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男女関係について
女房に与えて彼女に対する一情婦の心情を語る文
大杉栄

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)J'avoue《ジャヴウ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)進みかたのえらさ[#「えらさ」に傍点]に

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)時には、〔J'avoue《ジャヴウ》 … lui《リュイ》〕(私ね、
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
https://www.aozora.gr.jp/accent_separation.html
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         一

 野枝さん。
『女の世界』編集長安成二郎君から、保子に対する僕の心持を書いてくれないか、という注文があったので、ちょうど今このことについて君と僕との間に話の最中でもあり、それに君に話しかけるのが僕には一番自由でもあるので、君に宛ててこの手紙を書くことにする。世間の奴等には、堪らないおのろけとも聞えることを書くようになるかも知れないが、堪ろうと堪るまいと、それは僕等の知ったことじゃない。
 野枝さん。
 君も、ずいぶんわからずやの、意地っ張りであったね。二月のいつであったか、(僕には忘れもしない何月何日というようなことは滅多にない)三年越しの交際の間に初めて自由な二人きりになって、ふとした出来心めいた、不良少年少女めいた妙なことが日比谷であった以来「なおよく考えてごらんなさい」と言って別れて以来、それからその数日後に偶然神近と三人で会って、僕のいわゆる三条件たる「お互いに経済上独立すること、同棲しないで別居の生活を送ること、お互いの自由(性的のすらも)を尊重すること」の説明があって以来、君はまったく僕を離れてしまった形になった。
 君には、この「性的のすらも」ということが、どうしても承知できなかったのだ。僕には保子という歴とした女房があることも知ってい、神近という第一情婦(『万朝報』記者からの名誉ある命名)のあることも知ってい、そしてまた自分にも辻という立派な亭主のあることも忘れていた訳でなく。(三行削除)
 もっとも、過って改むるに憚ることなかれ、とも言う。もし君が、世間での評判のように、きわめて動揺しやすい、いわゆる出来心的の女であったのであらば、すなわち僕とのあのこともほんの一時の浮気であったのであらば、過って改むるに何の憚るところがあろう。(二行削除)
「私は大杉さんが大好きであった。しかし決して惚れていた訳ではない。」惚れていた、などという言葉は使わなかったろうが、とにかくこんな意味のことを、君はよく人に話したそうだ。話は横道へそれるが、ヴォルテールの哲学事典の「姦通」の項を開いて見ると、これとちょっと似た面白いことが書いてある。
「善良な夫婦者は、今ではもう、そんな卑しい言葉は使わない。姦通などと言う言葉は、決して口にすらも出さない。女が、その友人達に自分の姦通のことを話す時には、〔J'avoue《ジャヴウ》 que《ク》 J'ai《ジェ》 du《デュ》 gou:t《グウ》 pour《プウル》 lui《リュイ》〕(私ね、本当は、あの方が好きなの)と言う。もっとも、昔は、尊敬している、とも言ったものだ。ところが、ある金持ちの女房が、ある役人に多少の尊敬を持っていることを、坊さんに懺悔した。するとその坊さんが、〔Madame《マダム》, combien《コンビエン》 de《ドウ》 fois《フォア》 vous《ヴウ》 a-t-il《ザテイル》 estime'e《エスティメ》 ?〕(奥さん、その人は、幾度あなたを尊敬しましたか)と問い返したので、それ以来身分のある女は、何人をも尊敬しないようになり、また懺悔にもあまり行かなくなった。」
 野枝さん。
 君は、本当は、僕が大好きであったのだ。けれども、その大好きなことと、君の、と言うよりはむしろ女の、もっとも男にもそんなツラ付をする奴もあるが、数千年もしくは数万年の強制と必要とから本能のような感情になった貞操観とが、君の心の中で闘った。そしてその闘いの間、君の生れつきの大の意地っ張りは、本能的感情の方に味方して、出来心らしい感情の方を無理やりに圧えつけようとした。君は、僕のことを、大嫌いだとまで言うようになった。いろいろと難くせをつけては、盛んに僕を罵倒した。
 あの、ちょっとした文章なり顔色なりを見て、すぐさまその人の心の奥底を洞察することにおいて、まさに天下一品とも称すべき批評家、僕はよくあの男のことをこんなふうに評価して多くのあきめくら作家どもから笑われるのだが、しかし君だけは真面目に同意してくれた、あの中村孤月ですらも、(もっともこの洞察も、まかり間違うと、ことに自分の利害と衝突する事柄にでも向うと)しばしばはなはだしい的はずれのウガチに過ぎなくはなるが、一時は君の言葉にだまされて、喜んでその吹聴をして歩いたという話だ。
 僕は、男としての器量を、まったく下げてしまった訳だ。ひとかどの異端評論家(『国民新聞』記者命名)、サニズムの主唱者(『時事新報』記者命名)、社会主義研究者(『万朝報』記者命名)と人も許し自分も許していた大の男が、新しい女なぞというアバズレの小娘に、見事背負投げを食わされた形になったのだ。
 野枝さん。
 しかし、さすがに僕ひとりだけは、本当の君を知っていた。君を大好きな僕に、僕を大好きの君の心がわかるのに、何の不思議はない。堪ろうと堪るまいと、それは僕等の知ったことじゃないとも言ったが、あんまりおのろけを言うのも、まだ少々気はずかしいような気もするので、このことはこの一句だけで止して置こう。君が、そんなふうでカラ威張りに威張っている間に、ロクに飯も食べずに、だんだん痩せ衰えて行った事実は、もっともこれは君ばかりの事実ではなく僕にもそうではあったが、いずれ君の筆でどこかに発表されることと思う。

         二

 野枝さん。
 けれども、かのいわゆる本能的感情を打破った以来の君は、実に目ざましいほどの、君自身にも僕にも少々驚くほどの、そして本当の君を見ることのできなかった諸友人には何のことやら訳もわからぬほどの、力と速度とで、まっしぐらに、しかし眼を大きく開いて、君の出来心に進んで行った。
 先月の最終日、君が御宿に行った翌日、二度目の君の手紙に言う。
「ひどい嵐です。ちょっとも外には出られません。本当にさびしい日です。けれど今日、さっきあなたに手紙を書いた後、大変幸福に暮しました。何故かあててごらんなさい。言いましょうか。それはね、なお一層深く愛の力を感じたからです。本当に、こないだ、あなたに言いましたね。あなたの御本だけは持って出ましたって。今日は朝から夢中になって読みました。そしてこれがちょうど三,四回目ぐらいです。それでいて、なんだか初めて読んだらしい気がします。
「あなたには、前から幾度も書物を頂くたびに、ぜひ何か書きますってお約束ばかりして何にも書きませんでしたわね。私は書きたくってたまらない癖にどうも不安で書けませんでしたの。それは、本当にあなたのお書きになったものを普通に読むという輪廓だけしか読んでいなかったのだということが、今日はじめてはっきり分りました。
「何という馬鹿な間抜けな奴と笑わないで下さい。私が無意識のうちにあなたに対する私の愛を不自然に押さえていたことは、思いがけなく、こんなところにまで影響していたのだと思いましたから、私は急に息もつけないようなあなたの力の圧迫を感じました。けれども、それが私には、どんなに大きな幸福であり喜びであるか分って下さるでしょう。
「あんなに、あなたのお書きになったものは貪るように読んでいたくせに、本当はちっとも解っていなかったのだと思いますと、何だかあなたに合わせる顔もない気がします。けれどもそれは本当のことなのですもの。そしてあなたはそれをとがめはなさらないでしょうね。今日本当に解ったのですもの。
「そして、また私には、あなたの愛を得て、本当に解ったということは、どんなにうれしいことか解りません。これからの道程だって本当にたのしく待たれます。今夜もまたこれから読みます。一つ一つ頭の中にとけてしみ込んで行くのが分るような気がします。もう二、三日ぐらいはこうやっていられそうです。一杯にその中に浸っていられそうです。
「でも、何だか一層会いたくもなって来ます。本当に来て下さいな、後生ですから。嵐はだんだんひどくなって来ます。あんな物すごいさびしい音を聞きながら、こんな広い二階にひとりっきりでいるのは可哀そうでしょう。でも、何にも邪魔をされないで、あなたのお書きになったものを読むのは、たのしみです。本当に、静かに、おとなしくしていますよ。でも、ちょっとの間だってあなたのことを考えないではいられません。こうやっていますと、いろいろな場合のあなたの顔が一つ一つ浮んできます。
「わずか一週間ばかりの間の私自身の気持を考えてみますと、その変りかたのひどいのに自分ながら不思議がっています。こうやっていましても、会いたいと思い出すと堪らなく会いたいのですけれど、何の不安も動揺も感じません。他の二人の方に対しても自分に対しても。こうやって書いていますと、いくらでも書けそうですから、もう止めましょう。止めようと思いますと、嵐の音が気になって来ます。東京もこんなにひどいのでしょうか。ここはまともに当てますから雨戸を開けて置くこともできないのです。一時間でも早くお目に懸かれるようにして下さい。お願致します。」
 野枝さん。
 君に宛てる手紙の中に、こうして君からの手紙を抜書きするのも可笑しいが、この手紙は世間の奴らにも見せるのだから、これだけのことは言って置かないと、僕としては本文にとりかかり難い。
 ついでに、ではない、これも話の順序として是非書いて置かなければならないことなので、もう一つ君の手紙を拝借する。それは、今の手紙の翌日、僕からの第一の手紙の返事として、君が三度目に書いたものの一節だ。僕は、二十九日に君を両国に送ってから、ある本屋からこんど出す『男女関係の進化』の印税の一部分を受取って、それを持って四谷の保子のところへ行った。もう夜の十二時を過ぎてもいたのですぐ床にはいった。「今、野枝さんを停車場まで送って来たところだ」と言うと、保子は例の通り「あの狐さんは……」とまた君に対するいやみを並べ立てようとした。僕は手を延ばして、保子の口を圧えたまま、眠ってしまった。僕はこんなことを君に書き送ったのであった。すると君からの返事に言う。
「保子さんが私のことを狐ですって、ありがたい名を頂いたのね。はじめてです、そんな名を貰ったのは。私は保子さんには好意を持たないかわりに悪意も持っていませんから、何を言われても何ともありません。
「ただ私は、私のあなたと保子さんのあなたとは違う、ということだけを思っています。そして保子さんに対するあなたは認めて尊敬しますけれども、保子さんがあなたに対する自分をもう少し確かにしてあなたを理解して下されば、私は心から保子さんを尊敬することができるだろうと思います。けれども、それが保子さんにできないからといって、私は保子さんを馬鹿にしたり軽蔑したりするほどあなたを無理解ではいないことを申して置きます。どうぞ保子さんにできるだけよくして上げて下さいという私の言葉を真直ぐに受け入れて下さい。これは何の感情もまじえない私の本当の言葉であることをあなたは認めて下さるでしょう。
「そして私が自身でさえも驚くほどのところまで進み得たということを、私と一緒にきっとよろこんで下さることと信じます。この気持は、しかし、たぶん私のあなた以外の誰にも、本当には理解できない気持ではないでしょうか。本当に私は、あなたに、この強情な盲目な私をこんなところにまで引っぱって来て頂いたことを、何と感謝(いやな言葉ですけれども)していいか分りません。何だか私のこれからの道が、明るく、はっきり開けて来たように思われます。」

         三

 野枝さん。
 これでようやく本論にはいりかけて来た。けれども、ここまで書いて来て、この手紙を「一情婦に与えて女房に対する亭主の心情を語る文」とのみするよりも、さらに「女房に与えて彼女に対する一情婦の心情を語る文」というような意味がはいるのも、しごく妙だろうと思われるので、もう少し君の手紙を拝借して行きたい。お蔭様で、写字をして、だいぶ原稿が儲かる訳になるのだがね。
 その後しばらくして、君の手紙の中に、再び保子のことが書かれてあった。たぶん新聞に出た彼女の談話から、そんな気持を誘い出されたものと思う。
「保子さんにはもう少し理解ができるようにお話しになれませんか。私は何を言われてもかまいませんが、もう少しあなたということをお考えになれないでしょうか。私には、何だかもっとあなたがよくお話しになれば、お分りならない方ではないような気がしますけれど。あなたは保子さんによくお話しをなさることを面倒がっていらっしゃるのではありませんか。もしそうなら、私は、できるだけもっと丁寧にあなたがお話しになるようにお願いします。どうでもいいというような態度はお止しになった方がよくはありませんか。勿論私はまだ、何にもあなたにそんなことは、お聞きしませんから分りませんけれど、またそうでなければそれ以上に仕方はありませんが。
「あなたが神近さんに対して、また私に対して、さしのべて下すった同じ手を、保子さんにもおのばしになることを望みます。私は神近さんに対して相当の尊敬も愛も持ち得ると信じます。同じ親しみを保子さんにも持ちたいと思います。保子さんは私に会って下さらないでしょうか。私は何だかしきりに会いたい気がします。あなたの一昨日のお話しのように、触れるところまで触れて見たい気がします。私も保子さんを知りませんし、保子さんもたぶんよく私というものをご存じではないだろうと思います。触れるところまで触れて、それでも私の真実が分らなければ仕方はありません。けれども、知らないでこんなにしているのは少し不満足な気がします。もっとも保子さんが私に持っていらっしゃるプレジュディスはかなり根深いものであるかも知れませんけれども、この私のシンセリティとそれとがどちらが力強いものであるかを見たい気も致します。もし保子さんが、お許し下さるなら、私はこんどお目に懸りたいと思います。
「けれどもまた、もしその結果が保子さんの上に大変な傷を与えるようなことになるとすれば、これは考えなければならないことであるかも知れません。けれども、私たちの関係は知らない人同士で認め合うというような、いい加減なことは許されないだろうと思われます。今会うことができないとしても、一度はぜひお目に懸からなければなるまいと思います。」
 すると、翌日の手紙に、追っかけるようにして、君はさらに言う。
「保子さんのことを昨日の手紙に書きましたが、あれはとり消しましょう。今日安成さんから少しばかりお話しを伺いました。どうも今お会いするのは無駄なように思いますから。もしあなたの保子さんに対するお考えが委しく伺えれば本当にいいと思いますけれども。
「今朝から私はいろいろに考えていましたの。私の保子さんと、神近さんとに対する本当の心持を知りたいと思いましてね。ですけれど、私はやはり、どちらの関係もあなたの生活の一部として是認するだけで、あなたと保子さん、あなたと神近さん、それからあなたと私、というふうに切り離しては考えられないのです。要するに、私が、保子さんとあるいは神近さんとあなたとの間のことについて、お互いに理解し合ったり認め合ったりするということの方を現在の一番大きなことのように考えていたのは、まだ本当に自分であなたと私との関係がのみ込めなかったというふうに考えられて来ました。本当に平凡な事実なのですけれども。保子さんといい、神近さんといい、私といい、ただあなたを通じての交渉なのですから、あなたに向っての各自の要求がお互いにぶっつかりさえしなければ(何だか他に言い方があるような気がしますが)、みんなインディファレントでいられる筈だと思います。そうすれば、なお一層よくあなたを理解し合おうとするみんなの努力があれば、そこで初めて完全に手を握ることができるのだと思います。
「そうして今、神近さんと私とは、というよりも私の神近さんに対する気持は、この第一段にいるのだと思います。保子さんに対する私の気持は、第二段にまで進みかけているのですが、保子さんはまだ恐らくは第一段にまでも来てはいらっしゃらないように思われます。そこで私の保子さんに持つ心持は、保子さんには無理すぎることになって来ます。で、今しばらくはインディファレントでいます。あるいはそれ以上に進まないかとも思われます。しかし私としては、保子さんとも神近さんとも、本当に手を握りたいのが望みです。神近さんには、会ってよくお話しすれば、そこまで進めるかとも思います。ぜひそうあらねばならぬと思います。そうして初めて私たちの関係は自由なのですね。そうしてお互いに進んで行きたいと思います。
「ひとりいて、私はそういうことを考えては、自分の気持がずんずん進んで行くのがはっきり見えるのが嬉しくて堪りません。こんなことばかり考えていますと、頭がはっきりして来て、気がはればれして来て、いい気持になれます。けれども私はまだ恐れています。今、私があなたの愛を一番多く持っているということに、自分の安心があるのではないかということを。絶えずそう思っては注意していますけれども、今のところでは別にそんな感情は少しもまじっていないようですけれど、その反省だけは怠らずに続けています。」

         四

 野枝さん。
 保子に対する君の気持は、この三つの手紙によって、非常によく分った。ただ、最後のが、もう少しはっきり言い現せそうなものだとは思ったが、そして大体においては、君のこのまったく自発的な進みかたが、ごく自然な、かつごく聡明な、また僕自身にとっては感謝しなければならぬほどのものだと思う。本当によくそこまで進んで来てくれた。
 さらに、他の女に対する君の心持の進みかたを見ると、理想から漸次現実に引下って来た傾きがある。そしてこの傾きが、保子の他の女に対する、および神近の他の女に対する、心持の動きかたや進みかたと、自ずから異なるところがある。
 最初は、僕に他の女のあるということが、どうしても君には話すことができなかった。君には、排他的の厳重な一夫一婦という、一種の理想があった。そこで君は、しきりと僕に、他のいっさいの女を斥けることを迫った。しかし、僕には、それがまったく無意味のことであった。他の女に対する僕の愛は、それよりももっと深そうに見える君に対する愛が生じたからとて、なくなった訳でもなくまた格別減った訳でもない。また、他の女に対する愛がなくなりあるいは減って行って、君にその愛を移したという訳でもない。甲の女によって求め得べからざるものを乙の女によって、また乙の女によって求め得べからざるものを丙の女によって、得るということもあろう。さらにはまた、甲の女には与え得べからざるものを乙の女に、また乙の女には与え得べからざるものを丙の女に、与え得るということもあろう。しかし、こんな理屈を言い出せば際限がないからいい加減に切りあげるが、とにかく僕のこの事実とおよびそれに対する僕の(五字削除)とは、断乎として君の要求を斥けるに足るの力があったのだ。
 けれども君は、僕がかく君の要求を斥けながらも、なお君に対して深い愛を抱いていることを、認めない訳には行かなかった。また君自身としても、もし君の要求が容れられなければ僕との関係を絶つと決心したものの、なお僕に対して抱いている君の深い愛を、認めない訳には行かなかった。そして、この現実の方が君自身の真実ではあるまいかという考えが漸次に頭をもたげて来て、ついにはそこに君の全身を投ずるの冒険をあえてさせるまでに進んで来さえすれば、僕が他の女を棄てるかあるいは他の女が僕を去るか、いずれにせよ君に都合のいい何等かの事柄が起って来るだろうという、多少の予想があったけれども、君は、かくしてまったく僕に君の身を投じて来ると同時に、本当の現実の人となった。もしくは、まったく新しい現実の人となった。
 君は僕に保子のあることも、神近のあることも、僕に対する愛の幻惑やまたは仕様事なしのあきらめからではなく、君自身の深い反省と自覚とから、心の奥底から是認するようになった。だが、それと同時にまた、君はこの是認を再び理想化しようとした。少なくとも、保子と僕とのおよび保子と君との関係を、事実ありのままに見ないで、ただちに君と僕との関係をもって律しようとした。そして君からの最後の手紙は、君が再び現実に降って、それからさらに理想に起ち上がろうという、本当のところまで進んで来たことを示すものである。
 実際、君と保子とは、あるいは君と神近とは、もしその間に僕が介在していなければ、まったく没交渉の人として互いに済ましていられたのかも知れない。現に、君と僕とがこんな関係になるまでは互いにまったくあるいはほとんど相識りもせず、したがってほとんど何等の交渉もなかったんである。したがって諸君は、諸君の間の関係において、このありのままの事実から出発しなければならない筈だ。もし諸君が、互いに個人としての交際において、まったく相容れることのできない人々であるならば、その間に僕があるからといって、何でも強いて友人づきあいをするにも及ばない。これはちょうど、嫁や姑や小姑と親子もしくは姉妹の関係にはいらなければならないものと強いられるの馬鹿らしさと、同様のことである。ただここには、嫁と姑との間のごとき、一種の権力関係のないことが、しあわせである、ぐらいのことである。もっと適切な例を挙げれば、諸君の間の関係は、勿論、本妻と妾、もしくは妾同士が、あきらめや妙な粋から、本意なくも笑顔をつくり合っているようなものであってはならない。こんなことは、今ことに君に向って言う必要は少しもないのだが、世間の奴等は、とかく自分等の間の一般事実をもって、他の特殊の事実をも律しようとしたがるものだから、無駄なことまでも言わなければならない仕儀になる。
 無駄と言えば、今僕が書いて来たことの大部分は、すべて無駄なので、「一情婦に与えて女房に対する亭主の心情を語る文」と題しながらも、実はまったくそれに触れることなくして、そのいわゆる一情婦の男およびその女房や他の情婦に対する心持の紹介と註訳とに力を尽して来たのも、要するに世間という馬鹿な奴等がさせるのだ。
 君の心持は、君自身がやはりこの雑誌の本号に書くという、あるいは近く『大阪毎日』に連載するという、君の文章の中で、勿論もっと詳細にかつもっと正確に発表されることと思う、したがって僕のこの紹介や註釈は、君にとっては、余計な出しゃばりであるかも知れない。しかし、その出しゃばりが僕の好意そのものから出る大した悪くない癖でもあり、かつこの文章が君に宛てた手紙であるところから自然に君のことばかり頭に浮んで来ることをも察してくれれば、君としては許されないこともあるまい。もっとも、こんな書きかたをして、だいぶ僕自身のことを君に言わしたのは、ちょっと怪しからぬずるい遣りかたではあるがね。
 しかし、どうかすれば、もう五年か十年かすれば、こんなふうな内容の、もっとも形式にはいろいろ変りはあろうが、たとえば同じ自由恋愛でもあるいは一夫一婦の、あるいは一夫多婦のあるいは多夫多妻の種々なる形をとることができようが、男女関係は、大して珍らしいことでもなくなって、したがって一々その男や女の心持を公表しなければならないというような必要もなくなるのだろう。
 とにかく僕等は、今の僕等にとっては、というのは僕には最初からだが君や神近にはようやくこの頃になってからのことだから、きわめて平凡なことをやっているのだ。だから、少なくとも僕にとっては、もし世間の奴等さえぐずぐずと馬鹿なことを言わなければ、何にも自分から吹聴して歩くほどの一大事でもないのだ。また自由恋愛などという、もうカビの生えた古臭い議論を、今さらながらもったいらしく担ぎ出すこともないのだ。
 けれども、もし世間の奴等が、奴等の道徳を盾に着て、無知な群集の前に僕等を社会的に葬むり去ろうとでも試みようとならば、ご遠慮なく遣って見るがいい。僕等は、僕等自身の事実をますます健実にして奴等にいやというほど見せつけてやるとともに、いくらでもお相手になってやる。あるいは、かえってその方が、さきの五年か十年かすればという時期を、もっと早めてくれることになるかも知れない。
[#ここから1字下げ]
 (ここでちょっと読者諸君に広告して置くが、前に野枝さんの手紙に出ている、はなはだおやすくない、ただし定価のことでない、僕の論文集『生の闘争』の中の「羞恥と貞操」および『社会的個人主義』の中の「男女関係の進化」と「羞恥と貞操」とは、これらの問題についての僕の宿論を説いたものであるから、ぜひとも御一読を願います。)
[#ここで字下げ終わり]

         五

 さて、野枝さん。
 思わず妙なところに力瘤を入れてしまったが、ここまで自分等の思うことを仕遂げて来た僕等は、さらに翻って、僕等のいわゆる犠牲者となった人達のことを考えて見なければならない。そして僕等はその人達のことを考えるに当って、僕等自身の心持をもって律することなく、やはりその人たち自身の現実にまで降って見なければならない。
 まず女の人達のことにのみついて言えば、君は保子と神近という二人のいわゆる犠牲者を出した訳だ。もっとも神近は、最初は保子を犠牲者の地位に陥しいれて、さらに君のために、こんどは自分が犠牲者になったのだが、したがって神近は、保子に対する心持と、君に対する心持との間に、単にこの地位の上からのみでも、よほどの差異を持っていた。さきに僕が、君の他の女に対する心持の進みかたと、他の女の君に対する心持の動きかたとに、自ずから相異するところがあると言ったのは主としてこの地位の上にもとづくものを指したのだ。さらに分りやすく言えば、人の亭主もしくは愛人をねとった女と、その男をねとられた女との心持の差異である。
 君は、自分が僕の愛を一番多く持っているということに、自分の安心があるのではないかということを、絶えず怠らずに反省している、と言う。しごく結構なことだ。しかし、なおそれと同時に、君が一番最後に僕のところに来たんであるということをも、十分に考えて見なければならない。現に神近は、平気で人の亭主をねとって置きながら、その男をさらに他の女にねとられて、急に騒ぎ出した。男を殺してしまうとまで狂い出した。それでもなお神近は、ついに自分をしっかりと握って、再び起ちあがることができた。これは、神近には反省と思索とのかなりのトレーニングがあった上に、経済上に独立しているという強味もあり、それらの点からははなはだ好都合な地位にいたのだが、なおかつ人を殺し自分も死ぬといういったんの決心までも経た後の、そしてまたさらに二カ月間の火の出るような内心の苦闘の後の、ようやくのことであった。神近の話が出たからついでに言って置くがさきに抜き書をした君の手紙の中に、「この気持は、たぶん私とあなた以外の誰にも、本当は理解のできない気持ではないでしょうか」とあったが、いや、神近はすでに君よりも以前に、君が最後に到達した点にまで立派に進んでいたのだ。そして神近は、出るところへも出ずになるべく保子とは顔も合わせないようにして、保子のことはただ僕に任せて置いたのだ。
 保子は、自分の亭主を、しかも二人の女に寝とられた女である。
 保子のことについて考える時には、第一番にまず、このことをしっかりと念頭に置いてかからねばならない。そして、彼女から亭主を寝とった君や神近は、自分等の考えの進みかたのえらさ[#「えらさ」に傍点]によほどの割引きをして反省しなければならないとともに、なお保子の態度について物を言う時には、よほどの遠慮がなくてはならない。
 保子は、諸君のごとき反省や思索のトレーニングのない、無教育な女だ。しかし彼女は、生じっか学問のある女よりは、よほどよく物事の分る女だ。むずかしい理屈を言うことはとても諸君に及びもつかないが、世俗のことについてならば、諸君なぞはとても彼女の足もとにも及び得るものでない。それに彼女は、ふだんはずいぶんやさしいおとなしい女であるのだが、それでいて、なかなかに意地もあり張りもある女である。
 しかるに彼女は、こんどのことのあって以来、急に意地も張りもなくして、愚痴といやみ[#「いやみ」に傍点]の、分からずやになってしまった。何事に対してでもずいぶん思い切って無茶をやる僕の心情については、従来は本当によく理解していてくれたのだが、こんどばかりは、まったくの盲目になってしまった。そして、ただもう、僕のいわゆる乱行にあきれ返っている態だ。
 と言っても、必ずしも、いつもそうだという訳ではない。僕がこんな乱行をやるようになった動機についても、またその他の僕のこの六カ月間の私行の動機についても、心の奥底では決して分っていないのではない。なるほど、彼女には、明らかに口に出して、それを説明することはできないかも知れない。しかし彼女の僕に対する愛は、彼女にそれを直覚させないではいない筈だ。現に、僕のこの乱行の間に僕に対する彼女の態度には、この直覚から出た彼女の態度には、僕は彼女に感謝しなければならない多くのものを見ている。
 また、君に対する彼女の心持とても、必ずしも例の「狐さん」ばかりでいつも充たされているのではない。君は、御宿へ行く時に僕の財布から少々の金を持って行ったことを、彼女が君を軽蔑しあるいは自らを不安に思っていやしないかと心配しているようだったが、彼女とてもそれほどの馬鹿ではない。新聞記事などによって余計な推測をしてはいけない。彼女はまた、そのことをもってただちに、君が「働きのない」辻を去って、「働きのある」僕のところへ、「妾になって来たのだと言われても仕方がない」などと考えるような、そんなさもしい[#「さもしい」に傍点]心の女ではない。真新婦人西川文子君の談話だというこの新聞記事も、恐らくは、例の黄色新聞記者のいい加減な捏造に過ぎないのであろう。保子だって、君のことは、相応に尊敬している。
 野枝さん。
 僕の乱行と無茶、この六カ月間ばかりの僕の生活の動機については、少なくとも君や神近は、明らかに理解していてくれる。本当を言うと、まずこの動機のことから詳しく書き始めなければ、僕のこの頃の行動については、何にも本当には理解することができないのであるが、いわゆる苦労人の先輩とか友人とかの冷笑するがごとく、今はまず、「自棄酒を呑んで女に狂っているのだ」として置いてもいい。苦労人なぞというものは、せいぜい、そのくらいのことを言っていればお役目は済むのだ。

         六

 だが、野枝さん。
 それはそうとして、保子のことに話を戻そう。要するに保子は、僕に対する愛と理解とを持ちつつ、また僕からの愛も感じつつ、時々にその愛や理解を掩いかくしてしまうあるものに襲われるのだ。そしてそのたびごとに、僕や君やまたは神近に対する、彼女の盲目と醜悪とを現すのだ。けれども、彼女のこの盲目と醜悪とが、彼女にとって、なぜ無理なのだろうか。
 野枝さん。
 僕は繰返して言う。彼女は、その亭主を、しかも二人の女に寝とられた女である。その亭主および二人の女に対する、彼女の嫉妬や恨みや、いやみや皮肉が、なぜ無理なのだろうか。それをしも、単に彼女の盲目とか醜悪とか言って、その亭主および二人の女は済ましていられることだろうか。
 彼女は、諸君と同じく、愛かしからずんば嫉妬かの、幾千年幾万年の習慣の中に育って来た女である。愛を奪われたと思う時の、その嫉妬に、何の不思議があろう。彼女は、諸君と同じく、男の腕にすがって生活する、幾千年幾万年の習慣の中に育って来て、しかもまだ、諸君のごとくにはそこから抜け出ることのできない女である。男を奪われたと思う時の、その絶望に、何の不思議があろう。しかも彼女には、本当に安心して頼るべき親戚もなく友人もなく、そして彼女自身は、いわゆる不治の病を抱いて、手荒らな仕事の何一つできないからだでいるのだ。
 それでもなお彼女は、そのあらん限りの力をもって、彼女自身を支えようとしているのだ。彼女自身を救おうとしているのだ。心の奥底に感じている僕の愛を確かめて、そして自分は何等かの職業によって自分自身の支柱を得ようとしているのだ。
 野枝さん。
 君は、先日の手紙によって、すなわち保子に対する君の心持を書いてよこした手紙の僕の返事によって、保子に対する僕の心理の告白によって、君はすっかり泣かされてしまったと言う。僕自身も保子の悲哀を見るたびに、またそのことを思うたびに、とても堪えられないほどの苦痛に攻められるのだ。本当に幾夜泣きあかしたか知れない。
 野枝さん。
 君は、どんなに僕が、保子に対して残酷であったかを知っているか。僕は、これほどまでに保子の心持を理解していたのに、そしてまた、彼女のいわゆる盲目や醜悪についての僕自身の十分な責任を感じていたのに、どうしても僕は、彼女に対して残酷な態度に出でなければならなかったのだ。彼女のいわゆる盲目や醜悪を見せつけられると、それの嫌悪に堪え得られないのと、および恐らくはその責任を感じることに堪え得られないのとで、いっさいを忘れて憤怒に捉えられてしまう。彼女のいわゆる盲目と醜悪とによって、僕自身までが、本当の盲目と醜悪とに陥ってしまう。
 彼女は号哭する。そして僕もまた、彼女の側に倒れて、歔欷する。
 野枝さん。
 かくして僕は、彼女がしきりに確かめたがっている、彼女の心の奥底に感じている僕の愛を、僕自ら打ち破ってしまうのだ。そして彼女のいわゆる盲目と醜悪とを、ますます重ねしめかつますます増さしめて行くのだ。
 野枝さん。
 本当に僕は、君の言うように、しばしば、保子によく話しすることが面倒になるのだ。どうでもいいというような態度に出るのだ。
 野枝さん。
 本当によく僕を鞭うってくれた。今から僕は四谷の家へ行って、そしてあしたは、君の足下に膝まずきに行く。



底本:「日本の名随筆47 惑」作品社
   1986(昭和61)年9月25日第1刷発行
   1991(平成3)年4月25日第8刷発行
底本の親本:「大杉栄全集 第三巻」現代思潮社
   1964(昭和39)年4月発行
入力:渡邉つよし
校正:門田裕志
2002年11月12日作成
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


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