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鬼の話
折口信夫

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)語《ことば》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)信州下伊那郡|新野《ニヒノ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「やまいだれ+惡」、第3水準1-88-58]

 [#(…)]:訓点送り仮名
 (例)天《アマ》[#(ノ)]探女《サグメ》

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)離れよう/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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     一 おに[#「おに」に傍線]と神と

「おに」と言ふ語《ことば》にも、昔から諸説があつて、今は外来語だとするのが最勢力があるが、おに[#「おに」に傍線]は正確に「鬼」でなければならないと言ふ用語例はないのだから、わたしは外来語ではないと思うてゐる。さて、日本の古代の信仰の方面では、かみ[#「かみ」に傍線](神)と、おに[#「おに」に傍線](鬼)と、たま[#「たま」に傍線](霊)と、もの[#「もの」に傍線]との四つが、代表的なものであつたから、此等に就て、総括的に述べたいと思ふのである。
鬼は怖いもの、神も現今の様に抽象的なものではなくて、もつと畏しいものであつた。今日の様に考へられ出したのは、神自身の向上した為である。たま[#「たま」に傍線]は眼に見え、輝くもので、形はまるいのである。もの[#「もの」に傍線]は、極抽象的で、姿は考へないのが普通であつた。此は、平安朝に入つてから、勢力が現れたのである。
おに[#「おに」に傍線]は「鬼」といふ漢字に飜された為に、意味も固定して、人の死んだものが鬼である、と考へられる様になつて了うたのであるが、もとは、どんなものを斥《サ》しておに[#「おに」に傍線]と称したのであらうか。
現今の神々は、初めは低い地位のものだつたのが、次第に高くなつて行つたので、朝廷から神に位を授けられたことを見ても、此は、明らかである。即、神社の神は階級の低いものであつた。土地の精霊は、土地と関係することが深くなるに連れて、位を授けられる様になつて行つたので、其以前の神と言へば即、常世神だつたのである。
常世神とは――此はわたしが仮りに命《ナヅ》けた名であるが――海の彼方の常世の国から、年に一度或は数度此国に来る神である。常世神が来る時は、其前提として、祓へをする。後に、陰陽道の様式が這入つてから、祓への前提として、神が現れる様にもなつた。が、常世神は、海の彼方から来るのがほんとうで、此信仰が変化して、山から来る神、空から来る神と言ふ風に、形も変つて行つた。此処に、高天原から降りる神の観念が形づくられて来たのである。今も民間では、神は山の上から来ると考へてゐる処が多い。此等の神は、実は其性質が鬼に近づいて来てゐるのである。

     二 祭りに出るおに[#「おに」に傍線]

春の祭りには、一年中の農作を祝福するのが、普通であつた。其には、其年の農作の豊けさを、仮りに眼前に髣髴させようとした。かうした春の農作物祝福の祭りの系統を、はなまつり[#「はなまつり」に傍線]と言ふ。新・旧正月に通じて、今年の農作はかくの如くある様に、と具体的に示す。此春の祭りには、おに[#「おに」に傍線]が出て来るのだ。
おに[#「おに」に傍線]は、実に訣らぬ怪物である。出雲の杵築の春祭りにも「番内《バンナイ》」といふおに[#「おに」に傍線]が出て来る。此は、追儺と一緒になつて了うてゐる。歩射《ホシヤ》の神事には、節分の日昏れ、或は大晦日の日昏れに、馬場などに的を造つて、射ることがある。此を鬼矢来の式と称するが、此は逆で、神の来る式におにやらひ[#「おにやらひ」に傍線]の式が混入し、村人のおに[#「おに」に傍線]の信仰が変化して結びつき、こんな矛盾した形が出来たのであらう。
社々で行はれてゐる神楽には、鬼が現れてする問答がある。鬼が言ひまかされて逃げて行く処が、神楽の大事な部分である。此考へは、追儺の式と同じであるが、これにも矛盾が沢山ある。歳神と言ふのは、毎年春の初めに、空か山の上かゝら来る神で、年の暮れに村人が歳神迎へに行く。其時には、山の中の神の宿る木を見つけて、其木に神の魂を載せて帰る。かうした意味で、門松の行事の行はれてゐる地方が、沢山ある。此時神は、門松に唯一人で載つて来るのではなくて、大勢眷属を率ゐて来るのである。かうした神を祀る処は歳棚で、歳棚の供物には、鏡餅・粢《シトギ》・握り飯等があるが、皆魂の象徴であつたのだ。其数は、平年には十二、閏年には十三である。此は、神の眷属は大勢あるが、一个月に一人づゝ来るものと見て、此習慣が出来たのであらう。
信州下伊那郡|新野《ニヒノ》では、正月十三日か十四日に、門松と一緒に立てかけておいたにうぎ[#「にうぎ」に傍線]を、をがみ場所に配つて歩く。此をおにき[#「おにき」に傍線]と言ふ。其頃はちようど、歳神を送る日に当るが、其日には鬼が来ると称し、針為事を控へる。此処では歳神は鬼と似た性質を持つてゐて、やはり、眷属を連れて来る。
此と同様な事は、盆にもする。盆棚は事実、歳神の棚と同じ意味でする地方がある。精霊・わき[#「わき」に傍線]・とも[#「とも」に傍線]と、それ/″\区別して、棚を拵へることもする。盆の変つた行事としては、生御霊の行事がある。其は、大きな家の子方に当る人々は、盆の間に其親方の家に挨拶に行く。大きな鯖《サバ》を携へて行き、親方の為におめでたごと[#「おめでたごと」に傍線]を述べるのである。
此式は室町頃から続いたことで、田舎から京へ出たのだらうと思ふ。正月に朝覲行幸をせられるのも、実は此生御霊と同様な行事である。此信仰はすべて、吾々は生御霊を持つてゐるといふ考へから出たもので、吾々の身体から生御霊は離れよう/\とし、或は外物に誘はれて、出よう/\としてゐるのを、抑へなくてはならない。子方は親方の生御霊を抑へに行くのであり、祝福しに行くのである。今に用ゐる正月の「おめでたう」といふ挨拶は、其祝福の詞の固定したものである。其にしても、何故|鯖《サバ》を携へて行くのかは、訣らない。一体、神に捧げる食物と、精霊に捧げる食物とは異つてゐて、精霊に捧げるのを産飯《サバ》と言ふが、其語が鯖に考へられたのではなからうか。後期王朝には、生御霊と死御霊と二つあつた。死御霊は常に、生御霊を誘ひ出さうとする。
琉球の石垣島の盆の祭りには、沢山の精霊が出て来た。即、おしまひ[#「おしまひ」に傍線](爺)・あつぱあ[#「あつぱあ」に傍線](婆)が多くの眷属をひきつれて現れ、家々を廻つて、祝福をして歩く。此群をあんがまあ[#「あんがまあ」に傍線]と言ひ、大倭から来るものと考へてゐるが、其は海の彼方の理想郷からであらう。
春の初めの清明節には、まやの神[#「まやの神」に傍線]と言ふ神が現れる。此は台湾の蕃人も持つてゐる信仰である。まや[#「まや」に傍線]は即まやの国[#「まやの国」に傍線]から来る神で、簑笠で顔を裹《つつ》んで来て、やはり、家々を祝福して廻る。宮良《メイラ》村には、海岸になびんづう[#「なびんづう」に傍線]と言ふ洞穴があつて、黒また[#「黒また」に傍線]・赤また[#「赤また」に傍線]と称する二人の神が現れる。また[#「また」に傍線]は蛇のことである。此神は、顔には面《メン》を被り、体は蔓で飾り、二神揃つて踊れば、村の若者も此を中心にして踊り出す。此時、若者は、若者になる洗礼を受けるのだから、成年戒の意味も含まれてゐるのである。
かうした神々の来臨は、曾て、水葬せられた先祖の霊が一処に集合してゐて、其処から来るのである、と考へたものらしく、此等の神は、非常に恐れられてゐるのを見ても、古い意味を持つてゐるのである。簑笠を著けて家に入ることの出来るのは、神のみであるから、中でも、あんがまあ[#「あんがまあ」に傍線]と言ふ祖先の霊の出る祭りは、最古い意味を持つてゐるものと思はれる。其が、盆の行事と結合して、遺つてゐるのであらう。
此信仰の源は一つであるが、三様に岐れてゐる。内地の例に当てゝ見れば、よく訣ることで、最初の考へは、死霊の来ることである。此死霊をはつきり伝へた村と、祝福に来る常世神の信仰を持ち続けた村とがある。内地では此観念が変つて、山或は空から来るものと考へる様になつてゐる。
歳神は、祖先の霊が一个年間の農業を祝福しに来るので、此を迎へる為に歳棚を作るのであるが、今は門松ばかりを樹てるやうになつて了うた。多くの眷属を伴つて来るので、随つて供物も沢山供へる。その供物自身が神の象徴なのである。古い信仰では、餅・握り飯は魂の象徴であつた。だから、餅が白鳥になつて飛ぶ事の訣もわかるのである。白鳥はもとより、魂の象徴である。
神が大勢眷属を連れて来るのは、群行の様式である。仮装の古いものに風流《フリウ》があり、仏教味が加はつて練道《レンダウ》となるが、源は皆一つで、神の行列である。初春に神の群行があるのは固有であるが、盆に来るのは、仏教と融合してゐる。徒然草に、東国では大晦日の晩に魂祭りをしたことが見える。歳神と同じであり、更に初春に来る鬼である。

     三 土地の精霊と常世神と

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まきむくの穴師の山の山人と、人も見るかに、山かつらせよ
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古今集巻二十に、かういふ歌がある。柳田国男先生が古今集以前に、既に、此風はあつたらしい、と言つて居られる通り、大嘗祭には、日本中の出来るだけ多くの民族が出て来たもので、穴師山の山人も其一つなのである。即、土地の神々が、祭りに参与すると言ふ考へが、かうしたしきたり[#「しきたり」に傍点]を産んだのである。彼等は、彼等の神の代表者として来り加はり、神と精霊と問答をし、結局、精霊が負けると言ふ行事をすることになつて居たのだ。
此形は、あまんじやく[#「あまんじやく」に傍線]が何でも人に反対すると言ふ事に残つてゐる。あまんじやく[#「あまんじやく」に傍線]は即、土地の精霊で、日本紀には、天《アマ》[#(ノ)]探女《サグメ》として其話があり、古事記や万葉集にも見える。やはり、何にでも邪魔を入れる、といふ名まへであらう。神々が土地を開拓しようとする時、邪魔をするのは、何時も天[#(ノ)]探女である。即、土地の精霊なのである。此天[#(ノ)]探女は、実に日本芸術の発足の源をなしてゐるものである。其為事は、
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一 ものまね→芸能(舞踊)
一 人に反対すること→狂言(おどけ)
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即、日本の芸術、尠くとも演芸の発生を為すものである。狂言は、江戸に入つて初めて勢力が出た。ものまね[#「ものまね」に傍線]とは、ちようど反対の立場にある。
猿楽ではをかし[#「をかし」に傍線]といひ、延年舞ではもどき[#「もどき」に傍線]と称して、所謂もどき開口[#「もどき開口」に傍線]の儀式をする者がある。もどき[#「もどき」に傍線]が、殊に有力な働きをするのは田楽で、随つて寺院の舞踊に這入つてゐる。ひよつとこ[#「ひよつとこ」に傍線]は、その最近くまで残つた形である。もどき[#「もどき」に傍線]は即「もどく」意で、反対する事を現す。日本の芸術では、歌の掛け合ひから既にもどき[#「もどき」に傍線]である。神と精霊との問答が、歌垣となつたのである。源に溯ると、あらゆる方面にもどき[#「もどき」に傍線]が現れてゐる。
能楽の面に大※[#「やまいだれ+惡」、第3水準1-88-58]《オホベシミ》と言ふのがあるが、※[#「やまいだれ+惡」、第3水準1-88-58]《ベシミ》は「へしむ」といふ動詞から出た名詞で、口を拗り曲げてゐる様である。神が土地の精霊と問答する時、精霊は容易に口を開かない。尤、物を言はない時代を越すと、口を開くやうにもなつたが、返事をせないか、或は反対ばかりするかであつて、此二つの方面が、大※[#「やまいだれ+惡」、第3水準1-88-58]《オホベシミ》の面に現れてゐるのだ。一体日本には、古くから面のあつたことを示す証拠はある。併し、外来の面が急速に発達した為、在来の面は、其影を潜めたのである。
開口は、口を無理に開かせて返事をさせる事で、其を司る者は脇役である。して[#「して」に傍線]は神で、わき[#「わき」に傍線]は其相手に当る。かうしたわき[#「わき」に傍線]の為事が分化して来ると、狂言になるのだ。勿論、狂言は、能楽以前からあつたものである。大※[#「やまいだれ+惡」、第3水準1-88-58]《オホベシミ》の面は、全く口を閉ぢてゐる貌であるが、此面には、尊い神の命令を聴くと言ふ外に、其命令を伝達すると言ふ、二つの意味がある。即、神であり、おに[#「おに」に傍線]であるのだ。
また一方、恐怖の方面のみを考へたのが、鬼となつた。鬼と言ふ語は、仏教の羅卒と混同して、牛頭《ゴヅ》・馬頭《メヅ》の様に想像せられてしまうた。其以前の鬼は、常世神の変態であるのだが、次弟に変化して、初春の鬼は、全く羅卒の如きものと考へられたのである。つまり、初めは神が出て来て、鬼を屈服させて行くのだが、後には、神と鬼との両方面を、鬼がつとめることになつて行つた。鬼が相手方に移つて行つたのである。田楽では、鬼と天狗とを扱うてゐる。一体、田楽は宿命的に、天狗と鬼とを結合させてゐる。此は演劇の発足を示すもので、初めはして[#「して」に傍線]が鬼、わき[#「わき」に傍線]がもどき[#「もどき」に傍線]であつた。
村々の大切な儀式に鬼が参加することは、今も、処々に残つてゐる重大なことである。壱岐の島へ行くと、おにや[#「おにや」に傍線]と言ふものがあるが、此は古墳に相違ない。此処には昔、鬼が棲んだと言はれてゐる。対馬へ行くと、やぼさ[#「やぼさ」に傍線]と言ふ場所が神聖視せられてゐる。初春には、殊に大切に取り扱はねばならぬ。此処には、祖先の最古い人が住んでゐると考へられ、非常に恐れられてゐる。
昔は、海辺の洞穴に死人を葬つたが、後には其処を神の通ひ場所と考へる様になつた。沖縄の石垣《イシガキ》島の宮良《メイラ》村では、なびんづう[#「なびんづう」に傍線]の鬼屋《オニヤ》に十三年目毎に這入つて行つて、若衆入りの儀式を挙げる。恐るべき鬼は、時には、親しい懐しい心持ちの鬼でもある。仏教で言ふ鬼では決してないのである。
かうした鬼を扱ふ方法を、昔の人々はよく知つてゐた。あるじ[#「あるじ」に傍線]と言ふ語は、まれびと[#「まれびと」に傍線]即、常世神に対する馳走を意味する。日本の宴会には後世まで、古代の神祭りの儀式のなごりが、沢山遺つてゐる。武家の間で馳走の時、おに[#「おに」に傍線]と言ふ名の役が出た事も、かうして見て初めて意味がよく訣る。
まれびと[#「まれびと」に傍線]なる鬼が来た時には、出来る限りの款待をして、悦んで帰つて行つてもらふ。此場合、神或は鬼の去るに対しては、なごり惜しい様子をして送り出す。即、村々に取つては、よい神ではあるが、長く滞在されては困るからである。だから、次回に来るまで、再、戻つて来ない様にするのだ。かうした神の観念、鬼の考へが、天狗にも同様に変化して行つたのは、田楽に見える処である。



底本:「折口信夫全集 3」中央公論社
   1995(平成7)年4月10日初版発行
底本の親本:「古代研究 民俗学篇第二」大岡山書店
   1930(昭和5)年6月20日発行
※底本の題名の下に書かれている「大正十五年、三田史学会例会講演筆記」は省きました。
※訓点送り仮名は、底本では、本文中に小書き右寄せになっています。
※平仮名のルビは校訂者がつけたものである旨が、底本の凡例に記載されています。
※「次第」と「次弟」の混在は底本通りにしました。
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2004年1月26日作成
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