青空文庫アーカイブ

大凶の籤
武田麟太郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)豪奢《ごうしや》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)一切|放擲《ほうてき》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)汗や垢のしみ[#「しみ」に傍点]
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 どんな粗末なものでも、仕立下しの着物で町を歩いてゐて、時ならぬ雨に出逢ふ位、はかないばかり憂欝なものはない。いや、私の神経質は、ちよつと汗をかくのにも、ざらざらと砂埃を含んだ風に吹きつけられるのにも、あるひはまた乗物や他家の座席の不潔さにも、やり切れない嫌悪の情を起させるほどである。ある夏の日、私は浅草に近い貧民窟で、――そこで知合になつた男について、物語らうとするのがこの小説であるが、――狭つ苦しい裏町のトタン屋根の傾いた一軒で、半裸体の男が、どう見ても芸者の出の着物らしい華美で豪奢《ごうしや》なものを縫つてゐるのを目撃してぞつとしたことがある。その座敷着の品質や柄模様を詳しく述べるだけ私に和服の知識がないのは残念だが、とにかく、裾を引いた艶やかな女の肢体や脂粉の香さへも一瞬に聯想される不思議な色気を持つた仕立物が、恐らく指先から流れる汗も褐色ではないかと考へられるやうな垢黒い男の手にかかり、べとべと光つてゐるその股や腕に無造作に置かれてゐた。私は、ある一種の皮肉な気持よりも、たまらない感じに襲はれて、視線を逸《そ》らしたものだ。自分の知らない間に、かうしてどれだけ他人の汗や垢のしみ[#「しみ」に傍点]をつけられてゐるのか分らないのだから、自分だけが潔癖がつてゐても仕方なからうと思ふこともあるが、それでもやはり、着はじめた当座は、一切の汚れを避けたいと、誇張して云へば、小心にも戦々兢々としてゐる。
 だが、それが、……それもほんのはじめ[#「はじめ」に傍点]のうちだけである。暫く着古して、自然と垢づいて来ると、もうかまつたものではない。雨に濡れようと、泥水がはねかからうと、どす黒く足跡のついた畳の上へ、そのままごろ寝しても、まるで気に病まなくなるのだ。自分でもをかしい位の変化である。
 また、無類の入浴好きで、場合によつては日に二度も三度も、用足しの途中、行き当りばつたりに馴染《なじみ》のない銭湯に飛び込む癖さへある私だが、そして、その度毎に莫迦《ばか》叮嚀に洗ひ浄めねばやまぬ私にも拘《かかは》らず、何かの都合で、一日二日入れずにゐると、もう、あの浴後の全身がさつぱりと軽くなり、豊かにのびのびとしたありがたい感触を忘れて了つたかのやうになる。日が経つに従つて、級数的に入浴が面倒で億劫《おつくふ》になり、さては、爪垢がたまつて、肌はじとじとしはじめ、鼻わきから頤《あご》にかけててらてらと油は浮くし、目脂《めやに》はたまり放題、鼻糞は真黒にかたまつてゐる、身体を動かせば悪臭がにほつてるにちがひないのに、更に意に介しなくなるのだ。いや、時には、もつともつと身体を汚してみないかと、私《ひそ》かに自分にけしかけて、じつと蘚苔《こけ》のやうなものが、皮膚に厚くたまるのを楽しんでゐるかに見えたりする。
 私の歯のことを、読者は知つてゐるだらうか。上の前歯は二本は完全に根まで抜けて了つて、他の二本も殆ど蝕《むしば》まれて辛うじて存在をとどめてゐる。下の門歯も内側からがらん洞が出来て、いつまで保《も》つか分らない。奥歯に到つては、それ以上にひどい状態で、やられてゐない歯はほんの算へるほどだ。全部が駄目になるまでに自分が死ぬか、さうでなければ、総入歯をして不自由な念《おも》ひをしなければならない。もともと私は歯性はよかつたのに、いつ頃か、一本の齲歯《むしば》に悩むやうになつて、それが次第に増えて行つたのだ。はじめは、医師の手当も受けてゐたが、規則正しく通へないため治療が中途半端になりがちのところへ、なまじ工作しかけた箇所が却つて、腐蝕の進行を助けることになると云つた始末で、次から次へと焦躁を感じたほど早い速度で犯されて行つた。さうなると、私の悪い習癖が出て、今まで普通なみには手入れしてゐたのも莫迦らしくなり、投げるやうにうつちやらかして了ふ。どうせ、一旦、故障が出来て了つて、眼に見えて悪くなつてるんだ、それを少し位とどめてみたつて五十歩百歩ではないかと云ふ考へ方が強くなる。それよりも、一本二本の歯をいちいち補ふ煩《わづら》はしさよりは、その手数をまとめて、一度に払つた方がいいとするのである。
 かうした性向は、私のその他の生活の上にも出ないわけにはいかない。小学生から中学生のはじめまでは、些《すこ》しは無理をしても一度の遅刻も早引もない皆勤をつづけてゐたのを、母親が急死したりして、はじめて欠席してからは、もう理由もないずる休みも平気になつて了つた。果ては高等学校では三年間とも、出席日数不足で落第しかけてゐる。
 私の日常をよく知つてゐる人は、存外私が優等生みたいに真面目で精励なのに驚くのである。極めて事務的に色々な面の仕事を処理して行く才能すらあるのを認めざるを得ないだらう。一般の働き人と同じやうに、早暁に起きて家業に身を入れるし、規則正しく生活の軌道に乗つて行動して、大好きな酒さへ節するだけではなく、ぴたりと断つてゐて何らの苦痛もなしにすませることが出来る。不断はまことに素直な市井人《しせいじん》として、積極的な現世主義者として、また数多い家族の善良な扶養者としてあけくれ送つてゐる。
 それが、ふとしたことから、――きつかけは、何でもいい、ほんの些細なことも口実になり得るからである、――さうした規律が僅かでも乱れ、軌道から少しでも逸れようものなら、すでに幾度も使つた言葉だが、もう[#「もう」に傍点]制御出来なくなつて了ふ。日頃、ひそかに隠してゐる放浪癖も手伝ふので、仕事も家族のことも徹底的に怠け、気持のおもむくままに振舞つて、自分でもその恣意《しい》の行きつく先を前以て知り得ない。何とかして、その荒んだ方向を切りかへよう、平常の状態へ調整しようとしても、時機が来ないうちは、手の施しやうがないのだ。いや、実はそんな風に努力してゐると云ふのも自分への見せかけだけで、どうにでもなれと、すつかり盲目的な勢ひに委せてゐるのだらう。退屈な日々が、本当は意味と内容の多い暮しである事実から眼を蔽つて、ああ、もう沢山だ、うんざりしたと嘯《うそぶ》いたり、何も彼もすべてを投げすてたい、それらの煩はしいものから逃げ去りたいと、念じたりしてゐる。時には、一切|放擲《ほうてき》、生命さへも別に執着もなくなつて、誰かに簡単にくれてやりたい状態にさへなつてゐる。現実的な望みなぞ、嘘みたいにはかなく消えて、雲や水に同化したいと云ふ及びもつかない野心を起すこともある。
 かうして、幾日でも当然の生活から遠ざかり、人生の時間をむだ使ひして了つて、悔ゆるところがない。そして、その罰で、蘇苔《こけ》みたいに皮膚の上に厚くなる垢のやうなものが、心の底にも重つ苦しくたまつて来るのであるが、普通なら耐へられないところを、無神経を装つて鈍感でゐる。
 仕事や家族、交友、その他の現実関係から脱け出して、身心ともに放逸させてゐる間は、ある場合は、近県の寂れた宿場町や、利根川、多摩川、相模川なぞの流れに沿うて、軽々と気まぐれな歩き方をしてゐる。この方は、まだしも健康なので、もう一つの場合は、大隠《たいいん》は市にかくれるなぞとの誰かの口真似をして、盛り場から盛り場へさまよつた後に、木賃宿町の一隅なぞに、自分を見出すのだ。それらの渡り歩きの是非はさておいて、さう云ふことに生活圏内からいよいよ離れて、無為に魂をすりつぶしてゐるのは、何としても、下らない唾棄すべきわざだ。殊に、その浪々の道すぢを自分に言訳するために、後日の零落《れいらく》に備へての足ならし、身鍛へだなぞと、感傷的に思ひ込んでゐることに於てをや、と云ふべきであらう。
 だが、今一言、……それにも拘らず、私には仕方のない事実なのだ。

 ある年の暮れ、……いや、昨年の十二月の末にも、私はかうした発作に似た心境に落ち込んだことがある。それまでは大晦日《おほみそか》に到る日数を精確に計算して考慮に入れた上、仕事の分量を定め営々として働いてゐた。私は沢山の家族に楽しい正月をさせてやらねばならなかつた。私は、多人数を背負《しよ》つて歩くのが好きであつた。そんなものなしにすませられるなら、それに越したことはないのだが、どうせ逃れられない運命とすれば、おぶさつて来るものをいくらでも引受けようと決心してゐる方が、悲壮でもあり、その満足感からはげみがついた。
 仕事の出は、うまく滑り出したので、非常に悦んでゐた。と、中途から、調子が狂つて、意《おも》ひに委せなくなり、次第に私は渋りはじめた。さうなつては、つづけてゐるのに苦痛だけが残つて、大袈裟な絶望感さへ伴つて来る。永々と面白くもない時を費して、最後にやつと形をなすのは、気に入らないなぞと云う単純な失敗の不快さに終らない。歪《いび》つな仕事の結果は、私の全身心ともに醜くひん曲げて了ふ。私は、自分自身の比重がとれずによろめいて、それを情なく意識するので、よけい足許が危つかしくなるのだ。胸の中では、無数の瓦礫《ぐわれき》がつまつたやうに、索寞として音を立てて、あちらへ傾いたりこちらへ転がつたりする。次の仕事にかかるには、あまりすべてが雑然としすぎてゐる。
 仕事に対して、私は当然の報酬を受取るのだが、かうした状態では、何か不正を行つて得た悪銭の感じがする。反対にまた、この苦悩の償《つぐな》ひとして払はれるには、安すぎるとの腹立しさもないでもない。いづれにしても、人間の精神が愚弄《ぐろう》されてゐるやうな憂欝が頭をもたげて来る。
 私は、手に入れたばかりの貨幣を哀しく思ひ、出来るだけ早く振り捨てたくなる。そして、それは意義のある使ひ方に適当してゐない、およそ下らない浪費にこそその使途を運命づけられてゐるやうなものだ。
 私の暮れの仕事は、かうしてはじめから蹉跌《さてつ》して了つた。私は、甚しく疲労|困憊《こんぱい》してゐるにも拘らず、最も不健康な消費面に沈溺して、その間中、敢《あ》へて他事を顧なかつた。よくも、肉体が持ちこたへられたものだと、あとで、不思議になつた位であるが、やがて寝呆け面で、れいによつて、浅草公園に近い木賃宿にぼそんとしてゐる自分を見出したのは、これほど私を敗頽《はいたい》させた不出来な仕事が終つてから、かなりの時間が経つてゐた。それまで、どこを転々として、何をしてゐたかと、朦朧《もうろう》として頭を捻《ひね》つて跡を辿ると、恥づべき所業だけしか手繰り得ないのもいつもの通りだ。我ながらいい気なものだし、腹が立つよりは、莫迦莫迦しすぎて、軽蔑したくなる。
 しかも、そんな場所で、徒らに帰らぬ悔恨に耽つてゐる間に、またしても時間は過ぎて行くばかりだ。折角予定してあつた期日のある仕事は、次から次へと手もつけずに終つて了ふ。焦躁に駆り立てられながら、私はなすこともなく、じつとしてゐるのであつた。最初の踏み出しを蹴つまづいて了つたとは云ふものの、出来るだけ早く姿勢を取り直せば、最小の犠牲で何とかすむのだ。さうは理窟で分つてゐるのに、私は誇張的に、もう駄目だ、もうどうすることも出来ないと、うたふやうに自分に云ひ聞かせたりする。そして、一日おくれればおくれるだけ、倍加的に立ち直りにくくなるのは決つてゐるが、それもある限度があつて、遂に、今となつては、いくら仕事をする気になつてもおつつかないと云ふ瞬間が来る。私はそれを待つてゐたかのやうに、やつと寂しい落ちつきを得て、ぐつたりと疲れて了ふ。仕事を渡さねばならない相手の怒つた表情や、家族の者たちの当惑した顔が浮んで来て、私を責めるが、私は素知らぬ風を装つて、しかし、気弱くそつぽを向いてゐる。

 知つた人に逢ふのがいやで、……そのくせ、偶然、誰かに出会つたとすれば、それこそ人なつつこく、永い間の孤独な沈黙から解放され、久しぶりに友だちと快談する悦びに駆られて、何やかやと一度にしやべりまくることだらうし、年の暮れで気忙しくしてゐる人をいつまでも掴へてはなさないにちがひないが、……とにかく、私はあまり知人たちを見かけない千住《せんじゆ》や三河島、あるひは尾久《をぐ》から板橋にかけて、都会の汚れた裾廻しを別に要事もなく仔細ありげに歩き廻つてゐた。かうして、短い冬の日が暮れると、こんどは自分の家へ帰るやうな顔つきをして、夕闇の中に浮浪者のうようよとしてゐる浅草田中町へ戻つて来るのであつた。安い飯屋や泡盛焼酎なぞを飲ませる店が満員でやかましく、豚や馬の臓物を煮込んだり焼いたりする臭ひが人間たちの体臭と入りまじつて、町の辻には土色をしたのや煉瓦色をした女たちが、用心棒をうしろに隠して立つてゐる。
 私も、使ひ果してほんの小銭ばかりになつたうちから、飯を食つたり酒にしたりするのだ。
 宿では、三畳ばかりのところに二人乃至三人づつ、相部屋《あひべや》するので、私は随分と色んな種類の、見知らぬ男たちと枕をならべて臥《ね》たものだ。渡りの土工、家出して来たり、蠣殻町《かきがらちやう》あたりで持金をすつて了つた田舎もの、てきや、流しの遊芸人、あるひは明かに泥棒らしいのとも一しよになつた。朝眼がさめると、昨夜は独りで床についたのに、いつの間にか、両端を人相の兇悪な大の男に挟まれてゐることもあつた。行きずりの一夜の宿を求める男たちと、殆ど夜具もすれすれに身体を近づけあつて眠り、お互ひの身の上については何も知らずに、そのまま別れて二度と逢へない場合もあれば、長逗留してすつかり顔馴染になり、半分以上は嘘と法螺《ほら》で作りあげられた昔ばなしを聞かされる例も多い。と云ふのは、かうしたどん底に生きてゐる彼らは、きまつて、はじめからこんなところに住むやうに生れたのではないと云ひたがつてゐるからだ。良い家に成長して、かつては栄燿《ええう》贅沢をしたと云ふ記憶を、まるできのふのことみたいに鮮かに描くことが出来るのであつた。少しは、本当のもあれば、他人の話から盗んで潤色したのもある。どちらにしても、彼らは零落してこのさまに到つたのだと云ふことで、今日の惨めさを忘れたり、蔽ひ隠さうとするあまい虚栄心を多分に持ち合せてゐる。真偽に拘らず、それを聞かされてゐて、こちらから進んで合槌を打つたり、出鱈目《でたらめ》な点にも感心してみせてやりたいのと、どうにも憎々しくて、折角まちがひないところを語つてゐるのに、意地悪くはぐらかして了ひたい男もある。物語も語り手が根本で、そのやうに色々と印象を変へるらしかつた。……
 その年の暮れにも、私は二人の男と相部屋になつて、種々雑多な話を幾度も聞かされた。まだ私位の年配の男は彼の云方によれば「高等乞食」で、もう一人の脊の低い、狐を使つておみくじを売つて廻る老人は、伏見神社の神官をくづれて来たと云つて、位階さへあるのだと自慢してゐた。
 大晦日は近かつた。私は自分の家へ引きあげねばならないと重つ苦しい義務を感じつつ、そして、けふこそは帰らうと朝毎に決心し、夜になると、もう晩《おそ》いから、あすこそは早くなぞと、だらしなく考へが変つて、ぐづぐづしてゐた。これでは涯《はて》しない話で、結局は三十一日も来て、除夜の鐘でも聞いてからになるのではないかと危ぶまれた。いや、心の裏はさうと決めかかつてゐたのかも知れない。
 所持金は、昨夜どやせん[#「どやせん」に傍点]を支払つて了ふと、皆無になつてゐた。けふは仕方がないから、友だちの家へでも行つて借金でもするとしようと肚《はら》を決めてゐたが、薄い蒲団ながら、床から出るのが寒いので、首も手足もちぢめ、隙間風を恐れてじつと身動きもしないでゐた。
 朝早く出かけて行く他の部屋は、しいんと静かで、そろそろ宿の婆さんが掃除にかかる様子であつた。それなのに、この部屋だけは、誰も朝から用事がないので起きようとはしなかつた。
 またうつらうつら仮睡が襲つて来る。私はその快《こころよ》さに身を委《まか》せてゐたが、ぐうつと腹がなつたのには、自分で驚いて、眼をさました。腹がへつて来たのだ。苦笑すると、また、こんどはもつと大きく鳴つた。
 ――飢ゑか、飢ゑ来りなば死遠からじか。
 そんな莫迦気たことをぼんやりした頭で嘯《うそぶ》いてゐるのも、まだ十分眠りから、自分を取り戻してゐないからであつた。
 ――ハングリ、ハンガー、ハンガリアン、……ハンガリアンて言葉はないかな、待て待て、ハンガリアン・ラプソディと云ふではないか、飢ゑたるものの狂ひ歌と云ふところかな。
「――どうしたんだね、いやに、腹が鳴つてゐるぢやないか。こちらまで響いて来るが、……腹工合でも悪いんぢやないかね」
 突然、隣りの「高等乞食」が声をかけたので、私ははつとして、はつきりと眼をさました。
 この男の横柄《わうへい》な口癖を、私はあまり好いてゐなかつたので、返事もしずに、黙つて寝た振りを続けてゐた。
「――ははは、……腹が空いてゐるんぢやないかね、……我輩がひとつ、欠食児童救済事業を起すかね」
 と、つづけて、「高等乞食」は機嫌よく云ふのであつた。彼が上機嫌なのは、きのふで「正月の用意」が出来たからであつた。
 これも、嘘か本当か、かなり疑はしいが、彼は昭和のはじめまで生きてゐた有名な政党政治家の息子だと自称してゐた。その父親の死後、莫大な借財に苦しめられて、学校も中途でよさなければならなかつた彼は、すつかり荒《すさ》んで、不良少年になつたりした揚句《あげく》、ここまで落ちて来たと云ふ。昔、親父の世話になつたやつらで、時めいてゐたのも、難渋してゐる一家に報恩の手を差しのべるどころか、却つて、少しばかりの貸し金をうるさく取り立てようとしたりした。病身であつた母親は、その真唯中に死んで了ひ、唯一人の姉は今病んでゐるとのことだ。
「――我輩の女房も、やはり病身なので、別居してゐるが、……いや、二人に療養費を送金してやらねばならないので、高等乞食もなかなか骨が折れるよ」
 それが政治家めいた笑ひ方であらう、彼は稍々《やや》細い身体を反り身になつて豪放に笑ふのだが、途中で咳《せ》いて、苦しさうに身体を曲げたりした。姉や女房の病気が、彼の表現によれば、金を食ふ肺結核ださうだが、彼も明かに胸をやられてゐた。咳をするのはそのせゐで、しかし、彼はそれをも気取るためのきつかけにしてゐた。
 高等乞食と云ふのは、死んだ父親の縁故のある政党員のみならず、あらゆる政治家、有名な官吏、実業家、俳優あるひは会社を訪れて、多少の無心をするのであつた。中には定期的にくれるやうになつてゐる位、顔を売つたと自慢してゐるが、
「――なアに、度々顔を出しては、何のかのと出鱈目の口実で小うるさく小遣銭をせびるんだが、……うるさいと感じさせるのが、こちらの附け目でね、少しやつて早く帰して了はうと、さう思はせるところが、こつ[#「こつ」に傍点]なんだよ」
 と、私に述懐したことがある。そして、
「――暴力や脅喝《けふかつ》はいかんよ、絶対にいかん、……それは方面がちがふんだし、警察がうるさいからね、……個人で仕事をするなら、我輩の、柔よく剛を制す流でなくては、……」
 力も度胸もなささうな彼の、もつともな云分であつた。
 別に大して眼新しい方法でもなささうだが、彼は自信たつぷりで実行してゐた。しかし、それで自分も毎日を食つて行き、女房と姉にどれほどの額でもあれ、療養費の仕送りをしてゐるとすれば、自慢していいのかも知れない。
 身装《みなり》が資本だからと、彼は黒の背広に白のワイシャツ、縞ズボンを、ちやんとはいて出かけるのが常であつた。大言壮語する風体《ふうてい》に似ず、女性的な面も多分にあつて、自分でその洋服の手入れもすれば、肌着なぞの洗濯もしよつちゆうしていつも小綺麗なものを身体につけてゐた。その身体も、この寒空に裸になつては、ごしごし拭いてばかりゐた。叮嚀に剃刀《かみそり》のあてられた顔も、石鹸でよく洗ふらしく、痩せた頬が不自然な赤味を帯びて、つるつる光つてゐた。……
 私がやつと湿つぽい蒲団から首を出すと、「高等乞食」は、その顴骨《くわんこつ》が突出た顔を私とおみくじ屋とへかはるがはる向けて、
「――どうだね、けふは、我輩が二人に飯をおごらう、幸ひ、軍資金はたつぷりあるから、安心してついて来給へ」
 彼はきのふ、女房と姉に、新年の小遣をも加へた今月の送金を終つたのだ。その残りが十分あるので、私たちに御馳走しようと云ふのであらう。
「――そら、ほんまに結構な、ありがたいこつちやア、なア、あんた、……」
 と、あちらの障子の方に臥《ね》てゐた老人はいかにもほくほくとして、私に呼びかけた。
「――折角、あない云うてくれはるんやさかい、一しよに御馳走にならうやおまへんか」
「――ははは、さうし給へ、腹をならしてるなぞ、見つともない、……出かける前に、ちよつと待つてくれ給へ」
「高等乞食」は、蒲団から飛び出ると、れいによつて洗面所へ身体を拭きに行つた。
「――あの方、お若いのに、なかなかよう出来たお人だすなア、――遠いところにゐる病人にちやんとする云うても、なかなか出来たこつちやおまへん、……偉いもんや」
 狐つかひのおみくじ屋は、感心したやうに、丸い短い首を振つた。それから、声をひそめて、
「――あの調子やと、もう、お金もたんと貯めてやはりますで、……」
 やがて、噂をされてゐる「高等乞食」は、えいつえいつと、頼りなく細い手足を小学生の体操みたいに屈伸させながら、戻つて来て、彼の正装に着かへるのだつた。
 ズボンは正しく折目をつけて、蒲団の下に敷いてある。それを取り出して、蒲団は、私の足もとを踏み越えて、小さな窓に乾すのであつた。
「――曇つてゐるな、雪空だ、これでは日光消毒にならんかね」
 と、独り言を云つて、
「――どら、出かけようぢやないか、……おい、天下の怠け者、起き給へ」
 彼は私の蒲団を剥ぎとつた。
「――なんだ、こんな関取みたいないい身体をしてをつて、働きに出ようともせん、……我輩がひとつ、どこか職を世話してやらうかね、……それにも及ばんかな、景気のいい軍需品工場なら、どこだつて、歓迎するだらう、……」
 私はにやにや笑つていた。
 老人は障子の外の、廊下の片隅に置いてある檻《をり》の狐に合掌して何か云つてゐた。よく聞くと、
「――ほんなら、これから、ちよつと外へやらして貰ひます、お狐さま、……暫く、御辛抱下さりませ」
 薄暗い中に、狐の光る眼が見えた。特有のたまらない悪臭が、廊下に一ぱい流れてゐた。
「――さア、出かけよう、君は、何が食ひたい、……さうだね、あまり贅沢なものはいかん、口がおごつて、癖になるからね、お稲荷さん、君は酒好きだから、先づ一ぱいはじめようか」
 元気よくしやべり立てる「高等乞食」のうしろから、我々はついて行つた。
 宿の主人は、帳場で、宿帳の整理をしてゐたが、老眼鏡越しに、珍しく揃つて出て行く三人を不審さうに眺めてゐた。

 私は相変らず、にやにや笑つてゐた。さうして、何かごまかしてゐる表情より、仕方がなかつた。
 雪もよひの空は、暗澹として垂れさがつてゐた。人々はその下で、いかにも師走《しはす》らしく、動きまはつてゐるのだ。家々の表口には、すでに新春の飾物さへ見える。私は、ああ正月が来るのか、なぞとよそよそしく呟いて、沢山の人間にめでたい年を迎へさせねばならないのを、忘れてゐたかのように装つてみる。
 何々食堂とか何々酒場とか云ふ、田舎訛《ゐなかなま》りの小女が註文された品を甲高《かんだか》い声で叫ぶ大衆的な店を飲み歩いて、三人は相当に酔払つてゐた。午前中からの、それもあまり性《たち》のよくない酒は、頭の皮と脳の間にたまつて、不快な限りであつた。狐つかひの老人は、悪酔ひして青くなり、足と腰をとられて椅子から倒れさうになつてゐるのに、尚も意地汚く口を尖らせて酒を吸ひ込むやうにしながら、盃を手離さなかつた。「高等乞食」に、見えすいたお世辞を使ひ、不自由さうな歯で、あれこれと食ひ物を云つては、もぐもぐ噛んでゐた。
「――ああ、やつぱり並の人間とはちがふな、偉い、……その夢を判断したらだすな、将来人の頭に立つ、生れつき智慧才能の備つた徳人と云ふことだすがな、金銀財宝|自《おのずか》ら集るべし、云ふとこや、なア、強い運気や、……え、まちがひおまへん、わてが受合ひます、これが京都はア伏見のお稲荷はんの夢占だす、……ちごてたら、お金はいらん、なアんて云うても、一銭ももろてへんがな」
 彼は、苦しさうにしてゐたが、よく弁じ立てた。何か、「高等乞食」の見たといふ夢の吉凶のことらしかつた。
「――さつきから、何だか変だ、変だと思つてたが、お稲荷さんの話を聞きながら、万歳《まんざい》を思ひ出してゐたんだ。」
「高等乞食」は、満足さうに、口を挿んだ。彼も煽《おだ》てられすぎて、些《すこ》してれてゐたのだ。
「――万歳? あ、あれはええものだす、……そやけど、何だつせ、わてが今からちやんと云うとくけど、あんたはん、えらい出世しますで、……失礼ながら、お父はんどこやあらへん」
「――さうかい、そりやあまり当てにならないね、……お稲荷さん、こちらも見てあげてくれ、見料《けんれう》として、もう一本つけさせよう」
 老人は、相手があまり信用してゐない風を見せたのに、ちよつと不平さうにしたが、お銚子が来たので、
「――さうやな、……あんた、ゆうべ、けさがた、どないな夢を見やはつた」
 と、私の方へ向いた。
「――うん、夢は随分、色々と見るよ」
 私は、疲れを覚えて、寧ろ不興気に答へた。
「――そやから、どないな夢や聞いてるんやがな、……あんた、いつも一晩中歯ぎしりをするし、何や知らんが、怖《こは》さうにうなされてるし、……えらい近所迷惑やがな、……もうちよつと気いつけるわけにいかんか」
「――君んとこの狐が不愉快なんだよ」
 私も云ひかへした。全くあの臭ひは嘔吐を催すほどたまらなかつた。夜半、ふつと便所に立つて、その檻にぶつかりさうになつたりすると、狐が燐のやうな妖《あや》しい光を発する眼で、じつと疑ひ深さうな敵意をこめて睨みつけてゐる、ぞつと寒気がするのであつた。
「――夢の話をしてるのや、……お狐さまのことを、悪う云ふと、この罰当りめ、承知せんぞ」
 老人は、急に威丈高《ゐたけだか》になつた。平常は寧ろ魯鈍に近い面持と関西弁とに隠されてゐるが、かうして居直ると、冷酷で残忍なものが、じいんと表情の底に沈んでゐるのだ。それは、多かれ少かれ、木賃宿などに巣食つてゐる人間の特徴であつた。
「――ははは、喧嘩はよせ、暴力はいかん、……金持喧嘩せずと云つてね、……」
「高等乞食」は、小便から戻つて来て、ひよろ長い身体を我々の間に入れた。
「――いいえ、何も、さう、……」
 と、老人は口ごもりつつ、仮面のやうに、硬張《こはば》つた顔を取り外して、
「――こいつが、どだい、日頃から生意気なもんで、……」
「――うむ、まア、いい、もう一ぱい飲んで出かけよう、……」
 私は私で、昨夜はたしか印象的な夢を見たがと、記憶を捉へようとしてゐた。夢は、眼覚めた瞬間や、あるひはそれを見てゐる最中は、こいつは面白いと考へてゐても、すぐに忘れて了ふものだ。そして、少し後になつて思ひ出さうとしても、なかなか浮んで来ないし、神経が疲れていらいらするばかりである。
 それでも、やつと記憶の綱の端をつかまへることが出来た。
 ……何でも、私は戦場に来てゐた。突然のやうに、眼の前の大きな邸宅が大砲か爆弾に破壊されて、煉瓦や鉄筋コンクリイトが、ばらばらに頽《くづ》れて落ちて来た。暫くして、すべてが静かにをさまると、廃墟のやうに荒れ果てた邸宅は惨めな残骸をさらしてゐるが、唯豪奢なピアノだけが一台、何の損傷もなく、あたりの殺伐な光景とは不似合な平和なさまで、黒く光つてゐる。と、どこからか、白い蝶がひらりひらりと飛んで来て、そのピアノの周囲を舞つてゐるのだ。まだ微かに煙硝の臭ひが漂ひ流れてゐるのに蝶は実に無関心である。私は、今に蝶が鍵盤の上にとまるだらう、すると、その小さな足の下で鍵盤は動き出して、音楽を奏するにちがひないと、心ひそかに待ちかまへてゐる。……
 大体、さうした他愛ないものであつた。場面の状景はニュース映画からの聯想であらうし、蝶はきつと「西部戦線異状なし」の最後のあたりの印象から来てゐるのにちがひない。しかし、ピアノは、どう云ふ意味か理解出来ない。
 それから、もう一つ、いつもちやうど睡りに入りかける時に見てゐるやうでもあるし、現に醒めてゐる場合の妄想のやうな気もするのであるが、こんなのがある。……オートバイかトラックかがあちらから、大へんな勢ひで盲目《めくら》滅法に驀進《ばくしん》して来る。私はその道を横切らうとして、それに気がつき、危いと避けようとする。しかも、避けたつもりで、非常に狼狽した危険感から、却つて、よろめいた足はその方へ引き寄せられるやうに、近づいて行くのだ。いけない、いけないと必死に自制しても、もう自分の足もとまらないし、疾走して来るものも、お互ひに引力を感じあつたやうにぐいと方向をこちらに定めて、猛然と飛びかかつて来る。……
「――さア、ここを引き上げよう」
「高等乞食」は、最初は遠慮がちであつたおみくじ屋の老人が、酒が廻つてからは次第に図々《づうづう》しくなり、いつまでもしつこく飲みたがつてゐるのに、しびれを切らして云つた。
「――まア、先生、政治家、……まだ、ええやないか、もうちよつとつきあひなはれ」
 狐つかひは、皹《ひび》だらけの両手をあげて、彼を押しとめた。
「――駄目ぢやないか、さうだらしがなくては、……ぢやア、我輩たちは帰るから、君だけ残つてゐ給へ」
 さう云はれては、悄然《せうぜん》と頭を垂れて、
「――いや、わても去《い》にます、――ひとりで飲んでても、面白いことあらへん」
 立ち上つて、手近にある空の銚子を振つてみてから、さきに店を出るのであつた。
 小さな雪になつてゐた。風に舞ひ、地上に落ちるとはかなく消えて行くのだが、老人は元気よく、雪の進軍、氷を踏んでと唄ひはじめた。泪橋《なみだばし》の改正道路をふらふらと横切つていく姿は、往来はげしい自動車や自転車のかげに隠れたり見えたりした。私は危いとは思ふものの、夢とはちがつて、さう大して気にかけずに、
「――ああ、戦争へ行きたい」
 と、呟いた。こんな意味のない時を徒費してゐる間には、砲弾の下を銃を担いで進んで行きたかつた。そのことによつて、自分の陥つてゐる莫迦莫迦しく苦しみ甲斐のない泥沼から脱け出たかつた。そして、ひと思ひに死にたかつた。
「――なるほど、どうして、君は応召されないんだらう、不思議だね、我輩なぞの身体は全く役に立たないが、……」
 私の眼に雪片が飛び込んだ。私は消えて了つたそれを掴み出さうとするかのやうに、がむしやらに指を突つこむのであつた。

 大晦日も寒々と曇つてゐた。私は、「高等乞食」の計ひで、膝小僧を抱いて、ぼんやりと宿の一室に忍耐強く坐つてゐた。
 いよいよ、最後の夕方が来た。
「――どうも、調子がいけない」
 前々日の深酒や雪風の中を歩いたのが影響したのであらうか、「高等乞食」は、珍しく不精鬚《ぶしやうひげ》を延ばして、床についてゐた。熱もあつたし、力弱い咳もつづけさまにするのだ。
「――医者に来て貰つたらどうか」
 と、私は忠告した。
「――莫迦を云ひ給ふな、……もし我輩が病気だと宣告されて、静養でもしなければならなくなつたらどうする、……姉や女房のことは、一体誰がしてくれるんだね」
 憤慨したやうに云ふ言葉は、理窟はをかしかつた。しかし、私はわけもなくその気組みに圧される想ひで、黙つて了つた。
「――どうだす、少しは気分がよろしおますか」
 おみくじ屋の老人は、そろそろ商売に出るので支度をしてゐたが、さう云つて枕もとで腰を折つた。
「――ああ、大丈夫だよ、……早く行つて、お稼ぎよ」
「高等乞食」は、どんよりした眼で見上げた。
 やはり、あすから年が更《あらたま》るとなると、かうした生活の場所でも、常よりも一層ざわざわと慌しく騒がしかつた。
 私は、病人の顔をのぞき込んでゐて、やかましい物音のたびに、折角安眠しかけた彼が、はつと眼ざめるのを、自分でもはつとしたりしてゐた。
 いつか、時間は経《た》つた。
 老人が、酒のにほひをぷんぷんさせながら帰つて来たので、おや、そんな時刻かとびつくりした。彼は、持前の単純な元気を見せて、
「――さア、これで今年もおしまひや、もうすぐ来年だつせ、けふは、夜通しで商売をしようかと思うたけど、割合に景気がよろしかつたんで、……それに、先生の病気もやつぱし心配やしな、早仕舞にして来ました、……」
「高等乞食」のそばにべたりと坐ると、浅草寺はじめあちらこちらの鐘が鳴りはじめた。
「――や、除夜の鐘や、そやそや、……うちの商売もんで、来る年の運勢を占うたげまひよ、それを途々考へて来たんや」
 彼は立ち上つて、はい、はい、お狐さまと云ひながら、狐の檻を部屋に運び入れた。おみくじの沢山入れた筒を、その鼻先につきつけて、
「――お狐さま、どうぞ、お願ひ致しまつせ、吉凶を占つて下さりませ」
 と、云ふと、狐はその一枚を咬《くは》へ取る仕掛になつてゐた。
「――さあ、病気は早よ快《なほ》るかどうか、お稲荷さんのお告げはあらたかなもんだつせ、さア」
 彼は前置をして、仕事にかかつた。
「――お狐さま、どうど、お願ひ致しまつせ、吉凶を占つて下さりませ」
 私は、あつ、それはと、とどめかけた。もしも、病気がもつといけなくなるとおみくじでも出たら、神経質になりがちの病人はどう思ふかと心配した。しかし、すでに、毛並の光沢はなく、ざらざらとした感じの小汚い狐は、一片を咬へてゐたのだ。
「――はい、はい、ありがたうござります」
 大袈裟にお辞儀をして、老人はその紙を取りあげた。
「――や、ありがたい、悦びなはれ、……何も案じることはないわ、病気まもなく快方に向ふべしとあるわ、末吉やがな」
 と、「高等乞食」の眼の前に突出した。
「――さア、それから、こんどは、あんたの番や」
 偶然にしろ、不吉な判断が出なくてよかつたと、私は悦んだ。
「――さア、お狐さま、どうど、お願ひ致しまつせ、……さア、早よ、お取り下さりませ、……や、いつもあんたが悪口云ふよつてに、罰当りな話やなア、見なはれ、お狐さまが、あつち向いて、知らん顔してはるわ」
 老人の云ふ通りであつた。動物は太い尾の先を檻の金網の外へ出して、冷淡なかまへでじつと坐り込んで了つた。
「――さア、もういつぺん、やつて見まよ、……お狐さま、……」
 と、おみくじ屋は再三試みた。やうやく、実にいやいやらしく、狐は無造作に一つの紙片を選び出した。
「――やれやれ、おほきに、さア、これが、あんたの来年の運勢や」
 老人は、私の代りに展《ひら》いてくれたが、やつととてつもない叫びをあげた。
「――や、これはどないしたこつちやろ、大凶と出たわ、へえ、……」
 と、呆れかへつて、私の顔を打守つてゐたが、
「――あほらしい、こんなことあるはずない、をかしい、ほんまにをかしすぎる」
 さもあり得べからざる変事が起つたのに、胆をつぶして了つた形であつた。うしろに両手をついて、
「――うちのおみくじはやな、これでも相当花柳界や株屋はんにもお得意があるさかいに、凶と云ふのは、絶対に入れてないのや、そやのに、……そやのに、何と云ふことや、凶も凶、しかも、大凶やないか」
 まだ信じられないのか、彼は幾度もおみくじを見直してゐた。
「――ああ、やつぱり大凶、ちがひない、……入れといた覚えのないもんが出るとは、こら、お稲荷さんの罰やで、……」
 昂奮して独りで云ひつづけてゐたおみくじ屋は、遂に説明のつかない不思議を解きかねて、その彼流に不安なもどかしさを私に対する怒りに代へるのであつた。
「――この罰当りめ、この罰当りめ、こら、大凶云ふのは来年だけのことやあらへん、お前の一生が大凶やがな、……うちのおみくじにけちをつけやがつて!」
 まだ除夜の鐘は陰々と鳴り響いてゐた。その中で、彼は毛物みたいに吼《ほ》えたてた。
(昭和十四年九月)



底本:「現代文学大系44」筑摩書房
入力:山根鋭二
校正:伊藤時也
1999年10月19日公開
2000年6月21日修正
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