青空文庫アーカイブ

恐竜島
海野十三

-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)運命《うんめい》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)今|筏《いかだ》にしている

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)住みなれたいえ[#「いえ」に傍点]だからね」
-------------------------------------------------------

   ふしぎな運命《うんめい》


 人間は、それぞれに宿命《しゅくめい》というものをせおっている。つまり、生まれてから死ぬまでのあいだに、その人間はどれどれの事件にぶつかるか、それがちゃんと、はじめからきまっているのだ。
 運命はふしぎだ。
 その運命のために、われわれは、思いがけないことにぶつかる。夢にも思わなかった目にあう。そしてたいへんおどろく。
 自分の宿命を、すっかり見通している人間なんて、まずないであろう。それが分っていれば、おどろくこともないわけだ。
 宿命が分らないから、われわれは死ぬまでに、たびたびおどろかされる。そしてそのたびに、自分の上におちて来た運命のふしぎさに、ため息する。
 わが玉太郎《たまたろう》少年が、恐竜島《きょうりゅうとう》に足跡《あしあと》をつけるようなことになったのも、ふしぎな運命のしわざである。
 そしていよいよそういう奇怪な運命の舞台にのぼるまえには、かならずふしぎなきっかけがあるものだ。それはひじょうに神秘《しんぴ》な力をもっていて、ほんのちょっとした力でもってすごい爆発をおこし、御本人を運命の舞台へ、ドーンとほうりあげるのだ。
 読者よ。わが玉太郎少年が、あやしき運命のために、どんな風に流されていくか、まずそのことについて御注目をねがいたい。


   モンパパ号の船客


 玉太郎が船客として乗っていたその汽船は、フランスに籍のあるモンパパ号という千二百トンばかりの貨物船《かもつせん》だった。
 貨物船とはいうものの、船客も乗せるようになっていた。さすがに一等船室というのはないが、二等船客を十二名、三等船客を四十名、合計五十二名の船客を乗せる設備をもっていた。四等船客はない。
 ところが船室は満員とはならなかった。いや、がらあきだったといった方がよいかもしれない。二等船客はたった三名だった。その一人がポール・ラツール氏といって、フランスの新聞ル・マルタン紙の社会部記者だった。
 玉太郎は三等船客の一人だったが、三等船客も四十名の定員のところ、たった十名しか乗っていなかった。
 要するに、このようなぼろ貨物船に乗って、太平洋をのろくさとわたる船客のことだから、あまりふところの温くない連中か、あるいは特別の事情のある人々にかぎられているようなものだった。
 小島玉太郎の場合は、夏休みをさいわいに、豪州《ごうしゅう》を見てこようと思い、かせぎためた貯金を全部ひきだして、この旅行にあてたわけであった。ふつうなら四等船客の切符にもたりない金額で、このモンパパ号の切符が買えるという話を聞きこんで、たいへんとくをするような気がしてこの切符を買うことになったのと、もう一つの理由は、この汽船が、ふつうの汽船とはちがって、サンフランシスコを出て目的地の豪州のシドニー港に入るまでに、ただ一回ラボールに寄港するだけで、ほとんど直航に近いことである。そのために船脚《せんきゃく》はおそいが、方々へ寄港する他の汽船よりもこのモンパパ号の方が結局二日ばかり早く目的地へつくことになっていた。玉太郎には、二日をかせぐことが、たいへんありがたかったのである。
 が、玉太郎のこの計画が、結果において破れてしまったことは気の毒であった。
 しかし神ならぬ身の知るよしもがなで、出発前の玉太郎にはそれを予測《よそく》する力のなかったのもいたし方のないことだ。
 玉太郎とラツール記者とは、乗船のその翌日に早くもなかよしになってしまった。
 そのきっかけは、玉太郎の愛犬《あいけん》ポチが、トランクの中からとび出して(じつはこのポチの航海切符は買ってなかった。だからやかましくいうと、ポチは密航《みっこう》していることになる)玉太郎におわれて通路をあちこちと逃げまわり、ついにラツール氏の船室にとびこんだ事件にはじまる。
 ラツール氏は、なんでも気のつく人間だったから、たちまちポチの密航犬なることを見やぶった。玉太郎も正直にそのことをうちあけた。
 そこでラツール氏は、このままにしておいてはよろしくないというので、自ら事務長にかけあって、この所有者不明の……そういうことにして……密航犬を、発見者であるラツール氏自身がかうこと、そしてこの犬の食費として十ドルを支払うことを承知させた。そこでポチは、息苦しい破れトランクの中にあえいでいる必要がなくなって、大いばりで船中や甲板《かんぱん》をはしりまわることができるようになった。玉太郎のよろこびは、ポチ以上であったことはいうまでもない。
 ラツール記者は、結局十ドルだけ損をしたことになる。しかしそれは、十ドル支払った当《とう》ざのことであって、やがて彼はその十ドルが自分の生命を買った金であったことに気がつく日が来るはずである。たった十ドルで生命が買えるなんて、ラツール氏はなんといういい買物をしたことであろう。しかしこのことも、そのときラツール氏はまだ気がついていなかった。
 大きな自然のふところにいだかれて、原始人《げんしじん》のような素朴《そぼく》な生活がつづいた。あるときは油を流したようをしずかな青い海の上を、モンパパ号は大いばりで進んでいった。またあるときは、ひくい暗雲《あんうん》の下に、帆柱のうえにまでとどく荒れ狂う怒濤《どとう》をかぶりながら、もみくちゃになってただようこともあった。
 朝やけの美しい空に、自然児《しぜんじ》としてのほこりを感ずることもあったし、夕映えのけんらんたる色どりの空をあおいで、神の国をおもい、古今《ここん》を通じて流れるはるかな時間をわが短い生命にくらべて、涙することもあった。
 航路は三日以後は熱帯《ねったい》に入り、それからのちはほとんど赤道にそうようにして、西へ西へと船脚をはやめていたのだ。
 とつぜんおそろしい破局《はきょく》がやってきたのは、サンフランシスコ出港後第十三日目のことであった。たぶん明日あたり、ニューアイルランドの島影が見えはじめるはずだった。それが見えれば、本船は、その尖端《せんたん》のカビエンの町を左に見つつ南方へ針路をまげ、そして島ぞいにラボール港まで下っていくことになっていたのだ。
 いや、カビエンもラボールの話も、今はむだである。わがモンパパ号は、カビエンもラボールも、どっちの町も見はしなかったのだ。それどころか、ニューアイルランドの島かげさえ、ついに見ることがなかったのだ。
 おそろしい破局が、それよりも以前に来たのである。モンパパ号は、深夜《しんや》の海に一大音響をあげて爆沈《ばくちん》しさったのである。
 そのときのことを、すこしぬきだして、次に記しおく。


   愛犬《あいけん》の行方《ゆくえ》


 玉太郎は、ふと目がさめた。
 おそろしい夢にうなされていたのだ。自分のうめき声に気がついて、目ざめた。身は三等船室のベットの上に、パンツ一つの赤はだかで横になっていることを発見して、彼は安心したが、胸ははげしく動悸《どうき》をうっていた。
 附近には、同じ三等船客が眠っていた。彼らは玉太郎のうめき声に気がついた者もあるはずだったが、誰も親切心を持っていなかったと見え、この少年を呼び起してやる者がなかった。もっとも玉太郎は、そういうことを、ちっとも気にしていなかったが……。
 それよりも、目ざめた玉太郎がすぐ感じた不安があった。それはいつも自分のベットの下に寝ている愛犬ポチの気配がしなかったことだ。彼はむっくり起きあがると、ベットの下をのぞいた。
 ポチはいなかった。
 やっぱりそうだった。ふしぎなことだ。玉太郎が寝ている間は、ほとんどそばをはなれたことのないポチが、なぜ今夜にかぎつて無断《むだん》で出かけてしまったんだろう。
「ポチ……。ポチ……」
 玉太郎は、あたりへえんりょしながら、犬の名を呼んだ。
「しいッ」「ちょッ。しいッ」
 たちまち、他のベットからしかられてしまった。
 玉太郎は、ベットの上に半身《はんしん》を起した。そのときだった。彼はポチのほえる声を、たしかに耳にしたと思った。しかしそれは、遠くの方で聞えた。どこであるか分らない。この船室でないことだけはたしかであった。
 玉太郎は、いそいではね起きた。そしてすばやく上衣《うわぎ》とパンツをつけ、素足《すあし》でベットの靴をさぐって、はいた。
 それから枕許《まくらもと》から携帯電灯《けいたいでんとう》と水兵ナイフをとって、ナイフは、その紐《ひも》を首にかけた。そして足ばやにこの部屋をでていった。
 戸口のカーテンを分けて出ようとしたとき、またもやポチのほえるのを聞いた。どうやら二等船室の方らしい。いやなほえ方だ。強敵《きょうてき》におそわれ、身体がすくんでしまってもがいているような声だった。玉太郎は、一刻《いっこく》も早くポチを救ってやらねばならないと思い、せまい通路を走って、二等船室の方へとびこんでいった。犬の姿は、なかった。
 と、船室の戸がひらいて、そこから顔を出した者があった。
 ラツール記者だった。
「おや、玉太郎君かい。どうしたんだ」とむこうから声をかけた。
 玉太郎は、そばへかけよると自分の寝台《しんだい》の下からポチが見えなくなって、どこやらで、いやなほえ方をしていることを手みじかに語った。
「ふーン、なるほど。僕もポチの声で目がさめたんだ。この戸口の外でへんな声でほえるもんだから。僕はベットの上からしかった。しかし泣きやまないから、今下へおりて、この戸をあけたわけだが……ポチの姿は見えないね。どこへいったろう」
 そういっているとき、またもやポチの声が遠くで聞えた。いよいよ苦しそうなほえ方であった。それはどうやら甲板《かんぱん》の上らしい。
「あっ、甲板へ行ってほえていますよ」
「うむ。どうしたというんだろう。幽霊をおっかけているわけでもあるまいが、とにかく何か変ったことがあるに違いない。行ってみよう」
 そのとき、ポチはまたもや、いやな声でほえた。
 それを聞くと玉太郎はたまらなくなって、かけだした。そしてひとりで甲板へ……。
 甲板は、まっくらだった。
「ポチ。……ポチ」玉太郎は、犬の名をよんだ。
 いつもなら、すぐ尾をふりながら玉太郎の方へとんで来るはずのポチが、ううーッ、ううーッと闇のかなたでうなるだけで、こっちへもどってくる気配《けはい》はなかった。
「ポチ。どうしたんだい」
 玉太郎は携帯電灯をつけて足もとを注意しながら、愛犬のうなっている方角をめがけて走った。それは船首の方であった。甲板がゆるやかな傾斜《けいしゃ》で、上り坂になっていた。
 ポチはいた。
 舳《へさき》の、旗をたてる竿《さお》が立っているが、その下が、甲板よりも、ずっと高くなって、台のようになっている、がその上にポチは、変なかっこうで、海上へむかってほえていた。しかし玉太郎が近づくと、にわかに態度をあらためて、尾をふりながら、上から玉太郎の高くあげた手をなめようとした。しかし台は高く、ポチはそれをなめることができなかった。
「あ、ここにいたね」うしろから声をかけて、ラツール氏が近づいた。
「ほう。そんな高いところへ上って。何をしているんだ」
「海の上を見てほえていたんですが、今おとなしくなりました」
「海の上? 何もいないようだが……」
 と、とつぜんポチが台の上におどり上って、いやな声でほえだした。
 その直後だった。玉太郎のふんでいた甲板が、ぐらぐらッと地震のようにゆれだしたと思う間もなく、彼は目もくらむようなまぶしい光の中につつまれた。と、ドドドーンとすごい大音響が聞え、甲板がすうーっと盛りあがった。
 あ、あぶない! といったつもりだったが、そのあとのことはよくおぼえていなかった。
 後から考えるのに、このときモンパパ号は突如《とつじょ》として大爆発を起し、船体は粉砕し、一団の火光になって四方へとびちったのであった。わずか数秒間のすこぶる豪勢《ごうせい》な火の見世物として、附近の魚類をおどろかしたのを最後に、貨物船モンパパ号の形はうせ、空中から落ちくる船体の破片も、漂流《ひょうりゅう》する屍体《したい》も、みんなまっくろな夜空と海にのまれてしまったのである。
 SOSの無電符号《むでんふごう》一つ、うつひまがなかった。だからモンパパ号の遭難《そうなん》に気がついた第三者はいなかった。


   漂流《ひょうりゅう》


 玉太郎は、ふと気がついた。
 ポチの声が聞えるのだ。
「ポチ」と、犬の名をよんだときに、玉太郎はがぶりと潮《しお》をのんだ。息が出来なくなった。夢中で水をかいた。
 海の中にいることがわかった。体がふわりと浮きあがる。
「あ、痛《いた》……」
 頭をごつんとぶっつけた。木片《もくへん》であった。犬がすぐそばで吠《ほ》えつづけた。玉太郎は完全に正気にかえった。
 海の上に漂《ただよ》っていることに気がついた。しかしどうして自分が海中へとびこんだのか、そのわけをさとるまでにはしばらく時間がかかった。
 犬は、たしかにポチだった。まっくらな海のこととてポチの顔は見えなかったが、こっちへ泳ぎよってきて、木片のうえへはいあがると、またわんわんと吠えた。
 玉太郎もその木片に両手ですがりついたが、それはどうやら扉らしかった。
 玉太郎は、ポチにならってその上へはいあがろうとしたが、扉は一方へぐっとかたむき、そしてやがて水の中へ扉はしずんだ。ポチは、ふたたび海の中におちて泳がねばならなかった。玉太郎は、その扉の上にはいあがることをあきらめた。
 扉は、間もなく元のように浮きあがった。ポチも心得てそのうえにはいあがった。玉太郎は扉につかまったまま、流れていく覚悟《かくご》をした。
 ようやくすこし、心によゆうができた。
「いったい、どうしたのかしらん」
 玉太郎は、しいて記憶をよびおこそうと努力した。
「そうそう、舳《へさき》のところにいたまでは覚《おぼ》えている。と、とつぜんあたりが火になって……その前に甲板がぐらぐらとゆれ……大音響がして、そのあと……そのあとは覚えていない。その次は……こうして海の中にいた。そうか。船から放りだされたんだ。船はどこへいったろう」
 玉太郎はあたりを一生けんめい見まわした。しかし汽船の灯火は一つも見えなかった。
「僕とポチを海の中へつきおとしたまま、モンパパ号は、どんどん先へ行ってしまったんだな」
 玉太郎は、そう考えた。
 そう考えるのもむりではなかった。モンパパ号はあまりにも完ぜんに爆破粉砕《ばくはふんさい》したので、そのころ海上には破片一つも見えてはいず、海上はまっくらで、墓場《はかば》のように静かであった。ただ、ときどき波が浮かぶ扉にあたってばさりと音をたてることと、頭上には美しく無数の星がきらめいていて、玉太郎とポチをながめているように見えるだけであった。
「そうだ。ラツールさんも、あのときいっしょに居たっけ、ラツールさんはどうしたかしらん。まさかあの人が僕たちを海へつきおとしたんじゃないだろうに……」
 分らない。見当《けんとう》がつかない。モンパパ号がとつぜん大砲をうったため、自分たちはそれがためにはねとばされたのかな……とも考えたが、しかしモンパパ号は大砲をすえていなかったことは明らかだったから、これは考えちがいだ。やっぱり分らない。わけが分らない。
 玉太郎の両手がだんだん疲れてきた。また始めはなんともなかった海水が、いやに冷いものに感じられるようになった。熱帯の海だというのに、ふしぎなことだった。
 もうどうにも両手が痛くなって、扉にすがっていられなくなった。片手ずつにしてみた。しかしかえって疲れていけなかった。潮をがぶりがぶりとのんだ。つい、ずぶずぶと沈んでしまって、あわてるからだ。そのたびにポチがさわいだ。
「これはいけない。海に負けてはいけない。夜が明けるまでは、この扉をはなしてはだめだ」
 工夫はないかと考えた。
 やっと思いついたことがある。首にかけていたナイフの紐《ひも》を利用することだった。首から紐をはずして、扉のふちに割れているところがあるので、そこへ紐を通してくくりつけた。それから紐のあまりを、一方の手首にまきつけて端《はじ》をむすんだ。
 これはいいことだった。紐の力で、浮かぶ扉にぶらさがっているわけであった。手の筋肉は疲れないですんだ。そのかわり紐が手首をしめすぎて、少し痛くなった。玉太郎は考えて、紐と手首の間に、シャツの端をおしこんで、痛みをとめた。
 睡《ねむ》くなった。睡くてどうにもやり切れなくなった。ポチがしずかなのも、ポチも睡くなって睡っているのかもしれない。
 ずぶりと水の中に頭をつっこんで、はっと、睡りからさめることもあった。
“睡っちゃいけない。睡ると死ぬぞ”
 そんな声が聞えたような気がした。玉太郎は自分の頭を扉にぶっつけた。睡りをさますためであった。玉太郎の額からは、血がたらたらと流れだした。しかし彼はいつともしらず睡りこけていた。
 何十回目かは知らないけれど、あるとき玉太郎がはっと睡りからさめてみると、あたりは明るくなっていた。
 朝日が東の海の上からだんだん昇って来たらしい。夜明けだ。ついに夜明けだ。玉太郎は元気をとりもどした。
 ポチも目がさめたと見え、くんくん鼻をならしながら、玉太郎の方へよって来て、手をなめた。
 力とすがる扉は、思いの外、大きかった。これなら、うまくはいのぼると、その上に体をやすめることができないわけはないと気がついた。玉太郎は手首から紐をといて、一たん体を自由にした上で、用心ぶかく扉の上にはいあがった。浮かぶ扉は、昨夜のように深くは沈まず、玉太郎の体を上にのせた。ポチは大喜びで、玉太郎の顔をぺろぺろなめまわした。
 体がらくになったために、玉太郎は又しばらく睡った。
 どこかで、人の声がする。遠くから、人をよんでいる声だ。ポチがわんわんほえたてる。玉太郎はおどろいて目をさまし、むっくりと扉筏《とびらいかだ》の上におきあがったが、とたんに体がぐらりとかたむき、もうすこしで彼もポチも海の中に落ちるところだった。
 ポチが吠えたてる方角を見ると、玉太郎の扉筏よりもやや南よりに、やはり筏の上に一人の人間が立って、こっちへむかってしきりに白い布片《ぬのきれ》をふっていた。距離は二三百メートルあった。
 玉太郎は眸《ひとみ》をさだめて、その漂流者を見た。
「あ、ラツールさんらしい」
 玉太郎は、それから急いでいろいろな方法によって通信を試《こころ》みた。その結果、やっぱりラツール氏だと分った。そのときのうれしさは何にたとえようもない。地獄《じごく》で仏《ほとけ》とはこのことであろう。
 この二組は同じ海流の上に乗って、同じ方向に流されていたのである。
 玉太郎は、どうにかして早くラツール氏といっしょになりたいと思った。しかしその間にはかなりの距離があり、そして身体は疲れきっていた。とてもその距離を泳ぎきることは、玉太郎には出来なかったし、ラツール氏にしてもどうように出来ないことだろうと思い、失望した。
 どこまで、海流がこの二組を同じ方向へ流してくれるか安心はならなかった。
 三百六十度、どこを見まわしても海と空と積乱雲《せきらんうん》の群像《ぐんぞう》ばかりで、船影《ふなかげ》はおろか、島影一つ見えない。
 熱帯の太陽は積乱雲の上をぬけると、にわかにじりじりと暑さをくわえて肌を焼きつける。ふしぎに生命をひろって一夜は明けはなれたが、これから先、いつまでつづく命やら。玉太郎は水筒《すいとう》一つ、缶詰一つもちあわせていない。前途を考えると。暗澹《あんたん》たるものであった。


   熱帯の太陽


 腹もへった。
 のどもかわいて、からからだ。
 だが、それよりも、もっとこらえ切れないのは暑さだ。
「かげがほしいね。何かかげをつくるようなものはないかしら」
 玉太郎は、自分のまわりを見まわした。
 もちろん帆布《ほぎれ》もない。板片《いたぎれ》もない。
 だが、なんとかしてかげをつくりたい。どうすればいいだろうかと、玉太郎は一生けんめいに考えた。
 そのうちに、彼は一つの工夫を考えついた。それは、今|筏《いかだ》にしている扉の一部に、うすい板を使っているところがある。それを小刀で切りぬけば板片ができる。それでかげをつくろうと思った。
 彼はすぐ仕事にかかった。ジャック・ナイフを腰にさげていて、いいことをしたと思った。仕事にかかると、ポチがとんで来て、じゃれつく。
 扉は格子型《こうしがた》になっている。だから周囲と、中央を通る縦横《たてよこ》には、厚い木材を使ってあるが、それらにはさまれた四カ所には、うすい板が張ってある。ナイフでごしごしと切っていった。
 やがてようやく四枚の板片がとれた。
 ここまでは出来た。が、これから先はどうするか。
 柱になる棒と、この四枚の板片を柱にむすびつける綱か紐がほしい。
 紐はあった。ナイフについている。
 柱になる棒だ。それさえ手に入ればいいのだ。
 玉太郎は、身のまわりを見まわした。が、そんなものはない。
 海面を見た。しかしそんなものは見あたらない。
 彼はがっかりした。
 それからしばらくたって、彼は何となく筏の端から、うす青い海面を眺めていると、彼をおどりあがって喜ばせるものが目にはいった。棒らしいものがある。それは水面下にかくれていたので、今まで気がつかなかったのだが、一種の棒である。
 この筏になっている扉の蝶番《ちょうつがい》のあるところは、もとネジで柱にとめてあった。その柱が木ネジといっしょに扉の方へひきむしられて、ひんまがったまま水中につかつているのだった。
 これが大きな柱だったり、鉄材に木ネジでとめてあるのだったりすれは、木ネジの方が折れてはなれてしまったことであろうが、その船は、ちゃちな艤装《ぎそう》のために、鉄材と扉の間にすきが出来、厚さ三四センチのうすい板の柱のように間につめこんであったのだ。だからこの板は、扉といっしょにはなれるのだ。
 玉太郎は、水中に手を入れ、この板柱をはずして筏の上にあげた。長さは二メートルはある。手頃《てごろ》の柱だ。
 こうして材料はそろった。
 玉太郎は、これらのものを使って、筏のまん中に、板の帆をもった柱をたてた。涼《すず》しいかげができた。
「ポチもここへこい。ああ、ここにおれば楽だ」
 玉太郎は、かげにはいって、生きかえったように思った。
 書けば、これだけのかんたんな仕事であったが、これだけのことに、たっぷり二時間もかかった。
 涼しくはなったが、いよいよ腹はへってきて、やり切れない。のどもかわく。
「ラツールさんも困っていることだろう」
 彼はラツールさんに同情をして、その筏の方を見た。
「おや、ラツールさんも、かげをこしらえたよ。ふーン、あの筏は、だいぶんこっちへ近くなって来たが……」
 ラツールの筏の上には、白い布《きれ》が柱の上に張られた。それは帆として働いている。ラツールのところには、なかなか布があるらしい。見ているうちに、また新しい帆が一つ張られた。
 それがすむと、ラツールは、筏の上から、しきりに手まねをして、こっちへ何かを通信しはじめた。
 それは何事だか分らなかったが、いくどもくりかえしているうちに、意味がわかりかけた。
“おーい、元気を出せ。僕はこの帆を使って、この筏を、そっちへよせる考えだ”
 ありがたい。二人とも別々に海流の上にのって、どこまでも別れ別れに流されていく外ないのかと思っていたのにラツールの努力によって、二人は筏を一つに合わせることができそうだ。ああ、ありがたい。
 玉太郎は、ラツールにお礼の意味でもって、それからしばらくポチにほえさせた。
 ラツール氏は手をふって喜んでいる。


   筏《いかだ》の補強《ほきょう》


 ラツール氏の筏は、どんどん近づいた。
 氏はヨットをやったことがあると見え、帆《ほ》の張りかたも筏のあやつり方も、なかなか上手であった。
 氏の筏が、あと二十メートルばかりに近づいたとき、玉太郎はポチに泳いでわたるようにいいつけた。
 ポチは待っていましたとばかり、ざんぶと海中にとびこんだ。そしてあざやかに泳いで渡った。
 ラツール氏とポチとはだきあって喜んだ。それからポチは、何かたべものをもらったらしい。舌なめずりをしていた。
 それからしばらくして、ポチはまたざんぶりと海へととびこんで、玉太郎の方へもどって来た。
 筏の上にポチがあがったところを見ると、細い紐が背中にむすびつけてあった。この紐はどうするのかしらんと、玉太郎がラツールの方を見ると、
「その紐を、どんどんそっちに引張ってくれ」と叫んだ。
 玉太郎はそのとおりにした。紐は長かった。二十メートルどころではなかった。一つの紐の先に、次の太い紐が結んであった。それがおわりになるころ、また次の繃帯《ほうたい》らしい細長い布片がつないであった。そして最後には、りっぱな丈夫なロープが水の中から筏の上へあがって来た。どこまでつながっているのかと、玉太郎は一生けんめい、うんうんとうなりながらロープを手許《てもと》へたぐった。
「やあ、ごきげんいかがですな、玉太郎の王子さま」
 という声に、おどろいて顔をあげると、もうそのときには、手のとどきそうなところにラツールの筏が近づいていた。玉太郎はロープといっしょに、ラツール氏の筏をどんどん引張っていたわけだ。
 ラツールは、愉快そうに笑った。そして筏をどしんとつけた。
 二人は手をにぎりあって喜んだ。
 が、このままでは、ゆっくり手をにぎりあっていることも許されない。
「早いところ、筏は一つに組みなおすことが必要だ」
「やりましょう」
 玉太郎は、腹のすいていることも、のどのかわいていることも忘れて、ラツール氏と共に筏の組みなおしをやった。
 ラツールの方は、いろんな木を集めていた。また箱をいくつか持っていた。本もののカンバスもあった。どこにさがっていたものか、紅《あか》のカーテンの焼けこげだらけの布もあった。これらのものをラツールはみんな海からひろいあげたのだといった。彼は、ロープの先に、鍵のように曲った金具をむすびつけ、それを漂流物に投げつけては、手もとへひきよせたのだという。
「なんか食べものは漂流していなかったかしらん」
「ああ、それはほんのすこしばかりしか手に入らなかった。おお、そうか。君は腹ぺこなんだね」
「早くいえば、そうです」
「なんだ、えんりょせずに早くいえばいいのに。よし、ごちそうするよ、待っていたまえ」
「いや、筏の組みかえがすんでからで、いいんです」
「そうかね。じゃあ筏の方を急ごう。なんだかあそこに、いやな雲が見えるからね、仕事は急いだ方がいいんだ」
 ラツールのさす南西の方角の空が、いやに暗かった。黒い雲が重々しくより集まっている。熱帯に特有のスコールの雲だろう。
 そのうちに筏の方は出来あがった。
 前よりは大して広くはない。しかし支棒《ささえぼう》がしっかりはいったり、板が二重三重になり、筏はずっと堅牢《けんろう》に、そして浮力もました。大きなかげもできた。
「よろしい、そこで休もう。お茶の時間を開くことにしよう」
 それを聞いただけで、玉太郎の腹がぐーぐー鳴った。のども、いやになるほど鳴った。
 ラツールはその缶を二人のあいだにおいた。
「どれでも気にいったのをたべたまえ。すこし塩味《しおあじ》がつきすぎているものがあるかもしれないがね。それから、君がたくさんたべすぎても叱《しか》らないよ」
 ラツールは笑って缶の中をさした。
 玉太郎がのぞくと、空缶《あきかん》の中には、りんごとオレンジが四つ五つ、肉の缶詰のあいたのが二つばかり、それに骨のついた焼肉《やきにく》がころがっていた。すばらしいごちそうだ。
「ポチにたべさせるものはないでしょうか」
 玉太郎がたずねた。
「ああ、ポチならあっちでよろしくやっているよ。あれを見たまえ」
 ラツールのさす方を見れば、なるほどポチが帆の向こうがわで、ひしゃけた缶の中に頭をつっこんで、しきりにたべていた。


   暴風雨《あらし》来《きた》る


 ラツールが苦心をして拾いあげた食料品を、玉太郎は世界一のごちそうだと思いながら、思わずたべすごした。
「どうだ、塩味がききすぎていたろう」
「いや、そんなことは分りませんでしたよ」
 みんな海水につかっていたのだ。缶詰も、穴があいて浮んでいたのだ。しかし腹のへりすぎた玉太郎には、そんなことはすこしも苦にならなかった。
「もっとたべていいよ。そのうちには、どこかの船に行きあって、助けられるだろうから」
「もう十分たべました」
 ポチは、まだ缶の中に頭をつっこんだきりである。尻尾《しっぽ》がいそがしそうにゆれている、がつがつたべているのだ。
「十分に腹をこしらえておいた方がいいよ。これから一荒《ひとあ》れ来るからねえ」ラツールが空を見上げた。玉太郎もそれについてあおむいた。
 さっきの黒雲は、いつの間にか、翼《つばさ》を大きくひろげていた。南西の方向は、雲と海面との境界線が見えない。すっかり黒くぬりつぶされている。すうーっと日がかげった。黒雲はもう頭の上まで来ているのだ。
 突風《とっぷう》が、帆をゆすぶった。帆柱《ほばしら》がぎいぎいと悲鳴をあげた。
 筏は急にゆれはじめた。波頭《はとう》がのこぎりの歯のようにたってきた。
 ぽつ、ぽつ、ぽつ。大粒の雨が、玉太郎の頬をうった。と思うまもなく、車軸《しゃじく》を流すような豪雨《ごうう》となった。
 太い雨だ。滝つぼの下にいるようだ。あたりはまっくらに閉じこめられて、十メートル位から先の方はまったく見えなくなった。
 雨と浪《なみ》とが、上と下からかみあっているのだ。そこへ横合から風があばれこんでくる。ものすごいことになった。
 帆柱は、一たまりもなくへしおれた。帆は吹きとばされた。
 筏はばらばらになりそうだ。ラツールは玉太郎をはげましながら、筏の材料をむすびつけてある綱をしめなおし、なおその上に、あるものはみんな利用して筏の各部をしばりつけた。
 ポチは体が小さいので、いくたびか海の中へ吹きとばされそうになった。玉太郎はポチを、おれのこっった帆柱の根元に、綱でもってしばりつけた。大波が筏をのむたびに、ポチは波の下にかくれ、やがて潮《しお》がひくと、ポチは顔をだしてきゃんきゃんと泣いた。
 風雨は、だんだんひどくなった。
 山なす怒濤《どとう》は、筏をいくどとなくひっくりかえそうとした。あるときは奈落《ならく》の底につきおとされた。次のしゅん間には、高く波頭の上につきあげられた。
 刃物《はもの》のような風がぴゅうぴゅうと吹きつける。めりめりと音がしたと思ったら、筏の一部がかんたんにわれて、あっと思うまもなく荒浪《あらなみ》にもっていかれてしまった。
 もう誰も生きた心地がない。風と雨とにたたかれ怒濤にもてあそばれ、おまけに冬のような寒気がおとずれ、手足がきかなくなり、凍《こご》え死《じに》をしそうになった。
 天地はまっくらで、方角もわからなければ、太陽も地球もどこへ行ってしまったのかけんとうがつかない。ラツールと玉太郎とは、もう万事《ばんじ》あきらめ、たがいにしっかり抱きあい、ポチも二人のあいだへ入れて、最期《さいご》はいつ来るかと、それを待った。
 それから、かなりの時間がたった。
 もういけない、こんどの波で筏はばらばらになるだろう、この次は海のそこへつきおとされるであろうなどと気をつかっているうちに、両人ともすっかり疲労《ひろう》して、そのままぶったおれ、意識を失ってしまった。
 気がついたときは、風もしずまり、波もひくくなり、そして空は明るさを回復し、雲の間から薄日《うすび》がもれていた。
「おお、助かったらしい」一番先に気がついたのは玉太郎であった。すぐラツールをゆりおこした。
「ラツールさん。嵐はすみましたよ」
「ううーン」ラツールは目を開いた。そして玉太郎の顔をふしぎそうに眺めていたが、
「やあ、君か。きたない面の天使があればあるものだと感心していたら何のことだ、玉太郎君か。天国じゃなくて、ここはやっぱり筏の上なんだね」と、にこにこしながら半身をおこした。
 ポチもおきあがって、ぶるぶる身体についている水をふるったので、それが玉太郎の顔にまともにあたった。
「ポチ公。おぎょうぎが悪いぞ。ぺッ、ぺッ」
 玉太郎は顔をしかめた。ラツールは大きな声で笑った。玉太郎も笑った。生命を拾った喜びは大きい。


   恐《おそ》ろしい丘影《おかかげ》


 雲がどんどん流れさって、太陽が顔を出した。
 太陽の高さから考えると、嵐は五時間ぐらい続いたことになる。
「いったい、どこなんでしょう」玉太郎がきいた。
「さっぱり方角が分らない。太陽が、もうすこしどっちかへかたむいてくれると、見当がつくんだが、なにしろ太陽は今、頭のま上にかがやいているからね」
 赤道直下《せきどうちょっか》だから正午には太陽は頭のま上にあるのだ。筏の上に立つと影法師《かげぼうし》が見えない。よく探して見れば、影法師は足の下にあるのだ。
「どっちを見ても空と海ばかり……おや、島じゃないでしょうか[#「しょうか」は底本では「ょうか」と誤植]、あれは……」
 玉太郎は、筏のまわりをぐるっと見まわしているうちに雲の下に、うす鼠色《ねずみいろ》の長いものが横たわっているのを見つけた。
「あれかい。あれは雲じゃないかなあ、僕もさっきから見ているんだが……」
「島ですよ。山の形が見える」
 雲はどんどん動いていったので、やがて島であることがはっきりした。二人の喜びは大きかった。筏の上で、おどりあがって喜んだ。筏の上には食料品が、もうほとんどなかった。水もない。だからあの島へ上陸することが出来れば、なにか腹のふくれるものと、そしてうまい水とにありつくことが出来るだろう。
「また帆をはろうや」ラツールがそれをいいだしたので、玉太郎もさんせいして、すぐさま残りの材料をあつめて二度目の帆を張り出した。
 島との距離は、あんがい近い。海上三キロぐらいだ。はじめはそうとう大きい島だと思ったのが、空がすっかり晴れてみると、小さな島であることが分った。
 風が残っていたので、帆が出来ると、筏はかるく走りだした。それに、やはり潮流《ちょうりゅう》が、その方へ流れていると見え、筏をどんどん島の方へ近づけていった。
 だが、いよいよ島の近くに達《たっ》するまでには四五時間かかった。太陽はすでに西の海に沈み、空は美しく夕焼している。その頃になって、島の上に生《は》えている椰子《やし》の木が、はっきりと見えるようになった。
「明るいうちに、島へつきたいものだね」
「こぎましょうか」
「こぐったって、橈《かい》もなんにもない」
 風と海流の力によるしかない。
「家らしいものは見えないね。煙もあがっていない」
 島の方をながめながら、ラツールは失望のていである。
「無人島《むじんとう》でしょうか」
「どうもそうらしいね」
「人食《ひとく》い人種がいるよりは、無人島の方がいいでしょう」
「それはそうだが、くいものがないとやり切れんからね」
 二人は、日が暮れるのも忘れて、夢中になって島をながめつくした。
「ほう、無人島でもないようだ」ラツールが、声をはりあげた。
「人がいますか」
「いや、そんなものは見えない。しかし島の左のはしのところを見てごらん。舟《ふな》つき場《ば》らしい石垣が見えるじゃないか」
 島は中央に、山とまではいかないが高い丘がとび出していて、それが方々にとんがっている。そのまわりは一面に深い密林だ。椰子もあるし、マングローブ(榕樹《ようじゅ》)も見える。その間に、ところどころ白い砂浜《すなはま》がのぞいている。ラツールが発見した石垣は、ずっと左の方にあり、なんだかそこが、密林の入口になっているようでもある。正確なことは上陸してみれば、すぐ分るであろう。
「もうあの島には、人が住まなくなったのでしょうか」
「それにしては、あの石垣がもったいない話だ」
 夕焼の空は、赤から真紅《まっか》に、真紅から緋《ひ》に、そして紫へと色をかえていった。それまでは見えなかったちぎれ雲が生あるもののようにあやしい色にはえ、大空から下に向って威嚇《いかく》をこころみる。
 島の丘の背が、赤褐色《せっかっしょく》に染って、うすきみわるい光をおびはじめた。
「おやあ、これはちょっとへんだぞ」ラツールがさけんだ
「どうしたんですか」
「この島は、恐竜島《きょうりゅうとう》じゃないかなあ。たしかにそうだ。あのおかを見ろ。恐竜の背中のようじゃないか。気味のわるいあの色を見ろ。もしあれが恐竜島だったら、われわれは急いで島から放れなくてはならない」
 ラツールは、ふしぎなことをいいだした。彼の恐れる恐竜島とは何であろうか。


   水夫《すいふ》ヤンの写生画《しゃせいが》


「恐竜島ですって。恐竜島というのは、そんなに恐ろしい島なの。ねえ、ラツールさん」
 玉太郎は筏の上にのびあがり、顔をしかめて島影《しまかげ》を見たり、ラツールの方をふりかえったり。せっかく島に上陸できると思った喜びが、ひょっとしたら消えてしまいそうであるので、だんだん心細さがます。
「はははは。まだ、あの島が恐竜島だときまったわけじゃないんだから、今からそんなにこわがるには及ばない」
 ラツールは笑った。だが、彼が笑ったのは、玉太郎をあまり恐怖させまいがためだった。だから彼の顔からは、すぐさま笑いのかげがひっこんで、顔付《かおつき》がかたくなった。彼は島の上へするどい視線《しせん》をはしらせつづけている。
「分らない、分らない。恐竜島のように思われるところもあるが、またそうでもないようにも思われる。まん中に背中をつき出している高い丘の形は、たしかに、この前見た水夫ヤンの写生図に出ていた図そっくりだ。しかし丘のふもとをとりまく密林や海岸の形がちがっている。あんなに密林がつづいていなかったからなあ。海岸から丘までが、ひろびろと開いていた。あんな石垣も、水夫ヤンの図には出ていなかったがなあ」
 ラツールは、ひとりごとをいうのに、だんだん熱心となって、そばに玉太郎がいることに気がつかないようであった。
「あれは恐竜島か、それともちがうのか。いったいどっちなんだ。ふん、おれの頭は熱帯ぼけの上に漂流ぼけがしていると見える。どっちかにきめなきゃ、これからやることがきまりゃしない。どっちかなあ、どっちかなあ……ええい、こんなに心の迷うときには、金貨うらないで行けだ。はてな、その金貨だが、持ってきたかどうか……」
 ラツールは、ズボンのポケットへ手をつっこんだ。しばらくいそがしく中をさぐっていたが、やがて彼の顔に明るい色が浮んだ。
「やっぱり、大事に、身につけていたよ」
 彼の指にぴかりと光るものが、つままれていた。百フランの古い金貨だった。それを彼は指先でちーんとはじきあげた。金貨は、彼の頭よりもすこし高いところまであがって、きらきらと光ったが、やがて彼のてのひらへ落ちて来た。そのとき筏がぐらりとかたむいた。大きなうねりがぶつかったためだ。
「ほウ」
 ラツールは、金貨をうけとめ、手をにぎった。彼はそっと手を開いた。すると金貨は、てのひらの上にはのっていなかった。中指とくすり指との間にはさまっていた。これでは金貨の表が出たことにもならないし、また裏が出たことにもならない。せっかくの金貨のうらないは、イエスともノウともこたえなかったことになるのだ。
「ちぇッ。運命の神様にも、おれたちの前途《ぜんと》がどうなるかおわかりにならないと見える」
 彼は苦《に》が笑いをして、金貨をポケットへしまいこんだ。
 玉太郎は、さっきからのありさまをだまって見つめていたが、このとき口を開いた。
「ラツールさん。上陸しないの、それともするの」
「だんぜん上陸だ。運命は上陸してから、どっちかにきまるんだとさ。かまやしない。それまではのんきにやろうや。どうせこのまま海上に漂流していりゃ、飢《う》え死《じに》するのがおちだろうから、恐竜島でもなんでもかまやしない、三日でも四日でも、腹一ぱいくって、太平楽《たいへいらく》を並べようや」
 かまやしないを二度もくりかえして、ラツールはすっかり笑顔になった。そして帆綱《ほづな》をぐいとひっぱった。帆は海風をいっぱいにはらんだ。風はまともに島へむけて吹いている。がらっととりこし苦労とうれいとを捨てたラツールのフランス人らしい性格に、玉太郎は強い感動をうけた。そこで玉太郎は、ラツールのわきへ行ってあぐらをかくと、口笛を吹きだした。彼の好きな「乾盃《かんぱい》の歌」だ。するとラツールも笑って、口笛にあわせて空缶《あきかん》のお尻を木片でにぎやかにたたきだした。
 ポチも、二人のところへとんでくると、うれしそうに尾をふって、じゃれだした。
 焼けつくような陽《ひ》が、近づく謎の島の椰子《やし》の林に、ゆうゆうとかげろうをたてている。


   上陸に成功


 筏は、海岸に近づいた。
 海底はうんと浅くなって、うす青いきれいな水を通して珊瑚礁《さんごしょう》が、大きなじゅうたんをしきつめたように見える。その間に、小魚が元気よく泳いでいる。
「きれいな魚がいますよ。ラツールさん。あっ、まっ赤《か》なのがいる。紫色のも、赤と青の縞《しま》になっているのも……」
「君は、この魚を標本《ひょうほん》にもってかえりたいだろう」
「そうですとも。ぜひもって帰りたいですね、全部の種類を集めてね、大きな箱に入れて……」
「さあ、それはいずれ後でゆっくり考える時間があるよ。今は、さしあたり、救助船へ信号する用意と、次は食べるものと飲むものを手に入れなければいかん。その魚の標本箱に、われわれの白骨《はっこつ》までそえてやるんじゃ、君もおもしろくなかろうからね」
「わかりました。魚なんかに見とれていないで、早く上陸しましょう」
「おっと、まった。まずこの筏を海岸の砂の上へひっぱりあげることだ。このおんぼろ筏でも、われわれが今持っている最大の交通機関であり、住みなれたいえ[#「いえ」に傍点]だからね」
「竿《さお》かなんかあるといいんだが。ありませんねえ。筏の底が、リーフにくっついてしまって、これ以上、海岸の方へ動きませんよ」
「よろしい。ぼくが綱を持ってあがって、ひっぱりあげよう」
「やりましょう」
 空腹も、のどのかわきも忘れて、二人は海の中へ下りた。浅いと思っていたが、かなり深い。ラツールの乳の下まである。玉太郎はもうすこしで、顎《あご》に水がつく。
「痛い」
 玉太郎が顔をしかめた。彼は足の裏を、貝がらで切った。靴を大切にしようと思って、はだしになって下りたのが失敗のもとだった。
「うっかりしていた。もちろん、こういう場合は、足に何かはいていなくては危険だよ。さあもう一度筏の上へあがって、足の傷を手あてしてから上陸することにしよう」
 つまらないところで、上陸は手間どった。しかしラツールの行きとどいた注意によって、玉太郎は、あとでもっとつらい苦しみをするのを救われたのだ。それは、足の裏を切ったまま砂浜にあがると、その切目《きれめ》の中に小さい砂がはいりこんで、やがて激痛《げきつう》をおこすことになる。さらにその後になると、傷口からばい菌がはいって化膿《かのう》し、全く歩けなくなってしまう、熱帯地方では、傷の手当は特に念入りにしておかないと、あとでたいへんなことになるのだ。ラツールも、もう一度筏の上にはいのぼり、それから彼はあたりをさがしまわったあげく、ナイフで、カンバスに黒いタールがついているところを裂《さ》き、そのタールのついているところを玉太郎の傷口にあてた。そしてその上を、かわいたきれでしっかりとしばった。上陸するときは、この傷が海水につかるのをきらい、玉太郎を頭の上にかつぎあげて海をわたり、やがて海岸のかわいた上に、そっと玉太郎をおいた。
 ラツールの全身には玉なす汗が、玉太郎の目からは玉のような涙がぽろぽろとこぼれおちた。
「君は、感傷家《かんしょうか》でありすぎる。もっと神経をふとくしていることだね。ことに、こんな熱帯の孤島では、ビール樽《だる》にでもなったつもりで、のんびりやることだ」
 そういって玉太郎の両肩にかるく手をおいた。
「さあ、そこでさっきの仕事を大急ぎでやってしまうんだ。そこから枯草のるいをうんと集めてきて、山のように積みあげるんだ。もし今にも沖合《おきあい》に船影が見えたら、さっそくその枯草の山に火をつけて、救難信号《きゅうなんしんごう》にするんだ」
「はい。やりましょう」
 二人はさっそくこの仕事にかかった。榕樹《ようじゅ》は海の中にまで根をはり、枝をしげらせていた。椰子は白い砂浜の境界線のところまでのりだしていた。椰子の木の下には、枯葉がいくらでもあった。
 その枯葉をかつぎ出して、砂浜の上に積《つ》んでいった。よほど古い枯葉でないと、自由にならなかった。なにしろ椰子の葉は五メートル位のものは小さい方であったから、その新しい枯葉は小さく裂くことができないから、とても一人では運搬《うんぱん》ができなかった。古い枯葉なら、手でもって、ぽきんぽきんと折れた。
「ああ、のどが乾いた。水がのみたいなあ」
 玉太郎がいった。
「今に、うんと飲ませる。その前にこの仕事を完成しておかねばならない。だって、命の救い船は、いつ沖合にあらわれるかしれないからね。しばらく我慢するんだ」
 ラツールは、一刻も早く枯草積みをやりあげたい考えで玉太郎を激励し、きびしいことをいった。
 玉太郎は、ひりひりと焼けつきそうなのどを気にしながら、ふらふらとした足取で仕事をつづけた。
「うわッはっはっはっ。うわッはっはっはっ」
 とつぜんラツールが、かかえていた椰子の枯草を前にほうりだして、大きな声をたてて笑いだした。玉太郎はおどろいてふりかえった。戦慄《せんりつ》が、せすじを流れた、頼みに思った一人の仲間が、とつぜん[#「とつぜん」は底本では「とくぜつ」と誤植]気がへんになったとしたら、玉太郎の運命はいったいどうなるのであろうと、気が気でない。


   椰子《やし》の実の水


「うわッはっはっはっ。うわッはっはっはっ」
 ラツールの笑いは、まだやまない。
「どうしたんです。ラツールさん。しっかりして下さい」
「大丈夫だ、玉ちゃん。うわッはっはっはっはっ」
 ほんとうに気がへんになっているのでもなさそうなので玉太郎はすこし安心したが、しかしその気味のわるさはすっかり消えたわけではない。
「ラツールさん。気をおちつけて下さい、どうしたんです」
「むだなんだ。こんなことをしても、むだなのさ」
 やっと笑いやんだラツールが、笑いこけてほほをぬらした涙を、手の甲《こう》でぬぐいながら、そういった。
「何がむだなんです」
「これさ。こうして枯草をつみあげても、だめなんだ。すぐ役に立たないんだ。だって、そうだろう。枯草の山ができても、それに火をつけることができない。ぼくは一本のマッチもライターも持っていないじゃないか。うわッはっはっはっ」
「ああ、そうか。これはおかしいですね」
 玉太郎も、はじめて気持よく笑った。いつもマッチやライターが手近にある生活になれていたので、この絶海《ぜっかい》の孤島《ことう》に漂着《ひょうちゃく》しても、そんなものすぐそばにあるようなさっかくをおこしたのだ。
「第一の仕事がだめなら、第二の仕事にかかろうや。この方はかんたんに成功するよ。ねえ玉ちゃん。腹いっぱい水を飲みたいだろう」
「ええ。そうです。その水です」
「水はそのへんに落ちているはずだ。どれどれ、いいのをえらんであげよう」
 玉太郎は、ラツールがまた気がへんになったのではないかと思った。なぜといって、見わたしたところ、そこには川も流れていないし、海には水がうんとあるが、これは塩からくて飲めやしない。井戸も見あたらない。
 ラツールは林の中にわけいって、ごそごそさがしものをしている。足でぽかんとけとばしているのは、丸味《まるみ》をおびた椰子の実であった。
「これならいいだろう。まだすこし青いから、最近おちたものにちがいない」
 ラツールはその実をかかえてきて、玉太郎から借りたナイフで皮をさいた。皮はそんなにかたくない。中心のところに、チョコレート色のまん丸い球がおさまっていた。彼は、そこで実をかかえて、実のへたに近い方に穴を二つあけた。そこはすぐ穴があくようになっているのである。
 それがすむと、ラツールは椰子の実をかたむけた。すると、穴からどくんどくんと光をおびたきれいな水かこぼれ落ちた。彼は、それをちょっとなめて首を前後にふった。
「これなら我慢ができるだろう。この椰子の水は、すこしくさいが、毒じゃないから、安心して腹いっぱい飲みたまえ。あまくて、とてもおいしいよ」
 そういってラツールは、椰子の実を玉太郎に手わたした。
 玉太郎はそれをうけとって、椰子の水がしとしとと流れだしてくる穴に唇をつけて、すった。
(うまい!)
 玉太郎は心の中で、せいいっぱいの声でさけんだ。ごくりごくりと、夢中ですすった。うまい、じつにうまい。あまくて、つめたくて、腸《はらわた》にしみわたる。世の中にこんなうまいものがあったことをはじめてしった喜びに、玉太郎はその場で死んでもいいと思ったほどだ。
「どうだ、いけるだろう」
 ラツールは、もう一つの椰子の実をさきながら、玉太郎にきいた。玉太郎は、かすかにうなずいただけで、椰子の実からくちびるをはなしはしなかった。
 だが、ようやくのどのかわきがとまる頃になって、玉太郎は椰子の水が特有ななまぐさいにおいを持っていることに気がついた。それは、かなりきついにおいであった。でも玉太郎はくちびるをはなさなかった。ついに最後の一滴まで飲みほした。
「ああ、うまかった。じつに、うまかった」
 玉太郎は胸をたたいて、はればれとした笑顔になった。ラツールの方を見ると、ラツール先生は、両眼をつぶって夢中になって椰子の実の穴から水をすすっていた。水がぽたぽた地上にたれている。
 それを見ると、玉太郎はポチのことを思い出した。ポチものどがかわいたであろう。水がのみたかろう。ポチにももらってやりましょう。あたりを見たが、ポチの姿は見えなかった。
「ポチ。ポチ」
 玉太郎は愛犬の名を呼び、口笛をくりかえし吹いた。だが、どうしたわけか、ポチは姿をあらわさなかった。玉太郎は、モンパパ号の上でも、椿事《ちんじ》の前にポチの姿が見えなくなったことを思い出して、不安な気持におそわれた。


   密林《みつりん》の奥《おく》


「また。ポチがいなくなったって。なあに、だいじょうぶ。硝石《しょうせき》なんか積んでいたモンパパ号とちがって、これは島なんだから、爆発する心配なんか、ありゃしないよ」
 ラツールは、なまぐさいおくびをはきながら、そういって、空《から》になった椰子の実を足もとにどすんとすてた。
 なるほど、そうであろう。しかしこの広くない島にしろポチは何にひかれて単身《たんしん》もぐりこんでしまったのであろうか。
「さあ、そこで第三の仕事にうつろう」
「こんどは何をするんですか」
「火がなくて、沖合《おきあい》へのろしもあげられないとなれば、いやでもとうぶんこの島にこもっている外ない。そうなれば食事のことを考えなければならない。何か空腹《くうふく》をみたすような果物かなんかをさがしに行こう」
「ああ、それはさんせいです」
「多分この密林の中へはいって行けば、バナナかパパイアの木が見つかるだろう」
「ラツールさんは、なかなか熱帯のことに、くわしいですね。熱帯生活をなさったことがあるんですか」
 玉太郎は、ラツールがどんな返事をするかと待った。
「熱帯生活は、こんどが始めてさ。しかしね、二三年前に熱帯のことに興味をおぼえて、かなり本を読みあさったことがある。そのときの知識を今ぼつぼつと思い出しているところだ」
「そうですか。どうして熱帯生活に興味をおぼえたんですか」
「それは君、例の水夫ヤンの――」
 と、ラツールがいいかけたとき、どこかで犬のはげしくほえたてる声が聞えた。ポチだ。ポチにちがいない。
 二人は同時に木蔭《こかげ》から立ち上った。そしてたがいに顔を見合わした。
「どこでしょう。あ、やっぱりこの林の奥らしい」
「どうしたんだろう。玉ちゃん、行ってみよう。しかし何か武器がほしい」
 ラツールは、筏《いかだ》の折れたマストに気がついて、そのぼうを玉太郎と二人で、一本ずつ持った。そして林の中へかけこんだ。
 が、二人は間もなく、走るのをやめなければならなかった。というのは密林の中は、もうれつにむんむんとむし暑かった。汗は滝のようにわき出るし、心臓はその上に砂袋をおいたように重くなり、呼吸をするのも苦しくなった。そのうえに、玉太郎の頭のてっぺんまでをかくしそうな雑草がしげっていて、もちろん道などはない。
 ポチはこの草の下をくぐって、方角が分らなかったのではなかろうかと思ったが、それだけではないらしく、あいかわらずわんわんとはげしくほえ立てている。
 玉太郎は両手を口の前でかこって、メガホンにし、ポチを呼ぼうとした。
「おっと、ポチを呼ぶのは待ちたまえ」
「ええ、やめましょう。でもなぜですか」
「犬が吠えているところを見ると、あやしい奴《やつ》を見つけたのかもしれない。今君が大声でポチを呼ぶと、あやしい奴がかくれてしまうかもしれない。そしてぼくたちが近よったとき、ふい打ちにおそいかかるかもしれない。それはぼくたちにとって不利だからねえ」
 ラツールのいうことはもっともだった。
「だから、ポチにはすまないが、しばらくほっておいて、犬の吠えているところへ、そっと近づこうや」
「いいですね。こっちですよ」
 二人は、息ぐるしいのをがまんして、雑草の下を腰をひくくしてほえている方へ近づいていった。その間に、蟻《あり》、蠅《はえ》、蚊《か》のすごいやつが、たえず二人の皮膚を襲撃した。
 やがて密林がきれた。目の前が急にひらいて、沼の前に出た。むこう岸に褐色《かっしょく》の崖《がけ》が見えている。そこから上へ、例の丘陵《きゅうりょう》がのびあがっているのだ。
 ポチの声はしているが、それに近づいたようには聞こえない。
「どこでほえているのかなあ」玉太郎は首をかしげた。
「まるで地面《じめん》の下でほえているように聞える」
「地面の下なら、あんなにはっきり聞えないはずだ。どこかくぼんだ穴の中におちこんでほえているのじゃなかろうか」
「ほえているのは、こっちの方角だが、どこなんでしょう」
 玉太郎は沼のむこう岸をさした。
 そのときだった。とつぜん大地がぐらぐらっとゆれはじめた。
「あっ、地震だ。大地震だ」
 二人はびっくりしてたがいにだきついた。鳴動《めいどう》はだんだんはげしくなっていく。沼の水面にふしぎな波紋がおこった。が、そんなことには二人とも気がつかないで、しっかりだきあっている。


   赤黒《あかぐろ》い島


 その地震は、三十秒ぐらいつづいて終った。ほっとするまもなく、また地震が襲来《しゅうらい》した。
「あッ、また地震だ」
「いやだねえ、地震というやつは……」
 ラツールは地震が大きらいであった。玉太郎としっかりだきあって、目をとじ、神様にお祈りをささげた。
 そのような地震が前後四五回もつづいた。そしてそのあとは起らなかった。いずれも短い地震で、三十分間つづいたのはその長い方だった。
 地震とともに、沼の水面に波紋が起ったことは前にのべたとおりだが、二度目の地震のときは、その波紋の中心にあたるところの水面が、ぬーッともちあがった。
 いや、水面がもちあがるはずはない。水の中にもぐっていたものが浮きあがったのであろうが、その色は赤黒く、大きさは疊三枚ぐらいもあり、それがこんもりとふくれあがって河馬《かば》の背中のようであったが、河馬ではなかった。
 というわけは、その茶褐色《ちゃかっしょく》の楕円形《だえんけい》の島みたいなものの横腹に、とつぜん窓のようなものがあいたからである。その窓みたいなものが、密林のしげみをもれる太陽の光線をうけて、ぴかりと光った。
 それは一しゅんかん、探照灯《たんしょうとう》の反射鏡のように見えた。それからまた巨大なる眼のようにも見えたが、まさか……
 が、とつぜんその赤黒い島は、水面下にもぐってしまった。その早さったらなかった。電光石火《でんこうせっか》のごとしというたとえがあるが、まさにそれであった。
 それのあとに新しい波紋がひろがり、それからじんじんゆさゆさと、次の地震が起ったのであった。
 いったい沼のまん中で浮き沈みした赤黒い島みたいなものは、何であったろうか。
 玉太郎もラツールも、目をつぶってだきあっていたから、この重大なる沼の怪事《かいじ》をついに見落としてしまった。このことは二人にとって大損失《だいそんしつ》だった。
 地震がもう起らなくなったので、二人はようやく手をといて、立ち上った。
「いやなところだね。赤道《せきどう》の附近には火山脈《かざんみゃく》が通っているんだが、この島もその一つなのかなあ」
 ラツールは首をひねった。
「しかしラツールさん。地震にしては、へんなところがありますねえ」
 玉太郎がいった。
「へんなところがあるって。なぜ?」
「だって地震は、たいてい一回でおしまいになるでしょう。何回もつづく場合は、はじめの地震がよほど大きい地震でそのあとにつづいて起る余震《よしん》は、どれもみなくらべものにならないほどずっと小さい地震なんでしょう。ところがさっきの地震は、そうでなかったですね。どの地震も同じくらいの強さの地震だったでしょう。だからへんだと思ったんです」
 玉太郎は、地震が名物の日本に、いく年かを暮したことがあって、地震の常識をしっていた。
「ふーン。どうかねえ」
 ラツールは首を左右にふった。彼には、わからなかった。
 そのとき二人の注意を急にうばったものがあった。ポチのわんわんとほえる声だった。
 それは遠くの方であった。二人は顔を見あわせた。
「ポチは、あやしいものを見つけて、ほえているんですよ」
「そうらしい。この沼の向うがわだ。そして地面の下でほえているように思う」
「ラツールさん。ぼくはこれから沼のむこうへ行って、ポチを早く助けだしてやりたいです」
「行くかね。きみが行くなら、わたしも行く。しかし玉ちゃん。すこしのことにも深く注意して、すこしずつ前進するんだね。もしもこの島が恐竜島だったら、われわれはすぐさまこの島をあとにしてのがれなければならないんだ。命の危険、いやそれいじょうのおそろしいことが恐竜島にはあるんだ」
 勇敢で沈着なラツール記者も、恐竜島と地震の話になると、人がかわったように身ぶるいするのだった。
 恐竜島とは、いったいどのような島であろうか。
 それについて玉太郎は、前からききたいと思っていた。今もそれをしりたくなったが、ラツールのいうように、今は全身の神経をあたりへくばって前進しないと、どんな目にあうかも知れない。それゆえ聞くのは後のことにして、玉太郎はラツールのあとについて、沼のふちをまわりはじめた。
 前方に茶褐色のきたならしい地はだを見せている断崖《だんがい》がどうも気になってならなかった。二人の目は、ゆだんなくその崖のまわりを捜査《そうさ》している。


   スコール来《きた》る


 沼のふちをようやくまわって、問題の崖《がけ》の下にでた。
 茶褐色の土の下から、雑草がのぞいているところもある。大きなゴムの木や、太い椰子《やし》の木が重《かさ》なりあって、土の下に半ばうずまっているところもある。
「玉ちゃん。ふしぎだとは思わないか」
 と、ラツールはそれらのものを指して、自分の考えをのべた。
「この島は、わりあいに近頃出来たもののようだ。土が上から島をすべり落ちて来て、密林の一部をうずめたように見える」
 玉太郎は、うなずいた。ラツールの説明のとおりだと思った。
「なぜそんなことが起ったのか。人間がひとりも見えない無人島で、まさか土木工事《どぼくこうじ》が行われようとも思われない。とにかく、もうすこしそこらを見てまわろうじゃないか」
「それがいいですね。きっとどこかに、ポチのもぐりこんだ穴があるにちがいありませんよ」
 玉太郎は、すこしも早く愛犬をすくい出してやりたかった。
 それから二人は、雑草をかきわけ、つる草をはらいのけ崖の下をまわってみた。むんむんと熱気がたちこめ、全身はねっとりと汗にまみれ、息をするのが苦しい。あえぎながらふらふらする頭をおさえて前進する。こうして二人の気のついたことは、この崖みたいなものは火山でできたものではなく(硫黄《いおう》くさくないから)地震でできたものでもなく、たしかに人間がやった土木工事であることをたしかめた。
 しかしその土木工事は、最新式のブルトーザなどという土木機械を使ったものでなくて、原始的な方法、つまり人間を大ぜいあつめて、もっこに土をいれたり石をのせたりしでかつぎあげるといった、方法をとったにちがいないのだ。
 それにしてもふしぎなのは、今この島に、だれもいないし、土木工事に使った道具も見あたらないことだ。
「なぜこんな崖をつくったんだろうか。いみが分らない」
「それなら、崖の上までのぼって見てはどうでしょうか。上に行くと、きっとなにかありますよ」
「なるほど。崖というものは、下より上の方が大切なのかもしれない。じゃあ、のぼってみよう」
 その後ポチの声がしないので、ポチのはいりこんだ穴をさがすことはあとまわしとして、玉太郎はラツール記者とともに、崖の斜面をはいのぼっていった。
 しばらくのぼったとき、ぽつッと冷いものが玉太郎の顔をたたいた。
「おやあ」と上を見ると、いつの間にか空が鼠色《ねずみいろ》の雲でひくくとざされている。そして大粒の雨が、急にはげしくふりだしたのだ。
「あ、スコールがやって来た。あいにくのときに、やって来やがった」
 ラツールは舌打ちした。
「あ、すべる」玉太郎がさけんだ。崖の斜面は、滝のようになって雨水が流れおちた。玉太郎は手と足とをすべらせてしまった。その結果、玉太郎のからだは雨水とともにずるずると下へすべり落ちていった。
 すごいスコールのひびきに、玉太郎よりすこし上をのぼっていたラツールは、玉太郎のすべり落ちたことを知らなかった。彼はスコールの滝に全身を洗われながらも、斜面のくぼみに足をはめこみ、両手で崖の土のかたいところをひんぱんにつかみなおし、一生けんめいにしがみついていた。
 だがスコールのために急に寒冷《かんれい》になり、全身はがたがたふるえて来、手も足も知覚《ちかく》がなくなっていた。
 一方玉太郎の方は、崖下にころがり落ち、スコールが作ったにわかの川の中へぼちゃんと尻餅《しりもち》をついた。流れはいがいに強く、彼のからだはおし流されそうになったので、あわてて身を起こした。あたりは、すごい雨あしと水しぶきに、とじこめられ、五六メートルから先は全く見えなかった。
 玉太郎は、にわかに出来た流れをあきれながら見ていたが、ふと気がついて、その流れにそって下流《かりゅう》の方へ歩きだした。
 五十メートルぐらい歩いたとき、そのにわかに出来た川が、土中にすいこまれているのを見つけた。そこはたくさんの木がたおれて重なりあっているところだったが、にわかの川の水は、その木の下をくぐって土中へ落ちているのだった。
「ははあ、この下に穴があいているんだな。ポチはこの中へはいりこんだのかもしれない」
 そう思った玉太郎は、たおれた木と木の間へ顔をさしこんで、落ちていく水にまけないような大きな声で、愛犬の名をいくたびとなく呼んでみた。だが、ポチは主人のために返事をしなかった。


   迫《せま》るさびしさ


 玉太郎はがっかりした。
 しかしこういう穴の入口らしいところを見つけたことは一つの成功だと思った。あとでゆっくり中をしらべてみたい。
 そう思って、彼はそこを立ちさろうとしたが、ふと思い直して、もどって来た。そしてそこらに落ちている木の枝を一本取り、ナイフでけずってYという形にし、それをそこの場所につきさした。それからYという字のかたつむりの二つの目のような枝のさきをわって、自分のシャツの端《はし》をひきさいて、はさんだ。こうしておけば、スコールがあがったあとも、この場所へもどって来るのにいい目印《めじるし》になる。
 それから玉太郎は、にわかの川について、上流の方へもどっていった。彼は、さっき落ちた崖下へもどるつもりであった。しかしどうしたわけか、そこへもどることが出来ず、川にそって上ったり下ったりしてまよった。そのうちに時間がたった。
 スコールが通りぬけたらしく、急に雨が小降《こぶ》りになったと思うと、もう雲が切れて、もうもうと立ちのぼる水蒸気に、明るく陽の光がさしこんで来た。気温は、またぐんぐんとのぼり出した。視界がひらけた。
「おや。あんなところに崖が見える」
 どこをふみまよったものか、スコールがあがってみれば玉太郎はとんでもないけんとうのところに立っていた。さっきすべりおちた崖の斜面《しゃめん》のしたから、百五十メートルばかりもはなれたところに立っていたのだ。彼は斜面の下へむかって急いで歩いた。
 歩きながら、斜面をいくども見下げた。そのとき彼は、不審《ふしん》の念《ねん》にうたれた。「ラツールさんの姿が見えないが、どこへ行ったんだろうか。斜面をすっかりのぼって、崖の上へ出たのかしらん」
 斜面にはラツール記者の姿がなかったのである。ラツールといえば、彼はスコールの中に降りこめられ、斜面のまん中あたりで、進退《しんたい》きわまっていたのだったが、今はどこにいるのだろうか。
「そうだ。この斜面を自分ものぼってみよう」
 玉太郎は、そう思って、再び斜面をのぼりかけた。
 だがそれはだめだった。斜面は雨水をうんとすいこんで足をかけ、手をおいたところは、いずれも土がごそっと取れてしまって、のぼることが出来ないのであった。いくども場所をかえてやってみたが、どれもだめであった。
「ああ、のぼれないのか」玉太郎は、くやしがって、斜面をにらみつけた。しかしにらみつけたぐらいで、どうなるわけのものでもなかった。
 彼はその場所に、二時間あまりも待っていた。彼はたえず崖の上を注意し、もしやラツールが顔を出しはしないかと心待ちにしていた。ラツールの名を何十回となく呼んだ。だがラツールは姿も見せなければ、返事もしなかった。心ぼそさがひしひしと玉太郎の胸をしめつけた。たえがたいほどの蒸《む》し暑《あつ》さの密林の中に、人間を恐ろしいとも思わぬ蠅《はえ》や蚊《か》や蟻《あり》の群とたたかいながら、二時間のあまり、同じところにじっとしていることは、それだけでもたえがたいことだった。
 玉太郎はあきらめて、そこを立ちさった。彼は密林の中をくぐって、元の海岸へ出た。もしやそこにラツールが、先にかえって来ているのではないかと心だのみにしていたがそれもやっぱりだめだった。
 海岸にまっていたのは、やぶれた筏だけであった。
 彼は、砂の上に腰をおろして、ぼんやりと考えこんだ。
 ラツールもいなくなった。ポチさえ、どこに行ったかわからなくなった。絶海《ぜっかい》の孤島《ことう》に、自分ひとりがとりのこされている。このままでいれば、ひぼしになるか、病気になるかして、白骨《はっこつ》と化《か》してしまうであろう。玉太郎は心ぼそさにたえきれなくなって、砂の上にたおれた。そして大きな声をあげて泣いた。泣きつかれて、ねむった。
 どのくらいねむったかしれないが、ふと目がさめた。脚《あし》のところへ、がさがさと何かがはいりこんで来たので、びっくりして目がさめた。
 貝だった。一枚貝だった。
 いや、手にとってみると、それは一枚貝を自分の家として住んでいるやどかりだった。
「なあんだ。やどかりか」
 やどかりは、玉太郎の手のひらの上で、しばらくじっとしていたが、やがて急に足をだして、あわててはった。そして手のひらからぽとんと下に落ち、草の中にかくれた。
 玉太郎は、草の中からそのやどかりをさがしだして、波うちぎわへほうってやった。
「そうだ、ぼくはひとりぼっちではない。この島にはやどかりもいる蠅もいる。蚊もいる。蟻もいる。それに魚もたくさんいる。ひとりぼっちじゃないぞ」
 玉太郎は立ちあがると、胸をたたいた。


   電球《でんきゅう》の魔術《まじゅつ》


 玉太郎の心は、ようやく落ちつきをとりもどした。
「もう、じめじめしたかんがえはよそう。これから先の運命は、神様におあずけして、自分はのこりの生活のつづく間、ほがらかに生きて行こうや」
 さとりの心が、玉太郎をすくった。彼はそれから、にわかに元気になった。口笛をふきながら、ぶらぶら海岸の白い砂の上を歩きまわった。
 波うちぎわに、光るものがあった。
 なんだろうと、そばへよって見ると、それは電球であった。
「こんなところに電球がある」
 彼はそれを拾いあげた。べつにかわったところもないふつうの電球だ。しかしおよそこの無人島には、にあわぬものだった。
「漂流《ひょうりゅう》して、この島へ流れついたんだよ。やっぱりモンパパ号の遺物《いぶつ》なんだろう」
 電球なんかこの島に用がないと思ったけれど彼は、それを拾って手にもった。この電球が、やがてこの島の生活になくてはならないものになろうとは、玉太郎は気がつかなかった。
 波打ぎわをすすむほどに、漂流物はそのほかにもいろいろあった。木片、箱、缶に缶詰など、少しずつだったがそれを拾いあつめることが出来た。やがて石垣のあるところまで出た。
 たしかに人の手できずかれた石垣だった。しかしその一部は、こわれていた。そこから水がはいって、内側が入江のようになっている。
 石垣のはずれのところに、カヌーという丸木舟《まるきぶね》が、さかさになってすてられていた。
 どうしてすてられたのか、玉太郎には分らなかったが、これはスコールのときに波がおこって、この丸木舟を石垣越しにうちあげたものであった。
 玉太郎は、そばへ行って、このカヌーをつくづくと見た。外へ出た腕木《うでぎ》が折れていた。それを修理すると、彼は一つ舟をもつことになる。希望が一つふえた。そのあたりで引返すことにして、また元の場所へもどった。
 ポチも帰って来ていなかったし、ラツールの姿も、やはりそこにはなかった。しかたがない。腹がどかんとへった。
 椰子の木の根方《ねかた》をさがして、椰子の実をひろって来て、穴をあけて水をのんだ。それだけではたりない。
 さっき拾った缶詰をナイフでこじあけてみた。すると思いがけなく、ソーダ・クラッカーというビスケットのようなもので、塩味《しおあじ》のつよいものが、ぎっしりはいっていた。
「ああ、よかった。これだけあれば四五日は食べつなぎができる」
 玉太郎の元気は倍にふえた。たべた。それはかなり大きい角缶《かくかん》であったから、あとはまるでそっくりしているようであった。
 腹が出来ると、ねむくなって、又ねむった。その間に、蚊にくいつかれて目がさめた。太陽が西にかたむいた。やがて夜が来る。
「そうだ。火がほしい」
 火がないと、こういう土地の夜はこわいとかねて聞いていた。
 ところがマッチがない。ライターもない。これでは火なしの生活を送らねばならないのだ。こまった。
 大いにこまりはてていると、ふと気がついたことがある。それは学校で実験をしたときに、ガラス球に水をいれ、それをレンズにして、太陽の光のあたる所へ出し、その焦点《しょうてん》のむすんだところへ、黒い紙をもっていくと、その紙がもえだしたことがあった。
 電球をさっき拾ってあった。それへ目が行ったとき、あの実験のことを思い出したのだ。玉太郎は、電球をにぎって波打ちぎわの方へ行った。そこで石を拾って、注意ぶかく電球の口金のところをかいた。しゅっと音がして、中へ空気がはいっていった。
 その電球を、海につけた。海水が穴から中へはいっていく。やがていっぱいとなった。これでいいのだ。穴のところを手でもって、玉太郎は林のところへもどって来た。そしてかたむいた陽の光をこの水入り電球でうけ、その焦点を、そこにちらばる枯草の黒ずんだものの上におとした。
 すると枯草はすぐ煙をあげていぶりだした。そこへ息をふきかけた。草は赤い炎をあげてめらめらともえだした。
「あッ。火をつかまえたぞ」
 玉太郎は鬼《おに》の首をとったようによろこんだ。やがてこの島に闇《やみ》がおとずれる。
 その夜、玉太郎はどんな夢をむすぶことであろうか。


   伯爵《はくしゃく》の昔話《むかばなし》


 ふかい闇の海上にシー・タイガ号はエンジンをとめた。
 正《まさ》に午前一時だった。
 乗組んでいる人々の中で、目をさましていない者はひとりもいなかった。みんなはりきった顔でいるが、甲板《かんぱん》へ出ている顔は誰がどんな顔をしているか分らなかった。この一千トンに足りないぼろ船は、団長セキストン伯爵の命令により、完全な灯火管制《とうかかんせい》をしているのだった。
「まちがいなくここなのかね。ねえ船長」
 伯爵は、身分ににあわぬ品のわるいがらがら声で、船長によびかけた。
「なんべんお聞きになっても、ここですよ。おっしゃったとおりの地点で、まちがいなしですよ。それに、ごらんのようにあの島の形は、おあずかりしている水夫ヤンのスケッチと同じ形をしていますからねえ」
「その島の形じゃが、わしにはよく見えんでのう。これは八倍の双眼鏡《そうがんきょう》だがね」
「見えないことはありませんよ。しばらくじっと見ておいでになると、島の輪廓《りんかく》がありありと見えてきます。わしらには肉眼《にくがん》でちゃんと見えているんですからねえ。この見《けん》とうですよ」
 そういって、くらやみでも目の見える船長は、セキストン団長の持っている双眼鏡をつかんで、それを船橋《ブリッジ》の窓枠《まどわく》におしつけ、そして正しい方向へむけてやった。
「さあ、のぞいてごらんなさい」
 伯爵団長は、それをのぞいた。
「やっぱり、わしには見えん」伯爵は、がっかりしていった。「もっとこの船を、島の方へ近づけてもらおう」
「おことばですが閣下《かっか》、もうそろそろ珊瑚礁《リーフ》になりますんで」
「リーフになったら、どうするというのかね」
「そうなると、この汽船は珊瑚礁の上にのりあげて、船底を破るおそれがあるのです。ですから本船はこれ以上深入りしないことにして、用事のある方だけ夜明けをまって、ボートに乗って島へ上陸されたらいいでしょう」
「君は、いくらいってきかせてもわからないんだね」伯爵がいらいらしていることは、その声で分った。「恐竜島へは、明るいうちにはぜったい近よれないんだ。この前、わしたちはこりごりしている。わしたちが逃げだすときだった。救いに来てくれた船に乗りうつって、やれやれ安心と思ったとき、島の上に一ぴきの恐竜がいて、こやつの目がぴかりと光った」
「へへん」
「……と思うまもなく、その恐竜は、どぼんと海中にとびこみ、そしてわしたちの乗っている船をめがけて、追いかけてきた」
「恐竜は水泳ができると見えますな」
「さあ、わしは恐竜が泳ぐところを見たことがない」
「だって、海を泳いで、閣下《かっか》たちの乗っていられる船を追っかけて来たのでしょう」
「いや、そうではない。そのとき恐竜は、たしかに海の底を歩いていたのだ。しかし恐竜の首は、海面から百メートルぐらいも上に出ていた。船のマストよりも高いんだから、おどろいたね」
「ほんとうですか。わしは信じませんね」
「ほら話をいっているんじゃないよ。じっさいに恐竜を見たわしらでなくては、恐竜がどんなに大きいけだものであるか、どんなおそろしいやつか、とても想像がつかないよ」
「へーん。……で、それからどうなりましたか」
「それから……それからがたいへんだ。恐竜は、そこまでやってくると、大きな口をあいた。口の中はまっ赤だ。蛇のように長い舌をぺろぺろと出したかと思うと、いきなり船のマストにかみついた」
「ふーん。それはたいへんだ」
「かみついたと思うと、船がすうーッと上にもちあがった。恐竜の力はおそろしい。じっさいに船をもちあげたんだからね」
「ほう」
「船からは、恐竜にむかってさかんに発砲した。しかし恐竜は平気なものさ。船長はついに大砲を持ちだした。それをどかんとやると、恐竜の首をかすった。恐竜は、はじめておどろいて、へんないやらしい声で泣いた。とたんに、くわえていたマストをはなしたもんだから、こっちの船は五十メートルばかり下の海面へぼちゃんと落ちて、ぐらぐらと来た。あのときばかりは船長以下、舵《かじ》もコンパスも放《ほう》りっぱなしにして、みんながいっしょにすがりついて、船橋《ブリッジ》をごろごろころがった」
「そうでしょう。ステアリングどころじゃない」
「すると恐竜は、山のような大波をたてて海の中にもぐった。その波にあおられて、船は一マイルほど沖合へおし流された。それが幸いで、ようやく恐竜にくわれるだけは助かった。というのは、船体はさけてがたがたになっている。浸水《しんすい》がひどくて、手のつけようもない。それから三十分ばかりのうちに沈んでしまった。乗組員は少ないボートに乗れるだけ乗ったが、その夕刻《ゆうこく》の暴風でひっくりかえり、助かったのは、このわしひとりよ」
「これはおどろいた。恐竜がそんなにおそろしいという話を、今までどうしてお話にならなかったのですか。伯爵閣下」
「それはあたり前さ。そんな話をすれば、君たちはここまで船を進ませてくれなかったろうから」
「あ、なるほど」
「だから、恐竜の害をうけないように、夜でなくては、その島へ近づけないのだ」
「それはもっともなことです」
 この話からおすと、セキストン伯爵は、再度《さいど》、探険船を用意して、いま恐竜島の附近の海面までのりつけたものらしい。


   十名の先発隊員


「あ、火が見える。恐竜島に火が見える」
 水夫が、マストの上でさけんだ。
「おお、火だ。あんな所に、なんの火だろう」
 船長も火をみとめて、びっくりした。
 伯爵閣下《はくしゃくかっか》には、あいかわらずそれが見えないので、いっそうさわぎたてる。
「海岸に火がもえている。……人影が見えない。……火は椰子《やし》の林にもえうつろうとしている」
 船長は、望遠鏡に目をあてて、きれぎれにさけぶ。
「恐竜島に、まさか人間が住んでいるはずはない。あんなおそろしいところに、住めるわけはない。どうした火じゃろうか」
 伯爵は、それが玉太郎の手ではじめられた、たき火とは知るよしもない。
 だが、その玉太郎の姿が見えないのは、どうしたわけであろう。
 そのわけは、大事件でも大秘密でもない。玉太郎はすっかり疲れきって、たき火のそばに、しゅろの蓆《むしろ》を寝床《ねどこ》にして、ぐっすりと睡《ねむ》っているのだった。長々と寝ているものだから、沖合の船から望遠鏡でこっちを探しても、見えないのであった。
「閣下、どうなさる。船は引返しましょうか、それともここからボートで上陸されますか」
「もっと、この汽船を海岸へ近よせてもらいたい」
「それはだめです。いくらおっしゃっても、リーフに船底《ふなそこ》をやられてしまっては、この船はぶくぶくの外ありません。ボートで、早く下りていただきましょう。こんなおそろしいところでぐずぐずしていて、またこの前のように、恐竜のためにマストをかじられることは歓迎しませんからね」
 船長は、いよいよ逃《に》げ腰《ごし》である。そうでもあろう。探険資金が少ないので、セキストン伯爵が、ねぎりにねぎって雇《やと》ったこのぼろ船のことである。船長以下の乗組員も、こんなやすい契約の仕事は早くおしまいにしたいと思っている。今のところ下級船員たちが、恐竜のおそろしさを知らないから、わりあいにまだ船内は静かにおさまっている。
 そこで伯爵と船長の間に、もう一度おし問答があったがそのけっか、両者の間に、次のような協定がまとまった。すなわち、あと三十分以内に、第一回上陸希望者は、ボートにのりうつって、この汽船シー・タイガ号をはなれること。本船は、ただちにこの地点をひきあげ、てきとうなところで時間をおくり、あすの夜八時になったら、ふたたびこの地点まで来る。そして夜八時から九時までの一時間のうちに伯爵たちとれんらくをとること。それから、こういう出会《であい》は、三回かぎりのこと。それがすめば、伯爵たちの側にどんな事情があろうとも、本船は一路本国へひきあげること。
 もちろん伯爵の方では、この条件にたいへん不満があったが、船長たちのきげんをこの上わるくしては、もっとわるい条件を出されるおそれがあったので、このへんでだきょうした。
 そこで伯爵は、かねて同行してきた連中たちをあつめて、第一回上陸希望者をつのった。
 ところが、そういう人たちは、みなこのふしぎな探険に胸をおどらせ、あるいは慾の皮をつっぱらせて伯爵に同行をねがった連中だったから、その大部分が第一回の組にはいりたがった。
 けっきょく、くじびきできめることになった。
 そのけっか、えらばれた人は、次の十名であった。
 まず、団長のセキストン伯爵はくじびきぬきでくわわることに、だれも異存《いぞん》はなかった。
 ツルガ博士《はかせ》。これは熱心な考古学者であった。しかし貧乏な人で、パリの一隅《いちぐう》に研究室を持っていた。
 このツルガ博士の娘で、ネリという幼い金髪少女。博士の家族は今自分とネリ嬢とたった二人だけであるから、こんどの探検にも、つれて来たのである。
 実業家マルタン氏。でっぶり太った実業家らしい人。こんどの探検で、なにか新しい事業を見つけるつもりらしい。
 ケンとダビット。この二人はアメリカ人で、ケンは映画監督、ダビットは撮影技師。この探検のことを聞いて、すばらしい探検記録映画を作るいきごみで加入した。
 モレロ。これは探検家へ一番たくさんの寄附をした人。顔にきずがあり、すごい顔をしている。一くせも二くせもある人物。
 張子馬《ちようしば》氏。中国人で詩人だという。
 この外《ほか》に、水夫のフランソアとラルサンの二人。
 これで十人だ。
 伯爵団長に急がされて、みんなそれぞれの持物を持ってボートの中へ乗り移る。
 張さんが、食糧係で、二人の水夫をさしずして、水やパンなどをつみこむ。こうしてよういは出来た。伯爵が最後に乗りこもうとして舷梯《はしご》に一足かけたとき、
「閣下、ちょっと」船長がよびとめた。
「なにかね」
「さっきお話の恐竜は、あのとき死んだのですか、それとも生きのびたですかね」
「多分死んだろうね。なにしろ首を大砲の弾丸《たま》でけずられてみたまえ、君だって生きていられまい」
「なるほど。それで安心しました」
「しかしその恐竜が死んだという確証《かくしょう》はない。では、さよなら、ボールイン船長」
 伯爵は握手をもとめて、ボートの方へおりていった。
 そのとき西の方から、急に強い風が吹き起った。見ればまっくろな嵐の雲が、こっちへ動いて来る。雲の中でぴかりと、稲光《いなびかり》が光った。
 舷側《げんそく》を、とがった波がたたきつけている。


   とつぜん怪物|出現《しゅつげん》


「やれやれ、かわいそうに。ボートは大波にゆすぶられてすぐには島へつけないだろう」
「もう一時間おそく、本船を放れりゃよかったのになあ」
「とんでもない。こんなおそろしいところに、あと一時間もまごまごしていられるかい」
 船長は、すばやく防水帽をかぶって、微速《びそく》前進の号令をかけた。
 ばらばらと、大粒の雨が落ちて来た。
「半速。……おもー舵《かじ》いっぱい」
 船がぐるっとまわりはじめる。島の火が、左うしろへ流れていく。
「おや船長。どういうんだか。舵がよくききませんが……」
 操舵手《そうだしゅ》がうしろでさけんだ。
 なるほどそういえば、いったん左うしろへ流れた島の火が、また正面近くへもどって来たではないか。
「おもー舵いっぱい」
「そのとおり、おも舵いっぱいなんですが、船が逆にまわっています」
「そんなばかなことがあるか。お前は何年舵をとっているんだ」
 と、船長は操舵手を叱《しか》りつけながらも、なんだか背すじに寒さがはしるのを感じた。
 そのときだった。舳《へさき》の方で、ごとんとはげしい音がして船が何か大きなものにぶつかったようす。エンジンが苦しそうにあえぐ。
「どうした。何だい、ぶつかったのは……」
 船長はブリッジから顔を出して、雨にうたれるのもかまわず、舳の方へ声をかけた。
 するとその方からの返事はなく、そのかわり、船橋の上の無電甲板から誰かさけんだ。
「船長。船の上に、何かいますよ」
「なにッ。何がいるって」
「メインマストの上のあたりをごらんなさい。なにか黒い大きなものが立っています。竜巻《たつまき》かな、いや竜巻じゃない」
 船長はおどろいて、メインマストが見えるところまで船橋の上を大またでとんで行って、上をあおいだ。
 そのとき、ぎょォううッというようなあやしい声を上の方で聞いた。
 と思ったとたんに、ぴかりと電光が暗闇を一しゅんかんま昼のように照らした。
「あッ、あれだッ」
 船長はもうすこしで気絶《きぜつ》するところだった。彼は見た。はっきり見た。おそろしい大怪物が、メインマストの上でくわっと口を開き、こっちをねめつけているのを。
 恐竜だ。たしかに恐竜だ。
 ついに、恐竜がやって来たのだ。
 セキストン伯爵は、恐竜は昼間だけしか出ないといったが、夜も出るじゃないか。それならそうと、注意しておいてくれればいいのに……。
 こまった。どうして恐竜とたたかうか。
 大砲なんか、本船にはない。
 それにしても、恐竜はもう死んだとばかり思っていたのに、なぜ現われたのか。
 そうか、分った。首を大砲の弾丸でけずられた恐竜は、うらみにもえあがり、この船をおそって来たのだ。
 おい、ちがうぞ。おれがやったことではないのだ。
 と、ボールイン船長の頭の中は大混乱《だいこんらん》して、生きた気持もしない。
「船長、船長。あれは動物ですよ。海に住むとても大きな動物ですぞ」
 わかっている、恐竜だ。
「恐竜だ。みんなピストルでも何でもいいから、あいつをうて」
「いや、うつな。あいつを怒らせると、たいへんなことになる」
 船長は、下級運転士がよけいなことをいったのに腹を立てながら、うち消した。
「だめです。あのけだものは、大おこりにおこっていますぜ。あっ、船がかたむく。船長。本船はひっくりかえりますぞ。早く号令を出して下さい」
「号令を出せって。両舷全速《りょうげんぜんそく》だ」
「だめだなあ。本船には両舷エンジンなんかありませんよ。ああ、いけねえ。もうだめだ」
 その声の下に、汽船シー・タイガ号は横たおしになってしまった。そしてふたたび復元《ふくげん》する力もなく、乗組員たちの救いをもとめるさけびがものがなしくひびかうなかに、船はじわじわと沈んでいった。方々の開放されていた昇降口から海水が滝のようにとびこんだためであろうが、タイガ号が横たおしになったのは、とつぜん現われた恐竜の襲撃によることは明白だった。


   ボートの運命


 タイガ号が恐竜におそわれるすこし前に、ボートにのり移って同船をはなれたセキストン伯爵たちは、どうなったであろうか。
 伯爵は、誰よりも早く、海中に恐竜が現われたことに気がついた。彼はおどろきのあまり心臓がとまりそうになったが、ここが生命《いのち》の瀬戸《せと》ぎわだと思い、
「早く島へこぎつけるんだ。今シー・タイガ号は、怪物におそわれている。この間にすこしも早くボートを島へこぎつけろ。さもないと、われわれまで、怪物の餌食《えじき》になってしまうぞ」と、オールをにぎっている連中に急がせた。
 なお伯爵が、このように落着いていたのは、やはりこれまでの探検で、ふつうの人たちよりは胆《きも》がすわっていたせいであろう。彼は、「恐竜だ」ということばをわざとさけ「怪物が現われた」と、すこしおだやかなことばづかいをした。それは他の人々が、恐竜がと聞いたときに、そろって腰をぬかしてしまってはたいへんと、気がついたからだ。
 ボートは、島のたき火を目あてに、波をかきわけて矢のように走った。
 実業家マルタン氏が舵手《だしゅ》だったが、氏は非凡《ひぼん》なうでをあらわして、波をうまくのり切った。
 島はだんだん近くなったが、ぴかり、ぴかりと稲妻《いなずま》がきらめくたびに、一同は不安にかられ、神に祈り、誓いをたてた。
 がりがりッと大きな音がして、ボートは下から突上げられた。と、いくらオールで海面をひっかいても、もう進まなくなった。
「いけねえ。リーフへのしあげちまった」
 水夫のフランソアがさけんだ。
「リーフへのしあげちまったって」伯爵がいまいましげに舌打ちをした。
「お前ら、海へはいってボートを、リーフから下ろしてくれ」
「とんでもないことでございますよ」
 と、水夫のラルサンが、かぶりをふった。
「そんなことをいわないで、はやく海へはいってボートをおしあげてくれ」
「あっしゃ、鱶《ふか》という魚がきらいでがんしてね。あいつはわしら人間が海へはいるのを一生けんめいねらっているんです。はいったところをぱくり。もものあたりから足をくいとられたり、お尻の肉をぱくりとかみ切っていったり。えへへ、なんでしたら閣下が鱶へ食糧をおあたえなすっては……」
 ラルサンは皮肉《ひにく》をとばす。
「鱶にくわれる方が、恐竜に食われるよりは、ましだというのかい」
 伯爵も負けずにやりかえした。恐竜といったが、それはラルサンたちの胸へ、ぎくりと大きくひびいた。
「恐竜がどうしたんで……」
「どうしたといって、わしらがボートで出たあと、海中からとつぜん恐竜が現われ、船は沈没してしまった」


   総督閣下《そうとくかっか》


 その翌日から、恐竜島はにぎやかになった。
 前夜の危難と恐怖と疲労とで、身も心もへとへとになった探検団員も、朝になると元気をとりもどして、一人また一人とおき出で、肩をならべて沖合に難破しているシー・タイガ号をさしては、昨夜のおそろしい思い出話に時間のすぎていくのもわからないようであった。
 タイガ号は恐竜のため船体をまっ二つに割られ、いったん浪にのまれたが、その後また恐竜におもちゃにされてはねとばされたものと見え、船尾《せんび》の方はずっと島の近くの暗礁《あんしょう》の上にのって居り、船首の方はそれから百メートルほどはなれたところに、船首のほんの先っちょと、メイン・マストを波の上に出していた。さんたんたるタイガ号の姿であるが、これを見ても恐竜の力がおそろしく強いことがうかがわれる。
 タイガ号の乗組員はどうなったであろうか。かげも姿も見えない。しかしほとんど助かっていないであろう。それに今は下《さ》げ潮《しお》のこととて、附近の漂流物は沖合へ流されているのだ。
「ああ、総督閣下。お早ようございまする」
 がらがら声で団長セキストン伯爵があいさつをした相手を見れば、余人《よじん》ならず、玉太郎だった。
「ぼくは総督ではありませんよ」
 と、玉太郎ははにかむ。
「いや、あなたは総督です。われわれは総督がおられる、この島へ昨日上陸をゆるされたのですからねえ」
 伯爵は大げさな身ぶりともののいい方で、玉太郎へ敬意を表した。玉太郎は昨日のことを思い出した。
 さびしく海岸にひとり火をたいて睡《ねむ》りについた玉太郎は夢の中で、ラツールと愛犬ポチの姿をもとめていた。そのうちに大きな音がしたので目がさめた。波打際《なみうちぎわ》がさわがしい。多人数のののしる声やおびえた声。それにさくさくと、砂をふむ足音。玉太郎はおどろいて枯葉の寝床のうえにすっくと立ち上った。
 そのときである。一人の老いたる白人が、銃を手に持って彼の方へ突進してきた。焚火《たきび》が老人を赤々と照らした。老人は、焚火の前まで来ると、はたと膝を折って砂の上にふした。
「お助け下さい。神の子よ」
 老いたる人は祈りの声をあげた。それは玉太郎の姿にむかって、なげられたことは疑いない。火の向こうにすっくと立っている玉太郎の姿は、神々《こうごう》しかったにちがいない。
「神の御子《みこ》ではありません。この島に住んでいる人の子です」
 と、玉太郎はこたえた。
「ああ、それでは総督閣下だ。おお閣下。恐竜に追われてかろうじてこの海岸へたどりついたわれわれ十名の者をあわれみたまえ。閣下の庇護《ひご》の下に、われわれ十名の者をおかせたまえ」
 この芝居じみた対話がはじまって、玉太郎はあやういとこを脱したタイガ号ボートの一団とひきあわされ、そしてその間にもセキストン伯爵から、さかんに「総督閣下」とよばれたのであった。
 幸いに彼ら十名は、けがもしていないで、無事だった。しかし心身《しんしん》の疲労はひどく、火のそばへは寄ったものの、誰も立っていられる者はなかった。そのまま、そのところに彼らは泥のような睡りに落ちていったのだ。これから暁がきて、前にものべたように、それらは一人一人起き出して、朝のさわやかな空気をすい、そして自分が平和な島の上に居ることを知って、元気をもりかえしていったのである。
 朝食は、玉太郎にとって、この数日中一番の豪華版《ごうかばん》だった。探検団がボートに積んで来た食糧はここ四五日間をふつうにまかなうに十分であった。空缶の隅についたバターをほじくったり、椰子の実の白い油をかじって空腹をしのいでいた玉太郎にとっては、たいへんな御馳走であり、そしてまた彼に新しい元気をつけたことはたしかであった。
 玉太郎は、朝食をとりながら、探検団の人々にむかって、これまでの話をのこらずして聞かせた。話が、ラツール記者と愛犬ポチの行方《ゆくえ》が今なお分らないというところまですすむと、探検団の連中はざわめきだした。
「これはたいへんだ。恐竜とこの島に同居《どうきょ》するのでは、たいへんだ」
「やっぱり恐竜は人間をくうんだね。そこまでは考えなかった」
「人間をくうとは、まだはっきり断定できないだろう」
「いや、あの小さい総督が今いった話によると、ラツールとかいうフランス人がくわれ、ポチという犬が恐竜にくわれたそうじゃないか」
「目下《もっか》行方不明だというんだろう。くわれたかどうか、そこまではまだわかっていない」
「くわれたにきまっているよ。こんな小さな島で、行方不明もないじゃないか。それにわれわれは母船《ぼせん》を失った。あのとおり親船《おやぶね》のシー・タイガ号はまっぷたつにちょん切られて、もう船の役をしない。われわれはこれから恐竜島に缶詰めだ。そこで今日は一人、あすは次の一人という工合に、恐竜の食膳へのぼっていくのだ。はじめの話とはちがう。ああ、これはたいへんだ」
「なるほど。これはゆだんがならないぞ」
 このざわめき話に、水夫のフランソアとラルサンの二人は、絞首台の前に立った死刑囚のように青くなった。


   いがみあい


 玉太郎ひとりのときと違い、ともかく十名の探検団員が島の生活にくわわったこととて、仕事はどんどんすすんだ。
 この島の小さな社会の中心人物は、やはり実業家のマルタン氏だった。氏は、でっぷりふとった体をかるくうごかして、孤島《ことう》に半永久《はんえいきゅう》の安全な生活をつづけるために、色々と計画をたて、その指揮をして人々を動かした。
 マルタンに比べると、団長の伯爵セキストンなんかは隠居《いんきょ》の殿様みたいであった。
 マルタンの命令により、組員はかわるがわるボートに乗り、沖合の難破船へ漕《こ》ぎつけては、船に残っている食糧や布片《ぬのきれ》や器具などをボートにうつして持って帰った。
 彼らは、不幸な乗組員には、ついに会うことがなかった。みんな波間に沈んでしまったらしい。もうすこしボートの出発がおそかったら、自分たちはもうこの世の者ではなかったんだと思うと、身ぶるいが出た。
 さて島では、その日のお昼すぎに、居住《きょじゅう》の用意がいちおうととのった。そこで探検隊は、本来の仕事につくことになった。
「まず第一にとりかかることは、ラツール記者の姿が消えたという崖《がけ》のあたりを捜索《そうさく》することだ。早速みんなで行ってみようじゃないか」
 伯爵団長はそういって、隊員の顔をみまわした。
「さんせい。すぐ出かけよう」
「よろしい。われわれもゆく」
 マルタンに同意して、ケンとダビットの撮影班も腰をあげた。
 ツルガ博士は、娘ネリの手をやさしくなでて、これからはじまる探検にいっしょに行くようにやさしく説いて聞かせた。
 それを横から見ていて、玉太郎は胸があつくなった。こんな少女が恐竜島の探検についてくるなんて、なんという無謀《むぼう》なことかと思った。
「子供は、ここへおいておくんだな。恐竜は子供の泣き声を聞きつけると、よろこんであらわれる。こっちが危険のときに、わあわあ子供に泣かれては大迷惑《だいめいわく》だ。なにしろ生命がけの仕事なんだから……」
 そういったのは、すごい紳士モレロだった。彼は顔も口調も、ネリにかみつきそうにしてしゃべったものだから、少女はびっくりして父のふところに抱きついた。
「ネリちゃん。ぼくといっしょに、ここでお留守をしていましょうか」
 玉太郎は、気の毒になって、そういった。
 するとツルガ博士は、玉太郎のことばにはあいさつも何もしないで、娘の頭髪《かみ》をしずかになで、
「恐竜は、ばかな獣《けだもの》なのです。ちっともこわくありませんよ。ネリはおとうさんといっしょに行くんだから、大丈夫です」
 と、いいきかす。
 伯爵団長は、下唇をつきだして、灰色の頭を左右にふった。詩人張子馬は目を細くひらいて、夢を見ながら微笑しているようだ。
 フランソアとラルサンの二人はしめしあわせて、こそこそ後《あと》じさりをはじめた。この席から姿をかくして、第一回の探検には参加しないですむようにしたい心だった。
「団長。子供は連れていかない、はっきり宣言したまえ」
 モレロは、ほえる。
「まあ、なんだね、各人の自由行動としておこう。強制するのはこのましくない。また、はじめから小さいことで、折角《せっかく》の隊員がにらみあうのはいやだから……」
 団長は、反対のことばをはいた。
「おいおい。いくら老人団長でも、そうもうろくしてもらってはこまるぜ。問題は、われわれの生命にかかっている。危機一髪《ききいっぱつ》というところで、子供がわあッと泣いたため、恐竜がわれわれのいることに気がついてとびかかって来たらどうするんだ。われわれの生命の安全のために、われわれは幼児の同行に反対する。さあ、団長。はっきり宣言したまえ」
「それはこまる」
「なにイ……」
「まあ、まちたまえ。団長、モレロ君。恐竜島へ上陸したとたんに、せっかくにここまではるばる仲よくやってきた隊員の間で争いがおこるというのはおもしろくない。よく話し合って、協調点をみつけてくださいよ」
「生命の問題は、ぜったいだ。協調なんかして死ぬのはいやだ」
「今さら、隊員の自由をしばるのはいやだ」
「どっちも、もっともです。しからば、こうしたらどうです。ツルガ博士がゆくときは、モレロ君はあとにのこる。次回はモレロ君がゆき、ツルガ博士はあとへ残る。そんならいいでしょう」
 マルタンの調停《ちょうてい》に、モレロはまだ不服でぐずぐずいっていたが、しかしついに説きなだめられ、モレロはやっと承諾した。そして第一回のときにはツルガ博士が出かけ、第二回のときにはモレロがゆき、二人はいっしょには行かないことに、だきょうがついた。
 しかしそのあとでも、モレロはこわい顔をして、がなりまわっていた。


   探検隊員出発


 その日の午後二時過ぎになって、シー・タイガ号は第一回の探検に出発した。もちろんこれは伯爵団長がひきいていた。そしてツルガ博士のネリはくわわっていたが、モレロはいなかった。
 二人の水夫も、第一回には参加しないでいいことになった。それから、中国詩人の張子馬も残ることとなった。
 つまり、留守番はモレロ、張、二人の水夫の四名であり、出発したのは玉太郎少年の外《ほか》に伯爵団長、マルタン、ツルガ博士と娘、ケンとダビットの映画撮影班の七人だった。
 玉太郎は、隊長とならんで、先頭に立って密林にはいった。
 やがて歩けなくなったので、玉太郎は先頭になり、そのあとに団長がついた。それからツルガ博士と娘。そのあとにマルタンが護衛のようにしたがった。二人の映画班はいつもおくれがちであったが、これはもちろんとちゅうでしばしば目的物をつかまえて、十六ミリ天然色映画をとるので、そうなるのであった。
 密林の中を行くとき、玉太郎は伯爵団長に、彼がこの前にこころみたこの恐竜島の探検のことや、もっと前の、例の水夫ヤンの写生画のことなどについて質問した。セキストン団長は、はじめのうちは元気に語っていたが、そのうちにはげしい暑さと強い湿気《しっけ》にあえぎだし、もう苦しくてしゃべれないから、別のときに語ろうといって、物語をやめてしまった。このとき玉太郎が聞いたのは、前に団長がシー・タイガ号の船長などに語ったのと、だいたい同じ程度のものにすぎず、まだ深く、語るというところまではいかなかった。
「おーい。待ってくれーッ」
「おーい」
 映画班は、ときどきうしろからよんだ。そのたびに、玉太郎と団長と、博士と、娘にマルタンの五人は足をとめて、映画班の追いついてくるのをまたなくてはならなかった。そんなことが、沼のふちへ出るまでに六七回もあった。
 そういうときには、はじめのうちは、伯爵団長がぶつぶついっていたが、あとの方になると、彼はそういうときが救いの時きたるとばかりに足を止め、腰をたたき、汗をぬぐい、身体に吸いついている蚊《か》をたたき殺すのであった。
 ついに沼が見えた。
 この前のとおり、岸をぐるっと右へまわっていった。
 するとこんどは、ツルガ博士と娘とマルタンが、後におくれだした。いや、おくれだしたどころではない、ツルガ博士は沼を見ると大興奮《だいこうふん》のていで、岸のところにしゃがみこんでしまったのだ。博士は、その服装にはふにあいのりっぱなプリズム双眼鏡を取出して、沼の面を念入りに、いくどもいくどもくりかえし眺《なが》めるのだった。
「ツルガ博士。くわしく観察するのは後にして、まずみなさんといっしょに、行きつくところまで行ってみようじゃありませんか」
「しいッ、しずかに……」
 マルタン氏のことばに、博士のむくいのことばは、おしかりであった。娘のネリまでが、マルタン氏に対して、大きな丸い目をむけて、「おとうさんの、お仕事を、じゃましないでよ」と抗議するようであった。
 常識があり、礼節ただしいマルタン氏は、けっして腹を立てなかった。しかしこの博士組と、先行組との間に板ばさみになって、こまってしまった。さりながら、いかなることありとも老博士と幼い女の子だけをここに残していくわけにはならなかったので、自然マルタン氏は博士の動きださないうちは、この沼の岸をはなれることはできなかった。そしていやでも博士のようすに興味をさがしもとめる外なかった。
 ツルガ博士の観測は、いつまでたっても双眼鏡で沼の面をなめまわすだけであったから、しまいにマルタン氏もたいくつして、こっくりこっくり居眠《いねむ》りをはじめた。


   絶好《ぜっこう》の舞台《ぶたい》


 先行組の四人は、この前ラツールがよじ登っていった崖の下に立って、上を見上げていた。
「もしもし、団長さん、早く恐竜を出して下さい。どのへんから出ますか」
 映画監督のケンが、伯爵団長にさいそくをした。
「じょうだんをいってはこまる。恐竜はわしが飼っているのではない」
「夜間撮影はだめなんですよ。昨日のように出られても、こっちはとりようがありませんからね。こんどから太陽の光がかがやいているうちに出して下さい」
「まだそんなことをいう。わしは、恐竜動物園の園長でもないし、また恐竜の親でもないんだからね」
「ロケーションは、このへんがもうし分なしですね。あのそぎたったような崖、たおれた大榕樹《だいようじゅ》、うしろの入道雲《にゅうどうぐも》の群。そうだ、あの丘の上へ恐竜を出しでもらいたいですね。つまり崖の上ですよ。団長さん」
「ああ、なんとでも勝手にいいたまえ。君は昨日の事件で頭がへんになったのにちがいない。あーあ、あわれなる者よ」
「じょうだんでしょう。気がへんになっていては、こんなに見事に仕事の註文《ちゅうもん》をつけられませんよ。僕たちは、この恐竜撮影に成功して、本年の世界映画賞を獲得する確信をもって、やっているんですからね。だから団長さんも、その気になって、僕達に協力してもらいたいですよ」
「ああ、いよいよ、のぼせあがっている。かわいそうに」
「もっと註文をつければ、崖の上のあの丘を舞台にして、右手の方から恐竜を追出してもらいたいですね。そしてでてきたら、恐竜は首をうんと高くのばして入道雲のてっぺんをぺろぺろなめるんです。もちろんそれはかっこだけで、ほんとうに雲のてっぺんをなめなくてもよろしい」
「わしはもう君の相手はごめんだ。わしの方が、頭がへんになる」
「それからこんどは、大恐竜は、おやッという顔をして、長いくびを曲げ、崖の下を見る。そこで崖下にいるわれわれの存在に気がついて、長いくびをのばして、あれよあれよというまに崖の下にいる僕らのうちの誰かの頭にがぶりとかみつき、むしゃむしゃとたべてしまう。大恐竜の口にくわえられた探検隊員は、それでも助かろうとして、手足をばたばたさせる。どうです、すごいじゃありませんか。団長さん。あんたは、恐竜の口にくわえられて、手足をばたばた動かせますか」
「とんでもないことをいう人だ。わしゃ、かなわんよだ」
「まあ、そのときは、一つ全身の力をふるって、手足を大いにばたばたと、はでに動かして下さいよ。それについて団長とけいやくしましょう。十分映画効果のあるように、はでにばたばたやって下されば、その演技に対して僕は二百五十ドルをあんたにお支払いいたしましょう。どうです、すばらしい金もうけじゃあないですか」
「とんでもない。瀕死《ひんし》の人間が、そんなにはでに手足をばたばたさせられるものか。たとえ、それができるにしても、わしは恐竜にたべられるのは、いやでござるよ」
「ちぇッ。こんないい金もうけをのがすなんて、団長さんも慾《よく》がなさすぎるなあ」
 映画監督ケンは、残念そうに舌打をしながら、目を丘の上へやった。
 そのときだった。
 とつぜん、わんわんと、崖の上で犬がほえだした。玉太郎はおどろいた。ポチであろうか。ポチのようでもあるしポチの声とはちがっているようでもある。玉太郎は、かたずをのんで崖の上に目をすえる。
「ほッ、恐竜がないているぞ。ふん、恐竜は犬みたいな声でなくと見える。………おい、カメラ、ようい!」
 ケンは、手をあげて撮影技師のダビットに命令した。
 と、崖の上を、右から小さい犬が走り出た。まぎれもなく、それはポチであった。
「あッ、ポチ! ポチだ」
 と玉太郎は一生懸命、下から呼ぶ。しかしポチには玉太郎の声が聞えないらしく、崖の上で、うしろをふりかえってほえたてる。
「あれッ。あんなチンピラ犬か」
 ケンはがっかりした。が、彼はつづいて、爆発するような声でさけんだ。
「あッ、出た。うしろから恐竜が現われた。カメラ、はじめ。ううッ、すげえ、すげえ。そのチンピラ犬。早く恐竜にとびつけ。そしたら懸賞五百ドルをていするぞ」
 ケンは、どなり、さけぶ。
 大恐竜が、ほんとに現われたのだ。崖の上、右手から長い首だけをぬーッと出して、じろッと崖下の四人の人間を見た。


   くやしい失敗


 巨獣恐竜《きょじゅうきょうりゅう》とテリアのポチとでは、相撲にならない。
 ぬっと恐竜が首を前へつきだすと、ポチはあわてて尻ごみし、そして崖から足をふみはずして、きゃんきゃんと悲命をあげながら、下にすべりおちた。
「ポチ。ポチ。ぼくだよ、しずかにおし」
 恐竜の出現《しゅつげん》よりも、愛犬ポチがぶじにもどって来たのでうれしさに夢中になっている玉太郎だった。ポチは、玉太郎の胸にだかれる。
「ちぇッ。惜しい。もうすこし何か芝居をやってくれればよかったのに、もうひっこんじまった」
 映画監督のケンは、残念そうに、崖の上を見上る。恐竜の首は、すでに引込んでしまって、倒れた椰子《やし》の木が、そのかわりをつとめているように見える。
「おい、ダビット。“恐竜崖の上に現わる”の大光景は、もちろんうまくカメラにおさめたろうね」
「失敗したよ。怒るな、ケン」
「えッ。失敗したとは、どう失敗したんだ」
 ケン監督は、顔色をかえて、ダビット技師の肩をつかんでゆすぶる。
「レンズのふたを取るのを、忘れてたんだ。あやまるよ」
「なに、撮影機のレンズのふたを取るのを忘れたというのか。それじゃ、あの息づまるような恐竜出現の大光景が、たった一こまもとれていないのかい。じょうだんじゃないぜ。生命がけで、こんな熱帯の孤島まで来て苦労しているのに……」
「今後は気をつけるよ、ケン。なにしろ、おれは恐竜のあまりでっかいのにびっくりして、レンズのふたを取るのを忘れてしまったんだ。これからは、こんな失敗はくりかえさない。しかし、ああ、どうも、全くおどろいたね」
「恐竜を恐《おそ》れていては仕事ができないよ。あんなものは、針金と布片《きれ》と紙とペンキでこしらえあげた造り物と思って向えばいいんだ。しっかりしろよ」
「すまん。全く、すまんよ」
「こうなると、次はもっとすごい場面に出あいたいものだ。おお、隊長どの。この次、恐竜はどこに出ますかね」
 監督ケンは、どこまでも人をくった質問をして、伯爵隊長の目を丸くさせる。
「わしが恐竜を飼っているわけではあるまいし、そんなことを知るもんかね。……しかし恐竜がこの島にすんでいることだけはまさに証明された。しからば、今日のうちにも恐竜に再会することができるじゃろう」
 そういって伯爵隊長は、吐息《といき》をつき、胸をおさえた。昨日来、伯爵はおどろき又おどろきで、心臓の工合が少々変調をきたしている。
「あの崖をのぼって、恐竜がさっき首を出したところがどんな場所なんだか、調べてみたらどうですか」
 ポチをだきしめている玉太郎が、このとき発言した。
「うん。それは考えないでもなかったが、ちょっとは、できないね」
 と、監督ケンが、今までのいきおいににず、尻ごみをする。
「わしは、一たん、うしろへ下って、すこしじゅんびをした上で、恐竜へむかうのがいいと思うね」
 これは伯爵隊長のことばだ。
「そうですか。それではぼくひとりで、崖の上へ行ってみましょう。みなさん、ここで待っていて下さい」
 玉太郎はポチの頭をなでながら、そういった。
「そりゃ冒険だ。君ひとりで行くのはよろしくない」
 ケンとダビットが、このとき顔を見合わせて何かいっていたが、話がきまったと見え、
「よろしい。玉太郎君にさんせい。ぼくたち二人も、君といっしょに崖をのぼるよ。なにしろ百万ドルの賞金をつかむためには、ぐずぐずしていられないからね」
 映画斑の二人が玉太郎と共に、崖上へ行くことを承知したので、残る伯爵隊長もお尻がむずむずしてきた。いっしょに行きたくもあるし、危険で行きたくなくもある。
 だが、玉太郎と二人のアメリカ人が崖をのぼりだすと、セキストン伯爵も、一番最後から崖へ手をかけてのぼりはじめた。
 ポチは、首玉に綱がむすびつけられ、綱のはしは玉太郎のからだにしっかりとしばりつけてあった。
 ようやく三人は崖の上にのぼりついた。
 ポチがほえた。
 崖のとちゅうで、はあはあと息を切っていた伯爵が、はっと体をふせた。またもや恐竜が現われたとかんちがいしたらしい。
「犬ははなしたがいいよ、危険を予知することができるからそうしたまえ」
 監督ケンが、玉太郎にいった。
 玉太郎も、それはそうだと気がついたので、ポチの首から綱をはずした。ポチはよろこんで、そこら中を嗅《か》ぎながら走りまわる。
 しかし、恐竜の首がひこんだ林の奥は、しいんと、しずまりかえっていた。


   恐竜の気持


「さあ、出かけましょうか」
 玉太郎は、二人の映画班の方へ声をかけた。
「いや、ちょっとまった。隊長が、まだ崖をのぼり切っていないから……」
 監督ケンは、そういって、崖のところへ出て、下をのぞきこんだ。
「おーい、隊長。ロープでも下ろしてやろうかね」
 ケンは、がむしゃらのようでいて、細心《さいしん》であり、親切であった。
 下では、伯爵が何かいったが、玉太郎には聞きとれなかった。
「ダビット。手をかせ」
 ケンは、腰につけていたロープをほどくと、一はしをダビットにわたした。わたされた方は、それを胴中《どうなか》に結びつけると、うしろへ下って椰子《やし》の木にだきついた。カメラはそばの雑草の上へそっとおいた。
「オー、ケー」
 ダビット技師が、うなずいていった。
「よし、分った」ケンはロープを巻いたやつを軽くふりまわしはじめた。
「おーい、隊長。今いくよ」
 伯爵が上をむいた。そこへロープは、ぴゅーっとでていった。ケンが右腕をすばやく引く。するとロープのはしの輪が、うまく伯爵の上半身をとらえた。
「あげるよ」
 ケンは下へ、そういってから、うしろのダビットへ合図をする。
 そこで二人は、呼吸を合わせてロープをたぐった。玉太郎もうしろへまわって、ロープのはしをにぎった。
 やがて伯爵隊長の帽子が見え、それからふとったからだが現われた。
「やれやれ、助かった。どうもありがとう」
 伯爵は、地面に膝をつき、胸をおさえた。彼の背中で、自動銃がゆれた。
 一息いれるために、ケンとダビットは煙草に火をつけた。伯爵にもすすめたが、彼はそれをことわって、腰にさげていた水筒《すいとう》から少しばかり液体をコップの形をしたふたにとって、口の中へほうりこんで、目をぱちぱちさせた。強いブランデー酒らしい。
 ケンは、玉太郎へ、チュインガムをくれた。ポチにも、ポケットから四角なかたそうなビスケットを出して……。
「ねえ、隊長。恐竜てえのは、猛獣の部類なのかね。それとも馬や水牛《すいぎゅう》なみかね」
 監督ケンが、たずねた。
「君の知りたがっているのは、恐竜が人間を見たらたべてしまうかどうかということかな」
 伯爵は二杯目をつぎながら、相手にたずねた。
「そうだ。そのことだ。それを知っていないと、これから恐竜とのつきあいにさしつかえるからね」
「そのことだが、恐竜は猛獣のように荒々しいともいえるし、そうでもないともいえるし」
「なんだ、それじゃ、どっちだかはっきりしないじゃないか」
「いや、はっきりしていることはしているのだ。つまり相手によりけりなんだ。自分の気にいらない相手だと、くい殺してしまうし、自分の好きな相手なら、羊のようにおとなしい」
「恐竜は、好ききらいの標準をどこにおいているんだろうね」
「まず、虫が好くやつは好きさ。虫が好かんやつはきらいさ」
「それはそうだろうが、もっとはっきりと区別できないかな」
 ケンは伯爵の返答にしびれをきらす。
「わしの経験では、或る種のエンジンの音をたいへんきらうようだ。ほら、昨日シー・タイガ号が恐竜におそわれて、あのとおりひどいことになったが、あれは恐竜がエンジンの音が大きらいであるという証明になると思う」
「好きなエンジンもあるんだろうか」
 ケンは、ダビットが手にしている撮影機へ目をはしらせる。この撮影機の中にバネがあって、撮影をはじめるとそのバネが中で車をまわすが、そのときにさらさらと、エンジンのような音を出す。だからケンは、急に心配になった。
「鍛冶屋《かじや》のとんてんかんというあの音は好きらしい。蓄音器のレコードにあるじゃないか。“森の鍛冶屋”というのがね」
「それはエンジンの音ではないよ」
「飛行機のエンジンの音が問題だ。こいつはまだためしたことがないから分らない。そうそう、原地人の音楽も、恐竜は好きだね。あのどんどこどんどこと鳴る太鼓の音。あれが鳴っている間は、恐竜はおとなしいね」
 伯爵隊長の話は、どこまでいってもきりがない。とにかく恐竜は、音響に敏感で、好きな音ときらいな音とがあるという伯爵の結論は、ほんとうらしい。
「さあ、みなさん。出かけましょうよ」
 玉太郎は、一同をうながした。
「ああ、出かけようぜ」
 監督ケンが、ダビット技師に合図をおくって、煙草をすった。
 伯爵隊長も、大切な酒入りの水筒を背中の方へまわしてひょろひょろと立ち上った。


   旧火口《きゅうかこう》か


 一行は、ついに問題の崖上の密林の中へ足をふみこんだ。
 せんとうは、もちろん玉太郎の愛犬ポチであった。ポチも一行にだいぶんなれて、むやみにほえなくなった。
「玉ちゃん。あまり前進しすぎると、あぶないよ」
 うしろから監督ケンが注意をする。
 そのうしろには、ダビット技師が、手持撮影機をさげ、のびあがるようにして前方のくらがりをのぞきこんで歩く。
 そのうしろに、伯爵隊長が、猟銃《りょうじゅう》を小脇《こわき》にかかえて、おそるおそるついて来る。
「あッ、大きな穴がある。噴火孔《ふんかこう》みたいな大きな穴が……」
 玉太郎が、おどろいて立ちどまると、前方をさす。
「おお。やっぱりそうだ。あれは恐竜の巣の出入口なんだろう。おい、ダビット。カメラ用意だぞ」
「あいよ」
 伯爵団長が大きな声をあげた。
「ふしぎだ。この前来たときには、こんな穴はなかったのに……」
 彼は顔一面にふきだした玉なす汗をぬぐおうともせず、目をみはった。
「え、この前には、こんな穴はなかったんですか」
 玉太郎が、きいた。少年は、仲よしのラツールが今ゆくえが知れないので、彼の運命がいいか悪いかを考えて、すべてのことが一々気になってしようがなかった。
「この前、わたしたちがここを通ったときにはね、ここらあたりは赤土の小山《こやま》だったがね、たしかに、穴なんかなかった」
「じゃあ、いつの間にか、その小山が陥没《かんぼつ》して穴になったんでしょうか」
「そうとしか思えないね。まさか道をまちがえたわけではないだろう」
 玉太郎と伯爵隊長が、大穴のできた原因について話し合っている間に、監督ケンは、穴のふちをのりこえて、斜面《しゃめん》をそろそろ下へ下りて行く。ポチは、いそいそと先に立っている。ダビット技師は、撮影機を大事そうに頭上高くさしあげて、こわごわ下る。
「深い穴がある。木や草がたおれている。たしかにこれは恐竜の出入りする穴だぞ」
 ケンは、昂奮してさけぶ。
 玉太郎も、伯爵をうながして、穴の中へ下りはじめた。
「ふーン。このにおいだて。これが恐竜のにおいなんだ」
 伯爵が、首をふって立ちどまった。
 なにか特別のにおいが、さっきから玉太郎の鼻をついていた。生《なま》ぐさいような、鼻の中をしげきするようないやなにおいだった。
 はっくしょい!
 伯爵が大きくくさめをした。
 するとそのくさめがケンとダビットにうつった。最後に玉太郎も、くしんと、かわいいくさめをした。
「くさめの競争か。これはどうしたわけだろう」
 監督ケンがにが笑いをした。
「思い出したぞ。このにおいは、附近に恐竜の雌《めす》がいるということを物語っているんだ。警戒したがいい」
 伯爵が、顔をこわばらせていった。
「えっ、恐竜にも雌がいるのかい」
 ケンが、調子はずれな声をあげた。
「あはは、あたり前のことを。あははは」
 ダビット技師が、ふきだして笑う。
「笑いごとじゃない。先へ行く人は、大警戒をしなされ。はっくしょい」
 伯爵は、うしろで又大きなくさめを一つ。
 穴をしたへおりるほど、砂がくずれ、枯れた草木がゆくてをさえぎり、前進に骨がおれる。が、誰もこのへんでもときた方へ引返そうなどと弱音《よわね》をふく者はなかった。そうでもあろう。こわいとか危険だとか恐ろしいとかいっているものの、万里《ばんり》の波濤《はとう》をのりこえて恐竜探検にここまでやってきた一行のことであるから、一刻《いっこく》も早く恐竜にはっきり面会したくてたまらない人々ばかりだった。
「おや、こんなものがひっかかっているぞ。カーキー色の上衣《うわぎ》の袖《そで》らしい」
 監督ケンが、岩と倒れた木の間を抜けようとしたときに、木の枝に、それがひっかかっているのを見つけたのだ。
 玉太郎は、それを聞くと、ぎくりとした。すぐさま彼はケンのそばへすべりおりていって、それを見た。
「あ、これはラツールおじさんの服だ」
 袖のところに、ペンとフランスの三色旗を組合わせたぬいとりがあったから、それはうたがう余地がなかった。
「ラツールおじさんは、やっぱりここを下へ下りていったんだな」
 下りていって、それからどうしたのであろう。その消息は不明であるが、玉太郎は安否《あんぴ》を知りたい人のあとについて今おいかけていることはまちがいないと知り、元気をくわえたのであった。


   恐《おそ》ろしい発見


 下へゆくほど穴の直径《ちょっけい》は大きくなった。
 たしかに噴火孔《ふんかこう》のあとである。
 だが、下へ下りるほど、空気は冷《ひ》え冷《び》えとして、この島のどこよりも暑さがしのぎよかった。
 旧火山跡《きゅうかざんあと》にはちがいないが、かなり古い火口らしい。
 やがて火口底《かこうてい》らしいものが見えた。
 この穴は、まっすぐにはいっていないで、直径が大きくなりだしたあたりから、やや横にはい出して、大きなトンネルのようになっていた。だから別にロープをぶら下げて伝い下りをしないでも、火口底へ下りることができた。
 あたりは急にうす暗くなった。
 穴の奥はまっくらで、いよいよ気味がわるい。四本の探検灯が、ぶっちがう。それが不安を大きくする。
「いよいよ、この奥に恐竜夫人が寝こんでいらっしゃるだろうが、みんなよういはいいかね」
 いつの間にかリーダーとなった監督ケンが一同をふりかえる。
「オー、ケー」
「注意しとくが、ピストルも銃も、いよいよというときでないと撃たないことだね。恐竜をびっくりさせることは、できるだけよしたがいいからね」
「よし、わかった」
 伯爵隊長の注意は、すなおに聞きいれられた。そして一行は、冷え冷えとした土の壁にからだをこすりつけるようにして、前進していった。
「おや、どこからか風が吹いて来る」
 玉太郎が、一大発見をした。
「おお、そうだ。たしかに風が通っていく」
「やっぱり生《なま》ぐさい風だね」
「いや、さっきの生ぐさい風とはすこしちがうようだ」
 監督ケンが、首をひねる。
「恐竜の呼吸がここまでとどいているんじゃないかね。すると、われわれは恐竜夫人がくわッとあいた口の前へ出ていて、たべられる直前にいるのじゃないかね」
 ダビット技師がふるえ声を出す。
「大丈夫でしょう。ポチがおとなしくしているから、まだ危険はせまっていないようですよ」
 玉太郎は自信のあるところをのべた。
「そうかしら。あの犬ころの頭脳は、ほんとうに信頼するに足るんかね」
 技師が、まじめな顔をして、玉太郎にたずねた。
「まあ、信頼するに足りますよ」
「まあ――とは気にいらないね。あの犬は気がへんになることもあるのかね」
「そうですね。このごろ、時によると、急にさわぎ出すんです」
 玉太郎は、この前、汽船の上でポチが見えない何物かにむかってほえたてたことを思い出したのだ。
「おーい、早くこい。光がさしこんでいるところが見つかった」
 前方で監督ケンの声が、強くコダマをして聞えた。今までは、大したはんきょうもなかったところを見ると、監督ケンの立っているところあたりは壁体の性質が急にちがってきたのであろうと、玉太郎は思った。冷え冷えとした気候が、少年の頭脳のはたらきを、久しぶりにかいふくしたように思われた。
 快報だ。
 この噴火口のとちゅうにおいて、横穴があって、それが外まで抜けて、日の光がさしこんでいるのであろうと、誰もが思った。
 一同は足をはやめて、監督ケンの立っているところへ急いだ。
「うわーッ。すごい……」
 悲鳴《ひめい》ににたケンのさけび声に、一同はおどろかされた。
「おーい。来るのは、ちょっと待て」
 ケンがそういった。
「どうしたんだ」
 ダビット技師が、おそるおそる聞いた。
「どうしたといって、恐竜が、たくさんいるんだ。ええと五頭、いや六頭もいるんだぞ。目をまわさない用意が出来た上でないと、ここまで来て下をのぞいてはいけないよ」
 六頭の恐竜がいるという。それが白日《はくじつ》の光をあびて集まっているのでもあろうか。
「えええッ」
「うーむ」
 と、つづく三人は、恐怖にあおざめ、思わず互いにすがりついた。
 はたして、その向うには、どんなすさまじい光景が待っているであろうか。


   恐竜《きょうりゅう》の洞窟《どうくつ》


 なにがすごいといっても、こんなすごい光景は見たことは、玉太郎にとって、はじめてのことだった。
 いや、玉太郎だけのことではあるまい。大胆《だいたん》なアメリカの映画監督のケンもダビットも、すっかり顔色をかえてしまい、しばらくその場に立ちすくんで、ひとことも口がきけなくなったことによっても知れる。
 年をとったセキストン伯爵にいたっては、もう立ってはいられず、四つんばいになって岩にかじりつき、わなわなとふるえている。しかし伯爵は、ふるえながらも、岩のむこうを熱心にのぞきこんでいる。こわいもの見たさとは、この場の伯爵のことであろう。
 四人の探検者の心を、かくも恐怖のどん底においこんでしまったすごい光景とは、いったいどんなものであったか。
 それは、一言でいいあらわすなら、彼ら四人は、とつぜん「恐竜の洞窟」の見下せる場所へ出たのであった。
 四人がかたまっている足もとには、岩があったが、そのむこうは、大きな空間がひらけていて、明るく光線もさしこんでいた。それは巨大なる洞窟であった。そして洞窟の天井にあたるところが、どこかわれ目があって、そこから熱帯の強い日光がさしこんで、洞窟内を照らしているのだった。
 洞窟の中は、一面に青黒い海水がひたしていた。そしてその海水の中に、巨大なる恐竜が、すくなくとも四頭、遊んでいたのである。
 一頭の恐竜でも、ぞおーッとするところへ、このふしぎな洞窟を発見し、その中に四頭もの恐竜が一つところへ集っているのを見たのだから、一同が死人《しにん》のように青ざめたのもむりはなかろう。
 その恐竜どもは、玉太郎たちが近づいたのに気がついていないようであった。それは彼らにとって幸いであった。もし恐竜がそれに気がつき、玉太郎たちを攻撃しようと思ったら、それはちょっと長い首をのばして、崖の上にいる玉太郎を一なめにすればよかった。また、玉太郎たちがにげだしたら、恐竜はひょいと洞窟の底を蹴《け》って崖のうえにとびあがり、地下道を追いかければ、わけなく人間どもをとりおさえることができるのであった。
 が、四頭の恐竜どもは、たがいに仲よくふざけていて、玉太郎たちには気がついていないようであった。
 玉太郎は、ようやく心臓のどきどきするのをすこしくしずめることができた。そしてこの怪奇にぜっする恐竜洞を一そう心をおちつけてながめた。
 見れば見るほど、天下の奇景《きけい》であった。岩山がうまくより集って、偉大なる巣窟《そうくつ》をつくっている。日は明るくさしこみ、そして洞窟の中をひたしている海水は、外洋《そとうみ》に通じているようであった。そのしょうこには、海水は周期的《しゅうきてき》に波立ち、波紋がひろがった。波は玉太郎の見ているところの方へ打ちよせて来る。してみれば、波がはいりこむ入口はこの洞窟の奥まったところにあるらしい。
 そういえば、奥の方で、ときに美しい虹が見えることがあった。
 恐竜が遊んでいる洞窟の中には、海水ばかりではなく、方々に赤黒い岩が水面より頭を出していて、まるで多島海の模型《もけい》のように見えた。その岩は、海水にいつもざあざあと洗われているものもあれば、水面より何メートルもとび出して、どうだ、おれは高いだろうと、いばっているように見えるのもあった。
 怪鳥《かいちょう》が、しきりに洞窟内をとびまわっていた。そしてぎゃあぎゃあきみのわるい声で泣いた。
 玉太郎が、この奇景に見とれていると、彼のそばへ、誰かしきりに身体をすりよせてくる者があった。玉太郎は、その者のために、横へおされて、姿勢をかえないと落ちるおそれがあるのに気がついた。「何者か、この無遠慮《ぶえんりょ》な人は」とふりかえると、なんのこと、それは探検隊長のセキストン伯爵だった。
(あ、この老人も、こわがっているんだな)と、玉太郎はちょっとおかしくなった。伯爵は、こわいものだから、玉太郎の体をかげに利用して、こわごわ岩鼻のむこうを眺めようとしているのであろうと、玉太郎は初めはそう思ったのだ。
 ところが、それにしてはへんなところがあるのに、玉太郎は気がついた。というのは、伯爵の両眼《りょうがん》は、くわッと大きくむかれていた。まばたきもしない。前方の一つところを、じいッと見つめているのだった。
 その視線をたどってみると、どうやら伯爵の視線は、洞窟の海水のひたしている中央部あたりにつきささっているらしい。恐竜は、一頭は岩の上にはい上っているが、他の三頭はもっと左側へよったところで、あいかわらずふざけていたから、伯爵は恐竜を見つめているのではない。
 なにごとだろう。伯爵は、何を考え、何をしようとしているのか。


   伯爵《はくしゃく》の昂奮《こうふん》


 玉太郎はじっと伯爵の動作《どうさ》を、それとなく注意していた。
 伯爵は、何ものかにつかれた人のように、そばに玉太郎がいるのにも気がつかないらしく見えた。その伯爵は、急に一声《ひとこえ》うなると、岩のうえに腹ばったまま、筒型《つつがた》の望遠鏡をとりだして、目にあてた。そして前より熱心に、洞窟の多島海のまん中あたりを見つめているのであった。
(なんだろう。伯爵は、ひじょうに自分の気になるものをさがしているらしい。なにをさがしているのだろうか。この前この島へ来てここへ残していった探検隊員をさがしているのではなかろうか。それとも、恐竜よりも、もっと珍らしい前世紀の動物をさがしているのであろうか)
 玉太郎は、いろいろと考えまわしたが、すぐにこの答えは出なかった。
「ううん、そんなはずはない」
 伯爵は、ひくい声で、苦しそうにつぶやいた。
「伯爵。どうしたんです。なにをさがしているんですか」
 玉太郎は、ついに伯爵にたずねた。
 すると伯爵は、くわっと眼をむき、大口をあいて、玉太郎から身をひき、にらみつけた。その顔付きは、玉太郎がこれまで一度も見たことのないおそろしい形相《ぎょうそう》だった。
「ああーッ。君なんか、君なんかの知ったことではない」
 伯爵はいつもの伯爵とは別人《べつじん》のように、ごうまんな態度でいいはなった。そしてまた望遠鏡をとりあげて、洞窟のまん中あたりをさがしにかかるのだった。
 そのとき、洞窟の中で、荒々しい羽ばたきをしてしきりに上になり下になり、たたかっている怪鳥が二羽あったが、それがそのとき、たがいにくちばしでかみあったまま、洞窟の天井《てんじょう》から下へ、石のように落ちて来た。そしてあっという間に、一つの平らな岩の上で昼寝をしていたらしい一頭の恐竜に、どさりとぶつかった。
 怪鳥は絹《きぬ》をさくようなさけび声をあげるし、恐竜もまただしぬけのしょうとつにびっくりしたと見え、巨体をゆすると、ざんぶりと海水の中へ身を投げた。そのあたりが、きらきらと、まぶしく光った。それは、海水の飛沫《ひまつ》が、日に照りはえたようでもあったが、それにしては、あまりに強い光のように思われた。しかしそのきらきらきらは、恐竜がそれまでに腹ばいになっていた岩の上で特にきらきらきらとかがやいたように見えた。
「ううーッ。あれだ」
 伯爵がしゃがれ声でさけんだ。しかしそのことばの意味は、玉太郎には通じなかった。玉太郎は、老伯爵がいよいよきみょうなうなり声をあげるので気味がわるくなり、どうしたのですかと、又たずねた。
「どうもしない。どうもしない。君、君なんかには絶対に関係ないことだ」
 伯爵は、口ごもりながら、そうべんかいして、玉太郎をぐっとにらみつけた。
「そんならいいですが、あなたはなぜ、さっきから昂奮していらっしゃるんですか、伯爵」
 玉太郎は、そういわないで、いられなかった。
「伯爵? あ、そうか。なに、わしが昂奮しているって、……あははは、とんでもない。わしは北氷洋の氷魂《ひょうかい》のように冷静だ」
 なんだかわけのわからぬことを伯爵はさけんで、やっぱり昂奮していた。しかし彼は自分の昂奮を極力《きょくりょく》他人に知られたくないようすであった。とにかく、そのとき以来、伯爵は急にじょうきげんにかわったことはたしかであった。いったい何がこの老人を、こんなにうれしがらせているのであろうか。
「伯爵。その望遠鏡を、ちょっとぼくにかして下さいな」
「この望遠鏡を!」伯爵は、起きなおって例の望遠鏡をしっかり胸にだいた。「とんでもない。これは大事なものだ。貸すことはできない。ぜったい出来ない」
 伯爵のようすは、いよいよただごとではなかった。玉太郎は、自分の方の味方をふやすために、あたりを見まわして、ケンとダビットの姿をもとめた。
 と、その二人は、岩頭からのりだすようにして、しきりに恐竜の生態《せいたい》を映画にとっていて、ほかのことはぜんぜん注意をはらっていなかった。それもむりではない。さっき第一回の撮影に大失敗し、そのあと突然ふってわいたすばらしい恐竜洞の光景をつかまえ、今こそすばらしい機会だ、思う存分フィルムへとってしまえと、二人の映画人は夢中になっているのだった。
 玉太郎は急に自分ひとりがそこにとりのこされているような気がして、おもしろくなかった。
 彼は、愛犬ポチのことを思い出した。ポチを呼ぶために、口笛を吹こうとしたが、その直前に思いとどまった。恐竜は口笛がきらいなんではなかったか。口笛を吹いて、せっかくおとなしくしている恐竜をよび、巨獣《きょじゅう》どもを怒らせてはたいへんだ。
 口笛を吹くのをやめたかわりに、玉太郎は岩鼻から前半身をのりだして、崖の下をながめた。
 下はすごい岩壁《いわかべ》であり、そしてやはりひたひたと海水に洗われていた。
「おや、あそこの岩に、人が倒れている」
 玉太郎は、重大なることを発見した。その岩壁はまん中あたりでちょっと段になっていたが、その段の上に、誰か倒れているのであった。
「あ、ラツールさんだ。ラツールのおじさんだ。みんな来て下さい」
 玉太郎は昂奮した。下をさしながら、彼はどなった。その声は、わんわんと大きく洞窟をゆすぶってひびきわたった。四頭の恐竜が、鎌首《かまくび》をもたげて、じろりと、こっちを見た。


   冒険|救助作業《きゅうじょさぎょう》


 撮影監督のケンもカメラマンのダビットも、撮影ちゅうししてそばへとんできた。
「あそこです。崖のとちゅうに人間がかかっているでしょう。あれがラツール記者なんです。やっとラツールさんのいどころが分りました。早く救って下さい。なんとかして生命をたすけてあげて下さい」
 玉太郎は泣かんばかりに熱心を面《おもて》にあらわして、ケンやダビットにたのんだ。きょとんとしている老伯爵にもたのんだ。
「よし。ロープを下してたすけよう」
 ケンもダビットも、義侠心《ぎきょうしん》が強かったから、すぐこの人命救助にのりだした。玉太郎はうれしくて、胸がいっぱいになった。
「これでまに合うかな」
「大丈夫、あそこまでとどきますよ」
「とどくことは分っているが、このロープはすこし古いからね。切れやしないかと思う」
「大丈夫でしょう、こんなに太いんだから」
 ケン監督は、大胆《だいたん》の中にもこまかい注意をはらう男だった。ロープは、撮影のときカメラマンのダビットをつりさげたりするために、とちゅうで手に入れたものだったが、すこし古びていた。一人の身体をささえるにはだいじょうぶだろうが、救助作業のときは二人いっしょにこのロープへぶら下る場合が予想されるので、そのときのことをケンは心配したのだ。
 ダビットの方は、そんなことを気にもとめていなかった。
「ダビット。君が先へおりてくれ」
「よろしい」
 ダビットはすぐロープを自分の腰にぐるぐるとむすびつけた。ケンはロープの他のはしをにぎって、伯爵と玉太郎に、それをしっかりにぎってうしろへ下がり、腰をおとすように命じた。
 ケンは岩鼻のところに立ち、ダビットが岩をこえてそろそろ下へおりていくのをちゅうい深く手つだった。ダビットは、こういうことにはなれていると見え、要領《ようりょう》よく身軽に、しずかにするすると下りていった。
 ラツールの倒れている中段の岩までは、上から測《はか》って十四五メートルあった。ダビットはついにそこへおりつくことに成功した。彼はさっそくラツールの身体を調べにかかった。
「ダビット。どうだ。生きているか。けがをしているか」
 ケンは手をメガホンのようにして、下にいる同僚にたずねた。
「……大丈夫だ、生きている。大したけがはない。しかし弱っている。なんか注射でもしてやりたい。それから多分水と食物だろう」
 ダビットは下から報告してきた。
 玉太郎はラツールが生きていると聞いて、たいへんうれしかった。大したけがをしていないとは幸運だ。たぶん彼は、永いあいだ食物も何もとらないので弱り切っているのだろう。
「やっぱり、ぼくが下りていかないとだめだな。それではと……」
 ケン監督は、注射薬とその道具を持っていたので、下へおりていく決心をした。そこで上でロープをひっぱっている人数が二人になるので、それでは力が足りないから、伯爵と玉太郎をうながして、ロープのはしの方を、後方《こうほう》にとび出している手頃な岩にぐるぐるぐるとかたく巻きつけた。これならもう大丈夫だ。
「わしが下りよう」
 伯爵がケンをおしのけていった。
「とんでもない。ぼくが下ります。注射もしなくてはならないのです」
「いや、わしだって注射はできるぞ」
「まあまあ。ここでまっていて下さい」
「そうかね。それでは行って来たまえ。そしてすんだらすぐ上ってくれ。下でぐずぐずしたり、余計なよそ見をするんじゃないよ」
「なにをいうんですかい、おじいちゃん」
 そのとき、ケンは伯爵の気持を知らなかったので、笑いでうち消した。
 ケンはするするとロープをつたわって下へおりた。そしてダビットを手にして[#「ダビットを手にして」はママ]ラツールの身体にいく本かの注射をうった。ラツールの顔が赤い色にもどった。心臓も強くうちはじめ、呼吸もしっかりして来た。
 もうだいじょうぶと思われた。


   悲劇は来《きた》る


 だが、ラツールはひとりで立っている力はまだなかった。たいへん衰弱《すいじゃく》していたのだ。
「どうするかね、ケン」
 と、ダビットは、救った男のしまつについて相談した。
「どうするのが一番いいかな」
 二人はラツールのそばで協議を始めた。その間、ケンとダビットは煙草に火をつけ、相談しながら、ものめずらしげに下をじろじろと見まわしていた。
「おや、あれはなんだ。あの岩の上に、ぴかぴか光っているものがある」
 ケン監督がゆびさした。それは、さっき恐竜がはいあがっていた平らな一つの岩の上であった。
「洞窟の宝もの。金貨にダイヤモンドに、その他いろいろの高価な宝石……じゃないかな」
 ダビットは、おどけた調子でそういった。彼はじょうだんをいったのである。
「はり倒すぜ。お伽噺《とぎばなし》じゃあるまいし。さあお伽噺より現実の方がだいじだ。君はこのラツール君を背中にしばってこのロープをつたわってあがれるかい」
「オー・ケー。大いに自信がある」
 ケンはぐにゃぐにゃのラツールをダビットの背にしばりつけた。ダビットは上から下っているロープへぶら下った。そしてぐうっと胸をちぢめてロープをのぼりはじめた。
 そのとき、崖の上で、気がへんになったような人の声がした。玉太郎の声だ。
 ケンは上をあおぎ見た。
「あッ、伯爵、なにをするんです。早くのいて下さい」
 セキストン伯爵が、どういうつもりか、下へたれているロープをつたわって下りようとしているのだった。ケンはおどろいた。玉太郎も、とっさのこととて伯爵をとめるひまがなかったものと見える。
 悲劇は、次のしゅんかんにやってきた。
 ぷつり!
 ロープは、岩鼻の角《かど》にこすれたところから、もろくも切断した。
 めいめいの悲鳴。
 ケン監督がロープの下へかけよって、両手を上へつきだしたのと、その腕の中へラツールとダビットの重い身体がどさりと落ちて来たのとがほとんど同時であった。三人は餅《もち》のように重なって岩の上にたおれた。
 それにつづき、ほんのちょっとのあいだをおいて、はるか下の方で、どぼーンという大きな水音が聞え、そのあとには、わんわんと、気味のわるい反響が長くつづいた。
 伯爵がもんどりうって海水の中に落ちたのであった。
 上の岩鼻には、玉太郎がひとりいた。
 玉太郎はとほうにくれてしまった。
 ロープは切れた。そして下におちた。三人は岩壁《いわかべ》の中段に残った。セキストン伯爵は海中に落ちこんだ。どうすればいいだろう。
 まず老伯爵の安否《あんぴ》が気づかわれたので、玉太郎は岩鼻からのびあがって、一生けんめいに老人の姿をさがしもとめた。だがとちゅうに岩がとび出していて、伯爵が落ちたあたりは見えなかった。
 それでは中段にとりのこされたケンとダビットと衰弱しているラツールを救うために、玉太郎は手もとにのこっていたロープをといて、下にたらしてみた。だがロープは短すぎて、その高さの半分もとどかなかった。
「ああ、こまった。どうすればいいだろう」
 四人の生命があやういのだ。玉太郎だけが自由をもっている。そして四人の生命があやういことを知っているのは、玉太郎だけであった。
「ぼくは責任重大だ。おちつかなくちゃ……」
 と、彼は自分の心をげきれいした。
 もうこうなれば、うしろへひきかえして隊員を呼んでくるほかない。玉太郎は、そこでケンたちとれんらくをとり地下道を急いで元来た方向へとってかえした。
「そうだ。多分、あの沼のところに、ツルガ博士とマルタン氏がいるはず……」
 地下道をついに抜け、崖をすべり下りて、沼の畔《ほとり》まで来た。
 と、彼はそこに、なんともわけの分らないきみょうな光景にお目にかかった。
 その沼畔《ぬまほとり》に、ツルガ博士親子が身体をぴったりよせあっている。そして小さい竪琴《たてごと》を、ぽろんぽろんとしずかに弾いているのだった。それはいいが、二人の前には、恐竜のおそろしい首があった。この恐竜は沼の中から首だけを出して、博士親子をひとのみにしようとしているらしく思われた。
 マルタン氏の姿が見えない。
 いや、いた。氏は博士親子がもたれている太い樹のうしろに、腰をぬかさんばかりにがたがたとふるえていた。紙のように白い顔、丸い頭といわず額といわずくびといわずふきだしている大粒の汗は、水をかぶったようであった。
 玉太郎は、気が遠くなりかけて、はっとわれにもどった。
 いったいこれはどうしたのか。


   奇蹟《きせき》の博士親子《はかせおやこ》


「うわーッ」
 玉太郎は、その場の光景に気絶《きぜつ》しそうになり、自分でもどうしてそんな声が出たかと思うほどのすごい金切《かなき》り声を発した。
 でも、誰だって、これを見れば、金切り声を出さずにはいられないだろう。だって、沼の中からぬっと恐竜が長い首をつきだして、もう一息でツルガ博士やネリをぱくりとのんでしまう姿勢をとっているのだった。
 そこへ玉太郎が金切声を発したものであるから、恐竜の耳にもとどいたと見え、恐竜はくるっと首を横にまげて、玉太郎をきっとにらんだ。玉太郎は、氷の雨を全身にあびたように、がたがたふるえ出した。
 が、ここで気絶しては、自分が背負っている重大な義務がはたせないと思いなおして、けんめいにこらえた。
「今だ。早くにげなさい。ツルガ博士。ネリーさーん」
 玉太郎は、全力をあげて、やっとそれだけのことをいった。
 と、恐竜はとつぜんどぼんと、沼の中に姿を消してしまった。
 沼の表面には、はげしい波紋が起って、岸のところへ波がざぶりとうちあげた。
 竪琴が急調《きゅうちょう》をふくんで鳴りひびいた。ツルガ博士の手が、竪琴の糸の上を嵐のようにはしっているのだ。
 ネリが、父親の博士にだきつくようにして、その耳に何かささやいている。
 そのとき玉太郎は、とつぜん大きな身体にだきつかれた。
「おお、玉太郎、玉太郎。よくここへもどってくれた」
 その大きな身体は、実業家のマルタンであった。ツルガ博士が腰をおろしていた大木のうしろで、ぶるぶるふるえていたマルタンであった。
「君は小英雄だ。恐竜をおっぱらってくれた」
 マルタンは、玉太郎へほめことばと感謝を、こういって投げつけた。
「いったい、どうしたのです」
 玉太郎が、たずねた。
「ツルガ博士が竪琴をひくから、恐竜がそれを聞きつけて襲撃してきたのだ。私は博士に、琴をひくのをすぐやめるようにいったのに、博士は頑《がん》としてきかない。君があのとおり恐竜をおっぱらってくれなかったら、私たち三人は次々に恐竜の餌食《えじき》になってしまったろう。ああおそろしや」
 マルタンは、もう一度はげしく身ぶるいして、沼の方をふりかえった。
 水面は、もう静かにもどって、しずまりかえっていた。岸のところに木の根の上には、ツルガ博士がネリをだいてやさしくネリの頭髪をなでていた。
「たいへんなことができたんですよ。マルタンさん。この奥の恐竜洞《きょうりゅうどう》へいった人たちが岩から落ちて、上ってこられなくなったんです。ラツールもやはり落ちていたのです」
「ええッ」
 それから玉太郎は、早口でそのいきさつをのべた。そしてすぐにロープを洞窟へはこんで彼らを救い出さないと、四人の人たちは恐竜に殺されてしまうであろうといった。
「それはたいへんだ。みんな力を合わせなくては。おーい、ツルガ博士。たいへんなことが出来たんです。恐竜が伯爵やケンやダビットやラツールをくい殺そうとしているそうです。あなたも力を貸して下さい」
 マルタンはそういって博士に呼びかけたが、博士はそれにたいして、頭を二つ三つ左右にふり、そのあとで、同じように手をふっただけであった。
 ネリの方はびっくりして立ち上り、博士の手をとって立たせようとした。だが博士は、お尻に根がはえたように、その位置から動かなかった。
「邪悪《じゃあく》な慾望を持った者たちの上に、おそろしい災難が落ちかかるのは、あたり前だ。わしは彼らに同情する気がおこらない。わしは恐竜の方に味方する。あの人たちが何をいおうと、かかわりあわないがいい」
 博士は、ネリにいった。
 ネリは苦しげに眉《まゆ》をよせて、父親と、玉太郎とマルタンの両人とを見くらべたが、やがて力なくその場にしゃがんだ。
 玉太郎は、ツルガ博士のたいどとことばをふかいに感じた。四人の人間の生命が失われそうなときに、博士は自分だけが正しいのだ、自分さえよければいいんだと思っているらしいのにたいし、いきどおりをおぼえた。
 だが、そのことで博士をとがめているひまはなかった。そんなことよりも、早く大ぜいの救援隊員をあつめ、それから長いロープをかついで、恐竜の洞窟へ一刻も早くかけつけなくてはならないのだ。
 マルタンも同じことを思っていたと見え、
「玉太郎君。あの人はほうっておいて、早く海岸へ行って、他の人たちに協力をもとめようではないか。その方が早い」
「ええ、それでは急いで、海岸へもどりましょう」
 と、二人は密林のなかへかけこんだ。


   海岸の乱宴《らんえん》


 太っちょのマルタン氏が、けんめいに密林の雑草をかきわけて、早く走ろうとするその姿は、こっけいでもあったが、そのまごころを思えば、玉太郎は笑えなかった。
 二人は、やけつくようなのどのかわきをがまんし、顔や手足にひっかき傷をこしらえて、密林を突破した。
 椰子《やし》の木のむこうに、まぶしい海が見えてきたとき、玉太郎は気がゆるんで、ふらふらと倒れそうになった。それをマルタンがうしろからかかえてくれた。
 しかしマルタン氏は声が出なかった。それで、声のかわりに玉太郎の肩をぱたぱたとたたき、彼の顔をハンカチであおいでやった。
 玉太郎もやはり声が出なかったので、身ぶりでもってマルタン氏に感謝した。つっ立っている二人の脚から腹へ、腹から胸へと、赤蟻《あかあり》がぞろぞろとはいあがってきた。
「もう一息だ。元気を出して……」
 マルタン氏が、やっと口をきいた。
「もう大丈夫。さあ行きましょう」
 玉太郎も、しゃがれ声を出して、マルタン氏の先に立って、また走りだした。
 さいごの椰子の木の林をとおりぬけ、二人は海岸にたっているテントめざしてかけた。
 小屋の前に、人々はあつまっていた。にぎやかに、歌をうたったり、手をあげたり、おどったりしている。酒宴《しゅえん》がはじまっているらしい。
 玉太郎とマルタンが近づくと、彼らは、酒によったとろんとした眼で、二人をよく見ようとつとめた。しかし首がぐらぐらして、はっきり見えないようすだ。
「だ、誰だ。こわい顔をするない。まあ、一ぱい行こう」
 そういったのは、水夫のフランソアであった。その横には、水夫のラルサンがよいつぶれて、テーブルがわりの空箱《あきばこ》に顔をおしつけたまま、なにやら文句の分らない歌を、豚のような声でうたっている。砂の上には、酒のからびんがごろごろころがり、酒樽《さかだる》には穴があいて、そこからきいろい酒が砂の上へたらたらとこぼれている。
 玉太郎もマルタンも、あきれてしまった。
 そのむこうの、大きなテーブルには、――テーブルといってもやはり空箱を四つばかりならべて、その上に布《きれ》をかぶせてあるものだが――巨漢《きょかん》モレロが、山賊の親方のように肩と肘《ひじ》とをはり、前に酒びんを林のようにならべて、足のある大きなさかずきで、がぶりがぶりとやっていた。彼の眼《ま》ぶたは下って、目をとじさせているようだったが、ときどきびくっと目をあいて、すごい目付で、あたりを見まわす。
「……おれが許すんだ。今日はのめ。……うんとのめ……文句をいう奴があったら、おれが手をのばして、首をぬいてやる。なあ、黄いろい先生」
 黄いろい先生といってモレロが首をまわした方向に、張子馬がしずかにテーブルについていたが、玉太郎とマルタンが、青い顔をしてかけこんで来たのを見ると、彼はさかずきをそっと下においてたち上った。そしてモレロの頭ごしに、玉太郎たちに声をかけた。
「なにか一大事件がおこったようですな。何事がおこりましたか」
 感情をすこしもあらわさないで、中国の詩人は、しずかにたずねた。
「たいへんです。恐竜の洞窟の中で、みんなが遭難《そうなん》してしまったんです」
「ロープが切れて、みんな崖《がけ》の中段のところに、おきざりになってしまったんだそうだ。すぐみなさん、救援にいって下さい」
「それは大事件ですね。ロープだけでいいのでしょうか」
 張は、冷静にたずねた。
「ロープと食糧とあかりと……それから薬がいる」と玉太郎がいった。
「ロープはいちばん大事なものだ。たくさん持っていく必要がある。そして早くだ」
 マルタンは、何が大切だか、よく心えていた。
 張子馬はうなずいた。そして水夫のところへ行って、
「おい、フランソア。ラルサン。もう酒もりは、おしまいだ。こんどはお前たち、出来るだけインチのロープを肩にかついで、あの密林の奥へ急行するんだ。分ったか、フランソアにラルサン」
 と、二人の肩を、いくどもたたいた。
 二人とも、首をぐらぐらしているだけで、張のいっていることが半分しか分らない面持《おももち》であった。
「やい、やい、やい、やい……」
 モレロが仁王《におう》のように立ち上った。
「おれをのけものにして、何をどうしようというんだ」



   慾《よく》の皮《かわ》


 玉太郎もマルタンも、気が気ではなかったが、救援隊はそれから一時間のちになって、出発した。
 そのときには、二人の話によって、留守隊の連中もだいぶんよいがさめかけてた。恐竜は一頭かと思ったのに、この島には五頭も六頭も集っていると聞いては、よいもさめるはずであった。
 密林をくぐりぬけて、沼のところへ出たときには、モレロも二人の水夫たちも正気にもどっていた。
「おや、学者親子が、あんなところで遊んでいるじゃないか」
 モレロが、けわしい目をして、沼畔の榕樹《ようじゅ》の根かたを、つきさすようにゆびさした。ツルガ博士とネリは、さっきからずっとそこにいたのだ。
 博士はモレロの声を聞くと、けいべつの色をうかべた。ネリはモレロのおそろしいけんまくにおびえて、父親の胸にすがりついた。
 玉太郎は、モレロに対していかりを感じ、大いにいってやろうと前へとび出そうとしたところ、張がそれをおさえた。
「相手がわるい。そして今は、大切な時だ」
 と、張は玉太郎にささやくようにいった。
 そうだ。ラツールやケン、ダビットたちを救うまでは、仲間われしては不利なのだ。それだけ救援力が小さくなるおそれがある。玉太郎は、いきどおりをぐっと胸の奥へのみこんで、ただネリの方へ同情の視線をおくった。
「あいつらにも、救援の仕事をさせないと、不公平だ。おれが引立ててやろう」
「まあ、待ちたまえ、モレロ君」とマルタンがとめた。そして葉巻を一本出してモレロにあたえた。「ツルガ博士はあのままでいい。いっしょに連れていっても、かえってわれわれの足手まといになるだけだ。なんにしろ、恐竜群にたいして、われわれはすばやく行動しないと、とりかえしのつかないことになるからね」
「ふん。じゃあ、このたびは見のがしてやるか」
 モレロは、にくにくしげにいった。よほど彼は、博士が、虫がすかぬらしい。
 断崖《だんがい》をのぼり、それから林の中をはいって地下道を通り恐竜の洞窟《どうくつ》へ入った。
 洞窟のものすごい光景。海水に身体をひたしてうずくまる四頭の恐竜の姿。洞窟の中へさしこむ陽《ひ》の光のまぶしさ。わわんわわんと反響する波の音。はじめてこの光景を見る四人の新来者たちは、みんな顔色をかえた。
「すごいところがあったもんだ」
「地球の上に、こんな別天地《べってんち》があろうとは、夢にも思わなかった」
「これは、地獄の入口かも知れない」
「恐竜の巣にとびこむなんて、契約になかったぞ」
 四人が四人、それぞれに恐怖につつまれてしまった。
 マルタンは指揮をとる。
「さあ、作業はじめだ。ロープを、まず四本は、下へおろさなくてはならない。そこらにしっかりした岩を見つけてロープの端をしばりつけるのだ」
「見物はあとにして、こっちへ集って下さい」
 と、玉太郎がさけぶ。
「いいきみだ。へいぜい、えらそうな口をきいた連中も崖の中段で小さくなっているじゃないか。うわはははは」
 モレロは毒舌《どくぜつ》をふるう。
「モレロ君。君は自分の分を、このロープでくくりつけたまえ」
「わたしはいやだよ。下に下りる気はない」
「ほんとかね。わしはかけをしてもいい。今に君は、きっと下へ下りるだろう」
「とんでもないことだ。しかしあの恐竜をたねに、なんとか金もうけを……うむ、むにゃむにゃむにゃ」
「では、張さん。あなたは身体がかるいから、水夫がおろしたロープで、先へ下りて下さい。なあに、下の連中に、元気のつくような話をしてくれれば、それでいいんですよ」
 マルタンは張にいった。
「伯爵の姿は見えんですね」
「そうです。張君。玉太郎君の話によると、一番下まで落ちたそうです」
「どうして彼ひとりが落ちたんですかな」
「それはねえ、張さん」と玉太郎が説明の役にあたった。
「伯爵は、とつぜんロープに下って下りてきたのです。ところがそのロープにはダビットさんとラツールさんがとりついていたもんだから、三人の人間の重味《おもみ》にはたえられなくなって、ぷつりとロープが切れたんです」
「ほう、ほう」
「上の方にいた伯爵は、もんどりうって一番下まで落ちました。なぜそんなむちゃを伯爵がしたのか分りませんが、ぼくが感じたところでは、伯爵はなにかにおどろいたためだと思います」
「なにかにおどろいたとは?」
「その前に、伯爵はひとりで、洞窟のあちこちを見まわしていましたがね、そのうちにおどろきの声とともに何か一言みじかいことばをいって、ロープへとびついて下りようとしたのです」
「短いことばというと……」
「ぼくは、よくおぼえていないのですが、なんでも、“あ、見えた、金貨の箱だ”といったように思ったんです」
「えっ、金貨の箱」
 張がおどろいたばかりか、それに聞き耳をたてていた二人の水夫も、つとばかりに仕事の手をとめた。
 モレロは、もっとはげしくおどろいたと見え、満面朱《まんめんあけ》にそめると、一本のロープをとりあげて、自らいそいで岩根にくくりはじめた。


   伯爵《はくしゃく》の行方《ゆくえ》


 ロープが張られて、ラツールはダビットに助けられ、上へ引上げられた。
「おお、玉ちゃん」
 ラツールは玉太郎にだきついた。
「よかったねえ、ラツールさん」
「ありがとう。君は三度もぼくの生命をすくってくれた」
 二人はうれし涙にくれて、いつまでも抱きあっていた。
 その間に、救援隊の四人はロープをつたわって、崖の中段におりた。
「ははあ、あれだな。ぴかぴか光っていらあ」
「ほんとに、あれは金貨らしい光だ」
 フランソアとラルサンが、小さい暗礁の上に光るものを見つけて、感心している。
 張は、無言《むごん》だ。
 モレロは、うなりつづけた。そして口の中で、ぶつぶつなにかいっている。
「……それで分った。あの伯爵め、恐竜以外に、何かもうけ仕事のこんたんがあると、にらんでいたんだが……まさか、これほど大きいものとは思わなかった。……どう見ても、海賊の残していった金貨の大箱が五つも六つもあるようす……時価になおすと、どえらい金高になるぞ。……恐竜を生捕《いけど》ることはやめて、これはどうしても、あの金貨をねらわにゃ損だ……はて、どうしたら、あの岩のあるところまで、安全に行けるだろうか……」
 ラツールはマルタンにかいほうされることになった。
 玉太郎はケンから相談をうけて、このさい、伯爵の安否をたしかめるため、あの中段の崖から下へおりて、海水がみちている崖下をさがすことになった。
 これは人道上、どうしてもやらなくてはならない仕事だった。
 これに参加したのは、ケンと玉太郎の外に、冒険好きのカメラマンのダビットと、あとから救援に来た張詩人であった。
 四人は恐竜を気にしながら崖下へロープを伝わって下りていった。
 恐竜はおとなしく、昼寝をしているように見えた。
 波がばさばさと洗う岩根をふみしめながら、四人は伯爵の姿をもとめて、先へ進んだ。
 いつもケンとダビットが先に立っていた。この映画班は、時々撮影をやった。これはもちろん商売であった。貴重《きちょう》な収穫《しゅうかく》だ。そういうときには、玉太郎が先へ出た。
 玉太郎が先へ進んでいるときのことであったが、波の岩のくぼみに、一つのされこうべが捨ててあるのを発見した。
「あっ、されこうべだ。伯爵のされこうべ……」
 伯爵は恐竜にくわれて、こんななさけない姿になってしまったのかと思った。
 ケンが追いついてきて、そのされこうべを手にとってみて、これは伯爵のものではないと断定《だんてい》した。
「見たまえ、波にあらわれて、骨が丸くなっているとこがある。よほど古いされこうべだ。伯爵のでないから、悲しまないでいいよ」
 そういわれて少年は、胸をおさえて、にっこり笑った。
「じゃあ、誰の頭なんでしょうね」
「さあ、誰かなあ。とにかくこの恐竜の洞窟には、永い興味がある歴史があるんだね」
 しばらく行くと、一行は、岩根に、おびただしい人骨《じんこつ》を発見した。
「やあ、これはたいへんだ」
「いやだね、ぼくたちはこんな風になりたくない」
 一行四人は、その前に立ったまま足がすくんでしまった思いだった。


   慾《よく》ふかども


 恐竜の洞窟の断崖での上では、モレロがひじょうに昂奮している。彼のすごみのある顔が、一そうけわしくなり、頬はひっきりなしにけいれんし、眉はぴくぴくと上ったり下ったり。そして急に歩きだしたり、また急に足をとめたり、落ちつきがない。しかもその間に彼は、海面に眠る恐竜の群から目をはなさない。
「ふーン。畜生め」
 彼はうなる。
 二人の水夫フランソアとラルサンも、モレロをこのように昂奮させた岩の上の黄金色まばゆき何物かを見つけてしまった。二人はむきだしに思っただけのことをさっきからしゃべっている。
「おいラルサン。おれたちはいよいよ百万長者《ひゃくまんちょうじゃ》になるんだぜ。あのぴかぴかしているのは、恐竜の卵なんだ。え、すばらしいじゃないか、恐竜は、あんなにぴかぴかと金色にひかる卵をうむんだぜ」
「フランソア、気をしっかり持ってくれ。たとい恐竜の卵を見つけたにしろ、どうしておれたちは百万長者になれるんだ」
「二人でな、この崖を下りて、あれを取るんだ。フランスまで持ってかえれば、一箇につき五万フランや十万フランで買い手がつくよ。いや、もっと高く売れるかもしれない」
「恐竜の卵が、そんなにいい値段で売れるかい、いくらぴかぴか金色に光っていても、卵だもの、とちゅうでくさりゃおしまいだ」
「あほうだよ、お前は。恐竜の卵とニワトリの卵といっしょになるものか。恐竜の卵は、すぐにはくさらないんだ。金色をしているのが何よりの証拠《しょうこ》じゃねえか」
「金色していると、永くくさらないのかい」
「はて、分り切ったことをいう。金色だから、熱もはじくし、中へバイキンも侵入できないし、おおそうだ、お前も見て知っているだろうが、ロンドンの博物館に恐竜の卵がたくさん陳列してあったじゃないか」
「ああ、あれなら見たよ。あれがどうかしたか」
「どうかしたかもないもんだ。あれは五百万年前の恐竜の卵なんだ。五百万年も、あのとおり、くさらないで、ちゃんと形をくずさないでいるじゃないか」
「そうかなあ」
「だからよ、ここから、フランスまではこぶのに、二週間あれば大丈夫だから、その間にくさることはありゃあしないよ。なにしろ五百万年もくさらない卵なんだからねえ」
「ふーン。分ったようでもあり、まだすこしのみこめないところもあるんだが……」
「お前はいつものみこみが悪いさ。頭がすごく悪いと来てやがるからね」
「しかしだなあ、フランソア。そうときまったら、早くあのぴかぴか卵をもらってこようじゃないか。お前、先へ行って、あそこへ泳いで卵を一箇か二箇ぐらい取って来るんだ。おれはその間に、細いロープで籠《かご》をあんでおくからね」
「それでどうする」
「おれがその籠を、ロープで崖下へ下ろさあ。お前は恐竜の卵を籠に入れて、ロープをひいて、よしと合図する。するてえと、おれはロープをたぐりあげて、ぴかぴかした卵を籠から出し、このへんに積みあげて行かあ。どうだ、いい段取だろう。どんどん仕事がはかどるぜ」
「バカヤロー」
「えっ、なんだって、きたないことばは使わない方がいいよ」
「だってそうじゃねえか。お前はここにずっといるんだから、いい役だよ。しかしおれはどうなるんだ。海を泳いだり、つるつる卵をかかえたり、それからよ、恐竜にいやな目でながめられたり、いい役まわりじゃねえ。だから腹が立つんだ」
「まあまあ、フランソア。お前はいつも気がみじかくて早合点《はやがてん》すぎるよ。お前ばかりに、卵をとるために海を泳がせたり、何かいやな目でながめられたりさせやしない。とちゅう、半分ぐらいのところで、お前とおれは交替しようというんだ。だからぜったいに仕事は公平に分担するんだ。怒ることはないよ」
「ああ、そうか。とちゅうで、半分ぐらいのところで交替でやるのか。うん、そんならいいんだ。それを早くいわないから、こっちはまちがえて腹を立てる」
「さあ、そうと話が分ったら、すぐ仕事にかかろう。おれは籠をあみにかかる。お前はそのロープにすがって早く崖の下へ下りて行きねえ」
「よし来た。いや、まてよ……」
「さあ、早く下りねえ。蟇口《がまぐち》なんか、とちゅうでなくすといけないから、おれに預けて行きねえ」
「こいつめ。おれが早合点するのをいいことにして、うまくごまかして、先へ恐竜のところへやろうとしやがったな。なんという友情のない野郎だ。フランス水夫の面よごしめ。たたきのめしてやる」
「何を、とんちきめ」
 フランソアがつかみかかると、ラルサンも負けてはいなかった。はげしい組打《くみうち》がはじまろうとした寸前《すんぜん》。
「おい、しずまれ。二人とも、けんかはやめて、うしろへ引け。いうことをきかねえと、心臓のまん中へピストルの弾丸をごちそうするぞ」
 と、雷のような声がひびいた。モレロの大喝《だいかつ》だった。


   とつぜんの銃声《じゅうせい》


 二人の水夫は、ちぢみあがった。
 モレロと来たら、手の早いらんぼう者であることを、これまでのつきあいで、よく知っていた。ピストルの引金をひくことなんか、つばをはくほどにも思っていない悪党だ。おとなしくしないわけにはいかない。
「お前たちに話がある。耳よりな、もうけ話だ。ここじゃ工合がわるい。こっちへ来い」
 モレロは、なぜか急に声をおとして、二人の水夫のうしろの岩かげへひっぱっていった。
 あとには実業家マルタンひとりが、上に取り残された。彼は、モレロのやっていることに気がつかないような顔をしていたが、実はすっかり知りぬいていたし、モレロのこれからやろうとすることにも見当がついていた。彼は不安を感じて、胸さわぎがおこった。
 彼は崖のはしまでいって下をのぞいた。この崖を水面まで下りていって、行方不明の伯爵をさがしにいった玉太郎たちの姿が見えるかと思ったのだ。だが、玉太郎の一行は見えなかった。もし見えたら、マルタンはすぐ信号を送って、彼らをしきゅうひきかえらせるつもりだった。今なら、モレロや、その手下のような二人の水夫に知れずに、合図《あいず》を送ることができたのだが、見えないとは残念であった。
 玉太郎たち四人は、浪の洗う岩根をふみこえ、伯爵の姿か又は所持品かを発見するために努力をつづけた。
 だが、いくら探しても、伯爵の姿はなかった。このへんに伯爵の身体がなくてはならないところにも、まったく何も落ちていないのであった。
 一時間あまりを空費《くうひ》して、何の収穫《しゅうかく》もなかった。そのとき彼らは、ロープで下りてきたところの岩根をかなり前方へまがって、恐竜のわだかまっている地点まで、あと三四メートルのところに来ていた。巨大なる体躯《たいく》をもった恐竜としては、一とびか二とびでとんで来られるところだった。しかし四人は、そのことについて正確には気がついていなかった。というわけは、彼らと恐竜の間には、将棋《しょうぎ》の駒《こま》のような岩があって、恐竜どもの姿を、彼らからかくしていたのだ。
 ところが、玉太郎たちは、にわかにこの恐竜どもの姿を、頭上《ずじょう》に仰《あお》ぐようなことになった。
 そのきっかけは、崖の中腹あたりかで、とつぜん轟然《ごうぜん》たる銃声がなりひびき、つづいて、だーン、だだーンと、めった撃ちに射撃がはじまった。
「おやッ。何が起ったのだろう」
「誰だい、ぶっぱなしたのは……」
 ケンもダビットも玉太郎も、顔色をかえて、銃声のした方向をあおいだ。しかし屏風《びょうぶ》のようにそそり立った岩がじゃまになって、発砲者《はっぽうしゃ》の姿は見えなかったが、誰とて分らないが、おそろしい悲鳴がつづけざまにして、それにかわって怒号《どこう》が聞えた。
 と、頭の上が、急に暗くなったように思った。はてなと、その方を見ると、太い丸木橋みたいなものが、二つ岩の上にかかり、前後に大きくゆれていた。その橋は、急にふくれたり、筋ばったりした。丸木橋でなく、それが恐竜のくびであることに、間もなく気がついた。三頭だか四頭だかの恐竜が、彼の方へ向って攻撃をくわえているのだ。
「ばかな奴だ。誰だかしらんが、とうとう恐竜どもを怒らせてしまったんだ」
 ケンは恐怖にみちた目で、玉太郎たちを見まわした。ダビットは、カメラを上へむけて撮影に夢中であった。
「天につばをはくようなものだ。彼らは深刻にさとった頃だろう」
 張はおちつきはらって、そういった。それがモレロたちの仕業《しわざ》であることを、張はすぐさとったようだ。
「ケンさん。恐竜は元来おとなしい動物じゃないんですか。人間をたべたりしないのでしょう」
 玉太郎は、ケンにたずねた。
「あの巨獣《きょじゅう》は、おとなしいだけに、いったん怒らせると、ものすごくあばれるんだ。これはぐずぐずしていると、とばっちりが、こっちへまわってくるぞ。おう、みんな。今のうちに安全なところへ避難《ひなん》するんだ」
 さすがにケンは、早く気がついた。崖の上の誰かと恐竜の格闘がつづいている間に、こっちは安全地帯をさがしあてて、そこへとびこんでいようというのだ。
「あそこにいいところがある。ひくい天井をもった洞穴《ほらあな》があるんだ。そこへ行って、もぐりこもうや[#「もぐりこもうや」は底本では「もぐりこうもや」と誤植]」
 ケンは一同に合図をしてうしろへひっかえした。
 恐竜どものおそろしいさけび声が洞窟をはげしくゆすぶり、まるで地獄の底にある思いだった。


   避難の穴《ひなんあな》


「ここだ。大丈夫、みんなはいれるだろう」
 ケンがゆびさしたのは、海面からわずか一メートルばかりの高さに口を開いている洞穴であった。人間が二人腰をかがめてはいれるぐらいの大きさだった。自然にできた洞穴とは思われないしるしが、この洞穴の入口の上にあった。のみで、けずったようなあとが見えるのだった。なお入口の上に、なんだか文字のようなものが岩にほりつけてあるらしく思われたが、今はそれを判読《はんどく》しているひまはなく、ケンは一同をうながして、洞穴の中へもぐりこんだ。
 携帯電灯で、ケンが中を照らしてみると、奥は広くなっており、天井も高くなっていた。たしかにこの中は人工が加えていることがわかった。岸壁も、のみでけずって、中をひろくしたにちがいない。けずられた小さい石塊《せっかい》が、がさがさと靴や膝の下に鳴る。
 だんだん奥にはいったが、入口から七八メートルに行ったところで、行きどまりになっていた。壁のまん中に、舷窓《げんそう》ぐらいの穴が一つあいていた。そのあたりは、やや高くなり、壁も垂直に削《けず》ってあったが、ほりにくいせいか奥行のせまい棚《たな》のようになっていた。
 ケンは、いちばん奥のところへあぐらをかくと、
「ここでしばらく形勢を見守ることにしよう。とにかくここにもぐりこんで、おとなしくしていれば、恐竜に襲撃されることはないだろう」
 といった。
 一同もケンの説に同感して、安堵《あんど》の色をあらわした。
 この洞穴にも、怪獣のおそろしい咆哮《ほうこう》がひびいてきた。銃声はもうしない。
 いったい崖の上では、どんなことが起ったのであろうか。
 すべてはモレロのらんぼうと、そして彼と二人の水夫との慾ばり根性に発しているのだった。
 モレロと二人の水夫は、ロープにすがって、崖を中段まで下りた。それは、海中の岩の上のぴかぴか光るものに、すこしでも近づくためだった。
 モレロは、そのぴかぴかの正体をもう少しはっきり見きわめたいと思った。彼は二人の水夫のように、それが黄金色をした恐竜の卵であるなどとは思っていなかった。大昔の海賊が持ちこんだ金貨か黄金製の装飾品か武器のたぐいであろうと見当をつけていた。
 あいにくと、望遠鏡を持ってこなかったので、残念でしかたがなかった。そこで崖を中段まで下り、二人の水夫に命じて、小さい岩のかけらを、かのぴかぴか光るものに向って、力いっぱい投げさせてみたのである。それがうまくとどいて命中すれば、音がするであろうし、また位置をかえ、あるいははじきとばすであろう。それによって、ぴかぴか光るものが何であるかを、もっと正確に診断することができるはず――と、モレロは、彼らしい智恵をはたらかせたのであった。
 フランソアとラルサンは、水夫になって以来はじめて命じられたこの仕事を、とにかくはじめたのだった。上の崖から落としておいた岩のかけらを足もとからひろいあげ、
「えいッ」
「それッ」
 と投げつづけたのである。
 ところが、モレロが考えたようには、なかなかいかなかった。うまく命中してくれないのであった。そればかりか、とんでもないものに命中してしまった。眠っていた恐竜の鼻に、岩のかけらが、ごつんと命中したのであった。
 さあ、たいへん。恐竜がぐいと鎌首《かまくび》をもたげると、うなり声をあげて怒り出した。仲間の恐竜も目をさまして、びっくり半分、さわぎだした。そこへモレロがピストルをぽんぽんとぶっ放したものだから、さわぎは大きくなった。恐竜は、嵐のような息をはいて、人間どもにおそいかかったのであった。三人は今や最大の危機にさらされた。
 一方、洞穴の中にいちはやく避難した玉太郎にケンとダビット、それから張の四人組の方にも、一大危険がおそいかかった。
 というのは、運のわるいことに潮《しお》がだんだんあがって来たのである。四人のしめていられる場所は、刻々《こくこく》とせまくなって来た。早い時期に外へとび出した方がよかったかもしれない。だが、四人はすっかり疲労しきっていた上に、恐竜の咆哮がおさまるとともに、心のゆるみが一度に出て、四人とも前後もしらず、深い睡りに落ちていったのである。やがて気がついたときは、身体の一部が海水にひたされており、そして洞穴の入口は海水のために隙間《すきま》もなくふさがれていたのであった。
「おい、起きろ、起きろ」
 ケンがまっ先に気がついて、一同をおこした。ダビットは、足をすっかり水びたしになっていた。ケンと玉太郎はそれほどぬれていなかった。
「まだ潮はあがってくる。どこまであがってくるか分らないが、まさか天井までひたすことはあるまい。みんなこっちへかたまろう」
 一同は、きゅうくつなかっこうで、奥へ集った。
 どこまで水はあがってくるか。もうこのへんで停まるだろうと思いの外《ほか》、水は勢いをゆるめず、水位をあげてきた。
 ケンは、その頃、いやなことに気がついた。それはうしろの岩壁の穴から、空気がぬけていくということだった。もしこの穴がなかったら、洞穴は壺のようになっていて、潮が入るにつれ空気は圧縮されるけっか、海水をおしもどし、ある程度いじょうに海水を入れないですむ。ところが、壺の底に穴があいていると、空気は圧縮されないから、この洞穴はすっかり水びたしになってしまうおそれがある。いやなことは、このことだった。
 四人がはいりこんだ安全の洞穴が、四人が溺死《できし》の墓穴《ぼけつ》になろうとしているのだ。
 ああ、これも呪《のろ》われたる運命というべきであろうと、ケンは全身に冷汗《ひやあせ》をかいた。


   冒険の計画


 悪運がつよいということがある。
 モレロと二人の水夫の場合が、それであった。この三人は恐竜を怒らせてしまって、四頭からのはげしい襲撃をうけたが、あやうい瀬戸際をどうにか防ぎまもって、やっとのことで生命をひろった。すきを見て、三人は死にものぐるいのすばやさでもってロープをよじのぼり、むがむちゅうで地下道をかけぬけ、密林をかきわけ、ようやく海岸の基地《きち》へたどりついた。そのとき三人が三人とも、熱砂《ねっさ》の上に、おっとせい[#「おっとせい」に傍点]がたたきつけられたようなかっこうで人事不省《じんじふせい》におちいり、三十分ばかり死んだようになっていた。
 先へ逃げかえった実業家マルタンとツルガ博士親子の熱心な看護によって、やがて三人は息をふきかえしたのだった。
 その当座《とうざ》は、彼らも気まりがわるいと見えて、おとなしく神妙にしていたが、時間がたつに従って、元にもどっていったん悪運に乗るモレロは、翌朝になると早くも次のもくろみに手をつけた。
 彼は二人の水夫をつれて、海岸づたいに右の方へ歩きだした。
 それに気がついて、マルタンは天幕からとび出すと、大声で彼らを呼びとめた。そして彼らがどこへ行くのか知らないが、それよりも今日はすぐに恐竜洞へはいって、昨夜はついにかえらなかった玉太郎たちの安否《あんぴ》をたしかめ、必要なら救助作業をしてもらいたいものだと申入れた。
「まあ、それはあとでいいよ。もっとも、君が早くそれをやりたいというのなら、われわれにかまわず、先へやってくれてさしつかえなしだ」
 モレロは、そういうと、再びマルタンの方へふりむこうとせず、二人の水夫をうしろにしたがえ、砂をざくざくと踏んでいってしまった。
 三人は、いったい何をするつもりであろうか。
 そこをどんどんいくと、読者諸君もご存じのように、石垣式《いしがきしき》の小桟橋《こさんばし》がある。それを越えたところに、カヌーがひっくりかえったままになっている。
 そこを右手へまがる。やや切りひらいた土地があるが、今は雑草が人間の背よりも高くしげっていて、ちょっと見たところでは、足のふみ入れようもない。三人は、雑草を分けて、奥へ奥へとはいっていった。左右にならぶ椰子の木の列を目当てに、両者の中間をずんずんと奥へ行くのであった。
 その道は、わざとそうしたものらしく、曲りこんでいた。外海《そとうみ》から発見されることをさけるためであろうと思われたが、その道の行きあたりに、この原始林の世界にはにあわぬ洋風の小屋があった。
 それは造船所であった。いや、おそまつなものだから、造船小屋といった方がいいであろう。
 戸は、あけはなしになっていた。
 三人が中へはいると、小屋の中も、雑草がおいしげって、足のふみ入れ場所もなかったが、その中から造船道具や船台やそれから造船材料などがちゃんとそなえられているのを見た。
「大いによろしいだ。じゃあ早速《さっそく》今日から、おれたちは船大工《ふなだいく》になるてえわけだ。吃水《きっすい》の浅いボートを一隻、できるだけ早く作りあげるんだ。いいかね、しっかりやってくれ」
 モレロはひとりじょうきげんで、二人の水夫にそういった。
「えッ、船大工ですって。わたしたちには、そんな経験はありませんよ」
「なくってもいい。たかがボート一隻こしらえるだけの仕事だ。ボートなら、お前たちは今までいやになるほど扱っているじゃないか」
「いったい、ボートをこしらえて、どうするんですか」
「あのぴかぴかの宝をよ、おれたちが洞窟の外からボートにのってはいって、すっかりちょうだいしようというんだ。えへへ、どうだ、世界一の名案だろうが」
 モレロは、すごい顔に笑みをたたえて、胸をたたいた。


   希望の綱《つな》


 洞穴の水は、だんだん水位をあげてきた。
「おい、もう胸のへんだよ」
 ケンがいった。その声が洞穴《ほらあな》の天井にこだまして、ガンガンとひびいた。
「明日の朝、眼がさめたら、僕たちは土佐《どざ》エ門《もん》と名前がかわっているだろうな」
 ダビットはおどけた口ぶりでいった。みんなを元気づけるためのじょうだんも、それが本当になる恐れが十分あると思うと、誰も笑う者はいなかった。
 死は刻々《こくこく》と四人の身体に、音もなくしのびよってくるのだ。
「もうすぐ首だ」
 空気が逃げてゆくので、水はぐんぐんましてゆく。このままでいったら、もうしばらくで、この洞穴は水びたしになる。
 入口はすでに水の扉でふさがれている。
 洞穴の中はもうまっくらだ。
「ダビット、大丈夫かい」
「ケン、元気だよ」
「玉太郎君は」
「僕も元気です」
「張さん、あなたは」
「私は故郷の山々を思っていたところです」
「みんな元気なんだね」
 ケンはこんな時にも落ちついている。四人が順々に声を出したので、誰がどの辺《へん》にいるかがわかった。
「ねえケン」
「なんだ、ダビット」
「僕のお尻がむずむずするんだよ」
「どうしたんだ」
「あ、魚だ、魚にくいつかれた」
 ダビットがとんきょうな声をあげた。
「あ、いててっ、痛い」
「つかまえればいいじゃないか」
「そうはいかんよ、片方の手でカメラを差しあげているんだからね、左手一本じゃつかまらないよ」
「そうか、それゃ残念だね、こっちへ来たらつかまえてやろう、おい、こっちへ追い出してくれよ」
「そうはいかない」
「ダビットの小父《おじ》さん。大きい、お魚ですか」
「うん。ポケットの中のパンくずをとりにきた奴なんだ。大きさは一センチ位かな」
「なあーんだ。じゃあ、食べられる心配はありませんね」
「ないとも、明日のおかずにとってやりたいところだよ」
 ダビットは元気がいい。
「あ、なんだこれは」
「どうしたい、玉太郎君」
 今度は玉太郎だ。
「ちょっと、あ、これ、なんだろう」
「たこでもとったかい」
 ダビットだ。
「いや、ちがう、ケン小父さん、ちょっと、これなんでしょう」
「これじゃ僕にもわからないよ、どうしたんだい」
「今、手にあたったものがあるんです」
「だから何がさわったんだよ、じれったいなあ」
 ダビットが近づいて来た。ケンも近づいてきた。
「あ、痛い、あケンか」
 二人は暗闇《くらやみ》の中でおでこをぶっつけあった。
「もう少し強くぶつかると、眼から火が出るところだった」
「その火で見とどけようという寸法だったのかね」
「小父さん、これです。僕の手にさわって、ええ、それ、ね、なんでしょう」
「ぬるぬるしているね」
「長いものですよ」
「まてよ」
 ケンは両手で、玉太郎のにぎっているものをおさえた。
「うん、こりゃ、むずかしいぞ」
「ね、なんでしょう」
「うん。綱だ。綱に苔《こけ》がついてぬらぬらしているが、たしかに綱だ」
「綱ですって」
「綱が、どうしてこんなところにあるのだろうね、ケン」
「そりゃ、これから考えるんだ」
 不安な中にも、みんなの心の中には希望の光がともった。
「太いのですか」
 張がたずねる
「太い」
「何をつないでおいたのかな」
「何がつながれているのかと今考えているんだ。まてよ。この太さは、あっ」
「どうしたのです」
「船で使うロープに似ている」
「船がつないであるのかな」
「まさか」
「ケン小父さん、一つひっぱってみましょう」
「うん、ひっぱってみよう」
 玉太郎とケンがひっぱった。あとからダビットも張も手伝った。
 なにしろ、長い間水につかっていたらしい、ぬるぬるしてなかなか力が入らない。
「よいしょ」
 玉太郎が気合をかけた。
「よいしょ」
 みんなが、それに和《わ》した。
 そのうち水はいよいよ増してくる。けれど四人は水の恐ろしさよりも、この綱をひっぱれば、そこに何か表われるものがあるように感ぜられたので、一心に力を合せて引いた。
「おい、ちょっと待て」
 ケンが一同のかけ声をとめた。
「あれを聞け、音がする」
 みんなは、いきをのんだ。
 ゴボ、ゴボ、ゴボ、ゴボ。
 かすかだけれど水の流れる音だ。
「綱を引いたので、どこかに穴でもあいたにちがいないな、ケン」
 ダビットの声はうれしそうだ。
「もう一ふんばりひっぱりましょう」
 玉太郎も喜びにふるえている。
「そうだ、さ、力を合せて」
 希望の光はいよいよ明るくなった。もう一息だぞ。
「よいしょ、よいしょ」
 疲れもどこかに吹きとばせとばかり、四人は力をいれた。
 綱は少しずつではあるが、うごくようだ。
 五分、十分、二十分。
 水は胸から首へひたひたとせまってきた。
 ともすると疲れのために手の力がぬける。身体中が冷さのためにしびれる。力を入れたはずの腕の力もいつかぬけてくる。
 どの位だろう。
「や、うごいたぞ」
 それからはわけはなかった。
 綱はずるずるずるずるとのびてきた。
 瞬間、どうっという小音が一同の鼓膜《こまく》をうった。
「水が流れた。助かったぞ」
 今まで四人の周囲をひたひたと包んでいた水が、一つの流れとなって、勢よく四人の前を通りすぎていった。
「綱を引いたので、岩がゆるんだのだな」
「岩がゆるんだんじゃない、もっと深い穴がこの先にあったんだぞ、その口をふさいでいた岩を、われわれがどけたのだよ」
「それも綱をひっぱったためなのにちがいない」
 四人はともするとおしながされそうな水勢《すいせい》の中に、かたくだきあっていた。
「おいそうだ。僕らはこうしちゃいられないよ。いつかその深い穴にも水がたまるだろう、するとこの流れもその時には止ってしまうにちがいない」
「すると、前と同じになるわけだな」
「喜ぶのは少し早いぞ」
「そうとも、じゃあどうするんだ、ケン」
「一つ希望がある」
「なんです、ケンの小父さん」
「今の岩の変化によって、他にも変化が出来はしないかということだ。たとえば、僕らの頭の上に別の穴があいて、そこから僕らは逃げだせるのではないかという見方さ」
「そんなうまいぐあいにゆくかな。ゆけばよいが、神様どうぞ、そうなりますように」
「待っていたまえ」
 ケンはそろりそろりと岩につたわりながら、歩き出していった。
「ケン、神様は我々に幸せを、およせ下さったかい」
 しばらくしてダビットが訊《たず》ねた。
「まだだ」
 闇の中で返事がかえってきた。
 ケンはそろり、そろりと岩肌《いわはだ》をつたわって穴をさがしているに違いない。
「あった。あったぞ」
「助かったね」
「アーメン」
 一同はほっとした。
「どこだ」
「ここだ。君らのいるところから五六歩のところだ」
 三人はお互いに手をしっかりとにぎりあいながら水の中を歩き出した。


   怪船《かいせん》と怪人《かいじん》


 穴は人一人がやっとぬけられるような小さい穴だった。一人ずつ、身体を横にしてはって行かねばならない。まずケンがとびこんだ。つづいて玉太郎、それにダビット、しんがりは張だ。
 前の人の足を左手でおさえながら、右手ですすむのだから、大へんな骨折りだった。
 しかし、この努力の彼方には救われるという希望があったので、これ位の苦しみは、四人にはなんでもなかった。
 しばらくすると、四人のほおに冷い風がふいて来る。風というよりも空気の流れだ。その流れの中に、かすかではあるが、例の恐竜のなまぐさい香りがまじっているのだ。したがって、この穴の出口に恐竜がいるのかも知れない。あるいは恐竜の巣につながっているのであろう。そうした危険はたぶんにあるのだ。しかしそんなことを心配してはいられない。出たとこ勝負でぶつかってゆくより今の四人には手のほどこしようがないのだった。
 水中に張ってある綱は生命の綱ともいうべきであった。綱を引く事によって水からの恐怖がまずさり、次にこうした脱出穴《だっしゅつあな》をさがし出せたのだ。しかし、それよりももっと大きな幸福が、四人ばかりでなく、探検隊員全部の上にかがやくようになったことは、誰も知らなかった。それがどんな幸福だかは、この書の最後まで読まれた読者にはおわかりになることである。
 それは後の物語として、洞穴をぬける四人の身の上にもどろう。
「ケン小父さん。何か人声が聞えませんか」
 玉太郎が、ケンの足にサインした。
「うむ、君の耳にもきこえたか、僕は耳のせいかと思っていたが……」
「おい、ストップ」
 ダビットが言った。
 みんなは息をころして、じっと耳をそばだてた。水にぬれた衣服を通して冷い岩肌の冷気がきゅうっと五体を緊張させた。
 ほんのかすかな音である。どこからきこえるのかも見当がつかない。
 四人はどっと、八つの耳をそばだてた。
 きこえるよ、たしかにきこえる。
「フランス語だ」
「いや英語らしい」
 声は空気の流れにのって聞えてくるのではなかった。ダビットが頭の上の岩肌に耳をつけると、声はよけいにはっきりした。つまり声は岩を伝わってひびいてくる振動音なのである。
 読者が二階にいる時、階下の話声を聞こうと思えば、窓をあけて聞くより床《ゆか》に耳をつけた方がよい。階下の声の音は二階の床を振動させて、直接読者の耳に伝えてくれるのだ。
 こんなことをしてはもちろん危険だが、遠くを走って来る汽車は、姿が見えない遠方でも、線路には車輪のひびきがのってきている。今四人が耳にしたのはそのひびきの声だ。
「とすると、この近くに誰かがいるのだな」
「そうだよダビット、あんがいその洞穴の上は道路になっていて、そこに誰かが来ているのかも知れない」
「あ、ラツールさんの声だ」
 玉太郎がとつぜんにさけんだ。
「え、ラツール、じゃ、あのフランスの新聞記者のあのラツール君かい」
「そうです。僕信号をしてみます」
 玉太郎が岩のかけらをとりあげて、頭の上の岩肌をコツコツとたたきはじめた。モールス信号だ。
 返事はない。
 コツコツコツコツ、玉太郎は信号を送る。
 まだ返事はない。しかし今度は話し声がきれた。こっちの信号がわかったらしい。
 玉太郎は信号を送った。
「ラツールさんですか。こちらは玉太郎です」
 今度は返報《へんぽう》がきた。
「玉ちゃんかい。どこにいる」
「どこだかわかりません。海に出るらしい洞穴の中です」
「どこから入ったの」
 そこで玉太郎は今までの道すじを長い時間かかって説明した。
「ちょっとまってね」
 信号がそれで切れた。
「やっぱりラツールさんだった。早く会いたいな、どうしているんだろう」
「さっきは、僕らがラツール記者を助けた。今度はラツール記者に僕らが助けられるという事になるらしい」
「おいダビット、神様はまだ我々を見捨てにはならないからね」
「そうだケン、天国行きのバスのガソリンが切れたのだよ、きっと」
 ダビットはもう元気になった。もちまえの冗談《じょうだん》が口をついて出る。
 トントン、ツーツー、トンツー。
 と信号がひびいて来た。
「君らのいる横穴をさらに十|米《メートル》すすむ、すると大きな洞穴に出る。日の光もさしているだろう。階段も見えるにちがいない。僕はこの島の住人《じゅうにん》をつれて出むかえに行く」
 ラツールの信号は、こうつたえて来た。
「ありがたい。ところでその島の住人とはなにものだろうね」
 玉太郎が信号をといてみんなに話すと、ケンがこうたずねた。
「島の住人とは何者なるか」
 玉太郎がすぐに信号を送った。
「会えばわかる。ふしぎな人物なり、僕は恐竜の口から彼によって救われたのだ。いずれ大洞窟《だいどうくつ》でお目にかかろう」
「O・K!」
 そろり、そろりとまた行進がはじまった。
「もう何米ぐらいはいったかな」
「まだ三米ぐらいだよ」
「あと七米だね、元気を出すぜ」
 ダビットは足をばたばたさせた。
「クロールじゃないから、足を動かしても進みませんよ、お静かに、お静かに……」
 張さんも笑っている。みんな元気だ。おもえば昨日から何も食べていない。腹はへっている。疲れは極度に五体をしびらせている。
 しかし救われるという希望が眼の前にかがやいているのだ。だから四人は元気一杯なのだ。
「あ、あれだ、明るいぞ」
 先頭のケン。
「もう一いきです」
 玉太郎がふりかえった。
 かすかではあるが、明るい。
 頭をぶつけたり、肩をうったり、細い洞穴の旅行は大へんな難行苦業《なんぎょうくぎょう》だったが、それももうすぐ終りだ。
「さて、このへんの様子もカメラにおさめておこうか」
 もうダビットは商売をはじめた。明るい出口をめざして、そろり、そろりとはいでるケン監督のようすを、後からダビットはカメラにおさめた。
「ああ、遂《つい》に救われた」
 ケン、玉太郎、ダビット、張の順序で穴から出る。そこは大きな洞窟になっていて、上からは岩と岩の間を通して明るい光が流れこんでいた。
「おや、あれはなんだろう」
 今四人が出て来た横穴の下、二米には水があった。その水の上には大きな船が浮んでいた。
 船といっても汽船ではない。蒸気船でもない。帆船《はんせん》だ。もう二三百年もの昔、いやそれ以前の船にちがいない。
 ヨーロッパの港々を荒した海賊船を読者は想像してほしい。その黒い影が四人の眼の前に、にょっきりたっているのだ。
 洞穴はこの帆船の格納庫《かくのうこ》の役目をしている。どこからこの船がここに入ったのかは、いずれわかることだが、四人が完全にびっくりしたことはまぎれもない事実だった。
「コロンブス時代の船だろ」
「アメリカ大陸発見以前の遺物《いぶつ》だ」
「船側《せんそく》はもう苔《こけ》むしている。船底はおそらくかき[#「かき」に傍点]のいい住家になっているにちがいない。帆はまきおろされているが、すでにぼろぼろになって、使いものにはならないだろう」
 船は小波の中にしずかに、ゆったりとゆれていた。潮がずんずん引いてゆくので、その力にのってか、いくらかずつむこうの方に進んでゆくらしい。
 この洞窟は先に行って、右か左に大きくまがり、やがて外の大海につながっているのだろう。
 かくされた神秘《しんぴ》の大洞窟にねむる怪船である。
「あ、ポチだ!」
 犬のほえ声が、ガンガンとひびいた。
「ケン小父さん、ダビットさん、張さん、あそこだ」
 玉太郎が右手をあげた。
 今四人が出て来た横穴の前は、幅《はば》五十センチ位の道になっている。それが自然の階段をつくって、洞窟の天井にのぼっているのだ。その天井から、まずポチがおりて来た。
「おお、あすこだ」
 四人は歩きだした。
「あ、ラツールさんだ」
 ポチからおくれて、ラツールの姿が見えた。
 そのラツールのあとから、これは、この世の者とも思われない怪奇な、すさまじい姿をした怪人があらわれた。
「何だあれは?」
 ケンも、ダビットもそれから張も、もちろん玉太郎も冷水をあびせかけられたように、ぞっとして立ちすくんだ。
 島には恐竜の外に、別の恐怖があったのだ。
 スペイン時代の遺物としか思われない帆船と、怪人!
「あれがラツールの云っていた島の住人なのか」
 張が落ちついた静かな声で云った。


   ブラック・キッドの宝《たから》


 まず飛んで来たのはポチだった。
 ポチは玉太郎の腰にとびついた。玉太郎が腰をかがめると、うれしくてたまらぬとばかり、鼻の頭をなめ、ほおをペロペロやり、ちぎれるばかりに尾をふった。
「やあ、ポチ、元気がいいなあ、御主人に会えてうれしそうだね」
 ダビットはそういいながら、玉太郎とポチのようすをカメラにおさめた
 撮影用のレンズは玉太郎から移動して、例の怪巨船《かいきょせん》にうつり、さらに岩道をこちらにやってきたラツールと怪人にむけられた。
「ラツールさん」
「おお玉ちゃん、よかったねえ」
 ラツールは玉太郎の頭をなで、ついでケンやダビット、張の手をにぎった。
「よく生きていましたね」
 とケン。
「ええ、このラウダ君、いやまだ、みなさんに紹介していないが、ラウダ君です」
 ラツールは後に立っている怪人の方をふりむいた。
 ラウダ君と紹介されたその人は、ボロボロの服をまとい、髭もぼうぼうとはやした人間ばなれのしたようすをしている。
「前の探検隊員の生き残り勇士ですよ」
「数年ぶりで英語が話せて、こんなうれしいことはありません」
 ラウダはケンやダビットと握手した。
「僕はこのラウダ君に助けられたのです。皆さんが僕を崖の上において、ふたたび崖をおりていった後で、恐竜がやって来ました。それまで僕を看護していた方は、あまりの恐竜のおそろしさに、僕をかかえこむと夢中で逃げだされたのです」
「マルタンさんですね」
「そうだ。ピストルがなった時だ」
「僕らもおどろいて、洞穴《どうくつ》の中へ逃げこんでいた時だ」
「ふとったマルタンさんは僕を背負っている事が大へん苦痛だったんです。いくどかころびました。その都度、恐竜の長いおそろしい首がわれわれの方へのしかかって来るのです」
 そうだろう。
 一人は飢《う》えと疲れに、半分死んでいる人間だ。いかにマルタンが力があったとしても、それを背負って行くということは、大へん困難だったに違いない。ましてマルタンはふとっている。ただでさえかけ出すのに、心臓がドキドキする方だ。マルタンのこまりぬいたようすがよくわかる。
「最後にころんだ時は、生あたたかい恐竜の息が私の体をつつみました。マルタンは私とはなれて、草むらの中をころがって行きました。僕は気を失ったのです。そして気がついた時は、このラウダ君に助けられていたという寸法なのです」
「恐竜は弱いものいじめはしない。また動物は餌《え》にしません。象のようなものです。草と小さな魚を食事にしているのです。けれどその力は強く、いちど怒ったら巨船《きょせん》でもうち沈めるだけの事をやります。おとなしい割に兇暴《きょうぼう》な一面をもっています」
 ラウダが説明してくれた。
「さあ、僕の洞穴に来るか、この船のキャビンへ御案内しましょうか」
 玉太郎たちは疲れている。安全なところで一眠りしたいのが一番ののぞみだ。
「では少し歩きますが、私の洞穴にいらっしゃい。食事もあります。火もあります」
 ラウダにつれられて、一同は洞窟の湖の方をめぐりながら、例の洞穴にむかった。
 洞穴は四|米《メートル》四方の部屋が二つつながっている。まわりは腰をおろすに具合よく岩がけずられていた。そこは寝台にもなる。奥の部屋の中央には、小さい炉《ろ》が切ってあり、枯木がチロチロ燃えていた。から缶がかけてあって、白い湯気《ゆげ》を上らせながら湯がわいていた。
 天井に具合のよい窓明りがあって、そこから光が太い帯をなして流れこんでいた。
 ラウダは小さい缶に湯をうつし、一同にふるまった。
「ここは僕の住宅です。恐竜の心配もないし、雷雨《らいう》の危険もありません」
 ケンは二枚着ていたシャツの一枚をラウダにあたえた。ダビットはポケットからはさみを出してラウダの髪をかった。
「こうすると、いささか人間らしくなる」
 ラウダは大喜びだった。
「ラウダ君、君はどうしてここに住んでいるんです」
 みんなが落着いてからケンが質問の第一をはなった。
「ラツール記者からもきかれたことですが、お話しましょう」
 ラウダは奥から薯《いも》だとか、椰子《やし》の実をかかえてきた。それをきったり、焼いたりして食べるのだ。
「ゆっくり食事をしながら聞いて下さい」
 ラウダは、みんなの眼が、自分に集中されているのを感じながら、ゆっくり話しはじめた。
「私はロンドン博物館に勤めていた者です。五年前、そうです、ちょうど五年前です。セキストンという人が探検隊を組織いたしました。彼は別に目的があったのですが、当時のその探検団の企画《きかく》は南の孤島《ことう》に住む生物を研究するということでした。私は理学も動物の方を研究していた者ですから、喜んで参加いたしました。そしてこの島にやって来たのです」
「セキストン伯のねらっていたのは、生物ではなく、この島にかくされている海賊の宝だったのではないのかな」
 ラウダの話のとちゅうにケンが口を入れた。
「そうです。約八百八十年の昔、スペインの海賊船、ブラック・キッドがこの島にその財宝をかくしたという、しっかりした証拠があったのです。セキストン伯はそれを知っていました。そしてこの島に来たのです」
「それで、宝はさがせたのですか」
「さがせませんでした。二三枚の金貨をひろったようです。又波にくだけた宝箱の破片も得ました。ですから賊宝《ぞくほう》がこの島にあったということは証明されたのです。ですがそれを手に入れぬうちに引揚げざるを得なかったのでした」
「それは何が原因だったのです」
「恐竜です。恐竜がいる事で、探検団の連中はすっかり肚肝《どぎも》をぬかれてしまったのです」
「わかった。探検団は引きあげた。その船は恐竜におそわれて、乗組員はほとんど死んでしまった。残ったのはセキストン伯がたった一人だけだった。ということを伯が僕らに話していたっけ。けれど、もう一人生き残った者がいたのだ。彼はどんな方法かによって島にたどりついた。そしてこの孤島で救いを待ちながら一人生活していたんだ。その男はラウダ君、君だ」
「そうです。その通りです」
 ダビットの説明をラウダは深く、大きくうなずいた。
 そして、言葉を続けて、「いい落した処をおぎなうならば……」
「うん」
 ケンがひざをのり出した。
「僕、ラウダはあれから五年間の間に恐竜の性質を研究した事、キッドの船をこの洞窟の中の湖に発見したこと。船の中には宝らしいものはなかったが、その宝は島の洞穴の一部にかくされていること。そしてそこへ行くには恐竜の巣をこえてゆかねばならぬこと。それを発見したのだ」
「さっき見た船、あれがキッドの船なの」
 玉太郎は眼をかがやかせた。
「そうだ」
 ラウダは湯を一杯のむと、
「ブラック・キッドは、自分の死期《しき》が近づいてきたのを知ると、かねてさがしておいたこの島にやってきた。この島の入江の洞穴の中に船を入れるだけの広さがあることを知っていた。しかも一度入れた船は岩をくずすことによって永久に出られぬ仕掛けになることも考えてあった。キッドは船をここに入れて、入口を岩でふさいだ」
「その時には、恐竜はいなかったの」
「さあ、そいつはわからん。恐らくいなかったのだろう、いても島の別の方面に住んでいたかも知れない」
「うん、それで、キッドはどうしたの」
「キッドは宝を乾分共《こぶんども》にはこばせると、乾分達を一人残らず殺してしまった。だから世界中キッドの宝がどこにかくされたかを知っている者はないのだ」
「でも、セキストン伯はそれを知っていたのでしょう」
「そうだ。キッドは宝のかくし場所の秘密を自分の子孫にひそかにつたえたに違いない。セキストン伯は彼の子孫からこの秘密を買いとったか、又はぐうぜんの機会から知ったに違いない」
「それで探検隊を組織したんだね」
「そうなのだ。僕らは彼にだまされて、安い賃銀でやとわれてここにやって来たのさ。そのあげくが君らに会えたんだ」
「うん、よかったね」
「よかったとも、僕は助かったんだ。英国《えいこく》に帰れるんだ。文明社会にもどれるんだ」
「その宝はどこにあるか、君は知っているのですか、ラウダ君」
 今までだまっていた張が、後から声をかけた。
「知っていますよ。けれど恐竜がそれをまもっている。僕らにはとれないのです」
 張はがっかりしたような顔をした。
「君は少し喜びすぎているよ、ラウダ君」
 ケンが口をぎゅうっとむすんだ。
「君は僕らに会って帰れると喜んだが、僕らの乗ってきた船は、第一回のセキストンの探検隊と同じ運命をたどったんだ」
「え、じゃ、また恐竜にやられたんですか」
「そうだ。僕らはこの島に取りのこされてしまったんだよ。君の兄弟になったまでさ」
「……」
 ラウダは手にしていた湯呑みの缶をカラリと落した。その缶はカラコロリンと音をたて、ラツール記者の方にころがってきた。誰もそれをひろう者はいなかった。又誰も言葉なくだまり続けるばかりだった。


   ポチよ大手柄《おおてがら》だ


 一同はラウダの洞穴《ほらあな》で十分に休養をとった。海岸にのこっている連中に、自分たちがぶじでいることを知らせて安心させてやりたいと思ったが、まず体の疲れをとることが第一だった。
「おい、ポチ、お前は伝令《でんれい》が出来るね」
 玉太郎がポチに言った。ポチの首輪に手紙をつけて、みんなのところへ使いにやれば、みんなも安心するだろう。
「玉ちゃん、そいつは無理だよ。いかにポチが名犬だといっても、伝令の役は出来ないよ」
「でもラツールさん。ポチはとっても利口なんです」
「それだったら、すぐに君の危険なことを知って、僕に伝えてくれるはずだ」
 玉太郎はなんとも返事のしようがなかった。けれど、やらぬよりはいいだろう。無駄《むだ》になったら無駄になっただけの事だ。
「おいポチ、お前は僕らの手紙をもって、使いに行っておくれ」
 ポチはいいとも悪いとも感じないらしく、さかんに尾をふっていた。
「ラウダさん、手紙を書きたいんですが、紙と鉛筆はありませんか」
「紙と鉛筆なら、僕がもっている」
 ダビットが、胸のポケットから手帳を出した。それにペンシルがついている。
 ケンが手帳の紙を一枚ぬいて、それに玉太郎たちのぶじなことを書いた。これを玉太郎のぬいだ靴下に入れると、玉太郎はポチの首にゆわえつけた。
「ポチ、いってくれ」
 ポチはワンと吠《ほ》えた。玉太郎の気持がわかったらしい。
「ゆけ」
 玉太郎は命令した。
 ポチは悲しそうな眼を玉太郎にむけたが、玉太郎のいうことがわかったらしく、洞穴の中から出ていった。
「さ、僕らは一睡《ひとねむ》りしよう」
 ケンの言葉に一同は、洞穴のぐるりをとりまいている岩の床に足をのばすことにした。
 疲れがぐっすりとねむらせてくれた。
 どの位眠ったか。
 ワンワンとけたたましく吠えるポチの声に玉太郎がまず眼覚めた。
「ポチ、どうした」
 ポチは尾をふっている。ぶじに任務をはたしたといった誇《ほこ》り顔である。
 玉太郎はポチの靴下をほどいた。
 やっ、別の手紙が入っている。
「一同の無事なることを知って喜びにたえない。こちらでツルガ博士とネリ親子と自分は諸君の帰りをまっている。セキストン伯の連絡はない。モレロと二人の水夫フランソアとラルサンは行方不明だ。ともかく諸君の帰ることを我々は待っている。上陸地点から動かぬことを約束する。おそらくこの便りは仕事を十二倍もする愛すべき小さい犬によってケン及びその友達のもとに到着すると確信している。故《ゆえ》に二十四時間の間、我々はここにまっていることにしよう。マルタン」
 玉太郎はこの手紙を読んでおどり上った。
「ラツールさん。ケン小父さん、ダビットさん、張さん、それからラウダさん。みんな起きた、起きた、大事件《だいじけん》だ」
 そうさけびながら玉太郎は空缶《あきかん》をガンガンと打ちならした。
「おい玉太郎の玉ちゃん、どうしたんだい」
 ラツール記者が第一に眼をさました。
「恐竜がやって来たのかい」
 そういってとびおきたのはダビットだった。
「落ちついて、落ちついて……」
 とケンはシャツのボタンをはめながら落着いていた。
 張と、ラウダも起きてきた。
「返事が来たのです。ポチがもって来たのです。ごらんなさい、ケン小父さん、これです」
「うん、ポチはなかなかやるね、どれどれ」
 玉太郎の手渡したマルタンからの手紙を、ケンはみんなに聞えるように、大きな声でよみあげた。
「ばんざい」
 ダビットが両手をあげた。
「どうする」
 ケンがみんなを見まわした。
「すぐ出発するか、それとも」
「それともなんですか」
「あの帆船《はんせん》を調べるんだ」
 一同の頭の中には、うまくすれば、あの帆船にのって、この島から脱出出来るかも知れないという希望がちらりとかすめた。
「調べても無駄です」
 ラウダが頭をふりながらひくい声でいった。
「僕は十分調べてあるんです」
「その調べた結果をうかがおう」
 ケンは議長格で発言した。
「まず船は痛んではいません」
「大洋の航海に出ても大丈夫かしら」
「部分的には朽《くさ》っているとこもあるが、大丈夫でしょう」
「それはありがたい」
「船は大丈夫でも、あの洞穴から出ることは出来ない」
「出来ないというと」
「なぜだかわかりませんが、船は少しも動かないのです。潮《しお》の満ち引きにおうじて、多少なりとも動くべき筈のところ、船底をコンクリートで固定でもさせられたように、動かない。だからだめでしょう」
 ラウダは下をむいた。
「よし、動くとしても、あの湖からどうしで船を海に出すことが出来るだろうか、僕はよく調べました。五年もの間、調べに調べた結果なのです」
 半ばひとり言のように、深いあきらめの顔色が、ひが消えるような溜息《ためいき》と一しょに、みんなの胸を悲しくさせた。
「でも、一度調べてみようじゃないか」
 長い沈黙の後で、ケンが元気よく云った。
「ラウダ君の見落した処もあろうし、また僕たちの新しい発見に期待してよいだろう」
「ケン、いいところへ気がついた。さあ怪船探検へ出発しよう。ラウダ君が先に立つんだ。それからケン、玉太郎、ラツール君の順で行きたまえ、張君はややおくれてあとから……」
「ダビット、何をいっているんだ」
「映画の話だ。僕はここにカメラをすえる。君はそのままの位置でとまってくれ給え、今度は、僕は船の上から、とる。なにしろカメラが一台だから、カメラマンは忙しいんだ」
「ダビットさんは相変らず仕事熱心だなあ」
「そんなに苦労してとったフィルムが、いつ世界の人の眼にとまるのだ。永久にこの宝島に葬《ほうむ》りさられるとも限らないのだよ」
 張が重々《おもおも》しい声で死の予告をした。
「それは僕らが死ぬということにきめているからだよ。僕らは助かる。そして文明社会に帰れる。帰った翌日にこの映画はもう封切られるのだ。ニューヨーク劇場にしようか。それとも、ワシントン劇場にしようか。僕はそれまで考えているんだ」
「夢のような話だ。奇蹟のむこう側の物語だよ、君のいうことは」
「いや違う。明日の事を、僕はいっているんだ。大統領をはじめ朝野《ちょうや》の名士を多数招待して封切《ふうぎ》る場合はとてもすばらしいぞ。僕はケンと一しょに舞台にのぼる。嵐のような拍手だ。ケンが恐竜島の探検談を一席やる、僕がつづいて島の生活について語る。そして映画についての説明をする。人々はただ驚嘆《きょうたん》のうちに僕らの行動をたたえるだろう。リンドバーグのように、ベーブ・ルースのように、僕らは世紀の英雄になるのだ」
「やめてくれ、ダビット。その話は帰りの船の中で聞こうじゃないか」
 ダビットは不平そうだった。だがこんなみじめな場合においても、明るい、ほがらかな性格だ。希望をすてない態度に、玉太郎はアメリカ人のよさを見せつけられたように感じたのだった。
「さ、諸君、出発だ」
 ダビットはカメラのレンズのおおいをとった。
 不平をいいながらも、誰もがこの演出通り歩きだした。
 一歩、一歩すべる岩道を湖の方にくだってゆく。そのゴロゴロした岩道の向うに、大きい帆船が、御殿《ごてん》のようにそそりたっていた。


   僕らは助《たすか》る?


「この船に乗り組む途《みち》はただ一つ。あすこです」
 ラウダが指差《ゆびさ》した。
「あの岩から、岩づたいにわたって、浅瀬《あさせ》を通って行くのです。さ、僕の後についてきたまえ」
 いくども、いやいく百回も通いなれた路にちがいない。ラウダはすっかりなれた足取りで、岩道をのぼっていった。
 あとからすぐダビットがつづいた。ダビットは、彼の計画通り、一同が船に乗りこむのを帆柱《ほばしら》の陰あたりからおさめる考えらしい。
 ラウダが浅瀬を通って、船ばたにたれている綱にすがって、軽く船内に入ると、ダビットもつづいてあがった。もっともダビットの場合は、ラウダほど身軽くはゆかない。危《あやう》く落ちそうになるところを、よこからラウダにひっぱりあげられたのである。
 ケンも張もあがった。ラツールはひどく疲れているからポチと一しょに岩に腰をおろすことになった。
「玉ちゃん、しっかりたのむよ」
「うん、大丈夫だ。僕、よく見てくるよ」
 玉太郎はラツールと握手をすると、身軽に飛びさった。
 甲板《かんぱん》はしっとりとしめっていたが、塵《ちり》一つなく美しく片づいていた。帆はどの帆もすっかり巻きこまれてた。
「この帆は役立つかな」
「大丈夫役立つ、現《げん》に僕はこの帆をはいで、小型のテントを作った」
 ラウダが答えた。
「まず我々は船長の部屋に敬意を表することにしよう。僕が案内する。ついて来たまえ」
 ラウダは、自分の家を案内するように先にたって、階段をおりていった。
 階段はギシギシ音をたてる。ある部分はくさっていたが、それでも足をふみはずしてころげ落ちるという危険はなかった。
「ここが船長室だ」
 ラウダの指さした扉を見て、一同はぞっとした。扉の上に、すでにミイラになった人の首が、短刀《たんとう》に釘《くぎ》づけになってはりついているのだ。
「なんだい、この謎は」
 ダビットが首をかしげた。
「この部室に入るものは、この者と同じ運命をたどることを覚悟せよ」
 ケンがミイラの首の下に書いてあるスペイン語を英語になおして説明して、
「つまり、船長室に入っちゃならぬというんだね、ケン」
「そうだよダビット、船長室に入ることは、死を意味することだと、この者が説明しているのだ」
「けれども入った者がいるのです」
 ラウダが口をはさんだ。
「おそらく船長室には、この船の宝物が全部集められていたにちがいない。船長はこれを守るために、この掟《おきて》をつくったのだろう。しかし、慾深い人は、死を覚悟してこの掟を破ったんだ。この扉を開いた」
 ラウダは、足でダーンと扉をけった。
 扉がダーンと音をたててむこう側にあいた。
「見給え、掟を破った者の姿だ」
 玉太郎はもう少しでキャーッという声をたてるところだった。
 入口のちょうど正面に一人の男がたっていた。いや、正面の壁に立たされているのだ。胸から背にサーベルがぐさりとささっているそれがさらに壁をつらぬいて、男をささえているのだ。男といってももちろん、ミイラになっている。
 苦しんで死んだらしいようすが、そのかっとあいた眼にも、口にも、まだ白さが残っている歯にも見えた。
「恐ろしい姿だ」
 ケンがしずかにいった。
 張がすすみ出て、部屋の中へ入っていった。一同はそれにつづいた。
 部屋は二|米《メートル》四方の小さい部室だ。部屋のすみには美しい彫刻をほどこした金具でかざられた箱がつみ重ねられていた。その箱の蓋《ふた》はどれもこれもあけられているか、ひきちぎられていた。
「金貨がある。宝石もある」
 とり残された宝の一部が、箱の中にはスペイン金貨が二三枚ちらばっていた。
「キッドの宝がここにあったのだ」
 張がいった。
「しかし、誰かがすでに運びさっている」
「君か、ラウダ」
 ダビットが、ラウダの顔を指さした。
「そうだったら幸福なのだが、そうではないのが残念なのだ。僕らの探検の前に、すでに誰かが、この島に来ていた。そしてキッドの宝物は彼等の手に処分されていたのです」
「あ、ほら、さっきあったあの骸骨《がいこつ》ね」
 玉太郎が思いだしたようにいった。
「僕がセキストン伯爵の首だと思ったあの骸骨、あれがそうじゃないんですか」
「うん、僕もそう思っていたところだよ」
 ケンがうなずいた。
「何者かがここから運び出して、島のあるところに運んだのです。僕もそう思った。そこで五ケ年の間、それをさがしつづけてみたのです」
「それでラウダ、君にはわかったのだね」
「確かではないがある程度はね、しかしそこは僕らの手にはおえないところなのだ」
「そりゃどこだ」
「恐竜の巣《す》の穴《あな》らしいんだ。それも、らしいというだけで、はっきりはわからない」
 ダビットは首をふりながら、
「残念ながら、ここは暗すぎてカメラに入れるのは無理だ。外に出よう。どうも僕にはこんなミイラ君とは仲よしになれそうもない」
 そこで、一同はふたたびラウダに案内されて、甲板に出た。
 船尾から船首へ。
「おや大砲がある」
「およそ古いね」
「大昔の海賊が、おもいやられるね」
「昔はこれで戦ったんだから、戦争も悠長《ゆうちょう》なものだったに違いない」
 そんな会話をしながら歩いてゆくと、
「やっ」
 とラウダが何におどろいたか、突然のさけび声をあげた。
「どうしたんだい、ラウダ」
「船の位置が、船の位置がちがっているんだ」
 彼は湖面を指さしながら、絶叫《ぜっきょう》した。
「五年の間、少しも動かなかったこの船が、方向をかえた。潮の流れにのって移動しつつあるじゃないか、ああ、僕らは救われるぞ、ねえ、君ら、喜んでいいよ、僕らは帰れるんだ、文明社会へふたたび戻れるんだ。英語の話す国へ行けるんだ。夢じゃないな、夢じゃないな」
 ラウダは、さっき一同が登ったロープのところにもどった。
「見たまえ、ラツール、あんなところにいる。船が動いている証拠《しょうこ》だ」
「落ちつき給えラウダ、よく説明してくれ」
 ケンが、ラウダの肩をたたいた。
「そうだ、落ちつくべきだ。落ちついて、僕のこの新発見を君等に話すべきだった。君等も希望がもてるんだ」
 ラウダは甲板にどかりとすわりこんでしまった。一同は、ラウダを中心にして、そのまわりにすわって、車座になった。
「僕の調べによると、この湖は海につづいているんだ。だからこの船にのって、潮の流れにしたがえば、外海《そとうみ》に出られることは、まずまちがいないと観測していたのだ。ところが、この船は、底でしばりつけてあるのか、底がコンクリート固めになっているのか、潮の流れに左右されることなく、少しもうごかなかった。ところが、今見ると、ごくわずかではあるが移動しているのだ、底をとめていたあるものがとかれた証拠だ」
 ラウダの眼は生き生きとかがやいていた。
「わかったケン、僕らがあの洞穴で岩をどかしたね。あの時に綱を引いたろう、あの綱だよ。あの綱が、この船をつなぎとめていたんだ」
「それは確かだろうね、ダビット。君の説は正しいと思うよ。ラウダ、船の動いた説明をこんどは、僕らがしよう」
 ケンはえへんと一つ咳《せき》ばらいをして、話をつづけた。
「この船の底から太い綱が出ている。その綱の一端は、大きな岩によっておさえられて動かぬようにされていたのだ。僕らはぐうぜんの機会からその綱をひっぱった。綱をひっぱることによって、綱をおさえていた岩をのぞくことが出来ましたのだ。僕らがこうして、ここまでやって来られたのも、その岩がどいてくれたおかげだったのだが、その岩はこの船まで動かしてくれたわけだったのだ」
 ラウダは大きくうなずいた。
「なんとしても僕らはこの島から救《たす》かるチャンスにめぐまれたんだ」
「よかったねえ、ダビットさん」
 玉太郎はそういって、甲板のはしまで走り出て来た。
「ラツールさん、僕たちは助かりましたよ!」
 大きな声だ。それが岩肌にはねかえって、ガンガン大きくこだました。ラツールが、手をふった。


   恐竜と闘《たたか》う


 それから船の検査がはじまった。
 まず舵《かじ》は大丈夫使える。船底はかなり傷《いた》んではいるが、水のもれる心配はまずない。帆は完全といってもよい位に保存されている。小船《ボート》も頑強《がんきょう》な奴が積んであり、難船の時の用意も出来ている。
 つめたいこの洞穴《ほらあな》の中に保存されているということは、たとえば冷蔵庫の中に貯蔵されたのと同じ効果を生じたものらしい。ふしぎなほど何百年もの前のものが、そのまま使用できた。
 ラウダの洞穴から、わずかだが、食料と飲料水がはこびこまれた。
 船長室のあたりはさすがに気味が悪かったが、あとはすこぶる快適《かいてき》であった。
「このままで潮にのってみよう。船がどんな方向へ出るかは、運命の神にまかせることにするより手がないからな」
 その夜、一同は甲板の船首の方にあつまって寝ることにした。
「海岸にまたせてある連中をどうするかな」
「まず海に出てからの問題にしよう。僕らがすっかり安全とわかったら救助に行ってもおそくはあるまい」
 ダビットはカメラをかかえて――
 玉太郎はポチをだいて――
 ラツールはまだ痛む脚をかかえこんで――みんなそれぞれの姿をして眠りについた。
 どのくらい眠ったか。
 なにしろ一同は疲れているから、身が安全だとわかるとすぐ眠くなる、死んだようになって眠るんだ。
 ポチが、ウーッ、ウーッとうなったので、玉太郎が眼をさました。
「どうした、ポチ」
 眼をさましておどろいた。
 船はいつの間にか海にいるではないか。恐竜島《きょうりゅうとう》が、千|米《メートル》もの、むこうに見える。
「おーい、おーい、ケンさん、ダビットさん、ラツールさん、張さん」
 玉太郎は一人ずつおこしてまわった。
 まだ太陽はあがらなかったが、もう東の空は明るい。
「ああ、こりゃ、どうだ」
 みんなは眼をこすりこすり起きたが、あたりのようすを見ると、眠気《ねむけ》は一ぺんに吹きとんでしまったらしい。
「助かったぞ、救われたぞ」
 ダビットと、ラウダが手をにぎりあって、甲板の上でおどった。
「ラ、ラ、ラ、ラ、ラララ、ラーラ」
 楽しそうだ。
「諸君」
 ケンが一同を見まわしながら、おごそかに云った。
「吾々はこれで助かった。けれど、島にはまだ、吾が友が居る、彼等をどうすべきかが、残された問題だ」
「断然、救わねばならぬ」
 ダビットが手をあげた。
「人道上ほうっておけない、人々はだれも自由をうる権利があるんだ。ついては、だれが救《たす》けに行くか」
 玉太郎が手をあげた。
「僕が行きましょう」
「小さい、日本の少年よ、それはこまる」
 ダビットがおどけていった。
「僕も行く。それにこれからどのくらい航海しなければならぬかわからぬ本船には、食糧がない。椰子《やし》の実でもなんでもいい、食べるものを集めることもしなければならぬ。救助とともにその両方の任務をおって、僕も行こう」
「では、島に行く希望者をつのります」
 みんなが手をあげた。
「みんなに行かれては船を守る者がなくてはこまる。どうだろう、誰が船に残るか、誰が島に行くか、僕に一任させてくれないか」
「ケンに一任させよう。僕は賛成だ」
 ダビットが一同の姿を見まわした。
「議長」
 張が手をあげた。
「僕は船に残りたい。といっても、島の友人たちを救うのがいやだからではないのだ。僕は友人たちがくる前に、船長室のあの不気味《ぶきみ》な飾《かざ》りものを処分しよう。死者《ししゃ》の霊《れい》をあつかう役目に僕を任命していただければ、光栄だ」
「よろしい、張君、君は残れ、それからラツール、君は労《つか》れすぎている、君も残れ、それから玉太郎君、君もだ」
「僕は行きたいのです」
「僕のかわりにつれていってほしい」ラツールも口をそえた。
「ダビット、君は……」
「僕は行きたいし、残りたい、というのは、張があのミイラ先生を処分するところをカメラに収めたいし、同時に君ら救援隊の冒険もカメラに入れたいんだ」
 ダビットカメラマンはなかなか慾張りだ。
 ラウダは道案内をしなければならないので、当然行くことになった。
 結局、船にはラツールと張と、ポチを残すことにして、一同はボートで出発と決定したのである。
 船は錨《いかり》を入れた。
 一同は縄をつたわって、ボートに乗り込む。ケンとダビットがオールをにぎった。ラウダが舵《かじ》をとった。
 恐竜のいない海岸につけなければ危険だ。それには、ラウダの知識が一番この場合役に立つ。
 しずかな海面だ。
 みどり色の水をとおして、いろいろの美しい色の魚がおよぎまわっていた。
「よし、東海岸の入江につけよう」
 もう、太陽が水平線のよこにぴょっこり顔を出したころだったので、波は金色に、銀色に、また赤や紫にかがやいて、恐竜島の緑の島が刻々《こくこく》にさまざまな色彩で染めあげられていくところだった。
「きれいだなあ、絵より美しい。天然色映画よりきれいだなあ」
 ダビットがあたりを見まわした。
「天然色フィルムをおいて来たのが、残念だった」
 と首をすくめる。
 ギイ、ギイ、と船は軽く波の上をすべって行く。
 やがて、東海岸の入江。
 そこへボートをつなぐと、一同は海岸づたいにしばらくまわって、山へ入った。
「あのあたりには椰子林があるし、天然の薯《いも》も少しはあるです。それから、こっちのあのジャングル地帯には食べられそうな草がある。蜜蜂《みつばち》の巣《す》なんかも御馳走だ」
 ラウダは一つ一つ説明しながら先に立った。
 みんなのいるのは西海岸だ。そこへ行くには恐竜の谷を越えるのが近道である。
「大丈夫、恐竜については、僕は自信がある。奴等は口笛の音が大好きなんだ。口笛で僕は彼等をあやつる術《すべ》を知っている」
「口笛」
「うん、あのピー、ピーというしずかな奴だ。奴等の一番恐れているのは雷だ。あの光をもっとも恐れる。だから、汽船のスクリューの音だとか飛行機の爆音なんか大きらいらしい。静かな高い音が、いいらしいね」
 ラウダは自分の経験をすっかり話してくれた。
 そこで思い出させるのはツルガ博士が沼のほとりで、竪琴《たてごと》をぽろんぽろんとしずかにひいているのをじっと聞いていた恐竜のことだ。奴等は音楽が好きらしい。
一行は島のジャングルをぬけて、恐竜の谷の上に出た。
「すばらしい眺めじゃないかケン、どうだこの朝日のかがやいた雄大な景観は、一カット行こうと思うよ」
「いいだろう。下からだんだん上にアップしたまえ」
 ダビットのカメラがジー、ジーと音をたてた。
「上りきったところで、右に移動する。その樹のあたりで、海を入れてカットだ」
 映画監督ケンの指導はなかなかこまかい。
「このあたりで、恐竜君出てくれないかな、わがラウダ君の口笛に合せて、恐竜がレビューでもしてくれると、ニューヨーク劇場で一ケ年のロングショウになる」
 カメラをおさめながらダビットの、相変らずの冗談口《じょうだんぐち》がつづく。
 博士はどうしているだろう。少女ネリは無事かしら、それから実業家のマルタン氏、みんなどうしているだろう。
 玉太郎の胸の中は残して来て、別れ別れになった人々の安否《あんぴ》を気づかう気持で、一杯だった。だから、ダビットのようにあたりまえの景色に気をつかうだけの余裕はなかった。
「あ、あれはなんだ。おい、ケン!」
 ダビットがあわてて叫んだ。
 ダーンという大砲の音がしたのだ。
 ダビットは崖のはしにかけ出していった。そしてその頂上から下を見た。
「わあ、大へんだ」
「どうしたダビ、なんだ!」
 つづいて来たケンがダビットの顔を見た。
 ダビットの眼は大きく見開かれ、口からは泡がふかんばかりのおどろきようだ。
「そんな目はブロンドの漫画にもないぞ」
「そんなんじゃないんだ。見てくれ、あれを、恐竜だ、恐竜と戦っているんだ」
「何、恐竜だって」
「ほら」
 玉太郎ははしり出した。ラウダもはしってダビットのそばに来た。
「うーん」
 ラウダが、さけんだ。
「あれは、モレロさんじゃないか」
 玉太郎もさけんだ。
 ダビットはカメラをとりあげた。
「人道上《じんどうじょう》には反するけれど、絶好《ぜっこう》の場面だ。ケン、ラウダ、玉太郎、早く救助に行ってくれ、僕もすぐあとを追う」
 そういわぬうちに、三人の姿はリスのように山の肌をかけており、恐竜の谷へころがるようにいそいでいた。


   恐竜の巣《す》へ


 ここで話を少し前にもどそう。なぜモレロが恐竜と戦っているのかを、読者はきっと知りたいに違いない。
 フランソアとラルサンの二人の水夫はモレロの指揮《しき》にしたがって、丸木舟を作っていたことは読者のすでに承知のとおりだ。
 その丸木舟が出来上ったのは、ちょうど玉太郎の一行が洞穴の横穴をいそいでまわって苦しんでいたころである。
「御苦労、御苦労、さあ、出来上ったら、御苦労ついでに海まではこぶんだ」
「やれやれ、まだ仕事があったんですかい」
「あたり前だ。ジャングルの中じゃ、ボートは進みはしない」
「そりゃそうですが、海に行ってどうするというんです。まさか、これで島から逃れようなんて、いうんじゃないでしょうね」
「だまって、俺のいうとおりをやりゃあいいんだ。つべこべいうと、どてっ腹に風穴《かざあな》をあけるぞ」
「へい、へい、やりますよ、やりますよ、何も海まで運ばないというんじゃありませんやね」
 フランソアもラルサンも親分格のモレロにかかると、まるで赤ん坊だ。
 三人はモレロをまんなかにして、ボートを頭の上にかつぎあげた。
「さ、フランソア、お前が先頭《せんとう》だ、行け!」
 密林の、雑草の中を、三人はボートの帽子をかむって、つき進んだ。
「おっと右だ、少しかがんで、枝にぶつかる」
 さすがに親分だけあって、モレロは注意深い。
 こうして、三人が汗を一杯流しながら、二十分間、ふらふらになって出たのがあの洞穴のある入江だった。
 ボートは浮べられた。
「さ、なにをぐずぐずしているんだ。早くのらねえか」
「へえ」
 ボートに乗れば、水を得た河童《かっぱ》も同然だ。三人は急に元気になる。
 どんな波が来ても、暴風雨《ぼうふうう》になっても、水の上で生活していた三人は恐れない。
「モレロさん、どこへ行くんです」
「恐竜の巣だよ」
「え、じゃ、あの」
「今まで俺達は、上からばかり奴等をねらった。それで失敗した。だから今度は下から攻めるんだ」
「恐竜の卵をとりに行くんですかい」
「誰が卵なんかとるものか」
「じゃセキストン伯爵を救《たす》けに出発ですか」
「誰があんな慾張《よくば》り親父《おやじ》を救けるもんか、さあこげ、ボートがあの巣につくまでに、俺の計画をすっかり話してやらあ」
 ギイッ、ギイッ
 とフランソアとラルサンのこぐ櫂《かい》が、深みどりの水面を破って、白い小さい泡をまき起すあたりに、七色の美しい小魚がたわむれていた。
 ボートは珊瑚礁《さんごしょう》の海を気持よくすべってゆく。
 もう夕方に近かった。太陽はすでに島かげにかくれている。東の空が入日を受けてあかね色にそまっていた。
「あすこにつく頃には薄暗《うすぐら》くなる頃だ」
 舵《かじ》をとりながら、モレロは話をはじめた。顔のきずあとが、一だんとものすご味《み》を加えてきた。
「俺たちはこっそりと、奴等の巣にしのび寄って行くんだ」
「卵をとるんですかい」
「卵じゃねえ、宝ものだ」
「宝物《たからもの》、恐竜の宝ものですかい」
「恐竜が、宝物なんかもっているものか、海賊ブラック・キッドの宝物だ」
「げっ、ブラック・キッドの」
 フランソアがたまげたようにさけんだ。
「しっ、大きな声を出すな」
 ラルサンも眼玉が飛び出るように眸《ひとみ》をひらいていた。フランソアなどは、大きな口をあけっぱなしにして驚いている。
「俺はちゃんと知っているんだ。今度の探検は、表向《おもてむ》きは南海の孤島《ことう》の調査ということになっているが、本当はキッドの宝物をさがすのが目的だったんだ」
「へーえ」
「船長セキストン伯は、何かの記録から、キッドの宝物がここにかくされていることを知ったんだ。それで第一回の探検をやった。宝はたしかにあった。しかし恐竜のために命からがら逃げだして、宝物どころの騒ぎじゃなかったんだ。こりゃおめえも知っているだろう」
「へえ、団長一人が救かったといいやしたね」
「セキストンにしてみりゃ、その宝が手に入らなかったのは、返すがえすも口惜《くや》しい、なんとかして、それを手に入れようと思ったんだ」
「なるほど」
「ところが、それを俺が知ったという、はじまりなんだ」
「へえ」
「港の酒場で、俺が話に聞いたキッドの宝物のことを話していたら、ぽんと肩をたたく奴があるじゃねえか」
「ええ、え」
「それが奴だったのさ。お前はキッドの宝がどこにかくされているかを知らんだろうが、俺はそれを知っている。しかも実際にこの眼で見たというんだ」
「……」
「はじめは、俺もこの爺《じい》さん、かわいそうに少し頭にきているなと思ったんだ。だから相手にもしなかったが、だんだん話を聞いてみると、まんざら嘘《うそ》でもないらしいんだ。そこで、いろいろ相談することになったんだ」
「……」
「おい、そう身をのり出さなくともいいから、しっかりこげよ」
「そこでな、俺はあるだけの金を出した。それでも船もやとえなけりゃ、水夫もあつめられない。考えたあげくが探検船さ。そうなると物ずきで冒険好きのアメリカの活動屋さんがすぐ賛成して来た。マルタンという野郎も珍らしい島だったら、それを種にして一もうけしようという下心でついて来た。めんどうなのはツルガ博士という考古学者とかいう学問の先生だ。こんな先生はかえって、足手《あしで》まといにはなるし、金はもっていないが、表面が、島の探検ということになった以上、つれて行かぬことにゃ、世間からへんに思われる。それで仕方なくつれて行くことにしたのよ」
「それで張とかいう中国人は」
「これはマルタンのような下心があるか、ツルガ博士のように勉強のために来たのか、わからねえ、しかし、参加金《さんかきん》だけは出したんで、連れて行くことにしたのよ」
「なるほど、お話を伺《うかが》えば、いろいろとわかって来ましたよ」
「それで、キッドの宝はみつかったんですか」
「それがよ。恐竜の巣のあたりになるんだ」
「あたりって、モレロ親分は見ないんですかい」
「うん、俺は見つけたわけじゃない」
「で、どうして巣のあたりにあるってことがわかったんです」
「まあ、そんな事位、わからあね、まずセキストンがあの崖の上からのぞいて、喜びの声をあげた。そのとたんに、俺は彼が宝ものがぶじだということを知ったのだと思ったんだよ」
「その次に、奴は縄でおりていったろう、そして慾張りの正体をばくろしたんだ」
「というと」
「他の奴等にとられぬうちに、自分で一人じめにしようと思ってな、それがあの結果さ。縄につかまったまま、落ちていった」
「助かったでしょうかね」
「さあ、そりゃわからねえ、アメリカさんがさがしに行ったが、どうなったか」
「助からぬとすると、ちょっと困りますね」
「何がさ」
「宝のあり場所が」
「馬鹿野郎、だからお前はいつまでも水夫で出世しねえんだ。宝はあるんだ。たしかにあるんだ。セキストンが飛び込んだことが第一の証拠だ。あの辺にあるってことがわかりゃいいじゃねえか」
「でも、可哀《かわい》そうでしたね」
「しかたねえ、一人じめにしようとした罰《ばち》さ、俺はそんなことはしねえ、お前たち二人に手つだってもらったんだ、分け前はちゃんとやるよ」
「ありがとうございます」
「お礼をいうにゃおよばねえよ。働きにたいしてはそれ相当の報酬《ほうしゅう》をうるのは当然じゃねえか。俺はものを合理的に考えるほうだからな」
「さすがはモレロさんだ」
「一つ、やってくれよ」
「ええ、十分に働きますよ」
「さ、もう静かにしようぜ、巣も近づいて来た」
 海上からそそりたつ岩と岩との間を、ボートはたくみにぬってすすむ。
「さ、櫂をあげろ。水の音でも奴等に感づかれちゃいけねえ、ここで少し待とう、風の向きが変らねえと、奴等に感づかれるからな」
 さすがにモレロだ。細心《さいしん》の注意をはらっている。風上から進むことは、人間の匂《におい》を恐竜の鼻に送ることになってまずい。だから風がかわって、風下になってから進もうというのだ。
 船を岩と岩の間にはさませて、三人はしずかに時のうつるのをまった。
 そのうち波がしずかに、せまって来た。
 入江になっているので、波は高くない。
 一時間――二時間――
 猫が鼠《ねずみ》をまつように、気長く、しかも油断なく、三人は待った。
「おや、へんな匂がしますね」
「うん、恐竜の匂だ。さ、風がかわったぞ。出かけようか」
 三人はそっと船を出した。
 そのころになると月があがった。十五夜に近い円い月だ。東の空から青白い光をなげている。それが唯一の灯《あかり》だった。
「奴等は眠っているらしいぞ」
 恐竜の巣は、水上五|米《メートル》位のところにいくつもあいている洞窟がそれらしい。
 ボートを岸につなぐと、三人は岩にのって、河づたいに、恐竜の巣の方に近づいた。
「おっ、モレロ親分」
「どうした」
「セキストン伯爵です」
「何」
「ほら、あすこに倒れているのは」
「うん」
 ラルサンが指さす岩の上に、長い綱をつけたまま、両手をのばして倒れているのは正《まさ》しくセキストン団長だった。
 モレロは近づいていった。
 頭に手をやってみたが、しずかに首をふって二人に見せた。
「あすこから落ちたんじゃ、生きているのがふしぎな位だ」
 モレロはそうつぶやくように云ったが、ぞっとして、ぶるぶる身体をふるわせた。
「キッドの宝をねらうものは必ず命がない」
 と昔からつたえられている言葉だ。キッドの宝物をもとめて来たセキストンが、今ここにその予言どおりになって死んでいるではないか。とすると、次には同じ運命が、自分の上にものしかかって来るのではあるまいか。
 さすがのモレロも、ここまで考えてくるともうじっとしていられなくなった。
「親方、行きましょう」
 と、この時フランソアが言わなかったら、モレロはもどっていたかも知れない。そして次にきた恐ろしい運命から逃れることが出来たかも知れなかったのだ。
 その恐ろしい運命とは――


   宝《たから》、死と共《とも》にねむる


 三人はボートからおりると、そろりそろりと岩をつたわって、洞窟《どうくつ》にむかった。
 月の光を受けて、ぽっかりあいた大きな穴は、気味悪《きみわる》く三人の上にのしかかって来ている。
 この穴の中には恐竜がいるのだ。その恐竜の巣の中にこそ、キッドの宝物はある。
 セキストンは洞窟の前にちらばっている宝物の破片《はへん》を発見したに違いない。
「おい、これを見ろ」
 先頭にたったモレロが低くつぶやいて、あとをふりかえった。
「なんです」
「スペイン金貨だ」
「これがここにあるところを見ると、宝物も近いぞ。宝物箱《ほうもつばこ》をはこぶときに、落したものと見える」
 月にすかして見ると、金黄色にかがやいている。まぎれもなき金貨だ。フランソアは、後のラルサンに手渡した。
 野獣のにおいがする。甘いような、すっぱいような、なんともいえぬ香りだ。
「しっ」
 モレロがおしとどめた。
「音がしたぞ」
「恐竜が寝返りでもした音ですかな」
「いや、鼻の悪い恐竜が、いびきをかいたのだよ」
「出来るだけ、はじによれ。まんなかを歩くと、恐竜にふみつぶされぬとも限らぬ」
 モレロが注意した。
 三人はそろり、そろりと暗い洞窟の中を手さぐり、足さぐりですすんでいった。
 生あたたかい風がふいて来た。
“恐竜の呼吸だな”
 と感じたので、三人は頭をさげて、息を殺した。
 心臓が、はげしくなった。全身の血が一ぺんに、大波をたてて、全速力であばれだしたようだ。
「おい、このままで夜明けまでまとう。恐竜が、外に出ていった留守に探検するんだ」
「恐竜も散歩に行くんですかい」
「散歩じゃない。朝になれば食物をさがしに出かけるだろう」
「なるほど、レストランへ行くんですね。明日の朝飯《あさめし》は何んだろう」
「白い牛乳に、焼きたてのトーストパン、それに香りの高いコーヒーか」
「何をくだらんことをいっているんだ。ここはパリーじゃないよ、コーヒーなんかあるものか」
「あ、そうでしたな」
「恐竜の朝飯は何んでしょうね」
「そんなこと俺が知るものか、恐竜にきいてみろ」
「へーい、もしもし恐竜さん」
「こら、だまれ」
 モレロの一喝《いっかつ》で、ラルサンは首をちぢめた。
「だまって、朝まで待ちゃいいんだ……」
「へーい」
 ちょうどこの時、玉太郎の一行は、島の怪人ラウダの巣にたどりついた頃だった。それから一行が船にのり込んで、その船が外海にすすみ出て行こうとするまで、モレロ達三人は恐竜のねている洞窟のすみで、小さくなって朝のくるのを待ちつづけたのだった。
 思わずウトウトすると、フランソアはモレロのたくましい腕でぐっと首の根をつかまえられた。
「おい、起きろ、起きろ」
「朝日が出ているのだろう、洞窟の入口がかすかに明るい」
「油断しちゃならねえぞ。恐竜が御出勤《ごしゅっきん》だ」
「へえ、どこの会社へ」
「馬鹿野郎、会社へなんぞ行くものか」
「じゃ、お役所ですか、バスに乗って」
「どこまでも間抜けなんだ。眼をさませよ、お前は、何か夢でも見てるんじゃねえのか」
 云われて、ラルサンは、あ、あーとあくびをしようとした。
「おい、恐竜がいるんだ。ちっとは、つつしめ」
「おお、そうだった。何、私はパリの下宿で寝ているのだと、ばっかり思っていましたので、飛んだ感違いでした。ごめんなすって」
「いいから、油断をするなってことよ。おいっフランソア、お前もそうだぞ」
「ええ、わっしは前々から、ここにこうしてがんばっておりまさあ、もしも恐竜がこの穴から飛び出るようなことがあったら」
「どうしようというのだ」
「ただ一発のもとに」
「お前もフランソアと同じように、脳味噌《のうみそ》が少し足りないか。頭の組み合せがゆるんでいるらしいな」
「そんなことはありませんや」
「恐竜にさとられたら、それこそ俺たちは生きちゃいられねえんだ。虎口《ここう》に入らずんば虎児《こじ》を得ずっていう東洋の格言があらあ、俺たちはキッドの財宝《ざいほう》を得るために恐竜の穴に入ったんだ。大冒険なんだぜ、命がけの探検なんだぜ。どうもお前たちは、俺のこの気持がわからねえんでいけないよ。第一……」
「おっと、モレロ親分、恐竜様のお出ましだ」
 今度は眼ざとく気がついたフランソアが、モレロの腕をひっぱった。
「おっと」
 モレロは頭を両腕でかかえこむと、小さくなって岩のすみに身体をひそませた。ラルサン、フランソアの勇士も、もちろん大将モレロにしたがって、小さくなった。
 ずしり、ずしりと恐竜が歩く。そのたびに洞窟は地震のようにゆれた。
 恐竜は三人の姿を見たか見ないか、見たとしても少しも邪魔にならぬ存在と見逃して、モレロ達のわきを歩いていった。
 びりっ、びりっ、地ひびきがおわったと、思うと、ズズーンという大きな音がした。
 恐竜が海に飛び込んだのだ。
 続いて、ズズーン、ズズーンと大砲を射ったような音がした。あちこちの洞窟からも、恐竜が飛び出したのだろう。
 猫のような、また猿にもにた鳴き声がやかましく聞えた。
「さあ、奴等は出かけたぞ、この間にさぐろう」
 三人はさらに穴の中をすすんでいった。
「親方親方、ありゃなんでしょう」
「どれなんだ」
「ほら、あそこにぶよぶよしているものがいますぜ」
「兄貴ありゃ、恐竜の赤ん坊だよ」
 卵からかえったばかりらしい恐竜の赤ん坊が、四匹ばかり、長い首をふったり、からませあってじゃれていた。
「おい兄貴」
「なんだラルサン」
「あれはいいな、金の卵もいいが、卵よりあの方が高く売れるぜ」
「うん、俺も今、それを考えたところだ」
「どうだい、ちょうど二匹ずつに分けようじゃないか、恨《うら》みっこなしとゆこう」
「うん」
 二人がそんな相談をしている間に、モレロはあたりをかぎまわすように探しものをしていた。
「おい、フランソア、ラルサン、来てくれ、ちょっと手をかしてくれ」
 モレロは岩肌《いわはだ》をたたいた。
「なんです」
「ここをごらん、字が書いてある。二人のうち、読める者はいないか」
「さあ、どうも俺には、文字という奴がにが手でね」
「うん、英語なら少しはわかるんだが、こいつはどこの国の言葉だか知らんが俺にはわからねえんだ」
“宝、死と共にここに眠る”という謎のようなスペイン文字がモレロに読めたら、彼もちょっと考えたであろうが、残念ながら、彼には読めなかった。
「キッドの宝はここにかくされてあると書いてあるにちがいない。おい手をかしてくれ」
 しかし、岩はびくともしなかった。三人の力ではどうにもならない。
「うん、この岩さえどけりゃ、いいんだがなあ、ここまで来て、空《むな》しくもどるというのは、なんといってもしゃくにさわるな」
 モレロは腕をくんだまましゃがみ込んでしまった。
「親方、ピストルをお持ちでしょ」
「うん、持っている。が、ピストルの弾丸《たま》じゃこの岩はびくともしねえよ」
「ピストルで射つんじゃないんです。弾丸《たま》から火薬をぬいて……」
「うん、うん、わかった、わかった、手前はなかなか利口だ」
 モレロはにこにこした。ピストルの弾丸の火薬で、爆破しようというのだ。
 こういう事は彼等には手なれた仕事だ。
 モレロは弾《たま》をぬき出すと、その仕事にかかった。
 向うのすみから恐竜の子供たちが、首をそろえてこっちをみている。ミャア、ミャアと悲しそうな鳴き声をあげていた。
 突然、
「ダーン!」
 という音がした。音は岩の洞窟の中をはしりまわり、あちらこちらの岩肌にはねかえり、ぶつかりあいしてだんだんと大きくなっていった。
 だから海の外にこの音がながれ出た時には、地雷が爆発したような、どえらい音をたてたのである。
 海水をあびて、朝の空気を楽しんでいた恐竜どもがびっくりして首をあげた。
 中の一匹がわずか出てくる火薬の匂をかぎつけたのか、三人がしのんでいる洞窟に首をつっこんだ。
「グアッ」
 そいつは怒りの叫び声をあげて、穴に入っていった。


   あっ爆音《ばくおん》だ!


 人と怪獣《かいじゅう》の闘い。
 いや闘いではない。怪獣に追いまくられて逃《のが》れきれぬ人間が、最後の苦闘をつづけている図だ。
 惨憺《さんたん》たるありさまだ。
 恐竜は穴から、その長い首の先にモレロをくわえて出て来た。
 そのすきにラルサンとフランソアが穴からころがるように逃げて出た。仲間の他の恐竜が、長い首と、樽《たる》ほどもある大きい眼で二人を追った。
 穴からぬけ出て、一息するひまもない。二人は腰のあたりをくわえられると、ぽーんと海の向うへなげられた。他の恐竜が、海からやっと姿を見せたフランソアの身体をくわえあげる。
 まるでボール遊びをしているような具合だ。
 くわえながらも、モレロはピストルを射った。
 これが又恐竜のいらだたしい神経をよけい刺戟《しげき》したらしい。モレロの体は、フランソアより、二倍も三倍もの後方へほうり飛ばされた。
 ダビットは崖の上の岩のかげからそれらのようすをすっかりカメラに収めていたのだ。玉太郎等三人が山肌《やまはだ》の小径《こみち》をころがるように谷の方へおりてゆく様子も、もちろんカメラにおさめられていた。
 一番先におりていったのは、ラウダだ。彼は五年間もこの島に住んで、朝から晩までさびしい山道を往来《おうらい》している。だからケンが登山でならした腕だと自慢しても、また玉太郎が身体が軽く敏捷《びんしょう》だといばっても、ラウダにはとうていかなわない。
 ラウダは崖の上にたった。
 下には恐竜がモレロたちの体をまり[#「まり」に傍点]のように、もてあそんでいるところだった。
「ピー、ピー、ピイヒョロ、ヒョロ」
 ラウダが口笛をふいた。恐竜に聞かせるように、それは何かの合図のような音色《ねいろ》をとっていた。
 すると、恐竜の首が一斉《いっせい》に崖の上のラウダの姿にそそがれた。
 恐竜どもが、ラウダの口笛から、何かの合図を受けたことはまちがいない。
 ケンが来た。玉太郎も来た。
「ラウダ、ふしぎなことがおこったな」
「ふしぎでもなんでもない。彼が恐竜に命令したんだ」
「命令」
「うん、つまらん遊びはよせといったのだ」
 ラウダは恐竜をあやつることを知っているに違いない。
「君は恐竜を自由にできるか」
「いや自由にはできない。が、彼等を喜ばせることはできるんだ。僕の口笛がそれだ」
 そういって、ラウダは高らかに口笛をふきならした。
 恐竜はよったように、ききほれている。
 モレロ、フランソア、ラルサンの身体は、三匹の恐竜の口から、ぼとん、ぼとんと海の中にすてられた。
 三人の身体は一度沈んだが、再び浮き上って、流されはじめた。
「死んでいるかも知れない。もしかすると気絶をしているだけかもわからない。僕はここで恐竜をおさえているから、岬《みさき》のむこう側に行ってくれたまえ、三人の身体は潮の流れにのって、あっちへとどくのだ」
「オーケー」
 ケンと玉太郎は、ラウダに云われるままに再び山にのぼり、大きくまわって、岬のはずれにいそいだ。
「おや、あすこにボートがある」
「うん、誰が乗って来たのだろう、今の我々にはなんといっても絶好《ぜっこう》の味方だ。拝借《はいしゃく》しょう」
 二人はすべるように崖を下っていった。
 ボートはモレロたちの作った丸木船《まるきぶね》だ。けれどもとより二人は知らない。
「さ、玉ちゃん乗れ、君は舵《かじ》を、僕はオールをもつ」
 ボートは波に乗って、恐竜に見つけられぬように注意しながら、待った。
「おや」
 ケンがオールの手をとめた。
「玉ちゃん、聞えないかい」
「なんです」
「ほらあの音」
 玉太郎も耳をすませた。
「ああ、虫の羽音《はおと》のようですね、ブーン、ブーンという、蚊のような音ですね」
「うん、あれは君、飛行機の爆音《ばくおん》だよ」
「え、飛行機」
「そうだ。しばらく、ようすを見よう」
 蚊の羽搏《はばた》きににたその音は次第にはっきりして来た。やがて爆音だということが感じられた。
 しかし、大きくひろがっている蒼空《あおぞら》の中に、その姿を見つけることはなかなかむずかしい。二人は眼をギロギロさせて大空をさがしたが、蚊よりも小さい姿は見つからなかった。
「あ、あれですよ」
 玉太郎の眼はするどい。
「どれ」
「ほら、あすこです」
 ケンの眼にはまだ見えなかった。
「うん、うん、ああ、飛行機だ」
 しばらくして、ケンの眼にもわかったらしい。
 朝日をあびて、その翼《つばさ》が、時々キラリキラリと光っている。
「我々を救《たす》けに来たのでしょうか」
「そりゃわからない。しかし、なんとか僕らのいる事を教えたいものだ」
「のろしでもあげましょうか」
「そうだ。しかし、僕には任務が残っている。我々が救われたいために、傷ついた友人をそのままにしておくことは出来ない」
 ケンは厳粛《げんしゅく》に言いはなつと、今まで熱狂的《ねっきょうてき》にあおいでいた眼をふせて、岬のはずれをふたたび見守った。
「どれ、少し近づいてみよう」
 オールがうごいた。玉太郎は舵棒《かじぼう》をとった。
 爆音は次第に大きくなる。
「島の誰かが合図をするだろう、僕らは今の責務《せきむ》を完遂《かんすい》しようじゃないか」
 ケンは波よりもしずかに云う。
 朝日を受けたその顔には、神々しいばかりのかがやきが見られた。


   あとがき


 恐竜島の長い物語はここで一まず筆をはぶくことにする。
 もう作者はこの後、くどくどと長い続きを書くひつようをみとめなくなったからだ。
 しかし、愛読者諸君は、島に残された人々の運命を知りたいに違いない。そこで、これから後の物語を、作者は簡単に述べることにしよう。
 ケンと玉太郎が発見した飛行機は、二十四人乗りの大型飛行艇だったのである。
 実業家マルタン氏が、島への出発に先立って、十五日しても船が帰らなかったり、船から通信がいかなかったら救助に来るようにとひそかに依頼してあったのです。その航空会社がマルタンの依頼を忠実に守って救助にやって来てくれたのである。
 海賊船は調査の結果は、やはり大海へ乗り出すには、あまり古すぎ、傷つきすぎていた。もし救助艇がやって来なければ、一同はこの船で帰国の途に着いた事であろう。しかし第二第三の困難や冒険が、その行手にひかえていて、無事に本国へもどれたかどうかは、わからなかったであろう。
 モレロ、フランソア、ラルサンの三人は、気の毒ながら生きかえらなかった。だからキッドの宝の秘密を知っている者はいなくなってしまったわけである。
 爆音におどろいた恐竜たちは、ラウダの必死の口笛でおさまった。帰国への出発は、探検船が出航するのとは大へんにちがって安全なものであった。
「もうふたたび訪れることはあるまい」
 飛行艇が出発する時、南国の花で作られた花たばが、機上からなげられた。
 島に建てられた四つの墓に捧《ささ》げられたのである。
 今でも恐竜島は、四つの墓も恐竜に守られて、南国のみどりの波の間に浮いていることだろう。
 ツルガ博士はパリーに帰ってから、「恐竜島における動植物の研究」という論文を書いて発表した。
 ダビットのとった映画は、ニューヨークを皮切りに地球上の国々で長期興行の記録を作っていった。この功績のために、ケンとダビットは映画賞をもらったり、ワシントン大学の動物学教室から名誉博士《めいよはくし》の称号《しょうごう》をもらった。
 ラツール記者は恐竜島の冒険物語を発表した。これは二十四国語に訳されて、広く愛読され今年度のベストセラーの内に入れられた。
 さて、玉太郎はどうしたろう。豪州《ごうしゅう》見物はできなかったけれど、恐竜島という豪州にくらべて決して見おとりのしない島の見物が出来たので、結果においては大へんもうけたことになった。現在はラツール記者の世話で、ル・マルタン紙につとめている。
 今でも玉太郎をラツールのアパートにたずねると、彼はポチをだいて、あの数々の冒険談を話してくれる。そして、恐竜島に負けぬ位の怪奇島《かいきとう》があったらぜひつれていってくれと腕をたたいている。
 最後にツルガ博士の娘ネリのことをのべよう。彼女は中国人|張子馬《ちょうしば》氏の作った恐ろしい思い出の島という詩に、自分でピアノの曲をつけて発表した。それがパリー人にみとめられて、映画やバレーになって上演され、パリー中の人気を集めることになった。
 ネリは今でも玉太郎と仲よしである。ラツールは二人のことを島が生んだ愛すべき友情といっている。



底本:「海野十三全集 第12巻 超人間X号」三一書房
   1990(平成2)年8月15日第1版第1刷発行
底本の親本:「海野十三全集 第八巻」東光出版社
   1951(昭和26)年6月25日
初出:「PTA世界少年」
   1948(昭和23)年1月号〜終了月は未詳
※底本に見る「探検」と「探険」の混在は、ママとした。
入力:tatsuki
校正:原田頌子
2001年12月28日公開
2003年5月25日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

前のページに戻る 青空文庫アーカイブ