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鏡花との一夕
折口信夫

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)朝端《アサハナ》から

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
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/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)よく/\の
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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他人にはないことか知らん。――私には、あんまり其があつて、あり過ぎて困つた癖だと、始中終それを気にして来た。聞いては見ぬが、大勢の中には、きつと同じ習慣を持つて居ながら、よく/\の場合の外、其に出くはさずじまひになる人が、可なりの人数はあるはずだと思ふ。
歩き睡りと言ふ、あれである。気をつけて居ると、大通りなどでも、どうかすると、ずつと道ばたに寄つて、こくり/\と頭をふらつかし乍ら行く子どもなどを見かけぬ訣でもない。
実は大分久しく、その習慣に遠のいて居た私だが、をとゝしの末に幾年ぶりかに行きあうて、其から暫らく、此が続いたので、どうも全く夜道などは、弱つてしまつたことだつた。
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老いづけば、人を頼みて暮すなり。たゝかひ国をゆすれる時に
[#ここで字下げ終わり]
こんな歌を作つて、慰むともなく、苦しむともなく暮して居たのは、其年の暮れのことである。私などは今度の大戦争にすら、何の寄与することの出来ぬ、実に無能力な、国民の面よごしとも言ふべき生活より外に出来ぬ人間である。そんな間に、せめては自分の暮しのたそく[#「たそく」に傍点]――補足――になつてくれて居た若者を、いくさにやつて、自分戦ひの深さを痛感することが、さうして自身をいためつけることが、幾分でも、民族の共通の苦患を共感して居るのだといふ――ほんたうは、真実に苦しんでゐる世の中にとつては、何にもならぬことだが、――さう思ひ沁むことだけでも、世間並の生活に這入つてゐるやうな気がして居た。さう思うてなだめつけるやうな安らかさに住して居たが、からだはなか/\言ふことをきかなんだ。まづ第一に電話鈴が朝端《アサハナ》から、其ははな/″\しく[#「はな/″\しく」に傍点]鳴り出す。物の本を買ふためや、其外の用で、ほんたうに頻繁に為替をくまねばならぬ。義理に書かずに居られぬ手紙の返事なども、どれ位あるか知れぬ。もつと困らされるのは、税金その他の日ぎりの冥加銭を納めに行くこと、さうせぬまでも、納めさせる用意を整へること、其も誰かにして貰うても、心づもり位はせねばならぬこと、そんなこんなの数へ難く尽し難い用事が、考へればまこと[#「まこと」に傍点]苦の世界と言ふ文字の感覚を数字に置き替へたやうにして、目のまへにづらり[#「づらり」に傍点]と列んで来る。
書生でも、女中でも乃至は雇人婆にでも出来さうな為事に、なぜひとり苦しんで居ねばならぬのか、思へば、台所にたつて、水道の水の荒さにきめ[#「きめ」に傍点]をこはしたり、指に不断の切り疵を作つたりしても、肴に庖丁を入れたり、煮物の出来を期待しながら、自分が焚き立てる湯気にむれてゐるのなどは、ずつと楽しいものであつた。併し其も、言はず語らずからだに積つて来る困憊の種の、重要なものではあつたらしい。
ある冬の晩、寂しい宴会から更けて戻つて来た。電車駅から出た鋪装道路の上で、膝ががつくりと来た。又幾秒かおいて、がく/\とする。せずに居ようと思へば、出来さうな膝と膕《ヒカヾミ》の変な運動であつた。謂はゞその膝と膕とが、一つの頭のまはりであつて、其から下の脛や足頸が、胴体や脚でゞもあるやうに、其処だけが、気随《キズヰ》にはたらいて[#「はたらいて」に傍点]居るのである。其がつくり来る瞬間は、何だか意識が薄れてゐる時に起つてゐるやうなことに気がつき出した。気を張つて歩いてゐると、股から下にぶらさがつた――侏儒のやうな肉体が、上体の命令に反かうともせぬのであつた。だが、上体全体に、まるで、此晩街路に立ち籠めてゐた冷えた靄のやうに、すつと来て掩ひかぶさつて来る無意識感といふものが、もう/\頻繁に襲ひかゝつて来る。
こんな気がして居たものである。上体をこの靄が立ちこめてしまつたら、脚の侏儒が全く間断なく跋扈しはじめるだらう。さうすると、全身はどうなつて行くのだらう。
此も癖で、降つても照つても持つて歩いてゐる蝙蝠傘を、此時ばかり杖にして歩いて居た私は、靄を塞きとめ侏儒を拒みつゞけながら、ふつと立ちどまつて見た。さうするとさつと靄がきれた。侏儒も何処かへ逃げこんだらしい、さはやかな瞬間を感じた。
道はたるい[#「たるい」に傍点]阪道になつて、近年亡くなつた老功臣の家の塀に添うて登つて行く。何といふ情ない幻影か、其人の長過ぎた面長の顔が、脚の侏儒の頭部にかぶさつて、私の下体から、湧き出るやうに無数の蠕くものになつて、実にうよ/\として出て来たのである。
此時、何の理由もなしに、泉鏡花さんと、稲生武大夫《イナフブダイフ》とが一処になつて、どつと私の前におし寄せる波のやうなものに乗つて出て来たものである。
今思ふと、武大夫が泉さんと因縁を持つてゐることは説明するまでもないことである。が、私には訣があつた。――其よりも、その際は、真に雲を掴むやうに鏡花小史と稲亭主人を一緒にして呑みこんだことだつた。此二人を、怪談作家と武辺者といふ感じでうけ入れたのではなかつた。ひとしく彼侏儒であり、小悪魔として接したものゝやうである。
話の腰を折ることになるが、――尤、腰が折れて困るといふ程の大した此話でもないが――昔の戯作者の「閑話休題」でかたづけて行つた部分は、いつも本題よりも重要焦点になつてゐる傾きがあつた様に、此なども、どちらがどちらだか訣らぬ焦点を逸したものである。泉さん御自身が、常半ば戯作者を以て任じておいでだつたことも、こんな「入れ事咄」には、意味を持つて来るのである。
――泉さんを二番町のお宅にお訪ねしたのは、お亡くなりになるやつと二月前位だつたらう。大学の夏期講習に引き出しに行つたのだが、――大して物事の判断に「おつかなびつくり」を用ゐぬらしい、大戯作者は、実に潔く、「出ますとも」と承引して下された。此事に関しては、その直後、私の師柳田先生から、とてもひどくお叱りを受けたものであるが、――私並びに私に唆かされた泉さんの軽はずみを、御自身の身にひきつけて悔いるやうなお気持ちで、お咎めになつたことは、其時其場に感じ乍ら、先生の教誨の前に頭をさげて居た私であつた。
併し其時の泉さんと私とは、実に気持ちよく話しあうたものである。十数年以来、何処へでも同伴して行く習慣になつて居る家の春洋なども、単に金沢に少年時を育つたといふだけで、其はほのぼのとした愛情を持つた表情で、始中終顧み/\話してやつて頂いた。
泉さんの持論の黄昏時の感覚と、其から妖怪の怨恨によらぬ出現の正しさ――かう言ふ表し方は、泉花さんの厭ふ所でありさうだ。――を主張する情熱と言ふよりは、別の熱を持つた話になつて来た。自分の職に絡んだことに話が向いて来ると、竪板に水と謂つた風に、流動して来た表現力、寧却て信頼をはぐらかしさうなまでの雄弁で、――今も手にとつて見る様に思ひ浮ぶ話しぶりで話された。
実は其時、甚申し訣ないことだが、稲生武大夫と謂へば、篤胤が書いた「稲生物怪録」を触れて通つた位にしか読んで居なんだ私である。
それ、あのよく貸し本屋が持つて来たぢやありませんか。――写本でさ――、稲亭随筆だの、稲亭何だとか言ふし、御存じないんですか、――あきれた、と言ふ風で、私の無知を確めて、何だか却て恥かしさうな顔をしながら、さうかなあと言ふ風な表情を見せられた。
物足らぬ話相手だと思はれたことだらうし、土台自分は無学な戯作者を以て任じて居られた人だから、一目おいて来た学者といふものが、自分の知つて/\知りぬいてゐるありふれた雑書を知らぬとなると、今までの謙遜な自覚が動揺せずには居られなんだらう。でも、人に恥をかゝせぬお人の事だから、あきれた表情を持ち続けることなく、新しい感興を以て話の方にみを入れて[#「みを入れて」に傍点]行かれた。
泉さんは、柳田先生などゝ同年代の若い時代を過ぎて来られたのだから、先生同様、私より一まはり以上は上《ウヘ》の筈である。さすれば、あの日清戦争時期は、貸し本などを耽読せられた時代で、さう言へばその頃なら、まだ私装本を頭より高く、恰も見越し入道を背負うたやうな恰好で、雑書読みの居る家《ウチ》を何日目かに訪《ト》ひ寄つた時代であつたことだ。



底本:「折口信夫全集 32」中央公論社
   1998(平成10)年1月20日初版発行
※題名の下に「昭和十七年頃草稿」の記載があります。
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2003年12月27日作成
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