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豚吉とヒョロ子
三鳥山人《みどりさんじん》(夢野久作)
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)豚吉《ぶたきち》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)折角|無代価《ただ》で乗ってもらおうと
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)めしや[#「めしや」に傍点]と書いて
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豚吉《ぶたきち》は背《せい》の高さが当り前の半分位しかないのに、その肥り方はまた普通《あたりまえ》の人の二倍の上もあるので、村の人がみんなで豚吉という名をつけたのです。又、ヒョロ子も同じ村に生れた娘でしたが、背丈《せた》けが当り前の人の倍もあるのに、身体《からだ》はステッキのように細くて瘠《や》せていましたので、こんな名前を付けられたのです。
村の人はこの二人を珍らしがってヤイヤイ騒ぎますので、二人は外へ出ることも出来ません。そのうちに二人とも立派な大人になりました。
ある時、村の人たちの寄り合《あい》がありましたが、その時に誰か一人が、
「あの二人を夫婦にしたらなおなお珍らしかろう。村の名物になると思うがどうだ」
と云いますと、みんな一時に、
「それがいいそれがいい」
と手をたたいてよろこびまして、そこに居た二人の両親にこの事を話しますと、両親も、
「村の人がみんなですすめられるのならよろしゅう御座います」
と云いました。それから二人に聞いて見ますと、二人はまだ会ったことはありませんが、かねてからお互に人と違った身体《からだ》を持っていることを思いやって、両方で可愛そうに思っていたところですから、喜んで承知いたしました。
村の人はいよいよ喜びました。
「サア面白いぞ。世界中にない珍らしい夫婦がこの村に出来るのだ。村中で寄ってたかって大祝いに祝え」
というので、大騒ぎをやって用意をしましたので、まるで殿様の御婚礼のような大仕かけな婚礼の支度が出来ました。
そうして、いよいよ婚礼の儀式がある晩となりますと、村中の人は皆、あらん限りの立派な着物を着飾って、神様の前の広場に集まりました。
神様の前の広場には、作り花で一パイに飾られたお儀式の場所が出来ていまして、そのうしろに出来た宴会場には、村の人々が作った御馳走やお酒が一パイに並んでいます。まわりには篝火《かがりび》がドンドン燃やしてありますので、そこいらは真昼のように明かるく見えました。
そのうちに、町から来た楽隊が賑《にぎ》やかな音楽を初めて、時間が来たことを知らせましたので、みんな神様の前に集まって、礼服を着た神主と一所に、珍らしい夫婦の豚吉とヒョロ子が来るのを今か今かと待ちました。
けれども、いくら待っても夫婦の姿は見えませんでした。
そのうちに、二人を迎えに行った美しい花馬車が二台帰って来ますと、それには二人の姿は見えず、二人の両親が泣きながら乗っておりましたが、みんなの前に来ますと、
「皆さん、申しわけありません。二人は逃げてしまいました」
と云いました。
「サア、大変だ」
と村中の人は騒ぎ出して、儀式も御馳走も打ち棄てて、大勢の人々が夜通しがかりで探しましたが、二人の姿はどこにも見えませんでした。
豚吉とヒョロ子は、こうして大勢の人々が騒いでいる時、村からずっと遠い山道を手を引き合ってのぼっておりました。
「ふたりで夫婦になったら、今迄よりもっともっと恥かしくなるよ」
「ほんとですわねえ。とても村には居られませんよ。けれどもみんな心配しているでしょうね」
「しかたがない。こうして出かけなければ、一生涯に外に出る時は無いからね」
「ほんとに情のう御座います。どうかして私たちの身体《からだ》を当り前の人のようにする工夫は無いのでしょうか。私はいつもそのことを思うと悲しくて……」
とヒョロ子は泣き出しました。
「泣くな泣くな」
豚吉は慰さめました。
「それはおれでも同じことだ。今に都に行ったらば、よいお医者にかかって治してもらってやるから、泣くな泣くな」
こう云ってあるいているうちに、二人は山を越えて広い街道に出ますと、夜が明けました。
豚吉は今まで威張っておりましたが、ここまで来ると、身体《からだ》が肥っておりますのでヘトヘトに疲れてしまいました。
「おれあもうあるけない」
と豚吉は泣きそうな声で云いました。
「まあ、あなたは何て弱い方でしょう。私がおぶってあげましょうか。あたしはこんなに瘠せてても、力はトテモ強いんですよ」
「馬鹿なことを云うもんじゃない。おれは人の三倍も四倍も重たいんだぞ。そんなことをして、大切なお前が二つに折れでもしたら大変じゃないか」
「いいえ、大丈夫ですよ。私は人の五倍も六倍も力があるのですから」
「いけないいけない。そんなことをしたらなお人に笑われる。それより休んだ方がいい。ああ、くたびれた」
「でも、あとから村の人が追っかけて来ますよ」
「虎が追っかけて来たって、おれはもう動くことが出来ない。休もう休もう」
と云ううちに、そこの草の上にドタンと尻もちをつきました。
ヒョロ子は困ってしまって、立ったまま四方を見まわしますと、ずっと遠方から馬車が一台来るのが見えました。ヒョロ子は喜ぶまいことか、大声をあげて、
「馬車屋サーン。早く来て頂戴よ――」
とハンケチを振りました。
「何、馬車が来た」
と豚吉も立ち上りましたが、背が低いので見えません。
「何だ、草ばかりで見えやしない」
「そんなことがあるもんですか。ソレ御覧なさい」
と云ううちに、豚吉を抱えて眼よりも高くさし上げました。
「アッ、見えた見えた。オーイ、馬車屋ア――。早く来――イ」
と豚吉も喜んでハンケチを振りました。
これを見た馬車屋のおやじはビックリしました。
大変に高い、大きな恰好をした人間が呼んでいる。早く行って見ようと思いましたので、馬の尻を鞭でたたいて宙を飛ばしてかけつけました。
「やあ、これあ珍しい御夫婦だ。おれああんた方のような珍らしい御夫婦は初めて見た。どうもえらく高い人だな。別嬪《べっぴん》さんの方はまるで棹《さお》のようだ。それに又、旦那様の肥って御座ること、どうだ。まるで手まりのようだ」
と馬車屋は大きな声で云いながら近寄って来ましたので、夫婦は真赤になってしまいました。
「あたしはこんな馬車屋さんの馬車には乗らない。今にどんなことを云ってひやかすかわからないから」
とヒョロ子は云いました。
「馬鹿を云え。一所に乗って行かなければ何にもならないじゃないか……。どうだい、馬車屋さん。これから町まで倍のお金を払うから、大急ぎで乗せて行ってくれないか」
と云いました。
馬車屋は大きな手をふって云いました。
「滅相な。お金なんぞは一文も要りません。あんた方のような珍らしい夫婦を乗せるのは一生の話の種だ。さあさあ、乗ったり乗ったり」
と云ううちに、馬車のうしろの戸をあけてくれました。
ところが、その入り口が小さいので、豚吉の肥った身体《からだ》がどうしても這入りません。しかたがありませんから、馬車の前の馭者台《ぎょしゃだい》の処にお爺さんと並んで乗って、ヒョロ子だけ中に這入らせようとしますと、天井が低いので、ヒョロ子がしゃがんでも頭が支《つか》えます。そればかりでなく、豚吉が右側に乗ると馬車が右に引っくり返りそうになり、左に乗ると左側の車の心棒が曲りそうになります。
「これあ大変なお客様だ。折角|無代価《ただ》で乗ってもらおうと思っているのに、二人共乗れないとは困ったな」
「おれも乗りたいけれども、これじゃ仕方がない」
「もうよしましょうや。あなたも些《すこ》し辛棒しておあるきなさいよ」
こんなことを云っているうちに、馬車屋のお爺さんは不意に手をポンとたたいて、
「うまいことを思い付いた。二人とも馬車の屋根に乗んなさい。私がソロソロあるかせるから」
「ウン、それはいい思い付きだ」
と豚吉もよろこびました。けれども背が低いので登ることが出来ません。
それを見たヒョロ子は、イキナリ豚吉をうしろから抱《かか》えて、ヒョイと馬車の屋根に乗せまして、自分も飛び上がりました。
馬車屋のお爺さんはビックリして眼をまん丸にしていました。
馬車が動き出すと、屋根の上がまん丸くなって今にも落ちそうになりますので、夫婦はしっかり抱き合っていなければなりません。
そのうちに一つの村に来ますと、サア大変です。村の入り口に遊んでいた子供たちがすぐに見つけて、
「ヤア。定《さだ》っぽの馬車の上に長い長い女と短い短い男と乗っている。おもしろいおもしろい」
と村へ走って帰りましたので、ちょうど朝御飯をたべていた人達は、皆一時に表に飛び出しました。見ると成る程、今までに見たことのない奇妙な夫婦が、馬車の上に乗ってソロリソロリとやって来ますので、皆不思議がってワイワイ云い初めました。
「珍らしい夫婦だな」
「兄妹《きょうだい》だろうか」
「女の方は飴《あめ》の人形を引き延したようだ」
「男の方はまるで踏《ふ》み潰《つぶ》したようだ」
「どこへ行く人だろう」
「都へ見世物になりに行くんだろう」
「見世物になったら大評判だろうな」
「今なら無料《ただ》だ」
「ヤア無料《ただ》の見世物だ。みんな、来い来い。世界一の珍らしい夫婦だ。無料《ただ》だ無料だ」
馬車の上からこれをきいた豚吉夫婦は真赤になって憤《おこ》りましたが、今にも屋根から落ちそうなのでどうすることも出来ません。
けれどもヒョロ子はとうとう我慢し切れなくなって、馬車屋のお爺さんの横に掛けてあった鞭《むち》を取ると、いきなり馬のお尻を力一パイ打ちました。
豚吉とヒョロ子を乗せた馬はヒョロ子にいきなり尻を打たれましたので、ビックリしてドンドン駈け出しますと、間もなく村を出てしまいました。
ところが豚吉は、今まで馬車がゆっくりあるいてさえ落ちそうであったのに、それが矢のように走り出したのですからたまりません。
「アッ。大変。お爺さん、馬車を止めてくれ。落ちそうだ落ちそうだ。助けてくれ。アブナイアブナイ」
とヒョロ子に獅噛《しが》み付きました。
ヒョロ子も一生懸命になって豚吉を落ちないように押えておりましたが、馬車が村を出ると間もなく、そこにあった道のデコボコに馬車が引っかかってガタンガタンとはね上る拍子《ひょうし》に、二人共抱き合ったまま馬車の屋根の上から往来へ転がり落ちました。
馬車屋のお爺さんの方は馬を引き止めようとして一生懸命に手綱を引っぱっていましたので、そのままドンドン駈けて行ってしまいました。
「ああ、危なかった」
と、豚吉はヒョロ子に助け起されながら云いました。
「ほんとに済みませんでした。私がいたずらをしたもんですから」
とヒョロ子はあやまりましたが、見ると自分の足もとに車屋さんの長い鞭が落ちています。
「アッ。これはさっきの車屋さんのだ。私が走って行って返して来ましょう」
とヒョロ子は駈け出しそうにしますと、豚吉は引き止めました。
「チョット待て。何だかたいそういいにおいがする」
「ほんとにおいしいにおいがしますね」
「ああ、おれはあの臭《におい》をきいたので、お腹がすっかりすいちゃった」
「まあ。あなたは喰いしんぼうね」
「だって、ゆうべから何もたべないんだもの」
「あたしなんか何日御飯をたべなくとも何ともないわ」
「おれあ日に十ペン御飯をたべても構わない。ああ、御飯がたべたい」
「そんな大きな声を出すものじゃありませんよ」
とヒョロ子は真赤になって止めました。
けれども、豚吉は鼻をヒョコヒョコさせながら、あたりを見まわしながらなおなお大きな声で云いました。
「このにおいは、御飯のにおいと、葱《ねぎ》と豆腐のおみおつけの臭《におい》だが、一体どこから来るのだろう」
「そんな卑《いや》しいことを云うもんじゃありません。よその朝御飯ですから駄目ですよ」
「イヤ。あれを見ろ。あの森のかげにめしや[#「めしや」に傍点]と書いて旗が出ている。あすこだあすこだ」
と云ううちに、ドンドン駈け出して、そのうちへ這入って行きました。
「まあ、何て意地のキタナイ人でしょう。さっきは疲れてあるけないと云っていたのに、今はあんなにかけ出して……しかたがない。私も一所に御飯をたべましょう」
と云いながら、ヒョロ子もあとからかけ出して行きましたが、門口まで来ると、又立ち止まって、軒の先にさっきの鞭《むち》をよく見えるようにつきさして中に這入って行きました。
見ると、先に這入った豚吉は葱と豆腐のお汁を熱い御飯にかけて、フウフウ云いながら一生懸命で掻き込んでいます。
「まあ。あなたは何てみっともないたべ方をするんでしょう。そんなことをして喰べると人に笑われますよ」
と云いながら座りましたが、やがてめしや[#「めしや」に傍点]のおかみさんが持って来たお汁と御飯を引き寄せますと、お汁をちょっと嘗《な》めまして、それからハンケチで口のまわりをよく拭いて、今度は御飯をほんの二粒か三粒ばかり固めて口の中に入れました。
夫婦はこんな風にして御飯をたべ初めましたが、豚吉の方はすぐに喰べてしまいましたけれども、ヒョロ子の方はなかなか済みません。やっぱり一粒か二粒|宛《ずつ》たべては、お汁をすこしずつ嘗《なめ》るばかりです。豚吉は初めのうちは我慢してジッと待っておりましたけれども、とうとう我慢しきれなくて冷かし初めました。
「お前はまあ何て御飯のたべ方をするんだ。そんなたべ方をしていると、今にお正午《ひる》になって、昼の御飯と一所になってしまうぞ」
これをきいたヒョロ子は、真赤になって豚吉を睨みました。
「黙っていらっしゃい。あなたのように牛か馬見たようなたべ方をするもんじゃありません。それに私は身体《からだ》が細長いから、御飯の通る道も当り前の人より細長いのです。あなたみたいにドッサリ口に入れたら、すぐに詰まって死んでしまうのです。私が死ぬのが厭《いや》なら温柔《おとな》しく待っていらっしゃい」
と、なかなか云う事をききません。豚吉は大きなあくびをして立ち上りました。
「ヤレヤレ大変なお嬢さんだ。待っているうちに、又お腹がすいて喰べたくなりそうだ。それじゃおれは外を散歩して来るから、ごゆっくり召し上れ」
と云って、裏の方へ出かけました。
豚吉は裏の方へ来て見ますと、ちょうど春で、野にはいろんな花が咲き、蝶が舞い、雲雀《ひばり》が舞っています。あんまりいい景色ですから、豚吉はぼんやり立って見ていますと、すぐ眼の前の古井戸の口で遊んでいた一人の女の児《こ》が、どうしたはずみか井戸の中へ落ちました。
豚吉は驚いて駈け寄りますと、暗い底の方から女の子の泣き声がきこえます。けれども、そこいらに梯子《はしご》もなければ綱もありません。
豚吉は困りましたが、放っておけば女の児が死にそうですから、すぐに上衣を脱いで、ズボンを脱いで、シャツ一枚になって井戸の中へ真逆様《まっさかさま》に飛び込みました。
ところが身体《からだ》が大きいものですから、底へ達《とど》きません。それどころか、ほんの入り口の処へ身体《からだ》が一パイに引っかかって、動くこともどうすることも出来なくなりました。
豚吉は驚きました。
「助けてくれ助けてくれ」
と一生懸命で怒鳴りましたが、身体《からだ》が井戸の口に塞《ふさ》がっているので外へはきこえず、おまけに下では女の児が泣き立てますので、その八釜しいこと、耳も潰れるばかりです。しまいには豚吉も情なくなって、オイオイ泣き出しました。下からは女の児が泣きます。けれども誰にもきこえませんので、助けに来てくれる人がありません。
その中《うち》に豚吉は声が涸《かれ》てしまいました。
ところへ、井戸へ落ちた児のお母さんが、子供はどこに行ったかしらんと探しながらやって来ましたが、見ると、大きな短い足が二本、井戸の中からニューと突出てバタバタ動いています。驚いて走り寄って見ますと、大きな身体《からだ》が井戸の口一パイになっていて、下の方から自分の子供の泣き声がきこえます。
お母さんは肝を潰すまいことか。
「まあ、妾《わたし》の娘はどうしてこんなに急に大きくなったんだろう。何だか男のような恰好《かっこう》だけれど、泣いてる声をきくとうちの子のようだ。何にしても助けて見なければわからない」
と云いながら、急いでその足を捕えて引っぱって見ましたが、どうしてなかなか抜けそうにもありません。
お母さんはいよいよ慌てて村の方へ駈け出しました。
「助けて下さい。うちの娘が井戸の口一パイに引っかかって泣いています。早く誰か来て助けて下さい」
と泣きながらお母さんが叫びますと、村の人々はみんなビックリしました。
「それは珍らしい話だ。まさか井戸の水を飲んでそんなにふくれたんじゃあるまいが……行って見ろ行って見ろ」
と大勢押しかけて来ますと、成る程、井戸の中から大きな足が二本突出てバタバタやっている下から女の児の声がします。
「これは不思議だ。足は男のようだが、声は女の子の声だ」
「変だな」
「面白いな」
「奇妙だな」
「何でもいいから早く引っぱり出して見よう。そうすればわかる」
「そうだそうだ」
と云ううち、大勢寄ってたかって引っぱり初めましたが、身体《からだ》が井戸の口にシッカリはまっている上に重たいのでなかなかぬけません。
「これはどうだ。中々《なかなか》抜けない」
「どうしたらいいだろう」
「仕方がない。車仕掛けで引き上げよう」
「そうだそうだ。それがいいそれがいい」
と云うので、今度は村長さんのところへ行って井戸の水汲み車を借りて来まして、綱の一方に豚吉の足を結びつけて、その綱を車に引っかけると、大勢でエイヤエイヤと引き初めました。
豚吉は驚きました。何をするかと思うと、大変な強い力でイキナリグングン足を引っぱられ初めましたので、今にも足が腰のつけ根から抜けてしまいそうで、その痛いこと痛いこと。
「痛い痛い。ヒイーッ」
と豚吉は死ぬような声を出し初めました。
これをきいた娘のお母さんは気が気でありません。
「あれ、もう止して下さい止して下さい。娘の足が抜けてしまいます。足が抜けて死んだら大変です」
と泣きながら止めましたので、村の人も引っぱるのを止めました。
「この上引っぱったら足が抜けるばかりだが、どうしたらいいだろう」
と村の人は相談を初めました。
「仕方がないから鍬《くわ》を持って来て、まわりから掘り出そう」
「それがいいそれがいい」
と云うので、又みんな村へ帰って、めいめいに鋤《すき》や鍬を持って来て掘り初めました。
「みんな、気をつけろ。娘さんの腹へ鍬や鋤を打ちこむな」
と大変な騒ぎになりました。
ヒョロ子はそんなことは知りません。最前の通り、二粒か三粒|宛《ずつ》御飯を口に入れて、よく念を入れて噛んでは、お汁《つゆ》をほんのすこし嘗めながら、やっと御飯を一杯とお汁《つゆ》を一杯たべてしまいまして、又一杯食べようとしますと、何だか裏の方で人が騒いでいるようです。
「サア、人間掘りだ人間掘りだ」
「まだ生きているんだぞ」
「怪我《けが》させぬように掘出せ掘出せ」
と云う声もきこえます。
「マア、人間掘りなんて初めて聞いた。珍しいこと。御飯はもうおやめにして、ちょっと見てきましょう」
とお茶を飲んで立ち上って、腰をグッと屈《かが》めながら、低い裏の入り口から出て行って見ました。
ヒョロ子が裏へ出て見ると、向うの方で大勢人が寄って、土を掘りながら何か騒いでいます。何事かと思って近寄って見ると、こはいかに。豚吉の足が二本、井戸の中からニューと出ておりますから、驚いてすぐに走り寄って、その足を両方一時に掴《つか》まえて、
「ウーン」
と引っぱりますと、スッポンと抜けてしまいました。それと一所に下から女の児の泣き声が聞えて来ましたので、ヒョロ子は井戸の口から長い長い手を延ばして、女の児の手を捕まえて、スーッと引き上げて上へ出してやりました。
村の人はもうヒョロ子の力に驚き呆《あき》れて、口をポカンと開《あ》いたまま見ておりました。
女の児のお母さんは泣いて喜びました。
豚吉も嬉し泣きに泣きながら、脱いだ着物を着て、最前のめしや[#「めしや」に傍点]に帰って来て、ヒョロ子に今までのことをお話ししますと、ヒョロ子も涙を流して喜んで、
「それはよいことをなさいました」
とほめました。
ところが、いよいよ御飯の代金を払おうとしますと、豚吉のお金入れが見当りません。これはきっと最前の井戸のところに落して来たに違いないと思って、又探しに行って見ましたが、そこにもありません。
二人は顔を見合わせて、どうしたらいいか困っておりますと、表の入り口をガラリとあけて、最前馬に引っぱられて走って行った馬車屋のお爺さんが這入って来ました。そうして二人の顔を見ると喜んで、
「ヤア。あなた方はここに居りましたか。私は馬が急に駈け出しましたので、一生懸命で引き止めようとしましたが、どうしても止まりません。やっと向うの町の入り口まで来ると止まりました。それから、あなた方はどうなすったかと思って引き返して見ますと、ここの表の処に私の落した鞭が引っかかっています。それから入り口の処にお金入れが落ちておりましたが、これはもしやあなた方のじゃありませんか」
と云いました。
夫婦は馬車屋の親切に涙を流して喜びました。そうしてお礼を沢山に遣ったあとで、御飯の代金を払ってこの店を出ました。
豚吉夫婦はそれからだんだんと町に近付きましたが、町の入り口まで来ると、そこに大きな河がありまして、水がドンドン流れています。その上に橋が一つかかっていて、その橋を渡らなければ町へ這入られません。
「サア町へ来た。向うの町に這入ると、きっといいお医者が居るのだ。そうしたらお前も私も身体《からだ》を当り前の恰好にしてもらえるのだ」
と云いながらその橋を渡ろうとしますと、橋のところの小さな小屋から二人の様子を見ていた番人が、
「モシモシ」
と呼び止めました。
豚吉とヒョロ子はうしろから呼び止められましたのでふり返って見ると、それは一人のお婆さんでした。そのお婆さんは二人の様子をジロジロと見ながら云いました。
「私はこの橋の番人だがね。お前さん方はこの橋を渡るならば渡り賃を置いて行かねばなりませんよ」
「そうですか。おいくらですか」
と豚吉は云いながらポケットからお金入れを出しますと、お婆さんは又こう云いました。
「けれども、当り前のねだんでは駄目ですよ。当り前だと一人分一銭|宛《ずつ》ですが、あなたの方は当り前の人間の倍位肥っていられますから、その倍の二銭いただきます。それからあっちの奥さんは、やっぱり当り前の人よりも背丈けが倍ぐらい長いようですから、やっぱり倍の二銭出して下さい」
これをきくと、豚吉は出しかけたお金を引っこめながら、
「おいおい、お婆さん。馬鹿なことを云ってはいけない。いかにも私の身体《からだ》は他人《ひと》の倍ぐらい肥っているが、背丈けは半分しかないから当り前の人間と同じことだ。あのヒョロ子でも背丈けは当り前の倍ぐらいあるが、その代り当り前の人間の半分位痩せているから、これも当り前の渡り賃でいいだろう。さあ二銭あげるから、これで勘弁しておくれ」
と云いました。
ところがこれを聞くと、お婆さんは大層|憤《おこ》ってしまいまして、小さな小舎《こや》から出て来ると、橋のまん中に立って怒鳴りました。
「お前さん方は何です。人並|外《はず》れた身体《からだ》をしながら当り前の橋賃でこの橋を渡ろうなんて、ずいぶん図々しい横着な人ですね。私を年寄りだと思って馬鹿にしているのだね。そんなことを云うなら、この橋はどんなことがあっても渡らせないから、そうお思い」
豚吉はその勢《いきおい》の恐ろしいのに驚いてふるえ上ってしまいました。けれどもこの橋を渡らなければ町へ行かれないのですから、豚吉は元気を出してお婆さんを睨み付けました。
「この婆《ばばあ》は飛んでもない奴だ。貴様はだれに云いつかってこの橋の渡り賃を取るのだ」
「生意気なことをお云いでない。あの向うの橋の渡り口を御覧……あすこにお役所があるだろう。あのお役所の云い付けでここに番をしているのが、お前さんたちはわからないか。愚図愚図云うとお前さんたちの首に縄をつけて、あすこのお役人の所へ連れて行つて獄屋に打《ぶ》ち込んでしまうが、いいかい」
と大変な勢いです。豚吉は又青くなってしまいました。
さっきからこの様子を見ていたヒョロ子は、この時そっと豚吉の袖を引きまして、こう云いました。
「およしなさい。こんなお婆さんと喧嘩をするのは……。それよりもこの河は浅そうですから、私があなたを背負って渡りましょう」
と云いました。
豚吉はこう云われて河の方を見ましたが、成る程、河の水はザアザアと浅そうに見えて流れております。けれどもやっぱり何だか恐ろしそうですから、又元気を出して婆さんに云いました。
「いけない。いくらお役人に頼まれていても、一人の人間から二人前のお金を取っていいことはあるまい。何でも一銭でこの橋を渡らせろ」
「いけない。そんなことを云うなら、もう百円出してもこの橋は渡らせない。喧嘩するならお出《い》で。私が相手になってやる」
「何を、この糞婆ア」
と云ううちに、豚吉は真赤に怒って、イキナリお婆さんに掴みかかって行きました。
豚吉は、何をこの梅干|婆《ばば》と、馬鹿にしてつかみかかって行きました。ところがその強いこと、橋番のお婆さんはイキナリ豚吉を捕まえますと、手鞠《てまり》のように河の中へ投げ込んでしまいました。
これを見ていたヒョロ子は驚きました。
「あれ、あぶない」
と云ううちに、自分も河の中へ飛び込んで、
「助けてくれ助けてくれ」
と叫びながら流れてゆく豚吉のあとから、長い足でザブザブと河の水を蹴立てて追っかけましたが、間もなく豚吉を捕まえまして、片手に提《さ》げて河を渡ると、今度は橋の向う側に上って来ました。
これを見ていたお婆さんはカンカンに憤《おこ》って、橋を渡って追っかけて来ました。そうしてヒョロ子の腕を掴みながら、
「お前達は泥棒だ。橋の渡り賃を払わずにこの河を渡った者は懲役《ちょうえき》に行くのだ。サア来い。お役所に連れてゆくから」
と怒鳴りました。
豚吉はふるえ上がってしまいました。
けれどもヒョロ子は驚きません。婆さんに腕を掴まれたまま静かに云いました。
「そんなわからないことを云うものではありません。私たちはあの橋を渡らずにここまで来たのです。橋を渡っていませんから、お金も払わなくていいでしょう」
と云いましたけれども、お婆さんはなかなか承知しません。
「いけないいけない。何でもお金を払わなければいけない」
と大きな声を出しました。
さっきからこの様子を見ていたお役所の役人は、あんまり夫婦の姿が珍らしいので、みんな出て来て三人のまわりを取巻いてしまいました。そうするとお婆さんは益《ますます》勢《いきおい》付いて、やっぱりヒョロ子の腕を掴んだまま怒鳴り立てました。
「お役人様。この夫婦は泥棒ですよ。橋賃を払わずにこの橋を渡ったのです」
「いいえ、違います」
と、流石《さすが》に堪忍《かんにん》強いヒョロ子にも我慢しきれなくなって云いました。
「あなたが初め私達二人に倍のお金を払えと云ったから、私たちは河を渡ったのです」
「ウン、そんなら橋賃は払わなくてもいい」
と、一人の年|老《と》った役人が云いました。これをきくとお婆さんは一層怒って、
「ええ、口惜《くちお》しい。あなた方は泥棒の味方をするのですか。そんならこの腕をヘシ折ってやる」
と云ううちに、ヒョロ子の腕に両手をかけました。
ヒョロ子は驚きました。腕をへし折られては大変ですから、思わずその手を一振り振りますと、それに掴まっていたお婆さんは、まるで紙布のように宙に飛んで、河の中へポチャンと落ちてドンドン流れてゆきました。これを見た役人たちは、
「ヤッ、大変だ」
というので、みんな婆さんを助けに走ってゆきます。ヒョロ子もビックリして助けに行こうとしますと、今度は豚吉が腕を捕まえて離しません。
「今の間に逃げろ逃げろ」
と云ううちに、ヒョロ子を引っぱってドンドン逃げ出しました。
豚吉とヒョロ子夫婦は、成るたけ人の泊らない淋しそうな宿屋を探し出して泊りますと、豚吉の着物を乾かしたり、お昼御飯をたべたりしましたが、それから宿屋の番頭さんを呼んで尋ねました。
「私たちは見かけの通り、身体《からだ》が長過ぎたり太過ぎたりするものですが、この町に私達の身体《からだ》を当り前に治してくれるお医者さんは無いでしょうか」
「それはよいお医者があります」
とその番頭さんは云いました。
「この町の外れに一軒のきたないお医者様の家《うち》があります。そこの御主人は無茶先生と云って、無茶なことをするので名高いのですが、どんな無茶なことをされてもそれを我慢していると、不思議にいろんな病気がなおるのです」
「フーン。その無茶とはどんなことをするのだ」
と豚吉が心配そうにききました。
「それはいろいろありますが、わるいものをたべてお腹が痛いと云うと、口から手を突込んで腹の中をかきまわしたり、眼がわるいと云うと、クリ抜いて、よく洗って、お薬をふりかけて、又もとの穴に入れたりなされます」
「ワー大変だ。そんな恐ろしいお医者は御免だ」
「そうで御座いましょう。どなたもそれが恐ろしいので、その無茶先生のところへは行かれませぬ。そのために無茶先生はいつも貧乏です」
「もうほかにお医者は無いか」
「そうですね。只今ちょっと思い出しませんが」
「そうかい。又上手なお医者があったら知らせておくれ」
「かしこまりました」
と番頭さんは帰ってゆきました。
「あなたはその無茶先生のところへお出《い》でになりませんか」
とヒョロ子が云いますと、豚吉は眼をまん丸にして手を振りました。
「おそろしやおそろしや。そんなお医者のところへ行って、殺されたらどうする」
「でも、どんな病気でも治るというではありませんか。一度ぐらい殺されても、又生き上ればよいではありませぬか」
「お前は女の癖に途方もないことを云う奴だ。もし生き上らなかったらどうする」
「そんなことをおっしゃっても、あなたはまだそのお医者が上手か下手か御存じないでしょう」
「お前も知らないだろう」
「ですから試しに行って見ようではありませんか。もしその先生のおかげで私たちの身体《からだ》が当り前になれば、こんな芽出度《めでた》いことはないでしょう」
とヒョロ子が一生懸命になってすすめますので、豚吉もためしに行って見ることにきめました。
豚吉とヒョロ子はそれから連れ立って町の外れへ来てみますと、成る程、そこに一軒のキタナイお医者様の札が出て、無茶病院という看板が出ております。ソレを見ると豚吉はもうふるえあがって、
「おれはいやだ。無茶病院という位だから、どんなヒドイ目に会わせられるかわからない。帰ろう帰ろう」
と引っかえしかけました。それをヒョロ子は押し止めまして、
「マアお待ちなさい。只先生に会ってお話をきくだけならいいじゃありませんか。そのあとで診《み》てもらうかどうだかきめたらいいでしょう」
と、無理に豚吉の手を引いて中へ這入って行きました。
豚吉とヒョロ子は無茶病院に這入って、院長の無茶先生に会いますと、先生は髭もあたまも野蕃人のように長くのばして、素《す》っ裸体《ぱだか》で体操をしていましたが、二人の姿を見るとニコニコして裸体《はだか》のまま出て来て、
「ヤア、よく来たよく来た。お前たちのような片輪は珍らしい。しかも夫婦揃って来るとは感心感心。おおかた当り前の身体《からだ》に治してもらいに来たのだろう。よく来たよく来た。おれがすぐに治してやる。お前たちのような病人を治すものは世界中におれ一人しか居ないのだ。さあ、こっちへ来い」
と独りでしゃべりながら、豚吉の手を掴まえて奥の方へ引っぱって行こうとしました。
「一寸《ちょっと》待って下さい」
と叫んで豚吉は手を引っこめました。
「あなたはどんなことをして私の身体《からだ》を治して下さるのですか」
「アハハハハハハ。貴様はよっぽど弱虫だな。そんなことではお前の身体《からだ》は治らないぞ。おれは貴様の背骨を引き抜いて長くしておいて、それにお前の身体《からだ》を引きのばしたのを引っかけるのだ」
「ワッ」
と、豚吉はふるえ上って逃げ出そうとしました。それをヒョロ子はしっかりと押え付けて、又先生に尋ねました。
「それは痛くはありませんか」
「いいや、ちっとも痛いことはない。睡《ねむ》らしておいて、その間に済ませてしまうのだから」
「ああ、安心した。それじゃやってもらおう」
と豚吉が云いましたので、ヒョロ子はやっと豚吉の手を離しました。
「それじゃ、私の方はどうなさるのです」
と、今度はヒョロ子が心配そうに聞きました。
「アッハッハッ。貴様たちは夫婦共揃って弱虫だな。お前の方もおんなじことだよ。ちっとも知らない間に治すのだよ。しかし、そんなに恐ろしがるなら、ちっと面倒臭いが早く済むようにしてやろう。お前達はこれから獣《けもの》の市場へ行って、生きた鹿と猪《いのしし》を一匹|宛《ずつ》買って来い。女の方には猪の背骨を入れて背を低くしてやる。男の方には鹿の背骨を入れて背を高くしてやる」
「エッ、猪と鹿の骨を」
と二人は眼をまん丸くしました。
「そうだ。そうすれば、お前達の骨を引っぱり延ばさなくてもいいから、わり合い早く済むのだ」
二人は顔を見合わせました。二人は猪や鹿の骨を背中に入れられるのは好きませんでしたけれども、一生片輪でいるよりもその方がいいので、
「では猪と鹿を買って来ます」
と云って、無茶先生の家を出ました。
豚吉とヒョロ子とは無茶先生の家を出て、この町の獣《けもの》市場に来ましたが、どこを探しても鹿だの猪だのを売っているところはありません。みんな牛だの馬だの犬だの豚だのばかりです。二人はしかたなしに市場の主人に会って、
「どこかここいらに、生きた鹿だの猪だのを売っているところは無いか」
と尋ねますと、主人は頭を振って、
「鹿や猪の肉を売っているところはありますけれども、生きたのを売っているところはありません。動物園になら居るかも知れませんけれど、あそこのは見物に見せるためで売るのではありませんからダメでしょう。しかい、一体そんなものをあなた方は何になさるのですか」
と尋ねました。二人はきまりがわるう御座いましたけれども、困っているところでしたからわけをすっかり話しまして、どうかして助かる工夫は無いものかと相談をしますと、主人は腹を抱《かか》えて笑い出しました。
二人はおこってここを出て行こうとしますと、市場の主人は又押し止《とど》めて、
「ちょっと待って下さい」
と云いました。
「この町から一里ばかり離れたところの村に神様があって、きょうがちょうどお祭りの筈です。そこには毎年いろんな見世物が来ますが、その中には獣《けもの》の見世物もあって、その中に猪や鹿も居る筈です。今年は来ているかどうかわかりませんが、行って御覧なさい。もしその見世物が居たら、お金さえ沢山出せば、ライオンでも象でも売ってくれるに違いないと思います。いっその事、あなた方は思い切ってライオンや象を買って、その骨を入れたら大きくて丈夫でよくはありませんか」
と又笑い出しました。
二人は腹が立ちましたけれども、折角いい事を教えてくれたのですから、御礼を云ってここを出まして、それから二人連れでエッチラオッチラ一里ばかり歩いてその村に来ますと、成る程、村中は大変な騒ぎで、今が祭りの最中です。
その中へ世にも珍らしい姿の夫婦がやって来たものですから、サア大変です。
「ヤア。見世物みたような珍らしい夫婦が来た」
というので、ワイワイワイワイ押しかけて来て、夫婦は歩くことも出来ません。
豚吉もヒョロ子も恥かしくなって逃げ出したくなりましたが、きょうは大切な用事で来たのですから逃げる訳に行きません。一生懸命で人を押しわけながら先ず神様へ参りまして、二人とも手を合わせて、
「どうぞ私どもの身体《からだ》が当り前の人のように恰好《かっこう》よくなりますように」
とお祈りを上げまして、それからお宮のうしろの見世物の処へ来ますと、そこは前よりも一層賑やかで、音楽隊の音や見物を呼ぶ声が耳も潰れるようです。
夫婦はビックリして立止まって見ておりましたが、そのうちに向うの方に獣《けもの》の絵看板を沢山に並べた一軒の見世物小舎が見つかりました。
豚吉とヒョロ子夫婦はその動物の見世物小屋の方へ行きますと、夫婦の珍らしい姿を見に集まったものがあとから黒山のようについて来ます。それを構わずに夫婦はやがてその見世物小屋の前に来て、お金を払って中に這入りますと、あとからついて来た黒山のように沢山の人間も、夫婦の珍らしい姿が見たさにわれもわれもとお金を払って中に這入りましたので、大きな見世物小屋が一パイになりました。
二人は中に這入って見ますと、象やライオンや大蛇や虎の中にまじって、猪や鹿もおりましたので大喜びしまして、表に出て入り口の番人にこの動物園の主人に会わしてくれまいかと頼みますと、その番人はニコニコしながら、
「私が主人です」
と云いました。
「ヤア。それは有り難い。それなら一つ、私達夫婦からお願いしたいことがあるがきいてくれないか」
と豚吉もニコニコして云いました。すると主人は又一層ニコニコしまして、二人の顔を見ながら、
「それならば私からもお願いしたいことがあります。しかし、ここでは忙しくてお話が出来ませんから、こちらへお出でなさい」
と、夫婦を自分達の宿屋へ連れてゆきました。
動物園の主人は宿屋へ来ますと、夫婦にお茶やお菓子を出してもてなしながら、
「あなた方のお頼みとはどんなことですか」
とききました。夫婦は代る代るに、自分達が世にも珍らしい片輪であることから、無茶先生のところへ来て治してもらおうと思ったこと、そうしたら無茶先生が鹿と猪を買って来いと言われたことまで話しまして、
「済まないが、お金はいくらでもあげるから、あなたの処に居る猪と鹿を私達に売ってくれまいか」
と頼みました。
動物園の主人はこれをききまして、
「それはお易いことです。今日でも売ってあげましょう。しかし、そんなことをなさらずとももっといい事がありますが、その方になすっちゃどうです」
と、又ニコニコしながら云いました。
豚吉は無茶先生から治してもらうよりももっといい事があると聞いて喜びまして、
「それはどんなことをするのですか」
と尋ねました。動物園の主人はエヘンと咳払いをしまして、
「それはこうです。あなた方は世にも珍らしいお身体《からだ》をしておいでになるので、又そんなお身体《からだ》に生れて来ようと思ってもできる事ではありません。それを治してしまうのは惜いことです。それよりも一層《いっそ》のこと、私に雇われて下さいませんか。そうすればお金はこちらからいくらでもあげます。あなた方が二人、私のところに居らるれば、毎日見物人が一パイで、私は山のようにお金を儲けることが出来ます。どうぞあなた方御夫婦で見世物になって下さいませんか」
とまじめ腐って云いました。
豚吉はこれを聞くと、今までニコニコしていたのに急に憤《おこ》り出しまして、大きな声で動物園の主人を怒鳴りつけました。
「この馬鹿野郎、飛んでもないことを云う。おれたちはまだ見世物になるようなわるいことをしていない。貴様は何という失敬な奴だ」
と、真赤になって掴みかかろうとしました。
ヒョロ子は慌ててそれを押し止めまして、
「お待ちなさい。この動物園の御主人は何も御存じないからそんなことをおっしゃるのです。折角鹿や猪を売ってやろうとおっしゃるような親切な方に、そんなことを云うものではありません」
と云ってから、今度は青くなっている動物園の主人に向って、
「どうも私の主人は気が短いので、すぐ憤《おこ》り出して済みません。けれども見世物になることだけはおことわり致します。ほんとのことを申しますと、私達は人から見られるのがイヤで、婚礼の晩に逃げ出して来たくらいです。きょうでも只鹿や猪の生きたのが欲しいばっかりに、あなたのところへ行きましたのです。ですから、済みませんが鹿と猪を売って下さいませんか」
とていねいに頼みました。
動物園の主人はガッカリした顔をしてきいておりましたが、やがてうなずきまして、
「それじゃよろしゅう御座います。売って上げましょう。今夜遅く、一時過ぎに入らっしゃい。生きた猪と鹿を箱ごと上げます。そうして車に積んで、無茶先生のところまで持たして上げますから」
と云いました。
夫婦は喜んでお礼を云いまして、そこを出て、一先ず町の宿屋へ帰りました。
豚吉とヒョロ子夫婦はその夜遅く動物の見世物小舎の前まで来ますと、もう見物人も何も居ず、音楽隊やそのほかの雇人《やといにん》も皆一人も居なくなって、表には主人がたった一人番をしておりましたが、二人を見ると、
「サアサア、こちらへお出でなさい。猪と鹿とをチャンと檻に入れておきました」
と、ニコニコして見世物小舎の中に案内しました。
ところが二人が何気なく見世物小舎に這入りますと間もなく、地の下に陥囲《おとしあな》が仕かけてありましたので、二人ともその中に落ち込んだ上に、その又|陥囲《おとしあな》の中《うち》に在った蹄係《わな》に手足を縛られて、身体《からだ》を動かすことも出来なくなりました。
その時に動物園の主人は穴の上からのぞいて、大きな声で笑いました。
「アハハハハハ。ザマを見ろ。折角人が親切に雇ってお金を儲けさしてやろうと思ったのに、云うことをきかないからそんな眼に合わされるのだ。あしたからお前達を見世物にして、おれはお金をウンと儲けるつもりだ。サアみんな出て来い」
と云いますと、今まで隠れていた見世物の雇い人が出て来て、二人を押えつけて新しい檻の中に入れて、上から幕を冠せました。
檻に入れられるとすぐに豚吉はワーワー泣き出しましたが、ヒョロ子は泣きません。かえってニコニコしながら豚吉の耳に口を寄せて、
「泣かないでいらっしゃい。もうすこしするとこの檻から出られますから」
と云いました。豚吉は泣き止むと一所にビックリしまして、
「エッ。この檻の中からどうして逃げられるのだ」
と云いました。ヒョロ子は慌ててその口を押えて、
「黙っていらっしゃい。今にわかりますから。大きな声を出すと、逃げるときに見つかりますよ」
と云いましたので、豚吉は黙ってしまいました。
そのうちに動物園の主人が、
「サア、皆うちへ帰っていい。二人はもう檻へ入れたから大丈夫だ」
と云いますと、みんな帰ったようすで、そこいらが静かになりました。
ヒョロ子は真暗い檻の中で豚吉の耳に口を寄せて、
「サア待っていらっしゃい。二人でこの檻を出ますから」
と云いましたので、豚吉はビックリしました。やはり小さな声で云いました。
「どうして逃げるのだ。前には鉄の棒が立っているし、うしろの入り口には鍵がかかっているし、どこからも出るところは無いではないか」
「待って入らっしゃい。今にわかります。私が先に出て、あとからあなたが出られるようにして上げますから、ジッとして待っていらっしゃい」
と云ううちに、ヒョロ子は前に並んではめてある鉄の棒の間から足を出しました。それから身体《からだ》を横にして少しゆすぶりますと、幅も厚さも当り前の人の半分しかないのですから、わけなくスーと外へ出ました。
それからヒョロ子は、外を包んだ幕をまくって外へ出て、そこいらから大きな丸太ん棒を拾って来て、豚吉が這入っている檻の鉄の格子の間に突込んでグイグイと押しますと、太い鉄の棒が一本外れました。
待ちかねた豚吉は慌ててその間から出ようとしましたが、まだ出られませんので、又一本外しましたが、まだ出られません。又一本、又一本と、都合五本外しましたら、やっと豚吉が出て来ることが出来ました。
「助かったア」
と豚吉は嬉しまぎれに叫びましたので、ヒョロ子はビックリして止めまして、
「そんな声を出してはいけません。誰か居たらどうします」
と云ううちに、檻の外にかかった幕を揚げて、見世物小屋の入口の処に来ますと、さっき居た主人はどこに行ったか見当りません。いいあんばいだと、二人は真暗な中をドシドシ逃げてゆきました。
動物園の見世物の主人はそんなことは知りません。
二人を檻に入れますとすぐに宿屋に帰って、自分の手下の中《うち》で画《え》をよく書く者に、ヒョロ長いヒョロ子の姿とブタブタした豚吉の姿を描かせました。それを夜の明けぬうちに見世物小屋の上にあげさせました。それを眺めて動物園の主人はニコニコして、
「これでいいこれでいい。サアみんな寝ろ。あしたは見物が一パイに来るに違いないから、みんな早く起きて来るんだぞ」
あくる朝になりますと、見世物小舎の主人は、前の晩に豚吉夫婦を捕えて檻の中へ入れたり何かしたものですから疲れたと見えまして、たいそう朝寝をして眼を覚ましましたが、見ると雇人《やといにん》もまだみんなグーグーと睡っています。それを一人一人に起こして、揃って御飯を喰べて、見世物小舎の前に来て見ますと、この小舎の前はもう人間で中に這入れない位です。その人々は皆口々に、
「早く入り口をあけろあけろ」
「あの看板に出ている珍らしい夫婦を見せろ見せろ」
と怒鳴っています。それを早起きして来た動物の番人が一生懸命で止めています。
見世物小舎の主人は飛び上って喜びました。その大勢の人を押しわけて中に這入りますと、いきなり高い処に上って演説を初めました。
「サアサア皆さん、静かにして下さい。今から皆様にあの看板の通りの世界一の珍らしい夫婦を御目にかけます。あの夫婦は昨日《きのう》この見世物小舎に見物に参りましたのですが、御覧の通り珍らしい姿ですから、私が百万円出して夫婦を買い取りまして皆様にお眼にかけることにしました。ですから、あれを御覧になりたいとおっしゃる方は、一人前一円|宛《ずつ》お出しにならねばお眼にかけません。サアサア皆さん。又と見られぬ世界一の珍らしい夫婦です。おかみさんの高さが一丈八尺もあって、旦那様の高さがたった三尺という百万円の珍夫婦……一円位は安いものです。入らっしゃい入らっしゃい」
これをきくと、何しろ大評判な上に又と見られないというので、われもわれもと一円出して、見る見るうちに中は一パイになってしまいました。
そうすると見世物小屋の主人は今度は中に這入って来て、見物の前に立ちまして、
「サアサア皆さん。よく御覧なさい。これが世界一の珍夫婦です」
と云ううちに、前にかかっていた幕を外しますと……どうでしょう……丈夫な鉄の格子が五本も外れて、中には夫婦の姿は見えません。
見世物小屋の主人は肝を潰しました。
「こりゃあどうじゃ。いつの間に逃げたんだろう。その上にこの丈夫な檻の格子を破るなんて何と恐ろしい力だろう」
と呆気《あっけ》に取られておりました。
けれども見物は承知しません。
「ヤアヤア。その珍らしい夫婦はどうしたんだどうしたんだ」
とわめきますので、見世物小屋の主人は頭を抱えて、
「昨夜、檻を破って逃げられたんです。たしかにこの中に入れといたんですが」
と云いましたけれども、見物はやっぱり承知しません。
「その檻を破るような人間があるものか。貴様は嘘をついているのだろう」
と、みんなワアワア騒ぎ出しました。これを見ると主人は慌てて、
「嘘じゃありません嘘じゃありません。御勘弁御勘弁」
と云いながら、頭を抱えて逃げ出しました。
「アレッ。畜生。嘘をついてお金を取って逃げようとするか。泥棒だ泥棒だ。殴っちまえ殴っちまえ」
と云ううちに大勢の見物人が上って来て、見世物小屋の主人をメチャメチャに殴り付て、踏んだり蹴ったりしますと、めいめいお金を取り返して帰って行ってしまいました。
その時に豚吉とヒョロ子は町の宿屋に帰ってグーグー寝ておりましたが、そのうちに二人共眼がさめて、
「これからどうしよう」
と相談を初めました。
「せっかく見世物の鹿や猪を見つけたかと思うと、あべこべにこっちが見世物にされそうになって、危いところをやっと助かった」
と豚吉が云いますと、ヒョロ子もほっとため息をして、
「無茶先生が待っていらっしゃるでしょう」
と云いました。そうすると豚吉は何か一生懸命に考えておりましたが、やがて不意に飛び上って喜んで、
「そうだそうだ。うまいことを考えた。おれはちょっと行って来る」
と云ううちに宿屋を飛び出しました。そうしてやがて帰って来たのを見ると、市場から大きな馬と小さな豚を一匹買っております。
「サア、どうだ。馬と鹿なら似ているだろう。豚と猪《しし》も似ているだろう。だから、馬と鹿の背骨も、豚と猪《しし》の背骨も似ているに違いない。これでいいかどうか、無茶先生のところへ持って行って見ようではないか」
ヒョロ子もこれを見て大層感心をしまして、
「ほんとにそれはいい思い付きですわね。どうして今までそんないい事に気が付かなかったでしょう」
と云うので、それから二人は連れ立って、馬と豚とを連れて無茶先生のところへ出かけました。
無茶先生は昨日《きのう》の通り頭や髭を蓬々《ほうほう》として裸で居りましたが、豚吉夫婦が生きた馬と豚を持って来たのを見ると腹を抱えて笑いました。
「アハハハハハハハ。鹿と猪の代りに馬と豚をつれて来たのは面白いな。お前たちさえよければ馬と豚の背骨でも構わない。入れかえてやろう。その代り鹿や猪よりも太くて、しかも長く持たないぞ」
「ヘエ。どれ位持つでしょうか」
「そうだな。鹿の背骨が千年持つならば、馬の背骨は五百年持つ。それから猪のがやはり千年持てば、豚のもやはりその半分の五百年持つのだ」
「それなら大丈夫です。私達は五百年の千年のと生きる筈はありませんから、せいぜいもう百年持てばいいのです」
「馬鹿野郎。まだ自分が死にもせぬのに、五百年生きるか千年生きるかどうしてわかる」
「ヤ。こいつは一本参りましたね」
と豚吉は頭をかきました。
「それじゃ私たちは五百年も生きるでしょうか」
「生きるとも生きるとも。馬や豚の背骨の中におれが長生きの薬を詰めて入れておけば、五百年位はわけなく生きる」
「ヤッ。そいつは有り難い。それじゃすぐに入れ換えて下さい」
「よし。こっちへ来い」
と云ううちに、無茶先生は豚吉とヒョロ子を連れて奥の手術場に連れ込みました。
無茶先生はやっぱり裸体《はだか》のままの野蛮人見たような恐ろしい姿をして、まず豚吉をそこにある大きな四角い平たい石の上に寝かしました。
それから、夫婦が連れて来た二匹の獣《けもの》のうち馬の方だけを手術場に引っぱり込んで、豚吉の横に立たせて、白い繃帯でめかくしをしました。
それから戸棚をあけて、一梃の大きな金槌《かなづち》とギラギラ光る出刃庖丁を持ち出して、まず金槌を握ると、馬の鼻づらをメカクシの上から力一パイなぐり付けましたので、馬はヒンとも云わずに床の上に四足を揃えてドタンとたおれました。
それから、驚いて真蒼《まっさお》になって見ている豚吉の頭の処へ来て、イキナリ金槌をふり上げましたので、豚吉は床の上にコロガリ落ちたまま腰を抜かしてしまいました。
ヒョロ子は肝を潰すまいことか、慌てて走り寄って無茶先生の手に縋りついて、
「マア。何をなさいます」
と叫びました。
無茶先生はヒョロ子に止められるとあべこべにビックリした顔をして、振り上げた金槌を下しながら怖い顔をして云いました。
「何だって止めるのだ。この金槌で豚吉の頭をなぐるばかりだ」
「マア、怖ろしい。そうしたら私の大切な豚吉さんは死んでしまうじゃありませんか」
「ウン、死ぬよ」
「死んだものに背骨を入れかえて背丈《せい》を高くしても、何の役に立ちますか」
「アハハハハ」
と無茶先生は笑い出しました。
「アハハハ、そうか。お前たちはこの金槌でなぐられて死ぬと、もう生き返らないと思って、そんなに心配をするのか。それなら心配することはない。今一度殴れば生き返るのだ。ソレ、この通り」
と云ううちに、無茶先生は傍にたおれている馬の額を金槌でコツンと打ちますと、死んだと思った馬は眼を開いてビックリしたように飛び起きました。無茶先生は大威張りで、又馬を打ちたおしました。
「それ見ろ、この通りだ。豚吉でもこの通り」
と、イキナリ豚吉の頭に金槌をふり上げますと、
「助けてくれッ」
と豚吉は泣き声を出しながら表の方へ駈け出したので、ヒョロ子も一所に走り出しました。そのあとから、生き残った豚もくっついて走って行きました。
「ヤア大変だ」
と無茶先生がその豚を裸のまんま追っかけました。
「貴様は殺したあとで肉を売って喰おうと思っていたのに……ヤーイ……豚ヤーイ」
と怒鳴りながら駈出しましたので、豚吉は自分の事かと思って一生懸命に走ります。そのあとからヒョロ子が走ります。そのあとから豚が走ります。そのあとから無茶先生が真裸体《まっぱだか》で走りますので、往来を通っている人はみんなビックリしました。
「何だろう」
「どうしたのだろう」
「行って見ろ行って見ろ」
「ワイワイワイワイ」
と集まって、往来一パイになってかけ出しました。
そのうちに無茶先生はやっと豚の尻尾を押えましたので、それを逃がすまいと一生懸命になっている隙に、豚吉とヒョロ子は一生懸命逃げて宿屋へ帰りましたが、自分たちの居間に這入ると二人はホッと一息しました。
「アア、驚いた。いくら死ななくても、あの金槌でゴツンとやられるのは御免だ」
「ホントに恐ろしゅう御座いましたね」
二人は話し合いました。
「おれあもう諦めた。一生涯片輪でもいい。おれたちの片輪を治してくれるお医者は無いものと思ってあきらめよう」
「ほんとに。あんな恐ろしい眼に遇うよりも片輪でいた方がいいかも知れません」
夫婦がこんなことを云っているところへ、表の方が大変騒がしくなりましたから、何事かと思って障子のすき間から夫婦でのぞいて見ますと、コハイカニ……表の通りは一パイの人で、みんな口々に、
「さっきこの家に走り込んだ珍らしい夫婦を見せろ見せろ」
と怒鳴り散らしております。
それをこの家《うち》の番頭さんが押し止めて、
「いけませんいけません。あれは私の家《うち》の大切なお客様ですから、私の方で勝手に見せるわけに参りません。もし見たいとお思いになるならば、私のうちにお泊り下さるよりほかに致し方ありません」
と大きな声で云っております。
往来の人々はそれを聞くと、
「そんならおれはここに待っていて、あの夫婦が出かけるのを待っている」
というものと、
「おれはこの家に泊って、是非ともあの夫婦を見るんだ」
というものと二つに別れましたが、泊る方の人々は、
「サア。番頭さん、泊めてくれろ。宿賃はいくらでも出す。ゼヒとも一ぺんあの珍らしい夫婦を見なければ――」
と番頭さんに云いましたが、番頭さんは又手を振りました。
「いけませんいけません。あなた方より先にこの宿に泊っている人でこの宿屋は一パイなのです」
「この野郎、嘘を吐《つ》くか」
とその人々は騒ぎ立ちました。
「貴様はうるさいものだからそんなことを云うのだ。泊めないと云うなら、表を押破って這入るぞ」
といううちに、われもわれもと番頭を押しのけてドンドン中へ這入って来ました。
これを聞くと豚吉はふるえながら、
「どうしよう」
といいます。ヒョロ子も何ともしようがないので、互に顔を見合わせておりますと、そのうちに下からドカドカと大勢の人が上がって来るようです。
「どこだどこだ」
「下の方には居ないようだ」
「二階だ二階だ」
といううちに、五六人ドカドカと二階の梯子段を飛び上って来る音をききますと、ヒョロ子は慌てて豚吉の方へ背中を向けて、
「サア、私におんぶなさい」
と云いました。そうして、
「どうするのだ」
と驚いている豚吉を捕えて背中に負うて、そこにあった帯で十文字にくくり付けますと、すぐに窓をあけて屋根の上に飛び出しました。
これを見付けた往来の人々は大騒ぎを初めました。
「ヤア。屋根に出て来たぞ。しかも男が女に背負《おぶ》さっているぞ。みんな出て来い。見ろ見ろ」
と口々に叫びました。
ヒョロ子はそれを見るとすぐに隣の屋根にヒョイと飛び移って、屋根を伝って、又その先の屋根へヒョイと飛び移って行きました。そうすると、これを見付けた宿屋の番頭が又大声を出して、
「ヤア。あの夫婦は喰い逃げだ。喰い逃げだ。みなさん、捕まえて下さいッ」
と叫びました。
「ソレッ、捕まえろ」
と、大勢の見物人も屋根伝いに逃げる二人のあとから往来の上をドンドン追っかけ初めました。
こうなるとヒョロ子も一生懸命です。屋根から屋根、軒から軒と、重たい豚吉を背負ったまま飛んでは走り飛んでは走りします。それを下から見物人が指さしながら、
「あっちへ逃げたぞ」
「こっちへ来たぞ」
と面白半分に追いまわします。そのうちに通りかかりの人々は皆、屋根の上を走る奇妙な夫婦の姿を見て驚いて、みんなと一所に走り出しますので、人数はだんだんに殖えるばかり。しまいには何千人とも何万人ともわからぬ位になって、ワアワアワアワアワアと町中の騒ぎになりました。
けれども、遠く離れた往来を通っている人には何事だかわかりません。
「何という騒ぎだろう」
「戦争でしょうか」
「鉄砲の音がしない」
「火事だろうか」
「煙が見えない」
「何だろう何だろう」
「行って見ろ行って見ろ」
駈け出すものや、屋根に上るものなぞが、あとからあとから出来て、騒ぎはいよいよ大きくなるばかり。中には転んで踏み潰されたり、屋根から落ちて怪我をしたり、又はブツカリ合って喧嘩を初めるものなぞがあって恐ろしい有様になりました。
そうなると警察もほっておくわけに行きませんので、ドンドン巡査を繰出します。消防も半鐘《はんしょう》をたたいたので、近くの町や村々の消防や蒸気ポンプがわれもわれもと駈け付けましたが、何しろ騒ぎが大きいのと、どこの往来も人で一パイなので近寄ることが出来ません。一所になって、
「静まれ静まれ」
と叫ぶばかりなので、町中は引っくり返るような騒ぎです。
こちらはヒョロ子です。豚吉を背負ったまま高い屋根の上に立って四方を見渡しますと、見渡す限りの往来も屋根もみんな人間ばかりで、警察や消防も出て来ているようです。どっちを向いても逃げようがありません。
「ああ、情ないことになった。おれたちが片輪に生れたばっかりに、こんな騒ぎになった。もうとても助からぬ。捕まったら殺されるに違いない」
と、豚吉はヒョロ子の背中に掴まって、ブルブルふるえながらオイオイ泣き出しました。
ヒョロ子も涙を流しながら、
「ほんとにそうです。けれども私たちが結婚式の晩に村を逃げ出しさえしなければ、こんな眼に会わなかったでしょう。お父さんやお母様や親類の人達に御心配をかけた罰でしょう」
と云いました。
「そうじゃない」
と豚吉は怒鳴りました。
「あの橋を無理に渡って、こんな馬鹿ばかり居る町に来たからこんな眼に会うのだ」
「そうじゃありません。音《おと》なしくあの見世物師の云うことをきいて見世物になっておれば、こんなことにならなかったのです。檻を破ったり何かした罰です」
「そうじゃない。あの無茶先生に診《み》せに行ったのがわるかったんだ」
「そうじゃありません。あの無茶先生がせっかく治してやろうとおっしゃったのを、逃げ出したからわるいのです」
「そうじゃない。お前がおれをこんなに背中に結び付けて、屋根の上を走ったりするもんだからこんな騒ぎになるのだ。お前は馬鹿だよ」
「馬鹿でもほかに仕方がありませんもの……」
「ああ、飛んだ女と夫婦になった」
「そんなら知りません。あなたをここに捨てて逃げてゆきます」
「イケナイ。そんなことをすると喰い付くぞ、この野郎」
と云うと、イキナリ豚吉はヒョロ子の髪毛《かみのけ》を捕まえました。
「アア痛い。放して下さい放して下さい。逃げられませんから」
とヒョロ子は金切声を出しました。
これを見た往来の人々は、
「ヤア。あすこで夫婦喧嘩を初めた。今の間に捕まえろ」
というので梯子を持って来ますと、元気のいい二三人の青年が屋根の上に飛び上って来ました。
それを見ると、豚吉は慌ててヒョロ子の髪毛を放しながら、
「ソレ、捕まるぞ。逃げろ逃げろ」
と云いますと、ヒョロ子は夢中になって往来を隔てた向うの屋根に飛び移りました。
「ソレ、又逃げ出した」
「あっちへ行った」
「追っかけろ追っかけろ」
と追いまわし初めましたが、何しろ人数が多いのでヒョロ子夫婦はどっちへも逃げようがありません。それをあっちへ飛び、こっちへ飛びしているうちに、ヒョロ子は豚吉を背負ったままだんだん町外れの方へ来ましたが、その家の無くなりがけに小さい古ぼけた屋根が見えます。そこから先はもう家も何も無い上に、仕合わせと人間もまだ追い付いて来ていない様子で、往来には誰も居ないようですから、ヒョロ子は占めたと思いまして、高い屋根の上からその低い屋根の上に両足を揃えて飛び降りますと、その屋根は腐っていたものと見えまして、ヒョロ子と豚吉の重たさのためにズバリと破れました。そうしてその勢いでヒョロ子は豚吉を背負ったまま屋根の下の天井までも打ち抜いて、その下に寝ている人の腹の上にドシンと落ちかかりました。
「ギャッ。ウーン」
と云って、寝ている人はそのまま眼をまわしてしまいましたが、そのおかげでヒョロ子も豚吉も怪我をしないで起き上って見ますと、こは如何《いか》に……眼をまわしているのは無茶先生で、そこいらには鍋だの焜炉《こんろ》だの豚の骨だの肉だのが一面に散らばっております。その横には最前の馬もまだ足を投げ出して寝ています。
「まあ。大変よ、無茶先生ですよ。さっきの豚を捕まえて召し上って、寝ていらっしたところですよ。その上から私たちが落ちかかったのですよ……まあ、ほんとにどうしましょう」
とヒョロ子は泣声を出しました。
「心配するな。そこにあるバケツの水を頭からブッかけて見ろ」
と豚吉が背中から云いましたので、ヒョロ子はその通りに無茶先生の頭からブッかけますと、無茶先生は、
「ウーン。ブルブルブル」
と眼をさましました。そこへも一パイ頭からバケツの水をブッかけましたので、無茶先生は、
「ウワア。夕立だ、雷だ」
と云いながら飛び起きました。
その様子が可笑《おか》しかったので、ヒョロ子も豚吉も腹を抱えて笑い出しましたが、無茶先生は頭から濡れたまま眼をこすってよく見ますと、思いもかけぬヒョロ子が豚吉を背負って立っていますので、又驚きました。
「ヤア、お前達はどうしてここへ来たのだ」
と尋ねました。
ヒョロ子は落ちかかる豚吉をゆすり上げながら今までのことをお話ししますと、無茶先生は面白がってきいておりましたが、
「フーンそうか。それじゃ、町中の奴がお前達夫婦を見たいと云って追っかけまわしたのか。それは困ったろう。しかし、それというのも、お前たちがおれの云うことをきかないからこんなことになるのだ。おれの云うことをきいて背骨を入れかえてさえおけば、そんな眼に会わなくても済むのだった」
と云いましたので、ヒョロ子は豚吉も気まりがわるくなって、
「ほんとに済みませんでした。もうこれからどんなことをされても恐がりませんから、どうぞ当り前の人間にして下さい。今度でもうコリゴリしました」
と床の上に座ってあやまりました。無茶先生は大威張りで、
「よしよし。お前達がそんなにあやまるならば、今度は背骨だけでなく、身体《からだ》中すっかりたたき直して、ビックリする位立派な人間に作りかえてやろう」
「ええっ。そんなことが出来ますか」
「ウン、出来るとも出来るとも。お前達はおれの腕前を知らないからそんなことを云うけれども、おれが持っている薬の力ならば、どんなことでも出来ないことはないのだ」
「ありがとう御座います。それではすぐに治して下さい」
「イヤイヤ、ここでは出来ぬ。それには支度が要るから、どこか鍛冶屋へ行かなければ駄目だ。今からすぐ行くことにしよう」
と、無茶先生はすぐにお薬を取り出して、鞄の中へ入れ初めました。
その時にはるか向うから、
「ワーッ、ワーッ」
「あすこの家《うち》に珍らしい夫婦が逃げ込んだ」
「無茶先生の家《うち》だ無茶先生の家だ」
「それ、押しかけろ押しかけろ」
と云う声がすると一所に、あとからあとから大勢の人間が押しかけて、無茶先生の家のまわりを一パイに取り巻いてしまいました。
無茶先生はこれを見ると真赤になって憤《おこ》り出しました。
「こん畜生。来やがったな。よしよし、おれが追払《おっぱら》ってやる。お前達は二人共鼻の穴にこの綿を詰めてジッとしていろ。そうして、馬鹿共が居なくなったら、すぐに逃げられるように用意していろ」
と云ううちに、無茶先生は自分の鼻の穴にも綿をドッサリ詰め込んで、丸|裸体《はだか》のまま表に飛出して大勢の者を睨み付けますと、
「コラッ。貴様共は何しに来たんだッ」
と怒鳴り付けました。
すると、大勢の人の中から一人の大きな強そうな男が飛び出して来て、
「貴様は無茶先生か」
とききました。
「そうだ。貴様は何だ」
「おれはこの町の喧嘩の大将だが、今貴様のうちにヒョロ長い女がまん丸い男をおぶって逃げ込んだから捕まえに来たんだ」
「何だってその夫婦を捕まえるんだ」
「その夫婦は奇妙な姿で屋根から屋根へ飛び渡って町中を騒がしたんだ。そのため怪我人や死んだものが出来たんだ。それだから捕まえに来たんだ」
「馬鹿野郎。貴様たちがその夫婦を無理に見ようとしたから夫婦が逃げ出したんだろう。貴様たちの方がわるいのだ」
「こん畜生。貴様はあの夫婦に加勢をして、おれ達に見せまいとするのか」
「そんな夫婦はおれの処に居ない」
「居ないことがあるものか。あの屋根を見ろ。あんなに破れている。あすこから落ちこんだに違いない」
「そんなら云ってきかせる。夫婦はうちに居るけれども、貴様たちに渡すことは出来ない」
「こん畜生。貴様はおれがどれ位強いか知ってるか」
「知らない。いくら強くても構わない。おれが今追い払ってやる」
「追い払えるなら追い払って見ろ」
「ようし。見ていろ」
と云ううちに、無茶先生は隠して持っていた香水の瓶を取り出して、家のまわりにぐるりとふりまきました。
それを嗅ぐと、大勢の人は吾れ勝ちに嚔《くしゃみ》を初めて息もされない位で、しまいにはみんな苦しまぎれに眼をまわすものさえ出て来ました。
それを知らないであとからあとから押しかける町の人々はみんなクシャミを初めて、これはたまらぬと逃げ出します。大きな男の喧嘩大将も一生懸命我慢していましたが、とうとう我慢し切れなくなって、百も二百も続け様《ざま》にクシャミをしているうちに地びたの上にヘタバッてしまいました。
けれども、遠くからこの様子を見ていた人は、みんなが嚔をしていることはわかりません。只、無茶先生の家のまわりを取り巻いている人が、みんなひっくり返って、上を向いたり下を向いたりして苦しんでいる有様しか見えませんから、驚きまして、
「コレは大変だ。あの無茶先生は大変な魔法使いに違いない。まごまごしているとみんな殺されるかも知れぬ」
というので、ドンドン逃げ出してゆきました。
大勢の人が無茶先生の香水に恐れて逃げて行きました。おかげでうしろの方に居た巡査さんや消防は、やっと前の方に出て来ることができましたが、その巡査さんや消防たちも無茶先生の香水のにおいを嗅ぐと、やっぱり同じこと一時にクシャミを初めまして、消防は鳶口《とびぐち》を持ったまま、又巡査さんはサーベルを握ったまま、あっちでもこっちでも、
「ハクションハクション」
「ヘキシンヘキシン」
「フクシンフクシン」
「ファークショファークショ」
「ハアーッホンハアーッホン」
と云ううちに、みんな引っくり返ってしまいました。
この様子を見た大勢の人々はいよいよ驚いてしまいました。
「これは大変だ。巡査さんや消防までも無茶先生に殺されそうだ。早く兵隊さんを呼んで来て、無茶先生を殺してもらおう」
と、大急ぎで兵隊さんを呼びにゆきました。
けれども、無茶先生や豚吉やヒョロ子は鼻の穴に綿をつめておりますから、香水の香《にお》いもわからなければ嚔《くしゃみ》も出しません。
「サア、この間に逃げるんだ」
と無茶先生は云いながら、横にあった金槌を取り上げて、横に寝ている馬の頭をコツンと一つなぐり付けますと、馬はパッと生き上りました。それを表に引き出して、細引で口縄をつけると、無茶先生が裸体《はだか》のまま鞄を持って一番先に乗ります。そのあとからヒョロ子が豚吉を背負って馬の背中に這い上りますと、無茶先生が手綱を取って、
「ハイヨーッ」
と云うと、広い往来を一目散に逃げ出した。
その時、うしろの方から勇ましいラッパの音がきこえて、兵隊さんが大勢、無茶先生の家《うち》へ押寄せましたが、見ると無茶先生と豚吉とヒョロ子は馬に乗ってドンドン逃げて行く様子です。
「ソレッ。魔法使いが逃げるぞ。打て打て」
と云ううちに、兵隊さんは横に並んでドンドン鉄砲を打出しましたが、ちょうどその時、兵隊さんはみんな無茶先生の香水のにおいを嗅ぎましたので、みんな一時にクシャミを初めて鉄砲を狙うことが出来ません。撃ってもクシャミをしながら撃つのですから、弾丸《たま》はとんでもない方へ行ってしまいます。その間に無茶先生と豚吉とヒョロ子を乗せた馬はドンドン逃げてしまいました。
やがて馬が或る山の麓《ふもと》まで来ますと、無茶先生は馬から下りまして、
「サア、ここまで来れば大丈夫だ」
と、ヒョロ子を馬から下ろしてやりますと、ヒョロ子も背中から豚吉を下ろしてやりました。そうして三人は鼻の穴の綿を取って棄てました。
無茶先生はそれから馬をもと来た道の方へ向けて、お尻をピシャリとたたきますと、馬は驚いてドンドン駈けてゆきました。
裸体《はだか》のままの無茶先生は豚吉とヒョロ子を連れて、それからすこしばかり行ったところの町で一軒の宿屋に這入りました。
ところが宿屋の者は三人の奇妙な姿を見ると、恐ろしがってなかなか泊めてくれませんでしたから、それじゃ物置でもいいからと云いましたけれども泊めてくれません。そのうちにその宿屋の表には見物人が黒山のように集まりました。
無茶先生はとうとう怒り出してしまいました。
「この馬鹿野郎共。何が珍らしくてそんなに集まって来るのだ。人間だから裸で居るのもあれば、背の高いのもあれば低いのもあるのは当り前の事だ。それを珍らしがって見に来るなんて失敬な奴だ。又、この宿屋の奴もそうだ。おれたちのどこがわるいから泊めてくれないのだ。おれたちはみんな人間だぞ。人間が宿屋に泊めてくれというのが何がわるいのだ。愚図愚図云うと、貴様共をみんな盲《めくら》にして終うぞ」
と云ううちに、鞄から小さな粉薬の瓶を出しました。
それを見ると豚吉は、
「おもしろいおもしろい」
と手を拍《う》って喜びましたが、ヒョロ子は慌ててそれを止めまして、
「まあ、先生。そんな可愛そうなことをなさいますな。泊めてくれなければ、私たちは山の中に寝てもよろしゅう御座いますから」
と云いました。
そうすると無茶先生は、
「よし。それではやめてやろう。その代りおれは泊めてくれるまでここを動かない」
と云ううちにその粉薬を仕舞って、その宿屋の上り口のところにドッカリと座りますと、今度は鞄からパイプを出して、黒い色の煙草を詰めて、火をつけてスパリスパリと吸い初めました。
店の番頭は困ってしまいました。
「どうもそんなことをなすっては困ります。こんなに店の前に大勢人が居ては、ほかのお客さんが泊りに来られませんから早く出て行って下さい……」
と云いかけましたが、ヒョイと妙なことに気が付きました。
座ったままパイプを啣《くわ》えて、スパリスパリと煙草を吸っている無茶先生の顔がだんだん黄色くなって行きます。オヤオヤと思っているうちにその顔色が赤くなって、それから紫色になって、見る見るうちに真っ黒になってしまいました。
番頭は肝を潰してしまいましたが、その時に不図気が付きますと、黒くなったのは無茶先生ばかりではありません。側に居た豚吉やヒョロ子はもとより、まわりを取り巻いている見物人も、無茶先生の煙草の煙に当ったものはみんな、顔色が黄色から赤へ、赤から紫へ、紫から黒へとなりかけています。
番頭はふるえ上って奥へ飛んで来て、御主人の前まで来ると腰を抜かしました。
「御主人様。大変です大変です」
と云いますと、主人と一緒に御飯をたべていたおかみさんも、子供も小僧さんも、みんなワッとお茶碗を投出して逃げてゆきそうにしました。
それを主人は止めながら、
「大変とは何です。あなたは一体どなたです」
と云いました。番頭は不思議そうに眼をキョロキョロさせながら答えました。
「私は番頭です」
「何、番頭。私の処にはあなたのような黒ん坊の番頭さんは居りません」
「エエッ。私が黒ん坊ですって。ああ、情ない。そんならやっぱりあの魔法使いにやられたのだ」
と云ううちに、番頭さんはそこへ泣きたおれてしまいました。
「何、魔法使いにやられた。それはどういうわけだ」
と、みんな番頭のまわりに集まってききました。
番頭は泣きながら、
「今、表に魔法使いが来ています、その魔法使いと喧嘩をしましたためにこんなに顔を染められたのです。ああ、情ない。ワアワアワア」
と、番頭はなおなお大きな声で泣き出しました。
「フーン、それは不思議なことだ。よしよし、おれが行って見てやろう。そんなに早く人の顔に墨を塗ることが出来るかどうか」
と云いながら立ち上って表へ行きますと、ほかのものもあとからゾロゾロくっついて表へ来てみました。
宿屋の主人が表に来て見ますと、無茶先生は相変らずパイプを啣えながらプカリプカリと煙を吹かしています。そうして、立っている人々も自分の顔が黒くなったのは知らずに、みんな無茶先生や豚吉やヒョロ子の黒くなった顔を面白そうに見ています。
宿屋の主人は驚き呆《あき》れて、開いた口が閉《ふさ》がらぬ位でしたが、やっと落ち付いて無茶先生に向って、
「これ、黒ん坊の魔法使い。お前は何の怨《うら》みがあって、おれのうちの番頭をあんなに黒ん坊にしてしまった」
と叱りました。
無茶先生はその時ニヤニヤ笑いながら、宿屋の主人の顔を見て云いました。
「貴様のうちに泊めてくれないからだ」
「何、泊めてくれないからだ」
「そうだ。だから泊めてくれるまでここを動かないつもりだ」
と、又白い煙を沢山に吹き出しました。主人はこれをきくと大層腹を立てました。
「馬鹿なことを云うな。おれのうちは貴様みたような生蕃人や、そんな片輪者なぞを泊めるようなうちじゃない。出てゆけ出てゆけ。泊めることはならぬ」
「アハハハハハ」
と無茶先生は笑いました。
「今に見ていろ。きっと、どうぞお泊り下さいと泣いて頼むようになるから」
「何糞《なにくそ》。いくら貴様が魔法使いでも、おれはちっとも怖かないぞ。出てゆかねばこうだぞ」
と懐中からピストルを取り出して、無茶先生につき付けました。
「フフン。おれを殺したらあとで後悔するだけだ」
と無茶先生は落ち付いたもので、又も黒い鼻からと口からと白い煙をドッサリ吹き出しました。
そうするうちに見物人はみんなワイワイ騒ぎ出しました。
「ヤアヤア。宿屋の御主人の顔が蒼白くなった。赤くなった。もう紫になった。オヤオヤ真黒になってしまった。奥さんもお嬢さんも、坊ちゃんも小僧さんもみんな黒くなった。大変だ大変だ」
と騒ぎ立てましたが、そのうちに今度は自分たちの顔までも真黒になっていることに気が付きますと、サア大変です。
「ヤア。おれたちまでも魔法にかかった。大変だ大変だ。魔法使いを殺してしまえ」
と寄ってたかって、無茶先生へ掴みかかって来ました。
その時無茶先生は立ち上って、大勢を睨み付けながら怒り付けました。
「馬鹿野郎共。何が魔法だ。おれが色の黒くなる煙草を吸っているのを、貴様たちがボンヤリ立って見ているからだ。貴様たちの方がわるいのだ。それともおれを殺すなら殺せ。貴様たちは一生真黒いまま死んでしまうのだぞ。おれは白くなるお薬を知っているんだ。サア、殺すなら殺せ」
これを聞くと、みんな一時に静まりました。そうしてその中から一人のお爺さんが出て来て、
「私たちがわるう御座いました。どうぞそのお薬を教えて下さいませ」
とあやまりますと、ほかのものも地びたに手を突いて一生けんめいお詫びをしました。
それを見ると無茶先生はうなずいて、
「よしよし。それなら貴様たちからこの宿屋の主人に頼んで、おれたちを泊めてくれるようにしろ」
と云いました。
宿屋の主人はこの時まで、自分のおかみさんや子供達が真黒になって泣いているのを見て、ボンヤリ突立っておりましたが、忽ちピストルを取り落すと、無茶先生の前に跪《ひざまず》いて、真黒な顔を畳にすり付けながら、
「どうぞどうぞお泊り下さいお泊り下さい」
とピョコピョコお辞儀をして、手を合わせて拝みました。それを見ると無茶先生は大威張りで、
「それ見ろ。おれの云う通りだ。そんなら泊ってやるからうんと御馳走するのだぞ」
「ヘイヘイ。どんな御馳走でもいたします」
「よし。それじゃ教えてやる。みんなの顔が黒くなったのは、この煙草の脂《やに》がくっついたのだ。だからお酒で洗えばすっかり落ちてしまう。サア、おれたちにもお酒を入れた風呂を沸《わ》かしてくれ。そうして、おれには特別にあとでお酒を沢山に持って来い。この煙草を吸ったので腹の中まで真黒になったから、お酒を飲んで洗わなくちゃならん。サア、豚吉も来い。ヒョロ子も来い」
と、大威張りでこの宿屋の一番上等の室《へや》へ通りました。
無茶先生のおかげで豚吉とヒョロ子はやっと宿屋へ泊りましたが、宿屋の主人が大急ぎで沸かしましたお酒のお風呂で身体《からだ》を洗いますと、三人とももとの通りの姿になりました。又、ほかのものもみんな、無茶先生から教《おそ》わった通りにお酒で顔を洗って、もとの通りの白ん坊になりましたので大喜びで、無茶先生の不思議な術に誰もかれも驚いてしまいました。
それを見た無茶先生は威張るまいことか、宿屋の主人が出した晩御飯の御馳走を喰べながら、豚吉と一緒にお酒を飲んで酔っ払って、大きな声で自慢を初めました。
「どうだ、みんな驚いたか。おれは当り前のお医者とは違うんだぞ。病気やなんか治すよりも、もっともっとえらいことが出来るんだぞ」
これを聞くと、無茶先生と一緒にお酒を飲んでいた豚吉も威張り出しました。
「おれは、きょう、兵隊が千人と巡査が一万人と消防が十万人、町の者が十万人で向って来たのをみんな追い散らして来たんだぞ」
これを聞いたヒョロ子はビックリしまして、
「そんなことを云うものじゃありません。もしこの町の巡査さんや兵隊さんがそれを聞いて、捕まえに来たらどうします」
と叱りました。けれども豚吉は平気なもので、なおの事大きな声を出して云いました。
「ナアニ。大丈夫だ。その時は又無茶先生に追い払ってもらうのだ」
と、つい本当のことを云いましたので、無茶先生もヒョロ子も腹を抱えて笑いました。
けれども宿屋の主人は何も知りませんので、いよいよ感心して驚いてしまいました。
「ヘエー。それはえらいお方ばかりですな。それじゃ無茶先生は当り前の病気ぐらいは訳なくお治し下さるで御座いましょうな」
と尋ねました。
無茶先生はやはり真裸《まっぱだか》のまんま、ガブガブお酒を飲みながら大威張りで答えました。
「おお。どんな病気でも治してやる。その代り一人治せばお酒を一斗|宛《ずつ》飲むぞ」
「それじゃお酒を一斗差し上げますから、私の妻《かない》の病気を治して下さいませぬか」
「どんな病気だ」
「何だかいつも頭が痛いと申しまして、御飯を食べる時のほか寝てばかりおりますが、どんなお医者に見せましても治りませぬ」
「よし、すぐに連れて来い」
「かしこまりました」
と、亭主は無茶先生たちの居る二階を降りてゆきましたが、間もなく手拭で鉢巻きをしたお神さんをおぶっこして上って来て、無茶先生の前にソッと卸しました。そのあとから上って来たさっきの番頭は、お酒を一斗樽ごと抱えて来て無茶先生の前に置きました。
無茶先生はその樽の栓を取ると、両手に抱えてグーグーグーグー一息に呑み初めましたが、やがて飲んでしまいますと、
「アー。久し振り樽ごとお酒を飲んで美味《うま》かった。ドレ、お神さん。顔を見せろ」
とお神さんの顎に手をかけて顔をジッと見ておりましたが、忽ち割れ鐘のような声で笑い出しました。
「アアアアアア。なるほど、頭が痛そうな顔をしているな。コレ、お神さん。お前はなあ、あんまり主人に我儘《わがまま》を云ったり、番頭や丁稚《でっち》を叱りつけたりするから頭が痛いんだぞ。しかし、その病気はすぐなおるから心配するな。これから頭が痛い時はすぐに、主人にこうしてもらえ」
と云ううちに、右の手で岩のような拳固《げんこ》を作って、お神さんの右の横面《よこつら》をグワーンとなぐりつけました。お神さんは、
「ギャッ」
というなり眼をまわして、左の方へたおれかかりました。そこで無茶先生は今度は左の拳骨を固めて左側から横ッ面をポカーンとなぐりつけますと、眼をまわしていたお神さんはパッと眼をさまし、そこいらをキョロキョロ見まわしておりましたが、
「アラ。私の頭の痛いのが治ったよ。まあ、何という不思議なことでしょう。ほんとに無茶先生、有り難う御座いました」
と大喜びでお礼を云って降りて行きました。
この様子を見ていた宿屋の主人は、もう無茶先生のエライのに肝を潰してしまいました。
「ああ、ビックリしました。先生は何というエライお方でしょう。それではお序《ついで》に私の息子の病気も治していただけますまいか」
「フーン。貴様の息子の病気は何だ」
「ヘエ。私の息子の病気は、いつもお腹が痛いお腹が痛いと云うて学校を休むのです。どんなお医者に見せても治りません」
「そうか。それはわけはない。おれが見なくとも病気はなおる」
「ヘエ。どうすればなおります」
「朝の御飯を喰べさせるな」
「そうすればなおりますか」
「そればかりではいけない。昼のお弁当を息子に持たせずに、学校の先生の処へお使いに持たしてやれ。どんなことがあっても朝御飯と昼御飯をうちで喰べさせるな。そうすればお腹が空《す》くからイヤでも学校に行くようになる」
「成るほど。よくわかりました」
「サア。酒をもう一斗持って来い」
「ヘイ、只今持って来させます。それでは序《ついで》に私のおやじがカンシャク持ちで困りますから、それも治して下さいませ」
「よしよし、つれて来い」
こうして無茶先生は家《うち》中の者の病気をみんな治してやりました。
先ずおやじのカンシャク頭は、テッペンをクリ抜いて蓋をするようにして、憤《おこ》った時はその蓋を取ればなおるようにしてやりました。
お婆さんの禿頭《はげあたま》は、頭の上を掻きむしって、毛の種を蒔《ま》いてやりました。
娘の低い鼻は、鼻の穴に突っかい棒を入れて高くしてやりました。
女中の居ねむりは、着物の襟にトゲを縫いつけて、うつむくと痛いように仕かけてやりました。
下男の腰が痛いのは、腰の処に太い鉄の釘を打ち込んで丈夫にしてやりました。
こうしてみんなの病気を治してやりましたので、無茶先生のまわりに大きい、小さいお酒の樽がいくつも積まれました。
「もう病人は居ないか」
と無茶先生が云いますと、宿屋の主人は畳にあたまをすりつけて、
「ありがとう御座います。この上はこの家《うち》中のものがみんな死なないようにして下さいませ」
といいました。
「ウン、そうか。それは一番|易《やす》いことだ」
と無茶先生は笑いながら云いました。
「サア。みんな、ここへ来て並べ」
と家《うち》中のものを眼の前に呼び寄せて、ズラリと並ばせました。
「サア、どうだ。みんな、死なないようにしてもらいたいか」
と尋ねますと、みんなそろって畳に頭をすりつけて、
「どうぞどうぞ死なないようにして下さいませ」
と拝みました。無茶先生は大威張りで、
「よし。そんなら何万年経ってもきっと死なないようにしてやる。その代り、おれの云うことをみんなきくか」
「ききますききます。私もどうぞヒョロ子と一所に何万年経っても死なないようにして下さい」
と、豚吉まで一所になって拝みました。
無茶先生は大笑いをしまして、
「アハハハハハ。貴様たちもそんな片輪でいながら死にたくないか。よしよし、それではみんなと一所におれの云うことをきけ。いいか。今からおれが歌うから、貴様たちはみんなそれに合わせて手をたたいて踊るのだ。その踊りが済めば、おれが一人一人に死なないように療治をしてやる」
と云いながら、無茶先生は又一つの樽に口をつけて、中のお酒をグーッと飲み干します。と今度はその次の樽をあけて、みんなに思う様《さま》飲ませました。中にはお酒の嫌いなものもありましたが、無茶先生のお医者が上手なことを知っておりますから、これを飲んだら死なないようになるに違いないと思いまして、一生懸命我慢してドッサリ飲みましたので、みんなヘベレケに酔っ払ってしまいました。そうして無茶先生に、
「早く歌を唄って下さい。踊りますから」
と催促をしました。
無茶先生は拳固《げんこ》で樽をポカンポカンとたたきながら、すぐに大きな声で歌い出しました。
「酒を飲め飲め歌って踊れ
人の生命《いのち》は長過ぎる
生れない前死んだらあとは
何千何万何億年が
ハッと云う間もない短さを
生きている間に比べると
人の生命《いのち》の何十年は
長くて長くてわからぬくらい
飲めや飲め飲め歌って踊れ
人の一生は長過ぎる
生れてすぐ死ぬ虫さえあるに
人の一生はちと長過ぎる
酒を飲め飲め歌って踊れ
飲んで歌って踊り死ね
サッサ飲め飲め死ぬ迄飲めよ
サッサ歌えや死ぬまで歌え
サッサおどれよ死ぬまで踊れ
一度死んだら又死なぬ」
「イヤア、こいつは面白い。素敵だ素敵だ」
と、酔っ払った豚吉がまっ先にドタドタ踊り出しますと、宿屋の主人もお神さんも、番頭や女中や子供までも、酔っ払ってはねまわります。しまいにはヒョロ子まで立ち上って、無茶先生のまわりをぐるぐるまわりながらヒョロリヒョロリと踊ってゆきます。大変な騒ぎです。
しかも一まわり歌が済む度毎《たびごと》に、無茶先生はお茶碗で一ぱい宛《ずつ》みんなにお酒を飲ませますので、酔っ払った人たちはなおのこと酔っ払って踊ります。そのうちにみんな疲れてヘトヘトになって、あっちへバタリ、こっちへバタリたおれて、とうとうみんな動けなくなってしまいまして、みんな虫の息で、
「もう、とてもお酒は飲めませぬ」
「踊りも踊れませぬ」
「早く死なないようにして下さい」
と頼みました。
その様子を見ると、無茶先生は歌をやめて、腹をかかえて笑い出しました。
「アハハハハ……面白かった。とうとうみんなおれに欺されて、動くことが出来なくなったな。それでは一つ死なないようにしてやろうか」
と云いながら、鞄の中から鉄槌《かなづち》を一つ取り出しました。
それを見ると豚吉は驚いて尋ねました。
「その鉄槌で何をなさるのですか」
「これでみんなの頭をたたき割って殺して終《しま》うのだ。いいか。一度死んでしまえば、今度はお前たちの望みどおりいつまでも死なないのだぞ。サア、覚悟しろ」
と云うや否や鉄槌をふり上げて睨みつけますと、酔っ払って動けなくなっていた宿屋の主人もお神さんも、番頭も女中も子供も一時に飛び起きて、
「ワア。人殺し」
と叫ぶと、吾れ勝ちに梯子段のところへ来て、あとからあとから転がり落ちて逃げてゆきました。只あとには、豚吉とヒョロ子だけが残っております。
無茶先生は豚吉のそばへ寄りまして、
「ウム、感心感心。貴様はこの鉄槌でなぐられたいのか」
と云いますと、今まで真赤に酔っていた豚吉は、真青になってふるえながら拝みました。
「オ、オ、お助けお助け。ワ、ワ、私は、コ、コ、腰が抜けて、ウ、ウ、ウ、ウ、ウ、動かれないのです」
と涙をポロポロこぼしました。
「ワハハハハハ。いつも意久地《いくじ》の無い奴だ。じゃあヒョロ子、お前はどうしたんだ。やっぱり腰が抜けたのか」
とゆすぶって見ましたが、もうグーグーとねむってしまって返事もしません。
「アハハハハ。そんなに沢山飲みもせぬのにヒドク酔っ払ったな。よしよし。そのまんま寝ていろ。コレ、豚吉、心配するな。今云ったのはおどかしだ。お前たちを殺そうなぞと俺が思うものか。出来ないことを頼むから、ちょっと胡魔化《ごまか》して踊らせてやったのだ」
「エッ。それじゃ今のは冗談ですか」
「そうだとも」
「ああ、安心した。それじゃもっとお酒を飲みます」
「サア飲め、沢山ある。おれも飲もう」
と、二人で樽を抱えてグーグー飲んでいるうちに、いつの間にか酔い倒れてしまいました。
やがて夜が更けて、家中が静かになって鼾《いびき》の声ばかりきこえるようになりますと、表の方へゾロゾロゾロゾロと沢山の靴の音がきこえて来ましたが、その時ふッと眼をさました無茶先生が、何事かと思って雨戸のすき間からのぞいて見ますと、それは隣の町から無茶先生たちを捕えに来た兵隊の靴の音で、見る見るうちに三人の泊っている宿屋は兵隊に取り巻かれてしまいました。しかもその兵隊達はみんな、無茶先生の香水を嗅がせられて嚔《くしゃみ》の出ないように、鼻の上から白い布片《ぬのきれ》をかぶせて用心をしています。
それを見ると無茶先生は可笑《おか》しいのを我慢しながら、
「よしよし。きのうおれに香水を嗅がされて死にそうになったので、魔法使いだと思って捕えに来たのだな。しかも鼻ばかり用心して来るなんて馬鹿な奴だ。そんならも一度驚かしてやる」
と独言《ひとりごと》を云って、鞄の中から小さな瓶を取り出して、中に這入っていた粉薬を傍《そば》にあった火鉢の灰の中へあけて、スッカリ掻きまわしてしまいました。
それから今度は下へ降りて、宿屋の台所へ行って塩を沢山と、物置へ行って六尺棒を一本と、大きな鋸《のこぎり》を一梃と、縄の束を一把と取って、又二階へ帰りますと、何も知らずに寝ているヒョロ子と豚吉にシビレ薬を嗅がせ初めました。
宿屋を取り巻いた兵隊達は、鼠一匹逃がすまいと鉄砲を構えて待っております。
その中の大将は、出来るだけそっと表の戸をコジあけさせて、兵隊を四五人連れて宿屋の中に這入って、主人の寝ている枕元に来ますと、靴の先でコツコツと蹴って起しました。
お酒に酔っていい心持ちで寝ていた宿屋の主人は、何事かと思って眼をさましますと、自分の枕元に怖い顔をした大将と、鉄砲を持った兵隊が四五人立っていますので、夢ではないかと眼をこすって起き上りました。
その時大将は腰のサーベルを見せながら、
「大きな声を出すと斬ってしまうぞ。只おれが尋ねることだけ返事しろ。貴様の処には髪毛や髭を蓬々と生やした真裸《まっぱだか》の怖い顔の男と、背の高い女と低い男の三人が昨夜から泊まっているだろう」
「ヘヘイ」
と、宿屋の主人は寝床の上に手を突いて、ふるえながら返事をしました。
「その三人をおれたちは捕えに来たのだ。さあ、そいつどもの居る室に案内をしろ」
「カ、カシコマリマシタ」
と、宿屋の主人はガタガタふるえながら立ち上って、階段を先に立って上りました。
大将はサーベルをギラリと抜いて兵隊に眼くばせをしますと、兵隊も鉄砲に剣をつけてあとから上って行きました。
そうして三人の寝ている室の前まで来ますと、主人も大将も兵隊達もめいめいに室の裏と表にわかれて、戸や障子のすき間から中の様子をのぞきましたが、みんなハッと肝を潰しました。
無茶先生は、睡っているヒョロ子と豚吉を二人共丸|裸体《はだか》にして、手は手、足は足、首は首、胴は胴に鋸でゴシゴシ引き切って、塩をふりかけて、傍にある空樽の中へ漬物のように押しこんでいます。そうして、一つの樽が一パイになると、又次の樽に詰めて、六つの樽を一パイにしますと、それぞれに蓋をして縄で縛り上げて、二つにわけて六尺棒の両端に括《くく》り付《つ》けました。
それから鞄から眼鏡を取り出してかけると、その鞄も一所に棒にくくり付けてしまって、火鉢の傍にドッカリと座りながら、
「サア来い。エヘンエヘン」
と咳払いをしました。
大将はこの様子を見るといよいよ驚き怖れましたが、思い切って大きな声で、
「サア、皆。魔法使いを捕えろッ」
と怒鳴りますと、四五人の兵隊は一時に室の裏表からドカドカと飛び込みましたが、無茶先生は驚きません。大きな声で笑いました。
「アハハハ。何だ、貴様たちは」
「兵隊だ」
「何しに来た」
「貴様たち三人を捕まえに来た」
「お前たちの鼻の頭にかぶせた布片は何だ」
「これは昨日《きのう》のように貴様に香水を嗅がせられない要心だ」
「アハハハハ。いつおれが貴様たちに香水を嗅がせた」
「この野郎。隠そうと思ったって知っているぞ。貴様は無茶先生だろう」
「馬鹿を云え。おれは塩漬け売りだ。この通り荷物を作って、夜が明けたらすぐに売りに出かけようとするところだ。第一、貴様たち三人を捕えに来たと云うが、この室中にはおれ一人しか居ないじゃないか。ほかに居るなら探して見ろ」
と睨み付けました。その時
「嘘だッ」
と雷のように怒鳴りながら大将が飛び込んで来ました。
飛び込んで来た大将は刀をふり上げながら、無茶先生をグッと睨み付けました。
「この嘘|吐《つ》きの魔法使いめ。貴様が今しがた人間を塩漬けにしていたのを、おれはちゃんと見ていたぞ。そうして、一人しか居ないなぞと胡魔化そうとしたって駄目だぞ」
「アハハハハ。見ていたか」
と無茶先生は笑いました。
「見ていたのなら仕方がない。いかにもおれは自分が助かりたいばっかりに、二人の仲間を殺して塩漬けにしてしまった。サア、捕えるなら捕えて見ろ」
「何をッ……ソレッ」
と大将が眼くばせをしますと、大将と兵隊は一時に無茶先生を眼がけて斬りかかりましたが、彼《か》の時遅くこの時早く無茶先生が投げた火鉢の灰が眼に這入りますと、大将も兵隊も忽ち眼が見えなくなって、一時に鉢合せをしてしまいました。
「これは大変」
と逃げようとしましても逃げ道がわかりません。壁や襖《ふすま》にぶつかったり、樽に躓《つまず》いたりして、転んでは起き、起きては転ぶばかりです。
「ヤアヤア。大変だ大変だ。又魔法使いの魔法にかかった。みんな来て助けてくれ助けてくれ」
と大将が叫びますと、無茶先生も一所になって、
「助けてくれ助けてくれ。みんな来いみんな来い」
と叫びます。
これを外できいた兵隊たちは、
「ソレッ」
と云うので吾れ勝ちに家《うち》の中へ駈け込んで、ドンドン二階へ上って来ましたが、みんな無茶先生から灰をふりかけられて盲になってしまいます。そうして、とうとう家中は盲の兵隊で一パイになってしまいました。
「サア、どうだ。みんな眼が見えるようになりたいなら、静かにおれの云うことをきけ」
と、その時に無茶先生が怒鳴りますと、今まで慌《あわ》て騒《さわ》いでいた兵隊たちはみんな一時にピタリと静まりました。
「いいか、みんなきけ。今から一番|鶏《どり》が鳴くまでじっと眼をつぶっていろ。そうすれば眼が見えるようになる。おれはこれから二人の塩漬けの人間を生き上らせに行くんだ。邪魔をするとおれの屁《へ》の音をきかせるぞ。おれの屁の音をきくと、耳がつぶれて一生治らないのだぞ。ヤ、ドッコイショ」
と云ううちに、二人の塩漬けの樽と鞄を結びつけた棒を担《かつ》ぎ上げて、まだお酒の残っている樽を右手に持ちながら梯子段を降り初めました。
「ヤアヤア。こいつは途方もなく重たいぞ。ああ、苦しい。屁が出そうだ屁が出そうだ。オットドッコイ。あぶないあぶない。屁の用心。屁の用心」
と云いながら、大威張りで降りて表へ出て行きましたが、兵隊たちはみんな耳へ指を詰めて眼をとじて、一生懸命小さくなっていましたので、誰も捕まえようとするものがありません。
そのうちに無茶先生は表へ出ますと、大きな声で、
「アア。やっとこれで安心した。ドレ、ここで一発放そうか」
と云ううちに、大きなオナラを一つブーッとやりました。
無茶先生のオナラをきいた兵隊たちは、
「大変だっ」
と耳を詰めましたが、あとは何の音もきこえません。
さてはほんとに耳が潰れたかと思っていますと、そのうちに、
「コケッコーコーオ」
と一番鶏の声がきこえました。
「オヤオヤ。一番鶏の声がきこえるくらいなら耳は潰れていないのだな。そんならあの屁は只の屁で、きいても耳は潰れないのだな。サテはおれたちは欺されたな」
と、一人の兵隊が眼を開いて見ますと、室《へや》の中にともっているあかりがよく見えます。
「ヤッ、眼があいた眼があいた。オイ、みんな眼をあけろ眼をあけろ。何でも見えるぞ……きこえるぞ」
と怒鳴りましたので、兵隊達は一時に起き上りました。そこへ大将も起きて来て、
「サア、魔法使いのあとを追っかけろ」
といいましたので、兵隊たちは勢い付いて八方に駈け出して無茶先生を探しましたが、まだあたりがまっ暗《くら》で、どこへ行ったかわかりませんでした。
無茶先生は、その時町を出てだいぶあるいていましたが、右手に持ったお酒の樽へ口をつけてグーグー飲みながら、
「ウーイ。美味《おいし》い美味い。酔った酔った。エー、豚の塩漬けは入りませんか。ヒョロの塩漬けは入りませんかア。アッハッハッハッ。面白い面白い。エー、豚とヒョロの塩漬けやアーイ」
と怒鳴りながら、あっちへよろよろ、こっちへよろよろとしてゆきます。
「アー、誰も買いませんか。豚とヒョロの塩漬けだ。安い安い。百|斤《きん》が一銭だ一銭だ。アッハッハッハッ。面白い面白い。樽の中で手は手、足は足に別々になって寝ているんだ。眼がさめたら困るだろう。アハハハハ。誰か買わないか、豚とヒョロの無茶苦茶漬けやアイ」
とあるいているうちにだんだんと夜があけますと、いつの間にか道が間違って大変な山奥に来ています。
「イヤア、こいつは驚いた。酔っているものだから飛んでもないところへ来てしまった。これじゃ、いくら怒鳴ったって誰も買い手が無い筈だ。ああ、馬鹿馬鹿しい。ああ、くたぶれた。第一こんなに重くちゃ、これから担いでゆくのが大変だ。一つ生き上らして、自分で歩かしてやろう」
といいながら、無茶先生は二人を塩漬けにした樽を担いで、谷川の処へ降りて来ました。
無茶先生は山奥の谷川の処まで来ますと、お酒の樽の蓋をあけて、中から豚吉とヒョロ子の手や足や首や胴を取り出して、谷川の奇麗な水でよく洗いました。
それから鞄をあけて一つの膏薬《こうやく》の瓶を出して、切り口へ塗って、豚吉は豚吉、ヒョロ子はヒョロ子と、間違えないようにくっつけ合わせて、そこいらにあった藤蔓《ふじづる》で縛ってしばらく寝かしておきますと、やがて二人ともグーグーといびきをかき初めました。
その時に無茶先生は、谷川のふちに生えていた細い草の葉を取って、二人の鼻の穴へソッと突込みますと、二人共一時に、
「ハックションハックション」
と嚔をしながら眼をさまして、起き上りました。
「ヤア。お早う」
と無茶先生が声をかけますと、二人とも眼をこすりながら、
「お早う御座いますお早う御座います」
とお辞儀をしましたが、又それと一所に二人とも飛び上って、
「アア、大変だ。咽喉《のど》がかわく咽喉がかわく。ああ、たまらない。腹の中じゅう塩だらけになったようだ」
「私も口の中が焼けるようよ。ああ、たまらない」
といううちに、二人とも谷川の処へ駈け寄って、ガブガブガブガブと水を飲み初めました。
「アハハハハハ」
と無茶先生は笑いました。
「咽喉《のど》がかわく筈だ。お前たちは塩漬けになっていたんだから」
「エッ。塩漬けに……」
と二人共ビックリして、水を飲むのを止めてふり向きました。
「ああ。おれはお前たちをこの樽に塩漬けにして、おれはやっとここまで逃げて来たんだ」
と、無茶先生が今までのことを話しますと、二人は夢のさめたように驚きました。そうして、いよいよ無茶先生のエライことがわかりまして、その足もとにひれ伏してお礼を云いました。
しかし、やがてヒョロ子は自分の身体《からだ》のまわりを見まわしますと、泣きそうな顔になりました。
「けれども先生、私たちはこんなに裸体《はだか》になりましたがどうしましょう。このまま道は歩かれませぬが、どことかに着物はありませぬでしょうか」
「まあ、待て待て」
と無茶先生はニコニコ笑いました。
「そんなに心配するな。ここは山奥だから誰も見はしない。だから恥ずかしいこともないのだ。お前たちの身体《からだ》がどんなに長くても短くても笑うものは無いのだ。それよりもおれについて来い。これから長い長い旅をするのだ。そうするとおしまいにいい処へ連れて行ってやるから」
と云ううちに先に立って歩き出しました。
豚吉とヒョロ子は無茶先生のあとからついてゆきますと、無茶先生は包みを一つ抱えたまま先に立って、二人をだんだん山奥へ連れてゆきました。そのうちにお腹が空《す》きますと、ちょうど秋の事で、方々に栗だの柿だの椎《しい》だの榧《かや》だのいろんな木の実が生《な》っております。それを千切ってたべては行くのでしたが、都合のいい事はヒョロ子が当り前の人の二倍も背が高いので、いつも三人が食べ切れない程木の実を千切ることが出来ました。
そのうちになおなお山奥になりますと、鳥や獣《けもの》が人間を見たことがないので珍らしそうに近寄って来ます。そうしてしまいには、友達のように身体《からだ》をすりつけたり、頭にとまったりするようになりました。そんなのにヒョロ子は千切った木の実を遣りながら、
「まあ、先生。ここいらには猪や鹿がこんなに沢山居るのですね」
と云いましたので、無茶先生も豚吉も大笑いをしました。
こんな風にして何日も何日も旅を続けてゆくうちに、或る日ヒョロ子はシクシク泣き初めましたので、無茶先生がどうしたのかとききますと、ヒョロ子は涙を拭いながら、
「お父さんやお母さんに会いたくなりましたのです」
と申しました。それをきくと豚吉も一所に泣き出しました。
「私も早くうちへ帰りとう御座います。たった三人切りでこんな山の中をあるくのは淋しくて淋しくてたまりません」
「馬鹿な」
と、無茶先生は急に怖い顔になって二人を睨みつけました。
「何をつまらんことを云うのだ。お前たちは自分の姿を人が見て笑うのがつらいから村を逃げ出して来たのじゃないか。こうして山の中ばかりあるいていれば誰も笑う者が無いから、おれはお前たちをここへ連れて来たのだ。こうして一生山の中ばかりあるいていれば、これ位のん気なしあわせなことははいではないか」
「エッ……先生、それでは私たちは一生こうして山の中ばかり歩いていなければならないのですか」
と豚吉は叫びました。
「ああ。何という情ないことでしょう。私はもう笑われても構いませぬ。何故《なぜ》逃げ出したと叱られても構いませぬ。早くうちへ帰ってお父様やお母様にお眼にかかりとう御座います。どうぞどうぞ先生、私たちへうちへ帰る道を教えて下さいませ」
と、二人共地びたに坐わって、泣きながら無茶先生を拝みました。
そうすると無茶先生も立ち停まって、ジッと二人を見ていましたが、又怖い顔をして、
「それは本当か」
と尋ねました。
「本当で御座います本当で御座います。もうどんなことがあっても、両親や友達を欺して村を逃げ出したりなんぞしません」
「きっときっと親孝行を致します」
と、豚吉もヒョロ子も、涙をしゃくりながら無茶先生にあやまりました。
無茶先生はその時初めてニッコリしました。
「それをきいて安心した。おれは、お前たちが両親や友達にかくれて逃げて来たものだとわかったから、罰を当てたのだ。お前たちの身体《からだ》をどんなに立派に作りかえても、心が立派にならなければ何もならないと思ったから、わざと両親が恋しくなるようにこんな山の中をいつまでも引っぱりまわしたのだ。けれどもお前たちがそんな心になれば、いつでもお前達の身体《からだ》を立派な姿にしてやる。ちょうどいい。もう山奥は通り過ぎて人間の居る村に近付いている。あれ、あの音をきいて御覧」
と向うの方を指しました。
無茶先生が指した方を向いて豚吉とヒョロ子が耳を澄ましますと、一里か二里か、ズッと向うの方から、
「テンカンテンカンテンカンテンカン」
と鍛冶屋の音がきこえます。
「アッ、鍛冶屋の音が!」
「人間が居る」
と、二人は飛び上って喜びました。そうして無茶先生と一所に大急ぎでそちらへ近づきましたが、やがてとある崖の上へ出ますと、向うは一面の田圃《たんぼ》で、すぐ眼の下には川が青々と流れて、その流れに沿うた道ばたの一軒の家から、最前の鉄槌《かなづち》の音が引っきりなしにきこえて来ます。
「ヤア。ちょうどいい処にあの鍛冶屋はあるな。よしよし、あの家を借りてお前たちを立派な姿に作りかえてやろう。ちょっと待て。あの家《うち》の様子を見て来るから」
といううちに無茶先生はグルリと崖のふちをまわって、その家《うち》の門の口へ来ました。
見るとこの家《うち》の主人は五十ばかりのお爺さんですが、独身者《ひとりもの》と見えてお神さんも子供も居ず、たった一人で一生懸命鉄槌で鉄敷《かなしき》をたたいて、テンカンテンカンと蹄鉄を作っています。それを見ると無茶先生は大きな口を開いて、
「アハハハハハ。テンカンテンカン」
と笑いました。
鍛冶屋のお爺さんは不意に門口《かどぐち》から笑うものが居るので吃驚《びっくり》して顔をあげて見ますと、髪毛と髭を蓬々とさした真裸体《まっぱだか》の男が鞄を一つ下げて立っておりますので、大層腹を立てまして怒鳴り付けました。
「何だ、貴様は」
「おれは山男だ」
「山男が何だって鞄を持っているのだ」
「この中にはおれが山の草で作った薬が一パイに詰まっているのだ。どんな病気に利く薬でもあるのだ」
これをきくと鍛冶屋の爺さんは急にニコニコしまして、
「それあ有り難い。それじゃテンカンに利く薬もあるだろうな」
とききました。
無茶先生はトボケた顔をして、
「テンカンとはどんな病気だ。鉄槌で物をたたく病気か」
と尋ねますと、爺さんは頭を掻きながら、
「そうじゃない。不意に眼がまわって、引っくりかえって泡を吹く病気だ。わたしはその病気があるためにお神さんも貰えずに、たった一人で鍛冶屋をしているのだ」
と云ううちに泣きそうな顔になりました。
「ウン、その病気か。それならたった一度で利く薬がある。けれども只では遣れないぞ」
「エエ。それはもう私に出来ることでお前さんの望むことなら、何でも御礼にして上げる」
「それじゃ、まずこの仕事場を日の暮れるまで貸してくれ。それから町へお使いに行ってもらいたい」
「それはお易い御用です。今からでもよろしゅう御座います」
「よし、それではこの薬を飲め」
と、鞄の中から何やら抓《つま》んで、鍛冶屋の爺さんの掌《てのひら》に乗せてやりました。
「ヘイヘイ。これは有り難う御座います」
とピョコピョコお辞儀をしながらよくよく見ましたが、不思議なことに何べん眼をこすってもそのお薬が見えません。
「これは不思議だ。私の眼がわるくなったのか知らん」
とお爺さんは独言《ひとりごと》を云いました。
「見えるものか」
と無茶先生は笑いました。
「それは人間の眼には見えないほど小さな丸薬だ。それを飲めばどんなテンカンでもすぐになおる。嘘だと思うなら嘗《な》めて見ろ」
お爺さんはすぐに舌を出して、自分の掌《てのひら》をペロリと嘗めて舌なめずりをしましたが、
「フーン。これは不思議だ。大層いいにおいがしますな。何だか腹の中まで涼しくなるような……」
と眼をキョロキョロさせました。
「それで貴様のテンカンは治ったのだ。そのお礼に貴様は今から町へお使いに行って来い。それはおれども三人の着物を買いにゆくのだ。おれはちょうど貴様と同じ位の身体《からだ》だからお前の身体《からだ》に合う上等の着物と、それから五尺五寸の女の着物と、五尺八寸の男の着物と買って来い。お金はここにある」
と、鞄の中から金貨を一掴み出してやりました。
お爺さんはその金を受け取らずに手を振って申しました。
「いけませんいけません。私の病気はビックリテンカンというので、何でもビックリすると眼がまわって引っくり返るのです。ですから、こんな淋しいところの一軒家に居るのです。とても賑《にぎ》やかな、ビックリすることばかりある町へはゆかれませんから、こればかりは勘弁《かんべん》して下さい」
と申しました。
「この馬鹿野郎」
と無茶先生は怒鳴りつけました。
「その病気はもう治ったのじゃないか。嘘かほんとか試しに行って見ろ。もし町へ出て眼がまわるようだったら、着物を買わずに帰って来い。その金はおれの薬の利かない罰に貴様に遣るから」
「えっ、こんなに沢山のお金を?」
「そうだ。その代り、何ともなかったら、着物を買って来ないと承知しないぞ」
「それはもうきっと買って来ます。それじゃためしに行って来ましょう」
と、お爺さんは大急ぎで支度をして出て行きました。
お爺さんがもう大分行ったと思うと、無茶先生はその家の表へ出て崖の上を見ながら、
「オーイ。降りて来――イ」
と呼びました。
「ハーイ」
と豚吉とヒョロ子が返事をしますと、やがて二人とも降りて来ましたが、久し振り人間の住む家を見ましたので、二人ともキョロキョロしておりました。
一方に、お使いに出たお爺さんは、二三町行った時うしろの方から誰か大きな声で呼ぶ声がしましたので、立ち止まって見ておりますと、やがて家のうしろの崖の上から恐ろしく背の高い女と背の低い男が、しかも丸裸で降りて来て自分の家に這入りましたので、お爺さんの胸は急にドキドキし初めました。そうして、これは何でも不思議なことが初まるに違いないと思いまして、ソッと引返して裏の方へまわって、そこにあった梯子を伝って屋根裏から天井へ這入って、家の中の様子をのぞきました。
鍛冶屋の爺さんが天井の節穴から覗いているとは知らずに、無茶先生は久し振り人間の住む家に這入ってキョロキョロしている豚吉とヒョロ子のうしろから鍛冶屋の鉄槌で頭を一つ宛《ずつ》なぐり付けますと、豚吉とヒョロ子はグーとも云わずに土の上にたおれてしまいました。
鍛冶屋の爺さんは驚きました。
「ヤア。これは大変だ。あの山男は人殺しだ」
と思わず声を立てるところでしたが、やっと我慢をしました。
「それにしてもあの殺された人間は何という不思議な姿であろう。男の方は横の丸さが当り前の人間の倍もあるのに、背丈けは半分しかない。又、女の方はヒョロヒョロ長くて、まるで竹棹《たけざお》のようだ。何という不思議なことであろう。あの山男はあの二人を殺して喰うのか知らん」
と、一生懸命息を詰めて見ておりました。
無茶先生はそれから鍛冶屋にありたけの鉄を集めて真赤に焼いて、たたき固めて、一つの大きなヤットコと鉄の箱を作りました。
それから鍛冶屋にありたけの炭を集めて、ドンドン炉の中にブチ込んで、一生懸命|※[#「※」は「韋+(鞴−革)」、461-9]《ふいご》で火を吹き起しますと、その火の光りで家中が真赤になりました。
「オヤオヤ。家が焼けなければいいが」
と心配しいしい見ておりますと、無茶先生は鉄の箱をその上にかけて、水を一パイ汲んで、豚吉とヒョロ子をその中に投げ入れて、あとから真っ黒な薬を一掴み入れて煮初めました。
「サテ、煮て喰うのかな」
と思いながらお爺さんが見ておりますと、豚吉とヒョロ子は中の湯が煮立つにつれて真黒になって、まるで鉄のようになってしまいました。
それを大きなヤットコで挟み出して、鉄の箱の中の水を汲み出して外へ棄てて、鉄の箱も外へ出しますと、又も炭をドシドシ炉の中に入れて前よりも一層|非道《ひど》く燃やしましたが、やがてその炭の火が眼も眩《くら》む程まっ赤におこると、無茶先生はさっきこしらえた大きなヤットコを取り出し、先ず豚吉を挟んで火の中へ、
「ドッコイショ」
と突込みました。
「ヤア大変だ。この山男は人間を焼いて喰う化け物だ。人間の丸焼きだ丸焼だ」
と、鍛冶屋のお爺さんはふるえ上って見ておりました。
ところが豚吉は焼けも焦げもしません。だんだん赤くなって、しまいには当り前の鉄と同じように美しい火花がパチパチと飛び出す位柔らかに焼けて来ました。
それを無茶先生はヤットコで引き出して、大きな鉄敷の上に乗せて、片手に大きな鉄槌をふり上げて、
「スッテンスッテンスッテン」
とたたきましたので、豚吉の身体《からだ》はだんだん長く延びて来て、当り前の長さになりました。
それから又火に突込んで、焼いて柔らかくしては、又引き出してたたきます。そのうちに豚吉の眼も鼻も口も、身体《からだ》や手足の恰好も、すっかり無茶先生の鉄槌でたたき直されて、ホントに立派な、絵のような美しい人間の姿になりました。
「イヤア。これは不思議だ。あの山男は魔法使いだ。けれども、あんなに鉄のようになった人間をあの山男はどうするのだろう。もとの通りに生かすことが出来るのか知らん」
と鍛冶屋の爺さんは独言《ひとりごと》を云いました。
無茶先生は豚吉の身体《からだ》をたたき直しますと、そのまんま火の中へ入れて、今度はヒョロ子を引きずり出して、鉄敷の上に乗せて、二つにタタき屈《ま》げましたので、ちょうど当り前の人間の長さになりました。それを焼いてはたたき、たたいては焼いて、頭も尻も無い一つの大きな鉄の玉にしましたので、天井裏からのぞいていた鍛冶屋の爺さんは又肝を潰しました。
「ヤアヤア。あんな丸いものになった。人間の鉄の玉が出来上った。あの山男はあんなまん丸いものをもとの通りに生かすつもりか知らん」
と、なおも眼をこすって見ていますと、無茶先生は又も鉄槌を振り上げてその鉄の玉をたたいているうちに、丸い鉄のまん中から頭をたたき出しました。その次には、その頭の左右から両手をたたき出しました。そうしてその下に胴を作り、足を作ってしまいますと、今度は髪毛をたたき出し、眼鼻を刻みつけ、耳から手足の指から爪まで作りつけて、まるで女神のように美しい女としてしまいました。そうしてそれが済むと、豚吉と一所に並べて火の中に突込んで、その上から残った炭を山のように積み上げて、ブウブウ※[#「※」は「韋+(鞴−革)」、463-12]《ふいご》を動かし初めました。
初め赤く焼けていた豚吉とヒョロ子は、だんだん白い光りを放つように焼けて、身体《からだ》中から火花が眼も眩むほど飛び散り初めました。その時に無茶先生は両手でヤットコを握って、初めに豚吉を、その次にヒョロ子を引きずり出して、前を流れている川の中へドブンドブンと投げ込みました。
鍛冶屋のお爺さんはこれを見ると、慌てて天井を出て、裏の物置の屋根から裏庭へ飛び降りて、大急ぎで川のふちへ来ました。
見ると、豚吉とヒョロ子が沈んだ川の水の底からはグルングルングルグルグルと噴水のように湯気や泡が湧き出して、水の上に吹き上っておりましたが、やがてだんだんとその泡が小さくなって消えてしまいまして、青い水の上にポッカリと白い豚吉の身体《からだ》が浮き上りました。見ると、それは当り前の人間とちっともかわりがないどころでなく、昔の豚吉とはまるで違った立派な姿になっているのでした。
「これは不思議」
と鍛冶屋のお爺さんが思う間もなく、今度はヒョロ子の身体《からだ》が青い水の上に浮上りましたが、これも今までとはまるで違った美しい別嬪《べっぴん》さんになっております。
「不思議不思議」
と、鍛冶屋の爺さんは手をたたいて申しました。
これをきいた無茶先生がヒョイとその方を見ますと、鍛冶屋の爺さんが立っていますので、無茶先生はビックリしまして、
「ヤア。貴様はもうお使いに行って来たのか。何という早い足だ。もしや今おれがしていたことを見はしまいな」
鍛冶屋の爺さんは見る見る真青になってふるえ上りまして、そこへ座ってしまいました。
「どうぞお許し下さいまし。魔法使いの山男様。私はすっかり見ていました。ああ恐ろしや、肝潰しや。又テンカンが起りそうだ。どうぞ生命《いのち》ばかりはお助けお助け」
と手を合せて拝みながら、頭を往来の土の上にすりつけました。
無茶先生はこれをきくと、大きな眼玉を剥《む》いて鍛冶屋の爺さんを睨みつけましたが、
「よしよし、見たら仕方がない。その代り今見たことを一口でも人に話すと、それだけビックリしても起らなくなったテンカンがまた起るようになるぞ。決して人に話すことはならぬぞ」
と叱りつけますと、お爺さんは大喜びです。
「エエ、エエ。それはもう決して人に話しません。どうぞお助けお助け」
と、また拝みました。
「よしよし。助けてやるから、あの二人の身体《からだ》を水から上げろ。それから貴様の家《うち》へ連れ込んで、すっかり拭き上げて、貴様の布団を着せて寝かせ」
「ヘイヘイ。かしこまりました」
お爺さんは大勢いで二人を水から引き上げて、無茶先生の云いつけ通り家《うち》の中に担ぎ込んで、二人を寝かしました。
「コレコレ。それでは貴様は今から町へ行って、さっき頼んだ買物をして来い。それから腹が減ったから、喰い物とお酒を買って来い」
「ヘイヘイ。そして、その召し上りものはどんなものがよろしゅう御座りましょうか」
「それは葱《ねぎ》を百本、玉葱を百個、大根を百本、薩摩芋《さつまいも》を百斤、それから豚と牛とを十匹、七面鳥と鶏《にわとり》を十羽ずつ買って来い」
「えっ。それをあなたが一人で召し上るのですか」
「馬鹿野郎、そんなに一人で喰えるものか。葱は白いヒゲだけ、玉葱は皮だけ、大根は首だけ、薩摩芋は頭と尻だけ、豚は尻尾だけ、牛は舌だけ、七面鳥は足だけ、鶏は鳥冠《とさか》だけ喰うのだ。それからお酒は一斗買って来い。ホラ、お金を遣る」
「ヘイヘイ」
「それからも一度云っておくが、どんなことがあっても貴様が見たことをシャベルなよ。魔法使いだといって兵隊や巡査でも来るとうるさいから。そればかりでない。貴様のテンカンもまた昔の通りになるのだぞ」
「ヘイヘイ、決して申しませぬ。それでは行って参ります」
と、鍛冶屋のお爺さんは車力《しゃりき》を引いて町へ出かけました。
ところが、この鍛冶屋のお爺さんはまた困ったお爺さんで、何でも自分の見たことやきいたことを人に話したくて話したくてたまらない性質《たち》でした。
「これは困ったことになった。うっかりしゃべったら、おれの病気がもとの通りになるばかりでなく、あの山男を捕えに兵隊や巡査なんぞが来たら、おれの家《うち》はブチ壊されてしまうかも知れない。けれどもまた、あんな不思議な珍らしいことを見ておりながら、人に話すことが出来ないとは何という情ないことになったものだろう。ああ、困った困った」
と、独言《ひとりごと》を云い云い行くうちに、やっとのことで町に来ました。
さて、町に来て見ますと、その賑やかなこと、立派なこと。ビックリすることばかりです。けれどもお爺さんは驚きません。
「もうテンカンは治っているから大丈夫だ。それに、この町中の人が見たことのない不思議なものをおれは見ているんだぞ。おれは大変なことを知っているんだぞ。それを話したら、みんな驚いてテンカンを引くだろう。けれどもおれは話さないのだ。ドレ、ソロソロ買物をしようか」
と独言《ひとりごと》をいいながら、とある着物屋の門口まで来ました。
その着物屋では帽子や靴も一所に売っておりましたので、鍛冶屋のお爺さんは喜んで中へ這入って、
「若い男と女と、それから魔法使いの着物の中《うち》で一番上等のを下さい」
と云いました。店の主人はビックリしまして、
「ヘエ。若い男と女の方のお召し物は御座いますが、魔法使いの着物は御座いませぬ。一体それはどんなお方で御座いますか」
と尋ねました。鍛冶屋のお爺さんはそれが云いたくてたまらないのを我慢して、
「それは裸体《はだか》の山男です」
と申しました。主人はいよいよ呆れてしまいました。
「山男さんの着物もこの店には御座いません」
「そんなら、その山男はお医者だからお医者の着物を下さい」
「ああ、お医者様のお召物なら上等の洋服が御座います。それを差し上げましょう」
「ああ、早くそれを出して下さい」
こう云って、三人の着物から帽子から靴まで買いましたが、店の主人は珍らしいお話が好きと見えて、その着物を包んでやりながら鍛冶屋のお爺さんに尋ねました。
「しかし、その山男でお医者さんで魔法使いのお方は、よほど不思議なお方で御座いますね。今どこにおいでになるお方で御座いますか」
「私のうちに居ります」
「ヘエッ。それじゃ若い男と女の方もあなたのお家《うち》においでなのですか」
「そうです」
「ヘエ……。それではどうしてこのような立派なお召物がお入り用なのですか」
「三人共丸裸なのです」
「ヘエーッ。それはどうしたわけですか」
と、店の主人は肝を潰してしまいました。
鍛冶屋の爺さんはもうそのわけが話したくてたまらなくなりましたが、話しては大変だと思いまして、慌てて着物や何かを風呂敷に包みながら答えました。
「そのわけはいわれません」
そうするとこの店の主人はいよいよききたくてたまらない様子で、眼をまん丸にしながら、
「その魔法使いの人はどうしてあなたの家に来られたのですか」
と尋ねました。鍛冶屋のお爺さんはいよいよ慌てて、お金を払って荷物を荷《にな》って出てゆこうとしました。その袖を店の主人はしっかりと捕えまして、
「それではたった一つお尋ね致します。それを答えて下さればこのお金は要りません。その品物はみんな無代価《ただ》であげます」
「ヘエ。どんなことですか」
「あなたのお家《うち》はどこですか」
鍛冶屋のお爺さんは眼を白黒しましたが、
「それをいえば私は又テンカンを引きます」
と云ううちに、袖をふり切って表に飛び出して、荷物を荷《かつ》いで車力を引きながらドンドン駈け出してゆきました。
それから鍛冶屋の爺さんは八百屋の門の口まで車力を引っぱって来ましたが、又考えました。
「待てよ。あの魔法使いの山男は葱は白いヒゲだけ、玉葱は皮だけ、大根は首だけ、芋は尻と頭だけと云ったぞ。そのほかの鷄《にわとり》や獣《けもの》もみんなすこしずつしか喰べないと云ったぞ。そうして、その入り用なところはみんな棄ててしまうようなところばかりだから、お金を出して丸ごと買うのは馬鹿馬鹿しい。八百屋や肉屋へ行ってそこだけ貰って来れば、いくらでもある上に、持って帰るのに軽くていい。そうだそうだ」
鍛冶屋のお爺さんは八百屋へ這入って来まして、
「玉葱の皮と大根の首と、葱の白いヒゲと、お芋の頭と尻尾を下さい」
といいますと、八百屋の丁稚《でっち》は笑い出しました。
「そんなものは八百屋には無いよ。丸ごとならあるけれど」
「ヘエ。それじゃどこにありますか」
「どこにも無いよ。料理屋へ行けばハキダメに棄ててあるけれども、キタナイからダメだ。やっぱり丸ごと買うよりほかはないよ」
「オヤオヤ、困ったな」
「けれども、お爺さんはそんなものを買って何にするんだい」
と、こう丁稚に云われますと、お爺さんは思わず、
「それは山男の魔法使い……」
といいかけましたが、すぐに最前無茶先生に云われたことを思い出しまして、眼を白黒して黙ってしまいました。
鍛冶屋のお爺さんは、それから今度は肉屋へ来まして、
「豚の尻尾と牛の舌と、七面鳥の足と、鶏《にわとり》の鳥冠《とさか》を十匹分ずつ下さい」
と頼みました。肉屋のお神さんはやっぱりビックリしましたが、
「まあ、大変な御馳走をお作りになるのですね。七面鳥の足と鶏の鳥冠《とさか》は十匹分ぐらい御座いますけれども、牛の舌と豚の尻尾は三匹分ずつしか御座いませぬ。あとは料理屋でもお探しになってはいかがですか」
と申しました。鍛冶屋のお爺さんはガッカリして、
「ああ。やっぱり料理屋に行かなければならぬのか」
と申しました。そうすると、肉屋のお神さんは不思議そうに眼を丸くしながら尋ねました。
「けれども、そんなに上等のお料理を誰がおつくりになるのですか」
「それは山男の魔法使い……」
と、鍛冶屋のお爺さんは又うっかりしゃべりかけましたが、急に首をちぢめて駈け出しました。
鍛冶屋のお爺さんはあちらこちらと尋ねまわって、とうとうこの町で第一等の料理屋を見つけ出しまして、そっと台所からのぞいて見ますと、広いその台所の向うには火がドンドン燃えて、湯気がフウフウ立っております。そのこちらの大きな大きな俎《まないた》のまわりには、白い着物を着た料理人が大勢並んで野菜や肉を切っておりますが、葱の白いヒゲや玉葱の皮や、大根の首や薩摩芋の尻や頭なぞはドンドン切り棄てて、大きな樽の中に山のようになっております。
「ここだここだ。ここへ頼めば何でもあるに違いない」
と鍛冶屋の爺さんはうなずいて中に這入りまして、二つ三つお辞儀をしました。
「ちょっとお願い申します。その樽の中のものを私に売って下さいませんか」
と尋ねました。
料理人はふり返って見ますと、みすぼらしい爺さんが大きな包みをかついで立っていますので、
「何だ、貴様は」
と尋ねました。
「私は鍛冶屋で」
「かついでいるのは何だ」
「山男と、鉄で作った人間二人の着物で……」
これをきくと、十人ばかり居た料理人が、みな仕事をするのをやめて、鍛冶屋の爺さんの顔を見ました。
「何だ。山男と鉄で作った人間に着せるのだというのか」
「そうです」
「フーン。それは面白い珍らしい話だ。それじゃ、この樽の中のゴミクタは何のために買ってゆくのだ」
「それはその山男がたべるのです。まだこのほかに豚の尻尾と七面鳥の足と、鶏の鳥冠《とさか》と牛の舌も買って来いと云いつけられました」
「何だ……それは又大変な上等の料理に使うものばかりではないか。そんなものを山男が喰べるのか」
「そうです」
「不思議だな」
と、みんな顔を見合わせました。
そうすると、その中で一番年を老《と》った料理人が出て来て、鍛冶屋のお爺さんに尋ねました。
「オイ爺さん。お前にきくが、今云った豚の尻尾だの何だのはこの国でも第一等の御馳走で、喰べ方がちゃんときまっているのだからいいが、この樽の中に這入っている芋の切れ端だの大根の首だの、葱の白いヒゲだの玉葱の皮だのいうものは、どうしてたべるかおれたちも知らないのだ。お前はそれをどうして食べるか知っていはしないかい」
「ぞんじません。おおかたあの山男は魔法使いですから魔法のタネにするのでしょう」
「何、その山男が魔法使い?」
「そうです」
「それじゃ、その鉄で作った人間は何にするのだ」
鍛冶屋のお爺さんは又困ってしまいました。こんなに大勢に自分の見たことを話したら、どんなにビックリするか知れないと思うと、話したくて話したくてたまりませんでしたが、一生懸命で我慢をしまして、
「それは申し上げられません。どうぞお金はいくらでもあげますから、玉葱の皮と、葱の白いヒゲと大根の首と、豚の尻尾と、七面鳥の足と、牛の舌と鶏の鳥冠《とさか》とを売って下さい」
「それは売ってやらぬこともないけれども、そのお話をしなければ売ってやることはできない」
鍛冶屋のお爺さんは泣きそうな顔になりました。
「どうぞ、そんな意地のわるいことを云わないで売って下さい。そのお話をすると、私は又テンカンを引かなければなりませんから」
「何、そのお話をするとテンカンを引く? それはいよいよ不思議な話だ。サア、そのお話をきかせろきかせろ」
といううちに、台所に居た人たちは皆、鍛冶屋のお爺さんのまわりに集まって来ました。
鍛冶屋のお爺さんはいよいよ困って、逃げ出そうかしらんと思っておりますところへ、この家《うち》の若い主人夫婦が出て参りまして、
「何だ何だ。みんな、何だってそんなに仕事を休んでいるのだ」
と叱りましたが、この話を女中からききますと、やっぱり眼を丸くしまして、
「おお、それは面白い。おれも玉葱の皮だの大根の首だのの料理はきいたことが無い。それに、山男の魔法使いだの鉄の人間だのいうものも見たことが無い。それではお爺さん。お前さんの云う通りの品物をみんな揃えてあげるから、お前さん、ごく内証で私達夫婦をつれて行ってくれないか。私たちはその玉葱の皮や何かのお料理が見たいから」
と云いました。けれども、お爺さんはなかなかききません。
「あの山男は鉄槌で人間をたたき殺して、火にくべて真赤に焼いて、たたき直したりするのですから、うっかり見つかると、私共はどんな魔法にかかるかわかりません」
「それはいよいよ不思議だ。なおの事その山男の魔法使いが見たくなった。是非つれて行ってくれ」
「いけませんいけません」
と、何遍も何遍も云い合いました。
その時にこの料理屋の二階に田舎のお爺さんが二人御飯を喰べさしてもらいに来ましたが、あんまり御飯が出来ませんので腹を立てて、手をパチパチとたたいて女中さんを呼びました。
いくらたたいても誰も来ないので、変に思って下へ降りて来ますと、大きな風呂敷包みを荷《かつ》いだ一人のお爺さんを捕まえて、みんなで、
「連れてゆけ連れてゆけ」
と責めております。そこへ二人の爺さんの中《うち》の一人が近づいて、
「お前たちは一体どうしたのだ。御飯を食べさしてくれと云うのに、いつまでも持って来ないで困るじゃないか」
と云いました。すると若い主人夫婦が出て来て、
「どうも相済みませぬ。それはこんなわけで御座います」
と、くわしく鍛冶屋の爺さんのことを話しました。
そうすると二人のお爺さんは顔を見合わせていましたが、一人のお爺さんは、
「それはもしかしたら無茶先生じゃないかしらん」
と云いました。そうするとも一人のお爺さんも、
「私もそう思う。山男のようで魔法使いのようで裸体《はだか》で、二人の若い男と女とを連れているのならば無茶先生かも知れない。そうして二人の男と女は豚吉とヒョロ子かも知れない。ちょっと、そのお前が荷《かつ》いでいる風呂敷包みの中の着物を見せてくれないか」
と申しました。
鍛冶屋のお爺さんは、着物を見せる位構わないだろうと思いまして、そこの上り口に広げて見せますと、二人のお爺さんは不思議そうに眉をひそめました。
「これは不思議だ。豚吉とヒョロ子はこんな当り前の身体《からだ》じゃない。それじゃ違うのかな」
「いや、そうでない」
と、又一人のお爺さんが頭をふって申しました。
「ねえ、鍛冶屋のお爺さん。お前さんは最前、その山男が人間を火に入れて焼いて、たたき直すように云ったが、その若い男や女もその山男がたたき直したのじゃないかい」
「そのたたき直さない前の男は豚のようで、女の方はヒョロ長くはなかったかい」
と両方から一時に尋ねました。
鍛冶屋のお爺さんは真青になってふるえ上りました。
「ド、ド、何卒《どうぞ》……ソレ、そればかりは尋ねずにおいて下さい、ワ、私が又テンカン引きになりますから」
「何、テンカン引きになる」
「それはどうしたわけだ」
「ソ、ソレも云われません」
二人の爺さんは困ってしまいました。けれども、やがて二人とも鍛冶屋の爺さんの前に手をついて申しました。
「どうぞお願いですから詳しく話して下さい。何を隠しましょう。私共二人は豚吉とヒョロ子の親で、二人が婚礼の晩に逃げた日から二人を探してあるいているものです。そうしてある町へ行って、豚吉とヒョロ子が無茶先生という魔法使いのような上手なお医者に連れられて逃げ出して、それから次の町へ行ってサンザン兵隊や何かを困らして逃げたまま、どこへ行ったかわからなくなったことをききまして、おおかた山へ逃げ込んだのだろうと思いまして、山の中を探しているうち、ある谷川の処で塩の付いた樽をいくつも見つけました。これはきっと無茶先生が、豚吉とヒョロ子を塩漬けにしてここまで持って来られて、生き返らせられたのであろうと思いましたが、それから先は山が深くてとてもわかりませんから、一先ず村へ帰ることにきめて、今帰る途中なのです。ちょうどこの町へ来ました時、私たち二人はあんまり疲れましたので、この町で一番いい料理屋に行って、一番おいしい御馳走を食べようと思ってここへ来たところに、あなたにお眼にかかったのです。ですから、どうぞ隠さずに話をして下さいまし。そうして、その二人の若い男女が私共の児《こ》であるかどうか知らして下さいまし。そのためにあなたがテンカンをお引きになるようなら、私から無茶先生に願って、どんなよいお薬でも貰って上げます」
と、手を合わせ、涙を流して頼みました。
これをきくと、料理屋の主人の若夫婦も一所になって、鍛冶屋のお爺さんにお話をするようにすすめました。
「お前さんはその無茶先生とやらにテンカンを治していただいたのだろう。そうして、このことを話すと又テンカンを引くとおどかされたのだろう。けれども、無茶先生が魔法使いでなくお医者なら、そんなことはないではないか。それから、ほかの人には話してわるいかも知れないけれども、豚吉さんとヒョロ子さんのお父様になら話した方がいいのだ。話さない方がわるいのだ。早く本当のことを云って、二人のお父さんを喜ばせてお上げなさい」
こう云われますと、鍛冶屋のお爺さんもやっと安心をしまして、さっきから自分の家で見たりきいたりしたことを詳しく話しました。
鍛冶屋のお爺さんの話をきいた豚吉とヒョロ子のお父さんは飛び上って喜びました。
「それこそ豚吉とヒョロ子だ。私たちの大切な子だ。今からすぐに行って会わねばならぬ」
と、すぐにも出かける支度をしました。それを見ると又、料理屋の若い主人も大変な勢いになって、
「サア。みんな、仕事をやめろ。お客様も何も皆追い出してしまえ。そうして玉葱と、葱と、大根と芋と、豚と鶏と、七面鳥と、牛とありたけ買い集めて、車に積んで出かけろ。鍋や釜や七輪も沢山積んで、皆で押してゆけ。向うへ行って御馳走をするんだ。豚吉さんとヒョロ子さんが生れかわったお祝いをするのだ。そうして、世界一のエライお医者様の無茶先生にお眼にかかるんだ。お酒もドッサリ持って行くんだぞ。そんな珍らしい人達に御馳走しておけば、おれたちの家が名高くなってドンナに繁昌《はんじょう》するかわからない」
「よろしゅう御座います」
というので、大勢の雇人《やといにん》はわれ勝ちにいろんな物を買い集めたり、車に積んだり、大騒ぎを初めましたので、最前から沢山に来ていたお客は誰も構い手が無くなって、プンプン怒ってみんな帰ってしまいました。
すっかり支度が済んで、何十台の車を引っぱって、二人のお父さんを先に立てて、鍛冶屋のお爺さんの家に着いた時はもう日暮れでした。
鍛冶屋のお爺さんはみんなを裏の方に隠しておいて、たった一人で、
「只今帰りました」
と云って這入ってゆきますと、無茶先生と豚吉とヒョロ子は三人共グーグー寝ていましたが、その中で無茶先生はお爺さんの声を聞くと起き上って、
「ヤア。御苦労御苦労。早かった早かった。そして着物は買って来たか」
と尋ねました。
「ヘイ、ここに御座います」
と、お爺さんは買った着物を出して見せました。
「ヤア、上等上等」
と無茶先生は喜んで、その着物を寝ている二人に着せまして自分も着ましたが、三人ともほんとによく似合いました。中にも豚吉とヒョロ子は今までの奇妙な姿とはまるで違って、殿様の御夫婦のように立派に見えました。無茶先生はニコニコして云いました。
「これでよしこれでよし。それでは玉葱や何かは買って来たか」
「ヘイ、買って参りました」
「よし。その玉葱を一つと庖丁を持って来い」
「ヘエ、たった一つですか」
「そうだ」
「何になさるのですか」
「何でもいい。早く持って来い」
「ヘイ。畏《かしこ》まりました」
と、鍛冶屋の爺さんが玉葱を一つと庖丁を持って来ますと、無茶先生はその玉葱を庖丁でサクリと二つに割って、その二つの切り口を豚吉とヒョロ子の上に当てがいました。
そうすると、今までグーグー寝ていた豚吉とヒョロ子は一時に、
「クシンクシン」
とクシャミをして眼を開きましたが、玉葱のにおいが眼にしみましたので、
「アッ。これはたまらぬ」
「何だか眼に沁《し》みてよ」
と、二人共眼をこすって起き上りました。
「アア。すっかり眼がさめた」
と豚吉はあたりを見まわしましたが、ヒョロ子の姿を見るとビックリしまして、
「オヤッ。あなたはどなたです」
と大きな声で云いました。ヒョロ子もこう云われてヒョイと前を見ますと、見たこともない立派な人が居ますから驚いて、
「まあ。あなたはどなたですか。お声は豚吉さまのようですが……」
と云いかけて、無茶先生の顔を見ると又ビックリしまして、
「まあ、先生。私はこんな立派な姿になってどうしたんでしょう」
と叫びました。
「アハハハハハハ。驚いたか」
と、無茶先生は腹を抱えて笑いました。
「サア、鍛冶屋のおやじ。もう何もかも話していい時が来たぞ。二人にお前が見た通りのことを話してきかせろ。そうしたら、二人が豚吉とヒョロ子夫婦であることがわかるだろう」
「ヘイ。けれどもこのお話はもうよそで致しました」
と鍛冶屋の爺さんが恐る恐る申しました。
「何、よそで話した」
「ヘイ。それにつきましてお二人にお引き合わせする人があります」
と急いで裏へ行って、二人のお爺さんを引っぱって来ましたが、豚吉とヒョロ子はそれを見るとイキナリ飛び付きました。
「オオ、お父さん」
「そう云う声は豚吉か」
「アレ、お父様」
「そう云う声はヒョロ子か」
「お眼にかかりとう御座いました」
「おれも会いたかった。けれどもまあ何という立派な姿になったものだろう」
「お父様、お許し下さいませ。私たちが逃げたりなど致しましたためにどんなにか御心配をかけたことでしょう」
「イヤイヤ。そのことは心配するな。もう許してやる。それよりもよく無事で居てくれた。そうしてまあ何という美しい女になったことであろう。ああ、何だか夢のようだ」
と、親子四人、手を取り合って嬉し泣きに泣きました。
親子四人は揃って無茶先生の前に手をついてお礼を云いました。
そうすると無茶先生は長い黒い髭を撫でながら、
「イヤ。おれも二人のおかげで思うよういたずらが出来て面白かった。もうこれから乱暴はしないから安心しろ。それから、二人の名前も今までの通りの豚吉とヒョロ子では可笑しいであろう。おれがよい名をつけてやる。これから豚吉は歌吉、ヒョロ子は広子というがいい。おれも名前を牟田《むた》先生とかえよう。サア、これからお祝いに御馳走をするのだ」
「ヘイ、かしこまりました」
と、裏口から料理屋の若い夫婦が這入って来ました。
不意に知らない人間が這入って来ましたので、牟田先生も歌吉も広子もビックリしますと、二人のお父さんは料理屋での出来事を話しましたので、みんな面白がって大笑いを致しました。
「それはよく来てくれた」
と、牟田先生は料理屋の主人夫婦に御礼を云いました。
「それでは先ず玉葱の皮と葱の白いヒゲと、大根の首と芋の切れ端とでソップを作って、歌吉と広子に飲ませてくれ。そうすると、お腹の中に残っている鉄の錆《さび》がスッカリ抜けてしまうのだ。それから豚の尾と牛の舌と、鶏の鳥冠《とさか》と七面鳥の足で第一等の料理を作ってくれ」
「かしこまりました」
と、それから料理屋の主人夫婦が大将になって、大勢がかりで火をドンドン起してお料理を作りまして、夜通しがかりで大祝いをしました。
そうして夜が明けますと、牟田先生や歌吉と広子の父親は料理屋の主人夫婦や雇い人にお金を沢山に遣って帰しました。鍛冶屋のおやじにも遣りました。
牟田先生と歌吉四人が無事に故郷に帰りますと、村中の人は皆集まって来て、牟田先生を一番いいお客として歌吉と広子の婚礼のやり直しをしましたが、皆二人の姿の立派になったのを驚くと一所に、牟田先生のエライのに感心をしました。
歌吉と広子はそれから村に居て、両親に孝行をしました。そうして牟田先生を崇《あが》めました。
牟田先生はこの村に居ていろんな病人を治してやり、自分も大層長生きをしました。
底本:「夢野久作全集1」ちくま文庫、筑摩書房
1992(平成4)年5月22日第1刷発行
入力:柴田卓治
校正:江村秀之
2000年5月18日公開
2000年7月27日修正
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