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土地兼併の罪惡
田中正造

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【テキスト中に現れる記号について】

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(例)[#「切迫して居る境遇」に丸傍点]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ブカ/\
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     △切迫して居る境遇[#「切迫して居る境遇」に丸傍点]

 私は皆樣、昨年十月一寸東京へ參つて、一夜島田三郎君の所に往きまして、夫から歸りまして、又直ぐ出て來て堺さんの由分社へ一晩御厄介になつた切り東京へ出て參りませぬ、是非東京へ出て來なければならぬ問題がありまするのでございますけれども、それは出て參れない、出て參れない計りでなく、早や書面に書いて御心配下さる御方々へ御知らせ申すことも出來ない、何でいけないかと申しますと、先づ一口に閑がない、色々、郵便が不便だの書いて呉れる人が少ないと云ふこともございますけれども、詰り手紙を出す閑がない、それですから一向御知らせ申すことも出來ない、中には政治家に御訴へ申すこともあるですが、帝國議會が開けて居る時も一日も出て來ないようなことで、どうも如何にも切迫して居る境遇でございます、今日もどうしても上り兼ねますのでございますけれども、今日は色々と吾々を御助け下される所の諸君の御集會である、繰合して出て幾分の事情を御訴へを申したり、又是迄御心配下すつた御禮を申すのも必要であるだらうから、一寸でも出京したら宜からうと云ふことを加藤安世君より御注意もございましたから出ましてございます、誠に社會の爲に御盡しになる所の諸君に斯の如き一箇所に於て御目に懸れると云ふことは、私に取りましては、如何にも有難いことに存じます、幸ひ御目に懸りましたから少々宛申上げやうと考へますが、諸君が御承知の如く今日の世の中は一朝一夕の席上の御話で盡せると云ふことは素より爲せぬでございますけれども、少々宛なりとも申上げて、さうして己の知つて居る所丈けの一局部の御話でも之を申上げまして皆樣の御救ひを頂き、且又御參考に供します。

     △所謂大政治家[#「所謂大政治家」に丸傍点]

 一體今日に於ける區域の廣い仕事をする人達は所謂政治家でございますけれども、何か地方に問題があると夫は小問題である、一地方の小問題であると大きなことを申しますが、啻に幅廣ろの話をすれば大問題で、それは政治家らしい、精密な話をすればそれは技師の話、漠然として取止らぬやうなことを云ふのが之が政治家で、或は靜岡縣に何がある、栃木縣に何があると云ふと、それは皆小問題小問題と云ふ、甚しきは其府縣の選擧代議士にして之を小問題と云ふ、さうして之を抛棄して二十億萬をどうすれば之が大政治家だと云ふやうなことを申しますが、諸君は嘸之に對して御困難なことだらうと御察し申上げます、私は其彼等が小問題と云ふ所の問題を申す[#「す」に「〔ママ〕」の注記]まするので、久しく私が皆樣の御力を得てやつて居りますことは足尾銅山鑛毒問題でございますが、此鑛毒と云ふことは今日世に殆ど響がないやうになつて居つて、それから其鑛毒問題から分れて色々の新しき問題が出來て居る、既に鑛毒問題と云ふ方をソツチ除けにして新しい問題の方へ移つて居るやうな譯でございます、丁度一方から見ると鑛毒問題はなくなつて仕舞つたと同じ樣でございますが、決してさう云ふ譯でございませぬ、又今日申上げますのも足尾銅山鑛毒とは申さない、今日諸君に御訴へ申す所の話の前に一通り極く簡單に山林や河や田畑の關係を少しく申上げないとなるまいと考へます。

     △日本の土地兼併は罪惡也[#「日本の土地兼併は罪惡也」に丸傍点]

 今日の題は土地を兼併するの罪惡と云ふ、土地の兼併と云ふことは今日何れの國でも國の文明に伴つて居るのもあり色々でございませうが、日本の土地の兼併は殆ど罪惡が多い、勿論自然でない、無理無體に兼併主義を取るものでございますから非常に惡いことをする、夫故に土地の兼併の罪惡と云ふことにしましたけれども、何か政府を攻撃するの、人を惡く云ふのと云ふそんな閑はないですから、公平に私が既往から今日に至つて居る所の渡良瀬川と云ふ所や、利根川と云ふ所の關係の官林拂下と云ふことゝ、それに對する費用がどう云ふ風になつて居ると云ふことを極く簡單に申上げて見たいと思ひます。

     △官林の拂下[#「官林の拂下」に丸傍点]

 廿一二年の頃足尾銅山附近の七千六百町と云ふ官林を拂下げまして、又矢張是も栃木縣の中でございますが、三千七百町と云ふ山林を拂下げました、三千七百町と云ふのは安生と云ふものに拂下げ、七千六百町は古川[#「川」に「〔河〕」の注記]市兵衞に拂下げましたのですが、双方で一萬千三百町、此代價が何程かと云ふと一萬千百圓である、一萬千三百町の官林を材木と地面とを合せてやつた、細かな御話をしますとお話が先にいきませぬから、一萬千三百町の地面の立派な材木と其中三千町以上の地面を附けて其代價が一萬千百圓で、此兩人に拂下げになつて居ると云ふことを御記憶を願ふ、一萬千三百町のものを一萬千百圓で拂下げた、夫で其木を伐つた、其木を伐ると云ふことに付いても大層御話がございますが夫は木を伐つたと一口に云ふ、それから山の木を伐れば河が荒れると云ふことは定まつて居る、河が荒れゝば又其河に費用が掛ると云ふことは定まつて居る、河を渫ふ、色々費用が掛ると云ふことは皆樣御承知のこと、そこで此河は群馬縣、埼玉縣、茨城縣に及んで居りますが、先づ栃木縣一縣の御話で後とは御推測を願ふ。

     △農商務大臣殿の屋敷迄[#「農商務大臣殿の屋敷迄」に丸傍点]

 栃木縣一縣で地方税が負擔に堪へなくなつた、河が荒れて負擔に堪へなくなつて百八萬圓と云ふ借金をして、土木費堤防費抔が河が荒れて堪らぬで百八萬圓拂ふて河を修理して居る、栃木縣一縣下で官林を拂下げてタツタ一萬一千百圓の金を國庫に收入した、さうして百八萬圓借財をして堤防を造つて居ります、之を一寸覺へて置いて頂きたい、之は栃木縣一縣下で群馬縣も多少此例がある、埼玉縣にも茨城縣にも此例があると御承知を願つて置きたい、それで政府は國會議員の忠告或は社會主義者の忠告、種々なるものが幾らか耳に入つて、大に悔る所があつて、此山へ木を植へると云ふことを始めた、山へ木を植へると云ふと百年經てば河が荒れなくなる、だから兎に角山へ木を植へると云ふことは惡いことではない、しなければならぬ仕事である、之は一體徳川時代にも斯う云ふことがあつた、矢張百八年目になつて居る、古川市兵衞と安生に拂下げたのは百八年目になつて居る、矢張木を植へることをやつた、木を植へると云ふことが去る三十年の年に九萬六千本を植へた、九千六百圓で拂下げて――九萬六千本の臼のやうな木を九千六百圓で拂下げて、其跡へ斯んな小指のような苗木を植へるのが九萬六千圓、九萬六千圓で何程の部分に植つたかと云ふと七千六百町の中百町も植はらない、到底七千六百町の中へ植へるのには九萬や十萬の金では仕樣がないと云ふので抛棄して置いたが、餘程の奮發と見へて六十八萬圓と云ふ代價の原案が出て帝國議會で植へることになりました、こゝ等が一寸御記憶を願ひたい、惡いことでない、善い方のことで、前の惡いことを悔いてやることだから、一萬千百圓の所へ九萬六千圓の木を植へる、後とが六十八萬圓の木を植へる、それを十年繼續して植へると云ふ斯う云ふ次第で、利根川も渡良瀬川以下大分荒れました、二十九年には東京府へ咄嵯に鑛毒水が這入つて向島の農商務大臣殿の屋敷迄鑛毒水が這入つた、斯う云ふので驚いて、さうして群馬、埼玉、茨城、栃木等の知事が集つて政府に河渫をすること、利根川を低くすること、水のコケの宜くなることを河身改良として、國會に要求して、政府から原案を出して貰つて國會議員も之を贊成して呉れと云ふ運動を群馬、埼玉、茨城、栃木の知事が盡力して、さうして國會を通過して東京府へ鑛毒水の這入らぬやうに土手を太くしたり、河を渫へ廣げたりする普請金が六百五十萬圓と云ふ、之は東京府へ鑛毒水が這入ると由々しき問題が起る、足尾銅山鑛毒田地が出來るから、それは大變だから豫め東京府へ鑛毒水が這入らぬが宜いと云ふので六百五十萬圓と云ふ金が出たのである、それは年々五十萬圓宛の金で銚子の口から河身改良をして居ります、栗橋と云ふ東北線を渡る處迄參るのが明治四十二年に彼處に達する、さうすると渡良瀬川の水のコケも宜くなり水害も少なくなる、之は直接鑛毒問題のやうではないが、上手の渡良瀬川の近所の人民が騷ぐ分はどうか、時たま兇徒嘯集と云ふ名でも付けて牢へ入れゝば濟むが東京府の人民は色々學者が居つて八釜敷くてならぬから、之は議論が移つて來てはいけないと云ふ所の豫防法が御話にはなかつた、御話すると皆氣が付くから御話には河身改良費と云ふのですが、之が六百五十萬兩、斯樣な譯で此僅か一萬千百圓の國庫收入があつて官林の拂下、之に對する亂伐、其町歩が一萬千三百町、之は表反別でございますけれ共官林のことは中々實測調べは何萬町になつて居るか分らぬ廣い場所である、是で一萬一千百圓の國庫收入の山に或は木を植へる、或は地方縣令で借金をして栃木縣一縣下で百八萬圓借金をして、東京府の豫防の爲に六百五十萬圓支出する、此金額はこゝで八百四十三萬六千圓となる、八百四十三萬六千圓、此外まだ埼玉縣、群馬縣、茨城縣等の堤防費の多く殖へたと云ふことは此外になりますから殆ど千萬圓多く餘分の金が支出になると云ふことで、さうしなければ此一萬千百圓で拂下げた爲に山が赤裸になつて山口が崩れる、洪水が出て來る、河を荒し人家を荒し人を殺すことを防ぐ手段として、此處に申上げる所許りで八百四十三萬六千圓と云ふ金を投じた、尚此外に埼玉、群馬、茨城等の地方税の増加と云ふものを加へましたならば殆ど千萬圓に近い金が出て居る、是は鑛毒と云ふ字を出さないで御話する、鑛毒の害は此外である、之は今日論ずるの時間を許しませぬ、唯山林を荒して河が荒れて道路費の掛ると云ふ經濟上の一ツで、國庫の收入支出の差丈を御覽に入れましたのです。

     △失策の發露[#「失策の發露」に丸傍点]

 そこで山へ木を植へると云ふことは政府が漸く山を荒し川を荒して惡かつたと云ふことを顧みて斯うしなければならぬと云ふ所から皆出て來る金、皆其既往の失策を補ふ所の金で、古川殿安生殿に山を拂下げた其失策を世間に見せない樣にする金が百八萬圓、六十八萬圓、九萬六千圓、六百五十萬圓、合せて八百四十三[#「四十三」に「〔三十五〕」の注記]萬六千圓となります、斯う云ふのです、之は前の失策を悔いてやつて居る、僅に斯う云ふ譯で、斯う云ふ經濟でございますから豪い經濟學者が政府には澤山ございませうが、何しろ一萬千百圓の金の爲に八百四十三萬六千圓を失つた、さうしてまだ元とのやうにならない、昔のやうにならない、八百四十三萬圓ではどうしても昔の樣な結構な川にはいかぬ、結構な山にはならぬ、百年も經てば昔のやうになるかと云ふ、先づ八百分の一、八百分の一位の金の爲に八百倍の損をすると云ふやうなことは經濟學者と云ふものを頼まぬでも出來ると思ひます。

     △何の先非後悔ぞや[#「何の先非後悔ぞや」に丸傍点]

 そこで夫を悔るなら宜しい、悔るなら悔ると云ふ一方で往けばまだ宜しい、既往の過失は今責立つても仕方がない、大きに惡かつたと思へば其趣意を貫徹させれば夫で宜しいが、――宜くもないけれどもそれで宜いとして置く、所が一方に金を使ふ所を見ると非常に悔いたやうだけれども、一方には益々やらかして居る、何をやらかして居る、矢張山を荒し河を荒すことをやらかして居る、且荒れた村は面倒臭いから取つて仕舞ふ、斯樣なことをやらかす、利根川の下流に於て六百五十萬圓の金を掛けて河身の改良をして水の流れを宜くすると云つて居りながら、群馬縣利根川の利根[#「利根」に「〔根利〕」の注記]官林で四千町歩を四千圓で拂下げた、是が又大層利根川の荒れることになる、そこで六百五十萬圓掛けて先非後悔で河を渫へて居る、此上の災害の多くならぬやうに、東京府を鑛毒地にしないやうに、水害を蒙らせないやうにやつて居るかと思へば又一方山で木を伐つて居る、此利根郡の利根官林は名義は四千町でございますが、四千町に止らぬ、之れが爲めに利根川が又非常に荒れを來すのだ、現に渡良瀬川の方がそれです。

     △豪い經濟家[#「豪い經濟家」に丸傍点]

 渡良瀬川と云ふ方も、即ち水源の山へ木を植へる、利根の下流の河身改良をする渡良瀬川も是から人民が安心する樣になるかと思へば、今迄鑛毒地方ではあるけれども、堤防を能く築けば鑛毒の關係のない村は拾つて取つて仕舞ふ方が宜いと云ふので今度は村を取ることを始めた、之れは酷い、去る明治三十二年に計畫して埼玉縣北埼玉郡利島村河[#「河」に「〔川〕」の注記]邊村と云ふ二ヶ村を買收することを埼玉縣會に於いて知事が原案を出し掛けたことがある、それから三十二年に二ヶ村に村債を起すことを勸めたことがある、栃木縣谷中村に村債を起すことも勸め、群馬縣西矢[#「矢」に「〔谷〕」の注記]田村外四ヶ村に借金をして堤防を築くが宜いと云ふことを勸めたのが三十二年で、それから引續いて三十五年に暴風雨に遭ふて河が荒れますと、それを機會として埼玉の二ヶ村を買收する、栃木縣の谷中村を買收することが始つた、遂に之れが三十八年に至つて谷中村を買收することになつた、埼玉縣では村民が買收は怪しからぬと云ふので跳付けて仕舞いましたが、栃木の谷中村の者は其氣力がなくして愚圖愚圖して居つて其村を取られることになりました、始りは鑛毒問題から起つて大部分河川が荒れた、河川が荒れたから國會議員其他政府の人々も將來の豫防として四百萬圓を掛けて、一方は大層世の中に對して將來の畫策が宜いかと思ふと、裏では益々同じやうなことを繰返してやつて居る、其中で甚しきは人民の住んで居る村、最も天産力に富んで居つて作物の出來る村に色々名目を付けて其人民を追出して其村を取つて仕舞ふ、斯う云ふことにまで仕事が進んで來て居る、さうなりますと云ふと是から先はどうであると云へば、利根川は荒れた、關八州の土地は今日迄渡良瀬川のみならず利根川も荒れる、村の數は減る、其國庫の收入金はどうだと云ふと一萬千百圓、四千圓、一萬五千百圓の收入の爲に渡良瀬川通りの村々は潰れ、且つ村を奪取られると云ふことで、利根川は荒れ關東中央は荒廢に歸すると云ふ有樣で、今日迄の金額で見ると一萬千百圓の國庫收入の爲に八百四十三萬六千圓の國庫及地方の支出が明に見へる、其上に金に積れぬ災害は是から將來何程に至るか分らぬ、之は決して鑛毒の御話をせずに唯山が荒れた河が荒れたと云ふ丈國庫の收入と支出、縣の費用や何かの收入支出の一部丈けの御話を申上げた、斯樣な譯でがすから中々どうも今日の經濟と云ふ者は豪い經濟家が居りますからどう云ふ風にやつて拔けますか、私は眞面目でやれば斯う云ふ亂暴はしないでも出來る、誰にも出來る、こんな損害をしないでも誰にも出來る、經濟が、斯う云ふ風に亂れて居るのを以て見ますと、二十億と云ふ借金を仕拔けてやつて往くと云ふのはどう云ふ技倆でやつて往くのですか、定めし豪い腕前の人があるでがせうが、それよりも自分は諸君に御訴へ申すことの急がしいことを申上げる、斯樣な次第から來た結果何事を爲しても日本國民は柔和にしてどう云ふことをしても默許して居る人民であるから、益々錢儲けをするに宜しい、遂に日本始つて以來未だ曾て例を見ない所の、人口の四百以上住んで居る天産力の作物の能く出來る村を金で之を買上げて取つて仕舞ふ、個人の人がなさるならば御勝手次第だけれども、政府と云ふものが左樣なことをすると云ふに至つては何の例にも何の法律にもないことだらうと思ふ、果して法律にないことで、村を買取るのもソツクリ人民を置いて其村を買ふと云ふのでない、其人民を放逐して仕舞ふ、人民を移すと云ふことも四百名の人民を何と云ふ所に持つて往つて茲に地盤を與へて四百名の者をソツクリ團體力を壞さずに居るのでない、甲の村を乙の村に移すと云ふのではない、四百五十名の人民を四方八方に追散して仕舞ふ、して見れば一ヶ村が正に潰れて仕舞ふ、此村を潰す費用を四十八萬圓と云ふ金を掛けた、さうして四十八萬圓と云ふ金を掛けて村を買取る、買取るのではない、買取ると云ふのは名で、四十八萬圓と云ふ運動費だ、四十八萬圓の金を掛けて此村の人民を放逐して仕舞ふ、人民を窘め散して追出して仕舞ふ、其費用が四十八萬圓であつて、決して四十八萬圓と云ふ金を以て谷中村を栃木縣廳が取上げるなどゝ云ふやうなものでない。

     △谷中村買收問題[#「谷中村買收問題」に丸傍点]

 世の中では能く谷中村買收問題は四十八萬圓で人民の所有地を買ふものだと云つて居る、大間違で、四十八萬圓と云ふ金は幾らか田畑に渡すが、此金の性質は實際人民をして流離顛沛乞食たらしめる運動費である、斯樣なことが世の中に在る、唯流離顛沛乞食たらしめる運動費と申上げては御分りになりますまいから少しく理由を申上げますが、一體人民が何故にタツタ四十八萬兩許りの金で其物を賣るかと申しますと、是には種々なる御話がございまして、一體此村の價と云ふものはどうしても現在ある所のものは七百萬圓のものはある、此の七百萬圓と云ふ品は何百年の間に拵へたものかと云ひますと、四百年からのものである、四百年の間に人民が段々積立てゝ來た、そこに殘つて居るものが今日現場で七百萬圓以上が物はある、此七百萬圓の物を拵へるのには四百年の星霜を經て居りますから何程掛つて居るか分らぬ、現に此の村で一ヶ村を守る堤防費も、新築するに三百五十萬圓掛る、其外田畑宅地立木容易なものでない、開墾費もある、之を一倍としても千五百萬兩のものはある、千五百萬圓は今日の村の總收入額を一分の利として割出して出る所のものです、斯樣な譯です、さうでがせう、今日の戸數は四百五十戸ある、四百五十戸ある村を拵へるのでがすから二三百萬圓で出來るものでない、されば現物が七百萬兩が物があるから七百萬兩で政府が買つたならば穩當なやうだ、一寸考へると七百萬兩で賣れば宜いやうでございます、七百萬兩が物があれば七百萬兩で賣つたら宜からうと云ふと大變經濟上のことを知らぬ人民は大喜びで、七百萬兩掛けた甲の村を捨てゝ乙の新村を造るに七百萬兩のものが出來るかと云ふと、夫は出來ない、前の七百萬兩は唯今申しました通り四百年間掛つて段々と積立つて殘つたものが七百萬兩である、此七百萬兩で以て新規に拵へやうと云つたら迚も前の谷中村丈のものが出來るものでない、だから七百萬兩では引合はぬから其村の總收入の現在作物の取れる收入の利益の一分まで漕付けると千五百萬兩で濟むから、假に政府として千五百萬兩で以て人民を移すとどうなるかと云へば、甲村の人民を乙へ移して原野を開いて拵へると千五百萬兩掛けて七百萬兩殘る、之は餘程器用に往つてさうです、中々北海道の開墾はこんな風に往くものでありませぬが、器用に往つたら千五百萬兩掛けたら七百五十萬兩の物が殘るかと云ふ位、是位の物を僅か四十八萬兩で買潰すと云ふことは買ふのではない、村を取るの運動費に過ぎないのである、唯の四十八萬圓、其四十八萬兩も公平に使ふかと云ふと不公平極つた使ひ方で、七萬五千兩を以て排水器を買つたと云ふから現在人民に與へる金は減じて仕舞ふ、斯樣な譯で、四十八萬兩を以て人民を四方に流離顛沛させて、僅宛を移して居りますけれども、大抵僅の移住費を與へて四方に追散して仕舞つた、何故にさう云ふ風に人民が云ふことを聞くか、餘り意氣地のない人民でないか、斯う諸君の御輕蔑もございませうけれども、之は深く謀つたことでがして、谷中村のことは特に今日御訴へ申したいので、少々の所でも御訴へ申したいので今日出ましたから暫くの間御猶豫を願つて御話したいでございます。

     △先づ衣食金融の道を絶つ[#「先づ衣食金融の道を絶つ」に丸傍点]

 谷中村を買上げると云ふことは三十八年即ち昨年のことです、然るに三十五年堤防が切れたのを幸として堤防を拵へずに居りました、それから當年迄五ヶ年間堤防がございませぬから、水がドツサリ這入つて作物が取れない、それでございますから此間食物がない、非常な借金をしたり艱難辛苦してやつと生活を繋いで居る、所が五年間に少々借金が出來た、所で三十八[#「八」に「〔七〕」の注記]年に至つて縣會が谷中村を買收すると云ふやうな意味の決議をした、さうして三十八年に着手しましたけれども恰も三十五年から人民を水責兵糧攻にして困らして置いて、縣會に於て夜分十二時頃に、何を話したか祕密會で決めたことがある、それが買收の事實である、之を新聞に廣告して地方の新聞に出して仕舞つた、畑は三十兩田は二十八兩と云ふ値を付けた、墓場は一坪一兩、斯ふ云ふ値を付けて新聞に出しましたから最早賣買が止つて仕舞つた、直ぐ隣村の田地が二三百兩する所へ、斯樣な値段で廣告して仕舞つた、だから其以上に高く買ふものはなし、其値でも他村の人は決して田地を買ひませぬ、縣廳で買ふとなつた地面でありますから他村の者は買ひませぬ、殆ど賣買を禁じたるが如く、さうして金融を絶つて仕舞つた、それから一方は借金で攻め尚引續いて水で責めた、斯樣なことで衣食を絶つて金融の道を塞いで一方で此處に來い買つてやると云ふことを始めた、斯樣な譯でがすから人民は迚も其處に居られなくなつた、引續いて三十八年迄四年間食べる物もなし金融の道は塞がつた、仕方がないから殆ど之は逃出すので、逃出すに付いて何程なりとも錢を持つて逃げたい、田地を持つて遁げることも家屋敷を背負つて遁げることも出來ぬから、何程でも錢があれば御授け次第の錢を貰つて餘所へ往きたいと云ふことになつた。

     △流言[#「流言」に丸傍点]、強迫[#「強迫」に丸傍点]、誘惑[#「誘惑」に丸傍点]

 それで其有樣は實に非常な有樣で、其位に困つて居る所へ以て往つて昨年の八月以來谷中村を買上げると云ふことになりますと云ふと又一層酷いことをやつた、どう云ふことをしたかと申しますと、色々の商人を村へ入れました、是が流言家である、先づ古道具を買ふ商人を村の中に凡そ百人も入れました、道具を賣る、此方では近い中に家を打壞されるさうだから道具を早く賣らなければ安くなるから早く御賣なさい、縣廳で地面を買ひ家は賣るものも賣らぬものも皆打壞すさうだから早く御賣りなさいと云つて、百人も這入つて運動する、それから屋敷の木を御賣りなさい、庭園の楓の木でも梅の木でも櫻の木でも皆薪にして仕舞ふ、斯樣な譯で木を賣れ道具を賣れと云ふ、不都合千萬な話、そこに至つて東京府とか他地方の人民であれば無禮なことを云ふなと申しますが、そこが柔和な人民でがすから木を賣れ道具を賣れと云へば、木や道具を能く賣つて皆屋敷の木を伐つて仕舞ふ、斯樣なことで米もなし食べるものもなし困つて居る所へ、木を賣れと云ふから木を持つて居る者は木を賣る、それが皆運動屋で、鷄も賣れと云ふ、鷄も必要がありますまいから御賣りなさい、船も此處に居なければ要らぬから御賣りなさいと云ふ、種々なる商人を數百人入れてさうして人民を狂亂させて仕舞つた、それから村の中へ七人と云ふ惡黨を入れて是等に非常な流言を放たして、村中を驅け歩いて、人民を騷がして歩く、此商人が色々騷がして歩く爲に人民は發狂した如くなつて居ります、さうなくても三四年食物がなく借金をして居る、金主の方は金貸の方へ内通をして居つて金貸が非常に督促をする、三百代言を何百人と入れてサア寄越せと云ふ、田地を抵當にしても取る人がない、賣らうと云つても買手がない、金融の道を塞ぎ食べるものを奪ひ、堤防は此村には永世築かないと云ふ亂暴なことを書いたものまで――公文書まで發して人民を迷はしたのでがすから、人民が發狂するのも無理はない、殆ど狂人の如くなつて村を逃出す、逃出すに付いて何程でも錢が欲しいと云ふ所へ僅の錢を與へるに過ぎぬ、之が丁度江戸城の亡びます時に私が江戸に居りましたが、旗本なる者が江戸城を逃出して一は比叡山に立籠り、一方は流山邊に逃げて今市日光に戰つて會津へ落ちて往つて死んだ、其時の徳川の爲に忠臣と云ふ人々が此の江戸城を逃出す時の有樣は、旗本何萬人と云ふ者が逃出すに皆家屋敷を持つて居るから、何程家屋敷を錢にしたいと思ふが誰も買ふ者がない、能く此時の有樣に似て居ります、仕方がないから御出入御用商人を呼出して此度脱走して出て往くからなんぼにでも宜いから買つて呉れぬかと云ふ、買つた所がなんだらうが何程にでも宜いから取つて呉れんかと云つて御出入と稱する商人に其殿樣が御辭義をして頼んだ、其時には或は石燈籠のある泉水のある庭園を二十圓三十圓と云ふ金で立派な證文を渡して其金を懷にして逃出した、もう出れば生命はない、戰へば生命の有無を期する筈にいかぬ、其時分の有樣を私は目撃して知つて居りますが、之は戰爭でございます、日本政府は此忠良なる人民を相手にして戰爭をするが如く、八方から水責にし食物を絶ち金融を絶ち、妻子を疲らして遁出す時分に僅なる金を與へて之を買取つたと稱して居る、さうして千五百萬圓からの價のあるものを、僅か四十八萬圓の金を以て奪取る云ふことは現在行れて居るのです。

     △決して日本國は無い[#「決して日本國は無い」に丸傍点]

 諸君如何でございませう、何たることでございませうか、諸君の日常御心配下さる所のことは是れに似寄つたこと許り今の日本に多いのでがすから格段珍らしいと思召さぬか知りませぬが私は廣く新聞も碌に見ることが出來ませぬで唯此處に居りまして昨年一昨年以來谷中村に這入り込んで居りまして、そこの一例から觀察をしますと、決して日本と云ふものはあるものでない、何が日本であるか、戰爭などは何の爲にしたか、政府たるものが人民に對する仕事が殆ど戰爭の如き有樣である、どうか諸君色々の御話を申上げましても御信用のことが如何であるか分りませぬが、どうか餘り遠方のことでもございませぬから、千萬御繰合せ下さいまして、我日本國中にさう云ふ所があるに相違ないのでございますから、私が案内申上げますから、何卒之を御實査相成ることを偏に御願ひ申します、日常諸君は御存知ですが少々此間中から、疲勞を致して居りますから少々の間休みまして尚引續いて今少々諸君に願ひたう存じます。(十分間許休憩)

     △亂暴狼籍[#「亂暴狼籍」に丸傍点]

 少々宛申上げます、栃木縣下都賀郡谷中村と云ふ村を潰しますのは買收と云ふことは出來ぬで、補償と申して居ります、補償金を與へて之を買上げると云ふことは何も法律がないのです、法律に依らない仕事である、谷中村を潰すことは固より法律にない、買收と云ふことは固より法律にない、何の法律に依つて谷中村を潰すと云ふものは何もない、栃木縣會が議しまして今日栃木縣の法律と云ふ譯ではないが、縣會中で議した者で法律となつて居る者は堤防建築費と云ふ、それから帝國議會に於て議決になりました者は災害土木補助費、其中に谷中村の買收費と云ふ者は何處にも書いてない、唯其土木補助費災害土木補助費と云ふ金の中を活用して應用して村を潰す金に使ふ、堤防建築費と云ふ之も建築の一であると云ふことに應用して潰すと云ふに過ぎない、正しき谷中村買收費と云ふ法律がないが爲に、谷中村で其所有權を買上げなければならぬが、公益の爲め買はなければならぬと云ふ明な言葉を出すことが出來ぬから、それが爲に種々の惡策を用ひて人民を間接直接に脅迫し強制して種々なる脅しを掛け、或は古道具屋を入れ、庭内の樹木を買ふものを入れ、種々なる手段を用ひて其方の運動費に多くの金を費し、法律がないが爲に惡策を用ひてさうして人民を脅迫して之を賣らせると云ふことにするのです、明なる法律に正條のある仕事ならば何を苦んであゝ云ふことをする譯はない、今日迄明なる法律を以て公益の爲に其方の村を買はなければならぬと云ふことは何等の書付に書いて出さない、でがすから普通の常識を持つて居る人民ならば法律を見せなさいと云へば雜作ない話で、然れども唯今申しました通り、四年間の水責と食糧金融を絶たれ、尚永遠の望を絶たれ將來の望を絶たれて堤防は築かぬ、斯樣な人類の住んで居る村へ對して將來共に堤防を築かぬと云ふ亂暴狼籍を云はれてそれで分らぬ人民であるから、何の法律に依つて吾々の村を買收するか、吾々をして買潰すと云ふことは何の法律があるかそれを見たいと云ふものは一人もない、そんなどころでございませぬ、唯今申す通り江戸城の亡びる時遁出す有樣でございますから、値の高いも安いもそんなことを論ずるところでない、我先に爭ふて逃出すのです、古來何百年來成り來つた村を潰すに明なる法律に正條もないことを以て曖昧の間に此村を打潰して、己の利欲の爲に此村を取ると云ふことは何たることでございましやう。

      △人民を狂亂させた[#「人民を狂亂させた」に丸傍点]

 彼の言ふ所は貯水池にすると云ふ、谷中村水利の爲め池沼にする、貯水池にして洪水の時此村へ洪水を入れるから外の村々が助かると云ふ、其口實も其通りならば宜しいが、其四隣縣より甚だ迷惑であると云ふことを内務省に申出てある、國會にも其書面が出て居る、又此谷中村と云ふ村は決して今迄水が這入つて作物が出來ないと云ふやうな村でないので、立派な村です、夫故に今日御出を願つて御覽になれば能く分ります、皆立派な麥畠です、風が吹けば塵が立つて外の地方と變ることはない、然るに一昨年の麥蒔き時分から、堤防を築かないから、麥蒔きをしてはいかぬと云つて人民に諭す縣廳の役人共です、昨年の夏は田植最中に大勢官吏が押込んで來て、調査と稱して村中を横行して人民を狂亂させた、當年の麥蒔き最中に麥を蒔かなければならぬのに麥を蒔いてはいかぬ、堤防は築かぬから蒔いても取れない、村役場で印を捺して村長の名を以て堤防は決して出來ないからと云つて毎戸に村へ振れると云ふ餘計な世話をして居る、當年麥を蒔かぬ畠がある、之は麥を蒔けよと云ふこそ縣廳の仕事である、申す迄もない、殊に栃木縣知事は栃木縣農會々長である、斯樣な譯で田植へ麥蒔きを妨害して今日堤防を築かせない、斯樣なことを斷言して且公文書を發して居る、人民を買收事務所へ呼付けて堤防は築かない、貴樣等村に居る中は駄目であるぞ、賣れ、畏りましたと云つて賣つて仕舞ふ、是等は賣らぬと云ふ人に對する處置、さうして百姓の農業を妨害し、百姓は折角仕付けても堤防がなければ水が這入りますから麥も稻も取れませぬから躊躇する、一町植へるのを五反で止めます、麥も一町の所を五反で止めますから空地がございます、それでも麥を蒔いた所は立派な所になつて居ります、官吏が先立をして作物を仕付けるなと云ふことを怒鳴り散して歩くと云ふことは、諸君どうでございませう、例へ谷中村を水を溜める所にするにせよ、人民の居る中は堤防は必要と極つて居る、人民はさなくても水鳥でもない、作物を取れば何の害があるか今から五十日經てば麥になる、前に取つたのは食べて仕舞つた、植付けてありますのは是から五十日經たなければ食へぬと云ふ麥になつて居る、併ながら堤防がございませぬから是から雪解け水が來るから這入るに極つて居る、微かなる堤防を築いて呉れ、給[#「給」に「〔急〕」の注記]水止を築いて呉れと云つて何遍願つても出來ませぬ、其中に水がやつて來ますから人民の中から錢を出し合つて僅なものを造つて居ると、之を縣廳から差止めの役人が來る、御理解は御尤か何だか分りませぬが何が惡いのでございませうか、麥を取つて何が惡いのでございませうか、昨年も貴方君吾々が麥を取るのを御妨げで厶いましたけれども昨年からも細い堤防を築いて麥丈を取りました、昨年は麥を取つた結果で幾分か御用が參りまして戰爭の馬糧麥を二百石程獻じました、徴發に應じました、又今日と雖も租税を拂つて居ります、今日と雖も兵隊を出して居ります、馬を寄越せと云へば馬を上げます、昨年吾々の築いた堤防で麥の徴發に應じてある程で厶いますからどうぞ當年も細くも築かして呉れんならぬのに御差止の譯ですか、差止める譯でもないが、相成らぬ、彼是押合つて居ります中に近頃になりまして、河川法に觸れて居ると云つて嚴重なことを書いたものを達して來ました、河川法第十八條に依るとか何條に依るとか云つて、來る二十七日迄に彼の堤防を取拂つて仕舞へ、若し取拂はなければ官自から其堤防を片付ける、片付けて其費用は貴樣達から徴收する、斯う云ふことを書いて寄越しました、是はマア何とも早や言語に絶つて居るとか何とか云ふことでございませうが、何たることでございませうか。

     △堤防の破壞[#「堤防の破壞」に丸傍点]

 止むことを得ない堤防の御話も少々しなければなりませぬが、谷中村に對する堤防丈の御話を致しますと、谷中村と云ふ村は尤も周圍が堤防で、三里十八町を堤防を以て巡つて居る、赤間沼と云ふ沼がある、之が淺い、是がどうも壞れ易くなつて居る、けれども私が近來見まするに左程至難な堤防ではない、何となれば斯う云ふことがございます、三十五年に堤防が切れました、時に縣會が議決しまして其切付けを防ぐに付いて追々に金を支出致しました、僅か八十五間の切付けを防ぐに付いて縣會が金を出しましたのが三度に十萬圓の金を出した、十萬圓の金を三十六七年に掛けて十萬圓の金を出して僅なる八十五間の切口が塞ぎ得なかつた、夫から八十五間の口が十萬圓の金で塞ぎ得ないと云ふ評判を私共聞いて其所へ參つて見ますと云ふと、如何にも口が塞ぎ切れぬで、左右の堤防が八百間許り波で壞れて居る、酷い有樣に壞れて居るから之は成程波の荒い所だ、成程十萬兩掛けて此僅か八十五間の口が塞げぬ所で仕樣がないと私も欺された、三十七年に參つて更に其波の荒きことに驚いた、如何にも堤防を築くに骨が折れるなと私も一度欺かれた、段々之を調査しますと八百間許りの間の堤防の波の打たれた如く見へるのは土木吏が鍬で切り崩した、波除けの柳を切り、太い所を削つて細くした、其跡を波に打たしたから大層波の荒い樣に見へる、之は何時何の爲に切り落したと云ふと工事の出來が惡いから拵へ直すと云つて切り落した、それは七月十三日迄の仕事で、七月半に至つて洪水の眞最中になつて堤防を切崩した、七月十三日になつて切崩して居る中に洪水が來て土木吏が逃げて仕舞つた、それ切り形を見せない、其後とで東京から參つた御方に見せたり田中正造なども波が荒いと云つて欺された、内務省の役人其他農商務省の役人が之を見ると如何にも之は沼の波が荒い爲に容易な金ではいかないと思ふ、さう云ふ風に見せました、それで三十八年の春到底いかぬが村を潰すのも如何にも殘念なことだから、もう一度嚴重に調査をしてどれ丈の金を掛ければ此谷中村を潰さないで此堤防を防げるかと云ふので内務省から役人も往き、地方の技師と調査し直して幾ら掛けたら宜からうと云ふことを調査しました、所が百二十萬圓掛ると云ふ調査です、百二十萬圓掛ければ此堤防が安全だ、併ながら百二十萬圓掛け放しではいかぬ、年々六萬圓宛修繕費が必要だ、斯う云ふ調査を拵へてさうして之を内務大臣に見せた、内務大臣驚いた、時は恰も戰爭中である、戰爭中タツタ一ヶ村を防ぐ堤防を拵へるに百二十萬圓、こんな馬鹿なことをやつて居られるものでない、さりとて人民は水の中に今日は飮まず食はずに居る譯であるから谷中の人民をどうさしたら宜からうか、さうなれば先づ安き補償金を與へて人民を餘所へ移したら宜からうと云ふ御決心に内務省はなつたと云ふこと、之は今日まだ土木をして居る土木課長の某が明に村會議員二三名總代二名私と、警察官は立會はせませぬが縣會議員を立會しての話である、此土木の話に斯うです、私は來た計りでございまして茨城の方から廻つて來た計りで、栃木の谷中村の事情は存じませぬが、書いた上の御話をすれば始り十萬圓掛けたが效能がない、十萬二十萬ではいかぬと云ふので調べたら百二十萬と云ふものが出た、此上に年々修繕費を加へたら安全だらうと云ふので東京へ要求したが、それ丈の金は掛けることはいかぬと云ふので二十二萬圓と云ふ金を國庫から貰つて、此方から二十六萬圓加へて四十八萬圓にして先づ人民を救ふ手段にしましたと云ふ話をしました、之は明に證人のあることで、此百二十萬の金を掛けなければ此堤防が出來ないと云ふことに調査が出來たものを何ぜ縣會議員に見せない、見せませぬ、又國會議員にも見せない誰にも見せない、唯内務大臣丈がそれ丈の調べを知つて居る、内務大臣が承知してそれを拵へさせたが、此方を驚かす爲に拵へたかどうか分りませぬが、之を内務大臣に見せたら内務大臣は大に驚いてそれはさせないと云ふので僅に二十二萬圓の金を災害補助費として出した、斯う云ふことである、其金が即ち今度の谷中村の人民の所有權を補償して人民を他へ移す費用になる譯である、斯う云ふので十萬圓掛けて八十五間の口が到底塞げない、仕事は何をしたか左右八百間太き堤防を細く削り落した、波除けの柳を切つてそれで十萬圓掛つて居る、それで迚も十萬圓二十萬圓の金で及ばぬから調査を仕直して百二十萬圓と云ふことである。

     △昨年の實例[#「昨年の實例」に丸傍点]

 そこで村を買收するとあつても人民が居る、蒔いた麥を取らなければならぬと云ふのが昨年の春で、昨年の春村の有志が微かなる金を集めて堤防を拵へました、其堤防を築かせます前は色々此方から幸徳傳次郎さんの奧樣其他の御方の學生諸君が二十人御出になつて早く堤防を築けと云ふ御奬勵があり、其後島田三郎さんが御出になつたことがあります、黒澤さんや色々の學生樣が御出になつて――度々御出下さつて、御奬勵下さつて、漸く堤防を築く量見になつた、堤防と云ふ名でございませぬ、細い――畔みたいなものを拵へて昨年春上半期の收穫を取りました、其カキアゲ土手のやうなものが何程金が掛つたかと云ふと二千九百圓、僅に二千九百圓掛つた、尤も埼玉縣と云ふ地方から日當を取らない人夫が六百人出ました、群馬縣地方から五十人許り手間を取らない人夫が出て、皆御手傳がありましたから安くも上つた御蔭でございますが、合計二千九百圓しか掛らない、二千九百圓掛けて麥と笠にします菅、網代にする葦、簾にする葭、馬に食はせる東京へ賣出します草、豆が半分許り取れました、それから蕎麥、斯う云ふものが合せて七萬三千圓以上のものを取つたです、僅か二千九百圓の堤防で七萬三千圓以上のものを取りました、こゝが諸君の御記憶を願はなければならぬ、成程堤防と云ふやうな立派な物でありませぬ、僅に二千九百圓ですから、だが縣廳では之に十萬圓掛けて口が塞げなかつた、十萬圓掛けて塞げない所が如何に堤防と云ふ名が付くものでないと云ふ惡口を云ふが、どんな小さなものでもどんな樣のものでも用ひて七萬六千圓の收穫を取つた、縣廳の力で十萬圓掛けて出來ぬことを、縣廳の力で陸軍の馬糧麥に應ずることが出來ぬのを人民は二千九百圓で戰爭の御用を足した、縣廳の力で百二十萬圓掛けなければ安心が付かないものを二千九百圓で半年の安心が付いた、是が表から見ますと如何にも波が荒い所で堤防を現在見てもあの通り碎けて居る如く見へますが、之は皆拵へたものでありまして左程困難な譯ではない。

     △十五萬圓の純益[#「十五萬圓の純益」に丸傍点]

 されば何程掛ければ堤防が完全に出來るかと云ふ御尋がございますれば凡そ一年二萬圓掛けましたら宜しい、年々二萬圓掛けてすれば立派な堤防になります、二萬圓掛けて何程の收穫があるかと云へば二十萬圓の上に出る、其中勞銀を取りましても十五萬圓の純益を得る、如何でございます、二萬圓掛けて十五萬の純益を得る、堤防費の資本である、資本を二萬圓出せば十五萬圓の純益を得る、斯ふ云ふ利益の多いことは世の中にない、何故にさう云ふ風に利益が多いかと云へば前の政府が四百年の間丹精を込めて積み立つた堤防の三百五十萬圓の價のある者がチヤンと周つて居る、(拍手起る)恰も親が家を造つて呉れたから子息の代になつて家賃を取ると同じで、屋根が剥れる、地震で曲る、それを手入さへすれば年々千圓百圓の家賃が取れる、前の政府の賜物の三百五十萬圓と開墾した富がチヤンとございますから、今は利益を取る計りになつて居りますから、僅か修繕費を二萬圓一年に掛ければ二十萬圓取れる許りになつて居るのを之を破壞する、諸君能く私は御訴へ申す積りでございますれども何分疲勞致して居りますから嘸御聽き苦しうございませうが、左樣な次第でございまして、一體此堤防に對する政府の責任と云ふものは復舊の工事をするにあるのです。

     △堤防取崩の命[#「堤防取崩の命」に丸傍点]

 人民は其村に居つて納税兵役の法律上の義務、其他吾々社會に大なる利益を與へて何も罪のない人民がそこに居る、是に堤防を築かないで三十五年以來原形に復することをしないで居つて、さうして人民を困らせて――困らせに困らせて責めて往つて、此度此麥を苅らずに明日村を立退けと云ふ、それも今蒔いて居る麥を取つて食べたいと云ふので細い堤防を築いてなりともやつて居る、其工事に對して不埒だから其仕事を止めて運んだ土を元とへ持つて往け、持つて往かなければ縣廳が此方でやる、之を法律でやる、さうして其費用は取るぞ、夫は成程惡いことをすれば人民に其法律を用ひて宜しいことがあるかも知れぬ、何を惡いことをして居る、何を惡いことをして居るのであるか、殊更其法律を持出して其人民の衣食を奪つて困らせて、其土地を奪はんければ止まないと云ふことで、來る二十七日迄に堤防を築いたのを取崩せ、それをやらなければ此方から人夫を差向けると云ふ書面が、去る十三日に仕事をして居る者の所へ飛んで來た、此中でございますから役に立たぬでも私が村に居つて皆と相談しなければならぬのでございますけれども、それより此事を御訴へ申すのが非常な必要と考へまして今日は出ましたのでございます。(拍手喝采)

     △殘酷も亦甚し[#「殘酷も亦甚し」に丸傍点]

 今日矢鱈に堤防を築いては外の障りになりますから河川法に於て八釜敷く云ふのは無理のないことで、河川法に觸れゝば惡いと云ふのは無理のないことである、無理のないことでございますけれども何も細い堤防を築いたから之が河川法に他の妨害を與へるやうなものでも何でもない、又此堤防も普通の堤防と名が付きますれば河川法に害を加へることも出來て來ます、急水止と云ふのは堤防でない、一時水を防ぐ、所謂浸水です、水の浸入することを一時防ぐに過ぎないのを急水止と云ふ、過つて手なり足なりを刄物を以て斬る、血が出る、醫師を頼んで來て願ひます、醫師一人が馳せて往く、其間血を垂して居るものは手拭で卷く、之が急水止、それから醫師が來てから本當に療治する、此本法[#「法」に「〔當〕」の注記]の療治をする時は法律に觸れないやうにしなければならぬ、血止を自分の手でやる時に之が惡いと云ふに至つては殘酷も亦甚しいことでございます、(拍手起る)田の畔同樣の一の荒い浪が來れば倒れる、細い堤防が、之が河川法に觸れゝば指で筋を付けても河川法に觸れることになる、何か名を付けて窘める種を拵へて人民を責め付けて盡く買收に應じさせ、盡く一人も殘らず村を買收して仕舞ふまでは此堤防は何處迄も妨害すると云ふことを口で云つて居る、今日は餘程惡黨奴等が正直になつて皆饒舌つて仕舞ふ。

     △買收の目的は何にありや[#「買收の目的は何にありや」に丸傍点]

 それからさうなれば村を取つて仕舞へばどうするのであるか、貯水地として水を入れるのである、斯ふ云ふのですが之は嘘です、取つて仕舞へば立派な田地でございまして、唯今申す通り二萬圓掛ければ二十萬圓以上のものが取れますから決して水などを入れてブカ/\にするやうなことはない、如何に政府が不經濟が好きでもしない、(笑聲起る)此事は不經濟の側から來たのでない、欲の側から來たので、善い村だから取つて錢儲けをしやうと云ふ主義から來たから、何十萬圓拂つて買取つたら自分の物になると堤防を築いて麥が取りたくなるに違ひない、其時は是から先のことでございますが、決して今日の經濟社會に於て、世の中の人が斯る結構な村を何十萬圓と云ふ金を掛けて四隣が迷惑を云ふに拘らず水を注入して置くことは許すまいと思ひます、彼の村が若し栃木縣の中でも宇都宮近邊、栃木町近邊、東京府なら練馬板橋とか云ふ附近にでもある村でございましたらどの位の立派な村になるでございませう、實に善い所なんです、されば此村の善いと云ふ御話しも少ししませんければなりませぬが、非常に天産力に富んで居る村でございまして、一體渡良瀬川の流れの附近は古來善い土で善い作物の取れることは歴史にある、歌に詩に作つてあるさうであつて、谷中村は其の沖洲で出來たので、堤の外が良い土なので居りますのでどの位作物が取れるかと申しますと、鑛毒の話のない前は肥料をやらぬで十二俵半の米が取れる、村殘らずと云ふ譯にはいきませぬが先づ八俵九俵十俵十一俵十二俵半と云ふ所を昇降して取れた所である、其後鑛毒がありましてから堤防が切れると云ふと中へ鑛毒水が這入りますから中が惡くなりました、中が惡くなりましたけれ共三十五年に堤防の切れたのが大災害であつて又一の幸福になりましたのは三十五年に堤防の切れ目が如何にも場所が宜い所が切れまして三十五年にドツサリ泥が這入つた、三十五年のことは一ツ御話をしなけば[#「けば」に「〔ママ〕」の注記]なりませぬが、三十五年の暴風雨の時には日光其他足尾銅山黒髮山一圓の水源が多く荒まして、そうして渡良瀬川の川上に至つて南北十里東西三四里山が川に向けて崩れました、是が皆見物に往つて驚いて居ります有樣を爲した、殆ど山の土の流れたること五百年ぶりと云ふか千年振りと云ふか古來ないことが出來た、之が山林亂伐山の赤裸の所へ雨が降つたから崩れた、此土が一度にドン/\流れて來て渡良瀬川の低い所に多く這入つた所があつたが多く這入つた所は直ちに昔の通りになつて仕舞つた、谷中村は幸ひ切れ口が、泥の這入る所の口が明きましたから、八分通り泥を置きました、或は二尺置も或は一尺置いた所もある、三寸置いた所も一寸置いた所もある、平均三寸位置いて往つたゞらうか、さう云ふ譯でございまして谷中村堤内は一千町弱ございますけれども其中が眞ツ平で、少し高い所がございますがどうしても泥が入らなかつたから其處は復活しませぬが、低い所は却て宜くなつた、それでございますから元の通りには往きませぬが、前に十二俵半取つた所でも其半分六七俵は取れることになつて來た、是が三十五年の鑛毒地の變化でございます、今日此堤防を丈夫にしますと谷中村は大層幸福なことが出來る、何であるかと申しますれば灌漑用水が渡良瀬川から引込むとどうしても鑛毒水を入れますけれども、谷中村は中に灌漑用水の水が出る所がございますから、渡良瀬川の水を引入れないで十分餘りありますから堤防を完全にすれば鑛毒地の眞ン中に居つて鑛毒知らずの村になると云ふのです、サア之を取りたいのは無理でない。

     △人道の戰爭[#「人道の戰爭」に丸傍点]

 之は二十五年に陸奧宗光が農商務大臣をして居る中に調査したことで、之を祕密にして置いて、それから二十八九年の頃よりソロ/\此堤防を水に浸すやうにして置いた、此通り水浸しにされては堪らぬから村では村債を起して借金をして自から堤防を築かうと云ふ考を起させる、之を勸める、それから村々に借金が出來た、其借金の爲に利息を取られる、地價が大概低くなると云ふ歴史を拵へてあつて、卅五年に至て谷中村の堤防が切れた、幸だから此堤防の切れた口を塞がないで置けば人民は困つて來る、田地の直が安くなり地面の直が安くなる、總ての價が下落するから其下落する所を取るが一番宜いと云ふ結果が生じた、是で谷中村の如きは其分捕を將に半分以上實行されて今に其村を奪ひ取られつゝある所でございます、丁度之を旅順港にしましたら最早鷄冠山も松樹山も取られたと云ふ場合か知りませぬ、併ながら人道の職[#「職」に「〔戰〕」の注記]爭はああ云ふ戰爭と違ひますから、且此道に當る有志なるものは、老ひたりと雖もステツセル[#「ステツセル」に傍線]を氣取る積りはありませぬ。(拍手起る)

     △コツプを飮むのでは無い[#「コツプを飮むのでは無い」に丸傍点]

 序に是非まだ御訴へ申して置かなければならぬことがございますが、實際此谷中村と云ふものを取つて之を貯水池として洪水の時に水を入れて外の村を助けると云ふことが眞面目であるならば、僞りでないならば、何故に土地の地籍を欲しがるか、地籍即ち地面の登録を經て權利を欲しがる、何で土地の權利に必要があるか、人民が是非此土地を買つて呉れろと云ふものがあつたならば之は買つてやつて宜からう、賣るのが厭やだと云ふ者には何も無理に買ふに及ばぬ、借用でも宜からう、又買取りました地面も必要がない時には元との本人に返してやると云ふ證明を渡して宜からうと思ふ、所がそれをなさらずに無暗に地面の權利を登記所を經て取りたがる、道を廣げると云ふには土地に必要がある、川を拵へ狹い所を切り廣めるのには土地に必要があるから之れは土地を取らなければならぬ、貯水地にして中へ水を入れるには土地の必要はない、水を入れゝば足りる、譬を以て云ふのは恐入りますけれども「コツプ」を賣れと云ふ、貴君は何の爲に買ふか、水を飮む爲だ、水を飮むなら貸して上げませう、借りた「コツプ」で水の飮めぬと云ふことはない、谷中村を貯水地にするのは「コツプ」が必要なのでなく中の水が必要なのだから「コツプ」其物を取らなければならぬと云ふことはない、貸して上げると云つたら宜しく、借りたものでは水が飮めぬと云ふことはない、斯樣な譯でございますから權利即ち「コツプ」を取りたがると云ふのは分らぬ、水を飮む丈なら水を飮む丈で宜しい、「コツプ」を飮むのではない。(拍手)

     △縣債を起して放蕩を勸める[#「縣債を起して放蕩を勸める」に丸傍点]

 先刻申上げました通り栃木縣は山の樹木の拂下を受けた所があるが爲め山が荒れて河川が荒れた、堤防費其他の土木費が足らなくなつて借金をした、縣債を起して百八萬圓借金をしたと云ふ、それが三十七年です、年度を御記憶を願ひたい三十七年です、借金と云ふものは餘る程借りるものではない、百八萬圓の借金をして四十一萬圓と云ふ金をソツクリ取つて置いて三十七年に使はなかつた、是はマア怪しからん、人民は六萬圓以上の利息を拂つて居る、此四十一萬圓の方の利息はどうなつて居るか、一年四十一萬圓と云ふものを遊金にして居る、タツタ百萬圓の借金で四十一萬圓と云ふ遊金がある、其四十一萬圓の遊金を三十八年度に繰上げて之が谷中買收費となつた、さうすると三十八年に買ふべき金を豫め三十七年に準備したと云ふことが分る、それで帝國議會の方で之に加る金は二十二萬圓の金が、栃木縣災害土木補助費として下つて來ました、四十一萬圓の中を二十六萬圓出して合せて四十八萬圓とした、そして之を栃木縣丈の堤防費や何かに使ふべき金の性質で下つたものである、處が谷中村に在つては之が人家を買上げたり或は墓地を買上げた、怪しからぬ話、金を出して墓地を買ひ道具を買ふ、神社でも寺でも持つて來い買つてやると云ふ掛聲で居るです、甚だしきは茲に一の未丁年者があつて賣らない、此未丁年者には惡黨等が金を貸して、放蕩を勸めて借金を造らして夫から借金を責めて賣れと云ふ、斯う云ふやうなことがあるのです、さう云ふやうなことがございますからして此極端を以て惡い所と惡い所を御話しますと、先祖の石塔を賣る、親の石塔を賣る、此石塔の代償を以て放蕩をやる、娼妓を買ふ、藝者を買ふ、酒を飮む、賭博をすると云ふ有樣、之が何者が勸めるかと云ふと之を取締る役人共が之を勸める、(拍手)どうでございます諸君、斯樣なことにして陷れ/\してやる、仕舞に奪取るので御座います。

     △ロジツクに合はぬ話[#「ロジツクに合はぬ話」に丸傍点]

 今日は又彼等が強制にやつて土地收用規則を用ゆる、愈々人數が少數になつたから土地收用規則を用ひて賣らぬ奴を買上げる、成程土地收用規則も用ゆべき所には用ゆるでございませうが、今日表面の口實は谷中村の人民が困るから災害補助費の方で救つてやると云ふ、助けてやるのだ故に之を買收と云はぬで補償と云ふ、助けてやる救濟金だとまで云つて居る、救濟はしてやるが金は御免を蒙る、土地收用規則でフンダクル、餘り「ロジツク」に合はぬ話でございませぬか、(笑聲拍手起る)土地收用規則を用ゆると云ふならば何故に帝國議會に於て之を議さなかつたか、議會では唯だ、富山縣災害補助費、岡山縣災害補助費、其眞ン中に栃木縣災害補助費と、似たやうな名を書いて、此間議論をなされたのは武藤金吉君島田三郎君其他豫算委員が之に氣が付いて帝國議會で御論をなすつた、内務大臣が之に答へて演説をしたのも此二十二萬圓の金は皆谷中村の工事費と思つて議論をして居る、だから内務大臣も盡く金の性質を知つて議論をしたのでない、二十二萬圓の金を下げるのは助ける爲め下げる、之は栃木縣全體に割付になるので谷中村には十二萬圓しか來ない、即ち二十二萬圓の金は谷中村を助ける爲にすると云ふことがございますから内務大臣も事柄を知つて議論をしたのでない、議決になつた所の費目を見ると災害土木補助費です、買收と云ふことはありはしない、栃木縣會の議しましたのは例へ祕密でも何でも議決になつた項目は堤防費となつて居る、堤防費と明に書いてある、當年の武藤金吉代議士の質問に對する政府の答辯にも之は工事費である。

     △詐僞の行爲である[#「詐僞の行爲である」に丸傍点]

 何故に當然古來の村を買上げる必要が萬々あるならば之を天下に示さぬか、是丈の必要があつて萬止むを得ぬから此村を買上げると云ふことを世の中に明に示して、法律を拵へて土地收用規則の用ひられることにして惡いことをしないで大人しく買上げるが政府の仕事である、貯水地と云ふものは土地收用規則にない文字である、此ない文字を用ひて曖昧の間に人民の法律を知らぬのを幸に攪亂して、ドサクサ紛れに人民の所有權其他村全體を補償と名を付けて其實地籍の權利を取つて仕舞ふと云ふことは之は非常なる惡いことである、惡いのみならず其行動と云ふものが何と名を付けて宜しうございませうか、三十五年から當年迄五年の間村に對して堤防を築かないと云ふことを明言すると云ふことは殆ど之は罪人を扱ふのである、谷中村の人民は何の罪があります、如何なる罪があつて五ヶ年前より水責にされるか、少しく滑稽に亙りますが刑法にさう云ふ條文はない、人民を水責にすることはない、殆ど罪人を扱ふ如く五ヶ年間苦めて衣食を絶つて四方八方何方にも遁逃のないやうにして金錢の融通を絶ち、賣買を禁じ、借財に苦しめ食物に苦めて、往場がなく遁げ出す者に餞別同樣の金を與へて、權利は取つて仕舞ふと云ふ詐僞の行爲である、詐僞と云ふことは大きいから見へないのです、直接に之を云へば詐僞取財、詐僞して人の財産を奪ふものである、(拍手)下級の愚民知識の低い人に對して感情を甘く引きますことは上手でございますから、家屋は千兩で買ふ、買つた家屋は呉れるぞ、大層喜んで居る、一旦買[#「買」に「〔賣〕」の注記]つた家屋を貰ふ、補償であるから家屋は呉れるからと云ふのへ以て往つて造るとも賣るともしろと來るから喜ぶ、人は家屋程思ふものはない、田地や何かと違つて金を取つて家を貰ふと云ふから非常に喜んで、田地を安く取られることは氣が付かぬ、丸で手品です、田地の方も矢張其通りに一旦買上げたものを補償であるから其方にやるから立退けと云ふなら宜しうございませうが、田地の方は之が權利を取つて仕舞ふ、其代償がドの位かと云ふと實際の原價からしますと凡そ十五分の一にしか當らぬ、村と云ふものゝ原價、即ち現在に在る所の物に對する實價に比しますと云ふと、三十分の一に足らない位の支拂、斯樣なことで權利を取る、權利を取るが僅の家をやるからと云ふ所で皆釣込まれて田地を取られる、彼方でも此方でも詐僞して居るが、大きな詐僞だから到底人民に分るものでない、餘程能く出來て居ります、中々能く出來て居ります。

     △千五百萬圓のもの[#「千五百萬圓のもの」に丸傍点]

 之を親切に買上げるのは中々四十八萬兩位で出來る仕事でございませぬから、之を運動費として田地を買ふより先に人間の心自體を買收する方針で、買收丈で崩して仕舞つたから四十八萬圓で餘りある、之を誠實に買上げるには千五百萬圓を出しても多しとしない、假に千五百萬圓を以て賣拂つたと云へば富を爲すかと思ふが、谷中村を去つて他の原野を開くと千五百萬圓使つて今の谷中村丈のものが出來るか、出來ぬ、よし千五百萬圓のものを得ても人民の懷に得る所がなくなる、人民の懷に殘る金は一文もない、そして人民は居馴れた村を失ふ、政府は千五百萬圓の金を失ふ、國家は谷中村といふ富村を失ふのである、併し今ま千五百萬圓掛けると雖も今日の谷中村を拵へることは中々六ヶ敷ことである、之は北海道其他開墾地の例に依りましても中々容易なことでないと私共は思ふて居りますのです。

     △其實人心を買ひ崩す[#「其實人心を買ひ崩す」に丸傍点]

 然るに之を四十八萬兩の金を以て樂々と手に入ると云ふのだ、土地を買ふと云ふことは唯名のみであつて、其實人を買ひ人心を買つて内から崩して來たから、四十八萬圓の金は土地補償金に非ずして運動費と云ふものが多く其中に掛つて居ります、斯の如く村を潰されることを知らんで居るものが人民の中に居るが爲め斯樣なことに陷つたのであると云ふことを申上げると云ふと、此谷中村の人民と云ふものは餘程惡い奴が多くて意氣地がないやうに御輕蔑もございまして大に諸君の御同情を破ることでございますが、之は谷中村に限らず人民殘らず善いと云ふことには參りませぬ、之を政府が法律責にした時には小兒の腕を大人が捩上るより易い仕事でございます。けれども今日の問題は谷中村の人民が意氣地のない人民だからそれが爲めさう云ふ酷い目に會ふので、人民の性質が惡いから自から滅びるのだと云ふ説を以て頻りに人民の方の攻撃がございますけれども、之は皆買收する方の即ち四十八萬兩の運動者が觸れて歩くのでございまして、人民は如何に意氣地なしだらうが愚だらうがそれは問題でない、人民の愚なものがある所、知識の低い所、天産に衣食するが爲め經濟其他法律上權利の研究と云ふことの乏しい人民であるから自由自在になる、此土地を茲で買收と稱してフンダクツてやらうと云ふ惡黨奴等の擧動が詐僞に當つて居るぞ、盜賊の所爲に當つて居るぞ、殆ど戰爭をする如く、谷中村を攻取るが如き行爲を爲す、此惡業が惡いと云ふのでございます、之が問題である、人民の意氣地のないのが問題でない。(拍手)

     △侮辱[#「侮辱」に丸傍点]、虐待[#「虐待」に丸傍点]、嘲弄[#「嘲弄」に丸傍点]、瞞着[#「瞞着」に丸傍点]

 然らば詰り何をするかと云ふと土地を兼併するのでございます、人民が谷中村と云ふ所に多い割になつて居りますけれども、之に手を入れて堤防を堅牢にして人口を多く致しますと云ふと田地の價が一反歩八百圓九百圓と云ふ値が出ぬに限らぬ、今日と雖も田地の働が六百圓から四百圓若くは二百圓する、去年と雖も二百圓の働を以て六百圓の働をするのでございますから、堤防を堅牢にし水ハケを付けて灌漑の道を付ければ關八州の中では谷中村程善い村と云ふものは先づ二ツとなからうと私は信ずる、周圍には渡良瀬川思川と云ふのがあつて汽船が廻つて村の中から汽船に乘つて東京へ來る、汽船の乘場が四ヶ所ある、マン圓で千町許りが眞ツ平で何でも出來ぬものはない、さう云ふ結構な所が東京を去ること僅か二十里ない所にあると云ふことでございますから、此土地と云ふものは手の入れ次第で非常に善い村になる、彼の稻取村も元とから善い村でないが廢れものを收めて利益を收め世話が屆いたからで、然るに谷中村は今日打壞しに掛つて居るから田地の價もない人間も價のない如く禽獸に等しい扱を受けて居る、虐待侮辱惡い文字を蒙らぬものは一ツもない、政府の方から見ましたならば何と見へるか知らんが、侮辱、虐待、嘲弄、瞞着、總てのことをやられて居る、色々な目に遭つて居る、斯う云ふ目に遭つては人間も價値がない。

     △胸が張り裂ける計り[#「胸が張り裂ける計り」に丸傍点]

 之は順用して天然の資力を十分發達せしめましたならば靜岡の稻取同樣谷中村に越す村がないと云ふことを諸君に斷言する、斯る良い村だから取りたい、之を諸君に御訴へ申した以上は明日倒れましても、私は先づ安心致しますから、直ちに是より又歸つて谷中村に參るのでございます、色々申上げたいことは限りございませぬが、もう如何にも胸が張り裂ける計りでございます、どうか此要點々々に付きまして御記憶を偏に諸君に御願ひ申す次第でございます。(拍手大喝采)
[#地から1字上げ]〔「新紀元」第七号 明治三九年五月一○日〕



底本:「田中正造全集 第三巻」岩波書店
   1979(昭和54)年1月19日発行
底本の親本:「新紀元」第七号
   1906(明治39)年5月10日
初出:新紀元社、例会に於ける演説
   1906(明治39)年4月22日
※「貯水池」と「貯水地」の混在は、底本通りにしました。
※底本は、疑わしいと思われる箇所の右脇に、正しいと思われる形を、ルビのように注記しています。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:富田倫生
2003年5月13日作成
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