青空文庫アーカイブ

映画芸術
寺田寅彦

-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)麒麟児《きりんじ》である。

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)選択的|截断《せつだん》は

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)pp[#「pp」は縦中横、音楽記号のピアニッシモ] から

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔Be'la Bala'zs : Der Geist des Films, 1930〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
https://www.aozora.gr.jp/accent_separation.html
-------------------------------------------------------

     緒言

 映画はその制作使用の目的によっていろいろに分類される。教育映画、宣伝映画、ニュース映画などの名称があり、またこれらのおのおのの中でもいろいろな細かな分類ができる。しかしこれらの特殊な目的で作られた映画でも、それが広義における芸術的価値のないものであれば、それは決してその目的を達することができない。そういう意味においてすべての種類の映画の制作はやはり広義における映画芸術の領域に属するものと思われるから、ここではそういう便宜上の種別を無視して概括的に考えることにする。
 映画は芸術と科学との結婚によって生まれた麒麟児《きりんじ》である。それで映画を論ずる場合に映画の技術に関する科学的の基礎と、その主要なテクニークについて一通りの解説をするのが順序であるが、この一編の限られた紙数の中にこれを述べている余地がないから、ここではいっさいこれらを省略する。しかし大多数の読者がこの点について一通りの予備知識を備えているものと仮定してもおそらくたいした不都合はあるまいと思う。
 ついでながら、自分のような門外漢がこの講座のこの特殊項目に筆を染めるという僣越《せんえつ》をあえてするに至った因縁について一言しておきたいと思う。元来映画の芸術はまだ生まれてまもないものであってその可能性については、従来相当に多数な文献があるにもかかわらず、まだ無限に多くのものが隠され拾い残されているであろうと思われる。従って、かえってそういう文献などに精通しない門外漢の幼稚《ナイヴ》な考察の中からいくらかでも役に立つような若干の暗示が生まれうるプロバビリティーがあるかもしれないと思われる。また一方で自分は、従来自分の目にふれたわが国での映画芸術論には往々日本人ばなれのしたものが多いようであって、日本の歴史と国民性を通して見た映画の理論的考察が割合に少ないように思われるのを遺憾としていた。それで、もし多少でもそういう方面からの研究の端緒ともなるべきものに触れることができればしあわせだと思ったのである。
 もう一つ断わっておく必要のあるのは、発声映画の問題である。始めから発声映画を取って考えるのと、無声映画時代というものを経て来た後に現われた発声映画を考えるのとでは、考え方によほどな隔たりがある。しかしここでは実際の歴史に従ってまず無声映画を考えた後に、改めて別に発声映画の問題に立ち入りたいと思う。
 なお映画に関しては経済学上からまた社会学上から見たいろいろな問題がある。しかもそれらの問題は必ずしも映画芸術上の問題と切り離して考えることができないものである。しかしこれらの重要な点にもここでは立ち入るべき余裕もなく、またそれはおそらく自分の任でもないから、全然省略して触れないことにする。これは遺憾ながらやむを得ない次第である。これについてはベーロ・ボラージュの「映画の精神」(〔Be'la Bala'zs : Der Geist des Films, 1930〕)を読むことをすすめたい。自分はこの書とプドーフキンの有名な「フィルムテクニーク」との二つから最も多くを教えられたものである。

     映画芸術の特異性

 芸術としての映画が他のいろいろの芸術に対していかなる特異性をもっているかを考えてみよう。
 大概の芸術は人類の黎明《れいめい》時代にその原型《プロトタイプ》をもっている。文学は文字の発明以前から語りものとして伝わり、絵画彫刻は洞壁《どうへき》や発掘物の表面に跡をとどめている。音楽舞踊はいかなる野蛮民族の間にも現存する。建築や演劇でも、いずれもかなりな灰色の昔にまでその発達の径路をさかのぼる事ができるであろう。マグダレニアンの壁画とシャバンヌの壁画の間の距離はいかに大きくとも、それはただ一筋の道を長くたどって来た旅路の果ての必然の到達点であるとも言われなくはない。ダホメーの音楽とベートーヴェンの第九シンフォニーとの比較でもそうである。
 映画についてはどうであるか。たとえば昔からわが国でも座興として行なわれる影人形や、もっと進んでハワイの影絵芝居のようなものも、それが光と影との遊戯であるというだけでは共通な点がなくはない。またたとえばわが国古来の絵巻物のようなものも、視覚的影像の連続系列であるという点では似た要素をもっていないとは言われない。それからまた、眼底網膜の視像の持続性《パーシステンス》を利用するという点ではゾートロープやソーマトロープのようなおもちゃと似た点もあるが、しかしこれらのものと現在の映画――無声映画だけ考えても――との間の差別は単なる進化段階の差だけでなくてかなり本質的な差であると考えられる。少なくもラジオやテレヴィジョンが昔は無かったというのと同じ意味で映画というものは昔は決して無かった新しいものであるということができよう。なんとなれば現代の精密科学は本質的に昔の自然哲学とちがった要素をもっているからである。そういう全く新しい科学的機械的の技術が在来の芸術といつのまにか自由結婚をしてその結果生まれた私生児がすなわち今日の映画芸術である。それが私生児であるがために始めのうちは、父親の芸術の世界でこれを自分の子供として認知する、しないの問題も起こったのである。しかし今ではこれを立派な嫡子として認めない人はおそらくないであろう。
 オペラが総合芸術だと言われた時代があった。しかし今日において最も総合的な芸術は映画の芸術である。絵画彫刻建築は空間的であるが時間的でなく、音楽は時間的であるが空間的でない。舞踊演劇楽劇は空間的で同時に時間的であるという点では映画と同様である。しからばこれらの在来の時空四次元的芸術と映画といかなる点でいかに相違するかという問題が起こって来る。
 まず最も分明な差別はこれらの視覚的対象と観客との相対位置に関する空間的関係の差別である。舞踊や劇は一定容積の舞台の上で演ぜられ、観客は自分の席に縛り付けられて見物している。従ってその視野と視角は固定してしまっている。しかし映画では第一その舞台が室内にでも戸外にでも海上にでも砂漠《さばく》にでも自由に選ばれる。そうしてカメラの対物鏡は観客の目の代理者となって自由自在に空間中を移動し、任意な距離から任意な視角で、なおその上に任意な視野の広さの制限を加えて対象を観察しこれを再現する。従って観客はもはや傍観者ではなくてみずからその場面の中に侵入し没入して演技者の一人になってしまうのである。それで、おもしろいことには、劇や舞踊の現象自身は三次元空間的であるにかかわらず、観客の位置が固定しているためにその視像は実に二次元的な投射像に過ぎない。これに反して映画のほうでは、スクリーンの上の光像はまさしく二次元の平面であるにかかわらず、カメラの目が三次元的に移動しているために、観客の目はカメラの目を獲得することによってかえってほんとうに三次元的な空間の現象を観察することができる、という逆説的な結果を生じるのである。
 このように映像が二次元的であることから生じるいろいろな可能性のうちにはいわゆるトリック撮影のいろいろな技巧がある。これによって実際の舞台演技では到底見せることのできないものを見せることが容易である。
 このようにして映画は自由自在に空間を制御することができる上に、また同様に時間を勝手に統御することができるのである。単にフィルムの断片をはり合わせるだけで、一度現われたと寸分違わぬ光景を任意にいつでもカットバックしフラッシュバックすることもできる。東京の町とロンドンの町とを一瞬間に取り換えることもできる。また撮影速度の加減によって速いものをおそくも、おそいものを速くもすることができるし、必要ならば時を逆行させて宇宙のエントロピーを減少させることさえできるのである。
 これらの「映画の世界像」の分析については、かつて「思想」誌上で詳説したから、ここには再び繰り返しては述べない。しかし以上略説したところからでも、映画なるものがいかに自由に時間空間を駆使し統御しうるかを想像することはできるであろう。そういう意味で、映画芸術はほんとうに時と空間をひとまとめにしたいわゆる四次元空間に殿堂を築き上げる建築の芸術であるということが了解されるであろう。そうして舞台芸術は一見これと同様であるように思われるにかかわらず、実は次元数においても、また各次元の範囲においてもはなはだしく制限されたものであるということが了解されるであろう。同時に何ゆえに映画が最も広い総合芸術の容器となりうるかという理由もおのずから理解されるであろうと思われる。
 映画芸術が四次元空間における建築の芸術である以上、それをただ一人の芸術家の手で完成することははなはだ困難である。建築が設計者製図者を始めとしてあらゆる種類の工人の手を借りてできあがるように、一つの映画ができあがるまでには実に門外漢の想像に余るような、たくさんの人々の分業的な労働を要するのである。そうしてそれが雑然たる群衆ではなくて、ほとんど数学的「鋼鉄的」に有機的な設計書の精細な図表に従って、厳重に遂行されなければならない性質のものである。しかもそれはこれに併行する経済的の帳簿の示す数字によって制約されつつ進行するのである。細かく言えば高価なフィルムの代価やセットの値段はもちろん、ロケーションの汽車賃弁当代から荷車の代までも予算されなければならないのである。これを、詩人が一本の万年筆と一束の紙片から傑作を作りあげ、画家が絵の具とカンバスで神品を生み出すのと比べるとかなりな相違があるのを見のがすことはできない。映画芸術の経済的社会的諸問題はここから出発するのである。

     映画の成立

 以上のようなわけであるから、映画とは何かという問題を考えるには、抽象的な議論をする前にまず映画がどうして作られるかという実際上の過程を考えてみることが必要であると思う。
 一つの映画が作り上げられるまでの過程は時代により国により、また製作者により、必ずしも同じではないようであるが、だいたいにおいて次のような段階を経るべきはずのものである。
 第一にその一編の主題となるべきものからいわゆるストーリーあるいはシュジェーが定められる。これはたとえば数行のものであってもよいがともかくも内容のだいたいの筋書きができるのである。それをもう少し具体的な脚本すなわちシナリオに発展させる。しかしそれではまだすぐに撮影はできない。シナリオに従って精細な撮影台本が作られなければならない。それには撮影さるべき対象選定はもちろんそれがいかなる条件においていかに撮影さるべきかが具体的に精細に設計規定されなければならない。それができて後に関係部員のそれぞれの部署が決定されなければならない。一方では精密な予算も組まれなければならない。
 これまでの過程はすべて「分析」の過程である。出発点における主題に含まれているものを順次にその構成要素に解きほごして行ってその各部の具体的設計を完成する過程である。
 このようにしてできた設計が完成すれば次には、これらの各部分が工人の手によって実物に作り上げられなければならない。すなわち一つ一つの場面の一つ一つのショットの断片が撮影される。同じものが何度も何度も、監督の気に入るまでとり直される。この場合には脚本中における各ショットの位置や順序にはかまわず、背景やセットの同じものを便宜上一度にとってしまうという事も必要になって来る。建築の場合に鋳物は鋳物、ガラスはガラスというふうに別々にまとめて作らるると同様である。
 こういうふうにしてできあがった部分品を今度は組み立てて行く「総合」「取り付け」の仕事がこれからようやく始まる。すなわち芸術家としての映画監督の主要な仕事としてのいわゆるモンタージュの芸術が行なわれるのである。
 シナリオを書くまでは必ずしも映画の技術に精通しない素人《しろうと》でも多少「映画的表現」すなわち「映画の言葉」を心得た人ならばある程度まではできないことはない。なんとなればそれは文学から映画への途中の一段階であって、まだ片足だけしか映画の領域に踏み込んでいないからである。それゆえにたとえば「貧しい部屋《へや》の中で」とか「歓喜に満ちて」とか、そんな漠然《ばくぜん》とした言葉を使ってもいいかもしれない。しかしいよいよ撮影を実行する前にはこれでは全く役に立たない。「貧しさ」を「映画の言葉」すなわち、これに相当する視覚的な影像に翻訳しなければならない。たとえば極貧を現わすために水道の止まった流しに猫《ねこ》の眠っている画面を出すとか、放免された囚人の歓喜を現わすのに春の雪解けの川面《かわも》を出すとか、よしやそれほどの技巧は用いないまでも、とにかく文学的の言葉をいわゆるフォトジェニックなフィルミッシな表現に翻訳しなければならない。
 しかしそれだけではまだ映画の撮影台本にはなり得ない。一つ一つの画面断片の含むフィルムのコマ数、あるいはメートルであらわしたその長さ、あるいは秒で数えたその映写時間を決定しなければならない。そうしてそれらの断片が何個集まって一つの系列あるいはエピソードを成すかを決定してその全長を計算し、そういう系列の何個が全編を成すかを定めなければならない。
 実際には、監督の人によっては、かなりにルースな方法による人はあるであろうが、原則としてはともかくも上記のごとき有機的に制定された道筋を通らなければ一編の有機的な映画はできるはずはないのである。いわゆる「カフスに書いた覚え書き」によって撮影を進行させ、出たとこ勝負のショットをたくさんに集積した上で、その中から截断《せつだん》したカッティングをモンタージュにかけて立派なものを作ることも可能であろうが、経済的の考慮から、そういう気楽な方法はいつでもどこでも許されるはずのものではない。
 以上述べて来ただけのことから考えても映画の制作には、かなり緻密《ちみつ》な解析的な頭脳と複雑な構成的才能とを要することは明白であろう。道楽のあげくに手を着けるような仕事では決してないのである。
「分析」から「総合」に移る前に行なわるる過程は「選択」の過程である。
 すべての芸術は結局選択の芸術であるとも言われる。芸術家の素材となりその表現の資料となるものはわれわれの日常の眼前にころがっている。その中から何を発見してつまみ上げるかが第一歩の問題であり、第二は表現法の選み方である。映画芸術家の場合でも全く同様であって、一つの映画の価値を決定するものは全く、フィルミッシな素材とそれのフィルミッシな表現法の選択であると言ってよい。「貧しさ」「うれしさ」の視覚的代表者をどこから拾って来るか、それをいかなる距離、いかなる角度、いかなる照明で、フィルムの何メートルに撮影し、それを全編のどの部分にどう入れるか、溶明溶暗によるかそれとも絞りを使うか、あるいは重写を用いるか。これらの選び方によって効果には雲泥《うんでい》の差が生じるのである。
 いかなる材料のいかなる撮影が効果的であるかを判断するためには映画家は「カメラの目」をもつことが必要である。プドーフキンは爆発の光景を現わすのに本物のダイナマイトの爆発を撮《と》ってみたがいっこうにすごみも何もないので、試みにひどく黒煙を出す炬火《たいまつ》やら、マグネシウムの閃光《せんこう》やを取り交ぜ、おまけに爆発とはなんの縁もない、有り合わせの河流の映像を插入《そうにゅう》してみたら、意外にすばらしい効果を生じて、本物の爆発よりははるかに爆発らしい爆発ができたそうである。また、エイゼンシュテインは港の埠頭《ふとう》における虐殺の残酷さを見せるために、階段をころがり落ちる乳母車《うばぐるま》を写した。
「彫刻家が大理石とブロンズで考えるように、映画家はカメラとフィルムで考えそうして選択することが第一義である。」
 役者の選択についても同様である。舞台の名優は必ずしもフィルムの名優ではない。ロシア映画ではただのどん百姓が一流の名優として現われる。アメリカふうのスター映画でさえも、画面に時々しか顔を出さないエキストラのタイプの選択いかんによって画面の効果は高調されあるいは減殺される。
 背景となるべき一つの森や沼の選択に時には多くの日子《にっす》と旅費を要するであろうし、一足の古靴《ふるぐつ》の選定にはじじむさい乞食《こじき》の群れを気長く物色することも必要になるであろう。
 このようにして選択された分析的要素の撮影ができた上で、さらに第二段の選択過程が行なわれる。それはこれらの要素を編集して一つの全体を作るいわゆるモンタージュの立場における選択過程である。
 だいたいのプロットに従って撮影されたたくさんのフィルムの巻物の中にはたくさんのむだなものが含まれている。とりそこね、とり直しがあり、あるいは撮影の際に得られたその場でのヒントによる余分の獲物もあるであろう。それで、使用されたフィルムの陰画《ネガチーヴ》の点検によって実際陽画に焼き付けられ映写さるべき部分を選び出すという大きな仕事がここから始まるのである。ティモシェンコのあげた例では千八百メートルの陽画映写フィルムを作るために六千メートルの陰画が消費されている。使ったもののやっと三割だけが役に立つ勘定である。これは非常なきびしい選択であると言わなければならない。しかしできあがった最後の作品の価値を決定するものは実にこの最後の選択の厳重さに係わるであろうと思われる。
 要するに映画は截断《カッティング》の芸術である。たとえばスターンバーグの「青い天使」の台本と、いよいよできあがった作品とを比べてみても、いかに多くのものが切り捨てられたかがわかる(わが国での検閲の切断は別として)。チャプリンがその「街《まち》の灯《ひ》」の一場面を撮《と》るためにいかに多くのフィルムをむだにしているかは、エゴン・エルウィン・ウィッシュの訪問記を一見しても想像されるであろう。
 このようにして行なわれる選択的|截断《せつだん》は言うまでもなく次に来るところの編集のための截断であり、構成のための加工である。一瓶《ひとかめ》の花を生けるために剪刀《せんとう》を使うのと全く同様な截断の芸術である。
 映画成立の最後の決定的過程として編集術については以下に項を改めて述べる事とする。

     映画の編集過程

 たくさんな陰画《ネガチーヴ》の堆積《たいせき》の中から有効なものを選び出してそれをいかにつなぎ合わせるかがいわゆるモンタージュの仕事である。
 モンタージュという言葉を抽出し、その意義を自覚的に強調したのはプドーフキン一派の人に始まるかもしれないのであるが、要するにモンタージュは平凡な「編集」という言葉をもって代用してもたいしてさしつかえないという事はプドーフキンの著書の英訳にエディチングという英語を当ててあることからも想像されるであろう。またこの著者がそのモンタージュを論じた一章の表題に「素材の取り扱い方」という平凡な文字を使い、そうしてその題下に「構成モンタージュ」「場面(景)のモンタージュ」「插話(エピソード)のモンタージュ」等の小区分を設けているのである。
 映画素材から映画を作り上げる編集方法としてのモンタージュはそもそも映画始まって以来行なわれて来たものに相違ないのであるが、しかし初期の映画において、単に海岸に打ち寄せる波の遊びを見せたり、あるいは舞台演芸をそっくりそのまま写してみたりしたような場合にはあまり問題にならない事であった。しかし映画が単なる複製の技術としてのただの活動写真というだけの境界から脱却して、それ自身の独自な領域を自覚するようになり、創作の新しいミリューとして発見されると同時に行なわれはじめた映画制作の方法がすなわちこのモンタージュである。言わば映画の芸術的編集法とでも言ってよいものだと思われる。この言葉のもてはやされる以前に米のグリフィスや仏のガンスなどの実行したいろいろの独創的な効果的手法は畢竟《ひっきょう》モンタージュの先駆的実例を提供するものである。
 しかしこの言葉の内容が細かに分析されるようになり、「併行モンタージュ」「比喩《ひゆ》モンタージュ」等種々の型式が区別されるようになってからはこれらモンタージュの理論的の討議がいろいろと行なわれるようになって来た。たとえばエイゼンシュテインはその「映画の弁証法」において、プドーフキンらのモンタージュ論の基礎的概念を批評し、これに代わるべき弁証法的モンタージュ論を提出し、のみならずこれに基づいた作品をこしらえようとした。しかし彼のこれらの試みはまた一派の人からは形式主義象徴主義に堕したものとして非難もされている。しかしこういう議論は映画理論家にとって、また特にソビエトの国是の上から重要かもしれないが、一般映画観賞者の立場からは、たいした意義をもたない事である。われわれにとってはその映画がおもしろいことが第一義である。八巻なり十巻なりの映写を退屈することなしに見ていられることが肝要であり、見たあとで全体としても細部としても深い感銘を印象されることが大切である。それにはイデオロギーの教養に無関係に世界の人間の心を捕えるものがなければならない。そうしてそれはロシア人にもフランス人にも日本人にも共通に通用するものでなければならない。そうだとすれば、それはまた必ずしも映画以来はじめて発明されたものではなくして、少なくも原理としてはすでにあらゆる他の芸術に存在していると同じような指導原理に支配されるものであろうという事は想像してもさしつかえがないであろう。実際プドーフキンでもエイゼンシュテインでも、ボラージュでもそれらの人々のモンタージュに関する論述を読むに当たって、その記述の表面に現われた具象的なものを適当にムタティス・ムタンディスに置き換えさえすればそれはほとんど完全に他の芸術の分野に適用されうることを見いだすであろう。これはむしろ当然なことである。主題の分析、選択、編成という過程にはすべての芸術に共通なものがなければならないからである。
 まず手近なところでたとえば生け花の芸術を考えてみる。この場合は簡単に口で言われるような「主題」はないかもしれないが、花を生ける人の潜在意識の中に隠れたテーマがあってこそ一瓶《ひとかめ》の花が生け上げられるのである。そのテーマを表現すべき「言葉」として花と瓶とが選ばれる。花は剪刀《せんとう》でカットされた後に空間的モンタージュを受ける。この際にたとえば青竹送り筒にささげと女郎花《おみなえし》と桔梗《ききょう》を生けるとして、これらの材料の空間的モンタージュによって、これらの材料の一つ一つが単独に表現する心像とは別に、これらのものを対合させることによってそこに全く別なものが生じて来る。エイゼンシュテインはこれを二つのものの単なる組み合わせあるいは堆積《たいせき》すなわち彼のいわゆる叙事的な原理と見る代わりに、二つのものの衝突の中に観念を生み出し爆発させる力学的原理を認めようとしたようである。しかしわれわれのような観賞者の立場からすれば配合調和相生というのも、対立衝突|相剋《そうこく》というのも、作者の主観以外には現象としての本質的な差を認めなくても結果においてたいした差はないようである。要は結局エイゼンシュテインが視覚的|陪音《オヴァートーン》と呼び、あるいはむしろ視覚的|結合音《コンビネーショントーン》と呼ばるべきものを生み出すにあるのである。この結合によって生じるものはもはや決して「花」ではない全然別の次元の世界に属するものであり、そうして、それはただその二つあるいは三つの花のモンタージュによってのみ現わされうるものである。それでこそある人のある日に生けたささげと女郎花《おみなえし》と桔梗《ききょう》と青竹筒は一つの芸術的創造のモンタージュ的視像となりうるのである。
 生け花に限らず、造園でも同様である。砂を敷いた平庭に数個の石を並べるだけでもその空間的モンタージュのリズムによって、そこに石の言葉でつづられた、しかも石によってのみつづられうる偉大なる詩が生じるのである。また一枚の浮世絵からでもわれわれはいろいろなモンタージュの手法を発見するであろう。エイゼンシュテインは特に写楽《しゃらく》のポートレートを抽出して、強調された顔の道具の相剋的《そうこくてき》モンタージュを論じているが、われわれは広重《ひろしげ》でも北斎《ほくさい》でも歌麿《うたまろ》でもそれぞれに特有な取り合わせの手法を認めることができるであろう。樽《たる》の中から富士を見せたり、大木の向こうに小さな富士を見せたりするシリーズは言わば富士をライトモチーヴとしたモンタージュの系列である。
 こういう意味において映画というものの一つのプロトタイプとでも言わるべきものは絵巻物の類である。これは空間的であるのみならず、またいくぶん時間的である点においていっそう映画に接近するのである。たとえば道成寺縁起《どうじょうじえんぎ》という一つのテーマがあり、それの内容となるべきひとくさりのグロテスクでエロチックでまた宗教的なストーリーがある。絵巻物の画家は、そのストーリーから一つのシナリオを作らなければならない。まずいかにしてヒーローとヒロインを「紹介」すべきか、全編をいくつの場面に分割すべきか、一つ一つの場面にいかなる造型的視覚的素材を用ゆべきかを考えなければならない。すなわち物語を「モンタージュ画像《ビルダー》」の言葉に翻訳しなければならない。この際における創作的過程は映画監督のそれとかなりまで類似した点をもつであろう。道成寺の場合にはまた、初期の映画で常套的《じょうとうてき》に行なわれた「追っ駆け」を基調とする構成の趣があると言われよう。
 映画の場合に甲の場面から次の乙景に移る際にいわゆる溶暗溶明を用いることがある。絵巻物ではそのかわりに雲や水や森や山の模糊《もこ》たる雰囲気《ふんいき》が用いられる。ある場合には紙面の上下に二つの場面の終わりと始めとが雲煙を隔ててオーバーラップの形で現われることもあるであろう。今手近に適切な実例をあげることはできないが、おそらくこれらの絵巻物の中から「対照」「譬喩《ひゆ》」「平行」「同時」等いろいろのモンタージュ手法に類するものを拾い出すことも可能であろうと思われる。
 映画における字幕サブタイトルに相当するものすら、ある絵巻物には書き込まれてあるのも興味あることである。
 絵巻物の一画面は言わば静的である。その静的な一画面から次の画面への推移のリズムによって始めてそこに動的な効果を生じる。しかし映画の場合でもたとえばドブジェンコの「大地」などはほとんど静的な画面のモンタージュが多い。有名な「ポチョムキン」の市街砲撃の場面で、石のライオンが立ち上がって哮吼《こうこう》するのでも、実は三か所で撮《と》った三つの石のライオンの組み合わせに過ぎないということである。
 このように静的なものの律動的配合によってさえ非常に動的な陪音を生じうるのであるから、動的なものの結合からさらに高次元的に動的な効果が生まれうるのは当然である。たとえば「アジアの嵐《あらし》」の最後の巻に現われる、嵐の描写のごときがそれである。
 これに反して拙劣なるモンタージュは、動的な画像の単調無味なる堆積《たいせき》によってかえって観客のあくびを促すような静的なものを作り出すことも可能である。下手《へた》な剣劇の立ち回りがそれであろう。
 エイゼンシュテインは、日本の文化のあらゆる諸要素がモンタージュ的であると論じ、日本の文字でさえも(?)、口と犬とを合わせて吠《ほ》えるというようにできあがっていると言い、また歌舞伎《かぶき》についても分解的演技の原理という言葉を使って、役者の頭や四肢《しし》の別々な演技がモンタージュ的に結合されるというふうに解釈した。この方法を応用したのが近ごろ封切りされた「人生案内」のコリカの母の死の場合だと言われている。
 彼はまた短歌や俳諧《はいかい》を論じて「フレーセオロジーに置き換えられた象形文字」であると言い、二三の俳句の作例を引いてその構成がモンタージュ構成であると言っている。
 私はかつて「思想」や「渋柿《しぶがき》」誌上で俳諧連句の構成が映画のモンタージュ的構成と非常に類似したものであるということを指摘したことがある。その後エイゼンシュテインの所論を読んだときに共鳴の愉快を感ずると同時に、彼が連句について何事も触れていないのを遺憾に思った。おそらく彼はほんとうの連句については何事も知らないからであろう。

     映画と連句

 あらゆる芸術のうちでその動的な構成法において最も映画に接近するものは俳諧連句であろうと思われる。
 いわゆる発句はそれ自身の中にすでに若干の心像のモンタージュ的構成を備えているものである。しかしたとえば歌仙式《かせんしき》連句の中の付け句の一つ一つはそれぞれが一つのモンタージュビルドであり、その「細胞」である。もちろんその一つ一つはそれぞれ一つの絵である。しかし単にそれらの絵が並んでいるというだけでは連句の運動感は生じない。芭蕉《ばしょう》が「たとえば哥仙《かせん》は三十六歩なり、一歩もあとに帰る心なく、行くにしたがい、心の改まるはただ先へ行く心なればなり。」と言っている、その力学的な「歩み」は一句から次の句への移動の過程にのみ存する。
 その移動のモンタージュ的手法はすなわち付け句の付け方であっていわゆる、においとか響きとか位とかおもかげとかいう東洋的な暗示的な言葉で現わされているのであるが、これらは畢竟《ひっきょう》いずれも二つの連接句のおのおのに付属した二つの潜在的心像がいかなる形において連鎖を作るかというその様式の分類にほかならないのである。たとえば「くれ縁に銀|土器《かわらけ》を打ちくだき」に付けて「身ほそき太刀《たち》のそるかたを見よ」とする。この付け方を「打てば響くごとし」と評してあるが、試みに映画の一場面にこの二つのショットを継起せしめたと想像すれば、その観客に与える印象はおそらく打てば響くがごとくであるに相違ない。これをたとえば「爆発。ゆらぐ石門」「石のライオンが目をさまし吼《ほ》えておどり上がる」という連鎖と比べてどこに本質的の差違があるか。「思い切ったる死に狂い見よ」「青天に有明月《ありあけづき》の朝ぼらけ」と付けたモンタージュと、放免状を突きつけられた囚人の画像の次に「春の雪解け川」を出した付け合わせと、情は別でも、手法においてどれだけの差別があるか。
 映画でしばしば用いられる推移の手段としての接枝的連接法《コンチニュイティ・グラフト》とも呼ばれる常套的《じょうとうてき》手法がある。たとえば蓄音機円盤が出勤簿レジスターの円盤にオーバーラップするとか、あるいはしわくちゃのハンケチを持った手を絞り消して絞り明けると白いばらの花束を整える手に変わる。あるいは室内のトランクが汽車の網棚《あみだな》のトランクに移り変わるような種類である。ところが、連句ではこれに似たことがしばしば行なわれる。たとえば「僧やや寒く寺に帰るか」「猿引《さるひ》きの猿と世を経《ふ》る秋の月」では僧の姿が猿引きの猿にオーバーラップ的に推移するのである。
 映画で、まず群集を現わし、次にカメラを近づけてその中のヒーローを抽出し、クローズアップに映出して「紹介」する。連句でもたとえば、「入りごみに諏訪《すわ》の涌湯《わきゆ》の夕まぐれ」「中にもせいの高い山ぶし」は全くこの手法によったものである。
 映画で同時に別々の場所で起こっている事がらの並行的なモンタージュによって特殊の効果を収める。「餅《もち》作るならの広葉を打ち合わせ」という付け句を「親と碁をうつ昼のつれづれ」という前句に付けている。座敷の父とむすこに対して台所の母と嫁を出した並行であり、碁石打つ手と柏《かしわ》の葉を並べる手がオーバーラップするのである。この二つの場面のモンタージュによってわれわれは一つの全体としての家庭の雰囲気《ふんいき》を実感させられるのである。
 映画の光学的映像より成る一つ一つのショットに代わるものが、連句では実感的心像で構成された長句あるいは短句である。そうしてこれらの構成要素はそのモンタージュのリズムによってあるいは急にあるいはゆるやかなる波動を描いて行く、すなわち音楽的進行を生ずるのである。
 映画の一つのショットは音楽の一つの楽音に比べるよりもむしろ一つの旋律にたとえらるべきものである。それがモンタージュによって互いに対立させられる関係は一種の対位法的関係である。前のショットの中の各要素と次のショットの各要素との対位的結合によってそこに複雑な合成効果を生ずるのである。連句の場合でもまさにそのとおりで前句と付け句とは心像の連鎖のコントラプンクトとしてのみその存在価値を有するものである。
 このようにして連句の運動が進行するありさまはある度までたとえばソナタのごとき楽曲の構造に類する。この比較についてはかつて雑誌「渋柿《しぶがき》」誌上で細論したからここには略するが、それと全く同じことが映画の律動的編成についても言われるのである。そうして序破急と言いあるいは起承転結と称する東洋的モンタージュ手法がことごとく映画編集の律動的原理の中にその同型《ファクシミレ》を見いだすのである。
 要するにこれらのモンタージュの要訣《ようけつ》は、二つの心像の識閾《しきいき》の下に隠れた潜在意識的な領域の触接作用によってそこに二つのものの「化合物」にも比較さるべき新しいものを生ずるということである。
 識閾の上層だけでつながったものは、つまり一つの静的な像である。いわゆる付き過ぎた連句は、結局一句を二つに分けただけで「歩み」はない。同様に映画においても、たとえば単調なる「チャンバラ」の場面はいくら続いても、それは結局ただ一つのショットとしての効果しかない。これに反してたとえ識閾の上では単調な画面を繰り返していても、その底を流れる情緒の加速運動があれば観客は知らず知らずつり込まれ引きずられて行く。たとえば「パリの屋根の下」で町の歌い手が手風琴をひいて歌っている。その歌い手と聴衆が繰り返し繰り返し映写される。しかしその巧妙な律動的なモンタージュによって観衆の心の中の奥底には一つの葛藤《かっとう》がだんだん発展し高調されて行くのである。また同じ映画でダンス場における踊る主人公とこれをねらう悪漢との交互的律動的モンタージュもこれと全く同様である。これは二つの画面の接触作用によって観客の心に生ずる反応作用をその自然のリズムに従って誘導して行くのである。それでこのモンタージュのリズムが観客の期待のリズムに共鳴するときにはじめて最大の効果を収めうるので、これは音楽の場合と全く同様である。
 このように、映画の画面の連結と連句の句間の連結とは意識の水準面の下で行なわれるときにはじめて力学的な意味をもつのである。たとえば水面に浮かんでいる睡蓮《すいれん》の花が一見ぱらぱらに散らばっているようでも水の底では一つの根につながっているようなものである。
 一つ一つの意識的な具象からは識閾《しきいき》の下に無数の根を引いており、その根の一つ一つはまた他のたくさんの具象の根と連結されている。かようにして天地間の万象は複雑きわまる網目によって無限多義的に連関している。甲から乙に移る連絡道路だけでも無限に多数に存する。それらの通路の中には国道もあり間道もあり、また人々によって通い慣れた道と、そうでないのとがある。それで今甲の影像の次に乙の影像を示された観客はその瞬間においてその観客の通い慣れた甲乙間の通路の心像を電光に照らされるごとく認識するのであろう。
 それで映画や連句のモンタージュが普遍的な効果を収めうるためには、作者が示そうとする「通路」が国道であり県道であることが必要である。そうでないときは作者の一人合点《ひとりがてん》に陥って一般鑑賞者の理解を得ることは困難である。

     映画と夢

 以上のごとく考えて来るとわれわれは自然に映画と夢との比較を暗示される。
 夢の中に現われる雑多な心像は一見はなはだ突飛なものでなんの連絡もない断片の無機的系列に過ぎないようであるが、精神分析学者の説くところによると、それらの断片をそれの象徴する潜在的内容に翻訳すれば、そういう夢はちゃんとした有機的な文章になり、そうして恐るべきわが内部生活の秘密を赤裸々に暴露するものである。ただ夢の場合にはこれらの「夢内容」を表わす象徴としての顕在像が普遍的のものでなく人々の個人的な歴史によってのみ規定されたものであるから読み取ることが困難だというのである。
 映画や連句の場合においても、一つ一つの顕在的な映像の底にかくれた潜在的内容が多量に存在している。モンタージュの秘密は、この潜在的内容の言葉で文章をつづって行く方法にあるとも言われる。
 夢の心理と連句の心理の比較についてはかつて雑誌「渋柿《しぶがき》」誌上で詳論したからここでは略する。そうしてそこで論じたことはほとんどそのままにまた映画のモンタージュに適用してもさしつかえないと思うのである。それはとにかく自分がこの論を出した後に「クローズ・アップ」第七巻第二号を見ていたらヒューズ(C. J. Pennethorne Hughes)という人が映画と夢との比較を論じているのを見て興味を引かれた。夢に色彩のないこと、羊の群れが見る間に兵隊の群れに変わったりすることなどが述べてある。それから、夢が阻止された願望の実現となるように、映画の観客は映画を見ることにより、実際には到底なれない百万長者になり、できない恋をしたり、不可能事をしとげるというようなことも言っている。これもおもしろい見方である。映画の大衆的であるゆえんは最も密接にこの点につながっているという事は疑いもないことである。
 映画と連句とが個々の二つの断片の連結のモンタージュにおいてほとんど全く同一であるにかかわらず、全体としての形態において著しい相違のあるのは、いわゆる筋が通っているのと通っていないのとの区別である。多くの映画は一通りは論理的につながったストーリーの筋道をもっているのに、連句|歌仙《かせん》の三十六句はなんらそうした筋をもたないのである。しかも映画でもたとえば「ベルリン」のごときは全体としてなんらの物語を示さない。マン・レイの「海翻車《ひとで》」もなんらの事件を示さず、ただこの海産動物につながる連想の活動を刺激することによって「憧憬《どうけい》のかすみの中に浮揺する風景や、痛ましく取り止めのつかない、いろいろのエロチックな幻影や、片影しか認められないさまざまの形態の珍しい万華鏡《まんげきょう》の戯れやが、不合理な必然性に従って各自の中から生長する」(ボラージュ「映画の精神」一一五ページ)。
 しかしこれらの絶対映画では、ともかくも「ベルリン」とか「ひとで」とかいう主題によって全体が総括されている。しかしそれほど簡単でないものもある。「アンダルーシアの犬」と称する非現実映画(往来社版、映画脚本集第二巻)になるともはやそういう明白な主題はない。そのモンタージュは純然たる夢の編成法であり、しかもかなりによく夢の特性をつかんでいる。たとえば月を断ち切る雲が、女の目を切る剃刀《かみそり》を呼び出したり、男の手のひらの傷口から出て来る蟻《あり》の群れが、女の腋毛《わきげ》にオーバーラップしたりする。そういう非現実的な幻影の連続の間に、人間というものの潜在的心理現象のおそるべき真実を描写する。この点でこの種の映画の構成原理は最も多く連句のそれに接近するものと言わなければならない。この比較は、現在あるものよりもさらにより多く連句的なる非現実映画の可能性を暗示する。通例はそう思われていないドブジェンコの「大地」などはまさしくその方向への第一歩であるに相違ない。

     前衛映画

 映画を演劇や文学から解放して映画的な映画の天地を開拓しようとして起こされたいろいろの運動の試みがいわゆる前衛映画である。「アヴァンギァルドとは金にならぬ映画を作る人たちの仲間を言う」と揶揄《やゆ》した人がある。従来のこれらの試みは、すべてただ実験室的の意義しかないが、そういう意義においては尊重すべきものであるというふうに解釈されている。しかしそうばかりは言われないであろうと思われる。アメリカ人やドイツ人には到底理解されないものが東洋日本の大衆には理解され享楽されている例はいくらでもある。将来もしもここで言うような連句的な前衛映画が培養され発育しうる土地があるとすれば、それはおそらくわが日本のほかにはないであろうと思われる。そうしてそれはおそらくフランス人とロシア人にはいくぶんかは理解されるであろうと思われる。それにかかわらず現在においてこの方面を開拓しようとする運動の萌芽《ほうが》すらわが国のどこにも認められないのは残念なことである。

     抽象映画

 スウェーデンの一画家がはじめた抽象映画は、幾何学的形象の運動の連鎖であって「動く装飾」と言われている。これは聴覚に関する音楽から類推して視覚的音楽を作ろうという意図から起こったものであろうが、これはおそらく誤った類推による失敗であろうと思われる。耳は音自身を聞き、しかもこれを無意識に分析しうる特殊の能力をもっている。しかし目はその映像の中に総合された実体とその内容とを見るものであって、特別な訓練なしにはその中から線や面を分析し抽出するようにできていない。これだけの根本的な感官的性能の差違を考えただけでも抽象映画なるものの価値は理解されるであろう。それで絵画におけるキュービズムやフュチュリズムの運命が、おそらくはこの種の映画の行く末を見せてくれるであろう。

     発声映画

 無声映画がようやく発達して、演技や見世物の代弁の地位を脱却し、固有の領域を設定しかけたときに、突然発声映画の器械が市場に現われた。それがためにようやく「雄弁」になりかけた無声映画は突然「おし」にされてしまったのであった。
 映画が物を言うというノヴェルティに対する好奇心はほんのわずかの間に消え去ってしまうとともにあらゆる困難が続出して来て、映画芸術は高い山から谷底へ顛落《てんらく》した。そうしてその第一歩からもう一ぺん新しく踏み出さなければならないことになってしまった。
 まず第一に技術上の困難が起こる。たとえば雑音を防止するために従来のステュジオが役に立たなくなるとか、実際の雑音はまるで別物に変わるから適当な擬音を捜すとか、動き回る役者の声をどうして録音するかというようないろいろの問題が、単なる技術上だけの問題でなくて、映すべき素材の上に制限を及ぼすことになる。しかしそういう困難はすべて解決されたとして、あとに残る純粋な芸術上の問題が起こって来るのである。
 すぐにわかったことは、役者のダイアローグを聞かせようと思うと視覚的画面が静的になってしまって死んでしまう。それを避けるために隣室で立ち聞く人を映したりして単調を防ぐ必要が起こって来る。
 それよりも困ったことには国語の相違ということが有声映画の国際的普遍性を妨げる。無声映画を「聞」いていた観客は、有声になったために聾《つんぼ》になってしまった。
 この困難を避けるにはできるだけ言語を節約するという方針が生まれる、そうして字幕との妥協が講究される。
 言葉の節約によって始めて発見されたおもしろい事実は、発声映画によって始めて完全に「沈黙」が表現されうるということであった。無声映画ではただわずかに視覚的に暗示されるに過ぎなかった沈黙と静寂とが発声映画によってはじめて力強い実感として表現されるようになったのである。
 それと同時にまた一歩進んで適当な雑音の插入《そうにゅう》がいっそうこの沈黙の強度《インテンシティ》を強めることもわかって来た。一鳥の鳴き声で山がさらに幽静になるという昔の東洋詩人の発見した事が映画家によって新たにもう一度発見され応用されるようになった。舗道をあるくルンペンの靴音《くつおと》によって深更のパリの裏町のさびしさが描かれたり、林間の沼のみぎわに鳴く蛙《かえる》や虫の声が悲劇のあとのしじまを記載するような例がそれである。
 このような音のモンタージュは俳諧《はいかい》には普通である。有名な「古池やかわず飛び込む水の音」はもちろんであるが「灰汁桶《あくおけ》のしずくやみけりきりぎりす」「芭蕉《ばしょう》野分《のわき》して盥《たらい》に雨を聞く夜かな」「鉄砲の遠音に曇る卯月《うづき》かな」等枚挙すれば限りはない。
 すべての雑音はその発音体を暗示すると同時にまたその音の広がる空間を暗示する。不幸にして現在の録音機と発声マイクロフォンとはその機巧のいまだ不完全なために、あらゆる雑音の忠実な再現に成功していない。それで、盲者が、話し声の反響で室の広さを判断しうるような微妙な音色の差別を再現することはまだできないのであるが、それにもかかわらず適当な雑音の適当な插入が画面の空間の特性を強調する事は驚くべきものである。通り過ぎる汽車の音の強まり弱まり消え去ることによって平面的なスクリーンはたちまち第三次元の空間を獲得して数平方メートルの舞台は数キロメートルの広さに拡張される。遠くから聞こえて来る太鼓の音に聞き耳をたてるヒロインの姿から、一隊の兵士の行進している長い市街のヴィスタが呼び出され描き出される。霧の甲板にひびく汽笛の音とその反響によってある港の夜の空間が忽然《こつぜん》として観客の頭の中に広がるのである。
 音が空間を描き出すのは、音の伝播《でんぱ》が空間的であって光のごとく直線的でないためである。それがためにまたわれわれは音の来る角度を制限することができない。広い視野のうちから一定のわくによって限られた部分だけを切り取って映出するという光学的技法は音響の場合にもはや当てはめることができない。従って画面には写っていない人間や発音体の音が容赦なく侵入してくる。しかしこの音響伝播の特性を利用することによって発声映画は異常な能力を発揮することができるのである。たとえば探偵《たんてい》が容疑犯罪者と話しているおりから隣室から土人の女の歌が聞こえて来るのに気がついて耳をそばだてる。歌がやんで後にその女が現われるとすれば、そこに特殊なモンタージュ効果を生ずる。あるいは突然銃声が聞こえて窓ガラスに穴をあける、そこでカメラが回転《パン》して行って茂みに隠れた悪漢に到着するといったような、いわゆる非同時的《アシンクロナス》な音響配偶によっていろいろの効果が収め得らるるのである。「西部戦線」の最後の幕で、塹壕《ざんごう》のそばの焦土の上に羽を休めた一羽の蝶《ちょう》を捕えようとする可憐《かれん》なパウルの右手の大写しが現われる。たちまち、ピシンと鞭《むち》ではたくような銃声が響く。パウルの手は瞬時に痙攣《けいれん》する、そうして静かに静かに力が抜けて行くのである。
 音と光との二つの世界のいろいろの差違がいろいろの形で発声映画に利用される、そのもう一つの顕著な目標はリズムの問題に係わっている。律動は本来時間的のものであって時間的に週期的な現象がわれわれ人間に生理的および心理的に内在する律動感に共鳴する現象である。空間的のリズムは、これから導出《デライヴ》された第二次的のものであって、目が空間を探り歩く運動によってはじめて時間的なリズムに翻訳されるのである。従って律動感の最も本質的なものは時間的に一元的な音響的音楽的律動である。律動的な音は子供でも野蛮人でも自然に踊り出させるのであるが、無声無伴楽映画のかなり律動的な場面を見ても、訓練されない観客はなかなか足拍子手拍子をとるような気分にはならないのである。それで、発声映画において視覚のリズムと照応した物音の律動的駆使によって著しい効果を収めうるのは当然のことである。たとえば、ルービッチの「モンテカルロ」で突進する機関車のエンジンの運動と汽笛の音と伴奏音楽との合成的律動や、「自由をわれらに」における工場の鎚《つち》の音、「人生案内」の線路工事の鉄挺《てってい》の音の使用などのようなのがそれである。これらの雑音だけで、音楽を抜きにしてもおそらくある程度までは同様な律動感を呼び起こされるであろうと想像される。
 画面と音響との対位法的な律動的構成の試みが「世界のメロディー」の中に用いられていた。ピアノの鍵盤《けんばん》とピアノの音とが、銅鑼《どら》のクローズアップとその音とに交互にカットバックされるところなどあったように記憶する。この映画は全体としてはむしろ失敗であったと思われるが、しかしこういうような手法の試みとしての価値は認めてやらなければならないであろう。
 視覚と聴覚とのもう一つの著しい差違の点がある。それはこの二つの感覚の単義性《アインドイチヒカイト》における相違である。視像の場合でももちろん錯覚によって甲のものを乙と誤認することは可能である。実際この錯覚を利用して、オーバーラップによる接枝法《グラフト》モンタージュで、ハンケチから白ばらを化成する。しかし音の場合はやや趣が違う。少なくもわれわれ目明きの世界においては、一つの雑音あるいは騒音の聴覚によって喚起される心像は非常に多義的なものである。たとえば風の音は衣《きぬ》ずれの音に似通い、ため息の声にも通じる。タイプライターの音は機関銃にも、鉄工場のリベットハマーの音にも類しうる可能性をもっている。これがためにたとえば鵞鳥《がちょう》の声から店の鎧戸《よろいど》の音へ移るような音のオーバーラップは映像のそれよりも容易でありまた効果的でありうる。のみならずいろいろな雑音はその音源の印象が不判明であるがために、その喚起する連想の周囲には簡単に名状し記載することのできない潜在意識的な情緒の陰影あるいは笹縁《ささべり》がついている。音の具象性が希薄であればあるほど、この陰影は濃厚になる。それだから、名状し難いいろいろな心持ちのニュアンスの象徴としては音のほうが画像よりもいっそう有力でありうるということになる。
 たとえば「人生案内」の最後の景において機関車のほえるようなうめくような声が妙に人の臓腑《ぞうふ》にしみて聞こえる。「パリの屋根の下」で二人の友がけんかをしようとするときに、こわれたレコードのガーガーと鳴り出すその非音楽的な不快な騒音が異常に象徴的な効果をもって場面のやまを頂上へと押し上げる。
 象徴的であるがゆえにまた音響はライトモチーヴとしても有効に使用される。「モロッコ」における太鼓とラッパ、「青い天使」における時鐘の音などがそれである。このあとの映画で、不幸なるラート教授が陋巷《ろうこう》の闇《やみ》を縫うてとぼとぼ歩く場面でどことなく聞こえて来る汽笛だかなんだかわからぬ妙な音もやはりそういう意味で使われたものであろう。運命ののろいの声とでもいうような感じを与えるものである。
 俳諧連句《はいかいれんく》においては実に巧妙にこれら音響のモンタージュ手法が採用されている。前掲「灰汁桶《あくおけ》」の句ではしずくの点滴の音がきりぎりすの声にオーバーラップし、「芭蕉《ばしょう》野分《のわき》して」の句では戸外に荒るる騒音の中から盥《たらい》に落つる雨漏りの音をクローズアップに写し出したものである。またたとえば芭蕉《ばしょう》は時鳥《ほととぎす》の声により、漱石《そうせき》は杭《くい》打つ音によって広々とした江上の空間を描写した。「咳声《しわぶき》の隣はちかき縁づたい」に「添えばそうほどこくめんな顔」は非同時性《アシンクローネ》モンタージュであり、カメラの回転追跡(Nachpanoramieren)である。こういう例をあげれば際限はない。他日適当の場所で細説したいと思う。
 録音と発音の機械的改良が進展して来る一方でまたトーキーファンの聴覚が訓練されて来れば、発声映画の可能性はさらに拡張されるであろう。点滴の音によってその室の広さを感じ、雷鳴の響きによって山の近さを感じることも可能になるであろう。
 ともかくも光像と音響は単に並行的に使用さるべきものではなく、対位法的、調音的に編集さるべきものである。並行的使用は両方の要素を相殺し、対位法的編成は二つのものを生かし強調するのである。

     有色映画

 音声を得た映画がさらに色彩を獲得することによっていかなる可能性を展開するかという問題がある。
 無声映画の時代にフィルムを単色に染めることによってあるいは月夜、あるいは火事場の気分を出したことがあった。その後有色写真のいろいろな方法が案出されて、「テクニカラー」式有色映画の示す程度までは進歩したが、その色彩はまだきわめて単調でなまなましくて、かろうじて安物の三色版の水準にしか達していない。それがためにかえって画面の明暗の調子を攪乱《かくらん》し減殺し、そうして過度の刺激によって目を疲らせるばかりであるから、現在のところでは芸術的には全く低級な単なるノヴェルティに過ぎないと言わなければならない。
 視覚的映画に聴覚的な音響を付加することは本質的に異なる別の次元《ディメンション》を新たに増加することであるが、色彩の付加は単に視覚的なものの属性の補充に過ぎない。それだから、たとえば色彩再現の科学的技術がいかに発達したとしても、それがために発声映画がもたらしたほどの根本的な革命が起ころうとは思われない。
 色彩はその使用が適切でなければ視覚的映像の効果を補充するよりもむしろ減殺するのは何ゆえかというと、色彩のために明暗の調子が弱められて画面の深さが浅くなり従って平板に見えやすくなる。これは西洋画をけいこした人のいずれもが経験したことであろう。
 しからば有色映画は全然見込みのないものであるかというと、そうは断言できない。もしも将来天才的監督によって適当なる色彩的モンタージュの方法が案出され、明暗を殺さずにそれを生かすような色彩を駆使して、これを音響と対位的に編成することができればその結果はあるいは大いに見るべきものであるかもしれない。
 色彩のモンタージュはいかにすべきかについてはやはり東洋画ことに宗達《そうたつ》光琳《こうりん》の絵や浮世絵は参考になるであろう。俳諧連句《はいかいれんく》もまたかなりの参考資料を提供するであろう。たとえば七部集炭俵の中にある「雪の松おれ口みればなお寒し」「日の出るまえの赤き冬空」「下肴《げざかな》を一舟浜に打ち明けて」の三連などは色彩的にもかなりおもしろいものである。ともかくも一つ一つの画面にその基調となるべき色彩的な中心映像を確定しそれを生かすためにその周囲の色彩を殺してしまうという、色彩的カッティングを行ない、そうして、その中心的な色彩をモンタージュ的な連結推移のリズムによって進行させて行かなければなるまいと思われる。出て来る画面も出て来る画面もみんな一様に単に絵の具箱をぶちまけたような、なんのしめくくりもアクセントもないものでは到底進行の感じはなくただ倦怠《けんたい》と疲労のほか何物をも生ずることはできないであろう。

     立体映画

 二次元的平面映像の代わりに深さのある立体映像を作ろうという企てはいろいろあるがまだ充分に成効したものはない。特別なめがねなどをかけない肉眼のままの観客に、広い観覧席のどこにいても同じように立体的に見えるような映画を映し出すということにはかなりな光学的な困難があるのである。しかし、そういう技術上の困難は別として、そういう立体的な映画ができあがったとしたら、それは映画芸術にいかなる反応を生ずるであろうか。
 実際の空間におけるわれわれの視像の立体感はどこから来るかというに、目から一メートル程度の近距離ではいわゆる双眼視《バイノキュラーヴィジョン》によるステレオ効果が有効であるが、もっと遠くなるとこの効果は薄くなり、レンズの焦点を合わせる調節《アコンモデーション》のほうが有効になって来る。しかしずっと遠くなると、もうそれもきかなくなって、事実上は単に無限距離にある平面への投射像を見ていると同等である。たとえば歌舞伎座《かぶきざ》の正面二階から舞台を見るような場合、視像の深さはほとんどなくなっているはずであるが、われわれは俳優の運動によって心理的に舞台の空間を認識する。この錯覚を利用して映画の背景をごまかすグラスウォークと称する技術が存在するくらいである。
 映画の場合には双眼視的効果だけはないのであるが、レンズの焦点が深さをもつという事から来る立体的な効果は目の場合と本質的に変わったことはない。窓わくの花に焦点を合わせれば窓外の遠い樹木はぼやけ、樹木に合わせれば花はぼやける。この効果をうまく使えば現在のままでも立体的な効果を生じ得ないことはないはずである。カメラの焦点が近い花から遠くの木へ移動すればスクリーンの観客はちょうど遠くへ目を移す感じがするはずである。このような方法はしかし現在の映画ではあまり使われていない。これは観客の目がまだそこまで訓練されていないためであろう。
 現在の平面映画は、前にも一度述べたように立体的な舞台演技を見るよりもかえっていっそう立体的であるという逆説的なことが言われうる。すなわちカメラの任意な移動によって観客は空間内を自由に移動し、従って観客自身画面の中へ入り込むと同等な効果を生ずるからである。
 このようにカメラの焦点とその位置および視角の移動によって現在の映画は、事実上、少なくも心理的には立体的実体的な空間を征服しているのである。それでこの上に多大の苦心をしていわゆる立体映画がようやく成功したとしても、その効能はおそらくそう顕著なものではあるまいという気がする。
 現在の発明家のねらっている立体映画はいずれもステレオスコピックな効果によるものであるが、誇張されたステレオ効果はかえって非常に非現実的な感じを与えるということは、おもちゃの双眼実体鏡で風景写真をのぞいたり、測遠器《テレメーター》で実景を見たりする場合の体験によって知られることである。それでいわゆる立体映画ができると、われわれの二つの目の間隔が急に突拍子もなくひろがったと同様な不自然な異常な効果を生ずることになり、従って映像の真実性が著しく歪曲《わいきょく》することになるのではないかと想像される。
 ともかくも、現在の映画のスクリーンが物理的に平面だから映画には心理的にも「深さ」がないという考えは根本的の誤謬《ごびゅう》であって、この誤りを認証した上では立体映画なるもののもたらしうべき可能性の幅員はおのずから見積もり得られるであろうと思う。

     人工映画

 実在の人間や動物や家屋や景色や、あるいは実在なものの代用をするセットの類をショットの標的とする普通の映画のほかに、全くこれら実在のものを使わずそのかわりに黒い紙を切り抜いたシルエットの人形と背景を使った「アクメード王子の冒険」や、わが国特産の千代紙人形映画や、またミッキーマウスやうさぎのオスワルドやあるいはビンボーなどというおとぎ話的ヒーローを主題とした線画の発声漫画のごときものがある。まずい名称であるがかりにこれらを人工映画という名前で一括することにする。
 これらの人工映画のもつ特徴は、これらの単純なる影や線のリズミカルな活動によってそこに全く特別な新しい世界を創造するという可能性の中に存する。シルエットの世界には遠い遠い過去の人生の幻影といったようなものの笹《ささ》べりが付帯している。ここから実物の写真では表現し難い詩が生まれ出る。また近ごろの漫画的映画の喜ばれるゆえんは、夢幻的な雰囲気《ふんいき》の中に有りうべからざる人間の夢を実現するという点に存すると思われる。現実の世界において望んで得べからざる願望が夢の国において実現されるように、人工映画の世界においてはあらゆる空想が安々と実現される。ねずみのしっぽを引き延ばしてひけば一弦琴になり、今まいた豆のつるをよじて天に登ることもできる。漫画の長所はこれのみに限らない。似顔漫画が写真よりもいっそうよくその人に似るというのと同様に、対象の特徴の或《あ》る少数なる要素を抽出し誇張して、それをモンタージュ的に構成することによって、実物よりもいっそう実在的なものを創造するのである。近ごろ見た漫画の中に登場した一匹の犬などは実によく犬という愛すべき家畜の特性を描象してほとんど「犬自体」を映出していると思われた。もう一つの漫画の長所は、音楽との対位法的モンタージュを行なう場合における視像のエキスプレッションが自由自在であって、画像の運動は pp[#「pp」は縦中横、音楽記号のピアニッシモ] から ff[#「ff」は縦中横、音楽記号のフォルテシモ] まで任意に大なる変化をすることができ、クレッセンドー、ディミニゥエンドー勝手次第なことである。顔じゅういっぱいに口をあけようと、針で突いたほどにつぼめようと自在である。
 こういうふうに考えてみると漫画の将来にはまだいろいろな未発見の領土が隠れていそうに思われる。ただ現在のビンボー類似の作品はあまりに荒唐無稽《こうとうむけい》な刺激を求め過ぎて遠からず観客の倦怠《けんたい》を来たすおそれがありはしないかと思われる。
 普通の現実的映画が散文であるとすれば、漫画は詩であり歌でありうる、むしろそうあるべきものである。今の漫画は俳諧《はいかい》ならば談林風のたわけを尽くしている時代に相当する、遠からず漫画の「正風《しょうふう》」を興すものがかえって海のかなたから生まれはしないかという気もする。ほんとうはこれこそ日本人の当然手を着けるべき領域であろう。

     映画と国民性

 すべての芸術にはそれぞれの国民の国民的潜在意識がにじみ出している。映画でもこれは顕著に滲透《しんとう》している。アメリカ映画はヤンキー教の経典でありチューインガムやアイスクリームソーダの余味がある。ドイツ映画には数理的科学とビールのにおいがあり、フランス映画にはエスカルゴーやグルヌイーユの味が伴なう。ロシア映画のスクリーンのかなたにはいつでも茫漠《ぼうばく》たるシベリアの野の幻がつきまとっている。さて日本の映画はどうであろう。数年前の統計によるとフィルムの生産高の数字においてはわが国ははるかにフランスやドイツを凌駕《りょうが》しているようであるが、これらの映画の品等においてはどうであるか。たくさんの邦産映画の中には相当なものもあるかもしれないが、自分の見た範囲では遺憾ながらどうひいき目に見ても欧米の著名な映画に比肩しうるようなものはきわめてまれなようである。
 ロシア崇拝の映画人が神様のようにかつぎ上げているかのエイゼンシュテインが、日本固有芸術の中にモンタージュの真諦《しんたい》を発見して驚嘆すると同時に、日本の映画にはそれがないと言っているのは皮肉である。彼がどれだけ多くの日本映画を見てそう言ったかはわかりかねるが、この批評はある度までは甘受しなければなるまい。なんとなればわが国の映画製作者でも批評家でも日本固有文化に関心をもって、これに立脚して製作し批評しているらしい人は少なくも自分の目にはほとんど見当たらないからである。アメリカニズムのエロ姿によだれを流し、マルキシズムの赤旗に飛びつき、スターンバーグやクレールの糟《かす》をなめているばかりでは、いつまでたっても日本らしい映画はできるはずがないのである。
 剣劇の股旅《またたび》ものや、幕末ものでも、全部がまだ在来の歌舞伎《かぶき》芝居の因習の繩《なわ》にしばられたままである。われらの祖父母のありし日の世界をそのままで目の前に浮かばせるような、リアルな時代物映画は見たことがない。チャンバラの果たし合いでも安芝居の立ち回りの引き写しで、ほんとうの命のやりとりらしいものはどこにも求められない。時局あて込みの幕末ものの字幕のイデオロギーなどは実に冷や汗をかかせるものである。現代の大衆はもう少しひらけているはずであると思う。もちろん営利を主とする会社の営業方針に縛られた映画人に前衛映画のような高踏的な製作をしいるのは無理であろうが、その縛繩《ばくじょう》の許す自由の範囲内でせめてスターンバーグや、ルービッチや、ルネ・クレールの程度においてオリジナルな日本映画を作ることができないはずはない。それができないのは製作者の出発点に根本的な誤謬《ごびゅう》があるためであろう。その誤謬とは国民的民族的意識の喪失と固有文化への無関心無理解とであろう。もっとも、良い映画のできないということの半分の責任は大衆観客にあることももちろんであろうが、しかし元来芸術家というものは観賞者を教育し訓練に導きうる時にのみ始めてほんとうの芸術家である。チャップリンのごとき天才は大衆を引きつけ教育し訓練しながら、笑わせたり泣かせたりしてそうして莫大《ばくだい》な金をもうけているのである。
 和歌|俳諧《はいかい》浮世絵を生んだ日本に「日本的なる世界的映画」を創造するという大きな仕事が次の時代の日本人に残されている。自分は現代の若い人々の中で最もすぐれた頭脳をもった人たちが、この大きな意義のある仕事に目をつけて、そうして現在の魔酔的|雰囲気《ふんいき》の中にいながらしかもその魔酔作用に打ち勝って新しい領土の開拓に進出することを希望してやまないものである。それには高く広き教養と、深く鋭き観察との双輪を要する事はもちろんである。「レオナルド・ダ・ヴィンチが現代に生まれていたら、彼は映画に手を着けたであろう」とだれかが言っているのは真に所由のあることと思われる。

[#ここから2字下げ]
(付記) 紙数に制限のあるために省略した項目の中にはたとえば「字幕《サブタイトル》」の問題や、映写幕《スクリーン》の形状の問題のごときものがある。また芸術的実写映画としての山岳映画や猛獣映画のごときものについても一通り述べたかったのであるが、これらについても他日適当な機会に、他の場所で一応の考察を試みたいと思う。
 本編を草するために参考にした書物は次のようなものである。(次第不同)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから3字下げ、折り返して4字下げ]
V. I. Pudovkin : On Film Technique, 1930.
W. Pudowkin : Filmregie und Filmmanuskript, 1928.
〔Be'la Ba'lazs : Der sichtbare Mensch. Eine Film-Dramaturgie (2te Aufl.)〕
〔Be'la Ba'lazs : Der Geist des Films, 1930. 〕
〔Le'on Moussinac : Panoramique du cine'ma, 1929. 〕
Bryher : Film Problems of Soviet Russia, 1929.
L. Moholy-Nagy : Malerei, Fotografie, Film.
〔Der russische Revolutionsfilm (Schaubu:cher 2, Orell Fu:ssli Verlag.) 〕
Russische Filmkunst (Ernst Pollak Verlag.)
G.Herkt : Das Tonfilm-Theater.
Close Up : Vol. VI, VII.
エイゼンシュテイン、映画の弁証法(佐々木能理男《ささきのりお》訳)。
ベーロ・ボラージュ、映画美学と映画社会学(前掲「映画の精神」の邦訳、佐々木能理男訳)。
上田進《うえだすすむ》訳編、映画監督学とモンタージュ論。
レオン・ムーシナック、ソヴィエト・ロシアの映画(飯島正《いいじまただし》訳)。
エリック・エリオット、映画技術と芸術(岸松雄《きしまつお》訳)。
佐々木能理男訳編、発声映画監督と脚本論。
ヴェ・シュクロフスキイ、シナリオはいかに書くべきか(本間七郎《ほんましちろう》訳)。 
セルディス、トオキイと映画芸術(高原富士郎《たかはらふじろう》訳)。
佐々木能理男・飯島正、前衛映画芸術論。
映画科学研究、第八|輯《しゅう》。
新撰《しんせん》映画脚本集、下巻。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから3字下げ、折り返して2字下げ]
以上ただ手に触れるに任せて一読しただけのものを並べたに過ぎない。すべてが良書だというわけではない。翻訳を読むには用心しなければいけない。映画の実例についての著者の所論や感想は「続冬彦集」に集録してあるから読んでもらいたい。姉妹芸術としての俳諧連句《はいかいれんく》については昭和六年三月以後雑誌「渋柿《しぶがき》」に連載した拙著論文【「連句雑俎《れんくざっそ》」】を参照されたい。現在の論文は、これと「二枚折り」になる性質のものである。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から3字上げ](昭和七年八月、日本文学)



底本:「寺田寅彦随筆集 第三巻」岩波文庫、岩波書店
   1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
   1963(昭和38)年4月16日第20刷改版発行
   1993(平成5)年2月5日第59刷発行
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
※【「連句雑俎《れんくざっそ》」】の括弧記号「【】」は底本では「〔〕」が使われています。
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年3月6日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


前のページに戻る 青空文庫アーカイブ