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S岬西洋婦人絞殺事件
夢野久作

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)寧《むし》ろ

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)二百|米突《メートル》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)顳※[#「※」は「需+頁」、第3水準1-94-6、82-8]《こめかみ》
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 法医学的な探偵味を含んだ、且つ、残忍性を帯びた事件の実話を書けという註文であるが、今ここに書く事件は、遺憾ながら左の三項について、その筋に残っている公式の記録、もしくは筆者のノートと相違している筈である。
 一、該事件発生地の地形、関係地名、人名
 二、機密事項の内容
 三、法医学者の活動範囲
 従ってその意味からこの稿は実話と称する資格を欠いているのであるが、ここに都合のいい事に、右の三項はこの実話としては寧《むし》ろ傍系的な問題である。冒頭の要求通りの事件の全貌と、つまらない謎が非常にグロテスクな不可解なものに見えた、その真実の経過を明かにするためには何の妨げにもなっていないのみならず、これを省略、変更した事が、却《かえ》ってこの事件に対する理解の明瞭度を高めるために役立っていると思う。なお前記三項を偽装し、又は仮装した事は、この事件の真相を記憶している或る一部の人々の不快とするところかも知れないが、そのそうしなければならなかった理由は、読了後に、自ら首肯され得るであろう。

 R市のS岬というと日本海に面した風光明媚の景勝である。R市から海越しに、直径、一里半ばかり距たった対岸で、首の細い半島になっている赤土山の松原の中に、西洋人や日本人の別荘がチラホラと建っている処であるが、その内海側の一番突端のコンモリと丸い松林の緑の中に、R市に在る某石油会社の支配人で、有名な愛妻家として、度々新聞にゴシップされた事のあるJ・P・ロスコーという×国人の住宅が建っていた。見るからに蕭洒《しょうしゃ》なバンガロー風の青ペンキ塗、平屋建で、対岸のR市から眺めると、三丁ばかり離れて建っている倫陀療養院の赤い屋根と、偶然の美しいコントラストを作っているのであるが、そのJ・P・ロスコー氏の最愛の夫人で、今年二十四になるマリイ・ロスコーという美人が大正×年の八月二十何日であったか土曜日の真夜中に、このバンガローの中の寝室で絞殺され、暴行を加えられていた。その時に裏手の少し離れた日本家に住んでいたロスコー家のコック兼、小使の東作という老人は、奇怪にも酒に酔払って、そこから二百|米突《メートル》ばかり隔った半島の突端、外海側に在る低い、小さな岩山の上の、生い茂った草原の中にグーグー眠っていた……というのが事件の発端であった。
 その土曜日の晩に、会社で、徹夜の仕事をして、翌る日曜日の朝早く、大急ぎで帰って来た愛妻家のロスコー氏は、昨夜、自分自身の手で、たしかに鍵を掛けて出た筈の玄関の扉が、半分ばかり開いているのを遠くから発見してハッとした。大急ぎで吾家に走り込んで、惨酷《むご》たらしく変化したマリイ夫人の絞殺屍体を一目見ると、そのまま一散に表へ飛出して、意気地なくも、内海の波打際にブッ倒れて気絶しているのを、程経て沙魚《はぜ》釣りのために通りかかった二人の県庁吏員が発見して、程近い倫陀病院に担ぎ込んだ。その院長倫陀博士の応急手当で、ロスコー氏はヤット意識を回復して、前記のような事実を辛うじて物語るには語ったが、元来が西洋人一流の極度にセンチな意気地のない性格らしく、一種の痴呆患者か何ぞのようにボロボロと涙を流して「マリイマリイ」と号哭《ごうこく》するばかりで、何が何だかサッパリ要領を得ない。
 そこで倫陀院長が気を利かしてタッタ一人居る助手の弓削《ゆげ》という医学士に命じてロスコー家の様子を見に遣ると、この弓削医学士というのが又、そんなような仕事のノンビリした病院の助手らしい探偵小説の耽読者であった。従って相当の好奇心の持主らしく、ロスコー家の寝室に無断で侵入して、夫人の惨死体を発見したが、しかし流石《さすが》に屍体には手を触れなかった。そのまま浴室の横を抜けて、裏手の小使部屋に来てみると、兼てから顔と名前だけ知っている東作|爺《じい》の姿が見えない。怪《あやし》んで附近の状況を調べてみると東作の部屋に繋がっている呼鈴《よびりん》と、S市に通ずる電話線が切断されている。
 そこでイヨイヨ好奇心を唆《そそ》られた弓削医学士は、尚もそこらを隈なく探検している中《うち》に、意外にもS岬の突端の岩山の上で、大の字|型《なり》にグーグー眠っている東作爺を探出《さがしだ》したので、取敢えず揺起して倫陀病院に連行して、弱り込んだまま寝ているロスコー氏に附添わした。だから東作老人はまだマリイ夫人の死骸を見ていないし、死んだ事も気付いていないかも知れない……というのが倫陀病院の電話で、R市の警察へ報告された第一話であった。

 対岸のR市から時を移さず水上署のモーター端艇に乗って出張して来た蒲生検事、市川予審判事、R市警察司法主任(警部)巡査、刑事、警察医、書記等、数名の一行は、先ず一名の刑事を倫陀病院に派してロスコー氏と東作老人の動静を監視させた。それからマリイ夫人の屍体を調査すると、マリイ夫人というのは西洋婦人としては小柄な方で、二十歳ぐらいに見える丸々と肥った、南欧式の肉感的な美人であったが、枕元の豆スタンドから引離した黒絹の被覆コードをグルグルと首に巻付け、乱れた金髪のカールを顔面一パイにヘバリ附かせた中から、青い両眼をクワッと見開き、白くなった小さな唇から、大きな赤黒い血の塊《かた》まりをダラリと腮《あご》の下へ吐出し、薄い、青絹の寝衣を胸の処までマクリ上げたまま虚空を掴んで悶絶している状態は、トテモ凄惨で二目と見られた姿ではなかった。ロスコー氏がタッタ一目で仰天して気絶してしまったのも無理はないと思われた。むろん疑いもない電燈コードによる絞殺死体で、格闘の際の出来事であろう、舌の途中を大きく噛切っている事が間もなく警察医によって発見された。
 なお薄青い寝衣の肱の曲目《まがりめ》と、肩と、臀部の真背後《まうしろ》の処が破れているのが、猛悪《もうあく》な格闘のあった事を物語っているが、それよりも何よりも警官たちを驚かしたのはマリイ夫人の肉体であった。西洋人には珍らしい餅肌の、雪のように白い背部から両腕、臀部にかけて、奇妙に歪んだ恰好の薔薇と、百合と、雲と、星とをベタ一面に入乱れて刺青《いれずみ》してあった。特にコンナ事にかけては気の弱いのを特徴とする若い、美しい西洋婦人が、コレ程の刺青をするのに、どれ程の気強さと、忍耐力を要したかを考えただけでも身の毛が慄立《よだ》つくらいであった。
 これを見た係官たちはこの事件に対して今までにない一種異様な緊張味を感じたらしい。平常よりもズット熱心に捜査に従事した結果、色々な興味深い事実が次から次に判明して来た。
 犯人の忍込《しのびこ》んだ処はロスコー家正面のバルコニーの真下に当る重たい板戸で、俗に万能鍵と名付くる専門の犯罪用具の中でも、最も精巧なものを使用してコジリ開けたものである事が、鍵穴を解体した結果判明した。それから犯人は玄関の内側に面した鍵の掛かっていない扉を押開いて夫人の寝室に侵入し、寝台の上で夫人と格闘してこれを絞殺した以外には、一物も奪い得ずに逃走した事実……等々々が、何の苦もなく推定されたが、ここに困るのはそれ以外の、室外に於ける犯人の行動がサッパリわからない事であった。
 ロスコー家の周囲の松原には砂まじりの赤土の中から丸い石が一面にゴロゴロと露出していて苔があまり生えていない。そのために靴で踏んでも素足で歩いても足跡が全然残らないようになっていた。しかしその石のゴロゴロした松原の周囲は、岬の突端に在る松林続きの岩山を除いた全部が、真白い綺麗な石英質の砂浜になっているのだから、犯人がその岩山伝いに松原を潜って来て、帰りにも亦おなじ筋道を逆行しない限り、その松林の周囲のどこかの砂原に足跡が残っていなければならない筈であった。然るにその砂浜に残っている足跡といっては、対岸のR市から波際伝いに歩いて来た二人の沙魚《はぜ》釣男のソレと、その前に郊外電車の停留場から、やはり海岸伝いに帰って来て、マリイ夫人の死骸を見て仰天し、波打際でブッ倒おれた迄のロスコー氏の靴跡を除いては何一つ発見出来なかった。してみると犯人は闇夜の海上伝いにどこからか泳いで来るか、又は船を漕いで来て、岬の突端の岩山を越えて来たものでなければならない筈であるが、それは余程この辺の地理に精通している上に、そうした汐時と、汐先の加減を十分知り抜いていない限り、ずいぶん当てずっぽうな冒険的な遣り方で成功したものと考えなければならなかった。のみならず、その問題の岩山の上には、酔っ払っていたとはいえロスコー家の雇人の東作が寝ていたというのだから、話が何となく妙チキリンである。たとい東作を犯人として考えても、何となく辻褄《つじつま》の合わないところがあるように考えられる。
 そんな事が評議、研究されているうちに、間もなく正午過ぎになると、又々異様なものが、このバンガローの中から次から次に発見されて、係官たちを面喰らわせた。

 その第一は玄関の奥に、台所と隣合って設計されている浴室の立派な事であった。それはマリイ夫人の寝床の下から発見された鍵束でヤット開かれたものであったが、超モダンな分離派式タイル張《ばり》の三坪ばかりの部屋の天井と四壁に、贅沢にも十数個の電球と、合計七個の大小の鏡を取附けた馬鹿馬鹿しいとも形容さるべき構造で、ロスコー夫妻の頽廃的な趣味を露骨に裏書きしたものであった。
 それから第二は寝室(犯行現場)の隣室になっているロスコー氏の書斎の一隅に在る粗末な木製の本箱を、一人の刑事が何気なく取除いてみると、その向側の壁に塗込んである極めて旧式の小型金庫が発見された事であった。その金庫は無論日本製のものであったが、その金庫を発見した刑事が、何かしら胡乱《うろん》臭いと思ったのであろう、持っていたマリイ夫人の鍵束でコジリ廻して、出鱈目《でたらめ》にマリイという三字の片仮名の記号を引っかけてみると偶然の一発当りで開いた。その中の棚には一々薄紙に包んだ沢山の写真と、英文の美事な細字で認《したた》めた原稿様の西洋型罫紙の大部な綴込と、西洋式の刺青の道具を納めた大きな銀の箱とが重なり合っていたが、中にもその夥しい写真というのは全部、世界各国人の各階級を網羅したものらしい刺青の写真ばかりで、驚くべき事にはそれ等の刺青の中に、新聞や雑誌で紹介されている各国の貴顕、名士、スター級の映画女優の顔がチラリチラリと混っているばかりでなく、更に更に驚くべき事にはマリイ夫人その人の刺青、ロスコー氏自身、及、コック兼小使の東作の前身に相違ないと思われる若い西洋人と、日本人の顔と、その首から下に属する刺青とが各一枚|宛《ずつ》、美事な印画紙に焼付けられているのが発見された事であった。
 その中でマリイ夫人の刺青の図柄は前述の通りであるが、ロスコー氏自身のものは精密な西洋古代の海戦の単色彫り。又、東作のは吉原の花魁《おいらん》道中の図で、これは又ロスコー氏の分と正反対に暈《ぼ》かし、色彫り、化粧彫りなぞいう、あらゆる刺青の秘技を発揮した豪華版が、そっくりその通りに水彩顔料で彩色されたものであった。
 こうした数々の発見は、流石《さすが》の事件に慣れた警官たちを少なからず面喰らわせた。
 最初は金品の紛失が一つも発見されないところから、単なる痴情関係から起った事件ではないかという考えが、期せずして一同の頭に浮んでいたらしかったが、こうした途方もない発見が次から次に出て来ると、その単なる西洋婦人殺しの裏面に潜んでいる事情が、何かしら複雑を通り越した、恐ろしく怪奇な、むしろ神秘めいたものではないかという感じが、一同の頭を次第に動揺させ初めたのであった。

 一方には倫陀療養院から召喚された東作爺が、ロスコー家裏手の日本屋自室で、厳重な取調《とりしらべ》を受けたのであったが、その申立《もうしたて》の内容にも、相当に怪奇な分子が含まれていた。
 東作の全身には、ロスコー氏の金庫の中から発見された写真と同様の刺青がたしかに存在していた。それはその撮影と彩色の技術が如何に巧妙な、且《かつ》、優秀なものであるかを事実に証明しているものであったが、本人自身はその背負っている刺青の威勢のヨサにも似合わず、ただもう恐れ入った篤実そのもののような態度で、ビクリビクリと訊問に応ずるのであった。
「私は三十年ばかり前からコック兼、掃除男として御当家ロスコー様に御奉公申上ている者で御座います。お給金は毎月八十円を頂戴しまして、R市で玉突屋を致しております実の娘と、大学生の養子夫婦に毎月六十円ずつ分けてやりまして、残りの二十円を煙草代と酒代にしながら気楽な日を送っておりますような事で、貯金も只今は二千円余り御座いますので、死んだ後の事なぞチットモ心配致しておりませぬ。
 只今のロスコー様の御夫婦仲はまことにお宜しいようで……ことにお二人の中でも奥様のマリイ様は見かけに寄らない気の強いお方で御座います。御主人が御心配なさるのを振切ってコンナ淋しい処に地面をお求めになって、御自分のお好みの通りの家をお建てになって、タッタ一人でお留守番をなさるのですからエライもので、雪の降る日や、雨風の日などは遠い郊外電車の停留場から歩いてお帰りになる御主人様が、却《かえ》ってお気の毒でなりませぬ。そのような話を私から聞きました娘夫婦も驚いて感心しておりますような事で……又、御主人のロスコー様の方は万事にお気の小さい、優しい一方の御方で御座いますが……それよりほかには御二方《おふたかた》の日常の御生活につきましては、詳しく存じも致しませぬし、申上る事も御座いませぬ。
 昨夜はロスコーの若旦那様が私に「今夜はかなり遅くなる見込だから戸締を厳重にして早く寝なさい。表の玄関の合鍵は私が持って行くから裏口の締りだけ頼みます」といったようなお話で、そのままお出かけになりましたので、日が暮れると奥様にお夕飯を差上げましてから直ぐに、この部屋に引取りまして、久振りに手酌でユックリと一杯飲んで寝ました。
 ところが年寄の癖で、夜中に小便に行きたくなりまして眼がさめますと、平生に似合わず頭が割れるように痛んでおりました。しかし白昼のようにいい月で御座いましたから、竹の皮の庭|草履《ぞうり》を穿きまして、裏の松原に出て用を足しますと、夕方の飲残りの酒を持って松原を抜けまして、外海岸の岩山に登って、そこの草原で燗瓶《かんびん》の口から喇叭《ラッパ》を吹きながら、銀のように打ち寄せて来る真夜中の大潮を見ておりまする中《うち》に、迎え酒が利きましたかして、又グッスリと眠ってしまったらしゅう御座います。そのうちに先刻の倫陀病院の代診さんに起されまして、ロスコー様が、海岸にブッ倒れて御座ったのを、タッタ今倫陀病院に担ぎ込んでいる。様子がおかしいから直ぐに介抱に来てくれと云われました時にはビックリ致しました。……いいえ。まったくで御座います。マリイ様がお亡くなりになりました事を聞きましたのは今が初めてで……何とも早や申上げようも御座いませぬ。いつも奥様から励まされ励まされしてヤット会社へお出かけになっておりました位気の弱いロスコー様が、あのようにお取乱しになるのも御尤《ごもっと》もな事で……。
 私は只今、夜露に打たれましたせいか、身体《からだ》中が骨を引抜かれたようにカッタルう御座います。おまけに胸がムカ付いて眼がまわりますようで、口の中に腐った樟脳《しょうのう》のような臭気が致しまして……コンナ気持は生れて初めてで御座います。そんな次第で御座いますから、マリイ様がお亡くなりになりました事に就いては、私は全く何も存じませんので……ヘイ。それよりもロスコーの若旦那様の眼付が、今朝から少し変テコで御座いますので、そればかり心配致しております。お話の通りで御座いますなら、やはり心からマリイ様のお亡くなりになった事を悲しんでおいでになるので御座いましょう。お一人で居ったら、何をなさるか解からない気が致しますが、大丈夫で御座いましょうか。ずっと前に香港《ホンコン》でマリイ様との御婚約が破れそうになった時にも、ロスコー様はやはり、あんなようなヒステリーじみた御容態になられましたもので、私はこう申します中《うち》にも何となく、気になって気になってたまらないので御座います」
 そんな事を繰返し繰返し云いながら東作は白髪《しらが》頭をシッカリと抱え込んで考えている。そのほかロスコー家の過去に就いては何を尋ねても返事をしない。特に刺青に関係した事となると牡蠣《かき》のように口を噤《つぐ》んでしまう。刺青の写真を突付けられても、冷めたい眼でジロリと見たきり、頭を頑強に左右に振るばかりで、一言も洩らさない態度が、極度に野蛮な、反抗的なものに見える。……のみならずその昨夜というのは陰暦二十九日の暗夜で、月なんぞは出なかった筈なのに、白昼のような満月が光っていたというのが頗《すこぶ》る怪訝《あや》しい。なるほど大潮には相違なかったが、測候所に問合わせる迄もない夜通しの曇空で、月どころか、星の影も見えなかった筈だが……と何度念を押しても東作爺は只ビックリした顔で、不思議そうに警官の顔を見まわすばかりである。しまいには頭が痛いせいか、面倒臭そうに眼を閉じて、
「それは旦那方が旧の暦日を御存じないからです。昨夜はたしかに旧の十五日に間違いなかったのです。たしかにマン丸いお月様が出ておりました」
 と落付いて頑張る表情が如何にも真剣で、不思議であった。だから、とにかく現在のところでは東作が一番怪しい。とりあえずマリイ夫人殺しの嫌疑者として拘引してみようではないかという事に係官の意見が一致した。そうしてこの上は程遠からぬ倫陀病院に行って、直接ロスコー氏に就いて前後の事情を訊問して、何等かの手がかりを掴むよりほかに方法はないというので、係官の一行が、やがてロスコー家を引上げて出かけようとしているところへ、今まで倫陀病院でロスコー氏に附添っていた代診の弓削医学士が、白い服を着たまま息|堰《せ》き切って転がり込んで来た。その報告を聞いてみると又、一大事である。
 最前からマリイマリイと連呼して泣きじゃくっていたロスコー氏が突然に静かになった。寝台の上に起直って両腕をシッカリと組んで動かなくなった。僅かな間に見違えるほど物凄く瘠せ衰えた顔に、両眼をジイッと据えて、窓の外の青空を凝視したまま黙りこくっているうちに、その眼の色が次第次第に物凄くなり、真夜中のようにギリリギリリと歯を噛鳴らし初め、突然、精神に異状を呈したらしく、そこいらに在る品物を取っては投げ……取っては投げするので、危なくて近寄れない。そのうちにタッタ今のこと、隙《すき》を窺ったロスコー氏は哀れにもポケットからピストルを取出し、自分の頭の顳※[#「※」は「需+頁」、第3水準1-94-6、82-8]《こめかみ》上部を射撃して自殺してしまった。今すこし早く精神異状者と認めて処置しなかった事を、院長初め非常に恐縮している……という話であった。
 係官の一行は今更のように狼狽した。まだ息を切らしている弓削医学士と一所《いっしょ》に現場に急行してみると、正に報告の通りで、裏庭の外海に面しているロスコー氏の病室内は、額縁や、薬瓶、植木鉢、泥、砂礫、草花、その他の器物や硝子《ガラス》の破片が、足の踏場もなく散乱している中に、脳漿《のうしょう》が飛散り、碧《あお》い両眼を飛出さしたロスコー氏が、鮮血の網を引被《ひっかぶ》ったまま穢《よご》れたピストルをシッカリと握って、寝台の上から真逆様《まっさかさま》に辷《すべ》り落ちている光景は、マリイ夫人の死状にも増して凄惨な、恐怖的なものであった。
 警察の捜査方針はここに於て五里霧中に彷徨する事となった。出ない月を見た東作の陳述だの、事件の全体に因縁深く蔽い被《かぶ》さっているらしい英文の刺青に関する書類や写真だの、その説明の鍵を握っていたであろうロスコー氏の突然発狂の自殺などいう事実なぞを重ね合わせて考えてみると、蒲生検事を初め係官一同のアタマが、いつの間にか実際的な着眼点を見失なって、探偵小説式な架空や想像、推理の渦巻の中にグングン捲込まれて行くのであった。全体に痴情事件らしく見えながら、半分は巧妙な窃盗犯の手口も加味されている。単なる他殺が単なる他殺でなく、単なる自殺が単なる自殺でない……といった風に考えなければ、大変な間違いに陥りそうな気がして来たので、流石に老練の蒲生検事もウッカリ断定が下せなくなった。類犯ばかりを標準にして判断を附けるのが習慣のようになっている刑事連中などは、ただもう面喰ってしまっていた。これは到底吾々の手に合う事件じゃない。毛唐人の気持なんか吾々にわからないんだから……などと逃腰になる者さえ居た。
 以上の報告を司法主任の警部から詳細に亘って聴取したR市警察の山口老署長も、やはり判断に迷ってしまったのであった。
 普通の場合だと検事に対する部下の不平なぞを聴いてやって、シッカリ頼む……とか何とか激励するだけで、差出た意見を附加《つけくわ》えたり何かしないのが、温厚を以て聞こえた山口老署長の本分みたような習慣になっていたのが、今度という今度ばかりは例外になって来た。……というのは丁度その時に県庁の特高課が、ロスコー氏の自殺を重視している事がわかった。確かな理由は不明であるが、ロスコー氏の行動はズット以前から極秘密に特高課の監視を受けていたものらしく、その自殺を聞知した私服の特高課、外事課員が二人、山口署長に極秘密で面会し、事件の真相を聴取したいと申出た。その序《ついで》に……ロスコー氏の奉職している石油会社の本社でもこのS岬事件を相当重視しているらしい。R市支社の重役で日本語の達者なドラン氏が本日、識合《しりあ》いの特高課長の処へ出頭して、ロスコー氏の死因は自殺か、他殺か。本国へ打電する必要があるから極く内々で説明してもらいたい。東京の本社から人事係長(外人)と海軍大尉上りの日本人重役の二名が本日午後の急行で東京を出発したという電報が来たから、その二名が到着しない前に真相が判明していないと自分の責任になる虞《おそれ》があるので是非説明して欲しい。さもなければ当市の裁判所の検事か警察署長に紹介してもらいたい……というので非常に鄭重な態度で哀訴歎願して来た……という事実を外事課員が洩らしたので俄然、事態が二重、三重の意味で緊張して来た。流石に着実温厚を以て聞こえた老署長も、これには少々狼狽させられた。さもなくとも正体の掴みにくい事件の真相を最大限二三日の中《うち》に片付けなければ、日本の警察の威信に関するのみならず、愚図愚図《ぐずぐず》すると面倒な国際問題にまでも引っかかって行きそうな形勢になって来たので、ジッとしておれなくなった。
 ところが幸いに最初からこのS岬事件に関係していた蒲生検事は、署長の同郷で、懇意な間柄だったので、そこに一道の活路が見出された。山口老署長は、やはりその夜の中に極秘密で蒲生検事に面会して色々と懇談を遂げた結果、とにかくその「刺青」なるものに就いて専門家の意見を聞いた上で、何とか方針をきめる事にしたら、どうであろう。いずれにしても、そんな奇怪な書類を中心にして、刺青をした人間ばかりが寄集まっている点が不思議といえば不思議である。しかも「刺青」の話に関する限り東作爺が頑として口を開かないところを見ると、そこに事件の秘密を解く鍵が隠れているのじゃないか……といったような事にアラカタ意見が一致したが、しかしR市のような比較的狭小な都市に刺青の研究家なぞいう者は居そうにない。むろん別にコレという程の心当りもないので、取敢えず、これも署長の小学時代の同窓として懇意なR大学の法医学教授、犬田博士を招いて、意見を聞いてみてはどうであろう……という事になった。

 出張から帰ると間もなく、山口老署長から詳細の話を聞いた法医学教授犬田博士は、老境に及んで激務に従事している旧友の立場に、同情したものであった。
「それは丁度よいところへ来てくれて有難い。僕は今まで法医学研究の立場から、刺青に関する研究をやってみたいと考えているにはいた。刺青というものを各国別と、各職業別の双方の観点から研究して整理する事は非常に困難な、同時に貴重な仕事で、現に僕も独逸《ドイツ》人と仏蘭西《フランス》人の著書を一冊|宛《ずつ》持っているにはいるが、しかし君の話を聞いてみるとそのロスコー氏の研究こそは僕の理想に近いものではないかと考えられる。とにかくそのような熱心な刺青の研究家が、この附近に居る事は全く知らなかったのだから、是非とも同行してそのロスコー氏の遺物である刺青の研究書類を見せてもらいたいものだ」
 というので即日、R警察署に出頭し、蒲生検事、市川予審判事、山口署長、特高課員、司法主任立会いの上で、R署に保管して在ったS岬事件の被害者マリイ夫人と、自殺者ロスコー氏の屍体に残っている刺青のブロマイド写真を見せてもらって、極めて念入りな比較研究を遂げた。次いで例のロスコー家の日本製の金庫の中から出て来た書類や、写真のそこ、ここを拡大鏡で精細に覗きまわり、最後に刺青の道具を容れた銀の箱を開き、片隅に詰めてある、小さなアルコールとコカインの中味を嗅ぎ比べ、または舐《な》め、India Rubber と彫った小型の銀筥《ぎんばこ》の中の青墨をコカインに溶いて手の甲に塗ってみるなぞ、相当時間をかけた熱心な調査の後に、胡麻塩《ごましお》頭をモジャモジャと掻きまわし、山羊鬚《やぎひげ》を撫で揃え、瘠せこけた身体《からだ》に引っかけた羊羹《ようかん》色のフロックコートの襟をコスリ直した犬田博士は顔を真赤にして謙遜した。
「この程度の説明なら、私にも出来ますが……」
 とニコニコ顔で近眼鏡を拭き拭き一同に向って咳払いをした。
「これはドウモ貴重な文献ですな。この書類は皆ロスコー氏の父君、M・A・ロスコー氏と、今度自殺されたというJ・P・ロスコー氏の合同の研究に係るもので、刺青の技術を主眼とした各国別と、各職業別になっておりまして、恐らくこの原稿が出版されましたならば世界有数の権威ある刺青の研究書になるであろうと信じます。
 冒頭の序文に拠りますと、全体の約三分の二が父、M・A・ロスコー氏の蒐集写真と、その記述に係っており、後尾、約三分の一は子息、J・P・ロスコー氏の仕事という事になっております。各項の末尾に、それぞれ調査日附とロスコー父子もしくは特志な寄稿家の署名が添えてあります。
 尚序文に拠りますと父、M・A・ロスコー氏は×国の化学者サア・ロスコー氏の近親で、有名な大政治家G卿と、その政敵のS卿の両氏から同時に信用されていた外交官だったそうです。そのM・A・ロスコー氏の足跡は西班牙《スペイン》、土耳古《トルコ》、智利《チリ》、日本、等々々の一二等書記官どころを転々し、最後に支那、香港《ホンコン》の領事として着任しているようですが、その間に自分の趣味として手の及ぶ限り刺青に関する写真や、文献を蒐集したもので、しかも自身に各地の刺青の技術者に就いて実地の研究を遂げ、結局、支那と日本の技術が世界的に、最優秀である旨を、一々的確な例証を挙げて記述しているのですから驚くべく真剣な研究と考えなければなりません。
 ――一番最初に掲げて在る一枚は一八八六年に撮《と》ったルーマニアの皇族フロリアニ伯爵とありますが、それから後に着手された調査が、今日まで約四十年の長日月に亘っておりまして、途中一九一九年に到って子息のJ・P・ロスコー氏が父の死により研究を引受けた旨が記載してあります。
 ――問題の東作の刺青の写真は相当古いようです。日附は一九〇四年の四月になっておりますし、刺青の手法は全然日本式で、しかも徳川時代の遺法を墨守していた維新後二十年以内の図柄ですから、東作は兎《と》にも角《かく》にも先代のロスコー氏を、よく知っている筈と思われます。
 ――また息子のJ・P・ロスコー氏の屍体に残っている刺青は、左の二の腕に彫ってある分を除き、背部の全面がサラミス海戦の図になっておりまして、その古代船艦や、波濤や、空を飛ぶ神々の姿まで、非常に細かい線描になっているようですが、それがドコまでもムラのない黒の一色でボカシも何もない。その細い線の断続の工合から見ても明らかにコカインの使用法を知らない、外国でも旧式の手法に属するもので、事によると父、M・A・ロスコー氏が練習のために自身で施術してやったものではないかという想像が可能のようです。
 ――それからその次に非常に面白い事があります。それは外でもありません。自殺したJ・P・ロスコー氏の左の二の腕に在る刺青と、マリイ夫人の全身のソレとは全然手法が一致している事です。もっとも図柄は全然違います。ロスコー氏の左腕のは、錨と、海蛇を組合わせた海員仲間にありふれた種類のものです。これに反してマリイ夫人のは優しい花や星なぞですが、いずれも局部を麻痺させるためにコカインを使用したものらしくロスコー氏の背部のソレよりもかなり濃厚、明確な線を用い、図形が近代画の手法で歪《ゆが》められておりまして、雲や星なぞ、後期印象派の匂いの高い曲線や不整直線を用いている点が共通しているところを見ますと、夫人の肉体に対する若いロスコー氏の変態恋愛、もしくはマリイ夫人のロスコー氏に対するマゾヒスムス傾向の両者が生み出した要求のあらわれではないか。その結果こうした若い西洋婦人としては稀有の施術が行われたものではないかという事実が推定されるように思います。要するにロスコー氏の左腕の刺青はマリイ夫人に施術する前に、ロスコー氏が試験的に、最近式のコカイン墨の使用法を研究してみた者ではなかったでしょうか。
 尚、以上の事実を確かめるために、目下拘留中の東作老人に一度、面会させて頂く訳に行かないでしょうか。私が特別に自身で質問してみたい事がありますから」
 蒲生検事、市川判事、山口署長以下、皆、こうした犬田博士の説明を聞いているうちに一旦、事件の表面を被《おお》うている不可思議な悪夢から呼醒まされて、更に又、今一度、一層恐ろしい悪夢の中に突落されたような気がしたという。そうして皆、今まで全く世に知られていなかった犬田博士の頭脳の偉大さを初めて知って、驚愕し且つ尊敬し初めたもので、この事件に限って犬田博士をモウすこし自由に活躍させてみたくなったという。

 署長室に引っぱり出された東作爺は、もうかなりの高齢らしかった。しかし若い時分に相当の苦労をしたらしく、石油会社の印袢纏《しるしばんてん》と股引《ももひき》に包まれた骨格はまだガッシリとしていて、全体に筋肉質ではあるが、栄養も普通人より良好らしく見えた。手錠をかけられたまま観念の眼を閉じて、犬田博士と正対した椅子に腰をかけさせられると、気力の慥《たし》かなスゴイ瞳をあげて、博士の顔をジロリと見ると又ヒッソリと瞼を閉じた。その豊富な角苅《かくがり》の銀髪とブラシのように生やしたゴリラ式の狭い前額《まえびたい》と太い房々とした長生眉《ながいきまゆ》と、大きく一文字に閉じた唇を見ると、成る程これならば嫌疑の掛かるのも無理はないと考えられそうな野性的な、頑固一徹の性格をあらわしていた。
 しかし犬田博士は平気であった。その東作爺のモノスゴイ視線を、博士一流の柔和な、親切そうな微笑でニッコリと受流しながら朝日を一本吸付けて一文字の口に啣《くわ》えさしてやった。それから自分も一本火を点《つ》けて啣えながら、今一度ニッコリとして椅子を進めた。
「爺さん。御苦労だったね。お前に罪の無い事は僕が知っているよ。だから今となっては何もかも洗い泄《ざら》い話した方がよくはないか。その方が娘さん夫婦のためになると思うがどうだね。ロスコー家の秘密を何もかも話してくれないかね。ロスコーさんは、あれから直ぐに自殺してしまったんだからね」
 博士の言葉が終らないうちに東作老人が、口に啣えてスパスパ美味《うま》そうに吸っていた煙草をポロリと膝の間へ落した。ロスコー氏の自殺を知って、よほど驚いたらしく、顔色を見る見る青くして、顔面筋肉をビクビクと痙攣さした。シッカリ閉じた両眼から涙をハラハラと流してうなだれると、前よりも一層固く口を閉じてしまった。その態度を見ると犬田博士は、なおも一膝すすめた。
「なあ東作爺さん。ロスコー家は先代のお父さんからして非道《ひど》い刺青キチガイであったが、今の若いロスコー君も、先代に一層輪をかけた刺青キチガイだったのだろう。それがいつの間にか奥さんのマリイさんに伝染してしまったが、お前は一切そんな事をロスコー夫婦に口止めされていたんだろう。お前はちょうど日露戦争頃に先代のロスコーさんと識合《しりあ》いになって、それ以来ずっと、ロスコー家に奉職していたんじゃないか。その先代にも、お前はやはり刺青の事を口止めされていたので、お前はロスコー家に居る限り、娘夫婦の幸福のために、ロスコー家の秘密を喋舌《しゃべ》らない事にきめていたんじゃないか。まだまだ詳しい事がスッカリ調べが附いているんだから、隠したって無駄だよ。……お爺さん……」
 東作老人はここまで云って来た博士の言葉のうちに太い溜息を一つした。司法主任から啣え直さしてもらった朝日を吸い吸い嗄《しわが》れた、響の強い声でギスギスと話しだした。マン丸く開いた正直者一流の露骨な視線を、犬田博士の真正面に据えながら……。
「ヘエイ。かしこまりました。ロスコーの若旦那がお亡くなりになりましたのは、やっぱりまったくなんで……ヘエ……それなら致方《いたしかた》ござりません。何もかも白状致します。ヘエイ……。
 私はこう見えても江戸ッ児で御座りまして、本籍は神田の――町――番地という事になっております。あの辺で名高い八百久《やおきゅう》の料理番の子に生れまして、そのまんま若い時分から親の真似ごとをして八百久の大将に可愛がられておりましたもので……ヘイ。ところがでございます。人間てえものは腕がすこし出来て参りますと……どうも……そのヘヘヘ、ちっとばかり慢心致しまして、世話講釈の文句通りに飲む、打つ、買うの三道楽で、日本に居られなくなりましたので、一つ上海《シャンハイ》へ渡って、チャンチャンと毛唐の料理を習って一旗上げてやろうてんで、日清戦争のチョット前ぐらいで御座いましたか。上海《シャンハイ》へ渡るつもりで船へ乗りましたのが、間違って香港《ホンコン》へ着いてしまいましたので……ヘエ。私が船を間違えたのか、船が私を間違えたのか、そこんところがハッキリ致しませぬが、とにかく香港《ホンコン》へ下《おろ》されちまいましたので弱りました。
 ところが世の中てえものは妙なもので、何が仕合わせになるものかわかりません。その支那へ出立しがけに、先へ着いてからチャンコロと間違えられねえ用心にと思いまして、横浜の彫辰《ほりたつ》ってえ職人に頼んで、御覧の通り見っともねえ傷を身体《からだ》中に附けてもらっておりましたが、そいつが香港で物を言いまして、いい加減な悪党と見られたもので御座いましょう。ちょっとした料理屋の下まわりに落付きましたような事で……ヘエ……。
 ところが又、持って生れた因果とでも申しましょうか。チャン料理とバタ料理が手に附いて来てイクラか名前が知れるようになりますと、又もや前に申しましたような三道楽の虫がムクムクと動き初めましたもので……殊にアチラの道楽と申しますと御承知の通り日本のとは違ってアクの利き方が段違いなんで……とてもアクドイ無茶苦茶なものですから一たまりもありませぬ。間もなくモノスゴイ地獄みてえなインチキ賭博に引っかかってスッテンテンにされてしまいましたので、口惜し紛れにその賭場のテーブルの上に引っくり返ってくれました。そのインチキのネタを滅茶滅茶にバラしてくれましたが、何しろ多勢に無勢ですから敵《かな》いません。十何人の毛唐や、支那人を相手に大喧嘩を致しました揚句、半殺しにノサレたまんま、その賭場の地下室に投《ほう》り込まれてしまいました。
 ところが又、これこそ天の助けというもので御座いましょうか。変ったお方が在ればあるもので、兼ねてから刺青の研究のために姿を変えて、その賭場へ出入りして御座った香港領事のロスコーの大旦那が、大金を出して私の生命《いのち》を買って下すって、お宅の料理番にして下すったもので……ヘエ。これが御縁というもので御座いましょうか。私もソレッキリ観念致しまして、一生涯このロスコーの大旦那様に御奉公をさして頂く覚悟をきめたもので御座います。もっともロスコーの大旦那は、横浜のホリ辰の仕事ぶりについて私に色々とお尋ねになったアトで、私の刺青の写真を撮っておしまいになると、お前にはもう用はない。出て行ってもいいってんで、日本へ帰る旅費まで下すったんだが、しかし、どうも一旦、思い込んだら動きの取れないのが私の性分で……私には今一つにはその頃五つか六つぐらいでしたろうか、そのお嬢さんのマリイさんて仰言《おっしゃ》るのがスッカリ私に狃染《なじ》んでしまってトオトオトオトオってお離しにならないんで、どんなに泣いておいでになっても私が背中の黥《いれずみ》を出してお眼にかけると直ぐにお泣き止みになる位なんで、ツイずるずるベッタリになりましたようなわけで……ヘイ。
 自殺をなすった若旦那のロスコー様は御養子でげす。その頃、領事館のセクリタリとかいうものを遣っておいでになったゼームスさんてえ方で、C大学を出なすった学生さんだそうで、絵がお好きなところから、先代のロスコーさんに可愛がられなすって、刺青の写真の色附けを手伝っていなさるうちに、だんだんと刺青が面白くなって来たとかいうお話で御座いましたが、このゼームスさんに、お嬢さんのマリイさんがベタ惚れなんで、とうとうロスコーの大旦那が顔負けしちゃって、お二人の関係を御承知なすって、退《の》っ引《ぴ》きならない先口をみんな断っておしまいになったというお話で御座いましたが……ところが旦那方の前でげすが、西洋人の惚れ方ってえものはヨッポド変梃《へんてこ》でネ。可笑《おか》しゅうがすよ。惚れ合えば惚れ合って来る程キチガイじみて来るようで、お父さんがお亡くなりになってから若い御夫婦でコチラへお引越しになると、二《ふた》アリがかりで色んな道具や材料を仕込んで来て、S岬のお屋敷にアンナ湯殿を作り上げて、何をなさるのかと思うと、(中略)おかしくって見ちゃいられませんでしたが、これも先代様への御恩返しのため、又一つには娘夫婦のためと思って、我慢して御奉公を致しておりましたような事で……ヘイ。
 娘と申しますのは只今R市で玉突屋をやっております。今年二十五の香港生れで、親の口から申しますのも何で御座いますが、死んだ母親に似たシッカリ者で御座います。亭主と申しますのは娘より一つ年下で、今にS・L病院の医者になると申しましてR大学の四年生で勉強致しております。その養子の話によりますと、御存じか知りませんが、このS岬のマリイさんと申しますのは、愛蘭《アイルランド》人のお袋さんの血を受けているので御座いましょう。このR市中の学生さん仲間では大評判の別嬪《べっぴん》なんだそうで、大学生は申すまでもなく、生意気な中学生までが日曜になると、よく学校のボートを漕出して、このS岬へ着けてゾロゾロ見に参りましたもので御座いましたが、そのたんびに追払うのは私の役目で、中学生なんぞは丸で野良猫みたいにウルサイ奴等ばっかりで御座いました。どうかするとロスコーの若旦那と奥さんが差向いで御飯を喰べている窓|硝子《ガラス》を、カーテンの外からガタガタゆすぶる奴なんかが居りましたが、そんな時に腹を立てて真先に飛出すのは、若旦那でも私でも御座いません。いつもマリイ夫人なんで、それあトテモ気の強い方で御座いました。どうかするとキチガイみたいになってピストルを持出して、女だてらに海岸を逃げて行く学生に向ってブッ放した事もありましたが、その奥さんのピストルが又なかなかの名人らしゅう御座いましたよ。香港《ホンコン》でよく射撃の会か何かに出かけなすって、大きな銀のカップを取って御座った事なんかある位でしたから相当お得意だったので御座いましょう。逃げて行く学生の足元を射って、砂を学生の頭から引っかけたり、浪打際に揺られているボートの梶《かじ》の金具を射ち離したりなさるのには驚きました。学生たちもソンナ事で肝を潰したと見えてダンダン冷やかしに来なくなりましたが、そんな事のあるたんびに、ロスコーの若旦那は真蒼《まっさお》になって食卓にヘバリ付いてガタガタ震えて御座ったもので、丸で話がアベコベで御座いました。嘘言《うそごと》のようで御座いますがマッタクなんで……ヘイ。そんな調子で御座いますからロスコーの若旦那が自殺さっしゃったのは、タヨリにして御座った奥さんがなくなられたのを心から力落しなすったせいだろうと思いますが、飛んだ事になりまして……何もかも私がウッカリ致しておりましたために、取返しの附かぬ事になってしまいまして、先代のロスコー様に合わせる顔も御座いません。
 ただ一つ不思議なのはあの晩が月夜だった事で御座います。あの時には旦那方から『月が出ている筈はない』とヒドクお叱りを受けましたが、それから後、この留置所へブチ込まれまして、窓の眼隠し越しの三日月様を見て、指を折ってみますと、たしかにあの晩は闇夜だった筈なんで……ところが又、あの晩に私があの松原の中で、松の葉越しにマン円《まる》いギラギラ光るお月様を見ました事も間違い御座いませんので、それが夢でない証拠には、私のような老人が、あの真暗闇の松原の中を何にも引っかからずに通り抜けて、あの危なっかしい岩山の絶頂に登って寝ていたので御座いますからね。飲みさしの燗瓶もそこにちゃんと立っていたのですから月あかりを便りにした事は間違いないと思いますので……こればっかりは不思議で不思議で仕様がないので御座います。
 いいえ。どう致しまして。この年になるまで寝呆《ねぼ》けた事なんか只の一度も御座んせん。寝言一つ他に聞かれた事が無《ね》えんで……不思議といったってコンナ不思議な事は御座んせん。それに翌る日のくたびれようと、頭の痛み加減が又いつもと変っておりましたようで、口の中の変テコな臭いと味わいが丸で大病をしたアトのようで、ここへ這入ってからも飯が咽喉《のど》へ通らない位で御座いました。ヘイ。二日酔の気持とは丸で別なんで……ヘイ。勿体ない大恩人のお子さん御夫婦を殺すなんて大それた事を何で致しましょう。ロスコーさんの御夫婦には相当の財産が在ったには違い御座んせぬが、それがどこにどうして在るのやら私とは関係も御座んせぬし、知りも致しませぬ。
 私は今年七十一になりますが、そんな事をして娘や養子の一生涯に泥を塗るのが、どんなに馬鹿馬鹿しい、算盤《そろばん》に合わない話かわからないほど耄碌《もうろく》いたしてはおりませぬつもりなんで……ヘイ。どうぞ真平《まっぴら》、御勘弁を……」
 物語を終った東作爺が、煙草をモウ一本吸わしてもらって、熱いお茶を一杯御馳走になってから署長室を出て行くと、署長は心持赤面しいしい事件全体についての意見を、犬田博士に問うてみた。それにつれて列席していた判検事、特高課員、司法主任の連中も犬田博士の意見に対して敬意を払い初めたらしく眼を輝やかして固唾《かたず》を呑んだ。
 しかし犬田博士はこの時に、まだ多くを云わなかった。
「これは案外平凡な事件かも知れませんな。……とにかく御差支のない限り、御都合のいい日に、今一度現場を見せて頂けますまいか。今|些《すこ》したしかめて見たい事もありますし、何か御参考になる事が見付かるかも知れませんから……」
「そうすると何か犯人に就ての御心当りでも……」
 と横合いから司法主任が口を出した。熱心な司法主任は、犬田博士と東作の問答を傍観しているうちに、この事件に対する気分がスッカリ転換して、全然別の新しい観点から頭を働かせ初めたらしい。鋭い生々した瞳を輝かしていた。
 しかし犬田博士は結論を急がなかった。思索を整理するかのように眼を閉じて頭を振った。
「いや。まだ判然《はっきり》しませぬ。ただこれは今の東作老人の初対面の印象を、医学上から来た一つの仮想を根拠として申上る事ですから、無条件でお取上になっては困るのですが、今の老人はドウモこの事件に関係はないようです」
「その仮想の根拠と仰言るのは……」
 と司法主任が、すこし鋭く突込んだ。けれども犬田博士は依然として落着いていた。キチンと椅子に腰をかけたまま軽い、謎のような微笑を浮かべただけであった。
「東作が晦日《みそか》の夜に見た満月です」

 その翌日は二百十日前の曇天で、外海も内海も一続きのトロ凪《な》ぎであった。
 犬田博士、蒲生検事、市川判事、山口署長、司法主任、私服特高課員二名のほかに、逸早くこの事件を嗅付けて来た新聞記者一名を乗せた自動艇《モーターボート》が、R市の埠頭を離れて、なだらかな内海の上をグングンとS岬へ接近して行った。因《ちなみ》に前記の特高課員二名はこの事件に新聞記者を立入らせるのを非常に嫌っていたが、その記者を信用している犬田博士と山口老署長が新聞に一行も書かせない事を保証して、辛うじて同乗を承知させたものであった。一つにはその記者の感情を害すると、どこかで手酷《てきび》しい報復をされる事を、一同が恐れているせいでもあったろう。
 S岬に到着する迄に犬田博士は、S岬の地理と、ロスコー家の間取を、参謀本部の五万分の一の地図と、司法主任の見取図を参考にしながら、出来るだけ詳細に亘って聴取った。
 犬田博士は運転手に頼んで自動艇《モーターボート》をS岬の突端に在る、問題の岩山の根方に着けてもらって、一行をそこから上陸してもらった。それから自身は東作が浪を見ながら酒を飲んだという岩山の上の草原に立って、殆んど暗夜と変らない位に濃い、分厚い黒|硝子《ガラス》を張った飛行眼鏡をかけた。四方を注意深く見廻すと、自分一人で危なっかしい岩角を辿って水際まで降りて行った。それから腰を高くしたり低くしたりして、足場を探り探り岩山の周囲を探検するうちにヤット満足したらしく眼鏡を外して一行を手招きした。それから今一度、黒眼鏡をかけて、ゴロゴロ石ばかりの松原の中をスタスタと、ロスコー家の裏手に在る東作の居室まで来ると、扉の内側を念入りに調べていたが、又も満足したらしく軽いタメ息をして汗を拭いた。
「戸締りをした形跡がない。引っかけの輪金《わがね》がボロボロに銹《さ》びている。東作は毎晩、戸締りをしないで寝ていたものですね」
 司法主任がうなずいた。一同が犬田博士を取巻いた。
「この家からあの岩の岬まで真暗闇の中を歩いて来るのは決して困難じゃありませぬ。松の間のゴロ石の上を比較的広い隙間がズウット向うまで行抜けております。この黒眼鏡をかけて御覧なさい。これは僕が眼鏡屋に命じて作らせた新発明品で、夜中に起った事件を昼間調べる場合に応用しますと、かなり微妙な働きをするのです。ハハハ。イヤ。特許を受ける程の物でもありませぬが御覧なさい。肉眼ではちょっと見えませぬが、これを掛けるとわかります。あの岩山からこっちのゴロ石へかけて、心持ち白く光っている道筋が見えましょう。これは人間の通ったアトの僅かの磨滅の重なり合いがそう見えるので、平生誰も行かないこっちの便所の裏の松原には、そんなものが見えないでしょう。この磨滅は岩山の向うの岩だらけの波打際まで続いているので、こうした微妙な天光の反射作用は、昼間は却《かえっ》てわからない。闇黒が深ければ深いほどハッキリして来るものです。つまり東作老人はもとよりの事、ロスコー家の人々は昼間、夜間を問わず、何度となくあの岩山に登って、向うの波打際まで降りて行った事があるので、眼を閉《つ》むっても本能的なカンで通抜けられる位、慣れ切った道になっているのでしょう。東作老人は、それを忘れているものですから、真の闇夜にこの松原を抜けて、あの岩山に登るのは不可能だと信じ切ってアンナ事を云うのです。
 こうした点を、よく注意して考えてみますと東作老人は、その事件当夜に麻酔をかけられていた者ではないかという疑いが可能になって来るようです。脳髄の機能をここで説明すると時間を取りますが、東作は相当の酒飲みなので、十分……十二分の麻酔をかけたつもりでも、半分ぐらいしか掛かっていない事が医学上あり得るのです。半醒半睡の時には、よく東作のようなハッキリした月や太陽を見たり、半自覚的な夢中|遊行《ゆうこう》を起したりする事があるのです。東作自身の翌朝の身神の疲労、倦怠、頭痛、口中や鼻腔の異臭、不快味なぞは皆、こうした推理を裏書きにしている事になりますので、結局するところ、東作の夢中遊行……晦日《みそか》の闇夜に見たという満月や、銀色の大汐浪なぞいうものが、東作自身の現場不在証明になって来ると同時に、犯人の手口に関する有力な手がかりを証明していると思います。
 ですから犯人は多分ロスコー氏の留守を狙っていたものでしょう。この部屋に酔って寝ている東作を麻酔させておいて、軒下の漆喰《しっくい》伝いに足袋でも穿いて玄関へまわれば、足音も聞えず、足跡も残りませぬ。万一|過《あやま》ってマリイ夫人に騒がれるような事があってもタカが女一人……という犯人の心算ではなかったでしょうか。もっともこれはまだ、僕の臆測の範囲を出ていない話ですが……」
 犬田博士の話の切目を待兼ねていた司法主任が、多少の興奮気味に佩剣《はいけん》の※[#「※」は「木+霸」、第3水準1-86-28、100-7]《つか》を引寄せた。
「……そうすると……先生のその臆測では……その犯人は麻酔剤を使用し、万能鍵を持っている奴ですから……相当の奴ですね」
 犬田博士は軽く手を振って笑った。
「ハハハ。イヤ。まだ部屋の中を見ないのですから結論を附けるには早過ぎます。目下のところ、確定しているのは東作が犯人でないことと、犯人らしい奴が麻酔薬の使用に狃《な》れている事と、この二つだけです。しかしソンナ犯人が、この方面へ立廻わった形跡があるのですか」
 司法主任はちょっと返事を躊躇して署長の顔を見た。署長は鷹揚にうなずいた。
「フウム。彼奴《きゃつ》とするとチット立廻わり方が早過ぎるようじゃがなあ。この家の周囲や、出入りの模様を研究するだけでも一週間ぐらいかかる筈だが……彼奴《きゃつ》だとすると……」
「ちょっと待って下さい」
 犬田博士は透かさず手を揚げて制した。
「もうすこし犯人に関する証跡が上るまで待って下さい。最後まで研究してみて、その犯人にピッタリ来るかどうかが問題なのですから……指紋は一つも無いでしょう……どこにも……」
 署長が無言のまま眼を丸くして犬田博士の顔を見た。同時に司法主任がハッと強直した。そうして二人とも小供のように犬田博士の顔を凝視したまま点頭《うなず》いた。それは犯人が決定しかけている直前の緊張した、感激に満ち満ちた瞬間であった。
 アトから聞いたところによると、この事件の終始を通じてこの時ぐらい署長と司法主任が度肝を抜かれた事はなかったという。もちろん犬田博士は、まだこの家の内部を一度も調べた事はなかったが、一番最初に署長の話を聞いた時から指紋が一つも残っていない事をアラカタ察していたので何気なくこう云ったものであったが、この時に署長と司法主任の警部の想像に浮かんでいた犯人の特徴の一つとして、手配されて来た書類の中に「如何なる場合にも指紋を残さず」という一項が特筆されていたので、その点不意討式にズバリと云い当た犬田博士の言葉に、二人とも殆んど神に近い敬意を感じたという。

 続いて犬田博士は数人の専門家が鋭い眼を光らしている前で、犯人の侵入路と確認されている玄関の扉を調べたが、何も新しく得るところがなかったので、直ぐ横の寝室の扉の前まで来た。
「この扉には万能鍵を用いた形跡はありませんね」
 予審判事と主任警部が同時にうなずいた。犬田博士もうなずいて微笑した。
「マリイ夫人はロスコー氏が持って出て行った玄関の鍵一つで安心して、この扉には鍵を掛けずに眠っていた訳ですね。マリイ夫人は、そうした点まで気が強かった……極端にいうと女らしくない程度にまで大胆不敵な男|優《まさ》りであったとも考えられるようですが……どんなものでしょうか」
 今度は予審判事と特高課の二人が同時にうなずいた。予審判事は静かに云った。
「夫人の寝台の下に在った鍵束には、この扉に合う鍵が二つ在りました。しかしロスコー氏の遺骸のポケットから発見された鍵束には、この扉の鍵が無かったのです」
 そうした説明を聞いているうちに犬田博士は、その寝室の扉をピッタリと閉めて、鍵穴から内部を覗いてみた。そうして自分の跪いた膝小僧の正面に当る扉の青ペンキ塗の表面に見当をつけて、指紋検出用のアルミニューム粉末をしきりに撒《ふ》りかけていたが、やがて犬田博士の膝よりももすこし下部に当る処から不等辺三角形に重なり合った、荒い皮膚の褶紋を発見すると、流石に嬉しかったと見えて、真赤に上気した額の汗を拭き拭き一同に指示した。
「この犯人は、やはり日本人ですね。日本人でない限り膝小僧を露出する犯人は居ない筈ですからね。しかしかなり背の低い奴と見えて、しゃがんでこの鍵穴を覗く拍子に、過《あやま》ってコンナ処に膝小僧を押付けたのです。多分本人は無意識の中に忘れてしまっているだろうと思いますが……」
 署長も太いため息をしいしい安心したように汗を拭いた。蒲生検事をかえりみて云った。
「これだからR市にも鑑識課を一つ置いてくれと僕がイツモ云っているんだよ」
 一同がソレゾレに同感らしく首肯《うなず》いた。
 そのうちに犬田博士は寝室に這入った。屍体を除いた以外の情況は、その当時のままになっている寝台の上下左右を詳細に調べた後に、検事をかえりみて云った。
「その当時に使用した電燈のコードは、この寝台の下に転がっている豆スタンドのものでしたかね」
 横合いから司法主任が引取って答えた。
「そうです。ここに持って来ております」
 と云う中《うち》に自身に提《さ》げて来た中位の箱鞄の中から新聞包みのコードを取出した。
「そのコードの犯人が手で握った処の折れ曲りなぞもその時の通りですか」
「そうです。その点を特に注意して保存しておきましたが……」
 犬田博士の顔に云い知れぬ満足の色が浮んだ。
「それはどうも結構でした。一寸《ちょっと》拝見……」
 と云う中に犬田博士は鄭重な手附でコードを受取ったが直ぐ司法主任を振返った。
「これは一巻き巻かっていたのですか」
「イヤ二巻《ふたまき》です。御覧の通りマリイ夫人が吐出《はきだ》した血が三個所に附着しております。その血痕のピッタリ重なり合う処が、マリイ夫人の首の太さになっておりますわけで……」
「いかにも……成る程。してみると犯人はマリイ夫人が眠っている間にソッと二巻き捲いておいて、突然、絞殺に掛った訳ですね」
「そうです……ですから計画的な殺人と認めているのですが……」
 犬田博士は調査を終った寝台の端に片足をかけて、足首の上の細い処へ、そのコードを二巻、捲付けた。犯人の力で折曲った処を、その通り掴んだままギューギューと絞めてみた。そうしてコードにコビリ付いている血痕の三個所の中心が、完全に重なり合う処まで来ると、緊張した表情のまま検事をかえりみた。
「……この犯人は、やはり小男ですね。このコードの折曲りを起点とした力の入れ工合を見ると、肩幅が普通人よりも狭いようです。東作老人もロスコー氏も肩幅が並外れて広いのですからね。ほかの西洋人は勿論のこと、日本人でもコンナに狭いのは先ず珍らしいでしょう」
「どうして麻酔剤を使わなかったでしょうか」
 と蒲生検事が質問した。犬田博士は苦笑しいしい顔を掻いた。
「さあ。その点は私にもわかりませんがね。恐らくこの事件の中では一番デリケートなところでしょう」
 それから犬田博士は寝台の上にかけて在った羽根布団をめくってシーツの表面に残る隈なく拡大鏡を当てがってみた後に、署長と、検事、判事、司法主任を招き寄せた。ズボンのポケットから洋服屋が使うチャコを抓《つま》み出して、四人の眼の前のシーツの上に大きな曲線を描き初めた。
「御覧なさい。ここがマリイ夫人の頸部に当る処です。口から腮《あご》へ伝わった血液がここに泌み付いております。それからこの黄色の斑紋は死後に放尿した処で、この二個所を基点として、死体の最後の位置を描いてみますと、コンナ形状位置になりましょう。つまり西洋婦人としては幾分小型ですが、日本の普通の男子よりもすこし大きい位の体格です……ね。
 そうだったでしょう。
 ところでこのマリイ夫人の臀部の向って右側のここに極めて淡い黄色の斑点があらわれております。これは事件直後には誰にも気附かれていなかったものが、この数日の中《うち》に空気に触れて変色、現象されたもので、マリイ夫人の或種の体液が、格闘の最中にどうかして犯人の露出した右の膝頭に触れたものが、この個所に力強く押付られていたのを、犯人も気付かずにいたものと考えられます。それからこっちの裾の方に在る二つの薄黒い斑紋は形状から見て、犯人の足袋の爪先に附着していたホコリの痕跡と思われますが、これも相当に力強くプレスされたために辛うじて残っているので、肉眼では殆んど見えませぬ。この右の膝頭と、爪先の寸法から目測してみますと、犯人が五尺あるかなしの小男である事がわかります。いずれ帰ってから本式に計算した書類を差出しますが……」
 と説明しながら犬田博士はポケットから小さな巻尺を取出して、薄黄色と、薄黒の二つの斑紋間の距離を測定して手牒に記入した。
 山口老署長は喜びに堪えないかのように額を輝やかしながら傍の司法主任の警部をかえりみた。
「ヤッパリ彼奴《きゃつ》だね」
「そうです。間違いありません」
 と警部も満足らしくうなずいた。
「指紋を一つも残しておりませぬので万一、彼奴《きゃつ》じゃないかとも思っておりましたが……」
「ウムウム。しかし彼奴《きゃつ》はコンナ無茶な事を決してせぬ奴じゃったが……それに物を一つも盗っておらんところが怪訝《あや》しいでナ」
「そうです。そのお蔭で捜査方針が全く立たなかったのです。イヤ、助かりましたよ」
「君等の方で東作老人を拘留してくれたんで、これだけの緒《いとぐち》が解けて来た訳だね。東作が大|晦日《みそか》の満月を見てくれないと、一番有力な手がかりになっている麻酔の一件が、まだ掴めないでいる訳だからね。ハハハ。イヤ。お手柄だったよ」
 と蒲生検事が慰めた。真赤になった山口老署長が帽子を脱いで汗を拭いた。
「この膝小僧の褶紋を本人のと合せて御覧になったらイヨイヨのところがわかりましょう。指紋と同じ価値があるのですから」
 司法主任の警部は検事、判事、署長と何事かヒソヒソと打合わせている中《うち》に、大急ぎでロスコー家を出て行った。それは時を移さず手配をするために、倫陀病院の電話を借りに行ったものであった。
 しかし犬田博士の活躍はまだ終りを告げなかった。
 それから犬田博士は二人の特高課員と協力してロスコー家の内外を隈なく捜索した。その結果、浴室の天井裏のタイルの裡面から重要な機密書類を、夥しく発見したそうであるが、その内容は窺い知る由もない。ただその後の調査によって、その時までロスコー家に掛けられていた国際スパイの嫌疑に関する主犯者は他ならぬマリイ夫人に相違ない事が確認されたという。すなわちマリイ夫人はその美貌と、刺青とを利用する親譲りの国際スパイであった。その背部に施してある刺青の中で、普通よりも引歪《ひきゆが》められている部分を、直線で連絡してみると一つの旧式要塞の図になっていて、星は望楼、花は砲台、雲は森林として配置されている事が判明した。同時に夫のロスコー氏はその従犯で、夫人の命令のまにまに与えられた地形図を図案化して刺青する技術師に過ぎなかった。又、雇男の東作は、そんな事を全然知らなかったらしく、ロスコー夫婦の常識を超越した変態恋愛遊戯に閉口させられながらも、先代以来の恩を思って一途に忠義立てをしていた者であった事がその後、数次の取調《とりしらべ》によってヤット了解された事を附記し得るのみである。そうしてそのような事実が、この事件の本質的な興味とは全然、無関係なものであった事も、冒頭に述べた通りである。
 尚、犬田博士はこの時に、自分の研究の参考資料として、ロスコー家の刺青研究に関する書類を、事件に直接関係のない部分だけ貰い受けたいと申出たが、それは犯人の就縛後、一年半以上経過してから許可された。そうして惜しい事に、この間のR大学、法医学部の怪火事件の時に焼失してしまった事を併せて附記しておく。

 犯人はやはり犬田博士の推測通りの、五尺一寸足らずの小男であった。S岬事件の起る二週間前に、相当遠距離に在る刑務所を出ると間もなく、各地を荒しまわったために、R市方面へも手配されていたマヤクの音《おと》(本名堅村音吉三十七歳)という前科数犯で、家人に麻酔を呉《く》れて、騒がれない用心をして金品を奪うのを専門にしている有名な兇賊であったが、S岬事件後、六個月程経って、R市から百|哩《マイル》ばかり距たった大都市の遊廓で、古い狃染《なじみ》の女と遊興中、同市の敏腕な刑事に怪しまれて逮捕されたものであった。
 その時の自白によると音吉は、R市の某|饂飩《うどん》屋で天丼を喰っているうちに、嘗てマリイ夫人を見に行った事のある中学生連中の雑談から、S岬の地形や、ロスコー家の建築の概要、生活状態なぞを聞出し、究竟《くっきょう》の稼ぎ場と考え付いた。それがちょうどあの土曜日の夕方だったので、その饂飩屋の電話室に這入って市内の石油ストーブ屋の名前を探し出して、その名前でロスコー氏の奉職している石油会社に電話をかけて給仕を呼出し「ロスコーさんに自宅でお眼にかかりたいが」と鎌をかけてみた。そうして「ロスコーさんは今夜はお宅へお帰りになりませんから、コチラへお出で下さい」という返事を聞くと、好機逸すべからずと思ったので、それ以外の事は全然無計画のまま、約二人分の麻酔薬を手に入れ、大胆にもR市の海岸に在る貸ボート屋の櫂《かい》を二本盗み出し、左右のクラッチの穴へ二本の手拭を通して櫂《かい》を結び付け、暗夜を便りにS岬の岩角に漕付《こぎつ》け、中学生の話の通りに岩山を越えてロスコー家に忍び寄り、先ず電話線と呼鈴《よびりん》線を切断し、酔臥《よいふ》している東作を麻酔にかけ初めたが、案外麻酔が利かないのに驚いた。持って来たエーテルとクロロフォルムを最後の一滴まで使用してヤット目的を達したように思った。そこでアトはマカリ間違っても高の知れた女一匹という了簡で、勇敢に玄関の扉の鍵をコジ開けたものであった。
 それから目的の書斎に忍び込むべく、寝室を通過する時に、天井からブラ下った仄暗い一|燭《しょく》の電燈の光りでマリイ夫人の寝姿を見ると、フト妙な気持になったので、枕元の豆スタンドのコードを取外して絞殺にかかってみると、女と侮《あなど》ったのが大間違いで、驚くべく猛烈な抵抗にぶっつかり、夢中になって格闘の結果、やっと目的を達したという。つまり「犯人は十分の研究を遂げた後に忍び込んだもの」という最初の推測だけが、見事に外れていた訳で、その他の部分はかなり精確に的中していた事になる。だから音吉は最初、知らぬ存ぜぬの一点張りで、極力、殺人の重罪を免れようと試みたものであったが、司法主任から現場に突付けられて、その犯行当時の手順から、心理状態なぞを順序正しく訊問されて、最後にシーツに刻印されているその長さと、電燈コードに残っている肩幅と、その膝頭の褶紋とを突合せられると、流石の音吉も汗ビッショリになって恐れ入ってしまった。
「そこまで御調べが届いていちゃ白《しら》を切っても間に合いませぬ。私の運の尽きで御座いましょう。女|毛唐《けとう》を殺したのは私に相違御座いませぬ。今までシゴト(窃盗専門の意)以外には女なんか振向いた事もない私で御座いましたが、あの晩に限って魔がさしたので御座いましょう。……ドウモあの刺青がイケなかったようで……薄暗い電燈の下にハダカっている真白い、雪のようなお乳の横に、毒々しい真青な花ビラが浮上って、スヤスヤと寝息をしているもんですから、ツイ妙な気持になってしまいました。私の一生の縮尻《しくじり》で御座いました。女ってえものはヤッパリ魔者なんで……ヘヘヘ……。
 何も盗《と》らずに逃出しました理由は、ほかでも御座いませぬ。あの女毛唐を片付けてホッとしておりますうちに、波の音一つ聞こえない位シインとなっている硝子《ガラス》窓の外の暗《やみ》の中で、微かに草履を引ずるような音がゾロゾロッと聞こえたのです。私は思わずハッと固くなってしまいました。生れて初めて人を殺しましたので気持がどうかなっていたので御座いましょう。何だか知りませんが恐ろしく周章《あわ》ててしまいました。大急ぎで天井裏の親子電球を引っぱり消して、垂れていた窓掛をマクリ上げて、硝子《ガラス》窓にオデコを押付けて(註=この硝子《ガラス》窓に押付けられた額の肌紋は、犬田博士も見落していた)眼を定めておりますと、思いがけない一人の大きな人間の姿が、眼の前の白壁の前を横切って、小使部屋の入口の方へ参りましたが、その時にその人間がタッタ今、普通の人間の二倍ぐらい麻酔を噛ませて来た小使の白髪《しらが》爺さんに相違ない事がわかりました時には、頭からゾーッと水を浴びせられたような気持になりました。しかもその白髪爺さんは、もう一度入口から出て来て、白壁の前を通抜けるのを見ますと、何だか白く光る刃物のようなものを……コンナ風に……逆手《さかて》に持っているようで……そいつが真正面を見詰めたまま反《そ》り身になって、解けかかった帯をダラリと背後に引ずりながら、神主さんみたいな足取りで、スウスウと真暗な松原の中へ曲り込んで行くようです。それを見ますと私はイヨイヨ恐ろしくてたまらなくなりましたので、女毛唐の死骸をホッタラかしたまま、後退《あとじさ》りをして玄関の外へ出ましたが、それから無我夢中であの岩山の上に駈登って、ボートの処へ降りようと致しますと、直ぐ近くの草原の中から不意に『ゴオリゴオリ』という鼾《いびき》の音が聞こえました時には、流石の私も肝ッ玉が飛上りました。モウ少しで気絶するところで御座いました。直ぐに草の中に身を伏せて、闇に狃《な》れた眼でよく見ますと、それはヤッパリ最前、麻酔させたばっかりの白髪頭の小使爺に相違御座いませぬ。逆手に持っていた刃物と見えたのは、白い瀬戸の燗瓶だった事までわかりましたが、もう引返すだけの勇気はありませんでした。それから一生懸命でボートを漕いで、海のマン中あたりまで来たと思ってホッとした時に、やっと髪毛がザワザワザワと逆立《さかだっ》て、歯の根がガタガタいい初めたような事で……あの時のように恐ろしかった事は全く、生れて初めてで、あの仕事ばっかりは最初から終《しま》いまで、魔がさし通していたような気がします。
 しかし私が、あの爺さんに麻酔をかけた事が、どうしてお解りになったのか、どうも不思議で御座います。この麻酔の一件さえわからなければ、滅多に私と星を刺される気づかいはないと思って、出来るだけの用心をしていたつもりで御座いましたが……散らかるといけませんから脱脂綿の代りに、あの爺さんの古手拭を使いましたし、爺さんの寝姿は酔払って寝ているとしか思えませんでしたし、薬瓶は二つとも途中の海の上で棄ててしまいましたし、アトから本人が思い出す気づかいは尚更ありませぬ筈なのに、まるで現場で見ておいでになったようなお話で……」
 と眼をパチクリさせていたという。但、音吉がソレ程に巧妙な麻酔薬の使用法をどこで修得したか。如何なる手段で薬品を手に入れていたか……という事実は、遺憾ながら聞落《ききおと》した。当時のR署員は悉く転任してしまっているし、犬田博士も物故している今日、筆者としては再び探り出す便宜がないようである。
 東作老人はまだ生きている。どこか単純な、愚鈍な性格を持っているらしく、九十幾歳の高齢でありながら、娘夫婦が諌《いさ》めるのも聞かずに、R市の某病院の炊事夫をつとめている事が、この間、ちょっとした新聞記事に出ていた。



底本:「夢野久作全集10」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年10月22日第1刷発行
※本作品中には、今日では差別的表現として受け取れる用語が使用されています。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、あえて発表時のままとしました。(青空文庫)
入力:柴田卓治
校正:ちはる
2001年1月31日公開
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