青空文庫アーカイブ

逆行
太宰治


 蝶蝶

 老人ではなかつた。二十五歳を越しただけであつた。けれどもやはり老人であつた。ふつうの人の一年一年を、この老人はたつぷり三倍三倍にして暮したのである。二度、自殺をし損つた。そのうちの一度は情死であつた。三度、留置場にぶちこまれた。思想の罪人としてであつた。つひに一篇も賣れなかつたけれど、百篇にあまる小説を書いた。しかし、それはいづれもこの老人の本氣でした仕業ではなかつた。謂はば道草であつた。いまだにこの老人のひしがれた胸をとくとく打ち鳴らし、そのこけた頬をあからめさせるのは、醉ひどれることと、ちがつた女を眺めながらあくなき空想をめぐらすことと、二つであつた。いや、その二つの思ひ出である。ひしがれた胸、こけた頬、それは嘘でなかつた。老人は、この日に死んだのである。老人の永い生涯に於いて、嘘でなかつたのは、生れたことと、死んだことと、二つであつた。死ぬる間際まで嘘を吐いてゐた。
 老人は今、病床にある。遊びから受けた病氣であつた。老人には暮しに困らぬほどの財産があつた。けれどもそれは、遊びあるくのには足りない財産であつた。老人は、いま死ぬることを殘念であるとは思はなかつた。ほそぼそとした暮しは、老人には理解できないのである。
 ふつうの人間は臨終ちかくなると、おのれの兩のてのひらをまじまじと眺めたり、近親の瞳をぼんやり見あげてゐるものであるが、この老人は、たいてい眼をつぶつてゐた。ぎゆつと固くつぶつてみたり、ゆるくあけて瞼をぷるぷるそよがせてみたり、おとなしくそんなことをしてゐるだけなのである。蝶蝶が見えるといふのであつた。青い蝶や、黒い蝶や、白い蝶や、黄色い蝶や、むらさきの蝶や、水色の蝶や、數千數萬の蝶蝶がすぐ額のうへをいつぱいにむれ飛んでゐるといふのであつた。わざとさういふのであつた。十里とほくは蝶の霞。百萬の羽ばたきの音は、眞晝のあぶの唸りに似てゐた。これは合戰をしてゐるのであらう。翼の粉末が、折れた脚が、眼玉が、觸角が、長い舌が、降るやうに落ちる。
 食べたいものは、なんでも、と言はれて、あづきかゆ、と答へた。老人が十八歳で始めて小説といふものを書いたとき、臨終の老人が、あづきかゆ、を食べたいと呟くところの描冩をなしたことがある。
 あづきかゆは作られた。それは、お粥にゆで小豆を散らして、鹽で風味をつけたものであつた。老人の田舍のごちそうであつた。眼をつぶつて仰向のまま、二匙すすると、もういい、と言つた。ほかになにか、と問はれ、うす笑ひして、遊びたい、と答へた。老人の、ひとのよい無學ではあるが利巧な、若く美しい妻は、居並ぶ近親たちの手前、嫉妬でなく頬をあからめ、それから匙を握つたまま聲しのばせて泣いたといふ。


 盜賊

 ことし落第ときまつた。それでも試驗は受けるのである。甲斐ない努力の美しさ。われはその美に心をひかれた。今朝こそわれは早く起き、まつたく一年ぶりで學生服に腕をとほし、菊花の御紋章かがやく高い大きい鐵の門をくぐつた。おそるおそるくぐつたのである。すぐに銀杏の並木がある。右側に十本、左側にも十本、いづれも巨木である。葉の繁るころ、この路はうすぐらく、地下道のやうである。いまは一枚の葉もない。並木路のつきるところ、正面に赤い化粧煉瓦の大建築物。これは講堂である。われはこの内部を入學式のとき、ただいちど見た。寺院の如き印象を受けた。いまわれは、この講堂の塔の電氣時計を振り仰ぐ。試驗には、まだ十五分の間があつた。探偵小説家の父親の銅像に、いつくしみの瞳をそそぎつつ、右手のだらだら坂を下り、庭園に出たのである。これは、むかし、さるお大名のお庭であつた。池には鯉と緋鯉とすつぽんがゐる。五六年まへまでには、ひとつがひの鶴が遊んでゐた。いまでも、この草むらには蛇がゐる。雁や野鴨の渡り鳥も、この池でその羽を休める。庭園は、ほんたうは二百坪にも足りないひろさなのであるが、見たところ千坪ほどのひろさなのだ。すぐれた造園術のしかけである。われは池畔の熊笹のうへに腰をおろし、背を樫の古木の根株にもたせ、兩脚をながながと前方になげだした。小徑をへだてて大小凸凹の岩がならび、そのかげからひろびろと池がひろがつてゐる。曇天の下の池の面は白く光り、小波の皺をくすぐつたげに疊んでゐた。右足を左足のうへに輕くのせてから、われは呟く。
 ――われは盜賊。
 まへの小徑を大學生たちが一列に並んで通る。ひきもきらず、ぞろぞろと流れるやうに通るのである。いづれは、ふるさとの自慢の子。えらばれた秀才たち。ノオトのおなじ文章を讀み、それをみんなみんなの大學生が、一律に暗記しようと努めてゐた。われは、ポケツトから煙草を取りだし、一本、口にくはへた。マツチがないのである。
 ――火を借して呉れ。
 ひとりの美男の大學生をえらんで聲をかけてやつた。うすみどり色の外套にくるまつた、その大學生は立ちどまり、ノオトから眼をはなさず、くはへてゐた金口の煙草をわれに與へた。與へてそのままのろのろと歩み去つた。大學にもわれに匹敵する男がある。われはその金口の外國煙草からおのが安煙草に火をうつして、おもむろに立ちあがり、金口の煙草を力こめて地べたへ投げ捨て靴の裏でにくしみにくしみ踏みにじつた。それから、ゆつたり試驗場へ現れたのである。
 試驗場では、百人にあまる大學生たちが、すべてうしろへうしろへと尻込みしてゐた。前方の席に坐るならば、思ふがままに答案を書けまいと懸念してゐるのだ。われは秀才らしく最前列の席に腰をおろし、少し指先をふるはせつつ煙草をふかした。われには机のしたで調べるノオトもなければ、互ひに小聲で相談し合ふひとりの友人もないのである。
 やがて、あから顏の教授が、ふくらんだ鞄をぶらさげてあたふたと試驗場へ駈け込んで來た。この男は、日本一のフランス文學者である。われは、けふはじめて、この男を見た。なかなかの柄であつて、われは彼の眉間の皺に不覺ながら威壓を感じた。この男の弟子には、日本一の詩人と日本一の評論家がゐるさうな。日本一の小説家、われはそれを思ひ、ひそかに頬をほてらせた。教授がボオルドに問題を書きなぐつてゐる間に、われの背後の大學生たちは、學問の話でなく、たいてい滿洲の景氣の話を囁き合つてゐるのである。ボオルドには、フランス語が五六行。教授は教壇の肘掛椅子にだらしなく坐り、さもさも不氣嫌さうに言ひ放つた。
 ――こんな問題ぢや落第したくてもできめえ。
 大學生たちは、ひくく力なく笑つた。われも笑つた。教授はそれから譯のわからぬフランス語を二言三言つぶやき、教壇の机のうへでなにやら書きものを始めたのである。
 われはフランス語を知らぬ。どのやうな問題が出ても、フロオベエルはお坊ちやんである、と書くつもりでゐた。われはしばらく思索にふけつたふりをして眼を輕くつぶつたり短い頭髮のふけを拂ひ落したり、爪の色あひを眺めたりするのである。やがて、ペンを取りあげて書きはじめた。
 ――フロオベエルはお坊ちやんである。弟子のモオパスサンは大人である。藝術の美は所詮、市民への奉仕の美である。このかなしいあきらめを、フロオベエルは知らなかつたしモオパスサンは知つてゐた。フロオベエルはおのれの處女作、聖アントワンヌの誘惑に對する不評判の屈辱をそそがうとして、一生を棒にふつた。所謂刳磔の苦勞をして、一作、一作を書き終へるごとに、世評はともあれ、彼の屈辱の傷はいよいよ激烈にうづき、痛み、彼の心の滿たされぬ空洞が、いよいよひろがり、深まり、さうして死んだのである。傑作の幻影にだまくらかされ、永遠の美に魅せられ、浮かされ、たうたうひとりの近親はおろか、自分自身をさへ救ふことができなんだ。ボオドレエルこそは、お坊ちやん。以上。
 先生、及第させて、などとは書かないのである。二度くりかへして讀み、書き誤りを見出さず、それから、左手に外套と帽子を持ち右手にそのいちまいの答案を持つて、立ちあがつた。われのうしろの秀才は、われの立つたために、あわてふためいてゐた。われの背こそは、この男の防風林になつてゐたのだ。ああ。その兎に似た愛らしい秀才の答案には、新進作家の名前が記されてゐたのである。われはこの有名な新進作家の狼狽を不憫に思ひつつ、かのぢぢむさげな教授に意味ありげに一禮して、おのが答案を提出した。われはしづしづと試驗場を、出るが早いかころげ落ちるやうに階段を駈け降りた。
 戸外へ出て、わかい盜賊は、うら悲しき思ひをした。この憂愁は何者だ。どこからやつて來やがつた。それでも、外套の肩を張りぐんぐんと大股つかつて銀杏の並木にはさまれたひろい砂利道を歩きながら、空腹のためだ、と答へたのである。二十九番教室の地下に、大食堂がある。われは、そこへと歩をすすめた。
 空腹の大學生たちは、地下室の大食堂からあふれ、入口よりして長蛇の如き列をつくり、地上にはみ出て、列の尾の部分は、銀杏の並木のあたりにまで達してゐた。ここでは、十五錢でかなりの晝食が得られるのである。一丁ほどの長さであつた。
 ――われは盜賊。希代のすね者。かつて藝術家は人を殺さぬ。かつて藝術家はものを盜まぬ。おのれ。ちやちな小利巧の仲間。
 大學生たちをどんどん押しのけ、やうやう食堂の入口にたどりつく。入口には小さい貼紙があつて、それにはかう書きしたためられてゐた。
 ――けふ、みなさまの食堂も、はばかりながら創業滿三箇年の日をむかへました。それを祝福する内意もあり、わづかではございますが、奉仕させていただきたく存じます。
 その奉仕の品品が、入口の傍の硝子棚のなかに飾られてゐる。赤い車海老はパセリの葉の蔭に憇ひ、ゆで卵を半分に切つた斷面には、青い寒天の「壽」といふ文字がハイカラにくづされて畫かれてゐた。試みに、食堂のなかを覗くと、奉仕の品品の饗應にあづかつてゐる大學生たちの黒い密林のなかを白いエプロンかけた給仕の少女たちが、くぐりぬけすりぬけしてひらひら舞ひ飛んでゐるのである。ああ、天井には萬國旗。
 大學の地下に匂ふ青い花、こそばゆい毒消しだ。よき日に來合せたるもの哉。ともに祝はむ。ともに祝はむ。
 盜賊は落葉の如くはらはらと退却し、地上に舞ひあがり、長蛇のしつぽにからだをいれ、みるみるすがたをかき消した。


 決闘

 それは外國の眞似ではなかつた。誇張でなしに、相手を殺したいと願望したからである。けれどもその動機は深遠でなかつた。私とそつくりおなじ男がゐて、この世にひとつものがふたつ要らぬといふ心から憎しみ合つたわけでもなければ、その男が私の妻の以前のいろであつて、いつもいつもその二度三度の事實をこまかく自然主義ふうに隣人どもへ言ひふらして歩いてゐるといふわけでもなかつた。相手は、私とその夜はじめてカフヱで落ち合つたばかりの、犬の毛皮の胴着をつけた若い百姓であつた。私はその男の酒を盜んだのである。それが動機であつた。
 私は北方の城下まちの高等學校の生徒である。遊ぶことが好きなのである。けれども金銭には割にけちであつた。ふだん友人の煙草ばかりをふかし、散髮をせず、辛抱して五圓の金がたまれば、ひとりでこつそりまちへ出てそれを一錢のこさず使つた。一夜に、五圓以上の金も使へなかつたし、五圓以下の金も使へなかつた。しかも私はその五圓でもつて、つねに最大の效果を收めてゐたやうである。私の貯めた粒粒の小金を、まづ友人の五圓紙幤と交換するのである。手の切れるほどあたらしい紙幤であれば、私の心はいつそう跳つた。私はそれを無雜作らしくポケツトにねぢこみ、まちへ出掛けるのだ。月に一度か二度のこの外出のために、私は生きてゐたのである。當時、私は、わけの判らぬ憂愁にいぢめられてゐた。絶對の孤獨と一切の懷疑。口に出して言つては汚い! ニイチエやビロンや春夫よりも、モオパスサンやメリメや鴎外のはうがほんものらしく思へた。私は、五圓の遊びに命を打ち込む。
 私がカフヱにはひつても、決して意氣込んだ樣子を見せなかつた。遊び疲れたふうをした。夏ならば、冷いビールを、と言つた。冬ならば、熱い酒を、と言つた。私が酒を呑むのも、單に季節のせゐだと思はせたかつた。いやいやさうに酒を噛みくだしつつ、私は美人の女給には眼もくれなかつた。どこのカフヱにも、色氣に乏しい慾氣ばかりの中年の女給がひとりばかりゐるものであるが、私はそのやうな女給にだけ言葉をかけてやつた。おもにその日の天候や物價について話し合つた。私は、神も氣づかぬ素早さで、呑みほした酒瓶の數を勘定するのが上手であつた。テエブルに並べられたビイル瓶が六本になれば、日本酒の徳利が十本になれば、私は思ひ出したやうにふらつと立ちあがり、お會計、とひくく呟くのである。五圓を越えることはなかつた。私は、わざとはうばうのポケツトに手をつつこんでみるのだ。金の仕舞ひどころを忘れたつもりなのである。いよいよおしまひにかのズボンのポケツトに氣がつくのであつた。私はポケツトの中の右手をしばらくもぢもぢさせる。五六枚の紙幤をえらんでゐるかたちである。やうやく、私はいちまいの紙幤をポケツトから拔きとり、それを十圓紙幤であるか五圓紙幤であるか確かめてから、女給に手渡すのである。釣錢は、少いけれど、と言つて見むきもせず全部くれてやつた。肩をすぼめ、大股をつかつてカフヱを出てしまつて、學校の寮につくまで私はいちども振りかへらぬのである。翌る日から、また粒粒の小錢を貯めにとりかかるのであつた。
 決鬪の夜、私は「ひまはり」といふカフヱにはひつた。私は紺色の長いマントをひつかけ、純白の革手袋をはめてゐた。私はひとつカフヱにつづけて二度は行かなかつた。きまつて五圓紙幤を出すといふことに不審を持たれるのを怖れたのである。「ひまはり」への訪問は、私にとつて二月ぶりであつた。
 そのころ私のすがたにどこやら似たところのある異國の一青年が、活動役者として出世しかけてゐたので、私も少しづつ女の眼をひきはじめた。私がそのカフヱの隅の椅子に坐ると、そこの女給四人すべてが、樣樣の着物を着て私のテエブルのまへに立ち並んだ。冬であつた。私は、熱い酒を、と言つた。さうしてさもさも寒さうに首筋をすくめた。活動役者との相似が、直接私に利益をもたらした。年若いひとりの女給が、私が默つてゐても、煙草をいつぽんめぐんでくれたのである。
「ひまはり」は小さくてしかも汚い。束髮を結つた一尺に二尺くらゐの顏の女のぐつたりと頬杖をつき、くるみの實ほどの大きな齒をむきだして微笑んでゐるポスタアが、東側の壁にいちまい貼られてゐた。ポスタアの裾にはカブトビイルと横に黒く印刷されてある。それと向ひ合つた西側の壁には一坪ばかりの鏡がかけられてゐた。鏡は金粉を塗つた額縁に收められてゐるのである。北側の入口には赤と黒との縞のよごれたモスリンのカアテンがかけられ、そのうへの壁に、沼のほとりの草原に裸で寢ころんで大笑ひをしてゐる西洋の女の冩眞がピンでとめつけられてゐた。南側の壁には、紙の風船玉がひとつ、くつついてゐた。それがすぐ私の頭のうへにあるのである。腹の立つほど、調和がなかつた。三つのテエブルと十脚の椅子。中央にストオヴ。土間は板張りであつた。私はこのカフヱでは、たうてい落ちつけないことを知つてゐた。電氣が暗いので、まだしも幸ひである。
 その夜、私は異樣な歡待を受けた。私がその中年の女給に酌をされて熱い日本酒の最初の徳利をからにしたころ、さきに私に煙草をいつぽんめぐんで呉れたわかい女給が、突然、私の鼻先へ右のてのひらを差し出したのである。私はおどろかずに、ゆつくり顏をあげて、その女給の小さい瞳の奧をのぞいた。運命をうらなつて呉れ、と言ふのである。私はとつさのうちに了解した。たとへ私が默つてゐても、私のからだから豫言者らしい高い匂ひが發するのだ。私は女の手に觸れず、ちらと眼をくれ、きのふ愛人を失つた、と呟いた。當つたのである。そこで異樣な歡待がはじまつた。ひとりのふとつた女給は、私を先生とさへ呼んだ。私は、みんなの手相を見てやつた。十九歳だ。寅のとし生れだ。よすぎる男を思つて苦勞してゐる。薔薇の花が好きだ。君の家の犬は、仔犬を産んだ。仔犬の數は六。ことごとく當つたのである。かの痩せた、眼のすずしい中年の女給は、ふたりの亭主を失つたと言はれて、みるみる頸をうなだれた。この不思議の的中は、みんなのうちで、私をいちばん興奮させた。すでに六本の徳利をからにしてゐたのである。このとき、犬の毛皮の胴着をつけた若い百姓が入口に現はれた。
 百姓は私のテエブルのすぐ隣りのテエブルに、こつちへ毛皮の背をむけて坐り、ウヰスキイと言つた。犬の毛皮の模樣は、ぶちであつた。この百姓の出現のために、私のテエブルの有頂天は一時さめた。私はすでに六本の徳利をからにしたことを、ちくちく悔いはじめたのである。もつともつと醉ひたかつた。こよひの歡喜をさらにさらに誇張してみたかつたのである。あと四本しか呑めぬ。それでは足りない。足りないのだ。盜まう。このウヰスキイを盜まう。女給たちは、私が金錢のために盜むのでなく、豫言者らしい突飛な冗談と見てとつて、かへつて喝采を送るだらう。この百姓もまた、醉ひどれの惡ふざけとして苦笑をもらすくらゐのところであらう。盜め! 私は手をのばし、隣りのテエブルのそのウヰスキイのコツプをとりあげ、おちついて呑みほした。喝采は起らなかつた。しづかになつた。百姓は私のはうをむいて立ちあがつた。外へ出ろ。さう言つて、入口のはうへ歩きはじめた。私も、にやにや笑ひながら百姓のあとについて歩いた。金色の額縁にをさめられてある鏡を通りすがりにちらと覗いた。私は、ゆつたりした美丈夫であつた。鏡の奧底には、一尺に二尺の笑ひ顏が沈んでゐた。私は心の平靜をとりもどした。自信ありげに、モスリンのカアテンをぱつとはじいた。
 THE HIMAWARI と黄色いロオマ字が書かれてある四角の軒燈の下で、私たちは立ちどまつた。女給四人は、薄暗い門口に白い顏を四つ浮かせてゐた。
 私たちは次のやうな爭論をはじめたのである。
 ――あまり馬鹿にするなよ。
 ――馬鹿にしたのぢやない。甘えたのさ。いいぢやないか。
 ――おれは百姓だ。甘えられて、腹がたつ。
 私は百姓の顏を見直した。短い角刈にした小さい頭と、うすい眉と、一重瞼の三白眼と、蒼黒い皮膚であつた。身丈は私より確かに五寸はひくかつた。私は、あくまで茶化してしまはうと思つた。
 ――ウヰスキイが呑みたかつたのさ。おいしさうだつたからな。
 ――おれだつて呑みたかつた。ウヰスキイが惜しいのだ。それだけだ。
 ――君は正直だ。可愛い。
 ――生意氣いふな。たかが學生ぢやないか。つらにおしろいをぬたくりやがつて。
 ――ところが僕は、易者だといふことになつてゐる。豫言者だよ。驚いたらう。
 ――醉つたふりなんかするな。手をつゐてあやまれ。
 ――僕を理解するには何よりも勇氣が要る。いい言葉ぢやないか。僕はフリイドリツヒ・ニイチエだ。
 私は女給たちのとめて呉れるのを、いまかいまかと待つてゐた。女給たちはしかし、そろつて冷い顏して私の毆られるのを待つてゐた。そのうちに私は毆られた。右のこぶしが横からぐんと飛んで來たので、私は首筋を素早くすくめた。十間ほどふつとんだ。私の白線の帽子が身がはりになつて呉れたのである。私は微笑みつつ、わざとゆつくりその帽子を拾ひに歩きはじめた。毎日毎日のみぞれのために、道はとろとろ溶けてゐた。しやがんで、泥にまみれた帽子を拾つたとたんに、私は逃げやうと考へた。五圓たすかる。別のところで、もいちど呑むのだ。私は二あし三あし走つた。滑つた。仰向にひつくりかへつた。踏みつぶされた雨蛙の姿に似てゐたやうであつた。自身のぶざまが、私を少し立腹させたのである。手袋も上衣もズボンもそれからマントも、泥まみれになつてゐる。私はのろのろと起きあがり、頭をあげて百姓のもとへ引返した。百姓は、女給たちに取りまかれ、まもられてゐた。誰ひとり味方がない。その確信が私の兇暴さを呼びさましたのである。
 ――お禮をしたいのだ。
 せせら笑つてさう言つてから、私は手袋を脱ぎ捨て、もつと高價なマントをさへ泥のなかへかなぐり捨てた。私は自身の大時代なせりふとみぶりにやや滿足してゐた。誰かとめて呉れ。
 百姓は、もそもそと犬の毛皮の胴着を脱ぎ、それを私に煙草をめぐんで呉れた美人の女給に手渡して、それから懷のなかへ片手をいれた。
 ――汚い眞似をするな。
 私は身構へて、さう注意してやつた。
 懷から一本の銀笛が出た。銀笛は軒燈の燈にきらきら反射した。銀笛はふたりの亭主を失つた中年の女給に手渡された。
 百姓のこのよさが、私を夢中にさせたのだ。それは小説のうへでなく、眞實、私はこの百姓を殺さうと思つた。
 ――出ろ。
 さう叫んで、私は百姓の向ふ臑を泥靴で力いつぱいに蹴あげた。蹴たふして、それから澄んだ三白眼をくり拔く。泥靴はむなしく空を蹴つたのである。私は自身の不恰好に氣づいた。悲しく思つた。ほのあたたかいこぶしが、私の左の眼から大きい鼻にかけて命中した。眼からまつかな焔が噴き出た。私はそれを見た。私はよろめいたふりをした。右の耳朶から頬にかけてぴしやつと平手が命中した。私は泥のなかに兩手をついた。とつさのうちに百姓の片脚をがぶと噛んだ。脚は固かつた。路傍の白楊の杙であつた。私は泥にうつぶして、いまこそおいおい聲をたてて泣かう泣かうとあせつたけれど、あはれ、一滴の涙も出なかつた。


 くろんぼ

 くろんぼは檻の中にはひつてゐた。檻の中は一坪ほどのひろさであつて、まつくらい奧隅に、丸太でつくられた腰掛がひとつ置かれてゐた。くろんぼはそこに坐つて、刺繍をしてゐた。このやうな暗闇のなかでどんな刺繍ができるものかと、少年は拔けめのない紳士のやうに、鼻の兩わきへ深い皺をきざみこませ口まげてせせら笑つたものである。
 日本チヤリネがくろんぼを一匹つれて來た。村は、どよめいた。ひとを食ふさうである。まつかな角が生えてゐる。全身に花のかたちのむらがある。少年は、まつたくそれを信じないのであつた。少年は思ふのだ。村のひとたちも心から信じてそんな噂をしてゐるのではあるまい。ふだんから夢のない生活をしてゐるゆゑ、こんなときにこそ勝手な傳説を作りあげ、信じたふりして醉つてゐるのにちがひない。少年は村のひとたちのそんな安易な嘘を聞くたびごとに、齒ぎしりをし耳を覆ひ、飛んで彼の家へ歸るのであつた。少年は村のひとたちの噂話を間拔けてゐると思ふのだ。なぜこのひとたちは、もつとだいじなことがらを話し合はないのであらう。くろんぼは、雌ださうではないか。
 チヤリネの音樂隊は、村のせまい道をねりあるき、六十秒とたたぬうちに村の隅から隅にまで宣傳しつくすことができた。一本道の兩側に三丁ほど茅葺の家が立ちならんでゐるだけであつたのである。音樂隊は、村のはづれに出てしまつてもあゆみをとめないで、螢の光の曲をくりかへしくりかへし奏しながら菜の花畠のあひだをねつてあるいて、それから田植まつさいちゆうの田圃へ出て、せまい畦道を一列にならんで進み、村のひとたちをひとりも見のがすことなく浮かれさせ橋を渡つて森を通り拔けて、半里はなれた隣村にまで行きつゐてしまつた。
 村の東端に小學校があり、その小學校のさらに東隣りが牧場であつた。牧場は百坪ほどのひろさであつてオランダげんげが敷きつめられ、二匹の牛と半ダアスの豚とが遊んでゐた。チヤリネはこの牧場に鼠色したテントの小屋をかけた。牛と豚とは、飼主の納屋に移轉したのである。
 夜、村のひとたちは頬被りして二人三人づつかたまつてテントのなかにはひつていつた。六、七十人のお客であつた。少年は大人たちを毆りつけては押しのけ押しのけ、最前列へ出た。まるい舞臺のぐるりに張りめぐらされた太いロオプに顎をのせかけて、じつとしてゐた。ときどき眼を輕くつぶつて、うつとりしたふりをしてゐた。
 かるわざの曲目は進行した。樽。メリヤス。むちの音。それから金襴。痩せた老馬。まのびた喝采。カアバイト。二十箇ほどのガス燈が小屋のあちこちにでたらめの間隔をおいて吊され、夜の昆蟲どもがそれにひらひらからかつてゐた。テントの布地が足りなかつたのであらう、小屋の天井に十坪ほどのおほきな穴があけつぱなしにされてゐて、そこから星空が見えるのだ。
 くろんぼの檻が、ふたりの男に押されて舞臺へ出た。檻の底に車輪の脚がついてゐるらしくからからと音たてて舞臺へ滑り出たのである。頬被りしたお客たちの怒號と拍手。少年は、ものうげに眉をあげて檻の中をしづかに觀察しはじめた。
 少年は、せせら笑ひの影を顏から消した。刺繍は日の丸の旗であつたのだ。少年の心臟は、とくとくと幽かな音たてて鳴りはじめた。兵隊やそのほか兵隊に似かよつたやうな概念のためではない。くろんぼが少年をあざむかなかつたからである。ほんたうに刺繍をしてゐたのだ。日の丸の刺繍は簡單であるから、闇のなかで手さぐりしながらでもできるのだ。ありがたい。このくろんぼは正直者だ。
 やがて、燕尾服を着た仁丹の鬚のある太夫が、お客に彼女のあらましの來歴を告げて、それから、ケルリ、ケルリ、と檻に向つて二聲叫び、右手のむちを小粹に振つた。むちの音が少年の胸を鋭くつき刺した。太夫に嫉妬を感じたのである。くろんぼは、立ちあがつた。
 むちの音におびやかされつつ、くろんぼはのろくさと二つ三つの藝をした。それは卑猥の藝であつた。少年を置いてほかのお客たちはそれを知らぬのだ。ひとを食ふか食はぬか。まつかな角があるかないか。そんなことだけが問題であつたのである。
 くろんぼのからだには、青い藺の腰蓑がひとつ、つけられてゐた。油を塗りこくつてあるらしく、すみずみまでつよく光つてゐた。をはりに、くろんぼは謠をひとくさり唄つた。伴奏は太夫のむちの音であつた。シヤアボン、シヤアボンといふ簡單な言葉である。少年は、その謠のひびきを愛した。どのやうにぶざまな言葉でも、せつない心がこもつてをれば、きつとひとを打つひびきが出るものだ。さう考へて、またぐつと眼をつぶつた。
 その夜、くろんぼを思ひ、少年はみづからを汚した。
 翌朝、少年は登校した。教室の窓を乘り越へ、背戸の小川を飛び越へ、チヤリネのテントめがけて走つた。テントのすきまから、ほの暗い内部を覗いたのである。チヤリネのひとたちは舞臺にいつぱい蒲圃を敷きちらし、ごろごろと芋蟲のやうに寢てゐた。學校の鐘が鳴りひびいた。授業がはじまるのだ。少年は、うごかなかつた。くろんぼは寢てゐないのである。さがしてもさがしても見つからぬのである。學校は、しんとなつた。授業がはじまつたのであらう。第二課、アレキサンドル大王と醫師フイリツプ。むかしヨーロツパにアレキサンドル大王といふ英雄があつた。少女の朗朗と讀みあげる聲をはつきり聞いた。少年は、うごかなかつた。少年は信じてゐた。あのくろんぼは、ただの女だ。ふだんは檻から出て、みんなと遊んでゐるのにちがひない。水仕事をしたり、煙草をふかしたり、日本語で怒つたり、そんな女だ。少女の朗讀がをはり、教師のだみ聲が聞えはじめた。信頼は美徳であると思ふ。アレキサンドル大王はこの美徳をもつてゐたがために、一命をまつたうしたやうであります。みなさん。少年は、まだうごかずにゐた。ここにゐないわけはない。檻は、きつとからつぽの筈だ。少年は肩を固くした。かうして覗いてゐるうちに、くろんぼは、こつそりおれのうしろにやつて來て、ぎゆつと肩を抱きしめる。それゆゑ背後にも油斷をせず、抱きしめられるに恰好のいいやうに肩を小さく固くしたのであつた。くろんぼは、きつと刺繍した日の丸の旗をくれるにちがひない。そのときおれは、弱味を見せずかう言つてやる。僕で幾人目だ。
 くろんぼは現れなかつた。テントから離れ、少年は着物の袖でせまい額の汗を拭つて、のろのろと學校へ引き返した。熱が出たのです。肺がわるいさうです。袴に編みあげの靴をはいてゐる男の老教師を、まんまとだました。自分の席についてからも、少年はごほごほと贋の咳ばらひにむせかへつた。
 村のひとたちの話に依れば、くろんぼは、やはり檻につめられたまま、幌馬車に積みこまれ、この村を去つたのである。太夫は、おのが身をまもるため、ピストルをポケツトに忍ばせてゐた。



底本:「太宰治全集2−小説1−」筑摩書房
   1998(平成10)年5月25日初版第1刷
入力:赤木孝之
校正:湯地光弘
1999年6月29日公開
2001年11月6日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


前のページに戻る 青空文庫アーカイブ