である。否……厳密に云えば、記者の如き手の白い労働者によって称道されたのでも駄目である。
 却て、地方の純真な、堅実な、そうして口も筆も不調法な、若い人々の腹の底でウ――ンと覚悟されたのでなければ、絶対に無力、無価値なものとなるのではあるまいか。
 記者はこれだけの疑問を読者諸君に呈したいためにこの稿を起した。自ら惴《はじ》らぬ罪は謹んで負う。(大正十四年三月三十一日夜)[#「(大正十四年三月三十一日夜)」は行末より1字上げ]



底本:「夢野久作全集2」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年6月22日第1刷発行
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:柴田卓治
校正:かとうかおり
2000年4月28日公開
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