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芝刈り
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)芝生《しばふ》を

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(例)今|鋏《はさみ》の

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)かやつり[#「かやつり」に傍点]草
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 私は自分の住み家の庭としてはむしろ何もない広い芝生《しばふ》を愛する。われわれ階級の生活に許される程度のわずかな面積を泉水や植え込みや石燈籠《いしどうろう》などでわざわざ狭くしてしまって、逍遙《しょうよう》の自由を束縛したり、たださえ不足がちな空の光の供給を制限しようとは思わない。樹木ももちろん好きである、美しい草花以上にあらゆる樹木を愛する。それでもし数千坪の庭園を所有する事ができるならば、思い切って広い芝生の一方には必ずさまざまな樹林を造るだろうと思う。そして生気に乏しいいわゆる「庭木」と称する種類のものより、むしろ自然な山野の雑木林を選みたい。
 しかしそのような過剰の許されない境遇としては、樹木のほうは割愛しても、芝生だけは作らないではいられなかった。そうして木立ちの代わりに安価な八つ手や丁子《ちょうじ》のようなものを垣根《かきね》のすそに植え、それを遠い地平線を限る常緑樹林の代用として冬枯れの荒涼を緩和するほかはなかった。しあわせに近所じゅういったいに樹木が多いので、それが背景になって樹木の緑にはそれほど飢える事はない。
 許されうる限りの日光を吸収して、芝は気持ちよく生長する。無心な子供に踏みあらされても、きびしい氷点下の寒さにさらされても、この粘り強い生命の根はしっかりと互いにからみ合って、母なる土の胸にしがみついている。そうして父なる太陽が赤道を北に越えて回帰線への旅を急ぐころになると、その帰りを予想する喜びに堪えないように浮き立って新しい緑の芽を吹き始める。
 梅雨期が来ると一雨ごとに緑の毛氈《もうせん》が濃密になるのが、不注意なものの目にもきわ立って見える。静かな雨が音もなく芝生《しばふ》に落ちて吸い込まれているのを見ていると、ほんとうに天界の甘露を含んだ一滴一滴を、数限りもない若芽が、その葉脈の一つ一つを歓喜に波打たせながら、息もつかずに飲み干しているような気がする。
 雨に曇りに、午前に午後に芝生の色はさまざまな変化を見せる。ある時は強烈な日光を斜めに受けて針のような葉が金色に輝いている。その上をかすめて時々何かしら小さな羽虫が銀色の光を放って流星のように飛んで行く。
 それよりも美しいのは、夏の夜がふけて家内も寝静まったころ、読み疲れた書物をたたんで縁側へ出ると、机の上につるした電燈の光は明け放された雨戸のすきまを越えて芝生一面に注がれている。まっ暗な闇《やみ》の中に広げられた天鵞絨《びろうど》が不思議な緑色の螢光《けいこう》を放っているように見える。ある時はそれがまた底の知れぬ深い淵《ふち》のように思われて来る事もある。これを見ていると疲れ熱した頭の中がすうっと涼しくさわやかに柔らいで来る。私は時々庭へおりて行っていろいろの方向からこの闇の中に浮き上がった光の織物をすかして見たりする。それからそのまん中に椅子《いす》を持ち出して空の星を点検したり、深い沈黙の小半時間を過ごす事もある。
 芝の若芽が延びそめると同時に、この密生した葉の林の中から数限りもない小さな生き動くものの世界が産まれる。去年の夏の終わりから秋へかけて、小さなあわれな母親たちが種属保存の本能の命ずるがままに、そこらに産みつけてあった微細な卵の内部では、われわれの夢にも知らない間に世界でいちばん不思議な奇蹟《きせき》が行なわれていたのである。その証拠には今試みに芝生《しばふ》に足を入れると、そこからは小さな土色のばったや蛾《が》のようなものが群がって飛び出した。こおろぎや蜘蛛《くも》や蟻《あり》やその他名も知らない昆虫《こんちゅう》の繁華な都が、虫の目から見たら天を摩するような緑色の尖塔《せんとう》の林の下に発展していた。
 この動植物の新世代の活動している舞台は、また人間の新世代に対しても無尽蔵な驚異と歓喜の材料を提供した。子供らはよくこれらの小さな虫をつかまえて白粉《おしろい》のあきびんへ入れたりした。なんのためにそんな事をして小さな生物を苦しめるかというような事は少しも考えてはいなかった。それでも虫の食物か何かのつもりで、むしり取った芝の葉をびんの中へ詰め込んで、それで虫は充分満足しているものと思っているらしかった。そのまま忘れて打っちゃっておいたびんの底にひっくり返って死んでいるからだを見つけた時はやはりいくらかかわいそうだとは思うらしい。それで垣根《かきね》のすみや木の下へ「虫のお墓」を築いて花を供えたりして、そういう場合におとなの味わう機微な感情の胚子《はいし》に類したものを味わっているらしく見える。子供が虫をつかまえたり、いじめたり殺したりするのは、やはりいわゆる種属的記憶と称するものの一つでもあろうか。このような記憶あるいは本能が人間種族からすっかり消え去らない限り、強者と弱者の関係はあらゆる学説などとは無関係に存続するだろう。
 子供らはまたよくかやつり[#「かやつり」に傍点]草を芝の中から捜し出した。三角な茎をさいて方形の枠形《わくがた》を作るというむつかしい幾何学の問題を無意識に解いて、そしてわれわれの空間の微妙な形式美を味わっている事には気がつかないでいた。相撲取草《すもうとりぐさ》を見つけて相撲を取らせては不可解な偶然の支配に対する怪訝《けげん》の種を小さな胸に植えつけていた。
 芝の中からたんぽぽやほおずきやその他いろいろの雑草もはえて来た。私はなんだかそれを引き抜いてしまうのが惜しいような気がするのでそのままにしておくと、いつのまにか母や下女がむしり取るのであった。
 夏が進むにつれて芝はますます延びて行った。芝生《しばふ》の単調を破るためにところどころに植えてある小さなつつじやどうだん[#「どうだん」に傍点]やばらなどの根もとに近い所は人に踏まれないためにことに長く延びて、それがなんとなくほうけ[#「ほうけ」に傍点]立ってうるさく見えだした。母などは病人の頭髪のようで気持ちが悪いと言ったりした。植木屋へはがきを出して刈らせようと言っているうちに事に紛れて数日過ぎた。
 そのうちに私はふと近くの町の鍛冶屋《かじや》の店につるしてあった芝刈り鋏《ばさみ》を思い出した。例年とちがってことしは暇である。そして病気にさわらぬ程度にからだを使って、過度な読書に疲れた脳に休息を与えたいと思っていたところであったので、ちょうど適当な仕事が見つかったと思った。芝の上にすわり込んで静かに両腕を動かすだけならば私の腹部の病気にはなんのさしつかえもなさそうに思われた。もっとも一概に腕や手を使うだけなら腹にはこたえないという簡単な考えが間違いだという事はすでに経験して知っていた。たとえばタイプライターをたたいたり、ピアノをひいたりするような動作でもどうかするとひどく胃にこたえる事がしばしばあった。ことに文句に絶えず頭を使いながらせき込んで印字機の鍵盤《けんばん》をあさる時、ひき慣れないむつかしい楽曲をものにしようとして努力する時、そういう時には病的に過敏になった私の胃はすぐになんらかの形式で不平を申し出した。しかしこれは手や指を使うというよりもむしろ頭を使うためらしく思われた、芝を刈るというような、機械的な、虚心でできる動作ならばおそらくそんな事はあるまいと思われた。少なくも一日に半時間か一時間ずつ少しも急いだり努力したりしないで、気楽にやっていればさしつかえはあるまい。こんな事を考えながら私は試みに両腕を動かして鋏《はさみ》を使うまねをしてみた。まだ実際には経験しない芝刈りの作業を強く頭に印象させながら腕を動かしてみたが、腹に力を入れるような感覚は少しも生じて来ないらしかった。念のために今度は印字機に向かったつもりになって両手の指を動かしているといつのまにか横隔膜の下のほうが次第に堅く凝って来るのを感じた。
 このような仮想的の試験があてになるかどうかは自分にも曖昧《あいまい》であったが、ともかくも一つ実物について試験をしてみて、もしさわりがありそうであったら、すぐにやめればよいと思った。
 風のない蒸し暑いある日の夕方私はいちばん末の女の子をつれて鋏《はさみ》を買いに出かけた。燈火の乏しい樹木の多い狭い町ばかりのこのへんの宵闇《よいやみ》は暗かった。めったに父と二人で出る事のない子供は何かしら改まった心持ちにでもなっているのか、不思議に黙っていた。私も黙っていた。ある家の前まで来ると不意に「山本《やまもと》さんの……セツ子さんのおうちはここよ」と言って教えた。たぶん幼稚園の友だちの家だろうと思われた。「セツ子さんは毎朝おとうさんが連れて来るのよ。」……「おとうさんはいつになったらお役所へ出るの。……出るようになったら幼稚園までいっしょに行きましょうね。」こんな事をぽつりぽつり話した。表通りへ出るとさすがに明るかった。床屋のガラス戸からもれる青白い水のような光や、水菓子屋の店先に並べられた緑や紅や黄の色彩は暗やみから出て来た目にまぶしいほどであった。しかしその隣の鍛冶屋《かじや》の店には薄暗い電燈が一つついているきりで恐ろしく陰気に見えた。店にはすぐに数えつくされるくらいの品物――鍬《くわ》や鎌《かま》、鋏《はさみ》や庖丁《ほうちょう》などが板の間の上に並べてあった。私の求める鋏《はさみ》はただ二つ、長いのと短いのと鴨居《かもい》からつるしてあった。
 ちょうど夕飯をすまして膳《ぜん》の前で楊枝《ようじ》と団扇《うちわ》とを使っていた鍛冶屋《かじや》の主人は、袖無《そでな》しの襦袢《じゅばん》のままで出て来た。そして鴨居《かもい》から二つ鋏《はさみ》を取りおろして積もった塵《ちり》を口で吹き落としながら両ひじを動かしてぐあいをためして見せた。
 柄の短いわりに刃の長く幅広なのが芝刈り専用ので、もう一つのはおもに木の枝などを切るのだが芝も刈れない事はない。芝生《しばふ》の面積が広ければ前者でなくては追い付かないが、少しばかりならあとのでもいい。素人《しろうと》の家庭用ならかえってこれがいいかもしれないなどと説明しながら、そこらに散らばっている新聞紙を切って見せたりした。「こういう物はやっぱり呼吸ですから……。」そんな事を言った、また幾枚も切り散らして、その切りくずで刃の塵《ちり》をふいたりした。
 芝を刈る鋏と言えば一通りしかないものと簡単に思い込んでいた私は少し当惑した。このような原始的な器械にそんな分化があろうとは予期していなかった。どちらにしようかと思ってかわるがわる二つの鋏を取り上げてぐあいを見ながら考えていた。なるほど芝を刈るにはどうしても専用のものがぐあいがいいという事は自分にも明白に了解された。しかしそれで枯れ枝などを切ると刃が欠けるという主人の言葉はほんとうらしかった。
 私はなんだか試験をされているような気がした。主人は団扇《うちわ》と楊枝《ようじ》とを使いながら往来をながめていた。子供は退屈そうに時々私の顔を見上げていた。
 とうとう柄の長いほうが自分の今の運動の目的には適しているというある力学的な理由を見つけた、と思ったのでそのほうを取る事にした。
 鋏を柄に固定する目くぎをまださしてないから少し待ってくれというので、それができるまでそこらを散歩する事にした。しばらく歩いて帰って来て見ると目くぎはもうさされていて、支点の軸に油をさしているところであった。店先へ中年の夫婦らしい男女の客が来て、出刃庖丁《でばぼうちょう》をあれかこれかと物色していた。……私がどういうわけで芝刈り鋏《ばさみ》を買っているかがこの夫婦にわからないと同様に、この夫婦がどういう径路からどういう目的で出刃庖丁《でばぼうちょう》を買っているのか私には少しもわからなかった。その庖丁の未来の運命も無論だれにもわかろうはずはなかった。それでも髪を櫛巻《くしまき》に結った顔色の妙に黄色いその女と、目つきの険しい男とをこの出刃庖丁と並べて見た時はなんだか不安なような感じがした。これに反して私の鋏がなんだか平和な穏やかなもののように思われた。
 長い鋏をぶら下げて再び暗い屋敷町へはいった。今まで黙っていた子供は急に饒舌《じょうぜつ》になった。いつ芝を刈り始めるのか、刈る時には手伝わしてくれとか、今夜はもう刈らないかとか、そんな事をのべつにしゃべっていた。父が自分で芝を刈るという事がよほど珍しいおもしろい事ででもあるように。
 しかし私自身にとっても、それはやはり珍しく新しい事には相違なかった。
 宅《うち》へ帰ると家内じゅうのものがいずれも多少の好奇心と、漠然《ばくぜん》としたあすの期待をいだきながらかわるがわるこの新しい道具を点検した。
 翌日は晴天で朝から強い日が照りつけた。あまり暑くならないうちにと思って鋏を持って庭へ出た。
 どこから刈り始めるかという問題がすぐに起こって来た。それはなんでもない事であったがまた非常にむつかしい問題でもあった。いろいろの違った立場から見た答解はいろいろに違っていた。できるだけ短時間に、できるだけ少しの力学的仕事を費やして、与えられた面積を刈り終わるという数学的の問題もあった。刈りかけた中途で客間から見た時になるべく見にくくないようにという審美的の要求もあった。いちばん延び過ぎた所から始めるという植物の発育を本位に置いた考案もあった。こんな事にまで現代ふうの見方を持って来るとすれば、ともかくも科学的に能率をよくするために前にあげた第一の要求を満たす方法を選んだほうがよさそうに思われた。能率を論ずる場合には人間を器械と同様に見るのであるが、今の場合にはそれでは少し困るのであった。もともと自分の健康という事が主になっている以上、私はこの際最も利己的な動機に従って行くほかはないと思ったので、結局日陰の涼しい所から刈り始めるというきわめて平凡なやり方に帰ってしまった。
 するとまたすぐに第二の問題に逢着《ほうちゃく》した。芝生《しばふ》とそれより二寸ぐらい低い地面との境界線の所は芝のはえ方も乱雑になっているし、葉の間に土くれなどが交じっているために刈りにくくめんどうである。その上に刈り取った葉がかぶさったりするとなおさら厄介《やっかい》であった。それでまずこの境界線のはえぎわを整理した後に平たい面積に掛かるほうが利口らしく思われた。しかしこのはえぎわの整理はきわめてめんどうで不愉快であって、見たところの効果の少ない割りの悪い仕事であった。
 おしまいにはそんな事を考えている自分がばからしくなって来たので、いいかげんに、無責任に、だらしなく刈り始めた。
 青白い刃が垂直に平行して密生した芝の針葉の影に動くたびにザックザックと気持ちのいい音と手ごたえがした。葉は根もとを切られてもやはり隣どうしもたれ合って密生したままに直立している。その底をくぐって進んで行く鋏《はさみ》の律動につれてムクムクと動いていた。鋏《はさみ》をあげて翻《かえ》すと切られた葉のかたまりはバラバラに砕けて横に飛び散った。刈ったあとには茶褐色《ちゃかっしょく》にやけた朽ち葉と根との網の上に、まっ白にもえた[#「もえた」に傍点]茎が、針を植えたように現われた。そして強い土の香がぷんと鼻にしみるように立ちのぼった。
 無数の葉の一つ一つがきわめて迅速に相次いで切断されるために生ずる特殊な音はいろいろの事を思い出させた。理髪師の鋏《はさみ》が濃密な髪の一束一束を切って行く音にいつも一種の快感を味わっていた私は、今自分で理髪師の立場からまた少しちがった感覚を味わっているような気がした。それから子供の時分に見世物で見た象が、藁《わら》の一束を鼻で巻いて自分の前足のひざへたたきつけた後に、手ぎわよく束の端を口に入れて藁のはかま[#「はかま」に傍点]をかみ切った、あの痛快な音を思い出したりした。しかしなぜこの種類の音が愉快であるかという理由はどう考えてもわからなかった。音の性質から考えればこれは雑音の不規則な集合で、音楽的の価値などは無論無いものである。しかしあるいはこれは聴感に対する音楽に対立させうべき触感あるいは筋肉感に関する楽音のようなものではあるまいか。音自身よりはむしろ音から連想する触感に一種の快を経験するのではあるまいか。それともまたもっと純粋に心理的な理由によるものだろうか。あるいはひょっとしたらわれわれの祖先の類人猿《るいじんえん》時代のある感覚の記憶でないとも言われないと思ったりした。
 鋏の進んで行く先から無数の小さなばった[#「ばった」に傍点]やこおろぎが飛び出した。平和――であるかどうか、それはわからぬが、ともかくも人間の目から見ては単調らしい虫の世界へ、思いがけもない恐ろしい暴力の悪魔が侵入して、非常な目にも止まらぬ速度で、空をおおう森をなぎ立てるのである。はげしい恐慌に襲われた彼らは自分の身長の何倍、あるいは何十倍の高さを飛び上がってすぐ前面の茂みに隠れる。そうして再び鋏《はさみ》がそこに迫って来るまではそこで落ち付いているらしい。彼らの恐慌は単に反射的の動作に過ぎないか、あるいは非常に短い記憶しか持っていないのだろうか。……魚の視感を研究した人の話によると海中で威嚇された魚はわずかに数尺逃げのびると、もうすっかり安心して悠々《ゆうゆう》と泳いでいるという事である。……今度の大戦で荒らされた地方の森に巣をくっていた鴉《からす》は、砲撃がやんで数日たたないうちにもう帰って来て、枝も何も弾丸の雨に吹き飛ばされて坊主になった木の空洞《くうどう》で、平然と子を育てていたと伝えられている。もっともそう言えば戦乱地の住民自身も同様であったかもしれない。またある島の火山の爆裂火口の中へ村落を作っていたのがある日突然の爆発に空中へ吹き飛ばされ猫《ねこ》の子一つ残らなかった事があった。そうして数年の後にはその同じ火口の中へいつのまにかまた人間の集落が形造られていた。こんな事を考えてみると虫の短い記憶――虫にとっては長いかもしれない記憶を笑う事はできなかった。
 無数に群がっている虫の中には私の鋏《はさみ》のために負傷したり死んだりするのもずいぶんありそうに思われて、多少むごたらしい気がしないでもなかった。しかしどうする事もできないのでかまわず刈って行った。これらの虫は害虫だか益虫だか私にはわからなかった。
 子供の時分に私の隣家に信心深い老人がいた。彼は手足に蚊がとまって吸おうとするのを見つけると、静かにそれを追いのけるという事が金棒引きの口から伝えられていた。そしてそれが一つの笑い話の種になっていた。私も人並みに笑ってはいたが、その老人の不思議な行為から一つのなぞのようなものを授けられた。そうして今日になってもそのなぞは解く事ができないでそのままになっている。のみならずこのなぞは長い間にいろいろの枝葉を生じてますます大きくなるばかりである。
 たとえば人間が始まって以来今日までかつて断えた事のないあらゆる闘争の歴史に関するいろいろの学者の解説は、一つも私のふに落ちないように思われた。……私には牛肉を食っていながら生体解剖《ヴィヴィセクション》に反対している人たちの心持ちがわからなかった。……人間の平等を論じる人たちがその平等を猿《さる》や蝙蝠《こうもり》以下におしひろめない理由がはっきりわからなかった。……普通選挙を主張している友人に、なぜ家畜にも同じ権利を認めないかと聞いて怒りを買った事もあった。
 今|鋏《はさみ》のさきから飛び出す昆虫《こんちゅう》の群れをながめていた瞬間に、突然ある一つの考えが脳裏にひらめいた。それは別段に珍しい考えでもなかったが、その時にはそれが唯一の真理であるように思われた。――もう昆虫の生命などは方則の前の「物質」に過ぎなくなった。私と私の鋏はその方則であり征服者であり同時に神様であった。私はわれわれ人間の頭上に恐ろしい大きな鋏を振り回している神様の残忍に痛快な心持ちを想像しながら勢いよく鋏の取っ手を動かして行った。

 病気にさわる事を恐れて初めの日は三尺平方ぐらいにしてやめた。昼過ぎに行って見ると、刈られた葉はすっかりかわき上がって、青白い干し草になって散らばっていた。日向《ひなた》にさらされたままの鋏の刃はさわって見ると暑いほどにほてっていた。
 学校から帰って来た子供らは、少なからざる好奇心をもって刈られた部分を点検したあとで、我れ勝ちに争って鋏を手にした。しばらくして見に行って見ると、芝生の上にはねずみがかじったように、三角形や、片かなや、ローマ字などが表われていた。九歳になる女の子は裁縫用の鋏で丁寧に一尺四方ぐらいの部分を刈りひらいて、人差し指の根もとに大きなかわいい肉刺《まめ》をこしらえていた。
 いろいろの時刻にいろいろの人が思い思いの場所を刈っていた。人々の個性はこんな些細《ささい》な事にも強く刻みつけられていた。大まかに不ぞろいに刈り散らして虎斑《とらふ》をこしらえる者もあれば、一方から丁寧に秩序正しく、蚕が桑の葉を食って行くように着々進行して行くものもあった。ある者は根もとまでつめて刈り込まないと承知しないし、またある者はある長さの緑を残すように骨を折っているらしく見えた。
 書斎で聞いていると時々|鋏《はさみ》の音が聞こえたが、その音のぐあいでだれがやっているかはたいていわかった。
 午前に私が刈り初めようとするとよく来客があった。そういう事が三四回もつづいた。来客を呼ぶおまじない[#「おまじない」に傍点]だと言って笑うものもあった。これは無論直接の因果関係ではなかったが、しかし全くの偶然でもなかった。二つの事がらを制約する共通な条件はあった。ただその条件が必至のものでないだけの事であった。
 毎日少しずつ鋏を使いながら少しずついろいろの事を考えた。いろいろの考えはどこから出て来るかわからなかった。前の考えとあとの考えとの関係もわからなかった。昔ミダス王の理髪師がささやいた秘密を蘆《あし》の葉が再びささやいたように、今この芝の葉の一つ一つが、昔だれかに聞いた事を今私にささやいているのかもしれない。
 たとえば私は自分で芝を刈る事によって、植木屋の賃銀を奪っているのではないかという問題に出会った。そしていろいろもて扱っているうちに、これがもうかなりに古いありふれた問題である事に気がついた。それかと言ってこれに対する明快な解決はやはり得られなかった。
 延び過ぎた芝の根もとが腐れかかっているのを見た時に、私はふと単純な言葉の上の連想から、あまりに栄え茂りすぎた物質的文化のために人間生活の根本が腐れかかるのではないかと思ってみた。そしてそれを救うにはなんとかして少しこの文明を刈り込む必要がありはしないかと考えた。しかし芝と文化とはなんの関係もない。芝を刈るのがいいといっても文明を刈り取るがいいという証拠にも何もならない事は明らかであった。あまりに皮相的な軽率な類推の危険な事を今さらのように思ってみたりした。実際そんな単純な考えが熱狂的な少数の人の口から群集の間に燎原《りょうげん》の火のようにひろがって、「芝」を根もとまで焼き払おうとした例が西洋の歴史などにないでもなかった。文明の葉は刈るわけにも焼くわけにも行かない。

 始めのうちはおもしろがっていた子供らもじきに飽きてしまってだれも鋏《はさみ》を手にするものはなくなった。ただ長女と私とが時々少しずつ刈って行った。そのうちには雨が降ったりして休む日もあるので、いちばん始めに刈った所はもうかなりに新しい芽を延ばして来た。
 最後に刈り残された庭の片すみのカンナの葉陰に、一きわ濃く茂った部分を刈っていた長女は、そこで妙なものを発見したと言って持って来た。子供の指先ぐらいの大きさをした何かの卵であった。つまんで見ると殻《から》は柔らかくてぶよぶよしていた。一つ鋏にかかってつぶれたのをあけて見たら中には蜥蜴《とかげ》のかえりかかったのがはいっていたそうである。「人間のおなか[#「おなか」に傍点]の中にいるときとよく似ているわ」とそばから小さな女の子が付け加えた。私は非常に驚いてこの子供の知識の出所を聞きただしてみると、それがお茶《ちゃ》の水《みず》で開かれたある展覧会で見たアルコールづけの標本から得たものである事がわかった。
 子供らはこの卵の三つか四つを日当たりのいい縁側の下の土に埋めておいた。数日たった後に掘ってみたらもう何もなかったそうである。ここにも大きな奇蹟《きせき》はあった。
 十日ほどにわたった芝刈りがやっと終わった。結果はあまり体裁のいいほうではなかった。刈り手の個性と刈り時の遅速とが芝生の上に不規則なまだらを描いていた。休まず働いている自然の手がその痕跡《こんせき》をぬぐい消すにはまだ幾日か待たなければならなかった。
 保養の目的が達せられたかどうかはわからなかった。たいしてからだにさわりもしなかった代わりに別段のいい効果があったとも思われぬ。そのような効果が、秤《はかり》や升《ます》ではかれるように判然とわかるものだったら、医師はさぞ喜びもしまた困る事だろうと思った。――ただ蜥蜴《とかげ》の卵というものを始めて実見したのがおそらくこの数日の仕事の一番の獲物であったろうと思っている。
[#地から3字上げ](大正十年一月、中央公論)



底本:「寺田寅彦随筆集 第一巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1947(昭和22)年2月5日第1刷発行
   1963(昭和38)年10月16日第28刷改版発行
   1997(平成9)年12月15日第81刷発行
入力:田辺浩昭
校正:かとうかおり
1999年11月17日公開
2003年10月22日修正
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