青空文庫アーカイブ
藤棚の陰から
寺田寅彦
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)明治神宮外苑《めいじじんぐうがいえん》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|鉢《はち》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)鐃※[#「拔」の「てへん」に代えて「金」、第3水準1-93-6]
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一
若葉のかおるある日の午後、子供らと明治神宮外苑《めいじじんぐうがいえん》をドライヴしていた。ナンジャモンジャの木はどこだろうという話が出た。昔の練兵場時代、鳥人スミスが宙返り飛行をやって見せたころにはきわめて顕著な孤立した存在であったこの木が、今ではちょっとどこにあるか見当がつかなくなっている。こんな話をしながら徐行していると、車窓の外を通りかかった二三人の学生が大きな声で話をしている。その話し声の中に突然「ナンジャモンジャ」という一語だけがハッキリ聞きとれた。同じ環境の中では人間はやはり同じことを考えるものと見える。
アラン・ポーの短編の中に、いっしょに歩いている人の思っていることをあてる男の話があるが、あれはいかにももっともらしい作り事である。しかしまんざらのうそでもないのである。
二
睡蓮《すいれん》を作っている友人の話である。この花の茎は始めにはまっすぐに上向きに延びる。そうしてつぼみの頭が水面まで達すると茎が傾いてつぼみは再び水中に没する。そうして充分延び切ってから再び頭をもたげて水面に現われ、そうして成熟し切った花冠を開くということである。つまり、最初にまず水面の所在を測定し確かめておいてから開花の準備にとりかかるというのである。
なるほど、睡蓮《すいれん》には目もなければ手もないから、水面が五寸上にあるか三尺上にあるかわからない。もしか六尺も上にあったら、せっかく花の用意をしてもなんの役にも立たないであろう。自然界を支配する経済の原理がここにも現われているのであろう。
このつぼみが最初に水面をさぐりあてて安心してもぐり込んだ後に、こっそり鉢《はち》をもっと深く沈めておいたら、どういうことになるか。
これは一度試験してみる価値がありそうである。花には少し気の毒なような気はするが。
三
虞美人草《ぐびじんそう》のつぼみははじめうつ向いている。いよいよ咲く前になって頭をもたげてまっすぐに起き直ってから開き始める。ある夏中庭の花壇にこの花を作ったとき、一日試みに二つのうつ向いたつぼみの上方にヘアピン形に折れ曲がった茎を紙撚《こよ》りのひもでそっと縛っておいた。それから二三日たって気がついて見ると、一つは紙ひもがほどけかかってつぼみの軸は下方の鉛直な茎に対して四五十度ぐらいの角度に開いて斜めに下向いたままで咲いていた。もう一つのは茎の先端がずっと延びてもう一ぺん上向きに生長し、そうしてちゃんと天頂を向いた花を咲かせていた。つまり茎の上端が「り」の字形になったわけである。
もっと詳しくいろいろ実験したいと思っているうちに花期が過ぎ去った。そうしてその年以来他の草花は作るが虞美人草はそれきり作らないので、この無慈悲な花いじめを繰り返す機会に再会することができない。
四
カラジウムを一|鉢《はち》買って来て露台のながめにしている。芋の葉と形はよく似ているが葉脈があざやかな洋紅色に染められてその周囲に白い斑点《はんてん》が散布している。芋から見れば片輪者であり化け物であろうが人間が見るとやはり美しい。
ベコニア、レッキスの一種に、これが人間の顔なら焼けどの瘢痕《はんこん》かと思われるような斑紋のあるのがある。やけどと思って見るとぞっとするくらいであるがレッキスとして見れば実に美しい。
アフリカの蛮人でくちびるを鐃※[#「拔」の「てへん」に代えて「金」、第3水準1-93-6]《にょうばち》のように変形させているのや、顔じゅう傷跡だらけにしているのがあるが、あれはどうもどう見ても美しいと思えない。あれでもやはりまだあまりに多くわれわれに似すぎているからであろう。
ほんとうに非凡なえらい神様のような人間の目から見たら、事によるとわれわれのあらゆる罪悪がみんなベコニアやカラジウムの斑点のごとく美しく見えるかもしれないという気がする。
五
朝二階の寝間の床の上で目をさまして北側の中敷窓から見ると隣の風呂《ふろ》の煙突が見える。煙突と並行して鉄の梯子《はしご》が取り付けてあるのによくすずめの群れが来て遊んでいる。まず一羽飛んで来て中段に止まる。あとからすぐに一羽追っかけて来て次の段にとまる。第三のが来て空中で羽ばたきしながら前の二羽に何か交渉しているらしく見える。けんかが始まる。一羽が逃げ出して上へ上へと階段を登って行く。二段ずつ飛ぶこともあり五六段ずつ飛び上がるときもある。地上七十余尺の頂上まで上ってしばらく四方を展望していると思うと、突然石でも落とすようにダイヴするが途中から急に横にそれて、直角双曲線を空中に描きながらどこかの庭木へ飛んで行く。しばらくするとまた煙突の梯子《はしご》へもどって来てそうして同じ遊戯を繰り返す。見ていてもなんだかおもしろそうである。しかしなんのためにすずめがこんな遊戯をしているか、考えてみると不思議である。
梯子の中段で時々二羽のすずめの争闘が起こる。第三のすずめがこれに参加することもある。これはどうもただのけんかではなくて、やっぱり彼らの種族を増殖するための重大な仕事に関係した角逐《かくちく》の闘技であるらしく思われる。
あまりに突飛な考えではあるが、人間のいろいろなスポーツの起原を遠い遠い灰色の昔までたどって行ったら、事によるとそれがやはりわれわれの種族の増殖の営みとなんらかの点でつながっていたのではないかという気がしてくるのである。
六
電車に乗って空席を捜す。二人の間にやっと自分の腰かけられるだけの空間を見つけて腰をおろす。そういう場合隣席の人が少しばかり身動きをしてくれると、自然に相互のからだがなじみ合い折り合って楽になる。しかし人によると妙にしゃちこばって土偶《どぐう》か木像のように硬直して動かないのがある。
こういう人はたぶん出世のできない人であろうと思う。
もっとも、こういう人が世の中に一人もなくなってしまったら、世の中にけんかというものもなくなり、国と国との間に戦争というものもなくなってしまうかもしれない。そうなるとこの世の中があまりにさびしいつまらないものになってしまうかもそれはわからない。
こういう人も使い道によっては世の中の役に立つ。たとえば石垣《いしがき》のような役目に適する。もっとも石垣というものは存外くずれやすいものだということは承知しておく必要がある。
七
むかでの歩くのを見ていると、あのたくさんの足が実に整然とした運動をしている。一種の疎密波が身長に沿うて虫の速度よりは早い速度で進行する。
もしか自分がむかでになってあれだけのたくさんな足を一つ一つ意識的に動かして、あのような歩行をしなければならないとしたら実にたいへんである。思ってみるだけでも気が狂いそうである。
しかしよく考えてみると人間の一挙手一投足にも、実はむかでの足の神経などに比べて到底比較のできないほど多数の神経細胞が働いているであろう。そんなことは夢にも考えないでむかでの足を驚嘆しながら万年筆をあやつってこんなことを書くという驚くべき動作をなんの気もなく遂行しているのである。
八
軍隊用のラッパの音は勇ましい音の標本になっているようである。なるほど自分の面前の近距離で吹き立てられるとかなり勇ましく、やかましいくらい勇ましい。しかし木枯らし吹く夕暮れなどに遠くから風に送られて来るラッパの声は妙に哀愁をおびて聞こえるものである。
勇ましいということの裏には本来いつでも哀れなさびしさが伴なっているのではないかという気がする。
九
東郷《とうごう》大将《たいしょう》の若い時の写真を見ると、実に立派でしかも明るく朗らかな表情をしたのがある。ジョン・バリモアーなどにもちょっと似ているのがある。しかし晩年のいわゆる「東郷さん」になってからの写真にはどれにもこれにもみんなどこか迷惑そうな窮屈そうな表情がただよっているような気がする。
世人は自分勝手に自分らの東郷さんの鋳型をこしらえて、そうして理が非でもその型にはまることを要求した。寛容な東郷大将はそうした大衆の期待を裏切って失望させては気の毒だと思って、かなりそのために気をつかっておられたのではないかという気もする。これは豚の心で象の心持ちを推し量るようなものかもしれないが、もしこの推量が当たっていると仮定したら、大衆は自分たちのわがままで東郷さんのほんとうのえらさを封じ込めてしまったということになるかもしれない。
十
神保町《じんぼうちょう》交差点で珍しい乗り物を見た。一種の三輪自転車であるが、普通の三輪車と反対に二輪が前方にあってその上に椅子形《いすがた》の座席が乗っかっている。その後方に一輪車が取り付けられ、そうして三つの輪の中央のサドルに腰をかけた人がペダルを踏んで推進する仕掛けになっている。座席に腰かけた人の右手にハンドルがあってそれをぐるぐる回すとチェーンギアーで車台の下のほうの仕掛けがどうにかなるようにできているらしい。たぶん座乗者が勝手に進行の方向を変えるための舵《かじ》のようなものらしい。
座席に腰かけている人はパナマ帽に羽織袴《はおりはかま》の中年紳士で、ペダルを踏んでいるのは十八九歳ぐらいの女中さんである。
この乗り物が町の四つ角《かど》に来たとき、そのうしろから松葉杖《まつばづえ》を突いた立派な風采《ふうさい》の青年がやって来て追い越そうとした。袴をはいているが見たところ左の足が無いらしい。それを呼び止めて三輪車上の紳士が何か聞いている。隻脚《せききゃく》の青年は何か一言きわめてそっけない返事をしたまま、松葉杖のテンポを急がせて行き過ぎてしまった。思いなしか青年の顔がまっかになっているように思われた。
呼び止めた歩行不能の中年紳士の気持ちも、急いで別れて行った青年の気持ちもいくらかわかるような気がした。自分があの二人のどちらかだったら、やはり同じことをしたであろうと思われた。
十一
風邪《かぜ》をひいて軽い咳《せき》が止まらないようなとき昔流の振り出し薬を飲むと存外よくきく事がある。草根木皮の成分はまだ充分には研究されていないのだから、医者の知らない妙薬が数々はいっているかもしれない、またいないかもしれない。
それはとにかく、この振り出し薬の香をかぐと昔の郷里の家の長火鉢《ながひばち》の引き出しが忽然《こつぜん》として記憶の水準面に出現する。そうして、その引き出しの中には、もぐさや松脂《まつやに》の火打ち石や、それから栓《せん》抜《ぬ》きのねじや何に使ったかわからぬ小さな鈴などがだらしもなく雑居している光景が実にありありと眼前に思い浮かべられる。松脂は痰《たん》の薬だと言って祖母が時々飲んでいたのである。
この煎薬《せんやく》のにおいと自分らが少年時代に受けた孔孟《こうもう》の教えとには切っても切れないつながりがあるような気がする。
時代に適応するつもりで骨を折って新しがってみても、鼻にしみ込んだこの引き出しのにおいが抜けない限り心底から新しくなりようがない。
十二
四五年会わなかった知人に偶然|銀座《ぎんざ》でめぐり会った。それからすぐ帰宅して見るとその同じ人からはがきが来ていた。町名番地が変わったからという活版刷りの通知状であったが、とにかく年賀状以外にこの人の書信に接したことはやはり四五年来一度もなかったはずである。
そのはがきを出したのは銀座で会う以前であったということは到着の時刻からも消印からも確実に証明された。
この偶然な二つの出来事の合致《コインシデンス》が起こるという確率は正確には計算しにくいが、とにかく千分の一とか二千分の一とかいう小数である。しかしそういうめったに起こりそうもないことが実際に起こることがあるというのが、確率論のまさしく教えるところである。してみるとこれは不思議でもなんでもないとも言われる。しかしまた、それだから不思議だとも言われる。要は不思議という言葉の定義次第である。
十三
「陸の竜宮《りゅうぐう》」と呼ばれる日本劇場が経営困難で閉鎖されるということが新聞で報ぜられた。翌日この劇場前を通ったら、なるほど、すべての入り口が閉鎖され平生のにぎやかな粧飾が全部取り払われて、そうして中央の入り口の前に「場内改築並びに整理のために臨時休業」という立て札が立っている。
近傍一帯が急にさびれて見えた。隣の東京朝日新聞社の建物がなんだかさびしそうな顔をして立っているように思われるのであった。
建物にもやっぱり顔があるのである。
十四
マルキシズムの立場から科学を論じ、科学者の任務に対していろいろな注文をつける人がある。その人たちとしては一応もっともな議論ではあろうが、ただの科学者から見るとごくごく狭い自分勝手な視角から見た管見的科学論としか思われない。
科学者の科学研究欲には理屈を超越した本能的なものがあるように自分には思われる。
蜜蜂《みつばち》が蜜を集めている。一つ一つの蜜蜂にはそれぞれの哲学があるのかもしれない。しかしそんなことはどうであっても彼らが蜜を集めているという事実には変わりはないのである。そうして彼らにもわれらにも役に立つものは彼らの哲学ではなくて彼らの集めた蜜なのである。
マルキシズムその他いろいろなイズムの立場から蜜蜂《みつばち》に注文をつけるのは随意であるが、蜜蜂はそんな注文を超越してやっぱり同じように蜜を集めるであろう。そうして忙しい蜜蜂はおそらくそういう注文者を笑ったりそしったりする暇すらないであろうと思われる。
十五
中庭の土に埋め込んだ水甕《みずがめ》に金魚を飼っている。Sがたんせいして世話したおかげで無事に三冬を越したのが三尾いた。毎朝廊下を通る人影を見ると三尾|喙《くち》を並べてこっちを向いて餌《えさ》をねだった。時おりのら猫《ねこ》がねらいに来るので金網のふたをかぶせてあったのがいつとなくさび朽ちて穴の明いているのをそのままにしてあった。この夏のある朝見たら三尾の一尾が横になって浮いている。よく見ると鰓《えら》の下に傷あとがあって出血しているのである。金網の破れから猫が手を入れて引っかけそこなったものと思われた。負傷した金魚はまもなく死んでしまった。ちょうどその日金魚屋が来たので死んだのの代わりに同歳のを一尾買って入れた。夜はまた猫が来るといけないからというので網の代わりに古い風呂桶《ふろおけ》のふたをかぶせておいた。翌朝あけて見るときのう買ったのと、前からいた生き残りのうちの一尾とが死んでいた。
死因がわからない。しかしたぶんこうではないかと思われた。夏じゅうは昼間に暖まった甕の水が夜間の放熱で表面から冷え、冷えた水は重くなって沈むのでいわゆる対流が起こる。そのおかげで水が表面から底まで静かにかき回され、冷却されると同時に底のほうで発生した悪いガスなどの蓄積も妨げられる。それを、木のふたで密閉したから夜間の冷却が行なわれず、対流が生ぜず、従って有害なものが底のほうに蓄積して窒息死を起こしたのではないかというのである。これが冬期だといったいの水温がずっと低いために悪いガスなどの発生も微少だから害はないであろう。これは想像である。
それにしても同じ有害な環境におかれた三尾のうちで二つは死んで一つは生き残るから妙である。
水雷艇「友鶴《ともづる》」の覆没《ふくぼつ》の悲惨事を思い出した。
あれにもやはり人間の科学知識の欠乏が原因の一つになっていたという話である。
忘れても二度と夏の夜の金魚鉢《きんぎょばち》に木のふたをしないことである。
十六
野中兼山《のなかけんざん》が「椋鳥《むくどり》には千羽に一羽の毒がある」と教えたことを数年前にかいた随筆中に引用しておいたら、近ごろその出典について日本橋区《にほんばしく》のある女学校の先生から問い合わせの手紙が来た。しかしこの話は子供のころから父にたびたび聞かされただけで典拠については何も知らない。ただこういう話が土佐《とさ》の民間に伝わっていたことだけはたしかである。
野中兼山は椋鳥が害虫駆除に有効な益鳥であることを知っていて、これを保護しようと思ったが、そういう消極的な理由では民衆に対するきき目が薄いということもよく知っていた。それでこういう方便のうそをついたものであろう。
「椋鳥は毒だ」と言っても人は承知しない。なぜと言えば、今までに椋鳥を食っても平気だったという証人がそこらにいくらもいるからである。しかし千羽に一羽、すなわち〇・一プロセントだけ中毒の蓋然率《プロバビリティ》があると言えば、食って平気だったという証人が何人あっても、正確な統計をとらない限り反証はできない。それで兼山のような一国の信望の厚い人がそう言えば、普通のまじめな良民で命の惜しい人はまずまず椋鳥《むくどり》を食うことはなるべく控えるようになる。そこが兼山のねらいどころであったろう。
これが「百羽に一羽」というのではまずい。もし一プロセントの中毒率があるとすればその実例が一つや二つぐらいそこいらにありそうな気がするであろう。また「万羽に一羽」でもうまくない。万人に一人では恐ろしさがだいぶ希薄になる。万に一つが恐ろしくては東京の町など歩かれない。やはり「千羽に一羽」は動かしにくいのである。
こういうおどかしはしかし兼山に対する民衆の信用が厚くなければなんの効能もなくなることである。
兼山の信用があまりに厚かったためにいろいろの類似の言い伝えが、なんでもかでも兼山と結びつけられているのではないかという疑いもある。実際|土佐《とさ》では弘法大師《こうぼうだいし》と兼山との二人がそれぞれあらゆる奇蹟《きせき》と機知との専売人になっているのである。
十七
野中兼山《のなかけんざん》の土木工学者としての逸話を二つだけ記憶している。その一つは、わずかな高低|凹凸《おうとつ》の複雑に分布した地面の水準測量をするのに、わざと夜間を選び、助手に点火した線香を持って所定の方向に歩かせ、その火光をねらって高低を定めたと言い伝えられていることである。しかしねらうのには水準器のついた望遠鏡か、これに相当する器械が必要であろうがそれについては聞いたことがない。
もう一つは浦戸港《うらどこう》の入り口に近いある岩礁を決して破壊してはいけない、これを取ると港口が埋没すると教えたことである。しかるに明治年間ある知事の時代に、たぶん机の上の学問しか知らないいわゆる技師の建言によってであろう、この礁《かくれいわ》が汽船の出入りの邪魔になると言ってダイナマイトで破砕されてしまった。するとたちまちどこからとなく砂が港口に押し寄せて来て始末がつかなくなった。
故工学博士|広井勇《ひろいいさむ》氏が大学紀要に出した論文の中にこのときの知事のことを“a governor less wise than Kenzan”としてあったように記憶する。実に巧妙な措辞《そじ》であると思う。この知事のような為政者は今でも捜せばいくらでも見つかりそうな気がするのである。
少なくも、むやみに扁桃腺《へんとうせん》を抜きたがる医者は今でもいくらもいるであろう。
十八
近年の統計によると警視庁管内における自殺者の数が著しく増加し、大正十一年と昭和八年とでは管内人口の増加が約六割であるのに対して自殺既遂者の数は二十割、未遂者の数は四十割に増加しているとの事である。ある新聞の社説にこの事実をあげてその原因について考察し為政当局者の反省を促している。誠に注目すべき文字である。
しかし多くの人の見るところによれば、自殺の増加の幾割かはたしかに新聞の暗示的、ないし挑発的記事の影響に因るものであろうと思われるが、右の新聞の社説にはこのことについては一言も触れてない。触れないのは当然であろうがちょっとおかしい。
「自殺の報道記事は十行を越ゆべからず」という取締規則でも設けたら、それだけでも自殺者の数が二割や三割は減るのではないかという気がする。試験的に二三年だけでもそういう規則を遂行して後に再び統計を取ってほしいものである。
十九
入水者《じゅすいしゃ》はきっと草履《ぞうり》や下駄《げた》をきれいに脱ぎそろえてから投身する。噴火口に飛び込むのでもリュックサックをおろしたり靴《くつ》を脱いだり上着をとったりしてかかるのが多いようである。どうせ死ぬために投身するならどちらでも同じではないかという気もするが、何かしら、そうしなければならない深刻な理由があると見える。
この世の覊絆《きはん》と濁穢《じょくえ》を脱ぎ捨てるという心持ちもいくぶんあるかと思われる。また一方では捨てようとして捨て切れない現世への未練の糸の端をこれらの遺物につなぎ留めるような心持ちもあるかもしれない。
なるべく新聞に出るような死に方を選ぶ人の心持ちは、やはりこのはき物や上着を脱ぎそろえる心持ちの延長ではないかとも思われるのである。
結局はやはり「生きたい」のである。生きるための最後の手段が死だという錯覚に襲われるものと見える。自殺流行の一つの原因としては、やはり宗教の没落も数えられるかもしれない。
[#地から3字上げ](昭和九年九月、中央公論)
底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
1963(昭和38)年5月16日第20刷改版発行
1997(平成9)年6月13日第65刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年4月9日作成
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