青空文庫アーカイブ
大宇宙遠征隊
海野十三
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)噴行艇《ふんこうてい》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)艇長室|附《つき》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)そのよ[#「よ」に傍点]がいけない。
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噴行艇《ふんこうてい》は征《ゆ》く
黒いインキをとかしたようなまっくらがりの宇宙を、今おびただしい噴行艇の群が、とんでいる。
「噴行艇だ!」
噴行艇といっても、なんのことか、わからない人もあるであろう。噴行艇は、ロケットとも呼ばれていた時代があった。飛行機は、空をとぶことができるが、空気のないところではとべない。しかし噴行艇は、空気のないところでも、よくとべるのだ。艇尾《ていび》へむけ、八本の噴管《ふんかん》から、或る瓦斯《ガス》を、はげしく噴《ふ》きだすと、そのいきおいで、艇は前方にすすむのである。艇尾には、舵《かじ》があって、これをうごかすと、とびゆく方向は、どうでもかわるのであった。大宇宙をとぶには、飛行機ではとてもだめであるが、この噴行艇なら、瓦斯のつづくかぎり、大宇宙をとぶことができる。
飛行機時代から、次にこの噴行艇時代にうつっていった。
それとともに、人間の目は、地球からはなれ、さらに遠い大宇宙へむけられたのであった。
今、おびただしい噴行艇の群も、大宇宙をとんでいく。
砲弾を大きくして、尾部に――噴管をつけ、そして大きな翼をうしろの方まで、ずっとのばすと、それはそっくり噴行艇の形になる。
銀白色のうつくしい姿の噴行艇だった。その胴に、ときどき前にいく僚艇《りょうてい》の噴射瓦斯が青白く反射する。また、ときおりは、空を一杯《いっぱい》に、ダイヤモンドをふりまいたような無数のかげが艇の胴のうえに、きらりと光をおとすこともあった。
ごうごうたる爆音をあげて、とびゆく噴行艇の群!
右まきの螺旋形《らせんけい》をつくって、行儀《ぎょうぎ》よくとんでいく噴行艇群だった。
群は、前後に、いくつかのかたまりになって、無数の雁《がん》の群がとんでいるのと、どこか似たところがあった。
噴行艇の胴に、黄いろい鋲《びょう》のようなものが並んでみえる。しかし、それは鋲ではない。丸窓なのである。
丸窓の類は、一つの噴行艇について、およそ百に近かった。その黄いろい丸窓から、人間の顔が一つずつのぞいたとしても、百人の人間が、艇内にいるわけだ。なんという大きな噴行艇であろうか。
しかし、噴行艇には、百人よりも、もっとたくさんの人間がのりこんでいた。
これから、わたくしがお話しようと思う噴行艇アシビキ号には、二百三十人の日本人がのっている。みんな日本人ばかりであった。
いや、日本人がのっているのは、このアシビキ号だけではない。今、この大宇宙を、大きな一かたまりになってとんでいる噴行艇の、どの艇にも、日本人がのっていた。いや、もっとはっきりいうと、全部で、百七十の噴行艇の乗組員は、ことごとく日本人でしめられていたのである。
この噴行艇群は、一体どこへ向けてとんでいるのであろうか。また何の目的で、このような大宇宙へとびだしたのであろうか。総員四万余名もの日本人が、なぜ一かたまりになって、とんでいるのであろうか。読者諸君はふしぎに思われるであろうが、全くのところ、今から五十年前の人間には、想像がつかないのも無理ではない。
では、作者は、噴行艇アシビキ号の中にのりくんでいる一人の少年風間三郎《かざまさぶろう》の身のまわりから描写の筆をおこすことにしよう。
十五年の行程《こうてい》
「おい、三郎。いつまで、ねているんだい。もういいかげんに、目をさましたらどうだい」
その声は、ひびの入った竹ぼらをふくと出てくる音に似ていた。そこで三郎は、ようやく釣床《つりどこ》の中で、眼をさましたのだった。すこぶるやかまし屋の艇夫長《ていふちょう》松下梅造《まつしたうめぞう》の声だと分ったから目をさまさないわけにいかなかった。ぐずぐずしていれば、足をもって、逆さまに釣り下げられ、裸にされてしまうおそれがあった。そんな眼にあっては、また大ぜいのものわらいである。
「はい。今おきますよ」
「おきますよ? そのよ[#「よ」に傍点]がいけない。はい、おきます――だけでいいんだ。よけいなよ[#「よ」に傍点]をつけるない」
(これはいけない!)
三郎は、あわてて釣床から下に落ちるようにして、おきたのだった。
はたして、前には、艇夫長松下梅造が、西郷《さいごう》さんの銅像のような胸をはって、釣床ごしに彼の顔をにらみつけていた。
「艇夫長、お早う。もう朝になったのですかい」
「知れたことだ。あと三十分で、お前の交替時間だぞ。時計は、七時半をさしていらあ」
艇夫長は、そういって、拳固《げんこ》のせなかで、赤い団子鼻《だんごばな》をごしごしとこすった。
ぷう、ぷう、ぷう。
知らない人がきいたら、このとき豚の仔《こ》がないたのかと思うだろう。しかしそのぷうぷうは豚の仔がないたのではなくて、艇夫長の鼻が鳴ったのであった。鼻をこすると、この奇妙な音がするのであった。
(これは、たいへん。艇夫長のごきげんが、きょうはたいへん悪いぞ!)
三郎は、あわてて、パンツの中へ足をつきこんだ。あまりあわてたので、パンツの片方へ、足を二本ともつきこんだので、彼は身体の中心をうしなって、どすんと床《ゆか》にたおれた。たおれる拍子《ひょうし》に、そこにあった気密塗料《きみつとりょう》の缶をけとばしてしまった。缶は、横とびにとんで、艇夫長の向《む》こう脛《ずね》に、ごつんといやな音をたてて、ぶつかった。
「こらっ、なにをする」
艇夫長は、顔をたちまち仁王《におう》さまのように、真ッ赤にして、缶をけりかえそうとした。が、とたんに足をとどめて、床から缶をひろいあげた。
「ああ、もったいないことをやるところだった。この一缶が、おれたちの生命《いのち》をすくうこともあるかもしれないのだからなあ。やい、三郎、気をつけろい。ここは、地球の上じゃない。まるで何もない大宇宙の砂漠なんだから……」
艇夫長は、缶をそっと床の上において、しずかに、元《もと》の隅《すみ》へおしやった。大宇宙の長旅にある噴行艇の中では、一滴の塗料、一条の糸も、人命にかかわりのある貴重な物質であった。
「おい、三郎。早く飯を食って、交替時間におくれるな。いいかい、小僧」
「へーい」
艇夫長は、ようやく腹の虫を自分でおさえて、艇夫寝室を出ていった。
三郎は、ほっとため息をつきながら、すばやく身じたくをし、それから釣床の中を片づけて交替の艇夫がすぐ様《さま》ねられるように用意をした。そして急ぎ足で、小食堂の方へ階段をのぼっていったのだった。
小食堂には、先におきた艇夫たちと、それから非番の艇夫たちが、卓をかこんで、さかんにぱくついたり、茶をがぶがぶのんだり、それから煙草《たばこ》をぷかぷかふかしたり、まるで場末の小食堂とかわらない風景だった。
三郎が入っていくと、艇夫たちは、にんまりと眼で笑って、そのまま話をつづけるのだった。三郎は、並べられた朝食に手を出しながら、彼らのいうことを、聞くとはなしに耳をかたむけた。
「……というわけなんだが、なんかいい名前を考えてくれよ」
「そうさなあ。そんなことはわけなしだい。チュウイチてえのはどうだ」
「チュウイチ? どんな字を書くのかね」
「宇宙の宙と、一二三の一よ。つまり宙一というわけだ。お前は、はじめて噴行艇にのって宇宙へのりだしたんだろう。だから、その留守《るす》に生れた子供に宙一とつけるのは、いいじゃないか」
「なるほど、宙一か。よい、いい名前だ。昨夜からおちつかなかったが、これでやっと、気がおちついたぞ」
と、その艇夫は立ち上る。
「お前、どこへいくんだい」
「知れたことよ。これから無電室へいって、今すぐ家内《かない》のやつを、無電で呼びだしてもらって宙一という名をおしえてやるのさ。説明してやらなくちゃ、うちの家内は、あたまが悪いと来ているから、通じないよ」
「まあ、なんとでもするがいい。ついでに、うちの家内にことづけをして、お前の家内のところへ、子供の誕生の祝物をとどけるようにいってくれ」
「ばかなことをいうな。こっちから、さいそくをする――それではおかしいよ」
「遠慮するようながらでもあるまいに、あははは」
「あははは。とにかくいって来よう」
艇夫の一人は出ていった。
あとで仲間の艇夫たちは、顔を見合わせ、
「ああはいったが、すこしは里心《さとごころ》がついているのじゃないかな。つまり、この噴行艇がこんど地球に戻るのは十五年後だから、昨夜生れたあの男の子供が、十五六歳にならなきゃ、わが児《こ》の手が握《にぎ》れないんだからなあ」
「うむ、まあ、そうだ。だが、そんな話はよそうや。こっちまでが、里心がつくからな」
十五年後だと、艇夫たちが話をしているところをみると、この噴行艇は、これからずいぶん長い行程をとびつづけるものらしい。
ふしぎな味噌汁《みそしる》
「どうだ、三郎。噴行艇に乗って、一ヶ月たったが、すこしは、気がおちついたか」
一人の艇夫が、煙草をくわえて、三郎の横に、腰をおろした。それは、三郎と同郷の、神戸《こうべ》生れの艇夫で、鳥原彦吉《とりはらひこきち》という男であった。彼は、やさしい男で、そして艇夫には似あわぬものしりだった。三郎は、彼を、ほんとうの兄のように思っていた。
「ええ、だいぶん、なれましたよ」
三郎は、缶詰の中から、青豆を箸《はし》ではさみながら、にっこり笑った。
「おれはこれで三度日の宇宙旅行なんだが、お前は始めてだから、勝手がわからないで困るだろう」
「困ることも、ありますねえ。第一、朝になった、昼になったといわれても、外はこのとおりまっくらですからねえ。勝手がちがいますよ」
「そうだろう。永年、太陽の光の下でくらしていた身になれば、まっくらな夜ばかりの連続では、くさくさするのも、むりじゃない」
「太陽の光線は、今となっては、とてもなつかしいものですね」
三郎は、しみじみといった。地上に照る太陽の眩《まぶ》しい光を思い出す。地上から、まいあがっても、成層圏《せいそうけん》ちかくのところまでは、それでもまだうっすらと夕方のような太陽のかすかな光があったが、成層圏の中をつきすすんでいくうちに、いつしかあたりは、暗黒と化《か》してしまった。しかも、はるかに天の一角を見ると、ダイヤモンドをふりまいたように、きらきらと輝くうつくしい無数の星に変って、われらの太陽が、青白く光っているのであった。太陽は光っているが、空はまっくらであった。まるで夜中に満月を仰《あお》いでいるのと、あまり感じがちがわなかった。今から思いかえしてみると、どうもあのころから、地球の上にいたときとは、いろいろちがった出来ごとがふえてきたようであった。
あれから間もなく、身体がなんだか軽くなったように感じた。机のうえから、物がおちるのを見ていると、なんだか、高速撮影でとった映画のように、ゆっくりとおちるような気がした。そのことを、この鳥原彦吉に話をすると、
(ああ、それは重力が、ぐんと減ったからだよ。つまり地球からずいぶんとおくへ離れたものだから、地球の引力がよわくなったんだ。物もゆっくりおちるだろうし、身体も軽く感ずるだろう。これからもっと先へいくと、重力が減りすぎて、妙ちきりんなことが起るだろうよ。気をつけていたまえ)
と、この鳥原がおしえてくれたことがあった。
三郎は、それを思い出したものだから、
「ねえ、鳥原さん。あれからのち、あまり重力が減ったような気がしないが、どうしたんでしょう」
ときいた。
すると、鳥原は、吸口まで火になった煙草を、灰皿の中でもみけしながら、
「ああ、重力のことか。重力は大いに減ってしまったさ。しかし、重力が減りすぎると、われわれの仕事や何かに、すっかり勝手がちがってくるので困るのさ。だから、今は、機械をうごかして、この艇内には、人口重力が加えてあるのさ」
「人口重力て、なんですか」
「人口重力というのは、人間の手でこしらえたにせの重力のことさ。そうでもしないと、たとえばこの食卓のうえに味噌汁のはいった椀《わん》がおいてあったとして、お椀をこういう工合《ぐあい》に、手にとって口のところへ持ってくるんだ。すると、お椀ばかりが口のところへ来て、味噌汁の方は、食卓のうえに、そのまま残っているようなことがおこるんだ」
「えっ、なんですって」
三郎には、鳥原のいうことが、すぐにはのみこめなかった。なにしろ、あまり意外なことだったので、
「あまりへんな話だから、分らないのも無理はないよ。その話は、この前、僕が宇宙旅行をしたときに、実際あったことなのさ。そのとき僕はずいぶん面《めん》くらったよ。なにしろ、口のそばへもってきたお椀は空《から》なのさ。そして味噌汁が、食卓のうえに、まるで雲のようにかかっているのさ」
「雲のようにかかっているとは、どんなことかなあ」
「雲のようにというのが、分らないのかね。つまり、よく富士山に雲がかかっているだろう。あれと同じことで、味噌汁が、下へこぼれ落ちもせず、まるでやわらかい餅《もち》が宙にかかっているような恰好《かっこう》で、卓上《テーブル》の上をふわふわうごいているんだ。僕はおどろいたよ。そして、仕方がないから、両手をだして、宙に浮いている味噌汁をつかんでは、椀の中におしこみ、つかんではおしこんだものさ。あははは」
鳥原は、そのときのことを思いだしてか、おかしそうに肩をゆすぶった。
「ずいぶん、おもしろい話ですね」
「おもしろいのは、話として聞くからだ。ほんとうに、こんな目にあってごらん。それこそ、あまりふしぎで、気もちがわるくて仕方がないよ」
そういっているとき、小食堂の天井《てんじょう》にとりつけてあるブザー(じいじいと蜂《はち》のなくような音――を出す一種の呼鈴《よびりん》)が鳴りだした。
「あっ、いけない。もう交替時間だ」
風間三郎は、ひょこんと椅子からとびあがった。
交替時刻
「第六直艇夫、作業やめ。第一直艇夫、持ち場につけ!」
高声器から、先任の当直操縦士の声が、ひびきわたる。
「そら、交替だ」
だっだっだっと、靴音が廊下に入りみだれる。
風間三郎少年は、ほのあかるい廊下を、元気に、弾丸のようにとんでいって、艇長室の前へいって、直立不動の姿勢をとった。
噴行艇の中は、ずいぶん規律がきびしかった。作業中は身がるいときは、どんなときでも、駈《か》け足ときまっていた。ちょうど、帝国海軍の水兵さんと同じようであった。これはできるだけ敏捷《びんしょう》に身体をうごかす訓練のためと、もう一つは運動不足にならないためであった。すこしぐらい気持のわるい日でも、号令《ごうれい》をかけられて、艇内をあっちへこっちへ、二三度かけまわると、妙に元気をとりもどす。
艇長室の前には、一人の少年が立って、風間の来るのを待っていた。それは、木曾九万一《きそくまいち》という、またの名、クマちゃんでとおっている、身体の大きな腕ぷしのつよい少年であった。
風間三郎と、このクマちゃんこと、木曾九万一とは、大の仲よしであった。そこへかけてきた風間少年を見て、木曾は、にんまりと笑ったが、すぐまたもとのいかめしい顔になって、姿勢を正した。
その間に風間が、気をつけをして立った。
「艇長室|附《つき》の艇夫交替」
と、クマちゃんが叫んだ。
「艇長室附の艇夫交替」
と、風間三郎が、反復していった。
「艇長室に於《おい》て、辻艇長は睡眠中、コーヒー沸《わか》しは、もうすぐにぶくぶくやるだろう。ゴム風船地球儀は、目下|印度洋《インドよう》の附近を書いていられる。艇長九時になっても起きないときは、オルゴールを鳴らして起せ。その外、引きつぐべきこと、および異状なし。おわり」
やれやれ、妙な引きつぎ事項である。しかし艇長室の仕事は、まずこんなところである。風間三郎は、木曾九万一のいったとおりを、もう一度おさらえして喋《しゃべ》ってみる。
「あっ、いい忘れた。オルゴールの曲は『愛馬進軍歌』をやってくれってさ」
木曾のクマちゃん、地金を丸だしにして、あわてて、後につけた。
「分りました。交替艇夫、休息についてよろしい」
「え、えらそうなことを!」
木曾は、赤い舌をぺろんと出して、風間をからかった。そして、うやうやしく挙手の礼をかえして、廊下を向こうへいった。
こうして、風間三郎が、本日の第一直をうけもつこととなった。次の交替時間は十二時であった。だから今から四時間を、艇長室にいて、艇長の身のまわりの用を足《た》すのであった。
風間は、艇長室の扉の把手《とって》に手をかけたが、どうしたわけか、すぐ手を放した。そしてその手で、指を折りかぞえ出した。
「ええと、一つ、コーヒー沸しは、もうすこしで、ぶくぶく噴《ふ》き出すぞ。それから二つ、ええと、ゴム風船の地球儀は、印度洋の附近を書いていられるところだと。それから三つ、オルゴールは『愛馬進軍歌』なり。それからもう一つ何かあったようだが……」
もう一つの引きつぎ事項を、三郎は、胴《どう》わすれしてしまった。
「まあ、いいや」
で、三郎は、扉を押して中に入った。
中には、太陽光線と同じ色の電灯がついている。その電球は、天井一面のすり硝子《ガラス》の中に入っているので、下からは見えない。その代り、天井の上に、本物の太陽の光が、さんさんと照りかがやいているような気がする。とにかく、ここは艇長室だから、とくにいろいろ気をつけてあるのだった。
部屋の正面に、ジュラルミンの扉がはまっていた。その扉には、薄彫《うすぼ》りの彫刻がしてあって、神武天皇御東征の群像が彫りつけてあった。これは、今大宇宙を天《あま》がけりいく、われら日本民族の噴行艇群にうってつけの彫刻だった。
かたん、かたん、かたん。
コーヒー沸かしの蓋《ふた》が鳴っている。三郎は、おどろいて、その傍《かたわら》へいった。すこし沸きかたが早かったようである。
扉の向こうで、ぐうぐうと、うわばみみたいないびきが聞える。それは、艇長辻中佐の寝息にちがいなかった。中佐のいびきと来たら、これはだれも知らない者はない。
三郎は、コーヒー沸しの前に、椅子をもっていって、腰を下ろした。そして、手をのばして、地球儀になるゴム風船が、ぺちゃんこのまま、いくつも押しこんである箱を手にとって、その中をさがしはじめた。
すこぶるのんびりした朝の風景だった。
コーヒーと戦う
風間三郎は、箱の中から、ぺちゃんこになっているゴム風船の一つを引っぱりだした。
それは、半分が赤で、他の半分が紺《こん》で染めてあった。
三郎は、それを口にくわえて、ぶーっと息を入れはじめた。
ゴム風船は、すぐ大きくなった。鶏の卵大の大きさから、家鴨《あひる》の卵大の大きさとなり、それからぐんぐんふくらんで、駝鳥《だちょう》の卵大の大きさとなり、それからまだまだふくれて、さあ飛行機の卵大の大きさとなっていった。
飛行機の卵? て、そんなものがありますか。ああ、間違いました。飛行機の腹にぶらさがっている五十キロの爆弾のことをいおうと思ったのです。
とにかく、三郎のふくらませる風船は、三郎の顔よりも大きくなり、よく出来た西瓜《すいか》ぐらいの大きさとなった。
そこで三郎は、ゴム風船の口をきつく結んで、手のうえで、ぽーんとついてみた。まん丸い見事な風船は、ふわーっと上へとびあがって、天井についたが、こんどは上からおちてきた。
ぽーん、ぽーん、ぽーん。
風間三郎は、いい気になって、風船をついていた。大宇宙をとんでいることも何も、すっかりわすれてしまったようであった。
そのうちに、とつぜん奇妙なことが起った。ぽーんとつきあげた風船が、すーっと天井にのぼっていったが、そのまま天井に吸いついたようになって、いつまでも下へ落ちてきそうでない。
(これは、へんだな)
三郎の身体が、このとき、急にかるくなり、そしてかるい目まいがした。
その次の瞬間であった。
じりりん、じりりん、じりりん。
警報ベルが、けたたましく鳴りだした。
「重力装置に故障が起った。修理に、五分間を要す」
ベルが鳴りやむと、そのあとについて、高声器から当直の声がきこえた。
重力装置の故障なんだ!
前にも、ちょっと説明したが、宇宙へいくに従い、重力がなくなる。この噴行艇の中にいる乗組員たちは、重力がなくなると、勝手がちがって、働きにくくなる。それでは困るから、わざわざ器械をまわして、この艇内だけに特に重力を起してあるのである。その重力装置が、故障になったという知らせである。道理で、ゴム風船が、天井へ上ったきり、落ちてこないわけだ。
(だが、さあたいへんだ!)
三郎は、急にいそがしくなった。重力装置が故障になると、室内の物品が、それぞれひとり歩きをはじめる。そしてとんでもない勝手なところへいってしまうので、ゆだんがならない。
三郎は、椅子から下りて、身がまえた。身がまえたといっても、風呂《ふろ》の中で立ち泳ぎをしているときのように、おかしいほど、お尻がふわりと浮きあがる気持だった。 三郎は、両手で膝頭《ひざがしら》をつかんで、角力《すもう》をするときのように、しやがもうとしたが、膝頭が、いやに重いような感じだった。
こういうときには、なるべく身体のどこへも力を入れないのがいいと聞いていた。へんなところへ力を入れると、身体がとんでもない方向へゆらゆら走っていって、停《と》めようとしても停まらないそうである。
(早く、五分間たってくれますように。そして重力装置が、一刻も早くなおりますように!)
と、三郎が念じていると、ちょうどその目の前のコーヒー沸しから、妙なものが這《は》いだしてくるではないか。
「あっ、なんだろう、あれは……」
茶色の飴《あめ》ん棒《ぼう》みたいなものが、コーヒー沸しの口から、にゅーっと横にのびてくる。それは箸《はし》ぐらいの長さになり、それから更にのびて、先生の鞭《むち》ぐらいの大きさにのびた。
「おやおや、たいへんなことになったぞ。一体、あれは何だろうな」
そのうちに、その茶っぽい棒が、ふらふらしながら、室内をおどるように、うごきだした。しかも、ますます長くなっていく。
三郎は、すっかりきもをつぶしてしまったが、ようやくこのときになって、あれは重力をうしなったコーヒーが外へ流れだしたのだと気がついた。
つまり、コーヒー沸しの中では、圧力のつよい蒸気ができて、その圧力でもって、コーヒーの液を口から外へ押しだしたのである。それにはずみがついて、いつまでも、コーヒーは長い棒になって出てきてやまないのであった。
「さっき鳥原さんから、重力のなくなったときの味噌汁の話をきいておかなかったら、ぼくはコーヒーのお化けを見たと思ったにちがいない」
と、三郎は、ためいきをついた。彼のひたいには、ねっとりと、脂汗《あぶらあせ》がでていた。
艇長の安否《あんぴ》
重力装置故障中の五分間は、とても永かった。
三郎は、空中をのたうちまわるコーヒーにさわるまいと、部屋中をにげまわっていた。あのコーヒーの棒にさわれば、たちまち大火傷《おおやけど》をしてしまう。
コーヒーの棒は、まわりに白い湯気《ゆげ》をからませながら、いじわるく三郎をおいかけまわすのであった。
「ああ、早く重力装置が、なおらんかなあ!」
三郎は、あやつり人形のように、ふわりふわりと、身体をかわした。しかし、思わず力がはいりすぎて、いやというほど顔を壁にぶっつけたときは、目から火が出たように思った。
とつぜん、彼の耳に、あやしい響《ひびき》がはいった。
「あれは何?」と、考えてみるまでもなかった。それは、扉をへだてて、奥の寝台の上で寝ている辻艇長の例のいびきだった。
「ああ、艇長は、まだ、よくねむっていられる!」
ふだんは、側《そば》で聞いていて、かなりうるさいいびきだったが、きょうばかりは、そのいびきが三郎を元気づけた。
「ああ艇長は、どうしていられるのかしら」
三郎は、急に艇長のことが心配になったものだから、仕切りの扉のところへいって、そのうえをどんどんと叩《たた》いた。
「艇長、どうしておられますか。異状はありませんか。辻艇長!」
三郎は、大声でどなった。
だが、仕切りの扉の向こうから聞えるものは、あいかわらず、ほらの貝をふきたてるような艇長のいびきだけであった。
「艇長、艇長。重力装置が停まっていますが、そっちには異状ありませんか」
どんどんどん。
三郎は、やけになって、扉を叩いた。すると、
「あっ、ああーっ」
艇長の、のびをする声がきこえた。
ところが、この声は、寝床のうえから聞えず、とんでもないところから聞えたから、三郎は、面《めん》くらった。それは、どう考えても、仕切りの扉のすぐ裏のところで、しかも天井とすれすれまでにのぼっていられるようにしか考えられなかった。
「艇長、大丈夫ですか」
「なんだ、どうしたのか。わしの寝床を、どこへ持っていったか」
艇長は怒っていられる。
「艇長。只今《ただいま》、重力装置が故障であります」
「なに、重力装置の故障か。それは……」
といいかけたとたん、三郎の身体は、急に目に見えないもののために、すがりつかれたような気がした。
ぴしゃん! 室内は、もうもうと煙立つ。煙ではない湯気であった。
(重力装置が直ったんだな)
と、三郎の頭の中に、そのことが稲妻《いなずま》のようにひらめいたが、とたんに、横の仕切りの扉の向こうに大きなもの音があった。
どすーん。床が、びりびりと震動した。
(あっ、艇長が天井から墜落されたのでなかろうか)
三郎は、あの大きなもの音こそ、艇長の大きなからだが床をうった音だと思った。
「艇長。どうされました」
「ああ風間か。わしのことなら、大丈夫じゃ。今、下におりる」
下におりる。
艇長の声は、三郎の考えていたのとはちがって、やはり天井の方からきこえた。
仕切りの扉が、細目にあいた。そして艇長の顔が、鴨居《かもい》のところから、こっちをのぞいた。
「ああ、艇長。よく、お落ちになりませんでしたねえ」
と、三郎がため息をつくと、艇長は、仕切りの扉をぎしぎしならしながら、それを伝って下へおりながら、
「あはは。艇長が落ちたりして、どうするものか。ちゃんと棚《たな》の上に手をかけて、つかまっていたよ」
「でも、さっき大きい音がしましたねえ。艇長が落ちられたのにちがいないと思いました。すると、あの音は、何の音だったんでしょうか」
「ああ、あの音かい」
と、艇長は、下へおりて、ほこりの手をはらいながら、うしろをふりかえって、
「あの音は、そこに転《ころ》がっている鞄《かばん》だよ。棚から、すこしはみだしていたところへ、重力が加わったから、落ちたのさ。わしが落ちたら、あれくらいの音じゃすまないよ。わははは、まあとにかくわしも起きるとしよう」
艇長は、ゆうゆうと服を着かえだした。
「おい風間、お前は知らんだろうが、今日はこの噴行艇から、とてもめずらしいものが見えるぞ。宇宙旅行の、ほんとうの味は、今日はじめて出てくるといっていいのだ。おい、わしの話を聞いて、ちっとは悦《よろこ》べよ」
艇長は、けげんな顔の三郎をかるくからかった。
当直の報告
「艇長。そのめずらしいものとは、一たいどんなものですか。早くおしえてください。ぼく、早くききたくてしようがないなあ」
風間三郎は、すこし鼻にかかったこえで、艇長にねだった。
「はははは。それをききたいのか。まあ、今話をしてしまっちゃ、あとでおもしろくない。いずれ、そのうちに、みんなさわぎだすだろうから、まあ、それまでまっていたがよい」
艇長は、卓子《テーブル》の前へきて、椅子に腰をかけた。
「艇夫。それよりも、コーヒーだ」
「コーヒーは、今、やりなおしています。重力装置の故障のとき、すっかりこぼれてしまったんです」
「そうか。それはもったいないことをした」
「艇長。コーヒーがわくあいだに、話をしてくださってもいいでしょう」
「はははは。お前はなかなか、うまいことをいって、ききだそうとする。しかし、だめだよ。コーヒーがわくあいだに、わしは地球儀をかくことにしよう。たしか、印度洋《インドよう》のへんまで、かいたおぼえがある」
そういって艇長は、ゴム風船の入った箱を、卓子のうえへもってきて、片手に絵筆をにぎつた。それから艇長の手が、器用にうごきはじめる。
そうなっては、もうしかたがない。風間三郎は、コーヒー沸しの前へすわって、その口からゆらゆらとたちのぼる湯気をじっと見つめている。
室内がいやに、しずかになった。コーヒー沸しのふたも、まだおとなしくしている。
(一体、なんだろうなあ、めずらしいものというのは?)
三郎が、いやに考えこんでいたとき、天井につけてあった呼鈴《よびりん》が、ぶうぶうぶうと鳴りだした。それは艇長をよびだしている信号音であった。
「艇長、電話です」
三郎がいうと、地球儀のうえに筆をはこんでいた艇長は、やおら顔をあげ、
「そうらしいね。はい、艇長は電話にかかった」
“はい、艇長は電話にかかった”――ということばは一種の暗合であった。そういうことばをいうと、スイッチが、高声器の方へ切りかえられるのであった。スイッチを手で切りかえるかわりに“ハイ、艇長は電話にかかった”といえば、スイッチが切りかえられるのである。
むかし、岩の前に立って、“開けゴマ”とさけぶと、岩が二つにわれて、その間から入口があらわれるという話があるが、今はそれと同じことをやって、スイッチを切りかえられるのだった。これを、音波利用のスイッチという。
高声器から、ぷっぷっという雑音が出てきたと思ったら、とたんに大きい当直長のこえがとびだした。
「艇長。只今、地球が夜明けになりました、どんどん夜が明けております」
「ああそうか」
「雲があるようですが、相当うつくしい輝いて見えます。おわり」
「ああそうか。ご苦労」
当直長のこえは、高声器の中に引込んでしまった。
「どうだ。今の電話をきいたろう」
艇長が三郎にこえをかけた。
「あ、今の電話ですか。地球が夜明けだというんですね。そんなことは、一向《いっこう》めずらしいとは思いません」
三郎は、なあんだという顔をした。
「はははは。一向めずらしくないというのか。めずらしいかめずらしくないか今見せてやるから、それを見たうえのことだ」
そういうと艇長は、壁の釦《ボタン》を押した。
すると、二メートル四方ほどの壁ががたんと下におちた。壁の奥には、精巧なテレビジョン装置が、はめこんであったのである。これを使えば、中にいながち、艇の外が手にとるようにはっきり見える。
地球が見える
艇長は、例の器用な手つきで、テレビジョン装置についている五つの目盛盤をしきりに合わしていたが、やがて小さなスイッチをぽんといれると、映写幕がぱっとあかるくなった。
映写幕は、約一メートル平方の大きさであった。そのうえに、なんだか銀色にかがやく櫛《くし》のようなものがあった。
艇長は、それをみながら、また更に目盛盤を、うごかした。すると、映写幕のうえの像が急にはっきりしてきた。
「ほら、うまく出てきた。これが地球の夜明けだ。いや、夜明けは、この端《はし》のところだけで、きらきら光っているところは、もうすっかり朝になっている」
「えっ、地球が見えているんですか、なんだか銀の櫛みたいだなあ」
「よく見なさい。まっ黒な宇宙を丸く区切って、ここに地球の輪廓《りんかく》が見える」
なるほど、それはたしかに見える。西瓜《すいか》を二倍大にひきのばしたくらいの大きさであった。
「分ったかね。これが、われわれのうしろにとおざかっていく地球だ。地球が、今日は満月のように丸く輝いてみえるのだ。ほら、どんどん輝いている面積が広くなっていく」
どういうわけか、どんどんひろがっていくのであった。それは、地球の重力がとどかない遠方に、この噴行艇が出てしまったために、それで地球が早く廻って見えるのだと、あとで分った。
輝く地球は、全くものすごい。ながく見ていると、身体がさむくなってくるような感じであった。
「見ていると、身体が、ぞくぞくしてきますね」
三郎は、いつわりのない感想をのべた。
「ああ、もうずいぶん遠く離れたという感じだねえ」
艇長は、距離のことを考えている。
「月は、どのくらいに見えますか」
「そうだねえ。月がこの噴行艇のそばへ廻ってくれば、これよりももっと大きく見えるはずだよ。おい艇夫。コーヒーが、ぷうぷうふいているじゃないか」
「あっ、コーヒーのことを忘れていた」
三郎は、大いそぎで、コーヒーのところへとってかえした。
「ああっ、少しで、コーヒーをまたやりそこなうところでした」
三郎は、卓子《テーブル》のうえで、コーヒーを注《つ》いで出した。
艇長は、テレビジョン装置のスイッチを切って、壁を元どおりにし、コーヒーをのむために卓子についた。
「ほう、これはよくわいている。あちち」
艇長は、コーヒー茶碗《ぢゃわん》のふちで、口をやいたので、あわててそれをがちゃんと下においた。そのありさまがとてもおかしかったが、三郎はふきだすのをがまんした。艇長さんのことを、あまり笑うものではないからである。
「こんな宇宙のまん中で、コーヒーがのめるなんて、ありがたいことだ」
艇長は、コーヒーをふきながら、ひまつぶしにそんなことをいった。コーヒーは、なかなかさめなかった。
そのときであった。噴行艇は、ものすごい音をたてて震動した。今にも、艇はばらばらに壊れそうなくらいに、がんがんびしびしと鳴りだした。
「やっ、どうした?」
艇長が立ち上るのと、非常電話器から、当直長のこえがとびだすのと、同時であった。
「艇長。非常報告。只今本艇に向けて、宇宙塵《うちゅうじん》が雹《ひょう》のように襲来しました。損害調査中です」
宇宙塵? 宇宙塵とは、何であろうか。
宇宙塵《うちゅうじん》
震動は、すこし止《や》んだかと思うと、またばらばらがんがんと、ひどくゆれた。
「宇宙塵か。相当ひどい宇宙塵だ」
艇長は、壁のところへとんでいって、棚から帽子を出して、かぶった。
「お出かけになりますか」
「うん、司令室へ入る」
「宇宙塵とは、なんですか」
「そんなことは、誰《だれ》か他の者に聞け。今、それを説明しているひまはない」
そうでもあろう。
艇長は、室を横ぎって、出入口の方へ。
「艇長。コーヒーはおのみになりませんか」
「おお、そうだ。コーヒーをのもうと思っていて、忘れていた。おれも、よほどあわてたらしいね」
そういいながら、艇長は卓子《テーブル》のところへひきかえしてきたが、とたんに大きなこえでどなった。
「なあんだ。コーヒーは、みんな茶碗の外にこぼれてしまったじゃないか。艇夫、こんど、わしが戻ってきたら、そのときはすぐコーヒーをのませるんだぞ」
「へーい。どうもお気の毒さまで……」
「わしは今日、コーヒーにたたられているようじゃ」
艇長は、朗《ほがら》かなこえをのこして、室外へとびだしていった。
震動は、いいあんばいに、ようやくとまったようである。
三郎は、雑巾《ぞうきん》で卓子のうえをふきながら、
「はて、宇宙塵とは、どんなものだろうねえ」
と、ふしぎそうに、首をかしげて、卓子のうえの同じところをいくどもふいている。
そのころ、廊下が、いやにさわがしくなった。大ぜいが、靴音もあらあらしく、かけていく様子である。
三郎は、不安な気持になって、出入口の外に顔を出した。
「おう、鳥原さん。なんです。このさわぎは……」
ちょうど幸いに、三郎は、日頃兄のように尊敬している艇夫の鳥原青年が通りかかったのでいそいでこえをかけた。
「やあ、風間の三《さ》ぶちゃんか」
鳥原は、そばへよってきて、
「どうもえらいことが起ったよ。本艇は、故障を起してしまったよ。そして、編隊からひとり放れて、もうずいぶん後にとりのこされてしまったよ」
と、鳥原青年は、いつになく、おちつきをうしなっている。
「故障? 本艇のどこが故障したの」
「本艇の後方に、瓦斯《ガス》の噴気孔《ふんきこう》があるだろう。つまりわが噴行艇を前進させるために、はげしいいきおいでこの噴気孔から後方へ向け瓦斯を放出しているわけだが、その噴気孔が、どうかしてしまったらしいのだ。さっぱり速度が出ないうえに、妙な震動が起ってとまらないのだ。ほら、あのとおり気味のわるい震動がしているだろう」
「あ、なるほどねえ」
鳥原のいったとおりだ。ぶるぶるん、ぶるぶるんと気持のわるい震動音がきこえる。
「鳥原さん、一体どうして、そんな故障が起ったんだろうねえ」
「それは、宇宙塵が襲来したからさ」
「宇宙塵? やっぱりねえ」
三郎は、またわけのわからない宇宙塵の話にぶつかってしまった。
修理困難
「鳥原さん、宇宙塵て、一体、どんなもなの[#「どんなもなの」はママ]。さっきから、宇宙塵だ宇宙塵だという話ばかりで、ぼくは面くらっているんだよ」
「なんだ、三《さ》ぶちゃんは、あの宇宙塵を知らないのか」
と、鳥原青年は、鼻のあたまを手でこすった。
「宇宙塵というのは、わかりやすくいうと、星のかけらのことさ」
「星のかけら? じゃあ、隕石《いんせき》のこと」
「そうそう、隕石も、宇宙塵のお仲間だよ。隕石は、地球へおちてくる宇宙塵のことだけれど、この大宇宙には、地球へおちてこない星のかけらがずいぶん宇宙をとんでいるんだ。時には、それがまるで急行列車のように、或いは集中砲火のように、砂漠の嵐のようにとんでくるんだ。いや、それは、とてもわれわれ人間の言葉ではいいつくせないほど、ものすごいものなんだ。ちょうど本艇は、運わるく、その宇宙塵にぶつかったんだ。いや、宇宙塵が、斜めうしろからものすごいいきおいで追いかけてきたんだ。そして、あっという間に、がんがんがんと、うしろから本艇を叩きつけて通りすぎてしまったのだが、そのときに、宇宙塵が本艇の噴気孔を叩き壊していったらしいという話だ」
「へえ、宇宙塵というやつは、ものすごいねえ」
「そうさ。空の匪賊《ひぞく》みたいなものだ」
「空の匪賊だって、鳥原さんはうまいことをいうねえ」
「はははは。さあ、私もむこうへいって、手つだってこよう」
鳥原青年は、向こうへいこうとする。
「あ、鳥原さん。待ってくださいよ」
「なんだ、三ぶちゃん。君は、本艇が故障を起したので、ふるえているのかね。元気を出さなくちゃ……」
「ふるえているわけじゃないよ。ただ、一刻も早く、ほんとうのことを知りたいのだよ。――で、本艇は、これから、どうなるのかね。どんどんと、宇宙の涯《はて》へおちていくのかしらねえ」
「さあ、それは何ともいえない。今、本艇の総員が力をあわせて、故障の個所発見と、それを一刻も早く直す方法を研究中なんだ。もうすこしたたないと、はっきりしたことは、だれにも分らないのだ。さあ、私もここでぐずぐずしてはいられない」
そういって、鳥原青年は、足を早めて、廊下を向こうへかけだしていった。
三郎は、しばらく廊下ごしに、艇内のあわただしい有様を見ていたが、みんなが、しんけんな顔でとびまわっているのが分るだけで、本艇の運命が、いい方へすすんでいるのか、それともわるい方へかたむいているのか、さっぱりわからなかった。それで、仕方なく彼は廊下見物をあきらめて、また元のように艇長室へ戻ったのだった。
(こんなさわぎにぶつかるんだったら、本艇にのりこむ前に、もっと宇宙のことを勉強してくるんだったのになあ)
三郎は、今さらどうにもならぬ後悔をした。
「そうだ。早く艇長さんが帰ってこられるといいんだ。そうそう、こんどこそ艇長さんの口にコーヒーが入るように、用意しておこうや」
三郎は、三度目のコーヒー沸しを始めた。コーヒーは沸いた。
しかし、艇長辻中佐は、部屋へかえってこなかった。
「ああ、惜《お》しいねえ。今、艇長さんがもどってこられると、コーヒーのおいしいところがのめるのだけれど……」
艇長のもどってくる様子はなかった。
三郎は、なんとかして、こんどこそは艇長にコーヒーをのませてあげたくて仕方がなかった。なにかいい方法はないであろうか。
三郎は、しばらく小さい胸をいためて、考えていたが、やがて思いついたのは、今沸かしたコーヒーを、魔法瓶の中に入れて、司令室にいる艇長のところへ持っていくことだった。
「ああ、それがいいや」
三郎は、元気づいた。早速《さっそく》魔法瓶にコーヒーをつめて司令室へ持っていった。
ふくざつないろいろな器械にとりまかれた司令室で汗まみれになって、次々に号令を下していた艇長辻中佐は、三郎の持って来た思いがけない好物の飲物をうけとって、たいへんよろこんだ。
「ああ、艇夫。お前はなかなか気がきく少年だ。ありがとう。これで元気百倍だ」
艇長は、湯気のたつコーヒーをコップにうつして、うまそうに、ごくりとのどにおくった。そこで三郎はたずねた。
「艇長。本艇の故障は直りそうですか」
「うん、極力やっているが、飛びながら直すのはちと無理らしい。この調子では、本艇を陸地につけて直すことになるらしい」
「本艇を陸地へつけるというと、またもう一度地球へ戻るのですか」
「いや、地球までは遠すぎて、とても引返せない。着陸するのなら、月の上だよ」
「へえ、月の上に着陸するのですか」
月世界へ
月の上に着陸するのだという。
それをきいて、風間三郎少年のおどろきは大きかった。月といえば、いつも地球のうえでうつくしくながめていたあの月だ。三日月になったり、満月になったりする月。雲間にかくれる月、兎が餅《もち》をついているような汚点《おてん》のある月、いや、それよりも、いつか学校の望遠鏡でのぞいてみた月の表面の、あのおそろしいほどあれはてた穴だらけの土地! その月の上に着陸するときいては、三郎少年の胸は、あやしくおどるのだった。
「艇長。月の上へ着陸できるんですか」
三郎は、辻中佐に、たずねないではいられなかった。
「それは出来る。なかなかむつかしいが、出来ることは出来る。わしは一度だけだが、月の上へ降りたことがある」
さすがに艇長だけあって、辻中佐は、月の上に降りたことがあるという。三郎は、それをきいて、まず安心したが、しかしどうして月の上に降りられるのか、またどうして月の上で、人間がいきをしていられるのか、ふしぎでならなかった。
「艇長。月の上には空気がありませんね。すると人間は、呼吸《いき》ができないではありませんか」
「それはわけのない話だ。酸素吸入をやればよろしい。われわれも現に噴行艇の中で、こうして酸素吸入をしながら安全に宇宙をとんでいるではないか。だから、月の上に降りれば、一人一人が酸素吸入をやればいいのだよ」
「なるほど、そうですか。じやあ、一人一人が、酸素のタンクを背負うのですね」
「まあ、そうだよ」
三郎少年は、やっとわかったような気がした。月の上へ降りて、背中に酸素のタンクを背負っている姿を考えると、ちょっとおかしい。
「おい、艇夫。もう外に、心配なことはないかねえ」
艇長は、からになったコーヒー茶碗を、三郎にかえしながら、たずねた。
「いきをすることが、うまく出来るなら、もう心配はありません」
三郎は、そう思っていたので、そのとおり返事をした。すると艇長はにやにや笑いだした。
「艇夫、お前は、月の世界へいってから、ずいぶん意外な思いをするにちがいない。今からたのしみにしておきなさい」
「なぜですか、艇長。意外なことというと、どんなことですか」
「まあ、今はいわないで置こう。とにかく、お前たちが月の上に安全に降りられるようにと、ちゃんとりっぱな宇宙服が用意してあるから、安心をしていい。それを着て、月の上を歩いてみるのだねえ。きっと目をまるくするにちがいない。まあ、後のおたのしみだ」
「そうですか。早くその宇宙服を着てみたいですね」
「そのうちに、宇宙服の着方を、だれかがおしえてくれるだろう」
艇長と三郎とが、そんな話をしているうちに、またまた艇長のところへ、報告がどんどんあつまってきた。機関部からも、機体部からも、航空部からも、どんどん報告がやってきて、艇長は、また前のような忙しさの中に入ってしまった。
「ふむ、ふむ。やっぱり無理か。よろしい、では、本艇を月に着陸させることにしよう」
機関部の報告によれば、このままでは、どうにもならぬということなので、艇長はついに決心をした。
「命令。本艇の針路《しんろ》を月に向けろ」
航空士は、直ちに舵《かじ》をひいて、噴行艇の針路をかえた。
艇長は、また叫んだ。
「命令。月に着陸の用意をせよ。――それから、本隊司令に対し、連絡をせよ」
いよいよ艇内は、総員の活動で、にわかにさわがしくなった。
宇宙服
「おーい。三郎君。早くこっちへ来い」
入口から、三郎を呼ぶ者があった。
三郎がその方へふりかえると、入口に鳥原青年の顔があった。
「鳥原さん。何の用で?」
「いよいよ月の世界へ下りることになったので、皆、むこうで宇宙服の着方をおそわっているのだ。君も早く来い」
「あ、宇宙服ですか、もう始まったんですね。じや、艇長にちょっとお許しを得ていくことにしましょう」
三郎は、艇長に申出て、許可をうけ、鳥原青年とともに、艇夫室へ急いだ。
艇夫室には、艇夫たちが大ぜいあつまっていた。卓子《テーブル》のうえには、高級艇員が立って皆を見下ろしている。
「もう、大たいあつまったようだな。では、宇宙服の着方をおしえる。まず、実物を見せるがこれが宇宙服だ」
下から、大きな深海潜水服みたいなものが、さし上げられた。説明役の高級艇員は、それを卓子のうえに抱《かか》え上げた。宇宙服は、架台《かだい》にかかっていた。自分の横に、その宇宙服をおいて、説明がはじまった。
「これが宇宙服だ。ちょっと見ると、潜水服のようでもあるが、また西洋の鎧《よろい》のようにも見える。これは全部軽合金で出来ていて、圧力に充分たえるようになっている。手足の間接のところや腰のところが、まるで蜂の腹のようになっているが、これは手足の関節や腰を曲げるのに都合がいいように作ってあるのだ」
銀びかりのする宇宙服は、見れば見るほど、ものすごいものだった。あんな大きなものを着て歩けるかと心配をするほどだった。
「……この下に、やはり軽合金と特殊ゴムとで出来た長靴をはき、宇宙服にぴっしゃり取付ける。これがその靴だ」
靴は、みかん箱のように四角ばって、そして大きい。
「また、頭にはこの大きな兜《かぶと》をかぶる、ちょっと見ると、潜水兜に似ているが、大きさはもっと大きくて上下に長い円筒形だ。兜の額のところから、こうして二本の鞭のようなものが生《は》えていて、釣竿《つりざお》のように、だらんと下っているが、昆虫の触角《しょっかく》と似ていて、月の世界で、われわれ同志が話をするのには、なくてはならない仕掛けだ」
妙な説明が始まった。三郎には、何のことだか、よくのみこめなかった。
「……みんな、この二本の触角をみて、ふしぎそうな顔をしているようだが、これがなかなか大切な物だぞ。つまり、月の世界には空気がないのだ。だから音というものがない。そうだろう。音は、空気の波である。空気がなければ、空気の波も起らない。だから、音がないのだ。すると、月の世界の上で、どんなにわめいても呼んでも、声はつたわらない。だから、話をするのに、音にかわる何物かを使わなければならない。そこでこの触角が役立つのであります」
なるほど、月の世界には、空気がないから、したがって、音が出ないし、もちろん音がつたわるわけもない。これは困ることであろう。三郎にも、それは分った。
「……で、この触角のはたらきであるが、これは、人間の声に応じて、機械的に震動するようになっている。つまり私がこの兜をかぶり、兜の中でものをいうと――兜の中には空気があるから、声は出ます――すると、その声が、この触角を震動させるのである。つまり、声は空気の震動であるが、触角に伝わって、機械的な震動となって、ぶるぶるぴゅんぴゅんとふるえる。そこで私の触角と、話をしようと思う相手の人の触角とを触れさせておくと、私のいったことばは、例の震動となり、私の触角から相手の触角へ震動が伝わる。その結果、相手の耳のところにつけてある震動板――つまり高声器のようなものさ――が震動して、音を発するのだ。その音というのは、つまり私のことばであります。どうです、わかりますか」
すばらしい性能
つまりつまりを連発して、説明者は汗だくだくの説明をこころみた。
三郎には、くわしいことがのみこめなかったが、よく蟻《あり》同志が話をするとき、触角をぴくぴくうごかして、たがいに触角をふれあわせているのを見たことを思い出した。蟻は、口がきけない代りに、触角をふれあわせて、ことばを相手に通じるのであろうと思っていたが、それに似たことを、いま人間であるわれわれがやろうというのであるらしい。
「触角は、二本ずつついています。右の触角は、こっちからいう方です。左の触角は、相手のいっていることを聞きわける方です。つまり右は送信用、左は受信用といったものです。わかりましたね」
三郎は、あの説明者が、蟻と蟻とが触角をつけあって話をしているのを例にとって説明すれば、みんなは一層はっきりわかるだろうと思った。
「そのほか、この宇宙服には、いろいろな仕掛けがついていますが、いずれも自動的にはたらくようになっているから、みなさんは、べつに手をつけなくてよろしい。つまり、その仕掛けというのは、保温装置や、酸素送出器は自動的にはたらいてくれます。照明装置や、小型電機などもついていますが、これも自動的にはたらいてくれるから、心配はいらない。つまり、暗くなれば、兜の上や、腹のところや、靴の先から、強い電灯がつくようになっている。明るくなれば、自然にスイッチが切れて消える。無電も、いつでもはたらく。号令は、みな無電で入ってくる。ずいぶん便利に出来上っている。かんしんしたでしょう」
「うまく出来ているなあ」
艇夫たちは、口々に、このすばらしい宇宙服のことをほめた。
「ちょっと、おたずねしますが……」
とつぜん叫んだのは、三郎であった。
「何ですか、君の質問は……」
三郎は、ちょっとあかい顔になって、
「どうも、心配なことがあるので、おききしますが、この宇宙服を着ている間は、何にもたべられないし、何にものめないのですか」
と、たずねた。月の世界を歩きまわっているのはいいが、そのうちに、のどがかわき、腹がへって、その場に行きだおれになってはたいへんだと思ったのである。
「ああ、飲食装置のことだね。それは、今説明するのを忘れていた。失敬《しっけい》失敬」
と、説明者は、にが笑いをして、
「飲食物は、兜の中に入っています。そして、左の腕に三つの釦《ボタン》がついているでしょう。その三つの釦には、水、肉、薬と書いてある。水の釦を押すと、水が兜の中へ出ます。ちょうど口の前に管の出口があってそこから出るのです。だから口をあいていれば、うまく口の中へ入る。どうです、うまい仕掛けでしょう」
と、説明者は、自分が発明者であるかのように、得意になっていった。
「……肉と書いてある釦を押すと、同じ管の出口から肉がとび出します。これはかたい肉ではなく、煮《に》たものをひき肉にしてあって、おまけに味もつけてあります。それから薬と書いてある釦からは、ねり薬がとびだします。これは野菜を精製したもので、やはり糊《のり》のようになっていますから、たべやすい。この水と肉と薬の三つを、すこしずつたべていれば充分活動ができるのです。わかりましたか」
「なぜ、おべんとうをもっていって、手でつかんで口からたべないのですか」
三郎は、質問をした。
すると説明者は、ぷっとふきだした。
「じょうだんじゃない。兜をかぶっているから、たべられませんよ。だから、おべんとうを下げていっても、むだです。――みなさん、釦に気をつけてくださいよ」
着陸命令
三郎たちは、その場で、宇宙服を配給され、それを着た。
金属で出来た鎧《よろい》や兜《かぶと》は、見たところ、ずいぶん重そうであったが、身体につけてみると、思いのほか、そう重くはなかった。なかなかいい軽合金で作ってあるものと見える。
さて、宇宙服を皆が着てしまったところは、実に異様な光景であった。なんだか銀色の芋虫《いもむし》の化け物に足が生え、両足で立って、さわいでいるとしか見えなかった。
「どうです。思いのほか、らくでしょう」
と、説明者がいった。
「どうもへんですね。だって、この兜をかぶると、音は聞えないはずだが、ちゃんと、おたがいの話が聞えますよ」
三郎は、それがふしぎでならなかった。
「それはなんでもないことです。いま、この部屋には空気があるから、あたりまえに、声が空気を伝わって聞えるのです。しかし、触角をふれあってごらんなさい。皆さんが口をきけば、触角は空気中でも同じく震動をしますから、触角をふれあっても、話は聞えるはずです。練習かたがた、ちょっと皆さん同志で、やってみてください」
説明者がそういうので、三郎たちは、なるほどと思って、おかしいのをこらえながら、蟻のまねをして、だれかれの触角にふれてみた。
「なるほど、こいつは妙だ」
「なるほど、ちゃんとあなたの声がきこえますよ。ふしぎだなあ」
「あははは。これは奇妙だ。僕はわざと小さい声で話をしているのですよ」
あっちでもこっちでも、この触角をつかって話をする練習が、みんなをおどろかせ、そしてよろこばせた。
こうして艇夫たちは、宇宙服を着こなすことが出来たのだった。
「さあ、それではみなさん。それぞれの職場へ戻ってください」
「はいはい。宇宙服をぬぐのですねえ」
「いや、宇宙服を着たまま、それぞれの職場へもどってください。もうすぐ、月へ上陸することになるから、今から宇宙服に身をかためていてください」
「たばこがのめないから、つらいなあ」
「たばこはのめないですよ。しかしがまんをしてください。月の世界への上陸が失敗したり、それからまた、噴行艇の故障がうまく直らなかった日には、それこそわれわれ一同は、そろって死んでしまうわけだから、それくらいのことは、がまんをしてください」
「わかりました。たばこぐらい、がまんをします」
異様な姿をした艇夫たちは、ぞろぞろと、それぞれの持ち場へひきあげていった。
三郎も、艇長のところへもどった。
司令塔に入ってみると、艇長や、その他の高級艇員たちも、いつの間に着たのか、すっかり宇宙服に身をかためて、持ち場についていた。艇長の宇宙服には「艇長」と書いた札が胸と背中にはりつけてあった。
「いつの間にか、艇長も宇宙服を着られたのですね」
「おお、お前は艇夫の風間三郎だな。どうだ、なかなか着心地がいいだろう」
「そうですねえ。思いのほか、重くはないんだけれど、なんだか動くのが大儀《たいぎ》ですね。どうもはたらきにくい」
「それはそうだ。月の上へ降りれば、もっとらくになるよ」
艇長は、三郎の宇宙服を念入りにしらべてくれた。締め金具の一つがゆるんでいたのを見つけて、艇長はしっかりと締めてくれた。
「艇長。上陸地点の計算が出来ました」
航空士が、図板をもって、艇長のところへやってきた。そしていつもの調子で、顔を艇長のそばへ近づけたものだから、航空士の兜と艇長の兜とが、ごつんと衝突した。
「ああ、どうも失礼を……」
「気をつけないといかんねえ」
と、艇長は、やさしくたしなめて、航空士の手から図板をとりあげた。
「なるほど。すると『笑いの海』へ着陸すればいいんだな。ここへ着陸すると、六日と十二時間は昼がつづくんだな」
艇長は、妙なことをいった。六日半も昼がつづくなんて、そんなことがあるだろうか。
「さようです。この計算には、まちがいありません」
「よろしい。では、今から『笑いの海』を目標に、着陸の用意をするように」
「はい、かしこまりました。あと三時間ぐらいで、月の表面に下りられる予定です」
「うむ、充分気をつけて……」
「かしこまりました」
いよいよ噴行艇は、月世界へ向けて、着陸の姿勢をととのえたのであった。
近づく月面
艇長辻中佐は、司令塔より、号令をかけるのにいそがしい。風間三郎少年は、そのそばについていて、ただもう、胸がわくわくするばかりだった。
ああ月! 月の上に上陸するなんて、全くおもいがけないことだ!
「重力装置を徐々に戻せ」
艇長の号令がとびだした。
「重力装置を徐々に戻せ」
信号員が、伝声管の中へ、こえをふきこむ。するとそのこえは、機関部へ伝わって、重力装置が元へ戻されていくのであった。
重力装置を戻すと、どんなことになるであろうか。
「おや、なんだか、身体が急に軽くなった」
風間三郎は、おどろいて口に出していった。身体がふわりと浮き上るような気持になった。それもその筈であった。今までは、地球の上にいるのと同じくらいの重力が、乗組員たちの身体に加えられていたのだ。ところが今、それがしずかに減らされていったのである。重力が減るから、身体が軽くなる道理であった。
「おやおや、これはふしぎだ。重い宇宙服をきているのに、らくに歩けるようになったよ。金属製の宇宙服をきているとは思われない。まるで冬の外套《がいとう》を一枚きているぐらいのかるさだ」
三郎は、ふしぎそうに司令塔の中をこつこつとあるいてみた。
ところが、おどろきは、そのくらいではおわらなかった。彼の身体は、もっとかるくなっていったのである。冬の外套ぐらいの重さに感じていた宇宙服が、もっとかるくなって、やがて浴衣《ゆかた》をきているくらいのかるさになってしまったから、三郎は、全くびっくりしてしまいました。
「どうした、風間三郎」
艇長辻中佐が、こえをかけた。三郎が、あんまりへんな顔をしていたからであろう。
「は、どうも気持がへんです」
「気持がへんだって。胸がむかむかしてきたのかね」
「いえ、そうではありませんです。この宇宙服の重さが急になくなって気持がへんなのです。まるで紙でこしらえた鎧をきているようで、狐に化かされたような感じです。艇長は、へんな気持がしませんか」
「はははは。そんなことは、べつにふしぎでないよ。月の上で、身体が自由にうごくようにと、この宇宙服の重さがはじめからきめられてあるんだ。これでいいのだよ」
艇長のいうことは、三郎には、はっきりわかりかねたが、心配のことだけは、よくわかったので安心した。
その艇長は、腕時計をちょっと見て、それからまた別な号令をかけた。
「窓を開け!」
すると信号員が、窓を開けと、号令をくりかえした。
窓が開くのだ。
ごとごとごとと、妙な音がきこえたと思ったら、急にあたりがしずかになった。それまでにきこえていたエンジンのひびきも、司令塔内の話ごえも、みな急に消えてしまった。なんだか気がとおくなりそうであった。三郎はあわてて、あたりをきょろきょろ見まわした。
それと気がついたのであろう、艇長は三郎の腕を、ぎゅっとつかんでくれた。
「あ、艇長……」
と、三郎は叫んだ。がそのこえは、いつものこえとはちがって、たよりなかった。
「おい、風間艇夫。おどろいちゃいけないね。お前も、日本少年じゃないか。しっかりしろ」
艇長のこえが、三郎の耳もとで、がんがんとひびいた。
三郎は、艇長のこえに、元気をとりもどした。
「すみません、すみません」
三郎は叫んだ。
「おい艇夫、お前は何かいっているらしいが、喋るときはお前の兜から下っている二本の触角を、わしの触角につけてから喋らないと、お前が何をいっているのやら、わしには一向お前の声がきこえないよ」
艇長が注意をした。
「ああ、そうそう。それをすっかりわすれていた」
三郎は、やっと気がついた。そして彼の触角を、艇長の触角の方へもっていきながら、
「ええ、たいへん失礼ですが、艇長の触角にさわらせていただきます。あのう、艇長、今まできこえていた声が、急にきこえなくなったので、おどろいたのです」
と、目をくるくるうごかしていうと、艇長の目が兜の中で笑って、
「さっき、わしが号令をかけて、窓をあけさせたのは知っているね」
「ええ、知っていますよ」
三郎は、自分の触角を艇長の触角からはずすまいと、一生けんめいに首をつきだしている。首の骨がいたい。
「窓をあけると、わが噴行艇の中の空気は、一せいに外へながれだして、艇内に空気がなくなったのだ。音は空気の波だから、空気がなくなれば、音は急にきこえなくなったのだ。それくらいのことは、お前にもわかるじゃろう」
「ははあ、なるほど」
噴行艇のそとには、空気がすこしもないのである。だから窓をあけると、空気はどっと外へにげて、ひろがってしまったのである。音がきこえなくなったのは、このわけであるか。三郎はそのわけがやっとのみこめた。
「艇夫。そこの窓から、下をのぞいてみるがいい。これから着陸しようとする月の陸地が見えているよ。しかし、おどろかないがいいぞ」
と、丸い窓を指さして、艇長はいった。
月の引力
(おどろいては、いけない)
艇長は、そういったが、三郎はそんなにいちいちおどろいていてはしようがないと思った。なに、おどろくものか、と度胸《どきょう》をすえて、窓から下を見おろした。
「あっ!」
だが、やっぱり三郎はおどろきのこえをあげた。なんという怪奇な月世界の風景であろう。
飛んでいく噴行艇の下は、まっくらであったが、それからずっと向こうの方を見ると、これはまたまぶしいまでに光る銀色の大きな陸地があった。
よく見ると、その光る陸地は、けわしい山々が肩をならべて、そびえている。山の端《はし》が光って、その後は墨《すみ》でぬりつぶしたように、まっ黒な山脈が手前の方にあった。それより向こうの山脈は、全体がまぶしく光っていた。その間に、明るいひろびろとした原が見えていた。山脈の多くは、環《わ》のようにつらなって、まん中が低くおちこんでいた。まるで爆弾をおとしたあとのように見えた。
光る陸地は、帯のように、左右へ長々とのびてつづいていた。ちょっと見ると、月の世界は光の帯のように見えるのであった。月は丸いものと思っていたのに、これはふしぎな見え方をするものである。
しかし、よく気をつけてみると、噴行艇のま下にある黒いところは、やはり月の陸地であった。空も黒いけれど、そこには、たくさんの星が、きらきらとうつくしくかがやいていた。しかるに、噴行艇のま下は、黒いだけで、星は見えなかった。星は見えない黒い塊《かたまり》こそ、月の陸地であった。
まぶしい光の帯に見えるところには、太陽の光があたっているのであった。太陽のあたらないところは、墨でぬりつぶしたように、真黒であった。これが地球であると、昼と夜との境の陸地はうすぼんやりとあかるく見えるのであるが、それは空気があるため、太陽の光がちらばって、うすぼんやりあかるく見えるのであった。しかし月には空気がない。だから、太陽のあたるところはあかるく、あたらぬところはまっくらで、その境目は、たいへんはっきりしている。昼と夜としかないのが月の世界であった。暁《あかつき》だの夕暮だのぼんやりと明るいときはない。
だから月の世界は、あれはてたように見える。やわらかさがない。死の世界である。けものもすんでいなければ、虫もとんでいない。花もなければ、木も生えていない。
「ああ、なんというさびしい月の世界であろう」
三郎は思わず、ため息をついた。
ただ心地よいのは、わが噴行艇が、光の尾をひいて、いさましくとんでいることであった。噴行艇は生きている。ま下の月の世界は死んでいるのだ!
三郎は、とうとう窓から、身体をひいた。あまり荒れはてた月の世界の光景をながく見ていると、気がへんになってくるのだった。
三郎が妙な顔をしていると、そこへ艇長がやってきて、触角をさしだした。
三郎も、こんどは心得て、触角をさし出した。艇長が何か話してくれるのであろう。
「どうだ。月の世界が、はっきり見えたろう。すさまじいところなので、びっくりしたろう」
三郎は、うなずいた。
「光っている陸地が見えたろう。『笑いの海』は、あの中にある。もうすぐ着陸だ」
「ああ艇長。『笑いの海』というと、月の世界に、海があるのですか」
「ほんとうの海ではないよ。月には水がない。だから海どころか、小川も水たまりもない」
「じゃあ、いよいよへんですね、『笑いの海』だなんて……」
「それは、こうだよ。地球のうえから月を見ると、黒ずんだところがある。その黒ずんだところが、ちょうど海のように見えるので、それで『海』というのだ。『笑いの海』というのが、つまりは、岩でできた平原なんだ。降りてみれば、よくわかるがね」
「はあ、そうですか。『笑いの海』の『笑い』というのは、どんなことですか」
「それは地名だよ。伊勢湾《いせわん》の伊勢と同じことだよ。しかし一説に『笑いの海』の黒ずんだ形がなんとなく笑っている人間の横顔みたいだから、それで笑いの海というのだと説く人もある」
「へえ、笑っている人間の横顔ですって」
三郎は、また窓から、月の世界をのぞいた。
「ほら、あそこだ。一番高い山の左をごらん。まだ形がはっきりしないが、あの黒いところが『笑いの海』だ。笑っている人間の、鼻だの口だの頬だの、あたりが見えている」
「ああ、見えます、よく見えます」
三郎には、艇長のいったとおりの、月の面にはいっている笑いの顔の一部が見えた。
そういううちに、噴行艇は、月面に対していよいよ高度を下げてきたものと見え、光の帯のように見えていた太陽のあたる月面は、いつのまにやら幅が川のようにひろくなり、それがなお近づいて、ますますひろくなった。やがてそれは、洪水のようにひろがり、噴行艇のま下まで明るくなった。とたんに、魚雷のような形をした噴行艇の影が、くっきりと、月面のうえに落ちて、山脈も岩の平原も、流れるようにずんずんと後へ走っていった。
「着陸用意! 重力装置を反対にしずかに廻せ!」
艇長の号令が、無電にのって出た。
電力装置が、反対に廻りだした。すると、噴行艇の落下速度が喰いとめられた。艇はだんだん高度を下げていきながら、もりあがってくる月面の上に、ふわりと降りた。まるで蒲団《ふとん》のうえに落ちたかのように、しずかに着陸したのであった。ごとんと、たった一回だけ艇はゆれただけでじつに見事な着陸ぶりであった。
噴行艇は、笑いの海に、巨体をよこたえたのであった。
上陸第一歩
笑いの海に着陸すると、艇員たちは、俄《にわか》にいそがしくなった。
号令は、無電をもって、矢《や》つぎ早《ばや》につたえられた。
重い扉が、内側にむかって開かれた。すると、中からはしご[#「はしご」に傍点]が下ろされた。
「艇長、下艇の用意ができました」
「よろしい。わしが月の世界への第一歩をふみだすぞ」
そういって、艇長はやおら大きな宇宙服につつんだ身体をおこし、司令塔から立ち出《い》でた。
その後には、高級艇員たちがつきしたがった。
三郎は、あわてて、皆の間をかけぬけると、艇長のすぐ後に追いついた。
せまい通路をぬけると、出入口がひらいていた。艇長は、ゆうゆうとはしごを下りていく。三郎は、それにつづいた。
はしごを下りきって、三郎は、こわごわ岩原に足を下ろした。
ごつごつした、赤黒い岩原であったが、その上を歩いてみると、思いの外、足ざわりはわるくなかった。たしかに岩の上であるのに、畳の上を歩いているような感じであった。
「おお、このへんに足場をたてるんだな」
艇長は、はや修理のことについて、命令をだしていた。
三郎は、月の大地に立って、はるばるここまで自分たちをはこんでくれた噴行艇の巨体を見上げた。
艇は、うつくしく銀色にかがやいていたが、艇長の指している附近の外廓だけが、すこし焼けたように色がかわっていた。
艇の背中から、宇宙服を着た艇員が四五人、顔を出した。背中からも出てきたのである。
出てきたのは、艇員ばかりではなかった。やがて大きな起重機の鉄桁《てつげた》が、にゅっとあらわれた。
そのころ、噴行艇の横腹には、いくつもの大きな出入口がひらき、そこから、足場用の丸太がたくさん、えいさえいさと引張り出された。艇員たちは、おどろくべき早さでもって、その丸太を組み立てていった。
三郎は、手つだうつもりであったが、むしろじゃまあつかいされた。彼はそれが不服であったが、どうも仕方がない。噴行艇の機械についての知識がないから、じゃまあつかいされても仕方がなかった。
三郎のほかにも、じゃまあつかいされて、ふくれている者があった。それは外でもない、彼と同じく給仕をしている木曾九万一《きそくまいち》少年であった。
この木曾少年と三郎とは、岩原のうえをぶらぶらあるいているうちに、ついに行きあった。お互いに妙な形をしているので、行き合っても、しばらくはお互いに、兜《かぶと》の硝子《ガラス》の中をのぞきこんでいたが、ようやくそれとわかって、二人は手をにぎりあった。それから、お互いの触角をふれあわせるのに手間どった。なれないこととて、急にはうまくいかない。
「かざ……三《さ》ぶ……うした」
などと、きれぎれに、木曾少年のこえがきこえる。
(風間三郎、おい、どうしたい)
といっているのだが、触角がさわったときだけしか、こえがきこえないので、そんな風にきれぎれになるのだった。
でも、ようやく二人の触角は、ぴったりふれあった。
「やあ、三郎。月の世界って、殺風景《さっぷうけい》だね。まるで墓場みたいじゃないか」
「それはそうさ。生物一ぴきいないところだからね」
「しかし、なにかめずらしいものがありそうなものだね。二人で、そのへんを、ぶらぶらしてみないか」
「ああ、いいよ。いまのうちに、ちょっと歩いてくるか」
「さあ、いこう。あそこに見えるすこし高い丘のうえまでいってみよう」
二人は歩きだした。すると、いやにぴょんぴょんと、三段とびをしているように歩けるのであった。
「どうもへんだね。地球の上の歩き心地と、ぜんぜんちがうね」
「これはおもしろいや。歩いているつもりだけれど、ふわりふわりと、とんでいるような感じだね」
二人は、おもしろがって歩いていった。
そのうちに、どうしたわけか、木曾少年がぴったりと足をとどめた。前かがみになって、下をみているのであった。
「どうした、クマちゃん」
三郎は、木曾少年のところへ引きかえした。すると木曾は、岩の上から、そこに落ちていた何かをひろいあげ、目を丸くしている。
「これはなんだろう。ねえ三郎」
木曾のさしだしたものを三郎が見ると、それは缶詰の空き缶のようなものであった。しかしそれは、地球で見る缶詰とはちがって、缶の横には三角だの、火の玉だの、妙な模様がかいてあるものだった。
三郎は、それを見ているうちに、なんだか背筋が、ぞーっと寒くなってくるのだった。
先住生物か
「へんな缶じゃないか」
風間三郎は自分の触角を、木曾九万一の触角におしつけて、そういった。
「えっ、へんな缶だって。どこが、へんなの」
木曾は、どこがへんなのか、のみこめないという顔つきだった。
「クマちゃん、ほら、このへんなしるしをごらんよ」
と、三郎は、缶の胴中にかいてある三角だの火の玉だののしるしを指しながら、
「こんなへんな模様みたいなものを、今まで見たことがないじゃないか」
「なるほど、そういえば、へんな模様だね。なんだか判《はん》じ物《もの》みたいだけれど、だれがこんなものをかいたのかなあ」
「クマちゃん、それよりもねえ、もっとふしぎに思っていいことがあるよ。君は気がつかないか」
「え、もっとふしぎなことって。それはどんなことだい」
「それはねえ……」
と、三郎はいいかけて、ちょっとことばをのんだ。それは三郎としても、いいだすのにちょっと勇気がいることだった。
「早くいいたまえ」
と、木曾がさいそくした。
「……そんならいうがね。ねえクマちゃん。この月の世界には、生物はすんでいないはずだろう」
「そうさ」
「ところが、この缶詰の空き缶のころがっているところをみると、何者かがこの月にすんでいると考えられるのだ。つまり、この缶詰をあけてたべた奴《やつ》こそ、月にすんでいるふしぎな生物なんだ」
「気もちがわるくなった」
と、木曾は胸をおさえた。
「クマちゃん。だから、われわれはゆだんはならないよ。こうしているときも、いつどこから不意に、月にすんでいる先住生物におそわれるかもしれない」
「はあ、いよいよ気もちがわるくなった」
「早くひきかえして、みんなにこの空き缶をみせて知らせてやろうじゃないか」
「そうだねえ。だが、ちょっとお待ちよ」
「なにを待てというの」
「いや、ちょっとお待ちよ。三ぶちゃん。君は、ぼくをおどかそうと思って、この月の上に、へんな生物がすんでいるなどといったんだね。わかっているよ」
木曾少年が、急に三郎のことばをうたがいだした。
「あれ、クマちゃん。ぼくは君をおどかすようないじわるじゃないよ。なぜそんなことをいうんだい」
「だって、缶詰というものは、人間が発明したものじゃないか。月の先住生物が、人間と同じように缶詰を発明したとすると、あまりにふしぎだよ」
「このへんなしるしは……」
「そんなものは、符合だから、書こうと思えば人間にだってかけるよ。だから、この缶詰のからは、これまでに誰かこの月世界にとんできた地球人間の探険隊が、ここにすてていったものじゃないかと思う。きっとそうだよ」
木曾少年は、この空き缶は、ずっと前に、この月世界へ探険に来た地球人間がすてていったのにちがいないという。
「そうかしら。ぼくには、そんな風には思えないんだがねえ」
ここで、三郎と木曾との考えが、はっきりくいちがってしまった。二人は、なんだかちょっとさびしいような気もちになってだまってしまった。そして二人の足は、いつしか丘の方にむいていた。
岩石のとぎたった光の丘をのぼるのに、案外骨が折れなかった。月の上では、すべて歩行がらくであった。ちょっと岩のわれ目をぴょんととび越《こ》えるにしても、足に大した力を加えなくても、四五メートルはらくにとびこえられる。これは月の重力が、地球のそれに比べて、わずか六分の一という、たいへん小さいものであるからであった。
三郎と木曾とは、いつの間にか丘の上にのぼりついた。あたりのながめは急にひらけ、下界は明るく、空は黒く林も川もない荒涼たる月の世界のすさまじさが、一層二人の胸にひしひしとせまるのであった。
二人はこのすさまじい風景にのまれたようになって、無言のまま、しばらくそこに立ちつくしていた。
それからしばらくして、三郎は、思わずこえを出して、さけんだ。
「おや、あそこに誰かいるぞ」
彼はおどろいて、木曾の腕をつかんだ。
甲虫《かぶとむし》か鳥か
「クマちゃん、あそこに誰かいるよ」
「誰かがいるって、誰がさ」
木曾は問いかえした。
「ほらあそこだ。この丘の下の、大砲みたいに先のとがった岩の下だよ。かげになってくらいから、はっきりわからないが、ほら、丸い頭がうごいているじゃないか」
「丸い頭が……」
「ほら、日なたへ出てきた、先頭の一人が……。おやッ」
そこで三郎は、おどろきのこえをあげた。その拍子に、触角がはなれて、三郎のこえは木曾にきこえなくなった。木曾は、あわてて、触角を三郎の方へ近づけた。三郎のこえが、再びきこえだした。
「……あれは何者だろう。人間じゃない……」
「え、人間じゃないって」
木曾はおどろいて、さっき三郎の指《ゆびさ》した方をみた。
「あ、あれは……」
木曾は、その場にふるえあがった。
怪物がいるのだ。
大砲岩の下から、日なたへよじのぼってきた四つ五つばかりの影――それは後から見ると、ござをかぶった人間のような形に見えたが、正面を向いたところを見ると人間ではなかった。ちょうど、甲虫とペンギン鳥の合いの子をお化けにしたような異様な姿の生物であった。
「あれは何だろう」
「すごい化け物だ。月世界の生物だ」
「月世界には、生物はいないはずだが……」
「だって、あの怪物は、ちゃんとぼくたちの眼に見えているんだぜ。夢をみているわけじゃない。あれは鳥の化け物だろうか、それとも甲虫の化け物だろうか」
「どっちだか、わからない。おや、あの怪物は、手に缶詰をもっているじゃないか」
三郎が、また重大発見をした。
なるほど、化け鳥か化け甲虫かのその怪物は、ゴムでこしらえたむちのような手に、赤い缶を持っているのだった。見ているうちに、その怪物は日なたに出ると、並んで岩の上にこしをおろした。穴からはい出して日なたぼっこをはじめたようにみうけられた。
「おやおや、あれをごらんよ」
三郎が、さけんだ。
ふしぎなことを、その怪物ははじめた。手にもっていた缶詰を頭の上にのせるのであった。しばらくすると、その缶詰を頭からおろす。そして怪物は缶詰の中をのぞきこむのであった。そのときは、缶詰は、いつの間にか穴があいて中がからになっていた。怪物はその空缶を、ぽいと捨てた。そしてこんどは別の缶詰をひょいと頭の上にのせた。そして同じ動作がくりかえされたのであった。
「ふしぎ、ふしぎ」
「三ぶちゃん、あれは何をやっているのだろうね」
「あれは、缶詰をたべているのさ」
「缶詰をたべているって、頭で缶詰をたべるのかい。おかしいじゃないか。なぜ口でたべないで、頭でたべているのだろうか」
「さあ、そんなこと、ぼくにはわからないよ」
頭で缶詰をたべる怪物なんて、きいたことがない。そのくせその怪物は、くちばしのような形をした長い口吻《こうふん》をもっていた。
あまりふしぎな光景に、われをわすれて見とれていた風間三郎は、やがてのことに、はっとわれにかえり、
「クマちゃん。早くひきかえして、辻中佐たちにしらせようじゃないか」
「ああ、そうだったね。ぼくたちは、おもいがけなく斥候隊《せっこうたい》になっちまったね」
そういって二人は、いつしか中ごしになっていたこしをのばした。そして岩の上をとんで、うしろへ引きかえそうとした。
そのときだった。とつぜん、不幸なことが起った。
三郎のすぐうしろにいた木曾が、どうしたはずみか、するっと、岩かどから足をふみはずしたのであった。
「あっ、しまった!」
とさけんで、木曾は自分の身体をささえようとして、前にいた何にもしらない三郎の背中にしていたタンクにしがみついたのであった。空気があれば、いちはやく、そのけはいが、三郎にわかって、彼はうしろをふりむいて、応急処置ができたのであるが、なにしろ音というもののない世界だけに、三郎は木曾にしがみつかれるまで、何にも知らなかったのである。そして、
「あ、あぶない」
と気がついたときには、もうおそかった。三郎の身体はすっかり重心をうしなっていた。そして次の瞬間には、二人は宇宙服を着たまま、丘のうえから、ごろんごろん下へころげおちはじめた。下には、例の怪物団が日なたぼっこしているのだった。二人はその前へ……。
怪物の訊問《じんもん》
ゆるやかに、ごろんごろんと落ちていったので、二人はべつにけがをするようなこともなかった。そして三分の二ばかりころげおちた途中で気がついて、三郎は岩かどにつかまって、おちていく自分の身体を支えたのであった。
「おい、クマちゃん。岩にしがみつけ」
とさけんだが、この三郎のこえは、もちろん木曾にとどくはずがなかった。そして木曾は、あいかわらずごろんごろんところがって、御丁寧《ごていねい》にも、怪物団の足もとまでころげおちて、やっとそこへからだは停まった。
「ちぇっ、まずいことをやったなあ」
怪物団の方では、気がついて、さわぎはじめた。木曾は、たちまち彼等のためにとりおさえられるし、三郎も、木曾をたすけようか、それとも報告のためにこのまま引きかえそうかと考えているうちに、いつのまにか彼等のため、とりかこまれてしまった。
二人は、やがて怪物団の前に、引きすえられた。さあ、つつき殺されるか、生き血をすわれるのか。三郎は、もう死を観念して、どうでもなれと、大きな眼をむいて、相手をにらみつけていた。
怪物たちは、岩かどにこしをおろし、二人を見すえながら、頭をよせて何か話をしている様子であったが、もちろん怪物たちのこえは一向《いっこう》にきこえない。
三郎は、この間に、怪物のすがたを、くわしく見ることができた。
とおくから見ると、この怪物は、甲虫《かぶとむし》かペンギン鳥のように思われたが、そば近く見ると、かならずしもそうではなかった。甲虫やペンギン鳥よりもずっと高等な動物のように見えた。というのは、まず第一に彼等は触角みたいなものをふりながら、おたがいに話をしている様子である。しかも、話をしながら、いろいろと、こまかく身ぶりをするところを見ても、猿なんかよりも高等な智慧《ちえ》をもった動物のように見えた。
全くふしぎな、気持のわるい生物である。
その怪物は、くるくるうごく、大きな顔をもっていた。顔のまん中には、蜻蛉《とんぼ》の眼玉のようにたいへん大きな眼があった。そしてその下に、黄いろい嘴《くちばし》がつきでていた。頭の上は白く禿《は》げているところがあり、頭の上には、りっぱな角のような触角が二本、にゅっと出ていた。頭の、その他のところは河馬《かば》のように妙にうす赤い色をおび、てらてらと光っていた。
それから胴は、鳥のようにふくれていた。しかし腹のところは、鎧をきたようになっていて鳥とはちがう。背中には、甲虫の翅《はね》と同じような翅が畳みこまれているようであった。その翅のつけ根の横には、触角とはちがい、もっとぐにゃぐにゃしたゴム製の管のようなものがついていた。それはたいへん長くて、地上に達していたが、うごいているうちに、急に短くちぢんでしまうこともあった。これは手の代用物であろう。触手というものかもしれない。とにかく、いまだきいたこともないふしぎな生物であった。
もう一つ、ふしぎなのは、その怪物の足であった。足は、その怪物の下腹のところから二本にゅっと出ていた。その足はちょっと見ると、鶴の脚《あし》に似ていた。しかしよく見ると、関節が二つもあり、大地をふまえるところには、五本の指があって、水かきのようなものがついていた。しかもこの奇妙な足は、どこから見ても丈夫に見えた。何だか、金属を組合わせて足の形にしたもののようにも見えた。
(一体、何だろう。この高等怪物は……)
三郎は、そばへぴったりすりよってくる、木曾九万一の身体をかかえながら、眼をみはった。
その怪物の中に、どうやら大将らしい怪物があった。その怪物は他の怪物と、しきりに連絡をしていたようであったが、やがて連絡がすんだのか顔を二人の方に向けた。
「おい、君たちは、日本人だろう」
その怪物が、いきなり日本語で話しかけてきた。それには三郎は、びっくり仰天《ぎょうてん》した。
「ええっ!」と、三郎はいったきり、全身から、汗がふきだしてたらたらと流れた。
ふしぎだ。なぜその怪物は、日本語をはなすのであろうか。第一空気もないのに、なぜその怪物のはなしが、三郎の耳にきこえるのであろうか。
三郎はわが耳をうたがった。
「これこれ、べつに君たちの生命をおびやかすつもりはないから、安心して、われわれの問いにこたえなさい。君たちは日本人だろうね。今、かおいろをかえたじゃないか」
怪物の首領は、にくいほど、はっきりした口調で、三郎たちに話しかけてくるのであった。
三郎は、こたえたものかどうかと、考えているうちに、木曾が前にのりだした。そして手をあげて、何かものをいうような恰好《かっこう》をした。
すると怪物の首領は、大きな頭をふって、うなずき、
「おお、そうか。君は、なかなか勇気があってえらいぞ。そうか、君たちはやっぱり日本人だったか」
木曾が何かいったのが、怪物の首領に通じたものと見える。空気もないのに、なぜこっちのことばが向こうに通じたものであろうかと、三郎はふしぎに思った。が、それよりも、木曾に勝手なおしゃべりさせてはならないと思ったので、彼は木曾に注意をするつもりで自分の触角を木曾の方によせた。
「おい、君たち同志、勝手に話をしてはいけない」
首領は、早くも三郎の心をみぬいて、しかりつけた。
ああ、一体この智慧のすぐれた怪物は、一体何者なのであろうか。
司令艇《しれいてい》クロガネ号
話は、ここで風間少年たちや、月世界に不時着した噴行艇アシビキ号からはなれて、今なお堂々たる編隊でもって、大宇宙をとんでいるわが噴行艇の本隊にうつる。
この本隊では、はじめ百七十隻だったが、途中アシビキ号をうしなって、今はのこりの百六十九隻が固まってとんでいる。
隊の先頭には、嚮導艇《きょうどうてい》ヨカゼ号が、只一つ勇敢にも、ぐんぐんと宇宙の道を切開いていく。この嚮導艇の艇長は、松宮一平《まつみやいっぺい》といって、予備ではあるが、海軍の飛行兵曹長であった。
その嚮導艇ヨカゼ号から二キロメートルの後方に司令艇クロガネ号が居り、その後に噴行艇の大編隊がつづいているのであった。
司令艇クロガネ号!
この司令艇には、大宇宙遠征隊の司令が幕僚《ばくりょう》をひきつれてのっている。
司令は誰あろう、この前の第三次世界大戦の空戦に赫々《かくかく》たる勲功《くんこう》をたてた大勇将として、人々の記憶にもはっきりのこっている、あの隻脚《せっきゃく》隻腕《せきわん》の大竹《おおたけ》中将であった。
この噴行艇隊は、一体なにを目的として、大宇宙遠征の途についているのであろうか。
遠征の目的は、まだ人類が試みたことのないたいへんな仕事をするためであった。
たいへんな仕事とは、なんであろうか。それはムーア彗星《すいせい》にある超放射元素で、ムビウムという非常に貴重な物質を採ることであった。
ムビウム超放射元素!
この貴重な元素のことを知っている者は、あまり多くない。このムビウムは、すばらしい放射能をもっているのだ。放射能物質でむかしからよく知られているのはラジウムである。地球には、この外ウランとかトリウムとかアクチニウムなどの放射能物質がある。
そういう物質からは、あのふしぎなアルファ、ベータ、ガンマの放射線が出てくる。この放射線が癌《がん》という病気をなおすことは、誰でも知っているが、このごろでは、人類のためもっと貴重なはたらきをしてくれることがわかった。それは今くわしくいっているひまはないが、人間が考えたこともなかったほどのすばらしい大きな動力をひねりだす種として、たいへん貴重なものであった。
ところが、せっかくのその種も、大動力をひねり出す種の役目をさせるには、よほどたくさんあつめなければならない。しかもこの地球にはそういう物質はすくないから、一生けんめいにラジウムその他をあつめてみても、いくらもあつまらない。地球全体の放射物質を一個所にあつめてみても、大したことはない。せめてその百倍あれば、その新動力発生法は、小さいながらも成功するのであった。
そこで世界中の学者たちは、この折角《せっかく》の新動力発生法も、人間の力ではできない相談であるとしてあきらめてしまったが、只ここにひとり日本の若い学者で、緑川博士《みどりかわはかせ》という人だけはあきらめなかった。博士は考えた。地球にある放射物質だけをあつめたのでは少くてだめであるが、思いきって地球以外の他の場所から持ってくる工夫をすればいいではないか。
この考えは、すばらしい思いつきだった。科学者のすばらしい夢だった。なるほど、それはおもしろい考えである。
博士は数年前から知られている超放射元素ムビウムに目をつけた。このムビウムは、一名きを変にする元素ともいわれる。それは各国の学者が、このムビウムを発見したハンガリーの天文学者ムービー氏のことを気が変だといい、そのために、そういうへんな名がついたのだった。
ムービー氏の発見の話をするとおもしろいのだが、長くなるから、かんたんにいうが、ムービー氏は元来|素人《しろうと》天文学者であり、いつも星の光を研究していたが、ちょうど今から六年前、地球から十万光年の遠方にある名もしれない星を発見した。そのときこの星の光を分光写真にとってしらべてみると、この地球にはない元素があることがわかった。しかもこの新発見の元素は、計算をしてみるとラジウムの一万倍の放射能をもっているといって、世界中をおどろかした。そしてその元素をムビウムと名をつけたのだった。
それを聞いた世界各国の天文学者は、あわてて自分の望遠鏡を、大空に向けた。なるほどムービー氏のいう星はあった。しかしその星の中には、ムビウムなどというすばらしい放射能の物質はいくらさがしてみてもなかった。世界中の天文学者は、ムービー氏のことを悪くいいはじめた。ムービー氏は、自分に対する非難を弁解して、いやたしかにムビウムはあったのである、自分の見たときには、まちがいなくあったのである。しかし今は、自分がその星を見てもムビウムは見あたらない。自分でもふしぎだと思う。だが、はじめに自分が見たときには、たしかにそのすばらしい超放射元素ムビウムがあった。けっして自分はうそつきではない――といった。
これを聞いた或る国の天文学者は、ムービー氏の発見は、あれはあやしいものだ。氏がうそつきでなければ、氏は気が変であろう。われわれは今後、もうあのようなきを変にする元素のことを問題にしないであろうといって、大いにやっつけた。そしてほんとうにその後、誰もムービー氏のいうことを信じなくなり、気の毒にもムービー氏は、家出をしてしまって、今はどこにいるのか分らないのであった。
緑川博士の計画
ところが、わが緑川博士は、ふと思い出して、ムビウムのことを考えたのであった。なるほどムービー氏の発表があってのち、博士も自ら望遠鏡と分光器ととりくんで、ムビウムをさがしたが、ムビウムはうつらなかった。だからムビウムは、やはりうそだったと思った。
だが後になって、博士はこう考えた。
ひょっとすると、やはりムービー氏のいうのが本当ではないかしらん。ムービー氏がはじめ見たときには、たしかにムビウムがあり、次に見たときにはそれがなくなっていたというのはそのほんのわずかの間に、星の中に大異変が起り、ムビウムがこわれて、他の物質になってしまったのではないかと、そう思ったのである。そして、そう気短に、ものをあきらめてしまってはよろしくない。そういう大事なことはもっと念をいれて、しらべをつづけるのが科学者のつとめであると思った。
そのようにして、博士は、ムービー氏の行方不明《ゆくえふめい》になったのちも、天文台にたてこもって研究をつづけているうちに、ついに思いがけない大発見をした。それはなんであったかというと、そのころ、天の川の端《はし》に近く、ほんのかすかな光を見せて一つの彗星がうごいているのを発見したのであった。これこそ後にムーア彗星と名づけられた新発見の彗星であった。ムーア彗星を発見したことも、わが緑川博士のお手柄であったが、それよりももっともっと大きなお手柄はこのムーア彗星には、例の超放射元素のムビウムが、非常にたくさんあって、しかも彗星の周囲へ、ムビウムをまきちらしているらしいことさえ分ったのである。
これこそ、大発見中の大発見だ! ことにこの大発見が、緑川博士がかねて考えていた計画に非常にふかい関係がある。つまり、あのたくさんのムビウムをあつめることができれば、それにより、博士が前に研究してあった新動力発生法を、本当にやれるぞと思ったのである。
なるほど、できそうである。ただし理屈《りくつ》の上だけでは……。だが実際にやるには、なかなかむずかしい。なぜかというと、はるかの天空を、飛行機の何万倍だか何十万倍だかのはやさで走っている彗星の中から、ムビウムを採ることは、とてもできそうではない。
緑川博士は、それを思って、はじめはがっかりしたものである。宝ものが、目の前にとんでいるのに、ざんねんながら手がとどかないのと同じようだ。大宇宙の大きさにくらべて、人間の力のあまりにも小さいことよと、博士はがっかりしたのであった。
博士が、がっかりしたまま、ムビウムのことを忘れてしまえば、それで何もかもおしまいであった。ところが、神のおたすけがあったというのでもあろうか、或る日緑川博士は、或る会合で、例の隻脚隻腕の猛将大竹中将の席のとなりに座ったのである。そのとき、ふとムビウムやムーア彗星のことについて口をすべらしたところ、これを耳にした中将は、
「うわーっ、そいつはおもしろい大事業だ。しかも国家的の大事業じゃないか。君、若いくせに、そんなにひかんすることはない。わしにも、すこしは考えがあるよ。どうだ、今夜これからわしの家へ来なさらんか。そして二人で、よく話をしてみようじゃないか」
と、思いがけないことばであった。
緑川博士は、大竹中将からこのはげましのことばをもらって、たいへんうれしかった。しかしいくら中将の考えでも、このことばかりはどうにもなるまいと思った。なにしろ、ここから何億キロメートルの何億倍というほどの、はるかの天空を走っているムーア彗星から、どうしてムビウムを採ることができようか。
そこで緑川博士は、中将との相談にでかけていったが、あまりいい話が出るとは思っていなかった。
ところが、大竹中将は、みごとに博士を、よろこびのために、その場におどりあがらせたのだった。その模様をいうと、
「そういう獲物《えもの》をにがすということはないよ」
と、大竹中将は、大きな拳《こぶし》で卓子《テーブル》のうえをとんと叩いて、
「つまり、われわれに覚悟さえあればいいんだ、国家のために生命をなげだすという覚悟のことだ。わかるかね。よろしい。わしは同志をつのるよ。そして必要な人員をあつめる。そして噴行艇の大部隊をつくって大宇宙遠征をやろうではないか」
「え、どうして、そんなことが……。また、噴行艇でとびだして、なにをするのですか」
と、そのときは緑川博士は、中将の考えがよくわからなかったので、といかえした。
火星のニュース
「なにをするって、君、わかっているじゃないか。つまりムーア彗星のところまでとんでいって、その超放射元素ムビウムとやらを採ってくるのさ」
「それはだめです。ここから、ムーア彗星までは、たいへんな距離です」
「たいへんな遠方でもよろしい。生命のあるかぎり、いけるところまでいってみようじゃないか」
「はあ」
「なにかね、そのムーア彗星は、これからのち、もっと地球に近くならないのかね」
「え?」
このとき、緑川博士は、すいぶん大きな声をだした。よほどおどろいたのである。博士の顔は、たちまち赤くなった。なぜ?
(ああ、そうだった。自分としたことが、なんという間ぬけだったろう!)
博士は、われとわが頭を、拳でもって、ごつんと殴《なぐ》ったのであった。
「こら待て、いくら自分の頭だからといって、そうらんぼうに殴るとはいかん……」
「いや、大竹閣下。自分は、今閣下からいわれるまで実はたいへんなことを忘れていました」
「たいへんなことを忘れていた。それは何か。いってみなさい、それを」
「いや、外でもありません。そのムーア彗星が、やがてどのへんまで地球に近づくか、その計算をまだしてなかったのです」
「ふーん」
「そうだ。何ヶ月か何年か待てば、ムーア彗星は今よりもっと地球に近くなるかもしれない」
「そのとき、こっちから出かけていけばいいではないか」
「そうでした。閣下におっしゃられて、はじめて気がつきました。計算をしてみれば、よくわかりますが、これからのちには、きっと今よりも、ずっと地球に近づくときがあるはずです」
「じゃあ、すぐ計算にかかりたまえ」
「はい。どのへんまで近づくか、早くしりたいものですねえ」
「あわててはいかん。まちがいのない計算をたてたまえ。そのあとで、どうしてそのムビウムを採取するか、その仕掛けのことも考えるんだ。性能のいい噴行艇をそろえるにも、これから相当の日がかかるだろう、何年かあとに、一等近づいてくれると、こっちには都合がいいのだが……」
実戦の猛将でもあり、また航空技術にもすぐれている大竹中将は、早くもこれからの方針を頭の中にたてて緑川博士をはげましたのであった。
こういう秘話があってのちに、百七十|隻《せき》の噴行艇から成る宇宙遠征隊が編成せられたのであるが、それは三年のちのことであった。そしてムーア彗星は、それからのち更に五年ののちに一等地球に近づくのであった。
これはつまり、その当時から八年後にムーア彗星は、一等地球に近づくのであって、すべて緑川博士の計算から出てきたものであった。
さきに、大宇宙遠征隊は、十五年の行程で出発したといったが、出発して五年のちにムーア彗星にあい、その後十年して、地球へ戻ってくる計算であった。なぜ帰りに十年もかかるかというと、全隊がムビウムを採取したのち、一つに集合するまでにもかなりの月日がかかるであろうし、いよいよそれを積みこめば、噴行艇の荷が重くなるため、帰り道は行くときより日がかかると思われるし、また万一何か故障があったときのことも考えて、充分安全なように、その十年という年月のゆとりをおいたのであった。
さて話は元へ戻る。ここは司令艇の司令室であった。
司令大竹中将が、めがねをかけて、書類をしらべているところへ、幕僚長が先頭に、数人の幕僚をひきい何か昂奮《こうふん》している様子で部屋へ入ってきた。
「司令。会議の時刻になりました」
と、幕僚長がいえば、大竹司令は、めがねをはずして、
「おお、もうそんな時刻になったか。今、例の火星世界の偵察報告を夢中になってよんでいたが、中々前途多難じゃね」
司令のめがねは、火星世界の偵察報告の開かれたページの上におかれた。
「はい、司令。そのことでございますが、実は只今、ちょっと気になる火星世界のニュースがまた一つ入りました」
と、幕僚長は、手にしていた受信紙を司令の前に出した。
気になる火星世界のニュース?
一体、それはどんなことであったろうか。そしてそれは、今、月世界において、怪人群のため捕虜《ほりょ》になっている風間三郎少年や、木曾九万一少年の身の上と、どんな関係があるのであろうか。
中佐のおどろき
司令は、めがねごしに、受信紙の上に書かれてある文字をひろう。
その文は、次のようなものであった。
偵察者213報告――火星人の月世界派遣隊により火星本国に向けて発せられた通信によると、その派遣隊は、地球人類の乗っている噴行艇一隻が月世界についたのを見た。また、その噴行艇の乗組員であるところの二名の日本人を捕虜にして、只今取調べ中である。なお、その噴行艇との間にはまだ戦いは始まっていない。
司令大竹中将の太い眉《まゆ》が、ぴくんとうごいた。
「ふーん、これは容易ならぬニュースではないか。のう、幕僚長」
司令は、そういって、机の前に立っている幕僚長の顔を見上げた。
「はい、はなはだ容易ならぬことでございます」
「月世界に、火星人の先遣隊《せんけんたい》がいっていたなどとは、わしは知らなかった。これは本当かな」
「は、月世界に不時着しましたアシビキ号に対し、只今連絡中でございますから、もうしばらくおまちねがいたいものです。しかし今迄の報告では、月世界は昔のとおりの無人の境地だと書いて居りました。もし偵察者213の報告が正しいものとすれば、容易ならぬことであります」
「そうか。早くアシビキ号の辻中佐を呼びだしてもらいたいものじゃ。二名の日本人が、火星人につかまえられたというが、どうしてつかまえられたものじゃろうか。一体、そいつは誰と誰なのか、それも早く知りたいものじゃな」
「は、ごもっともです」
「もし火星人と戦いを始めるようなことになれば、こっちは捕虜になっている者が二人もあるわけだから、相当こっちは不利じゃね」
「は、さようでございます」
「辻中佐の豪胆なることについては、わしも知らないわけではないが、そういう不利な態勢でもって、思いがけなく火星人と月世界の上で戦うのでは、ずいぶんとやりにくかろう」
司令は、辻中佐のため、かなり心をいためているようすである。
ああ火星人!
火星人が、月世界の上で二名の日本人を捕虜にしたといっているが、そうすると、その日本人というのは、風間三郎少年と、その仲よしの木曾九万一少年とのことではあるまいか。
多分それにちがいはなかろう。
すると、二少年をとりかこんでいるあの甲虫《かぶとむし》ともペンギン鳥ともつかない怪物こそ、これぞ外ならぬ火星人なのだ!
おお何という奇怪な火星人のすがたよ!
なぜ火星人は、まるで鳥のような形をしているのであろうか。ふくろうのような大きな目を光らせているのであろうか。なぜ、あのような細い脚をしているのであろうか。あの翅《はね》のようなものはほんとうに翅なのであろうか。
いちいち考えていくと、いちいちふしぎに思われることばかりである。
一体火星には生物《いきもの》がすんでいるらしいことはわかっていたが、それがどんな形のものか、知られていなかった。だから今度はじめて火星人の姿がわかったわけである。二少年こそ、はじめて火星人を見た地球人間である。
もし今、二少年にむかい、お前たちの目の前に立っている怪物こそは火星人だぞと、そっと耳うちをしておしえてやっても、彼らは多分それを信じないであろう。なぜならば、彼らは日頃から火星人もやはり地球人間と同じように、手もあり足もあって、人体と同じ形をしているだろうと考えていたからである。
司令艇からは、すぐさまこのことが、月世界に不時着中のアシビキ号に向けて、無電でもって知らされた。
この知らせをうけとった、アシビキ号の艇長辻中佐のおどろきは、大きかった。
「おい、火星人がこの附近にいると、司令艇から知らせがあったのだ」
「ええっ、火星人がこの月世界に……」
「そうなんだ。しかも、この火星人のために、日本人が二人捕虜になっているというが、誰と誰だろうか」
「日本人が二人? はてな、誰でしょうか。では、すぐ点呼《てんこ》をしてみましょう」
「それがいい」
辻中佐の命令で、非常呼集が行われた。
乗組員一同は、なにごとであろうかとおどろいて、仕事をそのままにして噴行艇内にかけこんだ。
点呼は行われた。たしかに二人|足《た》りない。それはもちろん風間少年と木曾少年の二人であった。
「ふーむ、艇夫少年二名が、火星人の捕虜になったのか、こいつは厄介《やっかい》なことが出来た」
艇長辻中佐は、うれいをおびた面持《おももち》で、一同の前に立ち、アシビキ号の乗組員一同に対して司令艇から通知のあったようすをはじめて知らせたのであった。
「なに、火星人が、この月世界にいたのですか。それは意外だ」
「アシビキ号が、不時着で修理中のところをねらって火星人は一あばれする気だな」
乗組員たちは、拳《こぶし》を固めて、艇の外をにらんだ。
斥候隊《せっこうたい》の行方《ゆくえ》
火星人が、アシビキ号の乗組員に対して、どんな気持をもっているか、それはぜひ早く知りたいことだった。
だが辻中佐をはじめ、乗組員一同には、今のところ、火星人の気持を知っている者は、只の一人もいなかった。
しかし二少年を捕虜にしたという話だから、一応これは、火星人が地球人間に対して敵意をもっているものと思って注意をするがいいであろう。そう思った辻中佐は、総員に対して一時噴行艇の修理の中止を命令し、そして火星人に対しての警戒陣をしかせたのであった。
一同は、それぞれ武器をもって立上った。決死の斥候隊が五隊編成せられ、直ちに噴行艇を出発した。それは二少年と火星人の所在をつきとめるためだった。
約半数の乗組員は、噴行艇のまわりに立って、警戒の位置についた。
残りの乗組員は噴行艇の機関部その他に配置せられ、万一の場合には、故障のままでも、ともかくも月世界から離陸できるように用意をととのえて待つこととなった。
辻中佐は、アシビキ号幕僚と共に噴行艇の一司令所にたて籠《こも》って、どんな司令でも出せるし直ちに通信もできるような位置についた。
今なお大宇宙を予定の針路どおり飛んでいる司令艇からは、アシビキ号に向けて、たえず無電で問いあわせがあった。アシビキ号のことを、たいへん心配して、無電をうってくるのであった。
辻中佐は、斥候隊から、いい報告が入るのを、今か今かとまちうけていた。しかし彼らが出発してからもう一時間にもなるのに、何のいい報告も入らなかった。
“第一斥候隊報告。只今、ミドリ大溝を、カンガルーの如《ごと》く飛び越えたところ”
だとか、
“第二斥候隊報告。只今、サギ山の頂上にあり、附近を念入りにしらべたるも、何の手がかりなし”
だとか、どの報告も似ったりよったりであった。
五つの斥候隊のうち、どうしたわけか、第四斥候隊だけが、出発以来、何の報告もしてこないのであった。
「どうしたんだろうなあ、第四斥候隊は」
と、艇長辻中佐は、幕僚をふりかえった。
「さあ、どうしたわけでしょうか。こっちからも、さっきからたびたび第四斥候隊あてに、無電で信号呼出《よびだし》をうっているのですが、更に応答なしです」
「無電機がこわれたのかな」
「さあ、そんなことはまずないはずだと思います。こっちを出かけるときに、そういう機械るいは充分に点検をしていくことになっていますから、故障のはずはありません。しかし、ひょっとすると……」
と、この幕僚は、そこで次の言葉をのみこんだ。
「なんだね、ひょっとするとどうしたというのかね」
「いや、あまり不吉な言葉をはいては申《もうし》わけないと思い、ためらっているのですが……ひょっとすると、第四斥候隊は火星人の猛撃をうけて、どうかなったのではありますまいか」
「おお、そうか。火星人の猛撃をくらって、どうかしたのではないかというのか。ふうむ」
辻中佐は、腕組みをして、頭を左右にふった。
「わしは、そうも思わないが、なにしろ何もいってこないし、こっちから呼び出してもへんじをしないのだから、こいつは困ったものだ。もうすこしまってみよう」
辻中佐は、机上にひろげた月世界の地図へ再び目をおとした。しばらくたって、中佐の背後に、壁に向けてすえつけてある無電配電盤の前で、受話器を頭にかけて、しきりに連絡をとっていた無電員の一人が、とつぜん大きなこえをあげた。
そのこえが、あまりに大きかったので、艇長も幕僚も思わずその方をふりかえった。するとその無電員は一枚の受信紙をつかんで、幕僚の方へふりながら、
「たいへんです。第五斥候隊からの救難信号です。そして、その信号の途中で、無電が、はたと切れてしまいました。この電文をごらんください」
と、無電員は、はあはあ息を切らしている。よほどおどろいたものらしい。
その受信紙は、直ちに艇長の前にひろげられた。電文には始めは規定どおりの救難信号があって、そのあとに本文がはじまっていたが、
“……人間大の怪しき甲虫《かぶとむし》の形をした怪物およそ十匹にとりかこまれた。わが携帯用無電機を眼がけて、拳をふりあげて来る。無電機をこわすつもりか……”
そこで電文は切れている。
ああ第五斥候隊の遭難!
さきに第四斥候隊が行方不明で、心配しているとき、今また第五斥候隊がとつぜん怪物団にとりかこまれたという。この怪物団とは、火星の一隊であることにまちがいはない。
月世界のうえにまたもや血腥《ちなまぐさ》い事件がもちあがったのである。辻中佐はじめ、アシビキ号の乗組員たちは、底しれぬ戦慄《せんりつ》の淵《ふち》へなげこまれた形であった。
皿のような乗物
「おい、無電員。今の第五斥候隊の位置は、わかって居るか」
「はい。大体見当はついております」
「今の最後の無電をうってきたとき、方向探知器で、その電波の発射位置をたしかめて置いたか」
「は。それはとうとう間に合いませんでした。しかし、その十五分前に来た電波で方向がしらべてありますから、まずそれで間に合うと思います」
「その地点はどこか」
「ヨーヨーの峡谷《きょうこく》です。大砲岩から、北の方へ十キロばかりいったところです」
「ふん、ヨーヨー峡谷か」
辻中佐は、地図の上に、ヨーヨー峡谷の所在をさがして、その上に赤い三角旗のついたピンをつき刺《さ》した。
「救援隊に出発を命令せよ、二ヶ隊を送るのだ。急がなければならないぞ」
辻中佐は命令した。
命令|一下《いっか》、幕僚は直ちにマイクをもって、艇外に待機中の予備隊二ヶ隊を救援隊として出発させた。
いよいよこれは大きな戦闘になるであろう。棲《す》むことにさえ慣れない月世界の上において、地球人間よりは、ずっとすぐれた頭脳の持主であるといわれる火星人と闘うのであるから、これは一大覚悟を要することだった。
艇員の顔は、曇る。同胞が今危難に苦しんでいるのだと思うと、胸がしめつけられるようであった。
どうなるであろうか、この戦闘は。
月世界の上の大乱闘の末、もしアシビキ号の乗組員が一人のこらず火星人のためにたおされてしまい、その上に噴行艇さえ奪われてしまうようなことがあったら、これは一大事である。それは大宇宙遠征隊のために一大事であるばかりか、ひいては地球人類のために一大事であった。なぜならば、火星人は、地球人類を見くびって、それからさき、どんなことをむこうからしかけてくるかわかったものではない。
だから、ここでわが地球人類は、どんなことがあっても、火星人に負けてはならないのであった。いま辻中佐の頭の中には、とっさに、あれやこれやと策略が渦《うず》まいている。どの作戦をとりあげたら、火星人をうちまかすことができるであろうか。
もっと、火星人の様子が知りたい。火星人がどんな風に出てくるのか、それを知りたい。それが分らないかぎり、こっちからうつべきよい手が考えられない。
「おい無電員、何か現場よりの報告は来ないか」
「はい。あれきりです。新しい報告はまだ一つも入りません」
「そうか。ふうむ」
そういっているとき、無電配電盤に、ぱっぱっと、監視灯がついたり消えたりした。
「おや、第四斥候隊が、こっちを呼んでいるぞ。これはめずらしい」
「えっ、第四斥候隊それにまちがいがないか。今まで、何のしらせもなかった第四斥候隊か」
艇長は、席を立って、無電員の傍へやってきた。だが無電員はそれにへんじをしなかった。彼はむちゅうになって、無電をうけて、その電文を紙の上に書いているのであった。ああ、それはまちがいなく第四斥候隊からの始めての報告だった。
辻中佐は、いそがしそうにうごく無電員の手の間から、次のような電文を読みとった。
“第四斥候隊報告。わが隊は、すこし考えるところありて、火星人隊発見まで、電波を発射しないことを定めおけり。そのわけは、電波を発射せば、火星隊のために、かえってわが隊の所在をしらせることをおそれたるがためなり”
「なるほどなるほど」
艇長はうなずいた。
報告書は、なおその先があった。
“……わが隊は、アメ山より、対《むか》いのヒイラギ山のかげに火星人の乗物があるのを発見せり。火星人隊の総勢は約十名かとおもわれる。彼らの乗物は、その形、大きい皿の如く、その中央の出入口よりぞろぞろと現われるのを見たり。わが隊は、そのあとにて、アメ山を下りて、ひそかに火星人の乗物に近づけり。幸《さいわ》いに乗物には火星人の居る訳なし。しかも出入口は、明け放しになり居りたるゆえ、内部へ入りて見たり。その結果、われらは、風間、木曾の二少年を発見せり”
「ほう、二少年が見つかったそうじゃ」
“……さりながら、二少年は共に、人事不省《じんじふせい》のありさまにて発見せられたるゆえ、われらはおどろき、手当を加えつつあるも、いまだにそのききめなきはざんねんなり。われわれ二少年をこのまま連れ戻ろうとす。医療の用意をたのむ”
「ほう、二少年とも人事不省だそうだ。それをたすけて、第四斥候隊はこっちへ戻ってくるというが、うまくかえれるかどうか、わからない。すぐさま、第四斥候隊の方へも、救援隊を向けてやれ」
辻中佐は、心配の中にも、第四斥候隊の無事だったことを知って、ほっと一息ついたのであった。
我、飛びつつあり
「それにしても、第五斥候隊の方はどうなったかな」
辻中佐は、第四斥候隊の方と連絡が取れ、風間、木曾の二少年が発見されたことがわかると又今度は火星人と大乱闘をやっているに違いない第五斥候隊のことが心配になって来た。
「おい、救援隊は出発したか」
幕僚をふりかえった。
「はい、すでに第五斥候隊へ、救援隊は二ヶ隊出発し急行中であります。第四斥候隊への救援隊は只今間もなく出発いたします」
「ふむ、そうか。――おい無電員、第四斥候隊を呼出して命令を伝えるんだ。いいか、第四斥候隊はその皿のような形をした火星人の乗物を確保していろ、敵に渡してはならん。それからただちに救援隊を向けるということも伝えてやれ」
「はッ」
無電員は、すぐさま第四斥候隊を呼出して、連絡をとりはじめた。ところがところが第四斥候隊からは受信の応答があったかと思うと、そのまま、又ぱったりと連絡が切れてしまった。もういくら呼んでも、うんともすんともいって来ないのである。
無電員は真ッ赤な顔をして送信器に取りついていたが、やがて、弱ったような顔をして幕僚の方をふりかえった。
「どうも困りました。第四斥候隊とは又連絡が切れてしまいました」
「ふむ、何か起ったかな」
「何、また返事をせんのか、ふーん、すると火星人が自分たちの乗物のところに帰ってきたのかも知れんな」
艇長がうなずいた。そして眉をしかめた。それは、こういうことを考えたからである。つまり火星人たちが第五斥候隊を撃破してしまって、悠々と自分たちの乗物のところに帰って来て見ると、其処《そこ》にはまだ第四斥候隊が頑張っていた。しかも第四斥候隊は、たった今、辻艇長からその火星人の乗物を渡してはいかん、という命令を受けたばかりなので、ここで又、大乱闘がはじまってしまったのではあるまいか――。それで無電連絡が切れてしまったのではあるまいか――。
「うーん」
部下思いの辻艇長は、眼の前にひろげられた月面図の上に腕を組むと、しきりにうなっていた。第五斥候隊は、救援隊が到着する前に全滅してしまったのかも知れない。その上、風間、木曾の二少年を発見した第四斥候隊も、たった今出発した救援隊の到着するまで、うまく相手を防いでいるかどうか疑問である。何しろ相手は、得体《えたい》の知れない火星人なのだ。
「困ったことになったぞ……」
辻中佐は、この馴《な》れない月世界の上で奮闘している部下のことを、しきりに心配していた。が、この時第四斥候隊の方には、辻艇長が心配していた以上のことが起こっていたのだった。
それは、間もなく第四斥候隊報告として、この司令室の無電機に飛込んで来た。受信している無電員が、先《ま》ずびっくり仰天《ぎょうてん》するような報告だった。
“第四斥候隊報告。わが隊は、目下月世界を離れて飛びつつあり……”
「えッ」
無電を受けている無電員が、思わず「えッ」といってしまった。これはなにかの間違いではないか、と思った。しかし、たしかに第四斥候隊からは、そう無電がはいって来るのだ。
無電員のびっくりした声に、幕僚と艇長とが「どうかしたのか……」というようにのぞきに来た。そして、無電員の肩越しに一生懸命に鉛筆をはしらせている受信器の上の文句を読んで、艇長と幕僚も又、おやっというように顔を見合わせてしまったのだった。
“……わが隊は、目下月世界を離れて飛びつつあり……”
この不思議な報告にはまだあとが続いていた。
斥候隊の報告
“わが隊は大なる皿の如き、彼らの乗物を確保しありたりところ、突然火星人の来襲せんとするを発見せるをもって、ただちにこの乗物の内部に入り、すべての出入口を厳重に閉ざしたり。これは外に出て火星人を撃退せんとせば、風間、木曾の二少年に若《も》しものことが起らずとは保証出来ざるためなり。幸い、両少年とも息をふきかえしたるも、未《いま》だに自由に活動出来ざる状態にあり……”
「うーむ、風間も木曾も、いい具合に息をふきかえしたらしいな」
艇長は、にっこりして幕僚の方を一寸《ちょっと》見たが、すぐ又、電文の方に眼を移した。なかなか、長い報告だった。
“……しかるにこの乗物の出入口を全部閉ざすや否《いな》や、忽然《こつぜん》として空中に浮動するを発見せり。早速ガラス製と思われる窓より、離れゆく月面上を見るに、本乗物の飛行を知って火星人らは痛く驚愕狼狽《きょうがくろうばい》の模様なり、考うるに、本乗物を失っては彼らは既に火星に帰ることが不可能となったためと思わる。これによって見るに、本乗物はわが隊を乗せて、一路火星に飛行するものの如し”
そこでこの奇怪な目にあっている第四斥候隊からの報告が切れた。
すると、すぐ続いて、今度は第五斥候隊からの無電がはいって来た。
「お、第五斥候隊からの報告だよ、うむ、うむ、無事だったと見えるな」
艇長は、ひとりでつぶやいて、ひとりで頷《うなず》いた。そしてすぐ又、いそがしく鉛筆をはしらせている無電員の手もとを見つめていた。
“第五斥候隊報告。わが隊の携帯用無電機眼がけて拳をふりあげて来った怪物団は、その甲虫の如き頑丈なる身体つきにも拘《かか》わらず、力ははなはだ弱きことを発見せり。
彼らはわれわれの強力無双なるに驚愕せらるものの如し……”
「ふーむ――」
辻中佐は、その報告を読んで、にやりとした。この第五斥候隊が、自分で自分たちのことを強力無双などと大変な力持ちのようにいっているのには、わけがあった。つまり、ここは月世界なのだから、地球に比べて重力は六分の一しかないのである。地球上で十キロのものしか持ち上げられない者も、この月世界に来れば、実に六十キロの大岩石を悠々と持ち上げてしまうことになるのだ。地球上の六倍の力もちになってしまうのである。だから、第五斥候隊となっている艇員たちは、誰も彼も、二百キロぐらいの大岩石を、平気で投げ飛ばすほどの力持ちばかりが揃《そろ》っていることになるわけである。
それでは、襲撃して来た怪物の方でびっくりするのも無理ではない。
勝ちほこった第五斥候隊からの報告は、まだ続く。
“……かくして怪物団の彼らも閉口したかに思わるる時、はるかに救援隊の二ヶ隊の近づきつつあるを知ったため、最早《もはや》戦闘にはかなわぬと見たるか一斉に退却を開始せり。思うに、風間、木曾の二艇夫の行方不明は、この怪物団の仕業かと疑われるをもって、わが隊は到着せる救援隊と共に、時を移さず目下これを追跡中なり”
「なあるほど」
幕僚がうなずいて、辻艇長の方を見ると、
「火星人は、力はあまり強くないと見えますな」
「ふむ、火星は地球によく似とるが、重力は地球に比べて三分の一ほどだからな、火星人たちが月に来れば、だいぶ重力が減ったので急に力持ちになったように思っとったんじゃろうが、しかし地球人が月に来たことを思えば問題にならんよ」
辻中佐がいった。そして、
「追跡しとるのはいいが、それから先どうなったかな?」
そういった時、まるでそれが合図だったように、又も、第五斥候隊からの報告がはいって来た。
“第五斥候隊報告。わが隊は怪物団を追跡して(この怪物団が火星人であることを、到着せる救援隊より知らせられたり)アメ山を越えて、そのむかいのヒイラギ山附近まで進出せる時、突如そのヒイラギ山のかげより巨大な皿の如きものが空中に舞上れるを望見したり……”
「うむ、それが第四斥候隊の乗った火星人の乗物だったのだ」
艇長は、唇《くちびる》を噛《か》んだ。もう一刻早ければ間に合ったかも知れないのに――。
先ほどの、第四斥候隊の報告と合わせて考えて見ると、この第五斥候隊に追われて逃げて来た火星人を、第四斥候隊の方は自分たちを襲撃して来たものと思って全部の出入口を閉じた途端《とたん》この皿のような乗物が、自然に飛び出してしまったのだ――ということがわかった。
さて、では火星人たちはどうしただろうか。報告が、つづいてはいって来た。
“……思うに、この奇怪なる皿の如きものは、火星人の飛空機らしく、わが隊に追跡を受けつつある火星人を見て、この火星人らを救う遑《いとま》もなく、あわてて彼らを置去りにしたまま逃走せるものの如し”
この報告が間違っていることは、読者諸君はすでに御承知であろう。しかし第五斥候隊は、まだその間の事情を知らないのだから、そう思ったのも無理はない。まさか、その火星の飛空機の中に、同僚の第四斥候隊と、風間、木曾の両少年が乗っていようとは、夢にも知らぬことなのだから――。
“……このヒイラギ山のがけより舞上れる飛空機を見て、彼ら火星人たちの驚愕狼狽ぶりは一方ならず、追跡せるわれわれも思わず苦笑せるほどなり”
そうかも知れない。火星人らもまた、第四斥候隊の行動は知らぬ筈なのだ。
火星人弱る
第五斥候隊の報告は、まだ続いていた。
“かくして火星人らが狼狽なすところを知らざる中《うち》に、飛空機は一刻も休みなく、上昇をつづけつつあり、遂《つい》に、大空高く消え去《う》せたり……”
「ああ……」
幕僚は、辻艇長の顔を一寸《ちょっと》ぬすみ見て、溜息《ためいき》をついた。辻艇長の横顔には、第四斥候隊を心配する色が、ありありと浮んでいた。
“仲間の飛空機に飛び去られ、月世界上に置去りを食った火星人らは、全く元気を失いて、遂に全員十匹はわが隊に降伏せり、なお愕《おど》ろくべきことには、彼等は明瞭《めいりょう》なる日本語を話すことを発見せり、わが隊はこれより彼らを連行し、直ちに帰艇せんとす、終り”
これで、第五斥候隊からの報告は終った。
「ふーん、飛空機に置いてきぼりを食った彼らは、遂にネ[#「ネ」に傍点]を上げたと見えるな、どんな彼らが来るか見ものだわい」
辻中佐は幕僚を見かえって、いった。
「はあ。――それでは第一、第二、第三の各斥候隊に帰艇を命じましょうか」
「うむ、そうしてくれ、それから飛空機上の第四斥候隊とはまだ連絡がとれるか」
「はッ。おい無電員、第四斥候隊の方はどうか。何か連絡があったか」
「一向にありません、あッ、監視灯がつきました」
「第四斥候隊か」
「そうであります」
無電員は、それだけいうと、又受信台にかじりついてしまった。
“第四斥候隊報告。わが隊はこの奇怪なる飛空機に乗りて、一路火星に向いつつあるものの如し。飛行中にこの飛空機を捜査せるところ、思いがけずも火星人一人が残留し居《お》るを発見せり。風間少年の報告によれば、火星人は日本語を話すとのことなれば、早速彼を訊問し、次のことがらが判明せり。一、この飛空機は火星と月との間を、すでに数回往復せるものなり。二、残留せる火星人は給仕にて、残念ながらこの飛空機を再び月世界に帰す方法を知らざるものの如し(なお機中を詳しくしらべたるも、飛行機関と思われるものは一切《いっさい》見あたらず、想像するにこの飛空機は火星と月との間の引力を利用せるものと思わる)。三、従ってわれわれは火星に行く以外、如何《いかん》とも方法なし。四、この火星人の話によれば、火星人たちはおそらく我々に危害を加えることはあるまいとのことなり。終り”
「まあ、それが本当なら結構じゃが……。しかし火星の飛空機が月から帰って来たのに、いざ着いて見ると、中から火星人ならぬ地球人がぞろぞろ現われた、とあっては火星人|共《ども》がびっくり仰天してどんなことをするか知らんからな」
「はい。――では第四斥候隊に連絡して、火星に着いたならば先《ま》ずその火星人の給仕だけを外に出し、一同によく説明せしめてからそのあとで降りるように伝えましょう」
「そうだ、そういってやってくれ」
艇長は、幕僚の説にうなずいた。
そうしているうちにも、呼び戻された斥候隊は、続々と帰って来た。帰って来ると、今度はすぐこの噴行艇アシビキ号の故障修理に全力をつくしていた。
と、最後に第五斥候隊と、その救援に向った二ヶ隊のものが、奇怪な甲虫《かぶとむし》のような人間位の大きさの火星人を十人つれて帰艇して来た。火星人たちは、そのいかめしい恰好に似合わず自分たちの飛空機が飛去ってしまったので、すっかりがっかりしている様子だった。
皿形の飛空機
第五斥候隊の隊長だった艇夫長の松下梅造が、その十人の火星人の中の首領と思われる一人を、辻中佐たちのいる司令室に連《つ》れて来た。
「やあ、ご苦労、ご苦労」
辻艇長は、斥候の労をねぎらった。
「二少年の居所《いどころ》はわかりましたか」
松下梅造が、聞いた。
「うむ、わかっとる。目下火星へ向って飛んでおる」
幕僚がそういうと、
「はッ?」
松下艇夫長は、何だかわけのわからんような、びっくりしたような大きな眼をした。そして、又何か聞きたそうな様子をしたが、
「あっ、ではあの二人の少年が、われわれの飛空機を奪ってしまったのですか」
火星人の首領がそういったので、黙ってしまった。
「いや、あの二少年が君たちの飛空機を奪ったのではないよ」
幕僚がいった。
「しかし、私たちがいないのに、飛空機がひとりでに飛出すわけがありませんぞ」
火星人も、なかなか負けてはいなかった。
「だから、奪ったのではないのだ。元々は君たちが悪い、あの二少年をあんな眼に合わせたので助けに行った者が発見し、あの乗物の出入口を全部閉めたらひとりでに飛出してしまったのだ」
「ああ、それでは引力遮断機が働いてしまったのだ……。何も私たちはあの二少年をひどい眼には合わせませんぞ、ただ詳しく地球のことが聞きたかっただけです」
「しかし君たちは非常に日本語がうまいじゃないか、どうして日本語を知っているんだね」
「なんでもありませんよ、私たちは地球から放送されているラジオを聞いて勉強したんです、毎日地球のラジオニュースを聞いていますから、地球上のことなら大てい知っています」
「ふーむ」
幕僚は、びっくりしたように、うなった。あの天外の火星で、毎日地球のラジオを聞いて研究している者があるとは知らなかった。
「ふーむ、で、その引力遮断機というのはどうなっているんだね」
「なんでもありませんよ、その名のように引力を打消してしまう装置です、つまり月の上に置いて月の引力を打消し、われわれの火星の引力を受けるようにすれば、自然に舞上って火星に引かれて行ってしまうわけです。同じように月に来る時も、われわれの火星の引力を打消して月の引力に引ッ張られて来るわけです」
「ふーん、なるほどね。しかし火星人たる君たちが、こんな荒れ果てた月世界に来てどうするんだね、同じ来るならすぐ近くの地球にやってくればいいのに」
「なるほどそれは一寸《ちょっと》おかしいかも知れませんな、しかしこういうわけです。われわれの火星は月や地球に比べると、もうずっと古いのです。それで、地中にあった或る物質をもうすっかり採りつくしてしまったんです。しかもその物質は、われわれにとって是非《ぜひ》とも必要なので、同じ太陽から分れ出た地球の、それから又分れ出た月の世界ならばまだきっとあるだろうというので、それを採るためにわざわざやって来ているわけですよ。――地球に行かないで、月に来たわけですか、それは研究の結果、地球には人間という思いのほか進歩した生物がいるし、――いや、これは失礼、本当の話だからおこらないで下さい――、われわれが行っても果して黙ってその物質を採らしてくれるかどうかわからなかったし、一方月の方ならば、これは御覧のように生物一ついないのですから邪魔《じゃま》もはいらぬだろう、と考えて、まあ月の方をえらんだわけです。しかもわれわれは今度がはじめてではなく、もう何度もその物質を採りに来ているんです」
「ふーん、そうか、それでわかった。いや君たちの気持はよくわかるよ、というのは我がアシビキ号も同じような目的で地球を飛出したんだからね」
「ほほお、そうですか」
「そうなんだ、しかも君たちが火星から月へ来るよりか、もっともっと大冒険の途中なんだ。ムーア彗星にある超放射元素のムビウムという貴重物質を採るためなんだからね、これが緑川博士の新動力発生装置に是非とも必要なのだ。そのために我々は大竹中将の指揮下に四万余名の大遠征隊を組織してムーア彗星めがけて飛出したんだ」
「へーえ、あのムーア彗星までムビウムを採りに……」
さすがの火星人も、この大計画にはびっくりしたらしかった。
「しかし残念ながら、我がアシビキ号は故障のため一行に遅れてしまったのだ」
「そうですか、それはお気の毒です。幸い私たちの中には機械修理にかけては火星でも有数の者をつれて来ておりますから早速お手伝いをさせましょう」
「そうか、そうしてくれると有難いね、うまく修理が出来たら、ついでに火星に寄って、君たちを送りとどけてあげることも出来る」
「そうですか、そうして頂ければ助かります」
火星人の首領は大喜びをすると、すぐ部下の火星人を呼んで、何か火星語で命令を伝えた。
火星の食べ物
「さあ、では君もつかれたろう。今、何かうまいものでも作らせるから――」
辻中佐がいうと、火星人は、
「いや駄目です」
「駄目とはなんだ、折角親切にいって下さるのに」
幕僚が、眼をむいた。
「いや、そういうわけではありません、われわれ火星人は物を食べる、ということを忘れてしまったのです」
「ナニ、何だって?」
「われわれ火星人も祖先の時代にはやはり物を食べたのです。しかし、物を食べるのは口で噛んだり、胃や腸を使ったりして、滋養分を血の中に吸収させ、その血が身体中を廻って持っている養分を身体に補給することでしょう。われわれにはもう胃や腸が退化して無くなってしまったといってもいいのです。われわれはもう充分によく消化されたような『食物』を口からではなく直接血管の中に注ぎ込んで生きているんです」
「ふーむ、すると病人が葡萄糖《ぶどうとう》の注射をするようなものだな」
辻艇長がうなずいた。この話を、風間や木曾に聞かせたら、成程《なるほど》、といって、あの妙な缶詰と、それからそれを彼らが口ではなく、頭のあたりにのせて空にしていたわけを思い出したに違いない。
「だが、君たちは高等生物に似合わぬ恰好をしているね」
「いや、これは鎧《よろい》を着ているんです。私たちの身体は、火星の弱い引力のために、地球の人に比べたら非常に柔らかく出来ているので、こういう鎧を着ているわけです。
この羽根《はね》は一人一人の飛行機のように、飛ぶためのものですよ、簡単な、しかし強力な動力装置がこの羽根の下についているんです」
「ふーむ、しかし我々がこうしているんだから、君も鎧をぬいだらどうだね」
幕僚がいうと、
「駄目です、駄目です、この司令室は地球と同じ気圧になっていますから、私がこの鎧をぬいだら一ぺんで参《まい》ってしまいます」
「あっ、そうか、では仕方ないな」
そういっている所に、艇夫長の松下梅造がかけ足で帰って来ると、パッと挙手の礼をして、
「火星人部隊の協力によって、ただいま本艇の修理が完了いたしました」
「そうか、ご苦労」
「では、直ちに出発じゃ、火星へ向って出発! それから司令艇クロガネ号へ連絡をとって、アシビキ号は修理完了、ただちに本隊に追行することを報告しろ」
噴行艇アシビキ号は、すぐ様、猛然と出発をした。非常に好調だった。離陸したばかりの月は、見る見るうちに小さくなって遠ざかって行った。
そこへ、無電員が、受信紙を持って来た。
“第四斥候隊報告。わが隊は只今火星の中部地方に安着せり。指揮を待つ……”
「よし! 本艇は目下火星へ向って急行中だと伝えろ」
噴行艇アシビキ号は猛進に猛進をつづけていた。火星技術員の機械技術は思ったより優秀だと見えて、なかなか好調だった。
「なかなか好調のようであります。実は、火星人などに機械をいじらせてどうかと心配しておりましたが」
幕僚が、辻艇長にそっといった。
「いや、彼らもこの噴行艇をしっかり直さなければ、自分たちも火星へ帰れんわけじゃからな。しっかり直す筈じゃよ、はっはっは……」
辻中佐は、はじめて愉快そうに笑った。
大団円《だいだんえん》
さて、アシビキ号は間もなく火星に安着すると、そこであのふしぎな皿のような火星の乗物に連れて来られていた第四斥候隊の隊長鳥原彦吉以下全員と、風間三郎、木曾九万一の両少年を収容し、月世界に取りのこされた火星人を降《おろ》した。風間、木曾二少年の喜びも大きかったけれど、荒れ果てた月世界に、も少しで取りのこされるところを無事に帰れた火星人たちの喜びも非常なものだった。
全火星人も、このアシビキ号の好意を謝して、大変な歓迎をする様子だったけれど、先をいそいでいるアシビキ号は、あの月世界探険隊長の火星人と再会を約し、すぐさま、本隊を追って出発することになった。
「出発!」
辻艇長の命令一下、噴行艇アシビキ号は、休む暇もなかった火星に別れをつげた。そして大宇宙の中を真一文字《まいちもんじ》に、本隊を追って猛進また猛進を続けつつあった。
かくして大宇宙の中を突きすすむこと実に五ヶ年!
目的のムーア彗星に到着する間際《まぎわ》になって、アシビキ号は、漸《ようや》く本隊と合体することが出来た。この五ヶ年という長い間、ただ一機で大宇宙を突破して本隊に追いついた、ということは、司令艇クロガネ号にある大竹中将の指揮と、アシビキ号の辻中佐との一糸《いっし》乱れぬぴったりと呼吸《いき》の合った賜物《たまもの》だった。
それにしても、未だ人類の想像も及ばなかった大ムーア彗星へは?
ムーア彗星の周囲は、まだ混沌《こんとん》漠々たる濃密な大気に閉ざされていた。すでに、勿論《もちろん》ここから見る太陽は、夜空にきらめく一点の星のようなものであったが、しかしこのムーア彗星のそばには、アロタス大星雲がギラギラと輝いていたので、ムーア彗星の世界は、地球の二倍ぐらいの明るさだった。
大宇宙遠征隊の隊員は、全員とも気密塗料を塗った宇宙服をつけた。その宇宙服の眼のところには、あたりの明るさに眼をやられぬように、濃い色のついた遮光硝子《しゃこうガラス》がつけられていた。
が、それよりも何よりも、このムーア彗星に降りて第一歩を印した隊員が愕《おど》ろいたのは、この大彗星が地球の数十倍もある巨大なものだったし、質量も大きかったので大変な重力であり、そのままではあまりに身体が重く感じ、殆《ほと》んど立っては歩けぬ、ということだった。大の男たちが、赤ん坊のように、ようやく這《は》って歩くような始末だった。
月世界で、あのちょっと跳ねると、ふわっと飛んでしまう身軽さを知っている風間と木曾はびっくりしてしまった。
「おどろいたね、三《さ》ぶちゃん」
「なんだか、身体中が鉛になったみたいだね、うっかりしていると地面に貼《は》りついてしまうぜ」
「うーん」
「そうだ、クマちゃん、辻艇長の特別スイッチを入れろ!」
「そうだ、アッ、らくになったぞ」
この辻艇長の特別スイッチというのは、辻中佐が、あの火星人の皿のような乗物につけてあるという引力遮断機から思いついた引力滅殺装置で、それが宇宙服にもつけられてあるのだった。このお蔭《かげ》で一同は、予定通りの作業をすることが出来た。
貴重物質ムビウム。
この命がけの大冒険をして来た目的の、ムビウム。
そのムビウムは、果して緑川博士の予想通り、この大ムーア彗星には無尽蔵といってもいいほどあるのだ!
*
総員四万名に余る未曾有《みぞう》の大宇宙遠征隊の目的は、ここに半《なか》ばを達したのだ。この至るところにあるムビウムを、どんどん採集して地球に持ち帰ればいいのだ。
この分では、最初の予定よりか、はるかに早く帰ることが出来そうである。
――この詳しい珍しい話は、いずれ風間少年たちが帰って来てから、ゆっくりとしてくれることと思っている。
ただ最後に、或る日の朝のラジオニュースのことを伝えて置こう。それは誰でも万歳を叫ぶニュースなのだ。
“大宇宙遠征隊司令艇クロガネ号発。本遠征隊は無事ムーア彗星に到着し、予期に数倍せる貴重物質ムビウムの採集に成功、目下極力帰航中なり。只今の位置より計算するに、本隊は今後二百三十六日十三時間二十分をもって東京に帰着する予定なり――”
底本:「海野十三全集 第9巻 怪鳥艇」三一書房
1988(昭和63)年10月30日第1版第1刷発行
初出:「国民五年生」
1941(昭和16)年4月号〜
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:原田頌子
2004年3月5日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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