青空文庫アーカイブ

死者の書
折口信夫

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)彼《か》の人

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)偶然|強《こわ》ばった

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「需+頁」、第3水準1-94-6]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
(例)たか/″\に
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   一

彼《か》の人の眠りは、徐《しず》かに覚めて行った。まっ黒い夜の中に、更に冷え圧するものの澱《よど》んでいるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。
した した した。耳に伝うように来るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくような暗闇の中で、おのずと睫《まつげ》と睫とが離れて来る。膝が、肱《ひじ》が、徐《おもむ》ろに埋れていた感覚をとり戻して来るらしく、彼の人の頭に響いて居るもの――。全身にこわばった筋が、僅かな響きを立てて、掌・足の裏に到るまで、ひきつれ[#「ひきつれ」に傍点]を起しかけているのだ。
そうして、なお深い闇。ぽっちりと目をあいて見廻す瞳に、まず圧《あっ》しかかる黒い巌《いわお》の天井を意識した。次いで、氷になった岩牀《いわどこ》。両脇に垂れさがる荒石の壁。したしたと、岩伝う雫《しずく》の音。
時がたった――。眠りの深さが、はじめて頭に浮んで来る。長い眠りであった。けれども亦、浅い夢ばかりを見続けて居た気がする。うつらうつら思っていた考えが、現実に繋《つなが》って、ありありと、目に沁《し》みついているようである。
[#ここから1字下げ]
ああ耳面刀自《みみものとじ》。
[#ここで字下げ終わり]
甦《よみがえ》った語が、彼の人の記憶を、更に弾力あるものに、響き返した。
[#ここから1字下げ]
耳面刀自。おれはまだお前を……思うている。おれはきのう、ここに来たのではない。それも、おとといや、其さきの日に、ここに眠りこけたのでは、決してないのだ。おれは、もっともっと長く寝て居た。でも、おれはまだ、お前を思い続けて居たぞ。耳面刀自。ここに来る前から……ここに寝ても、……其から覚めた今まで、一続きに、一つ事を考えつめて居るのだ。
[#ここで字下げ終わり]
古い――祖先以来そうしたように、此世に在る間そう暮して居た――習しからである。彼の人は、のくっと[#「のくっと」に傍点]起き直ろうとした。だが、筋々が断《き》れるほどの痛みを感じた。骨の節々の挫《くじ》けるような、疼《うず》きを覚えた。……そうして尚、じっと、――じっとして居る。射干玉《ぬばたま》の闇。黒玉の大きな石壁に、刻み込まれた白々としたからだの様に、厳かに、だが、すんなりと、手を伸べたままで居た。耳面刀自の記憶。ただ其だけの深い凝結した記憶。其が次第に蔓《ひろが》って、過ぎた日の様々な姿を、短い聯想《れんそう》の紐《ひも》に貫いて行く。そうして明るい意思が、彼の人の死枯《しにが》れたからだに、再《ふたたび》立ち直って来た。
[#ここから1字下げ]
耳面刀自。おれが見たのは、唯一目――唯一度だ。だが、おまえのことを聞きわたった年月は、久しかった。おれによって来い。耳面刀自。
[#ここで字下げ終わり]
記憶の裏から、反省に似たものが浮び出て来た。
[#ここから1字下げ]
おれは、このおれは、何処に居るのだ。……それから、ここは何処なのだ。其よりも第一、此おれは誰なのだ。其をすっかり、おれは忘れた。
だが、待てよ。おれは覚えて居る。あの時だ。鴨が声《ね》を聞いたのだっけ。そうだ。訳語田《おさだ》の家を引き出されて、磐余《いわれ》の池に行った。堤の上には、遠捲《とおま》きに人が一ぱい。あしこの萱原《かやはら》、そこの矮叢《ぼさ》から、首がつき出て居た。皆が、大きな喚《おら》び声を、挙げて居たっけな。あの声は残らず、おれをいとしがって居る、半泣きの喚《わめ》き声だったのだ。其でもおれの心は、澄みきって居た。まるで、池の水だった。あれは、秋だったものな。はっきり聞いたのが、水の上に浮いている鴨鳥の声だった。今思うと――待てよ。其は何だか一目惚《ひとめぼ》れの女の哭《な》き声だった気がする。――おお、あれが耳面刀自だ。其瞬間、肉体と一つに、おれの心は、急に締めあげられるような刹那《せつな》を、通った気がした。俄《にわ》かに、楽な広々とした世間に、出たような感じが来た。そうして、ほんの暫らく、ふっ[#「ふっ」に傍点]とそう考えたきりで……、空も見ぬ、土も見ぬ、花や、木の色も消え去った――おれ自分すら、おれが何だか、ちっとも訣《わか》らぬ世界のものになってしまったのだ。
ああ、其時きり、おれ自身、このおれを、忘れてしまったのだ。
[#ここで字下げ終わり]
足の踝《くるぶし》が、膝の膕《ひつかがみ》が、腰のつがい[#「つがい」に傍点]が、頸《くび》のつけ根が、顳※[#「需+頁」、第3水準1-94-6]《こめかみ》が、ぼんの窪が――と、段々上って来るひよめきの為に蠢《うごめ》いた。自然に、ほんの偶然|強《こわ》ばったままの膝が、折り屈《かが》められた。だが、依然として――常闇《とこやみ》。
[#ここから1字下げ]
おおそうだ。伊勢の国に居られる貴い巫女《みこ》――おれの姉御。あのお人が、おれを呼び活《い》けに来ている。
姉御。ここだ。でもおまえさまは、尊い御神《おんかみ》に仕えている人だ。おれのからだに、触ってはならない。そこに居るのだ。じっとそこに、踏み止《とま》って居るのだ。――ああおれは、死んでいる。死んだ。殺されたのだ。――忘れて居た。そうだ。此は、おれの墓だ。
いけない。そこを開けては。塚の通い路の、扉をこじるのはおよし。……よせ。よさないか。姉の馬鹿。
なあんだ。誰も、来ては居なかったのだな。ああよかった。おれのからだが、天日《てんぴ》に暴《さら》されて、見る見る、腐るところだった。だが、おかしいぞ。こうつと――あれは昔だ。あのこじあける音がするのも、昔だ。姉御の声で、塚道の扉を叩きながら、言って居たのも今《いんま》の事――だったと思うのだが。昔だ。
おれのここへ来て、間もないことだった。おれは知っていた。十月だったから、鴨が鳴いて居たのだ。其鴨みたいに、首を捻《ね》じちぎられて、何も訣らぬものになったことも。こうつと[#「こうつと」に傍点]――姉御が、墓の戸で哭き喚いて、歌をうたいあげられたっけ。「巌岩《いそ》の上に生ふる馬酔木《あしび》を」と聞えたので、ふと[#「ふと」に傍点]、冬が過ぎて、春も闌《た》け初めた頃だと知った。おれの骸《むくろ》が、もう半分融け出した時分だった。そのあと[#「あと」に傍点]、「たをらめど……見すべき君がありと言はなくに」。そう言われたので、はっきりもう、死んだ人間になった、と感じたのだ。……其時、手で、今してる様にさわって見たら、驚いたことに、おれのからだは、著《き》こんだ著物の下で、※[#「月+昔」、第3水準1-90-47]《ほじし》のように、ぺしゃんこになって居た――。
[#ここで字下げ終わり]
臂《かいな》が動き出した。片手は、まっくらな空《くう》をさした。そうして、今一方は、そのまま、岩牀《いわどこ》の上を掻き捜《さぐ》って居る。
[#ここから2字下げ]
うつそみの人なる我や。明日よりは、二上山《ふたかみやま》を愛兄弟《いろせ》と思はむ
[#ここから1字下げ]
誄歌《なきうた》が聞えて来たのだ。姉御があきらめないで、も一つつぎ足して、歌ってくれたのだ。其で知ったのは、おれの墓と言うものが、二上山の上にある、と言うことだ。
よい姉御だった。併し、其歌の後で、又おれは、何もわからぬものになってしまった。
其から、どれほどたったのかなあ。どうもよっぽど、長い間だった気がする。伊勢の巫女様、尊い姉御が来てくれたのは、居睡りの夢を醒《さま》された感じだった。其に比べると、今度は深い睡りの後《あと》見たいな気がする。あの音がしてる。昔の音が――。
手にとるようだ。目に見るようだ。心を鎮めて――。鎮めて。でないと、この考えが、復《また》散らかって行ってしまう。おれの昔が、ありありと訣って来た。だが待てよ。……其にしても一体、ここに居るおれは、だれなのだ。だれの子なのだ。だれの夫《つま》なのだ。其をおれは、忘れてしまっているのだ。
[#ここで字下げ終わり]
両の臂は、頸の廻り、胸の上、腰から膝をまさぐって居る。そうしてまるで、生き物のするような、深い溜《た》め息《いき》が洩《も》れて出た。
[#ここから1字下げ]
大変だ。おれの著物は、もうすっかり朽《くさ》って居る。おれの褌《はかま》は、ほこりになって飛んで行った。どうしろ、と言うのだ。此おれは、著物もなしに、寝て居るのだ。
[#ここで字下げ終わり]
筋ばしるように、彼《か》の人のからだに、血の馳《か》け廻るに似たものが、過ぎた。肱《ひじ》を支えて、上半身が闇の中に起き上った。
[#ここから1字下げ]
おお寒い。おれを、どうしろと仰《おっしゃ》るのだ。尊いおっかさま。おれが悪かったと言うのなら、あやまります。著物を下さい。著物を――。おれのからだは、地べたに凍りついてしまいます。
[#ここで字下げ終わり]
彼の人には、声であった。だが、声でないものとして、消えてしまった。声でない語《ことば》が、何時までも続いている。
[#ここから1字下げ]
くれろ。おっかさま。著物がなくなった。すっぱだかで出て来た赤ん坊になりたいぞ。赤ん坊だ。おれは。こんなに、寝床の上を這いずり廻っているのが、だれにも訣らぬのか。こんなに、手足をばたばたやっているおれの、見える奴が居ぬのか。
[#ここで字下げ終わり]
その唸《うめ》き声のとおり、彼の人の骸は、まるでだだをこねる赤子のように、足もあががに、身あがきをば、くり返して居る。明りのささなかった墓穴の中が、時を経て、薄い氷の膜ほど透けてきて、物のたたずまいを、幾分|朧《おぼ》ろに、見わけることが出来るようになって来た。どこからか、月光とも思える薄あかりが、さし入って来たのである。
[#ここから1字下げ]
どうしよう。どうしよう。おれは。――大刀までこんなに、錆《さ》びついてしまった……。
[#ここで字下げ終わり]

   二

月は、依然として照って居た。山が高いので、光りにあたるものが少かった。山を照し、谷を輝かして、剰《あま》る光りは、又空に跳ね返って、残る隈々《くまぐま》までも、鮮やかにうつし出した。
足もとには、沢山の峰があった。黒ずんで見える峰々が、入りくみ、絡みあって、深々と畝《うね》っている。其が見えたり隠れたりするのは、この夜更けになって、俄かに出て来た霞の所為《せい》だ。其が又、此冴えざえとした月夜をほっとり[#「ほっとり」に傍点]と、暖かく感じさせて居る。
広い端山《はやま》の群った先は、白い砂の光る河原だ。目の下遠く続いた、輝く大佩帯《おおおび》は、石川である。その南北に渉《わた》っている長い光りの筋が、北の端で急に広がって見えるのは、凡河内《おおしこうち》の邑《むら》のあたりであろう。其へ、山間《やまあい》を出たばかりの堅塩《かたしお》川―大和川―が落ちあって居るのだ。そこから、乾《いぬい》の方へ、光りを照り返す平面が、幾つも列《つらな》って見えるのは、日下江《くさかえ》・永瀬江《ながせえ》・難波江《なにわえ》などの水面であろう[#「あろう」は底本では「あらう」]。
寂《しず》かな夜である。やがて鶏鳴近い山の姿は、一様に露に濡れたように、しっとりとして静まって居る。谷にちらちらする雪のような輝きは、目の下の山田谷に多い、小桜の遅れ咲きである。
一本の路が、真直に通っている。二上山の男岳《おのかみ》・女岳《めのかみ》の間から、急に降《さが》って来るのである。難波から飛鳥《あすか》の都への古い間道なので、日によっては、昼は相応な人通りがある。道は白々と広く、夜目には、芝草の蔓《は》って居るのすら見える。当麻路《たぎまじ》である。一降《ひとくだ》りして又、大降《おおくだ》りにかかろうとする処が、中だるみに、やや坦《ひらた》くなっていた。梢の尖《とが》った栢《かえ》の木の森。半世紀を経た位の木ぶりが、一様に揃って見える。月の光りも薄い木陰全体が、勾配《こうばい》を背負って造られた円塚であった。月は、瞬きもせずに照し、山々は、深く※[#「目+匡」、第3水準1-88-81]《まぶた》を閉じている。
[#ここから1字下げ]
こう こう こう。
[#ここで字下げ終わり]
先刻《さっき》から、聞えて居たのかも知れぬ。あまり寂《しず》けさに馴れた耳は、新な声を聞きつけよう、としなかったのであろう。だから、今珍しく響いて来た感じもないのだ。
[#ここから1字下げ]
こう こう こう――こう こう こう。
[#ここで字下げ終わり]
確かに人声である。鳥の夜声とは、はっきりかわった韻《ひびき》を曳《ひ》いて来る。声は、暫らく止んだ。静寂は以前に増し、冴え返って張りきっている。この山の峰つづきに見えるのは、南に幾重ともなく重った、葛城《かつらぎ》の峰々である。伏越《ふしごえ》・櫛羅《くしら》・小巨勢《こごせ》と段々高まって、果ては空の中につき入りそうに、二上山と、この塚にのしかかるほど、真黒に立ちつづいている。
当麻路をこちらへ降って来るらしい影が、見え出した。二つ三つ五つ……八つ九つ。九人の姿である。急な降りを一気に、この河内路へ馳《か》けおりて来る。
九人と言うよりは、九柱の神であった。白い著物《きもの》・白い鬘《かずら》、手は、足は、すべて旅の装束《いでたち》である。頭より上に出た杖をついて――。この坦《たいら》に来て、森の前に立った。
[#ここから1字下げ]
こう こう こう。
[#ここで字下げ終わり]
誰の口からともなく、一時に出た叫びである。山々のこだま[#「こだま」に傍点]は、驚いて一様に、忙しく声を合せた。だが、山は、忽《たちまち》一時の騒擾《そうじょう》から、元の緘黙《しじま》に戻ってしまった。
[#ここから1字下げ]
こう。こう。お出でなされ。藤原|南家《なんけ》郎女《いらつめ》の御魂《みたま》。
こんな奥山に、迷うて居るものではない。早く、もとの身に戻れ。こう こう。
お身さまの魂を、今、山たずね尋ねて、尋ねあてたおれたちぞよ。こう こう こう。
[#ここで字下げ終わり]
九つの杖びとは、心から神になって居る。彼らは、杖を地に置き、鬘を解いた。鬘は此時、唯真白な布に過ぎなかった。其を、長さの限り振り捌《さば》いて、一様に塚に向けて振った。
[#ここから1字下げ]
こう こう こう。
[#ここで字下げ終わり]
こう言う動作をくり返して居る間に、自然な感情の鬱屈《うっくつ》と、休息を欲するからだの疲れとが、九体の神の心を、人間に返した。彼らは見る間に、白い布を頭に捲《ま》きこんで鬘とし、杖を手にとった旅人として、立っていた。
[#ここから1字下げ]
おい。無言《しじま》の勤めも此までじゃ。
おお。
[#ここで字下げ終わり]
八つの声が答えて、彼等は訓練せられた所作のように、忽一度に、草の上に寛《くつろ》ぎ、再杖を横えた。
[#ここから1字下げ]
これで大和も、河内との境じゃで、もう魂ごいの行《ぎょう》もすんだ。今時分は、郎女さまのからだは、廬《いおり》の中で魂をとり返して、ぴちぴちして居られようぞ。
ここは、何処だいの。
知らぬかいよ。大和にとっては大和の国、河内にとっては河内の国の大関《おおぜき》。二上の当麻路の関――。
[#ここで字下げ終わり]
別の長老《とね》めいた者が、説明を続《つ》いだ。
[#ここから1字下げ]
四五十年あとまでは、唯関と言うばかりで、何の標《しるし》もなかった。其があの、近江の滋賀の宮に馴染み深かった、其よ。大和では、磯城《しき》の訳語田《おさだ》の御館《みたち》に居られたお方。池上の堤で命召されたあのお方の骸《むくろ》を、罪人に殯《もがり》するは、災の元と、天若日子《あめわかひこ》の昔語りに任せて、其まま此処にお搬《はこ》びなされて、お埋《い》けになったのが、此塚よ。
[#ここで字下げ終わり]
以前の声が、もう一層|皺《しわ》がれた響きで、話をひきとった。
[#ここから1字下げ]
其時の仰せには、罪人よ。吾子《わこ》よ。吾子の為《し》了《おお》せなんだ荒《あら》び心で、吾子よりももっと、わるい猛《たけ》び心を持った者の、大和に来向うのを、待ち押え、塞《さ》え防いで居ろ、と仰せられた。
ほんに、あの頃は、まだおれたちも、壮盛《わかざか》りじゃったに。今ではもう、五十年昔になるげな。
[#ここで字下げ終わり]
今一人が、相談でもしかける様な、口ぶりを挿んだ。
[#ここから1字下げ]
さいや。あの時も、墓作りに雇われた。その後も、当麻路の修覆に召し出された。此お墓の事は、よく知って居る。ほんの苗木じゃった栢が、此ほどの森になったものな。畏《こわ》かったぞよ。此墓のみ魂が、河内|安宿部《あすかべ》から石担《いしも》ちに来て居た男に、憑《つ》いた時はのう。
[#ここで字下げ終わり]
九人は、完全に現《うつ》し世《よ》の庶民の心に、なり還《かえ》って居た。山の上は、昔語りするには、あまり寂しいことを忘れて居たのである。時の更け過ぎた事が、彼等の心には、現実にひしひしと、感じられ出したのだろう。
[#ここから1字下げ]
もう此でよい。戻ろうや。
よかろ よかろ。
[#ここで字下げ終わり]
皆は、鬘をほどき、杖を棄てた白衣の修道者、と言うだけの姿《なり》になった。
[#ここから1字下げ]
だがの。皆も知ってようが、このお塚は、由緒深い、気のおける処ゆえ、もう一度、魂ごいをしておくまいか。
[#ここで字下げ終わり]
長老の語と共に、修道者たちは、再|魂呼《たまよば》いの行を初めたのである。
[#ここから1字下げ]
こう こう こう。

おお……。
[#ここで字下げ終わり]
異様な声を出すものだ、と初めは誰も、自分らの中の一人を疑い、其でも変に、おじけづいた心を持ちかけていた。も一度、
[#ここから1字下げ]
こう こう こう。
[#ここで字下げ終わり]
其時、塚穴の深い奥から、冰《こお》りきった、而も今息を吹き返したばかりの声が、明らかに和したのである。
[#ここから1字下げ]
おおう……。
[#ここで字下げ終わり]
九人の心は、ばらばらの九人の心々であった。からだも亦ちりぢりに、山田谷へ、竹内谷へ、大阪越えへ、又当麻路へ、峰にちぎれた白い雲のように、消えてしまった。
唯畳まった山と、谷とに響いて、一つの声ばかりがする。
[#ここから1字下げ]
おおう……。
[#ここで字下げ終わり]

   三

万法蔵院の北の山陰に、昔から小な庵室《あんしつ》があった。昔からと言うのは、村人がすべて、そう信じて居たのである。荒廃すれば繕い繕いして、人は住まぬ廬に、孔雀明王像《くじゃくみょうおうぞう》が据えてあった。当麻の村人の中には、稀《まれ》に、此が山田寺である、と言うものもあった。そう言う人の伝えでは、万法蔵院は、山田寺の荒れて後、飛鳥の宮の仰せを受けてとも言い、又御自身の御発起からだとも言うが、一人の尊いみ子が、昔の地を占めにお出でなされて、大伽藍《だいがらん》を建てさせられた。其際、山田寺の旧構を残すため、寺の四至の中、北の隅へ、当時立ち朽《ぐさ》りになって居た堂を移し、規模を小くして造られたもの、と伝え言うのであった。そう言えば、山田寺は、役君小角《えのきみおづぬ》が、山林仏教を創《はじ》める最初の足代《あししろ》になった処だと言う伝えが、吉野や、葛城の山伏行人《やまぶしぎょうにん》の間に行われていた。何しろ、万法蔵院の大伽藍が焼けて百年、荒野の道場となって居た、目と鼻との間に、こんな古い建て物が、残って居たと言うのも、不思議なことである。
夜は、もう更けて居た。谷川の激《たぎ》ちの音が、段々高まって来る。二上山の二つの峰の間から、流れくだる水なのだ。
廬の中は、暗かった。炉を焚《た》くことの少い此辺では、地下《じげ》百姓は、夜は真暗な中で、寝たり、坐ったりしているのだ。でもここには、本尊が祀《まつ》ってあった。夜を守って、仏の前で起き明す為には、御灯《みあかし》を照した。
孔雀明王の姿が、あるかないかに、ちろめく光りである。
姫は寝ることを忘れたように、坐って居た。
万法蔵院の上座の僧綱《そうごう》たちの考えでは、まず奈良へ使いを出さねばならぬ。横佩家《よこはきけ》の人々の心を、思うたのである。次には、女人結界《にょにんけっかい》を犯して、境内深く這入《はい》った罪は、郎女《いらつめ》自身に贖《あがな》わさねばならなかった。落慶のあったばかりの浄域だけに、一時は、塔頭《たっちゅう》塔頭の人たちの、青くなったのも、道理である。此は、財物を施入する、と謂《い》ったぐらいではすまされぬ。長期の物忌みを、寺近くに居て果させねばならぬと思った。其で、今日昼の程、奈良へ向って、早使いを出して、郎女の姿が、寺中に現れたゆくたて[#「ゆくたて」に傍点]を、仔細《しさい》に告げてやったのである。
其と共に姫の身は、此|庵室《あんしつ》に暫らく留め置かれることになった。たとい、都からの迎えが来ても、結界を越えた贖いを果す日数だけは、ここに居させよう、と言うのである。
牀《ゆか》は低いけれども、かいてあるにはあった。其替り、天井は無上《むしょう》に高くて、而も萱《かや》のそそけた屋根は、破風《はふ》の脇から、むき出しに、空の星が見えた。風が唸《うな》って過ぎたと思うと、其高い隙から、どっと吹き込んで来た。ばらばら落ちかかるのは、煤《すす》がこぼれるのだろう。明王の前の灯が、一時《いっとき》かっと明るくなった。
その光りで照し出されたのは、あさましく荒《すさ》んだ座敷だけでなかった。荒板の牀の上に、薦筵《こもむしろ》二枚重ねた姫の座席。其に向って、ずっと離れた壁ぎわに、板敷に直《じか》に坐って居る老婆の姿があった。
壁と言うよりは、壁代《かべしろ》であった。天井から吊りさげた竪薦《たつごも》が、幾枚も幾枚も、ちぐはぐに重って居て、どうやら、風は防ぐようになって居る。その壁代に張りついたように坐って居る女、先から※[#「亥+欠」、第3水準1-86-30]嗽《しわぶき》一つせぬ静けさである。貴族の家の郎女は、一日もの言わずとも、寂しいとも思わぬ習慣がついて居た。其で、この山陰の一つ家に居ても、溜《た》め息《いき》一つ洩《もら》すのではなかった。昼《ひ》の内此処へ送りこまれた時、一人の姥《うば》のついて来たことは、知って居た。だが、あまり長く音も立たなかったので、人の居ることは忘れて居た。今ふっと明るくなった御灯《みあかし》の色で、その姥の姿から、顔まで一目で見た。どこやら、覚えのある人の気がする。さすがに、姫にも人懐しかった。ようべ家を出てから、女性《にょしょう》には、一人も逢って居ない。今そこに居る姥が、何だか、昔の知り人のように感じられたのも、無理はないのである。見覚えのあるように感じたのは、だが、其親しみ故だけではなかった。
[#ここから1字下げ]
郎女さま。
[#ここで字下げ終わり]
緘黙《しじま》を破って、却《かえっ》てもの寂しい、乾声《からごえ》が響いた。
[#ここから1字下げ]
郎女は、御存じおざるまい。でも、聴いて見る気はおありかえ。お生れなさらぬ前の世からのことを。それを知った姥でおざるがや。
[#ここで字下げ終わり]
一旦、口がほぐれると、老女は止めどなく、喋《しゃべ》り出した。姫は、この姥の顔に見知りのある気のした訣《わけ》を、悟りはじめて居た。藤原南家にも、常々、此年よりとおなじような媼《おむな》が、出入りして居た。郎女たちの居る女部屋までも、何時もずかずか這入って来て、憚《はばか》りなく古物語りを語った、あの中臣志斐媼《なかとみのしいのおむな》――。あれと、おなじ表情をして居る。其も、尤《もっとも》であった。志斐老女が、藤氏《とうし》の語部の一人であるように、此も亦、この当麻《たぎま》の村の旧族、当麻真人の「氏の語部」、亡び残りの一人であったのである。
[#ここから1字下げ]
藤原のお家が、今は、四筋に分れて居りまする。じゃが、大織冠《たいしょくかん》さまの代どころでは、ありは致しませぬ。淡海公の時も、まだ一流れのお家でおざりました。併し其頃やはり、藤原は、中臣と二つの筋に岐《わか》れました。中臣の氏人で、藤原の里に栄えられたのが、藤原と、家名の申され初めでおざりました。
藤原のお流れ。今ゆく先も、公家摂※[#「竹かんむり/録」、第3水準1-89-79]《くげしょうろく》の家柄。中臣の筋や、おん神仕え。差別差別《けじめけじめ》明らかに、御代御代《みよみよ》の宮守《みやまも》り。じゃが、今は今、昔は昔でおざります。藤原の遠つ祖《おや》、中臣の氏の神、天押雲根《あめのおしくもね》と申されるお方の事は、お聞き及びかえ。
今、奈良の宮におざります日の御子さま。其前は、藤原の宮の日のみ子さま。又其前は、飛鳥の宮の日のみ子さま。大和の国中《くになか》に、宮|遷《うつ》し、宮|奠《さだ》め遊した代々《よよ》の日のみ子さま。長く久しい御代御代に仕えた、中臣の家の神業。郎女さま。お聞き及びかえ。遠い代の昔語り。耳明らめてお聴きなされ。中臣・藤原の遠つ祖あめの押雲根命《おしくもね》。遠い昔の日のみ子さまのお喰《め》しの、飯《いい》と、み酒《き》を作る御料の水を、大和国中残る隈《くま》なく捜し覓《もと》めました。
その頃、国原の水は、水渋《そぶ》臭く、土濁りして、日のみ子さまのお喰しの料《しろ》に叶いません。天の神|高天《たかま》の大御祖《おおみおや》教え給えと祈ろうにも、国中は国低し。山々もまんだ[#「まんだ」に傍点]天遠し。大和の国とり囲む青垣山では、この二上山。空行く雲の通い路と、昇り立って祈りました。その時、高天の大御祖のお示しで、中臣の祖押雲根命、天の水の湧き口を、此二上山に八《や》ところまで見とどけて、其後久しく、日のみ子さまのおめしの湯水は、代々の中臣自身、此山へ汲みに参ります。お聞き及びかえ。
[#ここで字下げ終わり]
当麻真人の、氏の物語りである。そうして其が、中臣の神わざと繋《つなが》りのある点を、座談のように語り進んだ姥は、ふと口をつぐんだ。外には、瀬音が荒れて聞えている。中臣・藤原の遠祖が、天二上《あめのふたかみ》に求めた天八井《あめのやい》の水を集めて、峰を流れ降り、岩にあたって漲《みなぎ》り激《たぎ》つ川なのであろう。瀬音のする方に向いて、姫は、掌《たなそこ》を合せた。
併しやがて、ふり向いて、仄暗《ほのぐら》くさし寄って来ている姥の姿を見た時、言おうようない畏《おそろ》しさと、せつかれるような忙しさを、一つに感じたのである。其に、志斐姥の、本式に物語りをする時の表情が、此老女の顔にも現れていた。今、当麻の語部の姥は、神憑《かみがか》りに入るらしく、わなわな震いはじめて居るのである。

   四

[#ここから2字下げ]
ひさかたの  天二上《あめふたかみ》に、
我《あ》が登り   見れば、
とぶとりの  明日香《あすか》
ふる里の   神南備山隠《かむなびごも》り、
家どころ   多《さは》に見え、
豊《ゆた》にし    屋庭《やには》は見ゆ。
弥彼方《いやをち》に   見ゆる家群《いへむら》
藤原の    朝臣《あそ》が宿。
 遠々に    我《あ》が見るものを、
 たか/″\に 我《あ》が待つものを、
処女子《をとめご》は   出で通《こ》ぬものか。
よき耳を   聞かさぬものか。
青馬の    耳面刀自《みゝものとじ》。
 刀自もがも。女弟《おと》もがも。
 その子の   はらからの子の
 処女子の   一人
 一人だに、  わが配偶《つま》に来《こ》よ。

ひさかたの  天二上
二上の陽面《かげとも》に、
生ひをゝり  繁《し》み咲く
馬酔木《あしび》の   にほへる子を
 我が     捉《と》り兼ねて、
馬酔木の   あしずりしつゝ
 吾《あ》はもよ偲《しぬ》ぶ。藤原処女
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歌い了《お》えた姥は、大息をついて、ぐったりした。其から暫らく、山のそよぎ、川瀬の響きばかりが、耳についた。
姥は居ずまいを直して、厳かな声音《こわね》で、誦《かた》り出した。
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とぶとりの 飛鳥の都に、日のみ子様のおそば近く侍《はべ》る尊いおん方。ささなみの大津の宮に人となり、唐土《もろこし》の学芸《ざえ》に詣《いた》り深く、詩《からうた》も、此国ではじめて作られたは、大友ノ皇子か、其とも此お方か、と申し伝えられる御方。
近江の都は離れ、飛鳥の都の再栄えたその頃、あやまちもあやまち。日のみ子に弓引くたくみ、恐しや、企てをなされると言う噂が、立ちました。
高天原広野姫尊《たかまのはらひろぬひめのみこと》、おん怒りをお発しになりまして、とうとう池上の堤に引き出して、お討たせになりました。
其お方がお死にの際《きわ》に、深く深く思いこまれた一人のお人がおざりまする。耳面ノ刀自と申す、大織冠《たいしょくかん》のお娘御でおざります。前から深くお思いになって居た、と云うでもありません。唯、此|郎女《いらつめ》も、大津の宮離れの時に、都へ呼び返されて、寂しい暮しを続けて居られました。等しく大津の宮に愛着をお持ち遊した右の御方が、愈々《いよいよ》、磐余《いわれ》の池の草の上で、お命召されると言うことを聞いて、一目 見てなごり惜しみがしたくて、こらえられなくなりました。藤原から池上まで、おひろいでお出でになりました。小高い柴《しば》の一むらある中から、御様子を窺《うかご》うて帰ろうとなされました。其時ちらりと、かのお人の、最期に近いお目に止りました。其ひと目が、此世に残る執心となったのでおざりまする。
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もゝつたふ 磐余の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや、雲隠りなむ
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この思いがけない心残りを、お詠みになった歌よ、と私ども当麻《たぎま》の語部の物語りには、伝えて居ります。
その耳面刀自と申すは、淡海公の妹君、郎女の祖父《おおじ》君|南家太政大臣《なんけだいじょうだいじん》には、叔母君にお当りになってでおざりまする。
人間の執心と言うものは、怖いものとはお思いなされぬかえ。
其亡き骸は、大和の国を守らせよ、と言う御諚《ごじょう》で、此山の上、河内から来る当麻路の脇にお埋《い》けになりました。其が何と、此世の悪心も何もかも、忘れ果てて清々《すがすが》しい心になりながら、唯そればかりの一念が、残って居る、と申します。藤原四流の中で、一番美しい郎女が、今におき、耳面刀自と、其|幽界《かくりよ》の目には、見えるらしいのでおざりまする。女盛りをまだ婿どりなさらぬげの郎女さまが、其力におびかれて、この当麻までお出でになったのでのうて、何でおざりましょう。
当麻路に墓を造りました当時《そのかみ》、石を搬《はこ》ぶ若い衆にのり移った霊《たま》が、あの長歌を謳《うと》うた、と申すのが伝え。
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当麻語部媼《たぎまのかたりのおむな》は、南家の郎女の脅える様を想像しながら、物語って居たのかも知れぬ。唯さえ、この深夜、場所も場所である。如何に止めどなくなるのが、「ひとり語り」の癖とは言え、語部の古婆《ふるばば》の心は、自身も思わぬ意地くね悪さを蔵しているものである。此が、神さびた職を寂しく守って居る者の優越感を、充すことにも、なるのであった。
大貴族の郎女は、人の語を疑うことは教えられて居なかった。それに、信じなければならぬもの、とせられて居た語部の物語りである。詞《ことば》の端々までも、真実を感じて、聴いて居る。
言うとおり、昔びとの宿執が、こうして自分を導いて来たことは、まことに違いないであろう。其にしても、ついしか[#「ついしか」に傍点]見ぬお姿――尊い御仏と申すような相好が、其お方とは思われぬ。春秋の彼岸中日、入り方の光り輝く雲の上に、まざまざと見たお姿。此|日本《やまと》の国の人とは思われぬ。だが、自分のまだ知らぬこの国の男子《おのこご》たちには、ああ言う方もあるのか知らぬ。金色の鬢《びん》、金色の髪の豊かに垂れかかる片肌は、白々と袒《ぬ》いで美しい肩。ふくよかなお顔は、鼻|隆《たか》く、眉秀で夢見るようにまみ[#「まみ」に傍点]を伏せて、右手は乳の辺に挙げ、脇の下に垂れた左手は、ふくよかな掌を見せて……ああ雲の上に朱の唇、匂いやかにほほ笑まれると見た……その俤《おもかげ》。
日のみ子さまの御側仕えのお人の中には、あの様な人もおいでになるものだろうか。我が家の父や、兄人《しょうと》たちも、世間の男たちとは、とりわけてお美しい、と女たちは噂するが、其すら似もつかぬ……。
尊い女性《にょしょう》は、下賤な人と、口をきかぬのが当時の世の掟《おきて》である。何よりも、其語は、下ざまには通じぬもの、と考えられていた。それでも、此古物語りをする姥《うば》には、貴族の語もわかるであろう。郎女は、恥じながら問いかけた。
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そこの人。ものを聞こう。此身の語が、聞きとれたら、答えしておくれ。
その飛鳥の宮の日のみ子さまに仕えた、と言うお方は、昔の罪びとらしいに、其が又何とした訣《わけ》で、姫の前に立ち現れては、神々《こうごう》しく見えるであろうぞ。
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此だけの語が言い淀《よど》み、淀みして言われている間に、姥は、郎女の内に動く心もちの、凡《およそ》は、気《け》どったであろう。暗いみ灯《あかし》の光りの代りに、其頃は、もう東白みの明りが、部屋の内の物の形を、朧《おぼ》ろげに顕《あらわ》しはじめて居た。
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我が説明《ことわけ》を、お聞きわけられませ。神代の昔びと、天若日子《あめわかひこ》。天若日子こそは、天《てん》の神々に弓引いた罪ある神。其すら、其|後《ご》、人の世になっても、氏貴い家々の娘御の閨《ねや》の戸までも、忍びよると申しまする。世に言う「天若みこ」と言うのが、其でおざります。
天若みこ。物語りにも、うき世語りにも申します。お聞き及びかえ。
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姥は暫らく口を閉じた。そ[#「そ」は底本では「さ」]うして言い出した声は、顔にも、年にも似ず、一段、はなやいで聞えた。
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「もゝつたふ」の歌、残された飛鳥の宮の執心びと、世々の藤原の一《いち》の媛《ひめ》に祟《たた》る天若みこも、顔清く、声心|惹《ひ》く天若みこのやはり、一人でおざりまする。
お心つけられませ。物語りも早、これまで。
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其まま石のように、老女はじっとして居る。冷えた夜も、朝影を感じる頃になると、幾らか温みがさして来る。
万法蔵院は、村からは遠く、山によって立って居た。暁早い鶏の声も、聞えぬ。もう梢を離れるらしい塒鳥《ねぐらどり》が、近い端山《はやま》の木群《こむら》で、羽振《はぶ》きの音を立て初めている。

   五

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おれは活《い》きた。
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闇《くら》い空間は、明りのようなものを漂していた。併し其は、蒼黒い靄《もや》の如く、たなびくものであった。
巌ばかりであった。壁も、牀《とこ》も、梁《はり》も、巌であった。自身のからだすらが、既に、巌になって居たのだ。
屋根が壁であった。壁が牀であった。巌ばかり――。触っても触っても、巌ばかりである。手を伸すと、更に堅い巌が、掌に触れた。脚をひろげると、もっと広い磐石《ばんじゃく》の面《おもて》が、感じられた。
纔《わず》かにさす薄光りも、黒い巌石が皆吸いとったように、岩窟《いわむろ》の中に見えるものはなかった。唯けはい[#「けはい」に傍点]――彼の人の探り歩くらしい空気の微動があった。
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思い出したぞ。おれが誰だったか、――訣《わか》ったぞ。
おれだ。此おれだ。大津の宮に仕え、飛鳥の宮に呼び戻されたおれ。滋賀津彦《しがつひこ》。其が、おれだったのだ。
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歓びの激情を迎えるように、岩窟の中のすべての突角が哮《たけ》びの反響をあげた。彼の人は、立って居た。一本の木だった。だが、其姿が見えるほどの、はっきりした光線はなかった。明りに照し出されるほど、纏《まとま》った現《うつ》し身《み》をも、持たぬ彼の人であった。
唯、岩屋の中に矗立《しゅくりつ》した、立ち枯れの木に過ぎなかった。
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おれの名は、誰も伝えるものがない。おれすら忘れて居た。長く久しく、おれ自身にすら忘れられて居たのだ。可愛《いと》しいおれの名は、そうだ。語り伝える子があった筈だ。語り伝えさせる筈の語部も、出来て居ただろうに。――なぜか、おれの心は寂しい。空虚な感じが、しくしくと胸を刺すようだ。
――子代《こしろ》も、名代《なしろ》もない、おれにせられてしまったのだ。そうだ。其に違いない。この物足らぬ、大きな穴のあいた気持ちは、其で、するのだ。おれは、此世に居なかったと同前の人間になって、現《うつ》し身《み》の人間どもには、忘れ了《おお》されて居るのだ。憐みのないおっかさま。おまえさまは、おれの妻の、おれに殉死《ともじ》にするのを、見殺しになされた。おれの妻の生んだ粟津子《あわつこ》は、罪びとの子として、何処かへ連れて行かれた。野山のけだものの餌食《えじき》に、くれたのだろう。可愛そうな妻よ。哀なむすこ[#「むすこ」に傍点]よ。
だが、おれには、そんな事などは、何でもない。おれの名が伝らない。劫初《ごうしょ》から末代まで、此世に出ては消える、天《あめ》の下《した》の青人草《あおひとぐさ》と一列に、おれは、此世に、影も形も残さない草の葉になるのは、いやだ。どうあっても、不承知だ。
恵みのないおっかさま。お前さまにお縋《すが》りするにも、其おまえさますら、もうおいででない此世かも知れぬ。
くそ――外《そと》の世界が知りたい。世の中の様子が見たい。
だが、おれの耳は聞える。其なのに、目が見えぬ。この耳すら、世間の語を聞き別けなくなって居る。闇の中にばかり瞑《つぶ》って居たおれの目よ。も一度かっと※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みひら》いて、現し世のありのままをうつしてくれ、……土竜《もぐら》の目なと、おれに貸しおれ。
[#ここで字下げ終わり]
声は再、寂《しず》かになって行った。独り言する其声は、彼の人の耳にばかり聞えて居るのであろう。丑刻《うし》に、静謐《せいひつ》の頂上に達した現し世は、其が過ぎると共に、俄《にわ》かに物音が起る。月の、空を行く音すら聞えそうだった四方の山々の上に、まず木の葉が音もなくうごき出した。次いではるかな谿《たに》のながれの色が、白々と見え出す。更に遠く、大和|国中《くになか》の、何処からか起る一番鶏のつくるとき[#「とき」に傍点]。
暁が来たのである。里々の男は、今、女の家の閨戸《ねやど》から、ひそひそと帰って行くだろう。月は早く傾いたけれど、光りは深夜の色を保っている。午前二時に朝の来る生活に、村びとも、宮びとも忙しいとは思わずに、起きあがる。短い暁の目覚めの後、又、物に倚《よ》りかかって、新しい眠りを継ぐのである。
山風は頻《しき》りに、吹きおろす。枝・木の葉の相軋《あいひし》めく音が、やむ間なく聞える。だが其も暫らくで、山は元のひっそ[#「ひっそ」に傍点]としたけしきに還《かえ》る。唯、すべてが薄暗く、すべてが隈《くま》を持ったように、朧《おぼ》ろになって来た。
岩窟《いわむろ》は、沈々と黝《くら》くなって冷えて行く。
した した。水は、岩肌を絞って垂れている。
[#ここから1字下げ]
耳面刀自《みみものとじ》。おれには、子がない。子がなくなった。おれは、その栄えている世の中には、跡を胎《のこ》して来なかった。子を生んでくれ。おれの子を。おれの名を語り伝える子どもを――。
[#ここで字下げ終わり]
岩牀《いわどこ》の上に、再白々と横って見えるのは、身じろきもせぬからだである。唯その真裸な骨の上に、鋭い感覚ばかりが活《い》きているのであった。
まだ反省のとり戻されぬむくろ[#「むくろ」に傍点]には、心になるものがあって、心はなかった。
耳面刀自の名は、唯の記憶よりも、更に深い印象であったに違いはない。自分すら忘れきった、彼の人の出来あがらぬ心に、骨に沁《し》み、干からびた髄の心までも、唯|彫《え》りつけられたようになって、残っているのである。

万法蔵院の晨朝《じんちょう》の鐘だ。夜の曙色《あけいろ》に、一度|騒立《さわだ》った物々の胸をおちつかせる様に、鳴りわたる鐘の音《ね》だ。一《いっ》ぱし白みかかって来た東は、更にほの暗い明《あ》け昏《ぐ》れの寂けさに返った。
南家《なんけ》の郎女《いらつめ》は、一茎の草のそよぎでも聴き取れる暁凪《あかつきな》ぎを、自身|擾《みだ》すことをすまいと言う風に、見じろきすらもせずに居る。
夜《よる》の間《ま》よりも暗くなった廬《いおり》の中では、明王像の立ち処《ど》さえ見定められぬばかりになって居る。
何処からか吹きこんだ朝山|颪《おろし》に、御灯《みあかし》が消えたのである。当麻語部《たぎまかたり》の姥《うば》も、薄闇に蹲《うずくま》って居るのであろう。姫は再、この老女の事を忘れていた。
ただ一刻ばかり前、這入《はい》りの戸を揺った物音があった。一度 二度 三度。更に数度。音は次第に激しくなって行った。枢《とぼそ》がまるで、おしちぎられでもするかと思うほど、音に力のこもって来た時、ちょうど、鶏が鳴いた。其きりぴったり、戸にあたる者もなくなった。

新しい物語が、一切、語部の口にのぼらぬ世が来ていた。けれども、頑《かたくな》な当麻氏の語部の古姥の為に、我々は今一度、去年以来の物語りをしておいても、よいであろう。まことに其は、昨《きぞ》の日からはじまるのである。

   六

門をはいると、俄《にわ》かに松風が、吹きあてるように響いた。
一町も先に、固まって見える堂|伽藍《がらん》――そこまでずっと、砂地である。
白い地面に、広い葉の青いままでちらばって居るのは、朴《ほお》の木だ。
まともに、寺を圧してつき立っているのは、二上山である。其真下に涅槃仏《ねはんぶつ》のような姿に横っているのが麻呂子山だ。其頂がやっと、講堂の屋の棟に、乗りかかっているようにしか見えない。こんな事を、女人《にょにん》の身で知って居る訣《わけ》はなかった。だが、俊敏な此旅びとの胸に、其に似たほのかな綜合《そうごう》の、出来あがって居たのは疑われぬ。暫らくの間、その薄緑の山色を仰いで居た。其から、朱塗りの、激しく光る建て物へ、目を移して行った。
此寺の落慶供養のあったのは、つい四五日|前《あと》であった。まだあの日の喜ばしい騒ぎの響《とよ》みが、どこかにする様に、麓《ふもと》の村びと等には、感じられて居る程である。
山颪に吹き暴《さら》されて、荒草深い山裾の斜面に、万法蔵院の細々とした御灯の、煽《あお》られて居たのに目馴れた人たちは、この幸福な転変に、目を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》って居るだろう。此郷に田荘《なりどころ》を残して、奈良に数代住みついた豪族の主人も、その日は、帰って来て居たっけ。此は、天竺《てんじく》の狐の為わざではないか、其とも、この葛城郡に、昔から残っている幻術師《まぼろし》のする迷わしではないか。あまり荘厳《しょうごん》を極めた建て物に、故知らぬ反感まで唆《そそ》られて、廊を踏み鳴し、柱を叩いて見たりしたものも、その供人《ともびと》のうちにはあった。
数年前の春の初め、野焼きの火が燃えのぼって来て、唯一宇あった萱堂《かやどう》が、忽《たちまち》痕《あと》もなくなった。そんな小な事件が起って、注意を促してすら、そこに、曾《かつ》て美《うるわ》しい福田と、寺の創《はじ》められた代《よ》を、思い出す者もなかった程、それはそれは、微かな遠い昔であった。
以前、疑いを持ち初める里の子どもが、其堂の名に、不審を起した。当麻の村にありながら、山田寺《やまだでら》と言ったからである。山の背《うしろ》の河内の国|安宿部郡《あすかべごおり》の山田谷から移って二百年、寂しい道場に過ぎなかった。其でも一時は、倶舎《くしゃ》の寺として、栄えたこともあったのだった。
飛鳥の御世の、貴い御方が、此寺の本尊を、お夢に見られて、おん子を遣され、堂舎をひろげ、住侶《じゅうりょ》の数をお殖しになった。おいおい境内になる土地の地形《じぎょう》の進んでいる最中、その若い貴人が、急に亡くなられた。そうなる筈の、風水の相が、「まろこ」の身を招き寄せたのだろう。よしよし墓はそのまま、其村に築くがよい、との仰せがあった。其み墓のあるのが、あの麻呂子山だと言う。まろ子というのは、尊い御一族だけに用いられる語で、おれの子というほどの、意味であった。ところが、其おことばが縁を引いて、此郷の山には、其後亦、貴人をお埋め申すような事が、起ったのである。
だが、そう言う物語りはあっても、それは唯、此里の語部の姥《うば》の口に、そう伝えられている、と言うに過ぎぬ古物語りであった。纔《わず》かに百年、其短いと言える時間も、文字に縁遠い生活には、さながら太古を考えると、同じ昔となってしまった。
旅の若い女性《にょしょう》は、型摺《かたず》りの大様な美しい模様をおいた著《き》る物を襲うて居る。笠は、浅い縁《へり》に、深い縹色《はなだいろ》の布が、うなじを隠すほどに、さがっていた。
日は仲春、空は雨あがりの、爽《さわ》やかな朝である。高原の寺は、人の住む所から、自《おのずか》ら遠く建って居た。唯|凡《およそ》、百人の僧俗が、寺《じ》中に起き伏して居る。其すら、引き続く供養|饗宴《きょうえん》の疲れで、今日はまだ、遅い朝を、姿すら見せずにいる。
その女人は、日に向ってひたすら輝く伽藍《がらん》の廻りを、残りなく歩いた。寺の南|境《ざかい》は、み墓山の裾から、東へ出ている長い崎の尽きた所に、大門はあった。其中腹と、東の鼻とに、西塔・東塔が立って居る。丘陵の道をうねりながら登った旅びとは、東の塔の下に出た。雨の後の水気の、立って居る大和の野は、すっかり澄みきって、若昼《わかひる》のきらきらしい景色になって居る。右手の目の下に、集中して見える丘陵は傍岡《かたおか》で、ほのぼのと北へ流れて行くのが、葛城川だ。平原の真中に、旅笠を伏せたように見える遠い小山は、耳無《みみなし》の山《やま》であった。其右に高くつっ立っている深緑は、畝傍山《うねびやま》。更に遠く日を受けてきらつく水面は、埴安《はにやす》の池《いけ》ではなかろうか。其東に平たくて低い背を見せるのは、聞えた香具山なのだろう。旅の女子《おみなご》の目は、山々の姿を、一つ一つに辿《たど》っている。天香具山《あめのかぐやま》をあれだと考えた時、あの下が、若い父母《ちちはは》の育った、其から、叔父叔母、又一族の人々の、行き来した、藤原の里なのだ。
もう此上は見えぬ、と知れて居ても、ひとりで、爪先立てて伸び上る気持ちになって来るのが抑えきれなかった。
香具山の南の裾に輝く瓦舎《かわらや》は、大官大寺《だいかんだいじ》に違いない。其から更に真南の、山と山との間に、薄く霞んでいるのが、飛鳥の村なのであろう。父の父も、母の母も、其又父母も、皆あのあたりで生い立たれたのであろう。この国の女子に生れて、一足も女部屋を出ぬのを、美徳とする時代に居る身は、親の里も、祖先の土も、まだ踏みも知らぬ。あの陽炎《かげろう》の立っている平原を、此足で、隅から隅まで歩いて見たい。
こう、その女性《にょしょう》は思うている。だが、何よりも大事なことは、此|郎女《いらつめ》――貴女は、昨日の暮れ方、奈良の家を出て、ここまで歩いて来ているのである。其も、唯のひとりでであった。
家を出る時、ほんの暫し、心を掠《かす》めた――父君がお聞きになったら、と言う考えも、もう気にはかからなくなって居る。乳母があわてて探すだろう、と言う心が起って来ても、却《かえっ》てほのかな、こみあげ笑いを誘う位の事になっている。
山はずっしりとおちつき、野はおだやかに畝《うね》って居る。こうして居て、何の物思いがあろう。この貴《あて》な娘御は、やがて後をふり向いて、山のなぞえについて、次第に首をあげて行った。
二上山。ああこの山を仰ぐ、言い知らぬ胸騒ぎ。――藤原・飛鳥の里々山々を眺めて覚えた、今の先の心とは、すっかり違った胸の悸《ときめ》き。旅の郎女は、脇目も触らず、山に見入っている。そうして、静かな思いの充ちて来る満悦を、深く覚えた。昔びとは、確実な表現を知らぬ。だが謂《い》わば、――平野の里に感じた喜びは、過去生《かこしょう》に向けてのものであり、今此山を仰ぎ見ての驚きは、未来世《みらいせ》を思う心躍りだ、とも謂えよう。
塔はまだ、厳重にやらい[#「やらい」に傍点]を組んだまま、人の立ち入りを禁《いまし》めてあった。でも、ものに拘泥することを教えられて居ぬ姫は、何時の間にか、塔の初重《しょじゅう》の欄干に、自分のよりかかって居るのに気がついた。そうして、しみじみと山に見入って居る。まるで瞳が、吸いこまれるように。山と自分とに繋《つなが》る深い交渉を、又くり返し思い初めていた。
郎女の家は、奈良東城、右京三条第七坊にある。祖父《おおじ》武智麻呂《むちまろ》のここで亡くなって後、父が移り住んでからも、大分の年月になる。父は男壮《おとこざかり》には、横佩《よこはき》の大将《だいしょう》と謂われる程、一ふりの大刀のさげ方にも、工夫を凝らさずには居られぬだて[#「だて」に傍点]者《もの》であった。なみ[#「なみ」に傍点]の人の竪《たて》にさげて佩く大刀を、横えて吊る佩き方を案出した人である。新しい奈良の都の住人は、まだそうした官吏としての、華奢《きゃしゃ》な服装を趣向《この》むまでに到って居なかった頃、姫の若い父は、近代の時世装に思いを凝して居た。その家に覲《たず》ねて来る古い留学生や、新来《いまき》の帰化僧などに尋ねることも、張文成などの新作の物語りの類を、問題にするようなのとも、亦違うていた。
そうした闊達《かったつ》な、やまとごころの、赴くままにふるもうて居る間に、才《ざえ》優れた族人《うからびと》が、彼を乗り越して行くのに気がつかなかった。姫には叔父、彼――豊成には、さしつぎの弟、仲麻呂である。その父君も、今は筑紫に居る。尠《すくな》くとも、姫などはそう信じて居た。家族の半以上は、太宰帥《だざいのそつ》のはなばなしい生活の装いとして、連れられて行っていた。宮廷から賜る資人《とねり》・※[#「にんべん+兼」、第3水準1-14-36]仗《たち》も、大貴族の家の門地の高さを示すものとして、美々しく著飾らされて、皆任地へついて行った。そうして、奈良の家には、その年は亦とりわけ、寂しい若葉の夏が来た。
寂《しず》かな屋敷には、響く物音もない時が、多かった。この家も世間どおりに、女部屋は、日あたりに疎い北の屋にあった。その西側に、小な蔀戸《しとみど》があっ[#「っ」は底本では「つ」]て、其をつきあげると、方三尺位な※[#「片+總のつくり」、第3水準1-87-68]《まど》になるように出来ている。そうして、其内側には、夏冬なしに簾《すだれ》が垂れてあって、戸のあげてある時は、外からの隙見を禦《ふせ》いだ。
それから外廻りは、家の広い外郭になって居て、大炊屋《おおいや》もあれば、湯殿|火焼《ひた》き屋《や》なども、下人の住いに近く、立っている。苑《その》と言われる菜畠や、ちょっとした果樹園らしいものが、女部屋の窓から見える、唯一の景色であった。
武智麻呂|存生《ぞんしょう》の頃から、此屋敷のことを、世間では、南家《なんけ》と呼び慣わして来ている。此頃になって、仲麻呂の威勢が高まって来たので、何となく其古い通称は、人の口から薄れて、其に替る称《とな》えが、行われ出した様だった。三条七坊をすっかり占めた大屋敷を、一垣内《ひとかきつ》――一字《ひとあざな》と見倣《みな》して、横佩《よこはき》墻内《かきつ》と言う者が、著しく殖えて来たのである。
その太宰府からの音ずれが、久しく絶えたと思っていたら、都とは目と鼻の難波に、いつか還《かえ》り住んで、遥かに筑紫の政を聴いていた帥の殿であった。其父君から遣された家の子が、一車《ひとくるま》に積み余るほどな家づとを、家に残った家族たち殊に、姫君にと言ってはこんで来た。
山国の狭い平野に、一代一代|都遷《みやこうつ》しのあった長い歴史の後、ここ五十年、やっと一つ処に落ちついた奈良の都は、其でもまだ、なかなか整うまでには、行って居なかった。
官庁や、大寺が、にょっきりにょっきり、立っている外は、貴族の屋敷が、処々むやみに場をとって、その相間相間に、板屋や瓦屋《かわらや》が、交りまじりに続いている。其外は、広い水田と、畠と、存外多い荒蕪地《こうぶち》の間に、人の寄りつかぬ塚や岩群《いわむら》が、ちらばって見えるだけであった。兎や、狐が、大路小路を駆け廻る様なのも、毎日のこと。つい此頃も、朱雀大路《しゅじゃくおおじ》の植え木の梢を、夜になると、※[#「鼠+吾」、第4水準2-94-68]鼠《むささび》が飛び歩くと言うので、一騒ぎした位である。
横佩家の郎女が、称讃浄土仏摂受経《しょうさんじょうどぶつしょうじゅぎょう》を写しはじめたのも、其頃からであった。父の心づくしの贈り物の中で、一番、姫君の心を饒《にぎ》やかにしたのは、此新訳の阿弥陀経《あみだきょう》一巻《いちかん》であった。
国の版図の上では、東に偏り過ぎた山国の首都よりも、太宰府は、遥かに開けていた。大陸から渡る新しい文物は、皆一度は、この遠《とお》の宮廷領《みかど》を通過するのであった。唐から渡った書物などで、太宰府ぎりに、都まで出て来ないものが、なかなか多かった。
学問や、芸術の味いを知り初めた志の深い人たちは、だから、大唐までは望まれぬこと、せめて太宰府へだけはと、筑紫下りを念願するほどであった。
南家の郎女《いらつめ》の手に入った称讃浄土経も、大和一国の大寺《おおてら》と言う大寺に、まだ一部も蔵せられて居ぬものであった。
姫は、蔀戸《しとみど》近くに、時としては机を立てて、写経をしていることもあった。夜も、侍女たちを寝静まらしてから、油火《あぶらび》の下で、一心不乱に書き写して居た。
百部は、夙《はや》くに写し果した。その後は、千部手写の発願をした。冬は春になり、夏山と繁った春日山も、既に黄葉《もみじ》して、其がもう散りはじめた。蟋蟀《こおろぎ》は、昼も苑《その》一面に鳴くようになった。佐保川の水を堰《せ》き入れた庭の池には、遣り水伝いに、川千鳥の啼《な》く日すら、続くようになった。
今朝も、深い霜朝を、何処からか、鴛鴦《おしどり》の夫婦鳥《つまどり》が来て浮んで居ります、と童女《わらわめ》が告げた。
五百部を越えた頃から、姫の身は、目立ってやつれて来た。ほんの纔《わず》かの眠りをとる間も、ものに驚いて覚めるようになった。其でも、八百部の声を聞く時分になると、衰えたなりに、健康は定まって来たように見えた。やや蒼みを帯びた皮膚に、心もち細って見える髪が、愈々《いよいよ》黒く映え出した。
八百八十部、九百部。郎女は侍女にすら、ものを言うことを厭《いと》うようになった。そうして、昼すら何か夢見るような目つきして、うっとり蔀戸ごしに、西の空を見入って居るのが、皆の注意をひくほどであった。
実際、九百部を過ぎてからは筆も一向、はかどらなくなった。二十部・三十部・五十部。心ある女たちは、文字の見えない自身たちのふがいなさ[#「ふがいなさ」に傍点]を悲しんだ。郎女の苦しみを、幾分でも分けることが出来ように、と思うからである。
南家の郎女が、宮から召されることになるだろうと言う噂が、京・洛外《らくがい》に広がったのも、其頃である。屋敷中の人々は、上近く事《つか》える人たちから、垣内《かきつ》の隅に住む奴隷《やっこ》・婢奴《めやっこ》の末にまで、顔を輝かして、此とり沙汰を迎えた。でも姫には、誰一人其を聞かせる者がなかった。其ほど、此頃の郎女は気むつかしく、外目《よそめ》に見えていたのである。
千部手写の望みは、そうした大願から立てられたものだろう、と言う者すらあった。そして誰ひとり、其を否む者はなかった。
南家の姫の美しい膚《はだ》は、益々透きとおり、潤んだ目は、愈々大きく黒々と見えた。そうして、時々声に出して誦《じゅ》する経の文《もん》が、物の音《ね》に譬《たと》えようもなく、さやかに人の耳に響く。聞く人は皆、自身の耳を疑うた。
去年の春分の日の事であった。入り日の光りをまともに受けて、姫は正座して、西に向って居た。日は、此屋敷からは、稍《やや》坤《ひつじさる》によった遠い山の端に沈むのである。西空の棚雲の紫に輝く上で、落日は俄《にわ》かに転《くるめ》き出した。その速さ。雲は炎になった。日は黄金《おうごん》の丸《まるがせ》になって、その音も聞えるか、と思うほど鋭く廻った。雲の底から立ち昇る青い光りの風――、姫は、じっと見つめて居た。やがて、あらゆる光りは薄れて、雲は霽《は》れた。夕闇の上に、目を疑うほど、鮮やかに見えた山の姿。二上山である。その二つの峰の間に、ありありと荘厳《しょうごん》な人の俤《おもかげ》が、瞬間|顕《あらわ》れて消えた。後《あと》は、真暗な闇の空である。山の端も、雲も何もない方に、目を凝して、何時までも端坐して居た。郎女の心は、其時から愈々澄んだ。併し、極めて寂しくなり勝《まさ》って行くばかりである。
ゆくりない日が、半年の後に再来て、姫の心を無上《むしょう》の歓喜に引き立てた。其は、同じ年の秋、彼岸中日の夕方であった。姫は、いつかの春の日のように、坐していた。朝から、姫の白い額の、故もなくひよめいた[#「ひよめいた」に傍点]長い日の、後《のち》である。二上山の峰を包む雲の上に、中秋の日の爛熟《らんじゅく》した光りが、くるめき出したのである。雲は火となり、日は八尺の鏡と燃え、青い響きの吹雪を、吹き捲《ま》く嵐――。
雲がきれ、光りのしずまった山の端は細く金の外輪を靡《なび》かして居た。其時、男岳・女岳の峰の間に、ありありと浮き出た 髪 頭 肩 胸――。
姫は又、あの俤を見ることが、出来たのである。
南家の郎女の幸福な噂が、春風に乗って来たのは、次の春である。姫は別様の心躍りを、一月も前から感じて居た。そうして、日を数《と》り初めて、ちょうど、今日と言う日。彼岸中日、春分の空が、朝から晴れて、雲雀《ひばり》は天に翔《かけ》り過ぎて、帰ることの出来ぬほど、青雲が深々とたなびいて居た。郎女は、九百九十九部を写し終えて、千部目にとりついて居た。日一日、のどかな温い春であった。経巻の最後の行、最後の字を書きあげて、ほっと息をついた。あたりは俄かに、薄暗くなって居る。目をあげて見る蔀窓《しとみど》の外には、しとしとと――音がしたたって居るではないか。姫は立って、手ずから簾《すだれ》をあげて見た。雨。
苑《その》の青菜が濡れ、土が黒ずみ、やがては瓦屋にも、音が立って来た。
姫は、立っても坐《い》ても居られぬ、焦躁《しょうそう》に悶《もだ》えた。併し日は、益々暗くなり、夕暮れに次いで、夜が来た。
茫然《ぼうぜん》として、姫はすわって居る。人声も、雨音も、荒れ模様に加って来た風の響きも、もう、姫は聞かなかった。

   七

南家の郎女の神隠しに遭ったのは、其夜であった。家人は、翌朝空が霽れ、山々がなごりなく見えわたる時まで、気がつかずに居た。横佩墻内《よこはきかきつ》に住む限りの者は、男も、女も、上の空になって、洛中《らくちゅう》洛外《らくがい》を馳《は》せ求めた。そうした奔《はし》り人《びと》の多く見出される場処と言う場処は、残りなく捜された。春日山の奥へ入ったものは、伊賀境までも踏み込んだ。高円山《たかまどやま》の墓原も、佐紀の沼地・雑木原も、又は、南は山村《やまむら》、北は奈良山、泉川の見える処まで馳せ廻って、戻る者も戻る者も、皆|空足《からあし》を踏んで来た。
姫は、何処をどう歩いたか、覚えがない。唯家を出て、西へ西へと辿《たど》って来た。降り募るあらしが、姫の衣を濡した。姫は、誰にも教わらないで、裾を脛《はぎ》まであげた。風は、姫の髪を吹き乱した。姫は、いつとなく、髻《もとどり》をとり束ねて、襟から着物の中に、含《くく》み入れた。夜中になって、風雨が止み、星空が出た。
姫の行くてには常に、二つの峰の並んだ山の立ち姿がはっきりと聳《そび》えて居た。毛孔《けあな》の竪《た》つような畏《おそろ》しい声を、度々聞いた。ある時は、鳥の音であった。其後、頻《しき》りなく断続したのは、山の獣の叫び声であった。大和の内も、都に遠い広瀬・葛城あたりには、人居などは、ほんの忘れ残りのように、山陰などにあるだけで、あとは曠野《あらの》。それに――本村《ほんむら》を遠く離れた、時はずれの、人|棲《す》まぬ田居《たい》ばかりである。
片破れ月が、上《あが》って来た。其が却《かえっ》て、あるいている道の辺《ほとり》の凄《すご》さを照し出した。其でも、星明りで辿って居るよりは、よるべを覚えて、足が先へ先へと出た。月が中天へ来ぬ前に、もう東の空が、ひいわり[#「ひいわり」に傍点]白んで来た。
夜のほのぼの明けに、姫は、目を疑うばかりの現実に行きあった。――横佩家の侍女たちは何時も、夜の起きぬけに、一番最初に目撃した物事で、日のよしあしを、占って居るようだった。そう言う女どものふるまいに、特別に気は牽《ひ》かれなかった郎女だけれど、よく其人々が、「今朝の朝目がよかったから」「何と言う情ない朝目でしょう」などと、そわそわと興奮したり、むやみに塞《ふさ》ぎこんだりして居るのを、見聞きしていた。
郎女《いらつめ》は、生れてはじめて、「朝目よく」と謂《い》った語を、内容深く感じたのである。目の前に赤々と、丹塗《にぬ》りに照り輝いて、朝日を反射して居るのは、寺の大門ではないか。そうして、門から、更に中門が見とおされて、此もおなじ丹塗りに、きらめいて居る。
山裾の勾配《こうばい》に建てられた堂・塔・伽藍《がらん》は、更に奥深く、朱《あけ》に、青に、金色に、光りの棚雲を、幾重にもつみ重ねて見えた。朝目のすがしさは、其ばかりではなかった。其|寂寞《せきばく》たる光りの海から、高く抽《ぬき》でて見える二上の山。淡海公の孫、大織冠《たいしょくかん》には曾孫。藤氏族長太宰帥、南家《なんけ》の豊成、其|第一嬢子《だいいちじょうし》なる姫である。屋敷から、一歩はおろか、女部屋を膝行《いざ》り出ることすら、たまさかにもせぬ、郎女のことである。順道《じゅんとう》ならば、今頃は既に、藤原の氏神河内の枚岡《ひらおか》の御神か、春日の御社《みやしろ》に、巫女《みこ》の君として仕えているはずである。家に居ては、男を寄せず、耳に男の声も聞かず、男の目を避けて、仄暗《ほのぐら》い女部屋に起き臥ししている人である。世間の事は、何一つ聞き知りも、見知りもせぬように、おうしたてられて来た。
寺の浄域が、奈良の内外《うちと》にも、幾つとあって、横佩墻内《よこはきかきつ》と讃えられている屋敷よりも、もっと広大なものだ、と聞いて居た。そうでなくても、経文の上に伝えた浄土の荘厳《しょうごん》をうつすその建て物の様は想像せぬではなかった。だが目《ま》のあたり見る尊さは唯息を呑むばかりであった。之に似た驚きの経験は曾《かつ》て一度したことがあった。姫は今其を思い起して居る。簡素と豪奢《ごうしゃ》との違いこそあれ、驚きの歓喜は、印象深く残っている。
今の太上天皇様が、まだ宮廷の御あるじで居させられた頃、八歳の南家の郎女は、童女《わらわめ》として、初の殿上《てんじょう》をした。穆々《ぼくぼく》たる宮の内の明りは、ほのかな香気を含んで、流れて居た。昼すら真夜《まよ》に等しい、御帳台《みちょうだい》のあたりにも、尊いみ声は、昭々《しょうしょう》と珠《たま》を揺る如く響いた。物わきまえもない筈の、八歳の童女が感泣した。
「南家には、惜しい子が、女になって生れたことよ」と仰せられた、と言う畏《おそ》れ多い風聞が、暫らく貴族たちの間に、くり返された。其後十二年、南家の娘は、二十《はたち》になっていた。幼いからの聡《さと》さにかわりはなくて、玉・水精《すいしょう》の美しさが益々加って来たとの噂が、年一年と高まって来る。
姫は、大門の閾《しきみ》を越えながら、童女殿上の昔の畏《かしこ》さを、追想して居たのである。長い甃道《いしきみち》を踏んで、中門に届く間にも、誰一人出あう者がなかった。恐れを知らず育てられた大貴族の郎女は、虔《つつま》しく併しのどかに、御堂御堂を拝んで、岡の東塔に来たのである。
ここからは、北大和の平野は見えぬ。見えたところで、郎女は、奈良の家を考え浮べることも、しなかったであろう。まして、家人たちが、神隠しに遭《お》うた姫を、探しあぐんで居ようなどとは、思いもよらなかったのである。唯うっとりと、塔の下《もと》から近々と仰ぐ、二上山の山肌に、現《うつ》し世《よ》の目からは見えぬ姿を惟《おも》い観《み》ようとして居るのであろう。
此時分になって、寺では、人の動きが繁くなり出した。晨朝《じんちょう》の勤めの間も、うとうとして居た僧たちは、爽《さわ》やかな朝の眼を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みひら》いて、食堂《じきどう》へ降りて行った。奴婢《ぬひ》は、其々もち場持ち場の掃除を励む為に、ようべの雨に洗ったようになった、境内の沙地《すなじ》に出て来た。
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そこにござるのは、どなたぞな。
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岡の陰から、恐る恐る頭をさし出して問うた一人の寺奴《やっこ》は、あるべからざる事を見た様に、自分自身を咎《とが》めるような声をかけた。女人の身として、這入《はい》ることの出来ぬ結界を犯していたのだった。姫は答えよう、とはせなかった。又答えようとしても、こう言う時に使う語には、馴れて居ぬ人であった。
若《も》し又、適当な語を知って居たにしたところで、今はそんな事に、考えを紊《みだ》されては、ならぬ時だったのである。
姫は唯、山を見ていた。依然として山の底に、ある俤《おもかげ》を観じ入っているのである。寺奴は、二言とは問いかけなかった。一晩のさすらいでやつれては居ても、服装から見てすぐ、どうした身分の人か位の判断は、つかぬ筈はなかった。又暫らくして、四五人の跫音《あしおと》が、びたびたと岡へ上って来た。年のいったのや、若い僧たちが、ばらばらと走って、塔のやらいの外まで来た。
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ここまで出て御座れ。そこは、男でも這入るところではない。女人《にょにん》は、とっとと出てお行きなされ。
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姫は、やっと気がついた。そうして、人とあらそわぬ癖をつけられた貴族の家の子は、重い足を引きながら、竹垣の傍まで来た。
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見れば、奈良のお方そうなが、どうして、そんな処にいらっしゃる。
それに又、どうして、ここまでお出でだった。伴《とも》の人も連れずに――。
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口々に問うた。男たちは、咎める口とは別に、心はめいめい、貴い女性をいたわる気持ちになって居た。
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山をおがみに……。
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まことに唯|一詞《ひとこと》。当の姫すら思い設けなんだ詞《ことば》が、匂うが如く出た。貴族の家庭の語と、凡下《ぼんげ》の家々の語とは、すっかり変って居た。だから言い方も、感じ方も、其うえ、語其ものさえ、郎女の語が、そっくり寺の所化輩《しょけはい》には、通じよう筈がなかった。
でも其でよかったのである。其でなくて、語の内容が、其まま受けとられようものなら、南家の姫は、即座に気のふれた女、と思われてしまったであろう。
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それで、御館《みたち》はどこぞな。
みたち……。
おうちは……。
おうち……。
おやかたは、と問うのだよ――。
おお。家はとや。右京藤原南家……。
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俄然《がぜん》として、群集の上にざわめきが起った。四五人だったのが、あとから後から登って来た僧たちも加って、二十人以上にもなって居た。其が、口々に喋《しゃべ》り出したものである。
ようべの嵐に、まだ残りがあったと見えて、日の明るく照って居る此|小昼《こびる》に、又風が、ざわつき出した。この岡の崎にも、見おろす谷にも、其から二上山へかけての尾根尾根にも、ちらほら白く見えて、花の木がゆすれて居る。山の此方《こなた》にも小桜の花が、咲き出したのである。
此時分になって、奈良の家では、誰となく、こんな事を考えはじめていた。此はきっと、里方の女たちのよく[#「よく」に傍点]する、春の野遊びに出られたのだ。――何時からとも知らぬ、習しである。春秋の、日と夜と平分する其頂上に当る日は、一日、日の影を逐《お》うて歩く風が行われて居た。どこまでもどこまでも、野の果て、山の末、海の渚まで、日を送って行く女衆が多かった。そうして、夜に入ってくたくたになって、家路を戻る。此|為来《しきた》りを何時となく、女たちの咄《はな》すのを聞いて、姫が、女の行として、この野遊びをする気になられたのだ、と思ったのである。こう言う、考えに落ちつくと、ありようもない考えだと訣《わか》って居ても、皆の心が一時、ほうと軽くなった。
ところが、其日も昼さがりになり、段々|夕光《ゆうかげ》の、催して来る時刻が来た。昨日は、駄目になった日の入りの景色が、今日は中日にも劣るまいと思われる華やかさで輝いた。横佩家の人々の心は、再重くなって居た。

   八

奈良の都には、まだ時おり、石城《しき》と謂《い》われた石垣を残して居る家の、見かけられた頃である。度々の太政官符《だいじょうがんぷ》で、其を家の周りに造ることが、禁ぜられて来た。今では、宮廷より外には、石城を完全にとり廻した豪族の家などは、よくよくの地方でない限りは、見つからなくなって居る筈なのである。
其に一つは、宮廷の御在所が、御一代御一代に替って居た千数百年の歴史の後に、飛鳥の都は、宮殿の位置こそ、数町の間をあちこちせられたが、おなじ山河一帯の内にあった。其で凡《およそ》、都遷《みやこうつ》しのなかった形になったので、後から後から地割りが出来て、相応な都城《とじょう》の姿は備えて行った。其数朝の間に、旧族の屋敷は、段々、家構えが整うて来た。
葛城に、元のままの家を持って居て、都と共に一代ぎりの、屋敷を構えて居た蘇我臣《そがのおみ》なども、飛鳥の都では、次第に家作りを拡げて行って、石城《しき》なども高く、幾重にもとり廻して、凡永久の館作りをした。其とおなじ様な気持ちから、どの氏でも、大なり小なり、そうした石城づくりの屋敷を構えるようになって行った。
蘇我臣|一流《ひとなが》れで最栄えた島の大臣家《おとどけ》の亡びた時分から、石城の構えは禁《と》められ出した。
この国のはじまり、天から授けられたと言う、宮廷に伝わる神の御詞《みことば》に背く者は、今もなかった。が、書いた物の力は、其が、どのように由緒のあるものでも、其ほどの威力を感じるに到らぬ時代が、まだ続いて居た。
其飛鳥の都も、高天原広野姫尊様《たかまのはらひろぬひめのみことさま》の思召《おぼしめ》しで、其から一里北の藤井|个《が》原に遷され、藤原の都と名を替えて、新しい唐様《もろこしよう》の端正《きらきら》しさを尽した宮殿が、建ち並ぶ様になった。近い飛鳥から、新渡来《いまき》の高麗馬《こま》に跨《またが》って、馬上で通う風流士《たわれお》もあるにはあったが、多くはやはり、鷺栖《さぎす》の阪の北、香具山の麓《ふもと》から西へ、新しく地割りせられた京城《けいじょう》の坊々《まちまち》に屋敷を構え、家造りをした。その次の御代になっても、藤原の都は、日に益し、宮殿が建て増されて行って、ここを永宮《とこみや》と遊ばす思召しが、伺われた。その安堵《あんど》の心から、家々の外には、石城を廻すものが、又ぼつぼつ出て来た。そうして、そのはやり風俗が、見る見るうちに、また氏々の族長の家囲いを、あらかた石にしてしまった。その頃になって、天真宗豊祖父尊様《あめまむねとよおおじのみことさま》がおかくれになり、御母《みおや》 日本根子天津御代豊国成姫《やまとねこあまつみよとよくになすひめ》の大尊様《おおみことさま》がお立ち遊ばした。その四年目思いもかけず、奈良の都に宮遷しがあった。ところがまるで、追っかけるように、藤原の宮は固《もと》より、目ぬきの家並みが、不意の出火で、其こそ、あっと言う間に、痕形《あとかた》もなく、空《そら》の有《もの》となってしまった。もう此頃になると、太政官符《だいじょうがんぷ》に、更に厳しい添書《ことわき》がついて出ずとも、氏々の人は皆、目の前のすばやい人事自然の交錯した転変に、目を瞠《みは》るばかりであったので、久しい石城の問題も、其で、解決がついて行った。
古い氏種姓《うじすじょう》を言い立てて、神代以来の家職の神聖を誇った者どもは、其家職自身が、新しい藤原奈良の都には、次第に意味を失って来ている事に、気がついて居なかった。
最早くそこに心づいた、姫の祖父淡海公などは、古き神秘を誇って来た家職を、末代まで伝える為に、別に家を立てて中臣の名を保とうとした。そうして、自分・子供ら・孫たちと言う風に、いちはやく、新しい官人《つかさびと》の生活に入り立って行った。
ことし、四十を二つ三つ越えたばかりの大伴家持《おおとものやかもち》は、父|旅人《たびと》の其年頃よりは、もっと優れた男ぶりであった。併し、世の中はもう、すっかり変って居た。見るもの障るもの、彼の心を苛《いら》つかせる種にならぬものはなかった。淡海公の、小百年前に実行して居る事に、今はじめて自分の心づいた鈍《おぞ》ましさが、憤らずに居られなかった。そうして、自分とおなじ風の性向の人の成り行きを、まざまざ省みて、慄然《りつぜん》とした。現に、時に誇る藤原びとでも、まだ昔風の夢に泥《なず》んで居た南家の横佩《よこはき》右大臣は、さきおととし、太宰員外帥《だざいのいんがいのそつ》に貶《おと》されて、都を離れた。そうして今は、難波で謹慎しているではないか。自分の親旅人も、三十年前に踏んだ道である。
世間の氏上家《うじのかみけ》の主人《あるじ》は、大方もう、石城など築き廻《まわ》して、大門小門を繋《つな》ぐと謂《い》った要害と、装飾とに、興味を失いかけて居るのに、何とした自分だ。おれはまだ現に、出来るなら、宮廷のお目こぼしを頂いて、石に囲われた家の中で、家の子どもを集め、氏人たちを召《よ》びつどえて、弓場《ゆば》に精励させ、棒術《ほこゆけ》・大刀かき[#「大刀かき」に傍点]に出精させよう、と謂ったことを空想して居る。そうして年々《としどし》頻繁に、氏神其外の神々を祭っている。其度毎に、家の語部|大伴語造《おおとものかたりのみやつこ》の嫗《おむな》たちを呼んで、之に捉《つかま》え処もない昔代《むかしよ》の物語りをさせて、氏人に傾聴を強いて居る。何だか、空《くう》な事に力を入れて居たように思えてならぬ寂しさだ。
だが、其氏神祭りや、祭りの後宴《ごえん》に、大勢の氏人の集ることは、とりわけやかましく言われて来た、三四年以来の法度《はっと》である。
こんな溜《た》め息《いき》を洩《もら》しながら、大伴氏の旧《ふる》い習しを守って、どこまでも、宮廷守護の為の武道の伝襲に、努める外はない家持だったのである。
越中守として踏み歩いた越路の泥のかたが、まだ行縢《むかばき》から落ちきらぬ内に、もう復《また》、都を離れなければならぬ時の、迫って居るような気がして居た。其中、此針の筵《むしろ》の上で、兵部少輔《ひょうぶしょう》から、大輔《たいふ》に昇進した。そのことすら、益々脅迫感を強める方にばかりはたらいた。今年五月にもなれば、東大寺の四天王像の開眼が行われる筈で、奈良の都の貴族たちには、すでに寺から内見を願って来て居た。そうして、忙しい世の中にも、暫らくはその評判が、すべてのいざこざをおし鎮める程に、人の心を浮き立たした。本朝出来の像としてはまず、此程物凄い天部《てんぶ》の姿を拝んだことは、はじめてだ、と言うものもあった。神代の荒神《あらがみ》たちも、こんな形相でおありだったろう、と言う噂も聞かれた。
まだ公《おおやけ》の供養もすまぬのに、人の口はうるさいほど、頻繁に流説をふり撒《ま》いていた。あの多聞天と、広目天との顔つきに、思い当るものがないか、と言うのであった。此はここだけの咄《はなし》だよ、と言って話したのが、次第に広まって、家持の耳までも聞えて来た。なるほど、憤怒の相もすさまじいにはすさまじいが、あれがどうも、当今|大倭《やまと》一だと言われる男たちの顔、そのままだと言うのである。貴人は言わぬ、こう言う種類の噂は、えて[#「えて」に傍点]供をして見て来た道々の博士たちと謂った、心|蔑《さも》しいものの、言いそうな事である。
多聞天は、大師藤原恵美|中卿《ちゅうけい》だ。あの柔和な、五十を越してもまだ、三十代の美しさを失わぬあの方が、近頃おこりっぽくなって、よく下官や、仕え人を叱るようになった。あの円満《うま》し人《びと》が、どうしてこんな顔つきになるだろう、と思われる表情をすることがある。其|面《おも》もちそっくりだ、と尤《もっとも》らしい言い分なのである。
そう言えば、あの方が壮盛《わかざか》りに、棒術を嗜《この》んで、今にも事あれかしと謂った顔で、立派な甲《よろい》をつけて、のっしのっしと長い物を杖《つ》いて歩かれたお姿が、あれを見ていて、ちらつくようだなど、と相槌《あいづち》をうつ者も出て来た。
其では、広目天の方はと言うと、
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さあ、其がの――。
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と誰に言わせても、ちょっと言い渋るように、困った顔をして見せる。
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実は、ほんの人の噂だがの。噂だから、保証は出来ぬがの。義淵僧正の弟子の道鏡法師に、似てるぞなと言うがや。……けど、他人《ひと》に言わせると、――あれはもう、二十幾年にもなるかいや――筑紫で伐《う》たれなされた前太宰少弐《ぜんだざいのしょうに》―藤原広嗣―の殿に生写《しょううつ》しじゃ、とも言うがいよ。
わしには、どちらとも言えんがの。どうでも、見たことのあるお人に似て居さっしゃるには、似ていさっしゃるげなが……。
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何しろ、此二つの天部が、互に敵視するような目つきで、睨《にら》みあって居る。噂を気にした住侶《じゅうりょ》たちが、色々に置き替えて見たが、どの隅からでも、互に相手の姿を、眦《まなじり》を裂いて見つめて居る。とうとうあきらめて、自然にとり沙汰の消えるのを待つより為方《しかた》がない、と思うようになったと言う。
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若《も》しや、天下に大乱でも起らなければええが――。
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こんな※[#「口+耳」、第3水準1-14-94]《ささや》きは、何時までも続きそうに、時と共に倦《う》まずに語られた。
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前少弐殿でなくて、弓削新発意《ゆげしんぼち》の方であってくれれば、いっそ安心だがなあ。あれなら、事を起しそうな房主でもなし。起したくても、起せる身分でもないじゃまで――。
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言いたい傍題《ほうだい》な事を言って居る人々も、たった此一つの話題を持ちあぐね初めた頃、噂の中の大師|恵美朝臣《えみのあそん》の姪の横佩家《よこはきけ》の郎女《いらつめ》が、神隠しに遭《お》うたと言う、人の口の端に、旋風《つじかぜ》を起すような事件が、湧き上ったのである。

   九

兵部大輔《ひょうぶたいふ》大伴家持は、偶然この噂を、極めて早く耳にした。ちょうど、春分から二日目の朝、朱雀大路を南へ、馬をやって居た。二人ばかりの資人《とねり》が徒歩《かち》で、驚くほどに足早について行く。此は、晋唐の新しい文学の影響を、受け過ぎるほど享《う》け入れた文人かたぎの彼には、数年来珍しくもなくなった癖である。こうして、何処まで行くのだろう。唯、朱雀の並み木の柳の花がほほけて、霞のように飛んで居る。向うには、低い山と、細長い野が、のどかに陽炎《かげろ》うばかりである。資人の一人が、とっと[#「とっと」に傍点]と追いついて来たと思うと、主人の鞍《くら》に顔をおしつける様にして、新しい耳を聞かした。今行きすごうた知り人の口から、聞いたばかりの噂である。
[#ここから1字下げ]
それで、何か――。娘御の行くえは知れた、と言うのか。
はい……。いいえ。何分、その男がとり急いで居りまして。
この間抜け。話はもっと上手に聴くものだ。
[#ここで字下げ終わり]
柔らかく叱った。そこへ今《も》一人の伴《とも》が、追いついて来た。息をきらしている。
[#ここから1字下げ]
ふん。汝《わけ》は聞き出したね。南家《なんけ》の嬢子《おとめ》は、どうなった――。
[#ここで字下げ終わり]
出端《でばな》に油かけられた資人は、表情に隠さず心の中を表した此頃の人の、自由な咄《はな》し方で、まともに鼻を蠢《うごめか》して語った。
当麻《たぎま》の邑《むら》まで、おととい夜《よ》の中に行って居たこと、寺からは、昨日午後横佩|墻内《かきつ》へ知らせが届いたこと其外には、何も聞きこむ間のなかったことまで。家持の聯想《れんそう》は、環《わ》のように繋《つなが》って、暫らくは馬の上から見る、街路も、人通りも、唯、物として通り過ぎるだけであった。
南家で持って居た藤原の氏上《うじのかみ》職が、兄の家から、弟仲麻呂―押勝―の方へ移ろうとしている。来年か、再来年《さらいねん》の枚岡祭りに、参向する氏人の長者は、自然かの大師のほか、人がなくなって居る。恵美家からは、嫡子久須麻呂の為、自分の家の第一嬢子《だいいちじょうし》をくれとせがまれて居る。先日も、久須麻呂の名の歌が届き、自分の方でも、娘に代って返し歌を作って遣した。今朝も今朝、又折り返して、男からの懸想文《けそうぶみ》が、来ていた。
その壻候補《むこがね》の父なる人は、五十になっても、若かった頃の容色に頼む心が失せずにいて、兄の家娘にも執心は持って居るが、如何に何でも、あの郎女だけには、とり次げないで居る。此は、横佩家へも出入りし、大伴家へも初中終《しょっちゅう》来る古刀自《ふるとじ》の、人のわるい内証話であった。其を聞いて後、家持自身も、何だか好奇心に似たものが、どうかすると頭を擡《もた》げて来て困った。仲麻呂は今年、五十を出ている。其から見れば、ひとまわりも若いおれなどは、思い出にもう一度、此匂やかな貌花《かおばな》を、垣内《かきつ》の坪苑《つぼ》に移せぬ限りはない。こんな当時の男が、皆持った心おどり[#「心おどり」に傍点]に、はなやいだ、明るい気がした。
だが併し、あの郎女は、藤原四家の系統《すじ》で一番、神《かん》さびたたち[#「たち」に傍点]を持って生れた、と謂《い》われる娘御である。今、枚岡の御神に仕えて居る斎《いつ》き姫《ひめ》の罷《や》める時が来ると、あの嬢子《おとめ》が替って立つ筈だ。其で、貴い所からのお召しにも応じかねて居るのだ。……結局、誰も彼も、あきらめねばならぬ時が来るのだ。神の物は、神の物――。横佩家の娘御は、神の手に落ちつくのだろう。
ほのかな感傷が、家持の心を浄《きよ》めて過ぎた。おれは、どうもあきらめが、よ過ぎる。十《とお》を出たばかりの幼さで、母は死に、父は疾《や》んで居る太宰府へ降《くだ》って、夙《はや》くから、海の彼方《あなた》の作り物語りや、唐詩《もろこしうた》のおかしさを知り初《そ》めたのが、病みつきになったのだ。死んだ父も、そうした物は、或は、おれよりも嗜《す》きだったかも知れぬほどだが、もっと物に執著《しゅうじゃく》が深かった。現に、大伴の家の行く末の事なども、父はあれまで、心を悩まして居た。おれも考えれば、たまらなくなって来る。其で、氏人を集めて喩《さと》したり、歌を作って訓諭して見たりする。だがそうした後の気持ちの爽《さわ》やかさは、どうしたことだ。洗い去った様に、心が、すっとしてしまうのだった。まるで、初めから家の事など考えて居なかった、とおなじすがすがしい心になってしまう。
あきらめと言う事を、知らなかった人ばかりではないか。……昔物語りに語られる神でも、人でも、傑《すぐ》れた、と伝えられる限りの方々は――。それに、おれはどうしてこうだろう。
家持の心は併し、こんなに悔恨に似た心持ちに沈んで居るに繋《つなが》らず、段々気にかかるものが、薄らぎ出して来ている。
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ほう これは、京極《きょうはて》まで来た。
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朱雀大路も、ここまで来ると、縦横に通る地割りの太い路筋ばかりが、白々として居て、どの区画にも区画にも、家は建って居ない。去年の草の立ち枯れたのと、今年生えて稍《やや》茎を立て初めたのとがまじりあって、屋敷地から喰《は》み出し、道の土までも延びて居る。
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こんな家が――。
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驚いたことは、そんな草原の中に、唯一つ大きな構えの家が、建ちかかって居る。遅い朝を、もう余程、今日の為事《しごと》に這入《はい》ったらしい木の道[#「木の道」に傍点]の者たちが、骨組みばかりの家の中で、立ちはたらいて居るのが見える。家の建たぬ前に、既に屋敷廻りの地形《じぎょう》が出来て、見た目にもさっぱりと、垣をとり廻して居る。土を積んで、石に代えた垣、此頃言い出した築土垣《つきひじがき》というのは、此だな、と思って、じっと目をつけて居た。見る見る、そうした新しい好尚《このみ》のおもしろさが、家持の心を奪うてしまった。
築土垣の処々に、きりあけた口があって、其に、門が出来て居た。そうして、其処から、頻《しき》りに人が繋っては出て来て、石を曳《ひ》く。木を搬《も》つ。土を搬《はこ》び入れる。重苦しい石城《しき》。懐しい昔構え。今も、家持のなくなしたくなく考えている屋敷廻りの石垣が、思うてもたまらぬ重圧となって、彼の胸に、もたれかかって来るのを感じた。
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おれには、だが、この築土垣を択《と》ることが出来ぬ。
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家持の乗馬《じょうめ》は再、憂鬱《ゆううつ》に閉された主人を背に、引き返して、五条まで上って来た。此辺から、右京の方へ折れこんで、坊角《まちかど》を廻りくねりして行く様子は、此主人に馴れた資人たちにも、胸の測られぬ気を起させた。二人は、時々顔を見合せ、目くばせをしながら尚、了解が出来ぬ、と言うような表情を交しかわし、馬の後を走って行く。
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こんなにも、変って居たのかねえ。
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ある坊角に来た時、馬をぴたと止めて、独り言のように言った。
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……旧草《ふるくさ》に 新草《にひくさ》まじり、生ひば 生ふるかに――だな。
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近頃見つけた歌※[#「にんべん+舞」、第4水準2-3-4]所《かぶしょ》の古記録「東歌《あずまうた》」の中に見た一首がふと、此時、彼の言いたい気持ちを、代作して居てくれていたように、思い出された。
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そうだ。「おもしろき野《ぬ》をば 勿《な》焼きそ」だ。此でよいのだ。
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けげんな顔を仰《あおむけ》けている伴人《ともびと》らに、柔和な笑顔を向けた。
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そうは思わぬか。立ち朽《ぐさ》りになった家の間に、どしどし新しい屋敷が出来て行く。都は何時までも、家は建て詰まぬが、其でもどちらかと謂えば、減るよりも殖えて行っている。此辺は以前、今頃になると、蛙めの、あやまりたい程鳴く田の原が、続いてたもんだ。
仰《おっしゃ》るとおりで御座ります。春は蛙、夏はくちなわ、秋は蝗《いなご》まろ。此辺はとても、歩けたところでは、御座りませんでした。
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今一人が言う。
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建つ家もたつ家も、この立派さは、まあどうで御座りましょう。其に、どれも此も、此頃急にはやり出した築土垣《つきひじがき》を築きまわしまして。何やら、以前とはすっかり変った処に、参った気が致します。
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馬上の主人も、今まで其ばかり考えて居た所であった。だが彼の心は、瞬間明るくなって、先年|三形王《みかたのおおきみ》の御殿での宴《うたげ》に誦《くちずさ》んだ即興が、その時よりも、今はっきりと内容を持って、心に浮んで来た。
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うつり行く時見る毎に、心|疼《いた》く 昔の人し 思ほゆるかも
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目をあげると、東の方春日の杜《もり》は、谷陰になって、ここからは見えぬが、御蓋《みかさ》山・高円《たかまど》山一帯、頂が晴れて、すばらしい春日和《はるびより》になって居た。
あきらめがさせるのどけさなのだ、とすぐ気がついた。でも、彼の心のふさぎのむし[#「ふさぎのむし」に傍点]は迹《あと》を潜めて、唯、まるで今歩いているのが、大日本平城京《おおやまとへいせいけい》の土ではなく、大唐長安の大道の様な錯覚の起って来るのが押えきれなかった。此馬がもっと、毛並みのよい純白の馬で、跨《またが》って居る自身も亦、若々しい二十代の貴公子の気がして来る。神々から引きついで来た、重苦しい家の歴史だの、夥《おびただ》しい数の氏人などから、すっかり截《き》り離されて、自由な空にかけって居る自分ででもあるような、豊かな心持ちが、暫らくは払っても払っても、消えて行かなかった。
おれは若くもなし。第一、海東の大日本人《おおやまとびと》である。おれには、憂鬱《ゆううつ》な家職が、ひしひしと、肩のつまるほどかかって居るのだ。こんなことを考えて見ると、寂しくてはかない気もするが、すぐに其は、自身と関係のないことのように、心は饒《にぎ》わしく和らいで来て、為方がなかった。
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おい、汝《わけ》たち。大伴|氏上家《うじのかみけ》も、築土垣を引き廻そうかな。
とんでもないことを仰せられます。
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二人の声が、おなじ感情から迸《ほとばし》り出た。
年の増した方の資人《とねり》が、切実な胸を告白するように言った。
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私どもは、御譜第では御座りません。でも、大伴と言うお名は、御門《みかど》御垣《みかき》と、関係深い称《とな》えだ、と承って居ります。大伴家からして、門垣を今様にする事になって御覧《ごろう》じませ。御一族の末々まで、あなた様をお呪《のろ》い申し上げることでおざりましょう。其どころでは、御座りません。第一、ほかの氏々――大伴家よりも、ぐんと歴史の新しい、人の世になって初まった家々の氏人までが、御一族を蔑《ないがしろ》に致すことになりましょう。
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こんな事を言わして置くと、折角澄みかかった心も、又曇って来そうな気がする。家持は忙《あわ》てて、資人の口を緘《と》めた。
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うるさいぞ。誰に言う語だと思うて、言うて居るのだ。やめぬか。雑談《じょうだん》だ。雑談を真に受ける奴が、あるものか。
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馬はやっぱり、しっとしっとと、歩いて居た。築土垣 築土垣。又、築土垣。こんなに何時の間に、家構えが替って居たのだろう。家持は、なんだか、晩《おそ》かれ早かれ、ありそうな気のする次の都――どうやらこう、もっとおっぴらいた平野の中の新京城にでも、来ているのでないかと言う気が、ふとしかかったのを、危く喰いとめた。
築土垣 築土垣。もう、彼の心は動かなくなった。唯、よいとする気持ちと、よくないと思おうとする意思との間に、気分だけが、あちらへ寄りこちらへよりしているだけであった。
何時の間にか、平群《へぐり》の丘や、色々な塔を持った京西の寺々の見渡される、三条辺の町尻に来て居ることに気がついた。
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これはこれは。まだここに、残っていたぞ。
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珍しい発見をしたように、彼は馬から身を翻《かえ》しておりた。二人の資人はすぐ、馳《か》け寄って手綱を控えた。
家持は、門と門との間に、細かい柵《さく》をし囲《めぐ》らし、目隠しに枳殻《からたちばな》の叢生《やぶ》を作った家の外構えの一個処に、まだ石城《しき》が可なり広く、人丈にあまる程に築いてあるそばに、近寄って行った。
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荒れては居るが、ここは横佩墻内《よこはきかきつ》だ。
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そう言って、暫らく息を詰めるようにして、石垣の荒い面を見入って居た。
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そうに御座ります。此石城からしてついた名の、横佩墻内だと申しますとかで、せめて一ところだけは、と強いてとり毀《こぼ》たないとか申します。何分、帥《そつ》の殿のお都入りまでは、何としても、此儘《このまま》で置くので御座りましょう。さように、人が申し聞けました。はい。
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何時の間にか、三条七坊まで来てしまっていたのである。
おれは、こんな処へ来ようと言う考えはなかったのに――。だが、やっぱり、おれにはまだまだ、若い色好みの心が、失せないで居るぞ。何だか、自分で自分をなだめる様な、反省らしいものが出て来た。
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其にしても、静か過ぎるではないか。
さようで。で御座りますが、郎女《いらつめ》のお行くえも知れ、乳母もそちらへ行ったとか、今も人が申しましたから、落ちついたので御座りましょう。
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詮索ずきそうな顔をした若い方が、口を出す。
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いえ。第一、こんな場合は、騒ぐといけません。騒ぎにつけこんで、悪い魂《たま》や、霊《もの》が、うようよとつめかけて来るもので御座ります。この御館《みたち》も、古いおところだけに、心得のある長老《おとな》の一人や、二人は、難波へも下らずに、留守に居るので御座りましょう。
もうよいよい。では戻ろう。
[#ここで字下げ終わり]

   十

おとめの閨戸《ねやど》をおとなう風《ふう》は、何も、珍しげのない国中の為来《しきた》りであった。だが其にも、曾《かつ》てはそうした風の、一切行われて居なかったことを、主張する村々があった。何時のほどにか、そうした村が、他村の、別々に守って来た風習と、その古い為来りとをふり替えることになったのだ、と言う。かき上る段になれば、何の雑作もない石城だけれど、あれを大昔からとり廻して居た村と、そうでない村とがあった。こんな風に、しかつめらしい説明をする宿老《とね》たちが、どうかすると居た。多分やはり、語部などの昔語りから、来た話なのであろう。踏み越えても這入《はい》れ相《そう》に見える石垣だが、大昔交された誓いで、目に見えぬ鬼神《もの》から、人間に到るまで、あれが形だけでもある限り、入りこまぬ事になっている。こんな約束が、人と鬼《もの》との間にあって後、村々の人は、石城の中に、ゆったりと棲《す》むことが出来る様になった。そうでない村々では、何者でも、垣を躍り越えて這入って来る。其は、別の何かの為方で、防ぐ外はなかった。祭りの夜でなくても、村なかの男は何の憚《はばか》りなく、垣を踏み越えて処女の蔀戸《しとみど》をほとほとと叩く。石城を囲うた村には、そんなことは、一切なかった。だから、美《くわ》し女《め》の家に、奴隷《やっこ》になって住みこんだ古《いにしえ》の貴《あて》びともあった。娘の父にこき使われて、三年五年、いつか処女に会われよう、と忍び過した、身にしむ恋物語りもあるくらいだ。石城を掘り崩すのは、何処からでも鬼神《もの》に入りこんで来い、と呼びかけるのと同じことだ。京の年よりにもあったし、田舎の村々では、之を言い立てに、ちっとでも、石城を残して置こうと争うた人々が、多かったのである。
そう言う家々では、実例として恐しい証拠を挙げた。卅年も昔、――天平八年厳命が降《くだ》って、何事も命令のはかばかしく行われぬのは、朝臣《ちょうしん》が先って行わぬからである。汝等《みましたち》進んで、石城《しき》を毀《こぼ》って、新京の時世装に叶うた家作りに改めよと、仰せ下された。藤氏四流の如き、今に旧態を易《か》えざるは、最其位に在るを顧みざるものぞ、とお咎《とが》めが降《くだ》った。此時一度、凡《すべて》、石城はとり毀たれたのである。ところが、其と時を同じくして、疱瘡《もがさ》がはやり出した。越えて翌年、益々盛んになって、四月北家を手初めに、京家・南家と、主人から、まず此|時疫《じえき》に亡くなって、八月にはとうとう、式家の宇合卿《うまかいきょう》まで仆《たお》れた。家に、防ぐ筈の石城が失せたからだと、天下中の人が騒いだ。其でまた、とり壊した家も、ぼつぼつ旧《もと》に戻したりしたことであった。
こんなすさまじい事も、あって過ぎた夢だ。けれどもまだ、まざまざと人の心に焼きついて離れぬ、現《うつつ》の恐しさであった。
其は其として、昔から家の娘を守った邑々《むらむら》も、段々えたい[#「えたい」に傍点]の知れぬ村の風に感染《かま》けて、忍《しの》び夫《づま》の手に任せ傍題《ほうだい》にしようとしている。そうした求婚《つまどい》の風を伝えなかった氏々の間では、此は、忍び難い流行であった。其でも男たちは、のどかな風俗を喜んで、何とも思わぬようになった。が、家庭の中では、母・妻・乳母《おも》たちが、いまだにいきり立って、そうした風儀になって行く世間を、呪《のろ》いやめなかった。
手近いところで言うても、大伴|宿禰《すくね》にせよ。藤原|朝臣《あそん》にせよ。そう謂《い》う妻どい[#「妻どい」に傍点]の式はなくて、数十代宮廷をめぐって、仕えて来た邑々のあるじの家筋であった。
でも何時か、そうした氏々の間にも、妻迎えの式には、
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八千矛の神のみことは、とほ/″\し、高志《こし》の国に、美《くわ》し女《め》をありと聞かして、賢《さか》し女《め》をありと聞《きこ》して……
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から謡い起す神語歌《かみがたりうた》を、語部に歌わせる風が、次第にひろまって来るのを、防ぎとめることが出来なくなって居た。
南家《なんけ》の郎女《いらつめ》にも、そう言う妻覓《つまま》ぎ人が――いや人群《ひとむれ》が、とりまいて居た。唯、あの型ばかり取り残された石城の為に、何だか屋敷へ入ることが、物忌み――たぶう[#「たぶう」に傍点]――を犯すような危殆《ひあい》な心持ちで、誰も彼も、柵《さく》まで又、門まで来ては、かいまみしてひき還《かえ》すより上の勇気が、出ぬのであった。
通《かよ》わせ文《ぶみ》をおこすだけが、せめてものてだて[#「てだて」に傍点]で、其さえ無事に、姫の手に届いて、見られていると言う、自信を持つ人は、一人としてなかった。事実、大抵、女部屋の老女《とじ》たちが、引ったくって渡させなかった。そうした文のとりつぎをする若人―若女房―を呼びつけて、荒けなく叱って居る事も、度々見かけられた。
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其方《おもと》は、この姫様こそ、藤原の氏神にお仕え遊ばす、清らかな常処女《とこおとめ》と申すのだ、と言うことを知らぬのかえ。神の咎《とが》めを憚《はばか》るがええ。宮から恐れ多いお召しがあってすら、ふつ[#「ふつ」に傍点]においらえを申しあげぬのも、それ故だとは考えつかぬげな。やくたい者。とっとと失せたがよい。そんな文とりついだ手を、率川《いざかわ》の一の瀬で浄めて来くさろう。罰《ばち》知らずが……。
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こんな風に、わなり[#「わなり」に傍点]つけられた者は、併し、二人や三人ではなかった。横佩家《よこはきけ》の女部屋に住んだり、通うたりしている若人は、一人残らず一度は、経験したことだと謂《い》っても、うそ[#「うそ」に傍点]ではなかった。
だが、郎女は、ついに[#「ついに」に傍点]一度そんな事のあった様子も、知らされずに来た。
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上つ方の郎女が、才《ざえ》をお習い遊ばすと言うことが御座りましょうか。それは近代《ちかつよ》、ずっと下《しも》ざまのおなご[#「おなご」に傍点]の致すことと承ります。父君がどう仰《おっしゃ》ろうとも、父御《ててご》様のお話は御一代。お家の習しは、神さまの御意趣《おむね》、とお思いつかわされませ。
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氏の掟《おきて》の前には、氏上《うじのかみ》たる人の考えをすら、否みとおす事もある姥《うば》たちであった。
其老女たちすら、郎女の天稟《てんぴん》には、舌を捲《ま》きはじめて居た。
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もう、自身たちの教えることものうなった。
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こう思い出したのは、数年も前からである。内に居る、身狭乳母《むさのちおも》・桃花鳥野乳母《つきぬのまま》・波田坂上刀自《はたのさかのえのとじ》、皆故知らぬ喜びの不安から、歎息《たんそく》し続けていた。時々伺いに出る中臣志斐嫗《なかとみのしいのおむな》・三上水凝刀自女《みかみのみずごりのとじめ》なども、来る毎、目を見合せて、ほうっとした顔をする。どうしよう、と相談するような人たちではない。皆無言で、自分等の力の及ばぬ所まで来た、姫の魂の成長にあきれて、目をみはるばかりなのだ。
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才を習うなと言うなら、まだ聞きも知らぬこと、教えて賜《たも》れ。
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素直な郎女の求めも、姥たちにとっては、骨を刺しとおされるような痛さであった。
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何を仰せられまする。以前から、何一つお教えなど申したことがおざりましょうか。目下の者が、目上のお方さまに、お教え申すと言うような考えは、神様がお聞き届けになりません。教える者は目上、ならう者は目下、と此が、神の代からの掟でおざりまする。
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志斐嫗の負け色を救う為に、身狭乳母も口を挿《はさ》む。
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唯知った事を申し上げるだけ。其を聞きながら、御心がお育ち遊ばす。そう思うて、姥たちも、覚えただけの事は、郎女様のみ魂《たま》を揺《いぶ》る様にして、歌いもし、語りもして参りました。教えたなど仰っては私めらが罰を蒙《こうむ》らなければなりません。
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こんな事をくり返して居る間に、刀自たちにも、自分らの恃《たの》む知識に対する、単純な自覚が出て来た。此は一層、郎女の望むままに、才を習した方が、よいのではないか、と言う気が、段々して来たのである。
まことに其為には、ゆくりない事が、幾重にも重って起った。姫の帳台の後から、遠くに居る父の心尽しだったと見えて、二巻の女手《おんなで》の写経らしい物が出て来た。姫にとっては、肉縁はないが、曾祖母《ひおおば》にも当る橘《たちばな》夫人の法華経、又其|御胎《おはら》にいらせられる――筋から申せば、大叔母御にもお当り遊ばす、今の皇太后様の楽毅論《がっきろん》。此二つの巻物が、美しい装いで、棚を架いた上に載せてあった。
横佩大納言と謂われた頃から、父は此二部を、自分の魂のように大事にして居た。ちょっと出る旅にも、大きやかな箱に納めて、一人分の資人《とねり》の荷として、持たせて行ったものである。其魂の書物を、姫の守りに留めておきながら、誰にも言わずにいたのである。さすがに我強《がづよ》い刀自たちも、此見覚えのある、美しい箱が出て来た時には、暫らく撲《う》たれたように、顔を見合せて居た。そうして後《のち》、後《あと》で恥しかろうことも忘れて、皆声をあげて泣いたものであった。
郎女は、父の心入れを聞いた。姥たちの見る目には、併し予期したような興奮は、認められなかった。唯|一途《いちず》に素直に、心の底の美しさが匂い出たように、静かな、美しい眼で、人々の感激する様子を、驚いたように見まわして居た。
其からは、此二つの女手の「本」を、一心に習いとおした。偶然は友を誘《ひ》くものであった。一月も立たぬ中の事である。早く、此都に移って居た飛鳥寺《あすかでら》―元興寺《がんこうじ》―から巻数《かんず》が届けられた。其には、難波にある帥《そつ》の殿の立願《りゅうがん》によって、仏前に読誦《とくしょう》した経文の名目が、書き列《つら》ねてあった。其に添えて、一巻の縁起文が、此御館へ届けられたのである。
父藤原豊成朝臣、亡父贈太政大臣七年の忌みに当る日に志を発《おこ》して、書き綴った「仏本伝来記」を、其後二年立って、元興寺へ納めた。飛鳥以来、藤原氏とも関係の深かった寺なり、本尊なのである。あらゆる念願と、報謝の心を籠《こ》めたもの、と言うことは察せられる。其一巻が、どう言う訣《わけ》か、二十年もたってゆくりなく、横佩家へ戻って来たのである。
郎女の手に、此巻が渡った時、姫は端近く膝行《いざ》り出て、元興寺の方を礼拝した。其後で、
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難波とやらは、どちらに当るかえ。
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と尋ねて、示す方角へ、活《い》き活《い》きした顔を向けた。其目からは、珠数の珠《たま》の水精《すいしょう》のような涙が、こぼれ出ていた。
其からと言うものは、来る日もくる日も、此元興寺の縁起文を手写した。内典・外典其上に又、大日本《おおやまと》びとなる父の書いた文《もん》。指から腕、腕から胸、胸から又心へ、沁《し》み沁《じ》みと深く、魂を育てる智慧の這入《はい》って行くのを、覚えたのである。
大日本日高見《おおやまとひたかみ》の国。国々に伝わるありとある歌諺《うたことわざ》、又其|旧辞《もとつごと》。第一には、中臣の氏の神語り。藤原の家の古物語り。多くの語《かた》り詞《ごと》を、絶えては考え継ぐ如く、語り進んでは途切れ勝ちに、呪々《のろのろ》しく、くねくねしく、独り語りする語部や、乳母《おも》や、嚼母《まま》たちの唱える詞《ことば》が、今更めいて、寂しく胸に蘇《よみがえ》って来る。
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おお、あれだけの習しを覚える、ただ其だけで、此世に生きながらえて行かねばならぬみずから[#「みずから」に傍点]であった。
[#ここで字下げ終わり]
父に感謝し、次には、尊い大叔母君、其から見ぬ世の曾祖母《おおおば》の尊《みこと》に、何とお礼申してよいか、量り知れぬものが、心にたぐり上げて来る。だが[#「だが」に傍点]まず、父よりも誰よりも、御礼申すべきは、み仏である。この珍貴《うず》の感覚《さとり》を授け給う、限り知られぬ愛《めぐ》みに充ちたよき人[#「よき人」に傍点]が、此世界の外に、居られたのである。郎女《いらつめ》は、塗香《ずこう》をとり寄せて、まず髪に塗り、手に塗り、衣を薫《かお》るばかりに匂わした。

   十一

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ほほき ほほきい ほほほきい――。
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きのうよりも、澄んだよい日になった。春にしては、驚くばかり濃い日光が、地上にかっきりと、木草の影を落して居た。ほかほかした日よりなのに、其を見ていると、どこか、薄ら寒く感じるほどである。時々に過ぎる雲の翳《かげ》りもなく、晴れきった空だ。高原を拓《ひら》いて、間引いた疎《まば》らな木原《こはら》の上には、もう沢山の羽虫が出て、のぼったり降《さが》ったりして居る。たった一羽の鶯が、よほど前から一処を移らずに、鳴き続けているのだ。
家の刀自《とじ》たちが、物語る口癖を、さっきから思い出して居た。出雲宿禰《いずものすくね》の分れの家の嬢子《おとめ》が、多くの男の言い寄るのを煩しがって、身をよけよけして、何時か、山の林の中に分け入った。そうして其処で、まどろんで居る中に、悠々《うらうら》と長い春の日も、暮れてしまった。嬢子は、家路と思う径《みち》を、あちこち歩いて見た。脚は茨《いばら》の棘《とげ》にさされ、袖《そで》は、木の楚《ずわえ》にひき裂かれた。そうしてとうとう、里らしい家群《いえむら》の見える小高い岡の上に出た時は、裳も、著物《きもの》も、肌の出るほど、ちぎれて居た。空には、夕月が光りを増して来ている。嬢子はさくり上げて来る感情を、声に出した。
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ほほき ほほきい。
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何時も、悲しい時に泣きあげて居た、あの声ではなかった。「おお此身は」と思った時に、自分の顔に触れた袖は袖ではないものであった。枯《か》れ原《ふ》の冬草の、山肌色をした小な翼であった。思いがけない声を、尚も出し続けようとする口を、押えようとすると、自身すらいとおしんで居た柔らかな唇は、どこかへ行ってしまって、替りに、ささやかな管のような喙《くちばし》が来てついて居る――。悲しいのか、せつないのか、何の考えさえもつかなかった。唯、身悶《みもだ》えをした。するとふわり[#「ふわり」に傍点]と、からだは宙に浮き上った。留めようと、袖をふれば振るほど、身は次第に、高く翔《かけ》り昇って行く。五日月の照る空まで……。その後、今の世までも、
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ほほき ほほきい ほほほきい。
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と鳴いているのだ、と幼い耳に染みつけられた、物語りの出雲の嬢子が、そのまま、自分であるような気がして来る。
郎女は、徐《しず》かに両袖《もろそで》を、胸のあたりに重ねて見た。家に居た時よりは、褻《な》れ、皺立《しわだ》っているが、小鳥の羽には、なって居なかった。手をあげて唇に触れて見ると、喙でもなかった。やっぱり、ほっとり[#「ほっとり」に傍点]とした感触を、指の腹に覚えた。
ほほき鳥―鶯―になって居た方がよかった。昔語りの嬢子は、男を避けて、山の楚原《しもとはら》へ入り込んだ。そうして、飛ぶ鳥になった。この身は、何とも知れぬ人の俤《おもかげ》にあくがれ出て、鳥にもならずに、ここにこうして居る。せめて蝶飛虫《ちょうとり》にでもなれば、ひらひらと空に舞いのぼって、あの山の頂へ、俤びとをつきとめに行こうもの――。
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ほほき ほほきい。
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自身の咽喉《のど》から出た声だ、と思った。だがやはり、廬《いおり》の外で鳴くのであった。
郎女の心に動き初めた叡《さと》い光りは、消えなかった。今まで手習いした書巻の何処かに、どうやら、法喜と言う字のあった気がする。法喜[#「法喜」に傍点]――飛ぶ鳥すらも、美しいみ仏の詞に、感《かま》けて鳴くのではなかろうか。そう思えば、この鶯も、
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ほほき ほほきい。
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嬉しそうな高音を、段々張って来る。
物語りする刀自たちの話でなく、若人らの言うことは、時たま、世の中の瑞々《みずみず》しい消息《しょうそこ》を伝えて来た。奈良の家の女部屋は、裏方五つ間を通した、広いものであった。郎女の帳台の立ち処《ど》を一番奥にして、四つの間に、刀自・若人、凡《およそ》三十人も居た。若人等は、この頃、氏々の御館《みたち》ですることだと言って、苑《その》の池の蓮の茎を切って来ては、藕糸《はすいと》を引く工夫に、一心になって居た。横佩家の池の面を埋めるほど、珠を捲《ま》いたり、解けたりした蓮の葉は、まばらになって、水の反射が蔀《しとみ》を越して、女部屋まで来るばかりになった。茎を折っては、繊維を引き出し、其片糸を幾筋も合せては、糸に縒《よ》る。
郎女は、女たちの凝っている手芸を、じっと見て居る日もあった。ほうほうと切れてしまう藕糸を、八|合《こ》・十二|合《こ》・二十合《はたこ》に縒って、根気よく、細い綱の様にする。其を績《う》み麻《お》の麻《お》ごけ[#「ごけ」に傍点]に繋《つな》ぎためて行く。奈良の御館でも、蚕《かうこ》は飼って居た。実際、刀自たちは、夏は殊にせわしく、そのせいで、不機嫌になって居る日が多かった。
刀自たちは、初めは、そんな韓《から》の技人《てびと》のするような事は、と目もくれなかった。だが時が立つと、段々興味を惹《ひ》かれる様子が見えて来た。
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こりゃ、おもしろい。絹の糸と、績み麻との間を行く様な妙な糸の――。此で、切れさえしなければのう。
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こうして績《つむ》ぎ蓄《た》めた藕糸は、皆|一纏《ひとまと》めにして、寺々に納めようと、言うのである。寺には、其々《それそれ》の技女《ぎじょ》が居て、其糸で、唐土様《もろこしよう》と言うよりも、天竺風《てんじくふう》な織物に織りあげる、と言う評判であった。女たちは、唯功徳の為に糸を績いでいる。其でも、其が幾かせ[#「かせ」に傍点]、幾たま[#「たま」に傍点]と言う風に貯《たま》って来ると、言い知れぬ愛著《あいちゃく》を覚えて居た。だが、其がほんとは、どんな織物になることやら、其処までは想像も出来なかった。
若人たちは茎を折っては、巧みに糸を引き切らぬように、長く長くと抽《ぬ》き出す。又其、粘り気の少いさくい[#「さくい」に傍点]ものを、まるで絹糸を縒り合せるように、手際よく糸にする間も、ちっとでも口やめる事なく、うき世語りなどをして居た。此は勿論、貴族の家庭では、出来ぬ掟《おきて》になって居た。なっては居ても、物珍《ものめ》でする盛りの若人たちには、口を塞《ふさ》いで緘黙行《しじま》を守ることは、死ぬよりもつらい行《ぎょう》であった。刀自らの油断を見ては、ぼつぼつ話をしている。其きれぎれが、聞こうとも思わぬ郎女の耳にも、ぼつぼつ這入《はい》って来勝ちなのであった。
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鶯の鳴く声は、あれで、法華経《ほけきょう》法華経《ほけきょう》と言うのじやて――。
ほう、どうして、え――。
天竺のみ仏は、おなご[#「おなご」に傍点]は、助からぬものじゃと、説かれ説かれして来たがえ、其果てに、女《おなご》でも救う道が開かれた。其を説いたのが、法華経じゃと言うげな。
――こんなこと、おなごの身で言うと、さかしがりよと思おうけれど、でも、世間では、そう言うもの――。
じゃで、法華経法華経と経の名を唱えるだけで、この世からして、あの世界の苦しみが、助かるといの。
ほんまにその、天竺《てんじく》のおなごが、あの鳥に化《な》り変って、み経の名を呼ばるるのかえ。
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郎女《いらつめ》には、いつか小耳に挿《はさ》んだ其話が、その後、何時までも消えて行かなかった。その頃ちょうど、称讃浄土仏摂受経《しょうさんじょうどぶつしょうじゅぎょう》を、千部写そうとの願を発《おこ》して居た時であった。其が、はかどらぬ。何時までも進まぬ。茫《ぼう》とした耳に、此|世話《よばなし》が再また、紛《まぎ》れ入って来たのであった。
ふっと、こんな気がした。
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ほほき鳥は、先の世で、御経《おんきょう》手写の願を立てながら、え果さいで、死にでもした、いとしい女子がなったのではなかろうか。……そう思えば、若《も》しや今、千部に満たずにしまうようなことがあったら、我が魂《たま》は何になることやら。やっぱり、鳥か、虫にでも生れて、切なく鳴き続けることであろう。
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ついに一度、ものを考えた事もないのが、此国のあて人の娘であった。磨かれぬ智慧を抱いたまま、何も知らず思わずに、過ぎて行った幾百年、幾万の貴い女性《にょしょう》の間に、蓮《はちす》の花がぽっちりと、莟《つぼみ》を擡《もた》げたように、物を考えることを知り初《そ》めた郎女であった。
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おれよ。鶯よ。あな姦《かま》や。人に、物思いをつけくさる。
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荒々しい声と一しょに、立って、表戸と直角《かね》になった草壁の蔀戸《しとみど》をつきあげたのは、当麻語部《たぎまのかたり》の媼《おむな》である。北側に当るらしい其外側は、※[#「片+總のつくり」、第3水準1-87-68]《まど》を圧するばかり、篠竹《しのだけ》が繁って居た。沢山の葉筋が、日をすかして一時にきらきらと、光って見えた。
郎女は、暫らく幾本とも知れぬその光りの筋の、閃《ひらめ》き過ぎた色を、瞼《まぶた》の裏に、見つめて居た。おとといの日の入り方、山の端に見た輝きが、思わずには居られなかったからである。
また一時《いっとき》、廬堂《いおりどう》を廻って、音するものもなかった。日は段々|闌《た》けて、小昼《こびる》の温《ぬく》みが、ほの暗い郎女の居処にも、ほっとりと感じられて来た。
寺の奴《やっこ》が、三四人先に立って、僧綱《そうごう》が五六人、其に、大勢の所化《しょけ》たちのとり捲《ま》いた一群れが、廬へ来た。
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これが、古《ふる》山田寺だ、と申します。
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勿体ぶった、しわがれ声が聞えて来た。
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そんな事は、どうでも――。まず、郎女さまを――。
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噛みつくようにあせって居る家長老《いえおとな》額田部子古《ぬかたべのこふる》のがなり[#「がなり」に傍点]声がした。
同時に、表戸は引き剥《は》がされ、其に隣った、幾つかの竪薦《たつごも》をひきちぎる音がした。
ずうと這い寄って来た身狭乳母《むさのちおも》は、郎女の前に居たけ[#「居たけ」に傍点]を聳《そびや》かして、掩《おお》いになった。外光の直射を防ぐ為と、一つは、男たちの前、殊には、庶民の目に、貴人《あてびと》の姿を暴《さら》すまい、とするのであろう。伴《とも》に立って来た家人《けにん》の一人が、大きな木の叉枝《またぶり》をへし折って来た。そうして、旅用意の巻帛《まきぎぬ》を、幾垂れか、其場で之に結び下げた。其を牀《ゆか》につきさして、即座の竪帷《たつばり》―几帳《きちょう》―は調った。乳母《おも》は、其前に座を占めたまま、何時までも動かなかった。

   十二

怒りの滝のようになった額田部子古は、奈良に還《かえ》って、公に訴えると言い出した。大和国にも断って、寺の奴ばらを追い払って貰うとまで、いきまいた。大師を頭《かしら》に、横佩家に深い筋合いのある貴族たちの名をあげて、其方々からも、何分の御吟味を願わずには置かぬ、と凄い顔をして、住侶《じゅうりょ》たちを脅かした。郎女は、貴族の姫で入らせられようが、寺の浄域を穢《けが》し、結界まで破られたからは、直にお還りになるようには計われぬ。寺の四至の境に在る所で、長期の物忌みして、その贖《あがな》いはして貰わねばならぬ、と寺方も、言い分はひっこめなかった。
理分に非分にも、これまで、南家の権勢でつき通してきた家長老《おとな》等にも、寺方の扱いと言うものの、世間どおりにはいかぬ事が訣《わか》って居た。乳母に相談かけても、一代そう言う世事に与った事のない此人は、そんな問題には、詮《かい》ない唯の女性《にょしょう》に過ぎなかった。
先刻《さっき》からまだ立ち去らずに居た当麻語部の嫗が、口を出した。
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其は、寺方が、理分でおざるがや。お随《おしたが》いなされねばならぬ。
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其を聞くと、身狭乳母は、激しく、田舎語部の老女を叱りつけた。男たちに言いつけて、畳にしがみつき、柱にかき縋《すが》る古婆《ふるばば》を掴《つか》み出させた。そうした威高さは、さすがに自《おのずか》ら備っていた。
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何事も、この身などの考えではきめられぬ。帥《そつ》の殿《との》に承ろうにも、国遠し。まず姑《しば》し、郎女様のお心による外はないもの、と思いまする。
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其より外には、方《ほう》もつかなかった。奈良の御館《みたち》の人々と言っても、多くは、此人たちの意見を聴いてする人々である。よい思案を、考えつきそうなものも居ない。難波へは、直様、使いを立てることにして、とにもかくにも、当座は、姫の考えに任せよう、と言うことになった。
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郎女様。如何お考え遊ばしまする。おして、奈良へ還れぬでも御座りませぬ。尤《もっとも》、寺方でも、候人《さぶらいびと》や、奴隷《やっこ》の人数を揃えて、妨げましょう。併し、御館のお勢いには、何程の事でも御座りませぬ。では御座りまするが、お前さまのお考えを承らずには、何とも計いかねまする。御思案お洩《もら》し遊ばされ。
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謂《い》わば、難題である。あて人の娘御に、出来よう筈のない返答である。乳母《おも》も、子古も、凡《およそ》は無駄な伺いだ、と思っては居た。ところが、郎女の答えは、木魂返《こだまがえ》しの様に、躊躇《ためら》うことなしにあった。其上、此ほどはっきりとした答えはない、と思われる位、凛《りん》としていた。其が、すべての者の不満を圧倒した。
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姫の咎《とが》は、姫が贖う。此寺、此二上山の下に居て、身の償い、心の償いした、と姫が得心するまでは、還るものとは思やるな。
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郎女の声・詞《ことば》を聞かぬ日はない身狭乳母ではあった。だがついしか[#「ついしか」に傍点]此ほどに、頭の髄まで沁《し》み入るような、さえざえとした語を聞いたことのない、乳母《ちおも》だった。
寺方の言い分に譲るなど言う問題は、小い事であった。此|爽《さわ》やかな育ての君の判断力と、惑いなき詞に感じてしまった。ただ、涙。こうまで賢《さか》しい魂を窺《うかが》い得て、頬に伝うものを拭うことも出来なかった。子古にも、郎女の詞を伝達した。そうして、自分のまだ曾《かつ》て覚えたことのない感激を、力深くつけ添えて聞かした。
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ともあれ此上は、難波津《なにわづ》へ。
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難波へと言った自分の語に、気づけられたように、子古は思い出した。今日か明日、新羅《しらぎ》問罪の為、筑前へ下る官使の一行があった。難波に留っている帥の殿も、次第によっては、再太宰府へ出向かれることになっているかも知れぬ。手遅れしては一大事である。此足ですぐ、北へ廻って、大阪越えから河内へ出て、難波まで、馬の叶う処は馬で走ろう、と決心した。
万法蔵院に、唯一つ飼って居た馬の借用を申し入れると、此は快く聴き入れてくれた。今日の日暮れまでには、立ち還りに、難波へ行って来る、と歯のすいた口に叫びながら、郎女の竪帷に向けて、庭から匍伏《ほふく》した。
子古の発った後は、又のどかな春の日に戻った。悠々《うらうら》と照り暮す山々を見せましょう、と乳母が言い出した。木立ち・山陰から盗み見する者のないように、家人らを、一町・二町先まで見張りに出して、郎女を、外に誘い出した。
暴風雨《あらし》の夜、添下《そうのしも》・広瀬・葛城の野山を、かち[#「かち」に傍点]あるきした娘御ではなかった。乳母と今一人、若人の肩に手を置きながら、歩み出た。日の光りは、霞みもせず、陽炎《かげろう》も立たず、唯おどんで見えた。昨日跳めた野も、斜になった日を受けて、物の影が細長く靡《なび》いて居た。青垣の様にとりまく山々も、愈々《いよいよ》遠く裾を曳《ひ》いて見えた。早い菫《すみれ》―げんげ―が、もうちらほら咲いている。遠く見ると、その赤々とした紫が一続きに見えて、夕焼け雲がおりて居るように思われる。足もとに一本、おなじ花の咲いているのを見つけた郎女《いらつめ》は、膝を叢《くさむら》について、じっと眺め入った。
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これはえ――。
すみれ、と申すとのことで御座ります。
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こう言う風に、物を知らせるのが、あて人に仕える人たちの、為来《しきた》りになって居た。
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蓮《はちす》の花に似ていながら、もっと細やかな、――絵にある仏の花を見るような――。
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ひとり言しながら、じっと見ているうちに、花は、広い萼《うてな》の上に乗った仏の前の大きな花になって来る。其がまた、ふっと、目の前のささやかな花に戻る。
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夕風が冷《ひや》ついて参ります。内へと遊ばされ。
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乳母が言った。見渡す山は、皆影濃くあざやかに見えて来た。
近々と、谷を隔てて、端山の林や、崖《なぎ》の幾重も重った上に、二上の男岳《おのかみ》の頂が、赤い日に染って立っている。
今日は、又あまりに静かな夕《ゆうべ》である。山ものどかに、夕雲の中に這入《はい》って行こうとしている。
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もうしもうし。もう外に居る時では御座りません。
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   十三

「朝目よく」うるわしい兆《しるし》を見た昨日は、郎女《いらつめ》にとって、知らぬ経験を、後から後から展《ひら》いて行ったことであった。ただ人《びと》の考えから言えば、苦しい現実のひき続きではあったのだが、姫にとっては、心驚く事ばかりであった。一つ一つ変った事に逢う度に、「何も知らぬ身であった」と姫の心の底の声が揚った。そうして、その事毎に、挨拶をしてはやり過したい気が、一ぱいであった。今日も其続きを、くわしく見た。
なごり惜しく過ぎ行く現《うつ》し世《よ》のさまざま。郎女は、今目を閉じて、心に一つ一つ収めこもうとして居る。ほのかに通り行き、将《はた》著しくはためき[#「はためき」に傍点]過ぎたもの――。宵闇の深くならぬ先に、廬《いおり》のまわりは、すっかり手入れがせられて居た。灯台も大きなのを、寺から借りて来て、煌々《こうこう》と、油火《あぶらび》が燃えて居る。明王像も、女人のお出での場処には、すさまじいと言う者があって、どこかへ搬《はこ》んで行かれた。其よりも、郎女の為には、帳台の設備《しつら》われている安らかさ。今宵は、夜も、暖かであった。帷帳《とばり》を周《めぐ》らした中は、ほの暗かった。其でも、山の鬼神《もの》、野の魍魎《もの》を避ける為の灯の渦が、ぼうと梁《はり》に張り渡した頂板《つしいた》に揺めいて居るのが、たのもしい気を深めた。帳台のまわりには、乳母や、若人が寝たらしい。其ももう、一時《ひととき》も前の事で、皆すやすやと寝息の音を立てて居る。姫の心は、今は軽かった。たとえば、俤《おもかげ》に見たお人には逢わずとも、その俤を見た山の麓《ふもと》に来て、こう安らかに身を横えて居る。
灯台の明りは、郎女の額の上に、高く朧《おぼ》ろに見える光りの輪を作って居た。月のように円くて、幾つも上へ上へと、月輪《がちりん》の重っている如くも見えた。其が、隙間風の為であろう。時々薄れて行くと、一つの月になった。ぽうっと明り立つと、幾重にも隈《くま》の畳まった、大きな円《まど》かな光明になる。
幸福に充ちて、忘れて居た姫の耳に、今宵も谷の響きが聞え出した。更けた夜空には、今頃やっと、遅い月が出たことであろう。
物の音。――つた つたと来て、ふうと佇《た》ち止るけはい。耳をすますと、元の寂《しず》かな夜に、――激《たぎ》ち降《くだ》る谷のとよみ。
[#ここから1字下げ]
つた つた つた。
[#ここで字下げ終わり]
又、ひたと止《や》む。
この狭い廬の中を、何時まで歩く、跫音《あしおと》だろう。
[#ここから1字下げ]
つた。
[#ここで字下げ終わり]
郎女は刹那《せつな》、思い出して帳台の中で、身を固くした。次にわじわじ[#「わじわじ」に傍点]と戦《おのの》きが出て来た。
[#ここから1字下げ]
天若御子《あめわかみこ》――。
[#ここで字下げ終わり]
ようべ、当麻語部嫗《たぎまのかたりのおむな》の聞した物語り。ああ其お方の、来て窺《うかが》う夜なのか。
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――青馬の 耳面刀自《みゝものとじ》。
刀自もがも。女弟《おと》もがも。
その子の はらからの子の
処女子《おとめご》の 一人
一人だに わが配偶《つま》に来よ
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まことに畏《おそろ》しいと言うことを覚えぬ郎女にしては、初めてまざまざと、圧《おさ》えられるような畏《こわ》さを知った。あああの歌が、胸に生き蘇《かえ》って来る。忘れたい歌の文句が、はっきりと意味を持って、姫の唱えぬ口の詞《ことば》から、胸にとおって響く。乳房から迸《ほとばし》り出ようとするときめき。
帷帳がふわと、風を含んだ様に皺《しわ》だむ。
つい[#「つい」に傍点]と、凍る様な冷気――。
郎女は目を瞑《つぶ》った。だが――瞬間|睫《まつげ》の間から映った細い白い指、まるで骨のような――帷帳を掴《つか》んだ片手の白く光る指。
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なも 阿弥陀《あみだ》ほとけ。あなたふと 阿弥陀ほとけ。
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何の反省もなく、唇を洩《も》れた詞。この時、姫の心は、急に寛《くつろ》ぎを感じた。さっと――汗。全身に流れる冷さを覚えた。畏い感情を持ったことのないあて人の姫は、直《すぐ》に動顛《どうてん》した心を、とり直すことが出来た。
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のうのう。あみだほとけ……。
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今一度口に出して見た。おとといまで、手写しとおした、称讃浄土経の文《もん》が胸に浮ぶ。郎女は、昨日までは一度も、寺道場を覗いたこともなかった。父君は家の内に道場を構えて居たが、簾《すだれ》越しにも聴聞は許されなかった。御経《おんきょう》の文《もん》は手写しても、固《もと》より意趣は、よく訣《わか》らなかった。だが、処々には、かつがつ気持ちの汲みとれる所があったのであろう。さすがに、まさかこんな時、突嗟《とっさ》に口に上ろう、とは思うて居なかった。
白い骨、譬《たと》えば白玉の並んだ骨の指、其が何時までも目に残って居た。帷帳は、元のままに垂れて居る。だが、白玉の指ばかりは細々と、其に絡んでいるような気がする。
悲しさとも、懐しみとも知れぬ心に、深く、郎女は沈んで行った。山の端に立った俤びとは、白々《しろじろ》とした掌をあげて、姫をさし招いたと覚えた。だが今、近々と見る其手は、海の渚の白玉のように、からびて寂しく、目にうつる。

長い渚を歩いて行く。郎女の髪は、左から右から吹く風に、あちらへ靡《なび》き、こちらへ乱れする。浪《なみ》はただ、足もとに寄せている。渚と思うたのは、海の中道《なかみち》である。浪は、両方から打って来る。どこまでもどこまでも、海の道は続く。郎女の足は、砂を踏んでいる。その砂すらも、段々水に掩《おお》われて来る。砂を踏む。踏むと思うて居る中に、ふと其が、白々とした照る玉だ、と気がつく。姫は身を屈《こご》めて、白玉を拾う。拾うても拾うても、玉は皆、掌《たなそこ》に置くと、粉の如く砕けて、吹きつける風に散る。其でも、玉を拾い続ける。玉は水隠《みがく》れて、見えぬ様になって行く。姫は悲しさに、もろ手を以て掬《すく》おうとする。掬《むす》んでも掬んでも、水のように、手股《たなまた》から流れ去る白玉――。玉が再、砂の上につぶつぶ並んで見える。忙《あわただ》しく拾おうとする姫の俯《うつむ》いた背を越して、流れる浪が、泡立ってとおる。
姫は――やっと、白玉を取りあげた。輝く、大きな玉。そう思うた刹那、郎女の身は、大浪にうち仆《たお》される。浪に漂う身……衣もなく、裳《も》もない。抱き持った等身の白玉と一つに、水の上に照り輝く現《うつ》し身《み》。
ずんずんと、さがって行く。水底《みなぞこ》に水漬《みづ》く白玉なる郎女の身は、やがて又、一幹《ひともと》の白い珊瑚《さんご》の樹である。脚を根、手を枝とした水底の木。頭に生い靡《なび》くのは、玉藻であった。玉藻が、深海のうねりのままに、揺れて居る。やがて、水底にさし入る月の光り――。ほっと息をついた。
まるで、潜《かず》きする海女が二十尋《はたひろ》・三十尋《みそひろ》の水底から浮び上って嘯《うそぶ》く様に、深い息の音で、自身明らかに目が覚めた。
ああ夢だった。当麻《たぎま》まで来た夜道の記憶は、まざまざと残って居るが、こんな苦しさは覚えなかった。だがやっぱり、おとといの道の続きを辿《たど》って居るらしい気がする。
水の面からさし入る月の光り、そう思うた時は、ずんずん海面に浮き出て来た。そうして悉《ことごと》く、跡形もない夢だった。唯、姫の仰ぎ寝る頂板《つしいた》に、ああ、水にさし入った月。そこに以前のままに、幾つも暈《かさ》の畳まった月輪の形が、揺めいて居る。
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のうのう 阿弥陀《あみだ》ほとけ……。
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再、口に出た。光りの暈は、今は愈々《いよいよ》明りを増して、輪と輪との境の隈々《くまぐま》しい処までも見え出した。黒ずんだり、薄暗く見えたりした隈が、次第に凝り初めて、明るい光明の中に、胸・肩・頭・髪、はっきりと形を現《げん》じた。白々と袒《ぬ》いだ美しい肌。浄《きよ》く伏せたまみ[#「まみ」に傍点]が、郎女《いらつめ》の寝姿を見おろして居る。かの日の夕《ゆうべ》、山の端に見た俤《おもかげ》びと――。乳のあたりと、膝元とにある手――その指《および》、白玉の指。姫は、起き直った。天井の光りの輪が、元のままに、ただ仄《ほの》かに、事もなく揺れて居た。

   十四

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貴人《うまびと》はうま人どち、やっこは奴隷《やっこ》どち、と言うからの――。
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何時見ても、大師は、微塵《みじん》曇りのない、円《まど》かな相好《そうごう》である。其に、ふるまいのおおどかなこと。若くから氏上《うじのかみ》で、数十|家《け》の一族や、日本国中数万の氏人から立てられて来た家持も、じっと対《むこ》うていると、その静かな威に、圧せられるような気がして来る。
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言わしておくがよい。奴隷たちは、とやかくと口さがないのが、其|為事《しごと》よ。此身とお身とは、おなじ貴人じゃ。おのずから、話も合おうと言うもの。此身が、段々なり上《のぼ》ると、うま人までがおのずとやっこ[#「やっこ」に傍点]心になり居って、いや嫉《ねた》むの、そねむの。
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家持は、此が多聞天か、と心に問いかけて居た。だがどうも、そうは思われぬ。同じ、かたどって作るなら、とつい[#「つい」に傍点]聯想《れんそう》が逸《そ》れて行く。八年前、越中国から帰った当座の、世の中の豊かな騒ぎが、思い出された。あれからすぐ、大仏開眼供養が行われたのであった。其時、近々と仰ぎ奉った尊容、八十|種好《しゅごう》具足した、と謂《い》われる其相好が、誰やらに似ている、と感じた。其がその時は、どうしても思い浮ばずにしまった。その時の印象が、今ぴったり、的にあてはまって来たのである。
こうして対いあって居る主人の顔なり、姿なりが、其ままあの盧遮那《るさな》ほとけの俤だ、と言って、誰が否もう。
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お身も、少し咄《はな》したら、ええではないか。官位《こうぶり》はこうぶり。昔ながらの氏は氏――。なあ、そう思わぬか。紫徴中台《しびちゅうだい》の、兵部省のと、位づけるのは、うき世の事だわ。家《うち》に居る時だけは、やはり神代以来の氏上づきあいが、ええ。
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新しい唐の制度の模倣ばかりして、漢土《もろこし》の才《ざえ》が、やまと心[#「やまと心」に傍点]に入り替ったと謂《い》われて居る此人が、こんな嬉しいことを言う。家持は、感謝したい気がした。理会者・同感者を、思いもうけぬ処に見つけ出した嬉しさだったのである。
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お身は、宋玉や、王褒《おうほう》の書いた物を大分持って居ると言うが、太宰府へ行った時に、手に入れたのじゃな。あんな若い年で、わせ[#「わせ」に傍点]だったのだのう。お身は――。お身の氏では、古麻呂《こまろ》。身の家に近しい者でも奈良麻呂。あれらは漢《かん》魏《ぎ》はおろか、今の唐の小説なども、ふり向きもせんから、言うがいない話じゃわ。
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兵部大輔は、やっと話のつきほを捉えた。
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お身さまのお話じゃが、わしは、賦の類には飽きました。どうもあれが、この四十面さげてもまだ、涙もろい歌や、詩の出て来る元になって居る――そうつくづく思いますじゃて。ところで近頃は、方《かた》を換えて、張文成を拾い読みすることにしました。この方が、なんぼか――。
大きに、其は、身も賛成じゃ。じゃが、お身がその年になっても、まだ二十《はたち》代の若い心や、瑞々《みずみず》しい顔を持って居るのは、宋玉のおかげじゃぞ。まだなかなか隠れては歩き居《お》る、と人の噂じゃが、嘘じゃなかろう。身が保証する。おれなどは、張文成ばかり古くから読み過ぎて、早く精気の尽きてしもうた心持ちがする。――じゃが全く、文成はええのう。あの仁《じん》に会うて来た者の話では、豬肥《いのこご》えのした、唯の漢土びとじゃったげなが、心はまるで、やまとのものと、一つと思うが、お身なら、諾《うべの》うてくれるだろうの。
文成に限る事ではおざらぬが、あちらの物は、読んで居て、知らぬ事ばかり教えられるようで、時々ふっと思い返すと、こんな思わざった考えを、いつの間にか、持っている――そんな空恐しい気さえすることが、ありますて。お身さまにも、そんな経験《おぼえ》は、おありでがな。
大ありおお有り。毎日毎日、其よ。しまいに、どうなるのじゃ。こんなに智慧づいては、と思われてならぬことが――。じゃが、女子《おみなご》だけには、まず当分、女部屋のほの暗い中で、こんな智慧づかぬ、のどかな心で居させたいものじゃ。第一其が、われわれ男の為じゃて。
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家持は、此了解に富んだ貴人に向っては、何でも言ってよい、青年のような気が湧いて来た。
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さようさよう。智慧を持ち初めては、あの欝《いぶせ》い女部屋には、じっとして居ませぬげな。第一、横佩墻内《よこはきかきつ》の――
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此はいけぬ、と思った。同時に、此|臆《おく》れた気の出るのが、自分を卑《ひく》くし、大伴氏を、昔の位置から自ら蹶落《けおと》す心なのだ、と感じる。
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好《ええ》、好《ええ》。遠慮はやめやめ。氏上づきあいじゃもの。ほい又出た。おれはまだ、藤原の氏上に任ぜられた訣《わけ》じゃあ、なかったっけの。
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瞬間、暗い顔をしたが、直にさっと眉の間から、輝きが出て来た。
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身の女姪《めい》が神隠しにおうたあの話か。お身は、あの謎見たいないきさつ[#「いきさつ」に傍点]を、そう解《と》るかね。ふん。いやおもしろい。女姪の姫も、定めて喜ぶじゃろう。実はこれまで、内々消息を遣して、小あたりにあたって見た、と言う口かね、お身も。
大きに。
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今度は軽い心持ちが、大胆に押勝の話を受けとめた。
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お身さまが経験《ためし》ずみじゃで、其で、郎女の才高《ざえだか》さと、男択びすることが訣《わか》りますな――。
此は――。額ざまに切りつけるぞ――。免《ゆる》せ免せと言うところじゃが、――あれはの、生れだちから違うものな。藤原の氏姫じゃからの。枚岡《ひらおか》の斎《いつ》き姫《ひめ》にあがる宿世《すくせ》を持って生れた者ゆえ、人間の男は、弾く、弾く、弾きとばす。近よるまいぞよ。ははははは。
[#ここで字下げ終わり]
大師は、笑いをぴたりと止めて、家持の顔を見ながら、きまじめな表情になった。
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じゃがどうも――。聴き及んでのことと思うが、家出の前まで、阿弥陀経の千部写経をして居たと言うし、楽毅論《がっきろん》から、兄の殿の書いた元興寺縁起も、其前に手習いしたらしいし、まだまだ孝経などは、これぽっち[#「これぽっち」に傍点]の頃に習うた、と言うし、なかなかの女博士《おなごはかせ》での。楚辞《そじ》や、小説にうき身をやつす身や、お身は近よれぬわのう。霜月・師走の垣毀雪女《かいこぼちおなご》じゃもの。――どうして、其だけの女子《おみなご》が、神隠しなどに逢おうかい。
第一、場処が、あの当麻で見つかったと言いますからの――。
併し其は、藤原に全く縁のない処でもない。天二上《あめのふたかみ》は、中臣寿詞《なかとみのよごと》にもあるし……。斎《いつ》き姫《ひめ》もいや、人の妻と呼ばれるのもいや――で、尼になる気を起したのでないか、と考えると、もう不安で不安でのう。のどかな気持ちばかりでも居られぬて――。
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押勝の眉は集って来て、皺《しわ》一つよせぬ美しい、この老いの見えぬ貴人の顔も、思いなし、ひずんで見えた。
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何しろ、嫋女《たわやめ》は国の宝じゃでのう。出来ることなら、人の物にはせず、神の物にしておきたいところじゃが、――人間の高望みは、そうばかりもさせてはおきおらぬがい――。ともかく、むざむざ尼寺へやる訣《わけ》にはいかぬ。
じゃが、お身さま。一人出家すれば、と云う詞《ことば》が、この頃はやりになって居りますが…。
九族が天に生じて、何になるというのじゃ。宝は何百人かかっても、作り出せるものではないぞよ。どだい[#「どだい」に傍点]兄公殿《あにきどの》が、少し仏凝《ほとけご》りが過ぎるでのう――。自然|内《うち》うらまで、そんな気風がしみこむようになったかも知れぬぞ――。時に、お身のみ館の郎女《いらつめ》も、そんな育てはしてあるまいな。其では、家《うち》の久須麻呂が泣きを見るからの。
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人の悪いからかい笑みを浮べて、話を無理にでも脇へ釣り出そうと努めるのは、考えるのも切ない胸の中が察せられる。
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兄公殿は氏上に、身は氏助《うじのすけ》と言う訣なのじゃが、肝腎《かんじん》斎き姫で、枚岡に居させられる叔母御は、もうよい年じゃ。去年春日祭りに、女使いで上られた姿を見て、神《かん》さびたものよ、と思うたぞ。今《も》一代此方から進ぜなかったら、斎き姫になる娘の多い北家の方が、すぐに取って替って、氏上に据るは。
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兵部大輔にとっても、此はもう[#「もう」に傍点]、他事《ひとごと》ではなかった。おなじ大伴幾流の中から、四代続いて氏上職を持ち堪《こた》えたのも、第一は宮廷の御恩徳もあるが、世の中のよせ[#「よせ」に傍点]が重かったからである。其には、一番大事な条件として、美しい斎き姫が、後から後と此家に出て、とぎれることがなかった為でもある。大伴の家のは、表向き壻《むこ》どりさえして居ねば、子があっても、斎き姫は勤まる、と言う定めであった。今の阪上郎女《さかのうえのいらつめ》は、二人の女子《おみなご》を持って、やはり斎き姫である。此は、うっかり出来ない。此方《こちら》も藤原同様、叔母御が斎姫《いつき》で、まだそんな年でない、と思うているが、又どんなことで、他流の氏姫が、後を襲うことにならぬとも限らぬ。大伴・佐伯《さえき》の数知れぬ家々・人々が、外の大伴へ、頭をさげるようになってはならぬ。こう考えて来た家持の心の動揺などには、思いよりもせぬ風で、
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こんな話は、よそほかの氏上に言うべきことでないが、兄公殿がああして、此先何年、難波にいても、太宰府に居ると言うが表面《おもて》だから、氏の祭りは、枚岡・春日と、二処に二度ずつ、其外、週《まわ》り年には、時々鹿島・香取の東路《あずまじ》のはてにある旧社《もとやしろ》の祭りまで、此方で勤めねばならぬ。実際よそほかの氏上よりも、此方の氏助ははたらいているのだが、――だから、自分で、氏上の気持ちになったりする。――もう一層なってしまうかな。お身はどう思う。こりゃ、答える訣にも行くまい。氏上に押し直ろうとしたところで、今の身の考え一つを抂《ま》げさせるものはない。上様方に於かせられて、お叱りの御沙汰を下しおかれぬ限りは――。
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京中で、此恵美屋敷ほど、庭を嗜《たしな》んだ家はないと言う。門は、左京二条三坊に、北に向いて開いて居るが、主人家族の住いは、南を広く空けて、深々とした山斎《やま》が作ってある。其に入りこみの多い池を周《めぐ》らし、池の中の島も、飛鳥の宮風に造られて居た。東の中《なか》み門《かど》、西の中み門まで備って居る。どうかすると、庭と申そうより、寛々《かんかん》とした空き地の広くおありになる宮よりは、もっと手入れが届いて居そうな気がする。
庭を立派にして住んだ、うま[#「うま」に傍点]人たちの末々の様が、兵部大輔の胸に来た。瞬間、憂欝《ゆううつ》な気持ちがかぶさって来て、前にいる大師の顔を見るのが、気の毒な様に思われる。
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案じるなよ。庭が行き届き過ぎて居る、と思うてるのだろう。そんなことはないさ。庭はよくても、亡びた人ばかりはないさ。淡海公の御館はどうだ。どの筋でも引き継がずに、今に荒してはあるが、あの立派さは。それ[#「それ」に傍点]あの山部の何とか言った、地下《じげ》の召し人の歌よみが、おれの三十になったばかりの頃、「昔見し旧《ふる》き堤は、年深み……年深み、池の渚《なぎさ》に、水草《みくさ》生ひにけり」とよんだ位だが、其後が、これ[#「これ」に傍点]此様に、四流にも岐《わか》れて栄えている。もっとあるぞ――。なに、庭などによるものじゃないわ。
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恃《たの》む所の深い此あて人は、庭の風景の、目立った個処個処を指摘しながら、其拠る所を、日本《やまと》・漢土《もろこし》に渉《わた》って説明した。
長い廊を、数人の童《わらわ》が続いて来る。
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日ずかしです。お召しあがり下されましょう。
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改って、簡単な饗応《きょうおう》の挨拶をした。まろうどに、早く酒を献じなさい、と言っている間に、美しい采女《うねめ》が、盃を額より高く捧げて出た。
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おお、それだけ受けて頂けばよい。舞いぶりを一つ、見て貰いなさい。
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家持は、何を考えても、先を越す敏感な主人に対して、唯虚心で居るより外は、なかった。
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うねめ[#「うねめ」に傍点]は、大伴の氏上へは、まだくださらぬのだったね。藤原では、存知でもあろうが、先例が早くからあって、淡海公が、近江の宮から頂戴した故事で、頂く習慣になって居ります。
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時々、こんな畏《かしこ》まったもの言いもまじえる。兵部大輔は、自身の語《ことば》づかいにも、初中終《しょっちゅう》、気扱いをせねばならなかった。
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氏上もな、身が執心で、兄公殿を太宰府へ追いまくって、後にすわろうとするのだ、と言う奴があるといの――。やっぱり「奴はやっこどち」じゃの。そう思うよ。時に女姪《めい》の姫だが――。
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さすがの聡明《そうめい》第一の大師も、酒の量は少かった。其が、今日は幾分いけた、と見えて、話が循環して来た。家持は、一度はぐらかされた緒口《いとぐち》に、とりついた気で、
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横佩墻内《よこはきかきつ》の郎女は、どうなるでしょう。社・寺、それとも宮――。どちらへ向いても、神さびた一生。あったら惜しいものでおありだ。
気にするな。気にするな。気にしたとて、どう出来るものか。此は――もう、人間の手へは、戻らぬかも知れんぞ。
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末は、独り言になって居た。そうして、急に考え深い目を凝した。池へ落した水音は、未《ひつじ》がさがると、寒々と聞えて来る。
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早く、躑躅《つつじ》の照る時分になってくれぬかなあ。一年中で、この庭の一番よい時が、待ちどおしいぞ。
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大師藤原恵美押勝朝臣の声は、若々しい、純な欲望の外、何の響きもまじえて居なかった。

   十五

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つた つた つた。
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郎女は、一向《ひたすら》、あの音の歩み寄って来る畏《おそろ》しい夜更けを、待つようになった。おとといよりは昨日、昨日よりは今日という風に、其|跫音《あしおと》が間遠になって行き、此頃はふつ[#「ふつ」に傍点]に音せぬようになった。その氷の山に対《むこ》うて居るような、骨の疼《うず》く戦慄《せんりつ》の快感、其が失せて行くのを虞《おそ》れるように、姫は夜毎、鶏のうたい出すまでは、殆、祈る心で待ち続けて居る。
絶望のまま、幾晩も仰ぎ寝たきりで、目は昼よりも寤《さ》めて居た。其間に起る夜の間の現象には、一切心が留らなかった。現にあれほど、郎女の心を有頂天に引き上げた頂板《つし》の面《おもて》の光り輪にすら、明盲《あきじ》いのように、注意は惹《ひ》かれなくなった。ここに来て、疾《と》くに、七日は過ぎ、十日・半月になった。山も、野も、春のけしきが整うて居た。野茨《のいばら》の花のようだった小桜が散り過ぎて、其に次ぐ山桜が、谷から峰かけて、断続しながら咲いているのも見える。麦原《むぎふ》は、驚くばかり伸び、里人の野|為事《しごと》に出た姿が、終日、そのあたりに動いている。
都から来た人たちの中、何時までこの山陰に、春を起き臥すことか、と侘《わ》びる者が殖えて行った。廬堂《いおりどう》の近くに掘り立てた板屋に、こう長びくとは思わなかったし、まだどれだけ続くかも知れぬ此生活に、家ある者は、妻子に会うことばかりを考えた。親に養われる者は、家の父母の外にも、隠れた恋人を思う心が、切々として来るのである。女たちは、こうした場合にも、平気に近い感情で居られる長い暮しの習しに馴れて、何かと為事を考えてはして居る。女方の小屋は、男のとは別に、もっと廬に接して建てられて居た。
身狭乳母《むさのちおも》の思いやりから、男たちの多くは、唯さえ小人数な奈良の御館《みたち》の番に行け、と言って還《かえ》され、長老《おとな》一人の外は、唯|雑用《ぞうよう》をする童と、奴隷《やっこ》位しか残らなかった。
乳母《おも》や、若人たちも、薄々は帳台の中で夜を久しく起きている、郎女《いらつめ》の様子を感じ出して居た。でも、なぜそう夜深く溜《た》め息《いき》ついたり、うなされたりするか、知る筈のない昔かたぎ[#「かたぎ」に傍点]の女たちである。
やはり、郎女の魂《たま》があくがれ出て、心が空しくなって居るもの、と単純に考えて居る。ある女は、魂ごいの為に、山尋ねの咒術《おこない》をして見たらどうだろう、と言った。
乳母は一口に言い消した。姫様、当麻《たぎま》に御|安著《あんちゃく》なされた其夜、奈良の御館へ計わずに、私にした当麻真人の家人たちの山尋ねが、わるい結果を呼んだのだ。当麻語部とか謂《い》った蠱物《まじもの》使いのような婆が、出しゃばっての差配が、こんな事を惹《ひ》き起したのだ。
その節、山の峠《たわ》の塚で起った不思議は、噂になって、この貴人《うまびと》一家の者にも、知れ渡って居た。あらぬ者の魂を呼び出して、郎女様におつけ申しあげたに違いない。もうもう、軽はずみな咒術は思いとまることにしよう。こうして、魂《たま》の游離《あくが》れ出た処の近くにさえ居れば、やがては、元のお身になり戻り遊されることだろう。こんな風に考えて、乳母は唯、気長に気ながに、と女たちを諭し諭しした。こんな事をして居る中に、早一月も過ぎて、桜の後、暫らく寂しかった山に、躑躅《つつじ》が燃え立った。足も行かれぬ崖の上や、巌の腹などに、一群《ひとむら》一群咲いて居るのが、奥山の春は今だ、となのって居るようである。
ある日は、山へ山へと、里の娘ばかりが上って行くのを見た。凡《およそ》数十人の若い女が、何処で宿ったのか、其次の日、てんでに赤い山の花を髪にかざして、降りて来た。廬の庭から見あげた若女房の一人が、山の躑躅林が練って降るようだ、と声をあげた。
ぞよぞよと廬の前を通る時、皆頭をさげて行った。其中の二三人が、つくねんとして暮す若人たちの慰みに呼び入れられて、板屋の端へ来た。当麻の田居も、今は苗代時《なわしろどき》である。やがては田植えをする。其時は、見に出やしゃれ。こんな身でも、其時はずんと、おなごぶりが上るぞな、と笑う者もあった。
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ここの田居の中で、植え初めの田は、腰折れ田と言うて、都までも聞えた物語りのある田じゃげな。
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若人たちは、又例の蠱物姥《まじものうば》の古語りであろう、とまぜ返す。ともあれ、こうして、山ごもりに上った娘だけに、今年の田の早処女が当ります。其しるしが此じゃ、と大事そうに、頭の躑躅に触れて見せた。
もっと変った話を聞かせぬかえと誘われて、身分に高下はあっても、同じ若い同士のこととて、色々な田舎咄《いなかばなし》をして行った。其を後《のち》に乳母たちが聴いて、気にしたことがあった。山ごもりして居ると、小屋の上の崖をどうどうと踏みおりて来る者がある。ようべ、真夜中のことである。一様にうなされて、苦しい息をついていると、音はそのまま、真下へ真下へ、降って行った。がらがらと、岩の崩《く》える響き。――ちょうど其が、此盧堂の真上の高処《たか》に当って居た。こんな処に道はない筈じゃが、と今朝起きぬけに見ると、案の定、赤岩の大崩崖《おおなぎ》。ようべの音は、音ばかりで、ちっとも痕《あと》は残って居なかった。
其で思い合せられるのは、此頃ちょくちょく、子《ね》から丑《うし》の間に、里から見えるこのあたりの峰《お》の上《え》に、光り物がしたり、時ならぬ一時颪《いっときおろし》の凄い唸《うな》りが、聞えたりする。今までついに[#「ついに」に傍点]聞かぬこと。里人は唯こう、恐れ謹しんで居る、とも言った。
こんな話を残して行った里の娘たちも、苗代田の畔《あぜ》に、めいめいのかざしの躑躅花を挿して帰った。其は昼のこと、田舎は田舎らしい閨《ねや》の中に、今は寝ついたであろう。夜はひた更けに、更けて行く。
昼の恐れのなごりに、寝苦しがって居た女たちも、おびえ疲れに寝入ってしまった。頭上の崖で、寝鳥の鳴き声がした。郎女は、まどろんだとも思わぬ目を、ふっと開いた。続いて今ひと響き、びし[#「びし」に傍点]としたのは、鳥などの、翼ぐるめ[#「ぐるめ」に傍点]ひき裂かれたらしい音である。だが其だけで、山は音どころか、生き物も絶えたように、虚しい空間の闇に、時間が立って行った。
郎女の額《ぬか》の上の天井の光の暈《かさ》が、ほのぼのと白んで来る。明りの隈《くま》はあちこちに偏倚《かたよ》って、光りを竪《たて》にくぎって行く。と見る間に、ぱっと明るくなる。そこに大きな花。蒼白い菫《すみれ》。その花びらが、幾つにも分けて見せる隈、仏の花の青蓮華《しょうれんげ》と言うものであろうか。郎女の目には、何とも知れぬ浄《きよ》らかな花が、車輪のように、宙にぱっと開いている。仄暗《ほのぐら》い蕋《しべ》の処に、むらむらと雲のように、動くものがある。黄金の蕋をふりわける。其は黄金の髪である。髪の中から匂い出た荘厳な顔。閉じた目が、憂いを持って、見おろして居る。ああ肩・胸・顕《あら》わな肌。――冷え冷えとした白い肌。おお おいとおしい。
郎女は、自身の声に、目が覚めた。夢から続いて、口は尚夢のように、語を逐《お》うて居た。
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おいとおしい。お寒かろうに――。
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   十六

山の躑躅の色は、様々ある。一つ色のものだけが、一時に咲き出して、一時に萎《しぼ》む。そうして、凡一月は、後から後から替った色のが匂い出て、禿《は》げた岩も、一冬のうら枯れをとり返さぬ柴木山《しばきやま》も、若夏の青雲の下に、はでなかざしをつける。其間に、藤の短い花房が、白く又紫に垂れて、老い木の幹の高さを、せつなく、寂しく見せる。下草に交って、馬酔木《あしび》が雪のように咲いても、花めいた心を、誰に起させることもなしに、過ぎるのがあわれである。
もう此頃になると、山は厭《いと》わしいほど緑に埋れ、谷は深々と、繁りに隠されてしまう。郭公《かっこう》は早く鳴き嗄《か》らし、時鳥《ほととぎす》が替って、日も夜も鳴く。
草の花が、どっと怒濤《どとう》の寄せるように咲き出して、山全体が花原見たようになって行く。里の麦は刈り急がれ、田の原は一様に青みわたって、もうこんなに伸びたか、と驚くほどになる。家の庭苑《その》にも、立ち替り咲き替って、栽《う》え木《き》、草花が、何処まで盛り続けるかと思われる。だが其も一盛りで、坪はひそまり返ったような時が来る。池には葦が伸び、蒲《がま》が秀《ほ》き、藺《い》が抽《ぬき》んでて来る。遅々として、併し忘れた頃に、俄《にわ》かに伸《の》し上るように育つのは、蓮の葉であった。
前年から今年にかけて、海の彼方の新羅の暴状が、目立って棄て置かれぬものに見えて来た。太宰府からは、軍船を新造して新羅征伐の設けをせよ、と言う命のお降《くだ》しを、度々都へ請うておこして居た。此忙しい時に、偶然流人|太宰員外帥《だざいいんがいのそつ》として、難波に居た横佩家《よこはきけ》の豊成は、思いがけぬ日々を送らねばならなかった。
都の姫の事は、子古の口から聴いて知ったし、又、京・難波の間を往来する頻繁な公私の使いに、文をことづてる事は易かったけれども、どう処置してよいか、途方に昏《く》れた。ちょっと見は何でもない事の様で、実は重大な、家の大事である。其だけに、常の優柔不断な心癖は、益々つのるばかりであった。
寺々の知音に寄せて、当麻寺へ、よい様に命じてくれる様に、と書いてもやった。又処置方について伺うた横佩墻内の家の長老《とね》・刀自《とじ》たちへは、ひたすら、汝等の主の郎女《いらつめ》を護って居れ、と言うような、抽象風なことを、答えて来たりした。
次の消息には、何かと具体した仰せつけがあるだろう、と待って居る間に、日が立ち、月が過ぎて行くばかりである。其間にも、姫の失われたと見える魂が、お身に戻るか、其だけの望みで、人々は、山村に止って居た。物思いに、屈託ばかりもして居ぬ若人たちは、もう池のほとりにおり立って、伸びた蓮の茎を切り集め出した。其を見て居た寺の婢女《めやっこ》が、其はまだ若い、もう半月もおかねばと言って、寺領の一部に、蓮根を取る為に作ってあった蓮田《はちすだ》へ、案内しよう、と言い出した。あて人の家自身が、それぞれ、農村の大家《おおやけ》であった。其が次第に、官人《つかさびと》らしい姿に更《かわ》って来ても、家庭の生活には、何時までたっても、何処か農家らしい様子が、残って居た。家構えにも、屋敷の広場《にわ》にも、家の中の雑用具《ぞうようぐ》にも。第一、女たちの生活は、起居《たちい》ふるまい[#「ふるまい」に傍点]なり、服装なりは、優雅に優雅にと変っては行ったが、やはり昔の農家の家内《やうち》の匂いがつき纏《まと》うて離れなかった。刈り上げの秋になると、夫と離れて暮す年頃に達した夫人などは、よく其家の遠い田荘《なりどころ》へ行って、数日を過して来るような習しも、絶えることなく、くり返されて居た。
だから、刀自たちは固《もと》より若人らも、つくねん[#「つくねん」に傍点]と女部屋の薄暗がりに、明し暮して居るのではなかった。てんでに、自分の出た村方の手芸を覚えて居て、其を、仕える君の為に為出《しいだ》そう、と出精してはたらいた。
裳《も》の襞《ひだ》を作るのに珍《な》い術《て》を持った女などが、何でもないことで、とりわけ重宝がられた。袖《そで》の先につける鰭袖《はたそで》を美しく為立てて、其に、珍しい縫いとりをする女なども居た。こんなのは、どの家庭にもある話でなく、こう言う若人をおきあてた家は、一つのよい見てくれ[#「見てくれ」に傍点]を世間に持つ事になるのだ。一般に、染めや、裁ち縫いが、家々の顔見合わぬ女どうしの競技のように、もてはやされた。摺《す》り染めや、擣《う》ち染めの技術も、女たちの間には、目立たぬ進歩が年々にあったが、浸《ひ》で染めの為の染料が、韓の技工人《てびと》の影響から、途方もなく変化した。紫と謂《い》っても、茜《あかね》と謂っても皆、昔の様な、染め漿《しお》の処置《とりあつかい》はせなくなった。そうして、染め上りも、艶々しく、はでなものになって来た。表向きは、こうした色の禁令が、次第に行きわたって来たけれど、家の女部屋までは、官《かみ》の目も届くはずはなかった。
家庭の主婦が、居まわりの人を促したてて、自身も精励してするような為事は、あて人の家では、刀自等の受け持ちであった。若人たちも、田畠に出ぬと言うばかりで、家の中での為事は、まだ見参《まいりまみえ》をせずにいた田舎暮しの時分と、大差はなかった。とりわけ違うのは、其家々の神々に仕えると言う、誇りはあるが、小むつかしい事がつけ加えられて居る位のことである。外出には、下人たちの見ぬ様に、笠を深々とかずき、其下には、更に薄帛《うすぎぬ》を垂らして出かけた。
一時《いっとき》たたぬ中に、婢女ばかりでなく、自身たちも、田におりたったと見えて、泥だらけになって、若人たち十数人は戻って来た。皆手に手に、張り切って発育した、蓮の茎を抱えて、廬《いおり》の前に並んだのには、常々くすり[#「くすり」に傍点]とも笑わぬ乳母《おも》たちさえ、腹の皮をよって、切ながった。
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郎女様。御覧《ごろう》じませ。
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竪帳《たつばり》を手でのけて、姫に見せるだけが、やっとのことであった。
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ほう――。
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何が笑うべきものか、何が憎むに値するものか、一切知らぬ上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26]《じょうろう》には、唯常と変った皆の姿が、羨《うらやま》しく思われた。
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この身も、その田居とやらにおり立ちたい――。
めっそうなこと、仰せられます。
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めっそうな。きまって、誇張した顔と口との表現で答えることも、此ごろ、この小社会で行われ出した。何から何まで縛りつけるような、身狭乳母《むさのちおも》に対する反感も、此ものまね[#「ものまね」に傍点]で幾分、いり合せがつく様な気がするのであろう。
其日からもう、若人たちの糸縒《いとよ》りは初まった。夜は、閨《ねや》の闇の中で寝る女たちには、稀《まれ》に男の声を聞くこともある、奈良の垣内《かきつ》住いが、恋しかった。朝になると又、何もかも忘れたようになって績《う》み貯《た》める。
そうした糸の、六かせ七かせを持って出て、郎女に見せたのは、其数日後であった。
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乳母よ。この糸は、蝶鳥の翼よりも美しいが、蜘蛛《くも》の巣《い》より弱く見えるがよ――。
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郎女は、久しぶりでにっこりした。労を犒《ねぎら》うと共に、考えの足らぬのを憐むようである。刀自は、驚いて姫の詞《ことば》を堰《せ》き止めた。
[#ここから1字下げ]
なる程、此は脆《さく》過ぎまする。
[#ここで字下げ終わり]
女たちは、板屋に戻っても、長く、健やかな喜びを、皆して語って居た。
全く些《すこ》しの悪意もまじえずに、言いたいままの気持ちから、
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田居[#「田居」は底本では「田舎」]とやらへおりたちたい――、
[#ここで字下げ終わり]
を反覆した。
刀自は、若人を呼び集めて、
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もっと、きれぬ糸を作り出さねば、物はない。
[#ここで字下げ終わり]
と言った。女たちの中の一人が、
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それでは、刀自に、何ぞよい御思案が――。
さればの――。
[#ここで字下げ終わり]
昔を守ることばかりはいかつい[#「いかつい」に傍点]が、新しいことの考えは唯、尋常《よのつね》の婆の如く、愚かしかった。
ゆくりない声が、郎女の口から洩《も》れた。
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この身の考えることが、出来ることか試して見や。
[#ここで字下げ終わり]
うま人を軽侮することを、神への忌みとして居た昔人である。だが、かすかな軽《かる》しめに似た気持ちが、皆の心に動いた。
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夏引きの麻生《おふ》の麻《あさ》を績むように、そして、もっと日ざらしよく、細くこまやかに――。
[#ここで字下げ終わり]
郎女は、目に見えぬもののさとし[#「さとし」に傍点]を、心の上で綴って行くように、語を吐いた。
板屋の前には、俄《にわ》かに、蓮の茎が乾し並べられた。そうして其が乾くと、谷の澱《よど》みに持ち下りて浸す。浸しては晒《さら》し、晒しては水に漬《ひ》でた幾日の後、筵《むしろ》の上で槌《つち》の音高く、こもごも、交々《こもごも》と叩き柔らげた。
その勤《いそ》しみを、郎女も時には、端近くいざり出て見て居た。咎《とが》めようとしても、思いつめたような目して、見入って居る姫を見ると、刀自は口を開くことが出来なくなった。
日晒しの茎を、八針《やつはり》に裂き、其を又、幾針にも裂く。郎女の物言わぬまなざしが、じつと若人たちの手もとをまもって居る。果ては、刀自も言い出した。
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私も、績みましょう。
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績みに績み、又績みに績んだ。藕糸《はすいと》のまるがせが、日に日に殖えて、廬堂の中に、次第に高く積まれて行った。
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もう今日は、みな月に入る日じゃの――。
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暦の事を言われて、刀自はぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]とした。ほんに、今日こそ、氷室《ひむろ》の朔日《ついたち》じゃ。そう思う下から歯の根のあわぬような悪感を覚えた。大昔から、暦は聖《ひじり》の与《あずか》る道と考えて来た。其で、男女は唯、長老の言うがままに、時の来又去った事を教わって、村や、家の行事を進めて行くばかりであった。だから、教えぬに日月を語ることは、極めて聡《さと》い人の事として居た頃である。愈々《いよいよ》魂をとり戻されたのか、と瞻《まも》りながら、はらはらして居る乳母《おも》であった。唯、郎女《いらつめ》は復《また》、秋分の日の近づいて来て居ることを、心にと言うよりは、身の内に、そくそくと感じ初めて居たのである。蓮は、池のも、田居のも、極度に長《た》けて、莟《つぼみ》の大きくふくらんだのも、見え出した。婢女《めやっこ》は、今が刈りしおだ、と教えたので、若人たちは、皆手も足も泥にして、又田に立ち暮す日が続いた。

   十七

彼岸中日 秋分の夕。朝曇り後晴れて、海のように深碧《ふかみどり》に凪《な》いだ空に、昼過ぎて、白い雲が頻《しき》りにちぎれちぎれに飛んだ。其が門渡《とわた》る船と見えている内に、暴風《あらし》である。空は愈々《いよいよ》青澄み、昏《くら》くなる頃には、藍《あい》の様に色濃くなって行った。見あげる山の端は、横雲の空のように、茜色《あかねいろ》に輝いて居る。
大山颪《おおやまおろし》。木の葉も、枝も、顔に吹きつけられる程の物は、皆|活《い》きて青かった。板屋は吹きあげられそうに、煽《あお》りきしんだ。若人たちは、悉《ことごと》く郎女の廬《いおり》に上って、刀自《とじ》を中に、心を一つにして、ひしと顔を寄せた。ただ互の顔の見えるばかりの緊張した気持ちの間に、刻々に移って行く風。西から真正面《まとも》に吹きおろしたのが、暫らくして北の方から落して来た。やがて、風は山を離れて、平野の方から、山に向ってひた吹きに吹きつけた。峰の松原も、空様《そらざま》に枝を掻き上げられた様になって、悲鳴を続けた。谷から峰《お》の上《へ》に生え上《のぼ》って居る萱原《かやはら》は、一様に上へ上へと糶《せ》り昇るように、葉裏を返して扱《こ》き上げられた。
家の中は、もう暗くなった。だがまだ見える庭先の明りは、黄にかっきり[#「かっきり」に傍点]と、物の一つ一つを、鮮やかに見せて居た。
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郎女様が――。
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誰かの声である。皆、頭の毛が空へのぼる程、ぎょっとした。其が、何だと言われずとも、すべての心が、一度に了解して居た。言い難い恐怖にかみずった女たちは、誰一人声を出す者も居なかった。
身狭乳母は、今の今まで、姫の側に寄って、後から姫を抱えて居たのである。皆の人はけはいで、覚め難い夢から覚めたように、目をみひらくと、ああ、何時の間にか、姫は嫗《おむな》の両腕《もろうで》両膝の間には、居させられぬ。一時に、慟哭《どうこく》するような感激が来た。だが長い訓練が、老女の心をとり戻した。凛《りん》として、反り返る様な力が、湧き上った。
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誰《た》ぞ、弓を――。鳴弦《つるうち》じゃ。
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人を待つ間もなかった。彼女自身、壁代《かべしろ》に寄せかけて置いた白木の檀弓《まゆみ》をとり上げて居た。
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それ皆の衆――。反閇《あしぶみ》ぞ。もっと声高《こわだか》に――。あっし、あっし、それ、あっしあっし……。
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若人たちも、一人一人の心は、疾《と》くに飛んで行ってしまって居た。唯一つの声で、警※[#「馬+畢」、198-下段-5]《けいひつ》を発し、反閇《へんばい》した。
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あっし あっし。
あっし あっし あっし。
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狭い廬《いおり》の中を蹈《ふ》んで廻った。脇目からは、遶道《にょうどう》する群れのように。
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郎女様は、こちらに御座りますか。
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万法蔵院の婢女が、息をきらして走って来て、何時もなら、許されて居ぬ無作法で、近々と、廬の砌《みぎり》に立って叫んだ。
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なに――。
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皆の口が、一つであった。
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郎女様か、と思われるあて人が――、み寺の門《かど》に立って居さっせるのを見たで、知らせにまいりました。
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今度は、乳母一人の声が答えた。
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なに、み寺の門に。
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婢女を先に、行道の群れは、小石を飛す嵐の中を、早足に練り出した。
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あっし あっし あっし ……。
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声は、遠くからも聞えた。大風をつき抜く様な鋭声《とごえ》が、野面《のづら》に伝わる。
万法蔵院は、実に寂《せき》として居た。山風は物忘れした様に、鎮まって居た。夕闇はそろそろ、かぶさって来て居るのに、山裾のひらけた処を占めた寺庭は、白砂が、昼の明りに輝いていた。ここからよく見える二上の頂は、広く、赤々と夕映えている。
姫は、山田の道場の※[#「片+總のつくり」、第3水準1-87-68]《まど》から仰ぐ空の狭さを悲しんでいる間に、何時かここまで来て居たのである。浄域を穢《けが》した物忌みにこもっている身、と言うことを忘れさせぬものが、其でも心の隅にあったのであろう。門の閾《しきみ》から、伸び上るようにして、山の際《は》の空を見入って居た。
暫らくおだやんで居た嵐が、又山に廻ったらしい。だが、寺は物音もない黄昏《たそがれ》だ。
男岳《おのかみ》と女岳《めのかみ》との間になだれをなした大きな曲線《たわ》が、又次第に両方へ聳《そそ》って行っている、此二つの峰の間の広い空際。薄れかかった茜の雲が、急に輝き出して、白銀の炎をあげて来る。山の間《ま》に充満して居た夕闇は、光りに照されて、紫だって動きはじめた。
そうして暫らくは、外に動くもののない明るさ。山の空は、唯白々として、照り出されて居た。肌 肩 脇 胸 豊かな姿が、山の尾上の松原の上に現れた。併し、俤《おもかげ》に見つづけた其顔ばかりは、ほの暗かった。
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今すこし著《しる》く み姿|顕《あらわ》したまえ――。
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郎女の口よりも、皮膚をつんざいて、あげた叫びである。山腹の紫は、雲となって靉《たなび》き、次第次第に降《さが》る様に見えた。
明るいのは、山際ばかりではなかった。地上は、砂《いさご》の数もよまれるほどである。
しずかに しずかに雲はおりて来る。万法蔵院の香殿・講堂・塔婆・楼閣・山門・僧房・庫裡《くり》、悉《ことごと》く金に、朱に、青に、昼より著《いちじる》く見え、自ら光りを発して居た。
庭の砂の上にすれすれに、雲は揺曳《ようえい》して、そこにありありと半身を顕した尊者の姿が、手にとる様に見えた。匂いやかな笑みを含んだ顔が、はじめて、まともに郎女に向けられた。伏し目に半ば閉じられた目は、此時、姫を認めたように、清《すず》しく見ひらいた。軽くつぐんだ脣《くちびる》は、この女性《にょしょう》に向うて、物を告げてでも居るように、ほぐれて見えた。
郎女は尊さに、目の低《た》れて来る思いがした。だが、此時を過してはと思う一心で、御姿《みすがた》から、目をそらさなかった。
あて人を讃えるものと、思いこんだあの詞《ことば》が、又心から迸《ほとばし》り出た。
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なも 阿弥陀《あみだ》ほとけ。あなとうと 阿弥陀ほとけ。
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瞬間に明りが薄れて行って、まのあたりに見える雲も、雲の上の尊者の姿も、ほのぼのと暗くなり、段々に高く、又高く上って行く。姫が、目送する間もない程であった。忽《たちまち》、二上山の山の端に溶け入るように消えて、まっくらな空ばかりの、たなびく夜に、なって居た。
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あっし あっし。
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足を蹈み、前《さき》を駆《お》う声が、耳もとまで近づいて来ていた。

   十八

当麻《たぎま》の邑《むら》は、此頃、一本の草、一塊《ひとくれ》の石すら、光りを持つほど、賑《にぎわ》い充《み》ちて居る。
当麻真人家《たぎまのまひとけ》の氏神当麻彦の社へ、祭り時に外れた昨今、急に、氏上の拝礼があった。故|上総守老真人《かずさのかみおゆのまひと》以来、暫らく絶えて居たことである。
其上、もうに二三日に迫った八月《はつき》の朔日《ついたち》には、奈良の宮から、勅使が来向われる筈になって居た。当麻氏から出られた大夫人《だいふじん》のお生み申された宮の御代に、あらたまることになったからである。廬堂の中は、前よりは更に狭くなって居た。郎女が、奈良の御館《みたち》からとり寄せた高機《たかはた》を、設《た》てたからである。機織りに長《た》けた女も、一人や二人は、若人の中に居た。此女らの動かして見せる筬《おさ》や梭《ひ》の扱い方を、姫はすぐに会得した。機に上って日ねもす、時には終夜《よもすがら》織って見るけれど、蓮の糸は、すぐに円《つぶ》になったり、断《き》れたりした。其でも、倦《う》まずにさえ織って居れば、何時か織りあがるもの、と信じている様に、脇目からは見えた。
乳母《ちおも》は、人に見せた事のない憂わしげな顔を、此頃よくしている。
[#ここから1字下げ]
何しろ、唐土《もろこし》でも、天竺《てんじく》から渡った物より手に入らぬ、という藕糸織《はすいとお》りを遊ばそう、と言うのじゃもののう。
[#ここで字下げ終わり]
話相手にもしなかった若い者たちに、時々うっかりと、こんな事を、言う様になった。
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こう糸が無駄になっては。
今の間にどしどし績《う》んで置かいでは――。
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乳母の語に、若人たちは又、広々として野や田の面におり立つことを思うて、心がさわだった。そうして、女たちの刈りとった蓮積み車が、廬《いおり》に戻って来ると、何よりも先に、田居への降り道に見た、当麻の邑《むら》の騒ぎの噂である。
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郎女《いらつめ》様のお従兄恵美の若子《わくご》さまのお母《はら》様も、当麻真人のお出じゃげな――。
恵美の御館《みたち》の叔父君の世界、見るような世になった。
兄御を、帥《そつ》の殿に落しておいて、御自身はのり越して、内相の、大師の、とおなりのぼりの御心持ちは、どうあろうのう――。
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あて人に仕えて居ても、女はうっかりすると、人の評判に時を移した。
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やめい やめい。お耳ざわりぞ。
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しまいには、乳母が叱りに出た。だが、身狭刀自《むさのとじ》自身のうちにも、もだもだと咽喉《のど》につまった物のある感じが、残らずには居なかった。そうして、そんなことにかまけることなく、何の訣《わけ》やら知れぬが、一心に糸を績み、機を織って居る育ての姫が、いとおしくてたまらぬのであった。
昼の中多く出た虻《あぶ》は、潜んでしまったが、蚊は仲秋になると、益々あばれ出して来る。日中の興奮で、皆は正体もなく寝た。身狭までが、姫の起き明す灯の明りを避けて、隅の物陰に、深い鼾《いびき》を立てはじめた。
郎女は、断《き》れては織り、織っては断れ、手がだるくなっても、まだ梭《ひ》を放そうともせぬ。
だが、此頃の姫の心は、満ち足ろうて居た。あれほど、夜々《よるよる》見て居た俤人《おもかげびと》の姿も見ずに、安らかな気持ちが続いているのである。
「此機を織りあげて、はようあの素肌のお身を、掩《おお》うてあげたい。」
其ばかり考えて居る。世の中になし遂げられぬもののあると言うことを、あて人は知らぬのであった。
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ちょう ちょう はた はた。
はた はた ちょう……。
[#ここで字下げ終わり]
筬《おさ》を流れるように、手もとにくり寄せられる糸が、動かなくなった。引いても扱《こ》いても通らぬ。筬の歯が幾枚も毀《こぼ》れて、糸筋の上にかかって居るのが見える。
郎女は、溜《た》め息《いき》をついた。乳母に問うても、知るまい。女たちを起して聞いた所で、滑らかに動かすことはえすまい。
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どうしたら、よいのだろう。
[#ここで字下げ終わり]
姫ははじめて、顔へ偏ってかかって来る髪のうるささを感じた。筬の櫛目《くしめ》を覗いて見た。梭もはたいて見た。
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ああ、何時になったら、したてた衣《ころも》を、お肌へふくよかにお貸し申すことが出来よう。
[#ここで字下げ終わり]
もう外の叢《くさむら》で鳴き出した、蟋蟀《こおろぎ》の声を、瞬間思い浮べて居た。
[#ここから1字下げ]
どれ、およこし遊ばされ。こう直せば、動かぬこともおざるまい――。
[#ここで字下げ終わり]
どうやら聞いた気のする声が、機の外にした。
あて人の姫は、何処から来た人とも疑わなかった。唯、そうした好意ある人を、予想して居た時なので、
[#ここから1字下げ]
見てたもれ。
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機をおりた。
女は尼であった。髪を切って尼そぎにした女は、其も二三度は見かけたことはあったが、剃髪《ていはつ》した尼には会うたことのない姫であった。
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はた はた ちょう ちょう
[#ここで字下げ終わり]
元の通りの音が、整って出て来た。
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蓮の糸は、こう言う風では、織れるものではおざりませぬ。もっと寄って御覧《ごろう》じ――。これこう――おわかりかえ。
[#ここで字下げ終わり]
当麻語部|姥《うば》の声である。だが、そんなことは、郎女の心には、間題でもなかった。
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おわかりなさるかえ。これこう――。
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姫の心は、こだま[#「こだま」に傍点]の如く聡《さと》くなって居た。此|才伎《てわざ》の経緯《ゆきたて》は、すぐ呑み込まれた。
[#ここから1字下げ]
織ってごろうじませ。
[#ここで字下げ終わり]
姫が、高機に代って入ると、尼は機陰に身を倚《よ》せて立つ。
[#ここから1字下げ]
はた はた ゆら ゆら。
[#ここで字下げ終わり]
音までが、変って澄み上った。
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女鳥《めとり》の わがおおきみの織《おろ》す機。誰《た》が為《た》ねろかも――、御存じ及びでおざりましょうのう。昔、こう、機殿の※[#「片+總のつくり」、第3水準1-87-68]《まど》からのぞきこうで、問われたお方様がおざりましたっけ。
――その時、その貴い女性《にょしょう》がの、
たか行くや隼別《はやぶさわけ》の御被服料《みおすいがね》――そうお答えなされたとのう。
この中《じゅう》申し上げた滋賀津彦は、やはり隼別でもおざりました。天若日子《あめわかひこ》でもおざりました。天《てん》の日《ひ》に矢を射かける――。併し、極みなく美しいお人でおざりましたがよ。截《き》りはたり、ちょうちょう。それ――、早く織らねば、やがて、岩牀《いわどこ》の凍る冷い冬がまいりますがよ――。
[#ここで字下げ終わり]
郎女は、ふっと覚めた。あぐね果てて、機の上にとろとろとした間の夢だったのである。だが、梭をとり直して見ると、
[#ここから1字下げ]
はた はた ゆら ゆら。ゆら はたた。
[#ここで字下げ終わり]
美しい織物が、筬の目から迸《ほとばし》る。
[#ここから1字下げ]
はた はた ゆら ゆら。
[#ここで字下げ終わり]
思いつめてまどろんでいる中に、郎女の智慧が、一つの閾《しきみ》を越えたのである。

   十九

望の夜の月が冴えて居た。若人たちは、今日、郎女の織りあげた一反《ひとむら》の上帛《はた》を、夜の更けるのも忘れて、見讃《みはや》して居た。
[#ここから1字下げ]
この月の光りを受けた美しさ。
※[#「糸+兼」、第3水準1-90-17]《かとり》のようで、韓織《からおり》のようで、――やっぱり、此より外にはない、清らかな上帛じゃ。
[#ここで字下げ終わり]
乳母も、遠くなった眼をすがめながら、譬《たと》えようのない美しさと、ずっしりとした手あたりを、若い者のように楽しんでは、撫でまわして居た。
二度目の機は、初めの日数の半《なから》であがった。三反の上帛を織りあげて、姫の心には、新しい不安が頭をあげて来た。五反目を織りきると、機に上ることをやめた。そうして、日も夜も、針を動した。
長月の空は、三日の月のほのめき出したのさえ、寒く眺められる。この夜寒に、俤人の肩の白さを思うだけでも、堪えられなかった。
裁ち縫うわざは、あて人の子のする事ではなかった。唯、他人《ひと》の手に触れさせたくない。こう思う心から、解いては縫い、縫うてはほどきした。現《うつ》し世《よ》の幾人にも当る大きなお身に合う衣を、縫うすべを知らなかった。せっかく織り上げた上帛を、裁ったり截ったり、段々布は狭くなって行く。
女たちも、唯姫の手わざを見て居るほかはなかった。何を縫うものとも考え当らぬ囁《ささや》きに、日を暮すばかりである。
其上、日に増し、外は冷えて来る。人々は一日も早く、奈良の御館に帰ることを願うばかりになった。郎女は、暖かい昼、薄暗い廬の中で、うっとりとしていた。その時、語部《かたり》の尼が歩み寄って来るのを、又まざまざと見たのである。
[#ここから1字下げ]
何を思案遊ばす。壁代《かべしろ》の様に縦横に裁ちついで、其まま身に纏《まと》うようになさる外はおざらぬ。それ、ここに紐《ひも》をつけて、肩の上でくくりあわせれば、昼は衣になりましょう。紐を解き敷いて、折り返し被《かぶ》れは、やがて夜の衾《ふすま》にもなりまする。天竺の行人《ぎょうにん》たちの著《き》る僧伽梨《そうぎゃり》と言うのが、其でおざりまする。早くお縫いあそばされ。
[#ここで字下げ終わり]
だが、気がつくと、やはり昼の夢を見て居たのだ。裁ちきった布を綴り合せて縫い初めると、二日もたたぬ間に、大きな一面の綴りの上帛《はた》が出来あがった。
[#ここから1字下げ]
郎女《いらつめ》様は、月ごろかかって、唯の壁代《かべしろ》をお織りなされた。
あったら 惜しやの。
[#ここで字下げ終わり]
はり[#「はり」に傍点]が抜けたように、若人たちが声を落して言うて居る時、姫は悲しみながら、次の営みを考えて居た。
[#ここから1字下げ]
「これでは、あまり寒々としている。殯《もがり》の庭の棺《ひつぎ》にかけるひしきもの[#「ひしきもの」に傍点]―喪氈―、とやら言うものと、見た目にかわりはあるまい。」
[#ここで字下げ終わり]

   二十

もう、世の人の心は賢《さか》しくなり過ぎて居た。独り語りの物語りなどに、信《しん》をうちこんで聴く者のある筈はなかった。聞く人のない森の中などで、よく、つぶつぶと物言う者がある、と思うて近づくと、其が、語部の家の者だったなど言う話が、どの村でも、笑い咄《ばなし》のように言われるような世の中になって居た。当麻語部《たぎまのかたりべ》の嫗《おむな》なども、都の上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26]《じょうろう》の、もの疑いせぬ清い心に、知る限りの事を語りかけようとした。だが、忽《たちまち》違った氏の語部なるが故に、追い退《の》けられたのであった。
そう言う聴きてを見あてた刹那《せつな》に、持った執心の深さ。その後、自身の家の中でも、又|廬堂《いおりどう》に近い木立ちの陰でも、或は其処を見おろす山の上からでも、郎女に向ってする、ひとり語りは続けられて居た。
今年八月、当麻の氏人に縁深いお方が、めでたく世にお上りなされたあの時こそ、再|己《おの》が世が来た、とほくそ笑み[#「ほくそ笑み」に傍点]をした――が、氏の神祭りにも、語部を請《しょう》じて、神語りを語らそうともせられなかった。ひきついであった、勅使の参向の節にも、呼び出されて、当麻氏の古物語りを奏上せい、と仰せられるか、と思うて居た予期《あらまし》も、空頼みになった。
此はもう、自身や、自身の祖《おや》たちが、長く覚え伝え、語りついで来た間、こうした事に行き逢おうとは、考えもつかなかった時代《ときよ》が来たのだ、と思うた瞬間、何もかも、見知らぬ世界に追放《やら》われている気がして、唯驚くばかりであった。娯《たの》しみを失いきった語部の古婆は、もう飯を喰べても、味は失うてしまった。水を飲んでも、口をついて、独り語りが囈語《うわごと》のように出るばかりになった。
秋深くなるにつれて、衰えの、目立って来た姥《うば》は、知る限りの物語りを、喋《しゃべ》りつづけて死のう、と言う腹をきめた。そうして、郎女の耳に近い処をところ[#「ところ」に傍点]をと覓《もと》めて、さまよい歩くようになった。

郎女は、奈良の家に送られたことのある、大唐の彩色《えのぐ》の数々を思い出した。其を思いついたのは、夜であった。今から、横佩墻内《よこはきかきつ》へ馳《か》けつけて、彩色を持って還《かえ》れ、と命ぜられたのは、女の中に、唯一人残って居た長老《おとな》である。ついしか、こんな言いつけをしたことのない郎女の、性急な命令に驚いて、女たちは復《また》、何か事の起るのではないか、とおどおどして居た。だが、身狭乳母《むさのちおも》の計いで、長老は渋々、夜道を、奈良へ向って急いだ。
あくる日、絵具の届けられた時、姫の声ははなやいで、興奮《はや》りかに響いた。
女たちの噂した所の、袈裟《けさ》で謂《い》えば、五十条の大衣《だいえ》とも言うべき、藕糸《ぐうし》の上帛《はた》の上に、郎女の目はじっとすわって居た。やがて筆は、愉《たの》しげにとり上げられた。線描《すみが》きなしに、うちつけに絵具を塗り進めた。美しい彩画《たみえ》は、七色八色の虹のように、郎女の目の前に、輝き増して行く。
姫は、緑青を盛って、層々うち重る楼閣|伽藍《がらん》の屋根を表した。数多い柱や、廊の立ち続く姿が、目赫《めかがや》くばかり、朱で彩《た》みあげられた。むらむらと靉《たなび》くものは、紺青の雲である。紫雲は一筋長くたなびいて、中央根本堂とも見える屋の上から、画きおろされた、雲の上には金泥《こんでい》の光り輝く靄《もや》が、漂いはじめた。姫の命を搾るまでの念力が、筆のままに動いて居る。やがて金色《こんじき》の雲気は、次第に凝り成して、照り充ちた色身《しきしん》――現《うつ》し世《よ》の人とも見えぬ尊い姿が顕《あらわ》れた。
郎女は唯、先の日見た、万法蔵院の夕《ゆうべ》の幻を、筆に追うて居るばかりである。堂・塔・伽藍すべては、当麻のみ寺のありの姿であった。だが、彩画の上に湧き上った宮殿《くうでん》楼閣は、兜率天宮《とそつてんぐう》のたたずまいさながらであった。しかも、其四十九重の宝宮の内院に現れた尊者の相好《そうごう》は、あの夕、近々と目に見た俤《おもかげ》びとの姿を、心に覓《と》めて描き顕したばかりであった。
刀自《とじ》・若人たちは、一刻一刻、時の移るのも知らず、身ゆるぎもせずに、姫の前に開かれて来る光りの霞に、唯見呆けて居るばかりであった。
郎女が、筆をおいて、にこやかな笑《えま》いを、円《まろ》く跪坐《ついい》る此人々の背におとしながら、のどかに併し、音もなく、山田の廬堂を立ち去った刹那、心づく者は一人もなかったのである。まして、戸口に消える際《きわ》に、ふりかえった姫の輝くような頬のうえに、細く伝うもののあったのを知る者の、ある訣《わけ》はなかった。
姫の俤びとに貸す為の衣に描いた絵様《えよう》は、そのまま曼陀羅《まんだら》の相《すがた》を具えて居たにしても、姫はその中に、唯一人の色身の幻を描いたに過ぎなかった。併し、残された刀自・若人たちの、うち瞻《まも》る画面には、見る見る、数千地涌《すせんじゆ》の菩薩《ぼさつ》の姿が、浮き出て来た。其は、幾人の人々が、同時に見た、白日夢のたぐいかも知れぬ。



底本:「昭和文学全集 第4巻」小学館
   1989(平成元)年4月1日初版第1刷発行
底本の親本:「折口信夫全集 第24巻」中央公論社
   1977(昭和42)年10月25日発行
初出:「日本評論」第14巻1号〜3号
   1939(昭和14)年1月〜3月
初収単行本:「死者の書」青磁社
   1943(昭和18)年9月
※誤植と組み体裁の誤りが疑われる箇所は、底本の親本を参照して修正しました。
入力:kompass
校正:米田進
2003年12月27日作成
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