青空文庫アーカイブ

鬼を追い払う夜
折口信夫

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)語《コトバ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「からだ」に傍点]
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「福は内、鬼は外」と言うことを知って居ますか。此は節分の夜、豆を撒いて唱える語《コトバ》なのです。此日、村や町々の家々へ、鬼が入り込もうとするものと信じて居ました。それに対して、豆を打ちつけて追うのだと言います。今年はそれがちょうど、二月四日に当るのです。これは家々ですることですが、又社や寺でも、特別に人を選んで、豆撒き役を勤めさせます。
 又豆を年の数だけとって喰うこともあります。地方によっては、一つだけ余計に喰べる処もあります。これはもと一つはからだ[#「からだ」に傍点]を撫でたものなのです。つまりからだについた災いを其にうつすつもりだったのです。門《カド》には前もって、柊の小枝を挿して置き、それに鰯の頭――昔は鰡《ボラ》の子のいな[#「いな」に傍点]の頭――をつき刺して出しておいたものです。
 節分は冬が行き詰って、春が鼻の先まで来て居る夜と言うことなのです。だからこれらの事柄も、夜に行われる事が多いのです。
 ちょうど、鬼打ち豆を撒いて居る頃、表の方を、「厄払いましょう厄払いましょう」と言いながら通る者があることも知っているでしょう。これは「厄払い」と言うものです。そうして、呼びかける家があると、その表口に立って、その一家が、今夜から将来《サキ》幸福になる唱え言を唱えて、お礼の銭を貰っては、又先へ出掛けます。
 春になる前夜の、賑やかで、そうして何処かにしん[#「しん」に傍点]と静まった様子を想像して御覧なさい。暦を見ると、立春と言う日が、載ってありましょう。今年は、其が二月五日になります。冬が過ぎて春の来るのを迎えるについて、出来るだけ我々の生活にとってよくないものを却けて置いて、輝かしい幸福をとり入れようとするのです。昔から春と新しい年とが、同時に来るものと言う考えが、習慣の様に人々の頭にこびりついて居るので、立春が新しい春その前夜を意味する節分は、旧年の最後の夜という風に思われて居ました。だから、節分の事を「年越し」という地方も多いのです。年越しは、大晦日と同じ意味に用いる語です。
 九鬼家《クキケ》と言う古い豪族の家では、節分の夜、不思議な事を行われると言う噂がありました。ある時、松浦伯爵の祖先の静山と謂った人が、九鬼和泉守隆国と言う人に、あなたのお家では、節分の夜には主人が暗闇の座敷に坐っていると、目に見えぬ鬼の客が出て来て、坐りこむ。小石を水に入れて吸い物として勤めると、其啜る音がすると言うではありませんかと問いますと、其は噂だけで、そんな事はありません。唯豆を打つ場合に、「鬼は内、福は内、富は内」と唱える。其上、普通にする柊と鰯とは、私の家ではしないと答えられたと言う事です。
 此は言うまでもなく、家の名が九鬼である事から、それによって縁起を祝って、家の名に関係のあるものを逐《オ》い却ける様な事は一切しない事になったのでしょう。勿論、鬼は来るはずはありません。だが来た事もなかったとは言えません。来るのは勿論、鬼に仮装した人が出て来て、鬼となって逐われる様子をするのでした。



底本:「日本の名随筆17 春」作品社
   1984(昭和59)年3月25日第1刷発行
   1997(平成9)年2月20日第20刷発行
底本の親本:「折口信夫全集 第三十巻」中央公論社
   1968(昭和43)年4月初版発行
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2003年12月27日作成
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