青空文庫アーカイブ
五所川原
太宰治
叔母が五所川原にゐるので、小さい頃よく五所川原へ遊びに行きました。旭座の舞台開きも見に行きました。小学校の三、四年生の頃だつたと思ひます。たしか友右衛門だつた筈です。梅の由兵衛に泣かされました。廻舞台を、その時、生れてはじめて見て、思はず立ち上つてしまつた程に驚きました。この旭座は、そののち間もなく火事を起し、全焼しました。その時の火焔が、金木から、はつきり見えました。映写室から発火したといふ話でした。さうして、映画見物の小学生が十人ほど焼死しました。映写の技師が罪に問はれました。過失傷害致死とかいふ罪名でした。子供にも、どういふわけだか、その技師の罪名と運命を忘れる事が出来ませんでした。旭座といふ名前が「火」の字に関係があるから焼けたのだといふ噂も聞きました。二十年も前の事です。
七ツか、八ツの頃、五所川原の賑やかな通りを歩いて、どぶに落ちました。かなり深くて、水が顎のあたりまでありました。三尺ちかくあつたのかも知れません。夜でした。上から男の人が手を差し出してくれたのでそれにつかまりました。ひき上げられて衆人環視の中で裸にされたので、実に困りました。ちやうど古着屋のまへでしたので、その店の古着を早速着せられました。女の子の浴衣でした。帯も、緑色の兵古帯でした。ひどく恥かしく思ひました。叔母が顔色を変へて走つて来ました。
私は叔母に可愛がられて育ちました。私は、男ツぷりが悪いので、何かと人にからかはれて、ひとりでひがんでゐましたが、叔母だけは、私を、いい男だと言つてくれました。他の人が、私の器量の悪口を言ふと、叔母は、本気に怒りました。みんな遠い思ひ出になりました。
底本:「太宰治全集 10」筑摩書房
1990(平成2)年12月25日初版第1刷発行
初出:「西北新報」
1941(昭和16)年1月1日
※初出情報は、底本603ページの解題に示された「推定」による。
入力:砂場清隆
校正:林 幸雄
2002年12月3日作成
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