青空文庫アーカイブ

パンドラの匣
太宰治

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)或《あ》る

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)案外|面白《おもしろ》い

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号)
(例)※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]
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   作者の言葉

 この小説は、「健康道場」と称する或《あ》る療養所で病いと闘っている二十歳の男の子から、その親友に宛《あ》てた手紙の形式になっている。手紙の形式の小説は、これまでの新聞小説には前例が少かったのではなかろうかと思われる。だから、読者も、はじめの四、五回は少し勝手が違ってまごつくかも知れないが、しかし、手紙の形式はまた、現実感が濃いので、昔から外国に於《お》いても、日本に於いても多くの作者に依《よ》って試みられて来たものである。
「パンドラの匣《はこ》」という題に就《つい》ては、明日のこの小説の第一回に於て書き記してある筈《はず》だし、此処《ここ》で申上げて置きたい事は、もう何も無い。
 甚《はなは》だぶあいそな前口上でいけないが、しかし、こんなぶあいそな挨拶《あいさつ》をする男の書く小説が案外|面白《おもしろ》い事がある。
[#地から2字上げ、2行にわたる丸括弧で挟んだ2行組み](昭和二十年秋、河北新報に連載の際に読者になせる作者の言葉による。)
[#改ページ]


   幕ひらく


     1

 君、思い違いしちゃいけない。僕《ぼく》は、ちっとも、しょげてはいないのだ。君からあんな、なぐさめの手紙をもらって、僕はまごついて、それから何だか恥ずかしくて赤面しました。妙に落ちつかない気持でした。こんな事を言うと、君は怒るかも知れないけれど、僕は君の手紙を読んで、「古いな」と思いました。君、もうすでに新しい幕がひらかれてしまっているのです。しかも、われらの先祖のいちども経験しなかった全然あたらしい幕が。
 古い気取りはよそうじゃないか。それはもうたいてい、ウソなのだから。僕は、いま、自分のこの胸の病気に就いても、ちっとも気にしてはいない。病気の事なんか、忘れてしまった。病気の事だけじゃない。何でもみんな忘れてしまった。僕がこの健康道場にはいったのは、戦争がすんで急に命が惜しくなって、これから丈夫なからだになり、何とかして一つ立身出世、なんて事のためでは勿論《もちろん》ないし、また、早く病気をなおしてお父さんに安心させたい、お母さんを喜ばせたいなどという涙ぐましいような殊勝な孝心からでも無かったのだ。しかし、また、へんなやけくそを起してこんな辺鄙《へんぴ》な場所へ来てしまったというわけでも無いんだ。ひとの行為にいちいち説明をつけるのが既に古い「思想」のあやまりではなかろうか。無理な説明は、しばしばウソのこじつけに終っている事が多い。理論の遊戯はもうたくさんだ。概念のすべてが言い尽されて来たじゃないか。僕がこの健康道場にはいったのには、だから何も理由なんか無いと言いたい。或る日、或る時、聖霊が胸に忍び込み、涙が頬《ほお》を洗い流れて、そうしてひとりでずいぶん泣いて、そのうちに、すっとからだが軽くなり、頭脳が涼しく透明になった感じで、その時から僕は、ちがう男になったのだ。それまで隠していたのだが、僕はすぐに、
「喀血《かっけつ》した。」
 とお母さんに言って、お父さんは、僕のためにこの山腹の健康道場を選んでくれた。本当にもう、それだけの事だ。或る日、或る時とは、どんな事か。それは君にもおわかりだろう。あの日だよ。あの日の正午だよ。ほとんど奇蹟《きせき》の、天来の御声《みこえ》に泣いておわびを申し上げたあの時だよ。
 あの日以来、僕は何だか、新造の大きい船にでも乗せられているような気持だ。この船はいったいどこへ行くのか。それは僕にもわからない。未《いま》だ、まるで夢見心地だ。船は、するする岸を離れる。この航路は、世界の誰《だれ》も経験した事のない全く新しい処女航路らしい、という事だけは、おぼろげながら予感できるが、しかし、いまのところ、ただ新しい大きな船の出迎えを受けて、天の潮路のまにまに素直に進んでいるという具合いなのだ。
 しかし、君、誤解してはいけない。僕は決して、絶望の末の虚無みたいなものになっているわけではない。船の出帆は、それはどんな性質な出帆であっても、必ず何かしらの幽《かす》かな期待を感じさせるものだ。それは大昔から変りのない人間性の一つだ。君はギリシャ神話のパンドラの匣《はこ》という物語をご存じだろう。あけてはならぬ匣をあけたばかりに、病苦、悲哀、嫉妬《しっと》、貪慾《どんよく》、猜疑《さいぎ》、陰険《いんけん》、飢餓、憎悪《ぞうお》など、あらゆる不吉の虫が這《は》い出し、空を覆《おお》ってぶんぶん飛び廻《まわ》り、それ以来、人間は永遠に不幸に悶《もだ》えなければならなくなったが、しかし、その匣の隅《すみ》に、けし粒ほどの小さい光る石が残っていて、その石に幽かに「希望」という字が書かれていたという話。

     2

 それはもう大昔からきまっているのだ。人間には絶望という事はあり得ない。人間は、しばしば希望にあざむかれるが、しかし、また「絶望」という観念にも同様にあざむかれる事がある。正直に言う事にしよう。人間は不幸のどん底につき落され、ころげ廻りながらも、いつかしら一縷《いちる》の希望の糸を手さぐりで捜し当てているものだ。それはもうパンドラの匣以来、オリムポスの神々に依《よ》っても規定せられている事実だ。楽観論やら悲観論やら、肩をそびやかして何やら演説して、ことさらに気勢を示している人たちを岸に残して、僕たちの新時代の船は、一足おさきにするすると進んで行く。何の渋滞も無いのだ。それはまるで植物の蔓《つる》が延びるみたいに、意識を超越した天然の向日性に似ている。
 本当にもうこれからは、やたらに人を非国民あつかいにして責めつけるような気取ったものの言い方などはやめにしましょう。この不幸な世の中を、ただいっそう陰鬱《いんうつ》にするだけの事だ。他人を責めるひとほど陰で悪い事をしているものではないのか。こんどまた戦争に負けたからと言って、大いそぎで一時のがれのごまかしを捏造《ねつぞう》して、ちょっとうまい事をしようとたくらんでいる政治家など無ければ幸いだが、そんな浅墓《あさはか》な言いつくろいが日本をだめにして来たのだから、これからは本当に、気をつけてもらいたい。二度とあんな事を繰り返したら世界中の鼻つまみになるかも知れぬ。ホラなんか吹かずに、もっとさっぱりと単純な人になりましょう。新造の船は、もう既に海洋にすべり出ているのだ。
 そりゃ僕だって、いままでずいぶんつらい思いをして来たのです。君もご存じのとおり、僕は昨年の春、中学校を卒業と同時に高熱を発して肺炎を起し、三箇月も寝込んでそのために高等学校への受験も出来ず、どうやら起きて歩けるようになってからも、微熱が続いて、医者から肋膜《ろくまく》の疑いがあると言われて、家でぶらぶら遊んで暮しているうちに、ことしの受験期も過ぎてしまって、僕はその頃《ころ》から、上級の学校へ行く気も無くなり、そんならどうするのか、となると眼の先がまっくらで、家でただ遊んでいるのもお父さんに申しわけがなく、またお母さんに対しても、ていさいの悪いこと並たいていではなく、君には浪人の経験が無いからわからないかも知れないが、あれは全くつらい地獄だ。僕はあの頃、ただもうやたらに畑の草むしりばかりやっていた。そんな、お百姓の真似《まね》をする事で、わずかにお体裁を取りつくろっていた次第なのだ。ご承知のように、僕の家の裏には百坪ほどの畑がある。これは、ずっと前から、どうしたわけか僕の名前で登記されているらしいのだ。そのせいばかりでもないけれども、僕はこの畑の中に一歩足を踏みいれると、周囲の圧迫からちょっとのがれたような気楽さを覚えるのだ。この一、二年、僕はこの畑の主任みたいなものになってしまっていた。草をむしり、また、からだにさわらぬ程度で、土を打ちかえし、トマトに添木を作ってやったり、まあ、こんな事でも少しは食料増産のお手伝いにはなるだろうと、その日その日をごまかして生きていたのだけれども、けれども、君、どうしてもごまかし切れぬ一塊の黒雲のような不安が胸の奥底にこびりついていて離れないのだ。こんな事をして暮して、いったい僕はこれから、どんな身の上になるのだろう。なんの事はない、てもなく癈人《はいじん》じゃないか。そう思うと、呆然《ぼうぜん》とする。どうしてよいか、まるで見当も何もつかなくなるのだ。そうして、こんなだらし無い自分の生きているという事が、ただ人に迷惑をかけるばかりで、全然無意味だと思うと、なんとも、つらくてかなわなかったのだ。君のような秀才にはわかるまいが、「自分の生きている事が、人に迷惑をかける。僕は余計者だ。」という意識ほどつらい思いは世の中に無い。

     3

 けれども君、僕がこんな甘ったれた古くさい薄のろの悩みを続けているうちにも、世界の風車はクルクルと眼にとまらぬ早さでまわっていたのだ。欧洲《おうしゅう》に於いてはナチスの全滅、東洋に於いては比島決戦についで沖縄《おきなわ》決戦、米機の日本内地爆撃、僕には兵隊の作戦の事などほとんど何もわからぬが、しかし、僕には若い敏感なアンテナがある。このアンテナは信頼できる。一国の憂鬱《ゆううつ》、危機、すぐにこのアンテナは、ぴりりと感ずる。理窟《りくつ》は無いんだ。勘だけなんだ。ことしの初夏の頃から、僕のこの若いアンテナは、嘗《か》つてなかったほどの大きな海嘯《かいしょう》の音を感知し、震えた。けれども僕には何の策も無い。ただ、あわてるばかりだ。僕は滅茶苦茶《めちゃくちゃ》に畑の仕事に精出した。暑い日射《ひざ》しの下で、うんうん唸《うな》りながら重い鍬《くわ》を振り廻して畑の土を掘りかえし、そうして甘藷《かんしょ》の蔓を植えつけるのである。なんだって毎日、あんなに烈《はげ》しく畑の仕事を続けたのか、僕には今もってよくわからない。自分のやくざなからだが、うらめしくて、思い切りこっぴどく痛めつけてやろうという、少しやけくそに似た気持もあったようで、死ね! 死んでしまえ! 死ね! 死んでしまえ! と鍬を打ちおろす度毎《たびごと》に低く呻《うめ》くように言い続けていた日もあった。僕は甘藷の蔓を六百本植えた。
「畑の仕事も、もういい加減によすんだね。お前のからだには少し無理だよ。」と夕食の時にお父さんに言われて、それから三日目の深夜、夢うつつの裡《うち》に、こんこんと咳《せ》き込んで、そのうちに、ごろごろと、何か、胸の中で鳴るものがある。ああ、いけない、とすぐに気附《きづ》いて、はっきり眼が覚めた。喀血の前に、胸がごろごろ鳴るという事を僕は、或る本で読んで知っていたのだ。腹這いになった途端に、ぐっと来た。口の中に一ぱい、生臭い匂《にお》いのものを含みながら、僕は便所へ小走りに走った。やはり血だった。便所にながいこと立っていたが、それ以上は血が出なかった。僕は忍び足で台所へ行き、塩水でうがいをして、それから顔も手も洗って寝床へ帰った。咳《せき》の出ないように息をつめるようにして静かに寝ていて、僕は不思議なくらい平気だった。こんな夜を、僕はずっと前から待っていたのだというような気さえした。本望、という言葉さえ思い浮んだ。明日もまた、黙って畑の仕事を続けよう。仕方がないのである。他《ほか》に生きがいの無い人間なのである。ぶんを知らなければいけない。ああ、本当に僕なんか一日も早く死んでしまったほうがいいのだ。いまのうちに、うんと自分のからだをこき使って、そうしてわずかでも食料の増産に役立ち、あとはもうこの世からおさらばして、お国の負担を軽くしてあげたほうがよい。それが僕のような、やくざな病人のせめてもの御奉公の道だ。ああ、早く死にたい。
 そうして翌《あく》る朝は、いつもより一時間以上も早く起きて、さっさと蒲団《ふとん》を畳んで、ごはんも食べずに畑に出てしまった。そうして滅茶苦茶に畑仕事をした。今から思うと、まるで地獄の夢のようだ。僕は勿論、この病気の事は死ぬまで誰にも告白せずにいるつもりだった。誰にも知らせずに、こっそりぐんぐん病気を悪化させてしまうつもりであった。こんな気持をこそ、堕落思想というのだろうね。僕はその夜、お勝手に忍び込んで、配給の焼酎《しょうちゅう》をお茶碗《ちゃわん》で一ぱい飲みほしちゃったよ。そうして、深夜、僕はまた喀血をした。ふと眼覚めて、二つ三つ軽く咳をしたら、ぐっと来た。こんどは便所まで走って行くひまも無かった。硝子戸《ガラスど》をあけて、はだしで庭へ飛び降りて吐いた。ぐいぐいと喉《のど》からいくらでも込み上げて来て、眼からも耳からも血が噴き出ているような感じがした。コップに二杯くらいも吐いたろうか、血がとまった。僕は血で汚れた土を棒切れで掘り返して、わからないようにした、とたんに空襲警報である。思えば、あれが日本の、いや世界の最後の夜間空襲だったのだ。朦朧《もうろう》とした気持で、防空壕《ぼうくうごう》から這い出たら、あの八月十五日の朝が白々と明けていた。

     4

 でも僕は、その日もやっぱり畑に出たのだ。それを聞いては、流石《さすが》に君も苦笑するだろう。しかし君、僕にとっては笑い事じゃ無かった。本当にもうそれより以外に僕の執るべき態度は無いような気がしていたのだ。どうにも他に仕様が無かった。さんざ思い迷った揚句《あげく》の果に、お百姓として死んで行こうと覚悟をきめた筈ではないか。自分の手で耕した畑に、お百姓の姿で倒れて死ぬのは本望だ。えい、何でもかまわぬ早く死にたい。目まいと、悪寒《おかん》と、ねっとりした冷い汗とで苦しいのを通り越してもう気が遠くなりそうで、豆畑の茂みの中に仰向に寝ころんだ時、お母さんが呼びに来た。早く手と足を洗ってお父さんの居間にいらっしゃいという。いつも微笑《ほほえ》みながらものを言うお母さんは、別人のように厳粛な顔つきをしていた。
 お父さんの居間のラジオの前に坐《すわ》らされて、そうして、正午、僕は天来の御声に泣いて、涙が頬を洗い流れ、不思議な光がからだに射し込み、まるで違う世界に足を踏みいれたような、或《ある》いは何だかゆらゆら大きい船にでも乗せられたような感じで、ふと気がついてみるともう、昔の僕ではなかった。
 まさか僕は、死生一如《しせいいちにょ》の悟りをひらいたなどと自惚《うぬぼ》れてはいないが、しかし、死ぬも生きるも同じ様なものじゃないか。どっちにしたって同じ様につらいんだ。無理に死をいそぐ人には気取屋が多い。僕のこれまでの苦しさも、自分のおていさいを飾ろうとする苦労にすぎなかった。古い気取りはよそうじゃないか。君の手紙の中に「悲痛な決意」などという言葉があったけれども、悲痛なんてのは今の僕には、何だか安芝居の色男役者の表情みたいに思われる。悲痛どころではあるまい。それはもう既に、ウソの表情だ。船は、するする岸壁から離れたのだ。そして船の出帆には、必ず何かしらの幽かな希望がある筈だ。僕はもう、しょげてはいない。胸の病気も気にしていない。君からあんな、同情の言葉に満ちた手紙をもらって、僕は実際まごついた。僕はいまは何も思わず、ただこの船に身をゆだねて行くつもりだ。僕はあの日、すぐにお母さんに打明けた。自分でも不思議なくらい平静な態度で打明けた。
「僕、ゆうべ喀血しました。その前の晩も、喀血しました。」
 何の理由も無かった。急に命が惜しくなったというわけでも無い。ただ、きのう迄《まで》の無理な気取りが消えただけだ。
 お父さんは僕のためにこの「健康道場」を選んでくれた。ご承知のように、僕のお父さんは数学の教授だ。数字の計算は上手かも知れないが、お金のお勘定なんてのは一度もした事がないらしい。いつも貧乏なのだから、僕もぜいたくな療養生活など望んではいけない。この簡素な「健康道場」は、その点だけでも、まったく僕に似合っている。僕には、なんの不平も無い。僕は、六箇月で全快するそうだ。あれから一度も喀血しない。血痰《けったん》さえ出ない。病気の事なんか忘れてしまった。この「病気を忘れる」という事が、全快の早道だと、ここの場長さんが言っていた。少し変ったところのある人だ。何せ、結核療養の病院に、健康道場などという名前をつけて、戦争中の食料不足や薬品不足に対処して、特殊な闘病法を発明し、たくさんの入院患者を激励して来た人なのだから。とにかく変った病院だよ。とても面白い事ばかり、山ほどあるんだけど、まあこの次にゆっくりお話しましょう。
 僕の事に就いては、本当に何もご心配なさらぬように。では、そちらもお大事に。
  昭和二十年八月二十五日

   健康道場


     1

 きょうはお約束どおり、僕のいまいるこの健康道場の様子をお知らせしましょう。E市からバスに乗って約一時間、小梅橋というところで降りて、そこから他のバスに乗りかえるのだが、でも、その小梅橋からはもう道場までいくらも無いんだ。乗りかえのバスを待っているより、歩いたほうが早い。ほんの十丁くらいのものなのだ。道場へ来る人は、たいていそこからもう歩いてしまう。つまり、小梅橋から、山々を右手に見ながらアスファルトの県道を南へ約十丁ほど行くと、山裾《やますそ》に石の小さい門があって、そこから松並木が山腹までつづき、その松並木の尽きるあたりに、二|棟《むね》の建物の屋根が見える。それがいま、僕の世話になっている「健康道場」と称するまことに風変りな結核療養所なのだ。新館と旧館と二棟にわかれている。旧館のほうはそれほどでもないが、新館はとても瀟洒《しょうしゃ》な明るい建物だ。旧館で相当の鍛錬を積んだ人が、この新館のほうにつぎつぎと移されて来る事になっているのだ。けれども僕は、元気がよいので特別に、はじめから新館にいれられた。僕の部屋は、道場の表玄関から入ってすぐ右手の「桜の間」だ。「新緑の間」だの「白鳥の間」だの「向日葵《ひまわり》の間」だの、へんに恥ずかしいくらい綺麗《きれい》な名前がそれぞれの病室に附せられてあるのだ。
「桜の間」は、十畳間くらいの、そうしてやや長方形の洋室である。木製の頑丈《がんじょう》なベッドが南枕《みなみまくら》で四つ並んでいて、僕のベッドは部屋の一ばん奥にあって、枕元の大きい硝子窓《ガラスまど》の下には、十坪くらいの「乙女ヶ池」とかいう(この名は、あまり感心しないが)いつも涼しく澄んでいる池があって、鮒《ふな》や金魚が泳いでいるのもはっきり見えて、まあ、僕のベッドの位置に就いては不服は無い。一番いい位置かも知れない。ベッドは木製でひどく大きく、ちゃちなスプリングなど附いていないのが、かえってたのもしく、両側には引出しやら棚《たな》やらがたくさん附いていて、身のまわりのもの一切をそれにしまい込んでも、まだ余分の引出しが残っているくらいだ。
 同室の先輩たちを紹介しよう。僕のとなりは、大月松右衛門《おおつきまつえもん》殿だ。その名の如《ごと》く人品こつがら卑《いや》しからぬ中年のおっさんだ。東京の新聞記者だとかいう話だ。早く細君に死なれて、いまは年頃の娘さんと二人だけの家庭の様子で、その娘さんも一緒に東京からこの健康道場ちかくの山家《やまが》に疎開《そかい》して来ていて、時々この淋《さび》しき父を見舞いに来る。父はたいていむっつりしている。しかし、ふだんは寡言家《かげんか》でも、突如として恐るべき果断家に変ずる事もある。人格は、だいたい高潔らしい。仙骨《せんこつ》を帯びているようなところもあるが、どうもまだ、はっきりはわからない。まっくろい口髭《くちひげ》は立派だが、ひどい近眼らしく、眼鏡の奥の小さい赤い眼は、しょぼしょぼしている。丸い鼻の頭には、絶えず汗の粒が湧《わ》いて出るらしく、しきりにタオルで鼻の頭を強くこすって、その為《ため》に鼻の頭は、いまにも血のしたたり落ちるくらいに赤い。けれども、眼をつぶって何かを考えている時には、威厳がある。案外、偉いひとなのかも知れない。綽名《あだな》は越後獅子《えちごじし》。その由来は、僕にはわからないが、ぴったりしているような感じもする。松右衛門殿も、この綽名をそんなにいやがってもいないようだ。ご自分からこの綽名を申出たのだという説もあるが、はっきりは、わからない。

     2

 そのお隣りは、木下清七殿。左官屋さんだ。未だ独身の、二十八歳。健康道場第一等の美男におわします。色あくまでも白く、鼻がつんと高くて、眼許《めもと》すずしく、いかにもいい男だ。けれども少し爪先《つまさ》き立ってお尻《しり》を軽く振って歩く、あの歩き方だけは、やめたほうがよい。どうしてあんな歩き方をするのだろう。音楽的だとでも思っているのかしら。不可解だ。いろんな流行歌も知っているらしいが、それよりも都々逸《どどいつ》というものが一ばんお得意のようである。僕は既に、五つ六つ聞かされた。松右衛門殿は眼をつぶって黙って聞いているが、僕は落ちつかない気持である。富士の山ほどお金をためて毎日五十銭ずつ使うつもりだとか、馬鹿々々《ばかばか》しい、なんの意味もないような唄《うた》ばかりなので、全く閉口のほかは無い。なおその上、文句入りの都々逸というのがあって、これがまた、ひどいんだ。唄の中に、芝居の台詞《せりふ》のようなものがはいるのだ。あら、兄さん、とか何とか、どうにも聞いて居られないのだ。けれども一度に続けて二つ以上は歌わない。いくつでも続けて歌いたいらしいのだが、それ以上は松右衛門殿がゆるさない。二つ歌い終ると、越後獅子は眼をひらいて、もうよかろう、と言う。からだにさわる、と言い添える事もある。歌い手のからだにさわるという意味か、聞き手のからだにさわるという意味か、はっきりしない。でも、この清七殿だって決して悪い人じゃないんだ。俳句が好きなんだそうで、夜、寝る前に松右衛門殿にさまざまの近作を披露《ひろう》して、その感想を求めたけれども、越後は、うんともすんとも答えぬので、清七殿ひどくしょげかえって、さっさと寝てしまったが、あの時は可哀想《かわいそう》だった。清七殿は越後獅子をかなり尊敬しているらしい。この粋《いき》な男の名は、かっぽれ。
 そのお隣りに陣取っている人は、西脇一夫《にしわきかずお》殿。郵便局長だか何だかしていた人だそうだ。三十五歳。僕はこの人が一ばん好きだ。おとなしそうな小柄《こがら》の細君が時々、見舞いに来る。そうして二人で、ひそひそ何か話をしている。しんみりした風景だ。かっぽれも、越後も、遠慮してそれを見ないように努めているようである。それもまたいい心掛けだと思う。西脇殿の綽名は、つくし。ひょろ長いからであろうか。美男子ではないけれども、上品だ。学生のような感じがどこかにある。はにかむような微笑は魅力的だ。この人が、僕のお隣りだったら、よかったのにと僕はときどき思う。けれども、深夜、奇妙な声を出して唸《うな》る事があるので、やっぱりお隣りでなくてよかったとも思う。これでだいたい僕の同室の先輩たちの紹介もすんだ事になるのだが、つづいて当道場の特殊な療養生活に就いて少し御報告申しましょう。まず、毎日の日課の時間割を書いてみると、
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六時            起床
七時            朝食
八時ヨリ八時半マデ     屈伸鍛錬
八時半ヨリ九時半マデ    摩擦
九時半ヨリ十時マデ     屈伸鍛錬
十時            場長巡回(日曜ハ指導員ノミノ巡回)
十時半ヨリ十一時半マデ   摩擦
十二時           昼食
一時ヨリ二時マデ      講話(日曜ハ慰安放送)
二時ヨリ二時半マデ     屈伸鍛錬
二時半ヨリ三時半マデ    摩擦
三時半ヨリ四時マデ     屈伸鍛錬
四時ヨリ四時半マデ     自然
四時半ヨリ五時半マデ    摩擦
六時            夕食
七時ヨリ七時半マデ     屈伸鍛錬
七時半ヨリ八時半マデ    摩擦
八時半           報告
九時            就寝
[#ここで字下げ終わり]

     3

 こないだも、ちょっと申上げて置いたように、戦争中に焼かれた病院も多いだろうし、また罹災《りさい》しないまでも、物資不足やら手不足やらで閉鎖した病院も少くなかったようで、長期の入院を必要とするたくさんの結核患者、特に僕たちのようにあまり裕福でない患者たちは、行きどころを失ったような有様になったので、この辺には、さいわい敵機の襲撃もほとんど無いし、地方有力の篤志家が二、三打ち寄り、当局の賛助をも得て、もとからこの山腹にあった県の療養所を増築し、いまの田島博士を招聘《しょうへい》して、ここに、物資にたよらぬ独自の結核療養所が出来たというわけなのだ。まず、ざっとこの日課の時間割をごらんになっただけでも、普通の療養所の生活と随分ちがうのがおわかりだろうと思う。病院、あるいは患者などという観念を捨てさせるように仕組まれている。
 院長の事を場長と呼び、副院長以下のお医者は指導員、そうして看護婦さんたちは助手、僕たち入院患者は塾生《じゅくせい》と呼ばれる事になっている。すべてここの田島場長の創案らしい。田島先生がこの療養所へ招聘されて来てからは、内部の機構が一新せられ、患者に対しても独得の療法を施し、非常な好成績で、医学界の注目の的となっているのだそうだ。頭がすっかり禿《は》げているので、五十歳くらいにも見えるが、あれでまだ三十歳代の独身者だとかいう事だ。痩《や》せて長身の、ちょっと前こごみの、そうして、なかなか笑わない人だ。頭の禿げている人は、たいてい端正な顔をしているものだが、田島先生も、卵に目鼻というような典雅な容貌《ようぼう》の持主である。そうして、これも頭の禿げた人に特有の、れいの猫《ねこ》みたいな陰性の気むずかしさを持っている人のようである。ちょっと、こわい。毎日、午前十時にこの場長は、指導員、助手を引き連れて場内を巡回するのだが、その時には、道場全体が、しんとなる。塾生たちも、この場長の前では、おそろしく神妙にしている。けれども、陰ではこっそり綽名で呼んでいる。清盛《きよもり》というのだ。
 さて、それでは当道場の日課について、も少しくわしく説明しましょうか。屈伸鍛錬というのは、一口に言えば、手足と、腹筋の運動だ。こまかく書くと君は退屈するだろうから、ごく大ざっぱに要点だけ言うと、まあ、ベッドの上に仰向に大の字に寝たまま、手の指、手首、腕と順次に運動をはじめて、次に腹をへこましたり、ふくらましたり、ここはなかなかむずかしく練習を要するところで、また屈伸鍛錬の一ばん大事なところでもあるらしく、その次には足の運動、脚の筋肉をいろいろに伸ばしたり、ゆるめたりして、そうして大体、一とおり鍛錬を終る。そうして、一度終れば、また手の運動から繰り返し、三十分間、時間のある限りつづけていなければならぬ。これを前に記した時間割のとおり午前二回、午後三回、毎日やるんだから、楽じゃない。これまでの医学の常識から言えば、結核患者がこんな運動をするのは、とんでもない危険な事とされていたらしいが、これもまた、戦時の物資不足から生まれた新療法の一つであろう。当道場では、たしかに、この運動を熱心にやる人ほど、恢復《かいふく》が早いそうだ。
 次に摩擦の事を少し書こう。これも当道場独得のものらしい。そうしてこれは、ここの陽気な助手さんたちの役目なのだ。

     4

 摩擦に用いるブラシは、散髪の時に用いる硬い毛のブラシの、あの毛を、ほんの少しやわらかくしたようなものである。だから、はじめのうちは、これでこすられると相当に痛く、皮膚のところどころに摩擦負けのブツブツの生ずるような事さえある。けれども、たいていは一週間ほどで慣れてしまう。
 摩擦の時間が来ると、れいの陽気な助手さんたちが、おのおの手わけして、順々に全部の塾生たちに摩擦してまわるのである。小さい金盥《かなだらい》に、タオルを畳んでいれて、それを水にひたして、ブラシをそのタオルに押しつけては水をつけ、それでもって、シャッシャッと摩擦するのである。摩擦は原則として、ほとんど全身にほどこす。入場後の一週間ほどは手足だけであるが、それからのちは、全身になる。横向きに寝て、まず手、それから足、胸、腹と摩擦して、次に寝がえりを打って反対側の手、足、胸、腹、背中、背中、腰と移って行くのである。慣れると、なかなか気持のよいものである。殊《こと》に、背中をこすってもらう時の気持は、何とも言えない。うまい助手さんもあるが、へたくその助手さんもある。
 けれども、この助手さんたちの事に就いては、後でまた書く事にしよう。
 道場の生活は、この屈伸鍛錬と摩擦の二つで明け暮れしていると思ってよい。戦争がすんでも、物資の不足は変らないのだから、まあ当分はこんな事で闘病の心意気を示すのも悪くないじゃないか。この他《ほか》には午後一時からの講話、四時の自然、八時半からの報告などがあるけれども、講話というのは、場長、指導員、または道場へ視察にやって来る各方面の名士など、かわるがわるマイクを通じて話かけて、それが部屋の外の廊下の要所々々に設備されてある拡声機から僕たちの部屋へ流れてはいり、僕たちはベッドの上に坐《すわ》って黙って聞いているのだ。
 これは、戦争中に拡声機が電力の不足でだめになったので、一時休止していたのだそうだが、戦争がすんで電力の使用が少し緩和されると同時に、またすぐはじめられたのだ。場長は、このごろ、日本の科学の発展史、とでもいうようなテーマの講義を続けている。頭のいい講義とでもいうのであろうか、淡々たる口調で、僕たちの祖先の苦労を実に平明に解説してくれる。きのうは、杉田玄白《すぎたげんぱく》の「蘭学事始《らんがくことはじめ》」に就いてお話して下さった。玄白たちが、はじめて洋書をひらいて見たが、どのようにしてどう飜訳《ほんやく》してよいのか、「まことに艫舵《ろだ》なき船の大海に乗出せしが如く、茫洋《ぼうよう》として寄るべなく、只《ただ》あきれにあきれて居たる迄《まで》なり」というところなど実によかった。玄白たちの苦心に就いては、僕も中学校の時にあの歴史の木山ガンモ先生から教えられたが、しかし、あれとは丸っきり違う感じを受けた。
 ガンモは、玄白はひどいアバタで見られた顔ではなかった、などつまらぬ事ばかり言っていたっけね。とにかく、この場長の毎日の講話は、僕にはとても楽しみだ。日曜には、講話のかわりにレコオドを放送する。僕はあんまり音楽は好きでないけれども、でも一週間に一度くらい聞くのは、わるくないものだ。レコオドのあいまに、助手さんの肉声の歌が放送される事もあるが、これは聞いていて楽しい、というよりは、ハラハラして落ち附《つ》かない気持になるものだ。でも、他の塾生たちには、これが一ばん歓迎されているようだ。清七殿など、眼を細くして聞いている。思うに、かれ自身も都々逸の文句入りというところなど、放送したくてたまらないのだろう。

     5

 午後四時の自然というのは、まあ、安静の時間だ。この時刻には、僕たちの体温が一ばん上昇していて、からだが、だるくて、気分がいらいらして、けわしくなり、どうにも苦しいので、まあ諸君の気のむくように勝手な事をして過してい給《たま》え、という意味で自由の三十分間を与えられているような具合いのものらしいが、でも、塾生の大部分は、この時間には、ただ静かにベッドに横臥《おうが》している。ついでながら、この道場では、夜の睡眠の時以外は、ベッドに掛蒲団《かけぶとん》を用いる事を絶対に許さない。昼は、毛布も何も一切掛けずに、ただ寝巻を着たままでベッドの上にごろ寝をしているのだが、慣れると清潔な感じがして来て、かえって気持がいい。午後八時半の報告というのは、その日その日の世界情勢に就いての報道だ。やっぱり廊下の拡声機から、当直の事務員のおそろしく緊張した口調のニュウスが、いろいろと報告せられるのだ。この道場では、本を読む事はもちろん、新聞を読む事さえ禁ぜられている。耽読《たんどく》は、からだに悪い事かも知れない。まあ、ここにいる間だけでも、うるさい思念の洪水《こうずい》からのがれて、ただ新しい船出という一事をのみ確信して素朴《そぼく》に生きて遊んでいるのも、わるくないと思っている。
 ただ、君への手紙を書く時間が少くて、これには弱っている。たいてい食事後に、いそいで便箋《びんせん》を出して書いているが、書きたい事はたくさんあるのだし、この手紙も二日がかりで書いたのだ。でも、だんだん道場の生活に慣れるに随《したが》って、短い時間を利用する事も上手になって来るだろう。僕はもう何事につけても、ひどく楽天|居士《こじ》になっているようでもある。心配の種なんか、一つも無い。みんな忘れてしまった。ついでに、もうひとつ御紹介すると、僕のこの当道場に於《お》ける綽名は、「ひばり」というのだ。実に、つまらない名前だ。小柴利助《こしばりすけ》という僕の姓名が、小雲雀《こひばり》という具合いにも聞えるので、そんな綽名をもらう事になったものらしい。あまり名誉な事ではない。はじめは、どうにもいやらしく、てれくさくて、かなわなかったが、でもこのごろの僕は、何事に対しても寛大になっているので、ひばりと人に呼ばれても気軽に返事を与える事にしているのだ。わかったかい? 僕はもう昔の小柴じゃないんだよ。いまはもう、この健康道場に於ける一羽の雲雀なんだ。ピイチクピイチクやかましく囀《さえず》って騒いでいるのさ。だから、君もどうかそのつもりで、これからの僕の手紙を読んでおくれ。何という軽薄な奴《やつ》だ、なんて顔をしかめたりなんかしないでおくれ。
「ひばり。」と今も窓の外から、ここの助手さんのひとりが僕を鋭く呼ぶ。
「なんだい。」と僕は平然と答える。
「やっとるか。」
「やっとるぞ。」
「がんばれよ。」
「よし来た。」
 この問答は何だかわかるか。これはこの道場の、挨拶《あいさつ》である。助手さんと塾生が、廊下ですれちがった時など、必ずこの挨拶を交す事にきまっているようだ。いつ頃《ごろ》からはじまった事か、それはわからぬけれども、まさかここの場長がとりきめたものではなかろう。助手さんたちの案出したものに違いない。ひどく快活で、そうしてちょっと男の子みたいな手剛《てごわ》さが、ここの看護婦さんたちに通有の気風らしい。場長や指導員、塾生、事務員、全部のひとに片端から辛辣《しんらつ》な綽名を呈上するのも、すなわち、この助手さんたちのようである。油断のならぬところがあるのだ。この助手さんたちに就いては、更によく観察し、次便でまたくわしく報告する事にしよう。
 まずは当道場の概説くだんの如しというところだ。失敬。
  九月三日

   鈴虫


     1

 拝啓|仕《つかまつ》り候《そうろう》。九月になると、やっぱり違うね。風が、湖面を渡って来たみたいに、ひやりとする。虫の音も、めっきり、かん高くなって来たじゃないか。僕《ぼく》は君のように詩人ではないのだから、秋になったからとて、別段、断腸の思いも無いが、きのうの夕方、ひとりの若い助手さんが、窓の下の池のほとりに立って、僕のほうを見て笑って、
「つくしにね、鈴虫が鳴いてるって言ってやって。」
 そんな言葉を聞くと、この人たちには秋がきびしく沁《し》みているのだという事がわかって、ちょっと息がつまった。この助手さんは、僕と同室の西脇《にしわき》つくし殿に、前から好意を寄せているらしいのだ。
「つくしは、いないよ。ついさっき、事務所へ行った。」と答えてやったら、急に不機嫌《ふきげん》になり、言葉まで頗《すこぶ》るぞんざいに、
「あらそう。いなくたっていいじゃないの。ひばりは鈴虫がきらいなの?」と妙な逆襲の仕方をして来たので、僕はわけがわからず、実にまごついた。
 この若い助手さんには、どうも不可解なところが多く、僕は前から、このひとに最も気をつけて来ているのだ。綽名《あだな》はマア坊。
 ついでに、きょうは他《ほか》の助手さんたちの綽名も紹介しましょう。こないだの手紙に、ここの助手さんたちは、油断のならぬところがあって、男のひとたちに片端から辛辣《しんらつ》の綽名を呈上していると言ったが、しかし、また塾生のほうだって負けずに、助手さんたち全部を綽名で呼んでいるのだから、まあ、アイコみたいなものだ。けれども、塾生たちの案出した綽名は、そこは何といっても、やっぱり女性に対するいたわりもあるらしく、いくぶんお手やわらかに出来ている。三浦正子だから、マア坊。なんという事もない。竹中静子だから、竹さん、なんてのはもっとも気がきかない。平凡きわまる。また、眼鏡をかけている助手さんは、出目金《でめきん》とでもいうようなところなのに、遠慮して、キントト。痩《や》せているから、うるめ。淋《さび》しそうな顔をしているから、ハイチャイ。このへんは、まあ、いいほうかも知れないが、どうも少し遠慮している。ひどく、ぶ器量なくせに、パーマネントも物凄《ものすご》く、眼蓋《まぶた》を赤く塗ったりして、奇怪な厚化粧をしているから、孔雀《くじゃく》。ばかにして、孔雀とつけたのだろうが、つけられた当人はかえって大いに得意で、そうよ、あたしは孔雀よ、といよいよ自信を強くしたかも知れない。ちっとも諷刺《ふうし》がきいていない。僕ならば、天女とつける。そうよ、あたしは天女よ、とはまさか思えまい。その他、となかい、こおろぎ、たんてい、たまねぎなど、いろいろあるが、みんな陳腐だ。ただひとり、カクランというのがあって、これはちょっと、うまくつけたものだと思う。顔のはばが広くほっぺたが真っ赤に光っている助手さんがあって、いかにも赤鬼のお面を聯想《れんそう》させるのだが、さすがに、そこは遠慮して避けて、鬼の霍乱《かくらん》というわけで、カクランだ。着想が上品である。
「カクラン。」
「なんだい。」すまして答える。
「がんばれよ。」
「ようし来た。」と元気なものだ。霍乱に頑張《がんば》られては、かなわない。このひとに限らず、ここの助手さんたちは、少し荒っぽいところがあるけれども、本当は気持のやさしい、いいひとばかりのようだ。

     2

 塾生たちに一ばん人気のあるのは、竹中静子の、竹さんだ。ちっとも美人ではない。丈が五尺二寸くらいで、胸部のゆたかな、そうして色の浅黒い堂々たる女だ。二十五だとか、六だとか、とにかく相当としとっているらしい。けれども、このひとの笑い顔には特徴がある。これが人気の第一の原因かも知れない。かなり大きな眼が、笑うとかえって眼尻《めじり》が吊《つ》り上って、そうして針のように細くなって、歯がまっしろで、とても涼しく感ぜられる。からだが大きいから、看護婦の制服の、あの白衣がよく似合う。それから、たいへん働き者だという事も、人気の原因の一つになっているかも知れない。とにかく、よく気がきいて、きりきりしゃんと素早く仕事を片づける手際《てぎわ》は、かっぽれの言い草じゃないけれど、「まったく、日本一のおかみさんだよ。」摩擦の時など、他の助手さんたちは、塾生と、無駄口《むだぐち》をきいたり、流行歌を教え合ったり、善く言えば和気藹々《わきあいあい》と、悪く言えばのろのろとやっているのに、この竹さんだけは、塾生たちが何を言いかけても、少し微笑《ほほえ》んであいまいに首肯《うなず》くだけで、シャッシャとあざやかな手つきで摩擦をやってしまっている。しかも摩擦の具合いは、強くも無し弱くも無し、一ばん上手で、そうして念いりだし、いつも黙って明るく微笑んで愚痴も言わず、つまらぬ世間話など決してしないし、他の助手さんたちから、ひとり離れて、すっと立っている感じだ。このちょっとよそよそしいような、孤独の気品が、塾生たちにとって何よりの魅力になっているのかも知れない。何しろ、たいへんな人気だ。越後獅子《えちごじし》の説に拠《よ》ると、「あの子の母親は、よっぽどしっかりした女に違いない」という事である。或《ある》いは、そうかも知れない。大阪の生れだそうで、竹さんの言葉には、いくらか関西|訛《なま》りが残っている。そこがまた塾生たちにとって、たまらぬいいところらしいが、僕は昔から、身体《からだ》の立派な女を見ると、大鯛《おおだい》なんかを思い出し、つい苦笑してしまって、そうして、ただそのひとを気の毒に思うばかりで、それ以上は何の興味も感じないのだ。気品のある女よりも、僕には可愛《かわい》らしい女のほうがよい。マア坊は、小さくて可愛らしいひとだ。僕は、やっぱり、あのどこやら不可解なマア坊に一ばん興味がある。
 マア坊は、十八。東京の府立の女学校を中途退学して、すぐここへ来たのだそうである。丸顔で色が白く、まつげの長い二重瞼《ふたえまぶた》の大きい眼の眼尻が少しさがって、そうしていつもその眼を驚いたみたいにまんまるく※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]って、そのため額に皺《しわ》が出来て狭い額がいっそう狭くなっている。滅茶苦茶《めちゃくちゃ》に笑う。金歯が光る。笑いたくて笑いたくて、うずうずしているようで、なに? と眼をぐんと大きく※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]って、どんな話にでも首をつっ込んで来て、たちまち、けたたましく笑い、からだを前こごみにして、おなかをとんとん叩《たた》きながら笑い咽《むせ》んでいるのだ。鼻が丸くてこんもり高く、薄い下唇《したくちびる》が上唇より少し突き出ている。美人ではないが、ひどく可愛い。仕事にもあまり精を出さない様子だし、摩擦も下手くそだが、何せピチピチして可愛らしいので、竹さんに劣らぬ人気だ。

     3

 君、それにつけても、男って可笑《おか》しなものだね。そんなに好きでもない女の人には、カクランだの、ハイチャイだの、ばかにしたような綽名をどしどしつけるが、いいひとに対しては、どんな綽名も思いつかず、ただ、竹さんだのマア坊だのという極めて平凡な呼び方しか出来ないのだからね。おやおや、きょうは、ばかに女の話ばかりする。でも、きょうは、なぜだか、他の話はしたくないのだ。きのうの、マア坊の、
「つくしにね、鈴虫が鳴いてるって言ってやって。」
 という可憐《かれん》な言葉に酔わされて、まだその酔いが醒《さ》めずにいるのかも知れない。いつもあんなに笑い狂っているくせに、マア坊も、本当は人一倍さびしがりの子なのかも知れない。よく笑うひとは、よく泣くものじゃないのか。なんて、どうも僕はマア坊の事になると、何だか調子が変になる。そうして、マア坊は、どうやら西脇つくし殿を、おしたい申しているのだから、かなわない。いま僕は、この手紙を、昼食を早くすましていそいで書いているのだが、隣の「白鳥の間」から、塾生たちの笑い声にまじって、かん高い、派手な、マア坊の笑い声がはっきり聞えて来る。いったい、何を騒いでいるのだろう。みっともない。白痴じゃないか。なんて、きょうの僕は、どうも少し調子が変だ。いろいろ、もっと、書きたい事もあったのだけれど、どうも隣室の笑い声が気になって、書けなくなった。ちょっと休もう。
 やっと、どうやら、お隣の騒ぎも、しずまったようだから、も少し書きつづける事にしよう。どうもあの、マア坊ってのは、わからないひとだ。いや、なに、別に、こだわるわけでは無いがね、十七八の女って、皆こんなものなのかしら。善いひとなのか悪いひとなのか、その性格に全然見当がつかない。僕はあのひとと逢《あ》うたんびに、それこそあの杉田玄白がはじめて西洋の横文字の本をひらいて見た時と同じ様に、「まことに艫舵《ろだ》なき船の大海に乗出せしが如《ごと》く、茫洋《ぼうよう》として寄るべなく、只《ただ》あきれにあきれて居たる迄《まで》なり」とでもいうべき状態になってしまう、と言えば少し大袈裟《おおげさ》だが、とにかく多少、たじろぐのは事実だ。どうも気になる。いまも僕は、あのひとの笑い声のために手紙を書くのを中断せられ、ペンを投げてベッドに寝ころんでしまったのだが、どうにも落ちつかなくて堪《た》え難《がた》くなって来て、寝ころびながらお隣の松右衛門殿に訴えた。
「マア坊は、うるさいですね。」そう僕が口をとがらせて言ったら、松右衛門殿は、お隣りのベッドに泰然とあぐらをかいて爪楊子《つまようじ》を使いながら、うむと首肯《うなず》き、それからタオルで鼻の汗をゆっくり拭《ぬぐ》って、
「あの子の母親が悪い。」と言った。
 なんでも母親のせいにする。
 でも、マア坊も、或いは意地の悪い継母なんかに育てられた子なのかも知れない。陽気にはしゃいでいるけれども、どこかに、ふっと淋しい影が感ぜられる。なんて、どうもきょうの僕は、マア坊を、よっぽど好いているらしい。
「つくしにね、鈴虫が鳴いてるって言ってやって。」
 その時から、どうも僕はへんだ。つまらない女なんだけれどもね。
  九月七日

   死生


     1

 きのうは妙な手紙で失敬。季節のかわりめには、もの皆があたらしく見えて、こいしく思われ、つい、好きだ好きだ、なんて騒ぎ出す始末になるのだ。なあに、そんなに好いてもいないんだよ。すべて、この初秋という季節のせいなのだ。このごろは僕も、まるでもう、おっちょこちょいの、それこそピイチクピイチクやかましくおしゃべりする雲雀《ひばり》みたいになってしまったようだが、しかし、もはやそれに対する自己|嫌悪《けんお》や、臍《ほぞ》を噛《か》みたいほどの烈《はげ》しい悔恨も感じない。はじめは、その嫌悪感の消滅を不思議な事だと思っていたが、なに、ちっとも不思議じゃない。僕は、まったく違う男になってしまった筈《はず》ではなかったか。僕は、あたらしい男になっていたのだ。自己嫌悪や、悔恨を感じないのは、いまでは僕にとって大きな喜びである。よい事だと思っている。僕には、いま、あたらしい男としての爽《さわ》やかな自負があるのだ。そうして僕は、この道場に於《お》いて六箇月間、何事も思わず、素朴《そぼく》に生きて遊ぶ資格を尊いお方からいただいているのだ。囀《さえず》る雲雀。流れる清水。透明に、ただ軽快に生きて在れ!

 きのうの手紙で、マア坊をばかに褒《ほ》めてしまったが、あれは少し取消したい。実は、きょう、ちょっと珍妙な事件があったので、前便の不備の補足かたがた早速御一報に及ぶ次第なのだ。囀る雲雀、流れる清水、このおっちょこちょいを笑う給《たも》うな。
 けさの摩擦は久しぶりでマア坊だった。マア坊の摩擦は下手くそで、いい加減。つくし殿には、ていねいに摩擦してあげるのかも知れないが、僕には、いつでも粗末で不親切だ。マア坊には、僕なんか、まるで道ばたの石ころくらいにしか思われていないのだろうし、どうせそうだろうし、まあ、仕方が無い。けれども僕にとっては、マア坊は、あながち石ころでは無いのだから、僕はマア坊の摩擦の時には息ぐるしく、妙に固くなって、うまく冗談が言えない。冗談を言うどころか、声が喉《のど》にひっからまって、ろくにものが言えなくなるのだ。結局、僕は、不機嫌《ふきげん》みたいに、むっつりしてしまうのだが、そうするとまた、マア坊のほうでも気づまりになるのであろう、僕の摩擦の時だけは、ちっとも笑わず、そうして無口だ。けさの摩擦も、そんな具合の窮屈な、やりきれないものであった。殊《こと》にも、あの、「つくしにね、鈴虫が鳴いてるって言ってやって」以来、僕の気持は急速にはりつめて来ているような按配《あんばい》なのだし、それにまた、君への手紙に、マア坊を好きだ好きだと書いてやった直後でもあるし、どうにも、かなわない、ぎこちない気分であった。マア坊は、僕の背中をこすりながら、ふいと小声で言った。
「ひばりが、一ばんいいな。」
 うれしく無かった。何を言っていやがると思った。とってつけたようなそんなお世辞を言えるのは、マア坊が僕を、いい加減に思っている証拠だ。本当に、一ばんいいと思っていたら、そんなにはっきり、ぬけぬけと言えるものではない。僕にだってそれくらいの機微は、わかっているさ。僕は、黙っていた。すると、また小声で、
「なやみが、あるのよ。」
 と来た。僕は、びっくりした。なんてまあ、まずい事を言うのだろう。うんざりした。「鈴虫が鳴いている」が、これで完全にマイナスになった。低能なんじゃないかしらと疑った。まえからどうも、あの笑い方は白痴的だと思っていたが、さては、ほんものであったか、などと考えているうちに、気持も軽くなって、
「どんな悩みが、あるんだい。」と馬鹿《ばか》にし切った口調で尋ねることが出来た。

     2

 答えない。かすかに鼻をすすった。横目でそっと見ると、なんだ、かれは泣いているのだ。いよいよ僕は呆《あき》れた。よく笑うひとは、またよく泣くひとではないか、などときのう僕は君に書いてやったが、そんな出鱈目《でたらめ》の予言が、あまりあっけなく眼前に実現せられているのを見ると、かえってこっちが気抜けしていやになる。ばかばかしいと思った。
「つくしが退場するんだってね。」と僕は、からかうような口調で言った。事実、そんな噂《うわさ》があるのだ。何か一家内の都合で、つくしは、北海道の故郷のほうの病院に移らなければならぬような事になったという噂を、僕は聞いて知っていたのだ。
「ばかにしないで。」
 すっと立って、まだ摩擦もすまないのに、金盥《かなだらい》をかかえてさっさと部屋から出て行ってしまった。その後姿を眺《なが》めて、白状するが、僕の胸はちょっと、ときめいた。まさか、僕の事でなやんでいるなどとは、いくら自惚《うぬぼ》れても、考えられやしないけれど、しかし、あんなに陽気なマア坊が、いやしくも一個の男子の前で意味ありげに泣いてみせて、そうして怒って、すっと立って行ったというのは、或《ある》いは重大な事なのかも知れない。或いは、ひょっとすると、と、そこは、いくらおさえつけてもやっぱり少し自惚れが出て来て、ついさっきの軽蔑感《けいべつかん》も何も吹っ飛んでしまって、やたらにマア坊がいとしく思われ、わあ、と叫びたい気持で、ベッドに寝たまま両腕を大きく振りまわした。けれども、なんという事も無かった。マア坊の涙の意味がすぐにわかった。お隣りの越後獅子《えちごじし》の摩擦をしていたキントトが、その時、事も無げに僕に教えたのだ。
「叱《しか》られたのよ。あんまり調子に乗って騒ぐので、ゆうべ、竹さんに言われたのよ。」
 竹さんは助手の組長だ。叱る権利はあるだろう。まあこれで、すべて、わかった。なんという事も無かった。はっきり、わかったというものだ。なあんだ! 組長に叱られて、それで悩みがあるもすさまじいや。僕は、実に、恥ずかしかった。僕のあわれな自惚れを、キントトにも、越後獅子にも、みんなに見破られて憫笑《びんしょう》せられているような気がして、さすがの新しい男も、この時ばかりは閉口した。実に、わかった。何もかも、よくわかった。僕は、マア坊の事は、きれいにあきらめるつもりだ。新しい男は、思い切りがいいものだ。未練なんて感情は、新しい男には無いんだ。僕はこれからマア坊を完全に黙殺してやるつもりだ。あれは猫《ねこ》だ。本当につまらない女だ。あはははは、とひとりで笑ってみたい気持だ。
 お昼には、竹さんがお膳《ぜん》を持って来た。いつもは、さっさと帰るのだが、きょうは、お膳をベッドの傍の小机に載せて、それから伸び上るようにして窓の外を眺《なが》め、二、三歩、窓のほうへ歩み寄り、窓縁に両手を置いて、僕のほうに背を向けたまま黙って立っている。庭の池を見ている様子であった。僕はベッドに腰かけて、さっそく食事をはじめた。あたらしい男は、おかずに不服を言わないものである。きょうのおかずは、めざしと、かぼちゃの煮つけだ。めざしは頭からバリバリ食べる。よく噛《か》んで、よく噛んで、全部を滋養にしなければならぬ。
「ひばり。」と音声の無い、呼吸だけの言葉で囁《ささや》かれて、顔を挙げたら、竹さんは、いつのまにか、両手をうしろに廻《まわ》して窓に寄りかかってこちら向きになっていて、そうして、あの特徴のある微笑をして、それから、やっぱり呼吸だけのような極めて低い声で、「マア坊が泣いたって?」

     3

「うん。」僕は普通の声で返辞した。「なやみがあると言ってた。」よく噛んで、よく噛んで、きれいな血液を作るのだ。
「いやらしい。」竹さんは小さい声で言って顔をしかめた。
「僕の知った事じゃない。」あたらしい男は、さっぱりしているものだ。女のごたつきには興味が無いんだ。
「うち、気がもめる。」と言って、にっと笑った。顔が赤い。
 僕は、少しあわてた。ごはんを、なま噛みのまま呑《の》み込んでしまった。
「たんと食べえよ。」と、低く口早に言って、僕の前を通り、部屋から出て行った。
 僕の口は思わずとがった。なあんだ。大きいなりをして、だらしがねえ。なぜだか、その時、そんな気がして、すこぶる気にいらなかった。組長じゃないか。人を叱って気がもめる、もないもんだ。僕は、にがにがしく思った。竹さんも、もっと、しっかりしなければいかんと思った。けれども、三杯目のごはんをよそって、こんどは僕のほうで顔を赤くしてしまった。おひつのごはんが、ばかに多いのだ。いつもは、軽く三杯よそうと、ちょうど無くなる筈なのに、きょうは三杯よそっても、まだたっぷり一杯ぶん、その小さいおひつの底に残ってあるのだ。ちょっと閉口だった。僕は、このような種類の親切は好かない。親切の形式が、またおいしいとも感じない。おいしくないごはんは、血にも肉にもなりはしない。なんにもならん。むだな事だ。越後獅子の口真似《くちまね》をして言うならば、「竹さんの母親は、おそろしく旧式のひとに違いない。」
 僕はいつものように軽く三杯たべただけで、あとの贔屓《ひいき》の一杯ぶんは、そのままおひつに残した。しばらくして竹さんが、何事も無かったような澄ました顔をしてお膳をさげに来た時、僕は軽い口調で言ってやった。
「ごはんを残したよ。」
 竹さんは、僕のほうをちっとも見ないで、おひつの蓋《ふた》をちょっとあけてみて、
「いやらしい子!」と、ほとんど僕にも聞きとれなかったくらいの低い声で言ってお膳を持ち上げ、そうしてまた、何事も無かったような澄ました顔で部屋から出て行った。
 竹さんの「いやらしい」は口癖のようになっていて、何の意味も無いものらしいが、しかし、僕は女から「いやらしい」と言われると、いい気はしない。実に、いやだ。以前の僕だったら、たしかに竹さんを一発ぴしゃんと殴ったであろう。どうして僕はいやらしいのだ。いやらしいのは、お前じゃないか。昔は女中が、贔屓の丁稚《でっち》の茶碗《ちゃわん》にごはんをこっそり押し込んでよそってやったものだそうだが、なんとも無智《むち》な、いやらしい愛情だ。あんまり、みじめだ。ばかにしちゃいけない。僕には、あたらしい男としての誇りがあるんだ。ごはんというものは、たとい量が不足でも、明るい気持でよく噛んで食べさえすれば、充分の栄養がとれるものなのだ。竹さんを、もっとしっかりしたひとだと思っていたが、やっぱり、女はだめだ。ふだんあんなに利巧そうに涼しく振舞っているだけに、こんな愚行を演じた時には、なおさら目立って、きたならしくなる。残念な事だ。竹さんは、もっとしっかりしなければいけない。これがマア坊だったら、どんな失敗を演じても、かえって可愛く、いじらしさが増すというような事もないわけではないのだろうが、どうも、立派な女の、へまは、困る。と、ここまでお昼ごはんの後の休憩を利用して書いたのだが、突然、廊下の拡声機が、新館の全塾生はただちに新館バルコニイに集合せよ、という命令を伝えた。

     4

 便箋《びんせん》を片附《かたづ》けて二階のバルコニイに行ってみると、きのうの深夜、旧館の鳴沢イト子とかいう若い女の塾生が死んで、ただいま沈黙の退場をするのを、みんなで見送るのだという事であった。新館の男の塾生二十三名、そのほか新館別館の女の塾生六名、緊張した顔でバルコニイに、四列横隊みたいな形で並び、出棺を待った。しばらくして、白い布に包まれた鳴沢さんの寝棺が、秋の陽《ひ》を浴びて美しく光り、近親の人たちに守られながら、旧館を出て松林の中の細い坂路《さかみち》を、アスファルトの県道の方へ、ゆるゆると降りて行った。鳴沢さんのお母さんらしい人が、歩きながらハンケチを眼にあて、泣いているのが見えた。白衣の指導員や助手の一団も、途中まで、首をたれて、ついて行った。
 よいものだと思った。人間は死に依《よ》って完成せられる。生きているうちは、みんな未完成だ。虫や小鳥は、生きてうごいているうちは完璧《かんぺき》だが、死んだとたんに、ただの死骸《しがい》だ。完成も未完成もない、ただの無に帰する。人間はそれに較《くら》べると、まるで逆である。人間は、死んでから一ばん人間らしくなる、というパラドックスも成立するようだ。鳴沢さんは病気と戦って死んで、そうして美しい潔白の布に包まれ、松の並木に見え隠れしながら坂路を降りて行く今、ご自身の若い魂を、最も厳粛に、最も明確に、最も雄弁に主張して居《お》られる。僕たちはもう決して、鳴沢さんを忘れる事が出来ない。僕は光る白布に向って素直に合掌した。
 けれども、君、思い違いしてはいけない。僕は死をよいものだと思った、とは言っても、決してひとの命を安く見ていい加減に取扱っているのでも無いし、また、あのセンチメンタルで無気力な、「死の讃美者《さんびしゃ》」とやらでもないんだ。僕たちは、死と紙一枚の隣合せに住んでいるので、もはや死に就いておどろかなくなっているだけだ。この一点を、どうか忘れずにいてくれ給え。僕のこれまでの手紙を見て、君はきっと、この日本の悲憤と反省と憂鬱《ゆううつ》の時期に、僕の周囲の空気だけが、あまりにのんきで明るすぎる事を、不謹慎のように感じたに違いない。それは無理もない事だ。しかし、僕だって阿呆《あほう》ではない。朝から晩まで、ただ、げたげた笑って暮しているわけではない。それは、あたり前の事だ。毎夜、八時半の報告の時間には、さまざまのニュウスを聞かされる。黙って毛布をかぶって寝ても、眠られない夜がある。しかし僕は、いまはそんなわかり切った事はいっさい君に語りたくないのだ。僕たちは結核患者だ。今夜にも急に喀血《かっけつ》して、鳴沢さんのようになるかも知れない人たちばかりなのだ。僕たちの笑いは、あのパンドラの匣《はこ》の片隅《かたすみ》にころがっていた小さな石から発しているのだ。死と隣合せに生活している人には、生死の問題よりも、一輪の花の微笑が身に沁《し》みる。僕たちはいま、謂《い》わば幽《かす》かな花の香にさそわれて、何だかわからぬ大きな船に乗せられ、そうして天の潮路のまにまに身をゆだねて進んでいるのだ。この所謂《いわゆる》天意の船が、どのような島に到達するのか、それは僕も知らない。けれども、僕たちはこの航海を信じなければならぬ。死ぬのか生きるのか、それはもう人間の幸不幸を決する鍵《かぎ》では無いような気さえして来たのだ。死者は完成せられ、生者は出帆の船のデッキに立ってそれに手を合せる。船はするする岸壁から離れる。
「死はよいものだ。」
 それはもう熟練の航海者の余裕にも似ていないか。新しい男には、死生に関する感傷は無いんだ。
  九月八日

   マア坊


     1

 さっそくの御返事、なつかしく拝読しました。こないだ、僕は、「死はよいものだ」などという、ちょっと誤解を招き易《やす》いようなあぶない言葉を書き送ったが、それに対して君は、いちぶも思い違いするところなく、正確に僕の感じを受取ってくれた様子で、実にうれしく思った。やっぱり、時代、という事を考えずには居られない。あの、死に対する平静の気持は、一時代まえの人たちには、どうしても理解できないのではあるまいか。「いまの青年は誰《だれ》でも死と隣り合せの生活をして来ました。敢《あ》えて、結核患者に限りませぬ。もう僕たちの命は、或《あ》るお方にささげてしまっていたのです。僕たちのものではありませぬ。それゆえ、僕たちは、その所謂天意の船に、何の躊躇《ちゅうちょ》も無く気軽に身をゆだねる事が出来るのです。これは新しい世紀の新しい勇気の形式です。船は、板一まい下は地獄と昔からきまっていますが、しかし、僕たちには不思議にそれが気にならない。」という君のお手紙の言葉には、かえってこっちが一本やられた形です。君からいただいた最初のお手紙に対して、「古い」なんて乱暴な感想を吐いた事に就いては、まじめにおわびを申し上げなければならぬ。
 僕たちは決して、命を粗末にしているわけではない。しかしまた、死に対していたずらに感傷に沈み、或いは、恐れおびえてもいないのだ。その証拠には、あの鳴沢イト子さんの白布に包まれた美しく光る寝棺を見送ってから、僕はもう、マア坊だの竹さんだのの事はすっかり忘れて、まるできょうの秋空のように高く澄んだ心境でベッドに横たわり、そうして廊下では、塾生《じゅくせい》と助手が、れいの如《ごと》く、
「やっとるか。」
「やっとるぞ。」
「がんばれよ。」
「ようし来た。」
 という挨拶《あいさつ》を交しているのを聞き、それがいつものようなふざけ半分の口調でなくて、何だか真剣な響きのこもっているのに気がついた。そうして、そのように素直に緊張して叫んでいる塾生たちに、僕はかえって非常に健康なものを感じた。少し気取った言い方をするなら、その日一日、道場全体が神聖な感じであった。僕は信じた。死は決して、人の気持を萎縮《いしゅく》させるものではない、と。
 僕たちのこんな感想を、幼い強がりとか、或いは絶望の果のヤケクソとしか理解できない古い時代の人たちは、気の毒なものだ。古い時代と、新しい時代と、その二つの時代の感情を共に明瞭《めいりょう》に理解する事のできる人は、まれなのではあるまいか。僕たちは命を、羽のように軽いものだと思っている。けれどもそれは命を粗末にしているという意味ではなくて、僕たちは命を羽のように軽いものとして愛しているという事だ。そうしてその羽毛は、なかなか遠くへ素早く飛ぶ。本当に、いま、愛国思想がどうの、戦争の責任がどうのこうのと、おとなたちが、きまりきったような議論をやたらに大声挙げて続けているうちに、僕たちは、その人たちを置き去りにして、さっさと尊いお方の直接のお言葉のままに出帆する。新しい日本の特徴は、そんなところにあるような気さえする。
 鳴沢イト子の死から、とんでもない「理論」が発展したが、僕はどうもこんな「理論」は得手じゃない。新しい男は、やっぱり黙って新造の船に身をゆだねて、そうして不思議に明るい船中の生活でも報告しているほうが、気が楽だ。どうだい、また一つ、女の話でもしようかね。

     2

 君のお手紙では、君は、ばかに竹さんを弁護しているようじゃないか。そんなに好きなら、竹さんに君から直接、手紙でも出すがよい。いや、それよりも、まあ、いちど逢《あ》ってごらん。そのうち、おひまの折に、僕を見舞いに、ではなくて竹さんを拝見しに、この道場へおいでになるといい。拝見したら、幻滅しますよ。何せ、どうにも、立派な女なのだから。腕力だって、君より強いかも知れない。お手紙に依《よ》ると、君は、マア坊が泣いた事なんか、少しも問題ではないが、竹さんの、「うち、気がもめる」が、大事件だ、というお説のようだが、それは僕だって考えてみたさ。マア坊が僕のところへ来て、なやみがあるのよ、なんて言って泣いた事に就いて、「うち、気がもめる」というのは、すなわち、竹さんが僕に前から思召《おぼしめ》しがある証拠ではなかろうか、とばかな自惚《うぬぼ》れを起したいところだが、僕には、みじんもそんな気持が起らない。竹さんは、なりばかり大きくて、ちっともお色気の無い人だ。いつも仕事に追われて、他《ほか》の事など、考えているひまも無いようなたちの人なんだ。助手の組長という重責に緊張して、甲斐々々《かいがい》しく立働いているというだけの人なんだ。竹さんが、その前夜、マア坊を叱《しか》った。叱ったところが、マア坊はひどくしょげて、泣いたりしているという事を、他の助手から聞いて、それでは自分の叱り方が少し強すぎたのかしらと反省して、そうして心配になって来て、「うち、気がもめる」という事になった、というのがこの場合、頗《すこぶ》る野暮ったいけれども、しかし、最も健全な考え方だと思われる。それに違いないのだ。女なんて、どうせ、自分自身の立場の事ばかり考えているものさ。あたらしい男は、女に対して、ちっとも自惚れていないのだ。また、好かれるという事も無いんだ。さっぱりしたものだ。
「うち、気がもめる」と言って、竹さんは顔を赤くしたけれども、あれは、マア坊を叱った事に就いて気がもめる、という意味で、ふいと言ったその言葉が、案外の妙な響きを持っている事にはっと気づいて、少し自分でまごついて顔を赤くしたというだけの事で、なんという事もない。きわめて、つまらぬ事だ。そうして、あの日、マア坊が僕のところで泣いた事や、また、気がもめるの事にしても、或いは、ごはん一杯ぶんの贔屓《ひいき》の事にしろ、あの日の全部の変調子を解くために、是非とも考慮に入れて置かなければならぬ重大な事実が一つあるのだ。それは、鳴沢イト子の死である。鳴沢さんは、その前夜に死んだのだ。笑い上戸《じょうご》のマア坊が叱られたのもそれでわかる。助手たちは、鳴沢イト子と同様の、若い女だ。衝動も強かったのでは、あるまいか。女には、未だ、古くさい情緒みたいなものが残っている。淋《さび》しくて戸まどいして、そうして、ごはん一杯ぶんの慈善なんて、へんな情緒を発揮したのではあるまいか。とにかく、あの日の、みんなの変調子は、鳴沢イト子の死と強くむすびついているようだ。マア坊も、竹さんも、別段、僕に思召しがあるわけじゃないんだ。冗談じゃない。
 どうだ、君、わかったかい。これでも、君は、竹さんを好きかい。まあいちど道場へ御出張になって、実物を拝見なさる事だ。竹さんよりは、マア坊のほうが、まだしも感覚の新しいところがあって、いいように僕には思われるのだが、君は、ひどくマア坊をきらいらしいね。考え直したらどうかね。マア坊には、やっぱり、ちょっといいところがあるんだぜ。おとといであったか、マア坊が、とても気だてのよいところを見せてくれて、僕は、にわかにまたマア坊を見直したというわけだが、きょうは一つその事の次第を御紹介しましょう。君も、きっと、マア坊を好きになるだろうと思う。

     3

 おととい、同室の西脇《にしわき》つくし殿が、いよいよ一家内の都合でこの道場を出る事になって、ちょうどその日がマア坊の公休日とかに当っているのだそうで、それで、つくしをE市まで送って行く約束をしたとか、その前の日あたりからマア坊は塾生たちに大いにからかわれて、お土産をたのむ、とほうぼうから強迫されて、よし心得た、と気軽に合点々々していたが、おとといの朝早く、久留米絣《くるめがすり》のモンペイをはいて、つくし殿のあとを追っていそいそ出かけ、そうして午後の三時|頃《ごろ》、僕たちが屈伸鍛錬をはじめていたら、こいしい人と別れて来たひとらしくもなく、にこにこ笑いながら帰って来て、部屋々々を廻《まわ》って約束のお土産を塾生たちにくばって歩いていた。
 いまのような手不足の時代には、かなりの暮しをしている家の娘でも、やはり家を出て働かなければならぬ様子だが、マア坊なども、どうやらその組らしく、仕事も遊び半分のようだし、そのくせポケットの温かなせいか、いつもなかなか気前がよく、それがまた塾生たちの人気の原因の一つになっているようで、こんな時のお土産だって、かなり贅沢《ぜいたく》だ。お土産は、どこでどんな具合いに入手したのか、一寸に二寸くらいのおもちゃの鏡だ。裏に映画女優の写真が貼《は》られてある。昔は、こんなものは、駄菓子屋《だがしや》の景物などに、ただでくれたしろものだが、いまはこんなものでも、買うとなると決して安くないだろう。どこかの駄菓子屋かおもちゃ屋のストックを、そんなに数十枚も買って帰ったのかも知れないが、とにかく、いかにもマア坊らしい思いつきのお土産だ。塾生たちには、裏の映画女優の写真がいたくお気に召した様子で、たいへんな騒ぎ方だ。かっぽれも一枚もらった。僕は、女からものをもらうのは、いやだから、はじめからお土産の強迫などもしなかったし、また、みんなと同じおもちゃの懐中鏡一枚の恩恵に浴したところで、つまらない事だと思っていたし、マア坊が僕たちの部屋へやって来て、かっぽれに鏡を手渡し、
「かっぽれさんは、この女優を知ってる?」
「知らねえが、べっぴんだ。マア坊にそっくりじゃないか。」
「あら、いやだ。ダニエル・ダリュウじゃないの。」
「なんだ、アメリカか。」
「ちがうわよ、フランスのひとよ。ひところ東京では、ずいぶん人気があったのよ。知らないの?」
「知らねえ。フランスでも何でも、とにかくこれは返すよ。毛唐《けとう》はつまらねえ。日本の女優の写真とかえてくれねえか。あい願わくば、そうしてもらいたい。こいつは、向うの小柴《こしば》のひばりさんにでもあげるんだね。」
「ぜいたく言ってる。特別に、あなただけに差上げるのよ。ひばりには、いや。意地わるだから、いや。」
「どうだかね。ではまあ、いただいて置きましょう。ダニエ?」
「ダニエルよ。ダニエル・ダリュウ。」
 そんな二人の会話を聞いて、僕はにこりともせず屈伸鍛錬を続けていたが、さすがに面白《おもしろ》くなかった。僕がそんなにマア坊にきらわれていたのか。好かれているとは、もちろん思っていなかったが、こんなに僕ひとり憎まれてきらわれているとは思い及ばなかった。自分の地位を最低のところに置いたつもりでいても、まだまだ底には底があるものだ。人間は所詮《しょせん》、自己の幻影に酔って生きているものであろうか。現実は、きびしいと思った。いったい僕の、どこがいけないのだろう。こんど一つマア坊に、真面目《まじめ》に聞いてみようと思った。そうして、機会は、案外早くやって来た。

     4

 その日の四時すぎ、自然の時間に、僕はベッドに腰かけてぼんやり窓の外を眺《なが》めていたら、白衣に着かえたマア坊が、洗濯物《せんたくもの》を持ってひょいと庭に出て来た。僕は思わず立ち上り、窓から上半身乗り出して、
「マア坊。」と小さい声で呼んだ。
 マア坊は振向き、僕を見つけて笑った。
「土産をくれないの?」と言ってみた。
 マア坊は、すぐには答えず、四辺を素早く身廻した。誰か見ていないかと、あたりに気をくばるような具合いであった。道場は、いま安静の時間である。しんとしていた。マア坊は、こわばったような笑い方をして、ちょっと掌《てのひら》を口の横にかざし、あ、と大きく口をあけ、それから口をとがらせて顎《あご》をひき、その次に、口を半分くらいひらいてこっくり首肯《うなず》き、それから口を三分の二ほどひらいてまた、こっくり首肯いた。声を全然出さず、つまり口の形だけで通信しているのである。僕には、すぐにわかった。
「ア、ト、デ、ネ」と言っているのだ。
 すぐにわかったけれども、わざと、同じ様に口の形だけで、「ア、ト、デ?」と聞きかえすと、もう一度、「ア、ト、デ、ネ」を一字一字区切って、子供がこっくりこっくりをするような身振りで可愛《かわい》く通信してみせて、それから、口の横にかざしていた掌を、内緒、内緒、とでもいうように小さく横に振って、肩をきゅっとすくめて笑い、小走りに別館のようへ走って行った。
「あとでね、か。案ずるより生むが易《やす》し、だ。」そんな事を心の中で呟《つぶや》き、僕は、どさんとベッドに寝ころがった。僕のよろこびに就いては説明する必要もあるまい。すべて、御賢察にまかせる。
 そうして、きのうの夜の摩擦の時、僕はマア坊から、その「アトデネ」のお土産をもらった。きのうの朝から、時々、マア坊は、エプロンの下に何か隠しているようなふうで、意味ありげに廊下をうろついて、ひょっとしたら、あのエプロンの下に僕へのお土産を忍ばせてあるのではあるまいかとも思っていたのだが、図々《ずうずう》しくこちらから近寄って手を差しのべ、「どうしたの?」などと逆襲されると、これはまた大恥辱であるから、僕は知らん顔をしていたのだ。けれども、やっぱり、それは僕への贈物であったのだ。
 昨夜の七時半の摩擦は、約一週間ぶりでマア坊の番に当って、マア坊は左手に金盥《かなだらい》をかかえ、右手をエプロンの下に隠し、にやりにやりと笑いながらやって来て、僕のベッドの側にしゃがみこんで、
「意地わる。取りに来ないんだもの。けさから何度も廊下で待っていたのに。」
 そう言ってベッドの引出しをあけ、素早くエプロンの下の品物をその中に滑り込ませて、ぴったり引出しをしめ、
「言っちゃ、いやよ。誰にも、言っちゃいやよ。」
 僕は寝ながら二度も三度も小さく首肯いた。摩擦に取りかかって、
「ひばりの摩擦は、久しぶりね。なかなか番が廻って来ないんだもの。お土産を渡そうとしても、どうしたらいいのか、困ったわ。」
 僕は自分の首のところに手をやって、結ぶ真似《まね》をして、ネクタイか? という意味の無言の質問をすると、
「ううん。」と下唇《したくちびる》を突き出して笑って否定し、「ばかねえ。」と小声で言った。
 実際、ばかだ。僕には、背広さえ無いのに、何だってまた、ネクタイなんて妙なものを考えたのだろう。われながら、おかしい。或いは、あの小さい懐中鏡から無意識にネクタイを聯想《れんそう》したのかも知れない。

     5

 僕は、こんどは右手で、ものを書く真似をして、万年筆か? という意味の質問をしてみた。実に僕は勝手な男だ。僕の万年筆がこの頃はどうも具合が悪いので、あたらしいのが欲しいという意識が潜在していたらしく、ついこんな時ひょいと出る。僕は内心、自分の図々しさに呆《あき》れたよ。
「ううん。」マア坊は、やっぱり首を横に振って否定する。まるでもう、見当がつかない。
「ちょっと、地味かも知れないけど、人にやったりしないでね。お店に、たった一つ残っていたのよ。飾りも、ちっとも上等でないけど、ここを出てから持って歩いてね。ひばりは紳士だから、きっと要るわよ。」
 いよいよ、わからなくなった。まさか、ステッキじゃあるまい。
「とにかく、ありがとう。」僕は寝返りを打ちながら言った。
「何を言ってるの。ぼんやりねえ、この子は。さっさと早くなおって、いなくなるといい。」
「おおきに、お世話だ。いっそ、ここで、死んでやろうかね。」
「あら、だめよ。泣くひとがあるわ。」
「マア坊かい?」
「しょってるわ。泣くもんですか。泣くわけがないじゃないの。」
「そうだろうと思った。」
「あたしが泣かなくたって、ひばりには、泣いてくれる人がいくらでもあるわ。」ちょっと考えてから、「三人、いや、四人あるわ。」
「泣くなんて、意味が無い。」
「あるわよ、意味があるわよ。」と強く言い張って、それから僕の耳元に口を寄せて、「竹さんでしょう? キントトでしょう? たまねぎでしょう? カクランでしょう?」と一人々々左手の指を折って数え上げて、「わあい。」と言って笑った。
「カクランも泣くのか。」僕も笑った。
 その夜の摩擦はたのしかった。僕も以前のように、マア坊に対して固くなるような事はなく、いまでは何だか皆を高所から見下しているような涼しい余裕が出来ていて、自由に冗談も言えるし、これもつまり、女に好かれたいなどという息ぐるしい慾望《よくぼう》を、この半箇月ほどの間に全部あっさり捨て去ったせいかも知れぬが、自分でも不思議なほど、心に少しのこだわりも無く楽しく遊んだのだ。好くも好かれるも、五月の風に騒ぐ木の葉みたいなものだ。なんの我執も無い。あたらしい男は、またひとつ飛躍をしました。
 その夜、摩擦がすんで、報告の時間に、アメリカの進駐軍がいよいよこの地方にも来るという知らせを、拡声機を通して聞きながら、ベッドの引出しをさぐり、マア坊の贈物を取り出し、包をほどいた。
 三寸四方くらいの小さい包で、中には、シガレットケースが入っていた。「ここを出てから持って歩いてね、ひばりは紳士だから、きっと要るわよ」という先刻の不可解な言葉の意味も、これでわかった。
 それを箱から出して、ちょとひっくりかえしたりして見ているうちに、僕は何だかひどく悲しくなって来た。うれしくないのだ。あながち、世間のニュウスのせいばかりでも無かったようだ。

     6

 それは、ステンレッスというのか、ケーキナイフなどに使ってあるクロームのような金属で出来た銀色の、平たいケースである。蓋《ふた》には薔薇《ばら》の蔓《つる》を図案化したような、こんがらかった細い黒い線の模様があって、その蓋の縁には小豆色のエナメルみたいなものが塗られてある。このエナメルが無ければよいのに、このエナメルの不要な飾りのために、マア坊の言うように、「ちょっと地味」だし、また「ちっとも上等でなく」なっている。でもまあ、せっかくマア坊が買って来てくれたのだから、とにかく大事にしまって置くべきであろう。
 どうも、しかし、愉快でない。もらって、こんな事を言うのはいけないが、本当にちっとも嬉《うれ》しくないのだ。よその女のひとから、ものをもらうのは、はじめての経験であるが、実に妙に胸苦しくていけないものだ。はなはだ後味のわるいものだ。僕は、引出しの奥の一ばん底に、ケースを隠した。早く忘れてしまいたい。
 ケースには、僕も、少し閉口して、持てあましの形だが、しかし、こんな経緯に依《よ》って、マア坊のよさを少しでも君にわかってもらいたくて、以上、御報告の一文をしたためた次第だ。どうだね、少しはマア坊を見直したかね。やっぱり、竹さんのほうがいいかね。御感想をお聞かせ下さい。
 きょうは、つくしのベッドに、隣りの「白鳥の間」の固パンが移って来た。姓名は須川五郎《すがわごろう》、二十六歳。法科の学生だそうで、なかなかの人気者らしい。色浅黒く、眉《まゆ》が太く、眼はぎょろりとしてロイド眼鏡をかけて、鷲鼻《わしばな》で、あまり感じはよくないが、それでも、助手さんたちから、大いに騒がれているのだそうだ。どうも、男から見ていやなやつほど、女に好かれるようだ。固パンの出現に依って、「桜の間」の空気も、へんにしらじらしいものになって来た。かっぽれは、既に少し固パンに対して敵意を抱いているようだ。きょうの夕食前の摩擦の時にも、助手さんたちは固パンに向って英語を色々たずねて、
「ねえ、教えてよ。ごめんなさいね、ってのは英語でどういうの。」
「アイ、ベッグ、ユウア、パアドン。」固パンは、ひどく気取って答える。
「覚えにくいわ。もっと簡単な言いかたが無いの?」
「ヴェリイ、ソオリイ。」実に気取って言う。
「それじゃあね。」と別な助手さんが、「どうぞお大事にね、ってことを何というの?」
「プリイズ、テッキャア、オブ、ユアセルフ。」 take care を、テッキャアと発音する。なんとも、どうも、きざな事であった。
 助手さんたちは、それでも大いに感心して聞いている。かっぽれには、僕以上に固パンの英語が癇《かん》にさわるらしく、小さい声でれいの御自慢の都々逸《どどいつ》、
『末は博士か大臣か、よしな書生にゃ金が無い』とかいうのを歌ったりして、とにかく、さかんに固パンを牽制《けんせい》しようとあせっている様子であった。
 僕はしかし、元気だ。きょう体重をはかったら、四百|匁《もんめ》ちかく太っていた。断然、好調である。
  九月十六日

   衛生について


     1

 こないだから、女の事ばかり書いて、同室の諸先輩に就いての報告を怠っていたようだから、きょうは一つ「桜の間」の塾生《じゅくせい》たちの消息をお伝え申しましょう。きのう「桜の間」では喧嘩《けんか》があった。とうとう、かっぽれが固パンに敢然と挑戦《ちょうせん》したのだ。
 原因は梅干である。
 それが甚《はなは》だ、どうにもややこしい話なのである。かっぽれには、かねて、瀬戸の小鉢《こばち》があって、それに梅干をいれて、ごはんの度に、ベッドの下の戸棚《とだな》から取出しては梅干をつついていた。けれども、このごろ、その梅干にかびが生えはじめた。かっぽれは、これは容《い》れ物の悪いせいではあるまいかと考えた。小鉢の蓋《ふた》がよく合わぬので、そこから細菌が忍び入り、このようにかびが生える結果になったのに違いないと考えた。かっぽれは、なかなか綺麗《きれい》好きなひとなんだ。どうにも気になる。何かよい容れ物があるまいかと、かっぽれは前から思案にくれていたというような按配《あんばい》なのだ。ところが、きのうの朝食の時、お隣りの固パンがやはり、食事の度毎《たびごと》に持出していたらっきょうの瓶《びん》が、ちょうど空いたのを、かっぽれは横目で見とどけ、あれがいいと思った。口も大きいし、そうして、しっかり栓《せん》も出来る。いかなる細菌も、あの瓶の中には忍び込む事が出来まい。もう空いたのだから、固パンも気軽く貸してくれるだろう。固パンに頭を下げるのは癪《しゃく》だが、でも、細菌を防ぐためには、どうしてもあのらっきょうの瓶が必要である。衛生を重んじなければならぬ。そう思って、かっぽれは、食事がすんでから、おそるおそる固パンに空瓶の借用を申し出た。
 固パンは、かっぽれの顔をまっすぐに見て、
「こんなものを、どうするのです。」
 その言い方が、かっぽれに、ぐっと来たというのである。前からこの二人の間には暗雲が低迷していたのである。かっぽれは、この健康道場第一等の色男を以《もっ》て任じていたのに、最近に到《いた》って固パンがめきめき色男の評判を高めて、かっぽれの影は薄くなり、むしゃくしゃしていた矢先だったのである。
「こんなもの? 須川さん、そんな言い方をしてもいいのですか。」かっぽれの言い方も妙である。
「なぜ、いけないのです。」固パンは、にこりともしない。どうにも堅くるしく、気取っている男なのである。
「わかりませんかねえ。」かっぽれは、少しおされ気味になって、にやにやと無理に笑って、「私があなたから、まさか、豚のしっぽを借りようとしたわけではなし、こんなもの、とにべもなく言われては、私の立つ瀬が無くなります。」いよいよ妙だ。
「僕は豚のしっぽなんて事は言いません。」
「わからない人だね。」かっぽれは、少し凄《すご》くなった。「かりにお前さんが、豚のしっぽと言わなくたって、こちとらには、ぴんと来るんだから仕様がねえじゃないか。馬鹿《ばか》にしなさんな。大学生だって左官だって、同じ日本国の臣民じゃないか。よくもおれを、豚のしっぽみたいに扱いましたね。おれが豚のしっぽなら、お前さんは、とかげのしっぽだ。一視同仁というものだ。おれには学はねえが、それでも衛生を尊ぶ事だけは、知っているのだ。人間、衛生を知らなけれゃ、犬畜生と同じわけのものなんだ。」
 何が何だか、さっぱりわけのわからない口説《くぜつ》になって来た。

     2

 固パンは一向それに取合わず、両手を頭のうしろに組んで、仰向にベッドの上に寝ころがった。度胸のある男のように見えた。かっぽれは、ベッドの上にあぐらを掻《か》いて、からだを前後左右にゆすぶり、腕まくりするやら、自分の膝《ひざ》を自分のこぶしでぽんぽん叩《たた》くやら、しきりにやきもきして、
「え、おい、聞いているのですか、そこな大学生。まさか柔道を使やしねえだろうな。大学生には時たまあれを使うやつがあるから恐れいる。あいつぁ、ごめんだぜ。いいかい、はっきり言って置くけど、この道場は、柔道の道場でもなければ、また、色男修行の道場でもないんですぜ。場長の清盛《きよもり》も、こないだの講話で言っていた。諸君は選手である。結核の必ず全治するという証拠を、日本全国に向って示すところの選手である。切に自重を望む、と言いましたがね。おれはあの時、涙が出たね。男子、義を見てせざれば勇なきなり、というわけのものだ。勇に大勇あり小勇あり、ともいうべきわけのところだ。だから、人間、智仁勇、この三つが大事というわけになるんだ。女にもてるなんて、問題になるわけのものじゃ決してないんだ。」ほとんど支離滅裂である。それでも、かっぽれは顔を青くしてさらに声を張り上げ、「だから、それだから、衛生が大事だというわけの事に自然になって行くんだ。常に衛生、火の用心というのは、だから、そこのところを言ってると思うんだ。いやしくも一個の人間を豚のしっぽと較《くら》べられるわけのものじゃ絶対に無いんだ。」
「やめろ、やめろ。」と越後獅子《えちごじし》が仲裁にはいった。越後獅子は、それまでベッドの上に黙って寝ころんでいたのだが、その時むっくり起きてベッドから降り、かっぽれのうしろから肩を叩いて、やめろやめろ、とちょっと威厳のある口調で言ったのである。
 かっぽれは、くるりと越後獅子のほうに向き直って、越後獅子に抱きついた。そうして越後獅子の懐《ふところ》に顔を押し込むようにして、うわっ、うわっ、と声を一つずつ区切って泣出した。廊下には、他《ほか》の部屋の塾生たちが、五、六人まごついて、こちらの様子をうかがっている。
「見ては、いけない。」と越後獅子は、その廊下の塾生たちに向って呶鳴《どな》った。そこまでは立派であったが、それから少しまずかった。「喧嘩ではないぞ! 単なる、単なる、ううむ、単なる、単なる、ううむ」と唸《うな》って、とほうに暮れたように、僕のほうをちらと見た。
「お芝居。」と僕は小声で言った。
「単なる、」と越後は元気を恢復《かいふく》して、「芝居の作用だ。」と叫んだ。
 芝居の作用とは、どういう意味か解しかねるが、僕のような若輩から教えられた事をそのまま言うのは、沽券《こけん》にかかわると思って、とっさのうちに芝居の作用という珍奇な言葉を案出して叫んだのではないかと思われる。おとなというものは、いつも、こんな具合いに無理をして生きているのかも知れない。
 かっぽれは、それこそ親獅子のふところにかき抱かれている児獅子《こじし》というような形で、顔を振り振り泣きじゃくり、はっきり聞きとれぬような、ろれつの廻《まわ》らぬ口調で、くどくどと訴えはじめた。

     3

「おれは、生れてから、こんな赤恥をかいた事はねえのだ。育ちが、悪くねえのです。おれは、おやじにだって殴られた事はねえのだ。それなのに、豚のしっぽ同然にあしらわれて、はらわたが煮えくりかえって、おれは、すじみちの立った挨拶《あいさつ》を仕様と思って、一ばんいい事ばかり言ったのです。一ばんいいところばかり選んで言おうと思ったんだ。本当に、おれは、一ばんのいい事だけを言ってやったつもりなんだ。それなのに、それを、ベッドに寝ころがって知らん振りして、なんだ、あの態度は! くやしくて、残念でならねえのです。なんだ、あの態度は! ひとが一ばんいい事を言っているのに、あの態度は! つくづく世間が、イヤになった。ひとが一ばんいい事を、――」
 だんだん同じ様な事ばかり繰り返して言うようになった。
 越後は、かっぽれをそっとベッドに寝かせてやった。かっぽれは、固パンのほうに背を向けて寝て、顔を両手で覆《おお》って、しばらくしゃくり上げていたが、やがて眠ったみたいに静かになった。八時の屈伸鍛錬の時間になっても、その形のままで、じっとしていた。
 実に妙な喧嘩であった。けれども、昼食の頃にはもう、もとの通りのかっぽれさんにかえっていて、固パンが、れいのらっきょうの空瓶を綺麗に洗って来て、どうぞ、と言って真面目《まじめ》に差出した時にも、すみません、とぴょこんとお辞儀をして素直に受け取り、そうして昼食がすんでから、梅干を一つずつ瀬戸の小鉢から、らっきょうの瓶に、たのしそうに移していた。世の中の人が皆、かっぽれさんのようにあっさりしていたら、この世の中も、もっと住みよくなるに違いないと思われた。
 喧嘩の事に就いては、これくらいにして、ついでにもう一つ簡単な御報告がある。
 きょうの午後の摩擦は、竹さんだった。僕は、竹さんに君のことを少し言った。
「竹さんを、とても好きだと言っている人があるんだけど。」
 竹さんは、摩擦の時には、ほとんど口をきかない。いつも黙って涼しく微笑《ほほえ》んでいる。
「マア坊なんかより、竹さんのほうが十倍もいいと言ってた。」
「誰《だれ》や。」沈黙女史も、つい小声で言った。マア坊よりもいい、というほめ方が、いたく気にいった様子である。女って、あさはかなものだ。
「うれしいかい?」
「好かん。」竹さんはそう一こと言ったきりで、シャッシャッと少し手荒く摩擦をつづける。眉《まゆ》をひそめて、不機嫌《ふきげん》そうな顔だ。
「怒ったの? そのひとは、本当にいいやつなんだがね。詩人だよ。」
「いやらしい。ひばりは、このごろ、あかんな。」左の手の甲で自分の額の汗をぬぐって言った。
「そうかね、それじゃもう教えない。」
 竹さんは黙っていた。黙って摩擦をつづけた。摩擦がすんで引きあげる時に、竹さんはおくれ毛を掻《か》き上げて、妙に笑い、
「ヴェリイ、ソオリイ。」と言った。
 ごめんなさいね、って言ったつもりなんだろう。ちょっと竹さんも、わるくないね。どうだい、君、そのうちにひまを見て、当道場へやって来ないか。君の大好きな竹さんを見せてあげますよ。冗談、失礼。朝夕すずしくなりました。常に衛生、火の用心とはここのところだ。僕と二人ぶんの御勉強おねがい申し上げます。
  九月二十二日

   コスモス


     1

 さっそくの御返事、たのしく拝読いたしました。高等学校へはいると、勉強もいそがしいだろうに、こんなに長い御手紙を書くのは、たいへんでしょう。これからは、いちいちこんな長い御返事の必要はありません。勉強のさまたげになるのではないかと、それが気になります。
 竹さんに、あんな事を言うとはけしからぬとのお叱《しか》り。おそれいりました。けれども、「もう僕は君をお見舞いに行けなくなった」というお言葉には賛成いたしかねます。君も、ずいぶん気が小さい。こだわらずに、竹さんに軽く挨拶《あいさつ》出来るようでなければ、新しい男とは言えません。色気を捨てる事ですね。詩三百、思い邪《よこしま》無し、とかいう言葉があったじゃありませんか。天真|爛漫《らんまん》を心掛けましょう。こないだお隣りの越後獅子《えちごじし》に、
「僕の友だちで、詩の勉強をしている男があるんですが、」と言いかけたら、越後は即座に、
「詩人は、きざだ。」と乱暴極まる断定を下したので、僕は少しむっとして、
「でも、詩人は言葉を新しくすると昔から言われているじゃありませんか。」と言い返した。越後獅子は、にやりと笑って、
「そう。こんにちの新しい発明が無ければいけない。」と無雑作に答えたが、越後も、ちょっと、あなどりがたい事を言うと思った。賢明な君の事だから、すでにお気づきの事と思いますが、どうか、これからは、詩の修行はもとより、何につけても、君の新しい男としての真の面目を見せて下さるよう、お願いします。なんて、妙に思いあがった、先輩ぶった言い方をしましたが、なに、竹さんなんかの事は気にするな、というだけの事なんだ。勇気を出して、当道場を訪問して、竹さんをひとめ見るといい。現物を見ると、君の幻想は、たちまち雲散霧消する。何せもうただ立派で、そうして大鯛《おおだい》なんだからね。それにしても君は、ずいぶん竹さんに打ち込んだものだね。僕があれほど、マア坊の可愛《かわい》らしさを強調して書いてやっても、「マア坊とやらいう女性などは、出来そこないの映画女優の如《ごと》く」なんておっしゃって、一向にみとめてはくれず、ひたすら竹さん竹さんなんだから恐れいりました。しばらく竹さんに就いての御報告はひかえようと思う。この上、君に熱をあげられて、寝込まれでもしたら大変だ。
 きょうは一つ、かっぽれさんの俳句でも御紹介しましょうか。こんどの日曜の慰安放送は、塾生たちの文芸作品の発表会という事になって、和歌、俳句、詩に自信のある人は、あすの晩までに事務所に作品を提出せよとの事で、かっぽれは、僕たちの「桜の間」の選手として、お得意の俳句を提出する事になり、二、三日前から鉛筆を耳にはさみ、ベッドの上に正坐《せいざ》して首をひねり、真剣に句を案じていたが、けさ、やっとまとまったそうで、十句ばかり便箋《びんせん》に書きつらねたのを、同室の僕たちに披露《ひろう》した。まず、固パンに見せたけれども、固パンは苦笑して、
「僕には、わかりません。」と言って、すぐにその紙片を返却した。次に、越後獅子に見せて御批評を乞《こ》うた。越後獅子は背中を丸めて、その紙片をねらうようにつくづくと見つめ、
「けしからぬ。」と言った。
 下手だとか何とか言うなら、まだしも、けしからぬという批評はひどいと思った。

     2

 かっぽれは、蒼《あお》ざめて、
「だめでしょうか。」とお伺いした。
「そちらの先生に聞きなさい。」と言って越後は、ぐいと僕の方を顎《あご》でしゃくった。
 かっぽれは、僕のところに便箋を持って来た。僕は不風流だから、俳句の妙味などてんでわからない。やっぱり固パンのように、すぐに返却しておゆるしを乞うべきところでもあったのだが、どうも、かっぽれが気の毒で、何とかなぐさめてやりたく、わかりもしない癖に、とにかくその十ばかりの句を拝読した。そんなにまずいものではないように僕には思われた。月並とでもいうのか、ありふれたような句であるが、これでも、自分で作るとなると、なかなか骨の折れるものなのではあるまいか。
 乱れ咲く乙女心の野菊かな、なんてのは少しへんだが、それでも、けしからぬと怒るほどの下手さではないと思った。けれども、最後の一句に突き当って、はっとした。越後獅子が憤慨したわけも、よくわかった。
  露の世は露の世ながらさりながら
 誰やらの句だ。これは、いけないと思った。けれども、それをあからさまに言って、かっぽれに赤恥をかかせるような事もしたくなかった。
「どれもみな、うまいと思いますけど、この、最後の一句は他《ほか》のと取りかえたら、もっとよくなるんじゃないかな。素人《しろうと》考えですけど。」
「そうですかね。」かっぽれは不服らしく、口をとがらせた。「その句が一ばんいいと私は思っているんですがね。」
 そりゃ、いい筈《はず》だ。俳句の門外漢の僕でさえ知っているほど有名な句なんだもの。
「いい事は、いいに違いないでしょうけど。」
 僕は、ちょっと途方に暮れた。
「わかりますかね。」かっぽれは図に乗って来た。「いまの日本国に対する私のまごころも、この句には織り込まれてあると思うんだが、わからねえかな。」と、少し僕を軽蔑《けいべつ》するような口調で言う。
「どんな、まごころなんです。」と僕も、もはや笑わずに反問した。
「わからねえかな。」と、かっぽれは、君もずいぶんトンマな男だねえ、と言わんばかりに、眉《まゆ》をひそめ、「日本のいまの運命をどう考えます。露の世でしょう? その露の世は露の世である。さりながら、諸君、光明を求めて進もうじゃないか。いたずらに悲観する勿《なか》れ、といったような意味になって来るじゃないか。これがすなわち私の日本に対するまごころというわけのものなんだ。わかりますかね。」
 しかし、僕は内心あっけにとられた。この句は、君、一茶《いっさ》が子供に死なれて、露の世とあきらめてはいるが、それでも、悲しくてあきらめ切れぬという気持の句だった筈ではなかったかしら。それを、まあ、ひどいじゃないか。きれいに意味をひっくりかえしている。これが越後の所謂《いわゆる》「こんにちの新しい発明」かも知れないが、あまりにひどい。かっぽれのまごころには賛成だが、とにかく古人の句を盗んで勝手な意味をつけて、もてあそぶのは悪い事だし、それにこの句をそのまま、かっぽれの作品として事務所に提出されては、この「桜の間」の名誉にもかかわると思ったので、僕は、勇気を出して、はっきり言ってやった。

     3

「でも、これとよく似た句が昔の人の句にもあるんです。盗んだわけじゃないでしょうけど、誤解されるといけませんから、これは、他のと取りかえたほうがいいと思うんです。」
「似たような句があるんですか。」
 かっぽれは眼を丸くして僕を見つめた。その眼は、溜息《ためいき》が出るくらいに美しく澄んでいた。盗んで、自分で気がつかぬ、という奇妙な心理も、俳句の天狗《てんぐ》たちには、あり得る事かも知れないと僕は考え直した。実に無邪気な罪人である。まさに思い邪無しである。
「そいつは、つまらねえ事になった。俳句には、時々こんな事があるんで、こまるのです。何せ、たった十七文字ですからね。似た句が出来るわけですよ。」どうも、かっぽれは、常習犯らしい。「ええと、それではこれを消して、」と耳にはさんであった鉛筆で、あっさり、露の世の句の上に棒を引き、「かわりに、こんなのはどうでしょう。」と、僕のベッドの枕元《まくらもと》の小机で何やら素早くしたためて僕に見せた。
  コスモスや影おどるなり乾《ほし》むしろ
「けっこうです。」僕は、ほっとして言った。下手でも何でも、盗んだ句でさえなければ今は安心の気持だった。「ついでに、コスモスの、と直したらどうでしょう。」と安心のあまり、よけいの事まで言ってしまった。
「コスモスの影おどるなり乾むしろ、ですかね。なるほど、情景がはっきりして来ますね。偉いねえ。」と言って僕の背中をぽんと叩《たた》いた。「隅《すみ》に置けねえや。」
 僕は赤面した。
「おだてちゃいけません。」落ちつかない気持になった。「コスモスや、のほうがいいのかも知れませんよ。僕には俳句の事は、全くわからないんです。ただ、コスモスの、としたほうが、僕たちには、わかり易《やす》くていいような気がしたものですから。」
 そんなもの、どっちだっていいじゃないか、と内心の声は叫んでもいた。
 けれども、かっぽれは、どうやら僕を尊敬したようである。これからも俳句の相談に乗ってくれと、まんざらお世辞だけでもないらしく真顔で頼んで、そうして意気揚々と、れいの爪先《つまさ》き立ってお尻《しり》を軽く振って歩く、あの、音楽的な、ちょんちょん歩きをして自分のベッドに引き上げて行き、僕はそれを見送り、どうにも、かなわない気持であった。俳句の相談役など、じっさい、文句入りの都々逸《どどいつ》以上に困ると思った。どうにも落ちつかず、閉口の気持で、僕は、
「とんでもない事になりました。」と思わず越後に向って愚痴を言った。さすがの新しい男も、かっぽれの俳句には、まいったのである。
 越後獅子は黙って重く首肯した。
 けれども話は、これだけじゃないんだ。さらに驚くべき事実が現出した。
 けさの八時の摩擦の時には、マア坊が、かっぽれの番に当っていて、そうして、かっぽれが彼女に小声で言っているのを聞いてびっくりした。
「マア坊の、あの、コスモスの句、な、あれは悪くねえけど、でも、気をつけろ。コスモスや、てのはまずいぜ、コスモスの、だ。」
 おどろいた。あれは、マア坊の句なのだ。

     4

 そういえば、あの句にはちょっと女の感覚らしいものがあった。とすると、あの、乱れ咲く乙女心の野菊かな、とかいう変な句も、くさい。やっぱりあれも、マア坊か誰か助手さんの作った句なのではあるまいか。何だか、あの十の俳句がことごとくあやしくなって来た。実に、ひどいひとだ。本当に、あきれるばかりだ。あの露の世の句にしても、また、このコスモスの句にしても、これは「桜の間」の名誉にかかわる、などと大袈裟《おおげさ》な事は言わずとも、かっぽれさんの人格問題として、これは、いったい、どんな事になるのだろうと、はらはらしたが、でも、それからまた、かっぽれとマア坊との間に交された会話を聞いて安心し、たいへんいい気持になったのだ。
「コスモスの句って、どんなの? わすれてしまったわ。」マア坊は、のんびりしている。
「そうかい。それじゃ、おれの句だったかな?」あっさりしている。
「カクランの句じゃない? あなたはいつか、カクランと俳句の交換だか何だか、こっそりやってたわね。わあい、だ。」
「してみると、カクランの句かな?」落ちついたものである。淡泊と言おうか、軽快と言おうか、形容の言葉に窮するくらいだ。「カクランの句にしては、うますぎるよ。きゃつ、盗みやがったな。」すでにここに到《いた》っては、天衣無縫とでもいうより他は無い。「こんど、おれは、あの句を出すんだ。」
「慰安放送? あたしの句も一緒に出してよ。ほら、いつか、あなたに教えてあげたでしょう? 乱れ咲く乙女心の、という句。」
 果して然《しか》りだ。しかし、かっぽれは、一向に平気で、
「うん。あれは、もう、いれてあるんだ。」
「そう。しっかりやってね。」
 僕は微笑した。
 これこそは僕にとって、所謂《いわゆる》「こんにちの新しい発明」であった。この人たちには、作者の名なんて、どうでもいいんだ。みんなで力を合せて作ったもののような気がしているのだ。そうして、みんなで一日を楽しみ合う事が出来たら、それでいいのだ。芸術と、民衆との関係は、元来そんなものだったのではなかろうか。ベートーヴェンに限るの、リストは二流だのと、所謂その道の「通人」たちが口角|泡《あわ》をとばして議論している間に、民衆たちは、その議論を置き去りにして、さっさとめいめいの好むところの曲目に耳を澄まして楽しんでいるのではあるまいか。あの人たちには、作者なんて、てんで有り難《がた》くないんだ。一茶が作っても、かっぽれが作っても、マア坊が作っても、その句が面白《おもしろ》くなけりゃ、無関心なのだ。社交上のエチケットだとか、または、趣味の向上だなんて事のために無理に芸術の「勉強」をしやしないのだ。自分の心にふれた作品だけを自分流儀で覚えて置くのだ。それだけなんだ。僕は芸術と民衆との関係に就いて、ただいま事新しく教えられたような気がした。
 きょうの手紙は、妙に理窟《りくつ》っぽくなったけれども、でも、まあ、こんなかっぽれの小さい挿話《そうわ》でも、君の詩の修行に於《お》いて何か「新しい発明」にでも役立ってくれたら、と思って、この手紙を破らずにこのまま差し上げる事にしました。
 僕は、流れる水だ。ことごとくの岸を撫《な》でて流れる。
 僕はみんなを愛している。きざかね。
  九月二十六日

   妹


     1

 僕がいつも君に、こんな下手な、つまらぬ手紙を書いて、時々ふっと気まりの悪いような思いに襲われ、もうこんな、ばかばかしい手紙なんか書くまいと決意する事も再三あったが、しかし、きょう或《あ》るひとの実に偉大な書翰《しょかん》に接し、上には上があるものだと、つくづく感歎《かんたん》して、世の中には、こんなばかげた手紙を書くおかたもあるのだから、僕の君に送る手紙などは、まだしも罪が軽いほうだ、と少しく安堵《あんど》した次第である。どうも、君、世の中にはさまざまの事がある。あのひとが、あんな恐るべき手紙をものするとは、全く、神か魔かと疑ってみたくなるくらいだ。とにかく、なんとも、ひどいんだ。
 それでは、きょうは一つその偉大なる書翰に就いてちょっと書いてみましょう。
 けさは、道場で秋の大掃除がありました。掃除はお昼前にあらかたすんだけれど、午後も日課はお休みになって、そうして理髪屋が二人出張して来て、塾生《じゅくせい》の散髪日という事になったのです。五時|頃《ごろ》、僕は散髪をすまして、洗面所で坊主頭《ぼうずあたま》を洗っていると、誰《だれ》か、すっと傍《そば》へ寄って来て、
「ひばり、やっとるか。」
 マア坊である。
「やっとる、やっとる。」僕は、石鹸《せっけん》を頭にぬたくりながら、頗《すこぶ》るいい加減の返辞をした。どうも、このごろ、このきまりきった挨拶《あいさつ》の受け答えが、めんどうくさくて、うるさくって、たまらないのである。
「がんばれよ。」
「おい、その辺に僕の手拭《てぬぐ》いが無いか。」僕は、がんばれよの呼びかけには答えず、眼をつぶったまま、マア坊のほうに両手を出した。
 右手にふわりと便箋《びんせん》のようなものが載せられた。片目を細くあけて見ると、手紙だ。
「なんだい、これは。」僕は顔をしかめて尋ねた。
「ひばりの意地わる。」マア坊は笑いながら僕を睨《にら》んだ。「なぜ、よしきた、と言わないの。がんばれよ、と言われて、ようしきた、と答えない人は、病気がわるくなっているのよ。」
 僕は、いやな気がした。いよいよ、むくれて、
「それどころじゃないんだ。頭を洗っているんじゃないか。なんだい、この手紙は。」
「つくしから来たのよ。おしまいの所に、歌が書いてあるでしょう? その意味といて。」
 石鹸が眼に流れ込まないように用心しながら、両方の眼を渋くあけて、その便箋のおしまいの所の歌を読んでみた。
  相見ずて日《け》長くなりぬ此《この》頃は如何《いか》に好去《さき》くやいぶかし吾妹《わぎも》
 つくしも、しゃれてると思った。
「こんなの、わからんかねえ。これは、万葉集からでも取った歌にちがいない。つくしの作った歌じゃないぜ。」やいたわけではないが、ちょっと、けちをつけてやった。
「どんな意味?」低く言って、いやにぴったり寄り添って来た。
「うるさいな。僕は頭を洗ってるんだ。後で教えてあげるから、手紙はその辺に置いといて、僕の手拭いを持って来てくれないか。部屋に置き忘れて来たらしいんだ。ベッドの上に無ければ、ベッドの枕元《まくらもと》の引出しの中にある。」
「意地わる!」マア坊は僕の手から便箋をひったくって、小走りに部屋のほうへ走って行った。

     2

 竹さんの口癖は、「いやらしい」だし、マア坊のは「意地わる」である。以前は、言われる度に、ひやりとしたものだが、いまでは馴《な》れっこになって、まるで平気だ。さて、それでは、マア坊のいない間に、さっきの歌の「如何に好去《さき》くや」というところを、なんと解釈してやったらいいか、考えて置かなければならぬ。あそこが、ちょっとむずかしかったので、手拭いにかこつけて、即答を避けたというわけでもあったのだ。僕は「如何にさきくや」の解釈の仕方を考え考え、頭の石鹸を洗い落していたら、マア坊は、手拭いを持って来て、そうしてこんどは真面目《まじめ》な顔で、何も言わずに、手渡すとすぐにすたすたと向うへ行ってしまった。
 はっと思った。僕が悪いとすぐに思った。どうも僕はこのごろ、すれたというのか痳痺《まひ》したというのか、いつのまにやらこの道場の生活に狎《な》れて、ここへ来た当時の緊張を失い、マア坊などに話かけられても、以前のような興奮を覚えないし、まるで鈍感になって、助手が塾生の世話をするのは当り前の事で、特別の好意だの、何だの、そんなものはどうだっていいとさえ思うようになっていた状態でもあったので、つい、ぶあいそに手拭いを持って来いなんて言ってしまって、あれでは、マア坊も怒るだろう。こないだも、竹さんに、「ひばりは、このごろ、あかんな。」と言われたけれど、本当に、僕にはこのごろ少し「あかん」ところがある。けさの大掃除の時に、塾生全部が室内のほこりを避ける意味で、新館の前庭にちょっと出たが、おかげで僕は実に久し振りで土を踏む事が出来た。時々こっそり、裏のテニスコートなどに降りてみる事はあっても、正々堂々の外出の許可を得たのは、僕がここへ来てからはじめての事であった。僕は松の幹を撫《な》でた。松の幹は生きて血がかよっているものみたいに、温かかった。僕はしゃがんで、足もとの草の香の強さに驚き、それから両手で土を掬《すく》い上げて。そのしっとりした重さに感心した。自然は、生きている、という当り前の事が、なまぐさいほど強く実感せられた。けれども、そんな驚きも、十分間くらい経《た》ったら消滅してしまった。何も感じなくなった。痳痺してしまって平気になった。僕はそれに気がついて、人間の馴致《じゅんち》性というのか、変通性というのか、自身のたより無さに呆《あき》れてしまった。最初のあの新鮮なおののきを、何事に於《お》いても、持ちつづけていたいものだ、とその時つくづく思ったのだが、この道場の生活に対しても、僕はもうそろそろいい加減な気持を抱きはじめているのではなかろうか、とマア坊に怒られてはっと思い当ったというわけなのだ。マア坊にだって誇りはあるのだ。すみれの花くらいの小さい誇りかも知れないが、そんな、あわれな誇りをこそ大事にいたわってやらなければならぬ。僕はいま、マア坊の友情を無視したという形である。つくしからの内緒の手紙を、僕に見せるという事は、或《ある》いは、マア坊は今では、つくし以上に僕に好意を寄せているのだという、マア坊のもったいない胸底をあかしてくれた仕草なのかも知れない。いや、それほど自惚《うぬぼ》れて考えなくても、とにかく僕は、マア坊の信頼を裏切ったのは確かだ。僕が以前ほどマア坊を好きでなくなったからと言ったって、それは、僕のわがままだ。僕は人の好意にさえ狎れてしまっている。僕は、シガレットケースをもらった事さえ忘れている。よろしくない。実に悪い。
「がんばれよ。」と呼びかけられたら、その好意に感奮して、大声で、
「ようしきた!」と答えなければならぬ。

     3

 あやまちを改むるにはばかる事なかれだ。新しい男は、出直すのも早いんだ。洗面所から出て、部屋へ帰る途中、炭部屋の前でマア坊と運よく逢《あ》った。
「あの手紙は?」と僕はすぐに尋ねた。
 遠いところを見ているような、ぼんやりした眼つきをして、黙って首を振った。
「ベッドの引出し?」ひょっとしたらマア坊は、さっき手拭いを取りに行った時に、あの手紙を、僕のベッドの引出しにでも、ほうり込んで来たのではあるまいかと思って聞いてみたのだが、やはり、ただ首を振るだけで返辞をしない。女は、これだからいやだ。よそから借りて来た猫《ねこ》みたいだ。勝手にしろ、とも思ったが、しかし、僕にはマア坊のあわれな誇りをいたわらなければならぬ義務がある。僕は、それこそ、まさしく、猫撫で声を出して、
「さっきは、ごめんね。あの歌の意味はね、」と言いかけたら、
「もういい。」と、ぽいと投げ棄《す》てるように言って、さっさと行ってしまった。実に、異様にするどい口調であった。僕は突き刺されたような気がした。女って、凄《すご》いものだね。僕は部屋へ帰って、ベッドの上にごろりと寝ころがり、「万事、休す」と心の中で大きく叫んだ。
 ところが、夕食の時、お膳《ぜん》を持って来たのは、マア坊である。冷たくとり澄まして、僕の枕元の小机の上にお膳を置き、帰りしなに固パンのところに立寄って、とたんに人が変ったようにたわいない冗談を言い出し、きゃっきゃっと騒ぎはじめて、固パンの背中をどんと叩いて、固パンが、こら! と言ってマア坊のその手をつかまえようとしたら、
「いやあ。」と叫んで逃げて僕のところまで来て、僕の耳元に口を寄せ、
「これ見せたげる。あとで意味教えて。」とひどく早口で言って小さく折り畳んだ便箋を僕に手渡し、同時に固パンのほうに向き直り、
「やい、こら、固パン、白状せい。」と大声で言って、「テニスコートで、お江戸日本橋を歌っていらっしゃったのは、どなたです。」
「知らんよ、知らんよ。」と固パンは、顔を赤くして懸命に否定している。
「お江戸日本橋なら、おれだって知ってらあ。」とかっぽれは不平そうに小声で言って、食事にとりかかった。
「どなたも、ごゆっくり。」とマア坊は笑いながら一同の者に会釈《えしゃく》して、部屋を出て行った。何がなんだか、わけがわからない。マア坊にいい加減になぶられているような気がして、あまり愉快でなかった。そうして僕の手には一通の手紙が残された。僕は他人の手紙など見たくない。しかし、マア坊の小さい誇りをいたわるために、一覧しなければならぬ。やっかいな事になったと思いながら、食後にこっそり読んでみたが、いや、これが君、実に偉大な書翰であったのだ。恋文というものであろうか、何やら、まるで見当がつかない。あんな常識円満のおとなしそうな西脇《にしわき》つくし殿も、かげでこんな馬鹿げた手紙を書くとは、まことに案外なものである。おとなというのは、みんなこのような愚かな甘い一面を隠し持っているものであろうか。とにかく、ちょっとその書翰の文面を書き写してお目にかけましょうか。洗面所では終りの一枚のほんの一端だけを読まされたのだが、こんどは始めからの三枚の便箋全部を手渡しされたのである。以下はその偉大なる手紙の全文である。

     4

「過ぎし想《おも》い出の地、道場の森、私は窓辺によりかかり、静かに人生の新しい一|頁《ページ》とも云《い》うべき事柄《ことがら》を頭に描きつつ、寄せては返す波を眺《なが》めている。静かに寄せ来る波……然《しか》し、沖には白波がいたく吠《ほ》えている。然して汐風《しおかぜ》が吹き荒れているが為《ため》に。」というのが書き出しだ。なんの意味も無いじゃないか。これではマア坊も当惑する筈《はず》だ。万葉集以上に難解な文章だ。つくしは、この道場を出て、それからつくしの故郷の北海道のほうの病院に行ったのだが、その病院は、どうやら海辺に建っているらしい。それだけはわかるのだが、あとは何の意味やら、さっぱりわからない。珍らしい文章である。もう少し書き写してみましょう。文脈がいよいよ不可思議に右往左往するのである。
「夕月が波にしずむとき、黒闇《こくあん》がよもを襲うとき、空のあなたに我が霊魂を導く星の光あり、世はうつり、ころべど、人生を正しく生きんがために努力しよう! 男だ! 男だ! 男だ※[#感嘆符二つ、1-8-75] 頑張《がんば》って行こう。私は今ここに貴女《あなた》を妹と呼ばして頂きたい。私には今与えられた天分と云おうか、何と云っていいか、ああ、やはり恋人と云って熱愛すべき方がいい。」
 なんの事やら、さっぱりわからぬ。そうして、この辺から、文脈がますます奇怪に荒れ狂う。実に怒濤《どとう》の如《ごと》きものだ。
「それは人じゃない、物じゃない、学問であり、仕事の根源であり、日々朝夕愛すべき者は科学であり、自然の美である。共にこの二つは一体となって私を心から熱愛してくれるであろうし、私も熱愛している。ああ私は妹を得、恋人を得、ああ何と幸福であろう。妹よ※[#感嘆符二つ、1-8-75] 私の※[#感嘆符二つ、1-8-75] 兄のこの気持、念願を、心から理解してくれることと思う。それであって私の妹だと思い、これからも御便りを送ってゆきたいと思う。わかってくれるだろう、妹よ※[#感嘆符二つ、1-8-75]
 えらい堅い文章になって申わけありませんでした。然も御世話になりし貴女に妹などと申して済みませんが、理解して下さることと思います。貴女の年頃になれば男女とも色んなことを考える頃なれど、あまり神経を使うというのか、深い深い事を考えないようにして下さい。私も俗界を離れます。きょうはいいお天気ですが、風が強いです。偉大なる自然! われ泣きぬれて遊ばん! おわかりの事と思う。きょうのこの手紙、よくよく味わい繰返し繰返し熟読されたし。有難《ありがと》うよ、マサ子ちゃん※[#感嘆符二つ、1-8-75] がんばれよ、わがいとしき妹※[#感嘆符二つ、1-8-75]
 では最後に兄として一言。
[#ここから2字下げ]
相見ずて日《け》長くなりぬ此頃は如何に好去《さき》くやいぶかし吾妹《わぎも》
  正子様[#地から2字上げ]一夫《かずお》兄より」
[#ここで字下げ終わり]
 まず、ざっと、こんなものだ。一夫兄よりなんて、自分の名前に兄を附《つ》けるのも妙な趣向だが、とにかく、これは最後の万葉の歌一つの他は、何が何やらさっぱりわからない。ひどいものだと思う。真似《まね》して書こうたって、書けるものではない。実に、破天荒とでもいうべきだ。けれども、西脇一夫氏という人間は、決して狂人ではない。内気なやさしい人なんだ。あんないい人が、こんな滅茶苦茶《めちゃくちゃ》な手紙を書くのだから、実際、この世の中には不思議な事があるものだ。マア坊が「意味教えて」と言うのも無理がない。こんな手紙をもらった人は災難だ。悩まざるを得ないだろう。名文と言おうか、魔文と言おうか、どうもこの偉大なる書翰《しょかん》を書き写したら、妙に手首がだるくなって、字がうまく書けなくなって来た。これで失敬しよう。また出直す。
  十月五日

   試煉《しれん》


     1

 一昨日は、どうも、つくし殿の名文に圧倒され、ペンが震えて字が書けなくなり、尻切《しりきれ》とんぼのお手紙になって失礼しました。あの日、夕食後に僕が、あの手紙を読んで呆然《ぼうぜん》としていたら、マア坊が、廊下の窓から、ちらと顔をのぞかせて、「読んだ?」とでもいうような無言のお伺いの眼つきをして見せたので、僕は、軽く首肯《うなず》いてやった。すると、マア坊も、真面目《まじめ》にこっくり首肯いた。ひどく、あの手紙を気にしているらしい。西脇さんも罪な人だと僕はその時、へんな義憤みたいなものを感じた。そうして、僕はマア坊をたまらなく、いじらしく思った。白状すると、僕はその時以来、あらたにまた、マア坊に新鮮な魅力を感じたのだ。鈍感な男ではなくなったというわけだ。いつのまにやら、そうなっていた。どうも秋は、いけない。なるほど、秋は、かなしいものだ。笑っちゃいけない。まじめなのだ。
 全部、話そう。あの、大掃除の翌《あく》る日、マア坊が朝の八時の摩擦に、金盥《かなだらい》をかかえてひょいと部屋の戸口にあらわれ、そうして笑いを噛《か》み殺しているような表情で、まっすぐに僕のところへ来た。こんなに早くマア坊が僕の番にまわって来るとは思いがけなかった事なので、僕はほとんど無意識に、
「よかったね。」と小声で言ってしまった。うれしかったのだ。
「いい加減言ってる。」マア坊はうるさそうに言って、そうして、さっさと僕の摩擦に取りかかり、「けさは竹さんの番だったのよ。竹さんに他《ほか》の御用が出来たから、あたしが代ったの。わるい?」ひどく、あっさりした口調である。僕には、それが少し不満だったので、何も答えず、黙っていた。マア坊も黙っている。次第に息ぐるしく、窮屈になって来た。この道場へ来た当座も、僕はマア坊の摩擦の時には、妙に緊張して具合いの悪い思いをしたものだが、ふたたびあの緊張感がよみがえって来て、どうも、窮屈でかなわなかった。摩擦が、すんだ。
「ありがとう。」僕は寝呆《ねぼ》け声で言った。
「手紙、かえして!」マア坊は、小声で、けれども鋭く囁《ささや》いた。
「枕元《まくらもと》の引出しにある。」僕は仰向に寝たまま顔をしかめて言った。あきらかに僕は不機嫌《ふきげん》だった。
「いいわ、お昼食がすんだら、洗面所へちょっといらっしゃらない? その時かえして。」
 そう言い棄《す》て僕の返辞も待たず、さっさと引き上げて行った。
 不思議なくらいよそよそしかった。こっちがちょっと親切にしてあげると、すぐにあんなに、つんけんする。よろしい、それならば、僕にも考えがある。思い切り、こっぴどく、やっつけてやろう、と僕は覚悟して、お昼の休憩時間を待った。
 お昼ごはんは、竹さんが持って来た。お膳《ぜん》の隅《すみ》に竹細工の小さい人形が置かれてある。顔を挙げて竹さんに、これは? と眼で尋ねたら、竹さんは、顔をしかめて烈《はげ》しくイヤイヤをして、誰《だれ》にも言うな、というような身振りをした。僕は浮かぬ顔をして、うなずいた。全く、不可解であった。

     2

「けさ、道場の急用で、まちへ行って来たのや。」と竹さんは普通の音声で言った。
「お土産か。」と僕は、なぜだか、がっかりしたような気持で、元気の無い尋ね方をした。
「可愛《かわい》いやろ? 藤娘《ふじむすめ》や。しまっとき。」と姉のような、おとなびた口調で言って立ち去った。
 僕は、ぽかんとした気持だった。少しもうれしくない。人の好意には素直に感奮すべきだと前の日に思いをあらたにした矢先ではあったが、どういうものか、僕には竹さんのこんな好意は有り難くない。それは僕が、この道場に来た当初から変らずに持ちつづけていた感情で、いまさらどうにも動かしがたいのだ。竹さんは、助手の組長で、そうして道場の皆に信頼されている立派な人なのだから、もっと、しっかりしなければならぬ。マア坊なんかとは、わけが違うのだ。こんな、つまらぬ人形なんかを買って来て、藤娘や、可愛いやろ? もないもんだ。
 僕は、ごはんを食べながら、つくづくとお膳の隅の、その藤娘と称する二寸ばかりの高さの竹細工の人形を眺《なが》めたが、見れば見るほど、まずい人形だった。どうも趣味がわるい。これは駅の売店で埃《ほこり》をかぶって店《たな》ざらしになっていたしろものに違いない。気のいい人は、必ず買い物が下手なものだが、竹さんも、どうやら、ごたぶんにもれぬほうらしい。ちょっと不良じみたマア坊なんかのほうが、ずっと気のきいた買い物をする。仕方の無いものだ。僕は、竹細工の始末に窮した。つっかえしてやろうかとさえ思ったが、前の日に、すみれの花くらいのあわれな誇りをこそ大事にいたわってやらなければ、などと殊勝な覚悟を極《き》めた手前もあり、しょんぼりした気持で、その土産はひとまずベッドの引出しにしまい込んで置く事にした。けれども、竹さんの事をあまり書くと、君がまた熱をあげるといけないから、これくらいにして置いて、さて、そのお昼ごはんの後に、僕はとにかくマア坊のお指図どおりに、洗面所へ行ってみた。マア坊は、洗面所の一ばん奥の壁にぴったり背中をつけてこちら向きに立って、くすくす笑っていた。僕はちらと不愉快なものを感じた。
「君は、時々こんな事をするんだろう。」と、自分にも意外な言葉が出た。
「え? どうして?」と、少し笑いながら眼をまんまるくして僕の顔を見上げた。僕は、まぶしかった。
「塾生を時々ここへ、」ひっぱり込んで、と言いかけたのだが、流石《さすが》にそれはひどく下品な言葉のように思われたから、口ごもった。
「そう? そんなら、よしましょう。」と軽く言って、お辞儀するように上体を前にこごめて歩きかけた。
「手紙を持って来たよ。」僕は手紙を差出した。
「ありがとう。」とちっとも笑わずに受取って、「ひばりも、やっぱり、だめね。」
「なぜ、だめなんだ。」僕のほうが受け身になった。
「あたしを、そんな女だと思っていたのね。ひばり、」と顔を蒼《あお》くして僕の顔をまっすぐに見て、「恥ずかしくない?」
「恥ずかしい。」僕は、あっさりかぶとを脱いだ。「やいたんだ。」
 マア坊は、金歯を光らせて笑った。

     3

「僕、その手紙を読んだよ。」大いにとっちめてやるつもりであったのだが、竹さんからつまらぬ藤娘なんてお土産をもらって、出鼻をくじかれ、マア坊に対してうしろめたいものさえ感じて意気があがらず、憂鬱《ゆううつ》にちかい気持でこの洗面所に来てみると、マア坊が、あんまりなまめかしかったので、男子として最も恥ずべきやきもちの心が起り、つい、あらぬ事を口走って、ただちにマア坊に糺明《きゅうめい》せられ、今は、ほとんど駄目《だめ》になった。
「全部読んだよ。面白かった。つくしって、いいひとだね。僕は、好きになっちゃった。」心にもない、あさはかなお追従《ついしょう》ばかり言っている。
「でも、意外だわ。こんな手紙。」マア坊は仔細《しさい》らしく首をひねり、便箋《びんせん》をひらいて眺めた。
「うん、僕もちょっと意外に思った。」僕の場合、あんまり下手で意外だったのだ。
「まったく、意外だわ。」マア坊にとっては、いかにも、重大な事らしい。
「君のほうからも、手紙を出したんだろう。」またもや要らない事を言ってしまって、ひやりとした。
「出したわ。」けろりとしている。
 僕は急に面白くなくなった。
「それじゃ君が誘惑したのだ。君は不良少女みたいだ。そんなのを、オタンチンっていうのだ。ミイチャンハアチャンともいうし、チンピラともいうし、また、トッピンシャンともいうんだ。けしからんじゃないか、君は。」と思い切り罵倒《ばとう》してやったが、マア坊はこんどは怒るどころか、げらげら笑い出した。
「まじめに聞いてくれよ。殊《こと》に、つくしには奥さんがある。笑い事じゃないんだぜ。」
「だから、奥さんにお礼状を出したの。つくしが道場を出る時、あたしがまちの駅まで送って行って、その時に奥さんから白足袋を二足いただいたから、あたし、奥さんに礼状を出しといたの。」
「それだけか。」
「それだけよ。」
「なあんだ。」僕は、機嫌を直した。「それだけの事だったのか。」
「ええ、そうよ。それなのに、こんなお手紙を寄こすんだもの、いやで、いやで、身悶《みもだ》えしちゃったわ。」
「何も身悶えしなくたって、いいじゃないか。君は、本当は、つくしを好きなんだろう。」
「好きだわ。」
「なあんだ。」僕は、また面白くなくなって来た。「馬鹿にしていやがる。つまらない。奥さんのある人を好きになったって、仕様が無いじゃないか。あれは仲のよさそうな夫婦だったぜ。」
「だって、ひばりを好きになっても仕様が無いでしょう?」
「何を言ってやがる。話が違うよ。」僕はいよいよ不機嫌になった。「君は不真面目だ。僕は何も君に、好きになってもらおうと思ってやしないよ。」
「ばか、ばか。ひばりは、なんにも知らないのよ。なんにも知らないくせに、ひばりなんかは、」と言いかけて、くるりとうしろを向いてヒイと泣き出した。そうして、それこそ身悶えして、
「あっちへ、行って!」と強く言った。

     4

 僕は出処進退に窮した。口をとがらして洗面所をぶらぶら歩いているうちに、何だか、僕も一緒に泣きたくなって来た。
「マア坊。」と呼ぶ僕の声は、ふるえていた。「そんなに、つくしを好きなのか。僕だって、つくしを好きだよ。あれは、やさしい、いい人だったからな。マア坊が、つくしを好きになるのも無理がないと思うんだ。泣け、泣け、うんと泣け。僕も一緒に泣くぜ。」
 どうしてあんな気障《きざ》な事を言ったのだろう。いま考えてみると夢のような気がする。僕は泣こうと思った。しかし、ちょっと眼頭《めがしら》が熱くなっただけで、涙は一滴も出なかった。僕は眼を大きく※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》って、洗面所の窓からテニスコートの黄ばみはじめた銀杏《いちょう》を黙って眺めていた。
「早く、」いつの間にやらマア坊が、僕の傍《そば》にひっそりと立っていて、「お部屋へお帰り。人に見られると、わるいわ。」と気味のわるいほど静かな、落ちついた口調で言った。
「見られたってかまわない。悪い事をしているわけじゃないんだ。」そう言いながら、僕の胸は妙に躍った。
「とんまねえ、ひばりは。」と僕と並んで洗面所の窓からテニスコートのほうを眺めながら、ひとり言のように、「ひばりが来てから、道場も変っちゃったなあ。なんにも知らないでしょう? ひばりのお父さんて、偉いお方ですってね。場長さんが、いつかそうおっしゃってたわ。世界的な学者ですってね。」
「貧乏なので、世界的なのだ。」ひどく淋《さび》しくなって来た。お父さんとは、もう二箇月も逢《あ》わない。相変らず、障子が震動するほどの大きな音をたてて鼻をかんでいるであろうか。
「血筋がいいのね。ひばりが来たら、道場が本当に、急にあかるくなったわ。みんなの気持も変ってしまった。あんないい子を見たことが無いって、竹さんも言ってた。竹さんはめったに他人の噂《うわさ》なんかしないひとなんだけど、ひばりには夢中なのよ。竹さんだけでなく、キントトだって、たまねぎだって、みんなそうなのよ。でも塾生さんたちにいやな噂を立てられて、ひばりに迷惑がかかるような事になるといけないから、みんな気をつけて、ひばりに近寄らないようにしているのよ。」
 僕は苦笑した。けちくさい愛情だと思った。
「そいつぁ、敬遠というものなんだ。好きなんじゃないんだ。」
「あら、あんなこと。」マア坊は僕の背中を軽く叩《たた》いて、その手をそのままそっと背中に置いた。「あたしは違うのよ。あたしは、ひばりをちっとも好きでないの。だから、こうして二人きりで話したってかまわないのよ。思い違いしないでね。あたしは、――」
 僕はマア坊の傍からそっと離れ、
「せいぜい、つくしと文通するさ。僕は、はっきり言うけど、つくしの手紙の下手さには呆《あき》れた。」
「知ってるわ。下手な手紙だからお見せしたんじゃないの。いい手紙だったら、誰《だれ》が見せるもんか。あたしは、つくしの事など、なんとも思ってやしないわ。そんなに人を馬鹿にするもんじゃないわ。」言葉も態度も別人のように露骨で下品になって来た。「あたしはもう、だめなのよ。あなたは知らないでしょう? とんまだから、気がつかないんだ。あたしは、あなたといい仲だって事を、もう、みんなに言われているのよ。どうするの? そう言われてもいいの?」
 顔を伏せて右肩を突き出し、くすくす笑いながらその肩先で僕をぐいぐい押すのである。

     5

「よせ、よせ。」と僕は言った。こんな時には、それより他に言い方が無いものだ。とんでもない事になったと思った。
「困る? どうなの? ね、この上、また恥をかかすの? ゆうべ、お月さまが、あかるくて、眠れなくて、庭へ出て、それから、ひばりの枕元の、カアテンが、少しあいていたので、のぞいてみたの、知ってる? ひばりは、月の光を浴びて、笑いながら、眠ってたわ。あの寝顔、よかったな。ね、ひばり、どうするの?」
 とうとう壁際《かべぎわ》まで押しつけた。僕は、なんだか、ばからしくなって来た。
「無理だよ。どだい無理だよ。僕は二十なんだ。困るんだ。おい、誰か、こっちへ来るぜ。」ぱたぱたと、洗面所のほうへやって来るスリッパの足音が聞こえる。
「だめねえ、そんなんじゃないのよ。」マア坊は僕から離れて、顔を仰向にして髪を掻《か》き上げ、あははと笑った。顔はお湯からあがり立てみたいに、ぽっと赤かった。
「もう、講話の時間だ。失敬するぜ。僕は、時間におくれるなんて、だらしない事はきらいなんだ。」
 僕は洗面所から走り出た。とたんに、
「竹さんと仲よくしちゃ駄目よ。」とマア坊が、細い声で言った。その声が、一ばん僕の心にしみた。
 どうも、秋は、いけない。
 部屋へ帰ったら、まだ講話は始まらず、かっぽれが、ベッドにひっくりかえって、れいの都々逸《どどいつ》なるものを歌っていた。みちの芝が人に踏まれても朝露によみがえるとかいう意味の、前にも幾度か聞かされた都々逸であるが、その時だけは、いつものような閉口迷惑を感ぜず、素直に耳傾けて拝聴したのだから奇妙なものだ。僕は気が弱くなってしまったのかも知れない。
 やがて講話がはじまり、日支文明の交流という題で、岡木という若い先生が、主として医学の交流に就いて、昔からのいろいろな例証を挙げて具体的にわかり易《やす》く説明して下さった。日本と支那《しな》とは、いつも互いに教え合って進んで来た国だという事が、いまさらの如《ごと》く深く首肯せられ、反省させられるところも多かったが、けれども、それにつけても、僕のきょうの秘密が、どうにも気がかりになって、早くマア坊の事なんか忘れてしまい、以前のような何のくったくも無い模範的な塾生になりたいとつくづく思った。
 いったい、あの、マア坊がいけないのだ。もう少し聡明《そうめい》な女かと思っていたら、案外な、愚かな女だった。さっき、あんな、思い余ったような素振りをいろいろしてみせたが、あれには、何の意味も無いという事は僕だって知っている。僕には馬鹿な自惚《うぬぼ》れは無い。マア坊はいつも自分の事ばかり考えているのだ。つくしの事も、僕の事も、問題じゃないんだ。ただ、自分の美しさ、あわれさに陶然としていたいのだ。無邪気なふりを装っているけれども、どうしてなかなか虚栄心が強いのだから、誰にも負けたくないだろうし、そうして、ひどい慾張《よくば》りなんだから、ひとのものは何でも欲しいだろうし、マア坊の策略くらいは僕にだって看破できる。

     6

 マア坊は、あの、つくしの手紙を僕に見せて、やっぱり少し威張りたかったのではあるまいか。けれども僕がその手紙をひどく馬鹿にしているのを、マア坊は敏感に察して、たちまち態度をかえ、泣くやら、押すやら、あらぬ事を口走る結果になったのに違いない。すみれほどの誇りどころか、あのひとの自尊心の高さは、女王さまみたいだ。とても、いたわりきれるものでない。僕とマア坊といい仲だって事をみんなが言い囃《はや》しているとか言っていたが、ばかばかしい。僕は今まで、マア坊の事で人から、ひやかされた事は一回も無い。マア坊ひとりが騒いでいるのだ。マア坊には、たしなみのない、本質的な育ちのいやしさがある。本当に、越後《えちご》の言うように、母親がいけない人だったのかも知れない。落ちついて考えるに随《したが》って、腹が立って来た。マア坊には、道場の助手としての資格が無いと思った。道場は神聖なところだ。みんな一心に結核征服を念じて朝夕の鍛錬に精進しているところなのだ。もう一度、マア坊があんな露骨な言動を示したならば、僕は断然、組長の竹さんに訴えて、マア坊を道場から追放してもらおうと覚悟した。
 そのように覚悟をきめたら、やっと僕は、さっきの洗面所に於ける悪夢に就いて、そんなに、こだわりを感じないようになった。
 あれは、悪い夢だ。悪い夢は、人生につながりの無いものだ。君を殴った夢を見たって、僕はその翌日、君におわびを言いには行かない。僕はそんな感傷的な宗教家、または詩人の心を持ってはいない。あたらしい男は、ややこしい事は大きらいだ。
 夢には、こだわらぬつもりだが、しかし、その洗面所の悪夢の翌日、つまり、けさの、未明に、僕はもう一つ夢を見た。そうして、これは、いい夢だ。いい夢は、忘れたくない。人生に、何かつながりを持たせたい。これは、是非とも君にも知らせてあげたい。竹さんの夢だ。竹さんは、いい人だね。けさ、つくづくそう思った。あんな人は、めったにいない。君が竹さんに熱を上げるのも無理はないと思った。君は流石《さすが》に詩人だけあって、勘がいい。眼が高い。偉い。君があまり、竹さんに熱を上げるので、寝込まれたりしても困ると思って、その後、竹さんに就いての御報告を控えめにしていたが、そんな心配は全然不要だという事が、けさ、はっきりわかった。
 竹さんを、どんなに好いても、竹さんはその人を寝込ませたり堕落させたりなんかしない人だ。どうか、竹さんを、もっと、うんと好いてくれ。僕も、君に負けずに竹さんを、もっとうんと信頼するつもりだ。それにつけても、マア坊は馬鹿な女だねえ。竹さんとはまるで逆だ。全くお説の通り、映画女優の出来損いそのものであった。きのう、あれから、マア坊が夜の八時の摩擦に、自分の番でも無いのに「桜の間」にやって来て、あの、お昼の事などはきれいに忘れてしまったように、固パンや、かっぽれを相手にきゃあきゃあ騒ぎ、そのとき、僕の摩擦は竹さんであったが、竹さんはれいの通り、無言でシャッシャッとあざやかな手つきで摩擦して、マア坊たちのつまらぬ冗談にも時々にっこり笑い、マア坊がつかつかと僕たちの傍へやって来て、
「竹さん、手伝いましょうか。」と乱暴な、ふざけた口調で言っても、
「おおきに、」と軽く会釈《えしゃく》して、「すぐ、すみます。」と澄まして答える。

     7

 僕は、こんな具合いに落ちついて、しゃんとしている竹さんを好きなのである。僕に下手な好意を示したりする時の竹さんは、ぶざまで、見られたものでない。マア坊が、くるりと廻《まわ》れ右してまた固パンのほうへ行った時、僕は、
「マア坊って、きざな人だね。」と小声で竹さんに言った。
「芯《しん》は、いい子や。」と竹さんは、いつくしむような口調で、ぽつんと答えた。
 やはり竹さんはマア坊より、人間としての格が上かな? とその時ひそかに思った。竹さんは、さっさと摩擦をすませて、金盥をかかえ、隣りの「白鳥の間」へ摩擦の応援に出かけて、そのあとへ、マア坊がにやにや笑ってまたもや僕のベッドを訪れ、小さい声で、
「竹さんに、何か言った。たしかに言った。あたしは、知ってる。」
「きざな子だって言ったんだ。」
「意地わる! どうせ、そうよ。」案外、怒らぬ。「ね、あれ、持ってる?」両手の指で四角の形を作って見せる。
「ケースかい?」
「うん。どこに、しまってあるの?」
「そのへんの引出しだ。返してもいいぜ。」
「あら、いやだわ。一生、持っててね。お邪魔でしょうけど。」妙に、しんみり言って、それから、いきなり大声で、「やっぱり、ひばりの所から一ばんお月まさがよく見える。かっぽれさん、ちょっと来て! ここで並んでお月さまを拝もうよ。明月や、なんて俳句をよもうよ。いかが?」
 どうも、さわがしい。
 その夜は、そんな事で、格別の異変も無く寝に就いたが、夜明けちかく、ふと眼がさめた。廊下の残置燈《ざんちとう》の光で部屋はぼんやり明るい。枕元の時計を見ると、五時すこし前だった。外は、まだ、まっくらのようだ。窓から誰かが見ている。マア坊! とすぐ頭にひらめいた。白い顔だ。たしかに笑って、すっと消えた。僕は起きてカアテンをはねのけて見たが、何も無い。へんてこな気持だった。寝呆《ねぼ》けたのかしら。いくらマア坊が滅茶《めちゃ》な女だって、まさか、こんな時間に。僕も案外、ロマンチストだ、と苦笑してベッドにもぐったが、どうにも気になる。しばらくして、遠くの洗面所のほうから、しゃっしゃっというお洗濯《せんたく》でもしているような水の音が幽《かす》かに聞えて来た。
 あれだ! と思った。どういう理由でそう思ったのか、わからない。さっき笑って消えた人は、あれだ。たしかに、あそこに、いま、いるのだ。そう思うと、我慢が出来なくなって、そっと起きて、足音を忍ばせて廊下に出た。
 洗面所には、青いはだかの電球が一つ灯《とも》っている。のぞいて見ると、絣《かすり》の着物に白いエプロンをかけて、丸くしゃがみ込んで、竹さんが、洗面所の床板を拭《ふ》いていた。手拭《てぬぐい》をあねさんかぶりにして、大島のアンコに似ていた。振りかえって僕を見て、それでも黙って床板を拭いている。顔がひどく痩《や》せ細って見えた。道場の人たちは悉《ことごと》く、まだ、しずかに眠っている。竹さんは、いつもこんなに早く起きて掃除をはじめているのであろうか。僕は、うまく口がきけず、ただ胸をわくわくさせて竹さんの拭き掃除の姿を見ていた。白状するが、僕はこの時、生れてはじめての、おそろしい慾望に懊悩《おうのう》した。夜の明ける直前のまっくらい闇《やみ》には、何かただならぬ気配がうごめいているものだ。

     8

 どうも、洗面所は、僕には鬼門である。
「竹さん、さっき、」声が咽喉《のど》にひっからまる。喘《あえ》ぎ喘ぎ言った。「庭へ出た?」
「いいえ、」振り向いて僕を見て、少し笑い、「ぼんぼん、なにを寝呆けて言ってんのや。ああ、いやらし。裸足《はだし》やないか。」
 気がついてみると、いかにも僕は、はだしであった。あんまり興奮してやって来たので、草履をはくのを忘れていた。
「気のもめる子やな。足、お拭き。」
 竹さんは立ち上り、流しで雑巾《ぞうきん》をじゃぶじゃぶ洗い、それからその雑巾を持って僕の傍《そば》へ来てしゃがんで、僕の右の足裏も、左の足裏も、きゅっきゅと強くこするようにして拭いてくれた。足だけでなく、僕の心の奥の隅《すみ》まで綺麗《きれい》になったような気がした。あの奇妙な、おそろしい慾望も消えていた。僕は、足を拭いてもらいながら竹さんの肩に手を置いて、
「竹さん、これからも、甘えさせてや。」とわざと竹さんみたいな関西|訛《なま》りで言ってみた。
「お淋《さび》しいやろなあ。」と竹さんは少しも笑わず、ひとりごとのように小声で言って、「さ、これ貸したげるさかいな、早く御不浄へ行って来て、おやすみ。」
 竹さんは自分のはいているスリッパを脱いで僕のほうにそろえて差し出した。
「ありがとう。」平気なふうを装ってスリッパをはき、「僕は寝呆けたのかしら。」
「御不浄に起きたのと違うの?」竹さんは、またせっせと床板の拭き掃除をはじめて、おとなびた口調で言った。
「そうなんだけど。」
 まさか、窓の外に女の顔が見えた、なんて馬鹿らしい事は言えない。自分の心が濁っていたから、あんな幻影も見えたのだろう。いやらしい空想に胸をおどらせて、はだしで廊下へ飛び出して来た自分の姿を、あさましく、恥かしく思った。毎日こんな真暗い頃《ころ》に起きて余念なく黙々と拭き掃除している人もあるのに。
 僕は、壁によりかかって、なおもしばらく竹さんの働く姿を眺めて、つくづく人生の厳粛を知らされた。健康とは、こんな姿のものであろうと思った。竹さんのおかげで、僕の胸底の純粋の玉が、さらに爽《さわ》やかに透明なものになったような気がした。
 君、正直な人っていいものだね。単純な人って、尊いものだね。僕はいままで、竹さんの気のよさを少し軽蔑《けいべつ》していたが、あれは間違いだった。さすがに君は眼が高い。とても、マア坊なんかとは較《くら》べものにも何も、なるもんじゃない。竹さんの愛情は、人を堕落させない。これは、たいしたものだ。僕もあんな、正しい愛情の人になるつもりだ。僕は一日一日高く飛ぶ。周囲の空気が次第に冷く澄んで来る。
 男児|畢生《ひっせい》危機一髪とやら。あたらしい男は、つねに危所に遊んで、そうして身軽く、くぐり抜け、すり抜けて飛んで行く。
 こうして考えてみると、秋もまた、わるくないようだ。少し肌寒《はだざむ》くて、いい気持。
 マア坊の夢は悪い夢で、早く忘れてしまいたいが、竹さんの夢は、もしこれが夢であったら、永遠に醒《さ》めずにいてくれるといい。
 のろけなんかじゃあ、ないんだよ。
  十月七日

   固パン


     1

 拝啓。ひどい嵐《あらし》だったね。野分《のわき》というものなのかしら。これでは、アメリカの進駐軍もおどろいているだろう。E市にも、四、五百人来ているそうだが、まだこの辺には、いちども現われないようだ。矢鱈《やたら》におびえて、もの笑いになるな、と場長からの訓辞もあったし、この道場の人たちは、割合いに泰然としている。ただひとり、助手のキントトさんだけ、ちょっとしょんぼりしていて、皆にからかわれている。キントトさんは、二、三日前、雨の中を用事でE市に行って来たそうだが、道場へ帰って夜、皆と一緒に就寝してから、シクシク泣いた。どうしたの? どうしたの? と皆にたずねられて、キントトさんのしゃくり上げながら物語るのを聞けば、おおよそ次の如《ごと》き事情であったという。
 キントトさんは、まちで用事をすまして、帰りのバスを待合所で待っていたら、どしゃ降りの中を、アメリカの空《から》のトラックが走って来て、そうしてどうやら故障を起したらしく、バスの待合所のちょうど前でとまり、運転台から子供のような若いアメリカ兵が二人飛び降り、雨に打たれながら修理にとりかかって、なかなか修理がすまぬ様子で、濡鼠《ぬれねずみ》の姿でいつまでも黙々と機械をいじくり、やがて、キントトさんたちのバスがやって来たが、キントトさんは待合所から走り出て、バスに乗りかけ、その時まるで夢中で、自分の風呂敷《ふろしき》包の中の梨《なし》を一つずつそのアメリカの少年たちに与え、サンキュウという声を背後に聞いてバスの奥に駆《か》け込んだとたんに発車。それだけの事であったが、道場へ帰り着き、次第に落ちついて来ると共に、何とも言えずおそろしく、心配で心配でたまらなくなり、ついに夜、蒲団《ふとん》を頭からかぶってひとりでめそめそ泣き出すに到《いた》ったのだというのである。このニュウスはもうその翌朝、早くも道場全体にひろがり、無理もないと言う者もあり、けしからぬという者もあり、わけがわからんと言う者もあり、とにかくみんな大笑いであった。キントトさんは、からかわれても、にこりともせず、首を振って、まだ胸がどきどきすると言っている。
 それと、もうひとり、同室の固パンさんが、このごろひどく浮かぬ顔をしている。何か煩悶《はんもん》の様子に見受けられたが、果して彼にもまた一種奇妙な苦労があったのである。
 いったいこの固パンという人物は、秘密主義というのか、もったい振っているというのか、僕たちをてんで相手にせず、いつまでも他人行儀で、はなはだ気づまりな存在であったが、おとといの夜、あのような嵐で、七時少し過ぎた頃《ころ》から停電になって、そのために夜の摩擦も無かったし、また拡声機も停電のため休みになって、夜の報道も聞かれなかったから、塾生たちは、みんな早寝という事になったのである。けれども、風の音がひどいので、誰も眠られず、かっぽれは小声で歌をうたうし、越後獅子《えちごじし》は、自分のベッドの引出しから蝋燭《ろうそく》を捜し出して、それに点火して枕元《まくらもと》に立て、ベッドの上に大あぐらをかいて自分のスリッパの修繕に一生懸命である。
「ひどい風ですね。」
 と、固パンが、妙に笑いながら私たちのほうへやって来た。固パンが、他人のベッドのところへ遊びに来るなんて、実に珍らしい事であった。

     2

 蛾《が》が燈火を慕って飛んで来るように、人間もまた、こんな嵐の夜には、蝋燭の貧しげな光でもなつかしく、吸い寄せられて来るのかも知れない、と僕は思った。
「ええ、」僕は上半身を起して彼を迎え、「進駐軍も、この嵐には、おどろいているでしょう。」と言った。
 彼はいよいよ妙に笑い、
「いや、なに、それがねえ、」と少しおどけたような口調で言い、「問題はその進駐軍なんです。とにかく君、これを読んでみて下さい。」そうして、僕に一枚の便箋《びんせん》を手渡した。
 便箋には英語が一ぱい書かれている。
「英語は僕、読めません。」と僕は顔を赤くして言った。
「読めますよ。君たちくらいの中学校から出たての年頃が一ばん英語を覚えているものです。僕たちはもう、忘れてしまいました。」にやにや笑いながら言って、僕のベッドの端に腰をおろし、僕にだけ聞えるように急に声を低くして、「実はね、これは僕の書いた英文なんです。きっと文法の間違いがあるだろうから、君に直してもらいたいんです。読めばわかるだろうが、どうもこの道場の人たちは、僕をよっぽど英語の達人だと買いかぶっているらしく、いまにこの道場へアメリカの兵隊が来たら、或《ある》いは僕を通訳としてひっぱり出すかも知れないんだ。その時の事を思うと、僕は心配で仕様がないんですよ。察してくれたまえ。」と言って、てれ隠しみたいにうふふと笑った。
「だって、あなたは本当に英語がよくお出来になるようじゃありませんか。」と僕は、便箋をぼんやり眺《なが》めながら言った。
「冗談じゃない。とてもそんな通訳なんて出来やしないよ。どうも僕は少し調子に乗って、助手たちに英語の披露《ひろう》をしすぎたんだ。これで通訳なんかにひっぱり出されて、僕がへどもどまごついているところを見られたら、あの助手たちが、どんなに僕を軽蔑《けいべつ》するか、わかりゃしない。どうも、こんなに弱った事は無い。このごろ、それが心配で、夜もよく眠られぬくらいなんだ。御賢察にまかせるよ。」と言って、また、うふふと笑った。
 僕は便箋の英文を読んで見た。ところどころ僕の知らない単語などがあったが、だいたい次のような意味の英文であった。
 君、怒リ給《たも》ウコト勿《なか》レ。コノ失礼ヲ許シ給エ。我輩ハアワレナ男デアル。ナゼナラバ、我輩ハ英語ニ於《オ》イテ、聞キトルコトモ、言ウコトモ、ソノホカノコトモ、スベテ赤子《あかご》ノ如《ごと》キデアル。ソレラノ行為ハ、我輩ノ能力ノハルカ、カナタニ横タワッテイルノデアル。ノミナラズ、カツマタ、我輩ハ肺病デアル。君、注意セヨ! アア、危イ! 君ニ伝染ノ可能性スコブル多大デアル。シカシナガラ、我輩ハ君ヲ深ク信ジル。神ノ御名《みな》ニ於イテ、君ハ非常ニ気品高キ紳士デアルコトヲ認メル。君ハ必ズコノアワレナ男ニ同情ヲ持ツデアロウコトヲ我輩ハ疑ワナイノデアル。我輩ハ英語ノ会話ニ於イテ、ホトンド不具者デアルガ、カロウジテ、読ム事ト書ク事ガ出来ル。モシ、君ガ充分ノ親切心ト忍耐力トヲ保有シテイルナラバ、君ノ今日ノ用事ヲコノ紙片ニ書キシタタメテ欲シイ。シカシテ、一時間ノ忍耐ヲ示シテ欲シイ。我輩ハソノ期間ニ、我輩自身ヲ我輩ノ私室ニ密閉シ、君ノ文章ヲ研究シ、シカシテ、我輩ノ答ヲ、我輩ノ能力ノ最大ヲ致シテ書キシタタメルデアロウ。
 君ノ健康ヲ熱烈ニ祈ル。我輩ノ貧弱ニシテ醜悪ナル文章ヲ決シテ怒リ給ウナ。

     3

 つくしのあの奇怪にして不可解な手紙に較《くら》べて、このほうは流石《さすが》にちゃんと筋道がとおっている。けれども僕は、読みながら可笑《おか》しくて仕様が無かった。固パン氏が、通訳として引っぱり出される事をどんなに恐怖し、また、れいの見栄坊《みえぼう》の気持から、もし万一ひっぱり出されても、何とかして恥をかかずにすまして、助手さんたちの期待を裏切らぬようにしたいと苦心|惨憺《さんたん》して、さまざま工夫をこらしている様《さま》が、その英文に依《よ》っても、充分に、推察できるのである。
「まるでもうこれは、重大な外交文書みたいですね。堂々たるものです。」と僕は、笑いを噛《か》み殺して言った。
「ひやかしちゃいけません。」と固パンは苦笑して僕からその便箋をひったくり、「どこか、ミステークがなかったですか?」
「いいえ、とてもわかり易《やす》い文章で、こんなのを名文というんじゃないでしょうか。」
「迷うほうのメイブンでしょう?」と、つまらぬ洒落《しゃれ》を言い、それでも、ほめられて悪い気はしないらしく、ちょっと得意げな、もっともらしい顔つきになり、「通訳となると、やはり責任がね、重くなりますから、僕は、それはごめんこうむって筆談にしようと思っているんですよ。どうも僕は英語の知識をひけらかしすぎたので、或いは、通訳として引っぱり出されるかも知れないんです。いまさら逃げかくれも出来ず、やっかいな事になっちゃいましたよ。」と、いやにシンミリした口調で言って、わざとらしい小さい溜息《ためいき》を吐《つ》いた。
 人に依っていろいろな心配もあるものだと僕は感心した。
 嵐のせいであろうか、或いは、貧しいともしびのせいであろうか、その夜は私たち同室の者四人が、越後獅子の蝋燭の火を中心にして集り、久し振りで打解けた話を交した。
「自由主義者ってのは、あれは、いったい何ですかね?」と、かっぽれは如何《いか》なる理由からか、ひどく声をひそめて尋ねる。
「フランスでは、」と固パンは英語のほうでこりたからであろうか、こんどはフランスの方面の知識を披露する。「リベルタンってやつがあって、これがまあ自由思想を謳歌《おうか》してずいぶんあばれ廻ったものです。十七世紀と言いますから、いまから三百年ほど前の事ですがね。」と、眉《まゆ》をはね上げてもったいぶる。「こいつらは主として宗教の自由を叫んで、あばれていたらしいです。」
「なんだ、あばれんぼうか。」とかっぽれは案外だというような顔で言う。
「ええ、まあ、そんなものです。たいていは、無頼漢《ぶらいかん》みたいな生活をしていたのです。芝居なんかで有名な、あの、鼻の大きいシラノ、ね、あの人なんかも当時のリベルタンのひとりだと言えるでしょう。時の権力に反抗して、弱きを助ける。当時のフランスの詩人なんてのも、たいていもうそんなものだったのでしょう。日本の江戸時代の男伊達《おとこだて》とかいうものに、ちょっと似ているところがあったようです。」
「なんて事だい、」とかっぽれは噴き出して、「それじゃあ、幡随院《ばんずいいん》の長兵衛《ちょうべえ》なんかも自由主義者だったわけですかねえ。」

     4

 しかし、固パンはにこりともせず、
「そりゃ、そう言ってもかまわないと思います。もっとも、いまの自由主義者というのは、タイプが少し違っているようですが、フランスの十七世紀の頃のリベルタンってやつは、まあたいていそんなものだったのです。花川戸《はなかわど》の助六《すけろく》も鼠小僧次郎吉《ねずみこぞうじろきち》も、或いはそうだったのかも知れませんね。」
「へええ、そんなわけの事になりますかねえ。」とかっぽれは、大喜びである。
 越後獅子も、スリッパの破れを縫いながら、にやりと笑う。
「いったいこの自由思想というのは、」と固パンはいよいよまじめに、「その本来の姿は、反抗精神です。破壊思想といっていいかも知れない。圧制や束縛が取りのぞかれたところにはじめて芽生える思想ではなくて、圧制や束縛のリアクションとしてそれらと同時に発生し闘争すべき性質の思想です。よく挙げられる例ですけれども、鳩《はと》が或る日、神様にお願いした、『私が飛ぶ時、どうも空気というものが邪魔になって早く前方に進行できない、どうか空気というものを無くして欲しい』神様はその願いを聞き容《い》れてやった。然《しか》るに鳩は、いくらはばたいても飛び上る事が出来なかった。つまりこの鳩が自由思想です。空気の抵抗があってはじめて鳩が飛び上る事が出来るのです。闘争の対象の無い自由思想は、まるでそれこそ真空管の中ではばたいている鳩のようなもので、全く飛翔《ひしょう》が出来ません。」
「似たような名前の男がいるじゃないか。」と越後獅子はスリッパを縫う手を休めて言った。
「あ、」と固パンは頭のうしろを掻《か》き、「そんな意味で言ったのではありません。これは、カントの例証です。僕は、現代の日本の政治界の事はちっとも知らないのです。」
「しかし、多少は知っていなくちゃいけないね。これから、若い人みんなに選挙権も被選挙権も与えられるそうだから。」と越後は、一座の長老らしく落ちつき払った態度で言い、「自由思想の内容は、その時、その時で全く違うものだと言っていいだろう。真理を追及して闘った天才たちは、ことごとく自由思想家だと言える。わしなんかは、自由思想の本家本元は、キリストだとさえ考えている。思い煩《わずら》うな、空飛ぶ鳥を見よ、播《ま》かず、刈らず、蔵に収めず、なんてのは素晴らしい自由思想じゃないか。わしは西洋の思想は、すべてキリストの精神を基底にして、或いはそれを敷衍《ふえん》し、或いはそれを卑近にし、或いはそれを懐疑し、人さまざまの諸説があっても結局、聖書一巻にむすびついていると思う。科学でさえ、それと無関係ではないのだ。科学の基礎をなすものは、物理界に於いても、化学界に於いても、すべて仮説だ。肉眼で見とどける事の出来ない仮説から出発している。この仮説を信仰するところから、すべての科学が発生するのだ。日本人は、西洋の哲学、科学を研究するよりさきに、まず聖書一巻の研究をしなければならぬ筈だったのだ。わしは別に、クリスチャンではないが、しかし日本が聖書の研究もせずに、ただやたらに西洋文明の表面だけを勉強したところに、日本の大敗北の真因があったと思う。自由思想でも何でも、キリストの精神を知らなくては、半分も理解できない。」

     5

 それから、みんな、しばらく、黙っていた。かっぽれまで、思案深げな顔をして、無言で首を振ったり何かしている。
「それからまた、自由思想の内容は、時々刻々に変るという例にこんなのがある。」と越後獅子は、その夜は、ばかに雄弁だった。どこやら崇高な、隠者とでもいうような趣きさえあった。実際、かなりの人物なのかも知れない。からださえ丈夫なら、いまごろは国家のためにも相当重要な仕事が出来る人なのかも知れないと僕はひそかに考えた。「むかし支那《しな》に、ひとりの自由思想家があって、時の政権に反対して憤然、山奥へ隠れた。時われに利あらずというわけだ。そうして彼は、それを自身の敗北だとは気がつかなかった。彼には一ふりの名刀がある。時来《とききた》らば、この名刀でもって政敵を刺さん、とかなりの自信さえ持って山に隠れていた。十年経《た》って、世の中が変った。時来れりと山から降りて、人々に彼の自由思想を説いたが、それはもう陳腐な便乗思想だけのものでしか無かった。彼は最後に名刀を抜いて民衆に自身の意気を示さんとした。かなしい哉《かな》、すでに錆《さ》びていたという話がある。十年一日の如《ごと》き、不変の政治思想などは迷夢に過ぎないという意味だ。日本の明治以来の自由思想も、はじめは幕府に反抗し、それから藩閥を糾弾し、次に官僚を攻撃している。君子は豹変《ひょうへん》するという孔子《こうし》の言葉も、こんなところを言っているのではないかと思う。支那に於いて、君子というのは、日本に於ける酒も煙草《たばこ》もやらぬ堅人《かたじん》などを指さしていうのと違って、六芸《りくげい》に通じた天才を意味しているらしい。天才的な手腕家といってもいいだろう。これが、やはり豹変するのだ。美しい変化を示すのだ。醜い裏切りとは違う。キリストも、いっさい誓うな、と言っている。明日の事を思うな、とも言っている。実に、自由思想家の大先輩ではないか。狐《きつね》には穴あり、鳥には巣あり、されど人の子には枕《まくら》するところ無し、とはまた、自由思想家の嘆きといっていいだろう。一日も安住をゆるされない。その主張は、日々にあらたに、また日にあらたでなければならぬ。日本に於いて今さら昨日の軍閥官僚を攻撃したって、それはもう自由思想ではない。便乗思想である。真の自由思想家なら、いまこそ何を置いても叫ばなければならぬ事がある。」
「な、なんですか? 何を叫んだらいいのです。」かっぽれは、あわてふためいて質問した。
「わかっているじゃないか。」と言って、越後獅子はきちんと正坐《せいざ》し、「天皇陛下万歳! この叫びだ。昨日までは古かった。しかし、今日に於いては最も新しい自由思想だ。十年前の自由と、今日の自由とその内容が違うとはこの事だ。それはもはや、神秘主義ではない。人間の本然の愛だ。今日の真の自由思想家は、この叫びのもとに死すべきだ。アメリカは自由の国だと聞いている。必ずや、日本のこの自由の叫びを認めてくれるに違いない。わしがいま病気で無かったらなあ、いまこそ二重橋の前に立って、天皇陛下万歳! を叫びたい。」
 固パンは眼鏡をはずした。泣いているのだ。僕はこの嵐の一夜で、すっかり固パンを好きになってしまった。男って、いいものだねえ。マア坊だの、竹さんだの、てんで問題にも何もなりゃしない。以上、嵐の燈火と題する道場便り。失敬。
  十月十四日

   口紅


     1

 御返事をありがとう。先日の「嵐《あらし》の夜の会談」に就いての僕の手紙が、たいへん君の御気に召したようで、うれしいと思っている。君の御意見に依《よ》れば、越後獅子《えちごじし》こそ、当代まれに見る大政治家で、或《ある》いは有名な偉い先生なのかも知れないという事であるが、しかし、僕にはそのようには思われない。いまはかえって、このような巷間《こうかん》無名の民衆たちが、正論を吐いている時代である。指導者たちは、ただ泡《あわ》を食って右往左往しているばかりだ。いつまでもこんな具合では、いまに民衆たちから置き去りにされるのは明かだ。総選挙も近く行われるらしいが、へんな演説ばかりしていると、民衆はいよいよ代議士というものを馬鹿にするだけの結果になるだろう。
 選挙と言えば、きょうこの道場に於《お》いて、とても珍妙な事件が起った。きょうのお昼すぎ、お隣りの「白鳥の間」から、次のような回覧板が発行せられた。曰《いわ》く、婦人に参政権を与えられたるは慶賀に堪えざるも、このごろの当道場に於ける助手たちの厚化粧は見るに忍びざるものあり、かくては、参政権も泣きます、仄聞《そくぶん》するに、アメリカ進駐軍も、口紅毒々しき婦人を以《もっ》てプロステチュウトと誤断すという、まさに、さもあるべし、これはひとり当道場の不名誉たるのみならず、ひいては日本婦人全体の恥辱なり云々《うんぬん》とあって、それから、お化粧の目立ちすぎる助手さんの綽名《あだな》が洩《も》れなく列記されてあり、「右六名のうち、孔雀《くじゃく》の扮装《ふんそう》は最も醜怪なり。馬肉をくらいたる孫悟空《そんごくう》の如《ごと》し。われらしばしば忠告を試みたるも、更に反省の色なし。よろしく当道場より追放すべし。」と書添えられていた。
 お隣りの「白鳥の間」には、前から硬骨漢がそろっていて、助手さんたちに人気のある固パンさんなどは、その「白鳥の間」にいたたまらなくなって、こちらの「桜の間」に逃げて来たような按配《あんばい》でもあったのだ。「桜の間」は、越後獅子の人徳のおかげか、まあ、春風駘蕩《しゅんぷうたいとう》の部屋である。こんどの回覧板も、これはひどい、とまず、かっぽれが不承知を称《とな》えた。固パンも、にやりと笑って、かっぽれを支持した。
「ひどいじゃありませんか。」とかっぽれは、越後獅子にも賛意を求めた。「人間は、一視同仁ですからね、追放しなくたっていいと思いますがね。人間の本然の愛というものは、どんな場合にだって忘れられるわけのものじゃないんだ。」
 越後獅子は黙って幽《かす》かに首肯《うなず》いた。
 かっぽれは、それに勢いを得て、
「ね、そういうわけのものでしょう? 自由思想ってのは、そんなケチなものである筈《はず》のわけが無いんだ。そちらの若先生はどうです。私の論は間違ってはいないと思うんだ。」と僕にも同意をうながした。
「でも、お隣りの人たちだって、まさか、本当に追放しようとは思ってないんでしょう? ただ、あの人たちの心意気のほどを皆に示そうとしているんじゃないのかな。」と僕が笑いながら言ったら、
「いや、そんなんじゃない。」とかっぽれは言下に否定して、「どだい、婦人参政権と口紅との間には、致命的な矛盾があるべきわけのものではないと思うんだ。あいつらは、ふだん女にもてねえもんだから、こんな時に、仕返しを仕様とたくらんでいるのに違いない。」と喝破《かっぱ》した。

     2

 そうして、それから、れいの一ばんいいところを言い出し、
「世に大勇と小勇あり、ですからね、あいつらは、小勇というわけのものなんだ。おれの事を、パイパンと言っていやがるんです。かねがね癪《しゃく》にさわっていたんだ。かっぽれという綽名だって、おれはあんまり好きじゃねえのだが、パイパンと言われちゃ、黙って居られねえ。」あらぬ事で激昂《げっこう》して、ベッドから降りて帯をしめ直し、「おれは、この回覧板をたたきかえして来る。自由思想は江戸時代からあるんだ。人間、智仁勇が忘れられないとはここのところだ。じゃ皆さん、私にまかせてくれますね。私はこれを叩《たた》きかえして来るつもりですからね。」顔色が変っている。
「待った、待った。」越後獅子はタオルで鼻の頭を拭《ふ》きながら言った。「あんたが行っちゃいけない。ここは、そちらの先生にでもまかせなさい。」
「ひばりに、ですか?」かっぽれは大いに不満の様子である。「失礼ながら、ひばりには荷が重すぎますぜ。お隣りの奴《やつ》らとは、前々からの行きがかりもあるんだ。今にはじまった事じゃねえのです。パイパンと言われて、黙って引っこんで居られるわけのものじゃないんだ。自由と束縛、というわけのものなんだ。自由と束縛、君子豹変《くんしひょうへん》ということにもなるんだ。あいつらには、キリストの精神がまるでわかってやしねえ。場合に依っては、おれの腕の立つところを見せてやらなくちゃいけねえのだ。ひばりには、無理ですぜ。」
「僕が行って来ます。」僕はベッドから降りて、するりとかっぽれの前を通り抜け、同時に、かっぽれから回覧板を取り上げて、部屋を出た。
「白鳥の間」では、「桜の間」の返事を待ちかねていた様子であった。僕がはいって行ったら、八人の塾生《じゅくせい》がみんなどやどやと寄って来て、
「どうだい、痛快な提案だろう?」
「桜の間の色男たちは弱ったろう。」
「まさか、裏切りやしないだろうな。」
「塾生みんな結束して、場長に孔雀の追放を要求するんだ。あんな孫悟空に、選挙権なんかもったいない。」
 などと、口々に言って、ひどくはしゃいでいる。みんな無邪気な、いたずらっ児《こ》のように見えた。
「僕にやらせてくれませんか。」と僕は誰《だれ》よりも大きい声を出してそう言った。
 一時、ひっそりしたが、すぐにまた騒ぎ出した。
「出しゃばるな、出しゃばるな。」
「ひばりは、妥協の使者か。」
「桜の間は緊張が足りないぞ。いまは日本が大事な時だぞ。」
「四等国に落ちたのも知らないで、べっぴんの顔を拝んでよだれを流しているんじゃねえか。」
「なんだい、出し抜けに、何をやらせてくれと言うんだい。」
「今晩、就寝の時間までに、」と僕は、背伸びして叫んだ。「お知らせしますから、もしその僕の処置がみなさんの気に入らなかったら、その時には、みなさんの提案にしたがいます。」
 又ひっそりとなった。

     3

「君は、僕たちの提案に反対なのか。」と、しばらくして、青大将という眼《め》つきの凄《すご》い三十男が僕に尋ねた。
「大賛成です。それに就いて僕に、とっても面白《おもしろ》い計画があるんです。それを、やらせて下さい。お願いします。」
 みんな少し、気抜けがしたようだった。
「よろしいですね。ありがとう。この回覧板は、晩までお借り致します。」僕は素早く部屋を出た。これでいいのだ。むずかしい事は無いんだ。あとは竹さんにたのめばいい。
 部屋へ帰って来たら、かっぽれは、
「だめだなあ、ひばりは。おれは、廊下へ出て聞いていたんだ。あんな事じゃ、なんにもならんじゃねえか。キリスト精神と君子豹変のわけでも、どんと一発言ってやればよかったんだ。自由と束縛! と言ってやってもいいんだ。やつら、道理を知らねえのだから、すじみちの立った事を言ってやるのが一ばんなのだ。自由思想は空気と鳩《はと》だ、となぜ言ってやらねえのかな。」としきりに口惜《くや》しがっていた。
「晩まで僕に、まかせて置いて下さい。」とだけ言って僕は、自分のベッドに寝ころがった。
 さすがに少し疲れたのである。
「まかせろ、まかせろ。」と越後が寝たまま威厳のある声で言ったので、かっぽれもそれ以上は言わずに、しぶしぶ寝てしまった様子である。
 僕には別に、計画なんか無いんだ。ただ、この回覧板を竹さんに見せると、竹さんは、いいようにしてくれるだろうと楽観していたのである。二時の屈伸鍛錬のときに、竹さんが部屋の前の廊下を通って、ちょっと僕の方を見たので、僕はすかさず右手で小さく、おいでおいでをした。竹さんは軽く首肯《うなず》いて、すぐに部屋へはいって来た。
「何か御用?」と真面目《まじめ》に尋ねる。
 僕は脚の運動をしながら、
「枕元《まくらもと》、枕元。」と小声で言った。
 竹さんは枕元の回覧板を見て、手に取り上げ、ざっと黙読してから、
「これ、貸してや。」と落ちついた口調で言ってその回覧板を小脇《こわき》にはさんだ。
「あやまちを改むるに、はばかる事なかれだ。早いほうがいい。」
 竹さんは何もかも心得顔に、幽かに首肯き、それから枕元の窓のほうに行って、黙って窓の外の景色を眺《なが》めている様子である。
 しばらくして、窓の外に向い、
「源さん、御苦労さまやなあ。」と少しも飾らぬ自然の口調で呟《つぶや》いた。窓の下で、小使いの源さんという老人が、二、三日前から草むしりをはじめているのだ。
「お盆すぎにな、」と源さんは窓の下で答える。「いちどむしったのに、またこのように生えて来る。」
 僕は、竹さんの「御苦労さまやなあ」という声の響きに唸《うな》るほど、感心していた。回覧板の事など、ちっとも気にしていないらしい落ちついた晴朗の態度にも感心したが、それよりも、あのいたわりの声の響きの気品に打たれた。御大家のお内儀が、庭番のじいやに、縁先から声をかけるみたいな、いかにも、のんびりしたゆとりのある調子なのである。非常に育ちのいいものを感じさせた。いつか越後も言っていたが、竹さんのお母さんは、よっぽど偉い人だったのに違いない。竹さんにまかせたら、この厚化粧の一件も、きっとあざやかに軽く解決せられるだろうと、僕はさらに大いに安心した。

     4

 そうして僕のその信頼は、僕の予期以上に素晴らしく報いられた。四時の自然の時間に、突如、廊下の拡声機から、
「そのまま、そのままの位置で、気楽にお聞きねがいます。」という事務員の声が聞えて、「かねて問題になって居《お》りました助手さんのお化粧に就いて、ただいま助手さんたちから自発的に今日限りこれを改める由《よし》を申し出てまいりました。」
 わあっ、という歓声が隣りの「白鳥の間」から聞えて来た。臨時放送は、さらに続いて、
「きょうの夕食後に、それぞれお化粧を洗い落し、おそくとも今晩七時半の摩擦の時には、アメリカの人たちにへんな誤解をされない程度の簡素なよそおいで、塾生諸君にお目にかかるそうでございます。なお、次に、助手の牧田さんが、一言、塾生諸君におわび申し上げたいそうで、どうか牧田さんのこの純情を汲《く》んでやって下さい。」
 牧田さんというのは、れいの孔雀だ。孔雀は、小さいせきばらいをして、
「私こと、」と言った。
お隣りの部屋から、どっと笑声が起った。僕たちの部屋でも、みんなにやにや笑っている。
「私こと、」こおろぎの鳴くような細い可憐《かれん》な声だ。「時節も場所がらも、わきまえませず、また、最年長者でもありますのに、ふつつかにて、残念な事をいたしました。深くおわび申し上げます。今後も、何とぞ、よろしくお導き下さいまし。」
「よし、よし。」という声が隣りの部屋から聞こえた。
「可哀《かわい》そうに。」とかっぽれは、しんみり言って僕のほうを横眼で見た。僕は、少しつらかった。
「最後に、」と事務の人が引きとり、「これは助手さんたち一同からのお願いでありますが、牧田さんの従来の綽名は、即刻改正していただきたい、との事でございます。きょうの臨時放送は、これだけです。」
「白鳥の間」から、すぐ回覧板が来た。
「一同満足せり。ひばりの労を多とす。孔雀は、私こと、と改名すべし。」
 かっぽれは、その綽名の提案にすぐ反対を表明した。「私こと」という綽名をつけるのは、いかになんでも残酷すぎるというのである。
「むごいじゃねえか。あれでも一生懸命で言ったんだぜ。純情を汲み取ってくれって言われたじゃねえか。空飛ぶ鳥を見よ、というわけのものなんだ。一視同仁じゃねえか。人をのろわば穴二つというわけのものになるんだ。おれは絶対反対だ。孔雀がおしろいを落して黒い地肌《じはだ》を見せるってわけのものだから、これは、カラスとでも改めたらいいんだ。」
 このほうが、かえって辛辣《しんらつ》で残酷だ。なんにもならない。
「孔雀が簡素になったんだから、孔雀の上の字を一つ省略して雀《すずめ》とでもするさ。」越後はそう言って、うふふと笑った。
 雀も、すこし理に落ちて面白くないが、まあ長老の意見だし、回覧板に、「私こと」は酷に過ぎたり、「雀」など穏当ならん、と僕が書き込んで、かっぽれに持たせてやった。「白鳥の間」には、ほうぼうの部屋から綽名の提案が殺到していたそうであるが、結局、「私こと」に落ちつくかも知れない。どうも、あの時の孔雀の、小さいせきばらいを一つして、さて、「私こと」と言い出したところは、なんとも、よろしくて、忘れられないものだった。「私こと」以外の綽名は、色あせて感ぜられる。

     5

 七時の摩擦の時には、キントトと、マア坊と、カクランと、竹さんが、それぞれ金盥《かなだらい》をかかえて「桜の間」にやって来た。竹さんは、澄まして、まっすぐに僕のところに来た。キントトと、マア坊は、このたびのお化粧の注意人物として数え挙げられていたのであるが、その夜、僕たちの部屋へやって来た時の様子を見るに、髪の形などちょっと変わったようにも見えるが、しかしまだ何だかお化粧をしているようだ。
「マア坊は、まだ口紅をつけてるようじゃないか。」と僕は小声で竹さんに言ったら、竹さんは、シャッシャッと摩擦をはじめて、
「あれでも、ずいぶん、拭《ふ》いたり洗ったりして大騒ぎや。いちどに改めろ言うても、それぁ無理。若いのやさかい。」
「竹さんの働きは、大したものだね。」
「まえに、場長さんからも、幾度となく御注意があったんや。きょうの事務所からの放送を、場長さんもお聞きになって、いい御機嫌《ごきげん》やった。きょうの放送は誰の発案かね、とおっしゃるさかいな、ひばりの発明や、とうちが申し上げたら、愉快な子ですなあ、ってな、あの笑わない場長さんが、にやにやっと笑い居った。」竹さんも、きょうの口紅事件では、さすがに少し興奮したのか、いつになくおしゃべりだ。
「僕の発明じゃあないよ。」軍功の帰趨《きすう》は分明にして置かなければならぬ。
「同じ事や。ひばりが言わなかったら、うちだって、動きとうはない。すき好んで憎まれ役を買うひとなんてあるかいな。」
「憎まれたのかね。」
「ううん。」れいの特徴のある涼しい笑顔で首を振り、「憎まれやしないけどな、うちは、つらかった。」
「孔雀の挨拶《あいさつ》は、ちょっと僕も、つらかったよ。」
「うん。牧田さんな、あのひと自分から挨拶させてと申し込んで来たのや。悪気の無い、いいひとや。お化粧が下手らしいな。うちだって、少しは口紅さしてんのやけど、わからんやろ?」
「なあんだ、同罪か。」
「わからんくらいなら、いいのや。」と平気な顔して、シャッシャッと摩擦をつづける。
 女だなあ、と思った。そうして僕は、この道場へ来てはじめて、竹さんを、可愛《かわい》らしいと思った。大鯛《おおだい》だって、ばかには出来ない。
 どうだい、君。僕は、あらためて君に、当道場の訪問をすすめる。ここには、尊敬するに足る女性がひとりいる。これは、僕のものでもなければ、君のものでもない。これは、日本のいま世界に誇り得る唯一《ゆいいつ》の宝だ。なんていうと少し大袈裟《おおげさ》なほめ方になってしまって、われながら閉口だが、とにかく、色気無しに親愛の情を抱かせる若い女は少いものではあるまいか。君も、もう竹さんに対しては、色気なんてそんなものは持っていない筈である。親愛の気持だけだろうと思う。ここに、僕たち新しい男の勝利がある。男女の間の、信頼と親愛だけの交友は、僕たちにでなければわからない。所謂《いわゆる》あたらしい男だけが味《あじわ》い得るところの天与の美果である。この清潔の醍醐味《だいごみ》が欲しかったら、若き詩人よ、すべからく当道場を御訪問あれ。
 もっとも君は、既に、君の周囲に於いて、さらにすぐれた清潔の美果を味っているかも知れないが。
  十月二十日

   花宵《かしょう》先生


     1

 昨日の御訪問、なんとも嬉《うれ》しく存じました。その折には、また僕には花束。竹さんとマア坊には赤い小さな英語の辞典一冊ずつのお土産。いかにも詩人らしい、親切な思いつきで、殊《こと》にも、竹さんとマア坊にお土産を持って来てくれたのは有難《ありがた》かった。
 あの人たちから僕は、シガレットケースと、それから竹細工の藤娘《ふじむすめ》をもらって、少し閉口だったけれども、でも、そのうちに何かお返しをしなければならぬのではあるまいかと、内心、ちょっと気になっていたところへ、君が気をきかせてお土産を持って来てくれたので、ほっとしました。君には、僕よりもっと新しい一面があるようだ。僕はどうも、女のひとからものをもらったり、また、ものを贈ったりするのに、いささか、こだわりを感ずる。いやらしいと思うのだ。ここが、少し僕の古いところかも知れないね。君のように、てれずに、あっさり贈答できるように修行しよう。僕は君からまた一つものを教えられたような気がした。君の爽《さわ》やかな美徳を見たと思いました。
 マア坊が「お客様ですよ」と言って、君を部屋へ案内して来た時には、僕の胸が、内出血するほど、どきんとした。わかってくれるだろうか。久しぶりに君の顔を見た喜びも大きかったが、それよりも、君とマア坊が、まるで旧知の間柄《あいだがら》のように、にこにこ笑って並んで歩いて来たのを見て、仰天したのだ。お伽噺《とぎばなし》のような気がした。これと似たような気持を、僕は去年の春にも、一度味わった。
 去年の春、中学校を卒業と同時に肺炎を起し、高熱のためにうつらうつらして、ふと病床の枕元《まくらもと》を見ると、中学校の主任の木村先生とお母さんが笑いながら何か話合っている。あの時にも、僕は胆《きも》をつぶした。学校と家庭と、まるっきり違った遠い世界にわかれて住んでいるお二人が、僕の枕元で、お互い旧知の間柄みたいに話合っているのが実に不思議で、十和田湖《とわだこ》で富士を見つけたみたいな、ひどく混乱したお伽噺のような幸福感で胸が躍った。
「すっかり元気そうになったじゃないか。」と君が言って、僕に花束を手渡して、僕がまごついていたら君は、マア坊に極めて自然の態度で、
「粗末な花瓶《かびん》で結構ですから、ひばりに貸してやって下さい。」と頼んで、マア坊は首肯《うなず》いて花瓶を取りに行って、僕は、まあ、本当に夢のようだったよ。何がなんだか、わからなくなって、
「マア坊を前から知ってるの?」と下手な質問さえ飛び出して、
「君の手紙で知ってるじゃないか。」
「そうか。」
 と二人で大笑いしたっけね。
「マア坊だって事、すぐにわかった?」
「ひとめ見てわかった。予想より、ずっと感じがいい。」
「たとえば?」
「しつこいな。まだ気があるんだね。予想してたほど、下品じゃない。ほんの子供じゃないか。」
「そうかしら。」
「でも、わるくない。骨の細い感じだね。」
「そうかしら。」
 僕は、いい気持だった。

     2

 マア坊が細長い白い花瓶を持って来た。
「ありがとう。」と君は受取り、無雑作に花を挿《さ》して、「これは後で、竹さんにでも挿し直していただくんだな。」
 と言ったが、あれは少し、まずかったぜ。君がすぐにポケットから、れいの小さい辞典を取り出してマア坊にあげても、マア坊はそんなに嬉しそうな顔もせず、黙って叮嚀《ていねい》にお辞儀をして、すたすた部屋を出て行ったが、あれはやっぱりマア坊が少し気を悪くした証拠だぜ。マア坊は、あんな、よそよそしい叮嚀なお辞儀なんかするひとじゃないんだ。でも君には、竹さんの他《ほか》のひとは、てんで問題じゃないんだから仕様が無い。
「お天気がいいから二階のバルコニイへ行って、話そう。いまはお昼休みだから、かまわないんだ。」
「君の手紙でみんな知ってるよ。そのお昼休みの時間をねらって来たんだ。それに、きょうは日曜だから、慰安放送もあるし。」
 笑いながら部屋を出て、階段を上って、そのころから僕たちは、急に固くなって、やたらに天下国家を論じ合ったのは、あれは、どういうわけなんだろう。尊いお方に僕たちの命はすでにおあずけしてあるのだし、僕たちは御言いつけのままに軽くどこへでも飛んで行く覚悟はちゃんと出来ていて、もう論じ合う事柄も何もない筈なのに、それでも互いに興奮して、所謂《いわゆる》新日本再建の微衷を吐露し合ったが、男の子って、どんな親しい間柄でも、久し振りで逢《あ》った時には、あんな具合に互いに高邁《こうまい》の事を述べ合って、自分の進歩を相手にみとめさせたい焦躁《しょうそう》にかられるものなのかも知れないね。バルコニイに出てからも、君は、日本の初歩教育からして駄目《だめ》なんだと怒り、
「小さい時にどんな教育を受けたかという事でもう、その人の一生涯《いっしょうがい》がきまってしまうのだからね。もっと偉い大人物を配すべきだと思うんだ。」
「そうだ。報酬ばかり考えているような人間では駄目だ。」
「そうとも、そうとも。功利性のごまかしで、うまく行く筈はないんだ。おとなの駈引《かけひ》きは、もうたくさんだ。」
「全くさ。表面のハッタリなんて古いよ。見え透いてるじゃないか。」
 君も、僕と同じくらいに議論は下手のようである。僕たちは、なんだか、同じ様な事ばかり繰り返し繰り返し言っていたようだったぜ。
 そうして、そのうちに僕たちのその下手な議論もだんだん途切れがちになって来て、「単なる」とか「要するに」とか「とにかく」とか「結局」とかいう言葉ばかりたくさん飛び出て、だれてしまって、その時、下の玄関の前の芝生にひょいと竹さんが現われた。僕は思わず、
「竹さん!」と呼んだ。君は同時にズボンのバンドをしめ上げたね。あれは、どういう意味なんだい? 竹さんは右手を額にあてて、バルコニイを見上げ、
「何や?」と言って笑ったが、あの時の竹さんの姿態は悪くなかったじゃないか。
「竹さんを、とても好きだと言ってる人が、いまここに来ているんだ。」
「よせ、よせ。」と君は言った。実際、あんな時には、よせ、よせ、という間の抜けた言葉しか出ないものなんだ。僕にも経験がある。

     3

「いやらし!」と竹さんが言ったね。それから首を四十五度以上も横に傾けて、君に向って、「いらっしゃいまし。」と笑いながら言ったら君は、顔を真赤にして、ぴょこんとお辞儀をしたね。それから君は不平そうに小声で、
「なんだ、すごい美人じゃないか。馬鹿《ばか》にしてやがる。君はまた、ただ大きくて堂々とした立派なひとだと手紙に書いてたもんだから、僕は安心してほめてたんだが、なあんだ、スゴチンじゃないか。」
「予想と違ったかね。」
「違った、違った、大違い。堂々として立派なんて言うから、馬みたいなひとかと思っていたら、なあんだ、あれは、すらりとしているとでも形容しなくちゃいけない。色だって、そんなに黒くないじゃないか。あんな美人は、僕はいやだ。危険だ。」などと早口で言っているうちに竹さんは、軽く会釈《えしゃく》して旧館のほうに行ってしまいそうになったので、君はあわてて、
「ちょっと、君、ちょっと竹さんを呼びとめてくれ給《たま》え。お土産があるんだ。」とポケットをさぐり、れいの小型辞典を取り出した。
「竹さん!」と僕が大声で言って呼びとめたら、
「失礼ですけど、ほうりますよ。これは、ひばりから、たのまれたんです。僕からじゃありませんよ。」と君が、颯《さ》っと赤い表紙の可愛い辞典を投げてやったところなんかは、やっぱりあざやかなものだった。僕は、ひそかに君に敬服した。竹さんは、君の清潔な贈り物を上手に胸に受けとめて、
「おおきに。」と、君に向って、お礼を言ったね。君が何と言ったって、竹さんは、君からの贈り物だという事を知っているのだ。旧館のほうに歩いて行く竹さんのうしろ姿を眺《なが》めながら、君は溜息《ためいき》をついて、
「危険だ、あれは危険だ。」とひどく真面目《まじめ》に呟《つぶや》くので、僕は可笑《おか》しかった。
「危険なもんか。真暗い部屋にたった二人きりでいたって大丈夫なひとだよ。僕は、もう試験ずみだ。」
「君は、とんちんかんだからねえ。」と僕をあわれむような口調で言って、「君には美人、不美人の区別がわからんのじゃないか?」
 僕は、むっとした。君こそ、なんにも、わからないくせに。竹さんが君に、そんなに美しく見えたとしたら、それは、竹さんの心の美しさが、君の素直な心に反映したのだ。冷静に観察すると、竹さんなんか、ちっとも美人じゃない。マア坊のほうが、はるかに綺麗《きれい》だ。竹さんの品性の光が、竹さんを美しく見せているだけの話だ。女の容貌《ようぼう》に就いては、僕のほうが君より数等きびしい審美眼を具有しているつもりだがね。けれども、あの時、女の顔の事などで議論するのは、下品な事のように思われたから、僕は黙っていたのだ。どうも、竹さんの事になると、僕たちはむきになってしまって、ちょっと気まずくなる傾向があるようだ。よろしくないね。本当に、君、僕を信じてくれ給え。竹さんは美人じゃないよ。危険な事なんか無いんだ。危険だなんて、可笑しいじゃないか。竹さんは、君と同じくらい、ただ生真面目《きまじめ》な人なんだ。
 僕たちは、しばらく黙ってバルコニイに立っていたが、ふいと君が、お隣りの越後獅子は大月花宵《おおつきかしょう》という有名な詩人だという事を言い出したので、竹さんの事も何も吹っ飛んでしまった。

     4

「まさか。」僕は夢見るようであった。
「どうも、そうらしい。さっき、ちらと見て、はっと思ったんだ。僕の兄貴たちは皆あの人のファンで、それで僕も小さい時からあの人の顔は写真で見てよく知っているんだ。僕もあの人の詩のファンだった。君だって、名前くらいは知っているだろう。」
「そりゃ、知っている。」
 僕は、どうも詩というものは苦手だけれども、それでも、大月花宵の姫百合《ひめゆり》の詩や、鴎《かもめ》の詩は、いまでも暗誦《あんしょう》できるくらいによく知っている。その詩の作者と僕は、この数箇月ベッドを並べて寝ていたとは、にわかに信じられぬ事であった。僕には詩というものがちっともわからぬけれども、君も御存じのとおり、天才の詩人というものを尊敬する事に於《お》いては、敢《あ》えて人後に落ちないつもりだ。
「あのひとが、ねえ。」しばらくは、感無量であった。
「いや、はっきりした事はわからんよ。」と君は少しうろたえて、「さっき、ちらと見ただけなんだから。」
 とにかくそれでは、もっと、こまかに観察してみようという事になり、そろそろ日曜慰安放送の時間もせまって来ていたし、僕たちは階下の「桜の間」に帰った。越後は寝ていた。僕には、あの時ほど越後が立派に見えた事は無い。それこそ、まさに、眠れる獅子のように見えた。僕たちは顔を見合せ、ひそかに首肯《うなず》き、二人一緒に思わず深い溜息をついたっけね。緊張のあまり、僕たちは、話も何もろくに出来ず、窓を背にして立ったまま、ただ黙ってレコオドの放送を聞いていたっけ。番組が進んで、いよいよその日の呼び物の助手さんたちの二部合唱「オルレアンの少女」がはじまった時、君は右肘《みぎひじ》で僕の横腹を強く突いて、
「この歌は、花宵先生が作ったんだ。」とひどく興奮の態《てい》で囁《ささや》いてくれたが、そう言われて僕も思い出した。僕が子供の頃《ころ》に、この歌は、花宵先生の傑作として、少年雑誌に挿画《さしえ》入りで紹介せられたりなどして、大はやりのものであった。僕たちは、ひそかに越後の表情を注視した。越後はそれまでベッドの上に仰向けに寝て、軽く眼を閉じていたのだが、「オルレアンの少女」の合唱がはじまったら眼をひらいて、こころもち枕から頭をもたげるようにして耳を澄まし、やがてまたぐったりとなって眼をつぶって、ああ、眼をつぶったまま、とても悲しそうに幽《かす》かに笑った。君は、右手でこぶしを作って空間を打つような、妙な仕草をして、それから僕に握手を求めた。僕たちは、ちっとも笑わずに、固く握手を交したっけね。いま思うと、あれはいったい何のための握手だったのか、わけがわからないけれども、あの時には、とてもじっとしては居られず握手でもしなければ、おさまらぬ気持だったものね。君も僕も、ずいぶん興奮していた。「オルレアンの少女」が済んだ時、君は、
「じゃあ、失礼しよう。」と奇怪な嗄《しわが》れた声で言い、僕も首肯いて、君を送って廊下へ出て、
「たしかだ!」と二人、同時に叫んだ。

     5

 ここまでの事は、君もご存じの筈だが、さて、君とわかれて、ひとりで部屋へ引返した時には、僕の気持は興奮を通り越して、ほとんど蒼《あお》ざめるほどの恐怖の状態であった。わざと越後を見ないようにして、僕はベッドに仰向けに寝ころがったが、不安と恐怖と焦躁とが奇妙にいりまじった落ちつかない気持で、どうにも、かなわなくなって、とうとう小さい声で、
「花宵先生!」と呼びかけてしまった。
 返辞が無い。僕は、思い切って、ぐいと花宵先生のほうに顔をねじ向けた。越後は黙々として屈伸鍛錬をはじめている。僕も、あわてて運動にとりかかった。脚を大の字にひらき、両方の手の指を、小指から順に中へ折り込みながら、
「あの歌を誰《だれ》が作ったか、なんにも知らずに歌っていたんでしょうね。」と割に落ちついて尋ねる事が出来た。
「作者なんか、忘れられていいものだよ。」と平然と答えた。いよいよ、この人が、花宵先生である事は間違い無いと思った。
「いままで、失礼していました。さっき友人に教えられて、はじめて知ったのです。あの友人も僕も、小さい頃から、あなたの詩が好きでした。」
「ありがとう。」と真面目に言って、「しかし、いまでは越後のほうが気楽だ。」
「どうして、このごろ詩をお書きにならないのですか。」
「時代が変ったよ。」と言って、ふふんと笑った。
 胸がつまって僕は、いい加減の事は言えなくなった。しばらく二人、黙って運動をつづけた。突如、越後が、
「人の事なんか気にするな! お前は、ちかごろ、生意気だぞ!」と、怒り出した。僕は、ぎょっとした。越後が、こんな乱暴な口調で僕にものを言ったのは、いままで一度も無かった。とにかく早くあやまるに限る。
「ごめんなさい。もう言いません。」
「そうだ。何も言うな。お前たちには、わからん。何も、わからん。」
 実に、まったく、気まずい事になってしまった。詩人というものは、こわいものだ。何が失礼に当るか、わかったもんじゃない。その日一日、僕たちは一ことも言葉を交さなかった。助手さんたちが摩擦に来て、僕にいろいろ話かけても、僕は終始ふくれた顔をして、ろくに返辞もしなかった。内心は、マア坊なんかに、お隣りの越後こそ実に「オルレアンの少女」の作者なのだという事を知らせて、驚ろかしてやりたくて、うずうずしていたのだが、越後から「何も言うな」と口どめされているし、まあ、仕方なく、ゆうべは泣き寝入りの形だったのだ。
 けれども、けさ、思いがけなく、この激怒せる花宵先生と、あっさり和解できて、ほっとした。けさ、久し振りで越後の娘さんが、越後を見舞いにやって来た。キヨ子さんといって、マア坊と同じくらいの年恰好《としかっこう》で、痩《や》せて、顔色の悪い、眼の吊《つ》り上ったおとなしい娘さんだ。僕たちは、ちょうど朝ごはんの最中だった。娘さんは、持って来た大きい風呂敷《ふろしき》包をほどきながら、
「つくだ煮を少し作って来ましたけど。」
「そうか。いますぐいただこう。出しなさい。お隣りのひばりさんにも半分あげなさい。」
 おや? と思った。越後は今まで僕を呼ぶのに、そちらの先生だの、書生さんだの、小柴《こしば》君だのというばかりで、ひばりさんなんて変に親しげな呼び方をした事は一度も無かったのだ。

     6

 娘さんは、僕のところへ、つくだ煮を持って来た。
「いれものが、ございますかしら。」
「はあ、いや、」僕は、うろたえて、「そこの戸棚《とだな》に。」と言いながら、ベッドから降りかけたら、
「これでございますか?」娘さんは、しゃがんで僕のベッドの下の戸棚から、アルマイトの弁当箱を取り出した。
「はあ、そうです。すみません。」
 ベッドの下にうずくまって、つくだ煮をその弁当箱に移しながら、
「いま、おあがりになります?」
「いいえ、もう、食事はすみました。」
 娘さんは弁当箱をもとの戸棚に収めて立ち上り、
「まあ、綺麗《きれい》。」
 と君が滅茶苦茶《めちゃくちゃ》に投げ入れて行ったあの菊の花をほめたのだ。君があの時、竹さんに直してもらえ、なんて要らない事を言ったので、なんだか竹さんに頼むのも、てれくさくなって、また、マア坊に頼むのも、わざとらしいし、あの花は、ついあのままになっていたのだ。
「きのう友人が、いい加減に挿《さ》して行ったのです。直してくれるひとも無いし。」
 娘さんは、ちらと越後の顔色をうかがった。
「直しておやり。」越後も食事がすんだらしく爪楊枝《つまようじ》を使いながら、にやにや笑って言った。どうも、けさは機嫌《きげん》がよすぎて、かえって気味が悪い。
 娘さんは顔を赤くして、ためらいながらも枕元に寄って来て、菊の花をみんな花瓶《かびん》から抜いて、挿し直しに取りかかった。いいひとに直してもらえて、僕はとても嬉《うれ》しかった。
 越後はベッドの上に大きくあぐらを掻《か》いて、娘さんの活花《いけばな》の手際《てぎわ》をいかにも、たのしそうに眺めながら、
「もういちど、詩を書くかな。」と呟いた。
 下手な事を言って、また、呶鳴《どな》られるといけないから、僕は黙っていた。
「ひばりさん、きのうは失敬。」と言って、ずるそうに首をすくめた。
「いいえ、僕こそ、生意気な事を言って。」
 実に、思いがけず、あっさりと和解が出来た。
「また、詩を書くかな。」ともう一度、同じ事を繰り返して言った。
「書いて下さい。本当に、どうか、僕たちのためにも書いて下さい。先生の詩のように軽くて清潔な詩を、いま、僕たちが一ばん読みたいんです。僕にはよくわかりませんけど、たとえば、モオツァルトの音楽みたいに、軽快で、そうして気高く澄んでいる芸術を僕たちは、いま、求めているんです。へんに大袈裟《おおげさ》な身振りのものや、深刻めかしたものは、もう古くて、わかり切っているのです。焼跡の隅《すみ》のわずかな青草でも美しく歌ってくれる詩人がいないものでしょうか。現実から逃げようとしているのではありません。苦しさは、もうわかり切っているのです。僕たちはもう、なんでも平気でやるつもりです。逃げやしません。命をおあずけ申しているのです。身軽なものです。そんな僕たちの気持にぴったり逢うような、素早く走る清流のタッチを持った芸術だけが、いま、ほんもののような気がするのです。いのちも要らず、名も要らずというやつです。そうでなければ、この難局を乗り切る事が絶対に出来ないと思います。空飛ぶ鳥を見よ、です。主義なんて問題じゃないんです。そんなものでごまかそうたって、駄目です。タッチだけで、そのひとの純粋度がわかります。問題は、タッチです。音律です。それが気高く澄んでいないのは、みんな、にせものなんです。」
 僕は、不得手な理窟《りくつ》を努力して言ってみた。言ってから、てれくさく思った。言わなければよかったと思った。

     7

「そんな時代に、なったかなあ。」花宵先生は、タオルで鼻の頭を拭《ふ》いて、仰向けに寝ころがり、「とにかく早くここから出なくちゃいけない。」
「そうです、そうです。」
 僕は、この道場へ来てはじめて、その時、ああ早く頑丈《がんじょう》なからだになりたいとひそかに焦慮したよ。もったいない事だが、天の潮路を、のろくさく感じた。
「君たちは別だ。」と先生は、僕のそんな気持を、さすがに敏感に察したらしく、「あせる事はない。落ちついてここで生活していさえすれば、必ず、なおる。そうして立派に日本再建に役立つ事が出来る。でも、こっちはもう、としをとってるし、」と言いかけた時に、娘さんがどうやら活花を完成させたらしく、
「まえよりかえって、わるくなったようですわ。」と明るい口調で言い、父のベッドに近寄り、こんどは極めて小さい声で、「お父さん! また、愚痴を言ってるのね。いまどき、そんなの、はやらないわよ。」ぷんぷん怒っている。
「わが述懐もまた世に容《い》れられずか。」越後はそう言って、それでも、ひどく嬉しそうに、うふうふと笑った。
 僕もさっきの不覚の焦燥《しょうそう》などは綺麗に忘れ、ひどく幸福な気持で微笑《ほほえ》んだ。
 君、あたらしい時代は、たしかに来ている。それは羽衣のように軽くて、しかも白砂の上を浅くさらさら走り流れる小川のように清冽《せいれつ》なものだ。芭蕉《ばしょう》がその晩年に「かるみ」というものを称えて、それを「わび」「さび」「しおり」などのはるか上位に置いたとか、中学校の福田和尚先生から教わったが、芭蕉ほどの名人がその晩年に於いてやっと予感し、憧憬《しょうけい》したその最上位の心境に僕たちが、いつのまにやら自然に到達しているとは、誇らじと欲《ほっ》するも能《あた》わずというところだ。この「かるみ」は、断じて軽薄と違うのである。慾《よく》と命を捨てなければ、この心境はわからない。くるしく努力して汗を出し切った後に来る一陣のその風だ。世界の大混乱の末の窮迫の空気から生れ出た、翼のすきとおるほどの身軽な鳥だ。これがわからぬ人は、永遠に歴史の流れから除外され、取残されてしまうだろう。ああ、あれも、これも、どんどん古くなって行く。君、理窟も何も無いのだ。すべてを失い、すべてを捨てた者の平安こそ、その「かるみ」だ。
 けさ、越後に向って極めて下手くそな芸術論みたいな事を述べて、それからひどくてれくさい思いをしたが、でも、越後の娘さんもまた僕たちのひそかな支持者らしいという事に気がついて、大いに自信を得て、さらにここに新しい男としての気焔《きえん》を挙げさせていただき、前説の補足を試みた次第である。
 ついでながら、君の当道場に於ける評判も、はなはだよろしい。大いに気をよくして、いただきたい。君がちょっとこの道場を訪問しただけで、この道場の雰囲気《ふんいき》が、急に明るくなったといってもあながち過言ではないようだ。だいいち、花宵先生が十年も若返った。竹さんも、マア坊も、君によろしくと言っている。マア坊の曰《いわ》く、
「いい眼をしているわね。天才みたいね。まつげが長くて、まばたきするたんびに、パチンパチンという音が聞えた。」マア坊の言うことは大袈裟である。信じないほうがいい。竹さんの批評を御紹介しようか。そんなに固くならずに、平然とお聞き流しを願う。竹さんの曰く、
「ひばりとは、いい取組みや。」
 それだけである。但《ただ》し、顔を赤くして言った。以上。
  十月二十九日

   竹さん


     1

 謹啓。きょうは、かなしいお知らせを致します。もっとも、かなしいといっても、恋しいという字にカナしいと振仮名をつけたみたいな、妙な気持のカナしさだ。竹さんがお嫁に行くのだ。どこへお嫁入りするかというと、場長さんだ。ここの健康道場場長、田島医学博士その人のところに、お輿入《こしい》れあそばすのだ。僕はきょうマア坊からその事を聞いた。
 まあ、はじめから話そう。
 けさは、お母さんが僕の着換えやら、何やらどっさり持って道場へお見えになった。お母さんは、月に二度ずつ僕の身のまわりのものを整理しにやって来るのだ。僕の顔をのぞき込んで、
「そろそろ、ホームシックかな?」とからかう。まいどの事だ。
「或《ある》いはね。」と僕も、わざと嘘《うそ》を言う。これも、まいどの事だ。
「きょうはお母さんを、小梅橋までお見送りして下さるんだそうですね。」
「誰《だれ》が?」
「さあ、どなたでしょうか。」
「僕? 外へ出てもいいの? お許しが出たの?」
 お母さんは首肯《うなず》いて、
「でも、いやだったら、よござんす。」
「いやなもんか。僕はもう一日に十里だって歩けるんだ。」
「或いはね。」とお母さんは、僕の口真似《くちまね》をして言った。
 四箇月振りで、寝巻を脱ぎ絣《かすり》の着物を着て、お母さんと一緒に玄関へ出ると、そこに場長が両手をうしろに組んで黙って立っていた。
「歩けますか、どうですか。」とお母さんがひとりごとのようにして言って笑ったら、
「男のお子さんは、満一歳から立って歩けます。」と場長さんは、にこりともせず、そんな下手な冗談を言って、「助手をひとりお供させます。」
 事務所からマア坊が白い看護婦服の上に、椿《つばき》の花模様の赤い羽織をひっかけて、小走りに走って出て来て、お母さんに、どぎまぎしたような粗末なお辞儀をした。お供は、マア坊だ。
 僕は新しい駒下駄《こまげた》をはいて、まっさきに外へ出た。駒下駄がへんに重くて、よろめいた。
「おっとと、あんよは上手。」と場長は、うしろで囃《はや》した。その口調に、愛情よりも、冷く強い意志を感じた。だらしないぞ! と叱《しか》られたような気がして、僕は、しょげた。振り向きもせず、すたすた五、六歩いそぎ足で歩いたら、また、うしろで場長が、
「はじめは、ゆっくり。はじめは、ゆっくり。」と、こんどは露骨に叱り飛ばすようなきびしい口調で言ったが、かえってその言葉のほうに、うれしい愛情が感ぜられた。
 僕は、ゆっくり歩いた。お母さんとマア坊が、小声で何か囁《ささや》き合いながら、僕の後を追って来た。松林を通り抜けて、アスファルトの県道へ出たら、僕は軽い眩暈《めまい》を感じて、立ちどまった。
「大きいね。道が大きい。」アスファルト道が、やわらかい秋の日ざしを受けて鈍く光っているだけなのだが、僕には、それが一瞬、茫洋混沌《ぼうようこんとん》たる大河のように見えたのだ。
「無理かな?」お母さんは笑いながら、「どうかな? お見送りは、このつぎに、お願いするとしましょうか?」

     2

「平気、平気。」ことさらに駒下駄の音をカタカタと高く響かせて歩いて、「もう馴《な》れた。」と言った途端に、トラックが、凄《すさま》じい勢いで僕を追い抜き、思わず僕は、わぁっ! と叫んだ。
「大きいね。トラックが大きいね。」とお母さんはすぐに僕の口真似をしてからかった。
「大きくはないけど、強いんだ。すごい馬力だ。たしかに十万馬力くらいだった。」
「さては、いまのは原子トラックかな?」お母さんも、けさは、はしゃいでいる。
 ゆっくり歩いて、小梅橋のバスの停留場が近くなった頃《ころ》、僕は実に意外な事を聞いた。お母さんと、マア坊が、歩きながらよもやまの話の末に、
「場長さんが近く御結婚なさるとか、聞きましたけど?」
「はあ、あの、竹中さんと、もうすぐ。」
「竹中さんと? あの、助手さんの。」と、お母さんも驚いていたようであったが、僕はその百倍も驚いた。十万馬力の原子トラックに突き倒されたほどの衝動を受けた。
 お母さんのほうはすぐ落ちついて、
「竹中さんは、いいお方ですものねえ。場長さんはさすがに、眼《め》がお高くていらっしゃる。」と言って、明るく笑い、それ以上突っ込んだ事も聞かず、おだやかに他《ほか》の話に移って行った。
 僕は停留場で、どんな具合いにお母さんとお別れしたか、はっきり思い出せない。ただ眼のさきが、もやもやして、心臓がコトコトと響を立てて躍っているみたいな按配《あんばい》で、あれは、まったく、かなわない気持のものだ。
 僕は白状する。僕は、竹さんを好きなのだ。はじめから、好きだったのだ。マア坊なんて、問題じゃなかったのだ。僕は、なんとかして竹さんを忘れようと思って、ことさらにマア坊のほうに近寄って行って、マア坊を好きになるように努めて来たのだが、どうしても駄目《だめ》なんだ。君に差し上げる手紙にも、僕はマア坊の美点ばかりを数え挙げて、竹さんの悪口をたくさん書いたが、あれは決して、君をだますつもりではなく、あんな具合いに書くことに依《よ》って僕は、僕の胸の思いを消したかったのだ。さすがの新しい男も、竹さんの事を思うと、どうも、からだが重くなって、翼が萎縮《いしゅく》し、それこそ豚のしっぽみたいな、つまらない男になりそうな気がするので、なんとかして、ここは、新しい男の面目にかけても、あっさりと気持を整理して、竹さんに対して全く無関心になりたくて、われとわが心を、はげまし、はげまし、竹さんの事をただ気がいいばかりの人だの、大鯛《おおだい》だの、買い物が下手くそだのと、さんざん悪口を言って来た僕の苦衷のほどを、君、すこしは察してくれ給《たま》え。そうして、君も僕に賛成して一緒に竹さんの悪口を言ってくれたら、あるいは僕も竹さんを本当にいやになって、身軽になれるかも知れぬとひそかに期待していたのだけれども、あてがはずれて、君が竹さんに夢中になってしまったので、いよいよ僕は窮したのさ。そこで、こんどは、僕は戦法をかえて、ことさらに竹さんをほめ挙げ、そうして、色気無しの親愛の情だの、新しい型の男女の交友だのといって、何とかして君を牽制《けんせい》しようとたくらんだ、というのが、これまでのいきさつの、あわれな実相だ。僕は色気が無いどころか、大ありだった。それこそ意馬心猿《いばしんえん》とでもいうべき、全くあさましい有様だったのだ。

     3

 君は竹さんを、凄《すご》いほどの美人だと言って、僕はやっきとなってそれを打ち消したが、それは僕だって、竹さんを凄いほどの美人だと思っていたのさ。この道場へ来た日に、僕は、ひとめ見てそう思った。
 君、竹さんみたいなのが本当の美人なのだ。あの、洗面所の青い電球にぼんやり照らされ、夜明け直前の奇妙な気配の闇《やみ》の底に、ひっそりしゃがんで床板を拭《ふ》いていた時の竹さんは、おそろしいくらい美しかった。負け惜しみを言うわけではないが、あれは、僕だからこそ踏み堪《こた》える事が出来たのだ。他の人だったら、必ずあの場合、何か罪を犯したに違いない。女は魔物だなんて、かっぽれなんかよく言っているが、或いは女は意識せずに一時、人間性を失い、魔性のものになってしまっている事があるのかも知れない。
 今こそ僕は告白する。僕は竹さんに、恋していたのだ。古いも新しいもありゃしない。
 お母さんとわかれて、それから、膝頭《ひざがしら》が、がくがく震えるような気持で歩いて、たまらなく水が飲みたくなって、
「どこかで、少し休みたいな。」と言ったが、その声は、自分ながらおやと思ったほど嗄《しわが》れていて、誰か他の人が遠方で呟《つぶや》いている言葉のような感じがした。
「お疲れでしょう。もう少し行くと、あたしたちが時々寄って休ませてもらう家があるんですけど。」
 大戦の前には三好野《みよしの》か何かしていたような形の家に、マア坊の案内ではいった。薄暗い広い土間には、こわれた自転車やら、炭俵のようなものがころがっていて、その一隅《いちぐう》に、粗末なテーブルがひとつ、椅子《いす》が二、三脚置かれている。そうして、そのテーブルの傍《そば》の壁には大きい鏡がかけられ、へんに気味悪く白く光っているのが印象深かった。この家は商売をよしても、やはり馴染《なじみ》の人たちには、お茶ぐらい出す様子で、道場の助手さんたちが外出した時には、油を売る場所になっているのでもあろう、マア坊は平気で奥の方へ行き、番茶の土瓶《どびん》とお茶碗《ちゃわん》を持って来た。僕たちは鏡の下のテーブルに向い合って席をとり、二人で生ぬるい番茶を飲んだ。ほっと深い溜息《ためいき》をついて、少し気持も楽になり、
「竹さんが結婚するんだって?」と軽い口調で言う事が出来た。
「そうよ。」マア坊もこのごろ、なぜだか淋《さび》しそうだ。寒そうに肩を小さくすぼめて、僕の顔をまっすぐに見ながら、「ご存じじゃ、なかったの?」
「知らなかった。」不意に眼が熱くなって、困って、うつむいてしまった。
「わかるわ。竹さんだって泣いてたわ。」
「何を言っていやがる。」マア坊の、しんみりした口調が、いやらしくて、いやらしくて、むかむか腹が立って来た。「いい加減な事を言っちゃ、いけない。」
「いい加減じゃないわ。」マア坊も涙ぐんでいる。「だから、あたしが言ったじゃないの。竹さんと仲よくしちゃいけないって。」
「仲よくなんか、しやしないよ。そんなに何でも心得ているような事を言うな。いやらしくって仕様がない。竹さんが結婚するのは、いい事だ。めでたいじゃないか。」
「だめよ。あたしは、知っているんですから。ごまかしたって、だめよ。」大きい眼から涙があふれて、まつげに溜《たま》って、それからぽろぽろ頬《ほお》を伝って流れはじめた。「知ってるのよ。知ってるのよ。」

     4

「よせよ。意味が無いじゃないか。」こんなところを、ひとに見られたら困ると思った。「なんの意味もありゃしないじゃないか。」繰返して言ったその僕の言葉も、あまり意味のあるもののようには思えなかった。
「ひばりは、全く、のんきな人ねえ。」と指先で頬の涙を拭きながら、マア坊は少し笑って言った。「いままで、場長さんと竹さんとの事をご存じじゃなかったなんて。」
「そんな下品な事は知らん。」急に、ひどく不愉快になって来た。みんなをぽかぽか殴ってやりたくなって来た。
「何が、下品なの? 結婚って、下品なものなの?」
「いや、そんな事はないが、」僕は口ごもって、「前から、何か、――」
「あらいやだ。そんな事は無いのよ。場長さんは、まじめなお方だわ。竹さんには何も言わないで、竹さんのお父さんのところにお願いにあがったのよ。竹さんのお父さんはいまこっちへ疎開《そかい》して来ているんだって。そうして竹さんのお父さんから、こないだ竹さんに話があって、竹さんは二晩も三晩も泣いてたわ。お嫁に行くのは、いやだって。」
「そんならいい。」僕は、せいせいした。
「どうしていいの? 泣いたからいいの? いやねえ、ひばりは。」と笑いながら言って、顔を横に傾けて、眼の光りが妙に活《い》き活《い》きして来て、右腕をすっと前に出し、卓の上の僕の手を固く握った。「竹さんはね、ひばりが恋しくって泣いたのよ、本当よ。」と言って、更に強く握りしめた。僕も、わけがわからず握りかえした。意味のない握手だった。僕はすぐに馬鹿らしくなって来て、手をひっこめて、
「お茶を、ついであげようか。」とてれかくしに言ってみた。
「いいえ。」とマア坊は眼を伏せて気弱そうに、しかも、きっぱりと、不思議な断り方で断った。
「それじゃ出ようか。」
「ええ。」
 小さく首肯《うなず》いて、顔を挙げた。その顔が、よかった。断然、よかった。完全の無表情で鼻の両側に疲れたような幽《かす》かな細い皺《しわ》が出来ていて、受け口が少しあいて、大きい眼は冷く深く澄んで、こころもち蒼《あお》ざめた顔には、すごい位の気品があった。この気品は、何もかも綺麗《きれい》にあきらめて捨てた人に特有のものである。マア坊も苦しみ抜いて、はじめて、すきとおるほど無慾な、あたらしい美しさを顕現できるような女になったのだ。これも、僕たちの仲間だ。新造の大きな船に身をゆだねて、無心に軽く天の潮路のままに進むのだ。幽かな「希望」の風が、頬を撫《な》でる。僕はその時、マア坊の顔の美しさに驚き「永遠の処女」という言葉を思い出したが、ふだん気障《きざ》だと思っていたその言葉も、その時には、ちっとも気障ではなく、実に新鮮な言葉のように感ぜられた。
「永遠の処女」なんてハイカラな言葉を野暮な僕が使うと、或いは君に笑われるかも知れないが、本当に僕は、あの時、あのマア坊の気高い顔で救われたのだ。
 竹さんの結婚も、遠い昔の事のように思われて、すっとからだが軽くなった。あきらめるとか何とか、そんな意志的なものではなくて、眼前の風景がみるみる遠のいて望遠鏡をさかさに覗《のぞ》いたみたいに小さくなってしまった感じであった。胸中に何のこだわるところもなくなった。これでもう僕も、完成せられたという爽快《そうかい》な満足感だけが残った。

     5

 晩秋の澄んだ青空をアメリカの飛行機が旋回している。僕たちは、その三好野ふうの家の前に立ってそれを見上げて、
「つまらなそうに飛んでいるねえ。」
「ええ。」とマア坊は微笑《ほほえ》む。
「しかし、飛行機というものの形には、新しい美しさがある。むだな飾りが一つも無いからだろうか。」
「そうねえ。」とマア坊は小声で言って、子供のように無心に空の飛行機を見送っている。
「むだな飾りの無い姿って、いいものなんだねえ。」
 それは、飛行機だけでなく、マア坊の放心状態みたいな素直な姿態に就いてのひそかな感懐でもあったのだ。
 二人だまって歩いて、僕は、途《みち》で逢《あ》う女のひとの顔をいちいち注意して見て、程度の差はあるが、いまの女のひとの顔には皆一様に、マア坊みたいな無慾な、透明の美しさがあらわれているように思われた。女が、女らしくなったのだ。しかしそれは、大戦以前の女にかえったというわけでは無い。戦争の苦悩を通過した新しい「女らしさ」だ。何といったらいいのか、鶯《うぐいす》の笹鳴《ささな》きみたいな美しさだ、とでもいったら君はわかってくれるであろうか。つまり、「かるみ」さ。
 お昼すこし前に道場へ帰って来たが、往復半里以上も歩いたから、さすがに疲れて、寝巻に着換えるのもめんどうくさくて、羽織も脱がずにベッドに寝ころがって、そのまま、うとうと眠った。
「ひばり、ごはんや。」
 眼を薄くあけて見ると、竹さんがお膳《ぜん》を持って笑って立っている。
 ああ、場長夫人!
 すぐに、はね起き、
「や、すみません。」と言って、思わず軽く頭を下げた。
「寝ぼけているな。寝ぼすけさん。」とひとりごとのように言って、お膳を枕元《まくらもと》に置き、「着物、着たまま寝ている人があるかいな。いま風邪ひいたら一大事や。早うお寝巻に着換えたらええ。」眉《まゆ》をひそめて不機嫌《ふきげん》そうに言いながら、ベッドの引出しから寝巻を取り出し、「世話の焼けるぼんぼんや。おいで、着換えさしてあげる。」
 僕はベッドから降りて兵古帯《へこおび》をほどいた。いつものとおりの竹さんだ。場長と結婚するなんて、嘘《うそ》みたいに思われて来た。なあんだ、僕はいまうとうと眠って夢を見たのだ。お母さんが来たのも夢、マア坊があの三好野みたいな家で泣いたのも夢、と一瞬そんな気がして嬉《うれ》しかったが、しかし、そうではなかった。
「いい久留米絣《くるめがすり》やな。」竹さんは僕に着物を脱がせて、「ひばりには、とてもよく似合うわよ。マア坊は果報やなあ。帰りに一緒にオバさんとこでお茶を飲んだってな。」
 やはり、夢ではなかった。
「竹さん、おめでとう。」と僕が言った。
 竹さんは返辞をしなかった。黙って、うしろから寝巻をかけてくれて、それから、寝巻の袖口《そでぐち》から手を入れて、僕の腕の附《つ》け根のところを、ぎゅっとかなり強く抓《つね》った。僕は歯を食いしばって痛さを堪《こら》えた。

     6

 何事も無かったように寝巻に着換えて、僕は食事に取りかかり、竹さんは傍《そば》で僕の絣の着物を畳んでいる。お互いに一ことも、ものを言わなかった。しばらくして竹さんが、極めて小さい声で、
「かんにんね。」と囁《ささや》いた。
 その一言に、竹さんの、いっさいの思いがこめられてあるような気がした。
「ひどいやつや。」と僕は、食事をしながら竹さんの言葉の訛《なま》りを真似《まね》てそっと呟《つぶや》いた。
 そうしてこの一言にも、僕のいっさいの思いがこもっているような気がした。
 竹さんはくすくす笑い出して、
「おおきに。」と言った。
 和解が出来たのである。僕は竹さんの幸福を、しんから祈りたい気持になった。
「いつまでここにいるの?」
「今月一ぱい。」
「送別会でもしようか。」
「おお、いやらし!」
 竹さんは大袈裟に身震いして、畳んだ着物をさっさと引出しにしまい込み、澄まして部屋から出て行った。どうして僕の周囲の人たちは、皆こんなにさっぱりした、いい人ばかりなのだろう。いま僕はこの手紙を、午後一時の講話を聞きながら書いているのだが、きょうの講話は、どなたが放送していらっしゃるか、わかりますか? およろこび下さい。大月花宵先生です。大月先生の当道場に於けるこのごろの人気はたいへんなものですよ。もう越後獅子《えちごじし》なんて失礼な綽名《あだな》では呼べなくなった。君が発見して、それから、二、三日は僕も我慢して誰にも言わずにいたが、とうとうマア坊にこっそり教えて、たちまち噂《うわさ》がぱっとひろがり、何せ「オルレアンの少女」の作者だという事で無条件に尊敬せられ、場長も巡回の時に、花宵先生に向って、いままで知らずに失礼しました、という意味のおわびを言ったくらいだ。
 新館はもちろん、旧館の塾生《じゅくせい》たちからも、詩、和歌、俳句の添削依頼が殺到している有様だ。けれども花宵先生は、急に威張り返るとか何とか、そんな浅墓《あさはか》な素振りは微塵《みじん》も示さず、やっぱり寡言家《かげんか》の越後獅子であって、塾生たちの詩歌の添削は、たいていかっぽれに一任しているのだ。かっぽれ、このところ大得意だ。花宵先生の一番弟子のつもりで、もっともらしい顔をして、よそのひとの苦心の作品を勝手にどんどん直している。きょうは事務所からの依頼で花宵先生がはじめて講話をする事になって、「献身」と題するお話であるが、こうして拡声機を通して流れ出る声を聞いていると、非常に貴い人から教え訓《さと》されているようなき厳粛な気持になって来る。実に落ちついた、威厳のある声である。花宵先生は、僕が考えているよりも、もっとはるかに偉い人なのかも知れない。お話の内容も、さすがにいい。すこしも古くないのである。
 献身とは、ただ、やたらに絶望的な感傷でわが身を殺す事では決してない。大違いである。献身とは、わが身を、最も華やかに永遠に生かす事である。人間は、この純粋の献身に依ってのみ不滅である。しかし献身には、何の身支度も要らない。今日ただいま、このままの姿で、いっさいを捧《ささ》げたてまつるべきである。鍬《くわ》とる者は、鍬とった野良姿《のらすがた》のままで、献身すべきだ。自分の姿を、いつわってはいけない。献身には猶予《ゆうよ》がゆるされない。人間の時々刻々が、献身でなければならぬ。いかにして見事に献身すべきやなどと、工夫をこらすのは、最も無意味な事である、と力強く、諄々《じゅんじゅん》と説いている。聞きながら僕は、何度も赤面した。僕は今まで、自分を新しい男だ新しい男だと、少し宣伝しすぎたようだ。献身の身支度に凝り過ぎた。お化粧にこだわっていたところが、あったように思われる。新しい男の看板は、この辺で、いさぎよく撤回しよう。僕の周囲は、もう、僕と同じくらいに明るくなっている。全くこれまで、僕たちの現れるところ、つねに、ひとりでに明るく華やかになって行ったじゃないか。あとはもう何も言わず、早くもなく、おそくもなく、極めてあたりまえの歩調でまっすぐに歩いて行こう。この道は、どこへつづいているのか。それは、伸びて行く植物の蔓《つる》に聞いたほうがよい。蔓は答えるだろう。
「私はなんにも知りません。しかし、伸びて行く方向に陽《ひ》が当るようです。」
 さようなら。
  十二月九日



底本:「パンドラの匣」新潮文庫、新潮社
   1973(昭和48)年10月30日発行
   1997(平成9)年12月20日46刷
初出:「河北新報」河北新報社
   1945(昭和20)年10月22日〜1946(昭和21)年1月7日
入力:SAME SIDE
校正:細渕紀子
2003年1月27日作成
2003年8月10日修正
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