青空文庫アーカイブ
踊る地平線
Mrs. 7 and Mr. 23
谷譲次
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)ロウザンヌ発|大特急《グラン・ラピイド》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)ロウザンヌ発|大特急《グラン・ラピイド》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号)
(例)肉豆※[#「くさかんむり/「寇」の「攴」に代えて「攵」」、第3水準1-91-20]《にくずく》
〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)裏にかくれた 〔e'rotique〕 であつた
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
https://www.aozora.gr.jp/accent_separation.html
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1
蜜蜂の群の精励を思わせる教養ある低い雑音の底に、白い運命の玉がシンプロン峠の小川のような清列なひびきを立てて流れていた。
シャンベルタンの谷の冬の葡萄畑をロウザンヌ発|大特急《グラン・ラピイド》の食堂車の窓から酔った眼が見るような一面に暖かい枯草色のテュニス絨毯なのである。それを踏んで、あたしいま香料浴を済ましてきたところなの、と彼女の全身の雰囲気が大声に公表している、中年近い女が来て私の横にならんだ。肘《ひじ》が私に触れて、彼女が言った。
『数は? 何が出て?』
答えるまえに、私はゆっくりとその女を研究した。
近東型の広い紺いろの顔が、八月の地中海が誇る銀灰色のさざなみによって風景画的に装飾されていた。私はきのうモナコの岩鼻から見物したモウタ・ボウトの国際競争を聯想しなければならなかった。しかし私は、そのことは彼女に話さなかった。彼女の臙脂《えんじ》色の満唇《フル・リプス》と黒いヴェネツィア笹絹の夜礼服とが、いつかラトヴィヤのホテルで前菜《オウドゥブル》に食べた、私の大好きな二種の露西亜塩筋子《ロシアキャヴィア》の附け合せと同じ効果を出していたからだ。私は鋭利な食慾を感じた。そして食慾はいつも私を無言にする。で、私は私の視線を彼女の下部に投げることによって、この、自分の娘よりも若いに相違ない中婆さんを慰楽《アミュウズ》しようと試みた。
彼女の属する社会層は瞬間の私にとって完全な神秘だった。が、私はいま何よりもじぶんのいる場処をはっきりと認識しなければならない。このモンテ・カアロの博奕場《キャジノ》では、どんな神秘も個人の関心を強《し》いはしないのだ。じっさいいかに小さな異常現象へでもすこしの好奇心を振り向けることは、ここの多角壁の内部ではそれだけで一つの「許せない規則違反」なのだ。そこで私はただ聖《サン》マルタン水族館の門番のように、黙ったままこころのなかで彼女の足へ最敬礼することで満足したのである。
がめたる[#「がめたる」に傍点]の靴下が慄悍《ひょうかん》な脛《すね》を包んで、破けまいと努力していた。その輪廓は脂肪過多の傾向からはずっと[#「ずっと」に傍点]遠かった。アキレス氏|腱《すじ》は張り切って、果物ナイフの刃のように外へむかってほそく震えていた。私の眼にも判る一|大きさ《サイズ》小さなゴブラン織りの宮廷靴が、蹴合《けあ》いに勝って得意な時の鶏の足のような華奢《きゃしゃ》な傲慢さで絨毯の毛波《ケバ》を押しつけていた。彼女が足を移動すると、そのけば[#「けば」に傍点]は一せいに起き上って、絨毯のうえの靴あとが見てる間に周囲に吸われて消えた。あまり繊細に、そして音律的に足が動くので、そのうちに私は、じつは彼女が、咽喉《のど》の奥で唄う高速度曲に合わせてブダペスト風の踊りを真似してるのであることを知った。
『ね、何を見ていらっしゃるの?』
この中婆さんは微笑らしいもので私の近代的騎士性を賞美するのである。それから彼女は、伊太利《イタリー》RIVIERAの聖《サン》レモで、眼と声の腐った不潔な少女達が悪魔よけの陶製の陽物と一しょに売ってる、羅馬《ローマ》皮に金ぴかの戦車を飛び模様に置いた手提《バッグ》をあけて、煙草の挟んでない象牙の長パイプを取り出し、直ぐにそれを指先で廻しはじめた。電灯の光矢《こうし》がぶつかって、花火のように音を発して散った。私はこの意味の不明瞭な手品に見入っていた。
『あたしね、ちょいと卓子《テーブル》を明けたの。いま何番が出て?』
今度はリラとすぺいん[#「すぺいん」に傍点]葱《ねぎ》のまじったにおいが彼女の口から私の嗅覚を撫でた。この女は歓喜の絶頂で泣きながら男の鼻を噛む種類であると私は測定した。またこの場合、返事はすべて仏蘭西《フランス》語でされるのでなければ罪悪であることも私は心得ていた。ところで、私は流暢なふらんす語を話すのである。
『番号は三十六です、マダム。』
私は給仕長のように散漫な好色を隠して言った。
すると、罩《こ》もった空気を衝《つ》いて彼女の金属性の微風が掠《かす》めたのだ。
『あら! どうしてそれを御存じ? 三六号はオテル・エルミタアジュのあたしの部屋の番号よ。』
彼女の胸で二つの小丘がわなないた。同時にCIRO真珠飾りがちらちら[#「ちらちら」に傍点]と鳴いて、彼女は歯を見せずに笑った。ぷろしゃ聯隊の伍長のように青々といが[#「いが」に傍点]栗に刈った頭がいつまでもいつまでも笑いに揺れているのである。それにしても、どうして私は彼女の部屋の番号なんぞ知っていたんだろう? 私はあわてて、36はいま私の立ってるルウレット卓子《テーブル》で玉の落ちた番号に過ぎないと彼女に告げた。が、そのときはもう全然ほかの興味に彼女は身を委《ゆだ》ねていた。雨の日のシャンゼリゼエに留度《とめど》もなく滑る自動車の車輪《タイヤ》のように、彼女は自分の心頭《しんとう》がどこへ流れて行くかじぶんで知らないのである。またその自動車の後窓に、都会の迷信中の傑作として護謨《ごむ》糸に吊るされて踊ってる身振り人形のピエロのように、彼女は近代的速度を備えた淡いエゴイズムの一本の感覚の尖端にぶら下ってるのだ。
言葉と彼女の上半身とがいっしょに饒舌《しゃべ》り出した。
『わっら! ムシュウ。ほら、あすこに、そばへ寄るときっとラックフォルト乾酪《チーズ》と酸菜《サワクラウト》のにおいのしそうな、伯林《ベルリン》ドロティン・ストラッセ街から来た紳士がいるでしょう? あの肥った、そら、いま乾板現像液で茶色に染まってる手を出して、他人の賭金《ステイキ》を誤魔化《ごまか》してさらえ込もうとしている――AA! 何て素走《すばし》っこい事業でしょう! あたしはあの人を讃美します。いいえ、あの人はハンブルグの荷上《にあげ》人夫ではないのです。コロンの郊外に生産工場を持っていて、半世紀来|欧羅巴《ヨーロッパ》じゅうの客車と貨物列車へ打ってきた鋲《びょう》の供給者なのです。あの人の手はいつも他人《ひと》のぽけっとへ這入りたがってうずうず[#「うずうず」に傍点]しています。あの人は毎朝熱湯に入浴してじぶんの身体《からだ》と一しょに茹《ゆ》でた玉子をお湯のなかで食べるのです。あの人はエストニア孤児救済委員会の委託金を着服してそれで亜米利加《アメリカ》から理想《アイデアル》印しの妻楊枝《つまようじ》を輸入したのです。そのために青煙突《ブルウ・ファネル》のやくざ船をすっかり傭船《チャアタ》しました。うい・むっしゅう! あなたはあの妻楊枝を満載した英吉利《イギリス》貨物船の編成隊が不意の光線に追われた油虫の家族のように仲の好い一列を作ってダンジグ港へ投錨した時の華美な光景を御存じですか?――そして、あの男の足の小指は、赤い蘇国《そこく》毛糸の靴下のなかで下へ曲がってるのです。OUI! 両方とも――なぜこんなに詳しくあたしがあの人のことを知ってるだろうってびっくり[#「びっくり」に傍点]してらっしゃるのね。だって、あの人はあたしの良人《おっと》ですもの。Tut-tut !』
私の眼が高処恐怖病患者と同じ怯懦《きょうだ》さで広い博奕場のあちこちへ走った。が、私も負けてはいなかった。やがて私は、すこし向うの卓子《テーブル》に、鼻の穴から毛の生えてるリヨンの老生糸商と、生水・ENOの果実塩・亜米利加《アメリカ》産|肉豆※[#「くさかんむり/「寇」の「攴」に代えて「攵」」、第3水準1-91-20]《にくずく》・芽玉菜《めたまな》だけの食養生を厳守することによって辛うじて絵具付《ペインテド》シフォンの襞《ひだ》着物を着れる程度に肥満を食いとめている、安ホテルの椅子みたいに角張ったあめりか女とのあいだに、ルウレットに忘我して顔を真赤にしてる私の妻を見つけて、急いでそのことを言い出したのである。
『彼女《あれ》はこのモンテ・カアロのばくち[#「ばくち」に傍点]にかけてはじつに天竺鼠《てんじくねずみ》のように上手に立ち廻るのです。御覧なさい。ペイジ色の蜜柑《マンダリン》がすっかり上気してまるで和蘭《オランダ》のチイス玉のようでしょう。二つ光ってるのは黒輝石の象眼ではありませんよ。あれは単に彼女の眼です。無理もありません。今夜は朝までに三千|法《フラン》勝って坂の上の駒鳥屋《ロパン》で私に一九三三年型の純モロッコの洋杖《ステッキ》と、一流の拳闘選手が新聞記者に会うときに引っかけるような色絹の部屋着を買ってくれようと言うんですからね。いま一生懸命のところです。』
こう言って、気がついて振り返ってみると、相手はもうそこにいなかった。この女は波斯《ペルシャ》猫である。だから映画のなかの人物のように音もなく行動するし、たとえモナコ名所|犬首岩《テエト・ドュ・シアン》からいが[#「いが」に傍点]栗の頭を下にして落ちたところで、すぐ立ち上って懐中爪磨き道具でマニキュアをはじめるだろう。女は両手を腰に akimbo したまま、隣りの六番のルウレット台のまわりをひやかして歩いていた。V字形の割れた背中は、お尻のすぐ上まで法王祈祷台の素材のカララ大理石だった。そこに切紙細工の黒|蝙蝠《こうもり》が一匹うれしそうに貼りついていた。蝙蝠はどこへでも彼女の行くところへ尾《つ》いて往った。
さて、と私は一時にこの現金を数倍もしくは数十倍にもしなければならない目下の事務に返っていた。私はTAXIDOの内隠しから mille の紙幣を二枚抜きながら、それを|賭け札《カウンタア》に換えてくれる「両替《シャンジュ》」の窓口のほうへ泳ぎ出したのだが、私と窓のあいだには、嘘言とあらゆる悪徳の余地のないほどスキイのように瘠《や》せて平べったい中欧山岳地方の女地主と、星条旗とフウヴァの Talkie にだけは必ず脱帽する亜米利加《アメリカ》無政府主義の青年紳士とが挟まっているので、私はしばらく手の千法《ミユ》と遊ばなければならなかった。
ちょうど晩餐時刻だった。人はみんなオテル・ドュ・パリやCIROやアンバサドウルの食堂で皿や給仕人や酒表と戦ってる最中だった。賭博場はわりにすいていた。それでもこの 1928-29 の「高い季節《セゾン》」である。着色ジェリイをこんもり[#「こんもり」に傍点]と型へ嵌《は》めて打ち出して、それへウラルの七宝と、ルイ王朝の栄華と、近古ムウア人の誇示的|輪奐美《りんかんび》とをびざんてん風に模細工《もざいく》した。そして、香気と名流と大飾灯《シャンデリア》と八面壁画とに、帝室アルバアト歌劇場のように天井の高いこの「機会の市場」だ。緑いろの羅紗を張った長方形の卓子《テーブル》のうえでは、丁抹鰻《デンマークうなぎ》のように滑《すべ》っこい皮膚をもった好機《チャンス》の女神――このお方は、しじゅうあの大刈入れ鎌を手にしてる死神のタイピストなんだが、断髪してることを忘れて速記《ステノグ》用の鉛筆を頭へ挿《さ》そうとしてはよく下界へ落とすと言われている。つまりそれほど頼りない女神である――がほほえんだり顔をしかめたりする。するとそのたびに、ナポリの画学生が三日間大富豪になったり、コンスタンチノウプルの旅役者が生れてはじめてすっかり借金を返したり、極東日本の一旅行者夫妻が良人《おっと》から妻への小切手を振出して夫妻同伴で銀行へタキシしたり、市加古《シカゴ》豚肉王の夫人が郷里の豚肉王に宛てた軍資追徴の至急報を片手に、山下のモンテ・カアロ本局で同情すべきヒステリイ発作のため痛くないように卒倒したり――。
その電文にはこうある。
[#ここから2字下げ]
Fifi has no biscuit.
[#ここで字下げ終わり]
地上唯一の運命のALHAMBRA、このモンテ――一ぱんには洒落てカアロを略して――の賭博殿堂へ、私――GEO・タニイ――と、彼の蝶形|襟飾《ネクタイ》と白|襯衣《シャツ》の胸板とが、いま排他的に社交界めかして舞台しているのである。マダム・タニイは巴里《パリー》トロンシェ街の衣裳屋ポウラン夫人が自分で裁断鋏《カッタアス》をふるった蝉《せみ》の羽にシシリイ島の夕陽の燃えてる夜宴服《イヴニング》をくしゃくしゃにして、むき出しの細い二の腕へ粒々をこさえたまんまさっさ[#「さっさ」に傍点]とルウレット台のひとつへ埋没してしまった。
2
火曜日。モンテ・カアロ。Hotel de Paris の新着客。
[#ここから2字下げ]
エドマンド・モラン卿及びレディ・モラン。コンノウト殿下。ロイド・ジョウジ氏夫妻及びメガン・ロイド・ジョウジ嬢。フランシス・スワン夫人。ナックス・タウンセンド大佐。アンドレ・デニュウ氏夫妻。ヴィクトル・アリ氏。ジョウジ・タニイ氏夫妻。ジャルデノ・バルベニ氏夫妻。オルツィ男爵夫人。パデレウスキイ氏。以下略。
[#ここで字下げ終わり]
私達が Monte Carlo へ着いた翌日《あくるひ》、水曜日の巴里《パリー》英字新聞だいり・まいる紙大陸版「リヴイラで何が起ってるか・起ってないか」欄の人事往来にこう出ていた。
モラン卿は、物ごころついて以来理事長をしてきたマンチェスタア紡績同業組合に最近役員の改選があって、その結果、卿のいわゆる「仕方のない鬚だらけの無礼な急進派」のために居心地のいい椅子を追われた精神的負傷を家庭医師の忠告によって癒《なお》すために、そしてレディ・モランは、この機会にここから各方面の政友へ遊覧保証絵葉書を投函するために、モンテへ来たのだった。コンノウト殿下は病帝陛下がバグナア海岸へ御転地になったので、ようよう岬《キャプ》フェラの別荘へ出かけることが出来るのだった。その途中モンテ・カアロにとまって、カフェ・ドュ・パリの前で私の妻のレンズをじろりと白眼《にら》んでそれでも彼女がすなっぷ[#「すなっぷ」に傍点]するまで周囲の人々との会話を中止していられた。ロイド・ジョウジの一家族は土曜日のキャンヌのレディ・ブウトの晩餐会を振り出しに、舞踏と招待とリセプションとが十五分おきに全旅程を埋めつくしていた。ひそかにコンミュニズムを信奉する一青年記者が、部屋つきの給仕に化けてその貸切室へ出入し、十五分ごとに彼らの言動のすべてを倫敦《ロンドン》本社へ直通電話していた。しかし新聞には彼の言わないことばかり出るといって、召使用|昇降機《エレベーター》のなかで非常に悄気《しょげ》ている記者を私は見たことがある。君も早く感想兼自叙伝の印税で家内じゅうで特別旅行をするがいいと私は彼を慰藉《いしゃ》しておいた。が、このぶるじょあ的|諧謔《かいぎゃく》は彼には通じないようだった。そしてロイド・ジョウジは依然としていつ万年筆と記念芳名録を突きつけられて署名を求められても困らないように右の手だけ手袋をせずにオテル・パリの廊下で杖をついて、それからあの有名な眼尻の皺《しわ》と同伴でしじゅう外出していた。自動車の踏板へ片足をかけたところで「|どうぞ《プリイズ》!」と呼びかける写真班へは、彼は常に選挙民のために貯蔵してある微笑の幾らかを許した。この姿態《ポウズ》が一ばん漫遊中の国民政治家らしくて彼の好みに適合したからだ。そのあいだ令嬢のメガンはウィイン法学雑誌の「羅馬《ローマ》私法における売買契約の責任範囲とその近代法理思想に及ぼせる必然的投影の価値・並びに以上の歴史的考察」の論文を大ジャズバンド演奏中のTEAルウムの椰子《やし》の鉢植えのかげで読みながら、誰かが話しかけるごとに、勿論すぐその運動帽子のように真《ま》ん円《まる》い顔を上げて父のために笑った。しかし小指はウィイン法学雑誌の読《よみ》かけの頁へ挟まれているのを私は見落さなかった。そして相手がもし新しい招待を持ち込んで来たのだったら、彼女は早速胸の開きから小型記憶帳を取り出して日と時間と場処だけを書きつけていた。招待者の名前は決して書かなかった。たとえそれが未知の人であろうとも、彼女は名を訊こうとしないのである。大戦によって社交の習慣もこう変ったのであろうと私は思った。
フランシス・スワン夫人は彼女がホテルの日光浴外廊のアペレテフの上で私と私の妻に告白したとおりに、セルビヤの将軍の娘だった。そこで私はその白鳥《スワン》という姓があんぐれかえたゆに[#「あんぐれかえたゆに」に傍点]系統のものであることを指摘して、夫人に満足な説明を求めたのだった。それに対して彼女は、二つの角砂糖のあいだへ食卓の花挿《はなさ》しから薔薇《ばら》の花びらを一枚採って挟みながら、言いはじめたのである。『ムシュウ・エ・ダム。私はオデッサの大学を出ると直ぐ第三国際の宣伝員として黒海に沿うすべての都会の裏街で売春婦たちと一しょに人参《にんじん》と洗濯|石鹸《しゃぼん》を食べて生活しました。彼女らに彼女らの社会の採用した新しい政治様式の哲理を根本的に知らせるためだったのです。が、間もなく私はその無駄なことに気がついたのでした。なぜって、彼女らはみんなコルセットに手製のポケットを縫いつけて、そこへ醜業で獲《え》た三|留《ルーブル》七十|哥《カペイカ》と一緒に、兵隊達が旧家の客間から盗み出した聖像を押し込んでいるんですもの。経済と宗教を同居させるなんて、前者にとって何という冒涜でしょう! おまけに彼女らは、得態《えたい》の知れない蛮語しか話さない頸の黄色い一羽の鸚鵡《おうむ》を貰うためには、最上等の無煙炭みたいに紫いろの熱気を吐くコンゴウ生れの火夫とでもその船の碇泊中同棲することを辞しないのです。そのうえ、毎朝早く市場へ人参と夜来の露と黒土のにおいを運んでくる近郊の農夫達へ、彼女らは窓から新聞に火をつけて振るのです。夜明けの闇黒《あんこく》は一そう暗いものですから、こうする必要があるのですけれど、彼女らは「赤い警鐘」紙も「労働と自由」新聞も火をつけて窓から振るために存在するのだと思ってるのです。そうするとそれを見ておいて、市場の帰りに百姓たちが彼女らの部屋を訪問します。そして彼らの馬鹿力の愛撫によって彼女たちの午後いっぱいの眠りがはじまるのです。歴史的にブルジョアのものと定義されている怠惰・信心・不潔と安逸への強い執着以外、そこには何もないのです。この女達は無産者のなかでの貴婦人であると私は結論しました。同時に私は、黒海地方特産の美容用れもん[#「れもん」に傍点]をしこたま鞄へ詰めて巴里《パリー》へ出ました。』
ここでフランシス・スワン夫人は玩具《おもちゃ》にしていた角砂糖と薔薇のサンドウィッチを口へ入れようとした。私が心配して注意した。
『小枝を切って絵具の溶液へ差しておくと、花がそれを吸い上げて自働的に着色されます。ニイスあたりでは、そういう薔薇をトルキスタンの花崗岩《かこうがん》帯で発見された珍らしい変種と称して町かどで売っています。おもに謝肉祭の花合戦に恋人同志が投げ合うのですが、首と手足の太い英吉利《イギリス》女なんかがそのまま故国《くに》の従柿妹《いとこ》へ郵送出来るように、一、二輪ずつ金粉煙草《ゴウルド・フレイクス》の空缶へはいって荷札までついていて、値段は五十|法《フラン》です。なかには、物を舐《な》める習癖のある赤ん坊はこれで自殺出来るほど、着色液の性によっては有毒なのがあります。その一種かも知れませんから、お砂糖に挟んで食べるのは中止なすったほうがいいでしょう。』
これが私の妻を噴き出させた。彼女はH・Pとロココ風に略字《モノグラム》のつながった銀の匙《さじ》で私の手の甲の静脈を叩きながら、古代ヘブライ語で私をたしなめたのである。
『何を言ってらっしゃるの? 造花じゃありませんか、これ。』
そして、自分でその花片の一つを※[#「てへん+毟」、第4水準2-78-12]《むし》ってむしゃむしゃ[#「むしゃむしゃ」に傍点]食べてしまった。もちろんこの時は既に薔薇のサンドウィッチはフランシス・スワン夫人の胃の腑のなかにあった。例《たと》えそれが星のかけらであっても、食卓に出ている以上、この女達は※[#「魚+是」、第4水準2-93-60]薬味汁《アンチョビ・ソウス》をつけてフォウクに刺して舌へ載せたことであろうと私は推測した。
消化された薔薇がそのまま声になってフランシス・スワンの口を出はじめる。
『巴里《パリー》へ行ったのはオウトバイ競争の選手になるためでした。そこで私は遠乗《とおのり》協会の会員章の色ネクタイで髪を結んで、フランチェスコ派の苦行僧のように跣足《はだし》に皮草鞋《サンダル》をはいて三十六時間もぶっ続けにペダルを踏んだものです。が、それは私に一つの婚約を持って来るよりほか何の役にも立ちませんでした。男はバルセロナ出身の立体派画家で闘牛の心得もあったようです。「霧の中を往く馬車」というのと「虹の夢」という二つのカクテルを混ぜるのが彼の独特の技能でした。そして彼は、私の銀箔《ぎんぱく》の訪問服へ聖《サン》エミリオンの葡萄酒でその頃理論的に評判のよかったサンジカリズムの絵を描いてくれました。鉄鎚《てっつい》は鉄鎚で集まり、車輪は車輪であつまり、あちこちに調べ革と木靴の模様が散らばっていて、ちょうどお尻のところに聖書が一冊描いてありました。だからそれを着てグラン・ブルヴァウルを歩くことはどんなに私を楽しませたでしょう! キャフェ・ドュ・ラ・ペエ! あすこらの椅子に腰かけると、私はたちまち聖書をお尻に敷いてるのです! 彼はまた手の平に隠れる豆ヴァイオリンを持っていて、夜はそれでTOSCAの愁嘆を弾いて私の涙を誘うのでした。そうして彼は私を伴《つ》れて亜米利加《アメリカ》へ渡りました。あめりかでは、私たちは私たちの智的さを秘密にして帰化することに成功しました。スワンという名はこうして出来上ったのです。彼は、忙しがって衝突して首の附け根を折るウォウル街の株屋や、地下鉄で自ら進んで「|春の鶏《スプリング・チキン》」に足を踏まれたがる「神呪された胡桃《くるみ》」の多いのを目的《めあ》てに、紐育《ニューヨーク》で接骨医を開業しました。が、まずその電気広告費を稼ぐために、彼は毎日違法倶楽部の酒台の向側でカクテル壜《びん》を振らなければならなかったのです。彼が急死したのは、この選挙演説のように激しい振子運動がふだんからあんまり丈夫でなかった彼の心臓へ致命的に影響したのだと、倶楽部の医者が啣《くわ》え葉巻で走り書きした死亡診断書にありました。あとの私のことは多分あなた方のほうが詳しいくらいでしょう。』
私はあわててこういう言葉を挿入する必要を感じた。
『言うまでもなく、近代の新聞はすこし五月蠅《うるさ》くなりかけています。あなたなども随分個人的に立ち入った報道をされて御迷惑なすったことでしょう。』
夫人は指を鳴らして、この私のお世辞に対する喜ばしき受領証の笑いに換えた。
『事実は私は女秘書聯盟の書記になって午飯《ランチ》の休憩時間を一時間増すための全国的運動を起してそのかげに隠れて加奈陀《カナダ》総同盟の最左翼と結託しようか、それともハリウッドへ行って映画女優になろうかとずいぶん考えたのです。で、結局、ハリウッドへ出かけてメトロ・ゴウルドウィンの配役監督に面会したのですが、海水着に日傘をさして腰で調子を取って歩く試験にも、出来るだけ情熱的に接吻する試験――相手はその監督でした――にも、階段をころがり落ちる試験にもすっかり及第したのですけれど、最後の乗馬試験で撥《はね》られてしまいました。私にはどんなに好意ある男をさえも恐怖させるところがあるのです。そのために女優になることは断念しなければなりませんでしたが、あなたが私の名を新聞で御覧になったとすれば、それは映画事業に関聯してではなく、遺産相続という恥ずべき、けれど甘い法律手続の客体としてではなかったでしょうか。全く現在の私は、先月亡くなった父将軍の預金通帳によってこうしているのですからね。つまり良人《おっと》と父と、私はいま二重の喪に服していて重いのです。しかし私は正規の喪服を着ることはどこまでも拒絶します。黒は私に似合ったことありませんもの。』
そしてその申訳のように、彼女は父の分と良人のぶんと二|吋《インチ》四方ほどの黒の絹はんけちを二枚、靴下の腿《もも》のところから摘《つま》み出して、別々のハンケチで左右の眼から桃色の蝋《ろう》のしたたりのような涙を拭くのである。私はそのハンケチが西班牙《スペイン》旧教葬の寝棺にかける黒レイスの切れはしであることを認めて、その通り彼女に告げた。
彼女は父の方のはんけち[#「はんけち」に傍点]で鼻をかんでから私の妻に言った。
『奥さま。お茶へは何をお入れになります? 檸檬《レモン》よりも「|彼の主人の声《ヒズ・マスタアス・ヴォイス》」の蓄音機レコードのほうが宜しう御座いますわ。お茶のなかへあれをすこし爪鑢《つめやすり》で削り落していただきますと、どんなにスチイムの利いてる応接間《サロン》で何時間|他所行《よそゆ》きの言葉を使っていても、決して小鼻の横に脂肪の浮くということはございません。さ、庭園《ジャルダン》に出て馬車屋の挨拶と夕陽の色を吸いましょうね。おお・※[#濁点付き平仮名う、1-4-84]・おあある、ムシュウ!』
そして立ちがけに、通りかかった給仕を指先で押さえてフランシス・スワン夫人がささやいたのだ。
『ピイタア、この紳士にあの「あたしの記憶のために」のカクテルを一つ混ぜて上げて頂戴。』
3
ランキャスタシャアのPOLOの名手として知られているナックス・タウンセンド大佐は、女を擽《くすぐ》るために赤毛の口髭を短く刈り込んで、RをUのように発音していた。彼はまたブラッセル産|切子《きりこ》細工の硝子《ガラス》の指輪を三鞭《シャンパン》グラスのなかへ落してそれが表面に浮いてるように見せる不思議な妖術をも心得ていた。アンドレ・デニュウ氏は恩給で衣食しているセイヌ上流地方の退職戸籍吏のように見えたけれど、じつは彼は巴里《パリー》の百貨店プランタンの大株主なのである。ナプキンを顎《あご》の下へ押し込んでナイフで給仕人《ギャルソン》を指揮する癖があった。夫人は仔馬のように若く、ヴィテルボの陶器のようにこわれやすく、そして二人はいつも、たった今階上の自分達の部屋の性的天国からこの下界へ下りて来たばかりのところであると告白しているように見える夫婦だった。このほかそこには、モンテ・カアロの誘因《アトラクション》の一の鳩射撃《ピジョン・シウテング》の世紀的大家、歯と襯衣《しゃつ》の白い小|亜細亜《アジア》生れのヴィクトル・アリ氏があった。このモンテ・カアロの高級スポウツ鳩撃ちに関しては、産業革命以前から英吉利《イギリス》を中心に異論をなすものが多い。その反対説の大要は、鳩は平和と穏順の半神的象徴であるのに、それを冷たい血において射殺するのは狂気に近いというのである。それに対してヴィクトル・アリ氏は先々月|浩翰《こうかん》な反駁文をアムステルダム発行の鉄砲雑誌「火器《ファイア・アウム》」に寄せた。そのなかで氏は、灰色兎・栗鼠《リス》・蜂鳥.馴鹿《となかい》・かんがるう・野犬などを虐殺するイギリス人の狩猟趣味を指摘し、これらの灰色兎・栗鼠・蜂鳥・馴鹿・かんがるう・野犬のすべてがいかに平和と穏順の半神的象徴であるかを一々古今の詩篇・散文・学説からの文句を引いて例証した。そして彼は、動物に対する感情の相違は畢竟《ひっきょう》民族の問題であると喝破《かっぱ》した。つまり芬蘭土《フィンランド》人は見ただけで嘔吐するかも知れない豚の胎児を、西班牙《スペイン》人は原形のまま丸蒸しにして賞美するのである。それと同じように、一羽の鳩にしても、いぎりすの眼には資本帝国主義のあらゆる美名家として映るだろうし、ホッテントットにとっては単に焙《あぶ》り肉の晩餐を聯想させるに過ぎないかも知れないのだ。そしてわれわれモンテ・カアロの定連《アピチュエ》には、射撃の的《まと》以外の鳩というものの存在を想像することは出来ない。こういう論旨だった。この論文には予期以上の反響があって、ことに英吉利《イギリス》人が灰色兎・栗鼠・蜂鳥・馴鹿・かんがるう・野犬を襲撃するくだりには、それらの生物に対する氏の同情が切々と溢《あふ》れ出ていて、ジェネヴァに本部のある万国動物愛護会が特にこの一節の抜粋を番外週報として一般に配布したくらいである。ヴィクトル・アリ氏は来月中旬の鳩撃ち選手権大会に出場のため滞在しているのだった。
ジャルデノ・バルベニ氏夫妻――羅馬《ローマ》ボルゲエス家の姻戚に当る伊太利《イタリー》貴族。夫妻とも、すべての伊太利《イタリー》人と同じに耳のうしろに垢《あか》を溜めて、それを落さないように朝夕深甚の苦心を払っていた。バルベニ氏はずぼんのポケットに洋銀の靴箆《くつべら》を入れているのが動くたびにはっきり見えた。夫人は赤皮の飛行帽をかぶって素膚《すはだ》の脚へおれんじ色の紛おしろいを叩くことによって靴下以上の効果を出していた。
オルツィ男爵夫人――山腹の Villa Bijou で毎土曜日ダンスを催す。誰でも知ってるとおり、平穏に年をとって来た英吉利《イギリス》の探偵作家だ。今なら Villa Bijou, Monte Carlo というアドレスだけでファンの郵便が届くだろう。
パデレウスキイ氏――白い長髪にちょこん[#「ちょこん」に傍点]と帽子を載せて裾《すそ》の長い外套を着ている人。ホテルの食堂の音楽家を恥かしがらせないように注意していつも発見しにくい隅の卓子《テーブル》へつく。
それから朝飯《プチ・デジュネ》の盆に載って部屋へくる新聞を見ると、片眼鏡の外相オウステン・チャンバレンの夫人もこの Hotel de Paris に泊っているとあるけれど、どれがその人かちょっと私には判らないのである。が、丁抹《デンマーク》の王様だけはホテルの社交室で一眼で認めることが出来た。王様の身長は六|呎《フィート》五|吋《インチ》である。私達はコペンハアゲンでよくこの巨人王のことを聞かされたものだが、それがいま私たちのいるホテルで外《ほか》ながらお眼にかかれたわけだ。王様と女王さまは毎年キャンヌへおいでになる。そしてそこを根拠にジュアン・レ・パン、アンティブ、ニイス、モンテ・キャアロ、マントン、サン・レモと incognito でお歩きになるのである。
こうしてオテル・ドュ・パリは全|欧羅巴《ヨーロッパ》の上流と礼服と談笑と香気と宮廷風の大装飾とによってLIDOの電気看板の飛行をはじめたようにモンテの官能を刺戟していた。
私たちも礼服へ jump in して。私達も談笑の急流を渉《わた》った。香気のために私は毎朝オウ・ド・コロンを飲んで、頭髪にはゴミナ・アルジェンテンの固化油《オイル》を使用した。妻は英吉利《イギリス》直輸入の婦人煙草「|仕合せな夢《ラッキイ・ドリイム》」を喫《ふ》かしつづけた。そして爪を三角に切って貝細工の光沢を模倣するのに午前いっぱいかかった。
4
私達はマルセイユ発ヴァンテミイユ行きのP・L・M列車をアンティブで見捨てたのだった。
そのとき一七八八年以来の記録にない氷の風が北極から露西亜《ロシア》と波蘭土《ポーランド》の野原を吹き抜けて欧羅巴《ヨーロッパ》の主要部分の都会の記念塔とアパルトマンの窓枠とを痛そうに揺すぶっていた。
KEWの役人が両手を空中に抛り上げて宣言した。ファロ列島の東部に精力を持つ高気圧がある。この北極風が労農共和国の氷原を撫でて来るために現在の寒さであると。つまり、すべての社会的妨害がそうであるように、この天候の場合も原困は狂的露西亜《クレイジーロシア》の世界呪文の有難くない反応であると彼らは言いたいのだ。
が、それとは関係なしに、ルウマニアでは汽車が雪の下に寝ころんで、旅客は工兵隊が風俗博物館から応急に借用して来て雪中に立てた亜刺比亜煙管《アラビアパイプ》を通して外部の家族と会話していた。
ウィインでは大型輸送自動車の陸軍飯場《キャンティン》が街上に出張して、通行人と好奇《ものずき》な外国人の旅行者に羊の脂肪肉と麺麭《パン》屑と上官の命令とを煮込んだ熱湯汁を無料分配していた。百貨店帰りの若い売子女の飲んだあとからは、兵卒達が口紅を舐《な》め取るために先を争った。ダニウブが六|呎《フィート》の厚さに氷結して子供たちはみんなスケイトに行ったのでブカレストの学校は自然に閉鎖された。
独逸《ドイツ》では、スプリイ河と魚類の意識が凍って、浮浪人はその無機物化した魚を発掘して来ては湯桶《バス・タブ》に放して蘇生させて売っていた。伯林《ベルリン》ではすべての市街自動車のエンジンを一晩じゅう動かしておくことによって夜中に発動機油の氷結するのを防がなければならなかった。
マンチェスタアではフィルズ製鉄会社の地下室蒸気釜が、氷ってたところへ急に加熱したので破裂して三人の職工が釜と一しょに即死した。
ランダイでは仏蘭西《フランス》軍の歩哨が寒気のために衣裳人形のようになって凍死した。ルツェルンの湖では汽船の羅針盤が氷って岩壁に熱烈な接吻をした。巴里《パリー》では二つの橋の鉄材が収縮して交通遮断になった。ヴェニスでは運河と礁湖《ラグウン》がすっかり硝子《ガラス》張りになって、市民は一時ゴンドラから解放された――。
これらの土地を寒気災害視察員のように巡回して来た私たちに、RIVIERAの太陽と植物系統は何と浮気に見えたことよ!
汽車を出ると地中海が空色の歓声を上げた。誕生日菓子のように立体的な緑の山がそれに答えていた。停車場と機関庫の間に一線《ひとすじ》の海が光っていた。そこに快走艇《ヤット》の赤い三角帆がコルシカからの微風を享楽していた。ヴェランダを広く取って、いぶし銅の訪問板にまでミモザの花の届いてる原色塗りの玩具の山荘《ヴィラ》が、それぞれの地形から人の注意を惹こうとしていた。近づいてみると、その一つ一つが固有名詞を秘蔵していた。〔La Bohe`me〕 というのがあった。“〔MA CHE`RIE〕”というのもあった。英語では“The Wood-nymph”などというのが見られた。ミモザはどこにでもあった。空気はその黄金《こがね》色の吐息のためにグラスの香水工場のように湿っぽく、かつ酒精的だった。海岸の散歩街《プロムナアド》では巨人の椰子《やし》があふりかのほうへ背伸びをしながら行列していた。化粧クリイムの浪へ樺色に焼けた海水着の女達が走り込んだり逃げかえったりしていた。砂には日光と恋と子供の遊びと籠椅子とがあった。人々はみんな大金を費《つか》って遊びに来ている者に特有な、小さな事件を好む悪戯《いたずら》らしい眼つきで素早くお互いに見交していた。私たちは自動車道路に沿うオテル・アングレテエルの自動車庫へ行って支配人に会いたいと言った。
ここは新型の自動車に自動車学校の教授格の運転手をひとり附けて、一週間でも一月でも自用車として貸切りにするところなのである。はじめに保証の金を置けばリヴィラのなかならどこへ乗って行ってもいいことになっていた。自動車の食費――油代――とそれから運転手の食糧、車の手入れや運転手の宿泊料、チップ、グラアジ費その他は一切こっち持ちで、ほかに巴里《パリー》十六区のアパルトマン代ほどに高い借賃を払わなければならないのだ。しかし、そこの自動車には、どう見ても富豪の自家用としか思えないすべての装飾と設備が行き届いていた。支配人が私たちを案内した陳列場《ショウ・ルウム》には、まるでエトワルヘ向って右側のシャンゼリゼの窓のように、高慢な感情の機械動物がすっかりお化粧を済まして思い思いの媚態《コケトリイ》を凝らしていた。それはちょうど貴族の女たちによって育てられて来た犬の展覧会と言った、高価な女性的な感じだった。その、みどり色の垂幕を背景にあちこちに近代的光輝を放っている新鋭の自動車のあいだを、私達は全員堵列礼に臨む東洋艦隊の艦長夫妻のように見て廻った。
アルプス国境防備兵のようにしっかりした足許と精悍な長身とを持つ伊太利《イタリー》製のランチャ。
麒麟《きりん》のように清楚なエスパノ・スイザ。
撫でながら走らせることを必要とする誇りの高いワザン。
それから何もかも承知している第一人者の鷹揚な微笑を忘れないロウルス・ロイス。
私達は彼女の好みで鼻の尖《とが》ったランチャを選んだ。三週間の契約だった。それはスポウツ・カアのように背の低い、真っ黄いろに装った稀代《きだい》の伊達者だった。黒と黄の配合はこの週間の流行だと言って、彼女は黒の制服をつけた真面目顔の運転手を悦《よろこ》んだ。私が名を訊いたら彼は「第十九番《ヌメロ・デズヌウフ》」とだけ答えた。こうして19が彼の呼称《よびな》になったのだ。そしてこの黄瑪瑙《きめのう》の巻煙草《シガレット》パイプのように粋《シック》なランチャが、これから三週間私たちの自用車としてモンテ・カアロ公園《ジャルダン》の小径《こみち》に park されるであろうし、19は三週間のあいだ私達が「ほんとに彼男《あれ》だけは私たちが掘り出した宝石《ジュエル》です」と言い得る、身綺麗《みぎれい》で小気《こき》の利いた“My Good Man”となることであろう。
『僕らはこの車で、君に運転させて真直ぐ巴里《パリー》からドライヴして来た気でこれからモンテ・キャアロへ乗り込むんだから、君も万事そのつもりで。』
私が言った。妻がつけ足した。
『そうしてムシュウ19はあたし達んところに三年――いいえ、足掛《あしかけ》四年働いている忠実な忠実な運転手さんなの。この頃の召使いは腰が浮いてて困るんですけれど、あなただけは別なんですって。』
『そうだ。是非そういう風に考えていてもらいたいな。』
私が激励した。すると19はにこり[#「にこり」に傍点]ともせずに答えるのだった。
『はい。皆さまがそう仰言《おっしゃ》いますので、すっかり承知しております。』
で、いきなり地面がうしろへ滑り出した。
ランチャの後部席には巴里《パリー》一流の鞄店で買い集めて来た私たちのスウツケイスが晴天の朝のカプリ島のようにかがやいていた。そのなかでも Claridge の館表《ステッカア》だけを一枚貼った深紅の女持ち帽子箱と、二人のゴルフ棒《クラブ》を差した縞ズックの袋とが人眼を引いてるようだった。が、私達の誇りはそれだけではなかった。妻はわざと帽子をとって、水玉模様のスカアフと一しょに短い断髪が風に流れるのに任せた。私は彼女の足を蜥蜴皮《リザア》の靴と一しょに自動車用毛布《モウタア・ラグ》で包んでから、私の自動車用革外套の襟を立てて、自動車用鳥打帽子の鍔《つば》を下げて、自動車用ブライアにダンヒルの自動車用|点火器《ライタア》で火をつけた。そしてうしろへ倚《よ》りかかった。外套の下に私は緑灰色のゴルフ服を着ていた、ゴルフ靴下の房も言うまでもなく緑灰色だった。彼女は厳選したアンサンブルのうえから大きな巻毛の自動車用コウトで埋めつくされていた。そして一分おきに自動車用|手提《てさげ》から自動車用鏡を出して薄飴《うすあめ》いろのKEVAの口紅をアプライしていた。19の黒い制服には金釦《きんぼたん》が重要性をつけていた。すべてが巴里《パリー》からドライヴして来た人に相応《ふさわ》しい「長い途《みち》に狐色になった荒《ラフ》さ」だった。私は彼女の肩に手を廻して、19がますます速力を踏んで一時間七十七|哩《マイル》するのを微笑によって黙許しておいた。
私達は高《アパ》コルニッシュ街道の行手にモンテ・カアロが出現するのを待っていた。
Monte Carlo !
モンテ・カアロだけは別だ!
これは地球に打ちこまれた蛇眼石《じゃがんせき》の釘《くぎ》みたいなものなのである。女悪魔のコンパクトに幽閉されていて、開けるとすっ[#「すっ」に傍点]と吹いてくる冷たい微風のような場処である。
このモンテ・カアロは太陽の下のどこよりも盛大な国際的|自由意思《ケア・フリイ》を唯一の価値として実行《プラクテス》しているのだ。その驚くべき原動力は、鉄片のかわりに黄金を引きよせる特殊装置の磁石にある。そこでは近代的に洗練された物質が――そして物質だけが――公認の王位に就いて二大陸の名士連《セレブレティス》を踊らせているのだ。どうしてここへ「自動車一台持って歩かない普通《カマン》の旅客」として汽車で着くことが出来よう! 停車場から来た人はホテルでも直ぐに二流の客と踏んでしまうに違いないのだ。それはこの愉快に軽跳な物質慾の環境への驚くべき冒涜でさえもあり得るのだから、しごく無理もないことだと私は自分に言いきかせた。そこでこうして自家用自動車を自家用運転手に運転させて巴里《パリー》からすっ[#「すっ」に傍点]飛ばして来たもののごとく見せかけてホテルの玄関へ乗りつける必要があったのだ。そしてそのためには、例《たと》え空っぽでも衣裳鞄の一つや二つは余計に持ち、ゴルフ道具と乗馬服だけはゴルフと乗馬に何らの関係なく、忘れることを許されないのである。これではじめてホテルも真剣に相手にしてくれるだろうし、私たちも「上品な自信」をもって周囲の華麗さに接することが出来るだろうし、誰とでもほほえみ交して最近のHITである芝居の評判を話題に上《のぼ》せられるだろうし、そうしてモンテ・カアロの中心に潜り込んでその柱石《キャプテン》たちと混合《ミキサア》し、彼らのあいだに流行するカクテルの秘密をさえも知り、彼等の愛好する冗句《ジョウク》に哄笑し、かれらの doings をDOすることが可能であろう。つまりこれから欧羅巴《ヨーロッパ》最前線の「|速い一団《ファスト・セット》」に私達も参加しようとしているのだ。Tra-la-la !
ホテルへはマルセイユから電報してある。
“Coming this evening. Mr. and Mrs. Tany.”
私は満足の眼でもう一度身辺を検査した。
この、私達とモンテ・カアロとを最も効果的に結びつけるために、私たちはその目的で取っておいた別経済の三分の一を今度の服装と持物と所謂《いわゆる》「|おもて見《フロウ卜・シャウ》」の全部へ新しく投資したのである。そしてこの瞬間の発明になるダンスのステップは、出て来る前にことごとくマスタアしたはずだ。しかも、私達のような人のためにひそかに存在しているあのアンティブの車庫を利用して、競馬馬のようにスマアトなこのランチャと、裁判官のように厳粛な「19」とを手に入れることに成功したではないか、何がほかに私達の Make-up に欠除しているというのだ?
『あ! どっかから犬を借りてくりゃ宜《よ》かった!』
私が叫んだ。彼女は非常に悲しそうな顔をした。
『犬? そうね。ペキニイスか何か――でも、もう遅いわ。駄目よ。いまになってそんなこと言っちゃあ――。』
私は、私たちの完全さに汚点をつけないために、犬のことはこれきり考えないことに決めた。そしてそう彼女に約束した。
コンダミンの小湾が私達を呑もうとして断崖の下に待ち構えていた。
ランチャは、それがランチャであるところの、すこしも速力をゆるめることなしにその難所を突破してコンダミンの湾を失望させた。
私たちのホテル入りは so far 美々《びび》しい成功だった。最初の美少年は彼女の帽子箱を、第二の美少年が彼女の化粧鞄を、第三の美少年は彼女のステッキを、第四の美少年は第一のスウツ・ケエスを、第五の美少年が第二のスウツ・ケエスを、第六の美少年は――とにかく第十一の美少年が私の眼鏡のサックを捧げて続くまで、じつに十一人のボウイが私達の背後《うしろ》に行列した。そのあいだ忠実な19は車扉《ドア》のそばに直立して帽子を脱《と》っていた。
大理石の階段のうえには支配人フリュウリ氏が出迎えていた。彼は手を揉《も》み首を曲げて習慣的に笑った。が、彼の頭脳は私たちの「状態《ナンバア》」と所属級を把握《サマップ》し、一刻も早く待遇の等別を確立しようと忙がしく働いていた。私は彼にファシスト風の真直ぐに腕を上げる挨拶をして、まず私たちがいかに方々を旅行して来た場慣れ者であるかを示した。それに対して彼は帝政時代の仏蘭西《フランス》外交官のように片手を胸に当てておじぎをする礼を返した。それは古風に優雅なものだった。そして彼は私たちのために特に部屋の用意が出来ていると言った。But then, この M.Fleury は巴里《パリー》リッツ・ホテルの支配人レイ氏、オテル・ロワヤル・オスマンのメラ氏、エドワアド七世ホテルのプラロン氏、オテル・ジョルジェのタレイル氏とともに大陸ホテル経営の五人男であることを私は以前から知っていた。
5
専売皮の靴のさきで星がギタノの舞踏を踊っていた。カスタネットはモナコの夜の海岸が鳴らしていたのだ。オテル・ドュ・パリとCASINOのあいだに、食卓布のように明るい灯火の小川と人々の笑い声があった。私と彼女は、理髪師のようなつめたいにおいを発散させながら礼装の肩を較《くら》べた。私には固い洋襟《カラア》が寒かった。
カフェ・ドュ・パリから音譜が走り出て来た。白絹を首へ巻いた紳士が、その白絹を外してシルクハットと一しょに入口の制服の男に渡してるのが芝居のように見えた。女たちは金銀のケエプをしっくりと身体《からだ》に引き締めて、まるで燐《りん》の鱗《うろこ》を持った不思議な魚のようだった。彼女らの夜会服の裾は快活に拡がっていて、そうして背《うし》ろの一部分は靴にまで長かった。流行は絶えず反覆するものであると賢人が言った。あれほど批評の声のやかましかった短袴《スカアト》時代はすでに過去へ流れて、世はスカアトだけがヴィクトリア朝へ返ったのだ。しかし、やはり膝頭の見える女もいた。が、今もいうとおり流行は絶えず繰りかえすものである。だからこれは、遅れているのではなくて、現下の長袴《ジョゼット》流行の一つ先を往ってるのだ。つまりこのほうが早いのだ。とは言え、その敵《ライヴァル》に当る長袴《ジョゼット》連中はそのまた短袴《スカアト》時代の次ぎに来るであろう長袴《ジョゼット》時代を生きているのかも知れなかった。すると、いまの短袴《スカアト》組はそれを通り過ぎたまたまた一つ未来の時期を掴んでいるのだと主張するのである。
賭博場《キャジノ》の建物は航空母艦のように平たく長かった。正面《ファサアド》に赤い満月が懸っていた。それは大型電気時計のように出来ていて、針が動いていた。
大玄関を這入ると、私たちはすぐ左手の広間へ行かなければならなかった。そこは一応入場者を審《しら》べて切符を発行するところだった。その部屋は合衆国高等法院のように出来ていて、ポウル・ボウの税関吏のような疑い深い、そしていつも突発事を待っている眼をした役員たちがとまり[#「とまり」に傍点]木の上に止まっていた。彼らは低声に出入りの女達の身体つきに関して際限のない冗談を交換するよりほか用もない様子だった。そこで私たちは旅行券の検査を受けた。役人は私達に入場を許可するかしないか長いこと相談したのち、はじめから解っていたとおりに、許可することに決定した。
私は網膜のなかで光線と色調とアリアン人種と、demi-mondaines の游弋《ゆうよく》隊とが衝突して散った。麺麭《パン》屋の仕事場のような温気のなかを饒舌と昂奮と美装とが共通の興味のために集合し、練り歩き、揺れ動いていた。そこにはヴァテカン美術館のそれにも劣らない一面の壁彫刻が微細に凹凸《おうとつ》していた。|垂れ絹《ドレイパリイ》はすべて五月の朝のSAVOY平野の草の色だった。壁画が霞んで、円天井の等身像は聖徒の会合のように空に群れ飛んでいた。いたるところに大笠電灯と休憩椅子があった。大笠電灯は王冠形の水晶と独創とで出来ていた。そして、金の鎖を蔓《つる》に持ったフロリダ黄蘭のように宙乗りをして、そこから静かに得意の夢を謳《うた》いつづけていた。休憩椅子は海老茶《えびちゃ》の天鵞絨《ビロード》の肌をひろげて、傍《そば》へ来る女の腰をしっかり受取ろうと用意していた。ケルンの大伽藍《だいがらん》の内部を祭壇のうえの奥の窓から彩色硝子《ステンド・グラス》をとおして覗くような、この現世離れのした幽艶なきらびやかさが刹那の私から観察の自由を剥奪した。が、私の全身の毛孔《けあな》はたちまち外部へ向って開いて、そのすべてを吸収しはじめたのである。私は駐外武官《ミリタリ・アタシエ》のようにタキシードの胸を張った。
La Salle Schmit はルウレットの部屋だ。Salle Louzet は「三十《トランテ》&四十《キャラント》」だ。そして 〔La Salle Me'decin〕 は「|鉄の路《シュマン・ドュ・フェル》」の賭博室である。そのいずれにも礼装の人々が充満して、このモンテ・カアロの博奕場《キャジノ》を経営している「海水浴協会《ソシエテ・デ・バン・ドュ・メル》」――何と遠くから持って来た名であろう! が、それも、多くの「魚《フィッシュ》」を游《およ》がせるという意味でなら実に妥当だと言える――の常雇いの|世話係り《ブリガアド・デ・ジュウ》や、自殺と不正を警戒している探偵や、初心者にゲイムを教える手引役《インストラクタア》や、卓子《テーブル》へ人を集める|客引き《ラバテュウル》――この成語はナポレオン当時募兵員が巴里《パリー》の街上に立って通行人に出征を勧誘した故事から来ている――やがて、開会の鈴《ベル》を聞いた代議士のように、急にめいめい自分たちの重大さを意識して人を分けていた。
それは大停車場のような堅実な広さだった。どこにでも明光が部屋の形なりに凝り固まっていた。自殺を担ぎ込む「墓のサロン」の扉《ドア》が口を結んでいた。すると私の耳にちょっと静寂が襲って来た。そのなかで一つ上釣《うわず》った女の声が走った。
『Rien n'pa plus !』
女は台取締人《クルピエ》の顔を見て言った。彼女はいまの廻転《タアニング》に負けて無一文になったのだ。この頃は「運が背中」で、今夜でとうとう財産のすべてを失《な》くしてしまった。彼女は早口にそう口説《くど》いて卓子《テーブル》の人の同情を求めているふうだった。
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まるけ・むっしゅう!
まるけ・むっしゅう!
ら・ぼうる・ぱっす!
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眠そうな顔と声の台取締《クルピエ》が、こう呟《つぶや》きながら片手で円盤を廻して同じ手で「丸薬《ピル》」をはじいた。
『Un cochon――豚!』
女は卓子《テーブル》を叩いて起《た》ち上った。みんな知らん顔して盤から眼を放さなかった。女は出口へ急いだ。彼女はこれからどうするだろう! きっと今着ているあのおれんじ色のドレスを「木の枝へ懸けて」――質に置いて――帰って来て、その金でもう一度運命を試験するに相違ないと私は思った。この月夜の果樹園のような空気を呑んで陶酔を覚えたものにとって、「緑色の羅紗《らしゃ》」の手ざわりは一生|峻拒《しゅんきょ》出来ない魅惑なのだ。恐らくそのうちに彼女は女性の誇りまで「木に引っかけ」たのち、ルウレット台の一つで勇壮に自殺することであろう。今のように「豚!」と大声に叫びながら!――しかし、そのためにこのキャジノでは、自殺者に対するあらゆる人員と設備を調えて待っているのではないか。Tra-la-la !
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まるけ・むっしゅう!
まるけ・むっしゅう!
ら・ぼうる・ぱっす!
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退屈で、そして冷やかな台取締《クルピエ》の声だ。
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Quatorze rouge, pair et manque
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『十四! 十四! 赤、偶数、小!』
『三十一! 三十一! 黒、奇数、大!』
あちこちにこの|呼び声《アナウンス》が転がっていた。そのたびに台取締《クルピエ》の棒の先で負けた賭札《ブウルポア》が掻《か》き集められ、勝った|賭け《ステイキ》へはそれぞれの割合いで現金代りの札が配られた。どの卓子《テーブル》も廻円盤《ルウレット》はたいがい最低十|法《フラン》の規定だった。幾つもの台が整然と並んで、そのすべてが顔いろを変えた紳士淑女で一ぱいだった。肩から背中まで裸の夜会服《デコルテ》にタキシイドと燕尾服が重なり合って盤を覗いていた。長方形のルウレット台には緑いろの羅紗が敷き詰めてあった。これが歴史的に、そして物語的に有名な「モンテ・キャアロの緑の LURE」なのだ。この金銭の遊戯を司《つかさど》って、幾多の悲劇と喜劇が衝突するのを実験して来た証人である。卓子《テーブル》の中央は両側からくびれ[#「くびれ」に傍点]ていて、そこにふたりの取締人《クルピエ》―― Croupier が向い合って座を占める。その手元には出納の賭札《ブウルポア》が手ぎわよく積まれてある。二人のクルウピエの中間に廻転盤、それを挟んで左右に、線と数字の入った|賭け《ステイキ》面がふたつ続いている。人はぐるり[#「ぐるり」に傍点]とその両方を取りまいて、つまり一つの卓子《テーブル》で同じゲームが一時に二つ進行しているわけだ。クルウピエの一人は右側を支配し、他は左を処理する。客は両替《シャアンジュ》で換えて来た「灰色の石鹸《サボン》」――大きな金額の丸札――をそのまま賭けてもよし、細かいのが欲しければクルウピエが同額だけの小さな「ぼたん」に崩してくれる。廻転盤と賭《ステイキ》面には一から三十六までの数が仕切ってある。卓子《テーブル》の賭《ステイキ》面のほうは一二三・四五六と三つずつ一線に縦に進んでいるが、廻転盤のは一・三三・一六・二四といったぐあいに入り混っている。この円盤がクルウピエの手によってまわされるのだ。同時にそこに白い玉を放す。すると盤の数字には一つごとに穴がある。玉はいろいろに動いた末そのうちいずれかの数へ落ちる。これで勝負が決する。賭け札《ブウルポア》は卓子《テーブル》の面のその数字へ張ってあるのだ。
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まるけ・むっしゅう!
まるけ・むっしゅう!
ら・ぼうる・ぱっす!
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賭け方と増戻《ましもど》しの歩合《ぶあ》いとはじつに複雑をきわめている。みんな鉛筆と記録用の紙片を持って陣取り、一々番号のレコウドを取って統計を作り、それによって可能性の多い数字、言わば「その台の傾向・癖」を探り当てようと眼の色をかえているのだ。数字はまた赤と黒と二つの色に別れている。いわゆる Rouge et Noir の運命の分岐だ。だからこの「赤か・黒か」に賭けることも出来るし、そのほか偶数奇数、それから三十六のうち十八までを落第《マンケ》、十八以上を及第《パス》としてこれらにも張り得る。そして、例《たと》え当っても、冒した危険の率によって一倍から三十五倍まで返ってくる金の割合が違う。赤のところへ百|法《フラン》――十円――置いて赤が出たとしたところで、勝金はその一倍、すなわち百|法《フラン》の儲けにしかならないが、仮りに十一へ真正面《アン・プラン》に百|法《フラン》抛り出して十一へ玉が落ちたとすれば百法の三十五倍と元金の百法と、つまり総計三千六百法――三百六十円――というものが転がり込む。賭けたのが百円なら三千六百円だ。しかし、こうなると私も、四角《キャレ》だの|馬乗り《ア・シュヴァル》だの横断線《トランスヴァサル》だの柱《コラウム》だの打《ダズン》だのと色んな専門的な細部や、他の二種の chemin de fer と trente et quarante のゲイムにまで言及したい衝動を感ずるのだが、いまここで私はその煩瑣《はんさ》な事業に着手してはならない。要するにただ、白い「丸薬《ピル》」一つの気まぐれによって「灰色の石鹸」と「扣鈕《ぼたん》」がさまざまに動き、そのたびに或る人の財布はトランクのように大きくなり、ある人のぽけっとは夏の住宅区域のように空《から》になり、自殺する女や発狂する男や、製粉工場を手離してもう一番と踏み止まったり、勝った金で逸早くピアリッツの家《うち》を買って勇退したり、とうとうホテルを夜逃げして、来る時は自動車の窓から見て通ったコルニッシュ道路に長い月影を引きずるものも出てくれば、それをまた途上に擁して毎晩「卓子《テーブル》」で見た顔が拳銃《ピストル》を突きつけるやら――「みどり色の誘惑」は時として意外な方向と距離にまで紳士淑女をあやつって止《や》まない。
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まるけ・むしゅう!
まるけ・むしゅう!
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博奕においては夫婦といえどもふところは別である。
で、軍資と祝福を分け合ったのち、私達はその人混みのルウレット室で銘々の信ずる道に進むことにした、五時間後に出口で落ちあう約束。
6
五時間後。
深夜の 〔Le Cafe' de Paris, Monte Carlo.〕
そこは音楽よりも会話を愛する人々のために出来るだけ交響団から離れた、光りと影の多い「一部落」だった。そこでは酒杯《グラス》と煙草と煙草の灰と、写真現像液で手の赤い独逸《ドイツ》人、フロウレンスの歯科医、ウィインの毛皮商、グラスゴウのニュウス・ビイ紙特派員、フランシス・スワン夫人、ヴィクトル・アリ氏、それから私と私の妻とが、みんな一時にしゃべり出そうとしてはぶつかり合って、急にみんな控えて黙って、すると暫らく誰も何も言わないものだから今度はみんなで大笑いをしていた。そんなことばかり繰り返していた。それぞれ国際的に面白い顔をしているというような理由から、一しょにキャジノを出ると直ぐいつからともなくこれだけの人が集まったのだった。私たちはソルボンヌ附近の下宿の大学生のように快活と卓子《テーブル》と経済を持ち寄って誰の壜からでも飲んでいいことに決議した。が、給仕人の注意を捉えて、何か証文するのは多くウィインの毛皮商だった。彼は今夜好運の女神が自分のうえに微笑《ほほえ》んだから、その祭典を挙げるのだと説明した。しかし、そうでなくても彼はしじゅう祭典をあげているらしかった。彼の鼻は隣りの食卓の酒まで嗅《か》ぎ分けたし、手は秋の夕方の電線のようにふるえていた。フロウレンスの歯科医は自分に話しかけられた場合にだけは決して答えなかった。そして彼は誰のとも知れない一本の脱毛に興味の全部を集中していた。彼はそれを卓子《テーブル》の琺瑯《ほうろう》板の上に押さえて、ペン・ナイフで端から細かく刻む仕事に没頭していた。彼はまたタキシイドの胸のポケットへ革命的な襟飾《えりかざり》を押し込んで、それを素晴らしい変り色の絹ハンケチであるかのごとく見せる術にも成功していた。じっさい、もし一度彼がそのネクタイであることを忘れて、ぽけっとから引き出して口の周囲を拭きさえしなかったら、私たちはみんないつまでもそれをハンケチであると信じ込んでいたろう。
報知蜂《ニュウス・ビイ》紙の特派員は水蜜桃のような少年だった。彼は手の平に金いろの細毛を生やしていた。そして去年の暮れマドリッドの古い劇場が焼けたとき、そこに居あわせたと言ってしきりにその時のことを話した。
『火よりも煙りが恐ろしいのです。それはまるで古帽子から燻《くす》ぶる反動思想のように――。』
しかし彼の聴手はフランシス・スワン夫人だけだった。夫人は仮装舞踏会に出る士官学校生徒のような、身体《からだ》の輪廓に喰い込んだ水色の男装をしていた。それはあの護謨《ごむ》糸で自動的に中箱の引っ込む仕掛けの、ミラノ製の Italianissima 燐寸《マッチ》のような、非常に役立つ、寸分の隙《すき》もない効果だった。夫人によれば、近代社会の大きな間違いは、男女の性別を不可侵の事実として、これにだけは手をつけようとしないところにあった。なぜか? われわれは生理学を矯正して優生学を案出したではないか。そのほか大学の講座はあらゆる反逆の科学で重いのだ。研究室の窓からは既に手のつけられないほど増長してしまった人造人間が二十三世紀の言語で通行の女にからかっている! うんぬん・うんぬん・うんぬん。
ヴィクトル・アリ氏は鳩撃ち大会が済むまでは禁酒していると言ってグラスを無視した。そして必ず一度灯にすかして見てから水を飲んでいた。
キャフェは博奕場のこぼれで溢れていた。私達の隣のテエブルには、地図で見ると上の端のほうに当る国から来たらしい二人の青年が、皮肉な眼をして「金髪《ブロンド》」を飲んでいた。スウプのなかへ麺麭《パン》を千切《ちぎ》って浮かすことの好きなミドルエセックス州の代言人《ソリシタア》や、絶えず来年度の鉄道延長線の計画を確かな筋から聞き込んだと吹聴しているプラハの土地利権屋や、コルセットの留金《とめがね》が引き釣ってきっと靴下の上部に筋切れがしてるに相違ない巴里《パリー》下りのマドモアゼル――でみ・もんでん――や、南|仏蘭西《フランス》の汽車中に英語の掲示がある・ないで今大議論を戦わしている亜米利加《アメリカ》の老嬢たちや、こういう夜と昼をはき違えた群集がめいめい他人の言葉を押し返してそれに勝つ必要上ほとんど絶叫に近い大声を出しあっていた。そこにはまた交通巡査のように冷静な猶太《ユダヤ》人の給仕長があった。通路に屯営《とんえい》して卓子《テーブル》の空《あ》くのを狙っている伊太利《イタリー》人の家族|伴《づ》れがあった。そのなかの娘は待ってる時間を利用して立ちながら絵葉書を書いていた。銀盆に電報を載せたボウイが「いつものテエブルにいるいつものムッシュウ」のところへ走っていた。伊太利《イタリー》人の娘と衝突して両方が笑った。ここから一つの恋が噴出すべきはずだと私は観察した。這入って来る人ばかりで誰も出て行く人はなかった。ちょうど今日から明日になろうとしていることを私は歯科医の腕時計で読んだ。
そして独逸《ドイツ》人に言った。
『僕はオテル・エルミタアジュのあなたの部屋の番号を知っています。三十六号でしょう? 自分は妻と別々の部屋を取る習慣だなどとは仰言《おっしゃ》らないでしょうね。』
ところが彼の驚愕が私を驚愕させたのである。しかも彼のは覚えのない罪を責められる人が不思議そうに示す種類の驚愕だった。
『妻ですって? あなたは人違いをしている。悲しいことだ。私は結婚するほど旧式でもないし、オテル・エルミタアジュはちょっと外部から見たことがあるだけです。』
私はじぶんが単なる即席の思いつきでこの個人的な会話を切り出したのではないという立場を守護するために、すこしばかり顔を赤くして粘着《パアシスト》した。
『あなたに関する僕の知識はそれだけではないのです。僕はあなたがコロンの製鋲《せいびょう》会社の社長であることも、亜米利加《アメリカ》から妻楊子《つまようじ》を輸入した本人であることも、そしてそのために何艘の英吉利《イギリス》貨物船を傭船《チャアタア》しなければならなかったか――すっかり知っているつもりです。』
『じつに恐るべき独断だ!』
独逸《ドイツ》人は卓子《テーブル》を叩いて酒杯《グラス》にシミイを踊らせた。
『私は単なる正直な映画技師です。』
私は黙った。これ以上主張をつづけることはこの肥大漢と私とのあいだの決闘に終りそうだったから。しかし、それにもかかわらず私は、自分のほうが正しいことを確信していた。なぜなら、現に今夜の若い時間に、彼の妻のいが[#「いが」に傍点]栗頭の波斯《ペルシャ》猫がわざわざ私に指示してこの男が良人《おっと》であると証言したではないか。
ヴィクトル・アリ氏の大笑いが一同の注意を要求した。
『解ってる、わかっている!』
彼は眼と眼の中間で両手を泳がせていた。それは明かに可笑《おか》しさのあまり駈け出して来ようとする泪《なみだ》を睫毛《まつげ》の境いで追い返すための努力を示していた。ばらばら[#「ばらばら」に傍点]の言葉でアリ氏は唱え出したのである。
『――あの人はハンブルグの荷上《にあげ》人夫ではないのです――あの人は毎朝熱湯の風呂へ這入って自分の身体と一しょに茹《ゆ》で上った玉子をそのお湯のなかで食べるのです――それから、あの人のそばへ寄るとリンボルグ、じゃなかった、ラックフォルト乾酪《チイズ》のにおいがする、と言いましたね。それから、それから――あの人の足の小指は赤い蘇国毛糸の靴下のなかで下へ曲っている――こうでしたね?』
『それはどういうお話しでしょう!』
フランシス・スワン夫人が将校のようにずぼん[#「ずぼん」に傍点]のポケットへ手を入れて訊いた。
7
ちょうどそこへ、髪油《かみあぶら》を手の序《ついで》に顔へも塗ったような、頬の光った楽長が近づいて来て何かお好みの曲はございませんでしょうかと質問したので、私が一同を代表して「ハリファックスへ行くように」と勧告した。すると突然私の鼻さきに菫《すみれ》の花が咲いた。それは安価香水のにおいと田園の露を散らして私の洋襟《カラア》を濡らした。曲馬団の少女のようなモナコの風土服を着た花売女がわざと平調な英語でその一束をすすめていた。これは私にすこし考えるところがあって買うことにした。私は女の残して行った菫の花を嗅《か》いでみた。それにはアルコウルの疑いがあった。そして不自然にまで水をかぶって重かった。私は巴里《パリー》モンマルトルのキャバレLA・FANTASIOを思い出した。そこでは売った花束を、酔った所有者が席を離れて踊ってるあいだに、その花売娘が廻って来てこっそり[#「こっそり」に傍点]持って行ってしまうのである。そしてそれに水をかけ、香水を振ってまた売りに来るのだ。こうして同じ花が一晩に何べんとなく新装して売りに出される。そして人は自分の買った花束を朝までに何度買わされるか知れないのだ。
ここのもそれではないかと私は思った。で、私は花売女に盗まれないように卓子《テーブル》の上で菫の束を握っていることにした。が、それでも不安だったので、私は妻の口紅棒《リップ・ステック》を借りて花を結んである紫のりぼん[#「りぼん」に傍点]の端へ|X《クロス》をつけた。そしてようよう安心することが出来た。
みんながヴィクトル・アリ氏の口を見詰めていた。そこからは露西亜《ロシア》煙草のけむりと一しょに言葉がぞろぞろ這い出していた。それらが空中でいろいろに繋《つな》がって、こういう一つのモンテ・カアロ風景を作り出していた。しかし、これは私があんまりロンシャン競馬場の泥みたいな土耳古珈琲《トルココーヒー》にコニャックを入れ過ぎたので、その御褒美《ごほうび》に、キャフェ・ドュ・パリの空気が私にだけ見せてくれた蜃気楼《しんきろう》だったかも知れないのである。
私は菫を逃がさないように注意しながら、アリ氏の物語に追いついた。
『――それはまだあのルイという貨幣――二十五|法《フラン》――が仏蘭西《フランス》にあった頃ですから、大戦前のことでした。
いつの間にかシリア生れのひとりの若い男が、暇な時のキャジノの役員たちのあいだに話題に上っていました。その男は流行|上履《うわばき》のような皮膚に端麗な眼鼻をもった美青年でした。が、彼が評判になったのはそのためではありません。毎晩決まったルウレット台のきまった椅子に坐り込んで、最小額の十|法《フラン》ばかり賭けつづけていたからでした。いや、きまっていたのはそればかりではありません。彼の賭ける数も一つに限られていました。それは二十三でした。なぜ彼が23を選んでそんなに固執したかというと、その理由は彼にとって到って簡単です。当時かれは二十三歳だったからです。一体博奕場へ出入りするもののあいだには、数に関する妙な脅迫観念のようなものがあって、銘々がめいめいの「数」を大事に持って守っています。それは或る人にとっては生れた日であったり、または名前の綴りの字数であったり、その由《よ》って来たるところは千差万別ですが、みな自分の数字を限りなく神聖なものとして、それに絶対の信を置いていることは同じです。で、「23」もそういうわけで、いつも二十三へばかり賭けていたのでした。こうしてキャジノの内部で「23」が彼の代名詞にまで有名化した時です。
その晩かれは例によって「自分のルウレット台」で十|法《フラン》の最小限度を二十三に張り抜いていましたが、ふと気がつくと、何かしら異状に冷たい固いものがかれの大腿《ふともも》を横から押しているのです。何だろう?――「23」は下を覗きました。御存じの通りルウレット台の下には何の仕掛けもありません。が、彼はそこに無意識らしく迫っている隣の女の脚を発見したのです。
その女というのは、高級売春婦以外の何者にも踏めない、三十あまりの、それでも、見たところはたしかにパリジェンヌのようでした。彼女は鋼鉄色の薄い夜会服を着て、廻転盤と「白い丸薬」との機会的な接吻に眼を据えているだけで、たといもう一度あの大戦がぶり返して来ても、自分だけはこのままにしておいてもらいたいと言った様子でした。ですから、もちろん無意識でしょうが、女の脚は夢中のあまり椅子から乗り出して、「23」の大腿部にしっかり触れているのです。ここで若いシリア人は、盤面の二十三に対する愛着以上の興味を感じなければならなかったはずです。なぜ? 地下鉄《メトロ》の雑沓で女の脚が押して来る。押された男は、それが地下鉄会社が乗客へのお礼に出している景品であるかのように、特権としてその接触を享楽するのがつねではないですか。近代都市の交通機関内では、朝夕どれだけ多量にこの擬似性慾が消費されていることでしょう。時としてそれは立派な情事でさえあると私は思います。しかし、言うまでもなくそのためには、押して来る女の脚が飽くまでも忍びやかに、そして両方の着物をとおしてふっくら[#「ふっくら」に傍点]と暖かい体温が通い、血のときめきが感じられる――といったような条件が必要でしょう。だからこの「乗物のなかの相手」には処女よりも人妻のほうが面白いと今アレキサンドリアへ書記生になって行っている私の悪友が言ったことがあります。とにかく、これほど議論の多い「都会的交渉」をその未知の女と持つことになったのですから、「23」はこの先方から向いて来た幸運に感謝すべきだったかも知れません。かれは挨拶のために自分の膝でそっ[#「そっ」に傍点]と隣りの女を小突いてみました。そして驚くべき発見に出会ったのです。
はじめに彼の注意を惹いた冷たい固いものは、他ならぬその女の脚だったのです。じつに彼女の脚は、鉄板のように冷徹でした。岩石のように堅固でした。そして、コンクリイトのように細かくざらざら[#「ざらざら」に傍点]に固形化している表面が、「23」にも明かに感じられたといいますから、彼の興味は一時にほかの方角をとりました。岩のような脚をしている女! 好奇心が「23」を打ったのです。彼はシリア人らしい物静かさでその女のスタディを開始しました。
ゲイムが進むにつれて、女の脚はますます圧迫して来ます。彼も脚でそれに答えながら、それとなく席の横へハンケチを落して、拾い上げる拍子に手で触ってみました。たしかに鉄です。石です。コンクリイトです。彼はだんだん大胆になって、腿で押し返したり、公然と手で撫でてみたりしましたが、女は気がつく風もありません、しかし、これは無理もありますまい。女にしてみれば、まるで部屋の外壁へ微風が当っているようにしか感じなかったことでしょうから。
長い話を短くするために――それから二、三日経った夜更けでした。
「23」はその晩の二十三に見限《ミキ》りをつけてキャジノを出ようとしていました。あれから「岩のような脚をもった女」が一度も姿を現わさなかったので、彼はそれを内心不満に感じていたところでした。キャジノの正面の階段を下りると、芝生と椰子と月夜の公園《ジャルタン》が一面にゆるい登りになっています。そのオテル・ドュ・パリヘ近いほうの角に、人影が固まっていました。何か罵《ののし》るような声も聞えます。「23」はそばへ駈け寄って、人混みのうしろから首を伸ばしました。
あの女でした。地上に倒れているのです。蒼い顔に歯を食いしばって、半分閉じた眼に月が光っていました。そして、もっと異常なことには、彼女の片手が、同伴者である中老の英吉利《イギリス》紳士の燕尾服の裾をしっかりと押えていることでした。
紳士は、女の手を振り離そうとして威厳のうちに※[#「足へん+宛」、第3水準1-92-36]《もが》いていました。見物人は夫婦喧嘩を見るような眼で立っていました。そこを分けて「23」が前へ出ました。
『どうしたのです?』
すると紳士は、待っていた救助船が現われたように、そしてまた悪いところを見られたように、何かわけのわからないことを呶鳴《どな》りながら、いきなり力まかせに女の手を振り解いて、あわてて横町の闇黒《あんこく》へ逃げ込んでしまいました。が、走り出す前に、彼は「23」のポケットへ何か量《かさ》ばったものを押込んで行ったのです。女はただ卒倒していただけでしたから、「23」がその鉄板のような脚を抱いて自分の部屋へ担ぎ込むと、間もなく意識を快復しました。そして同時に、救護者の若いシリア人に恋を感じたと言います。いや、すくなくとも、そう彼女は宣言したのでした。
女はコカイン中毒患者でした。謎の脚は、長年そこへ注射針を刺して来たためにそんなにも皮膚が固化した現象でした。これは、どの医者に訊いてもよくある、さして珍らしくない事実ですが、より[#「より」に傍点]いけないことは、彼女はこの博奕場の幽霊の一つで、あの低音のルウレットの唸《うな》りを聞くことなしには生きて往けない組なのです。彼女にとって、ゲイムに勝つことはコカインを買うための必要事でした。が、それがどうにもならない時は、売春の目的でキャジノで客を探しました。その夜もそうでした。しかし、思いどおりに紳士をつかまえることの出来た彼女は、安心で気がゆるんだせいか、それともコカイン注射の有効期間が切れて彼女の有機が一時的に分散したのか、とにかく、彼女は、ホテルへ行く途中でああして意識を失って倒れたのです。が、彼女の職業本能が、紳士を捉えている片手だけは離させませんでした。掛り合いになって名の出ることを恐れた紳士は、「23」の出現を何よりの好機会に、地上の彼女を「23」に押しつけて、雲隠れしたわけでした。同伴の動機があまり紳士的でないので、或いは彼は、「23」を探偵とでも思ったのかも知れません。これで気がついて、「23」がポケットから先刻《さっき》紳士の押し込んで行ったものを取り出して見ると、それは書物のようなルイの紙幣束でした。
この時からです。ふたりが新しい共同の商売をはじめたのは。
つまり、この偶然事から思いついたのですが、彼らは、何らの資本なしにこのモンテ・カアロで「白い丸薬」と「緑色の羅紗」とを相手に一生遊び暮すだけの財政を、しごく容易に二人のあいだで保ち得ることに気が付きました。それは、その晩の過程《プロセス》を忠実に反復するだけの労力でいいのです。女が売春を装ってキャジノから男を啣《くわ》え出す。そして町角で気絶を真似る。そこへ「23」が現われる。オテル・ドュ・パリあたりの名流の客は、自分の名前に対してだけは恐ろしく潔癖ですから、例外なしに、みんな「23」を警官と間違えて金を押しつけて逃げるのです。それはまるで、万人が万人印刷したような行動だそうです。
二人はオテル・エルミタアジュの三六号室に同棲していて、今でもときどきこの手を用いています。公然の秘密のようなものですが、個人の生計に関与するほど、モナコの警察は暇ではないと言います。これで彼女は要求するだけのコカインを楽しみ、「23」はまた毎晩の「二十三」の軍資にこと欠かないわけでしょう。
忘れました! それ以来、女は「七夫人」として知られているのです。何でもその最初の晩が七日だったそうで、彼女は若い燕《つばめ》の「23」に倣って、それから7にばかり賭けることにしたのです。が、どうせゲエムはニの次ぎで、腕を掴んで倒れるための男を物色しに、一月に二、三度キャジノに出現するだけのことですが――。
コロン製鋲会社の社長・亜米利加《アメリカ》の妻楊枝・ハングルグの荷揚人夫・朝の入浴と玉子・下へ曲っている足の小指――これは誰でも未知の人に話しかける時の、彼女の有名な外交文書です。
「7夫人と23氏」は、私の知る限りにおいてモンテ・カアロの最善の産物ですよ。今度キャジノで教えて上げますから、見て御覧なさい。「23」はちょいと故ルディといった感じの、中婆さんには持って来いの玩具《おもちゃ》です。もっとも、シリア人ですから、小鳥のような円い眼にすこし落ちつきがありませんがね――。』
気がつくと私の手は空《から》だった。菫はやっぱり紫のりぼん[#「りぼん」に傍点]に|X《クロス》をつけたまま逃げたのだ。
底本:「踊る地平線(下)」岩波文庫、岩波書店
1999(平成11)年11月16日第1刷発行
底本の親本:「一人三人全集 第十五巻」新潮社
1934(昭和9)年発行
※底本には、「新潮社刊の一人三人全集第十五巻『踊る地平線』を用いた。初出誌および他の版本も参照した。」とある。
入力:tatsuki
校正:米田進
2002年12月9日作成
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