青空文庫アーカイブ

釜ケ崎
武田麟太郎


 カツテ、幾人カノ外来者ガ、案内者ナクシテ、コノ密集地域ノ奥深ク迷ヒ込ミ、ソノママ行先不明トナリシ事ノアリシト聞ク――このやうに、ある大阪地誌に下手な文章で結論されてゐる釜ケ崎は「ガード下」の通称があるやうに、恵美須町市電車庫の南、関西線のガードを起点としてゐるのであるが、さすがその表通は、紀州街道に沿つてゐて皮肉にも住吉堺あたりの物持が自動車で往き来するので、幅広く整理され、今はアスファルトさへ敷かれてゐる。それでも矢張り他の町通と区別されるのは五十何軒もある木賃宿が、その間に煮込屋、安酒場、めし屋、古道具屋、紹介屋なぞを織込んで、陰欝に立列んでゐるのと、一帯に強烈な臭気が――人間の臓物が腐敗して行く臭気が流れてゐることであらう。
 一九三二年の冬の夜、小さな和服姿の「外来者」が唯一人でこの表通を南の方へ歩いてゐた。冷い雨が降つて、彼のコーモリ傘を握つた指先も凍れて痺れてゐるのに、別にここで宿を求めるでもなく、人を訪ねるけしきもなく、ゆつくりとした足どりであつたが――その様子を、家の軒端に立つて、今まで首巻代りにしてゐた手拭で頬被りし、腕組んでゐる宿なしたちも別に注意しなかつたし、交番所の年とつた巡査も怪しまなかつたところを見ると、その外来者は、この土地に適した顔かたちをしてゐるのだらう。さう云へば、実は彼は東京に住む小説家であるが、批評家たちがいつでも口癖のやうに「彼にはルンペン性があつて、どうもよくない」と眉をしかめてゐるのも思ひ当るふしがないでもない。――しかし、彼はこの寒さに何の気紛れからして、あんなに物思ひに沈んだ表情でこの地帯を行くのかと、人は問ふかも知れぬ。それは過去をなつかしむ感情に駆られた結果である。と云ふのは、彼はこの街で生れ十二まで育つたのであるが、ほんの三日前、ここで彼を手塩にかけて大きくした母親が急死し、その追憶の念が彼の足を知らぬうちに、こちらへと向けさせたわけである。もとより彼はまだ年少で、自分の激情を制するすべもわきまへぬ男故、要もないかうした夜歩きや感傷癖を許してやつてもよいだらう。
 すでに、街から醗酵する特殊な臭ひは聯想作用を起して、彼の胸に種々な過去の情景を浮びあがらせ、彼はそれに簡単に陶酔して了つてゐたので、その尖つてゐる眼もいつに似ず柔和に光り、何も見てゐないに近かつたのである。唯、去来する思ひが――たとへば、袋物工場に通つてゐた母親が、夜も休まず石油の空箱を台にして(その箱の隅には小さな蜘蛛が綿屑みたいな巣をかけてゐた!)セルロイド櫛に、小さな金具の飾をピンセットで挟み、アラビヤゴムと云ふ西洋の糊でつける仕事をしてゐる横に、新聞紙にくるんだ芋が置かれてある有様や、そして、その芋は彼女の夕飯代りなのだが、夜更けると子供たちが腹をすかせるので、彼女は大半を残して置き、子供たちがせびると「何云ふねん、こらおかんのや」と云ひながらも分けてやり、または、その飾附けの出来あがつた櫛を十歳の少年である彼と共に大きな重い風呂敷包にして、大国町の問屋に運ぶ時の手だるさやら、そんな稼ぎものの彼女にも係らず、ある夜は鴉金屋の親爺に罵られて(彼が今にいたるまで鴉金の名称を忘れずにゐるとは何と云ふ因果なことであらう。それは朝貸出した金が夕方には利子をくはへて元の巣へ飛戻つて来る。――鴉のやうに、と云ふので、さう呼ばれてゐた。一円を借入れると、先づ十銭は天引、手取は九十銭であるが、その後一円の五歩の利息を加へて、八日間に返済しなければならぬ)彼女はしかたなく、片隅に積んであつた小便臭い家族たちの蒲団を頭にかついで外へ出て行くと、その頃流通してゐた十銭紙幣の油じみたのを持つて帰つて来たが、その夜の明け方の寒さやら、或はぐうたらな遊び好きの少年であつた彼が、尾上松之助の侠客物が見たくて、彼女に嘘をつき金をねだり、すると彼女はまた思ひ余つて、巻いてゐた帯を解いて絣の前掛だけになり――帯は彼の入場料になつて、彼は活動写真に感激した余り、二階の上りつぱなの壁に、墨で以て、眇眼の尾上松之助の似顔絵を大きく書いたり――
 妙なもので、遠い以前の習慣を、足は忘れずにゐて思ひ出したものか、無意識にふと立ちどまり、そこで小説家がはつとして眼を転じるならば、ちやうど彼が生れて育つた家の、路地先まで来てゐるのであつた。雨にベタベタに濡れて光る浪花節のポスターが、床屋の表にぶらさがつてゐるが、その横を折れて二軒目がさうである。――この床屋も代が変つたであらう、彼はいつも小僧のために「虎刈」にされてゐた。今夜はもはや客がないと見え、ガラス戸を閉めて、白いカーテンを張りめぐらしてあるので、内らは覗けぬ。
 路地に入ると暗がりで、軒並みの家々の影も、永い年月が経つてゐる故、古びて歪んでゐるやうに思はれ、しかもどこもしんとして静かなのが、少し小説家にはよそよそしく感じられないでもなかつたが、懐しい場所に再び立入つたことで、彼の気持はすつかり満足してゐた。――自分が十二年もゐた家に、今は如何云ふ人が住み、如何云ふ生活がなされてゐるかと、想像するのは、甘い楽しみであつたから。
 すると、彼はその家の戸口に女が出て来たのを認めたのである。それは恐らく、そこのお神さんで、外出しようとするのだが、雨はまだ止まぬかと模様を見てゐるのだらうと、察した彼は、迂濶に佇んでゐたりして、不審がられるのを恐れ、わざと、もちろん軒燈もないから見えるはずもないが、隣家の表札に眼を近づけたりするのであつた。だが、それは無効であつたと云へる。女は片足を踏出すと、突然、彼の袂を――それから身体全体を抱へるやうに掴へて了つたのである。そこには必死な抵抗すべからざるものがあつた。驚きと怖れから、小説家は身をもがいたが、慣れた――たしかにさうすることに慣れた、特殊な技巧のある女の両腕は強くて離れず、それではこの女は、とすぐに彼は気がつかぬでもなかつたものの、まだ半信半疑のうちに、もはや土間にひきずり込まれてゐて――そこに、昔の彼が顔を洗ひ水を飲んだ場所がちらと見えたかと思ふと、どんと揚板の上へあげられ、更にむりやりに尻を押されてつまづきさうになりながら階段に足がかかる時には、やつと一切を理解し得たので、少しの落ちつきも取りもどし「おい、さう押すなよ、危い」と、女の方を――化粧した吹出物のある顔を振りかへつて云ひ、それからひよいと正面に向き直ると――彼の眼には、二階への昇り下りにしめつぽい手垢ですつかり黒く汚れた壁の上に、まぎれもなく彼の筆になる尾上松之助の似顔絵がはつきりと残つてゐるのが、うつつたのである、うつると同時に一種の感慨に胸をせめつけられ、急に酸つぱい気持がこみあげて来て、不覚にも尾上松之助はぼうつとぼやけて了ひ、女に抗つてゐた身体の力もそのまま抜けて了つたやうな気がした。
 女は、まだ雨しづくの垂れさうなコーモリ傘と泥を歯の間に挟んだ下駄とを敷居の上に寝かせてから、高くつつた黄色い電燈の光を裏から受けてゐるので埃の浮いて見える歪つな日本髪の頭を傾け、彼の様子を――今にも泣出さんばかりのその表情を、けげんさうに、打守るのであつた。もちろん彼女には訳はわからず、この何と云ふ気弱な男であらう、淫売婦に有無を云はさず乱暴に引張りあげられたのを、どぎもを抜かれ、後悔してゐるのかと、考へたかも知れぬ。そこで彼女も呆気にとられ、ぽかんとした顔で、寒さに歯をガチガチと打鳴らしながら、
「すんまへん」と、云つた。――それから、気の毒さうに、彼の方へ掌を差出したのである。
 小説家は、彼がこの家で生れたこと、あすこに見えるあの落書こそは彼の手になるものであること、しかも、思ひ出の積つてゐるその建物は、今は淫売婦の仕事場になつてゐること――それらを、彼女の前に語り出したくなつたほど、感傷に溺れきつてゐた故、女の請求をはねつけるだけの勇気もなく、一体何ほど与へればよいか、と細い声で質問するのであつた。
「すんまへん」と、また彼女はあやまるやうに云ひ、――「五十銭やつとくなはれ」と態度は優しく嘆願するのであるが、その精神には、今にも彼の懐中に手をさし入れるばかりの執念深さがあつた。
 彼が、どうかして母や弟妹をこの窮乏から救ひ出したいものと、来る日も来る日も考へつめてゐたこの六畳の部屋は、薄い雨戸を真中に立てて、二つに区切られてゐ、あちら側にも人の動く気配があつたが、ちやうどその時、その中から口争ひをはじめた男と女の声が聞えて来たのである。
 ――女の声がののしるには「そんなあほらしいことできるかいな――そんなことはなア、十銭淫売のとこでも云うとくなはれ、うちはちとちがふ!」と、云ひ、見そこなつては困る、あほたんめと、附け加へるのであつた。――小説家は、その言葉に気をとられながら、それでは隣りにゐる女も五十銭の口なのであらう、だから、十銭のものよりも格式を以て客に臨んでゐると云ふわけであらうと考へ、妙なところに、――人はどん底まで来ても、まだこれより卑しい下のものが存在するのだと自分を慰めて、高い心を失はないでゐることに、――感心してゐた。――しかし、相手の客は、嗄れた声から察するとかなりの年配らしいが、なかなか承知しないと見え、争ひは益々烈しくなつて、果は彼らの身体が雨戸にぶつつかり、今にもその頼りなく、がたつくしきりは倒れさうに動くのであつた。――それをこちらの女は、実に無関心な表情で見てゐたが、暫くすると、お前はどうしても暴れる気か、それならば、ちよつとこちらへ来てくれと、別の男のへんに調子の低いおどかし声がして、ぐづねてゐたのは「よし、帰つたる、帰つたら文句ないやろ、五十銭かへせ」と喚きちらし、女は女で息をはずませて癇高く――「一旦もろたもんが返せるもんか」なぞと叫びつつ、やがて、彼らはガタガタと階段をころがるやうに下りて行く音がした。――いや、階段は小説家の坐つてゐる側にあるし、そしてこの小さな家にそれが二つもあつたはずはないと、彼は怪しんで背延びをし、雨戸越しに、何やら取り散らけた喧嘩の現場を見るのであつた。すると、あちらの壁が無惨にくり抜かれてあつて、洗ひ晒しの浴衣地をカーテンみたいにしたのが、汚く垂れさがつてゐ、隣家の二階と通じてゐるのが分つたのである。では、隣りも同様かうした宿になつてゐるのかと、彼は、そこに住んでゐた荒木と云ふ葬式人夫の一家や、恐しく出つ歯であつたが秀才で、今宮の職工学校に通つてゐた息子のことを思ひ浮べるのであつた。
 それから、女は小説家の顔をちらとのぞき、そこに敷きつぱなしになつてゐる薄く細長い、浅黄の蒲団の上に倒れて見せた。――彼はそれには及ばぬと、幾度も繰りかへして説明しなければならなかつた。しかし、女はなかなか承知せず、執拗に誘ひの言葉をかけるのである。彼女は、男とはそんなものではないと十分悟つてゐるやうにふるまつてゐたので、無為に金を払ふのを想像できなかつたのであらう。
「それではすんまへん――銭もろといて遊んでもらはなんだら」と、またも云ふのであつた。それは労なくして賃銀を受取ることを恥しく思ふけなげな心持からと云ふよりは、むしろ、彼が遊ばないのを口実に全額でなくとも、五十銭の何割かの払戻しを請求しはしまいかと、恐れたが故であつたやうだ。
「ほんまに、えらいすんまへんな」と、やつと彼女は納得して云つたが、それでもまだ――「ほんまにかましまへんか」と、尚も云ひながら、そこに坐り直すと、バットの箱から吸ひさしの煙草を出し、ちやうど彼がつけた燐寸の火に、頭をかがめて、吸いつけるのであつた。赤つぽい髪の毛や、垢ずんだ首の皺や襦袢の襟が近づき――しかし、その時、彼は何か発見したやうな眼つきになり、ぢつと彼女の身体つきを検べ、眺め廻したのである。
 女の煙草は短かかつたので、すぐになくなつた。小説家は自分の箱を荒れた畳の上に置いて、一本つけては如何かとすすめるのであつた。だが、女は女らしく遠慮して「五十銭ただもろて、その上、煙草のませてもろたりしては――それこそ冥加につきます」と、辞退して手をださなかつた。それ位いいぢやないかと、尚も彼が云ふと強情に身を引かんばかりにして、
「いいえ、いけまへん」と、しをらしい表情をして見せたが、急に彼は自分の観察が誤つてゐるか如何かをためしたくなつて、何の悪い気もなく、
「あんたは、女とちがふな」と云つたのである。それを相手は随分と意地悪くきいたかも知れなかつた。どうして、そんなこと云ひ出したのだらうと、暫くの間、女は彼の顔を見つめてゐた。それから、両手を揉むやうにして、下うつむいて、嘆息した。
「やつぱり――分りまつか」と云つて黙り込み、それでもまた勇気を取戻したのか、
「そやけど、今までに一ぺんも見現されたことはおまへなんだ、ほんまだつせ――兄さんにかかつてはじめて――わやくやな」と、てれ臭さうに、力を入れて云つた。
 思つた通り男だつたのかと、小説家はうなづいたが、何とも分らぬ変な気持になつて――「ほう、そいで」と云ひ出すと、相手はその顔色を読んで、すぐ答へた。
「ええ、ちやんと、そいで商売してますねん、をなごとしてな」と奇妙な陳述をするのであつた。小説家は飽かず、この相手を見てゐると、そいつは、女でないと云ふことが明白になつてから今までと著しく態度を変へた。すぼめるやうにしてゐた肩も張り、
「ほんなら、一本いただきまつさ」と、遠慮を打捨て、手を出して煙草の箱を取つたが、その指も骨ばつて来たやうにさへ思へたのである。そして、
「もうとしですよつてに、身体が堅うなつてしもて――」と云ひ、問ひに応じて、二十歳であると云つた。
「まだ子供の時は、これでも綺麗や云うて、お客がたんとつきましてな――なんにも知らんとな」と、女のやうに口へ手をやつて笑つたが、急に煙草を揉み消すと、
「あんまり、ゆつくり、ここにをられまへん――何やつたら、わてのホースにおいでやすな」と、彼(女)は小説家が奇怪な話に興味を持ち出したのを知つてさう誘ひ、ここでは部屋代をとられる故、散財をかけては済まぬ、自分のところへ来い、と云ふのである。「ホース」と云ふは、「ハウス」か「ホーム」の訛りであるらしかつた。――
「すぐ、そこだす、第二愛知屋だす」
 そこで、小説家は偶然なことから、彼の懐古心を満足させ得たことを思ひ起し、今更のやうに、感慨深く部屋を見廻し、玩味し、剥げた壁や畳に、もはやかうした宿らしく人間の汁液が浸込み饐えた臭ひがこもつてゐるのや、天井の薄い板もところどころ外れて垂れさがつてゐるのを、認めるのであつた。そして、再びその部屋を、楽書を見ることはなからう、と思つた。
 れいの女装の男は階下へ、彼のために傘と下駄とを持つて行き、破れた障子の中へ首を突込むと、中の者に何やら云ひ、それから大きな声で、「おほきに」と、挨拶して彼を促して、外へ出た。
 表通の方へは行かず「こつちから」と、路地の奥を突抜けると、木柵があつて南海鉄道のレールが走つてゐ、ずつと遠く天王寺公園に当つて、エッフェル塔のイルミネションが、暗い空に光を投げてゐる。――その黒い木柵の間を、彼(女)は着物も長襦袢もたくしあげて跨ぎ、危うおまつせ、と彼のために傘を持つてやつて、案内するやうに云ふのであるが、もとより、小説家は子供の時に、そのレールの上に針金を寝かせ、電車の車輪にしかせてペチヤンコにしたり(彼はそれでナイフを作らうとしたのである)石を積みあげて、食物や道具を一ぱい載せてゐるにちがひない貨物車の顛覆を企てたことがある位だから、必ずしも見知らぬ場所であるとは云へなかつた。北の方から電車が進んで来、警笛を鳴らし、蒼白く烈しいヘッドライトはそれを避ける彼らの影を、雨に濡れた軌道の小石の上に大きく振廻すのであつた。越えると空地があり――その暗い中に、何やら人のざわめきがし、群れ集つてゐる気配があつた。
「轢死人があつたんか知らん」と、女装の男は云つた。――
(ここで、もう一度、小説家の煩しい回想を許してやりたいと思ふ。かつて、このあたりではよく人々が轢き殺された、彼らの生命が安かつたせゐかも知れぬ。夜更けてけたたましい警笛が長く尾を引いて鳴り、急停車する地響きがあると、仕事をしてゐる手を休めて、彼の母親は「また誰ぞ死んだ」と云つたものである。その時は身に迫るやうな寂しさを子供は感じた。そして、朝になると、今彼らの眼の前にある広場に蓆のかけられた血のしたたる屍骸が横たはつて、検死の済むのを待つてゐた。多くは無一物で、生きても死んでゐる者たちであつたが、ある冬の朝、近所のお神さんたちは、昨夜の轢死人は懐中に十円もの金を持つてゐたと噂し、そんな大金を持つてゐながら、どうしてまた死ぬ気になつたのであらうと語つてゐたので、それを聞いてゐた子供たちは大急ぎで柵をくぐり抜け、もしや、その不要な金を子供たちに分けてくれはせぬかと、一散に走つて行つたことである。)――
 処々高低のある、雨で軟くなつた土をごぼごぼと踏んで、彼らは、人だかりの方へ近づいた。外套をすつぽり着た巡査が懐中電燈を照して色々と命令し、人夫風の男が、ぐつたりした老人の大きな身体を、寝台車に担ぎ込まうとしてゐた。それはトルストイのやうな顔をし、白い鬚を長く延ばした爺さんであつたが、なかなか重いと見え、人夫は白い息をふうふうと吐いて少し手古ずり、すると、人々の間から、白けた絆纏の浮浪者が出て――「爺さん、しつかりせえよ」と声をかけて片足をかつぎ、黒い布被ひのある車へ載せるのであつた。そして、力なくだらりと垂れた老人の足からは、竹の皮の冷飯草履がぬげて落ち、垢ぎれでひび割れた大きなその足裏が気味悪く、懐中電燈の光にうつし出されるのであつたが、れいの浮浪者は逸早く、草履を自分の足に――彼ははだしだつたので、ひつかけた。すると、巡査は癪にさはつたやうに、「おい、おい」と頤を振つて注意し、――「そら、病院のや、いれとけ、いれとけ」と叱つた。浮浪者はすなほに、その病院の名らしく焼印のおされてある草履をぬぐと、肘で拭ふのであつた。何故なら、すでに彼の足の泥がつき、濡れて了つてゐたのである。少してれて、それを老人の足指にはめようとしたが、すぐ落ちてダメなので、人夫は黙つてひつたくり、車の底へ押込んだ。
「兵隊辰やな」と、女装の男は、癖で歯をガチガチ寒さうにならしながら、小説家に説明して云つた。その声に、巡査はちらと、こちらを見たが、人夫が寝台車の梶棒を握つて立ち上ると、「爺さん、もう戻つてくれるな」と云つた。さつきの浮浪者はそれに応じて、「旦那、兵隊辰はもう二度とここへ帰つてけえしまへん――今さき、触つたらもう冷たうおました」と低く云つたが、巡査は苦々しい顔をした。――「困つたやつちや――わしの責任になるがな」そして、今まで、爺さんの寝臥してゐた蓆を靴の先で蹴り飛ばした。
 車はゆつくりと去つて了ひ、人々も散るのであつた。あとには、雨が再び寒く降りはじめ、女装は、
「おお寒むやこと、すつかり冷えこんでしもたわ」と、云つた。広場はもとの静けさに戻り、あちらこちらに火が燃え、雨の中に明るさが溶けて見えるのである。それは浮浪者たちが、大きな穴を掘り、その中で物を――塵芥を燃しながら、その白つぽいむせかへるやうな煙の横に、うづくまつて、眠りをとつてゐるのであつた。
「今晩は」などと、その穴の側を通りながら、小説家の同伴者は声をかけ、
「降つて困りまんな」と云ふのである。
 兵隊辰とは――歩きつつ、彼(女)が語つたところによると、以前は軍人で、日清日露も両方とも出征して勲章を貰つたが、心臓を患ひ、子供身寄もなくて、ここまで零落したのである。最近は殊に衰へ、寝込んでゐたので附近の宿なしたちが心配して、慈善病院に入れるやう「旦那」に交渉し、そして入れたのであつたが、すぐと、不自由な身体をひきずつて、この空地へ立ち戻つて来た、驚いて連れて行くと、また、ひよろひよろと帰つて来、それを再三再四繰りかへしてゐたと、云ふ。
「なんでや」と、小説家はたづねた。彼は、さうした慈善病院の官僚的な冷い有様や、堅い寝心地の悪い木のベッドよりも、弱つた神経のうちから馴れた野宿を思ひ出すあの浮浪者魂のことを、考へてゐたにちがひない。
 しかし、相手は、
「なんでだつしやろな」と無関心に答へ――「寒い、寒い、――兄さん、お酒はどうだす」と、云ふのであつた。なるほど、広場を過ぎたところに、焼酎屋があつたが、彼は、「さあ、金があるか知らん」と心配すると、
「いや、大丈夫」と、女装は力を入れて「おます」と、勝ち誇つた。先程、小説家が彼に五十銭与へた時、その財布の中を、のぞいて数へて了つたのだと云つた。それは商売からして、無意識に行ふのである。
 ――油障子を半分だけ閉めた中の、二すぢの長いテーブルには、人々が――ボタンのない外套の上から縄をしめたのや、羽織もなく寒々とした黄色い顔の男や、絆纏にゲートルを巻いて、何か知らぬが大きな風呂敷包を腰にくくりつけたのや、眼脂で眼蓋のくつつきさうになり、着物の黒襟が汚れてピカピカに光つてゐる女やら、――みんなすでに酔払つてゐて、頭を重く垂れ、時々あげてあたりを睨むと訳の分らぬ叫びをあげて会話し――一切が不健康に濁り、空気は淀んで腐つてゐるやうに見えた。小説家と女装の男とは、あいたところに腰をかけ、値段書のぶらさげてある背後の羽目板にもたれ急に冷くなつた足先を土間で踏みならしながら、店のものが大きなコップに焼酎をつぐ手許をぢつと見るのであつた。透明な液体は溢れて、木目のはつきりした汚いテーブルの上に流れると、女装は口を近づけて吸込み、舌なめずりするのである。更に彼は媚びるやうに小説家を見てから、艶つぽい声で店員に註文を発すると、豚の腎臓をそのまま薄く切つたのが塩を副へて持つて来られ、彼(女)は指でそのべろべろした血のかたまりみたいなものを、つまみあげて、彼に、
「どうだす、ひとつ」と云ふのであつた。――「ちよつと臭がしますけど、通人の食べものだつせ」
 さうかも知れぬ。しかし、小説家は手を出すことをしなかつた。
 やがて、簡単に酔ひが身体に廻ると、昂奮して女装は、多弁になり、ハンカチを出して胸にあてたりして、口惜しがるのであつた。それは、またしても、彼(女)が今まで本当は男であるのを発見されたこともなく、――また真実女であつて、その他の何ものでもないと、自分自身も永い間信じきつてゐたと云ふことで、縷々としてつきなかつた。彼(女)はその日常生活の末々端々にいたるまで女子として行動し――そして売春婦として存在することによつて、一家三人が第二愛知屋(木賃宿)に一部屋を借り受けてこの数年暮しを立てて来、もちろん、その弟で十四歳になるのも昨年あたりから女になつて、客をとることを覚え、彼らの母親はかなり楽になつたが、――
「やつぱり歳のすけないのは、骨がやはらかいし、肉もしまつてまへんよつてに、もうわてらと較べもんにならん位、よう売れます」と、感心して、彼は云つた。その弟が先日警察の手入れであげられ――そこで、肉体を発見され、釈放される時には、折角延ばして結つてあつた髪の毛を短く刈取られて了つた。――「早う生えてくれんと、商売でけしまへん、ほんまに無茶しよる」と、彼は憤慨して抗議した。「そんなことする罰は法律にはないさうだす」と、彼は知合の――同じく第二愛知屋に宿泊してゐる弁護士(!)に聞いたと云つた。色々と話の末、彼(女)は今後も完全な「女」として生きる決心を告げ、(さうした女としての暮し、その衣裳、殊に下着や腰にまとふものを身体につける時の悦びを昂奮した調子で彼は語つたが、妙な商売の思ひつきから、すでに救ふべからざる倒錯症にかかつてゐることを証拠立てた)――最後に、
「かうなつたからには、意地でも、どうかして子供を産んで見せます!」と、断言したのである。小説家は、その言葉が単に彼(女)の酔ひから無責任に放たれたものではなく、本当にさう信じてゐるらしいのを見て驚いた。
「なに、子供を産む――何ぬかしてんね、ど淫売の癖に、ふん、父無し子か!」と叫んだものがあつた。奥の方にゐてボタンの一つもない外套を着た男であるが、とつくに酔ひ倒れて、テーブルに両手を投出して眠つてゐたのに、さう呶鳴ると立ちあがり、彼らの方へ危げにやつて来た。
 皮膚の上にもう一枚皮膚ができたやうに、垢と脂とで汚れきつてゐるが、眼蓋や唇のぐるりだけ黒ん坊みたいに隅どつて生地の肌色が現れてゐた。――彼はたしかに、さう声をかけたのを機会に、小説家の方へ来て、焼酎をせびらうとしたのである。それは、すぐ「産むなら、なア、この旦那の子供を産めよ――ほんまやぞ、なア、旦那」と云つて歯を出してお世辞笑ひしたのでも分つた。ところが、彼は今一ぱいの焼酎が咽喉をよく通らないほどになつてゐて、酒はだらしなく、口から涎のやうに流れ、コップはぽんとテーブルの上に投げられ、ころがるのであつた。
「あア」と、彼は聯想するやうに云つた。「なア、ほかのやつの子を産むな、間男の子なんか産んでくれるな」――
 それから、彼は急に泣き出して了ひ、「わいの嬶は、間男しやがつて、そいつの子を産みやがつて」と嗚咽したが、やがて濡れた顔をあげると、
「何もそんなこと、最初から分つてたんや、わいは、大体、女の癖に新聞読んだりするやつは好かん」と、そむかれた彼のお神さんのことを罵つた。
 その云ふことは前後取りちがへてゐ、呂律も廻らず、そのまま文字にうつすこともならぬが、彼が若い時、郷里へ帰つて貰つた女房を連れ、大阪へ戻る途中、花嫁である彼女が姫路のステーションで新聞を買つて、読んだと云ふのである。「わいさへ新聞みたいなもん読んだことあれへんのに」――そこで、実に彼は癪にさはり、生意気に思へたので、すぐにそのまま引返して、離縁しようかと一時は考へたが、せつかく人手を煩はし、世話して貰つたのにと、胸を撫でて我慢した――それがいけなかつた、やはり、新聞の一つも読まうかと云ふ女は「学問」を鼻にかけ、他に男をこしらへて出奔して了ひ、自分の観測に誤りなかつたことを思ひ知らねばならぬやうな始末になつたのである。――
「ああ、やけぢや」と、彼は結んだ。
「兄さん、大分廻つてる、苦しさうや」と、女装は云つた。すると、
「あたりまへや」と、何故か彼は「女」には荒々しく云ひ、もう二日も前から飯を食つてゐないことを告白して、青い顔をした。小説家は、もしさうなら、如何に酒好きであるにしろ、焼酎なぞ飲む金で何故腹をこしらへなかつたか、と責めるのである。ひよつとすると、これは昔このあたりによく見かけたアルコール中毒かも知れぬ、と彼は考へた。
 すると、外套の男は腰紐代りの縄に手を入れ、しごきながら、
「ほんまのこと云うたろか」と云ふのであつた。小説家は云つてくれと云ふ顔をした。
「そりやさうや、さうや、旦那の云ふ通りや、誰が銭持つてたら、空き腹に酒なんかあふるもんか、米のめしがほんまに恋しうてならんわ――をとつひも飯食うたんやあらしまへん、観照寺で接待ある云うよつてに、伊原つれて出かけたら、それが、うどんの接待だす、伊原にお前わいに半分残しとけ云うたのに、あの狸め、ちよつとも余さんと食うて了ひよる――なア旦那、大体伊原に、観照寺で接待あるよつてに行こか云うて誘うたのはわいだつせ、知らんとゐたらうどん一すぢも口に入らんとこや、なア、そやのに、恩知らずめが、どうだす、礼儀の知らんこと、後輩の癖にわいより先にお汁をかけて、ちよつと残しといてと頼んどいたのに、どんぶり鉢のはしも噛る位綺麗に食うて了ひやがんね、――それからと云ふものは、まる二日、仕事もないし!」
 彼の後輩である伊原が何ものであるかも、また彼の仕事がどんなものであるかも、酔払ひは説明しなかつたが、そのたどたどしい独白に、この店の中で、強い焼酎に痺れた頭をかかへたものたちは、ひそかに白い吐息をして、耳を傾けたのである。
「わいは、何のはなししてたんやつたかいな、――そやそや、旦那は酒飲む金で飯食へと説教してくれはつたんやつたな、どうも、おほきに」と皮肉に口を歪め、「そやけど、ほんまのことを云ふとやな」と、語り出した。――彼らはどんなに空き腹を抱へてゐても、人にめしを食はせてくれ、とは云へないのであつた。何故ならば、誰も彼も自分だけが食ふのが精一ぱいで余裕は更にないので、しかも頼まれたら、すぐに足りないものも半分は分けてやらねばならず、――だから、そんな人の予定を狂はし迷惑かけるやうな依頼心を起すのは道徳的ではないと、されてゐる。そして、もしも誰かが景気よくて(景気よくて!)すつかり気が大きくなり、おい、酒のませたろかと誘はれた時にも「酒の代りに飯をおごつてくれ」とは云へないものだ、と外套はしみじみ述懐した。それは一つには、虚栄心もあつたし、また折角相手が酒で愉快になつてゐる気分をぶちこはすに忍びないからであつた。だから、今夜のやうに酒だけで腹をこしらへてゐる時もある!
「兄貴、酒おごらんか、は云へます、そやけど、云へまつか、めし一ぱい頼むとは」と彼が云へば、夜更けの酔払ひたちは口々に、「さうは云へん、云へんもんぢや」と、首を振るのであつた。――小説家は、そこに浮浪者につきものの、さやうな貴族精神を見て、悲しく思ひ――さう云ふはなしを俺にするからには、俺にめしをねだつてゐるのだらう、と云ふと、
「あたりました」と答へ、なんでや、見栄があるやろ、とからかふと、「あんたは、旦那やよつてに、かめへん」と、尚も小説家を悲しませるのである。
 それから雨中に、のれんを排して出た女装の男は、頬に雨滴をあてて、
「おお、冷こ、ええ気持やこと!」と叫び、酒にまかせて外套の浮浪者にしなだれかかると――「ちつ! わいは女はきらひや」と、彼は忌々しげに舌打ちし、その手を払つて、どんどん先に立つて行くのであつた。
「上等の店、おごつて貰ひまつせ」と、彼は云つて木賃宿の裏手の狭い道を――そこから薄暗い部屋に親子夫婦たちがくるまるやうにして寝てゐるのが煤けた格子窓越しにのぞかれ、また戸締りのしてない裏木戸からは、列んだ便所の戸がどれも開いてゐるのが、陰気臭く見えるのであつた。
 めざす店はまだ起きてゐた。
「芋粥くれ、おつさん」と、外套は呶鳴つた。吹きながら、人々の手垢で黒くなり、塗りの剥げた箸で、煮込のやうな粥を咽喉に通しながら――「なんやて、明日ハ十五日ニツキ アヅキガイ二銭モチ入アヅキガイ三銭――よし来た、おつさん、今晩は旦那がついてる、餅入小豆粥一つ呉れ」と、壁に張つた紙ぎれを読んで云ふのであつた。
 絣の筒袖を着、汚れてはゐるが白の前掛をかけ、茶つぽい首巻をした主人は、煤の垂れさがつてゐる、釜の側で、煙管をくはへてゐたが、
「こら、あしたや、けふはあかん」と、ぶつきら棒に返事した。
「あしたやて、ふん、あしたと云ふ日があるならば」と浮浪者は節をつけて応酬をして、「こら、見い、もうぢき、十二時やぞ、そしたら、あしたや、待つてたろ」と、箸をあげて、棚に置かれてある、アラビヤ数字のいやに大きいニッケルの眼ざまし時計を、指すのであつた。主人は冷く、相手にしなかつたので、彼はまた呶鳴りちらした。
「こら、わいの云ふことが分らんか、こら、人殺しめ!」
「なに云ひなはんねん、そんなこと」と、女装が驚いて制止すると、
「うるさい、女は黙つとれ」と、彼は邪慳に唸つた。それでも、主人は身動きもせず、白い眼で見るだけで、――その眼が 「このルンペンめ、そんなこと云ふと、もう、うちの粥食はさんぞ」と云つてゐるやうに見えたので、外套は、がくりと首を垂れ、
「いや、ほんなら、芋粥お代り」とおとなしく云つて、うまさうに、かぶりつくのであつた。――
 彼が粥屋の主人に向つて、人殺しと罵つたのは、何も理由のないことではなかつた。その店を出ると、そんなことを云ふなと止めたくせに女装の男が先に立つて、問ひもせぬに小説家に語つた所によると、――もう二年前にもなるが、その秋のちやうど夕飯頃、あの店が粥を食ふ零落者で混んでゐた時、ある男が(外套は、あら、田辺音松や、やつぱりわいの友だちや、と云つた)――その田辺が二銭払つて出ようとすると、主人は三銭置いて行けと請求し、何故かと聞けば、一銭の漬物を食つたから、と云ふので、田辺は驚き、いや、そんな覚えはない、と云ひ張り、この漬物皿は横にゐたやつが平げたのやと述べたが、主人は更に聞き入れず「食つた」「食はぬ」と争ひになり、果は、田辺がどんと胸をつかれると、悪いことに空き腹がつづいて力の抜けてゐた彼は、そのまま仰向けに倒れて敷石で頭を打ち――そして、もう二度と動かなかつたのである。調べた結果、頭蓋骨が折れたのが死因と分つた。もちろん傷害致死で主人は行つたが、それも三四ケ月すると、もう店を開いてゐたと云ふ。――外套は力んで、「今に仇をとつたる」と云ひ、「そやけど、あすこの芋粥はほんまにうまい」とほめて、そんな店を潰すに忍びないと云ふやうな顔をした。
 話が終ると、突然、外套は「おほきに、御馳走さん」と云ふなり、眠つた低い家々の間を、そこには雨の中に傘をさして淫売婦たちが辻々に立つてゐるのであつたが――駈出したのである。
「待て!」と、小説家は呶鳴つた。寝るところがあるか、と心配したのである。
「今夜は、腹も張つたし、酒ものんで、ええ塩梅やよつてに、その勢ひで野宿する」と、相手は答へ、尚も走りつづけようとした。
「待て!」と再び小説家は云つて、幸ひこの「女」がすすめるから、一しよに第二愛知屋に泊らう、と誘ふのであつた。
 すると、不思議なことが起つた。――今まで、いやに辛く女装に当つてゐた外套は急に叮嚀な言葉づかひになり、「姉ちやん、えらいすんまへんな、屋根代もなしに、厄介になつたりしまして」と挨拶するのである。――思ふに彼は彼の逃げた細君以来、女にはよからぬ感情を抱いてゐたので、自然、女装に対しても冷かな態度を取つてゐたが、今は彼(女)は部屋主になつたので、その点から礼儀をつくしたのである。
 その証拠には、彼が彼女の「ホース」に行きついてからは――大戸をガラリとあけて女装が帳場に坐つてゐるキナ臭い中年の男に「頼んまつせ」と申入れた時も、うしろについて彼はぺこぺこと頭をさげたし、また広い階段の途中ですれちがひ、彼(女)から、「今晩は」と、呼びかけた、赤い顔に髭を蓄へた、しかし、口のあたりに何やら卑しい腫物の出てゐる、袴をはいた男にも、外套は腰を折らんばかりにお辞儀するのであつた。その袴の男を、あれが、弁護士だす、と女装は云つてきかせた。――
 彼(女)の部屋では、浮浪者は益々小さくなつて隅の方に坐り、しきりとボタンのない破れ外套の前を合せ、巻いた藁縄をはづかしさうに触つて見るのである。そしてすでに寝てゐる弟や(なるほどその髪の毛は最近に散切りにされたあとがあつたが、少し延びかかつてゐ、ちやんと女風の長襦袢の肩を見せて眠り、日頃のたしなみを見せてゐた)また母親に(彼女は二人の外来者を無言のままじろじろと観察した)――突然夜半に訪れたことを、幾度も繰りかへして謝するのであつた。――
 それほどだつたから、朝になり、みんなが眼ざめた時、すでに遠慮深い彼の姿は消えて、見られなかつたが、誰も不思議にも思はず、眠つてゐる者たちを驚かさないやうにと、跫音を忍んで、部屋を出、やうやく白んで来た空を仰ぎながら、その「仕事」に出かけた彼を想像するのであつた。
 ――それは三畳に足らぬ部屋であつた。押入はなく、埃で白い二三の風呂敷包、バスケット、土釜、鍋鉢の炊事道具の類、それに小さな置鏡、化粧水の瓶なぞが棚を吊つて載せられてあり、壁にはりつけられ、一方の隅の破れてゐる新聞附録ものらしい美人画は、彼ら兄弟の扮装のモデルであらう。
 彼らと雖も労働者の子供たちであつた。「田舎から来た鍛冶屋だす」と、小説家の問ひに対して答へ、父親の働いてゐた日の出鋳物工場は今でもこの近くにあるが、彼は早く火傷で倒れ、母親も白粉工場に永年つとめ、そのために中毒を起して片手はまるきり動かぬ、と云ふ。――地方から都会に出て来た労働者が、すでにその二代目に於て、貧窮と不衛生と無知とによつて腐つて了ひ、かうした人間の破産状態のうちに生活してゐるわけである。
 朝になると、小説家は、もはや彼らと別れを告ぐべきであると思ひ、猫みたいに荒い銀色のヒゲの二三本生えてゐる老婆の顔を見ながら、女装の男に、昨夜の部屋代の一部を負担しようと申出た。すると、彼女は手を振り、口を押へて笑ひながら、
「それはもう、ちやんと、兄さんがお寝みのうちに、もろときました」と、云つた。ひよつとして、小説家がそのことに気が附かずに帰られては、と彼(女)は恐れたのであらう。
「いくら抜いた」ときけば、「五十銭」と返事した。
 母親は「御飯でも食べて行つとくなはれ」と、お世辞を云つたが、それは嘘であらう。
 雨はあがつた、しかし、陽の光は射さなかつた。――小説家は表へ出ると、昨夜の出来事や、逢つた人々を思ひ出さうとしたのだが、何だか、ぼんやりとしか浮びあがらなかつた。電車の狭いガード下で、そこは誰彼となしに小便すると見え、コンクリートは湿気で壊れ、白い黴やうのものがひろがつてゐるが、烈しい臭気に彼も亦、そのことに気がついて、小口貸金手軽に御用立てます、と云ふ広告を読みながら、排泄するのであつた。そこを抜けると無料宿泊所があり、そのあたりには、午前中からもう夜の宿の心配をしなければならぬ浮浪者たちが、いつでも事務員が出て来て受附けるならば、すぐ列を作つてならべるやうに支度をして――蹲つて考へたり、立話をわいわいやつてゐた。小説家は、そのあたりが葱畑であつた時のことを、思ひ出してゐた。――
 それらの浮浪者相手に僅かの商売をする露店が立つてゐ――魚の骨や頭を、野菜の切れ屑などと一しよに塩で煮込んだのやら――それは暖かさうに泡を立て、灰汁やうのものを鍋の表面に浮かべてゐたし、また、すし屋の塵芥箱から、集めて来たらしい、赤い生薑の色がどぎつく染まつた種々雑多の形の頽れたすしやら――すべて、異臭を放ち、しかしその臭ひが宿なしたちには誘惑である食べ物を一銭二銭で売つてゐるのである。それらにまじつて、古道具屋が二三軒、店を――店と云ふならば、小さな薄べりを敷いて、庖丁、釘抜、茶碗、ズボン下なぞをならべ、浮浪者の拾得物なぞも買入れてゐた。中には一昨年の運勢暦が講談の雑誌と一しよに立てかけてあるのもあつた。さうした古道具屋の一軒では、主人が仔細らしく老眼鏡をかけて、脊の低い女が持つて来た風呂敷包を開いて、品物の値ぶみをはじめたので、要もない浮浪者たちはその店先をかこんで、何や彼やと品物の批評をしたり、おつさん、もつと出したれ、なぞと云つて、女は少し上気し、両掌を頬にあてるのであつた。――風呂敷の中からは、仏壇の掛軸やら、浮浪者はそれについては「こら、真宗のもんには持つて来いや」と云つたが、道具屋はふんと鼻であしらひ、それから男物の着物、さらし木綿の肌襦袢、軍手なぞが出、最後に、使ひかけの石鹸や褐色のハトロン紙の封筒が十枚ばかり出た時には、無一物の浮浪者たちも――「こんなもんまで売らんならんとは、よくよくや」と、さすが低声で囁きあつたのである。家にあるもの、金になると思はれるもの残らず、総ざらへして、女は持つて来たのであらう。――
 彼女が金を受取つて帰ると、道具屋はもう一度、今の品物を一つ一つ手に取つて調べてゐたが、満足して、それを、すぐ陳列するのであつた。それから、まだ立つてゐる小説家の方を、めがね越しに見て、少し考へた後、
「その傘はもういらん、けふは天気になる、どや、買うたろか」と、云つた。小説家は、この親爺がコーモリ傘だけを売れと云ひ、高歯の下駄のことについては言及しなかつたことに、雨はあがつたが、このあたりの深い泥濘を顧て、苦笑せざるを得なかつた。何か返事をしてやらうとした時に、ふいに、また彼を引張るものが――女であつたが、煮込屋の前まで連れて行くのであつた。――
 見ると、それは大きな肩掛をし、片一方の眼のいやに小さな、萎びた女であつた。小声で――「兄さん、電車に乗りはりますやろ」と云ふのである。小説家は、その質問の真意を捉へかね、横で煮込屋の釜の下の火にあたつてゐる宿なしたちがこちらを見てゐるのを意識しながら――「そりや、乗らんこともない」と云ふ風な返事をした。と、その言葉の終らぬうちに、荒れた皮膚の女は、短い指の中に握つてゐた電車の切符を、彼に押しつけて、六銭で買うとくなはれ、と云ふのであつた。
 小説家はどうしたものかと思つたが、取りあへず、あすこの古道具屋に売つては如何かと云ふ旨を彼女に伝へると、「あいつら、無茶苦茶に値切りよりますがな」と云つて、きかなかつた。そこで、彼は仕方なく十銭白銅を出すと、彼女は少しもぢもぢとして困つた様子であつたが、相手が面倒臭くなつて、全部呉れはせぬか、と期待してゐるやうでもあつた。――だが邪魔者が入つた――「両替したろか、赤銭やつたら、なんぼでもあるわ、重うてならん」と云ふ声が――れいの煮込鍋の下に身体を暖め、時々いい気持にそこへ坐つたまま居眠してゐた、髪の毛の薄い少年であつたが、腹巻の中から、新聞紙に包んだ銅貨を出すのである。もちろん、彼は重いほど持合はせてゐるわけでもなかつた。
 肩掛の女は六銭握ると、おほきにと礼を云ひ、考へて、少し離れた、屑のすし屋で買物をし、小説家の方をちらと見てから、小走にガードのあちらへ、駈去るのであつた。少年も亦、それを見送り、小説家の手に残つた、よれよれの市電切符を指して、
「ガゼビリめ、パス一枚でヤチギリやがつたな、――ほんまに不景気なはなしや」と、説明するのであつた。
「ふむ」と、小説家は咽喉をつまらせて、今の女の一生を思ひ、それから、少年を――その顔は、腫れあがつて赤味を帯び、眼も細く、破れた着物の下には襯衣があるが身体中の瘡蓋のつぶれから出る血や膿にところどころ堅く皮膚にくつついてゐた、銅銭の紙包と一しよにボール紙を持つてゐて、――それには、この子は両親も身寄もなく、しかも遺伝の病気で困つてゐるからどうかめぐんでやつてほしい、と云ふ意味の文句が、同県人より、お客さま(!)と書き副へて記されてあつたのを見ると、彼は繁華な通に出て号泣し、前に置いた箱の中へ、一銭の喜捨を乞ふ少年にちがひなかつた。
 彼は今の女に、不景気なと罵つた手前、自分が如何に景気がよいかを、誇り出すのであつた。――
「こなひだもなアイノリ(二円)になつた日があつたんやぞ――みんなオツチョコチョイで、オケテしもたけどな」
 オツチョコチョイとは、あすこで、ラッコの襟巻をし、金縁めがねをかけた冷い眼の男が開いてゐるやうな、路上の賭博であると、彼はつけ加へた。
「へえ」と、小説家は感心してやらねばならなかつた。
「五十円もウネツテたまつたら、病院に入つてこまそと思ふんやけど」
「どこが病気や」
「どこが、悪いのかなア」と他人事のやうに少年は云ふと、
「ほんまに、はよ、治しときや、手おくれになつてしもたら、あかんさかいな」と、気がよささうな煮込屋の主人は、横から忠告するのである。
「うん、さう思うてんねけどな」と、少年は、一銭ばくちで五十円を勝ち貯める日がなかなか来ぬことを考へてゐるやうな眼つきをし、それから――「おつさん、モヤ一本頼む」と云ふと、「おいな」と、主人は胃散の大きな罐の中から、吸口をちやんとつけたバットを取出して、一銭で売つてやるのであつた。

 小説家はその夜、難波で、新聞記者某氏に出逢ひ、釜ケ崎のはなしをすると、某氏は先日もこんなことがあつた、と語るのであつた。――夜更けて、あすこの側にある警察へ、女の行路病者が担込まれて来た、医者に見せると重い肋膜で、すでに手おくれになつてゐ、遂に死亡して了つたが、その次の日、彼女を扶けて連れて来た男が来て、一度面会させてくれと云ふので、すでに、こと切れたと云ふと、わつと男泣きに泣き、余りの愁嘆に、どうしてそんなに悲しむか怪しまれ、それでは何か知合のものででもあつたかとの訊問に対して、実は、それは彼の女房であつた、と告白したのである。彼は釜ケ崎の木賃宿に住んで磨き砂売りをやつてゐるが、もちろん、稼ぎは思ふやうには行かず、それに女房が病気になつて寝て了ひ、日に日に重ることが眼に見えつつも、施す手がなく医者も相手にしてくれず、瀕死の彼女は苦悶するし――遂に思ひ余つて、女房を行路病者にしたてたと云ふわけであつた。
 新聞記者某氏は「ルンペンの夫は悲し、と云ふ物語や、どや、小説にならんか」と云つた。
 小説家は狡猾に笑つて何とも答へず、家へ戻つたが、それと彼の昨夜来の経験とを織りまぜ、小説に作りあげて見ようと、決心した。そこで、手許を探して、市役所から出てゐる「大阪市不良住宅地区沿革」と云ふのを参考に読みはじめたのである。
 ――現在の釜ケ崎密集地域も明治三十五年頃までは、僅かに紀州街道に沿うて、旅人相手の八軒長屋が存在したるに過ぎない。
 その後、東区の野田某氏が始めて、労働者向きの低廉なる住宅を建設して、労働者を収容したるが、尚当時に於ても依然として、百軒足らずの一寒村に過ぎなかつた。
 以後、大阪市の発展に伴ひて、下寺町広田町方面に巣食つてゐた細民は次第に追ひ出されて南下し、安住の地を求め、期せずして、集団したるが、現在の釜ケ崎にして、そこに純長町細民部落を形式するに到り、下級労働者、無頼の徒、無職者は激増し、街道筋に存在する木賃宿は各地より集まる各種の行商人遊芸人等の巣窟となり、附近一帯の住民の生活に甚だしい悪影響を与へつつある。
 児童の大半は就学せず、すでに就学せるものも、三四年の課程を終へれば登校せず、金銭を賭して遊ぶ子供を所々に見受ける。
 下水の施設なく不潔なること言語を絶するものがある。表側に於ては左程にも思はれぬとも、裏側に於ては、甚だしいものがある。上水の施設もないところ多く、井戸水を使用してゐる。――云々。
(昭和八年三月)



底本:「現代文学大系44」筑摩書房
入力:山根鋭二
校正:伊藤時也
1999年12月15日公開
2000年11月11日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

前のページに戻る 青空文庫アーカイブ