青空文庫アーカイブ

死者の書
釋迢空

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)彼《カ》の

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)岩|牀《ドコ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)見※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]す

 [#(…)]:訓点送り仮名
 (例)志斐[#(ノ)]老女

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)した/\と
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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        一

彼《カ》の人の眠りは、徐《シヅ》かに覺めて行つた。まつ黒い夜の中に、更に冷え壓するものゝ澱んでゐるなかに、目のあいて來るのを、覺えたのである。
 した した した。耳に傳ふやうに來るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくやうな暗闇の中で、おのづと睫と睫とが離れて來る。
膝が、肱が、徐ろに埋れてゐた感覺をとり戻して來るらしく、彼《カ》の人《ヒト》の頭に響いて居るもの――。全身にこはゞつた筋が、僅かな響きを立てゝ、掌・足の裏に到るまで、ひきつれ[#「ひきつれ」に傍点]を起しかけてゐるのだ。
さうして、なほ深い闇。ぽつちりと目をあいて見※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]す瞳に、まづ壓《アツ》しかゝる黒い巖の天井を意識した。次いで、氷になつた岩|牀《ドコ》。兩脇に垂れさがる荒岩の壁。した/\と、岩傳《イハヅタ》ふ雫の音。
時がたつた――。眠りの深さが、はじめて頭に浮んで來る。長い眠りであつた。けれども亦、淺い夢ばかりを見續けて居た氣がする。うつら/\思つてゐた考へが、現實に繋つて、あり/\と、目に沁みついてゐるやうである。
[#ここから1字下げ]
あゝ耳面刀自《ミヽモノトジ》。
[#ここで字下げ終わり]
甦《ヨミガヘ》つた語が、彼の人の記憶を、更に彈力あるものに、響き返した。
[#ここから1字下げ]
耳面刀自。おれはまだお前を……思うてゐる。おれはきのふ、こゝに來たのではない。それも、をとゝひや、其さきの日に、こゝに眠りこけたのでは、決してないのだ。おれは、もつと/\長く寢て居た。でも、おれはまだ、お前を思ひ續けて居たぞ。耳面刀自《ミヽモノトジ》。こゝに來る前から……こゝに寢ても、……其から、覺めた今まで、一續きに、一つ事を考へつめて居るのだ。
[#ここで字下げ終わり]
古い――祖先以來さうしたやうに、此世に在る間さう暮して居た――習《ナラハ》しからである。彼の人は、のくつと[#「のくつと」に傍点]起き直らうとした。だが、筋々が斷《キ》れるほどの痛みを感じた。骨の節々の挫けるやうな、疼きを覺えた。……さうして尚、ぢつと、――ぢつとして居る。射干玉《ヌバタマ》の闇。黒玉の大きな石壁に、刻み込まれた白々としたからだの樣に、嚴かに、だが、すんなりと、手を伸べたまゝで居た。
耳面刀自の記憶。たゞ其だけの深い凝結した記憶。其が次第に蔓《ヒロガ》つて、過ぎた日の樣々な姿を、短い聯想の紐に貫いて行く。さうして明るい意思が、彼の人の死枯《シニガ》れたからだに、再立ち直つて來た。
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耳面刀自。おれが見たのは、唯一目――唯一度だ。だが、おまへのことを聞きわたつた年月は、久しかつた。おれによつて來い。耳面刀自。
[#ここで字下げ終わり]
記憶の裏から、反省に似たものが浮び出て來た。
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おれは、このおれは、何處に居るのだ。……それから、こゝは何處なのだ。其よりも第一、此おれは誰《ダレ》なのだ。其をすつかり、おれは忘れた。
だが、待てよ。おれは覺えて居る。あの時だ。鴨が聲《ネ》を聞いたのだつけ。さうだ。譯語田《ヲサダ》の家を引き出されて、磐余《イハレ》の池に行つた。堤の上には、遠捲きに人が一ぱい。あしこの萱原、そこの矮叢《ボサ》から、首がつき出て居た。皆が、大きな喚《オラ》び聲を、擧げて居たつけな。あの聲は殘らず、おれをいとしがつて居る、半泣きの喚《ワメ》き聲だつたのだ。
其でもおれの心は、澄みきつて居た。まるで、池の水だつた。あれは、秋だつたものな。はつきり聞いたのが、水の上に浮いてゐる鴨|鳥《ドリ》の聲《コヱ》だつた。今思ふと――待てよ。其は何だか一目惚れの女の哭き聲だつた氣がする。――をゝ、あれが耳面刀自だ。其瞬間、肉體と一つに、おれの心は、急に締めあげられるやうな刹那を、通つた氣がした。俄かに、樂な廣々とした世間に、出たやうな感じが來た。さうして、ほんの暫らく、ふつ[#「ふつ」に傍点]とさう考へたきりで……、空も見ぬ、土も見ぬ、花や、木の色も消え去つた――おれ自分すら、おれが何だか、ちつとも訣らぬ世界のものになつてしまつたのだ。
あゝ、其時きり、おれ自身、このおれを、忘れてしまつたのだ。
[#ここで字下げ終わり]
足の踝《クルブシ》が、膝の膕《ヒツカヾミ》が、腰のつがひ[#「つがひ」に傍点]が、頸のつけ根が、顳※[#「需+頁」、第3水準1-94-6]《コメカミ》が、ぼんの窪が――と、段々上つて來るひよめきの爲に蠢いた。自然に、ほんの偶然強ばつたまゝの膝が、折り屈められた。だが、依然として――常闇《トコヤミ》。
[#ここから1字下げ]
をゝさうだ。伊勢の國に居られる貴い巫女《ミコ》――おれの姉|御《ゴ》。あのお人が、おれを呼び活けに來てゐる。
姉御。こゝだ。でもおまへさまは、尊い御《オン》神に仕へてゐる人だ。おれのからだに、觸《サハ》つてはならない。そこに居るのだ。ぢつとそこに、蹈み止《トマ》つて居るのだ。――あゝおれは、死んでゐる。死んだ。殺されたのだ……忘れて居た。さうだ。此は、おれの墓だ。
いけない。そこを開《ア》けては。塚の通ひ路の、扉をこじるのはおよし。……よせ。よさないか。姉の馬鹿。
なあんだ。誰も、來ては居なかつたのだな。あゝよかつた。おれのからだが、天日《テンピ》に暴《サラ》されて、見る/\、腐るところだつた。だが、をかしいぞ。かうつと――あれは昔だ。あのこじあける音がするのも、昔だ。姉御の聲で、塚道の扉を叩きながら、言つて居たのも今《インマ》の事――だつたと思ふのだが。昔だ。
おれのこゝへ來て、間もないことだつた。おれは知つてゐた。十月だつたから、鴨が鳴いて居たのだ。其鴨みたいに、首を捻ぢちぎられて、何も訣らぬものになつたことも。かうつと[#「かうつと」に傍点]――姉御が、墓の戸で哭き喚《ワメ》いて、歌をうたひあげられたつけ。「巖石《イソ》の上《ウヘ》に生ふる馬醉木《アシビ》を」と聞えたので、ふと[#「ふと」に傍点]、冬が過ぎて、春も闌《タ》け初めた頃だと知つた。おれの骸《ムクロ》が、もう半分融け出した時分だつた。そのあと[#「あと」に傍点]、「たをらめど……見すべき君がありと言はなくに」。さう言はれたので、はつきりもう、死んだ人間になつた、と感じたのだ。……其時、手で、今してる樣にさはつて見たら、驚いたことに、おれのからだは、著こんだ著物の下で、※[#「月+昔」、第3水準1-90-47]《ホジヽ》のやうに、ぺしやんこになつて居た――。
[#ここで字下げ終わり]
臂《カヒナ》が動き出した。片手は、まつくらな空《クウ》をさした。さうして、今一方は、そのまゝ、岩|牀《ドコ》の上を掻き搜つて居る。
[#ここから2字下げ]
うつそみの人なる我や。明日よりは、二上《フタカミ》山を愛兄弟《イロセ》と思はむ
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誄歌《ナキウタ》が聞えて來たのだ。姉御があきらめないで、も一つつぎ足して、歌つてくれたのだ。其で知つたのは、おれの墓と言ふものが、二上山の上にある、と言ふことだ。
よい姉御だつた。併し、其歌の後で、又おれは、何もわからぬものになつてしまつた。
其から、どれほどたつたのかなあ。どうもよつぽど、長い間だつた氣がする。伊勢の巫女樣、尊い姉御が來てくれたのは、居睡りの夢を醒された感じだつた。其に比べると、今度は深い睡りの後《アト》見たいな氣がする。あの音がしてる。昔の音が――。
手にとるやうだ。目に見るやうだ。心を鎭めて――。鎭めて。でないと、この考へが、復散らかつて行つてしまふ。おれの昔が、あり/\と訣つて來た。だが待てよ。……其にしても一體、こゝに居るおれは、だれなのだ。だれの子なのだ。だれの夫《ツマ》なのだ。其をおれは、忘れてしまつてゐるのだ。
[#ここで字下げ終わり]
兩の臂は、頸の※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]り、胸の上、腰から膝をまさぐつて居る。さうしてまるで、生き物のするやうな、深い溜め息が洩れて出た。
[#ここから1字下げ]
大變だ。おれの著物は、もうすつかり朽つて居る。おれの褌《ハカマ》は、ほこりになつて飛んで行つた。どうしろ、と言ふのだ。此おれは、著物もなしに、寢て居るのだ。
[#ここで字下げ終わり]
筋ばしるやうに、彼の人のからだに、血の馳け※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]るに似たものが、過ぎた。肱を支へて、上半身が、闇の中に起き上つた。
[#ここから1字下げ]
をゝ寒い。おれを、どうしろと仰るのだ。尊いおつかさま。おれが惡かつたと言ふのなら、あやまります。著物を下さい。著物を――。おれのからだは、地べたに凍りついてしまひます。
[#ここで字下げ終わり]
彼の人には、聲であつた。だが、聲でないものとして、消えてしまつた。聲でない語《コトバ》が、何時までも續いてゐる。
[#ここから1字下げ]
くれろ。おつかさま。著物がなくなつた。すつぱだかで出て來た赤ん坊になりたいぞ。赤ん坊だ。おれは。こんなに、寢床の上を這ひずり※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]つてゐるのが、だれにも訣らぬのか。こんなに、手足をばた/″\やつてゐるおれの、見える奴が居ぬのか。
[#ここで字下げ終わり]
その唸き聲のとほり、彼の人の骸《ムクロ》は、まるでだゞ[#「だゞ」に傍点]をこねる赤子のやうに、足もあがゞに、身あがきをば、くり返して居る。明りのさゝなかつた墓穴の中が、時を經て、薄い氷の膜ほど透《ス》けてきて、物のたゝずまひを、幾分朧ろに、見わけることが出來るやうになつて來た。どこからか、月光とも思へる薄あかりが、さし入つて來たのである。
[#ここから1字下げ]
どうしよう。どうしよう。おれは。――大刀までこんなに、錆びついてしまつた……。
[#ここで字下げ終わり]

        二

月は、依然として照つて居た。山が高いので、光りにあたるものが少かつた。山を照し、谷を輝かして、剩る光りは、又空に跳ね返つて、殘る隈々までも、鮮やかにうつし出した。
足もとには、澤山の峰があつた。黒ずんで見える峰々が、入りくみ、絡みあつて、深々と畝つてゐる。其が見えたり隱れたりするのは、この夜更けになつて、俄かに出て來た霞の所爲《セヰ》だ。其が又、此冴えざえとした月夜を、ほ[#「ほ」に傍点]つとり[#「とり」に傍点]と、暖かく感じさせて居る。
廣い端山《ハヤマ》の群《ムラガ》つた先《サキ》は、白い砂の光る河原だ。目の下遠く續いた、輝く大佩帶《オホオビ》は、石川である。その南北に渉つてゐる長い光りの筋が、北の端で急に廣がつて見えるのは、凡河内《オホシカフチ》の邑のあたりであらう。其へ、山|間《アヒ》を出たばかりの堅鹽《カタシホ》川―大和川―が落ちあつて居るのだ。そこから、乾《イヌヰ》の方へ、光りを照り返す平面が、幾つも列つて見えるのは、日下江《クサカエ》・永瀬江《ナガセエ》・難波江《ナニハエ》などの水面であらう。
寂かな夜である。やがて鷄鳴近い山の姿は、一樣に露に濡れたやうに、しつとりとして靜まつて居る。谷にちら/\する雪のやうな輝きは、目の下の山田谷に多い、小櫻の遲れ咲きである。
一本の路が、眞直に通つてゐる。二上山の男嶽《ヲノカミ》女嶽《メノカミ》の間から、急に降《サガ》つて來るのである。難波《ナニハ》から飛鳥《アスカ》の都への古い間道なので、日によつては、晝は相應な人通りがある。道は白々と廣く、夜目には、芝草の蔓《ハ》つて居るのすら見える。當麻路《タギマヂ》である。一降りして又、大|降《クダ》りにかゝらうとする處が、中だるみに、やゝ坦《ヒラタ》くなつてゐた。梢の尖つた栢《カヘ》の木の森。半世紀を經た位の木ぶりが、一樣に揃つて見える。月の光りも薄い木陰全體が、勾配を背負つて造られた圓塚であつた。月は、瞬きもせずに照し、山々は深く※[#「目+匡」」、第3水準1-88-81]を閉ぢてゐる。
[#ここから1字下げ]
こう こう こう。
[#ここで字下げ終わり]
先刻《サツキ》から、聞えて居たのかも知れぬ。あまり寂けさに馴れた耳は、新な聲を聞きつけよう、としなかつたのであらう。だから、今珍しく響いて來た感じもないのだ。
[#ここから1字下げ]
こう こう こう――こう こう こう。
[#ここで字下げ終わり]
確かに人聲である。鳥の夜聲とは、はつきりかはつた韻《ヒヾキ》を曳いて來る。聲は、暫らく止んだ。靜寂は以前に増し、冴え返つて張りきつてゐる。
この山の峰つゞきに見えるのは、南に幾重ともなく重つた、葛城の峰々である。伏越《フシゴエ》櫛羅《クシラ》小巨勢《コヾセ》と段々高まつて、果ては空の中につき入りさうに、二上山と、この塚にのしかゝるほど、眞黒に立ちつゞいてゐる。
當麻路をこちらへ降つて來るらしい影が、見え出した。二つ三つ五つ……八つ九つ。九人の姿である。急な降りを一氣に、この河内路へ馳けおりて來る。
九人と言ふよりは、九柱の神であつた。白い著物・白い鬘《カツラ》、手は、足は、すべて旅の裝束《イデタチ》である。頭より上に出た杖をついて――。この坦《タヒラ》に來て、森の前に立つた。
[#ここから1字下げ]
こう こう こう。
[#ここで字下げ終わり]
誰の口からともなく、一時に出た叫びである。山々のこだま[#「こだま」に傍点]は、驚いて一樣に、忙しく聲を合せた。だが山は、忽一時の騷擾から、元の緘默《シヾマ》に戻つてしまつた。
[#ここから1字下げ]
こう こう。お出でなされ。藤原|南家《ナンケ》郎女《イラツメ》の御魂《ミタマ》。
こんな奧山に、迷うて居るものではない。早く、もとの身に戻れ。こう こう。
お身さまの魂《タマ》を、今、山たづね尋ねて、尋ねあてたおれたちぞよ。こう こう こう。
[#ここで字下げ終わり]
九つの杖びとは、心から神になつて居る。彼らは、杖を地に置き、鬘を解いた。鬘は此時、唯眞白な布に過ぎなかつた。其を、長さの限り振り捌いて、一樣に塚に向けて振つた。
[#ここから1字下げ]
こう こう こう。
[#ここで字下げ終わり]
かう言ふ動作をくり返して居る間に、自然な感情の欝屈と、休息を欲するからだの疲れとが、九體の神の心を、人間に返した。彼らは見る間に、白い布を頭に捲きこんで鬘とし、杖を手にとつた旅人として、立つてゐた。
[#ここから1字下げ]
をい。無言《シヾマ》の勤《ツト》めも此までぢや。
をゝ。
[#ここで字下げ終わり]
八つの聲が答へて、彼等は訓練せられた所作のやうに、忽一度に、草の上に寛《クツロ》ぎ、再杖を横へた。
[#ここから1字下げ]
これで大和も、河内との境ぢやで、もう魂ごひの行《ギヤウ》もすんだ。今時分は、郎女さまのからだは、廬《イホリ》の中で魂をとり返して、ぴち/\しく居られようぞ。
こゝは、何處だいの。
知らぬかいよ。大和にとつては大和の國、河内にとつては河内の國の大關《オホゼキ》。二上の當麻路《タギマヂ》の關《セキ》――。
[#ここで字下げ終わり]
別の長老《トネ》めいた者が、説明を續《ツ》いだ。
[#ここから1字下げ]
四五十年あとまでは、唯[#(ノ)]關と言ふばかりで、何の標《シルシ》もなかつた。其があの、近江の滋賀の宮に馴染み深かつた、其よ。大和では、磯城《シキ》の譯語田《ヲサダ》の御館《ミタチ》に居られたお方。池上の堤で命召されたあのお方の骸《ムクロ》を、罪人に殯《モガリ》するは、災の元と、天若日子《アメワカヒコ》の昔語りに任せて、其まゝ此處にお搬びなされて、お埋《イ》けになつたのが、此塚よ。
[#ここで字下げ終わり]
以前の聲が、まう一層皺がれた響きで、話をひきとつた。
[#ここから1字下げ]
其時の仰せには、罪人よ。吾子《ワコ》よ。吾子の爲了《シヲフ》せなんだ荒《アラ》び心で、吾子よりももつと、わるい猛び心を持つた者の、大和に來向ふのを、待ち押へ、塞《サ》へ防いで居ろ、と仰せられた。
ほんに、あの頃は、まだおれたちも、壯盛《ワカザカ》りぢやつたに。今ではもう、五十年昔になるげな。
[#ここで字下げ終わり]
今一人が、相談でもしかける樣な、口ぶりを※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]んだ。
[#ここから1字下げ]
さいや。あの時も墓作りに雇はれた。その後も、當麻路の修覆に召し出された。此お墓の事は、よく知つて居る。ほんの苗木ぢやつた栢《カヘ》が、此ほどの森になつたものな。畏《コハ》かつたぞよ。此墓のみ魂《タマ》が、河内|安宿部《アスカベ》から石|擔《モ》ちに來て居た男に、憑いた時はなう。
[#ここで字下げ終わり]
九人は、完全に現《ウツ》し世の庶民の心に、なり還つて居た。山の上は、昔語りするには、あまり寂しいことを忘れて居たのである。時の更け過ぎた事が、彼等の心には、現實にひし/\と、感じられ出したのだらう。
[#ここから1字下げ]
もう此でよい。戻らうや。
よかろ よかろ。
[#ここで字下げ終わり]
皆は、鬘をほどき、杖を棄てた白衣の修道者、と言ふだけの姿《ナリ》になつた。
[#ここから1字下げ]
だがの。皆も知つてようが、このお塚は、由緒《ユヰシヨ》深《フカ》い、氣のおける處ゆゑ、まう一度、魂ごひをしておくまいか。
[#ここで字下げ終わり]
長老《トネ》の語と共に、修道者たちは、再|魂呼《タマヨバ》ひの行《ギヤウ》を初めたのである。
[#ここから1字下げ]
こう こう こう。

をゝ……。
[#ここで字下げ終わり]
異樣な聲を出すものだ、と初めは誰も、自分らの中の一人を疑ひ、其でも變に、おぢけづいた心を持ちかけてゐた。も一度、
[#ここから1字下げ]
こう こう こう。
[#ここで字下げ終わり]
其時、塚穴の深い奧から、冰りきつた、而も今息を吹き返したばかりの聲が、明らかに和したのである。
[#ここから1字下げ]
をゝう……。
[#ここで字下げ終わり]
九人の心は、ばら/″\の九人の心々であつた。からだも亦ちり/″\に、山田谷へ、竹内谷へ、大阪越えへ、又當麻路へ、峰にちぎれた白い雲のやうに、消えてしまつた。
唯疊まつた山と、谷とに響いて、一つの聲ばかりがする。
[#ここから1字下げ]
をゝう……。
[#ここで字下げ終わり]

        三

萬法藏院の北の山陰に、昔から小な庵室があつた。昔からと言ふのは、村人がすべてさう信じて居たのである。荒廢すれば繕ひ/\して、人は住まぬ廬《イホリ》に、孔雀明王像が据ゑてあつた。當麻《タギマ》の村人の中には、稀に、此が山田寺である、と言ふものもあつた。さう言ふ人の傳へでは、萬法藏院は、山田寺の荒れて後、飛鳥の宮の仰せを受けてとも言ひ、又御自身の御發起《ゴホツキ》からだとも言ふが、一人の尊いみ子が、昔の地を占めにお出でなされて、大伽藍を建てさせられた。其際、山田寺の舊構を殘すため、寺の四至の中、北の隅へ、當時立ち朽りになつて居た堂を移し、規模を小くして造られたもの、と傳へ言ふのであつた。
さう言へば、山田寺は、役君小角《エノキミヲヅカ》が、山林佛教を創める最初の足代《アシヽロ》になつた處だと言ふ傳へが、吉野や、葛城の山伏行人《ヤマブシギヤウニン》の間に行はれてゐた。何しろ、萬法藏院の大伽藍が燒けて百年、荒野の道場となつて居た、目と鼻との間に、こんな古い建て物が、殘つて居たと言ふのも、不思議なことである。
夜は、もう更けて居た。谷川の激《タギ》ちの音が、段々高まつて來る。二上山の二つの峰の間から、流れくだる水なのだ。
廬の中は、暗かつた。爐を焚くことの少い此|邊《ヘン》では、地下《ヂゲ》百姓は、夜は眞暗な中で、寢たり、坐つたりしてゐるのだ。でもこゝには、本尊が祀つてあつた。夜を守つて、佛の前で起き明す爲には、御燈《ミアカシ》を照した。
孔雀明王の姿が、あるかないかに、ちろめく光りである。
姫は寢ることを忘れたやうに、坐つて居た。
萬法藏院の上座の僧綱たちの考へでは、まづ奈良へ使ひを出さねばならぬ。横佩家《ヨコハキケ》の人々の心を、思うたのである。次には、女人|結界《ケツカイ》を犯して、境内深く這入つた罪は、郎女自身に贖《アガナ》はさねばならなかつた。落慶のあつたばかりの淨域だけに、一時は、塔頭々々《タツチウ※[#二の字点、1-2-22]※[#二の字点、1-2-22]》の人たちの、青くなつたのも、道理である。此は、財物を施入する、と謂つたぐらゐではすまされぬ。長期の物忌みを、寺近くに居て果させねばならぬと思つた。其で、今日晝の程、奈良へ向つて、早使《ハヤヅカ》ひを出して、郎女《イラツメ》の姿が、寺中に現れたゆくたて[#「ゆくたて」に傍点]を、仔細に告げてやつたのである。
其と共に姫の身は、此庵室に暫らく留め置かれることになつた。たとひ、都からの迎へが來ても、結界を越えた贖ひを果す日數だけは、こゝに居させよう、と言ふのである。
牀《ユカ》は低いけれども、かいてあるにはあつた。其替り、天井は無上に高くて、而も萱のそゝけた屋根は、破風の脇から、むき出しに、空の星が見えた。風が唸つて過ぎたと思ふと、其高い隙から、どつと吹き込んで來た。ばら/″\落ちかゝるのは、煤がこぼれるのだらう。明王の前の灯が、一時《イツトキ》かつと、明るくなつた。
その光りで照し出されたのは、あさましく荒《スサ》んだ座敷だけでなかつた。荒板の牀の上に、薦筵《コモムシロ》二枚重ねた姫の座席。其に向つて、ずつと離れた壁ぎはに、板敷に直《ヂカ》に坐つて居る老婆の姿があつた。
壁と言ふよりは、壁代《カベシロ》であつた。天井から弔りさげた竪薦《タツゴモ》が、幾枚も幾枚も、ちぐはぐに重つて居て、どうやら、風は防ぐやうになつて居る。その壁代に張りついたやうに坐つて居る女、先から※[#「亥+欠」、第3水準1-86-30]嗽《シハブキ》一つせぬ靜けさである。
貴族の家の郎女は、一日もの言はずとも、寂しいとも思はぬ習慣がついて居た。其で、この山陰の一つ家に居ても、溜め息一つ洩すのではなかつた。晝《ヒ》の内此處へ送りこまれた時、一人の姥のついて來たことは、知つて居た。だが、あまり長く音も立たなかつたので、人の居ることは忘れて居た。今ふつと明るくなつた御燈《ミアカシ》の色で、その姥の姿から、顏まで一目で見た。どこやら、覺えのある人の氣がする。さすがに、姫にも人懷しかつた。ようべ家を出てから、女性《ニヨシヨウ》には、一人も逢つて居ない。今そこに居る姥《ウバ》が、何だか昔の知り人のやうに感じられたのも、無理はないのである。見覺えのあるやうに感じたのは、だが、其親しみ故だけではなかつた。
[#ここから1字下げ]
郎女《イラツメ》さま。
[#ここで字下げ終わり]
緘默《シヾマ》を破つて、却てもの寂しい、乾聲《カラゴエ》が響いた。
[#ここから1字下げ]
郎女は、御存じおざるまい。でも、聽いて見る氣はおありかえ。お生れなさらぬ前の世からのことを。それを知つた姥でおざるがや。
[#ここで字下げ終わり]
一旦、口がほぐれると、老女は止めどなく、喋り出した。姫は、この姥の顏に見知りのある氣のした訣を、悟りはじめて居た。藤原|南家《ナンケ》にも、常々、此年よりとおなじやうな媼《オムナ》が出入りして居た。郎女たちの居る女部屋《ヲンナベヤ》までも、何時もづか/″\這入つて來て、憚りなく古物語りを語つた、あの中臣志斐媼《ナカトミノシヒノオムナ》――。あれと、おなじ表情をして居る。其も、尤であつた。志斐[#(ノ)]老女が、藤氏《トウシ》の語部《カタリベ》の一人であるやうに、此も亦、この當麻の村の舊族、當麻眞人《タギマノマヒト》の「氏《ウヂ》の語部《カタリベ》」、亡び殘りの一人であつたのである。
[#ここから1字下げ]
藤原のお家が、今は四筋に分れて居りまする。ぢやが、大織冠さまの代どころでは、ありは致しませぬ。淡海公の時も、まだ一流れのお家でおざりました。併し其頃やはり、藤原は、中臣と二つの筋に岐れました。中臣の氏人で、藤原の里に榮えられたのが、藤原と、家名の申され初めでおざりました。
藤原のお流れ。今ゆく先も、公家攝録《クゲセフロク》の家柄。中臣の筋や、おん神仕へ。差別々々《ケヂメ※[#二の字点、1-2-22]※[#二の字点、1-2-22]》明らかに、御代々々《ミヨヽヽ》の宮|守《マモ》り。ぢやが、今は今昔は昔でおざります。藤原の遠つ祖《オヤ》、中臣の氏の神、天押雲根《アメノオシクモネ》と申されるお方の事は、お聞き及びかえ。
今、奈良の宮におざります 日の御子さま。其前は、藤原の宮の 日のみ子さま。又其前は、飛鳥《アスカ》の宮の 日のみ子さま。大和の國中《クニナカ》に、宮遷し、宮|奠《サダ》め遊した代々《ヨヽ》の 日のみ子さま。長く久しい御代々々《ミヨヽヽ》に仕へた、中臣の家の神|業《ワザ》。郎女《イラツメ》さま。お聞き及びかえ。遠い代の昔語り。耳明らめてお聽きなされ。中臣・藤原の遠つ祖《オヤ》あめの押雲根命《オシクモネ》。遠い昔の 日のみ子さまのお喰《メ》しの、飯《イヒ》と、み酒《キ》を作る御料の水を、大和|國中《クニナカ》殘る隈なく搜し覓《モト》めました。その頃、國原の水は、水澁《ソブ》臭く、土《ツチ》濁りして、日のみ子さまのお喰《メ》しの料《シロ》に叶ひません。天《テン》の神 高天《タカマ》の大御祖《オホミオヤ》教へ給へと祈らうにも、國|中《ナカ》は國低し。山々もまんだ[#「まんだ」に傍点]天《テン》遠し。大和の國とり圍む青垣山では、この二上山。空行く雲の通《カヨ》ひ路《ヂ》と、昇り立つて祈りました。その時、高天《タカマ》の大御祖《オホミオヤ》のお示しで、中臣の祖《オヤ》押雲根命《オシクモネ》、天の水の湧《ワ》き口《グチ》を、此二上山に八《ヤ》ところまで見とゞけて、其後久しく 日のみ子さまのおめしの湯水は、代々の中臣自身、此山へ汲みに參ります。お聞き及びかえ。
[#ここで字下げ終わり]
當麻眞人《タギマノマヒト》の、氏の物語りである。さうして其が、中臣の神わざと繋りのある點を、座談のやうに語り進んだ姥は、ふと口をつぐんだ。
外には、瀬音が荒れて聞えてゐる。中臣・藤原の遠祖が、天二上《アメノフタカミ》に求めた天八井《アメノヤヰ》の水を集めて、峰を流れ降り、岩にあたつて漲り激《タギ》つ川なのであらう。瀬音のする方に向いて、姫は、掌《タナソコ》を合せた。
併しやがて、ふり向いて、仄暗くさし寄つて來てゐる姥の姿を見た時、言はうやうない畏しさと、せつかれるやうな忙しさを、一つに感じたのである。其に、志斐[#(ノ)]姥の、本式に物語りをする時の表情が、此老女の顏にも現れてゐた。今、當麻《タギマ》の語部《カタリベ》の姥《ウバ》は、神憑りに入るらしく、わな/\震ひはじめて居るのである。

        四

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ひさかたの  天二上《アメフタカミ》に、
我《ア》が登り   見れば、
とぶとりの  明日香《アスカ》
ふる里の   神南備山《カムナビ》隱《ゴモ》り、
家どころ   多《サハ》に見え、
豐《ユタ》にし    屋庭《ヤニハ》は見ゆ。
彌彼方《イヤヲチ》に   見ゆる家群《イヘムラ》
藤原の    朝臣《アソ》が宿。

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遠々に    我《ア》が見るものを、
たか/″\に 我《ア》が待つものを、
[#ここから4字下げ]
處女子《ヲトメゴ》は   出で通《コ》ぬものか。
よき耳《ミヽ》を   聞かさぬものか。
青馬の    耳面刀自《ミヽモノトジ》。
[#ここから5字下げ]
刀自もがも。 女弟《オト》もがも。
その子の   はらからの子の
處女子の   一人
一人だに、  わが配偶《ツマ》に來《コ》よ。

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ひさかたの  天二上《アメフタカミ》
二上の陽面《カゲトモ》に、
生ひをゝり  繁《シ》み咲く
馬醉木《アシビ》の   にほへる子を
[#ここから5字下げ]
我《ア》が     捉《ト》り兼ねて、
[#ここから4字下げ]
馬醉木の   あしずりしつゝ
[#ここから5字下げ]
吾《ア》はもよ偲《シヌ》ぶ。藤原處女
[#ここで字下げ終わり]
歌ひ了へた姥は、大息をついて、ぐつたりした。其から暫らく、山のそよぎ、川瀬の響きばかりが、耳についた。
姥は居ずまひを直して、嚴かな聲音《コワネ》で、誦《カタ》り出した。
とぶとりの 飛鳥の都に、日のみ子樣のおそば近く侍る尊いおん方。さゝなみの大津の宮に人となり、唐土《モロコシ》の學藝《ザエ》に詣《イタ》り深く、詩《カラウタ》も、此國ではじめて作られたは、大友[#(ノ)]皇子か、其とも此お方か、と申し傳へられる御方《オンカタ》。
近江の都は離れ、飛鳥の都の再榮えたその頃、あやまちもあやまち。日のみ子に弓引くたくみ、恐しや、企てをなされると言ふ噂が、立ちました。
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高天原廣野姫尊《タカマノハラヒロヌヒメノミコト》、おん怒りをお發しになりまして、とう/\池上の堤に引き出してお討たせになりました。
其お方がお死にの際《キハ》に、深く/\思ひこまれた一人のお人がおざりまする。耳面刀自《ミヽモノトジ》と申す、大織冠のお娘御でおざります。前から深くお思ひになつて居た、と云ふでもありません。唯、此郎女も、大津の宮離れの時に、都へ呼び返されて、寂しい暮しを續けて居られました。等しく大津の宮に愛着をお持ち遊した右の御方が、愈々、磐余《イハレ》の池の草の上で、お命召されると言ふことを聞いて、一目見てなごり惜しみがしたくてこらへられなくなりました。藤原から池上まで、おひろひでお出でになりました。小高い柴の一むらある中から、御樣子を窺うて歸らうとなされました。其時ちらりと、かのお人の、最期に近いお目に止りました。其ひと目が、此世に殘る執心となつたのでおざりまする。
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もゝつたふ 磐余《イハレ》の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや、雲隱りなむ
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この思ひがけない心殘りを、お詠みになつた歌よ、と私ども當麻《タギマ》の語部《カタリベ》の物語りには、傳へて居ります。
その耳面刀自と申すは、淡海公の妹君、郎女の祖父《オホヂ》君|南家《ナンケ》太政《ダイジヤウ》大臣には、叔母君にお當りになつてゞおざりまする。
人間の執心《シフシン》と言ふものは、怖《コハ》いものとはお思ひなされぬかえ。
其亡き骸は、大和の國を守らせよ、と言ふ御諚で、此山の上、河内から來る當麻路《タギマヂ》の脇にお埋《イ》けになりました。其が何《ナン》と、此世の惡心も何もかも、忘れ果てゝ清々《スガヽヽ》しい心になりながら、唯そればかりの一念が、殘つて居ると、申します。藤原四流の中で、一番美しい郎女が、今におき、耳面刀自と、其|幽界《カクリヨ》の目には、見えるらしいのでおざりまする。女盛りをまだ婿どりなさらぬげ[#「なさらぬげ」に傍点]の郎女さまが、其力におびかれて、この當麻《タギマ》までお出でになつたのでなうて、何でおざりませう。
當麻路に墓を造りました當時《ソノカミ》、石を搬ぶ若い衆にのり移つた靈《タマ》が、あの長歌を謳うた、と申すのが傳へ。
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當麻語部媼《タギマノカタリノオムナ》は、南家の郎女の脅える樣を想像しながら、物語つて居たのかも知れぬ。唯さへ、この深夜、場所も場所である。如何に止めどなくなるのが、「ひとり語《ガタ》り」の癖とは言へ、語部の古婆《フルバヾ》の心は、自身も思はぬ意地くね惡さを藏してゐるものである。此が、神さびた職を寂しく守つて居る者の優越感を、充すことにも、なるのであつた。
大貴族の郎女は、人の語を疑ふことは教へられて居なかつた。それに、信じなければならぬもの、とせられて居た語部の物語りである。詞の端々までも、眞實を感じて、聽いて居る。
言ふとほり、昔びとの宿執《シユクシフ》が、かうして自分を導いて來たことは、まことに違ひないであらう。其にしても、ついしか[#「ついしか」に傍点]見ぬお姿――尊い御佛と申すやうな相好が、其お方とは思はれぬ。
春秋の彼岸中日、入り方の光り輝く雲の上に、まざ/\と見たお姿。此|日本《ヤマト》の國の人とは思はれぬ。だが、自分のまだ知らぬこの國の男子《ヲノコヾ》たちには、あゝ言ふ方もあるのか知らぬ。金色《コンジキ》の鬣、金色の髮の豐かに垂れかゝる片肌は、白々と袒《ヌ》いで美しい肩。ふくよかなお顏は、鼻隆く、眉秀で、夢見るやうにまみ[#「まみ」に傍点]を伏せて、右手は乳の邊に擧げ、脇の下に垂れた左手は、ふくよかな掌を見せて、……あゝ雲の上に朱の唇、匂ひやかにほゝ笑まれると見た……その俤。
日のみ子さまの御側仕へのお人の中には、あの樣な人もおいでになるものだらうか。我が家《ヤ》の父や、兄人《セウト》たちも、世間の男たちとは、とりわけてお美しい、と女たちは噂するが、其すら似もつかぬ……。
尊い女性《ニシヨウ》は、下賤な人と、口をきかぬのが當時の世の掟である。何よりも、其語は、下ざまには通じぬもの、と考へられてゐた。それでも、此古物語りをする姥には、貴族の語もわかるであらう。郎女は、恥ぢながら問ひかけた。
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そこの人。ものを聞かう。此身の語が、聞きとれたら、答へしておくれ。
その飛鳥の宮の 日のみ子さまに仕へた、と言ふお方は、昔の罪びとらしいに、其が又何とした訣で、姫の前に立ち現れては、神々《カウヾヽ》しく見えるであらうぞ。
[#ここで字下げ終わり]
此だけの語が言ひ淀み、淀みして言はれてゐる間に、姥は、郎女の内に動く心もちの、凡は、氣《ケ》どつたであらう。暗いみ燈《アカシ》の光りの代りに、其頃は、もう東白みの明りが、部屋の内の物の形を、朧ろげに顯しはじめて居た。
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我が説明《コトワケ》を、お聞きわけられませ。神代の昔びと、天若日子《アメワカヒコ》。天若日子こそは、天《テン》の神々に弓引いた罪ある神。其すら、其|後《ゴ》、人の世になつても、氏貴い家々の娘|御《ゴ》の閨《ネヤ》の戸までも、忍びよると申しまする。世に言ふ「天若《アメワカ》みこ」と言ふのが、其でおざります。
天若みこ。物語りにも、うき世語《ヨガタ》りにも申します。お聞き及びかえ。
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姥は暫らく口を閉ぢた。さうして言ひ出した聲は、顏にも、年にも似ず、一段、はなやいで聞えた。
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「もゝつたふ」の歌、殘された飛鳥の宮の執心《シフシン》びと、世々の藤原の一《イチ》の媛に祟る天若みこも、顏清く、聲心惹く天若みこのやはり、一人でおざりまする。
お心つけられませ。物語りも早、これまで。
[#ここで字下げ終わり]
其まゝ石のやうに、老女はぢつとして居る。冷えた夜も、朝影《アサカゲ》を感じる頃になると、幾らか温みがさして來る。
萬法藏院は、村からは遠く、山によつて立つて居た。曉早い鷄の聲も、聞えぬ。もう梢を離れるらしい塒鳥が、近い端山《ハヤマ》の木群《コムラ》で、羽振《ハブ》きの音を立て初めてゐる。

        五

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おれは活《イ》きた。
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闇い空間は、明りのやうなものを漂してゐた。併し其は、蒼黒い靄の如く、たなびくものであつた。
巖ばかりであつた。壁も、牀《トコ》も、梁《ハリ》も、巖であつた。自身のからだすらが、既に、巖になつて居たのだ。
屋根が壁であつた。壁が牀であつた。巖ばかり――。觸《サハ》つても觸つても、巖ばかりである。手を伸すと、更に堅い巖が、掌に觸れた。脚をひろげると、もつと廣い磐石《バンジヤク》の面《オモテ》が、感じられた。
纔かにさす薄光りも、黒い巖石が皆吸ひとつたやうに、岩窟《イハムロ》の中に見えるものはなかつた。唯けはひ[#「けはひ」に傍点]――彼の人の探り歩くらしい空氣の微動があつた。
[#ここから1字下げ]
思ひ出しだぞ。おれが誰だつたか、――訣つたぞ。
おれだ。此おれだ。大津の宮に仕へ、飛鳥の宮に呼び戻されたおれ。滋賀津彦《シガツヒコ》。其が、おれだつたのだ。
[#ここで字下げ終わり]
歡びの激情を迎へるやうに、岩窟《イハムロ》の中のすべての突角が哮《タケ》びの反響をあげた。彼の人は、立つて居た。一本の木だつた。だが、其姿が見えるほどの、はつきりした光線はなかつた。明りに照し出されるほど、まとまつた現《ウツ》し身《ミ》をも、持たぬ彼《カ》の人であつた。
唯、岩屋の中に矗立《シユクリツ》した、立ち枯れの木に過ぎなかつた。
[#ここから1字下げ]
おれの名は、誰も傳へるものがない。おれすら忘れて居た。長く久しく、おれ自身にすら忘れられて居たのだ。可愛《イト》しいおれの名は、さうだ。語り傳へる子があつた筈だ。語り傳へさせる筈の語部《カタリベ》も、出來て居たゞらうに。――なぜか、おれの心は寂しい。空虚な感じが、しく/\と胸を刺すやうだ。
――子代《コシロ》も、名代《ナシロ》もない、おれにせられてしまつたのだ。さうだ。其に違ひない。この物足らぬ、大きな穴のあいた氣持ちは、其で、するのだ。おれは、此世に居なかつたと同前の人間になつて、現《ウツ》し身の人間どもには、忘れ了《ホ》されて居るのだ。憐みのないおつかさま。おまへさまは、おれの妻の、おれに殉死《トモジ》にするのを、見殺しになされた。おれの妻の生んだ粟津子《アハツコ》は、罪びとの子として、何處かへ連れて行かれた。野山のけだものゝ餌食《ヱジキ》に、くれたのだらう。可愛さうな妻よ。哀なむすこ[#「むすこ」に傍点]よ。
だが、おれには、そんな事などは、何でもない。おれの名が傳らない。劫初《ゴフシヨ》から末代まで、此世に出ては消える、天《アメ》の下《シタ》の青人草《アヲヒトグサ》と一列に、おれは、此世に、影も形も殘さない草の葉になるのは、いやだ。どうあつても、不承知だ。
惠みのないおつかさま。お前さまにお縋りするにも、其おまへさますら、もうおいでゞない此世かも知れぬ。
くそ――外《ソト》の世界が知りたい。世の中の樣子が見たい。
だが、おれの耳は聞える。其なのに、目が見えぬ。この耳すら、世間の語を聞き別けなくなつて居る。闇の中にばかり瞑《ツブ》つて居たおれの目よ。も一度くわつと※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《ミヒラ》いて、現し世のありのまゝをうつしてくれ、……土龍の目なと、おれに貸しをれ。
[#ここで字下げ終わり]
聲は再、寂かになつて行つた。獨り言する其聲は、彼の人の耳にばかり聞えて居るのであらう。
丑刻《ウシ》に、靜謐の頂上に達した現《ウツ》し世《ヨ》は、其が過ぎると共に、俄かに物音が起る。月の、空を行く音すら聞えさうだつた四方の山々の上に、まづ木の葉が音もなくうごき出した。次いではるかな谿のながれの色が、白々と見え出す。更に遠く、大和|國中《クニナカ》の、何處からか起る一番鷄のつくるとき[#「とき」に傍点]。
曉が來たのである。里々の男は、今、女の家の閨戸《ネヤド》から、ひそ/\と歸つて行くだらう。月は早く傾いたけれど、光りは深夜の色を保つてゐる。午前二時に朝の來る生活に、村びとも、宮びとも、忙しいとは思はずに、起きあがる。短い曉の目覺めの後、又、物に倚りかゝつて、新しい眠りを繼ぐのである。
山風は頻りに、吹きおろす。枝・木の葉の相|軋《ヒシ》めく音が、やむ間なく聞える。だが其も暫らくで、山は元のひつそ[#「ひつそ」に傍点]としたけしきに還る。唯、すべてが薄暗く、すべてが隈を持つたやうに、朧ろになつて來た。
岩窟《イハムロ》は、沈々と黝《クラ》くなつて冷えて行く。
した した。水は、岩肌を絞つて垂れてゐる。
[#ここから1字下げ]
耳面刀自《ミヽモノトジ》。おれには、子がない。子がなくなつた。おれは、その榮えてゐる世の中には、跡を貽《ノコ》して來なかつた。子を生んでくれ。おれの子を。おれの名を語り傳へる子どもを――。
[#ここで字下げ終わり]
岩|牀《ドコ》の上に、再白々と横つて見えるのは、身じろぎもせぬからだである。唯その眞裸な骨の上に、鋭い感覺ばかりが活きてゐるのであつた。
まだ反省のとり戻されぬむくろ[#「むくろ」に傍点]には、心になるものがあつて、心はなかつた。
耳面刀自の名は、唯の記憶よりも、更に深い印象であつたに違ひはない。自分すら忘れきつた、彼の人の出來あがらぬ心に、骨に沁み、干からびた髓の心《シン》までも、唯|彫《ヱ》りつけられたやうになつて、殘つてゐるのである。

萬法藏院の晨朝《ジンテウ》の鐘だ。夜の曙色《アケイロ》に、一度|騷立《サワダ》つた物々の胸をおちつかせる樣に、鳴りわたる鐘の音《ネ》だ。一《イツ》ぱし白みかゝつて來た東は、更にほの暗い明《ア》け昏《グ》れの寂けさに返つた。
南家の郎女は、一莖の草のそよぎでも聽き取れる曉凪《アカツキナ》ぎを、自身擾すことをすまいと言ふ風に、身じろきすらもせずに居る。
夜《ヨル》の間《マ》よりも暗くなつた盧《イホリ》の中では、明王像の立ち處《ド》さへ見定められぬばかりになつて居る。
何處からか吹きこんだ朝山|颪《オロシ》に、御|燈《アカシ》が消えたのである。當麻語部《タギマカタリ》の姥も、薄闇に蹲つて居るのであらう。姫は再、この老女の事を忘れてゐた。
たゞ一刻ばかり前、這入りの戸を搖つた物音があつた。一度 二度 三度。更に數度。音は次第に激しくなつて行つた。樞がまるで、おしちぎられでもするかと思ふほど、音に力のこもつて來た時、ちようど、鷄が鳴いた。其きりぴつたり、戸にあたる者もなくなつた。


新しい物語が、一切、語部の口にのぼらぬ世が來てゐた。けれども、頑《カタクナ》な當麻氏《タギマウヂ》の語部の古姥《フルウバ》の爲に 我々は今一度、去年以來の物語りをしておいても、よいであらう。まことに其は、昨《キゾ》の日からはじまるのである。

        六

門をはひると、俄かに松風が、吹きあてるやうに響いた。
一町も先に、固まつて見える堂伽藍――そこまでずつと、砂地である。白い地面に、廣い葉の青いまゝでちらばつて居るのは、朴の木だ。
まともに、寺を壓してつき立つてゐるのは、二上山《フタカミヤマ》である。其眞下に※[#「さんずい+(日/工)」、第4水準2-78-60]槃佛《ネハンブツ》のやうな姿に横つてゐるのが、麻呂子山だ。其頂がやつと、講堂の屋の棟に、乘りかゝつてゐるやうにしか見えない。
女人《ニヨニン》の身は、何も知つて居る訣はなかつた。だが、俊敏な此旅びとの胸に其に似たほのかな綜合の、出來あがつて居たのは疑はれぬ。暫らくの間、その薄緑の山色を仰いで居た。其から、朱塗りの、激しく光る建て物へ、目を移して行つた。
此寺の落慶供養のあつたのは、つい四五日|前《アト》であつた。まだあの日の喜ばしい騷ぎの響《トヨ》みが、どこかにする樣に、麓の村びと等には、感じられて居る程である。
山|颪《オロシ》に吹き暴《サラ》されて、荒草深い山裾の斜面に、萬法藏院《マンホフザウヰン》の細々とした御燈《ミアカシ》の、煽られて居たのに見馴れた人たちは、この幸福な轉變《テンペン》に、目を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]つて居るだらう。此郷に田莊《ナリドコロ》を殘して、奈良に數代住みついた豪族の主人も、その日は、歸つて來て居たつけ。此は、天竺の狐の爲わざではないか、其とも、この葛城郡に、昔から殘つてゐる幻術師《マボロシ》のする迷はしではないか。あまり莊嚴《シヨウゴン》を極めた建て物に、故知らぬ反感まで唆られて、廊を踏み鳴らし、柱を叩いて見たりしたものも、その供人《トモビト》のうちにはあつた。數年前の春の初め、野燒きの火が燃えのぼつて來て、唯一宇あつた萱堂《カヤドウ》が、忽痕もなくなつた。そんな小さな事件が起つて、注意を促してすら、そこを、曾て美《ウルハ》はしい福田と、寺の創められた代《ヨ》を、思ひ出す者もなかつた程、それは/\、微かな遠い昔であつた。
以前、疑ひを持ち初める里の子どもが、其堂の名に、不審を起した。當麻《タギマ》の村にありながら、山田|寺《デラ》と言つたからである。山の背《ウシロ》の河内の國|安宿部郡《アスカベゴホリ》の山田谷から移つて二百年、寂しい道場に過ぎなかつた。其でも一時は、倶舍《クシヤ》の寺として、榮えたこともあつたのだつた。
飛鳥の御世の、貴い御方が、此寺の本尊を、お夢に見られて、おん子を遣され、堂舍をひろげ、住侶の數をお殖しになつた。おひ/\境内になる土地の地形《ヂギヤウ》の進んでゐる最中、その若い貴人が、急に亡くなられた。さうなる筈の、風水《フウスヰ》の相《ソウ》が、「まろこ」の身を招き寄せたのだらう。よしよし、墓はそのまゝ、其村に築くがよい、との仰せがあつた。其み墓のあるのが、あの麻呂子山だと言ふ。まろ子といふのは、尊い御一族だけに用ゐられる語で、おれの子といふほどの、意味であつた。ところが、其おことばが縁を引いて、此郷の山には、其後亦、貴人をお埋め申すやうな事が、起つたのである。
だが、さう言ふ物語りはあつても、それは唯、此里の語部《カタリベ》の姥《ウバ》の口に、さう傳へられてゐる、と言ふに過ぎぬ古《フル》物語りであつた。纔《ワヅ》かに百年、其短いと言へる時間も、文字に縁遠い生活には、さながら太古を考へると、同じ昔となつてしまつた。
旅の若い女性《ニヨシヤウ》は、型摺りの大樣な美しい模樣をおいた著る物を襲うて居る。笠は、淺い縁《ヘリ》に、深い縹色《ハナダ》の布が、うなじを隱すほどに、さがつてゐた。
日は仲春、空は雨あがりの、爽やかな朝である。高原《カウゲン》の寺は、人の住む所から、自《オノヅカ》ら遠く建つて居た。唯凡、百の僧俗が、寺《ジ》中に起き伏して居る。其すら、引き續く供養饗宴の疲れで、今日はまだ、遲い朝を、姿すら見せずにゐる。
その女人は、日に向つてひたすら輝く伽藍の※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]りを、殘りなく歩いた。寺の南|境《ザカヒ》は、み墓山の裾から、東へ出てゐる長い崎の盡きた所に、大門はあつた。其中腹と、東の鼻とに、西塔・東塔が立つて居る。丘陵の道をうねりながら登つた旅びとは、東の塔の下に出た。
雨の後の水氣の、立つて居る大和の野は、すつかり澄みきつて、若晝《ワカヒル》のきら/\しい景色になつて居る。右手の目の下に、集中して見える丘陵は傍岡《カタヲカ》で、ほの/″\と北へ流れて行くのが、葛城川だ。平原の眞中に、旅笠を伏せたやうに見える遠い小山は、耳無《ミヽナシ》の山であつた。其右に高くつつ立つてゐる深緑は、畝傍山。更に遠く日を受けてきらつく水面は、埴安《ハニヤス》の池ではなからうか。其東に平たくて低い背を見せるのは、聞えた香具《カグ》山なのだらう。旅の女子《ヲミナゴ》の目は、山々の姿を、一つ/\に辿つてゐる。天《アメノ》香具山をあれだと考へた時、あの下が、若い父母《チヽハヽ》の育つた、其から、叔父叔母、又一族の人々の、行き來した、藤原の里なのだ。
もう此上は見えぬ、と知れて居ても、ひとりで、爪先立てゝ伸び上る氣持ちになつて來るのが抑へきれなかつた。
香具山の南の裾に輝く瓦舍《カハラヤ》は、大官大寺《ダイクワンダイジ》に違ひない。其から更に眞南の、山と山との間に、薄く霞んでゐるのが、飛鳥《アスカ》の村なのであらう。父の父も、母の母も、其又父母も、皆あのあたりで生ひ立たれたのであらう。この國の女子《ヲミナゴ》に生れて、一足も女部屋《ヲンナベヤ》を出ぬのを、美徳とする時代に居る身は、親の里も、祖先の土も、まだ踏みも知らぬ。あの陽炎《カゲロウ》の立つてゐる平原を、此足で、隅から隅まで歩いて見たい。
かう、その女性《ニヨシヤウ》は思うてゐる。だが、何よりも大事なことは、此|郎女《イラツメ》――貴女は、昨日の暮れ方、奈良の家を出て、こゝまで歩いて來てゐるのである。其も、唯のひとりでゞあつた。
家を出る時、ほんの暫し、心を掠めた――父君がお聞きになつたら、と言ふ考へも、もう氣にはかゝらなくなつて居る。乳母があわてゝ探すだらう、と言ふ心が起つて來ても、却つてほのかな、こみあげ笑ひを誘ふ位の事になつてゐる。
山はづつしりとおちつき、野はおだやかに畝つて居る。かうして居て、何の物思ひがあらう。この貴《アテ》な娘|御《ゴ》は、やがて後をふり向いて、山のなぞへについて、次第に首をあげて行つた。
二上山。あゝこの山を仰ぐ、言ひ知らぬ胸騷ぎ。――藤原・飛鳥の里々山々を眺めて覺えた、今の先の心とは、すつかり違つた胸の悸《トキメ》き。旅の郎女は、脇目も觸らず、山に見入つてゐる。さうして、靜かな思ひの充ちて來る滿悦を、深く覺えた。昔びとは、確實な表現を知らぬ。だが謂はゞ、――平野の里に感じた喜びは、過去生《クワコシヤウ》に向けてのものであり、今此山を仰ぎ見ての驚きは未來世《ミライセ》を思ふ心躍りだ、とも謂へよう。
塔はまだ、嚴重にやらひ[#「やらひ」に傍点]を組んだまゝ、人の立ち入りを禁《イマシ》めてあつた。
でも、ものに拘泥することを教へられて居ぬ姫は、何時の間にか、塔の初《シヨ》重の欄干に、自分のよりかゝつて居るのに、氣がついた。
さうして、しみ/″\と山に見入つて居る。まるで瞳が、吸ひこまれるやうに。山と自分とに繋《ツナガ》る深い交渉を、又くり返し思ひ初めてゐた。
郎女の家は、奈良東城、右京三條第七坊にある。祖父《オホヂ》武智麻呂《ムチマロ》のこゝで亡くなつて後、父が移り住んでからも、大分の年月になる。父は、男壯《ヲトコザカリ》には、横佩《ヨコハキ》の大將《ダイシヨウ》と謂はれる程、一ふりの大刀のさげ方にも、工夫を凝らさずには居られぬだて[#「だて」に傍点]者《モノ》であつた。なみ[#「なみ」に傍点]の人の竪にさげて佩く大刀を、横《ヨコタ》へて弔る佩き方を案出した人である。新しい奈良の都の住人は、まださうした官吏としての、華奢な服裝を趣向《コノ》むまでに到つて居なかつた頃、姫の若い父は、近代の時世裝に思ひを凝して居た。その家に覲《タヅ》ねて來る古い留學生や、新來《イマキ》の歸化僧などに尋ねることも、張文成などの新作の物語りの類を、問題にするやうなのとも、亦違うてゐた。
さうした闊達な、やまとごゝろの、赴くまゝにふるまうて居る間に、才《ザエ》優れた族人《ウカラビト》が、彼を乘り越して行くのに氣がつかなかつた。姫には叔父彼――豐成には、さしつぎの弟、仲麻呂である。
その父君も、今は筑紫に居る。尠くとも、姫などはさう信じて居た。家族の半以上は、太宰帥《ダザイノソツ》のはな/″\しい生活の裝ひとして、連れられて行つてゐた。宮廷から賜る資人《トネリ》・※[#「にんべん+慊のつくり」、第3水準1-14-36]仗《タチ》も、大貴族の家の門地の高さを示すものとて、美々しく着飾らされて、皆任地へついて行つた。さうして、奈良の家には、その年は亦とりわけ、寂しい若葉の夏が來た。
寂かな屋敷には、響く物音もない時が、多かつた。この家も世間どほりに、女部屋は、日あたりに疎い北の屋にあつた。その西側に、小な蔀戸《シトミド》があつて、其をつきあげると、方三尺位な※[#「片+總のつくり」、第3水準1-87-68]になるやうに出來てゐる。さうして、其内側には、夏冬なしに簾が垂れてあつて、戸のあげてある時は、外からの隙見を禦いだ。
それから外※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]《ソトマハ》りは、家の廣い外郭になつて居て、大炊屋《オホヒヤ》もあれば、湯殿|火燒《ヒタ》き屋なども、下人の住ひに近く、立つてゐる。苑《ソノ》と言はれる菜畠や、ちよつとした果樹園らしいものが、女部屋の窓から見える、唯一の景色であつた。
武智麻呂|存生《ゾンジヤウ》の頃から、此屋敷のことを、世間では、南家と呼び慣はして來てゐる。此頃になつて、仲麻呂の威勢が高まつて來たので、何となく其古い通稱は、人の口から薄れて、其に替る稱へが、行はれ出した樣だつた。三條三坊第二保をすつかり占めた大屋敷を、一垣内《ヒトカキツ》――一字《ヒトアザナ》と見做して、横佩墻内《ヨコハキカキツ》と言ふ者が著しく、殖えて來たのである。
その太宰府からの音づれが、久しく絶えたと思つてゐたら、都とは目と鼻の難波《ナニハ》に、いつか還り住んで、遙かに筑紫の政を聽いてゐた帥《ソツ》の殿であつた。其父君から遣された家の子が、一車《ヒトクルマ》に積み餘るほどな家づとを、家に殘つた家族たち殊に、姫君にと言つてはこんで來た。
山國の狹い平野に、一代々々都遷しのあつた長い歴史の後、こゝ五十年、やつと一つ處に落ちついた奈良の都は、其でもまだ、なか/\整ふまでには、行つて居なかつた。
官廳や、大寺が、によつきり/\、立つてゐる外は、貴族の屋敷が、處々むやみに場をとつて、その相間々々に、板屋や瓦屋が、交りまじりに續いてゐる。其外は、廣い水田と、畠と、存外多い荒蕪地の間に、人の寄りつかぬ塚や岩群《イハムラ》が、ちらばつて見えるだけであつた。兎や、狐が、大路小路を驅け※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]る樣なのも、毎日のこと。つい此頃も、朱雀大路《シユジヤクオホヂ》の植ゑ木の梢を、夜になると、※[#「鼠+吾」、第4水準2-94-68]鼠《ムサヽビ》が飛び歩くと言ふので、一騷ぎした位である。
横佩家の郎女《イラツメ》が、稱讃淨土佛攝受經《シヨウサンジヤウドブツセフジユギヤウ》を寫しはじめたのも、其頃からであつた。父の心づくしの贈り物の中で、一番、姫君の心を饒《ニギ》やかにしたのは、此新譯の阿彌陀經|一卷《イチクワン》であつた。
國の版圖の上では、東に偏《カタヨ》り過ぎた山國の首都よりも、太宰府は、遙かに開けてゐた。大陸から渡る新しい文物は、皆一度は、この遠《トホ》の宮廷領《ミカド》を通過するのであつた。唐から渡つた書物などで、太宰府ぎりに、都まで出て來ないものが、なか/\多かつた。
學問や、藝術の味ひを知り初めた志の深い人たちは、だから、大唐までは望まれぬこと、せめて大宰府へだけはと、筑紫下りを念願するほどであつた。
南家《ナンケ》の郎女《イラツメ》の手に入つた稱讃淨土經も、大和一國の大寺《オホテラ》と言ふ大寺に、まだ一部も藏せられて居ぬものであつた。
姫は、蔀戸《シトミド》近くに、時としては机を立てゝ、寫經してゐることもあつた。夜も、侍女たちを寢靜まらしてから、油火《アブラビ》の下で、一心不亂に書き寫して居た。
百部は、夙くに寫し果した。その後は、千部手寫の發願をした。冬は春になり、夏山と繁つた春日山も、既に黄葉《モミヂ》して、其がもう散りはじめた。蟋蟀は、晝も苑一面に鳴くやうになつた。佐保川の水を堰《セ》き入れた庭の池には、遣《ヤ》り水傳ひに、川千鳥の啼く日すら、續くやうになつた。
今朝も、深い霜朝を何處からか、鴛鴦の夫婦鳥《ツマドリ》が來て浮んで居ります、と童女《ワラハメ》が告げた。
五百部を越えた頃から、姫の身は、目立つてやつれて來た。ほんの纔かの眠りをとる間も、ものに驚いて覺めるやうになつた。其でも、八百部の聲を聞く時分になると、衰へたなりに、健康は定まつて來たやうに見えた。やゝ蒼みを帶びた皮膚に、心もち細つて見える髮が、愈々黒く映え出した。
八百八十部、九百部。郎女は侍女にすら、ものを言ふことを厭ふやうになつた。さうして、晝すら何か夢見るやうな目つきして、うつとり蔀戸《シトミド》ごしに、西の空を見入つて居るのが、皆の注意をひくほどであつた。
實際、九百部を過ぎてからは筆も一向、はかどらなくなつた。二十部・三十部・五十部。心ある女たちは、文字の見えない自身たちのふがひなさ[#「ふがひなさ」に傍点]を悲しんだ。郎女の苦しみを、幾分でも分けることが出來ように、と思ふからである。
南家の郎女が、宮から召されることになるだらうと言ふ噂が、京・洛外に廣がつたのも、其頃である。屋敷中の人々は、上《ウヘ》近く事《ツカ》へる人たちから、垣内《カキツ》の隅に住む奴隷《ヤツコ》・婢奴《メヤツコ》の末にまで、顏を輝《カヾヤ》かして、此とり沙汰を迎へた。でも姫には、誰一人其を聞かせる者がなかつた。其ほど、此頃の郎女は氣むつかしく、外目《ヨソメ》に見えてゐたのである。
千部手寫の望みは、さうした大願から立てられたものだらう、と言ふ者すらあつた。そして誰ひとり、其を否む者はなかつた。
南家の姫の美しい膚は、益々透きとほり、潤んだ目は、愈々大きく黒々と見えた。さうして、時々聲に出して誦《ジユ》する經の文《モン》が、物の音《ネ》に譬へやうもなく、さやかに人の耳に響く。聞く人は皆、自身の耳を疑うた。
去年の春分の日の事であつた。入り日の光りをまともに受けて、姫は正座して、西に向つて居た。日は、此屋敷からは、稍|坤《ヒツジサル》によつた遠い山の端《ハ》に沈むのである。西空の棚雲の紫に輝く上で、落日《ラクジツ》は俄かに轉《クルメ》き出した。その速さ。雲は炎になつた。日は黄金《ワウゴン》の丸《マルガセ》になつて、その音も聞えるか、と思ふほど鋭く※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]つた。雲の底から立ち昇る青い光りの風――、姫は、ぢつと見つめて居た。やがて、あらゆる光りは薄れて、雲は霽れた。夕闇の上に、目を疑ふほど、鮮やかに見えた山の姿。二上山である。その二つの峰の間に、あり/\と莊嚴《シヤウゴン》な人の俤が、瞬間顯れて消えた。後《アト》は、眞暗な闇の空である。山の端《ハ》も、雲も何もない方に、目を凝《コラ》して、何時までも端坐して居た。郎女の心は、其時から愈々澄んだ。併し、極めて寂しくなり勝《マサ》つて行くばかりである。
ゆくりない日が、半年の後に再來て、姫の心を無上《ムシヨウ》の歡喜に引き立てた。其は、同じ年の秋、彼岸|中日《チユウニチ》の夕方であつた。姫は、いつかの春の日のやうに、坐してゐた。朝から、姫の白い額の、故もなくひよめいた[#「ひよめいた」に傍点]長い日の、後《ノチ》である。二上山の峰を包む雲の上に、中秋の日の爛熟した光が、くるめき出したのである。雲は火となり、日は八尺《ハツシヤク》の鏡と燃え、青い響きの吹雪を、吹き捲く嵐――。
雲がきれ、光りのしづまつた山の端は、細く金の外輪を靡かして居た。其時、男嶽・女嶽の峰の間に、あり/\と浮き出た 髮 頭 肩 胸――。姫は又、あの俤を見ることが、出來たのである。
南家の郎女《イラツメ》の幸福な噂が、春風に乘つて來たのは、次の春である。姫は別樣の心躍りを、一月も前から感じて居た。さうして、日を數《ト》り初めて、ちようど、今日と言ふ日。彼岸中日、春分《シユンブン》の空が、朝から晴れて、雲雀は天に翔り過ぎて、歸ることの出來ぬほど、青雲が深々とたなびいて居た。郎女は、九百九十九部を寫し終へて、千部目にとりついて居た。
日一日、のどかな温い春であつた。經卷の最後の行、最後の字を書きあげて、ほつと息をついた。あたりは俄かに、薄暗くなつて居る。目をあげて見る蔀窓《シトミド》の外には、しと/\と――音がしたゝつて居るではないか。姫は立つて、手づから簾をあげて見た。雨。
苑の青菜が濡れ、土が黒ずみ、やがては瓦屋にも、音が立つて來た。
姫は、立つても坐《ヰ》ても居られぬ、焦躁に悶えた。併し日は、益々暗くなり、夕暮れに次いで、夜が來た。
茫然として、姫はすわつて居る。人聲も、雨音も、荒れ模樣に加《クハヽ》つて來た風の響きも、もう、姫は聞かなかつた。

        七

南家の郎女の神隱《カミカク》しに遭つたのは、其夜であつた。家人は、翌朝空が霽れ、山々がなごりなく見えわたる時まで、氣がつかずに居た。
横佩墻内《ヨコハキカキツ》に住む限りの者は、男も、女も、上《ウハ》の空になつて、洛中洛外を馳せ求めた。さうした奔《ハシ》り人《ビト》の多く見出される場處と言ふ場處は、殘りなく搜された。春日山の奧へ入つたものは、伊賀境までも踏み込んだ。高圓山の墓原も、佐紀の沼地・雜木原も、又は、南は山村《ヤマムラ》、北は奈良山、泉川の見える處まで馳せ※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]つて、戻る者も、戻る者も皆|空《カラ》足を踏んで來た。
姫は、何處をどう歩いたか、覺えがない。唯、家を出て、西へ/\と辿つて來た。降り募るあらしが、姫の衣を濡した。姫は、誰にも教はらないで、裾を脛《ハギ》まであげた。風は、姫の髮を吹き亂した。姫は、いつとなく、髻《モトヾリ》をとり束ねて、襟から着物の中に、含《クヽ》み入れた。夜中になつて、風雨が止み、星空が出た。
姫の行くてには常に、二つの峰の竝んだ山の立ち姿がはつきりと聳えて居た。毛孔の竪つやうな畏しい聲を、度々聞いた。ある時は、鳥の音であつた。其後、頻りなく斷續したのは、山の獸の叫び聲であつた。大和の内も、都に遠い廣瀬・葛城《カツラギ》あたりには、人居などは、ほんの忘れ殘りのやうに、山陰などにあるだけで、あとは曠野。それに――、本村《ホンムラ》を遠く離れた、時はづれの、人棲まぬ田居《タヰ》ばかりである。
片破れ月が、上《アガ》つて來た。其が却て、あるいてゐる道の邊《ホトリ》の凄さを、照し出した。其でも、星明りで辿つて居るよりは、よるべを覺えて、足が先へ先へと出た。月が中天へ來ぬ前に、もう東の空が、ひいわり[#「ひいわり」に傍点]白《シラ》んで來た。夜のほの/″\明けに、姫は、目を疑ふばかりの現實に行きあつた。――横佩家の侍女たちは何時も、夜の起きぬけに、一番最初に目撃した物事で、日のよしあしを、占つて居るやうだつた。さう言ふ女どものふるまひに、特別に氣は牽かれなかつた郎女だけれど、よく其人々が、「今朝《ケサ》の朝目《アサメ》がよかつたから」「何と言ふ情ない朝目でせう」などゝ、そは/\と興奮したり、むやみに塞ぎこんだりして居るのを、見聞きしてゐた。

郎女は、生れてはじめて、「朝目よく」と謂つた語を、内容深く感じたのである。目の前に赤々と、丹塗《ニヌ》りに照り輝いて、朝日を反射して居るのは、寺の大門ではないか。さうして、門から、更に中門が見とほされて、此もおなじ丹塗りに、きらめいて居る。
山裾の勾配に建てられた堂・塔・伽藍は、更に奧深く、朱《アケ》に、青に、金色に、光りの棚雲を、幾重にもつみ重ねて見えた。朝目のすがしさ[#「すがしさ」に傍点]は、其ばかりではなかつた。其寂寞たる光りの海から、高く抽《ヌキ》でゝ見える二上の山。淡海《タンカイ》公の孫、大織冠《タイシヨククワン》には曾孫。藤氏族長《トウシゾクチヨウ》太宰帥、南家《ナンケ》の豐成、其|第一孃子《ダイイチヂヨウシ》なる姫である。屋敷から、一歩はおろか、女部屋を膝行《ヰザ》り出ることすら、たまさかにもせぬ、郎女《イラツメ》のことである。順道《ジユンタウ》ならば、今頃は既に、藤原の氏神河内の枚岡《ヒラヲカ》の御神《オンカミ》か、春日の御社《ミヤシロ》に、巫女《ミコ》の君《キミ》として仕へてゐるはずである。家に居ては、男を寄せず、耳に男の聲も聞かず、男の目を避けて、仄暗い女部屋に起き臥しゝてゐる人である。世間の事は、何一つ聞き知りも、見知りもせぬやうに、おふしたてられて來た。
寺の淨域が、奈良の内外《ウチト》にも、幾つとあつて、横佩|墻内《カキツ》と讃《タヽ》へられてゐる屋敷よりも、もつと廣大なものだ、と聞いて居た。さうでなくても、經文の上に傳へた淨土の莊嚴《シヤウゴン》をうつすその建て物の樣は、想像せぬではなかつた。だが目《マ》のあたり見る尊さは、唯息を呑むばかりであつた。之に似た驚きの經驗は、曾て一度したことがあつた。姫は今其を思ひ起して居る。簡素と、豪奢との違ひこそあれ、驚きの歡喜は、印象深く殘つてゐる。
今の 太上天皇樣が、まだ宮廷の御あるじで居させられた頃、八歳《ハツサイ》の南家の郎女《イラツメ》は、童女《ワラハメ》として、初《ハツ》の殿上《テンジヨウ》をした。穆々《ボクヽヽ》たる宮の内の明りは、ほのかな香氣を含んで、流れて居た。晝すら眞夜《マヨ》に等しい、御帳臺《ミチヤウダイ》のあたりにも、尊いみ聲は、昭々《セウヽヽ》と珠を搖る如く響いた。物わきまへもない筈の、八歳の童女が感泣した。
「南家には、惜しい子が、女になつて生れたことよ」と仰せられた、と言ふ畏れ多い風聞が、暫らく貴族たちの間に、くり返された。其後十二年、南家の娘は、二十《ハタチ》になつてゐた。幼いからの聰《サト》さにかはりはなくて、玉・水精《スヰシヤウ》の美しさが益々加つて來たとの噂が、年一年と高まつて來る。
姫は、大門の閾《シキミ》を越えながら、童女殿上《ワラハメテンジヤウ》の昔の畏《カシコ》さを、追想して居たのである。長い甃道《イシキミチ》を踏んで、中門に屆く間にも、誰一人出あふ者がなかつた。恐れを知らず育てられた大貴族の郎女は、虔《ツヽマ》しく併しのどかに、御《ミ》堂・々々を拜《ヲガ》んで、岡の東塔に來たのである。
こゝからは、北大和の平野は見えぬ。見えたところで、郎女は、奈良の家を考へ浮べることも、しなかつたであらう。まして、家人たちが、神隱しに遭うた姫を、探しあぐんで居ようなどゝは、思ひもよらなかつたのである。唯うつとりと、塔の下《モト》から近々と仰ぐ、二上山の山肌に、現《ウツ》し世《ヨ》の目からは見えぬ姿を惟《オモ》ひ觀《ミ》ようとして居るのであらう。
此時分になつて、寺では、人の動きが繁くなり出した。晨朝《ジンテウ》の勤めの間も、うと/\して居た僧たちは、爽やかな朝の眼を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]いて、食堂《ジキダウ》へ降りて行つた。奴婢《ヌヒ》は、其々もち場持ち場の掃除を勵む爲に、ようべの雨に洗つたやうになつた、境内の沙地に出て來た。
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そこにござるのは、どなたぞな。
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岡の陰から、恐る/\頭をさし出して問うた一人の寺奴《ヤツコ》は、あるべからざる事を見た樣に、自分自身を咎めるやうな聲をかけた。女人の身として、這入ることの出來ぬ結界を犯してゐたのだつた。姫は答へよう、とはせなかつた。又答へようとしても、かう言ふ時に使ふ語には、馴れて居ぬ人であつた。
若し又、適當な語を知つて居たにしたところで、今はそんな事に、考へを紊されては、ならぬ時だつたのである。
姫は唯、山を見てゐた。依然として山の底に、ある俤を觀じ入つてゐるのである。寺奴《ヤツコ》は、二|言《コト》とは問ひかけなかつた。一晩のさすらひでやつれては居ても、服裝から見てすぐ、どうした身分の人か位の判斷は、つかぬ筈はなかつた。又暫らくして、四五人の跫音が、びた/″\と岡へ上つて來た。年のいつたのや、若い僧たちが、ばら/″\と走つて、塔のやらひの外まで來た。
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こゝまで出て御座れ。そこは、男でも這入るところではない。女人《ニヨニン》は、とつとゝ出てお行きなされ。
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姫は、やつと氣がついた。さうして、人とあらそはぬ癖をつけられた貴族の家の子は、重い足を引きながら、竹垣の傍まで來た。
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見れば、奈良のお方さうなが、どうして、そんな處にいらつしやる。
それに又、どうして、こゝまでお出でだつた。伴の人も連れずに――。
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口々に問うた。男たちは、咎める口とは別に、心はめい/\、貴い女性をいたはる氣持ちになつて居た。
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山ををがみに……。
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まことに唯|一詞《ヒトコト》。當《タウ》の姫すら思ひ設けなんだ詞《コトバ》が匂ふが如く出た。
貴族の家庭の語と、凡下《ボンゲ》の家々の語とは、すつかり變つて居た。だから言ひ方も、感じ方も、其うへ、語其ものさへ、郎女の語が、そつくり寺の所化|輩《ハイ》には、通じよう筈がなかつた。
でも、其でよかつたのである。其でなくて、語の内容が、其まゝ受けとられようものなら、南家の姫は、即座に氣のふれた女、と思はれてしまつたであらう。
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それで、御館《ミタチ》はどこぞな。
みたち……。
おうちは……。
おうち……。
おやかたは、と問ふのだよ――。
をゝ。家はとや。右京藤原南家……。
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俄然として、群集の上にざはめきが起つた。四五人だつたのが、あとから後から登つて來た僧たちも加つて、二十人以上にもなつて居た。其が、口々に喋り出したものである。
ようべの嵐に、まだ殘りがあつたと見えて、日の明るく照つて居る此小|晝《ビル》に、又風が、ざはつき出した。この岡の崎にも、見おろす谷にも、其から二上山へかけての尾根《ヲネ》尾根にも、ちらほら白く見えて、花の木がゆすれて居る。山の此方《コナタ》にも小櫻の花が、咲き出したのである。
此時分になつて、奈良の家では誰となく、こんな事を考へはじめてゐた。此はきつと、里方の女たちのよく[#「よく」に傍点]する、春の野遊びに出られたのだ。――何時からとも知らぬ習《ナラハ》しである。春秋の、日と夜と平分《ヘイブン》する其頂上に當る日は、一日、日の影を逐うて歩く風が行はれて居た。どこまでもどこまでも、野の果て、山の末、海の渚まで、日を送つて行く女衆が多かつた。さうして、夜に入つてくた/\になつて、家路を戻る。此爲來りを何時となく、女たちの咄すのを聞いて、姫が、女の行《ギヤウ》として、この野遊びをする氣になられたのだ、と思つたのである。かう言ふ、考へに落ちつくと、ありやうもない考へだと訣つて居ても、皆の心が一時、ほうと輕くなつた。ところが、其日も晝さがりになり、段々|夕光《ユフカゲ》の、催して來る時刻が來た。昨日は、駄目になつた日の入りの景色が、今日は中日《チユウニチ》にも劣るまいと思はれる華やかさで輝いた。横佩家の人々の心は、再重くなつて居た。

        八

奈良の都には、まだ時をり、石城《シキ》と謂はれた石垣を殘して居る家の、見かけられた頃である。度々の太政官符《ダイジヤウグワンプ》で、其を家の周《マハ》りに造ることが、禁ぜられて來た。今では、宮廷より外には、石城《シキ》を完全にとり※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]した豪族の家などは、よく/\の地方でない限りは、見つからなくなつて居る筈なのである。
其に一つは、宮廷の御在所が、御一代々々々に替つて居た千數百年の歴史の後に、飛鳥《アスカ》の都は、宮殿の位置こそ、數町の間をあちこちせられたが、おなじ山河一帶の内にあつた。其で凡、都遷しのなかつた形になつたので、後《アト》から/\地割りが出來て、相應な都城《トジヤウ》の姿は備へて行つた。其數朝の間に、舊族の屋敷は、段々、家構へが整うて來た。
葛城に、元のまゝの家を持つて居て、都と共に一代ぎりの、屋敷を構へて居た蘇我臣《ソガノオミ》なども、飛鳥の都では、次第に家作りを擴げて行つて、石城《シキ》なども高く、幾重にもとり※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]して、凡永久の館作りをした。其とおなじ樣な氣持ちから、どの氏でも、大なり小なり、さうした石城《シキ》づくりの屋敷を、構へるやうになつて行つた。
蘇我臣|一流《ヒトナガ》れで最榮えた島の大臣家《オトヾケ》の亡びた時分から、石城の構へは禁《ト》められ出した。
この國のはじまり、天から授けられたと言ふ、宮廷に傳はる神の御詞《ミコトバ》に背く者は、今もなかつた。が、書いた物の力は、其が、どのやうに由緒のあるものでも、其ほどの威力を感じるに到らぬ時代がまだ續いて居た。
其飛鳥の都も、高天原廣野姫尊樣《タカマノハラヒロヌヒメノミコトサマ》の思召しで、其から一里北の藤井个原に遷され、藤原の都と名を替へて、新しい唐樣《モロコシヤウ》の端正《キラヽヽ》しさを盡した宮殿が、建ち竝ぶ樣になつた。近い飛鳥から、新渡來《イマキ》の高麗馬《コマ》に跨つて、馬上で通ふ風流士《タハレヲ》もあるにはあつたが、多くはやはり、鷺栖《サギス》の阪の北、香具山の麓から西へ、新しく地割りせられた京城《ケイジヤウ》の坊々《マチヽヽ》に屋敷を構へ、家造りをした。その次の御代になつても、藤原の都は、日に益し、宮殿が建て増されて行つて、こゝを永宮《トコミヤ》と遊ばす思召しが伺はれた。その安堵の心から、家々の外《ソト》には、石城を※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]すものが、又ぼつ/″\出て來た。さうして、そのはやり風俗が、見る/\うちに、また氏々の族長の家圍ひを、あらかた石にしてしまつた。その頃になつて、天眞宗豐祖父尊樣《アメマムネトヨオホヂノミコトサマ》がおかくれになり、御母《ミオヤ》 日本根子天津御代豐國成姫《ヤマトネコアマツミヨトヨクニナスヒメ》の大尊樣《オホミコトサマ》がお立ち遊ばした。その四年目思ひもかけず、奈良の都に宮遷しがあつた。ところがまるで、追つかけるやうに、藤原の宮は固より、目ぬきの家竝みが、不意の出火で、其こそ、あつと言ふ間に、痕形もなく、空《ソラ》の有《モノ》となつてしまつた。もう此頃になると、太政官符《ダジヤウグワンプ》に、更に嚴《キビ》しい添書《コトワキ》がついて出ずとも、氏々の人は皆、目の前のすばやい人事自然の交錯した轉變《テンペン》に、目を瞠るばかりであつたので、久しい石城《シキ》の問題も、其で、解決がついて行つた。
古い氏種姓《ウヂスジヤウ》を言ひ立てゝ、神代以來の家職の神聖を誇つた者どもは、其家職自身が、新しい藤原奈良の都には、次第に意味を失つて來てゐる事に、氣がついて居なかつた。
最早くそこに心づいた、姫の祖父|淡海《タンカイ》公などは、古き神祕を誇つて來た家職を、末代まで傳へる爲に、別に家を立てゝ中臣の名を保たうとした。さうして、自分・子供ら・孫たちと言ふ風に、いちはやく、新しい官人《ツカサビト》の生活に入り立つて行つた。
ことし、四十を二つ三つ越えたばかりの大伴家持《オホトモノヤカモチ》は、父|旅人《タビト》の其年頃よりは、もつと優れた男ぶりであつた。併し、世の中はもう、すつかり變つて居た。見るもの障《サハ》るもの、彼の心を苛《イラ》つかせる種にならぬものはなかつた。淡海公の、小百年前に實行して居る事に、今はじめて自分の心づいた鈍《オゾ》ましさが、憤らずに居られなかつた。さうして、自分とおなじ風の性向の人の成り行きを、まざ/″\省みて、慄然とした。現に、時に誇る藤原びとでも、まだ昔風の夢に泥《ナヅ》んで居た南家の横佩右大臣は、さきをとゝし、太宰[#(ノ)]員外帥《ヰングワイノソツ》に貶《オト》されて、都を離れた。さうして今は、難波で謹愼してゐるではないか。自分の親旅人も、三十年前に踏んだ道である。世間の氏上家《ウヂノカミケ》の主人《アルジ》は、大方もう、石城《シキ》など築《キヅ》き※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]《マハ》して、大門小門を繋ぐと謂つた要害と、裝飾とに、興味を失ひかけて居るのに、何とした自分だ。おれはまだ現に、出來るなら、宮廷のお目こぼしを頂いて、石に圍はれた家の中で、家の子どもを集め、氏人《ウヂビト》たちを召《ヨ》びつどへて、弓場《ユバ》に精勵させ、捧術《ホコユケ》・大刀かき[#「大刀かき」に傍点]に出精《シユツセイ》させよう、と謂つたことを空想して居る。さうして年々《トシヾヽ》頻繁に、氏神其外の神々を祭つてゐる。其度毎に、家の語部《カタリベ》大伴[#(ノ)]語造《カタリヤツコ》の嫗《オムナ》たちを呼んで、之に捉《ツカマ》へ處《ドコロ》もない昔代《ムカシヨ》の物語りをさせて、氏人《ウヂビト》に傾聽を強ひて居る。何だか、空《クウ》な事に力を入れて居たやうに思へてならぬ寂しさだ。
だが、其氏神祭りや、祭りの後宴《ゴエン》に、大勢《オホセイ》の氏人《ウヂビト》の集ることは、とりわけやかましく言はれて來た、三四年以來の法度《ハツト》である。
こんな溜め息を洩しながら、大伴氏の舊い習しを守つて、どこまでも、宮廷守護の爲の武道の傳襲に、努める外はない家持だつたのである。
越中守として踏み歩いた越路《コシヂ》の泥のかたが、まだ行縢《ムカバキ》から落ちきらぬ内に、もう復《マタ》、都を離れなければならぬ時の、迫つて居るやうな氣がして居た。其中、此針の筵の上で、兵部少輔《ヒヤウブセフ》から、大輔《タイフ》に昇進した。そのことすら、益々脅迫感を強める方にばかりはたらいた。
今年五月にもなれば、東大寺の四天王像の開眼《カイゲン》が行はれる筈で、奈良の都の貴族たちには、すでに寺から内見を願つて來て居た。さうして、忙しい世の中にも、暫らくはその評判が、すべてのいざこざをおし鎭める程に、人の心を浮き立たした。本朝《ホンテウ》出來の像としては、まづ、此程物凄い天部《テンブ》の姿を拜んだことは、はじめてだ、と言ふものもあつた。神代の荒《アラ》神たちも、こんな形相《ギヤウサウ》でおありだつたらう、と言ふ噂も聞かれた。
まだ公《オホヤケ》の供養もすまぬのに、人の口はうるさいほど、頻繁に流説をふり撒いてゐた。あの多聞天と、廣目天との顏つきに、思ひ當るものがないか、と言ふのであつた。此はこゝだけの咄だよ、と言つて話したのが、次第に廣まつて、家持の耳までも聞えて來た。なるほど、憤怒《フンヌ》の相《サウ》もすさまじいにはすさまじいが、あれがどうも、當今大倭一だと言はれる男たちの顏、そのまゝだと言ふのである。貴人は言はぬ、かう言ふ種類の噂は、えて[#「えて」に傍点]供をして見て來た道々《ミチヽヽ》の博士《ハカセ》たちと謂つた、心|蔑《サモ》しいものゝ、言ひさうな事である。
多聞天は、大師《タイシ》藤原[#(ノ)]惠美中卿《ヱミチユウケイ》だ。あの柔和な、五十を越してもまだ、三十代の美しさを失はぬあの方が、近頃おこりつぽくなつて、よく下官や、仕《ツカ》へ人《ビト》を叱るやうになつた。あの圓滿《ウマ》し人《ビト》が、どうしてこんな顏つきになるだらう、と思はれる表情をすることがある。其|面《オモ》もちそつくりだ、と尤らしい言ひ分なのである。
さう言へば、あの方が壯盛《ワカザカ》りに、捧術《ホコユケ》を嗜《コノ》んで、今にも事あれかしと謂つた顏で、立派な甲《ヨロヒ》をつけて、のつし/\と長い物を杖《ツ》いて歩かれたお姿が、あれを見てゐて、ちらつくやうだなど、と相槌をうつ者も出て來た。其では、廣目天の方はと言ふと、
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さあ、其がの――。
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と誰に言はせても、ちよつと言ひ澁るやうに、困つた顏をして見せる。
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實は、ほんの人の噂だがの。噂だから、保證は出來ぬがの。義淵僧正の弟子の道鏡法師に、似てるぞなと言ふがや。……けど、他人《ヒト》に言はせると、――あれはもう、二十幾年にもなるかいや――筑紫で伐たれなされた前太宰少貳《ゼンダザイノセウニ》―藤原廣嗣―の殿《トノ》に生寫《シヤウウツ》しぢや、とも言ふがいよ。
わしにも、どちらとも言へんがの。どうでも、見たことのあるお人に似て居さつしやるには、似てゐさつしやるげな……。
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何しろ、此二つの天部《テンブ》が、互に敵視するやうな目つきで、睨みあつて居る。噂を氣にした住侶たちが、色々に置き替へて見たが、どの隅からでも、互に相手の姿を、眦《マナジリ》を裂いて見つめて居る。とう/\あきらめて、自然にとり沙汰の消えるのを待つより爲方がない、と思ふやうになつたと言ふ。
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若しや、天下に大亂でも起きなければえゝが――。
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こんな※[#「口+耳」、第3水準1-14-94]きは、何時までも續きさうに、時と共に倦まずに語られた。
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前《セン》少貳殿でなくて、弓削新發意《ユゲシンボチ》の方であつてくれゝば、いつそ安心だがなあ。あれなら、事を起しさうな房主でもなし。起したくても、起せる身分でもないぢやまで――。
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言ひたい傍題《ハウダイ》な事を言つて居る人々も、たつた此一つの話題を持ちあぐね初めた頃、噂の中の大師|惠美《ヱミノ》朝臣の姪の横佩家の郎女《イラツメ》が、神隱しに遭うたと言ふ、人の口の端に旋風《ツジカゼ》を起すやうな事件が、湧き上つたのである。

        九

兵部大輔《ヒヤウブタイフ》大伴[#(ノ)]家持は、偶然この噂を、極めて早く耳にした。ちようど、春分《シユンブン》から二日目の朝、朱雀大路を南へ、馬をやつて居た。二人ばかりの資人《トネリ》が徒歩《カチ》で、驚くほどに足早について行く。此は、晋唐の新しい文學の影響を受け過ぎるほど、享け入れた文人かたぎの彼には、數年來珍しくもなくなつた癖である。かうして、何處まで行くのだらう。唯、朱雀の竝み木の柳の花がほゝけて、霞のやうに飛んで居る。向うには、低い山と、細長い野が、のどかに陽炎《カゲロ》ふばかりである。
資人の一人が、とつと[#「とつと」に傍点]ゝ追ひついて來たと思ふと、主人の鞍に顏をおしつける樣にして、新しい耳を聞かした。今行きすがうた知り人の口から、聞いたばかりの噂である。
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それで、何か――。娘御の行くへは知れた、と言ふのか。
はい……。いゝえ。何分、その男がとり急いで居りまして。
この間拔け。話はもつと上手に聽くものだ。
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柔らかく叱つた。そこへ今《モ》一人の伴《トモ》が、追ひついて來た。息をきらしてゐる。
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ふん。汝《ワケ》は聞き出したね。南家《ナンケ》の孃子《ヲトメ》は、どうなつた――。
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出|端《ハナ》に油かけられた資人《トネリ》は、表情に隱さず心の中を表した此頃の人の、自由な咄し方で、まともに鼻を蠢して語つた。
當麻の邑まで、をとゝひ夜《ヨ》の中に行つて居たこと、寺からは、昨日午後、横佩|墻内《カキツ》へ知らせが屆いたこと其外には、何も聞きこむ間のなかつたことまで。家持の聯想は、環のやうに繋つて、暫らくは馬の上から見る、街路も、人通りも、唯、物として通り過ぎるだけであつた。
南家で持つて居た藤原の氏上《ウヂノカミ》職が、兄の家から、弟仲麻呂―押勝―の方へ移らうとしてゐる。來年か、再來年《サライネン》の枚岡《ヒラヲカ》祭りに、參向する氏人の長者は、自然かの大師のほか、人がなくなつて居る。惠美家《ヱミケ》からは、嫡子|久須麻呂《クスマロ》の爲、自分の家の第一孃子をくれとせがまれて居る。先日も、久須麻呂の名の歌が屆き、自分の方でも、娘に代つて返し歌を作つて遣した。今朝《ケサ》も今朝、又折り返して、男からの懸想文《ケサウブミ》が、來てゐた。
その壻候補《ムコガネ》の父なる人は、五十になつても、若かつた頃の容色に頼む心が失せずにゐて、兄の家娘にも執心は持つて居るが、如何に何でも、あの郎女だけには、とり次げないで居る。此は、横佩家へも出入りし、大伴家へも初中終《シヨツチユウ》來る古刀自《フルトジ》の、人のわるい内證話であつた。其を聞いて後、家持自身も、何だか好奇心に似たものが、どうかすると頭を擡《モタ》げて來て困つた。仲麻呂は今年、五十を出てゐる。其から見れば、ひとまはりも若いおれなどは、思ひ出にまう一度、此|匂《ニホ》やかな貌花《カホバナ》を、垣内《カキツ》の坪苑《ツボ》に移せぬ限りはない。こんな當時の男が、皆持つた心をどり[#「をどり」に傍点]に、はなやいだ、明るい氣がした。
だが併し、あの郎女は、藤原四家の系統《スヂ》で一番、神《カム》さびたたち[#「たち」に傍点]を持つて生れた、と謂はれる娘御である。今、枚岡《ヒラヲカ》の御神《オンカミ》に仕へて居る齋《イツ》き姫《ヒメ》の罷める時が來ると、あの孃子《ヲトメ》が替つて立つ筈だ。其で、貴い所からのお召しにも應じかねて居るのだ。……結局、誰も彼も、あきらめねばならぬ時が來るのだ。神の物は、神の物――。横佩家の娘御は、神の手に落ちつくのだらう。
ほのかな感傷が、家持の心を淨めて過ぎた。おれは、どうもあきらめが、よ過ぎる。十《トヲ》を出たばかりの幼さで、母は死に、父は疾んで居る太宰府へ降つて、夙《ハヤ》くから、海の彼方《アナタ》の作り物語りや、唐詩《モロコシウタ》のをかしさを知り初《ソ》めたのが、病みつきになつたのだ。死んだ父も、さうした物は、或は、おれよりも嗜きだつたかも知れぬほどだが、もつと物に執着《シフヂヤク》が深かつた。現に、大伴の家の行く末の事なども、父はあれまで、心を惱まして居た。おれも考へれば、たまらなくなつて來る。其で、氏人を集めて喩したり、歌を作つて訓諭して見たりする。だがさうした後の氣持ちの爽やかさは、どうしたことだ。洗ひ去つた樣に、心がすつとしてしまふのだつた。まるで、初めから家の事など考へて居なかつた、とおなじすが/″\しい心になつてしまふ。
あきらめと言ふ事を、知らなかつた人ばかりではないか。……昔物語りに語られる神でも、人でも、傑れた、と傳へられる限りの方々は――。それに、おれはどうしてかうだらう。
家持の心は併し、こんなに悔恨に似た心持ちに沈んで居るに繋らず、段々氣にかゝるものが、薄らぎ出して來てゐる。
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ほう これは、京極《キヤウハテ》まで來た。
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朱雀|大路《オホヂ》も、こゝまで來ると、縱横に通る地割りの太い路筋ばかりが、白々として居て、どの區畫にも/\、家は建つて居ない。去年の草の立ち枯れたのと、今年生えて稍莖を立て初めたのとがまじりあつて、屋敷地から喰み出し、道の上までも延びて居る。
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こんな家が――。
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驚いたことは、そんな草原の中に、唯一つ大きな構への家が、建ちかゝつて居る。遲い朝を、もう餘程、今日の爲事に這入つたらしい木の道[#「木の道」に傍点]の者たちが、骨組みばかりの家の中で、立ちはたらいて居るのが見える。家の建たぬ前に、既に屋敷※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]りの地形《ヂギヤウ》が出來て、見た目にもさつぱりと、垣をとり※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]して居る。
土を積んで、石に代へた垣、此頃言ひ出した築土垣《ツキヒヂガキ》といふのは、此だな、と思つて、ぢつと目をつけて居た。見る/\、さうした新しい好尚《コノミ》のおもしろさが、家持の心を奪うてしまつた。
築土垣《ツキヒヂガキ》の處々に、きりあけた口があつて、其に、門が出來て居た。さうして、其處から、頻りに人が繋つては出て來て、石を曳く。木を搬《モ》つ。土を搬び入れる。重苦しい石城《シキ》。懷しい昔構へ。今も、家持のなくなしたくなく考へてゐる屋敷※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]りの石垣が、思うてもたまらぬ重壓となつて、彼の胸に、もたれかゝつて來るのを感じた。
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おれには、だが、この築土垣を擇《ト》ることが出來ぬ。
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家持の乘|馬《メ》は再、憂欝に閉された主人を背に、引き返して、五條まで上つて來た。此邊から、右京の方へ折れこんで、坊角《マチカド》を※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]りくねりして行く樣子は、此主人に馴れた資人《トネリ》たちにも、胸の測られぬ氣を起させた。二人は、時々顏を見合せ、目くばせをしながら尚、了解が出來ぬ、と言ふやうな表情を交しかはし、馬の後を走つて行く。
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こんなにも、變つて居たのかねえ。
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ある坊角《マチカド》に來た時、馬をぴたと止めて、獨り言のやうに言つた。
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……舊《フル》草に 新《ニヒ》草まじり 生ひば 生ふるかに――だな。
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近頃見つけた歌※[#「にんべん+舞」、第4水準2-3-4]所《カブシヨ》の古記録「東歌《アヅマウタ》」の中に見た一首がふと、此時、彼の言ひたい氣持ちを、代作して居てくれてゐたやうに、思ひ出された。
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さうだ。「おもしろき野《ヌ》をば 勿《ナ》燒きそ」だ。此でよいのだ。
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けゞんな顏を仰《アフム》けてゐる伴人《トモビト》らに、柔和な笑顏を向けた。
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さうは思はぬか。立ち朽りになつた家の間に、どし/″\新しい屋敷が出來て行く。
都は何時までも、家は建て詰まぬが、其でもどちらかと謂へば、減るよりも殖えて行つてゐる。此邊は以前、今頃になると、蛙めの、あやまりたい程鳴く田の原が、續いてたもんだ。
仰るとほりで御座ります。春は蛙、夏はくちなは、秋は蝗まろ。此邊はとても、歩けたところでは御座りませんでした。
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今一人が言ふ。
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建つ家もたつ家も、この立派さは、まあどうで御座りませう。其に、どれも此も、此頃急にはやり出した築土垣《ツキヒヂガキ》を築《キヅ》きまはしまして。何やら、以前とはすつかり變つた處に、參つた氣が致します。
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馬上の主人も、今まで其ばかり考へて居た所であつた。だが彼の心は、瞬間明るくなつて、先年三形王の御殿での宴《ウタゲ》に誦《クチズサ》んだ即興が、その時よりも、今はつきりと内容を持つて、心に浮んで來た。
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うつり行く時見る毎に、心|疼《イタ》く 昔の人し 思ほゆるかも
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目をあげると、東の方春日の杜《モリ》は、谷陰になつて、こゝからは見えぬが、御蓋《ミカサ》山・高圓《タカマド》山一帶、頂が晴れて、すばらしい春日和になつて居た。
あきらめがさせるのどけさなのだ、とすぐ氣がついた。でも、彼の心のふさぎのむし[#「ふさぎのむし」に傍点]は迹《アト》を潜めて、唯、まるで今歩いてゐるのが、大日本平城京《オホヤマトヘイセイケイ》の土ではなく、大唐《ダイトウ》長安の大道の樣な錯覺の起つて來るのが押へきれなかつた。此馬がもつと、毛竝みのよい純白の馬で、跨つて居る自身も亦、若々しい二十代の貴公子の氣がして來る。神々から引きついで來た、重苦しい家の歴史だの、夥しい數の氏人などから、すつかり截り離されて、自由な空にかけつて居る自分でゞもあるやうな、豐かな心持ちが、暫らくは拂つても/\、消えて行かなかつた。
おれは若くもなし。第一、海東の大日本人《オホヤマトビト》である。おれには、憂欝な家職が、ひし/\と、肩のつまるほどかゝつて居るのだ。こんなことを考へて見ると、寂しくてはかない氣もするが、すぐに其は、自身と關係のないことのやうに、心は饒《ニギ》はしく和らいで來て、爲方がなかつた。
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をい、汝《ワケ》たち。大伴|氏上家《ウヂノカミケ》も、築土垣を引き※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]さうかな。
とんでもないことを仰せられます。
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二人の聲が、おなじ感情から迸り出た。
年の増した方の資人《トネリ》が、切實な胸を告白するやうに言つた。
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私どもは御譜第では御座りません。でも、大伴と言ふお名は、御門御垣《ミカドミカキ》と、關係深い稱へだ、と承つて居ります。大伴家からして、門垣を今樣にする事になつて御覽《ゴラウ》じませ。御一族の末々まで、あなた樣をお呪《ノロ》ひ申し上げることでおざりませう。其どころでは、御座りません。第一、ほかの氏々――大伴家よりも、ぐんと歴史の新しい、人の世になつて初まつた家々の氏人までが、御一族を蔑《ナイガシロ》に致すことになりませう。
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こんな事を言はして置くと、折角澄みかゝつた心も、又曇つて來さうな氣がする。家持は忙てゝ、資人の口を緘《ト》めた。
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うるさいぞ。誰に言ふ語だと思うて、言うて居るのだ。やめぬか。雜談《ジヤウダン》だ。雜談を眞に受ける奴が、あるものか。
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馬はやつぱり、しつと/\と、歩いて居た。築土垣 築土垣。又、築土垣。こんなに何時の間に、家構へが替つて居たのだらう。家持は、なんだか、晩《オソ》かれ早かれ、ありさうな氣のする次の都――どうやらかう、もつとおつぴらいた平野の中の新京城《シンケイジヤウ》にでも來てゐるのでないかと言ふ氣が、ふとしかゝつたのを、危く喰ひとめた。
築土垣 築土垣。もう、彼の心は動かなくなつた。唯、よいとする氣持ちと、よくないと思はうとする意思との間に、氣分だけが、あちらへ寄りこちらへよりしてゐるだけであつた。
何時の間にか、平群《ヘグリ》の丘や、色々な塔を持つた京西《キヤウニシ》の寺々の見渡される、三條邊の町尻に來て居ることに、氣がついた。
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これは/\。まだこゝに、殘つてゐたぞ。
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珍しい發見をしたやうに、彼は馬から身を飜《カヘ》しておりた。二人の資人はすぐ、馳け寄つて手綱を控へた。
家持は、門と門との間に、細かい柵をし圍らし、目隱しに枳殼《カラタチバナ》の叢生《ヤブ》を作つた家の外構への一個處に、まだ石城《シキ》が可なり廣く、人丈にあまる程に築いてあるそばに、近寄つて行つた。
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荒れては居るが、こゝは横佩墻内《ヨコハキカキツ》だ。
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さう言つて、暫らく息を詰めるやうにして、石垣の荒い面を見入つて居た。
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さうに御座ります。此|石城《シキ》からしてついた名の、横佩墻内だと申しますとかで、せめて一ところだけは、と強ひてとり毀たないとか申します。何分、帥《ソツ》の殿のお都入りまでは何としても、此儘で置くので御座りませう。さやうに、人が申し聞けました。はい。
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何時の間にか、三條三坊まで來てしまつてゐたのである。
おれは、こんな處へ來ようと言ふ考へはなかつたのに――。だが、やつぱり、おれにはまだ/″\、若い色好みの心が、失せないで居るぞ。何だか、自分で自分をなだめる樣な、反省らしいものが出て來た。
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其にしても、靜か過ぎるではないか。
さやうで。で御座りますが、郎女のお行くへも知れ、乳母もそちらへ行つたとか、今も人が申しましたから、落ちついたので御座りませう。
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詮索ずきさうな顏をした若い方が、口を出す。
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いえ。第一、こんな場合は、騷ぐといけません。騷ぎにつけこんで、惡い魂《タマ》や、靈《モノ》が、うよ/\とつめかけて來るもので御座ります。この御館《ミタチ》も、古いおところだけに、心得のある長老《オトナ》の一人や、二人は、難波へも下らずに、留守に居るので御座りませう。
もうよい/\。では戻らう。
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        十

をとめの閨戸《ネヤド》をおとなふ風《フウ》は、何も、珍しげのない國中の爲來《シキタ》りであつた。だが其にも、曾てはさうした風の、一切行はれて居なかつたことを、主張する村々があつた。何時のほどにか、さうした村が、他村の、別々に守つて來た風習と、その古い爲來りとをふり替へることになつたのだ、と言ふ。かき上る段になれば、何の雜作《ザフサ》もない石城《シキ》だけれど、あれを大昔からとり※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]して居た村と、さうでない村とがあつた。こんな風に、しかつめらしい説明をする宿老《トネ》たちが、どうかすると居た。多分やはり、語部《カタリベ》などの昔語りから、來た話なのであらう。踏み越えても這入れ相《サウ》に見える石垣だが、大昔|交《カハ》された誓ひで、目に見えぬ鬼神《モノ》から、人間に到るまで、あれが形だけでもある限り、入りこまぬ事になつてゐる。こんな約束が、人と鬼《モノ》との間にあつて後、村々の人は石城《シキ》の中に、ゆつたりと棲むことが出來る樣になつた。さうでない村々では、何者でも、垣を躍り越えて這入つて來る。其は、別の何かの爲方《シカタ》で、防ぐ外はなかつた。祭りの夜でなくても、村なかの男は何の憚りなく、垣を踏み越えて處女の蔀戸《シトミ》をほと/\と叩く。石城《シキ》を圍《カコ》うた村には、そんなことは、一切なかつた。だから、美《クハ》し女《メ》の家に、奴隷《ヤツコ》になつて住みこんだ古《イニシヘ》の貴《アデ》びともあつた。娘の父にこき使はれて、三年五年、いつか處女に會はれよう、と忍び過した、身にしむ戀物語りもあるくらゐだ。石城《シキ》を掘り崩すのは、何處からでも鬼神《モノ》に入りこんで來い、と呼びかけるのと同じことだ。京の年よりにもあつたし、田舍の村々では、之を言ひ立てに、ちつとでも、石城を殘して置かうと爭うた人々が、多かつたのである。
さう言ふ家々では、實例として恐しい證據を擧げた。卅年も昔、――天平八年嚴命が降つて、何事も命令のはか/″\しく行はれぬのは、朝臣《テウシン》が先つて行はぬからである。汝等《ミマシタチ》進んで、石城を毀つて、新京の時世裝に叶うた家作りに改めよ、と仰せ下された。藤氏四流の如き、今に舊態を易《カ》へざるは、最其位に在るを顧みざるものぞ、とお咎めが降つた。此時一度、凡、石城はとり毀たれたのである。ところが、其と時を同じくして、疱瘡《モガサ》がはやり出した。越えて翌年、益々盛んになつて、四月北家を手初めに、京家南家と、主人から、まづ此|時疫《シエキ》に亡くなつて、八月にはとう/\、式家の宇合卿まで仆れた。家に、防ぐ筈の石城が失せたからだ、と天下中の人が騷いだ。其でまた、とり壞した家も、ぼつ/″\舊《モト》に戻したりしたことであつた。
こんなすさまじい事も、あつて過ぎた夢だ。けれどもまだ、まざ/″\と人の心に燒きついて離れぬ、現《ウツヽ》の恐しさであつた。
其は其として、昔から家の娘を守つた邑々も、段々えたい[#「えたい」に傍点]の知れぬ村の風に感染《カマ》けて、忍び夫《ヅマ》の手に任せ傍題《ハウダイ》にしようとしてゐる。さうした求婚《ツマドヒ》の風を傳へなかつた氏々の間では、此は、忍び難い流行であつた。其でも男たちは、のどかな風俗を喜んで、何とも思はぬやうになつた。が、家庭の中では、母・妻・乳母《オモ》たちが、いまだにいきり立つて、さうした風儀になつて行く世間を、呪ひやめなかつた。
手近いところで言うても、大伴宿禰にせよ。藤原朝臣にせよ。さう謂ふ妻どひ[#「妻どひ」に傍点]の式はなくて、數十代宮廷をめぐつて、仕へて來た邑々のあるじの家筋であつた。
でも何時か、さうした氏々の間にも、妻迎への式には、
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八千矛の神のみことは、とほ/″\し、高志《コシ》の國に、美《クハ》し女《メ》をありと聞かして、賢《サカ》し女《メ》をありと聞《キコ》して……
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から謠ひ起す神語歌《カミガタリウタ》を、語部に歌はせる風が、次第にひろまつて來るのを、防ぎとめることが出來なくなつて居た。
南家の郎女《イラツメ》にも、さう言ふ妻覓《ツママ》ぎ人が――いや人群《ヒトムレ》が、とりまいて居た。唯、あの型ばかり取り殘された石城《シキ》の爲に、何だか屋敷へ入ることが、物忌み―たぶう[#「たぶう」に傍点]―を犯すやうな危殆《ヒアヒ》な心持ちで、誰も彼も、柵まで又、門まで來ては、かいまみしてひき還すより上の勇氣が、出ぬのであつた。
通《カヨ》はせ文《ブミ》をおこすだけが、せめてものてだて[#「てだて」に傍点]ゞ、其さへ無事に、姫の手に屆いて、見られてゐると言ふ、自信を持つ人は、一人としてなかつた。事實、大抵、女部屋の老女《トシ》たちが、引つたくつて渡させなかつた。さうした文のとりつぎをする若人《ワカウド》―若女房―を呼びつけて、荒けなく叱つて居る事も、度々見かけられた。
[#ここから1字下げ]
其方《オモト》は、この姫樣こそ、藤原の氏神にお仕へ遊ばす、清らかな常處女《トコヲトメ》と申すのだ、と言ふことを知らぬのかえ。神の咎めを憚るがえゝ。宮から恐れ多いお召しがあつてすら、ふつ[#「ふつ」に傍点]においらへを申しあげぬのも、それ故だとは考へつかぬげな。やくたい者。とつとゝ失せたがよい。そんな文とりついだ手を、率《イザ》川の一の瀬で淨めて來くさらう。罰《バチ》知らずが……。
[#ここで字下げ終わり]
こんな風にわなり[#「わなり」に傍点]つけられた者は、併し、二人や三人ではなかつた。横佩家の女部屋に住んだり、通うたりしてゐる若人は、一人殘らず一度は、經驗したことだと謂つても、うそ[#「うそ」に傍点]ではなかつた。
だが、郎女は、つひに[#「つひに」に傍点]一度そんな事のあつた樣子も、知らされずに來た。
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上つ方の郎女《イラツメ》が、才《ザエ》をお習ひ遊ばすと言ふことが御座りませうか。それは近[#(ツ)]代、ずつと下《シモ》ざまのをなご[#「をなご」に傍点]の致すことゝ承ります。父君がどう仰らうとも、父御《テヽゴ》樣のお話は御一代。お家の習しは、神さまの御意趣《オムネ》、とお思ひつかはされませ。
[#ここで字下げ終わり]
氏の掟の前には、氏上《ウヂノカミ》たる人の考へをすら、否みとほす事もある姥たちであつた。
其老女たちすら、郎女の天禀には、舌を捲きはじめて居た。
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もう、自身たちの教へることもなうなつた。
[#ここで字下げ終わり]
かう思ひ出したのは、數年も前からである。内に居る、身狹乳母《ムサノチオモ》・桃花鳥野乳母《ツキヌノマヽ》・波田坂上《ハタノサカノヘノ》刀自、皆故知らぬ喜びの不安から、歎息し續けてゐた。時々伺ひに出る中臣[#(ノ)]志斐嫗《シヒノオムナ》・三上水凝刀自女《ミカミノミヅコリノトジメ》なども、來る毎、目を見合せて、ほうつとした顏をする。どうしよう、と相談するやうな人たちではない。皆無言で、自分等の力の及ばぬ所まで來た、姫の魂の成長にあきれて、目をみはるばかりなのだ。
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才《ザエ》を習ふなと言ふなら、まだ聞きも知らぬこと、教へて賜《タモ》れ。
[#ここで字下げ終わり]
素直な郎女の求めも、姥たちにとつては、骨を刺しとほされるやうな痛さであつた。
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何を仰せられまする。以前から、何一つお教へなど申したことがおざりませうか。目下《メシタ》の者が、目上のお方さまに、お教へ申すと言ふやうな考へは、神樣がお聞き屆けになりません。教へる者は目上、ならふ者は目下、と此が、神の代からの掟でおざりまする。
[#ここで字下げ終わり]
志斐[#(ノ)]嫗《オムナ》の負け色を救ふ爲に、身狹乳母《ムサノチオモ》も口を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]む。
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唯知つた事を申し上げるだけ。其を聞きながら、御心がお育ち遊ばす。さう思うて、姥たちも、覺えたゞけの事は、郎女樣のみ魂《タマ》を搖《イブ》る樣にして、歌ひもし、語りもして參りました。教へたなど仰つては、私めらが、罰《バチ》を蒙らねばなりません。
[#ここで字下げ終わり]
こんな事をくり返して居る間に、刀自たちにも、自分らの恃む知識に對する、單純な自覺が出て來た。此は一層、郎女の望むまゝに、才《ザエ》を習《ナラハ》した方が、よいのではないかと言ふ氣が、段々して來たのである。
まことに其爲には、ゆくりない事が、幾重にも重つて起つた。姫の帳臺の後から、遠くに居る父の心盡しだつたと見えて、二卷の女手《ヲンナデ》の寫經らしい物が出て來た。姫にとつては、肉縁はないが、曾祖母《ヒオホバ》にも當る橘夫人の法華經、又其|御胎《オハラ》にいらせられる―筋から申せば、大叔母|御《ゴ》にもお當り遊ばす、今の 皇太后樣の樂毅論。此二つの卷物が、美しい裝ひで、棚を架《カ》いた上に載せてあつた。
横佩大納言と謂はれた頃から、父は此二部を、自分の魂のやうに大事にして居た。ちよつと出る旅にも、大きやかな箱に納めて、一人分の資人《トネリ》の荷として、持たせて行つたものである。其魂の書物を、姫の守りに留めておきながら、誰にも言はずにゐたのである。さすがに我強《ガヅヨ》い刀自たちも、此見覺えのある、美しい箱が出て來た時には、暫らく撲たれたやうに、顏を見合せて居た。さうして後《ノチ》、後《アト》で恥しからうことも忘れて、皆聲をあげて泣いたものであつた。
郎女は、父の心入れを聞いた。姥たちの見る目には、併し豫期したやうな興奮は、認められなかつた。唯一|途《ヅ》に素直に、心の底の美しさが匂ひ出たやうに、靜かな、美しい眼で、人々の感激する樣子を、驚いたやうに見まはして居た。
其からは、此二つの女手《ヲンナデ》の「本《ホン》」を、一心に習ひとほした。偶然は友を誘《ヒ》くものであつた。一月も立たぬ中の事である。早く、此都に移つて居た飛鳥寺《アスカデラ》―元興寺《グワンコウジ》―から卷數《クワンズ》が屆けられた。其には、難波にある帥の殿の立願《リフグワン》によつて、佛前に讀誦した經文の名目が、書き列ねてあつた。其に添へて、一卷の縁起文が、此御館へ屆けられたのである。
父藤原豐成朝臣、亡父贈太政大臣七年の忌みに當る日に志を發《オコ》して、書き綴つた「佛本傳來記」を、其後二年立つて、元興寺《グワンコウジ》へ納めた。飛鳥以來、藤原氏とも關係の深かつた寺なり、本尊なのである。あらゆる念願と、報謝の心を籠めたもの、と言ふことは察せられる。其一卷が、どう言ふ訣《ワケ》か、二十年もたつてゆくりなく、横佩家へ戻つて來たのである。
郎女の手に、此卷が渡つた時、姫は端近く膝行《ヰザ》り出て、元興寺の方を禮拜した。其後で、
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難波とやらは、どちらに當るかえ。
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と尋ねて、示す方角へ、活き/\した顏を向けた。其目からは、珠數の珠の水精《スヰシヤウ》のやうな涙が、こぼれ出てゐた。
其からと言ふものは、來る日もくる日も、此元興寺の縁起文を手寫した。内典・外典其上に又、大日本《オホヤマト》びとなる父の書いた文《モン》。指から腕腕から胸、胸から又心へ、沁み/\と深く、魂を育てる智慧の這入つて行くのを、覺えたのである。
大日本日高見《オホヤマトヒタカミ》の國。國々に傳はるありとある歌諺《ウタコトワザ》、又|其舊辭《ソノモトツゴト》。第一には、中臣の氏の神語り。藤原の家の古物語り。多くの語り詞《ゴト》を、絶えては考へ繼ぐ如く、語り進んでは途切れ勝ちに、呪々《ノロヽヽ》しく、くね/\しく、獨り語りする語部や、乳母《オモ》や、嚼母《マヽ》たちの唱へる詞が、今更めいて、寂しく胸に蘇つて來る。
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をゝ、あれだけの習しを覺える、たゞ其だけで、此世に生きながらへて行かねばならぬみづから[#「みづから」に傍点]であつた。
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父に感謝し、次には尊い大叔母《オホヲバ》君、其から見ぬ世の曾祖母《オホオバ》の尊に、何とお禮申してよいか、量り知れぬものが、心にたぐり上げて來る。だがまづ[#「まづ」に傍点]、父よりも誰よりも、御禮申すべきは、み佛である。この珍貴《ウヅ》の感覺《サトリ》を授け給ふ、限り知られぬ愛《メグ》みに充ちたよき人[#「よき人」に傍点]が、此世界の外に、居られたのである。郎女は、塗香《ヅカウ》をとり寄せて、まづ髮に塗り、手に塗り、衣を薫るばかりに匂はした。

        十一

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ほゝき ほゝきい ほゝほきい―……。
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きのふよりも、澄んだよい日になつた。春にしては、驚くばかり濃い日光が、地上にかつきりと、木草の影を落して居た。ほか/\した日よりなのに、其を見てゐると、どこか、薄ら寒く感じるほどである。時々に過ぎる雲の翳りもなく、晴れきつた空だ。高原を拓いて、間引《マビ》いた疎らな木原《コハラ》の上には、もう澤山の羽蟲が出て、のぼつたり降《サガ》つたりして居る。たつた一羽の鶯が、よほど前から、一處を移らずに、鳴き續けてゐるのだ。家の刀自《トジ》たちが、物語る口癖を、さつきから思ひ出して居た。出雲[#(ノ)]宿禰の分れの家の孃子《ヲトメ》が、多くの男の言ひ寄るのを煩しがつて、身をよけよけして、何時か、山の林の中に分け入つた。さうして其處で、まどろんで居る中に、悠々《ウラヽヽ》と長い春の日も、暮れてしまつた。孃子は、家路と思ふ徑を、あちこち歩いて見た。脚は茨の棘にさゝれ、袖は、木の楚《ズハエ》にひき裂かれた。さうしてとう/\、里らしい家|群《ムラ》の見える小高い岡の上に出た時は、裳も、著物も、肌の出るほど、ちぎれて居た。空には、夕月が光りを増して來てゐる。孃子はさくり上げて來る感情を、聲に出した。
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ほゝき ほゝきい。
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何時も、悲しい時に泣きあげて居た、あの聲ではなかつた。「をゝ此身は」と思つた時に、自分の顏に觸れた袖は、袖ではないものであつた。枯れ原《フ》の冬草の、山肌色をした小な翼であつた。思ひがけない聲を、尚も出し續けようとする口を、押へようとすると、自身すらいとほしんで居た柔らかな唇は、どこかへ行つてしまつて、替りに、さゝやかな管のやうな喙が來てついて居る――。悲しいのか、せつないのか、何の考へさへもつかなかつた。唯、身悶えをした。するとふはり[#「ふはり」に傍点]と、からだは宙に浮き上つた。留めようと、袖をふれば振るほど、身は次第に、高く翔り昇つて行く。五日月の照る空まで……。その後《ゴ》、今の世までも、
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ほゝき ほゝきい ほゝほきい。
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と鳴いてゐるのだ、と幼い耳に染《シ》みつけられた、物語りの出雲の孃子が、そのまゝ、自分であるやうな氣がして來る。
郎女は、徐《シヅ》かに兩袖《モロソデ》を、胸のあたりに重ねて見た。家に居た時よりは、褻《ナ》れ、皺立《シワダ》つてゐるが、小鳥の羽《ハネ》には、なつて居なかつた。手をあげて唇に觸れて見ると、喙でもなかつた。やつぱり、ほつとり[#「ほつとり」に傍点]とした、感觸を、指の腹に覺えた。
ほゝき鳥《ドリ》―鶯―になつて居た方がよかつた。昔語《ムカシガタ》りの孃子は、男を避けて、山の楚原《シモトハラ》へ入り込んだ。さうして、飛ぶ鳥になつた。この身は、何とも知れぬ人の俤にあくがれ出て、鳥にもならずに、こゝにかうして居る。せめて蝶飛蟲《テフトリ》にでもなれば、ひら/\と空に舞ひのぼつて、あの山の頂へ、俤びとをつきとめに行かうもの――。
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ほゝき ほゝきい。
[#ここで字下げ終わり]
自身の咽喉から出た聲だ、と思つた。だがやはり、廬の外で鳴くのであつた。
郎女の心に動き初めた叡《サト》い光りは、消えなかつた。今まで手習ひした書卷の何處かに、どうやら、法喜[#「法喜」に傍点]と言ふ字のあつた氣がする。法喜――飛ぶ鳥すらも、美しいみ佛の詞に、感《カマ》けて鳴くのではなからうか。さう思へば、この鶯も、
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ほゝき ほゝきい。
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嬉しさうな高音《タカネ》を、段々張つて來る。
物語りする刀自たちの話でなく、若人《ワカウド》らの言ふことは、時たま、世の中の瑞々《ミヅヽヽ》しい消息《セウソコ》を傳へて來た。奈良の家の女部屋《ヲンナベヤ》は、裏方五つ間《マ》を通した、廣いものであつた。郎女の帳臺の立ち處《ド》を一番奧にして、四つの間に、刀自・若人、凡三十人も居た。若人等は、この頃、氏々の御館《ミタチ》ですることだと言つて、苑の池の蓮の莖を切つて來ては、藕絲《ハスイト》を引く工夫に、一心になつて居た。横佩家の池の面を埋めるほど、珠を捲いたり、解けたりした蓮の葉は、まばらになつて、水の反射が蔀を越して、女部屋まで來るばかりになつた。莖を折つては、纎維を引き出し、其片糸を幾筋も合せては、絲に縒《ヨ》る。
郎女は、女たちの凝つてゐる手藝を、ぢつと見て居る日もあつた。ほうほうと切れてしまふ藕絲《ハスイト》を、八|合《コ》・十二|合《コ》・二十合《ハタコ》に縒つて、根氣よく、細い綱の樣にする。其を績《ウ》み麻《ヲ》の麻《ヲ》ごけ[#「ごけ」に傍点]に繋ぎためて行く。奈良の御館《ミタチ》でも、蠶《カフコ》は飼つて居た。實際、刀自たちは、夏は殊にせはしく、そのせゐで、不譏嫌《フキゲン》になつて居る日が多かつた。
刀自たちは、初めは、そんな韓《カラ》の技人《テビト》のするやうな事は、と目もくれなかつた。だが時が立つと、段々興味を惹かれる樣子が見えて來た。
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こりや、おもしろい。絹の絲と、績《ウ》み麻《ヲ》との間を行く樣な妙な絲の――。此で、切れさへしなければなう。
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かうして績《ツム》ぎ蓄《タ》めた藕絲は、皆一纒めにして、寺々に納めようと、言ふのである。寺には、其々《ソレヽヽ》の技女《ギヂヨ》が居て、其絲で、唐土樣《モロコシヤウ》と言ふよりも、天竺風な織物に織りあげる、と言ふ評判であつた。女たちは、唯|功徳《クドク》の爲に絲を績《ツム》いでゐる。其でも、其が幾かせ[#「かせ」に傍点]。幾たま[#「幾たま」に傍点]と言ふ風に貯つて來ると、言ひ知れぬ愛著を覺えて居た。だが、其がほんとは、どんな織物になることやら、其處までは想像も出來なかつた。
若人たちは莖を折つては、巧みに糸を引き切らぬやうに、長く/\と抽き出す。又其、粘り氣の少いさくい[#「さくい」に傍点]ものを、まるで絹糸を縒り合せるやうに、手際よく絲にする間も、ちつとでも口やめる事なく、うき世語りなどをして居た。此は勿論、貴族の家庭では、出來ぬ掟になつて居た。なつては居ても、物珍《モノメ》でする盛りの若人たちには、口を塞いで緘默行《シヾマ》を守ることは、死ぬよりもつらい行《ギヤウ》であつた。刀自らの油斷を見ては、ぼつ/″\話をしてゐる。其きれ/″\が、聞かうとも思はぬ郎女の耳にも、ぼつ/″\這入つて來《キ》勝ちなのであつた。
[#ここから1字下げ]
鶯の鳴く聲は、あれで、法華經々々々《ホケキヤウヽヽヽヽヽ》と言ふのぢやて。
ほゝ、どうして、え――。
天竺のみ佛は、をなご[#「をなご」に傍点]は、助からぬものぢや、と説かれ/\して來たがえ、其果てに女《ヲナゴ》でも救ふ道が開かれた。其を説いたのが、法華經ぢやと言ふげな。
――こんなこと、をなごの身で言ふと、さかしがりよと思はうけれど、でも、世間では、さう言ふもの――。
ぢやで、法華經々々々と經の名を唱へるだけで、この世からして、あの世界の苦しみが助かるといの。
ほんまにその、天竺のをなごが、あの鳥に化《ナ》り變つて、み經の名を呼ばゝるのかえ。
[#ここで字下げ終わり]
郎女には、いつか小耳に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]んだ其話が、その後、何時までも消えて行かなかつた。その頃ちようど、稱讃淨土佛攝受經《シヨウサンジヤウドブツセフジユギヤウ》を、千部寫さうとの願を發《オコ》して居た時であつた。其が、はかどらぬ。何時までも進まぬ。茫とした耳に、此|世話《ヨバナシ》が再また、紛れ入つて來たのであつた。
ふつと、こんな氣がした。
[#ここから1字下げ]
ほゝき鳥は、先の世で、御經《オンキヤウ》手寫の願を立てながら、え果《ハタ》さいで、死にでもした、いとしい女子がなつたのではなからうか。……さう思へば、若しや今、千部に滿たずにしまふやうなことがあつたら、我が魂《タマ》は何になることやら。やつぱり、鳥か、蟲にでも生れて、切《セツ》なく鳴き續けることであらう。
[#ここで字下げ終わり]
つひに一度、ものを考へた事もないのが、此國のあて人の娘であつた。磨かれぬ智慧を抱いたまゝ、何も知らず思はずに、過ぎて行つた幾百年、幾萬の貴い女性《ニヨシヤウ》の間に、蓮《ハチス》の花がぽつちりと、莟を擡《モタ》げたやうに、物を考へることを知り初《ソ》めた郎女であつた。
[#ここから1字下げ]
をれよ。鶯よ。あな姦《カマ》や。人に、物思ひをつけくさる。
[#ここで字下げ終わり]
荒々しい聲と一しよに、立つて、表戸と直角《カネ》になつた草壁の蔀戸《シトミド》をつきあげたのは、當麻語部《タギマノカタリ》の媼《オムナ》である。北側に當るらしい其外側は、※[#「片+總のつくり」、第3水準1-87-68]を壓するばかり、篠竹が繁つて居た。澤山の葉筋《ハスヂ》が、日をすかして一時にきら/\と、光つて見えた。
郎女は、暫らく幾本とも知れぬその光りの筋の、閃き過ぎた色を、※[#「目+框のつくり」、第3水準1-88-81]《マブタ》の裏に、見つめて居た。をとゝひの日の入り方、山の端に見た輝きが、思はずには居られなかつたからである。
また一時《イツトキ》、盧堂《イホリドウ》を※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]つて、音するものもなかつた。日は段々|闌《タ》けて、小晝《コビル》の温《ヌク》みが、ほの暗い郎女の居處にも、ほつとりと感じられて來た。
寺の奴《ヤツコ》が、三四人先に立つて、僧綱が五六人其に、大勢の所化たちのとり捲いた一群れが、廬へ來た。
[#ここから1字下げ]
これが、古《フル》山田寺だ、と申します。
[#ここで字下げ終わり]
勿體ぶつた、しわがれ聲が聞えて來た。
[#ここから1字下げ]
そんな事は、どうでも――。まづ、郎女《イラツメ》さまを――。
[#ここで字下げ終わり]
噛みつくやうにあせつて居る家長老《イヘオトナ》額田部子古《ヌカタベノコフル》のがなり[#「がなり」に傍点]聲がした。同時に、表戸は引き剥がされ、其に隣つた、幾つかの竪薦《タツゴモ》をひきちぎる音がした。
づうと這ひ寄つて來た身狹乳母《ムサノチオモ》は、郎女の前に居たけ[#「居たけ」に傍点]を聳かして、掩ひになつた。外光の直射を防ぐ爲と、一つは男たちの前、殊には、庶民の目に、貴人《アデビト》の姿を暴《サラ》すまい、とするのであらう。
伴《トモ》に立つて來た家人《ケニン》の一人が、大きな木の叉枝《マタブリ》をへし折つて來た。さうして、旅用意の卷帛《マキギヌ》を、幾垂れか、其場で之に結び下げた。其を牀《ユカ》につきさして、即座の竪帷《タツバリ》―几帳―は調つた。乳母《オモ》は、其前に座を占めたまゝ、何時までも動かなかつた。

        十二

怒りの瀧のやうになつた額田部[#(ノ)]子古は、奈良に還つて、公に訴へると言ひ出した。大和國にも斷つて、寺の奴ばらを追ひ放つて貰ふとまで、いきまいた。大師《タイシ》を頭《カシラ》に、横佩家に深い筋合ひのある貴族たちの名をあげて、其方々からも、何分の御吟味を願はずには置かぬ、と凄い顏をして、住侶たちを脅かした。
郎女は、貴族の姫で入らせられようが、寺の淨域を穢し、結界まで破られたからは、直にお還りになるやうには計はれぬ。寺の四至の境に在る所で、長期の物忌みして、その贖《アガナ》ひはして貰はねばならぬ、と寺方も、言ひ分はひつこめなかつた。
理分にも非分にも、これまで、南家の權勢でつき通して來た家長老《オトナ》等にも、寺方の扱ひと言ふものゝ、世間どほりにはいかぬ事が訣《ワカ》つて居た。
乳母《オモ》に相談かけても、一代さう言ふ世事に與つた事のない此人は、そんな問題には、詮《カヒ》ない唯の、女性《ニヨシヤウ》に過ぎなかつた。
先刻《サツキ》からまだ立ち去らずに居た當麻語部の嫗が、口を出した。
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其は、寺方が、理分でおざるがや。お隨ひなされねばならぬ。
[#ここで字下げ終わり]
其を聞くと、身狹[#(ノ)]乳母は、激しく、田舍語部《ヰナカカタリベ》の老女を叱りつけた。男たちに言ひつけて、疊にしがみつき、柱にかき縋る古婆《フルバヾ》を掴み出させた。さうした威高さは、さすがに自《オノヅカ》ら備つてゐた。
[#ここから1字下げ]
何事も、この身などの考へではきめられぬ。帥《ソツ》の殿《トノ》に承らうにも、國遠し。まづ姑《シバ》し、郎女樣のお心による外はないもの、と思ひまする。
[#ここで字下げ終わり]
其より外には、方《ハウ》もつかなかつた。奈良の御館の人々と言つても、多くは、此人たちの意見を聽いてする人々である。よい思案を、考へつきさうなものも居ない。難波へは、直樣、使ひを立てることにして、とにもかくにも、當座は、姫の考へに任せよう、と言ふことになつた。
[#ここから1字下げ]
郎女樣。如何お考へ遊ばしまする。おして、奈良へ還れぬでも御座りませぬ。尤、寺方でも、候人《サブラヒヾト》や、奴隷《ヤツコ》の人數を揃へて、妨げませう。併し、御館《ミタチ》のお勢ひには、何程の事でも御座りませぬ。では御座りまするが、お前さまのお考へを承らずには、何とも計ひかねまする。御思案お洩し遊ばされ。
[#ここで字下げ終わり]
謂はゞ、難題である。あて人の娘御に、出來よう筈のない返答である。乳母《オモ》も、子古《コフル》も、凡は無駄な伺ひだ、と思つては居た。ところが、郎女の答へは、木魂返《コダマガヘ》しの樣に、躊躇《タメラ》ふことなしにあつた。其上、此ほどはつきりとした答へはない、と思はれる位、凛としてゐた。其が、すべての者の不滿を壓倒した。
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姫の咎は、姫が贖《アガナ》ふ。此寺、此二上山の下に居て、身の償《ツグナ》ひ、心の償ひした、と姫が得心するまでは、還るものとは思《オモ》やるな。
[#ここで字下げ終わり]
郎女の聲・詞を聞かぬ日はない身狹乳母《ムサノチオモ》ではあつた。だがつひしか[#「つひしか」に傍点]此ほどに、頭の髓まで沁み入るやうな、さえ/″\とした語を聞いたことのない、乳母《チオモ》だつた。
寺方の言ひ分に讓るなど言ふ問題は、小い事であつた。此爽やかな育ての君の判斷力と、惑ひなき詞に感じてしまつた。たゞ、涙。かうまで賢《サカ》しい魂を窺ひ得て、頬に傳ふものを拭ふことも出來なかつた。子古にも、郎女の詞を傳達した。さうして、自分のまだ曾て覺えたことのない感激を、力深くつけ添へて聞かした。
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ともあれ此上は、難波津へ。
[#ここで字下げ終わり]
難波へと言つた自分の語に、氣づけられたやうに、子古は思ひ出した。今日か明日、新羅問罪の爲、筑前へ下る官使の一行があつた。難波に留つてゐる帥の殿も、次第によつては、再太宰府へ出向かれることになつてゐるかも知れぬ。手遲れしては一大事である。此足ですぐ、北へ※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]つて、大阪越えから河内へ出て、難波まで、馬の叶ふ處は馬で走らう、と決心した。
萬法藏院に、唯一つ飼つて居た馬の借用を申し入れると、此は快く聽き入れてくれた。今日の日暮れまでには、立ち還りに、難波へ行つて來る、と齒のすいた口に叫びながら、郎女の竪帷《タツバリ》に向けて、庭から匍伏した。子古の發つた後は、又のどかな春の日に戻つた。悠々《ウラヽヽ》と照り暮す山々を見せませう、と乳母が言ひ出した。木立ち山陰から盜み見する者のないやうに、家人《ケニン》らを、一町・二町先まで見張りに出して、郎女を、外に誘ひ出した。
暴風雨《アラシ》の夜、添下《ソフノシモ》・廣瀬・葛城の野山を、かち[#「かち」に傍点]あるきした娘御ではなかつた。乳母と今一人、若人の肩に手を置きながら、歩み出た。
日の光りは、霞みもせず、陽炎も立たず、唯をどんで見えた。昨日眺めた野も、斜になつた日を受けて、物の影が細長く靡いて居た。青垣の樣にとりまく山々も、愈々遠く裾を曳いて見えた。
早い菫―げんげ―が、もうちらほら咲いてゐる。遠く見ると、その赤々とした紫が一續きに見えて、夕燒け雲がおりて居るやうに思はれる。足もとに一本、おなじ花の咲いてゐるのを見つけた郎女は、膝を叢について、ぢつと眺め入つた。
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これはえ――。
すみれ、と申すとのことで御座ります。
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かう言ふ風に、物を知らせるのが、あて人に仕へる人たちの、爲來りになつて居た。
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蓮《ハチス》の花に似てゐながら、もつと細《コマ》やかな、――繪にある佛の花を見るやうな――。
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ひとり言しながら、ぢつと見てゐるうちに、花は、廣い萼《ウテナ》の上に乘つた佛の前の大きな花になつて來る。其がまた、ふつと、目の前のさゝやかな花に戻る。
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夕風が冷《ヒヤ》ついて參ります。内へと遊ばされ。
[#ここで字下げ終わり]
乳母が言つた。見渡す山は、皆影濃くあざやかに見えて來た。
近々と、谷を隔てゝ、端山の林や、崖《ナギ》の幾重も重つた上に、二上《フタカミ》の男嶽《ヲノカミ》の頂が、赤い日に染つて立つてゐる。
今日は、又あまりに靜かな夕《ユフベ》である。山ものどかに、夕雲の中に這入つて行かうとしてゐる。
[#ここから1字下げ]
まうし/\。もう外に居る時では御座りません。
[#ここで字下げ終わり]

        十三

「朝目よく」うるはしい兆《シルシ》を見た昨日は、郎女にとつて、知らぬ經驗を、後から後から展いて行つたことであつた。たゞ人《ヒト》の考へから言へば、苦しい現實のひき續きではあつたのだが、姫にとつては、心驚く事ばかりであつた。一つ/\變つた事に逢ふ度に、「何も知らぬ身であつた」、と姫の心の底の聲が揚つた。さうして、その事毎に、挨拶をしてはやり過したい氣が、一ぱいであつた。今日も其續きを、くはしく見た。
なごり惜しく過ぎ行く現《ウツ》し世のさま/″\。郎女は、今目を閉ぢて、心に一つ/\收めこまうとして居る。ほのかに通り行き、將《ハタ》著しくはためき[#「はためき」に傍点]過ぎたもの――。宵闇の深くならぬ先に、廬《イホリ》のまはりは、すつかり手入れがせられて居た。燈臺も大きなのを、寺から借りて來て、煌々と、油|火《ビ》が燃えて居る。明王像も、女人のお出での場處には、すさまじいと言ふ者があつて、どこかへ搬んで行かれた。其よりも、郎女の爲には、帳臺の設備《シツラ》はれてゐる安らかさ。今宵は、夜も、暖かであつた。帷帳《トバリ》を周らした中は、ほの暗かつた。其でも、山の鬼神《モノ》、野の魍魎《モノ》を避ける爲の燈の渦が、ぼうと梁に張り渡した頂板《ツシイタ》に搖《ユラ》めいて居るのが、たのもしい氣を深めた。帳臺のまはりには、乳母や、若人が寢たらしい。其ももう、一時《ヒトヽキ》も前の事で、皆すや/\と寢息の音を立てゝ居る。姫の心は、今は輕かつた。
たとへば、俤に見たお人には逢はずとも、その俤を見た山の麓に來て、かう安らかに身を横へて居る。
燈臺の明りは、郎女の額の上に、高く朧ろに見える光の輪を作つて居た。月のやうに圓くて、幾つも上へ/\と、月輪《グワチリン》の重つてゐる如くも見えた。其が、隙間風の爲であらう。時々薄れて行くと、一つの月になつた。ぽうつと明り立つと、幾重にも隈の疊まつた、大きな圓かな光明になる。
幸福に充ちて、忘れて居た姫の耳に、今宵も谷の響きが聞え出した。更けた夜空には、今頃やつと、遲い月が出たことであらう。
物の音。――つた つたと來て、ふうと佇《タ》ち止るけはひ。耳をすますと、元の寂かな夜に――激《タギ》ち降《クダ》る谷のとよみ。
[#ここから1字下げ]
つた つた つた。
[#ここで字下げ終わり]
又、ひたと止《ヤ》む。
この狹い廬の中を、何時まで歩く、跫音だらう。
[#ここから1字下げ]
つた。
[#ここで字下げ終わり]
郎女は刹那、思ひ出して帳臺の中で、身を固くした。次にわぢ/\[#「わぢ/\」に傍点]と戰《ヲノヽ》きが出て來た。
[#ここから1字下げ]
天若御子《アメワカミコ》――。
[#ここで字下げ終わり]
ようべ、當麻語部嫗《タギマノカタリノオムナ》の聞した物語り。あゝ其お方の、來て窺ふ夜なのか。
[#ここから1字下げ]
――青馬の 耳面刀自《ミヽモノトジ》。
刀自もがも。女弟《オト》もがも。
その子の はらからの子の
處女子《ヲトメゴ》の 一人
一人だに わが配偶《ツマ》に來よ
[#ここで字下げ終わり]
まことに畏しいと言ふことを覺えぬ郎女にしては、初めてまざ/″\と、壓へられるやうな畏《コハ》さを知つた。あゝあの歌が、胸に生《イ》き蘇《カヘ》つて來る。忘れたい歌の文句が、はつきりと意味を持つて、姫の唱へぬ口の詞から、胸にとほつて響く。乳房から迸り出ようとするときめき。
帷帳《トバリ》がふはと、風を含んだ樣に皺だむ。
つい[#「つい」に傍点]と、凍る樣な冷氣――。
郎女は目を瞑つた。だが――瞬間睫の間から映《ウツ》つた細い白い指、まるで骨のやうな――帷帳《トバリ》を掴んだ片手の白く光る指。
[#ここから1字下げ]
なも 阿彌陀ほとけ。あなたふと 阿彌陀ほとけ。
[#ここで字下げ終わり]
何の反省もなく、唇を洩れた詞。この時、姫の心は、急に寛ぎを感じた。
さつと――汗。全身に流れる冷さを覺えた。畏《コハ》い感情を持つたことのないあて人の姫は、直《スグ》に動顛した心を、とり直すことが出來た。
[#ここから1字下げ]
なう/\。あみだほとけ……。
[#ここで字下げ終わり]
今一度口に出して見た。をとゝひまで、手寫しとほした、稱讃淨土經《シヤウサンジヤウドキヤウ》の文《モン》が胸に浮ぶ。郎女は、昨日までは一度も寺道場を覗いたこともなかつた。父君は家の内に道場を構へて居たが簾越しにも聽|聞《モン》は許されなかつた。御經《オンキヤウ》の文《モン》は手寫しても、固より意趣は、よく訣らなかつた。だが、處々には、かつ/″\氣持ちの汲みとれる所があつたのであらう。さすがに、まさかこんな時、突嗟に口に上らう、とは思うて居なかつた。
白い骨、譬へば白玉の竝んだ骨の指、其が何時までも目に殘つて居た。帷帳《トバリ》は元のまゝに垂れて居る。だが、白玉の指ばかりは細々と、其に絡んでゐるやうな氣がする。
悲しさとも、懷しみとも知れぬ心に、深く、郎女は沈んで行つた。山の端に立つた俤びとは、白々《シロヾヽ》とした掌をあげて、姫をさし招いたと覺えた。だが今、近々と見る其手は、海の渚の白玉のやうに、からびて寂しく、目にうつる。

長い渚を歩いて行く。郎女の髮は、左から右から吹く風に、あちらへ靡き、こちらへ亂れする。浪はたゞ、足もとに寄せてゐる。渚と思うたのは、海の中道《ナカミチ》である。浪は兩方から打つて來る。どこまでも/\、海の道は續く。郎女の足は、砂を踏んでゐる。その砂すらも、段々水に掩はれて來る。砂を踏む。踏むと思うて居る中に、ふと其が、白々とした照る玉だ、と氣がつく。姫は身を屈《コヾ》めて、白玉を拾ふ。拾うても/\、玉は皆、掌《タナソコ》に置くと、粉の如く碎けて、吹きつける風に散る。其でも、玉を拾ひ續ける。玉は水隱《ミガク》れて、見えぬ樣になつて行く。姫は悲しさに、もろ手を以て掬《スク》はうとする。掬《ムス》んでも/\、水のやうに手股《タナマタ》から流れ去る白玉――。玉が再、砂の上につぶ/\竝んで見える。忙《アワタヾ》しく拾はうとする姫の俯《ウツム》いた背を越して、流れる浪が泡立つてとほる。
姫は――やつと、白玉を取りあげた。輝く、大きな玉。さう思うた刹那、郎女の身は、大浪にうち仆される。浪に漂ふ身……衣もなく、裳《モ》もない。抱き持つた等身の白玉と一つに、水の上に照り輝く現《ウツ》し身。
ずん/\とさがつて行く。水底《ミナゾコ》に水漬《ミヅ》く白玉なる郎女の身は、やがて又、一幹《ヒトモト》の白い珊瑚の樹《キ》である。脚を根、手を枝とした水底の木。頭に生ひ靡くのは、玉藻であつた。玉藻が、深海のうねりのまゝに、搖れて居る。やがて、水底にさし入る月の光り――。ほつと息をついた。
まるで、潜《カヅ》きする海女《アマ》が二十尋《ハタヒロ》・三十尋《ミソヒロ》の水《ミナ》底から浮び上つて嘯《ウソフ》く樣に、深い息の音で、自身明らかに目が覺めた。
あゝ夢だつた。當麻まで來た夜道の記憶は、まざ/″\と殘つて居るが、こんな苦しさは覺えなかつた。だがやつぱり、をとゝひの道の續きを辿つて居るらしい氣がする。
水の面からさし入る月の光り。さう思うた時は、ずん/″\海面に浮き出て來た。さうして悉く、跡形もない夢だつた。唯、姫の仰ぎ寢る頂板《ツシイタ》に、あゝ、水にさし入つた月。そこに以前のまゝに、幾つも暈《カサ》の疊まつた月輪の形が、搖《ユラ》めいて居る。
[#ここから1字下げ]
なう/\ 阿彌陀ほとけ……。
[#ここで字下げ終わり]
再、口に出た。光りの暈は、今は愈々明りを増して、輪と輪との境の隈々《クマヾヽ》しい處までも見え出した。黒ずんだり、薄暗く見えたりした隈が、次第に凝り初めて、明るい光明の中に、胸・肩頭髮、はつきりと形を現《ゲン》じた。白々と袒《ヌ》いだ美しい肌。淨く伏せたまみ[#「まみ」に傍点]が、郎女の寢姿を見おろして居る。かの日《ヒ》の夕《ユフベ》、山の端《ハ》に見た俤びと――。乳のあたりと、膝元とにある手――その指《オヨビ》、白玉の指《オヨビ》。
姫は、起き直つた。天井の光りの輪が、元のまゝに、たゞ仄かに事もなく搖れて居た。

        十四

[#ここから1字下げ]
貴人《ウマビト》はうま人どち、やつこは奴隷《ヤツコ》どち、と言ふからの――。
[#ここで字下げ終わり]
何時見ても、大師《タイシ》は、微塵《ミヂン》曇りのない、圓《マド》かな相好《サウガウ》である。其に、ふるまひのおほどかなこと。若くから氏上《ウヂノカミ》で、數十|家《ケ》の一族や、日本國中數萬の氏人《ウヂビト》から立てられて來た家持《ヤカモチ》も、ぢつと對うてゐると、その靜かな威に、壓せられるやうな氣がして來る。
[#ここから1字下げ]
言はしておくがよい。奴隷《ヤツコ》たちは、とやかくと口さがないのが、其爲事よ。此身とお身とは、おなじ貴人《ウマビト》ぢや。おのづから、話も合はうと言ふもの。此身が、段々なり上《ノボ》ると、うま人までがおのづとやつこ[#「やつこ」に傍点]心になり居つて、いや嫉むの、そねむの。
[#ここで字下げ終わり]
家持は、此が多聞天か、と心に問ひかけて居た。だがどうも、さうは思はれぬ。同じかたどつて作るなら、とつい[#「つい」に傍点]聯想が逸れて行く。八年前、越中[#(ノ)]國から歸つた當座の、世の中の豐かな騷ぎが、思ひ出された。あれからすぐ、大佛|開眼《カイゲン》供養が行はれたのであつた。其時、近々と仰ぎ奉つた尊容、八十種好《ハチジフシユガウ》具足した、と謂はれる其相好が、誰やらに似てゐる、と感じた。其がその時は、どうしても思ひ浮ばずにしまつた。その時の印象が、今ぴつたり、的にあてはまつて來たのである。
かうして對ひあつて居る主人の顏なり、姿なりが、其まゝあの廬遮那《ルサナ》ほとけの俤だ、と言つて、誰が否まう。
[#ここから1字下げ]
お身も、少し咄したら、えゝではないか。官位《カウブリ》はかうぶり。昔ながらの氏は氏――。なあ、さう思はぬか。紫微中臺の、兵部省のと、位づけるのは、うき世の事だは。
家《ウチ》に居る時だけは、やはり神代以來《カミヨイライ》の氏上《ウヂノカミ》づきあひが、えゝ。
[#ここで字下げ終わり]
新しい唐の制度の模倣ばかりして、漢土《モロコシ》の才《ザエ》が、やまと[#「やまと」に傍点]心に入り替つたと謂はれて居る此人が、こんな嬉しいことを言ふ。家持は、感謝したい氣がした。理會者・同感者を、思ひまうけぬ處に見つけ出した嬉しさだつたのである。
[#ここから1字下げ]
お身は、宋玉や、王褒の書いた物を大分持つて居ると言ふが、太宰府へ行つた時に、手に入れたのぢやな。あんな若い年で、わせ[#「わせ」に傍点]だつたのだなう。お身は――。お身の氏では、古麻呂《コマロ》。身の家に近しい者でも奈良麻呂。あれらは漢魏はおろか、今の唐の小説なども、ふり向きもせんから、言ふがひない話ぢやは。
[#ここで字下げ終わり]
兵部大輔は、やつと話のつきほを捉へた。
[#ここから1字下げ]
お身さまのお話ぢやが、わしは、賦の類には飽きました。どうもあれが、この四十面さげてもまだ、涙もろい歌や、詩の出て來る元になつて居る――さうつく/″\思ひますぢやて。ところで近頃は、方《カタ》を換へて、張文成を拾ひ讀みすることにしました。この方が、なんぼか――。
大きに、其は、身も賛成ぢや。ぢやが、お身がその年になつても、まだ二十《ハタチ》代の若い心や、瑞々しい顏を持つて居るのは、宋玉のおかげぢやぞ。まだなか/\隱れては歩き居《ヲ》る、と人の噂ぢやが、嘘ぢやなからう。身が保證する。おれなどは、張文成ばかり古くから讀み過ぎて、早く精氣の盡きてしまうた心持ちがする。――ぢやが全く、文成はえゝなう。あの仁《ジン》に會うて來た者の話では、豬肥《ヰノコヾ》えのした、唯の漢土《モロコシ》びとぢやつたげなが、心はまるで、やまとのものと、一つと思ふが、お身なら、諾《ウベナ》うてくれるだらうの。
文成に限る事ではおざらぬが、あちらの物は、讀んで居て、知らぬ事ばかり教へられるやうで、時々ふつと思ひ返すと、こんな思はざつた考へを、いつの間にか、持つてゐる――そんな空恐しい氣さへすることが、ありますて。お身さまにも、そんな經驗《オボエ》は、おありでがな。
大ありおほ有り。毎日々々、其よ。しまひに、どうなるのぢや。こんなに智慧づいては、と思はれてならぬことが――。ぢやが、女子《ヲミナゴ》だけには、まづ當分、女部屋のほの暗い中で、こんな智慧づかぬ、のどかな心で居させたいものぢや。第一其が、われ/\男の爲ぢやて。
[#ここで字下げ終わり]
家持は、此了解に富んだ貴人に向つては、何でも言つてよい、青年のやうな氣が湧いて來た。
[#ここから1字下げ]
さやう/\。智慧を持ち初めては、あの欝《イブセ》い女部屋には、ぢつとして居ませぬげな。第一、横佩墻内《ヨコハキカキツ》の――
[#ここで字下げ終わり]
此はいけぬ、と思つた。同時に、此|臆《オク》れた氣の出るのが、自分を卑《ヒク》くし、大伴氏を、昔の位置から自ら蹶落す心なのだ、と感じる。
[#ここから1字下げ]
好《エヽ》、好《エヽ》。遠慮はやめやめ。氏[#(ノ)]上づきあひぢやもの。ほい又出た。おれはまだ、藤原の氏上に任ぜられた訣やぢあ、なかつたつけの。
[#ここで字下げ終わり]
瞬間、暗い顏をしたが、直にさつと眉の間から、輝きが出て來た。
[#ここから1字下げ]
身の女姪《メヒ》が神隱しにあうたあの話か。お身は、あの謎見たいないきさつ[#「いきさつ」に傍点]を、さう解《ト》るかね。ふん。いやおもしろい。女姪の姫も、定めて喜ぶぢやらう。實はこれまで、内々消息を遣して、小あたりにあたつて見た、と言ふ口かね、お身も。
大きに。
[#ここで字下げ終わり]
今度は輕い心持ちが、大膽に押勝の話を受けとめた。
[#ここから1字下げ]
お身さまが經驗《タメシ》ずみぢやで、其で、郎女の才高《ザエダカ》さと、男擇びすることが訣りますな――。
此は――。額《ヒタヒ》ざまに切りつけるぞ――。免せ/\と言ふところぢやが、――あれはの、生れだちから違ふものな。藤原の氏姫ぢやからの。枚岡《ヒラヲカ》の齋《イツ》き姫にあがる宿世《スクセ》を持つて生れた者ゆゑ、人間の男は、彈く、彈く、彈きとばす。近よるまいぞよ。はゝはゝゝ。
[#ここで字下げ終わり]
大師は、笑ひをぴたりと止めて、家持の顏を見ながら、きまじめな表情になつた。
[#ここから1字下げ]
ぢやがどうも――。聽き及んでのことゝ思ふが、家出の前まで、阿彌陀經の千部寫經をして居たと言ふし、樂毅論から兄の殿の書いた元興寺縁起も、其前に手習もしたらしいし、まだ/″\孝經などは、これぽつち[#「これぽつち」に傍点]の頃に習うた、と言ふし、なか/\の女博士《ヲナゴハカセ》での。楚辭や、小説にうき身をやつす身や、お身は近よれぬはなう。霜月・師走の垣毀雪女《カイコボチヲナゴ》ぢやもの。――どうして其だけの女子《ヲミナゴ》が、神隱しなどに逢はうかい。
第一、場處が、あの當麻で見つかつたと言ひますからの――。
併し其は、藤原に全く縁のない處でもない。天[#(ノ)]二上は、中臣壽詞《ナカトミノヨゴト》にもあるし……。齋《イツ》き姫《ヒメ》もいや、人の妻と呼ばれるのもいや――で、尼になる氣を起したのでないか、と考へると、もう不安で不安でなう。のどかな氣持ちばかりでも居られぬて――。
[#ここで字下げ終わり]
押勝の眉は集つて來て、皺一つよせぬ美しい、この老いの見えぬ貴人の顏も、思ひなし、ひずんで見えた。
[#ここから1字下げ]
何しろ、嫋女《タワヤメ》は國の寶ぢやでなう。出來ることなら、人の物にはせず、神の物にしておきたいところぢやが、――人間の高望《タカノゾ》みは、さうばかりもさせてはおきをらぬがい――。ともかく、むざ/″\尼寺へやる訣にはいかぬ。
ぢやが、お身さま。一人出家すれば、と云ふ詞が、この頃はやりになつて居りますが……。
九族が天に生じて、何になるといふのぢや。寶は何百人かゝつても、作り出せるものではないぞよ。どだい[#「どだい」に傍点]兄公殿《アニキドノ》が、少し佛|凝《ゴ》りが過ぎるでなう――。自然|内《ウチ》うらまで、そんな氣風がしみこむやうになつたかも知れぬぞ――。時に、お身のみ館の郎女《イラツメ》も、そんな育てはしてあるまいな。其では、家《ウチ》の久須麻呂が泣きを見るからの。
[#ここで字下げ終わり]
人の惡いからかひ笑みを浮べて、話を無理にでも脇へ釣り出さうと努めるのは、考へるのも切ない胸の中が察せられる。
[#ここから1字下げ]
兄公殿《アニキドノ》は氏[#(ノ)]上に、身は氏助《ウヂノスケ》と言ふ訣なのぢやが、肝腎齋き姫で、枚岡に居させられる叔母御は、もうよい年ぢや。去年春日祭りに、女使ひで上られた姿を見て、神《カン》さびたものよ、と思うたぞ。今《モ》一代此方から進ぜなかつたら、齋き姫になる娘の多い北家の方がすぐに取つて替つて、氏[#(ノ)]上に据るは。
[#ここで字下げ終わり]
兵部大輔にとつても、此はもう[#「もう」に傍点]、他事《ヒトゴト》ではなかつた。おなじ大伴幾流の中から、四代續いて氏[#(ノ)]上職を持ち堪《コタ》へたのも、第一は宮廷の御恩徳もあるが、世の中のよせ[#「よせ」に傍点]が重かつたからである。其には、一番大事な條件として、美しい齋き姫が、後から後と此家に出て、とぎれることがなかつた爲でもある。大伴の家のは、表向き壻どりさへして居ねば、子があつても、齋き姫は勤まる、と言ふ定めであつた。今の阪[#(ノ)]上[#(ノ)]郎女は、二人の女子《ヲミナゴ》を持つて、やはり齋き姫である。此は、うつかり出來ない。此方《コチラ》も藤原同樣、叔母御が齋姫《イツキ》で、まだそんな年でない、と思うてゐるが、又どんなことで、他流の氏姫が、後を襲ふことにならぬとも限らぬ。大伴・佐伯《サヘキ》の數知れぬ家々・人々が、外の大伴へ、頭をさげるやうになつてはならぬ。かう考へて來た家持の心の動搖などには、思ひよりもせぬ風で、
[#ここから1字下げ]
こんな話は、よそほかの氏[#(ノ)]上に言ふべきことでないが、兄公殿《アニキドノ》があゝして、此先何年、難波にゐても、太宰府に居ると言ふが表面《オモテ》だから、氏の祭りは、枚岡・春日と、二處に二度づゝ、其外、週《マハ》り年には、時々鹿島香取の東路《アヅマヂ》のはてにある舊社《モトヤシロ》の祭りまで此方で勤めねばならぬ。實際よそほかの氏[#(ノ)]上よりも、此方《コチラ》の氏助ははたらいてゐるのだが、――だから、自分で、氏[#(ノ)]上の氣持ちになつたりする。――もう一層なつてしまふかな。お身はどう思ふ。こりや、答へる訣にも行くまい。氏[#(ノ)]上に押し直らうとしたところで、今の身の考へ一つを抂げさせるものはない。上樣方に於かせられて、お叱りの御沙汰《ゴサタ》を下しおかれぬ限りは――。
[#ここで字下げ終わり]
京中で、此惠美屋敷ほど、庭を嗜んだ家はないと言ふ。門は、左京二條三坊に、北に向いて開いて居るが、主人家族の住ひは、南を廣く空《ア》けて、深々とした山齋《ヤマ》が作つてある。其に入りこみの多い池を周らし、池の中の島も、飛鳥の宮風に造られて居た。東の中《ナカ》み門《カド》、西の中《ナカ》み門《カド》まで備つて居る。どうかすると、庭と申さうより、寛々《クワンヽヽヽ》とした空き地の廣くおありになる宮よりは、もつと手入れが屆いて居さうな氣がする。
庭を立派にして住んだ、うま[#「うま」に傍点]人たちの末々の樣が、兵部大輔の胸に來た。瞬間、憂欝な氣持ちがかぶさつて來て、前にゐる大師の顏を見るのが、氣の毒な樣に思はれる。
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案じるなよ。庭が行き屆き過ぎて居る、と思うてるのだらう。そんなことはないさ。庭はよくても、亡びた人ばかりはないさ。淡海公の御館はどうだ。どの筋でも引き繼がずに、今に荒してはあるが、あの立派さは。それ[#「それ」に傍点]あの山部の何とか言つた、地下《ヂゲ》の召《メ》し人《ビト》の歌よみが、おれの三十になつたばかりの頃、「昔見し舊《フル》き堤は、年深み…年深み、池の渚に、水草《ミクサ》生ひにけり」とよんだ位だが、其後[#「其後」に傍点]が、これ此樣に四流にも岐れて榮えてゐる。もつとあるぞ――。なに、庭などによるものぢやないは。
[#ここで字下げ終わり]
恃《タノ》む所の深い此あて人は、庭の風景の、目立つた個處々々を指摘しながら、其據る所を、日本《ヤマト》・漢土《モロコシ》に渉つて説明した。
長い廊を、數人の童《ワラハ》が續いて來る。
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日ずかしです。お召しあがり下されませう。
[#ここで字下げ終わり]
改つて、簡單な饗應の挨拶をした。まらうどに、早く酒を獻じなさい、と言つてゐる間に、美しい采女《ウネメ》が、盃を額より高く捧げて出た。
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をゝ、それだけ受けて頂けばよい。舞ひぶりを一つ、見て貰ひなさい。
[#ここで字下げ終わり]
家持は何を考へても、先を越す敏感な主人に對して、唯虚心で居るより外はなかつた。
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うねめ[#「うねめ」に傍点]は、大伴の氏[#(ノ)]上へは、まだくださらぬのだつたね。藤原では、存知でもあらうが、先例が早くからあつて、淡海公が、近江の宮から頂戴した故事で、頂く習慣になつて居ります。
[#ここで字下げ終わり]
時々、こんな畏まつたもの言ひもまじへる。兵部大輔は、自身の語づかひにも、初中終《シヨツチユウ》氣扱ひをせねばならなかつた。
[#ここから1字下げ]
氏[#(ノ)]上もな、身が執《シフ》心で、兄公殿を太宰府へ追ひまくつて、後にすわらうとするのだ、と言ふ奴があるといの――。やつぱり「奴はやつこどち」ぢやの。さう思ふよ。時に女姪《メヒ》の姫だが――。
[#ここで字下げ終わり]
さすがの聰明第一の大師も、酒の量は少かつた。其が、今日は幾分いけた、と見えて、話が循環して來た。家持は、一度はぐらかされた緒口《イトグチ》に、とりついた氣で、
[#ここから1字下げ]
横佩|墻内《カキツ》の郎女《イラツメ》は、どうなるでせう。社・寺、それとも宮――。どちらへ向いても、神さびた一生。あつたら惜しいものでおありだ。
氣にするな。氣にするな。氣にしたとて、どう出來るものか。此は――もう、人間の手へは、戻らぬかも知れんぞ。
[#ここで字下げ終わり]
末は、獨り言になつて居た。さうして、急に考へ深い目を凝した。池へ落した水音は、未《ヒツジ》がさがると、寒々と聞えて來る。
[#ここから1字下げ]
早く、躑躅の照る時分になつてくれぬかなあ。一年中で、この庭の一番よい時が、待ちどほしいぞ。
[#ここで字下げ終わり]
大師藤原[#(ノ)]惠美[#(ノ)]押勝朝臣の聲は、若々しい、純な欲望の外、何の響きもまじへて居なかつた。

        十五

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つた つた つた。
[#ここで字下げ終わり]
郎女は、一向《ヒタスラ》、あの音の歩み寄つて來る畏しい夜更けを、待つやうになつた。をとゝひよりは昨日、昨日よりは今日といふ風に、其跫音が間遠になつて行き、此頃はふつに[#「ふつに」に傍点]音せぬやうになつた。その氷の山に對うて居るやうな、骨の疼く戰慄の快感、其が失せて行くのを虞れるやうに、姫は夜毎、鷄のうたひ出すまでは、殆、祈る心で待ち續けて居る。
絶望のまゝ、幾晩も仰ぎ寢たきりで、目は晝よりも寤《サ》めて居た。其間に起る夜の間の現象には、一切心が留らなかつた。現にあれほど、郎女の心を有頂天に引き上げた頂板《ツシ》の面《オモテ》の光り輪にすら、明盲《アキジ》ひのやうに、注意は惹かれなくなつてゐる。こゝに來て、疾《ト》くに、七日は過ぎ、十日・半月になつた。山も、野も、春のけしきが整うて居た。野茨の花のやうだつた小櫻が散り過ぎて、其に次ぐ山櫻が、谷から峰かけて、斷續しながら咲いてゐるのも見える。麥原《ムギフ》は、驚くばかり伸び、里人の野爲事に出た姿が、終日、そのあたりに動いてゐる。
都から來た人たちの中、何時までこの山陰に、春を起き臥すことか、と佗びる者が殖えて行つた。廬堂の近くに掘り立てた板屋に、かう長びくと思はなかつたし、まだどれだけ續くかも知れぬ此生活に、家ある者は、妻子に會ふことばかりを考へた。親に養はれる者は、家の父母の外にも、隱れた戀人を思ふ心が、切々として來るのである。女たちは、かうした場合にも、平氣に近い感情で居られる長い暮しの習しに馴れて、何か、と爲事を考へてはして居る。女方の小屋は、男のとは別に、もつと廬に接して建てられて居た。
身狹乳母《ムサノチオモ》の思ひやりから、男たちの多くは、唯さへ小人數な奈良の御館《ミタチ》の番に行け、と言つて還され、長老《オトナ》一人の外は、唯|雜用《ザフヨウ》をする童と、奴隷《ヤツコ》位しか殘らなかつた。
乳母《オモ》や、若人たちも、薄々は帳臺の中で夜を久しく起きてゐる、郎女の樣子を感じ出して居た。でも、なぜさう夜深く溜め息ついたり、うなされたりするか、知る筈のない昔かたぎ[#「かたぎ」に傍点]の女たちである。
やはり、郎女の魂《タマ》があくがれ出て、心が空しくなつて居るもの、と單純に考へて居る。ある女は、魂ごひの爲に、山尋ねの咒術《オコナヒ》をして見たらどうだらう、と言つた。
乳母は一口に言ひ消した。姫樣、當麻に御安著なされた其夜、奈良の御館へ計はずに、私にした當麻眞人《タギマノマヒト》の家人たちの山尋ねが、わるい結果を呼んだのだ。當麻語部とか謂つた蠱物《マジモノ》使ひのやうな婆が、出しやばつての差配が、こんな事を惹き起したのだ。
その節、山の峠《タワ》の塚で起つた不思議は、噂になつて、この貴人《ウマビト》一家の者にも、知れ渡つて居た。あらぬ者の魂を呼び出して、郎女樣におつけ申しあげたに違ひない。もう/\、輕はずみな咒術《オコナヒ》は、思ひとまることにしよう。かうして、魂《タマ》の游離《アクガ》れ出た處の近くにさへ居れば、やがては、元のお身になり戻り遊されることだらう。こんな風に考へて、乳母は唯、氣長に氣ながに、と女たちを諭し/\した。
こんな事をして居る中に、早一月も過ぎて櫻の後、暫らく寂しかつた山に、躑躅が燃え立つた。足も行かれぬ崖の上や、巖の腹などに、一群々々《ヒトムラヽヽヽヽ》咲いて居るのが、奧山の春は今だ、となのつて居るやうである。
ある日は、山へ/\と、里の娘ばかりが上つて行くのを見た。凡數十人の若い女が、何處で宿つたのか、其次の日、てんでに赤い山の花を髮にかざして、降りて來た。廬の庭から見あげた若女房の一人が、山の躑躅林《ツヽジバヤシ》が練つて降るやうだ、と聲をあげた。
ぞよ/\と廬の前を通る時、皆頭をさげて行つた。其中の二三人が、つくねんとして暮す若人たちの慰みに呼び入れられて、板屋の端へ來た。當麻の田居も、今は苗代時である。やがては田植ゑをする。其時は、見に出やしやれ。こんな身でも、其時はずんと、をなごぶりが上るぞな、と笑ふ者もあつた。
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こゝの田居の中で、植ゑ初めの田は、腰折れ田と言うて、都までも聞えた物語りのある田ぢやげな。
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若人たちは、又例の蠱物姥《マヂモノウバ》の古語りであらう、とまぜ返す。ともあれ、かうして、山ごもりに上つた娘だけに、今年の田の早處女《サウトメ》が當ります。其しるしが此ぢや、と大事さうに、頭の躑躅に觸れて見せた。
もつと變つた話を聞かせぬかえと誘はれて、身分に高下はあつても、同じ若い同士のことゝて、色々な田舍咄をして行つた。其を後《ノチ》に乳母《オモ》たちが聽いて、氣にしたことがあつた。山ごもりして居ると、小屋の上の崖をどう/″\と踏みおりて來る者がある。ようべ、眞夜中のことである。一樣にうなされて、苦しい息をついてゐると、音はそのまゝ、眞下へ眞下へ、降つて行つた。がら/″\と、岩の崩《ク》える響。――ちようど其が、此廬堂の眞上の高處《タカ》に當つて居た。こんな處に道はない筈ぢやが、と今朝起きぬけに見ると、案の定《ヂヤウ》、赤岩の大崩崖《オホナギ》。ようべの音は、音ばかりで、ちつとも痕は殘つて居なかつた。
其で思ひ合せられるのは、此頃ちよく/\、子から丑の間に、里から見えるこのあたりの峰《ヲ》の上《ヘ》に、光り物がしたり、時ならぬ一時颪《イツトキオロシ》の凄い唸りが、聞えたりする。今までつひに[#「つひに」に傍点]聞かぬこと。里人は唯かう、恐れ謹しんで居る、とも言つた。
こんな話を殘して行つた里の娘たちも、苗代田の畔に、めい/\のかざしの躑躅花を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]して歸つた。其は晝のこと、田舍は田舍らしい閨の中に、今は寢ついたであらう。夜はひた更けに、更けて行く。
晝の恐れのなごりに、寢苦しがつて居た女たちも、おびえ疲れに寢入つてしまつた。頭上の崖で、寢鳥の鳴き聲がした。郎女は、まどろんだとも思はぬ目を、ふつと開いた。續いて今ひと響き、びし[#「びし」に傍点]としたのは、鳥などの、翼ぐるめ[#「ぐるめ」に傍点]ひき裂かれたらしい音である。だが其だけで、山は音どころか、生き物も絶えたやうに、虚しい空間の闇に、時間が立つて行つた。郎女の額《ヌカ》の上の天井の光りの暈《カサ》が、ほの/″\と白んで來る。明りの隈はあちこちに偏倚《カタヨ》つて、光りを竪にくぎつて行く。と見る間に、ぱつと明るくなる。そこに大きな花。蒼白い菫。その花びらが、幾つにも分けて見せる隈、佛の花の青蓮華《シヤウレンゲ》と言ふものであらうか。郎女の目には、何とも知れぬ淨らかな花が、車輪のやうに、宙にぱつと開いてゐる。仄暗い蕋の處に、むら/\と雲のやうに、動くものがある。黄金の蕋をふりわける。其は黄金の髮である。髮の中から匂ひ出た莊嚴な顏。閉ぢた目が、憂ひを持つて、見おろして居る。あゝ肩・胸・顯はな肌。――冷え/″\とした白い肌。をゝ おいとほしい。
郎女は、自身の聲に、目が覺めた。夢から續いて、口は尚夢のやうに、語を逐うて居た。
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おいとほしい。お寒からうに――。
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        十六

山の躑躅の色は、樣々ある。一つ色のものだけが、一時に咲き出して、一時に萎《シボ》む。さうして、凡一月は、後から後から替つた色のが匂ひ出て、禿げた岩も、一冬のうら枯れをとり返さぬ柴木山も、若夏の青雲の下に、はでなかざしをつける。其間に、藤の短い花房が、白く又紫に垂れて、老い木の幹の高さを、せつなく、寂しく見せる。下草に交つて、馬醉木《アシビ》が雪のやうに咲いても、花めいた心を、誰に起させることもなしに、過ぎるのがあはれである。
もう此頃になると、山は厭はしいほど緑に埋れ、谷は深々と、繁りに隱されてしまふ。郭公《クワツコウ》は早く鳴き嗄らし、時鳥が替つて、日も夜も鳴く。
草の花が、どつと怒濤の寄せるやうに咲き出して、山全體が花原見たやうになつて行く。里の麥は刈り急がれ、田の原は一樣に青みわたつて、もうこんなに伸びたか、と驚くほどになる。家の庭苑《ソノ》にも、立ち替り咲き替つて、栽ゑ木、草花が、何處まで盛り續けるかと思はれる。だが其も一盛りで、坪はひそまり返つたやうな時が來る。池には葦が伸び、蒲が秀《ホ》き、藺《ヰ》が抽んでゝ來る。遲々として、併し忘れた頃に、俄かに伸《ノ》し上るやうに育つのは、蓮の葉であつた。
前年から今年にかけて、海の彼方の新羅の亡状が、目立つて棄て置かれぬものに見えて來た。太宰府からは、軍船を新造して新羅征伐の設けをせよ、と言ふ命のお降しを、度々都へ請うておこして居た。此忙しい時に、偶然流人太宰府員外帥として、難波に居た横佩家の豐成は、思ひがけぬ日々を送らねばならなかつた。
都の姫の事は、子古の口から聽いて知つたし、又、京・難波の間を往來する頻繁な公私の使ひに、文をことづてる事は易かつたけれども、どう處置してよいか、途方に昏れた。ちよつと見は何でもない事の樣で、實は重大な、家の大事である。其だけに、常の優柔不斷な心癖は、益々つのるばかりであつた。
寺々の知音に寄せて、當麻寺へ、よい樣に命じてくれる樣に、と書いてもやつた。又處置方について伺うた横佩墻内の家の長老《トネ》・刀自たちへは、ひたすら汝等の主の女郎を護つて居れ、と言ふやうな、抽象風なことを、答へて來たりした。
次の消息には、何かと具體した仰せつけがあるだらう、と待つて居る間に、日が立ち、月が過ぎて行くばかりである。其間にも、姫の失はれたと見える魂が、お身に戻るか、其だけの望みで、人々は、山村に止つて居た。物思ひに、屈託ばかりもして居ぬ若人たちは、もう池のほとりにおり立つて、伸びた蓮の莖を切り集め出した。其を見て居た寺の婢女《メヤツコ》が、其はまだ若い、まう半月もおかねばと言つて、寺領の一部に、蓮根《ハスネ》を取る爲に作つてあつた蓮田《ハチスダ》へ、案内しよう、と言ひ出した。
あて人の家自身が、それ/\、農村の大家《オホヤケ》であつた。其が次第に、官人《ツカサビト》らしい姿に更つて來ても、家庭の生活には、何時までたつても、何處か農家らしい樣子が、殘つて居た。家構へにも、屋敷の廣場《ニハ》にも、家の中の雜用具《ザフヨウグ》にも。第一、女たちの生活は、起居《タチヰ》ふるまひ[#「ふるまひ」に傍点]なり、服裝なりは、優雅に優雅にと變つては行つたが、やはり昔の農家の家内《ヤウチ》の匂ひがつき纒うて離れなかつた。刈り上げの秋になると、夫と離れて暮す年頃に達した夫人などは、よく其家の遠い田莊《タドコロ》へ行つて、數日を過して來るやうな習しも、絶えることなく、くり返されて居た。
だから、刀自たちは固より若人らも、つくねん[#「つくねん」に傍点]と女部屋の薄暗がりに、明し暮して居るのではなかつた。てんでに、自分の出た村方の手藝を覺えて居て、其を、仕へる君の爲に爲出《シイダ》さう、と出精してはたらいた。
裳の襞を作るのに珍《ナ》い術《テ》を持つた女などが、何でもないことで、とりわけ重寶がられた。袖の先につける鰭袖《ハタソデ》を美しく爲立てゝ、其に、珍しい縫ひとりをする女なども居た。こんなのは、どの家庭にもある話でなく、かう言ふ若人をおきあてた家は、一つのよい見てくれ[#「見てくれ」に傍点]を世間に持つ事になるのだ。一般に、染めや、裁ち縫ひが、家々の顏見合はぬ女どうしの競技のやうに、もてはやされた。摺り染めや、擣《ウ》ち染めの技術も、女たちの間には、目立たぬ進歩が年々にあつたが、浸《ヒ》で染めの爲の染料が、韓の技工人《テビト》の影響から、途方もなく變化した。紫と謂つても、茜と謂つても、皆、昔の樣な、染め漿《シホ》の處置《トリアツカヒ》はせなくなつた。さうして、染め上りも、艶々しく、はでなものになつて來た。表向きは、かうした色の禁令が、次第に行きわたつて來たけれど、家の女部屋までは、官《カミ》の目も屆くはずはなかつた。
家庭の主婦が、居まはりの人を促したてゝ、自身も精勤してするやうな爲事は、あて人の家では、刀自等の受け持ちであつた。若人たちも、田畠に出ぬと言ふばかりで、家の中での爲事は、まだ見參《マヰリマミエ》をせずにゐた田舍暮しの時分と、大差はなかつた。とりわけ違ふのは、其家々の神々に仕へると言ふ、誇りはあるが、小むつかしい事がつけ加へられて居る位のことである。外出には、下人たちの見ぬ樣に、笠を深々とかづき、其下には、更に薄帛を垂らして出かけた。
一《イツ》時たゝぬ中に、婢女《メヤツコ》ばかりでなく、自身たちも、田におりたつたと見えて、泥だらけになつて、若人たち十數人は、戻つて來た。皆手に手に、張り切つて發育した、蓮の莖を抱へて、廬の前に竝んだのには、常々くすり[#「くすり」に傍点]とも笑はぬ乳母《オモ》たちさへ、腹の皮をよつて切《セツ》ながつた。
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郎女《イラツメ》樣。御|覽《ラウ》じませ。
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竪帳《タツバリ》を手でのけて、姫に見せるだけが、やつとのことであつた。
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ほう――。
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何が笑ふべきものか、何が憎むに値するものか、一切知らぬ上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26]《ジヤウラフ》には、唯常と變つた皆の姿が、羨しく思はれた。
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この身も、その田居とやらにおり立ちたい――。
めつさうなこと、仰せられます。
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めつさうな。きまつて、誇張した顏と口との表現で答へることも、此ごろ、この小社會で行はれ出した。何から何まで縛りつけるやうな、身狹乳母《ムサノチオモ》に對する反感も、此ものまね[#「ものまね」に傍点]で幾分、いり合せがつく樣な氣がするのであらう。
其日からもう、若人たちの絲縒りは初まつた。夜は、閨の闇の中で寢る女たちには、稀に男の聲を聞くこともある、奈良の垣内《カキツ》住ひが、戀しかつた。朝になると又、何もかも忘れたやうになつて績《ウ》み貯める。
さうした絲の、六かせ七かせを持つて出て、郎女に見せたのは、其數日後であつた。
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乳母《オモ》よ。この絲は、蝶鳥の翼よりも美しいが、蜘蛛の巣《イ》より弱く見えるがよ――。
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郎女は、久しぶりでにつこりした。勞を犒ふと共に、考への足らぬのを憐むやうである。
刀自は、驚いて姫の詞を堰き止めた。
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なる程、此は脆《サク》過ぎまする。
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女たちは、板屋に戻つても、長く、健やかな喜びを、皆して語つて居た。
全く些《スコ》しの惡意もまじへずに、言ひたいまゝの氣持ちから、
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田居とやらへおりたちたい――、
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を反覆した。
刀自は、若人を呼び集めて、
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もつと、きれぬ絲を作り出さねば、物はない。
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と言つた。女たちの中の一人が、
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それでは、刀自に、何ぞよい御思案が――。
さればの――。
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昔を守ることばかりはいかつい[#「いかつい」に傍点]が、新しいことの考へは唯、尋常《ヨノツネ》の婆の如く、愚かしかつた。
ゆくりない聲が、郎女の口から洩れた。
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この身の考へることが、出來ることか試して見や。
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うま人を輕侮することを、神への忌みとして居た昔人である。だが、かすかな輕《カル》しめに似た氣持ちが、皆の心に動いた。
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夏引きの麻生《ヲフ》の麻《アサ》を績《ウ》むやうに、そして、もつと日ざらしよく、細くこまやかに―。
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郎女は、目に見えぬものゝさとし[#「さとし」に傍点]を、心の上で綴つて行くやうに、語を吐いた。
板屋の前には、俄かに、蓮の莖が乾し竝べられた。さうして其が乾くと、谷の澱みに持ち下りて浸す。浸しては晒し、晒しては水に漬《ヒ》でた幾日の後、筵の上で槌の音高く、こも/″\、交々《コモヾヽ》と叩き柔らげた。
その勤しみを、郎女も時には、端近くゐざり出て見て居た。咎めようとしても、思ひつめたやうな目して見入つて居る姫を見ると、刀自は口を開くことが出來なくなつた。
日晒しの莖を、八針《ヤツハリ》に裂き、其を又、幾針にも裂く。郎女の物言はぬまなざしが、ぢつと若人たちの手もとをまもつて居る。
果ては、刀自も言ひ出した。
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私も、績《ウ》みませう。
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績《ウ》みに績み、又績みに績んだ。藕絲《ハスイト》のまるがせが、日に/\殖えて、廬堂《イホリダウ》の中に、次第に高く積まれて行つた。
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もう今日は、みな月に入る日ぢやの――。
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暦《コヨミ》の事を言はれて、刀自はぎよつ[#「ぎよつ」に傍点]とした。ほんに、今日こそ、氷室《ヒムロ》の朔日《ツイタチ》ぢや。さう思ふ下から齒の根のあはぬやうな惡感を覺えた。大昔から、暦は聖《ヒジリ》の與る道と考へて來た。其で、男女は唯、長老《トネ》の言ふがまゝに、時の來又去つた事を教《ヲソ》はつて、村や、家の行事を進めて行くばかりであつた。だから、教へぬに日月を語ることは、極めて聰《サト》い人の事として居た頃である。愈々魂をとり戻されたのか、と瞻《マモ》りながら、はら/\して居る乳母であつた。唯、郎女は復《マタ》、秋分の日の近づいて來て居ることを、心にと言ふよりは、身の内に、そく/\と感じ初めて居たのである。蓮は、池のも、田居のも、極度に長《タ》けて、莟の大きくふくらんだのも、見え出した。婢女《メヤツコ》は、今が刈りしほだ、と教へたので、若人たちは、皆手も足も泥にして、又田に立ち暮す日が續いた。

        十七

彼岸中日 秋分の夕。朝曇り後晴れて、海のやうに深碧に凪いだ空に、晝過ぎて、白い雲が頻りにちぎれ/\に飛んだ。其が門渡《トワタ》る船と見えてゐる内に、暴風《アラシ》である。空は愈々青澄み、昏くなる頃には、藍の樣に色濃くなつて行つた。見あげる山の端は、横雲の空のやうに、茜色に輝いて居る。
大山颪。木の葉も、枝も、顏に吹きつけられる程の物は、皆活きて青かつた。板屋は吹きあげられさうに、煽りきしんだ。若人たちは、悉く郎女の廬に上つて、刀自を中に、心を一つにして、ひしと顏を寄せた。たゞ互の顏の見えるばかりの緊張した氣持ちの間に、刻々に移つて行く風。西から眞正面《マトモ》に吹きおろしたのが、暫らくして北の方から落して來た。やがて、風は山を離れて、平野の方から、山に向つてひた吹きに吹きつけた。峰の松原も、空樣《ソラザマ》に枝を掻き上げられた樣になつて、悲鳴を續けた。谷から峰《ヲ》の上《ヘ》に生え上《ノボ》つて居る萱原は、一樣に上へ/\と糶《セ》り昇るやうに、葉裏を返して扱《コ》き上げられた。
家の中は、もう暗くなつた。だがまだ見える庭先の明りは、黄にかつきり[#「かつきり」に傍点]と、物の一つ/\を、鮮やかに見せて居た。
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郎女樣が――。
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誰かの聲である。皆、頭の毛が空へのぼる程、ぎよつとした。其が、何だと言はれずとも、すべての心が、一度に了解して居た。言ひ難い恐怖にかみづつた女たちは、誰一人聲を出す者も居なかつた。
身狹[#(ノ)]乳母は、今の今まで、姫の側に寄つて、後から姫を抱へて居たのである。皆の人のけはひで、覺め難い夢から覺めたやうに、目をみひらくと、あゝ、何時の間にか、姫は嫗の兩《モロ》腕兩膝の間には、居させられぬ。一時に、慟哭するやうな感激が來た。だが長い訓練が、老女の心をとり戻した。凛として、反り返る樣な力が、湧き上つた。
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誰《タ》ぞ、弓を――。鳴弦《ツルウチ》ぢや。
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人を待つ間もなかつた。彼女自身、壁代《カベシロ》に寄せかけて置いた白木の檀弓《マユミ》をとり上げて居た。
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それ皆の衆――。反閇《アシブミ》ぞ。もつと聲高《コワダカ》に――。あっし、あっし、それ、あっしあっし……。
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若人たちも、一人々々の心は、疾くに飛んで行つてしまつて居た。唯一つの聲で、警※[#「馬+畢」、147-2]《ケイヒツ》を發し、反閇《ハンバイ》した。
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あっし あっし。
あっし あっし あっし。
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狹い廬の中を蹈んで※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]つた。脇目からは、遶道《ネウダウ》する群れのやうに。
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郎女樣は、こちらに御座りますか。
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萬法藏院の婢女《メヤツコ》が、息をきらして走つて來て、何時もなら、許されて居ぬ無作法で、近々と廬の砌《ミギリ》に立つて叫んだ。
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なに――。
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皆の口が、一つであつた。
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郎女樣か、と思はれるあて人が――、み寺の門《カド》に立つて居さつせるのを見たで、知らせにまゐりました。
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今度は、乳母《オモ》一人の聲が答へた。
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なに、み寺の門に。
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婢女を先に、行道の群れは、小石を飛す嵐の中を、早足に練り出した。
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あっし あっし あっし……。
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聲は、遠くからも聞えた。大風をつき拔く樣な鋭聲《トゴエ》が、野|面《ヅラ》に傳はる。萬法藏院は、實に寂《セキ》として居た。山風は物忘れした樣に、鎭まつて居た。夕闇はそろ/\、かぶさつて來て居るのに、山裾のひらけた處を占めた寺庭は、白砂が、晝の明りに輝いてゐた。こゝからよく見える二上《フタカミ》の頂は、廣く、赤々と夕映えてゐる。
姫は、山田の道場の※[#「片+總のつくり」、第3水準1-87-68]から仰ぐ空の狹さを悲しんでゐる間に、何時かこゝまで來て居たのである。淨域を穢した物忌みにこもつてゐる身、と言ふことを忘れさせぬものが、其でも心の隅にあつたのであらう。門の閾から、伸び上るやうにして、山の際《ハ》の空を見入つて居た。
暫らくおだやんで居た嵐が、又山に※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]つたらしい。だが、寺は物音もない黄昏《タソガレ》だ。
男嶽《ヲノカミ》と女嶽《メノカミ》との間になだれをなした大きな曲線《タワ》が、又次第に兩方へ聳《ソヽ》つて行つてゐる、此二つの峰の間《アヒダ》の廣い空際《ソラギハ》。薄れかゝつた茜の雲が、急に輝き出して、白銀《ハクギン》の炎をあげて來る。山の間《マ》に充滿して居た夕闇は、光りに照されて、紫だつて動きはじめた。
さうして暫らくは、外に動くものゝない明るさ。山の空は、唯白々として、照り出されて居た。
肌 肩 脇 胸 豐かな姿が、山の尾上《ヲノヘ》の松原の上に現れた。併し、俤に見つゞけた其顏ばかりは、ほの暗かつた。
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今すこし著《シル》く み姿顯したまへ――。
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郎女の口よりも、皮膚をつんざいて、あげた叫びである。山腹の紫は、雲となつて靉《タナビ》き、次第々々に降《サガ》る樣に見えた。
明るいのは、山|際《ギハ》ばかりではなかつた。地上は、砂《イサゴ》の數もよまれるほどである。
しづかに しづかに雲はおりて來る。萬法藏院の香殿・講堂・塔婆樓閣・山門僧房・庫裡、悉く金に、朱に、青に、晝より著《イチジル》く見え、自《ミヅカ》ら光りを發して居た。庭の砂の上にすれ/\に、雲は搖曳して、そこにあり/\と半身を顯した尊者の姿が、手にとる樣に見えた。匂ひやかな笑みを含んだ顏が、はじめて、まともに郎女に向けられた。伏し目に半ば閉ぢられた目は、此時、姫を認めたやうに、清《スヾ》しく見ひらいた。輕くつぐんだ脣は、この女性《ニヨシヤウ》に向うて、物を告げてゞも居るやうに、ほぐれて見えた。
郎女は尊さに、目の低《タ》れて來る思ひがした。だが、此時を過してはと思ふ一心で、御《ミ》姿から、目をそらさなかつた。
あて人を讃へるものと、思ひこんだあの詞が、又心から迸り出た。
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なも 阿彌陀ほとけ。あなたふと 阿彌陀ほとけ。
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瞬間に明りが薄れて行つて、まのあたりに見える雲も、雲の上の尊者の姿も、ほのぼのと暗くなり、段々に高く、又高く上つて行く。
姫が、目送する間もない程であつた。忽、二上山の山の端《ハ》に溶け入るやうに消えて、まつくらな空ばかりの、たなびく夜になつて居た。
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あっし あっし。
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足を蹈み、前《サキ》を驅《オ》ふ聲が、耳もとまで近づいて來てゐた。

        十八

當麻の邑は、此頃、一本の草、一塊《ヒトクレ》の石すら、光りを持つほど、賑ひ充ちて居る。
當麻眞人家《タギマノマヒトケ》の氏神|當麻彦《タギマヒコ》の社へ、祭り時に外れた昨今、急に、氏[#(ノ)]上の拜禮があつた。故上總守|老《オユ》[#(ノ)]眞人以來、暫らく絶えて居たことである。
其上、まう二三日に迫つた八月《ハツキ》の朔日《ツイタチ》には、奈良の宮から、勅使が來向はれる筈になつて居た。當麻氏から出られた大夫人《ダイフジン》のお生み申された宮の御代に、あらたまることになつたからである。
廬堂の中は、前よりは更に狹くなつて居た。郎女が、奈良の御館からとり寄せた高機《タカハタ》を、設《タ》てたからである。機織りに長けた女も、一人や二人は、若人の中に居た。此女らの動かして見せる筬《ヲサ》や梭《ヒ》の扱ひ方を、姫はすぐに會得《ヱトク》した。機に上つて日ねもす、時には終夜《ヨモスガラ》、織つて見るけれど、蓮の絲は、すぐに圓《ツブ》になつたり、斷《キ》れたりした。其でも、倦まずにさへ織つて居れば、何時か織りあがるもの、と信じてゐる樣に、脇目からは見えた。
乳母は、人に見せた事のない憂はしげな顏を、此頃よくしてゐる。
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何しろ、唐土《モロコシ》でも、天竺から渡つた物より手に入らぬ、といふ藕絲織《ハスイトオ》りを遊ばさう、と言ふのぢやものなう。
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話相手にもしなかつた若い者たちに、時々うつかりと、こんな事を、言ふ樣になつた。
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かう絲が無駄になつては。
今の間にどし/″\績《ウ》んで置かいでは―。
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乳母《チオモ》の語に、若人たちは又、廣々とした野や田の面におり立つことを思うて、心がさわだつた。
さうして、女たちの刈りとつた蓮積み車が、廬に戻つて來ると、何よりも先に、田居への降り道に見た、當麻の邑の騷ぎの噂である。
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郎女樣のお從兄《イトコ》惠美の若子《ワクゴ》さまのお母《ハラ》樣も、當麻[#(ノ)]眞人のお出《デ》ぢやげな――。
惠美の御館《ミタチ》の叔父君の世界、見るやうな世になつた。
兄御を、帥の殿に落しておいて、御自身はのり越して、内相の、大師《タイシ》の、とおなりのぼりの御心持ちは、どうあらうなう――。
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あて人に仕へて居ても、女はうつかりすると、人の評判に時を移した。
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やめい やめい。お耳ざはりぞ。
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しまひには、乳母が叱りに出た。だが、身狹刀自《ムサノトジ》自身のうちにも、もだ/″\と咽喉につまつた物のある感じが、殘らずには居なかつた。さうして、そんなことにかまけることなく、何の訣やら知れぬが、一心に絲を績《ウ》み、機を織つて居る育ての姫が、いとほしくてたまらぬのであつた。
晝の中多く出た虻は、潜んでしまつたが、蚊は仲秋になると、益々あばれ出して來る。日中の興奮で、皆は正體もなく寢た。身狹までが、姫の起き明す燈の明りを避けて、隅の物陰に、深い鼾を立てはじめた。
郎女は、斷《キ》れては織り、織つては斷れ、手がだるくなつてもまだ梭《ヒ》を放さうともせぬ。
だが、此頃の姫の心は、滿ち足らうて居た。あれほど、夜々《ヨルヽヽ》見て居た俤人《オモカゲビト》の姿も見ずに、安らかな氣持ちが續いてゐるのである。
「此機を織りあげて、はやうあの素肌のお身を、掩うてあげたい。」
其ばかり考へて居る。世の中になし遂げられぬものゝあると言ふことを、あて人は知らぬのであつた。
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ちよう ちよう はた はた。
はた はた ちよう……。
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筬を流れるやうに、手もとにくり寄せられる絲が、動かなくなつた。引いても扱《コ》いても通らぬ。筬の齒が幾枚も毀《コボ》れて、絲筋の上にかゝつて居るのが見える。
郎女は、溜め息をついた。乳母に問うても、知るまい。女たちを起して聞いた所で、滑らかに動かすことはえすまい。
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どうしたら、よいのだらう。
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姫ははじめて、顏へ偏《カタヨ》つてかゝつて來る髮のうるさゝを感じた。筬の櫛目を覗いて見た。梭もはたいて見た。
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あゝ、何時になつたら、したてた衣《コロモ》をお肌へふくよかにお貸し申すことが出來よう。
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もう外の叢で鳴き出した、蟋蟀の聲を、瞬間思ひ浮べて居た。
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どれ、およこし遊ばされ。かう直せば、動かぬこともおざるまい――。
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どうやら聞いた氣のする聲が、機の外にした。
あて人の姫は、何處から來た人とも疑はなかつた。唯、さうした好意ある人を、豫想して居た時なので、
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見てたもれ。
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機をおりた。
女は、尼であつた。髮を切つて尼そぎにした女は、其も二三度は見かけたことはあつたが、剃髮した尼には會うたことのない姫であつた。
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はた はた ちよう ちよう。
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元の通りの音が、整つて出て來た。
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蓮の絲は、かう言ふ風では、織れるものではおざりませぬ。もつと寄つて御覽じ――。これかう――おわかりかえ。
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當麻語部[#(ノ)]姥の聲である。だが、そんなことは、郎女の心には、問題でもなかつた。
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おわかりなさるかえ。これかう――。
[#ここで字下げ終わり]
姫の心は、こだま[#「こだま」に傍点]の如く聰《サト》くなつて居た。此|才伎《テワザ》の經緯《ユキタテ》は、すぐ呑み込まれた。
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織つてごらうじませ。
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姫が、高機に代つて入ると、尼は機陰に身を倚せて立つ。
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はた はた ゆら ゆら。
[#ここで字下げ終わり]
音までが、變つて澄み上つた。
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女鳥《メトリ》の わがおほきみの織《オロ》す機。誰《タ》が爲《タ》ねろかも――、御存じ及びでおざりませうなう。昔、かう、機殿《ハタドノ》の※[#「片+總のつくり」、第3水準1-87-68]からのぞきこうで、問はれたお方樣がおざりましたつけ。――その時、その貴い女性《ニヨシヤウ》がの、
たか行くや 隼別《ハヤブサワケ》の御被服料《ミオスヒガネ》――さうお答へなされたとなう。
この中《ヂユウ》申し上げた滋賀津彦《シガツヒコ》は、やはり隼別でもおざりました。天若日子《アメワカヒコ》でもおざりました。天《テン》の日《ヒ》に矢を射かける――。
併し、極みなく美しいお人でおざりましたがよ。截《キ》りはたり ちようちよう。それ―、早く織らねば、やがて、岩牀の凍る冷い冬がまゐりますがよ――。
[#ここで字下げ終わり]
郎女は、ふつと覺めた。あぐね果てゝ、機の上にとろ/\とした間の夢だつたのである。だが、梭をとり直して見ると、
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はた はた ゆら ゆら。ゆら はたゝ。
[#ここで字下げ終わり]
美しい織物が、筬の目から迸る。
[#ここから1字下げ]
はた はた ゆら ゆら。
[#ここで字下げ終わり]
思ひつめてまどろんでゐる中に、郎女の智慧が、一つの閾を越えたのである。

        十九

望の夜の月が冴えて居た。若人たちは、今日、郎女の織りあげた一反《ヒトムラ》の上帛《ハタ》を、夜の更けるのも忘れて、見讃《ミハヤ》して居た。
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この月の光りを受けた美しさ。
※[#「糸+慊のつくり」、第3水準1-90-17]《カドリ》のやうで、韓織《カラオリ》のやうで、――やつぱり、此より外にはない、清らかな上帛《ハタ》ぢや。
[#ここで字下げ終わり]
乳母も、遠くなつた眼をすがめながら、譬へやうのない美しさと、づゝしりとした手あたりを、若い者のやうに樂しんでは、撫でまはして居た。二度目の機は、初めの日數の半《ナカラ》であがつた。三反《ミムラ》の上帛《ハタ》を織りあげて、姫の心には、新しい不安が頭をあげて來た。五反《イツムラ》目を織りきると、機に上ることをやめた。さうして、日も夜も、針を動した。
長月の空は、三日の月のほのめき出したのさへ、寒く眺められる。この夜寒に、俤人の肩の白さを思ふだけでも、堪へられなかつた。
裁ち縫ふわざは、あて人の子のする事ではなかつた。唯、他人《ヒト》の手に觸れさせたくない。かう思ふ心から、解いては縫ひ、縫うてはほどきした。現《ウツ》し世《ヨ》の幾人にも當る大きなお身に合ふ衣を、縫ふすべを知らなかつた。せつかく織り上げた上帛《ハタ》を、裁《タ》つたり截《キ》つたり、段々布は狹くなつて行く。
女たちも、唯姫の手わざを見て居るほかはなかつた。何を縫ふものとも考へ當らぬ囁きに、日を暮すばかりである。
其上、日に増し、外は冷えて來る。人々は一日も早く、奈良の御館に歸ることを願ふばかりになつた。郎女は、暖かい晝、薄暗い廬の中で、うつとりとしてゐた。その時、語部《カタリ》の尼が歩み寄つて來るのを、又まざ/″\と見たのである。
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何を思案遊ばす。壁代《カベシロ》の樣に縱横に裁ちついで、其まゝ身に纒ふやうになさる外はおざらぬ。それ、こゝに紐をつけて、肩の上でくゝりあはせれば、晝は衣になりませう。紐を解き敷いて、折り返し被《カブ》れば、やがて夜の衾《フスマ》にもなりまする。天竺の行人《ギヤウニン》たちの著る僧伽梨《ソウギヤリ》と言ふのが、其でおざりまする。早くお縫ひあそばされ。
[#ここで字下げ終わり]
だが、氣がつくと、やはり晝の夢を見て居たのだ。裁ちきつた布を綴り合せて縫ひ初めると、二日もたゝぬ間に、大きな一面の綴りの上帛《ハタ》が出來あがつた。
[#ここから1字下げ]
郎女樣は、月ごろかゝつて、唯の壁代をお織りなされた。
あつたら、惜しやの。
[#ここで字下げ終わり]
はり[#「はり」に傍点]が拔けたやうに、若人《ワカウド》たちが聲を落して言うて居る時、姫は悲しみながら、次の營みを考へて居た。
「これでは、あまり寒々としてゐる。殯《モガリ》の庭の棺《ヒツギ》にかけるひしきもの[#「ひしきもの」に傍点]―喪氈―、とやら言ふものと、見た目にかはりはあるまい。」

        二十

もう、世の人の心は賢しくなり過ぎて居た。獨り語りの物語りなどに、信《シン》をうちこんで聽く者のある筈はなかつた。聞く人のない森の中などで、よく、つぶ/\と物言ふ者がある、と思うて近づくと、其が、語部の家の者だつたなど言ふ話が、どの村でも笑ひ咄のやうに言はれるやうな世の中になつて居た。當麻語部《タギマノカタリベ》の嫗なども、都の上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26]《ジヤウラウ》の、もの疑ひせぬ清い心に、知る限りの事を語りかけようとした。だが、忽違つた氏の語部なるが故に、追ひ退《ノ》けられたのであつた。
さう言ふ聽きてを見あてた刹那に、持つた執心の深さ。その後、自身の家の中でも、又|廬堂《イホリダウ》に近い木立ちの陰でも、或は其處を見おろす山の上からでも、郎女に向つてする、ひとり語りは續けられて居た。
今年八月、當麻の氏人に縁深いお方が、めでたく世にお上りなされたあの時こそ、再|己《オノ》が世が來た、とほくそ笑み[#「ほくそ笑み」に傍点]をした――が、氏の神祭りにも、語部《カタリベ》を請《シヤウ》じて、神語りを語らさうともせられなかつた。ひきついであつた、勅使の參向の節にも、呼び出されて、當麻氏の古物語りを奏上せい、と仰せられるか、と思うて居た豫期《アラマシ》も、空頼みになつた。
此はもう、自身や、自身の祖《オヤ》たちが、長く覺え傳へ、語りついで來た間、かうした事に行き逢はうとは考へもつかなかつた時代《トキヨ》が來たのだ、と思うた瞬間、何もかも、見知らぬ世界に追放《ヤラ》はれてゐる氣がして、唯驚くばかりであつた。娯しみを失ひきつた語部《カタリベ》の古婆は、もう飯を喰べても、味は失うてしまつた。水を飮んでも、口をついて、獨り語りが囈語《ウハゴト》のやうに出るばかりになつた。
秋深くなるにつれて、衰への、目立つて來た姥は、知る限りの物語りを、喋りつゞけて死なう、と言ふ腹をきめた。さうして、郎女の耳に近い處を、ところ[#「ところ」に傍点]をと覓めて、さまよひ歩くやうになつた。

郎女は、奈良の家に送られたことのある、大唐の彩色《ヱノグ》の數々を思ひ出した。其を思ひついたのは、夜であつた。今から、横佩墻内へ馳けつけて、彩色《ヱノグ》を持つて還れ、と命ぜられたのは、女の中に、唯一人殘つて居た長老《オトナ》である。つひしか、こんな言ひつけをしたことのない郎女の、性急な命令に驚いて、女たちは復、何か事の起るのではないか、とおど/″\して居た。だが、身狹乳母《ムサノチオモ》の計ひで、長老《オトナ》は澁々、夜道を、奈良へ向つて急いだ。あくる日、繪具《ヱノグ》の屆けられた時、姫の聲ははなやいで、興奮《ハヤ》りかに響いた。
女たちの噂して居た、袈裟で謂へば、五十條の大衣《ダイエ》とも言ふべき、藕絲《グウシ》の上帛の上に、郎女の目はぢつとすわつて居た。やがて筆は、愉しげにとり上げられた。線描《スミガ》きなしに、うちつけに繪具《ヱノグ》を塗り進めた。美しい彩畫《タミヱ》は、七色八色の虹のやうに、郎女の目の前に、輝き増して行く。
姫は、緑青を盛つて、層々うち重る樓閣伽藍の屋根を表した。數多い柱や、廊の立ち續く姿が、目赫《メカヾヤ》くばかり、朱で彩《タ》みあげられた。むら/\と靉くものは、紺青《コンジヤウ》の雲である。紫雲は一筋長くたなびいて、中央根本堂とも見える屋の上から、畫《カ》きおろされた。雲の上には金泥《コンデイ》の光り輝く靄が、漂ひはじめた。姫の命を搾るまでの念力が、筆のまゝに動いて居る。やがて金色《コンジキ》の雲氣《ウンキ》は、次第に凝り成して、照り充ちた色身《シキシン》――現《ウツ》し世の人とも見えぬ尊い姿が顯れた。
郎女は唯、先《サキ》の日見た、萬法藏院の夕《ユフベ》の幻を、筆に追うて居るばかりである。堂・塔伽藍すべては、當麻のみ寺のありの姿であつた。だが、彩畫《タミヱ》の上に湧き上つた宮殿《クウデン》樓閣は、兜率天宮《トソツテングウ》のたゝずまひさながらであつた。しかも、其|四十九重《シジフクヂウ》の寶宮の内院《ナイヰン》に現れた尊者の相好《サウガウ》は、あの夕、近々と目に見た俤びとの姿を、心に覓《ト》めて描き顯したばかりであつた。
刀自・若人たちは、一刻々々、時の移るのも知らず、身ゆるぎもせずに、姫の前に開かれて來る光りの霞に、唯見|呆《ホヽ》けて居るばかりであつた。
郎女《イラツメ》が、筆をおいて、にこやかな笑《ヱマ》ひを、圓《マロ》く跪坐《ツイヰ》る此人々の背におとしながら、のどかに併し、音もなく、山田の廬堂を立去つた刹那、心づく者は一人もなかつたのである。まして、戸口に消える際《キハ》に、ふりかへつた姫の輝くやうな頬のうへに、細く傳ふものゝあつたのを知る者の、ある訣はなかつた。

姫の俤びとに貸す爲の衣に描いた繪樣《ヱヤウ》は、そのまゝ曼陀羅の相《スガタ》を具へて居たにしても、姫はその中に、唯一人の色身《シキシン》の幻を描いたに過ぎなかつた。併し、殘された刀自・若人たちの、うち瞻《マモ》る畫面には、見る/\數千地涌《スセンヂユ》の菩薩の姿が、浮き出て來た。其は、幾人の人々が、同時に見た、白日夢《ハクジツム》のたぐひかも知れぬ。



底本:「死者の書」角川書店
   1947(昭和22)年7月1日発行
※踊り字(/\、/″\)の誤用は底本の通りとしました。
※底本の誤植が疑われる箇所がありますが底本通りにしました。該当箇所の一覧を以下に記載します。(数字は、底本のページと行数です)
○p13-11 ほ[#「ほ」に傍点]つとり[#「とり」に傍点]と→「折口信夫全集第廿四卷昭和58年3月25日新訂第3版(以下「全集」と書きます)では「ほつとり[#「ほつとり」に傍点]」。
○p18-2 唯[#(ノ)]關と言ふ→底本第2刷、「全集」では「[#(ノ)]」はない。
○p21-10 役君小角《エノキミヲヅカ》→「全集」では「ヲヅヌ」。
○p24-1 弔りさげた、p48-11 横《ヨコタ》へて弔る→「全集」では「吊」。
○p30-6〜10 「とぶとり〜立ちました。」→「全集」では1字下げ。
○p34-3 尊い女性《ニシヨウ》→「全集」では「ニヨシヤウ」。
○p36-12 思ひ出しだぞ→「全集」では「思ひ出したぞ」。
○p41-4 盧《イホリ》、p103-4 盧堂《イホリドウ》→これ以外は「廬」。「全集」ではすべて「廬」。
○p42-2 古姥《フルウバ》の爲に 我々は→「全集」では「古姥《フルウバ》の爲に、我々は」。
○p43-12 美《ウルハ》はしい→「全集」では「美《ウルハ》しい」。
○p50-8 と言ふ者が著しく、殖えて來たのである。→「全集」では「と言ふ者が、著しく殖えて來たのである。」。
○p61-2 御《ミ》堂・々々を→「全集」では「御堂々々を」。
○p69-12、p72-1 捧術《ホコユケ》→「全集」では「棒術」。
○p70-3 大勢《オホセイ》→「全集」では「オホゼイ」。
○p87-3 貴《アデ》びと→「全集」では「テ」。
○p88-1 時疫《シエキ》→「全集」では「じえき」。「広辞苑」でも「じえき」。
○p89-11 老女《トシ》→「全集」では「トジ」。
○p100-5 其が幾かせ[#「かせ」に傍点]。→「全集」では「、」。
○p116-4 嘯《ウソフ》く→「全集」では「ブ」となっているように見えます。
○p121-8 訣やぢあ→「全集」では「ぢやあ」。
○p133-1 蠱物姥《マヂモノウバ》(p131-9では蠱物《マジモノ》使ひ)。
○p137-6 汝等の主の女郎→「全集」では「郎女」。
○p140-8 上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26]《ジヤウラウ》→「全集」では「ジヤウラフ」。
○p163-10_11 堂・塔伽藍すべては、→「全集」では「堂・塔・伽藍すべては、」。
○乾聲《カラゴエ》鋭聲《トゴエ》聲《コヱ》→「エ」と「ヱ」の混在。
※「蓮」は底本では、「二点しんにょう+(くさかんむり/車)」、「喉」は底本では、つくりの「ユ」が「エ」となっています。これらの差異を、JIS X 0208規格票「6.6.2 字体の実現としての字形」に言う、「デザイン差」とみてよいか判断が付かなかったので、本文は「蓮」「喉」で入力した上で、その旨をここに記載します。
※訓点送り仮名は、以下の場合に小書き右寄せになっており、他は全てルビの位置におかれています。
「越中[#(ノ)]國」
「氏[#(ノ)]上の拜禮」
「故上総守|老《オユ》[#(ノ)]眞人以來」
「當麻[#(ノ)]眞人のお出ぢやげな」
「身狹[#(ノ)]乳母は、今の今まで」
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2003年12月29日作成
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