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超人間X号
海野十三

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)大雷雲《だいらいうん》

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(例)測定|当直《とうちょく》

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(例)あれ[#「あれ」に傍点]はどこにどうして
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   大雷雲《だいらいうん》


 ねずみ色の雲が、ついに動きだした。
 すごいうなり声をあげて、つめたい風が、吹きつけてきた。
 ぐんぐんひろがる雲。
 万年雪をいただいた連山の峰をめがけて、どどどッとおしよせてくる。
 ぴかり。
 黒雲の中、雷光《らいこう》が走る。青い竜がのたうちまわっているようだ。
 雷雲はのびて、今や、最高峰の三角岳《さんかくだけ》を、一のみにしそうだ。
 おりしも雷鳴《らいめい》がおこって、天地もくずれるほどのひびきが、山々を、谷々をゆりうごかす。三角岳の頂上に建っている谷博士《たにはかせ》の研究所の塔《とう》の上に、ぴかぴかと火柱《ひばしら》が立った。
 つづいて、ごうごうと大雷鳴が、この山岳地帯の空気をひきさく。
 黒雲はついに、全連峰をのみ、大烈風《だいれっぷう》は万年雪をひらひらと吹きとばし、山ばなから岩石をもぎとった。
 このとき、谷博士は、研究所の塔の下部にある広い実験室のまん中に、仁王立《におうだ》ちになって、気がおかしくなったように叫んでいる。
「雷《らい》よ、もっと落ちよ。もっと鳴れ。稲妻《いなずま》よ。もっとはげしく光れ。この塔を、電撃でうちこわしてもいいぞ。もっとはげしく、もっと強く、この塔に落ちかかれ」
 博士は、腕をふり、怒号《どごう》し、塔を見あげ、それから目を転じて、自分の前においてある大きなガラスの箱の中を見すえる。
 その大きなガラスの箱は、すごく大きな絶縁碍子《ぜつえんがいし》の台の上にのっている。箱の中には、やはりガラスでできた架台《かだい》があって、その上に、やはりガラスの大皿がのっている。そしてその大皿の中には、ひとつかみの、ぶよぶよした灰色の塊《かたまり》がのっている。どこか人間の脳髄に似ている。海綿を灰色に染め、そしてもっとぶよぶよしたようにも見える。なんともいえない気味のわるい塊である。
 しかもその灰色のぶよぶよした塊は、周期的に、ふくれたり、縮んだりしているのであった。まるでそれ自身が、一つの生物であって、しずかに呼吸をしているように見えた。
 いったいその気味のわるい塊は、何者であったろうか。
 ガラスの箱のまん中に、その気味のわるい塊があり、その塊を左右からはさむようにして、大きな銀の盤のようなものが直立して、この塊を包囲《ほうい》していた。その銀盤は、よく見ると、内がわの曲面いっぱいに、たくさんの光った針が生えていた。
 その針と反対のがわには、銀色の棒があって、これが左右ともガラス箱の外につきでていた。そして、ガラス箱の真上十メートルばかりの天井の下の空中にぶらさがっている二つの大きな火花間隙《ひばなかんげき》の球《きゅう》と、それぞれ針金によって、つながれてあった。
 この大じかけの装置こそ、谷博士が自分の一生を賭《か》け、すべての財産をかたむけ、三十年間にわたって研究をつづけている人造生物に霊魂《れいこん》をあたえる装置であった。そしてその装置を使って最後に霊魂をあたえるには、三千万ボルトの高圧電気を、外からこの装置に供給してやらねばならなかった。
 ところが、三千万ボルトと口ではかんたんにいえるが、ほんとに三千万ボルトの高圧電気を作ることはむずかしかった。どんな発電機も変圧器も真空管も、この高圧電気を出す力はなかった。そこで最後のたのみは、雷を利用することだった。
 雷は、空中に発生する高圧電気であって、だいたい一千万ボルト程度のものが多い。しかし、時には三千万ボルトを越える高圧のものも発生すると思われる。そこで谷博士は、その偶然の大雷の高圧電気を利用する計画をたてて、この三角岳の頂上に、研究所を建てたのであった。
 博士は、そのまえに、人造生物を用意した。これは、博士が研究の結果、特別につくった人造細胞をよせあつめ、それを特別な配列にしてここに生物を作りあげたものであった。その生物は、たしかに生きていた。例のガラスの箱の中においた、ガラスの皿の上にうごめいているのが、その人造生物だった。たしかにその生物は呼吸をしている。また心臓と同じはたらきを持った内臓によって、血液を全身へ循環《じゅんかん》させている。
 まだそのほかに、人間や他の動物にはない特殊な臓器をもっていた。それは博士が「電臓《でんぞう》」と名づけているものである。この電臓は、その生物の体内にあって、強烈なる電気を発生し、またその電気を体内で放電させる。つまり特殊の電気をあつかう内臓なのだ。
 ところが、この電臓を作ることはできたが、しかし働いてくれないのだ。これを働かすには、さっきのべたとおり三千万ボルトの高圧を、電臓の中の二点間にとおすことが必要なのである。そしてそれが、この人造生物にたいする最後の仕上げなのであった。
「もし、それに成功して、電臓が動きだしたら、えらいことになるぞ」
 と、谷博士は、大きな希望によろこびの色を浮かべるとともに、一面には、測り知られない不安におびやかされて、ときどき眉《まゆ》の間にしわをよせるのだった。
 それは、もし、この電臓が働きだしたら、この人造生物は、一つの霊魂をしっかりと持つばかりではなく、その智能の力は人間よりもずっとすぐれた程度になるからだ。つまり、あの人造生物の電臓が働きだしたら、人間よりもえらい生物が、ここにできあがることになるのだ。

 超人《ちょうじん》X号![#ゴシック]

 これこそ、谷博士が、試作生物にあたえた名まえであった。
「超人X号」は、今ちょうど気をうしなって人事不省《じんじふせい》になっているようなものであった。もしこの超人に活《かつ》をいれて、彼をさますことができたとしたら、「超人X号」は、ここに始めてこの世に誕生するわけになる。
 もしこの超人を、三千万ボルトの電気によって覚醒《かくせい》させることができなかったら、それで谷博士の試作人造生物X号は、ついに失敗の作となるわけだ。
 はたして生まれるか「超人X号」!
 それとも、そのようなおそるべき生物は、ついに闇から闇へ葬《ほうむ》られるか?
 その、どっちにきまるか。
 頭上にごうごうどすんどすんと天地をゆすぶる雷鳴を聞きながら、腕組みをした悪鬼《あっき》のごとき形相《ぎょうそう》の谷博士が、まばたきもせず、ガラス箱の中の人造生物をみつめている光景のすさまじさ。さて、これからどうなるか。


   研究塔下の怪奇


 これまでに、谷博士は、このような実験に、たびたび失敗している。
 七、八、九の三カ月は、とくに雷の多く来る季節である。しかしこの雷は、いつもこの研究所の塔の上を通って落雷してくれるとはかぎらない。また、これがおあつらえ向きに、研究所の上を通ってくれるときでも、それが博士の熱望している三千万ボルトを越す超高圧の雷でない場合ばかりであった。それで、これまでの実験はことごとく失敗に終ったのだ。
「この種の実験は、気ながに待たなくてはならない。急ぐな。あせるな」
 博士は、自分自身に、そういって聞かせるのであった。それにしても、待つことのあまりに長すぎるため、博士はだんだんあせってくるのだった。
「きょうこそは。きょうこそは。三千万ボルトを越える雷よ。わが塔上に落ちよ」
 博士のとなえることばが、呪文《じゅもん》のようにひびく。
 もし待望の三千万ボルトを越える超高圧の空中電気がこの塔に落ちたら、この研究所の大広間の天井につってある二つの大きな球形《きゅうけい》の放電間隙《ほうでんかんげき》に、ぴちりと火花がとぶはずであった。
 雷鳴は、いよいよはげしくなる。
 塔は、大地震にあったように揺《ゆ》れる。
 そのときだった。
 ぴちん。ぴちぴちん。
 空気を破るするどい音。ああ、ついに火花間隙に電光がとんだ。
 いよいよ超高圧の雷雲が、塔の上へおしよせたのだ。
「今だ」
 博士は、足もとに出ているペタル式の開閉器を力いっぱい踏みつけた。
 と、その瞬間に、ガラス箱の中が、紫の色目もあざやかな光芒《こうぼう》でみたされた。皿の上の人造生物を、左右両脇より包んでいるように見える曲面盤《きょくめんばん》の無数の針の先からは、ちかちかと目に痛いほどの輝いた細い光りが出て、それが上下左右にふるえながら、皿の上の人造生物をつきさすように見えた。
 すると皿の上の例のぶよぶよした人造生物は、ぷうッとふくらみはじめた。みるみる球《きゅう》のようにふくれあがり、そしてそれが両がわの曲面盤のとがった針にふれたかと見えたとき、とつぜんぴかりと一大閃光《いちだいせんこう》が出て、この大広間を太陽のそばに追いやったほどの明かるさ、まぶしさに照らしつけた。
「あッ」
 博士は、思わず両手で目を蔽《おお》ったが、それはもうまにあわなかった。博士は一瞬間に目が見えなくなってしまった。そして異様《いよう》な痛みが博士の全長を包んだ。博士は、苦痛のうめき声とともに、その場にどんと倒れた。
 そのあとに、ものすごい破壊音《はかいおん》がつづいた。破壊音のするたびに、何物かの破片《はへん》が、博士のところへとんできた。その合間に、砂のようなものが、滝のように降ってきた。博士ははげしい苦痛に、やっとたえながら、それらのことをおぼえていた。
 だが、それはながくつづかなかった。
 まもなく、第二のかなりの大きな爆発みたいなことが室内におこり、博士のからだは嵐の中の紙片《かみきれ》のように吹きとばされ、はてはどすんと何物かに突きあたり、そのときに頭のうしろをうちつけ、うんと一声発して、気絶《きぜつ》してしまった。
 そのあとのことを、谷博士は知ることができなかった。
 博士のほかに、人が住んでいないこの研究所は、それから無人のまま放置された。しかし博士の気絶のあと、この構内ではいろいろなものが動きだして、奇妙な光景をあらわしたのであった。
 この大広間の二回にわたる爆発により、室内中には黄いろい煙がもうもうとたちこめていて、その中ではすべての物の形を見わけることができなかった。
 だが、その黄いろい煙の中で、いろいろなものが動いていることは、怪《あや》しい音響によっても察することができたし、またときどき煙の中から異様なものが姿をあらわすので、それとわかった。その中でも、もっとも奇怪をきわめたものは、何者かが発する声であった。それはだれでも一度聞いたら、もう永遠に忘れることがないだろうと思われるほどの、気味のわるいしゃがれ声であった。それは、死体となって一度土中にうずめられた人間が、その後になってとつぜん生きかえり、自分で棺桶《かんおけ》だけはやぶりはしたものの、重い墓石をもちあげかねて、泣きうらんでいるような、それはそれはいやな声だった。
「ああ、寒い、寒い。寒くて、死にそうだ」
 そのいやなしゃがれ声がつぶやいた。


   しゃがれ声の主


「おお寒む。おお寒む。どこかはいるところがないだろうか」
 しゃがれたうえに、ぶるぶるとふるえている声だった。一体だれがしゃべっているのであろうか。
「おお、見つけたぞ。あれがいい。おあつらえむきだ」
 その怪しい声が、ほっと安心の吐息《といき》をもらした。
 しばらくすると、煙の中で、かんかんと、金属をたたくような音がし、それから次には、ぎりぎりごしごしと、金属をひき切るような音がした。
「だめだ。はいれやしない」
 大きな音がして、煙の中から、鋼鉄製《こうてつせい》の首がとんできて、壁にあたり、がらがらところげまわった。そのあとから、またもう一つ、同じような鋼鉄製の首がとんできて、それは壁のやぶれ穴から、外へとびだしていって、外でにぎやかな音をたてた。
「一つぐらいは、はいりこめるのがあってもいいのに……」
 怪しい声は、ぶつぶつ不平をならべたてた。
 と、また煙の中から、黒光《くろびか》りのするものがとんできた。鋼鉄の腕だった。鋼鉄の足だった。それから鋼鉄の胴中《どうなか》だった。それらのものは、ひきつづいて、ぽんぽん放りだされた。壁にあたってはねかえるのがある。天井《てんじょう》にぶつかって、また下へどすんと落ちるものがある。つづいてまた、鋼鉄の首が、砲弾のようにとび、ごろごろところげまわる。
「あ、あった。これなら、はいれるぞ。ありがたい……」
 しゃがれ声が、ほんとにうれしそうにいった。
 がっちゃん、がっちゃん、がっちゃん。
 煙の中で、町の鍛冶屋《かじや》のような音が聞こえはじめた。かーん、かーんと鋲《びょう》をうつような音もする。つづいて、ぎりぎりぎり、ぎりぎりぎりと、ワイヤ綱《づな》が歯ぎしりをかむような音もする。
 そうこうするうちに、煙がかなりうすくなって、音をたてているものの形が、おぼろげながら分かるようになった。それは室内の煙が壁の大きな穴から、だんだんと外に出ていったためである。
 煙の中に、大きく動いている、人間の形をした者があった。
 それは谷博士ではなかった。博士は向こうの壁ぎわに、長く伸びて床の上に倒れていて、すこしも動かない。
 煙の中で動いている者は、博士よりもずっと大きな体格をもっていた。大きな円筒形《えんとうけい》の頭、がっちりした幅の広い肩、煙突《えんとつ》を二つに折ったような腕――それが、のっそりと煙の中からあらわれたところを見ると、なんとそれはグロテスクな恰好《かっこう》をした機械人間《ロボット》であった。
 鋼鉄製の機械人間が、のっそりと煙をかきわけて、陽《ひ》のさしこむ壁の大穴のところまで出て来たのだ。
 いつのまにか雷雲はさり、けろりかんと午後一時の陽がさしこんでいる。
 室内は、ますます明かるく照らしだされた。室内は、おそろしく乱れている。足の踏み場もないほど、こわれた物の破片で、いっぱいであった。
 天井に、大きな放電間隙《ほうでんかんげき》の球が二つ、前と同じ姿でぶらさがっているが、それから下へ出ていた二本の針金は、どこかへ吹きとんでしまってない。
 その下に、六本のいかめしいプッシング碍子《がいし》の台の上にのっていたガラスの箱は、碍子を残しただけで、あとかたもない。
 曲面盤《きょくめんばん》もなければ、ガラスの皿もない。そのガラスの皿の上にのっていたぶよぶよした灰色の塊《かたまり》――谷博士の作った「人造生物《じんぞうせいぶつ》」も、どこへ行ったか、見えなかった。そしてあたり一面に、ガラスや金属やコンクリートの破片が乱れ散っていた。
「ああ、あたたかくなったと思ったら、こんどは非常にねむくなった。ねむい、ねむい」
 しゃがれた声が、壁ぎわから聞こえて来た。博士がいったのではない。
「ああ、ねむい。しばらくねむることにしよう。どこか、ねむるのに、いい場所はないだろうか」
 壁の穴のそばに立っていたグロテスクな機械人間《ロボット》が、がっちゃん、がっちゃんと動きだした。するとその中から、ねむがっているしゃがれ声が聞こえたのであった。
 それは、あたかも、機械人間が魂《たましい》をもって生きていて、そのようにつぶやいているように見えた。
 怪しい機械人間だ。
 がんらい、機械人間というものは、人間からの命令を受けて、ごくかんたんな機械的な仕事をするだけの人間の形をした機械だった。この場合のように、人間と同じに、感想をのべたり、生活上のことを希望したりするのは、ふつうでは、ありえないことだった。
「どこか、いい場所がありそうなものだ。どれ、探してみようか」
 怪しい機械人間は、そういいながら、がっちゃん、がっちゃんと金属の太い足をひきずって、室の一隅《いちぐう》にあった階段を、上へと登っていった。


   博士よみがえる


 それから一時間ばかりたった後のことであった。
 登山姿に身をかためた五人の少年が、三角岳《さんかくだけ》の頂上へのぼりついた。
「やあ、すごい、すごい」
「すごいねえ、戸山《とやま》君。やっぱり、塔はくずれているよ。ほら建物もあんなに大穴があいているよ」
「ほんとだ。あのとき、塔も建物も、火の柱に包まれてしまったからね、もっとひどくやられたんだろうと思ったが、ここまで来てみると、それほどでもないね」
「いや、かなりひどく破壊《はかい》しているよ。塔なんか、半分ぐらい、どこかへとんじまっているよ。それに建物が、めちゃめちゃだ。ほら、こっちがわにも大穴があいているよ。落雷と同時に、中で爆発をおこしたものかもしれない」
「中に住んでいる人は、どうしたろうね」
「どうなったかなあ、塔や建物がこんなにひどく破壊しているんだから、中に住んでいた人たちは、もちろん死んじまったろう」
「死んじまったって。そんならたいへんだ。みんなで中へはいって、調べてみようじゃないか。そして、もしかしてだれか生きていたら、その人はきっと重傷をしているよ。ぼくたちの手で、すぐ手あてをしてやろうよ」
「うん。それがいい。じゃあ、あの建物の中にはいってみよう」
「よし。さあ行こう」
 五人の少年たちは、研究所のこわれた戸口から、中へはいっていった。
「あっ、たいへんだ。中が、めちゃめちゃにこわれているよ」
「どうしたんだろうねえ。この建物は、なにをするところなの」
「なんとか研究所というんだから、なにか研究をするんだろう」
「ここは、有名な谷博士の人造生物研究所だよ。ぼくはおとうさんから聞いて知っているんだ」
 戸山という少年がいった。戸山は、この少年団のリーダー格であった。あとの四人の少年もみんな同級生であった。きょうはいいお天気であったので、三角岳登山を試みたのであったが、途中で雷に出あい、洞穴《どうけつ》の中にとびこんで雷鳴《らいめい》のやむのを待った。そのうちに雷鳴ははげしくなり、前方に見えるここの塔の上に落雷したのを見た。
 やがて雷雲が行きすぎたので、五人の少年たちは、目的地である三角岳の頂上まで登って来ようというので、ここまで登って来たわけ。するとこの研究所の建物がひどくこわれているので、それにおどろいて、中へはいったわけであった。
「あ、人がたおれている」
「ええッ」
「あそこだよ。白い実験着を着ている人が、たおれているじゃないか。壁のきわだよ」
「ああ、たおれている」
 五人の少年たちは、谷博士を見つけた。そばへかけよってみると、博士は顔面や腕に傷をこしらえ、死んだようになっている。呼びおこしても、意識がない。戸山は、博士の鼻の穴へ手を近づけた。博士はかすかに呼吸をしているようだ。そこで彼は耳を博士の胸におしつけてみた。博士の心臓はたしかに打っている。しかし微弱《びじゃく》である。
「この人は、気をうしなっているんだよ」
 戸山は、結論をつけて、みんなに話した。
「じゃあ、活《かつ》をいれてみようか」
 井上《いのうえ》少年がいった。彼は、柔道を習っていて、活の入れかたを知っていた。
「それよりも、葡萄酒《ぶどうしゅ》をのませた方がいいんじゃないか」
 羽黒《はぐろ》少年は救護係《きゅうごがかり》であったから、自分がリュックの中に持って来ている、気つけ用の葡萄酒のことをいった。
「気をうしなっているんだから、活の方がいいよ。気がついたら、こんどは葡萄酒をのませる順番になる。井上君、ちょっと活をいれてごらん。あとの者は、みんなてつだって、この人を起こすんだ」
 四人の少年が、博士の上半身を起こした。すると井上がうしろへまわって、博士の脊骨《せぼね》をかぞえたうえで、急所をどんと突いた。
 だめだった。博士は、あいかわらず、ぐったりしたままだ。
「だめかい」
 と、みんなは心配そうに、井上にたずねた。
「まだ、分からない。もう四五へんくりかえしてみよう」
 井上は、まだ希望をすててはいなかった。えいッ。またもう一つ活をいれた。
 と、うーんと博士はうなった。そしてにわかに大きな呼吸をしはじめた。顔色が、目に見えてよくなった。顔をしかめる。痛みが博士を苦しめているらしい。
「あ、生きかえったらしいぞ」
「さあ、葡萄酒の番だ」
「よし、ぼくが、のませてやる」
 羽黒は、リュックを背中からおろして、さっそく水筒《すいとう》の中に入れている葡萄酒をとりだし、ニュウムのコップについで、博士の口の中へ流しこんだ。
 博士は、ごほんごほんとむせた。羽黒はもう二はいのませた。
「ああッ、ありがとう。どなたか知らないが、私を介抱《かいほう》してくだすって、ありがとう」
 博士は元気になって、礼をいった。その博士は、目をあいているが、手さぐりであたまをなでまわす。
「おじさんは、目が見えないのですか」
 戸山が、たずねた。
「目が見えない? そうです。今は目が見えない。さっき実験をやっているとき、目をやられて、見えなくなったのです。困った。まったく困った」
「おじさんはだれですか」
「私はこの研究所の主人《あるじ》で、谷です。君たちは少年らしいが、どうしてここへ来ましたか。いや、それよりも、もっと早く知りたい重大なことがある。この部屋は、どうなっていますか。器械や実験台などは、ちゃんとしていますか」
 谷博士の質問にたいして、少年たちは気のどくそうに、かわるがわる室内の様子を話してやった。
 博士の顔は、赤くなり、青くなりした。眉《まゆ》の間には、ふかいしわがよった。
「えッ。ガラス箱なんか、どこにも見えませんか。ガラスの皿もですか。その皿の上にのっていた灰色のぶよぶよした海綿《かいめん》のようなものも見えませんか。よく探してみてください。そのぶよぶよした海綿みたいなものを、どうか見つけてください。それが見つからないと、ああ、たいへんなことになってしまう」
「そんなものは、どこにも見えませんよ」
「ほんとですか。ああ、目が見えたら、もっとよく探すのだが……」
「そのぶよぶよした海綿みたいなものというのは、いったいなんですか」
「それは……それは、私が研究してこしらえた、ある大切な標本《ひょうほん》なのです」
「標本ですか」
「そうです。その標本は、生きているはずなんだが、ひょっとすると、死んでしまったかもしれない」
「動物ですか」
「さあ、動物といった方がいいかどうか――」
 そういっているとき、がっちゃん、がちゃんと音がして、階段の上からおりて来る者があった。
 少年たちは、その方をふりかえって、思わず「あッ」といって、逃げ腰になった。
 階段をおりて来たのは、ものすごい顔かたちをした機械人間《ロボット》であった。
「おや、機械人間が、ひとりでこっちへ歩いて来るぞ。これは奇妙《きみょう》だ」
 盲目の谷博士は、首をかしげた。博士はたくさんの機械人間を、この建物の中で使っていた。それを機械人間何号と呼んでいた。その機械人間たちは、博士が、特別のかんたんなことばをつづりあわせた命令によってのみ動くのであった。ところが今、階段から、がちゃんがちゃんと、機械人間がひとりでおりて来たので、博士は怪《あや》しんだのだ。
 その怪しい機械人間は、なぜひとりでおりて来たか。
 盲目の谷博士と、怪しい機械人間は、どんな応対をするであろうか。
 この奇怪な山頂の研究所にはいりこんだ五少年は、これからどんな運命をむかえようとするか。
 気味のわるいしゃがれ声を出す者は、いったい何者であろうか。


   少年の協力《きょうりょく》


 がっちゃん、がっちゃん、がっちゃん。異様《いよう》な顔をした機械人間《ロボット》は、階段をおりきると、谷博士と五人の少年がかたまっているところへ、金属音《きんぞくおん》の足音をひびかせながら近づいた。
 少年たちは、目を丸くして、このふしぎな機械人間の運動ぶりを見まもっている。少年たちは、科学雑誌やものがたりで、こういう機械人間のことを読んで知っていて、いつかその本物を見たいとねがっていた。ところが今、はからずもこの研究所の塔の中でお目にかかったものだから、少年たちは、ものめずらしさに機械人間の運動にすいつけられていた。
(すごいなあ!)
(よく動くねえ。人間がからだを動かすのと同じことだ。どんなしかけになっているのかしらん)
(こういう機械人間を一台買って持っていると、いろいろおもしろいことをやれるんだがなあ)
 少年たちの頭の中には、思い思いの感想がわきあがっていた。
 ところが谷博士の方は、少年たちのように明かるく機械人間《ロボット》をながめてはいなかった。もっとも博士は視力《しりょく》をうしなっているので、見えるはずはなかったが、しかし博士は、見えない目を見はり、両方の耳たぶに手をあてがって、機械人間の発する足音や、動きまわる気配《けはい》に、全身の注意力をあつめて、何事かを知ろうとあせっている様子だった。
 博士の顔は蒼白《そうはく》。ひたいには脂汗《あぶらあせ》がねっとり浮かんでいる。耳たぶのうしろにかざした博士の手が、ぶるぶるとふるえている。いや、耳たぶもふるえている。博士のからだ全体がふるえている。博士の息は、だんだんにあらくなっていく。唇がわなわなふるえる。
「……たしかに、わしの作った機械人間にちがいない。だが、ふしぎだ。何者がその機械人間を動かしているのか。制御台《せいぎょだい》のところへ行ってみれば、分かるんだが、ああ、わしは目が見えない」
 谷博士は、前に立っている機械人間を、自分の作製したものであると認めたのであった。が、それにつづいて起こった疑問は、目の見えない博士をどんなにいらだたせたかしれない。
 博士が、ものをいったので、戸山少年はわれにかえって、博士のそばに寄りそった。
「この機械人間はおじさんがこしらえたのですか。おじさんはえらい技術者なんですね」
「おお、君。わしのため力を貸してくれんか」
 博士は、戸山のほめことばに答えず、急に気がついたように少年にそういって、手さぐりで少年の肩をつかんだ。
「ああ、いいです。ぼくたち、よろこんでおじさんのために働いていいですよ。そのかわり、あとで、もっとくわしく機械人間《ロボット》の話をしてください。そしてぼくたちにも、機械人間を貸してください」
「それは、わけないことじゃが――ああ、今はそれどころではない。ただ今、わしの目の前においてふしぎなことが起こっている。そのふしぎの正体を急いでつきとめなくてはならない。君――なんという名まえかね、少年君」
「ぼくは、戸山です」
「おお、戸山君か。戸山君、わしを機械人間の制御台のところへ早くつれていってくれ。おねがいする」
「いいですとも。その制御台というものは、どこにあるのですか」
「この部屋の……この部屋の階段の右手に、奥にひっこんだ戸棚《とだな》がある。そのまん中あたりに立っている横幅《よこはば》二メートル、高さも二メートルの機械で、正面のパネルは藍色《あいいろ》に塗ってある。それが制御台だ」
「ああ、それは、めちゃめちゃにこわれています。まん中と、そのすこし上とに、砲弾《ほうだん》がぶつかったほどの大穴があいて、内部の部品や配線がめちゃくちゃになっているのが見えます。あんなにこわれていてはとても働きませんね」
「うーん、それはたいへんだ。だれがこわしたのかしら。するといよいよおかしいぞ。機械人間《ロボット》は、ひとりで上に動きだすはずはないのだ。いや、待てよ。地階《ちかい》の倉庫《そうこ》に、古い型の制御台が一つしまってあった。あれをだれかが使って、機械人間をあやつっているのかな」
「それなら地階へいってみましょうか」
「おお。すぐつれていってくれたまえ。ここから見えるはずの階段のわきから、地階へおりる階段があるから、それをおりるんだ」
「はい。分かりました。おい羽黒君、井上君。手を貸してくれ。おじさんを両方から支《ささ》えてあげるのだ。……おお、よし。おじさん、さあ歩いてください」
「ありがとう」
 一同は歩きだした。
 がっちゃん、がっちゃん、がっちゃん。
「あ、あの音は……」
 博士は、さっと顔色をかえて立ちどまる。
「おじさん。あの機械人間が、ぼくたちのうしろからついて来ますよ」
「うーむ、ふしぎだ。今まで、あれ[#「あれ」に傍点]はどこにどうしていたのかしらん」
「ぼくらの前に立って、おじさんの話をじっと聞いていたようですよ」
「なに、わたしたちの話を聞いていたというのか、あの機械人間が……」
 博士は途中でことばをのんで、少年たちに腕をとられたまま、へたへたと尻餅《しりもち》をついた。


   旧式《きゅうしき》の制御台《せいぎょだい》


 少年たちは、この谷博士が非常に神経過敏症《しんけいかびんしょう》におちいっているのだと思った。
 だから少年たちは、博士を左右から抱《だ》きあげ、いろいろとはげましてようやく博士を立ちあがらせた。
 それから一同は、また歩きだして、地階へのおり口の方へ向かった。
 機械人間は、あいかわらず、やかましい音をたてて一同のうしろからくっついて来る。
 はじめは、おもしろがっていた少年たちも、なんだか気味がわるくなってきた。
 博士は、歯をくいしばって、地階へ早くおりたいものと、足を床《ゆか》にひきずりながら進んでいく。見るもいたましい姿だった。
 階段をおりていった。
 幅のひろい階段は螺旋型《らせんけい》にぐるぐるまわっている。
 地階へおりることができた。天井の高い広間がつづいていて、各室は明るく照明されていた。しかし、さっきの爆発は、この地階にもある程度の損害をあたえていた。それは、見とおしのできる通路のところへ、部品や鉄枠《てつわく》などが、乱雑《らんざつ》に散らばっているのでそれと分かる。
 博士が心配すると思って、少年たちは、壁にぼっかりあいた穴や、こわれた戸棚《とだな》を見ても、あまり大きなおどろきの声を出さないことにした。
 目の見えない博士のいうとおりに、地階の中をあっちに歩き、こっちに歩きして、ついに探しているものの前に出ることができた。
「ああ、この機械にちがいないです。『遠距離《えんきょり》制御台RC一号』というネーム・プレートがうちつけてありますよ」
 戸山が、博士にいった。
「おお、それじゃ、で、どうじゃな、機械はこわれているかね」
「べつにこわれているようにも見えません」
「機械は動いているのかね」
「さあ、どうでしょう。機械が動いているかどうか、どこで見わけるのですか」
「パネルに赤い監視灯《かんしとう》がついていれば、機械に電気がはいっているのだ。それから計器の針を見て――」
「ちょっと待ってください。監視灯は消えています」
「消えているか。機械の中に、どこかに電灯がついていないかね」
「なんにもついていません。この機械に電気は来てないようですよ。あ! そのはずです。電源《でんけん》の線がはずされています」
「ふーん。それではこの旧式の制御台も動いていないのだ。待てよ、わしが来る前に、スイッチを切ったのかもしれん。君、戸山君。パネルに手をあててごらん。あたたかいかね、つめたいかね」
「つめたいですよ。氷のように冷《ひ》えています」
「え、つめたいか。するとこのところ、この制御台を使わなかったのだ。はてな。するといよいよわけが分からなくなったぞ。これはひょっとしたら……」
 博士は戸山の手をぐっと力を入れて握り、
「君たちは、気をつけなくてはならない。もしも何か怪《あや》しいことを見たら、すぐわしに知らせるのだよ。だが……だが、まさか、まさか……」
「なにをいっているのか、さっぱり分からない。おもしろくない。ほかの場所へいってみよう」
 気味のわるい声がひびいた。
「え、なんといった。今、ものをいったのはだれだ」
「私だ。なにか用かね」
「君はだれだ」
「私かい。私は私だが、私はいったい何者だろうかね。とにかくあっちへ行こう」
 がっちゃん、がっちゃんと、機械人間は、妙なことばを残して、奥の方へ歩みさった。
「だれだい、君は。ちょっと待ちたまえ」
「おじさん。今おじさんと話をしていたのは機械人間ですよ。奥の方へ行ってしまいました」
 戸山は、そういって、博士に教えた。
「やっぱり、そうだったか。ふーん、あんな口をきくなんて、とんでもない話だ。奥へ行ったか。それはいかん。奥には大切なものや危険なものがあるんだ。とりわけダイナマイトの箱が積んである。あれをあいつに一撃されようものなら、この研究所の塔《とう》は爆風《ばくふう》のためにすっ飛んでしまうだろう。君たち、早くわしをあいつの行った方へつれていってくれ」


   ダイナマイトの箱


 ダイナマイトの箱が積んであるという。
 それはたいへんだ。鉄の拳《こぶし》を持っている強力《ごうりき》の機械人間が、もしあやまって、そのダイナマイトの箱をぽかんと一撃したら、たちまち大爆発が起こって、建物も人間も岩盤《がんばん》さえ吹きとんでしまうであろう。
(なんだってこのおじさんは、ダイナマイトの箱なんか、たくわえているのだろう)
 と、少年たちは、へんに思いながらも、博士をたすけて、地階の奥へ連れていった。
「ああ、そこに機械人間がいます」
 井上少年が叫んだ。
「え、機械人間がいたか。なにをしている」
 博士が、見えない目を大きくひらいて、緊張《きんちょう》する。
「一生けんめいに、機械や何かを見ていますよ。あッ、箱を見つけました。たいへんだ。ダイナマイトと書いてある箱ですよ」
「ううむ。とうとう見つけたか。困った。手あらくあつかわないようにしてもらいたいものだが、……あッ、そうだ。さっきのふるい制御台を使って、あの機械人間を取りおさえてしまわねばならない。戸山君たち、さっき調べた旧式の制御台のところへ、もう一度わしを連れていってくれたまえ」
 少年たちは、博士のいうとおりにした。しかしその博士が、ますます狼狽《ろうばい》の色を見せてさわぎたてるので、だんだん心細くなってきた。ことにだれが見ても古ぼけて旧式の制御台を、博士がたよりにしているのが、少年たちを一そう心細くさせた。
 旧式の制御台のところへ博士を連れてくると、博士は目が見えないことを忘れたように、機械を手さぐりして、電源につないだり、スイッチを入れたり調整をしたりした。
「計器を見てくれたまえ。一番上に並んでいる計器の右から三番めの四角い箱型の計器を見てくれたまえ。その針は、どこを指《さ》しているか」
「百五十あたりを指していますよ」
「百五十か。すると百五十ワットだ。これだけ出力があるなら、十分に機械人間を制御できる。さあ、見ておれ。おい君、今わしが仕事をはじめる。君たちは、機械人間のところへ行って、あいつがどうなるか、見ていてくれ。あいつが、しずかに立ちどまって、死んだように動かなくなるはずだ。そうなったら、すぐわしに報告してくれ。よいか」
 そういって博士は、制御台のパネルについている一つのスイッチを入れ、それから舵輪《だりん》のような形のハンドルを握って、ぐるぐると廻しはじめた。
「どうじゃな。まだか。これでもか」
 博士は、蒼白《そうはく》な顔に、ねっとりと脂汗《あぶらあせ》をうかばせて、しきりに機械人間の制御を試《こころ》みている様子。
 がっちゃん、がっちゃん、がっちゃん。
 にぎやかな足音をたてて、奥から機械人間が出て来た。手にはダイナマイトの箱をぶらさげている。少年たちは、それを見て胆《きも》をつぶした。あぶない。いつ爆発するやら、たいへんだ。どうしたらいいのか。少年たちはおどろきのあまり、呼吸が苦しくなり、口もきけなかった。
 何も見えない谷博士ばかりは、熱心に制御台の前でハンドルを廻しつづけている。
 が、博士にも、機械人間の足音が耳にはいった。
「おや、まだとまらない。ふん、こっちへ歩いて来たな。もう機械人間はここらで停止しなければならないんだが、はてな……」
 すると、博士の耳のそばで、気味のわるい声がした。
「さっきから、からだの中が、もぞもぞとこそばゆくてならないと思ったら、君がこの旧式の制御器で、制御電波《せいぎょでんぱ》を出しているんだね」
「だれだ。そういう君は何者だ」
「私だよ。さっきも君が聞いてくれたね。わけのわからない私だよ。この足音を聞いたら、分かるだろう」
 機械人間は、がっちゃんがっちゃんと荒々しく足ぶみをしてみせたが、そのときあいている方の左手をのばしたて、がーんと制御台のパネルを叩《たた》きやぶった。
「うわーッ」
 博士はとびのいて、その場にころぶ。
「こんどはどこへ行こうか。ここはもう興味をひくものがない」
 機械人間は、笑うでもなく怒るでもなく、ひややかにそういって、ひとりずんずんと階段をのぼっていった。
 井上と羽黒の二人は、勇気をふるいおこして、怪しい機械人間のあとを追いかけた。
 怪物は、階段をあがると、例の全壊《ぜんかい》に近い大広間の壁の大穴をくぐって、外にでていった。そしてどんどんと早足になって、山道を下の方へとぶように行ってしまった。
 やがて怪人の姿は、雨あがりの木のまにかくれて見えなくなった。


   巨人《きょじん》ダム


 三角岳《さんかくだけ》をくだっていったところに、有名な巨大なダムがあった。
 このダムは、山峡《さんきょう》につくった人工の池をせきとめている。それは巨大な鉄筋《てっきん》コンクリートで築《きず》いた垣《かき》であった。水をせきとめるための巨大な壁であった。
 三角岳の大ダムと呼ばれていた。
 このダムによって、せきとめた水が、高いところから下に落ちるとき水力発電するのだった。水はこの広い山岳地帯《さんがくちたい》を縫《ぬ》って麓《ふもと》へ流れるまでに十ケ所でせきとめられ、そこに一つずつ発電所がある。つまり連続して、十ケ所で水力発電をするのだった。
 この大じかけな発電系に、水を一年中いつでも十分に送れるように、この三角岳の大ダムはものすごく多量の水をたくわえている。
 この大ダムは、日本一の巨大なものであった。しかしこのダム工事は、建設のとき非常に急がされたので、少々失敗したところがあった。そんなことがなければ、このダムは今より三割も多くの水を、たくわえることができたであろう。
 この大ダムの西の端に、一つの建物がある。ここには、ダムの水位《すいい》を測定《そくてい》する人たちが詰めている。そのほかに、ダムを見まわる監視員《かんしいん》も、この建物を足がかりとして出はいりしている。
 だが、いつもの日は、この建物の中にいるのは五六人にすぎなかった。平常《へいじょう》は、大した用事もないから大ぜいの人がいる必要はないのであった。
 きょうも測定|当直《とうちょく》の古山《ふるやま》氏ほか二人と、巡視《じゅんし》がすんで休憩中《きゅうけいちゅう》の大池《おおいけ》さんと江川《えがわ》さんの五人が、退屈《たいくつ》しきった顔で、時間のたつのを待っていた。そこへ、のっそりとはいって来た異様《いよう》な姿をした人物があった。
 それこそ、例の怪《あや》しい機械人間であった。
 がっちゃんがっちゃんの足音に、所員たちはすぐ気がついた。ふりかえってみて、相手の異様な姿に一同は胆《きも》をつぶした。
(機械人間みたいだが、どうしてここへひとりではいって来たのかしら)
 と、一同はふしぎに思いながら、気味《きみ》のわるさにすぐには声が出なかった。
 機械人間は、片手にダイナマイトの箱をぶらさげ室内をぐるぐる見まわしていたが、壁に張りつけてあるダムの断面図《だんめんず》に目をつけると、そばへ寄ってまるで生きている人間の技師のように、しげしげと図面《ずめん》に見いった。
「もしもし。君は、ことわりなしに、ここへはいって来たね。早く出ていきたまえ」
 ついに大池が勇《いさま》しく立ちあがって、機械人間のそばへ寄り、しかりつけた。
 すると機械人間は、彼の方へ、樽《たる》のように大きい首をふりむけて、
「このダムの設計は、はなはだまずいね。このへんにちょっと亀裂《きれつ》でもはいろうものなら、ダム全体がたちまちくずれてしまう。あぶない、あぶない」
 と、機械人間は、笛を吹くような気味のわるい声でこのダムの設計のまずいことを指摘《してき》した。
 すると大池が怒った。
「よしてくれ。人間でもない、へんな恰好《かっこう》をした鉄の化物《ばけもの》のくせに、人間さまのやったことにけちをつけるなんて、なまいきだぞ」
「そうだ、そうだ。分かりもしないくせに、なまいきなことをいうな。さあ、出て行け」
 江川も立って来て、機械人間をしかりとばした。
「私なら、こんな設計はしない。ここのところは、こうしなくてはならない」
 機械人間は、机の上から赤鉛筆をとると、壁にはってある設計図の上に赤線をひいて、元《もと》の設計を訂正《ていせい》していった。
「よせ。よけいなおせっかいはよして、早く出て行け。出なけりゃ外へほうりだすぞ」
 江川が機械人間の手から赤鉛筆をもぎとった。大池は機械人間を突きとばした。
 機械人間は、びくともしなかった。大池の方が腕を痛めて、痛そうにさすっていた。
「私のいうことは正しい。うそと思うなら、私について来なさい。私は、ダム建設の失敗箇所《しっぱいかしょ》へダイナマイトをあててみる。それでこのダムがひっくりかえったら、私のいったことは正しいのだ。来たまえ、諸君」
「きさまは化物であるうえに、気も変になっているんだな。いったいだれがこの機械人間をあやつっているのだろう」
「早く来たまえ。このダムはかんたんにくずされるのだ」
「はははは。何をいうんだ。おどかすな。見に行ってやることはないよ」
「ちょっと大池君。あの化物が手に持っている箱には、ダイナマイトと書いてあるぜ。本物のダイナマイトを持っているんなら、たいへんだぜ」
「なあに、よしや本物のダイナマイトであろうとも、ダムがひっくりかえるなんてことはないさ。とにかくあの化物を遠くへ追いはらう必要がある――」
 といっていたとき、とつぜん天地はくずれんばかりに振動し、それにつづいて腹の底にこたえる気味のわるいごうごうの響《ひび》き。
「おやッ」
 と大池と江川が顔を見あわせたとき、二人の少年がかけこんで来た。
「たいへんですよ。機械人間が今、ダイナマイトの箱をダムに叩きつけたんです。ダムは決潰《けっかい》して、ものすごい水が下へ大洪水《だいこうずい》のようになって落ちていきます。たいへん、たいへん。早く出て来てください」
 たいへんだ。あの怪しい機械人間は、あっさりダイナマイトをダムにぶっつけて、巨人ダムをひっくりかえしてしまったらしい。二人の所員は、その場に腰をぬかしてしまった。


   怪物《かいぶつ》の行方《ゆくえ》


「あッ、たいへんだ。早く、ふもとの村へ危険を知らせるんだ」
「どこへ一番はじめに、電話をかけますか」
「どこでも早くかけろ」
「じゃあ、第二発電所を呼びだしますか」
「だめだ。もうあのおそろしい水は、第二発電所へぶつかって、おしつぶしているだろう。南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》だ。もっと下へ電話で危険をしらせろ」
「じゃあ、どこへかけりゃいいんですか。はっきりいってください」
「おれはよく考えられないんだ。君、いいように考えて電話をかけてくれ」
「困ったなあ」
「あッ、だれか鐘をならしているぞ。そうだ。のろしをあげろ」
「もしもし、ここも危険ですよ。水に洗われて、土台にひびがはいって来ました。ぐずぐずしていると、家もろとも洪水《こうずい》の中に落ちこみます。早くにげなさい。早く、早く」
「ええッ、ほんとかい。それはたいへんだ」
「おーい、おまえさんもにげなさい。命をおとしてもいいのかい」
「にげるけれど、猫がいないから探しているんだ」
 混乱のうちに、めりめり音がして、庁舎《ちょうしゃ》がさけだした。
 このとき、最後の避難者《ひなんしゃ》がにげだした。彼が戸口から出て、ダムの破壊箇所《はかいかしょ》と反対の方向へ、二三歩走ったと思うと、庁舎は大きな音をたてて、決潰《けっかい》ダムの下のさかまく泥水《どろみず》の中へ、がらがらと落ちていった。
「ああ、助かってよかったよ。ねえ、ミイ公《こう》や」
 その最後の避難者の腕に、まっ白な猫の子がだかれていた。
 ものすごい決潰と、恐ろしい大濁流とに、人々はすっかりおびえきっていて、もっと早くしなくてはならないことを忘れていた。
、やっとそれに気がついた者があった。
「ああ、あそこに立っている。あいつだ。ダムをこんなにこわしたのは……」
 そういったのは、例の五人の少年の中のひとりである戸山君だった。彼の指さす方角に岩山があって、その岩山に腰をかけて、こっちを見おろしている怪物があった。それこそ例の機械人間であった。
「あ、あいつだ。あいつが、この大椿事《だいちんじ》をおこしたんだ。あいつを捕《とら》えろ」
「警察へ電話をかけて、犯人がここにいるからといって、早く知らせるんだ」
「だめだよ。電話どころか、庁舎も下の方へ流れていってしまった」
「おお、そうだったな。それじゃあ、みんなであの怪しいやつを追いかけよう。棒でもなんでもいいから、護身用《ごしんよう》の何かを持ってあいつを追いかけるんだ」
「よしきた。おれが叩《たた》きのめしてやる」
 おいおいそこへ集まって来た木こり[#「こり」に傍点]や炭やきや、用事があってそこを通りかかっていた村人も加わり、怪しい機械人間を追いかけていった。が、彼らはまもなく、青くなってにげかえって来た。
「ああこわかった。あれは、ただの人間じゃないじゃないか。すごい化物だ」
「もうすこしで、おれは腰をぬかすところだった。おどろいたね、みそ樽《だる》ほどもある岩を、まるでまりをなげるように、おれたちになげつけるんだからなあ。おそろしい大力だ。あんなものがあたりや、こっちのからだは、いちご[#「いちご」に傍点]をつぶしたように、おしまいになる」
「なんだい、あの化物の正体《しょうたい》は」
「さあ、なんだろうなあ。まっ黒だから、お不動《ふどう》さまの生まれかわりのようだが、お不動さまなら、まさか人間を殺そうとはなさるまい。あれは黒い鬼《おに》のようなものだ」
「黒鬼《くろおに》か。赤鬼や青鬼の話は聞いたことがあるが、黒鬼にお目にかかったのは、今がはじめてだ。しかし、待てよ。鬼にしては、あいつは角《つの》が生《は》えていなかったようだぞ」
「いや、生えていたよ、たしかに……」
 村人たちのさわぎは、だんだん大きくなっていく。
 そのうちに、ふもとの村から、特別にえらんだ警官隊がのりこんで来た。この警官たちはこわれたダムの警戒にあたるつもりで来たが、犯人が意外なる大力無双《だいりきむそう》の怪物であると分かり、それから山中に出没《しゅつぼつ》するという報告を受けたので、「それでは」と怪物狩《かいぶつが》りの方へ、大部分の警官が動きだした。
 もちろん、とてもそれだけの人数の警官ではたりそうもないので、ふもと村へ応援隊をすこしも早くよこしてくれるように申しいれた。
 山狩《やまが》りは、ますます大がかりになっていった。しかしかんじんの怪しい機械人間は、どこへ行ったものか、その夜の閣《やみ》とともに姿を消してしまった。


   柿《かき》ガ岡病院《おかびょういん》


 目が見えなくなったうえに、怪しい機械人間の出現《しゅつげん》で、すっかり神経をいためてしまった谷博士は、五人の少年の協力によって、警察署の保護をうけることになった。
 三日ほどすると、すこし博士の気もしずまったので、かけつけた博士の友人たちのすすめもあって、博士は東京へ行くことになった。東京へいって、入院をして、目と神経《しんけい》とをなおすことになったのだ。
「わしの東京行きは、ぜったい秘密にしてくれたまえ。そうでないと、わしはこのうえ、どんな目にあうかもしれない。殺されるかもしれないのだ」
 と、博士はひとりで恐怖《きょうふ》していた。
 友人たちは、博士に、そのわけをたずねてみたが、博士はそのわけをしゃべらなかった。
「今は聞いてくれるな。しかし、わしは根《ね》も葉《は》もないことをおそれているのではない。わしを信じてくれ。そしてわしを完全に保護してくれたまえ」
 博士は、からだをぶるぶるふるわせながら、そういって、同じことをくりかえし、いうのであった。友人たちもそれ以上、この病人からわけを聞きただすことをさしひかえた。
 こうして博士は、東京の西郊《せいこう》にある柿ガ岡病院にはいった。ここは多摩川《たまがわ》に近い丘の上にあるしずかな病院であった。この病院は、土地が療養《りょうよう》にたいへんいい場所であるうえに、すぐれた物理療法《ぶつりりょうほう》の機械があって、東京において、もっとも進歩した病院の一つであった。
 院長は大宮山博士《おおみややまはかせ》だった。
 谷博士は、じつは大宮山博士をいつも攻撃していたし、大宮山博士もまた、谷博士には反対の態度をとっていた。ただし、それは学問の上のことだけであって、友人と友人とのあいだがらは、たいへんおだやかであり、たがいの人格も信用していた。だから、谷博士は、自分の視力《しりょく》がやられ、神経もいたんでいるとさとると、みずからすすんで大宮山博士が院長になって経営しているこの柿ガ岡病院にはいる決心をしたのであった。知らない人は、ふしぎなことに思ったにちがいない。
 院長たちの手あつい治療によって、谷博士はだんだん快方《かいほう》に向かった。
 しかしよくなるのは神経病の方だけであって、視力の方はまだ一向はっきりしなかった。博士はいつも繃帯《ほうたい》でもって、両の目をぐるぐる巻いていた。
「ぼくの目は、もうだめかね」
 谷博士がたずねたことがある。
「いや、だめだとはきまっておらん。今の療法をもうすこしつづけたい。それが、効果がないとはっきり分かったら、また別の方法でやってみる」
「いよいよ目がだめなら、ぼくは人工眼《じんこうがん》をいれてみるつもりだ」
「人工眼か? 君の発明したものだね。まあ、それはずっと後のことにしてくれ。君はぼくの病院の患者なんだから、よけいな気をつかわないで、ぼくたちに治療《ちりょう》をまかしておいてくれるといい」
「うん、それは分かっているんだ」
 谷博士は、そのあとでしばらく口をもごもごさせて、いいにくそうにしていたが、やがて低い声でつぶやいた。
「……あの恐ろしいやつの存在を、一日も早くつきとめたいのだ。ぐずぐずしていると、こっちが目が見えないのにつけこんで、あの恐ろしいやつが、わしを殺してしまうかもしれない」
 この低きつぶやきの声も、院長たちの耳に聞こえた。院長は、聞こえても、聞こえないふりをしていた。それは谷博士の神経病がまだ完全によくなっていないと思ったからだ。病気から出ている恐怖心《きょうふしん》だと思っていたのだ。
 院長の考えが正しいのか、それとも谷博士の戦慄《せんりつ》にほんとの根拠《こんきょ》があるのか。
 その谷博士のところへ、ある日曜日の朝、にぎやかな面会人が来た。それは、例の五人の少年たちであった。
 院長から許可が出たので、面会人の少年たちは、一人の看護婦にみちびかれて、谷博士がやすんでいる丘の上へ行った。博士は車のついた籐椅子《とういす》に乗って、すずしい木かげでやすんでいた。附添《つきそい》の看護婦が、博士のために、本を読んでいたようだ。少年たちは、繃帯を目のまわりに鉢巻《はちま》きのようにして巻いた、いたいたしい博士のまわりにあつまり、かわるがわるなぐさめのことばをのべた。
 博士はたいへんよろこんで、いちいち少年の手をにぎって振った。
 看護婦が少年たちに博士のことを頼んで向こうへ行ってしまうと、博士はあたりをはばかるような声で、少年たちにたずねた。
「もう例の事件がおこってから十三日めになるが、犯人はつかまったかね」
「いえ、まだです」
「いま、どこにいるんだか、分かっているの」
「国境《くにざかい》あたりまでは、追っていったんですが、そこで見うしなって、そのあと、どこへ行ったか、あの怪しい機械人間の行方は分からないのだそうです」
「それは困ったな。すると、ゆだんはならないぞ」
「ぼくたちも、なんとかしてあの怪物をつかまえたいと思って、五人集まって探偵をしているんですが、まだなんの手がかりもないです」
「それはけっこうなことだが、諸君はあの怪物とたたかうのはやめなさい。たいへん危険だからね」
「危険はかくごしています。とにかくあんな悪いやつは、そのままにしておけませんからねえ」
「だが、君たちは、とてもあの怪物とは太刀《たち》うちができないだろう。いや、君たち少年ばかりではない。どんなかしこい大人でも、あれには手こずるだろう。もしもわしの予感があたっていれば、あれは、超人間《ちょうにんげん》なんだ。超人間、つまり人間よりもずっとかしこい生物《せいぶつ》なのだ。わしは、あれのために、ひそかに名まえを用意しておいた。“超人間X号”というのがその名まえだ。超人間だから、君たちがいく人かかっていっても、あべこべにやっつけられる。だから、手をひいたがいい」
 博士は、あの怪物が、どうやら超人間X号であるらしいことをものがたり、そして話したあとで、ぞッと身ぶるいした。
 五人の少年たちも、この話を聞いて、急に不安な気持ちになった。


   死刑台《しけいだい》の怪影《かいえい》


「先生。その超人間X号というのは、いったい何者かんですか、どうしてそんな怪物が、この世の中にすんでいるのですか」
 戸山少年は、谷博士にたずねた。
「じつは、超人間X号をこしらえたのは、わしなんだ。わしが研究所で作りあげた人工の生物なんだ。それは電気臓器《でんきぞうき》を中心にして生きている、半斤《はんぎん》のパンほどの大きさのものなんだ。この電気臓器をつくることについて、わしは長いあいだ研究をかさねた。そして完成したのは、この春のことだった。あらゆる高等生物は、親のからだから生まれてくるが、超人間X号は、わしの手で作ったのだ。ちょうどラジオの受信機を組みたてるようにね。分かるね、わしの話が……」
 博士のことばに、少年たちはたがいに顔を見あわせた。分かるようでもあり、あまりふしぎで、よく分かりかねるところもあった。そのことを博士にいうと、博士はうなずき、
「そうであろう。わしの話は、よほどの専門家にも分かりかねるところがあるんだ。だから君たちにも分からないのはむりでない。しかし、わしが生物を人造《じんそう》することに成功したということを、まず信じてくれれば、これで話の要点は分かったことになるんだ」と、博士は熱心に語った。
「さて、わしは、金属材料《きんぞくざいりょう》ではなく、人工細胞《じんこうさいぼう》を使って、電気臓器を作りあげた。これは脳髄《のうずい》だ。その他のあらゆる臓器を一つところに集め、そして人間の臓器よりもずっとよく働くように設計してある。それはうまくできあがった。しかし困ったことに、それは生きてはいたが、まるで気絶《きぜつ》している人間同様に、意識というものがなかった。それでは困る。せっかく作った電臓《てんぞう》が、いつまでも気絶状態をつづけていては役に立たない。そこで、どうしたら、この電臓の意識を呼びさますことができるか、それを考えたのだ。分かるかね、ここらの話が……」
 博士は、見えない顔を左右に動かして、少年たちの様子をうかがうのであった。
「ぼんやり分かりますよ」
 少年は、正直《しょうじき》に返答した。
「ほう。ぼんやりでも、分かってくれると、わしはうれしい。……そこでわしは、電臓に意識をつけるために電撃《でんげき》をあたえた。三角岳《さんかくだけ》へおしよせてくる大雷雲《だいらいうん》を利用して、あの電臓へ、つよい電気の刺戟《しげき》を加えたんだ。これが成功するか失敗するか、どっちとも分かっていなかった。しかしわしは、大胆《だいたん》にその実験をやってのけたのだ」
 博士のことばは、だんだん熱して来た。
「ところが、意外にも、研究所の中に大爆発《だいばくはつ》が起こった。ひどい爆発だった。まったく予期《よき》しない爆発だ。わしは一大閃光《いちだいせんこう》のために、いきなり目をやられた。わしの脳は、千万本の針をつっこまれたように、きりきりきりと痛んだ。ああ……ううーむ」
 ここまで語って来た博士は、いきなりその場にもだえて、椅子から下へころがり落ちた。
 さあ、たいへんである。少年たちは、博士を助けおこす組と、医局へ走る組とに分かれて一生けんめいにやった。
 大宮山院長がかけつけて、博士を担架《たんか》でしずかに病室へ移すよう命じた。そして当分のうち絶対《ぜったい》に面会謝絶《めんかいしゃぜつ》を申しわたした。
 少年たちは、だからもうそれ以上博士から奇怪《きかい》な超人間X号の話を聞くことができなかった。そして割りきれない胸をいだいて、病院を引きあげたのであった。
 いよいよ怪《あや》しいかぎりの超人間X号は、今いずこにひそんでいるのだろうか。ダム爆破《ばくは》以来、ここに十三日になるが、彼の所在《しょざい》はさっぱり知られていないのだった。
 ところが、その日の夜、三角岳の南方四十キロばかりの地点にある九鬼刑務所《くきけいむしょ》で、死刑執行中《しけいしっこうちゅう》に、怪しい影がさしたという事件があった。
 死刑は絞首台《こうしゅだい》を使うことになっていた。
 死刑囚は、毒殺《どくさつ》で八人を殺したという罪状《ざいじょう》を持つ火辻軍平《ひつじぐんぺい》という三十歳の男であった。
 この死刑に立ちあった者は、三人であった、一人は執行官、もう一人はその下でじっさいの仕事、つまり死刑囚の首に綱《つな》をかけたり、死んだあとは死骸《しがい》をひきおろしたりする執行補助官、もう一人は教誨師《きょうかいし》であった。
 すでに用意は終り、死刑囚火辻は絞首台の上にのぼり、補助官によって首に綱の輪がかけられていた。それに向かって、十メートルはなれて、執行官と教誨師が並んで所定の席についていた。おりから東の空からのぼりはじめた月が明かるく、この死刑場を照らした。塀《へい》のそとにすだく虫の声も悲しく、凄惨《せいさん》な光景であった。
 立ちあいの執行官は時計を見ながら、命令の時間になるのをまっていた。もう残すところ一分あまりであった。
 執行官は、さっきから補助官の姿が見えないので、どこにいるのかと軽い疑問を持っていた。死刑の時刻は、あと三十秒ほどにせまった。
 そのときであった。目かくしされ首に綱をつけ、しずかに塀をうしろにして、立っている死刑囚のそのうしろの塀に横あいから近づく一つの人影《ひとかげ》をうつした。
「あッ、あの人影は……」
 教誨師が、低い声で叫んだ。


   阿弥陀堂《あみだどう》


 執行官もその人影を見た。頭部のたいへん大きな、肩はばの広い、大きな人影であった。
(だれだろう、死刑囚のそばへ近づくのは)
 執行官は迷った。死刑執行をすこし待って、あの怪影をしらべ、もしも、死刑に関係のない者だったら、追っぱらうべきであろうか。それとも、このまま死刑を執行してしまうべきであろうか。
 それにしても、補助官は、どこになにをしているのであろうか。
 執行官は、やっぱり時刻が来たときに死刑を執行した。彼が、死刑囚の足をささえている台をはずしたのである。その瞬間、死刑囚のからだはすうーッと下に落ち、そして途中でとまって、ぶらんとさがった。
 怪影はそれまで見えていたが、死刑と同時に、ぱッとうしろへさがって、小屋のかげに消えた。
 それからあとは何事もなかった。
 絞首にきめられてある時間がたった。
 執行官は、手はずのとおり、死刑囚の死体をおろすように信号を送った。
 すると宙ぶらりんになっていた死体は、すーッと下へおりていって、やがて穴の中に見えなくなってしまった。
(なあんだ、補助官は、やっぱり死刑台の地下室に待っていたのか)
 執行官は安心した。
 執行官と教誨師《きょうかいし》は、そこで顔を見あわせたが、さっき死刑囚に近づいた奇妙な影については、どっちも何にもいわなかった。そんなことをいうと、いかにも自分が死刑執行に立ちあって、心をみだしているように、相手に思われるのがいやだったからである。
 二人は、連れだって、死刑台の下の地下室へおりていった。
 そこにはいつものとおり、補助官が死んだ死刑囚の首から、絞首綱をはずしていた。
「大丈夫かね」
 執行官は、補助官に声をかけた。
「はい。うまくいきました。異状なしです」
 と、補助官はまったくふだんの調子でこたえた。何か異状か、怪しい人物を見かけたことでも訴《うった》えられるつもりでいた執行官はひょうしぬけがした。
「君は、さっきこの死刑囚のそばへ行ったのか。いや、まだぼくが、死刑囚の足の台をひかない前のことだ」
「いいえ。私は上の準備をすると、ここへおりまして、今までずっとここにいました」
「ええッ。ずっと君はここにいたのか」
 執行官はおどろいて、なにげなく教誨師の方をふりかえった。と、そこで教誨師の不安な目とかちあった。教誨師は、小首をかしげて見せた。
「おかしいね。たしかに死刑囚の横あいから一つの人影が近づいたんだ。死刑執行のすぐまえのことだった。そうだねえ、君」
 そういって執行官は、教誨師の同意をもとめた。
「そうでした。頭のいやにでっかいやつの影でした。私は、地獄から、閻魔《えんま》の使者《ししゃ》として大入道が迎えに来たのかと思いました」
「ははは、なにをいうですか、おどかしっこなしですよ」
 補助官は、二人にかつがれているんだと思って、笑ってしまった。
 とにかくその場は、それで一まずおさまった。執行官たちは念のために構内《こうない》を見まわったが、べつに怪しい者を見かけなかったから。もっとも夜もふけていたし、死刑執行もすんだことゆえ、みんな早くその場を引きあげたくて、気がいそいだせいもあろう。
 そこで死刑となった火辻軍平の死体は、棺桶《かんおけ》におさめられたのち、そこから遠くないところにある阿弥陀堂へ、はこびいれられた。
 この阿弥陀堂は、やはり塀ぎわに建っている独立のかんたんな堂であって、お寺のお堂のような形はしていなかった。しかし中にはいってみると、お寺の本堂そっくりだった。奥の正面には、西をうしろにして木像の阿弥陀如来《あみだにょらい》が立っており、その前に、にぎやかな仏壇《ぶつだん》がこしらえてあった。電灯を利用したみあかしが、古ぼけた銀紙製《ぎんがみせい》の蓮《はす》の造花を照らしていた。線香立《せんこうたて》や焼香台《しょうこうだい》もあった。
 火辻軍平のなきがらのはいった棺桶は、この前にはこびこまれ、北向きに安置《あんち》された。それから太い線香に火が点ぜられ、教誨師が焼香し、鉦《かね》をたたき、読経《どきょう》した。この儀式はまもなく終り、一同はこの阿弥陀堂から退出した。
 あとは阿弥陀さまと棺桶ばかりとなった。夜はいたくふけ、あたりはいよいよしずかになり、ただ一つの生命があるかのように燃えていた線香も、ついに最後の白い煙をゆうゆうと立てると、灰がぽとりとくずれ、消えてしまった。こうして堂の中は死の世界と化した……。
 めりめりッ。とつぜん仏壇の横手の鉄格子《てつごうし》が、外からむしりとられた。太いまっ黒な手が、外から窓へさしいれられた。人間の腕ではない。くろがねの巨手《きょしゅ》だ。
 と思うまもなく、醤油樽《しょうゆだる》ほどある機械人間《ロボット》の首がぬっと窓からはいって来た。そしてするすると阿弥陀堂の中へとびこんだ。ああ、あいつだ。例の、怪しい機械人間だ。ダムを破壊した恐ろしい機械人間だった。
 なぜあいつは、とつぜんこんなところへ姿をあらわしたのか。
 怪物は、電灯を消し、室内をまっ暗にした。その暗がりの中に、めりめりと、板のはがれる音がした。それにつづいて、なんだか知らないが、かちゃかちゃと、金具《かなぐ》のふれあう音がした。ときには、ぱっと火花が一瞬間、室内を明かるくすることがあった。そのとき、ほんの一目であったが、室内のありさまが見られた。
 それは異様な光景だった。かの機械人間が、仏壇の方へ前かがみになって、何かしているのだった。壇の上には青白い人間のようなものが横たわっていた。棺桶は片隅《かたすみ》によせられ、蓋《ふた》があいているようであった。それから小一時間のちのこと、ぱっと電灯がついた。ゆれる電灯の灯影《ほかげ》にうつったものは、世にも奇妙な光景だった。
 頭部に、まっ白な繃帯《ほうたい》をぐるぐる巻つけた人間と、黒光りの巨大な機械人間とがからみあっていた。そして両者は、例の破られた窓のところへ近づいたと思うと身軽《みがる》にそれにとびつき、すばやく外へ出てしまったのであった。あとに残るは、あらされたる仏壇と、死体のなくなって空っぽになった棺桶だけであった。火辻軍平の死体は、どこにあるのだろう。まことに奇々怪々《ききかいかい》なる事件!


   犯人は何者か


 火辻の死体が紛失《ふんしつ》したことは、その夜のうちに知れわたり、さっそくこの怪事件の捜査《そうさ》がはじまったが、その解決はなかなか困難だった。
 読者諸君は、この犯人なるものの正体を、だいたい察しておられる。しかし当局にはそれがなかなか分からなかった。
 分かっていることは、犯人が大力《だいりき》であることだ。そうでなくては、あの丈夫《じょうぶ》な鉄格子のはいった窓をやぶることはできない。
 そのほかに何もはっきりした証拠《しょうこ》はない。犯人の足あとを見つけようと思って、ずいぶん探したのであるけれど、それは発見されなかった。もっとも刑務所内は、どこもかしこも舗装《ほそう》されていて、足あとがつかないようにできていたし、塀の外もまた舗装の道路だから、足あとはのこらなかった。
 事務所の高い監視塔《かんしとう》にいつも見張りをしていて、脱獄者《だつごくしゃ》があれば、すぐ見つけるようになっている監視員がいる。この監視員も犯人らしいものが、この事務所から脱出していくところを見かけなかった。
 監視員の目にふれないで、脱獄することはできない仕事だ。だから犯人はどうして出てしまったのか。あるいはまだ所内にかくれているのではないかと、念入りの捜査が行われた。
 その結果、やっと分かったことは、絞首台の下に、死刑囚の死体がおりてくを地下室があるが、その地下室の板壁《いたかべ》の一部がぶらぶらしており、怪しく思ってその板壁のうしろをのぞいてみたところ、そこは、がらんどうになっていた。つまり狭《せま》い地下道みたいなものがあったのだ。それがどこへつづいているのかと、奥へすすんでいくと、やがて地上へ出た。まっくらな場所であるが、たしかに家の中だ。はいあがってよく見れば、なんのこと、それは農家《のうか》の物置《ものおき》だった。その農家の物置は、刑務所から道路をへだてた場所に建っていた。
 この抜け道から、犯人は事務所へ出はいりしたことが分かった。
 だが、農家でも、こんな抜け道がいつ掘られたのか、だれも知らなかった。それはほんとうと思われた。とにかく犯人がうまくこの抜け道を掘ったのであろう。
 犯人は、頭のいいやつにちがいない。事務所の内部で、あまり人の立ちいりがはげしくないところをうまく利用したのだ。死刑は毎日あるわけではない。一年に何回しかないのである。犯人は、そこに目をつけたものと思われる。また、地下道にはやわらかい土がむきだしになっていたので、犯人の足あとは、たくさん残っているものと思われたが、調べた結果は、一つも発見することができなかった。犯人は、そこを引きあげるとき、うしろ向きになって、完全に足あとを消していったのだ。
 こういうわけで、犯人は何一つ目ぼしい証拠を残していなかった。何も証拠を残していかないということが、犯人の素性《すじょう》を推理するただ一つの手がかりだと思えた。
 いやもう一つ、推理のタネがある。それは火辻の死体を盗んでいったのはなぜかという疑問だ。火辻の遺族の者であろうか。それとも、遺族ではなく、あの火辻の死体が入用であるために盗んだのか。
 このことは、すぐには結論をきめるわけにいかなかった。死刑囚火辻軍平の身のまわりをひろく調べあげたうえでなくては分からないことであった。係官は、もちろんこの仕事をその日からはじめた。だがこれは、日数のかかる大仕事であった。
 そこで、今のところ、この犯罪事件についてすぐ手をくだす必要がある捜査は、火辻の死体を探しだすこと、犯人らしい怪しい者を見つけることだった。
 ところが、紛失した火辻の死体は、どこへ持っていったのか、いつまでたっても発見されなかった。また、手とか足とか、その死体の一部分さえ、どこからも見いだすことができなかったのである。
「どうしているかなあ、このごろの警察は……。迷宮入《めいきゅうい》り事件ばかりじゃないか」
 町では、警察の無能《むのう》を非難《ひなん》する声が、日ましにふえて来た。
 戸山君たち五少年も残念がって、土曜日や日曜日になると、警視庁へ様子を聞きにいった。少年たちは、ダムこわしの機械人間の行方を早くつきとめて取りおさえないと、これから先、たいへんな事件が起こるであろうと心配しているのだった。しかし五少年は、火辻の死体紛失事件の方の重要性には、まだ気がついていないようであった。
 だが、やがてそのことについて五少年がびっくりさせられる日が近づきつつあるのであった。


   帰ってきた博士


 死刑囚の死体紛失事件があってから、二カ月ばかりたった後のことである。
 三角岳附近《さんかくだけふきん》は、急に秋もふかくなった。附近の山々は、早くも衣がえにうつり、今までの緑一色の着物を、明かるい黄ばんだ色や目のさめるような赤い色でいろどった美しい模様のものに変えはじめた。
 そのころのある日。
 とつぜん谷博士が、この研究所へ戻って来た。
 もちろんこの三角岳の研究所は、すぐる日の大爆発でなかば崩壊《ほうかい》し、それにつづいて怪《あや》しい機械人間のさわぎでもって、この研究所はいよいよ気味のわるい危険なものあつかいされ、村人たちもだれ一人ここには近づかず、雨風にさらされ、荒れるにまかされていたのであった。
 ただ、この方面の登山者たちの目に、谷研究所の半崩壊の塔《とう》が、怪しくうつらないではすまなかった。
「あのすごい塔は、どうしたんだね」
「へえ、あれは谷博士さまの研究所でございましたがね。なんでも雷《かみなり》さまを塔の上へ呼ぶちゅう無茶《むちゃ》な実験をなさっているうちに、ほんとに雷さまががらがらぴしゃんと落ちて、天にとどくような火柱《ひばしら》が立ちましたでな、それをまあ、ようやく消しとめて、あれだけ塔の形が残ったでがす。博士さまの方は、目が見えなくなって、それから後はどうなったことやら。おっ死んでしまったといううわさもあるが、いやはやとんでもねえことで、そもそも雷さまなんかにかかりあうのが、まちがいのもとでがす」
 山の案内人は、こんなふうに説明するのであった。
「それはすごい話だ。時間があれば、ちょっとよって見物したいが、あいにく行く余裕がない。せめてあのすごい塔を、カメラへおさめていこう」
 と、写真機を塔へ向ける。
「よし、君が写真をとるあいだ、ぼくは、双眼鏡《そうがんきょう》でちょっくら見物しよう」
 一人は八倍の双眼鏡を目にあてて、塔に焦点《しょうてん》をあわせる。
「ほほう、双眼鏡で見ると、いよいよすごい塔だ。……おや、あの塔にだれかいるね。人間がひとり、塔の中を歩いているよ」
 双眼鏡の男が、そういう。すると案内人がぴくんと肩をふるわせた。
「だんな、ほんとうですかい。ほんとに人間があの塔の中にいますか」
「いるとも。ちゃんと見える」
「はて、何者かしらん。このあたりの衆《しゅう》はだれひとり近づかないはず。だんな、その人はどんな姿をしていますか」
「ちゃんと服を着ているよ。頭のところに白い布で鉢巻《はちま》きをしている。鉢巻きではなくて繃帯《ほうたい》かもしれんが……。ちょいと君、これで見てごらん」
 そこで案内人は、双眼鏡を貸してもらって目にあてた。ようやく視野《しや》に、その疑問の人物がはいって来た。
「やあ、あれは谷博士さまだ。博士さまは、ご無事だったのけえ」
「幽霊《ゆうれい》かもしれんよ」
「待った、だんな。このお山の中で幽霊なんていっちゃならねえ。お山が、けがれますからね」
「でも、君が塔の中の人を見て、あまりふしぎがっているからさ」
「いや、博士さまにまちがいはねえ。これは土産ばなしができたわ」
 たしかにその人物は、ほんとに生きている人間であって、幽霊ではなかった。
 谷博士さまが研究所の中を歩いていなさった――というニュースは、たちまちそのあたりの村々へ伝わった。
「博士さまは、これからどうするつもりかの」
「金になるものは売って金にかえ、三角岳から引きあげるのじゃなかろうか。あんなにこわれては、直しようもないからねえ」
「もう、それに、こんどというこんどは、雷さまの天罰《てんばつ》にこりなさったろう」
 村人たちがそんなうわさをしているとき、谷博士が村へひょっくり姿をあらわしたので、みんなびっくり仰天《ぎょうてん》。
「みなさん、しばらくごぶさたをしました。あのときはたいへん心配をかけて、すまんことじゃった。こんどは一つみなさんにお礼をしたいと思って、研究所へ帰って来ましたから、どうぞよろしく」
 博士は繃帯を巻いている頭をさげた。
「まあまあ、博士さま、なにをおっしゃいます。そんなごていねいな挨拶《あいさつ》じゃ、みんなおそれいります。あのときは大してお役にもたてず、すみませんでした」
「いや、それどころじゃない。えらいことみなさんにごめいわくをかけました。ところでこんどわしは雷《らい》を使う研究はぷっつりやめて、あの研究所からべんりな機械を製造しますわい。そこで職工《しょっこう》さんを二十名と雑役《ざつえき》さんを十名|雇《やと》いたいのじゃ。給料は思いきって出しますから、希望の人は、どんどんわしのところへ申しでてくだされ。その製造事業がさかんになると、しぜんこのへんの村々へも大きな金が流れこむことになりますわい。ぜひとも力を貸してくだされや」
 博士は、そういって、みんなに協力を頼んだ。


   機械人間《ロボット》の生産


 博士が、こんど製造工場を起こすについて人を雇うからどうぞ来てくださいと頼んだのは、一カ村ではなく、そのあたり四里四方の全部の村々であった。
 昔の博士を知っている者の中には、めんくらった者がすくなくない。というのは、博士はその昔、研究所長として、はなはだ横柄《おうへい》であった。たまに博士と行きあって、こっちからあいさつの声をかけても、博士はじろりと、けわしい目を一度だけ相手に向けるだけで、礼をかえしもしなかった。
 じろりと見られるのは、まだいい方で時には博士はまったく知らぬ顔で行きすぎることさえあった。だから村人は、博士のえらいことを尊敬していても、博士をしたう心を持つ者はいなかった。
 学者という者は、こんなにごうまんなものであって、農夫《のうふ》や炭焼《すみや》きなどを相手にしないものだと、昔からのいいつたえで、そう思っていたのだ。
 ところが、こんど博士は、いやに腰がひくくなった。だから、昔を知っている者たちはおどろいたのである。おどろいて、顔を見あわせた。ものはいわなかったけれど、目つきでもって、村人はおたがいにいいたいことを察《さっ》した。
(博士さまは、えらくかわったでねえか。えらく腰がひくくなっただ)
(ほんに、そのことだ。どうしたわけだんべ)
(ああ、分かった。このまえ、ほら、あの研究所の塔《とう》さ、雷《かみなり》さまのためにぶっこわされてから、心がけがすっかりかわって、やさしくなったんだろう)
 村人は、そのくらいのことを考え、その先を考えなかった。なぜ博士が急にこう物腰《ものごし》がひくくなったかについて、もっと深く考えることをしなかったのだ。素朴《そぼく》な村人たちは、博士が自分たちを友だちのように、したしげに話しかけてくれることにたいへん満足をおぼえた。そのうえに、こんど博士が、大きな金もうけをさせてくれるといったのにたいし、好感《こうかん》をよせたのだ。村人は、博士をとりまいて、遠慮《えんりょ》のない話をとりかわした。
「博士さまは、この夏の爆発のとき、目が見えなくなったちゅうこんだが、今はどうでがす。よく見えなさるかの」
 博士は、ぎくりとして、両手で自分の両眼をおさえた。
「おお、そのことだ。……いや、心配をかけたが、わしの目も今はすっかり直《なお》って、よく見えるようになった。安心してください」
「それはけっこうなこと。目が不自由だと、一番つらいからの」
「そうじゃ、そうじゃ」
 博士はうなずいた。
「博士さまの、その頭の鉢巻《はちま》きは、どうしたのけえ」
「作十《さくじゅう》よ。おまえ、ものを知らねえな。博士さまが頭に巻いているのは鉢巻きではない。あれは繃帯《ほうたい》ちゅうものだ」
「繃帯ぐらい、わしは知っているよ。繃帯のことを略《りゃく》して鉢巻きというんじゃ」
「強情《ごうじょう》だの、おまえは」
「博士さま、その頭の繃帯は、どうしなすったのじゃ」
 それにたいして、博士は次のように答えた。
「この繃帯は、じつは悪性の腫物《はれもの》ができたので、そこへ膏薬《こうやく》をつけて、この繃帯で巻いているのです。悪いおできのことだから、いつまでも直らなくて、わしも困っていますわい」
「そんなところへできるできものは、ほんとにたちがよくないから、くれぐれも気をつけなされや。そうだ。ふもと村の慈行院《じぎょういん》へいって、お灸《きゅう》をすえてもらうと、きっと直る」
「うんにゃ、それよりも鎮守《ちんじゅ》さまのうしろに住んでいる巫女《みこ》の大多羅尊《だいだらそん》さまに頼んで、博士さまについている神様をよびだして、その神様に“早う、おできを直すよう、とりはからえ”と頼んでもらう方が、仕事が早いよ」
「いや、みなさんのご親切はうれしいが、わしは十分の手あてをしているから、ご心配はいらん。それでは、雇人《やといにん》のことを頼みまするぞ」
 そういって博士は、帰っていった。
 博士の希望したとおりの雇人の人数は、まもなくそろった。
「わしは職工《しょっこう》の仕事なんか、生まれてはじめてじゃが、それでも雇ってくれるかな」
「わしも職工というがらではないが、ええのかね」
「いや、けっこう。みなさん、けっこう。みんな雇います」
 博士は、まず塔の壁を修理し、雨のはいらないようにした。それから地下室から、いろいろな工作機械るいを上へはこばせて、仕事のしよいように並べた。
 それから素人職工《しろうとしょっこう》たちにたいし、博士は工作機械の使いかたをおしえた。
 山の中の、まったく素人の農夫や炭焼きだった人たちが、博士の指導によって短い期間のうちにびっくりするほどりっぱな職工になった。
「うれしいなあ。わしは、こんなりっぱな機械を使いこなせるようになった」
「わしもうれしいよ。とにかくふしぎな気がする。わしは生まれつき不器用《ぶきよう》で、死んだ父親からさんざんと叱《しか》られたもんじゃったがのう」
「なんだかしらんが、なにかがわしにのりうつって、うまく作業をこなしていってくれるような気がしてならん。わしの力だけとは、どうしても思われんな」
「おれも、そういう気がする」
「ばかをいえ。そんなことがあってたまるか。やっぱりおれたちの技術者としての腕があったんだ」
 この会話の中には、なぞのことばが、ところどころ頭を出していた。そのなぞが持つ秘密が、やがてとける日が来たとき、この素人職工たちはびっくり仰天《ぎょうてん》しなくてはならなかった。
 それはとにかく、谷博士が新しくつくったこの山の中の製造工場からは、まもなくりっぱな製品がどんどん出るようになった。その製品は、なんであっただろうか。
 それは機械人間《ロボット》であった。
「仕事をやらせるにべんりな機械人間をお買いなさい。畑の仕事でも、遠いところからの水くみでも、なんでもやります。しかも、人間の十人分は働きます。一台わずか五千円。二百円ずつの月賦販売《げっぷはんばい》も取りあつかいます。一週間のためし使用は無料です。三角じるしの機械人間工場」
 こんな文句からはじまって、美しい絵ときをしてあるポスターが、ほうぼうの町や村にくばられた。
 一週間ただで、ためしに使用してもよろしいと書いてあるので、それを申しこむ者がどの村でも一人や二人はあった。
 申しこむと、機械人間工場《ロボットこうじょう》から、すぐさま機械人間がとどけられてきた。工場からは販売員がついて来て、使いかたをおしえる。そこで使ってみると、なかなかべんりでもあり、また人間の十倍も仕事をする。これはいいということになって、一度ためした人は、みんな機械人間を買う。
 買えば、近所の人がめずらしがって、それを見物に集まってくる。なるほど、これは重宝《ちょうほう》だというので、こんどは何人もたくさん名まえをつらねて「買います」と申しこむ。
 そんなわけで、谷博士の製造工場の経営は大あたりであった。
 そのために、あたりの村や町の人は、博士さまをたいへんありがたく思い、もう昔のような悪口をいう者なんかいなかった。


   怪《あや》しい谷博士


 さて、ある日のこと。
 ある日といっても、それは、日曜日の次の月曜日が祭日《さいじつ》で、土曜日の午後から数えると、二日半の休みがとれる日の、その日曜日のことだった。
 秋の山をぜひ登ろうというので、例の戸山君、羽黒君、井上君ほか二名の、仲よし五人少年が三角岳《さんかくだけ》の方へのぼって来たのであった。
 のぼる道々で、少年たちは、谷博士の経営している三角じるし機械人間工場のポスターを見た。博士の名まえは、はいっていなかったけれど、製品は機械人間だというし、それにその工場のあるところが、三角岳だということなので、少年たちは深い興味をわかした。
「すると、谷博士の研究所あとで、だれかあんな工場をはじめたと見えるね」
「博士は知っていられるのだろうか」
「さあ、知らないだろうね。もっとも、知らせるといっても、博士はあれ以来、ずっと面会謝絶《めんかいしゃぜつ》で、意識がはっきりしないということだから、知らせようがないわけだね」
「だれが経営しているんだろうか。まさか、例の機械人間の形をした怪物がやっているのではなかろうか」
「そんなことはないだろう。だって、もしそんなことがあったら、大評判になるから、東京へもすぐ知れるよ」
「とにかく、あの研究所を利用することを考えたところは、なかなか頭がいいや」
 少年たちは、こんなことを話しながら、山を登っていった。
 やがて少年たちの目にうつったのは、例の修理された塔であった。すっかりきれいになっている。そして大ぜいの人が出はいりし、トラックもひんぱんに、りっぱになった道路を走って、工場の製品をはこんでいる。
 少年たちは、門の前まで来ると、真空管《しんくうかん》の中へ吸いこまれるように、塔の中へつかつかとはいっていった。
「あ、あそこに谷博士がいるよ」
「どこに。ああ、あれか。なるほど、谷博士さんそっくりだ。しかしおかしいぞ。博士は重病《じゅうびょう》なんだから、こんなところにいるわけはない。だれかにたずねてみよう」
 戸山少年がそばを通りかかった職工《しょっこう》のひとりをよびとめて、たずねてみると、
「あれがこの工場主の谷博士ですよ」
 と答えたから、少年たちは、あッとおどろいた。
 そのおどろきの声が、博士に聞こえたらしく、博士はきつい顔になって、ずかずかと少年たちの方へやって来た。
「君たちは、こんなところでなにをさわいでいます」
 そこで戸山が出て、
「谷博士に目にかかりたいと思って来たのですが、博士はどこにいらっしゃいますか」
 というと、
「谷博士は、わしです」
「いいえ、あなたではない」
「わしが自分で谷だといっているのに、なにをうたがいますか」
「それなら申しますが、谷博士は、目をわるくして、今も病院で目を繃帯《ほうたい》し、まったくなにも見えないのです。あなたは、谷博士に似ているが、目はよくお見えになるようです。すると、あなたはほんとうの谷博士ではないということになりますねえ」
「あっはっはっは。なにをいうか、君たち。なにも知らないくせに。まあ、こっちへ来たまえ」
「いやです。おい、みんな早く、外へ出よう」
 戸山のことばに、少年たちはすばやく博士ののばす手の下をくぐり、塔から外へとびだした。そして足のつづくかぎりどんどん走って、山をおりた。
 一軒の警官の家の前へ出ると、その中へとびこんだ。
「たいへんです。大事件なんですから。東京の警視庁へ電話をかけてください」
「だめだねえ。この電話は、一週間まえから故障で、どこへも通じないんじゃよ」
「ちぇッ。しょうがないなあ」
 少年たちは、そこをあきらめて、またふもとの方へ走った。そして東京への電話の通ずる家を探したが、なかなか思うようにいかなかった。
 少年たちが目的を達して、警視庁と話のできたのは、その翌朝《よくちょう》のことだった。
「せっかく知らせてくれたが、おしいことに、まにあわなかったねえ」
 と、電話口に出た捜査課長《そうさかちょう》はいった。
「どうしたんですか。まにあわなかったとは」
「というわけは、きのうの真夜中のことだが、雷鳴《らいめい》の最中に柿《かき》ガ岡病院《おかびょういん》に怪人がしのびこんで、谷博士の病室をうちやぶり、博士を連れて、逃げてしまったのだ。追いかけたが、姿を見うしなったそうだ。こっちは、その報告をうけて、すぐに手配をしたが、今もって犯人もつかまらなければ、谷博士も発見されない。困ったことになってしまったよ」
 これを聞いて少年たちは、色を失った。
 博士の保護《ほご》を頼もうとしたのに、それはまにあわず、博士は何者にか連れさられたというのだ、怪また怪。


   怪漢《かいかん》の正体


 盲目の谷博士を、柿ガ岡病院から連れだしたのは、超人間《ちょうにんげん》X号のしわざであった。連れだしたというよりも、X号が谷博士を病院からさらっていったという方が正しいであろう。
 なぜ、そんなことをしたか?
 X号は、自分をまもるために、そうすることが必要だった。つまり戸山君などの五少年のために、にせの谷博士であることを見やぶられてしまった今日《こんにち》、あいかわらず博士が柿ガ岡病院にいたのでは、X号は三角岳研究所で大きな顔をして、もうけ仕事をつづけていられない。
 だから、彼は谷博士をさらって、博士の行方を、わからないようにしてしまったのだ。それが第一段だった。さらった博士は、彼が肩にかついで、三角岳研究所へ連れこんだ。そしてこの研究所の一番下の地階《ちかい》へおしこめてしまった。この地階は、かねて谷博士が、だれにもじゃまをされないように、秘密に作ったもので、実験室も特別にこしらえてあり、居間や寝室《しんしつ》や料理をつくるところや、浴室《よくしつ》なんかも、ちゃんとできていて、この最地階だけでも、不自由なく実験をしたり起きふしができるようになっていた。しかもこの最地階へおりる入口は、極秘《ごくひ》中の極秘になっていて、博士以外の者には分からないはずだった。
 それは、その一階上にある図書室の奥の外国の学術雑誌の合本を入れてある本棚を、開き戸をあけるように前へ引くと、その本棚のうしろは壁をくりぬいてあって、そこには地階へおりる階段が見える、これが秘密通路《ひみつつうろ》だった。
 谷博士だけしか知らないこの秘密通路をX号はちゃんと知っていた。なにしろX号はなかなかするどい観察力を持っていたから、いつのまにか、この秘密通路や、その下にある秘密の部屋部屋を見つけてしまったのであろう。
 X号は博士の世話を、ほかの者にはさせず、みんな自分がした。
 博士は、病院から連れだされるとまもなく、この誘拐者《ゆうかいしゃ》がX号であることを知って、おどろいた。
 博士は、それ以来、X号にさからわないようにつとめた。また、なるべく口をきかないことにきめた。X号は博士がこしらえたものであるから、博士はX号の性格についてよく知っていた。智力《ちりょく》の点ではX号は人間以上である。いわゆる「超人《ちょうじん》」だった。そのかわり、人間らしい愛とか人情にはかけていた。それがおそろしいのである。博士は、X号のために、これからどんな目にあわされるかと、大危険を感じているのだった。
 目の不自由な博士のことであるから、こうしてX号と同居していて、自分の身をまもることに大骨《おおぼね》が折れた。だが忍耐《にんたい》づよい博士は、そのあいだにも、X号が何を考え、何を計画しているか、それを知ろうとして、目が見えないながらも、しょっちゅう気をくばっていた。
 博士は、ある日、この研究所の建物の中で急にさわがしい声がし、多くの足音が入りみだれ、階段をかけあがったり、器物が大きな音をたてて、こわれたりするのを耳にした。
 そのときは、博士のそばにX号がいなかったが、やがてX号は、ぜいぜい息を切って博士のそばへもどってきた。
「ああ、苦しい。せっかく死刑囚のからだを手に入れてこうして使っているが、このからだは悪い病気にかかっていて、心臓も悪いし、腎臓《じんぞう》もいけないし、いろいろ悪いところだらけだ。これじゃあ思うように活動ができやしない。ああ、苦しい」
 X号は腹を立てて、寝椅子《ねいす》の上にころがり、ふうふうぶつぶついうのだった。
 博士は、隅《すみ》っこの破れ椅子に腰をうずめ、息をひそめて、X号のつぶやきに聞き耳をたてている。
「きっとやって来るだろうと思ったが、やっぱりやって来やがった」と、X号はひとりごとをつづける。「このあいだのちんぴら少年どもが、警察に知らしたのにちがいない。あの少年どもはうるさいやつらだ、早くかたづけてしまいたい。おれをにせものだといっぺんで見やぶりやがった」
 X号はぷりぷり怒っている。
 遠くで、自動車のエンジンをかける音がした。つづいて警笛《けいてき》がしきりに鳴る。
「ははあ、とうとう警察のやつらは、捜査をあきらめて引きあげていくな。ばかな連中だ。ここに最地階があるとは知らないで、引きあげていくぞ、もっとも、やつらも手こずったことだろう。ようやく研究所の中へおし入ってみると、いるのは金属で作った機械人間《ロボット》ばかりで、ふつうの人間はひとりもいない。何をきいても、『私は知りません』の返事ばかり。ははは、困ったろう」
 三角岳の研究所に谷博士と名のる、にせ者がいて、怪《あや》しい工場をつくっていることを、五人の少年たちが東京の検察庁へ知らせたので、警官隊がここへ乗りこんできたわけである。ところが、中にはたくさんの機械人間ががんばっていて、警官隊を中に入れまいとした。そこで衝突が起こった。
 だが引きさがるような警官隊ではない。ついに、すきを見つけて、そこからはいってきたのだ。それから家《や》さがしをして、この建物のあらゆるところを調べてまわった。ところが、にせ博士の超人間X号を発見することはできなかった。またその所在もわからなかった。
 ひょっとしたら、誘拐された谷博士がここにいるのではないかと、それも気をつけて調べたのであるが、博士の姿もなかった。
 そして事実は、さっきのX号のひとりごとでお分かりのとおり、X号も博士も最地階にひそんでいたのである。
 警官隊は、小人数の見張《みは》りの者をのこして、あとはみんな、ふもとの町へ引きあげていった。


   X号の新計画《しんけいかく》


「はっはっはっ、みんなあきらめて帰ってしまった。そのうちに、見張りのやつらも引きあげていくだろう」
 X号は、窓から外をのぞいていて、あざ笑った。
 それはいいが、X号の方にも、重大な問題があった。それは、また、いつ警官隊がおしかけてくるかも知れず、うるさくてしようがない。そしてこんな死刑囚|火辻軍平《ひつじぐんぺい》の病気だらけのからだを借りていると、いつ頓死《とんし》するか知れたものではないし、そうかといって、まただれかのからだを手に入れ、その中にはいったとしても、また追いかけられるにきまっている。そこで彼は、そういうことの絶対にないからだを手に入れるとともに、そのからだでいれば世の中へ顔を出しても、絶対に怪しまれず、疑われずにすむものでなくてはならないと考えた。なお、そのうえにお金がどんどんもうかって、思うように仕事ができ、そして不自由のない生活ができることが、必要だ。
 これだけの条件を満足させるには、いったいどうしたらいいだろうか。
 頭脳のいいX号のことだから、半日ばかり考えると、一つの案ができた。
 それはどんなことかというと、人造人間《じんぞうにんげん》をつくることである。
 ここでいう人造人間とは、機械人間のことではない。機械人間は、外がわも、中も主として金属でできているが、人造人間というのは、人造肉、人造骨などを集めて組みあわせ、その上に人造|皮膚《ひふ》をかぶせ、だれが見ても生きているほんものの人間と、すこしもちがわないからだをしているものをいうのだ。
 もちろん、そのからだの中にかくれている内臓《ないぞう》のあるものや、神経系統《しんけいけいとう》のものなどは金属で作ってもいいのだ。外から見て、へんだなと気づかれなければいいのだから。
「よし、それを作ることにしよう」
 なにしろ、この研究所では、谷博士が長年にわたって、人造皮膚や人造肉や人造骨の製作を研究して成功し、それからさらに研究は深くなって人造|細胞《さいぼう》を作りあげた。また、人造神経系統を作ることにも成功した。それからそれらをまとめて人造|脳髄《のうずい》ができたのだ。そして最後に谷博士独特の新製品であるところの、いわゆる「電臓《でんぞう》」が完成されたのだ。そしてX号の正体こそ、その「電臓」にほかならないのである。そういうわけだから、この研究所にある設備を利用すれば、人造人間をこしらえることはそんなにむずかしくないはずである。
 X号はまず手はじめに、試験的に二つの人造人間をこしらえることにした。甲号は男体《だんたい》であり、乙号は女体《にょたい》に作りあげることになった。
 仕事は、さっそくはじめられた。谷博士の研究ノートを見、そして番号をひきあわせてその器械器具を出して動かしてみれば、人造人間製作のやりかたは、だんだん分かって来るのだった。X号はこの仕事にかかるとき、谷博士に手つだえと命令したが、博士は首をふって、頑強《がんきょう》にこばんだ。それでX号はやむなく彼ひとりで仕事をはじめたのであった。
 その仕事は一週間かかった。
 X号としては、ずいぶんの時日がかかったように思ったが、もし人間がすると、それが谷博士であっても、すくなくともその三倍の日数がかかったことであろう。
 とにかく、二体の人造人間ができあがった。いや、できあがったというには、まだ早い。人造人間の形だけができあがったという方が正しいであろう。
 男の方は四十歳ぐらいの、肩はばのひろいりっぱな体格の人間だった。女の方は、十六七歳の少女だった。
 そこまではうまくいったが、その先の仕事にX号は困って、さじをなげだした。すなわち、人造人間は、形だけは本物の人間とちがわないくらいにみごとにできあがったのであるが、それは死んだようになっていて、呼吸もしなければ、目も動かさず、もちろん歩きもしなかった。
「これは困った。その先のことは、谷博士の研究ノートにも、あまりくわしく書いてないんだから、いよいよ困った」
 困ったままで、おいておくことはできない。そこでX号は最地階に監禁してある谷博士の前へやって来て、その問題をくわしく話をし、それから先どうすればよいかについて博士に教えを乞《こ》うた。
 X号の方で頭をさげんばかりにして博士に頼んだのであるから、それを見てもX号がよほど困ったことが分かる。
「わしは、いやだ」
 やつれはてた博士は、頑強にこばんだ。
 X号は博士を一撃《いちげき》のもとにたたき殺そうとして拳《こぶし》をふりあげた。が、そのときひどい神経痛《しんけいつう》のようなものがX号の右半身に起こったので、腕がしびれて動かなくなった。
 博士は、あぶないところで、難《なん》をまぬかれた。
 神経痛がおさまるころには、X号は気もしずまって、別のことを考えだした。
「そうだ。博士の知識を脳波受信機《のうはじゅしんき》で引きぬいてやろう」
 脳波受信機というのは、人間の頭の中にあることを知る機械だ。これも谷博士が完成して地階の器械置場《きかいおきば》に備えつけてある。
 この器械の原理は、人間の脳髄が考えごとをはじめると、脳波と名づける一種の電波が出てくるから、それを受信するのである。受信した脳波は増幅《ぞうふく》して別の人間の脳髄の中に入れる。するとはじめの人間が考えていることが、第二の人間の脳髄に反映して分かるのである。その反映したことがらを第二の人間にしゃべらせることもできるし、書きとらせることもできる。
 X号は、これを使うことを決心したのであった。ただし、これをするには、一人の人間がいる。生きた人間を見つけてこなくてはならない。それをどうするか。
 X号は、そこでちょっと行きづまって、椅子《いす》を立ちあがると窓のところへ行った。
 窓から外を見ると、研究所の塀《へい》のかげにひとりの怪しい男が身をひそめて、しきりにこっちをうかがっているのを発見した。それは今回の事件のために命令をうけて、この研究所を監視している山形《やまがた》警部の私服姿《しふくすがた》であった。
「あの男を連れてこよう。すぐ手近に見つかったのは、ありがたい」
 X号は、機械人間たちを呼びだして、山形警部|逮捕《たいほ》の命令を出した。
 警部は、かんたんに逮捕せられた。機械人間の大力と快速にあってはかなわない。


   神を恐れぬ者


 山形警部は、失心状態《しっしんじょうたい》になったままX号の前へ連れてこられた。
 X号は警部を生きかえらせた。
 警部はわれにかえった。そして目の前に怪しい人物を見たので、
「あっ、君はだれか」
 と、叫んだ。
「わしか。わしは君が探している者だよ」
 X号は、顔をぬっと前につきだした。彼の頭部にある手術のあとのみにくい縫目《ぬいめ》が、警部をふるえあがらせた。
「ややッ、君は死刑囚の火辻軍平だな」
「正確にいうと、それはちがうんだがね」
 と、X号はつい興《きょう》に乗ってからかい半分、そういった。
「火辻のからだを借りている者さ。よくおぼえておくがいい。わしはX号だよ。谷博士がわしを作ったのだ。超人間のX号さ。うわははは」
「ええッ、X号は君か」
「おどろいたか。よく顔を見て、おぼえておくがいい」
「うぬ。そのうちにきっと君を捕縛《ほばく》してみせるぞ」
「それは成功しないから、よしたがいい。とにかく、それでは早く仕事にかかろう。君とはもう口をきかないことにする」
「早く、私のからだを自由にせよ。君には、私を捕《と》らえる権限《けんげん》がないじゃないか」
「そのうちに、君を自由にしてやるよ。当分《とうぶん》ここにいて、わしの仕事に協力してもらうのだ」
「いやだ。X号の仕事のお手つだいをさせられてたまるものか」
「吠《ほ》えるのはよしたほうがいいよ。わしは、だれがなんといおうと、計画したことはやりとげるのだ」
 X号は、それからのちは山形警部の怒号《どごう》にはとりあわなかった。彼は仕事にかかった。彼は、機械人間に命じて、山形警部をおさえつけ、その頭に脳波受信機《のうはじゅしんき》の出力回路《しゅつりょくかいろ》を装置してある冠《かんむり》をかぶせた。そして警部を大きな脳波受信機の函《はこ》の中へ押しこんで、ぱたんと蓋《ふた》をした。警部は冠をかぶせられたときから後は、別人のようにおとなしくなってしまった。それは彼が麻痺状態《まひじょうたい》に陥《おちい》ったがためであった。彼は、もう自分で考えることもしゃべることもできず、一個の機械とかわらぬ生体《せいたい》となってしまったのである。
「よしよし、それでその方はよし。こんどは博士の方にかかろう。ちょっと手ごわいかもしれないが、なあに、やっつけてしまうぞ」
 X号は、機械人間に命じて、谷博士をこの実験室に引っぱって来させた。博士は、目は見えないながら、危険を感じて、しきりに抵抗した。しかし、やつれきった博士が、機械人間に勝つはずはない。ついに博士はX号が持ちだした椅子にしばりつけられ、そして脳波受信機の収波冠《しゅうはかん》を頭にしっかりと鉢巻《はちま》きのようにかぶせられた。博士はそれをふり落とそうと、しきりに頭を振ったが、それは空《むな》しい努力であった。収波をあつめる収波冠は、博士の頭部にくいついたように、しっかり取りついていて、はなれなかった。
 それからX号は、みずから長い電線を引っぱり収波受信機の接続を一つ一つ仕上げていった。
「これでいい。これでわしの知りたいことは、みんな分かるのだ。さあ、それでは谷博士に質問をはじめるかな」
 そこでX号は、谷博士に質問をはじめた。
「こういう問題がある。この研究所の機械を使い、谷博士の研究ノートの示すとおりにして、人造人間を作りあげた。ところがその人間は眠ったようになって、目がさめないのだ、どこに欠点があるか、それを考えなさい」
 と、X号は椅子にしばりつけた谷博士に向かってたずねた。
 すると谷博士は、口をかたく結んで、それは絶対に答えないぞという態度《たいど》を示した。しかるに、そのとき、山形警部の押しこめられている函の、上部についている高声器から、はっきりした声がとびだした。
「それには二つの欠陥《けっかん》がある。一つは、研究ノートにまだくわしく書きいれてないが、その人造人間に高圧電気で電撃《でんげき》をあたえることが必要なのだ。それがために、この研究所には百万ボルトの高圧変圧器《こうあつへんあつき》があるが、百万ボルトでは十分効果をあげない場合がある。もっともいい方法は、落雷《らくらい》の高圧電気を利用することだ。しかしいつでも雷雲《らいうん》が近くにあるわけではないから、おいそれとすぐにはまにあわない場合がある。もう一つの欠点は、人造人間の脳髄を作る研究がなかなかむずかしいことだ。百個作っても五個しか成功しない。だからむしろほんとうの人間の脳髄を移植《いしょく》する方がらくである。おそらくこんど造った人造人間の脳も失敗作なのであろう」
 谷博士の頭の中に浮かんだ考えが、そのまま山形警部の声になって、部屋中にひびきわたった。
 X号はよろこんだ。谷博士は、くやしがって歯がみをし、身もだえして、椅子をがたがたいわせた。
 そんなことで、X号は手をひかえるようなことはなかった。つぎの質問に移っていった。
 すると博士の頭の中に浮かんだ回答が、山形警部の声で出て来た。こんなことを繰《く》りかえしたものだから、博士はついに悶絶《もんぜつ》してしまった。
「ははは、弱いやつだ」
 X号は笑って、脳波受信の実験を一時中止することにした。
 しかしさしあたり、彼が知りたいと思っていたことは、知ることができたので、こんどは、例の死んだようになっている人造人体を生かす実験にとりかかった。
 彼は男性人造人間の頭蓋《ずがい》をひらいて、その中につめてあった人造脳髄を切開《せっかい》して取りだした。
「きれいなんだが、やっぱりこれではだめなのか」
 彼は、それをガラス器に入れて、棚《たな》の上においた。
 それから彼は、函の中から山形警部を引っぱりだすと、まるで魚を料理するように警部の頭蓋をひらいてその脳髄を取りだし、急いでそれを人造人間の頭の中に押しこんだ。そして手ぎわよく頭蓋を縫《ぬ》ってしまった。このへんの手術の手ぎわはじつにみごとなものだ。
「それから高圧電気で、電撃を加えるのだ」
 山形警部の脳を移植した人造人間のからだは電圧電気室にはこび入れられた。
 百万ボルトの高圧変圧器のスイッチは入れられ、おそろしい火花が飛んだ。
 電撃が、人造人間の上に加えられたが、その結果は失敗だった。どういうわけか、その途中で、人造人間のからだが、ぷすぷす燃えだした。強い電流が、人造人間のからだの一部に流れたためであった。
「これはいけない。困ったぞ、困ったぞ。どうすればいいか」
 X号は、しばらくうなっていたが、そのうちに心がきまった。彼は、一部分黒々と焼けた男性の人造人体を電撃台から引きおろすと、電気メスを手にとって頭蓋をひらき、さっき移植した山形警部の脳髄を取りだした。そしてそれを持って、大急ぎで、もう一つの女体の人造人間のところへ走った。
 彼は、非常な速さでもって、今引っぱりだして来た警部の脳髄を女体の人造人間の頭蓋の中へ移植した。そしてほっと一息ついた。
「こんどは、うまくやりたいものだ」
 ふたたび電撃が行われた。
 そのあいだ、さすがのX号も、深刻《しんこく》な顔つきになって今にも脳貧血《のうひんけつ》を起こしそうになった。が、こんどは、女体からは黒い煙もあがらず、その電撃操作《でんげきそうさ》は成功し、女体はかすかに目をひらいて、台の上で動きはじめた。
「しめた。こんどは成功したらしい」
 X号は、大よろこびで、スイッチをひらくと、電撃台にとびついて、生《せい》を得た女体人造人間を抱きおろした。
「よう、みごとだ、みごとだ。もしもしお嬢さん。わしの話が分かるでしょう」
「なにが、お嬢さんだ。私は山形警部だ」
 と、その女体の人造人間は怒ったような口調《くちょう》で答えた。


   娘と警部


 さすがの超人間X号も、その日はすっかりくたびれてしまい、ベッドにもぐりこむと、正体もなく深いねむりに落ちこんだ。
 彼は、すこしの心配もなくねむった。というのは、この秘密の最地階のことは外部には知られていないし、またこの最地階からそとへ出ていく出入り口は、彼がしっかり錠《じょう》をおろし、その鍵《かぎ》はだれも気のつかない薬品戸棚《やくひんとだな》の裏にうちつけてある釘《くぎ》へひっかけてあるので、何者もこの最地階から外へ出られないと信じていた。
 ところが、その翌朝七時に彼が目をさましてみると、その秘密の出入り口があいているので、びっくりした。錠は、内がわから鍵がさしこまれたまま、みごとにひらかれてあった。
「しまった。何者のしわざか」
 X号は、おどろくやら、腹をたてるやらで、そこにふたたび錠をかけると、急いで引きかえした。
 彼は、実験室の戸をおして、中へはいった。
「おお、谷博士は、ちゃんといるぞ」
 谷博士は、椅子にしばりつけられたまま、首をがっくり前にたれていた。死んでいるようでもあり、まだ死んではいないようでもあった。とにかく博士がそこに残っているので、X号はまず安心した。
 そばによってみると、博士は、心臓が衰弱《すいじゃく》しているようで、脈《みゃく》がわるいが、しかしちゃんと生きていた。X号はよろこんだ。博士はこんこんとねむっているらしい。
 もうひとりの人造人間の女の子の姿を、X号は探しまわった。が、これはどの部屋にも見つからなかった。
「ふふん、すると、あの人造人間が、錠をあけで逃げだしたとみえる。はてな、最後にあの人造人間を、どう始末《しまつ》しておいたかしら」
 X号は記憶を一生けんめいによびおこしてみた。
「そうだ。あの少女の姿をした人造人間は、男のような声を出して、あばれだしたんだ。それでおれはあの少女をおさえつけ、綱でぐるぐる巻きにして、組立室の起重機《きじゅうき》につるしておいた。たしかにそうだ」
 そのような状態では、少女の人造人間は逃げることができないはず。とにかく組立室へ行ってみれば分かると、X号はそちらへ小走りに走っていった。
 そこでは、起重機から、だらりと綱がぶらさがっているだけだった。
 少女が逃げたことは、いよいよたしかであった。あのかぼそい身で、このように綱をほどき、それからあの秘密の出入り口の鍵をさがしだして、うまうまと逃げてしまったんだ。なんという、すばしこいやつだろう。
「ああ、そうか。あの娘の頭蓋の中に、警官の脳髄《のうずい》をいれたのが、こっちの手落ちだったな。よほど頭のきく警官らしい」
 それにちがいない。検察庁《けんさつちょう》の特別捜査隊にその人ありと聞こえた、名警部山形だったから。
 少女のからだを持った山形警部は、たいへんなかっこうで、研究所の外にのがれでた。それはやっと夜が明けはなれたばかりの時刻だった。研究所からすこしいったところで、彼は非常線をはっている警官を見つけて、その方へとんでいった。
 その警官は、夜明けとともに、眠気《ねむけ》におそわれ、すこしうつらうつらしているところだった。その鼻先へ、とつぜん裸の少女がとびだして来て、わッと抱きつかれたものだから、その警官は、きもをつぶして、その場に尻餅《しりもち》をついた。
「おお、足柄《あしがら》君。わしは山形警部だが、大至急そのへんの家から、服を借りて来て、わしに着せてくれ。風邪《かぜ》をひきそうだ。はァくしょん!」
 と、少女姿の山形警部は、相手が部下の足柄君であることをたしかめ、うれしくなって、急ぎの仕事を頼んだ。
 足柄警官の方は、抱きついた裸の娘が、しゃがれた男の声を出したので、ますますおどろいて、うしろへさがるばかり。山形警部は、ここで、足柄に逃げられてはたいへんと、ますます力を入れて抱きつく。足柄警官はいよいよあわてる。
 が、ようやく山形警部が、「君は、この寒い山の中で裸の娘をいつまでも裸でほうっておくのか。それは人道《じんどう》に反するじゃないか。早く服を探してやらないのか」と、人道主義をふりまわしたので、若き人道主義の足柄警官は、ようやくわれにかえって、すぐ前の農家《のうか》から借りてくることを約束した。
 こんなことがあって、ようやく山形警部は服にありついた。しかしそれは少女の服であった。その農家の、今は嫁入った娘が、小さいとき着ていた服であった。警部は男の服を借りてもらうつもりだったので、そのことを足柄警官にいった。すると足柄は、山形警部を見おろしてにが笑いをしながらいった。
「だって、大人の服は、あなたには大きすぎて、着ても歩けませんよ。ねえ、分かったでしょう、娘さん」
 このことばに、山形警部は、うむとうめいてかえすことばを知らなかった。


   うそかまことか


 足柄警官は、娘にさんざん手をやいて――彼は山形警部が少女姿になったことを、いくど聞いても信じない。――おりから、ちょうど交替《こうたい》の警官が来たのをさいわい、娘をつれ、出張中の捜査本部のある竹柴村《たけしばむら》へおりていった。
 知らせを聞いて、奥から氷室検事《ひむろけんじ》がとびだしてきた。この氷室検事は、X号を捜査《そうさ》する警官隊の隊長だった。
「やあ、氷室検事、私はこんななさけない姿になってしまいました。同情してください」
 みじかい少女服を着た女の子が、いきなり検事にとりすがって、顔に似合わぬ男の声を出したので、検事はびっくりして顔色をかえたが、さすがに隊長の任務の重いことを思いだして、落ちつきをすこしとりもどした。
「いいよ、いいよ。ぼくは君に深い同情をしている」
 でまかせなことを、氷室検事はのべた。
「えッ、同情していてくださいますか。ありがたいです。氷室検事。あなたのほかにはだれもわしを山形警部だと思ってくれないのです」
「えッ、なんだと」
 検事は、目をパチクリ。
 すると少女のうしろから、足柄警官がさかんに手まねでもって、「検事さん、この娘は気が変ですよ」と知らせている。
「ふーん、そうか……」
 山形の方は、検事がそういったのを、自分をみとめてくれたんだと思いちがいし、泣きつかんばかりに検事にすがりつく。
「わしには、さっぱりわけが分からんですが、きのうわしは研究所に近づいて塀《へい》の破れから中を監視《かんし》していますと、いきなり脳天《のうてん》をなぐりつけられたんです。気が遠くなりました。
 次に気がついてみると、わしは見たこともない部屋の中に、裸になって寝ていたのです。その部屋には器械がおそろしくたくさん並んでいました。わしはおどろいて起きあがりました。ところがそのときえらいことを発見してびっくり仰天《ぎょうてん》、ぼーッとなってしまいました。なぜといって、わしのからだはいつのまにか少女のからだになっていたんですからねえ……」
 と、山形警部は、今これをしんじてもらわねばとうてい救われる時は来ないものと考え、手まねもいれてくどくどと身のうえを説明したのだった。
 まわりに、これを聞いていた一同は、いよいよこれは気が変な娘だわい。とほうもない奇怪味《きかいみ》のあるでたらめをいうものだと、あきれてしまった。
 氷室検事だけは、心をすこしばかり動かした。この娘はたしかに変に見える。しかし彼女が娘らしくない、がらがら声でしゃべっているのを聞いていると、どこかに山形警部らしい話しかたのひびきもある。また、この娘のいっていることがらは、ほとんど信じられないほど奇怪であるけれど、辻《つじ》つまが合っている。気の変な娘が辻つまの合っている話をするわけはない。すると、この娘は気が変であるといえないことになりはしないか。この答えはすぐに出ない。氷室検事の心は重かった。
 そのとき戸山少年が、検事の前へ出て来て、
「検事さん。この女のひとがいっていることは、ほんとだと思いますよ。谷博士が、研究所の最地階《さいちかい》は一等重要なところで、だれもいれないことにしていると、ぼくに話したことがありましたが、この女の人のいうことは合っていますよ」
 戸山君をはじめ五少年は、捜査隊にしたがって、この竹柴村の本部に寝とまりしていたのである。さっきからのさわぎに、少年たちは寝台をけって起き、奇妙《きみょう》な少女を見物していたのであった。
「それは、たしかだろうね」
 検事は、するどい目つきで、戸山君を見つめた。
「たしかですとも、それから、今この女のひとが話したところによると、その研究所の最地階には、三人の人がいたことが分かります。その三人とは、この女の人と、例の死刑囚火辻に似た怪人、それからもう一人は、目に繃帯《ほうたい》をした谷博士だと、この人はいっているのです。ああ、谷博士は、怪人のために病院から連れだされ、研究所の最地階に幽閉《ゆうへい》され、どんなに苦しめられていることでしょうか。博士が責めころされないまえに、一刻《いっこく》も早く救いだしてください。もちろんぼくたちも一生けんめいお手つだいいたします」
「戸山君のいったとおりです。谷博士を早く助けてください」
 と、他の少年たちも検事の前に出て並んだ。


   月光の下に


 五人の少年たちが、熱心に谷博士を救いだすことを検事に頼んだので、氷室検事の決心はようやくきまった。
「よろしい。それでは今夜半を期して、研究所の最地階へ忍《しの》びこむことにしよう」
 検事は、部下を集めて、手配のことを相談した。
 このとき、気が変になった娘と思われていた少女姿の山形警部が、いろいろと研究所内の事情について、よい参考になることをしゃべった。ことに、最地階の出入り口の錠《じょう》のことと、それがその階上のどんなところへつづいているかということ、この二つはたいへん参考になった。
(なぜこの娘に山形警部のたましいがのりうつっているのか分からんが……)と警官たちの多くは、そう思った。
(しかしとにかく、今しゃべっているのは山形警部のたましいにちがいない)
 へんてこな気持だった。
 でも、会議が進むにつれ、みじかい少女服を着た娘の発言は重視《じゅうし》され、そして彼女はだんだん山形警部としてのあつかいをうけるようになった。
 会議が終ると、女体《じょたい》の山形警部は、食事をとってそのあと、ねむいねむいといって、寝床《ねどこ》をとってもらって、その中にもぐりこんだ。
 そのあとは、本部の中は、怪少女の話でもちきりだった。若い警官も年をとった警官も、それぞれにいろいろな想像をして、議論をたたかわした。だがはっきりした証拠《しょうこ》は、どこにもないのだ。なにしろ、山形警部は依然《いぜん》として行方不明である。山形警部の肉体は今どこにどうしているのか、それが今も発見されないままなのだ。それが分からない以上、なぜ山形警部のたましいが、あの少女にのりうつったのか、それは解けない謎《なぞ》だった。そして決行の夜が来た。
 研究所を見張っている警官隊からは、たえず報告が来る。目下、研究所の地上の各階では、機械人間《ロボット》が働いている。彼らは、研究所の動力や暖房《だんぼう》のことをまちがいなく管理していた。また、機械人間製造の方でも、たくさんの機械人間が働いていた。しかし生産された機械人間は、このところ売れゆきがよくないので、倉庫にたまる一方であった。夕方になると、製造工場はお休みとなる。あとは研究所の日常の生活を担当している機械人間だけが、用のあるときだけ働いている。研究所の灯火《とうか》は、夜のふけるにつれ、不用な部屋の分は一つ一つ消されていき、だんだんさびしさを増すのであった。夜中になって、東の山端《やまはし》から、片われ月がぬっと顔を出した。それを合図にして、氷室検事がひきいる捜査隊は、研究所をめがけて、じりじりと忍びよった。この隊には、五少年も加わっていたし、それからまた、女体の山形警部も、警官に取りまかれて厳重《げんじゅう》に保護されながら、ついてきていた。
 ある一つの窓の警報器が故障になっていて、そこをあけてはいれば、研究所をまもっているくろがねの怪物どもを立ちさわがせることなく、忍びいれるという調べがついていた。
 一行は、この窓にとりついた。すみきった月光がじゃまではあったが、警報器がならないかぎり、まず心配なしである。氷室検事は外に見張員《みはりいん》をのこすと、残りの者をひきつれて窓から中へすべりこんだ。
 そこは一階だった。玄関と奥の中間のところにある窓だった。
 それから先の案内は、女体の山形警部にまさる者はなかった。
 警部は先に立ち、そのうしろに護衛の警官が三人つづいた。もしもこの怪女がへんな行動をしそうだったら、ただちにとりおさえる手はずになっていた。が、女体の山形警部はわるびれず、奥へすすんだ。そして秘密の出入り口を教えた。
 ところがここに困難がひかえているものと予想された。というのは、最地階から山形警部が出てくるときには、この秘密の出入り口の鍵は内がわにあったから、探しだしてすぐ使うことができた。しかし今警官隊は、外がわからはいろうとしている。錠前《じょうまえ》も鍵も向こうがわにあるのだ。どうしたら、錠前や鍵に手がとどくだろうか。それを心配しながら、検事の命令で、警官の一人が、力いっぱい戸をおした。
「あッ、開いた」
 意外にも、戸は苦もなく開いた。錠がかかっていなかったのである。警官たちはよろこんだ。検事もよろこんだが、反射的に、(これは用心しなければいけない。相手はわなをしかけて待っているのかもしれない)と思った。
 一同は、全身の注意力を目と耳にあつめ、足音をしのんで、最地階へはいっていった。警官の手ににぎられたピストルは、じっとりとつめたい汗にうるおっていた。だんだんと奥へ進む。
 女体の山形警部が、いよいよどんづまりの場所へ来たことを手まねでしらせた。そして彼女は、声をしのんでいった。
「この扉をひらけば実験室だ。そこに博士は椅子にしばられ、怪人はおそろしい顔をして、器械をあやつっているんだ。扉をやぶったら、どっと一せいにとびこむのだ。一度にかかれば、なんとか怪人をとりおさえることができるかもしれん」
 警部は、やっぱり怪人の力をおそれていることが分かった。そこで彼女はうしろへさげられた。
 運命を決する死の扉か[#「か」は底本では「が」と誤植]、望みかなう扉か、扉に力が加えられた。扉はかるくひらいた。「それッ」と一同はとびこんだ。あッと目を見はるほどの宏大《こうだい》な実験室だった。
 その部屋のまん中に、谷博士が椅子に腰をかけている。
「あ、谷博士だ!」
 警官よりも少年たちが、先に博士の前へとんでいった。意外、また意外。
 博士は荒縄《あらなわ》で椅子に厳重にしばりつけられていると思いのほか、博士をしばっているものは見えなかった。博士はしずかに椅子から立ちあがった。
「おお、君たちはわしを心配して、とびこんできてくれたのか。うれしいぞ」
 博士は少年たちをむかえて、なつかしそうにそういった。
「谷博士、ここに来られた皆さんも、ぜひ先生を無事にお救いしなくてはならないと、危険をおかして来られたのです。こちらが氷室検事です」
「やあ、氷室さんですか。ご苦労さまです。あつくお礼を申します」
 博士は手をのばして、検事と握手した。
「博士、目はどうされたんですか。繃帯《ほうたい》をとっておいでですね。もう目はお見えになるらしいですね」
 戸山君が、さっきからふしぎに思っていることを、博士にたずねた。
「ありがとう、目はすっかりなおったよ。もうよく見えるようになった。わしはうれしくてならない」
「それはよかったですね。おからだの方も、病院にいられたときとちがい、ずっと、お元気に見えますが……」
「はははは、わしの家へもどって来たから、元気になったんだね。やっぱり自分の家が一番くすりだ」
「ああ、そうですか」
 博士と少年の話を、もどかしそうに聞いていた検事は、
「もし、谷博士。職権をもっておたずねいたしますが、ここに怪人がいたはずですが、今どこにおりますか。お教えねがいたい」
 と、怪物X号の存在を質問した。
「おお、そのことじゃ。わしは、諸君につつしんで報告する。あの怪物は、わしの手でもってしとめたよ」
「しとめたとおっしゃるのですか。すると博士が怪人をとりおさえたといわれるのですか」
 氷室検事は、博士のことばを信じかねた。
「そうですわい。お疑いはもっともじゃ。わしは諸君に、その証拠を見せます。それを見れば万事はお分かりになろう。こっちへ来たまえ」
 博士はそういうと、うしろ向きになって、奥の方へ歩きだした。
 それッと、検事は部下たちに目くばせして、博士のうしろに油断《ゆだん》なくついていかせた。検事自身は博士と並んでいく。
「怪人はどこにいるのですか」
「冷蔵室の中においてある。この部屋だ。今開ける」
 それは大金庫の扉のような見かけを持って背の高い金属製の大扉であった。博士は扉の上の目盛盤《めもりばん》をいくつかまわしたあとで、ハンドルを握り、ぐッとまわして手前へ引いた。すると大きな扉はかるくひらいた。中からさッとひえびえとした気流が流れだして、検事たちの顔をなでた。
「大した低温《ていおん》ではないから、そのままおはいりなさい」
 博士は先頭に立ってはいった。一同は気味わるいのをがまんして、うしろに従った。
 中はたいへん広く、中くらいの倉庫ほどあった。博士はずんずんと奥へはいって、そこにある小部屋の引き戸をあけて、その中へはいった。がらんとした殺風景《さっぷうけい》な棚《たな》ばかりの部屋であった。その棚の一つを博士は指さした。
「ほらこれだ。これが君たちが探していた悪漢《あっかん》の死体だ」
 怪人の死体とは!
 なるほど、カンバスの布《ぬの》をかぶって棚の上に横たわっているのは、人間ぐらいの大きさのものだった。博士はカンバスをめくった。
「あッ、たしかに火辻軍平《ひつじぐんぺい》だ」
 死刑囚だった火辻軍平のからだにちがいない。よく見ると頭蓋がひらかれ、脳髄のはいっていたところはからっぽだ。
「わしは、責任を感じています。わしの作ったX号という電臓《でんぞう》は、死刑囚火辻のからだを利用していたのだ。電臓はこの中にはいっていたのだ」
 と、博士は、空虚《くうきょ》な頭の殻《から》の中を指さした。
「そのX号の電臓とやらは、どうしたんですか」
「うむ、それこそおそるべきものなのだ。わしはX号を高圧電気によって殺した。そして今は死んでしまったX号の電臓はここにしまってある」
 そういって、別の戸棚をひらいた。そこには大きなガラスの器に厳重に密封せられて、脳髄のようなものが保存されていた。
「これが、氷室君たちを悩ませ、わしを苦しめた恐るべきX号の死体なんじゃ。もうこれで諸君も天下の人々も安心してよいのじゃ」
「ふーん、これがあのおそろしい力を持っていたX号の電臓ですか」
 検事たちは、目をガラス容器に近づけて歎息《たんそく》をついた。人間の脳髄によく似ている。しかし色が違う。これはいやに紫がかっている。人間の脳髄は灰色だ。またこの電臓は人間の脳髄より一まわりも大きい。
「これで安心していいわけかな」
「どうだかなあ」
 五少年のうちの戸山君がそっと首をふって横目で谷博士の顔をじろりと見た。


   博士の悔悟《かいご》


「やれやれ、谷博士は無事にこの研究所へ帰って来られたし、おそろしい超人間X号は、息の根をとめられてしまったし、これで長いあいだの怪事件も、すっかりかたづきましたな。これでわしらも大安心じゃ」
 村長の角谷岳平《かくやがくへい》が、そういって大きなため息をついた。
「いや、ほんとうに、みなさんにご迷惑をかけてあいすまんことでした。これからの私の仕事は、みなさんたちを幸福にするような方向へ進めて行くことを誓《ちか》います」
 谷博士は、これまでの気むずかしい態度をひっこめ、悔悟した罪人のように、しおらしいことをいった。
 氷室検事も、この場の調子に引きこまれたものと見え、
「まことにけっこうなことです。博士の方にも、また各村の住民諸君の方にも、今回の事件についてそれぞれ言い分はあると思うが、ここで水に流して、双方《そうほう》仲よくやってもらいましょう。どうか博士も、今後はあのX号のような、世間に迷惑をかける怪しいものを作らないように気をつけてください」
 と、訓戒《くんかい》のことばをのべた。
「それはよく分かっています。あいすまんことでした。これからは、この土地がうんと栄えるように、私はすばらしい事業を起こそうと考えているのです。それが世間をさわがせた私のお詫《わ》びのしるしです」
 谷博士は、涙をこぼさんばかりにして、そういった。
 すこしはなれた場所に、五人の少年たちはかたまっていた。博士が、しきりにあやまっているのを聞いた少年たちは、おたがいの顔を見あわした。
「ねえ、谷博士は、いやにあやまっているじゃないか。あんなこと、あやまらないでもいいと思うんだがなあ」
「谷博士は、目があいてから、人がらがかわってしまったね。目が見えないときは、もっと気むずかしい人だったがね」
「目の見えていた人間が、急に目が見えなくなると、あんなにいらいらするものだ。その反対に、目があくと、たいへん朗らかになる。心持ちがゆったりとするんだよ」
「そうかしら。でもぼくは、あの気むずかしい博士の方に親しみが持てる」
「それはそうだ。どういうわけだろう」
「どういうわけだろうかねえ」
 少年たちが、こそこそ、こんな会話をしているとき、谷博士の前へ、少女がつかつかと出ていった。もちろんこの少女は、例の山形警部だった。
「谷博士、私をもとのからだに戻してください。こんなふうに、少女の姿で、いつまでも置かれるのはかないませんよ。私は我慢をしますから、すぐ手術をしてください」
 山形警部の電臓を持った少女は、そういって博士に訴えた。
 これには、まわりに立っていた氷室検事をはじめ同僚や部下の警官たちも、大いに同情した。
「さあ、それはわしには自信がないのですがねえ」
 と、博士は、困った顔をして見せた。
「なぜです。それはなぜですか、私をこんな姿にしたのは、博士、あなたじゃありませんか」
「わしではない。X号がやったのです」
「でも、あなたが指導しました。あなたが手術のやりかたをX号に教えなければ、私はこんなからだにかえられなくてすんだのです」
「わしは、X号に強《し》いられた。そしてX号はわしの脳の働きを盗んだ。憎《にく》いやつだ」
「だから、博士、あなたは、私をもとのからだに直すことができるのです。私のもとのからだは、あの冷蔵室にちゃんとそのままになって保存されています。さあ、早く、あのもとのからだへ私の脳髄を移しかえてください。博士、お願いします。私は、こんな女の子のからだで、これ以上生きていられません」
 娘姿の山形警部は、泣いて谷博士に訴えた。
 だが、博士は首を左右に振った。
「お気のどくには思うが、すべては、X号のやったことです。わしには、そんな乱暴な手術をする勇気がありませんわい。わしに、それをせよといっても無理というものだ」
 博士は尻ごみをする。
 山形警部は、博士にすがりついて、いよいよ気が変になったようになって頼みこむ。それを見るに見かねて氷室検事も口ぞえをして、博士に頼んでみた。
 ようやく博士は、こういった。
「それほどいわれるならば、いつしかわしの気持ちが非常によくなり、からだの調子も上々の日に、思いきって手術をしてあげよう。それまではおとなしくして待ちなさい」
 これだけの口約束《くちやくそく》が、山形警部をたいへん喜ばせた。彼はもとのからだに戻る希望を持てる身になったのである。


   三角岳《さんかくだけ》メトロポリス


 それ以来、X号の乱行は、まったく見られなくなった。
 そうでもあろう、X号の本尊である電臓は、谷博士の手によって死刑囚火辻の遺骸《いがい》から取りだされ、そして活動を停止され、博士の冷蔵室の中に、厳重に保存されてあるのだ。
 火辻の遺骸は、あのとき氷室検事の一行が引きとっていった。
 これでもうX号の活動は完全にとまってしまったわけである。
 谷博士は日ましに元気になっていった。そして博士があのとき氷室検事にちょっともらしたとおり、このあたりの村々を栄えさせるための空前《くうぜん》の大事業に手を染めたのだった。
 まず、道路の修築《しゅうちく》が始まった。
 山を切りとり、崖《がけ》を補強《ほきょう》し、傾斜《けいしゃ》のゆるやかな道路を作っていった。どんなせまいところでも六メートルの幅《はば》を持っている道路をこしらえた。重要な道路は幅が三十メートルもあった。
 こんな道路を作るために、大じかけの土木工事《どぼくこうじ》が行われた。資材も、びっくりするほどたくさんいった。道路とともに、橋もこしらえねばならず、トンネルも掘らねばならなかった。
 こういう仕事を、谷博士が、全部自分で引きうけてやった。
 もっとも、博士が一人でやったのではなかった。働いたのは、博士が製造した機械人間《ロボット》たちだった。
 谷博士に化けていたX号も機械人間を作って売りだした。今、谷博士も、同じようにたくさんの機械人間を製造した。どっちも同じことをやった。しかしこんど谷博士の作りだした機械人間は、非常によく働き、そして正確に行動した。からだの大きさも、ずっと大きかった。顔は同じような機械的な円い同じ目鼻をつけた顔であったが、博士の作った機械人間は、滑稽《こっけい》でとぼけた童子《どうじ》のような顔つきをしていた。だから村人たちから親しみの目で見られた。
 こうして道路ができあがると、こんどは土地の人のために、すばらしい家を建ててあたえた。
 地上は五階もあり、地階が三階あるのが普通であった。耐火耐震《たいかたいしん》の構造を持っているばかりか、冬季には寒がらないで住んでいられ、家の中は春秋と同じようにらくに仕事や生活ができるように、べんりで能率のいい暖房装置《だんぼうそうち》が建物についていた。
 農民たちや炭焼きや猟師《りょうし》たちが喜んだことは、いうまでもない。
 この大建築事業も、たくさんの機械人間が使われ、博士はいつも指揮《しき》をとっていた。
 その次には耕地整理《こうちせいり》が行われた。それと同時に、すべての農具も農業も、機械化された。つまり、耕地は一度みんな一つにして考え、次にそれを機械農具で耕作するのにつごういいように再分割《さいぶんかつ》された。だから、まがった畦《あぜ》を持った耕地はなくなり、また妙な複雑な形をした耕地もなくなった。
 だから耕作は二重三重にらくになり、収穫《しゅうかく》は桁《けた》ちがいに増大した。農民たちの働く時間はすくなくなって、自分が自由に使える時間がたくさんできた。その時間を、農民たちは、楽しく音楽の練習に使ったり、読書に利用したり、工作に興《きょう》じたりした。
 ある家では、そんなにたくさんの家族が、耕作にあたらなくてもいいというので、若い人たちを都会へ出して、工業方面で働かせることにした家もある。
 水をひくこと、太陽熱を利用すること、電気栽培《でんきさいばい》のこと、通信機を備えつけること、運搬用《うんぱんよう》の自動車やヘリコプターを備えつけることなど、これを一つ一つ説明していったら、たいへんな紙数がいるので、ここにはくわしくのべないことにする。
 谷博士は、村がすっかりりっぱになったあとで、こんどは研究所を改築した。それはこれまでのものにくらべて、たいへん大きなものであった。地上から上まで、二十四階もあった。地階は十階だというが、それよりもっと深いといううわさもあった。そしてこの建物は異様《いよう》な形をしていて、だれも一度見ると忘れられない。しかし、村民の中には、こんどの研究所の建物の形が、どうも気味がわるくてならない、やっぱり前のきちんとした塔の方が、感じがよかったという者もあった。
 とにかく、この塔を中心にして、この三角岳地方は、都会にもまだ見られないほどのすごい機械文化都市が建設されたのであった。そしてなおおどろくことは、これらがわずか半年のあいだに完成したのであった。
 谷博士は、毎日五百体の機械人間を使ったということだが、もちろんそれは原子力を利用して、仕事の分量《ぶんりょう》も、ふつうの人間には見られないほど大きかったというものの、とにかく、この谷博士の仕事の手ぎわをまねできる者は、ちょっとなかろうと思われた。
 博士は、それだけで仕事をやめはしなかった。最新の科学技術を利用して、奇抜《きばつ》な計画を進めていった。それはどんなものであったか、章をあらためてお目にかけよう。


   ものいう木


 ふたたび夏休みが来た。
 登山者は一日一日多くなった。
 三角岳の機械都市のことは、ほうぼうにまで鳴りひびいて、学生たちは、今年の夏はぜひそれを見学しようというので、足をこっちへ向ける者が多かった。
 山田《やまだ》君と君川《きみかわ》君という大学生が、やはり三角岳を志《こころざ》して登っていった。
 ところが二人は、あまりふざけちらして歩いていたので、とうとう道を踏みまちがえてしまった。太陽の輝《かがや》いている方向が、どうも自分たちの考えている方角と違っているのだった。あわてて地図をひろげて探したが、地図と現在の位置とが合わない。すっかり心細くなってしまった。太陽もだいぶん下へさがっている。へたをすれば、この山の中に野宿《のじゅく》しなくてはならない。
「困ったねえ、どこへ迷《まよ》いこんだのだろう」
 と、山田君がなげいた。
「もう研究所の塔が見えていいはずなんだが、さっぱり見えやしないよ。いったい、どっちへ行ったら三角岳の研究所へ出られるんだか、どうしたら知れるだろうね」
「さあ、分からないねえ」
 二人が困りきって、ともにしぶい顔になったとき、どこからか、人の声が聞こえた。
「もしもし、あなたがたは三角岳の研究所へいらっしゃるんですか」
 それは美しく澄《す》みきった若い女の声であった。二人は顔を見あわせた。
「だれかが、ぼくたちに話しかけたじゃないか。だれだろう。どこにいるんだろう」
「ぼくも声は聞いたが、あたりには、ぼくたち二人きりで、ほかにだれもいないじゃないか」
「じゃあ、気のせいかな。だれかに道を教えてもらいたいと思うものだから、村の人の声が聞こえたように思ったのかしらん」
「それにちがいない」
 すると、再びその美しい澄みきった女の声が聞こえた。
「もしもし、それなら、あなたがたは道をまちがえていらっしゃいます」
「ははア……」
 二人は顔を見あわせて、あたりをきょろきょろ。しかしやっぱり自分たち二人のほかに、何者の姿も見えない。目につくのは、すこしうしろの道ばたに、一本の大きな木が立っているだけであった。
「もしもし、あなたがたは、ここから道を八百メートルばかり引きかえすのです。すると地下壕《ちかごう》の中にはいります。そこであなたがたは、一階上にあがるのです。そして4と書いてある方向標《ほうこうひょう》を見つけ、その方向へどんどん歩いていらっしゃれば、まちがいなく、三角岳研究所の下へでます。お分かりですか」
「どうもありがとう」
 二人の大学生は、話の途中で、その声がうしろの立ち木の中から聞こえてくるのに気がついた。二人はその前まで行って、木を仰《あお》いで礼のことばをいった。ふしぎなことだった。
「失礼ですが、お嬢さんは、どこにいて、われわれを見ていられるのですか。お嬢さんの声が、この木にとりつけてある高声器《こうせいき》からでて来ることは分かっていますがね」
 と、山田君は、立ち木に話しかけた。彼の考えでは、遠くの場所に、そのお嬢さんが望遠鏡を持って、こっちを見ており、道に迷った人を見つけると、電話のスイッチを入れ、電話装置でわれわれに話しかけるのだと思った。
「私は、ここにいます。あなたが見ていらっしゃる一本の立ち木こそ、私の姿です」
 女の声は、そういった。しかしそんなばかばかしいことを、大学生たちは信じかねた。木が人間の声をだすなんて、おとぎばなしだ。
「ほほほ、私のいうことを、うそだと思っていらっしゃるのね。では、もっとはっきりお分かりになるように、私は動いておみせしますわ。あなたがた、どうぞこちらの方へ、道を引きかえしていらっしゃってください」
 そういう声とともに、その立ち木は枝をぐっと曲げた。それは人間が、腕をさしのばして道を教える恰好《かっこう》と同じに見えた。
「たははは」
「うふふふふ」
 二人の大学生は、その場に腰をぬかしてしまった。彼らは、山の中で、お化《ば》けの木に出あったと思ったからだ。この次は、二人ともこのお化けの木にたべられてしまうだろう。
「ほほほほ」と、お化けの木は、枝をゆるがして葉をさらさらとふるって笑った。
「ここは、三角岳のメトロポリスです。あなたがたは、ここへいらっしゃったら、世界第一の文化都市へ来たとお思いにならないといけません。私たち路傍《ろぼう》の立ち木にも、人間の脳髄と同じような考える器官もあれば、発声の器官もあるのです。これはみんな市長の谷博士がこしらえて、私たちにつけてくだすったのです」
 大学生はおどろいて、引きかえした。立ち木が人と同じような感覚を持っているなんて、そんなことがあっていいだろうか。もっとも谷博士の人工電臓《じんこうでんぞう》のことを知っている者なら、それがうそではないと思うだろう。
「この三角岳メトロポリスには、われわれ木のほかに、昆虫《こんちゅう》、鳥、小さい獣《けもの》、石などにも、人間と同じように考えたり、お話をうけたまわったり、ご返事できる者が、たくさんいるのですよ」
「ふしぎだ。それはいったい何のためです」
「生化学の研究が、生命と思考力《しこうりょく》を持った電臓を作りあげることに成功したのです。これによって、あらゆる物品は、生命と思考力を持つことができるのです。谷博士のすばらしい研究です。こうして種あかしをしてしまえば、ふしぎでもなんでもありませんでしょう。ねえ、学生さん」
「ありがとう。では、お別かれします」
 大学生は立ち木に礼をいって、いそいでそこを立ちさった。こんなおそろしい目に出あったのは始めてである。二人は、三角岳研究所の見えるところまで来たけれども、研究所の建物の奇妙《きみょう》な形を見ると、おそろしさが急にこみあげて来て、そっちへ廻って行くのはやめにした。二人は、どんどん山をおりていった。


   地獄《じごく》の光景《こうけい》


 谷博士の評判は、一時大したものだった。それはこの三角岳村が、最新文化都市に生まれかわり、村人の生活が非常によくなったころのことである。
 ところが、その後になって、博士の評判は少しわるい方へ引きかえした。
 それは博士の作るものが、あまり奇抜《きばつ》すぎたためであった。村人にとって、ものをいう木や、いいつけた用事をしてくれる甲虫《かぶとむし》や、知らないうちに告げ口をする雀《すずめ》や、歌をうたうのが上手《じょうず》な柱などは、はじめのうちこそふしぎふしぎと手をうって、ほめたたえたけれども、それから時がたつと、そういうものには、どうしても親しめなかった。いや、親しめないばかりか、気味がわるくてならない。村人たちは、うっかりしたことがいえないのだ。いつどこに、スパイのような木や石や小動物がかくれているか知れないのであった。
 腰掛《こしかけ》に腰をかけて、仲よく二人の人間が話をしていると、その腰掛が、とちゅうで怒《おこ》ってしまって、あッというまに、腰掛は二人をそこへ尻餅《しりもち》をつかせて、どんどん部屋から逃げていってしまうのだった。
 そのかわりべんりなこともあった。さあ、引越《ひっこ》しだと主人が命令をすると、家中の道具が、自分で動きだして、移転先《いてんさき》の家まで歩いていくのだ。運搬用《うんぱんよう》のトラックなんか不用だ。しかしそのかわり、気味がわるいといったらないのだ。
「だんだん化けもの村になるよ。困ったことだ」
「気がいらいらして来てたまらない。昔の村はのんきでよかったね」
 そんな会話が、ひそかに村人のあいだにとりかわされるようになった。
 谷博士の行きすぎたやりかたが、こんなに評判をわるくしたことは明きらかだ。
 だが、当の谷博士は、こんなことを、行きすぎたこととは思っていない。博士は、もっともっとこの三角岳メトロポリスをべんりな世界にしたいと思って、さらにいろいろと研究と工夫を進めているのだった。
 例の五人の少年たちは、その夏、正式に谷博士の研究所で実習《じっしゅう》させてもらうことになった。そして今、研究所で起きふししている。九月の半ばごろまで、実習はつづくはずであった。
 はじめ少年たちが実習をさせてもらいたいと谷博士に申しこんだとき、博士はいい顔をしなかった。その場でことわった。しかし少年たちはあきらめないで、また申しこんだ。そうしてその結果、戸山君たちの望みは、かなえられたのだ。
 この少年たちが三角岳の研究所で寝起《ねお》きするのは、博士から、最新の科学技術の教えを受けるのが目的だった。しかしそのほかに、もっと少年たちが力を入れていることがあった。それは、かねて少年たちが胸の中にひそめていた不審《ふしん》を明きらかにすることだった。その不審とは、読者諸君もごぞんじのように、谷博士の人がらがどうしても気になってしようがないことだった。
 博士は、姉ガ岡病院で、目の療養《りょうよう》をしているころまでは、戸山君たち五少年が、ほんとうに心から親しめる博士だった。ところが、博士がX号に誘拐《ゆうかい》せられて、この研究所へもどって来、そしてその両眼《りょうがん》がはっきり見えるようになって以来、博士はたいへん元気になったけれど五少年には親しみにくいものとなってしまったのだ。
 少年たちは、かたい約束をして、博士の正体をくわしく調べることになった。そして五少年が研究所で探偵みたいなことをしていることは、博士にさとられないように、深い注意を払うことになった。
 少年たちはひそかに博士の日常生活に目を光らせていたのだ。
 あるとき、少年たちは、博士が夜になってすべての扉に厳重《げんじゅう》に鍵をかけこんだのを知った。
 なにか秘密の実験を始めるのに違いないと思われた。
 少年たちは、かねてそういうこともあろうと思って、その実験室の中を、二部屋向こうからのぞくことのできる屈折式《くっせつしき》の望遠装置《ぼうえんそうち》を作っておいた。その夜、これが始めて役に立ったのである。
 その望遠装置を通して、少年たちが見たものは何であったろうか。
 それは身の毛もよだつような光景であった。谷博士がまっ裸《ぱだか》となり、そして高圧電気の両極の間に逆《さか》さにぶらさがって、ものすごい放電《ほうでん》を頭にあびせかけているのだった。博士の顔は、赤鬼のようになって輝き、頭髪は一本一本、針山のように逆立《さかだ》ち、博士の全身の筋肉は、蛇のむれのようにひくひくと痙攣《けいれん》しているのだった。
「あッ、おそろしい。ぼくは、もう見ていられないよ」
「なぜだろう。なぜあんなことをされているのだろう。だれが谷博士を、あんな目にあわせているのだろう」
 少年たちには、この地獄のような光景が、どうして演ぜられているのか、見当がつかなかった。


   妖怪博士《ようかいはかせ》


 ところが、谷博士は何も悪者のために、こんな恐ろしい目にあわされているのではなかったのである。
 広い実験室には、博士のほかに、人一人見えはしなかった。ただ一人の機械人間《ロボット》が、機械の前に立っていただけであった。
 しかし、ふつうの人間ならば、百万ボルトの高圧電流を頭にあびては、一分、いや一秒でも、生きていられるはずはないのに、博士は平気で、にたにたと悪魔のような笑いを浮かべているではないか。
 しかも博士は、高い天井《てんじょう》から吊《つる》したロープの端の輪に両足をかけ、機械体操の要領《ようりょう》で、さかさにぶらさがっているのである。
 そのような恐ろしい放電は、六分ぐらいつづいた。
「もうよかろう、電気をとめてくれ」
 博士はひくい声でうめいた。
「先生、もうよろしいですか」
 機械人間は、念をおして、機械のスイッチを切った。
 実験室の中は一瞬、深い暗闇《くらやみ》に包まれたが、これはどうしたことだろう。博士の全身は夜光虫《やこうちゅう》のように、ボーッと青白い光りを放ち、髪の毛は針ねずみのように逆立《さかだ》って、その一本一本からは、ぱちぱちと音を立てて、ものすごい火花が飛んでいるではないか。
「一……二……三……」
 博士は、ひらりと宙を飛んで、空中でとんぼがえりをすると、床の上にまっすぐ降り立った。
「ああ、これでやっとせいせいした。たまには電気をかけないと、どうも疲れてやりきれないよ」
 まるで、あんま[#「あんま」に傍点]かマッサージでも、してもらったというように、博士はにやにやと笑って、腕に力こぶを作り、二三度深呼吸をしていたのであった。
「おい、あの五人の少年は、もう寝たかね」
 博士はタオルで、からだの汗をぬぐいながら、機械人間にたずねた。
「はい、もう部屋にかえって寝たと思いますが、見てまいりましょうか」
「きょうはおそいから、もういいよ。しかしあの五人の行動にはちょっとふ[#「ふ」に傍点]におちないところもある。あすからあの部屋に、電臓《でんぞう》をしかけて、その行動をいちいち報告させるようにしてくれ」
「はい。かしこまりました。何にしかけましょうか」
「テーブルか、壁か、そうだ。壁がよかろう。むかしから壁に耳あり、というからな。はっはっは」
 博士は、自分のしゃれ[#「しゃれ」に傍点]が、愉快でたまらないというように、両手をひろげて、大声で笑った。
「おい、着物をくれ」
「はい……」
 機械人間は、そばのテーブルの上においてあった博士の着物をとって渡した。じつにべんりな機械である。人間ならば、こんな真暗闇《まっくらやみ》の中では、何も目に見えないし、一歩も歩けはしないのに、この機械人間は、ちゃんと迷いもせずに、歩いたり、品物を見つけたりするのである。
「サルはどうしている。食物はよく食べているかね」
「はい。どうしておれを、こんな檻《おり》の中へ入れるんだ、などといって、大あばれにあばれておりますが、大丈夫ですよ。くたびれて寝てしまったようです」
 このふしぎな場所では、機械人間ばかりか、ふつうの動物や植物、いや生命を持たない道具までが、動いたり、話したりするのであったから、サルが話をするというのも、けっしてふしぎはないのであるが……。
「では、あすの準備はよろしくたのむ」
「承知しました」
「それでは寝てよろしい」
「お休みなさい」
 機械人間はピョコリと腰をかがめて一礼すると、扉を開けて、廊下へ出て行った。
「さあ、寝る前に、いっぺん、サルにあいさつをしておこうか」
 博士は、ぶきみな笑いを、唇のあたりに浮かべると、実験室の壁の前に立って片手を高くあげ、大声で叫んだ。
「ひらけ、ゴマ!」
 これはどうしたことだろう、何もなかった白壁《しらかべ》には、ポカリと畳一畳ぐらいの大きな穴があいたではないか。博士のからだは、音もなくその穴の中へと、吸いこまれて行った。
「とじよ。ゴマ!」
 中から聞こえる声とともに、壁の穴は、また音もなく、もとのようにとじてしまったのであった。


   恐ろしい疑い


 一方、五人の少年は、望遠装置にうつった、博士の恐ろしい姿に、すっかりおどろいてしまったのである。
「戸山君、いったい博士はどうしたのだろうね。どんな悪者のために、あんな目にあわされているのか知れないが、みんなで助けに行こうじゃないか」
「うん……」
 そういいながらも、戸山君は、望遠装置からはなれようとはしなかった。
「戸山君、どうしたんだい。早く行こうよ」
「君たち、これはたいへんな話だよ。ちょっとあわてずに待ちたまえ。いったいあれはほんとうの谷博士かしら」
「そんなこと、あたりまえじゃないか。谷博士でなかったら、だれだというんだい」
「もしかしたら、……X号が博士のからだの中にしのびこんで……」
 このおそろしい想像に、少年たちは冷水をあびせかけられたように、震《ふる》えあがってしまったのだった。
「どうして……どうして、そんなことがわかる」
「だって、君、ふつうの人間なら、百万ボルトの電流を頭にかけられたら、一分一秒でも、生きていられるわけがないじゃないか。それだのに、博士はにやにや笑っている。ほんとうの博士なら、どんなに不死身《ふじみ》だって……」
 だれも答えるものはなかった。
「いつか博士はぼくたちに、病院で、X号のことを話してくれたね。博士が作った人工生物、電臓《でんぞう》は、三千ボルトという高圧の電気をあびて、はじめて生命力を持ったんだ。そして初めは、機械人間のからだの中にはいっていた。それから火辻軍平《ひつじぐんぺい》の死体の中へはいりこんだ……」
 四人はがたがた震えていた。
「そんなことができるくらいなら、X号が谷博士を殺して、その屍体《したい》の中へはいりこみ、われわれの目をごまかすことも、ちっともむずかしいことはないだろう。そうだよ。きっとそれにちがいないとも。それだから、ああして百万ボルトの電流をあびても、平気で生きていられるんだよ」
「そうかも知れないね。だけど、それではぼくたちは、どうすればいいんだい」
「X号というのは、どんなことを考えているのか。ぼくたちにはまだよく分らない。だが、こうしてこのあたりが、まるでお化《ば》けばかり住んでいるような、ふしぎな国になっているのは、X号が何かをたくらんでいることをものがたっている。これはこのままにはしておけないよ」
「それではどうすればいいんだね」
「なんとかして、X号の秘密を探りだして、みなに報告するんだ」
「どうして探るんだい」
「うーむ。それはね……」
 さすがの戸山少年も、その方法には、ちょっと困った様子であった。何しろこの建物の中では、机が動きだすかも知れず、壁に耳があるかも知れないので、何一つゆだんはできないのであった。
 その時である。廊下にことことという足音が聞こえて来た。人間の足音ではない。機械人間が、廊下を一人で歩いているのだ。
「やはり機械人間だよ。実験室からこちらへ歩いて来た」
 扉を細目にあけて、のぞき見をしていた、少年がふりかえってささやいた。
「するとさっき望遠装置にうつった機械人間だな……」
 戸山少年は、何かしきりに考えこんでいた。
「おや、何も見えなくなったよ。実験室は真暗《まっくら》になって、もう博士の姿は見えないよ」
 望遠装置をのぞきこんでいた一人の少年が、おどろいたように叫んだ。
「それじゃあ、実験はすんだんだね」
 戸山少年は、唇を血の出るようにかみしめて、しきりに首をひねっている。
「ちょっと、便所へ行くふりをして、様子を見てくるよ」
 戸山少年は、みなのとめるのをふりきって、廊下へとびだしたが、まもなく帰って来てふしぎそうにいいだした。
「どうしたのか、実験室の戸は開いているし、中にはだれの姿も見えない。しかし、たしかに博士はあの部屋から出たはずはないから、どこか秘密の抜け穴がつくってあるにちがいないよ。みんなでその秘密をさぐろうじゃないか」
「うん、ではみんなで行ってみようよ」
 この中で、どんな恐ろしい目にあうとも知らず、五人の少年は、足音をしのばせて、まっくらな実験室の中へしのびこんだのだった。


   ひらけゴマ


 実験室の中には、人間一人いなかった。壁のスイッチをひねっても、部屋の中には、大きな放電装置と、いくつかの機械が並んでいるばかり、博士はこの部屋から出て来たはずはないのに、今その姿はどこにも見えないのだ。
「まさか、いくらX号だといって、消えてなくなるわけはないだろうにね」
 この少年たちは、谷博士を、X号の化けたものときめこんでいるのだった。
「いや、きっとどこかに、秘密の抜け穴があるんだよ」
「でも、それなら、なんだよ。壁なり床のどこかに接ぎ目がありそうなもんじゃないか。このとおり、床は厚いコンクリートだし、壁もそのとおり、探すだけ、むだだぜ」
「そんなのあたりまえの考えかたさ。ここの建物は、まるで化物屋敷《ばけものやしき》だから、どこにどんなかくし戸や抜け道があるかも知れないよ」
 戸山少年は、あくまで自分の考えをすてようとはしなかった。
 だがいくら壁をたたき、床をはい、機械や戸棚のかげや下を探しまわっても、そんな抜け穴は、どこにも発見できなかった。
「とてもだめだよ。もしそんなものがあったとしても、ぼくたちにはぜったいに見つからないようになってるんだろう」
 少年たちは、もうすっかりのぞみをなくした様子《ようす》であった。
「ちぇッ、残念だなあ。どこかにあるにはちがいないんだがなあ。むかしのアラビアンナイトというおとぎばなしなら、こうして立って壁へ向かって、何か呪文《じゅもん》をとなえると、大きな岩が動きだして、宝のかくし場所への道がひらくんだぜ」
「どんなふうにするんだい。やってごらんよ」
「あの呪文はなんといったっけな。そうそう、たしかひらけゴマと叫ぶんだよ……」
「あッ、戸山君、壁が、……壁が動きだしたよ……」
 少年たちは顔色をかえて、身ぶるいしながらたがいに身をすりよせた。それもそのはず、戸山少年が、ひらけゴマ、という合言葉《あいことば》を口走った瞬間、目の前の壁がぽかりと音もなく、大きな口をあけたのだ。
「これだ。これだったんだ。あの物語と同じようにひらけゴマといえば、秘密の通路への入口がひらくんだよ」
「じゃあ、どうする」
「このままにしちゃおけないよ。いったんこうして入口が見つかった以上、最後の最後まで博士の秘密を見やぶってやろうじゃないか」
「よし、では行って見よう」
 戸山君のほか四人の少年は、恐ろしさにいくらか二の足をふんではいたが、戸山少年があまり元気がよかったし、X号の秘密を見やぶってやろうという好奇心《こうきしん》でいっぱいで、この中にどんな恐ろしいものが、かくされているかなどということは少しも考えずに、壁の中へとふみこんだのだった。
 だが、そこはまるで押入《おしい》れのようなせまい穴で、右も左も前も上も下も、みな行きどまり、どこへ行きようもなかったのだ。
「戸山君、これはだめだよ。きっとちがうところへはいったんだ。このとおり、中には何もないじゃないか。出ようよ」
「いや、きっとここには何かあるはずだ」
 そのことばが終るか終らぬうちだった。
「あなたがたはどこまで行くのですか」
 どこからともなく、ひくい声が聞えて来たのである。
「谷博士のところへ行きたいんだ」
 戸山少年は、どきょうをきめて、元気よく答えた。
「それでは戸をしめてください。ここをしめてもらわないと、私は動けませんよ」
 だれが話しているかは知れないが、人間のものとは思われなかった。
 ここまで来てひっかえしては、かえって怪しまれることになる。だがまぐれあたりで、壁の扉はひらいたものの、扉をしめる合言葉までは知らないのだった。だが、「ひらけゴマ」ということばで扉がひらいたのだから、あのアラビアンナイトの中の文句どおりに、「とじよゴマ」といって見たらどうだろう。
 こう思った戸山少年は、手をあげて叫んだ。
「とじよ、ゴマ!」
 その瞬間、音もなく、壁はまたもとのようにぴたりととじた。そしてその小さな部屋はたちまち、矢のように下におりはじめた。
 エレベーターだ。この部屋はそのまま、エレベーターになっていたのだ。そしてさっき話しかけたのは、このエレベーターだったのだ。
 何十メートル、いや何百メートルくだったのだろう。いつのまにか、建物の下の丘の中には、こんな深い穴が掘られてあったのだ。
 五六分もすぎたころだろうか。エレベーターはしずかにとまった。
「はい、着きました」
 こんどは何も合言葉をいわなくても、目の前の壁はしずかにひらいた。そして五人の目の前にはせまい廊下がつづいていた。


   人かサルか


 五人がその廊下へ出ると、うしろの壁は、音もなくとじた。
 さて、これからどこへ行ったらよいのだろう。廊下の両がわには、いくつも部屋が並んでいるが、博士がどこにいるかは、ぜんぜん分からなかったのだ。むやみに扉を開けてまわるわけには行かないし、それにまた、扉がかんたんにひらくかどうか疑問である。
 だがこうしていても、しかたがないから、ためしに一番手前の扉の引き手を廻してみると、扉は手ごたえもなくすーッと開いた。しかし鍵がかかっていないだけあって、中は空、何もはいってはいないのである。
「この部屋はだめだね。何もないよ」
「それでは別な部屋を探そうや」
 戸山少年は先に立って、部屋を出ようとするほかの少年をおさえて、廊下の様子をのぞいたが、思えばこれがよかったのだった。
 その時、右がわの三番めの部屋から、谷博士がぷんぷん怒ったような顔をして、ポケットに手をつっこんで出て来たのである。
 もし五人がここで見つかったら、どんなひどい目にあったかも知れないだろう。だが博士は、この部屋に五人の少年が、かくれていることには気がつかず、エレベーターの方へ行ってしまったのだった。
「しまった。みんな、たいへんなことになったよ」
 さすが元気にみちみちた、戸山少年も、その時はぞッとしたのである。
「どうしてなんだい」
「だって、博士がエレベーターへ乗って、上へあがってしまったろう。そして博士が実験室へ出てしまったら、エレベーターは上へあがりきりになるんだから、ぼくたちは帰るわけには行かないじゃないか」
 なるほど、このエレベーターは、ボタンをおすと、ちゃんとその階まで、あがったりおりたりするような、ありふれたものとはちがうのである。
「こまったな」
「みんなどうする」
 五人が頭をあつめて相談しても、これという名案は浮かばなかった。
「戸山君が、あんまりむちゃなことをやりだすから、こんなことになるんだよ」
「そんなことをいったって、いまさらどうにもしようがないよ。ここまでせっかく来たんだから、博士の出てきた部屋には何があるか、まずそれから探ることにしようじゃないか。そのうちには、また名案も浮かぶだろう」
 五人は部屋から飛びだして、いま博士の出てきた部屋の扉の前に忍《しの》びよった。扉の引き手を廻すと、さいわいにこれにも鍵がかかっていない。きっと、まさかここまで来る人間はあるまいというので、博士もゆだんをしていたのであろう。
 部屋の中には、大きな檻《おり》が一つおいてあるだけだった。そしてその檻には、大きなサルが一匹動きまわっていたのである。
 日本ザルではなく、オランウータンかチンパンジーの類かと思われたが、そのサルは五人の顔を見ると、とたんに檻の中で飛びあがった。そうしてうれしそうに、涙をぽろぽろとこぼしていたのである。
「おや、へんだね。サルが泣くなんてことがあるのかしら」
「きっと、目にごみか何かが、はいったんだよ」
「しかし、博士はこの部屋で、サルを相手に、いったい何をしていたんだろう」
 少年たちが、部屋の中を、きょろきょろと見まわしていた時だった。どこからか、「戸山君」と、少年の名を呼ぶものがあった。
「おや、だれか、ほくの名まえを呼んだかね」
「だれも呼ばないよ」
「へんだね。気のせいかしら」
「戸山君、ぼくだよ。ぼくが分からないかね」
 なんとなく、聞きおぼえのあるような声だった。だがどこから聞こえて来るかは分からない。
「戸山君、わかった。わかったよ。このサルが、君の名まえを呼んでるんだよ」
 一人の少年がおどろいたように叫びをあげた。ほかの少年も思わず、ふりかえって、檻の中のサルを見つめた。
「そうだ。やっと気がついたかね。よく助けに来てくれたね。ぼくだよ。ぼくが分からないかね」
 サルは鉄の格子《こうし》にすがりついて、気が変になったようにわめきたてているのだった。
「早くここから出してくれ。そうしないと、たいへんなことがはじまるんだ。早く、早く、この檻を開けてくれ」
「あなたはいったいだれなのですか」
 戸山少年は、恐《おそ》るおそる、このサルにおうかがいを立てたのである。
「ぼくは谷だよ。X号のために、こんな目にあわされたんだ」
 サルの答えは、五人の少年を、心から震《ふる》えあがらせたのだった。


   谷博士のものがたり


「あなたは、ほんとうに谷先生なんですか。それでは、いまここから出ていった、谷博士はいったい何者でしょう」
 戸山少年は、うんとおなかに力をいれて、十分念をおしたのである。
「わからないかね。君たちは、あれがX号の化《ば》けていることに気がつかなかったのかい」
 サルは檻の中で、じだんだふんでくやしがっている。
「でも、先生は、目をわるくして、ぼくたちの顔をごらんになったことがなかったでしょう。それによく、ぼくたちだということが分かりましたね」
 何しろ、いままで何度もだまされているので、戸山君もなかなかゆだんをしないのである。
「それはね、目は見えなくても、君たちの声はちゃんとおぼえていたし、それにX号が、君たちがこの研究所に来ていることを話してあったから、君たちがこの部屋へはいって来たときには、ちゃんとけんとうがついたんだよ」
 サルは怒《おこ》ったようだった。
「よく分かりました。だけど、この檻はどうしてあけたらいいのです」
「となりの部屋に、鍵がおいてあるはずだから、それをさがして来てくれたまえ」
 戸山少年は、あわてて部屋をとびだして、となりの部屋をさがしたが、あいにくそこには鍵はなかった。ただそこにも大きな檻があって、中には谷博士と同じ種類のサルがぐうぐうと大きいいびきをかいて、眠っていたのである。
「先生、鍵はどうしても見つかりませんでしたよ」
 戸山君は、さっきの部屋へかえって、サル――いや本物の谷博士に報告した。
「そんなはずはないんだが――さてはX号が持っていったかな」
 サルはばりばりと歯ぎしりをした。
「ところで先生、先生はどうしてこんな所にとじこめられたのです」
「それがね、ぼくもゆだんしていたんだ。X号がぼくを病院からさらって逃げたことは、君たちもよく知っているだろう。ところが君たちが、ぼくに化けたX号をにせ者だと見やぶって、この研究所を襲撃したので、X号は火辻軍平のからだにはいっていては危険だと思ったんだね。それでぼくを殺して、ぼくのからだの中へはいりこみ、君たちの目をごまかしたんだ。そしてぼくの脳髄《のうずい》だけを、このサルのからだに移して、あとでまた、役に立てようとしたんだよ」
「すると、となりの部屋にいたサルは……」
「あのサルも、ぼくのからだと同じ、人工《じんこう》のサルだよ。ただむこうは、サルの脳髄しか持っていないし、こちらは人間の脳髄を持っているだけのちがいだよ」
「それでX号は、これからどんなことをやりだそうというのです」
「あいつは恐ろしいやつなんだ。智恵の力はふつうの人間とは、くらべものにならないくらいすぐれているが、感情だの、道徳《どうとく》だのというものは少しも持ってはいないんだ。あまり自分の力がすぐれているんで、あいつはこのごろでは、少し増長《ぞうちょう》して来たらしく、地球上の人類を全部殺してしまって、自分らがそのかわりにとってかわろうとしているんだ」
「そんな恐ろしいことが、ほんとうにできるんですか」
 少年たちは、恐ろしさにがたがたとふるえていた。
「できる。X号にならできるとも。君たちは、この地下室をなんだと思うかね」
「さあ、ぼくたちには、よく分かりません」
「X号の秘密工場だよ。あいつは、いつのまにか、機械人間の力をかりて、この三角岳《さんかくだけ》の地下に、十六階の地下工場をつくりあげた。ここはその一番下の階なんだが、この上の十五階の一つ一つでは、ものすごい物ばっかりがいま作られている。
 ぜったいに防ぎようのない、伝染病《でんせんびょう》のばいきんだとか、なんの臭いもしない猛烈な毒ガスだとか、いまの人間の力ではまだ完成されていない、すごい威力を持った原子爆弾だとか。さいわい、この工場は、一週間ほどまえにできあがったばかりで、まだそんなものの大量生産にはうつってはいないが、もし一月もほうっておけば、その時は地球上の全人類が滅亡する時だよ」
 なんと恐ろしいものがたりだったろう。少年たちのからだは、木の葉のように震《ふる》えていた。どうしても、これはこのままにしておくことはできない。どんな方法をとっても、このX号の野心は粉砕《ふんさい》しなければならないが、さてその方法は――
 五人は、またしてもはっ、とかたずをのんだ。うしろの扉が音もなくひらいて、一人の機械人間がはいって来たのだった。


   ふしぎな機械人間《ロボット》


 五人の少年は、その機械人間の姿を見たとき、思わずぞっとしたのだった。精巧《せいこう》な機械の力で動く、この機械人間の恐ろしい怪力《かいりき》は、少年たちも毎日のように、自分らの目で見ていたのである。そして機械人間はすべて、にせの谷博士の命令には、ぜったい服従《ふくじゅう》して動くのだった。自分たちが、こうして地下室へ忍びこんで、サルになった本物の谷博士と話をしているところなどを見られたら、とうてい命はあるはずがない!
 しかし、この機械人間は、五人めがけてとびかかるような気配《けはい》はなかった。
「戸山君、君たちはここでいったい何をしているんだね」
 その声には、機械人間に特有の、きいきいとした金属的な音ではなく、ふつうの人間の声のような、やわらかさがあった。
「べつに……何も……」
「早く、自分の部屋にかえりたまえ。こんなところでうろうろしているところを、博士に見られたらたいへんだ。みんな殺されてしまうよ」
 そのことばにも、機械人間《ロボット》とは思えないような、同情の調子がみなぎっている。
「君、君はいったい何者だね」
 檻《おり》の鉄棒につかまって、ものすごい目で機械人間の方をみつめていた、サルの谷博士が、がてんがいかないというふうにたずねた。
「おや、このサルは口をきくんだね。そういうおまえこそいったい何者だ」
 機械人間はおこったようであった。
「きさまらは、X号の一味のくせに、ぼくの正体《しょうたい》がわからないのか。ぼくこそ、ほんとうの谷博士だぞ」
 機械人間は、おどろいたように、二三歩よろよろとよろめいた。
「そんなばかな……そんなはずは……だがいったいそれはほんとうですか」
「ほんとうだったら、どうするんだ」
「そういえば、声もたしかに先生の……これは失礼いたしました。ずいぶん先生を、おさがししていたんですがね。まさか、こんなところにおられるとは気がつきませんでしたから。先生、X号の陰謀《いんぼう》をごぞんじですか。地球上の人類を絶滅《ぜつめつ》させて、自分らがそのかわりにとってかわろうという………」
「知っている。知っているとも。X号は気が変になってしまったんだ」
「そのとおりです。先生、早くこの檻から出てください。そして先生のお力でなんとかして、このX号を倒してください。さもないと、あとわずかのうちに、とりかえしのできないことになりますから……」
「わかっているよ。君がそんなにいうのなら、ともかくここから出してくれたまえ」
「承知《しょうち》しました」
 機械人間はこつこつと足音を立てて、廊下《ろうか》の方へ姿を消した。
「戸山君、これはどうしたんだろうね。見つかったら命がないと思って、ひやひやしていたら、あの機械人間は、ふしぎなほど、こちらに親切じゃないか」
 一人の少年が、戸山君の耳にささやいた。
「そうだね。じっさいふしぎだ。機械人間はぜんぶ、X号の手下だと思っていたら……きっと、機械人間もああして考える力を持つようになったものだから、X号に反対する仲間もそのうちにできて来たんだろうね」
 こうでも考える以外、まったくなんとも考えようはなかったのである。
 そのうちに、機械人間は、手に何か、火焔放射器《かえんほうしゃき》のようなものをかかえてかえって来た。
「先生、それではこの錠《じょう》を焼ききりますよ。やけどをするといけませんから、向こうのすみへ、はなれていてください」
 しゅーッと音がして、機械からは、紫色の雷弧《アーク》がとびだした。その火にあたると、がんじょうな鉄の錠も、みるみるあめのようになって、どろどろに熔《と》けおちてしまったのだった。
「さあ、これで扉はあきましたから、出ていらっしゃい」
 サルは、おどりあがって、檻からとびだした。
「ありがとう。機械人間君、お礼をいうよ。このとおりだ」
 サルは機械人間の鉄の手をにぎって、ぽろぽろと涙をこぼした。
「お礼なんか、どうだっていいんですよ。だれかに見つかるといけませんから、ちょっと細工《さいく》をしておきましょう。どうせばれるにはちがいありませんが、一分でも時をかせいだ方が有利ですからね」
 機械人間は、檻をたたいて何か合図をした。すると空になった檻は、すっかりひとりでに動いて廊下へ出た。と思うと、廊下からは、となりの部屋にあったはずの、サルの眠っている檻が、ひとりではいって来たのである。
「こうしておけば、しばらくは先生がここから逃げだしたこともごまかせるでしょう。X号は、先生がいつのまにか、サルに退化《たいか》したと思ってびっくりしますよ。わっはっは」
 機械人間はこういって、からからと笑った。なんとふしぎな機械人間ではないか。
「それでは先生、みなさん、こちらへ」
「いったい、君は何者《なにもの》なんだね」
 サルの谷博士は、まだまだこの機械人間に気は許せないという様子であった。機械人間は、ふふふとふくみ笑いをすると、サルの耳に口をよせて、何かくしゃくしゃ、ささやいた。
「えッ、君はすると……」
「しッ、先生、大きな声を出しちゃいけませんよ。この建物の中では、何一つゆだんして物がいえないのですよ」
 機械人間はこういって、じッとあたりの様子をうかがっているのだった。


   X号おどろく


 その翌朝、X号の谷博士は、大きなあくびをしながら、自分の部屋の寝台の上で目をさました。
「ああ、いい気持ちだった。ゆうべ電気をかけておいたおかげで久しぶりによく寝たが、これでせいせいしたわい」
 こんなひとりごとをいって、博士は枕《まくら》もとのボタンを押した。
 扉がひらいて、一人の機械人間が、銀の盆《ぼん》の上に朝食をのせてあらわれた。バタートーストにスープに、ハムエッグスに、コーヒーに葡萄酒《ぶとうしゅ》、どれもふつうの量の三倍から四倍もあった。
 顔も洗わず、歯もみがかずに、X号がもりもりと、朝食をたべはじめた時である。扉のかげから、いま一人の機械人間が、あわてたようにかけこんで来た。
「先生、たいへん、たいへんですよ」
「なんだ、うるさい。朝っぱらから、そんな大きな声でさわぎたてては、朝飯《あさめし》がまずくなってしまうじゃないか」
 X号は、眉《まゆ》をひそめて、その機械人間を荒々《あらあら》しく叱《しか》りとばした。
「でも、先生、これは天下の一大事ですよ。あの五人の少年が、どこかへ姿を消しました」
「なんだと」
 さすがにX号も顔色をかえて、スープの中へハムエッグスをぽたりと落とした。
「そればかりではありません。実験室の二つ向こうの部屋から実験室の中がうつるような、望遠装置がしかけてありました。きっとあいつらのしわざにちがいありません」
「ちくしょう」
 X号は、ばりばりと歯ぎしりし、お盆をひっくりかえして、寝台の上へむっくと立ちあがった。
「さては、あのがきめら、わしの正体を見やぶったな。ゆうべ電気をかけていたところをのぞいて、それで恐ろしくなって逃げだしたな。さあ、こうしてはおられぬわい。さっそくつかまえて、一寸《いっすん》だめし五分《ごぶ》だめし、なぶり殺してやらねば、こっちの気がおさまらないわ」
 目を逆立《さかだ》て、口を耳までひろげて、どなり立てるX号の姿は、まるで赤鬼のようにものすごかった。
「見張りはなにをしているんだ。この建物から夜のあいだに出はいりすれば、かならず電波探知機《でんぱたんちき》で、非常警戒のベルが鳴るはずなのに、機械は故障でも起こったのか」
「いいえ、機械にも何も異状《いじょう》はありませんし、見張りの機械人間も、だれの姿も見うけなかったと申しております。窓も戸口も内がわから鍵がかかっていて、逃げだした形跡《けいせき》はどこにも残っておりません」
「よーし、それではあいつらは、まだこの研究所からは逃げだしていないな。きっとわしの姿を見てこわくなって、どこかへかくれて、青くなって、がたがた震《ふる》えているのにちがいあるまい。そんなスパイを生かしてかえしては、せっかくのわしの計画も水の泡《あわ》だ。研究所の中を隅から隅まで、捜索《そうさく》して、あいつらの居所を探しだせ」
 X号はかんかんになって、しきりにどなりたてたのである。
 まもなく、研究所の内部には、けたたましいサイレンの音が鳴りひびいた。
 ――非常警報《ひじょうけいほう》発令、非常警報発令――
 研究所にやって来た五人の少年は、恐《おそ》るべき敵のスパイであった。全力をあげて、彼等の行方《ゆくえ》をさがしだせ。万一ていこうしたならば、即座《そくざ》になぐり殺してさしつかえない――
 このような恐ろしい命令が、ラウドスピーカーから、研究所の建物中にひびきわたった。もちろん、この研究所の中には、ほかに人間はだれもいないのであるから、この命令はこの研究所ではたらいている機械人間にあてて出されたものである。
 そのうちに、機械人間Z16号から報告があった。X号の部屋のラウドスピーカーから、このようなことばが聞こえて来たのである。
「Z16号報告。実験室から地下工場へ通ずるエレベーターの報告によりますと、ゆうべおそく、五人の子供は、地下十六階へおりたそうであります。ただしその後あがって来た形跡はありません。報告おわり」
「さては、あいつら、わしのあとをば、つけおったな。どうするかおぼえておれ」
 X号は手をふり足をふって、部屋の中をあばれまわっていた。そしてマイクロホンに近づくと、
「地下十六階の全員に命令。五人の少年は、ゆうべそこへおりていったことが判明した。おそらくまだそのままそこに残っているものと思われる。隅《すみ》の隅まで調べだして、わしの前までひきずりだせ」
 このようなおそろしい命令をくだしたのである。
 ところが、地下十六階からは、ぜんぜんなんの報告もなかった。


   地底の闘い


「地下十六階、地下十六階、Q37号はどうしている。Q28号はどうした……」
 X号はマイクロホンに向かって、どなりたてたが、地下十六階からは、ぜんぜん何も聞こえて来ない。
 X号も、さすがに不安になって来たのだ。
「Z27号、おまえはいまどこにいる」
「はい、地下十二階におります」
 ラウドスピーカーから機械人間の声が聞こえた。
「地下十六階から、なんとも返事がないんだが、どうしているのか、おまえ行ってしらべてくれ。ゆうべ、五人の少年が、しのびこんだような形跡があるが、谷博士と連絡をとられたら一大事だからな」
「はい、行ってまいります」
 だがいくら待っても、Z27号からもなんの返事もなかった。
「ええ、なんとたのみがいのないやつらだ。そんなことなら、わしが行くわ」
 X号は、こうして待ってはいられなくなったのであろう。護衛の機械人間五人ばかりをひきつれて、地下十六階へおりて行ったのであった。
 ところが、これでは返事がなかったのも道理《どうり》である。地下十六階は、もともと一番底の階なので、倉庫があるだけで、そこで働いている機械人間の数もすくなかったが、その機械人間が一人のこらず、むざんな最後をとげていたのである。
 といっても、人間とちがうのだから、絞《し》められたり、刺しころされたり、頭を割られたりしているのではない。
 火焔放射器《かえんほうしゃき》で、頭の中を焼ききられて、身動きできなくなっていたのであった。これらの機械人間は、X号のように高級の電臓を持っているのではなく、ただ簡単な動作と会話ができるだけであって、それを操縦しているのは、地上の七階にある、自動調節装置《じどうちょうせつそうち》からであった。この機械から特殊な電波を一つ一つの機械人間に送って、この研究所に働いている千人あまりの機械人間を、自由に動かしていたのである。
 そんなものだから、こうして頭の中にある、電波の受信装置《じゅしんそうち》を焼ききられてしまうと、機械人間は、鉄屑《てつくず》のかたまりのようになって、なんの役にも立たないのである。
「おや、いったいだれが、こんないたずらをしたのだろう。これはけしからん。あの子供ら、なかなかあじなことをしおるわい」
 X号は口の中で、ぼそぼそとつぶやいた。いまこの階へ、命令をうけて、やって来たばかりのZ27号も、頭をとかされて、完全にのびてしまっていたのであった。
「おまえらはさっそく、ここをくまなく捜査して、この下手人《げしゅにん》をさがしだせ。しかし、ゆだんはするな。ゆだんをすると、Z27号みたいなことになるぞ。まだ犯人は遠くへは行かぬはずだ」
 X号は大声に叫んだ。
 さて機械人間は大急ぎで四方へ散って、血まなこであちらこちらを探しまわった[#「まわった」は底本では「まった」と誤植]が、この時には、この階には、人間はおろか、機械人間の影さえ見あたらなかったのである。
「先生、もうどこにもなんにも見つかりません。きっと上へ逃げたんでしょう」
 一人の機械人間が帰って来て報告した。
「いや、そんなはずはないよ。エレベーターも、階段も、機械人間以外にはぜったいにあがりおりしたものはないといっている。まさか、消えてなくなるわけはないではないか」
 一人の機械人間が、ふんがいしたようにことばをかえした。
「おかしいな。この階で鍵のかかっている所はないか」
「サルの部屋に鍵がかかっていて、その鍵がどうしたのか見えません」
「ははあ、分かった。あいつらはその部屋へ逃げこんで、中から鍵をかけおったな。みんなこの扉を叩《たた》きこわせ」
「はい」
 二三人の機械人間は、扉に体あたりをしていたが、さすがの機械人間の怪力《かいりき》にも、この厚い鉄の扉は、びくともしなかった。
「相手は手ごわいぞ。火焔放射器を持っているらしいから、よし、この部屋の通気孔《つうきこう》から、毒ガスを注ぎこめ」
 X号はいまは、かんかんに怒っていた。一人の機械人間は、さっそくその準備に飛びだしたが、その時X号は、ふと思いたったことがあった。
「さてはあの子供らめ、谷博士としめしあわしてのしわざだな。いよいよ博士も生かしておけんぞ」
 X号は、あの谷博士のとじこめられていた部屋へとびこんだのである。


   サルは語らず


「いや、なんだ、まだ博士はどこへも逃げてはいないじゃないか」
 さすがの超人X号も、まだ博士とサルの入れかえには気がつかなかったのである。
「やい、谷博士。きさまはよくも、あの小わっぱどもとしめしあわせて、このおれに手むかおうとたくらんだな。もうこのままにはしておけんぞ。八つざきにしてやるから、かくごしろ」
 ところが、サルはそのことばの意味も分からないように、鉄棒をゆすぶってキャーッと叫んでいただけである。
「そんな手で、わしをだまそうとしたって、ききめはないぞ。さあ、小僧たちに何をおしえた」
「キャーッ、ウォーッ」
 あいかわらず、サルは返事をしないのだった。
「いわないなら、いわんでもいい。いま聞いてやるからそう思え」
 X号は、壁にかかってあるレシーバーを耳にあて、壁のボタンを押した。この檻全体が一つの脳波受信機《のうはじゅしんき》になっていて、中にいる谷博士の考えていることは、ちゃんとこのレシーバーから聞こえて来るのである。ところがその時は、キャーッという叫びと、ズーズーという雑音《ざつおん》がはいるだけで、かんじんの博士の考えは、何一つX号に分からなかった。
「はてな。こんなはずはないが。どうしたのかな。機械の故障かな。それとも博士がいつのまにか、ほんとうのサルに退化《たいか》したんかしら」
 さすがのX号も、この時は、思わず首をひねったのである。
 その時、うしろの廊下から、一人の機械人間があわててとびこんで来た。
「毒ガス注入《ちゅうにゅう》終りました」
「よし、それではすぐに圧縮空気《あっしゅくくうき》を吹きこんで、毒ガスを追いだせ」
「はい」
 消毒作業はまもなく終った。
「それでは火焔放射器で、この扉を焼ききれ」
「はい」
 一人の機械人間が、火焔放射器を扉にむけ、またたくまに、錠はとけて焼けおち、扉はガタンとひらいたが、中には五人の少年とサルが毒ガスにやられて、倒れていると思いのほか、残っているのはからの檻だけ――中には何もはいっていなかった。
「しまった。まんまと小僧めと博士にしてやられたわい。さては博士はサルと入れかわって、となりの部屋から逃げだしたと見える。だが、どうしてこの階から上へ逃げだしたろう」
 X号はがくがくとからだをふるわせて、興奮《こうふん》しきっていたのである。
 ところが、X号のおどろきは、まだまだそれではすまなかった。廊下いっぱいに、ラウドスピーカーから、大きな声がひびきわたった。
「非常警報、非常警報。
 ただいま機械人間操縦室に、火焔放射器を持ったあやしい機械人間が七名侵入、目下|激戦中《げきせんちゅう》、応援《おうえん》たのむ。応援たのむ。オー、ウワァーッ」
 けたたましい悲鳴《ひめい》とともに、その放送はばたりとたえてしまったのである。
 さすがのX号も、こんどというこんどは恐ろしさにたまりかねた。あわててあたりを見まわすと、まわりにいた機械人間は、一人のこらずばたりと動かなくなってしまったのである。
 さては怪機械人間の一味が、機械人間操縦室を占領したのだ。そうして機械を停止して、機械人間へ送る電波を切ったのだろう。
 だが事はそれだけではすみそうにもない。万一《まんいち》彼らが、別の電波を送りはじめたら、機械人間はまた動きだして、自分へとびかかって来ないともかぎらないのだ。
 X号は血まなこになって、エレベーターへとびこんだ。
「地上二十四階へ」
 エレベーターは矢のように、地下十六階から、この研究所の最上階、二十四階へ飛びあがっていった。


   機械人間《ロボット》の正体


「やれやれ、これでやっと一仕事かたづいたわい」
 機械人間操縦室を占領した、怪機械人間の一隊は、さすがにほッとした様子であった。
 部屋の中には、五六人の機械人間が、火焔放射器でやられてひっくりかえっており、壁にはめこまれた、数千のダイアルの前では、ちゃんと人間の形をした、人造人間が、うつぶせになって倒れていた。
「先生、これでもうこっちのものですね。機械人間さえやっつけてしまえば、X号の一人ぐらい、恐るることはありませんよ」
 その声は、どうやら戸山君らしかった。
「いやいや、まだまだゆだんは禁物《きんもつ》だ。X号は、このうえ何を考えだすか、知れないのだから、なんとかして、あいつをこっぱみじんに粉砕《ふんさい》してしまわないと、どうしても安心はできないよ」
 その声は、たしかに谷博士である。
「ではどうして、あの電臓《でんぞう》をたたきつぶすのです」
 別の機械人間がたずねた。
「あいつを作りだしたのは、ぼくとしても、一生一代の失策だったよ。やはり人間というものは、自分の力の限界をさとるべきだった。生命を作りだすということは、神さまだけのなすことで、人間の力でくわだてることではないんだ。それをやろうと思ったのが、ぼくがこうして苦しむもとになったのだ……。
 いや、今さらそんなことをいっている場合じゃない。X号の電臓は、三千万ボルトの高圧電流で生命を受けたのだから、ちょっとやそっとの方法では、殺すことはできない。ここにいたような、ふつうの電臓なら、実験室の百万ボルトぐらいで動きだした、下等な電臓だから、火焔放射器でのびてしまうけれど、あいつはそんなことではとうていだめだ。たった一つのこされた方法は……」
「それはいったいどうするのです」
「恐ろしい方法だが、いまここではいえない。それよりもまず、一刻も早く、外部に連絡をとろう。山形君、短波放送で、警察に連絡をしてくれたまえ」
「はい」
 一人の機械人間が答えて、短波放送機に近づいた。
 山形――といえば、どこかで聞いたような名ではないか。そうだ。X号によって、娘のからだの中へとじこめられた、山形警部が、あの地下室へあらわれた、怪機械人間の正体だったのである。
 彼は、自分の体がはずかしいので、役所にも出ず、自分の家へひきこもったきりだったが、何度もとのからだにかえしてくれとたのんでも一向にらち[#「らち」に傍点]があかず、そのうちに博士がふしぎなことばかりやりだしたので、いよいよ博士の正体に恐ろしい疑いをいだき、一人の機械人間をばらばらに分解して、その中の機械をとりだし、自分がその中にはいって、機械人間のように見せかけ、この研究所の中へはいりこんで、内部の様子をさぐっていたのである。谷博士や少年たちが、地下十六階から脱出《だっしゅつ》する時も、やはり倉庫にはいっていた、予備の機械人間を分解し、その中にはいって逃げだしたのだった。それだから、階段やエレベーターにも怪しまれず、ほかの機械人間にも気づかれずに、ここまでやって来ることができたのである。
 ――谷博士は、まっかなにせ者、X号が化けていたことがわかった。山形警部は、戸山少年たち五名と協力し、ほんものの谷博士を救いだして、研究所の中心部を占領し、機械人間を活動停止させた。即刻《そっこく》警官隊を出動させて、研究所の建物全部を占領せよ。われわれは全力をあげてX号を追跡する――
 こういう短波放送が、くりかえしくりかえし、電波に乗って流れて行った。まもなく、
 ――大手柄を感謝す。武装警官百五十名は、いまトラックに分乗して、三角岳に向かった。ひきつづき、X号の逮捕に努力せられたし。署長――
 という返事があったのである。
 だが谷博士は、ふきげんだった。
「逮捕など、そんな生やさしいことが、X号に向かってやれるものか。X号を殺すか、われわれが殺されるか。食うか食われるかの争いなのに、そんなことでは、どうするんだ」
 そして、博士のことばのとおり、X号の反撃は、またたくうちにはじまったのである。


   X号反撃


 その時、扉のそばに立っていた少年が大声で叫んだ。
「先生、たいへん、たいへんですよ。倒れていた機械人間《ロボット》が、また動きだしました」
「そんなばかな……」
 と答える博士の声も、とたんに上ずっていた。
 しかし、これはけっしてうそでもなんでもなかったのである。部屋の中に倒れている機械人間こそ、頭の受信装置を、火焔放射器《かえんほうしゃき》で焼ききられているので、動きだしはしなかったが、廊下にひっくりかえっていた、無傷《むきず》の機械人間は、むくむくと起きあがりはじめたのである。
 どこからか、電波が送られはじめたのだ。ここの送波装置《そうはそうち》は、全部スイッチを切ってしまってあったのだから、どこか気のつかない所にあった、予備の操縦装置を、X号が動かしはじめたのだろう。
 先頭に立った機械人間は、恐ろしい勢いでこちらへとびかかって来た。さいわいに火焔放射器がものすごい火焔をふきだして、その機械人間は、ウワァーッといって倒れたが、つづいて一人、また一人――
 五人の少年は、戸口にならんで、火焔放射器で火の幕を作った。そしてどうにか、その先頭部隊だけを倒すことができたが、残りの機械人間が、全部活動をはじめたとなると、これはどんな武器を持って襲撃してくるか。多勢に無勢、はじめの奇襲《きしゅう》こそ成功したが、正面からの戦争となると、なんといってもこちらは不利だといわねばならない。
「山形君、大急ぎで地階へおりてくれたまえ。そして発電装置を破壊するんだ。ぼくはそれまで、この操縦装置を動かして、向こうの電波を妨害《ぼうがい》するから――」
 警部の機械人間は、壁のボタンを押して、エレベーターへ飛びこむと、さっそく地階へおりて行った。博士の機械人間は、操縦盤の前に坐ると、しきりにダイアルを動かしはじめたが――
「先生、また機械人間の一隊が、向こうにあらわれましたよ。こんどは何か手に黒い手榴弾《てりゅうだん》のようなものを持っています」
 戸山少年の機械人間は、ついに悲鳴《ひめい》をあげたのである。
「その机の前に、怪力線《かいりきせん》の放射器がある。それを向こうに向けて、ボタンを押したまえ」
 博士はけんめいに叫んだ。
 向こうにあらわれた機械人間は、手に手に手榴弾のようなものを持ち、こちらへ向かって、投げつけようとしたが、戸山少年が機械のボタンを押すやいなや、目に見えぬ怪力線が放射されたのであろう。
 機械人間の手に持っていた爆薬《ばくやく》は、大音響《だいおんきょう》を立てて爆発し、機械人間の一隊は、こっぱみじんに吹きとばされたのである。
「先生、愉快《ゆかい》、愉快ですね。これさえあればもう大丈夫。もう何人、機械人間があらわれても平気ですよ」
 機械人間の破片《はへん》は、こちらへもものすごい勢いで飛んで来たのだから、もし博士や少年たちが、機械人間の中へはいっていなければ、その爆風や断片で、大けがをしたにちがいない。しかしさいわいに、なんの負傷もしなかったのだから、少年たちはしきりに愉快がっているのだった。
「それはいいが、困ったことになってしまったよ」
 博士の声は震《ふる》えていた。
「どうしてです」
「いまの爆風と破片で、こちらの操縦装置がこわれてしまったんだよ。もうこちらからはなんの電波も送れないんだから、機械人間の活動を妨害する方法はないんだ。いまに毒ガスでも使われたら、こちらには防ぐ方法がない。早く山形君が、発電装置をこわしてくれないかぎり、戦いはこちらの負けだよ」
 博士のことばは悲壮《ひそう》であった。ところが、たのみに思う山形警部の機械人間は、悄然《しょうぜん》として、エレベーターからふたたび姿をあらわしたのである。小わきには、冷蔵庫にしまってあった、自分のもとのからだをだいていた。
「山形君、どうしたんだね」
「先生、だめなんですよ。発電室の前には、何十人という機械人間が、火焔放射器を持って立っていて、めったなことでは近づけません。こちらの戦法を、向こうに横どりされましたよ。それでこうして逃げて来たんです」
 山形警部は、いまにも泣きだしそうな声であった。
「困ったな。それで君のだいているそのからだは、いったいどうしたんだい」
「どうせ死ぬのなら、こんな女のからだではなく、せめて自分のからだで死にたいと思いましてね。いよいよ玉砕《ぎょくさい》ときまったら、先生に手術してもらいたいと思いまして……」
 山形警部はついに泣き声になってしまった。
「困った、困った……」
 博士の機械人間は、腕を背中にくんで、部屋の中を、こつこつと歩きまわっていた。第一次、第二次の攻撃は、どうにか撃退したものの、いつあらたな武器を持って、第三次の攻撃が始まらないともかぎらないのだ。
「よし、全員待避《ぜんいんたいひ》!」
 博士は一同をひきつれて、エレベーターへ乗りこんだ。


   原子爆弾


 まさに、危機一髪という瞬間であった。もしあと五分おくれたら、みんなの命はなかったろう。
 X号の命令で、猛烈な毒ガスが、この階に充満《じゅうまん》されたのだった。
 階上二十四階の、第二機械人間操縦室で、X号はにたにたと、悪魔のような笑いを浮かべていた。
「M53号報告。七階全部に、毒ガスの充満おわりました」
「よし、第一機械人間操縦室へ侵入して、敵の屍体《したい》を確認、収容せよ。敵は七名。機械人間の中にはいっているはずだ」
 さすがに、この時には、X号にも、博士たちがどうして地下十六階を逃げだし、七階を攻撃したか、その方法がわかっていたのである。
 しばらく、ぶきみな沈黙がつづいた。
「M53号報告、M53号報告――」
 ふたたびラウドスピーカーからは、機械人間の声が流れだす。
「どうした。屍体は発見できたか」
「それがだめです。ここにいる機械人間は全部味方のものばかり、人間などはどこにもはいっておりません」
 おどろいたような声であった。X号もまた顔色をかえて、操縦盤の前に立ちあがった。
「おかしいな。あの毒ガスの中をくぐって逃げられるわけがないが。さては、そのまえにいち早く逃げだしたな。これはまた、やっかいなことになったわい」
 その時である。またラウドスピーカーからひびいて来た機械人間の声。
「B8号報告。ただいま、武装警官の一隊を満載《まんさい》したトラックが、三角岳のふもとへとどいたという情報がはいりました。どういたしましょう」
 X号は立ちあがって、部屋の中を二三歩、歩きまわっていたが、割れるような大声を出してどなりたてた。
「よし、第一、第三、第五ロケット砲発射準備。射撃距離《しゃげききょり》にはいったら、射撃開始!」
 いよいよX号は、人類と全面的な戦闘を開始しようとしたのである。
 その時だった。ラウドスピーカーから、勝ちほこったような、谷博士の声がひびいて来た。
「X号よ。X号よ。わしの声が聞こえるか」
「なんだ、きさまは谷博士だな」
「そうだ。谷だ。X号よ、おまえの野望《やぼう》もこれで完全に破砕《はさい》されたぞ。おまえのような、感情を持たない生物のために、人類が滅亡《めつぼう》させられたりしてたまるものか。おまえの命も、これでもうおしまいだぞ」
「何を世まよいごとをぬかす。わしは無限の生命を持って生まれた。火でも水でも電気でも、わしを殺すわけにはいかないのだぞ」
「そのとおり。だがわしはおまえの生《う》みの親《おや》として、おまえを殺す、ただ一つの方法を知っている――」
「それは――」
「原子爆弾で、この研究所の建物といっしょに、おまえのからだをこっぱみじんに吹っとばす。おまえの生命《せいめい》をつかさどる電臓も、原子力の前には、何の力もないのだ」
「ちくしょう」
 X号は鬼のように、頭髪《とうはつ》を逆立《さかだ》てさせて、火花の息を吹きだした、
「そんなことをしてしまったら、きさまらだって生命はないぞ」
「もとよりそれはかくごのまえだ。X号よ。では永遠におさらばだよ」
 博士の声は、ぷつりと切れた。しかしそれと同時に、その部屋の短波受信機は、次のようなことばを捕えたのだった。
「――武装警官隊に告ぐ、武装警官隊に告ぐ。三角岳研究所はまもなく、原子爆弾によって爆発する。三角岳から急速待避《きゅうそくたいひ》せよ。爆発は、あと十分後の予定、緊急待避せよ。緊急待避せよ――
 もちろんX号も、原子爆弾の威力《いりょく》は十分に知っていた。いま、地下一階から七階までの工場で製造している原子爆弾と、その材料のウラニウムが、ぜんぶ一度に爆発したら、この研究所の建物は、あとかたもなく吹きとばされてしまうのだ。
「よし、残念だが、背に腹はかえられない。十分のあいだにここを逃げだして、再挙《さいきょ》をはかることにしよう」
 X号も、ついに最後のかくごをきめたのである。
「L19号、L19号」
 X号はラウドスピーカーに向かってよびかけた。
「はい。ご用はなんですか」
「五分以内に、原子爆弾全部と、原料ウラニウムを、二十四階に運びあげろ」
「はい。承知しました」
「よし、あれが手もとにありさえすれば――」
 X号は、またしても、悪魔のような恐ろしい笑いを浮かべたのだった。


   大爆発


 そのころ、武装警官の一隊は、五台のトラックに分乗して、氷室検事といっしょに、この三角岳のふもとに迫っていた。
 いよいよ道はのぼり坂になる。一番前を走っている乗用車には、警察署長と氷室検事がのりこんで、一生けんめいに、三角岳の上にそびえる研究所の建物をながめていた。
「すると、あの谷博士は、やっぱりにせ者だったのだね。ぼくもはじめて会った時から、どうも怪《あや》しいとにらんでいた」
 というのは氷室検事。
「いや、どうも私がうかつで申しわけありませんでした。おかしいおかしいとは思っていたのですが、何しろこのあたりは、メトロポリスとかいう化物地帯《ばけものちたい》で、木が物をいいだしたり、石や机がひとりで動きだしたり、あまり気味がよくないので、警官もこわがって、やって来るのを二の足ふんでいたんです。しかし山形君は、えらい手柄《てがら》を立てました。これで私も、鼻が高いというものです」
 署長は、振りこぶしを鼻の前にあてて、天狗《てんぐ》のようなまねをして見せた。その時である。突如として自動車にとりつけてある短波受信機から、あの緊急待避警報《きんきゅうたいひけいほう》がひびいて来たのは――
 署長の高い鼻も、とたんにペシャンコになってしまった。
「ストップ、ストップ、この車をはやくとめるんだ」
「はい」
 運転手も、あまりあわてて、ブレーキをかけたものだから、その次に走っていたトラックは、この車にしょうとつして、乗用車の方は横たおしとなり氷室検事も署長もほうぼうをすりむいて、やっと車の中からはいだして来た。
「ばか、何をするんだ」
 署長はかんかんになって、トラックの運転手を叱りつけた。
「すみません。署長さんが、あまり急げ急げといわれましたし、それにまた、この車が思いがけなくとまりましたので」
「それはそうと、全員|総退却《そうたいきゃく》だ。何をぐずぐずしているんだ」
「ここまで来て、ひっかえすんですか」
 功名心《こうみょうしん》に燃えている武装警官隊は、山形警部一人だけに手柄をされてなるものか、署長が臆病風《おくびようかぜ》にとりつかれたら、自分たちだけでも突撃しようという意気ごみであった。
「ばか。命令だから引っかえせ。たった今、山形警部から、短波放送で連絡があった。あと十分もすれば、原子爆弾の爆発がおこって、あの研究所はこっぱみじんに吹っとぶんだ。おまえたちは、原子爆弾の恐ろしさが分からないか」
「えッ、原子爆弾ですか。それではわれわれもまごまごしていると、原子病にかかるわけですね」
「そうだ。そのとおり。さあ、引っかえそう」
 その時である。道の三百メートルばかり向こうで、ぱーッと物すごい土煙《つちけむり》があがった。
「さあ、ピカドンだぞ」
 検事も、署長も、警官隊も、あわてて道のそばの谷そこへ逃げ込んだ。
「どうも君、へんだよ。いまのは原子爆弾ではなさそうだぜ。まだ研究所の建物は、あのとおり、しっかりしているじゃないか」
 双眼鏡《そうがんきょう》で、おそるおそる研究所の方を見まもっていた検事が、そばの署長にささやいた。
「そういえば、なるほどそのとおりですね。どうしたんだろう」
 これがロケット砲弾の砲撃だった。署長のことばが終らぬうちに、第二弾がとんで来て、乗用車もトラックも、こっぱみじんに吹きとばされた。さいわいに、警官隊はみな車をとびおりて、穴の中や谷底《たにそこ》にかくれていたので、人間の負傷はなかったが、もうこうなっては一行も進退きわまってしまったのである。
 砲撃はますますはげしくなりはじめた。ところが、あまり狙《ねら》いが正確なので、かえって命には別条《べつじょう》がなかったのである。
 その時、研究所の屋上からは、ものすごい閃光《せんこう》とともに、緑色の流星《りゅうせい》のようなものが、まっすぐに中天高くとびあがった。
「おや、あれはなんだ」
「きっとV一号だぜ」
 その瞬間、砲撃がばたりとやんだかと思うと、大地もくずれるかと思われる大音響《だいおんきょう》とともに、目もくらむような赤・黄・青・緑・白の五色の光りが研究所を包み、もうもうとしたきのこ形の噴煙《ふんえん》が、建物の屋上から、大空高く巨大な翼《つばさ》をひろげたのである。
「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ……」
 署長は、谷博士、山形警部それから勇敢な五少年の死をいたんで、思わずお念仏《ねんぶつ》をとなえたのだった。


   宇宙航空船《うちゅうこうくうせん》


 ところが、谷博士も、山形警部も、五人の少年も、けっしてこの爆発で最期をとげたわけではなかった。
 谷博士は、機械人間の操縦装置が破壊された時、屋上からヘリコプターによる脱出を考えたのである。
 ところが、屋上へ来て見たときには博士もすっかりおどろいた。というのは、X号がサルになった谷博士を脳波受信機でいじめながら作っていた、宇宙航空船ができあがって、そこにおかれてあったからだった。
 これは、総軽金属製、世界最大の飛行機の二倍も大きく、原子力によるロケット装置で活動し、時速三千キロ、月世界はおろか、火星ぐらいまでなら往復できる、おそるべき性能を持った航空船であった。
 X号はこれによって、世界中をふつうの飛行機や、高射砲のとどかない高空から、原子爆弾で爆撃しようと計画し、すでに今日、その試験飛行にとびたつばかりで、第一の原子爆弾を東京に落とそうと、その中につみこんであったのだった。
 入口に番をしていた機械人間を、火焔放射器《かえんほうしゃき》で倒すと、七人はまんまとその中にしのびこんだ。
 何しろ、三階建てのホテルぐらいは十分ある大きさだったから、山形警部や少年たちは、大分まごついたが、博士は道に迷いもせず、その操縦室にたどりついた。
「しめた。機械はすぐ動くように準備ができてあるし、原子爆弾もつみこんである。これならば、もうこちらの勝ちだ。X号もこうなったら運のつきだぞ」
 博士は小おどりして喜んでいた。
「さあ、さっそく出発して、空中から研究所を爆撃しよう。まあ、なんにしても、このやっかいな、機械人間のきものはぬごうじゃないか」
 七人はほッとしたように、首をとり、手をとり、足をとって、機械人間ならぬ、もとのからだにかえったのである。いや、もとのからだといっても、五人の少年はともかく、博士はサルのからだのままだったし、山形警部は女のからだのままだったが――
「先生、まだ手術はしてくださいませんね」
 警部は、小わきにかかえている自分のもとのからだを見て、心配そうにたずねた。
「いまはそんなことをしているひまはないよ。もう少し待ちたまえ」
 博士は機械をいじりながら、それどころではないというように、いらいらした調子で答えた。
「でも、それでは、夏ですから、からだがくさってしまいますよ」
 なるほど、警部にとっては、それこそ天下の一大事である。
「それが心配だったら、冷蔵室へ入れておきたまえ」
「この中には、冷蔵室はあるのですか」
「もちろんだよ。この下の二階の中央のM17と書いてある部屋だ」
「ああ、それでやっと安心した。では行って来ましょう」
 山形警部は、あぶら汗《あせ》を流しながら、自分のからだを背負って、えっちらおっちら歩きだした。こういう危急存亡《ききゅうそんぼう》の時でなかったら、それは吹きだしたくなるような、珍妙《ちんみょう》な光景であったろう。何しろ、女学生みたいな若い娘が大の男の裸のからだを背負って歩いているのだし、この精妙な操縦装置の前に坐って、機械をいじっているのがサルなのだから――
「よし、機械の調子はしごく良好《りょうこう》だ。それではだまって爆撃するのも卑怯《ひきょう》だから、X号に最後の宣告《せんこく》をくだしてやろう」
 博士はマイクロホンに向かって、あの宣告を行ったのである。
「さあ、出発だ」
 博士は始動装置《しどうそうち》のボタンを押した。ところが、機械の調子が少しへんなのか、航空船はなかなか飛びあがろうとはしなかった。
「おや、どうしたんだろう」
 博士もさすがにあわてていた。あちらを直し、こちらをいじって、どうやら故障の原因はのみこめたようであったが、いざ出発となるまでには、七八分の時間がかかった。
「では出発」
 博士はふたたびボタンを押した。それとともにこの三百トンのロケット航空船は、流星のように中天へ舞いあがったのだった。


   X号の行方は


 宇宙航空船は電光のように大空を横切って、まっすぐに上へあがって行く。博士の目の前のテレビジョン装置には、研究所や三角岳の建物が豆粒《まめつぶ》のように小さくうつったが、それもたちまち見えなくなって、関東平野がまるで地図のように、浮かびあがって来たのだった。
「先生、ものすごいスピードですね」
「ああ、あれが富士山ですか」
 少年たちは、今までの命がけの冒険も忘れて、大陽気に、まるで遠足にでも行ったようにはしゃぎ立てていた。
 ところが航空船は、だんだん速力を落とし、しまいにはぴったりととまってしまった。
「先生、どうしたんですか」
「とまっては、ついらくしやしませんか」
 少年たちはとたんに顔色をかえたが、博士は一向に平気だった。
「大丈夫だよ。速力ならいくらでも出せるが、いまは重力による落下速度とつりあったスピードを出しているから、あがりもしないし、落ちもしないんだよ。これから少し研究所の方へひっかえして、爆撃にうつるとしようか」
 高度計の針はその時、二万五千メートルを示していた。しかし内部は完全に暖房されているから寒くもないし、酸素が十分に供給されているから、呼吸もちっとも困難ではないし、高速で飛行する時、機体に生ずる大気とのまさつ熱も、完全に冷却《れいきゃく》されていた。
 一万、九千、八千、六千、四千、三千、二千五百、二千。
 高度計の針はぐんぐんとくだりはじめ、ふたたびテレビジョンのスクリーンの上には、三角岳と研究所の建物がうつりはじめた。
「先生、千五百メートルですよ」
「よし、では原子爆弾を投下しよう」
 博士は、右手のハンドルを廻した。
 一秒……二秒……三秒……
 息づまるような時間がすぎたと思うと、研究所の建物は大爆発をおこし、むくむくとした爆煙《ばくえん》が、三角岳をおおいかくした。
「ばんざい、これで先生、ばんざいですね」
 六千メートルまで高度をあげて、この航空船はふたたび停止していたが、その瞬間、がーんというような動揺が、この高空まで伝わって来たのだった。
「ふしぎだ。こんなはずはないが……」
 博士はしきりにつぶやいていた。
「先生、どうしたんです」
 戸山少年は、なんだか心配になって来たのだった。
「思ったより、爆発の規模《きぼ》が小さいんだ。すくなくとも原子爆弾は二十個以上は完成されてあったのだし、原料ウラニウムも、一トンはおいてあったはずだから、それが次から次へと爆発すれば、三角岳がぜんぶ吹っとぶくらいの大爆発を起こしていいはずなのに、あのぐらいの爆煙ですむはずはない。それに爆発は、たしかに一度だけだった……」
 そういえば、たしかにそのとおりである。何かふしぎな不安が、少年たちの心にも、しだいに浮かびあがって来た。
 その時である。どこからともなく、あの恐ろしいX号の声が、みんなの耳にひびいて来たではないか。
「谷博士、谷博士――」
 博士の手は、ぶるぶると震《ふる》えていた。
「おまえはだれだ。何者だ――」
「きさまが殺したとばかり思っていたX号だよ。おれの力が分かったか。おれは無限の生命力を持っている。原子爆弾の爆発ぐらいでは、おれのからだはびくともしないぞ」
「それではまだ、おまえは死んでいないのか」
「あたりまえだ。これからきさまにこの復讐《ふくしゅう》をしないうちは、死んだりなどしてたまるものか。おれが全精力をかたむけて作りあげた研究所をこわされ、おれの計画のじゃまをされたうえは、きさまたちは、生かして地上へは帰さないからかくごしろ」
 X号は火のように、怒《いか》りくるっていたのである。博士もさすがにあわてていた。
「これはいけない。さっそくどこかへ着陸して、X号の行方をつきとめることにしよう」
 博士にもX号の行方は分からなかったのだ。X号の声は、ラジオのマイクロホンから聞こえて来たのだし、あのような原子爆弾の大爆発の中でも、ゆうゆうと生きのびておられるようなX号のことである。どんなことをやりだすか知れない、と人々は考えたのである。
 だが高度をさげて、地上へ近づこうとする博士の努力も、いまはまったく効果がなかった。
 高度計の針は、ふたたびぐんぐんと廻りはじめた。
 七千、八千、九千、一万、一万五千……
「これはいったいどうしたことだ」
 博士も機械を操縦する手をやめて、しばらく呆然《ぼうぜん》としてしまったのだった。
「それ見たことか。うわあはっは、わっはっは……」
 X号の高笑いが、あてもなくこの成層圏《せいそうけん》を飛びつづける、宇宙航空船の中の人々の耳をおしつぶすようにひびきわたったのであった。


   迷えるロケット


 宇宙航空船は、いま、まるで迷ってしまったように、大空を矢のように走りつづけている。
 高度はすでに、二万メートルをこえた。このままでは、地球の引力圏《いんりょくけん》を脱《だっ》して、月の世界へ飛んで行かないとも保証はできない。
 操縦装置は、いまや全然博士の手におえず、この航空船の行手を知っているものは、ただ超人間X号だけだった。
「だめだ。もうぼくにはどうすることもできない。諸君もいよいよかくごをきめてくれたまえ――」
 博士があきらめたように、目をとじた時である。操縦室の扉をひらいて、山形警部がとびこんで来た。
「先生、先生、たいへんです。たいへんなことが起りましたよ」
「これ以上、たいへんなことが起こるもんか」
 博士の答えはぶっきらぼうだったが、警部はつかつかと博士のそばに歩みよると、その耳に口をよせて、恐ろしいことばをささやいた。
「先生、X号がこの飛行機の中にしのびこんでいますよ」
「えッ、なんだって、それはほんとうかい。どうしてそんなことが分かった――」
 博士は警部の腕をとらえて、はげしくゆすぶった。
「いま、冷蔵室へ、私のからだを運びこんで出て来たとき、廊下の端《はし》を曲った男があったんです。それがなんと――先生にそっくり、あのX号にちがいないんですよ」
「そしてその男はどこへ行った」
「気がつかないように、あとを追いかけましたが、どこにも見えません。X号の恐ろしさはよく私も知っていますから、一人であぶないことをするよりは、こう思って、先生に報告をしに帰って来たんです」
「そうか。よくやってくれた。それならばまだいくらか望みはあるぞ……」
 博士はしきりに考えこんでいたのだった。
「分かった。きっとそれにちがいない。X号は原子爆弾とウラニウムの原料を持って、この飛行機に乗りこんだんだ。それだから、原子爆弾を投下しても、あの程度の爆発しか起こらなかったんだ」
 博士はひざを叩《たた》いて叫んだ。
「でも、いつのまにそんな離れわざをやったんでしょう」
 戸山少年が、ふしぎそうにたずねた。
「あの放送をしてから、この航空船が飛びだすまでには、五六分の時間があったろう。そのあいだに、きっとX号はこの冒険をやってのけたのだよ」
「それではいったいどうすればよいのです」
「X号を倒して、機械の調子を直し、また地上へ帰りつくのだ。きっとどこかでX号が機械の調子を狂わせているのにちがいないのだから、X号を倒しさえすれば、またこの航空船は、思うとおりに動くようになるよ」
 だがそのX号を倒すには、いったいどうすればよいのだろう。あの電臓は火にも水にも電撃《でんげき》にも、どのような刺戟《しげき》にも、たえるはず――それを破壊するには、原子力によるほかはないと、博士もはっきりいっていたではないか。この中で原子爆弾が使えないのは、きまりきったことだ。とすれば、どうしてこの超人間に対抗するのか――
 博士はその時とつぜん口をひらいていいだした。
「その壁のボタンを一つ一つおして見てくれないか」
 左手の壁には、小さなスクリーンがあって、その下には五六十個のボタンがついていたのである。戸山少年がためしに、その一つ、17という番号のボタンをおしてみると、スクリーンの上には、設備のよく行きとどいた、手術室の光景がうつしだされた。
「先生、これはなんですか」
「テレビジョンだよ。この航空船の各部屋には、テレビジョンの送信装置がしかけてあって、どの部屋でいまどんなことが起こっているか、すぐこの操縦室に分かるようになっているんだ。それでX号の場所を探してごらん」
 少年たちは次から次へとボタンをおした。そして23というボタンをおしたときである。何か複雑な機械の前に坐りこんで、一生けんめいに、ダイアルを廻しているX号の姿が、スクリーンの上にありありとうつしだされたのであった。
「先生、先生、いましたよ。X号の姿がみえました。23という番号のついた部屋です」
 戸山少年は、必死になって叫んでいた。
「ああそうか。やっぱりあそこにおったのか――」
 博士はほっとため息をついた。
「いったいなんの部屋なんです」
「第二操縦室だよ。万一、この操縦室がだめになったとき、その部屋から操縦ができるように設計しておいたのだが、二カ所で思い思いに機械を動かしては、このロケットも、変になるのもあたりまえだよ」
「それはどうすればよいでしょう」
「ぼくはここで機械を守っているから、君たちは火焔放射器でX号を攻撃してくれたまえ」
「でもX号は、火焔放射器には抵抗できるのでしょう」
「いや、電臓は殺すことはできないが、皮膚にやけどをさせることはできるのだから、X号もある程度は、力を失うことになる。そのあいだに、向こうの操縦装置を破壊して、このロケットを、思うように動かし、負傷させたX号を、この航空船の中にはいっている小型ロケット機に乗せて発射し、それを原子ロケット砲で粉砕《ふんさい》するんだ」
 なるほど、それはじつにどうどうたる計画だった。だがX号ともあろうものが、おめおめとその計画にひっかかってくるであろうか。


   X号あらわる


 だが博士は、大きな声でこのようなことをいいながら、その手は鉛筆をにぎって、このようなことばを紙の上に書きしるしていたのである。
 ――今の話の内容は、ぜんぶX号に知れたものと思わなければならない。だから諸君がこの部屋を出たら、きっとX号は姿をかくすか、わしをおそってくると思う。だからとりあえず、第二操縦室を占領して、3というボタンをおせ。そうすれば、この部屋でどういうことがおこっているか、向こうのスクリーンにうつるから、それによって、十分注意するように――
 この紙きれにうなずいて、山形警部は、五人の少年といっしょに操縦室を出た。火焔放射器を手に、足音をしのばせ、決死のかくごで第二操縦室へ――
 ところがその時すでに、X号はどこかへ姿をかくしていたのである。
「やはり、先生のいったとおりだ。X号はどこにもいないよ」
「ほんとうだね。あの紙きれに書いてあったとおり、もとの操縦室をテレビジョンにうつして見ようじゃないか」
 だが、自らがいままでおった、第一操縦室の光景が、テレビジョンのスクリーンにうつしだされた時、少年たちも山形警部も、おどろいた。
 谷博士のなりをしたX号が、サルのかっこうをした谷博士におどりかかろうとしているではないか。
 博士が手ににぎっていた、火焔放射器をただの一撃でたたきおとすと、X号は大手をひろげて博士の上へとびかかった。
 しばらくは上になり下になり、人とサル、いや博士とX号の必死の争《あらそ》い。
 六人はあまりのおそろしさに、助けにとびだすことさえ忘れて、しばらくは、そこにだまって立ちすくんでしまった。
 そのうちに勝負はきまった。サルはぐったりと人間の前の床の上に倒れてしまったのだ。
 X号はにたにたと、悪鬼《あっき》の笑いを浮かべながら、博士の頭にメスを入れた。
「どうするんだろう」
「ちょっと待ってみよう」
 六人はささやきかわして、そのありさまを見まもっていた。と思うと、X号は博士の頭の中から脳髄をつかみだし、自分の頭の中から取りだした脳髄と手ぎわよく入れかえたのである。
 山形警部も、少年たちも、恐ろしさにがたがたと震えていた。
「また脳髄を入れかえたよ。こんどは博士のからだにはいっているのがほんとうの谷博士で、サルのからだにはいったのがX号だよ」
 山形警部は、そっと少年たちの耳にささやいた。
 手術はまたたくまに終りをつげた。まるでりんご[#「りんご」に傍点]かなし[#「なし」に傍点]をおきかえるように、血一滴出ないくらいであった。
 X号は谷博士のからだを、床の上に横たえると、すぐに部屋からとびだしたのである。
「よし、これで向こうの計画はわかった。X号は博士だけは後の役に立てるために生かしておいて、われわれだけを殺そうとするんだ。そのために、サルのからだにはいって、われわれをだまそうとしているんだ。だから、もうけっしてサルのいうことには、ゆだんをしちゃあいけないよ」
 少年たちはごくりとつばをのみこんで、うなずいたのである。
 まもなく、サルのからだにはいったX号は、この部屋の扉をひらいて姿をあらわした。
 さてX号はどのようなことをいいだすだろうか。第一第二の操縦室ともに、操縦者を失ったこの宇宙航空船は、自動操縦機の力によって、二万五千メートルの高空を、電光のような速力で、飛びつづけているのだった。


   小型ロケット機発射


「さあ、みんなぐずぐずしてはいられないよ。X号はこの航空船に爆弾をしかけて、小型ロケット機で逃げだしたんだ。われわれもこうしていては、命がないから、一刻も早く、別の小型ロケットで、ここから脱出しよう」
 サルのからだに入りこみ、谷博士だとみせかけたX号は、声まで谷博士に似せて、このようなことをいった。
「先生、それはほんとうですか」
「ほんとうだとも、うそだと思うなら、これを見たまえ」
 X号はつかつかと壁に歩みより、13というボタンを押した。スクリーンには、またもや別な部屋の光景がうつしだされたが、その床には黒い爆弾のようなものがおかれてあって、その上の時計は、こつこつと時を刻《きざ》んでいるのだった。
「時限爆弾だよ。あと五分で爆発する」
「さあ、それはたいへんだ。先生、助けてください。みんな、早く逃げだそうじゃないか」
 山形警部は、ほんとうにおどろいたようにあわてて見せたのである。
「さあ、それじゃあ、みんなこちらへ」
 X号は先に立って、部屋を出ると、階段をどたどたと一階までおりて来た。その最後部《さいこうぶ》の部屋へはいると、X号はひざまずいて、まるい鉄のふたをひらいた。中には小さな部屋があって、垂直《すいちょく》な鉄ばしごがさがっている。
「さあ、みんなこの中へはいるんだ」
 X号は中を指さして命令した。
「先生、ちょっと待ってください」
 山形警部は、出口の方へかけもどろうとした。
「何をする。君は気が変になったのか。あと二分で爆弾が爆発するというのに、どこへ行くつもりだ」
 X号は、目を怒らせて、警部をにらみつけた。
「いや、自分のからだが、冷蔵室においてありますから、大急ぎであれを持って来ようと思って……」
 じつは山形警部は、博士に急を知らせにかけるつもりだったが、そういえないものだから、このようなうそをついたのである。
「ばか、おまえは命が惜しくないのか。もうそんなことをして、ぐずぐずしたりしているひまはないわ。どんなからだにはいっていても、命あっての物だねではないか。ぶじに地上へかえったら、からだぐらいはまたもとのように作ってやるよ」
 X号は警部を、なぐりつけかねないような気配《けはい》であった。
 少年たちも、さすがに弱ってしまったのである。X号にてむかっても勝目はないし、といってこの中に入りこんでは、みすみす死を待つばかりなのだから……
 その時、戸山少年は立ちあがって、X号のうしろの方を指さした。
「先生、それそこに、先生のからだにはいりこんだX号が……」
「なんだと……」
 サルのからだにはいったX号は、谷博士がほんとうに、この場にあらわれたかと思ったのだろう。ぎょッとしたように戸口の方へふりむいた。
 それが戸山少年の待ちかまえていたすきであった。少年はX号の腰へとびつくと、足をかんでX号をひっくりかえしたのである。ふいを打たれたX号は、もんどり打って穴の中へ落ちていった。
「それみんな、ふたをしめろ」
「それ」
 六人は、おどりあがって鉄のふたをしめ、かたくボルトでねじあげたのである。
「さあ、もしX号が出て来たら、火焔放射器で攻撃するんだ。ぼくはすぐ先生のところへ知らせてくる」
 戸山君は、廊下をまっしぐらに、もとの操縦室へかけこむと、床に倒れていた博士のからだをだきおこし、はげしくゆすぶって叫んだのである。
「先生、先生、しっかりしてください。ぼくです。戸山ですよ……」
 やがて博士はぱっちりと目をひらいた。
「ああ、戸山君か。ここはどこだね」
「先生、大丈夫《だいじょうぶ》ですか。ここは地上二万五千メートルの高空、宇宙航空船の中ですよ」
「ああ、そうだった。頭がずきずきいたんで仕方がないが、X号はどこにいるんだ」
「一階の最後部の部屋の穴の中へ、おとしこみました」
 博士は頭のいたみも忘れて、おどりあがって喜んだ。
「しめた。それでX号もこんどこそ完全に運のつきだぞ。あの下は小型ロケット機の内部なんだ。よし、あれを外部に発射してやろう。戸山君MLQと書いてあるスイッチを切ってくれ」
「こうですか」
 戸山君がそのスイッチを切った瞬間だった。
 機体はズシーンというはげしい反動を感じて、ぐらぐらと揺《ゆ》れたのである。
「先生、いまのはいったいなんですか」
「ロケットがとびだした反動だよ。前のスクリーンには何も見えないかね」
 はたして博士のことばどおり、そのスクリーンの上には、うしろからものすごい白煙《はくえん》をはきだして、青空を横切って飛んで行く、砲弾の形をしたロケットがうつったのである。
「さあ、全速力であのロケットを追いかけて、原子ロケット砲で撃墜《げきつい》しよう。わしを助けて、操縦席に坐らせてくれ。それからみんなにここへ来るようにと……」
 博士は血の出るような声を、ふりしぼって叫んだ。


   X号の最期《さいご》


 山形警部と五人の少年は、喜んでこの部屋へかえって来た。そしてX号をのせて飛びだしたロケットを追って、大わらわの活動がはじまったのである。
 一人は電波探知機《でんぱたんちき》でロケットの位置を測定、二人は頭のきずのいたみにうなっている博士を助けてこの航空船の操縦、三人は原子ロケット砲の射撃準備と、攻撃の体制《たいせい》はまったく完了《かんりょう》した。
 ――敵のロケットは、いま高度六千、サハラ沙漠《さばく》の上空を東進中、速度千七百キロ――
 一人の少年が、電波探知機を見つめて報告した。
「どうしたのか。大分敵は速度がにぶったな。よし、全速力にて追撃《ついげき》せよ――」
 博士は頭を両手でおさえながら命令した。
 X号をのせたロケットは、この航空船をはなれるが早いか、方向をかえて、こちらと反対の方向に全速力で逃げだしたので、大分距離も離れたが、何しろこちらの方が早いので、その距離はぐんぐんと接近して来た。
 ――敵との距離はあと六百キロ、敵の高度は、地上三百メートルにさがっています。――
 またも電波探知機の方から報告があった。
「おかしいな。こんなに高度をさげてどうするのだろう。墜落《ついらく》しているのだろうか」
 博士も一時は首をひねったが、やがてある恐《おそ》ろしいことに気がついた様子だった。
「これはいけない。ひょっとしたら、X号は、ロケットを着陸させて、飛びおりるつもりかも知れないぞ、全速力で追撃せよ」
 宇宙航空船はいま、三千キロの全速力を出して、電光のようにサハラ沙漠の上空を飛びつづける。
 前のロケットとの間の距離は、見るみるうちに接近して来た。
 ――敵との距離、あと三千メートル、――
 またもや探知機からの報告。
「原子ロケット砲、射撃準備」
 博士はマイクロホンで命令をくだした。一機のロケット砲室では、山形警部が一心不乱《いっしんふらん》に、目の前のスクリーンをのぞいている。その上には、X号をのせたロケットの像がうつりはじめた。警部は必死に照準《しょうじゅん》をあわせた。スクリーンの上に描《えが》かれてある、縦横十文字《たてよこじゅうもんじ》の細い線の交点に、敵のロケットが乗った時、発射装置のボタンを押せばいいのである。いまや、その瞬間がおとずれた。
「発射!」
 宇宙航空船の巨体はまたもや、大きくがくーんとゆれた。白い煙をうしろに残した六本の原子ロケット砲弾は、ほとんど静止している敵のロケットを追って、青空を目にもとまらぬ速さで走りつづけて行く。
「全速上昇!」
 宇宙航空船はものすごい勢いで上昇しはじめた。
 四千……五千……六千……七千……
 この時、眼下では、ものすごい大閃光《だいせんこう》とともに、原子弾の爆発が起こったのだ。熱帯の太陽にやきつくされたサハラ沙漠の上空には、五色の原子雲が渦《うず》まき、その雲はぐんぐんとのびあがって、この事宙航空船のあたりまで追って来たのである。
「さあ、これでX号も完全に死滅《しめつ》させることができたよ。わしの手で作ったものにはちがいないが、なんと恐ろしいやつだろう。感情も道徳もともなわない智力というものは、発達すればするほど、人類に害を及ぼすものなのだ」
 博士は感慨深《かんがいぶか》そうに口ずさんだのである。
 このようにして、X号はサハラ沙漠で最期をとげ、その最期の地の上空にたなびく原子雲のまわりを、二三度|旋回《せんかい》した宇宙航空船は、ふたたび機首をめぐらして、日本の国、三角岳《さんかくだけ》へ向かったのだった。


   大団円《だいだんえん》


 三角岳の研究所は、あとかたもないまでに破壊されていた。
 さいわいにこのあたりが、メトロポリスになってから、気味わるがった人々は、いつのまにか、ここを捨てて、ほかに移住《いじゅう》してしまっていたので、人間の負傷は、ぜんぜんといってよいくらいなかったのである。
 武装警官隊も、爆心《ばくしん》からは大分離れたところにおったため、二三人が軽いやけどを負ったぐらいですんだ。
 この建物が破壊されたことは、かえってよかったともいえるのである。なぜかというと、このために、物をいう木や、ひとりで動く道具や、あのぶきみな機械人間や、そういったものは皆姿を消してしまって、三角岳はまたもとの自然のままの姿にかえったのだから。そしてまた、X号の作りだした、防ぎようのない伝染病《でんせんびょう》の細菌《さいきん》や、どんな防毒装置でも透過《とうか》する毒ガスや、そのほかいろいろの最新兵器も、みな死滅し分解され破壊されて、人類を滅亡《めつぼう》させる役に立つこともなかったのだ。
 三角岳へこの宇宙航空船がかえりついた時、博士は社会からはげしい非難をうけ、警察のとりしらべも受けたのだが、X号の恐ろしい計画について、山形警部がいちいち証言をおこなったので、かえって博士たちの努力が認められ、なんの処罰《しょばつ》も受けずにすんだ。
 頭のきずが回復した時、博士の第一にした仕事は、山形警部をもとのからだにかえしてやったことだったのは、いうまでもない。
 博士のかたくなな性格は、それからまったく生まれかわったようになってしまった。本心からおだやかな、人好きのする円満な性格となり、博士は自分の研究の結果を、すべて広く社会に公開し、社会と人類の文化の向上をはかったのである。
 それはX号のように、下心《したごころ》あるうわべだけの行為ではなく、本心から出た愛情のこもった行為であった。
 宇宙航空船につまれてあった、莫大《ばくだい》な量のウラニウムは、すべて原子力工場のために使用され、原子爆弾は、あのサハラ沙漠の爆発を最後として、永久に使用されずに処分されてしまったのである。
 ただ一つ、博士がどうしても公開しなかった研究の秘密――それは人造生物をつくる方法だけだった。
「生命というものは、神だけが生みだすべきものである。人間の手でそれを作りだそうとすることは、かえって人類の破滅をまねくにすぎない。自分がこのような恐ろしい目にあったのも、人間の力の限度を知らないから生じた誤《あやま》りだった」
 博士は口ぐせのように、こうくりかえしていたのである。
 戸山君はじめ五人の少年は、博士の下で研究をつづけ、日本でも有数の大科学者となった。しかし、戸山君たちの心の中には、いつまでもいつまでも、このような恐ろしい疑問が、たえず残っていたのである。
「あのX号は、あの時サハラ沙漠の上で、ほんとうに死んでしまったのだろうか。ひょっとしたら、あのまえにロケットから飛びおりて、どこかにかくれ、まだ生きのこって再挙《さいきょ》の日を待っているのではないだろうか」
 戸山君は、一度博士に向かって、その疑《うたが》いを口に出して話したことがあった。その時谷博士は、おだやかな微笑を浮かべていたのである。
「戸山君。あるいはそうかも知れない。ぼくにしても、そうでないとは、いいきれないのだ。だがもしX号が、かりにどこかに生きておったにしても、感情もない、愛も道徳もない生物は、いくら智力がすぐれていても、世界は支配できないよ。そうした生物は、けっきょく自分の智力の前に倒れるのだ。X号のことなどはもう気にかけずに、人類の智力を、一歩でも向上させるために、死ぬまで働きつづけようじゃないか」
 これが、この悟《さと》りをひらいた大科学者、谷博士の最後に達した、すみわたった心であった。



底本:「海野十三全集 第12巻 超人間X号」三一書房
   1990(平成2)年8月15日第1版第1刷発行
初出:「冒険クラブ」
   1948(昭和23)年8月〜1949(昭和24)年5月号
   同誌の休刊により中断。
   「超人間X号」光文社
   1949(昭和24)年12月刊行の上記単行本で完結。
入力:tatsuki
校正:原田頌子
2001年12月29日公開
2002年1月28日修正
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