青空文庫アーカイブ

蓬生
與謝野寛

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)貢《みつぐ》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)一|軒《けん》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77]《むし》り

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)折々《をり/\》
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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       (一)

 貢《みつぐ》さんは門徒寺《もんとでら》の四男《よなん》だ。
門徒寺《もんとでら》と云《い》つても檀家《だんか》が一|軒《けん》あるで無《な》い、西本願寺派《にしほんぐわんじは》の別院並《べつゐんなみ》で、京都の岡崎にあるから普通には岡崎御坊で通つて居る。格式は一等本座《いつとうほんざ》と云ふので法類仲間《はふるゐなかま》で幅《はヾ》の利《き》く方だが、交際《つきあひ》や何かに入費《いりめ》の掛る割に寺の収入《しうにふ》と云ふのは錏一文《びたいちもん》無かつた。本堂も庫裡《くり》も何時《いつ》の建築だか、随分古く成つて、長押《なげし》が歪《ゆが》んだり壁が落ちたり為《し》て居る。其れを取囲《とりかこ》んだ一町四方もある広い敷地は、桑畑や大根畑に成つて居て、出入《でいり》の百姓が折々《をり/\》植附《うゑつけ》や草取《くさとり》に来るが、寺《てら》の入口の、昔は大門《だいもん》があつたと云ふ、礎《いしずゑ》の残つて居る辺《あたり》から、真直《まつすぐ》に本堂へ向ふ半町ばかりの路は、草だらけで誰《だれ》も掃除の仕手が無い。
 檀家の一軒も無い此寺《このてら》の貧乏は当前《あたりまへ》だ。併し代々《だい/″\》学者で法談《はふだん》の上手《じやうず》な和上《わじやう》が来て住職に成り、年《とし》に何度《なんど》か諸国を巡回して、法談で蓄《た》めた布施《ふせ》を持帰つては、其れで生活《くらし》を立て、御堂《みだう》や庫裡《くり》の普請をも為《す》る。其れから御坊《ごばう》は昔願泉寺と云ふ真言宗《しんごんしう》の御寺《おてら》の廃地であつたのを、此の岡崎は祖師|親鸞上人《しんらんしやうにん》が越後へ流罪《るざい》と定《きま》つた時、少時《しばらく》此地《こヽ》に草庵《さうあん》を構へ、此の岡崎から発足《はつそく》せられた旧蹟だと云ふ縁故《ゆかり》から、西本願寺が買取つて一宇を建立《こんりふ》したのだ。其時|在所《ざいしよ》の者が真言《しんごん》の道場《だうじやう》であつた旧地へ肉食《にくじき》妻帯《さいたい》の門徒坊《もんとぼん》さんを入れるのは面白く無い、御寺の建つ事は結構だが何《ど》うか妻帯を為《な》さらぬ清僧《せいそう》を住持《じうぢ》にして戴《いたゞ》きたいと掛合《かけあ》つた。本願寺も在所の者の望み通《どほり》に承諾した。で代々《だい/″\》清僧《せいそう》が住職に成つて、丁度|禅寺《ぜんでら》か何《なに》かの様《やう》に瀟洒《さつぱり》した大寺《たいじ》で、加之《おまけ》に檀家の無いのが諷経《ふぎん》や葬式の煩《わづら》ひが無くて気|楽《らく》であつた。
 所が先住の道珍和上《どうちんわじやう》は能登国《のとのくに》の人とやらで、二十三で住職に成つたが学問よりも法談が太層|巧《うま》く、此の和上《わじやう》の説教の日には聴衆《きヽて》が群集《ぐんじふ》して六条の総会所《そうぐわいしよ》の縁《えん》が落ちるやら怪我人が出来るやら、其れ程に評判であつた。又《また》太層|美僧《びそう》であつた所から、後家や若い娘で迷ひ込んだ者も大分にあつた。在所の年寄仲間は、御坊さんの裏《うら》の竹林《たけばやし》の中《なか》にある沼《ぬま》の主《ぬし》、なんでも昔《むかし》願泉寺の開基が真言の力《ちから》で封《ふう》じて置かれたと云ふ大蛇《だいじや》が祟《たヽ》らねば善いが。あヽ云ふ若い美くしい和上《わじやう》さんの来《こ》られたのは危《あぶな》いもんだ。斯う噂をして居たが、和上に帰依《きえ》して居る信者《しんじや》の中《なか》に、京《きやう》の室町錦小路《むろまちにしきのこうぢ》の老舗《しにせ》の呉服屋夫婦が大《たい》した法義者《はふぎしや》で、十七に成る容色《きりやう》の好い姉娘《あねむすめ》を是非《ぜひ》道珍和上《どうちんわじやう》の奥方《おくがた》に差上《さしあ》げ度《た》いと言出《いひだ》した。物堅《ものがた》い和上も若《わか》いので未《ま》だ法力《はふりき》の薄《うす》かつた故《せゐ》か、入寺《にふじ》の時の覚悟を忘れて其の娘を貰《もら》ふ事に定《き》めた。
 其頃|御坊《ごばう》さんの竹薮《たけやぶ》へ筍《たけのこ》を取りに入《はい》つた在所《ざいしよ》の者が白い蛇《くちなは》を見附けた。其処《そこ》へ和上の縁談が伝はつたので年寄《としより》仲間は皆眉を顰《ひそ》めたが、何《ど》う云ふ運命《まはりあはせ》であつたか、愈《いよ/\》呉服屋の娘の輿入《こしいれ》があると云ふ三日前《みつかまへ》、京から呉服屋の出入《でいり》の表具師や畳屋の職人が大勢《おほぜい》来て居る中《なか》で頓死した。
 御坊さんは少時《しばらく》無住《むじう》であつたが、翌年《よくとし》の八月道珍|和上《わじやう》の一週忌[#「一週忌」はママ]の法事《はふじ》が呉服屋の施主《せしゆ》で催された後《あと》で新しい住職が出来た。是が貢《みつぐ》さんの父である。此の住持《じうぢ》は丹波の郷士《がうし》で大庄屋《おほじやうや》をつとめた家の二男だが、京に上つて学問が為《し》たい計りに両親《ふたおや》を散々《さん/″\》泣かせた上《うへ》で十三の時に出家《しゆつけ》し、六条の本山《ほんざん》の学林を卒業してから江戸へ出て国書を学び、又諸国の志士に交つて勤王論を鼓吹した。其頃岡崎から程近《ほどちか》い黒谷《くろたに》の寺中《ぢちう》の一室《ひとま》を借りて自炊《じすゐ》し、此処《こヽ》から六条の本山《ほんざん》に通《かよ》つて役僧《やくそう》の首席《しゆせき》を勤めて居たが、亡くなつた道珍和上とも知合《しりあひ》であつたし、然《さ》う云ふ碩学《せきがく》で本山《ほんざん》でも幅《はば》の利《き》いた和上《わじやう》を、岡崎御坊へ招《せう》ずる事が出来たら結構だと云ふので、呉服屋夫婦が熱心に懇望《こんまう》した所から、朗然《らうねん》と云ふ貢《みつぐ》さんの阿父《おとう》さんが、入寺《にふじ》して来る様《やう》に成つた。
 其丈《それだけ》なら申分《まうしぶん》は無かつたのだが、呉服屋夫婦は道珍和上に娶《めあ》はせようと為た娘を、今度の朗然和上に差上《さしあ》げて是非《ぜひ》岡崎御坊に住ませたい、最愛の娘を高僧《かうそう》に捧げると云ふ事が、何より如来様の御恩報謝《ごおんはうしや》に成るし、又亡く成つた道珍和上への手向《たむけ》であると信じて居た。娘に此事を語り聞かせた時、娘は、わたしは道珍様が御亡く成りに成つた日から、もう尼《あま》の心に成つて居ますと云つて泣き伏したが、もう朗然和上と夫婦との間に縁談が決《きま》つて居つた後《あと》だから、親の心に従つて終《つひ》に其年の十一月、娘は十五荷の荷《に》で岡崎御坊へ嫁入《よめい》つて来た。娘の齢《とし》は十八、朗然和上は三十四歳、十六も違《ちが》つて居た。
 此の婚礼に就いて在所の者が、先住の例《ためし》を引いて不吉《ふきつ》な噂を立てるので、豪気《がうき》な新住《しんじう》は境内《けいだい》の暗い竹籔《たけやぶ》を切払《きりはら》つて桑畑に為《し》て了《しま》つた。
 其《そ》れから十年|許《ばか》り経《た》つて、奥方の一枝《かずゑ》さんが三番目の男の児を生んだ。従来《これまで》に無い難産《なんざん》で、産の気《け》が附いてから三日目《みつかめ》の正午《まひる》、陰暦六月の暑い日盛《ひざか》りに甚《ひど》い逆児《さかご》で生れたのが晃《あきら》と云ふ怖《おそろ》しい重瞳《ぢゆうどう》の児であつた。ぎやつ[#「ぎやつ」に傍点]と初声を揚げた時に、玄関《げんくわん》の式台《しきだい》へ戸板に載せて舁《かつ》ぎ込まれたのは、薩州の陣所へ入浸《いりびた》つて半年も帰つて来ぬ朗然和上が、法衣を着た儘三条の大橋《おほはし》で会津方《あひづがた》の浪士に一刀眉間を遣られた負傷《ておひ》の姿であつた。
 傷《きず》は薩州|邸《やしき》の口入《くちいれ》で近衛家の御殿医《ごてんゐ》が来て縫《ぬ》つた。在所の者は朗然和上の災難を小気味《こきみ》よい事に言つて、奥方の難産と併せて沼《ぬま》の主《ぬし》や先住やの祟りだと噂した。もともと天下を我家と心得て居《ゐ》る和上《わじやう》は岡崎の土地などを眼中に置いて居ない所から、在所の者に対して横柄《わうへい》な態度《たいど》も有つたに違ひ無い。其上《そのうへ》近年は世の中の物騒《ぶつさう》なのに伴《つ》れて和上の事を色々《いろ/\》に言ふ者がある。最も在所の人の心を寒からしめた馬鹿々しい噂は、和上は勤王々々と云つて諸国の浪士に交際《つきあ》つて居《ゐ》る。今に御寺の本堂を浪士の陣屋に貸して、此の岡崎を徳川と浪士との戦場《いくさば》にする積りだらう、と云ふ事である。で何かに附けて在所の者は和上を憎んだが。檀那寺《だんなでら》の和尚では無いから、岡崎から遂ひ出す訳《わけ》にも行か無かつた。
 和上と奥方との仲は婚礼の当時から何《ど》うもしつくり[#「しつくり」に傍点]行つて居無かつた。第一に年齢《とし》の違《ちが》ふ故《せゐ》もあつたが、和上は学者で貧乏を苦にせぬ豪邁《がうまい》な性質《たち》、奥方は町家の秘蔵娘《ひざうむすめ》で暇《ひま》が有つたら三味線を出して快活《はれやか》に大津絵《おほつゑ》でも弾かう、小児《こども》を着飾《きかざ》らせて一人々々《ひとり/\》乳母を附けて芝居を見せようと云ふ豪奢《がうしや》な性質《たち》、和上が何かに附けて奥方の町人|気質《かたぎ》を賎むのを親思《おやおも》ひの奥方は、じつと[#「じつと」に傍点]辛抱して実家《さと》へ帰らうともせず、気作《きさく》な心から軽口《かるくち》などを云つて紛《まぎ》らして居る内に、三人目の男の児を生んだ。
 此度《このたび》の難産の後《あと》、奥方は身体《からだ》がげつそり弱《よわ》つて、耳も少し遠く成り、気性までが一変して陰気に成つた。和上の傷《きづ》は二月《ふたつき》で癒えたが、其の傷痕《きづあと》を一目見て鎌首《かまくび》を上げた蛇《へび》の様だと身を慄《ふる》はせたのは、青褪《あをざ》めた顔色《かほいろ》の奥方ばかりでは無かつた。其頃|在所《ざいしよ》の子守唄《こもりうた》に斯う云ふのが流行《はや》つた。
[#ここから2字下げ]
『坊主《ばうず》の額《ひたひ》に蛇《へび》が居《ゐ》る。
    蛇《へび》から飛《と》び出《で》た赤児《あかご》の眼《め》。』
[#ここで字下げ終わり]
『赤児《あかご》の眼《め》』は重瞳《ぢゆうどう》の三男を指《さ》したのである。奥方は何と云ふ罪障《つみ》の深い自分だらうと考へ出した。本堂の阿弥陀様|計《ばか》りでは此の不思議な怖《おそ》ろしい宿業《しゆくごふ》が除かれぬやうな気がするので、門徒宗でやかましい雑行雑修《ざふぎやうざつしゆ》の禁制《きんせい》を破つて、暇《ひま》があれば洛中洛外の神社仏寺へ三男を抱《だ》いて参詣した。以前は気質《きしつ》の相違であつたが、今は信仰《しんかう》までが斯う違《ちが》つたので、和上は益々奥方が面白く無い。伏見の戦争が初まる三月《みつき》程前から再び薩州|邸《やしき》に行つた切《き》り明治五年まで足掛《あしかけ》六年の間一度も帰つて来なかつた。伏見戦争の後《あと》で直ぐ、朝命《てうめい》を蒙つて征討将軍の宮《みや》に随従《ずゐしう》し北陸道の鎮撫に出掛けたと云ふ手紙や、一時|還俗《げんぞく》して岩手県の参事《さんじ》を拝命したと云ふ報知《しらせ》は、其の時々《とき/″\》に来たが、少《すこ》しの仕送《しおく》りも無いので、奥方は嫁入《よめいり》の時に持つて来た衣服《きもの》や髪飾《かみかざ》りを売食《うりぐひ》して日を送つた。実家《さと》の方は其頃|両親《ふたおや》は亡くなり、番頭を妹に娶《めあ》はせた養子が、浄瑠璃に凝《こ》つた揚句《あげく》店《みせ》を売払つて大坂へ遂転したので、断絶同様《だんぜつどうやう》に成つて居る。在所の者は誰も相手にせぬし、便《たよ》る方《かた》も無いので、少しでも口を減《へ》す為に然《さ》る尼《あま》の勧《すヽ》めに従つて、長男と二男を大原《おほはら》の真言寺《しんごんでら》へ小僧《こぞう》に遣《や》つた。奥方の心では二人の子を持戒堅固《ぢかいけんご》の清僧《せいそう》に仕上げたならば、大昔《おほむかし》の願泉寺時代の祟《たヽ》りが除かれやう、沼《ぬま》の主《ぬし》も鎮《しづ》まるであらうと思つたので、開基《かいき》と同じ宗旨《しうし》の真言寺《しんごんでら》と聞いて、可愛《かあい》い二人の子を犠牲《いけにへ》にする気で泣き乍ら手放《てばな》した。
 明治五年の夏、和上は官界を辞してぶらりと帰つて来た。フロツクコオトを着て山高|帽《ぼう》を被《かぶ》つた姿は固陋《ころう》な在所の人を驚かした。再び法衣を着たことは着たが、永《なが》の留守中|荒《あ》れ放題《はうだい》に荒れた我寺《わがてら》の状《さま》は気にも掛けず格別修繕しようともせぬ。毎日洋服を着て書類を入れた風呂敷|包《づつみ》を小脇《こわき》に挾《はさ》んで、洋杖《すてつき》を突《つ》いて、京都府下の富豪や寺院をてくてくと歴訪《れきはう》する。其れは隣村《となりむら》の鹿《しゝ》ケ谷《たに》に盲唖院《まうあゐん》と云ふものを建てる趣意書を配つて応分の寄附金を勧誘《くわんいう》する為《ため》であつた。
 其の翌年に貢《みつぐ》さんが生れた。

       (二)

 今日《けふ》は日曜なので阿母《おつか》さんが貢さんを起《おこ》さずに静《そつ》と寝かして置いた。で、貢さんの目覚《めざ》めたのは朝の九時頃であつた。十歳に成る貢さんは独《ひとり》で衣服《きもの》を着替へて台所へ出て来た。
『阿母《おつか》さんお早う。』
阿母さんはもう[#「もう」に傍点]座敷の拭掃除《ふきそうぢ》も台所の整理事《しまひごと》も済《す》ませて、三歳《みつヽ》になる娘の子を脊《せな》に負《お》ひ乍ら、広い土間へ盥を入れて洗濯物《せんたくもの》をして居《ゐ》る。
『お早うでも無いぢや無いか。よく寝られて。昨夜《ゆうべ》は。』
『ふん、寝坊をしちやつた。阿父《おとう》さんは。』
『涼しい間《あひだ》にと云つてお出掛《でかけ》に成つたの。』
『阿母さん、昨日《きのふ》校長さんが君ん家《とこ》の阿父《おとう》さんは京の街《まち》で西洋の薬《くすり》や酒を売る店を出すんだつて、本当かて聞きましたよ。本当に其様《そんな》店を出すの。』
『阿父さんの事だから何を為さるか知れ無い。昔《むかし》から二言目《ふたことめ》には人民の為だもの。』
『今日は何処《どこ》へ入らしたの。』
『神戸の夷人《ゐじん》さん処《とこ》。委しい事は阿母さんなんかに被仰《おつしや》らないけれど、日本で初めて博覧会と云ふものを為《な》さるんだつて。』
『ふうん。』
『お前|御飯《ごはん》は何《ど》うする。』
『お昼と一処でいゝ。』
『ぢや然《さ》うお為《し》。其《それ》から阿母さんは今一枚洗つて、今日《けふ》は大原《おほはら》まで兄《にい》さん達の白衣《はくえ》を届けて来るからね、よく留守番を為《し》てお呉れ。御飯《ごはん》には鮭《さけ》が戸棚にあるから火をおこして焼いてお食《た》べ。お土産《みや》には山鼻《やまはな》のお饅《まん》を買つて来ませう。』
『お日様《ひさん》の暮れぬ内《うち》に帰つて頂戴よ。』
貢さんは井戸端へ下りて自分で水を汲んで顔を洗つた。其れから畳《たヽみ》の破れを新聞で張つた、柱《はしら》の歪《ゆが》んだ居間《ゐま》を二つ通《とほ》つて、横手の光琳の梅を書いた古《ふる》ぼけた大きい襖子《ふすま》を開けると十畳敷許の内陣《ないぢん》の、年頃|拭込《ふきこ》んだ板敷《いたじき》が向側の窓の明障子《あかりしやうじ》の光線で水を流した様に光る。幾十年と無く毎朝《まいあさ》焚《た》き籠《こ》めた五|種香《しゆかう》の匂《にほひ》がむつ[#「むつ」に傍点]と顔を撲つ。阿母さんが折々一時間も此処《こヽ》に閉ぢ籠《こも》つて出て来ぬ事がある丈に、家中《うちヾう》で此《この》内陣計りは温《あたヽ》かい様《やう》ななつかしい様な処だ。貢さんは黒塗《くろぬり》の経机の前の円座《ゑんざ》の上に坐つて三度程|額《ぬか》づいた。
『南無、南無、南無阿弥陀仏。』
 本尊の阿弥陀様の御顔《おかほ》は暗くて拝め無い、唯《たヾ》招喚《せうくわん》の形《かたち》を為給《したま》ふ右の御手《おて》のみが金色《こんじき》の薄《うす》い光《ひかり》を示《しめ》し給うて居る。貢さんは内陣を出て四畳半の自分の部屋に入《はい》つた。机の上に昨日《きのふ》持つて帰つた学校の包《つヽみ》が黒い布呂敷の儘で解きもせずに載《の》つて居《ゐ》る。其れを見ると、力石様《りきいしさん》のお濱さん処へ遊びに行く約束だつた事を思出した。
『遅《おそ》く成つた、遅く成つた。行《い》かう。』
 独言《ひとりごと》を言つて吃驚《びつくり》した様に立上ると、書院の方の庭にある柿《かき》の樹で大きな油蝉《あぶらぜみ》が暑苦《あつくる》しく啼き出した。捕《つか》まへてお濱さんへの土産《みやげ》にする気で、縁側《えんがは》づたひに書院へ足音を忍ばせて行つたが、戸袋《とぶくろ》に手を掛けて柿《かき》の樹を見上げた途端《はずみ》に蝉は逃げた。
『阿房蝉《あはうぜみ》。』
 斯う大きな声で云つて振返ると、書院の十畳の方の室《ま》の障子が五寸程|明《あ》いて居《ゐ》る。兄の晃《あきら》の居間だ。其の間《あひだ》から長押《なげし》に掛けた晃の舶来の夏帽が目に附く。覗《のぞ》いて見たが、晃《あきら》兄《にい》さんは居無い。台所の方《はう》へ走《はし》つて来た貢さんは、其処に阿母さんが見えないので、草履を穿《は》いて裏口《うらぐち》から納屋の後《うしろ》へ廻つた。阿母さんは物干竿《ものほしざを》に洗濯物を通して居る。
『阿母さん、晃《あきら》兄《にい》さんが帰つたの。』
 阿母さんは一寸《ちよつと》振返つて貢さんを見たが、黙《だま》つて上を向いて襁褓《おしめ》の濡れたのを伸《のば》して居《ゐ》る。
『晃《あきら》兄《にい》さんの帽が掛かつてましたよ。』
と鄭寧《ていねい》に云つて再び答《こたへ》を促した。阿母さんは未だ黙《だま》つて居《ゐ》る。見ると、晃《あきら》兄《にい》さんの白地《しろぢ》の薩摩|絣《がすり》の単衣《ひとへ》の裾《すそ》を両手で握《つか》んだ儘阿母さんは泣いて居る。貢さんは、阿母さんの機嫌を損じたなと思つたので、徐《そつ》と背《せな》を向けて四五|歩《あし》引返した。
『貢《みつぐ》さん。』と阿母さんの声は湿《うる》んで居る。
『はい。』
『お前はね、よく阿母さんの言ふ事をお聞き。なんぼ貧乏な生活《くらし》をしても心は正直《しやうぢき》に持つんですよ。』
『はい。』
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
『晃《あきら》兄《にい》さんの様に成つては仕様が無いわね、阿母さんの衣服《きもの》や頭《あたま》の物を何遍《なんべん》も持出して売飛ばしては、唯もう立派な身装《みなり》をする。こんな阿父さんも御着に成らん様な衣類《きるゐ》や、靴や時計を買つてさ。学問でもする事か、フルベツキさんに英吉利西の語《ことば》を習つても三月足らずで止《や》めて了《しま》ふし、何かなし若《わか》い娘さん達の中《なか》で野呂々々と遊んで居たい、肩上を取つたばかしの十八の子の所作《しよさ》ぢや無い。祟《たヽ》つてる御方《おかた》があつて為《な》さるのかも知らんけれど、あれでは今に他人様《ひとさま》の物に手を掛けて牢屋《ろうや》へ行く様な、よい親の耻晒《はぢさら》しに成るかも知れん。今度は阿父さんの財嚢《かみいれ》から沢山《たくさん》なお金《かね》、盲唖院の先生方《せんせいがた》の月給に差上げるお銭を持出して二|月《つき》も帰つて来ないんだもの。阿父さんは見附次第《みつけしだい》警察へ出すと被仰るけれど、其れでは明るみの耻に成る。阿母さんは大原《おほはら》の律師様《りつしさま》にお頼みして兄《にい》さん達と同じ様《やう》に何処《どこ》かの御寺《おてら》へ遣つて、頭《あたま》を剃らせて結構な御経《おきやう》を習はせ度いと思ふの。ね、貢さん、阿母さんや此の脊中《せなか》の桃枝《もヽえ》が頼《たよ》りにするのはお前|一人《ひとり》だよ。阿父《おとう》さんはあんな方《かた》だから家《うち》の事なんか構《かま》つて下さら無い。此の下間《しもつま》の家《うち》を興すも潰《つぶ》すもお前の量見|一《ひと》つに在る。其れに阿母さんも此の身体《からだ》の具合では長く生きられ相《さう》にも無いからね、しつかり為て頂戴よ、貢さん。』
[#ここで字下げ終わり]
『はい、解《わか》つて居《ゐ》ます。阿母さん。』
 貢さんの頬にははらはら[#「はらはら」に傍点]と熱い涙が流れた。阿母さんは萌黄《もえぎ》の前掛《まへかけ》で涙を拭《ふ》き乍ら庫裡の中へ入《はい》つた。貢さんは何時《いつ》も聞く阿母さんの話だけれど、今日は冷《つめ》たい沼の水の底《そこ》の底で聞かされた様な気がして、小供心に頼り無い沈んだ悲哀《かなしみ》が充満《いつぱい》に成つた。で、蚯蚓《みヽず》が土を出て炎天の砂の上をのさばる様に、かんかんと日の照る中《なか》を歩《ある》いてづぶ濡れに冷え切つた身体《からだ》なり心なりを燬《や》け附《つ》かせ度く成つたので、書院の庭の、此頃の旱《ひでり》に亀甲形《きつかふがた》に亀裂《ひヾ》の入《い》つた焼土《やけつち》を踏んで、空池《からいけ》の、日が目《め》を潰《つぶ》す計りに反射《はんしや》する、白い大きな白河石《しらかはいし》の橋の上に腰を下《おろ》した。
『阿母さんが死になさるのぢや無いか知ら。』
 ふつと斯《こん》な事が胸に浮んだ。今日に限つて特別に阿母さんの身体《からだ》が鉄色の銚子縮《てうしちヾみ》の単衣《ひとへ》の下に、ほつそりと、白い骨《ほね》計りに見えた様な気がする。『なあに。』と直ぐに打消したが、ぞつと寒く成つて身体《からだ》が慄《ふる》へた。次いで色々の感想が湧いて来る。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
『家《うち》では阿母さんが一番気の毒だ。………併し阿父さんも、あんな羊羹色《ようかんいろ》のフロツクしか無いんだもの、知事さんの前なんかで体裁《きまり》が悪るからう。…………阿父さんは、晃兄さんには仕方が無いけれど、阿母さんに何故あゝ慳貪《けんどん》に物を被仰るんだらう。…………晃兄さんも習字があの様に善く出来て、漠文の御本も善く読める癖に、何故《なぜ》真面目《まじめ》に成つて夷人《ゐじん》さんの語《ことば》が習へないのかなあ。…………家《うち》の物《もの》を泥坊するのは良《よ》く無いが、阿父さんが吝々《けち/″\》してお銭《あし》をお遣りなさらんから、兄さんも意地に成るんだ。…………兄さんも阿母さんから、初中《しよちう》内密《ないし
よ》で小遣《こづかひ》を戴き乍ら…………阿母さんが被仰る通り女の様に衣服《きもの》なんか買ふのは馬鹿々々しい。』
[#ここで字下げ終わり]
 果《はて》しなく斯《こ》んな事を思ひ続けて居ると、何処《どこ》かで自分を喚ぶ声がした。庫裡《くり》の方《はう》へ向いて、
『阿母さんなの。』
 と大きな声で尋ねたが、返事が無い。立上らうとすると汗をびつしより[#「びつしより」に傍点]掻いて居た。裏口《うらぐち》へ行かうとする時、又|何《なに》か声が聞えた。桑畑の中からだ。途端にお濱さんを思ひ出した。約束の時間に自分が行か無いので、待《ま》ち兼ねてお濱さんが迎へに来たのだと考へた。
 貢さんは兎《うさぎ》の跳《と》ぶ様に駆け出して桑畑に入つて行つた。畑《はたけ》の中《なか》にお濱さんは居ない。沼《ぬま》の畔《ほとり》に出た。旱の為に水の減《へ》つた摺鉢形《すりばちなり》の四|方《はう》の崖《がけ》の土は石灰色《いしばいいろ》をして、静かに湛《たヽ》へた水の色はどんよりと重く緑青の様に毒々しい。お濱さんは居なかつたがおなじ様に鼠色《ねずみいろ》の無地《むぢ》の単衣《ひとへ》を着た盲唖院の唖者《をし》の男の子が二人、沼《ぬま》の岸の熊笹《くまさヽ》が茂つた中に蹲《しや》がんで、手真似で何か話し乍ら頷《うなづ》き合つて居た。其れが貢さんには、蛇の穴《あな》を発見《めつ》けたので掘《ほ》らうぢや無いかと相談して居る様《やう》に思はれた。
『悪《わ》るい事なんか為ては行《い》かんよ。』
 と、五六|間《けん》手前《てまへ》から叱《しか》り付けた。唖者《をし》の子等《こら》は人の気勢《けはひ》に駭《おどろ》いて、手に手に紅《あか》い死人花《しびとばな》を持つた儘《まヽ》畑《はたけ》を横切《よこぎ》つて、半町も無い鹿《しヽ》ヶ谷《たに》の盲唖院へ駆けて帰つた
 貢さんは見送つて厭《いや》な気がした。

       (三)

 元気の無さ相《さう》な顔色《かほいろ》をして草履を引きずり乍ら帰つて来た貢さんは、裏口《うらぐち》を入《はい》つて、虫《むし》の蝕《く》つた、踏むとみしみし[#「みしみし」に傍点]と云ふ板の間《ま》で、雑巾《ざふきん》を絞《しぼ》[#「しぼ」は底本では「じぼ」と誤植]つて土埃《つちぼこり》の着いた足を拭いた。
『阿母さん、阿母さん。』
 二三度|喚《よ》んで見たが、阿母さんは桃枝《もヽえ》を負《おぶ》つて大原へ出掛けて居無かつた。貢さんは火鉢の火種《ひだね》を昆炉《しちりん》に移し消炭《けしずみ》を熾《おこ》して番茶《ばんちや》の土瓶《どびん》を沸《わか》し、鮭《しやけ》を焼いて冷飯《ひやめし》を食つた。膳を戸棚に締つて自分の居間に来《く》ると、又お濱さんに逢ひ度く成つた。一走《ひとはし》り行つて来ようかと考へたが、頭《あたま》が重《おも》く痛む様《やう》なので、次の阿母さんの部屋の八畳の室《ま》へ来て障子を明放《あけはな》して、箪笥の前で横に成つた。暑い日だ、そよと吹く風も無い。軒に縄を渡して阿母さんが干《ほ》した瓜《うり》の雷干《かみなりぼし》を見て居ると暈眩《めまひ》がする。じつと目を閉ぢようと為たが、目を閉ぢると、此の広い荒れ果てた寺《てら》に唯つた独り自分の居《ゐ》ると云ふ事が、野の中《なか》で捨児《すてご》にでも成つた様に、犇々と身に迫《せま》つて寂《さび》しい。其れを紛《まぎ》らす為《ため》に目を開いて何か唱歌でも歌はうと試みたが、喉《のど》が硬張《こはゞ》つて声が出無かつた。と、突然低い静かな声で、
『貢《みつぐ》、貢。』
『あ、晃《あきら》兄《にい》さん。お帰り。』
 起上《おきあが》つて玄関《げんくわん》の方《はう》へ走《はし》つて出ようとすると、
『此処《こヽ》だよ。貢《みつぐ》。』
『晃《あきら》兄《にい》さん、何処《どこ》なの。』
 貢さんは玄関と中の間の敷居《しきゐ》の上《うへ》に立つて考へた。
『此処《こヽ》だよ。』
 低い静かな声は本堂から聞える。其処《そこ》は雨が甚《ひど》く洩るので、四方の戸を阿父《おとう》さんが釘附《くぎづけ》にして自分の生れ無い前から開けぬ事に成つて居る。御参詣《おまゐり》の人も無い寺なので、内の者は内陣《ないぢん》で本尊様を拝む。本堂の五十畳敷だと云ふ広間《ひろま》は全く不用な塲処だ。内の者は皆此の広間の有る事を忘れて居《ゐ》る。殊に貢さんは生れて一度も覗《のぞ》いて見ないのだから、遠い遠い不思議な世界から声を掛けられた気が為《す》る
『晃《あきら》兄《にい》さん、何《ど》うして其《そ》んな処へ入《はい》つたの。何処から入《はい》るんです。』
 少時《しばらく》返事が無い。
『晃《あきら》兄《にい》さん。』
 と、貢さんは大きな声を為《し》て喚んだ。低い静かな声は、
『内陣へ廻《まは》りな。左から三枚目の戸だ。』
 貢さんは座敷を通《とほ》つて一段高い内陣へどんどんと足音をさせて上《あが》つた。
『左から三枚目。』
 と、又声が為る。昔から釘附《くぎつけ》に為てあると計り思つて居た内陣と本堂との区劃《しきり》の戸を開けると云ふ事は、少《すくな》からず小供の好奇《かうき》の心を躍らせたが、愈々《いよ/\》左から三枚目の戸に手を掛ける瞬間《しゆんかん》、何《なん》だか見無いでも可《い》いものを見る様な気が為て、怖《こは》く成つたが、思切《おもひき》つて引くと、荒い音も為《せ》ずにすつ[#「すつ」に傍点]と軽く開《あ》いた。
『あツ。』
 貢さんが覗《のぞ》いたのは薄暗《うすぐら》い陰鬱《いんうつ》な世界で、冷《ひや》りとつめたい手で撫でる様に頬《ほ》に当《あた》る空気が酸《す》えて黴臭《かびくさ》い。一|間程前《けんほどまへ》に竹と萱草《くわんざう》の葉とが疎《まば》らに生《は》えて、其奥《そのおく》は能く見え無かつた。
『何処《どこ》に居るの。晃《あきら》兄《にい》さん。』
『仏《ほとけ》さんの前の蝋燭《ろふそく》に火を点《つ》けてお出で。』
 貢さんは兄の命令通《いひつけどほ》り仏前《ぶつぜん》の蝋燭を取つて、台所へ行つて附木《つけぎ》で火を点《つ》けて来た。
『晃《あきら》兄《にい》さん、中《なか》は汚《きた》なか無くつて。』
『其処の直ぐ下に阿母さんの穿《は》きなさる草履があるだらう。』
 蝋燭をかざして根太板《ねだいた》の落ちた土間《どま》を見下すと、竹の皮の草履が一足《いつそく》あるので、其れを穿《は》いて、竹の葉を避《よ》けて前に進むと、蜘蛛の巣が顔に引掛る。根太《ねだ》も畳《たヽみ》も大方《おほかた》朽《く》ち落ちて、其上《そのうへ》に鼠《ねずみ》の毛を※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77]《むし》り散《ちら》した様《やう》な埃《ほこり》と、麹《かうじ》の様な黴《かび》とが積つて居る。落ち残つた根太《ねだ》の横木《よこぎ》を一つ跨《また》いだ時、無気味《ぶきみ》な菌《きのこ》の様《やう》なものを踏んだ。
『此処《こヽ》だよ。』
 中央《ちうあう》の欅《けやき》の柱《はしら》の下から、髪の毛の濃《こ》いゝ、くつきりと色の白い、面長《おもなが》な兄の、大きな瞳《ひとみ》に金《きん》の輪《わ》が二つ入《はい》つた眼が光つた。晃《あきら》兄《にい》さんは裸体《はだか》で縮緬《ちりめん》の腰巻《こしまき》一つの儘|後手《うしろで》に縛《しば》られて坐つて居る。貢さんは一目見て駭《おどろ》いたが、従来《これまで》庭の柿の樹や納屋《なや》の中に兄の縛《しば》られて切諌《せつかん》を受けるのを度々見て居るので、こんな処へ伴《つ》れて入《はい》つて縛つて置いたのは阿父さんの所作《しわざ》だと思つた。阿母《おつか》さんが裸体《はだか》の上から掛けて遣《や》つたらしい赤い毛布はずれ落ちて居た。
『貢《みつぐ》、お前、兄《にい》さんの言ふ事を諾《き》いて呉れ無いか。』
『晃《あきら》兄《にい》さん、御飯《ごはん》でせう。御飯《ごはん》なら持つて来《こ》よう。阿母さんが留守だから御菜《おさい》は何も無いことよ。』
『今《いま》握飯《にぎりめし》を食《く》つたばかりだ。御飯《ごはん》ぢや無い。』
『ぢや、お茶。』
『お茶も飲まして貰《もら》つた。』
『衣服《きもの》を持つて来て上《あ》げようか。』
『衣服《きもの》は自分で着《き》るがね。』
『何《なに》なの。晃《あきら》兄《にい》さん。』
『お前《まへ》本当《ほんたう》に諾《き》いて呉れるか。』
 兄が此様《このやう》に念《ねん》を押《お》し辞《ことば》を鄭寧にして物《もの》を頼んだ事は無いので、貢さんは気の毒に思つた。
『ふん、何んでも諾《き》きます。』
『難有《ありがた》いな。ではね、包丁《はうちやう》を取つて来てね、此の縄《なは》を切《き》つて御呉《おく》れ。』
『宜《い》いとも。』
 元気よく受合つて台所から庖丁を取つて来た。左の手に蝋燭《ろふそく》を持つて兄の背後《うしろ》に廻《まは》つたが、三筋《みすぢ》の麻縄《あさなは》で後手に縛《しば》つて柱《はしら》に括《くヽ》り附けた手首《てくび》は血が滲《にじ》んで居る。と、阿父《おとう》さんが晃兄さんを切諌《せつかん》なさる時の恐《こは》い顔が目に浮《うか》んだので、此の縄を切《き》つては成らぬと気が附いた。
『之《これ》を切《き》つて、僕、阿父《おとう》さんに問はれたら何《なん》と云ふの。』
『お前にも阿母《おつか》さんにも迷惑《めいわく》は掛け無い。わしの友人《ともだち》が来て知らぬ間《ま》に連《つ》れ出したとお言ひ。』
『晃《あきら》兄《にい》さんは又《また》逃《に》げて行く積《つも》りなの。』
『此処はわしの家《うち》ぢや無い、仇《かたき》の家《うち》ぢや。兄さんの家は斯《こ》[#「こ」は底本では「こん」と誤植]んな暗い処ぢや無くて明《あか》るい処に有るんだ。』
『明《あか》るい処つて、何処《どこ》。大坂か、東京。』
『そんな遠方《ゑんぱう》ぢや無い。何《なん》でもいゝ、早く縄を切《き》つて自由に為《し》てお呉れ。痛くて堪《たま》ら無いから。』
 阿母さんも居ない留守《るす》に兄を逃《にが》して遣つては、何《ど》んなに阿父さんから叱《しか》られるかも知れぬ。貢さんは躊躇《ためら》つて鼻洟《はなみづ》を啜《すヽ》つた。
『切れ無いかい。貢さん。意久地《いくぢ》が無いね。約束したぢや無いか。』
『だけれど、みんな留守《るす》だから。』
『お前、解《わか》らないなあ。』
 兄は歎息《といき》をついた。
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『あゝ、阿父さんの所為《せゐ》でも無い、阿母さんの所為《せゐ》でも無い、わしの所為《せゐ》でも無い。みんな彼奴《あいつ》のわざだ。貢《みつぐ》、意久地《いくぢ》があるなら彼奴《あいつ》を先《さき》に切《き》るがいゝ。』
[#ここで字下げ終わり]
 兄が頤《おとがひ》で示した前の方の根太板《ねだいた》の上に、正月の鏡餅《おかざり》の様に白い或物が載《の》つて居る。
『何《なに》。』
 と、蝋燭《ろふそく》の火を下《さ》げて身を屈《かゞ》めた途端《とたん》に、根太板《ねだいた》の上の或物は一匹《いつぴき》の白い蛇《へび》に成つて、するすると朽《く》ち重《かさな》つた畳《たヽみ》を越《こ》えて消《き》え去つた。刹那《せつな》、貢さんは、
『沼《ぬま》の主《ぬし》さんだ。』
 斯《か》う感《かん》じて身をぶるぶると慄《ふる》はした。
『貢さん、貢さん。』
 と、お濱さんが書院《しよゐん》の庭あたりで喚《よ》んで居る。貢さんは耳鳴《みヽなり》がして、其の懐《なつ》かしい女の御友達《おともだち》の声が聞え無かつた。兄はにつ[#「につ」に傍点]と笑つて、
『驚いたか。』
 貢さんは黙《だま》つて蛇《へび》の過ぎ去つた暗《くら》い奥《おく》の方《かた》を眺めて居る。
『暗《くら》い家《うち》には彼奴《あいつ》の様な厭《いや》なものが居《ゐ》る。此の家《うち》の者は皆|彼奴《あいつ》の餌食《ゑじき》なんだ。』
 よくは解《わか》らぬけれど、兄の言つて居る事が一一道理《いちいちもつとも》な様に胸に応《こた》へる。斯んな家に皆が一日も居ては成らぬ様な気が為た。
『晃兄さん、早くお逃《に》げなさい。縄を切《き》りますから。』
『難有《ありがた》う。お前もね、わしの年齢《とし》に成つたら、兄さんが明《あか》るい面白い処へ伴《つ》れてつて遣《や》らう。』
『本当《ほんたう》に面白いの。』
『面白いとも。』
『単独《ひとり》では行かれ無いの。』
『行かれる。兄さんは単独《ひとり》で行くんだ。』
『屹度《きつと》伴《つ》れてつて下さい。』
『わしの年齢《とし》に成つたら。其れ迄は辛抱《しんぼう》して吉田の学校を卒業するんだよ。』
『女《をんな》でも行かれるの。』
『行かれるとも。其処《そこ》は女の方が多《おほ》いんだ。』
『阿母さんも伴《つ》れてつて上《あ》げなさい。』
『諄《くど》いね。早く縄を切《き》つてお呉《く》れ。』
 貢さんは勇々《いそ/\》として躊躇《ためら》ふ所なく麻縄《あさなは》を切り放つた。お濱さんは玄関の方へ廻《まは》つて来た。
『貢《みつぐ》さん、貢さん。』
『お濱さんが先刻《さつき》からお前を探《さが》して居る。早く行つてお出で。』
 兄は柱《はしら》に倚《よ》つて立上り、縄の食ひ込んだ、血の滲《にじ》んだ手首《てくび》を擦《さす》り乍ら言つた。貢さんは、
『今行きます、お濱さん。』と甲高《かんだか》な声で言つて、『晃《あきら》兄《にい》さん、お濱さんも僕と一緒に伴れてつて上げて頂戴《ちやうだい》。』
『馬鹿。よその人に其《そ》んな事を言ふんぢや無いよ。』
 兄の睨《にら》むのも見返《みかへ》らずに、貢さんは蝋燭と庖丁とを持つて内陣《ないぢん》へ跳《と》ぶ様に上《あが》つて行つた。
 お濱さんは裏口《うらぐち》から廻つて、貢さんの居間《ゐま》の縁《えん》に腰を掛けて居た。眉の上《うへ》で前髪を一文字に揃《そろ》へて切下げた、雀鬢《すゞめびん》の桃割《もヽわれ》に結つて、糸房《いとぶさ》の附いた大きい簪《かんざし》を挿して居る。腫《は》れぼつたい一重瞼《ひとへまぶた》の、丸顔の愛くるしい娘だ。紫の租《あら》い縞《しま》の縒上布《よりじやうふ》の袖の長い単衣《ひとへ》を着て、緋の紋縮緬《もんちりめん》の絎帯《くけおび》を吉弥《きちや》に結んだのを、内陣《ないぢん》から下《お》りて来た貢さんは美《うつ》くしいと思つた。洗晒《あらひざら》しの伊予絣《いよがすり》の単衣《ひとへ》を着て、白い木綿の兵子帯を締めた貢さんは肩を並べて腰を掛けた。お濱さんは三つ年上《としうへ》で十三に成るが、小学校は病気の為に遅《おく》れて同じ級《きふ》だ。お濱さんの父は、もと越前の藩士で今は京都府の勧業課長を勤めて居る。
『お濱さん、僕、朝から行かうと思つてたけれど。』
『あたし待つててよ。しどいわ。』
『悪《わる》かつた。僕、留守番を云ひ附かつたの。』
『あたし、そんな事は知らないでせう。待つて待つて、泣いて、阿母さんに叱《しか》られたのよ。』
『泣くなんて、可笑しいなあ。』
『でも、貢さんが嘘《うそ》をつくんですもの。』
『嘘《うそ》をつくものか。僕は行きたかつたけれど。』
『あたし、先刻《さつき》から喚《よ》んでたのに、あなた何処《どこ》に入らしつたの。』
『さう、先刻《さつき》から喚んでたつて。僕、聞えなかつた。』
『お昼寝《ひるね》でせう。』
『昼寝なんか為《し》ない。』
『お雲隠《はゞかり》。』
『晃《あきら》兄《にい》さんと話してたんだ。』
『晃《あきら》兄《にい》さんが入らつしやるの。』
『ふん。』
 お濱さんは、一寸手で桃割を撫でて、頬を赤くしながら、
『貢さんは矢張《やつぱり》嘘《うそ》を御吐《おつ》き為さるのね。晃兄さんが入らつしやるのに、留守番だなんて。』
 と云つた。貢さんは困《こま》つたらしく黙つて俯向《うつむ》いた。此時|前《まへ》の桑畑の中に、白い絣《かすり》を着て走《はし》つて行く人影《ひとかげ》がちらと見えた。
『あら、あたし、ちよいと用があつてよ。』
とお濱さんは云つて、不意に駆け出した。貢さんも急いで草履を穿《は》いて、お濱さんの跡を追つて行つた。二人が桑畑を抜けて街道へ出た時には、二町も先《さき》の路を、晃《あきら》兄《にい》さんが洋杖《すてつき》を手に夏帽を被つて、悠々《ゆう/\》と京の方へ出て行《ゆ》くのであつた。
[#地から7字上げ]――(完)――



底本:「新声」新声社
   1909(明治42)年3月号
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字を新字にをあらためました。
※「鹿《しゝ》ケ谷《たに》」の「ケ」を小書きしない扱いは、底本通りにしました。
入力:武田秀男
校正:門田裕志
2003年1月24日作成
2003年6月1日修正
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