青空文庫アーカイブ
科学と文学
寺田寅彦
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)真田三代記《さなださんだいき》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)日常|茶飯事的《さはんじてき》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)植物※[#「月+昔」、第3水準1-90-47]葉《しょくぶつさくよう》を
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緒言
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子供の時分に、学校の読本以外に最初に家庭で授けられ、読むことを許されたものは、いわゆる「軍記」ものであった。すなわち、「真田三代記《さなださんだいき》」、「漢楚軍談《かんそぐんだん》」、「三国志《さんごくし》」といったような人間味の希薄なものを読みふけったのであった。それから「西遊記《さいゆうき》」、「椿説弓張月《ちんせつゆみはりづき》」、「南総里見八犬伝《なんそうさとみはっけんでん》」などでやや「人情」がかった読み物への入門をした。親戚《しんせき》の家にあった為永春水《ためながしゅんすい》の「春色梅暦春告鳥《しゅんしょくうめごよみはるつげどり》」という危険な書物の一部を、禁断の木の実のごとく人知れず味わったこともあった。一方ではゲーテの「ライネケ・フックス」や、それから、そのころようやく紹介されはじめたグリムやアンデルセンのおとぎ話や、「アラビアン・ナイト」や「ロビンソン・クルーソー」などの物語を、あるいは当時の少年雑誌「少国民」や「日本の少年」の翻訳で読み、あるいは英語の教科書中に採録された原文で読んだりした。一方ではまた「経国美談」「佳人之奇遇《かじんのきぐう》」のごとき、当時では最も西洋臭くて清新と考えられたものを愛読し暗唱した。それ以前から先輩の読み物であった坪内《つぼうち》氏の「当世書生気質《とうせいしょせいかたぎ》」なども当時の田舎《いなか》の中学生にはやはり一つの新しい夢を吹き込むものであった。宮崎湖処子《みやざきこしょし》の「帰省」という本が出て、また別な文学の世界の存在を当時の青年に啓示した。一方では民友社《みんゆうしゃ》で出していた「クロムウェル」「ジョン・ブライト」「リチャード・コブデン」といったような堅い伝記物も中学生の机上に見いだされるものであった。同時にまた「国民小説」「新小説」「明治文庫」「文芸倶楽部《ぶんげいくらぶ》」というような純文芸雑誌が現われて、露伴《ろはん》紅葉《こうよう》等多数の新しい作家があたかもプレヤデスの諸星のごとく輝き、山田美妙《やまだびみょう》のごとき彗星《すいせい》が現われて消え、一葉《いちよう》女史をはじめて多数の閨秀作者《けいしゅうさくしゃ》が秋の野の草花のように咲きそろっていた。外国文学では流行していたアーヴィングの「スケッチ・ブック」やユーゴーの「レ・ミゼラブル」の英語の抄訳本などをおぼつかない語学の力で拾い読みをしていた。高等学校へはいってから夏目漱石先生に「オピアム・イーター」「サイラス・マーナー」「オセロ」を、それもただ部分的に教わっただけである。そのころから漱石先生に俳句を作ることを教わったが、それとてもたいして深入りをしたわけではなかった。
自分の少青年時代に受けた文学的の教育と言えば、これくらいのことしか思い出されない。そうして、その後三十余年の間に時おり手に触れた文学書の、数だけはあるいは相当にあるかもしれないが、自分の頭に深い強い印象を焼き付けたものと言ってはきわめて少数であるように思われる。日本の作家では夏目先生のものは別として国木田独歩《くにきだどっぽ》、谷崎潤一郎《たにざきじゅんいちろう》、芥川竜之介《あくたがわりゅうのすけ》、宇野浩二《うのこうじ》、その他数氏の作品の中の若干のもの、外国のものではトルストイ、ドストエフスキーのあるもの、チェホフの短編、近ごろ見たものでは、アーノルド・ベンネットやオルダス・ハクスレーの短編ぐらいなものである。
何ゆえに自分がここでこのような、読者にとってはなんの興味もない一私人の経験を長たらしく書き並べたかというと、これだけの前置きが、これから書こうとするきわめて特殊な、そうして狭隘《きょうあい》で一面的な文学観を読者の審判の庭に供述する以前にあらかじめ提出しておくべき参考書類あるいは「予審調書」としてぜひとも必要と考えられるからである。
もう一つ断わっておかなければならないことは、自分がともかくも職業的に科学者であるということである。少年時代に上記のごときおとぎ文学や小説戯曲に読みふけっているかたわらで、昆虫《こんちゅう》の標本を集めたり植物※[#「月+昔」、第3水準1-90-47]葉《しょくぶつさくよう》を作ったり、ビールびんで水素を発生させ「歌う炎」を作ろうとして誤って爆発させたり、幻燈器械や電池を作りそこなったりしていたのである。そうして、中学校から高等学校へ移るまぎわに立ったときに、なんの躊躇《ちゅうちょ》もなく生涯《しょうがい》の針路を科学のほうに向けたのであった。そうして、今になって考えてみても自分の取るべき道はほかには決してなかったのである。思うにそのころの自分にとっては文学はただ受働的な享楽の対象に過ぎなかったが、科学の領域は自分の将来の主働的な生活に生きて行くためにいちばん適当な世界のように思われたのであった。
大学を卒業して大学院に入り、そうして自分の研究題目についていわゆるオリジナル・リサーチを始めてほんとうの科学生活に入りはじめたころに、偶然な機会でまた同時に文学的創作の初歩のようなものを体験するような回り合わせになった。そのころの自分の心持ちを今振り返って考えてみると、実に充実した生命の喜びに浸っていたような気がする。一方で家庭的には当時いろいろな不幸があったりして、心を痛め労することも決して少なくはなかったにかかわらず、少なくも自分の中にはそういうこととは係り合いのない別の世界があって、その世界のみが自分の第一義的な世界であり、そうして生きがいのある唯一の世界であるように思われたものらしい。その世界では「作り出す」「生み出す」ということだけが意義があり、それが唯一の生きて行く道であるように見えた。そうして、日々何かしら少しでも「作る」か「生む」かしない日は空費されたもののように思われたのである。もちろん若いころには免れ難い卑近な名誉心や功名心も多分に随伴していたことに疑いはないが、そのほかに全く純粋な「創作の歓喜」が生理的にはあまり強くもないからだを緊張させていたように思われる。全くそのころの自分にとっては科学の研究は一つの創作の仕事であったと同時に、どんなつまらぬ小品文や写生文でも、それを書く事は観察分析発見という点で科学とよく似た研究的思索の一つの道であるように思われるのであった。
その後三十年に近い生涯《しょうがい》の間には自分の考えにもいろいろの変遷がありはしたが、こういう過去の歴史の影響はおそらく生命の終わる日まで自分につきまとって離れることはできないであろうと思われる。
それはとにかく、以上のような経歴をもつ一私人が「文学」と「科学」とを対立させてながめる時に浮かんでくるいろいろな感想をここに有りのままに記録して本講座の読者にささげるということは、全く無意味のわざでもあるまいと考えたので、編集者の勧誘に甘えてここにつたない筆を執ることにした次第である。もとよりただ、一つの貧しい参考資料を提供するという以外になんらの意図はないのである。そういうわけで、もちろん、論文でもなく教程でもなく、全く思いつくままの随筆である。文学者の文学論、文学観はいくらでもあるが、科学者の文学観は比較的少数なので、いわゆる他山の石の石くずぐらいにはなるかもしれないというのが、自分の自分への申し訳である。
[#ここで字下げ終わり]
言葉としての文学と科学
文学の内容は「言葉」である。言葉でつづられた人間の思惟《しい》の記録でありまた予言である。言葉をなくすれば思惟がなくなると同時にあらゆる文学は消滅する。逆に、言葉で現わされたすべてのものがそれ自身に文学であるとは限らないまでも、そういうもので文学の中に資料として取り入れられ得ないものは一つもない。子供の片言でも、商品の広告文でも、法律の条文でも、幾何学の定理の証明でもそうである。ピタゴラスの定理の証明の出て来る小説もあるのである。
ここで言葉というのは文字どおりの意味での言葉である。絵画彫刻でも音楽舞踊でも皆それぞれの「言葉」をもってつづられた文学の一種だとも言われるが、しかし、ここではそういうものは考えないことにする。
作者の頭の中にある腹案のようなものは、いかに詳細に組み立てられたつもりでも、それは文学ではない。またそれを口で話して一定の聴衆が聞くだけでもそれは文学ではない。象形文字であろうが、速記記号であろうが、ともかくも読める記号文字で、粘土板でもパピラスでも「記録」されたものでなければおそらくそれを文学とは名づけることができないであろう。つまり文学というものも一つの「実証的な存在」である。甲某が死ぬ前に考えていた小説は非常な傑作であった、と言ってもそれは全く無意味である。
実際作物の創作心理から考えてみても、考えていたものがただそのままに器械的に文字に書き現わされるのではなくて、むしろ、紙上の文字に現われた行文の惰力が作者の頭に反応して、ただ空で考えただけでは決して思い浮かばないような潜在的な意識を引き出し、それが文字に現われて、もう一度作者の頭に働きかけることによって、さらに次の考えを呼び起こす、というのが実際の現象であるように思われる。こういう創作者の心理はまた同時にその作品を読む読者の心理でなければならない。ある瞬間までに読んで来たものの積分的効果が読者の頭に作用して、その結果として読者の意識の底におぼろげに動きはじめたある物を、次に来る言葉の力で意識の表層に引き上げ、そうして強い閃光《せんこう》でそれを照らし出すというのでなかったら、その作品は、ともかくも読者の注意と緊張とを持続させて、最後まで引きずって行くことが困難であろう。これに反してすぐれた作家のすぐれた作品を読む時には、作家があたかも読者の「私」の心の動きや運びと全く同じものを、しかしいつでもただ一歩だけ先導しつつ進んで行くように思われるであろう。「息もつけないおもしろさ」というのは、つまり、この場合における読者の心の緊張した活動状態をさすのであろう。案を拍《う》って快哉《かいさい》を叫ぶというのは、まさに求めるものを、その求める瞬間に面前に拉《らっ》しきたるからこそである。
こういう現象の可能なのは、畢竟《ひっきょう》は人間の心の動き、あるいは言葉の運びに、一定普遍の方則、あるいは論理が存在するからである。作者は必ずしもその方則や論理を意識しているわけではないであろうが、少なくもその未知無意識の方則に従って行なわれる一つの手ぎわのいい実験的デモンストラシオンをやって見せるのである。方則に従っていればこそ、それと同じような現象が過去にも起こりまた未来にも起こりうるのであり、かくしてその作品は記録であると同時にまた予言として役立つものとなるであろう。
「狂人の文学」はわれわれの文学では有り得ないであろう。それは狂人の思惟《しい》の方則と論理に従って動いているからである。それらの方則はもはやなんらの普遍性を持たない。これがおそらくまた逆に狂人というものを定義する一つの箇条であろう。
科学というものの内容も、よく考えてみるとやはり結局は「言葉」である。もっとも普通の世間の人の口にする科学という語の包括する漠然《ばくぜん》とした概念の中には、たとえばラジオとか飛行機とか紫外線療法とかいうようなものがある。しかしこれらは科学の産み出した生産物であって学そのものとは区別さるべきものであろう。また通俗科学雑誌のページと口絵をにぎわすものの大部分は科学的商品の引き札であったり、科学界の三面記事のごときものである。人間霊知の作品としての「学」の一部を成すところの科学はやはり「言葉」でつづられた記録でありまた予言であり、そうしてわれわれのこの世界に普遍的なものでなければならないのである。
文字で書き現わされていて、だれでもが読めるようになったものでなければ、それはやはり科学ではない。ある学者が記録し発表せずに終わった大発見というような実証のないものは新聞記事にはなっても科学界にとっては存在がないのと同等である。甲某は何も発表しないがしかしたいそうなえらい学者であるというようなうわさはやはり幽霊のようなものである。万人の吟味と批判に堪えうるか堪え得ないかを決する前には、万人の読みうる形を与えなければならないことはもちろんである。
科学的論文を書く人が虚心でそうして正直である限りだれでも経験するであろうことは、研究の結果をちゃんと書き上げみがきあげてしまわなければその研究が完結したとは言われない、ということである。実際書いてみるまではほとんど完備したつもりでいるのが、さていよいよ書きだしてみると、書くまでは気のつかないでいた手ぬかりや欠陥がはっきり目について来る。そうして、その不備の点を補うためにさらに補助的研究を遂行しなければならないようになることもしばしばあるのである。それからまた、頭の中で考えただけでは充分につじつまが合ったつもりでいた推論などが、歴然と目の前の文章となって客観されてみると存外疑わしいものに見えて来て、もう一ぺん初めからよく考え直してみなければならないようなことになる。そういう場合も決してまれではないのである。それで自分の書いたものを、改めて自分が読者の立場になって批判し、読者の起こしうべきあらゆる疑問を予想してこれに答えなければならないのである。そういう吟味が充分に行き届いた論文であれば、それを読む同学の読者は、それを読むことによって作者の経験したことをみずから経験し、作者とともに推理し、共に疑問し、共に解釈し、そうして最後に結論するものがちょうど作者の結論と一致する時に、読者は作者のその著によって発表せんとした内容の真実性とその帰結の正確性とを承認するのである。すなわちその論文は記録となると同時に予言となるのである。
実際、たとえばすぐれた物理学者が、ある与えられた研究題目に対して独創的な実験的方法を画策して一歩一歩その探究の歩を進めて行った道筋の忠実な記録を読んで行くときの同学読者の心持ちは、自分で行きたくて、しかも一人では行きにくい所へ手を取ってぐんぐん引っぱって行かれるような気がするであろう。また理論的の論文のすぐれたものを読むときにもやはりそれと似かよった感じをすることがしばしばあるであろう。もっとも読者の頭の程度が著者の頭の程度の水準線よりはなはだしく低い場合には、その著作にはなんらの必然性も認められないであろうし、従ってなんらの妙味も味わわれずなんらの感激をも刺激されないであろう。しかしこれは文学的作品の場合についても同じことであって、アメリカの株屋に芭蕉《ばしょう》の俳諧《はいかい》がわからないのも同様であろう。
科学的の作品すなわち論文でも、ほんとうにそれを批判しうる人は存外少数である。残りの大多数の人たちは、そういう少数の信用ある批判者の批判の結果だけをそのままに採用して、そうしてその論文のアブストラクトと帰結とだけを承認することになっている。芭蕉《ばしょう》の俳諧《はいかい》がわからなくても芭蕉の句のどの句がいい句であるという事を知り、またそれを引用し、また礼賛《らいさん》することもできるのと同様である。これと反対にまた世俗に有名ないわゆる大家がたまたま気まぐれに書き散らした途方もない寝言のようなものが、存外有名になって、新聞記者はもちろん、相当な学者までもそれがあたかも大傑作であり世界的大論文であるかのごとく信ずるような場合もあるのである。これとても同じようなことは文学の世界にもしばしば起こるのであるが、ただ文学の場合には、あとからその「間違い」を証明することが困難であるのに、科学の場合には、それがはっきりと指摘できるから、この点は明らかにちがうのである。
言葉としての科学が文学とちがう一つの重要な差別は、普通日常の国語とはちがった、精密科学の国に特有の国語を使うことである。その国語はすなわち「数学」の言葉である。
数学の世界のいろいろな「概念」はすべて一種の言葉である。ただ日常の言葉と違って一粒えりに選まれた、そうしてきわめて明確に定義された内容を持っている言葉である。そうしてまたそれらの言葉の「文法」もきわめて明確に限定されていて少しの曖昧《あいまい》をも許さない。それで、一つの命題を与えさえすれば、その次に来るべき「文章」はおのずからきまってしまうのである。こういう意味で、数学というものは一種の「自働作文器械」とでも言われないことはないのである。しかし、事実は決してそれほど簡単ではない。ことに数学を物理的現象の研究に応用する場合になると、数学は他の畑から借用して来た一つの道具であって、これをどう使うかという段になると、そこにもう使用者の個性が遠慮なく割り込んで来る。それならばこそ、一つの同じ問題を取り扱った数理物理学的論文が、著者によっていろいろな違った内容と結論を示すのである。最初の問題のつかみ方、計算の途中に入り込む仮定や省略のしかたによって少しずついろいろ違った結論に達する。しかもそれらの各種の論文は互いに相《あい》鼎立《ていりつ》して、どちらも、それ自身としては正当でありうるのである。ただそれらの間の優劣を区別する場合の目標は、著者の主観によって選まれた問題の構成のしかたとその解法の選択いかんによって決定されるのであって、この優劣判断の際には、また審判者の個性のいかんによって、必ずしも衆議一決というわけに行かない場合がある。
文学の場合でも、たとえば、ある史実を取り扱った戯曲を作るとすれば、作者の個性の差別によって、千差万別ありとあらゆる作品が可能であって、そうして、そのいずれもが傑作でもありうるのである。しかも物理学の場合などとは到底比較にならない多種多様の変化を示しうることはもちろんである。
物理学で用いられる数学の中でも最も重要なものはいわゆる微分方程式である。これは物理学的ないろいろな量の相互の関係を決定する数式であるが、それがそれらの量自身の間の関係を示すだけでなく、一つの量が少し変わったときに他の量がそれにつれて少し変わる、その変化の比率を示すところのいわゆる微分係数によって書き現わされた関係式である。こういう微分方程式の一つの著しい特徴は、その式だけでは具体的の問題は一つも決定されない。すなわち一つの式が無限に多種多様な一群の問題のすべてを包括しており、また同時にそれらのおのおのをも代表しているのである。それで、もし、この式のほかに、場合によっていろいろ数はちがうが、とにかく数個の境界条件(boundary conditions)ならびに当初条件(initial conditions)を表示する数式を与えると、そこで始めて一つの具体的な問題が設立され、設立されると同時に少なくも理論上には解式は決定されるのであって、学者はただ数学という器械の取っ手をぐるりと回すだけのことである。これは理想的の場合であるが、実際には方程式の解が困難である場合に、いろいろな仮定、その場合に「もっともらしい」と考えられる仮定のもとに、いろいろの「省略」を行なう。すなわち一つの選択過程が行なわれる。この選択を決定する標準はもはや必ずしも普遍的単義的なものではなくて、学者の学的常識や内察や勘や、ともかくも厳密な意味では科学的でない因子の総合作用によってはじめて成立するものである。もちろんその省略が妥当であったかどうかを、最後にもう一度吟味しある程度まで実証的に判定し得られる場合もあるが、必ずしもそうでない場合がはなはだ多いのである。
この自然現象の表示としての微分方程式の本質とその役目とをこういうふうに考えてみた後に、翻って文学の世界に眼を転じて、何かしらこれに似たものはないかと考えてみると、そこにいろいろな漠然《ばくぜん》とした類推の幻影のようなものが眼前に揺曳《ようえい》するように感ぜられるのである。
もしも、人間の思惟《しい》の方則とでも名づけらるべきものがあるとすれば、それはどんなものであろうか。こういう、ほとんど無意義に近い漠然とした疑問に対して、何かしら答えなければならないとしたら、自分はそこにまず上記の微分方程式のことを思い出させるのも一つの道ではないかと思うのである。
まず、最も簡単な例を取って気温と人間の感覚との関係を考えてみる。他の気象要素の条件が全部同一であるとしても、人のある瞬間の感覚は単にその瞬間の気温だけでは決定しない。その温度が上がりつつあるか下がりつつあるか、いかなる速度で上がりまた下がりつつあるか、その速度が恒同であるか、変化しているとすればどう変化しているか、そういう変化の時間的割合いかんによって感覚は多種多様になるであろう、それでもしも温度に関する感覚が若干の変数の数値で代表されうるとすれば、これらと気温との関係は若干の微分方程式で与えられ、そうして、それが人間の気温に対する感覚の方則を与えるであろう。しかし実際の事がらは決してこのように簡単ではなくて、人々の感覚は気温と共存する湿度、気圧風速日照等によるのみならず、人々のその瞬間以前におけるありとあらゆる物理的生理的心理的経験の総合された無限に多元的な複合《コンプレックス》の無限な変化によって、無限に多様な変化を見せるであろう。さらにもっともっと複雑な例を取って、たとえば人がその愛する人の死に対していかに感じいかに反応しいかに行動するかという場合になると、もはや決定さるべき情緒や行為を数量的に定めることもできないのみならず、これに連関する決定因子やその条件のどれ一つとして、物理的方法の延長の可能範囲に入り込むものはなくなってしまうのである。
それにもかかわらず、以上の考察は一つの興味ある空想を示唆する。すなわち、人間の思惟《しい》の方則、情緒の方則といったようなものがある。それは、まだわれわれのだれも知らない微分方程式のようなものによって決定されるものである。われわれはその式自身を意識してはいないがその方則の適用されるいろいろの具体的な場合についての一つ一つの特殊な答解のようなものを、それもきわめて断片的に知っている。そうして、それからして、その方程式自身に対する漠然《ばくぜん》とした予感のようなものを持っているのである。それで、今もしここに一人のすぐれた超人間があって、それらの方程式の全体を把握《はあく》し、そうしていろいろな可能な境界条件、当初条件等を插入《そうにゅう》して、その解を求めることができたとする。そうしてその問題と解決と結論とを、われわれにわかる言葉で記述してわれわれに示したとする。それを読んだわれわれが、それによって人間界の現象について教えられることは、ちょうど理論物理学的論文によって自然界の物理的現象について教えられるのと似かよったものであるとも言われよう。
しかし、こういう微分方程式は少なくも現在では夢想することさえ困難である。しかしそういうものへの道程の第一歩に似たようなものは考えられなくはない。
物理的科学が今日の状態に達する以前、すなわち方則が発見され、そうして最初に数式化される前には、われわれはただ個々の具体的の場合の解式だけを知っていた。そうして、過去にあったあらゆる具体的の場合を験査し、またいろいろな場合を人工的に作るために「実験」を行なった。それらの経験と実験の、すべての結果を整理し排列して最後にそれらから帰納して方則の入り口に達した。
文学は、そういう意味での「実験」として見ることはできないか。これが次に起こる疑問である。
実験としての文学と科学
たとえば勢力不滅の方則が設定されるまでに、この問題に関して行なわれた実験的研究の数はおびただしいものであろう。たとえば大砲の砲腔《ほうこう》をくり抜くときに熱を生ずることから熱と器械的のエネルギーとの関係が疑われてから以来、初めはフラスコの水を根気よく振っていると少し温《あたた》まるといったような実験から、進んで熱の器械的当量が数量的に設定されるまで、それからまた同じように電気も、光熱の輻射《ふくしゃ》も化合の熱も、電子や陽子やあらゆるものの勢力が同じ一つの単位で測られるようになるまでに行なわれて来た実験の種類と数とは実に莫大《ばくだい》なものである。
人間の心の方則に従ってわれわれの周囲に起こっている現象はあまりに複雑である。それだけを見て方則をうかがうには何よりも環境条件があまりに漠然《ばくぜん》としていてつかまえ所がない。そこでわれわれはいろいろの仮想的実験を試みる。たとえばある一人の虚無的な思想をもった大学生に高利貸しの老婆を殺させる。そうして、これにかれんな町の女や、探偵《たんてい》やいろいろの選まれた因子を作用させる。そうして主人公の大学生が、これに対していかに反応するかを観察する。これは一つの実験である。ただしこの場合における実験室は小説作者の頭脳であり、試験される対象もまた実物ではなくて、大学生や少女や探偵やの抽象された模型である。こういう模型は万人の頭の中にいるのであるが、すぐれた作者の場合にのみ、それが現実の対象とほぼ同じ役目をつとめることができるのである。そういうすぐれた作者の作品を読むときにわれわれはその作の主人公のすべての行為が実に動かすべからざる方則のもとに必然な推移をとっていることを悟るであろう。「運命」はすなわち「方則」の別名なのである。
また、ある少女が思春期以前に暴行を受けてその時の心の激動の結果が、熱烈な宗教心となって発現する。そうして最も純潔な尼僧の生活から、一朝つまらぬ悪漢に欺かれて最も悲惨な暗黒の生涯《しょうがい》に転落する、というような実験を、忠実に行なった作品があるとする。それを読む読者は、彼女の中に不変なエネルギーのようなあるものが、環境に応じて種々ちがった相を現わし、それが彼女の運命を導いていることを悟るであろう。
このようにして、作者は、ある特殊な人間を試験管に入れて、これに特殊な試薬を注ぎ、あるいは熱しまた冷やし、あるいは電磁場に置き、あるいは紫外線X線を作用させあるいはスペクトル分析にかける。そうしてこれらに対する反応によってその問題の対象の本性を探知すると同時に、一方ではまたそれらの種々の環境因子に通有な性質と作用の帰納に必要な資料を収集するのである。ただ物質と物質的エネルギーの場合とちがって、対象のすべてが作者の中にあるのであるから、その作者が最も鋭利な観察と分析と総合の能力をもっていない限り、これらの実験が失配に終わることはもちろんである。
しかし、こういう実験が可能であるということは古来今日に至るまでのあらゆるすぐれた作品がこれを証明している。シェークスピアとかドストエフスキーとかイブセンとかいう人々は、人間生死の境といったような重大な環境の中に人間をほうり込んで、試験檻《しけんおり》の中のモルモットのごとくそれを観察した。しかしまたチェホフのような人は日常|茶飯事的《さはんじてき》環境に置かれた人間の行動から人性の真を摘出して見せた。そうしてわが日本の、乞食坊主《こじきぼうず》に類した一人の俳人|芭蕉《ばしょう》は、たったかな十七文字の中に、不可思議な自然と人間との交感に関する驚くべき実験の結果と、それによって得られた「発見」を叙述しているのである。
こういうふうに考えて来ると、ほとんどあらゆる種類の文学の諸相は皆それぞれ異なる形における実験だと見られなくはない。
写実主義、自然主義といったような旗じるしのもとに書かれた作品については別に注釈を加える必要はない。すでにそれらのものは心理学者の研究資料となり彼らの論文に引用されるくらいである。
一見非写実的、非自然的な文学であってもよくよく考えてみるとやはり立派な実験と考え得られないことはない。
たとえば神話を取り扱った超人の世界の物語でも、それらの登場人格の仮面を一枚だけはいでみれば、実は普通の人間である。ただ少しばかり現実の可能性を延長した環境条件の中に、少しばかり人間の性情のある部分を変形し、あるいは誇張し、あるいは剪除《せんじょ》して作った人造人間を投入して、そうして何事が起こるかを見ようとするのである。ジュリアンの「ほんとうの話」の大法螺《おおぼら》でも、夢想兵衛《むそうべえ》の「夢物語」でも、ウェルズの未来記の種類でも、みんなそういうものである。あらゆるおとぎ話がそうである。あらゆる新聞講談から茶番狂言からアリストファーネスのコメディーに至るまでがそうである。笑わせ怒らせ泣かせうるのはただ実験が自然の方則を啓示する場合にのみ起こりうる現象である。もう少し複雑な方則が啓示されるときにわれわれはチェホフやチャプリンの「泣き笑い」を刺激され、もう一歩進むと芭蕉《ばしょう》の「さびしおり」を感得するであろう。
叙事と抒情《じょじょう》とによって文学の部門を分けるのは、そういう形式的な立場からは妥当で便利な分類法であるが、ここで代表されているような特殊な立場から見れば、こういう区別はたいした意味を持たなくなる。
最も抒情的なものと考えられる詩歌の類で、普通の言い方で言えば作者の全主観をそのままに打ち出したといったようなものでも、冷静な傍観者から見れば、やはり立派な実験である。ただ他の場合と少しちがうことは、この場合においては作者自身が被試験物質ないしは動物となって、試験管なり坩堝《るつぼ》なり檻《おり》なりの中に飛び込んで焼かれいじめられてその経験を歌い叫び記録するのである。あるいはその被試験者の友人なり、また場合によっては百年も千年も後世に生まれた同情者が、当人に代わって、あるいは当人に取り憑《つ》かれるか取り憑くかして、歌い悲しみ、また歌い喜ぶのである。たとえば、われわれは自分の失恋を詩にすることもできると同時に、真間《まま》の手児奈《てこな》やウェルテルの歌を作ることもできるのである。
探偵小説《たんていしょうせつ》と称するごときものもやはり実験文学の一種であるが、これが他のものと少しばかりちがう点は、何かしら一つの物を隠しておいて、それを捜し出すためにいろいろの実験を行なう、そうして読者を助手にしていろいろと実験を進めて行って最後に、その隠したものに尋ねあてて見せる、という仕組みのものである。宝捜しの案内記のようなものである。一方で、科学者の発見の径路を忠実に記録した論文などには往々探偵小説の上乗なるものよりもさらにいっそう探偵小説的なものがあるのである。実際科学者はみんな名探偵でなければならない。そうして凡庸な探偵はいつも見当ちがいの所へばかり目をつけて、肝心な罪人を取り逃がしている、その間に名探偵は、いろいろなデマやカムフラージに迷わされず、確実な実証の連鎖をじりじりとたぐって、運命の神自身のように一歩一歩目的に迫進するのである。しかし実際の探偵小説がそれほどに必然的な実証の連鎖を示しているかというと、そうではなくて、たいていの場合には、巧みにそうらしく見せているだけで、実は大きな穴だらけのものがはなはだ多い。換言すれば、実験は実験でも、ごまかしの実験である場合がはなはだ多い。これは無理に変わった趣向を求める結果、自然にそういう無理を生ずる可能性が多くなるものと思われる。しかし読者が容易にその穴に気がつかなければ、少なくも一時は目的が達しられる。つまり読者の錯覚、認識不足を利用して読者を魅了すればよいので、この点奇術や魔術と同様である。そういうものになると探偵小説はほんとうの「実験文学」とは違った一つの別派を形成するとも言われるであろう。そういうこしらえ物でなくて、実際にあった事件を忠実に記録した探偵実話などには、かえって筆者や話者の無意識の中に真におそるべき人間性の秘密の暴露されているものもある。そういうものを、やはり一つの立派な実験文学と名づけることも、少なくも現在の立場からはできるわけである。同じようなわけで、裁判所におけるいろいろな刑事裁判の忠実な筆記が時として、下手《へた》な小説よりもはるかに強く人性の真をうがって読む人の心を動かすことがあるのである。
これから考えると、あらゆる忠実な記録というものが文学の世界で占める地位、またその意義というような事が次の問題になって来るのである。
記録としての文学と科学
史実というものは文学を離れては存在することが困難なように思われる。単なる年代表のようなものはとにかく、いわゆる史実が歴史家の手によって一応合理的な連鎖として記録される場合は結局その歴史家の「創作」と見るほかはない。「日本歴史」というものはどこにも存在しなくて、何某の「日本歴史」というものだけが存在するのである。ところが必要な鎖の輪が欠けているために実際は関係のよくわからぬ事件が、史家の推定や臆測《おくそく》で結びつけられる場合が多いであろう。それでいわゆる歴史と称するものは、ほんとうの意味での記録としてずいぶんたより少ないものと考えられるのである。事がらがごく最近に起こった場合でもその事がらの真相が伝えられることは存外むつかしいものである。たとえばマッキンレーが始めて大統領に選ばれたときに馬鈴薯《ばれいしょ》の値段が暴騰したので、ウィスコンシンの農夫らはそれをこの選挙の結果に帰した。しかし実は産地の旱魃《かんばつ》のためであった。近ごろの新聞には、亭主《ていしゅ》が豆腐を一人で食ってしまって自分に食わせないという理由で自殺した女房のことが伝えられた。まさかこれほどではないまでも歴史の中にはこれに類するものが存外にたくさんあるであろうと想像される。
また一方で歴史と称するものは通例王者、勝利者、支配者の歴史であって、人間の歴史としてははなはだ物足りないものである。少なくも人間の歴史はただその中に偶然的に織り込まれているに過ぎない。歴史を読むのみではわれわれは祖先民族の生活も心理もきわめておぼろげにしかうかがうことができない。
この欠陥を補うものはまず第一に個人の日記、随感録のごときものである。そういうものが後代に愛読され尊重されるのは、必ずしもそれが「文章」であるためではなくて、それが「記録」であるためであろう。殿上の名もない一女官がおぼつかない筆で書いた日記体のものでも、それが忠実な記録であるために実証的の価値があり同時にそこに文学としての価値を生じるものと思われる。
第二にはいろいろの物語小説の類である。その中に現われる人物が実際にあったとか、なかったとかいう事はほとんど問題にも何もならないことであって、それらの仮想人物によって代表された人間の定型と、叙述された事件の定型はたしかに存在したのである。これはあらゆる「史実」よりもはるかに確実であって疑う余地を存しない。これはその書が後代の偽作でない限り言われることである。作者がいかに豊富なる想像力の所有者であってもその時代を偽り描くということは到底不可能な仕事だからである。それで、ちょうど、ある弾丸の描く弾道はまた同時に他のすべての可能な弾道を代表するように、一遊星の軌道はまさしく天体引力の方則を代表するように、光源氏《ひかるげんじ》や葵《あおい》の上《うえ》の行動はまさしくその時代の男女の生活と心理の方則を代表するものとも考えられる。こういう意味において、源氏物語や落窪物語《おちくぼものがたり》のようなものは、中等学校の歴史教科書よりも、文化国の大新聞の記事よりも、はるかに忠実な記録であり実証的な資料として役立つものである。おもしろいことには、そういう価値の多少がまたほとんど直ちに普通にいわゆる文学的芸術的価値の多少と一致するように思われるのである。
歴史は繰り返す。方則は不変である。それゆえに過去の記録はまた将来の予言となる。科学の価値と同じく文学の価値もまたこの記録の再現性にかかっていることはいうまでもない。
それのみではない。科学が未知の事象を予報すると同様に、文学は未来の新しい人間現象を予想することも可能である。
想像力の強い昔の作者の予想した物質文明機関で現代にすでに実現されているものがはなはだ多い。電燈でも、飛行機でも、潜水艇でもまたタンク戦車のごときものすら欧州大戦よりずっと以前に小説家によって予想されている。市井の流行風俗、生活状態のようなものはもちろん、いろいろな時代思潮のごときものでも、すぐれた作者の鋭利な直観の力で未然に洞察《どうさつ》されていた例も少なくないであろう。未来の可能性は、それがどんなに現在の凡人に無稽《むけい》に見えても実は現在の可能性のほんのわずかの延長にしか過ぎないからである。人間の飽くことなき欲望がこの可能性の外被を外へ外へと押して行くと、この外被は飴《あめ》のようにどこまでもどこまでも延長して行くのである。これを押し広げるものが科学者と文学者との中の少数な選ばれたる人々であるかと思われる。
芸術としての文学と科学
文学も科学も結局は広義に解釈した「事実の記録」であり、その「予言」であるとすると、そういうものといわゆる「芸術」とが、どういう関係になるかという問題が起こらないわけにはゆかなくなる。換言すれば、そういう記録と予言がどうして「美」でありうるかということである。これは容易ならぬ問題である。しかし極端な自然科学的唯物論者におくめんなき所見を言わせれば、人間にとってなんらかの見地から有益であるものならば、それがその固有の功利的価値を最上に発揮されるような環境に置かれた場合には常に美である、と考えられるであろう。
この考えを実証すべき例証をここに列挙することは略しても、こういう考えがそれ自身なんら新しいものでないことは読者に明らかなことである以上、現在の考察を進める上にたいした支障はないであろう。自分のここで言おうとすることは、そういう考えを承認した上での帰結に関することである。
すなわち、文学が芸術であるためには、それは人間に有用な真実その物の記録でなければならない。また逆にすべての真実なる記録はすべて芸術であるというのである。どんな空想的な夢物語でも多感な抒情詩《じょじょうし》でも、それが真の記録であるゆえに有益であり同時に美しいというのである。ここまではおそらく多くの読者も少なくも多少の条件付きでは首肯されるであろうと思われる。しかし、さらに一歩を進めて、科学上の傑出した著述はすべて芸術であると言おうとすれば、これにはおそらく容易に同感を表しかねる人が多いであろうと思われる。こういう見方はしかし、実はそれほど無稽《むけい》なものでないということは、すでに自分のみならず、他の人もしばしば論じたことである。
手近な例を取ってみても、ファーブルの昆虫記《こんちゅうき》や、チンダルの氷河記を読む人は、その内容が科学であると同時に芸術であることを感得するであろう。ダーウィンの「種の始源」はたしかに一つの文学でもある。ウェーゲナーの「大陸移動論」は下手《へた》の小説よりは、たしかに芸術的である。そうしてまた、ある特別な科学国の「国語」の読める人にとっては、アインシュタインの相対性原理の論文でも、ブロイーの波動力学の論文でも、それを読んで一種無上の美しさを感じる人があるのをとがめるわけにはゆかないであろうと思う。ただ事がらが非情の物質と、それに関する抽象的な概念の関係に属するために、明白な陳套《ちんとう》な語で言い現わされるような感情の動揺を感じることはないであろうが、真なるものを把握《はあく》することの喜びには、別に変わりはないであろう。
それだのに文学と科学という名称の対立のために、因襲的に二つの世界は截然《せつぜん》と切り分けられて来た。文学者は科学の方法も事実も知らなくても少しもさしさわりはないと考えられ、科学者は文学の世界に片足をも入れるだけの係わりをもたないで済むものと思われて来たようである。
しかし二つの世界はもう少し接近してもよく、むしろ接近させなければならないように自分には思われるのである。
文学と科学の国境
科学の世界には義理も人情もない。文学の世界にあるものは義理と人情のほかのものと言えばそれの反映である。しかし、科学の世界は国境の向こうから文学の世界に話しかける、その話はわれわれにいろいろのことを考えさせる。
たとえば昆虫《こんちゅう》の生活といったようなものは人間の義理人情とはなんの関係もないことである。「植物社会学」の教科書の記事は、人間の社会生活と一糸の連絡もない。しかし、そういうものを読んだことのない小説家と、それを読み深く味わったことのある小説家とではその作品になんらかのちがった面目が現われないわけにはゆかないであろう。熱力学の方則を理解した作者としない作者とでは、同じ事件の取り扱い方におのずからちがった展開を見せないとは言われないであろう。
顕微鏡で花の構造を子細に点検すれば、花の美しさが消滅するという考えは途方もない偏見である。花の美しさはかえってそのために深められるばかりである。花の植物生理的機能を学んで後に始めて充分に咲く花の喜びと散る花の哀れを感ずることもできるであろう。
人間の文化が進むにつれて、文学も進化しなければならないはずである。すべての世間の科学的常識が進んで行く世の中に文学だけが過去の無知を保守しなければならないという理由はどうにも考えられない。人間の文学が人間の進歩に取り残されてはいたし方がないであろう。むしろ文学者は科学者以上にさらにより多く科学者でなければならないはずだと思われるのである。
一方科学者のほうではまた、その研究の結果によって得られた科学的の知識からなんらかの人間的な声を聞くことを故意に忌避することがあたかも科学者の純潔と尊厳を維持するゆえんであると考えるような理由のない慣習が行なわれて来た。なるほど物質界の事実から「論理的」に人間界の事に推論することは全く不可能である。しかし、そういう物質界の現象の知識は人間にいろいろのことを暗示し「思い出させる」という役目をつとめるのは、紛れもない事実である。たとえばAかBかのほかには何物も有り得ないという仮定のもとに或《あ》る人間の問題を取り扱っている際に、ある物質界の現象を学ぶことによって忽然《こつぜん》として、他にCの可能性の存在を忘却していたということに気がつくことがしばしば有りうるであろう。
誤った無理な似て非なる類推は断じて許されないとしても、このような想起者として科学は意外に重要な役目を人間の今日の生活のいろいろな場面に対して申し出しているように思われるのである。
これは決して偶然なことではないのである。いったい、科学の方法の基礎には一般人間悟性に固有で必然ないろいろな方則とその運用のあらゆる形式が控えている。この形式はインドやギリシアの古代からいわゆる哲学者によってすでに探究されはじめ、そうして長い哲学の歴史の流れを追うて次第次第に整理され洗練されて来たものである。それが近代科学の基礎として採用され運用されるようになって以来いっそうの検討と洗練を加えられて、今日では昔の人の思い及ばなかったような複雑でしかも整然と排列された一大系統を成している。もっともそういう方法は普通の科学の教科書には、あらわにはどこにも書いてない。ただ具体的な実例の取り扱いの中に黙示的に含蓄されているだけである。たとえば、ある一つの現象がたくさんの因子の共存的効果によって決定される場合に、いかにして各個の因子の個々の影響を分析すべきかというような問題に対するいろいろの方法が示されている。そういう場合にこの方法の中から、あらゆる具体的なものを取り去った場合にそこに抽象的な認識の形式が残る。すなわち、ただ一つだけの因子が有効で他のすべての因子が無効な場合におけるその一つの因子の及ぼす効果だけを知れば、それらの個別的効果の総和が実際の共存的場合の効果を与えるか、というと、決してそうばかりでないということが科学上の実例にはいくらもある。すなわち異なる因子の相乗積が参加する場合がそうなのである。それだのに世の中ではそういう、科学者には明白な可能性を無視した考え方が普通に行なわれ、そういう考え方をもとにして書いた小説などもしばしばあるのである。
ともかくも人間の物を考える考え方の形式は科学以前から存在し発達し分化して来たものであって、その一部の屋庇《やびさし》の下に現在の科学が発達した。しかし科学の庇《ひさし》の下に発達したものの根源は科学以前から科学の具体的内容とは無関係に存在する人間固有の悟性の方則なのである。
因果律といったようなものにしても、その考えは科学の歴史の上でもいろいろの変遷を遂げて来た。そうして一時は仏説などの因果の考えとは全く背馳《はいち》する別物であるかのように見えたのが、近ごろはまた著しい転向を示して来て、むしろ昔の因果に逆もどりしそうな趨勢《すうせい》を示すようにも見られるのである。
要するに科学の基礎には広い意味における「物の見方と考え方」のいろいろな抽象的な典型が控えている。これは科学的対象以外のものに対しても適用されうるものであり、また実際にも使用されているものである。それを科学がわれわれに思い出させる事は決して珍しくも不思議でもないのである。もとよりそういう見方や考え方が唯一のものであるというわけでは決してないのであるが、そういう見方考え方が有益である場合はまた非常に多くてしかも一般世人がそれを見のがしていることもはなはだ多いように思われる。
それで、そういういろいろな物の見方に慣れた科学者が人間界の現象に対してそういう見方から得られるいろいろな可能性を指摘してそれに無関心な世人の注意を促すということは、科学者としてふさわしいことであって、そうしてむしろ科学者にしてはじめて最も有効に行ない得らるる奉公の道ではないかとも考えられるのである。
しかし、科学者の考え方は唯一無二のものではない。また科学者の成しうるすべては、ただ可能性の指摘あるいは暗示である。かくすべしという命令は科学者としての任務のほかであることはもちろんである。これは忘れてならないことで、しかも往々にして忘れられがちなことである。
そういうことから考えても、科学者が科学者として文学に貢献しうるために選ぶべき一つの最も適当なる形式はいわゆるエッセーまた随筆の類であろうと思われる。
随筆と科学
科学が文学と握手すべき領域は随筆文学、エッセー文学のそれであるかと思われる。
俗に科学小説と称するものがある。昔のジュール・ヴェルヌの海底旅行のようなものもある。また近代のではウェルズの「時の器械」とか「世界間の戦争」のようなものもある。いずれも科学的未来記のようなものとして、通俗的の興味は多分にあるであろうが、ほんとうの科学的精神といったようなものは実は存外はなはだ希薄なものであるように見える。それらの多くは科学の世界の表層に浮かぶ美しいシャボン玉を連ねた美しい詩であり、素人《しろうと》の好奇心を刺激するような文明の利器を陳列したおもしろい見世物ではあるが、科学の本質に対する世人の理解を深め、科学と人生との交渉の真に新しい可能性を暗示するようなものは存外にはなはだまれである。そうして、小説的戯曲的構成という形式的要求から、いろいろの無理な不自然な仕組みを使う必要が生じるので、結局はつじつまを合わせようとするために、かえってつじつまの合わぬ大きなうそをこしらえ上げることになりやすい。それで、こういう種類のいわゆる科学小説は、たいていは科学者にはばからしく、素人には科学に対する重大な誤解の誘因ともなりうるのである。
これに反して科学者が科学者に固有な目で物象を見、そうして科学者に固有な考え方で物を考えたその考えの筋道を有りのままに記述した随筆のようなものには、往々科学者にも素人《しろうと》にもおもしろくまた有益なものが少なくない。チンダルのアルプス紀行とか、あまり有名ではないが隠れた科学者文学者バーベリオンの日記とかいうものがそうである。日本人のものでは長岡《ながおか》博士の「田園|銷夏《しょうか》漫録」とか岡田《おかだ》博士の「測候|瑣談《さだん》」とか、藤原《ふじわら》博士の「雲をつかむ話」や「気象と人生」や、最近に現われた大河内《おおこうち》博士の「陶片《とうへん》」とか、それからこれはまだ一部しか見ていないが入沢《いりさわ》医学博士の近刊随筆集など、いずれも科学者でなければ書けなくて、そうして世人を啓発しその生活の上に何かしら新しい光明を投げるようなものを多分に含んでいる。それから、自分の知っている狭い範囲内でも、まだ世に知られない立派な科学者随筆家は決して少数ではないのである。しかし現代ではまだ、学者で新聞雑誌にものを書くことが悪い意味でのいわゆるジャーナリズムの一部であるように考える理由なき誤解があるのと、また一方では新聞雑誌の経営者と一般読者とが、そういうものの真価値を充分に認識しないのとで、この種の特殊文学はまだ揺籃時代《ようらんじだい》を脱することができないようである。しかし自分の見るところでは文学のこの一分派にはかなり広い未来の天地があるような気がするのである。
科学者のに限らず、一般に随筆と称するものは従来文学の世界の片すみの塵塚《ちりづか》のかたわらにかすかな存在を認められていたようである。現在でも月刊雑誌の編集部では随筆の類は「中間物」と称する部類に編入され、カフェーの内幕話や、心中実話の類と肩をならべ、そうしていわゆる「創作」と称する小説戯曲とは全然別の繩張《なわば》り中に収容されているようである。これはもちろん、形式上の分類法からすれば当然のことであって、これに対して何人《なんびと》も異議を唱えるものはないであろう。しかしまたここに少しちがった立場に立つものの見方からすると、このような区別は必ずしも唯一無二ではないのである。早わかりのするためには最極端な場合を考えてみればよい。すなわち、一方には、およそ有りふれた陳套《ちんとう》な題材と取り扱い方をした小説の「創作」と、他方では、最独創的な自然観人生観を盛った随筆の「中間物」とを対比させて見れば、後者のほうが前者よりもより多く創作的であり、前者のほうがひと山|百文《ひゃくもん》の模造物への中間にあるものと考えられるであろう。
ただいわゆる「創作」は概して言えばだいたいに「話の筋」が通っており、数行のレジュメで要約されるストーリーをもっている場合が多い。これに反して、中間的随筆は概してはっきりした「筋」をもたない場合が多い。しかし、この差別も実はそれほどはっきりしたものではなくて、創作欄にあるものでも、ほとんど内容的に身辺の雑事を描写した随筆的なものもあり、また反対に、随筆と銘打ったものでも、その中には、ある人間の一群の内部生活の機微なる交錯が平凡な小説などより数等深刻にしかも巧妙な脚色をもって描かれているものが決して少なくないのである。例をあげよとならば、近ごろ見たものの中では森田草平《もりたそうへい》の「のんびりした話」の中にある二三の体験記録などはいかなる点でも創作であり内容的には立派な小説でもあり戯曲でもあると考えられるのである。もっとも、こういう体験記は「創作」でないという説もあるかもしれないが、そういうことになれば、現代わが文壇でポピュラーな小説的作品中の多数のものはやはりもはや小説でなく創作でなくなるのである。創作とは空想と同義ではない。題材の取り扱いの上に作者の独創があるか無いかが問題になるのである。ゲーテの「イタリア紀行」は創作であり、そこらの三文小説は小説ではないことは事新しく言うまでもないことである。
こういうふうに考えて来るといわゆる「創作」と随筆との区別は、他の多くの「分類」の場合と同じく、漸移的不決定的なものである。ただ便宜上、いわゆる小説家戯曲家の書いた「多少事実と相違するらしいもの」が創作小説と名づけられ、小説家以外のものまた小説家でも「ほんとうにあったこと」と人が認めるものを書いたものが随筆の部類に編入される、というのが実際の事相であるように見える。
こういう見方を進めて行くと、結局、いわゆる創作とは、つじつまを合わせるために多少の欺瞞《ぎまん》を許容したこしらえものの事であり、随筆とは筆者の真実、少なくも主観的真実を記録したものであるというふうにも見られる。こういうふうに見ると、すでに前条に述べたような「人生の記録と予言」という意味での芸術としての文学の真諦《しんたい》に触れるものは、むしろ前者よりも後者のほうに多いということになりはしないかと思われる。そうして後者のほうは、同時にまた科学に接近する、というよりもむしろ、科学の目ざすと同一の目的に向かって他の道路をたどるもののようにも見えるのである。
以上の所説は、一見はなはだしく詭弁《きべん》をろうしたもののように見えるかもしれないが、もし、しばらく従来の先入観をおいて虚心に省察をめぐらすだけの閑暇を享有する読者であらば、この中におのずから多少の真の半面を含むことを承認されるであろうと信ずる。
それはとにかくとして、現在において、科学者が、科学者としての自己を欺瞞することなくして「創作」しうるために取るべき唯一の文学形式は随筆であって、そうしてそれはおそらく、遠き「未来の文学」への第一歩として全く無意味な労力ではないと信ずるのである。
広義の「学」としての文学と科学
随筆は論理的な論理を要求しない。論理的な矛盾があっても少しもそれが文学であることを妨げない。しかしそういう場合でも、必ず何かしら「非論理的な論理」がある。それは「夢の論理」であってもよい。そういうものが何もなければ、それは読み物にならない。
非論理的論理というのは、今の人間のまだ発見し意識し分析し記述し命名しないところの、人間の思惟《しい》の方則を意味する。これを掘り出し認識するのが未来に予想さるる広義の「学」の一つの使命である。科学も文学も等しくこの未来の「学」の最後のゴールに向かってたどたどしい歩みを続けているもののようにも思われるのである。
「文学も他の芸術も、社会人間の経済状態の改善に直接何かの貢献をするものでなければならない」というような考えや、また反対に「文学その他の芸術は芸術のための芸術でなければならない」といったような考えや、そういう二つの考え方の間に行なわれる討議応酬は、自分のような流儀の考え方から見ればおよそ無意味なこととしか思われないのである。真実な現象の記録とその分析的研究と系統化が行なわれて、ほんとうの「学」が進歩すれば、政治でも経済でも人間に有利になるのが当然の帰結であると思われ、また一方芸術的に美しいものであるためには、その中に何かしら、ここでいわゆる「学」への貢献を含むということが必須条件《ひっすじょうけん》であると思われるのである。一見いかに現在の道徳観を擾乱《じょうらん》するように思われるものであっても、また一見いかに病的な情緒に満ちたものであっても、それが多数の健全なる理性の所有者にとっていわゆる芸術的価値を多少なりとも認め得られるとすれば、それはただその作品の中に「記録」と「予言」が含まれているために過ぎないであろう。「記録」は客観的事実であり、これは科学の場合と同様に、無限なる利用と悪用の可能性を包蔵している。
もちろんすべての知識には悪用の危険性を含んでいる。科学知識も同様である。しかし科学は全体として見れば人間一般の福利を増進するつもりで進んで来た。もちろん現在ではかえって科学の進んだために前よりも不幸になった人間も多数にありはするが、それは物質科学の方面だけが先駆けをしてほんとうの社会科学、現在のいわゆる社会科学よりももう少し科学的な社会科学、がはるかなかなたに取り残されたために生じた矛盾であり悲劇であるように思われる。換言すれば人間の心に関する知識の科学的系統化とその応用が進んでいないために起こる齟齬《そご》の結果ではないかとも考えられるのである。
そういう系統化への資料を供するのが未来の文学の使命ではないかと思うのである。
通俗科学と文学
いわゆる通俗科学と称するものがある。科学の事実やその方則やその応用の事例を一般読者にわかりやすいように解説することを目的としたものである。そういうものの中でもファラデー、ヘルムホルツ、マッハ、ブラグなどのものはすぐれた例である。それがすぐれている所因は単に事がらを教えるのみでなく、科学的なものの考え方を教え、科学的の精神を読者の中によびさますからである。そういうものを書きうるためには著者はやはりすぐれた科学的探究者であると同時にまた文学的創作者でもなければならない。
以上にあげたような一流の科学者のほかにたとえばフラマリオンやフルニエー・ダルベのような科学の普及や宣伝に貢献したよい意味でのジャーナリストもあるが、しかしそういうものは純粋の科学者から見ると、どうしても肝心のところに物足りないところのあるのはいかんともすることができない。
しかるに今日世間に流布する多くのいわゆる通俗科学書中にはすこぶるいかがわしいにせ物が多いように見受けられる。科学の表層だけを不完全なる知識として知っているだけで、自身になんら科学者としての体験のないような職業的通俗科学者の書いたものなどには、かえって科学の本質をゆがめて表現しているものも決して少なくない。また一方では、相当な科学者の書いたものでも、単に読者の退屈を紛らすためとしか思われないような、話の本筋とは本質的になんの交渉もないような事がらを五目飯のように交ぜたり、空疎な借りもののいわゆる「美文」を装飾的に織り込んだりしたようなものもまた少なくはないようである。いずれにしても著者の腹にない付け焼き刃の作物では科学的にはもちろん、文学的にもなんらの価値がありようはないのである。
科学者が自分の体験によって獲得した深い知識を、かみ砕きかみ締め、味わい尽くしてほんとうにその人の血となり肉となったものを、なんの飾りもなく最も平易な順序に最も平凡な言葉で記述すれば、それでこそ、読者は、むつかしいことをやさしく、ある程度までは正しく理解すると同時に無限の興趣と示唆とを受けるであろうと思われる。
そういう意味でまた通俗科学の講演筆記や、エッセーは立派な「創作品」であり「芸術品」でもありうるのである。取り扱ってある対象は人間界と直接交渉のない生物界あるいは無機界のことであっても、そういう創作であれば、必ず読者の対世界観、ひいてはまた人生観になんらかの新しい領土を加えないではおかないであろう。「読者の中の人間」を拡張し進化させるようなものならばそれを文学と名づけるになんの支障があろうとは思われないのである。
ジャーナリズムと科学
科学が文学の世界に接触するときに必然にあまりおもしろからぬ意味でのいわゆるジャーナリズムとの交渉が起こる。
ジャーナリズムとはその語の示すとおり、その日その日の目的のために原稿を書いて、その時々の新聞雑誌の記事を作ることである。それ自身に別段悪い意味はないはずであるが、この定義の中にはすでにいろいろな危険を包んでいる。浅薄、軽率、不正確、無責任というようなものがおのずから付きまといやすい。それからまた読者の一時的の興味のために、すべての永久的なものが犠牲にされやすい。それからまた題材が時の流行に支配されるために、取材の範囲がせばめられ、同時にその題材と他の全体との関係が見失われやすい。
そういうジャーナリズムの弊に陥ったような通俗科学記事のみならず、科学的論文と銘打ったものさえ決して少なくはないのである。多くの通俗雑誌や学会の記事の中でもそういうものを拾い出せとならば拾い出すことははなはだ容易であると思われる。
しかし一方でまた、たとえ日刊新聞や月刊大衆雑誌に掲載されたとしても、そういう弊に陥ることなくして、永久的な読み物としての価値を有するものもまた決して不可能ではないのである。たとえば前にあげたわが国の諸学者の随筆の中の多くのものがそれである。そういう永久的なものと、悪い意味でのジャーナリスチックなものとの区別は決してむつかしくはない。要するに読んだ後に、読まない前よりいくらか利口になるかならないかというだけのことである。そうして二度三度とちがった時に読み返してみるごとに新しき何物かを発見するかしないかである。つまり新聞雑誌には書かない最も悪いジャーナリストもあれば、新聞雑誌に書いてもジャーナリズムの弊には完全に免疫された人もありうるのである。この事に関する誤解が往々正常なる科学の普及を妨害しているように見える。これは惜しむべきことである。
文章と科学
「甲某の論文は内容はいいが文章が下手《へた》で晦渋《かいじゅう》でよくわからない」というような批評を耳にすることがしばしばある。はたしてそういうことが実際にありうるかどうか自分にははなはだ疑わしい。実際多くの場合にすぐれた科学者の論文は文章としてもまた立派なものであるように見える。文章の明徹なためには頭脳の明徹なことが必須条件《ひっすじょうけん》である。頭脳が透明であるのに母国語で書いた文章が晦渋をきわめているという場合は、よほどな特例であろうと思われるのである。
反対に「乙某の論文は内容は平凡でも文章がうまいからおもしろい」という場合がある。これも自分には疑わしい。平凡|陳套《ちんとう》な事実をいかに修辞法の精鋭を尽くして書いてみても、それが少なくもちゃんとした科学者の読者に「おもしろい」というはずがないのである。そういう種類のものにはやはり必ず何かしら独創的な内察があり暗示があり、新しい見地と把握《はあく》のしかたがあり、要するになんらかの「生産能」を包有しているある物がなければならないのである。
中学生時代に作文を作らされたころは、文章というものが内容を離れて存在するものと思っていた。それで懸命にいわゆる美文を暗唱したりしたが、そういう錯覚は年とともに消滅してしまった。修辞法は器械の減摩油のような役目はするが、器械がなくては仕事はできないのである。世阿弥《ぜあみ》の能楽に関する著書など、いわゆる文章としてはずいぶん奇妙なものであるが、しかしまた実に天下一品の名文だと思うのである。
それで、考え方によっては科学というものは結局言葉であり文章である。文章の拙劣な科学的名著というのは意味をなさないただの言葉であるとも言われよう。
若い学生などからよく、どうしたら文章がうまくなれるか、という質問を受けることがある。そういう場合に、自分はいつも以上のような答えをするのである。何度繰り返して読んでみても、何を言うつもりなのかほとんどわからないような論文中の一節があれば、それは実はやはり書いた人にもよくわかっていない、条理混雑した欠陥の所在を標示するのが通例である。これと反対に、読んでおのずから胸の透くような箇所があれば、それはきっと著者のほんとうに骨髄に徹するように会得したことをなんの苦もなく書き流したところなのである。
この所説もはなはだ半面的な管見をやや誇張したようなきらいはあろうが、おのずから多少の真を含むかと思うのである。
結語
科学と文学という題のもとに考察さるべき項目はなお多数であろうが、まずこのへんで擱筆《かくひつ》して余は他の機会に譲ることとする。
緒論で断わってあるとおり、以上の所説は、特殊な歴史と環境とをもった一私人の一私見に過ぎないのであって、おそらく普遍性の少ない僻説《へきせつ》であろうと思われる。しかし、そういう僻説を少しも修飾することなしにそのままに記録するということが、かえって賢明なる本講座の読者にとってはまた特殊の興味があるかと思うので、なんら他を顧慮することなくして、年来の所見をきわめて露骨に、しかも無秩序に羅列《られつ》したまでである。従って往々はなはだしく手前勝手な我田引水と思われそうな所説のあることは、自分でも認められ、そうしてはなはだ苦々《にがにが》しくも、おこがましくも感ずるのであるが、それをあえて修飾することなくそのままに投げ出して一つの「実験ノート」として読者の俎上《そじょう》に供する次第である。
[#地から3字上げ](昭和八年九月、世界文学講座)
底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
1963(昭和38)年5月16日第20刷改版発行
1997(平成9)年6月13日第65刷発行
※底本の誤記等を確認するにあたり、「寺田寅彦全集」(岩波書店)を参照しました。
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2000年10月3日公開
2003年10月30日修正
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