青空文庫アーカイブ

書けない探偵小説
夢野久作

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)傲華《ごうか》な

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)金玉|燦然《さんぜん》たる王冠を
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 素晴らしい探偵小説が書きたい。
 ピカピカ光る太陽の下を傲華《ごうか》な流線スターがスウーと横切る。その中に色眼鏡をかけて済まし返っているスゴイような丸髷《まるまげ》美人の横顔が、ハッキリと網膜に焼付いたまま遠ざかる。アトからガソリンの臭いと、たまらない屍臭とがゴッチャになってムウとするほど鼻を撲《う》つ。
 ……ハテナ……今のは、お化粧をした死骸じゃなかったか知らん……。
 と思うトタンに胸がドキンドキンとする。背中一面にゾーッと冷たくなる。ソンナ探偵小説が書きたい。

 美人を絞殺して空屋《あきや》の天井に吊しておく。
 その空屋の借手がないために、屍体がいつまでもいつまでも発見されないでいる。
 タマラなくなった犯人が、素人探偵を装って屍体を発見する。警察に報告して、驚くべき明察を以て自分の犯行の経路を発《あば》く。結局、何月何日の何時何分頃、何ホテルの第何号室に投宿する何某という男が真犯人だと警官に予告し、自分自身がその名前で、その時刻に、その室《へや》に泊る。その一室で警官に猛烈な抵抗を試みた揚句《あげく》、致命傷を受けて倒れる。万歳を三唱して死ぬ。ソンナ探偵小説が書きたい。

 或る殺人狂の極悪犯人が、或る名探偵の存在を恐れて是非とも殺して終《しま》おうとする。
 そうすると不思議にも、今まで恐怖という事を知らなかった名探偵が、極度にその極悪犯人を恐れるらしく、秘術を尽して逃げ惑うのを、犯人が又、それ以上の秘術を尽して逐《お》いまわる。とうとう大きな客船の上で、犯人が探偵を押え付けて、相抱いて海に投ずる。
 二人の屍体を引上げて、色々と調べてみると、犯人は探偵の昔の恋人であった美人が、変装したものであった。……といったような筋はどうであろうか。

 トロツキーが巴里《パリー》郊外の或る小さな池の縁で釣糸を垂れていた。嘗《かつ》て親友のレニンが、その池に投込んだというロマノフ家の王冠を探るためであった。
 トロツキーは成功した。やがて池の底から金玉|燦然《さんぜん》たる王冠を釣上げてニコニコしていると、その背後《うしろ》の夕暗《ゆうやみ》にノッソリと立寄った者が在る。
「どうだい。釣れたかね」
 トロツキーがビックリして振返ってみると、それはレニンであった。莫斯科《モスコー》の十字路で硝子《ガラス》箱入の屍蝋《しろう》と化している筈の親友であった。
 トロツキーは今|些《すこ》しで気絶するところであった。王冠と、釣竿と、帽子と、木靴を残して一目散に逃失《にげう》せてしまった。
「ウワア――ッ。幽霊だア――ッ」
 レニンはニヤリと笑ってアトを見送った。草の中から王冠を拾い上げて撫でまわした。
「アハハハハハ俺が死んだ事を世界中に確認させるトリックには随分苦心したものだ。しかしあのトロツキーまでが俺の死を信じていようとは思わなかった。
 トロツキーは俺の筋書通りに動いてくれた。彼奴《きゃつ》にだけこの王冠の事を話しておいたのだからな。……俺がアレだけの大革命を企てたのも、結局、この王冠一つが慾しかったからだとは誰も知るまい。況《いわ》んや俺が革命前から、この巴里《パリー》で老舗《しにせ》の質屋をやっている、妾《めかけ》を三人も置いている事なぞ誰が知っていよう。アッハッハッハッ。馬鹿な人類ども……」
 といったような探偵小説が、日本では書けないだろうか。

 或る海岸の崖の上の別荘に百万長者の未亡人と、その娘が住んでいた。二人ともなかなかの美人であったが、娘の方がイツモ何者かに生命《いのち》を狙われて殺されそうになるのを、そのたんびに或る青年名探偵が現われて救い救いしてくれた。
 未亡人と娘は名探偵に満腔《まんこう》の感謝を捧げた。娘と名探偵とはとうとう恋仲にまでなったが、しかし、それでも娘の生命《いのち》を狙っている悪人の正体ばかりは、どうしても掴めなかった。流石《さすが》の青年名探偵が、いつも危機一髪で喰い止めるほどの神変とも、不可思議とも説明の出来ない怪手腕を以て、根気強く娘の生命《いのち》を脅やかし続けるのであった。
 ところがその娘が或る日、崖の縁端《ふち》を散歩しているうちに突然に強い力で突落された。落ちる途中で一回転した拍子に、崖の上から並んで覗いている青年探偵と母親の、揃いも揃った冷酷なニコニコ顔が見えた。
 それからその娘の頭が、崖の下の岩角に触れる迄の何秒かの間に、今までの一切の不可思議がグングン氷解して行った。その何秒かの間の彼女の回想の高速フィルムの全回転が、そっくりそのまま驚愕と、恐怖に満ち満ちた長篇小説として書けないものであろうか。

 傴僂《せむし》の隠亡《おんぼう》が居る。
 人跡稀な山奥の火葬場で人を焼く序《ついで》に、棺桶を発《ひら》いて目ぼしいものを奪い取る。中には棺の中で蘇生している人間も居るが、そんな人間は介抱して正気付かせて、生前の秘密をスッカリ喋舌《しゃべ》らせてから又撲殺して焼いてしまう。そうしてその死人の遺族を脅迫して金を奪い取り、巨万の富を重ねる。
 そのうちに美しい令嬢の失恋自殺屍体が生き返っているのを発見して自分の妻にしてしまう。隠亡をやめて遠国に住んで、美しい妻と共に一生を楽しく暮す。
 その思い出話といったようなものが、一千一夜式に書けないものだろうか……。

 何かと書いて来るうちに、お約束の六枚になった。ところで読返してみると、これが即ち探偵小説と申上げ得るものはタダの一つもない。みんな大人のお伽話《とぎばなし》みたいな心理描写ばっかりである。
 ……ハテナ……。
 俺は一体、何を書きたがっているのだろう。



底本:「夢野久作全集11」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年12月3日第1刷発行
※本作品中には、今日では差別的表現として受け取れる用語が使用されています。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、あえて発表時のままとしました。(青空文庫)
入力:柴田卓治
校正:渥美浩子
2001年6月6日公開
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