青空文庫アーカイブ

落語家たち
武田麟太郎

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 金車亭が経営不振の果てに、浪花節に城を明け渡したといふ。市内の色物席が次から次へとつぶれて行くと聞く時、この浅草の古い席も時代の波に押されて同じ悲運に際会したのかと思へば、私個人ここに色んな記憶があるせゐも手伝つて何とも寂しい感じがする。
 浪花節になつてから内部を改築したとのことであるが、腰かけにでもしたのだらう。あの話の聞きいい――市内のどの席よりも私はここの雰囲気を愛してゐた。どこかのんびりとしたところは、両脇の障子横に土地の高い浅草らしくもなく冗な空地があつて、それが天ぷらやの清水の裏口とつづいてゐたり、何とはなく間の抜けたルーズさにもよるのだらう。馬の助を愛してゐたと聞く(その馬の助も近頃は大人つぽく巧くなつた)金車亭主人の経営方法にもかうした間の抜けたところがあつたにちがひない。私はそれが好きであつた。
 私たちがおちついて聞きいいといふことはまた、高座の人たちにとつても、何とはなく気の置けないゆつたりした気分になつて話しいいといふことになるのではないか。彼らはここでは肩を張つて稼いでゐるといふよりは、しみじみと寛いで語つてゐるといふに近かつた。自分の芸をたのしんでゐるのである。
 市内の席が寄席復興とやらで洋服を著たお客で溢れかへり、身動きも出来ず火鉢も置けぬ悦ばしい状態を現出してゐるのに、ここだけはそんな景気にならなかつたから不思議である。浅草へ遊びに来る客は、映画やレヴユーまたは十銭漫才を享楽しようとするので、時代に生残つた落語なぞ縁が遠かつたのかも知れない。それにしても地元の人たちのもう少しの後援があつたなら、さうむざむざと、――今更になつてはかへらぬ愚痴だが、そんな気がするのだが、とにかく、あすこまで持ちこたへて来た席亭主人に感謝する。
 寄席復興といはれてゐるものはあれは何であらう。この現象で、落語や落語家がもしもいい気になつてゐたら大まちがひだと思ふ。先に生残つたといふ言葉をつかつたがまさにその通りで、落語家は落語は滅びるものだとの観念をしつかりつかまへる必要があると思ふ。それが本当に落語を愛する途だとしてゐるのだが、如何だらう。落語が現代的に変改が加へられて来たら、歌舞伎の当世風演出と同じくナンセンスなのだ。三語楼の芸風がある時代インテリに大受けして人気をひろめたものの、いかに落語界を毒して、結局は落語の凋落をいかに早めたかを省るがいい。その弟子の金語楼もまた師匠に輪をかけて俗悪な大向う受けばかりねらひ、この二人の出現が本当は落語の衰微を来したといふのは逆説でも何でもない。三語楼は近頃渋さをねらつてゐるが、それもまるで身についてゐないのを見れば正道を行かぬ芸人の気の毒さ(これは何も芸人に限らないことであらうが)を眼の前にして憂鬱至極である。
 蝶花楼馬楽なぞは、この現代的感覚と落語の正味との矛盾に最も悩んでゐるのではないか。真実の市井人であり、落語の伝統に忠実でありながら、彼の生活の中へ流れ込む時代思潮との相剋に苦しんでゐる一人ではないか。鈴々舎馬風もこの二つのギヤツプを埋め得ないため、あんな風に、先輩落語家の物真似でその日を糊塗してゐるやうだ。彼の高座に私は悲劇を感ずる。彼を分析すれば興味ある結果が得られるやうな気がする。
 落語を晏如としてやつてゐられなくなつた落語家。――これが今日における落語の描いてゐる運命である。そんな時に、寄席復興などといふことは何であらう。そこには一種の反動的な気勢が働いてゐるのは誰にでも指摘できるところであらう。前進を阻まれた気持が前時代の残存物へ向けられるといふこと。これは、その残存物へ安易な郷愁に似たものを感ずるだけで、必ずしも理解できるといふことではない。十分な理解は、その生活環境からいつても、すでに不可能になつてゐるのだ。たとへば、円生はいいね、とか桂文楽(この人は天才である)は巧いとか寄席で囁いてゐるのは、どこまで信用していい声か些か眉唾物である。この人たちは、それよりも、やはりどの席にも加へられはじめた漫才やあくどいえせ江戸つ子振りを売物にする三亀松などの方に、手もなく、もつと悦んで、げらげらと笑ひこけるのだ。
(ちなみに逆説的にいへば、今日の江戸つ子なんてものはみなえせ江戸つ子である。本年八十歳にしてなほ高座に生きる小勝にしてからが、その誹りを免れぬ)
 つまり簡単にいへば、あこがれと擬態としての復古趣味があるだけなのだ。
 それから、もう一つの寄席復興の原因は、大阪式経営方法の浸潤であらう。吉本、宝塚の進出は芸人も変へたが、客の狙ひ所も一変してしまつた。今まではさういふものから縁遠かつた人たちを吸収しようとしてゐる事実。それが、ポピュラーなラジオやレコードでよりよく煽られてゐるのである。
 昨夜私ははじめて東宝の名人会に出かけて見たが(名人会の氾濫、何と名人の一世に瀰漫してゐることか、まことに泰平の御世である)私はなるほどと感心した。椅子は番号がついて、指定席の前売切符もあるとのこと。椅子に腰かけて落語を聞く気分なぞはどうかと、プログラムを見れば親切にちやんと話の題が日割になつて出てゐるし、ベルが鳴つてワリドンが引かれると(おお、ベルが鳴つて)芸人の名札が出る仕掛けになつてゐる。前後左右、丸ノ内的な人たちばかりである。れいの馬風が演説をつかふやうに立つて演じてゐる。習慣の問題であらうか、坐つて足をくづさないとやはりどうにも、聞きにくかつた。最も、かうした場所にぴつたりしてゐるのは徳川夢声の漫談で、これは努力なしに気持よくついて行けた。落語、講釈ともに、何かさうざうしく、話のすきまを虚ろな風の吹く感じ。出演人数が普通の席よりは少くみんな熱心にたつぷりと、いつもは枕を振るだけでお茶をにごしてゐる芸人も、きりまでまつたうに御機嫌をうかがふのであつたが、間がつかみにくいといつた感じ。味の消失。
 しかし、この合理主義が落語界を甦生させたとなればこんなありがたいことはないが、そんなにうまく行くかどうか。吉本的にあつては、むしろ、落語から外れてゆくものこそが客と大衆とをつかんでゐるのである。落語家が、君たちは漫才の助けをかりてやつと息を吐けるやうになつたといはれたら、どう思ふか。それを聞きたい。
 吉本的、東宝的いづれにしても、落語とその雰囲気を保存維持するといふよりは、現代的に変改することによつて、落語でなくして行くのである。それが当然の道行きであるからには、「落語」はあきらめねばならぬ。
 落語界はいろんな風に紛糾してゐるさうである。睦、協会、東宝、芸術協会なぞと別れてゐると聞いたが、今はどうなつてゐるのだらう。各※[#「※」は二の字点、第3水準1-2-22、26-8]の寄席に、この三派四派の顔ぶれがごつちやになつてゐるところを見れば、妥協和解の道が開かれたのだらうか。落語界が自滅して行くのは、かうした内紛からだと誰かがいつてゐたが、私は必ずしもさうは思はぬ。三遊、柳の昔の華々しい対立は望めぬとしても、各※[#「※」は二の字点、第3水準1-2-22、26-11]摩擦しあつて、残んの芸を磨くのも、散り際の花に似た意気を見せて面白いと思ふ。席に縄張りなくピツクアツプが自在だと落語の精神を忘れた泥くさい芸人だけが売れて行くといふ現象を来たすこともあらう。そんな連中が幅をきかすよりは仲間うちの研究会で技術を競ひあつて、巧拙の順をはつきりした方がいいのだ。かういへば、ギルド的な精神を高調することになるのだが、落語界は元来がそのギルド組織にぴつたりしてゐるところではないか。だから、その時代的な特性をはつきり発揮してゐる方が、そのものらしくていいのだ。とはいふものの、それが資本主義の力でくづれて行くのも事実である。とすればどうなるか。繰りかへすやうに、落語は滅びると認識することが落語を愛することなのだ、また反対に、落語を愛するとはその滅びることをはつきり考へることなのだ。なまじ現代について行かうとはしない覚悟と決意がなくてはならぬ。
 私は芸人が楽屋裏で、どんな生活をしてゐるか知らぬ。よくそこでは猥談より以外には語られたことがなく、不真面目さといふは愚か、ますます時勢におくれた態度より見出されぬと耳にする。些か反語を弄しすぎるやうだが、私は寧ろ、それでいいと考へるのだ。時勢にうとい方がいい。いつかまだ吉本が今日のやうに東京興行界を席巻しない以前、早くもそこへ身売りして行つた芸人に芸人魂のあるのはゐないと放言したことがある。金語楼、小文治、山陽、三亀松、かうならべただけで、心ある人はうなづくだらう。芸人としての意気地や義理人情なぞは、もとより下らないものだ。しかし、それさへ持たぬ芸人には信用できない。
 おそかれ早かれ、資本のもとに芸人と雖も統制されて行くのはいふまでもない。だから、彼らの方が聡明で先覚者なのかも知れない。だが、と私はいひたいのだ。さうした資本と強い者に抗する気持に、芸人としての本領があつた。その古さが生命なのだ。それを、色々と押しつめられて屈服して行くのは仕方がないが、さつさと軍門に下つて楽にならうといふのは賛成出来ない。今は、さうした気魄がどれだけ残つてゐるか疑問だから、かう書いて来たもののすべては愚痴である。
 いつだつたか、まだ金車があつた頃、可楽が高座に上つた。芸者を二、三人つれた成金的が、上等席に来てゐたが、次から次へと芸人にいやらしい弥次をとばして面白がつてゐた。客も不愉快だとは思ひつつ黙つてゐると、いよいよ図に乗る汚さであつた。どの芸人も客だから聞かないふりをするか、ヘツヘツとお世辞笑ひをしてゐた。そこへ可楽が出たものだ。彼はあの黒い渋い表情でじろりと弥次の出るたびに睨んでゐたが、たうとう
「――お前さん、少しうるさいね。そんなにしやべりたけりや、私の代りにここへ上つてやんなよ」
 と、いつてしまつた。そいつは怒つたが、ゐたたまらずに帰つて行つた。かういふ芸人の態度はまことに下らない。だが、私はそれが欲しいのだ。



底本:「日本の名随筆 別巻29・落語」作品社
   1993(平成5)年7月25日第1刷発行
   1995(平成7)年3月30日第2刷発行
底本の親本:「武田麟太郎全集 第14巻」六興出版部
   1948(昭和23)年8月
入力:加藤恭子
校正:菅野朋子
2000年11月20日公開
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