青空文庫アーカイブ

新しき夫の愛
―― 牢獄の夫より妻への愛の手紙 ――
若杉鳥子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)時期《とき》に

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)近頃|閑《ひま》になったせいか

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、底本のページと行数)
(例)[#この行は注記、202-10]

本文中、伏せ字は「*」であらわした。
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 山内ゆう子――私は一人の新しい女性を紹介する。見た処彼女はまだほんの初々しい、はにかみがちな少女に過ぎない。だが少し相対して話していると、聡明な実にしっかりした女性であることが解ってくる。
 彼女の生まれは九州だそうだが、父が地方長官をしていた関係で、女学校を東北のA市で卒業した。父の没後は、母と一緒に東京の郊外に棲み、女子**に通学していた。卒業後は独自の生活を立てながら、医学の研究を続けてゆく決心でいたが、美しい彼女のもとへは女学校時代から、結婚の申し込みが殺到していた。それに、財務官をしている叔父夫妻までが、彼女のお嫁入りの世話に躍起となっていた。――だが本人はというのに、ようやく時代にめざめつつある彼女が、先ず周囲を見廻す時に、真面目に問題とするような男は一人もいなかった。
 階級闘争の激烈な時代に生きながら、この有産階級の男達は、脚下に迫っている明日の没落の運命を少しも知らない。或ものは刹那の歓楽を追い、或ものは醜い利己の欲望に駆けめぐっている。そういう男達の無智に対して、彼女はひそかに絶望していた。
 丁度そうした時、彼女の眼の前に、実に長い間待っていた人のように現れて来た人があった。それこそ、これから展開してゆく手紙の主人公――左翼の闘士Eである。
 Eと彼女が知ったのは、ある洋画家の処だが、Eと知り合いになると間もなく彼女は、Eの関係している****の仕事を手伝わして貰うようになったが、そのうち、それは実に周囲の者も気がつかない程急速なテンポで二人の恋愛が進んで行った。だがゆう子が住所不定のEと結婚する為には、その準備金が必要なので、彼女は今まで、ブルジョアの娘としての自分を飾っていた、着物や装身具一切を持ち出して、母に内密で多額の金と換えてしまった。
 そうやって、家出娘のゆう子と住所不定のEとが、やっと一軒の隠れ家をみつけて落ちついたのだが、それで決して彼等の恋愛は、ハッピーエンドを告げるのではなかった。
 問題はむしろこれからなのである。
 一九二九年夏、荒れ狂う暴圧のもとに、最初の*****が**停止に会い、関係者全部が検挙投獄されたことは、日本のプロレタリアートの****史上に特筆さるべき有名な重大事件であるが、丁度、彼等の結婚もその時期《とき》に当たっていた。
 そして二人がある小路の奥に巣を作った四日目の朝、Eは同志との連絡をとりに出たきり帰って来なかった。後で、Eがある同志の家の附近で捕まったということを彼女は、知ったのだが、何にしてもEとゆう子が一緒に暮らしたのは、たった三日間だった。現在の下《もと》に繋がるる限り何時迄待てば解放される彼であるのか――誰にもそれは解らない。まだ処女の如く、若く美しい三日間の妻だった山内ゆう子は、その後どんな道に生きてゆくか? 或いは白髪の日まで夫を待つ妻であるだろうか?
 これでひとまず山内ゆう子とEとの紹介を打ち切って置く。
 革命後のソヴエット・ロシアに於いては、コロンタイの恋愛観等にも現れた乱婚生活が一時盛んであったということだが、それは今日ではもう、反動的な頽廃的な何等××とは縁のないものとして批判し尽くされた。だがまだ日本ではこの小ブル的な恋愛観が何か新しいものでもあるかの如く問題にされている。
 その時にあって、前に述べたこの二人の男女は、どんな風に恋愛を考えているか、或いは又実行に移しているか? 読者はいま此処に発表する十通の手紙――牢獄の夫から妻に宛てた――を読んでゆかれたなら、闘争の嵐の中に戦う二人の姿を、はっきりと見出し、この圧搾された愛情を、如何に貴く痛感されることであろう。この手紙の書かれた季節は、春から夏にかけてであって、手紙と手紙の間の欠けている処もあるが、日附順に並べて行こう。

       1

 一ヶ月振りで君の手紙を見た。
 そしていつもそうには違いないが、特に昨夜の手紙には、いささか幸福を感じた。実際君は、誰に指導されなくても自分自身で、自分の思ったことを実行してゆけるようではないか。それならばそれが一番いいことだと僕は思う。だから是非そうして、しっかりやってくれ給え!
 それから君はKに就いて不備を洩らしているが、Kは僕にとっては事実いい友達なのだ。然し決して「同志」ではなかった。この事をよく考えなければいけない。戦闘的な労働者を見る眼をもってKを見ればもう、全然問題にはならない。だが[#底本では「だか」と誤植]兎に角彼は左翼運動に興味を持っている心掛けのよい紳士なのだ。ポケットに資本論を突っ込んで銀座をブラついて歩いたって咎めるわけにはいかない。Hについては問題にする方が間違っている。彼等にはそのつもりで交際してゆき給え。「宅下げ」は厨川白村二冊、「ドイツ語動詞変化表」の一冊。洗濯の事は心配しなくてもいいよ。監獄に来てまで毎日、「洗いたてのシャツ」をという約束の実行を迫る程俺も贅沢ではない。先月一日に城東道子という人が差し入れてくれた。僕にも見当がつくが、君が知っていたらよろしくいってくれ。
 俺のようにロクな仕事もしないでトッ捕まって不生産的な別荘生活をしているものにも、外の諸君が色々心配していてくれてることを思うと、赤面しないわけにはいかない。Aがまるで、シンボリストのような手紙をくれた。はっきり意味は解らないが、都会の騒音と歴史の機関車の驀進する轟音とを感じる事ができた。新しい革命的現実的象徴主義の芸術が、こんな処から発生しやしないか等と、馬鹿なことを考えた。――誰かホイットマンの詩集か、ヴェルハーレンの「触手ある都会」を持っていないか。字引き受け取った。有り難う。アドが変わるようだったら面会で知らせてくれ。

       2

 先週中に四月九日から五月二日までの手紙が連日のようにやって来た。しかも君が投函するのとは反対の順序で、つまり一番古い四月九日のが最近に手に入った。だから返事したいことも沢山あるのだが、一々書いていられない。残念ながら何時ものように出てから緩《ゆ》っくり話してやろうと思って我慢するより仕方がない。マジョール湖の絵葉書は、表も裏も面白かった。またあんな絵葉書にそしてあんな報告を書いたのをくれ給え。
 僕が君に忠告したいことは君が本ばかりでなく、「事実」に注意して欲しいということだ。例えば市電の争議についても、電柱のビラを見て感激している奴はいても、その「要求」について真面目に研究をしている奴は割に少ない。ヒドイのになると、市電の職場が運輸とか、車庫とか、被服工場とか色々に分かれていて、それぞれの問題があることすら知らない奴がいる。総同盟や組合同盟にどんな組合が所属しているか(つまり***の***でも知ってるようなことすら)知らないマルクス主義者がいる。それ等の人々は現実に対する真面目な興味の欠けてることを示している。(大山郁夫がそれだったように)君はそんな風なマルクス主義者になってはならないし、又如何に上手に組み立てられていても、そうした事実を知らない人に対しては、その議論を絶対に信用してはならないのだ。
 まだ書きたいことがあるが書けなくなってしまった。宅下げしたのはドンキホーテ二冊、それから郵便で着物を送った。あのシーツの黒くなったことには、近来急速にプロレタリヤ化しつつある君も流石《さすが》に驚くだろう。今「西部戦線」を読んでいる。それからドイツ語の文法、君の送ってくれた奴をもう一度差し入れしてくれないか。然し手許《てもと》になければいいんだよ。では又。馬鹿に急いだので何も書けなかった。

       3

 此の間は思いがけない人にも逢ったし大変愉快だった。「理論的には大分しっかりして来たつもり」の人よ! 君は非常に丈夫そうに見えた。そう見えるだけではなくて本当に丈夫になったのだろう。処で宅下げの本はこの手紙が君の手許へ届くまでには三冊になる。前便で着物のことを書いておいたが二三日何だか寒いので見合わせているのだ。そのうち郵便でKの処へでも送ることにしよう。君達に余り面倒な思いをさせるのも気の毒だから。読書に関するプランは中止したよ。だが、心理学の本を読む前提として、解剖、組織、生理学に関するものを読みたい。急ぐわけではないから、何処からか見つけて来てくれ給え。
 俺のドイツ語も近頃では君の理論のように、「大分しっかりして来たつもり」だよ。文法的にもそれからまた単語についても。K夫人は病気ではないのかね。そんな気がする。逢ったらよろしくいってくれ給え。K夫人の亭主にもたまには手紙をよこせと云ってくれ給え。

       4

 幾分かキートンに似ているというオカミさん! 忙しいですね。相変わらず。兎に角君に「公休日」があるようになったのは劃時代的だよ。以前は毎日公休日だったのに! 此の間送った着物、それから宅下げした本(ドイツ文典、西部戦線)は受け取ってくれたかね。計画的な読書については暫く前に書いたように、もう止めたんだよ。僕はヒマだからいくらでも綿密なプランを立てるし、また立てたくもあるのだが、君は多忙であるし、俺の親類の連中から寄附を募集することも君にはもういいかげん沢山だろう。君の不足な生活費から搾取するのもいやだ。等々々だから何でもいいから成《なる》べく実際的なものを入れてくれればいい。小説はこの頃余り読みたくないよ。よっぽど面白いのでなければ。「西部戦線」は面白くあったし、それに少し沈滞していた食欲を恢復させてくれたのは有り難かった。兵隊が書いた本だけあって、食うことばかり書いてあるんだもの。ベーコンや豌豆やチーズなんか盛んに出てくるじゃねえか、しかも、なかなか、うまそうに書いてある。ではまた来週!

       5

 手紙を、五月になってから二つ受け取った。第三信というのと第四信とである。
 ゴールキーの小説のような街で君が生活してること、めし屋で食事をすること等々、はなはだ愉快ではあったが、もうそんなことは当然すぎる話になってしまわなければならないぜ。現代支那語講座を受け取った。しかし、あれは毎月つづくらしいが、後はどうなんだろう。発音は此処にいては到底物になるべくもない。だが読むだけなら、字引さえあれば全くゾーサないことだ。一体この牢屋で読めるような「現代支那語」の書物が日本で発行されてるかしら? 誰かに聞いて見てくれ。ユーデット其の他宅下げした。今ドイツ語はトーマス・マンの短編を読んでる。物理の本はドイツ文典を宅下げした後で入れてくれ。今、満員だ。
 Sはまったく真面目な人だよ。むしろどっちかと云えばリゴリストでさえある。君にとって見当がつかないというのは、多分、向こうでも、君に対して態度がはっきり定められないで困ってるからなのであろう。つまり、子供として取り扱っていいか――大人として待遇していいかが――僕にはそう思えるのだが。それから僕が******の残滓をもっていたという話はどうも承認しかねるね。僕が何か間違いをやったということの原因は決して**の残滓ではなくて他のことに原因してるようだ。一口に**といっても、**を排撃するにしても、その歴史的役割や功禍を正しく批判しなければいけない[#底本では「しなけれいけない」と誤記]。昔の**は昔の**より仕事をしたし**的でもあった。それがどうして、***の列中に移行したかを、よく理解していなければアナを批判することは出来ない。
 此処では「人」という雑誌を売っている。見ると村山貯水池の防空施設の話や、軍縮の話等が出ている。又夜になるとよく機関銃の演習が聞こえて来る。そんなことが******のことを色々と考えさせる。運動の時間はずい分有効に用《つか》っている。運動場の廻りを百回づつ走っているよ。では又来週!

       6

 此の間、面会の時の話は(何のことだか一こう見当もつかないが)要するに誰かが何か君の悪口を云って来ても、それについて煩わされることはないということ、それは充分に承知してるから心配することはないよ。まだ誰もそうしたことを云っては来ないし、又云って来た処で僕には問題が君の個人的な事柄に関する限り、君の云うことが先ず第一に信じられるのだから。次に青バスの事は如何にも残念だった。しかしすぐに他の口があったことは何よりだ。君の労働への進出については、僕にして見れば相当に感激もしているしほめたくもあるのだが、今あんまり口を極めて賞賛してしまうと、直ぐ二三ヶ月してから(そんなこともないだろうが)すっかりヘタバッテしまうようなことになるとすると、君はその時、余計恥ずかしい思いをしなければならないから、今は余りホメないよ。
 よほどの事のない限り、ちょいちょい転職してはいけない。そんな風だと人間までが散漫な性格に変わってしまうから――亭主の義務が命ずる所に従って説教しておくが、近頃|閑《ひま》になったせいか何かしら説教めいたことを口走る癖がついたのに自ら呆れている。まるでインキョの如く! お母さんはどうしてるかね。おばあさん[#底本では「あばあさん」と誤記]は眼鏡がガタつく程やせてしまったと云う話だがどうなんだ。
 終わりに臨んで余り喧嘩をしないことを勧告しておく。必要な喧嘩ならどうしてもしなければならないし、又、気を強く持つことは今の君には絶対必要なのだが、しかし君は軍鶏《しゃも》ではなくて、俺のオカミさんなんだからな。

       7

 まるで君が写真をうつす時のように少しスマシて書いたらしい手紙を受け取った。それによると、尊敬すべき俺のオカミさんは、「四日間の労働体験」を誇って(誇ってるわけでもないだろうが)いるようだ。勿論それは立派な体験には異《ちが》いない。その点には異議はないが、「体験」も四日間位だと、それは却って「如何に体験が少ないか」と云うことの証明として、より多く役立ちはしないかね。だが、今はもう四日間を十倍した以上の体験を得ている筈だし、俺が出る頃には、それこそまるっきりプロレタリヤになっていることだろうな。今、君は余計なことを考える必要はないから、なるべく沢山仲のいい友達を作るようにしなければならない。つまらない活動写真を一緒に見に行ったり出来るだけ親切に交際《つきあ》ったりして。――そうしてプチブル的な環境から次第に完全に絶縁してしまうようにしてくれ。
 仕事はどんなことがあっても、チョイチョイ変えないようにしてくれ。そうすると何にもならないばかりか、変にルンペンな癖がついてしまうから。――勿論一時的なつもりではなく、今の決心なり実践なりは永久的なものであろうことは、俺も固く信じているし、信頼してもいるのだが。モップル(1)に行ったら、土岐哀果の歌集「空を仰ぐ」と「現代支那語講座」が宅下げしてあるから頼むよ。――俺の手紙の字はまた大分大きな字になってしまった。そのうち小さな字でウンと色々なことを書くからカンベンしてくれ。俺も出たら「労働しろ」という君の勧告は、その原則は、勿論賛成なんだが、俺をやとう工場もないだろうし、俺は労働していない方が、社会的に有用な人間ではないかね? 手紙よこせ。では失敬。

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 子犬と食器を一緒にしているなんて、汚ねえからよしな。――
 さて俺の方は実に、実に相変わらずだ。此の間の君の手紙は少し「令女界」だったね。(一々色々な批評はするが、一々君のように気にしていてはいけない。口が滑るばかりだから)そうしてあの手紙から想像される君の生活は、何だか馬鹿に淋しそうだったので、ひどく気の毒になったが、しかしそんなに気にすることもないらしいのを、あの同じ手紙の最後の方で知ったので安心した。「個人的な感情」などを余りかえりみないで、一生懸命やってくれ。実際この頃は痛切にそのことを感じているのだ。君の手紙にあるように「七年」でも或いは「十五年」でも、僕達にとっては、少しも「元気」に関係しはしない。いづれにしても…………………。
 それから僕の「病気」については心配しないでほしい。今形勢を見ている。僕だって体の大切なことは知っているから、その必要を認めればそのようにする。君の手紙にある玉井ドクトルの親切な忠告もまだその必要はない。モルガンの「古代社会」と「ドイツ新聞」とそれから、「鼠色寝間衣」なるものを宅下げしたからたのむ。支那語は辞書を購求していよいよ本気でやることになった。まったく、予定どおりドイツ語の方ははかどったから、今年中に支那語の基礎をやって、来年からエスペラントか、出来ればロシヤ語をやりたいと思っている。
 少し悪い癖で先のことばかり考えているが、しかし予定は確実に履行するんだから、その悪い癖を謝してやってもさしつかえないのだ、では又来週だ。鐘紡の争議どうなったかね。失敬。

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 君の「講義」はそんなに「固い」のかね。多分ひどく難しいことを云うのだろう? 俺も一度聞いてみたいものだ。――だが要するに第一の問題は、集会そのものに興味を持たせ、次には君自身に対しても、「個人的」に好意乃至信頼を持たれるようにならなければ何事も始めるわけには行かないだろう。それから僕が一番気にするのは、君が労働者の友達に、日常の実践道徳について忠告せずにはいられないような事になりはしないかということだ。君はその点についても非常に神経質だから――まさか「太陽のない街」の婦人部長のような、話せないおばさんになることもあるまいけれど。――そういうことは第二義的のことで、それが、「第一義的のこと」に差しつかえないかぎり、黙って見ていた方がいいことなんだ。等とまだ色々考えたこともあったが、今世間の有り様が如何なる次第になっているか見当もつかない俺は、うっかりすると頓珍漢なことをいいそうだからこれくらいで止めた。
 要するに、君が非常にいい道を歩いているらしいから、非常に愉快だ。だが――僕が此処にいる間は手紙で色々なことを、余り具体的に知らせてくれない方がいいのではないかね? もっとそのかわり一般的なことを知らせてくれたまえ! それから「物価問題」その他が宅下げしてある。モップルの人に、今後時々行って見てくれるように頼んで置いてくれないか。モップルから入れてくれたドイツ語の本は、書き入れがあるので不許可になった。Kから入れてもらったものはKへ返さなければならないだろう。それも頼んでおいてくれ。
 監獄の庭は色々なものがゴタゴタと成長し、日毎に丈が伸びて行って賑やかになった。小鳥にとっては此処は安全地帯だと見えて、時々東京には珍しい奴がやって来て鳴いている。俺が中学の一年生の時、聖書を習った女の先生は、丁度今の君と同じ年齢であったことを思い出した。なる程あんなものかなと思った。だが、その時分は、その女の児《こ》を立派な先生だと思って尊敬していたものだ。

       10

 此の間は、なかなか愉快なことを聞かせてもらったのですっかり安心した。君は八十銭の日給でうまく生活して行くことが出来るのかね。多分お母さんに支持してもらっているのだろうが。なるべく一人ですっかりやった方がいいじゃないか? お母さんには今度逢ったらよろしく云ってくれ(さしつかえなかったら)――本が三冊宅下げしてある。「明治大正文学全集」とトーマスマン短編集と、ドイツ語の本だ。なるべくKに返して貰うように誰かに依頼してくれ。
 今度T子さんに逢ったら(嘘のようだが、あの尊敬すべき夫人の名前を僕は此処に来てから始めて知ったのだ。何か珍しい単語を字引で引き当てたような気がした)――経済学全集の中から、さしつかえなさそうなものを、毎月位の割で入れてくれるように頼んでくれ。それは彼の偉大な頭を持って(ただし形式の)有名な俺の竹馬の友、Nという男がもっている筈だ。俺の「病気」はまだ大したことはないから心配するな。此処にいる間は少し位体が悪くても一こうさしつかえないではないか。君の健康こそなかなか心配すべき点と理由とを持っているのだが、近頃は非常にいいらしいので安心している。
 もうそろそろ、俺達の一年が周ってくる。あの画家のうちは、青葉の中に埋没されて毛虫やナメクジが密集していることだろう。画家は絵が描けないと悲観しているそうだ。あの驢馬のような絵描きは、昔のようにノンキにノンキな画を描くことは出来なくなってしまったらしい。何か特別な「美」をデッチ上げることにサンタンたる苦心ばかりしているが、元来そんな「特別な美」なんてものはありえないから、其処に表現されているものは、唯重苦しい苛々《いらいら》した気持ちだけなのだ。あれでは絵も描けなくなる筈だ。処で僕が一番初めに君にすすめた本を、君は読んでしまったかね。あの本は非常にいい本だから是非一生懸命に読めよ。    完

 此処では男の人の手紙ばかりで、残念ながら女の人のがない。然しながらこの手紙を読んでゆけば、その前に女の人がどんな手紙を出したかは、ほぼ推察されることだろう。と同時に、女の人――山内ゆう子――の境遇が転々と変化して行くことも想像されるだろうが、実際また彼女はあらゆる苦難と戦いながら、勇敢に勤労婦人の生活の中へ飛び込んで行った。ある時はタイピストにある時はバス車掌に、――それは止むをえない事情で職場を変えたのだった。
 だが、今ではもう完全に、彼女は街頭から姿を消してしまって、知る人は一人もいない。
 読者はこれを読んでゆくうちに、この手紙が単なるあまい恋文でないことに気づかれたであろう。と同時に、二人が如何にその恋愛を階級的に高めて行こうと努力しあっているか? 夫は妻を同志として如何に訓練してゆこうとしているか? 彼等の愛情がどんなものであるかを、充分に正しく洞察されたことであろう。

注:(1)国際赤色救援会の略。筆者もこの会で活動していた。



底本:「空にむかひて」 武蔵野書房
   2001(平成13)年1月21日第1刷発行
底本の親本:「婦人公論」第16年1号、中央公論社
   1931(昭和6年)1月1日発行
入力:林 幸雄
校正:小林 徹
2001年3月19日公開
2001年3月20日修正
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