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茂吉への返事
折口信夫
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わたしはこゝで、駁論を書くのが、本意ではありません。そんなことをしては、忙しい中から、意見して下された、あなたの好意を無にすることに當りませう。其に第一、お申し聞けの箇條は、大體に於て、わたしの意表外に出たことではありませんでしたから。といふと、何だかあなたの語を輕しめる樣な、高ぶつた語氣を含んでゐる樣に、聞えるかも知れませんが、實の處、あなたのみならず同人の方々の、あゝいふ傾向の抗議のあることは、漠然と豫期しながら、あの百首の發表をしたのですから、あわたゞしく辯解しようとも思ひません。たゞ、世間にはわれ/\朋黨の意味をば取り違へて、個性を沒却した政治的の意味に、誤解してゐる人々も、ちよい/\見受けられます。それは「文藝上の朋黨」といふ小論文を書いたわたしにも、大分責任がある樣です。それで、御來旨に對して、わたし自身の生活に根ざした態度や、主張を明らかにして置くのに、却つて、都合のよい機會だ、と思つたのです。
最初にお願ひしたいのは、わたしはまだ生長の途中に在るのですから、ひと[#「ひと」に傍点]の思はくに氣をかねるなどいふ、餘裕が出來てゐない、といふことを考へに置いて頂くことです。
同人の末に連つてゐる行きがゝり上、從順な會員に、濁りを帶びた歌を見せて、趨舍に當惑させるのは、或は單純に考へれば、罪惡ともいふべきものでせう。又既成概念を以て、アララギ派の歌風を見てゐる世間に對して、風變りな歌を見せるといふことは、アララギの歴史上、かなり迷惑なことであるのは、わたしも考へないではありません。唯前にいうた、生長の途中に在るわたしとしては、甚利己的にとられ相な言ひ分ですが、會員を上|衆《ズ》にする前に、先わたしから上衆にならねばならぬ、と思ひます。或は先達諸家の迷惑に思はれることかも知れませんが、アララギ派の既成概念に反した態度になるのも、止むを得ぬことだと思ひます。だから、會員や世間を目安として、歌を作ることは、今のわたしには、到底能はぬことなのです。同人諸兄は事實、わたしよりは、數段も上にある人ばかりで、後進の身としては、勉強の急を感じない訣には參りません。いつか中村さんからの私信に「君の歌は毎號變つていつてる」とありましたのを讀んだ時、非常に有り難く思ひました。わたしは上衆にならない前に、まづ固定するのを恐れます。自分にも變り目の甚しいのが訣つてゐるのです。時々固定した日を考へて見ると、寂しくて堪へられなくなつて來ます。
だからというて、變化の途々にある毎月の歌を、試作だとか、未定稿などゝいふ囘避は、決していたしません。何時、誰から、如何なる批評を受けても、喜んで耳を傾けるだけの覺悟は持つて居ます。
同人諸兄、殊に、あなたと赤彦さんが、左千夫先生と議論を繰り返された歴史が、復あなたと私との上に循つて來たのだ、といふ氣がします。あの頃、服部躬治先生の處へ通ふことをやめてゐた私が、子規庵の歌會で二囘迄、左千夫先生と、若い元氣であつたあなたとの議論を、傾聽しました。勿論其爭ひが、今再びせられるのだといへば、或は不遜に聞えるかも知れません。此から暫らく、書き連ねる問題は、わたしとあなたとの質に於ける相違を申したい、と思ふのです。くどい樣ではあるが、この點の考察を怠つては、總ての議論は空になります。
あなた方は力の藝術家として、田舍に育たれた事が非常な祝福だ、といはねばなりません。この點に於てはわたしは非常に不幸です。輕く脆く動き易い都人は、第一歩に於て既に呪はれてゐるのです。わたしどもと同じ仲間に引いて來るのは、無禮なことでありますが、或點に於て、岡さんも呪はれた一人といふことが出來ます。都會人が藝術の堂に至るのと、金持ちの天國に生れるのとは、或は同じ程な難事であるかも知れません。
併し、此邊の苦勞は、もとより覺悟の上でかゝつてゐるのです。田舍人の見る處と、都會人の見る處とは、自ら違うたものがあるので、難道と易道、といへば、語弊がありませう。たゞ、境遇の善惡は確かに見る事が出來ます。田舍人が肥沃な土の上に落ちた種子とすれば、都會人はそれが石原に蒔かれたも同然です。殊に古今以後の歌が、純都會風になつたのに對して、萬葉は家持期のものですらも、確かに、野の聲らしい叫びを持つてゐます。その萬葉ぶりの力の藝術を、都會人が望むのは、最初から苦しみなのであります。けれども、絶對に否定してしまふことも、出來ないだらうと思ひます。
日本では眞の意味の都會生活が初つて、まだ幾代も經てゐません。都會獨自の習慣・信仰・文明を見ることが出來ない、といふことは、かなりた易く、斷言が出來ます。そこに根ざしの深い都會的文藝の、出來よう訣がありません。日本人ももつと、都會生活に慣れて來たなら、郷土(郷土の譯語を創めた郷土研究派の用語例に據る)藝術に拮抗することの出來る、文藝も生れることになるでせう。まづ、それまでは氣長く待ち、而も、その發生開展を妨げない樣に、するだけの覺悟は必要です。都會人なるわたしどもはかういふ方向に、力の藝術を掴まねばならない、といふ氣がします。
こゝに、大阪と東京との比較が、必要になつてきました。三代住めば江戸つ子だ、といふ東京、家元制度の今尚嚴重に行はれてゐる東京、趣味の洗練を誇る、すゐ[#「すゐ」に傍点]の東京と、二代目・三代目に家が絶えて、中心は常に移動する大阪、固定した家は、同時に滅亡して、新來の田舍人が、新しく家を興す爲に、恒に新興の氣分を持つてゐる大阪、その爲に、野生を帶びた都會生活、洗練せられざる趣味を持ち續けてゐる大阪とを較べて見れば、非常に口幅つたい感じもしますが、比較的野性の多い大阪人が、都會文藝を作り上げる可能性を多く持つてゐるかも知れません。西鶴や近松の作物に出て來る遊冶郎の上にも、此野性は見られるので、漫然と上方を粹な地だといふ風に考へてゐる文學者たちは、元祿二文人を正しう理會してゐるものとは言はれません。其後段々出て來た兩都の文人を比べても、此差別は著しいのです。此處に目をつけない江戸期文學史などは、幾ら出てもだめなのです。江戸の通に對して、大阪はあまりやぼ[#「やぼ」に傍点]過ぎる樣です。
眞淵の「ますらをぶり」も、力の藝術といふ意味でなく、單に男性的といふ事を對象としてゐるのではなからうか、と思ひます。田舍人ばかりが、力の藝術に與ることが出來て、都會人は出來ない相談だと迄、わたしは悲觀して居ません。曲りくねつた道に苦しみ拔いて、力の藝術に達した都會人も、比較的質に於て倖はれて生れた田舍人と、同じく、「ますらをぶり」の運動に與ることは出來るのです。あなたも、此點は否定せられまいと思ひます。さすれば、都會人が、複雜な、あくどい、なま/\しい對象を掴んで來ることも、其表現の如何によつては、否認はなされぬでせう。若し反對とすれば、問題は岐れて、「短歌の本質」といふ方向へ向ひます。わたしは要するに、對象よりも心に在るのだ、と思ひます。純化というても、語弊はありますが、ともかく雜駁性を整理する氣魄[#「雜駁性を整理する氣魄」に傍点]如何に因ることだと思ひます。大分がさつ[#「がさつ」に傍点]な傾きは在つたとは言へ、啄木は短歌の本質上の限界を乘り超えて、「才の奇蹟」を見せたではありませんか。此點、あなたにかれこれ言ふのは、「我は顏」を恥しく思ひます。
先祖・家門・財産などいふ問題に對して、あれだけ苦痛を經驗して來られた岡さんの歌には、子規居士・左千夫先生等になかつた發見が光つてゐます。きつと、岡さんのこれからの歌は、アララギの歴史上に特筆せられる一分野を開いて來られるでせう。所謂苦勞人のない歌壇には、岡さんに創まる一運動を阻拒する權利を有つた一人の歌人もない筈です。
赤彦さんは、あなたと比べると、著しく智慧の點に於ては、都人的であると思ひます。此は尠くもあなたゞけには、迢空は善く考へた、と納得して貰へることゝ思ひます。千樫さんになると、情調に於て都人的要素が多くありすぎる程です。
恐らくアララギ同人中で、憲吉さん程純粹ですなほ[#「すなほ」に傍点]な心を持ち續けて居る人はないでせう。都會の誘惑には勝たれ相もなくて、而も立派に跳ねかへす先天的の強い郷土性をも兼ね具へてゐられました。あなたは、其から見れば極めて堅固な田舍びとであります。淨瑠璃よりも浪花節を愛せられるのも、あの聲の野性を好まれたのでせう。わたしはあなたの都會の歌を讀むと、憲吉さんのに對して、反撥不退轉といふ風な語が、心に浮んで來ます。
都會・田舍に就て、一言も發せられなかつたあなたの語に對して、なぜこんな事を言ひ出したかは、尠くともあなたには訣つてゐることゝ思ひます。質に於て呪はれてゐる都會人なるわたしが、力の藝術運動に參加してゐる爲に、あなた方の思ひもよられぬ苦惱を發想の上に積んでゐるといふことを知つて貰ひ、同時に今すこし長い目で、眞の意味の萬葉調、嚴正なるますらをぶりの力を、完全に生み出す迄の、此陣痛の醜いのたうち※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]る容子を見て頂きたい、と思ふからです。陣痛期間の見苦しさに驚いて逃げ出した我々の祖先のひこほゝでみ[#「ひこほゝでみ」に傍点]の樣な心に、なつて頂いては、困ると思うたからなのです。
わたしは都會人です。併し、野性を深く遺傳してゐる大阪人であります。其上、純大和人の血も通ひ、微かながら頑固な國學者の傳統を引いてゐます。氣短く思はないで、直《ナホ》く明《アカ》く淨《キヨ》く力強い歌を産み出す迄の、あさましい「妣《ハヽ》の國《クニ》」の姿を見瞻つて、共にあくうざず[#「あくうざず」に傍線]の叫びを擧げて頂きたい、と願ふのです。
力の藝術といふ語は、あなたと、わたしとでは、おなじ内容を具へてゐないかも知れませぬ。わたしの「ますらをぶり」なる語に寓して考へた力は、所謂「たをやめぶり」に對したものです。人に迫る力がある、鬼神をも哭かしめるに足るなど評せられる作品の中にも、「ますらをぶり」の反對なものも隨分とあります。其も一種の力であります。萬葉に迷執してゐるわたしは、ますらをぶりに愛着を斷つことが出來ませぬ。警察官の心が、荒ましくなつて、「萬葉調の歌をよせ。ますらをぶりを棄てろ」と怯かす世になつても、萬葉調を離れることは出來ないと信じてゐます。が、茲に立ち入つて言ふと、わたしはあまり多くの人の歌を讀み過ぎました。他人の歌に淫し過ぎました。爲に、世間の美學者や、文學史家や、歌人などの漠然と考へてゐる短歌の本質と、大分懸けはなれた本質を握つてゐます。其爲に、りくつ[#「りくつ」に傍点]としては、「たをやめぶり」も却けることが出來ませぬ。しかし一箇の情からすれば、斷乎として撥ね反します。けれども其處に、あなた方程の純粹を誇ることの出來ぬ濁りが出て來ました。
今度の歌にも、「たをやめぶり」に對する理會が、誘惑となつて働きかけてゐるのを明らかに見ることが出來ます。此は都人であり、短歌に於けるでかだんす[#「でかだんす」に傍線]としてのわたしに當然起り相な事です。併し恥づべきことであります。わたしの本然の好みに遠ざかり、又、力の洗禮を以て淨化することがなし遂げられてゐませんから。つまりは、自分自身の嗜きの本道をあるいてゐないかも知れぬといふ、自ら顧みての恥ぢなのです。
けれども安心して頂きませう。わたしは、其「たをやめぶり」をもますらを[#「ますらを」に傍点]の力に淨化する日が、來るに違ひないと信じてゐます。
底本:「折口信夫全集 第廿七卷」中央公論社
1968(昭和43)年1月25日発行
初出:「アララギ 第十一卷第六號」
1918(大正7)年6月
※底本の題名の下に書かれている「大正七年六月「アララギ」第十一卷第六號」はファイル末の「初出」欄に移しました。
入力:高柳典子
校正:多羅尾伴内
2004年2月19日作成
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