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思想と風俗
戸坂潤
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)揶揄《からか》われる
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(例)[#「好み」に傍点]
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序
思想というものは、その持ち主の身につけば、その持主の好み[#「好み」に傍点]のようなものにまでもなるものだ。意識とも良心ともモラルとも云っていいものになる。そして同じ時代の同じ社会に活きている沢山の人間達の間に、共通する好みの類が、風俗をなすのである。
ファッションやモードと云っても、それはただの伊達ごとではなくて、それとなく、時代やジェネレーションや又社会階級の、世界観を象徴しているものなのだ。だから吾々は又、世の中の風俗の褶や歪みや蠢きから、時代の夫々の思想の呼吸と動きとを、敏感に抽出することも出来るわけである。
思想は風俗の形を取ることによって、社会に於ける肉体的なリアリティーを有つことが出来る。だが風俗はあくまで、社会というものの皮膚と云うべきものに相当するのが特色である。風俗はつまり社会の現象[#「現象」に傍点]であって、その内部的な機構ではない。そこで社会現象[#「現象」に傍点]の批評は、時には風俗批評とも云われるのである。けれども風俗の裏には、常に思想があるのだ。
私はまず初めに、思想と風俗とのこうした交流の経緯を、独自な題材として考察して見た。それが第一部「風俗」である。そしてこの考察に沿うて、特に、現下の日本に於ける教育関係の現象と、宗教関係の現象とを、考察して見た。第二部「教育風俗」と第三部「宗教風俗」とがそれである。他に、科学・文芸・政治外交・経済・其の他について風俗現象を取り扱った文章もあったのだが、之は割愛せざるを得なかった。
この評論集は、一年足らず前に出版した評論集『思想としての文学』と、直接な関係がある。「思想としての風俗」とでも云いたい処だ。その姉妹篇と云っていい。
一九三六・一一[#2字下げ]
東京[#16字下げ]
戸坂潤[#地から1字上げ]
[#改頁]
第一部 風俗
1 風俗の考察
――実在の反映一般[#「反映一般」に傍点]に於ける風俗の役割
一[#「一」はゴシック体]
カーライルは『サーター・リザータス』に於て、なぜこれまでに衣服に就いての哲学が書かれていないか、を怪んでいる。衣裳ほど日常吾々の眼に触れるものはないのに、之に就いて哲学が語られたことがないというのは、何としたことだろう、というのだ。イギリス人などが衣裳哲学に考え及ぶことなどは想像も及ばないだろう、ドイツ人なら或いは衣裳の哲学に向いているかも知れない、というわけである。そこで無耶郷のトイフェルスドレック教授なる人物の書物が出て来て、衣服の考察が始まるという仕組みである。
トイフェルスドレック=カーライルはこの際、要するに衣裳という人間の装飾物[#「装飾物」に傍点]の否定者であり、アダム主義者(アダミスト)的裸体主義者であって、ドイツ観念論式に抽象的で純粋な「純粋理性」を信じる先験主義者であるのだが、併し衣服というものが有っている社会的で歴史的な特有なリアリティーに就いての関心を強調していたことが、今日の吾々にとっても興味のある個処だ。なる程衣服に就いて書かれたものなら山ほどあろう、各時代の又様々な地方の。だが衣服が有っている社会的政治的な意義、歴史に於けるその積極的な役割、それから思想・哲学・文学・芸術・等々に於ける不可欠の一ファクターとしてのその特異なリアリティー、こういうものはカーライル以後もあまり真剣に注目されなかったのではないかと思う。そういう意味に於ける「衣服の哲学」は、流石哲学好きのドイツでも発達しなかったようだ。
カントはイギリスの新聞に床屋の哲学というのが載っていたと報告しているし、ヘーゲルは靴屋の哲学の批判をやっている。併し哲学に就いては今はどうでもよい。問題は、衣服というものが寝ても起きても実在しているもので、そういう生々しいリアリティーを持っているにも拘らず、このリアリティー[#「リアリティー」に傍点]の特色そのものに就いての理論的考察は、甚だ影が薄いのだが、それはどうしたものか、という点にあるのである。カーライル=トイフェルスドレックは自分が或いはサンキュロットであるかも知れぬ、と弁疏している。サンキュロットとは云うまでもなく、フランス大革命時に於ける一つのプロレタリヤ的な勢力とも見ることの出来る分子で、短袴をつけぬ無礼者の一団のことだ。実際衣裳の思い切った変革は、それがただの流行の誇張や新しがりでない場合(いや新しがりでもそうだが)、多くは思想[#「思想」に傍点]的な意味を有つものなのだ。衣服は着ている人間の経済的生活を象徴すると共に、その人間の階級と階級的思想とを象徴する。サンキュロットなどはそういう意味で注目すべき名称である。でとにかくそれ程衣裳というものはリアリティーを持っているのだ。衣裳の革命など、よく考えて見ると事実相当に革命的な象徴なのだ。それ程衣服は社会的リアリティーを持っている。
併しどうせカーライルはただの衣服に就いて語っているのではない。衣服とは彼にとっては人類のもつ象徴のようなものなのだ。処でこの衣服という象徴は一体人間について何を象徴しているのだろうか。夫が風俗[#「風俗」に傍点]だと私は思う。実はカーライルなどというドイツ式観念論者はどうでもよい。問題はまず風俗なるものの理論的な観念を得ることにあったのだ。
風俗生活をしていない人間は勿論世間には一人もいない。裸で外を歩く文明人がいないと同じである。だから風俗そのものは初手から或る大衆的[#「大衆的」に傍点]現象だ。そして風俗に就いての関心そのものも亦極めて大衆的であって、大衆的にお互いの間で容易に了解されるものなのだ。風俗画であるとか、風俗美人画であるとかいう、やや難解らしい言葉も、世間では苦もなく大衆的に通用している。――だがそれはそうでも、一体社会科学的[#「社会科学的」に傍点]に云って風俗とはどういうカテゴリーなのか、こうなるとあまりハッキリした既成の結論はないのである。処が、社会生活百般の事象に就いての考察が、或る本当の意味での大衆性をもたねばならぬならば、風俗の考察こそは、最も大事な理論上の設題の一つでなければなるまいと私は思う。之は大衆性[#「大衆性」に傍点]というものの理解にとっても、必要欠くべからざる一つの社会理論上のファクターだ。
二[#「二」はゴシック体]
風俗習慣などと続くように、風俗は勿論社会的習慣と密接な関係を有っている。処で云うまでもないことだが、社会に於ける習慣、或いは又習俗は、社会の生産機構に基く処の人間の労働生活の様々な様式関係によって、終局的に決定されているが、二次的にはこの生産関係を云い表わす社会的秩序としての政治・法制が維持発展させる処のものであり、そして三次的には社会意識や道徳律が観念的に保証する処のものだ。その際習俗は、云わば歴史的な自然性(意図的でも人工的でもないというわけで)を持った一つの与えられた社会的制度[#「制度」に傍点]であると共に、同時にその制度が概略の大衆の意識にとって安易快適(アット・ホーム)であるという場合のことだ。処でこの云わば制度[#「制度」に傍点]と制度習得感[#「制度習得感」に傍点]としての習俗が、一見片々たる細々した手回り品や言葉身振りにまで細分されて捉えられた場合が、恐らく風俗というものだろう。
風俗は社会の基本的機構の一つの所産[#「所産」に傍点]である。決してその逆の源泉[#「源泉」に傍点]などではない。風俗そのものが独自な積極性を持っていて、夫が社会機構の過程を左右するファクターになる、とは云われない。だが又風俗は社会の基本的機構に基く一つの結論[#「結論」に傍点]でもあるのだ。という意味は、社会機構の本質が、風俗というものに至ってその豊麗な又は醜い処の肉づけと皮膚とを得るのであり、その最後の衣裳づけを終るのである。風俗は社会の本質の云わば社会的[#「社会的」に傍点](経済的・政治的・等々と区別された意味での社会的)な結論[#「な結論」に傍点]であり、社会の最も端的な表面現象[#「現象」に傍点]である。社会の人相が風俗であり、社会生活の臨床的徴候が風俗である。風俗は社会の本質を診断する時の症状である(デカダンス其の他はこの診断の用語だ)。
勿論風俗などというものは、右に云ったような次第で、社会の本質から抽出された一つの抽象物に過ぎない。だがそれ故に又他の意味で、右に云ったと同じ次第によって、最も具体的であり具象的なものなのである。愛情に於ける恋人の肉体のようなもので、抽象的と云えば抽象的、具体的と云えば具体的なものが之だ。ここに風俗という社会的リアリティーの、理論カテゴリーとしての強みと弱点とが横たわるわけである。
社会の構造分析から見て、具体的とも見えるし抽象的とも見える処の、この風俗という特有な社会現象は、どうも社会の物質的基底とその上部という普通の社会科学的段階づけの内には、いきなり適当な位置を発見出来ないように思われる。風俗乃至習俗は前にも云ったように一方一つの制度として現われる。生産労働の様式そのものについてさえ形をとって現われる処の、一種の制度としてなのだ。その意味から云うと之はいつも社会の物質的基礎のどこにでも随伴して発見されるものだ。処がそれと共に、風俗乃至習俗は他方、その制度の内に生まれ又教育された人間の意識の側に於ける制度習得感にいつも随伴する。するとこの場合の風俗は明らかに上部構造としてのイデオロギーの一部にぞくすると云わねばならぬ。
だからつまり、風俗乃至習俗というものは、本当は社会の本質の一所産であり一結論に過ぎぬにも拘らず、それが社会の本質的な構造の夫々の段階や部分に、いつも衣服のように纏わって随伴している現象のことなのである。従って社会の構造全般に跨って現象している或るものだという風にも之を考え得るので、夫が何か独自の独立した社会的本質の一つででもあるように考えられ易いわけだ。風俗は経済現象でもなければ政治現象でもなく又文化現象でもない。而もそうした諸現象を一括すべく用いられる処の社会現象[#「社会現象」に傍点]という言葉は、風俗にとっては打ってつけではないだろうか。つまり経済現象・政治現象・文化現象・等々という社会の物質構造上の段階と関係なく、そういうものを無視しても、そうした諸段階全般を貫く或る共通な一般的な一つの「社会現象」が風俗だ、というような風に考えられ易いのだ。
社会学(ブルジョア社会科学の代表者)には大体に於て、社会が実際にこうした共通な一般的なファクターから云わば出来上っているものだという風に、仮定する癖がある。社会機構に於ける物的構造上の秩序を第一義的な分析の規準とはしないで、いきなり社会の之あれの一般共通な徴候・現象をとり出して、之が何か社会の本質的な諸要素ででもあるように考える。風俗はこういう社会学的方法によれば一等通俗的に簡単につかみ易いように見えるだろう(その極端なものは「モデルノロジオ」の類だ)。之に反して史的唯物論の方法から行くと、風俗という現象は方法上一種の副次的操作を要する処の却って高度な複雑な現象なのだ。――だがそう云うことは決して、風俗を社会学的(現象主義的)に安易に取り上げる仕方が正しいということにもならず、まして史的唯物論の方法によって風俗という題材の解決がつきにくくなるだろうということをも意味しない。元来、現象なるものは直接なもので直覚的には簡単なものだ。だが、夫は分析の上からは最後になって出て来なければならない程複雑なものなのだ。
処で実際問題として見ると、ブルジョア社会学に於ても(日本では空疎な方法論がまだ盛んなようなわけで)、風俗というものはあまり「科学的」なテーマにされていない、恐らく之はあまり理論的[#「理論的」に傍点]な価値のないもののように思われているせいだろう。この事情は実は併し、世間が風俗に就いて有っている知的な興味が如何に薄いかという事実を反映しているに過ぎぬのであって、新聞紙面から判断しても風俗は甚だ不真面目にしか取り上げられていない。風俗は俗なもので卑しいものだというようなわけで、大した社会問題[#「社会問題」に傍点]の資格は有てないらしい。
そのくせ世間は流行などについて極めて敏感であるし、又恐ろしくおせっかいでもあるのだ。例えばモダーン風俗などに対しては一般の世間は何かワザワザ調子を下げてやに下って対手になる。モダーニズム風俗は云わば揶揄《からか》われる対象としてしか世間の眼に写らない、それが世間普通の常識だ。風俗の本質の一つは性的なものにあるが、性的能力を自分の社会的生存の大きな支柱としている従来の社会の女達は、この社会では特別に風俗的な特徴を持たされている。そこで女も亦婦人問題というような社会問題[#「社会問題」に傍点]の内容として世間の眼には写らずに、云わば揶揄《やゆ》や娯楽の対象である美人としてばかり、世間の眼に写るというような次第だ。こうしたものが今日の、通俗な風俗[#「風俗」に傍点]の観念の現状なのだ。
風俗問題にぞくする一つの観念を、少なくとも社会科学的な意図から取り上げたものとして注目されるのは、思うにW・ゾンバルトのLuxus und Kapitalismus(1912)である。資本主義社会の発生発展過程に於ける、愛欲・婦人・又奢侈、等の役割に就いて、一応テーマの纏った考察をしているのがこの本の価値だが、併し力点は、奢侈が資本主義を産み出したという関係に集中されているのである。「奢侈の需要の発生が近代資本主義の発生にとって如何に極めて重大な役割を有っているか」が力点である(一四〇頁)。「奢侈からの資本主義の誕生」であって、その逆ではないのだ。奢侈という資本主義の一所産一結論たる目前の絢爛たる風俗現象が、唯物論的な弁証法の道をよく理解しないこの社会学者の眼を、全く眩まして了っているのである。このやり方は本質に於てブルジョア社会学的なやり口であり、例の通俗的な風俗観の、単に専門家風な学術的な仕上げにしか過ぎないのである。
三[#「三」はゴシック体]
私は今風俗に就いて、内容的に社会科学的分析をするだけの準備がないし、又その場合でもない。今必要なのは、こうした卑俗に通俗的にしか把握されていない風俗という観念[#「観念」に傍点]を、さし当り必要なように訂正して、理論上意義のある一つのカテゴリーに仕立てておくことだ。そこでまず第一に、風俗が道徳[#「道徳」に傍点]に属するものである所以を注目しよう。
前に風俗が習俗・習慣・風習に直接するものだと云った。そして習俗が一方に於て制度を指すと共に、他方に於てその制度の習得感情をも指すことを述べた。例えば家族制度という習俗が、一方家族という制度を指すと共に、他方家族的感情や家族的倫理意識を指すことは、今更云わなくても判っていることだ。習俗とは歴史的伝統を負った処の社会的規範であり、その意味での人倫や道徳というものに他ならない。この判り切ったことが即ち又、風俗がまず第一に道徳的なものだということになるのである。
風俗は、社会のただの習慣や便宜や約束ではない、又単なる流行其の他の類でもない。単に世間が皆そうしているという事実だけではなくて、この事実が社会的強制力を持っており、そして道徳的倫理的権威と、更にそれを承認することによる安易快適感とを惹き起こしつつあるものが、風俗である。風俗にぞくする規定の代表的なものは、前にも云ったように社会に於ける性関係だが、事実はこの性風俗が最も端的な通常道徳の内容をなしていることを、注目しなければならぬ。風俗壊乱という一種の反社会的現象は、主に性風俗の破壊を指すことは云うまでもないので、これが社会風教上の大問題だと政治的道学者や風紀警察当局は考える。風俗は全く道徳的なものだ。
性風俗が可なりに衣服服飾と密接な関係のあるのは興味ある点だ。性別を社会的に表現するものは無論何よりも服装なのであるが、この服装風俗が極めて性的意義と共に道徳的意義に富んでいることを反省して見るがよい。奢侈・化粧・お洒落から始めて、お行儀や作法やゼントルマンシップや淑女振り等々から、家庭的儀式や支配権力の威儀や宗教的支配の荘厳にまで及ぶ、一貫した或るものがあるだろう。このように服装は性関係を道徳にまで連絡づける。アンデルセンの『裸の王様』を、こういう点から見て見ると、又特別の面白さがあるだろう。――でこうした一見末梢的な風俗たる衣裳さえが、一つ一つ道徳的重大さを持っていることは、今更事新しく説くまでもあるまい。
併しそれはそれでよいとして、一体風俗がぞくすると考えられたこの道徳なるものは何であるか。最も通俗的な規定としては、善し悪しを判定する標準のことか、又は善し悪しを決める場面のことだろう。これが通俗常識による道徳の観念であって、そこではつまり、出来るだけ早く簡単に善いか悪いかを決めることが目的になっている。処が或る事柄の善い悪いを決めることと、その事柄に就いての有効な(然り人生にとって有効な)批判的・科学的検討とは、殆んど全く別のことなのである。事柄の理論的研究と、その事柄の善悪の宣告とはまるで別だ。と云っても私は何も、理論や科学が超利害的であるとか又公平無私(?)で超党派的・超階級的なものだ、などというようなブルジョア科学論の一節を暗誦する心算で云っているのではない。例えば日本に特有な形態の人身売買制度(娘の身売りなど)をどんなに悪いことで不道徳だと宣告しても、それで少しもこの現実の風俗は善くはならないのだ。問題は善いか悪いかではなくして、如何にしてこの欠陥を救済するかというための理論的な研究なのだ。処が道徳は往々にして、正にこうした科学的検討そのものを省略するための唯一の手段として出馬するものだ。道徳的ということは反科学的・反理論的・没批判的ということだ。日本ではこの頃、こうした意味での道徳的社会観や政治観や文化観や、経済観さえが、盛んである。
こんな道徳の観念はそれ自身、打倒される必要のあるもの以外の何物でもない。一定のあれこれの道徳律や道徳感情の打倒というより、寧ろ道徳のかかる観念自身[#「かかる観念自身」に傍点]が打倒されねばならぬのだ。マルクス主義的社会科学乃至文化理論は、之を徹底的に打倒した。マルクス主義にとっては、あれこれのブルジョア道徳律やブルジョア道徳観ばかりでなく、この種の道徳なるものそのものが元来無用有害となり無意味となる。――で、もし風俗の観念も、単にこうした意味での道徳の観念に接着するだけなら、夫は理論的に無用でナンセンスな困ったカテゴリーに終るだろう。
だが、道徳に就いての文学的観念[#「文学的観念」に傍点]ともいうべきものこそ、道徳現象に就いての論理的に(又広義に於て認識論的と云ってもよいが)有効な唯一のカテゴリーだろうと私は思う。普通の所謂「道徳」という観念はこれの前には解消して了う筈であるし、又「道徳」という観念によって指し示された所謂道徳なるもの自身は、この文学的な道徳観念に照らされることによって初めてうまく把握され得るだろう。――最近文芸評論家が口にするモラルという言葉はこの「文学的」な道徳観念にやや近い。だが根本的な相違は、所謂「モラル」が往々にして単に道徳意識や生活感情という観念物以外の何物でもなくて、現実の客観的社会の本質的機構や現実的な思想内容や、又風俗[#「風俗」に傍点]とさえ、関係なしに口にされているという点だ。つまり所謂モラルは文芸創作方法に結びつけて考えられているらしいにも拘らず、夫が一向、創作方法上の論理学(乃至認識論)的根本概念の資格を、発見出来ずにいるのである。之ではモラルも十分に理論的なカテゴリーにはなれぬ。
道徳の文学的観念を私は、云うまでもなくあれこれの道徳律とも道徳感情とも考えない、又あれこれの習慣とも風俗とも考えない、却ってそうした所謂「道徳的」な諸現象をそういうものとして把握させるような一つの認識の立場[#「立場」に傍点]の名が夫だと考える。現実のそうした反映をやる場所や媒質の名が、道徳=モラルだ。処で文学[#「文学」に傍点]というものは、恰もこの実在反映の仕方の如何によって、科学から区別されているのである。文学と科学とでは方法は勿論のこと世界観の形象も実は全く同じとは考えられない。なぜなら世界観とはすでに一つの実在反映の結果のことだから。すると文学の認識=反映の場所や媒質が即ち道徳=モラルだ、ということになるのである。この道徳観念を文学的[#「文学的」に傍点]道徳観念と呼ぶ所以は之であり、世間の文学がモラルを語る所以も亦之だ。
今この道徳の立場、即ち文学の立場が、科学乃至理論の立場とどこで異るかを説いている暇がない。夫は恐らく形象[#「形象」に傍点]の問題と自己[#「自己」に傍点](自我・自意識・等々)の問題との関係の内に横たわると思う(コム・アカデミー編『文芸の本質』――ヌシノフ――の稿及び岡・戸坂著『道徳論』中の拙稿「道徳の観念」に問題を譲ろう)。だがとに角必要なことは、右のように考えて行けば道徳という概念が理論的に確立出来るだろうという点だ。で、もしそれが出来れば、それにぞくするものとしての風俗の概念も、理論的に確立出来る見込みが立つわけだ。――つまり風俗という観念、カテゴリーは、その本質を以上述べたような意味での道徳[#「道徳」に傍点]の内に持っているということである。風俗とは、道徳的な本質のものとして用いられるべき理論的用語だ、という当然至極のことに過ぎないのだが、今それが理論的に説明され得る、ということの説明みたいなものをやって見たわけである。
こういう回りくどい間接な接近の仕方を選んだというのも、結局、風俗という観念にもう少し重大な理論的意義を認めよということが専ら云いたかったからであって、さっき第一に風俗が道徳にぞくする所以を強調したが今度は第二に、風俗が思想[#「思想」に傍点]的な本質を持ったものだということを強調したい。之も亦、判り切った現象に就いての観察に基くわけで、服装や態度一つにもその人間の思想が現われているし、国民の風俗習慣は俗に国民性[#「国民性」に傍点]と呼ばれて、何かその国民の国民思想であるように云われているのである。――だが、例えば風俗は思想が表現となって現われたものだとか、風俗は思想の一つの実現だとか、というような安易な理解の仕方はやや危険である。なる程思想は風俗に於て表現される、風俗は思想の表現である、之は大事な認識であり又事実に就いてのよい理解である。けれども表現という言葉は解釈上の又は解釈学上の用語であって、決して無条件に説明上の科学的用語でない。だから風俗が思想の表現だと云っても、思想が本当に風俗という形をとって現われて来たことではないのだ。吾々は言葉の綾にだまされてはならず、言葉の洒落にひっかかってはならぬ。思想は一つの[#底本では「思想一つの」となっている]観念物だ、併し風俗は目に見える風物だ。思想という観念物が風俗という風景となって現われるというような神仙譚ではなくて、単に風俗が思想を云い表わしている、一種の思想を意味[#「意味」に傍点]している、という事実だけが本当なのだ。
思想乃至意識に就いても説明しなければならぬ要点があるのだが夫は省かねばならぬ(前出『道徳論』参照)。併し少なくとも思想という言葉も亦、一方今云った観念物を指示すると共に、他方、この観念物を云い表わしている一切の物的風物――風俗などがその一つだった――のもつ「意味」をも指示している。その点だけは注目すべきだ。だから本当の「思想」という観念はもはや単なる観念物をいうのではなくて、そういう観念物をも又更にこの観念物を云い表わすような物的風物が有つ「意味」をも把握させる処の、反映・認識の機構上の一つの個処を指すと云わねばならぬ。先に道徳=モラルが恰もそういうものであり、夫は文学的認識・反映の場処や媒質であったが、思想もつまりそういうものと大して異ったものではないことが判る。道徳=モラルが問題になる処では、事実同時に、いつも思想が問題になっている。現に文学の場合などがその証拠だ。――で、そうだとすると、道徳的本質を持つ筈だった風俗が、思想[#「思想」に傍点]という意味を有つことは、尤も至極なことだったわけだ(思想が風俗となって初めて熟する所以を「現下に於ける進歩と反動との意義」――『日本イデオロギー論』の内――に於て私は少し説いた)。
四[#「四」はゴシック体]
さて、風俗というカテゴリーが論理的に有つべき性質の、大体の輪郭を私は描いて見た。つまり風俗とは道徳的本質のもので思想物としての意味をもつものだという、一見平凡至極な結論なのである。だがこの結論は、風俗が有っている社会的リアリティーの特質――大衆性の一ファクターに注意を喚起するのに役立つだろうばかりでなく、この特有な社会的リアリティーに就いての観念や表象や概念やカテゴリーが有っている処の、理論的・文学的な論理上・認識上の重大さとを、注目させるにも充分ではないかと考える。――この考察は、社会理論の一見末梢的な課題を、社会理論の中心問題へ真直に連絡するばかりでなく、それと同様に重大なことには、文芸乃至芸術に於ける実在の反映・認識・表現の機構に於て、風俗なるカテゴリーが占める理論的意義を暗示するに役立つかも知れない。ここに再び、芸術乃至文学に於ける大衆性[#「大衆性」に傍点]の問題が取り上げ得られる。そういう実際的な効用をねらっているのだ。
一体文学作品の凡てに含まれている風俗という要素は、その意義をもう少し一般に注目されてもいいのではないだろうか。と同時に又その反対に、特に風俗的な特色[#「風俗的な特色」に傍点]を有っている一種の作品様式に就いては、そこに口を利いている風俗なるものの観念を、もっと厳正に重厚に評価し高揚させねばならぬのではないか。私はひそかにそれを思っているのである。風俗描写を欠くことが作品にどういう本質的欠陥を齎すか。例えば長篇小説(ロマン)の「面白さ」というものが一方に於てストーリーのもつ文学的リアリティーに基くらしいことはほぼ明らかだと思うのだが、それと共に、之は風俗描写のもつ文学的真実さと何かの重大関係があるのではないか。面白さと大衆性との関係だ。之に反して短篇小説は、主として身辺エッセイか又は極端な場合にはモラール・レフレクションやモラール・ディスカッションをさえその本質としているが、そこでは如何に風俗が虐待されがちであるか、そして同時に夫が如何に「純」文学的で「面白くない」か。等々。
風俗が映画などに於て占める特別な意義に就いては、後に述べる(「映画の写実的特性と風俗性及び大衆性」)。視覚に訴えることをその本領とする処の映画は、文学などに較べて、風俗のもつ社会的リアリティーの再現に努めることを著しい根本性質とするだろう、と考えたからである。そしてそこにこそ映画のスクリーン自身のもつ特有の大衆性[#「大衆性」に傍点]があるだろうと考えた。この点、映画以外の芸術形式(例えば舞踊其の他)にもあてはまるのではないかと思われる。
五[#「五」はゴシック体]
なお特に、風俗の文学的役割に就いて述べておこう――
私はすでに岡邦雄氏と一緒に、『道徳論』という本を書いた。共著というよりも二人の論文を合わせたものである。私の書いたのは道徳の観念が何かということについてであった。私はその論文で、道徳の観念を四つに分けた、第一は世間の通俗常識による道徳観念で、大体修身によって理解されるものであり、第二に倫理学的観念で、ブルジョア倫理学や実践哲学などで考える道徳である。この二つがどれも科学的な道徳観念でないということは、道徳を社会科学的に考察して見ればよく判ると思うので、従って唯一の科学的な道徳観念は社会科学的道徳観念だと考えた。之が第三の観念である。
この第三の観念によると道徳は生産機構に基いて発生し、そのことによって独自のイデオロギーとして道徳価値感を生む処のものだが、夫はつまり道徳の発生と本質と意識とが階級的な実質のものであるということを意味するに他ならない。理論的・論理的・科学的な認識が階級的に一種の歪曲を必要とする時、夫が道徳という形を取るのであって、真実か否かの問題が、善いか悪いかの問題に引き直されて片づけられるのが、道徳の社会的役割だと考えられる。この意味から云う限り、道徳とは認識の不足そのものをしか意味しない。階級的分裂が消滅する社会に於ては、かかる不合理な本質を持つ道徳も亦消滅するだろう、と云わざるを得ない。
だが之で凡ての道徳観念が悉されるのではない。道徳が問題になるのはいつも自分というものの日常行動思想が課題になるからだ。他人の行動ばかりを問題にしたがる日本人的お節介道徳は道徳ではなくて寧ろ反道徳だろうが、併しそういう出来損い現象も、つまりわが身に引きくらべて他人の身の上をとや角云うのである。一つの自己弁解である。――そうすると道徳の観念も単に社会科学だけでは片づかないものがあるということになって来る。なぜなら社会科学では個人というものや個人の個性やを論じることはカテゴリー上常に可能だが、併しそのままでは、銘々の自分の我性に基く活動を論じるのに足りない点がある。この我性という銘々の自分の一身上の課題を解き得るような立場[#「立場」に傍点]に立つことによって初めて、道徳の最後の科学的・哲学的・観念が得られると思うが、処がこうした立場は恰も文学する立場なのだから、私は之を文学的な道徳観念と呼ぶことにした。之が第四の観念である。所謂モラル[#「モラル」に傍点]とは之でなければならぬのだ。
併し私の主張したいもう一つの要点は、この文学的な道徳観念と社会科学的道徳観念との結合[#「結合」に傍点]の問題なのである。所謂モラルを云々する文学者には、この結合に何等の関心を払っていないように見える人が甚だ多い。モラルは何かただの身辺的な私事としての心理のようなものだと考える類がその例だ。処がそんなモラルは実は、お天気加減一つで吹き飛んで了うだろうような空疎で薄っぺらなものだ。吾々はその深刻そうなポーズに惑わされてはならぬ。本当に文学的な真実である処のモラルは、何よりも卓越した、かつ行き届いた、純粋な客観的認識[#「客観的認識」に傍点]によらなくてはならぬ。社会機構の、又自然のヴァラェティーの。モラルは科学的認識を自分という立場にまで高めたもので、現実の反映としての「認識」の特殊な最高段階以外のものを意味するものではない。その意味では科学の対象が真理であるように、文学の対象はモラルなのである。
で考えるのに、文学作品(創作・評論)及び文芸現象を評論するにも、いつもこのモラルなるものが観察の焦点でなければならぬ。モラルは倫理とも云われているし、又思想と呼ばれてもいいし、又之を世界観と呼び直してもいいのだが、併し文学の内に部分的に含まれている処のそんな倫理や思想や世界観だけを取り出して見ることが、文芸批評だと云うのではない。創作の技法だけを取り出して問題にするのはバカげたことで又事実不可能なことだが、それと全く同じに、これはバカげたことで不可能なことだ。尤もバカげた不可能なことも、実際に出現するというのが事実ではあるが。
最近モラルの問題の一つとして恋愛論が相当盛んである。モラルの興味の中心が恋愛乃至性道徳にあるということは重大な意味のあることで、この意味だけを強調すれば、場合によってはローレンス的な世界観へ行く理由もあるのだが(ローレンスの『恋愛論』――伊藤整訳による――は可なり莫迦げた観察も含まれているが一読に値いするものと思う)、併し一方問題をもう少し方法論的に整備する必要がまだ残されていると私は思う。文学とモラルとの認識論(?)的な連関を探ねて来た私にとっては、なお手前に残された問題がある。それが風俗[#「風俗」に傍点]という問題だ。
風俗に就いても亦、すでに社会科学的な観念は多分に存する。否寧ろ風俗はあまり手近かなもので科学的な考察が忘れられ勝ちだから、却ってその科学的研究は意識的に盛んであると云ってよい。社会学的な実証的研究は乏しくないし、社会科学的な史的研究も少なくない。すでに述べたゾンバルトの『奢侈と資本主義』など、とに角注目すべきものだ。――併し風俗は他人の風俗であるよりもまず自分自身の風俗でなければなるまい。そうなると之は趣味[#「趣味」に傍点]とか好み[#「好み」に傍点]とか云った安価なようなものになるが、併し趣味や好みは良心の端的な断面で、認識や見識や政治的意見さえのインデッキスになる。吾々は理論や主張に濁った不審なものを持っている人間を警戒しなければならないが、之は証明の限りではなくて実は一種特別な趣味判断によるらしい。風俗はモラルの徴表だ。
でこうした意味にまで深められた立場から見た風俗は、文学的な意味に於ける風俗だ。その意味での趣味も亦、文学の本質だとさえ考えられる(シュッキングなどは問題ではあるがとに角そういう主張の見本の一つにはなる)。無論風俗は吾々が旅をして世界の人情風俗を見聞して見たいと思うように、客観的なそして末梢的でさえある肉づけを持った具象物だ。而も夫がモラルの徴表なのである。モラルの感覚的・物的・分泌物が風俗だ。――私は文芸評論の一つの観点として、風俗描写というものを強調したいと考える。今云ったような意味での掘り下げられた立場からする風俗が描かれているかいないかは、そこに把握されたモラルが生きているか死んでいるか、性格個性を有つか有たないか、に関係するし、それだけではなく、その作品がリアリティーを有つか有たないか、又更に、その作品が大衆性を持つか持たないか、或いは「面白い」か面白くないか、ということにさえ、直接関係があるだろうと思う。
さて風俗の最も著しい内容は性風俗だが、そこから恋愛論というモラル問題に行く道も開けると思う。恋愛論のための文学上の方法論が必要ならば、この辺の見当ではないかと考えている。
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2 映画の写実的特性と風俗性及び大衆性
私は映画について特別な知識は少しも持っていない。映画製作の原理や実際については云うまでもなく、映画批評についてもあまり知っていない。その意味で私はごく普通の観衆の一人にすぎない。併し私は映画が好きだ。単に娯楽や気晴しとしてばかりでなく、事実色々のことを考えさせ、意識に希望と野心とを起こさせるという意味でも、映画は非常に面白い[#「面白い」に傍点]。映画は文学などと違って、意識を浅薄にし、又その印象はすぐ忘れて了いやすい、というように云われてもいるが、それは必ずしも当っているとは思われない。少なくとも良い映画を見ると自分も出来たら何か映画を一本作って見たいという気持ちになる。之は私一人の癖ではなくて多くの人の気持ちではないだろうか。そういう意味での映画愛好者は、事実非常に多いと思う。映画が意識を浅薄にしたり、忘れられやすかったりするという説が、当っていないことは、この点だけからでも結論出来るように思う。現代人の意識をかき立て、創造へ駆り立てようとする力を持つ映画は、確かに活きた真理を有っているのである。単なる娯楽や享楽や暇つぶしに近いものではない所以だろう。
一人の観衆としての私を以上の意味で面白がらせる映画の、その面白さは一体どこにあるか。消費生活の華かな街頭や、劇場がもつ一種の社交感が、確かに私を映画館へ導く一つの秘密(?)であることは否めない。本を読むにも退屈し、人を訪ねるにも遠慮がある、という時に、私の身体を移動させて市井の(この経済的社会的矛盾にも拘らず)活々した雑閙の内に身を投ずることは、近代人に一種の安心と自信とをさえ齎すものだ。この際比較的安い映画館は何と云っても一等大きな誘惑なのである。
だがこういう市井的な諸原因は別に改めて考察しなければならない。今はスクリーンそのものに現われる内容で、何が私を面白がらせるのかを考えて見る。と夫は何と云っても、スクリーンが視覚の官能に活動性を与えるという、一見判り切った事情につきるのである。なる程トーキーがもはや視覚だけに訴えるものでないことは忘れはしない。それに視覚と云っても今日のトーキーで充される官能は、高々平面的な形と陰影と動きとだけであって、立体もなければ色彩もない。トーキーによって映画が本質的な飛躍をなしたことも、今日のトーキー映画の視覚上の大きな制限も知らないではないが、にも拘らず今日の映画は、すでにそして何より、視覚の官能を満足させる。トーキーになってから映画が俄然面白くなったわけではなく、面白みの基調はすでに無声映画時代からあったのだ。
尤も視覚型の人と聴覚型の人との区別はあるが、併し少なくとも映画に於ては視覚の役割は聴覚の役割に較べて、比較にならぬほど大きいと云わねばならぬ。トーキーは音に写真を与えたものではなくて、写真に音を与えたものだという映画発達の歴史は、無視するわけには行かぬ。盲人の世界像には触覚が大きな役目を果していることを知らぬ人はないが、この触覚は聴覚よりもはるかに視覚に似た性質をもっている。視覚自身も撫でる性質を有っている。之は聴覚の時間的連続とは違った空間的連続の緊張感を有っている。触覚もそうなのだ。通常の意味での実在の認識[#「実在の認識」に傍点]にとっては、だから聴覚よりも視覚の方がはるかに根本的な意義を有っているとも云うことが出来る。処で映画は丁度この視覚に強調をおいているのだ。
臭覚や味覚のことは論外としよう。触覚について云うなら、映画にどんなに完全な実在再生の機能を要求すると云っても、之に触覚を求める心配はないだろう。見又聞きするには対象との間に一定の距離がなければならない。見聞きには一定の媒質が必要で、之が直接の接触の代りをする。眼に物をひっつけたら却って見えなくなる。この距離というものは、実際活動ではなくて観照である場合には無くてならない条件であって、美学や芸術学でいうインテレッセロージッヒカイト(無関心)の性質に相当する生理的事情だと云っていいかも知れない。そしてこの距離をおいての感動は、中でも「見る」という作用によって代表されているのである。この段階を離れて一歩進めば、もはや観照[#「観照」に傍点]ではなくて事物に対する実際的処置となって了う。
尤も観照とか見るとか視覚とかいうことは何も映画に限ったことではない。絵画・彫塑・写真・舞踊・劇に至るまで、之に基いているわけだが、映画は之を単に動く写真[#「動く写真」に傍点]と考えて見ても、すでに最も具象的な視覚の内容を充たすものだという処に、その特色があるのだ。美術も舞台も夫々固有な芸術的リアリティーを有っている。写真的なものであろうと象徴的なものであろうと、芸術的[#「芸術的」に傍点]リアリティーの分量の如きものには関係があるまい。だがそのことと、美術や舞台が、一般に夫々の視覚的芸術が、空間的時間的、社会的歴史的な本来の現実から、夫々の程度乃至方針に従って、抽象された世界のものであり、従ってこの現実の[#「現実の」に傍点]リアリティーからの夫々の距離での抽象化を持っているという関係とは別だ。つまり芸術的[#「芸術的」に傍点]リアリティーの問題とは別に、現実実在の再生という意味でのリアリティーを考えねばならぬのだが、之を映画について考えて見ると、映画はこの意味で視覚の最もリーヤルな内容を充たすものなのだ。スクリーンに現われる内容は最も具象的なのだ。その芸術的[#「芸術的」に傍点]世界が具象的であるなしに関係なしにそうなのだ。
この誰でも知っている事柄は一見何でもないようなことだが、之が映画の内容の特色を最後にまで渡って決定する先決条件になっていることを、まず卒直に見とどけなければならぬと私は考える。つまり映画は何と云ってもまず第一に写真であり、動く写真であるということを、強調しなければならぬ、それの上で一切の映画美学が試みられるべきだというのである。この写真は云うまでもなく最も具体的な現実的リアリティーを有っている。修正や所謂芸術写真というようなものであっても、もしこの現実的リアリティーの再生を土台にしないならば、写真の独特な好さは見失われるだろう。この写真の現実的リアリティーにモーションと音とを加えたものが、スクリーンの物理的イメージなのである。
以上云ったことは全く生理的物理的基礎の外へ出ないのであって、映画の社会的・歴史的又劇的・文学的其の他の条件をまだ問題にしないのだが、それだけでもすでに映画に特有な一つの世界の説明として足りるものがある。実写[#「実写」に傍点]というものが之であって、之は地球の上で起きる現実的リアリティーの任意の部分(その選び方やカメラのアングルには実はすでに社会的・文学的・美術的・其の他の観点があるのだが)の再生に他ならない。何時幾日に何処で何が如何に起きたかを、或いは何かがどこかでいつかどのように起きたかを、再生するのが「実写」や「ニュース」の謂である。
実写やニュースは単にそれだけでも、私に映画の価値を尊重させるに充分だ。人はニュースなどに何の芸術的価値があるかと云うかも知れない、映画は一つの芸術たることが建前ではないかと云うかも知れない。映画は確かに芸術が建前だ。だがそう云うなら、ニュースは一体なぜ芸術的ではないのか、と私は云いたくなるのだ。私はかねがね新聞の社会面のニュースが、如何に文学的真理に乏しいかを悪んでいる者の一人だが、それはニュースが文学価値を有ち得るという想定に立つからこそである。ニュースが芸術的でないのは新聞社に雇われている記者達が記者として不充分だからで、少し乱暴な空想を許して貰えるならば、ホメロスでもつれて来ればニュースは立派に文学的になるだろう。と云うのは社会的眼光や心理的把握に於て、この現実的リアリティーたるニュースを、真理にまで高めることだろう。実写と云っても馬鹿にはならぬので、カメラの力によって開拓された自然の嘆美は確かに人類のリアリスティックな眼を肥やしたと云わねばなるまい。故寺田寅彦氏だったかと思うが、自然物は拡大して見れば見る程精緻であるに反して、人工物は拡大して見る程粗雑だというようなことを云っていたそうだが、こういう観察の誠意は今日では正にカメラの賜物なのだ。社会的な事件でも、或る広場に於ける大衆の行動で、大衆がどんな口つきをしどんな眼の色をしたかは、新聞のニュースなどでは伝えられないが、カメラはこうした文学的に大切な社会観察を与えて呉れる。
絵や劇では到底こうした現実的リアリティーから来る人間的感動を与え得ないことは明らかだ。私は別に社会時評も一つの文学の大切な様式だということを主張したいのであるが、それはこの現実的リアリティー(芸術的リアリティーではない)そのもの[#「そのもの」に傍点]が持つ芸術価値を云いたいからだ。
実際吾々が物見高いということは、ただの妄動性や野次馬性をばかり意味するのではない。人間のジャーナリスティックな本能に基くのであって、子《し》の所謂遠くより来る友や、ヘラルド(之は間諜でもある)、話し手、物語作家、其の他はこの本能の要求に対応して発生した。こういうジャーナリズムの文学的本質、つまりジャーナリズムと文学との本質的連関は、多くの文学批評家が教科書的にさえ解説している既知の知識だ。こういう「見聞き」、「見聞」、「見物」の要求を充たす何よりのものが、スクリーンなのだ。写し方さえ、誠実で着眼点が芸術的に真実ならば、ニュースや写実そのものが、そのままで人を考えさせるに充分だろう。吾々はここに世界を見聞きすることの怡びを有つのだ。この怡びは非常に哲学的なものだ。思想もここから養われるのではないか。――映画の実写的な無限な能力を、単に一通りの意味の実用性にばかり限定して考えることは誤りである。
モンタージュや又トリックのことを考えて見ても、映画のこの実写的本質は却って裏打ちされるに他ならない。モンタージュが可能なのは云うまでもなく実写的な(と云うのはセザンヌの絵のようではなくてデューラーの絵のように空間一面に実物がつまっている)フィルムを材料としてなのであるし、トリックが効果を有つのは現実的リアリティーとの対比を観衆が行なうからだ。実写的フィルムのない処にトリックというものは意味があろうとは思われぬ。一体吾々の日常の見聞なるものが多少ともモンタージュ的な手法のもので、旅行したり見物したりすることさえが一種のモンタージュに喩えていいかも知れない。
映画の芸術的価値には無論劇的又文学的なモメントがあることを私は忘れない。併しそういう価値が実現するためにも、まず第一に現実的リアリティーの再生という写実性が大切なのであり、この写実性そのもの[#「そのもの」に傍点]がすでに、映画に特有な芸術的価値を与えるというのである。自然的社会的な出来事に就いての実写や報道はしばらく別にしても、日常の自然現象についての実写的効果だけから云っても他の芸術様式ではただの匍匐的リアリズムやトリビアリズムやミミクリーに終るべきものが、映画では嶄然たる芸術的鋒鋩を現わすのだ。自然現象に関して云えば、スクリーンは世界の物性の好さ[#「物性の好さ」に傍点]を、物質の運動の怡しさを、人間に教える。こんなものは多くは吾々が日常見ているものだが、その好さはスクリーンに現われて初めて気がつく。すでに写真の好ましさはここにあり、グラフの魅力はここにあるのだが、スクリーンはまず第一に動く写真だから、この現実的リアリティーが一層強調される。運動は物質が身を以て語る言葉だ。
処で現実的リアリティー(アクチュアリティーと云ってもいい)は無論自然現象に限らぬ。社会現象も亦これにぞくする。どういうものが社会の現実的リアリティーか。普通の場合、風物や風俗が夫なのである。この風物や風俗を見せる[#「見せる」に傍点]ことが映画の第一条件なのである。見聞や見物とは多くこの風物や風俗を見聞することだった。事実、映画に於けるエキゾティシズム(実写的なる又材料上の)は吾々を著しく満足させるものの一つで、之も亦少なくとも映画に於ては必ずしも芸術の邪道とばかりは云えない。地球の地方々々の風俗(人情風俗と熟すのを注意せよ)を見ることは、まことに嬉しいことであるが、この風俗を形のままに見せるものはスクリーンでしかない。なぜただの風俗を見ることがそんなに価値があるか、芸術的に価値があるか、と云われるかも知れない。風俗とは何かを少し説明する必要があるように思う。
ヘーゲルが法(即ち広義に於ける道徳)を法と道徳と人倫(習俗性)とに段階づけたことは有名だが、習俗性とは習俗、習慣が何等か実体性を受け取ったと考えられるものだ。結婚・家庭生活・親子関係と云うような習俗が家族という実体をなすのであって、この家族などが人倫の第一段階だと考えられている。習俗がこのように道徳の本質の一つをなすことは今更断わるまでもないが、従って人情風俗も亦元来道徳的本質のものだということは、見易い道理だろう。人情は習俗性=人倫が意識に現われたものだし、風俗はそれが被服や建築や動作や顔つきという物的な感覚的な形に現われたものに他ならない。
道徳というものの意味とその段階とには色々あるが、少なくとも夫の最も物的な感覚的な現われが風俗なのであって、風俗は別に倫理学的な善悪や良心や人格の問題に直接関係はないように見えるが、そういうものを一応抜きにしてもそこに道徳の本質は必ずしも見失われるものではない。例えば交通道徳などは全くコンベンショナルなもので良心や人格の問題などからは可なりかけ離れて見えるが、併し夫が或る人間の都会的性質に関係がある時、彼又は彼女の風采や容貌と同じ程度の重大さを持っているので、風俗の相違は、ごく普通の場合には、吾々の道徳的不満や反感や同類感の欠乏をさえ意味することが少なくない。自分の国の言葉の下手な外国人は何と云っても普通には尊重出来ない(野蛮人=バルバロスとはギリシャ語が上手に喋れない吃音のことだ)。奴隷と自由民とは風俗上厳重な境界を引かれているので、一々奴隷に対して同類感を催さずにすむこともある(制服や階級を現わす服装の秘密はここにある)。人物の風体はその人物の道徳意識を、思想を、現わすとも考えられている。軍人はクリクリ頭で文士は長髪、どういう頭髪の形の女はどういう種類の女と、相場は決っている。被服風俗は支配社会に於ける各社会層別と個人別とによる道徳感と社会意識とを云い表わす。習俗の第一である男女関係にあっては、男女の服装の区別は極めて深刻な意義を有っているだろう。警察は現に女装の男や男装の女を警戒している。
こうして風俗というものが、人情・人倫・道徳・思想の最も感覚的で物的な表現である所以は理解されるだろうと思う。国民思想とか国体とかいうものをハッキリと把めない人間にも、日本人の風俗は最も端的につかむことが出来る。ここにこそ日本の国民思想の具体的な表現があるとさえ云っていいかも知れぬ。ソヴェートの民衆が日本の風俗映画を見て皆一緒に吹き出して了ったということは、だから仲々重大な外交問題を意味するかも知れない。一国の生産機構も、その国の農民(つまり百姓)や小市民などの風俗を描けば、おのずから芸術的に特徴づけられることになるのだ。――大きい文学で風俗を描かぬものは殆んどないとさえ云っていいのではないかと思う。
風俗を見ることは、だから元来感覚主義の範囲にぞくする。そしてこの風俗的感覚そのものが道徳的な意味、モラル、を持っているのである。映画がまず第一に見せるものはこの風俗的感覚であり、そこに映画の感覚的な、そして従って[#「従って」に傍点]又社会的[#「社会的」に傍点]な、面白さがあるのだと私は思う。現実的リアリティーに於ては、社会現象は風俗となって眼に見える[#「見える」に傍点]。
処で風俗とエロティシズムとは切っても切れない関係に立っている。グロテスクよりもエロティシズムの方が遙かに風俗に与える動揺は大きい。食事が風俗を挑発する程度もエロティシズムが風俗を挑発する程度に較れば問題ではない。エロティシズムは風俗壊乱のものと考えられている。――だがエロティシズムを単に煽情主義と考えるから、夫は風俗の破壊・その否定的な動揺・と考えられるというまでであって、こういう目的意識から名づける代りに人間社会のエロス的(生物的文化的)契機を恬淡にエロティシズムと呼ぶならば、エロティシズムこそ風俗の基本的要素の意味を有つと云うことが出来るだろう。そうすれば、この風俗感覚をその宿命とし又その特権とする映画が、不断にエロティシズムを追求する側面を失わないのは、甚だ当然なのであって、この現象そのものは映画の芸術的低級さを意味するものでも何でもない。ただ映画のこの感覚主義が不純である時、と云うのは感覚を何等かの感性的な行動への潜在的な手段と見たり、感性的な連想の手段と見たりする時、その時に限って、映画のエロティシズムは煽情主義に堕するのである。
で映画の感覚主義(映画特有の芸術的地盤はここにある)は、エロティシズムからの脱却でも何でもなく、却って正にエロティシズムの純化にこそなければなるまい。映画は観衆に、観衆の意識(生活意識・社会意識・等々)とスクリーンに現われた風俗との対質を要求する。この風俗は何人も解し得る処の、人類に普遍な性関係につながっているのであるから、云わばここに映画の内容自身がもつ大衆性の一つの根拠があると云っていいだろう(人類の類意識は性的関係から発生する――Menschengeschlecht――Geschlecht)。性道徳への省察を、大衆はスクリーンを通じて行なっているのだ。
誤解を防ぐために断わっておくが、私はエロティシズムや性道徳への省察だけが、映画の主な芸術的内容だなどと云うのではない。要は風俗が映画の芸術価値を成立させる根本条件だというのであり、その一つの必然的な契機としてエロティシズムが本質的なものとなるというのである。そしてこの風俗と雖も映画の芸術的価値を終局的に決定するものだなどと云うのではない。ただ映画の芸術価値はこの風俗という物的で感覚的で、肉体的で社会的な、具象性の地盤の上で初めて完了することが出来るというのであり、且又この風俗感覚そのものにすでに、丁度自然現象やニュースの実写がそうだったように、独自の芸術的価値が約束されているのだというのである。つまり映画では、風俗そのものが、その感覚的な表現にも拘らず、その故にこそ却ってモラルを有つのだ、というのである。
映画による風俗感覚が大衆の道徳意識を芸術的に刺戟するということは、色々の証拠を見出すことが出来るが、吾々青年が日本語で話す日本映画よりも寧ろ言葉のよく判らない外国映画の方を面白がるということは、吾々の生活意識の新しさ清新さが、この日本的現実に満足していないことを示すもので、日本の資本主義が英米仏独の先進資本主義への歩みに他ならず、やがてはソヴェート連邦的経済機構への必然を有っているという客観的事情が、若いジェネレーションへ知らず知らずに反映していることに他ならない。決して外国の監督や俳優の素質が高いばかりではなく、その高さが判るということが一つの道徳的向上の動向を示しているのだ。ただブルジョア映画そのものが現在の風俗の自己批判を敢えてなし得ないという宿命から、吾々はこうした映画から何等道徳批判の積極的な結果を期待出来ないまでだ。風俗を見ることは、之に泥《なず》むことに終る方が多いというのが、風俗感覚の芸術的弱点だ。夫は一般に感覚主義や又狭くエロティシズムの弱点ともなるものである。映画中の大衆映画とも云うべきチャンバラが受けるのは、一種のエロティシズムに帰着する舞踊的(或いは寧ろギムナスティックにぞくする)風俗感覚によると共に、之に基く封建的道徳・封建的風俗感覚へ由来することは今更説明するまでもないだろう。――で映画の大衆性[#「大衆性」に傍点]は、社会人の普遍的な感覚(現実感・風俗感・エロティシズム其の他)に訴えて、之をいつの間にか道徳・道義感・社会思想に移行させるという処に、その本質を横たえる。映画館は安くて誰でも皆と一緒に見られるから、というような処にばかり映画の大衆性があるのではない。又映画は何本でも複製が出来てどこへでも持って行けるという処にだけその大衆性の根拠があるのではない。
私は以上、なぜ映画が面白いか、ということを分析して、それを映画固有のリアリズムに求めたわけである。つまり現実のリアリティーが、そのままで[#「そのままで」に傍点]芸術的リアリティーとなる処に、映画固有なリアリズムがあるのであって、同時にそこに他の芸術の真似の出来ない大衆的な満足感を与えるものが横たわっているというのである。之は映画がもつべき本来の劇的又文学的価値とは一応別で、それ以前の先決条件に他ならないのだが、この条件を離れて映画の劇的文学的本質を論じることは、恐らく映画を劇や文学に解消して了うことになりはしないかと考える。世界の現実を見聞きすると同様にスクリーンの上で見聞出来るということが、それだけの単純な判り切ったことが、映画固有の面白さを与えるらしい、という結論なのだ。映画の劇的機能や文学的価値については今論じることはひかえる。また観照者の立場を離れて映画製作の技術的・経済的・社会的・諸条件を省ることも私には今は不可能だ。これ等の観点を離れても、映画の大衆性を或る程度まで説明出来るように思う。
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3 文芸と風俗
一 文芸時評の改組[#この行はゴシック体]
読者も御承知のように、最近、新聞雑誌その他における文学批評の形式というのが、やかましく議論されている。しばらく前には局外批評が善いか悪いか、それから又匿名批評が善いか、悪いか、がお喋りの流行(?)だった。全く「善いか悪いか」が喋られたので、「何であるか」が喋られたのではない。つまりそれほど子供らしくまた道徳屋的に喋られたわけだ。
しかしこのお喋りはただのお喋りとして片づけることの出来ないものを持っていた。なぜなら問題は専ら文学がどうやったら広い世間へ出られるかということだ。或いは、いわば女子供向きの所謂文学なるものを、どうしたら世間の大人にとっても必要なものにすることが出来るか、ということだ。少し語弊はあるが、そういえば端的だと思う。
やがて批評形式の論議は一転して、文芸時評の形式をどうしようかということにもなって来た。これも大部分はお喋りみたいに見えるのだけれども、併し矢張り、どうやったらば文学という温室産のモヤシを社会の汐風に耐え得るものにするか、という興味が根本動因をなしている。文芸時評は専門家の楽屋のぞき的な作品批評や作家批評ではなく、読者に作品や作家の社会的意義を紹介するような大衆的な形でなくてはならぬとか、文学の色々な現象が持つ文学外的な又は文学前的な思想や社会性を摘発するような形の時評にしなければならぬとか、色々にいわれている。
と同時に、文芸時評の時評[#「時評」に傍点](即ち月評[#「月評」に傍点])という形式もまた段々疑問にされるようになって来た。それというのもこれまでの月評は月々の雑誌に現われる作品についての所謂「作品評」(あの作品は感心した、あの作品は説話体だ。あの作品は化物と格闘している、等々という所謂作品批評[#「作品批評」に傍点]?)に過ぎなかったということへの不満からで、必ずしも月評という様式が悪いからというわけではない。一般に時評の性質を欠いた評論は決して完全なものとは考えられないのであり、そして文芸評論も時評である以上、月評になるのはそんなに特別な制限でも何でもないと私は思っている。要は矢張り、これまでの文芸時評において文学の社会性・大衆性・思想性・といった一連の要求が意識的に注意を払われることが少なかったという不満にあるので、それで月評という様式そのものが不可ないのだという風な混乱にも陥ったのだろう。
そこで、文芸時評も社会時評も、また論壇時評も、実は一つのようなものであっていい、というような見方が段々起きて来つつあるのではないだろうか。私は文学と社会時評との本質上の連絡を強調するものであるが(「風俗文学としての社会時評」)、この主張からすれば、文芸時評だって社会時評や論壇時評と大して別なジャンルのものではないということになる。――この頃は論壇時評というものが多少軽んじられて来たようだ。これと共に起きた動きが文芸時評改組問題だと見れば、面白いと思う。
こういう何か新しい文芸時評の型が出来て行くとすれば、その文芸時評にとって一番都合のよい対手は、直接時事問題を取り扱った作品だろう。ところが事実、そういう性質の作品が注目を惹きつつあるのである。岸田国士はこの間「風俗時評」という題の作品を発表した。焦点[#「焦点」は底本では「集点」となっている]にやや疑問を持つところのその内容よりも、この名前に私は好意を持った。ところが新聞では早速「風俗時評欄」を設けたし、新居格は本当の(?)「風俗時評」を試みている(『新潮』三六年七月「現代風俗時評」)。
二 軽風俗と重風俗[#この行はゴシック体]
無論新居格の「現代風俗時評」は文学作品ではない。無論その心算でもない。単に街頭のスナップだ。だが、とに角これを見ていて、少なくとも風俗時評という言葉が文学的な響きを持って来たなという判断の合図を感じる。岸田国士の「風俗時評」は何かと一種の社会的判断をいい現わしている。これはいうまでもなく文学作品としてだ。――でこれから見ると、風俗の意義にも二つあって、女のメーキャップから戒厳令にまで及んでいるわけだ。だが風俗については後で述べよう。
時事的な作品としてセンセーショナルな興味を惹く予算になっていたらしいのは、『中央公論』(三六年七月)付録「日出づる国」である。作者はルネ・ジュグレで原名は「昇る朝日」らしい。二・二六の事件直前に二・二六事件まがいの物語りを書いたので、予言が当ったといって騒がれているのだそうだ。芸術的に感心出来るようなところは殆どないといっていいが、一二カ処、兵士の卒直な実感が出ているのも、作家がフランス人であって日本人でないからに過ぎぬ。所謂青年将校達の政治的見解に対する作家としての批判などは殆んどないので、これは単に革新主義の提燈持ちにさえなるだろう。
筋は主人公と白系ロシア人の女スパイとの情的関係に沿って運ばれていて、白系ロシア人がロシア人という同じ民族だという理由で、にくむべきボルシェヴィーキに通謀するというのが、少し変でもあるが又面白い。面白いというのは、何しろ国際スパイでは今日の日本は夢中になっているところだからだ。これが少し脱線すると、第二インタと第三インタが提携したのが怪しからんといって、ヨーロッパ人の蒙を啓いてやると豪語する日本外交当局である。有名な自由主義者御手洗辰雄氏によると、日本は国際スパイがウヨウヨしているから、国民総動員秘密保護法案は絶対に必要だという(三六年七月『文芸春秋』)。――「日出づる国」というのはつまり「昇る旭」だ。訳者小松清の労は多とせねばならず、又読まないより読んだ方がいいのだけれども、時事的な文芸作品としては、買うことが出来ない。なぜなら、その社会的認識の凡庸さが美的印象を濁らせるからだ。
私はこの間コクトーのラジオ放送を堀口大学訳によって聞いたが、日本人はその美しいキモノをなぜ洋服に見かえたかなどといって彼が不満がっているのを聞いて(尤もこれは彼の単なる無責任なお座狎れだったかも知れないがそれなら又別な意味で問題だ)、もうこの芸術家を芸術家として信用する気になれなくなった。私の判断は仮に知識が不充分なため間違っているにしても、信用出来ない気持になったこと自体が今意味があるのだ。「日出づる国」の場合もコクトーの場合と同じである。
しかし文芸時評の眼が、もっと深いところへまで透過しなければならないのはいうまでもない。社会的時事的なテーマを持った作品ばかりが、この新動向としての文芸時評の相手でないのは、当然至極である。丁度二・二六事件や戒厳令ばかりが社会的時事ではなくて、流行歌謡でも女のメーキャップでも社会的時事であるようなものだ。どれもが風俗に属している。いわば重風俗[#「重風俗」に傍点]と軽風俗[#「軽風俗」に傍点]というような区別であろう。文芸時評(それは社会的時評でもあり論壇時評でもある筈だったが)は、この軽風俗的な文学作品の内にも、社会性を、思想性を、論理を又モラルを、見ねばならず、又見出さねばならぬわけだ。
だがしかし、軽風俗文学にもピンからキリまである。そしてどうしても前述の意味での文芸時評では文芸時評に値いしないような「風俗文学」があるのだ。つまりそういう文学はこの文芸時評からは、先天的に否定されねばならないのだ。しかもそういう作品は実に少なくないのである。
三 退屈権[#この行はゴシック体]
軽風俗と重風俗というような変な区別をして見たが、いずれにしても一種のモラルにぞくしている。モラルというと何か物々しいのだが、実はモラルという代りに道徳という日本語で結構なのである。道徳というのが別に道徳律や修身の徳目を意味する必要のないように、モラルといっても必ずしもいわゆる心理[#「心理」に傍点]に限る必要はない。寧ろモラル乃至道徳は行動の実際的論理、行動の人間的メカニズム、といったようなものだ。一身上の肉となった思想の姿や世界観の形だ。
だからこそモラルは風俗となって現われ得る訳で、しかも市井身辺の風俗ともなって現われ得るのである。夫が軽風俗といったものである。事実風俗はいつも道徳的なものだ。服装や趣味はいわばその人間の人となりを示すだろう。風体は彼の人物をいい表わす。風俗壊乱は道徳破壊の最も日常的なものだ。
風俗そのものはこのように道徳的な徴候をもっているのに、風俗を描いた文学の方が一向モラルを持たない場合があるという現象は、これは何としたものだろうか。重ねていうがモラルとはただの心理のことではない、むしろ行動のシステムのことだ。それによって読者の生活意識がひきしめられたり駆り立てられたり整頓されたりするその機構のことだ。ところがそうしたモラルを殆ど全く持たないような作品が、立派に雑誌には載っている。例えば『中央公論』(三六年七月)にのった「青葉木菟」(万太郎)とか「老ぼれ」(白鳥)とか「山女魚」(滝井)とか、の類を思い起こせば事は足りるだろう。
無論この内から故意にモラルを導き出そうとすれば、それは読者の勝手によって、常に可能なことだ。如何なるセンチメントもモラルの溶液をたたえてはいよう。だがそんな手間をかけるくらいならば、私はジカに自然か街頭に接触した方がよいので、何もわざわざ本を買って小説を読む義務も必要もない筈だ。風俗の描写[#「描写」に傍点]は現実の風俗よりもモラルの濃度が高い筈で、その濃度さえ高ければ鑑賞に無理な故意などは無用な筈だ。専門の作家にとっては色々の職業的教訓は含まれているかも知れない。谷崎潤一郎の猫の咄などは、確かに奇術的リアリティーがあって芸談には値いしよう。――だが一体読者は、人間の思想を殆んど眼に見えては促進しないような、或いは促進の条件を与えてくれないような、作品に対して、一々敬意を払う代りに、断固として退屈するだけの権利を持たないものだろうか。
私は何等かの所謂「イデオロギー」に照し合わせてとや角いっているのではない。私という一人のごく平凡な読者が喜べるか喜べないかをいっているのだ。そしてその際私よりもすぐれた非凡な読者ならば喜べるだろうというような推定も出来兼ねるというのである。もし私が誤っているなら、恐らくそこには何か約束[#「約束」に傍点]みたいなものが横たわっているのだろう。この約束は恐らく人間的教養や官能的な訓練とは無関係な約束ごとだろう。事実問題として私は、この種の無道徳的軽風俗文学に本能的に我慢がならぬ。それが私のイデオロギーだというならいってもいいのだ。
四 人民派と人民戦線[#この行はゴシック体]
仮に武田麟太郎と室生犀星との間に、もし共通点があるとすれば、それはいずれも軽風俗の文学だという処だろう。室生犀星には思想がクッキリと形を取っている、と或る作家が云ったのを覚えているが、「生面」(『文芸』三六年七月)などどうもそうでもないらしい。けれども、しかし何か「モラルの素」とでもいうようなものをひそかに見せてはくれる。矢田津世子「やどかり」(『改造』四月)などもこのカテゴリーにはいる部類だろう。こうした軽風俗のモラリティー、市井のいわば「人民」的モラル、を立場にした作品は今は一つの勢力であるように見受けられる。
人民派的な軽風俗文学のモラルに就ては、方々で議論されている。それは色々な形においてだ。まず第一に中島健蔵風のニヒリズムによれば、あるべきものの文学とかくあるものの文学とに区別されそうだ。例えば島木健作は前者で高見順などが後者だという。後者が今の場合に相当するだろうことは推定してよいだろう。第二にこれは描写の問題として説話体の議論に関係している。軽風俗を市井的モラルの立場から描こうとすれば、懇談的なこの説話体を選ばざるを得なくなる、というようなことも云われている。それから第三にこれは優等生文学と落第生文学というような妙な区別とも関係があるらしい。島木は優等生で平林彪吾は落第生だというのだ。軽風俗文学は落第生文学になるわけだ。妙な比較だが、漱石や小林多喜二は優等生だ。藤村も山本有三もだ。これによると、軽風俗の文学にモラルがあるとしたら、それは理想にではなくて現実自身にあるということになりそうだ。そしてこの理想の側に、思想からイデオロギーから論理からモラルから形象化までもが、押し込まれてしまうらしい。かくて文学は「かくあるもの」のひたすらな描写ということになる。「かくある」ものの楽しさ美しさ真実さの発見、これ以外に作品のモラルもリアリティーもない、ということにもなりそうだ。――併しこれは単にリアリズムのテーゼを反覆するものでしかない。処がこういう結論は例の軽風俗文学の場合から出て来た。それで人民派的文学こそ本当の文学だということになってしまいそうだ。
森山啓は「何のための芸術か」(『中央公論』三六年六月)で、人間も地球も一旦は亡びてしまうというのに、進歩のためとかプロレタリアのためとかの芸術というのはおかしいではないか、現実の事象に一つ一つ喜びを見出すことこそ芸術の目的だろう、という意味のことを書いたが、これに対して中島(健蔵)や阿部知二等が、大体同情の意を現わしているし、彼自身また一二の雑誌でこれを敷衍している。右に述べた処と森山のこの哲学とは、処で密接な関係があるといわざるを得ない。
だが芸術が人類の進歩やプロレタリアの利益のためではなくて、それに代ってよろこばしさや真実のためだ、といったように聞える口吻は、どうも少し変ではないのか。問題はいつも云われている通り、如何に喜び何を真実として受け取るかにあるわけだが、人類文化の進歩やプロレタリアの歴史的使命に対する情熱なしに、今日の吾々の官能に何かの纏まりがつき得るのだろうか。抑々あるべきものとかくあるものとのニヒリズム(即ち理想主義の裏)的な区別が論理的に誤っていると全く同じに、「何のための」芸術かという設問に元来錯誤があるのだ。吾々は文学の必要の直覚をこそ持て、文学の目的(?)のようなものをなぜ考えねばならぬのか判らぬ。
で軽風俗文学におけるモラルといえども決して人民派的な意味でのモラルに止まることは出来ないだろう。モラルの稀薄な風俗物は一寸は面白いようでも、忙しい時には官能を荒廃する娯楽のようなものとして虐用されるものだ。それは不快な習慣に堕ちる。そうなれば頽廃だ。
普通大衆と呼ばれるもの(この重風俗的? な観念)には事実、観点の規定の上で色々の困難が伴っている。だから人民という言葉は一つの新しい解答を意味してはいるのだ。併し例えば人民戦線には組織と指導的な中核とがあって、それがその政治的モラルを支えている。市井の人民的風俗にも、組織と指導的な中核としてのモラルが必要な筈だ。
五 モラルと風俗[#この行はゴシック体]
モラルのハッキリした文学で風俗物にならないものは勿論甚だ多い。寧ろ普通にモラルといえば、風俗的な肉体を持たない作品の内に求められるのを常としたとさえ云ってもいい位いだ。モラルが無雑作に心理か何かのように考えられる所以である。そうしたいわば純粋モラルは大体私小説的なもので、取り合わせが少し変なのを我慢するとすれば、心理的なモラルの例としては伊藤整「性格の層」(『文芸』三六年七月)――これは何か纏りの悪い感じである――や豊島与志雄「坂田の場合」(『文春』同月)、倫理的なモラル(?)では宇野千代のもの、理論的モラル(?)では島木健作のものなどである。片岡鉄兵の「光」(『改造』同月)などもこの最後の場合に数えてよいだろう。
しかし最後のこのいわば理論的モラルは、心理的モラルや倫理的モラルにくらべて或る独特な条件を持っていることを見逃してはならない。このモラルは一応私小説的なものであるにも拘らず、社会の機構そのものを媒介としているし、またこれを透過しているのだ。科学的(特に社会科学的)な認識が、モラルの認識にまで高められるという、文学の唯物論的認識論(?)の面目を見本のように示すものなのである。島木健作は実際、モラルをそういうものとして理解しているようだし、またそういう風な見地を実行に移しているように思う。この点が彼のプロレタリア的文学者としての模範生の一つの重大な要素になっている。科学的社会認識の文学的形象化ということが。
併しそれと共にこの理論的モラルの文学が殆んど何等の風俗を持っていないということが、多くの人によって指摘される彼の方法の制限だろう。理論的モラルが心理を通り倫理を通り性格を通り風俗にまで形を現わすということが、恐らく唯物論に立つロマンの理想だろう。
理論的モラルと風俗との融合にかなり成功したのは湯浅克衛「移民」(『改造』三六年七月)だろうと思う。同月の小説の内で読んで時間を損じないのはこの小説かも知れない。移民の一日本人が朝鮮人と階級的に同一の生活感情を持つことが呑みこめると共に、朝鮮貴人風の葬式を出してもらうというのが風俗上面白い。葉山嘉樹の「濁流」(『中央公論』同月)は問題を主人公の性格に還元してしまうところを度外視すれば、やはりこの部類の面白さ即ち重風俗文学の面白さを持っている。一般にロマンの面白さが物語り(説話)にあるとするなら、短篇小説としてのロマンの面白さはモラルの風俗的顕現にあるように思われる。短篇では物語りは無理なのだから。最近ロマンの本質が評論家の問題になっているが、今いった面白さは将来社会においても止揚されて伝承される処であるかも知れない。
『文学評論』(三六年七月)の「馬鹿野郎」(志木守豪)は少し安手だが珍しい風刺小説である。私は馬鹿[#「馬鹿」に傍点]という言葉をここから哲学的術語に仕立てることが出来ると思う。「模範青年」(和田勝一――『文学案内』同月)も風刺劇であるが(小説に直したって大して困らないことは今日の大抵の戯曲の特色だ)、尻切れトンボだ。模範青年は無論馬鹿野郎である。――憎悪も一つのモラルだ、ところで、それが社会機構の認識を透過して風俗にまで現われる時、時代的風刺作品(性格的風刺作品とは異る)となるのである。――なお「雪の記録」(沙和宋一)(『文学評論』)と芹沢光治良「石もて誰を打つべき」(『文芸春秋』)とは、衆議院選挙を取扱っているが、無論時事的文学ではなくて、重風俗文学にぞくしている。
かくて文学におけるモラルは時事物から初めて軽重風俗物から所謂「モラル」物にまで一貫しているのである。――最後に風俗の問題から見て特別の興味のあるのは、歴史文学の件だがそれは別の機会にしよう。
[#改頁]
4 文学・モラル及び風俗
一[#「一」はゴシック体]
モラルなるものは何と云っても最近の文壇の大きな問題である。それは流行っている。流行っているばかりでなく、同時に割合その流行が永続きしている。こういう現象は文壇では可なり珍しいことのようだ。これは単に文壇の問題ではない、文学そのものの問題だ、いや文学だけの問題ではない、広く思想・文化・社会生活そのものの根本問題だ。
だがそれにしては、モラル問題はその割に一向真正面から論究されていないというような気がしてならない。この頃の文芸時評や作品批評や文芸座談会では大抵この関心にどこかで触れている。だがモラルとは何であるかに就いて、モラルという言葉の振りまわし以外に、何等常識以上のものがないようだ。一つ二つその場限りの鋭い観察も、線香花火のようにひらめくだけで、殆んど理論的な蓄積を齎してはいない。
これは文芸の世界に於てばかりではなく、哲学の領域に於ても大して変りがない。変りがないどころではなく、哲学の世界などではモラルというものの問題が今日有っている意味に就いて、一般には殆んど何の感覚も持っていないらしい。モラルや道徳は倫理学か道徳学の課題だと考えているらしい。そうなると之は古い寝ぼけた題材にしか過ぎないというわけだ。哲学は独りモラルに就いてとは限らぬが、時代が見出した根本観念をば、理論的カテゴリーとして使用に耐えるように仕上げることを、何より大事な役目とする筈なのに。
今日の文学は社会の要求から見て、何と云っても独りよがりのそしりを免れない。特に評論的作品ではそれが眼にあまる。文壇的方言があまりにも整理されていないのだ。そこへ持って来て哲学の方も亦途方もなく太平楽だ。特に理論的に多少コクのありそうな哲学になればなるほどそうだ。この二つのものの間には組織的な連繋が存しない。偶々あれば思いつきや譬喩のような形のものしかない。こうした事情は主にフランス系と云っていい今日の代表的なブルジョア文学理論と、主にドイツ系と云ってよい日本のブルジョア哲学との間に、著しいのである。
云うまでもなく文学と哲学との原則的な連絡を置き得たのは、日本でもマルクス主義乃至唯物論である。処が之は観点を、世界観と方法との連関という統一的な三角点にまで進めたに拘らず、まだモラルについての体系的なカテゴリーを決定する処にまで行っていなかった。そのくせひそかに、モラルに就いて考えたり云ったりするようになって来ていたのだが、夫がまだ理論の水準にまで達していないのである。――だからいずれにしてもモラルなるものは、理論的には抛りぱなしにされていたのである。処がそれにも拘らずモラルこそは最近の時代が気にし出し、そして決定を急いでいるカテゴリーなのだ。
だがこういうことは予め見逃してはならぬ。モラルという言葉で文芸意識や評論が運ばれるようになったのも、実は、単に文芸作品そのものがモラルの分量を殖やしたとかそれを意識的にやり出したとかいう理由からではなくて、文芸意識が全体として(ブルジョア文学さえも)その評論的な触手(アンテナ)をば延ばし始めたということに原因しているのである。文芸が評論的触手を延ばせば、モラルの観念は当然第一級の問題とならねばならぬからだ。
そしてブルジョア文学(プロレタリア的文学に就いては勿論)のこの評論的触手――文学の思想性[#「思想性」に傍点]とか社会性[#「社会性」に傍点]とか論理[#「論理」に傍点]とか――を或る意味で用意したものは、正に曾ての「プロレタリア文学」とその或る意味での転向[#「転向」に傍点]又転向化[#「転向化」に傍点]とであった。プロレタリア文学の転向(?)によって却てブルジョア文学も亦初めて自分側の思想性・社会性・論理性を誘発された。之が所謂「モラル」の声である。
だから云わば、このモラルの声の裏に、「プロレタリア文学」とブルジョア文学とが、一応共通な掛声を聞いたのである。だからこそ例えば「文学界」式又「独立作家クラブ」(自由主義作家加入説派をとるとして)式な、混淆の形態も、そこに生じ得たわけである。
二[#「二」はゴシック体]
モラルの人気は、左翼文学とブルジョア文学との割合抽象的な一致点が夫だ、という処から発生している。そういう限り、と云うのはこの抽象的な一致点としてのモラルを具体的に選鉱し精錬しないでおく限り、モラルは一種の転向的モチーフになっていることを見落してはならぬ。事実モラルは日本では札つきのブルジョア文芸評論の用語として使われ始めた。
尤もフランスの人道主義的コンミュニスト達の用語としては必ずしもそうではなかったのだが、併しフランス哲学文芸の伝統としてのモラリスト[#「モラリスト」に傍点]達は(モンテーニュから始まる――モンテーニュは関根秀雄教官のおかげで松本学議員から賞金を拝受した)、多くは時代々々の勤労大衆とは縁のない連中ばかりであった。多くの者は暇であり、気むずかしく、そして寛大であったり辛辣であったりした。
モンテーニュの『エッセイ』はベーコンの『エッセイ』に影響を与えたと云われている。だがその影響は少しも内面的なものではない。それから又、もしシェークスピアがモンテーニュから影響されたとしても、思想史はシェークスピアをモラリストとは呼ぶまい。それ程モラリストという規定は制限されたものなのだ。処がモラルは、このモラリストからの伝統を参照しないでは歴史的に理解出来ない用語である筈なのである。
だが一つの言葉を広く深い生きた意味に使おうとするのに、文学史の先生のように昔からの腐れ縁に執着することは無論馬鹿げたことだ。今日の「モラル」という言葉は確かにもっと自由に新鮮なイメージを伴って使われているだろう。処がそれにも拘らず何となくそれが又「モラリスト」臭く「エッセイスト」臭いのだ。往々、モラルとは心理のことであり、又人間学的なもののことだと考えられているのである(内部的人間学[#「内部的人間学」に傍点]はモラリストの一理論体系だ)。
もしそうだとすると、文学のモラルと云えば、心理主義に於ける倫理のようなものになったり、内省的なヒューマニズム文学のことになったり、し兼ねない。或いは世界が何かモラルというもので出来ているかのようなモラリズム文学のことにもなり兼ねない。だからもしモラルを性的な本質のものだとすれば、汎セクシュアリズムともいうべきものになる(之は今日日本で流行っている)。――人生は生産機構から解明される代りに、性衝動から説明されたり、人間性の展開とされたり、身辺心理の短篇集になったりする。之ではモラルは人生のうわ澄み[#「うわ澄み」に傍点]みたいなものに過ぎなくなる。事実モラルという文学用語は直接そういうものを思わせるに充分だ。
なぜ文学者が道徳[#「道徳」に傍点]と呼ばずにモラルと呼ぶか、それは宿屋とホテルとの相違に類することでもあるが、併しそれだけではなく、右に云ったようなうわ澄み主義[#「うわ澄み主義」に傍点]がブルジョア文学の身上であることを告白するためだ。なるほど道徳(倫理はまだしも)という日本語で呼ぶと、「道徳」に自信のある連中が忽ち声を聞いて集って来る。その顔触れを見ると、道学者や倫理先生やその手先達だ。而もその手先には案外文学探究者や自称「悪党」さえいるのだが、これはたまらない。そこでモラルということになるのだが、併しモラルと呼ぶと今度は文学至上主義者ばかりが集って来る。そしてその内には案外社会認識に於ける常識屋が多数を占めているのだ。そして夫がみずからは文学的な「非常識」屋だというのだ。
ショーロホフの『開かれた処女地』には、共同農場に於ける小家畜(禽)共有の失敗が詳しく描写されている。勿論之は家畜の話しではなくて主人公の人間的経験の話しである。処がこの間発表されたソヴェート連邦の改正憲法草案には、この小家畜(禽)共有の廃止が、そっくりそのまま出ているので、私は今更この作家の社会主義的リアリティーに感心したのだが、こういう内容[#「内容」に傍点]を生かすものをこそモラルとか道徳とか呼ぶのでなければ、私は到底こうした言葉を信任する気にならないのである。
私が岡邦雄氏と連名で書いた『道徳論』は、モラル乃至道徳という観念をどういうものとして捉えれば、吾々は道徳先生と文学青年との宿命を免れ得るかということを、少し研究して見たわけだった。
三[#「三」はゴシック体]
モラルというのは勿論道徳[#「道徳」に傍点]ということで、別に専門的な(?)術語や何かではない。言葉のフェティシズムに陥らないために、以下道徳という俗間用語でおきかえよう。
さてこの道徳だが、今日の文学で道徳がやかましくいわれるというのは、すでに云ったように、必ずしも文学作品(小説や評論)の中に道徳が沢山出て来るとか来ないとかいうこととは関係がないのである。そうした題材の上での種類別や、又ジャンルやスタイル乃至世界観の上でさえの種類別以前に、文学と道徳との本来的な関係があるのである。
私は文学を実在認識[#「認識」に傍点]の一つの様式とする考えを固執するものだ。と云うのは文学は科学と同じく実在反映の一つの様式以外の何ものでもない、又あってはならない、という持論なのだが、この考え方から行けば文学の根本問題はいつも認識上[#「認識上」に傍点]の論理上[#「論理上」に傍点]の問題に他ならない。「道徳」なるものも文学的認識・文学の論理・の観点から之を規定することによって、初めて理論的にハッキリする筈だと考える。
文学が一つの認識様式であるとか、実在の反映様式の一つであるとか、又それの認識論や論理学めいたものを考えようとか、いうのは、日本に於ける或種の文学専門家のブルジョア文化的通俗観念から云えば、あまり常識的な意見ではないかも知れないが、唯物論に於ける文学理論にとっては殆んど全く常識的なことだ。
最近ソヴェート連邦コム・アカデミーで文芸百科辞典のための執筆が行なわれているそうだが、その草稿を中心とした討論が二三項邦訳になっている。『文芸の本質』や『ロマンの理論』がそれだ。これの書き方や論じ方は決してペダンティックではないが、理論水準としては非常に高いものを含んでいると思う。之等の理論の水準の高さは全く、文学を一つの認識様式(科学に並ぶ処の)として、正面から検討している点にあるのである。
文芸学[#「文芸学」に傍点]への興味は日本に於ても最近焦点を持つ傾きを生じつつあるのであって、之は文学というものがその文化的社会機能に於て段々整頓されて来つつあることを意味し、それだけ文学の社会的役割についての要望が、世間大衆の通念になりつつあることを間接に暗示するものだとも思うのだが、理論的な文芸学(文芸史と文芸美学との結合だ)にとっては、文学が認識様式だというテーゼは、公理的な出発点でなければならないだろう。
そこで、道徳が文学の根本問題だというのは他でもないのだ。文学という認識様式に就いての云わば認識論的・論理学的・即ち又文芸学的・な観点に立って、この道徳というカテゴリーが基本的なものの一つでなくてはならぬ、ということなのである。――道徳は修身や倫理学や道徳科学や道徳哲学・実践哲学・其の他の題材なのではなかった、その場合の道徳という観念には必ず何等かの不備な点がある。と云うのはこういう倫理学的道徳はつまり階級道徳や支配道徳律のことであって、一つの論理上の暴力に帰着するだろうからだ。本当の道徳は正に文芸学のための範疇でなくてはならぬ、と私は考える。
文芸学上吾々の問題となるこの道徳は、実は大いに階級性をもっている。それは文学が階級性をもっていることだ。併しそれにも拘らず之は階級道徳[#「階級道徳」に傍点]ではない。階級的支配のための論理代用品としての「道徳」ではないからである。宗教は阿片だという。そのことは夫が一定の階級道徳だということだ。併し文学に於ける道徳はそうではない。之こそ本当の[#「本当の」に傍点]道徳だ。ここが宗教(之も一つの世界認識なのだが)と文学とを区別する根本標準となる。ブルジョア文学の遺産がプロレタリアによって尊重されるべきだと云われているにも拘らず、宗教(その本質が文学である場合は一応別として――事実多くの文化宗教は文学的遺産に過ぎぬ)の遺産などは問題にされない理由も、之だ。
道徳という問題が、文学そのものの成立にとって、如何にのっぴきならぬキーポイントをなすかが、すでに略々見当がつくだろうと思う。ただの一時の文学現象についての話題ではないのだ。
四[#「四」はゴシック体]
文学的認識[#「文学的認識」に傍点]に於ける道徳の役割は、では何であるか。だがその説明は到底ここでは果せない。前に云った『道徳論』の本にでも譲る他ない。併し少なくとも次のような点は、それ程突飛な思想ではないだろう。
まず道徳(文学的カテゴリーとしての道徳)は自分[#「自分」に傍点](自己・自我・自覚=自意識)を離れてはない。対象が道徳的[#「的」に傍点]に(というのは即ち文学的[#「的」に傍点]にということになるわけだが)、問題になる場合は、無論その対象が作家又は作家に従った読者の眼を以て見られることだが、その際の作家は、彼が大衆的で普遍的な眼を持っていればいる程、益々彼はユニックな「自分」であり「私」である。
之は誰でも知り切っていることだが、そういう私・自分は、科学的認識に於ては口を利かない。口を利けば却って単にその認識を主観的にし狭めるだけで、少しも之をユニックにしたり深めたりはしない。で、自分を出しながら主観的に堕さないということが出来るのが、道徳というものの特色なのだ。道徳は一身上[#「一身上」に傍点]のことであると共に、又決して私事ではないのだ。
併し道徳の此の「私」的性質は、一切の意味での自己中心主義や主観主義とは関係がない。道徳が「私」的であるからと云って、私道徳や身辺道徳が道徳だということにはならぬ。なる程私というものが道徳的であるのだが、自分を何んによらず中心にすることは決して道徳的ではあり得まい。
文学的認識に於ては、だから道徳は(「私」なるカテゴリーもそうだ)この認識のために必要な立場か足場であり又は認識のメジゥムなのである。文学的認識のあれ之という成果が道徳なのではなくて、そういう成果を道徳的たらしめるような媒質が、道徳というカテゴリーの示すものだ。――そして仮にこういう立場か足場か媒質かをそれだけとして抽象的に存在するように想定して見ると、昔からイデーと云われて来たものの性質になるので、科学的真理とか善とかいう類のものとなるのだが、道徳をそう考えれば、道徳は丁度科学的真理と並ぶ処の一つのイデーとなる。昔から善といったのは本当はそういうイデーのことだ。で、科学が真理[#「真理」に傍点]というイデーを対象とするように、道徳[#「道徳」に傍点]というイデーを対象とするものが文学だ、ということになるのである。尤もイデーという字が気に入らなければ引っこめていいが。
つまりこういうことになる。科学は科学的真理[#「真理」に傍点]に於てなり立つ、之に反して文学は文学的道徳[#「道徳」に傍点]に於て成り立つ。文学的道徳とは要するに文学的真理、所謂「真実」というものだ。私が云おうとしたのは、単に、この文学的な「真実」についての認識論みたいなものに他ならなかった。そのために之を道徳という名の下に取り扱ったのだ。
文学も科学と同じく実在の一種の反映なのだから、両者のつながり、つまり真理と道徳とのつながり、は重大である。だが夫は省こう。その代り一つ注意しなければならぬ点は、文学に就いての道徳の説が、身辺文学や通俗な意味での私小説(私文学)の説に利用されては困るということである。道徳も自我も、文学的認識の方法[#「方法」に傍点]に就いてのことであって決して対象についての特色ではない。そういうような利用をやるのは、文学的認識が如何に科学的認識とつながっている[#「つながっている」に傍点]かを忘れるからである。科学的認識の出鱈目な作家の自我は、文学的真実への第一条件を欠いているのだ、特に社会科学的認識(それから来る社会的情熱)に就いてそうだ。文学的認識は、科学的認識の道徳的形象化[#「道徳的形象化」に傍点]以外のものではないからである。
モラルというと如何にも気が利いているが、道徳というと道学的に聞える。だがモラルでも案外道学的なニュアンスを有っている。モラルは作家の良心や精進みたいなものに制限されているようだ。併し世俗市井の風俗[#「風俗」に傍点]も立派に道徳的なものなのである。云わば風俗も道徳=モラルの内容なのである。――今日の文壇の尖端ではプロレタリア的モラル派と人民的風俗派とが対立しているように見える。両方とも人気がある。だが私は云いたい。モラル派には「風俗」を与えよ、風俗派には「モラル」を要求せよ、すれば夫が「道徳」になろうと。
[#改頁]
5 社会思想と風俗
一 道徳的論理と科学的品行[#この行はゴシック体]
世間では道徳というと、何か倫理学か道徳学の対象だと思っている。甚だしい場合になると道学者のお説教にしかならないものと考えている。その位い現代の日本では実際に道徳というものが変なものになっているのである。
そのくせ本当は、道徳位い世間が拘泥しているものはないのだ。自分の社会的な立場が行きづまると、すぐに明鏡止水と云ったような心境道徳を示すことによって問題を紛らせようとするし、そうかと思うと他人の私的行動に一々お節介をしないではいられない道徳癖が日本人の持病である。自分の長男を米国風に教育しようという意見を発表すると、忽ち某方面から苦情が出て、次男以下には国粋教育を施さねばならなくなる。と思っていると、思想上の節操(即ち党派性)を惜しげもなくなげ捨てることが、却って良心的なことにもなっている。
私は嘗て、道徳に習慣風俗という側面と良心意識という側面とがあるという極めて判り切った事実を述べたことがあるが、現代ではこの両側面が実は完全にバラバラに分裂していて、道徳的な統一が成り立ち得ず、従って道徳が壊れたままで未だに出来上らないのだが、それにも拘らず、事実上、この二つの側面が妙な様式で密通している。習慣風俗は自然的にそれに相応した良心意識を生み出す代りに、却って単に良心意識を強要することがその機能になっているし、良心意識の方は習慣風俗を批判する代りに、習慣風俗におもねる事がその義務になっている。
要するに現代では、社会の認識[#「認識」に傍点](之は無論科学的でなければならない筈だ)を、直覚的な形で代表するという意味での、本当の道徳意識は存在しないのであって、従って道徳というと、何かお説教じみた不真面目な内容のものだとしか考えられないのである。
普通、道徳は品行問題と結びつけられて世間の興味を惹いている。或る尺八の名手の婦人関係は、彼の品行に関係するが故に非常にセンセーショナルな道徳問題となったが、之に反して文士の賭博は直接彼等の品行とは無関係なので、道徳上の問題としてはあまり厳粛に取り上げられない。笑って済ませる事件だと考えられているのが事実である。
だが、此の事実には相当の真理があるので、之は道徳が要するに節操[#「節操」に傍点]に帰着するという一つの知識を示しているものに他ならない。尤も節操というものをウッカリ考えると、つまる処男女の肉体関係以外の問題ではなくなるのだが、之は実は節操のカリケチュアに過ぎないということは誰でも知っているのであって、節操とは本当は、道徳的な首尾一貫[#「首尾一貫」に傍点]のこと以外のものではなかった筈だ。
処で道徳上の首尾一貫と云っても、古来の陋習を固執するというのでは頑迷以外の何ものでもないわけで、認識の怠慢を示すものに他ならないが、そういうものでは元来節操でも何でもないことになる。で、どうしても、道徳上の首尾一貫ということは、認識[#「認識」に傍点]の首尾一貫をば直覚的な形で代表する処のもの以外にはない、ということになる。道徳的な節操とは、認識の首尾一貫、認識の節操ということだ。
認識の節操などというと、言葉は甚だ作文的で、従って無責任に聞えるかも知れないが、それなら認識の論理的統一[#「論理的統一」に傍点]という平凡な言葉で置きかえても構わない。
併しここから私は一つの社会科学的な公式を導き出すことが出来るのである。即ち、科学的認識の上での論理[#「論理」に傍点]の欠乏は、道徳意識の上での節操の欠乏に対応する、という公式である。例えて云えば哲学[#「哲学」に傍点]があるかないかが、彼が転向[#「転向」に傍点]するかしないかという品行を決定するのだ。で哲学者福本一夫などは、恐らくこういう原因から簡単には、転向出来ないのではないかと思う。
二 常識教育の請負師と職業的告白者[#この行はゴシック体]
話しは一寸横へそれるが、評論家故土田杏村は、一種独特な条件を持った文筆業者だったと思う。彼は事実非常に博学であって、どの方面に向かっても相当の程度にまで玄人と太刀打ちの出来る学者でもあったが、併しその見解は、甚だ凡庸で、理論家にとって絶対に必要な食い入る鋭さを完全に欠いていた。処が実はそこが彼の評論家としての第一の強みだったのである。
と云うのは、彼はいつも世間の常識水準にアダプトすることを何よりもの心がけとしていたのであって、ただ世間の常識に先生らしいアカデミックな快感を与えるためにだけ、物を書いていたとも見ることが出来るからである。彼は常識を淘汰して常識を発達させる処のエンサイクロペディストではなくて、いつも世間の与えられた常識水準を手頼りにして物を書くエンサイクロペディストであった。
それ故に彼はあれ程多数の固定読者を持つことが出来たので、恐らく彼は、自分の読者に対して、社会的な教師として、常識的な総合教育の請負業をやったのだと見ていい。だから多分彼の愛読者は、他の人の書いた本をあまり読まない人達であって、普通の読書界からは隔離された田舎のインテリが多かったのではなかったかと思う。杏村の書く物さえ順々に読んでいれば、他の本は読まなくても一人前になれるという意識が、彼の広範な愛読者を造り出したのだろう。最近の出版界では百科辞典が盛んに売れるというが、杏村は読者のこの需要を夙くから知っていた百科辞典屋だったので、そのために彼は、意識的に、凡ゆる領域に手を拡げる必要があったのだ。そうしなければ彼は常識教育の請負師として甚だ不都合な教育家に終る処だったのである。
処で杏村の本質は、彼がいつも与えられた常識にアダプトするという処にあった、という点を、もう一遍思い出して欲しい。マルクス主義が「全盛」の時代には、彼は一種の修正マルクス主義者として現われた。処がマルクス主義が衰えて、即ち流行しなくなって、ファシズムが流行り出すと、いつの間にか多少ともファッショ的雰囲気を持った言論家として立ち現われる。彼の評論は、思想界に於けるファッション・セクションや婦人欄のようなもので、今何が流行っているかを、人に教えるのがその目的である。
だが人に流行を教えることは、善いことでも悪いことでもない。大事なことは、自分自身がこの流行を尊重するかしないかということだ。杏村自身はどうだったかは知らないが、所謂評論家や思想家や学者には、人に流行を教える積りで物を云っている内に、いつの間にか自分自身がその流行にムキになって了う性の人間が、非常に多いのである。
併し、自然にそういう結果になるのはまだいいとして、流行を知らないということが無上に恥かしいことであるかのように、流行を気にする文筆家の多いことは、気をつけなければならない事実である。こうした見識のないお洒落女のように小才かしい評論家が、特に、左翼から移行した作家や文芸批評家に多いということは(純文芸派は問題でない)、全く意外である。
彼等は、なぜ自分が転向すべき[#「すべき」に傍点]であるかを、なぜプロレタリア文学をやってはならない[#「やってはならない」に傍点]かを、なぜ敗北する義務があるか[#「義務があるか」に傍点]を、用もないのにワザワザ発表したがっているようである。自分が野暮に見えないために、時勢を知ることに於て決して人にひけは取らないことを知らせるために、自慢そうに喋り立てているとしか、吾々には受け取れない。私は之を見ると、失礼ながら、キリスト教会で告白をやっている職業的な信者を思い起こす。だが私は未だ曾てこの種の信者の信仰上の節操を、首尾一貫を、信じる気になったことがない。社会は教会ではない。信者を甘やかす牧師も懺悔僧も、社会にはいないのだ。
三 「事実」の「認識」とオッポチュニズム[#この行はゴシック体]
日本が国際連盟内外の諸国に対して、満州帝国の承認をせまった際の理論的根拠は、満州帝国が事実[#「事実」に傍点]として存在しているのだから、凡ての理屈はこの事実の前に屈服すべきであるというにあった。日本にとっては、満州帝国がどういう原因から成立するようになったか、又どういう計画、どういう要望の下に建設されたか、等々の、すでに過ぎ去った過去の過程は、今更問題とならないのであって、主張の論拠の凡ては、満州国の存在という厳然たる既成の事実[#「既成の事実」に傍点]の裏に存するというのである。
実際、満州帝国の存在が厳然たる眼前の事実である以上、たとい支那や諸外国が、之を公式に承認しまいとしても、それはただの観念的な空力みに過ぎないわけで、やがては満州に対して資本も投下したくなるし、通信関係も正式に結ばなければならなくなる。事実の前には一切の理屈は全く無力なのだ。列国の満州帝国承認は、列国のソヴェート・ロシア承認と同様に、恐らく単に時間の問題に過ぎないだろう、と一応云うべきだ。
で世間の学者達は、日本のこうした強力外交[#「強力外交」に傍点]に特有な論理を、ヒョッとすると、ニーチェやソレルの哲学の内に求めようとするかも知れない。日本の最近のこの外交思想がファシズムの現われだと見るとすれば、それはムッソリーニの哲学と無縁ではないわけだが、ムッソリーニがニーチェとソレルとの間接の弟子であることは広く知られている。もし又ヒトラーにも哲学があるとすれば、フィヒテなどがその拠り処になっているわけで、フィヒテも亦一種の哲学的行動主義者であった。
だがこの力の哲学による解釈は、実はわが日本帝国の数年来の外交論理を必ずしも正確に説明しているものではない、ということを注意したい。日本が満州帝国の承認を強要する理論的根拠は、先にも云った通り、事実[#「事実」に傍点]の前には論理は無用だというのであって、決して力[#「力」に傍点]の前には論理は無用だというのではなかった。日本が満州国建設に当って、力を用いたということが本当だとしても、この力が少なくとも日本の強力外交の論拠になっているのではないのであって、その論拠はあくまで満州帝国の現存という事実[#「事実」に傍点]の内にあったのである。その事実がどういう力によって結果したかとか、力によってではなくて満州民族の観念的な総意によって結果したのではないかとか、いう過去のプロセスの問題とは無関係に、現在の事実が論拠なのだ。
だからここに物を云っているのは、決して力[#「力」に傍点]の哲学ではないのであって、正に事実[#「事実」に傍点]の哲学なのである。力という概念はプロセスとは無関係に取り上げられた「事実」という結論[#「結論」に傍点]から、一切の言論を出発[#「出発」に傍点]させるというやり方の哲学なのである。一般に日本のファッショ哲学も亦、決して力と云ったような抽象的な範疇を原理としないのであって、正に「アジアの現実」と云ったような具体的(?)な事実の認識を、その出発の原理としている。だから、日本のファッショ的動向を、力の哲学や力の論理を以て解釈しようとするのは、もし誤解でないとすれば思いやりのない一本調子のそしりを免れまい。
でこう考えて来ると、日本の強力外交の哲学は、実に強力哲学どころではなく却って、一種の日和見主義の哲学であることが判るだろう。与えられた事実を無条件に「認識」して、そこから出発しようとする論理は、経験主義とか現実主義とか呼ばれているのだが、それが取りも直さず日和見主義そのものになるのだ。こうなった以上過ぎ去ったことは問わないとしよう、新しい事実が出て来たら又考え直して見ようではないか、いずれにしても理屈は、匍匐しながら事実の偶然な展開に追従して行きさえすればよい、というのがこのオッポチュニズムなのだ。
少なくとも従来のブルジョア外交は、皆このオッポチュニズムに立っている。こうした消極的で無方針なブルジョア的外交を拒否して厳然たる指導原理に立脚する筈であった日本の強力外交の大方針が、依然としてこうしたブルジョア外交と軌を一つにしなければならぬということは、一体何としたことだろうか。
四 ファシズムのスカートと自由主義のスカート[#この行はゴシック体]
「事実」の「認識」から出発するという日本の外交政策が、ブルジョア外交的(?)なオッポチュニズムに帰着するのであったが、一体こういう「現実尊重」のオッポチュニズムは、一般にファシズムの理論上又政策上の論理の特色だったのである。処が一方、流行を追うという意識は、全くこういう現実の尊重をモットーとする日和見主義に立っている。女のスカートは現在長くなったから長い方がいいのであって、少し前に馬鹿々々しく短かかったという過去の事実にはお構いなしに、長くなっていいのである。
で、ファシズムは女のスカートと同じオッポチュニズムに立っている訳で、そこからなぜファシズムがこんなに「流行」するかということが判るだろう。与えられた現実に匍匐的に追随する日和見主義がその面目である流行には、何も別に理屈があるわけではない。現実の前には理屈などは抜きにするということが、流行の、オッポチュニズムの、特有な唯一の「論理」なのである。ダラシなく長くてダブダブしているファシズムの不粋なスカートが、不粋なりに、理屈なしに、即ち理性と関係なしに、今日は流行する所以である。
流行には無論何にも方針[#「方針」に傍点]はありはしない。合理的な原則はない。だから又何の理論もないのである。誰も流行に節操を要求するものはあるまい。ここにあるのはただ風俗だけで、而も風俗は、風俗自身としては、将来の合理的な見通しの立たないものなのである。仮に風俗に就いて予言が出来るとしても、夫は景気変動の予言以上に、機会主義的なものだろう。だから論理という首尾一貫した方針ほど、ここで無意味で邪魔なものはあるまい。で、こういう理由から、日本のファシズムなどは未だに筋の通った哲学を持てないのである。論理のない哲学などというものは、仮にどんな博学(?)なものでも、ただのお喋べりに過ぎないからだ。
ファシズムの流行と無論理とが、その現実主義的機会主義から来ていることは、この位いにしておいて、話しを所謂自由主義に向けることにしよう。云うまでもなく自由主義はファシズムの反対物で、ファシズムは自由主義の敵だと、普通は信じられている。処が今まで云って来た私の話しのコースから行くと、どうもそうではないらしいという結論さえ出て来る。
現代のわが国の自由主義者達が、実は政治上の自由主義者ではなくて、云わば文学的[#「文学的」に傍点]自由主義者だということは、非常に大事な規定だと思う。かつて学芸自由同盟というものがあったが(私もその一員だったということを念のために断わっておく)、そのメンバーの大多数が文学者や文士や芸術家だったということは、意味があるのである。
処でわが国のこの文学的自由主義者は、大抵広い意味に於けるヒューマニズムから動機づけられているようだが、客観性を有ったモーラリティーというような論理[#「論理」に傍点]はないけれども、いずれもモーラリストとしての資格は備えている、ということがこの自由主義者の特色だ。処がモーラリストとは結局一種の懐疑論者に他ならないのである。だからここからニヒリスト的な自由主義者も出て来る理由があるわけである。
文学的自由主義者達は、自分のこの懐疑論的な本質を相当よく自覚しているらしく、その証拠には、彼等は意識的無意識的に、一身の利害に関する実際的行為をする段になると、機会主義的な現実主義者となって立ち現われる。懐疑的な人間は、実際行動に際しては、外の一切の価値評価が消去されているものだから、結局最も俗物的「現実」だけを認めることになるからである。
で、元来日和見主義である自由主義者達・特に文学的自由主義者達は、仮にも実際問題を裁決する必要に逼られる場合には、意識するとしないとに関係なく、積極的にオッポチュニストとなるという法則を持っている。このオッポチュニズムの論理から、自由主義の流行風俗とその無論理とが出て来るのである。――で、この自由主義だってファシズムと全く同じいオッポチュニスト的論理に立っているのである。自由主義があんなに流行って、而も自由主義の哲学が未だに出来ないという点から見ても、この種の自由主義がファシズムとその風俗振り流行振りに於て少しも違わないものだということが判る。違いはただ、自由主義の風俗として流行っている文学的スカートの方が、ファシズムのものほど不粋でなくて、その好みが多少エロティックかも知れないという点だけだ。
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(本章は一九三四年度に書いたものだ。その後ファシズムと反ファシズムの対抗関係が、日本で著しく発展して来たことを、追加しなければならぬ。特に自由主義と反ファッショ人民戦線との関係は、改めて検討されるべきである。)
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6 風俗文学としての社会時評
一[#「一」はゴシック体]
一九三五年頃の事件であるが、確か南京の領事館であったが、そこの日本人館員が行先不明となったという出来事を、読者は記憶していることだろうと思う。日本側では之はテッキリ支那官憲乃至支那排日組織の行為だというので、忽ち駆逐艦を急行させたという話しだった。ところが案に相違して当人は朦朧たる精神状態で郊外の山中にかくれているのを、無事支那官憲によって発見されたのである。従って之は遂に紛議のキッカケにならずに済むことが出来た。
それはそれでいいのであるが、しかし当時或る新聞紙は、この館員が山中に逃避するまでの心理過程を、まことしやかに書き立てたものだ。それによると彼は元来哲学的(?)な性格の持ち主であったが、失踪の夜は何等かの冥想にふけって家を出たところ、星の黙示だったか月光の神秘だったか知らないが、彼を誘ってついに山上へとつれて行って了った。彼は山を登るほどに、段々現世からの離脱を快く感じ出したので、遂に山中にかくれて世を厭うにいたった、という筋書きである。
こんな馬鹿げたことを誰も本気にする人間はいないというかも知れないが、しかし、これが堂々と新聞の社会面に段抜きで押し出されるのを見ると、こういうものを「常識」として受け取る読者も少なくないのかも知れない。哲学――冥想――星――月光――神秘――遁世、こういう一連の常識的連絡は、今日でもなお床屋的社交界などでは通用するのかも知れない。いやその新聞の記者や編集者は、確かに通用すると考えたに相違ないのだ。
無論現代は藤村操時代ではないから、今日の第一線の常識としてはこんなものは通用しないのは断わるまでもないのだが、問題は新聞の社会面などに現われる、社会現象に対する「常識」的な理解や説明や批評ということにあるのである。
両親と妹とが共謀して日大生を謀殺したというセンセーショナルな事件がかつて起きた。社会では両親はいつも息子や娘を可愛がるものであり(従って子供は親孝行をする義務があるというところへ行くのだが)、妹は女で年下なのだからいつも兄を大切にするものだと決めてかかっている。つまり家庭は少なくとも相愛し合った親子関係が中心で出来ていると仮定している。そこでこの事件は極めて大きなショックを、世道人心に与えたわけなのだ。
家庭についてのこの常識は、実は認識ではなくて、願望や理想やまたは社会的要求に過ぎないもので、この常識を否定するような事件は恐らく殆んど毎日起きているだろうから、現実の常識的認識としては元来通用しないのだが、現実と要望とを混同することなどは、常識にとっては朝飯前のことだ。
新聞によると、ところが係りの検事もこの事件の反常識的な心理を解し兼ねていたところ、妹が検事の手許にまで手記を提出に及んだので、これを一読した検事は、これある哉と手を打ったということである。どういう手記かというと、自分の家の血は乱れていて、父は酒呑みで放蕩で、母は何とかで、かねがねこの血統を断ちたいと思っていたので、父母から謀殺の相談を受けたのを機会にそれを引受けた、というのである。全く如何にも深刻[#「深刻」に傍点]な動機であるように聞える。血の悲劇だ、インテリ娘の煩悶が織り込まれている、というわけで、この事件の理解は一段と深められたという風だ(一般に手記のインチキ性については別に)。
二[#「二」はゴシック体]
しかしこんな馬鹿々々しいことはこの事件の心理にも動機にもなり得ないのである。少なくとも主なる筋書きとは関係がないのだ。こんな内容の空疎な血の形而上学や、遺伝の信仰は、犯罪行為の美文的自己解釈にはなっても、何等の真理も持たない。こういう空々しい心理的説明で、何か事件の真相をつかんだと考えるような検事(もし新聞のいう通りなら)も検事なら、それをそのまままことしやかに書き立てた記者や編集者もどうかしている。而も新聞が之をドストエフスキーやトルストイによる検察や裁判の文学的検討に比較するにいたっては、完全なナンセンスと云わざるを得ないだろう。
血の迷信は少しも深刻な哲学でも文学でもなくて、実は極めて皮相な空文句なのである。ヒトラーがドイツの愚民を如何にこの血の迷信によって引きまわしているかを見れば、それはよく判るだろう。例えば癩患などは絶対的に遺伝するものという常識が一頃抜くべからざるものとなっていたようであるから、そういう場合には血の迷信も犯罪の心理的動機としては必然性があるかも知れないが(例えば男三郎の場合)、呑んだくれだとか放蕩だとかいうことの生理的遺伝という観念が、犯行の絶対的な動機になるというようなのは、何といっても造りごとといわざるを得ない。もしそうでなければ、もう一歩踏み込んだ特別な事情がそこに条件となっているのでなければ嘘だと思う。
私は何も例の妹娘が故意に嘘の手記を書いたとか何とかいうのではない。彼女は自分でも思わないような心にもないことを考えそうな事情におかれているわけだから、大いにそういう嘘を書く必然性を持っているのだ。即ちその意味で彼女の書いたといわれる手記は決して嘘偽りではないと考えて見当違いではない。だが恐らく刑事的に嘘ではないが、文学的には全く嘘だ、と私はいいたいのである。――尤も一寸ばかり新聞に載ったことを元にして、こんなことを兎や角いっても無意味だといわれるかも知れないが、しかし私の問題は、抑々世間の常識をあて込んでいる新聞そのものにそういう載り方をするということ自身にあるのである。その報道が本当でも、間違っていても今の問題の例としては構わないのだ。
こういう常識の嘘は最近特に新聞紙上に目立つのである。というのはセンセーショナルな社会事象が発生する毎に、常識はショックを受けて、その常識的にまことしやかな嘘を放射するのである。他の例としては若妻殺しの夫の問題だが、これも自分が過失で殺したのを犯罪学的に外部から侵入者の行為と見せかけたものだと仮定すれば、恐らく却って常識的[#「常識的」に傍点]に理解出来るだろうことを(真相は勿論私などの断定の限りでないが新聞に現われた限りの資料を基にしてそういうのだ)、悪く常識的[#「悪く常識的」に傍点]にひねくり回そうとするものだから、容疑者の夫は新聞記者によって性格異常者や猟奇的犯罪性の所有者やにされて了っていた。探偵小説的興味を惹いていたのは、容疑者が自白しないので真相がハッキリしないからという純探偵的な理由からではなく、彼が殺人小説の耽読者であったとか何とかいう猟奇的な理由からのようだ。ここに常識は可なり思い切って錯誤をやっているのだが、世間の常識はウッカリしているわけだ。
この事件でも、またぞろこの容疑者が私生児であったというような、結局例の血の迷信に基くものへ持って行こうとする。常識はいつでも同じ試みを、退屈でも反覆するものだ。
三[#「三」はゴシック体]
社説などは特別だが、少なくとも社会現象の一等日常市井的な現われを取り扱う社会面は、極端にいえば、一種の娯楽のページなのである。別に特殊な社会的関心を自覚していなくても、普通の読者が誰でもまず第一に見たがるのはこの欄なのである。之は明らかに一種の娯楽面であることを意味している。そして、同時に考えなければならぬことは、普通の読者がまず眼を通そうとするもう一つのものが連載小説だという点である。ここに新聞小説と社会面との或る連関、従って又新聞小説の一種の娯楽的性質が注意されていいと思う。
どうせ新聞小説は通俗文学や大衆小説だから、娯楽のようなものに過ぎない、という意味ではない。むしろ逆に文学者こそ社会の日常非常の現象の最も行き届いた批評家であり、もし仮にそういう文学者の作品をも通俗文学や大衆小説と名づけるならば、文学はすべてそういう意味での通俗文学や大衆小説でなければならぬ、というべきだろうと思うのだ。
純文学の神様と見做され、純文学青年の偶像となっているらしい横光利一も、実はそういう点で極度に社会的に、従って(今いった意味での)通俗文学乃至大衆小説にはいる作品を書いている(例『花花』)。この点から見れば菊池寛が著しい社会面的事件から多分のヒントを得ているらしいのと、あまり区別はないだろう。
これを娯楽といって了うのには無論語弊がある。だが大事なのはこの娯楽が他の種類の娯楽と違った社会現象の出現から生じる娯楽だという点だ。というのはこれがやがて井戸端会議の内容にもなるしサラリーマンの話題にもなる。省線や床屋での会話や議論の種にもなるのだ。この娯楽はすぐ様評判や批評にまで発展する種類のもので、実は社会人の誠実な社会的関心のごく無自覚な皮相面にほかならないのである。大衆性乃至通俗性(この言葉を使うのは随分と厄介な用意が必要だが)をもつべき文学(今のところ小説)が、だから一種の娯楽の意味を有つということは、文学の冒涜でも何でもなくて、文学が如何に社会人の社会的感覚に接着しこれに食い入っているものであるかを、或いはそうあるべきものであるかを、告げているにすぎないわけで、ただ社会人のこの社会的感覚そのものがごく皮相面にとどまる限りは、その文学は単なる娯楽の対象に止まるわけで、実際上からいってそれだけで新聞小説は充分多数の読者を有つことが出来るのだ。ただこのおなじ小説も、社会人の社会的感覚が自覚的な社会的関心にまで発展し、社会に対する誠実な省察にまで深度を増す時、やがて立派に文学的な対象物として要求される、というわけだ。
これを別の言葉でいい表わせば、社会面に現われる新聞記者的「常識」は、連載小説などにおける文学者的「モラル」(これが最高の文学的モラルだといわぬが)に直接連続しているのである。真のモラルは一般にそう考えられている通り、所謂常識的なものの否定克服だろう、だがモラル(もっと気取らずにいえば「道徳」のことでもっとアカデミックにいえば「倫理」という名もある)は、社会感覚・社会意識を離れてどこにも成り立つことは出来ない。そうでないようないわゆる「モラル」という言葉は、往々愛用されないではないが、それは一つ覚えからくるナンセンスな方言の典型にすぎない。でそうすればモラル=道徳も元来常識なるものから独立して成り立つことは出来ない。常識こそ一つの低級なモラルであり、モラルこそ新しい常識への進出だ。常識を否定するのにはまず常識から踏みはじめねばならぬ。――こういう意味において文学は社会人にとって、いわばごく健全な[#「健全な」に傍点](常識は古来「健全」なものと相場がきまっている)娯楽性をもっているのが当然でなくてはならぬ。文学の面白さというものの一つはこの社会面的なものにあるのかも知れない。
四[#「四」はゴシック体]
いうまでもないことだが、帝人事件などについては私は何等関係もない。にも拘らず私は人一倍これに興味を覚えた。なぜかというと、それは立派にモラル=道徳の問題だからである。収賄や贈賄が悪いとか、検事の人権蹂躙が人道に反するとかいう意味ではなく、金融資本主義下における金融資本家やその番頭達が、その資本の番犬としての技術的使命を果すためには、如何にブルジョア道徳そのものにショックを与えないではおかないか、またそれを無理にも処罰しようとするブルジョア法律自身が又、如何にこの同じブルジョア道徳に同じくショックを与えずにはおかないか、というような、この社会における活動的支配者のモラルの矛盾に私は興味をひかれるからだ。
堂々たるブルジョアや要路の大官が法廷で泣涕したりするだけでも、単にいくじがないとか態を見ろとかいっては済まされない問題を含んでいるので、正に彼等のやがて又この支配者社会の、モラルの道徳的断層を法廷の舞台にさらしたものにほかならないのである。私はまだ和田氏の『人絹』を読[#「読」は底本では「続」と誤記]んでいないから、この作品そのものについては何もいえないが、少なくとも、こういう種類[#「種類」に傍点]の作品が示唆するところの、社会現象と文学的モラルとの不可欠の連関の要点を積極的にハッキリつかもうとしない純文学的精神は、何かうら切られたような失望を吾々に与えるのだ。――社会人は、社会現象の論理と心理に立ち入った文学的[#「文学的」に傍点]検討、出来るならその文学的[#「文学的」に傍点]解決、を文学者から期待している。社会現象のモラルを作品や評論家から聞きたいのだ。しかも何も修身的な課題である婦人の問題や家庭の問題や或いは転向問題ばかりがモラルではない、社会そのものの動きが、文学的には(理論的には別だが)道徳的[#「道徳的」に傍点]本質のものなのだ。
さてこう考えて来ると、社会時評乃至社会評論なるもののもつ文学的な本質は大体見当がつくだろうと思う。社会時評がただのニュースや報告と異る点は、社会現象の裏に、単に新聞常識的な皮相面を見出すだけではなく、この皮相面を克明にはぎ取ってそこに文学的な道徳的脈絡を発見するということにある。個々のまたは一群の経済的・政治的・軍事的・市井的・また文化的・社会現象を、その論理と心理とを通じて、モーラリスト的視角から分解結合することが、社会時評の文学的本質なのである。これは常識的道徳がもつ既成観念や固定観念や願望的な理想や、そうした社会的迷信を破って、リアリスティックな視角に立つモラルを摘出することだ。社会時評のリアリズムがニュースや報道のリアリズムと異るのは、後者が事件の背後に特種を探すに反して、前者は事件の背後にモラル=道徳を見ることだ。社会時評はこの意味で一種の風俗文学[#「一種の風俗文学」に傍点]だと云ってもいいだろう。
尤も文学というと第一に小説という様式が考えられがちだが、それから見ると社会時評が文学的本質だというのは如何にも唐突のように聞えるだろう。だがエッセイも亦歴史的に重大な文学の様式であり、特にクリティシズム(批評)文学の一つをもなすものであることを思い出すなら、社会時評という一種のクリティカル・エッセイ[#「クリティカル・エッセイ」の「・」を除く部分に傍点]を文学的仕事にまで深め又は高めるということは、実は大した思いつきでもないのだ。前例は文学史上沢山あるだろう。
普通[#「普通」に傍点]の小説の特色の一つはフィクションにあるが(歴史小説の類は別に考えるとして)、エッセイの特色は之に反してそのアクチュアリティにあるだろう。いずれも夫々のリアリティーを有つのではあるが、エッセイが身辺的なもの(之が多分今日の「随筆」だろう)であれば、リアリティーは個人的なアクチュアリティーであるのだが、エッセイが社会的なものであり、即ち社会時評であれば、リアリティーは社会的なアクチュアリティー、即ち社会現象に他ならぬというわけだ。
五[#「五」はゴシック体]
社会時評、夫は社会的アクチュアリティーをモラルと見るエッセイだが、このエッセイは随筆的な身辺エッセイではなくて、正に社会的風俗的なエッセイだ。そこから一つの規定が導かれるのであるというのは、このエッセイでは対象となる現実が有っているモラル、即ち心理と論理、の内、特に必ず論理を表面に持ち出さねばならぬという点である(モラル=道徳とは他でもない心理と論理との相乗積のようなものだ。そしてそれが社会的に現われたものが風俗なのだ)。なぜというに、社会に於ては心理よりも論理の方が前面に出て来るからだ。そこで社会時評はただの社会事象観に止まらずに、社会に対する時事的(アクチュアル)な評論・批評・批判[#「評論・批評・批判」の「・」を除く部分に傍点]としての社会時評になるわけで、そして之が(文学様式としての)クリティカル・エッセイに属さねばならぬ所以なのである。
かつて横光利一は文芸評論家を論理的なグループと心理的なグループとに分けていた。心理的な批評家を小林秀雄達とするのは一応判るが、心理と論理との間を飛びまわる批評家を青野季吉と大森義太郎とだとするのはよく判らない。第一正にこの点で青野と大森との間には大きな距りがあるからだ。大森義太郎は論理組に這入るのではないかと思う。処がその論理組は誰かというと、谷川徹三・三木清・それに岡邦雄や私だという。併し今の論点から見て、谷川と岡との間には又可なり大きな距りがある。大森と谷川では殆んど他人のようなものだ。で横光の例の区別は結局単に文壇の内と外というようなことが動機になっているのではないかと思うので、そうでないと好く判らない分析だ。
或る匿名批評家は論理的と心理的とのこの区別を、社会的観念の這入る這入らないの区別だと見ていたが、横光自身の区別についての理解としてそう都合好くは行かぬと思う。併し私に云わせれば、今の場合結局それ以外に心理と論理との区別はあり得ないだろうと考える。――でこういう意味に於て、社会時評は他ならぬ最も論理的[#「論理的」に傍点]な評論であり、そして評論が一般に一つの文学の様式である以上、之は正に最も論理的な文学的批評だということになる。それは文学としてのクリティカルな(且つペリオディカルな)エッセイということである。
この論理はしかしただの論理ではない、モラルの一契機としての論理である。そして心理とあざなわれた論理だ。一般に評論は多少とも夫をもっているが、特に社会評論がもっている風刺的性質やパラドックシカルな特色は、ここから来るのである。つまり社会のアクチュアリティーが有つ特有なリアリティーが、モラリスティックに反映される必然の結果がそうなのだ。
それから導かれる社会時評の文学的特色は、第二に思想体系[#「思想体系」に傍点]がそこに著しく透けて見えるということだ。豊島与志雄の或る文芸時評によると、思想家や理論家の世界はいくらでも書き入れることの出来る地図であり、いくらでも家具を備えつけることの出来る室だという。そうかも知れない。しかしそういうことが果して氏の云っているように常識[#「常識」に傍点]というものになるだろうか、また、文学は恰もそういう常識に安住しようとしないところのものだ、ということになるらしいのは、どうしたものだろうか。私は論理というものをモラルの一つの契機に数えて来た。そのモラル自身には常識とその超克としての文学とが区別されるのである。つまり論理にも「常識」的なものと「文学」的なものとがなくてはならぬ。そして今私は正にこの意味での文学的[#「文学的」に傍点]論理、文学的[#「文学的」に傍点]思想、文学的[#「文学的」に傍点]評論、そして文学的[#「文学的」に傍点]社会時評、を主張しているのだった(「常識」のもっている意味の二重性は別に注目されねばならぬ、同時に「文学的」であることの意味の二重性もまた)。――この文学的[#「文学的」に傍点]社会時評は、恐らく一種の風俗文学[#「風俗文学」に傍点]に属するだろうと思う。
[#改頁]
7 思想的評論について
一[#「一」はゴシック体]
論壇時評は最近、色々困難に遭遇しつつあるように見える。論壇時評なるものが何であるかというようなことは、しばらく措くとして、とに角その月々の雑誌や新聞や又新刊書に現われている論説を批評することは、特にそれが新聞に載る場合、一つの大きな制限にぶつかるのである。今日の新聞はその政治的意見の発表が極めて窮屈であることは誰知らぬ者もない。新聞は雑誌よりも大衆的な普及性を有っているだけに、益々世間がうるさいのだ。処で政治思想を回避しながら、時代の論説を論じようとする程、困難な仕事はあるまい。
之が第一の困難だが、併し最近論壇時評に就いて指摘されがちな困難は不思議にも、必ずしもこの第一の困難ではない。もう少し安っぽい論拠から来るものである。何かと云えば、雑誌には色々の専門科学上の論文が載るのだから、之を一人で批評して了えるような人間はあり得ないだろう、だから論壇時評は成り立たぬ、という理由だ(専門の「科学」が評論[#「評論」に傍点]などされてはたまらぬというアカデミシャンの独りよがりにも通じている)。之は確かに完全な嘘ではない、実際そういうことが原因で、論壇時評は評論家があまり書きたがらぬものとなっている場合もあるようだ。筆者が書きたがらぬという理由も含めて、論壇時評をやめにした新聞もある位いだ。
だが実は之は可なり浅はかな推論なのである。一体「専門」の論文が評論雑誌にそうやたらに載るということが多分間違っているのだ。評論雑誌は元来学術雑誌ではないのである。又仮に大学の講義や学会雑誌の「アルバイト」のような「論文」などが載っていても、之をそういうものとして相手にはしないで、「評論」という正金に換算して評論するという見識さえ持てば、困難は大したものではないのである。その換算の権利は次に説明するが。
それよりも、困難の名に値いするのは、論壇という現象そのもののあやふやな性質にあることを注意したい。文芸時評は今迄の処要するに文壇時評であったが、この文芸時評=文壇時評と、論壇時評とを較べて見れば、それが判る。文芸時評ならば、文壇を中心として(所謂「局外」からでも矢張り同じだ)、書くことが出来る。そしてその時々の一連のトピックというものがある。処が論壇というものが、元来文壇のような意味ではどこにも存在していない。論壇人(?)という者も極めて少ないし、論説という一群が創作欄のように共通の特色を以てどこかにハッキリとして輪郭を持ちながら存立しているのでもない。而も論壇のトピックというのは、実は論壇のものではなくて単に社会に於ける生のトピックに過ぎぬ場合が多い。処でそういう現象を無理に一からげにして、便宜上論壇と呼んでいるのだから、之を相手にする論壇時評は、実際どこから手を付けてよいか、当惑せざるを得ないわけである。
杉村楚人冠は月刊総合雑誌が一方において月刊単行本の観があり、他方に於て月刊時事新聞の観があるのを、総合雑誌の「超総合」の性質が齎す危機だとし、週刊と季刊とに分離するのが今後の着眼点だろうと説いている。一応尤もであるが、併し一方月刊単行本であり、他方月刊時事新聞でもあるという性質こそ、今日の日本の総合雑誌の「総合」雑誌である所以であって、それが単行本でも日刊新聞でも充されない読者の要求を充すというので、之まで売れて来ているのである。実際、単行本の多くは全く時期性を欠くし、日刊新聞では要約と見透しを欠いているからだ。
原則論と時事論とが同居していることが、総合雑誌の危機の原因ではなくて、その総合[#「総合」に傍点]なるもの自身に何の統一も中心もないことがこの危機なるものの本質だ。そしてこの危機は、論壇なるものがあやふやな存在現象であることと、直接関係のあることなのである。
二[#「二」はゴシック体]
例えば一九三六年の九月号なら九月号にのせなければ時宜を失するトピックがある。取引所惑乱問題やオリンピックの話が之である。又九月号に載せておく必要のあるトピックもある。スペイン反乱問題や電力民有国営論などがそうだ。『改造』・『中央公論』・『日本評論』・『文芸春秋』の四大総合評論雑誌は、無論ぬかりなく之を夫々取り上げる。つまり之は新聞記事の批評的・紹介的・要約的・なしめくくりに他ならぬ処の完全なニュース乃至時評ものだ。
と思うと例えば一九三六年の九月号で見ると、「現代社会学の動向」(『改造』・本田喜代治)とか「不連続性の思想様式」(『中央公論』・杉村広蔵)とか「我国に於ける学問の変態」(同・佐藤信衛)とかいう、今年の九月でなくてもよいような、多少又は極めてアカデミックな議論や報告がのる。創作欄や中間物は除いて所謂論壇を構成しそうなものだけ見ても、まずこの両端があるのである。両者の中間にあるものとしては、一つには「自由と青年」(『中公』・矢内原忠雄)や「統制経済と国家権力」(『改造』・石浜知行)や「資本主義と農業」(同・向坂逸郎)などの一群と、二つには如是閑のもの(「ラジオ文化の根本問題」――『中公』・「文章漫談」――『日本評論』)の類に這入る他の群との区別がある。
こうして「論文」やエッセイやクリティックをつきまぜて一束にして考えたものが所謂論壇なるものの作品表になるわけで、ここには何等の総合の原理もないのだが、而も恰もこうしたものが総合雑誌の所謂「総合」(乃至楚人冠によれば「超総合」)と呼ばれているのだ。無論総合の原理のない総合雑誌など、あってたまるものではないのに。――だが仮にもう少しこの総合振りを親切に見ることにするなら、之はただの総合(つまり雑然たるモザイック編集)ではないのである。とに角所謂総合雑誌は評論[#「評論」に傍点]雑誌なのである。学術[#「学術」に傍点]雑誌でもなければ、報道[#「報道」に傍点]雑誌でもない、評論雑誌なのだ。と云う意味は夫が日常時事の問題に触れながら編集される思想[#「思想」に傍点]雑誌だというのである。今日の所謂総合雑誌=評論雑誌は、大衆雑誌と異って、高級[#「高級」に傍点]雑誌であることを忘れてはならぬ。そのことの良し悪し得失はとに角として、この種のものが事実思想雑誌[#「思想雑誌」に傍点]として読まれていることを、もっと判然と認識しなければならぬ。
さて之を思想雑誌として見直すなら、総合や超総合の危機の解決に、楚人冠の実際的[#「実際的」に傍点]見解とは少し別な見解を参考する必要を生じる筈だ。ニュースでもよい、時評でもよい、エッセイでもよい、学術論文でもよい、とに角夫が、時代の動き行く「思想」を解明するに足るような内容として[#「として」に傍点]掴まれている限り、そこに立派に総合の原則は見つかる筈なのである。――それが事実上、総合の実を挙げていないのは、筆者にも編集者にも、思想的評論[#「思想的評論」に傍点]を書くという観念が貧弱であるか、そういう訓練が乏しいか、であるからにすぎぬ。思想による統一こそ総合雑誌の総合点になっている。ただそれが徹底していないだけだ。そして論壇というものが何かと云うなら、こうした思想的評論の壇だと答えればいいわけだ。
そんなことは誰でも判っていると云われるかも知れぬ。だが判ってはいるかも知れぬがこれを確信している者は多いとは云えまい。「論文」という名義にひきずられてただの学術論文めいたものが書かれたり、そうかと思うと「科学」の名にかくれて、科学セクション式に仕切りに仕切られたベア・ファクトが出ていたり、一体思想はどこへ行ったかと云いたくなるだろう。之は論壇ジャーナリズムの歪曲でなければ低落と云わねばならぬ。
三[#「三」はゴシック体]
総合雑誌にのる文章が凡て思想的評論の資格を要求されて然るべきだと云ったが、その内でも、思想的評論プロパーとも云うべき文章を、特に他の文章から区別する必要はあろう。之を世間では「論文」とか「巻頭論文」とか呼んでいる。その呼び方は何でもよいが、之が所謂論文ではなくて評論でなければならぬことは、前から云っている通りで、変りがない。評論はただの学術論文とは違って、原則的な時評か又は文明批評の資格を必要とし、テーマの常識上における広範性と新鮮味と衝動的な示唆とを欠くことが出来ぬ。その代り証明や論証のディテールに渡るものは、単に筆者の頭の中で構築しさえすればよいので、一々表現には及ばぬ場合もあるわけだ。
重役の訓示の類をサラリーマンは「巻頭論文」と呼んでいるそうである。儀式として尊重はするが聴く必要もないし判る必要もないというのである。だが夫は評論雑誌にペダンティックな装飾のように生まの学術論文が載せられたり、通り一片のお題目に就いてのコケおどしの評論が載ったりするからで、つまり思想的評論の資格に於て欠ける処があるからなのだ。――同じく三六年九月号の雑誌の例をとるなら、思想的評論としての資格を持ったものは巻頭論文では、まず矢内原忠雄氏の「自由と青年」(『中央公論』)に指を屈してよいかと思う。『改造』の山川均氏「国家社会主義」は寧ろ電力国営論批判として、巻頭論文よりも所謂時評にぞくすべきものだ。と云う意味は時評とは一定の限られた時事問題に即して、原則的な立言をすべきものだというのであって、山川氏のようなやり方の論文[#「論文」に傍点]こそが、実は時評というもの全般のやり方とならなければならぬというのである。
この矢内原氏の評論に就いて、私は他ですでに手短かにその特色を指摘したので、繰り返すのを控える。現代に於ける進歩的分子の心情と決意と態度とを取り扱ったものとして、ただの空まわりの一般論ではない。だが之に評論の本質を与えたものは、結局「精神的自由」という合言葉なのである。処がこの肝心な中心観念が残念ながら、どうもただのそこいらに転がっているお説教用の原理と本性上大差がないのだ。日本の社会主義には宗教的信念がないから成功しないのだ、と云わぬばかりの主張に帰する。こういう種類の精神的な裏づけをしないと、論文[#「論文」に傍点]が「評論」にならぬのだとすれば、現下の日本の思想界は、正に評論の危機に臨んでいると云わねばなるまい。
今しばらく巻頭論文系の文章を離れて、文章に評論らしい資格を与えそうな、何等かの原則を探ねて見ると、ヒューマニズムというものが眼の前に横たわっている。之は文壇のトピックでもあるようだが、それというのも実は論壇評論壇の根本テーマだからだ。その証拠に、矢内原氏の評論の立脚点であるプロテスタンティズム(?)もヒューマニズム主義者のヒューマニズムも、共通のある機能を持っているだろう。と云うのは、このプロテスタンティズム式「精神的自由」も、ヒューマニズム式「ヒューマニティー」も、どれも、唯物論に代位して思想の論理的システムの中核となろうとしている世界観の原則の心算だからだ。
ヒューマニティーの強調をすぐ様ヒューマニズムというシステムの主張にすりかえることは、論理的に大きなギャップがあることだ。この点をこの際多くの論者は見遁しがちだ。無論、合言葉をすぐ様思想のシステムの軸とすることは、自由だから自由主義、精神だから精神主義、理想だから理想主義、文学だから文学主義、と推論するのが可笑しいように、可笑しいことなのだ。私は「ヒューマニズムの現代的意義」の筆者(『文学界』一九三六年九月)森山啓、阿部知二、そして特に三木清の諸氏に、この間の消息に就いて、より以上の関心を期待したいと思う。ヒューマニズムというスローガン(?)は今は極めてピッタリしている、之を導き出すシステムは併し、ヒューマニズムでは困ることになる、という一つの消息をだ。岡邦雄氏がヒューマニズムに「限定」を要求したのがそういう意味からなら、よく判る。
四[#「四」はゴシック体]
思想[#「思想」に傍点]というものから便宜上或る意味に於て政治[#「政治」に傍点]を捨棄すれば、残るものは恐らく教養[#「教養」に傍点]というものになる。ヒューマニズムと自由主義(文化上の自由主義)もこの教養問題に関係があるのだ。作家に就いてもその教養が問題になっている。ここに最近の評論壇のトピックの一つの代表的な特色を見ることが出来る。
桑木厳翼博士が「教養としての哲学」を説いているのも、学術と思想、科学と教養、とを区別しようという、評論[#「評論」に傍点]の意義の強調かと思う。処が教養とは何かと云われると、之は決してそう簡単には判らないものだ。少なくとも普通教養と考えられているような教育のことでもなければ、又人格主義的な自己完成のことでもない。ましてディレッタンティズムとしての教養のことであっても困る。ディレッタンティズムには思想のシステムがないのがその特色だ。思想が増殖しメタモルフォーゼを遂行して行く体系がない。だがそれがなければ本当の教養とは云えまい。教養が今日問題になるのは之を社会的常識[#「常識」に傍点]や社会的関心[#「関心」に傍点]と結びつけるからだ。少なくともそういう常識・良識や関心・興味・によって量られる処の或る実質を教養という言葉によって仮定するのである。処でこの教養という実質が含むものの一つが、「感覚」だ。実際、最近如是閑氏等によって感覚の問題が割合重大視されて来つつあるのである。
三六年九月の『日本評論』の「文章漫談」、同じく『中央公論』の「ラジオ文化の根本問題」、同じく『セルパン』の「日本詩の特殊な存在理由」、どれも感覚と教養の、又特に現代日本人の感覚と教養との、問題だ。「ラジオ文化の根本問題」によると、「直接言語による有力なスピーチ」という原始的な心理的効果が、非常に進歩した機械を手段として表現されるのが、ラジオの感覚的特性だという。だがその結果、ラジオ時代の社会人はラジオの類の「複製」表現に慣らされることによって、「原形」表現に基く純正な感覚を損われるだろう、というのが氏の一つの持論である。
だが之は何となく老婆心の感がなくはない。機械的複製表現も、それに固有な新しいセンスを養成発育させるという事実を、見落してはならぬばかりでなく、ラジオ文化に就いては夫の大衆的普及の方が大衆の感覚の問題から云ってもっと大切だし、同時に又現在のラジオ放送機構によって大衆の思想発達が如何に歪められつつあるかということが大衆の感覚上の重大問題だ。之に較べて複製表現による感覚の変質や粗悪化というような問題は、それだけならば、とり越し苦労といわねばなるまい。つまり芸術的感覚だけに眼界を限るからで、之を広く思想的・政治的な社会感覚にまで推し及ぼして日程に上らせることが必要だろう。――他の二つの文章は、現代日本人の文体に就いて、生活の感覚を説き、古来の日本人の詩歌に於ける「平俗な実感」を説いたもので、多少社会感覚に及んでいる。
感覚――教養――思想という側面から日本人の生活の特色を明らかにしようという企ては、この頃の流行である。杉村広蔵氏はこの特色を「不連続性の思想様式」と名づけた。与えられた国民性の何かの特色をハッキリさせることは勿論必要な仕事だが、併し元来感覚や教養や思想はただの「事実」とは別なものだ。それは矯正され、淘汰されねばならぬ一つの「課題」なのだ。日本の特色をどんなに明らかにしても、それだけで日本人は決して偉くはならぬ。だが今日の日本論者は必ずしもそうは考えていないらしい。感覚や思想には色々のタイプがあろう、だが、それを貫くロジックは一義的に決定されねばならぬ唯一性を有つのだ。
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8 評論に於ける分析型と主張型
或る時或る会合で和辻哲郎教授に会った。話しが偶々有名な某大学総長の性格に及ぶと、教授が云うには、あの人は自分では何物も主張しない人で、それがあの人の特色だと説明した。そして「あなた方には一寸真似の出来ないことですね」とつけ加えた。あなた方というのは多分三木清氏や私などのことであったと思う。
これは仲々面白い言葉だと私は思った。なる程学者という種類の人達は、あまり主張をしようと欲しない。早急な結論を避け、事を慎重に判断するという習慣が、恐らく職業的になっているためだろう。その習慣がやがて何かを主張しようとする意欲を失わせるものでもあるらしい。職業的に不徹底な専門家には往々却って専門外の事物に就いて極めて非科学的な主張をしたがる人も見かけなくはないが、夫はこの職業的習慣が偶々首尾一貫していないまでで、充分に「良心的」な学者は、何ごとに就いても主張という形のことは好まない、という風潮のあることは否定出来ぬようだ。之は一概には貶せないが又一概に感心したり賞めたりすべき性質のものではないと思うが、それは後にしよう。
併し和辻教授が述べた処は、例の総長の学者としての性格というよりも寧ろその実際家としての手腕のことだったのである。考えて見ると実際家も亦、学者とは別な理由で、主張するという態度をあまり好まない。所謂実際家は本当を云えばいきなり実行するか、もし実行出来なければ口にも出さぬという種類の人間だと考えられて来ているのであって、とに角主張ということにあまり価値を置かない人種のことである。少なくとも東洋的乃至日本的な観念によると、実際家とはそういう不言実行の人を云うらしい。ヨーロッパ的実際家にはこの点必ずしもあて嵌らないので、ファシズムの英雄政治家達に於ては、主張とその不実行とさえが特色であるが、併しヒトラーやムッソリーニと雖も、ショーやウェルズのようには、色々の主張を有ってはいないと云うことも出来るだろう。
学者と実際家とはまるで対立したものであるが、主張家[#「主張家」に傍点]でないという点では或る共通点があるらしい。これに較べて主張をその生命とするものは思想家や理論家というものだろう。思想家の多くは大して物識りでない場合さえある。研究しない思想家もいる。彼は新しいイデーを発見し考案し之を説得する能力に於て信用を博すれば、とに角一人前の思想家の資格を有つのである。勿論之は易しいようで決して容易なことではない。誰でも普通の素質さえ持っていれば或る水準の学者にはなれるが、誰でもが思想家になれるかというとそうではない。誰でもが優れた文学者になれないと全く同じ事柄にぞくする。
だが勿論、所謂思想家は思想の主張家であってその実行家でないことの方が多いし、又事実実際家でもないのが普通だ。云わば彼は実行しないが故に主張するのである。――理論家というものも亦決して博学者や研究家と同じではなく、寧ろ夫とは鮮かな対比をさえ持っている性格のことである。理論家は通常博大な常識人だ、常識人と云っても、何でもかんでも知っているという意味ではなくて、常識という意識統一の統覚のようなものを人一倍敏活に有っているということだが、従って必ずしも平均的な凡庸な理解という意味での常識に終始しているというのではない。もしそうなら所謂常識家以上のものではあり得ないので、特に理論家などとは云えまい。でこの常識人であることが所謂思想家の一種の超常識性と違う点だが、常識に対して説明することなしに常識を踏み越えることが、思想家の世に容れられない超常識や非常識の内容であるに反して、理論家が常識人たる所以は、与えられた常識を踏み越えるのに、いつも既成常識への挨拶を忘れず、また踏み越えてからその経緯を元の常識に報告することを怠らない、という点に存する。
理論家はこの意味で常識人であり、所謂学者のような意味での研究者でもなければ、まして博学者でもないが、それと共に、勿論亦、実際家でもないのが普通だ。彼が実践家でないが故に理論家だということに普通はなっているのである。理論と実践の統一ということは無論大切な目標だ。併しそれにも拘らず理論家と実践家との常識的な区別には意味があるだろう。と云うのは優れた理論家と優れた実践家とを兼ね備えた人物は極めて少ないので、多くの場合に夫は単なる理想目標に他ならないからだ。
で私は、思想家や理論家なるものを、学者でもなければ実際家でもないという点で、主張家[#「主張家」に傍点]であるという風に、一応云うことが出来るように思う。そして作家や文芸批評家をも、この思想家や理論家の内に数えての上である。こういう主張家なるものは、一種特別な社会人である。彼等はその本質から云って、社会的な情念の動きを自分の唯一の生命としている。各種の社会現象に対して吸引か反発かを感じない時には、彼等は全く死んだ人間も同様なのだ。破れた思想家や行き詰った理論家は、もはや自分自身で何の意義をも見出し得ないような無的存在となる。一つの火である、それが消えれば凡てが消えるのである。その意味から云うと、思想家や理論家は、その主張の情念を失う時、全くの無能者となる。何の役にも立たぬ。彼等はその限り[#「その限り」に傍点]、広義に於ける技術家乃至技能者とは全く違うものだ。無論彼等が絶対的に技術家でも技能家でもないというのでは決してない。実は思想も理論も或る意味に於ける判然たる技能か技術であって、之を欠いた人間が思想家や理論家になれぬことは知られた事実だ。彼等は云わば「文化的」技術家なのだ。と云うのは意欲表現の技術家だ。だがこうした文化的技術なるものは、本来の技術(生産技術に直接する処の技術や技能)とは異って、一旦習得されたものが無条件に蓄積されるということがない。もしあるとすれば夫はマンネリズムということであって、夫は蓄積というよりも寧ろ既得のものの腐敗と消滅に他ならない。石のようなものではなくて火だ。燃えきって了えばゼロになるものだ、之が一般に文化的技術というべきものの特色だろう。――主張家に主張がなくなればお終いなのである。不満や賛美のない処に、主張家は成り立たぬ。この主張家なるものが、社会的に活発な生物である所以だ。だから含蓄ある意味でのジャーナリストも亦、このカテゴリーの外にはあり得ないのである。
だが私は今、この主張家の内にも、再び主張家[#「主張家」に傍点]というタイプとそうでないタイプとがあることを、書きたかったのである。主張家でないタイプは分析家[#「分析家」に傍点]と呼んでいいかと思う。この二つのタイプは可なり根深い対立に由来しているらしく、他の色々な対立に関係あるのだが、少なくとも思想家にも理論家にも夫々この二つのタイプの区別は見出される。思想家は主として主張家タイプ、理論家は主として分析家タイプ、と云っても間違いないようにも見えるが、夫は概括的な而も表面だけの事実に過ぎないので、最も優れた理論家であるマルクスは同時に最も優れた主張家型であり、そして彼は亦、最も優れた思想家であると共に最も優れた分析家型であった。ただこの際、主張家型の主張ということと、分析家型の分析ということとを、普通よりも掘り下げて考える必要に逼られるということに他ならないのだ。そこが私の主張の要点になるが、しばらくこの二つのタイプの事実上の対立の諸相を見て見よう。
所謂総合雑誌に於ける「論文」乃至「巻頭論文」を採って見よう。実は総合雑誌という名前があまり意味のあるものではなくて、本質から判断して命名すれば評論雑誌乃至思想雑誌と呼ばれる方が正当だと思うが、この点前にも述べた。とに角総合雑誌の面目を示すものは論文であり、夫が巻頭論文を典型としている。処がこの論文なるものは、之までのジャーナリズムの習慣から見ると、多くは分析型のものだった、ということを改めて注意しなければならぬのである。或いは寧ろ極端に分析型であったと云った方がよいかも知れないので、分析型が過大視され誇張されすぎた結果は、論文と云えば評論雑誌[#「評論雑誌」に傍点]であるに拘らず学術[#「学術」に傍点]論文のようなスタイル(寧ろジャンルか?)のものが多かったのである。この点が、評論雑誌の所謂「巻頭論文」をつまらぬ[#「つまらぬ」に傍点]とか面白くないとか、無意味だとか無用だとか、と呼ばせた点であった。
処が最近になって、評論雑誌が色々の側面から云って飽和状態に這入ったということが、出版業者や編集者の意識を刺戟し始めた。夫は一部分編集上のマンネリズムとして意識され始めた。そこで編集の新しい方針が模索されざるを得なくなった。その時まず第一に眼をつけられるのは、論文のこの分析型なのである。そこでいくつかの評論雑誌の編集者は巻頭論文を分析型から主張型へ換えようという気になって来たのである。『日本評論』などは大体そういう方針が全面に作用した雑誌であるし、例えば『中央公論』(一九三六年一〇月)の岡氏の文章「青年に寄す」などがその類かも知れない。――確かに読者も分析型のものの代りに主張型のものを求めているらしい。夫は必ずしも分析型に飽きあきしたからだとは云えないが、少なくとも主張型の方が新しく従って新鮮だからだ。と共に、読者というものは気が短かくて要するに結論[#「結論」に傍点]というものを早く簡単に読みたいということもあるので、処がこの結論というようなものは分析型の分析の結論のことではなくて、実は文章に於ける第一テーゼのことに他ならないから、結局之は主張型の主張[#「主張」に傍点]のことになる。
単に従来の読者がその一般的な生来の習性や、又特殊の之までの慣性から、主張型に漠然として期待を有つだけではない。読者を所謂読者の資格から見ずに一般民衆の要望の代表者として見ると、今日の日本の民衆は、必ずしも強烈ではないが併し甚だしく瀰漫した社会不満を有っているのである。社会不安[#「不安」に傍点]というものにはつきないので、社会不満[#「不満」に傍点]なのだ。不満であっても決して積極的なものではないのだが、併し不安というものと同様に消極的なものではない。日本の今日の大衆は不満に充ちている。之が今日主張型の言論を要望させる一等根本的な要因ではないだろうか。
この要因は処で、色々なものに連関している。文学の思想性という問題の一つの意味は、作品の分析[#「分析」に傍点]的な真実の代りに作品による思想の主張[#「主張」に傍点]を尊重せねばならぬということであったと思う。文学の思想性は一面に於ては文学の社会的認識・社会的分析[#「分析」に傍点]の重大性ということにも帰着するが、他方に於て思想の主張[#「主張」に傍点]という指導的な積極性に帰着するのである。だからこの問題は一方に於て文学のリアリズム(乃至広範に理解された社会主義的リアリズム)の強調に帰着すると共に、他方一種のヒロイズム(同じく広範に理解された革命的ヒロイズム)の強調に帰着する。そしてこの際、一見、リアリズムの方は分析型に、ヒロイズムの方は主張型に、相応するわけである。
ロマンティシズム・ヒューマニズム・等々もこの角度から見る限りは、分析型に対する主張型の強調ということに帰着するので、勿論積極的な意義のあることだ。併し所謂「ロマンティシズム」(リアリズムに対立する処の)も「ヒューマニズム」も、私には十分納得の行かないものがあるので、つまり分析にも主張の説得力にも不足しているので、今すぐ私はここで之を正確に評価は出来ない。――之と関係あるものとして情熱[#「情熱」に傍点]説ともいうべきものが、文学では相当通用している。その際の情熱ということは恐らく一種の趣味判断によるものらしく、ワクワクするのが情熱でジッとしているのが非情熱だと云われても仕方のないような、多少子供らしい観念だとも思うが、もしそれに意味があるとすれば、情熱もやはり、分析型に対する主張型の尊重ということを云い表わす言葉に他ならぬ、と云っていいだろう。
だが吾々は落ち着いて観察しなければならない。情熱に富んだヒロイックなそして恐らくロマンティックなスタイルの言論を見ると、そこに見られるアトモスフェヤは、何となく文学青年風のものではないだろうか。そこでは一種の弾み[#「弾み」に傍点]が物を云わせているだろう。詩や小説という文芸のジャンルに於いては、作家自身がその場で弾みながらでなしに而も読者に弾みある作品を提供することが出来るが、文学評論になるともうそう甘くは行かぬ。文章が弾む時は筆者と筆者の観念の方も亦弾みで動いている時だ。之はあぶなかしくて見てはいられないのであり、読者はヒロイックな情熱の代りに却って白々しい不安をさえ感じるだろう。論文になればこの点愈々そうなのだ。――もしこういうものが主張[#「主張」に傍点]の論文のスタイルであるなら、吾々は用心しなければならぬ。分析型の代りとして現われて来た主張型が、もしそういうものであるなら、吾々は唯物論的意欲の代りに現われた限りのロマンティシズムやヒューマニズムに用心しなければならぬと同じに、用心することが必要となる。
私は評論としては常に主張型のスタイルを採るべきだと考える。だが主張型は分析型が単純に置きかえられたものであってはならないのだ。なる程問題はスタイルなのだから、思考の上では充分分析に基きながら而も文章の上では分析の操作が現われずに、その結論のような主張だけが現われるということは、可能だし、又それこそ当然な評論的論文のスタイルの約束でなければならぬのだが、併し所謂主張型なるものは、多かれ少なかれ、思考上に於ても分析を軽んじた結果であるらしいのが、多くの場合の事実なのだ。
こうなると主張型のスタイルは、理論的な範疇操作とは独立に、そういうものを時々無視さえして、初めて成立つということになるのであって、その際主張の弾みとなるものは、単に文学的な表象(科学的なカテゴリーとは独立な亦は之に対立さえした)のイメージ相互の連絡であるか、それとも常識的なレディメードな観念(之ほど非文学的なものはない)の常識的な連想であるか、ひどい時になると常識用語の習慣的な継起(之ほど非詩的な連想はあるまい)であるかだ。之はもうスタイルではなくて、美文の類だ。スタイルは思考が要求する文章の姿態のことだから。――私はこうしたカラクリを前から「文学主義」と呼ぶことにしている。
この文学主義に立つ主張型が、情熱的に見えるということは、尤もなことだが、地を焼くことが出来ぬ情熱が天を焦すことなど出来る筈がないのだ。情熱が主張の塗料となる時、もはや情熱ではなくて軽卒でしかない。――真の情熱は結局決意と同じに、云わば分析の結論[#「分析の結論」に傍点]の上で初めて発情する。「分析の結論」は決してまだ情熱ではないが、情熱を産まないような分析の結論は、「結論」のない分析であり、ペダントリーや弁解やに於て見られるような匍匐的リアリズムに過ぎないのだ。事実従来の論文には、そういう「分析」が少なくなかったのである。
極端な場合を云えば、分析に基かない情熱的主張は、客観的に見てファッショ・デマゴギーの温床でさえあるのだ。分析=論証のない情熱は、そういう一般的情熱、一般的な主張衝動は、創造的な想像力と妄想とを区別することを知らない。無条件な主張衝動が信頼出来そうに思われている場合も、実はその根柢に分析の結論[#「分析の結論」に傍点]が想定されていることが約束されている場合だからであって、如何に陶酔してもこの約束だけは忘れてはならぬ。
私は学術論文の類を分析型であるべきものと考える。之に反して評論雑誌に於ける所謂「論文」を、即ち主張型になることを今日要求されている処の当のものを、分析型に対して評論型[#「評論型」に傍点]と呼びたいと思う。評論型のスタイルとは、分析型の分析に基いて初めて主張型に登りつめたスタイルだ。之が評論[#「評論」に傍点]というもの一般の落ちつくべきスタイルであり、そして所謂総合雑誌を代表するスタイルとなるべきだろうと思う。之は理論であることによってある処の思想のスタイルである。総合雑誌・評論雑誌を、私はこういう理由から正当には思想雑誌[#「思想雑誌」に傍点]と呼ぶことが出来ると思うものだ。
[#改頁]
9 風俗警察と文化警察
一[#「一」はゴシック体]
一体警察権は一定社会の生産関係の根柢を保善するために存在している。社会の安寧秩序[#「安寧秩序」に傍点]が警察によって保証されることは、科学的に云えば要するに以上のことに尽きていると云っていいだろうと思う。
法律が人命財産を保護することを何よりも根本的な直接目的としているに応じて、このような法律を実地に運用出来るように、肉体的物理的な条件を用意するものが、警察権であることは、誰しも異存のない処だろう。けれども実際に存在している法律は、云うまでもなく単に人命や財産だけを保護するだけでは、人命や財産自身の保護さえが決して充分に実行され得ないので、人命財産に直接関係ある名誉や権益其の他のものの保護も、法律の重大な目的になっている。だから警察権はそれだけ、人命財産の保護という本来の職能からははみ出さねばならぬわけで、それは一応当り前な現象と云わなければなるまい。
だがこうした生産関係の保善という本来の政治警察権[#「政治警察権」に傍点]は、実際には更に拡大されている。一定の生産関係の上に、一定の道徳[#「道徳」に傍点]と一定の文化[#「文化」に傍点]とが出来上るということは誰でも知っているが、そういう道徳なり文化なりが自分が立脚している生産関係と或る切っても切れない必然的な関係にあるので、この生産関係を保善する筈の例の本来的な政治警察権は、やがて、風紀警察[#「風紀警察」に傍点]として、又文化警察[#「文化警察」に傍点]として、発動するようになって来る。
ここで道徳というのは、別に修身道徳のことではなくて、社会の慣性・習俗のことであり、例えば裸身になるということは一定時代の風俗に反する意味で反道徳と考えられるという意味の道徳で、所謂風紀・風俗という言葉が一等よくその特色を云い表わしている。警察は、一定の生産関係に立脚した一定の風紀・風俗の保善に任ずるという意味で、風紀警察・風俗警察となるのである。
それから、ここで文化というのは、その根柢になる生産関係を肯定したり批判したりする観念組織からなっているもののことで、之が今の生産関係と重大なる観念上の連関がある処から、一定の生産関係を保善する筈の警察権は、同時に文化警察の形を取って発動しなければならなくなるのである。
処が警察権の支配下に立つものは、元来、何か公的なものに限るわけで、例えば政治的な又市井的な行動や言論が夫であって、一切の私的なものは除外されるのが立前である。人の見ていない処で何をしようと、それが他人へ決定的な影響を与えない限り、丁度人間が何を考えようと勝手であると同じに、それは全く個人の私的行為であって、警察権の支配外に横たわるべきだと考えられるのが当然である。
処が私的な個人的な事柄も、あまり多数反覆されたり、あまり著しく類型をなしたりする場合には、やがて、おのずから公的な社会的な意義を持って来るのが事実であって、例えば「不良ダンス教師」の不良振りは、一人一人の場合や単に幾つかのダンスホールだけの場合に就いて云えば、全くの私行問題に過ぎないとも考えられるが、それが多数のダンスホールを通じて多数のダンス教師に共通な現象だとなると、不良少年係りの風紀警察網に引っかかるのである。有閑マダムは何も街頭や店内で風紀を乱しはしないが、不良ダンス教師や名流文士の賭博という、やや公的な風紀壊乱や「犯罪」と結びつけられて、風紀警察ものとなるのである。
二[#「二」はゴシック体]
文化警察に就いても風紀警察と殆んど同じに考えられるのであって、思索や読書や意見の発表が単に処々で個人々々で行なわれている間は、之は全くの私事にぞくするが、夫が多数の人々によって規則的に行なわれる一つの現象となると、注目すべき公的な「社会現象」になるわけで、その結果は単に意見の宣伝や意志の表示ばかりではなく、個人的な読書さえが文化警察権の支配下に立たされるようになるのである。
私的な生活が決して公的な社会的な生活から切り離すことが出来ないのは、以上云ったような点からだけ見ても明らかで、その結果、極端に考えれば、私的なものとの区別は厳密には与えられないということになりそうだが、もし夫が本当なら、吾々の生活の凡てのアスペクトが、皆警察権下に横たわることになるだろう。そういう馬鹿げたことがない以上、或いはそういう馬鹿げたことがあってはならない以上、私生活と公的な社会的な生活との区別は、いつも残存しなければならない筈だ。
処が、私的なものがやがて公的なものへ何時の間にか移行するという今云った事実を、ある目的の下に逆用して、私的生活にぞくするものを、勝手に公的な社会的なものと見做すという手段によって、警察権はいくらでも私的生活に立ち入ることが出来るという事実をも、吾々は注目しなければならない。
元来、所謂「上流社会」は「下層社会」に較べて、有産者らしい便宜や名誉のおかげで、生活のプライヴァシーが遙かに厚く社会的に保護されているから、有閑マダムのプライヴァシーを曝くということは、下層社会のお神さん連の公的な風紀壊乱を指摘するのと全く同じ水準の社会取締り方針にぞくする。取り締りに階級的えこひいき[#「えこひいき」に傍点]がないことを示すためには、甚だ有効な手入れ[#「手入れ」に傍点]だと思うが、併しその形式から見れば、有閑マダムの検挙(?)は、私的生活に、公的生活の口実を藉りて、風紀警察権が勝手に立ち入った形に他ならない。
偶然名流文士達の賭博という犯罪[#「犯罪」に傍点]が発見されたというので、マダム達の検挙もやや合理的になり得るものの、それから又、道徳が頽廃(?)した現代のために警鐘を打ち鳴らすという点では、相当痛快ではあるものの、とにかくこうした道徳的[#「道徳的」に傍点]な役割は、風紀警察の出すぎた一例となるだろう。
文化警察もその通りで、例えば思想警察権は今日次第に思想者の私的生活にまで立ち入って来つつあるように見受けられる。この頃流行る所謂転向の誓約というのは、転向した当人のその後の私的生活を束縛することがその内容となっている。例えばプロレタリア小説から足を洗うとか、西洋画は書かないとかいう、元来が個人の自由な選択に任されるべき私的生活の形式が、そこでは官製のものに引き代えられる。八百屋になっても良いが魚屋になってはいけないというのが、今日の文化警察の権限である。
警察権は今日、公的生活の取り締りの名の下に、私的生活の領域を、無限界に支配し始めている。警察権はその意味で、私的化[#「私的化」に傍点]され、道徳化[#「道徳化」に傍点]される。それは修身化[#「修身化」に傍点]され、倫理化[#「倫理化」に傍点]される。この点は警察権が対応する処の、法律自身の最近の動向と全く一致するものがあるのである。
そして警察権のこの私的化・道徳化・修身化・倫理化を、最もよく利用し得るものは、云うまでもなく、例の風俗警察と文化警察とに外ならない。
三[#「三」はゴシック体]
文化警察は今日主に思想警察となって現われる。思想というものはその本来の性質上、云うまでもなく一般に行動として形を表わすのだが、夫と共に、他方特に思想発表行為として、即ち教示・普及・宣伝・等々の言説や集会や出版行為・展覧行為・壇上行為等々として、形を取って現われる。この後の方の文化的行為[#「文化的行為」に傍点]こそが、特に文化警察の伸縮自在な領分であって、中でも検閲[#「検閲」に傍点]がこの警察権の最も有力な内容になっている。
処が文化的行為の形を取るものに就いては、単に文化警察ばかりではなく、風紀警察も亦干渉して来る。検閲は元来文化警察にぞくするもので、文化的行動に就いてしか意味のないものだが、その内容になると、風紀警察をも含んで来ることが出来る。
この場合には、検閲は思想の検閲であると共に、風俗の検閲でもあることとなる。だから検閲はこの場合、云わば文化警察と風紀警察との、独特な結合物だということが出来よう。風紀警察が検閲に干与するのは、風俗が一つの文化的行為となった時で、例えばエロ・グロ・行為が単に社会的に公的化された場合はまだ検閲とは関係ないが、そういうエロ・グロ・行為が、或る文化的行為の形で、社会的に公的化された場合になると、検閲の対象となるのである。
で、文化警察と風紀警察とが、以上のように独特な結び付き方をすることの出来る検閲なるものは、一体文化警察や風紀警察自身が、公的社会的な者を取り締るべき本来の政治警察権のコースから離れて、相当勝手に私的個人的な世界にまで踏み込むものだったのだから、可なりの解釈の自由・寛厳の手心・が予定されているわけで、それだけアービトラリな主観的なものに根拠を置いていることになる。検閲に就いての悶着はいつもここから発生するのである。
治安維持法と出版法とに連関して、現下の思想検閲が、どんなに重大な役割を演じているか、改正された出版法や、やがて改正されるに相違ない治安維持法其の他によって、この検閲がどんなに絶大な偉力を発揮するだろうかは、今更ここで説明するまでもない。検閲制度をこのようにヒステリカルに強調するのは、思想検察という文化警察権の、例の無限界な私的化という事実と、それに基づいて勝手な主観的適用が出来るという事実とを、利用したものであって、この頃では警察権のアクセントの置き所の一つが段々ここに集中して来るにも拘らず、それだけ警察権は本来の政治警察的なコースを踏みはずして行くという一般傾向が、之で以て最も著るしく代表されているのである。
さてそこで、かつて最もセンセーショナルな事件の一つは、源氏物語上演禁止問題である。併しまず第一にこれが決して単純な思想検閲問題という形を取っては現われなかったということを注意しなければならない。思想検閲と風俗検閲とが、ここでは可なり複雑なメカニズムによって結合しているという点を見逃してはならぬ。之は例の文化警察と風紀警察とが、特別な形でからみ合った場合の一つなのである。
番匠谷英一氏の戯曲『源氏物語』は、紫式部学会後援の下に、新劇場劇団の坂東簑助等によって上演される筈の処、突然警視庁保安部によって上演禁止が命じられた。脚本は検閲にそなえるために予め多少の改訂を施したものだったそうだが、それがなお風教上有害だという理由で禁止になったのである。『源氏物語』そのものはいいのだが、この脚本を上演する場合になると、光源氏を中心とした姦通・恋愛物語りが、低級に違いない一般観衆にとって有害なのだ、というのが、時の保安課長の言分である。
四[#「四」はゴシック体]
併し実はこうなのである。予め禁止するかも知れぬという内達が当事者へあったので、検閲係長に当事者が面会すると、一、宮内省関係の禁忌なき場合、二、古典に理解ある者だけを入場せしめるならば、三、今回だけは、許そうということだったそうである。処で宮内省自身の方では一向かまわないという意向だったが、古典に理解ある者というのが紫式部学会員に限るという意味だったので、都下の国文科女学生達の絶大な数をあてにしていた劇団は、そういう制限を承認しようとしなかったから、遂々上演を禁止されたわけである。
禁止の本当の理由は局外者にはよく判らない。警視総監は、当局は「文学の宣伝機関ではない」とか「理屈で禁止させるのではない」とか云った、と新劇場の当事者が告げているが、之は何も禁止の理由の説明にはなるまい。
だが先に述べた上演許可の条件から想像すると、第一の理由は無論男女の放縦な色事を写したということにあるが、単にそれだけならばどんな芝居でもそういう点はあるので、それにこの戯曲などは色事も至極上品に物やわらかに描き出されているから、あまり心配になる筈はない。だから第二の理由の方が今の場合特徴的なので、それは、事実上のことに関るからと云うのであるらしい。雲上の事柄に気を配るということは、決して風俗検閲の任務ではなくて、今日では正に思想検閲の中心をなすものだが、今は夫が、宮廷人の色事として、風紀問題に結び付いている点が、この場合の要点でなければならぬ。
前の有閑マダムの不行跡は、単に女の不品行として社会の注意を惹いたのではなく、全く上流有産者の婦人達の行為だったがために注目に値いしたのであったが、恐らく源氏物語のこの戯曲も、一千年の距離を貫いて、上流人士の不品行を連想させるというのが、当局の心配だったのだろう。玄人の批評家達からは不幸にしてあまり好評を博さないらしかったこの戯曲も、その劇的効果の絶大なる所以を、検閲当局によって保証されたわけである。
ただでさえ資本家の「横暴」がやかましい世の中である。資本家や政治家自身に手入れは出来ない迄も、不労所得の代表者と考えられている名流文士や上流婦人の、賭博や不行跡には手を入れる。当局は決して資本家らしいものに向かっても寛大なのではないということが、世間に知れ渡った。併しこれ以上薬が利き過ぎるのは考えものだろう。たとえ千数百年昔の出来事にせよ、雲の上の男女の不行跡を却って暴露して天下に公示することは、もはや文化・思想・警察と風紀・風俗・警察との、検察方針であってはならないだろう。そう吾々は想像するのである。
だが問題は、こういう禁止理由が一般的に正しいか正しくないかではない。無論風紀を乱す芝居は禁止されるべきだろうし、特に雲の上のそうした事柄を描き出す芝居は安寧を害することにさえなるからいけないだろう。それは丁度正義は正しく、真理は本当だ、というようなものかも知れない。問題はこの芝居が実際に風俗を乱し安寧を害するかどうかの判定[#「判定」に傍点]にあるのである。
併し判定になると実は之程出鱈目なものはない。世の中の観衆の観劇眼がどの程度に進んでいるかは、検閲当局自身の観劇眼の程度によって判定を異にするし、又この劇自身が風俗警察や文化警察の対象になるか否かも亦、検閲当局自身の好色水準や社会意識水準によるのである。文化警察と風紀警察とが実際上、如何に警察権の主観化であり、それが又如何に警察権の私的化に基づくかが、検閲標準のこの薄弱さの中に、まざまざと露出しているのである。
警察権が私的化し従って又主観化することは、処で、本来の警察機能をおき去りにすることであり、警察権の矛盾[#「警察権の矛盾」に傍点]を発展させることだった。わが国現下の検閲は、恰もこうした矛盾の象徴そのものに他ならぬのである。
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10 衣裳と文化
和服と洋服について[#「和服と洋服について」に傍点]――或る地方大新聞の社長は自分の工夫をした和洋折衷の服装を宣伝している。大体に於いてツツッポにモンペという姿であるが、私が貰った写真で判断する限り、決して見っともいいものではないのである。私がもしあの服装でもしなければならぬとすれば、私の思想は一遍に涸渇し、私の舌は忽ち硬ばって了うだろうと思われる。単に異様だというだけではない。異様なだけなら自分自身が気に入っている限りは、却って気勢が揚がるもので、オスカー・ワイルド式なやり方もあるし、ラッパ・ズボンをはいたモダーン娘のような場合もある。困るのは何としても自分自身に審美的に満足を与えないということであり、自分自身に風俗上の不安を与えるということなのである。
和服を人工的に洋服と折衷しようとする企ては、右の例に限らず、殆んど凡て失敗のようだ。最近ではもう改良服の運動の類は屏息して了った。婦人の和服の場合特にそうだ。従来の和服か、それとも洋服かということになっている。而も不思議なことには、或る社会層の或るジェネレーションの婦人の服装を見ると、和服と洋服の区別こそあれ、それによって得られる風俗上の効果はその本質を殆んど同じくしているのである。インテリ・モダーン娘の場合には、和服を着ても洋服を着ても、殆んど変る処のない或る風俗上の常数が見出される。こうなると和服と洋服との区別は根本的には殆んど無意味になってしまうのだ。
之は和服というものが元来の約束であった和装[#「和装」に傍点]という条件から離れて、和服である点では少しも変らぬに拘らず、いつの間にか洋装[#「洋装」に傍点]の条件に嵌って了った場合であって、和服と洋服との結合はこうした意味な形で、現にごく審美的に成功しているわけだ。――だがこんな場合は、有閑層の而も若い女に限る特別の場合で、一般には和服と洋服とは恐らく永久に相交らない二つの文化を象徴している。
男の場合、官吏やサラリーマンは殆んど例外なしに洋服で出勤する。洋服は都市を中心として男の普通の服装となっている。処が女は決してそうではない。モダーン・ガールの約半数と職業婦人の一部分が洋服であるにすぎない。ではなぜ男の洋服が成功して女の洋服はまだ充分に成功しないか。女は和服の色彩と図案との方を、洋服の形態よりも尊重するからだろうか。少なくとも洋服に就いてよりも和服に就いての方が、知識と見識に自信があるからだろうか。又結局に於て今日では和服の外出着の方が経済的だろうか。そのどれでもあるだろう。だが之は本当の原因ではない。女の洋服の流行が成功さえしていたら、今日ではもはや解決済みだろう問題ばかりだからだ。
原因は労働様式にあるのである。男は外出して電車に乗り椅子に腰かけ又歩き回らねばならぬ。男の洋服がこのための労働服として採用されて今日のような普及を得ることになったのは、人の云う通りである。女の洋服はそうではない。少なくともモダーン・ガールの洋服は労働服としてではなくて、主に消費生活用の服として評価されねばならぬ。消費生活用でも近代消費生活は裾さばきの安全な洋服を要求するのは勿論だからだ。だから職業婦人の多くのもの(ユニフォームを着る場合やモダーン・ガールに編入されるべき場合を除いて)は、洋服ではなしに却って和服の上に各種のエプロンを纏う。女の場合には洋服はまだ労働服としての価値を充分認められない内に、消費生活服の意味が勝って来た。で勤倹な多くの職業婦人は洋服に遠慮しているのだろう。
婦人の洋服が決定的に流行しないのは、婦人の労働の大部分の場合が家庭内労働であり、而もこの労働職場が畳式に出来ているので、和服は或る程度まで労働服の役割りを果すのである。少なくとも外の近代的施設の下で働かないので、洋服を労働服として要求しないのだ。勿論畳式家庭内労働でも立居振舞にとって和服は理想的なものではないから、却って家の内では安価な洋服をつける主婦は少なくないが、之は家庭外の社会に出ると忽ち通用しなくなる。男は街頭を勤労者として歩くが、女が街頭を歩く時は主に消費者として歩くからである(男は家庭に這入ると消費者となるので、大抵和服に着かえる)。とに角男の背広と女の和服の外出着とを較べると、一方が近代的労働服で他方は近代的消費服である。女は社会に於ける労働服についてまだ一定の制度を持っていない、その服装に迷っている。が、消費服については、和服は和服、洋服は洋服で、決して迷ってはいない。そして家庭内労働服についても殆んど迷わない。男は之に反して社会労働服としては立派な制度を持っている。が、家庭内消費服となると大分乱れて来る。まして家庭内労働服に至っては形をなすまい。
日本の女の服装は社会的労働服としてはまだ混沌として低迷期にあると云わねばならぬが、併し消費生活服として制定確立された洋服も、和服さえも、実は風俗として安定を保っているものではないことを注意したい。和服が近代消費生活に於ける活動の様式にとっても不合理であることは、誰しも眼にしている処だ。それは袖と腕、裾と脛に関して明らかなことだ。そこに見られる奥深い腕や隠見する脛は、実は、家から気まぐれになげ出され、家庭内労働から迷い出た処の、日本家庭主義の残滓の象徴である。之は社会的公服を欠いた日陰者のものだ。他方洋服の方は勤労社会からはみ出した過剰物としての、奢侈品としての、女の社会的特徴をよく云い表わしているのである。――私は日本の街頭で出会う女の服装を見て、殆んど絶望に近い性的過剰か性的陰影かを眼にするのだ。日本の風俗はまだ社会的労働の風俗から極端に遠いのである。日本婦人の和服の美を無責任にほめたり奨励したがったりする外国の馬鹿者を私はいつも苦々しく思うものだ。
ユニフォームに就いて[#「ユニフォームに就いて」に傍点]――以上は併し、日本の社会の或る層だけに就いての話しで、勿論民衆の全部に就いてではない。衣服の上から云うと、ユニフォーム層とも云うべきものが存在するのである。云うまでもなく、背広にしても婦人の和服にしても、原理は固定していて、誰でも似たりよったりの物を着ているから、結局ユニフォームみたいなものではあるが、併しこの種の服装は自然と一定の社会層なり社会階級なりを示しているにも拘らず、着用者をば一定の群にぞくするものとして特に他の群から区別するという意味は持っていない。背広を着ている以上職人でも丁稚でもないことは明らかだが、併し別に自分はサラリーマンであって官吏ではないとか、自分は会社員であって銀行員ではないとかいうことは示していない。そこがユニフォームと異る処だ。
私の知っている或る高等学校の先生が、アメリカに遊学した際、洋行に先立って記念に生徒と一緒に撮った写真を、アメリカの学生に見せた処、あなたの学校は士官学校ですか、と聞かれたそうである。学生がユニフォームを着るということは、アメリカあたりでは不思議なことであるらしい。「制服の処女」という映画の題は、題だけで或る陰惨な印象を与える筈なのだろうが、吾々日本人には一向ピンとは来ないし、映画の内の娘たちの制服姿を見ても、別段残酷な感じもしない。それ程、学生の制服は常識となっている。
之は日本に於ける教育制度の単元的な画一という処から来るわけだが、それというのも近代日本に於ける被教育者の社会的位置が国家機構の上でチャンと決定されているからで、日本の資本主義の伸び伸びした発育期には、被教育者即ち学生生徒なるものは、ブルジョア社会の上級下級の公認の幹部候補生であったし、資本主義の停滞期以後は、彼等の大部分が生涯大してウダツの上らないような一つの社会層の予備軍になったわけで、いずれにしても社会的位置が支配者によって官僚的にチャンと指定されたものなのである。ここに日本に於ける教育の普及(?)ということの根拠もあったわけだが、同時に之が学生に夫々のユニフォームを着せるという教育上のミリタリズムをも産んだわけだ。
ユニフォームは事実上、家庭から云っても経済的だし、学生当人から云っても便利なことが多い。併しそれというのも却って、学生がユニフォームによって一人前の大人である社会人から区別されて、善かれ悪しかれ特別待遇を受けているからである。だから学生が将来の社会にとって必要らしく見えた時は、彼等はこのユニフォームで相当得をしたが、一旦学生というものが、就職難や思想運動関係で社会の荷厄介となるや、彼等はこのユニフォームのおかげで社会から散々虐待される。その時は同時にユニフォームの道徳が学生に愈々絶対的な力で以て押しつけられる時期で、方々の学校に於ける断髪令の発布もこのユニフォーム主義の延長なのだ。
頭髪を勝手な仕方で伸ばす(自由職業人は最も勝手な仕方で伸ばしている)ことは、勝手な服装をすると全く同じに、学生に不当な社会的自由を許すことを象徴する。この象徴を抑えることはやがて学生の本分を思い出す呪縛となるだろう、というわけだ。例は変だが、アメリカの囚人は仲々良い生活を送っているそうだが、ただ良くないのはかのグリグリ頭と妙な被服だということである。之によって囚人の社会的野心を抑えるに事足りるものらしい――つまりユニフォームは人間の階級性・社会秩序を最も露骨に意識的に云い表わすためのもので、学生のユニフォーム着用の事実から、日本に於ける学生層なるものの、階級的(?)意義を推論することも出来るのである。
併し学生というものは職業の名ではない。それは社会秩序の一つの環は意味するが、生産勤労の様式を示す職業ではない。処が職業こそは社会秩序の最も公的な指徴だろう。職業とユニフォームとは、だから極めて密接な関係がある。丁稚番頭の角帯や大工棟梁の法被、芸者の左褄やヨイトマケの脚袢など、人工的ではなしにおのずから決った職業ユニフォームのようなものだ。併し学生の制服は兎に角上から制定されたものだ。職業ユニフォームで上から制定されたものは、第一に軍人であり、又之に準じる(職業ではないが)青年団・ボーイスカウト等であり、第二に警官・司法官・其の他の類であり、第三に或る種の工場労働者・運輸労働者・看護婦の類である。いずれも軍隊的組織を必要とする職業に特有であることを見ねばならぬ。このミリタルなシステムは指揮する側からも指揮される側からも必要なのであって、事実軍隊的組織はこの両側面があって初めて組織となることが出来る。職業的ユニフォームは、ミリタリー・システムによって指揮したり指揮させたりする場合に、欠くことの出来ぬ服装である。――処が更に、職業でなくて単に臨時の共通な任務にすぎぬ場合でも、それがミリタリー・システムを必要とする場合にはユニフォーム制度となるのである。
逆にユニフォームが強調される処には必ず何等かのミリタリー・システムが社会的に要求されているのであって、世界各国のファシスト党員のユニフォームは、近代風俗上特筆大書すべき現象と云わねばならぬ。黒・褐色・グリーン・其の他の色彩の統一は、看護婦の白衣などとは異って、政治的意味を有っているわけだがこの統一はファシストの軍隊的組織の上から自然と要求された処のものだ。フランスの人民戦線政府はだからファシストの軍事組織を解体する意味で、ユニフォームの着用を禁止しようと企てた。
日本の警察当局は、最近特に勤労大衆にユニフォームを着せることに熱心であるようだ。職工及び女工の制服(「労働服」)の普及奨励から始めて、円タクの運転手から女給、ダンサーに至るまで、制服を着せようという案さえあったと記憶する。云うまでもなく之は、彼等に軍事的な力を与えようというためではなくて、彼等を軍隊的に指揮し得るためなのだが。
だがユニフォームの特有な魅力というものを見落すと、ユニフォームの本当の社会的役割を理解するに困難だろう。ユニフォームは誰にしろ夫を着る人間を、社会の一定秩序の内のレッキとした位置に据えるように感じさせるものだ。之はルンペンから区別して自分をシャンとさせるにはこの上ない魔法の衣だ。ユニフォーム・システムは而も、そのハイヤアルキーにも拘らず、他面に於て平等主義を有っている。馬鹿でも利巧でも二等兵なら二等兵だ。その間に人間的な比較などの必要もないから、そういう心配もない。上官は部下よりも絶対無条件に上位にあるのだから之を比較して見る必要も配慮もいらない。こうしてユニフォームはその着用者に分に安んじることと、自分自身を階級に応じて尊敬することとを、齎す。彼と俺と芸術家としてどっちが優れているだろうかなどと云って、悲観したり空元気を出したりする必要は毛頭ないわけだ。
特にユニフォームが国家的支持を受けた職業や任務を云い表わす時、その魅力は、小市民以下の凡庸な層にとっては絶大である。彼等は一挙にして政治的権力をその皮膚に感じる。「マンハイム教授」という劇で見ると、今まで博士の助手であった男が、急にナチの制服を着用に及んで現われる。見ていると何かの英雄とも考えられて来る。これがユニフォームの最後の魅力である。ユニフォームのこの政治的魅力は今日各国で、多数の小市民青年達を、ファシスト団へと吸収している動力の一つだとさえ云っていいかも知れない。制服は制服が象徴する階級の利害を、それまで何でもなかった一介の着用者の皮膚に、ゾクゾクと感じさせるものだ。彼等は興奮する。彼等は凡ゆることをなし能う。彼等はデマゴギーの溜池となる。
だがユニフォームには又別に一つの秘密があることを忘れてはならぬ。余りに見すぼらしいユニフォームは着用者の道徳的自信を損う。他の民衆からの畏敬を損ずることも勿論だ。だから例えば警察官の修養向上のためにも民衆支配力の増大のためにも、警官の制服を或る程度まで立派にすることが必要だ(最近日本ではそうなった)。処がユニフォームは又あまり立派過ぎてはいけないのである。飛び切りに立派では之を支配する人間のユニフォームの方が成立しなくなるだろうし、又あまり分に過ぎた制服は彼等の社会的野心を不当に煽動するだろう。大衆的ユニフォームは、或る程度に醜く造られねばならぬ。丁度資本主義社会に於ては適度の貧困が常に必要なように。
礼服と裸体に就いて[#「礼服と裸体に就いて」に傍点]――「裸体文化」(ナックテ・クルトゥア)には原始還元主義が勝っているように思う。現代文明の弊は、裸の代りに着物を着ているということにはなくて、その着物が身体にとって不衛生な性質を有っているということだ。身体にとって不合理な衣服が身体の正常な発育を妨げている。大体同じであるだろう身体に、いくつもの階級的に異った着物を着けなければならぬというのが、現代文明の衣裳のよくない処だ。衣裳が悪いのではなくて区別を強制された衣裳が悪いのである。――而も同じ同一人が、時々異った衣裳をつけることを強制されることもあるのだ。礼服はその著しい場合だろう。冠婚葬祭から始めて、会談食事に至るまで礼装が要る。之がイギリス・ゼントルマン風の偽善[#「偽善」に傍点]というものだ。勿論儀式は人間を音無しくする。それは社会秩序の安寧に対する感謝の黙祷なのだが、処が現代はこの儀式が段々取り行ない難くなる。ドイツの小市民インテリゲンチャの決闘には依然として儀式があるが。――
礼服が段々役に立たなくなる。又事実吾々は礼服を造っておくことは経済的に仲々出来にくいのである。――かくて問題は衣服[#「衣服」に傍点]の階級性[#「階級性」に傍点]に帰着するのである。
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第二部 教育風俗
11 教育と啓蒙
現代の日本に於ては教育家というものは数え切れない程存在している。少なくとも教育という問題に関心を持っている者は、他の関心の所有者に較べて圧倒的に多数だ。教育雑誌の数は雑誌の内で一等多いことは広く知られている。単行本の数も一位から三位とは下らない。
処が一見教育に関係の深そうな啓蒙[#「啓蒙」に傍点]活動となると、第一にその観念が世間では一般にハッキリしていないばかりでなく、それが社会に於て占めるべき掛けがえのない位置に就いても、少しも徹底した観念が世間で行なわれていない。断わるまでもなく、啓蒙とは教育と同じ観念であり得ない。啓蒙というカテゴリーに這入らぬ教育や、教育のカテゴリーに這入らぬ啓蒙が大事な点であるのだ。処がそれが現代の実際[#「実際」に傍点]社会に於ては簡単に教育というような種類の観念にブチ込まれて了ってさえもいるようだ。だが実はそこに、この二つのものの根本的な区別の一端も亦、最もよく現われている。教育と云えば日本では多少とも国家機構の上で一定の位置を与えられた公認の社会的機能のことと考えられているのであるが、啓蒙は事実今日の日本では、決してそういう確固とした公認の社会的機能などとは考えられていない。この際啓蒙活動は精々知識の普及とか通俗化とか大衆化とかというような形で、教育家の臨時の片手間仕事位いにしか値いしないことになっているようだ。
とにかく、啓蒙の観念は全く無力だ。啓蒙[#「啓蒙」に傍点]は他方宣伝とも直接関係があるが、反動的支配者による悪宣伝[#「悪宣伝」に傍点](デマゴギー)がこれ程日常行なわれているにも拘らず、日本ではまだ確固たる国家機構による宣伝機関(悪宣伝機関)さえ出来ていないことは、意味があるのだ。実際は大いに行なっているが、そのやり方がまだ国家機構上に目的意識化していない。ナチスの宣伝省に類するものはまだ存在していないのが事実だ。処でデマゴギーとは悪宣伝即ち又虚偽宣伝のことで、つまり本当の宣伝[#「宣伝」に傍点]の社会的内容の入れ替ったものの意味だが、そういうものは取りも直さず、啓蒙の正反対物にも相当するわけだろう。で、啓蒙の反対物たるデマゴギーの方が、国家機構の上で目的意識化された機関を有たない時に、啓蒙や其の宣伝の方の社会的機能も亦、社会的にそういうものとして公認されないのは無理ではあるまい。日本には多数の教育者がいる。それに準じてその亜種であるポプュラライザーやお説教屋も多い。彼等はどれも国家機構の壁に這う処のつた[#「つた」に傍点]のようなものだ。之に反して、啓蒙家[#「啓蒙家」に傍点]というものは現代日本では極めて数が乏しいのである。彼は国家機構の壁の上で勝手に這い回ることは許されない事情があるからだ(私は現代の啓蒙家の代表者として河上肇博士の如きを挙げることが出来ると思う)。
啓蒙家は教育家でないと云った。社会教育(対社会教育)や成人教育・庶民教育も、それだけでは決して啓蒙ではない。同様に又彼は学者のことでも思想家のことでもないのである。――処が他方に於て啓蒙家は又充分な意味では宣伝家乃至アジテーターとも異っていることを注意すべきだ。宣伝乃至アジテーションになればレーニンの有名な著書にもよく出ている通り、いつも一つの重大な政治活動プロパーの内に這入っているわけで、レヴォリューション時代に於ては反国家的な機能であるが、それだけに正に政治的な活動であり、政権成就後に於ては正に一つの国家活動の要点となる処のものだ。処が啓蒙はそこまで充分には政治的[#「政治的」に傍点]ではないことがその特色だろう。
私は以上のような点から、現代日本に於て意味を有っている啓蒙について、さし当り二つの特色を抽き出すことが出来ると思う。その第一は、啓蒙というものが、国家機構に基いて社会的機能を与えられ、従って又社会的に公認された地位を占めているような、一切の意味での「教育」の類からは別なものであり、別であるだけでなく、後に見る理由を待たなくても、之と対立するものだろうと推定出来る、という特色である。いや問題は教育[#「教育」に傍点]でないとかあるとかいう点ではない。啓蒙が政治的変革の方向を有つという意味に於て、極めて政治的[#「政治的」に傍点]な意義を持っていなくてはならぬということが、その眼目である。之が一つ。
夫と同時に第二の特色は、この政治的意義にも拘らず、啓蒙はその本来の性質からして(その性質の由来は後に説明しよう)、組織的宣伝などとは異って、或る限度の非政治的な機能を指すのであって、仮に之を純文化的[#「純文化的」に傍点]機能と呼ぶなら、この純文化的機能が啓蒙を他の文化的及び政治的機能から区別する処の特徴だ、と云うことが出来よう。勿論啓蒙は一つの社会的機能だし且つ本当は政治的機能だ。だがその社会的・政治的・機能自身が純文化的だというのである。――さて啓蒙が、反動的文化社会による反動教育や又悪宣伝(デマゴギー)に対立するのは、今云ったこの第一の方の特色に帰着するのであるし、更に啓蒙が一般に宣伝(デマゴギーさえ含めてもよいが)から区別されるのは、この第二の方の特色によってである。
こうしてさし当りの規定を指摘して見ると、現代の日本に於て如何に啓蒙活動が本質的に欠けているか、又それに就いての観念が如何に分散的であるか、そしてそれにも拘らず今日、啓蒙活動がどれ程欠くべからざる或る必要に迫られているかということは、自然と気のつく処だろう。
この二つの規定を多少展開して見る前に、啓蒙(ドイツ語のAufklarung[#Aufklarungのaにウムラウト(¨)]に相当する言葉)という概念を少し検討して見る必要があるようである。啓蒙という日本語には特別に哲学的規定は含まれていなかったらしく、単に文明開化啓蒙と云った調子に、明治の初期に使い慣れたものであろうと思うが(深間内基『啓蒙修身録』・藤井三郎『啓蒙雑記』・条野伝平『啓蒙地理略』・の如き)、併し明治初年のこの時期は世界史的に見ても広義の啓蒙期に入れることが出来るだろうし、又その思想史の系統から云って之が所謂啓蒙期の啓蒙思想に他ならぬことは、云うまでもない。だから日本語の「啓蒙」が当時実際意味したものが何であるにせよ、之はアウフクレールングの訳に当る[#「当る」に傍点]と云っても誤っていなかろう。
尤も啓蒙思想は決してドイツだけのものでもなければドイツから発生したものでもない。夫は経験論乃至唯物論と並んでイギリスの地盤から発生した。ドイツはフランスを経て之を輸入したに過ぎない。処が夫にも拘らず啓蒙という言葉を云い表わすアウフクレールングというドイツ語は、他の国語では云い表わせない「啓蒙」に固有な或るものを意味している。でつまり啓蒙という事実はイギリスから発生し而もフランスに於て大きな政治的な影響を有ったが(啓蒙期はヨーロッパ諸国の文化が斉しく経験した大事な時期だが)、併しその観念[#「観念」に傍点]は(文明とか開化とか進歩とか文化とかからは区別されねばならぬ)ドイツの産だ、ということになる。
事実啓蒙という概念が何であるかに最も注意を払わねばならなかったのはドイツの哲学者である。クリスチャン・ヴォルフやメンデルスゾーンやカントがその尤なるものだ。つまり資本主義文化の啓蒙活動に於て著しく後れていた当時のドイツは、啓蒙なるものをまず新しい憧憬すべき観念[#「観念」に傍点]として受け取らねばならなかったのであるが、それだけに啓蒙に就いての理論的分析に念を入れることも出来たし、啓蒙思想の体系的[#「体系的」に傍点]発展をも試みる理由も有ったわけだ。啓蒙期の文化である啓蒙哲学の特色の一つは、一般に就いて云えばヨーロッパ各国とも夫が非体系的で纏ったシステムを持っていなかったという点にあるが、ドイツは啓蒙哲学がシステムとして成り立った唯一の国なのである。
私はすでに啓蒙期に於ける啓蒙哲学と啓蒙の観念との特色を説いたことがあるから、話を簡単に片づけよう(拙著『日本イデオロギー論』の内・「啓蒙論」参照)。啓蒙哲学の本質はその悟性[#「悟性」に傍点]主義につきる。と云うのは、一方に於てヘーゲルの意味での理性・弁証法的或いは有機体説的理性、の代りに、機械的な世界観と論理による物の考え方が、啓蒙哲学の歴史上の本質なのである。こういう悟性への信頼が人間の進歩を齎すというのがその信条だった。処で他方その反面として、こうした合理主義[#「合理主義」に傍点]は歴史の発展を一つの必然性と見る代りに、之を単なる欠陥誤謬偶然等々と見做し、合理的な見地から云って払拭清算されるべき過去と見ることとなる。歴史的必然の無視がこの合理的進歩主義の一つの著しい結論だ。要するに当時は新興ブルジョアジーがまだそれ程に自信を有っていたのである。
之は啓蒙期という一つの歴史上の時代に於て、歴史的に実際に現われた形態としての、啓蒙哲学の特色である。無論之を以て、形式的に一般化して考え得るだろう啓蒙的思想全般へ及ぼすことは、意味があるまい。まして現代にとって必要な啓蒙活動の根柢にも亦、この特色がひそんでいると推断することは、一種の歴史主義的な色眼鏡か迷信だろう。啓蒙哲学の有っていた歴史上の実際の意義は、人間悟性[#「悟性」に傍点](之に就いてはホッブズ、ロック、バークリ、ヒューム、それからカント達が一様に論じ立てた)の人間社会発達に於ける役割を、本当に発見したことにあるのであって、当時としてはまだ、之をわざわざ理性から区別しようとか、歴史的観点を無視しようとかいう、動機があったわけではない。そういう規定は後になって歴史家が発見したのであって、当時の本当に歴史的な動機ではなかった。でもしこの歴史的動機に従って、善意に(?)啓蒙哲学の精神[#「精神」に傍点]を理解するなら、啓蒙というものに就いての今日でも生きていなければならぬ生命を、そのまま殺さずに取り出すことが、或る程度まで出来るだろうと思われる。
人間悟性への信頼なのだが、之はつまり人間性に対する新しい形の信頼だったわけだ。今日ヒューマニズムが提唱されるとすれば、そして夫がルネサンス期のヒューマニズムとはおのずから異ったヒューマニズムだというなら、そして又ルネサンスの方もルネサンス期には限らず今日でも来るものだというなら、この啓蒙思想という人間悟性の信頼は、今日でも生きていなくてはならぬ筈だ。ただ人間悟性をどういう角度から信頼するかということが、今日必要な啓蒙思想と、歴史上の啓蒙期の夫とを区別するだけだ。だが、そういう意味で今日最も啓蒙的な実力を有ったものが、マルクス主義哲学であることを思うなら、この区別が何であるかは、今ここに特別な説明を必要とはしないだろう。
併し之は啓蒙思想[#「啓蒙思想」に傍点]に就いてであって、まだ必ずしも啓蒙自身の概念に就いてではない。と云うのは、この概念はドイツ哲学によって哲学的に解明されたと云ったが、このドイツ哲学的な啓蒙概念は、吾々が啓蒙思想から惹き出し得る規定とは必ずしも一つではないからである。そこには更にもう一つの限定が加わるのである。之を最もよく云い表わしたものはカントの「啓蒙とは何か」という懸賞応募論文なのだが、夫によると啓蒙活動の特色は、要するに政治的活動でないばかりでなく、政治的活動であってはならぬ[#「あってはならぬ」に傍点]のであり、夫は専ら言論文章だけによる活動以外のものであってはならぬ[#「あってはならぬ」に傍点]、というのである。政治的革命の如きは彼によると、だから正に啓蒙活動の反対物であり、啓蒙を阻害するものであり、結局文化の単なる破壊者に過ぎぬというのであって、文筆言論だけによる処の啓蒙活動のみが、文化を発展させることが出来る、という結論になる。――ここで見られるのは、啓蒙活動の対象は専ら文化人(プブリクム)だけであるべきであって、啓蒙の対大衆的活動はあまり意味のないものとさえなって了いそうだということである。之では啓蒙とは要するに国家による教育という類のものと大して変ったものではなくなり、政治的変革の一つの動力としての意義は完全に見失われる。事実カントなどは、啓蒙活動に於ては、全く封建プロシア的にも、「啓蒙君主」の恩恵に最後の望みをかけているのだ。そこには民衆による「政治」の観念がない。
なる程、フランスのアンシクロペディスト達は大部分政治的活動分子ではなかった。当時はまだその時期でなかったからだ。だが彼等の企てた処は、啓蒙君主の恩恵などをあてにしたカント的啓蒙活動でなかったことだけは確実である。彼等の啓蒙は市民の政治的進出の兵器工廠の一つに他ならなかったのだ。これが啓蒙なるものの当時の生きた本質であり、そして今日でも生きているべきである本質だが、処がドイツ哲学によると、啓蒙の概念[#「概念」に傍点]はそういう本質とは何の関係もないものとなって了っている。で之は啓蒙という歴史的事実を忠実に云い表わす妥当な概念ではなかったと云わざるを得まい。
啓蒙の観念から政治変革的な本質を抜き去ったことは、如何にも十七八世紀ドイツ観念哲学に相応わしい所作であり、プロシア的観点からすれば必要な所作であり、それ故に世界の進歩史から見れば必然的に誤謬だったわけだ。併し、この誤謬も火のない処に立った煙のような意味に於ける嘘や作りごとではないことを、注意しなければならぬ。実際、啓蒙が宣伝其の他と異る処は、それの或る限度に於ける非政治的特色であった。今それはこうだ。――啓蒙活動の実際的な形態を取って見れば、夫は専ら文筆言論活動なのであるが、啓蒙は之によって出来るだけ多数の大衆を動かすことが必要であることは当りまえだ。そう考える限り、啓蒙を政治的言論活動から区別するものは一寸ないようにも見える。だが、今特に政治的機能を特色とする大衆的言論の諸形態を並べて見ると、オルガニザチヨンの次に、アジテーション、それからプロパガンダという系列となるだろう。レーニンによれば、プロパガンダは百人を目安として物を考えることであり、アジテーションは数万人を、之に対してオルガニザトールや、レヴォルチヨンスフューラーは数百万大衆を、目安として物を考えねばならぬという。その際プロパガンダはアジテーションに較べて遙かに原則的であり、後者の戦術的スローガン[#「戦術的スローガン」に傍点]を前者は戦略的分析[#「戦略的分析」に傍点]にまで結びつけるものと云われている。で、プロパガンダはアジテーションより、そしてアジテーションはオルガニザチヨンより、より原則的であり、即ち又時局の時々刻々のアクチュアリティーからそれだけ離れていることになる。処で啓蒙はプロパガンダにも増して、この意味に於て、より原則的であり、従って又それだけ非時局的なので、アジテーションが戦術的スローガンを、プロパガンダが戦略的分析を、内容とするなら、啓蒙は云わば戦備的教養[#「戦備的教養」に傍点]を内容とするとも云うことが出来よう。従って之はそれだけ一応、戦場的な意味での政治的特色[#「政治的特色」に傍点]を減じる事になる。啓蒙はオルガニザチヨンやアジテーションにも増して、多数大衆を対象とする筈だが、それにも拘らずその内容は、プロパガンダ以上に原則的であり非時局的なのだ。啓蒙がプロパガンダ・アジテーション・オルガニザチヨン等々の系列に横たわる政治的言論活動[#「政治的言論活動」に傍点]と異って、所謂純文化的活動なる所以が之だ。
この本質は見逃すことは出来ないわけであるが、併し啓蒙のこの本質をハッキリと認定してかかるということと、一切の言論・文化・更に政治活動までが凡てこの啓蒙の本質によって蔽われねばならぬと推理することとは全く別だ。啓蒙の本質を把握し之を活用することと、啓蒙主義[#「啓蒙主義」に傍点]に陥ることとは別だ。政治的活動は啓蒙活動にのみ俟たねばならぬとか、啓蒙は政治的活動から独立であるべく、その意味に於て純然たる文化活動以外のものであってはならぬ、とかいう啓蒙主義は、自由を主張することが自由主義になったり、ヒューマニティーの強調が人間学(主義)になったり、議会政治の尊重が議会主義になったり、経済活動の充実が組合主義になったりするように、極めて危険な論理的な虚偽なのである。――カントの如きは啓蒙の概念を定着するに際して、之をプロシア化せねばならなかったために、啓蒙の一応非政治的であるという実は極めて活動的[#「活動的」に傍点]な規定をば人の油断している間に、却って極めて制限的[#「制限的」に傍点]な規定にすりかえて了ったのだ。かくてカントは、啓蒙が一切の意味に於て非政治的であるということを、即ち政治的変革のファクターではなくてただの文化的向上の槓桿だということを、啓蒙主義的にシステマタイズして了ったわけだ。
つまりカント風の解明によると、啓蒙の一応[#「一応」に傍点]の非政治的特色(之は実はそれが一つの政治的活動であるが故にこそ必要な特色だ――丁度文学が本当に政治的な活動力を有つためには下手に政治的になることは許されないように)を逆用して、之を本当[#「本当」に傍点]に非政治的な特色へ引き直して了う。啓蒙の本来の政治的本質[#「政治的本質」に傍点]はどこかへ行って了う。丁度日本の「政治」が政治の名の下に却ってその政治的本質を隠して了っているので、もはや之を政治とは云い得ないように(代議士達のやっていることは政治であるか!)啓蒙も亦、わずかに「政治家式」の所謂「政治」のような意味に於てしか政治的ではなくなる。それが何か教育[#「教育」に傍点]とかポプュラリゼーションとか其の他其の他というものに帰しそうになる所以なのだ。
いつの場合でもそうあるべきだったのだが、特に今日、啓蒙と呼ばれるべきものは、ただの知識の普及[#「知識の普及」に傍点]ということであってはならない。政治的見識[#「政治的見識」に傍点]の大衆的普及ということでなくてはならぬのである。単にアカデミックな知識を一般の素人にも分譲するということなら、夫は何等啓蒙活動ではない。啓蒙とは知識なり見解なりをある一定の政治的な意図[#「政治的な意図」に傍点]の下に、大衆[#「大衆」に傍点]に普及することであり、その際その知識なり見識なりは一定の政治的機能を果す事によっておのずから広義の政治的見識へ編入されるのである。だからアカデミックな知識のポプュラリゼーションは殆んど啓蒙活動の態をなさぬが、之が正当な意味に於けるジャーナリズム(但し現在のブルジョア・ジャーナリズムの要素の大部分は正当にジャーナリスティックな機能を果していない)の一ファクターとなる時、それはやや啓蒙活動の性質を帯びて来る。この時啓蒙活動の相手となるものは、もはや一般素人というものではなくて、民衆であり人民であり大衆である。この後のものはジャーナリスティックな(新聞と政治的見解との連絡に注目)又政治的なカテゴリーなのである。前者は之に反して、単にアカデミシャンの有ちそうなカテゴリーにすぎぬ。
今日日本に於てなぜ啓蒙活動が必要かと云えば、一切の社会的デマゴギー(民衆の愚昧化を条件として、根本的に虚偽である処の、しかも卑俗には尤もらしい処の、固定観念と流行語とを人民に教え込むことだ)、と対抗するためである。夫は民衆の真の利益を自覚に齎すための一つの不可欠の手段のことなのである。そして今日一切の社会的デマゴギーは結局に於てファッショ的言論へと統一されて行きつつある。ヒトラーは一九三六年秋ニュルンベルグのナチ大会で、ボルシェヴィズムはユダヤ人のものであるが故に之を打倒せねばならぬと「獅子吼」したそうだが、こうしたものが一九三六年度の世界的デマゴギーの特徴をなすだろう。
ではこうしたファシスト・デマゴギー(その背後にはファシスト的社会・政治活動・の一連が控えている――例えば国家は資本家ではない、国立の工場では労資の区別はない、そこでは対資本家的労働組合は不合理だ、等々)、に対抗する唯一のものが、最上のものが、日本では啓蒙なのか。日本では民衆の利害のためのプロパガンダは許されないか、人民の利害についてのアジテーションは許されないか、人民のオルガニザチヨンは許されないか。――私は今ここで、こうした政治上の見解に触れることは出来ぬ。だが少なくとも、わが国の現下の事情に於て、オルガニザチヨンやアギタチヨンやプロパガンダ等の特に政治的な言論活動形態と平行して、特に必要で又特に現実味のあるものが、啓蒙活動だろうということは、常識的にも承認出来ることではないかと考える。ファシズム反対の広範な民衆のフロントが問題になる時、この一応非政治的で純文化的な政治的文化活動こそ、その処を得て最も有効に活躍し得る時であり又しなければならぬ時でもあると考えられる。フロンポピュレールの活動に於て、例えばフランスのように(又わが国の場合では往々批難さえされている処だが)、文化運動[#「文化運動」に傍点]の意義の重大さが特に認められていることは、理由があるのである。
処が今日までわが国に於ける啓蒙活動は、決して目的意識的ではなかった。事実の問題としては相当の啓蒙的実績は挙げているのであり、例えばプロレタリア文学などが果した啓蒙的効果は絶大なものであったが、それすらが実は啓蒙活動という自覚の下に行なわれたのではなくて、啓蒙的効果は云わば思わぬ収穫として残ったというまでだ。その理由はさし当り、啓蒙という観念の有っているその政治的な特色とそれの一応の非政治的純文化的特色とのからみ合いがリアリスティックに的確に把握されていなかったことにより、又幸か不幸か、今日までそういうリアリスティックな把握を強制されるような情勢に立つことがなかったということにあるのである。――今日は啓蒙という特殊の文化活動の様式が、プロパガンダ(宣伝)やアジテーション其の他と併んで、独自の社会的意義を公認され得る条件を備えており、従って又この社会的意義を活用し得又活用しなければならぬ時期でもあるようだ。
各種のジャーナリズム機構(独りプロレタリヤ・ジャーナリズムに限らずブルジョア・ジャーナリズムさえ)の意識的活用其の他が、啓蒙活動に固有な様式となる。今日所謂「合法的出版物」(その意味は現在極めて曖昧であるが)なるものの意味の重大性はここにあるだろう。比較的に原則的な又或る限度までしか時事的でない啓蒙活動の、素材乃至内容は、この様式の下にあっても相当運用の効果を挙げることが出来るだろうと考える。
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12 教育と教養
教養ということが今日一つの問題とされている。主に文学の世界に於てであるが、勿論そこに局限される理由はないし、又あってはならない。文学の世界に於ては教養は特に作家の教養という形で日程に上っている。実は読者の教養というものも問題であったので、大衆文学と純文学との比較検討の類は一部分この問題に基いていたわけだが、夫が今日、特に作家の教養という外形で、教養という問題一般への緒口となっているのだ。
そういうなら当然、文芸批評家の教養というものも問題にならずには措かないわけだが、それに就いてはおのずから触れることも出来よう。いずれにしても之を単に文学の世界だけの問題として片づけることは、それこそ教養のない片づけ方と云わねばなるまい。と云うのは現に、作家の教養に就いての要求は、作家の社会的歴史的知識、そうした社会理論や一般の科学的認識、を要求するということがその動機の一つだったのであって、夫は明らかに作家が単なる文学の世界乃至文壇にその作家意識を局限してはならぬという、注文なり反省なりの結果であったからだ。
教養の最も卑俗な観念は、多分ディレッタンティズムに於けるそれだろう。ディレッタンティズムそのものに就いても色々の理解の仕方があるわけだが、今は之をごく普通に用いられている意味に取るとする。即ち一種の有閑層が有つ感覚の一定条件による階級的洗練というような意味に取るとする。そういう形のディレッタンティズムによる教養の観念は、一見極めて教養的で従って高尚なようなものだが、それにも拘らず、この教養的である点自身が卑俗の卑俗たる所以なのである。なぜならこの場合、教養のあるなしは要するに或る一定の趣味に合うか合わぬかで決められるわけで、その趣味たるや片すみのすたれ行く階級によってマンネリズム化された退屈至極な固定観念以外に、意味がないからだ。極端な場合になると、通[#「通」に傍点]や通人[#「通人」に傍点]というものが之で、これ程悪趣味で無教養な現象はないのである。いや単に悪趣味や無教養だというだけでなく、そうしたものが特に「馬鹿」な慢心に由来することによって、より一層悪趣味となり無教養となるのである。
こういう意味の教養は、社会の或る種の層を通じて多々ある現象なのだから、もっと詳しく解剖しなければならないのだが、教養というもの自身が何かという今のさし当っての問題にとっては、問題にならぬものとして一応取り除いておこう。――次に考えるべきものは、教養と知識の所有[#「知識の所有」に傍点]という処から理解しようとするやり方である。例えば歴史的知識を沢山持っているとか、色々の活社会や科学に就いて、又色々の芸術作品に就いて、知識の分量を人より多く持っていることが、その人間の教養の高さだという風に考えるやり方である。だが沢山の知識を持っていながら一向纏りのない人間もいるのであり、逆に知識の数は特に豊富でなくても、一つ一つの知識が生かされているために見識か識見かの高邁な人間も少なくはない。知識の欠乏は人間を低くするものだが、そうかと云って単に知識の分量の多いことだけで人間の眼は高くはならぬ。問題は知識の分量ではなくて知識の質であり、而も良質な知識材料を質的にすぐれた仕方で物にすることが、初めて人間を高邁にもするだろう。この要求をはずれれば、人間は知識を有てば有つ程益々馬鹿[#「馬鹿」に傍点]として発達さえするのである。馬鹿というのは決してただの何物かの欠乏のことではなくて却って育ち行く或る生きた組織なのだ。丁度癌が一つの発達して行く活組織であるようにだ。
でそうすれば、知識というもので以てすぐ様教養というものを割り切って了うことは出来ない相談ということが判る。処が世間ではそういう教養の観念が案外通用しているということは注目すべき事実なのである。――教養は教育[#「教育」に傍点]乃至学校教育[#「学校教育」に傍点]の結果だという通俗観念が実際あるのだ。この場合教育というのは他ならぬ知識のたたき込みという意味だから、教養は結局知識の堆積ということになるわけである。
勿論教育乃至学校教育をこういう知識のたたき込みと考えることは、教育学的に云えば途方もなく間違った俗見なのだろうが、併し教育を素質の誘発とか人格の陶冶とかと考える教育学そのものが必ずしも卑俗でないものではないだけに、教育が知識の注入だという観念にも一応の真理はないとは云えない。知識の注入の欠乏は教育の欠乏を結果し、やがて夫が教養の欠乏を来すということは忘れられてはならぬ。ただ問題は教養のために必要な知識のコンビネーションの如何であり、教育に於ける必要な知識のセットの如何である。――処で高等教育理論は教育に於ける必要な知識のセットをビルドゥング[#「ビルドゥング」に傍点]と呼んでいる。学校とは区別された大学なるものの教育が、このビルドゥングだと、ドイツの伝統的な哲学的教育家や教育理論家や又一連の大学論者達は考える。ビルドゥングはもはやよく聞く例の人格[#「人格」に傍点]の陶冶というものとは同じでない。なぜならこの場合の人格という教育家的観念は、つまり知育とかいうものから区別された徳育なるものに相当するに他ならないが、処がビルドゥングの方は、正に知識の集積を通じないでは得られない処の、一定の文化的人格の造築を指しているからである。
ドイツ観念論哲学によるビルドゥングというこの倫理的学究的観念こそは、正に教養の一種である。ごく教養のあるらしい教養観念である。事実この際教養という日本語はこのビルドゥングの訳に相応して用いられている。だが之は一見して判るように、甚だ個人主義的な観念に基いているものなのだ。自己の完成・自己の造り上げ・ということがこのビルドゥングだ。教養は人間の問題であって制度や何かの問題でないから、個人主義的に取り扱っても不都合は生じないではないかと云うかも知れないが、併しこの場合の個人主義は一種の[#「一種の」に傍点]文化主義を伴っている。と云うのは社会の物的生産機構やそれに基く生産技術的な人間的能力は、遺憾ながらこのさいの文化[#「文化」に傍点]の内には数えられないのである。文明[#「文明」に傍点]に対立するものがこの場合の「文化」の意味で、こういう文化は当然個人の自己完全という意味のビルドゥング=教養とならざるを得ないわけだ。之は悪く倫理的な観念だ。
この個人主義による教養の観念が階級的に何を意味するかは察するに余りあるのだが、実際、この教養の観念が(ドイツ式)アカデミシャニズムの刻印を不抜なものとして持っていることをまず見逃してならぬ。ドイツ式の特にアカデミックな大学を卒業[#「卒業」に傍点]することが「ビルドゥングを得た」ということなのだ(尤もアカデミーの歴史的発生は十六七世紀で、之は封建的神学大学に対立する新興ブルジョアジーの学究的社交組織であったが、今日ではアカデミーの機能は全く大学の双肩の上に懸けられている)。大学に固有なアカデミー主義は今日、わが国などのブルジョア大学の最も著しい社会的特色をなすものであり、そこに超階級性を装うブルジョア・アカデミシャンの最後の安住の場所が設けられてある。こういう現代ブルジョア・アカデミー的カテゴリーの一つが、このビルドゥング的教養なのだ。――ブルジョア教育の最高形態としてのビルドゥング(但し現在の日本の大学では之さえ純粋ではないが)、という観念が教養と教育とを、又教養と知識とを、結びつけている。之は著しくブルジョア制的な学究的観念だ。
併しこういうビルドゥング的教養も亦前のディレッタント的教養と同じく、要するに階級的固定観念や伝統的な好みのマンネリズムに帰する他ないという事は、少し考えて見ればすぐ判る。なる程大学に於けるビルドゥングは、「文化人」に必要なアカデミックな或る常識[#「常識」に傍点]を与える。少なくとも専門領域に就いての学界水準に相応する常識を与える。この点が独学者やアマチュアを専門学者から区別するのでもある。だがこういうアカデミックな教養は、アカデミー自身の退廃鈍化を覆すだけの力は少しも持たない。却って退廃鈍化を進行させるものこそその際のビルドゥングだということにもなる。つまり今日ではもはや、アカデミックな専門領域の停滞を打破する結果にならざるを得ないような総合的な見地[#「総合的な見地」に傍点]は、このビルドゥングとは別なものになって了っているのだ。そうすればこのアカデミックな教養は専門的職業人の徒弟的な躾け[#「躾け」に傍点]のようなものに過ぎなくなる。すると之は人格の完成とか自己の造り上げとかいうものでは更々なくなるわけだ。つまり一つの退屈な階級的趣味か感覚かの母体のようなものにすぎぬことになるのである。――こういう教養は、より新しいより高い教養の社会的発達に対して、恐らく、単にギルド的な排他意識しか持つことが出来まい。かくて大学生は常に教養があり、民衆は常に無教養だ、というようなことにならざるを得ないだろう。
だが私は今日、新しい型の教養を待ち受ける処は、民衆の内以外にはないと思っている。教養とは何かはまだ判らないのだが、とに角従来の教養の本質的な変更蝉脱なしには、吾々は真の教養を得ることは出来ないだろう。今日の教養やビルドゥングは吾々に必要な新しい意味での教養を与えることが出来ない。事実今日のブルジョア教養は、教養としては社会的信用を失いつつあるのであり、又従来の意味での教養の程度さえが、どうやら一般には低下して来たようだ。教養の崩壊が教養観念の入れ代えを要望している。
では新しい意味での教養は何かということになるが、それより先にまず教養は一般的に云ってどう考えておくべきであるか。処でさし当り便宜な方法は、教養の欠乏か無教養の特色を指摘して見ることだろう。どういう徴候によって教養の欠乏又は無教養を吾々は決定し得るか、又してもいるか。一二の徴候を挙げて見ると、第一に関心・興味の範囲の狭小ということである。関心や興味は大体伝習的に教育されているものであって、関心や興味にはいつも宗派的なエチケットがあるものだ。之が往々職業的に決っている場合さえある。このエチケットを無視して関心を拡大するには特別な自信を必要とする。この自信は関心の自然な生きた動きと之に対する忠実な信頼とに基くものだ。例えば日本の文学者の多くは、あまり社会的政治的経済的事象に興味を持たない。偶々持っていてもその興味を忠実に文学的な自信を以て、自分から信頼することが出来ぬらしい。関心は文壇の花園に局限される。ここに作家の教養という問題が若いジェネレーションから起きる原因が横たわる。
関心興味の範囲が狭小だということは、同時に関心興味の偏頗であることをも意味する。当然関心を持つべきものに対して全く無関心であるということは、とに角人間として重大な欠陥でなくてはなるまい。尤も当然関心を持つべきだ、とか何とかは、どこで決まるのかと問われるかも知れないが、夫が取りも直さず教養という一つの規範から決って来るのだ。――一体なぜ関心上の不感症が生れて来るか。それは関心の体系[#「体系」に傍点]が貧弱であるか歪んでいるか、それとも全くシステムの態をなしていないか、だからだ。その結果、関心が偏ったり関心閾とも云うべきものが発達しないで狭小だったりすると共に、他方に於ては逆に、関心が無原則に散逸して観念狂奔症の類にさえ近づくことも生じて来るのである。何に、どこに、関心を持つかは教養の徴候だ。子供や未開人がつまらぬ物を珍しがったり驚いたり喜んだりするのには、それ相当の関心のシステムの生長が想定されているのであって、そこに未熟なものの持つ一つの完成とでも云うべきものが見出され、とに角何か優れた真実があるのであり、子供らしく優れた性格というものもあるのだが(本当の児童文学はこれがなければ出来る筈がない)、併し大人がくだらぬ[#「くだらぬ」に傍点]ものを面白がるのは、何と云っても醜いものだ。
この醜さは関心のシステムがなっていない[#「なっていない」に傍点]ことを表現しているわけで、教養の欠如は正に之によって測定出来るというような次第だ。だが、くだらぬ[#「くだらぬ」に傍点]ものへの関心と、新しい関心対象として価値あるものの発見[#「発見」に傍点]との間には、ごく似た現象が見られることを注意しよう。新しいものの発見は、大抵の場合、くだらぬものへの関心という廉で、教養の欠乏であるかのように軽蔑されるものだ。発見は初の内はなくてもがなの好事や堕落とさえ云われるものだ。だが新しいものを発見し得ない人間は、決して自分の内の関心の発展的なシステムを持っていない人間だろう。もしこの人間が関心の組織的発展力を持っているなら、当然現われるに相違ない健全な連想力[#「健全な連想力」に傍点]によって、関心と関心との間の関係が追求されるに相違ないから、関心体系の振幅は自然と肥りながら拡大して行く筈だ。そうすれば未知のものに就いても、夫々の体系に相応しい見当づけ[#「見当づけ」に傍点]が行なわれるに相違ないのである。この見当づけの探照燈の下に照らし出された新しいものは、新しい関心対象に値いするものとして、初めて発見[#「発見」に傍点]されることになるわけだ。情意上の見当づけ・見透し・(予見・先見)というものが、新しい意欲を動機するのである。夫が新鮮な関心・興味というものだ。
だからつまり、教養のあるなしやその程度は、持たれる関心の徴候によって、物の着眼点のありかによって診断出来そうだと私は考える。之は問題の取り上げ方や取り扱い方一つにも明らかなことだ。関心の質的特色は教養のバロメーターとなるだろう。たとえ教養の実質そのものが何であるかはまだ判らぬとしても、このバロメーターは実際的な利用価値を有っているだろうと思う。
仮に今ここに、Aという男に取って関心の強い事柄で、他の男Bにとっては正直に云って一向関心の対象にならぬものがあるとする。而もこのAの方がBよりも知識も豊富で時代の動きも理解しているということを、このB自身が知っていたとする。その時にBなる男はこの事物に就いて、ごま化し笑いをするのが普通だ。この男はこの対象に就いて真面目[#「真面目」に傍点]になれない。処がAの方は本当に真面目なのだ。このBの方は関心を持たねばならぬらしいということに気づいているのだが、さて実際を云うと自分ではどこが面白いのか判らない。そこで彼は不真面目[#「不真面目」に傍点]という態度を最短距離にある行為として択ぶ。明らかに彼はここで教養の欠乏を表現している。――インテリマダムの前で社会の情勢でも論じて見給え、彼女は必ず気の利いたと思うような冗談口で、話をそらして了うだろう。話を茶化して構わない程度にインディフェレントなものだと考えているからだ。
一般に教養人や文化人は、従来、諧謔を理解すると考えられている。この点恐らく新しい型に於ける教養についても或る程度まで変るまい。と云うのは、高い豊富な関心の体系から見て、話題になっている対象が比較的小さなサットルな関心にしか値いしないので、諧謔が可能になるのである。だが要するに原因は関心のシステム如何にあるのであって、このシステムから云って重大なものに対しては、勿論大真面目になることが教養の命じる処でなくてはならぬ。だから、教養のある者は要点々々に於て真面目であり、之に反して、重大な力点を置いて然るべき処で真面目になれない人間は、教養のない人間なのである。一体色々な意味に於ける馬鹿[#「馬鹿」に傍点]は、大体不真面目なものだが、「馬鹿」という規定と教養の欠如とは深い関係があるだろう。学殖ある無知[#「無知」に傍点]というものがある。
一つ特殊な例を選ぼう。世間で使っている言葉を自分の言葉として使う場合、その言葉をどういう深度と広範度とに於て使うかを見れば、その人間の教養の一端が判る。無論一般世間では単に便宜と習慣からして、どの通俗語に就いてもあまり教養のある使い方はしていない。だがこういう通俗語を如何なる程度に洗練して使えるかということが、教養の程度を示す一端となるというのである。「人格」・「貞操」・其の他其の他の類の道徳的通用語は、教養のある使い方とない使い方では、雪と炭との差を生むだろう。「ファッショ」・「独裁政治」・其の他其の他の政治的通用語も亦そうだ。後の方の場合には、社会科学的な知識の有無が人の政治的教養の有無と深い関係を持っているのであるが。――通俗語を洗練し生かして力のある言葉にまで仕上げるのは、多分詩人や思想家や評論家の仕事だろう。そういう意味に於て詩人や思想家や評論家にとって、教養は宿命的な意義を有っているだろう。
だが例は言葉に限らないのである。言葉の問題は実に観念[#「観念」に傍点]の問題のことだったのだ。通俗的観念を如何に批判し、之を如何に生きた力ある観念にまで仕立て直すかということが、作家や哲学者の教養に懸っている。所謂作家の教養なるものも、その一端がここに現われるわけだ。――でつまりこの種の場合の例で判るように、教養は常識[#「常識」に傍点]と何か直接な連絡があるのである。
では愈々、教養というものの実質は何かということになる。だが教養を量るバロメーター自身を離れて、教養の実質を実際的な問題とすることは出来ないかも知れぬ。教養は関心のシステム如何によって打診出来ると云った。処が実際、意欲のシステムがチャンと出来上って育ちつつあることが、取りも直さず教養というもの自身かも知れない。そうすればこれは性格の発育[#「性格の発育」に傍点]ということと極めて近いものを持っている。発育[#「発育」に傍点]するメカニズムを持っている性格は教養の可能性を有っているのである。教育とは何を教育するのかと云うと、性格を教養する(ビルデン)ものとも云われているだろう。性格を有たない人間はいないように教養の無い人間はない筈だが、それにも拘らず性格の発育する人間としない人間とがある(「この児は性格があるよ」と女中がストリンドベリを批評した――「女中の子」)。それと同じに、教養の有る無しが考えられ得るのだ。優れた思想とか豊富な思想とかいうものも結局そういうシステムの教養に関すると云っていいようだ。
一を聞いて十を知るということは単に素質のよさを意味するには限らないので、教養に於ける関心・意欲・思想・の体系の働きだと考えてもいい。眼光紙背に徹するのも判りの良さも、共感の大きな能力も、理知的な自信も、皆ここから来る。文化上の本物とインチキとの見分けもこのシステムという生きた尺度から事実出て来る。システムのない者は性格がないものだから、人の真似でもしない限り、この見分けはつかない。――で良い感覚=良識という意味に於ける常識[#「常識」に傍点]は、教養の一つの内容だと云っていいだろう。之は所謂通俗常識を否定して而もその常識の壇に立ち帰ることによって、通俗常識を良識へ高めるものだ。民衆の意識を高め得るものが之だ。吾々は文化的理解についても見識[#「見識」に傍点]とか識見[#「識見」に傍点]とか、優れた見解とか卓越した意見とか云っている。教養の実質はこの辺りに横たわるだろう。
今この教養を便宜上一つの心理的能力と考えると、感覚の良さ[#「感覚の良さ」に傍点]というものになる。感覚は意欲の体系の夫々の断層だ。吾々は断層を見て或る程度まで教養という地殻を推定することが出来る。感覚はただの生れつきの素質とは考えられない、正に教養される[#「教養される」に傍点]ものだ。それには知識[#「知識」に傍点]の基本的な訓練[#「基本的な訓練」に傍点]が、最も大切な条件であることを、声を大きくして主張しなければならぬ。知識の基本的訓練は教養にとって全く宿命的なものだ。だがそれにも拘らず之は教養の条件[#「条件」に傍点]であって教養そのものではない。丁度感覚が知識そのものではないのと同じに。この感覚の印象の響き方を聞いて、教養の立てる音を知ることが出来る。この音によって教養の質を判断出来る。――教養とは教育があったり物知りだったりすることでもなければ、物やわらかな品のいい好みや心構えのことでもない。そういう教養の観念は少なくとも今日では、甚だ教養に乏しい[#「乏しい」は底本では「之しい」と誤記]通俗観念に過ぎぬ。教養は認識的営養を摂取する能動的な感官をもつものだ。健康な人間の営養機関のようなものを有っている。
教養という概念は一般にこうだとしても、その新しい教養とは実際どんなものかと問われるわけだ。だが事実それはまだわれわれの手近かでそんなに発達しているわけではない。具象的な肉体性に於て、之をここに描いて見せることは困難だ。だが少なくとも、真の教養の感覚的な現われの、その一部は、云って見ればマテリアリスティック・ムッドというようなものをきっと伴うだろうと考える。実際吾々が想像する教養ある人間を文化的俗物から区別するものは、ここにあるだろうからである。
さて真の教養の第一の目的はこうした教養を発達させることにあると云っていいかも知れぬ。教養とは教養され教育されるものを指す。だが現代のわが国に於て教育と呼ばれ得るものは何か。之は完全に、支配機構の官許的活動の一つにしか過ぎない。すると、こうした「教育」によって教養を教育しようするのは、変なことでなければなるまい。では何が教養を発育させるか。それは「教育」ではなくして、民衆に於ける啓蒙活動[#「啓蒙活動」に傍点]なのだ。啓蒙とは今日、単に知識を通俗化したり普及したりすることではなしに、オッポジショナル[#「オッポジショナル」に傍点]な教育活動を意味する文化運動なのである。
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13 作家の教養の問題
文学者・文士・乃至作家は一種の職業人を意味する。職業人としてのジャーナリスト又は著述業者の一種である。そういう職業によって生活するという意味に於て、文学者は一種の専門家[#「専門家」に傍点]だと云ってもいいのである。文学を職業としない文学者、即ち生活資料は他の手段で獲得する文学者、もいないではないが、大体に於てそういう種類の文学者はエキスパートとしての特色を備えていることが少なく、従ってディレッタントに過ぎない場合の方が多い。専門家というものもその職業的訓練から離れて理解されるべきものではあるまい。
なる程職業的訓練は同時に職業的変質を意味する場合が極めて多い。今日のブルジョア社会に於ける職業的訓練なるものは、生活のノルマルな発育を歪曲することによってしか得られないだろう。特に文学者や文士の職業界は可なりにギルド的組織の形態が残っていて、ギルド的な成長をして来ているのだから、この職業人は甚だ屡々、職人気質を持っているのである。職業的眼界の狭さや、新しい世界への接触に対する反感、技術的自負心と外界に対する無知とから来る独りよがり、必要以上の友誼感と反目、甚だ世俗的な仁義、其の他数え立てれば数知れぬものがあろう。だがそれは否定的な反面ばかりに注目するからであって、職業の積極的な本来の面目は、とに角それによって実際に生活が営まれるということだ。資本制社会では資本主義的な意味に於ける職業しかなく、而もそういう資本主義的な秩序に於ける職業に依るのでなければ、社会の生産機構に直接結びついた実際生活[#「実際生活」に傍点]が行なわれないのであり、つまり資本制秩序にぞくする職業に基づく生活以外に真の生活は大衆的にはあり得ないのだ(職業的変革家などの場合は別として)。――この職業というものの持っている生活上のリアリティーこそ、専門変革の社会的リアリティーを産むもので、この際、専門家であるか専門家でないかは、エキスパートであるかディレッタントであるか、ということに他ならないのである。玄人とは、一定職業の職業人であることによって、一定の専門家であるものを指すのだ。
で専門家というのは、その専門領域に於て他の人間よりも秀でているもので、生活の根幹がその専門領域による職業を通じて発育するというメカニズムを持った場合の人間のことであり、その限り極めて積極的なものを意味するのだが、処が他方に於て、この同じ言葉が色々の消極的なニュアンスの下に慣用されるということも、見落してはならない。例えば未熟なアカデミシャンの三四の人間に接して見るがよい。学術・技術上のアカデミシャンでもいいし、文芸や芸術のアカデミシャンでもよい。特に露骨なのは前者だが、彼等は恐らく、自分の専門領域以外に就いて無関心であっていいというような権利を持つことが、専門家というものだと考えているだろう。あれは私の専門ではないのでよく判りませんが、というようなことを口にする専門家は、結局自分の専門領域外のことには無関心であったり無知であったりすることを合理化しているに他ならぬのであって、彼等の学者なら学者、文士なら文士としての、人間的無責任を告白しているに他ならない。他領域に就いては他領域の専門家の仕事を一応信用してかかるというならば、それはそれで当然なことでもあるし必要なことであるが、併し他領域の専門家を信用するにも、どれを信用しどれを信用しないかは、自分の責任だ。私は哲学は専門ではありませんが、などと云っている科学者に限って、ロクでもない哲学を振り回して平然たるものだ。こうして「専門家」の常識的[#「常識的」に傍点]見解ほど始末の悪いものはないので、まずお医者さんの政治論と云った種類のものだろう。
この間或る結核専門[#「専門」に傍点]の医学博士が治療国策を論じたものを見たが、社会科学に就いての常識を殆んど全く持っていないこの医学の専門家は、他領域の専門に就いて全く素人くさい議論をしているのだが、而も自分が結核の専門家であるというので、この素人論も何か専門的な意義があると錯覚しているらしい。比較的心臓の弱い「専門家」は自分の専門領域以外へは決して眼を転じないことをアカデミシャンの節操のように思っているし、之に反して、比較的心臓の強い「専門家」は自分の専門領域以外へ出て出鱈目なことを云い振らす。いずれも専門領域以外のものに対して無責任[#「無責任」に傍点]であることの、アカデミシャン的「専門家」の必然的な態度であることに変りはない。――つまりこういう意味に於ける専門家とは、自分の専門領域のことしか知らない、という消極的な弁解屋(弱気な又強気な)を意味していると云わねばなるまい。
今日の理科的又文科的なアカデミシャンに見られるこう云った専門家振りは、云うまでもなくアカデミシャンとしての生活を保証する処の一種の職業組合が、産んでいる意識なのだが、そうだとすれば、前に云ったあの積極的な意味での専門家、即ちその独自の職業によってその生活の根幹が発育するという形での専門家と、ものは同じものに他ならぬのであって、つまり専門家という意味には、こうした真実な意味と莫迦げた意味とがあるということなのだ。丁度職業にも、社会的リアリティーとしての意義があると同時に、職業的賤しさがあったと同じに。
でこの裏と表とのある職業人専門家なるものの一般的な事情は、文学者、文士にも亦特別な形であてはまるわけだ。文学者・文士として主だったものは、今日の日本では作家であり、特に小説家[#「小説家」に傍点]なのだが、職業人=専門家としての小説家に、どんな真実と社会的リアリティーとの積極性があるか、又同時に、莫迦莫迦しさと職業的な卑小さとがあるかが、一考を要する点だ。
今日の日本の読書子の有態の感想を正直に述べさせるなら、月々の評論雑誌や文芸雑誌や文芸同人雑誌に載る小説(主に短篇中篇小説)を読んで、恐らく誰でも、何と無駄なものが多いことだろうと慨嘆するのではないかと思う。忙しいのに読まされて腹が立つと云った種類のものが決して少なくない。之は広く文化現象の上から云っても、文学界の権威から云っても、まして作家自身にとってはなお更のこと、不名誉なことだ。だがそれはそうでも、こうした本質的にクダラないガラクタでも、毎月相当の分量のものをしかも夫々のヴァラエティーを与えて発表し続けるということは、決してそんなに馬鹿にはならぬことなのだ。ここには素人の真似の出来ない職業的訓練があるのである。そして実際、こうやって低調ながら職業的持続を持ち応えて行ける者は、持ち応えている内にいつかは又いつの間にか、少なくとも多少の真実とリアリティー[#「リアリティー」は底本では「リアリアティー」と誤記]には逢着するのだ。之は専門家でなくては一般的には期待出来ない事情ではないかと思う。
一つ二つの可なり優れた短篇小説を書くことは、比較的偶然にも出来なくはないが、多数の駄篇の発表を通じてともかくも相当な創作を略々コンスタントに発表するということは、そう容易なことではあるまい。この点、多作か寡作かというような数量や又良心の問題などとは割合関係なしにそうなのだ。――之は職業的な専門的作家の寧ろ積極的な価値ある側面のことだが、併し他方、こういうことをすぐに思い出さねばならぬと思う。考え方によってはこうした職業的訓練は実はそんなに驚くべきことでも何でもないので、誰でも、特別にポジティヴに素質が悪くない限り、或いは一人前の性格力さえあれば、夫々の道に於て、今言った程度の技能にまで行けるものだということである。徒弟制的な訓練(幼年期からの住込み式教育)は大抵の人間を一人前の職人に仕立てるものだ。ピアノの天才さえ厳密な組織的な徒弟訓練で一定の玄人水準には達するということを聞いているし、どんな芸者でも三味線は相当なものだろうと思う。作家だってそうなのだ。
して見ると今日の職業的・専門的・に強靱な作家達も、何も別に特別に作家としての資質が高い人間ばかりではないのだ、可なり凡庸な素質と性格との持ち主が、文壇的ギルドに於いて忠実に年期を入れたということだけで、有難いことには立派に一人前の作家として生活して行ける場合が、少なくはあるまい、ということになるのだ。今日の日本の作家の大多数が普通の人間の作家的資質を遙かに抜んでている人間ばかりだとは、私は到底考え得ない。――前にも云った通り、彼等は職業的の専門家として到底素人やディレッタントの追随を許さない。だが一体、文学[#「文学」に傍点]の専門[#「専門」に傍点]とはどういうことか。それは魚専門や鳥専門の学者の「専門」ということとは別だろう。畳屋や表具師の専門とは別だろう。ましておはこ[#「おはこ」に傍点]や十八番[#「十八番」に傍点]というものでもあるまい。云って見れば、文学には専門というものはないのだ。丁度生活に生活専門の人間がいないのと同じにだ。云って見れば、作家という専門家や職業家はいるが、文学の専門家や職業家はいないのである。では文学に就いては猫でも杓子でも同じかと云うと、それは又決してそうではないので、丁度人間に人間として優れたのもいれば劣っているのもいて、「偉い」人間と「馬鹿」とがいるように、文学的に優れた人間と文学的に駄目な人間とのけじめは、機械的にはつかないが実際上厳正につくのである。併しだからと云って、偉い人間が人間の専門家で馬鹿は人間の素人だとは云えないように、これは文学の専門家であるないとは別なことだ。
ではこれはどういう区別なのか。文学的に優れた者と文学的に駄目な者との区別は。――教養[#「教養」に傍点]の問題がそこにあるのだと私は思う。
尤も教養という言葉は場合によって一定の趣味訓練のことをも意味している。官学的学校教育のあることをさえ意味する。甚だしいのになると観念論哲学にタブらかされた不始末をさえ意味する(ドイツ文化主義者のBildung)。こういう脱落的な言葉のニュアンスも大事であるが、この点は後に見るとして、今云う教養とは人間の眼[#「眼」に傍点]と頭[#「頭」に傍点]と胸[#「胸」に傍点]と腕[#「腕」に傍点]とを意味するのだ。人間的教養というようなことも云われるが、之も言葉としては危険であって、云わば動物的(?)教養だって大事なのである。つまり、宗教馬鹿や政治馬鹿やアカデミー馬鹿や、小市民馬鹿や、インテリ馬鹿や、ダラ幹馬鹿や、哲学馬鹿や文学馬鹿、こういう各種の「馬鹿」という厳粛な社会現象が実在しているが、この馬鹿とは一般的教養の不足から来る結果を指すのだと私は思う。――職業[#「職業」に傍点]や専門[#「専門」に傍点]、専門的知識[#「知識」に傍点]や専門外的知識[#「知識」に傍点]、の如何に関らず、教養のあるなしということがあるのである。いや、職業や専門や知識が、却って馬鹿を増長させ教養を妨碍殺減する有力な動力になることさえあるのである。そこで職業的専門家としての作家の教養ということが問題だ。今日の日本の作家の文学的資質が決して悉くは高くないだろうと云ったが、それは他ではないので、作家の教養が決して一般に優れていないということだったのだ。優れていないとは、一般の他の職業人、専門家に較べてである。無論他の者より劣っているとは云うことが出来ない。少なくとも一定の特徴から云えば優れているのだ。だがそういう風に優れているのは、作家という職業と専門とから云って当然な普通のことなので、それを以て作家が一般の他の人間より、教養が専門的に優れていると云うことは出来ない。文学はつまり人間の教養の問題なのだが、それを創作という専門的職業に結びつけている作家は、当然極めて高度の教養が要求されてよい筈なのだ。人間の専門家はなく、文学の専門ということは云えないように、教養の専門ということもいけないのだが、それにも拘らず、便宜上、教養の専門家であるべきものが、文学業専門家としての作家なのだと云ってもいいだろう。
日本では作家は文学者とも考えられていて、一種の学者のような響きを持っているが、勿論之はただの言葉の習慣であって、東洋的学問の特色の伝統にすぎない。と云うのは、つまり東洋特に日本では、文字を知っていることが学者であり、そして漢籍学者は詩文を能くしたものなのだ。漢籍の文献学[#「文献学」に傍点]者が事実官許の文学[#「文学」に傍点](徳川期を見よ)をやったのだ。そこから文芸は文学というような文献学と同じ名前に満足するのだろう。処でこういう文献学位い教養と紛らわしいものはない。なる程古典的文献に習熟していなければ、文化の歴史的発展が頭に這入らないから、物の理解は伸びない。その限り文献学は教養の不可欠の第一課だが、併し文献学者はまだ何等の思想家でもないのだ。仏教学者や古典学者が思想的に如何に「馬鹿」であるかを見ればよい。教養は何のために必要かというと、他ならぬ思想の展開深化のためにこそ必要なのだ。もしそうでなかったら、文芸学者ならぬ作家という専門的職業人に、何んだって教養などが要る筈があろう。
文献学の場合でも判る通り、知識はかならずしも教養の本質ではない。自然の科学の知識にしてもそうだ。併し知識のない処に正常な思想は絶対にあり得ないわけだから、思想を促進する知識(そうでない知識は勿論知識でも何でもないのだったが)は教養の本質の一部だ。思想を促進する知識は既得の知識ばかりではなく知識を求める関心[#「関心」に傍点]の正しさと広さを要求する。教養のバロメーターは、その人が如何なる関心を持つかにあるだろう。
知識の充実と広さ、関心(それは特に社会的関心だ)の正鵠と広さ、之が一方に於て心情や感能の鋭敏的確を産むと共に、思想体系の代謝機能のもつ博大な活発さを生むものなのである。ここで初めて教養は、詩人(但し行を何遍も変えて原稿を書く作家の一種のジャンルのことではない)と思想家とをもたらすのである。作家がこうした詩人と思想家でなければならぬことは、云うまでもないことだ。作家はそれであればこそ大衆のための社会的認識を委任されているのだ。
処で実際を見ると、作家の多くのものは決して詩人としても思想家としても優れてはいない。詩人は例えば言葉に秀でている筈だろう。尤も言葉に徒に潔癖なばかりが詩人の能ではなくて、社会の大衆が用いている日常の言葉の本当のよい理解者であり深長広範な語義の創造者であることが、教養としての「詩」だろうと思う。こういう意味で言葉の天才は、一言一言考えたり云い直したりしてつかえつかえ講義をしたヘーゲルなどで、ヘーゲルの「範疇」というのは之だ。併し日本の作家で、そういう教養の含蓄のある言葉や範疇を持っている者が何人いるだろうか。韻文作家としての所謂詩人は、言葉に対して単に神経過敏だというだけで社会的には却って鈍感であるか(萩原朔太郎氏の如き)、それでなければ徒に言葉に熱中して了って、本当に言葉を使いこなしていない。言葉を思想の範疇として使いこなす筈の作家(それは彼等の評論や時評に於て端的に現われる筈の現象だが)ほど、言葉即ち観念を出鱈目に、常識的に、便宜的に、浅墓に、而も朋党的に使っているものは少ない。ブルジョア作家は特にそうだ。彼等は一定の言葉=観念=カテゴリーが、文壇という文化的一地方で使われていると同時に、哲学でどう用いられ、社会的にはどういう連関に於て役立っているか、を真面目には考えてみない。こうして、作家の実際性と客観性とは、世間の日向に出ると露のように消えて了うのである。日本のブルジョア作家が、就中社会現象の文学的評論乃至時評に於て無能であることは、著しい。こうした文学的方言[#「文学的方言」に傍点]は教養の狭さと低さとの徴しであり、文学的・詩的・透察の凡庸さと、関心と知識との貧弱を意味するが、それというのも、作家の職業的専門家としてのマイナスな宿命から来るのは云うまでもない。日本の作家の思想性の貧困と云われることにも、色々吟味した上でないとハッキリしない点はあると思うが、少なくともこうしたことが、思想の欠落ということの一つの内容なのである。
作家の教養の問題は、作家という職業的専門家にとっての鞭である。この鞭を欠く時、作家が専門家的な偏狭と職業的な卑しさに堕することを防ぐものは、もはや存在しない。ただの自意識や魂の逞ましさや、アンチ・ジャーナリズムなどでは追いつかないのである。作家には博大深長な「常識」と新鮮鋭利な社会的認識[#「認識」に傍点]とが必要なのだ。社会は、本当に文学を生活の必需品としている処の、生活のある大衆は、実はひそかにそれを作家に要求しているのだ。大衆は作家から気焔やゴシップではなく、真実の思想を聞きたいのだ。で教養は特に作家の社会的義務だ。いやそれは職業的な義務なのだ。但し、女形的な「たしなみ」というような歪められた躾けではなくて、最も普遍性をもった堂々たる職業的訓練なのだ。――処で作家は、之を妨げるものを衷心憎むことを知らねばなるまい。作家の真の教養を阻み、人間の真実の思想を圧えつけるものを。実際の要点は結局ここにある。この要点に就いて真実を欠いているものには、教養も思想も何もかも本当は無駄な話しなのだ。
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14 現代青年の問題
子供は現実主義者である、壮年は自我主義者である、その中間に位置する青年は、之に反して理想主義者である、と云ったヨーロッパの思想家がいる。人間というものを、社会の歴史的時代の特色から引き離し、社会の階級的構成から脱臼させて、古来今日に至るまでの共通な性質の粉末を寄せ集めれば、青年は大体理想主義者だと云っていいのかも知れない。
併し青年が理想主義者であるのは、必ずしも理想を構想する客観的な現実の条件が彼等にだけ与えられているということではない。もしこの社会のどこかに、そして何かの時期に、そうした理想を構想出来るように客観的な現実の条件があったとすれば、独り青年に限らぬ、壮年も少年も、老人さえもが、劣らず理想主義者となれるだろう。だが尤も、こういう客観的な現実の理想によって鼓舞されることばかりを、世間では理想主義と呼んでいるのではない。理想さえ追求すれば夫が理想主義だというわけのものではない。現実性のある理想を追求して生き得る人間を、現代では寧ろ唯物論者と呼んでいる。社会建設の理想を以って生活している人類は、ソヴェート・ロシアに於てのように、唯物論者なのだ。
でこの思想家が、抽象的にも、青年一般なるものを理想主義者だと考える時、之は云うまでもなく単に、青年が社会に対して認識不足であるということを意味しているに過ぎない。そういう青年的理想主義の理想とは、単なる空想か無条件な願望なのであって、之は大体春季発動期と関係のあるフロイト的現象なのだ。青年女子の婦人雑誌的な結婚の夢や、或る種の文学青年の情熱や、又今では比較的目立たなくなったが田舎青年の立身出世癖などが、之だろう。この社会的認識の欠乏は壮年や老人ならば却って、反対にチャッカリした悪く常識的な思想と生活とを産むものなのだが(今日では一定の認識不足なしには社会生活は甘く行かぬ)、それが青年の場合だと、無条件的な野心や冒険欲となって現われるというだけだ。
之は一応本当なのだから、吾々は之を善いとか悪いとか云うことは出来ないだろう。生活認識の欠乏、生活意識の軽躁さは、無論決して好いことではないだろうが、併しそのおかげで青年が自分の人間の内に眠っている色々の可能性・能力・素質を、偶々発見する機会が少なくないとしたら、之を単純に不健全な認識欠乏とばかりは云うことが出来まい。野心や冒険を惹き起こす目的因とでも云うべきこの青年的理想は、この意味では却って一種の「理性の狡知」であり、摂理の「見えざる手」だとも云えるだろう。この理想や理想主義は決して堅実なものではなくて薄弱なものであり、その意味ではこの理想家的青年期は堅実でなく薄弱なものだが、併し夫をすぐさま病的に薄弱なことや不健康な不堅実さである、と云うことは出来ない。青年は肉体的発達期にある。それを貫く生命の特色は寧ろ健康ということだからだ。
青年なるものは一般的にそうなのだが、処が時代々々によって異る青年の社会的生活条件は、折角のこの一般的特色を、一たまりもなく吹き飛ばして了うことも出来るのである。――青年は認識不足なものだ、若い者は誤ちが多い、と云われる。それは一般的にそうだ。だが一体今日の壮年は認識不足でないのだろうか。そして今日の老年はどうか。なる程今日壮年や老年の多くは相当うまくその社会生活をやっている。今日の青年は壮年になった処で到底ああはやれまいと思われる位いだ。この資本主義社会は矛盾に満ち、貧困と失業との波に洗われているとも云う、世渡りはムツかしいとも彼等は云っている。そのくせ彼等はとにも角にも相当うまく泳いで行っているのである。私達位いの年の者はほぼ壮年の初期と云えるのかも知れぬが、私達の友人はもうすでに少なくとも府県の部長級に進んでいる。そうした連中は決して世間に対して認識不足どころではないのである。だがそれにも拘らず、或る金持ちのルンペン(?)勉強家の友人によると、この連中は会う度に馬鹿になりつつあるということだ。その意味は、彼等が経験を豊富にして行けば行く程、何か一種の社会的認識を失って行く、というのである。
青年は空想家で理想主義者・理想家だと云う。併し今日の日本の青年は壮年や、老年に較べてさえ、決して空想家でもなく理想家でもない。年々加重する失業と貧困とは、後のジェネレーション程之を余計に嘗めねばならぬように、この数年来方向が決っている。今日の青年は以前の即ち今日の壮年に較べて、その空想や理想という、自然的な欠点か特権かを振り回すだけの余地を、極度に速かに失いつつあるのである。云わば、この空想のための社会的条件や理想の社会的可能性の年々の悪化の量が、青年から壮年になることによって失う空想や理想の自然的素質の量を追い越して了っているように見える。
でこういう具合に、青年の壮年乃至老年に対する自然的特徴は、現代の社会的横車によって押し切られて了っているのだから、今日ではもはや、単なる青年を語ることも出来なければ、又単に青年を壮年其の他に対比することも出来ない。今日はそういう事情に立ち至っているのである。無論青年と壮年とは年の上では異った顔をして生活しているが、併しこの両者を比較することによって吾々は何を得るかと云うと、この両者が銘々担っている若い自分の時代、又は若かりし自分の時代、の特徴の対比を得るのは論外として、その他に、社会の全く相反した二つの姿の対比を得るのである。一つはどうにかやって行ける社会の姿で、一つはどうにもなりそうにないという社会の姿だ。前者が壮年ならば、後者が現代の青年なのである。
現代青年は青年らしさを失った、吾々の若い頃はもっと勢があった、青年は堕落した、という風に云いたがる人は非常に多い。青年よ、宜しく酒も飲み、リーベもせよ、コセコセした社会的関心などは振り捨てよ、と説く、老文学書生先生もいた。その社会的関心と云うのがマルクス主義経済学のことなのか、暮夜に先輩の門を敲くことなのか、こう云う場合には往々見境がつけられていないようだが、とに角青年はその自然の青年らしさを失っているから、そしてそれを失っているということに気付いてさえいないらしいから、之を教えてやろうという、親切な壮年や老年者は少なくないようだ。
併し之は全く妙な現象と云わねばならぬ。青年らしいのはその自然的に条件づけられた(否之も亦実は社会的条件なのではあるが、併しその社会そのものが自然に出来ている場合のことである)認識不足にあった筈だが、処が現代の青年は、その認識不足を失いかけたと云って、その認識不足を取り戻せと云って、説教されるのである。青年は青年らしくなくなった。即ち社会的認識が備わり過ぎた、と云って非難するらしいこの壮年者や老年者は、いまだに青年の夢を自分の内に許せると思っている認識不足の主だというようになるようだ。
なる程現代青年の社会認識の過剰らしいものは、社会科学的認識の過剰でもあるし又他方に於て就職戦術的認識の過剰でもある。二つは氷炭相容れないものだが、併しそのどちらかに態度を決定しなければならないというのが、現代青年の宿命なのである。壮年者以上の者はそんな態度の決定などを現在必要としないばかりでなく、自分の過去の青年時代にもそういう必要はなかった。でこの説教する壮老年者は実は現代の青年を殆んど全く理解していないのである。つまり時代はこれだけ進んで来ているのだ、それを身を以て知っているのが現代の青年だ。夫を理解出来ないのが現代の壮年以上の年齢の者だというわけである。それ故にこそ彼等はこの現代の青年を理解出来ない。――こう考えて見ると、現代に於ける青年と壮年との区別は年の区別でもジェネレーションや時代の区別でもなくて(何となれば両方とも現に同じこの時代に生きているではないか)、全く現代社会が有つ二つの社会側面、現代社会が示す社会の二つの姿、の区別だと云わざるを得ない。
普通、時代はその青春によって計られるようだ。と云うのは夫々の時代の精神は青年の心理を以て特徴づけられるようだ。だから現代を知るとは現代青年の心理を以てするのが、歴史的認識の常道であるように見えるかも知れぬ。だが実は今日では、之は現代の社会の一つの側面一つの姿をしめすだけなのである。現代は、壮年者の時代が段々と青年の時代の手に移りつつあるというように云って了っては、片づかないような時代である。時代自身が、現代の社会が、二つに割れているのだ。と云うのは、青年の生活条件と壮年以上の生活条件との距離が、普通ならば略々一定していて、或る時間が経てば息子は親爺の二代目になれるのを、現代では親爺は親爺として歩いて行き、息子は息子として歩いて行くので、息子は親爺の生活の梯を後から登って行くわけではないのであって、親爺が登って行く生活の梯を息子は却って降りて行くというような関係だ。両者の生活条件の間の距離は、段々と大きくなる。
でこの通り、壮年者以上と青年との区別は、年とかジェネレーションとか時代とかいう時間的な区別でなくて、一つの社会の空間的な二つの方向と云ったような区別になっている、と云うのである。――現代青年は単に次の時代の者や新しい時代の者ではない。そういう風に考えることは、壮年者以上をば消えて行く時代の者とか旧い時代の者とかに見立てることに他ならないが、夫は要するに壮年者以上の者が、青年との比較に於て、青年に対して相対的に譲歩をして行くということだろう。処が現代の壮年者以上は、青年に対して決して譲歩などはしない。彼等はあくまで踏み止まろうとする。なる程彼等は刻々老いて行く。だがそれにも構わず彼等は踏み止まる。青年とは彼等の後継ぎではなくて、彼等とは独立に彼等に対立して来る一種の敵のようなものだ。
であるから現代の青年程、深刻に壮年者以上に対立しているものを見ない。現代青年は単に新しい時代、即ち既成の又は旧い時代に対立又矛盾さえする時代の児だというだけではない。彼等は、云わば永久的に社会の下積みなのである。彼等は概括的に云うと云わば永久的に貧困なのである。青年が壮年者以上と対立し又矛盾さえもするというだけの場合ならば、之までの社会変動では無論珍しいことではなかった。明治維新がそうだった。だが明治維新の青年は、云わば永久的に貧困であったか、永久的に下積みであったか。現にそうではなかったのを、吾々は吾々の父親達や祖父達に於て見るだろう。
それ故現代では、少なくとも現代の日本や日本に類する社会事情の国では、自然的な意味に於ける青年なるものは、無いと云ってもいいし、又あるとしてもそういう観念には当て嵌まらないと云った方がいいだろう。その意味で、もう今日では青年はいないのだ。多くの青年指導者や青年教訓者は、いない者に向かって道を説いている。現代は優れた教育者(例えば吉田松陰とか下っては杉浦重剛とか)がいないと云って、教育者は赤恥をかかされている。教育界に人なし、と云って、実業家で教育に関心を持っている人の内ではその人ありと知られた文部大臣平生釟三郎氏なども、吐き出すようにくさしている。官立大学の教授などは決して優れた人物でも優れた教育者でもないことは、今更学園争議大学の例を見るまでもあるまい。併し青年のいない処に、青年の優れた教育者などあり得よう筈はないのだ、いないのは良い教育者ではなくて、主人公である青年自身だったのだ。
普通の青年、自然的な青年、はいないようなものであるが、併しこのことは却って、一種独特な、壮年になる準備や見習としてではなく、独立な、或る年の若い人間達がいるということに他ならなかった。之をして青年と云うなら、それこそ現代青年[#「現代青年」に傍点]というものだろう。――現代青年が、普通の自然的な意味に於ける之までの青年と、根本的に異る特色は、夫が云わば永久的に貧困で又云わば永久的に下積みである、という点にあった。之は丁度、現代の大衆、無産大衆のような[#「無産大衆のような」に傍点]ものに、他ならない。現代青年というのは無論初めからそういう階級を云い表わす範疇ではないから、之が無産大衆だと云い切ることは、勿論意味がない。だが現代青年と無産大衆とを離して理解することは、事実難いのだ。
例えば現代青年の一つの代表的な種族である学生を取って見よう。学生はインテリゲンチャなどと混同され易いが、無論それは乱暴なことだ。学生という範疇は一つの自分乃至職業を云い表わすものだ(図書館へ行けばカードの職業欄には学生と書くのだ)。だから本格的な学生は(夜学生や職業学校生は別だ)たとい芸人学校や職人学校(音楽学校や高等工芸学校など)でも、学生業以外の職業を許されていない。処が誰もインテリなる範疇をそういう身分だとも職業だとも考えていないだろう。それ程学生は一つの社会自身を意味するのだが、それにも拘らず、之は決して充分な意味で階級ではない。処が無産大衆なるものは、或る階級性を云い表わすことによって略々一つの階級を云い表わす処の言葉である。――でこうして学生と無産大衆とは、範疇的に別なシステムにぞくしていると云わねばならぬが、それにも拘らず、二つは何か直接な関係があると見られているのを、見落してはならない。
学生の学生運動は、無産大衆の労働運動とは、範疇的に別なシステムにぞくする運動だが、併し事実、二つはほぼ同じ気脈に於て行なわれる。事は単に学生が大体インテリであって知能が自由であるために、労働運動に理解があるとか同情が持てるとかいうだけでは説明されないことで、学生自身が自分の運動を労働運動になぞらえ[#「なぞらえ」に傍点]ているという点を忘れてはなるまい。彼等この現代青年の一種族は、無産大衆と何か同様な社会的状態に置かれているのである。大学生其の他は決してそう札つきの無産者の家庭の者ではない。世が世なら官吏にでも政治家にでもなれる処だ。それが自分を無産大衆みたいになぞらえ[#「なぞらえ」に傍点]なければならぬ。――ここに現代学生の、即ち一般には現代青年の、特別な固有な意義が見て取れるだろう。
彼等現代学生のこういう自己意識が併し、決して感傷や無知や思い間違いから来ていないことは、社会が彼等を実際にどう待遇しているかを見れば判る。警察は彼等を労働者と殆んど全く同様に、労働者になぞらえて、待遇する。彼らはこの支配社会からそういう仕方で抑圧されているのである。カフェー・ダンスホール・其の他の禁圧も、この学生をねらって試みられる(学校は学校で方々で昭和ザンギリ令を出している)。この際警察にとっての問題は実は学生の取締りではなく営業者に対する取締りなのだが、その際の相手としては学生が持って来いなのだ。それ程学生は抑圧し易い、抑圧すべきもの、と相場が決っているわけである。労働者・無産大衆を抑圧せねばならぬという本能が、同様に、学生・現代青年を何とか抑圧せねばならぬという渇望となる。
学生だけにカフェーやダンスホールを開放しおしむというのは、何も学生の学業や年齢のことを心配するためではなくて、偶々そこが学生の弱い点だからだ。学業が問題なら六大学野球リーグ戦の方が遙かに邪魔になるかも知れないし、年齢が性的な問題となるのなら、学生どころでなく、大都会に流れ込む身売娘の方がズット問題が切実な筈だ。男だけを性的に束縛して娘の方は性的に放任(?)しておいていいということはあるまい。それとも上層では淑女や令嬢を、無産大衆層では男を、という取り締り方針なのだろうか。
こういう風に見ると、現代の学生が労働者と殆んど全く同じように、弱い[#「弱い」に傍点]ものだということが判ると思うが、之は一般に、現代青年なるものが無産大衆と殆んど全く同じように、弱いものだということを示す。つまり現代青年の特色は、普通時の青年が一種の強さを持っていたとは反対に、社会的に弱いということ、支配社会の継子だということなのである。そこから、現代青年と無産大衆との間の、本質的なアナロジー[#「本質的なアナロジー」に傍点]がなり立っているのである。――婦人運動論者の最も進歩的な者は、婦人と無産大衆とを丁度こういうようにして結びつけた。そして彼等乃至彼女達は、子供、少年少女をも亦この婦人になぞらえることによって、之をも亦無産大衆になぞらえた。処が今や、この少年少女がもう少し大きくなって、現代の青年男女になってもやはり、無産大衆になぞらえるような、弱い者だという次第である。
弱きものよ、汝の名は女なり、と云うのは、無論本当は、女の社会的な[#「社会的な」に傍点]弱さを指すのだろう。そうならば現代では、弱いものは沢山の名を持っている。曰く婦人、曰く労働者農民、曰く無産大衆、そして曰く現代青年だ。だから例えば、現代青年は丁度女のように社会的に待遇されているのである。現代の青年が女のようになったという心算ではない。街頭を日となく夜となく歩く女性化した現代青年も少なくはないが、併しそういうモダーンボーイの一種の類は別に現代青年の代表者でも何でもない。それよりも私は現代青年が、丁度娘乃至箱入娘のように、著しく家庭化したという現象の方が、意味が深いと思うのだ。
と云うのは、現代青年は貧困で下積みだったのだから、壮老年者が設定した家庭を離れては生活が困難なので、そこを覘って社会の壮老年者が、現代青年に家庭に帰れと強要しつつあるのである。家族主義の名の下に家庭主義が強制される。父権は却って拡張される(例えば民法改正に於ける自由結婚の否定)。母親だって息子よりも強くなる。本来なら息子に厄介がられるべきお袋も、今では息子の大学の入学試験にまで母権を拡大する。青年婦人即ち娘は、言うまでもなく花嫁学校に収容されねばならぬ。――処でこの家庭主義は、日本の無産大衆にとっても亦、恐怖でもありそして又魅力でもないだろうか。農民が都会から家庭に帰郷することによって、都市の失業は農村家庭の赤貧の底無し沼の内に、吸収されて行く。「都会には職はありません」というポスターは、失業の増大を告白するためではなくて、家庭を賛美するためなのである。――とに角、無産者と現代青年とは、女と同じに、家庭化されねばならぬ。
こうして現代という反動期は、青年の無能力時代なのだ。青年のこの新しく獲得した無能力という資格が、現代青年という一種族を造った。之は壮年者や老年者の単に年の若いもののことではなくて、現代の壮年者や老年者とは社会的に種族を異にした人間のことなのである。法律的に有名な「無能力者」としての妻が、いかに年を取っても男とはなれないように、現代青年は、どんなに年を取っても、現代の壮年や老年が意味しているものになれぬ。
だが、こう一概に云っては、不正確に過ぎるかも知れない。現代青年の皆が皆そうだというのでは無論ないし、現代青年の各種の社会層が皆そうだとか、又その点でどの層も同様だとかいうのでもない。それから弱い弱いと云っても、社会的に弱いということが実はどういうものであるかも、もう少し吟味してかからねばなるまい。
現代青年は云うまでもなく社会の各層各階級から出て来ているから、現代青年中に各階級の区別があるのは当然だ。そしてこの区別が事実、一つ一つの場合には、相当大きな差別を齎しているのも事実だ。併し丁度学生がそうだったように、現代青年も亦、一応そうした階級別から離れて、共通な輪郭と而も階級的な性質とを受け取っているものなのだ。――処でそうした上で、更にこの現代青年という普通な階級性質(併し階級をなしていると云うのではない)の上で、改めて現代青年の夫々異った階級性をもつ夫々の層を考えることが出来るし、又考えなければならぬ。青年労働者、青年農民、サラリーマン、学生、有閑青年、青年ルンペン、青年将校、などがこの階級性[#「階級性」に傍点]上の区別だ(必ずしも階級上[#「階級上」に傍点]の区別ではないが)。――尤もこの内、青年将校は、弱い現代青年の例外であって、現代青年の意義を踏みはずした者だが、之はまあ問題外としよう。彼等は現代青年の種類にぞくするものではなくて、寧ろ日本人の内のものと特別な種類にぞくするものと見ねばならぬようだ。彼等は現代青年ではなくて、単に将校なのだ。現代青年は親爺の登った梯をそのまま登っては行けない筈だったろうからだ。さて之を除けば、あとの現代青年が如何に弱い無能力者として社会的指定席にうずまっているかが判ろう。
現代青年の心理を現象的に分類することは、どういう風にでも可能なことである。一例としては、進歩的青年・「革新」的青年・文学青年・キネマ青年・スポーツ青年・ダンス青年などに分類出来るだろう。だが之は大して有用な区分とも思われない。――矢張り大事なのは、現代青年の社会的無能力という概略の特色だ。
併し、現代青年が社会的無能力者だと云うのは、略々無産大衆が、労働者や農民が、社会的無能力者だということになぞらえ[#「なぞらえ」に傍点]て、そう云うのであった。無論このなぞらえ方は、科学的に精密に行なってはいないから、現代青年と無産大衆とのこの譬喩には、ガタや隙がある。だが、それにも拘らず、やはり、現代青年は無産大衆のようなものだ。処で現代の無産大衆の弱さは、之を自覚すれば忽ち強さに豹変するものであることを忘れてはならぬ。そこで現代青年でも亦、その弱さの自覚は、事実上その強みとなることが、概略可能だと云うことが出来よう。尤も無産大衆はその組織を有つ、又は有ち得る。夫が彼等を強くするのだ。現代青年は現代青年として組織を有てるか。だが之は話しが変になった。青年が青年としての組織を造るとか造れるとかいうのは変である。青年を強くするその組織は、青年であるが故の組織ではなくて、無産大衆に類するものであるが故の組織でしかありえない筈だからだ。
現代青年は、ほっておけば限りなく弱い社会的無能力者に堕ちて行く他ない。それから立ち直るには、闘いが必要だ。一見壮年者や老年者に対する闘いである。併しそれには、やや外部からの、指導と援助とが要る。その指導者援助者は、このごろ見かけるあの青年の指導者や教育者のことではない。無産大衆こそが、現代青年の指導者だ。
[#改頁]
15 学生論三題
一 学生は変ったか[#この行はゴシック体]
旧いことは論じないとして、今から七八年前には学生の社会的役割というものが非常に大きかったということを、今更私は考えざるを得ない。労働者農民の組織活動や啓蒙運動に於ける学生の役割、学生運動が持っていた社会的意義、それから学生が要求する文化的形象の社会的な圧力(と云うのは評論雑誌其の他に於ける思想傾向、プロレタリア文学の発達、等々が実は主として学生読者の要望に答えるためであったから)、こうしたものは学生をして社会の最も積極的な分子と見做させるに充分であったのだ。
学生というのは大体大学生を標準にして云うのだが、この学生は当時、単に学生であるだけでなくて、当時のインテリゲンチャの代表者であり、そして又それが、或る限度に於て、意識ある無産者(主として労働者)のモデルになるという状態でさえあった。学生がこれ程社会的リアリティーを持っていた時代は、云うまでもなく日本ではそれまでなかったし、今後も恐らくなかろうと思われる。
私はある時偶然、武田麟太郎が自分の「大学生」振りを語った小品を読んで、非常に面白く思った。この不良な大学生が如何に社会的活動をなし得たか、という点を考えると、全く今昔の感に耐えないとでもいう他ないのである。武麟もその一人だが、この社会的リアリティーを背負って立った学生達の代表的な一団である新人会や、その社会的組織であった学連などから、運動家、理論家、作家などを面白い程多数に輩出したことは、誰知らぬ者はないが、注目を怠ってはならぬ点だろう。而もどれも早く若くして世に出たのだ。試みに最近の大学卒業生に就いて考えて見ればよい、この連中はもはや決して、あれ程易々として社会に乗り出すことは出来ないのだ。その時期は、汐時は、もう過ぎたように見える。
この頃の学生は勉強しなくなった、気魄が衰えた、ということをよく聞く。恐らくそれは本当なのだ。大学や学校が社会的真実を教える機関であることを完全に止め、而も学生の社会的意義に何等採るべき積極性がなくなった時に、学生がクサるのは当り前のことだ。七八年前の学生は必ずしもサラリーマンの候補者ではなかった。少なくとも自信のある学生は自分の未来にもう少し自由な活動分野を空想することが出来た。そこには創意を充たすだろうような理想を空想することが出来た。今では夫がないのだ。学生生活はサラリーマン生活の予備校に過ぎなくなった。学生の文化的役割さえが、可なりの部分サラリーマンへ移行していることを見落してはならぬ。
だが云って見れば学生のこの予備校的存在は、当然と云えば当然なようなものである。社会秩序の変動が眼の前にブラ下っているように思われた時には、予備校的存在はただの予習期のものではなくて、新興の要素であり得るわけだが、一応その秩序変動が眼の前から一定の距離を距てたように感じられる時期になると、予備的存在は要するに予備校的存在に戻るわけで、旧秩序へ編入される前の予習期にならざるを得ないのである。尤も与えられたこの秩序自身に何か期待が持てるのなら(明治大正中期頃迄のように)、予習期には予習期らしい意義と張りがあるのだが、この秩序そのものの無価値を一旦知って了っている以上、まことに希望のない予習期と云わざるを得ない。
併しそれだけに又却って、学生は社会のリアリティーを本当に味わわなければならぬ時代に来たのだし、又それを味わうことの出来る時代に来るのだとさえ云っていい。学生は学生としての身の振り方を今までになく真剣な問題にせざるを得なくなる。その結果、今では学生とサラリーマンとの間の社会的意識の上での区別は殆んど無くなって、学生が安サラリーマン化すると共に、サラリーマン自身が又一部分従来の学生の持っていた文化的な役割を分担するようになって来たので、サラリーマン間のグループ活動など多少は意義を有つようになって来ているのだ。つまり之は学生が社会に於ける極めて地味な位置を占めるようになり、その点サラリーマンなどと大して変った意識を持てなくなったと共に、全体としてこの種の学生サラリーマン等の青年インテリが、地味な道を辿りながら、而も何かしら社会的にもわずかでも動かねばならぬという事情におかれるようになって来た、ということなのである。
だから今日の学生は駄目になったと云われながらも、矢張り学生の優れた分子は文化的な役割を現実に社会の内に持っているのであって、今日の評論雑誌の真面目なものは、依然として学生をその最大の顧客としているのである。今日の学生にも、矢張り明日というものがあるのだ。ただそれがそんなに手取り早くないというまでであり、従ってオポチュニストにとっては根が続かないというまでで、こういう時にこそ、確実な分子とオッチョコチョイ分子との本質的な区別が眼に見えて来るものだ。
興味のあるのは学生と教授との関係である。教授の授業は面白くないと云って学生は相手にしないというようなことが云われているが、学生生活の張りのあった時期にはたしかにそうだったのだが、現在では必ずしもそうではないのである。今日の学生は案外神妙に教授の言説に関心を持っているのではないかと思う。少なくとも以前のように教授を真向から批判しようという気持ちもなし、批判の必要も本当には感じていないのではないかと思う。口ではツマラぬツマラぬと云いながら、一体どこがなぜツマラぬのか判らないのが多いようだ。結局社会的に何が真実であるかを知っているものが少なく、従って教授のどこがクダラないのかを比較によって知る術べがないのである。そういうことは、もうどうでもよくなって、教授とは就職関係でつながりを保つ方が必要なのだ。処がそういうことがやがて、教授の学問言説そのものにひかれる心境と一つなのである。
最近の学生は総じて教授や大学当局に対して、以前ほど批判的ではない。之は学生の社会的役割が低調になったと共に、同時に又、教授や大学そのものの社会的重大性が著しく減じたからでもあるのである。事実今時若いくせに大学の先生になろうと願っているような人物には、大した人物はいないのである。今日の大学教授は一介の俗吏の相当の地位にあるものに、頭から敵《かな》わないのである。実力から云っても社会の信用から云ってもだ。私は新築地劇場で「流れ」という芝居を見たが、劇としてはどうもあまり面白くなく幕が降りても拍手がバラバラだったが、併し一個処、妙に気取った紳士が出て来て、それが「大学の先生」だということが判った時には、一同声をあげて笑いこけた。大学の教授が今日の民衆から如何に漫画化されて見られているかを、私はツクヅク感じたのである。
大学、教授、学生が、それ程社会的なインポータンスを失いつつある時、この一連のものがお互いにいたわり合うことは無理からぬことだ。そこで学生は大学や教授に対して可なり八百長的になっている。その結果は、何等の社会的大義名分を持たないような、大学お家騒動などが方々に起きるのであって、之に関係する学生は全く大学の家の子郎党の心算でやっているとしか見えない。以前の学生ならばこういう形の学生争議を、学生の社会的運動に利用しない限り、潔しとしなかったろうに。
こうした大学の一般的な状勢の下に、併し矢張り一面学生の社会的役割の積極性は、地下水のように浸み渡っていると云わねばなるまい。今日みずから絶望することなどを覚え込んだ学生は、どの道初めから絶望に値いする学生に相違ない。失望する者はサッサと失望させてやるがよい。学生や青年インテリの社会的使命は云わずして明らかなのであり、ただその使命の実行には以前と違って極度のネバリが必要になって来たというだけに過ぎないのだから。学生の社会的意義は本質上変りはしないのだ。
二 学生の技能と勤労大衆[#この行はゴシック体]
最近私は学生や青年の問題について、書くことを注文されたり意見を徴されたりすることが非常に多い。何が問題になっているのだろうか。何かが見えない動機となってそういう問題を提出させるに相違ない。その匿れた暗礁は何か。
学生にとって最近最も切実な関心となっているものは第一に、就職と入学試験とである。前者は専門学校や大学の学生生徒の生活をスッかり引き浚って行って了っているし、後者は小学校から始めて中学校・高等学校・の生徒達の生活を殆んど完全に支配して了っている。そして入学試験の問題の最後の関心は云うまでもなく就職への関心だ。
私は之に就いて良いとか悪いとか云う勇気をもはや持っていない。入学試験の弊害位いは制度の改革によって矯正出来そうに想像されるかも知れないが、夫が決してそうではない。第一制度そのものの改革が決して短い時間の内に実行される底のものではない。教育関係当局は、入学試験の弊害を実は口で云う程重大視しているのではない。それよりも大切なのは教育の精神であったり「精神教育」のことであったりする。教育制度(学校の年限短縮や延長のことに過ぎなくても)の改革云々となると、入学難とか何とかいう民衆の立場からする関心などはどこかへ飛んで了って、すぐ様教育の「精神」だ。真面目に民衆のために教育を考えてなどいない。又仮に教育制度が適当に改革された処で、入学難の根本的解決などは出来るものではない、なぜかというに、入学難の背景には、母親の虚栄心や小学校の校長さんの世渡り術などより遙かに重大な動力として、将来の就職という目標が作用しているのだからだ。
そこで就職問題の解決だが、之が抑々今日の社会問題の随一の困難なものの一つである事は云うまでもない。之は学校の先生達の卒業生売込運動や卒業生の各種のヒロイズムでも解消しないし、「世間雑話」的な世渡り精神でも役に立たぬ。そうした種類の粒々たる心労も、例えば軍需景気の一寸した上下の作用で、声のない虫のように、ひねりつぶされて了う。就職問題など一にかかって、支配者の腹具合にあると云うべきだろう。併しそう云っても銘々は食わねばならぬ。責任は支配者にはなくて、学生の場合なら、卒業生の銘々やその親や親戚にある。之が所謂「就職」問題なるものの意義だ。
こうして入学試験の問題を就職問題へ解消して考えると、結局学生の最も切実な問題と云ったものは決して学生だけに特有な問題なのではない。今日誰だって食うに困っているか食うに困ることを恐れているかだ。その一群の民衆が偶々学生と云うものにすぎぬ。親の資産で食ってゆけるものは就職などは体面の問題にすぎぬ。学生であろうとなかろうと変りはない。従って又、食えないとなると学生であろうが、なかろうが又変りはないのだ。ただ学生の方は卒業まで何とか食えるという条件の下に置かれている多少恵まれた一群の民衆で、卒業を機会に「就職」の時期が家庭と社会とから指定されている人間達に他ならない。
就職問題が併し何か学生生活にとって切実な関心となっている、と云い立て[#「云い立て」に傍点]られる意味は、勿論一般の失業問題がやかましく云い立てられる意味とは、多少違ったものを持っている。学生の就職問題の場合には、夫が学生生活を歪めるから悪いという点が、論じる人の意識の上では相当重きをなしてはいないか。純真なるべき学生の精神や、学生の好学心や、其の他其の他を傷つけると考えるから、就職難問題が何か学生に特有な問題にもなるのである。そういう意味から、現代の学生は学生らしくなくなったとか勉強しなくなったとか、或いは享楽的になっているということさえの事実(之は何と云っても事実だろう)の責任を、この就職難問題へ持ってゆくのである。
併し勿論就職難は学生をいつもこのように無気力な学生に仕立てるとは限らなかった。一頃世間は学生の赤化の原因はさし当り就職難にあるとも云っていたものである。でそう考えて来ると学生生活を歪曲しつつあるものはもはや決してただの就職問題=就職難だけではない。それから来る単なる条件反射のような意識だけでもない。之を通して学生は、社会に対する或いは寧ろ未来の社会に対する、希望と期待とを失って了っているのだ。それが今日の学生生活の歪曲を齎していると云うべきだろう。今日之は誰でも云っている処だ。
学生は青年であり、即ち時代の新しい矛盾の下に発育して来た者だから、この矛盾が醸す各種のイデオロギーに著しく動かされる。と云うのは学生にとってはイデオロギーなるものの作用は極めて現実的なのだ。学生はイデオロギーに多分の信頼を置いている。既成社会の現実よりも遙かに多く、学生はイデオロギーに期待する。現実を踏み越えるイデオロギー、或いは寧ろ良い意味に於けるユートピアと云ってもよいが、この観念物や思想物に動かされる。青年の夢と呼ばれるものが之だ。処がこの現実を踏み越えようとするイデオロギーが社会的に一時通用しなくなると、もはや学生には何等希望の特権がなくなって了う。現実に対する計画者としての学生は最も無能な民衆の一群だ。ここに学生生活の歪曲なるものが発生する。
そこで学生生活のこの歪曲をどうしたらば良いか、という問題になるのである。尤も社会の支配層にとっては、この状態は大して学生生活の歪曲でもないと考えられるかも知れない。学生が学生の本分を忘れて学生運動をやったり労働運動に働きかけたり、又啓蒙運動に携わったりするよりも、今の方がまだしも学生らしくて都合がいいと考えているのが、かくれた事実だ。誰もそんな事は口には出さぬが、支配層の言動を総合するとそう診断せざるを得ない。社会の支配層は民衆のための教育に就いてなど、真面目に考えてはいないと言ったが。本当に学生生活について真面目に考えている人間は当局に椅子は占め得ない。いや社会に於ても足の四つある椅子には腰かけていられないのである。そこで学生生活のこの歪曲をどうしたならばよいか、併しどの点が一体歪曲された学生生活なのか。学生が著しく享楽的になったからか。だが実を云うと享楽ということは少しも悪い事ではあるまい。学生は学生の生活を楽しまねばならぬ。野球がよく軍事教練がよいなら、ダンスもよければ喫茶店でレコードを聴くのもよい筈だ。もしダンスやコーヒーやレコードが学生の本分外ならば、凡そ今日の野球程学生の本分を踏み出したものはないと私は信じる。そして若し学生生活を何等かの手段に化すことが悪いならば、就職運動で馬鹿となるのが歪曲だと同じに、他の運動や教練だって歪曲だ。併し学生生活の本分をそんなに狭く理解すべきものではない。学生の本分は何であるかなどということを決め得る人間はどこにもいないのである。夫は学生自身が事実上決めて行くものなのである。少なくとも生活を楽しくし生活の幅をつけるということは、人生の上で大事なことだ。問題は凡ての民衆が一般的に夫をなし得ないからこそ起きるのだ。
生活を楽しむためのチャンスが多いという点で、今日の学生は過去の学生よりも幸福であり、且又却って学生らしいのである。これ自体は学生生活の歪曲でも何でもない。それよりも要点は、学生が勉強しなくなったということらしい。――処がこの点でも無条件に片づかないものが含まれている。一体現在の学生はどう言う意味で勉強しなくなったか。私は寧ろその逆の場合に出合う事が多い。学生は仲々よく勉強する、ノート勉強をやるのである。教授の云うことを割合善良に信じるようになっているのである。就職のためにはこうした勉強は必至なのだ。して見ると之も普通の意味では学生生活の歪曲ではなくて、却ってノルマルな学生生活に還ったということに過ぎぬ。
社会科学の勉強[#「勉強」に傍点]は、丁度文学科の学生の小説勉強のように「学生」なるものの本分(?)を踏みはずしたものであったに相違ない。「学生」と云うこの社会の馴致されたカテゴリーから云って、今日の学生生活は大して歪曲はされていない。学生と云う馴致されたカテゴリーは、今日こういう学生生活を要求しているのである。
だから私は云うのである、学生が学生である限り、即ち「学生」と云うこの社会機構の承認されたる一環を以て自ら任じる限り、即ち又そういうものとして社会の民衆から自分達を区別する限り、今日の学生生活は殆んど何等歪曲などされていない。夫を批判したり何かする資格をその学生は持たぬのである。学生が「学生」に止まる限り、何も問題はない。あれでいいのである。だが学生が単なる「学生」ではなくて、民衆の一群であり、而も圧迫され踏みにじられた世間の大衆の或る一群だとなると、学生の問題は全く別な角度から光を当てられる。
学生は一般大衆から色々な点で区別されている。なる程彼等は第一に知能分子である。それと云うのも社会的に多少は経済上の余裕があって、相当高等の教育を受けることが出来たからだ、だがそれと同時にこう云うことも忘れてはならぬ。日本の教育制度は云うまでもなく、有産者的な制度と方針と内容とのものであり、学生も多少とも有産者の層の出身であるが併し例えばイギリスの学生のように特殊な貴族層の出ではなくて、実は勤労大衆の或る程度以上の層の凡てから出ているということだ。プロレタリアや貧農出身ではないが、大衆的な勤労層は之によって代表されているのである。その限り学生の社会的位置は決して選ばれた好いものでも何でもなくて、大体に於て貧窮しているのだ。一般の勤労大衆が貧窮しているからなのだ。
尤も同じく貧窮していても、子供を専門学校や大学へ送り得る親達自身は(たといいかに無理算段して一つの投資のつもり[#「つもり」に傍点]でやるにしても)勤労層の比較的上部のものだ。全体の極めて少ないパーセンテージに過ぎない処の上部のものだ。併し学生自身にはこの点そのままはあて嵌らない。学生は彼等の次のジェネレーションである。そして親達は自分達の次のジェネレーションの生活までも保証出来る程に、有産者ではない。そうでなければこそ子供には教育を与えて、出世もさせたいというのであった。従って学生層は平均してその親達よりもズット社会的に経済生活の劣った層であり、又そうした層を約束されているわけで、そこに就職問題の真剣な意義もあったわけだ。
単に学生がその親達よりも経済的に低い社会層をなし、又約束されているだけではない。社会的待遇も亦学生は最近極めて降下して来た。学生であるが故に許されるという特権は形式的に残っているが、併し学生であるが故に許されないものの方が実質的には比重が大きい。学生は寧ろ一人前の大人となって来た(学生らしくなくなった)のであるが、その大人たるや道徳的に最も抑圧された層の大人として通用しなくなった。之は云わば婦人の位置と似たようなものとなって来た。或いはもっと本質的な類似を持って来るなら、学生は無産大衆化し、更にプロレタリア的な位置におかれるようになって来た。学生運動は労働運動と近接のつながりがあったが、又そうしたつながりのあるものとして取り締られた。
かくて経済的な能力から言って又道徳的な権利から言って、学生層は決して特権層とも比較的な特権層とも云う事は出来ぬ。寧ろプロレタリアになぞらえられる[#「なぞらえられる」に傍点]ような無産大衆の内での、或る特別な層だと云うべきなのである。だから学生を単なる中間層とか小市民であるとか、又そういう意味に於てインテリゲンチャであるとか云うのは、一応は本当ではあるにしても、それで以て学生という[#底本では「う」が脱落]カテゴリーを片づけ得たと思うなら大きな誤りだ。
問題は学生生活の今日のような歪曲を如何にするかということだったが、今まで云って来たことで、この問題は結局、勤労大衆に属し又プロレタリアになぞらえられる[#「なぞらえられる」は底本では「なぞえられる」と誤記]ような学生、という或る特別な層に於ける生活の歪曲を何うするか、ということになった。夫は第一に[#「第一に」に傍点]勤労大衆層乃至プロレタリア層に準じて考察されるべき内容のものだ。そこでは単なる[#「単なる」に傍点]学生の問題も、単なる[#「単なる」に傍点]学生生活の問題も実はないのである。この点は「学生問題」を提出するに当って第一に大切な点だと思う。――だが第二に学生は夫にも拘らず学生であって一般の無産勤労大衆自身やプロレタリア自身ではないことは云うまでもない。或る特別な民衆だ。と云うのは知能の高い民衆であるということだ。或いはもっと正確に云うと比較的高い知能を期待出来る処の若い民衆だと云うのである。なぜなら学校教育だけが知能や教養を与えるのでもないし、又学校教育が却って知能を低めたり教養を妨げたりすることも事実だからである。
要するに簡単に云うと、学生は知能(インテリジェンス)に於て一般の民衆から区別されることが本質的な点なのである。学生は他の一切の規定によってその特性を規定することが出来る。だが今は、学生生活の歪曲を如何にするかという問題だ。この問題にとってはこのインテリジェンスが根本的な観点だ。――つまり学生生活の歪曲は他でもないので、知能という人間の普遍的に日常必要な一つの技能[#「技能」に傍点]を当然最もよく訓練されてあるべき学生が、その技能の習得に於て障害を受けているということが、何よりの学生生活の歪曲なのであって、この歪曲を矯正することはだから当然、知能という技能によって社会的特性を与えられている処のこの学生というものの「社会的」位置をハッキリさせることに他ならず、学生の一種の技能者・技術者としての社会的使命を自覚することなのである。之が学生という「社会的カテゴリー」に忠実なる所以なのだ。
学生に関する学生自身にとっての一切の問題は、終局に於て、この「知能的技能者としての学生」というカテゴリーから見て、解決されねばならぬと私は信じる。この意味に於ても「技術の獲得」ということは、学生の社会大衆的な使命だ。学生はそのためには願ってもない境遇だ、大衆は学生に対して(馬鹿書生は別として)、この知能的技能者を求めている。大衆自身の未来の社会のために、この要求の前に学生生活の見透しとモラルとは明々白々ではないかと思う。
以上すでに書いたり云ったりして来たことであるが、最後に一つのことを之につけ加えたい。夫は学生にとっての自意識[#「自意識」に傍点]と大衆性[#「大衆性」に傍点]との結びつきである。と云う意味はこうだ。学生は一種の知能分子である。知能=インテリジェンスの特色は、夫が最も自覚[#「自覚」に傍点]され易いと云うこと、自意識を必然的に随伴するということだ。かくてインテリゲンチャにとっては自意識なるものがいつも正面に押し出される。だからかつて「知識階級論」が行なわれた頃、文士達は自意識と云うもので作家の人間的知能を云い現わそうとしたものだ。それはそれでよいのだが、併し自意識に於ける自分、自我、というものは何かが判っていなければ、危険この上もないのである。朕は国家であると云ったルイ十四世のようなのも自我なら、一切の事物は自分の観念に過ぎぬと考えたバークリも自我だ、自意識も大切だが自分を自覚するこの自分が抑々如何なる自分かがもっと大切だ。学生はインテリゲンチャとして、自意識が濃厚だ。併し学生の「自分」は何か。
だが実はそのことは先程述べたのである。学生の身分は、学生という社会層は、民衆にぞくするものである、無産勤労大衆乃至プロレタリアに準ずべきものであると云った、夫がこの「自分」の説明である。学生の自覚は、自分を大衆として自覚することだ。
大衆の足場・眼・以外に、学生の立つべき又持つべき足場も眼もあり得ない。学生と云う特別な層があって夫が独自な足場や観点を提供すると思うなら、恐らくそういう学生はこの支配者社会に於て最もよく飼い馴らされた処の「学生の本分」を専門とする処のものだろう。夫は学生が「自分」を失うことだ。学生問題が消えて無くなることだ。
三 学生はなぜカフェーから閉め出されるか[#この行はゴシック体]
暫く昔、日本で学生が書生と呼ばれていた頃は、社会的に学生が可なり優遇されていた時期であった。なる程貧乏な学生(「苦学生」・「貧書生」)は今より多かったらしいし、又書生一般の生活程度も当時の水準に較べて今よりもずっと低くて、身なりや日常生活も今の学生よりはしみったれていたらしい。併しそれにも拘らず、彼等書生は書生であるとして世間に立派に通用していたのであって、書生流[#「書生流」に傍点]は一部の社会の一個独自な生活理想を示す優秀な風俗でさえあったのだ。
今の学生は一面から云えば寧ろ社会的に一人前になっていて、表面上は世間並みの人間と昔程の相違を有っていないが、それは実はそれだけ学生が社会に同化しなければならない弱みを意味するので、彼等がすでにその弊衣破帽式生活に自信を失って了った証拠なのである。現在の学生は他の階級や身分や職業に較べれば依然幾種かの特典をもってはいるが、根本的な点では、昔の書生に較べて著しく社会的に不遇になっている。大人びたとも子供臭くなったとも云われているが、泣く児が悪まれるように、それが、益々彼等の社会的冷遇の理由にさえなっている。
昔の書生は、新興支配階級の幹部候補者として養成されたものであったから、初めから一定の社会的役割と使命とを持っていた。それは自他とも許していたことなのである。たとい実際眼の前にいる書生は貧相でも、彼等は可能性に於ては立派な支配者の列に連なるものなのだから、社会的に或る一種の重きをなすことが出来た。尤もこの現実の貧相と可能的な偉さとの妙な対比が彼等を一類型のカリケチュアに仕立てたが、それは寧ろ人気者がもつカリケチュアの類であった。
だが彼等はやがて幹部に列するものではあるのだが、併し何と云っても一個の候補生に過ぎない。現実社会の一定の必要に対応している限り彼等の社会的地位は一人前の大人並みのものだが、併しまだそれの未熟者だという意味では単に子供で半人前に過ぎなかったのだ。そこで彼等に対しては、社会から来る制限が、丁度貴族の而も坊ちゃんに対するように二重にルーズであり得たので、この特典を利用して、書生は思う存分、食ったり飲んだりあばれたりすることが出来たのである。
処が日本の独特な資本制がその独特な軌道に乗り始め、行くべき処にまで行って了うと、支配者幹部の椅子は段々余地を持たなくなる。そしてこの軌道自身に限度があるのだから、椅子の余地は自発的にも益々狭められて行かねばならぬことになる。資本制的支配者幹部の候補生の筈であったこの学生なるものは、段々に幹部候補生の資格を実際には解除されざるを得なくなる。大学を出ても学士様でも、食えなくなって来たのである。尤もこの場合でも、学士様は食えなくても学士様はもはやすでに学生ではないのだし、そして食えなくなれば学生もしていられないわけだから、依然前に変らず学生は学生である限り立派に親の脛をかじって、食ってはいるのだが、併し幹部候補生としての学生の社会的使命はもはや成り立たなくなったのだから、当然学生に対する社会的待遇は悪化せざるを得ない。
学生は学生である限り立派に特権的に食っているにも拘らず、学生は一種の可能的な失業者と見做されることになり、云わば一種の余計者で邪魔者だとさえ考えられて来る。学校を減らし学生の数を制限しろと社会では提案し始める。――だがそれにも拘らずこの現象は半面に皮肉な関係を含んでいるのだ。というのは学生は可能的な失業者であるのだが、それ故に却って又三年なり六年なりの失業延期の特典の所有者でもあるのである。即ち彼等は例えば中等学校を出てすぐ様失業者の資格を受け取るのを避けるために、更に三年なり六年なりの失業延期をするのだが、それが彼等の専門学校なり大学なりの学生生活になるわけだ。尤も之が、高等教育を受ければもっと良い口があるだろうと考えるからでもあるのは事実だが、それはこの失業延期案を、そういうはかない希望で以て置き換えようとする自己慰安の方法に過ぎないのであって、大学専門学校出身者の方が中等学校卒業生より却って就職率が低いということは、相当世間に徹底している事実なのだ。
で今日の学生、特に大学の学生などの可なりの部分は、意識的無意識的に、失業の代りに学生生活をしているとさえ云って良い。そうすれば学生は一つの立派な職業[#「職業」に傍点]で、之によって学生は社会から一定の身分に相応する待遇をだけ期待する権限を受け取ることになる。
例の書生は併し決して社会の一隅を占めるこのような職業人ではなかった。彼等は云わば計り知れない無制限な可能性を蔵した限定し難い茫漠とした層であった。之に反して現代の学生は社会的にハッキリと制限された職業・身分を意味する。現代学生が小さく纏ったいじけたものになって来たのも、生意気に背広などを着て社会人並みに同化して来たのも、皆この結果なのである。で、学生は昔に較べるとずっと弱いもの[#「弱いもの」に傍点]になって来た。現代学生業はたしかに或る特権は持っているが、併し矢張り一種の「弱い商売」なのだ。
尤も今では昔の書生級であった連中が社会の支配幹部となっていて、その子弟が取りも直さず現代の学生なわけだから、現代学生はこの相当裕福になった親爺の仕送りを受けているので、昔程の貧書生でもなければ又今の親爺達自身程懐工合がいいのでもない。最近の統計を見ていないが、第一次世界大戦直後の好況期に於ける某帝大の学生の平均学資は八〇円だったと思うから、之で大体現在の彼等の消費能力も見当がつくだろう。
処でカフェーの問題になるのだが、実は現代学生の享楽上の消費能力及びそれに基く享楽上の趣味風俗が、カフェーの存在と非常によく相応しているのである。カフェー発達の初期には学生層からの援助が著しく大きかったのではないかと想像するが、その歴史は今日でも大して外見上は衰えていない。女と酒(多くは観念的な意味で――特に現代学生のために弁明しておく)が比較的安価に又安易に求められる処は、学生にとっては何と云ってもカフェーだったのである。――処がカフェーも段々高級になり待合化して来たので仕送りでチップを払う学生などでは持てなくなって、直接に資本からチップを払う頭の禿げた例の親爺階級(昔の書生の成人したもの)の方が大事にされるようになったので、学生はカフェーからさえも社会的冷遇を受けることになって来たのである。学生の比較的裕富なものとカフェーとの関係は今でも可なり宿命的ではあるが、併し学生大衆(?)はカフェー営業にとって段々どうでもいいものになりつつあるのが現在の与件である。そこで、保安部によるカフェーからの学生閉め出し案も初めて実行可能になるわけで、営業自身寧ろ之に賛成さえしているということは、大いに意味のある現象なのだ。
だが学生の社会的な弱り目の他にカフェーの問題に就いてもう一つ考えておかねばならぬ条件がある。学生を弱いものにした例の社会推移の、その同じ物質的原因が、最近カフェーにとってあまり有利でない社会的観念を発生させつつあるのである。半封建制的日本ファシズムの思潮は、まず第一にアンチ・モダーニズムの形を取って現われていることを注意しよう。この趣味は無論一種の復古主義を採用するのであるが、夫は同時に往々にして日本流の封建家族制度に基くアンチ・フェミニズム、云わば薩摩隼人式アンチ・フェミニズムを産み出す。この二つはカフェーの存在にとっては大きな敵でなくてはならぬ。親爺達の大部分は決してまだカフェーとモダーン女給との味方ではないのである。処が更に、このアンチ・モダーニズムとアンチ・フェミニズムとは、近代純粋資本主義的な消費生活(夫が所謂モダーニズムだが)に対する反感から出発して、一方勤倹主義に行くと平行して、他方尚武主義に行くのである。即ちアンチ・モダーニズムとアンチ・フェミニズムという一双の趣味風俗が、こうやって、夫々、勤倹主義(!)と尚武主義(!)という一双のファシズム式道徳にまで高められるのである。カフェーに特有なこの享楽主義を唯物論(?)(牛飲馬食獣欲主義)の一種と見るならば、この道徳は更に哲学的基礎づけにまでさえ高められるだろう(尤も実はブルジョアやファッショ達の方が銭使いが荒くて芸者好きだということは世間では能く知っているが)。でこうなると、カフェーはやがてダンス・ホールと全く同じ運命を辿らなければならぬということは、決定的に明らかだ。
さて今度は学生とカフェーとの問題だが、一方学生の社会的な弱り目につけ入り、他方カフェーの社会的不評判につけ入るとするならば、夫は全くたやすい企てでなければならぬ。すでにダンス・ホールに就いてはこの企てが着手されている。ダンス・ホールから学生を閉め出すことは、云うまでもなくダンス・ホールの弱みと学生の弱みとに同時につけ入る一石二鳥の試みだ。全く同じことがなぜカフェーに就いて不可能なのか、その理由を知るに苦しむ、とそう保安部長乃至保安課長が考えねばならぬことは、人性の自然ではないか。
学生業もカフェー業もすでに云ったように、「弱い商売」なのだ。と云うのは、之をいくら抑えつけても、世間が初めから之を白眼視し冷眼視しているか或いはしているような顔をしている以上、大丈夫世間から骨のある抗議は結局出て来る筈がないのである。尤も弱い商売にも色々あって、弱い商売でありながら仲々強いのもあるわけで、青楼などがその好い例であることはよく知れている。娼妓が自由廃業する際の楼主側と警察側との之までの多くの場合の関係を見れば、この弱い商売がどれ程実は強い商売かが判るが、カフェーももし大カフェーとして顔を売って顔役を出すようになれば、それは必ずしも弱い商売ではなくなるだろう。現に大カフェーの要求は警察側の学生閉め出し要求と、一致を見出していたではないか。――すると本当にいつまでたっても弱い商売は例の学生業の方になるわけで、それでなくても学生の要求の最も大きなものが警察側の要求と一致しない場合が多いのに(学生運動を参考)、そしてその点で元来学生は非常に「弱い商売」人だが、それが又ここでも、この要求の別な低級なはけ口に於ても、「弱い」商売人であることが判ったというわけなのである。
だが弱い商売は弱い商売として、なぜ、どこから、その弱みにつけ込む必要[#「必要」に傍点]が生じて来るのだろうか。尤も馬鹿を馬鹿にするのは自分を賢明にするに必要なことで、夫が道徳というものの一種の意味でもあるのであって、学生などというこの弱い商売につけこむことが、官吏の立身出世の種になり、夫が又社会の道徳のためにもなるなら、風紀警察上、或いは思想警察上から云ってさえ、之ほど結構なことは又とないかも知れないのだが。
[#改頁]
16 女性教育の問題
数年前迄の日本の学校教育は、一般的に[#「一般的に」に傍点]云えば可なりハッキリした[#「可なりハッキリした」に傍点]ブルジョア教育であった。一般的にというのは、主に男性に対する教育についていうことであり、この男性教育が学校教育及び社会教育の代表だということである。それから可なりハッキリしたブルジョア教育だというのは、日本の社会自身が所謂半封建的な基礎条件を有っているということに照し合わせれば可なりハッキリブルジョア的であるというのである。なる程尖端的風俗から云うと、鹿鳴館時代の支配層は一時全くヨーロッパ化した。それは云うまでもなく資本主義化したことに他ならない。だがこのヨーロッパ=ブルジョア風俗はやがて速かに清算されて了った。日本に於て社会を制約している半封建的な生産機構が、「上流社会」のこうした典型的なブルジョア風俗を大衆的に支持し維持するだけの条件を、容易には持ち得なかったからだ。風俗が多少とも大衆的にヨーロッパ=ブルジョア化したのはヨーロッパ大戦以後であって、それは実に日本に於ける科学的社会主義の発生と同時だったと云ってもいいだろう。ハイカラがモダーンにまで成長するには半世紀を要したのである。
だが日本の教育は必ずしもこの社会的条件をそのまま云い表わしてはいない。――ここで予め注意しておかなくてはならぬ点は、日本におけるこの教育(教育は元来常に社会教育[#「社会教育」に傍点]なのだが)が官僚的社会政策として発生発達したものであって、福沢諭吉等の例を除けば、殆んど例外なしに官製の欽定教育(?)だったと言っていいだろうことだ。その結果教育は社会教育(社会自身による自発的教育)よりも家庭教育よりも、より以上に学校教育[#「学校教育」に傍点]を意味せざるを得ない。日本ではドイツなどと同じに教育と云えばまず第一に普及した学校教育であり、而も広義に於ける官学教育を指すのである。今日の私立大学を初めとして一切の私立学校が殆んどすべて広義に於ける官学教育以外の本質のものでないことは、人の知る通りである。
でこのように、官僚政府による云わば人工的[#「人工的」に傍点]な政策としての日本の教育は、有態に云って社会の日本的現実との間に初めから相当のギャップを有っていたのだが、日本的現実が教育外の領域で、悪く(遺憾ながら悪く)尊重され始めたに拘らず、教育の伝統は依然として初期の日本官僚の資本主義保護培養[#「保護培養」に傍点](主観的にはとに角客観的にはそうなる)の人工政策の溝に沿って来ているのであるが、この伝統が本来、他の領域に較べて著しく資本主義的な性質を多分に有っているのである。例えば宗教教育にしても、教育勅語による肇国観念の養成を別とすると、名目上も実質上も信教の自由を強調しているし、読本の内容も相当インターナショナルであった。特に音楽に至っては日本封建期に於ける伝統音楽は、非教育的なものとして、或いは寧ろ反教育的なものとして、完全に教壇から駆逐されて了っていたのである。
最近、特に満州国独立事件を標識として、日本社会の日本的特色がヒステリカルに絶叫され、その結果教育も亦多分に漏れず国粋化されて来た。之が反コンミュニズム政策の必要からであることは云うまでもないが、従って学校に於ける宗教教育の必要も叫ばれるに至ったし、読本内容の国粋的な改纂も試みられた。音楽の嚮導学校[#「嚮導学校」に傍点]である上野の音楽学校(之は多分に社会教育政策的意義を有った学校だ)にさえ邦楽の正教授が出来上った。だがこうした教育の国粋化、つまり教育の半封建制的方向転換も、学校教育自身の伝統から生じて来たのではなくて、社会全般の思想的反動から結果したのである。かつて森有礼時代の文部大臣は社会の建設に対して嚮導的な意義を有っていたが、その後文相は大臣としては寧ろ不名誉な伴食大臣ということになって了った。最近では文部大臣は軍人教育の一種の補助官の慨さえなくはない。それ程学校教育(社会教育は文部省よりも内務省のものであり家庭教育はより下級な警察の所管であるらしい)は、社会機構の政治的圧力によって外部から押されているのであって、学校教育が社会教育によって左右されることは実は当然そうなくてはならぬことであるにも拘らず、相当ハッキリとブルジョア的性質を有っていた学校教育の伝統にとっては、之はやや偶然な原因に基くものと云わざるを得ないわけだ。
尤もこう云っても日本教育の本質である真正正味の半封建性[#「半封建性」に傍点]を私は少しも軽んじようとするのではない。之こそ実は日本教育の伝統の本質だ。だがそれにも拘らず他のイデオロギー的・習俗的・活動に較べて、これが可なりハッキリとブルジョア教育のものであったと云うまでだ。
処で以上は学校教育を代表とする日本教育の一般[#「一般」に傍点]に就いてであり、つまり男性教育を代表とする限りの教育に就いてであるが、特に女性の教育に話しを限定して見ると、事情は可なり異って来る。云うまでもなく、女性は、日本に限らず家庭的存在と考えられている。そして家庭なるものは制度の内で最も日常的で習俗的なリアリティーを有っていて、人間の情意活動の最も具体的な発現の場所はここにある。之は何も家庭が人間生活の本源だということではなくて、家庭がそれだけ資本主義的変革からおき去られるものだということを語っているに過ぎない。一切の国に於て家庭は多少とも封建的な形質を保有している。資本主義の発達は家庭生活、特に家庭労働の形態、を充分に社会化[#「社会化」に傍点]することが出来なかったからだ。封建領主を手本とする家父長制は資本主義の発達と共に次第に弱まり、又家庭の主婦はパンのし棒から多少とも自由になったのは事実だが、併しドイツ人の云うように、三つのK(Kleiden,Kuchen[#Kuchenのuにウムラウト(¨)],Kinder)は依然として主婦=女性一般の労働内容であり、これはいまだにどこの資本主義国でも大衆的[#「大衆的」に傍点]には(有閑マダムは別だ)社会化されていない処のものだ。家庭は資本主義社会に於ける封建遺制の孤塁である。
この点日本が世界の模範であることは、日本婦人の美徳として讃えられている処である。外国人の旅行者はこの美徳を失礼にもゲーシャ・ガールの内に、振り袖の裏に発見する。最近の例はコクトーなどというフランスの文士の言動だ。彼の言葉によると日本人はなぜあの美しいキモノを着ないで洋服などを着るのだろうかというのである。この国際観光局的現象は、実はやがて国際文化振興会的現象なのであって、日本婦人の美徳は実に国辱映画的な本質のものであるわけだ。
さて日本の女性教育に就いては有名な『女大学』が存在している。女大学が封建的社会秩序、実は封建的生産生活の体系、を露骨に擁護したものであることは言を俟たぬ。「婦人は夫の家を我家とする故に唐土には嫁を帰るというなり仮令夫の家貧賤成共夫を怨むべからず天より我に与え給える家の貧は我仕合のあしき故なりと思い一度嫁しては其家を出でざるを女の道とす」。「婦人は別に主君なし夫を主人と思い……女は夫を以て天とす返々も夫に逆いて天の罰を受べからず」。かくて女は夫を主君とする封建的家庭の人的労働用具に他ならぬ。人的労働用具乃至労働力は最も経済的でなくてはならぬ、「下部あまた召使とも万の事自ら辛労を忍て勤ること女の作法也」、「朝早く起き夜は遅く寝ね昼は寝ずして家の内のことに心を用い織縫績緝怠べからず又茶酒杯多く飲むべからず歌舞伎小唄浄瑠璃等の淫たることを見聴べからず」云々。
福沢諭吉が『女大学評論』と『新女大学』で之を一々批判したが、日本の資本主義が帝国主義の段階に入り金融資本の要求の下にファッショ化しても、この点は根本的には改められない。否ファッショ化の下には却って日本の女性は支配者の手によって実に無謀無責任にも、愈々家庭化され封建化されることになって来たのである。結婚難(之は男性の就職難に随伴する現象に過ぎない)という資本制の矛盾は、女性を封建家庭化することによって救済されるかのような神話が作り出される(花嫁学校)。女性の知能教育として意味のある女学校の英語を廃止せよという議も生じて来る。職業教育を意味していた女子の専門学校は、最近入学者の数を著しく減少しつつある。失業者を家庭へ吸収させるために、女性は社会から家庭へ追い込まれる。そのために必要なのは女性の社会的低能化でなくてはならぬ。之は日本に限らずドイツ・イタリヤなどの支配者の社会教育方針なのだ。――日本女性の教育が、男性教育に較べて著しく封建主義的であり、而もそれが最近の数年間に於て甚だしく強調されだしたことは、資本制下に於ける女性と家庭とのくされ縁から云って、宿命的なことなのだ。
女性と家庭とのくされ縁と云ったが、このくされ縁は資本主義下に於ける特色であることを忘れてはならない。と云うのは前にも述べたように、封建的家庭秩序は資本主義の成長によって次第に破壊されたにも拘らず、資本主義自身は家庭と資本制自身との矛盾を遂に解くことが出来ないのである。過剰労働力がうようよしていて夫が頭痛の種でさえある処に、特殊な女性向き労働を除いて、不熟練な婦人労働力など何の必要があろう。従って家庭労働を社会化し主婦や娘達を生産場面へつれ出すことは、一般的に云うと資本には何等の興味のもてないことなのだ。この際に男女同権の叫びなどは、それが何か或る一つの恐るべき勢力と結びついて恐怖とならぬ限り、資本の耳に訴えることの出来る筈はない。ブルジョア・デモクラシーの発達が低い日本に於ては特にそうだ。
ソヴェート連邦に於ける女性は男女平等に社会的教養を得られる組織になっている。単にそういう方針があるだけではなく、そういう方針が成功する社会的機構があり、そして事実相当の程度にまで夫が成功している。と云うのは、他のことは論じないとしても、ソヴェートに於ける家庭労働は、目的意識的に社会化[#「社会化」に傍点]の過程を進められつつあるのである。共同食堂・託児所・同棲生活の自由・等々の発達が之を示している。ここでは女性も亦労働の権利を憲法によってのみならず社会の実地に於て、与えられている。而もそれは女性の母性の保護の下にである。ヨーロッパ大戦に於てはヨーロッパの交戦国の女性は、男性の手不足のために生産労働にかり出されたが、併し狡兎死して走狗烹らるの譬えの通り、資本の必要から見て不用になった彼女達は、忽ち家庭へたたき戻された。それを最も痛切に身にしみて感じねばならなかったのは今日のドイツの無産婦人だったろう。尤も戦時共産主義時代のソヴェート労働婦人も、やがて労働力の不熟練による低質のために、次第に淘汰されたという事実は忘れられてはならぬ。特に新経済政策以来そうなのだ。だが、之は社会機構の問題ではなくて女性の教育程度(労働能力の教養)の問題であり、だから女性の教育が社会的に発達すればよくなる事柄であり、而も女性の教育を阻害する反動的な必要はどこにもないのであり、のみならず女性の教育を男性と同等に、なお又資本制的教育より遙かに矛盾なく、促進する社会的条件自身が、そこには備わっているのである。
だが女性教育の日本に於ける反動振りは、必ずしも資本主義の発達が後れていたということだけでは説明出来ない。資本主義が日本よりも遙かに後れている中国に於ては、ヤンガージェネレーションの女性インテリの社会的地位は、平均して日本よりも確かに高いと云わねばならぬ。之は結局に於て現代支那に於ける女性の社会教育が、少なくとも部分的には可なり進んでいることを物語っているだろう、教育の理想は元来、一つのイデオロギーとして、国際的な可動性を有っている。之は日本にも支那にもそのイデオロギー的影響を有ち得るものなのである。ただ支那に較べて、半封建的残滓が社会の基底として政治的に遙かに強く制度化されている日本の、法治的秩序の良さが、この影響の自由を妨げているのではないかと考えられる。恐らく中国ではその法治的秩序の不統一のために却って、丁度日本の維新の初期がそうであったように、この教育の理想(つまり社会の理想だが)が比較的正直な影響を或る一部の進歩層へ与えることが出来るのではないかと思われる(但し中国の女性教育に対する進歩的影響は、日本の明治中期以来のような一種の退化を招くことは当分はあるまいと想像する。なぜなら支那は内部的な動きを当分続けて行くだろうから)。
だが日本の家族制度が、女性の社会化を妨げつつある処の原則であるにも拘らず、又この社会化防止・家庭的強制の強調にも拘らず、この事情が徹頭徹尾反動に過ぎぬということは云うまでもない。と云うのは、こうした条件、こうした動きは、大勢の運動方向の必然性を、結局に於てどうすることも出来ないのである。現に日本の家庭は刻々に破壊されつつある。家庭を離れた農民は続々として都会に侵入しつつある。夫が都市膨張の一つの有力な原因になっているのだ。職業婦人は年々増加しつつある。之は今の処、それだけ家庭結成の延期を意味している。こう云った状態は女性を封建家庭的な生物として取り扱おうとする支配者男性にとっては全く失望に値いするものであり、又自分を封建家庭的な存在としなければ幸福を感じないような婦人の甘味な夢にとっては極めて不幸なことだ。だがこういう不幸の感情の原因は、この家庭崩壊という事情自身にあるというよりも、寧ろ、この崩壊する家庭に社会的利益の最後の望みを託している社会教育者や女子教育家、「識者」や婦人雑誌の「記者先生」にあることを忘れてはならぬ。春秋の筆法を以てすれば、婦人ジャーナリズムこそは現代女性を不幸にしている責任者の第一人者であるかも知れない。
併し現に日本の家庭は崩壊しつつある。その結果女性は家庭から社会へ、いやでも投げ[#「投げ」は底本では「役げ」と誤記]出されつつあるのである。処がこの不幸こそは正に女性にとって何よりの教育[#「教育」に傍点]になっているのだ。如何なる女性反動教育家もこの教育的効果に就いては悪口を云うことは出来まいし、又無論之を妨害することも出来ない。女が医学博士や何かになることは、日本の文化の発達を意味するものだと云わざるを得ないだろう。職業婦人や之と風俗上或る共通な前進を共にしているモダンガールや女学生も、男達が実際そういうタイプの女を好きで夫が殿方の要求に適しているとすれば、嫁入り前の娘をかかえた親達は、もう何も云うことはなくなる筈である。キネマやレヴューも今日では最大の女性教育機関である。校長先生の人格を以てしても一ターキーのサインやディートリヒのイットの教育的威力には敵わないのだ。封建武家の生活からの伝統にすぎない各種のお作法やお行儀も、洋装の制服の前には滑稽なファースにしか過ぎなくなる。実際このおかげで娘達の脚は急速に長くなったのであり、それから見ると彼女のお袋達のヨチヨチあるきは醜悪で不作法なものとなった以上、誰ももはや之を非難する勇気を有たない。体育やスポーツ(体育とスポーツは元来別で特に或る政治的な必要の下にのみ一致させられているが)に於ける女性の進出は、女性教育の成功でこそあれ、女性の堕落だとは誰も云うまい。
だがこうした女性の教育上に於ける進歩は、反動的な日本の教育者にとっては、その三分の一は意識的意図に基いているが、残りの三分の二の半分は無意識的なものであり、あとの方の三分の一は全く意図に反したものに他ならない。つまり女性は支配者の教育方針とは半ばは独立に、自分で自分の教育を行いつつあるわけなのだ。そして女性教育の問題はこの自己教育の方向にあるのである。女性を教育するものはだから現代、何よりも社会の転化そのものであると云わねばならぬ。今日の女性教育にとって最も有効な手段の一つは、女性が封建的家庭から独立することだ。之が資本主義下に於ける女性教育の根本的矛盾を解決するに必要なコースである。だが本当に封建的家庭から女性が独立出来るということは、つまり現下の資本主義下に於ける家庭の崩壊と共に、之を合理的な結婚形式に高められる新しい性関係のなり立つ社会の建設の他にはないのである。モダンガールの類はここまで問題を押し進めていない。だから彼女達には単なる無能な不平とニヒリスティックな快楽以外に生活の開放がないのだ。――でそうなると問題は単なる女性[#「女性」に傍点]の問題でもなく、又単なる教育の問題でもない。この問題は大衆の階級的動き[#「階級的動き」に傍点]の他には実地の解決を見出だすことが出来ないということになる。女性教育に就いてすぐ様思い浮べられるのは男女共学の問題と広義の性教育の問題とである。だが日本の現状では(尤も日本には限らぬが)夫をこの大衆の階級的動きから割り出さぬ限り、男女共学も性教育も決して実を結ぶことは出来ぬ。婦人参政権問題も廃娼問題も皆そうだ。――教育の根柢は学校でも家庭でもなくて正に社会だ。そして女性教育の根柢は女性の問題や教育の問題にあるのではなくて、正に社会の階級的動きの問題にあるのである。
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17 現代青年子女の結婚難
結婚生活に這入ることが、社会生活として、とに角容易なものでないという意味なら、結婚難は昔からあったわけだ。極度に貧困な男や、色々の階級の売女達は、昔から結婚難であった。彼等は、少なくとも世間からレッキとした夫婦関係と見做される一夫一婦制度に則った性生活には、容易に近づくことが出来なかったのである。之は要するに貧困から来た。
だから結婚というこの制度は従来、社会に於て相当な位置を占めているような階級の人間だけにとって当り前至極な制度であり、大して苦しまなくても這入ることの出来た制度であったが、他の相当少なからぬ数の下層の男や女にとっては、羨しくても手のとどかない社会制度だったわけである。
而もそういう社会で通用する道徳は、一夫一婦制度が神聖犯すべからざる鉄則だと教えるのだから、結婚したくても出来ない男女、而も正式の結婚によらずに何かの様式で性欲や愛情を満足させねばならぬ男女は、社会の道徳によって極度に虐待される。侮辱されたり後ろ指を指されたり、権利を蹂躙されたりする。最近或る愚昧な一群の「名流婦人」達が、公娼制度の擁護を叫んで起って云うに、良家の子女の貞操を保護するためには公娼という官許の売淫制度が社会風教上必要だ、というのであるが、こういう馬鹿げた考えも案外従来の常識とひどく距ったものではないのである。
併し何と云っても、家族の財産に基く一夫一婦制に則った所謂「結婚」なるものは、従来の日本の社会に於ける男女関係の最も公的代表者であることは云うまでもないので、徳川時代の封建制の下では、この結婚なるものが大抵の武士や町人や百姓達にも実行出来るものであった。この点明治時代に這入っても大した変りはなかったようである。でそういう場合には、実際は社会の至る処に結婚難があったにも拘らず、結婚難という事実が、まだ問題にならずに済むことが出来た。社会の相当の階級では、大体に於て、結婚難は例外のような場合でなければ決して起きそうになかった。娘達は年頃になれば、何とか親達の手によって、どこかの男の妻として片づくことが出来た。普通の家庭の十人並みの娘なら、この点安心していられたのである。
結婚難ということがやかましくなり、重大な社会問題になって来たのは、大正の末期からであるように思う。その頃から事実結婚難が大きくなって来たのが根本の原因だが、その結果として、結婚難ということを世間の人間がハッキリ認めて口にすることが流行になって来たのである。
ではなぜ結婚難がこの頃から増大したか。結婚難の原因は色々と挙げられている。女学生教育が普及したために、勉強のおかげで婚期を失するのだという考えもあるらしいが、この説の辻褄の合わないのは勿論だ。皆んなの婚期が延びるのだから、それだけ年を取っても婚期を失うという筈はないのである。結婚適齢期は段々後れて来つつあるのである。娘達の眼が肥えて来て、要求が贅沢になったから、というのも聞えない。男はそれ程屑ばかりでもあるまい。又職業婦人になる者が多くて、その職業婦人という独立な生活の自由を失うのが嫌だというので結婚拒絶症になっているのだ、という説明も見かけるが、それは大体から云うと嘘で、職業婦人は年齢の関係もあって、最も結婚を熱望している女群なのだ。ただ事実、なぜか結婚が出来ないのである。之はという相手に出会わないからである。
だが一番間違いのない処は、結婚難が大部分男の側の就職難[#「就職難」に傍点]に原因しているということだ。独身の男達が就職難なので、結婚しても女房を養うことが出来ぬという事情があるから、聡明な男や女は、結婚という生活を拒絶せざるを得ない。之を男の意気地なしと云おうと、女の贅沢と云おうと、女の理想が高すぎると云おうと、我儘と云おうと勝手だが、とに角若い男女の欲望や愛情の如何に関らず、社会の経済関係がそうなって来ているのだから、仕方がない。なる程無理をすれば出来るような結婚もあるが、そうまでして経済上の苦痛を忍ばねばならぬ程、青年男女は「結婚」というものの権威[#「権威」に傍点]を信じていないことも事実なのである。無論結婚という形式は好い華かなものだが、その反面には忍ぶべからざる苦痛と気づまりと絶望とがかくされているという真理を、実は今日の男も女もすでに知っているのである。結婚という制度は青年子女にとっては、痛し痒しの制度となりつつある。そう感じられるのは、結婚難というものが、ごく普通な現象と見える程にこの社会で増大したからなのだ。
つまり今日の所謂結婚という古来からの社会制度が段々矛盾を持って来るようになって来たのであり、又現代の青年子女がその矛盾を愈々切実に感じなければならぬ破目になって来たのである。処が結婚制度のこの矛盾は、さっき云ったように、就職難という経済生活の矛盾から、出て来るのだ。就職難ばかりではない、その裏には事業の失敗、商売の失敗、賃銀の低下、生活費の高騰、失業、こうした一切の社会の矛盾がひそんでいる。一般にこういう経済生活の矛盾から、結婚という社会制度が事実上行なわれ難くなり、それが結婚難というものになって来ている。男が悪いのでも女が悪いのでもない。社会のこの矛盾は大正の末期から著しく感じられるようになった。
之は今更私などが説かなくても知れ渡った常識なのだが、それよりももっと手近かな打開策を聴かせて欲しい、と読者は云うかもしれない。私でも、仮に自分を結婚適齢期の娘と仮定すれば、色々私独特の求婚工策がないでもない。併しこの工策は、私がインテリ娘であるか、お百姓の娘であるか、地主の娘であるか、ブルジョアの娘であるか、商人の娘であるか、職工の娘であるかによって、或いは又、私がオフィスガールかバスの車掌か、女教員であるか商売女であるかそれともただの娘や女学生であるか、などによって、別々でなくてはならぬ。女性よ、聡明になり活発になれと云って見た処で、又女性よ女らしくなれと云った処で、そんな一般的な処方は役に立つまい。
ただこういうことは考えられる。結婚難かどうか知らないが、少なくとも結婚の条件を悪くしているものが、日本で男女交際の発達していないことだ、ということは一考に値いする。封建時代には職業が世襲であったように結婚範囲も世襲のようなもので、旗本の娘は旗本の息子へ、町人は町人へ、という具合に、数から云っても大体つり合うことが出来たので、深窓の内にだまって坐っていても縁はいつかは降って来たが、資本主義時代にはそうは行かない。結婚も亦ここでは出世と同じに銘々の個人の手腕によるわけだ。この手腕を発揮出来るチャンスが男女交際なのだが、日本で夫が発達していないのは、とに角結婚の条件として悪い。つまり自由恋愛という特別な結婚の予備生活のチャンスがないのである。日本の社会では恋愛という制度[#「恋愛という制度」に傍点]がないのだ。恋愛はただの間違い[#「間違い」に傍点]にされている。
処がこの男女の交際、自由恋愛のチャンスは、最近とに角多少は開拓されて来ている。一般の社交というものが開けて来たからでもある。キネマやスポーツや、オフィスに於ける事務やは、若い男女の公然たる接触と、共通の生活内容とを齎した。併し皮肉にもそれと全く平行して、結婚難は増々増大して来ているのはどういうわけか。男女の社交は勿論結婚の条件を甚だ好くするもので、絶対に欠くことの出来ぬものだが、之を結婚難の解決だと思い違いをしてはならぬ。
リンゼーの友愛結婚は一見、この結婚条件の改良を意味しているようだ。恋愛から這入って試験的に結婚して見て、悪かったら解消しようというのである。だが同時に之は結婚難の一種の解決でもあることを注意したい。なぜかというとその内にはすでに産児制限が含まれている。試験結婚中は産児制限をするわけだが、この産児制限の実行が不可能ならば友愛結婚は今の処無意味に帰する筈だ。と同時に友愛結婚は一夫一婦の肉体関係を絶対視しようとする従来の結婚観念を是正するものなのだ。これまでの貞操観念は一夫一婦の肉体関係が絶対だということだったが、この貞操観念をもう少し実際的なそして精神的なものにしたことでもある。産児制限が自由に行くなら結婚して最も負担になる分娩育児が自由になるのだから、結婚はその大部分の困難を失うし、結婚が試験的に出来て而も無貞操を非難されないのなら、無意味なまでに結婚に対して「慎重」である必要もなくなる。之は確かに今日の結婚難の一部分の解決だ。実際、男女は別々に生活するよりも、一組ずつ共同生活[#「共同生活」に傍点]をした方が、経済なのである。
尤も私は之を結婚難の根本的解決とは思わない、大衆的失業がなくならねば、そして之と無関係ではないが、今日の「結婚」という社会制度の持っている財産上の関係が変革されなくては、要するにこの社会の経済的機構が根本的に変らなくては、結婚難の源泉は根だやし出来ぬ。之は空想ではなくてソヴェート・ロシアあたりで現に部分的に実現している処だ。その代り、その場合の結婚[#「結婚」に傍点]というのは、今日日本の上流家庭の奥様やお嬢様方があこがれているような、ああいう内容を具足したものでは恐らくないのだ。で、いずれにしても、今のままの結婚を理想とするような結婚は、依然、否全然、困難だ。併し仮にリンゼーの友愛結婚のような打開策でも、今日の日本の上流夫人令嬢方のつつましい女らしさを狼狽(?)させるに充分だ。だからどっち道、今のままの結婚理想の下では、結婚難打開の根本策は無いということになる。
結婚という観念なり理想なりを変更しないと、結婚難は消えない。要するに「結婚難」と今日云われている処のものは解決不可能なものだというのである。ではどう変えるか。一例は家庭というものである。女達は結婚前も(結婚後はなお更)、結婚は男と家庭生活を持つことと思っている。その言葉は好いが、どういうことかと思うと、職業婦人は社会に於ける職業生活をやめることであり、ただの娘達はなるべくボーナス(?)の多い家庭労働へ就職することである。いずれにしても社会的労働の代りに「家庭の人」となるのである。社会の代りに家庭に這入るということが、女の結婚だ。処が男にとっては、まるでそうでない。これは男の結婚と女の結婚との悲しむべき食い違いだ。而もこの男と女とが一緒に暮すのである。その結果はどうなるか。それは奥様方の充分御承知のことだ。
結婚という観念を、家庭主義から解放せよ。現にアパートなどというものが家庭を建築上の造作から変えてかかっている。日本の家庭は今、日一日崩壊して行きつつある。廃墟に立つことを欲しない青年子女は、その結婚の理想から家庭主義を捨てよとか家庭を有つなというのではない。家庭だけを頼りにして結婚生活が出来るという迷信から醒めよというのである。家庭を持ちながら、出来るだけ社会的職業を持って社会人として独立することを理想とせよ、というのである。
尤も之は理想だ。現在の日本の家庭は、家族銘々の習慣から云ってこの理想には極めて不向きだし、それに第一社会に於ける就職難自身が絶大なのだ。そして家庭の矛盾となって現われている炊事や育児を社会的に合理化す社会施設はまるで省られていない。だが理想は理想であり、真実なのだ。少なくともお嬢さん方(と云うよりも奥さん方と云った方がいいだろう)の所謂「結婚」という理想よりも、先々の見込みのある理想だろうと思う。
女が働きに出れば、ただでさえ就職難な亭主達は愈々困るだろう、と云うが、夫は全くそうなのである。だがそうだからと云って、ヒトラーのように、女の七児生産を奨励するような家族主義が、民衆の幸福を愚弄するものであることに変りはない。独りドイツのヒトラーに限らぬ。日本でも今日、この家族主義は甚だ無責任に旺盛である。この家族主義は社会に於ける就職難を弁護している。だから結婚難を弁護しているのも亦実に、この家族主義、家庭主義だということになる。夫が例えば花嫁学校主義なのだ。
そんなまわり遠い社会政策ではなくて、私の年頃になった娘の縁談を早く何とかして呉れというかも知れない。それなら私はこう云おう。何、その内いつかあります。世間が結婚難だからと云って、何も貴女の娘さんに限って結婚出来ないということにはなりません。世間は世間、貴女は貴女というのが貴女の建前ではありませんか。それから、結婚難は世間の社会の問題ですから、之を解決したって貴女のお嬢さんの嫁入口が決まるわけでもありません。結局貴女は結婚難など問題にする必要はなかったのです、と。――個人々々が自分やお友達の結婚ばかり考えている限り、結婚などという社会問題[#「社会問題」に傍点]はどこにも存在しない。結婚難を問題にしたいなら、社会問題――社会自身の矛盾――を問題にしなければならぬ。処で家庭主義者には之は一寸無理な注文だ。尤も手近かに自分だけの結婚が問題なのなら、コケットリーというもので充分実際的に役立つだろうとも、私は思っている。
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18 大学論
一 私大と帝大との同質化[#この行はゴシック体]
私立大学が問題になるのは主に帝大との対比に於てである。大学として歴史の古いのはいうまでもなく東大・京大などの帝大であり、之と比較するに充分古い伝統を有っているものが所謂私学=私立大学だからである。尤も今日の私立大学が文部省的な資格に於て大学となったのは十五六年前のことに過ぎず、その点だけから云えば他の官公立大学と違いはないが、併し帝大を含めての官学に対立したものは、明治時代からの専門学校の資格としての私立「大学」だったのである。
帝大がかつて官僚政府的な要求から主に行政技術家と産業技術家其の他を養成することに勢力を集中したのに反して、私立(六大法律学校の後身――特に慶応と早稲田)は新興ブルジョアジーの観念上の要求から、主に政治家や産業金融実業家の候補者を産み出す結果になった、と大体云っていいだろう。私立大学が旧く官学に対抗して私学の自由を高唱し得たのは全くこうしたブルジョア自由主義乃至ブルジョア・デモクラシーの観念を根拠としてであった。大隈伯の自由と云い福沢翁の実学と云い、いずれも半封建的な資本制日本の官僚的支配に対する反抗が、学問乃至教育の方針として具体化されたもので、官学的アカデミーの標準から見れば、昇格以前の私立大学(専門学校)は確かに学究的な権威に於ては到底帝大の敵ではなかったのが事実だが、併しそれだけに一つの独立不羈な生活意識に裏づけられていたので、単にブルジョア政界や財界に於てブルジョアジーの自信ある前進に沿うて進取の歩武を進めることが出来たばかりでなく、文学運動や文筆活動に於ても帝大の追随を許さぬものを示すことが出来た。
併し考えてみると、こうした私大と帝大、私学と官学、との対立はそういつまでも続くことは出来ない筈であった。日本の新興ブルジョアジーと官僚政府との妥協の結果が段々熟して来るに従って、ブルジョアジーと官僚との経済的政治的社会的な役割に於ける区別やまして対立は、追々意義を失って来て、官僚の独特の役割はブルジョア社会そのものから浮き上り、単なる行政事務上の意味しか持たなくなった。ブルジョアジーは本来受けた半官僚的な変形なりに、そのまま官僚そのものから離れて、社会の行動と意識との指導的な担い手となった。
ではその結果、官僚系にぞくする帝大の方はブルジョア社会の地盤から浮き上り、その代りに私立大学の方はブルジョア社会の肉体に潜入して著しい発展を遂げたかというと、事実は全く反対だったのである、世界大戦の直後以後は日本のブルジョアジーが外見上最も華やかだった頃で、今日と違って官僚の社会的役割などについて思い出す人さえない時期だったが、私立大学が新大学令によって帝大並みの「大学」に昇格し、文部省という教育官僚府のより直接な統制下に編成されたのは、恰もこの時期だったのだ。
だがこの現象はこういう風に説明されるべきである。私大が帝大並みとなり、結局本質に於ては第二義的二流帝大として帝大の一部に繰り入れられたことは、別に旧来の私大が、曾てその当の対抗の対手であった旧来の意味で[#「旧来の意味で」に傍点]の帝大に帰順したのではない。それより先に、帝大そのもののブルジョア社会に於ける意義が変って来ているのであって、名は同じ帝大でもその本質は別のものになっていたのである。と云うのは、半官僚的ブルジョア社会の発達の上からの[#「上からの」に傍点]促進のために維新以来国家の支配幹部の候補生を収容する筈だった帝大も、ブルジョアジーの外見上の華かさが意味する社会的部署の安定によって、もはやそれ以上の官僚的幹部を養成する必要を持たなくなった結果、帝大は改めて単なる市井の授職機関にまで変質したのである。私大も亦初めから市井のあまり活発ではないにしても授産場であったのだが、この市井のサラリーマン市場が、官僚市場と対立する必然性を失った以上、帝大と私大とは、今では殆んど同じブルジョア社会の市井的な授産場として、同じ本質のものになって了ったのである。
だから、私立が帝大並みに昇格したのは、実は私大が帝大に屈したのではなく、云って見れば帝大が私大に屈したようなものなのである。――だが学術授産場という資格に於ける大学にして見れば、大学そのものとしての比重の大きいのは矢張り帝大なのだ、そこで帝大を屈服させた私大も、その大学の学術機構という内容から云えば矢張り帝大に屈して之を模倣せざるを得ないのであり、かくて私大は今日、二次的な亜帝大として繁栄しつつあるのである。之はローマを征服することによってローマ文化に征服されたヴンダル人のようなわけだ。
実際今日の私大は、善い意味に於ても悪い意味に於ても、帝大と本質上少しも変る処はない。官吏や半官立的銀行や重要産業工場への進出も、今は帝大だけが享受する特権ではなくなった。学究的な水準から云っても、あまり大した区別を両種の大学の間に見出す事は出来ない。――尤も之は歴史の波の割合大きなうねりに注目する限りそうなので、もっと微細な顕微鏡で臨めば、以上の点だけを限って見ても大いに私大と帝大との差別はあるのだが、併し二つが段々その実質上の資格に於て接近しつつあるという方向は、その際にも依然として動かない処である。だからもはや今日では、私立は自由で帝大は官僚的だ、などという世迷いごとは通用しない。帝大は官僚的な圧迫に対しては甚だダラシがないが、同時に社会的市井的な圧迫に対しては私大が最もダラシがない。帝大は市井から制約を受けることが少ないが、それと同程度に、私大は官僚的制約から依然として自由だ。例えばだから現代日本のファッショ的圧力に対してどれが強くてどれが弱いなどとは云えないのである。
にも拘らず一つ見落すことの出来ない違いは、帝大には殆んど名目上に過ぎぬとは云え教授会乃至評議会としての大学自治組織があって、それが対政府的にも対社会的にも、又対学内的には無論、或る程度まで効力を有っているという点だ。之は帝大教授の一種の学術的実力(有態に云って一般に帝大の教授の方が私大の教授よりも今でも少し学究的に水準が高い)と相俟って、一種の自信を、少なくとも過去に於ては産み出した。と同時に、官僚的政府的支配は帝大に対してヒエラルヒーを通じて間接にしか伝達されないということもここに関係している。――処が私大には実際上教授団のそうしたギルド的抗争組織は発達していない。私大の法人の理事である私大経営者乃至企業人は、教授に対して直接に又各個にさえ交渉を有つことが出来る。私大教授が大学当局に対する態度は、帝大教授が大学当局或いは寧ろ文部省当局に対する態度に較べて、決して尊敬すべきものとは見えない。
教育営業の意味を何と云っても脱することの出来ない私立大学は明らかに一つの利益団体である。この学校会社の最後の株主は、仮に各人の持株の数は少なくとも、所謂「校友」乃至「先輩」なのである。大学当局者はこの「校友」の代表者であり、学生はその候補者であり、教授は自身校友でない限り一時的な使用人である。ここから特別な「愛校心」が産まれたり、又勇敢な「応援団」が出来上ったりするのである。私立大学生にとっては、仮に自分が籍を置いている大学の実質が悪くても善くても、とに角その大学は自分[#「自分」に傍点]の大学なのである。自分をこの利益社会の一員と考えるのである。処でこういう利益団体としての私大が成立するのは、単に大学企業自身が利益があるからだけではない、実はこの営業自身が実際社会に於ける何等かの利益地盤に相応しているからなのである。
之は帝大出の「学士様」がかつて官吏就職という立身出世の利益地盤をあてにしたのと変らないが、併し帝大は営業の形を取らずに国家財政の方針を回り道にして来るから、私大程活発には実際社会の昨日今日の利害関係に影響されない。私大では商売にならないような学科や講座でも、帝大ではある時期迄は保存される。――でこう考えて来ると、矢張り私大よりも帝大の方が、まだ多少学問的な自由の可能性の余地があるかも知れない、という差違が発見されるのである。ただその所謂学問の自由[#「学問の自由」に傍点]ということの意味が、更に厄介な問題なのだが。
二 学職ギルドとしての大学[#この行はゴシック体]
大学のUniversitat[#Universitatのaにウムラウト(¨)]なるものは教権からの大学の独立自治を意味する。それは一方に於て学の自由という理想を云い表わすと共に、他方に於て教授乃至学生を含む学職団の社会的自由を云い表わした。無論そうは云っても、大学がカトリック教権から独立であることは、哲学乃至科学が神学の要求と矛盾する時、前者が後者の支配に無条件に屈服せねばならぬという、学問上のヒエラルヒーを除外するのではなかった(「哲学は神学の婢女」)と同時に、大学学団のギルドがカトリック的(封建的)社会機構の限界内に於てしか自由でなかった、ということをも妨げない。中世の大学の独立自治と中世のカトリック教権との矛盾を蔵しながら、依然として中世的秩序に包摂されざるを得なかった処の、大学の状態を示すものに他ならなかった。
教権から実質的に自由になったもの、即ち単に教権と撞着するだけではなく、教権に対抗し之を批判し得たものは、実はブルジョアジー(イタリヤやイギリスに於ける)の好奇心に充ちた商業会議所ともいうべきアカデミー[#「アカデミー」に傍点]であった。従ってこのアカデミーは又おのずから中世的「大学」と対抗し、之に代るものとして現われた。今日のブルジョア大学の組成の一半はこのブルジョア・アカデミーの延長と見ていい。一方フランスの宮廷貴族達は虚栄心に充ちた芸術の消費会議所ともいうべきサロン又はシャンブルを持った。今日のブルジョア芸術のサロン又はアカデミーは之からの変質と見ていい。尤も学問界では現在、大学と呼ばれるものとアカデミーと呼ばれるものと区別されているが、その区別の要点の一つが、学生を有っているかいないかにあることは、今特に注意に値いする。
現代ブルジョア大学は元来、学職ギルドと教権批判の自由(大学の自治と・学の独立)の名義を帯びている点で、中世的大学と初期商業ブルジョアジーのアカデミーとの総合という、形式上の資格を持っている。処で教権批判の初めに当ってこそ、この学職ギルド組織は欠くことの出来ない実行的組織であったのだが、強権批判という当面の課題が重大性を失い始めて教権批判の自由が一般的な批判や学の自由にまで抽象化されると、この学職ギルドの実行的組織としての価値が消滅し始めるのである。つまり充分に発達したブルジョア社会に於ては、大学という学園乃至学団組織は、批判の自由や学の独立を護るための実行的組織としては、殆んど無力とならざるを得ないのである。一体発達したブルジョア社会に於ては、中世紀的残存物の形をもった学職ギルドの如きは一つの神話的存在であって、之を信頼することは一つのユートピアに他ならない。
そこで学職ギルドとしての大学はその解体作用を早晩発生させるのだが、日本では夫が教授団と学生大衆との物質的な又理想上の分裂という特別な形をとって現われている。大学はその主体乃至自治権所有者から学生を除外することによって、中世的共同社会から単なる市民的利益社会にまで分解発達する。之は大学に於ける大学[#「大学」に傍点]の自治(ギルドの自由)と学[#「学」に傍点]の独立(批判の自由)との元来の矛盾が洗い出されたことに他ならぬのであって、「大学」と「学」とが分裂し始めるのだから、世間では之を大学の転落[#「大学の転落」に傍点]と呼ぶのである。こうしてブルジョア大学は次第に高まる必然性に従って、大学内部だけから云っても、大学当局と学生大衆との分裂対立を惹き起こさざるを得ない。之が例えば学生の左傾[#「学生の左傾」に傍点]というものに他ならぬ。
学職ギルドとしての大学学団が分解する過程だけを抽出すれば、こうした契機が現われるが、併しこの大学学団が分解した結果何になるのかという契機を抽出して見ると、単に教授団当局が市民的利益社会として再構成されるだけではなく、学生をも含めた学団全体が又、当然一つの市民的利益社会として再編成され、且つ認識され直されることが露出する。こうして大学は最も有力な市民的就職機関[#「就職機関」に傍点]として生長するのである。でここに世間では実際的教育[#「実際的教育」に傍点]の必要が叫ばれる。そして例えば入学試験の受験現象なども、ここから独特の内容を受け取る。
でこの契機から云うと、大学の例の内部的矛盾などはもはや問題ではないのであって、大学学団は再び、少なくとも対内的には一見分裂のない云わば幸福な統一を楽しむことが出来る。対立は単に大学そのものと市民社会との職業地位上の需要供給関係にだけ集中される。学術上の権威に就いては、大学と社会との間には何等の対立ももはや存在しない。もし仮にあるように見える場合は、その対立は個々の教授なり(例えば自由主義教授達)個々の学生なりと社会との対立に引き直されて了うのであって、大学全体としての対社会的対抗は抜きにされるか又は全く無力化される。教授は市民的地位の確保に、学生は市民的地位の獲得に、その共同の一般的なユーニヴァーシティらしい利益を直覚するのである。現今の大学の一種の静寂はここから理解されるだろう。
学生は就職の単なる方便としてしか、その学生生活を幸福に感じることが出来ない。それ以外の実質的な要求を有つ時(どういう幻想を有つかは今問題でない)、学生生活は完全に不幸だということが一応の事実である。――だがそれはとに角、批判の自由や学の権威は別として、学生は現在の大学に依って、曲りなりにも広義の知能的技術は獲得出来る、という事実に今何より注目する必要がある。広義の技術こそがインテリゲンチャの主体的な特質で、そこからインテリの一切の規定と使命とが導かれねばならぬからである。そしてこのインテリジェンスの養成こそ社会の近い将来になると必らず必要だったということの判るものなのである。インテリゲンチャを盲人蛇におじぬ底の楽観的な能動説によって規定することが尚早の誤りであると共に、之を自己自身に無責任な悲観的な困惑説で以て片づけることも、時節柄由々しい危険な誤謬なのである。
三 先生商売論[#この行はゴシック体]
都下の新聞によると、歌舞伎座で新派組や水谷八重子達が上演した翻訳劇、ハインリヒ・マンの原作で、ヤンニングスとディートリヒとが主演した映画を、更に日本で劇に直した「嘆きの天使」が、大学教授連盟からの抗議で改変して上演されることになったという事件がある。
私は映画のしか知らないが、映画によると、ギムナジゥムの謹厳な教授が、女芸人に迷って学校をやめ、一行と一緒に巡行してあるく内、母校の所在地で舞台がかかる時鶏の鳴き真似を強いられたので、発作的に発狂し、昔の教室の机に抱きついて生命をおとす、という筋である。
大学教授連盟は、この筋が教授なるものを侮辱することのこの上ないもので、特にユダヤ人排斥の目的から書かれた(?)この作を上演することは不見識の至りだから、というので厳重に歌舞伎座に抗議した。処が同座が一向取合わないので、遂に文部省と警視庁とを労わして、最後の部分を改変させて了ったのである。即ち教授が死んだ後で生徒達がアーメンを唱えることに直したのだそうだ。
一体この劇が大学教授乃至一般に教授を侮辱するものであるかどうかが、すでに甚だ疑問であるが、もし万一侮辱する結果になるとしても、自分達自身が侮辱に値いしない教授でありさえしたら、一向怒ることはない筈ではないか。そこにムキになって怒る処を見ると、大学教授連盟そのものが甚だ心細い教授達の集まりではないかと心配になる。かつて陸軍の新聞班が発行した処の議会でも問題にされたパンフレットが世間で話題に上った時、率先して満場一致でこの陸軍パンフレットの支持を決議したものは、この大学教授連盟主催の教授達の会合であった。それから又満州から軍人が帰って来たと云っては、御高話拝聴と出かけるのも、この大学教授連盟なのである。この大学教授連盟は、陸軍の将校達を学問上の指導者と仰いでいるようにさえ見える。
だから大学教授連盟が「嘆きの天使」の教授侮辱劇を気に病むのも強ち理由がなくはないので、実際をいうと日本の大学教授や高等学校教授には、充分に侮辱に値いする存在が決して珍しくないのである。現に私の友人で、或る地方の官立高等学校の教授をズットしていたのが、一つには同僚の愚劣さに耐え兼ねて、遂々東京に逃げ帰り、今では安い俸給生活やルンペン生活をやりながら却ってホットしている男を、二人までも知っている。そして之は何も高等学校に限らないことだ。愚劣な教授が侮辱された方が却って愚劣でない教授の方は助かるというものだ。処が教授連盟の代表者の主張によると「大体外国には学者をバカにする芝居がよくあるようだが、日本では決して許されない、今後厳重に監視する心算だ」というのである。こう主張している教授を主人公とするような喜劇が、今日の日本では社会的に大いに必要なのだが。
一体教授達が、ホンの僅かなことに侮辱を感じたがるのは、云うまでもなく、彼等の先生意識[#「先生意識」に傍点]からである。つまり教授といったような先生業は、その生業が成立する条件として、或る何かの社会的威厳を必要とするのである。この威厳が保てないと商売にさしつかえを生じるわけなのであるが、併し威厳の必要な職業は他にも沢山あって、将校や警官、又上級官吏や社長や課長から、凡そありとあらゆるものを含んでいる。この内特に知能的な指導力がこの威厳を裏づけていて、そして特に又、この威厳ある知能的指導力が同時に相手の弱点に食い入る支配力を意味する時、初めて先生[#「先生」に傍点]という身分が発生するのである。弁護士・医者・代議士・売卜者から所謂先生である教師に至るまで、皆そうした条件を持った限りの威厳業を意味している。――で例の大学教授連盟も、もしこうした一種の威厳業組合か、又は威厳業ギルドであるなら、歌舞伎座へねじ込むのも商売上大いに必要なわけだろう。
教授や先生が一種の威厳を条件にする威厳業だということに対して反対する人は、今日教師達がどこの学校に於ても、皆夫々教員職業組合を結成しているという事実上の意義を理解しない人だ。学生生徒の行動から学校問題が発生する時、学生生徒の集団に対していつも正面に押し出されて来るものはこの威厳業組合だということを注意すれば、この点はすぐ判るだろう。――一体今日、学の自由を叫んだり叫ばなかったりする大学のユーニヴァーシティーなる名前は、中世のカトリック教会学校関係者の職業組合を意味する言葉であって、今日の大学は実は、こうした中世大学に対抗して起きたブルジョアジーのアカデミー[#「アカデミー」に傍点]が変質したものなのだが、その名前には依然この中世の「ユーニヴァーシティー」を冠している。そして大切なことは、この教職組合=ユーニヴァーシティが、今では学生とは全く独立した組織となったことだ。大学の学生はこの二十世紀的ユーニヴァーシティには入れてもらえないのである。
だが所謂教授達の大部分のように、夫々の立派な又は影の薄い教員聖職ギルドを持てる程に、社会的に優遇されている先生方は、実際には大してその威厳について思い労らう必要はないようだ。内職をやっても、かけ持ちや原稿書きならば、名誉でこそあれ、威厳を損じるものではあるまい。困るのは小学校の先生なのである。
ある時市内の某小学校の校長が、教え児である女給を誘惑しようとしたのを発見されて馘になった。無知な少女を誘惑しようとしたことは多分絶対に許し難い行為だろうが、その他の点はそんなに問題になるべき性質のものではないと私は思う。小学校の校長が待合入りをしたというのがいけないというなら、それでは小学校の校長の上に立って之に対して事実上の命令権を持っている官公吏又各種議員達は、何もそういうことはしないだろうか。もし先生だけがしていけないというなら、そんなに偉い先生を先生でない者が支配するという今日の教育行政組織は全く変な組織と云わねばならぬ。
この事件で最も社会的意義のあるものは、実は小学校教員の内職問題である。例の校長が酔って女給をつれ出したのが、同僚が経営しているバーかカフェーだったからである。一体先生が本を書いたり論文を書いたりすることは、主に一つの副業としてであるが、この内職は却って威厳を増すのに、カフェーの経営の方の内職は、その威厳を傷ける。その意味に於て官吏や将校は断じて内職を許されていない。丁度一昔前の職業婦人が賤しく恥ずべきものと考えられた段階に、今日の所謂内職の位置があるのである。処で小学校の先生のやれそうな内職には、あまり立派な内職(?)は少ないので、多くは所謂内職らしい内職を選ぶ他はない。その結果先生にあるまじき[#「先生にあるまじき」に傍点]内職にまで及ぶのだそうだ。だがいかに先生にあるまじき[#「あるまじき」に傍点]内職と云った処で、そうした内職をやることが先生にとって必要であるとしたら、夫はすでにあるまじい[#「あるまじい」に傍点]内職ではないわけではないか。所謂内職は先生の威厳を著しく傷ける。併しその内職をやらない限り、他方に於て先生らしい威厳が又保てないとしたらどうなるか。――でこうして先生業の威厳は今日、この一角から崩れ出すのである。
「嘆きの天使」の先生となる前に、「嘆きの天使」の改変を要求したりなど出来るとは、先生冥加の至りと云わねばなるまい。
[#改頁]
19 学校教育二題
一 入学受験準備の問題[#この行はゴシック体]
入学試験乃至その受験準備の問題は、今日の教育家と父兄との頭を極度に病ましている処のものである。却って受験者当人の方はそれほどにも思っていないというような点も注意しなければならないが、それはさておき、この当人自身だって頭をつからせていることは云うまでもないことである。
尤も大学や専門学校の入学試験受験準備の問題と、中等学校入学の場合の夫とは一概に一緒には出来ない。現在就中問題になっているのは、云うまでもなく中等学校入学試験の場合についてなのである。だが、受験者当人にして見れば、探究や理解やの興味とは元来殆んど全くかけ離れた入学試験受験法などに、貴重な頭を使うことが、極度に苦痛でもあり、又根本的に馬鹿げて感じられることは、大学や上級学校への入学試験の場合と、中等学校入学試験の場合とで、根本的な区別はない筈だ。ただ、後の場合には何しろ受験者がまだ無邪気な児童上りであり、彼等自身には本当の意味での入学意志があるかどうか、簡単には決定出来ないのであって、一種の子供らしい見栄や責任感から、自分みずからが持つだろう受験の本当の必要感とは無関係に、幼弱な身心を無用に過労させるのであるが、そういうことが、児童の身辺の者から見て我慢が出来ないという処から、特別に小学校児童の受験準備が、殆んど人道上の問題に類するような大問題として意識されているわけなのである。
併し問題の要点は、単に児童の幼弱な身心を苦しめるからいけないというだけではなく、夫が児童のその後の発育に深い禍根を刻むに相違ないという処にあるのであり、又それだけではなく、元来くだらないことこの上もない受験術とでもいうべき特別な工夫に全力を傾けることは、それだけで児童の精神を歪曲するものだという点が大切だ。単に発育を阻害するだけではない、精神を歪曲し、それだけ児童の心情を、大きな真理への接近から妨げるという点だ。之は大げさに云えば、云わば人類に対する由々しい冒涜だと考えてもいい位いのものなのである。――元来受験術に興味を有って了ったり何かするようなタイプの子供は、その限りでは決して多くは伸び得ない子供ではないかと私は考える。子供の時から、親や教会の人達に教えられて神様のことなどを口走ったりするような子供は、その限りでは決して真人間になる見込がないと私は思っているが、丁度そういう意味に於て、私はそう考えるのだ。例えば受験術・受験法・に精通しているような中学校卒業生は、決して信頼し得る秀才ではあるまい。児童についてだってその通りだ。それから、こういうタイプの子供が大きくなって学者にでもなったとすれば、例えば経済の研究をやる代りに経済学方法論ばかりに興味を有ったり、教育に興味を有つ代りに教育学や教育学方法論にばかり関心を持ったりするタイプになるのだろう。精神のこう云った種類の歪曲は、児童の受験準備の間にすでにその萌芽を見出すのではないかと、いうのである。
無論親達も、教育家や先生達も、今のこの点をこんな風の形で心配してはいない。親達にして見れば、専ら自分の子供が苦しめられるのに対して、本能的な義憤を感じるに止まっているようだ。所謂受験地獄が、受験児童自身の意志からではなくて、却って親達の意志から強制されるのだという自覚を親達は暗々裏に有っているので、この本能的な義憤は愈々劇しい形を取るのだ。親達は子供をこの地獄の苦悩に落さねばならぬ自分自身の社会的不幸を呪っているのである。だがこの本能的な感じをつきつめて行くと、私がさっき云った、例の人類に対する冒涜というような処へ行きつくのである。
又教育家達にして見れば、受験準備による児童の無用な苦痛を何とか軽減せねばならぬという親達の観点とは一見全く無関係な或る立場から、入学試験受験準備の問題を困ったものだと公言しているのである。と云うのは、入学試験が現に存する以上、小学校に於ける何等かの形の受験準備が絶対に必要なわけだが、この受験準備の結果が小学校教育の正規の方針を著しく偏極させることになるので、之では充分に小学校教育の主旨を貫徹出来なくなると云って、苦情を持ち出すわけである。ことに文部省あたりが見る公的な根拠は専らこの辺にあるらしい。実はここに少し疑問があるのであって、一体、入学準備教育によって排除されたり歪められたりすることを心配される所謂小学校教育の主旨なるものが、社会的に考えられた現実の教育情勢から独立し得る程にそれ程抽象的に完備したものかどうかが、多少皮肉に観察されねばならぬものにぞくする。さっき、受験法に興味を有つようなタイプの子供には恐らくロクな児はいないだろうとは云ったが、併しその受験法の内容になるものが、夫々の学科の要点や要図であるとしたら、受験術の教育はおのずから小学校教育の締めくくりにさえなるかも知れないので、受験準備も一概に非教育的なものとは限らぬことになる。それに試験を受けるということも、実は児童に対する一つの社会的教育でさえもあるかも知れないではないか。
従って小学校の本来の教育が理想的なものであるが故に、そのプログラムに於て公認されていない受験準備の教育は、それだけで反教育的だというのなら、それは文部省的思い上りと云わねばならぬ。で、教育家や先生や文部省の役人が、受験準備を呪う心情の内で取るべきものは、単に人間的教育そのものの歪曲に対する呪いだけであって、所謂小学校教育の大方針から外れたからと云って、準備教育を悪魔のように呪うのは見当違いだろう。一体小学校の本来の教育方針そのものが、人類教育の歪曲でなく、例の人類に対する冒涜でないと、誰が保証し得るのだろうか。
で以上から結論されるように、入学試験準備の問題が、世間の問題になるのは、或いは世間の問題としての権利を有つ点は、結局に於て、之が自然な真理の可能性に富んだ子供の精神を明らかに歪曲する、というただ一つの事実にあるのである。そして而も之が、児童の身心の形式的な発育をさえ妨げることになるというのだから、この事実が一種の実証的な根拠を得て来るのである。――前にも云った通り、一般に受験準備なるものは、人生の一つの不可避な不幸であって、之に就いての訓練は、そのものとしては立派に教育的価値を有っている。このことを忘れてはならないのだが、併し他方、例えば就職運動にばかり巧みな男は、決して社会的に意味のある男ではあり得ない、ということの真理の方が、この際一層大切だ、というのである。
だが之は少しも問題の内容の説明でもなければ、ましてその解決でもない。以上は単に、この問題がどういう点で問題になっているのか、又されねばならなかったのか、という説明だけだ。――処が、入学試験が現に存在している以上、受験準備の必要は絶対的なので、受験準備の善悪に拘らず之は必然なことにぞくする。少なくとも入学試験が現存する以上はである。
そこまでまず第一に考えられる解決策は、何とかして入学試験そのものを不要にしようという企てである。一体入学試験の必要はどういう機構から生じるかというと、云うまでもなく夫は、中学校なら中学校の教育に値いする人間だけを選択し、教育の価値のないものは之を拒もうというような根拠からではない。尤もこう云うと、如何なる児童もそれなりに中等教育を受けることに妨げのあろう筈はないではないかと云うかも知れぬ、だから中学校(一般に中等学校)教育に値いするとか値いしないとかいうことは無意味でなければならぬ、というかも知れぬ。だが、社会全般の見地からすれば、一定の与えられた量の中等教育施設の下では、中等教育に値いするしないという標準は立派に立ち得る筈なのである。処が現在の階級別による経済条件に基く限り、こうした一般的な被教育資格の標準は存在しない。相対的に優秀な素質を有つということと、被教育資格を社会的に保証されるということとは、殆んど全く関係がないのが、この社会の教育事情だ。教育の機会は均等だというかも知れない、出来る子供はいつでも入学出来るように制度が出来ている、というかも知れぬ。だがそれは単に名目上の制度からそうだという迄であり、それが実質的にもそうだというなら、夫は子弟の教育費資本を所有するごく一部分の社会層だけを見て之を社会の全般と考える極めて偏頗な同類感に立っている結果にすぎぬ。無産者大衆が教育の機会均等を実質的に享受しているなどということは、全くの譫言《たわごと》にすぎまい。――で中等学校の入学試験の必要は、社会全体の合理的な計画的施設として生じているのではなくて、現代社会の云わば全くの自然現象として生じているのであるということを、記憶せねばならぬ。教育施設の全社会的な合理的統制からではなくて、教育施設の或る意味でのレーセ・フェールから生じるものが、今日の入学試験の要求である。
この点判り切ったことだとも云えるが、併し之によって、単に入学試験準備だけでなく入学試験そのものまでが一種の社会的罪悪であるかのように見做され易い理由を、説明出来るだろう。つまり之は、自由競争が社会的に信用を失いつつあるのと同じような理由に基いているのである。そこで入学試験そのものが一種のバーバリズムであるかのような気持になり、入学試験否定論も発生し得るわけだ。小学校からの成績申告書を専ら利用することにしたらばどうだろうかとか、入学願書受付順に入学させろとか、抽籤で入学を決めろとかいう思想も、ここから発生するのである。云うまでもなく之は、入学試験準備の弊に耐えなくて始まった工夫なのだが、併しいつの間にか、入学試験そのものの否認を動機とするようになっているという点を、今は見落してはならぬ。そうでなければ、受験準備に較べていささかも合理性を持たぬ抽籤や願書順のような迷案を工夫する気になる筈がないだろう。こうした入学試験の代用案が、実際問題としては決して一般的に通用し得ないものであることは云うまでもないが、とに角くじ引きの如きに至っては、何と云っても完全な社会的ナンセンスだと云わねばなるまい。
それはさて措き、入学試験の必要が、教育施設の或る意味での自由放任主義から生じて来ているという点は、「良い」中等学校と良くない中等学校との対立となって現われているのである。良い学校と良くない学校との開きがあるが故に、少なくとも現在の入学試験の必要が生じて来ているのである。中等学校の収容可能の人員の総数と入学志願者の総数とを比較して見ると、必ずしも入学志願者の方が目立って多いとは限らないというのが現状だ。従って、元来今日の中等学校数に止めておいても必ずしも入学試験は必要ではないかも知れないのである。処が、良い学校とそうでない学校との間に開きがあるために、良い学校への入学難と、悪い学校の入学者募集難という、珍現象を呈しているわけだ。
一体良い学校というのは何かというと、必ずしも教師や設備のよい学校のことではなく、より多く秀才の集まる学校のことに過ぎない。つまり入学志願者が多くて、同じ二百人を取るにもより優れた二百人を取ることが出来るという学校のことだ。処がこの良い学校には入学志願者が愈々殺到するというのだから、つまり志願者の多い学校は益々その志願者が殖える(或いはより秀れた志願者が殺到する)ということに他ならない。之は丁度、資本が大きければ大きいだけ、資本増大の量も愈々大きくなるという資本主義的レーセ・フェールの法則と、本質的に同じような物なのである。
処がこの良い学校と悪い学校との[#「良い学校と悪い学校との」は底本では「良い学校との悪い学校と」と誤記]対立の原則は、単に現在の凡ての中等学校を公立や官立にして見た処で、決して根絶されるものではない。一旦平等になっても、一寸した傾向がつくと、その傾向は自分みずからを助長して、またまた著しい対立を産み始めるだろう。夫は丁度、資本主義機構の内で、如何に資本の過度の増大や分配の不公平やを修正しても、資本主義の根本機構である貧富対立の原則は停止しないと同じようなものだ。で、資本主義のもとに於ける統制経済が、資本主義のレーセ・フェールに相当する貧富対立を是正出来ないように、今日の階級的な教育機会の不均等の原則を改めない限り、如何に中等学校に於ける入学者の分配の公平を期しても、私立中等学校への補助を試みても、学校増設を企てても、要するにそうした「統制」や「社会政策」を施しても、入学試験の必然性を食いとめることは出来ないのだ。
もし仮に一切の無産者大衆の子弟の中から、今日だけの数の中等学校入学志願者を募るとするならば、彼等はその素質に於て(環境による影響は別とする)、今日の小市民層以上からなる同数の入学志願者団とは較べものにならぬ程優秀な、ピック・アップ・チームを構成するだろう。この粒の揃った一団は、之をどういうように分配しようとも、良い学校と悪い学校との開きを実質的に無視し得る程度に止めることが出来るだろうと、私は想像する。それに、もうそういう場合には、頭の比較的悪い中流以上の子弟で以て一儲けしようというような、営利中等学校は存在出来まい。――つまり、今日の良い学校と悪い学校との対立は(そこから今日のような遽しい入学試験競争と受験準備とが始まる)、無産者大衆の圧倒的に多数の子弟が殺到しないのを幸にして、大して被教育的価値のない分子が、小市民やブルジョア層から、経済上の余裕を利用して、入学志願者の群に投じることから生じるのだ、と私は云いたいのだ。こうした根本的な社会的不平等が、回り回って、受験準備というような児童精神の歪曲の道へと導くのであった。
無論こういう理想的なピック・アップ・チームとしての入学志願者達にしても、夫が中等学校から上級学校や大学へ、皆が皆そのまま這入れるというような施設は、まず望めないとしよう。上級学校へ行けば行くほど、収容人員が減ると見るのがこの思考実験では自然であるようだ。だからそこには矢張り、いつも、入学試験なるものが待ち受けるかも知れない。だが一方に於て、試験準備による教育上の惨禍は、受験者の意識が発育し独立するに従って、減少して行くのだし、又他方に於て、各段階の教育に応じて夫々、被教育資格者の全社会的な水準が設定されるのだから、要するに相対的に高度の素質をもつものが、公平に、相対的に高度の教育をうけるという結果になるだろう。で少なくとも、小学校児童の試験準備というような悪質な困難は、容易に避けることが出来るというわけだ。
こういう思考実験は、現下の小学校教育制度の下に於ては、全くの空想にぞくする。併し必要なのはこの思考実験ではなくて、この思考実験を要求するような、現下の教育の事情の認識なのであった。今日の日本の教育は、その内容は云うまでもないとして、教育施設から云っても、夫が中等学校以上になれば階級教育なのである。義務教育からこの階級教育へ移る処に、恰も中等学校入学試験なるものが横たわっている。中等学校へ行こうと希望する者の可なりの多数は、心算だけでも少なくとも専門学校や大学へ志すものだろう。この方向は社会に於ける階級的特権を保証するものであるか、そうでなくても少なくとも特権の記号となるものだ。それ故にこそ小市民層以上の親達は、その子弟の中等学校入学に就いてああも真剣にならざるを得ないのである。そして「良い」中学校とは、余計に高等学校や官立の専門学校へ入学出来る学校のことだ。「良い」高等学校とは、余計に帝大へ入学出来る学校のことだ、等々――でここまで来れば、受験準備が児童の真理の可能性に富んだ精神を冒涜するとか何とか云って見た処で、夫は野暮と云うものであるかも知れない。
実際問題として、入学試験準備の弊は根本的に除き得るか。この社会の教育原則に立つ限り決して除き得ないというのが、以上からの結論である。公立の中等学校を(東京に就いて云うと)今日の十倍にしたならば、一時之を除くことは出来よう。だが恐らく之は事実上不可能なことだろう。そうすると他に何等の決定的な対策も残されていない。わずかに、試験問題の合理化(なるべく受験準備の如何によって規定されないような問題を出すこと)、受験準備の弾圧、父母への訓戒(良い学校への虚栄! を捨てよ)云々位なものだ。この種のものがごく瑣末な影響しか与え得ないことは、誰知らぬ者もないのである。
困難は、現下の教育理想の内部に止まって技術的に解決しようとする限り、解けない。この問題の「教育家」的な解決は、もはや断念すべきではないかと私は思う。
二 高等教育の問題[#この行はゴシック体]
日本ブルジョアジーの代表的な社交機関である経済連盟は、かつて時の松田文相の希望によって、実業教育懇談会なるものを組織して、実業教育否広く高等教育一般についての意見を練っていた処文部省から正式に実業教育改善意見の答申を嘱されたので、この懇談会の成案を答申書として提出することになった。
要点の第一は、高等学校(高等科)を廃して、大学予科一年又は中等学校第五学年を以て之にかえ、大学卒業年度を二年乃至三年短縮しようということであり、要点の第二は、総合大学を廃して単科大学(今日の専門学校に相当する)を主体とし、特に学術研究の志しあるものだけが大学院(今日の総合大学に相当する)に入学すること、というのであり、要点の第三は、各階梯の学校が夫々完成教育を施す処であって上級学校への予備教育の機関である弊を打破すること、である。
それより少し前に、中学校乃至中等学校を四年制の建前にしようという当局の意見もあったが、中等学校教員や教育者の多数が、大反対をしたのでその後あまり音沙汰を聞かない。とに角、教育年限短縮はこの頃の社会の持論のように見受けられる。
四年制中等学校の建前に対する反対意見の主なるものは、上級の最後の一年間の教育が中等教育に於て占める絶大な効力を尊重しなければならぬ、という点にあったようだ。年限短縮論者の中には、欧米の大学卒業の年度が日本に於てより遙かに年少であることを根拠にしようとするらしいが、夫は必ずしも当らないそうで、日本だけが特に教育年限が長いのではないというのである。
今、中等学校教員の生活問題から来る反対動機はさし当り論外としよう。なぜなら之はたしかに社会に於ける[#「社会に於ける」に傍点]「教育[#「教育」に傍点]」なるものの重大問題であるのだが、併し少なくとも直接には、被教育者の教育の問題ではないからだ。之を抜きにして考えるとして、即ち被教育者の教育だけを社会に於ける教育全体から抽象して問題にする限り、教育年限が長すぎて悪いということはどこにもない筈だ。まして日本だけが教育年限を短縮しなければならぬという理由はどこにもない。だからその限り[#「その限り」に傍点]吾々は、遽かにこの中等学校年限短縮案には賛成出来ない、と云わねばならぬ。
だが問題はもっと根本的な処に伏在している。一体中学校の第五年学級が、中学一般教育上絶大な教育的効力をもつのが仮に本当としても、その教育的効力なるものが、どういう種類のものであるかによって、改めて考え直して見なくてはなるまい。中学校では本当に普通教育的な即ち人間の生長にとって本当に普遍的な意義のある、教育を元来施しているのかどうか、それが判らなければ、この教育的効力なるものは信用ならぬ。処で一体中学校では、吾々が日常生活しているこの社会の産業や経済の基本的な常識をどこで与えて呉れるか。人間の科学的思想の点で活きた好さを一体どんな教師が生徒の胸にたたき込むか。文学的頭脳や読書法が誰が授けて呉れるのか。無意味に瑣末な歴史的トリビアリズムや、地理学的雑多や、方程式の解法の形式的な習得や、真理への興味を殺すための修身や、卑俗なブルジョア社会の通念を尤もらしく見せる公民科、などしか、そこにはない。――中等学校で本当に教育されるものがあるとすれば、夫は全く、例外に自分自身を教育し得るような、すぐれた素質の生徒だけだ。あとはただ五年なら五年という年限の来るのをブラブラと待つだけなのである。
こういう中等学校などは早く切り上げて、もう少しは生きた人間的教育や又少なくとも専門的教育を施すような上級の学校にサッサと這入って了った方が、確かに教育的効果が絶大と云わねばなるまい。そういう点で私は、中学校の本質が今日のようである限り、五年よりも四年、四年よりも三年の方が望ましい年限だとさえ考える。――中等学校が入学試験の予備教育であるかのような観を呈しているという弊は、今日の中学校教育の当然の本質的な帰結であって、元来教育的な内容を持っていないものは受験準備の機能でも営む方が、まだしも増しなのである。
こう云って来ると、如何にも高等学校・専門学校以上の教育は、中等学校のと較べて、立派であるように聞えるが、決してそうではない。ただ教育の師範学校的観念は、低学級になればなる程意義をもっているので、小学校よりも中学校、中学校よりも高等学校乃至専門学校、それよりも大学という風に、段々師範的教育観念は無意味に帰するので、即ちそれだけ上学級になる程、学校的教育から被教育者の方が自由になって、社会的な自己教育に依存して来るのである。だから、学校的教育の弊害や悪作用は、高等教育に進むにつれて段々薄くなる、というわけだ。――だがそれにも拘らず、生徒や学生の社会的自己教育を、出来る限り妨害して、学校教育(夫は結局師範教育を典型とする)の独占に帰せしめようとするのが、今日の高等教育の方針なのである。無論どんなバカげた方針に基く教育でも、それが強制するイデオロギーの媒介物になる客観的な実質のあるものは、曲りなりにも教育され教え込まれるから、本来の意義に於ける教育的効果の多少のものはどのような場合にもなくはないが、それを理由にしてこの教育の全体を是認することは出来ぬ。
でこういう理由から、私は現代の学校教育(下級教育から高等教育・大学課程までも含めて)はなるべく早く切り上げて、少しでも早く社会教育と之に基く自己教育とを被教育者に任せる必要があるとさえ考えるのだ。――ただしここで条件をつけておかねばならぬのは、こうした社会教育乃至自己教育を、卒業後もなお依然として、否益々、有力に又誤たずに実施し得るだけの能力と見識とを与えることは、あくまで学校教育の責任であり、或いは寧ろ、学校教育を利用[#「利用」に傍点]しながら之を蝉脱すべき、高等被教育者の自己責任だ、ということだ。学生や生徒は、どんな教育方針の下にあっても、少なくとも大学や学校に於て、研究法と勉強法と読書法とを獲得すべきなのである。
処が又、この社会的教育なるものが、今日の日本では学校教育以上に不誠実なものなので、却って之をはね除けつつ之を利用[#「利用」に傍点]するだけの見識と能力とを、学校教育から吸収せねばならぬ位いだ。――だからこうなると、実は、強ち学校教育の年限さえ短縮すればよい、とばかりは云えなくなるのである。要はつまり、学校教育の年限の長短[#「年限の長短」に傍点]ではなくて、学校教育の本質の改革[#「本質の改革」に傍点]如何に関わるのである。そんなことは判り切ったことではないかと云うかも知れないが、併し文部省的(夫が又師範的なのだ)教育観念に対しては、之は相当こたえる[#「こたえる」に傍点]結論なのである。と云うのは、文部省では教育は実質に於て半年一年という零細な年限を単位にして評価されるのであって、人格教育とか情操教育とか其の他云々という教育の本質(無論そんなものは教育の本質などではあり得ないのだが)の方は、全くのつけ足しだということが正直な肚だからだ。
さて以上は、教育という観点から教育年限・教育制度を問題にしたのであったが、例の経済連盟の高等教育改善案(実業教育改善案はその本質に於て之だ)は、全く別な観点から問題を取り上げている。経済連盟のブルジョア代表達は、専ら彼等の使用人の生産[#「使用人の生産」に傍点]という観点から、この問題を提起するのである。そして夫が、文部省が経済連盟に対して教育制度に就いて諮問した(一寸意外な)意味なのである。経済連盟のブルジョア代表達は、何と云ってもこのブルジョア社会の当の主人であり選手なのだから、先生や文部省のお役人とは違って、教育というものを社会に於ける一つの実体として見る術を心得ているわけで、被教育者に対する人間教育というような抽象的なセンチメンタルな教育学的イデーなどからは、立派に解放されている。ブルジョア社会に於ける教育を最もよく知るものは、教育家でもなければ教育行政家でもなくて、正にこのブルジョア代表の卓見なのである。
だがこの卓見の内容には色々の動機が連関して含まれている。ブルジョアジーによれば、学校乃至大学は、ブルジョアジーの広義に於ける使用人を生産する施設に他ならない。官吏を養成するのも学者を養成するのも、サラリーマンを養成するのも、つまり社会に於ける知的な活動分子を生産することに他ならず、夫がブルジョアジーが広義に於ける使用人生産の一つの場合に他ならない。之が彼等によれば、実際社会に役に立つ[#「実際社会に役に立つ」に傍点]教育ということの意味だ。
処がこの実際社会に役に立ち方が、時代の生産条件と共に変化する。一頃の日本では、生産の資本家的組織にとって最も必要だったのは、支配・管理・労働・の技能ある幹部であった。幹部はその人間圧力から云っても、一般勤労者とは差別された特色又は優越のレッテルを持っていなければならない。それが大学[#「大学」に傍点](帝大・それから官立大学・それから公立私立の大学)、経済連盟で総合大学[#「総合大学」に傍点]と呼んでいるものの、卒業生であったのである。
だがこの幹部の新しい部署が段々減って来なければならぬにつれて、大学出のインテリ失業問題が起る(尤も之は実は一般の失業問題の一環にすぎないのだが)。そこで当然この資本社会の代表者達は、そういう幹部(学士)生産に対する生産制限を答申せざるを得ない。そうでないと、インテリの失業という(多分資本家自身にも責任のある!)社会問題が発生するからだ。――金のかかる(国費も要れば息子の学資も要るし、それに大事な点は雇い入れるにも専門学校卒業生より少しはサラリーを余分に出さねばならぬ)不経済な総合大学[#「総合大学」に傍点]が無用である所以だ。――まして国費をかけて国体に反するような教授や学生を出す大学などは、無用の長物だ、というわけである。
資本家の教育理論は、教育フールのセンチメンタルな教育理論などとはちがって、右のようにガッチリしたものなのである。だが資本にだって資本に固有なセンチメントが欠けてはいない。資本は宗教的情操[#「宗教的情操」に傍点]を有っている。このことを知っている文部省は、経済連盟への諮問と同時に、僧侶と牧師とから出来ている宗教教育審議会に、宗教教育について諮問を発したものである。その答申によると、日本の教育は大いに宗教的情操を織り込まねばならぬということである。
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20 受験地獄論
田舎の或る女学校に勤めていた私の友人が、とうとう校長と喧嘩をして追い出された。同僚の先頭に立って、校長排斥をやった処、校長はイッカな動こうとしなかったので、社会的な質量の軽い方の彼が、反作用によって追い出されて了ったのである。校長排斥の理由は彼によると数え切れない程あるのであって、どれ一つとして現在の公立中等学校、中でも女学校の校長という地位を特徴的に物語っていないものはないのであり、どれも必ずしもこの校長の人格だけに固有な特徴として非難されるべきものはないのだが、その内に一つ、次のような笑って済ませない理由が含まれていた。
県当局に対して万事ぬかりのないこの校長は、実は同時に仲々卓越した人間通だという結論になる。彼は部下の若い女教諭に命じて、卒業間近かの小学校の女生徒の家を訪問させて、自分の女学校へ入学することを勧誘させたのである。尤も近所には通えるような学校はあまり無いのだから、他の女学校へ行かずに自分の学校へ来いと云って勧誘するのではなく、娘さんをとに角女学校というものにお入れなさい、と云って勧めるのである。別に秀才や天才児の家庭を選んで勧めて歩くのではなく、四年間か五年間通学させるだけの学資の出る家庭でさえあればいいのだから、その内には低能で始末の悪いのもいるだろう。それを承知で勧誘する以上は、入学させてから矢鱈に落第させたり何かは出来ない。でつまり落第はさせない、四年なら四年で卒業させる、という請負をして歩かせるわけである。それはまあいいとして、友人が一等憤慨したのは、校長がこの女教諭に対して、特にお白粉を塗って行くように注意したという点なのだ。
敏感な友人のことだから、この注意を何か特別に売笑的なものと感じて憤慨したのだろうが、併しこの程度の売笑性ならば寧ろ社交性や服飾道徳にさえ数えられるべきもので、美人であることは夫だけとして見れば秀才であることと同じ自然的素質なのだから、秀才にあやかるために、又は益々秀才振りを発揮するために、勉強することが良いことであるように、お化粧をすることは良いことなのだ。娘の両親でもお祖父さんでもお祖母さんでも、綺麗[#「綺麗」は底本では「奇麗」となっている]な先生に勧誘されれば、あまり綺麗[#「綺麗」は底本では「奇麗」となっている]でない先生に勧められるよりも、気が進むのは自然である。校長の奇知はそこを覘ったものと見える。
併し問題は、そうまでして浮身をやつしてまで入学志望者を募集しなければならない女学校又は他の諸学校の存在である。というのはもし入学志願者がいつも定員に満たないようだと、学級の整理と教員の整理とは必然の結果なのである。その結果は又、その学校の社会的な資格が段々落ちて行くことだ。校長にして見れば、ジットしたままでいて、自然と左遷されていることになる。こうなるとだから入学志願者が学校を造るのではなく、学校が入学志願者を製造しなければならぬ。東京などの私立営業の学校にはこうした場合が極めて多いので、別に女学校に限らず又中等学校に限らない。客引きがなければ宿屋の主人も番頭も食えなくなる。偶々女学校だから女の先生をマネキンに使った迄であった、そして女のマネキンは綺麗[#「綺麗」は底本では「奇麗」となっている]なのが当り前だ。
思うに入学志願者の少ないこの女学校の校長は、入学志願者の多過ぎる学校の校長よりも、遙かに教育の名に於て苦悩していることだろう。他の校長達は自分の学校の入学志願者が多すぎることを喜び又誇りとしているだろう。之は鉄道省の役人が、いつも満員で乗客がウンウン云いながら詰め込まれている列車を見て満足するようなものだ。私が友人ならば、例の女学校の校長よりも、こうした名誉ある校長を排斥する心算である。
少なくとも中等学校の数は、中等学校入学志願者の数を根拠として、与えられなくてはならない。と云うのは、入学志願者の大抵のものが無条件に入学出来るだけの中等学級数を用意するのが、一応当然なのである。況して今日の中等学校では一般人間として受けるべき程度の教育さえ授けられていないだろうから、殆んど凡ての入学志願者を入学させるということは無条件に必要なことだ。その意味で中等学校の実質は一種の義務教育だと考えていい。――処で義務教育ならば、単に自発的に入学を志願するものだけを受動的に収容するだけではいけないので、進んで入学志願者を開拓しなければならない筈である(こういう点から云っても女の先生にお化粧させた例の校長の方が結果から云って良心的かも知れぬ)。併しそうすると、資産や学資の如何に関係なく、一切の社会層から入学志願者を開拓するのが理の当然となるだろう。それでは財政上の予算が許さないし、又学校商売としても成り立たなくなる。そこで一等都合のよい入学志願者制限法、即ち又学校制限法は、或る一定社会以上に志願者を限定するように、万端施設することである。曰く、相当高い授業料、就職の禁止、昼間学校の建前、等々。
でこうなると、入学志願者と中等学校数とを均衡にせよと云って見た処で、その入学志願者数そのものに一向社会的な公正さがないのだから、無用な心配と云わざるを得ない。入学志願者が不足だということも、実は予め入学志願者を社会的に制限した上でのことで、入学志願者が多過ぎるということも亦単に、こうした入学志願者の社会制限にも拘らずなお或る学校の受験者だけを取れば数が多すぎる、というに他ならない。事実上は、入学志願者総数と、入学し得べき中等学校とは、それほど不つり合いではないらしい、単に受験生が或る特定の学校に偏在するに過ぎないのだから、社会の階級的施設としては、今日中等学校の数は却って理想的だと云っていいかも知れない。
だが丁度普通選挙の理想のような普通入学(一般入学)ではなくて、(階級的な)制限入学なのだから、すでにそれだけ普通[#「普通」に傍点]教育=義務[#「義務」に傍点]教育の目標からはずれているわけだ。そうすれば、どうせはずれているならば、普通[#「普通」に傍点]教育の代りに秀才[#「秀才」に傍点]教育か何かを主義にした方が、教育の理想から云って合理的ではないだろうか。所謂中産階級層以上の子供を一様に教育する代りに、その内での相当の秀才だけを選抜[#「選抜」に傍点]して教育した方が、ブルジョア社会の幹部候補生養成としてもズット合理的な筈である。中産階級層以上の家庭なり子供自身なりが進んで中等教育を受けさせよう受けようというのを拒むことは正しくない、というなら、無産者がその子供にせめて形式的な中等教育(内容的には随分歪曲された社会知識を注入するがそれは大人になれば訂正される)を受けさせようという気持になることを拒むことは、正しいことか。ブルジョア的有力者の馬鹿息子が中等以上の教育を受け得ないのは世道人心を害するとでも云うのであろうか。
さてこうなって来ると私は、一般的に云えば寧ろ入学試験の賛美者とならねばならぬ。単に学校の収容人員に対して相対的に入学を制限するばかりではなく、寧ろ子供や生徒の知能の絶対的な一定標準に従って、入学を制限した方がよいとさえ考える。ブルジョア層や小市民層出身の、出来ない生徒を相手にしたことのある教師は、これだけの数の生徒を無産者大衆から選抜したならば、どれだけ社会的に経済的だろうと、思わないものはないだろう。――だから悪いのは、入学試験そのものではなくて、一定の階級的入学志望制限統制を社会的に施しておいた上で自由競争的な入学試験をやることから生じる色々の結果にあるのである。と云うのは例えば、社会的に入学志望を制限するから、人類全般の知能素質から見て大した教育上の効果を期待出来ないような入学志願者がそれだけ割合を多くするので、入学志願者の間の知能の開きが大きくなり、之が自由競争をする結果「良い」学校と「悪い」学校とが出来て、入学志願者が多過ぎて困る学校と少な過ぎて困る学校との分裂が始まるのだ。少し考えて見ると、これが今日の入学試験地獄の根本的な遠因であることが判る。
「良い」学校というのは世間で往々考えるように教師と施設とが良い学校を云うのではない。男の子ならば、上の良い学校(又しても良い学校)へ余計入学出来るような学校のことを指すので、それが原因ともなり結果ともなって、沢山の入学志願者と高度の入学試験落第率とを有つ学校が良い学校なのだ。その他に学校の優良さの意義はないのだから、良い学校と悪い学校との対立が一旦始まったが最後、良い学校は或る程度まで益々良くなり、即ち志願者が集中し、悪い学校は或る程度まで益々悪くなる、即ち志願者が減って行く、というのが原則になるのである。之は大きく云えばこのブルジョア社会の自然法則だから、家庭や子供に向かって、虚栄心を捨てろ、自分の個性に応じた(?)学校を選べ、皆んなの行く処へ流行を模倣するように集って行ってはいけない、等々と世間の教育僧侶達がどんなにお説教しても、少しも効き目のないのは当り前である。誰が一体、見す見す損をすべく、「悪い」学校を選ぶ者があるだろうか。
つまり今日の中等学校は、相当優秀な子供を収容するにはあまりに数が多すぎる[#「多すぎる」に傍点]ために、或いは相当優秀な子供の数が中等学校の数の割にあまりに少ない[#「少ない」に傍点]ために、良い学校と悪い学校との対立の余地が生じているわけで、もし仮に無産大衆の圧倒的な多数の内から之だけの数の子供を選ぶと空想するならば、悪い学校を実現するだろう素質の劣った今日のブルジョアや小市民の子供などは、初めから問題になれないから、入学志願者の偏在などは、起き得ないだろう。つまり鈍才でも資本主義的市民権を有っている子弟だというので、社会が教育を志すことから入学難が生じるのである。――教育から階級的意味が消え失せる時には、所謂秀才教育からもその弊害が消え失せるだろう。今日の入学志願者の偏在は金や資本の偏在のようなもので、大きく云えば資本制自由社会の必然的な一結果だとも云えるのである。
尤も特に女の児の場合などになると之にもっと複雑な事情が加わる。と云うのは良い学校という意味にもう少し複雑なものが加わるのである。今日の処、女学校は普通、嫁入り仕度の一つに数えられているのは否定出来ないようだ。中産階級層以上の教育ある男の妻となるには、その知識はとも角として(女学校の授ける知識は大して社会的通用性から云って問題にならぬ)、その趣味やイデオロギーから云うと、どうしても少なくとも女学校卒業者でなくてはならぬ。処が、男の方は少なくとも先頃までは、主に頭の能力によって出世も出来、世渡りも出来、就職も出来ると想定されていたが(実は必ずしもそうではなかったのだし、又益々そうでなくなりつつあるのだが)、女の方の出世であり世渡りであり又就職である嫁入りは、今の処何と云っても、当人の知能的能力ばかりでなく、容色や品や乃至は実家の資産や地位によって決定される部分が多い。そこで、自然と良家の娘が集まる学校が、結婚率が高くて結婚年度が低い学校となり、女学校を嫁入り仕度に数えている家庭にとっては、そうした学校が良い学校となる。知能上の素質の高い学校に這入れなくても、良家の子女の通う学校ならば、見栄から云っても女らしい野心から云っても満足だということにもなるのである。だがそうは云っても、同じ嫁を貰うならば頭のいい方がいいに決っている。処が女は女学校以上の学校に進む者が男程多くないのであって、仮に素質が善く学資に不自由しなくても社会的な又家庭的な惰性で、上の学校を望まない者が多いのだから、この社会では女の頭の良し悪しを間接にテストする標準が甚だ不足なのだ。それだけ女学校の成績というものが見合の一部分となるのだが、それは結局出身女学校の出来る出来ないの評判に帰着するのが現状のようだ。そうなるとやはり入学試験落第率の高い出来る女学校が嫁入り仕度としても概して良いわけになる。無論そういう「出来る」女学校も嫁入り資格を看却する筈はない。出来るだけ良家の子女の内から優良児を選ぼうと考える。
こうして一般に女学校では、入学志願者の父兄の資産調べには抜け目がないようだ。折角の卒業生も無産者の娘では碌な処へ嫁にも行けまい、卒業生夫人団に仲間入り出来ないような才媛は学校としてあまり利用価値はない。私立の女学校になると、事業家である校長先生は何のかんのと生徒に無心を仰せつける。女の生徒は男の生徒のように悪たれでなく批判的意志がなくて従順だから問題はないが、父兄母姉団に充分な資産がないと問題が起きるし、金が集まらない。之に反して父兄母姉団の大勢が有産者ならば、今度は父兄母姉も生徒も競って献金して呉れる。入学者の資産状態を厳重に調査する必要が益々あるわけだ。
男の特殊な学校でも資産状態や家庭の状態までを調査する。之は夫々の社会圏の幹部となるに相応わしい貴族としての資格を調査するわけである。帝政時代のロシアの将校はその殆んど大部分が貴族であって、この貴族という社会的支配権の尤もらしさを、軍隊の指揮権にまで利用したのであるが、それに似た現象はどこの国にも珍しくない。そして、「恒産なきものは恒心なし」という支那の聖人の唯物論を逆用しようとするこの現象は、今日では一般の中学校の入学許可に際してもなくはないようだ。例えば前科者の子弟は何と云っても普通の子供よりも入学に不利だろう。無職の父兄の子弟も亦そうだ(悪い意味に於ける無職というのは社会的定位を占めないことで、即ち社会では可能的な犯罪性を意味して来つつある)。思想傾向[#「思想傾向」に傍点]を考査するような場合も結局はこうしたものに帰着するのである。女学校などになれば愈々この点が深刻に又神経質になるので、現に、心中したり婦人関係で問題を起したりした有名な人物の娘は、体よく退学させられている位いだ。旧くは女優になったために同窓会から除名された人もいた。嫁入り仕度の最中に、こういう不吉なことは縁起が良くないに違いないからである。
さて今述べた事情は、今日の入学試験の一般的事情の上に、主に資本制社会の内部に於ける封建的家庭制度から来る一種込み入った条件が加わった処のものだったのである。そこで再び元の一般的な事情に立ちかえるが、例の入学志願者偏在という現象は、当然子供の非人道的な入学試験準備を呼び起こさざるを得ない。之は前に云った所のブルジョア社会の自然法則のほんの一つの結果に過ぎないのだが、特にそれが世間の親達の道徳的実感に直接に触れるものであるために、今日入学試験に対する問題と云えば、殆んど凡てここを中心にして提出されているわけなのである。この試験準備の浅ましさに面をそむけない者は恐らく一人もいないだろう。だがただ物の結果だけをどんなに矯めようとしても矯められるものではない。暫く前東京府の学務課では、小学校に於ける入学試験準備を厳禁して見たが、必然性あって産まれたこの入学試験準備が、ただ一通りの禁令で止む筈はない。潜行的な形で依然として行なわれたので、或る程度までの準備は大眼に見ようということになったと覚えている。今のままで入学試験準備を廃止するには、試験準備をしてもしなくても受験に大して影響を及ぼさないような試験の仕方を選ぶことだが、そうかと云って一頃試みられたくじ引きや怪しげなメンタルテストは全くの不合理か或いは単に新しい種類の入試準備を強要するものに過ぎない。小学校側からの成績申告が殆んど無意味であることも亦云う迄もない。文部省が入学考査に難問題を提出するのを禁止したのが、せめても合理的な対策だと思うが、之とても準備の量を制限するだけで却って質を重加する結果を招くに過ぎないかも知れない。
入学試験準備の軍縮会議が成立しないとなれば、残るのは府立とか市立とかいう「良さそうな」中等学校を新しく沢山造ることだろう。之なら問題は一応綺麗[#「綺麗」は底本では「奇麗」となっている]に解決するだろう。だがそれでもやがて又例の入学志願者偏在が始まるに相違ない。全受験者即ち全入学者の内に優良児と中以下の子供との間の大きな開きがある以上、或る学校には比較的優良な子供だけが入学するという可能性が、段々著しくなるというのが、ブルジョア自由社会の例の自然法則だったのである。
世間の人は入学試験準備の弊を試験施行者である中等学校教育家の罪に帰したり、或いは試験準備施行者である小学校教員の責任に帰したりする。だが色々の部分的現象に就いてはとに角として、原則としては夫は全く当っていないのだ。又之を母親や父親の見栄や流行かぶれに帰するのも何等の解決ではないのである。子供の父兄は一定の已むを得ない理由なしに、単に見栄をしたり流行を追ったりするのではない。それにはすでに述べたようなもっと実質的な根拠があったのだ。
だが次のような意味では、試験地獄の弊が家庭の親達の「責任」問題になるということを見逃してはならない。一体受験地獄という言葉は、受験者当人である子供達の気持から出た言葉だというよりも、寧ろ自分で子供に試験準備をさせている当の親達の意識から出た言葉なのである。年はも行かぬ頭の柔かい子供達を不自然な残酷な準備に駆り立てながら、そうすることが、不可避な必然性と客観性とを有っているということを知っている親の目には、之は全く地獄の名に値いする。誰も好きで地獄に堕ちるものはないのだが、堕ちざるを得なくて堕ちるのが地獄というものの神学的な意味ではないか。で、受験者は当の子供なのだが、受験責任者[#「受験責任者」に傍点]は、受験の責任を最も直接に感じるものは、却って親達自身なのである。苦しめた者が自分であって見れば、それだけ成功させてやりたいというものではないか。
子供の方は場合によっては案外試験を気にしていないかも知れない。親達が或る学校を受けろというから受けて見るので、受験責任者は親達の方だと思っている子供も少なくないかも知れない。とに角一等心配しているのが親達だということは平凡なようだが見逃すことの出来ない一つの事実である。そうしてこの事実は年と共に著しくなっていく。この頃では中等学校の入学試験ばかりではなく、帝大の入学試験にまで、大きな子供(?)につきそってやって来る母親があるそうだが、之は何も帝大の入学試験が困難になって来たからではないので(以前は高等学校の入学試験でさえ、父兄がついて行くなどという珍風景は見られなかった)、それだけ受験責任者が、受験者自身から父兄乃至親達に、即ち又家庭そのものに移行したことを示すものであり、それが中等学校の入学試験から段々と高い処にまで及んで、遂に最後に大学の入学試験にまで現われたに過ぎない。こういう意味に於て、最近の試験地獄は、親達の責任に移行しつつあるのである。
従来は、男の子など、父親の社会的地位や職掌からは比較的独立に、子供は子供なりに新しい運命を開拓すべく入学を志望する、という意味が相当に活きていたのに、最近の社会ではそういう新しい未知の運命を開拓するなどということは、例外な場合か空想としてしか許されなくなった。受験者たる子供の家庭の家庭的及び社会的条件が、自然と圧倒的に入学希望の内容を決めざるを得ないように、世の中がなって来たのである。重役の息子は重役に平社員の子は平社員になるように稼業がもう一遍世襲的(?)になって来るように見える。入学試験の責任者が親達へ移行したことの原因はここにあるのである。
社会の表面に現われた秩序が今日のように固定化されて来ると、今までは家庭が社会からの避難所であったり、逆に又社会が家庭からの開放だったりしたのが、今度は家庭自身が社会秩序のただの一延長になり、或いは同じことだが、社会全般が云わば家庭主義社会というようなものになって来る。ここで親孝行と云ったような日本の身辺道徳が、社会道徳のイデオロギーにされたりするのだが、こういう社会では、社会へ向かって伸びて行こうとする子供も、全く家庭化された善良な家族の一員として終始せざるを得ないように、段々なって来るのである。――そういう事情の一つの現われが家庭の親達を入学試験の受験責任者にするのであって、旦那様は外で働き、奥様は家庭の取り締り役に任じ、坊ちゃんやお嬢さんはママと女中とが育てると云ったような、中産以上の社会層に見られる所謂家庭らしい秩序の外面を保っている家庭では、子供の入学試験・試験地獄は、もはや子供のものではなくて、お産や病気と同じように、全く家庭の日常の主婦的な心配事と相場が決って来ている。
で、小市民層以上のパパやママが、試験地獄を気に病む程、実は却ってそれだけ試験地獄は深刻化して行くことになるのだ。子供達がこの試験地獄から解放されるためには、彼等は入学試験から解放されるよりも先に、家庭から、家族の一員としての母性愛的隷属から、解放されなければならぬ。夫はつまり日本[#「日本」に傍点]の「家庭」というものが従来の魔術を失うことなのだ。
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21 学生スポーツ論
一 スポーツ・就職・学生[#この行はゴシック体]
政治家などは多分、忙しくて困る困るといいながら、忙しくしていないと居ても立ってもいられないのだろう。学者は苦しい苦しいといいながら、本を読んだり物を書いたりしていないと落ちつかないらしい。サラリーマンは退屈だ退屈だといいながら、仲々愉快な暇つぶしをやっているようだ。自分の行動形式が結局一等好ましいものだということを、義理にも正直にいい触らさなければならない者は、恐らく、信仰家と呼ばれる宗教専門家だけだろうと思う。――ひとり宗教的信仰に限らず、政治上の奔命もビジネスも読書や著述も、一種の耽溺三まい[#「まい」に傍点]境を用意している意味で、どれも薬品的な阿片的な効果を有っているのである。
スポーツも亦この意味で、他の行動形式と同様に、一つの阿片であって、特にそれが生理的な効果にもっともよく結びついているだけに、宗教的自己高揚よりも、もっと阿片的だといっても好いかも知れない。だが宗教が民衆の或いは寧ろ無知な市民や農民の、阿片だとすれば、スポーツは中層市民の、或いは特にインテリ市民の阿片なのである。
心理的興奮や生理的興奮が、瞬間、楽天的な世界観を伴うことは、たとえそれが不健全な現象である場合でも、それだけでは少しも非難に値いしない。自分自身でスポーツをやって見れば、少なくともそれがどんなに愉快な、良い、健康感を覚えさせるものであるかということは、すぐ判る。
だが、この甚だ結構なスポーツが、阿片的効果を現わすのは、第一に、それが耽溺という形で、例えば社会的関心とか実際生活の計画性とかから全く隔絶して、丁度四畳半にシケ込んだと全く同じに、逃避境を提供するようになった場合である。それは「文学中毒」や「哲学中毒」と少しも変らないので、昔の文学青年や哲学青年は煩悶や厭世で自殺したが、今日のスポーツマン(スポーツ青年)が自殺しないのは、偶々阿片がスポーツの場合では、心理よりも生理の方に先に効くので、それだけスポーツは「健康」で「健全」であるからに過ぎない。
これはまだ良いのだが、このアヘン的効能が社会的に利用されると、色々な結果をもたらして来る。かつてはスポーツを体育[#「体育」に傍点]と称して奨励したが、そういう「体操」は段々人気がなくなって、剣道柔道というようなもっと「精神的」な武士らしいものが公認となり、やがて一寸下等になっては相撲が台頭し、それからいわゆるスポーツとして野球が絶対王権の玉座を占めるに至った。しかしもう野球となっては、ほとんど日本魂がなくなっているから、それに対抗して教練(これは兵式体操が進化したもの)が実施されるようになって来た。
それはとにかく、いわゆるスポーツという外国語で呼ばれる行動形式は、どうも、直接には富国強兵の手段にはならないらしいので、一頃スポーツは学校教育ではあまり優遇されなかったものである。ところが幸か不幸か、第一次大戦以来、「日本人」の思想も、世界の人間並に悪化して来たので、即ちマルクス主義が学生の「アヘン」(?)となり始めたので、社会における教育当事者は、これに対抗すべくスポーツを別なアヘンとして大安売りを始めたのである。そこで体育の価値が新しく再評価されてくるようになり、学問ばかりが教育の内容ではなく、体育と徳育とが知育に並べられることに決定された(但しこの体育というのは徳育のことに外ならないのだが)。これは極めて尤もなことで、秀才や美人と同じに、スポーツマンは天賦の資質に立脚しているわけで、女学校が色々の意味で、結局美人教育を必要とすると同じに、男の学校でもスポーツ教育が色々の点で大事なはずである。
スポーツのアヘン性がこういう風に社会自身による思想対策の秘薬となったばかりではなく、財団による営業諸大学は、スポーツのこの社会的アヘン性と、それに対する世間の渇望とを利用して、スポーツ場をステージやショーウィンドーになぞらえ、スポーツマンをマネキンに仕立てる。良い教授を雇うよりも一人のマネキンを雇う方が資本はかかるかも知れないが、結局、その方が利益になるのだ。なぜなら私立大学の学生の大半は、自分の学校の有名な教授の名は知らなくても、他人の学校の野球選手が何を好物にしているか位いは知っているからである。
所が学生スポーツマンは、自分が世間や学校の傀儡であることを能く知っている、そしてこれを逆に利用するのである。彼は選手であるということによって世間的には非常に有名である。所がディスティンギッシュだということは、この就職難の頂点においては何よりも有利な特権だ。重役や課長にしても、自分の会社のマネキンに仕立てようというばかりではなく、世間でよく知られている人物の方に、より興味を持ち、やがて好意をさえ有つようになるのは自然だろう。だから選手にとってはスポーツが何よりもの勉強で、これさえ精進すれば秀才連は足下にも及ばないことを能く知っているのである。
今日のスポーツマンは社会全体とこうした互恵関係にあり、特に私立大学になれば、この互恵関係が、大学乃至校友会と選手及び学生との間に、コンデンスされるから、今日の近代学生(帝大生はもはや「近代学生」に数えることは出来ないかも知れない)はスポーツに異常に熱心であらざるを得ない。スポーツによって彼等は、就職・有名・更に又恋愛をさえ連想することが出来る。そうした華やかな肩身の広い夢によって、近代学生生活の一面が構成されているのである。「応援団」というようなものがこういう近代学生生活面の象徴なのである。
しかしいわゆる学生運動[#「学生運動」に傍点]という運動の方になると、大分、視角を変えて考えなければならぬ。
二 スポーツの喪失とファンの発生[#この行はゴシック体]
文部省的頭脳によると、スポーツとは体育のことであるのだが、処がそれがすでに、例えば六大学野球連盟の社会的発達の結果、段々怪しくなって色々の矛盾につき当るようになり、更に職業野球団が出来上ったり、学生スポーツマンが職業スポーツマン化して行ったりすることによって、決定的にこの文部省的スポーツ観念の崩壊を来さなければならなくなった。そしてこの見方は最近愈々確かめられて来たように思われるのである。
一体スポーツが体操をでも中心にして考えるべき体育というものを、その本質とするものでないことは、少し考えて見ればすぐ判ることで、それは文学や映画が修身の手段でないのと同じだ。云って見ればスポーツは一面において服飾や舞踊のような風俗的快感[#「風俗的快感」に傍点]の一種でもあるし、他面においては宴会やサロンや碁や将棋のような社交的娯楽[#「社交的娯楽」に傍点]や勝負ごと[#「勝負ごと」に傍点]でもあるのである。少なくとも体格教育に興味があるのではなくて肉体的魅力や競技勝負に興味があるのだ。そう見なければ今日のスポーツ・ファンの気持ちは理解出来ないだろう。
それはそうとして、野球に関してはスポーツ体育説は愈々空疎なものとなりつつある。今日の六大学野球リーグ戦や、関西では甲子園の全国中等学校野球戦に、人気があるからといって、別に学生のスポーツや体格教育(体育)に世間が興味を持っているのではない。だから夫は文部省的な興味とは少しも関係がないのだ。そのよい証拠は職業野球団のすばらしい人気である。例えば巨人軍は全国至る所で胸のすくような快勝振りを発揮している。こういう妙技に接して世間のスポーツ眼が沃えて来ると、学生の幼稚なスポーツなどは今に到底見るに耐えないものとなるだろう。所謂スポーツマン・シップというような学生用センティメンタリズムや応援団的心気亢進は、どこかへ消し飛んで了うだろう。関西の阪神電鉄ではいよいよ職業野球団を組織することにしたそうだし、名古屋、福岡にも夫が出来るそうである。時代は職業野球時代に這入って来たと見ていい。して見ればもはや野球は文部省的スポーツ観念の「管轄」外に逸脱したものと見ねばなるまい。
処が文部省的な「体育即スポーツ」理論を裏切るのは、無論野球だけではない。少なくとも二十二種類のスポーツがそうなのである。というのは、明治神宮体育会による第八回大会(一九三三年)には、二十二種のスポーツが競演された。そしてその内には所謂スポーツという観念そのものさえ乗り越えたものが見出される。――例えば射撃やヨット(それから今に飛行機競争も這入るそうだから、雄弁会や算盤競争・タイピスト競争・夜業競争だって這入るかも知れない。いずれも体力や肉体技能に関係がある限り)。処でこの大会の興味の中心は、青年団対抗の四競技(陸上、剣道、柔道、相撲)にあった。処が又、実はこの四つの競技に興味があるのではなくて、全国の青年団が明治神宮の名に於て之を機会に顔を合わせるという点が、この大会の呼び物であったのである。
なる程青年団は青訓や青年学校や軍事教練から連想されるように全く文部省的存在ではあるが、併しこの文部省的存在自身が、少なくとも文部省的なスポーツ観念を裏切って、スポーツを一種の青年団示威運動とも云うべきもので以て、すりかえて了ったのである。
元来神宮大会なるものは、文部省に淵源したものではなくて、内務省系のものだったのである。文部省は嘗て之に学生の参加を許してはならぬと云って内務省と抗争した処のものだ。その後、この抗争を避ける目的で、民間スポーツ団体に一任されたので、今日の「明治神宮体育会」のものとなったという歴史を有っている。名前は体育大会だが、文部省の考えているような体育[#「体育」に傍点]とは無関係で、主として青年団精神[#「青年団精神」に傍点]の教育の機関となって了った。そして、こうした日本精神教育が、今日では全く文部省の管轄外であって、国体明徴の場合でも明らかであったように、もっと外の管轄にぞくすることは、有名だ。
こうやってスポーツは、企業家の手や日本精神家の手に依って、文部省の懐ろを離れて行く。スポーツは今や愈々「体育」ではなくなって来たわけである。或いは依然として体育であるかも知れないが、夫は日本精神か資本家企業かの手段としての体育となった。少なくともスポーツ実行者自身の体育や自己発達や風俗的快感や社交的娯楽とは全く別な目的の為の手段となった。スポーツはもうそれ自身に於て喜ばしいものではなくなった。スポーツはそれ自身に神聖なものではなくなった。ただ祭壇の犢が神聖だという意味に於てしか神聖ではなくなった。
明治神宮体育会の系統が民族主義的スポーツ団体だとすれば、之に対立する国際主義的スポーツ団体は国際オリムピック系の日本体育協会だろう。処が一頃明治神宮体育会系が甚だ賑かであるに引きかえ、国際オリムピック系はあまり華やかではなかった。オリムピック後援会なるものが出来てその会長に内田鉄相が就任したが、氏はベルリンにおける第十一回大会に遠征軍を派遣すべき資金の調達に就いて、各方面の援助を懇望している。だが、それにも拘らず国際オリムピックは、その場に臨むまではあまり朝野の関心を惹かなかったのだ。野球団はベルリン辺りまで出かける費用を節約して、その資本を協会にでも献金した方がいいと考えたような次第であった。――だが第十二回オリムピックの東京開催が決定するに及んで、オリムピックの人気は俄然台頭して来た。処が、それはスポーツとしてではなくて正に国威発揚の一手段としてであったのだ。
だが、こういう途方もなく歪曲された条件の下に於ても、スポーツそのものは、まがりなりにも急速な一応の発達をするものだ。夫は丁度、官許の展覧会によってアカデミックな美術がすばらしい発達をすることと別ではない。不純極まるスポーツも、実は立派に発展したスポーツたるを失わない。併しそういう意味で発達したスポーツは、純粋スポーツ(?)としては、どんなに水準が高くても、時間も場所もスポーツ用具も有たない日本の勤労大衆一般にとって、本当は何等のスポーツでもないのだ。――之に無理に厚意を有とうとすると、所謂ファン[#「ファン」に傍点]というものにでもなる他はない。サラリーマンなどは、この勤労大衆の欝憤を晴らすために、一同に代ってスポーツ・ファンとなるのである。彼等にはその程度の余裕ならあるからである。
三 学生野球統制令の矛盾[#この行はゴシック体]
現在スポーツで人気のあるのは、何といっても野球であり、而も学生の野球である。併し独り野球に限らず、一般にスポーツが人気があるということは、単に学生に特有な集団生活と閑暇生活とからの結果偶々学生界に於てスポーツが盛んであるからばかりではない。人々が学生スポーツに於て期待するものが、スポーツそれ自身にあるのではなくて寧ろ学生生活そのものの一表現がスポーツだという処にあるからである。
勝負・賭け・遊戯・体育・といったスポーツのもっている各種の意味が、偶々実社会から隔離された教育対象である学生の生活条件とよく一致することから、特にスポーツが主として学生生活の一表現と見做されることになるのである。学生野球ファンは事実、銘々の選手や各チャンスに就いて、野球のスポーツ技術に興味を持っているように見えるが、実はそういう興味の裏を一貫するものは、実際社会から何かの意味で隔離された学生の世界に対する世間の興味なのであって、「社会」に労《つか》れたファンはそこに一種の心安さを見出すのだ。或いは単にそういう興味を純スポーツ的な興味だと幻想するのである。
学生野球、否一般に野球は多分一高から始まったと思われる。之はいうまでもなく野球技術からいえば素朴で、幼稚極まるものであったが、夫は単に野球の発達が若かったことを意味するばかりでなく、野球がまだ純スポーツの意味を有たずに単に学生生活の一表現という意味を有ったに止まる、ということを意味する。六大学リーグ戦乃至中等学校野球大会以前の野球の興味の中心は早慶戦と一高対三高戦とであったが、之は全くスポーツとしてではなく「学生運動」としてそのファンを獲得していたのだ。
六大学リーグ戦でも併し一応、この「学生運動」としての野球が依然として基本的な興味をなしている様に思われる側面が著しい。その証拠に、仮に六大学のチームが単にABC……Fという六組の混成チームだったとすれば、一体何人金を払って之を見に行くか疑問だろう。
処がこの学生運動としての野球に対する興味は、言って見れば、甚だ他愛のない薄弱なものなので、野球が技術的に発達し、又ファンの眼が肥えて来るに従って、夫は自然と怪しくなって来る。そうして興味の中心は学生生活から純スポーツ技術に移らざるを得なくなる。少なくともそうした純粋な野球ファンが発生するのである。最近の職業野球団はこうした「ファン」社会の需要に応じて企業されたものであって、日本でこの商売が立派に成立するだろうことはアメリカ職業野球団の来朝の際、如何に日本の野球ファンが死に物狂いに殺到したかということで、すでに試験済みなのである。
処が一方、六大学野球連盟自身が、この時すでに職業団化していることを見ねばならぬ。それを通じて各大学の野球部自身、又選手自身が、職業化して来た。選手は野球専攻(?)の学生となり、その研究費(?)を賃銀(?)として受けとるようにさえなるし、この選手と共に野球部は営業大学の事業部の役割を持って来るし、連盟自身は事実上興行主体と何等選ぶ処がなくなった。この関係が社会的に色々のボロを出すようになったので、文部省は野球統制令を敷いて、例の「学生運動」としての学生野球とこの企業としての学生野球との矛盾を折衷しようと試みた。一季制案がその一例だったのである。処が学生野球の必然性は、すでに崩壊しつつある学生運動としての学生野球が新興の学生野球企業を圧迫するのを肯んじることが出来ない。そこで連盟側から二シーズン制復活運動が猛然と台頭したのである。文部省は遂に、入場料の値下げと各大学分配金の制限(六万円以内)とを条件として、二シーズン制の復活を許した。
文部省は初め二シーズン制が学生の勉学にさし障りがあるという純教育上の理由から、一シーズン制にしたのであったが、今度之を入場料と分配金の制限という純企業統制上の条件に代えたのだから、之は確かに文部省自身、学生運動野球から企業野球への必然的な動きの前に、譲歩したことを意味するに他ならぬ。
さてそこで問題になるのは、こうした半学生運動的・半企業的・学生野球と純職業野球・野球業との関係が色々と発生することである。ここでも文部省の学生野球統制令は再び色々の矛盾に逢着した。その一つとして、在学中本職の野球業にたずさわる学生生徒は之を大学乃至学校から除名しなければならぬということにもなったのである。音楽の専門商売人を養成する上野の音楽学校でも、在学中ステージに立つことが出来ないというから、それから見れば野球専門の学校の学生や生徒でない以上、之が当然とも思われるかも知れない。併し今いったような学生野球統制令が学生野球商売と職業野球商売とを判然と切り離せると考えるのは、今では一つの幻想にすぎない。今日の学生野球はその必然性からいって、単に稚拙で不完全な職業野球へと次第になりつつあるのだからである。
文部省は例の統制令によって、他に全国中等学校野球統制団体の設立を目論んでいるばかりでなく、この統制令の精神を徹底することによって、国民体育[#「国民体育」に傍点]の問題をも解決しようとするらしい(国民体育会館の設置の計画など)。だが元来から云ってスポーツは文部省や世間でウッカリ考えているようには、ただの体育に帰着するものでないのである。夫は肉体の運動能力を賭ける一つの勝負事として、一つの市井的な社会現象なのだから、之を「体育主事」的に解決することは元来出来ない。ましてこの市井現象を商品とするスポーツ業になれば、文部省の教育行政理想とは何等関係のないことだろう。之は私立大学の教育営業を統制するように統制出来ないのである。精々統制出来るものは、スポーツのイデオロギー的要素位いなもので、例えば半軍事的観念に帰着する「東洋体育協会」の問題などに尽きるだろう。
スポーツが資本主義的発達を遂げて、もはや「学生スポーツ」とか「体育」とかいう不徹底なブルジョア・スポーツ形態に局限され得なくなると、スポーツの文部省的観念は破産する。もうその時が来たということを、私はハッキリと注意したいと思う。
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第三部 宗教風俗
22 新興宗教について
一[#「一」はゴシック体]
最近の宗教氾濫現象の一つの特徴は、新興宗教の流行となって現われている。仏教運動の台頭や、倉田―本間(俊平)―西田(天香)―伊藤(証信)系統の修養系乃至教養系の宗教の社会的再評価や、各種国粋運動は、云うまでもなく今日の宗教氾濫時代の重要な内容をなすものだが、こうしたものより遙かに特色のあるのは所謂新興宗教なのである。その故に世の多くの人間達は、他の宗教運動に就いて宗教運動としてはあまり注意を払わず、或いは少なくともあまり反発を感じないらしいにも拘らず、新興宗教だけは之が何かよろしくないもののように、こずき回している。新興宗教はインチキであるとか、迷信であるとか、其の他其の他と、まるで他の宗教運動や明治以前に発生したり輸入されたりした宗教は迷信でもインチキでもないかのように。
一体新しく興ったというこの新興宗教とは、いつ頃から起こったというのであるか、或いはいつ頃から社会的に相当の重大さを持つようになったもののことをいうのか。その時期を画するものは満州事変以来だということである。この事変以来、平均日に幾つかずつの新宗教が発生しているそうである。以て新興宗教の「新興」ということの社会的意義が推察されるだろう。これ等新興宗教は大体に於て、最初から多かれ少なかれ非常時用の宗教であると見做してさしつかえはないようだ。他の宗教は非常時をその隆盛の動機にしているが、新興宗教は特に、非常時をその成立[#「成立」に傍点]の動機にしているので、その教義内容の如何に拘らず、非常時的本質をもつことをその存在理由にしている。だからこういうものを、現代の非常時社会は、そう無下に悪しざまには云えない義理があるのである。
世間では之を類似宗教[#「類似宗教」に傍点]とも云っている。それは文部省から公認された宗教でないという意味で、例えば天理教は明治時代に政府に献金して公認して貰ったが、大本教(皇道大本)の方は類似宗教だということになる。そして所謂新興宗教はこの大本教並みに待遇されるべきものだと考えるわけだ。大本教の検挙(之は教義内容自身が不敬罪や治維法に触れるのだそうである)は類似宗教の邪教性を天下に公示したことになるが、公認宗教であって邪教でない筈の天理教が、教義と無関係に単に脱税行為だけが、検挙の目標となっていることは、公認宗教と類似宗教との区別が、単に事務的なのでないことを、即ち夫が社会的正義感や道徳的評価に直接関係しているということを、公示したことになる。尤も脱税の検挙に対してさえ、奈良県当局から横槍が這入ったという噂さで、天理教がつぶれては奈良県の財政があぶなくなるということだが。
類似宗教は偽似宗教で真性宗教でないという感じから、それだけですでに評判を悪くするに充分であるが、だが宗教を一つの伝染病と見做すなら、類似宗教こそ最も伝染力があるのが事実で、之こそ真性な宗教でなくてはなるまい。この真性宗教の効果は、単に阿片的なものに止まらず、殆んど青酸加里的性質を持っているので、単に魂を羽化登仙させるだけではなく、生命そのものを昇天させて了うのだが、この点は後に解説しよう。
二[#「二」はゴシック体]
人はまた之をインチキ宗教[#「インチキ宗教」に傍点]と呼んでいる。インチキという言葉は甚だ愛すべき言葉だが、その言葉の使い道自身が又往々にしてインチキであることは遺憾である。一体インチキとはどういうことか。この俗語は二つの場合を指している。一つは事物の客観的な力関係乃至比重を、主観的な利害やひいき目から、実際に見誤ることであり、もう一つは夫を故意に他人に見誤らせるように仕向けることである。自分をえらそうに重大そうに見せるのにも、実際自分をそう思っている場合と、実際には自分のえらくなさ[#「なさ」に傍点]や小ささを知っているが故にわざと大きく見せようとする場合とが区別される。寧ろ前者の方が性格薄弱者や性格破産者のみじめなインチキさであるが、併しいずれにしろ、事物や人間関係の客観的に公正なプロポーションをうぬぼれや利害感から、ゴマ化すことが、インチキということの哲学的或いは論理学的な本質なのである。
観念と物質との客観的比重を無視して、精神主義を強調するものは、元来それだけでインチキなものであるのだが、併し忘れてはならないことは、観念と物質との比重も、之を純観念的に測定する限り、少しも比重のゴマ化しは暴露しないですむのであって、従ってどんなに荒唐無稽な体系でも教義でも、それが純精神的な世界に終始する限り、インチキに見えずに済むものだ。だから修養とか精神鍛錬とか肚をつくるとかいう限り、一切の宗教はインチキでなしに却って尤もに見えるわけだ。処が自分は神を見たとか観音様に会ったとかいう物理的生理的因果関係を一枚入れると、夫はすでに観念と物質との物的比重に解かれるので、そこで初めて、この人間は山師かそうでなければ狂人ではないか、と気がつくのだ。或る男が海面をノコノコ歩いたと書いてあれば、之はどうも眉唾物だという事になる。思念一つで一切の病気が治ったり、不幸が他人へ身替りしたり、ポンプの水が出たりするという証言は、どうもインチキだということになる。
その意味に於て治療と結びついた宗教教義や宗教行為が、最も容易にそのインチキ性を暴露され得るので、之がインチキ宗教なるものの定義でもあるかのように、既成宗教業者達は云うのであるが、併し之は単に自然科学的な物質的認識に於ける事物の客観的比重をゴマ化したからそう云われるまでで、同じく物質的認識に於ける事物の客観的比重をゴマ化すにしても、その認識が社会科学的なものになると、この支配者社会自身の社会科学的認識の常識そのものが初めからインチキに出来ているので、インチキ宗教と呼ばれることを免れ得ているのである。真理を行う処の商店は、どんなに大きなデパートが出来ようと、それにお構いなく繁昌するというようなことを証言している「真理運動」などは、インチキどころではなく正に「真理」だということになる。真理運動に限らず、大衆の現実の苦悩からは完全に独立化した既成大宗教などは、治療や商売繁昌の御利益を説く宗教は迷信にすぎないと云っている。そのくせ自分は、日本資本主義の繁栄は宗教の御利益によらねばならぬと考えているのである。
かつてラジオの講演で迷信についての話しをした人があったが、迷信は誤った信仰とか正しくない信仰とか色々に定義されていると云っていた。なる程迷信は迷える信仰のことに他なるまい。だが大切なことは、之がいつも必ず何等かの利害打算に基いているという点なのである。だからこそ投機業者人気商売は、迷信的なのだ。その人はこの点には殆んど見向きもしないで、単に科学的認識との矛盾ばかりを指摘していたようだが、利益や利益と思われるもののないのに、誰が酔狂に科学的認識と矛盾しようなどという気持ちを起こすだろうか。単に科学的な無知からではなく、その無知に一応満足しておいて、それよりもっと手取り早く利益を得ようとすればこそ、迷信の必要があるのである。治療宗教・御利益宗教は、自然科学[#「自然科学」に傍点]的(仮に治療医学を自然科学へ分類するとして)認識と矛盾することを却って必要とこそ感じる迷信であり、正信や宗教的「真理内容」や文化的宗教は、社会科学[#「社会科学」に傍点]的認識と矛盾することを絶対に必要と感じる迷信なのである。ただ対自然科学的迷信の方は、或る程度まで支配諸社会の必要と常識とに矛盾するので、社会的権威を与えられていないに反して、対社会科学的迷信の方は、国家的権威をさえ付与されているというだけの違いだ。
だが支配者社会から権威を認められないにも拘らず、この対自然科学的迷信が、この頃では段々社会的に必要になって来たということを見逃すことは出来ない。医者は大衆の生活費に較べて馬鹿々々しく高価なので、併しそうだからと云って病気を治療しないというわけには行かないので、一見金のかからない類似医学やもっと大悟徹底すれば治療宗教をその代用物として採用する。もし不治の病、即ち治療費が嵩む病気ならば、そうした方が安上りに治療の良心[#「良心」に傍点]を静めることが出来て、理性的に賢明なわけだ。どうせ死ぬのならば、金をかけずに早く死んだ方がいいかも知れない。そこでインチキ治療宗教の青酸加里的効用があったわけだ。だから必ずしも迷信(科学的無知)からインチキ宗教へ赴くのではなく、却って理性的な打算からインチキ宗教へ赴くのであって、雑誌の出版屋にしても、インチキ宗教を信じることを標榜した方が、そのインチキ宗教の信者を読者に獲得出来るわけだし、ましてインチキ宗教を売り出す当人達の方では、初めから終りまで完全に理性的なのである。ただ宗教業者の方は、あくまで何等の迷信を有たずにやって行けるに反して、その顧客の方は、いつの間にか本当に迷信をするようになるものが少なくはないというだけだ。――迷信は社会的に見ると、無知のことではなくて、利害感に立脚するインチキ現象の一種のことであり、従って却って極めて理性的な本質のものなのである。だからこそ、対自然科学的、又対社会科学的、迷信は、この社会に於て現実的に実在し得るのだ。
三[#「三」はゴシック体]
上品な現象から云って行けば、新興宗教はインテリの不安につけ入ったものだと云っていいかも知れない。そうすれば不安の文学とか不安の思想とかいうものも、一種の新興宗教に数えることが出来て便利である。だが科学的知識が豊富だったり、或いは又そのために科学に対して懐疑を有てる程に偉い筈の現代インテリが、「迷信」や「インテリ宗教」を代表者とするような新興宗教につけ入られるということは、少し辻褄が合わないようにも思われる。
現代の宗教運動は現代インテリと直接関係があるのではなくて、実は現代の小市民層に直接関係しているのだ。そこで「ひとのみち」に見られるような、あまり上品でない教義や行為が、最も有力になるわけなのである。その徹底した家庭的エロティシズムなどはたしかにインテリ向きではなくて、小商人向きなのである。それから「生長の家」は本を読むことが大事な契機になっているし、精神主義的ロジックも学者の如くではなく権威あるものの如くに中々鋭いから、少なくとも相当教育があるか又は相当頭がなくては這入りにくい。之は確かに或る層のインテリに向いている。処が指導者谷口が、精神治療を行った実例を枚挙するのを見ると、いずれも近代生活をなし得る程度の小市民の日常生活からの引例なのである。お神さんや女房はあまり出て来ないが、良家のマダムは沢山出て来る。子供の学校の成績や入学試験で夢中になっているマダム達が沢山出て来るのである。――それから「真理運動」の賛成者を統計で見ると、商人の次にはサラリーマンであって、仏教的教養のあるインテリ専門かと思うと、必ずしもそうではなくて、単に小市民層向きだと云った方が当っているようだ。勿論サラリーマンは範疇として[#「範疇として」に傍点]はサラリーマンであって範疇としてのインテリゲンチャではないのである。
新興宗教が多数のインテリを動かしていることは事実だが、それは正に小市民としての資格によるものだと見るべきだろう。それはあまりインテリ向きに出来ていないという事実を見落してはならぬ。処で実はそこに、その一種の無教養・無伝統・歴史的権威の欠如・という処に、新興宗教が所謂「インチキ」と考えられる一つの理由が伏在しているのである。自分でインテリだと思っているインテリは、キリスト教とか仏教とかいう歴史的伝統の権威を持ったものでなければ、教養あるものとは認めない。注釈と解釈とによって文化的財産の形をとったものでなければ、信用しない。そういう歴史的距離を距てて見なければ、一切のものは成り上り者に見えるのである。彼等は原始キリスト教や原始仏教そのものは承服出来ない。ただそれが今日から解釈され注釈されて初めて、価値を認め得るのだ。そうしない限りはインチキなものなのである。――彼等は文献学的文学的古典を至る処に求める。そういう意味に於て、古典的文献としての威厳のない宗教は凡てインチキなのだ。
新興宗教は少なくとも高級なインテリの文化的[#「文化的」に傍点]要求を満足させない。大本教や天理教の聖書は文学的[#「文学的」に傍点]価値を持たぬ。まして「ひとのみち」のものをやだ。谷口雅春や友松円諦の書くものは多少文学的価値を有つかも知れぬ、だが夫は古典的[#「古典的」に傍点]価値を持たない。――彼等の宗教的情緒を満足させるものは寧ろキールケゴールであり、優れた「文献学者」だとかいうニーチェだろう。価値のあるのはこの歴史的な形而上学[#「歴史的な形而上学」に傍点](!)だ。之に較べれば「お振り替え」(ひとのみち)や「思念」(生長の家)や「真理商店」(真理運動)などは何と形而下的でインチキであることか。――だがこういう点から、或る宗教がインチキであるかないかを決めるのは、真理としての問題ではなくて趣味と教養との問題だ。私は初めに、之とは異った説明をインチキに就いて加えておいたのである。
現に今は、大本教がインチキだと世間から見られているのは、殆んど趣味や教養の問題としてではなくて、大本教の僣上沙汰にあるのである。つまり王仁三郎や大本教そのものの社会的比重に就いての測定にインチキがあるのである。処が前に云った通り、凡そインチキ性は全く合理的で理性的な存在理由があったのである。スウィフトの『ガリバー旅行記』やモリエールの『人間嫌い』やゴーゴリの『検察官』が当時の社会との関係に於て極めて合理的で理性的で従って現実的であったように、王仁三郎の「大本教」も合理的で理性的で現実的な社会的根拠を有っている一つの風刺的存在だ、と云ってもいいだろうと思う。
[#改頁]
23 宗教のインチキ性とは何か
一[#「一」はゴシック体]
新興宗教乃至類似宗教と呼ばれるものが、今は、インチキであるとか邪教であるとか云われているけれども、特に新興宗教や類似宗教だけがインチキで邪教であるというわけではない。「インチキ宗教」に対する攻撃に興味と利益とを感じるものが既成宗教業者に少なくないらしいことは、この攻撃の仕方にとって、根本的な反省を要求する事柄であって、やり方の如何によっては、却って既成宗教の擁護に何より役に立つ結果になるだろう。そういう意図に於て類似宗教攻撃を行なおうとするのが、当局の方針であるように見えるし(宗教団体法案・宗教教育問題・大本教検挙・天理教検挙)、世間の常識的通念であるように見える。だが勿論、之は「インチキ宗教」攻撃の本当の形であってはならぬ。
「インチキ宗教」批評は一般的な宗教批判・反宗教運動の一環として初めて、科学的な意味があるので、そこまで行かない形態のものは、全く反対な効果をしか現実上持っていない。これは少し事情を省察する労を惜まない人は誰でも気のついていることで、今更私がここに持ち出すまでもないことだが、併しそれでは凡ての宗教がインチキであり所謂邪教であるかと問われると、簡単にそうだと云っては済ませぬものがあることを注意する必要がある。キリスト教や仏教が「ひとのみち」や大本教と同じ意味に於てインチキで邪教であるかというと、決してそうではないのだ。
だから「インチキ宗教」とか邪教とか呼ばれる、その言葉の意味をもう少し分析してかからないと、所謂インチキ宗教の批判は勿論充分に行かないわけだし、それだけでなく、既成の社会的信用(?)のある世界的宗教の批判にも不便を感じるだろう。
宗教は一般に精神主義の原型をもつものであって、仮にその形而上学的神学組織が、物心の対立を超えたものである場合にも、その神学組織の実際的運用に於ては、忽ち精神主義の原型に帰着する。世界の物的変革という手段が理論的に必然だということを極力否定するか、それともそういう課題に絶対に近づこうとしない。最も革命的であった原始キリスト教さえも、宗教としての興味は之とは全く別な処に横たわっていたのである。
処がこの精神主義の原型は色々の形を取って現われる。その一つの現われ方が、御利益主義であって、之は観念上の信心や出来るだけ極度に安易な物質的運動である処の呪文おまじない其の他によって、要するになるべく観念的な近道によって、極めて複雑な物質的運動の結果である処の物的利益を結果しようという、超越的な観念的因果関係の設定のことなのである。無病息災・成功出世・其の他のこの物的利益が、精神的ではなくて露骨に物的である処に、元来の精神主義という宗教的原型とその特別な一発現形態との間の、一種の矛盾を感じさせる。そこで、之がインチキな宗教のインチキたるの一要因と見做されるわけだ。
もし得られる予定になってる結果が精神的な御利益ならば、それがどれ程功利的であり打算的であろうと、元々精神の一手で綺麗[#「綺麗」は底本では「奇麗」となっている]に片がつくので、建前上の食い違いがなく、決してインチキには見えない。どんなに荒唐無稽であろうと、正しい信仰である資格をもつことが出来る。元来荒唐無稽であるとかないとかは、精神界だけに止まっている限り問題にもならぬのであって、どんな妄想を懐こうとその内容が純精神的なものに限定されていれば、決して狂人とは認められない。処が俺は神の子であるというような肉体的因果づけなどを主張し出すと、大分怪しくなって来る。自分は神であるとか私は神に会ったとか云い出すと、初めて狂人と見做される。そしてもしこの妄想自身が物的御利益を明らかに伴うならば、彼はもはや狂人ではなくて正にインチキ師と見做されるのである。
「生長の家」のように、一種の宗教運動――精神主義運動――を標榜しながら、それが最も近代的な物質利益の追求の一形態である株式会社活動である時、この矛盾はそれだけで又インチキの称号に値いすることとなる。そして宗教運動が資本主義的ジャーナリズムにすりかえられるという処にも、食い違いがあるので、ここからも重ねてインチキの称号が尤もに見えて来る。
二[#「二」はゴシック体]
元来インチキという俗語の指すものには二つの場合がある。第一は意識的に相手の眼をゴマ化すことであり、第二は知らず知らずに恐らく自分の主観的興味から、事物の客観的な公正を無視することである。自己宣伝のインチキにしても、自分の社会に於ける比重の小さいことを知るが故に之を大きく見せかけようとする場合と、自分の社会的比重を客観的に見境づけ出来ないために、当然のことのように自分を誇大に示そうとする場合とが、あるだろう。後者の方が寧ろ不健全な憐むべきインチキ性だが、いずれにしても、客観的なプロポーションの無視から来る食い違いが一般にインチキというもので、この食い違いがバレると、初めてインチキ性が露出するのである。
宗教、特に類似宗教のインチキ性も亦、正にこうした云わば数学的とも論理的ともいうべき性質のもので、之は社会の常識的通念(之は主として平均値的に小市民の常識に相応するのが普通だ)にとって、的確に検出出来るものだ。
処がこの小市民的社会常識なるものは、云うまでもなく甚だ怪しげなものなのである。というのは今日の小市民的常識によると、大ブルジョアとは違って、社会は甚だ精神的[#「精神的」に傍点]に捉えられているのである。つまり資本家的な企業のカラクリの内部には全く身を置くことの出来ない小市民は、この資本主義社会の物的本質を身みずから実証する機会も能力も頭の内に持ち合わさないから、その代りに、この社会過程を、最も手っ取り早く安易に、一遍に片づけて了えそうな、精神的解釈を採用したくなるのである。ブルジョアジーは社会の精神的本質などは決して信じてはいない、ただ信じたような顔をしているだけだ。処が夫を本気で信じているものが小市民なのである。
さてこの小市民的社会常識は、社会の精神的本質を説く宗教、そして社会の精神的利益を説く宗教を、もはやインチキとは看破出来ないわけである。社会の精神的利益なるものが実は社会の物的利益のことであるという秘密は、彼等によると社会そのものが精神的なのだから、到底気がつかない。かくてこの種の宗教は、真の宗教であり、宗教の真面目だということになる。既成の世界的宗教や、各種の新興類似の教養宗教・文化宗教・哲理宗教は、かくてインチキや邪教どころではなく、正に正信[#「正信」に傍点]そのものだということになる。之を目して今日の常識的通念は、迷信でない宗教[#「迷信でない宗教」に傍点]だと称している。
で宗教が「インチキ」であるかないかは、之を見る立場にある社会の常識的通念の如何によるものであって、社会の根本的矛盾に就いて本当の知識を有たない通念にとってインチキでない宗教も、社会の根本的矛盾を見得る通念からすると、紛れもないインチキ宗教なのである。つまり内部に根本的な食い違いを有ちながら、之を意識的にか無自覚にか、何の食い違いもないような円満具足なものと見せかけるものが、インチキ宗教一般の本質だ。――そういう意味に於いて、唯物論的認識論(乃至論理学)から云うと、インチキでない宗教は元来なかったし、又決してあり得ないということになる。ただ今日なら今日という社会の常識的通念によって、その内の一部はインチキで他の部分はインチキでないと呼ばれるに過ぎないので、そうした常識的通念そのものが、唯物論的見地に耐え得ないものなのだ。
三[#「三」はゴシック体]
併し、次の点はなお参考されねばならないのである。同じくインチキという一般的な評価に値いするにしても、例えば福音書的キリスト教と「生長の家」的宗教とでは、決して同一なものとして機械的に片づけられはしないだろう。生長の家が今後どういう「聖典」を伝承するか私の予断の限りではないが、その聖典振りとバイブルの聖典振りとの間には、確かに大きい距りがあるように見受けられることを、否定してはならぬ。私がそういうのも、谷口雅春の書くものは、通俗的な卑俗な友松円諦などのあり合わせの教養のつぎはぎとは違って、多少宗教的な鋭さを持っており(倉田百三やある場合の武者小路のタイプに近い)、多少キリスト的でさえあるからだが、例えばお筆先の類と聖書の含蓄ある部分とを較べて見れば、この区別はもっとよく判るだろう。
之は文化的宗教と非文化的宗教の区別とか、教養ある宗教とか教養のない宗教との区別とか、というものとは別なのである。宗教哲学者が云う様な宗教的「真理内容」の上での区別だという風に云って了ってもいけない。まして一方は世界史的に承認された宗教であるに反して、他方はまだ出来立ての成り上り宗教に過ぎないから、というだけでもない。宗教の真理(?)というものがあるなら、夫は文化や教養とは可なり無関係なものでなければなるまいし、世界宗教は原始的段階にあればある程、真理(?)だと考えられる。そして、にも拘らずこの「真理」・宗教的な真理内容・などというものは、実は元来成り立ちはし得なかったものである。
だがなぜそんなただの嘘が人々を惹きつけて来たか。今日世間でいう所謂インチキ宗教ならば、之を人間の科学的無知から説明することも出来よう。尤も実は必ずしも無知からばかり説明は出来ないので、私の知っている或る人が「生長の家」を信じるようになった過程は、もっと遙かに合理的(!)なのであった。と云うのは、その人は不治の病気だが貧困で医者にかかることが出来ない。それで医者にかかる代りに、その弁解として[#「弁解として」に傍点]、神様を信じることにしたのである。こういう弁解の道が発見されたので、その人は安心[#「安心」に傍点]をし、そして無駄な金を費わずに死ぬことが出来た。だから邪教への動機を一概に迷信によって説明することは決して適切ではないのだが、併し、世界的宗教の高遠な虚偽は、そういう弁解にも口実にも経済にもあまりなるのではない。何が、では人々を惹きつけるのか。
私はどうも、人々を惹きつける所謂宗教的真理内容(夫は世界的大宗教に存すると云われている)は、実は宗教的[#「宗教的」に傍点]内容のことなのではなくて、文学的[#「文学的」に傍点]内容のことなのではないかと思う。梵文学や仏教聖典・キリスト教聖書などは、明らかに文学的遺産として吾々に伝えられている。之は文学として見る時、たしかに大きな文学だろう。尤もその文学が科学的真理とどう連絡しているかは今は問わないことにしよう。なぜなら今日まで、科学的真理をまるで無視した文学も、なお大文学として、或る存在権利を与えられて来ているからだ。モールトンはバイブルを世界の五大文学の源泉の一つに数えている。彼によるとバイブルは単に聖典なのではなくて、夫が聖典として伝承され得たのは、韻を踏んだ立派な大きな文学的古典であったからなのである(彼は本来持っていた韻を復活させた読みもの[#「読みもの」に傍点]としてのバイブル原型をも出版している)。この点、他の世界宗教についても同様に云えるのではないかと思われる。
でつまり宗教的真理内容があると云われる世界的大宗教と、所謂今日のインチキ宗教とを区別するものは、その宗教的[#「宗教的」に傍点]真理価値ではないので、その文学的[#「文学的」に傍点]な真理価値(だが本当に之が真理で価値があるかは別に検討せねばならぬが)なのだ、ということになる。夫は[#「夫は」に傍点]宗教としての区別ではなくて、却って文化[#「文化」に傍点]としての区別なのである。――だから宗教を文学的な認識から引き離し、宗教を教養や文化から独立させようとするトルストイの手によれば、キリスト教は何等の世界的大宗教でもなくて、安心のための弁解と口実との例のインチキ宗教の範疇へ還元される。「イワン・イリイッチの死」は、イワンのそういう「インチキ宗教」的な死に際の秘密を解いているのだ。
ここからも判るように、宗教をただの文化的教養としてではなく、あくまで宗教として純化する時、その典型は他ならぬ「インチキ宗教」なのである。この点逆説のようだが、明白な事実にぞくする。であればこそ、所謂新興宗教の一種の新鮮さと魅力とがあるわけで、そしてもし仮に宗教を、社会がもつ社会自身の自己風刺だと云っていいとすれば、類似宗教・インチキ宗教・邪教こそ、今日出でざるを得ずして躍り出た、社会の最も自然な而も痛烈な風刺なのである。
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24 風刺としての邪教
文部省における宗教制度調査会の初総会において、宗教団体法案綱要の審査会が開かれた。席上時の文相松田氏は述べていわく。「方今物質文明の異常なる発展に伴い、これが幣竇《へいとう》もまた顕著なるものあり、ひいて国民思想の動揺を来し、人心ややもすれば中正を失し矯激に走るありて洵に寒心に堪えぬ」……「なかんずく人心の感化社会風教の上に至大の影響をおよぼす宗教の健全なる発達を遂げしむることは、もっとも緊要なることの一たるを失わぬ」云々。そのために今ここで、宗教団体法案なるものを案出したから、審議して欲しいというのである。
すなわち文相のいう所によっても明らかなように、今度の宗教団体法案は宗教の健全なる発達によって、物質文明の幣竇を矯めようという目的を有つわけだ。だが一体宗教の健全なる発達、というのは即ち健全なる宗教の発達、ということに相違ないが、それが抑々何であるかがわれわれの遂に正確に理解し得ない所なのである。
宗教団体法案の内容を見ると、これは何より先に、宗教法案ではなくて宗教団体に関する法案であるということを示している。宗教法案の成立は各方面から要望されて今日に至っているので、殆んど三十年来の日本政府の宿題であったのだが、それが宗教自身の直接な取締りを標榜するのでは、丁度或る一定の学説内容に関する取締りが思想言論の自由の精神に抵触するように、信教の自由の観念に抵触するわけだ。無論取締らねばならぬような思想言論の方の所有者は、そのままでは(これを反対の一定の定型のものへ転向させないでは)支配社会の役に立たぬから、いわば支配社会の無用有害な分子に過ぎないので、政府はこれに対して何等の好意ある顧慮を必要としないだろうが、しかし宗教は、実際上の問題として、決してこれと同一に取扱うことは出来ない。宗教にも色々と支配社会の気に入らぬものや不都合なものや困ったものがあったし、また現在もあるだろう。だが宗教の本質は決してそんな不逞なものではないはずだ。だからこの取締りを標榜することによって、信教の自由を蹂躙したり、また善良で利用価値の高い宗教業者を無用に刺激したりすることは、得策でない。そこで宗教そのものの代りに、その社会的生存条件である宗教団体を取締るという建前にしようというのが、この案のねらい処だ。
宗教団体の方に国家権力の重しが利いていれば、宗教の数多くのうちにヒョットして現われないでもないような、あまり肩身が狭くなるように見っともないものは、間接にだが確実に、取締ることが出来るわけで、宗教の社会的信用を墜としそうな分子は整理することが出来る。これによって、宗教は健全[#「健全」に傍点]となるという次第である。そこで寺院・教会・教派・宗派・教団等の宗教団体やこれに類似した宗教結社を法定化し、宗教教師の資格も従来より適切に規定しようというのが、この法案である。
なるほどこれによって淫祠邪教というような、宗教の信用を失墜させそうなものは征伐出来るだろうから、宗教は健全になるだろう。だがそういうなら、一体何が淫祠邪教であり、どういう宗教がそうでないか、どこに区別の標準があるのだろうかという疑問が、その代りに起きて来るまでだ。ところで実は、一体如何にして宗教がインチキでなく[#「なく」に傍点]あり得るかということが、われわれの相変らずの疑問なのである。
最近の文部省は宗教の健全性というテーマについて、非常な、非常時的な、思索に耽っている。とに角文部省にとっては、というのは一般に支配社会にとってはということになるが、宗教は必要なのだ。ただ文部省にとっては宗教を無条件に運用するのにその建前からいっても、先の信教自由は別としても、いくつかの障碍が横たわっている。その一つは明治初年以来の政教分離に基く学校における宗教教育の禁止だ。そこで困った文部省は、先般、或る口実を設けることによって、学校における宗教教育を許可し、または寧ろ奨励することにしたのである。というのは、学校において禁止すべきものは宗教教育ではなくて宗派[#「宗派」に傍点]教育である、宗教教育は宗派教育を離れて行なわれるべきだという解釈だ。ところが宗教はすべてまたいつの世でも宗派や教団から離れてはないのだから(宗教団体法によって宗教取締と宗教奨励とを企てる文部省は実はこのことを一等よく知っているはずだ)、これを超越した宗教というと、つまり宗教的情操[#「宗教的情操」に傍点]というものになる。実際文部省は各学校に向かって宗教情操教育を施せと命じているらしい。ところがこの宗教的情操なるものくらい訳のわからないものはないので、第一各宗派に共通なようなものは、到底具体的な宗教的情操ではないから、従ってつまりはこれは宗教的情操ではないということになる。そこで、この宗教的情操は、教育勅語と一致する限りの内容にほかならぬ、という解釈を文部省は採用することにしたらしい。
しかしこれでは宗教的情操などという名目は無用の長物だったわけで、教育は従来通り、教育勅語一つで立派に遂行され得るはずなのだ。何のために宗教を回り道したか訳がわからぬ。だから、宗教的情操というものに、宗教の健全性を求めても、教育の健全性は見つかるかも知れぬが、宗教の方の健全性はどこにも発見されないわけだ。健全な宗教というものの意味は、依然として一向ハッキリしない。
では最近邪教の標本として内務省と司法省の槍玉に挙げられている大本教を見れば、何が健全な宗教で、何がインチキ宗教かがわかるだろう、というかも知れないが、必ずしもそうではないのである。大本教(皇道大本)の検挙の内容については、本当はまだ詳細または正確に知ることは出来ないが、とに角それが犯罪を構成するらしい点は、治安維持法違反か不敬罪の類であるらしい。だからいずれにしても日本の国体の尊厳を犯すという所であるらしい。でこの宗教乃至類似宗教が邪教=インチキ宗教として犯罪取締りを受けるのは、一般の思想犯と共通な点であるらしい。社会では大本教の持っている異常精神的奇怪味を目してインチキといっているのかも知れないが、それならば天理教(これは公認された宗教だ)のファナティシズムにだってあることで、独り大本教だけのものではあるまい。法律的にインチキなのは大本教が広義において不敬な点だけにあるのだ。これに反して、アメリカ人キリスト教宣教師が最近日本で出版した『最近の日本』なる文章が、皇室の尊厳を冒涜するという理由で新聞紙法にひっかかった、という例があるが、然し世間では、この宣教師の宗教行為を不敬だとはいっても、邪教とかインチキ宗教だとかは言わない。ここで矢張り宗教[#「宗教」に傍点]の健全不健全、正信と邪教の代りに、一般にその思想[#「思想」に傍点]が日本主義的であるかないかが問題にされているに過ぎない。何が宗教[#「宗教」に傍点]の健全さかは、依然としてわからぬ。
では「ひとのみち」はどうか。これもまた、検事局の手入れがあったが、「み知らせ」による病気治療や「お振替え」(信者は便法上自分の不幸を教祖御木徳一の身へ振替えることが出来るという)の説や金銭取立てのからくりや、またその特有なエロティシズムは、社会常識から見て極めてインチキであり、淫祠邪教の尤なるゆえんを示していることは明らかだ。だが西方浄土の説や本山末寺の金銭取立て組織においては、これは敢えて本願寺の敵ではないのである。病気の治療と信心とを結びつけるから邪教だというなら、社会的不幸の治療と信心とを結びつけることは、なぜインチキではないのだろうか。こう考えると、健全な宗教はエロティシズムにはよらぬところの宗教のことにでもなりそうだ。これではお話しにならぬ。
ところで、次に「生長の家」は自分では宗教でないといっているが、世間ではこれを一種の宗教と認定している。思念しただけで一切の病気・不幸・困難が姿を消すという誇張された精神主義が、即ち宗教だと世間では見ているのである。だが、生長の家自身これを宗教とは考えず、寧ろ凡ての信念の帰着点だと主張していることには、大いに意味があるのだ。というのは、世間では、そういうことが取りも直さず「宗教」ということで、そして同時にそれが「邪教」=「インチキ宗教」というものだと見ているのだからである。――つまり宗教でないものも、それがインチキであることによって忽ち宗教となる、というわけだ。生長の家が出版企業と宗教とを結びつけたがゆえに初めてインチキ宗教になった、のではない証拠には、たとえば出版企業と出版報国とを結びつけてもその報国活動がインチキにならぬことを見ればいい。
さてこの辺から、少なくとも宗教のインチキ性が何かということがわかりかけて来る。インチキに見えるのは、その荒唐無稽な精神主義、その意味における迷信[#「迷信」に傍点]と、その迷信が何かの条件で社会的な価値として通用[#「通用」に傍点]しているという点とにあったのである。だが宗教的迷信に正信[#「正信」に傍点]を対立させ、真理[#「真理」に傍点]を押し立てるらしい友松円諦氏等の「真理運動」派は、果して荒唐無稽な精神主義ではないのか。なるほどこれは、自然科学の成果を無視しないどころでなく、大いに尊重して見せるという点において、即ちそれを上手に問題圏外におくという点において、「ひとのみち」や「生長の家」の反自然科学的迷信に較べると確かに「真理」だろう。だが、社会の真理化[#「真理化」に傍点]――これはつまり精神による真理活動のことだ――によって、一切の社会的矛盾や困難が解決されると称するのは、荒唐無稽の精神主義でなくて何か。これも一つの新しいタイプを浮き彫りにした悪質な迷信なのだが、この迷信が社会的に見て従来のものより尤もらしく信用されて通用するらしく見えるのは、たまたま現代社会人の圧倒的矛盾感と社会常識における社会科学的認識の未熟という、弱点に乗じているからにすぎぬ。この点、いわゆる邪教が自然科学的無知や病気や個人的不幸の弱点に乗ずるのと、本質において少しも変らないのである。だから、最も常識的でスマートらしい真理運動さえが、宗教(=精神主義)であることによって、忽ちインチキ宗教の実質を受け取る。宗教のインチキ性が、宗教そのものの本質に他ならぬことはこれでわかろう。――で少なくとも宗教のインチキ性の方は、これでわかった。
だが宗教の健全性・健全な宗教・の方はどうなったか。しかし宗教の本質が邪教であるなら、健全な宗教などというものは無意味にならざるを得ない。インチキ宗教と健全な宗教との区別などは、本質的には意味がないということになる。まあ精々、文学的な価値からでも区別する他はあるまい。例えばバイブルやお経は非常に立派な文学的遺産だが、お筆先ではお話しにならぬからインチキだという種類の区別だろう。しかし無論、文相達は、宗教の文学的価値などに思い及んだことはあるまいから、これは今の問題にはならない。
ところで松田文相は、「宗教の健全なる発達」のために、宗教団体法を制定しようと欲しているのだから、思わざるも甚だしいものだといわねばなるまい。「物質文明の幣竇」を矯めるための宗教は、いうまでもなく徹底した精神主義[#「徹底した精神主義」に傍点]の他にはないはずだ。ところがこの徹底した精神主義は、取りも直さずいわゆる邪教に如くはない。ところが文相らは、一方において宗教の健全な発達を欲しながら、他方において、邪教の撲滅策を講じているのである。これは何かしら宗教の効用を少し誤算していることだ。
それはさておき宗教の社会的効用には、松田文相その他が見るところのものより、遙かに深遠なものがあるのである。それは現代社会の鏡だ。そこには現代社会の姿がありありと(裏がえしにだが)写る。でいわゆる邪教も、ただ単に邪悪な信仰のことなどではない。それは偶々「タチが悪く」「ヒトの悪い」鏡なのである。だからたとえば大本教の如き、その内容を少しよく考え合わせて見ると、われわれ日本の社会に対する痛烈極まる風刺[#「風刺」に傍点]を含んでいるではないか。これを単に僣上な誇大妄想や山カンと思って非難するなら、世間はみずからを知らぬものと云わねばならぬ。
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25 宗教における思想と風俗
一[#「一」はゴシック体]
「ひとのみち」教団の教祖御木徳一氏が初代教祖の位置を隠退すると時を同じくして、関係者一同と共に検挙された。数名の処女を宗教的暗示によってだまして犯したという犯罪が、被害者の一人の家族による告訴から露見したというのである。同氏はその犯行を認めて性犯罪の罪名の下に送局された。
当時の新聞社会面を一見すると、初めは何か、ひとのみち教団そのものに手入れがあったように読者に感じさせるものがあったが、検察当局の握っている弱点はまだ教団の教理に触れたものではなく、また教団そのもの――その組織・経済的内実・等――にさえも触れてはいなかったのである。之までの処問題は全く教祖一個人の犯罪につきるのであって、単にこの人物が偶々この教団の始祖であったというまでであり、あるいは教団の始祖であったが故に初めて宗教的威力が自由になったので、こういう犯罪に陥ったといった方が正しい、というまでである。
勿論この犯罪の実質は決してただの個人的な性質のものではない。この場合に限らず一般の犯罪はそういうものだが、しかし普通の場合には犯人個人の立つ社会的バックは問題にしないことになっているのに、今の場合は信徒二百万と号する教団という特別のグループと宗教教理という特別な運動原理が控えているおかげで、問題は個人から一種の社会的バックにまで一続きのように受け取られ易い。当然これはしかあるべきもので、普通の場合にそれを社会的条件にまで遡源させて見ない方が間違っているのだ。――当局は教理に不敬がありはしないか教団会計に横領がありはしないか、と見ているのであり、またひとのみち教団が宗教行政に適応するために名目上自分でその一派と名乗っている扶桑教にも検察の眼を向け始めたものである。
大本教の検挙はこれとは趣を異にしていた。大本教の検挙の法的根拠はその教理内容の実際が不敬にわたることだった。不敬というのは国体と観念的に相容れぬことであり、それというのも実は却って国体の不敬な模倣であったからであり、つまり似寄っていたからであるが、この点になるとひとのみち教団の教義内容も極めて国体主義的なものなのだ。恐れ多くも教育勅語がその教典の一つになっている位いだ。その点教育関係の当局や有識者の大いに参考になる点だが、しかし教育関係者がなお安心してよい点は、ひとのみち教団はまだほとんど何等の政治的綱領を有っていないらしいということだ。そこでまだいわゆる不敬にならずに済んでいるのである。
「ひとのみち」は宗教的世界征服計画は持っていない。これが大本教と異る処であり、またこの頃日本で流行の大陸教や南方教と異る処だ。禅宗僧侶の出身と伝えられる「おしえおや様」御木氏は、もっと市井猥雑の間に行なわれ得るものを以てした。夫婦の性行為を強調する処の性的宗教と見なされて来ているゆえんである。でひとのみちの刑法的価値は、今の処思想警察関係というより、風俗警察関係にあるというべきだろう。
ひとのみち教団は類似宗教の公式的典型だ。こういっても私は別にひとのみち教団だけを特別に悪いと考えているのではない。悪いのはいわゆる新興宗教全体であり、それよりもっと性の悪いのはいわゆる正信や既成宗教や宗教圏外の権威を持つ宗教的信念であるのだが、ひとのみちは偶々正直にも[#「正直にも」に傍点]、この悪いものの代表としてみずから買って出たものであって、この点むしろ極めて誠実な犠牲的なそして天才的ともいうべき現代「宗教」なのだ。
ひとのみちにはキリスト教や仏教のような文献上や文学上の長所がない。だから宗教学者のいう「宗教的真理」を持ち合わさない。品も悪く柄も悪い。しかし下等な人格や品の悪さにも拘らず美人というものがあるように、恐らくこの宗教にはある甘美な風俗感を催させる何かがあるのだろう[#底本では「あるだろう」となっている]。そこに問題があるのだ。
二[#「二」はゴシック体]
たとえば、類似宗教に数えてしかるべき「生長の家」の谷口氏は、一種の文学的才能をもっている。講演したものを読んでみると、一種キリスト風のソフィズムを感じるのである。倉田百三氏の『出家とその弟子』などと、ジャンルは別だが文化的本質を同じくしているだろう。既成大宗教もその阿片的魅力の大部分は実はこういう文学的[#「文学的」に傍点]な魅力であることを、注意しなければいけないと思うが、処が「ひとのみち」になると(天理教や大本教でもそうだが)そういう文学的魅力はまるでないのだ。
通り一遍の文化人は、この非文学的な宗教を見て、一遍に軽蔑してしまう。そしてこれこそインチキ宗教のインチキたる証拠だと考える。そこへ持って来て、猥雑な観念とデリカシーを欠いた趣味の悪い実践とだ。いよいよインチキだということになる。――だがこうした点はインチキ宗教のインチキたる症状ではあっても、そのインチキ性自身ではない。発熱は病気の症状だが、病気の本質ではない。熱が出ずに次第に命を落とす病気も多い。文化人の趣味や嗜好にとってインチキに見えないようなインチキが沢山あることを忘れてはなるまい。だから「ひとのみち」だけがインチキ宗教なのではなくて、たまたまそれが露骨なために、宗教なるもののインチキ性を思い切って露出したまでだというのである。
しかし社会の既成観念の秩序が乱れて来ると、教養あり教育ある人間も、その趣味や嗜好ではもうやって行けなくなる。その趣味や嗜好の洗練が物の役に立たぬとなれば、文化人も平俗人も結局同じものになる。でそこに、一種風俗感を催情するものとして立ち現われた「ひとのみち」やこれを典型とする一連の類似宗教は、識者と無識者とを問わず、斉しく風俗的魅力を有って来る理由があるのである。この風俗的魅力とは思想における最も抽象的な共通物のことであって、丁度猥談が最も抽象的で共通な論議であるようなものだ。軍人や学者や政治家や実業家という偉い人達が、類似宗教に投じる所以であって、その際インテリの既成宗教についての教養などは、問題にならぬのである。――小僧をもっとよく働かせる手段として「ひとのみち」の類を信仰するのだ、という風にばかりは私は考えない。もっと親切な(?)見方が必要のようだ。
さて新興類似宗教のこの特殊な風俗的魅力は何だろうか。つまり何だって見識のありそうな人までがこういう無知なグロテスクなものに熱中しなければならぬか、ということである。内務省と文部省との意見が一致した処によると、そこには大体四つのものがあるそうである。第一、既成宗教が無気力であること。第二、大衆の生活不安と思想混迷。第三、医療制度の不徹底。第四、宗教復興・精神作興・の声の利用。というのである。
当らずとも遠からずの説明ではあるが、しかしこれをどういう風に理解するかで、見解は全く別なものにもなるのである。既成宗教が無気力であるために類似宗教が勃興して来たというのは本当だが、それでは既成宗教を盛大にすれば類似宗教はそれだけ下火になるのだろうか。宗教団体取締法によって宗教を国家的に統制したり、また権威づけたり、学校に宗教情操教育を持ち込んだりすれば類似宗教は多少とも参るだろうか。いや一体そういうやり方でいわゆる既成宗教の気力とかが生じて来るだろうか。宗教の気力は一つの場合には政治的な反抗意識として、また他の場合には地上の権力的支配意識として、燃え立った歴史を持っているが、今日の日本の既成宗教にそういう気力は絶対に期待出来ない。
大衆の生活不安なるものの内には医療制度の社会的不備を含ませねばならぬ。非科学的治療を信頼することが迷信であるというような観念は、単に医学博士的なまたは自然科学の教授然たる迷信の観念にすぎぬ。類似宗教のインチキ治療が、医者の治療よりも安そうだと思えばこそ、同じ死ぬなら金のかからぬ治療方法で以て死のうという次第なのだ。だから迷信を極めて合理的に運用している場合もあるのだということは、注目に値いする。これが迷信的治療の極めて理想的な本質なのだ。迷信にさえ理性的本質を与えるということが、今日のいわゆる生活不安の悲しむべき作用なのである。
三[#「三」はゴシック体]
類似宗教台頭の原因の一つを、現代思想の混迷に帰せようとする内務・文部案もまた、間違ってはいない。だが一体今日の思想は混迷しているのだろうか。マルクス主義乃至唯物論の側に立つ思想も、勿論今は絶対的安定を得ているなどということは出来ないが、しかし結局においてハッキリとした見透しを持っているわけで、混迷などとは似ても似つかぬ事態の下にあることを、思い出さねばならぬ。混迷している思想というのは、ある特別な思想に限るのである。
思想の混迷とかいうものはどういう時に発生するか。既成思想の崩壊に当って、これに代るべき新しい生きた思想が、与えられない時だ。あるいは与えられたように思われても、その与えられたのが輪郭[#「輪郭」は底本では「輸郭」と誤記]の潔くない、その意味で不潔な、尤もそうなまた尤もらしからぬ、不信用な観念である時である。そして特に、当然行くべき思想段階に行きつこうとして、しかもそれを強力的に妨げられる時、思想は最もいちじるしく混迷し腐敗するものなのだ。
だから思想の混迷を矯正するといって、思想を強制的に統制[#「統制」に傍点]しようとし始めたりすれば、それこそかえって思想をくさらせ[#「くさらせ」に傍点]て混迷に導くものなのである。内務省や文部省が思想の混迷を類似宗教発生の一原因と見なす場合、思想の進歩と代謝とを圧制することによってこれを混迷させたものも自分達なら、また次にこれを強権的に統制して重ねて混迷へ導くものも、自分達自身であることということを、あるいは自分でも知らないだろう。類似宗教征伐に最も熱心であるものが、あに計らんや類似宗教の温床であるということ、こういう一種の「インチキ」は政治事情の上ではいつもあることだ。暴動を鎮圧したと見せかけるのが暴徒の一味だったり何かするものである。
最後に、宗教復興・精神作興・の声を利用して類似宗教が進出したという関係当局の見解は、最も天晴れといわねばならぬ。全くそうなのである。だから私は、当局の思想対策と類似宗教簇出とは、社会的に同じ本質の二つの現象だと云っているのである。特に注意されてしかるべき点は、類似宗教中、最もインチキな部類にぞくすると見なされて、社会で兎や角話題になるものの大部分が、何等かの神道に関係の深いものだということだ。大本教・ひとのみち(扶桑教にぞくす)を初めとして、天津教・島津治子教(?)・などいずれもそうだ。脱税問題で問題になりかけたり教義についてある種のうわさが流布されたりしている天理教を見てもよい。とに角「類似宗教」乃至類似宗教類似[#「類似」に傍点]の宗教は、惟神の道や国史的言論と密接な関係があるということを、あくまで重大視せねばならぬ。
それであればこそ、却って初めて類似宗教は大体において不敬問題をひき起しやすいのである。島津治子女史一味の不敬は精神病学専門家の判決(?)によると、精神病に原因するそうで、一味の婦人達はにわかに松沢精神病院へ収容された。だが、幾人かの婦人達がある特定の不敬な妄想内容を共通にするということは、恐らく精神病学的に特別な興味をひくものだろう。精神病のこの種の社会的[#「社会的」に傍点]カテゴリーが発見されれば、今後の歴史家は歴史上における反動現象を記述するのに、大変重宝がることだろうと思う。と同時にこの調子で行くと、社会思想を取締るには、すべてこれを社会的宗教的な発狂と診断すればよいことになりそうで、安心がならぬわけであるが。
島津治子教の不敬は病理現象だとして、天津教の如きは極めて手の込んだ国体的文献学に基いているらしい。形式からいって、また内容からいって、この教えが不埒であることは、狩野享吉博士が鑑定し証明した通りだろうと思う。また大本教の不敬についてはあまりに有名だし「ひとのみち」その他のものといえども決してそういう羽目に陥らぬとは断言出来ぬ。
だが問題は不敬宗教が決して、不逞[#「不逞」に傍点]な意図から出たのではなく、かえって宗教復興・精神作興・の意図そのものの側から出て来ているものだという点にある。不敬を生んだものはほかならぬ敬虔[#「敬虔」に傍点]の社会的強制そのものなのだ。――要するに類似宗教の一切の害悪は、現代における一切の宗教主義[#「宗教主義」に傍点]の単なるカリケチュアに帰するにほかならない。だから眼くそが鼻くそを笑うことは出来ない筈である。
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26 社会不安と宗教
一 日本の宗教復興は小市民的不安からか[#この行はゴシック体]
この二三年来の日本の観念界は一種の「好況」に見舞われている。私は之を復興景気[#「復興景気」に傍点]と名づけるのが最もいいと考える。所謂宗教復興も亦この復興景気の一部分として、少なくとも世間のジャーナリスト達から持てはやされているのが事実だ。一例を挙げればJOAKの聖典講義、その産物である友松円諦氏の仏教解説書、それが意外に売れたというので、色々の出版業者の宗教物出版熱。之がこの現象の最も著しいものの一つである。この現象の最も手近かな物的原因のひとつは、云うまでもなく満州事変であって、軍事的戦場として、又軍事的資源地として、更には市場・資本投下地・過剰人口移植地として、満州は日本資本主義の一つの血路を約束するように見えた。之と直接政治的連絡のある軍需工業の隆盛、それからインフレーション、低賃銀対外為替安による軽工業製品・化学工業製品・手工業的製品・の輸出の隆盛によって、日本資本主義の修正可能論が台頭したのであるが、この関係が、この現象の第二の最も手近かな物質的原因だ。之によってマルクス主義的世界観は大衆や市民がまだその根本的な核心に触れるに至らない内に、早くもジャーナリズムから以前の露骨な姿をかくして了い、それが当局の左翼弾圧の強化の結果である転向風景が点出されることによって、更に政治的に裏づけられた。中でもジャーナリズムに於けるこの復興景気に貢献したのは、左翼文壇の文学主義[#「文学主義」に傍点]的モラルへの「転向」であって、少なくともジャーナリズム上の宗教復興は、この文学ジャーナリズム上のモーラリズムの動きと切り離しては考えられない。
だがこうした手近かな原因の背後に、もっと国際的に広範な又もっと前から歴史的に作用している所の、幾つかの条件が置かれている。現に満州事変そのものが、元来五・一五事件と全く同じ系統のものであるらしいのだが、この事変の意識的動機になっている観念(之をジャーナリズムは簡単にファシズムと呼んだが)は、云うまでもなく日本資本主義の長く歴史的に蓄積された危機から発生した、日本特有の形式のファシズム観念だったのである。一体日本に於ては、ブルジョア・イデオロギーは農民労働者は云う迄もなくブルジョアジー自身にとってさえ、決して親しいものではなかった。夫は殆んど全く小市民的インテリゲンチャのブルジョア的教養として国外から受け取られたものに過ぎなかった。
そこで権威のあったマルクス主義的思想が一旦沈静するとなると、それの代りとして模索されるものは、ブルジョア的観念或いはそれの変容と云うよりも、寧ろ夫によってまだ侵透されるに至らなかった半封建的な世界観でなくてはならなかった。仏教という封建的な思想上の伝統を持つ日本においては、この半封建的観念への模索は、一見、何よりも仏教復興[#「仏教復興」に傍点]として、或いは寧ろ仏教への模索として、現われる理由がある。之が宗教復興の俗衆的[#「俗衆的」に傍点]な場合である。即ち比較的知能の低い社会大衆は、仏教と云う旧文化財に何か未知の尊いものがあるように思ったり、又あることを知っているような顔をしたりするのである。
この型の仏教復興は併し、資本家的イデオロギー自身が頽廃変質して生じた、例えばドイツ哲学の最近の動向に於て見られるような、哲学その他に於ける神学復興[#「神学復興」に傍点]、と無論一つではない。仏教復興の方は、小市民的インテリジェンスからは縁遠いブルジョアや小市民や、又農民労働者の一部分を、相手にしているのである。だが、日本の小市民的インテリゲンチャの代表的な或る分子に於ては、仏教復興よりも先に、今云ったかの神学復興の方が著しく見られるのである。ここでは仏教復興も社会大衆的な宗教復興としてではなく単に神学復興の一つの場合として現われている。哲学の合理的脊柱の喪失、実証的科学への不信が、小ブルジョア・インテリの思想組織を駆って、超実際的なものへ、神秘と形而上学とへ、赴かせる。之が神学復興だ。之が宗教復興の小市民インテリ的形態で、高級ジャーナリズムに於ける宗教復興の現象をなす所のものなのである。
民間宗教(之は往々民間治療と密接に結びついているのだが)が盛んになって来つつあるという現象は、所謂宗教復興[#「宗教復興」に傍点]とは少し異った場合である。なぜなら宗教復興というものは実は、ジャーナリズムに現われそうな一現象を、ジャーナリスト達がそう名づけたものに他ならないからで、そしてそこに、所謂宗教復興とジャーナリズムとの、切っても切れない連関があるのだから。
だが、下級高級のジャーナリズムにおける仏教復興や神学復興も、又ジャーナリズムと必ずしも直接関係のない民間諸宗教の盛大も、ジャーナリズムを含めて一切の日本社会機構に溢れる日本民族宗教の復興[#「日本民族宗教の復興」に傍点]・台頭[#「台頭」に傍点]・に較べたならば、殆んど問題ではない程小さな意味しか持たない現象だ、ということに注目しなければならない。この根本現象さえなかったら、世界的宗教の儀礼に慣れぬ日本などに於て、宗教復興は全くジャーナリストの類推的な思いつきでしかなかったかも知れないのである。日本民族宗教が、教育・政治・外交・経済又哲学・文学に於てさえ復興・台頭しつつあるということが、日本の「宗教復興」全般の本質なのだ。
だから「宗教復興」の現象を、社会に対するプチブルの不安の意識から説明することは、嘘ではないとしても、決して事物の本質を衝くものはないのである。軍義的分子と官僚とを引き具する所の日本型大ブルジョアジーの刹那的な安心[#「刹那的な安心」に傍点]の表現こそ、日本特有の「宗教復興」の本質をなす。――無論、大ブルジョアのこの刹那的な大安心は、小ブルジョアにとっては却って不安の種にもなろう。丁度積極的な階級にとっては夫が憤怒の種にならねばならぬと同じに。
二 宗教団体法案はなぜ必要か[#この行はゴシック体]
議会に提出すべき「宗教団体法案」の草案が文部省の手によって決定された。いわゆる宗教法案なるものは宗教家の側からする多年の要望だったのであるが、しかしそれと同時に信教の自由の建前からいって、宗教そのものを官庁が取締るかのような宗教法案は、宗教家自身の感情からいってもすぐ様賛成出来ないものだろう。宗教法案の立案が企てられて以来三十余年に至る今日まで、該法の成立し得なかった理由の一つはここにあったろう。
そこで今案が決定された法案が、実はいわゆる宗教法ではなくて、宗教団体[#「団体」に傍点]法であることを注目しなければならない。宗教そのもの(もしそういうものがどこかにあるとすれば)を取締るのではなくて、単に宗教団体だけを取締ろうというのが、この法案の自慢したいところだと思う。
尤も宗教団体を取締ることが、実質上は宗教自体の取締りを意味して来ることは自明なことではあるが、然し今大切な点は、仮に名目上の問題であるにしても、少なくとも宗教そのものの自律、いわゆる信教の自由、というものを日本の支配者機関が尊重し又尊重するように見せかけるという、その心がけ自身にあるのである。なぜそう云うかというと、実際には一種の信教の自由にぞくしている処の「思想」の自由などは、こうした名目上の問題としても、今日すでに決して認められてはならないからである。たとえば「民族的信念」(これも確かにその言葉が示す通り信教にぞくするだろう)は、その内容の巨細に至るまで取り締りを受けねばならぬことが、政府によって声明されている。これから見ると宗教の方は殆んど極楽浄土の感なきを得まい。
だがこれは、今日の日本の「宗教」なるものが、その一切の差異にも拘らず、つまり本質の一定した間違いのないもので、それが「宗教」である限り特に取締りを必要としない底のものであることを、ハッキリと告げているのである。支配者当局は考える、取締るべきものは宗教ではない、却って宗教類似のもの、新興宗教・類似宗教・インチキ宗教・その他等々だ、宗教をして不逞な思想の類に太刀打ちさせるためには、まず宗教そのものをこうしたものから護らねばならぬ、と。そこで宗教団体法なるものが出て来る。
だから宗教団体法は宗教をその社会的不信用から救済する使命を持っている。第一、教派・宗派・教団・を法人とすることによって、宗教団体の主脳者と財政との関係を切り離し、管長や教団代表者が金銭上の汚名を受けることを妨ぐ。それから第二に、いわゆる類似宗教(これを本当の宗教団体から区別して宗教結社と呼ぶ)を宗教団体に準じて取扱うことによって、これを向上昇格させる。そうすれば少なくともインチキ宗教と非インチキ宗教とを区別することに役立ち、宗教が元来決してインチキでないということを、特に社会に明示するのに役立つのである。宗教団体法がインチキ宗教取締りの目的を有っているというのは、この意味においてなのである。
要するにこの宗教団体法案なるものは、宗教団体の社会的経済的存在における世間的な信用を高め、従っておのずから間接に、しかし的確に、宗教そのものの社会的権威を擁護しようというのである。単に信教の自由を許すとか奨励するとかいうのではない。積極的に宗教を(だが必ずしもその自由をではないことを注意せよ)押し立て、ひけらかす。それが政府の宗教団体法の社会的意義だ。宗教はいつの間にか社会の、為政者の、それ程大切なペットかマスコット見たいなものになっているのである。
文部省はすでに学校における宗教教育の採用について苦心を払っている。教育における明治初年来の政教分離の方針には、大いに手心を加えよと学校に向かって訓令している。宗教的情操は教育上絶対に必要だと告白している。宗教は今や日本にとって非常に大切なお客様となった。インチキ宗教(もしインチキでない宗教があったとすれば)が流行するということ自身もまた、これと全く同じ日本社会のお客様としてなのである。
だが凡そ宗教についてそのインチキと非インチキとをどこで区別してよいか、無論当局の誰にも判るはずはない。誰か烏の雌雄を知らんや焉である。そこで宗教の代りに、宗教団体の方を標準にしてこれを決定しようというわけなのである。
三 大本教与し易し[#この行はゴシック体]
一九三六年三月十三日を期して、かねての懸案であった大本教禁圧が実行された。司法大臣は出口王仁三郎以下八名の大本教幹部の起訴を検事局に命令し、同時に内務大臣は皇道大本以下八個の大本教団体の解散を発令した。大本教幹部の大本教に基く罪状が不敬罪と治安維持法違反である以上、同教諸団体の解散は当然と云わねばならぬ。
だが大本教を以て所謂邪教の代表と見做すことは必ずしも当っていない。自然科学的真理を蹂躙し更に又社会科学的真理を蹂躙するものは、豈大本教に限ろうか、否豈所謂邪教[#「邪教」に傍点]に限らんやだ。いや豈宗教[#「宗教」に傍点]に限ろうやだ。大本教が特に弾圧の代表者として選ばれたのは正に夫が単なる邪教ではなくて、もう少し凄みのある邪教、即ち所謂妖教[#「妖教」に傍点]・怪教[#「怪教」に傍点]であったからだ。妖怪や化物は一種の凄みを有っている、なぜかというと夫は何等かの現実に似て[#「似て」に傍点]いるからだ。吾々の現に知っているものに似かよった処があればある程その凄みに現実味がある。それが化物のもつリアリティーというものだ。まるで見たこともないような別なものなら恐れることも慄えることもあるまい。
大本教の犯罪味は前にも云った通り不敬罪と治安維持法違反とである。即ちいずれにしてもその不当な皇道主義を標榜した点がいけないのである。わが国家の神聖を保持するためにはかかる妖気は払い清めなくてはならぬ、それが又わが国に於ける宗教そのものを護るためのお祓いにもなる。かくて大本教は処断された。私は為政者と共に之を欣快とするものである。
併しそれはそうでも、私は大して飛び上る程うれしいとは思わない。大本教が如何に妖凄だとは云え、司法省や内務省が、宗教的な(いや寧ろ反宗教的な?)行為しか出来ないような物理的に無力なこの一勢力を、やっつけることが出来るということは、あまりに当り前のことで、今更出かしたとも有難いとも感じない位いだ。これは司法大臣が選考し直されても、警保局長が休職更迭になっても、大丈夫出来ることだからだ。この妖怪めいた皇道主義振りや妄想的な政治的信仰ならば、之を祓い潔めるためには一通の電話と一葉の命令書で充分なのである。
尤も容易しいことを敢行したからと云って批難する人間はいない筈だ、これはやさしいことであったには相違ないが、その効果から云えば絶大で徹底的な意味を有っているのだから、やはり吾々は大いに喜ぶべきだろう。と云うのは、大本教が弾圧された結果、大本教と普通の宗教とを加えて二で割ったような偽似怪教とでもいうようなものが生長するのではなくて、大本教の宗教行為だけではなくその精神や意図そのものまでが、完全に合法性を失って了ったのである。大本教弾圧はその意味に於て大本教に取っては完全に零化かマイナスを意味する。大本教はいい気になってばかりいたため、その精神を何とか活かすためにみずから、予め不敬な点や治維法違反の点を整理する建前を取って見せることに気づかなかったから、今回のような徹底的な失墜を招いたのである。もし大本教にしてもう少し尤もらしい自己統制を行なうことが出来たら、この世の中は却って益々大本教的になって、その精神や意図が実質的に実現出来たかも知れない、危い処だった。
何年の何月何日に建直しが行なわれるという代りに、徐々に建直しが行なわれたり何かするのだったら、世の中は知らぬ間に大本教のものになって了ったかも知れない。而も世間の人間は夫が一向大本教的であるとは気がつかぬかも知れない。邪教や妖教的になったとは思わずに、ノルマルに宗教的になったと世間では考えるかも知れない。――処が幸にしてそこを大本教は覘うことを知らなかった。併しもう片づいたのだから少なくとも大本教に限っては、心配は無用だ。大本教は非常時主義[#「非常時主義」に傍点][#底本では「教は非常時」に傍点]から見事に落伍したのだから。
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27 ブルジョア哲学とその宗教化的本質
今日のブルジョア哲学は、いうまでもなく、殆んど総て観念論である。観念論という規定は言葉としては稍々マンネリズムに堕した感がなくはないが、併し今日夫が意味する内容に就いて云えば、極めて、生々とした概念だといわねばなるまい。それはあとに述べるとして、今日の所謂ブルジョア哲学というものが何を指すかも、問題でなくはないのである。この点を少しハッキリさせておかないといけないだろう。
元来の単純な意味ではブルジョア哲学とはブルジョアジーのイデオロギーとしての哲学を指すのである。つまりブルジョアジー階級の哲学であるが、ブルジョアの階級哲学と云ってもいいだろう。ブルジョア階級出身の哲学者による哲学には限らぬ、又ブルジョア階級にぞくする哲学者の哲学には限らぬ。又ブルジョアジーの経済的・政治的・文化的・利害乃至意識を、無意識的又意識的に表現した哲学だけがブルジョア哲学でもない。なぜかというと、現代社会は勿論ブルジョアジーだけで出来上ってはいないが、それにも拘らず資本制の支配する社会なのである。だからブルジョアジーの経済的・政治的・文化的・な利害や意識を、必ずしも直接に云い表わしたものでなくても、それがブルジョア社会の支配的権力と観念的[#「観念的」に傍点]連絡がありさえしたら、やはりブルジョア哲学なのである。ブルジョア社会に於ける政治的支配と平行して支配的な哲学、という意味でも亦ブルジョア哲学の名は価値があるのだ。
日本のブルジョア社会に於て支配的な政治的権力を持つものが、必ずしもブルジョアジー自身でないことは、勿論のことだ。或いは純粋なブルジョアジーは日本のブルジョアジーを代表するものではないと云った方がいいだろう。封建的・軍義的・官僚的なファッショ(日本型ファッショ)が直接の支配者である。だからもし、ブルジョア哲学なるものを、ブルジョアジー自身の、又は純然たるブルジョアジーの、哲学に限定して了うなら、日本に於けるブルジョア哲学は、極めて数が少ないか或いは極めて微力であるか、それとも全然今はないとさえ云っていいかも知れない程だ。では今日の多くの日本主義思想乃至哲学、東洋的神秘主義と見做されているもの、其の他等々はブルジョア哲学ではないのか。少なくともそういう日本ファッショ哲学乃至日本ファッショ的哲学は、このブルジョア制社会に於て、支配的なのだが、そういう支配的な哲学はブルジョア哲学ではないのか。ブルジョア哲学が、単純にブルジョアジーの哲学だと云って片づけられない所以である。
西田哲学がブルジョア哲学か、それとも封建的哲学であるか、という問題が出されたこともあるが、この設問はだから同じく誤っているのである。日本の多くのブルジョア哲学が封建的な関心なしにはブルジョア哲学になり得ないということが、大切な要点だ。つまり日本のブルジョア社会に於て、その政治的支配力と平行した支配力を有つ哲学は、ブルジョア哲学であろうと封建的哲学であろうと、ブルジョア哲学にぞくさねばならぬわけだ。区別はその後に与えられねばならぬ。
かくてブルジョア社会に於ける支配力と平行して支配的である哲学が、ブルジョア哲学というものの意味であるが、このブルジョア哲学の諸形態の多くが、今日観念論だというのである。
観念論の規定は精神から自然を説明することにあると云われている。この際精神とか自然とかいう用語は、一定の哲学史的常識に沿うて用いられているわけで、この言葉を別の仕方で理解するなら、この規定は全くの無意味にさえなるのであるが、従って吾々は常にこの種の規定を、現在に生きている具体的なカテゴリーによって具体化してしか実用に供することは出来ないわけだ。だから之を以て直ちに観念論の形式的な定義だなどとは思いもよらぬので、吾々は現下の文化事情にそくして、観念論を歴史的に定義しなくてはならない。所で今日の観念論、つまりブルジョア哲学は、どういう規定をもっているか。
古来からお誂え向きに出来た露骨な観念論=観念唯一主義や精神万能主義=などは極めて少なかった。露骨な観念万能主義を被覆する点に於て複雑化したことは、特に今日の観念論の特色をなす。今日の観念論は極めて高度の発達をしているから、心理学的な意識や精神、自然科学的な自然や物質、を直接の問題としない。例えば自然と云われるものはもはや自然科学で取り扱っている自然ではない、そういう自然は本当の自然のほんの常識的な一部分に過ぎない。本当の自然はその内に客体と主体との対立の統一を含んでいる。その意味から云うと自然の内には精神が含まれている。否精神と自然とが対立し乍ら一つに統一されることによって、初めて自然も精神もあり得るのだ、云々と云う。この際の精神なるものは無論心や観念のことではなくて、かの形而下的でない、超物理的な、自然の対立物としての或るものなのだ、という具合にである。
用いられるカテゴリーがこのように形而下的で日常的なものから、形而上的な形而上学的なものにまで変質するのが、今日の観念論の一つの共通な特色である。尤もこの際如何に形而上的なカテゴリーが事物の関係を説明するにしても、その説明が説明される事象自身にピッタリ要点々々で当っているなら、その結果は決して形而上的だとは云われない。処が観念論の特色は、そういう実証的な検証を与えることも出来ないし、又与えようとも欲しないという処にあるのである。人間にぞくすべき主体のモメントが自然の内にすでにあるという、そういう主体的契機がなければ自然は哲学的なカテゴリーにならぬという。そういう自然が何等の実証性を有たないことは、宇宙開闢直後の自然に就いてでも考えて見ればすぐ判ることで、今日の自然科学的常識は、人間のいない自然がまず存在したことを実証する観察や実験に基いているからだ。
観念論はここに実証界と非実証界との不遠慮な峻別を想定している。と云うのは実証界に就いての理論の代りに、非実証界に就いての理論を以て、凡てを悉そうとするのである。之は単純なことであり、知れ切ったことのように思われているが、実は根柢的な意味のあることだ。古来の所謂形而上学に対する不信は、単に形而上的なカテゴリーで物を云うから起きたのではない。哲学が物理的・形而下的・なカテゴリーだけで物を云うことの出来ないのは当然であって、そこに哲学の深い真理もあるというものだが、併し不信を買った根拠は、実証界とは独立に非実証界の秩序を打ち建て、この天上の秩序を以て地上の秩序におきかえたり、之に干渉したり、之を統制したり、しようとする企ての内にあったのである。
神のものは神に、カエサルのものはカエサルに返せ、ということから始まって、神のものはカエサルのものを支配することとなり、更に神のものがカエサルのものとなり、又逆にカエサルのものは神のものとなる。神の秩序のカエサルの秩序からの独立、神の国のカエサルの国からの独立、そして前者の支配、それから前者の唯一独立存在、理論の上でそういう事情になるのが、古来の形而上学の特色であった。今日の観念論はそういう形而上学の理論的に精練されたものに他ならない。
現代の観念論は併し、観念論として他に特有の発達を持っている。従来の観念論は精神や観念を中心概念として持ち出した。その後の近世観念論は意識という根本概念を中心とした。実体論から認識論にまで進んだのである。だが認識論は一方に於て意識の歴史的内容に注目しなければならなくなり、意識は認識論からフィロロギー(文献学)主義の世界へと移された。歴史的観念論は歴史からフィロロギーを導き出したのである。かくて意識は今や論理学的乃至先験心理学的な意識から、文化論的な意味に於ける意識にまで、つまり「意味」というものにまで、変って来たのである。観念も精神も意識も、この意味[#「意味」に傍点]というものに帰着する。意味とは事物の存在ではなくして事物の存在が吾々にとって持っている処の「意味」のことなのだ。勿論事物自身とそれが有つ意味そのものとは別であるが、実際は事物が意味を有つ[#「有つ」に傍点]という一つのリアリスティックな関係が大切なのだ。
処が現代の観念論の最も進歩した形のものは、この意味を事物そのものから脱臼して、意味は意味同志、他の「意味」との関係に置かれることを、最も手際のよい哲学的理論と考える。それが解釈[#「解釈」に傍点]ということであり哲学的説明[#「哲学的説明」に傍点]ということであって、この際事物に当るものは、もはや事物ではなくて意味の所有者という資格を新しく与えられた「表現」というものになる。初め事物が意味を持っていたのに、今度は意味がその担い手であるものを生産して之を表現と名づける。表現はもはや事物ではない。茶碗は手工業によって粘土から造られたものであるなしに拘らず[#「あるなしに拘らず」に傍点]、とに角時代や民族や社会の生活の一表現[#「一表現」に傍点]に他ならない、ということになる。
でつまり、事物の実在の世界[#「実在の世界」に傍点]と意味の通用の世界[#「通用の世界」に傍点]とが区別されることによって、事物の物的存在は表現の意味的表出に変って了ったわけだ。ゲーテはイタリヤ旅行に際して、歴史上のローマも亦一つの自然であると云ったが、この観念論の方はローマの水道も亦一つの意味の表現である、と云うことになる。なる程そう云えばローマの水道が或る人間的意味を現わしたものであったということは云い現わされるが、ローマの水道の表現する意味とポンペイの壁画やアレナの廃趾が表現する意味とを、この観念論はどう結合しようとするのであるか。高々ローマの工学的精神と淫蕩振りとを結びつける他はない。要するにローマの文明自身を以てローマの文明現象自身を説明するわけである。
このようなロジックは今日の発達した観念論に特有なロジックだ。表現の論理学とも意味の論理学ともいうことが出来よう。観念論の論理を単に形式論理学という側面からばかり把握してはならぬ。解釈の論理こそ今日の観念論の論理だ。そこでは意味と意味との連関だけが解釈される。之によって事物そのものの実際的な説明や実地の処理は少しも捗らぬ。西田哲学に於ける無の論理は、こうした論理の天才的水準を示すものだろうと私は考える。
であるから現代のブルジョア観念論の新しい特色は、神の国と地上の国との区別という、かの神学的なカラクリを、主体や意識や意味という観念を中心とすることによって、新しい衣裳の下に再び持ち出したということにあるのである。今日のブルジョア観念論は往々、ヒューマニズムや文化主義の被服を纏った神学に他ならない。観念論の本質は、今日でも依然としてその特殊な形態による僧侶主義にあるのだ。
観念論哲学がとどのつまり神学と僧侶主義とに通じることは、別に今日になって始まったわけではなく、寧ろ観念論の本来の規定にすぎないのであるから、之をブルジョア哲学の宗教化[#「宗教化」に傍点]という風に云い表わすことは出来ないが、併し抑々観念論が種々の形で宗教化し得る[#「得る」に傍点]根柢を用意しているものであることを、忘れてはならぬ。
だが宗教化とは何か、或いは此の際の宗教とは何を指すか。或る種の批評家はマルクス主義さえが一つの宗教だという。云う意味はマルクス主義が何か一つの教義と儀礼とを特有しているからというばかりではなく、その世界観が科学的に冷静公平でなくて寧ろ信仰と独断的信念に近いから、というのである。之によって一体宗教というものが良いというのか悪いというのか、私には意のある処が判らぬ場合が多いのだが、とに角、マルクス主義は信仰だから宗教だというらしい。だがもし信念を有つということが宗教なら、一切の科学者の主張は宗教的なこととなる。もし信念と信仰とが違うならば、なぜマルクス主義は信念ではなくて信仰だと云うのだろう。
主観的な個人的意識が、信念であるか信仰であるか、之はプロテスタント風に考えれば問題にならぬことであり、又之をカトリック風に考えるなら、もはや個人の主観的な意識の問題ではなくて、教義や儀礼の問題に解消する。そこで個人の心情に基くと考えられるモラル的宗教内容は、この際どうでもよい。安心立命したいものはするがよく、事実迷っているものは迷うがよい。その限り之は私事である。というのは世界の秩序とは関係がないのである。之は宗教学的に云うと重大な宗教現象であるが、私が今問題にしている範囲ではネグレクトして構わない性質を持っている。もし単なる心情における信心がそういうものとして止まることが出来るならばだ。
処が実際には、決してただの心情に止まる宗教はないのである。個人の修養を標榜するように見える修養宗教も、実は忽ち社会的闘争からの脱却を説いたり、社会的不幸の正当化を説教したりせざるを得まい。そういうものに触れない抽象的な宗教的心情や信仰はあり得ないからだ。するとそこに必要なものは必ず、何かの思想体系[#「思想体系」に傍点]である。神学教義なのである。そしてその神学組織たるや、必ず例の神の国の秩序と地上の国の秩序との対立乃至交換というタイプにぞくするのである。そうでなければ、生きた社会科学的知識や文学的知恵の代りに、わざわざ「宗教的」な心情や信念や信仰は要らない筈だったのだ。
既成宗教の有っている習慣、それは歴史的に年の甲を経ていないと、大抵奇怪で野蛮でインチキに見えるものだが、そこに宗教的儀礼のセクト性や非社会性が見出されるので、多くの宗教擁護者は、これ以外の処に宗教の本質を見ようとする。そうすると勢い宗教的な情操か宗教的教理に、宗教の本質を求めざるを得ない。処が宗教的情操の方は、今云ったように、もしそのものに止まるならば社会的内容としては無内容なものだったから、結局に於て宗教の本質はその神学的組織に帰するということになる。宗教の本質をその既成のクルトゥスや情操に見ずに、専ら教義に見ようとするのは、悪合理主義的で又観念的な見地にぞくすると考える向きもあるだろうが、併し観念論と宗教との握手する周知の秘密を明るみに出すためには、ここが宗教の本質とならねばならぬ。
かくて観念論は本質に於て宗教的神学なのであり、宗教はそしてその本質に於てこの観念論的な神学なのである。文学現象も道徳現象もあるように、社会的に眼に見える形態を取った宗教現象のあることは云うまでもないけれども、又文学も道徳も思想であるように、宗教も一つの思想である。その限り元来宗教は哲学なのだ。そこでその思想の体系がなくてはならぬ。宗教的思想体系がロジカルな形をとったものが神学だ。そして夫が取りも直さず観念論の体系のことだったのである。その体系の完全に共通な一般特色を私は述べて来たわけだ。
だが神学が神学の形で栄えることの出来たのは、要するに中世である。という意味は、自然的知恵に於て暗黒であった中世(他の文化について暗黒だったのでは決してない)、即ち社会的環境それ自身が非合理的であった中世に於ては、神学という超物理的体系はなお合理性を持ち得たのである。近世に這入って神学の環境が合理化され、啓蒙されるに及んで、とに角神学としての神学は科学的には殆んど全く名目的なものとなった。
だが神学を名目的ならしめた社会における合理意識は、却ってブルジョア社会そのものの不合理性を発見せざるを得なくなった。この社会の不合理性をそのまま合理化するためには、再び不合理な思想の体系が必要となる。ここに神学のルネサンスが必要となる。現代に於けるブルジョア哲学の宗教化[#「宗教化」に傍点]は全くここに由来する。ファシズム・イデオロギーは資本制の矛盾を暴力的に無視する必要に迫られて発生したが、それが哲学体系の場合は、哲学の宗教化となるのである。ブルジョア哲学の宗教化は、ブルジョア哲学のファッショ化と直接なつながりがあり、資本支配のファッショ化と密接な連関があるのである。
かくて現代の観念論に於ける神学体系は、極めて非合理的な組織として現われざるを得ないわけだ。非合理主義がだからブルジョア哲学宗教化の第一の形態となる。これは各種の神秘主義となっても現われる。西田哲学は普通云われるような意味に於ける神秘主義ではない。神秘主義でなければこそ、無の論理というような特有の論理を明示することが出来る。西田哲学は之を弁証法と呼んでいる。だがこの無的弁証法が結局同一哲学的神秘論理に帰着することは、田辺元博士等が批評する通りだろう。神秘主義でない西田哲学は、その論理に於て却って神秘説に帰着する。だが、だからと云って之を宗教的だと断定することは、卑俗な速断と云わねばならぬ。それは無の立場から物を考えるから禅的だというようなものだ。西田哲学が宗教的本質である所以は、まずその超物理的な世界解釈の体系[#「世界解釈の体系」に傍点]にあるのだ。その体系――論理が、初めて神秘説となり非合理主義を導いて来ると見るべきだ。だがそれにも拘らず、西田哲学が神学的である結果として、非合理主義に赴く点が、この際の要点なのである。
非合理主義の最も露骨な判りやすい構造に立つものは、各種の日本主義哲学である。すぐ後に述べるその特有な日本主義的調味を別にすれば、それが思想的特色がナチの通俗哲学と共通性をもっていることは、広く知られている。そこで必要なのは理論や分析、又は其にもとづく信念や確信ではなくて、理論や分析に代る[#「代る」に傍点]信念や信仰だ。処が日本の場合、日本民族生活と日本の政治形態との特有に頑固な結合が、この哲学の内容の第一テーゼとなるのである。この哲学は或る古神道的なものから出来ている。いやそれ以外に本質上哲学的なものは含まれていない。
ただそれが外来の哲学用語で書かれたり、国粋主義的用語や人工的な速製用語法で書かれたりする、という区別があるだけだ。之は日本の今日最も通俗で卑俗な理想であり、哲学であり、又日本に於て支配権を付与したがられている支配的哲学だが、夫が一種の神道的神学のものであることは、知れ過ぎる程知られていることだ。今、ただ注意すべき点は、この哲学が他ならぬ日本ファシズム哲学だということであって、その非合理主義が、この日本ファシズム哲学なるブルジョア哲学(その意味はすでに述べた)とその宗教振りとを、結びつけているということだ。
かかる形のブルジョア観念論の宗教化を、模倣するものが所謂新興(インチキ)宗教の多数であることは、もう少し注目されてもいい点ではないかと思う(大本教・ひとのみち・など)。あそこに古神道的神学が働いていたとすれば、ここでは夫の代りに各派神道的神学精神が働いているのである。尤もこうなると、もはや世間では哲学とは呼ばない。ブルジョア哲学が宗教化したともいえなくなる。だが生長の家で色々と手当り次第にヨーロッパ哲学を利用しているのを見れば、この種の擬神道インチキ宗教も亦、一個の哲学と見なされていいかも知れない。そしてこの種の思想体系が、如是閑氏の表現をかりると、ナポレオン的世界征服の代りに、大本教的世界征服を企てているという意味に於て、擬似ファッショ思想体系であることを、注目すべきだ。この擬似ファッショ哲学も亦、日本のブルジョア哲学宗教化の一つの場合だろう。
だが、日本のアカデミー哲学は、主として外国特にドイツから受け取ったものだ。最近のドイツ哲学が一種の不安の哲学として、観念上の世界秩序の問題から脱落し、且つ一種の不合理主義に道を求めて行きつつあることは、日本にも殆んどそのまま反響を呼び起している。それから比較的翻訳的な反響を持たない独自性を有ったブルジョア・アカデミー哲学に於ても、キリスト教や仏教のカテゴリーを特別に有効な合言葉とするという傾きは、盛大である(アガペや菩薩道など)。このブルジョア哲学の宗教臭化は明らかにファシズムの進行と関係があるのだ。処がこの種の多少とも宗教化したヨーロッパ系ブルジョア哲学の諸代表者が、必ずしも表面上日本ファッショ哲学者ではないということは、今特筆しておかなくてはなるまい。ただそうした哲学者の個人的意図と、またその一応の思想体系範囲とからは独立に、この種のブルジョア哲学が日本ファッショ哲学の道を清め得るものであることに、変りはないのである。
だから吾々はこう結論してよい。最近の日本に於けるブルジョア哲学の宗教化は、直接に及び間接に日本ファシズム思想の原因となり、又結果であると(之は尤も日本だけに限った事情ではないが)。そして更に又、一般に観念論が如何にファシズム哲学にとって都合のよい教養を提供しているかということが、結論されるのである。ブルジョア観念論がなぜこのように容易に宗教化し得るのか、その説明は前半に述べた処だ。
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28 現代の哲学と宗教
一[#「一」はゴシック体]
哲学が何かということに就いては、従来常識界に於ても思想界に於ても、又学界に於ても、一致した結論は殆んどないと云っていい。哲学は時代によって国民によって、又学派によって、更に又個人によって、事実違っているので、その間に決して完全な一致がない。そればかりではなく、今日のように各思想が国際的に共有化して来ると共に、文化が治者階級と被治者階級とに分裂すると、哲学の階級による相違が相当ハッキリするようになって来る。無論もし何等の共通な性質もないとすれば、同じく哲学という名で呼ぶことは出来ないわけだが、それにも拘らず、哲学が何かということ自身が、いつも繰り返される疑問なのである。
併し説明の便宜上、哲学というものの主な性質だけをごく形式的に云い表わして見ると、思想の科学[#「思想の科学」に傍点]と云っていいだろうと思う。それは思想を常識的に所有することに満足しないで、之を学問的に一定の確実な根拠の上に立って展開することを意味すると共に、又吾々の眼の前にある多数多種の諸思想に就いて、之を学問的に分析し批判することをも意味している。例えば政治なら政治というものは、常識的には誰でも知っている意義のもので、デモクラシーなるものが正しく又優れた政治原理だと今日の吾々は常識的に信じているが、併しなぜ夫が正しく又優れたものかということに就いては、常識は殆んど何も答える術を有たない。政治学という科学でさえが必ずしもこれのハッキリした根拠を与えるとは限らない。哲学はこうした政治上の思想に向かって、最も広範で又最も統一的な論拠を提供したり、或いは又反対に、之に対する反対のための論拠を与えたりする役割を果すのである。この際、政治学者其の他の専門家の研究はドシドシ活用されるのであって、そういう連絡から云えば、科学[#「科学」に傍点]と哲学との根本的区別はないし又要らないと考えていい。
自然科学でも数学でも社会科学乃至歴史科学でも、又各種の芸術・道徳・宗教でさえも、皆自分の内に思想[#「思想」に傍点]を持っている。思想を世界観[#「世界観」に傍点]又は狭くは人生観とさえ云ってもいいが、この思想というものによって、吾々の日常生活や生産生活や文化活動の一切が貫かれている。この一貫する思想を掴み出して研究するものが哲学だ、と一応云っていいだろう。但し之は一応の話しで、もっと詳細に又具体的に云おうとすれば、この云い方は欠点に充ちているが、それは避けることの出来ない遺漏である。
思想の科学、即ち又世界観の科学、と云ったが、の思想乃至世界観という吾々の全生活を一貫するこの普遍的なものに直接触れるものとしては、哲学の他に宗教が存在する、と[#底本では「と」が脱落]考えられている。宗教が何かということに就いても亦殆んど一致した見解がないと云えるが、併し少なくとも宗教が一種の思想乃至世界観に基く何物かだということは動きのない処だ。では哲学と宗教、思想乃至世界観に基き又はそれを正面から相手にする処のこの二つのものの関係を、吾々は今日一般的にどういう風に考えていいか。
処が両者の関係に就いても亦、古来色々異った関係が存在したし、又従って色々異った見解が並存している。大体から云って区別すると併し、両者が結局に於て一致するか或いは一致しない迄も同じものの二つの異った面とか異った段階とかと考えられている場合と、両者がその密接な事実上の関係にも拘らず本性上、全く相反した相容れないものだと考えられている場合と、の二つに分れる。
哲学が宗教と一つであり又は同じ側のものだという見解は、卑俗な常識として可なり普及しているように見える。この常識説によると、例えば仏教や印度の哲学に於てのように、知識と信仰とが一致するのが、哲学と宗教とのお互いの極致だということになっている。或いはそこまで行かなくても、キリスト教の神学に於てのように、哲学と宗教とはごく密接な近親関係に立っているものと考えられる。そして多くの場合、この種の考え方には、宗教が科学と相容れない又は少なくとも全く場面を異にしたものであって、科学はごく実用的な知識に過ぎないが、宗教は之に反して精神的信仰だという仮定が置かれている。そして哲学の知識は知識であっても科学の知識などとは違って宗教的信仰と非常に近い精神的な知識だ、と仮定されているのである。尤も時によっては、科学と宗教とは一定の条件で妥協出来ると考えられている立場もあるが、それならば、益々そういう宗教上の真理は学問的な哲学の真理と相許すものだということになる。
だが、宗教と哲学とのこの同志説は、すでに哲学と宗教との夫々に就いての、或る特別な注文を仮定しているのである。その仮定の一つは、普通の「哲学概論」などによく見受けられる処で、文化を、科学・芸術・道徳・宗教及び哲学に分けるか、又は文化の価値を真・善・美・聖に分ける処の、宗教独自の領域、而も人類の存在と共に永久不変な聖域を想定する宗教の所謂アプリオリ(先験)主義である。宗教は人間本来の要求(神とか無限とかへの)に基く、という非常に普及している俗説が之である。もう一つは、哲学というものが何か聖人めいたりする観念上の思索や煩悶や達観に帰着するとする卑俗な見解である。この後の方の見解は哲学を例の思想の科学だと云ったあの科学的[#「科学的」に傍点]な性質をば哲学に就いて軽んじるものであって、つまり哲学とただの世界観的常識との区別を抹消して了うものだから、今は一顧の価値も有たない。[#底本では「。」が脱落]問題になるのは、哲学と宗教とが、夫々独自の而もお互いに仲のよい、二つのアプリオリ(先験的な立場)に立つものだという領土協定説である。哲学は学問的な[#「学問的な」に傍点]世界観だ、之に対して宗教はもっと深い又はもっと高い又はもっと切実な信仰に基く[#「信仰に基く」に傍点]世界観だ、というのである。
併し之は明らかに事実に反する領土協定説に過ぎない。広く観念論[#「観念論」に傍点]と呼ばれているものの多くは確かに宗教に対して協定を取り結ぶことは出来るが(自分では却って観念論を否定するかのように云っている処の観念論も例外ではない)、観念論に対立する唯物論[#「唯物論」に傍点]は寧ろ宗教の否定をこそその本来の面目としている。つまり唯物論の哲学的主張が、宗教上の各種の信仰[#「信仰」に傍点]を許容し得ないのである(但し宗教の方がそれを気にかけようがかけまいが事情は一向変りがない)。尤も純粋な観念論と目されるものはそれ程沢山ないように、純粋な唯物論も多くないのであって、唯物論的な哲学でも、一種の宗教肯定説を結論しているものは珍しくないが、夫はその点に於て唯物論哲学としての資格を欠いていると云うまでだ。
で結局、唯物論から云えば宗教はその本来の面目を認められ得ないもので(宗教的思想に付着している各種の哲学的思考の断片については又話しが別だが)、宗教的世界観を許容し得るものは少なくとも観念論的哲学以外にはないということになる。唯物論から云えば、観念論は歪曲された世界観の科学又は歪曲された世界観の歪曲された科学(?)であり、之に対して宗教は、逆立ちにされた世界観[#「逆立ちにされた世界観」に傍点]に他ならない。と云う意味は、人間が自分で創案した神によって却って支配されると考えたり、生活を死ぬこと[#「死ぬこと」に傍点]から規定したり、現実を空想的な来世によって決めたりする世界観だからである。処が、観念論も亦大体から云ってこうした世界観の倒錯症に陥っている。例えば観念は物的な実在に基き又対応して初めて意義を有つ筈なのに、観念論では観念が何かの形で実在を造り出すかのような結着になる。観念論と宗教との近親関係は、だから極めて自然なのである。之に反して、唯物論の方は正面から宗教に対立し之と矛盾又は撞着する。
で、もし哲学として、唯物論が観念論よりも真理であると仮定すれば、宗教はそのままでは、或いは之を如何に改良してもいやしくも夫が宗教である以上は、許し難いものとなる、という帰結に行かざるを得ない。一体現在、本当の哲学、即ち思想の科学として正当な哲学、は何か。
二[#「二」はゴシック体]
今日の哲学に於てほど、観念論と唯物論との対立抗争が大規模に又ハッキリと現われている時代は、未だかつて無かった。尤も簡単に観念論とか唯物論とかいうと、各種雑多な哲学をあまり単純化するもののように考えられるかも知れないが、併し凡ゆる分類や区別にも増して、この対立が根本的だということを記憶しなければならない。ここで唯物論というのは物質という哲学的[#「哲学的」に傍点]概念(必ずしも物理学や化学でいう物質の概念のことではない)で考えられるものが根本的な実在だとする哲学的な立場のことで、之に反して観念論というのは観念という哲学的[#「哲学的」に傍点]概念(必ずしも心理学でいう観念や心や精神やの概念とは同じでない)で考えられるものが根本的な存在だとする哲学的な立場のことで、このように二つの対立は根本的なのだ。
之は根本的な区別なのだから、二つの哲学の立場は交々又対抗しつつ哲学史又は思想史の上で消長して今日に至っている。唯物論の側から云えば、ギリシア哲学の前期(ソクラテス以前)や十七・八世紀の英仏の哲学などがその適例であるが、観念論が変遷又は進歩して来たように、唯物論も亦変遷又は進歩して今日に至っている。処が今日ほど両者の対抗が著しい時代はないのだ。それは他の原因からではないので、唯物論と観念論とが今日の著しい階級対抗の分野に従って、二つの陣営にハッキリと分れたからである。後者はブルジョアジーの、又はブルジョアジーが支配している社会に於て公認された、哲学であり、前者は之に対して、無産者階級の、又は無産者階級が支配する社会に於て一般的に受け容れられる、哲学なのである。
処で最初私は、哲学に就いてはその所説に殆んど一致したものを見出さないように云ったが、併し少なくとも今日の唯物論(弁証法的唯物論)は、国際的に云ってさえ、人々の間に積極的な共同のコースが横たわっているという意味で、客観的な一致を有っているのである。処が今日の観念論相互の間ほど、差異や食い違いや無関係状態が甚だしいものを見ない。
無論仮にも学問的な形を取る以上、どんな哲学でもいつも研究の途上にあるものだから、そこから当然、或る程度の出入りや交錯は避け難い。之をさえ均して了おうとすれば、研究上のテーマの積極性というものは失われるに相違ない。だが何と云っても今日の観念論の陣営の内部の乱麻のような混乱は甚だし過ぎる。――この現象は一つには確かに、観念論の伝統の系統が複雑であることに由来している。夫があまりに複雑であるために、今日に至るまでにそれの整理される余裕がなかったばかりでなく、今日では無理にそれが繊細化される必要に迫られた結果、益々多岐に分れて拾収出来なくなったのに由来している。だがこの伝統の複雑さ自身は何に原因しているかと云えば、それは観念論そのものの根本性質から来ていることを注意しなくてはならない。
観念論哲学であっても、云うまでもなく或る種の人々の或いは社会そのものの実際的な必要から呼び起されたものだ。それはその意味から見れば、現実の忠実な反映だということが出来る。処がそれにも拘らずその反映の仕方には一つとして動かすべからざる終局的な拠り処がない。自然科学ならば実験というものがあり数学ならば計算というものがあって、之によって銘々の人の銘々の理論が共通の尺度に従って試験出来るのだが、観念論には恰もそうしたものが欠けているのであって、この公共の尺度の代りになるものは、いつも主観的であることを免れない観念(想定・予想・空想・希望・欲求・など)に過ぎない。その結果、観念論の諸説は無拘束に分裂発散するのである。吾々の実際生活は、いつも社会に於ける物質的生産を基調としている。ここに吾々の生活の客観的な共同の尺度があるのである。処が観念論は殆んど総て、そうした生産が哲学に対して有つ意義を問題にしない。だからお互いに取り止めのない分裂に陥らざるを得ないのである。
併しそうは云っても、今日の観念論をその諸根本特色に従って、之をいくつかの群に分類することを妨げない。ただこの分類をするにも、少なくともブルジョア諸国の夫々の国情の特色に従って、別々に工夫しなければならぬということは、先に云った観念論の宿命の致す処である。その結果今日の夫々の国家は大体その国にだけ伝統的な又支配的な哲学を持っているのであって、例えばイギリスの経験論とかドイツのドイツ的観念論とかフランスの直覚主義とかアメリカの実用主義とかがその例であるが、処が日本になると、単にそうした伝統的乃至支配的な哲学が無いばかりでなく、又全く別個に日本乃至東洋独特の哲学思想が醸成されている結果、観念論哲学の分布図は乱雑の極に達している。
そればかりではない。現今の日本は、各種の哲学が陰に陽に、又知ると知らぬと関係なく、政治上の力を持つものとして、盛んに利用されているために、社会層の政治的役割の差に応じて、各種観念論の間の差は可なり踏み越え難い形になって残されている。又それだけではない。哲学らしい名のついた哲学は欧州から輸入されて以来まだ半世紀しか経たないため、日本のブルジョア社会の常識とこの「哲学」とのかけ隔てが大き過ぎて、哲学の紹介機関としての役割を引き受けた日本のアカデミー哲学は、殆んど全くブルジョア日常社会の思想とは縁を絶たれていると云ってもよい。にも拘らず、こうしたブルジョア常識界でも矢張り間接にはアカデミー哲学の余波によって動くのだから、二つのものの間に間隙はいつも眼立って不規則に見えるわけなのである。
日本のアカデミーの哲学者の内には、純然たる文献学者も少なくない。と云うのは、哲学的古文書の解釈を仕事としている者が少なくない。無論之は哲学にとって大切な専門的な仕事だが、併し之は少なくとも直接思想を正面から問題にするのではないから、今は論外としよう(但し哲学的古文書を研究するような顔をして、私かに思想の問題に口を容れようとする観念論的似而非哲学者に油断は出来ないが)。日本にはヨーロッパ・アメリカに行なわれた哲学が凡て一応は輸入紹介されている。そしてそのどれかの一哲学の相当忠実な信奉者は探せばいつもいないことはない。併し世界大戦直後の頃、最も有力なものとして現われたのは、カント主義又は新カント主義であった。なぜその時になって有力になったと称するかと云えば、その時期になって初めて、この哲学学派が経済学や法律学・自然科学・の領域に或る種の実を結ぼうとし始めたからである。
この哲学は日本に一時方法論全盛期を画したのであったが、その観念論らしい欠陥の一つは、夫が極めて形式主義的な観点を採っていたことで、往々にしてその内容が空疎となることを免れなかった。つまり科学の方法論として役立つにはあまりに無内容な方法論だということに、段々人々が気づいて来たのである。この哲学の原産地であるドイツでも亦、この点は段々に教養ある人々の不満を買うようになっていたのである。そこで之に代るものとして日本のアカデミー哲学を風靡するように見えたものは、すでにドイツに於て重要性を認められていたフッセルルの『現象学』であった。之も亦若い社会学者や心理学者や法律学者によって相当思想の技術として利用されたということを見落してはならない。だがここでも亦ブルジョア観念論らしい根本欠陥は初めから見え透いていた。事物を意識の面にまで還元した上で論じようとするこの哲学法の態度が根本的に疑問であったばかりでなく、事物をその現象に於てのみ捉えて、その構成的な本質を見ようとしないのは所謂現象主義という経験主義の一種なのであった。尤もこの現象学なるものは、経験的なものをスッカリ除外する結果、先験的だとも本質的だとも自らは称するのであるが、それは今の場合少しも反証にはならぬ。
処がアカデミーの観念論は、この現象学の欠陥(観念論的欠陥)を必ずしもそのようには理解しなかった。寧ろ不満の種は却ってこの哲学の科学性[#「科学性」に傍点]にあったのである。と云うのは、吾々の人間性情を満足させるような事物の取り扱いを、この哲学は一向やって呉れないということが、不満の中心となったのである。そこで注目すべきものは「生の哲学」になる。今日のブルジョア・アカデミー哲学に於て、否今日のブルジョア常識哲学に於ても亦、最も愛好され又最も勢力のあるのは各種のこの「生の哲学」なのである。
生の哲学と名のり又名づけられるものには種類が多い。まず第一はニーチェの主意説哲学があるが、之は日本に旧く紹介されて多少の信奉者を得た(例えば樗牛)。今日再びわが国でファシズム・イデオロギーを介して一種の意味を持とうとしているがまだ形をなしていない。それに之はあまり哲学的な学問的な外見を持っていないから後まわしにしよう。そうすると第二にベルグソンの直観論があるが、之も亦古くからわが国に名を知られていた割に広く実を結んでいない。するとディルタイの生の解釈学になる。之はジンメルと共に、歴史の理解[#「歴史の理解」に傍点]の哲学であるが、今日の日本に於けるブルジョア哲学的常識は、まずこうした広い意味に於ける歴史哲学乃至理解哲学と離れることが出来ないのである。歴史理論自身は云うまでもなく経済学・文芸理論・其の他に渡って広く常識的にこの哲学が行なわれている。特にかつてマルクス主義を「哲学的に」理解しようとして日本の哲学青年達は、歴史理論乃至社会科学理論にこの哲学の応用を試みて、彼等の哲学的趣味を満足させようとした。時には彼等はこの哲学を進歩的であるとか自由主義的であるとかさえ考える。
こうした生の哲学の特殊なものとして、その歴史主義の方は忘れて理解即ち解釈だけに注目する一つの系統がある。之はドイツのハイデッガーの解釈学的現象学に集中しているのであって、そこから出て来た今日の流行ブルジョア哲学が所謂人間学[#「人間学」に傍点]なのである。この人間学がどれ程各方面に於て調法がられたかは、夫が殆んど一切の社会理論・歴史理論・倫理学・文芸理論・宗教哲学・其の他に応用されていることを注意すれば判る。――私はこうした生の哲学に対して、或いは生の哲学のこうした横溢に対して、ただ一つの特徴を告げておくことにする、曰く、凡庸な甘いインテリ青年に相応わしい哲学が之である、と。
所謂生の哲学と並んで、日本のブルジョア・インテリゲンチャを魅了しているものは西田哲学である。この哲学は思想としてはまだ殆んど利用されていないにも拘らず、世間の之に対する好尚には著しいものがある。西田哲学の流行(?)は、一面に於てはその独創性と思われるものと夫に連絡があるように思われている東洋趣味とによるが、他方に於ては常識への文芸的な訴えにも基いている。処が西田哲学の本質は決してそういう処に横たわるのではない。少なくとも後期の所謂西田哲学の特色はその独特の論理[#「論理」に傍点]乃至哲学方法[#「哲学方法」に傍点]にあるのである。無の論理[#「無の論理」に傍点]というのが夫であるが、この論理は一二の例外を除けば決して広く世間で使われているものではない。世間では西田哲学を殆んど全く文芸的なファン意識で受け取っている。尤も例の生の哲学や人間学も、大体そうだったのだが。――処で無の論理は今日のブルジョア観念論の極致とさえ云うことが出来る。というのは、無の論理は事物を実際的に実地に処理するためではなく、反対に事物のもつ意味だけを専ら解釈するために、最も発達した考え方だったのである。
西田哲学に見受けられる東洋趣味(無・神秘主義・禅味・其の他)のおかげで、西田哲学を東洋の哲学だと考える人がいるが、之は表面だけを見て核心を知らない人の見解だ。況して之を封建的イデオロギーの哲学だと考えることは単なる当て推量に過ぎない。本当に東洋のものらしく見え、又封建的イデオロギーの哲学らしく見えるものは、今日では所謂ファッショ哲学[#「ファッショ哲学」に傍点]の数々でなければならないのである。今日の日本の所謂ファッショ哲学は、最も露骨に非科学的なものだが、その第一の特徴は精神主義[#「精神主義」に傍点]にある。之は外来の物質文明(?)に対して精神文明[#「精神文明」に傍点]を対抗させる積りであるが、物質が何だかも精神が何だかも判らないのだから、この点哲学としては歯牙にかけるに値いしない。第二の特徴はその農本主義[#「農本主義」に傍点]にあるのだが、之は日本の神話と日本の産業上の特殊事情とを混同した上に、土や米の礼讃に帰着するのだから、真面目に相手になることは出来ない。その第三の特色は日本主義[#「日本主義」に傍点]又はアジア主義[#「アジア主義」に傍点]であるが、之は理論ではなくて単に一部の人物達の政治上の又は外交上の意志発表に理屈をつけたものにすぎない。――こういう他愛のない哲学(?)にも併し、哲学の専門家と見做されている多数の学者達に魅惑を感じさせるものがあるという事実は、ブルジョアジーのイデオロギーであるこの観念論なるものの方が、どんなに初めから非科学的であったかということを、偶々告げているに他ならない。
さて最後に、唯物論哲学は今日の日本に於ては決して強力だということが出来ない。だがソヴェート・ロシアを除いては、最も唯物論の活きて動いている国の一つが現在の日本だろう。唯物論は一方に於てはその統一的な観点から一切の問題の合理的な解決へと進出しようとしているし、他方に於ては観念論の時宜[#「時宜」は底本では「時宣」と誤記]に適した合理的な批判と必要とに応じてはその批判的摂取をさえ企てている。ブルジョア・アカデミーは全く唯物論を閉め出しているし、唯物論者と名づけられるに値いする哲学者や諸科学者の数は決して多くはない。それが何と云っても現在の唯物論の弱みでなくてはならぬ。にも拘らず多少知能の進んだ社会分子の間には唯物論に期待を持っているものが少なくはないのだ。――だが何よりも尊重すべきものは現代唯物論(弁証法的唯物論)の理論そのものの有力さでなければならぬのである。唯物論の説明は簡単には尽せないが、少なくとも之はただの世界観ではなくて、同時に哲学の唯一の科学的方法[#「唯一の科学的方法」に傍点]を意味するものだということは、特に注目に値いする。そこを忘れなければ唯物論を物質偏重主義だとか精神を否定する主義だとか考えたがる滑稽な無知から、救われることが出来るだろう。哲学史の一頁も読んだことのあるものには、こういう無知は到底我慢なり兼ねるものだが、特に日本の政治家や卑俗な言論家達は哲学史に無知なことこの上ないのである。
三[#「三」はゴシック体]
処で、今まで説明してきた処によって、今日の観念論と唯物論との、一体どっちが思想の科学又は世界観の科学として科学的で学問的かということは、大体見当がついたことと思う。之を厳密に論証することはもっと手数の要ることだが、両方の特色を挙げて見ただけでも輪郭は判るだろう。そうすると、前に云っておいたことによって、宗教乃至信仰を許容することの出来ない唯物論が科学的に正しい以上、宗教乃至信仰の立場は、その本質に於て否定されなければならなくなる。今日の日本の宗教はどうなっているか。
云うまでもなく、現在の日本には、神道・仏教・キリスト教の三種類が有力である。まず神道であるが、所謂「神道」(宗派神道)の他に「神社」なるものの厳存していることは、わが国民として特に注意を怠ってはならない点である。なぜかと云うに、全国約二十万の神社の祭りは、行政上「宗教」には入れられていないので、他の神道及び各宗派が文部省の管下に属するに反して、之だけは、普通の行政並みに内務省の管下に属しているからである。処が、それにも拘らず、その実質は宗教的なるものだと見られねばならぬ点に充ちているのであって、現にこの頃は敬神の念を作興しようという教育方針が至る処で受け容れられているが、之は主にこの神社崇拝を指しているに他ならない。各派の宗教神道が、有名なものだけを挙げても天理教・金光教・大社教・扶桑教・黒住教など、国家的に神道と認められながらも、事実の上からはあまり今日の一般社会の普遍的な信用を博しているとは考えられないに対して、神社神道は日本の国体乃至日本の政治(祭りごと)と一致するものとして、今日の日本の社会では絶対的な権威を付与されている。この最も公的な行き渡った日本の国家的民族宗教に近いものが、宗教に数えられていないのは、他の色々の必要から来ることは別にして、少なくとも政治と宗教とを分離しようとする明治初年の宗教政策(尤もごく最初の政策はそうではなかったが)の所産なのである。併し之が宗教として公認されていないということが、宗教でないという証拠にはならない。
仏教は宗派神道に較べて、農民其の他の大衆の一部に、一定の地方的地域に従って、深く根を下している。特に真宗・曹洞宗・浄土宗・日蓮宗などがその主なるもので、仏教徒の総数約四千六百余万と称されている。尤もこのうち宗教的信仰を懐いていると見做してよい所謂信徒を別にして、大部分の者は単にその家族関係から云って一定宗派の寺院の檀徒だというに止まっているから、宗派神道の可なりに熱心な信徒と、直接その数を比較することが出来ない(各派の宗派神道の信徒総数は約千六百九十万である)。一般に僧侶は従来、漢学者・国学者・に並んで日本に於ける知能分子の代表者であったから、仏教徒の内には相当多数の一種の知能分子が含まれていることを注意すべきであって、相当の実質を伴った大学や学校の数も極めて多い。この点神道の信者達と大いに違う点で、後に云う今日の宗教復興[#「宗教復興」に傍点]運動の主力がこの知能僧侶の間から出て来る理由が充分あったのである。
キリスト教の歴史は日本では云うまでもなく浅いが、二十有個の宗派に属する信徒総数は約二十万人足らずを算えている。キリスト教はヨーロッパ・アメリカ・資本主義と資本主義的文化とを持って来たものであったから、この信徒の内には資本主義的文化を担う知能分子は極めて多い。
さて処でこの三つの宗教は日本に於て益々盛んになりつつあるか、それとも次第に衰えつつあるかと云うと、部分的に云えば別であるが、結局に於ては段々下り坂だと見ねばならぬ。現に神道でも仏教でもその信徒は段々減少しつつあるのであって、キリスト教信徒だけは殖えて行くように見えるが、併し総数が少ないから宗教全般からいうとあまり有利な好材料とはならず、その増し方自身も今日ではずっと下火になって了っている。――大体神道や仏教は日本が明治以来輸入した資本主義とは直接に結びつけない内容の宗教なのだから、日本の資本主義的文化の発達とは割合関係なく遺されて行くのであって、このままの形ではブルジョアジーの観念論自身からさえ見離されざるを得ないだろう。
併しこうした所謂既成宗教の他に、わが国では特有な色々の民間的な宗教現象がある。各種の所謂邪教(まだ社会的に承認を得ていない宗教営業)から始めて、色々の民間治療と結びついた信心、陰陽道(方角を気にする)、降神術、其の他がある。之はごく卑俗な形に於ける宗教現象だが、他方仏教的哲学やキリスト教神学や又形而上学的哲学や又文芸をさえ通じて、宗教的信仰が科学的(?)な衣裳を纏って潜行していることは忘れてはならぬ。ブルジョア観念論は、最初に云ったように、結局は宗教と同じ軌道に乗って了うものだったのだ。
処で、最近の日本では、一方に於てマルクス主義=唯物論が下火になったという常識と、他方大日本帝国の各種の海外発展という俗間の期待とによって、ファシズム・イデオロギーの一部分として、又夫と平行して、今まで云った各種の宗派の宗教及び各種の宗教現象が、故意に高揚され強調されるようになって来た。之は満州問題を直接のキッカケとするものであったのだが、こうした宗教復興運動は、資本主義社会の有望な発展に勇気づけられたものや何かではなくて、正に日本が之に愴惶として善処(?)しつつある処の資本制の断層化の所産であり、且つ又夫が、その断層化を観念的に蔽いかくすための社会政策の意義を持っていることを、今日知らない人はない。
所謂宗教復興現象の現われ方は、本来色々あり得るわけだが、今日のは、主に仏教徒僧侶達が、ジャーナリズムの上で、社会の安価な知能分子を動かすという形で現われている。そのためには、旧来の[#「旧来の」に傍点]仏教を打倒して、現代に相応わしい活きた真理ある仏教を弘布せねばならぬ、というスローガンを掲げるのであって、之によって一見宗教批判[#「宗教批判」に傍点]の役目も果すらしいと共に、そうした宗教批判に堪え得る「本当の」宗教を再建しようとする本来の意図をも満足させることが出来るだろう。だから一頃宗教批判のごく端まで、即ち唯物論のごく端まで歩みよっていた幾人かの名を知られた宗教批判者達は、この時とばかり宗教復興運動に飛び込んで了ったのである。――ジャーナリズムの上に現われ精神薄弱なインテリゲンチャを動かす所謂宗教復興は、実は宗教復興でも何でもなく、まして宗教的真理の建設でも何でもないのだが、併しこの現象は現下の日本にとって避けることの出来ないもっと根本的な宗教的痙攣の一つの余波、と見做させるだけの意義はあるのである。この宗教的痙攣は云うまでもなく唯物論の宗教批判に逆襲するためにやる宗教の身振りに他ならない。
唯物論の側からする宗教批判の組織的活動(無神論[#「無神論」に傍点]又は反宗教闘争[#「反宗教闘争」に傍点])は、今日の反動時代に於て決して盛大だと云うことは出来ない。見方によってはそうした組織的な活動は行なわれていないとも云えるかも知れない。処が実は今日、唯物論による宗教批判の活動は断片的であるにせよ、相当日常常識化されて、次第に大衆化しつつあるということは多分否定出来ない。宗教の欺瞞はいつまでも大衆の眼を蔽うことは出来ないからだ。そしてその破綻は例のインチキ宗教現象ともなって現われているのである。
底本:「戸坂潤全集 第四巻」勁草書房
1966(昭和41)年7月20日第1刷発行
1975(昭和50)年9月20日第7刷発行
※誤植の修正には、伊藤書店版(1948年)、三笠書房版(1936年)を参照しました。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:矢野正人
校正:小林繁雄
2001年8月23日公開
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