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身毒丸
折口信夫
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)身毒丸《シントクマル》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)夜|中《ナカ》に
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)制※[#「咤−宀」、第3水準1-14-85]迦童子
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)をり/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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身毒丸《シントクマル》の父親は、住吉から出た田楽師であつた。けれども、今は居ない。身毒はをり/\その父親に訣れた時の容子を思ひ浮べて見る。身毒はその時九つであつた。
住吉の御田植神事《オンダシンジ》の外は旅まはりで一年中の生計を立てゝ行く田楽法師の子どもは、よた/\と一人あるきの出来出す頃から、もう二里三里の遠出をさせられて、九つの年には、父親らの一行と大和を越えて、伊賀伊勢かけて、田植能の興行に伴はれた。信吉法師というた彼の父は、配下に十五六人の田楽法師を使うてゐた。朝間、馬などに乗らない時は、疲れると屡《ヨク》若い能芸人の背に寝入つた。さうして交る番に皆の背から背へ移つて行つた。時をり、うす目をあけて処々の山や川の景色を眺めてゐた。ある処では青草山を点綴して、躑躅の花が燃えてゐた。ある処は、広い河原に幾筋となく水が分れて、名も知らぬ鳥が無数に飛んでゐたりした。さういふ景色と一つに、模糊とした羅衣《ウスギヌ》をかづいた記憶のうちに、父の姿の見えなくなつた、夜の有様も交つてゐた。
その晩は、更けて月が上《ノボ》つた。身毒は夜|中《ナカ》にふと目を醒ました。見ると、信吉法師が彼の肩を持つて、揺ぶつてゐたのである。
――おまへにはまだ分るまいがね」といふ言葉を前提に、彼《カ》れこれ小半時も、頑是のない耳を相手に、滞り勝ちな涙声で話してゐたが、大抵は覚えてゐない。此頃になつて、それは、遠い昔の夢の断れ片《ハシ》の様にも思はれ出した。唯この前提が、その時、少しばかり目醒めかけてゐた反抗心を唆つたので、はつきりと頭に印せられたのである。その時五十を少し出てゐた父親の顔には、二月ほど前から気味わるいむくみが来てゐた。父親が姿を匿す前の晩に着いた、奈良はづれの宿院の風呂の上り場で見た、父の背を今でも覚えてゐる。蝦蟇の肌のやうな、斑点が、膨れた皮膚に隙間なく現れてゐた。
――とうちやんこれは何うしたの」と咎めた彼の顔を見て、返事もしないで面を曇らしたまゝ、急に着物をひつ被つた。記憶を手繰つて行くと、悲しいその夜に、父の語つた言葉がまた胸に浮ぶ。
父及び身毒の身には、先祖から持ち伝へた病気がある。その為に父は得度して、浄い生活をしようとしたのが、ある女の為に堕ちて、田舎聖の田楽法師の仲間に投じた。父の居つた寺は、どうやら書写山であつたやうな気がする。それだから、身毒も法師になつて、浄い生活を送れというたやうに、稍世間の見え出した此頃の頭には、綜合して考へ出した。唯、からだを浄く保つことが、父の罪滅しだといふ意味であつたか、血縁の間にしふねく根を張つたこの病ひを、一代きりにたやす所以だというたのか、どちらへでも朧気な記憶は心のまゝに傾いた。
身毒は、住吉の神宮寺に附属してゐる田楽法師の瓜生野といふ座に養はれた子方で、遠里小野の部領の家に寝起きした。
この仲間では、十一二になると、用捨なくごし/\髪を剃つて、白い衣に腰衣を着けさせられた。ところが身毒ひとりは、此年十七になるまで、剃らずにゐた。身毒は、細面に、女のやうな柔らかな眉で、口は少し大きいが、赤い脣から漏れる歯は、貝殻のやうに美しかつた。額ぎはからもみ上げへかけての具合、剃り毀つには堪へられない程の愛着が、師匠源内法師の胸にあつた。今年は、今年はと思ひながら、一年延しにしてゐた。そして、毎年行く国々の人々から唯一人なる、この美しい若衆はもて囃されてゐた。牛若というたのは、こんな人だつたらうなどいふ評判が山家片在所の女達の口に上つた。
今年五月の中頃、例年行く伊勢の関の宿で、田植ゑ踊りのあつた時、身毒は傘踊りといふ危い芸を試みた。これは高足駄を穿いて足を挙げ、その間を幾度も/\長柄の傘を潜らす芸である。
苗代は一面に青み渡つてゐた。野天に張つた幄帳の白い布に反射した緑色の光りが、大口袴を穿いた足を挙げる度に、雪のやうな太股のあたりまでも射し込んだ。関から鈴鹿を踰えて、近江路を踊り廻つて、水口の宿まで来た時、一行の後を追うて来た二人の女があつた。それは、関の長者の妹娘が、はした女一人を供に、親の家を抜け出して来たのであつた。
耳朶まで真赤にして逃げるやうに師匠の居間へ来た身毒は長者の娘のことを話した。師匠は慳貪な声を上げて、二人を追ひ返した。
何も知らぬ身毒は、其夜一番鶏が鳴くまで、師匠の折檻に会うた。
夜があけて、弟子どもが床を出たときに、青々と剃り毀たれた頭を垂れて、庭の藤の棚の下に茫然と彳んでゐる身毒を見出した。源内法師の居間には、髪の毛を焼いたらしい不気味な臭ひが漂うてゐた。師匠は晴れやかな顔をして、廂に射し込む朝の光りを浴びてゐた。然しそれは間もなく、制※[#「咤−宀」、第3水準1-14-85]迦童子と渾名せられてゐる弟子の一人に肩を扼せられて出て来た、身毒の変つた姿を目にした咄嗟に、曇つて了つた。
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何も驚くことはない。あれはわしが剃つたのだ。たつた一人、若衆で交つてゐるのも、目障りだからなう。
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身毒を居間に下らした後、事あり顔に師匠の周りをとり捲いた弟子どもに、こだはりのない声でから/\と笑つた。
瓜生野の田楽能の一座は逢坂山を越える時に初めて時鳥を聞いた。住吉へ帰ると間もなく、盆の聖霊会が来た。源内法師はこれまで走り使ひにやり慣れた神宮寺法印の処へさへも、身毒を出すことを躊躇した。そして、その起ち居につけて、暫くも看視の目を放さなかつた。
どうも、うは/\してゐる、と師匠の首を傾けることが度々になつた。
田楽師はまた村々の念仏踊りにも迎へられる。ちようど、七月に這入つて、泉州石津の郷で盆踊りがとり行はれるので、源内法師は身毒と、制※[#「咤−宀」、第3水準1-14-85]迦童子とを連れて、一時あまりかゝつて百舌鳥の耳原を横切つて、石津の道場に着いた。其夜は終夜、月が明々と照つてゐた。念仏踊りの済んだのは、かれこれ子の上刻である。呆れて立つてゐる二人を急き立てゝ、そゝくさと家路に就いた。道は薄の中を踏みわけたり、泥濘を飛び越えたりした。三人の胸には、各別様の不安と不平とがあつた。踊り疲れた制※[#「咤−宀」、第3水準1-14-85]迦は、をり/\聞えよがしに欠をする。源内法師は鑢ででも磨つて除けたいばかりに、いら/\した心持ちで、先頭に立つてぼく/″\と歩く。久かたぶりの今日の外出は、鬱し切つてゐた身毒の心持ちをのう/\させた。けれどもそれは、ほんの暫しで、踊りの初まる前から、軽い不安が始中終彼の頭を掠めてゐた。彼は、一丈もある長柄の花傘を手に支へて、音頭をとつた。月の下で気狂ひの様に踊る男女の耳にも、その迦陵頻迦のやうな声が澄み徹つた。をり/\見上げる現ない目にも、地蔵菩薩さながらの姿が映つた。若い女は、みな現身仏の足もとに、跪きたい様に思うた。けれども身毒は、うつけた目を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]つて、遥かな大空から落ちかゝつて来るかと思はれる、自分の声にほれ/″\としてゐた。ある回想が彼の心をふと躓かせた。彼の耳には、あり/\と火の様なことばが聞える。彼の目には、まざ/″\と焔と燃えたつ女の奏が陽炎うた。
踊り手は、一様に手を止めて、音頭の絶えたのを訝しがつて立つてゐた。と切れた歌は、直ちに続けられた。然しながら、以前の様な昂奮がもはや誰の上にも来なかつた。身毒は、歌ひながら不機嫌な師匠の顔を予想して慄へ上つてゐた。……あちらこちらの塚山では寝鳥が時々鳴いて三人を驚かした。思ひ出したやうに、疲れたゞの、かひだるいだのと制※[#「咤−宀」、第3水準1-14-85]迦が独語をいふ外には、対話はおろか、一つのことばも反響を起さなかつた。家へ帰ると、三人ながらくづほれる様に、土間の莚の上へ、べた/″\と坐り込んだ。
源内法師は、身毒の襟がみを把つて、自身の部屋へ引き摺つて行つた。
身毒は、一語も上つて来ないひき緊つた師匠の脣から出る、恐しいことばを予想するのも堪へられない。柱一間を隔いて無言で向ひあつてる師弟の上に、時間は移つて行く。短い夜は、ほの/″\あけて、朝の光りは二人の膝の上に落ちた。
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芸道のため、第一は御仏の為ぢや。心を断つ斧だと思へ。
[#ここで字下げ終わり]
かういつて、龍女成仏品といふ一巻を手渡した。
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さあ、これを血書するのぢやぞ。一毫も汚れた心を起すではないぞ。冥罰を忘れなよ。
[#ここで字下げ終わり]
身毒はこれまでに覚えのない程、憤りに胸を焦した。然しそれは師匠の語気におびき出されたものに過ぎない。心の裡では、師匠のことばを否定することは出来なかつた。経文を血書してゐる筆の先にも、どうかすると、長者の妹娘の姿がちらめいた。あるときは、その心から妹娘を攘ひ除けたやうな、すが/\しい心持ちになることもある。然しながら、其空虚には朧気な女の、誰とも知らぬ姿が入り込んで来た。最初の写経は、師の手に渡ると、ずた/\に引き裂かれて、火桶に投げ込まれた。身毒は、再度血書した。それが却けられたときに、三度目の血書にかゝつた。その経文も穢らはしいといふ一語の下に前栽へ投げ棄てられた。
連夜の不眠に、何うかすると、筆を持つて机に向つたまゝ、目を開いて睡つた。さうした僅かの間にも、妹娘や見も知らぬ処女の姿がわり込んで来る。
四度目の血書を恐る/\さし出したときに、師匠の目はやはり血走つてゐたが、心持ち柔いだ表情が見えて、
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人を恨むぢやないぞ。危い傘飛びの場合を考へて見ろ。若し女の姿が、ちよつとでもそちの目に浮んだが最後、真倒様だ。否でも片羽にならねばならぬ。神宮寺の道心達の修業も、こちとらの修業も理は一つだ。
[#ここで字下げ終わり]
写経のことには一言も言ひ及ばなかつた。そして部屋へ下つて、一眠りせいと命じた。経文は膝の上にとりあげられた。執着に堪へぬらしい目は、燃えたち相な血のあとを辿つた。
自身の部屋に帰つて来た身毒は、板間の上へ俯伏しに倒れた。蝉が鳴くかと思うたのは、自身の耳鳴りである。心づくと黒光りのする板間に、鼻血がべつとりと零れてゐた。さうしてゐるうちに、放散してゐた意識が明らかに集中して来ると、師匠の心持ちが我心に流れ込む様に感ぜられて来る。あれだけの心労をさせるのも、自分の科だと考へられた。身毒は起き上つた。そして、机に向うて、五度目の写経にとりかゝるのである。夢心地に、半時ばかりも筆を動かした。然し、もう夢さへも見ることの出来ない程、衰へきつてゐる。疲れ果てた心の隅に、何処か薄明りの射す処があつて、其処から未見ぬ世界が見えて来相に思はれ出した。身毒は息を集め、心を凝して、その明るみを探らうと試みる。
源内法師は、この時、まだ写経を見つめてゐた。さうしてゐるうちに、涙が頬を伝うて流れた。俄かに大きな不安が、彼の頭に蔽ひかゝつて来た。九年前のあぢきない記憶が頭を擡げて来たのである。四巻の経文をとり出して、紙も徹るばかりに見入つた。どれにも思ひなしか、鮮かな紅の色が、幾分澱んで見えた。
部屋には、大きな櫛形の窓がある。それから見越す庭には、竹藪のほの暗い光りの中に、百合の花が、くつきりと白く咲いてゐる。
師匠が亡くなつてから、丹波氷上の田楽能の一座の部領に迎へられて、十年あまりをそこで過して居つたが、兄弟子の信吉法師が行方不明になつた頃呼び戻されて、久しぶりで住吉に帰つた。氷上で娶つた妻も早く死んで、固より子もなかつた。兄弟子に対する好意、妻や子に対する愛情を集めて、身毒一人を可愛がつた。二年三年たつうちに、信吉法師が何処かの隅から、今にも戻つて来て、身毒を奪うて行き相な心持ちがした。思ひなげな目を挙げて、覗き込む身毒の顔を見ると、いよ/\愛着の心が深くなつて行く。
信吉法師が韜晦してから、十年たつた。彼はある日、ふと指を繰つて見て、十年といふことばの響きに、心の落ちつくのを感じた。信吉の馳落ちの噂を耳にしたとき、業病の苦しみに堪へきれなくなつて、海か川かへ身を投げたものと信じてゐた。遠い昔のことである。ある時信吉法師は寂寥と、やるせなさとを、この親身な相弟子に打ちあけて聞かしたのであつた。源内法師は足音を盗んで、身毒の部屋の方へ歩いて行つた。
身毒は板敷きに薄縁一枚敷いて、経机に凭りかゝつて、一心不乱に筆を操つてゐる。捲り上げた二の腕の雪のやうな膨らみの上を、血が二すぢ三すぢ流れてゐた。
源内法師は居間に戻つた。その美しい二の腕が胸に烙印した様に残つた。その腕や、美しい顔が、紫色にうだ腫れた様を思ひ浮べるだけでも心が痛むのである。そのどろ/\と蕩けた毒血を吸ふ、自身の姿があさましく目にちらついた。彼は持仏堂に走り込んで、泣くばかり大きな声で、この邪念を払はせたまへと祈つた。
五度目の写経を見た彼は、もう叱る心もなくなつてゐた。
程近い榎津や粉浜の浦で、漁る魚にも時々の移り変りはあつた。秋の末から冬へかけて、遠く見渡す岸の姫松の梢が、海風に揉まれて白い砂地の上に波のやうに漂うてゐる。庭の松にも鶉の棲む日が来た。住吉の師走祓へに次いで生駒や信貴の山々が連日霞み暮す春の日になつた。弟子たちは畑も畝うた。猟にも出かけた。瓜生野の座の庭には、桜や、辛夷は咲き乱れた。人々は皆旅を思うた。源内法師は忘れつぽい弟子達の踊りの手振りや、早業の復習の監督に暇もない。住吉の神の御田に、五月処女の笠の動く、五月の青空の下を、二十人あまりの菅笠に黒い腰衣を着けた姿が、ゆら/\と陽炎うて、一行は旅に上つた。
横山のかげが、青麦のうへになびく野を越えて、奈良から長谷寺に出た一行は、更に、寂しい伊賀越えにかゝつた。草山の間を白い道がうねつて行く。荒廃した海道は、処々叢になつてゐて、まひ立つ土ぼこりのなかに、野※[#「木+(虍/且)」、第4水準2-15-45]《ノジトミ》が血を零したやうに咲いてゐたりした。
小汗のにじむ日である。小さな者らは、時々立ち止つて、山の腰から泌み出てゐる水を、手に受けためては飲んだ。さうして隔つた人々に追ひすがる為に、顔をまつか[#「まつか」に傍点]にしては、はしり/\した。
国見山をまへにして、大きな盆地が、東西に長く拡つてゐた。可なりな激湍を徒渉りして、山懐に這入ると、瀁田に代掻く男の唄や、牛の声が、よそよりは、のんびりと聞えて来た。其処は、非御家人の隠れ里といつた富裕な郷であつた。
瓜生野の一座は、その郷士の家で手あついもてなしを受けた。源内法師は、すぐ明日の踊りの用意にかゝる。力強い制※[#「咤−宀」、第3水準1-14-85]迦は、屋敷の隅の納屋から榑材などをかつぎ出すその家の下部らに立ちまじつて、はたらいてゐる。
身毒は、広々とした屋敷うちを、あちらこちらと歩いて見た。
それは、低い田居を四方に見おろす高台の上を占めて、まんなかにちよんぼりと、百坪あまりの建て物がたつてゐるのであつた。
広くつき出した縁の上には、狐色に焦れて、田舎びた男の子や、女の子が十五六人も居て、身毒らの着いた時分から、きよと/\、一行の容子を見瞻つてゐた。彼らの目色には、都人の羨しさを跳ねかへす妬み憎み、其から異郷人に対する害心と侮蔑とに輝いてゐる。若い身毒は、何処へ行つても、かうした瞳に出会うた。さうして、かうした度毎に、身の窄まる思ひがした。
子どもたちは、やがて、外から見え透く広い梯子を伝うてつし[#「つし」に傍点]の上にあがつて行つた。
一行の為に、南開きの、崖に臨んだ部屋が宛てがはれた。
源内が、家のあるじに挨拶に行つた間を、ひろ/″\と臥てゐた人たちの中で、ぽつゝりと一人坐つてゐた、彼を見とがめた一人が、どうしたのだと問うた。
どうもしない、と応へるほかには、いふべき語がわからない心地に漂うてゐたのである。
がらんとした家の中は、遠くから聞えて来る人声がさわがしく聞えた。子どもらは、いろんな聞きも知らぬ唄を、あどけない声で謡うてゐる。身毒は、瓜生野の家を思うた。しかし女気のない家の中に、若い男や中年の男が、仮に宿つてゐるといふだけで、かうした旅の泊りとちがうた処がないのだ、といふ心持ちが、胸をたぐるやうに迫つて来る。
[#ここから1字下げ]
くたびれた/\。おや、身毒。おまへも居たのか。おまへはいつも、わるい癖ぢやよ。遠路をあるくと、きつと其だ。なんてい不機嫌な顔をする。
[#ここで字下げ終わり]
身毒は、黙つてゐることが出来なかつた。
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わしは、今度こそ帰つたら、お師匠さんに願うて、神宮寺か、家原寺へ入れて貰はうと思うてる。
おい、又変なこと、言ひ出したぜ。おまへ、此ごろ、大仙陵の法師狐がついてるんかも知れんぞ。
[#ここで字下げ終わり]
今迄鼾を立てゝゐた制※[#「咤−宀」、第3水準1-14-85]迦が寝がへりをうつて顔を此方へ向けた。年がさの威厳を持つたらしいおつかぶせる様な声である。
[#ここから1字下げ]
さうだとも/\。師匠のお話では、氷上で育てた弟子のうちにも、さういふ風に、房主になりたい/\言ひづめで、とゞのつまりが、蓮池へはまつて死んだ男があつたといふぜ。死神は、えて[#「えて」に傍点]さういふ時に魅きたがるんだといふよ。気をつけなよ。
[#ここで字下げ終わり]
又、一人の中年男が、つけ添へた。
[#ここから1字下げ]
おまへらは、なんともないのかい、住吉へ還らんでも、かうしてゐても、おんなじ旅だもの。せめて、寺方に落ちつけば、しんみりした心持ちになれさうに思ふのぢやけれど。
あほうなことを、ちんぴらが言ふよ。瓜生野が気に入らぬ。そんなこと、おまへが言ひ出したら、こちとらは、どうすればよい。よう、胸に手置いて考へて見い、師匠には、子のやうに可愛がられるし、第一ものごゝろもつかん時分から居馴れてるぢやないか。何を不足で、そんなことを言ひ出すのだ。
[#ここで字下げ終わり]
と分別くさい声が応じた。
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けれどなあ、かういふ風に、長道を来て、落ちついて、心がゆつたりすると一処に、何やらかうたまらんやうな、もつと幾日も/\ぢつとしてゐたいといふ気がする。
[#ここで字下げ終わり]
熱し易い制※[#「咤−宀」、第3水準1-14-85]迦は、もう向つぱらを立てゝ、一撃を圧しつける息ごみでどなつた。
[#ここから1字下げ]
何だ。利いた風はよせ。田楽法師は、高足や刀玉見事に出来さいすりや、仏さまへの御奉公は十分に出来てるんぢや、と師匠が言はしつたぞ。田楽が嫌ひになつて、主、猿楽の座方んでも逃げ込むつもりぢやろ。
[#ここで字下げ終わり]
煮え立つやうな心は、鋭い語になつて、沸き上つた。身毒は、其勢にけおされて、おろ/\としてゐる。あひて[#「あひて」に傍点]の当惑した表情は、愈疑惑の心を燃え立たせた。
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揺拍子。それを、円満井では、えら[#「えら」に傍点]執心ぢやといふぞ。此ばかりや瓜生野座の命ぢやらうて、坂下や氷上の座から、幾度土べたに出額をすりつけて、頼んで来ても伝授さつしやらなんだ師匠が、われだけにや伝へられた揺拍子を持ち込みや、春日あたりでは大喜びで、一返に脇役者ぐらゐにや、とり立てゝくれるぢやろ。根がそのぬつぺりした顔ぢやもんな。……けんど、けんど、仏神に誓言立てゝ授つた拍子を、ぬけ/\と繁昌の猿楽の方へ伝へて、寝返りうつて見ろ。冥罰で、血い吐くだ。……二十年鞨鼓や簓ばかりうつてるこちとら[#「こちとら」に傍点]とつて、うつちやつては置かんぞよ。
[#ここで字下げ終わり]
制※[#「咤−宀」、第3水準1-14-85]迦はとう/\泣き出した。自身の荒ら語は、胸をかき乱し、煽り立てた。
分別男は、長い縁を廻りまはつて、師匠のゐる前まで、身毒を引き出した。
源内法師は、目を瞑つて、ぢつと聞いて居た。分別男の誇張して両方をとりもつた話ぶりに連れて、からだ中の神経が強ばつて行くやうに思はれた。自身がまだ氷上座に迎へられて行かなかつた頃、瓜生野家の縁の日あたりで、若かつた信吉法師の口から聞かされた一途な語を、目のあたりに復、聞かされてゐるやうに感じた。彼の頭には、卅年前と目の今の事とが、一つに渦を捲いた。さうして時々、冷やかな反省が、ひやり/\と脊筋に水を注いだ。彼は強ひて、心を鎮めた。さうして、顔もえあげないでゐる身毒の、著しくねび整うた脊から腰へかけての骨ぐみに目を落してゐた。分別男や身毒の予期した語は、その脣からは洩れないで、劬る様な語が、身毒のさゝくれ立つた心持ちを和げた。
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おまへも、やつぱり、父の子ぢやつたなう。信吉房の血が、まだ一代きりの捨身では、をさまらなかつたものと見える。
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かういふ語が、分別男や身毒には、無意味ながら悲しい語らしく響いて語り終へられた。深いと息が、師匠の腹の底から出た。
分別男は、疳癖づよい師匠にも似あはぬことゝ思うて、拍子抜けのした顔でゐた。師匠ももうとる年で、よつぽど箝が弛んだやうだと笑ひ話のやうにして制※[#「咤−宀」、第3水準1-14-85]迦を慰めた。
あけの日は、東が白みかけると、あちらでもこちらでも蝉が鳴き立てた。昨日の暑さで、一晩のうちに生れたのだらう、と話しあうた。草の上に、露のある頃から、金襴の前垂を輝かす源内法師を先に、白帷子に赤い頬かぶりをして、綾藺笠を其上にかづいた一行が、仄暗い郷士の家から、照り充ちた朝日の中に出た。さうして、だら/\坂を静かに練つておりた。制※[#「咤−宀」、第3水準1-14-85]迦は、二丈あまりの花竿を竪てながら、師匠のすぐ後に従うた。
一行が遠い窪田に着いた頃、ぽつちりと目をあいた身毒は、すまぬ事をしたと思うて床から這ひ出した。衣装をつけて鞨鼓を腰に纏うてゐた時、急にふら/\と仰様にのめつたのである。鼻血に汚れた頬を拭うてやりながら、師匠は、も暫らく寝て居れと言うた。
身毒は、一夜睡ることが出来なかつたのである。今の間に見た夢は、昨夜の続きであつた。
高い山の間を上つてゐた。道が尽きてふりかへると、来た方は密生した林が塞いでゐる。更に高い峯が崩れかゝり相に、彼の前と両側に聳えてゐる。時間は朝とも思はれる。又日中の様にも考へられぬでもない。笹藪が深く茂つてゐて、近い処を見渡すことが出来ない。流れる水はないが、あたり一体にしとつてゐる。歩みを止めると、急に恐しい静けさが身に薄《セマ》つて来る。彼は耳もと迄来てゐる凄い沈黙から脱け出ようと唯むやみに音立てゝ笹の中をあるく。
一つの森に出た。確かに見覚えのある森である。この山口にかゝつた時に、おつかなびつくりであるいてゐたのは、此道であつた。けれども山だけが、依然として囲んでゐる。後戻りをするのだと思ひながら行くと、一つの土居に行きあたつた。其について廻ると、柴折門があつた。人懐しさに、無上に這入りたくなつて中に入り込んだ。庭には白い花が一ぱいに咲いてゐる。小菊とも思はれ、茨なんかの花のやうにも見えた。つひ[#「つひ」に傍点]目の前に見える櫛形の窓の処まで、いくら歩いても歩きつかない。半時もあるいたけれど、窓への距離は、もと通りで、後も前も、白い花で埋れて了うた様に見えた。彼は花の上にくづれ伏して、大きい声をあげて泣いた。すると、け近い物音がしたので、ふつと仰むくと、窓は頭の上にあつた。さうして、其中から、くつきりと一つの顔が浮き出てゐた。
身毒の再寝《マタネ》は、肱枕が崩れたので、ふつゝりと覚めた。
床を出て、縁の柱にもたれて、幾度も其顔を浮べて見た。どうも見覚えのある顔である。唯、何時か逢うたことのある顔である。身毒があれかこれかと考へてゐるうちに、其顔は、段々霞が消えたやうに薄れて行つた。彼の聨想が、ふと一つの考へに行き当つた時に、跳ね起された石の下から、水が涌き出したやうに、懐しいが、しかし、せつない心地が漲つて出た。さうして深く/\その心地の中に沈んで行つた。
山の下からさつさらさらさと簓の音が揃うて響いて来た。鞨鼓の音が続いて聞え出した。身毒は、延び上つて見た。併し其辺は、山陰になつてゐると見えて、其らしい姿は見えない。鞨鼓の音が急になつて来た。
身毒は立ち上つた。かうしてはゐられないといふ気が胸をついて来たのである。
(附言)
この話は、高安長者伝説から、宗教倫理の方便風な分子をとり去つて、最原始的な物語にかへして書いたものなのです。
世間では、謡曲の弱法師から筋をひいた話が、江戸時代に入つて、説教師の題目に採り入れられた処から、古浄瑠璃にも浄瑠璃にも使はれ、又芝居にもうつされたと考へてゐる様です。尤、今の摂州合邦辻から、ぢり/\と原始的の空象につめ寄らうとすると、説教節迄はわりあひに楽に行くことが出来やすいけれど、弱法師と説教節との間には、ひどい懸隔があるやうに思はれます。或は一つの流れから岐れた二つの枝川かとも考へます。
わたしどもには、歴史と伝説との間に、さう鮮やかなくぎりをつけて考へることは出来ません。殊に現今の史家の史論の可能性と表現法とを疑うて居ます。史論の効果は当然具体的に現れて来なければならぬもので、小説か或は更に進んで劇の形を採らねばならぬと考へます。わたしは、其で、伝説の研究の表現形式として、小説の形を使うて見たのです。この話を読んで頂く方に願ひたいのは、わたしに、ある伝説の原始様式の語りてといふ立脚地を認めて頂くことです。伝説童話の進展の径路は、わりあひに、はつきりと、わたしどもには見ることが出来ます。拡充附加も、当然伴はるべきものだけは這入つて来ても、決して生々しい作為を試みる様なことはありません。わたしどもは、伝説をすなほに延して行く話し方を心得てゐます。
俊徳丸といふのは、後の宛て字で、わたしはやつぱりしんとくまる[#「しんとくまる」に傍点]が正しからうと思ひます。身毒丸の、毒の字は濁音でなく、清音に読んで頂きたいと思ひます。
わたしは、正直、謡曲の流よりも、説教の流の方が、たとひ方便や作為が沢山に含まれてゐても信じたいと思ふ要素を失はないでゐると思うてゐます。但し、謡曲の弱法師といふ表題は、此物語の出自を暗示してゐるもので、同時に日本の歌舞演劇史の上に、高安長者伝説が投げてくれる薄明りの尊さを見せてゐると考へます。
底本:「死者の書・身毒丸」中公文庫、中央公論新社
1999(平成11)年6月18日発行
底本の親本:「折口信夫全集 第十七巻」中央公論社
1954(昭和29)年11月
「折口信夫全集 27」中央公論社
1997(平成9)年5月
初出:「みづほ」第八号
1917(大正6)年6月
※踊り字(/\、/″\)の誤用は底本の通りとしました。
入力:高柳典子
校正:多羅尾伴内
2003年12月27日作成
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