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水中の友
折口信夫

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)爲來《シキタ》り

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「目+匡」、第3水準1-88-81]《マブタ》を温める

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)われ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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いつまでも ものを言はなくなつた友人――。
もつとも 若かつたひとり――。
たゞの一度も 話をしたことのない
二三行の手紙も 彼に書いたことのない私――
併し 私の友情を しづかに 享けとつてゐてくれた彼を 感じる。

――友人の死んだ時
私は、嵐の聲を聞いた。

若い世間は、手をあげて迎へるやうに
はなやかに その死を讚へた――。
老成した世間は、もみくしやになつた語で、
澁面を表情した――。

一等高さの教養を持つた人だけが――、
何げない貌で
たゞ その姿を 消ゆるにまかせるだらう――。
さう言ふ この國の爲來《シキタ》りを
彼は信じて 安らかになつたに違ひない。

若い友人は 若いがゆゑの
夢のやうな業蹟を 殘して死んだ。
こればかりは、
若くて過ぎた人なるが故の美しさだ と言ふ思ひが――、
年のいつた私どもの胸に 沁む――。

何げない貌《カホ》で 死んで行つたが――
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ほんたうに 遠く靜かになつた人
もういつまでも ものなんか言はうとしないでもよい。
私の※[#「目+匡」、第3水準1-88-81]《マブタ》を温める ほのかな光りを よこしてくれ
[#ここで字下げ終わり]

        *     *     *

私などが、太宰君の本の解説を書いて見たところで何の意味もないことである。故人作物の批評や、案内の類の書き物は、手近いところに幾らもあるのだから、そんな點では、私如きは、手を空しくして眺めてゐる外はない。其でも生前、口約束のやうなことを、人をとほしてあり、その作物をこんな風に見てゐる者もあると言ふことだけは、故人に知つて置いて貰はうと思うたこともあるのだから、謂はゞ書くべき義理がない訣でもない。其で、世の人のすなる[#「世の人のすなる」に傍点]評判記の類に繋りなく、勝手な感想の二三枚も書いて、故人をくやむ[#「くやむ」に傍点]心だけを、その後、知りあひになつた遺族の方々の前に表したい――さう思うて書かうとする訣、全く唯何となく、書いて見るだけのことである。
故人についての知識は、一から十まで、故人の友だち伊馬春部から得たもので、その書き物も大方、あれを讀め、之を讀めと言つては、春部の持つて來てあてがつた物から得たのである。だから相當に讀んでゐても、かう言ふ事をするのに、ひけ目[#「ひけ目」に傍点]を感じる訣である。今度出るのは、「櫻桃」・「人間失格」、それに「ヴィヨンの妻」――皆故人の名を、その時々に、一段づゝせりあげた作物である。
だが私は、あゝ言ふ變質風な性格や、慾望ばかりを描寫したものが、太宰作風の全體ではないと始終考へてゐるものだから、かう言ふとりあげ方は、外の本屋の傑作選といふ風なものについても、よい氣がしなかつた。これでは、太宰君が可愛相だ――、そんな風に思うて來たものである。だから、角川の文庫の竝べ方についても、あまりぞつとしない[#「ぞつとしない」に傍点]氣がしてゐる。そんな訣で、せめて「竹青」を入れてくれ、と希望を述べた位である。
津輕を知らない人は、始終曇つてばかりゐて、人々も重くるしい口ばかりきいて居るやうに思ふかも知れぬし、又故人の作物評にも、さう言つた「人國記」風な概念がまじつて來てゐるやうである。ところが實際の津輕は、廣々とおだやかで、人も上品な暮しにあこがれることを忘れてはゐない。此事は、おなじ地方根生ひの文學を書いた北畠八穗さんや、深田久彌氏のもので見ても訣る。もつと手取りばやいことは、あの優雅な弘前の町を、一わたり歩いて來ることである。
何だかふつと、私の頭を掠めて、「清き憂ひ」と言ふ語が、浮んで來る。これが、津輕びとの性格の裏打ちになつてゐるやうな氣がする。こんなことを言ふと、買ひ被りだと笑はれさうだし、又人間さう一概に、言へるものでないことも訣つてゐるが、尠くとも太宰君は、さう言ふ人だつた氣がする。文學者は、藝術の選民なのだから、彼がさう言ふ人だつた、と思ふ私の考へを、間違ひだと斷言の出來る人はない筈である。
その作物を見て、私はいつもこの清き憂ひに、心を拭はれるやうに感じてゐた。其なればこそ、顏も見たことのない、又顏も見ないでしまつたこの友人の作物を見ることを、喜んで來たのであつた。だから世間の人の言ふ彼の評判へ向けて、私の感じはいつでも、いこぢな對立を守つて讓らなかつた。
「ヴィヨンの妻」や「人間失格」も、かう言ふ範疇に入れて、私は見てゐた。平氣になつて考へると、私の思ひの中の太宰は、とく[#「とく」に傍点]の昔に、ある部分は、變つて行つてゐたやうである。かう言ふ經歴からすれば、私の考へることなどは、あて[#「あて」に傍点]になつたものでない。
小説乃至戲曲などいふ文藝に、ずぶ[#「ずぶ」に傍点]の素人である我々からすれば、若い此人の作物は、隨分驚くに堪へた經歴が、織りこんである。われ/\が終生それから離れない世間の生活の上に、虚構の生活――といふと、ことば[#「ことば」に傍点]がわるいが――文學者の希求《ケグ》の生活と言つたものが出て來てゐる。誰から許されて、そんな生活をした訣でもないが、其を積んで行く自由を持つてるやうに、彼らはどん/″\別途の生活の方へ分岐して行く。以前は、こんな生活を、簡單に詩人的だと稱へたものだが、今では、もつと輪をかけた形に、ひろがつて來てゐる。太宰君の文學者としての生活を見ると、いつか作物の上の生活が、世間の生活から、ぐん[#「ぐん」に傍点]と岐れて行つてしまつてゐる。自分だけ守る生活といふものを、極度に信じた事から、たゞ一途に、自分の文學を追求して行つた。謂はゞ、筆は生活追求の爲に使はれてゐた。さうして段々、深みに這入りこんだ彼だつた。私などは、それに氣のつくことが遲かつた。斜陽の「新潮」にのりかけたのを見て、はじめて太宰君が何に苦しんでゐるか、といふことをおほよそ知つたくらゐのものである。現實の出發に先じて、虚構が出發してゐたのである。虚構といふと、とりわけ誤解がありさうな作物だから、文學が先に出てゐると言ひ替へてもよい。平易に、文學的作爲と言ふやうな語をつかつてもよい。斜陽の現實よりも、斜陽の虚構の方が先に發足してゐる。さうして展開する虚構の後を追つて、現實が裏打ちをして※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]つた。――私はかう言ふ風に後を追つて考へてゐる。――事實と全く關係のないことだが――あの小説の女主人公のやうなものを、幻像を持つた作者が、偶然少し誇張を加へれば、幻像にぴつたりするやうな女人を知ることになる。それが、文學志願を抱いた娘なんかであつて、自分の閲歴に近いことを小説體に書いた手記風の書き物を持つてゐた。――さう事實を設定して見れば、説明がし易い。其女性に相當知り合ひになつた彼が、手記を借りて讀む。小説の上の生活は、これから出發する。其と共に、虚構の生活は、先へ/\と蹈み出して行く。さうした生活を註釋するやうに、或は確實性を持たせる爲の樣に、小説の上の娘との交渉が進んで行く。謂はゞ、科學者の行ふ實驗のやうに、彼においては、生活の實驗が行はれて行くのである。
――私は斜陽の發表を、次々に見てゐる中に、ふつとそんな氣が起つた。小説の終末が作者の現實の中に留るか、更に虚構の世界にはみ出して行つてしまふか、この二つが頭に浮んで來た。だが、どちらも作者の考へとは喰ひ違つたことになる。これはどうしても、作者の肉體が限界になる。肉體の強靱がものを言つて[#「ものを言つて」に傍点]、虚構を征服してしまはねばならぬ。さうでなければあぶない事になる。こんな危殆《ヒアイ》な感じが心を掠めたものだつたが、何分實際に作者に行き逢つてゐない。知つてゐるのは、春部の話して聞す太宰君だけである。友人を清く見せることが、自分の生活のよさを示すことだと思ふ癖が、一群の青年にあるのだから、春部も、さういふ風の太宰君だけを語つて、私の太宰觀を清くすることに努めてゐた。だから、勘のわるい私には、太宰君の運命をつきとめて考へることが出來なかつた。又、出來たところで、どうなるものでもなかつたが……。その間に太宰君は小説を超えて、――或はまだ著手しない小説の爲に、中年と若年の間に彷徨してゐる男と、若い女との戀愛を實驗しはじめてゐたのであつた。此未著手の小説は、作者の體力の爲か、現實としても未完成に終つたが、あの境をのり超えてくれゝば、其は其で又、さうした男女關係に一つの解決が與へられたのであらうのに――。
太宰君は勉強家で小説の源頭の枯涸することを虞れて、いろんな古典を讀んだ。さうして其效果は、いろんな形で、その作物の上に現れてゐる。この書物の上に彼の積んだ經驗は、我々安んじて眺めることが出來る。だが、世上人としての經驗は、學生と文學者以外になかつた君である。言はゞ懷子《フトコロゴ》のやうな一生だつた。もつと經歴を積んでくれねばならなかつたのだ。ところが流行作者としての生活が、彼を、家と爲事場《シゴトバ》と、其から心を養ふ爲の呑み屋とから、遠く離れて遊ぶことを許さなかつた。唯彼は勉強した。からだ[#「からだ」に傍点]を摺りへらすばかりに努力した。彼の積んで行く經驗が、彼の健康を贖《アガナ》ふことの出來ぬところまでせりつめて[#「せりつめて」に傍点]行つた。
そこへ、太宰君の内に、早くからゐた芥川龍之介が、急に勢力を盛り返して來た。悲しんでも、尚あまりあることである。



底本:「折口信夫全集 廿七卷」
   1968(昭和43)年1月25日発行
初出:「『人間失格・櫻桃』解説」角川文庫、角川書店
   1950(昭和25)年11月
   「文藝 第十卷第十二號」
   1953(昭和28)年12月
※底本の題名の下に書かれている「昭和二十五年十一月角川文庫『人間失格・櫻桃』解説。二十八年十二月「文藝」第十卷第十二號」はファイル末の「初出」欄に移しました。
※踊り字(/\、/″\)の誤用の混在は底本の通りとしました。
入力:高柳典子
校正:多羅尾伴内
2003年12月27日作成
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