青空文庫アーカイブ

旧主人
島崎藤村

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)瘠《やせ》ぎすな

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)柏木|界隈《かいわい》

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    一
    
 今でこそ私もこんなに肥ってはおりますものの、その時分は瘠《やせ》ぎすな小作りな女でした。ですから、隣の大工さんの御世話で小諸《こもろ》へ奉公に出ました時は、人様が十七に見て下さいました。私の生れましたのは柏木《かしわぎ》村――はい、小諸まで一里と申しているのです。
 柏木|界隈《かいわい》の女は佐久《さく》の岡の上に生活《くらし》を営《た》てて、荒い陽気を相手にするのですから、どうでも男を助けて一生|烈《はげ》しい労働《はたらき》を為《し》なければなりません。さあ、その烈しい労働を為《す》るからでも有ましょう、私の叔母でも、母親《おふくろ》でも、強健《つよ》い捷敏《はしこ》い気象です。私は十三の歳《とし》から母親に随《つ》いて田野《のら》へ出ました。同じ年|恰好《かっこう》の娘は未だ鼻を垂して縄飛《なわとび》をして遊ぶ時分に、私はもう世の中の歓《うれ》しいも哀《かな》しいも解り始めましたのです。吾家《うち》では子供も殖《ふえ》る、小商売《こあきない》には手を焼く、父親《おやじ》は遊蕩《のらくら》で宛《あて》にもなりませんし、何程《なんぼ》男|勝《まさ》りでも母親の腕一つでは遣切《やりき》れませんから、否《いや》でも応でも私は口を預けることになりました。その頃下女の給金は衣裳《いしょう》此方《こちら》持《もち》の年に十八円位が頂上《とまり》です。然し、私は奥様のお古か何かで着せて頂いて、その外は相応な晴衣の御|宛行《あてがい》という約束《きめ》に願って出ました。
 金銭《おかね》で頂いたら、復《ま》た父親に呑まれはすまいか、という心配が母親の腹にありましたのです。
 出るにつけても、母親は独《ひとり》で気を揉《もん》で、「旦那《だんな》様というものは奥様次第でどうにでもなる、と言っては済まないが」から、「御奉公は奥様の御|機嫌《きげん》を取るのが第一だ」まで、縷々《さんざん》寝物語に聞かされました。忘れもしない。母親に連れられて家《うち》を出たのは三月の二日でした――山家《やまが》ではこの日を山替《でがわり》としてあるのです。微《すこ》し風が吹いて土塵《つちぼこり》の起《た》つ日でしたから、乾燥《はしゃ》いだ砂交りの灰色な土を踏《ふん》で、小諸をさして出掛けました。母親は新しい手拭《てぬぐい》を冠《かぶ》って麻裏穿《あさうらばき》。私は萌黄《もえぎ》の地木綿の風呂敷包を提《さ》げて随いて参りましたのです。こうして親子連で歩くということが、何故かこの日に限って恥しいような悲しいような気がしました。浅々と青く萌初《もえそ》めた麦畠《むぎばたけ》の側を通りますと、丁度その畠の土と同じ顔色の農夫《ひゃくしょう》が鍬《くわ》を休めて、私共を仰山らしく眺《なが》めるのでした。北国街道は小諸へ入る広い一筋道。其処《そこ》まで来れば楽なものです。昔の宿場風の休茶屋には旅商人《たびあきんど》の群が居りました。「唐松《からまつ》」という名高い並木は伐《きり》倒される最中で、大木の横倒《よこたおし》になる音や、高い枝の裂ける響や、人足の騒ぐ声は戦闘《いくさ》のよう。私共は親子連の順礼と後《あと》になり前《さき》になりして、松葉の香を履《ふん》で通りました。
 小諸の荒町から赤坂を下りて行きますと、右手に当って宏壮《おおき》な鼠色の建築物《たてもの》は小学校です。その中の一|棟《むね》は建増《たてまし》の最中で、高い足場の内には塔の形が見えるのでした。その構外《かまえそと》の石垣に添《つい》て突当りました処が袋町《ふくろまち》です。それはだらだら下りの坂になった町で、浅間の方から流れて来る河の支流《わかれ》が浅く町中を通っております。この支流《ながれ》を前に控えて、土塀《どべい》から柿の枝の垂下っている家が、私共の尋ねて参りました荒井様でした。見付《みつき》は小諸風の門構でも、内へ入れば新しい格子作《こうしづくり》で、二階建の閑静な御|住居《すまい》でした。
 丁度、旦那様の御留守、母親《おふくろ》は奥様にばかり御目に懸《かか》ったのです。奥様は未だ御若くって、大《おおき》な丸髷《まるまげ》に結って、桃色の髪飾《てがら》を掛た御方でした。物腰のしおらしい、背のすらりとした、黒目勝の、粧《つく》れば粧るほど見勝《みまさ》りのしそうな御|容貌《かおだち》。地の御生《おうまれ》でないということは美しい御言葉で知れました。奥様の白い手に見比べると、母親のは骨太な上に日に焼けて、男の手かと思われる位。
「奥様、これは御恥しい品《もの》でごわすが、ほんの御印ばかりに」
と母親は手土産《てみやげ》を出して、炉辺《ろばた》に置きました。
「あれ、そんな心配をしておくれだと……それじゃ反《かえっ》て御気毒ですねえ」
「否《いいえ》、どう致しやして。家で造《こしら》えやした味噌漬《みそづけ》で、召上られるような品《もの》じゃごわせんが」
「それは何よりなものを――まあ、御茶一つお上り」
「もう何卒《どうぞ》御構いなすって下さいますな」
「よくまあ、それでも早く来てくれましたねえ。あの、何ですか。名は何と言いますの」
「はい、お定と申しやす。実《まこと》に不調法者でごわして。何卒《どうか》まあ何分|宜《よろ》しく御願申しやす」
 私はつんつるてんの綿入に紺足袋穿《こんたびばき》という体裁《しこう》で、奥様に見られるのが何より気恥しゅう御座《ござい》ました。御傍へ添《よ》れば心持の好い香水が顔へ匂いかかる位、見るものも聞くものも私には新しく思われたのです。御奉公の御約束も纏《まとま》りました。母親は華麗《はで》な御暮《おくらし》や美しい御言葉の裡《なか》に私を独《ひとり》残して置いて、柏木へ帰って了《しま》いました。
 御本宅は丸茂《まるも》という暖簾《のれん》を懸《かけ》た塩問屋、これは旦那様の御兄様《おあにいさま》で、私の上りました御家は新宅と申しました。御本宅は大勢様、奉公人も十人の上|遣《つか》っておりましたが、新宅は旦那様に奥様、奉公人といえば爺《じい》さんが一人と、其処へ私が参りましたから、合せて四人暮。御本宅は旧気質《むかしかたぎ》の土地風。新宅は又た東京風。家の構造《つくり》を見比べても解るのです。旦那様は小諸へ東京を植えるという開けた思想《かんがえ》を御持ちなすった御方で、御服装《おみなり》も、御言葉も、旧弊は一切御廃し。それを御本家では平素《しじゅう》憎悪《にく》んでいるということでした。
 まあ、聞いて下さい。世には妙な容貌《かおだち》の人もあればあるもので、泣いている時ですら見たところは笑っているとしか思われないものがあります。旦那様のが丁度それで、眼の周囲《まわり》の筋の縮んだ工合から口元と頬《ほお》の間に深い皺《しわ》のある御様子は、全く旦那様の御顔を見ると笑が刻んであるようでした。さ、その御顔です。一時《いっとき》も油断をなさらない真面目《まじめ》な精神《こころ》の旦那様が、こうした御顔でいらっしゃるということは、不思議なようでした。然し、それが旦那様の御人《おひと》の好《いい》という証拠で、御天性《おうまれつき》の普通《なみ》の人とは違ったところでしょう。一体、寒い国の殿方には遅鈍《ぐずぐず》した無精な癖があるものですけれど、旦那様にはそれがありません。克《よく》もああ身体《からだ》が動くと思われる位に、勤勉《まめ》な働好《はたらきずき》な御方でした。
 小諸で新しい事業《しごと》とか相談とか言えば、誰は差置ても先《ま》ず荒井様という声が懸る。小諸に旦那様ほどの役者はないと言いました位です。
 私が上りました頃の御夫婦仲というものは、外目《よそめ》にも羨《うらや》ましいほどの御|睦《むつま》じさ。旦那様は朝早く御散歩をなさるか、御二階で御|調物《しらべもの》をなさるかで、朝飯前には小原の牝牛《うし》の乳を召上る。九時には帽子を冠って、前垂掛で銀行へ御出掛《おでまし》になる。御休暇《おやすみ》の日には御客様を下座敷へ通して、御談話《おはなし》でした。尋ねて来る御客様は町会議員、大地主、商家《たな》の旦那、新聞屋、いずれも土地の御歴々です。御晩食《おゆはん》の後は奥様と御対座《おさしむかい》、それは一日のうちでも一番楽しい時で、笑いさざめく御声が御部屋から泄《も》れて、耳を嬲《なぶ》るように炉辺までも聞える位でした。その時は珈琲《コーヒー》か茶を上げました。
 思えば結構尽《けっこうづくめ》の御暮です。私は洋燈《ランプ》の下で雑巾《ぞうきん》を刺し初めると、柏木のことが眼前《めのまえ》に浮いて来て、毎晩癖のようになりました。吾等《こちとら》の賤《いや》しい生涯《くちすぎ》では、農事《しごと》が多忙《いそが》しくなると朝も暗いうちに起きて、燈火《あかり》を点《つ》けて朝食《あさめし》を済ます。東の空が白々となれば田野《のら》へ出て、一日働くと女の身体は綿のようです。ある時、私は母親《おふくろ》と一緒に疲れきって、草の上に転んでいると、急に白雨《ゆうだち》が落ちて来た、二人とも起上る力がないのです。汗臭い身体を雨に打たれながら倒れたままで寝ていたことも有ました。その時に後で烈《ひど》い熱病を煩《わずら》って死ぬ程の苦《くるしみ》をいたしました。農家の女の労苦《つらさ》はどれ程でしょう――麦刈――田の草取、それから思えば荒井様の御奉公は楽すぎて、毎日遊んで暮すようなものでした。野獣《けもの》のように土だらけな足をして谷間《たにあい》を馳歩《かけある》いた私が、結構な畳の上では居睡《いねむり》も出ました位です。
 何一つ御不足ということが旦那様と奥様の間《なか》には有ません。唯御似合なさらないのは御年です。ある日のこと、下座敷へ御客様が集りました。旦那様は細《こまか》い活版刷の紙を披《ひろ》げて御覧なさる、皆さんが無遠慮な方ばかりです。「こりゃ甚《ひど》い、まるで読めない」と旦那様はその紙を投出しました。
「成程、御若い方の読むんで、吾儕《われわれ》の相手になるものじゃありません。ここの処なざあ、細い線《すじ》のようです」
 と言いながら、一人の御客様は袂《たもと》から銀縁の大きな眼鏡を取出しました。玉の塵《ほこり》を襦袢《じゅばん》の袖口《そでぐち》で拭いて、釣針《つりばり》のように尖《とが》った鼻の上に載せて見て、
「これなら私にも、明瞭《はっきり》とはいきませんけれど……どうかこうか見えます」
「へえ、一寸《ちょっと》その眼鏡を拝借」と他の御客様が笑いながら受取て、「成程、むむ、これなら明瞭します」
 旦那様も笑って反《そ》りかえりました。やがて、瞬《めばたき》をしたり、眼を摩《こす》って見たりして、眼鏡を借りようとはなさいません。
「まあ、眼鏡はもう二三年懸けない積《つもり》です。懸けた方が目の為には好《いい》と言いますけれど」
「ですから、私なざア何か読む時だけ懸けるんです」と眼鏡を出した方は仔細《しさい》らしく。
「驚きましたねえ」とその隣の方が引取って、
「こんなに能《よ》く見えるのかなア。ハハハハ、こりゃ眼鏡を一つ奢《おご》るかな」
 終《しまい》には旦那様も釣込れて、
「拝借」と手を御出しなさいました。
 一人の御客様が笑いながら渡しますと、旦那様も面白そうに鼻の上へ載せて、活版刷の紙を遠く離したり近く寄せたりして御覧でした。
「懸けた工合は……どうですな」と渡した方が旦那様の御顔を覘《のぞ》くようにして尋ねる。
「や、こりゃ能く見える。これを懸ければすっかり読めます」
「ハハハハハ、酷《ひど》いものですなア」
「ハハハハハ」
 と旦那様も手を拍《う》って大笑い、一人の御客様は目から涙を流しながら、腹を抱《かか》えて笑いました。終《しまい》には皆さんが泣くような声を御出しなさると、尖った鼻の御客様は頭を擁《かか》えて、御座敷から逃出しましたのです。
 私も旦那様がこれ程であろうとは思いませんでした。人程見かけに帰《よ》らない者はありません。これから気を注《つ》けて視《み》ると、黒髪《かみ》も人知れず染め、鏡を朝晩に眺《なが》め、御召物の縞《しま》も華美《はで》なのを撰《よ》り、忌言葉《いみことば》は聞いたばかりで厭《いや》な御顔をなさいました。殊《こと》に寝起の時の御顔色は、毎《いつ》も微《すこ》し青ざめて、老衰《おいおとろ》えた御様子が明白《ありあり》と解りました。智慧《ちえ》の深そうな目の御色も時によると朦朧《どんより》潤みを帯《も》って、疲れ沈んで、物を凝視《みつめ》る力も無いという風に変ることが有ました。私は又た旦那様の顎《あご》から美しく白く並んだ御歯が脱出《はずれ》るのを見かけました。旦那様は花やかに若く彩《いろど》った年寄の役者なのです。住慣れて見れば、それも可笑《おか》しいとは思いません。御二人の御年違も寧《いっ》そ御似合なされて、かれこれと世間から言われるのが悲しいと懐《おも》う様になりましたのです。
 奥様は御器量を望まれて、それで東京から御縁組《おかたづき》に成ったと申す位、御湯上りなどの御美しさと言ったら、女の私ですら恍惚《ほれぼれ》となって了う程でした。旦那様が熟《じっ》と奥様の横顔を御眺めなさるときは、もう何もかも忘れて御了いなすって、芝居好が贔負《ひいき》役者に見惚《みとれ》るような目付をなさいます。聞けばこの奥様の前に、永いこと連添った御方も有たとやら、無理やりの御離縁も畢竟《つまり》は今の奥様|故《ゆえ》で、それから御本宅と新宅の交情《なか》が自然氷のように成ったということでした。
 譬《たと》えて申しましょうなら、御本宅や御親類は蜂《はち》の巣です。其処へ旦那様が石を投げたのですから、奉公人の私まで痛い噂《うわ》さに刺されました。
 しかし、山家が何程《どれほど》恐しい昔|気質《かたぎ》なもので、すこし毛色の変った他所者《よそもの》と見れば頭から熱湯《にえゆ》を浴せかけるということは、全く奥様も御存《ごぞんじ》ない。そこが奥様は都育《みやこそだち》です。御親類の御女中方は、いずれも質素《じみ》な御方ばかりですから、就中《わけても》奥様御一人が目立ちました。奥様は朝に粧《つく》り、晩に磨《みが》き、透き通るような御顔色の白過ぎて少許《すこし》蒼《あお》く見えるのを、頬の辺へはほんのり紅を点《さ》して、身の丈《たけ》にあまる程の黒髪は相生《あいおい》町のおせんさんに結わせ、剃刀《かみそり》は岡源の母親《おふくろ》に触《あて》させ、御召物の見立は大利《だいり》の番頭、仕立は馬場裏の良助さん――華麗《はで》の穿鑿《せんさく》を仕尽したものです。田舎《いなか》の女程物見高いものは有ません。奥様が花やかな御風俗《おみなり》で御通りになる時は、土壁の窓から眺め、障子の穴から覗き、目と目を見合せて冷《いや》な笑いかたを為るのです。そんなことは奥様も御存《ごぞんじ》なしで、御慈悲に拝ませて遣《や》るという風をなさりながら町を御歩行《おあるき》なさいました。たまたま途中《みち》で御親類の御女中方に御逢なさることが有ても、高い御|挨拶《あいさつ》をなさいました。奥様の目から見ると、この山家の女は松井川の谷の水車――毎日同じことをして廻っている、とまあ映るのです。たとえ男が長い冬の日を遊暮しても、女は克《よ》く働くという田舎の状態《ありさま》を見て、てんで笑って御了いなさる。全く、奥様は小諸の女を御存《ごぞんじ》ないのです。これを御本家|始《はじめ》御親類の御女中に言わせると折角|花車《きゃしゃ》な当世の流行を捨《すて》て、娘にまで手織縞で得心させている中へ、奥様という他所者が舞込で来たのは、開けて贅沢《ぜいたく》な東京の生活《くらし》を一断片《ひときれ》提げて持って来たようなもの、としか思われないのでした。ですから、骨肉《しんみ》の旦那様よりか、他人の奥様に憎悪《にくしみ》が多く掛る。町々の女の目は褒《ほめ》るにつけ、譏《そし》るにつけ、奥様の身一つに向いていましたのです。
 春も深くなっての夕方には、御二人で手を引いて、遅咲の桜の蔭から飛騨《ひだ》の遠山の雪を眺め眺め静に御散歩をなさることもありました。さあ、旧弊な御親類の御女中方は、御夫婦一緒に御花見すらしたことが無いのですから、こんな東京風――夢にも見たことの無い、睦《むつ》まじそうに手を引き連れて屋外《うちのそと》を御歩きなさる御様子を初めて見て、驚いて了いました。得たり賢しと、悋気《りんき》深い手合がつまらんことを言い触して歩きます。私は奥様の御噂さを聞くと、口惜《くや》しいと思うことばかりでした。
 春雨あがりの暖い日に、私は井戸端で水汲《みずくみ》をしておりますと、おつぎさん――矢張《やはり》柏木の者で、小諸へ奉公に来ておりますのが通りかかりました。
「おつぎさん、どちらへ」
 と声を掛ると、おつぎさんは酸漿《ほおずき》を鳴しながら、小|肥《ぶと》りな身体を一寸|揺《ゆす》って、
「これ」と袖に隠した酒の罎《びん》を出して見せる。
「お使かね」
「ああ」
「御苦労さま」
「なあ、お定さん、お前許《まいんとこ》の奥様《おくさん》は……あの御盲目《おめくら》さんだって言うが、真実《ほんとう》かい」
「まあ、おつぎさんの言うこと」
「ホホホホホホホホホ、だって評判だよ。こないだの夕方、ホラお富婆さんなあ、あの人が三の門の前に立ってると、お前許《まいんとこ》の旦那様と奥様が懐古園の方から手を引かれて降りて来たと言うよ。私《おら》嫌《いや》だ。お盲目《めくら》さんででも無くて、手を引かれて歩くという者があるもんかね」
「馬鹿をお言いよ」
 と私は水を掛る真似《まね》をしました。おつぎさんはお尻を叩《たた》いて笑いながら、
「好《いい》御主人を持って御仕合《おしあわせ》」
 と言捨て逃げる拍子に、泥濘《ぬかるみ》ヘ足を突込む、容易に下駄の歯が抜けない様子。「それ見たか」と私は指差をして、思うさま笑ってやりました。故《わざ》と、
「どうも実《まこと》に御気毒様」
 井戸端に遊んでいた鶩《あひる》が四羽ばかり口嘴《くちばし》を揃《そろ》えて、私の方へ「ぐわアぐわア」と鳴いて来ました。忌々しいものです。私は柄杓《ひしゃく》で水を浴せ掛ると、鶩は恰《さ》も噂好《うわさずき》なお婆さん振《ぶっ》て、泥の中を蹣跚《よろよろ》しながら鳴いて逃げて行きました。

    二

 台所の戸に白い李《すもも》の花の匂うも僅《わずか》の間です。山家の春は短いもので、鮨《すし》よ田楽《でんがく》よ、やれそれと摺鉢《すりばち》を鳴しているうちに、若布売《わかめうり》の女の群が参るようになります。越後訛《えちごなまり》で、「若布はようござんすかねえ」と呼んで来る声を聞くと、もう春蚕《はるこ》で忙しい時になるのでした。
 御承知の通、小諸は養蚕|地《どこ》ですから、寺の坊さんまでが衣の袖を捲《まく》りまして、仏壇のかげに桑の葉じょきじょき、まあこれをやらない家は無いのです。奥様は御慣れなさらないことでもあり、御嫌いでもあり、蚕の臭《におい》を嗅《か》げば胸が悪くなると仰《おっしゃ》る位でした。御本家の御女中方が灰色の麻袋を首に掛けて、桑の嫩芽《しんめ》を摘みに御出《おいで》なさる時も、奥様は長火鉢に倚《もた》れて、東京の新狂言の御噂さをなさいました。
 もともと旦那様は奥様に御執心で、御二人で楽《たのし》い御暮をなさりたいという外に、別に御望は無いのですから、唯もう嬉しいという御顔を見たり、御声を聞たりするのが何よりの御楽み――こうもしたら御喜びなさるか、ああもしたら御機嫌が、と気を御|揉《も》みなさいました。それは奥様を呼捨にもなさらないで、「綾さん、綾さん」と、さん付になさるのでも知れます。旦那様がこれですから、奥様は家庭《おうち》を温泉の宿のような気で、働くという昼があるでなければ、休むという夜があるでもなし、毎日好いた事して暮しました。「お定、きょうは幾日《いくにち》だっけねえ」と、日も御存《ごぞんじ》ないことがある。たまたま壁の暦を見て、時の経つのに驚きました位。夢の間に軒の花菖蒲《はなしょうぶ》も枯れ、その年の八せんとなれば甲子《きのえね》までも降続けて、川の水も赤く濁り、台所の雨も寂しく、味噌も黴《か》びました。祗園《ぎおん》の祭には青簾《あおすだれ》を懸けては下《はず》し、土用の丑《うし》の鰻《うなぎ》も盆の勘定となって、地獄の釜の蓋《ふた》の開くかと思えば、直《じき》に仏の花も捨て、それに赤痢の流行で芝居の太鼓も廻りません。奥様は外《そと》の御歓楽《おたのしみ》をなさりたいにも、小諸は倹約《しまつ》な質素《じみ》な処で、お茶の先生は上田へ引越し、謡曲《うたい》の師匠は飴《あめ》菓子を売て歩き、見るものも聞くものも鮮《すくな》いのですから、唯かぎりある御家《おうち》の内の御歓楽ばかり。思えば飽きもなさる筈《はず》です。終《しまい》には絹|手※[#「※」は底本では「はばへん+白」、18-15]《ハンケチ》も鼻を拭《か》んで捨て、香水は惜気もなく御紅閨《おねま》に振掛け、気に入らぬ髪は結立《ゆいたて》を掻乱《かきこわ》して二度も三度も結わせ、夜食好みをなさるようになって、糠味噌《ぬかみそ》の新漬に花鰹《はながつお》をかけさせ、茶漬を召上った後で、「もっと何か甘《おい》しい物はないか」と仰るのでした。新酔月の料理も二口三口召上って見て、犬にくれました。女の歓楽《たのしみ》ほど短いものはありません。奥様はその歓楽にすら疲れて、飽々となさいました。
「毎日、毎日、同じ事をするのかなア」
 というのは、柱に倚《もた》れての御独語《おひとりごと》でした。浮気な歓楽が奥様への置土産は、たったこの一語《ひとこと》です。
 次第に奥様は短気《きみじか》にも御成なさいました。旦那様は物事が精密《こまか》過《すぎ》て、何事にもこの御気象が随《つ》いて廻るのですから、奥様はもう煩《うるさ》いという御顔色をなさるのでした。「これは乃公《おれ》の病気だから止《や》められない」と、能《よ》く御自分でも承知していらっしゃるのです。殊《こと》に、奥様が癇癪《かんしゃく》を起した時なぞは、「ちょッ、貴方《あなた》のように濃厚《しつこ》い方はありゃしない」と言って、ぷいと立って行って御了いなさることも有ました。奥様の癇癪の起きた日は直《すぐ》に知れます。毎《いつ》でも御顔色が病人のようになって、鼻の先が光りまして、眉《まゆ》の間が茶色に見えます。後の首筋を蒼くして、無暗《むやみ》に御部屋の雑巾掛や御掃除をさせて、物を仰るにも御声が咽喉《のど》へ乾《ひから》びついたようになります。そうなると、旦那様と御取膳《おとりぜん》で御飯を召上る時でも、口を御|利《き》きなさらないことがありました。
 旦那様は五黄《ごおう》の金《かね》、その年の運気は吉、それに引換え奥様は八方塞《はっぽうふさがり》、唯じっとして運勢の開けるのを待てと、菓子屋の隣の悟道先生が占いました。全く、奥様の為には廻合《まわりあわせ》も好くない年と見えて、何かの前兆《しらせ》のように悪《いや》な夢ばかり御覧なさるのでした。女程心細いものは有ません。それを又た苦になさるのが病人のようでした。結構尽《けっこうづくめ》の御身体は弱々しくなり、心《しん》は労《つか》れ、風邪《かぜ》も引き易くなって、朝は欠《あくび》ばかりなさいました。「女というものは、つまらないものだ」と仰って、深い歎息に埋《うずま》って、花も嗅いで御捨てなさいました。旦那様は奥様の御機嫌を取るようになすって、御小使帳が投遣《なげや》りでも、御出迎に出たり出なかったりでも、何時まで朝寝をなさろうとも、それで御小言も仰らず。御家に奥様が居て下さるのは――籠《かご》に鶯《うぐいす》の居るように思召《おぼしめ》して、私でさえ御気毒に思う時でも御腹立もなさらないのでした。旦那様は銀行から御帰りになると、時々両手を組合せて、御庭の夏を眺めながら憂愁《ものおもい》に沈んでおいでなさることもあり、又、日によっては直に御二階へ御上りになって、御飯の時より外《ほか》には下りておいでなさらないこともありました。奥様が御気色《ごきしょく》の悪い日には旦那様は密《そっ》と御部屋へ行って、恐々《おずおず》御傍へ寄りながら、「綾さん、どっか悪いのかい。こんな畳の上に寝転んでいて、風でも引いちゃ不可《いけな》いじゃないか。そうしていないで、診《み》て貰《もら》ってはどうだね」と御聞きなさる。「いいえ、関《かま》わずに置いて下さい」というのが奥様の御返事でした。
 変れば変るものです。奥様は御独《おひとり》で縁側に出て、籠の中の鳥のように東京の空を御眺めなさることもあり、長い御手紙を書きながら啜泣《すすりなき》をなさることも有ました。時によると、御寝衣《おねまき》のまま、冷々《ひやひや》した山の上の夜気に打れながら、遅くまで御庭の内を御歩きなさることも有ました。
 秋のはじめから、奥様は虫歯の御煩《おわずらい》で時々|酷《ひど》い御苦痛《おくるしみ》をなさいましたのです。烈《はげ》しくなると私を御離しなさらないで、切ないような目付をなさりながら、私の背《せなか》に御頭《おつむり》を押しつけておいでなさる。耳から頬へかけて腫起《はれあが》りまして、御顔色は蒼ざめ、額もすこし黄ばんでまいります。これには旦那様も大弱りで、御自分の額を撫《な》でたり、大きな手を揉んで見たりして、御介抱をなさいましたのです。
 と申したような訳で、よく歯医者が黒い鞄《かばん》を提げてやって参りました。
 歯医者というのは、桜井さんと言って、年はまだ若いが、腕はなかなか有ました。私が勝手口の木戸を開けて、河ばたの石の上に蹲跼《しゃが》みながら、かちゃかちゃと鍋《なべ》を洗っていると、この人が坂の下の方から能く上って参りました。慣々《なれなれ》しく私の傍《そば》へ来て、鍋の浸《つ》けてある水中《みずのなか》を覗いて見たり、土塀から垂下っていた柿の枝振《えだぶり》を眺めたり、その葉裏から秋の光を見上げたりして、何でもない主家《うち》の周囲《まわり》を、さも面白そうに歩くのが癖でした。この人は東京の生ですから、新しい格子作を見る度《たび》に、都を想起《おもいだ》すと言っておりました。一体、東京から来る医者を見ると、いずれも役者のように風俗《みなり》を作っておりますが、さて男振《おとこぶり》の好《いい》という人も有ません。然し、この歯医者ばかりは、私も風采《ようす》が好と思いましたのです。
 この人が来る時は、よく私に物を携《も》って来てくれました。この人が帰って去《い》った後で、爺さんは必《きっ》と白銅を一つ握っておりました。
 或日、旦那様は銀行の御用で御泊掛《おとまりがけ》に上田まで御出ましでした。その晩は戸も早く閉めました。私も、さっさと台所を片付けたいと思い、鍋は伏せ、皿小鉢は仕舞い、物置の炭をかんかん割って出し、猫の足跡もそそくさと掃《ふ》いて、上草履《うわぞうり》を脱ぎまして、奥様の御部屋へ参りました。まだ宵の口から、奥様は御横におなりなすって、寝ながら小説本を御覧なさるところでした。誰を憚《はばか》るでもない気散じな御様子。あらわな御胸の白い乳房もすこし見えて、左の手はだらりと畳の上に垂れ、右の足は膝頭から折曲げ、投げだした左の足の長い親指の反《そ》ったまで、しどけない御姿は花やかな洋燈《ランプ》の夜の光に映りまして、昼よりは反《かえっ》て御美しく思われました。
「奥様、御足《おみあし》でも撫《さす》りましょうか」
 と私は御傍へ倚添《よりそ》いました。
「ああ、もうお済かい」と奥様は起直って、懐《ふところ》を掻合《かきあわ》せながら、「お前、按摩《あんま》さんをしてくれるとお言いなの。今日はね、肩のところが痛くて痛くて――それじゃ、一つ揉んで見ておくれな」
「あれ、御寝《およ》っていらしったら、どうでございます」
「なに、起きましょうよ」
 私はよく母親《おふくろ》の肩を揉せられましたから、その時奥様のうしろへ廻りまして、柔《やわらか》な御肩に触ると、急に母親を想出しました。母親の労働《はたら》く身体から思えば、奥様を揉む位は、もう造作もないのでした。
「お世辞でも何んでもないが、お定はなかなか指に力があるのねえ。お前のように能くしておくれだと、真実《ほんとう》に私ゃ嬉しい。旦那様も、日常《しょっちゅう》褒《ほ》めていらっしゃるんだよ」
 それから奥様は私の器量までも御褒め下さいました。奥様が私を御褒め下さるのは、いつも謎《なぞ》です、――御器量自慢でいらっしゃるのですから。その時も私の方から、御褒め申せば、もう何よりの御機嫌で、羽翅《はがい》を張《ひろ》げるように肩を高くなすって、御喜悦《およろこび》は鼻の先にも下唇にも明白《ありあり》と見透《みえす》きましたのです。
「ねえ、お定、お前は吾家《うち》へ来る御客様のうちで、誰様《どなた》が一番|好《いい》とお思いだえ」
「そうで御座ますねえ……まあ、奥様から仰《おっしゃ》って見て下さい」
「否《いいえ》、お前からお言いよ」
「私なぞは誰様が好か解りませんもの」
「あれ、そうお前のように笑ってばかりいちゃ仕様がない」
「それじゃ笑わずに申しますよ。ええ、と、銀行の吉田さん」
「いやよ、あんな老爺染《じじいじみ》た人は――戯《ふざ》けないでさ。真実《ほんとう》に言って御覧」
 私はそれから、種々《いろいろ》なお方を数えて申しました。島屋の若旦那、越後屋の御総領、三浦屋の御次男、荒町の亀惣《かめそう》様、本町の藤勘様――いずれ優劣《おとりまさり》のない当世の殿方ですけれど、成程奥様の御話を伺って見れば、たとえ男が好くて持物等の嗜《たしなみ》も深く、何をさせても小器用なと褒められる程の方でも、物事に迷易くて毎《いつ》も愚痴ばかりでは頼甲斐《たのみがい》のない様にも有《あり》、世智賢《せちがしこ》くて痒《かゆ》いところまで手の届く方は又た女を馬鹿にしたようで此方の欠点《あら》まで見透されるかと恐しくもあるし、気前が面白ければ銭遣《ぜにづかい》が荒く、凝性《こりしょう》なれば悟過ぎ、優しければ遠慮が深し、この方ならばと思うような御人《おひと》は弱々しくて、さて難の無い御方というのは、見当らないのでした。
「そんなら、奥様、あの桜井さんは」
「そうお前のように、私にばかり言わせて……お前も少許《ちったあ》言わなくちゃ狡猾《ずる》いよ。あの方をお前はどう思うの」
「桜井さんで御座いますか。実《ほんと》に歯医者なぞをさして置くのは惜しいッて、人が申すんで御座いますよ」
「ホホホホホ、それじゃ何に御成《おなん》なされば好と言うの」
「あの、官員様にでも……」
「ホホホホホ」
「あれ、女であの方を褒めない者は御座ません。奥様、貴方《あなた》も桜井さん贔負《びいき》じゃ御座ませんか」
 奥様は目を細くなさいました。何とも物は仰いませんでしたけれど、御顔を見ているうちに、美しい朱唇《くちびる》が曲《ゆが》んで来て、終《しまい》に微笑《にっこりわらい》になって了いました。
 洋燈《ランプ》の側にうとうとしていた猫が、急に耳を振って、物音に驚いたように馳出《かけだ》したので、奥様も私も殿方の御噂さを休《や》めて聞耳を立てていますと、須叟《やがて》猫は御部屋へ帰って来て、前|脚《あし》を延しながら一つ伸《のび》をして、撓垂《しなだれ》るように奥様の御膝へ乗りました。御子様がないのですから、奥様も恰《さ》も懐しそうに抱〆《だきしめ》て、白い頬をその柔い毛に摺付《すりつけ》て、美しい夢でも眼の前を通るような溶々《とけどけ》とした目付をなさいました。
 つい側に針箱が有ました。奥様はそれを引寄せて、引出のなかから目も覚めるような美しい半|襟《えり》を取出して、「こないだから、これをお前に上げよう上げようと思っていたんだよ」
 と仰りながら私に掴《つか》ませました。夜のことですから、紫|縮緬《ちりめん》が小豆《あずき》色に見えました。私は目を円くして、頂いてよいやら、悪いやらで、さんざん御断りもして見たのです。
「あれ、お前のようにお言《いい》だと、私が困るじゃないか。そんなに言う程の物じゃないんだよ。お前がよく勤めておくれだから、寸《ほん》の私の志と思っておくれ。……いいからさ、それは仕舞ってお置き」
 奥様はまだ何か言いたそうにして、それを言得ないで、深い歎息《ためいき》を御吐《おつ》きなさるばかりでした。危い絶壁《がけ》の上に立って、谷底でも御覧なさるような目付をなさりながら、左右を見廻して震えました。「お前だから話すがねえ」までは出ましても、二の句が口|籠《ごも》って、切れて了います。
「今夜私がお前に話すことは、決して誰にも話さないという約束をしておくれ。それを聞かないうちは――然しお前に限ってそんな軽卒《かるはずみ》なことはあるまいけれど」
 幾度も念を押して、まだ仰り悪《にく》いという風でしたが、さて話そうとなると、急に御顔が耳の根元までも紅くなりました。
 遂々《とうとう》奥様は御声をちいさくなすって、打開けた御話を私になさいました。その時、私は始めて歯医者とのこれまでの関係を聞きましたのです。私は手を堅く握〆られて、妙に顔が熱《ほて》りました。他《ひと》から内証を打開《うちあ》けられた時ほど、是方《こっち》の弱身になることはありません。思いつめた御心から掻口説《かきくど》かれて見れば、終《しまい》には私もあわれになりまして、染々《しみじみ》御身上《おみのうえ》を思遣りながら言慰《いいなぐさ》めて見ました。奥様は私の言葉を御聞きなさると、もう子供のように御泣きなさるのでした。
 拠《よんどころ》なく、私も引受けて、歯医者に逢わせる御約束をしましたら、漸《やっ》と、その時、火のように熱い御手が私から離れたようにこころづきました。
 その晩は、私も仮《ほん》の出来心で、――若い内に有勝《ありがち》な量見から。
 然し、悪戯《いたずら》が悪戯でなくなって、事実《ほんとう》も事実《ほんとう》も恐しい事実になって行くのを見ては、さすがに私も震えました。私は後暗いと、恐しいとで、噂さを嗅附《かぎつ》ける犬のようになって、御人の好い旦那様にまで吠《ほ》えました。
 或時は自分で責められるような自分の心を慰めて見たこともありましたのです。全く道ならぬ奥様の恋とは言いながら、思の外のあわれも有ましたので。人の知らない暗涙《なみだ》は夜の御床に流れても、それを御話しなさるという女の御友達は有ませんので。ですから、私は独り考えて、思い慰めました。
 さ、それです。
 奥様は暖い国に植えられて、軟《やわらか》な風に吹かれて咲くという花なので。この荒い土地に移されても根深く蔓《はびこ》る雑草《くさ》では有ません。こうした御慣れなさらない山家住《やまがずまい》のことですから、さて暮して見れば、都で聞いた田舎生活《いなかぐらし》の静和《しずかさ》と来て視《み》た寂寥《さびしさ》苦痛《つらさ》とは何程《どれほど》の相違《ちがい》でしょう。旦那様は又た、奥様を籠の鳥のように御眺めなさる気で、奥様の独り焦《じれ》る御心が解りませんのでした。何時《いつ》、羽根を切られた鳥の心が籠に入れて楽しむという飼主に解りましょう。何程、世間の奥様が連添う殿方に解りましょう。――女の運はこれです。御縁とは言いながら、遠く御里を離れての旅の者も同じ御身上《おみのうえ》で、真実《ほんと》に同情《おもいやり》のあるものは一人も無い。こればかりでも、女は死にます。奥様の不幸《ふしあわせ》な。歓楽《たのしみ》の香《におい》は、もう嗅いで御覧なさりたくも無いのでした。奥様は歎《な》き疲《くたぶ》れて、乾いた草のように萎《しお》れて了いました。思えば御無理も御座ません――活《い》き返るような恋の雨が、そこへ清《すず》しく降りそそいで来たのですから。
 丁度、秋草のさかりで、歯医者の通う路《みち》は美しゅうございました。

    三

 十月の二十日は銀行に十五年の大祝というのが有ました。旦那様に取ては一生のうちに忘れられない日で、彼処《あそこ》でも荒井様、是処《ここ》でも荒井様、旦那様の御評判は光岳寺の鐘のように町々へ響渡りました。長いお功労《ほねおり》を賛《ほ》めはやす声ばかりで。
 その朝は、私も早く起きて朝飯の用意をしました。台所の戸の開捨てた間から、秋の光がさしこんで、流許《ながしもと》の手桶《ておけ》や亜鉛盥《ばけつ》が輝《ひか》って見える。青い煙は煤[#底本では「媒」の誤り]《すす》けた窓から壁の外へ漏れる。私は鼻を啜《すす》りながら、焚落《たきおと》しの火を十能に取って炉へ運びましても、奥様は未だ御目覚が無い。熱湯《にえゆ》で雑巾を絞《しぼ》りまして、御二階を済ましても、まだ御起きなさらない。その内に、炉に掛けた鍋は沸々と煮起《にた》って、蓋の間から湯気が出るようになる。うまそうな汁の香が炉辺《ろばた》に満ち溢《あふ》れました。
 八時を打っても、未だ奥様は御寐《おやすみ》です。旦那様は炉辺で汁の香を嗅いで、憶出《おもいだ》したように少許《すこし》萎れておいでなさいました。やがて、御独で御膳を引寄せて、朝飯を召上ると、もう銀行からは御使でした。そそくさと御仕度をなすって、黒七子《くろななこ》の御羽織は剣菱《けんびし》の五つ紋、それに茶苧《ちゃう》の御袴《おはかま》で、隆《りゅう》として御出掛になりました。私は鍋を掛けたり、下したりしていると、漸《ようよ》う九時過になって、奥様は楊枝を銜《くわ》えながら台所へ御見えなさいました、――恐しい夢から覚めたような目付をなすって。もう味噌汁《おみおつけ》も煮詰って了ったのです。
 その日は御祝の印といって、旦那様の御思召《おぼしめし》から、門に立つものには白米と金銭《おかね》を施しました。
 一体、旦那様は乞食が大嫌いな御方で、「乞食を為《す》る位なら死んでしまえ」と叱※[#「※」は「口へん+它」、27-14]《しかりとば》す位ですから、こんなことは珍しいのです。その日は朝から哀な声が門前に聞えました。それを又た聞伝えて、掴取《つかみどり》のないと思った世の中に、これはうまい話と、親子連で瞽者《ごぜ》の真似《まね》、かみさんが「片輪でござい」裏長屋に住む人までが慾には恥も外聞も忘れて来ました。七十にもなりそうな婆さんまでが、※[#「※」は「あしへん+珍のつくり」、27-18]跛《ちんば》ひきひき前垂に白米を入れて貰いまして、門を出ると直ぐ人並に歩いたには、呆《あき》れました。
 昼過に、旦那様は紫|袱紗《ふくさ》を小脇に抱《かか》えながら、一寸帰っておいでなさいました。私は鶏に餌をくれて、奥様の御部屋の方へ行って見ますと、御二人で御話の御様子。何の気無しに唐紙の傍に立って、御部屋を覗きながら聞耳を立てました。旦那様は御羽織を脱捨てて、額の汗を御|拭《ふ》きなさるところ。
「ねえ、綾さん、こういう時にはそんな顔をしていないで、もうすこし快くしてくれなくちゃ張合がないじゃないか。それに、今日は御祝だもの、奉公人だって遊ばせてやるがいいやね」
「ですから、いくらでも遊んでおいでッて言ったんです」
「それ、そう言われるから誰だって出られないやね、――まあ、そうじゃないか。綾さんはこの節奉公人ばかし責めるようなことを言うが、そんなに為《し》たって不可《いけない》。お定にしろ、あの爺さんにしろ、高が人に遣《つか》われてるものだ」
「誰も責めやしません」
「責めないって、そう聞えらア」
「私が何時責めるようなことを言いました」
「お前の調子が責めてるじゃないか」
「調子は私の持前です」
「お前が御父さんに言う時の調子と、今のとは違うように聞えるぜ」
「誰が親と奉公人と一緒にして物を言うような、そんな人があるものですか。こんなところで親の恥まで曝《さら》さなくってもようござんす」
「奇異《きたい》なことを言うね」
「ああ、奉公人まで引合に出して、親の恥を曝されるのかなア」
「解らない人だ。そんな訳で親を担出《かつぎだ》したんじゃ無し、――奉公人は親位に思っていなくて、使われると思うのかい。……然し、そんな事はどうでもいい。まあ、今日は一つ綾さんに喜んで貰《もら》おう」
 と御機嫌を直しながら、旦那様は紫袱紗を解《ほど》いて桐の小箱の蓋を取りました。白絹に包《くる》んだのを大事そうに取除《とりの》けて、畳の上に置いたは目も覚めるような黄金《きん》の御盃。折畳んであった奉書を披《ひろ》げて見せて、
「今日の御祝に、これは銀行から私へくれたのだ。まあ、私に取っては名誉な記念だ。そら、盃の中に名前が彫ってあるだろう。御覧よ、この奉書には種々《いろいろ》文句が書いてある」
「拝見しました」
「もっと能《よ》く見ておくれ。そんな冷淡な挨拶《あいさつ》があるものか。折角こうして、お前に見せようと思って持って来たものを……何とか、一言位」
「ですから拝見しましたと言ってるじゃ有ませんか」
 旦那様は口を噤《つぐ》んで了いました。御互に物を仰らないのは、仰るよりも猶《なお》か冷い心地《こころもち》がしましたのです。旦那様は少許《すこし》震えて、穴の開く程奥様の御顔を熟視《みつめ》ますと、奥様は口唇《くちびる》に微《かすか》な嘲笑《さげすみわらい》を見《みせ》て、他の事を考えておいでなさるようでした。やがて、旦那様は御盃を取上げて、熟々《つくづく》眺めながら歎息《ためいき》を吐《つ》いて、
「そう女というものは男の事業《しごと》に冷淡なものかな。今までは、もうすこし同情《おもいやり》が有るものかと思っていた」
「どうせ私なぞに貴方がたの成さる事は解りません」
「無論さ。何も解って貰おうとは言やしない。同情が無いと言ったんだ。男の事業が解る位なら、そんな挨拶の出来よう筈《はず》もない。まあ、私の言うことを能く聞いてくれ。自慢をするじゃアないが、今日《こんにち》小諸の商業は私の指先一つでどうにでも、動かせる。不景気だ、不景気だ、こう口癖のように言いながらも、小諸の商人が懐中《ふところうち》の楽なのは、私が銀行に巌張《がんば》っているからだ。町会の事業でも、計画でも、皆私の意見を基にしてやっている。小諸が盛んになるも、衰えるも、私の遣方《やりかた》一つにあるのだ。その私が事業《しごと》の記念だと言って、爰《ここ》へこうして並べて、お前に見て喜んで貰おうとしているのに……アハハハハハハ」
 と、旦那様は熱い涙を手に持った黄金の御盃へ落しました。
 やがて、御盃や御羽織を掻浚《かきさら》うようになすって、旦那様は御部屋から御座敷の方へいらっしゃる。御様子がどうも尋常《ただ》ではないと、私も御後から随いて行って見ました。もうもう堪《こら》えきれないという御様子で、突然《いきなり》、奉書を鷲掴《わしづか》みにして、寸断々々《ずたずた》に引裂いて了いました。啜泣《すすりなき》の涙は男らしい御顔を流れましたのです。御一人で小諸を負《しょ》って御立ちなさる程の旦那様でも、奥様の心一つを御自由に成さることは出来ません。微々《ちいさ》な小諸の銀行を信州一と言われる位に盛大《おおき》くなすった程の御腕前は有ながら、奥様の為には一生の光栄《ほまれ》も塵埃《ごみくた》同様に捨てて御了いなすって、人の賛《ほ》めるのも羨《うら》やむのも悦《うれ》しいとは思召さないのでした。これが他の殿方ででもあったら、奥様の御髪《おぐし》を掻廻《つかみまわ》して、黒|縮緬《ちりめん》の御羽織も裂けるかと思う位に、打擲《ぶちたたき》もなさりかねない場合でしょう。並勝《なみすぐ》れて御人の好い旦那様ですから、どんな烈《はげ》しい御腹立の時でも、面と向っては他《ひと》にそれを言得ないのでした。旦那様は御自分の髪の毛を掻毟《かきむし》って、畳を蹴《け》って御出掛《おでまし》になりました。ぴしゃんと唐紙を御閉めなすった音には、思わず私もひょろひょろとなりましたのです。
 私は御部屋へ取って返して、泣き伏した奥様をいろいろと言慰《いいなだ》めて見ましたが、御返事もなさいません。すこし遠慮して、勝手へ来て見れば、又たどうも気掛《きがかり》になって、御二人のことばかりが案じられました。
 黄昏《ゆうがた》に、私は水汲をして手桶を提げながら門のところまで参りますと、四十|恰好《かっこう》の女が格子前《こうしさき》に立っておりました。姿を視れば巡礼です。赤い頭巾《ずきん》を冠せた乳呑児を負いまして、鼠色の脚絆《きゃはん》に草鞋穿《わらじばき》、それは旅疲《たびやつれ》のしたあわれな様子。奥様は泣|腫《はら》した御顔を御出しなすって、きょうの御祝の御余《おあまり》の白米や金銭《おかね》をこの女に施しておやりなさるところでした。奥様が巡礼を御覧なさる目付には言うに言われぬ愁《うれい》が籠っておりましたのです。
「私にその歌を、もう一度聞かしておくれ」
 と奥様が優しく御尋ねなさると、巡礼は可笑《おかし》な土地|訛《なまり》で、
「歌でござりますか、ハイそうでござりますか」
 寂しそうに笑って、やがて、鈴を振鳴して一節《ひとふし》唄いましたのは、こうでした。
  ちちははのめぐみもふかきこかはでら
  ほとけのちかきたのもしのみや
 日に焼けた醜《まず》い顔の女では有りましたが、調子の女らしい、節の凄婉《あわれ》な、凄婉なというよりは悲傷《いたま》しい、それを清《すず》しい哀《かな》しい声で歌いましたのです。世間を見るに、美《い》い声が醜《まず》い口唇《くちびる》から出るのは稀《めずら》しくも有ません。然し、この女のようなのも鮮《すくな》いと思いました。一節歌われると、もう私は泣きたいような心地《こころもち》になって、胸が込上げて来ました。やがて女は蒼《あおざ》めた顔を仰《あ》げて、
  ふるさとやはるばるここにきみゐでら
  はなのみやこもちかくなるらん
「故郷や」の「や」には力を入れました。清《すず》しい声を鈴に合せて、息を吸入れて、「はるばるここに」と長く引いた時は女の口唇も震えましたようです。「花の都も」と歌いすすむと、見る見る涙が女の頬を伝いまして、落魄《おちぶれ》た袖にかかりました。奥様は熟々《つくづく》聞|惚《ほ》れて、顔に手を当てておいでなさいました――まあ、どんな御心地《おこころもち》がその時奥様の御胸の中を往たり来たりしたものか、私には量りかねましたのです。歌が済みますと、奥様は馴々《なれなれ》しく、
「今のは何という歌なんですね」
「なんでござります。はァ、御|詠歌《えいか》と申しまして、それ芝居なぞでも能くやりますわなア――お鶴が西国巡礼に……」
「お前さんは何処《どこ》ですね」
「伊勢でござります」
「まあ、遠方ですねえ」
「わしらの方は皆こうして流しますでござります。御詠歌は西国三十三番の札所《ふだしょ》々々を読みましてなア」
「どっちの方から来たんですね」
「越後路《えちごじ》から長野の方へ出まして、諸方を廻って参りました。これから御寒くなりますで、暖い方へ参りますでござりますわい」
 その時、爺さんが恍《とぼ》けた顔を出して、
「あんな乞食の歌を聞いて何にする」
 と聞えよがしに笑いました。
「これはこれはどうも難有《ありがと》うござります。どうも奥様、御蔭様で助かりますでござります」
 巡礼は泣き出した児を動揺《ゆすぶ》って、暮方の秋の空を眺《なが》め眺め行きました。
 爺さんは奥様を笑いましたけれど、私はそうは思いませんので。熟々《しみじみ》奥様があの巡礼の口唇を見つめて美《い》い声に聞惚れた御様子から、根彫葉刻《ねほりはほり》御尋ねなすった御話の前後《あとさき》を考えれば、あんな落魄《おちぶれ》た女をすら、まだしもと御|羨《うらや》みなさる程に御思召すのでした。この同じ屋根の下に旦那様と御二人で御暮しなさるのは、それほど苦《つら》いと御思召すのでした。御器量から、御身分から――さぞ、あの巡礼の目には申分のない奥様と見えましたろう。奥様の目には、又た、世間という鎖に繋《つな》がれて否《いや》でも応でも引摺《ひきずら》れて、その日その日を夢のように御暮しなさるというよりか、見る影もない巡礼なぞの身の上の方が反《かえ》って自由なように御思いなさるのでした。
 御祝の宴《さかもり》がありましたから、旦那様の御帰は遅くなりました。外で旦那様が鼻の高かった日も、内では又た寂しい悲しい日でした。旦那様は酒臭い呼吸《いき》を奥様の御顔に吹きかけて置いて、直ぐ御二階の畳の上に倒れて御了いなすったのです。
 その夜から御床も別々に敷《の》べました。

    四

 手桶《ておけ》を提げて井戸に通う路は、柿の落葉で埋まった日もあり、霜溶《しもどけ》のぐちゃぐちゃで下駄の鼻緒を切らした日もあり、夷講《えびすこう》の朝は初雪を踏んで通いました。奥様から頂いて穿《は》いた古|足袋《たび》の爪先も冷くなって、鼻の息も白く見えるようになれば、北向の日蔭は雪も溶けずに凍る程のお寒さ。
 十二月の十日のこと、珍しい御客様を乗せた一|輌《だい》の人力車《くるま》が門の前で停りました。それは奥様の父親《おとう》様が東京から尋ねていらしったのです。思いがけないのですから、奥様は敷居に御躓《おつまず》きなさる程でした。旦那様も早く銀行から御帰りになる、御二人とも御客様の御待遇《おもてなし》やら東京の御話やらに紛れて、久振で楽しそうな御|笑声《わらいごえ》が奥から聞えました。奥様の御|喜悦《よろこび》は、まあ何程《どんな》で御座ましたろう、――その晩は大した御馳走でした。
 御客様は金銭上《おかね》の御相談が主で、御来遊《おいで》になりましたような御様子。御|着《つき》になって四日目のこと、旦那様と御一緒に長野へ御出掛になりました。奥様は御留守居です。私は洋傘《こうもり》と御履物を揃《そろ》えまして、御部屋へ参って見ると、未だ御仕度の最中。御客様は気短《きぜわしな》い御方で、角帯の間から時計を出して御覧なすったり、あちこちと御部屋の内を御歩きなすったりして、待遠しいという風でした。その時、私は御客様と奥様と見比べて、思当ることが有ましたのです。御客様は丸い腮《あご》を撫《な》で廻しながら、
「婆さんもね、早く孫の顔を見たいなんて、日常《しょっちゅう》その噂《うわ》さばかりさ。どうだね、……未だそんな模様は無いのかい」
 奥様は俯《うつむ》いて、御顔を紅らめて、御返事をなさいません。やがて懐しそうに、
「御父《おとっ》さん、羽織を着|更《か》えていらッしゃいよ」
「なに、これで結構。こりゃお前上等だもの」
「それでもあんまりひどい」
「この羽織は十五年からになりますがね、いいものは丈夫ですな」
 御客様は袖《そで》口を指で押えて、羽翅《はがい》のように展《ひろ》げて見せました。遽《にわか》に思直して、
「こうっと。面倒だけれど――それじゃ一つ着更えるか」
 と御自分の御包を解《ほど》いて、その中から節糸紬《ふしいとつむぎ》の御羽織を抜いて、無造作に袖を通して御覧なさいました。
「あれ、其方《そっち》のになさいよ」
「これかね。どうして、お前、此方の着物を着た時の羽織さ。ね、――この羽織で結構」
「でも何だかそれじゃ好笑《おかし》いわ。それを御着なさる位なら、まだ今までの方が好《いい》のですもの」
 御客様は茶の平打《ひらうち》の紐《ひも》を結んで、火鉢の前にべたりと坐って御覧なさいました。急に、ついと立ってまたその御羽織を脱ぎ捨てながら、
「それじゃ、これだ――もともとだ。アハハハハハハ」
 奥様がそれを引寄せて、御畳みなさるところを、御客様は銜煙管《くわえぎせる》で眺入って、もとの御包に御納《おしま》いなさるまで、熟《じっ》と視ていらっしゃいました。思いついたように、
「ハハハハ、婆さん紋付なんか入れてよこした」
 こういう罪もない御話を睦《むつ》まじそうになすっていらっしゃるところへ、旦那様も御用を片付けて、御二階から下りておいでなさいました。見る見る旦那様の下唇には嫉《ねたまし》いという御色が顕《あらわ》れました。御客様は急《せ》き立てて、
「さあ、出掛けましょう。もう三十分で汽車が出ますよ」
 御二人とも厚い外套《がいとう》を召して御出掛になりました。爺さんも御荷物を提げて、停車場まで随いて参りました。後で、取散かった物を片付けますと、御部屋の内は煙草の烟《けむり》ですこし噎《む》せる位。がらりと障子を開けて、御客様の蒲団《ふとん》や、掻巻《かいまき》や、男臭い御|寝衣《ねまき》などを縁へ乾しました。
 御独《おひとり》になると、奥様は総桐の箪笥《たんす》から御自分の御召物を出して、畳直したり、入直したり、又た取出したりして御眺めなさる――それは鏡に映る御自分の御姿に見惚《みとれ》ると同じような御様子をなさるのでした。全く御召物は奥様の御身の内と言ってもよいのですから。私も御側へ寄添いまして見せて頂きました。どれを拝見しても目うつりのする衣類《もの》ばかり。就中《わけても》、私の気に入りましたのは長襦袢です。それは薄|葡萄《ぶどう》の浜|縮緬《ちりめん》、こぼれ梅の裾《すそ》模様、※[#「※」は「ころもへん+施のつくり」、36-17]《ふき》は緋縮緬《ひぢりめん》を一分程にとって、本紅《ほんこう》の裏を附けたのでした。奥様はそれを御膝の上に乗せて、何の気なしに御婚礼の晩御召しなすったということを、私に話して聞かせました。不図《ふと》、御自分の御言葉に注意《こころづ》いて、今更のように萎返《しおれかえ》って、それを熟視《みつめ》たまま身動きもなさいません。死《しん》だ銀色の衣魚《しみ》が一つその袖から落ちました。御顔に匂いかかる樟脳《しょうのう》の香を御嗅ぎなさると、急に楽しい追憶《おもいで》が御胸の中を往たり来たりするという御様子で、私が御側に居ることすら忘れて御了いなすったようでした。
「ああああ着物も何も要らなくなっちゃった」
 と仰《おっしゃ》りながら、その長襦袢を御抱きなすったまま、さんざん思いやって、涙は絶間《とめど》もなく美しい御顔を流れました。
 その日は珍しく暖で、冬至近いとも思われません位。これは山の上に往々《たびたび》あることで、こういう陽気は雪になる前兆《しらせ》です。昼過となれば、灰色の低い雲が空一面に垂下る、家《うち》の内は薄暗くなる、そのうちにちらちら落ちて参りました。日は短し、暗さは暗し、いつ暮れるともなく燈火《あかり》を点《つけ》るようになりましたのです。爺さんも何処《どっか》へ行って飲んで来たものと見え、部屋へ入って寝込んで了いました。台所が済むと、私は奥様の御徒然《おさむしさ》が思われて、御側を離れないようにしました。時々雪の中を通る荷車の音が寂しく聞える位、四方《そこいら》は※[#「※」は「もんがまえ+貝」、37-13]《ひっそり》として、沈まり返って、戸の外で雪の積るのが思いやられるのでした。御一緒に胡燵《おこた》にあたりながら、奥様は例の小説本、私は古足袋のそそくい、長野の御噂さやら歯医者の御話やら移り移って盗賊の噂さになりますと、奥様は急に寂しがって、
「どうしたろう、爺さんは」
「もう最前《とっく》に寝て了いました」
「おや、そう、早いことねえ。お前戸じまりをよくしておくれ。泥棒が流行《はや》るッて言うよ」
 と、二人で恐《こわ》がっておりますと、誰か来て戸を叩《たた》く音が聞えました。「はてな、今時分」と、ついと私は立って参りまして、表の戸を明けて見れば――一面の闇《やみ》。仄白《ほのじろ》い夜の雪ばかりで誰の影も見えません。暫《しばら》く佇立《たたず》んでおりましたが、「晴れたな」と口の中で言って、二|歩《あし》三|歩《あし》外へ履出《ふみだ》して見ると、ぱらぱら冷いのが襟首《えりくび》のところへ被《かか》る。
「あれ、降ってるのか」と私は軒下へ退《の》いて、思わず髪を撫《な》でました。暗くはあるが、低い霧のように灰色に見えるのは、微《こまか》い雪の降るのでした。往来の向《むこう》で道を照して行く人の小|提灯《ぢょうちん》が、積った雪に映りまして、その光が花やかに明く見えるばかり。
 私は戸を閉めて暫時《しばらく》庭に立っていますと、外からコトコトと戸を叩く音がする。下駄の雪を落す音が聞える。一旦閉めた戸を復《ま》た開けて、「誰方《どなた》」と声を掛けて見ました。誰かと思えば――美しい曲者《くせもの》。
「奥様、桜井さんがいらっしゃいましたよ」
 と、早速|申上《もうしあげ》に参りましたら、奥様は不意を打たれて、耳の根元から襟首までも真紅《まっか》になさいました。物の蔭に逃隠れまして、急には御見えにもなりませんのです。この雪ですから、歯医者の外套は少許《すこし》払った位で落ちません。それを脱げば着物の裾は濡《ぬ》れておりました。いつもの様に御履物を隠して、奥様の御部屋へ御案内をしますと、男はがたがたと震えておりましたのです。
 先ず濡れたものを脱がせて、奥様は男に御自分の裾の長い御召物を出して着せました。それは本紅《ほんこう》の胴裏を附けた変縞《かわりじま》の糸織で、八つ口の開いた女物に袖を通させて、折込んだ広襟を後から直してやれば、優形《やさがた》な色白の歯医者には似合って見えました。奥様は左からも右からも眺めて、恍惚《うっとり》とした目付をなさりながら、
「お定、よく御覧よ。まあ、それでも御似合なさること。まるで桜井さんは女のように御見えなさるんだもの」
 と仰って、私の手を握りしめるのです。
 私は歯医者から美しい帯上《おびあげ》を頂きました。
 奥様の御|差図《さしず》で、葡萄酒を胡燵《おこた》の側に運びまして、玻璃盞《コップ》がわりには京焼の茶呑|茶椀《ぢゃわん》を上げました。静な上に暖で、それは欺《だま》されたような、夢心地のする陽気。年の内とは言いながら梅も咲《さき》鶯も鳴くかと思われる程。猫まで浮れて出て行きました。私は次の間に退《さが》って、春の夜の夢のような恋の御物語に聞惚れて、唐紙の隙間《すきま》から覗《のぞ》きますと、花やかな洋燈《ランプ》の光に映る奥様の夜の御顔は、その晩位御美しく見えたことは有ませんでした。奥様があの艶《つや》を帯《も》った目を細くなすって葡萄酒を召上るさまも、歯医者が例の細い白い手を振って楽しそうに笑うさまも、よく見えました。御物語も深くなるにつけ、昨日の御心配も、明日の御|煩悶《わずらい》も、すっかり忘れて御了いなすって、御二人の口唇《くちびる》には香油《においあぶら》を塗りましたよう、それからそれへと御話が滑《はず》みました。歯医者は桜色の顔を胡燵《おこた》に擦《こす》りつけて、
「奥さん」
「あれ復《ま》た。後生ですから『奥さん』だけは廃《よ》して頂戴よ」
 こころやすだてから出たこの御言葉は、言うに言われぬほど男の心を嬉しがらせたようでした。男は一寸舌なめずりをして、酒に乾いた口唇を動かしながら、
「酔った。酔った。何故こんなに酔ったか解らない」
「だっても御酒《ごしゅ》を召上ったんでしょう」奥様は笑いました。
「少ばかりいただいて、手までこんなに紅くなるとは」
 と出して見せる。
「でも、御覧なさいな、私の顔を」
 と奥様は頬《ほお》に掌を押当てて御覧なさいました。
「貴方はちっとも紅く御成《おなん》なさらない。紅くならないで蒼《あお》くなるのは、御酒が強いんだって言いますよ。――貴方はきっと御強いんだ」
「よう御座んす。沢山《たんと》仰い」と奥様はすこし甘えて、「ですがねえ、桜井さん、私は何程《どんなに》酔いたいと思っても、苦しいばかりで酔いませんのですもの」
 男は奥様の御言葉に打たれて、黙って奥様の美しい目元を熟視《みつめ》ました。奥様は障子に映る男の影法師を暫く眺めていらっしゃるかと思うと、急に御自分の後を振返って、物を探る手付で宙を掴《つか》んで御覧なさいました。恐怖《おそれ》は御顔へ顕れました。やがて、すこし震えて男の傍へ倚添《よりそ》いながら、
「何時までもこうして二人で居られますまいかねえ。噫《ああ》、居られるものなら好けれど」
 と沈《しめ》る。男は歎息《ためいき》を吐《つ》くばかりでした。奥様も萎れて、
「私はもう御目にかかれるか、かかれないか、知れないと思いますわ。あの昨夜《ゆうべ》の厭《いや》な夢、――どうして私はこんな不幸《ふしあわせ》な身《からだ》に生れて来たんでしょう。若しかすると、私は近い内に死ぬかも……もう御目にかかれないかも……知れません」
「また、つまらんことを。夢という奴は宛になるもんじゃなし」
「そう貴方のように仰るけれど、女の身になって御覧なさい――違いますわ。ああ、もういやいや、そんな話は廃《よ》しましょう」と奥様は気を変えて、「何時でしたっけねえ、始て貴方に御目にかかったのは。ネ、去年の五月、ホラ磯部の温泉で――未だ私がここへ嫁《かたづ》いて来ない前……」
「おおそうそう、月参講《げっさんこう》の連中が大勢泊った日でしたなあ。御一緒に青い梅のなった樹の蔭を歩いて、あの時、ソラ碓氷川《うすいがわ》で清《い》い声がしましたろう。貴方がそれを聞きつけて、『あれが河鹿《かじか》なんですか、あらそう、蜩《ひぐらし》の鳴くようですわねえ』と仰ったでしょう」
「覚えていますよ。それから岡へ上って見ると、躑躅《つつじ》が一面に咲いていて。ネ、私は坂を歩いたもんですから、息が切れて、まあどうしたら好《よか》ろうと思っていると、貴方が赤い躑躅の枝を折って、『この花の露を吸うがいい』と仰って、私にそれを下すったでしょう」[#【」】は底本では【』】と誤記、41-12]
「あの時は又た能く歩きましたなあ。貴方も草臥《くたぶれ》、私も草臥、二人で岡の上から眺めていると、遠く夕日が沈んで行くにつれて空の色がいろいろに変りましたッけ。水蒸気の多い夕暮でしたよ。あんな美しい日没《ひのいり》は二度と見たことが有ません、――今だに私は忘れないんです」
「あら、私だっても……」
 御二人は目と目を見合せて、昔の美しい夢が今一度|眼前《めのまえ》を活《い》きて通るような御様子をなさいました。奥様は茶呑茶椀を取上げて、
「さ、も一つ召上りませんか」
「沢山」
「そう、そんなら私頂きましょう」
「え、召上るんですか。――然し、もう御廃《およ》しなさいよ」
「何故、私が酔ってはいけませんの」
「貴方のは無理な御酒なんだから」
「それじゃ未だ私の心を真実《ほんとう》に御存《ごぞんじ》ないのですわ。私はこうして酔って死ねば、それが何よりの本望ですもの」
 無理やりに葡萄酒の罎《びん》を握《つか》ませて、男の手の上に御自分の手を持添えながら、茶呑茶椀へ注ごうとなさいました。御二人の手はぶるぶると戦《ふる》えて、酒は胡燵掛《こたつがけ》の上に溢《こぼ》れましたのです。奥様は目を閉《つぶ》って一口に飲干して、御顔を胡燵《おこた》に押宛てたと思うと、忍び音に御泣きなさるのが絞るように悲しく聞えました。唐紙に身を寄せて聞いて見れば、私も胸が込上げて来る。男は奥様を抱くようにして、御耳へ口をよせて宥《なだ》め賺《すか》しますと、奥様の御声はその同情《おもいやり》で猶々《なおなお》底止《とめど》がないようでした。私はもう掻毟《かきむし》られるような悶心地《もだえごこち》になって聞いておりますと、やがて御声は幽《かすか》になる。泣逆吃《なきじゃくり》ばかりは時々聞える。時計は十時を打ちました。茶を熱く入れて香《かおり》のよいところを御二人へ上げましたら、奥様も乾いた咽喉《のど》を霑《しめ》して、すこしは清々《せいせい》となすったようでした。急に、表の方で、
「御願い申しやす」
 それは酔漢《よいどれ》の声でした。静な雪の夜ですから、濁った音声《おんじょう》で烈《はげ》しく呼ぶのが四辺《そこいら》へ響き渡る、思わず三人は顔を見合せました。
「誰だろう」と奥様は恐《こわ》がる。
「御願い申しやす、御休みですか」
 歯医者はもう蒼青《まっさお》になって、酒の酔も覚めて了いました。震えながらきょろきょろと見廻して、目も眩《くら》んだようです。逃隠れをしようにも、裾の長い着物が足|纏《まと》いになって、物に躓《つまず》いたり、滑《すべ》ったりする。罎は仆《たお》れて残った葡萄酒が畳へ流れました。
 半信半疑で聞いていた私も、三度呼ばれて見れば、はッと思いました。父親《おやじ》の声に相違ないのです。
「奥様、吾家《うち》の御父《おとっ》さんで御座ますよ」
 奥様は屏風《びょうぶ》の蔭にちいさくなっていた男の手を執って、押入のなかに忍ばせました。私は立って参りまして表の戸を開けながら、
「御父さん、何しに来たんだよ……今頃」
「はい、道に迷ってまいりやした」と舌も碌々《ろくろく》廻りません様子。
「仕様がないなア、こんなに遅くなって人の家へ無暗《むやみ》に入って来て」
 親とは言ながら奥様の手前もあり、私は面目ないと腹立《はらだた》しいとで叱《しか》るように言いました。もう奥様は其処へいらしって、燈火《あかり》に御顔を外向《そむ》けて立っておいでなさるのです。
「お定の御父さんですか」
「否《いいえ》、そうじゃごわしねえ。私《わし》は東京でごわす」
 と恍《とぼ》け顔に言|淀《よど》んで、見れば手に提げた菎蒻《こんにゃく》を庭の隅《すみ》へ置きながら蹣跚《よろよろ》と其処へ倒れそうになりました。
「これ、さ、そんな処へ寝ないで早く御行《おいで》よ」
「まあ、いいから其処へ暫く休ませて遣《や》るが好《いい》やね」
「こんなに酔ったと言っちゃ寝てしまって仕方がありません。これ、御行《おいで》よ」
「そこですこし御休みなさい」
「はい」と父親《おやじ》は上框《あがりがまち》へ腰を掛けながら、
「私はお定さんに惚れて来やした」
「早く去《い》っとくれよ。こんなに遅くなって人の家へ酔って来たりなんかして」
「そう言うな。十月余《とつきあまり》も逢わねえじゃねえか。顔が見たくはねえか……」
 奥様は炉辺の戸棚《とだな》を開けて、玻璃盞《コップ》を探しながら、
「水でも一つ上げましょう」
「見ろ、奥様はあの通り親切にして下さる、……時にお定、今幾時だ」
「十二時」と私は虚言《うそ》を吐《つ》いてやりました。
「なに、十……」と険《けわ》しい声で、
「十一時半」
「さあ水を御上り」と奥様はなみなみ注いだのを下さる。
「難有うごわす。ええ、ぷ、私《わし》は今夜芸者……を買って、四五円くれて了った。復《また》、私はこれから行って、……そ、そ、その、飲もうというんで」
「大変酔ったものだね」
「これ、早く御帰りよ。まるでその姿《なり》は雫《しずく》じゃないか、――傘も持たず」
「洋傘《こうもり》は買ったけれども、美代助にくれて来やした。ええ、ぷ、……なあ奥様《おくさん》、一服頂戴して」
「煙草なんか呑まなくても好《いい》から、さっさと御行《おいで》」
「さあ、煙草盆を上げますよ」
 と出して下さる。その御顔を眺めて、父親は甘《うま》そうに一服頂いて、
「よう、奥様は未だ若えなア。旦那様《だんなさん》は――私旦那様の御顔も見て行きたい」
「旦那様は御留守だよ」と私が横から。
「幾時だ」と復《また》尋ねる。
「十一時半。主家《うち》じゃもう十時になれば寝るんだよ。さあ、さっさと御帰りよ」
「水を、も一つ上げましょう」
「沢山、もう頂きました」
「すこし沈静《おちつ》いたら、今夜は早く御帰りなさい。お定もああして心配していますから、ね、そうなさい」
「はい。はい。さあこれから行って復た芸者を揚げるんだ。六区へでも行かずか」
「さあ、そうだ、そうなさい」
「これは不調法を申しやした。御免なすって御くんなさい。酔えばこんなものだが、奥様、酔わねえ時は好い男だ。アハハハハハハ」
 と、よろよろしながら立上りました。
「おやすみ、おやすみ」と可笑《おかし》な調子。
「何だねえ、確乎《しっかり》して御行《おいで》よ」と私は叱るように言いまして、菎蒻《こんにゃく》を提げさせて外へ送出す時に、「まあ、ひどい雪だ――気を注《つ》けて御行よ」と小声で言いました。
「お、や、す、み」
 と歌のように調子をつけながら、千鳥足で出て行く。暫く私は門口に佇立《たたず》んで後姿を見送っておりますと、やがて生酔《なまよい》の本性《ほんしょう》を顕して、急にすたすたと雪の中を歩いて行きました。見れば腰付《こしつき》から足元からそれ程酔ってはいないのです。父親は直ぐ闇に隠れて見えなくなって了いました。
 ホッと一息|吐《つ》いて、私は御部屋へ参って見ますと、押入のなかに隠れた人は頭かきかき苦笑《にがわらい》をしておりました。私は御気毒にもあり、御恥しくもあり、奥様の御傍へ寄添いながら、
「御父さんは上りにくいもので御座ますから、あんな酔った振をして、恍《とぼ》けて参ったんで御座ます」
「お前に逢い度《たい》からさ」
「私が是方《こちら》へ上る時に、『己《おれ》も一諸に行こう』と申しますから、誰がそんな人に行って貰うもんか、旦那様の御家へなんぞ来るのは止《よ》しとくれ、と言って遣りましたんで御座ます」
「逢い度ものと見えるねえ」
「『十月余も逢わねえじゃねえか、顔が見たくはねえか』なんて申しましたよ。馬鹿な、誰があんな酔ぱらいに逢い度もんか」
「御母《おっか》さんも心配していなさるだろうよ」
 と言われて、私は逢いに来た父親《おやじ》よりも、逢いに来ない母親《おふくろ》の心が恋しくも哀しくも思われました。歯医者は熟《じっ》と物を考えて、思い沈んでおりましたのです。奥様はその顔を覗くようになすって、
「桜井さん、何をそんなに考込んでいらっしゃるの」
「成程――さすがは親だ」
「大層感心していらっしゃるのねえ」
「人情という奴は乙なものだ。……そうかなあ」
「何が、そうかなあですよ」
「難有い」
「ホホホホホ」
「そういうものかなア」
「あれ、復《また》」
「そうだ、もう半年も手紙を遣らない」
「誰方《どなた》のところへ」
「なにも私は御恩を忘れて御|無沙汰《ぶさた》をしてるんじゃ無いけれど……」
「まあ、好笑《おかし》いわ」
「つい、多忙《いそがし》くッて手紙を書く暇も無いもんだから」
「貴方、何を言っていらっしゃるの」
「え、私は何か言いましたか」
「言いましたとも。もう半年も手紙を遣らないの、御恩を忘れはしないの、手紙を書く暇がないのッて、――必《きっ》と……思出していらっしゃるんでしょう」と奥様は私の方へ御向きなすって、
「ねえ、お定、桜井さんは御|容子《ようす》が好《よく》っていらっしゃるから……」
「止して下さい。貴方はそう疑《うたぐ》り深いから厭さ」と男はすこし真面目《まじめ》になって、「こうなんです――まあ、聞いて下さい。私には義理ある先生が有ましてね、今|下谷《したや》で病院を開いているんです。私もその先生には、どんなに御世話に成ったもんだか知れません。全く、先生は私を子のように思って、案じていて下さるんで。私がこれまでに成ったというのも、先生の御蔭ですからね。ですから、『貴様は友達の出世するのを見ても羨ましくはないか、悪※[#「※」は「あしへん+宛」、48-13]《わるあがき》も好加減にしろ』なんて平素《しょっちゅう》御小言を頂戴するんです。……先生の言う通りだ――立身、出世、私はもうそんな考が無くなって了った。私の心を占領してるのは……貴方、貴方ばかりです。ああ、昔の友人《ともだち》と競争した時代から見ると、私も余程これで変ったんですなア」
 と言って、稍《やや》暫時《しばらく》奥様の御顔を見つめておりましたが、やがて、思付いたように立上りました。見れば今まで着ていた裾の長い糸織を脱いで、自分の着物に着替えようとしましたから、奥様も不思議顔に、
「何故、それを着ていらっしゃらないんですか」
「なんだか私は……こう急に気分が悪く成りましたから、今夜は帰ります」
「お帰りなさるたッて、このまあ雪に……。貴方の着物は未だ乾かないじゃ有ませんか」
「なあに、構いません。尻端《しりはし》を折れば大丈夫」
「まあ、真実《ほんとう》に御帰りなさるんですか。それじゃ、あんまりですわ……」
 歯医者は躊躇《もじもじ》して、帽子を拈《ひね》っておりましたが、やがて萎《しお》れて坐りました。
「無理に御留め申しませんから……もう少し居て下さいな」
「然し、またあんまり遅くなると……」
「遅くなったって好じゃありませんか。まあもうすこし」
「そう仰らずに、今夜だけは帰して下さい」
「そんなら、もう二十分」

    五

 誰言うとなく、いつ伝わるともなく、奥様の浮名が立ちました。万《よろず》御注進の髪結が煙草を呑散した揚句、それとなく匂わせて笑って帰りました時には、今まで気を許していらしった奥様も考えて、薄気味悪く思うようになりました。銀行からは毎日のように旦那様の御帰を聞きによこす。長野からも御便《おたより》が有ました。御客様は外の御連様と別所へ復廻《おまわり》とやらで、旦那様よりも御帰が一日二日遅れるということでした。それは短い御手紙で、鼠色の封袋《ふうじぶくろ》に入れてありましたが、さすが御寂しいので奥様も繰返し読んで御覧なすって、その御手紙を見ても旦那様の不風流な御気象が解ると仰いました。いよいよ御帰という前の日、奥様は物を御調べなさるやら御隠しなさるやらで、気を御揉みなさいましたのです。
 肌身離さず御持なすった写真が有ました。それは男に活写《いきうつ》し、判《はん》は手札《てふだ》形とやらの光沢消《つやけし》で、生地から思うと少許《すこし》尤《もっとも》らしく撮《と》れてはいましたが、根が愛嬌《あいきょう》のある容貌《おもばせ》の人で、写真顔が又た引立って美しく見えるのですから、殿方ならいざ知らず、女に見せては誰も悪《にく》むものはあるまいと思う程。頬の肉付は豊麗《ふっくり》として、眺め入ったような目元の愛くるしさ、口唇《くちびる》は動いて物を私語《ささや》くばかり、真に迫った半身の像は田舎写真師の技《わざ》では有ませんのです。奥様はそれを隠す場処に困って、机の引出へ御入れなさるやら、針箱の糸屑の下へ御納いなさるやら、箪笥の着物の底へ押込んで御覧なさるやら、まだそれでも気になって取出しました。壁に高く掛けてありました細《こまか》な女文字の額の蔭に隠しても、何度かその下を歩いて御覧なすって、未だ御安心になりませんのです。この小な写真一枚の置処が有ません。終《しまい》には御自分の懐《ふところ》に納《い》れて、帯の上から撫でて御覧なさりながら、御部屋の内をうろうろなさいました。
 文箱《ふばこ》の中から出ましたのは、艶書《ふみ》の束です。奥様は可懐《なつかし》そうにそれを柔《やわらか》な頬に磨《す》りあてて、一々|披《ひろ》げて読返しました。中には草花の色も褪《さ》めずに押されたのが入れてある。奥様は残った花の香を嗅《か》いで御覧なすって、恍惚《しげしげ》とした御様子をなさいました。旦那様に見られてはならないものですから、その艶書は一切引裂いて捨てて御了いなさる御積でしたが、さて未練が込上げて、揉みくちゃにした紙を復[#「復」は底本では「腹」と誤記、51-2]た延して御覧なすったり、裂いた片《きれ》を繋合《つなぎあ》わせて御覧なすったりして――よくよく御可懐《おなつかしい》と思召すところは、丸めて、飲んで御了いなさいました。
「屑《くず》屋でござい。紙屑の御払はございませんか」
 と呼んで来たのを幸、すっかり掻浚《かきさら》って、籠《かご》に積《たま》った紙屑の中へ突込んで売りました。屑屋は大な財布を出して、銭の音をさせながら、
「へえ、毎度難有う存じます。それでは三銭に頂戴して参ります」
 と言って、銅貨を三つ置いて行きました。
 その日は奥様も思い沈んで身の行末を案じるような御様子。すこし上気《のぼ》せて、鼻血を御出しなさいました。御気分が悪いと仰って、早く御休みになりましたが、その晩のように寝苦しかったことも、夢見の悪かったことも、今までに無い怖《おそろ》しい目に御出逢なすったと、翌朝になって伺いました。落々《おちおち》御休みになれなかったことは、御顔色の蒼《あおざ》めていたのでも知れました。奥様の御話に、その晩の夢というのは、こう林檎畠《りんごばたけ》のような処で旦那様が静かに御歩きなすっていらっしゃると、密《そっ》と影のように御傍へ寄った者があって、何か耳語《みみこすり》をして申上げたそうです。すると、旦那様は大した御立腹で、掴掛《つかみか》かるような勢で奥様を追廻したというんです。奥様は二度も三度も捕《つかま》りそうにして、終《しまい》には御召物まで脱捨てて、裸体《はだかみ》になって御逃げなすったんだそうです。いよいよ林檎畠の隅へ追い詰められて、樹と樹との間へ御身体が挟《はさま》って了って、もう絶体絶命という時に御目が覚めて見れば――寝汗は御かきなさる、枕紙は濡《ぬ》れる、御寝衣《おねまき》はまるで雫《びっしょり》になっておったということでした。一体、奥様は私共の夜のようじゃ無い、一寸した仮寝《うたたね》にも直ぐ夢を御覧なさる位ですから、それは夢の多い睡眠《ねむり》に長い冬の夜を御明しなさるので、朝になっても又た克《よ》くそれを忘れないで御話しなさるのです。「私の一生には夢が附|纏《まと》っている」と、よく仰いました。こういう風ですから、夢見が好《いい》につけ、悪《わるい》につけ、それを御目が覚めてから気になさることは一通りで無いのでした。奥様は今までが今までで、言うに言われぬ弱味が御有なさるのですから、御心配のあまり、私までも御疑いなさるような言《こと》を二度も三度も仰いました。奥様は短い一夜の夢で、長い間の味方までも御疑いなさるように成ましたのです。――風雨《あらし》待つ間の小鳥の目の恐怖《おそれ》、胸毛の乱れ、脚の戦慄《わななき》、それはうつして奥様の今の場合を譬《たと》えられましょう。
 三番の上《のぼり》汽車で旦那様は御帰になりました。御茶を召上りながら長野の雪の御話、いつになく奥様も打解けて御側に居《いら》っしゃるのです。私は買物を言付かって、出掛しなに縁を通りますと、御話声が障子越に洩《も》れて来る、――どうやら私のことを御話しなさる御様子。
 立竦《たちすく》んで息を殺して聞いて見ました。奥様はこんなことを旦那様に御話しなさるのでした。さ、その御話しというのは、あれも紛失《なくな》った、これも紛失った、針箱の引出に入れて置いた紫縮緬の半襟も紛失ったと御話しなさいました。どうも変だと思召《おぼしめ》して私の風呂敷包の中を調べて見ると、その半襟やら帯上やら指輪やらが出て来たと御話しなさいました。私が井戸端で御主人の蔭口を利《き》いて、いらざる事を言触らして歩いたと御話しなさいました。それから、又、私が我儘《わがまま》に成ったことから、或時なぞは牛乳配達の若い男が後から私の首筋へ抱着いたところを見たものがあると御話しなさいました。もうもう私の増長したのには呆《あき》れて了った、到底《とても》私のような性《しょう》の悪い女は奥様に役《つか》えないということを御話しなさいましたのです。
 私は全身《まるで》耳でした。
「何だ、そんな高い声をして――聞えるじゃないか」と言うのは旦那様の御声。
「否《いいえ》、使に行って居りませんよ」
「その話は今止そう。私は非常に忙しい身だ。これから直ぐに銀行へ出掛けなくちゃならないんだ。……なにしろ、そんな者には早く暇をくれて了うがいい」
 と言捨てて、旦那様は御立ちなさる御様子。
 私は呆れもし、恐れもしました。油断のならぬ世の中。奥様のあの美しい朱唇《くちびる》から、こんな御言葉が出ようとは私も思掛ないのです。浅はかな、御自分の罪の露顕する怖しさに、私を邪魔にして追出そうとは――さてはと前の日の夢の御話も思当りました。私は表へ飛出して、夢中で雪道をすたすたと歩いて、何の買物をしたかも分らない位。風呂敷包を抱〆《だきしめ》て、口惜しいと腹立しいとで震えました。主人を卑《けな》すという心は一時に湧《わき》上る。今まで、美しいと思った御自慢の御器量も、羨《うらやま》しいと思った華麗《はで》な御風俗《おみなり》も、奥様の身に附いたものは一切卑す気に成りました。怒の情は今までの心を振い落す。御恩も、なさけも、思う暇が有ません。もうその時の私は、藁草履《わらぞうり》穿《は》いて、土だらけな黒い足して、谷間《たにあい》を馳歩《かけある》いた柏木の昔に帰って了いました。私は野獣《けもの》のような荒い佐久女の本性に帰って、「御母さん、御母さん」と目的《あてど》もなく呼んで、相生町の通まで歩いて参りました。
 橋の畔《たもと》に佇立《たたず》んで往来を眺めると、雪に濡れた名物|生蕎麦《きそば》うんどんの旗の下には、人が黒山のように群《たか》っておりました。雪を払《か》いていた者は雪払《ゆきかき》を休《や》める、黄色い真綿帽子を冠った旅人の群は立止る、岩村田|通《がよい》の馬車の馬丁《べっとう》は蓙掛《ござがけ》の馬の手綱《たづな》を引留めて、身を横に後を振返って眺めておりました。その内に、子守の群が叫びながら馳けて来て、言触らして歩きます。聞けば、千曲川《ちくまがわ》へ身を投げた若い女の死骸《しがい》が引上げられて、今蕎麦屋の角まで担《かつ》がれて来たとの話。一人の子守が「菊屋に奉公していた下女」と言えば、一人が「柏木から来たおつぎさんよ」と言う。さあ、往来に立っている群のなかには噂《うわさ》とりどり。「今年は、めた水に祟《たた》る歳《とし》だのう、こないだも工女が二人河へ入《はま》って死んだというのに、復《また》、こんなことがある」「南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》。南無阿弥陀仏」「オイ何だい、情死《しんじゅう》かね」「情死じゃアねえが、大方|痴戯《いたずら》の果《はて》だろうよ」「いや、菊屋のかみさんが残酷《ひどい》からだ、以前《このまえ》もあそこの下女で井戸へ飛んだ者がある」などと言騒いでおります。死骸を担いだ人々が坂を上って来るにつれて、おつぎさんということは確に成りました。おつぎさん――ホラ、春雨あがりの日に井戸端で行逢って、私に調戯《からか》って通った女が有ましたろう。その時、私が水を掛ける真似《まね》をしたら、「好《いい》御主人を持って御|仕合《しあわせ》」と言って、御尻を叩《たた》いて笑った女が有ましたろう。
 丁度、日の光が灰色な雲の間から照りつけて、相生町通の草屋根の雪は大な塊《かたまり》になって溶けて落ちました。積った雪は烈《はげ》しい光を含んで、ぎらぎら輝きましたから、目も羞明《まぶ》しく痛い位、はっきり開《あ》いて見ることも出来ませんのでした。白く降埋《ふりうず》んだ往来には、人や馬の通る痕《あと》が一条《ひとすじ》赤く染《つ》いている――その泥交《どろまじ》りの雪道を、おつぎさんの凍った身体は藁蓆《むしろ》の上に載せられて、巡査|小吏《やくにん》なぞに取囲まれて、静に担がれて行きました。薦《こも》が被《か》けて有りましたから、死顔は見えません、濡乱れた黒髪ばかり顕れていたのです。
 それは胸を打たれるような光景《さま》でした。同じ奉公の身ですもの、何の心も無しに見てはおられません。私はもう腹立しさも口惜しさも醒《さ》めて、寂しい悲しい気に成ました。娘盛《むすめざかり》に思いつめたおつぎさんこそ不運な人。女の身程悲しいものは有りません。変れば変る人の身の上です。僅《わず》か小一年ばかりの間に、おつぎさんのこの変りようはどうでしょう。おつぎさんばかりでは有りません。旦那様も変りました。奥様も変りました。定めし母親《おふくろ》も変りましたろう。妹や弟も変りましたろう。――私とてもその通り。
 全く私も変りました。
 道々私は自分で自分を考えて、今更のように心付いて見ると、御奉公に上りました頃の私と、その頃の私とは、自分ながら別な人のようになっておりましたのです。華美《はで》な御生活《おくらし》のなかに住み慣れて、知らず知らず奥様を見習うように成りましたのです。思えば私は自然と風俗《なり》をつくりました。ひっつめ鬢《びん》の昔も子供臭く、髱《たぼ》は出し、前髪は幅広にとり、鏡も暇々に眺め、剃刀《かみそり》も内証で触《あ》て、長湯をしても叱られず、思うさま磨《みが》き、爪の垢《あか》も奇麗に取って、すこしは見よげに成ました。奥様から頂いた華美《はで》な縞《しま》の着古しに毛繻子《けじゅす》の襟《えり》を掛けて、半纏《はんてん》には襟垢《えりあか》の附くのを気にし、帯は撫廻し、豆腐買に出るにも小風呂敷を被《か》けねば物恥しく、酢の罎《びん》は袖に隠し、酸漿《ほおずき》鳴して、ぴらしゃらして歩きました。柏木の友達も土臭く思う頃は、母親のことも忘れ勝でした。さあ、私は自分の変っていたのに呆れました。勤も、奉公も、苦労も、骨折も、過去ったことを懐《おも》いやれば、残るものは後悔の冷汗ばかりです。
 こういうことに思い耽《ふけ》って、夢のように歩いて帰りますと、奥様は頭ごなしに、
「お前は何をしていたんだねえ。まあ本町まで使に行くのに一時間もかかってさ」
 と囓付《かみつ》くように仰いました。その時、私は奥様と目を見合せて、言うに言われぬ嫌《いや》な気持になりましたのです。怒った振《ふり》も気取《けど》られたくないと、物を言おうとすれば声は干乾《ひから》びついたようになる、痰《たん》も咽喉《のど》へ引懸る。故《わざ》と咳《せき》払して、可笑《おかし》くも無いことに作笑《つくりわらい》して、猫を冠っておりました。
 その晩は、まんじりともしません。始めて奉公に上りました頃は、昼は働に紛れても、枕に就くと必《きっ》と柏木のことを思出すのが癖になって、「御母さん、御母さん」と蒲団《ふとん》のなかで呼んでは寝ました。次第に柏木の空も忘れて、母親《おふくろ》の夢を見ることも稀《たま》に成りました。さ、その晩です。復《ま》た私の心は柏木の方に向きました。その晩程母親を恋しく思ったことは有ません。唐草《からくさ》模様の敷蒲団の上は、何時の間にか柏木の田圃《たんぼ》側のようにも思われて、蒲公英《たんぽぽ》が黄な花を持ち、地梨が紅く咲いた草土手を枕にして、青麦を渡る風に髪を嬲《なぶ》らせながら、空を通る浅間の鷹《たか》を眺めて寝そべっているような楽しさを考えました。夜も更《ふ》けて来るにつれ、寝苦しく物に襲われるようで、戸棚を囓《かじ》る鼠も怖しく、遠い人の叫とも寂しい水車の音とも判《つ》かぬ冬の夜の声に身の毛が弥立《よだ》ちまして、一旦吹消した豆|洋燈《ランプ》を点けて、暗い枕|許《もと》を照しました。何度か寝返を打って、――さて眠られません。青々とした追憶《おもいで》のさまざまが、つい昨日のことのように眼中《めのなか》に浮んで来ました。もう私の心にはこの浮華《はで》な御家の御生活《おくらし》が羨しくも有ません。私は柏木のことばかり思続けました。流行謡《はやりうた》を唄って木綿機《もめんばた》を織っている時、旅商人《たびあきんど》が梭《おさ》の音《ね》を賞めて通ったことを憶出《おもいだ》しました。岡の畠へ通う道々妹と一緒に摘んだ野苺《のいちご》の黄な実を憶出しました。楽しい菱野《ひしの》の薬師参を憶出しました。大酒呑の父親《おやじ》が夕日のような紅い胸を憶出しました。父親と母親とで恐しい夫婦|喧嘩《げんか》をして、母親が「さあ、殺せ、殺すなら殺せ」と泣叫んだことも憶出しました。終《しまい》には私が七つ八つの頃のことまで幽《かす》かに憶出しました。すると熱い涙が流れ出して、自分で自分を思いやって泣きました。髪は濡れ、枕紙も湿りましたのです。思い労《つか》れるばかりで、つい暁《あけがた》まで目も合いません。物の透間《すきま》が仄白《ほのじろ》くなって、戸の外に雀の寝覚が鈴の鳴るように聞える頃は、私はもう起きて、汗臭い身体に帯〆て、釜の下を焚附《たきつ》けました。
 私も奥様に蹴《け》られたままで、追出される気は有ません。身の明りを立てた上で、是方《こちら》から御暇を貰って出よう、と心を決めました。あまりといえば袖《つれ》ない奥様のなされかた、――よし不義のそもそもから旦那様の御耳に入れて、御気毒ながらせめてもの気晴《きばらし》に、奥様の計略の裏を掻いてくれんと、私は女の本性を顕したのです。もうその朝は復讐《かたきうち》の心より外に残っているものは無いのでした。
 炉に掛けた雪平《ゆきひら》の牛乳も白い泡を吹いて煮立ちました頃、それを玻璃盞《コップ》に注いで御二階へ持って参りますと、旦那様は御机に倚凭《よりかか》って例の御調物です。御机の上には前の奥様の古びた御写真が有ました。旦那様もこの頃はそれを取出して、昔恋しく御眺めなさるのでした。とうとう私は何もかも打明《ぶちま》けて申上げましたのです。急に旦那様は御顔色を変えて、召上りかけた牛乳を御机の上に置きながら、
「むむ、分った、分った。お前の言うことは能《よ》く分った」
 と寂しそうに御笑なすって、湧上がる胸の嫉妬《しっと》を隠そうとなさいました。御顔こそ御笑なすっても、深い歎息《ためいき》や玻璃盞《コップ》を御持ちなさる手の戦慄《ふるえ》ばかりは隠せません。やがて、一口召上って、御独語《おひとりごと》のように、
「然し、元はと言えば乃公《おれ》の過《あやま》りさ。あれが来てから一年と経たない内に、もう乃公は飽いて了った。その筈《はず》だろう――あれとは年も違い、考も違う。まるで小児《ねんねえ》も同然だ。そんな者と話の合いようが無かろうじゃないか。噫《ああ》、年|甲斐《がい》もない、妻《さい》というものは幾人《いくたり》でも取替えられる位の了見でいたのが大間違。二度目となり、三度目となれば、もう真実《ほんとう》の結婚とは言われない。若いうちから長く一緒に居たものは、自分の経歴も知っていてくれるし、自分の嗜好《このみ》も知っていてくれるし……。お前が乃公のとこへ来てくれた時分は、乃公もあれを喜ばせたいばっかりに事業《しごと》をした。この節はあれを忘れよう……忘れようで事業をしているのだ。あれの不埓《ふらち》は乃公も薄々知ってはいた。知って今まで堪《こら》えていたというのも……その乃公の心持は……アハハハハハハハ。こんなことをお前に話したところで始まらないなア。あれの御父《おとっ》さんも御出なすったし、幸い一緒に連れて帰って貰う積りで、わざわざ長野までも出掛けては見たが、さて御父さんの顔を見ると――ああいう好人物《いいひと》だからなア、どうしても乃公にそんな話が出来ないじゃないか」と気を変えて、一段御声を低くなすって、「これはもうこれっきりの話だが、お前もそう言うからには何か証拠があるのかい。証拠がなくちゃ駄目だ。なあ、そうじゃないか。お前は何にも証拠がなかろう。だから、お前に一つ折入て頼みがある。お前が言う通り、桜井がこの節は毎日のように乃公の留守を附狙《つけねら》って入込むという証拠には、どうだ二人で出逢《であい》をしているところを乃公に見せてはくれまいか。きょうは赤十字社の北佐久総会というのがあるから、乃公は其処へ出掛る振《ふり》をして、お隣の小山さんに話している。よしか。桜井が来たらば、直に乃公の処へ知らしてくれ。お前の役はそれで済むんだ。そうしてお前はとにかく一旦柏木へ御帰り。お前がこれまで能く勤めてくれたのには、乃公も実に感心している。いずれ乃公の方からお前の御母《おっか》さんの処へ沙汰《さた》をして、悪いようにはしないから」
「難有うぞんじます」
 丁《とん》、丁《とん》、丁《とん》と梯子段《はしごだん》を上って来る人の気配がしました。旦那様は急に写真を机の引出へ御隠しなすって、一口牛乳を召上りました。白い手※[#「※」は底本では「はばへん+白」、59-8]《ハンケチ》で御口端を拭《ふ》きながら、聞えよがしの高調子、
「さあ、今日は忙しいぞ」

    六

 丁度その日は冬至です。山家のならわしとして冬至には蕗味噌《ふきみそ》と南瓜《とうなす》を祝います。幸い秋から残して置いた縮緬皺《ちりめんじわ》のが有ましたから、それを流許《ながしもと》で用意しておりますと、花火の上る音がポンポン聞える。私はいそいそとして、物を仕掛けてはついと立って勝手口の木戸を出て眺《なが》めました。見れば萌初《もえそ》めた柳の色のような煙は青空に残りまして、囃立《はやした》てる小供の声も遠く聞えるのでした。
 軒並に懸る赤十字の提灯《ちょうちん》、金銀の短冊、紅白の作花《つくりばな》には時ならぬ春が参りましたよう。北佐久総会とやらの式場は、つい東隣の小学校の広い運動場で、その日は小諸|開闢《かいびゃく》以来の賑《にぎわ》いと申しました位。前の日から紋付羽織に草鞋《わらじ》掛という連中が入込んでおりましたのです。長野から来た楽隊の一群は、赤の服に赤の帽子を冠って、大太鼓、小太鼓、喇叭《らっぱ》、笛なぞを合せて、調子を揃《そろ》えながら町々を練って歩きました。赤い織色の綬《きれ》に丸形な銀の章《しるし》を胸に光らせた人々が続々通る。巡査は剣を鳴して馳廻《かけまわ》っておりました。島屋の若旦那、荒町の亀惣様、本町の藤勘様、越後屋の御総領、三浦屋の御次男、いずれも羽織|袴《はかま》の御立派な御様子で御通りになりました。歯医者は割笹《わりざさ》の三つ紋で、焦茶色の中折を冠りまして、例の細い優しい手には小豆皮《あずきがわ》の手袋を着《は》めて参りました。急いで歩いて来たものと見え、暫らく土塀《どべい》の傍に立って息を吐きましたが、能く見れば目の縁も紅く泣|腫《は》れて、色白な顔が殊更《ことさら》いじらしく思われました。姿の美しい男は怒れば怒ったでよし、泣けば泣いたでよく見えるものです。情を含んだ目元は奥様に逢いたさで輝いて、何もその外のことは御存《ごぞんじ》ない様子が、反《かえ》っていたわしくも有ました。いつ見ても、悪《にく》めないのはこの人です。早く人目に懸らぬうちと、私は歯医者を勝手口から忍ばせて、木戸を閉めました。
「お定さん、今日は大層|賑《にぎやか》だね」
「まあ、人が出ましたじゃ御座ませんか」
「お前さん、どうしたの。なんだか蒼い顔してるね」
「御寒いからです」
「寒けりゃ女は蒼くなるものかね。私は今まで赤くなるとばかり思ってた。いいえ、戯言《じょうだん》じゃないよ。全くこう寒くちゃ遣切れない。手も何も凍《かじ》かんで了う。時に、あの何は――大将は……」
「旦那様ですか。もう最前《とっく》に御出掛《おでまし》に成りました。貴方、奥様は先刻《さっき》から御待兼で御座ますよ」
 歯医者は少許《すこし》顔を紅くして勝手口から上りました。続いて私も上りまして、炉に掛けて置いたお鍋の蓋を執って見ますと、南瓜《とうなす》は黄に煮え砕けてべとべとになりましたが、奥様の好物、早速の御茶菓子代り、小皿に盛りまして、蕗味噌《ふきみそ》と一緒に御部屋へ持って参りました。奥様は思いくずおれて男とおさしむかい、薄化粧した御顔のすこし上気《のぼ》せて耳の根元までもほんのり桜色に見える御様子の艶《あでや》かさ、南向に立廻した銀|屏風《びょうぶ》の牡丹花《ぼたん》の絵を後になすって、御物語をなさる有様は、言葉にも尽せません。伏目勝に、細く白い手を帯の間へ差込んでおいでなさいましたから、美しい御髪《おぐし》のかたちは猶《なお》よく見えました。言うに言われぬ薫《かおり》は御部屋のうちに匂い満ちておりましたのです。怒と恨とで燃えかがやいた私の目ですら、つい見恍《みと》れずにはいられません位。はっと心付いて私は御部屋を出ました。――もう奥様の御運は私の手の中に有ましたのです。
 さすがに私も台所に立って考えました。
 これを旦那様に申上げたら、事の破れはさてどうなるだろう。耐《こら》えに耐えた旦那様の御怒が一旦洪水のように切れようものなら、まあその勢はどんなであろう。平常《ふだん》御人の好い旦那様のような御方が御|立腹《はらだち》となった日には、どんな恐しいことをなさるだろう。とこう想い浮べましたら、遽《にわか》に身の毛が弥起《よだ》って、手も足も烈しく震えました。ふらふらとして其処へ仆《たお》れそうにもなる。とても躊躇《ためら》わずにはいられませんのでした。私は見えない先のことに恐れて、上草履を鳴らしながら板の間を歩いて見ました。
 冬の光は明窓《あかりまど》から寂しい台所へさしこんで、手慣れた勝手道具を照していたのです。私は名残惜しいような気になって、思乱れながら眺めました。二つ竈《べっつい》は黒々と光って、角に大銅壺《おおどうこ》。火吹竹はその前に横。十能《じゅうの》はその側に縦。火消|壺《つぼ》こそ物言顔。暗く煤《すす》けた土壁の隅に寄せて、二つ並べたは漬物の桶《おけ》。棚の上には、伏せた鍋、起した壺、摺鉢《すりばち》の隣の箱の中には何を入れて置いたかしらん。棚の下には味噌の甕《かめ》、醤油《しょうゆ》の樽《たる》。釘に懸けたは生薑擦子《わさびおろし》か。流許の氷は溶けてちょろちょろとして溝《どぶ》の内へ入る。爼板《まないた》の出してあるは南瓜を祝うのです。手桶の寝せてあるは箍《たが》の切れたのです。※[#「たけかんむり」に「瓜」、62-6]《ざる》に切捨てた沢菴《たくあん》の尻も昨日の茶殻に交って、簓《ささら》と束藁《たわし》とは添寝でした。眺めては思い、考えては迷い、あちこちと歩いておりますと、急に楽隊の音がする。大太鼓や喇叭が冬の空に響き渡って、君が代の節が始りました。台所の下駄を穿《は》いて裏へ出て見ますと、幾千人の群の集った式場は十字を白く染抜いた紫の幕に隠れて、内の様子も分りません。幕の後から覗く百姓の群もあれば、柵《さく》の上に登って見ている子供も有ました。手を拍《たた》く音が静《しずま》って一時|森《しん》としたかと思うと、やがて凛々《りり》しい能く徹る声で、誰やらが演説を始める。言うその事柄は能く解りませんのでしたが、一言、一言、明瞭《はっきり》耳に入るので、思わず私も聞惚れておりました。
 丁《とん》、と一つ、軽く背《せなか》を叩かれて、吃驚《びっくり》して後を振返って見ると、旦那様はもう堪《こら》えかねて様子を見にいらしったのです。旦那様も唖《おし》、私も唖、手附《てつき》で問えば目で知らせ、身振で話し真似で答えて、御互にすっかり解った時は、もう半分|讐《あだ》を復《かえ》したような気に成りました。私も随分|種々《いろいろ》な目に出逢って、男の嫉妬というものを見ましたが、まあその時の旦那様のようなのには二度と出逢いません。恐らく画にもかけますまい。口に出しては仰らないだけ、それが姿《かたち》に顕《あらわ》れました。目は烈しい嫉妬の為に光り輝やいて、蒼ざめた御顔色の底には、苦痛《くるしみ》とも、憤怒《いかり》とも、恥辱《はじ》とも、悲哀《かなしみ》とも、譬《たと》えようのない御心持が例の――御持前の笑に包まれておりました。総身《からだじゅう》の血は一緒になって一時に御頭《おつむり》へ突きかかるようでした。もうもう堪《こら》え切ないという御様子で、舌なめずりをして、御自分の髪の毛を掻毟《かきむし》りました。こう申しては勿体《もったい》ないのですが、旦那様程の御人の好い御方ですら制《おさ》えて制えきれない嫉妬の為めには、さあ、男の本性を顕して――獣のような、戦慄《みぶるい》をなさいました。旦那様は鶏を狙《ねら》う狐《きつね》のように忍んで、息を殺して奥の方へと御進みなさるのです。怖《こわ》いもの見たさに私も随《つ》いて参りました。音をさせまいと思えば、嫌《いや》に畳までが鳴りまして、余計にがたぴしする。生憎《あいにく》敷居には躓《つまず》く。耳には蝉《せみ》の鳴くような声が聞えて、胸の動悸《どうき》も烈しくなりました。廊下伝いに梯子段の脇まで参りますと、中の間の唐紙が明いている。そこから南向の御部屋は見通しです。私は柱に身を寄せて、恐怖《こわごわ》ながら覗きました。
 南の障子にさす日の光は、御部屋の内を明るくして、銀の屏風に倚添《よりそ》う御二人の立姿を美しく見せました。いずれすぐれた形の男と女――その御二人が彩色の牡丹の花の風情《ふぜい》を脇にして、立っていらっしゃるのですから、奥様も、歯医者も、屏風の絵の中の人でした。儚《はかな》い恋の逢瀬《おうせ》に世を忘れて、唯もう慕い慕われて、酔いこがるるより外には何も御存じなく、何も御気の付かないような御様子。私は眼前《めのまえ》に白日《ひる》の夢を見ました。男の顔はすこし蒼《あおざ》めた頬《ほお》の辺《あたり》しか分りません――それも陰影《かげ》になって。奥様の思いやつれた容姿《かおかたち》は、眉《まゆ》のさがり、目の物忘れをしたさまから、すこし首を傾《かし》げて、御頭《おつむり》を左の肩の上に乗せたまでも、よく見えました。御二人は燃えるような口唇《くちびる》と口唇とを押しあてて、接吻《くちづけ》とやらをなさるところ。奥様は乳房まで男の胸に押されているようで、足の親指に力を入れて、白足袋の爪先で立ち、手は力なさそうにだらりと垂れ、指はすこし屈《かが》め、肩も揚って、男の手を腋《わき》の下に挟んでおいでなさいました。手も、足も身体中の活動《はたらき》は一時に息《とま》って、一切の血は春の潮の湧立《わきた》つように朱唇《くちびる》の方へ流れ注いでいるかと思われるばかりでした。
 あまりのことに旦那様は物も仰《おっしゃ》らず、身動きもなさらず、唯もう御二人を後から眺めて、不動《じっと》其処へ棒立のまま――丁度、釘着《くぎづけ》にして了った人のように御成なさいました。
「最敬礼、最敬礼」
 と丘の上の式場で叫ぶ声は御部屋の内まで響きました。
 遽《にわか》に、表の格子《こうし》の開《あ》く音がして、
「只今」
 と御呼びなさるのは御客様の御声。
「今、帰りましたよ」
 二度呼ばれて、御二人とも目を丸くして振返る途端――見れば後に旦那様が黙って立っていらっしゃるのです。奥様は男を突退《つきの》ける隙《すき》も無いので、身を反《そら》して、蒼青《まっさお》に御成なさいました。歯医者は、もう仰天して了《しま》って、周章《あわて》て左の手で奥様の腮《あご》を押えながら、右の手で虫歯を抜くという手付《てつき》をなさいました。
 誰も御出迎に参らないうちに、御客様はつかつかと上がっていらっしゃると見え、唐紙の開く音がして、廊下が軋《きし》む。稲妻《いなずま》のような恐怖《おそれ》は私の頭の脳天から足の爪先まで貫《つ》き通りました。
 その時、吹き立てる喇叭や、打込む大太鼓の音が屋《うち》の外に轟渡《とどろきわた》りました。幾千人の群は一時に声を揚げて、
「天皇陛下万歳。天皇陛下万歳」
 それは雷の鳴響くようでした。



底本:「旧主人・芽生」新潮文庫、新潮社
   1969(昭和44)年2月15日発行
   1970(昭和45)年2月15日2刷
入力:紅邪鬼
校正:Tomoko.I
1999年12月10日公開
2000年12月10日修正
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