青空文庫アーカイブ
貧を記す
堺利彦
-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)環睹蕭条《かんとしょうじょう》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)一|蒼蠅《そうよう》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#この段落は前書きとしてサイズ小さく下半分に位置する]
-------------------------------------------------------
[#この段落は前書きとしてサイズ小さく下半分に位置する]
月曜付録に文を投ぜんの約あり。期に至りて文を得ず、しかれども約は果たさざるべからず。すなわちわが日記をくり返して材を求む。材なし。やむことをえずしてここにわが貧を記す。もとより日記の文をそのままに摘録せるなり。我と共に貧なる者は世に貧同人のあることを知れ。富貴なる者は単にわがごとき貧者のこの世に存在することを知れ。[#前書き終わり]
新居
三月二六日、有楽町の家を借りてそうじしつ。
二八日、垂柳子住み込みぬ。垂柳子のいとこ某を雇い来たって小使いなど頼めり。主人たる我はここにおるがごとくおらざるがごとし。○○町の宿の払いのできぬゆえ荷物も取寄せられぬなり。
垂柳子と某と我と、そば、すし、いなりずし、大福もちなど食らいて日を送る。
湯川が受け合いたりし金トントできず。原稿もできず。
障子も立てたらぬ家の中にあれば、環睹蕭条《かんとしょうじょう》、悲惨なるがごとくまたこっけいなるがごとし。
引ッ越してより五、六日、いまだ飯をたくことあたわず。家主に敷金をやらず、先の宿にまかない料を払わず。こんどの引ッ越しすべて背水の陣なり。
四月一日、はなはだ窮せり、家主迫り先の宿迫る。徹夜して一文を草す。この夜徹夜しつるはなかばは勉強のためなかばはふとんなきがためなり。
中州の細君、飯と菜とを我らに恵みぬ。
二日、金若干を得つ、先の宿に談判して荷物を引き取ることとなしぬ。この夜某氏にゆきてかま、鉄びん、茶わんなど借り来つ。この新宅は下三間、六畳、三畳、二畳、二階二間、四畳、六畳、家ねじれてふすまのたてつけ合わず、畳の新しきだけが取りえなり。
垂柳子ついにたえずして去る。
我もまたついに守ることあたわずして引き揚ぐ。
かやなし
蚊の出で来たること夜々に多し。下座敷にては老人たちすでにかやをつれり。二階に寝る我はいまだつらず。二階とて蚊は出るなり。ずいぶんつらき夜もあり。
絽《ろ》の羽織
夏の初め一カ月絽の羽織蔵より出でたりしが、たちまちにしてまた入檻。その後わずかに一日間さらに白日のもとに出でたりしが、たちまちにしてまたまた姿をかくしぬ。しこうして今や秋風吹かんとす。
一五夜
一五夜、月を見ず。絃歌盛んに響く九階の辺、かんしゃく起こりてたまらず。実にわがままなるものなり。わが遊ぶには理屈あり、人の遊ぶは苦々し。我が遊ばざるの理屈はただ金無しというのみ。
原稿紙の裏
このごろ紙なし、古き原稿紙の裏を用いて用を足すなり。車には乗らぬことと決めたれば、歩くもなかなか風流なるここちす。一袋一〇〇目一〇銭あまりのたばこも飲めば飲まるるものなり。
人々苦にす
わが着物きたなしとて人々苦にす、今始まれることにもあらねど、我も苦にならぬにはあらず。されどせんかたもなし。
こしらえてくれるはず
炭尽きぬ、油尽きぬ、いかんせん。羽織一枚、帯一筋、着物一枚作らざるべからず。羽織は○○居士《こじ》こしらえてくれるはずなり。
梅の枯葉
たばこ尽きて買わんようなし。これほど苦しきこと世にまたあるべしや。たもと草も吸いてみつ。梅の枯葉もくゆらしてみつ。
二升三升五升ずつ
枯川は貧なるか、貧は枯川なるか。今さらめずらしくもあらねど近来貧またはなはだし。米は二升三升五升ずつ買うなり。買えぬ時は人の家にもらいに行くなり。
こめかり
愚公に米借りに行きぬ。客と酒のみいたり。我も共に飲む。
好文不如好酒乎
禿筆《とくひつ》文をなす、気のいかぬかぎりなり。しかれどもいかんせん。この日記の文字を見て禿筆のいかに失なるかを思うべし。墨もまた斜めにして短し。このごろ紙あるがうれしきのみ。氷も飲み、たばこも飲み、酒も飲む、しこうして文房具の整わざることかくのごとし。文を好むこと酒たばこ氷を好むにしかざるか。ああ。
窓外春気満てり
今日日曜なり。金なし、朝借りに行きたれど先方の人不在にていたしかたなし。日光温和窓外春気満ちたり。
あおはえを追う
白眼才弁をもってわがために今滝(高利貸しの名なり)を追う。一|蒼蠅《そうよう》一カ月の間は来たらざるべし。快。白眼また一衣を送り来たる。
金策と羽織と
金策ならんとしてならず。羽織できんとしてできず。
さすがに我も言いだしかねつ。客去りて後ようよう言いだして頼みぬ。さるに愚公もあまり暖かならず。金五〇銭出してくれぬ。
貧景全備
入梅の日、雷雨至り屋漏ること滝のごとし。畳をあぐること二畳、貧景ここに至って全く備わる。句あり。
雨の漏る貧乏振や梅雨の入
底本:「日本の名随筆85・貧」作品社
1989(平成元)年11月25日第1刷発行
底本の親本:「堺利彦全集 第二巻」法律文化社
1971(昭和46)年3月
入力:もりみつじゅんじ
校正:今井忠夫
2000年12月25日公開
青空文庫作成ファイル:このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前のページに戻る 青空文庫アーカイブ