青空文庫アーカイブ
宇宙戦隊
海野十三
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(例)成層圏《せいそうけん》
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作者より読者の皆さんへ
この小説に出てくる物語は、今からだいぶん先のことだと思ってください。つまり未来小説であります。今から何年後のことであるか、それは皆さんの御想像にまかせます。しかしそれは百年も二百年も先のことではなく、あんがい近い未来に、このような事件がおこるのではないかと、私は考えています。
それはそれとして、私たちは油断をしてはなりません。科学と技術とは、国防のために、また人類の幸福のために、新しい方面にむかって、どんどんきりひらいていかねばなりません。深い科学研究と、奇想天外な発明を一刻も早くつみあげていかないと、私たちも私たちの国も、とつぜんおそろしい危機をむかえなければならないでしょう。
今日の航空戦隊は、やがて「宇宙戦隊」の時代にかわっていくことでしょう。数千メートルの高空を飛んで、敵機動部隊のま上にとびかかる航空戦隊、さらに成層圏《せいそうけん》を征服して、数時間で太平洋、大西洋を横ぎり、敵の首都に達し、大爆撃を行うことになるはずの、明日の航空戦隊――それをもっともっと強くりっぱなものにして、やがて「宇宙艦」をもって、大宇宙を制圧するまでに進めなければなりません。
それはいったい誰がするのでしょうか。もちろんそれは、皆さんがた今日の日本少国民たちが、大人になったときにするのです。よわい民族ではできないことです。すぐれた科学技術を、つよい民族が使うのでなくては、とてもこのむずかしい仕事、この苦しい仕事をやりとげることはできません。
しかしその仕事がむずかしく、また苦しいだけに、それに成功したときのうれしさは、今ちょっと考えただけでも愉快なことではありませんか。日本少国民の皆さん、どうぞしっかりやってください。
[#ここで字下げ終わり]
奇妙な死骸《しがい》
ここに一つの奇妙な死骸が、地底七百メートルの坑道の中で発見された。坑道というのは、鉱石をほりだすため、地の底へむけてほった穴の中のことだ。
その奇妙な死骸は、たしかに金属と思われるもので作られたかたい鎧《よろい》で、全身を包んでいたのだ。
しかしその姿は、じつにふしぎな、そしてめずらしいものであった。それを見つけた人々は、なんとかしてその死骸の姿に似たようなものを、これまでに見た雑誌の写真や、映画などから思い出そうとしたが、だめであった。まったく今までに、それに似かよったものが見あたらないのだ。
だが、それが一つの死骸であることだけはわかった。首もあるし、胴も手足もあったから……。眼もちゃんと二つあるし、鼻もあった。口もあり、耳もあった。たしかに人間の持っている顔の道具はそろっていた。
こういう風《ふう》にのべると、あたりまえの人間と、あまりかわらないように聞えるが、さてもっとくわしく全身を見て行くと、これもふしぎ、あれもへんだと、次々に奇妙なことが発見されるのであった。
まずその死骸の色であるが、前にものべたとおり、たしかに金属で作ったと思われるかたい鎧で全身を包んでいたが、その色は、目のさめるような緑色であった。毎年五月になると、木々のこずえには若葉がしげり、それが太陽の光をうけてあざやかな緑色にかがやくが、あの若葉のような緑色であった。
緑色の金属――そんなものは、あまり見かけたことがない。私たちの知っている金属といえば、たいてい銀色に光っているとか、さびて黒くなっているとか、朱色になっているのがふつうであった。この緑色の金属は、いったい何という金属であろうか。
死骸のこの緑色にひきつけられて、じっと見つめていた人々は、やがてなんとなく嘔《は》き気をもよおしてきた。熱帯にすむ青いとかげのことを思い出したからであろう。
しかし何よりも人々にふしぎな思いをいだかせたのは、その死骸の顔であった。顔というよりも、ふしぎな首といった方がよいかもしれない。
三本の角《つの》が、頭の上に生《は》えていた。二本なら牛や鬼と同じであるが、それよりももう一本多い。そしてその角は前の方に二本生えていて、もう一本はすこし後にあった。後の角は半分ばかり土の中にめりこんでいた。
その角が、牛の角や鬼の角とはちがい、奇妙な形をしていた。太鼓《たいこ》をうつ撥《ばち》という棒がある。その撥には、いろいろな種類があるが、棒のさきに丸い玉のついた撥があるのをごぞんじであろう。死骸の角は、じつにその撥のような形をしていて、角の先に丸い玉がついていた。太さは鉛筆をすこし太くしたくらいであった。
その角は、糸をまいたように、横にしわがあった。そこに集っていた一人がおそるおそる、その角をつかんでひっぱってみた。すると、まるで鎖でもひっぱり出すように、角がずるずると長くのびてきて、一メートルほどになったので、その人は、きゃっと悲鳴をあげて手をはなした。
すると毒蛇のようにのびた角は、ゴムがちぢまるように、するするぴちんとちぢんで、もとのように短くなった。
目は、大きな懐中時計くらい大きく、そして厚いレンズをはめこんだように、ぎらぎら光っていた。目は二つあったが、あとになって、目は三つあることがわかった。二つの目は私たちと同じように、ならんで前についていたが、もう一つの目は、頭の後についていたのである。それはあとでこの死骸をひっくりかえしたときにわかったことだ。
耳は大きく、二つあって、その形は、どことなくラッパに似ていた。
鼻はひくくて長かった。
口はたいへん大きく、耳の下までさけているように見え、厚ぼったい唇があった。その唇へ、一人の男が棒をさしこんであけてみたところ、たしかに中には口腔《こうくう》があったが、ふしぎなことに歯が一本もなかった。
まったく、ふしぎな死骸であった。
この死骸の身長は、はかってみると、一メートル八〇あった。ふつうの日本人より、よほど背が高いわけだ。
この死骸のふしぎなことについては、まだまだのべることがあるが、それはだんだん後で書いていくことにするが、以上のべたところだけによっても、この死骸がじつに奇妙なものであることがおわかりになったであろう。
では、この奇妙な死骸が、どうしてこんな地底ふかいところで発見されたか、そのころの話をこれからすこし書かねばならない。
三人の鉱員
この奇妙な死骸の発見者は、金田《かねだ》という鉱員と、川上《かわかみ》と山岸《やまぎし》という二人の少年鉱員であった。
この三人は、梅雨《つゆ》ばれの空をあおぎながら、早朝この山へのぼってきた。
この山は、この間までりっぱな坑道をもった鉱山であったが、とつぜん五百機に近い敵機の大編隊によって集中爆撃をうけ、そのためにこの鉱山はめちゃめちゃになった。
坑道の入口はたたきつぶされ、変電所も動力室も事務所も、あとかたなく粉砕されてしまった。坑道を通って外へ鉱石をはこび出すためのケーブル吊下《つりさ》げ式の運搬器《うんぱんき》も、その鉄塔も、爆風のため吹きとんでしまい、今は切れ切れになった鋼索《こうさく》が、赤い土のあいだから、枯草のように顔を出しているだけであった。
それよりも、すごい光景は、この鉱山の上に爆弾が集中されたため、山の形がすっかりかわってしまって、地獄谷のようなありさまになっていることだ。その間から、ほりかえされた坑道が、あっちにもこっちにも、ぽかんと口をあけ、あるところは噴火口のように見えていた。
金田と、川上、山岸の三人は、この日このように破壊された坑道のどこからか地中にはいりこみ、この間まで働いていた第八十八鉱区が今どんなになっているか、それをよく見てしらべてくるのが仕事だった。それはかなり危険な仕事であったが、戦争の最中のことで、鉱区はできるだけ早くもとのようになおして、鉱石をほりだすようにしなければならないので、三人はえらばれて、この山へやってきたのである。それは敵機の大爆撃があってから、七日めのことだった。
山へついた三人は、いつもはいりなれた坑道の入口がわからないので、まごついた。やむなくそれから山の頂上へのぼって、上からようすを見ることにしたが、三人は前にのべたように、地嶽谷のようなものすごい破壊の光景にぶつかって、たいへんおどろいた。しばらくはぼんやりとそこにたたずんで、口がきけなかったほどであった。
が、金田はもう老人といわれる年齢になった老鉱員であるが、十四歳の時からずっとこの山で働いていたしっかり者だけに、二人の少年をはげまして、ついに地中へもぐりこんだのである。
頭には、上から落ちてくる岩をふせぐための弾力のある帽子をしっかりかぶり、手にはするどい鉤《かぎ》のついた小さい手斧《ておの》と、強い燭光《しょっこう》の手提灯《てさげとう》をもち、腰には長い綱をさげていた。そのほかに、携帯用の強力な穴ほり道具を、三人が分解して肩にかついでいた。
せっかくはいりこんだ坑道が、盲管のように行きどまりになっていたので、三人はいくども、もとへもどらなければならなかった。
でも、そんなことをくりかえしているうちに、ようやくわりあい崩れ落ちているところのすくない坑道にもぐりこむことができて、三人はすこし明かるい心になった。
それでもやっぱり、落磐《らくばん》の個所がつぎつぎに出てきた。三人は、酸水素爆発を応用した穴ほり道具を、なるべく使わないようにしながら進んだ。こうして進むうちにも、不安定な状態にある坑道は、いつ新しい落磐をおこすかもしれないので、そのときは強力な穴掘り道具を使う方針であった。
およそ四時間もかかって、ようよう三人は第八十八鉱区の入口にたどりついた。
たいへんうれしかった。
しかしこれから先が問題である。働きなれたなつかしい鉱区の中は、いったいどんなになっているのであろうか。
三人は、そこで持ってきた握飯《にぎりめし》をたべ、水筒から水をのんで元気をつけた。
それからいよいよ中へ入っていったのである。
ところが坑内は、意外にもきちんとしていた。もっともここはそうとう深いところでもあるし、地質もしっかりしているので、きちんとしていることがむしろあたりまえだった。だが地上のあのすごい光景にびっくりさせられた三人は、第八十八鉱区のこの無事なありさまが意外に感ぜられた。
が、三人が、この鉱区の中央をつらぬく竪坑《たてこう》のところへ、横合から出たときには、思わずあっとさけんだ。
いつもこの竪坑は暗かった。今は電灯もついておらず、さぞまっくらであろうと思っていたところ、その竪坑へ出ようとするところが、ぼうっと明かるかった。日の光が、どこからかさしこんでいる様子だ。それから三人はいそいで竪坑へ出た。そして上を見たのである。竪坑は明かるかった。上を見ると、盆《ぼん》くらいのひろさの空が見え、そこからつよく日がさしこんでいた。
「これはどういうわけだろう」
と、金田はつぶやいた。
「竪坑はまっくらなはずですね。これは場所がちがうのではないでしょうか」
と、川上少年鉱員がいった。
「いや、うちの竪坑にちがいない」
金田はつよくいった。
「ああ、わかった。竪坑の上から爆弾が落ちて、天井《てんじょう》がぬけてしまったんだよ」
と、山岸少年鉱員がさけんだ。
「そうだ。それにちがいない」と、金田がうなずいて、「それにしても、あんなに厚い山がふきとんで、竪坑の天井がなくなるなんて、すごい爆発だなあ」
まったくものすごい爆撃をくらったものである。
それから三人は、竪坑をおりることにした。前にはあった昇降機も見えなければ、それを吊っていた鋼索もないので、三人は持っていた綱をつなぎあわせ、それにすがって下へおりることにした。
竪坑の底まで、そこからなお五十メートルばかりあった。
先へ金田がおり、つづいて川上、山岸の順でおりた。
竪坑の底も、やっぱり明かるかった。しかしそこには上から落ちてきた岩のかけらが、小さい山をなしていた。
この小山は、一方がひっかいたように、岩のかけらがくずれて凹《へこ》んでいた。
見ると、そこからくずれて、下へ向けてゆるやかな傾斜をもった坑道の中へ流れこんでいた。その下には最近ほりかけた一つの坑道があるのだ。そこは三人が働いていたところなので、どんなふうになっているだろうかと気にかかった。そこで三人はほかのしらべは後まわしにして、ざらざらすべる斜面を下へおりていったのである。
奇妙な例の死骸は、その底において発見されたのである。大の字なりに上をむき、足を入口に近い方にし、頭は奥のほうに半分うずもれていたのである。
三人がどんなにおどろいたかということは、三人とも気がついたときは地上を走っていたことによっても知られる。三人はいつどこをどうして地上にとび出したか、さっぱりおぼえがないといっている。
謎《なぞ》をとく人
息せききって、三人は本部へかけこんだ。そのとき本部につめあわしていた人々は、三人が気が変になったのではないかと思ったそうだ。
顔色は死人のように青ざめて血の気がなく、両眼はかっとむいたままで、まばたきもしない。そしてしきりに口をぱくぱくするのであるが、さっぱり言葉が出ない。出るのは、動物のなき声に似たかすれた叫びだけであったという。
それでも三人は、水をのませられたり、はげまされたりしてそれからしばらくして、気をとりなおしたのであった。そしてようやく三人が見た「地底の怪物」のことが、本部の人々に通じたのであった。
その物がたりは、こんどは本部の人々の顔をまっ青《さお》にかえた。なかには、それはこわいこわいと思うあまり、見ちがえたのであろうという者もあったが、三人がくりかえしのべる話を聞いているうちに、その者もやっぱり顔色をかえる組へはいっていった。
決死視察隊が編成された。
ふだんから強いことをいっている連中が二十名、それに警官が二名くわわり、金田と二少年を案内にさせて、第八十八鉱区の底へおりていったのである。
決死視察隊の一同が、そこで何を見たか、どんなにおどろいたかは、ここにあらためてのべるまでもあるまい。とにかく、その結果「地底の怪物」は「奇妙な緑色の死骸」とよばれ、本部へ報告され、さわぎはだんだんに大きくなっていった。
さらに大勢の社員や、警官などが、第八十八鉱区の中におりていった。
奇妙な死骸のまわりには、勇気のある人たちが、入れかわりたちかわり集ったり、散ったりした。
「何者ですかなあ、これは……」
「何者というよりも、これは人間だろうか」
「さあ、人間にはちがいないと思いますなあ、手足も首も胴もちゃんとそろっているのですからねえ」
「しかし角《つの》が生えていますよ。角の生えている人間がすんでいるなんて、私は聞いたことがない」
「そうだ、角が生えている。これは私たちが昔話で聞いた青鬼というものじゃないでしょうか」
「なにをいうんだ、ばかばかしい。今の世の中に青鬼なんかがすんでいるものですか。君は気がどうかしているよ」
「でも、そうとしか考えられないではないですか。それとも君は、なにかしっかりした考えがあるのですか」
「そういわれるとこまるが、とにかく私はね、この人間が着ている鎧《よろい》をぬいでみれば、早いところその正体がわかると思うんだがね」
「鎧ですって。鎧ですか、これは。しかし、きちんと体にあっていますよ」
「きちんと身体に合っている鎧は、今までにもないことはありませんよ。中世紀のヨーロッパの騎士《きし》は、これに似た鎧を着ていましたからねえ」
「中世紀のヨーロッパの騎士の話なんかしても、仕方がありませんよ。ここはアジアの日本なんだからねえ。それに今は中世紀ではありませんよ。それから何百年もたっている皇紀《こうき》二千六百十年ですからねえ」
集った人々の話は、いつまでたっても尽きなかった。しかしだれひとりとして、この奇妙なる死骸の正体をいいあてた者はなかった。
本部でもこまった。警察のほうでも、同じようにこまった。こまったあげく、ようやくきまったことは、東京へむけてこのことを急報し、だれかえらい学者に来てもらうことと、警視庁の捜査課の腕利《うでき》きの捜査官にも来てもらうことであった。
さっそくこのことは、電話で東京へ通ぜられた。いきなりこの変な報告をうけた東京がわでは、やっぱり変な人が、電話口に出ていると思ったそうである。くどくどといくども説明をくりかえして、やっとわかってもらうことができた。
とにかくそれぞれのむきへも連絡して、できるだけ早く、東京から調査官をおくるから安心するように。それから奇妙な死骸のある現場はなるべくそのままにして、手をふれないようにせよと、東京がわから注意があった。
このような手配がすんで、鉱山の人々も、土地の警察も、ほっとひと安心した。
そこで人々の気持も、前よりはいくぶんゆっくりして来た。そのとき、ある人がきゅうに大きな声を出したので、まわりにいた人たちは、また何ごとが起ったかとおどろいた。
「そうだ。本社の研究所へ来ている理学士の帆村荘六《ほむらそうろく》氏にこれを見せるのがいい。あの人なら僕たちよりずっと物知りだから、きっと、もっとはっきりしたことが、わかるかもしれない」
「ああ、そうか。帆村理学士という名探偵が、うちの会社へ来ていたね。あの人は前に科学探偵をやっていたというから、これはいいかもしれない。もっと早く気がつけば、こんなにあわてるのではなかったのに……」
といっているとき、人々の中へぬっとはいって来た長身の人物があった。眼鏡《めがね》をかけ、顔色のあさぐろい、そして大きい唇をもった人物であった。
「ああ、みなさん。あの奇妙な死骸が、どうしてこんな深い地底にあるかということが、はっきりわかりましたよ」
彼は太い音楽的な声で、そういった。
あつまっている人々は、声のするほうをふりむいた。
「おお、帆村さんだ。帆村さん、いつのまにここへ来られたのですか」
と、一同はおどろいて、帆村の顔をうちながめた。
さてこの帆村理学士は、奇妙な死骸の謎について、いったいどんな科学的解決をあたえたのであろうか。かれはもういつのまにやら、しらべを始めていたのだ。
奇抜《きばつ》な推理
「いやあ、どうも少し早すぎましたが、あんまりふしぎな話を聞いたものですからね……」
と理学士帆村荘六は、ちょっときまりが悪いか、あとの言葉を笑いにまぎらせた。
「一向《いっこう》かまいませんよ。誰でもいいから、こんな気味のわるい事件は早く解決してもらいたいと思いますよ。帆村君は、どういう風に考えているのですか」
そういったのは、この鉱山事務所の次長で、若月《わかつき》さんという技師だった。この人は、年齢は若いが、技術にも明かるく、そして、ものわかりもよく、鉱員たちの信望をあつめている人で、この鉱山にはなくてはならない人物だった。
「僕の考えですか……」
帆村と若月次長のまわりに、皆が集ってきた。これからどんな話を二人が始めるのか、それを聞き落すまいというのだった。
「まだたいした発見をしているわけではありませんがね、この怪物がどうしてこんな地底にころがっているかということだけは、わかったように思うのです」
そういって帆村は、次長の顔を見た。
「ほう、それはぜひ聞かせて下さい。私にはまったく見当がつかない」
次長は帆村の返事が待遠しくてたまらないという風に見えた。すると帆村は右手をあげて、頭の上を指さした。
「空から落ちて来たのです」
「えっ、空から……」
まわりに集っていた人々は、すぐには帆村の言葉を信じかねた。七百メートルの地底にころがっている死骸が、空から落ちてきたと考えるのは、あまりに奇抜すぎる。
「そうです。空から落ちてきたのです。さっき見ましたが、竪坑《たてこう》の天井が落ちていますね。この怪物は、竪坑の中をまっさかさまに落ちてきて、まずこの第八十八鉱区の地底にぶつかり、その勢《いきおい》で斜面を滑《すべ》ってこの掘りかけの坑道の奥にぶつかって、ようやく停《とま》ったのです」
「そういうことがあるでしょうか」と、次長はにわかに信じられない顔つきであった。
「では証拠《しょうこ》を見てもらいましょう。誰にもよくわかることなんです。ほら、この斜面に幾本も筋がついているでしょう。これは怪物が滑ったときについたものです。この筋を、斜面について下の方へたどって行きましょう」
帆村は、懐中電灯で斜面を照らしながら先へ立った。
「ほら、こういう具合につづいていますよ。そしてここまでつづいて停っている。ここは第八十八鉱区の竪坑の底です。ほらほら、ここに土をけずったようなところがある。初めこの怪物はここへぶつかったのです。それから今たどってきた筋をつけて、あそこへ滑りこんで停ったのです。これなら誰にもよくわかるでしょう」
「なるほどなあ」と、次長も、まわりにいた人も、声を合わせて叫んだのである。たしかに、帆村のいうことに理窟があった。今まで自分たちは幾度となくそれと同じ場所を見ていながら、帆村が探りだした事実には気がつかなかったのである。なんという頭の悪いことだろうかと、顔が赤くなったが、よく考えてみると、それは帆村なればこそ、こうした謎をとく力があるので、誰にでもできることではないのである。
「すると上から落ちてきたことはわかったとして、なぜこんな怪物が落ちてきたのですかね」
次長は、背の高い帆村の顔を下から見上げるようにして聞いた。
「はははは、それがわかれば、このふしぎな事件の謎は立ちどころに解《と》けてしまうのですよ。だが、それを解くことは容易なことではない。もっと深く調べてみなければなりません」
帆村は、むずかしい顔になっていった。
「わかった。この間敵機が五百何機も来て、大爆撃をやりましたね。あのとき竪坑の天井もうちぬかれたのです。あの爆撃のとき、敵機に乗っていた搭乗員が、機上からふり落されて、ここへ落ちこんだのではないでしょうか」
そういったのは少年鉱員の山岸だった。
「それはいい説明だ。帆村君、どうですか」と、次長は山岸に賛成していった。
「ちがいますよ。あの爆撃のあった翌々日に、大雨が降ったでしょう。この怪物が落ちてきたのは、あの大雨のあとのことです」
「それはなぜですか」
「やはり、よくこのあたりの土を見ればわかります。大雨のあと、このあたりに水がたまり、それから後に水は地中へ吸いこまれたのです。そのあとでこの怪物は上から落ちてきたのです。その証拠には、怪物の身体は、雨後の軟《やわらか》い土を上から押しています。よく見てごらんなさい」
帆村のいうとおりだった。皆は今さら帆村の推理の力の鋭いのに驚いて、彼を見直した。帆村は、べつに得意のようではなかった。彼はそこで吐息《といき》をつくと、
「とにかくこれは世界始ってこのかた、一番むずかしい事件ですぞ。そして非常に恐しい事件の前触《まえぶれ》のような気がします。悪くいけば、地球人類の上に、いまだ考えたことのないほどの、禍《わざわい》が落ちてくるかもしれない。皆急いで力を合わせ、一生懸命にやらねば、取返しのつかないことになるように思う。皆さんも重大なる覚悟をしていてくださいよ」
といって、帆村はすたすたそこを立ち去ろうとするのであった。次長が驚いて、帆村をよびとめた。しかし帆村はいった。
「東京からえらい係官がみえて、その怪物を調べるようになったら、私を呼んでください。しかし今いっておきますが、どんなことがあっても、この怪物をここから出してはいけません。地上へ運んではなりませんよ」
謎の言葉を残して、帆村は出ていった。
七人組の博士
東京からは係官が来るかわりに有名な特別刑事調査隊の七人組がやってきた。
この七人組は、刑事事件に長い間の経験を持った、老弁護士の集団から選び出された人たちで、当局からも十分信頼されて居り、係官と同じ検察権が特に与えられていた。
この七人組は、「奇妙な死骸」事件の話を聞くと、特に志願して、この事件の解決にあたることになったのである。当局としては、戦時下非常にいそがしい折柄でもあるので、七人組の申し出をたいへん喜び、それに事件をまかせることにしたのである。
この特別刑事調査隊長を室戸博士《むろとはくし》といい、残りの六人も全部博士であった。殊《こと》に甲斐《かい》博士という人は、法学博士と医学博士との、二つの肩書を持っている人で、法医学には特にくわしい知識をもち、一行の中で一番年齢が若かった。それでも氏は、五十五歳であった。
このようにすぐれた博士組が、この鉱山へ来てくれたので、事務所はもちろん、東京本社でも大喜びだったし、この怪事件にふるえあがっていた土地の人々も、大安心をしたのであった。
調査隊の取調べが始った。さすがにその道の老練家たちだけあって、やることがきびきびしていた。
坑道のあらゆる底が調べあげられた。そして石膏《せっこう》で模型が作りあげられた。その結果、この怪物は土中から出てきたのではないことがあきらかとなった。
現場の写真が何十枚となくうつされた。竪坑の寸法が測られた。径が六メートルあった。
竪坑のあらゆる壁が調べられた。そして三箇所において、この怪物がぶつかったと思われる痕《あと》が発見された。怪物が竪坑を下へと落ちてきたことは、いよいよあきらかとなった。
怪物の死骸は、現場で立体写真におさめられ、実物と寸分ちがわない模型を作りあげる仕事が進められた。それからこの怪物のからだに附着《ふちゃく》していた土が小さく区分されて、いちいち別の容器におさめられた。
坑道内の土も、全部集められた。
七人の博士について来た助手たちは、ほとんど一睡もとらないで、この仕事を続けた。この怪物の頭部の後に、第三の眼らしきものがついているのが発見されたのも、この時であった。身体の要所要所の寸法も、くわしく測って記録された。
あらゆる記録が、これで揃った。隊長の室戸博士は、この報告を受取って、たいへん満足した。
「それでは、あとを甲斐博士にお願いするかな」
と、隊長は、甲斐博士の方に目くばせをした。
「はい。ようやくお許しが出ましたよ。それでは私が解剖をお引受けいたしましょう」
甲斐博士は、にっこりと笑った。
解剖が最後に残されたのであった。
きれいに水で洗われた怪物の死骸が、白い担架《たんか》の上から、解剖台の上にのせられた。
「おい。甲斐博士。ここで執刀《しっとう》するのかね」と、隊長が聞いた。
「はい。ここの方がよろしゅうございます。静かでもありますし、このとおり照明も十分できていますから……」と、甲斐博士が答えた。
「地上へ持って行こうじゃないか。解剖している途中で、臭気が発散すると、ここでは困るぞ」
「賛成ですな。くさくて息がつまるかもしれない。すでにこの死骸は十数日たっていますからな」と、隊員の一人がいった。
「では、そうしましょう」
甲斐博士は、すなおに隊長室戸博士の説に従った。怪物の死骸は、地上へ運ばれることとなった。それを聞いていた次長は、はっと顔色を変えた。今日はあいにく帆村荘六がこの席にいないが、彼はこの怪物をここから出すことをかたく戒《いまし》めて行ったのだ。そこで次長は前へ進み出て、そのことを注意した。
すると室戸博士は首を左右にふった。
「根拠がないね、この死骸を動かしてはいかんというのは……。われわれの診断によると、これはもう死んでいるのだ。心臓の音を顕微音聴診器できいても、全く無音だ。死んでしまっているものを、どこへ持っていこうと心配はないじゃないか」
この七人組の博士たちは、なかなか偉い人たちの集りで、少しも欠点がなかったが、しいて欠点をあげると、少しばかり頑固《がんこ》なところがあった。他人の言うことを、あまり取上げないのであった。それは刑事事件に対する自分たちの永い経験と、強い自信からきているようであった。次長はもう黙っているほかなかった。
怪物の死骸は、滑車《かっしゃ》にとおした長い綱によって、簡単に地上へ運ばれた。そこにはすでに、解剖に便利なように、天幕《テント》が張られてあった。
怪物の死骸は、白い解剖台の上に載《の》せられた。そのころ地底へ持っていってあった甲斐博士の解剖用道具が、つぎつぎに竪坑の下からあがって来た。
甲斐博士はすっかり白装束《しろしょうぞく》の支度をしていた。背中には、いつでも役に立つようにと、防毒面がくくりつけてあった。用意はすっかり整ったのだ。
甲斐博士が、電気メスを右手に握って、怪物の死骸に近づいた。その時だった。死骸をおさえつけていた助手の一人が、
「あっ」と叫ぶと、
「先生、この死骸は生きているのじゃないでしょうか。心臓の鼓動らしいものを感じます」と、早口でいった。
「ばかなことをいうな。私は何度も聴診したが、心臓の鼓動なんて一度も聞えなかった。それに、ほら、こんなに冷《ひ》え切っている……」
と、甲斐博士は、怪物の死骸に手をふれて助手を叱りつけようとしたが、そのとき博士の顔色は、なぜかさっと変って、紙のように白くなった。
消え行く怪物
甲斐博士が、恐しそうに身を後に引くのと、怪物の死骸がぴょんと跳《は》ね上がるのとが同時であった。
「あっ」
解剖に立会っていた者で、青くならない者はなかった。
怪物の死骸――いや、死んだものとばかり思っていた、その怪物の身体は、解剖台の上に突立った。あまりのすごさに、人々は思わず下にひれ伏した。
と、怪物の身体は、台の上で独楽《こま》のようにきりきりと舞いだした。それが見るまに台から上にとびあがったと思うと、天幕《テント》を頭でつきあげた。ばりばりぷつんと、天幕の紐《ひも》が切れる音が聞えた。すると天幕がばさりと下に崩れ落ち、次にその天幕は地上を滑って走りだした。その後で、解剖台が大きな音をたててひっくりかえったので、人々はびっくりして目をとじた。
やがて人々が目を開いたときには、天幕はもう百メートルも向こうの山腹を走っていくのが見えた。なんといっていいか、その奇怪な光景は、文章にも絵にも書きあらわせない。
「追え。あれを追え」
そう叫んだのは、隊長の室戸博士の声だった。若い助手たちは、隊長の声に、ようやく我にかえった。そして青い顔のままで、逃げて行く天幕のあとを追いかけた。
「追いつけないようだったら、ピストルで撃ってもいいぞ」
隊長室戸博士は、金切声《かなきりごえ》で、助手たちの後から叫んだ。
駆けだす天幕の足は早かった。助手たちは息切れがしてきた。そして天幕との距離はだんだん大きくなっていく。
「撃とう。仕方がない。撃っちまえ」
「よし」
助手は立木に身体をもたせて、逃げる天幕めがけて、どかんどかんとピストルをぶっ放した。銃声はものすごく木霊《こだま》した。だが天幕は、あいかわらず走りつづけるのであった。
「あれっ、たしかに命中したはずだが……」
天幕はそれでもなお走った。そして山腹の途中の坂を下った。助手はピストルを撃つのをやめて、また追いかけた。
その坂が見下せるところまで、時間でいってわずか五分ばかりのところだった。そこへまっ先にのぼりついたのは、助手の児玉という法学士だった。彼は坂の下に、天幕が立ち停っているのを発見した。それを見たとき、彼の足はすくんで動かなくなった。怪しい天幕が、彼に戦《たたかい》をいどんでいるように見えたからである。
ようやく後から来た助手たちも追いついた。そこで若い連中は勢《いきおい》をもりかえし、
「それ行け。今のうちだ」
と、大勢で突撃して行った。
天幕は、一本の松の木にひっかかり、風に吹かれてゆらゆら動いていた。だが、目ざす緑色の怪物の姿は、どこにもなかった。
「どこへ行った。あの青とかげの化物は……」
皆はそこら中を探しまわった。しかし緑色の怪物は、どこにも見えなかった。
「見えないね。どこへ行ったろう」
ふしぎなことである。たしかに天幕をかぶったままで走って、ここまで来たに違いないのに……。
「あっ、あそこだ。あそこにいる」
児玉法学士が、するどい声で叫んで、右手を前方へのばした。
「えっ、いたか。どこだ」
「あの岩の上だ。あっ、見えなくなった。ふしぎだなあ」
「ええっ、ほんとうか。どこだい」
児玉法学士の指さす方に、たしかに裸岩が一つあった。しかし怪物の姿は見えなかった。後からかけつけた連中は、児玉がほんとうに岩の上に怪物の姿を見たのかどうかを疑って、質問の矢をあびせかけた。
これにたいして児玉は、すこし腹を立てているらしく、頬をふくらませて答えた。
「……怪物めは、あの岩の上に、立ち上ったのだ。さっき解剖台の上で立ち上ったのと同じだ。それから身体を軸としてぐるぐる廻《まわ》りだした。すると怪物の身体がふわっと宙に浮いて、足が岩の上を放れた。竹蜻蛉《たけとんぼ》のようにね。とたんに怪物の姿は見えなくなったのだ。それで僕のいうことはおしまいだ」
「へえっ、ほんとうなら、ふしぎという外はない」
「君たちは、僕のいうことを信用しないのかね」
「いや、そういうわけじゃないが、とにかく君だけしか見ていないのでね」
緑色の怪物を最後に見た者は、この児玉法学士だけであった。それ以後には、誰も見た者がなかった。そして緑色の怪物にたいする手がかりは、これでまったく終りとなった。
いったいあの怪物はどこへ行ってしまったのであろうか。そして、どうしたのであろうか。
失望したのは特別刑事調査隊の七人組の博士たちや若い助手達だけではなかった。集ってきた鉱山の社員や村の人々も、皆失望してしまった。
「やっぱり帆村荘六が言った注意を守っていた方がよかったね。そうすれば、あの怪物は逃げられなかったんだ」
「たしかに、そうだと思う。惜しいことをしたな。しかしあの怪物は、死んだふりをしていたのだろうか」
「そこがわからないのだ。解剖台の上から飛び出す前には、心臓は動いているような音が聞えたそうだが、怪物の身体は、やはり氷のように冷えていたそうだよ」
「それはへんだねえ。生きかえったものなら、体温が上って温《あたたか》くなるはずだ」
「そこが妖怪変化《ようかいへんげ》だ。あとで我々に祟《たた》りをしなければいいが」
と、鉱山事務所の人々がかたまって噂《うわさ》をしていると、後から別の声がした。
「いや、あれは妖怪変化の類《たぐい》ではない。たしかに生ある者だ」
この声に、皆はびっくりして、後をふりむいた。するとそこには帆村荘六が立っていた。
「ああ帆村君か。君は今まで何をしていた……。しかし君の注意はあたっていたね」
「そうだ。不幸にして、私の予言はあたった。坑道の底では死んでいた怪物が、地上に出ると生きかえったのだ。あれは宇宙線を食って生きている奴にちがいない」
帆村は謎のような言葉を吐いた。これでみると、帆村だけは、あの怪物の正体について、いくらか心当りがあるらしい。いったいあれは何者だろうか。そして何をしようとしているのだろうか。
宇宙線の威力《いりょく》
青いとかげの化物みたいな怪死骸に逃げられ、皆がっかりだった。はるばる東京からやってきた特別刑事調査隊の七人組も、どうやら面目をつぶしてしまったかたちで、室戸博士以下くやしがること一通りではなかった。
この上、現場にうろうろして、怪物のとび去った空をながめていても仕方がないので、鉱山の若月次長のすすめるままに、一同は鉱山事務所へ行って休息することとなった。
青とかげの怪物がにげてしまったことは、すでに事務所にもひろがっていた。皆おちつきを失って、あっちに一かたまり、こっちに一かたまりとなり、今入ってきた七人組を横目でにらみながら、怪物の噂に花がさいている。
「あの七人組の先生がたも、こんどはすっかり手を焼いたらしいね」
「しかし、折角《せっかく》こっちがつかまえておいたものを、むざむざ逃がすとは、なっていない」
「それよりも、僕はあの怪物がきっとこれから禍《わざわい》をなすと思うね。この鉱山に働いている者は気をつけなければならない」
「あんな七人組なんかよばないで、帆村さんにまかせておけばよかったんだ」
「そうだとも、帆村荘六のいうことの方が、はるかにしっかりしている。彼は『あの怪物は宇宙線を食って生きている奴だ』と、謎のような言葉をはいたが、宇宙線てなんだろうね。食えるものかしらん」
誰もそれについて、はっきり答えられる者がなかった。
「宇宙線というと、光線の一種かね」
「そうじゃないだろう。まさか光線を食う奴はいないだろう」
「それではいよいよわけが分からない」そういっているとき、帆村荘六が、例のとおり青白い顔をして、部屋へはいってきた。彼は皆につかまってしまった。そして宇宙線が食えるかどうかについて、矢のような質問をうけたのであった。
「宇宙線というのは、X線や、ラジウムなどの出す放射線よりも、もっとつよい放射線のことだ」と、帆村は、皆にかこまれて説明を始めた。
「X線が人間の体をつきとおるのは、誰でも知っている。胸部をX線写真にうつして、肺に病気のところがあるかどうかをしらべることはご存じですね。宇宙線はX線よりももっと強い力で通りぬける。X線の約三千倍の力があるのです。X線はクーリッジ管から出るものだが、宇宙線は何から出てくるか。これは今のところ謎のまま残されています。しかし地球以外のはるかの天空からやってくる放射線であることだけは分かっています。だから宇宙線といわれるのです。その宇宙線は、まるで機関銃弾のように、いつもわれわれ人間の体をつきぬけている。しかしわれわれは、宇宙線にさしとおされていることに、気がつかないのです。この宇宙線は、空高くのぼっていくほど数がふえます。それから宇宙線は、更に大きな力を引出す働きをします。火薬を入れた函《はこ》にマッチで火をつけると大爆発をしますが、宇宙線はこの場合のマッチのような役目をするのです。この働きに、僕たちは注意していなければなりません」
聞いていた皆は、何だか急に寒気がしてきたように感じた。
「ふかい地の底には、宇宙線はとどきません。そこに暮していると、宇宙線につきさされないですみます。そうなると、人間――いや生物はどんな発育をするでしょうか。またそれと反対に、人間が成層圏機や宇宙艇にのり、地球を後にして、天空はるかに飛び上っていくときには、ますます強いたくさんの宇宙線のために体をさしとおされるわけですから、そんなときには体にどんな変化をうけるか、これも興味ある問題ですねえ」
「その問題はどうなるのかね」
と、若月次長がきいた。すると帆村は首を左右にふって、
「まだ分かっていません。今後の研究にまつしかありません」
「宇宙線というやつは、気味のわるいものだな」
「そういろいろと気味のわるいものがふえては困るねえ。あの青いとかげのような怪物といい、宇宙線といい……」
「帆村さん、あの青い怪物と宇宙線との間には、どんな関係があるのですか」
と、また一人がたずねた。
「さあ、そのことですがね。あの怪物は宇宙線を食って生きている奴じゃないかと思うのです。つまり地底七百メートルの坑道の底には、宇宙線がとどかない。そのとき彼奴《あいつ》は死んでいた。それを地上へもってあがると生きかえった。地上には宇宙線がどんどん降っているのです。ちょうど川から岸にはねあがって、死にそうになっていた鯉《こい》を、再び川の中に入れてやると、元気になって泳ぎ出すようなものです」
「なるほど、それであの怪物は生きかえったのですか」
「そうだろうと思うのですよ。これは想像です。たしかにそうであるといい切るためには、われわれは、もっとりっぱな証拠を探し出さねばなりません」
「すると、帆村君は、その証拠をまだ探しあてていないのかね」
「そうです。今一生けんめい探しているのです」
「しかし、そんな証拠は、見つからない方がいいね」
「えっ、なぜですか」
「だって、そうじゃないか。その証拠が見つかれば、僕たちは今まで知らなかったそういうものすごい怪物と、おつきあいしなければならなくなる。それは思っただけでも、心臓がどきどきしてくるよ」
「しかし、ねえ次長さん。あの青い怪物とのおつきあいは、あの坑道の底で死骸を発見したときから、もう既に始っているのですよ」
「えっ、おどかさないでくれ」
「おどかすわけではありませんが、あの怪物の方が進んでわれわれ地球人類にたいし、つきあいを求めてきているのですよ」
帆村の言葉に、聞いていた一同は、ぶるぶるとなって、たがいの顔を見合わせた。
「これからあんな怪物とつきあうのはたまらないな。なにしろ相手の方がすぐれているんだからね。うかうかすると、僕たちはいつ殺されてしまうか分からない。帆村君、一体どうすればいいんだ、今後の処置は……」
若月次長は帆村の腕をつかまえゆすぶった。帆村はしばらく黙っていた。そして遂にこういった。
「戦争の準備をすることです。宇宙戦争の準備をね」
聞いている者は、おどろいた。
「えっ、宇宙戦争。そんな夢みたいなことが始るとは思われない」
「その準備は一刻も早く始めるのがいいのです」と、帆村は相手の言葉にかまわず、強くいい切った。
「まあ見ていてごらんなさい。これから先、次から次へと奇妙な出来事が起るですよ。そうなれば、僕の今いったことが、思いあたるでしょう」
村道の奇現象《きげんしょう》
帆村荘六がいったことは、あまりにも突飛《とっぴ》すぎるという評判だった。あんなことをいい出したので、それまでこの鉱山でかなり信用されていた彼も、俄《にわ》かに評判がおちた。しかし、帆村は別にそれを気にする風にも見えず、皆に別れると、ただひとりで、例の坑道の底へはいりこんでしまった。
ところが、帆村の予言したことが、間もなく事実となってあらわれた。これには、鉱山の人々も、びっくりしてしまった。その事実とは、一体何事であったろうか。それは隣村で起ったことであった。
隣村を白根《しらね》村という。この白根村は、雑穀《ざっこく》のできる農村であった。
事件が鉱山事務所に伝わったのは、その夜のことであった。が、その事件が起ったのは、もっと早い時刻だった。正しくいうと、その日の午前十一時ごろのことだった。
白根駅から一本の村道が、山の麓《ふもと》へ向かってのびていた。両側は、ひろびろとした芋畠であった。この村道は畠よりもすこしばかり高くなっていた。
喜作《きさく》というお百姓さんの一家五人が、そのとき山の麓の方から、この村道を下りてきた。農家の人たちは、いつも午前十一時ごろには、昼飯をたべることになっている。そしてそれは、畠で弁当を開くのが例であった。ところがこの喜作一家は、その日のお昼すぎに、娘の縁談について客が来ることになっていたので、その時刻に畠の用事をすまして、家の方へ戻ってきたのであった。
すると、ちょうど村長さんの畠の井戸があるところまで来たとき、五人の先頭に立って歩いていた喜作が、へんな声を出して、道の上に立ちどまった。
「あれえ、これはどうしたんだろう」
喜作の家内のお浜《はま》は、二三歩うしろにいたが、喜作の声におどろいて駆けつけた。喜作は、顔をまっ赤にして、よたよた足踏みをしている。お浜は、喜作が中風《ちゅうぶう》になって、これから前にたおれるところだと思った。
「どうしたんだね、お前さん。しっかりおしよ」と、お浜は胸がわくわく、目がくらみそうなのをこらえて、亭主の前にまわった。いや、前にまわろうとしたのだ。
「あ、いたいっ」
お浜は急に体を引いた。誰かに前からつきとばされたように感じたからだ。だが、お浜の前には、誰もいなかった。喜作が自分をつきとばしたのだろうかと思ったが、そうでもないらしい。喜作はあいかわらず、すこし前のめりになって、よたよたと足踏みをつづけている。お浜は狐に化かされたような気がした。そこでお浜は、もう一度喜作の前へまわろうとした。
「あれっ、まただよ」
お浜は、前からつきとばされたように感じた。しかしいくら目をこすってみても、自分をつきとばした者の姿は見えない。お浜は、自分で気が変になったのだと思った。そのうちに、三人の娘が追いついた。お父さんとお母さんは、なにをしているのだろうと、ふしぎに思いながら近づいて行くと、急に足が前に進まなくなった。
「あれえ、どうしたことじゃろ」
「前へ体が進まんがのう」
「わしもそうだよ。狐が化かしとるんじゃろか。早う眉毛《まゆげ》につばをつけてみよ」
こんどは三人の娘がさわぎだした。
こうして五人の者は、道の真中に一列に並んだまま、一歩も前へ進まず、うろたえていた。それは奇妙な光景だった。知らない人が見れば、たしかにこの五人の家族は、狐に化かされているとしか見えなかった。しかし狐が化かすなどという、ばかばかしいことがあるものではない。
ちょうどこの時、列車を下りて、駅から出て来た人たちが五六人、喜作の一家とは反対の方向から、なにも知らず、この村道を歩いて行った。
一番前を歩いていた農業会の田中さんという中年の人が、喜作たちのふしぎな挙動に気がついた。一町ほど向こうであるが、道はまっ直《すぐ》であるので、よく見える。
「あれ。喜作どんたちは何をしとるのかい。教練をば、しとるのじゃろか」
一列横隊で五人が足踏みをしている有様は、なるほど教練をしているように見られないこともなかった。
が、その田中さんも、それから十歩と歩かないうちに、喜作たちと同じように、道の真中で足をばたばた始めてしまった。
「ああれ。なんちゅうことじゃ、体が前へ進まんが……」
田中さんはがんばり屋であったから、一生けんめいがんばって前へ進もうと努力した。しかしそれはだめであった。何者ともしれず、前から自分を押しかえしている者があった。もちろんその者の姿は見えない。前へ進もうと力を入れれば入れるほど、強く押しかえされる。顔がおしつぶされて、呼吸をするのが苦しくなるし、胸板が今にも折れそうだ。脚は膝《ひざ》から下がよく動くが、それから上は塀《へい》につきあたっているようだ。
この田中さんのあとに続いて来たのは、三人の工業学校の生徒、それからすこしおくれて、海軍の若い士官が一人と、兵曹長が一人。この二人もやがて、目に見えない力のために、前進することができなくなった。この六人も一列横隊でうんうんいっているし、それから半町ほど向こうには喜作の一家五人がこっちを向いてうんうんいっている。まことにふしぎな光景であった。
皆初めはさわぎ、あとは恐怖のために口がきけなくなってしまうのだった。
ただ二人の海軍さんだけは、さすがにしっかりしていて、そうあわてもせず、互《たがい》の顔を見合わせている。
透明壁《とうめいへき》か
「竜造寺《りゅうぞうじ》兵曹長。これはへんだな」と、山岸中尉がいった。この若い士官は、鉱山の山岸少年の兄だった。
「山岸中尉も、歩けなくなりましたか。どうしたんでしょうか」
竜造寺兵曹長は、陽やけした黒い顔の中から、大きな目をむく。
「へんだなあ。まるで飛行機で急上昇飛行を始めると、G(万有引力のこと)が下向きにかかるが、あれと同じようだな」
「そうですなあ。あれとよく似ていますねえ。おや、前へ出ようとすると、Gが強くなりますよ」
「そうか。なるほど、その通りだ。どうしたんだろう。おや、前に何かあるぞ。手にさわるものがある。柔らかいものだ。しかしさっぱり目に見えない」
山岸中尉はついに手さぐりで、怪物の存在を見つけた。何物ともしれず、ぐにゃりとしたものが手にさわるのであるが、それはさっぱり見えない。透《す》かして見ても、つかんでみても、何も見えないのであった。それは透明な柔らかい壁――、ふしぎなものであるが、そうとでも思うしかなかった。
このふしぎな透明壁が、もし次の日までここに残っていたら、帆村荘六もそこへ出かけて、きっと、くわしく調べたことだろうと思う。ところが、それから間もなく――時間にして三四分後に、透明壁は急になくなってしまった。そして喜作たちも、また反対の側にいた田中さんや山岸中尉たちも、あたり前に歩きだすことができたのであった。そしてこの事件は、ふしぎな話として、この白根村にひろがっていった。それはやがて鉱山事務所へも伝わったのである。
「昨日《きのう》白根村でなあ、まっ昼間、十二三人の衆が揃いも揃って狐に化かされてなあ、その中には海軍さんまでも居なすったそうじゃが、こんこんさんもたちのわるいわるさをなさるものじゃ。この頃、ちっとも油揚《あぶらあげ》をあげなんだからじゃろ……」
という具合に、この奇怪な噂は、附近の村々へひろがっていったのである。
翌朝、鉱山事務所の中にある建物の中で、目をさました例の特別刑事調査隊の七人組にも、この奇怪な話が伝わった。
「どういうわけですかなあ」
と、鉱山の人々からたずねられたが、七人組の博士たちは、ただ苦笑するだけで、何の返事もしなかった。
この話は、帆村荘六の耳にもはいった。彼がそれを聞いたのは、正午のすこし前であった。その日彼は早朝から研究室にこもったきりであって、お昼の食事のために外に出たとき、始めてこの奇怪な話を耳にしたのであった。
帆村はこの話を聞くと、さっと顔色をかえた。それから彼は若月次長を探し出すと、彼を引張《ひっぱ》って行くようにして、室戸博士の一行を訪ねたのであった。
「白根村で村道を歩いていた十二三人の者が、急に歩けなくなった話をお聞きになりましたか」と、帆村は室戸博士をはじめ、七人組の顔をずらりと見まわしていった。
「ああ聞いたよ。どうもおかしいね」
室戸博士は、落ちついて答えた。
「そうですか。重大な事件だと思いますが、あなたがたはあれをどうお考えになりますか」
帆村は熱心な口調でたずねた。室戸博士はしずかに首を左右に振って、
「まったく気の毒だと思う。この村は、例の青い怪物の出現以来かなりおびえているらしいね。神経衰弱症だねえ」
博士はしずかにいった。帆村はそれを聞いて、不満の色をうかべた。
「室戸博士は、そうお考えですか。それはちとお考えすぎではないでしょうか。十二人の歩行者が、揃いも揃って神経衰弱になるとは思われませんが……」
「ほほう。君は狐つきの説を信ずる組かね。はははは」
「いやそうじゃありません。第一、あの十二人のうちには海軍軍人が二人いるのですよ。列車から下りたばかりの海軍軍人は、青い怪物事件のあったことも知らないのですし、また話を聞いたとしても、あんなことで海軍軍人ともあろう者が、神経衰弱になろうとは思われません」
「それはそうだ」と室戸博士はいった。しかし熱のない返事であった。そこで帆村はまたいった。
「それに、青い怪物事件のあったのは、この町です。白根村は隣村です。この町の者が神経衰弱にならないのに、白根村の者が神経衰弱になるのは変ではありませんか」
「じゃ君は、あれをどう解釈しているのか」
室戸博士の質問に、帆村は黙って下をむいた。やがて呻《うめ》くような帆村の声が聞えた。
「……あれこそわれわれ地球人類に対して、恐るべき第二の警報だと思うのです。われわれはすぐ立ち上らねばなりません」
新しい手懸《てがか》り
「はははは。帆村君。君もすこし体をやすめてはどうかね。この間から、ずいぶん心身を疲らせているようだから、君まで神経衰弱になっては困るよ」
特別刑事調査隊長の室戸博士は、白い髭《ひげ》をひっぱって、帆村荘六をじろりと見た。帆村が「白根村事件こそは、恐るべき怪物が、われわれにたいして発した第二の警報だ」という意味のことをいったので、そういう突拍子《とっぴょうし》もないことをいうのは、帆村荘六自身がもう神経衰弱になっているのではないかと思ったのだ。
帆村は室戸博士の言葉を、悪い方へ解釈しなかった。彼はていねいに礼をのべた。それからポケットへ手を入れると、何か紙に包んだものを取出した。それを開けると、中には緑色がかったねじの頭のようなものが、三つ四つはいっていた。それを帆村は、博士たちの前に出して見せた。
「話は、例の緑色の怪物の方へとびますが、今日私は坑道でこんなものを拾ったのです。これまでにごらんになったことがありますか」
帆村が差出すのを、博士は紙のまま受取って、机の上に置いた。調査隊の七人組が、そのまわりに集った。
「これは何処《どこ》で拾ったのかね」
室戸博士は、鉛筆の尻で、そのねじの頭のようなものを突きまわす。
「今申したように、鉱山の坑道の下です。例の緑色の怪物が落ちこんだ穴の底を探しているうちに、ついに見つけたのです」
「何かね、これは……」
「さあ、わかりません」
「相当重いね」
博士は手袋をはめてから、そのねじの頭のようなものを掌《てのひら》の上にのせて重さをためしてみたのだ。手袋をはめたのは、その品物の上に指紋がついていた場合、それを乱さない心づかいであった。
「はい、重いです。金属らしいですね。これは、分析してみないとわかりませんが、例の緑色の怪物の体から、もぎとられた一部分のように思うのです」
「さあ、どうかなあ。坑道に前から落ちていたものじゃないかな。銅が錆《さ》びると、こんな風に緑色になるよ」
「それは緑青《ろくしょう》のことです。しかしこれは緑青ではありません。それに、鉱山でつかっているもので、こんな色をした、こんな形のものはありません」
帆村は自信をもっていった。
「すると君は、これがたしかに例の怪物の体の一部だというのかね」
「分析してみた上でないとわかりません」
「そうか、とにかくこれはこっちへ預っておこう。大した証拠物件ではないが、また何かの参考になるかもしれん」
そういって室戸博士は、それを紙に包んで、自分のポケットに入れようとした。
「待って下さい。たいした物件でないというお考えなら、私のところへおかえし願いたいのです」
博士は、いやな顔をして、紙包を帆村の方へ放り出した。
「君にいっておくが、われわれの許可なくして、事件に関係のあるものを私有することはやめてもらいたい」
「はあ」
博士は児玉法学士の方へふりかえって、
「分署の者に命じて、坑道の入口から底に至るまで、もう一度よく探させるように。そして変った物があったら、一つところへ集めておかせるんだ。せっかくの証拠物などを他の者に荒されたんでは、わたしたちは大迷惑だからな。場合によっては、職権妨害罪をあてはめることも出来るんだが、そんなことはあまりしたくないし……」
室戸博士の言葉には、帆村に対して意地わるい響を持っていた。鉱山の者や、調査隊の者には、それがよく響いたが、当の帆村荘六はいっこう響かないらしく、彼はそのとおりだという風に軽く肯《うなず》いていた。
「そうそう、君に聞いておきたいことがあった。帆村君、君は例の怪漢のことを、人間と思っていないという話だが、本当かね」
と訊く室戸博士は、ある昂奮を圧《お》し隠《かく》しているように見えた。
「は。それはまだはっきりといいきれませんが、私は地球人類ではないと思っています」
「ほほう。地球人類ではないというと、それは何かね。人間でないものというと、常識では解けないじゃないか」
「それがはっきり解けると、この事件もたちどころに解決するのですが、まだわかりません。しかし人間でないということだけは言い切れます」
「なぜ」
「そうではありませんか。心臓のとまっていたのが、やがて地上へ移すと動きだした。これは人間にはないことです。目が三つある。これも人間ではない。岩の上を走っていって、竹蜻蛉《たけとんぼ》のようにきりきり廻った。と、その姿が急に見えなくなった。これは児玉法学士が見たのですから間違いなしです。これも人間業《にんげんわざ》ではありません」
「そうは思わないね。まず心臓の件だが、あれは始め診察したとき心臓のまだ微《かす》かに動いているのを聴きおとしたのだ。第二に、竹蜻蛉のように廻ることは、舞踊でもやることで、ふしぎなことではない。第三に、見ているうちに姿を消したというが、あれは児玉法学士の目のあやまりだよ」
室戸博士は、三つとも否定した。
「いや博士。僕は見誤りなんかしませんです。たしかに怪物の姿が、まるで水蒸気が消えるように消えてしまったのです」
いつの間にか、そこへ帰って来ていた児玉法学士が弁明した。
「児玉君。まあ、君は黙っていたまえ。とにかく帆村君、君が変なことをいいふらすものだから、この村の善良な人たちは非常におびえているよ。注意したまえ」
室戸博士は、叩きつけるようにいうと、席を立って向うへ行ってしまった。
宇宙戦争の共鳴者
帆村荘六に対するよくない評判が、だんだんとこの村にも、隣村にも強くなっていった。室戸博士は、その旗頭《はたがしら》のようなものであった。鉱山でも、帆村をよくいわない人達がふえた。
だが、それと反対に、帆村荘六に非常に親しみを持ち始めた者もあった。少数ではあったが……。その一人は児玉法学士であった。あとの一人は、山岸少年の兄の山岸中尉であった。
児玉法学士は、例の怪物が水蒸気のように消え去るところを目撃した、貴重な人物であるが、室戸博士はそれを信じてくれない。しかるに帆村荘六だけは、たいへんに真面目《まじめ》に、その話を聞いてくれ、そしてそれは貴重な資料だとほめてくれるのである。そこで児玉法学士は、帆村荘六が好きになったが、その他《ほか》見ていると、帆村の熱心なこと、普通の人が考えていないようなことを考えていることなどに、だんだん尊敬の念を抱くようになった。
山岸中尉は、帆村の訪問を受け、例の白根村事件について話してくださいと頼まれた。もちろん中尉は承諾《しょうだく》して、竜造寺兵曹長と、かわるがわる例の歩行困難事件について説明した。それから始って、中尉は帆村と、宇宙線問題や、成層圏飛行や、それから宇宙に棲《す》んでいる地球以外の生物の話などについて、三時間あまりも熱心に語りあった。そして中尉は、帆村荘六の宇宙戦争観に、非常な共鳴をおぼえたのであった。
「たしかに、そうだ」
と、山岸中尉は軍服の膝を、はたとうっていった。
「十数億光年の広さをもったこの宇宙には、何百万、何千万とも知れない無数の星があって、それがいずれもわが太陽と同じように、光と熱とを出しているのだ。したがってそのまわりには、わが地球同様の遊星が、これまた何百万、何千万と無数にあって、自分で太陽のまわりを廻《まわ》っているのだ。そういうおびただしい遊星の中で、地球のわれわれが最も科学知識にすぐれているとは、いくらうぬぼれ者だって、そうは思わないだろう。われわれが、そういう他の遊星生物を知らないのは、お互いの距離がまだ遠すぎて、まだ飛行機で交通も出来ず、電波通信も届かず、たとえ届いても、その意味がわからない。だからまだ知らないのだ。やがて交通や通信の距離がひろがると、きっとそういう他の遊星生物とぶつからなければならない。そのとき、すぐ友達となって手が握れるか、それともすぐ戦争になるか、いったいどっちだろう。それは今はっきりわからない。しかし帆村君のいうように、われわれとしては、宇宙戦争の用意を、今から十分にしておかねばならないと思う。その時になって騒いではもう間に合わないのだ。ことに、相手が、われわれよりもずっと力も強いし、科学知識にもすぐれていた場合には、こっちに用意ができていないと、たちまち彼等の奴隷《どれい》になってしまうか、それとも皆殺しになってしまわなければならない。宇宙戦争だ。そうだ、帆村君のいうとおり、宇宙戦争は必ず起るぞ。これは油断できん」
山岸中尉は、すっかり帆村荘六の説に共鳴したのであった。
「まったくこれは大変ですなあ」
と、傍《そば》で茶をのみながら、二人の話に耳を傾けていた竜造寺兵曹長が、感きわまって、嘆声をあげた。
「分隊士、そうなると、われわれ飛行科の者は、平常から宇宙戦争の尖兵《せんぺい》たる覚悟で、勤務せなきゃならんですな。これは大変だ」
兵曹長は、いが栗頭を、太い指でぽりぽりとかいた。
「兵曹長のいう通りだ。今の話でいくと、これからの防空第一線は、成層圏、いや成層圏よりも、もっと上空のあたりになるぞ。幕状オーロラ(極光)が出ているところは、地上三百キロメートルの高空だが、あの極光を背景として、他の遊星生物の空襲部隊と、壮烈なる一大空戦を展開するなどということになるかもしれないね」
「これは困った。われわれは、高度三百キロメートルどころか、その十分の一にも足《た》りない高度の成層圏飛行で、今しきりに冷汗をかいているのですからなあ。急いで勉強して、一日も早く極光圏を征服しなければなりません」
「そうだとも。それから更に進んで、月世界や火星までも飛行ができるようになっていなければ、間に合わんぞ」
「やれやれ、話が手荒く大きなことになりましたな」
「そうだよ。宇宙の敵からわれわれを守るためには、すくなくとも月世界や、火星、土星などという遊星を、わが前進基地として確保しておかねばならぬ。さあ、そうなると、今のプロペラで飛ぶ飛行機や、噴射で飛ぶロケット機などでは、とてもスピードが遅すぎて、役に立たないぞ。まず飛行機から改良してかからにゃ駄目だ。十八歳の少年兵のとき、飛行機に乗って火星まで行って、そこで引返して地球へ戻ってきたら、八十八歳のおじいさんになっていたでは困るからなあ」
「十八歳の少年が帰って来たら、八十八歳の老人に……。はっはっはっはっ。それは困るですなあ。ぜひもっと速い飛行機を作ってもらいましょう。はっはっはっはっ」
中尉と兵曹長は、帆村をそっちのけにして、来るべき宇宙戦争の想定ばなしに、腹をかかえて笑いあった。
しかしこれが決して笑いごとではないことは、すでに両人とも、肚《はら》の中に十分に承知していた。
深夜の電話
ちょっと聞くと、非常に突飛《とっぴ》に思われる帆村の宇宙戦争の警告が、山岸中尉と竜造寺兵曹長の共鳴するところとなったのは帆村にとって、たしかに気持のいいことだった。
それに児玉法学士も、あれ以来すっかり帆村と仲よしになり、調査隊の捜査のひまを見ては、鉱山の研究室へ帆村を訪ねることが多くなった。児玉は調査隊の七人組の助手の一人であるが、その中ではいちばん年が若いのであった。いや、他の六人がいずれも五十歳以上であるのに、児玉だけはまだ二十九歳であった。
「帆村君。何か新しい発見はなかったかね」
と、今日も児玉は、帆村をたずねて来た。
「おう、児玉君。さあこっちへはいりたまえ」と、帆村はすっかり親しみのある言葉づかいで、彼に一つの椅子をすすめた。
「例の緑色がかったねじの頭みたいなものね、君も見て知っているね」
「ああ、知っているよ。室戸博士に見せたあれだろう」
「そうだ、あれだ。あれを東京の大学で、僕の友人が分析したのだ。その報告が今日手紙で来たよ」
「報告が来たか。それは面白いなあ。で、どうだった」
児玉法学士の目が輝く。帆村は、机の上から一つの封筒をとりあげ、その中から報告用紙を抜き出して開いた。
「まあ、これを読んでみたまえ」
帆村は、にんまりと笑いながら、それを児玉に手渡した。児玉はそれを受取ると、大きくごくりと咽喉《のど》をならして、紙の上に書かれてある文字に目を走らせた。と、彼の顔が急に硬くなった。
「どうだ。わかるかね、児玉君」
帆村は煙草《たばこ》を握った指先で、自分の頤《あご》をかるくはじいている。
「ふうん……」児玉は大きな嘆声を一つついた。それからこんどは両肩をゆすぶった。
「た、大変な報告じゃないか。あの緑色がかったねじの頭のようなものは、一種の金属材料でできているが、あのような金属は、これまで世界のどこでも発見されなかったものである。――ということが書いてあるね」
「そうなんだ。つまり、今日わが地球上において知られている元素は九十二種あるが、あの緑色がかったねじの頭のようなものは、その九十二種以外の数種の元素を含んでいるという証明なんだ。それが如何《いか》なる物質であるかは、今後の研究に待たなければならないが、とにかくこういうことだけはわかったと思う。すなわち、あれは地球以外の場所から運ばれて来たものらしいということだ」
「そうなるわけだね」児玉法学士はうなずいた。
「だから、あれは例の怪物の落していったものだということもわかるし、それからまた同時に、あの怪物が、地球の外から来た者だということもいえるのだ。そうじゃないか」
帆村はいつになく、はっきりと断定した。
「そうだ、そうだ。たしかにそうなる」
児玉はもうこれ以上椅子の上に落着いて坐っていられないという様子で、椅子から腰をあげて帆村の前に立った。
「ねえ帆村君。あの怪物は地球外から来た者だ。これは今や間違いないね。ところで僕は、あの怪物が岩の上で消えてなくなるところを見たんだ。このことは未《いま》だに信用してくれる人が少い。しかし決して僕の目も気も狂っていなかった。あれは本当だ。真実だ」
「僕は、君が本当のことをいっていると信じているよ。しかも始めから信じている」
「ありがとう。僕は君にお礼をいう」
と、児玉は帆村の手を握って強くふった。
「そこでじゃ、大問題が残っている。あの怪物は、姿を消した。しかし全然|居《い》なくなったのではない。どこかに居るのだ。僕たちの目には見えないが、あの怪物はたしかに居るのだ。君は、僕のいうことを否定するかね」
「いやいや。君のいうとおりだ」
「そうか。うれしい。とすると、油断ならないわけだ。あの怪物は、あんがい僕たちの傍《そば》に立って、にやにや笑いながらこっちを見ているかもしれん。あの怪物は、やろうと思えば、僕たちの首を切りおとすこともできるのだ、全然僕たちの知らないうちに。これはどうして防いだらいいだろうか。ねえ帆村君」
児玉は、今や恐怖の色を隠そうとはしない。
「大丈夫だよ、児玉君。すぐどうこうということはないと思う。しかし君が今いったとおり、あの見えない怪物を、なんとかしてわれわれの目で見られるように、至急工夫しなければならんと思う」
「ああ、そういう機械は、ぜひ必要だね。それができれば、白根村にあらわれた、見えない壁の事件も解けるわけだ」
「なるほど、君はえらい」
「なぜ」
「なぜでも、例の怪物事件と白根村事件とが、同じ関係のものだということを、君はちゃんと心得ているからだ。そういう考え方でもって、この事件を解いていかないと、本当のことは決してわからないのだ」
帆村は児玉の考えをほめた。そしてこの児玉となら、何を話しても論じてもいいぞと思ったのであった。
こうして二人の間だけではあったが、二つの怪事件についてかなり解決は前進したのであった。だが大局から見ると、それはまだほんのわずかな一部分がわかったにすぎなかった。それはちょうど盲人が、体の大きな象の尻尾《しっぽ》だけに触れたくらいのものだった。象の巨体に触れるためには、まだまだ勉強もしなければならず、新しい機会をつかむことも必要であった。
ところが、帆村の望んでいた新しい機会が、それから四五日たった後に、急に向こうからやって来たのである。
それはある夜ふけて帆村の家へ、電話がかかって来たのである。電話口へ出てみると、相手は意外にも山岸中尉であった。
「どうしたのですか、今頃……」
と、帆村が聞くと、中尉はいつもとは違った硬い様子で、
「ご迷惑でしょうが、すぐあなたお一人で、隊へ来ていただきたいのです。こっちに重大事件が起ったのです。電話ですから、詳しくお話しできませんが、あなたも知っておられる竜造寺兵曹長が、成層圏飛行中に行方不明となってしまったのです。しかも非常にふしぎな文句の無電を私のところへ送って来て、その直後に連絡がぱったり切れてしまったのです。それについてぜひともあなたのお力を拝借したい。どうかすぐ隊へ来て下さい。なおこの事件は絶対に秘密ですから、ご承知置き下さい。私は寝ないであなたを待っています」
受話器を掛けると、帆村はこういう時の仕事をするために用意しておいた鞄《かばん》を、壁から外して肩にかけると、急ぎ家をとび出した。
いったい、竜造寺兵曹長はどうしたというのであろうか。山岸中尉の電話によると、普通の飛行事故ではないらしい。
どうしたのであろうか。暗闇の街路を向かって駆けて行く帆村の頭の中を、例の緑色の怪物の幻影が、電光のように閃《ひらめ》いて消えた。
切れた無電報告
帆村は自動車を操縦して、深夜の街道を全速力で走った。
航空隊についたときは、もう翌日の午前一時になっていた。門をくぐって、衛兵に来意をつげると、衛兵は山岸中尉から連絡されていると見え、すぐ案内してくれた。
「やあ、よく来てくれましたね」
山岸中尉は、いつもとはちがい、すこし青ざめた顔によろこびの色をうかべて、帆村を迎えた。中尉は、さっきから竜造寺兵曹長の行方不明事件で、心をいためていたらしい。
「いったいどうしたのですか」
「いや、まあ、部屋で話しましょう」
山岸中尉は廊下を先に立って案内し、隊付《たいつき》という名札のかかっている自室へ、帆村をみちびき入れた。
部屋の中は広くないが、寝台が一つ置いてあり、机が一つ、衣服箱が一つ、壁には軍刀がかかっていた。あとは椅子が三つ四つあるばかりで、すこぶる簡素で気持がよかった。
扉をたたく者があった。「おい」と、中尉が返事をすると、従兵がはいって来た。帆村にていねいに礼をしたうえで、机の上に菓子の袋と、土瓶《どびん》と、湯呑茶碗とを置いた。
「もう用はない。寝てくれ」
中尉は従兵へ、やさしい瞳《ひとみ》を送る。
従兵が出ていくと、この部屋には山岸中尉と帆村の二人きりとなった。
「いったいどうしたのですか」
と、帆村がもう一度同じことをいった。
「やあ、まったく困ってしまったんです。本日午前七時、竜造寺兵曹長は、成層圏機に乗ってここを出発しました。命令によると、兵曹長は高度二万五千メートルまで上昇することになっていました。なお余裕があれば三万メートルまでいってもよいことになっていました……」
成層圏のいちばん低いところは一万メートルである。それから上へ約四万五千メートル、つまり高さ五万五千メートルまでが成層圏とよばれるのだ。竜造寺兵曹長のめざしていったのはちょうどこの半分くらいの高さだった。
「飛行の間、地上とは定時連絡をしていました。私は地上の指揮をしていましたから、兵曹長からの無電はみんな聞いていました。午前十一時に、ついに二万五千メートルに達し、それから三万メートルをめざして、再び上昇をしていったのですが、飛行機の調子は非常によいといって喜んでいました。ところが、午前十一時四十分になって、とつぜん兵曹長との無電連絡がとまってしまいました」
山岸中尉の眉《まゆ》がぴくぴくとうごく。
「地上からいくら呼出しても、上では兵曹長が出てこないのです。上からの電波もまったく出ていません。無電に故障を生じたのかなと思いました」
「なるほど」
「ところが、それから十五分ほどたった午前十一時五十五分になって、こんどはとつぜん兵曹長からの無電です。それが非常に急いでいるようでして、こっちからの応答信号を受けようともせず、いきなり本文をうってきたのです。その文句がこれですが、まあ読んでみてください」
話を聞いているうちに、ぞくぞく身のけがよだつような気持になってきた帆村は、中尉から渡された受信紙の上に目をおとすと、それは鉛筆の走り書きで、片仮名がかいてあり、その横に漢字をあてて書きそえてあった。
“……高度二万八千メートルニ達セシトコロ、突然|轟音《ゴウオン》トトモニハゲシキ震動ヲ受ケ、異状ニ突入セリ、噴射機関等ニマッタク異状ナキニモカカワラズ、速度計ハ零《レイ》ヲ指シ、舵器《ダキ》マタキカズ、ソレニ続キ高度計ノ指針ハ急ニ自然ニ下リテ、ホトンド零ニ戻ル。気温ハ上昇シツツアリ、タダイマ外部ノ気圧計急ニ上昇ヲハジメ、早クモ五百五……”
五百五というところで、文句は切れていた。
帆村はふしぎそうな顔で、山岸中尉を見て、
「この続きはどうしたのですか」
「その続きはないのです。無電はそこで切れてしまったのです」
「ははあ、そうですか」
「どう感じました。ふしぎな報告文でしょう」
「ええ、まったくふしぎですね」
帆村は、竜造寺兵曹長の無電を、もう一度読みかえしてみた。それからまた一度、もう一度と、四五へん読みかえした。読めば読むほどふしぎだらけである。山岸中尉は、帆村が何か考えこんでいるのを見てとって、そのじゃまをしないように、心痛をしのんで黙っている。
「……速度計ハ零ヲ指シ、舵器マタキカズ、ソレニ続キ高度計ノ指針ハ急ニ自然ニ下リテ、ホトンド零ニ戻ル……まるで地上と同じような状態だなあ」
と、帆村はひとりごとをいい、また次を読みつづける。
「……気温ハ上昇シツツアリ、タダイマ外部ノ気圧……五百五、……気圧五百五十ミリ程度というと高度三千メートルに近い気圧だ。三万メートルに近い気圧なら、せいぜい十ミリというところだが、それが約五百五十ミリを指すとはまったく信じられない……」
帆村の目は、らんらんと輝き、まるで山岸中尉がそばにいるのに気がつかないように見えた。
魔の空間
それからしばらくして、帆村はふっとわれにかえり、あたりを見廻した。山岸中尉の目とぶつかると、帆村はいった。
「兵曹長のこの最後の報告文は、おそらくこのまま信じない人もあるのでしょうね」
中尉はうなずいた。
「兵曹長はおかしいのだといっている者もあります。機体の故障が兵曹長にひどい恐怖をあたえたのだろうという者もあります。しかし私は竜造寺兵曹長を信頼している。そんなことで頭がどうかする兵曹長ではありません」
山岸中尉は、強い信念のほどを、はっきりしたことばでいった。
「この報告がまちがいないとすると、これはたいへんな事実を知らせてきているぞ」
帆村は頤《あご》をつまむ。
「それです。私があなたに来てもらったのは。あなたはこの報告文から、どんなことを導き出しますか」
山岸中尉は前にのりだしてきた。
「そうですね」
と、帆村は、これから言おうとすることのあまりの突飛さに、思わず大きく息をする。中尉は膝に手をおいて、帆村の唇を注視する。
「山岸さん。あなたは私の説に賛成せられるかどうかわかりませんが、この電文がまちがいないものとして、私が考えることは、竜造寺兵曹長の遭難した三万メートル近い高空において、この地上とほとんどかわりのない空間があるということです。これはまるでおかしなことばのようですがね」
帆村はふたたび深い息をついた。
山岸中尉は、帆村の突飛《とっぴ》な観察に、笑いだしもせず、大きくうなずいて、
「そういうことになりますね」
「山岸さん、私のことばが信じられますか」
「信じますとも。私が竜造寺兵曹長を信じているのと同じです」
それを聞くと、帆村は始めてにんまりと笑って、
「信じてくださればいいが、三万メートルの高空に、地上と同じ空間があるなどという話は誰が聞いてもおかしいからね」
「もう考えられることはありませんか」
「そうですね。もう一つあります。竜造寺兵曹長は、そのふしぎな魔の空間にすべりこんで、脱出ができないのだと思います。しかし一命にはさしつかえはないと思う。なにしろそこは地上とあまり変らない気圧気温のところであり、そして着陸場までちゃんとあるのですからね」
「着陸場ですって」
山岸中尉はおどろいて、聞き直した。
「おや、あなたはまだそこまで考えておられなかったのですか。兵曹長機の高度計が零を指すようになったというのは、そこに一種の着陸場があることなのです」
「なるほど。では前進もしないし、舵《かじ》もきかないとはどういうのです」
「それはその魔の空間に突入したので、前進しなくなったのですよ。もちろん舵をひねっても、どうにもきかないはずです」
「そうかなあ」
山岸中尉は、あまりに帆村の考えていることが突飛《とっぴ》なので、すぐにはついていけなかった。しばらく考えた上でないと、帆村と同じ考えにおいつけない。
「しかし、このことを他へ話して、誰が信じてくれるでしょうか。三万メートルの高空に着陸場があるといえば、誰だって笑いだすでしょう」
「笑いたい者には笑わしておきなさい。これは勇猛なる竜造寺兵曹長が、一命をかけて知らせてよこした重大報告なのです。その報告から考えだしたことを信じない者は、竜造寺兵曹長の忠誠を信じない大馬鹿者ですよ」
帆村はついに顔を赤くそめて、きついことばをはいた。これには山岸中尉も、だまるより仕方がなかった。竜造寺兵曹長の忠誠については、誰よりもそれを信じる中尉だった。しかしその報告から、帆村が引出した結論には、やはり半信半疑というところであったが、帆村から、こう叱りつけられると、すっかり参《まい》って、「よし、これからはもう疑いをはさまないぞ」と決心した。
その手始めに、山岸中尉は決然として、こういった。
「帆村さん。私は司令に願って、明日、竜造寺兵曹長を救い出すために成層圏飛行をします」
「明日、あなたがですか」
「そうです。何かよくないことがありますか」
「まあ、それはおよしなさい」
「よせというのですか。なぜ……」
「行くなら、十分の用意をしてからのことです。三万メートルの高空において、優勢な敵と戦って、かならず勝つ準備が必要ですぞ」
「優勢な敵というと……。すると帆村さんは、やっぱり例の緑色の怪物のことを考えにいれているのですか」
山岸中尉は、ようやく気がついたというふうであった。
「もちろんそうです。あの怪物のことを考えずして、どうして三万メートルの高空に着陸場を持つ、魔の空間が考えられましょうか。あの怪物のことを初めに知っていなかったら、私だってちょっと信じる気になれませんよ。宇宙戦争です。もうそれは始っているのです」
帆村は宇宙戦争について、ゆるぎない信念を持っていたのだ。
「なるほどなあ」
あの怪物と魔の空間とが関係があると考えると、高空三万メートルに着陸場があるということが、今までよりもずっと有りそうに思われてくる。
「山岸さん。急いで宇宙戦研究班をおつくりなさい。そして十分の準備をしてから、魔の空間を襲撃するのです。ただし研究班をつくるには、そうとうに大仕掛のものでなくては役に立ちませんよ」
帆村は、いつになくおしつけるような口調で、このことを山岸中尉にいったのである。
宇宙戦研究班
山岸中尉は、その夜を帆村と語りあかしてつよい信念を得たようであった。
すぐにも彼は、竜造寺兵曹長を救いだしに行きたかったけれども、帆村が、「兵曹長の一命はとうぶん大丈夫ですよ」というので、やっぱり十分に準備をしてからでかけることにした。
山岸中尉は、翌日司令にいっさいをぶちまけて、宇宙戦研究班の編成|方《かた》をねがった。
司令は驚かれた。しかし司令は、がんらい頭の明晰《めいせき》な人であったので、山岸中尉の話の中におごそかな事実のあるのを見てとり、中尉の願いをききいれた。司令は、上の人と相談を重ね、その結果、早くも翌々日には、臨時宇宙戦研究班というものが、この航空隊の中にできた。そして班長には、有名なる戦闘機乗りの大勇士である左倉少佐が就任した。
班には班長以外に、四名の士官がつとめることになった。もちろん山岸中尉もそのひとりであった。
またその外に、班員として若干名が採用されることとなり、帆村荘六もこれに加わった。それから意外にも、熱血児の児玉法学士も志願して、その一員にしてもらった。
下士官が十名、兵員が八十名。
山岸中尉の弟の山岸少年と、その友達の川上少年の二人が、これも志願して班員となった。二人とも電信が打てるので、通信を担当することとなった。
この研究班の設立は、各方面へいろいろの反響を起した。
国内では、これを待っていましたとばかりに歓迎する者もあったが、多くはこの奇妙な部門が、なんのことだかわからず、けんとうちがいのことをのべる者が少くなかった。
一部にはつよい反対意見もあった。まだ敵アメリカを屈服させておらず、今もなおときどきアメリカ空軍が内地爆撃をやる有様である。そういう折から対アメリカ戦の結末をつけずに、宇宙戦の準備にかかるとは何事だというのであった。
しかしわが大日本帝国が世界の安全をあずかる重大使命を有するかぎり、すすんで宇宙戦の準備をしなければならぬ責任がある。だからこの研究班の編成は、時局がらたいへん必要なものである。そういう正しい意見がだんだん国内に強くなっていった。
国外では、この研究班の編成が、国内よりもずっと強くひびいたようである。各国は争って新聞にそのことを報道し、ラジオによって解説をこころみた。そして日本なればこそ、この困難なことをやりぬくであろうと信頼をよせた。
盟邦《めいほう》諸国は、それぞれ全面的に、そのことについて日本に力をあわせ、迫り来《きた》ったわれらの大危難を退《しりぞ》けたいものだと、たいへん、もののわかったことをのべた。
こうして臨時宇宙戦研究班の編成は、たちまち世界中に大きな波紋をなげたのであった。
その間にも、山岸中尉と帆村荘六とは、この研究班を最初にいいだした関係から、非常にいそがしい毎日を送った。
はじめの一週間は、夢のように過ぎた。しかしその間に研究班の形はできた。それにつづいて次の一週間、二人はあっちこっちと走りまわった。その結果、二人は宇宙偵察隊をつくることに成功した。
宇宙偵察隊だ。
五台の噴射艇が揃った。これに乗って成層圏へ飛びあがり、場合によってはさらに高空へ飛び、偵察をやろうというのであった。
そしてこの偵察隊がまっ先にやらねばならぬことは、行方不明の竜造寺兵曹長の安否をしらべることだった。
班長左倉少佐が、ある日、明かるい顔をしてもどってきた。それをまっ先に見つけたのは山岸中尉だった。
「班長。いいお土産《みやげ》をお持ち下さったようですね」
「おう」
少佐はにっこり笑って、帽子と短剣を壁にかけながら、明かるい返事をした。
「まあそこへ掛けろ。いや、望月大尉も呼んできてくれ。帆村君に児玉君もな」
望月大尉は、やはりこの班員で、先任将校であった。これも戦闘機乗りの勇士で、左の頬に弾丸のあとがついている。
山岸中尉は、さっそくその三人を呼んで来た。一同は、それと感づいて、みんな、にこにこしている。
班長は集って来た一同をずらりと見渡し、
「みんなに報告する。噴射艇二|隻《せき》で、成層圏偵察の許可が下りたぞ」
それを聞くと、一同の顔はぱっと輝く。
「彗星《すいせい》一号艇には、望月大尉と児玉班員と、川上少年電信兵が乗組む。二号艇には山岸中尉と、帆村班員と、山岸少年電信兵とが乗組む。目的はもちろん竜造寺機の調査にある。指揮は望月大尉がとる」
班員は唇を深く噛《か》む。
「出発は明後日の〇五〇〇《まるごうまるまる》だ。すぐ用意にかかれ」この報告と内命に、一同は躍《おど》りあがらんばかりによろこんだ。
ついに研究班の活動が始ったのだ。彗星一号艇と二号艇とに乗って、怪しい空間にとびこむのだ。彗星号という噴射艇は、これまで秘密にせられていた成層圏飛行機――というよりも、成層圏以上の高空にまでとび出せる噴射艇であって、むしろ宇宙艇といった方がよいかもしれない、これは偵察に便利なように作られてあったが、また同時に戦闘もできる。その外、万一の場合も考えて、特殊な離脱装置も考えてある、なかなかすぐれたロケット機だ。
彗星号の形は、胴の両側に翼《よく》があり、その翼にはそれぞれ大きな噴射筒がついている。低空飛行の場合はこの形で飛ぶが、高度があがってくると、両翼は噴射筒とともにぐっと胴体の方によってきて、ちょうど爆弾のような形になるのであった。形を見ただけで、この彗星号がどんなにすごい性能をもった噴射艇であるかが察しられる。
出発は明後日の午前五時。
あと一日とちょっとしか時間がない。研究班は総員でその準備にとりかかった。噴射艇の出発地点というのが、○○航空隊のある村から、山道を五里ほどはいったところで、鬼影山《きえいざん》と、青葉嶽《あおばがたけ》との間にある、忍谷《しのぶだに》という山峡であった。
決死偵察《けっしていさつ》に出発
いよいよ宇宙偵察隊が出発する日が来た。その出発地点である忍谷では、夜あかしで準備がととのえられた。
噴射艇の彗星一号艇と二号艇とは、射出機の上にのり、もういつでも飛び出せるようになっていた。
この噴射艇は最新鋭のもので、特に宇宙飛行用に作ったものであるから、出発のときは、燃料や食糧をうんと積みこんでいるので、非常に重い。だからどうしても射出機を使わないと、うまいぐあいに出発ができないのだ。
その射出機も、ふつうのものでは力がたりないので、忍谷で用意したのは、電気砲の原理を使った射出機だった。これなら十分に初速も出るし、また電気でとびだすのだから、硝煙《しょうえん》や噴射|瓦斯《ガス》のため地上の施設が損傷する心配もなかった。
高い鉄塔の上から照らしつける照明灯は、地上を昼間のように明かるくして、どこにも影がない。蛾《が》の化物みたいな形の噴射艇の翼の下をくぐって、飛行服に身をかためた一人の男があらわれた。それは帆村荘六だった。帆村は腰をのばして、噴射艇をほれぼれと見上げる。
「じつに大したものだ。こんなすばらしい噴射艇が、完成していようとは思わなかった。これなら月世界くらいまでは平気で飛べるぞ」
と、ひどく感心のていで独言《ひとりごと》をいっている。そのとき同じような飛行服を着た別の男が、こっちへ走ってきた。そして後ろから帆村の肩をぽんとたたいた。
「おお、帆村君。もうすぐ出発だそうだぜ」
帆村がふりかえってみると、それは彗星一号に乗組む児玉法学士だった。
「やあ、児玉君」と、帆村は児玉の手をとり、しっかり握った。
「じつは僕は心配をしているんだ。宇宙への冒険飛行に、君のような法律家を引張り出して、さぞ君は迷惑しているのじゃないかと……」
「つまらんことをいうな」
と、児玉法学士は途中で帆村のことばをおさえた。
「僕は君の好意に、大いに感謝しているんだ。君の好意で臨時宇宙戦研究班へ引張りこまれた僕は、自分の生命を投げ出して一生けんめいになれる日本男児の仕事は、これだと気がついたのだ。見ていてくれたまえ。僕はこれから科学技術をどんどんおぼえていくよ。今に君をびっくりさせてやるから」
児玉法学士は元気のいい声で笑った。
「まあ、しっかり頼むよ。児玉君」
「うん、心配はいらん。今にして僕は気がついたんだが、日本人は、科学者や技術者にうってつけの国民性を持っていながら、今までどうしてその方面に熱心にならなかったのか、ふしぎで仕方がない。もっと早く日本人が科学技術の中にとびこんでいれば、こんどの世界戦争も、もっと早く勝利をつかめたんだがなあ」
「過ぎたことは、もう仕方がない。ひとつ勉強して、工学博士児玉法学士というようなところになって、僕を驚かしてくれたまえ」
「工学博士児玉法学士か。はははは、これはいい。よし、僕はきっとそれになってみせるぞ」
熱血漢の児玉法学士は、いよいよ顔を赤くして笑った。しかし、さすがの児玉法学士も、やがて彼が宇宙の怪物を相手に、法学士の実力を発揮して、たいへんな役をつとめようとは、神ならぬ身の知る由《よし》もなかった。帆村にしても、彼が児玉法学士を引張りこんだことが、一つの神助《しんじょ》であったことに、まだ気がついていないのだった。それはいずれ後になってわかる。
東の空が、うっすらと白みそめた。と、刻々と明かるさがひろがっていって、高い鉄塔の上から照らしつけている照明灯の光が、だんだん明かるさを失っていった。とつぜん喇叭《ラッパ》が鳴り響いた。総員整列だ。時計を見ると出発まで、あと三十分だ。
帆村たちは、地上指揮所の前に整列した。班長左倉少佐が前に立っている。一同敬礼を交《かわ》す。それから班長から、本日の宇宙偵察隊出発について、力強い激励のことばがあった。
整備隊長から、彗星一号艇、二号艇の出発準備がまったく整ったことが、班長左倉少佐へ届けられる。
班長はうなずいて、これから出発する望月大尉以下六名をさしまねいて、宇宙図を指《さ》しながら、更にこまごました注意をあたえた。また一号艇長の望月大尉と、二号艇長の山岸中尉との間に打合せが行われ、両艇は、なるべく編隊で飛ぶこととし、もし何か大危難《だいきなん》に遭遇したときは、一艇はかならず急いで地上へ戻ることとし、両艇とも散華《さんげ》するようなことはせぬ、そしてその場合、山岸艇が地上へ戻り、望月艇は奮戦を続けることにもきめられた。
午前五時。正確なその時間に、左倉少佐の号令一下、まず噴射艇彗星一号が、するどい音を発して、さっと空中にとびあがった。山頂の杉林の上を一とびに越えて、朝やけの空をぐんぐん上昇して行く。十秒後には、艇はもう噴射瓦斯を後へもうもうと、ふきだしていた。
無電報告が、彗星一号艇から来た。
「スベテ異状ナシ。総員士気|旺盛《オウセイ》ナリ」
かんたんな電文であるが、搭乗員も艇も、機関や機械類もすべて異状なしとあって、班長左倉少佐をはじめ地上員は大安心をした。
二十秒おいて、山岸中尉らの搭乗した彗星二号艇が出発した。これもうまくいって、みるみるうちに先発艇のうしろに追いついてしまった。北の鬼影山の頂の上空に、二つの艇は二組の尾をひきながら、すこしも狂わない調子で、ぐんぐん高度をあげていく。
異状なしとの無電報告が、二号艇からもやってきた。
左倉少佐は大満悦《だいまんえつ》に見うけられる。双眼鏡から目を放すと、室内へはいって来て、
「おい、通信長。テレビジョンをのぞかせろ」
と、テレビジョンの受影幕をのぞきこんだ。壁間には昼間もはっきり見える九個の受影幕が、三個ずつ三列に並んでいた。その真中の受影幕には、彗星一号艇二号艇が、画面いっぱいにうつっていた。
「窓のところへちょいちょい出てくる、この顔は誰の顔か」
と、左倉少佐が幕面を指した。
「これですか。これは児玉班員であります」
「ああ、児玉か。彼はあいかわらず、じっとしていられない男だな。しかし成層圏へ上ったら、空気と圧力が稀薄になるから、児玉も自然猫のようにおとなしくなるだろう」
成層圏《せいそうけん》征服
宇宙偵察隊の噴射艇二台は、引続き調子もよく、上昇していく。この噴射艇は、彗星号というその名にそむかないりっぱなものである。文字どおり彗星のように、空をきって行くのである。
噴射力が強いので、速度もすばらしく大きい。中でたいている噴射燃料というのが、特殊な混合爆薬で、これが燃焼して、すばらしく圧力の強い瓦斯を吹きだす。しかも噴射器の構造が非常にうまくできていて、最も速度が出るような仕掛になっている。
艇内は気密室になっている。しかも三重の気密室である。室内は、どんなに高度をあげても、気温や温度が大体高度三四千メートルと同様な状態に保たれ、それ以下には下らぬようになっている。この程度なら、空気をきれいに洗うことも、酸素をおぎなうことも、また室内を温めることも、それほど大きな消費をしないで、艇は長時間にわたる航空にさしつかえないのだ。
室内には、万一の場合に備えて、気密服や兜《かぶと》も用意してあるが、ふつうの場合は、気密服や気密兜を体につける必要はなく、飛行服だけでよいのだ。だから初期の成層圏機にくらべて、居住はたいへん楽であった。居住が楽であるということは、偵察任務にしろ、操縦にしろ、通信にしろ、また戦闘にしろ、すべてが窮屈でなく、十分に実力を発揮できるということである。居住が楽でないと、たちまち実力の半分とか、三分の一とかに落ちてしまう。そこで飛行機や噴射艇の設計者は、設計のときに楽な居住ができるように努力しなければならぬわけだ。
さて、このへんで、作者は二番艇の内部の模様をお知らせしようと思う。
操縦席についているのは、いうまでもなく山岸中尉だ。そのうしろに偵察員として帆村荘六がいる。そのとなりに横向きになって、電信員の山岸少年が、無線装置に向かいあっている。
おもしろいのは、みんなの座席が、重力の方向に曲がっていることだ。艇は殆《ほとん》ど垂直に近い角度で上昇しているので、座席が固定していると、体が横になってしまって自由がきかない。それでは困るから、座席は自然におきるようになっている。そのとき計器盤や無線装置も、座席といっしょにぐっと垂直になるので、非常に便利だ。
「機長」
帆村が上を向いて叫んだ。
「おう」
山岸中尉が答える。
「高度二万メートルを突破しました」
「はい、了解」
白昼だというのに、窓外はもうすっかり暗い。窓は暗紫色である。太陽は輝いているが、空はすこしも明かるくないのだ。だから、あれは太陽ではなくて、月ではないかしらと、帆村はいくたびか錯覚を起しそうになった。もちろん星が暗黒の空にきらきらと美しく輝きだした。どう見ても夜の世界へはいったとしか思われない。成層圏を始めて飛ぶ帆村荘六は、非常な奇異な思いにうたれつづけであった。
「寒くなったら、電熱服を着なさい。また呼吸困難になったら、酸素を吸入なさい」
山岸中尉は、成層圏になれない帆村と弟のために、親切なはからいをとった。しかし二人とも、これくらいの寒さや息苦しさなら、まだ大丈夫だといって、がんばりとおしていた。
艇内の正面の計器盤の上に、テレビジョンの受影幕が二個並んでいた。そしてどっちにも像がうつっていた。
右のものは、飛行艇の操縦席と、その後部がうつっている。操縦席には、望月大尉の明かるい顔があった。だからこれは、先行する彗星一号艇の内部がうつっているのだとわかる。
左のものは、広い部屋である。奥の方には机や、椅子が並んでおり、飛行服をつけた者がしきりに通っている。これは忍谷基地の地上指揮所の屋内である。
当番の電信兵の顔の右半分が、画面の端にあらわれているが、それが何だかおどけたように見える。
こうやってテレビジョンで連絡をとっていると、非常に便利である。地上の指揮所でも、一号艇や二号艇の内部が、壁間の受影幕にうつっているのだから、その像のうつっているかぎり、両艇は安全な飛行をつづけているなと安心していられるのである。
地上にいて、ほんとうは、たいへん気をもんでいる班長左倉少佐であったけれど、あまりたびたびテレビジョンに顔を出しては、望月大尉や、山岸中尉の注意力をそぐおそれがあると思って、必要なとき以外はなるべく顔を出さないようにしていた。
いつとはなしに時刻は過ぎ、いつか高度二万メートルを突破した。いよいよ危険な超高空に近づいて来た。
望月大尉は、山岸中尉から貰《もら》った地図をひろげて、竜造寺兵曹長の飛んだとおりの航路をなるべく飛ぶことにして、ここまでたどりついたのである。さて、この先には何者がいるのであろうか。鬼畜《きちく》か悪魔か、とにかくすこしも油断はならない。望月大尉は、二号艇へ「警戒せよ」と、テレビジョンの中から手先信号で、注意をあたえた。
大危険帯
窓外はいよいよ暗黒だ。
死の世界、永遠の夜の世界だ。
その中に、どんな恐しい悪魔がひそんでいるかわからないのである。
「ノクトビジョンを働かしているか」
望月大尉から山岸中尉への注意だ。
ノクトビジョンとは、暗黒の中で、物の形を見る装置だ。これは一種のテレビジョンで、一名暗視装置ともいう。これで見るには、相手に向けて赤外線をあびせてやる。物があればこの赤外線で照らしつけてくれる。肉眼では見えないが、赤外線をよく感ずるノクトビジョン装置で見れば、まるで映画をみるようにはっきり物の形がわかるのである。
「高度二万五千メートル……」
帆村荘六が大きな声で報告する。
「あと三千で、問題の高度ですね」
山岸中尉は落ちついた声でそういう。彼の目は、テレビジョンの上にある、楕円型のノクトビジョンの受影幕に注意力をむけている。何か異変が見つかったら、すぐさま処置をとらないと、竜造寺兵曹長の二の舞を演ずることになるおそれがある。
その処置とは、どんなことをするのか。出発前、望月大尉と打合わせてきたところでは、異変が起りかけたら、敵の姿が見えようと見えまいと、間髪《かんぱつ》をいれず、機銃で猛射をすることにしてあった。機銃弾の威力は、きっと何かの形で、手ごたえを見せてくれるにちがいないと考えたのである。
高度はついに二万八千メートルに達した。だが異変は起らない。ノクトビジョンを左右へ振って、前方を注意しているが、なにも見えない。見えるは空ばかり。空が見えているというだけのことで、もうここらには雲片《くもぎれ》一つあるわけではなし、すこぶるたよりない。
高度を二万九千まであげてみたが、異変はさらに起らない。
そこで望月大尉は、
「高度二万八千に戻り、水平飛行で偵察を継続するぞ」
と、山岸中尉に知らせた。
「了解」
それはかしこいやり方である。竜造寺兵曹長の高度計は、たぶんくるっていないはずである。だから高度二万八千メートルのところがくさいことはたしかだ。しかし高度二万八千メートルの場所は、非常に広いのである。今飛んでいるところは、できるだけ竜造寺兵曹長のとびこんだと思われるところのつもりであるが、地点の推測の方はあまり正確でないので、まちがえたところを飛行しているおそれが多分にある。だから、この高度であたりをぐるぐると水平偵察をやっていれば、きっと例の魔の空間にぶつかると思われる。
こうして両機は、その高度で水平偵察をはじめた。はじめは円を画《えが》き、それからだんだんと径を大きくして、外側へ大きく円を画きつづけるのだ。つまり螺旋形《らせんけい》の航路をとって探していくのである。望月艇と山岸艇とは、五十メートルの間隔を置いて飛んでいた。
地上の時刻でいうと、午前九時四十分前後であったが、とうとう望月艇が、異変にぶつかった。
山岸中尉は、テレビジョンの幕の上にうつる望月大尉の急信号により、望月艇が、異変にぶつかったことを知った。かねての手筈《てはず》により、山岸中尉は、目にもとまらぬ速さで切替桿《きりかえかん》をひき、二号艇の尾部へむかって出る噴射|瓦斯《ガス》を、あべこべに前方へ出るように切替えた。つまり艇に全速後進をかけたのである。
大きな衝動が、搭乗の三名の肉体に伝わった。肉が骨から放れて、ばらばらになるかと思われるほどの大苦痛に襲われた。が、三人とも一生けんめいにがんばって、それをこらえた。しかし苦痛は短い時間だけつづいて、後はけろりと去った。そのとき、艇はまったく前進力をうしない、石のように落ちつつあるところだった。
山岸中尉は、急いで高度計を見た。二万七千メートルだ。問題の高度より一千メートル下になった。よし、ここなら安全だと、切替桿を逆につきだして、再度、艇を前進にうつした。
安定度が非常に高いこの彗星号は、このような乱暴きわまる操作にも、すこしも機嫌《きげん》をわるくしないで、ちゃんと中尉のいうとおりになった。この艇の設計者は、よほどほめられてもいいと、山岸中尉は思った。
艇が安定をとり戻すと、こんどは急に一号艇のことが気になった。山岸中尉は、目をテレビジョンに持っていった。と、山岸中尉の顔色がさっと変った。一号艇の映像は消えている。いったいどうしたのだ……。
「一号艇、どうしたか」
山岸中尉は思わず叫んだ。
「一号艇は左上を飛んでいます」
こたえたのは帆村だ。
「左上を……」
「そうです。しかし変ですよ。今まではノクトビジョンでなければ、姿が見えなかった一号艇が、まぶしいほどはっきり姿を見せているのですよ。そこからも見えるでしょう」
帆村荘六の声は、いつになくあわてていた。帆村のいうとおりのまぶしい一号艇の姿を、山岸中尉も見出した。まるで照空灯に照らし出されたように見える。
「ああ、一号艇が雲に包まれていく……」
「雲に包まれていく。帆村君、そんなばかなことが……」
「しかしほんとうなのです。事実だからしようがない。さっぱりわけがわからん……」
帆村のいうとおりだった。一号艇はみるみるうちに、白い雲に包まれていった。そして後部の方からだんだん見えなくなり、やがて頭部も雲の中にかくれて、完全に見えなくなった。
「ふしぎだなあ、しゃくにさわる……」
と、山岸中尉は、じれったそうに舌うちをした。
「まったくふしぎだ。あの雲は楕円体だぞ。正確に木型で作ったように、廻転楕円体だ」
帆村の声は、いよいよ、うわずっている。
山岸中尉の目もそれを確めた。念のためにノクトビジョンでのぞいてみたが、まったくそのとおりだ。
「正楕円体の雲なんてあるかなあ」
と、帆村は首をひねったが、そのとき彼は電気にふれたように、座席からとびあがって、山岸中尉の肩をつかんだ。
「山岸中尉。わかったですぞ。あの楕円体こそ、いわゆる『魔の空間』です。一号艇はたった今、『魔の空間』にとじこめられたのです」
叫びながら、楕円体を指す帆村の目は、赤く血走っていた。
異変と戦う
成層圏も、高度二万七千メートルになると、いやにすごくなる。まるで月光の下の墓場を見る感じだ。いや、それ以上だ。
いまはまだ昼間だというのに、空はすっかり光を失って、漆《うるし》のように黒くぬりつぶされている。ただ光るものは、ダイヤモンドをまきちらしたような無数の星、それとならんで冷たく光っている銀盆のような衰えた太陽が見えるばかり。この荒涼たる成層圏風景を、うっかり永くながめていようものなら、そのうちに頭がへんになってくる。
そういう折しも、指揮官望月大尉ののった彗星一号艇が奇怪なる消失。あれよあれよといううちに、白く光る廻転楕円体の雲の中に包まれて、見えなくなったそのふしぎさ。なぜといって、高度二万七千メートルの成層圏には水蒸気は存在しないから、雲がある道理がないのだ。しかるに帆村荘六も、山岸中尉もともにはっきりと白い雲を見たのである。けっして見まちがいではないのだ。うち重なる成層圏の怪異。この怪異をとく鍵はどこにあるのか。
彗星一号艇を包んでしまったあやしい形の雲、あの雲こそ「魔の空間」だと帆村荘六は叫んで、山岸中尉に注意をしたが、これは鍵ではない。鍵のはいっている箱かもしれないという程度である。けっきょく「魔の空間」とはどんなものか、それがわからなければ、この謎はとけはじめないだろう。戦う彗星部隊は、高度飛行のくるしさの上に、こうした頭脳のくるしさまでが重々しくのしかかっているのだ。
「電信員」
山岸中尉の声が、爆発したように聞えた。
「はい」
弟の山岸少年は、元気な声をはりあげて、兄にこたえた。
「無電をうて、平文《ひらぶん》で急げ」
中尉は急いでいる。無理もない。帆村は目を近づく楕円雲に、耳を山岸中尉の声に使いわけて緊張の頂点にある。
「宛《アテ》、左倉班長。本文。高度二万七千、一号艇廻転楕円体ノ白雲内ニ消ユ、ワレ、ソノ雲ニ突進セントス、オワリ」
電文は簡単である。だが簡単な中に、ひじょうにすごい響きがある。山岸少年は、電文を復誦《ふくしょう》した。一字もまちがいはない。中尉が「よし」というのを聞いて、ただちに電鍵《でんけん》をたたきはじめる。さっき中尉から命令をうけると、すぐさま少年は送電機のスイッチを入れて、真空管に点火し、右手の指は電鍵の上に軽くおいて、いつでも打てるように用意をして待っていたのだ。電文は地上指揮所にとどいて、すぐさま同じ文句を地上からうちかえしてきた。
だが、どうしたものか、その無電は途中でぷつんと切れてしまった。そして山岸少年の耳にかけた受話器に、七色の笛のようなうなり音がはいってきた。
「機長、地上からの送信に、異状がおこりました」
と、山岸少年は、すばやくその異状を機長にとどけ出た。
山岸少年は、兄の返事を聞くことができなかった。そのとき事態はひじょうに迫っていたのである。いつどこからわき出したか、白い雲がかなり早い速さでするすると拡《ひろが》って、早くも二号艇を半分ばかり包んでしまったのだ。山岸中尉は、すべての注意力をそっちへそそいでいた。彼はその雲に包まれまいとして、あらゆる努力をこころみた。まだその雲ののび切っていない方向へ全速力でとばせた。が、白い雲は意地わるく、右から左から、また上から下からと、白いゴム布をのばしたようにのびていった。しかもそののび方が一点をめがけてのびていくように見える。残された出口ともいうべき暗黒の空が、見る見るうちに狭くなっていくのだ。
奇妙にも、その残された黒い空は円形をなしていた。その円の広さがだんだんに狭くなっていくのだ。晴天に大きな蛇《じゃ》の目《め》傘をひろげたようであったのが、ずんずん小さくなって、黒い丸い窓のように見えるまで狭くなり、やがて黒い目玉ほどになった。
「うむ、ちく生」
山岸中尉が、彼に似合わぬきたないことばを吐いた。よほど癪《しゃく》にさわったとみえる。艇は黒い目玉めがけて突進していったが、やっぱり間にあわなかった。ついにその小さい黒い目玉も消えてなくなり、前は一面に白い雲でおおわれてしまった。艇はいまやすっかり怪雲に包まれてしまったのだ。一号艇を救い出そうとして、その後を追った二号艇であったが、いくばくもなくして、自らも同じ運命におちこんでしまったのであった。
だが、山岸中尉は、まだ希望をすててはいなかった。たとえこれが怪雲だとしても、これくらいのものは体当りでぶち切ることができるかもしれないと思っていた。そこで彼は、全速をかけたままで、白い怪雲の壁をめがけて激しくどんとぶつかった。
いけなかった。それがひじょうにまずかった。速度が見る見るうちに落ちた。そしてついにとまってしまった。と思ったら、あろうことかあるまいことか、こんどはあべこべに後方へぶうんと艇が走りだしたではないか。
山岸中尉は、あぶら汗をべっとりとかいた。操縦桿だけは放さなかったが、艇はもう全く彼の思うとおりには動かなくなった。
(もう処置なしだ)
と、中尉は心の中で叫んだ。そのうちに艇は次第に安定を回復してきたように思われた。そこで中尉は、ふと計器盤の速度計に目をやった。とたんに彼は、
「あっ」
と叫んだ。速度計が零を指しているではないか。噴射機関に異状はないのに……。高度計はと見れば、いつの間にか零の近くまでもどっている。竜造寺兵曹長が消息をたつ、その直前に打った謎の無電と同じ状況ではないか。ああ、あの無電……。
“……高度二万八千メートルニ達セシトコロ、突然轟音トトモニハゲシキ震動ヲ受ケ、異状ニ突入セリ。噴射機関等ニマッタク異状ナキニモカカワラズ、速度計ハ零ヲ指シ、舵器マタキカズ。ソレニツヅキ高度計ノ指針ハ急ニ自然ニ下リテ、ホトンド零ニモドル。気温ハ上昇シツツアリ……”
そうだ。たしかに暑苦しくなってきた。
“……タダイマ外部ノ気圧計急ニ上昇ヲハジメ、早クモ五百五……”
五百五というところで、竜造寺兵曹長の無電は切れたのだった。山岸中尉が外部気圧計の面をのぞくと、このときの艇内の気圧は五百七十ミリを指していた。なるほど竜造寺兵曹長の場合と同じだ。高度二万七千メートルなら気圧はせいぜい二十ミリぐらいであるはず、それが五百七十ミリを示している。これは高度二千メートル附近にあたる。
大異変来る。ついに竜造寺兵曹長と同じ運命におちいったのだ。山岸中尉は大きく息をすいこんだ。
「ああ、『魔の空間』、ほんとうだったな」
処置なし
山岸中尉は、ついに操縦桿から手を放した。もうこのうえ操縦桿を握っていることが意味なしと思ったからである。
繰縦桿を放しても、艇はすこぶる安定であった。山岸中尉は、こみあげてくる腹立たしさに、「ちえっ」と舌うちした。倒れた壁の下におさえつけられたも同様だ。
それから山岸中尉は、うしろをふりむいた。搭乗《とうじょう》のあとの二人は、どんな顔をしているだろう……。
中尉の弟である山岸少年は、艇がいまどんな危険な状態にあるかということを、すこしも知らぬらしい顔つきで、しきりに無電機械を調整しつづけている。地上との通信が切れたのは、彼自身のせいだと思って、一生けんめい直しているのだった。
もう一人の搭乗者たる帆村荘六は、さっき大きな声で、「魔の空間」へ近づいたと叫んだ頃は、しきりにさわいでいたが、いま見ると、彼は手帳を出して、その中に何か盛んに書きこんでいる。これまた山岸少年におとらぬ落着きぶりだ。
山岸中尉は、ほっと息をついた。いま部下の二人が、あんがい落着いていてくれることは、たいへんありがたい。いまのうちに、死の覚悟をといておこうと思った。中尉の観測では、自分たちの生命は、あと十五分か二十分ぐらいだろうと思った。
「総員集れ」
と、中尉が叫ぶと、山岸少年は、はっと顔をあげて、耳から受話器をはずした。その目は、さっと不安の色が走った。
「兄さん、どうしたんです」
「ばか。電信員、用語に注意」
山岸中尉は、こんな場合にも注意することを忘れなかった。
帆村は手帳を持ったまま席を立ち、中尉のそばへ行こうとしたが、ちょうど山岸少年が通りかかったので、彼に狭い通路をゆずってやった。
「本艇はただいま大危難にさらされている。死の覚悟をしてもらいたい」
中尉はふるえていた。
「お待ちなさい――。いや機長、意見をいわせてください」
と、帆村がいった。
「よろしい。何でもいってよろしい」
中尉は、帆村の意見も、この際何の役にも立つまいと思った。
「機長。私は、私たちがいま生命の危険におびやかされているとは考えません。いや、むしろぜったいに安全だと思うのです」
「なぜか。説明を……」
「いや、そんなことは後で話をしましょう。それより目下最も大切なのは、本艇が積んでいる、成層圏落下傘と投下無電機です。こればかりは敵に渡さないようにして下さい」
「敵、敵とは……」
「いまの二種のものは敵の目をくらますために、糧食庫の底へでも入れておいた方がよくありませんか」
帆村は、中尉にはこたえないで、自分のいおうとすることだけについて語った。
「敵とは誰ですか、帆村さん。アメリカ人ですか」
と、山岸少年がたずねた。少年もいっこうわけがわからないといった面持《おももち》だ。
「敵といえば、わかっているよ。例の緑色の怪物だ。いや、ここでは緑色の衣裳《いしょう》をぬいでいるかもしれないが……。しかし、少くともわれわれのいるここへ来るときは、例の服装でいるだろう」
「ああ、あいつですか。鉱山の底で死んだふりをしていた。青いとかげの化物みたいな奴……。大きな目が二つあって、頭に角が三本生えている、あのいやらしい怪物のことですか」
「帆村班員はほんとうにそう思っているのか。いったいそれはどういうわけで……」
と、山岸中尉も、思わず声を大きくして帆村の方へすり寄った。
「これは別にたいした予言でもありませんよ。なぜといって……」
と、帆村は途中で言葉をとめてしまった。
「帆村さん。早く話をしてください」
「話をするよりも、実物を見た方が早いよ。それっ、窓から外を見たまえ。例の緑色の怪物どもがおしかけて来たよ。ふふふ、これは面白い」
「えっ」
山岸少年が窓の方へ目を走らせると、たしかに帆村のいったとおりだ。向こうからこっちへ、緑色の怪物が十四五名、肩を組んだようにしてぞろぞろと歩いてくる。そしてその先頭に立って歩いている一名が、手をあげて何か叫んでいる様子だ。それは山岸たちに向かって呼びかけているように思われる。
「総員戦闘準備……」
山岸中尉は、いよいよ来るものが来たと思って、戦うつもりだ。
「待った。機長、はじめから戦うつもりでいたんでは、こっちの不利となりますよ。しばらく成行《なりゆき》にまかせてみようじゃないですか」
「いや、捕虜《ほりょ》になるのは困る」
「捕虜ということはないですよ。あの緑人どもは、われわれ地球人類と話をしたがっているのだと思います。だから、私たちを大事にするに違いありません」
「どうかなあ」
「まあ、こんどだけは私のいうところに従ってください。そしてここをさよならするまでは、短気を出さないように頼みますよ」
「帆村班員は、よくそんなに落着いていられるなあ」
「なあに、私は大いに喜んでいるのです。緑色の怪物どもから、われわれのまだ知らない、宇宙の秘密をしゃべらせてみせますよ。とうぶん彼等を憎まず、そして恐れず、しばらくつきあってみましょう。その結果、許すべからざる無礼者だとわかったら、そのときは山岸中尉に腕をふるってもらいましょう」
「竜造寺兵曹長の、安否をはやく知りたいものだ」
「それは頃合をはかって聞いてみましょう。私は兵曹長が無事で生きているような気がしますよ」
そういっているとき、緑鬼たちは、窓のところへ来て、外からどんどん窓をたたきはじめた。早くここを開けといっているらしい。
「ほう、外部の気圧は七百六十ミリになっていますよ。これはあの緑鬼どもが、ちゃんと空気を『魔の空間』へ送りこんで、私たちが楽に呼吸できるように用意しているのです。ですから、とうぶん生命の危険はないはずです。では扉をあけましょうか」
と、帆村は心得顔《こころえがお》でいった。
緑人ミミ族
三人は、彗星二号艇から外へ出た。
緑色の怪物たちは、とびかかって来る様子もなく、おだやかに迎えた。
帆村は山岸兄弟よりも前に出た。そして緑色の怪物の中で、隊長らしく見える者の方へつかつかと寄った。
「せっかくあなたがたがよんでくださったものですから、やってきましたよ」
帆村は大きな声を出して、日本語でいった。山岸少年がびっくりして帆村の横顔をうかがった。
すると緑色の怪物たちは、急にざわめきたち、額《ひたい》をあつめて何やら相談をはじめたような様子であった。
山岸中尉が帆村に向かって何か言おうとした。帆村はそれを手で制した。そして、「それは後にしてください」と目で知らせた。緑色の怪物たちがどう出るか、いまは最も大事な時であったから、むやみなことをいって、怪物の気持を悪くしてはいけないと思ったのだ。
そのうちに、怪物は相談が終ったと見え、前のようにならんだ。そして隊長らしい者が、帆村の方へ歩みよった。
「あなたがいま言ったこと、わかりました。わたくしたちは、あなたのことばに満足します。これからいろいろ聞きますから、返事をしてください」
彼は日本語でしゃべった。それは妙なひびきを持った日本語であった。しかし原住民の片言の日本語よりは、ずっと調子がいい。緑色の怪物は、いつの間に日本語を勉強したのだろうか。
「はい、承知しました」
と、帆村は素直にこたえた。ふだんとちがって、いやにおとなしいのであった。
「僕たちからも伺《うかが》うことがありますが、返事をしてくださるでしょうね」
「はい。返事をします」
「で、君のことを何とよべばいいでしょうか」
「わたくしですか。わたくしはココミミという名です」
「ココミミ。ああ、そうですか」
と、帆村はこの奇妙な名前をおぼえようと努力しながら、
「ではココミミ君。君はどこで日本語を習ったのですか」
と、つっこんだ質問をうちこんだ。
「ああ、日本語。これをおぼえるのには苦労しました。わが国の研究所では、五百名の者が五年もかかって、ようやく日本語の教科書を作りました」
「それはおどろきましたね。五百名で五年かかったとは、ずいぶん大がかりになすったわけですね。それでいま『わが国』とおっしゃいましたが、失礼ながら君の国は何という国で、どこに本国があるのですか」
帆村荘六は、この重大な質問を発することについて、さすがに鼓動の高くなるのをおさえかねた。しかしそれを相手に知られまいとして、つとめて何気ない調子でたずねた。
「わが国名はミミといいます。どこに本国があって、どんな国かということは、いま話してもわからんでしょう。しかしわたくしたちも、あなたがたも、ともに銀河系の生物だということです。つまりお互いに親類同士なんです。ですからお互いの間の話は、原則としてよく合うはずなのです」
緑色の人の語るところは、帆村たちによくわかるところもあるが、何だかまとがはずれているようなところも感じられる。
「そういわないで、君たちの国のことについて、いま話をしてください。僕たちは一刻も早くそれを知りたいのですよ」
帆村は、けんめいにねばった。
「いや、いまはしません。後になれば、自然にわかるでしょう。そのときくわしく説明します」ココミミ氏は肩をそびやかし、説明をいますることを拒絶した。
「そうですか。では、僕の方からのべてみましょうか」
帆村は、大胆なことをいった。
「ほう、あなたがのべるのですか。よろしい。では、のべてください」
ココミミ氏は仲間の方へ手をあげて何か合図《あいず》をした。すると彼の仲間はおどろいた様子を示し、ざわざわと前へ出てきた。帆村はそれには無関心な様子を見せて、しずかに口を開いた。
「まず第一に申しますが、君たちはほんとうの姿をわれわれに見せていない。君たちは人体の形をした緑色の服を体の上に着ているのです。どうです、あたったでしょう」
帆村はとんでもないことをいい出した。しかしそれがあんがい相手に響いたらしく、いっせいに怪物たちの体が、がたがたふるえだした。そして帆村に向かっていまにもとびかかりそうな気配を示した。それを一生けんめいにとどめたのは例のココミミ君だった。
「どうぞ、その先を……」
彼は帆村に挨拶《あいさつ》をおくった。
「では、第二に、君たちはわれわれより智能が発達しており、地球の人間なんかそういう点では幼稚なものだと思っている。しかしこれは君たちの思いちがいだということを、いずれお悟りになることでしょう」
「ふむ、ふむ」
「第三に、君たちはさし迫った重大資源問題のため、はるばる地球へやって来たのです。君たちはこの問題をなるべく早く解決しないと、君たちの世界は間もなく滅びるかもしれないのだ。だから……」
帆村のことばは突然中断した。それは緑色の怪物三名が、やにわに帆村に組みついたからである。それは電光石火の如《ごと》くあまりにはやく、そばに立っていた山岸中尉が、帆村のためにふせぐひまもなかったほどだ。
機長ゆずらず
緑鬼《りょくき》どもに組みつかれた帆村は、まず山岸中尉の方へ目で合図するのに骨を折った。山岸中尉の顔は、緑鬼どもにたいする怒りに燃えていた。が、帆村は「待て、しずかに……」と、目で知らせているので、中尉は拳《こぶし》をぶるぶるふるわせながら、かろうじてその位置に立っていた。
「ココミミ君。君たちは、僕を殺すためにやって来たのか、それとも地球を調べるためにやって来たのか、どっちです」
帆村は叫んだ。緑鬼の隊長と見えるココミミ君は、帆村のつよい言葉に、ぎくりとしたようであった。帆村たち地球人類を殺すために、ここへ封じこめたのではないことは、よくわかっている。しかし彼の部下は怒りっぽいのだ。帆村に図星をさされたことを憤《いきどお》って、帆村を殺そうとしているのだ。
ココミミ君は、なにか意を決したもののごとく部下のそばへとんでいった。そのときふしぎな光景が見られた。ココミミ君の頭の上に出ている触角《しょっかく》が、にゅうっと一メートルばかり伸び、長い鞭《むち》のようになった。つぎにその鞭のようなものは、かりかりと奇妙な音を立てて、蛸《たこ》の手のように動いた。そして帆村に組みついて放さない緑鬼どもの角《つの》にまきついては、これをゆすぶった。
すると緑鬼は、急にがたがた体をふるわせて、どすんと尻餅《しりもち》をついた。こうしてココミミ君は、つぎつぎに緑鬼たちを倒してしまった。山岸少年は兄のうしろで、目をぱちくり。
救われた帆村は、べつにおどろいてもいず、はずれた飛行服の釦《ボタン》をかけて、にっこり笑う。
「ココミミ君。君と二人で、よく話しあいたいものですね」
と、帆村はいった。
するとココミミ君は、触角をするすると頭の中にしまいこみ、帆村のところへやってきて、手を握った。
「あなたの申し出に賛成します。われわれは、お互いの幸福のために、しずかに話しあわねばなりません。そうですね」
「もちろん、そうですよ。乱暴をしては、話ができませんからね」
と、帆村がこたえた。ココミミ君は、なかなか話のわかるミミ族だ。
「それではすぐ話にかかります。まずみなさん方をしばらくの間、ひとりひとりに隔離します。私たちは手わけして質問にゆきます」
「それはいけない。われわれの行動は自由です。しかし、せっかく君がそういうんだから、僕だけは君がいうところへついていきましょう」
「それは困る。ぜひ、ひとりひとりを……」
「そんなことは許しませんぞ。それよりも、早く地球の話がわかった方がいいのではありませんか。この大宇宙にすんでいるのは、地球人類とミミ族だけではありませんよ。他の生物の方が早く地球と話をつけてしまえば、君たちは困りはしませんか」
この一語は、ココミミ君にひどくきいたらしい。彼は、それでもさっき言ったことをやりとおすのだとは言わなかった。
が、他の緑鬼どもは、いつの間にか起き上り、彗星二号艇のそばに立っている、山岸中尉と山岸少年の方へ襲《おそ》いかかろうとしている。
山岸中尉は、うしろに弟をかばい、右手にはピストルを握りしめ、もしも近づく奴があれば、一撃のもとにうちたおすぞと、緑鬼をにらんだすさまじさ。
これをみておどろいたココミミ君は、ころがるようにして仲間のところへとんで来た。そしてふたたび触角の鞭をふりまわした。緑鬼たちは、たわいなくごろごろとその場にころがった。
そのときココミミ君は、すっくと立上り、呼吸をするような姿勢になった。すると彼の頭上に生えていた三本の触角が、すうっと垂直に立った。と、そのうちの一本がぐにゃぐにゃと下りてきて、垂直に立つ他の二本の触角を、まるで竪琴《たてごと》の絃《いと》をはじきでもするかのように、ぽろんぽろんとはじいた。音が出たにちがいない。しかし帆村たちには、その音が聞えなかった。
それが通信だったと見え、あやしい白雲の奥から、どやどやと一隊の人影があらわれた。いや、人影というよりも、鬼影といった方がいいかも知れない。
彼らはココミミ君の前に整列した。新しく来た彼らは、体の色がすこし淡《うす》かった。そしてどこかおとなしいところがあった。ココミミ君は帆村にいった。
「これはタルミミ隊の者です。これから、このタルミミ隊が皆さんのお世話をします。私の隊員は、戦闘をするのが専門ですから、自然皆さんに失礼があったと思います。しかし私どもとしては、はじめて迎える地球人類にたいして、そうとう警戒の必要を感じていたわけですから、どうぞあしからず。で、このタルミミ隊は、じゅうぶん皆さんの気にいるようにお世話をすると思います。なんでもいいつけてください。皆さんのための食事の用意もありますよ。しかし、ここから脱走することのお手伝いだけは、させないでください。でないと、ミミ族を憤激させることになります。そうなれば、もう取りかえしがつきませんからね」
ココミミ君は、帆村たちにこのようにいって、できるだけの好意を示した。そして帆村にむかい、
「では、もっとゆっくりあなたと話をしたいと思います。いっしょに来てくれますか」
ときいた。帆村は山岸中尉の許しをえて、ココミミ君の申し出に同意した。そこで二人はならんで歩きだした。一時間もすれば、ここへ戻ってくるという約束のもとに。
ふしぎな御馳走《ごちそう》
山岸中尉と山岸少年の二人は、帆村を送って後に残った。中尉は愛弟をうしろにかばって、新米のタルミミ隊をにらみつけていた。
タルミミ隊は、山岸中尉の前で活動をはじめた。どこからか円い卓子《テーブル》が持出された。椅子もはこんで来た。それから思いがけない御馳走が大きな器《うつわ》にいれられて、卓子の上におかれた。飲物のはいっている壜《びん》もきた。「水」だとか、「酒」だとか、「清涼飲料」とかの、日本字が書きつけてあった。
「さあ、どうぞ召上ってください」
と、タルミミ君らしい一人が、そういって挨拶をした。山岸中尉は返事に困った。
「御心配はいりません。これはあなた方にたべられないものでもなく、また毒がはいっているわけでもありません。安心して召上ってください」
タルミミ君は、ていねいにいった。
山岸中尉は豪胆な人間だったから、ここで弱味を見せてはならぬと思い、蜜柑《みかん》を一箇手にとった。それとなく注意してみるが、内地の蜜柑と変りのない外観をしている。そこで皮をむいた。ぷうんと蜜柑の香りがした。一房ちぎって口の中へほうりこんだ。甘酸《あまず》っぱい汁――たしかに地上でおなじみの蜜柑にちがいなかった。しかもこの味は四国産の蜜柑と同じだった。
「この蜜柑は、どこになったのかね」
山岸中尉がタルミミ君へ声をかけた。
「日本産ですよ。外の料理も、みな日本産です。あなた方がくるとわかっていたので、用意してあったのです。どうぞ安心してたべてください」
どんな方法で、日本の料理や、果物などを手にいれたのか、それはわからなかった。しかしたべてみると、たしかに口にあうものばかりだった。そこで弟にもたべるようにすすめた。二人は腹がすいていたのでよくたべた。一度たべた以上は、少くたべても、たくさんたべても同じことだと胆玉《きもったま》をすえた。
(この連中は、おれたちがここへ来ることを知っていたという。こっちはそんなこととは知らなかった。やはりミミ族の方が、われわれ人間より智力が上なのかなあ)
山岸中尉は、たべながらそんなことを考えた。山岸兄弟が食事をしているのを見て安心したものか、タルミミ隊員は、いつとはなしに二人の前から姿を消してしまった。
「兄さん。あの緑人がみんなどこかへ行ってしまいましたよ」
「うん。しかし、どこからかこっちを見張っているにちがいないから、油断をしないように……」
「はい」
「お前、疲れたろう。しばらく寝ろよ」
「僕、ねむくありません」
「そうか。では兄さんは、二十分ばかりねむる。お前、起してくれ」
「はい、起します」
中尉はそこにごろんと横に寝た。
「これは寝心地がいいぞ。士官室の長椅子より上等だ。はははは」
中尉は豪快に笑った。そしてしばらくすると気持よさそうないびきをかきはじめた。
山岸少年は、兄ののんきさ加減にあきれてしまった。こんなおそろしいところへ来て、ねむってしまうなんて、なんということだろうかと。またこの気味のわるい白い雲のようなものの上で、よくもねむられるものだと感心した。もしもどうかして穴があいたら、二万七千メートルの高空から、体はまっさかさまに下へ落ちてゆくではないか。
少年は、このふしぎな「魔の空間」の中でとききれないたくさんの謎をかかえこんでしまって、妙な気持でいるのだった。いったいどうしてこんな高空に、地上の建物の一室とちがわない場所があるのであろうか。
あの怪人どもの頭の上についている、触角みたいなものはなんであろうか。
怪人どもの正体は、あの中にあるのだと帆村がいったが、それはほんとうかしらん。ほんとうなら、いったいどんな形をしているのであろうか、ミミ族という生物は……。
地球人類と同じく銀河系の生物だから、親類だと思ってくれと、ココミミ君はいっていた。銀河系の生物とはなんのことだろう。
こうして考えていけば、謎はつきない。夢のようにふしぎである。しかし夢ではない。頬をつねればちゃんと痛い。
早くも二十分がたったので、山岸少年は兄を起した。中尉は起き上ると、海軍体操を二つ三つやって、元気に笑った。
「さあ、これでいい。くるなら来い、どこからでも来いだ」
「兄さんは、よくねむれますね」
「いや、さっきはねむくて困ったよ。……まだ帆村君はもどって来ないか」
「ええ、もう一時間を五分ばかりすぎていますがね」
「話が長くなったのかな。それとも……」
「それとも」
「いや、心配しないでいいよ」
帆村はなかなか姿を見せなかった。なにかまちがいがあったのではないかと、山岸中尉は思った。だからといって、この白昼探しにゆくわけにもいかない。夜のくるのを待つほかないのだ。ところが、夜はいっこうやってこなかった。
そのはずだ。ここは地球の上ではないのだ。「魔の空間」である。あたり前なら、二万七千メートルはなに一つ見えぬ暗黒界でなければならぬ。それにもかかわらず、こうして白昼のように物の形がみえているのは、ここが「魔の空間」なればこそだ。謎はますます深くなってゆく。
帆村の偵察《ていさつ》
帆村は十時間めに戻ってきた。
「どうした。心配していたぞ」
山岸中尉は喜んで、思わず帆村の手をとった。帆村の手は氷のように冷えきっていた。帆村の顔色は悪く、土色をしていた。そしてぶるぶると悪寒《おかん》にふるえていた。
「どうした、帆村班員。報告しない前に、なんというざまか」
山岸中尉は、声をはげまして叱りつけた。それは帆村の気を引立たせるためだった。
「はいっ」帆村は大きく身ぶるいして、姿勢を正した。だがつぎの瞬間、崩れるようにへたへたと坐りこんでしまった。
「電信員。艇内から酒のはいった魔法壜をもってこい」
「はい。持ってきます」
山岸少年は大急ぎで艇によじのぼり、兄にいわれたものを探しあてて下りてきた。
一ぱいの香り高い日本酒が、帆村を元気づけた。土のようだった彼の顔色が目の下あたりからぽうっと赤くなりはじめ、彼の目が生々と光ってきた。
「どうした、帆村班員」
三度、山岸中尉は帆村にきいた。
「ああ、機長……」
帆村は山岸中尉の顔を仰ぎ、それから山岸少年の方を見、なおあたりをぐるぐると見廻した上で、ほっと息をついた。
「遅かったね。なにをしていたのか」
「はあ」と、帆村は喉《のど》をなでながら、
「できるだけ『魔の空間』を偵察してきました。報告することがたくさんあります。第一に、生きている竜造寺兵曹長の姿も見えました」
「えっ、竜造寺に会ったと……」
「そうです。兵曹長は、狭い透明な箱の中にとじこめられています。胸に重傷しているようです」
「ふうん。助けだせないか」
「いま考え中です。話をしたかったが、監視が厳重で、そばへよれませんでした」
「そうか。ではおれが助けにゆく」
「まあ、お待ちなさい、機長。まだお話があるのです。彗星一号艇の乗組員に会いました」
「えっ、一号艇は無事か」
「艇は無事だそうです。私は児玉法学士に会って、それを聞きました」
「望月大尉は健在か」
「はい、大尉も、電信員の川上少年も、軽傷を負っているだけで、まず大丈夫です。児玉法学士は大元気です。彼は緑鬼どもと強い押問答をやって、待遇改善をはかっています。私は彼とよく打合わせました。われわれは、けっして緑鬼どもに頭を下げないことにしました。そして彼らの弱点をついて、あべこべに彼らをわれらに協力させるのです」
「できるか、そんなことが」
「それについて児玉法学士は、一つの方法を考えていました。彼はきっとうまくやるでしょう」
「どういう方法か」
「要するに彼らを説き伏せ、まっすぐな道を歩かせるのです。しかし、もしもこのことが不成功のあかつきには、われわれは即刻この『魔の空間』から引揚げないと危険なのです」
「それはどういうわけか」
「これは私の調べた結果ですが、ミミ族という生物は、われわれ人間とはぜんぜんちがった先祖から生まれたものです。ですから、性格がすっかりちがっているのです。あのココミミ君は、もっとも人間に近い性質を示していますが、あれは人間学を勉強して、あれほど人間に近い性質を示すようになったのです。しかしミミ族は、生まれつきひじょうに残酷な生物です。人情などというものはなく、まるで鉄のように冷たい生物なのです。そのかわり正直この上なしです。ほしいと思うものにすぐ手を出して取り、強い者には頭を下げ、弱い者はすぐ殺すのです」
「どうして、そんなことがわかったのか」
「私が見てきたのです。山岸中尉、彼ら緑鬼は、動物の一種でもなく、また植物の一種でもないのですぞ」
「なんだって」山岸中尉はおどろきのあまり、思わず大きな声をたてた。
「君は途方もないことをいうね。生物といえば、動物と植物にきまっている。それ以外の生物というのがあるだろうか」
しかし帆村は言った。
「そういう理窟は、地球の上だけにあてはまるのです。他の世界へ行けば、かならずしもあてはまらないのだと思います」
「すると、いったいどういう種類の生物だというのかね、あのミミ族は……」
山岸中尉は、こめかみに指をたてて、むずかしい顔をした。帆村のいうことがわかりかねるのだ。もちろん誰にだってわかるはずはない。
「まだ判定の材料がすっかり集っていないから、しかとはいえませんが、私の考えるところでは、緑鬼ミミ族は、高等金属だと思います」
「なに、高等金属。わははは。君は気がどうかしているよ。わははは」山岸中尉は大声で笑った。帆村は、かくべつ腹をたてた様子もなく、真面目な顔をしていた。そして中尉の笑いのしずまるのを待っていた。
「金属が生きものだ。ふつうならば、そんなことを考えないよ。わははは。帆村君、しっかりしてくれよ」
中尉の笑いはなかなかとまらなかった。そこで帆村は、やむなく口を開いた。
「ちょっと待ってください。地球の上で、金属は生物だなどといっては、たいてい笑われるでしょう。しかし他の世界へ行けば、金属が生きものである場合があるのです」
「ばかばかしいことだ。それは暴論だよ」
そういわれても、帆村はひるまなかった。
「地球上に存在する金属の中にも、ほんの僅《わず》かの種類ですが、生物らしき現象を示すものがあるのです。それを言いましょう。ラジウムはアルファ、ベータ、ガンマ線を出して年齢をとり、ラジウム、エマナチオンになり、やがては鉛となります」
「そんなことが生物と言えるだろうか」
「生物に似ているではありませんか。また別のことを取上げましょう。無機物の集合体であるところの電波発振器は、空間へ電波を発射します。これは人体における脳細胞の、活動のときにともなう現象と同じです」
「それはこじつけだ」
「継電器はどうです。僅かの電気的刺戟によっていずれかへ動き出し、あげくの果は、大きなものを動かします。電波操縦もこの類です。人体における神経と、筋肉の関係そっくりではありませんか」
山岸中尉は、帆村が後から後へとならべる例について、心から同感だとはいいたくなかった。しかし聞いているうちに、なんとなく金属も生きているらしい気がしてきた。帆村は一段と声をはげまし、
「地球以外の星には、ラジウムよりも、もっと重い金属があって、おそろしい放射能を持っているものがあるのです。そういう奴は、ラジウムよりもずっと高等な生物ですよ。高等金属といったのは、そういう物質を指すのです」といったが、山岸中尉がまだ知らん顔をしているのを見ると、帆村は別なことをいい出した。
「機長。この『魔の空間』が、この前白根村に墜落したときに、なぜ私たちの目には見えなかったのか、そのわけを考えてごらんになったことがありますか」この質問は、山岸中尉をひじょうにおどろかせた。
「えっ、この前『魔の空間』が白根村に墜落したって。そんなことが、どうして……」
大胆な推理
「魔の空間」と、白根村の怪事件とを結びあわせた、帆村荘六の大胆な説は、山岸中尉にとって、すぐには了解できることではなかった。
「まあ、ゆっくりお話しましょう。飛行楔の中で……」
と、帆村は山岸中尉と山岸少年をうながして、飛行機の中にはいった。三人はめいめいの座席をえらんで、そこに腰をおろした。山岸中尉は、魔法壜の口をあけて、残りすくない番茶を、疲れている帆村にあたえた。帆村は感激して、ほんの一口だけうけた。
「そこで白根村の怪事件のことですがね。歩いていた山岸中尉が、急に歩けなくなったというのは、あなたが『魔の空間』の壁にぶっつかったからですよ。あの壁ときたら、軟らかい硝子《ガラス》かゴムみたいに、いくら体をぶっつけても怪我《けが》をしないかわりに、どんなことをしても破れるようなことはないのです。そんなに丈夫な壁なのです」
帆村は手まねをまぜて、「魔の空間」のふしぎな性質について説く。
「あれが壁だとするとおかしいぞ。前方がはっきり見えたが、透明な壁だというのか……」
山岸中尉が、熱心に聞きかえす。
「そうです。もちろん透明の壁です。ですから『魔の空間』が前に落ちていても、それが見えなかったのです」
「そうすると、白根村に、『魔の空間』が落ちたとして、その空間の中にはなにもはいっていなかったんだろうか……」
「それはもちろんはいっていました。『魔の空間』を動かす一種のエンジンも備えつけてあるし、またミミ族も何十名か何百名か、その中にいたにちがいありません」
「それはおかしいぞ、帆村班員」
と、山岸中尉は目をかがやかし、
「その空間に、エンジンだの、ミミ族たちがいたのなら、横からすかしてみて、かならず形か影かが見えるはずである。しかし私は、そんなものを見なかった」
山岸中尉のいうことは、もっともに響いた。白根村に落ちた「魔の空間」が、空《から》っぽであれば、透きとおって見えるかもしれないが、その中にエンジンがあり、ミミ族がいたのなら、かならずその形か影が見えるはずだ。これには帆村も答弁することができないだろうと思われた。だが帆村は答えた。
「ところが、実際はエンジンもあり、ミミ族もいたのです。しかしそれがあなたがたの目に見えなかったというのもほんとうのことでしょう。これにはわけがあるのです。むつかしい理窟ですが、ぜひわかっていただかねばなりません」
と、帆村は力をこめていうと、山岸中尉と山岸少年の顔をじっと見つめ、
「そのわけというのは、そのとき、『魔の空間』はひじょうに速い振動をしていたために、人間の目には見えなかったのです。たとえば飛行機のプロペラは、とまっているときはよく見えます。ところがあれが回転をはじめると、私たち人間の目には見えなくなるでしょう。つまり、あまり速く動いているものは、人間の目には見えないのです。『魔の空間』は、プロペラの回転による運動どころか、もっとはげしい速さで動いているのです。一種の震動であります。あまり速く震動しているために見えないのです。『魔の空間』の壁も、エンジンも、ミミ族も、みんなこのとおりのはげしい震動をしているので、あなたがたの目には見えなかったのです。これでわけはおわかりになったでしょう」
帆村荘六は、そういって二人の顔を見た。
目にもとまらぬほど速く動き、あるいは回転し、あるいはまた震動するものが、人間の網膜《もうまく》にうつらないということはほんとうだ。帆村がいうのには、「魔の空間」というものは、おそろしくはげしい震動をしている物体であるから、目には見えず、それで透《す》いて見えるのだというのだ。自分の目の前に自分の指を立ててみる。指はよく見えている。ところがこの指を左右にはげしく動かしてみる。はげしく動かせば動かすほど、指は見えなくなる。そして向こうのものがはっきり見える。その理窟だと、帆村はいうのである。
「ほう、高速運動体だから、人間の目には見えないというのか。なるほど、これは一つの理窟だ。扇風機の羽根も、廻りだすと目に見えなくなるが、あの理窟と同じだという……」
わかったようでもあり、腑《ふ》におちないようでもある。どこが腑におちないのか。
「で、帆村班員、なぜ、『魔の空間』はそのように高速運動をしているのか」
腑におちないのは、この点だ。山岸中尉はさっそく帆村に質問を発した。
ところが帆村は首を左右に振り、
「それがわかれば、われわれはミミ族の正体をはっきり捕らえることができるのですが、残念ながらそれがわからないのです。しかし、こういうことはいえる。ミミ族はわれわれと同じような人間でもなければ動物でもない。この前、私がいいましたように、ミミ族はどう考えても金属でなければならない。生きている高等金属でなければならぬというのも、じつはこの問題からきているのです。われわれはもっと勉強しなければ、ミミ族の正体を解くことはできないでしょう」
と、帆村は額に手をあてて言った。
「生きている高等金属、金属は死んでいるものだ。金属が生きているとは思えない。帆村班員の説は納得できない」
山岸中尉は、はっきり反対した。これは山岸中尉でなくても、誰もそう思うだろう。
ところが帆村は顔をあげると、首をもう一度、強く左右に振って見せ、
「前にもいいましたが、ラジウムやウラニウムは、放射線をだして生体をかえていく。これも一種の生活がいとなまれているといえないことはないです。わが地球には、ウラニウム以上の重物質はない。しかし他の天体には、これ以上の重物質、生気溌溂《せいきはつらつ》というか、ぴんぴん生きている物質があるのではないかと思う。そういう高等金属は、一種の思考力を持つこともできるように思うのです。それはいったいどんな経過を通って、どうして行われるか、そいつは今のところ、われわれ地球の人間にはわかっていない。ただそういうことがありそうだ、と思われるだけである」
帆村の口調は、いつとはなしにきびしいものとなっていた。そして彼の顔つきが、なんとなく人間ばなれがして見えた。
ほんとうであろうか、帆村の推論は……。これをたしかめるには、ミミ族の一人を捕らえて解剖してみるしかない。
血路《けつろ》は一つ
山岸中尉は、帆村の説に半信半疑であったが、しかしさしあたり帆村の説をほんとうとして、万事やるよりほかないと思った。つまりこの「魔の空間」についても、またミミ族についても、彼よりも帆村荘六の方がはるかによく観察しているし、考えの深いことも尊敬に値した。
「なんとかして、ここを脱出したい、そして一刻も早く地上の本隊へ報告したい。どうすればここを脱出できるか」
山岸中尉は、帆村の顔を見て、意見をのべるよううながした。
「それはむつかしい問題ですよ」
帆村は正直に言った。はじめ「魔の空間」を征服しようとして突撃したのに、あべこべに「魔の空間」にこっちが征服されてしまったのだ。だからこれを破って、自由になることは、なまやさしいことではない。
「それはわかっている。しかしわれわれは一刻も早く、ここを脱出しなければならぬ」
山岸中尉は、きっぱり言った。軍人という者は、自分にあたえられた任務をやりとげるために、いかなる困難にぶつかろうと、それを突破して進まねばならぬのだ。
「なにぶんにも、『魔の空間』の壁はひじょうに丈夫である上に、よく伸縮しますから、これを切り開くことはなかなかむつかしいと思います。この前は、わが噴射艇彗星号が全速でもって、『魔の空間』の壁にぶつかったが、ぐうっと押しかえされてしまいましたからね」
帆村は、あのときのことを思い出して、脱出のむつかしいことをのべた。
「機関銃で撃ってもだめですか」
さっきから黙って話を聞いていた山岸少年が、口をはさんだ。
「機関銃弾では、おそらくだめだろうね。しかし、君はいいことを言ったよ」
と、帆村は山岸少年の方を見て、にっこりした。少年は目をぱちくり。
「機長、思いきって、こういうことをやってみてはどうですか。そのかわり失敗すれば、私たちは、たちどころに命を捨てなければなりません」
そう言って、帆村が語りだした脱出方法というのは、艇《てい》に積んである爆弾を、全部一箇所にまとめ、これを爆発させるのである。するとうまくゆけば、「魔の空間」に穴が明《あ》くかもしれない。穴が明くものとして、その穴めがけて、艇は全速力で空間の外へとびだすのである。
もし穴が明かなかったら、そのときは艇は、「魔の空間」のつよい壁に頭をぶっつけ、この前やったように、うしろへ跳《は》ねかえされるだけで、大失敗に終ろう。
また穴が明くとしても、たぶんその穴はすぐふさがれてしまうだろうから、穴からとび出すのは、爆発の起ったすぐあとでないと、うまくいかないであろう。これを決行するとなると、たいへん危険なことであって、もしも爆弾の一部が残っていたとすると、艇が穴のところを通りぬけようとした瞬間、その残りの爆弾の炸裂《さくれつ》にあって、艇はこなみじんとなってしまわなければならぬ。
さあ、どうするか……。
山岸中尉は、口をかたく結んで、しばらく考えこんでいたが、やがてきっとなって頭をあげると、
「よし、それを決行するぞ」
と、だんぜん言いきった。
帆村荘六の考えだした方法が、ついに採用されることになったのである。
「だが、その前にしなければならぬことが二つある。一つは望月大尉と連絡して、その許可をうけることだ。もう一つは、いかなる方法を講じても、竜造寺兵曹長を救いだし、彼を連れてかえることだ」
山岸中尉は、どこまでも模範的な士官であった。上官の許可をうけることと、不幸な部下をぜひとも救いだして連れていくこと、この二つをやった上で、今の脱出にとりかかろうというのだった。
帆村は、この二つのことのために、また新しい活動をはじめなければならなかった。
望月大尉と山岸中尉が会うことは、それほどむつかしいことではなかった。ミミ族は、望月大尉以下の地球人間を、完全に「魔の空間」に捕らえていると信じていたので、この空間の中で彼らが会って、なにを語りあおうと、たいしたことはないと考えていた。
山岸中尉は望月大尉に会うと、脱出計画のことを報告して許可をもとめた。大尉はもちろんそれを許して、
「まあ、よく注意をしてやってくれ」
と言った。
「隊長はどうせられますか」
と、山岸中尉がきくと、大尉は、
「おれたちは、しばらくここに残る。いささか考えるところがあるからな」
「はあ、なぜですか」
「皆ここを抜けでていってしまうと、せっかくミミ族とつきあいの道ができたのに、ぷっつり切れてしまうからなあ」
「でも、危険ですぞ、あとに残っておられると……」
「まあいい。おれにも考えがある。それに児玉班員は、なかなか外交交渉が上手《じょうず》だから、おめおめミミ族にひねり殺されるようなことにはならんだろう」
「では、われわれも一応ミミ族の同意をえたうえで、ここを脱出しましょうか」
「いや、それはいかん。それを知ったら、ミミ族はどんな手段をとっても、君たちをここからださないよ。無断でいくのがよろしい」
さすがに望月大尉であった。ちゃんとなにもかも見とおしていた。
脱出決行
一方、竜造寺兵曹長を救いだすことであったが、これは帆村と山岸少年の二人が力をあわせて決行した。
竜造寺兵曹長は、一人牢の中にいれられていた。そのわけは、兵曹長はここへとびこむと、たいへん怒って、ミミ族を相手にさんざんあばれたのだ。それがために兵曹長は、重傷を足に負い、出血多量で人事不省になってしまった。そこでミミ族は、ようやく兵曹長をかついで、一人牢の中へ移すことができた。
帆村は、竜造寺兵曹長の一人牢のあるところを知っていたので、そこへ山岸少年をつれていった。
兵曹長は、いきなり日本人の顔が二つ現れたのでおどろいた。しかもよく見ると、その一人は帆村であったし、もう一人は自分の上官の愛弟であったから、夢かとばかりよろこんだ。
だが双方は、手を握りあうわけにいかなかった。その間には透明な壁があって近づくことができなかったのである。しかも一方から声をかけても、相手にとどかなかった。密閉した壁が、それをさまたげているのだ。
帆村は、かねてそれに気がついていたので、山岸少年をつれてきたのだった。少年は、帆村のいうことを、手旗信号でもって兵曹長に通じた。もちろん旗は持っていないから、手先を動かして信号したのである。
兵曹長の目はかがやいた。兵曹長はさかんにうなずきながら、やはり手を動かして、返事を信号にしてよこした。
こうして双方の連絡はついた。
兵曹長は、この牢の外側に、錠《じょう》がおりているらしいと言った。もちろんそれは透明だから見えなかった。しかし兵曹長がその位置を教えたので、帆村は手さぐりで、そのありかを探しあてた。幸いにも、それは外側からつっかい棒のようなものをしてあるだけのことであったから、帆村はすぐはずすことができた。大成功である。神の御加護にちがいない。
が、兵曹長を今ここからだすことは、ミミ族に見つかって、脱出のさまたげになるから、もうしばらく中にいてもらうことにした。そして帆村は、脱出の用意ができたら、かならず迎えにくるからと、兵曹長に言って、山岸少年とともにそこを離れた。
機のところへもどってくると、山岸中尉は待ちかねていた。兵曹長を救うことはわけなしだと聞いて、中尉のよろこびは大きかった。
そこでいよいよ脱出準備にかかることとなったが、ミミ族がここへ食事をはこんでくるのが十三時だから、そのすぐ後で、爆弾を正面の壁のところへはこぶこととした。
あとはなにを何時何分にすると、くわしい時刻表をこしらえて、三人は手わけしてそれを持った。
ミミ族はいつもの三人づれで、十三時にちゃんと食事を持ってきて、すぐ帰ってしまった。なにも知らないらしい。
いよいよ決行だ。
うまく脱出に成功するか、それとも押しもどされるか、こなみじんになるか。
今となっては一ばん気になることは、噴射艇のエンジンをかけて、燃料をたきはじめてから、全速力で出発するまでの時間のことだ。これはどんなに手際《てぎわ》よくやっても三十秒はかかるのである。この三十秒のうちに、ミミ族に発見され、そして出発をさまたげるような手段をとられたら、せっかくの計画もだめである。
が、そんなことを、いまさら心配していてもしようがない。こうなったら、腹をきめて、さらりとやってのけるのがいいのだ。
帆村は山岸中尉とともに力をあわせて、爆弾を壁のところへはこんだ。爆風が艇の方へこないように、不要の機械を置いて防いだ。
山岸少年は、ひとりで竜造寺兵曹長を救いだしにいった。それが帰ってくるころには、爆弾は全部はこびおわるはずであった。
誰が時間をまちがっても、この脱出計画はうまくいかなくなるのだ。
だが幸いにも、万事すらすらといった。
山岸中尉と帆村が、最後の爆弾をかついで艇を出発するとき、少年は竜造寺兵曹長をつれてもどってきた。
「あ、山岸中尉……」
竜造寺兵曹長は、山岸中尉の姿を見ると、感きわまって、足をひきずりながら駆けよろうとする。それを中尉は、叱るようにして押しとどめ、帆村をうながして爆弾をかついで走りだした。
爆裂の時限をちゃんとあわせた。あと一分五十秒で爆裂するのだ。
一分二十秒で駆けもどって機内にはいり、十秒で扉をとじ、エンジンの燃料に点火する。あと二十秒でエンジンは全速力を出してもいいようになる。と、爆裂が起る。すぐ出発だ。穴の中をくぐりぬけるまでに、時間は二秒とかからないであろう。これが計画だった。
「それ、急げ」
山岸中尉は、帆村の腕をひっぱるようにして、艇の方へ駆けだした。
艇の入口には、山岸少年の心配そうな顔がのぞいていた。帆村を先へはいらせて、最後に中尉が梯子《はしご》をのぼる。梯子はぽんと外へ蹴とばし、扉をぴたりと閉める。気密扉だから、全部を閉めるまでに十秒かかるのだ。
「そら、燃料点火だ」
帆村は、時計を見ていて、一秒ちがわず点火する。エンジンは働きだした。
艇ははげしく震動し、尾部からは濛気《もうき》が吹きだす。この三十秒が、命の瀬戸際《せとぎわ》だ。どうぞミミ族よ、気がつかないように……。
だが、それは無理だった。このような爆音、このような震動、そして濛気だ。どうしてミミ族に知られないでいるだろうか。
早くも十秒後には、こっちへ駆けてくる緑鬼ミミ族の姿が見られた。
「ちえっ、見つかったか。どうします、機長」
帆村はピストルを握って、山岸中尉の方へ向いた。操縦席の中尉は泰然自若《たいぜんじじゃく》として、
「かまわん。ほっておけ」
これがほっておけるだろうか。帆村は気が気でない。二十秒たった。あと十秒だ。
ミミ族は、扉をあけようと、艇を外からがんがんたたいている。翼の上にはいあがった者もいる。艇にぶらさがっている者もある。
しかし山岸中尉は平気な顔で、計器盤にはめこんである、時計の秒針の動きを見つめている。
そのときだった。前方に一大|閃光《せんこう》が起った。と、その爆風で、艇はうしろへ押しもどされた。
「出発――」
たたきつけるような山岸中尉の声。がくんとハンドルは引かれ、スロット(飛行機の両翼にある墜落をふせぐ仕掛)は変えられた。気をうしなうほどのはげしい衝動。艇は矢のように飛びだした。一大閃光の中心部へ向かって……。
奈落《ならく》へ
自爆か、「魔の空間」から離脱か。
不幸と幸運とが、紙一枚の差で背中あわせになっているのだ。
彗星二号艇にのっている四人の勇士たちは、艇が全速力で一大閃光の中にとびこんだまではおぼえているが、それにつづいて起ったことを知っている者はひとりもなかった。
それでいて、山岸中尉は、ちゃんと操縦桿を握りしめていた。帆村荘六は、気密室から空気が外へもれだしはしまいかと、計器をにらみつけていた。
山岸少年は、いつでも命令一下、地上の本隊へ無電連絡ができるようにと、左手で無電装置の目盛板を、本隊の波長のところへぴったり固定し、右手の指で電鍵を軽くおさえていた。
重傷の竜造寺兵曹長は、むりに起きあがって、窓外の光景へ見張の目を光らせていた。
だが、この四人が四人とも、この姿勢のままで人事不省におちいっていたのだ。
そのことは四人のうちの誰もが知らなかった。そして艇は人事不省の四人の体をのせたまま、闇黒《あんこく》の成層圏を流星のように光の尾をひき、大地にむかって隕石《いんせき》のような速さで落ちていくのであった。「魔の空間」を出発するときの初速があまり大きかったので、四人とも脳をおされて、気がとおくなってしまったのである。
艇は重力のために、おそろしく落下の加速度を加えつつ、身ぶるいするほど速く落ちていく。空気の摩擦《まさつ》がはげしくなって、艇の外側はだんだん熱をおびてきた。このいきおいで落下がつづけば艇はぱっと燃えだし、燐寸箱《マッチばこ》に火がついたように、一団の火の塊《かたまり》となるであろう。
だが、まだ四人とも、誰もそれに気がつかない。
艇の危険は、刻々にましていった。
どこからともなく、しゅうしゅうという音が聞えはじめた。それは気密室から艇外にもれはじめた空気が、艇の外廓の、破れ穴を通るときに発する音だった。
室内の気圧はだんだん下っていき、がっくりとたれた帆村の頭の前で、気圧計の針はぐるぐると廻っていった。ああ、この有様がつづけば、四人とも呼吸困難になって、死んでしまわなければならない。
「魔の空間」から、幸いにものがれることができたが、このままでは、彗星二号艇は、刻々と最後に近づくばかりであった。
こういう戦慄《せんりつ》すべき状態が、あと十五分間もつづいたら、もうとり返しのつかない破局にまでたどりついたであろう。
だが、そうなる少し前に、――くわしくいえば十三分たった後のこと、この艇内において、一人だけがわれにかえったのである。
「うむ、酸素だ。酸素マスクはどこか……」
うなるようにいったのは、重傷の竜造寺兵曹長であった。さすがは海軍軍人として、ながい間|鍛《きた》えてきただけのことはあって、誰よりも早くわれにかえったのである。
「あっ、これはいかん。おう、たいへんだ」
兵曹長は、艇が危険の中にあることに気がついた。起上ろうとしたが、体に力がはいらなかった。
「おい、起きろ、起きろ。たいへんだぞ」
兵曹長は手をのばして、手のとどくところにいた山岸少年をゆり起した。
「ああっ……」
少年は、うっすりと目を開いた。
「おいっ、おれの体を起してくれ。操縦席へいくんだ。早くいって、処置をやらにゃ、本艇は空中分解するぞ」
「ええっ、それは……」
山岸少年は、若いだけに身も軽く、また悲観することも知らず、兵曹長にいわれたとおり彼を助け起した。
二人は、もつれながら操縦席へいった。兵曹長は片手をのばして操縦桿をつかんだ。それから力をこめて、ぐっ、ぐぐっと桿を手前へひっぱった。
艇は妙なうなりをあげはじめた。すると速力計の針は逆に廻りだした。速力がだんだん落ちてきたのである。それとともに、竜造寺兵曹長も、山岸少年も気持がよくなった。艇は水平にもどったのである。
「しっかり、しっかり。気をしっかり……」
兵曹長は、山岸中尉と帆村とを起した。二人とも、ようやくわれにかえった。
「機長。いま、水平に起しました。それまでは艇は急落下しておりました」
「ああ……」
「どこかに穴があいているようです。室内の気圧がどんどん下っていきます」
「ああ、そうか。これはすまん」
帆村が横合から声をだした。彼は計器のスイッチをぱちぱちと切りかえて、指針《はり》の動きに気をつけた。その結果、空気のもれているのは、尾部に近い左下の部分だとわかった。
「機長。空気の漏洩《ろうえい》箇所は尾部左下です。いま調べてなおします」
「よし、了解。おちついて頼むぞ」
「大丈夫です。さっきはちょっと失敗しました。でも、ちゃんと『魔の空間』から離脱できたじゃないですか。われわれは大冒険に成功したわけですよ」
尾部の方へはいっていきながら、帆村は元気な声で言った。
「竜造寺兵曹長。見張につけ。敵の追跡に注意して……」
そうだ。ミミ族はどうしたろう。ゆだんはならない。
「はい」
兵曹長は、山岸少年に助けられながら、のぞき窓の前の席についた。
「兵曹長。苦しいですか」
と、少年は聞いた。
「いや、体が思うように動かぬだけだ。目はよく見える。心配はいらん」
だが兵曹長は、よほど苦しいらしく、歯をくいしばって、額を窓におしあてた。
かがやく大地
艇の尾部へもぐりこんで、空気のもれるところをさがしにいった帆村は、なかなかもどってこなかったし、報告もしてこなかった。
艇を操縦している山岸中尉は、弟に命じて連絡にやらせた。
「機長」
兵曹長が叫んだ。
「おい」
「見張報告。右舷上下水平、異状なし。左舷上に小さな火光あり。追跡隊かとも思う。そのほか異状なし」
「了解。その小さい火光に警戒をつづけよ」
「はい」
山岸中尉は、暗視器をその方へむけて、倍率を大きくしてみた。まだはっきりと形は見えなかった。が、とにかく星の光ではなく、別の光源であった。あのあたりが、さっき脱出した「魔の空間」のある場所かもしれない。方位角と仰角《ぎょうかく》とではかってみると、だいたいその見当である。
山岸少年が、報告にもどってきた。
「機長。尾部の漏洩箇所は、大小六箇であります。大きいのは、径五十ミリ、小さいのは十三ミリ。帆村班員は、瓦斯溶接《ガスようせつ》で穴をうめております。もうすぐ完成します」
「うむ」
この方は、うまくいきそうである。山岸中尉は、ほっと一息ついた。
しばらくすると、帆村がもどってきた。
「機長、もどりました」
「おう、ご苦労。どうした」
「見つけた穴は、ぜんぶ溶接でふさぎました。しかし、思うほど効果がありません」
「なに、思うほど効果がない……」
中尉は室内気圧計へ目をやった。なるほど、穴はぜんぶふさいだのにもかかわらず、まだすこしずつ気圧が下がっていく。目につかない穴がどこかに残っているのだろう。
「どうしたのか」
中尉は、たずねた。
「はい」
と、帆村は言いにくそうにしていたが、やがて言った。
「艇の外廓に、ひびがはいっているように思うのです」
「外廓にひびが……」
中尉はおどろいた。もしそうだとすると、修繕《しゅうぜん》の方法がないのだ。どうして外廓にひびがはいったのだろうか。やはり、あのときにちがいない。
艇が「魔の空間」を爆破して、その爆破孔をとおりぬけるとき、やっぱり自分の仕掛けた爆発物のため、外廓にひびをはいらせたのにちがいない。
「もちろん、それはいまのところ、わずかな隙間を作っているだけですが、注意していますと、ひびはだんだん長く伸びていくようです。ですから、着陸までに本艇が無事にいるかどうかわかりません」
帆村の心配しているのは、この点であった。この調子でいけば、ひびがだんだん大きくなっていくだろう。噴射をつづけているかぎり、その震動が伝わって、ひびはだんだんひろがっていく理窟である。といって、噴射をやめると墜落のほかない。
しかもこの調子では、まだそうとうの高度のときに、艇内の空気はうすくなって、呼吸困難、または窒息《ちっそく》のおそれがある。
思わざる危難がふりかかった。しかもその危険は刻々に大きくなろうとしているのだ。
なんという気持のわるいことだろうか。
「よし、わかった。あとはおれにまかしてもらおう」
と、山岸中尉は、歯切れのいいことばで言った。それにつづいて、中尉は胸の中で叫んだ。
(空中勤務に、予期しない困難が、あとからあとへと起るのは、有りがちのことだ。これくらいのことに、腰をぬかしてたまるか。危険よ、困難よ、不幸よ、さあくるならいくらでもこいだ。われら大和《やまと》民族は、きさまたちにとっては少々手ごわいぞ)
空中勤務者は、あくまで冷静沈着でなければならない。空中で、これを失えば、自分で死神を招くようなものだ。
その場合の死神は、ルーズベルトのおやじみたいなもので、こっちが死ねば、その死神といっしょに、ルーズベルトまでがよろこぶのだ。そんな死神を招いてたまるものか。冷静と沈着とを失ってならないわけは、ここにある。
それから機長山岸中尉の、あざやかな指揮がはじまった。
山岸少年に命じて、地上の本隊との間に無電連絡をとらせた。そして帆村に命じて、「魔の空間」へ突入してから後のことを、こまごまと地上へ報告させた。
これは万一、この艇が空中分解をするとも、わが偵察隊の調べてきたところは本隊へ通じ、これから後の参考資料となるにちがいないからだった。
竜造寺兵曹長には、見張をつづけさせた。兵曹長の目と判断は、百練をへたものであるから、ぜったいに信用がおけるのだった。
そうしておいて、山岸中尉自身は、操縦桿をすこし前へ押しやって、艇を緩降下《かんこうか》の状態においた。
両翼は、浮力をつけるために、せい一ぱいひろげた。そして噴射の速度をできるだけおそくして、その震動を小さくし、ひびが大きくなっていくのをできるだけふせぐことにした。
また容器に残っている酸素の量をくわしく調べ、もっとも倹約して、生きていられるだけの酸素をすって、何時間呼吸をつづけられるかを計算した。その結果は、安心できる程度ではなかった。最悪のときは、三十分間にわたって、酸素なしで半気圧の空間を下りなければならないのだ。しかしほかに処置とてなかった。あとは運命である。「人事をつくして天命をまつ」のほかないのであった。
中尉の頭脳の中は、きちんと整頓せられていた。これから先、どんなことが起っても、そのときはこうするという処置が考えられてあった。ただし処置なき出来事が起った場合は、運命にまかせることとしてあった。
山岸中尉の処置よろしかったために、彗星二号艇の乗組員は、さしもの難関を突破して、ふしぎに白昼の地上に着いた。しかし艇は着陸にあたって大破炎上した。
山岸電信員が、あらかじめ連絡をしてあったために、彗星二号艇の不時着の場所には、すぐさま本隊員がかけつけて火災を消し、艇の破れ目から四名の勇士を救いだした。
それから四名は、本隊に帰還した。
班長左倉少佐は、ただちに山岸中尉からはじまって、順々に隊員の報告を受けた。すべて愕《おどろ》くことばかりだった。中でも帆村荘六の怪鬼ミミ族についての報告は、班長をたいへんびっくりさせた。
「うむ、そうか。ミミ族の地球攻撃が、そこまで進んでいるとは知らなかった。この上は一日もむだにできない。ただちにミミ族をわが上空から追い払わねばならぬ」
そう言って、班長左倉少佐は、山岸中尉と帆村とを連れ、あわただしく隊の飛行機にのって、いずれかへ出かけた。
ストロボ鏡の発明
いつの間にか、地球をうかがっていた、不逞《ふてい》の宇宙魔ミミ族のことは、放送電波にのって全世界へひびきわたった。そして世界中の人間は、はじめて耳にする怪魔ミミ族の来襲に色を失う者が多かった。
「もうだめだ。ミミ族というやつは、地球人類より何級も高等な生物なんだから、戦えばわれら人類が負けるにきまっているよ。こうとしったら、穴倉でもこしらえて、食料品をうんとたくわえておくんだった」
「どこか逃げだすところはないかなあ、噴射艇にのって、ミミ族のおいかけてこない星へ移住する手はないだろうか」
などと、あいかわらず弱音をはく人間が、いわゆる文化国民の間に少くなかった。
そうかと思うと、てんでミミ族を甘く見ているのんきな連中もいた。
「ミミ族だって、地球人類をすぐ殺すつもりでやってきたわけじゃあるまい。なにか物資をとりかえっこしたいというんだろう。そんならこっちもミミ族のほしい物をだしてやって、交易をやったらいいじゃないか。喧嘩腰《けんかごし》はよして、まずミミ族の招待会を開いて、酒でものませてやったらどうだ」
「そうだ、そうだ。ミミ族だって、地球人類だって同じ生物だ。話せばわかるにちがいない。ひとつ訪問団をこしらえて、ミミ族の代表者を迎えにいってはどうか」
「それがいいなあ。とりあえず僕は、ミミ族におくる土産物《みやげもの》を用意するよ」
こんな連中も、多くではないが、のさばりでた。だが、こののんきな連中は、まもなく大きな失望に見舞われた。
それはミミ族の一隊が突然カナダのある町にあらわれて、その町を、住民ごとすっかり天空へさらっていってしまったという、驚くべき事件が起ったからであった。
もちろん警察飛行隊はすぐ出動して、嵐にまう紙屑《かみくず》のように、天空に吸いあげられていく町の人々や、木や、家や、牛や、馬や、犬などのあとをおいかけた。しかし一時間ばかりすると、どの飛行機ももどってきた。
彼らの報告は、きまって同じだった。あの奇妙な竜巻をおいかけていったが、そのうちどこへ消えたか、彼らの姿が全然見えなくなったそうである。そして晴れわたった青い空に、太陽だけがかがやいていたという。
こんな騒動が、世界のあちらこちらで起り、それはあとからあとへ世界中へ放送され、人々の恐怖は日とともにつのっていった。
ふしぎなことに、そういう事件が相ついで起っても、ミミ族は一ども姿を見せなかった。ミミ族の方では、よほど注意して、人類の目にふれることをさけたのである。
しかし、そうとは知らない騒動の町の学者たちは、帆村の報告した「ミミ族会見記」をうたがいだし、相ついで起る騒動も、じつは天災であって、ミミ族などという、宇宙生物のせいではないと力説する者さえでてくるしまつだった。
これに対して帆村荘六は、すぐには弁明しなかった。それというのが、彼はわが地球人類の目をくらますミミ族の裏をかいて、ミミ族の行動がはっきり見える器械――それを帆村は「電子ストロボ鏡」と名づけたが、その器械を設計し、その試作をいくつかやっては、新しく改良を加えていたから、たいへん忙しかったのだった。
この電子ストロボ鏡は、帆村の手によって、ついに完成せられた。そしてそれは大量生産にうつり、やがて各隊へくばられた。
この電子ストロボ鏡には、大小いろいろとあって、大きいのは天文台の望遠鏡くらいもあったし、一番小さいものは、手のひらに握ってしまえるほどであった。しかしその能力にはかわりはなく、肉眼ではとても見えないものが、はっきり見えた。
このストロボ鏡の一番大きいものは、左倉少佐のところにあった。
それを参観にきたあるえらい軍人は、ストロボ鏡を通して、天空をのぞいてみてびっくりした。それもそのはずであった。一片の雲もなき晴れた大空に、楕円形の風船みたいなものが浮かんでおり、そしてよく見ると、その風船みたいなものの中に、蟻《あり》くらいの大きさの生物が、さかんに走りまわっているのが見えた。
「見えましたか。その楕円形のものが、帆村荘六の名づけた『魔の空間』です。それから中にうごめいているのは、ミミ族であります」
「ほんとうに本物が見えているのかね。この望遠鏡みたいなものの中に、なにか仕掛があって、絵でも書いてあるのではないか」
と、そのえらい軍人は、半分はじょうだんにまぎらわして、不審な顔をした。
「いや、絵がはりつけてあるわけではありません。絵でないしょうこには、ミミ族はしきりに活動しておりましょう」
「ふむ、なるほど、これは絵ではない。ふしぎだなあ。普通の望遠鏡では見えないものが、これで見るとちゃんと見えるのはどういうわけか」
「はあ。それはミミ族や楕円体は、たいへんはげしい震動をしているので、肉眼では見えません。しかしこの電子ストロボ鏡では、相手の震動がとまるところばかりを続けて見る仕掛になっているから、ちゃんと見えるのです。その原理は、ちょうどフイルム式の映画を映写幕にうつすときと似ています。いずれあとから、発明者の帆村荘六がくわしく御説明するでしょう」
帆村荘六の発明した、この電子ストロボ鏡は、ミミ族にとっておそるべき器械だった。
もはやミミ族は、この器械の前には姿をかくすことができなくなったのである。
こうしてミミ族は、帆村の発明のために、急に形勢不利となった。
戦《たたかい》はこれから
帆村荘六の発明した電子ストロボ鏡によって、今まで地球人類の目には見えなかったミミ族や、「魔の空間」がよく見えるようになって、人類はたいへん力を加えた。
だが、この電子ストロボ鏡の発明だけで、人類はミミ族を征服できるわけではなかった。帆村の発明は、敵の姿が見えるようになったというだけのことにすぎない。ミミ族を攻撃するには、もっとミミ族という怪生物を調べ、そしてミミ族が、どんな力に弱いかを知らなければならない。
帆村荘六が、山岸中尉の隊からはなれ、新しく作られたミミ族研究所長に就任したのは、この際まことに結構なことであった。
帆村は、山岸少年を連れていった。そのほかに、頭脳明晰な科学者を十数名集めて、このミミ族研究所は、いそがしく発足したのであった。
班長左倉少佐は、帆村にぜひ一日も早く、ミミ族の正体と弱点とを探しだしてくれるようにと頼んだ。左倉少佐は、山岸中尉から「魔の空間」脱出当時のすべての話を聞いて、今は帆村をぜったい信用しているのだった。そして帆村の研究のため、あらゆる便宜をはかる決心だった。
帆村は事実たいへん便宜をえた。海軍航空隊を出動させることなんか、全くすぐやってくれるし、宇宙線を通さない丈夫な箱――それはミミ族の檻《おり》に使うつもりだった――を作るのに、なかなか手まどると聞けば、隊の資材や労力を貸してくれるという風で、帆村のやりたいことや、欲しいものは、思いどおりにかなった。
そのために、帆村はいよいよミミ族と正面からぶつかる用意を、わずかあれから三箇月後に完了したのだった。帆村はそのことを報告するために、一日左倉少佐を訪ねたのであった。左倉少佐はたいへん喜んで、すぐ別室から山岸中尉を呼びよせ、二人で帆村の報告を聞くことにした。
「おかげさまで用意はととのいましたから、いよいよ明日から、ミミ族狩りをはじめます。また御支援を願わねばなりません」
帆村はミミ族狩りの決行を報告した。
「そうか。いよいよやるか。しかし相手は、人間ばなれのした恐しい奴だから、じゅうぶん気をつけるように……」
班長は注意を与えた。
「はい。じゅうぶん注意します」
「で、どういう風に、ミミ族狩りをするのか」
「は。ミミ族は、こちらに電子ストロボ鏡のあることを知らないらしく、好きなときに、空から地上へ「魔の空間」を近づけてきます。私はそのうちに、どこか内地の手ごろなところへ下りてくるやつを、攻撃してみるつもりです」
「そうか。で、攻撃兵器は……」
「いま、二種だけ用意してあります。一つは怪力線砲です。これはごぞんじのとおり、短い電磁波を使ったもの。もう一つは音響砲です」
「音響砲、それは初耳だなあ」
左倉少佐は、山岸中尉と顔を見あわせる。
「班長、その音響砲は、帆村君の最近の発明兵器です。なかなか有効です」
山岸中尉がにこにこして言った。
「私の発明したものには違いありませんが、大したものではありません。要するに特別の音響が、ホースから水がとびだすように、一本になって相手にかかるのです。この音響は、多くは人類の耳には聞えない超音波です。これを『魔の空間』にあびせると、『魔の空間』を震動させている機関に異状がおこり、そして『魔の空間』は墜落するのではないかと思うのです」
「なるほど、それは面白い考えだ」
「とにかく私の、いま持っている狙《ねら》いは、『魔の空間』を撃墜するためには、『魔の空間』の原動力になっている、強くて周波数の高い震動を、なんとかして邪魔して停止させることと、もう一つは、ミミ族の生活力は宇宙線であるから、ミミ族を捕らえて、宇宙線の供給をだんだん少くしてゆくと、ミミ族はおとなしくなるだろうということと、この二つです。いかがですか」
帆村は、二人の顔を見くらべる。
「ミミ族のことは君にまかせるよ。われわれは戦闘を引き受ける。なあ、帆村君」
少佐はそういって微笑した。
「班長の信頼は大きい。帆村君、しっかり頼むよ」
「山岸中尉。少しは私の考えを批評してください」
「われわれには、よくわからないのだ。正直に言えばね。が、とにかく面白い狙いだと思う。それでやり抜くことにしたがいいなあ」
「そういってくだされば、大いにはげみがつきます」
帆村は、はじめて笑顔《わらいがお》になった。
話はそれからいろいろとのびていったが、左倉少佐からも、帆村へ報告すべきことがあった。それは、いまも「魔の空間」にとどまっていると思われる、彗星一号艇の望月大尉たちにたいして、地上から、連日しきりに連絡をとっているが、まだ一度も連絡に成功しないこと、しかしミミ族は、こっちからの無電を聞いているらしく、時々奇妙な音響を聞かせること、それからもう一つの報告は、近くこの臨時研究班は解散し、それにかわって第一宇宙戦隊が編成せられ、左倉少佐が、その司令に就任することが内定しているというのであった。
「ほう、第一宇宙戦隊。いよいよ宇宙戦隊が誕生するのですね。それは結構なことだ。もちろんこれはミミ族と闘うためでしょうね」
「相手はミミ族だけではない。どんな相手であろうと、わが宇宙にけしからん野望をとげようとする者あらば、わが第一宇宙戦隊は容赦しないのだ」
左倉少佐は決然と言いはなった。
「魔の空間」の撃墜《げきつい》
力強い第一宇宙戦隊の産声《うぶごえ》に、感激を新たにして、帆村荘六は、左倉少佐と山岸中尉の許《もと》を辞してもどった。こうなれば、帆村の任務もますます重大である。ぜひとも成功して、ミミ族の正体をつきとめねばならない。
その翌日から、いよいよ帆村所長の指揮で、ミミ族狩りがはじまった。
電子ストロボ鏡で、天空をのぞいていると、ちょうど天空から、そろそろと降下してくる回転楕円体の「魔の空間」を発見した。それは約十|粁《キロ》ばかり東へいった、山麓《さんろく》附近を目がけて下りてくるようだ。
「出動――」
帆村は号令をかけた。所員と警備隊員とは、軍用自動車にとび乗って、街道を全速力で東へ走らせた。
あと一粁ばかりのところで、車はとめられた。そして陣地がつくられ、車の上へ積んできた怪力線砲と、音響砲は下され、対空戦闘の用意はととのえられた。
「戦闘開始」
と、帆村は警備隊長の竜造寺兵曹長へ命令を発した。竜造寺兵曹長は、こん度は特に志願して帆村の下につき、警備隊を指揮することとなったのだ。「魔の空間」から救いだされて以来、兵曹長は深く感激し、帆村に恩をかえしたいと思いつづけていたのだ。
「怪力線砲、撃ち方はじめ」
兵曹長は、はじめ打ちあわせた順序により、まず怪力線砲から射撃をはじめた。目に見えないが、強い電磁波は、一直線にのびていって、天空をわが物顔に下りてくる「魔の空間」を突きさした。
「所長。怪力線は『魔の空間』に命中」
と、兵曹長は叫ぶ。
帆村はもちろん、電子ストロボ鏡でそれを見まもっていた。
「怪力線、射撃をつづけよ」
と、帆村は命令して、「魔の空間」にどんな変化がおこるかと、目を皿のようにして見つめていた。が、三十秒、一分、一分三十秒とたっても、「魔の空間」は、なんの変化も示さず、あいかわらずゆっくりと下降をつづけているではないか。
(だめだ。怪力線砲は効果なしだ)
帆村はそう思った。
「隊長、音響砲で砲撃を……」
そういって、帆村は竜造寺兵曹長に命令した。
「音響砲、撃ち方はじめ」
砲撃はすぐはじまったが、光も見えなければ、音もしない。音響はだすが、超音波のことだから、人間の耳には音と感じないのだ。だが、音響砲は頼もしくも、手ごたえがあった。
「あっ、『魔の空間』が落下の速度を早めたぞ。機関が故障になったのだ。ああ、墜《お》ちる墜ちる。あそこへ急げ」
帆村は、狙った「魔の空間」が、音響砲の砲撃のため、故障になって墜落するのを見定めると、全員を急がせて、その落下の場所へ移動を命じた。あと僅か一|粁《キロ》ばかりの距離であった。
竜造寺隊長の指揮もあざやかに、全員は現場に車を乗り入れると、まだ地上まで墜ちきらない「魔の空間」を中心に、まわりをぐるっと取りまいて、陣地をつくった。
附近の村の人々は、大さわぎをしている。
「なんだね、あれは……。でっけえ風船みたいじゃが、あんなでけえやつは見たことがねえだ」
「いやな色しとるな。殿様蛙の背中みたいじゃ。やれまあ、気持のわるい」
「これこれ、早く待避せんかちゅうのに。あれが地面にあたって大爆発すると、村の家が皆ふっ飛んでしまうちゅうぞや」
「えっ、それはたいへんじゃ……」
村人たちは、こわさはこわし、気になるので見てはいたしで、待避壕をはいったりでたりの、混雑をくりかえしている。
目に見える「魔の空間」だ。それははじめてのことだった。濃緑色と暗褐色のだんだらに塗られた、西瓜《すいか》のお化けのような「魔の空間」だった。
「帆村所長。あの『魔の空間』は、なぜよく見えるのですか」
と、山岸少年が帆村の腕をひっぱった。
「ああ、そのことか。そのわけは、『魔の空間』の機関が、音響砲にやっつけられて、故障になったのだ。そうなると、『魔の空間』のはげしい震動がぴたりととまってしまったんだ。震動がとまれば、当然われわれ人類の目に見えるわけだ。『魔の空間』にしろ、ミミ族にしろ、震動していればこそ、われわれの目に見えないのだ。だから理窟はわかるだろう」
帆村は説明してやった。
「すると、この前鉱山で解剖されかけた、ミミ族が、急に空中へとびあがり、姿が見えなくなったのは、そのときやっぱり震動を起したからですか」
「そうだ。解剖の前までは、あの緑鬼は仮死状態になっていたのさ。そのうちに、地上を飛んでいる宇宙線を吸って体力を回復《かいふく》し、空中へとび上ったのだ、そして身体の震動が一定のはげしい震動数に達したとき、われわれの目にはもう見えなくなったのだ」
「ふしぎな生物ですね、ミミ族は……」
「いや、今わかっているのは、彼らのほんの一部がわかっているだけにすぎない。ほんとうの正体は、これから探しあてるのだ。……ほら、いよいよ『魔の空間』が地面に激突するぞ」
ものすごい光景が、起るだろうと予想していた者は、あてがはずれた。「魔の空間」は、すこしばかり土煙をあげ、二三度|弾《はず》んだだけで、あとは丸パンを置いたように、ふくらんだ上部はそのままにして、地上へべったりと腰を下した。その大きさは、二階建の国民学校一棟が楽にはいるほどであった。だから、なかなか大きいものだった。
「隊長、攻撃だ。音響砲で攻めてみてください」
帆村が竜造寺隊長に言った。
警備隊員は、長い双眼鏡に引金をつけたような、奇妙な形の音響砲を手にとって、墜落した「魔の空間」に近づいていった。
「困ったなあ、中が見えない。帆村所長、なんとか処置がないですか」
竜造寺隊長が困った顔でふりかえる。
「うまくゆくかどうかわからないが、サイクロ銃で切ってみよう」
帆村は所員に持たせてあった、サイクロ銃をとりあげ、台尻を肩におしあてた。これは中性子を利用したすごい透過力のある銃である。あまり遠くまではきかないが、二百|米《メートル》以内なら、岩でも鋼板でもすぱりと切ってしまう力がある。そして近ければ近いほど、その透過力は一点に集中できる便宜があった。
帆村は大胆にも、そのサイクロ銃をいつでも発射できるように身構えて、ずんずん「魔の空間」に近づいた。
「所長、あぶない。一人では危険だ」
と、隊長が注意して、隊員とともに、すぐ後から追いかけた。と、帆村はどうしたわけか、五十米手前で、銃を持ったまま、ばったり倒れてしまった。
ミミ族の正体
「所長。どうした」
と、竜造寺兵曹長は、倒れている帆村のそばへかけよって、後からだき起そうとした。
「た、大したことはない。ミミ族は、墜落した『魔の空間』の内部から、神経破壊線を射かけてくるぞ。頭がくらくらとしたら、なにも考えてはいけない。考えると、脳神経が焼き切れるのだ。ぼんやりしていれば、間もなくなおる」
「ふうん。神経破壊線といえば、この前、私が『魔の空間』で射かけられて、半病人となったあれだな」
「そうだ。しかしまだ恐るべきほどの力は持っていないから、大したことはない。さあ、この間にサイクロ銃で、『魔の空間』の壁を焼き切るのだ。兵曹長、見ていなさい、サイクロ銃のすごい透過力を……」
こう言った帆村は、銃を肩につけ、引金をひいた。しゅうんというかすかな音が聞えはじめたと思うと、目の前に小山のように横たわっていた「魔の空間」の一点から、煙のようなものが濛々《もうもう》とあがりだした。
「見ているか、兵曹長。『魔の空間』の壁がさけてゆく……」
なるほど、そのとおりだ。鯨の腹に、磨きすました刀をさしこんで引きまわすように、濃緑褐色の「魔の空間」の壁が、煙のあがっているところで、すうすう引きさかれ、そして引きさかれたあとの黒い条《すじ》は、ずんずんのびてゆくのであった。
「ああ、見える。すごい斬味《きれあじ》だ、サイクロ銃は……」
兵曹長が感激して言った。と、帆村の射撃はますます威力を発揮し、やがて「魔の空間」の側面の壁は、大きく丸く切りとられ、切りとられた部分だけが、土煙をあげて前に倒れた。そして大穴があいてしまった。
「あっ、中が見える。中にうごめいているのは、ありゃ緑鬼どもだな」
「そうだ。ミミ族だ。さっきから音響砲の砲撃をくらって、かなり弱っている。さあ、そこをつけこんで、あ奴《いつ》らを、みな生擒《いけどり》にしてもらおう」
「はい、了解。……全員、突撃に……」
兵曹長は、自らも音響砲をとりなおすと隊員をひきい、まっ先に立って、「魔の空間」の破れ穴めがけて突入した。
それから「魔の空間」の中で、戦闘がはじまった。しかし帆村の言ったように、ミミ族の緑鬼どもは元気がなく、すこぶる簡単に、竜造寺隊のために片づけられてしまった。緑鬼たちは、いつもと違い、自分たちの姿や、「魔の空間」が人間の目によく見えるので、戦うにはたいへん不利だった。
帆村は、かねて用意したとおり、この緑鬼どもを、宇宙線遮蔽をしてある檻の中にぶちこんだ。宇宙線遮蔽がしてないと、彼らは宇宙線からエネルギーをとって、おいおい元気を取りもどすから、宇宙線は、彼らがかろうじて生きていられる程度の、少量に下げておく必要があった。
「よし、これでいい。これだけ緑鬼どもが手にはいれば、こん度こそ、すっかり緑鬼の正体をあばいてみせるぞ」
帆村は、大きな獲物のはいった檻を前にして、はじめて会心の笑《え》みをもらしたのであった。
それから帆村の研究所は忙しくなった。活発な研究がはじまったのである。
「魔の空間」の材料に関する試験と、研究が進められた。またミミ族の一人一人を解剖して、その正体をさぐった。この前は、解剖の寸前に逃げられてしまったが、こん度は宇宙線を遮蔽した、特別の構造を持った解剖室で行ったので、逃げられる心配はなかった。
この解剖は、人体の解剖とちがい、メスのかわりに、ドリル(孔《あな》をあける機械)や酸水素高温焔器や、火花焼切器などの工作機械が使われ、解剖台の上に、赤い血液が流れるかわりに、ミミ族の体から精巧な金属製の部品が取りはずされてならべられた。だから、すこしも血なまぐさい感じがしなかった。
「じつに巧妙にできた機械人体だ」
と、帆村は所員の顔を見まわして言った。
「しかしミミ族は、単なる機械人体ではない。この機械人体を動かしているものこそ、ミミ族の正体だ。つまりミミ族の正体は、もっとこの内部にあるのだ。さあ、さらに解剖をつづけよう」
所員は、ドリルを取り上げ、酸水素高温焔器の焔《ほのお》を針のように細くし、さらにミミ族の解剖を奥へ進めた。
やがて愕《おどろ》くべきことがわかった。
「ほら、体の中は、がらん洞《どう》ですぞ」
「がらん洞。やっぱりそうか」
「がらん洞ですが、細い電線みたいなものが、網の目のように縦横に走っています」
帆村は、この発見にもとづき、別のミミ族を引きだして、これを高速鋼の回転|鋸《のこぎり》にかけて、唐竹割《からたけわり》に頭から下まで、縦に二つに割ってみた。二分された緑鬼の体は、二隻の舟のように見えた。なるほど内部はがらん洞であった。そのがらん洞の中に、細い電線のようなものが、網の目のように入りみだれて走っているが、その中心に、真赤なぺらぺらした硬い藻《も》のようなものがあった。それを切り取ると、両手ですくいあげられるほどの僅かな分量のものでしかなかった。
だがこのとき、思いがけないことが起った。それは、その真赤な硬い藻を両手ですくいあげたその所員は、急に両手をふるわせ、悶絶《もんぜつ》してしまった。
そこで研究はそっちのけで、この所員にたいし、応急手当が加えられた。幸いに彼は間もなく息をふきかえしたが、その語るところによると、両手がち切れそうな苦痛を感じたという。彼には見せなかったが、繃帯《ほうたい》で包まれた彼の両手は、大火傷《おおやけど》をしたようにはれあがり、骨はぐにゃぐにゃになっていた。真赤な硬い藻が、おそるべき力をひめていることが、こうして発見されたのである。
「そうか。やっとわかった。この赤色藻こそ、ミミ族の正体だ」帆村はそう言って、解剖台から二三歩後へ下った。
「えっ、これがミミ族の正体だというと、どういうわけですか」
「つまり、ミミ族はやっぱり金属生物なんだよ。この赤い藻のように見えるのがそれだ。だがわれわれは、この珍しい金属については、はじめてお目にかかったわけで、これがなんという金属で、どんな性質を持ったものか、すこしも知らない。とにかくこんな金属は、今まで地球上になかったことはたしかだ。しかし少くとも、地球上で一番重いウランよりも、もっともっと重い元素でできていることはわかる。いま、滝田君が火傷したのも、この元素の持っている、恐るべき放射能によるものと思われる」
帆村はそう言って、ほっと一息ついた。
「すると、さっき所長が、機械人体と名をおつけになったこれは、ミミ族の体の一部分なんですか、それとも別物なんですか」
「それはミミ族――すなわち赤色金属藻の着ている外套みたいなものさ。言いかえると、それは機関車みたいなもので、それを動かしているのが、この赤色金属藻のミミ族さ。とにかく彼らは、地球へ遠征するのだから、地球人類と会見するときもあろうと予期し、そのとき地球人類と同じような形をしていた方が都合がよいと考え、そのような外套を着こんでやってきたのだ」
帆村は明快に怪鬼の正体をといた。
網の目のように、体内をはいまわっていた細い電線のようなものは、赤色金属藻から、緑鬼の手、足、目、耳、口などへ号令をつたえ、それを動かすための神経線であることも明らかになった。観察すればするほど、恐るべきミミ族の正体であった。所員一同は、つぎつぎに発見されるミミ族の驚異に、ひじょうな疲労をおぼえた。
大団円《だいだんえん》
帆村荘六のミミ族研究は、ある程度の成功をおさめた。ミミ族の正体は、まず大体のことがわかった。またミミ族が、空気の中での戦闘に得意でないこと、ことに宇宙線からエネルギーを吸って生きている関係上、地底だとか、宇宙線遮蔽檻のように、宇宙線に乏しいところではすっかり元気がなくなってしまうこと、また音響砲のような、超音波を加えられると震動がとまって墜落し、そして地球人類に見えるようになることなどの弱点がわかった。しかしミミ族が、一体どこの天空からやってきたものか、それはわからなかった。またあの赤色金属藻の実質が、どういう性質のものであるかもわからなかった。
その間に、左倉少佐のひきいる第一宇宙戦隊は、活発な行動をとりはじめた。この戦隊は、噴射艇五百隻でもって、約二百万|哩《マイル》を航続する力を持っていた。その上、帆村の研究により、ミミ族を制圧するにたるだけの音響砲や、サイクロ砲や、その他珍しい最新鋭兵器をたくさん積んでいたから、ひじょうに強力な宇宙部隊だった。
司令左倉少佐は、宇宙戦隊の準備が完了すると、ミミ族にたいして強硬な申し入れを行った。それは二つの事項からなっていた。第一に、望月大尉以下を、第一彗星号とともに、安全にこっちへもどすこと。第二に、ミミ族はわが太陽系の空間以外のところへ引きあげることであった。もしこのことが、五日以内に行われないときは、わが宇宙戦隊はミミ族にたいして、自由行動をとるであろうと申しそえた。これはミミ族にたいする最後通牒であった。もし彼らがこれを聴き入れるつもりがなければ、当然宇宙戦争がはじまるわけだった。
ミミ族からは、申しこみを受けとったことだけを回答してきた。返事をいつよこすか、それは言ってこなかった。無気味なにらみあいの時間が流れていった。左倉少佐は、宇宙戦隊をひきいて、天空にうるさいほど浮揚している、およそ百箇に近い「魔の空間」の間を、ゆうゆうとぬって廻り、敵にたいして無言の圧力を加えた。
ミミ族の間には、かなり狼狽《ろうばい》の色があらわれた。地球人類には見えないはずの「魔の空間」に衝突もせず、宇宙戦隊がゆうゆうと天空を飛び廻るので、地球人類が早くも新しい光学兵器を作ったことを察し、地球人類の智力もばかにならないことをさとったらしいのである。そのためか、三日目あたりから、「魔の空間」は次第に数を減じていった。ミミ族は後退をはじめたらしい。
こうして期限の五日目になったが、その朝になってみると、地上から見ることのできる「魔の空間」は、ただの一箇となった。それは静かに降下しつつあった。よく見ているとその「魔の空間」の下に、小さな旗がぶら下つているのが見えた。それはまぎれもなく日章旗であった。
この「魔の空間」は、やがて着陸した。その中からでてきた者を見ると、望月大尉に、児玉法学士、それに川上少年であった。三名は無事帰還したのだ。ミミ族は左倉少佐の申し入れを全部聞き入れたことがわかった。
こうしてこの怪事件も、ついに結末をつげた。宇宙戦隊の威力と、帆村荘六のすぐれた研究とが、せっかく来襲したミミ族を、その目的の百分の一も達せさせないうちに、見事に追い払ったわけである。その功は大きい。
だが帆村は、すこしもその功を誇らなかったし、やれやれと安心の色も示していなかった。彼はこう言うのであった。
「まあ、こんなわけで、ミミ族は弱点をおさえられ、一応退去しましたが、これでもう、二度と地球へやってこないとはいえませんよ。いやいや、きっと彼らは、ふたたび来襲することでしょう。今回にこりて、彼らはもっともっと強力な準備をし、これだけのものを持っていけば、必ず地球人類を制圧できるという、自信のついたところで来寇《らいこう》するでしょう。油断はならないのです。相手が準備に費す間に、こっちでもじゅうぶんの防禦準備をつくらねばなりません。それにはぜひともここ一二年のうちに、宇宙艦隊を数千隊にふやし、警備線を天王星、海王星あたりまで進めなければならんです。さあ、皆さん、元気をだして、誰も彼もが宇宙艇を操縦して、宇宙生活にたえるように勉強と訓練をして頂かねばなりません。しかも地球を狙うものはミミ族だけではないのです。第二第三のミミ族にも備えることが肝要です。成層圏飛行に成功したくらいで安心していては、間もなくミミ族のために、簡単にたべられてしまいますよ。さあ、蹶起《けっき》してください」
底本:「海野十三全集 第10巻 宇宙戦隊」三一書房
1991(平成3)年5月31日第1版第1刷発行
入力:tatsuki
校正:土屋隆
2003年10月22日作成
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