青空文庫アーカイブ
風の便り
太宰治
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(例)卑下《ひげ》
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(例)文章|倶楽部《クラブ》の
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(例)[#地から3字上げ]木戸一郎
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拝啓。
突然にて、おゆるし下さい。私の名前を、ご存じでしょうか。聞いた事があるような名前だ、くらいには、ご存じの事と思います。十年一日の如く、まずしい小説ばかりを書いている男であります。と言っても、決して、ことさらに卑下《ひげ》しているわけではございません。私も、既に四十ちかくに成りますが、未だ一つも自身に納得の行くような、安心の作品を書いて居りませんし、また私には学問もないし、それに、謂《い》わば口重く舌重い、無器用な田舎者《いなかもの》でありますから、濶達《かったつ》な表現の才能に恵まれている筈《はず》もございません。それに加えて、生来の臆病者でありますから、文壇の人たちとの交際も、ほとんど、ございませんし、それこそ、あの古い感傷の歌のとおりに、友みなのわれより偉く見える日は、花を買い来て妻と楽しんでいるような、だらしの無い、取り残された生活をしていて、ああ、けれども、愚痴は言いますまい。私は、自分がひどく貧乏な大工の家に生れ、気の弱い、小鳥の好きな父と、痩《や》せて色の黒い、聡明な継母《ままはは》との間で、くるしんで育ち、とうとう父母にそむいて故郷から離れ、この東京に出て来て、それから二十年間お話にも何もならぬ程の困苦に喘《あえ》ぎ続けて来たという事、それも愚痴になりそうな気が致しますので、一さい申し上げませぬ。また、その暗いかずかずの思い出は、私の今日までの、作品のテエマにもなって居りますので、今更らしく申し上げるのも、気がひける事でございます。ただ、私が四十ちかくに成っても未だに無名の下手《へた》な作家だ、と申し上げても、それは決して私の卑屈な、ひがみからでも無し、不遇《ふぐう》を誇称して世の中の有名な人たちに陰険ないやがらせを行うというような、めめしい復讐心から申し上げているのでもないので、本当に私は自分を劣った作家だと思って素直にそれを申し上げているのだという事をさえ、わかって下さったら、それだけで、私は有難《ありがた》く思います。
あなた、とお呼びしていいのか、先生、とお呼びすべきか、私は、たいへん迷って居ります。私は、もし失礼でなかったら、あなた、とお呼びしたいのです。先生、とお呼びすると、なんだか、「それっきり」になるような気がしてなりません。「それっきり」という感じは、あなたに遠ざけられ捨てられるという不安ではなく、私のほうで興覚《きょうざ》めて、あなたから遠のいてしまいそうな感じなのです。何だか、いやに、はっきりきまってしまいそうな、奇妙な淋《さび》しさが感ぜられます。私でさえも、時には人から先生と呼ばれる事がありますけれど、少しもこだわらず、無邪気に先生と呼ばれた時には、素直に微笑して、はい、と返事も出来ますが、向うの人が、ほんのちょっとでも計算して、意志を用いて、先生と呼びかけた場合には、すぐに感じて、その人から遠く突き離されたような、やり切れない気が致します。「先生と言われる程の」という諺《ことわざ》は、なんという、いやな言葉でしょう。この諺ひとつの為に、日本のひとは、正当な尊敬の表現を失いました。私はあなたを、少しの駈引《かけひ》きも無く、厳粛に根強く、尊敬しているつもりでありますけれども、それでも、先生、とお呼びする事に就《つ》いては、たいへんこだわりを感じます。他意はございません。ただ、気持を、いつもあなたの近くに置きたいからです。私は肉親を捨てて生きて居ります。友人も、ございません。いつも、ただ、あなた一人の作品だけを目当に生きて来ました。正直な告白のつもりであります。
あなたは、たしか、私よりも十五年、早くお生れの筈《はず》であります。二十年前に、私が家を飛び出し、この東京に出て来て、「やまと新報」の配達をして居りました時、あなたの長篇小説「鶴」が、その新聞に連載せられていて、私は毎朝の配達をすませてから、新聞社の車夫の溜《たま》りで、文字どおり「むさぼり食う」ように読みました。私は、自分が極貧の家に生れて、しかも学歴は高等小学校を卒業したばかりで、あなたが大金持の(この言葉は、いやな言葉ですが、ブルジョアとかいう言葉は、いっそういやですし、他に適切な言葉も、私の貧弱な語彙《ごい》を以《も》ってしては、ちょっと見つかりそうもありませんから、ただ、私の赤貧の生立ちと比較して軽く形容しているのだと解して、おしのび下さい。)華族の当主で、しかもフランス留学とかの派手な学歴をお持ちになっているのに、それでも、あなたのお書きになっている作品に、そんな隔絶した境遇を飛び越えて、(共鳴、親愛、納得、熱狂、うれしさ、驚嘆、ありがたさ、勇気、救い、融和、同類、不思議などと、いろいろの言葉を案じてみましたけれど、どれも皆、気にいりません。重ねて、語彙の貧弱を、くるしく思います。)少しも誇張では無く、生きている喜びを感じたのです。これでは、まるで、二十年前の少年に返ったような、あまい、はしゃぎかたで、書いていながら冷汗が出る思いであります。けれども、悪びれず、正直に申し上げる事に致しましょう。
私は極貧の家に生れながら、農民の事を書いた小説などには、どうしても親しめず、かえって世の中から傲慢《ごうまん》、非情、無思想、独善などと言われて攻撃されていたあなたの作品ばかりを読んで来ました。農民を軽蔑しているのではありません。むしろ、その逆であります。士農工商という順序に従えば、私は大工の息子です、ずっと身分が下であります。私は、農民の事を書いている「作家」に不満があるのです。その作品の底に、作家の一人間としての愛情、苦悩が少しも感ぜられません。作家の一人間としての苦悩が、幽《かす》かにでも感ぜられないような作品は、私にとってなんの興味もございません。あなたの作品が、「やまと新報」に連載せられていたのは、あれは、あなたが三十二、三歳の頃の事であったと思われますが、あの頃、あなたが世の中から受けていた悪評は、とても、猛烈なものでありました。あなたは、完全に、悪徳漢のように言われていました。けれども、私は、あなたの作品の底に、いつも、殉教者のような、ずば抜けて高潔な苦悶の顔を見ていました。自身の罪の意識の強さは、天才たちに共通の顕著な特色のようであります。あなたにとって、一日一日の生活は、自身への刑罰の加重以外に、意味が無かったようでありました。午前一ぱいを生き切る事さえ、あなたにとっては、大仕事のようでありました。私は、「鶴」以来、あなたの作品を一篇のこさず読んでまいりました。あれから二十年、あなたは、いまでは明治大正の文学史に、特筆大書されているくらいの大作家になってしまいました。絢爛《けんらん》の才能とか、あふれる機智、ゆたかな学殖、直截の描写力とか、いまは普通に言われて、文学を知らぬ人たちからも、安易に信頼されているようでありますが、私は、そんな事よりも、あなたの作品にいよいよ深まる人間の悲しさだけを、一すじに尊敬してまいりました。「華厳《けごん》」は、よかった。今月、「文学月報」に発表された短篇小説を拝見して、もう、どうしてもじっとして居られず、二十年間の、謂わば、まあ、秘めた思いを、骨折って、どもりどもり書き綴《つづ》りました。失礼ではあっても、どうか、怒らないで下さい。私も既に四十ちかく、髪の毛も薄くなっていながら、二十年間の秘めたる思いなどという女学生の言葉みたいなものを、それも五十歳をとうに越えられているあなたに向って使用するのは、いかにもグロテスクで、書いている当人でさえ閉口している程なのですから、受け取るあなたの不愉快も、わかるように思いますが、どうも、他に、なんとも書き様がございませんでした。私は無学な作家です。二十年間、恥ずかしい痩《や》せた小説を、やっと三十篇ばかり発表しました。二十年間、あなたはその間に、立派な全集を、三種類もお出しなさって、私のほうは明治大正の文学史どころか、昭和の文壇の片隅に現われかけては消え、また現われかけては忘れられ、やきもきしたりして、そうして此頃は、また行きづまり、なんにも書けなくなりました。愚痴は申さぬつもりでありました。ありましたが、どうか、此の愚痴一つばかりは聞いて下さい。私は、批評家たちの分類に従うと、自然主義的な私小説家という事になって居ります。それは、あなたが一口に高踏派《こうとうは》と言われているのと同じくらいの便宜上の分類に過ぎませぬが、私の小説の題材は、いつも私の身辺の茶飯事から採られているので、そんな名前をもらっているのです。私は、「たしかな事」だけを書きたかったのです。自分の掌で、明確に知覚したものだけを書いて置きたかったのです。怒りも、悲しみも、地団駄《じだんだ》踏んだ残念な思いも。私は、嘘を書かなかった。けれども、私は、此頃ちっとも書けなくなりました。おわかりでしょうか。無学であるという事が、だんだん致命傷のように思われて来ました。私には手軽に、歴史小説も書けません。作品の行きづまりは、私のようなその日ぐらしの不流行の作家にとって、すなわち生活の行きづまりでもあります。私に、何が出来るでしょう。私は戦地へ行きたい。嘘の無い感動を捜しに。私は真剣であります。もっと若くて、この脚気《かっけ》という病気さえ無かったら、私は、とうに志願しています。
私は行きづまってしまいました。具体的な理由は、申し上げません。私は、あなたの「華厳」を読み、その興奮から、二十年間の抑制を破り、思い切って手紙を書いたと前に申し上げましたが、実は、その興奮の他に、私の此の行きづまりをも訴えたかったからでありました。二十年間、私の歩んで来た文学の道に、このように大きな疑問が生じたのは、はじめての事であります。ぎりぎりに困惑したら、一言だけ、あなたのお指図をいただきたいと、二十年間、私は、ひそかに、頼みにして生きて来ました。少しでも、いじらしいとお思いになったら、御返事を下さい。二十年間を、決して押売《おしう》りするわけではございませんが、もういまは、私の永い抑制を破り、思い切って訴える時のようであります。どうか、失礼の段は、おゆるし下さい。
私の最近の短篇小説集、「へちまの花」を一部、お送り申しました。お読み捨て下さい。
ここは武蔵野のはずれ、深夜の松籟《しょうらい》は、浪《なみ》の響きに似ています。此の、ひきむしられるような凄《さび》しさの在る限り、文学も不滅と思われますが、それも私の老書生らしい感傷で、お笑い草かも知れませぬ。先生(と意外にも書いてしまいましたから、大切にして、消さずに、そのまま残して置きます。)御自愛を祈ります。敬具。
六月十日[#地から3字上げ]木戸一郎
井原退蔵様
拝復。
先日は、短篇集とお手紙を戴きました。御礼おくれて申しわけありませんでした。短篇集は、いずれゆっくり拝読させて戴くつもりです。まずは、御礼まで。草々。
十八日[#地から3字上げ]井原退蔵
木戸一郎様
一枚の葉書《はがき》の始末に窮して、机の上に置きそれに向ってきちんと正坐してみても落ち附かず、その葉書を持って立ち上り、部屋の中をうろうろ歩き廻ってみても、いよいよ途方に暮れるばかりで、いっそ何気なさそうな顔をして部屋の隅《すみ》の状差《じょうさ》しに、その持てあました葉書を押し込んで、フンといった気持で畳の上にごろりと寝ころんでもみましたが、一向に形が附かず、また起き上ってその葉書を状差しから引き抜き、短かすぎる文面を小声で読んで、淋しく、とうとう二つに折って、懐《ふところ》深くねじ込み、どうやら少し落ち附いた気持になって、机に向い、またもやあなたにこんな失礼な手紙を書きしたためて居ります。
先日は、実に、だらしない手紙を差し上げ、まことに失礼いたしました。あの夜、あの手紙を書き上げて、そのまま翌《あく》る朝まで机の上に載せて置いたならば、或《ある》いは、心が臆して来て、出せなくなるのではないかと思い、深夜、あの手紙を持って野道を三丁ほど、煙草屋の前のポストまで行って来ましたが、ひどく明るい月夜で、雲が、食べられるお菓子の綿のように白くふんわり空に浮いていて、深夜でもやっぱり白雲は浮いて、ゆるやかに流れているのだという事をはじめて発見し、けれどもこんな甘い発見に胸を躍らせるのも、もうこの後はあるまい、今夜が最後だ、最後だ、最後だと、一歩一歩、最後だという言葉ばかりを胸の中で呟《つぶや》きつづけて家へ帰りました。翌る朝、朝ごはんを食べながら、呻《うめ》くばかりでありました。くだらない手紙を差し上げた事を、つくづく後悔しはじめたのです。出さなければよかった。取返しのつかぬ大恥をかいた。たった一夜の感傷を、二十年間の秘めたる思いなどという背筋の寒くなるような言葉で飾って、わあっ! 私は、鼻持ちならぬ美文の大家です。文章|倶楽部《クラブ》の愛読者通信欄に投書している文学少女を笑えません。いや、もっと悪い。私は先日の手紙に於いて、自分の事を四十ちかい、四十ちかいと何度も言って、もはや初老のやや落ち附いた生活人のように形容していた筈でありましたが、はっきり申し上げると三十八歳、けれども私は初老どころか、昨今やっと文学のにおいを嗅《か》ぎはじめた少年に過ぎなかったのだという事を、いやになるほど、はっきり知らされました。行きづまった等、そんな大袈裟《おおげさ》な事を、言える柄では無かったのです。私は、なんにも作品を書いていなかった。なんにも努めていなかった。私は、安易な隙間隙間をねらって、くぐりぬけて歩いて来た。窮極の問題は、私がいま、なんの生き甲斐《がい》も感じていないという事に在ったのでした。生きる事に何も張り合いが無い時には、自殺さえ、出来るものではありません。自殺は、かえって、生きている事に張り合いを感じている人たちのするものです。最も平凡な言いかたをすれば、私は、スランプなのかも知れません。恋愛でもやってみましょうか。先日あんな、だらしない手紙を差し上げ、それから後で、つくづく自分のだらしなさ、青臭さを痛感して、未だ少しも自分の形の出来ていないのがわかり、こんな具合では、もういちどはじめから全部やり直さなければなるまい、けれども一体、どこから手をつけて行けばいいのか、途方に暮れて、愚妻の皺《しわ》の殖えたソバカスだらけの顔を横目で見て、すさまじい気が致しました。私は、自分に呆《あき》れました。そうして、けさは又、あなたから、たいへん短いお言葉をいただき、いよいよ自分に呆れました。先日の私の、あんな、ふざけた手紙には、これくらいの簡単な御返事で適当なのだろうと思い知りました。決して、お怨みしているのではございません。とんでも無いことであります。その点は、なにとぞ御放念下さい。私は、けさの簡単なお葉書のお言葉に依《よ》って、私の身の程を、はっきり知らされたのです。かえって有難く思って居ります。こうして書いているうちにも、だんだんはっきり判って来ます。つまり、けさ私がお葉書をいただいて、その葉書の処置に窮して、うろうろしたのは、自分の身の程を知らされて狼狽《ろうばい》していただけの事でありました。少しは私にも、作家としての誇りもあったのでしょう、その誇りのやり場に窮して、うろうろあのお葉書を持ち廻っていたのに違いありません。私は、はじめから、やり直します。さらに素直に、心掛けます。
「華厳」を、あれから、もう一度、ゆっくり読みかえしてみました。最初、お照が髪を梳《す》いて抜毛を丸めて、無雑作に庭に投げ捨て、立ち上るところがありますけれど、あの一行半ばかりの描写で、お照さんの肉体も宿命も、自然に首肯出来ますので、思わず私は微笑《ほほえ》みました。庭の苔《こけ》の描写は、余計のように思われましたけれど、なお、もう一度、読みかえしてみるつもりであります。雨後の華厳の滝のところは、ただもう、にこにこしてしまいました。滝のしぶきが、冷く痛く頬に感ぜられました。お照も細く見えた、という結末の一句の若さに驚きました。女体が、すっと飛ぶようにあざやかに見えました。作者の愛情と祈念が、やはり読者を救っています。
私は貧乏なので、なんの空想も浮ばず、十年一日の如く、月末のやりくり、庭にトマトの苗を植えた事など、ながながと小説に書いて、ちかごろは、それもすっかり、いやになって、なんとかしなければならぬと、ただやきもきして新聞ばかり読んでいます。脚気《かっけ》のほうも、最近は、しびれるような事も無く、具合がいいので、五、六日前から少しずつ、酒の稽古をはじめて居ります。酒を飲むと、少し空想も豊富になって、うれしいのです。酒がこんなに有難いものだとは思わなかった。酒は不潔な堕落のような気がして、このとしになるまで盃をふくんだ事がなかったのですが、国内に酒が少し不足になりかけた頃に、あわてて酒の稽古をするとは、実に、おどろくべき遅刻者であります。私は、いつでも遅刻ばっかりしていました。いっそトラックを一周おくれて、先頭になりましょうか。ひとつ御指導を得て、恋愛の稽古もはじめたい。歴史を勉強しましょうか。哲学とやらは如何。語学は。
告白すると、私は、ショパンの憂鬱な蒼白《あおじろ》い顔に芸術の正体を感じていました。もっと、やけくそな言葉で言うと、「あこがれて」いました。お笑いになりますか。海浜の宿の籐椅子《とういす》に、疲れ果てた細長いからだを埋めて、まつげの長い大きい眼を、まぶしそうに細めて海を見ている。蓬髪《ほうはつ》は海の風になぶられ、品《ひん》のよい広い額に乱れかかる。右頬を軽く支えている五本の指は鶺鴒《せきれい》の尾のように細長くて鋭い。そのひとの背後には、明石《あかし》を着た中年の女性が、ひっそり立っている。呆れましたか。どうも私の空想は月並みで自分ながら閉口ですが、けれども私は本気で書いてみたのです。近代の芸術家は、誰しも一度は、そんな姿と大同小異の影像を、こっそりあこがれた事がある。実に滑稽です。大工のせがれがショパンにあこがれ、だんだん横に太るばかりで、脚気を病み、顔は蟹《かに》の甲羅《こうら》の如く真四角、髪の毛は、海の風に靡《なび》かすどころか、頭のてっぺんが禿《は》げて来ました。そうして一合の晩酌で大きい顔を、でらでら油光りさせて、老妻にいやらしくかまっています。少年の頃、夢に見ていた作家とは、まさか、こんなものではありませんでした。本当に、「こんな筈ではなかった」という笑い話。けれども現在の此の私は、作家以外のものでは無い。先生、と呼ばれる事さえあるのです。ショパンを見捨て、山上憶良に転向しましょうか。「貧窮問答」だったら、いまの私の日常にも、かなりぴったり致します。こんなのを民族的自覚というのでしょうか。
書いているうちに、何もかも、みんな、くだらなくなりました。これで失礼いたします。けさは朝から不愉快でした。少し落ち附いて考えてみたくなりました。なんだか、みんな不安になりました。けれどもお気になさらぬよう。失礼いたしました。
この手紙には、御返事は要《い》りません。お大事に。
六月二十日[#地から3字上げ]木戸一郎
井原退蔵様
前略。
返事は要らぬそうだが御返事をいたします。
君の赤はだかの神経に接して、二三日、自分に(君にではない)不潔を感じて厭《いや》な気がしていたという事も申して置きます。自分は、君の名を前から知っていました。作品を読んだ事は無かったが、詩人の加納君が、或る会合の席上でかなりの情熱を以《もっ》て君の作品をほめて、自分にも一読をすすめた事がありました。自分も、そんなら一度読んでみようと思いながら、今日までその機会が無く、そのままになっていました。先日、君の短篇集とお手紙をもらって、お礼のおくれたのは自分の気不精からでもありましたが、自分は誰かれの差別なくお礼やら返事やらを書いているわけにも行きません。恩を着せるようにとられても厭ですが、自分は君の短篇集をちょっと覗《のぞ》いてみて、安心していいものがあるように思われましたから、気も軽くなって不取敢《とりあえず》お礼を差し上げたのです。お礼の言葉が短かすぎて君はたいへん不満のようですが、お礼には、誠実な「ありがとう」の一言で充分だと思う。他に、どんな言葉が要るのですか。あの時には、自分は未だ君の作品を、ほとんど読んでいなかったのです。
けれどもいまは、ちがいます。自分は君の短篇集を、はじめから終りまで全部読みました。かなりの資質を持った作家だと思いました。いつか詩人の加納が、君の作品をほめていたが、その時の加納の言葉がいま自分にも、いちいち首肯出来ました。
「光陰」のタッチの軽快、「瘤《こぶ》」のペエソス、「百日紅《さるすべり》」に於ける強烈な自己凝視など、外国十九世紀の一流品にも比肩《ひけん》出来る逸品と信じます。お手紙に依《よ》れば、君は無学で、そうして大変つまらない作家だそうですが、そんな、見え透いた虚飾の言は、やめていただく。君が無学で、下手な作家なら、井原は学者で、上手な作家という事になるようですが、そんな、人を無意味に困惑させるような言葉は、聞きたくないのです。もし君が、これから自分と交際をはじめるつもりであったなら、まず、そんな不要の言いわけは一言もせぬ事にして、それからにして欲しい。そうで無ければ、自分は交際を願うわけに行かない。「私は無学で、下手な作家」だと言われると、言われた自分のほうで、自分に不潔を感じてやりきれなくなります。自分だって、大きい顔をでらでら油光りさせて酒を飲んでいる事があります。君の手紙に不潔を感じたというのではなく、鏡の反射光を真正面に自分のほうに向けられたような気がして、自分の醜さにまごつくのです。おわかりの事と思う。
君の作品に於いても、自分にはたった一つ大きい不満があります。十九世紀の一流品に比肩出来るという、自分の言葉の中にも、自分はその大きい不満を含めていました。君の作品は、十九世紀の完成を小さく模倣しているだけだ、といってしまうと、実《み》も蓋《ふた》も無くなりますが、君の作品のお手本が、十九世紀のロシヤの作家あるいはフランスの象徴派の詩人の作品の中に、たやすく発見出来るので、窮極に於いて、たより無い気がするのです。感傷の在《あ》りかたが、諦念に到達する過程が、心境の動きが、あきらかに公式化せられています。かならずお手本があるのです。誰しもはじめは、お手本に拠《よ》って習練を積むのですが、一個の創作家たるものが、いつまでもお手本の匂いから脱する事が出来ぬというのは、まことに腑甲斐《ふがい》ない話であります。はっきり言うと、君は未だに誰かの調子を真似しています。そこに目標を置いているようです。「芸術的」という、あやふやな装飾の観念を捨てたらよい。生きる事は、芸術でありません。自然も、芸術でありません。さらに極言すれば、小説も芸術でありません。小説を芸術として考えようとしたところに、小説の堕落が胚胎《はいたい》していたという説を耳にした事がありますが、自分もそれを支持して居ります。創作に於いて最も当然に努めなければならぬ事は、「正確を期する事」であります。その他には、何もありません。風車が悪魔に見えた時には、ためらわず悪魔の描写をなすべきであります。また風車が、やはり風車以外のものには見えなかった時は、そのまま風車の描写をするがよい。風車が、実は、風車そのものに見えているのだけれども、それを悪魔のように描写しなければ「芸術的」でないかと思って、さまざま見え透いた工夫をして、ロマンチックを気取っている馬鹿な作家もありますが、あんなのは、一生かかったって何一つ掴めない。小説に於いては、決して芸術的雰囲気をねらっては、いけません。あれは、お手本のあねさまの絵の上に、薄い紙を載せ、震えながら鉛筆で透き写しをしているような、全く滑稽《こっけい》な幼い遊戯であります。一つとして見るべきものがありません。雰囲気の醸成を企図する事は、やはり自涜《じとく》であります。「チエホフ的に」などと少しでも意識したならば、かならず無慙《むざん》に失敗します。言わでもの事であったかも知れません。君も既に一個の創作家であり、すべてを心得て居られる事と思いますが、君の作品の底に少し心配なところがあるので、遠慮をせずに申し上げました。無闇《むやみ》に字面《じづら》を飾り、ことさらに漢字を避けたり、不要の風景の描写をしたり、みだりに花の名を記したりする事は厳に慎しみ、ただ実直に、印象の正確を期する事一つに努力してみて下さい。君には未だ、君自身の印象というものが無いようにさえ見える。それでは、いつまで経っても何一つ正確に描写する事が出来ない筈です。主観的たれ! 強い一つの主観を持ってすすめ。単純な眼を持て。複雑という事は、かえって無思想の人の表情なのです。それこそ、本当の無学です。君は無学ではありません。君の作品に於いても、根強い一つの思想があるのに、君は、それを未だに自覚していないのです。次の箴言《しんげん》を知っていますか。
「エホバを畏《おそ》るるは知識の本《もと》なり。」
多少、興奮して、失敬な事を書いたようです。けれども、若いすぐれた資質に接した時には、若い情熱でもって返報するのが作家の礼儀とも思われます。自分は、ハンデキャップを認めません。体当りで来た時には、体当りで返事をします。
今日は、君の作品に就《つ》いてだけ申し上げました。君のお手紙の言葉に対しては、次の機会にゆっくりお答えしたいと考えています。君の二通の手紙は、君の作品に較べて、ひどく劣っています。自分がもし君のあの手紙だけを読んで君の作品に接していなかったら、自分は君に返事を書かなかったろうと思います。君は、嘘ばかり書いていました。次の機会に、もっとくわしく申し上げます。長くなりますので、今日の手紙は、これだけで打ち切ります。
よい友人が得られそうなので、自分も久し振りに張り合いを感じています。やり切れなくなったら、旅行でもしてみたら、どうですか。不一。
二十五日[#地から3字上げ]井原退蔵
木戸一郎様
謹啓。
御手紙を、繰り返し拝読いたしました。すぐにはお礼状も書けず、この三日間、溜息《ためいき》ばかりついていました。私はあなたのお手紙を、かならずしも聖書の如く一字一句、信仰して読んだわけではありません。ところどころに、やっぱり不満もありました。小説の妙訣《みょうけつ》は、印象の正確を期するところにあるというお言葉は、間髪をいれず、立派でございましたが、私の再度の訴えもそこから出発していた筈であります。「たしかな事」だけを書きたかったと私は申し上げた筈でした。自分の掌で、明確に知覚したものだけを書いて、置きたかった、と言いました。けれども、このごろ私には、それが出来なくなりました。理由は、あります。けれども具体的には申し上げません。私は、それをあなたに訴えた筈です。けれどもあなたは、私の手紙を全然黙殺してしまいました。そうして、あなたご自身のお得意のテエマだけを一つ勝手に択《えら》んで、立派な感想を述べました。けれども、私はそのテエマに就いての講義は、ちっとも聞きたくなかったのです。古いなあ、とさえ思いました。私の聞きたい事は、そんな、上品な方法論ではなかったのです。もっと火急の問題であります。この次の御手紙では、かならず、その問題に触れてお答え下さい。きっと、お願い致します。
おゆるし下さい。御好意に狎《な》れて、言いたい放題の事を言いました。きっと、あなたは烈火のようにお怒りでしょう。けれども私は、平気です。
「エホバを畏るるは知識の本なり。」いい言葉をいただきました。私は、これから、あなたに対して、うんと自由に振舞います。美しい、唯一の先輩を得て、私の背丈《せたけ》も伸びました。
さて、それでは冒頭の言葉にかえりますが、私が、この三日間、すぐにはお礼も書けず、ただ溜息ばかりついていたというわけは、お手紙の底の、あなたの意外の優しさが、たまらなかったからであります。失礼ながら、あなたは無垢《むく》です。苦笑なさるかも知れませんが、あなたの住んでいらっしゃる世界には、光が充満しています。それこそ朝夕、芸術的です。あなたが、作品の「芸術的な雰囲気」を極度に排撃なさるのも、あなたの日常生活に於いてそれに食傷して居られるからでもないか知らとさえ私には思われました。私は極端に糠味噌《ぬかみそ》くさい生活をしているので、ことさらにそう思われるのかも知れませんが、五十歳を過ぎた大作家が、おくめんも無く、こんな優しいお手紙をよくも書けたものだと、呆然《ぼうぜん》としました。怒って下さい。けれども絶交しないで下さい。私は、はっきり言うと、あなたの此の優しい長い手紙が、気に食わぬのです。葉書の短い御返事も淋《さび》しいのですが、こんなにのんきにいたわられても閉口です。私の作品には、批評の価値さえありません。作品の感想などを、いまさら求めていたのではありません。けれども、手紙の訴えだけには耳を傾けて下さい。少しも嘘なんか書きませんでした。どこが、どんなに嘘なのでしょう。すぐに御返事を下さい。
わがままは承知して居ります。けれども、強い体当りをしたなら、それだけ強いお言葉をいただけるようでありますから、失礼をかえりみず口の腐るような無礼な言いかたばかり致しました。私は、世界中で、あなた一人を信頼しています。
御返事をいただいてから、ゆっくり旅行でもしてみたいと思って居ります。「へちまの花」の印税を昨日、本屋からもらいましたので。なおまた、詩人の加納さんとは、未だ一度もお逢いした事はありませんが、あなたから、機会がございましたら、木戸がよろこんでいたとおっしゃって下さい。加納さんは、私と同郷の、千葉の人なのです。頓首《とんしゅ》。
六月三十日[#地から3字上げ]木戸一郎
井原退蔵様
拝復。
君の手紙は下劣でした。お答えするのも、ばからしい位です。けれども、もう一度だけ御返事を差し上げます。君の作品を、忘れる事が出来ないからです。
自分は、君の手紙を嘘だらけだと言いました。それに対して君は、嘘なんか書かない、どこがどんなに嘘なのかと、たいへん意気込んで抗議していたようですが、それでは教えます。自分は、君の無意識な独《ひと》り合点《がてん》の強さに呆《あき》れました。作品の中の君は単純な感傷家で、しかもその感傷が、たいへん素朴なので、自分は、数千年前のダビデの唄《うた》をいま直接に聞いているような驚きをさえ感じました。自分は君の作品を読んで久し振りに張り合いを感じたのです。自分には、すぐれた作品に接するという事以外には、一つも楽しみが無いのです。自分にとって、仕事が全部です。仕事の成果だけが、全部です。作家の、人間としての魅力など、自分は少しもあてにして居りません。ろくな仕事もしていない癖に、その生活に於いて孤高を装い、卑屈に拗《す》ねて安易に絶望と虚無を口にして、ひたすら魅力ある風格を衒《てら》い、ひとを笑わせ自分もでれでれ甘えて恐悦《きょうえつ》がっているような詩人を、自分は、底知れぬほど軽蔑しています。卑怯であると思う。横着であると思う。作品に依らずに、その人物に依ってひとに尊敬せられ愛されようとさまざまに心をくだいて工夫している作家は古来たくさんあったようだが、例外なく狡猾《こうかつ》な、なまけものであります。極端な、ヒステリックな虚栄家であります。作品を発表するという事は、恥を掻く事であります。神に告白する事であります。そうして、もっと重大なことは、その告白に依って神からゆるされるのでは無くて、神の罰を受ける事であります。自分には、いつも作品だけが問題です。作家の人間的魅力などというものは、てんで信じて居りません。人間は、誰でも、くだらなくて卑しいものだと思っています。作品だけが救いであります。仕事をするより他はありません。君の手紙を読むと、君は此頃《このごろ》ひどく堕落しているという事が、はっきりわかります。いい加減であります。君はまさしく安易な逃げ路《みち》を捜してちょろちょろ走り廻っている鼬《いたち》のようです。実に醜い。君は作品の誠実を、人間の誠実と置き換えようとしています。作家で無くともいいから、誠実な人間でありたい。これはたいへん立派な言葉のように聞えますが、実は狡猾な醜悪な打算に満ち満ちている遁辞《とんじ》です。君はいったい、いまさら自分が誠実な人間になれると思っているのですか。誠実な人間とは、どんな人間だか知っていますか。おのれを愛するが如く他の者を愛する事の出来る人だけが誠実なのです。君には、それが出来ますか。いい加減の事は言わないでもらいたい。君は、いつも自分の事ばかりを考えています。自分と、それから家族の者、せいぜい周囲の、自分に利益を齎《もた》らすような具合いのよい二、三の人を愛しているだけじゃないか。もっと言おうか。君は泣きべそを掻《か》くぜ。「汝ら、見られんために己《おの》が義を人の前にて行わぬように心せよ。」どうですか。よく考えてもらいたい。出来ますか。せめて[#「せめて」に傍点]誠実な人間でだけ[#「だけ」に傍点]ありたい等と、それが最低のつつましい、あきらめ切った願いのように安易に言っている恐ろしい女流作家なんかもあったようですが、何が「せめて」だ。それこそ大天才でなければ到達出来ないほどの至難の事業じゃないか。自分はどうしても誠実な人間にはなり切れなかったから、せめて罪滅しに一生、小説を書いて行きます、とでも言うのなら、まだしも素直だ。作家は、例外なしに実にくだらない人間なのだと自分は思っています。聖者の顔を装いたがっている作家も、自分と同輩の五十を過ぎた者の中にいるようだが、馬鹿な奴だ。酒を呑まないというだけの話だ。「なんじら祈るとき、偽善者の如くあらざれ。彼らは人に顕《あらわ》さんとて、会堂や大路の角《かど》に立ちて祈ることを好む。」ちゃんと指摘されています。
君の手紙だって同じ事です。君は、君自身の「かよわい」善良さを矢鱈《やたら》に売込もうとしているようで、実にみっともない。君は、そんなに「かよわく」善良なのですか。御両親を捨てて上京し、がむしゃらに小説を書いて突進し、とうとう小説家としての一戸を構えた。気の弱い、根からの善人には、とても出来る仕業《しわざ》ではありません。敗北者の看板は、やめていただく。君は、たしかに嘘ばかり言っています。君は、まずしく痩《や》せた小説ばかりを書いて、そうして、昭和の文壇の片隅《かたすみ》に現われかけては消え、また現われかけては忘れられて、そうして、このごろは全く行きづまって、語学の勉強をはじめようか、日本の歴史を研究し直そうかと考えているのだそうですが、全部嘘です。君は、そんな自嘲《じちょう》の言葉で人に甘えて、君自身の怠惰と傲慢をごまかそうとしているだけです。ちょっと地味に見えながらも、君ほど自我の強い男は、めったにありません。おそろしく復讐心の強い男のようにさえ見えます。自分自身を悪い男だ、駄目な男だと言いながら、その位置を変える事には少しも努力せず、あわよくばその儘《まま》でいたい、けれどもその虫のよい考えがあまり目立っても具合いが悪いので、仮病の如くやたらに顔をしかめて苦痛の表情よろしく、行きづまった、ぎりぎりに困惑した等と呻《うめ》いているだけの事で、内心どこかで、だけど俺は偉いんだ、俺の作品は残るのだと小声で囁《ささや》いて赤い舌を出しているというのが、君の手紙の全体から受けた印象であります。君自身の肉体の疲労やら、精神の弛緩《しかん》、情熱の喪失を、ひたすら時代のせいにして、君の怠惰を巧みに理窟附けて、人の同情を得ようとしている。行きづまった、けれどもその理由は、申し上げません等と、なんという思わせ振りな懦弱《だじゃく》な言いかたをするのだろう。ひどい圧迫を受けているのだが、けれども忍んで、それは申し上げませんと殊勝な事を言っているようにも聞えますが、誰が一体、君をそんなに圧迫しているのですか。誰ですか? みんなが君を、大事にしているじゃありませんか。君は慾張りです。一本の筆と一帖の紙を与えられたら、作家はそこに王国を創《つく》る事が出来るではないか。君は、自身の影におびえているのです。君は、ありもしない圧迫を仮想して、やたらに七転八倒しているだけです。滑稽な姿であります。書きたいけれども書けなくなったというのは嘘で、君には今、書きたいものがなんにも無いのでしょう。書きたいものが無くなったら、理窟も何もない、それっきりです。作家が死滅したのです。救助の仕様もありません。君の手紙を見て、自分は君の本質的な危機を見ました。冗談言って笑ってごまかしている時ではありません。君は或いは君の仕事にやや満足しているのではあるまいか。やるべきところ迄は、やり果した。これ以上のものは、もはや書けまい、まず、これでよし等と考えているのでしたら、とんでも無い事です。君はまだ、やっとお手本を巧みに真似る事が出来ただけです。君の作品の中に十九世紀の完成を見附ける事は出来ても、二十世紀の真実が、すこしも具現せられて居りません。二十世紀の真実とは、言葉をかえて言えば、今日のロマンス、或いは近代芸術という事になるのですが、それは君の作品だけでなく、世界の誰の作品の中にも未だはっきり具現せられて居りません。企図した人は、すべて無慙《むざん》に失敗し、少し飛び上りそうになっては墜落し、世人には山師のように言われ、まるでダヴィンチの飛行機の如く嘲笑せられているのです。けれども自分は信じています。真の近代芸術は、いつの日か一群の天才たちに依って必ず立派に創成せられる。それは未だ世界に全く無かったものだ。お手本から完全に解放せられて二十世紀の自然から堂々と湧出《ゆうしゅつ》する芸術。それは必ず実現せられる。そうして自分は、その新しい芸術が、世界のどこの国よりも、この日本の国に於いて、最も美事に開花するのだと信じている。君たちと、君たちの後輩が、それを創るようになるだろうと思っている。日本には、明治以来たくさんの作家が出ましたが、一つの創作も無かったと言ってよい。創作という言葉は、誰が発明したものかわからないけれども、実にいい言葉だと思う。多くの人は、この言葉を小説の別名の如く気楽に考えて使用しているようですが、真の創作は未だに日本に於いて明治以後、一篇もあらわれていないと思う。どこかに、かならずお手本の匂いがします。それが愛嬌《あいきょう》だった時代もあったのですが、今では外国の思想家も芸術家も、自分たちの行く路に就いて何一つ教えてはくれません。敗北を意識せず、自身の仕事に幽《かす》かながらも希望を感じて生きているのは、いまは、世界中で日本の芸術家だけかも知れない。仕合せな事です。日本は、芸術の国なのかも知れぬ。
すべては、これからです。自分も、死ぬまで小説を書いて行きます。その時のジャアナリズムが、政府の方針を顧慮し過ぎて、自分の小説の発表を拒否する事が、もし万一あったとしても、自分は黙って書いて行きます。発表せずとも、書き残して置くつもりです。自分は明白に十九世紀の人間です。二十世紀の新しい芸術運動に参加する資格がありません。けれども、一粒の種子は、確実に残して置きたい。こんな男もいたという事を、はっきり書いて残して置きたい。
君は、だらしが無い。旅行をなさるそうですが、それもよかろう。君に今、一ばん欠けているものは、学問でもなければお金でもない。勇気です。君は、自身の善良性に行きづまっているのです。だらしの無い話だ。作家は例外なく、小さい悪魔を一匹ずつ持っているものです。いまさら善人づらをしようたって追いつかぬ。
この手紙が、君への最後の手紙にならないように祈っている。敬具。
七月三日[#地から3字上げ]井原退蔵
木戸一郎様
拝啓。
のがれて都を出ました。この言葉をご存じですか。ご存じだったら、噴き出した筈です。これは、ひどく太って気の毒な或る女流作家の言葉なのです。けれども、此の一行の言葉には、迫真性があります。さて、私も、のがれて都を出ました。懐中には五十円。
私は、どうしてこうなんでしょう。不安と苦痛の窮極まで追いつめられると、ふいと、ふざけた言葉が出るのです。臨終《りんじゅう》の人の枕もと等で、突然、卑猥《ひわい》な事を言って笑いころげたい衝動を感ずるのです。まじめなのです。気持は堪えられないくらいに厳粛にこわばっていながら、ふいと、冗談を言い出すのです。のがれて都を出ましたというのも、私の苦しまぎれのお道化でした。態度が甚《はなは》だふざけています。だいいち、あの女流作家に対して失礼です。けれども私は今、出鱈目《でたらめ》を言わずには居られません。
あなたから長いお手紙をいただき、ただ、こいつあいかんという気持で鞄《かばん》に、ペン、インク、原稿用紙、辞典、聖書などを詰め込んで、懐中には五十円、それでも二度ほど紙幣の枚数を調べてみて、ひとり首肯《うなず》き、あたふたと上野駅に駈け込んで、どもりながら、し、しぶかわと叫んで、切符を買い、汽車に乗り込んでから、なぜだか、にやりと笑いました。やっぱり、どこか、ふざけた書きかたですね。くるしまぎれのお道化です。御海容ねがいます。
この、つまらない山の中の温泉場へ来てから、もう三日になりますが、一つとして得るところがありませんでした。奇妙な、ばからしい思いで、ただ、うろうろしています。なんにもならなかった。仕事は、一枚も出来ません。宿賃が心配で、原稿用紙の隅に、宿賃の計算ばかりくしゃくしゃ書き込んでは破り、ごろりと寝ころんだりしています。何しに、こんなところへ来たのだろう。実に、むだな事をしました。貧乏そだちの私にとっては、ほとんどはじめての温泉旅行だったのですが、どうも私はまだ、温泉でゆっくり仕事など出来る身分ではないようです。宿賃ばかりが気になっていけません。
あなたの長いお手紙が、私をうろうろさせました。正直に申し上げると、あなたのお言葉の全部が、かならずしも私にとって頂門《ちょうもん》の一針《いっしん》というわけのものでも無かったし、また、あなたの大声|叱咤《しった》が私の全身を震撼《しんかん》させたというわけでも無かったのです。決して負け惜しみで言っているわけではありません。あなたが御手紙でおっしゃっている事は、すべて私も、以前から知悉《ちしつ》していました。あなたはそれを、私たちよりも懐疑が少く、権威を以《もっ》て大声で言い切っているだけでありました。もっともあなたのような表現の態度こそ貴重なものだということも私は忘れて居りません。あなたを、やはり立派だと思いました。あなたに限らず、あなたの時代の人たちに於いては、思惟《しい》とその表示とが、ほとんど間髪をいれず同時に展開するので、私たちは呆然とするばかりです。思った事と、それを言葉で表現する事との間に、些少《さしょう》の逡巡《しゅんじゅん》、駈引きの跡も見えないのです。あなた達は、言葉だけで思想して来たのではないでしょうか。思想の訓練と言葉の訓練とぴったり並走させて勉強して来たのではないでしょうか。口下手の、あるいは悪文の、どもる奴には、思想が無いという事になっていたのではないでしょうか。だからあなた達は、なんでもはっきり言い切って、そうして少しも言い残して居りません。子供っぽい、わかり切った事でも、得意になって言っています。それがまた、私たちにとっては非常な魅力なのですから、困ります。私たちは、何と言ってよいのか、「思想を感覚する」とでも言ったらいいのだろうか、思惟が言葉を置きざりにして走ります。そうして言葉は、いつでも戸惑いをして居ります。わかっているのです。言葉が、うるさくってたまりません。なるほど、それも一理窟だ、というような、そんないい加減な気持で、人の講義を聞いて居ります。言葉は、感覚から千里もおくれているような気がして、のろくさくって、たまりません。主観を言葉で整理して、独自の思想体系として樹立するという事は、たいへん堂々としていて正統のようでもあり、私も、あこがれた事がありましたが、どうも私は「哲学」という言葉が閉口で、すぐに眼鏡をかけた女子大学生の姿や、されこうべなどが眼に浮び、やり切れないのです。私があなたのお手紙を読んで、あなたのお考えになっている事が、あなたの言葉と少しの間隙《かんげき》も無くぴったりくっついて立っているのを見事に感じ、これは言葉に依る思想訓練の結果であろうか、或いはまた逆に、思想に依る言葉の訓練の成果であろうか、とにかく永い修練の末の不思議な力量を見たという思いを消す事が出来ませんでした。あなたが、あれは間違いだと思う、とお書きになると、あなたが心の底から一片の懐疑の雲もなく、それを間違いだと断定して居られるように感ぜられます。私たちは違います。あいつは厭な奴だと、たいへん好きな癖に、わざとそう言い変えているような場合が多いので、やり切れません。思惟と言葉との間に、小さい歯車が、三つも四つもあるのです。けれども、この歯車は微妙で正確な事も信じていて下さい。私たちの言葉は、ちょっと聞くとすべて出鱈目の放言のように聞えるでしょうが、しさいにお調べになったら、いつでもちゃんと歯車が連結されている筈です。生活の違いかも知れません。こんな言いわけは、気障《きざ》な事です。悲しくなりました。よしましょう。私が、あなたのお手紙の、ほとんど暴力に近い、それこそ実《み》も蓋《ふた》も無い素朴な表現に驚嘆したのも、たしかな事実でありますが、その表現せられている御意見には、一つも啓発せられるところが無かったというのも事実でありました。いまさら何を言っていやがると思いました。私たちを、へんなお手本に押し込めて、身動きも出来なくさせたのは、一体、誰だったでしょう。それは、先輩というものでありました。心境未だし、デッサン不正確なり、甘し、ひとり合点なり、文章粗雑、きめ荒し、生活無し、不潔なり、不遜《ふそん》なり、教養なし、思想不鮮明なり、俗の野心つよし、にせものなり、誇張多し、精神|軽佻《けいちょう》浮薄なり、自己陶酔に過ぎず、衒気《げんき》、おっちょこちょい、気障《きざ》なり、ほら吹きなり、のほほんなりと少し作品を濶達に書きかけると、たちまち散々、寄ってたかってもみくちゃにしてしまって、そんならどうしたらいいのですと必死にたずねてみても、一言の指図もしてくれず、それこそ、縋《すが》るを蹴とばし張りとばし意気揚々と引き上げて、やっぱりあいつは馬鹿じゃ等と先輩同志で酒席の笑い話の種にしている様子なのですから、ひどいものです。後輩たる者も亦《また》だらしが無く、すっかりおびえてしまって、作品はひたすらに、地味にまずしく、躍る自由の才能を片端から抑制して、なむ誠実なくては叶《かな》うまいと伏眼になって小さく片隅に坐り、先輩の顔色ばかりを伺って、おとなしい素直な、いい子という事になって、せっせとお手本の四君子やら、ほてい様やら、朝日に鶴、田子の浦の富士などを勉強いたし、まだまだ私は駄目ですと殊勝らしく言って溜息をついてみせて、もっぱら大過なからん事を期しているというような状態になったのです。いまでは私は、信じています。若い才能は、思い切り縦横に、天馬の如《ごと》く走り廻るべきだと思っています。試みたいと思う技法は、とことんまでも駆使すべきです。書いて書きすぎるという事は無い。芸術とは、もとから派手なものなのです。けれども私は、もうおそいようです。骨が固くなってしまいました。ほてい様やら、朝日に鶴を書き過ぎました。私はあなたのお手紙を読み、いまさら何を言っていやがると思ったのは、そのところなのです。もう二十年はやく、あなたがそれを、はっきり言ってくれたならば! けれども、これは愚痴のようです。お手本を破れ、二十世紀の新しい芸術は君たちの手中に在ると大声で煽動《せんどう》せられても、私は苦しく顔をゆがめて笑っただけでした、という事だけを申し上げて、その余の愚痴めいた事は、言わない事にいたしましょう。私もどうやら、あなたと同様に、十九世紀の作家のようであります。
いろいろ失礼な事ばかり申し上げましたが、本当に、私はあなたのお手紙のお言葉の内容に於いては、何一つ啓発せられるところが無かった、けれども、私は、うろたえたのです。お手紙を持って、うろうろしました。のがれて都を出たのです。こいつあいかんという気持で鞄にペン、インク、原稿用紙をつめ込んだのです。なぜでしょう。私は、あなたの手紙の長さに負けたのです。私ごときに、こんなに長いむだな手紙を下さる、あなたのばかな情熱に狼狽《ろうばい》してしまったのです。これだけ長い文章を、もし原稿用紙に書いたら、あなたはたいへんな原稿料を受け取る事が出来るのにと卑《いや》しい讃嘆の思いをさえ抱きました。あなたは、いま、ひどく退屈して居られるのではなかろうかとも思いました。私だけでなく、他の誰かれにも、こんな長い手紙を、むきになって書いて居られるのではないだろうかと思えば、いよいよ狼狽するばかりでありました。私は、あなたを、ずいぶん深く愛しているようです。日常の手紙などで、あなたのもったいない情熱をこんなに濫費《らんぴ》されて、たまるものかという気がしました。私は、自分を愛するよりも、あなたを愛しています。私は苦しくなりました。そうして、つくづく、あなたを駄目な、いいひとだと思いました。大痴という言葉がありますが、あなたは、それです。底抜けのところがあります。やはりあなたは有数の人物だと思いました。こんどは、もういいから、私にも誰にも、あんな長い手紙は書かないで下さい。閉口です。もう、わかりました。私は作品を書きます。書きます。こいつは、かなわんという気持で私は鞄にペン、インク、原稿用紙、聖書などを詰め込んだのです。
思えば、ばからしい旅でした。何一ついい事がありません。もう今夜で、三泊する事になるのですが、仕事は一枚も出来ません。最初の夜から大失敗でした。それをお知らせ致しましょう。私には仕事の腹案が一つも無かったのです。出来れば一つラヴ・ロマンス(お笑いになりましたね。)そいつを書いてみたいという思いが心のどこかの隅に、幽《かす》かに疼《うず》いていたようです。文学とは、恋愛を書く事ではないのかしらと、このとしになって、ちょっと思い当った事もありましたので、私の最近の行きづまりを女性を愛する事に依って打開したい等、がらにもない願望をちらと抱いた夜もあって、こんどの旅行で何かヒントでも得たら、しめたものだと陳腐《ちんぷ》な中学生式の空想もあったのでした。私には旅行がめずらしかったものですから、それで少し浮き浮きしていたというところもあったのでしょう。あわれな話ですね。若い花やかなインスピレエションが欲しさに、私は大しくじりを致しました。最初の晩、ごはんのお給仕に出た女中は二十七八歳の、足を外八文字にひらいて歩く、横に広いからだのひとでした。眼が細く小さく、両頬は真赤でおかめの面《めん》のようでありました。何を考えているのか、どういう性格なのか、よくわからないような人でありました。私は、宿の客が多いか、何月ごろが一ばんいそがしいか、そうか、ねえさんは此の土地の人か、そうか、などと少しも知りたくない事ばかりを無理してお義理に質問しては、女中が答えないさきから首肯《うなず》いたりしていました。女中は聞かれた事だけを、はっきり一言で答えて、他には何も言いません。ぶあいそな女中でした。私は退屈しました。ちっとも話題が無くなりました。私は重くるしくなりました。二本目のお銚子《ちょうし》にとりかかった時、どういう風の吹き廻しか、ふいと坂田藤十郎の事が思い浮んだのです。芸に行きづまり一夜いつわりの恋をしかけて、やっとインスピレエションを得た。わるい事だが、芸のためには、やむを得まい。私も実行しよう。すぐに屹《き》っと眉《まゆ》を挙げて、女中さん、と声の調子を変えて呼びかけました。君を好きなんだ、とか何とか自分でも呆れるくらい下手な事を言って、そっと女中の手を握ろうとしたら、ひどい事になりました。女中は、「何しるでえ!」と大声で叫んで立ち上り、けもののような醜いまずい表情をして私を睨《にら》み、「あてにならねえ。非常時だに。」と言いました。私は肝《きも》のつぶれるほどに驚倒し、それから、不愉快になりました。「自惚《うぬぼ》れちゃいけない。誰が君なんかに本気で恋をするものか。」と私も、がらりと態度を改めて言ってやりました。「ためしてみたのだ。むかし坂田藤十郎という偉い役者がいてね、」と説明しかけたら、また大きな声で、「いい加減言うじゃあ。寄るな! 寄るな!」とわめいて両手を胸に当て、ひとりで身悶えするのですが、なんとも、まずい形でした。私は酔いも醒《さ》め、すっかりまじめな気持になってしまって、「誰も君に寄りやしないじゃないか。坐り給え。僕が悪かったよ。銃後の女性は皆、君のようにしっかりしていなければいけないね。」などと言ってほめてやりましたが、女中は、いかにも私を軽蔑し果てたというように、フンと言って、襟《えり》を掻き合せ、澄まして部屋から出て行きました。私は残ったお酒をぐいぐい呑み、ひとりでごはんをよそって食べましたが、実にばからしい気持でした。藤十郎が、こんなひどい目に遇うとは、思いも設けなかった事でした。とかく、むかしの伝説どおりには行かないものです。「何しるでえ!」には、おどろきました。インスピレエションも何もあったものではありません。これでは藤十郎のほうで、くやしく恥ずかしくて形がつかず、首をくくらなければなりません。その夜、お膳《ぜん》を下げに来たのも、蒲団《ふとん》を伸べに来たのも、あの外八文字ではありませんでした。痩せて皮膚のきたない、狐《きつね》のような顔をした四十くらいの女中でした。この女中までが私を変に警戒しているようなふうなので、私は、うんざりしました。あの外八文字が、みんなに吹聴《ふいちょう》したのに違いありません。その夜は私も痛憤して、なかなか眠られぬくらいでしたが、でも、翌《あく》る朝になったら恥ずかしさも薄らいで、部屋を掃除しに来た外八文字に、ゆうべは失敬、と笑いながら軽く言う事が出来ました。やっぱり男は四十ちかくになると、羞恥心が多少|麻痺《まひ》して図々しくなっているものですね。十年前だったら、私はゆうべもう半狂乱で脱走してしまっていたでしょう。自殺したかも知れません。外八文字は、私がお詫びを言ったら、不機嫌そうに眉をひそめてちょっと首肯きました。たいへん、もったいぶっています。私は、もう此の女とは一言も口をきくまいと思いました。実に、くだらない。きのうは一日一ぱい、寝ころんで聖書を読んでいました。夜も、お酒は呑みませんでした。ひとりで渓流の傍の岩風呂にからだを沈めて、心まずしきものは幸いなるかな、心まずしきものは幸いなるかな、となんども呟《つぶや》いてみましたが、そのうちに大きい声で、いい仕事をしろ、馬鹿野郎、いい仕事をしろ、馬鹿野郎と言うようになりました。それから、小さい声で、いい仕事の出来るように、いい仕事の出来るように、と呟いて、ひどく悲しくなって真暗い空を仰いで、もっとうんと小さい声で、いい仕事をさせて下さい、と囁《ささや》くように言いました。渓流の音だけが物凄《ものすご》くて、――渓流の音と言えば、すぐにきょうのお昼の失敗を思い出し、首筋をちぢめます。実は、きょうのお昼に、また一つ失敗をしたのです。けさ私は、岩風呂でないほうの、洋式のモダン風呂のほうへ顔を洗いに行って、脱衣場の窓からひょいと、外を見るとすぐ鼻の先に宿屋の大きい土蔵があってその戸口が開け放されているので薄暗い土蔵の奥まで見えるのですが、土蔵の窓から桐《きり》の葉の青い影がはいっていて涼しそうでした。女が坐っているのです。奥に畳が二枚敷かれていて、簡単服を着た娘さんが、その上にちゃんと行儀よく坐って縫いものをしているのでした。悪くないな、と思いました。丸顔で、そんなに美人でもないようですが、でも、みどりの葉影を背中に受けてせっせと針仕事をしている孤独の姿には、処女の気品がありました。へんに気になって、朝ごはんの時、給仕に出て来た狐の女中に、あの娘さんは何ですか、とたずねてみました。狐の女中は、にこりともせず、あれは近所のお百姓の娘さんで毎日あそこで宿の浴衣《ゆかた》や蒲団を繕《つくろ》っているのです、いいひとが出征したので此頃さびしそうですね、と感動の無い口調で言って、私の顔をまっすぐに見つめて、こんどは、あの人に眼をつけたのですか、と失敬な事まで口走るので、私も、むっとしました。すくなくとも君たちよりは上等だね、と言ってやろうかと思いましたが、怺《こら》えて、ただ苦笑して見せました。お昼頃、廊下の籐椅子に腰かけて谷底の渓流を見おろしていたら、釜《かま》が淵《ふち》という、一丈くらいの小さい滝の落ちているあたりに女の人が、しゃがんでいるのにふと気が附いて、よくよく見ると、どうもあの土蔵のひとのようなので、私は、いたたまらなくなりました。淋しそうな人の姿を見ると、私は、自分に何も出来ないのがわかっていながら、何かしてやりたくて、てんてこ舞いしてしまうのです。とても、じっとして居られなくなります。私は立ち上り、浴衣をちゃんと着直して、ハンケチで顔の油を拭い、そうして鞄の中から財布を取り出して懐に入れました。私は旅馴れていないせいか、財布が気になってなりません。部屋を出る時は、トイレットへ行く時でも、お風呂へ行く時でも、散歩に出る時でも、かならず懐へ入れて出ます。お金が惜しいというわけではなく、無くなった時、いろいろ騒ぎになる、その騒ぎがいやなのです。私は岩風呂へ降りて行って、そこからスリッパのままで釜が淵のほうへぶらぶら何気なさそうに歩いて行きました。女の尻を追い廻す、という最下等のいやな言葉が思い浮びましたが、私の場合は、それとちがうのだというような気もして、そんなに天の呵責《かしゃく》も感じませんでした。なんとかして一言、なぐさめてやりたかったのです。女の人は、私のほうをちらと見て、立ち上りました。私はここぞと微笑して、「毎日たいへんですね。」と言ってやりました。女は、え? と聞き直すように小頸《こくび》をかしげて私のほうを見て、当惑そうに幽かに笑いました。聞えないのです。急湍《きゅうたん》は叫喚し怒号し、白く沸々と煮えたぎって跳奔している始末なので、よほどの大声でなければ、何を言っても聞えないのです。私は、よほどの大声で、「毎日たいへんですね!」と絶叫しました。けれども、やっぱり奔湍の叫喚にもみくちゃにされて聞えないのです。女は、いよいよ当惑そうに眼をぱちぱちさせて、笑っています。私は、やけくそになって吠えるようにもういちど、「毎日たいへんですね!」と叫びましたが、女は、やはり、え? と聞き直すように、私の顔を見つめます。私は、しょげてしまいました。毎日たいへんですねという言葉そのものが、いったい何の事やら、わけがわからない、ばからしいもののような気がして来て、不機嫌にさえなりました。私はあきらめて岩にくだけて躍る水沫をしばらく眺め、それから帰りました。部屋へ帰ってから財布が懐に無い事に気が附きうろたえました。きっと釜が淵のあたりに落したのだ。そうして、あの女に拾われてしまったのだと、なぜだか電光の如くきらりと思い込んでしまいました。きっとあの人には盗癖があって、拾っても知らぬ振りをしているのだ。あんな淋しそうな女には、意外にも盗癖があるものだ。けれども私は、ゆるしてやろう。などと少しロマンチックな興奮を取り戻して、部屋を出てまた岩風呂のほうへ降りて行く途中で、その財布が私の浴衣の背中のほうに廻っているのを発見して、しんから苦笑しました。私は、ラヴ・ロマンスをあきらめます。「五十円」という題の貧乏小説を書こうと思います。五十円持って旅に出たまずしい小心者が、そのお金をどんな工合いに使用したか、汽車賃、電車代、茶代、メンソレタム、一銭の使途もいつわらず正確に報告する小説を書こうと思います。
ふざけた事ばかりを書きました。きょうは女房から手紙が来ました。御自重下さい、と書かれていましたので、げっそり致しました。しず子(私のひとり娘です。五歳になります。)もおとなしくお留守番をしています、とも書かれていました。どうしても、ここで一篇、小説を書かなければ、家へも面目なくて帰れない気持です。毎日こんな、だらしない事では、どう仕様もございません。
どうやら今夜の手紙も、しどろもどろ(あなたの言葉で言えば、嘘だらけ)の手紙になりました。かなぶんぶんが、次から次と部屋へはいって来て、どうも落ちついて書けませぬ。この部屋は、この宿のうちで最下等の部屋のようであります。襖《ふすま》の絵が、全然なっていません。一本の梅の枝に、鶯《うぐいす》が六羽ならんでとまっている絵があります。見ていると、腹が立って来ます。ひどい絵です。
だらだら勝手な事ばかり書いて来ました。いちいちお読み下さったとしたら恐縮です。でも、もう怒らないで下さい。あなたは、すぐ怒るからいけません。もう、あんな長い堂々のお手紙ばかりはごめんですよ。
ご存じですか? 私は、あなたとこんな手紙の往復が出来て、幸福なんですよ。私は、二十も若くなりました。草々頓首。
七月七日深夜。[#地から3字上げ]木戸一郎
井原退蔵様
木戸君。
やっぱり自分のほうが、君より役者が一枚上だと思った。君は、なんのかんのと言いながらも、とにかく仕事をはじめる気になったじゃないか。自分の長い手紙も、決してむだではなかったのです。作家は、仕事をしなければならぬ。ひょっとしたら自分も、二三日中に旅に出る事になるかも知れない。その時には君の宿へも立ち寄ってみたいと思っている。面白い宿です。外八文字は、案外、君に気があるのかも知れぬ。もういちど話かけてみたら、どうですか。不取敢《とりあえず》、短い[#「短い」に傍点]葉書を。不一。
七月九日[#地から3字上げ]井原退蔵
謹啓。
しばらく御無沙汰して居りました。仕事を一段落させてから、ゆっくりお礼やらお詫びやらを申し上げようと思って、きょうまで延引してしまいました。おゆるし下さい。言いにくい事から、まず申し上げますが、あの温泉宿の支払いをお助け下さって、ありがとう存じます。たしか二十円お借りしたと覚えて居りますが、小為替《こがわせ》にて同封して置きましたから、よろしくお願い致します。私も「へちまの花」の印税がはいったばかりのところですからお金持であります。お気を悪くなさらず笑ってお納め下さい。貧乏していると、へんに片意地になるもので、どんな親しい人からでも、お金の世話になりたくないものです。はばかりながら人に不義理はしていねえ、という事だけが、せめてもの唯一の誇りのようであります。その誇り一つで生きているものです。どうか、お怒りなさらず、お納め下さい。あの山の中の、つまらぬ温泉宿に、あなたがおいでになったと女中から通知された時には、私は思わず、ひえっ! という奇妙な叫び声を挙げました。あなたもずいぶん滅茶なひとだと思いました。お葉書に書いてはございましたが、まさかと思って、少しもあてにはしていなかったのです。あなたの年代の作家たちは、へんに子供みたいに正直ですね。私は呆《あき》れて、立ち上ったら、「ひでえ部屋にいやがる。」と学生みたいな若い口調で言って、のっそり私の部屋へはいって来られた。思っていたよりも小柄で、きれいなじいさんでした。白い歯をちらと見せて笑って、「鶯が六羽いるというのは、この襖《ふすま》か。なるほど、六羽いる。部屋を換えたまえ。」とせかせか言いました。あなたは、あの時、てれていたのではないでしょうか。てれがくしに、襖の絵の事などおっしゃったのではないでしょうか。私が意味もなく、「はあ」と言ってお辞儀をしたら、あなたも、ぎゅっとまじめになって、「僕は井原です。仕事の邪魔になったようですね。」と、はじめて、あなたの文章と同じ響きの、強い明快の調子で言いました。
「いいえ、それどころか。」私は、てんてこ舞いをしていました。そうして、えへへ、と実に卑しいお追従《ついしょう》笑いをしたようです。本当に、仕事の邪魔どころか、私は目がくらんで矢庭《やにわ》に倒立《さかだ》ちでもしたい気持でした。私はあの日、もう東京へ帰ろうかと思っていたのです。一週間も滞在して、いちまいも書けず、宿賃が一泊五円として、もうそろそろ五十円では支払いが心細くなっていますし、きょうあたり会計をしてもらって、もし足りなかったら家へ電報を打たなければなるまい、ばかな事になったものだと、つくづく自分のだらし無さに呆れて、厭気がさしていた矢先に、霹靂《へきれき》の如くあなたが出現なさったので、それこそ、実感として「足もとから鳥が飛び立った」ような、くすぐったい、尻餅《しりもち》をついてみたい程の驚きを感じたのです。
それから二日間、あの宿で、あなたと共に起居して、私は驚嘆の連続でした。なんという達者なじいさんだろうと、舌を巻いた。けれども私は、一度も不愉快を感じませんでした。とても豊富な明朗なものを感じました。外八文字も、狐も、あなたに対してはまるで処女の如くはにかみ、伏目になっていかにも嬉しそうにくすくす笑ったりなどするので、私は、あなたの手腕の程に、ひそかに敬服さえ致しました。やはり、あなたは都会の人で、そうして少し不良のお坊ちゃんの面影をどこかに持って居られました。けれども私には、それに依って幻滅を感ずるどころか、かえって悲しくなつかしく、清潔なものをさえ感じました。あなたは臆するところ無く遊びます。周囲の思惑を少しも顧慮せず、それこそ、ずっかずっか足音高く遊びます。そうして遊びの責任を、遊びの刑罰を、ちゃんと覚悟して、逃げも隠れもせず平然たるものがあります。一言の弁明も致しません。それゆえ、あなたの大胆な遊びは、汚れがなくて綺麗に見えます。私たちは、いつでもおっかなびっくりで、心の中で卑怯な自問自答を繰りかえし、わずかに窮余のへんてこな申し開きを捏造し、責任をのがれ、遊びの刑罰を避けようと致しますから、ちょっとの遊びもたいへんいやらしく、さもしく、けちくさくなってしまいます。五十を越えたあなたのほうが、三十八歳の私よりも、ずっと若くて颯爽《さっそう》としているという事実は、私にとって、たしかに驚異でありました。あなたと私のこんな違いは、お金持と貧乏人という生活の懸隔《けんかく》から起ったのでは無く、あなたが之まで幾十度と無く重大の命の危機を切り抜けて生きて来たという事から起ったのだ。あなたはいつでも、全身で闘っている。全身で遊んでいる。そうして、ちゃんと孤独に堪えている。私は、あなたを、うらやましく思います。
いかに努めても、決して及ばないものがある。猪《いのしし》と熊とが、まるっきり違った動物であるように、人間同志でも、まるっきり違った生きものである場合がたいへん多いと思います。猪が、熊の毛の黒さにあこがれて、どんなにじたばたしたって、決して熊にはなれません。私は、あきらめました。二日あなたのお傍で遊ばせていただき、あなたに、あまり宿賃のお世話になるのも心苦しい事でしたので、私だけ先に、失礼して帰京いたしましたが、あなたは、あれから、信州のほうへお廻りになるとか、おっしゃって居られましたけれど、もうそろそろ涼しくなってまいりましたから、御帰京なさって居られる頃と存じます。
夢のような気が致します。二十年間、一日もあなたの事を忘れず、あなたの文章は一つも余さず読んで、いつもあなた一人を目標にして努力してまいりましたが、一夜の興奮から、とうとう手紙を差し上げ、それからはまるで逆上したように遮二無二あなたに飛び附いて、叱られ、たたかれても、きゃんきゃん言ってまつわり附いて、とうとうあなたと温泉宿で一緒に遊ぶという程の意外な幸福を得たという事は、いま思うと悲しい夢のような気がするのです。私は狂っていたのかも知れません。ずいぶん失礼な手紙も差し上げたような気がします。私のそんな半狂乱の手紙にも、いちいち長い御返事を下さった先生の愛情と誠実を思うと、目が熱くなります。だんだん先生とお呼びしても、自分の気持に不自然を感じなくなりました。もう私の気持が、浪の引くように、あなたから遠くはなれてしまっているのかも知れません。旅行から帰って、少しずつ仕事をすすめているうちに、私はあなたに対して二十年間持ちつづけて来た熱狂的な不快な程のあこがれが綺麗さっぱりと洗われてしまっているのに気が附きました。胸の中が、空《から》のガラス瓶のように涼しいのです。あなたの作品を、もちろん昔と変らず、貴いものと思って居ります。けれども、その貴さは、はるか遠くで幽《かす》かに、この世のものでないように美しく輝いている星のようです。私から離れてしまいました。私は、これから、こだわらずに、あなたを先生と呼ぶ事が出来そうです。あなたは大事なおかたです。尊敬とは、こんな侘《わ》びしい感情を指して言うのでしょうか。私は、あなたに甘える事が、どうしても出来なくなりました。あなたは、生れながらの「作家」でした。私には、野暮《やぼ》な俗人というしっぽが、いつまでもくっついていて、「作家」という一天使に浄化する事がどうしても出来ません。
私のいまの仕事は、旧約聖書の「出エジプト記」の一部分を百枚くらいの小説に仕上げる事なのです。私にとっては、はじめての「私小説」で無い小説ですが、けれども、やっぱり他人の事は書けません。自分の周囲の事を書いているのです。いままでの小説の形式に行きづまって、うんざりして、やっとこんな冒険の新形式を試みる事になったのですが、どうやら、きょうで物語の三分の二まで漕《こ》ぎつけて調子も出て来たようですから、少し、ほっとしているのです。ちらと青空も見えて来ました。ぎりぎりに行きづまって、くるしまなければ、いつまで経っても青空を見る事が出来ないのだ、いまは、かえって、きのう迄の行きづまりに感謝だ、などと甘い感慨にふけっている形なのです。私は無学で、本当に何一つ知らないのですが、でも、聖書だけは、新聞配達をしている頃から、くるしい時には開いて読んで居りました。一時、わすれていたのですが、こんど、あなたから、「エホバを畏《おそ》るるは知識の本なり。」という箴言《しんげん》を教えていただいて愕然《がくぜん》としたのでした。ずいぶん久しい間、聖書をわすれていたような気がして、たいへんうろたえて、旅行中も、ただ聖書ばかりを読んでいました。自分の醜態を意識してつらい時には、聖書の他には、どんな書物も読めなくなりますね。そうして聖書の小さい活字の一つ一つだけが、それこそ宝石のようにきらきら光って来るから不思議です。あの温泉宿で、ただ、うろうろして一枚の作品も書けず、ひどく無駄をしたような気持でしたが、でも、いまになって考えると聖書を毎日読んだという事だけでも、たいへん貴重な旅行であったのかも知れません。聖書を思い出させて下さったのも、また、私に旅行をすすめて下さったのも、すべてあなたであります。やはり私は、あなたに苦しさを訴えてよかったのかも知れません。私は、あなたに救われたのです。いよいよ私は、あなたに甘える事が出来ません。真の尊敬というものは、お互いの近親感を消滅させて、遠い距離を置いて淋《さび》しく眺め合う事なのでしょうか。私は今は、生れてはじめて孤独です。
「出エジプト記」を読むと、モーゼの努力の程が思いやられて、胸が一ぱいになります。神聖な民族でありながらもその誇りを忘れて、エジプトの都会の奴隷の境涯に甘んじ貧民窟で喧噪《けんそう》と怠惰の日々を送っている百万の同胞に、エジプト脱出の大事業を、「口重く舌重き」ひどい訥弁《とつべん》で懸命に説いて廻ってかえって皆に迷惑がられ、それでも、叱ったり、なだめたり、怒鳴ったりして、やっとの事で皆を引き連れ、エジプト脱出に成功したが、それから四十年間荒野にさまよい、脱出してモーゼについて来た百万の同胞は、モーゼに感謝するどころか、一人残らずぶつぶつ言い出してモーゼを呪《のろ》い、あいつが要らないおせっかいをするから、こんな事になったのだ、脱出したって少しもいい事がないじゃないか、ああ、思えばエジプトにいた頃はよかったね、奴隷だって何だって、かまわないじゃないか、パンもたらふく食べられたし、肉鍋には鴨《かも》と葱《ねぎ》がぐつぐつ煮えているんだ、こたえられねえや、それにお酒は昼から飲み放題と来らあ、銭湯は朝からあったし、ふんどしだって純綿だったぜ。「我儕《われら》エジプトの地に於いて、肉の鍋の側に坐り、飽《あく》までにパンを食《くら》いし時に、エホバの手によりて、死にたらばよかりしものを、」(十六章三)あの頃、死んだ奴は仕合せさ、モーゼの山師めにだまされて、エジプトから出たばっかりに、ひでえめに逢っちゃった、ちっともいい事ねえじゃねえか。「汝《なんじ》はこの曠野《あらの》に我等を導きいだして、この全会を飢《うえ》に死なしめんとするなり。」と思いきり口汚い無智な不平ばかりを並べられて、モーゼの心の中は、どんなであったでしょう。荒野に於ける四十年の物語は、このような奴隷の不平の声で充満しています。モーゼは、けれども決して絶望しなかったのです。鉄石の義心は、びくともせず、之《これ》を叱咤し統御し、ついに約束の自由の土地まで引き連れて来ました。モーゼは、ピスガの丘の頂きに登って、ヨルダン河の流域を指差し、あれこそは君等の美しい故郷だ、と教えて、そのまま疲労のために死にました。四十年間、私は奴隷の一日として絶える事の無かった不平の声と、謀叛《むほん》、無智、それに対するモーゼの惨澹《さんたん》たる苦心を書いて居ります。是非とも終りまで書いてみたいのです。なぜ書いてみたいのか、私には説明がうまく出来ませんが、本当に、むきになって、これだけは書いて置きたい気がしています。いつか温泉の宿から、「五十円」という小説を書きます等と、ふざけた事を申し上げましたが、恥ずかしい気が致します。いつまでも、あんなテエマで甘えていたら、私は、それこそ奴隷の中の一人になります。肉鍋の傍に大あぐらをかいて、「奴隷の平和」をほくほく享楽しているのも、まんざら悪くない気持で、貧乏人の私には、わかり過ぎる程わかっているのですが、でもモーゼの義心と焦慮を思うと、なまけものの私でも重い尻を上げざるを得なくなります。
少し興奮しすぎたようです。きょうは朝から近頃に無く気持がせいせいしていて慾も得《とく》も無く、誰をも怨《うら》まず、誰をも愛さず、それこそ心頭滅却に似た恬淡《てんたん》の心境だったのですが、あなたに話かけているうちに、また心の端が麻《あさ》のように乱れはじめて、あなたの澄んだ眼と、強い音声が、ともすると私の此の手紙の文章を打ち消してしまいそうなので、私は片手で、あなたの眼と言葉を必死に払いのけながら、こちらも負けじと一字一字ちからをこめて書いて、いつのまにやら、たいへん興奮して書いていました。
私のいまの小説は、決して今のこの時代の人たちへの教訓として書いているのではありません。とんでも無い事です。人に教えたり、人に号令したりする資格は、私には全然ありません。いや、能力が無いのです。私はいつでも自分の触覚した感動だけを書いているのです。私は単純な、感激|居士《こじ》なのかも知れません。たとい、どんな小さな感動でも、それを見つけると私は小説を書きたくなったものですが、このごろ私の身辺にちっとも感動が無くなって完全に一字も書けなくなっていたところを聖書が救ってくれました。私には何も、わかりません。世の中の見透しなども出来ません。私は貧しい庶民です。けれども自分ひとりの感動の有無だけは、いつでも正直に表現していたいと思っています。私は、エホバを畏れています。
どうも私は、立派そうな事を言うのが、てれくさくていけません。モーゼほどの鉄石の義心と、四十年の責任感とを持っているのならとにかく、私の心の高揚は、その日のお天気工合等に依って大いに支配されているような有様ですから、少しもあてになりません。大声で宣言しかけては狼狽しています。七月の末から雨がつづいて、インク瓶にまで黴《かび》が生えて薄気味わるい程でしたが、やっと久し振りでいいお天気になりました。けれども風が涼しく、そろそろ秋が忍び寄って来ているのがわかりますね。きょうはこれから庭の畑の手入れをしようと思っています。トーモロコシが昨夜の豪雨で、みんな倒れてしまいました。
雨が永くつづいたせいか、脚がまた少しむくんで来たようで、このごろは酒もやめて居ります。温泉は、脚気の者にあまりよくないようです。早くよくなって、また二、三合の酒を飲めるようになりたいと思います。お酒を飲まないと、夜、寝てから淋しくてたまりません。地の底から遠く幽かに、けれどもたしかに誰かの切実の泣き声が聞えて来て、おそろしいのです。
そのほか私の日常生活に於いて変った事は、何もございません。すべてが、もとのままであります。心は、いつも動いているのですけれど。
あなたのところへ、こんな長い手紙を差し上げるのも、これが最後かと思われます。あなたに対する一すじの尊敬の心は絶えず持ちつづけているつもりでありますが、あなたを愛し、或いは、あなたに甘える事が出来なくなりました。なぜだか出来なくなりました。私は、あなたの路とはっきり違う路を歩きはじめているようです。あなたは、美しい作家です。水蓮《すいれん》のように美しい。私はその美しさを一生涯わすれる事が無いでしょう。けれども私は、その水蓮の咲いている池から、少しずつ離れて行きます。私は、面《おもて》を伏せて歩いているけもののようです。私には美学が無いのです。生活の感傷だけです。私は、これから、いよいよ野暮な作品ばかり書いて行くような気がします。なんだか、深く絶望したものがあります。
あなたからいただいたお手紙は、生涯大事に、離さずに、しまって置きます。
たくさん、おゆるし下さい。再拝。
八月十六日[#地から3字上げ]木戸一郎
井原退蔵様
拝復。
何が何やら、わからぬ手紙をもらいました。二十円は、たしかに受け取りました。自分だって、君にお金を差し上げるなど失礼な事を考えていたのではない。返して頂くつもりでありました。それに、自分は、お金があり余って処置に窮するほどの金満家でもありませんから、返してもらって助かりました。君たちは本当にせぬかも知れぬが、自分の家では、昔からの借銭が残って月末のやりくりは大変であります。どっちの方が貧乏人なのか、わかったものでない。君は、二言目には、貧乏、貧乏といって、悲壮がっているようだが、エゴの自己防衛でなかったら幸いだ。人に不義理はしていねえ、という事が唯一の誇りだとか言っているが、無理なつき合いはしたくねえ、というケチな言葉も、その裏にはありはしないか。自分は、貧乏人根性は、いやだ。いじいじして、人の顔色ばっかり覗《のぞ》いている。自分は君に、尊敬なんか、してもらいたくなかった。お互い、なんの警戒も無しに遊びたかったのです。それだけだ。
君は、愛情のわからぬ人だね。いつでも何か、とく[#「とく」に傍点]をしようとしていらいらしている、そんな神経はたまらない。人に手紙を出すのも、旅行するのも、聖書を読むのも、女と遊ぶのも、井原と冗談を言い合うのも、みんな君の仕事に直接、役立つようにじたばた工夫しているのだから、かなわない。そんなに「傑作」が書きたいのかね。傑作を書いて、ちょっと聖人づらをしたいのだろう。馬鹿野郎。
自分は君に、「作家は仕事をしなければならぬ。」と再三、忠告した筈でありました。それは決して、一篇の傑作を書け、という意味ではなかったのです。それさえ一つ書いたら死んでもいいなんて、そんな傑作は、あるもんじゃない。作家は、歩くように[#「歩くように」に傍点]、いつでも仕事をしていなければならぬという事を私は言ったつもりです。生活と同じ速度で、呼吸と同じ調子で、絶えず歩いていなければならぬ。どこまで行ったら一休み出来るとか、これを一つ書いたら、当分、威張って怠けていてもいいとか、そんな事は、学校の試験勉強みたいで、ふざけた話だ。なめている。肩書や資格を取るために、作品を書いているのでもないでしょう。生きているのと同じ速度で、あせらず怠らず、絶えず仕事をすすめていなければならぬ。駄作だの傑作だの凡作だのというのは、後の人が各々の好みできめる事です。作家が後もどりして、その評定に参加している図は、奇妙なものです。作家は、平気で歩いて居ればいいのです。五十年、六十年、死ぬるまで歩いていなければならぬ。「傑作」を、せめて一つと、りきんでいるのは、あれは逃げ仕度をしている人です。それを書いて、休みたい。自殺する作家には、この傑作意識の犠牲者が多いようです。
君が、このごろまた仕事をはじめるようになったというのは、自分にとっても力強い事でした。絶えず、仕事をつづけなければならぬ。けれども、その、モーゼの一篇で君の危機が全部、切り抜けられると思ったら、間違いです。一篇の小説で、勝負をきめようという意識は捨てなさい。自分たちは、ルビコン河を渡る英雄ではないのです。こんどの君の小説は、面白そうです。四十年の荒野の意識は、流石《さすが》に、たっぷりしています。君の感興を主として、濶達《かったつ》に書きすすめて下さい。君ほどの作家の小説には、成功も失敗も無いものです。
あの温泉宿の女中さん達は、自分の拝見したところに依ると、君をたいへん好いているようでしたね。けれども君の手紙に依れば、君は散々《さんざん》の恥辱を与えられたという事になって居りました。嘘ばかり言っている。君は、ことさらに自分を惨めに書く事を好むようですね。やめるがよい。貯金帳を縁の下に隠しているのと同じ心境ですよ。あの、蔵の中の娘さんとも、君は毎晩、散歩していたそうじゃないか。女中さん達が、そう言っていたぜ。キスくらいは、したんじゃないか。なるほど、君たちの遊びは、いやらしい。
もう自分に手紙を寄こさないそうだが、自分は、なんとも思わない。友情は、義務でない。また手紙を寄こしたくなったら、寄こすがよい。要するに、自分は、君の言う事を、信用しない事にする。君の言ってる事が、わからないのです。
はっきり言うと、自分は、あの温泉宿で君と遊んで、たいへんつまらなかった。君はまだ、作家を鼻にかけている。そうして、井原と木戸を、いつでも秤《はかり》にかけて較《くら》べてみていました。つまらない。
あんまり悪口を言うと、君がまた小説を書けなくなるといけないから、最後に一つだけ、君を歓ばせる言葉を附け加えます。
「天才とは、いつでも自身を駄目だと思っている人たちである。」
笑ったね。匆々《そうそう》。
昭和十六年八月十九日[#地から3字上げ]井原退蔵
木戸一郎様
底本:「太宰治全集4」ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年12月1日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
1975(昭和50)年6月から1976(昭和51)年6月
入力:柴田卓治
校正:高橋真也
2000年4月1日公開
2004年3月4日修正
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