青空文庫アーカイブ

鴫突き
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)「鴫突《しぎつ》き」のことは

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(例)時々|宅《うち》の庭の手入れなどに雇っていた

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(例)蜻※[#「虫+廷」、第4水準2-87-52]《とんぼ》
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「鴫突《しぎつ》き」のことは前に何かの機会に少しばかり書いたことがあったような気がするが、今はっきり思い出せないし、それに、事柄は同じでも雑誌『野鳥』の読者にはたぶんまた別な興味があるかもしれないと思うからそういう意味で簡単にこの珍しい狩猟法について書いてみることとする。
 高知市附近で「鴫突き」というのは、蜻※[#「虫+廷」、第4水準2-87-52]《とんぼ》を捕えるのと同じ恰好の叉手形《さでがた》の網で、しかもそれよりきわめて大形のを遠くから勢いよく投げかけて、冬田に下りている鴫を飛び立つ瞬間に捕獲する方法である。「突く」というのは投槍のように網を突き飛ばす操作をそう云ったものではないかと思う。何しろ、もう三十余年前にただ一度実見したきりなので記憶がはなはだたしかでないが、網を張った叉手の二等辺三角形の両辺の長さが少なくも九尺くらいあり、柄竿の長さもほぼそのくらいあるかと思われ、とにかくずいぶん大きなものであるので、それを自由に操作するには相当の腕力を要するものであったように思う。網目はどのくらいの大きさであったか覚えないが、霞網《かすみあみ》などよりはよほどがっしりしたものであったらしい。
 明治三十四年の暮であったと思う。病気で休学して郷里で遊んでいたときのことであるが、病気も大体快くなってそろそろ退屈しはじめ、医者も適度の運動を許してくれるようになった頃のことであった。時々|宅《うち》の庭の手入れなどに雇っていた要太という若者があって、それが「鴫突き」の名人だというので、ある日それを頼んで連れて行ってもらった。
 それは薄曇りの風の弱い冬日であったが、高知市の北から東へかけての一面の稲田は短い刈株を残したままに干上がって、しかもまだ御形《ごぎょう》も芽を出さず、落寞として霜枯れた冬田の上にはうすら寒い微風が少しの弛張《しちょう》もなく流れていた。そうした茫漠たる冬田の中に一羽くらい鴫が居るのを見付け出すということは到底|素人《しろうと》には出来ない芸当であったが、さすが専門家の要太の眼には、不思議なフィルター・スクリーンでもあるかのように、実に敏感に迅速にそれを発見するのである。
 片手を挙げて合図をして「居た居た、あそこに」と云われても、どこにどんな鳥がいるのか明き盲の自分にはちっとも見えない。しかし「胸黒《むなぐろ》じゃ」などと彼は独り合点をしているのである。水平に持って歩いていた網を前下がりに取り直し、少し中腰になったまま小刻みの駆け足で走り出した。直径百メートルもあるかと思う円周の上を走って行くその円の中心と思う辺りを注意して見るとなるほどそこに一羽の鳥が蹲《うずくま》っている。そうしてじっと蹲ったままで可愛い首を動かして自分のまわりをぐるぐる廻って行く不思議な人影を眺めているようである。その人間の廻転する円の半径がだんだん小さくなるに従って、鳥から見たそれの角速度は半径と逆比例して急激に増大して来るのであるから、鳥の注意と緊張もそれに応じて急激にしかし連続的加速度的に増大を要求されるであろう。そういう、鳥にとってはおそらく生れて以来かつて経験した事のない異常な官能行使の要求に応じるに忙しくて、身に迫る危険を自覚し、そうして逃走の第一歩を踏出すだけの余裕もきっかけもないのであろう。ともかくも運命の環は急加速度で縮まって行って、いよいよ矢頃《やごろ》はよしという瞬間に、要太の突き出した叉手網《さであみ》はほとんど水平に空《くう》を切って飛んで行く。同時にばたばたと飛び立った胸黒はちょうど真上に覆いかかった網の真唯中《まっただなか》に衝突した、と思うともう網と一緒にばさりと刈田の上に落ちかかって、哀れな罪なき囚人はもはや絶体絶命の無効な努力で羽搏《はばた》いているのである。飛ぶがごとく駈け寄った要太の一《ひ》と捻《ひね》りに、この小さな生命はもう超四次元の世界の彼方に消えてしまったのであった。
「鴫突き」を実見したのは前後にただこの一度だけであった。のみならず、その後にもかつて鴫突きの話を聞いた事さえない。従って現在高知にそういう狩猟法が残存しているかどうか、また高知以外の日本のどの地方に過去現在のいずれかに同様なものが行われて来たかどうか、ということについても全然なんらの知識も持合わせていない。しかし、それだけにまた、自分にとっては三十余年前の冬のある曇り日のこの珍しい体験が、過去の想い出の中に聳《そび》え立った一里塚のように顕著な印象を止めているものと思われる。
「鴫突き」は鉄砲で打つのと比べれば実に原始的な方法のようであるが、また考え方によると一つのスポーツとしてはかなり興味の深いものではないかという気もする。単になるべく沢山の鳥を殺して猟嚢《りょうのう》を膨《ふく》らませるという目的ならとにかく、獲物と相対してそれに肉薄する緊張が加速度的に増大しつつ最後に頂点に到達するまでの「三昧」の時間に相当の長さのあることだけから見てもこれは決してそれほどつまらないものではないだろうと思われる。少なくも鴨猟場《かもりょうば》で「鴨をしゃくう」のに比べると猟者の神経の働かせ方だけでも大変な差別があるような気がするのである。
 古いことがぼつぼつ復活する当代であるから、もしかすると、どこかでまたこの「鴫突き」の古いスポーツが新しい時代の色彩を帯びて甦生《そせい》するようなことがないとも云われないであろう。
 この方法が鴫以外のいかなる鳥にまで応用出来るかということも、鳥類研究家には一つの新しい問題になりはしないかと思う。これがもし他の色々の鳥にも応用されるとなれば、鳥を少しも傷つけないで、生きた健全な標本を得るための一つのいい方法になるかもしれないという空想も起って来る。
 しかしこれらの点についてはむしろ本誌の読者の側から示教を仰ぐべきであろう。以上はただ全くの素人の想い出話のついでに思い付くままの空想を臆面もなく書付けて見ただけである。
[#地から1字上げ](昭和九年十二月『野鳥』)



底本:「寺田寅彦全集 第一巻」岩波書店
   1996(平成8)年12月5日発行
入力:Nana Ohbe
校正:松永正敏
2004年3月24日作成
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