青空文庫アーカイブ
ねずみと猫
寺田寅彦
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)請負人《うけおいにん》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)あたま[#「あたま」に傍点]の
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一
今の住宅を建てる時に、どうか天井にねずみの入り込まないようにしてもらいたいという事を特に請負人《うけおいにん》に頼んでおいた。充分に注意しますとは言っていたが、なお工事中にも時々忘れないようにこの点を主張しておいた。大工にも直接に幾度も念をおしておいたが、自分で天井裏を点検するほどの勇気はさすがになかった。
引き移ってから数か月は無事であった。やかましく言ったかいがあったと言って喜んでいた。長い間ねずみとの共同生活に慣れたものが、ねずみの音のしない天井をいただいて寝る事になるとなんだか少し変な気もした。物足りないというのは言い過ぎであろうが、ほんとうに孤独な人間がある場合には同棲《どうせい》のねずみに不思議な親しみを感ずるような事も不可能ではないように思われたりした。
そのうちにどこからともなく、水のもれるようにねずみの侵入がはじまった。一度通路ができてしまえばもうそれきりである。
夜おそく仕事でもしている時に頭の上に忍びやかな足音がしたり、どこかでつつましく物をかじる音がしたりするうちはいいが、寝入りぎわをはげしい物音に驚かされたり、買ったばかりの書物の背皮を無惨に食いむしられたりするようになると少し腹が立って来た。
請負師や大工に責めを帰していいのか、在来の建築方式そのものに欠陥があるのかどうかわからない。考えてみると請負師《うけおいし》や大工に言ったくらいでねずみが防ぎきれるものならば大概の家にはねずみがいないはずである。しかし実際ねずみのいない家はまれであり、ねずみがいなくなると何かその家に不祥事が起こる前兆だという迷信があったりするくらいだから、少なくもわれわれ日本人は天井にねずみのいる事を容認しなければならない事になっているかもしれない。それを自分だけが勝手に拒絶しようと思うのはあまりに思いあがったハイカラの考えかもしれない。ある人の話では日々わずかな一定量の食餌《しょくじ》をねずみのために提供してさえおけば決して器具や衣服などをかじるものではないという事である。ある経済学者の説によるといかなる有害無益の劣等の人間でも一様に「生存の権利」というものがあるそうである。そんならねずみだって同じ権利を認めてやらないのはわるいような気がする。しかしそういう権利が人間にさえあるのかないのか自分にはわからない。かりにあるとしたところで両方の権利が共立しない時に強いほうの動物が弱いほうをひどい目にあわせるのは天然自然の事実であっていかなる学者の抗議もなんの役にも立たないようである。
科学の応用が尊重される今日に、天井や押し入れの内にねずみのはいらないくらいの方法はいくらでもできそうなものだと思う。ある学者は天井裏に年じゅう電燈をともしているそうであるがこの方法はいかに有効でもわれわれには少しぜいたくすぎるような気がする。もう小し簡便な方法がありそうなものである。だれか忠実な住宅建築の研究者があって、二三日天井裏にすわり込むつもりでねずみの交通を観察したら適当な方法はすぐに考えつくだろうと思われる。そのような方法は学者のほうではとうの昔にわかっているのをわれわれが知らないのか、知ってもそれを信じて実行しないのかもしれない。住宅建築の教程にねずみに関する一章のないはずはあるまいと思う。
大工を呼んでねずみの穴の吟味をさせるのもおっくうであるのみならずその効果が疑わしい。結局やはり最も平凡な方法で駆除を計るほかはなかった。
殺鼠剤《さっそざい》がいちばん有効だという事は聞いていたが、子供の多いわが家では万一の過失を恐れて従来用いた事はなかった。しかし子供らもだいぶ大きくなったから、もう大丈夫だろうと思って試みに使ってみた。するとまもなく玄関の天井から蛆《うじ》が降り出した。町内の掃除人夫《そうじにんぷ》を頼んで天井裏へ上がって始末をしてもらうまでにはかなり不愉快な思いをしなければならなかった。それ以来もう猫《ねこ》いらずの使用はやめてしまった。猫いらずを飲んだ人は口から白い煙を吐くそうであるからねずみでも吐くかもしれない。屋根裏の闇《やみ》の中で口から燐光《りんこう》を発する煙を吐いているのを想像するだけでもあまり気持ちがよくない。
木の板の上に鉄のばねを取り付けた捕鼠器《ねずみとり》もいくつか買って来て仕掛けた。はじめのうちはよく小さな子ねずみが捕《と》れた。こしらえ方がきわめてぞんざいであるから少し使うとすぐにぐあいが悪くなる。それを念入りに調節して器械としての鋭敏さを維持する事はそういうあたま[#「あたま」に傍点]のない女中などには到底望み難い仕事である。私はこのような間に合わせの器械を造る人にも、それを平気で使っている人にも不平を言いたくなるのである。
金網で造った長方形の箱形のもしばしば用いたが、あれも一度捕れると臭みでも残るのか、あとがかかりにくい。まれにかかってもたいていは思慮のない小ねずみで、老獪《ろうかい》な親ねずみになるとなかなかどの仕掛けにもだまされない。いくらねずみでも時代と共に知恵が進んで来るのを、いつまでも同じ旧式の捕鼠器《ねずみとり》でとろうとするのがいけないのでないかという気もする。
それよりも困るのは、家内じゅうで自分のほかにはねずみの駆除に熱心な人の一人もいない事である。せっかく仕掛けてある捕鼠器《ねずみとり》の口が、いかにはいりたいねずみにでもはいれないような位置に押しやられていたり、ふたの落ちたのをそのままに幾日も台所のすみにほうり出してあるのを発見したりするとはなはだ心細いたよりないような気がするのであった。そこに行くとどうしてもやはり本能的にねずみを捕《と》るようにできている猫《ねこ》にしくものはないと思わないわけにはゆかなかった。
ねずみの跳梁《ちょうりょう》はだんだんに劇烈になるばかりであった。昼間でもちょろちょろ茶の間に顔を出したりした。ある日の夕方二階で仕事をしていると、不意に階下ではげしい物音や人々の騒ぐ声が聞こえだした。行って見ると、玄関の三畳の間へねずみを二匹追い込んで二人の下女が箒《ほうき》を振り回しているところであった。やっとその一匹を箒でおさえつけたのを私が火箸《ひばし》で少し引きずり出しておいて、首のあたりをぎゅうっと麻糸で縛った。縛り方が強かったのですぐに死んでしまった。その最期の苦悶《くもん》を表わす週期的の痙攣《けいれん》を見ていた時に、ふと近くに読んだある死刑囚の最後のさまが頭に浮かんで来た。
もう一つのねずみがどこへかくれたか姿を消してしまった。何も置いてない玄関の事だからどこにものがれるような穴はない。念のために長押《なげし》の裏を蝋燭《ろうそく》で照らして火箸で突っついて歩いたがやはりそこにもいなかった。ただ一か所壁のこぼれたすみのほうに穴らしいものが見えたが光がよく届かないのではっきりしなかった。それが穴だとしてもそれを抜けてどこへ出られるかという事が明瞭《めいりょう》でなかった。もしやだれかの袂《たもと》の中へでもはいっていやしないかと思って調べさせたがもちろんそんな所にはいなかった。なんだか不可思議な心持ちもした。小さな動物に大きな人間が翻弄《ほんろう》されたというような気もした。ここでもし徹底した科学的の方法で明白な論理を追跡して行きさえしたら、直ちにこのなんでもないミステリーは解けたであったろうが、少しはばかばかしくもなってきたので、この目前の、明らかに物理の方則と矛盾したような事実を、仮定的な「長押《なげし》の裏の穴」で「説明」し、ごまかしてしまった。もっとも科学の方面でさえもこれに似たような例がないとは言われない。明るみの矛盾を暗い穴へ押し込んで安心している事がないでもない。もしこれができなくなったら多くの学者は枕《まくら》を高くして眠られそうもない。人生の問題に無頓着《むとんちゃく》でいられない人々の間には猫《ねこ》いらずの妙な需要はますます多くなるかもしれない。
この騒ぎが静まってやっと十分か二十分たったと思うころに、今度は台所で第二の騒ぎが始まった。人間の悲鳴だか動物のほえるのだかわからないような気味の悪い叫び声が子供らの騒ぎ声に交じって聞こえて来た。何事かと思って見ると、年の行かない下女が茶の間のまん中に立って大きな口をあけて奇妙な声を出しながら、からだをいろいろにねじらせている。それを四方から遠巻きに取り囲んで口々に何か言っているのである。
聞いてみると、背中にねずみがはいっているというのである。着物の間か羽織《はおり》の下かどのへんかと聞いてみても無意味な声を出すだけで要領を得ない。ねずみが動いたりするたびに妙な叫び声を出してはからだをゆさぶるばかりである。そっと羽織のすそを持って静かにかかげて見ると、かわいらしい子ねずみが四肢《しし》を伸ばして、ちょうどはり付けでもしたように羽織の裏にしがみついている。はげしく羽織を一あおりするとぱたりと畳に落ちた。逃げ出そうとするのを手早く座ぶとんで伏せて、それからあとは第一のねずみと同じ方法で始末をつけた。このかわいらしい生命の最後の波動を見ている時にはやはりあまりいい気持ちはしなかった。今までちゃんとそこにあった「生命」がふうと消えてしまう。このきわめて平凡で、しかもきわめて不可解な死の現象をいくらか純粋に考えてみる事のできるのはかえってこれくらいの小動物の場合が最も適当なものではないかというような気もした。人間の死や家畜の死にはあまりに多くの前奏がある。本文なしの跋《ばつ》だけは考えられないようなものである。
子供らも身動き一つしないで真剣になって見つめていた。こういう事がらを幼少なものの柔らかな頭に焼きつけるという事の利害を世の教育家に聞いてみたらどんなものであろうか。たぶんはあまりよくないというかもしれない。それはもとより子供の素質にもよるだろうし、前後の事情にもよるだろうと思うが、実用的にはやはり、動物の生命を絶つ行為はすべて残酷でいけない事であるという事に取りきめておくほうが簡単で安全だろうと思う。そうかと言ってこのような重大な現象を無感覚に観過させないまでもそれを直視させるのをしいて避けるのもどんなものであろうか。
ねずみを縛り殺していた時の私の顔がよほど平生とちがった顔になっていたという事をあとで聞かされて少し意外な気がした。こんな顔だったなどと言って鉛筆でかいて見せるものも出て来た。
あとで聞いてみると、玄関の騒ぎが終わった後に女中が部屋《へや》へ帰ってすわっているうちに妙に背筋の所がぽかぽか暖かになって来たそうである。変だと思っているうちに、そこに重みのある或《あ》るものが動くのを感じたので、はじめて気がついていきなり茶の間へ飛び出し、奇妙な声を出し始めたのだそうである。
窮鳥はふところに入る事があり、窮鼠《きゅうそ》は猫《ねこ》をかむ事があるかもしれないが、追われたねずみが追う人の羽織《はおり》の裏にへばりつくという事はあまりこれまで聞いた事がなかった。しかしあとになって考えてみると、締め切った三畳の空間からねずみが一匹消え去る道理はなかった。仮定的な長押《なげし》の穴はそれっきり確かめてもみないが、おそらくほんとうの穴でなかったろうし、たとえ穴であってもその背面には通っていない事が少し考えれば家の構造の上からすぐわかるわけになっていた。それでだれかの着物に隠れているという事は始めから自明的にわかりきった事であったのである。
それにしても、羽織の裏にしがみついて人間と背中合わせにぶら下がったままで十分以上も動かないでいたねずみの心持ちがわからない事の一つである。極度の恐怖が一部の神経を麻痺《まひ》させて仮死の状態になっていたのか、それとも本能的の知恵でそうしていたのか、おそらく後者と前者が一つ事がらを意味するのではあるまいか。
このような騒ぎがあった後にも鼠族《そぞく》のいたずらはやまなかった。恐ろしいほど大きな茶色をした親ねずみは、あたかも知恵の足りない人間を愚弄《ぐろう》するように自由な横暴な挙動をほしいままにしていた。
二
春から夏に移るころであったかと思う。ある日座敷の縁の下でのら猫《ねこ》が子を産んでいるという事が、それを見つけた子供から報告された。近辺の台所を脅かしていた大きな黒猫が、縁の下に竹や木材を押し込んである奥のほうで二匹の子を育てていた。一つは三毛でもう一つはきじ毛《げ》であった。
単調なわが家の子供らの生活の内ではこれはかなりに重大な事件であったらしい。猫《ねこ》の母子《おやこ》の動静に関するいろいろの報告がしばしば私の耳にも伝えられた。
私の家では自分の物心ついて以来かつて猫《ねこ》を飼った事はなかった。第一私の母が猫という猫を概念的に憎んでいた。親類の家にも、犬はいても飼い猫は見られなかった。猫さえ見れば手当たり次第にもの[#「もの」に傍点]を投げつけなければならない事のように思っていた。ある時いた下男などはたんねんに繩切《なわき》れでわな[#「わな」に傍点]を作って生けがきのぬけ穴に仕掛け、何匹かの野猫を絞殺したりした。甥《おい》のあるものは祖先伝来の槍《やり》をふり回して猫を突くと言って暗やみにしゃがんでいた事もあった。猫の鳴き声を聞くと同時に槍をほうり出しておいて奥の間に逃げ込むのではあったが。
そんなようなわけで猫というものにあまりに興味のない私はつい縁の下をのぞいて見るだけの事もしないでいた。
そのうちに子猫はだんだんに生長して時々庭の芝生《しばふ》の上に姿を見せるようになった。青く芽を吹いた芝生の上のつつじの影などに足を延ばして横になっている親猫に二匹の子猫がじゃれているのを見かける事もあったが、廊下を伝って近づく人の足音を聞くと親猫が急いで縁の下に駆け込む、すると子猫もほとんど同時に姿を隠してしまう。どろぼう猫の子はやはりどろぼう猫になるように教育されるのであった。
ある日妻がどうしてつかまえたかきじ毛《げ》の子猫を捕えて座敷へ連れて来た。白い前掛けですっかりからだを包んで首だけ出したのをひざの上にのせて顎《あご》の下をかいてやったりしていた。猫はあきらめてあまりもがきもしなかったが、前足だけ出してやると、もう逃げよう逃げようとして首をねじ向けるのであった。小さな子供らはこの子猫《こねこ》を飼っておきたいと望んでいたが、私はいいかげんにして逃がしてやるようにした。わが家に猫を飼うという事はどうしても有りうべからざる事のようにしかその時は思われなかった。
それから二三日たって妻はまた三毛のほうをつかまえて来た。ところがこのほうは前のきじ毛に比べると恐ろしく勇敢できかぬ気の子猫《こねこ》であった。前だれにくるまりながらはげしく抵抗し、ちょっとでも足を出せばすぐ引っかきかみつこうとするのである。庭で遊んでいる時でもこっちがきじ毛よりずっと敏捷《びんしょう》で活発だという事であった。猫の子でもやっぱり兄弟の間でいろんな個性の相違があるものかと、私には珍しくおもしろく感ぜられた。猫などは十匹が十匹毛色はちがっても性質の相違などはないもののようにぼんやり思っていたのである。動物の中での猫の地位が少し上がって来たような気がした。
子供のみならず、今度は妻までも口を出してこの三毛を慣らして飼う事を希望したが、私はやっぱりそういう気にはなれなかった。しかしこのきかぬ気の勇敢な子猫に対して何かしら今までついぞ覚えなかった軽い親しみあるいは愛着のような心持ちを感じた。猫というものがきわめてわずかであるが人格化されて私の心に映り始めたようである。
それ以来この猫の母子《おやこ》はいっそう人の影を恐れるようになった。それに比例して子供らの興味も増して行った。夕食のあとなどには庭のあちらこちらに伏兵のようにかくれていて、うっかり出て来る子猫を追い回してつかまえようとしていたが、もうおとなにでもつかまりそうでなかった。あまりに募る迫害に恐れたのか、それともまた子猫がもう一人前になったのか、縁の下の産所も永久に見捨ててどこかへ移って行った。それでも時々隣の離れの庇《ひさし》の上に母子《おやこ》の姿を見かける事はあった。子猫《こねこ》は見るたびごとに大きくなっているようであった。そしてもう立派なひとかどのどろぼう[#「どろぼう」に傍点]猫らしい用心深さと敏捷《びんしょう》さを示していた。
ねずみのいたずらはその間にも続いていた。とうとう二階の押し入れの襖《ふすま》を食い破って、来客用に備えてあるいちばんいい夜具に大きな穴をあけているのを発見したりした。もう子ねずみさえもかからなくなってしまった捕鼠器《ねずみとり》は、ふたの落ちたまま台所の戸棚《とだな》の上にほうり上げられて、鈎《かぎ》につるした薩摩揚《さつまあ》げは干からびたせんべいのようにそりかえっていた。
三
六月中旬の事であった。ある日仕事をしていると子供が呼びに来た。猫《ねこ》をもらって来たから見に来いというのである。行って見るともうかなり生長した三毛猫である。おおぜいが車座になってこの新しい同棲者《どうせいしゃ》の一挙一動を好奇心に満たされて環視しているのであった。猫に関する常識のない私にはすべてただ珍しい事ばかりであった。妻が抱き上げて顋《あご》の下や耳のまわりをかいてやると、胸のあたりで物の沸騰するような音を立てた。猫が咽喉《のど》を鳴らすとか、ゴロゴロいうとかいう事は書物や人の話ではいくらでも知っていたが、実験するのは四十幾歳の今が始めてである。これが喜びを表わす兆候であるという事は始めての私にはすぐにはどうもふに落ちなかった。「この猫は肺でもわるいんじゃないか」と言ったらひどく笑われてしまった。実際今でも私にははたして咽喉が鳴っているのか肺の中が鳴っているのかわからないのである。音に伴う一種の振動は胸腔《きょうこう》全部に波及している事がさわってみると明らかに感ぜられる。腹腔《ふくこう》のほうではもうずっと弱く消されていた。これは振動が固い肋骨《ろっこつ》に伝わってそれが外側まで感ずるのではないかと思うのである。それにしてもこの音の発するメカニズムや、このような発音の生理的の意義やについて知りたいと思う事がいろいろ考えられる。中学校で動物学を教わったけれども、鳥や虫の声については雑誌や書物で読んだけれども、猫《ねこ》のゴロゴロについてはまだ知る機会がついなかったのである。これは何も現代の教育の欠陥ではなくて自分の非常識によるのであろう。デモクラシーを神経衰弱の薬、レニンを毒薬の名と思っていた小学校の先生があったそうであるが、自分のはそれよりいっそうひどいかもしれない。しかしレニンやデモクラシーや猫のゴロゴロのほんとうにわかっている人も存外に少ないのではあるまいか。ともかくもこのゴロゴロは人間などが食欲の満足に対する予想から発する一種の咽喉《のど》の雑音などとは本質的にも違ったものらしく思われる。
この音は私にいろいろな音を連想させる。海の中にもぐった時に聞こえる波打ちぎわの砂利《じゃり》の相摩する音や、火山の火口の奥から聞こえて来る釜《かま》のたぎるような音なども思い出す。もしや獅子《しし》や虎《とら》でも同じような音を立てるものだったら、この音はいっそう不思議なものでありそうである。それが聞いてみたいような気もする。
畳の上におろしてやると、もうすぐそこにある紙切れなどにじゃれるのであった。その挙動はいかにも軽快でそして優雅に見えた。人間の子供などはとても、自分のからだをこれだけ典雅《グレースフル》に取り扱われようと思われない。英国あたりの貴族はどうだか知らないが。
それでいて一挙一動がいかにも子供子供しているのである。人間の子供の子供らしさと、どことは明らかに名状し難いところに著しい類似がある。
のら猫の子に比べてなんという著しい対照だろう。彼は生まれ落ちると同時に人類を敵として見なければならない運命を授けられるのに、これははじめから人間の好意に絶対の信頼をおいている。見ず知らずの家にもらわれて来て、そしてもうそこをわが家として少しも疑わず恐れてもいない。どんなにひどく扱われても、それはすべてよい意味にしか受け取られないように見えるのである。
それはそうと、私はうちで猫《ねこ》を飼うという事に承認を与えた覚えはなかったようである。子猫をもらうという事について相談はしばしば受けたようであるが積極的に同意はまだしなかったはずであった。しかし今眼前にこの美しいそして子供子供した小動物を置いて見ているうちにそんな問題は自然に消えてしまった。
子猫がほしいという家族の大多数の希望が女中の口から出入りの八百屋《やおや》に伝えられる間にそれが積極的な要求に変わってしまったらしい。突然八百屋が飼い主の家の女中といっしょに連れて来たそうである。台所へ来たのを奥の間へ連れて行くとすぐまた台所へかけて行って、連れて来た人のあとを追うので、しばらく紐《ひも》でつないでおこうかと言っていたが、連れて来た人がそれはかわいそうだからどうか縛らないでくれというのでよしたそうである。夜はふところへ入れて寝かしてやってくれという事も頼んで行ったそうである。私が見に来た時はもうかなり時間がたってよほど慣れて来たところであったらしい。
もとの飼い主の家ではよほどだいじにして育てられたものらしい。食物などもなかなかめったなものは食わなかった。牛乳か魚肉、それもいい所だけで堅い頭の骨などは食おうともしなかった。恐ろしいぜいたくな猫だというものもあれば、上品だといってほめるものもあった。膳《ぜん》の上のものをねらうような事も決してしないのである。
子供らの猫《ねこ》に対する愛着は日増しに強くなるようであった。学校から帰って来ると肩からカバンをおろす前に「猫は」「三毛は」と聞くのであった。私はなんとなしにさびしい子供らの生活に一脈の新しい情味が通い始めたように思った。幼い二人の姉妹の間にはしばしば猫《ねこ》の争奪が起こった。「少しわたしに抱かせてもいいじゃないの」とか「ちっともわたしに抱かせないんだもの」とか言い争っているのが時々離れた私の室《へや》まで聞こえて来た。おしまいにはどちらかが泣きだすのである。私は子供らがこのためにあまりに感傷的になるのを恐れないわけには行かなかった。
猫もかわいそうであった。楽寝のできるのは子供らの学校へ行っている間だけである。まもなく休暇になるともう少しの暇もなくなった。大きい子らは小さい子らが三毛をおもちゃにしているのを見ると、かわいそうだから放してやれなどと言っていながら、すぐもう自分でからかっているのである。逃げて縁の下へでも隠れたらいいだろうと思うが、どこまでも従順に、いやいやながら無抵抗に自由にされているのがどうも少し残酷なように思われだした。実際だんだんにやせて来た時とは見違えるように細長くなるようであった。歩くにもなんだかひょろひょろするようだし、すわっている時でもからだがゆらゆらしていた。そして人間がするように居眠りをするのであった。猫が居眠りをするという事実が私には珍しかった。大きな発見でもしたような気がして人に話すと知っている人はみんな笑ったし、たまに知らない人があってもだれもこの事実をおもしろがらないようであった。しかし私は猫のこの挙動に映じた人間の姿態を熟視していると滑稽《こっけい》やら悲哀やらの混合した妙な心持ちになるのである。
このぶんでは今に子猫は死んでしまいそうな気がした。時々食ったものをもどし[#「もどし」に傍点]て敷き物をよごすような事さえあった。夜はもう疲れ切ってたわいもなく深い眠りにおちて、物音に目をさますようには見えなかった。それでも不思議な事にはねずみの跳梁《ちょうりょう》はいつのまにかやんでいた。まれに台所で皿鉢《さらばち》のかち合う音が聞こえても三毛は何も知らずに寝ていた。おそらくまだねずみというものを見た事のない彼女の本能はまだ眠っているのだろうと思われた。
あんまりいじめると、もうどこかへやってしまうとか、もとの家へ返してしまうとかいうおどかしの言葉が子供らの前で繰り返されていた。とうとう飼い主の家に相談して一両日静養させてやる事にした。
猫《ねこ》がいなくなるとうちじゅうが急にさびしくなるような気がした。おりから降りつづいた雨に庭へ出る事もできない子供らはいつになくひっそりしていた。
いつもは夜子供らが寝しずまった後に、どうかすると足音もしないで書斉にやって来て机の下からそっと私の足にじゃれるのを、抱き上げてひざにのせてやると、すぐに例のゴロゴロいう音を出すのであったが、その夜はもとよりいないのだから来るはずはなかった。仕事がすんでゆっくり煙草《たばこ》をすいながら、静かな雨の音を聞いているうちに妙な想像が浮かんで来た。三毛がほんとうにどこかへ捨てられて、この雨の中をぬれそぼけてさまよい歩いている姿が心に描かれた。飢えと寒さにふるえながらどこかのごみ箱のまわりでもうろうろしている。そして知らない人の家の雨戸をもれる燈光を恋しがって哀れな声を出して鳴いていそうな気がした。
翌日の夕方迎えにやって連れて来たのを見るとたった二日の間に見違えるようにふとっていた。とがった顔がふっくりして目が急に細くなったように見えた。目のまわりにあったヒステリックなしわは消えておっとりした表情に変わっていた。どういう良い待遇を受けて来たのだろうというのが問題になった。親の乳でも飲んだためだろうという説もあった。
夏も盛りになって、夕方になると皆が庭へ出た。三毛もきっとついて来た。かつてのら猫の遊び場所であったつつじの根もとの少しくぼんだ所は、何かしらやはりどの猫《ねこ》にも気に入ると見えて、ボールを追っかけたりして駆け回る途中で、きまったようにそこへ駆け込んだ。そして餌《え》をねらう猛獣のような姿勢をして抜き足で出て来て、いよいよ飛びかかる前には腰を左右に振り立てるのである。どうかすると熊笹《くまざさ》の中に隠れて長い間じっとしていると思うと、急に鯉《こい》のはね上がるように高くとび出して、そしてキョトンとしてとぼけた顔をしている事もある。どうかすると四つ足を両方に開いて腹をぴったり芝生《しばふ》につけて、ちょうどももんがあ[#「ももんがあ」に傍点]の翔《かけ》っているような格好をしている事もあった。たぶん腹でも冷やしているのではないかと思われた。
芝を刈っているといつのまにか忍んで来て不意に鋏《はさみ》のさきに飛びかかるのが危険でしようがなかった。注意しながら刈っていると、時々、猫がねらっている事を警告する子供の叫び声が聞かれた。この芝刈り鋏に対する猫の好奇心のようなものはずっと後までも持続した。もう紐切《ひもき》れやボールなどにはじゃれなくなった後でも、鋏を持って庭におりて行く私の姿を見るとすぐについて来るのであった。どうかすると、しゃがんでいる腰の下からそっとはいって来て私の両ひざの間に顔を出したりした。そしてちょっと鋏に触れるとそれで満足したようにのそのそ向こうへ行って植え込みの八つ手の下で蝶《ちょう》をねらったり、蝦蟇《ひきがえる》をからかったりしていた。
蝦蟇ではいちばん始めに失敗したようである。たぶん食いつこうとしてどうかされたものと見えて口から白いよだれのようなものをだらだらたらしながら両方の前足で自分の口をもぎ取りでもするような事をして苦しんでいた。蛙《かえる》が煙草《たばこ》をなめた時の挙動とよく似た事をやっていた。それ以来はもう口をつけないでただ前足で蛙《かえる》の頭をそっと押えつけてみたり、横腹をそっと押してみたりしては首をかしげて見ているだけであった。愚直な蝦蟇《ひきがえる》は触れられるたびにしゃちこ[#「しゃちこ」に傍点]張ってふくれていた。土色の醜いからだが憤懣《ふんまん》の団塊であるように思われた。絶対に自分の優越を信じているような子猫《こねこ》は、時々わき見などしながらちょいちょい手を出してからかってみるのである。
困った事にはいつのまにか蜥蜴《とかげ》を捕《と》って食う癖がついた。始めのうちは、捕えたのは必ず畳の上に持って来て、食う前に玩弄《がんろう》するのである。時々大きなやつのしっぽだけを持って来た。主体を分離した尾部は独立の生命を持つもののように振動するのである。私は見つけ次第に猫を引っ捕えて無理に口からもぎ取って、再び猫に見つからないように始末をした。せっかくの獲物を取られた猫はしばらくは畳の上をかいで歩いていた。蜥蜴をとって食うのがどうしていけないのか猫にわかろうはずがなかった。私自身にもなぜいけないかは説明する事ができないのである。それで後にはわざわざ畳に持ち上がるのは断念して、捕えた現場ですぐに食う事を発明したようである。時々舌なめずりをしながら縁側へ上がって来る猫を見るとなんだか気持ちが悪くなった。われらの食膳《しょくぜん》の一部を食っている、わが家族の一員であるはずのこの猫が、蜥蜴《とかげ》などを食うのは他の家族の食膳全体を冒涜《ぼうとく》するような気がするというのかもしれない。それほどにまでこの四足獣はわれわれの頭の中で人格化しているのだと思われる。
私は夜ふけてひとり仕事でもやっている時に、長い縁側を歩いて来る軽い足音を聞く。そして椅子《いす》の下へはいって来てそっと私の足をなでたりすると、思わず「どうした」とか「なんだい」とかいう言葉が口から出る。それは決してひとり言ではなくて、立派に私の言う事を理解しうる二人称の相手にそういう心持ちで言うのである。相手はなんとも答えないで抱き上げてやればすぐにあの音を立てはじめるのである。子供のないさびしい人や自分の思うままになる愛撫《あいぶ》の対象を人間界に見失った老人などがひたすらに猫《ねこ》をかわいがり、いわゆる猫かわいがりにかわいがる心持ちがだんだんにわかって来るような気がした。ある西洋人がからすを飼って耕作の伴侶《はんりょ》にしていた気持ちも少しわかって来た。孤独なイーゴイストにとってはこんな動物のほうがなまじいな人間よりもどのくらいたのもしい生活の友であるかもしれないのだろう。
不思議な事にはあれほど猫ぎらいであった母が、時々ひざにはい上がる子猫を追いのけもしないのみならず、隠居部屋《いんきょべや》の障子を破られたりしてもあまり苦にならないようであった。
四
わが家に来て以来いちばん猫の好奇心を誘発したものはおそらく蚊帳《かや》であったらしい。どういうものか蚊帳を見ると奇態に興奮するのであった。ことに内に人がいて自分が外にいる場合にそれが著しかった。背を高くそびやかし耳を伏せて恐ろしい相好をする。そして命がけのような勢いで飛びかかって来る。猫にとってはおそらく不可思議に柔らかくて強靭《きょうじん》な蚊帳《かや》の抵抗に全身を投げかける。蚊帳のすそは引きずられながらに袋になって猫のからだを包んでしまうのである。これが猫には不思議でなければならない。ともかくも普通のじゃれ方とはどうもちがう。あまりに真剣なので少しすごいような気のする事もあった。従順な特性は消えてしまって、野獣の本性があまりに明白に表われるのである。
蚊帳自身かあるいは蚊帳越しに見える人影が、猫には何か恐ろしいものに見えるのかもしれない。あるいは蚊帳《かや》の中の青ずんだ光が、森の月光に獲物をもとめて歩いた遠い祖先の本能を呼びさますのではあるまいか。もし色の違ったいろいろの蚊帳《かや》があったら試験してみたいような気もした。
じゃれる品物の中でおもしろいのは帯地を巻いておく桐《きり》の棒である。前足でころがすのはなんでもないが棒の片端をひょいと両方の前足でかかえてあと足でみごとに立ち上がる。棒が倒れるとそれを飛び越えて見向きもしないで知らん顔をしてのそのそと三四尺も歩いて行ってちょこんとすわる。そういう事をなんべんとなく繰り返すのである。どういう心持ちであるのか全く見当がつかない。
二階に籐椅子《とういす》が一つ置いてある。その四本の足の下部を筋かいに連結する十字形のまん中がちょっとした棚《たな》のようになっている。ここが三毛の好む遊び場所の一つである。何か紙切れのようなものを下に落としておいて、入り乱れた籐のいろいろのすきまから前足を出してその紙切れを捕えようとする。ころがり落ちると仰向けになって今度は下からすきまに足をかわりがわりにさし込んだりする。
このような遊戯は何を意味するかわれわれにはわからない。おそらくまだ自覚しない将来の使命に慣れるための練習を無意識にしているのかもしれない。
里帰りの二日間に回復したからだはいつのまにかまたやせこけて肩の骨が高くなり、横顔がとがって目玉が大きくなって来た。あまりかわいそうだから、もう一匹別のを飼って過重な三毛の負担を分かたせようという説があってこれには賛成が多かった。
ある日暮れ方に庭へ出ていると台所がにぎやかになった。女や子供らの笑う声に交じって聞きなれない男の笑い声も聞こえた。「イー猫《ねこ》だねえ」と「イー」に妙なアクセントをつけた妻の声が明らかに聞こえた。それは出入りの牛乳屋がどこかからもらって、小さな虎毛《とらげ》の猫を持って来たのであった。
まだほんとうに小さな、手のひらに入れられるくらいの子猫《こねこ》であった。光沢のない長いうぶ毛のようなものが背中にそそけ立っていた。その顔がまたよほど妙なものであった。額がおでこでいったいに押しひしいだように短い顔であった。そして不相応に大きく突っ立った耳がこの顔にいっそう特異な表情を与えているのであった。どうしたのか無気味に大きくふくれた腹の両側にわれわれの小指ぐらいなあと足がつっかい棒のように突っ張っていた。なんとなしにすすきの穂で造ったみみずくを思い出させるのであった。
三毛は明らかな驚きと疑いと不安をあらわしてこの新参の仲間を凝視していた。ちび[#「ちび」に傍点]猫は三毛を自分の親とでも思いちがえたものか、なつかしそうにちょこちょこ近寄って行って、小さな片方の前足をあげて三毛にさわろうとする。三毛は毒虫にでもさわられたかのように、驚いて尻込《しりご》みする。それを追いすがって行ってはまた片足を上げる。この様子があまりに滑稽《こっけい》なので皆の笑いこけるのにつり込まれて自分も近ごろになく腹の中から笑ってしまった。
すこし慣れて来ると三毛のほうが攻勢をとって襲撃を始めた。いきなり飛びついて首を羽がいじめにして頭でも足でもかみつきあと足で引っかくのである。ほんとうに鷹《たか》と小すずめとのような争いであった。ちび[#「ちび」に傍点]は閉口して逃げ出すかと思うとなかなかそうでなかった。時々小鳥のようなピーピーという泣き声を出しながらも負けずにかみつき引っかくのである。三毛が放すと同時に向き直ってすわったまま短いしっぽの先で空中に∞の字をかきながら三毛のかかって来るのを待ち受けていた。どうかするとちび[#「ちび」に傍点]は箪笥《たんす》と襖《ふすま》の間にはいって行く、三毛は自分ではいれないから気違いのようになって前足をさし込んで騒ぐ。その間に小猫は落ちつき払って向こう側へ出て来る。そうして相変わらず短いしっぽで、無器用なコンダクターのようにいろいろな∞の字を描いていた。
名前はちび[#「ちび」に傍点]にしようという説があったが、そういう家畜の名はあるデリカシーからさけたほうがいいという説があってそれはやめになった。いいかげんにたま[#「たま」に傍点]と呼ぶ事にした。雄猫《おすねこ》にたま[#「たま」に傍点]はおかしいというものもあったが、それじゃ玉吉か玉助にすればいいという事になった。
二つの猫の性情の著しい相違が日のたつに従って明らかになって来た。三毛が食物に対してきわめて寡欲で上品で貴族的であるに対して、たま[#「たま」に傍点]は紛れもないプレビアンでボルシェビキでからだ不相応にはげしい食欲をもっていた。三毛の見向きもしない魚の骨や頭でもふるいつくようにして食った。そしてだれかちょっとさわりでもすると、背中の毛を逆立てて、そうして恐ろしいうなり声を立てた。ウーウーという真に物すごいような、とてもこの小さな子猫の声とは思われないような声を出すのである。そしてそこらじゅうにある食物をできるだけ多く占有するように両の前足の指をできるだけ開いてしっかりおさえつける。この点では彼はキャピタリストである。押しのけられた三毛はあきれたように少し離れてながめていた。鯖《さば》の血合《ちあい》の一切れでもやるとそれをくわえるが早いか、だれもさわりもしないのに例のうなり声を出しながらすぐにそこを逃げ出そうとするのである。どうしてもどろぼう猫の性質としか思われないものをもっているようである。その上にこの猫はいわゆる下性《げしょう》が悪かった。毎夜のように座ぶとんや夜具のすそをよごすのであった。その始末をしなければならない台所の人たちの間にははやくにたま[#「たま」に傍点]に対する排斥の声が高まった。そうでない人でも物を食う時のたま[#「たま」に傍点]の挙動をあさましく不愉快に感じないものはなかった。ことにおとなしい三毛が彼のために食物を奪われたりするのを見ればなおさらであった。
たま[#「たま」に傍点]を連れて来た牛乳屋の責任問題も起こっていた。たま[#「たま」に傍点]は牛乳屋にかえしてもっといい猫《ねこ》をもらって来ようという事がすべての人の希望であるようであった。のみならずもう候補者まで見つけて来て私に賛同を求めるのであった。
しかし牛乳屋が正直にもとの家へ返したところで、まただれか新しい飼い主の手に渡るにしても結局はのら猫になるよりほかの運命は考えられないようなこの猫をみすみす出してしまうのもかわいそうであった。下性《げしょう》の悪いのは少し気をつけて習慣をつけてやれば直るだろうと思った。それでまずボール箱に古いネルの切れなどを入れて彼の寝床を作ってやった。それと、土を入れた菓子折りとを並べて浴室の板の間に置いた。私が寝床にはいる前にそこらの蚊帳《かや》のすそなどに寝ているたま[#「たま」に傍点]を捜して捕えて来て浴室のこの寝床に入れてやった。何も知らない子猫はやはり猫らしく咽《のど》を鳴らすのである。土の香をかがせてやると二度に一度は用を便じた。浴室の戸を締め切ってスイッチを切ったあとの闇《やみ》の中に夜明けまでの長い時間をどうしているのかわからないが、ガラス窓が白《しら》むころが来ると浴室の戸をバサバサ鳴らし、例の小鳥のような鳴き声を出して早く出してもらいたいと訴えるのが聞こえた。行って出してやると急いで飛び出すかと思うとまたもとの所へ走り込んだり、そうしてちょうど犬の子のするように人の足のまわりをかけめぐるのである。十日余りもこのような事を繰り返した後に、試みに例の寝床のボール箱と便器とを持ち出して三毛の出入りする切り穴のそばに置いてなんべんとなくそこへ連れて行っては土の香をかがしてやった。翌朝気をつけてみたが蒲団《ふとん》や畳のよごれた所はどこにも見つからなかった。たぶん三毛に導かれて切り穴から出る事を覚えたのであろう。その後は明け方に穴からはい上がるたま[#「たま」に傍点]の姿を見かける事もあった。
異常に発達したたま[#「たま」に傍点]の食欲はいくぶんか減ってそれほどにがつがつしなくなって来た。気持ちの悪いほどふくれていた腹がそんなに目立たなくなって来るとやせた腰からあと足が妙に見すぼらしく見えるようになりはしたが、それでもどうやら当たりまえの猫《ねこ》らしい格好をして来るのであった。そしてやはりどこか飼い猫らしい鷹揚《おうよう》さとお坊っちゃんらしい品のある愛らしさが見えだして来た。
夏休みが過ぎて学校が始まると猫のからだはようやく少し暇になった。午前中は風通しのいい中敷きなどに三毛と玉《たま》が四つ足を思うさま踏み延ばして昼寝をしているのであった。片方が眠っているのを他の片方がしきりになめてやっている事もあった。夕方が来ると二匹で庭に出て芝生《しばふ》の上でよく相撲《すもう》を取ったりした。昼間眠られるようになってから夜中によく縁側で騒ぎだした。これには少し迷惑したが、腹は立たなかった。台所で陶器のふれ合う音がすると思って行って見ると戸を締め忘れた茶箪笥《ちゃだんす》の上と下の棚《たな》から二匹がとぼけた顔を出してのぞいていたりした。
ねずみはまだついぞ捕《と》ったのを見た事がないが、もうねずみのいたずらはやんでしまって、天井は全く静かになった。
縁の下で生まれたのら猫の子の三毛は今でも時々隣の庇《ひさし》に姿を見せる事がある。美しい猫ではあるが気のせいかなんとなく険相に見える。臆病《おくびょう》なうちの三毛はのら猫を見ると大急ぎで家に駆け込んで来るが、たま[#「たま」に傍点]のほうは全く平気である。いつかのら猫といっしょに遊んでいるのを見たという報告さえあった。「不良少年になるんじゃないよ」などといって頭をたたかれていたが、なんのためにたたかれるのか猫《ねこ》にはわからないだろう。
わが家の猫の歴史はこれからはじまるのである。私はできるだけ忠実にこれからの猫の生活を記録しておきたいと思っている。
月がさえて風の静かなこのごろの秋の夜に、三毛と玉《たま》とは縁側の踏み台になっている木の切り株の上に並んで背中を丸くして行儀よくすわっている。そしてひっそりと静まりかえって月光の庭をながめている。それをじっと見ているとなんとなしに幽寂といったような感じが胸にしみる。そしてふだんの猫とちがって、人間の心で測り知られぬ別の世界から来ているもの[#「もの」に傍点]のような気のする事がある。このような心持ちはおそらく他の家畜に対しては起こらないのかもしれない。
[#地から3字上げ](大正十年十一月、思想)
底本:「寺田寅彦随筆集 第一巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
1947(昭和22)年2月5日第1刷発行
1963(昭和38)年10月16日第28刷改版発行
1997(平成9)年12月15日第81刷発行
入力:田辺浩昭
校正:かとうかおり
1999年11月17日公開
2003年10月22日修正
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