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旧主人
島崎藤村

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    一

 今でこそ私もこんなに肥ってはおりますものの、その時分は瘠ぎすな小作りな女でした。ですから、隣の大工さんの御世話で小諸へ奉公に出ました時は、人様が十七に見て下さいました。私の生れましたのは柏木村――はい、小諸まで一里と申しているのです。
 柏木界隈の女は佐久の岡の上に生活を営てて、荒い陽気を相手にするのですから、どうでも男を助けて一生烈しい労働を為なければなりません。さあ、その烈しい労働を為るからでも有ましょう、私の叔母でも、母親でも、強健い捷敏い気象です。私は十三の歳から母親に随いて田野へ出ました。同じ年恰好の娘は未だ鼻を垂して縄飛をして遊ぶ時分に、私はもう世の中の歓しいも哀しいも解り始めましたのです。吾家では子供も殖る、小商売には手を焼く、父親は遊蕩で宛にもなりませんし、何程男勝りでも母親の腕一つでは遣切れませんから、否でも応でも私は口を預けることになりました。その頃下女の給金は衣裳此方持の年に十八円位が頂上です。然し、私は奥様のお古か何かで着せて頂いて、その外は相応な晴衣の御宛行という約束に願って出ました。
 金銭で頂いたら、復た父親に呑まれはすまいか、という心配が母親の腹にありましたのです。
 出るにつけても、母親は独で気を揉で、「旦那様というものは奥様次第でどうにでもなる、と言っては済まないが」から、「御奉公は奥様の御機嫌を取るのが第一だ」まで、縷々寝物語に聞かされました。忘れもしない。母親に連れられて家を出たのは三月の二日でした――山家ではこの日を山替としてあるのです。微し風が吹いて土塵の起つ日でしたから、乾燥いだ砂交りの灰色な土を踏で、小諸をさして出掛けました。母親は新しい手拭を冠って麻裏穿。私は萌黄の地木綿の風呂敷包を提げて随いて参りましたのです。こうして親子連で歩くということが、何故かこの日に限って恥しいような悲しいような気がしました。浅々と青く萌初めた麦畠の側を通りますと、丁度その畠の土と同じ顔色の農夫が鍬を休めて、私共を仰山らしく眺めるのでした。北国街道は小諸へ入る広い一筋道。其処まで来れば楽なものです。昔の宿場風の休茶屋には旅商人の群が居りました。「唐松」という名高い並木は伐倒される最中で、大木の横倒になる音や、高い枝の裂ける響や、人足の騒ぐ声は戦闘のよう。私共は親子連の順礼と後になり前になりして、松葉の香を履で通りました。
 小諸の荒町から赤坂を下りて行きますと、右手に当って宏壮な鼠色の建築物は小学校です。その中の一棟は建増の最中で、高い足場の内には塔の形が見えるのでした。その構外の石垣に添て突当りました処が袋町です。それはだらだら下りの坂になった町で、浅間の方から流れて来る河の支流が浅く町中を通っております。この支流を前に控えて、土塀から柿の枝の垂下っている家が、私共の尋ねて参りました荒井様でした。見付は小諸風の門構でも、内へ入れば新しい格子作で、二階建の閑静な御住居でした。
 丁度、旦那様の御留守、母親は奥様にばかり御目に懸ったのです。奥様は未だ御若くって、大な丸髷に結って、桃色の髪飾を掛た御方でした。物腰のしおらしい、背のすらりとした、黒目勝の、粧れば粧るほど見勝りのしそうな御容貌。地の御生でないということは美しい御言葉で知れました。奥様の白い手に見比べると、母親のは骨太な上に日に焼けて、男の手かと思われる位。
「奥様、これは御恥しい品でごわすが、ほんの御印ばかりに」
と母親は手土産を出して、炉辺に置きました。
「あれ、そんな心配をしておくれだと……それじゃ反て御気毒ですねえ」
「否、どう致しやして。家で造えやした味噌漬で、召上られるような品じゃごわせんが」
「それは何よりなものを――まあ、御茶一つお上り」
「もう何卒御構いなすって下さいますな」
「よくまあ、それでも早く来てくれましたねえ。あの、何ですか。名は何と言いますの」
「はい、お定と申しやす。実に不調法者でごわして。何卒まあ何分宜しく御願申しやす」
 私はつんつるてんの綿入に紺足袋穿という体裁で、奥様に見られるのが何より気恥しゅう御座ました。御傍へ添れば心持の好い香水が顔へ匂いかかる位、見るものも聞くものも私には新しく思われたのです。御奉公の御約束も纏りました。母親は華麗な御暮や美しい御言葉の裡に私を独残して置いて、柏木へ帰って了いました。
 御本宅は丸茂という暖簾を懸た塩問屋、これは旦那様の御兄様で、私の上りました御家は新宅と申しました。御本宅は大勢様、奉公人も十人の上遣っておりましたが、新宅は旦那様に奥様、奉公人といえば爺さんが一人と、其処へ私が参りましたから、合せて四人暮。御本宅は旧気質の土地風。新宅は又た東京風。家の構造を見比べても解るのです。旦那様は小諸へ東京を植えるという開けた思想を御持ちなすった御方で、御服装も、御言葉も、旧弊は一切御廃し。それを御本家では平素憎悪んでいるということでした。
 まあ、聞いて下さい。世には妙な容貌の人もあればあるもので、泣いている時ですら見たところは笑っているとしか思われないものがあります。旦那様のが丁度それで、眼の周囲の筋の縮んだ工合から口元と頬の間に深い皺のある御様子は、全く旦那様の御顔を見ると笑が刻んであるようでした。さ、その御顔です。一時も油断をなさらない真面目な精神の旦那様が、こうした御顔でいらっしゃるということは、不思議なようでした。然し、それが旦那様の御人の好という証拠で、御天性の普通の人とは違ったところでしょう。一体、寒い国の殿方には遅鈍した無精な癖があるものですけれど、旦那様にはそれがありません。克もああ身体が動くと思われる位に、勤勉な働好な御方でした。
 小諸で新しい事業とか相談とか言えば、誰は差置ても先ず荒井様という声が懸る。小諸に旦那様ほどの役者はないと言いました位です。
 私が上りました頃の御夫婦仲というものは、外目にも羨ましいほどの御睦じさ。旦那様は朝早く御散歩をなさるか、御二階で御調物をなさるかで、朝飯前には小原の牝牛の乳を召上る。九時には帽子を冠って、前垂掛で銀行へ御出掛になる。御休暇の日には御客様を下座敷へ通して、御談話でした。尋ねて来る御客様は町会議員、大地主、商家の旦那、新聞屋、いずれも土地の御歴々です。御晩食の後は奥様と御対座、それは一日のうちでも一番楽しい時で、笑いさざめく御声が御部屋から泄れて、耳を嬲るように炉辺までも聞える位でした。その時は珈琲か茶を上げました。
 思えば結構尽の御暮です。私は洋燈の下で雑巾を刺し初めると、柏木のことが眼前に浮いて来て、毎晩癖のようになりました。吾等の賤しい生涯では、農事が多忙しくなると朝も暗いうちに起きて、燈火を点けて朝食を済ます。東の空が白々となれば田野へ出て、一日働くと女の身体は綿のようです。ある時、私は母親と一緒に疲れきって、草の上に転んでいると、急に白雨が落ちて来た、二人とも起上る力がないのです。汗臭い身体を雨に打たれながら倒れたままで寝ていたことも有ました。その時に後で烈い熱病を煩って死ぬ程の苦をいたしました。農家の女の労苦はどれ程でしょう――麦刈――田の草取、それから思えば荒井様の御奉公は楽すぎて、毎日遊んで暮すようなものでした。野獣のように土だらけな足をして谷間を馳歩いた私が、結構な畳の上では居睡も出ました位です。
 何一つ御不足ということが旦那様と奥様の間には有ません。唯御似合なさらないのは御年です。ある日のこと、下座敷へ御客様が集りました。旦那様は細い活版刷の紙を披げて御覧なさる、皆さんが無遠慮な方ばかりです。「こりゃ甚い、まるで読めない」と旦那様はその紙を投出しました。
「成程、御若い方の読むんで、吾儕の相手になるものじゃありません。ここの処なざあ、細い線のようです」
 と言いながら、一人の御客様は袂から銀縁の大きな眼鏡を取出しました。玉の塵を襦袢の袖口で拭いて、釣針のように尖った鼻の上に載せて見て、
「これなら私にも、明瞭とはいきませんけれど……どうかこうか見えます」
「へえ、一寸その眼鏡を拝借」と他の御客様が笑いながら受取て、「成程、むむ、これなら明瞭します」
 旦那様も笑って反りかえりました。やがて、瞬をしたり、眼を摩って見たりして、眼鏡を借りようとはなさいません。
「まあ、眼鏡はもう二三年懸けない積です。懸けた方が目の為には好と言いますけれど」
「ですから、私なざア何か読む時だけ懸けるんです」と眼鏡を出した方は仔細らしく。
「驚きましたねえ」とその隣の方が引取って、
「こんなに能く見えるのかなア。ハハハハ、こりゃ眼鏡を一つ奢るかな」
 終には旦那様も釣込れて、
「拝借」と手を御出しなさいました。
 一人の御客様が笑いながら渡しますと、旦那様も面白そうに鼻の上へ載せて、活版刷の紙を遠く離したり近く寄せたりして御覧でした。
「懸けた工合は……どうですな」と渡した方が旦那様の御顔を覘くようにして尋ねる。
「や、こりゃ能く見える。これを懸ければすっかり読めます」
「ハハハハハ、酷いものですなア」
「ハハハハハ」
 と旦那様も手を拍って大笑い、一人の御客様は目から涙を流しながら、腹を抱えて笑いました。終には皆さんが泣くような声を御出しなさると、尖った鼻の御客様は頭を擁えて、御座敷から逃出しましたのです。
 私も旦那様がこれ程であろうとは思いませんでした。人程見かけに帰らない者はありません。これから気を注けて視ると、黒髪も人知れず染め、鏡を朝晩に眺め、御召物の縞も華美なのを撰り、忌言葉は聞いたばかりで厭な御顔をなさいました。殊に寝起の時の御顔色は、毎も微し青ざめて、老衰えた御様子が明白と解りました。智慧の深そうな目の御色も時によると朦朧潤みを帯って、疲れ沈んで、物を凝視る力も無いという風に変ることが有ました。私は又た旦那様の顎から美しく白く並んだ御歯が脱出るのを見かけました。旦那様は花やかに若く彩った年寄の役者なのです。住慣れて見れば、それも可笑しいとは思いません。御二人の御年違も寧そ御似合なされて、かれこれと世間から言われるのが悲しいと懐う様になりましたのです。
 奥様は御器量を望まれて、それで東京から御縁組に成ったと申す位、御湯上りなどの御美しさと言ったら、女の私ですら恍惚となって了う程でした。旦那様が熟と奥様の横顔を御眺めなさるときは、もう何もかも忘れて御了いなすって、芝居好が贔負役者に見惚るような目付をなさいます。聞けばこの奥様の前に、永いこと連添った御方も有たとやら、無理やりの御離縁も畢竟は今の奥様故で、それから御本宅と新宅の交情が自然氷のように成ったということでした。
 譬えて申しましょうなら、御本宅や御親類は蜂の巣です。其処へ旦那様が石を投げたのですから、奉公人の私まで痛い噂さに刺されました。
 しかし、山家が何程恐しい昔気質なもので、すこし毛色の変った他所者と見れば頭から熱湯を浴せかけるということは、全く奥様も御存ない。そこが奥様は都育です。御親類の御女中方は、いずれも質素な御方ばかりですから、就中奥様御一人が目立ちました。奥様は朝に粧り、晩に磨き、透き通るような御顔色の白過ぎて少許蒼く見えるのを、頬の辺へはほんのり紅を点して、身の丈にあまる程の黒髪は相生町のおせんさんに結わせ、剃刀は岡源の母親に触させ、御召物の見立は大利の番頭、仕立は馬場裏の良助さん――華麗の穿鑿を仕尽したものです。田舎の女程物見高いものは有ません。奥様が花やかな御風俗で御通りになる時は、土壁の窓から眺め、障子の穴から覗き、目と目を見合せて冷な笑いかたを為るのです。そんなことは奥様も御存なしで、御慈悲に拝ませて遣るという風をなさりながら町を御歩行なさいました。たまたま途中で御親類の御女中方に御逢なさることが有ても、高い御挨拶をなさいました。奥様の目から見ると、この山家の女は松井川の谷の水車――毎日同じことをして廻っている、とまあ映るのです。たとえ男が長い冬の日を遊暮しても、女は克く働くという田舎の状態を見て、てんで笑って御了いなさる。全く、奥様は小諸の女を御存ないのです。これを御本家始御親類の御女中に言わせると折角花車な当世の流行を捨て、娘にまで手織縞で得心させている中へ、奥様という他所者が舞込で来たのは、開けて贅沢な東京の生活を一断片提げて持って来たようなもの、としか思われないのでした。ですから、骨肉の旦那様よりか、他人の奥様に憎悪が多く掛る。町々の女の目は褒るにつけ、譏るにつけ、奥様の身一つに向いていましたのです。
 春も深くなっての夕方には、御二人で手を引いて、遅咲の桜の蔭から飛騨の遠山の雪を眺め眺め静に御散歩をなさることもありました。さあ、旧弊な御親類の御女中方は、御夫婦一緒に御花見すらしたことが無いのですから、こんな東京風――夢にも見たことの無い、睦まじそうに手を引き連れて屋外を御歩きなさる御様子を初めて見て、驚いて了いました。得たり賢しと、悋気深い手合がつまらんことを言い触して歩きます。私は奥様の御噂さを聞くと、口惜しいと思うことばかりでした。
 春雨あがりの暖い日に、私は井戸端で水汲をしておりますと、おつぎさん――矢張柏木の者で、小諸へ奉公に来ておりますのが通りかかりました。
「おつぎさん、どちらへ」
 と声を掛ると、おつぎさんは酸漿を鳴しながら、小肥りな身体を一寸揺って、
「これ」と袖に隠した酒の罎を出して見せる。
「お使かね」
「ああ」
「御苦労さま」
「なあ、お定さん、お前許の奥様は……あの御盲目さんだって言うが、真実かい」
「まあ、おつぎさんの言うこと」
「ホホホホホホホホホ、だって評判だよ。こないだの夕方、ホラお富婆さんなあ、あの人が三の門の前に立ってると、お前許の旦那様と奥様が懐古園の方から手を引かれて降りて来たと言うよ。私嫌だ。お盲目さんででも無くて、手を引かれて歩くという者があるもんかね」
「馬鹿をお言いよ」
 と私は水を掛る真似をしました。おつぎさんはお尻を叩いて笑いながら、
「好御主人を持って御仕合」
 と言捨て逃げる拍子に、泥濘ヘ足を突込む、容易に下駄の歯が抜けない様子。「それ見たか」と私は指差をして、思うさま笑ってやりました。故と、
「どうも実に御気毒様」
 井戸端に遊んでいた鶩が四羽ばかり口嘴を揃えて、私の方へ「ぐわアぐわア」と鳴いて来ました。忌々しいものです。私は柄杓で水を浴せ掛ると、鶩は恰も噂好なお婆さん振て、泥の中を蹣跚しながら鳴いて逃げて行きました。

    二

 台所の戸に白い李の花の匂うも僅の間です。山家の春は短いもので、鮨よ田楽よ、やれそれと摺鉢を鳴しているうちに、若布売の女の群が参るようになります。越後訛で、「若布はようござんすかねえ」と呼んで来る声を聞くと、もう春蚕で忙しい時になるのでした。
 御承知の通、小諸は養蚕地ですから、寺の坊さんまでが衣の袖を捲りまして、仏壇のかげに桑の葉じょきじょき、まあこれをやらない家は無いのです。奥様は御慣れなさらないことでもあり、御嫌いでもあり、蚕の臭を嗅げば胸が悪くなると仰る位でした。御本家の御女中方が灰色の麻袋を首に掛けて、桑の嫩芽を摘みに御出なさる時も、奥様は長火鉢に倚れて、東京の新狂言の御噂さをなさいました。
 もともと旦那様は奥様に御執心で、御二人で楽い御暮をなさりたいという外に、別に御望は無いのですから、唯もう嬉しいという御顔を見たり、御声を聞たりするのが何よりの御楽み――こうもしたら御喜びなさるか、ああもしたら御機嫌が、と気を御揉みなさいました。それは奥様を呼捨にもなさらないで、「綾さん、綾さん」と、さん付になさるのでも知れます。旦那様がこれですから、奥様は家庭を温泉の宿のような気で、働くという昼があるでなければ、休むという夜があるでもなし、毎日好いた事して暮しました。「お定、きょうは幾日だっけねえ」と、日も御存ないことがある。たまたま壁の暦を見て、時の経つのに驚きました位。夢の間に軒の花菖蒲も枯れ、その年の八せんとなれば甲子までも降続けて、川の水も赤く濁り、台所の雨も寂しく、味噌も黴びました。祗園の祭には青簾を懸けては下し、土用の丑の鰻も盆の勘定となって、地獄の釜の蓋の開くかと思えば、直に仏の花も捨て、それに赤痢の流行で芝居の太鼓も廻りません。奥様は外の御歓楽をなさりたいにも、小諸は倹約な質素な処で、お茶の先生は上田へ引越し、謡曲の師匠は飴菓子を売て歩き、見るものも聞くものも鮮いのですから、唯かぎりある御家の内の御歓楽ばかり。思えば飽きもなさる筈です。終には絹手※[#「※」は底本では「はばへん+白」、18-15]も鼻を拭んで捨て、香水は惜気もなく御紅閨に振掛け、気に入らぬ髪は結立を掻乱して二度も三度も結わせ、夜食好みをなさるようになって、糠味噌の新漬に花鰹をかけさせ、茶漬を召上った後で、「もっと何か甘しい物はないか」と仰るのでした。新酔月の料理も二口三口召上って見て、犬にくれました。女の歓楽ほど短いものはありません。奥様はその歓楽にすら疲れて、飽々となさいました。
「毎日、毎日、同じ事をするのかなア」
 というのは、柱に倚れての御独語でした。浮気な歓楽が奥様への置土産は、たったこの一語です。
 次第に奥様は短気にも御成なさいました。旦那様は物事が精密過て、何事にもこの御気象が随いて廻るのですから、奥様はもう煩いという御顔色をなさるのでした。「これは乃公の病気だから止められない」と、能く御自分でも承知していらっしゃるのです。殊に、奥様が癇癪を起した時なぞは、「ちょッ、貴方のように濃厚い方はありゃしない」と言って、ぷいと立って行って御了いなさることも有ました。奥様の癇癪の起きた日は直に知れます。毎でも御顔色が病人のようになって、鼻の先が光りまして、眉の間が茶色に見えます。後の首筋を蒼くして、無暗に御部屋の雑巾掛や御掃除をさせて、物を仰るにも御声が咽喉へ乾びついたようになります。そうなると、旦那様と御取膳で御飯を召上る時でも、口を御利きなさらないことがありました。
 旦那様は五黄の金、その年の運気は吉、それに引換え奥様は八方塞、唯じっとして運勢の開けるのを待てと、菓子屋の隣の悟道先生が占いました。全く、奥様の為には廻合も好くない年と見えて、何かの前兆のように悪な夢ばかり御覧なさるのでした。女程心細いものは有ません。それを又た苦になさるのが病人のようでした。結構尽の御身体は弱々しくなり、心は労れ、風邪も引き易くなって、朝は欠ばかりなさいました。「女というものは、つまらないものだ」と仰って、深い歎息に埋って、花も嗅いで御捨てなさいました。旦那様は奥様の御機嫌を取るようになすって、御小使帳が投遣りでも、御出迎に出たり出なかったりでも、何時まで朝寝をなさろうとも、それで御小言も仰らず。御家に奥様が居て下さるのは――籠に鶯の居るように思召して、私でさえ御気毒に思う時でも御腹立もなさらないのでした。旦那様は銀行から御帰りになると、時々両手を組合せて、御庭の夏を眺めながら憂愁に沈んでおいでなさることもあり、又、日によっては直に御二階へ御上りになって、御飯の時より外には下りておいでなさらないこともありました。奥様が御気色の悪い日には旦那様は密と御部屋へ行って、恐々御傍へ寄りながら、「綾さん、どっか悪いのかい。こんな畳の上に寝転んでいて、風でも引いちゃ不可いじゃないか。そうしていないで、診て貰ってはどうだね」と御聞きなさる。「いいえ、関わずに置いて下さい」というのが奥様の御返事でした。
 変れば変るものです。奥様は御独で縁側に出て、籠の中の鳥のように東京の空を御眺めなさることもあり、長い御手紙を書きながら啜泣をなさることも有ました。時によると、御寝衣のまま、冷々した山の上の夜気に打れながら、遅くまで御庭の内を御歩きなさることも有ました。
 秋のはじめから、奥様は虫歯の御煩で時々酷い御苦痛をなさいましたのです。烈しくなると私を御離しなさらないで、切ないような目付をなさりながら、私の背に御頭を押しつけておいでなさる。耳から頬へかけて腫起りまして、御顔色は蒼ざめ、額もすこし黄ばんでまいります。これには旦那様も大弱りで、御自分の額を撫でたり、大きな手を揉んで見たりして、御介抱をなさいましたのです。
 と申したような訳で、よく歯医者が黒い鞄を提げてやって参りました。
 歯医者というのは、桜井さんと言って、年はまだ若いが、腕はなかなか有ました。私が勝手口の木戸を開けて、河ばたの石の上に蹲跼みながら、かちゃかちゃと鍋を洗っていると、この人が坂の下の方から能く上って参りました。慣々しく私の傍へ来て、鍋の浸けてある水中を覗いて見たり、土塀から垂下っていた柿の枝振を眺めたり、その葉裏から秋の光を見上げたりして、何でもない主家の周囲を、さも面白そうに歩くのが癖でした。この人は東京の生ですから、新しい格子作を見る度に、都を想起すと言っておりました。一体、東京から来る医者を見ると、いずれも役者のように風俗を作っておりますが、さて男振の好という人も有ません。然し、この歯医者ばかりは、私も風采が好と思いましたのです。
 この人が来る時は、よく私に物を携って来てくれました。この人が帰って去った後で、爺さんは必と白銅を一つ握っておりました。
 或日、旦那様は銀行の御用で御泊掛に上田まで御出ましでした。その晩は戸も早く閉めました。私も、さっさと台所を片付けたいと思い、鍋は伏せ、皿小鉢は仕舞い、物置の炭をかんかん割って出し、猫の足跡もそそくさと掃いて、上草履を脱ぎまして、奥様の御部屋へ参りました。まだ宵の口から、奥様は御横におなりなすって、寝ながら小説本を御覧なさるところでした。誰を憚るでもない気散じな御様子。あらわな御胸の白い乳房もすこし見えて、左の手はだらりと畳の上に垂れ、右の足は膝頭から折曲げ、投げだした左の足の長い親指の反ったまで、しどけない御姿は花やかな洋燈の夜の光に映りまして、昼よりは反て御美しく思われました。
「奥様、御足でも撫りましょうか」
 と私は御傍へ倚添いました。
「ああ、もうお済かい」と奥様は起直って、懐を掻合せながら、「お前、按摩さんをしてくれるとお言いなの。今日はね、肩のところが痛くて痛くて――それじゃ、一つ揉んで見ておくれな」
「あれ、御寝っていらしったら、どうでございます」
「なに、起きましょうよ」
 私はよく母親の肩を揉せられましたから、その時奥様のうしろへ廻りまして、柔な御肩に触ると、急に母親を想出しました。母親の労働く身体から思えば、奥様を揉む位は、もう造作もないのでした。
「お世辞でも何んでもないが、お定はなかなか指に力があるのねえ。お前のように能くしておくれだと、真実に私ゃ嬉しい。旦那様も、日常褒めていらっしゃるんだよ」
 それから奥様は私の器量までも御褒め下さいました。奥様が私を御褒め下さるのは、いつも謎です、――御器量自慢でいらっしゃるのですから。その時も私の方から、御褒め申せば、もう何よりの御機嫌で、羽翅を張げるように肩を高くなすって、御喜悦は鼻の先にも下唇にも明白と見透きましたのです。
「ねえ、お定、お前は吾家へ来る御客様のうちで、誰様が一番とお思いだえ」
「そうで御座ますねえ……まあ、奥様から仰って見て下さい」
「否、お前からお言いよ」
「私なぞは誰様が好か解りませんもの」
「あれ、そうお前のように笑ってばかりいちゃ仕様がない」
「それじゃ笑わずに申しますよ。ええ、と、銀行の吉田さん」
「いやよ、あんな老爺染た人は――戯けないでさ。真実に言って御覧」
 私はそれから、種々なお方を数えて申しました。島屋の若旦那、越後屋の御総領、三浦屋の御次男、荒町の亀惣様、本町の藤勘様――いずれ優劣のない当世の殿方ですけれど、成程奥様の御話を伺って見れば、たとえ男が好くて持物等の嗜も深く、何をさせても小器用なと褒められる程の方でも、物事に迷易くて毎も愚痴ばかりでは頼甲斐のない様にも有、世智賢くて痒いところまで手の届く方は又た女を馬鹿にしたようで此方の欠点まで見透されるかと恐しくもあるし、気前が面白ければ銭遣が荒く、凝性なれば悟過ぎ、優しければ遠慮が深し、この方ならばと思うような御人は弱々しくて、さて難の無い御方というのは、見当らないのでした。
「そんなら、奥様、あの桜井さんは」
「そうお前のように、私にばかり言わせて……お前も少許言わなくちゃ狡猾いよ。あの方をお前はどう思うの」
「桜井さんで御座いますか。実に歯医者なぞをさして置くのは惜しいッて、人が申すんで御座いますよ」
「ホホホホホ、それじゃ何に御成なされば好と言うの」
「あの、官員様にでも……」
「ホホホホホ」
「あれ、女であの方を褒めない者は御座ません。奥様、貴方も桜井さん贔負じゃ御座ませんか」
 奥様は目を細くなさいました。何とも物は仰いませんでしたけれど、御顔を見ているうちに、美しい朱唇が曲んで来て、終に微笑になって了いました。
 洋燈の側にうとうとしていた猫が、急に耳を振って、物音に驚いたように馳出したので、奥様も私も殿方の御噂さを休めて聞耳を立てていますと、須叟猫は御部屋へ帰って来て、前脚を延しながら一つ伸をして、撓垂るように奥様の御膝へ乗りました。御子様がないのですから、奥様も恰も懐しそうに抱〆て、白い頬をその柔い毛に摺付て、美しい夢でも眼の前を通るような溶々とした目付をなさいました。
 つい側に針箱が有ました。奥様はそれを引寄せて、引出のなかから目も覚めるような美しい半襟を取出して、「こないだから、これをお前に上げよう上げようと思っていたんだよ」
 と仰りながら私に掴ませました。夜のことですから、紫縮緬が小豆色に見えました。私は目を円くして、頂いてよいやら、悪いやらで、さんざん御断りもして見たのです。
「あれ、お前のようにお言だと、私が困るじゃないか。そんなに言う程の物じゃないんだよ。お前がよく勤めておくれだから、寸の私の志と思っておくれ。……いいからさ、それは仕舞ってお置き」
 奥様はまだ何か言いたそうにして、それを言得ないで、深い歎息を御吐きなさるばかりでした。危い絶壁の上に立って、谷底でも御覧なさるような目付をなさりながら、左右を見廻して震えました。「お前だから話すがねえ」までは出ましても、二の句が口籠って、切れて了います。
「今夜私がお前に話すことは、決して誰にも話さないという約束をしておくれ。それを聞かないうちは――然しお前に限ってそんな軽卒なことはあるまいけれど」
 幾度も念を押して、まだ仰り悪いという風でしたが、さて話そうとなると、急に御顔が耳の根元までも紅くなりました。
 遂々奥様は御声をちいさくなすって、打開けた御話を私になさいました。その時、私は始めて歯医者とのこれまでの関係を聞きましたのです。私は手を堅く握〆られて、妙に顔が熱りました。他から内証を打開けられた時ほど、是方の弱身になることはありません。思いつめた御心から掻口説かれて見れば、終には私もあわれになりまして、染々御身上を思遣りながら言慰めて見ました。奥様は私の言葉を御聞きなさると、もう子供のように御泣きなさるのでした。
 拠なく、私も引受けて、歯医者に逢わせる御約束をしましたら、漸と、その時、火のように熱い御手が私から離れたようにこころづきました。
 その晩は、私も仮の出来心で、――若い内に有勝な量見から。
 然し、悪戯が悪戯でなくなって、事実も事実も恐しい事実になって行くのを見ては、さすがに私も震えました。私は後暗いと、恐しいとで、噂さを嗅附ける犬のようになって、御人の好い旦那様にまで吠えました。
 或時は自分で責められるような自分の心を慰めて見たこともありましたのです。全く道ならぬ奥様の恋とは言いながら、思の外のあわれも有ましたので。人の知らない暗涙は夜の御床に流れても、それを御話しなさるという女の御友達は有ませんので。ですから、私は独り考えて、思い慰めました。
 さ、それです。
 奥様は暖い国に植えられて、軟な風に吹かれて咲くという花なので。この荒い土地に移されても根深く蔓る雑草では有ません。こうした御慣れなさらない山家住のことですから、さて暮して見れば、都で聞いた田舎生活の静和と来て視た寂寥苦痛とは何程の相違でしょう。旦那様は又た、奥様を籠の鳥のように御眺めなさる気で、奥様の独り焦る御心が解りませんのでした。何時、羽根を切られた鳥の心が籠に入れて楽しむという飼主に解りましょう。何程、世間の奥様が連添う殿方に解りましょう。――女の運はこれです。御縁とは言いながら、遠く御里を離れての旅の者も同じ御身上で、真実に同情のあるものは一人も無い。こればかりでも、女は死にます。奥様の不幸な。歓楽の香は、もう嗅いで御覧なさりたくも無いのでした。奥様は歎き疲れて、乾いた草のように萎れて了いました。思えば御無理も御座ません――活き返るような恋の雨が、そこへ清しく降りそそいで来たのですから。
 丁度、秋草のさかりで、歯医者の通う路は美しゅうございました。

    三

 十月の二十日は銀行に十五年の大祝というのが有ました。旦那様に取ては一生のうちに忘れられない日で、彼処でも荒井様、是処でも荒井様、旦那様の御評判は光岳寺の鐘のように町々へ響渡りました。長いお功労を賛めはやす声ばかりで。
 その朝は、私も早く起きて朝飯の用意をしました。台所の戸の開捨てた間から、秋の光がさしこんで、流許の手桶や亜鉛盥が輝って見える。青い煙は煤[#底本では「媒」の誤り]けた窓から壁の外へ漏れる。私は鼻を啜りながら、焚落しの火を十能に取って炉へ運びましても、奥様は未だ御目覚が無い。熱湯で雑巾を絞りまして、御二階を済ましても、まだ御起きなさらない。その内に、炉に掛けた鍋は沸々と煮起って、蓋の間から湯気が出るようになる。うまそうな汁の香が炉辺に満ち溢れました。
 八時を打っても、未だ奥様は御寐です。旦那様は炉辺で汁の香を嗅いで、憶出したように少許萎れておいでなさいました。やがて、御独で御膳を引寄せて、朝飯を召上ると、もう銀行からは御使でした。そそくさと御仕度をなすって、黒七子の御羽織は剣菱の五つ紋、それに茶苧の御袴で、隆として御出掛になりました。私は鍋を掛けたり、下したりしていると、漸う九時過になって、奥様は楊枝を銜えながら台所へ御見えなさいました、――恐しい夢から覚めたような目付をなすって。もう味噌汁も煮詰って了ったのです。
 その日は御祝の印といって、旦那様の御思召から、門に立つものには白米と金銭を施しました。
 一体、旦那様は乞食が大嫌いな御方で、「乞食を為る位なら死んでしまえ」と叱※[#「※」は「口へん+它」、27-14]す位ですから、こんなことは珍しいのです。その日は朝から哀な声が門前に聞えました。それを又た聞伝えて、掴取のないと思った世の中に、これはうまい話と、親子連で瞽者の真似、かみさんが「片輪でござい」裏長屋に住む人までが慾には恥も外聞も忘れて来ました。七十にもなりそうな婆さんまでが、※[#「※」は「あしへん+珍のつくり」、27-18]跛ひきひき前垂に白米を入れて貰いまして、門を出ると直ぐ人並に歩いたには、呆れました。
 昼過に、旦那様は紫袱紗を小脇に抱えながら、一寸帰っておいでなさいました。私は鶏に餌をくれて、奥様の御部屋の方へ行って見ますと、御二人で御話の御様子。何の気無しに唐紙の傍に立って、御部屋を覗きながら聞耳を立てました。旦那様は御羽織を脱捨てて、額の汗を御拭きなさるところ。
「ねえ、綾さん、こういう時にはそんな顔をしていないで、もうすこし快くしてくれなくちゃ張合がないじゃないか。それに、今日は御祝だもの、奉公人だって遊ばせてやるがいいやね」
「ですから、いくらでも遊んでおいでッて言ったんです」
「それ、そう言われるから誰だって出られないやね、――まあ、そうじゃないか。綾さんはこの節奉公人ばかし責めるようなことを言うが、そんなに為たって不可。お定にしろ、あの爺さんにしろ、高が人に遣われてるものだ」
「誰も責めやしません」
「責めないって、そう聞えらア」
「私が何時責めるようなことを言いました」
「お前の調子が責めてるじゃないか」
「調子は私の持前です」
「お前が御父さんに言う時の調子と、今のとは違うように聞えるぜ」
「誰が親と奉公人と一緒にして物を言うような、そんな人があるものですか。こんなところで親の恥まで曝さなくってもようござんす」
「奇異なことを言うね」
「ああ、奉公人まで引合に出して、親の恥を曝されるのかなア」
「解らない人だ。そんな訳で親を担出したんじゃ無し、――奉公人は親位に思っていなくて、使われると思うのかい。……然し、そんな事はどうでもいい。まあ、今日は一つ綾さんに喜んで貰おう」
 と御機嫌を直しながら、旦那様は紫袱紗を解いて桐の小箱の蓋を取りました。白絹に包んだのを大事そうに取除けて、畳の上に置いたは目も覚めるような黄金の御盃。折畳んであった奉書を披げて見せて、
「今日の御祝に、これは銀行から私へくれたのだ。まあ、私に取っては名誉な記念だ。そら、盃の中に名前が彫ってあるだろう。御覧よ、この奉書には種々文句が書いてある」
「拝見しました」
「もっと能く見ておくれ。そんな冷淡な挨拶があるものか。折角こうして、お前に見せようと思って持って来たものを……何とか、一言位」
「ですから拝見しましたと言ってるじゃ有ませんか」
 旦那様は口を噤んで了いました。御互に物を仰らないのは、仰るよりも猶か冷い心地がしましたのです。旦那様は少許震えて、穴の開く程奥様の御顔を熟視ますと、奥様は口唇に微な嘲笑を見て、他の事を考えておいでなさるようでした。やがて、旦那様は御盃を取上げて、熟々眺めながら歎息を吐いて、
「そう女というものは男の事業に冷淡なものかな。今までは、もうすこし同情が有るものかと思っていた」
「どうせ私なぞに貴方がたの成さる事は解りません」
「無論さ。何も解って貰おうとは言やしない。同情が無いと言ったんだ。男の事業が解る位なら、そんな挨拶の出来よう筈もない。まあ、私の言うことを能く聞いてくれ。自慢をするじゃアないが、今日小諸の商業は私の指先一つでどうにでも、動かせる。不景気だ、不景気だ、こう口癖のように言いながらも、小諸の商人が懐中の楽なのは、私が銀行に巌張っているからだ。町会の事業でも、計画でも、皆私の意見を基にしてやっている。小諸が盛んになるも、衰えるも、私の遣方一つにあるのだ。その私が事業の記念だと言って、爰へこうして並べて、お前に見て喜んで貰おうとしているのに……アハハハハハハ」
 と、旦那様は熱い涙を手に持った黄金の御盃へ落しました。
 やがて、御盃や御羽織を掻浚うようになすって、旦那様は御部屋から御座敷の方へいらっしゃる。御様子がどうも尋常ではないと、私も御後から随いて行って見ました。もうもう堪えきれないという御様子で、突然、奉書を鷲掴みにして、寸断々々に引裂いて了いました。啜泣の涙は男らしい御顔を流れましたのです。御一人で小諸を負って御立ちなさる程の旦那様でも、奥様の心一つを御自由に成さることは出来ません。微々な小諸の銀行を信州一と言われる位に盛大くなすった程の御腕前は有ながら、奥様の為には一生の光栄も塵埃同様に捨てて御了いなすって、人の賛めるのも羨やむのも悦しいとは思召さないのでした。これが他の殿方ででもあったら、奥様の御髪を掻廻して、黒縮緬の御羽織も裂けるかと思う位に、打擲もなさりかねない場合でしょう。並勝れて御人の好い旦那様ですから、どんな烈しい御腹立の時でも、面と向っては他にそれを言得ないのでした。旦那様は御自分の髪の毛を掻毟って、畳を蹴って御出掛になりました。ぴしゃんと唐紙を御閉めなすった音には、思わず私もひょろひょろとなりましたのです。
 私は御部屋へ取って返して、泣き伏した奥様をいろいろと言慰めて見ましたが、御返事もなさいません。すこし遠慮して、勝手へ来て見れば、又たどうも気掛になって、御二人のことばかりが案じられました。
 黄昏に、私は水汲をして手桶を提げながら門のところまで参りますと、四十恰好の女が格子前に立っておりました。姿を視れば巡礼です。赤い頭巾を冠せた乳呑児を負いまして、鼠色の脚絆に草鞋穿、それは旅疲のしたあわれな様子。奥様は泣腫した御顔を御出しなすって、きょうの御祝の御余の白米や金銭をこの女に施しておやりなさるところでした。奥様が巡礼を御覧なさる目付には言うに言われぬ愁が籠っておりましたのです。
「私にその歌を、もう一度聞かしておくれ」
 と奥様が優しく御尋ねなさると、巡礼は可笑な土地訛で、
「歌でござりますか、ハイそうでござりますか」
 寂しそうに笑って、やがて、鈴を振鳴して一節唄いましたのは、こうでした。
  ちちははのめぐみもふかきこかはでら
  ほとけのちかきたのもしのみや
 日に焼けた醜い顔の女では有りましたが、調子の女らしい、節の凄婉な、凄婉なというよりは悲傷しい、それを清しい哀しい声で歌いましたのです。世間を見るに、美い声が醜い口唇から出るのは稀しくも有ません。然し、この女のようなのも鮮いと思いました。一節歌われると、もう私は泣きたいような心地になって、胸が込上げて来ました。やがて女は蒼めた顔を仰げて、
  ふるさとやはるばるここにきみゐでら
  はなのみやこもちかくなるらん
「故郷や」の「や」には力を入れました。清しい声を鈴に合せて、息を吸入れて、「はるばるここに」と長く引いた時は女の口唇も震えましたようです。「花の都も」と歌いすすむと、見る見る涙が女の頬を伝いまして、落魄た袖にかかりました。奥様は熟々聞惚れて、顔に手を当てておいでなさいました――まあ、どんな御心地がその時奥様の御胸の中を往たり来たりしたものか、私には量りかねましたのです。歌が済みますと、奥様は馴々しく、
「今のは何という歌なんですね」
「なんでござります。はァ、御詠歌と申しまして、それ芝居なぞでも能くやりますわなア――お鶴が西国巡礼に……」
「お前さんは何処ですね」
「伊勢でござります」
「まあ、遠方ですねえ」
「わしらの方は皆こうして流しますでござります。御詠歌は西国三十三番の札所々々を読みましてなア」
「どっちの方から来たんですね」
「越後路から長野の方へ出まして、諸方を廻って参りました。これから御寒くなりますで、暖い方へ参りますでござりますわい」
 その時、爺さんが恍けた顔を出して、
「あんな乞食の歌を聞いて何にする」
 と聞えよがしに笑いました。
「これはこれはどうも難有うござります。どうも奥様、御蔭様で助かりますでござります」
 巡礼は泣き出した児を動揺って、暮方の秋の空を眺め眺め行きました。
 爺さんは奥様を笑いましたけれど、私はそうは思いませんので。熟々奥様があの巡礼の口唇を見つめて美い声に聞惚れた御様子から、根彫葉刻御尋ねなすった御話の前後を考えれば、あんな落魄た女をすら、まだしもと御羨みなさる程に御思召すのでした。この同じ屋根の下に旦那様と御二人で御暮しなさるのは、それほど苦いと御思召すのでした。御器量から、御身分から――さぞ、あの巡礼の目には申分のない奥様と見えましたろう。奥様の目には、又た、世間という鎖に繋がれて否でも応でも引摺れて、その日その日を夢のように御暮しなさるというよりか、見る影もない巡礼なぞの身の上の方が反って自由なように御思いなさるのでした。
 御祝の宴がありましたから、旦那様の御帰は遅くなりました。外で旦那様が鼻の高かった日も、内では又た寂しい悲しい日でした。旦那様は酒臭い呼吸を奥様の御顔に吹きかけて置いて、直ぐ御二階の畳の上に倒れて御了いなすったのです。
 その夜から御床も別々に敷べました。

    四

 手桶を提げて井戸に通う路は、柿の落葉で埋まった日もあり、霜溶のぐちゃぐちゃで下駄の鼻緒を切らした日もあり、夷講の朝は初雪を踏んで通いました。奥様から頂いて穿いた古足袋の爪先も冷くなって、鼻の息も白く見えるようになれば、北向の日蔭は雪も溶けずに凍る程のお寒さ。
 十二月の十日のこと、珍しい御客様を乗せた一輌の人力車が門の前で停りました。それは奥様の父親様が東京から尋ねていらしったのです。思いがけないのですから、奥様は敷居に御躓きなさる程でした。旦那様も早く銀行から御帰りになる、御二人とも御客様の御待遇やら東京の御話やらに紛れて、久振で楽しそうな御笑声が奥から聞えました。奥様の御喜悦は、まあ何程で御座ましたろう、――その晩は大した御馳走でした。
 御客様は金銭上の御相談が主で、御来遊になりましたような御様子。御着になって四日目のこと、旦那様と御一緒に長野へ御出掛になりました。奥様は御留守居です。私は洋傘と御履物を揃えまして、御部屋へ参って見ると、未だ御仕度の最中。御客様は気短い御方で、角帯の間から時計を出して御覧なすったり、あちこちと御部屋の内を御歩きなすったりして、待遠しいという風でした。その時、私は御客様と奥様と見比べて、思当ることが有ましたのです。御客様は丸い腮を撫で廻しながら、
「婆さんもね、早く孫の顔を見たいなんて、日常その噂さばかりさ。どうだね、……未だそんな模様は無いのかい」
 奥様は俯いて、御顔を紅らめて、御返事をなさいません。やがて懐しそうに、
「御父さん、羽織を着更えていらッしゃいよ」
「なに、これで結構。こりゃお前上等だもの」
「それでもあんまりひどい」
「この羽織は十五年からになりますがね、いいものは丈夫ですな」
 御客様は袖口を指で押えて、羽翅のように展げて見せました。遽に思直して、
「こうっと。面倒だけれど――それじゃ一つ着更えるか」
 と御自分の御包を解いて、その中から節糸紬の御羽織を抜いて、無造作に袖を通して御覧なさいました。
「あれ、其方のになさいよ」
「これかね。どうして、お前、此方の着物を着た時の羽織さ。ね、――この羽織で結構」
「でも何だかそれじゃ好笑いわ。それを御着なさる位なら、まだ今までの方が好のですもの」
 御客様は茶の平打の紐を結んで、火鉢の前にべたりと坐って御覧なさいました。急に、ついと立ってまたその御羽織を脱ぎ捨てながら、
「それじゃ、これだ――もともとだ。アハハハハハハ」
 奥様がそれを引寄せて、御畳みなさるところを、御客様は銜煙管で眺入って、もとの御包に御納いなさるまで、熟と視ていらっしゃいました。思いついたように、
「ハハハハ、婆さん紋付なんか入れてよこした」
 こういう罪もない御話を睦まじそうになすっていらっしゃるところへ、旦那様も御用を片付けて、御二階から下りておいでなさいました。見る見る旦那様の下唇には嫉いという御色が顕れました。御客様は急き立てて、
「さあ、出掛けましょう。もう三十分で汽車が出ますよ」
 御二人とも厚い外套を召して御出掛になりました。爺さんも御荷物を提げて、停車場まで随いて参りました。後で、取散かった物を片付けますと、御部屋の内は煙草の烟ですこし噎せる位。がらりと障子を開けて、御客様の蒲団や、掻巻や、男臭い御寝衣などを縁へ乾しました。
 御独になると、奥様は総桐の箪笥から御自分の御召物を出して、畳直したり、入直したり、又た取出したりして御眺めなさる――それは鏡に映る御自分の御姿に見惚ると同じような御様子をなさるのでした。全く御召物は奥様の御身の内と言ってもよいのですから。私も御側へ寄添いまして見せて頂きました。どれを拝見しても目うつりのする衣類ばかり。就中、私の気に入りましたのは長襦袢です。それは薄葡萄の浜縮緬、こぼれ梅の裾模様、※[#「※」は「ころもへん+施のつくり」、36-17]は緋縮緬を一分程にとって、本紅の裏を附けたのでした。奥様はそれを御膝の上に乗せて、何の気なしに御婚礼の晩御召しなすったということを、私に話して聞かせました。不図、御自分の御言葉に注意いて、今更のように萎返って、それを熟視たまま身動きもなさいません。死だ銀色の衣魚が一つその袖から落ちました。御顔に匂いかかる樟脳の香を御嗅ぎなさると、急に楽しい追憶が御胸の中を往たり来たりするという御様子で、私が御側に居ることすら忘れて御了いなすったようでした。
「ああああ着物も何も要らなくなっちゃった」
 と仰りながら、その長襦袢を御抱きなすったまま、さんざん思いやって、涙は絶間もなく美しい御顔を流れました。
 その日は珍しく暖で、冬至近いとも思われません位。これは山の上に往々あることで、こういう陽気は雪になる前兆です。昼過となれば、灰色の低い雲が空一面に垂下る、家の内は薄暗くなる、そのうちにちらちら落ちて参りました。日は短し、暗さは暗し、いつ暮れるともなく燈火を点るようになりましたのです。爺さんも何処へ行って飲んで来たものと見え、部屋へ入って寝込んで了いました。台所が済むと、私は奥様の御徒然が思われて、御側を離れないようにしました。時々雪の中を通る荷車の音が寂しく聞える位、四方は※[#「※」は「もんがまえ+貝」、37-13]として、沈まり返って、戸の外で雪の積るのが思いやられるのでした。御一緒に胡燵にあたりながら、奥様は例の小説本、私は古足袋のそそくい、長野の御噂さやら歯医者の御話やら移り移って盗賊の噂さになりますと、奥様は急に寂しがって、
「どうしたろう、爺さんは」
「もう最前に寝て了いました」
「おや、そう、早いことねえ。お前戸じまりをよくしておくれ。泥棒が流行るッて言うよ」
 と、二人で恐がっておりますと、誰か来て戸を叩く音が聞えました。「はてな、今時分」と、ついと私は立って参りまして、表の戸を明けて見れば――一面の闇。仄白い夜の雪ばかりで誰の影も見えません。暫く佇立んでおりましたが、「晴れたな」と口の中で言って、二歩三歩外へ履出して見ると、ぱらぱら冷いのが襟首のところへ被る。
「あれ、降ってるのか」と私は軒下へ退いて、思わず髪を撫でました。暗くはあるが、低い霧のように灰色に見えるのは、微い雪の降るのでした。往来の向で道を照して行く人の小提灯が、積った雪に映りまして、その光が花やかに明く見えるばかり。
 私は戸を閉めて暫時庭に立っていますと、外からコトコトと戸を叩く音がする。下駄の雪を落す音が聞える。一旦閉めた戸を復た開けて、「誰方」と声を掛けて見ました。誰かと思えば――美しい曲者。
「奥様、桜井さんがいらっしゃいましたよ」
 と、早速申上に参りましたら、奥様は不意を打たれて、耳の根元から襟首までも真紅になさいました。物の蔭に逃隠れまして、急には御見えにもなりませんのです。この雪ですから、歯医者の外套は少許払った位で落ちません。それを脱げば着物の裾は濡れておりました。いつもの様に御履物を隠して、奥様の御部屋へ御案内をしますと、男はがたがたと震えておりましたのです。
 先ず濡れたものを脱がせて、奥様は男に御自分の裾の長い御召物を出して着せました。それは本紅の胴裏を附けた変縞の糸織で、八つ口の開いた女物に袖を通させて、折込んだ広襟を後から直してやれば、優形な色白の歯医者には似合って見えました。奥様は左からも右からも眺めて、恍惚とした目付をなさりながら、
「お定、よく御覧よ。まあ、それでも御似合なさること。まるで桜井さんは女のように御見えなさるんだもの」
 と仰って、私の手を握りしめるのです。
 私は歯医者から美しい帯上を頂きました。
 奥様の御差図で、葡萄酒を胡燵の側に運びまして、玻璃盞がわりには京焼の茶呑茶椀を上げました。静な上に暖で、それは欺されたような、夢心地のする陽気。年の内とは言いながら梅も咲鶯も鳴くかと思われる程。猫まで浮れて出て行きました。私は次の間に退って、春の夜の夢のような恋の御物語に聞惚れて、唐紙の隙間から覗きますと、花やかな洋燈の光に映る奥様の夜の御顔は、その晩位御美しく見えたことは有ませんでした。奥様があの艶を帯った目を細くなすって葡萄酒を召上るさまも、歯医者が例の細い白い手を振って楽しそうに笑うさまも、よく見えました。御物語も深くなるにつけ、昨日の御心配も、明日の御煩悶も、すっかり忘れて御了いなすって、御二人の口唇には香油を塗りましたよう、それからそれへと御話が滑みました。歯医者は桜色の顔を胡燵に擦りつけて、
「奥さん」
「あれ復た。後生ですから『奥さん』だけは廃して頂戴よ」
 こころやすだてから出たこの御言葉は、言うに言われぬほど男の心を嬉しがらせたようでした。男は一寸舌なめずりをして、酒に乾いた口唇を動かしながら、
「酔った。酔った。何故こんなに酔ったか解らない」
「だっても御酒を召上ったんでしょう」奥様は笑いました。
「少ばかりいただいて、手までこんなに紅くなるとは」
 と出して見せる。
「でも、御覧なさいな、私の顔を」
 と奥様は頬に掌を押当てて御覧なさいました。
「貴方はちっとも紅く御成なさらない。紅くならないで蒼くなるのは、御酒が強いんだって言いますよ。――貴方はきっと御強いんだ」
「よう御座んす。沢山仰い」と奥様はすこし甘えて、「ですがねえ、桜井さん、私は何程酔いたいと思っても、苦しいばかりで酔いませんのですもの」
 男は奥様の御言葉に打たれて、黙って奥様の美しい目元を熟視ました。奥様は障子に映る男の影法師を暫く眺めていらっしゃるかと思うと、急に御自分の後を振返って、物を探る手付で宙を掴んで御覧なさいました。恐怖は御顔へ顕れました。やがて、すこし震えて男の傍へ倚添いながら、
「何時までもこうして二人で居られますまいかねえ。噫、居られるものなら好けれど」
 と沈る。男は歎息を吐くばかりでした。奥様も萎れて、
「私はもう御目にかかれるか、かかれないか、知れないと思いますわ。あの昨夜の厭な夢、――どうして私はこんな不幸な身に生れて来たんでしょう。若しかすると、私は近い内に死ぬかも……もう御目にかかれないかも……知れません」
「また、つまらんことを。夢という奴は宛になるもんじゃなし」
「そう貴方のように仰るけれど、女の身になって御覧なさい――違いますわ。ああ、もういやいや、そんな話は廃しましょう」と奥様は気を変えて、「何時でしたっけねえ、始て貴方に御目にかかったのは。ネ、去年の五月、ホラ磯部の温泉で――未だ私がここへ嫁いて来ない前……」
「おおそうそう、月参講の連中が大勢泊った日でしたなあ。御一緒に青い梅のなった樹の蔭を歩いて、あの時、ソラ碓氷川で清い声がしましたろう。貴方がそれを聞きつけて、『あれが河鹿なんですか、あらそう、蜩の鳴くようですわねえ』と仰ったでしょう」
「覚えていますよ。それから岡へ上って見ると、躑躅が一面に咲いていて。ネ、私は坂を歩いたもんですから、息が切れて、まあどうしたら好ろうと思っていると、貴方が赤い躑躅の枝を折って、『この花の露を吸うがいい』と仰って、私にそれを下すったでしょう」[#【」】は底本では【』】と誤記、41-12]
「あの時は又た能く歩きましたなあ。貴方も草臥、私も草臥、二人で岡の上から眺めていると、遠く夕日が沈んで行くにつれて空の色がいろいろに変りましたッけ。水蒸気の多い夕暮でしたよ。あんな美しい日没は二度と見たことが有ません、――今だに私は忘れないんです」
「あら、私だっても……」
 御二人は目と目を見合せて、昔の美しい夢が今一度眼前を活きて通るような御様子をなさいました。奥様は茶呑茶椀を取上げて、
「さ、も一つ召上りませんか」
「沢山」
「そう、そんなら私頂きましょう」
「え、召上るんですか。――然し、もう御廃しなさいよ」
「何故、私が酔ってはいけませんの」
「貴方のは無理な御酒なんだから」
「それじゃ未だ私の心を真実に御存ないのですわ。私はこうして酔って死ねば、それが何よりの本望ですもの」
 無理やりに葡萄酒の罎を握ませて、男の手の上に御自分の手を持添えながら、茶呑茶椀へ注ごうとなさいました。御二人の手はぶるぶると戦えて、酒は胡燵掛の上に溢れましたのです。奥様は目を閉って一口に飲干して、御顔を胡燵に押宛てたと思うと、忍び音に御泣きなさるのが絞るように悲しく聞えました。唐紙に身を寄せて聞いて見れば、私も胸が込上げて来る。男は奥様を抱くようにして、御耳へ口をよせて宥め賺しますと、奥様の御声はその同情で猶々底止がないようでした。私はもう掻毟られるような悶心地になって聞いておりますと、やがて御声は幽になる。泣逆吃ばかりは時々聞える。時計は十時を打ちました。茶を熱く入れて香のよいところを御二人へ上げましたら、奥様も乾いた咽喉を霑して、すこしは清々となすったようでした。急に、表の方で、
「御願い申しやす」
 それは酔漢の声でした。静な雪の夜ですから、濁った音声で烈しく呼ぶのが四辺へ響き渡る、思わず三人は顔を見合せました。
「誰だろう」と奥様は恐がる。
「御願い申しやす、御休みですか」
 歯医者はもう蒼青になって、酒の酔も覚めて了いました。震えながらきょろきょろと見廻して、目も眩んだようです。逃隠れをしようにも、裾の長い着物が足纏いになって、物に躓いたり、滑ったりする。罎は仆れて残った葡萄酒が畳へ流れました。
 半信半疑で聞いていた私も、三度呼ばれて見れば、はッと思いました。父親の声に相違ないのです。
「奥様、吾家の御父さんで御座ますよ」
 奥様は屏風の蔭にちいさくなっていた男の手を執って、押入のなかに忍ばせました。私は立って参りまして表の戸を開けながら、
「御父さん、何しに来たんだよ……今頃」
「はい、道に迷ってまいりやした」と舌も碌々廻りません様子。
「仕様がないなア、こんなに遅くなって人の家へ無暗に入って来て」
 親とは言ながら奥様の手前もあり、私は面目ないと腹立しいとで叱るように言いました。もう奥様は其処へいらしって、燈火に御顔を外向けて立っておいでなさるのです。
「お定の御父さんですか」
「否、そうじゃごわしねえ。私は東京でごわす」
 と恍け顔に言淀んで、見れば手に提げた菎蒻を庭の隅へ置きながら蹣跚と其処へ倒れそうになりました。
「これ、さ、そんな処へ寝ないで早く御行よ」
「まあ、いいから其処へ暫く休ませて遣るが好やね」
「こんなに酔ったと言っちゃ寝てしまって仕方がありません。これ、御行よ」
「そこですこし御休みなさい」
「はい」と父親は上框へ腰を掛けながら、
「私はお定さんに惚れて来やした」
「早く去っとくれよ。こんなに遅くなって人の家へ酔って来たりなんかして」
「そう言うな。十月余も逢わねえじゃねえか。顔が見たくはねえか……」
 奥様は炉辺の戸棚を開けて、玻璃盞を探しながら、
「水でも一つ上げましょう」
「見ろ、奥様はあの通り親切にして下さる、……時にお定、今幾時だ」
「十二時」と私は虚言を吐いてやりました。
「なに、十……」と険しい声で、
「十一時半」
「さあ水を御上り」と奥様はなみなみ注いだのを下さる。
「難有うごわす。ええ、ぷ、私は今夜芸者……を買って、四五円くれて了った。復、私はこれから行って、……そ、そ、その、飲もうというんで」
「大変酔ったものだね」
「これ、早く御帰りよ。まるでその姿は雫じゃないか、――傘も持たず」
「洋傘は買ったけれども、美代助にくれて来やした。ええ、ぷ、……なあ奥様、一服頂戴して」
「煙草なんか呑まなくても好から、さっさと御行」
「さあ、煙草盆を上げますよ」
 と出して下さる。その御顔を眺めて、父親は甘そうに一服頂いて、
「よう、奥様は未だ若えなア。旦那様は――私旦那様の御顔も見て行きたい」
「旦那様は御留守だよ」と私が横から。
「幾時だ」と復尋ねる。
「十一時半。主家じゃもう十時になれば寝るんだよ。さあ、さっさと御帰りよ」
「水を、も一つ上げましょう」
「沢山、もう頂きました」
「すこし沈静いたら、今夜は早く御帰りなさい。お定もああして心配していますから、ね、そうなさい」
「はい。はい。さあこれから行って復た芸者を揚げるんだ。六区へでも行かずか」
「さあ、そうだ、そうなさい」
「これは不調法を申しやした。御免なすって御くんなさい。酔えばこんなものだが、奥様、酔わねえ時は好い男だ。アハハハハハハ」
 と、よろよろしながら立上りました。
「おやすみ、おやすみ」と可笑な調子。
「何だねえ、確乎して御行よ」と私は叱るように言いまして、菎蒻を提げさせて外へ送出す時に、「まあ、ひどい雪だ――気を注けて御行よ」と小声で言いました。
「お、や、す、み」
 と歌のように調子をつけながら、千鳥足で出て行く。暫く私は門口に佇立んで後姿を見送っておりますと、やがて生酔の本性を顕して、急にすたすたと雪の中を歩いて行きました。見れば腰付から足元からそれ程酔ってはいないのです。父親は直ぐ闇に隠れて見えなくなって了いました。
 ホッと一息吐いて、私は御部屋へ参って見ますと、押入のなかに隠れた人は頭かきかき苦笑をしておりました。私は御気毒にもあり、御恥しくもあり、奥様の御傍へ寄添いながら、
「御父さんは上りにくいもので御座ますから、あんな酔った振をして、恍けて参ったんで御座ます」
「お前に逢い度からさ」
「私が是方へ上る時に、『己も一諸に行こう』と申しますから、誰がそんな人に行って貰うもんか、旦那様の御家へなんぞ来るのは止しとくれ、と言って遣りましたんで御座ます」
「逢い度ものと見えるねえ」
「『十月余も逢わねえじゃねえか、顔が見たくはねえか』なんて申しましたよ。馬鹿な、誰があんな酔ぱらいに逢い度もんか」
「御母さんも心配していなさるだろうよ」
 と言われて、私は逢いに来た父親よりも、逢いに来ない母親の心が恋しくも哀しくも思われました。歯医者は熟と物を考えて、思い沈んでおりましたのです。奥様はその顔を覗くようになすって、
「桜井さん、何をそんなに考込んでいらっしゃるの」
「成程――さすがは親だ」
「大層感心していらっしゃるのねえ」
「人情という奴は乙なものだ。……そうかなあ」
「何が、そうかなあですよ」
「難有い」
「ホホホホホ」
「そういうものかなア」
「あれ、復」
「そうだ、もう半年も手紙を遣らない」
「誰方のところへ」
「なにも私は御恩を忘れて御無沙汰をしてるんじゃ無いけれど……」
「まあ、好笑いわ」
「つい、多忙くッて手紙を書く暇も無いもんだから」
「貴方、何を言っていらっしゃるの」
「え、私は何か言いましたか」
「言いましたとも。もう半年も手紙を遣らないの、御恩を忘れはしないの、手紙を書く暇がないのッて、――必と……思出していらっしゃるんでしょう」と奥様は私の方へ御向きなすって、
「ねえ、お定、桜井さんは御容子が好っていらっしゃるから……」
「止して下さい。貴方はそう疑り深いから厭さ」と男はすこし真面目になって、「こうなんです――まあ、聞いて下さい。私には義理ある先生が有ましてね、今下谷で病院を開いているんです。私もその先生には、どんなに御世話に成ったもんだか知れません。全く、先生は私を子のように思って、案じていて下さるんで。私がこれまでに成ったというのも、先生の御蔭ですからね。ですから、『貴様は友達の出世するのを見ても羨ましくはないか、悪※[#「※」は「あしへん+宛」、48-13]も好加減にしろ』なんて平素御小言を頂戴するんです。……先生の言う通りだ――立身、出世、私はもうそんな考が無くなって了った。私の心を占領してるのは……貴方、貴方ばかりです。ああ、昔の友人と競争した時代から見ると、私も余程これで変ったんですなア」
 と言って、稍暫時奥様の御顔を見つめておりましたが、やがて、思付いたように立上りました。見れば今まで着ていた裾の長い糸織を脱いで、自分の着物に着替えようとしましたから、奥様も不思議顔に、
「何故、それを着ていらっしゃらないんですか」
「なんだか私は……こう急に気分が悪く成りましたから、今夜は帰ります」
「お帰りなさるたッて、このまあ雪に……。貴方の着物は未だ乾かないじゃ有ませんか」
「なあに、構いません。尻端を折れば大丈夫」
「まあ、真実に御帰りなさるんですか。それじゃ、あんまりですわ……」
 歯医者は躊躇して、帽子を拈っておりましたが、やがて萎れて坐りました。
「無理に御留め申しませんから……もう少し居て下さいな」
「然し、またあんまり遅くなると……」
「遅くなったって好じゃありませんか。まあもうすこし」
「そう仰らずに、今夜だけは帰して下さい」
「そんなら、もう二十分」

    五

 誰言うとなく、いつ伝わるともなく、奥様の浮名が立ちました。万御注進の髪結が煙草を呑散した揚句、それとなく匂わせて笑って帰りました時には、今まで気を許していらしった奥様も考えて、薄気味悪く思うようになりました。銀行からは毎日のように旦那様の御帰を聞きによこす。長野からも御便が有ました。御客様は外の御連様と別所へ復廻とやらで、旦那様よりも御帰が一日二日遅れるということでした。それは短い御手紙で、鼠色の封袋に入れてありましたが、さすが御寂しいので奥様も繰返し読んで御覧なすって、その御手紙を見ても旦那様の不風流な御気象が解ると仰いました。いよいよ御帰という前の日、奥様は物を御調べなさるやら御隠しなさるやらで、気を御揉みなさいましたのです。
 肌身離さず御持なすった写真が有ました。それは男に活写し、判は手札形とやらの光沢消で、生地から思うと少許尤らしく撮れてはいましたが、根が愛嬌のある容貌の人で、写真顔が又た引立って美しく見えるのですから、殿方ならいざ知らず、女に見せては誰も悪むものはあるまいと思う程。頬の肉付は豊麗として、眺め入ったような目元の愛くるしさ、口唇は動いて物を私語くばかり、真に迫った半身の像は田舎写真師の技では有ませんのです。奥様はそれを隠す場処に困って、机の引出へ御入れなさるやら、針箱の糸屑の下へ御納いなさるやら、箪笥の着物の底へ押込んで御覧なさるやら、まだそれでも気になって取出しました。壁に高く掛けてありました細な女文字の額の蔭に隠しても、何度かその下を歩いて御覧なすって、未だ御安心になりませんのです。この小な写真一枚の置処が有ません。終には御自分の懐に納れて、帯の上から撫でて御覧なさりながら、御部屋の内をうろうろなさいました。
 文箱の中から出ましたのは、艶書の束です。奥様は可懐そうにそれを柔な頬に磨りあてて、一々披げて読返しました。中には草花の色も褪めずに押されたのが入れてある。奥様は残った花の香を嗅いで御覧なすって、恍惚とした御様子をなさいました。旦那様に見られてはならないものですから、その艶書は一切引裂いて捨てて御了いなさる御積でしたが、さて未練が込上げて、揉みくちゃにした紙を復[#「復」は底本では「腹」と誤記、51-2]た延して御覧なすったり、裂いた片を繋合わせて御覧なすったりして――よくよく御可懐と思召すところは、丸めて、飲んで御了いなさいました。
「屑屋でござい。紙屑の御払はございませんか」
 と呼んで来たのを幸、すっかり掻浚って、籠に積った紙屑の中へ突込んで売りました。屑屋は大な財布を出して、銭の音をさせながら、
「へえ、毎度難有う存じます。それでは三銭に頂戴して参ります」
 と言って、銅貨を三つ置いて行きました。
 その日は奥様も思い沈んで身の行末を案じるような御様子。すこし上気せて、鼻血を御出しなさいました。御気分が悪いと仰って、早く御休みになりましたが、その晩のように寝苦しかったことも、夢見の悪かったことも、今までに無い怖しい目に御出逢なすったと、翌朝になって伺いました。落々御休みになれなかったことは、御顔色の蒼めていたのでも知れました。奥様の御話に、その晩の夢というのは、こう林檎畠のような処で旦那様が静かに御歩きなすっていらっしゃると、密と影のように御傍へ寄った者があって、何か耳語をして申上げたそうです。すると、旦那様は大した御立腹で、掴掛かるような勢で奥様を追廻したというんです。奥様は二度も三度も捕りそうにして、終には御召物まで脱捨てて、裸体になって御逃げなすったんだそうです。いよいよ林檎畠の隅へ追い詰められて、樹と樹との間へ御身体が挟って了って、もう絶体絶命という時に御目が覚めて見れば――寝汗は御かきなさる、枕紙は濡れる、御寝衣はまるで雫になっておったということでした。一体、奥様は私共の夜のようじゃ無い、一寸した仮寝にも直ぐ夢を御覧なさる位ですから、それは夢の多い睡眠に長い冬の夜を御明しなさるので、朝になっても又た克くそれを忘れないで御話しなさるのです。「私の一生には夢が附纏っている」と、よく仰いました。こういう風ですから、夢見が好につけ、悪につけ、それを御目が覚めてから気になさることは一通りで無いのでした。奥様は今までが今までで、言うに言われぬ弱味が御有なさるのですから、御心配のあまり、私までも御疑いなさるような言を二度も三度も仰いました。奥様は短い一夜の夢で、長い間の味方までも御疑いなさるように成ましたのです。――風雨待つ間の小鳥の目の恐怖、胸毛の乱れ、脚の戦慄、それはうつして奥様の今の場合を譬えられましょう。
 三番の上汽車で旦那様は御帰になりました。御茶を召上りながら長野の雪の御話、いつになく奥様も打解けて御側に居っしゃるのです。私は買物を言付かって、出掛しなに縁を通りますと、御話声が障子越に洩れて来る、――どうやら私のことを御話しなさる御様子。
 立竦んで息を殺して聞いて見ました。奥様はこんなことを旦那様に御話しなさるのでした。さ、その御話しというのは、あれも紛失った、これも紛失った、針箱の引出に入れて置いた紫縮緬の半襟も紛失ったと御話しなさいました。どうも変だと思召して私の風呂敷包の中を調べて見ると、その半襟やら帯上やら指輪やらが出て来たと御話しなさいました。私が井戸端で御主人の蔭口を利いて、いらざる事を言触らして歩いたと御話しなさいました。それから、又、私が我儘に成ったことから、或時なぞは牛乳配達の若い男が後から私の首筋へ抱着いたところを見たものがあると御話しなさいました。もうもう私の増長したのには呆れて了った、到底私のような性の悪い女は奥様に役えないということを御話しなさいましたのです。
 私は全身耳でした。
「何だ、そんな高い声をして――聞えるじゃないか」と言うのは旦那様の御声。
「否、使に行って居りませんよ」
「その話は今止そう。私は非常に忙しい身だ。これから直ぐに銀行へ出掛けなくちゃならないんだ。……なにしろ、そんな者には早く暇をくれて了うがいい」
 と言捨てて、旦那様は御立ちなさる御様子。
 私は呆れもし、恐れもしました。油断のならぬ世の中。奥様のあの美しい朱唇から、こんな御言葉が出ようとは私も思掛ないのです。浅はかな、御自分の罪の露顕する怖しさに、私を邪魔にして追出そうとは――さてはと前の日の夢の御話も思当りました。私は表へ飛出して、夢中で雪道をすたすたと歩いて、何の買物をしたかも分らない位。風呂敷包を抱〆て、口惜しいと腹立しいとで震えました。主人を卑すという心は一時に湧上る。今まで、美しいと思った御自慢の御器量も、羨しいと思った華麗な御風俗も、奥様の身に附いたものは一切卑す気に成りました。怒の情は今までの心を振い落す。御恩も、なさけも、思う暇が有ません。もうその時の私は、藁草履穿いて、土だらけな黒い足して、谷間を馳歩いた柏木の昔に帰って了いました。私は野獣のような荒い佐久女の本性に帰って、「御母さん、御母さん」と目的もなく呼んで、相生町の通まで歩いて参りました。
 橋の畔に佇立んで往来を眺めると、雪に濡れた名物生蕎麦うんどんの旗の下には、人が黒山のように群っておりました。雪を払いていた者は雪払を休める、黄色い真綿帽子を冠った旅人の群は立止る、岩村田通の馬車の馬丁は蓙掛の馬の手綱を引留めて、身を横に後を振返って眺めておりました。その内に、子守の群が叫びながら馳けて来て、言触らして歩きます。聞けば、千曲川へ身を投げた若い女の死骸が引上げられて、今蕎麦屋の角まで担がれて来たとの話。一人の子守が「菊屋に奉公していた下女」と言えば、一人が「柏木から来たおつぎさんよ」と言う。さあ、往来に立っている群のなかには噂とりどり。「今年は、めた水に祟る歳だのう、こないだも工女が二人河へ入って死んだというのに、復、こんなことがある」「南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏」「オイ何だい、情死かね」「情死じゃアねえが、大方痴戯の果だろうよ」「いや、菊屋のかみさんが残酷からだ、以前もあそこの下女で井戸へ飛んだ者がある」などと言騒いでおります。死骸を担いだ人々が坂を上って来るにつれて、おつぎさんということは確に成りました。おつぎさん――ホラ、春雨あがりの日に井戸端で行逢って、私に調戯って通った女が有ましたろう。その時、私が水を掛ける真似をしたら、「好御主人を持って御仕合」と言って、御尻を叩いて笑った女が有ましたろう。
 丁度、日の光が灰色な雲の間から照りつけて、相生町通の草屋根の雪は大な塊になって溶けて落ちました。積った雪は烈しい光を含んで、ぎらぎら輝きましたから、目も羞明しく痛い位、はっきり開いて見ることも出来ませんのでした。白く降埋んだ往来には、人や馬の通る痕が一条赤く染いている――その泥交りの雪道を、おつぎさんの凍った身体は藁蓆の上に載せられて、巡査小吏なぞに取囲まれて、静に担がれて行きました。薦が被けて有りましたから、死顔は見えません、濡乱れた黒髪ばかり顕れていたのです。
 それは胸を打たれるような光景でした。同じ奉公の身ですもの、何の心も無しに見てはおられません。私はもう腹立しさも口惜しさも醒めて、寂しい悲しい気に成ました。娘盛に思いつめたおつぎさんこそ不運な人。女の身程悲しいものは有りません。変れば変る人の身の上です。僅か小一年ばかりの間に、おつぎさんのこの変りようはどうでしょう。おつぎさんばかりでは有りません。旦那様も変りました。奥様も変りました。定めし母親も変りましたろう。妹や弟も変りましたろう。――私とてもその通り。
 全く私も変りました。
 道々私は自分で自分を考えて、今更のように心付いて見ると、御奉公に上りました頃の私と、その頃の私とは、自分ながら別な人のようになっておりましたのです。華美な御生活のなかに住み慣れて、知らず知らず奥様を見習うように成りましたのです。思えば私は自然と風俗をつくりました。ひっつめ鬢の昔も子供臭く、髱は出し、前髪は幅広にとり、鏡も暇々に眺め、剃刀も内証で触て、長湯をしても叱られず、思うさま磨き、爪の垢も奇麗に取って、すこしは見よげに成ました。奥様から頂いた華美な縞の着古しに毛繻子の襟を掛けて、半纏には襟垢の附くのを気にし、帯は撫廻し、豆腐買に出るにも小風呂敷を被けねば物恥しく、酢の罎は袖に隠し、酸漿鳴して、ぴらしゃらして歩きました。柏木の友達も土臭く思う頃は、母親のことも忘れ勝でした。さあ、私は自分の変っていたのに呆れました。勤も、奉公も、苦労も、骨折も、過去ったことを懐いやれば、残るものは後悔の冷汗ばかりです。
 こういうことに思い耽って、夢のように歩いて帰りますと、奥様は頭ごなしに、
「お前は何をしていたんだねえ。まあ本町まで使に行くのに一時間もかかってさ」
 と囓付くように仰いました。その時、私は奥様と目を見合せて、言うに言われぬ嫌な気持になりましたのです。怒った振も気取られたくないと、物を言おうとすれば声は干乾びついたようになる、痰も咽喉へ引懸る。故と咳払して、可笑くも無いことに作笑して、猫を冠っておりました。
 その晩は、まんじりともしません。始めて奉公に上りました頃は、昼は働に紛れても、枕に就くと必と柏木のことを思出すのが癖になって、「御母さん、御母さん」と蒲団のなかで呼んでは寝ました。次第に柏木の空も忘れて、母親の夢を見ることも稀に成りました。さ、その晩です。復た私の心は柏木の方に向きました。その晩程母親を恋しく思ったことは有ません。唐草模様の敷蒲団の上は、何時の間にか柏木の田圃側のようにも思われて、蒲公英が黄な花を持ち、地梨が紅く咲いた草土手を枕にして、青麦を渡る風に髪を嬲らせながら、空を通る浅間の鷹を眺めて寝そべっているような楽しさを考えました。夜も更けて来るにつれ、寝苦しく物に襲われるようで、戸棚を囓る鼠も怖しく、遠い人の叫とも寂しい水車の音とも判かぬ冬の夜の声に身の毛が弥立ちまして、一旦吹消した豆洋燈を点けて、暗い枕許を照しました。何度か寝返を打って、――さて眠られません。青々とした追憶のさまざまが、つい昨日のことのように眼中に浮んで来ました。もう私の心にはこの浮華な御家の御生活が羨しくも有ません。私は柏木のことばかり思続けました。流行謡を唄って木綿機を織っている時、旅商人が梭の音を賞めて通ったことを憶出しました。岡の畠へ通う道々妹と一緒に摘んだ野苺の黄な実を憶出しました。楽しい菱野の薬師参を憶出しました。大酒呑の父親が夕日のような紅い胸を憶出しました。父親と母親とで恐しい夫婦喧嘩をして、母親が「さあ、殺せ、殺すなら殺せ」と泣叫んだことも憶出しました。終には私が七つ八つの頃のことまで幽かに憶出しました。すると熱い涙が流れ出して、自分で自分を思いやって泣きました。髪は濡れ、枕紙も湿りましたのです。思い労れるばかりで、つい暁まで目も合いません。物の透間が仄白くなって、戸の外に雀の寝覚が鈴の鳴るように聞える頃は、私はもう起きて、汗臭い身体に帯〆て、釜の下を焚附けました。
 私も奥様に蹴られたままで、追出される気は有ません。身の明りを立てた上で、是方から御暇を貰って出よう、と心を決めました。あまりといえば袖ない奥様のなされかた、――よし不義のそもそもから旦那様の御耳に入れて、御気毒ながらせめてもの気晴に、奥様の計略の裏を掻いてくれんと、私は女の本性を顕したのです。もうその朝は復讐の心より外に残っているものは無いのでした。
 炉に掛けた雪平の牛乳も白い泡を吹いて煮立ちました頃、それを玻璃盞に注いで御二階へ持って参りますと、旦那様は御机に倚凭って例の御調物です。御机の上には前の奥様の古びた御写真が有ました。旦那様もこの頃はそれを取出して、昔恋しく御眺めなさるのでした。とうとう私は何もかも打明けて申上げましたのです。急に旦那様は御顔色を変えて、召上りかけた牛乳を御机の上に置きながら、
「むむ、分った、分った。お前の言うことは能く分った」
 と寂しそうに御笑なすって、湧上がる胸の嫉妬を隠そうとなさいました。御顔こそ御笑なすっても、深い歎息や玻璃盞を御持ちなさる手の戦慄ばかりは隠せません。やがて、一口召上って、御独語のように、
「然し、元はと言えば乃公の過りさ。あれが来てから一年と経たない内に、もう乃公は飽いて了った。その筈だろう――あれとは年も違い、考も違う。まるで小児も同然だ。そんな者と話の合いようが無かろうじゃないか。噫、年甲斐もない、妻というものは幾人でも取替えられる位の了見でいたのが大間違。二度目となり、三度目となれば、もう真実の結婚とは言われない。若いうちから長く一緒に居たものは、自分の経歴も知っていてくれるし、自分の嗜好も知っていてくれるし……。お前が乃公のとこへ来てくれた時分は、乃公もあれを喜ばせたいばっかりに事業をした。この節はあれを忘れよう……忘れようで事業をしているのだ。あれの不埓は乃公も薄々知ってはいた。知って今まで堪えていたというのも……その乃公の心持は……アハハハハハハハ。こんなことをお前に話したところで始まらないなア。あれの御父さんも御出なすったし、幸い一緒に連れて帰って貰う積りで、わざわざ長野までも出掛けては見たが、さて御父さんの顔を見ると――ああいう好人物だからなア、どうしても乃公にそんな話が出来ないじゃないか」と気を変えて、一段御声を低くなすって、「これはもうこれっきりの話だが、お前もそう言うからには何か証拠があるのかい。証拠がなくちゃ駄目だ。なあ、そうじゃないか。お前は何にも証拠がなかろう。だから、お前に一つ折入て頼みがある。お前が言う通り、桜井がこの節は毎日のように乃公の留守を附狙って入込むという証拠には、どうだ二人で出逢をしているところを乃公に見せてはくれまいか。きょうは赤十字社の北佐久総会というのがあるから、乃公は其処へ出掛る振をして、お隣の小山さんに話している。よしか。桜井が来たらば、直に乃公の処へ知らしてくれ。お前の役はそれで済むんだ。そうしてお前はとにかく一旦柏木へ御帰り。お前がこれまで能く勤めてくれたのには、乃公も実に感心している。いずれ乃公の方からお前の御母さんの処へ沙汰をして、悪いようにはしないから」
「難有うぞんじます」
 丁、丁、丁と梯子段を上って来る人の気配がしました。旦那様は急に写真を机の引出へ御隠しなすって、一口牛乳を召上りました。白い手※[#「※」は底本では「はばへん+白」、59-8]で御口端を拭きながら、聞えよがしの高調子、
「さあ、今日は忙しいぞ」

    六

 丁度その日は冬至です。山家のならわしとして冬至には蕗味噌と南瓜を祝います。幸い秋から残して置いた縮緬皺のが有ましたから、それを流許で用意しておりますと、花火の上る音がポンポン聞える。私はいそいそとして、物を仕掛けてはついと立って勝手口の木戸を出て眺めました。見れば萌初めた柳の色のような煙は青空に残りまして、囃立てる小供の声も遠く聞えるのでした。
 軒並に懸る赤十字の提灯、金銀の短冊、紅白の作花には時ならぬ春が参りましたよう。北佐久総会とやらの式場は、つい東隣の小学校の広い運動場で、その日は小諸開闢以来の賑いと申しました位。前の日から紋付羽織に草鞋掛という連中が入込んでおりましたのです。長野から来た楽隊の一群は、赤の服に赤の帽子を冠って、大太鼓、小太鼓、喇叭、笛なぞを合せて、調子を揃えながら町々を練って歩きました。赤い織色の綬に丸形な銀の章を胸に光らせた人々が続々通る。巡査は剣を鳴して馳廻っておりました。島屋の若旦那、荒町の亀惣様、本町の藤勘様、越後屋の御総領、三浦屋の御次男、いずれも羽織袴の御立派な御様子で御通りになりました。歯医者は割笹の三つ紋で、焦茶色の中折を冠りまして、例の細い優しい手には小豆皮の手袋を着めて参りました。急いで歩いて来たものと見え、暫らく土塀の傍に立って息を吐きましたが、能く見れば目の縁も紅く泣腫れて、色白な顔が殊更いじらしく思われました。姿の美しい男は怒れば怒ったでよし、泣けば泣いたでよく見えるものです。情を含んだ目元は奥様に逢いたさで輝いて、何もその外のことは御存ない様子が、反っていたわしくも有ました。いつ見ても、悪めないのはこの人です。早く人目に懸らぬうちと、私は歯医者を勝手口から忍ばせて、木戸を閉めました。
「お定さん、今日は大層賑だね」
「まあ、人が出ましたじゃ御座ませんか」
「お前さん、どうしたの。なんだか蒼い顔してるね」
「御寒いからです」
「寒けりゃ女は蒼くなるものかね。私は今まで赤くなるとばかり思ってた。いいえ、戯言じゃないよ。全くこう寒くちゃ遣切れない。手も何も凍かんで了う。時に、あの何は――大将は……」
「旦那様ですか。もう最前に御出掛に成りました。貴方、奥様は先刻から御待兼で御座ますよ」
 歯医者は少許顔を紅くして勝手口から上りました。続いて私も上りまして、炉に掛けて置いたお鍋の蓋を執って見ますと、南瓜は黄に煮え砕けてべとべとになりましたが、奥様の好物、早速の御茶菓子代り、小皿に盛りまして、蕗味噌と一緒に御部屋へ持って参りました。奥様は思いくずおれて男とおさしむかい、薄化粧した御顔のすこし上気せて耳の根元までもほんのり桜色に見える御様子の艶かさ、南向に立廻した銀屏風の牡丹花の絵を後になすって、御物語をなさる有様は、言葉にも尽せません。伏目勝に、細く白い手を帯の間へ差込んでおいでなさいましたから、美しい御髪のかたちは猶よく見えました。言うに言われぬ薫は御部屋のうちに匂い満ちておりましたのです。怒と恨とで燃えかがやいた私の目ですら、つい見恍れずにはいられません位。はっと心付いて私は御部屋を出ました。――もう奥様の御運は私の手の中に有ましたのです。
 さすがに私も台所に立って考えました。
 これを旦那様に申上げたら、事の破れはさてどうなるだろう。耐えに耐えた旦那様の御怒が一旦洪水のように切れようものなら、まあその勢はどんなであろう。平常御人の好い旦那様のような御方が御立腹となった日には、どんな恐しいことをなさるだろう。とこう想い浮べましたら、遽に身の毛が弥起って、手も足も烈しく震えました。ふらふらとして其処へ仆れそうにもなる。とても躊躇わずにはいられませんのでした。私は見えない先のことに恐れて、上草履を鳴らしながら板の間を歩いて見ました。
 冬の光は明窓から寂しい台所へさしこんで、手慣れた勝手道具を照していたのです。私は名残惜しいような気になって、思乱れながら眺めました。二つ竈は黒々と光って、角に大銅壺。火吹竹はその前に横。十能はその側に縦。火消壺こそ物言顔。暗く煤けた土壁の隅に寄せて、二つ並べたは漬物の桶。棚の上には、伏せた鍋、起した壺、摺鉢の隣の箱の中には何を入れて置いたかしらん。棚の下には味噌の甕、醤油の樽。釘に懸けたは生薑擦子か。流許の氷は溶けてちょろちょろとして溝の内へ入る。爼板の出してあるは南瓜を祝うのです。手桶の寝せてあるは箍の切れたのです。※[#「たけかんむり」に「瓜」、62-6]に切捨てた沢菴の尻も昨日の茶殻に交って、簓と束藁とは添寝でした。眺めては思い、考えては迷い、あちこちと歩いておりますと、急に楽隊の音がする。大太鼓や喇叭が冬の空に響き渡って、君が代の節が始りました。台所の下駄を穿いて裏へ出て見ますと、幾千人の群の集った式場は十字を白く染抜いた紫の幕に隠れて、内の様子も分りません。幕の後から覗く百姓の群もあれば、柵の上に登って見ている子供も有ました。手を拍く音が静って一時森としたかと思うと、やがて凛々しい能く徹る声で、誰やらが演説を始める。言うその事柄は能く解りませんのでしたが、一言、一言、明瞭耳に入るので、思わず私も聞惚れておりました。
 丁、と一つ、軽く背を叩かれて、吃驚して後を振返って見ると、旦那様はもう堪えかねて様子を見にいらしったのです。旦那様も唖、私も唖、手附で問えば目で知らせ、身振で話し真似で答えて、御互にすっかり解った時は、もう半分讐を復したような気に成りました。私も随分種々な目に出逢って、男の嫉妬というものを見ましたが、まあその時の旦那様のようなのには二度と出逢いません。恐らく画にもかけますまい。口に出しては仰らないだけ、それが姿に顕れました。目は烈しい嫉妬の為に光り輝やいて、蒼ざめた御顔色の底には、苦痛とも、憤怒とも、恥辱とも、悲哀とも、譬えようのない御心持が例の――御持前の笑に包まれておりました。総身の血は一緒になって一時に御頭へ突きかかるようでした。もうもう堪え切ないという御様子で、舌なめずりをして、御自分の髪の毛を掻毟りました。こう申しては勿体ないのですが、旦那様程の御人の好い御方ですら制えて制えきれない嫉妬の為めには、さあ、男の本性を顕して――獣のような、戦慄をなさいました。旦那様は鶏を狙う狐のように忍んで、息を殺して奥の方へと御進みなさるのです。怖いもの見たさに私も随いて参りました。音をさせまいと思えば、嫌に畳までが鳴りまして、余計にがたぴしする。生憎敷居には躓く。耳には蝉の鳴くような声が聞えて、胸の動悸も烈しくなりました。廊下伝いに梯子段の脇まで参りますと、中の間の唐紙が明いている。そこから南向の御部屋は見通しです。私は柱に身を寄せて、恐怖ながら覗きました。
 南の障子にさす日の光は、御部屋の内を明るくして、銀の屏風に倚添う御二人の立姿を美しく見せました。いずれすぐれた形の男と女――その御二人が彩色の牡丹の花の風情を脇にして、立っていらっしゃるのですから、奥様も、歯医者も、屏風の絵の中の人でした。儚い恋の逢瀬に世を忘れて、唯もう慕い慕われて、酔いこがるるより外には何も御存じなく、何も御気の付かないような御様子。私は眼前に白日の夢を見ました。男の顔はすこし蒼めた頬の辺しか分りません――それも陰影になって。奥様の思いやつれた容姿は、眉のさがり、目の物忘れをしたさまから、すこし首を傾げて、御頭を左の肩の上に乗せたまでも、よく見えました。御二人は燃えるような口唇と口唇とを押しあてて、接吻とやらをなさるところ。奥様は乳房まで男の胸に押されているようで、足の親指に力を入れて、白足袋の爪先で立ち、手は力なさそうにだらりと垂れ、指はすこし屈め、肩も揚って、男の手を腋の下に挟んでおいでなさいました。手も、足も身体中の活動は一時に息って、一切の血は春の潮の湧立つように朱唇の方へ流れ注いでいるかと思われるばかりでした。
 あまりのことに旦那様は物も仰らず、身動きもなさらず、唯もう御二人を後から眺めて、不動其処へ棒立のまま――丁度、釘着にして了った人のように御成なさいました。
「最敬礼、最敬礼」
 と丘の上の式場で叫ぶ声は御部屋の内まで響きました。
 遽に、表の格子の開く音がして、
「只今」
 と御呼びなさるのは御客様の御声。
「今、帰りましたよ」
 二度呼ばれて、御二人とも目を丸くして振返る途端――見れば後に旦那様が黙って立っていらっしゃるのです。奥様は男を突退ける隙も無いので、身を反して、蒼青に御成なさいました。歯医者は、もう仰天して了って、周章て左の手で奥様の腮を押えながら、右の手で虫歯を抜くという手付をなさいました。
 誰も御出迎に参らないうちに、御客様はつかつかと上がっていらっしゃると見え、唐紙の開く音がして、廊下が軋む。稲妻のような恐怖は私の頭の脳天から足の爪先まで貫き通りました。
 その時、吹き立てる喇叭や、打込む大太鼓の音が屋の外に轟渡りました。幾千人の群は一時に声を揚げて、
「天皇陛下万歳。天皇陛下万歳」
 それは雷の鳴響くようでした。



底本:「旧主人・芽生」新潮文庫、新潮社
   1969(昭和44)年2月15日発行
   1970(昭和45)年2月15日2刷
入力:紅邪鬼
校正:Tomoko.I
1999年12月10日公開
2000年12月10日修正
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