青空文庫アーカイブ

日本楽器の名称
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)素人《しろうと》の道楽半分に

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|樽《たる》の酒を

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)ジャンシェン[#「ジャンシェン」に傍点]
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 楽器の歴史は非常に古いものである。そして、現在ある国民やある民族に固有であるらしく見えるものでも実際はかなり複雑な因果の網目を伝わって遠い外国の楽器と親族関係になっているものらしい。もっともこれは楽器に限らずあらゆる人間の文化の産物について共通な事であって言語風俗等いずれについても同様であるには相違ないが、原始的な器械的発明としての楽器などはそういう関係を知るに比較的都合のいいものと考えられる。そういう考えから、素人《しろうと》の道楽半分に少しばかり調べてみた結果をこの昭和三年の初春のにぎわいまでに書いてみる。もちろん玄人筋《くろうとすじ》の考証家には一笑の値もないものであろう。
(三味線) 三弦、三線、三皮前、三びせんなどいろいろの名がある。『嬉遊笑覧《きゆうしょうらん》』や『松屋三絃考《まつのやさんげんこう》』を見ただけでもたくさんな文献が並べ立ててあるが、いっこうに要領を得難い。永禄《えいろく》あるいは文禄《ぶんろく》年間に琉球《りゅうきゅう》から伝わった蛇皮線《じゃびせん》を日本人の手で作りかえた、それがだんだんポピュラーになったものらしい。それからシナの楽器の阮咸《げんかん》と三味線とが同一だとか、そうでないとかいう議論がある。また、元《げん》の時代のかの地の三弦一名コフジ、一名コフシ、一名クヮフシ、一名コハシなど称するものと関係があるような、またないようなことも書いてある。またこのゲンカンは竹林七賢人の一人の名だとの説もある。
 ところがちょっと妙なことには、このゲンカンの文字を今のシナ音で読むとジャンシェン[#「ジャンシェン」に傍点]となるのである。またこのコハシあるいはコフジに相当するものと思われる類似の楽器の類似の名前がヨーロッパ、アジア、アフリカ、南洋のところどころに散在しているのが目につく。たとえばリュート類似の弦楽器として概括さるべきものに、トルコのコプズ、ルーマニアのコブサ、またコブズ、ロシヤ、ハンガリーへんのコボズなどがある。それからシベリアの一地方でコムスというのは、ふくれた胴に皮が張ってあるが、弦は二本で五度に合わすとある。振るっているのはホッテントットの用いる三弦の弦楽器にガボウイというのがあり、ザンジバルの胡弓《こきゅう》にガブスというのがある。また一方では南洋セレベスにある金属弦ただ一本のカボシがある。それからまたアラビアの四弦の胡弓にシェルシェンクというのがあるのも妙である。
(尺八) シナの洞簫《どうしょう》、昔の一節切《ひとよぎり》、尺八、この三つが関係のある事は確実らしい。足利《あしかが》時代に禅僧が輸入したような話があるかと思うと、十四世紀にある親王様が輸入された説もある。そうかと思うと『源氏物語』や『続世継《ぞくよつぎ》』などに尺八の名があり、さらに上宮太子《じょうぐうたいし》が尺八を吹かれたという話がある、シナには唐あたりの古いところにもとにかく尺八の名がある。しかしそれらの名前に相応する品物がどこまで同一のものであったかはわからない。長さが一尺八寸あるいは八分だから尺八だというというのはいかにももっともらしいが、これには充分疑う余地がある。ある書に尺八を十二作ったが長さがいろいろあると書いてある。正倉院《しょうそういん》の尺八は一尺一寸以下八種あるそうである。事によるとこの尺八は音の高度を示すものかもしれない。
 蘭領《らんりょう》インドの島にシグムバワという笛があり。サモアにシヴァオフェという竹笛がある。
 ペルシアのした[#「した」に傍点]笛にシャクというのがある。またラッパ、むしろトロンボンの類でシャグバット(英)サクビュト(仏)サカブケ(西)なども事によると何か縁があるかもしれない。
 ヒトヨギリは「一節切《ひとよぎ》り」に相違ないだろうが、これがヒチリキの子音転換とも見られるのがおもしろい。またポーランドのピスチャルカと称するものは六孔の縦吹きのした[#「した」に傍点]笛であるが、この品物自身もその名前とともにヒチリキに類するのが不思議である。
 南洋のソロモン群島中のある島に存する竹製の縦笛にププホルと称するのがある。長さ五五・四デシメートルとあるのを換算するとまさに一丈八尺強、恐ろしく長いものである。ただ穴が三つしかないらしい。このププホルと『徒然草《つれづれぐさ》』のいわゆるボロボロとを並べて考えてみるとだれでもちょっと微笑を禁じ難いであろう。
(胡弓《こきゅう》) シナのフキン。朝鮮のコクン。日本のコキュー。モハメダンのギゲ。古代フランスのギグ。今のドイツのガイゲ。アフリカのゴゲ。いずれも同一属の楽器としてこんな名前が並べ得られる。
 これについて思い出すのは古いアッシリアの竪琴《たてごと》と正倉院にある箜篌《くご》との類似である。クゴはシナ音クンフーでハープと縁がある。アラビアの竪琴ジュンク。マライのゲンゴンと称する竹製の竪琴。シャムのコンヴォン。朝鮮のグムンゴまたクムンコなどが連想される。
 中央アフリカ北東コンゴーのある地方の竪琴にクンディまたはクンズというのがある。ここまで来ると騎虎《きこ》の勢いに乗じて、結局日本のコトをついでにこれと同列に並べてみたくなるのである。
 竪琴の最古のものはテーベの墓の壁画に描かれたものだそうで恐ろしく古いものらしい。アッシリアのものはわずかに極東日本にその遠い子孫を残すに過ぎないと思われていたが、同じようなものが東トルキスタンで発見されたそうである(紀元一世紀ごろのもの)。これははなはだ意味の深い事実である。
 昔はあらゆる弦楽器がハープという一つの名で呼ばれたらしいという説がある。そういう事を頭においてだんだんに上記のいろいろの弦楽器の名前をローマ字書きに直して平面的あるいは立体的に並列させてみるとこれらはほとんど連続的な一つの系列を作る。これはたぶん偶然であるかもしれない。しかし万一そうでないかもしれない。かりに偶然でないとしたところでそれはこれらの名が擬音的であるために生ずる自然の一致であるか、あるいは伝統因果的関係から来るのか、たぶん両方であるか、これはなかなか容易にはわかりにくい問題であろう。
 笛の名でもニューギニアのムベイ。ニュージーランドのプー。マレイのプアン。ミンダナオのプアラ。マルケサスのプイフ。ビルマのプルエ。ピルウェ。スラヴのフバ。フィンランドのフィル。ラテンのピパ。などみんな擬音らしくもありまた関係があるらしくもある。オボーなどもこれと従兄弟《いとこ》である。
 おもしろい事には全然ちがった楽器の名前が同じような音から成り立っている例のかなり多いことである。たとえば笛のピパに対して弦楽器のピパすなわちビワがあり、弦楽器のタンブールに対して太鼓のタンブールがあるような類である。
 以上はただまるで夢のような話で結局これだけからはなんの結論も出て来ないのではあるが、ともかくもこれだけの片かなの名前を並べて、のどかにながめていると一種不思議な気持ちになって来る。今まで自分たちとは全くなんのゆかりもないように思われていた遠い国々の民族が何かしら、全くのあかの他人でないような気がして来る。古い言葉の四海兄弟という文字の意味が急に新しい光を浴びて現われて来るのを感じる。
 赤道へ行っても実際は地球儀にかいてあるような線はどこにも存在しない。地図の上ではちがった絵の具でくっきりと塗り分けられた二つの国の国境へ行って見ても、杭《くい》が一本立ってるくらいのものである。人間のこしらえた境界線は大概その程度のものである。人間の歴史のある時期に地球上のある地点に発生した文化の産物は時間の経過とともに人為的のあらゆる障壁を無視して四方に拡散するのは当然である。永代橋《えいたいばし》から一|樽《たる》の酒をこぼせば、その中の分子の少なくもある部分はいつかは、世界じゅうの海のいかなる果てまでも届くであろうように、それと同じように、楽器でも言語でも、なんでも、不断に「拡散《ディフュージョン》」を続けて来たものであろうと思われる。ただ溶媒中における溶質分子の拡散と比べてはなはだしく幾重にも複雑な方則に支配されるであろうし、拡散する「物」の安定度《スタビリティ》が少ないために、事がらがいっそう込み入って来るのであろう。
 以上は畢竟《ひっきょう》一つの空想に過ぎない。ただ、近来わが国固有文化に関する研究が急激に盛んになって来たのに気がついて、愉快に感じると同時に自分も知らず知らずその趨勢《すうせい》に刺激されて、つい柄《がら》にない方面にまで空想の翼を延ばしたくなったようなわけである。杜撰《ずざん》な考証に対してもし識者の教えを受ける縁ともならば大幸である。
(お断わり。楽器の名のかな書きに直し方に不穏当なのがあるかもしれない。どうかそのつもりで読んでもらいたい。)
[#地から3字上げ](昭和三年一月、大阪朝日新聞)



底本:「寺田寅彦随筆集 第二巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1947(昭和22)年9月10日第1刷発行
   1964(昭和39)年1月16日第22刷改版発行
   1997(平成9)年5月6日第70刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年6月25日作成
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