青空文庫アーカイブ

疑問と空想
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)信州《しんしゅう》沓掛《くつかけ》駅

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(例)[#地から3字上げ](昭和九年十月、科学知識)
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     一 ほととぎすの鳴き声

 信州《しんしゅう》沓掛《くつかけ》駅近くの星野温泉《ほしのおんせん》に七月中旬から下旬へかけて滞在していた間に毎日うるさいほどほととぎすの声を聞いた。ほぼ同じ時刻にほぼ同じ方面からほぼ同じ方向に向けて飛びながら鳴くことがしばしばあるような気がした。
 その鳴き声は自分の経験した場合ではいわゆる「テッペンカケタカ」を三度くらい繰り返すが通例であった。多くの場合に、飛び出してからまもなく繰り返し鳴いてそれきりあとは鳴かないらしく見える。時には三声のうちの終わりの一つまた二つを「テッペンカケタ」で止めて最後の「カ」を略することがあり、それからまた単に「カケタカ、カケタカ」と二度だけ繰り返すこともある。
 夜鳴く場合と、昼間深い霧の中に飛びながら鳴く場合とは、しばしば経験したが、昼間快晴の場合はあまり多くは経験しなかったようである。
 飛びながら鳴く鳥はほかにもいろいろあるが、しかしほととぎすなどは最も著しいものであろう。この鳴き声がいったい何事を意味するかが疑問である。郭公《かっこう》の場合には明らかに雌《めす》を呼ぶためだと解釈されているようであるが、ほととぎすの場合でもはたして同様であるか、どうかは疑わしい。前者は静止して鳴くらしいのに後者は多くの場合には飛びながら鳴くので、鳴き終わったころにはもう別の場所に飛んで行っている勘定である。雌《めす》が鳴き声をたよりにして、近寄るにははなはだ不便である。
 この鳴き声の意味をいろいろ考えていたときにふと思い浮かんだ一つの可能性は、この鳥がこの特異な啼音《ていおん》を立てて、そうしてその音波が地面や山腹から反射して来る反響を利用して、いわゆる「反響測深法」(echo-sounding)を行なっているのではないかということである。
 自分の目測したところではほととぎすの飛ぶのは低くて地上約百メートルか高くて二百メートルのところであるらしく見えた。かりに百七十メートル程度とすると自分の声が地上で反射されて再び自分の所へ帰って来るのに約一秒かかる。ところがおもしろいことには「テッペンカケタカ」と一回鳴くに要する時間がほぼ二秒程度である。それで第一声の前半の反響がほぼその第一声の後半と重なり合って鳥の耳に到着する勘定である。従って鳥の地上高度によって第一声前半の反響とその後半とがいろいろの位相で重なり合って来る。それで、もしも鳥が反響に対して充分鋭敏な聴覚をもっているとしたら、その反響の聴覚と自分の声の聴覚との干渉によって二つの位相次第でいろいろちがった感覚を受け取ることは可能である。あるいはまた反響は自分の声と同じ音程音色をもっているから、それが発声器官に微弱ながらも共鳴を起こし、それが一種特異な感覚を生ずるということも可能である。
 これは単なる想像である。しかしこの想像は実験によって検査し得らるる見込みがある。それにはこの鳥の飛行する地上の高さを種々の場合に実測し、また同時に啼音のテンポを実測するのが近道であろう。鳥の大きさが仮定できれば単に仰角と鳥の身長の視角を測るだけで高さがわかるし、ストップ・ウォッチ一つあればだいたいのテンポはわかる。熱心な野鳥研究家のうちにもしこの実測を試みる人があれば、その結果は自分の仮説などはどうなろうとも、それとは無関係に有益な研究資料となるであろう。
 星野温泉《ほしのおんせん》はちょっとした谷間になっているが、それを横切って飛ぶことがしばしばあった。そういう場合には反響によって昼間はもちろんまっ暗な時でも地面の起伏を知りまた手近な山腹斜面の方向を知る必要がありそうに思われる。鳥は夜盲であり羅針盤《らしんばん》をもっていないとすると、暗い谷間を飛行するのは非常に危険である。それにかかわらずいつも充分な自信をもって自由に飛行して目的地に達するとすれば、そのためには何か物理学的な測量方法を持ち合わせていると考えないわけにはゆかないのである。
 これに連関してまた、五位鷺《ごいさぎ》や雁《がん》などが飛びながらおりおり鳴くのも、単に友を呼びかわしまた互いに警告し合うばかりでなくあるいはその反響によって地上の高さを瀬踏みするためにいくぶんか役立つのではないかと思われるし、またとんびが滑翔《かっしょう》しながら例のピーヒョロピーヒョロを繰り返すのもやはり同様な意味があるのではないかという疑いも起こし得られる。これらの疑問ももし精密な実測による統計材料が豊富にあればいつかは是非いずれとも解決し得られる問題であろうと思われる。

     二 九官鳥の口まね

 せんだって三越《みつこし》の展覧会でいろいろの人語をあやつる九官鳥の一例を観察する機会を得た。この鳥が、たとえば「モシモシカメヨカメサンヨ」というのが、一応はいかにもそれらしく聞こえる。しかしよく聞いてみると、だいたいの音の抑揚《アクセント》と律動《リズム》が似ているだけで、母音も不完全であるし、子音はもとより到底ものになっていない。これは鳥と人間とで発声器の構造や大きさの違うことから考えて当然の事と思われる。問題はただ、それほど違ったものが、どうして同じように「聞こえる」かということである。思うに、これに対する答えはざっと二つに分析されるべきである。その一つは心理的な側からするものであって、それは、暗示の力により、自分の期待するものの心像をそれに類似した外界の対象に投射するという作用によって説明される。枯れ柳を見て幽霊を認識する類である。もう一つの答解は物理的あるいはむしろ生理的音響学の領域に属する。そうしてこれに関してはかなり多くの興味ある問題が示唆されるのである。
 われわれの言語を言語として識別させるに必要な要素としての母音や子音の差別目標となるものは、主として振動数の著しく大きい倍音、あるいは基音とはほとんど無関係ないわゆる形成音《フォルマント》のようなものである。それで考え方によっては、それらの音をそれぞれの音として成立せしめる主体となるものは基音でなくてむしろ高次倍音また形成音だとも言われはしないかと思う。
 こういう考えが妥当であるかないかを決するには、次のような実験をやってみればよいと思われる。人間の言葉の音波列を分析して、その組成分の中からその基音ならびに低いほうの倍音を除去して、その代わりに、もとよりはずっと振動数の大きい任意の音をいろいろと置き換えてみる。そういう人工的な音を響かせてそうしてそれを聞いてみて、それがもし本来の言葉とほぼ同じように「聞こえ」たとしたなら、その時にはじめて上記の考えがだいたいに正しいということになるであろう。
 これはあまりにも勝手な空想であるが、こうした実験も現在の進んだ音響学のテクニックをもってすれば決して不可能ではないであろう。
 それはとにかく、以上の空想はまた次の空想を生み出す。それは、九官鳥の「モシモシカメヨ」が、事によると、今ここで想像したような人工音製造の実験を、鳥自身も人間も知らない間に、ちゃんと実行しているのではないかということである。
 この想像のテストは前記の人工音合成の実験よりはずっと簡単である。すなわち、鳥の「モシモシカメヨ」と人間のそれとのレコードを分析し、比較するだけの手数でいずれとも決定されるからである。
 こうした研究の結果いかんによっては、ほととぎすの声を「テッペンカケタカ」と聞いたり、ほおじろのさえずりを「一筆啓上仕候《いっぴつけいじょうつかまつりそろ》」と聞いたりすることが、うっかりは非科学的だと言って笑われないことになるかもしれない。ともかくも、人間の音声に翻訳した鳥の鳴き声と、本物とのレコードをたんねんに比較してみるという研究もそれほどつまらない仕事ではないであろうと思われるのである。
[#地から3字上げ](昭和九年十月、科学知識)



底本:「寺田寅彦随筆集 第五巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1948(昭和23)年11月20日第1刷発行
   1963(昭和38)年6月16日第20刷改版発行
   1993(平成5)年10月15日第61刷発行
※また、底本の誤記等を確認するにあたり、「寺田寅彦全集」(岩波書店)を参照しました。
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2000年10月3日公開
2003年10月30日修正
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