青空文庫アーカイブ
現代詩
武田麟太郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)解熱剤を服《の》んで
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)益々|蜻蛉《とんぼ》かきりぎりすみたいに
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、底本のページと行数)
(例)うとうと[#「うとうと」に傍点]して
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とにかく自分はひどく疲れてゐる。朝から数度にわたつて解熱剤を服《の》んで見るが、熱は少しも下らない。もつとも、この熱さましの頓服と云ふのは、銭惜しみする妻が近くの薬局で調合させた得態《えたい》の知れぬ安物なので、効き目なぞ怪しいのだらう。よけい頭ががんがんと痛むし、咽喉《のど》がつまつたやうでいくら咳《せ》いても痰が容易に切れない。不愉快である。さきほど、やつとうとうと[#「うとうと」に傍点]して眠りかけると母親が部屋に入つて来て起されて了つた。彼女は気兼ねして足音忍ばせ階段を昇つて来たのだが、安普請では自分でもびつくりするほどぎしぎしと軋《きし》むのだ。隣家の階段を歩く音さへ、こちらのことのやうに伝はるのだから仕方がない。物音を立てなくとも、極めて神経過敏な自分は、誰か入つて来ればその気配《けはひ》ですぐに眼ざめて了ふ。眼をあけると、母親の小さな顔が恐しいばかりに真剣な表情で真近くのぞき込んでゐるのだ。自分はたちまち不機嫌さうに眉をしかめて、ぐつしよりと湯気を立ててゐる胸の汗を拭いた。
「――いけないか、どうだらう、お医者に診《み》て貰つたら」
自分は黙つて首を振つた。
「――かつ子にお医者を呼ぶやうに云つたんだが、亭主が病気なのにいつもより早く出て了ふし、……」
自分には老母の云はうとする意味は最初からよく分つてゐた。妻を悪く云ふために、自分の病気を利用してゐるまでだ。
「――出て行つて働いて貰はなくちや、家族一同が食ひあげる」
云はなくていいことを自分は嘯《うそぶ》いた。
「――そりやさうだが、お前、肺病らしいと云ふぢやないか」
「――誰がそんなことを云つた」
「――彦造が心配してをつた、学生時代にはぶくぶく肥えてたのに毎年毎年痩せさらばへて行くばかりぢやと、きつう心配してゐた、肺病にちがひないし、手当をするのは今のうちぢやと騒いでをつたが、……」
「――さうかも知れん、どうせ遠からず死ぬ」
自分は母親をいやがらせる言葉を知つてゐたので、さう云つて脅して置いた。彼女も、あんな狂人の兄貴の云ふことなぞ本気に信じてゐるわけではなく、自分が笑つて軽く一蹴するのを期待してゐたのだらう。だが、息子の身体をこせこせと案じ暮すのも、用事がなくて退屈してゐる彼女にはちやうど気のまぎれることになつてよからう。
自分が年齢《とし》を取るたびに痩せて弱くなつて来たのは事実である。十八貫近くもあつたのが、近頃は十二貫五百も怪しい。
「――中学の時は柔道の選手をしてをつたからの、天皇陛下の御前で試合したのをおぼえてるぢやろ」
今朝がた兄は虫歯をスイスイ云はせながら、さう云つてゐた。同じことを母親にも聞かせたものと見える。
「――かつ子さん、あんたは本当にせんかも知らんが、アルバム見りやちやんとお分りになるが、中学の頃はでぶでぶしてビール樽ちふ仇名《あだな》ぢやつたのが、高等学校へ入つてぐんと痩せる、大学でまたぐんと痩せる、市役所へつとめるやうになつてからは益々|蜻蛉《とんぼ》かきりぎりすみたいになつて了うたのです、顔色も真赤で艶があつたのに、気味が悪いほど土色になつて了うての」
兄の彦造は、妻には叮嚀な言葉づかひになる習慣だ。彼女に少し参つてゐるらしい。長い膝を折つて、臆病さうに上眼越しにチラチラと彼女を見てはくどくどと云つてゐる。かつ子は出勤前なので、露骨にうるさいと云つた表情で、髪に鏝《こて》をかける手を休めない。その前に、アルバムを展《ひろ》げて、紫色に褪《あ》せた自分の嬰児の写真からいちいち説明するのだ。それは、彼女がこの家へ来てから幾度繰返されたか数へ切れまい。兄は序《ついで》に、我が小倉家が昔からこんな貧乏をしてゐたのではなく、兵庫県ではれつきとした家柄でその盛大な時代を想はせる写真の数々が残つてゐるのを指摘したかつたのである。そしてまた、彼も自分も小学校以来どんなに好成績で通して来たかをつけ加へるのを忘れなかつた。その通り、自分たちは首席が当然であるかのやうに、どの学校でも首席であつた。彦造にしたつて、今でこそ頭脳が狂つてゐるが、東大の法科在学中にちやんと文官高等試験をパスしてゐる。それが卒業後、大蔵省に入つて一ト月目に極度の神経衰弱から早発性痴呆症みたいになつて了つた。一生快癒する望みのない癈人としてぶらぶらしてゐるものの、どこかちよつとをかしいだけで、別に精神病者として警戒の必要もないし、放置してある。毎日どこへ出かけるのか、古い友だちのつとめてゐる官署を訪ねて、普通の調子で話をして来るらしい。政界勢力関係についての内幕を聞いて来たり、ファッシズムの進行状態、戦争や満洲の問題のニュースを噛《かじ》つて来て、大声で自分たちに披露する。
「――そんなことあまりしやべりちらしてゐると引張られるよ」
気の変な者に注意しても仕方がないのだが、つい自分が云ふと、さう云へば、角の交番の巡査は確に自分を厳重に監視してゐる、きのふも前を歩いてゐるとじつと鋭い眼を離さなかつた、何故そんなに見つめる、と呶鳴《どな》つてやつたと述べる。気味が悪くてたまらん、どこかええとこへ宿がへして了はう、と云ひ出せばまた執拗《しつこ》くなつて困るのだ。同期の連中が年月と共に次第に昇進した地位について行くのが、彼の最も不平とするところで、今に見い、頭さへ治《なほ》つたらと口癖になつてゐた。日本が俺のやうな人物を容《い》れなければ、満洲国が迎へてくれると、出入りに兵隊が喇叭《らつぱ》を吹くやうな広大な邸宅に住み、権勢の限りをつくすやうな要人の生活を夢見てゐた。そんな大言壮語したあとではきつと、頭が痛いと苦しがつて両手で顳※[#「需」+「頁」、P98-上段5]《こめかみ》を揉むのが例になつてゐる。莫迦《ばか》なことである。
彼がかつ子に惚れてゐるのを自分が知つたのは最近だ。彼女の働いてゐる店へ度々現れるらしい。
「――よく云つて頂戴、のつそり入つて来て、かつ子さんここへいらつしやいと、まるで自分のものみたいに呼びつけて離さないんでせう、あんたは、清治に本当に惚れてゐますか、つてあの腐つた魚みたいな眼でのぞいて、本心を云つて下さい、もしかして、と思ひ入れよろしくあつて、僕は悩んでる、と吐息をつくのよ、他のお客さまの手前もあるし、もう来ないやうに云つて頂戴、来ちやいけませんて、私がづけづけ云ふと、僕を避けようとするあんたのその苦しい気持はよく分る、つてわけなのよ、笑ひも出来ないぢやないの、誰が一体お小遣をあげるのか知らないけど、お店ぢやそりやとても豪遊よ、見栄を張つて、高いものばかり取つて飲んだり食つたりしてゐるわ、お金なんぞ渡さないでよ」
兄貴には外出の場合にもほんの煙草銭しか与へてゐなかつた。それも出来るだけ現品で渡すことにしてゐたのだが、彼は旧友たちの間を廻つて、そんな遊蕩費《いうたうひ》を捻出して来るのだらうと、自分はのんきな彼が羨しくなつた。かつ子のお店と云ふのは、珈琲《コーヒー》店でも酒場でもないその中途を行つた茶房と称するもので、銀座で盛大に経営してゐた。茶房なんていやな名前だ。高い店なので、自分なぞは余り行けない。
兄は大体が身綺麗にしたがる性質で、用もないから朝から湯で時間をつぶしていつまでも洗つた上に、肌に直接つけるものと来ては、垢の跡ひとつも容赦《ようしや》しなかつた。うるさく、洗濯をする母親を叱りつけ、衛生観念の薄弱さを罵《ののし》るのだ。手なぞも大袈裟に云へば乾く暇もない位、絶えず洗つてゐなければ気がすまない。ああした精神病者の特徴なんですかね。それがいよいよお洒落《しやれ》になつて、かつ子の化粧料から自分用のを盗み取つて、鏡に向つてゐると云ふ始末である。
「――いやにめかすぢやないか、それでかつ子の店へ出かけるのかね」
彼女から注意のあつた後、自分は大人気もなくそんな皮肉を云つた。彼は狼狽して可哀さうであつた。赤くなつて、突然のやうに、俺は結婚したいと考へてゐる、と云ふのだ。
「――へえ、誰とだね、兄貴の女房にならうと云ふ女が現れたかね」
結婚したい、とはこれまでにも口にしなかつたわけではない。彼は自分が早くかつ子と一しよになつたのが不満であつた。年長の兄を差置いてと云ふ理由から、父が生きとつたら、こんな順序を心得ぬ淫《みだ》らな真似はさせん、とよく云つた。
「――まだはつきりしたことは発表出来ん、しかし、時日の問題ぢや、僕は婚約時代の気持でゐる、それよりも、気いつけた方がええぞ、かつ子は、僕が店へ行くのをいやがりよるが、ありや、僕が煙たいんぢやろ、仇《あだ》し男《をとこ》との秘密を見られるのを恐がつとるのぢや、ぼやぼやしとると、寝とられて了ふぞ」
それ以来、彼はかつ子の不貞を自分に思ひ込ませようと熱心になつてゐる。けさも、彼女が彼をまるで相手にせず、早番なので急いで出かけたあとでは、あれは男と約束してよる、確にまちがひない、尾行して現場を押へてやろか、と口惜しがつてゐた。
「――何でまたあんな浮気な店に出した、ちやんとええとこにつとめてをつたのに」
さう云はれて見ればさうも思へる。徴兵保険会社にゐたのを、れいの茶房が出来て、月給が十五円ばかりいいと聞いたので、友だちの紹介で入れて貰つたのだ。自分は大学を出てから、長い就職難に悩んだ末、やつと知識階級失業救済事業と云ふのに救はれて、市役所清掃課の臨時雇になつたが、日給が僅か一円五十銭なのだ。月四回の日曜やずるけ休みを勘定すると、大抵三十円ばかりにしかならぬ、いや、その三十円も自分はどうも家計に繰入れる気がしないから不思議だ。自分の一ト月の収入がたつたこれだけだと考へれば考へるほど、何もならぬことに浪費して見たくなる。酒や女に徒費するにはそれだけの金額など瞬《またたく》く間だ。裕福な友だちに逢ふと、奢《おご》りたくなる。逢ふまでもなく、電話で呼出して奢ることもある。どうしてだか、自分ながら分らない。従つて、一家の経済はかつ子の月給で切り廻す結果になるので、今のところをやめさせるわけには行かない。彼女は実際はさうでもないのだが、見かけは非常に軟く肉感的なので、ああ云ふ店でけちな放蕩心を満足させてゐるサラリーマンの人気を得てゐる。マスターは正月から給料をあげてもいいと云つてゐるさうだ。尚更、職場を大切にしなければならない。そりや、彼女が男たちの好色的な視線にさらされてゐて、中には彼女目当に通ひつめてゐるのもゐるし、手紙をくれたり、飯を食ひに行かうと云つたり、家まで送り届けてくれたり、もつと露骨な下素《げす》な手段で誘惑を試みたりする事実を知つてゐるのは、あまり気持のいいものではない。だが、誰でもが云ふやうに、それも退屈な夫婦生活に於ける刺戟として利用出来るのだ。時たま自分がその店に現れて、彼女が色んな男たちに騒がれてうまく捌《さば》いてゐるさまを眼にしてゐると、ちよつと舌を出したい心持にもなる。唯、岸田と云ふ、これは強敵だと思ふ男が現れたのは何とも不愉快だ。ひよつとすると、彼女は惹《ひ》かれてゐるんぢやないか。疑へば疑へる。その他の男のことは笑ひばなしとなつて、寝物語に供せられるのだが、そして、岸田もはじめはさうだつた。あいつはかつ子が軽微の眇眼《すがめ》なのを誤解して自分に秋波を送つてゐるのだと有頂天になつた莫迦《ばか》野郎だが、いつの間にか彼女は岸田のき[#「き」に傍点]も云はなくなつた。それでゐて、自分が茶房なるものへ行くと、あいつはきつとゐる、かつ子もべたりとそこにくつついてゐる、すでに一定の関係ある者同士が諒解しあふ沈黙をつづけたり、不要なお世辞笑ひを抜きにぽつりぽつりと小声で話してゐたりしてゐる。それがぐつと癪に触るのだ。白状させて了ふのはこはいが、やけになつて追及すると、そんな下らないこと云ふんなら、これから岸田さんとこ行つてあかしを立てて貰はう、そして、もうあんな店はやめて了ふ、と夜中にも係らず喚《わめ》き散らすので手に負へないのです。店をやめられては大へんなので、結局はこちらが謝つて、なだめすかすと云ふ始末なんだ。何て情ない生活だ。
ゆうべだつてさうだ。いや、ゆうべのやうな気持でゐたが、ゆうべぢやない、一昨夜、一昨昨夜になつて了つたが、自分が久しぶりに京都から帰つて来たのが九時であつた。京都へは一週間ほど前に、伯父の病気がアブナシとの電報があつたので母はもう老齢で行けないし、自分独りで葬式に参列するつもりで発《た》つたのである。行きついて見れば、帝大病院の一室で絶望を宣告された腹膜炎の彼は奇蹟的に生きてゐた。伯父は自分の成長した姿にはじめて接したので涙を流して悦んでくれたが、甥《をひ》や彼の肉親の者はほんの義理で電報を打つたつもりらしく、しかも伯父が生き返つたので、もしかしてこの昔の養子に遺産の分前のことなど云ひ出しはすまいかとはらはらして、自分には余りいい顔をしなかつた。二人の仲を邪魔して、ゆつくり話をする機会を与へないやうにするのだ。自分は糞くらへと思つた。伯父が小さなセメント山を当てたのを知つてゐるが、どうせたかの知れた遺産ぢやないか、その分前なぞあさましいこと考へて無理して汽車に乗つて来たんぢやないぞ、と云つてやりたかつた。自分は生れ落ちると早々、子供のなかつたこの伯父のところへ貰はれて行つたのだ。当時伯父は何をしても失敗ばかりで無一文だつたと云ふ。そんな家の名を残すための養子なんておよそ無意味なものだ。跡目を相続して母方の絶えないやうにと云ふわけだらうが、やはり何だか滑稽だ。それが五年ほどして実子が出来た、となると、自分はもう不要なので、品物のやうに送り返されたのである。その頃の愛着を伯父は思ひ出しはしないかと、病人の周囲の者は思ひ煩《わづら》つてゐるらしかつた。自分は十年以上彼に逢つてゐないので、彼の相貌を忘れて了つてゐたし、別に愛情の湧きやうもなかつた。邪魔がられてゐながら、それでも一週間も滞在して了つたのは、もうあすは死ぬか、死ぬかと待つてゐたからである。同じことなら葬ひを見届けて置いてと云ふビズネスライクな気持に、少しはやつらに対する意地も手伝つてゐた。さうは容易に退散してやらんぞ、一度は養子であつた自分に、遺産の分前を寄越《よこ》せ、それが当然だぞと云ひたげな表情もして見せた。しかし、本心の底はまた別だつたのだ。自分は旧藩主の育英会から奨学資金を貸与されてここの高等学校を出たので、何年ぶりかの京都を享楽しようかと思ひ立つたのだ。自分など、今までの生涯《しやうがい》を振返つて楽しかつた記憶はないが、強《し》ひて取り出せば高等学校時代の印象がさうだ。その頃、自分ははじめて恋愛した。何か知らぬが、唯もうその悦びの極致がかなしく死と結びついてゐるやうなデリケエトな感受性に溺れる年齢であつた。相手の女は嵯峨あたりの僧侶の娘で、東山にある宗教学校に通つてゐた。どちらからとなく、そしてはつきりした理由もなく、死なうと云ふことになり、清水《きよみづ》の山奥で心中を計つたことがある。睡眠薬の量も足りなかつたのに加へて、晩春の雨が抱いて倒れた二人の上に降りそそいで、自分たちは蘇生したのだ。吐瀉《としや》を催して、自分たちは味気ない表情を見交した。しかし、すぐに思はず顔をそむけたのはどう云ふわけからだつたらう。恐らくは、お互ひに生きてゐると云ふ大事実の意識に、薬を飲む前の昂奮をはづかしく省みたせゐではないか。とにかく、それから、逢はなくなつて了つたのです。学校を欺いて、夜昼なしに姿を見なければ承知出来なかつた二人が、ふつつり逢ひたくなくなつたものだから人間の心理は分らない。自分たちはよろけながら、滑りさうになる夜の坂道を帰つた。二人とも一言も云はなかつた。五条坂へ下りて軽く会釈《ゑしやく》すると別れたのだ。自分は数日|臥《ね》ついた。女のことを耳にするのは、何とも云へぬいやな感じで、その耳をふさいで了ひたかつた。ちやうど日を重ると共に近づいた初夏のぎらぎらした光線に、生きてゐる、それでもやつぱり生きてゐる、と胸一ばいに叫んだ時ほどの、生命力に充ちた思ひ出はない。爾来、自分は色んな困難にぶつかり、それが自分を圧倒して了ひさうになる毎に、あの時の声色を呼び起すのにつとめたものだ。もつとも、あの折のやうに、瑞々《みづみづ》しい感覚はどう手さぐりしても掴めなかつたが。自分は何を書きだしたのだらう。こんなことを書いてゐては際限がない。さうだ、きつと、生きてゐる、それでもやつぱり生きてゐるとの叫びを文字にして、自分の鼓動をびしびしと叩きたかつたのだらう。へん、お生憎《あいにく》さまだ、と誰かに云はれてゐるやうな気もする。女は噂によると右下肢がひきつつて、一時|跛行《はかう》してゐたさうだが、それも劇薬の副作用だつたのにちがひない。京都へ再び来て、気障《きざ》つぽく云へば、あちらこちらの愛の古跡が自分の足をとどめさせてゐた。そして、この歳月のあとでは、やはり女の消息が知りたくなつてゐるのだ。変化する心は恐しい。自分は学生時代から友だちづきあひが悪くて、東京で今往来してゐるのは、転向出所後ぶらぶらしてゐる栗原位なもので、御無沙汰してゐた京都で、彼女のことを聞き出し得るやうな知人はゐなかつた。それで嵯峨の彼女の寺まで行つて私立探偵のやうに問合せて廻つた。最初養子を迎へたとのことで、一眼見て行きたいと望んだが、それは妹娘のまちがひであつた。姉の方は、とつくに死んでゐたんですよ。自分はさう知つた次の日に京都を去つてゐる。伯父はお役所が忙しいやろに、ほんまにすまなんだ、と繰返して感謝してゐた。お役所も何もない、臨時雇の自分なぞ、忙しかつたためしはないのだが、黙つてありがたがらせて置いた。人なみに青い事務セエードを頭にかけて机に倚《よ》つてはゐるものの、自分なぞする仕事が与へられず暇で困つてゐたのだ。これはひどく苦痛なので、清掃課長にその旨を云つたことがあるが、彼は、ここぢや人員が過剰なとこへ君たちが割り込んで来たのだ、国家が君たちに食扶持《くひぶち》を支給する表面の名義だけつければいいのだから、別にそんなに忠義立てして仕事する必要はないと答へた。自分は人間を莫迦《ばか》にした言葉だと憤然とした。だが、結局それでもいいのか、以前は乱れたままにしてゐた髪に櫛を入れたりして、定刻に通つてゐるからあまいものだ。そんなことを涙をためてゐる伯父が、お役所お役所と云ふたびに想ひ起して病院を出た。汽車は田園を走る。自分は学校を出た当座、地方の中学の口がいくつかあつた。その時は、一も二もなくはねつけたが、現在のやうな生活状態ならば、いつそ簡素な田舎《ゐなか》ぐらしに隠遁したやうな気持で悠々自適してゐた方がよかつたなぞと考へた。もう、あんな寒村の小学校でもいい、呼んではくれないかなぞと窓をなめるやうに顔を近づけて、冬の雲の下にうづくまる農家や牛や百姓を見るのであつた。もちろん、こんな気持が嘘なのは知つてゐる。さうして、九時に東京駅についたのです。話はこれからです。自分は家へ帰つてもつまらないと疲労を酒で医《いや》して、十時には自由になるかつ子を迎へて一しよに戻るつもりだつたのです。
何とか茶房の前へ行くと、寒さにめげて人通りの少ない銀座の鋪道に岸田の奴さん、ステッキで靴先を叩きながら誰かを待つてゐるのだ。誰かをぢやなく、かつ子を待つてゐること位は、つんと胸に来た。野郎と思つたが、忍んでうかがふとやはりさうなのだ。では、自分が留守にしてゐた一週間もこの調子だつたんだな、と逆上するほど邪推がこみあげて来た。それでゐて、飛出して行く勇気がない。寧《むし》ろ彼らの眼をはばかるやうにこそこそと逃出したから、自分は不甲斐《ふがひ》ない人間だ。散々そこいらを飲んですつかり更けて家の戸を叩いた。
「――岸田とどこへ行つてゐた」
「――あの人が表で待つてゐて、踊りに行かうとすすめられたんだけど、断つてさつさと帰つて来た」
「――嘘をつけ、この売女《ばいた》」
「――嘘ぢやない、母さんに聞いでごらんなさい」
すつたもんだあつて寝たが、疲れてゐるのに霜に打れて歩いたので、風邪をひいて朝は頭があがらぬほど重かつた。
「――序だから、けふも休んぢまひなさい」
親切さうに彼女は云ふのだが、自分は承知しなかつた。月末に貰ふ給料がそのままになつてゐる。それを受取つてけふはどうしても米を買ふ必要があるし、兄のをも含めての奨学資金の月賦償還が随分たまつてゐるのだが、うるさく集金郵便で来て仕方がないと老母が嘆いてゐたので、それも払つてやる。さう自分は豪語して、シャツをよけいに着込んで出かけた。かつ子は自分が貰ひに行くと云つたが、あれの店へ役所の連中もよく出かけるので、彼女を使ひに出すのは好もしくなかつた。額が汗ばみ、背すぢがぞくぞくとし、自分は無理をしてゐた。兄はああ云ふ風になるし、自分もまだ正規の職業につけないとなると、奨学資金なる投資は失敗だつたと見做《みな》すべきである、それを取立てるなんて、なぞと満員で臭い空気のつまつた省線電車の中で自分はれいによつてぶつぶつ憤慨してゐた。それでゐて、自分はさう云ふものはちやんと支払ひたいのだ。月末の払ひや家賃なぞがたまるのは、自分はたまらなくいやだ。何とも見栄張りたい小心なのである。
役所では、昼飯時になると栗原が現れた。彼はいつもさう云ふ時間をめがけて来る。彼はあきらかに生活に困窮してゐるのだが、余り自分を頼られては、俺だつて君以上に貧乏なんだぞ、おまけに妻をあんな卑しい所で稼がした金で君はのんきに食つてゐるんだぞと云ひたくもなる。そして、反動的に、日頃はつきあはぬ金持の知人に、奢つてやりたくなる。栗原は悄気《しよげ》てゐた。彼は逢ふたびに元気がなく、憔悴《せうすゐ》して行くやうだ。おちつきもなく何かに脅えた臆病な眼色をしてぼそぼそとものを云ふ。彼は日独防共協定や保護監察法案で、自分たち転向被告はますます手も足も出なくなつたと、顔を見るなり訴へはじめた。今は一まとめにして殺されるか、それとも全く改心した証拠に頭を剃つて坊主にならなければならないと泣き言をくどくど云ふ。
「――誰がそんな説を云ひ出したんだ」
「――誰も彼もない、情勢は切迫してゐるんだ、兜町《かぶとちやう》すぢからの話ぢや、一週間以内に戦争がはじまるさうだ、さうなると、もう完全な悪時代だからね、金があれば田舎へすつ込んで鶏でも飼つてこの反動期を切り抜けるんだがなア、いやア、帰る田舎があるだけでもいい、俺には逃げる場所がないのだ」
「――悪時代だけ逃げを張つて、状勢がよくなると、またのこのこ出て来て、景気のいいことを云ふのか、波が高まれば、戻つて来て大に昂揚したところを見せると云ふのか、沈んでゐる時は、どこかに隠れてゐて」
自分は思はず皮肉を云つたが、彼には通じなかつたらしい。時代と云ふものは誰が作るのかと、自分は審《いぶか》しくなつた。彼が消極的な言葉を吐くと、その反対に自分は何か勇しいことが云ひたくてならなかつた。しかし、自分も本当は彼同様なのにちがひないのだ。強迫観念が身近く迫つてゐないだけの相違だらう。在学中から運動に飛こんで、乏しい自分なぞまでシンパにして大に勇猛果敢に活動した闘士がこの栗原とはどうしても思へなかつた。
役所が退《ひ》けると、自分は何とか茶房へ行つて見た。扉のそばで、岸田は来てゐるぞと予感した。案の定、彼はかつ子の情人として坐つてゐた。このどら息子め、自分はビールを一本飲むと立ち上つた。かつ子が、自分が盛んに咳いてゐるのをつらさうに聞いてゐたが、近づいて来て、早く帰つて臥《ね》るといいわ、ほかへ廻つちや駄目よ、と耳打ちした。
「――本当よ、身体だけは大切にしなくちや」
それを彼女が云はなければよかつたのだ。自分は却つて、何を、と反感を持つた。自分を帰して置いて、岸田と遊びに行くのだらうと、またしても疑つた。酸《す》つぱい顔して、自分はうんと云つた。
表へ出た。ポケットに幾ばくかの給料があつた。自分は放蕩してやらう、横浜へ行つて遊んで来る、と呟いた。それでゐて、ちよつとの寒風に鼻孔は苦しく、くんくんと云つてゐるのだ。
新橋の吹きつさらしのフォームで横須賀行を待つてゐた。とそこへ下関行急行が来たのだ。自分はとつさに乗込んで了つた。旅行者のやうな面持で、何故だか知らぬ。きのふのけふで汽車の煤煙の臭ひと動揺がまだ身体や洋服についてゐたのが、習慣的に誘惑したとも云へよう。自分は検札に来た背の高い車掌に、京都と云つてゐた。これも何故だか分らない。
日独防共協定のことなぞが、すべての乗客がだらしなく、口をあけ、むんむんとスチームにむされ脂汗を浮べて眠り込むと、思ひにのぼつて来た。対外政策であるあれは、国内的にも大きな意味を持つて来るのだらうか。ながい暗いトンネルを汽車は走つて、自分も栗原のやうに神経衰弱になつた顔の皺が、深くどす黒くガラス窓にうつつてゐる。実行や口外は以ての外、肚《はら》の中で思想の片鱗さへ抱いてゐても追及の手が延ばされるとすれば自分なぞは一体どうなるのであらう。自分なぞはと云ふことはない。自分は何者でもないぢやないか。自分はつひぞそんな思想に。嘘だ。勇気がなくてついては行けなかつたが、軽微ながらも共感を感じたことがあつたらう。栗原に金銭を提供した事実は、彼の自供によつて警察ではちやんと知つてゐるぞ。当時はそんな事件が多く煩瑣《はんさ》にたへかねて、召喚しただけで問題にしなかつたが、その証拠はちやんと栗原の調書や自分の提出した始末書に残つてゐるぞ。しらみつぶしにする場合に、何十年保存と記されたその書類を調べさへすれば、自分の影は浮き出て来て、容易に指摘されるのだぞ。さうなれば、生かすも殺すも自由にされる。
熱にうかされた不自然な自分の頭脳は、思考のラビリンスの中をさまよつて、くたくたに疲れて了つた。おびえて眼をさませば、汽車は琵琶湖の端をめぐつてゐるのだ。京都駅へ下りると、しゆんと筋肉の凍り縮まるやうな冷さであつた。これが、病的な自分を人心持《ひとごこち》にさせてくれた。
自動車の運転手が御見物ですかと、誘ひに来た。御見物はよかつた、と自分は気に入つて、さうだ、と答へた。ミルク色にあけて行く京都の町を、運転手はいちいち名所に立ち寄つて説明してくれた。自分は真面目な顔つきで、なるほど、なるほどと聞いてゐた。清水寺の下で、下りて参詣なさいませんか、と革の帽子をかぶつた彼は云つた。
「――いいんだよ、ここからでもよく分る」
自分は何かにてれて云つた。清水焼《きよみづやき》を売る陶器屋が寒さうに戸をあけてゐた。
「――こちらが帝大病院、こちらが三高です」
熊野神社から北へ入つて、彼がさう指さして説明した時、自分は、嵯峨野へ走つてくれ、と命じた。死んだ女の墓が、あの寺院内にあるにちがひないと気づいたのだ。
寺の門も屋根も霜に真白だ。本堂にも庫裡《くり》にも人影はない。自分は案内もなしに、づかづかと墓所へ入つて行つた。す枯れた雑草に、靴先は濡れて光つた。彼女の墓は、しかし、どれだか、数多くならんだ石碑のうちで判別出来なかつた。当惑して、外套のポケットに手を突込んで立つてゐると、急に咳きあげて来た。そして、そこの土の上に血痰を吐いて、思ひ切り踏みにじつた。……
「――肺病になつたら、わしらはどうするぞ」
母親は枕もとで愚痴つてうるさかつた。兄はとつくに、さうだと決めて、彼一流の雄弁で自分に結核の薬を教へてくれた。新聞や雑誌に載つてゐる広告を丹念に切り抜いて来たのだ。これは何々博士だが、こちらは某博士だ。どちらがいいかは、自分の友人で帝大内科の医局にゐるのがゐるから、たづねて来てやらうと出かけて行つた。その前に彼はじつと考へてゐたが、こりやどうしても転地せにやならん、肺の療養地には、と指折り数へて名をあげたものだ。
「――こりや、どうしても転地して徹底的に治《なほ》さにや、他の者に伝染するからの」
彼は得々として論じてゐた。それはさうだらう。その余裕も彼はあると思つてゐるのだらう。
帰りの列車がつらかつたのだ。一昨々日と同じ特急で、京都東京間を、日帰りのやうに往復するのは、まるで大きな事業家のやうだと云ふ顔をしてゐた。が咽喉や肺の中がぢいぢいと虚《うつ》ろな音を立て、後頭部なぞは、他人のもののやうに無感覚になつてゐた。おまけに鼻汁ばかり流れ出て、汚ならしいつたらなかつた。自分は単なる風邪でなく、病気がいよいよいけなくなるのを、しいんと冴《さ》えかへつた心で自覚してゐた。家へついた時は、文字通り倒れるやうであつた。
「――どこをのんきに歩いてたんでせう、この人は、……もしも京都から伯父さんが死んだつて電報でも来たら、どうするの」
かつ子はそんなことを云つてたつけ、自分は笑つて蒲団にもぐり込んだのだ。
「――ほんまにお医者を呼ばうぜな、これぢやらちがあかん」
老母は、実は自分が給料を持つてゐるかどうかがたづねたかつたのだ。医者にかこつけて、財布を見たかつたのだ。
「――いいんだよ、どうせ死ぬんだから」
自分はさう云つて彼女を無理に追払つた。伯父が死んだと電報の来たのは、それから二時間ほど経つてからである。
「――どうする、どうする、誰も葬式に行けるもんがない、汽車賃もない」
母は小さな仏壇に燈《あか》りを入れてやかましく喚いてゐる。
行つては先方が迷惑すると云つてやらうかと思つたが、自分は、黙つて蒲団をたぐりあげた。
(昭和十一年一月)
底本:「現代文学大系44」筑摩書房
入力:山根鋭二
校正:伊藤時也
1999年10月19日公開
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