青空文庫アーカイブ

懶惰の歌留多
太宰治

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)怠惰《たいだ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)感冒|除《よ》けの黒いマスクを

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)い[#「い」はゴシック体]、
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 私の数ある悪徳の中で、最も顕著の悪徳は、怠惰《たいだ》である。これは、もう、疑いをいれない。よほどのものである。こと、怠惰に関してだけは、私は、ほんものである。まさか、それを自慢しているわけではない。ほとほと、自分でも呆《あき》れている。私の、これは、最大欠陥である。たしかに、恥ずべき、欠陥である。
 怠惰ほど、いろいろ言い抜けのできる悪徳も、少い。臥竜《がりょう》。おれは、考えることをしている。ひるあんどん。面壁九年。さらに想を練り、案を構え。雌伏《しふく》。賢者のまさに動かんとするや、必ず愚色あり。熟慮。潔癖。凝り性。おれの苦しさ、わからんかね。仙脱。無慾。世が世なら、なあ。沈黙は金。塵事《じんじ》うるさく。隅の親石《おやいし》。機未だ熟さず。出る杭《くい》うたれる。寝ていて転ぶうれいなし。無縫天衣。桃李《とうり》言わざれども。絶望。豚に真珠。一朝、事あらば。ことあげせぬ国。ばかばかしくって。大器晩成。自矜《じきょう》、自愛。のこりものには、福が来る。なんぞ彼等の思い無げなる。死後の名声。つまり、高級なんだね。千両役者だからね。晴耕雨読。三度固辞して動かず。鴎《かもめ》は、あれは唖《おし》の鳥です。天を相手にせよ。ジッドは、お金持なんだろう?
 すべて、のらくら者の言い抜けである。私は、実際、恥かしい。苦しさも、へったくれもない。なぜ、書かないのか。実は、少しからだの工合いおかしいのでして、などと、せっぱつまって、伏目がちに、あわれっぽく告白したりなどするのだが、一日にバット五十本以上も吸い尽くして、酒、のむとなると一升くらい平気でやって、そのあとお茶漬を、三杯もかきこんで、そんな病人あるものか。
 要するに、怠惰なのである。いつまでも、こんな工合いでは、私は、とうてい見込みのない人間である。そう、きめて了《しま》うのは、私も、つらいのであるが、もうこれ以上、私たち、自身を甘やかしてはいけない。
 苦しさだの、高邁《こうまい》だの、純潔だの、素直だの、もうそんなこと聞きたくない。書け。落語《らくご》でも、一口噺《ひとくちばなし》でもいい。書かないのは、例外なく怠惰である。おろかな、おろかな、盲信である。人は、自分以上の仕事もできないし、自分以下の仕事もできない。働かないものには、権利がない。人間失格、あたりまえのことである。
 そう思って、しかめつらをして机のまえに坐るのであるが、さて、何もしない。頬杖ついて、ぼんやりしている。別段、深遠のことがらを考えているわけではない。なまけ者の空想ほど、ばかばかしく途方《とほう》もないものはない。悪事千里、というが、なまけ者の空想もまた、ちょろちょろ止《と》めどなく流れ、走る。何を考えているのか。この男は、いま、旅行に就《つ》いて考えている。汽車の旅行は退屈だ。飛行機がいい。動揺がひどいだろう。飛行機の中で煙草《たばこ》を吸えるかしら。ゴルフパンツはいて、葡萄たべながら飛行機に乗っていると、恰好がいいだろうな。葡萄は、あれは、種を出すものなのかしら、種のまま呑みこむものなのかしら。葡萄の正しい食べかたを知りたい。などと、考えていること、まるで、おそろしく、とりとめがない。あわてて、がらっと机の引き出しをあけ、くしゃくしゃ引き出しの中を掻《か》きまわして、おもむろに、一箇の耳かきを取り出し、大げさに顔をしかめ、耳の掃除をはじめる。その竹の耳かきの一端には、ふさふさした兎の白い毛が附いていて、男は、その毛で自分の耳の中をくすぐり、目を細める。耳の掃除が終る。なんということもない。それから、また、机の引き出しを、くしゃくしゃかきまわす。感冒|除《よ》けの黒いマスクを見つけた。そいつを、素早く、さっと顔にかけて、屹《き》っと眉毛を挙げ、眼をぎょろっと光らせて、左右を見まわす。なんということもない。マスクをはずして、引き出しに収め、ぴたと引き出しをしめる。また、頬杖。とうもろこしは、あれは下品な食べものだ。あれの、正式の食べかたは、どういうのかしら。一本のとうもろこしに、食いついている姿は、ハアモニカを懸命に吹き鳴らしているようである。などと、ばかなことを、ふと考える。どんなにひどいニヒルにでも、最後まで附きまとうものは、食べものであるらしい。しかもこの男は、味覚を知らない。味よりも、方法が問題であるらしい。めんどうくさい食べものには、見向きもしない。さんまなぞ、食べてみれば、あれは、おいしいものかも知れないが、この男は、それをきらう。とげがあるからである。いったいに魚肉をきらう様である。味覚の故ではなくして、とげを抜くのが面倒くさいのである。たいへん高価なものだそうであるが、鮎《あゆ》の塩焼など、一向に喜ばない。申しわけみたいに、ちょっと箸《はし》でつついてみたりなどして、それっきり、振りむきもしない。玉子焼を好む。とげがないからである。豆腐を好む。やはり、食べるのに、なんの手数もいらないからである。飲みものを好む。牛乳。スウプ。葛湯《くずゆ》。うまいも、まずいもない。ただ、摂取するのに面倒がないからである。そう言えば、この男は、どうやら、暑い、寒いを知らないようである。夏、どんなに暑くても、団扇《うちわ》の類《たぐい》を用いない。めんどうくさいからである。ひとから、きょうはずいぶんお暑うございますね、と言われて団扇をさし出され、ああそうか、きょうは暑いのか、とはじめて気が附き、大いにあわてて団扇を取りあげ、涼しげの顔してばさばさやってみるのであるが、すぐに厭《あ》きて来て手を休め、ぼんやり膝の上で、その団扇をいじくりまわしているような仕末である。寒さも、知らないのではなかろうか。誰かほかのひとでも火鉢に炭をついで呉れないことには、一日、火のない火鉢を抱いて、じっとしている。動くものではない。ひとから、注意されないうちは、晩秋、初冬、厳寒、平気な顔して夏の白いシャツを黙って着ている。
 私は、腕をのばし、机のわきの本棚から、或る日本の作家の、短篇集を取出し、口を、ヘの字型に結んだ。何か、顕微鏡的な研究でもはじめるように、ものものしく気取って、一頁、一頁、ゆっくりペエジを繰っていった。この作家は、いまは巨匠といわれている。変な文章ではあるが、読み易いので、私は、このような心のうつろな時には、取り出して読んでみるのである。好きなのであろう。もっともらしい顔して読んでいって、突然、げらげら笑い出した。この男の笑い声には、特色が在る。馬の笑いに似ている。私は、呆《あき》れたのである。その作家自身ともおぼしき主人公が、ふんべつ顔して風呂敷持って、湖畔の別荘から、まちへ夕食のおかずを買いに出かけるところが書かれていたのであるが、いかにもその主人公のさまが、いそいそしていて、私には情なく、笑ってしまった。いい年をして、立派な男が、女房に言いつけられて、風呂敷持って、いそいそ町へ、ねぎ買いに出かけるとは、これは、あまりにひどすぎる。怠け者にちがいない。こんな生活は、いかん。なんにもしないで、うろうろして、女房も見かねて、夕食の買い物をたのむ。よくあることだ。たのまれて、うん、ねぎを五銭だね、と首肯し、ばかなやつ、帯をしめ直して、何か自分がいささかでも役に立つことがうれしく、いそいそ、風呂敷もって、買い物に出かける。情ない、情ない。眉ふとく、鬚《ひげ》の剃り跡青き立派な男じゃないか。私は、多少|狼狽《ろうばい》して、その本を閉じ、そっと本棚へ返して、それからまた、なんということもない。頬杖ついて、うっそりしている。怠けものは、陸の動物にたとえれば、まず、歳《とし》とった病犬であろう。なりもふりもかまわず、四足をなげ出し、うす赤い腹をひくひく動かしながら、日向《ひなた》に一日じっとしている。ひとがその傍を通っても、吠えるどころか、薄目をあけて、うっとり見送り、また眼をつぶる。みっともないものである。きたならしい。海の動物にたとえれば、なまこであろうか。なまこは、たまらない。いやらしい。ひとで、であろうか。べっとり岩にへばりついて、ときどき、そろっと指を動かして、そうして、ひとでは何も考えていない。ああ、たまらない、たまらない。私は猛然と立ち上る。
 おどろくことは無い。御不浄へ行って来たのである。期待に添わざること、おびただしい。立ったまま、ちょっと思案し、それから、のそのそ隣りの部屋へはいっていって、
「おい、何か用がないかね?」
 隣室では、家の者が、縫いものをしている。
「はい、ございます。」顔もあげずに、そう答えて、「この鏝《こて》を焼いて置いて下さい。」
「あ、そうか。」
 鏝を受けとり、大きな男が、また机のまえに坐って、かたわらの火鉢の灰の中に、ぐいとその鏝をさし込むのである。
 さし込んで、何か大役をしすました者の如く、落ちつきはらって、煙草を吸っている。これでは、何も、かの、風呂敷持って、ねぎ買いに行く姿と、異るところがない。もっと悪い。
 つくづく呆《あき》れ、憎み、自分自身を殺したくさえなって、ええッ! と、やけくそになって書き出した、文字が、なんと、
 懶惰の歌留多。
 ぽつり、ぽつり、考え、考えしながら書いてゆく所存と見える。

 い[#「い」はゴシック体]、生くることにも心せき、感ずることも急がるる。

 ヴィナスは海の泡《あわ》から生れて、西風に導かれ、波のまにまに、サイプラスの島の浦曲《うらわ》に漂着した。四肢は気品よく細長く、しっとりと重くて、乳白色の皮膚のところどころ、すなわち耳朶《みみたぶ》、すなわち頬、すなわち掌の裡、一様に薄い薔薇色《ばらいろ》に染っていて、小さい顔は、かぐようほどに清浄であった。からだじゅうからレモンの匂いに似た高い香気が発していた。ヴィナスのこの美しさに魅せられた神々たちは、このひとこそは愛と美の女神であると言ってあがめたて、心ひそかに怪《け》しからぬ望をさえいだいたのである。
 ヴィナスが白鳥に曳《ひ》かせた二輪車に乗り、森や果樹園のなかを駈けめぐって遊んでいると、怪《け》しからぬ望を持った数十人の神々たちは、二輪車の濛々《もうもう》たる車塵を浴びながら汗を拭き拭き、そのあとを追いまわした。遊び疲れたヴィナスが森の奥の奥の冷い泉で、汗ばんだ四肢をこっそり洗っていると、あちらの樹間に、また、ついそこの草の茂みのかげに、神々たちのいやらしい眼が光っていた。
 ヴィナスは考えた。こんなに毎日うるさい思いをするよりは、いっそ誰かにこのからだをぶち投げてあげようか。これときめた一人の男のひとに、このからだを投げてやってしまおうか。
 ヴィナスは決意した。一月一日の朝まだき、神々の御父ジュピタア様の宮殿へおまいりの途中で逢った三人目の男のひとを私の生涯の夫《おっと》ときめよう。ああ、ジュピタア様、おたのみ申します、よい夫をおさずけ下さいますように。
 元旦。ま白き被布を頭からひきかぶり、飛ぶようにして家を出た。森の小路で一人《いちにん》目の男のひとに逢った。見るからにむさくるしい毛むくじゃらの神であった。森の出口の白樺《しらかば》の下で二人目の男のひとに逢った。ヴィナスの脚は、はたと止って動かなんだ。男、りんりんたる美丈夫であったのである。朝霧の中を腕組みして、ヴィナスの顔を見もせずにゆったりと歩いていった。「ああ、この人だ! 三人目はこの人だ。二人目は、――二人目はこの白樺。」そう叫んでますらおの広いみ胸に身を投げた。
 与えられた運命の風のまにまに身を任《まか》せ、そうして大事の一点で、ひらっと身をかわして、より高い運命を創《つく》る。宿命と、一点の人為的なる技術。ヴィナスの結婚は仕合せであった。ますらおこそはジュピタア様の御曹子《おんぞうし》、雷電の征服者ヴァルカンその人であった。キュウピッドという愛くるしい子をさえなした。
 諸君が二十世紀の都会の街路で、このような、うらないを、暮靄《ぼあい》ひとめ避けつつ、ひそかに試みる場合、必ずしも律儀に三人目のひとを選ばずともよい。時に依《よ》っては、電柱を、ポストを、街路樹を、それぞれ一人に数え上げるがよい。キュウピッドの生れることは保証の限りでないけれども、ヴァルカン氏を得ることは確かである。私を信じなさい。

 ろ[#「ろ」はゴシック体]、牢屋は暗い。

 暗いばかりか、冬寒く、夏暑く、臭く、百万の蚊群。たまったものでない。
 牢屋は、之《これ》は避けなければいけない。
 けれども、ときどき思うのであるが、修身、斉家、治国、平天下、の順序には、固くこだわる必要はない。身いまだ修らず、一家もとより斉《ととの》わざるに、治国、平天下を考えなければならぬ場合も有るのである。むしろ順序を、逆にしてみると、爽快《そうかい》である。平天下、治国、斉家、修身。いい気持だ。
 私は、河上肇博士の人柄を好きである。

 は[#「は」はゴシック体]、母よ、子のために怒れ。

「いいえ、私には信じられない。悪いのは、あなただ。この子は、情のふかい子でした。この子は、いつでも弱いものをかばいました。この子は、私の子です。おお、よし。お泣きでない。こうしてお母さんが、来たからには、もう、指一本ふれさせまい!」

 に[#「に」はゴシック体]、憎まれて憎まれて強くなる。

 たまには、まともな小説を書けよ。おまえ、このごろ、やっと世間の評判も、よくなって来たのに、また、こんなぐうたらな、いろは歌留多《かるた》なんて、こまるじゃないか。世間の人は、おまえは、まだ病気がなおらないのではないかと、また疑い出すかも知れないよ。
 私のいい友人たちは、そう言って心配してくれるかも知れないが、それは、もう心配しなくていいのだ。私は、まだ、老人でない。このごろそれに気がついた。なんのことは、ない、すべて、これからである。未熟である。文章ひとつ、考え考えしながら書いている。まだまだ自分のことで一ぱいである。怒り、悲しみ、笑い、身悶《みもだ》えして、一日一日を送っている始末である。やはり、三十一歳は、三十一歳だけのことしかないのである。それに気がついたのである。あたりまえのことであるが、私は、これを有り難い発見だと思っている。戦争と平和や、カラマゾフ兄弟は、まだまだ私には、書けないのである。それは、もう、はっきり明言できるのである。絶対に書けない。気持だけは、行きとどいていても、それを持ちこたえる力量がないのである。けれども、私は、そんなに悲しんではいない。私は、長生きをしてみるつもりである。やってみるつもりである。この覚悟も、このごろ、やっとついた。私は、文学を好きである。その点は、よほどのものである。これを茶化しては、いけない。好きでなければ、やれるものではない。信仰、――少しずつ、そいつがわかって来るのだ。大きな男が、ふんべつ顔して、いろは歌留多などを作っている図は、まるで弁慶が手まりついて遊んでいる図か、仁王様が千代紙折っている図か、モオゼがパチンコで雀をねらっている図ぐらいに、すこぶる珍なものに見えるだろうと、思う。それは、知っている。けれども、それでいいと思っている。芸術とは、そんなものだ。大まじめである。見ることのできる者は、見るがよい。
 もちろん私は、こんな形式のものばかり書いて、満足しているものではない。こんな、ややこしい形式は、私自身も、骨が折れて、いやだ。既成の小説の作法も、ちゃんと抜からずマスタアしている筈である。現に、この小説の中にも、随所にずるく採用して在る。私も商人なのだから、そのへんは心得ている。所謂《いわゆる》、おとなしい小説も、これからは書くのである。どうも、こんなこと書きながら、みっともなく、顔がほてって来て仕様がない。でも、これも、私のいい友人たちを安心させるために、どうしても、書いて置きたく思うのである。純粋を追うて、窒息するよりは、私は濁っても大きくなりたいのである。いまは、そう思っている。なんのことは、ない、一言で言える。負けたくないのである。
 この作品が、健康か不健康か、それは読者がきめてくれるだろうと思うが、この作品は、決して、ぐうたらでは無い。ぐうたら、どころか、私は一生懸命である。こんな小説を、いま発表するのは、私にとって不利益かも知れない。けれども、三十一歳は、三十一歳なりに、いろいろ冒険してみるのが、ほんとうだと思っている。戦争と平和は、私にはまだ書けない。私は、これからも、様々に迷うだろう。くるしむだろう。波は荒いのである。その点は、自惚《うぬぼ》れていない。充分、小心なほどに、用心しているつもりである。この作品の形式も、情感も、結局、三十一歳のそれを一歩も出ていないに違いない。けれども、私は、それに自信を持たなければいけない。三十一歳は、三十一歳みたいに書くより他に仕方が無い。それが一ばんいいのだと思っている。書きながら、へんに悲しくなって来た。こんなことを書いて、いけなかったのかも知れない。けれども、胸がわくわくして、どうしても書かずにいられなかったのだ。このごろは、全く、用心して用心して、薄氷を渡る気持で生活しているのである。ずいぶん、ひどく、やっつけられたから。
 でも、もういい。私は、やってみる。まだ少し、ふらふらだが、そのうち丈夫に育つだろう。嘘をつかない生活は、決してたおれることは無いと、私は、まず、それを信じなければ、いけない。
 さて、むかしの話を一つしよう。
 不仕合せである、と思った。ひと、みな、私を、まだまだ仕合せなほうだよ、と評した。私は気弱く、そうとも、そうとも、と首肯した。なにが不足で、あがくのだろう、好き好んで苦しみを買っているのだ、人生の、生活のディレッタント、運がよすぎて恐縮していやがる、あんなたちの女があるよ苦労性と言ってね陰口だけを気にしている。
 あるいはまた、佳人薄命、懐玉有罪、など言って、私をして、いたく赤面させ、狼狽させて私に大酒のませる悪戯者《いたずらもの》まで出て来た。
 けれども、某夜、君は不幸な男だね、と普通の音声で言って平気でいた人、佐藤春夫である。私は、ぱっと行くてがひらけた実感に打たれ、ほんとにそう思いますか、と問いただした。私は、うすく微笑んでいたような気がする。うん、不幸だ、とやはり気易く首肯した。
 もう一人、文藝春秋社のほの暗い応接室で、M・Sさん。きみと、しんじゅうするくらいに、きみを好いてくれるような、そんな、編輯者《へんしゅうしゃ》でも出て来ぬかぎり、きみは、不幸な、作家だ、と一語ずつ区切ってはっきり言った。そのように、きっぱり打ち明けて呉れるSさんの痩躯《そうく》に満ちた決意のほどを、私は尊いことに思った。
 多くの場合、私はただ苦笑を以《もっ》て報いられていたのである。多くの人々にとって、私は、なんだかうるさい、ただ生意気な存在であった。けれども私は、みんなを畏怖《いふ》して、それから、みんなをすこしでも、そうして一時間でも永く楽しませ、自信を持たせ、大笑いさせたく、そのことをのみ念じていた。私は盗賊のふりをした。乞食《こじき》の真似をさえして見せた。心の奥の一隅に、まことの盗賊を抱き、乞食の実感を宿し、懊悩転輾《おうのうてんてん》の日夜を送っている弱い貧しい人の子は、私の素振りの陰に罪の兄貴を発見して、ひそかに安堵《あんど》、生きることへの自負心を持って呉れるにちがいない、と信じていた。ばかなことを考えていたものである。たちまち私は、蹴落された。審判の秋。私は、にくしみの対象に変化していた。或る重要な一線に於いて、私は、明確におろそかであった。怠惰であった。一線、やぶれて、決河の勢、私は、生れ落ちるとからの極悪人よ、と指摘された。弱い貧しい人の子の怨嗟《えんさ》、嘲罵《ちょうば》の焔《ほのお》は、かつての罪の兄貴の耳朶《みみたぶ》を焼いた。あちちちち、と可笑《おか》しい悲鳴挙げて、右往、左往、炉縁に寄れば、どんぐりの爆発、水瓶の水のもうとすれば、蟹《かに》の鋏《はさみ》、びっくり仰天、尻餅《しりもち》つけばおしりの下には熊蜂の巣、こはかなわずと庭へ飛び出たら、屋根からごろごろ臼《うす》のお見舞い、かの猿蟹合戦、猿への刑罰そのままの八方ふさがり、息もたえだえ、魔窟の一室にころがり込んだ。
 あの夜のことを、私は忘れぬ。死のうと思っていた。しかたが無いのである。酔いどれて、マントも脱がずにぶったおれて、
「やい、むかしの名妓というものは、」女は傍で笑っていた。「どんな奴《やつ》にでも、なんでもなく身をまかせたんだ。水みたいに、のれんみたいに、そのまま身をまかせるんだ。そうしてモナ・リザみたいに少し唇ゆがめて、静かにしていると、お客は狂っちゃうんだ、田地田畑《でんじでんばた》売りはらうんだ。いいかい、そこんところは大事だぞ。むかしから名妓とうたわれているひとは、みんな、そうだった。むやみに、指輪なんかねだっちゃいけないんだ。いつまでも、だまって足りなそうにしているんだ。芸は売っても、からだは売らぬなんて、操《みさお》を固くしている人は、そこは女だ、やっぱりからだをまかせると、それっきりお客がつかず、どうしたって名妓には、なれないんだ。」ひどい話である。サタンの美学、名妓論の一端とでも言うのか。めちゃ苦茶のこと吐鳴《どな》り散らして、眠りこけた。
 ふと眼をさますと、部屋は、まっくら。頭をもたげると枕もとに、真白い角封筒が一通きちんと置かれてあった。なぜかしら、どきッとした。光るほどに純白の封筒である。キチンと置かれていた。手を伸ばして、拾いとろうとすると、むなしく畳をひっ掻いた。はッと思った。月かげなのだ。その魔窟の部屋のカアテンのすきまから、月光がしのびこんで、私の枕もとに真四角の月かげを落していたのだ。凝然《ぎょうぜん》とした。私は、月から手紙をもらった。言いしれぬ恐怖であった。
 いたたまらず、がばと跳ね起き、カアテンひらいて窓を押し開け、月を見たのである。月は、他人の顔をしていた。何か言いかけようとして、私は、はっと息をのんでしまった。月は、それでも、知らんふりである。酷冷、厳徹、どだい、人間なんて問題にしていない。けたがちがう。私は醜く立ちつくし、苦笑でもなかった、含羞《がんしゅう》でもなかった、そんな生《なま》やさしいものではなかった。唸《うな》った。そのまま小さい、きりぎりすに成りたかった。
 甘ったれていやがる。自然の中に、小さく生きて行くことの、孤独、峻厳を知りました。かみなりに家を焼かれて瓜《うり》の花。その、はきだめの瓜の花一輪を、強く、大事に、育てて行こうと思いました。

 ほ[#「ほ」はゴシック体]、蛍の光、窓の雪。

 清窓浄机、われこそ秀才と、書物ひらいて端座しても、ああ、その窓のそと、号外の鈴の音が通るよ。それでも私たちは、勉強していなければいけないのだ。聞けよ、金魚もただ飼い放ちあるだけでは月余の命たもたず、と。

 へ[#「へ」はゴシック体]、兵を送りてかなしかり。

 戦地へ行く兵隊さんを見送って、泣いては、いけないかしら。どうしても、涙が出て出て、だめなんだ、おゆるし下さい。

 と[#「と」はゴシック体]、とてもこの世は、みな地獄。

 不忍《しのばず》の池、と或る夜ふと口をついて出て、それから、おや? 可笑しな名詞だな、と気附いた。これには、きっとこんな由来があったのだ。それにちがいない。
 たしかな年代は、わからぬ。江戸の旗本の家に、冠《かんむり》若太郎という十七歳の少年がいた。さくらの花びらのように美しい少年であった。竹馬《ちくば》の友に由良《ゆら》小次郎という、十八歳の少年武士があった。これは、三日月のように美しい少年であった。冬の曇日、愛馬の手綱の握りかたに就《つ》いて、その作法に就いて、二人のあいだに意見の相違が生じ、争論の末、一方の少年の、にやりという片頬の薄笑いが、もう一方の少年を激怒させた。
「切る。」
「よろしい。ゆるさぬ。」決闘の約束をしてしまった。
 その約束の日、由良氏は家を出ようとして、冷雨《ひさめ》びしょびしょ。内へひきかえして、傘さして出かけた。申し合せたところは、上野の山である。途中、傘なくしてまちの家の軒下に雨宿りしている冠氏の姿を認めた。冠氏は、薄紅の山茶花《さざんか》の如く寒しげに、肩を小さく窄《すぼ》め、困惑の有様であった。
「おい。」と由良氏は声を掛けた。
 冠氏は、きょろとして由良氏を見つけ、にっと笑った。由良氏も、すこし頬を染めた。
「行こう。」
「うむ。」冷雨の中を、ふたり並んで歩いた。
 一つの傘に、ふたり、頭を寄せて、歩いていた。そうして、さだめの地点に行きついた。
「用意は?」
「できている。」
 すなわち刀を抜いて、向き合って、ふたり同時にぷっと噴き出した。切り結んで、冠氏が負けた。由良氏は、冠氏の息の根を止めたのである。
 刀の血を、上野の池で洗って清めた。
「遺恨は遺恨だ。武士の意地。約束は曲げられぬ。」
 その日より、人呼んで、不忍《しのばず》の池。味気ない世の中である。

 ち[#「ち」はゴシック体]、畜生のかなしさ。

 むかしの築城の大家は、城の設計にあたって、その城の廃墟《はいきょ》になったときの姿を、最も顧慮して図をひいた。廃墟になってから、ぐんと姿がよくなるように設計して置くのである。むかしの花火つくりの名人は、打ちあげられて、玉が空中でぽんと割れる、あの音に最も苦心を払った。花火は聞くもの。陶器は、掌に載せたときの重さが、一ばん大事である。古来、名工と言われるほどの人は、皆この重さについて、最も苦慮した。
 などと、もっともらしい顔して家の者たちに教えてやると、家の者たちは、感心して聞いている。なに、みな、でたらめなのだ。そんなばからしいこと、なんの本にだって書かれてはいない。
 また言う。
 こいしくば、たずね来て見よいずみなる、しのだの森のうらみくずの葉。これは、誰でも知っている。牝《めす》の狐の作った歌である。うらみくずの葉というところ、やっぱり畜生の、あさましい恋情がこもっていて、はかなく、悲しいのである。底の底に、何か凄《すご》い、この世のものでない恐ろしさが感じられるのである。むかし、江戸深川の旗本の妻女が、若くして死んだ。女児ひとりをのこしていった。一夜、夫の枕もとに現われて、歌を詠《よ》んだ。闇の夜の、におい山路《やまみち》たどりゆき、かな哭《な》く声に消えまよいけり。におい山路は、冥土《めいど》に在る山の名前かも知れない。かなは、女児の名であろう。消えまよいけりは、いかにも若い女の幽霊らしく、あわれではないか。
 いまひとつ、これも妖怪《ようかい》の作った歌であるが、事情は、つまびらかでない。意味も、はっきりしないのだが、やはり、この世のものでない凄惨《せいさん》さが、感じられるのである。それは、こんな歌である。わぎもこを、いとおし見れば青鷺《あおさぎ》や、言《こと》の葉なきをうらみざらまし。
 そうして白状すれば、みんな私のフィクションである。フィクションの動機は、それは作者の愛情である。私は、そう信じている。サタニズムではない。

 り[#「り」はゴシック体]、竜宮さまは海の底。

 老憊《ろうはい》の肉体を抱き、見果てぬ夢を追い、荒涼の磯をさまようもの、白髪の浦島太郎は、やはりこの世にうようよ居る。かなぶんぶんを、バットの箱にいれて、その虫のあがく足音、かさかさというのを聞きながら目を細めて、これは私のオルゴオルだ、なんて、ずいぶん悲惨なことである。古くは、ドイツ廃帝。または、エチオピア皇帝。きのうの夕刊に依ると、スペイン大統領、アサーニア氏も、とうとう辞職してしまった。もっとも、これらの人たちは、案外のんきに、自適しているのかも知れない。桜の園を売り払っても、なあに山野には、桜の名所がたくさん在る、そいつを皆わがものと思って眺めてたのしむのさ、と、そこは豪傑たち、さっぱりしているかも知れない。けれども私は、ときどき思うことがある。宋美齢は、いったい、どうするだろう。

 ぬ[#「ぬ」はゴシック体]、沼の狐火。

 北国の夏の夜は、ゆかた一枚では、肌寒い感じである。当時、私は十八歳、高等学校の一年生であった。暑中休暇に、ふるさとの邑《むら》へかえって、邑のはずれのお稲荷《いなり》の沼に、毎夜、毎夜、五つ六つの狐火が燃えるという噂を聞いた。
 月の無い夜、私は自転車に提灯《ちょうちん》をつけて、狐火を見に出かけた。幅《はば》一尺か、五寸くらいの心細い野道を、夏草の露を避けながら、ゆらゆら自転車に乗っていった。みちみち、きりぎりすの声うるさく、ほたるも、ばら撒《ま》かれたようにたくさん光っていた。お稲荷の鳥居をくぐり、うるしの並木路を走り抜け、私は無意味やたらに自転車の鈴を鳴らした。
 沼の岸に行きついて、自転車の前輪が、ずぶずぶぬかった。私は、自転車から降りて、ほっと小さい溜息。狐火を見た。
 沼の対岸、一つ、二つ、三つの赤いまるい火が、ゆらゆら並んでうかんでいた。私は自転車をひきずりながら、沼の岸づたいに歩いていった。周囲十丁くらいの小さい沼である。
 近寄ってみると、五人の老爺《ろうや》が、むしろをひいて酒盛《さかもり》をしていた。狐火は、沼の岸の柳の枝にぶらさげた三個の燈籠であった。運動会の日の丸の燈籠である。老爺たちは、私の顔を覚えていて、みんな手を拍《う》って笑って、私を歓迎した。私は、その五人のうちの二人の老爺を知っていた。ひとりは米屋で破産、ひとりは汚い女をおめかけに持って痴呆《ちほう》になり、ともにふるさとの、笑いものであった。沼の水を渡って来る風は、とても臭い。
 五人のもの、毎夜ここに集い、句会をひらいているというのである。私の自転車の提灯の火を見て、さては、狐火、と魂《たましい》消《け》しましたぞ、などと相かえり見て言って、またひとしきり笑いさざめくのである。私は、冷いにごり酒を二、三杯のまされ、そうして、かれらの句というものを、いくつか見せつけられたのである。いずれも、ひどく下手くそであった。すすきのかげの、されこうべ、などという句もあった。私はそのまま、自転車に乗って家へかえった。
「明月や、座に美しき顔もなし。」芭蕉も、ひどいことを言ったものだ。

 る[#「る」はゴシック体]、流転|輪廻《りんね》。

 ここには、或る帝大教授の身の上を書こうと思ったのであるが、それが、なかなかむずかしい。その教授は、つい二、三日まえに、起訴された。左傾思想、ということになっている。けれども、この教授は、五六年まえ、私たち学生のころ、自ら学生の左傾思想の善導者を以《もっ》て任じていた筈《はず》である。そうして、そのころの教授の、善導の言論も、やはり今日の起訴の理由の一つとして挙げられている。そのへんが、なかなかむずかしいのである。
 もう四、五日余裕があれば、私も、いろいろと思案し、工夫をこらして、これを、なんとか一つの物語にまとめあげて、お目にかけるのだが、きょうは、すでに三月二日である。この雑誌は、三月十日前後に発売されるらしいのだから、きょうあたりは、それこそぎりぎりの締切日なのであろう。私は、きょうは、どんなことがあっても、この原稿を印刷所へ、とどけなければいけない。そう約束したのである。こんな、苦しい思いをするのも、つまりは日常の怠惰の故である。こんなことでは、たしかにいけない。覚悟ばかりは、たいへんでも、今までみたいに怠けていたんじゃ、ろくな小説家になれない。

 を[#「を」はゴシック体]、姥捨山のみねの松風。

 もって自戒とすべし。もういちど、こんな醜態を繰りかえしたら、それこそは、もう姥捨山だ。懶惰の歌留多。文字どおり、これは懶惰の歌留多になってしまった。はじめから、そのつもりでは、なかったのか? いいえ、もう、そんな嘘は吐きません。

 わ[#「わ」はゴシック体]、われ山にむかいて眼を挙ぐ。

 か[#「か」はゴシック体]、下民しいたげ易く、上天あざむき難し。

 よ[#「よ」はゴシック体]、夜の次には、朝が来る。



底本:「太宰治全集2」ちくま文庫、筑摩書房
   1988(昭和63)年9月27日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
   1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月
入力:柴田卓治
校正:小林繁雄
1999年9月11日公開
2004年3月4日修正
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