青空文庫アーカイブ

青眼白頭
斎藤緑雨

-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)後世《こうせい》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)燕趙悲歌《えんてうひか》の士|多《おほ》し

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)さま/″\なる
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
-------------------------------------------------------

○後生《こうせい》を口にすること、一派の癖のやうになりぬ。陸《りく》に汽車あり、海に汽船あり、今や文明の世の便利を主とすればなるべし。何故《なにゆゑ》といはんも事あたらしや、お互に後世に於て、鼻突合はす憂《うれひ》なければなり。憂は寧《むし》ろ、虞《ぐ》に作るをよしとす。
○仰有《おつしや》る通り皆《みな》後世に遺《のこ》りて、後世は一々これが批判に任ぜざる可《べ》からずとせば、なりたくなきは後世なるかな。後世は応《まさ》に塵芥《ぢんかい》掃除《さうぢよ》の請負所の如くなるべし。
○おもふがまゝに後世を軽侮せよ、後世は物言ふことなし、物言ふとも諸君の耳に入ることなし。
○天下後世をいかにせばやなど、何彼《なにか》につけて呼ぶ人あるを見たる時、こは自己をいかにせばやの意なるべしと、われは思へり。
○人《ひと》無茶苦茶に後世を呼ぶは、猶《なほ》救け舟を呼ぶが如し。身の半《なかば》は既《はや》葬られんとするに当りて、せつぱつまりて出づる声なり。
○識者といふものあり、都合のいゝ時呼出されず、わるい時呼出さる。割に合はぬこと、後世に似たり。示教を仰ぐの、乞ふのといふ奴に限りて、いで其《その》識者といふものゝ真《まこと》に出現すとも、一向言ふ事をきかぬは受合《うけあひ》也。
○僅《わづか》に三十一《みそひと》文字を以てすら、目に見えぬ鬼神《おにがみ》を感ぜしむる国柄なり。況《いは》んや識者をや。目に見えぬものに驚くが如き、野暮なる今日の御代《みよ》にはあらず。
○今人《こんじん》は今人のみ、古人の則《のり》に従ふを要せずと。尤《もつと》もの事なり。後人《こうじん》亦《また》斯《か》く言はんか、それも尤もの事なり。
   ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
○さま/″\なる世に在りて、いづれを上手と定めんは、いと難《かた》し。孰《いづ》れを下手と定めんは、いと/\難し。上手を定めんよりも、下手を定めんは一層難き事なり。
○長く所謂《いはゆる》素人《しろうと》たれ、黒人《くろうと》たる莫《なか》れ。技やよしあしの何は問はず、黒人は存外まづいものなり、下手なものなり、いやでも黒人となりて、其処《そこ》に衣食するに及べば、已《すで》に早く一生の相場は定まれるものなり。之《これ》を素人より見るに、黒人ばかり物知らぬはなし、弁《わきま》へぬはなし。
○染めて返らぬ黒人が身は、進退共に一度づゝ、足を洗はざる可からず。素人は自在也。
○志《こゝろざし》は行ふものとや、愚《おろか》しき君よ、そは飢《うゑ》に奔《はし》るに過ぎず。志は唯《たゞ》卓を敲《たゝ》いて、なるべく高声《かうせい》に語るに止《とゞ》むべし。生半《なまなか》なる志を存せんは、存せざるに如かず、志は飯を食はす事なければなり。志は欠くも、飯は欠くを得ざればなり。
○さりとも志を棄てんは惜しき時、一策あり、精々《せい/″\》多く志を仕入れて、処《ところ》嫌はず之を振廻さん事なり。成功を見ずと雖《いへど》も、附け届けを見ん。脊負《しよひ》切れざる程なるをもて、志の妙となす。此《こ》れにも入るべし、彼《か》れにも加はるべし、推移するに憚《はゞか》らざるが故に、さてなん人々今を聖代《せいだい》と称す。
○丈夫《ぢやうふ》四方《しはうの》志《こゝろざし》と唐人《からびと》の言ひけん、こは恐らくは八方の誤りなるべし。
○志を抱いて死す、さもしからずや。一般字典の訓《をし》ふる所によれば、大丈夫《だいぢやうぶ》は男の義なり、女を抱《いだ》いて死せんのみ。何で死んでも広告代は同額也。
   ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
○英雄を罵《のゝし》る、快事たり。美人を罵る、亦快事たり。されども共に、銭なき時の事たり。
○慷《かう》して慨せざる可けんやと、息巻《いきまき》荒き人の声の、蟇口《がまぐち》の中より出づるものならぬは、今に於てわれの確信する所なりと雖も、曾て燕趙悲歌《えんてうひか》の士|多《おほ》してふ語をきける毎に、定めしお金が無かつたらうとおもふを禁《とゞ》め得ざりき。我れの矛盾にあらず、彼れの進歩のみ。
○儲けるを知つて遣ふを知らず、斥《しりぞ》くべし。遣ふを知つて儲けるを知らず、是亦斥くべし。さらば何とかすべき。儲けて而《しか》して遣へとは、儲けぬ人の言なり。遣つて而して儲けよとは、遣はぬ人の言なり。金ならずして斯くの如く同一なる問と、同一なる答との繰返さるゝはなかるべし。世に其問、其答の明瞭に過ぐるものは、おほむね不可能の事なり。繰返し来《きた》れる今日にありては、殊《こと》に不可能の事なり。呉にして越、火にして水を兼ねしめんとするものなり。
○使ふべきに使はず、使ふべからざるに使ふ、是れ銭金《ぜにかね》の本質にあらずや。疑義を挟むを要せず。
○一国、一家、一|人《にん》を分けてもいはず、金に就て論議の生ずるは、乏《とぼし》き時なり、少き時なり、お耻《はづ》かしくも足らぬ時なり。工夫も然り、有る時にせず、無い時にす。
○孰《たれ》か我邦《わがくに》の現状に見て、金は一切の清めなりといへる諺《ことわざ》の、遂に奪ふまじき大原理たるに首肯《うなづ》かざらんや。近世最も驚くべきは、科学の進みなりとぞ。
○貧人《ひんじん》が唯一の味方は、詩人なりと。げに然らん、詩人も唯一の貧人なれば。
○画《ゑ》をかく人々、字をかく人々に告ぐ。お金を払つて買つて下さるは、まことに難有《ありがた》いお方なり。併《しか》しながら大抵は、わからぬ奴なり。
○按ずるに筆は一本也、箸は二本也。衆寡《しうくわ》敵せずと知るべし。



底本:「日本の名随筆 85・貧」作品社
   1989(平成元)年11月25日第1刷発行
   1991(平成3)年9月1日第3刷発行
底本の親本:「縮刷・緑雨全集」博文館
   1922(大正11)年4月
入力:渡邉 つよし
校正:門田 裕志
2001年9月20日公開
2003年7月20日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

前のページに戻る 青空文庫アーカイブ