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好惡の論
折口信夫
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(例)後から/\
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鴎外と逍遙と、どちらが嗜きで、どちらが嫌ひだ。かうした質問なら、わりに答へ易いのです。でも、稍老境を見かけた私どもの現在では、どちらのよい處も、嗜きになりきれない處も、見え過ぎて來ました。それでやつぱり、かうした簡單な討論の方へ加はれさうもありません。だからまして、廣く大海を探つて一粟をつまみあげろと言つた難題には、二の脚を踏まずには居られません。さあだれが嗜きで誰が嫌ひ。そんな印象も殘さない樣な讀み方で、作品を見續けて來た幾年の後、靜かにふりかへつて見ても、假作・實在の人物の性格や生活に、好惡を考へ分ける事が出來なくなつてゐます。今度、あなたの出題で、はじめて私どもの讀み方の、一面からは變であつた事に氣がつきました。家康を狸おやぢときめ、ざつくばらんな秀吉をひいきにする樣には、參りかねる樣になつて居た心境に心づきました。こんな言ひ方をするのも、甚だ人ずきのしないねつとりした人物の標本に、自分で据りこむ樣で氣がひけます。けれども、正直、氣どりなしに、あなたの閻魔帳の黒丸に値する「わかりません」を以て應ずる外はありません。
だが強ひて申さば、自分の生活を低く評價せられまいと言ふ意識を顯し過ぎた作品を殘した作者は、必後くち[#「くち」に傍点]のわるい印象を與へる樣です。
文學上に問題になる生活の價値は、「將來欲」を表現する痛感性の強弱によつてきまるのだと思ひます。概念や主義にも望めず、哲學や標榜などからも出ては參りません。まして、唯紳士としての體面を崩さぬ樣、とり紊さぬ賢者として名聲に溺れて一生を終つた人などは、文學者としては、殊にいたましく感じられます。のみか、生活を態度とすべき文學や哲學を態度とした増上慢の樣な氣がして、いやになります。鴎外博士なども、こんな意味で、いやと言へさうな人です。あの方の作物の上の生活は、皆「將來欲」のないもので、現在の整頓の上に一歩も出て居ない、おひんはよいが、文學上の行儀手引きです。もつと血みどろになつた處が見えたら、我々の爲になり、將來せられるものがあつた事でせう。
逍遙博士はまだ生きて居られるので、問題にはしにくいと思ひますが、あの如何にも「生き替り死に變り、憾みを霽らさで……」と言つたしやう[#「しやう」に傍点]懲りもない執著が背景になつて、わりに外面整然としない作物に見失はれがちな、生活表現力を見せてゐます。つまりは、あきらめ[井「あきらめ」に傍点]やゆとり[#「ゆとり」に傍点](鴎外博士のあそび[#「あそび」に傍点])や、通人意識・先覺自負などからは、嗜かれる文學が出て來ないのです。この意味の「嗜かれる」といふことは、よい生活を持ち來す、人間の爲になる文學、及び作者の評言といふ事になるのです。
一茶の恥しい日記が後から/\出て來ても、一茶の文學が嗜かれ、一茶が磨かれ、よい人間生活の將來を希求した人として嗜かれて來るばかりではありませんか。其と共に、文學價値も高まつて來るのは事實です。
芭蕉に――まちがひだつたでせうが――妾のあつた發見などが報告せられてから、正風の翁の作品の、文壇價値は、やつぱり高まつて來てゐるのは、時代的に内證せられる事實です。單に、「人間味がある」と言ふ樣な、簡單な懷しさによるものと思ふ事は出來ません。
馬琴の日記を見ても、いやな根性や、じめ/\した、それでゐて思ひあがつた後世觀なども、却て、其文學の背景を色濃くし、性格的必然性を考へさせる樣になつて來ました。小づらにくい小言幸兵衞のもでる[#「もでる」に傍線]の樣な爺さまも、文學者として浮きぼりせられて來たのです。だから生活が知れるといふ事は、作者と作物との關係、生活の將來力と個性の表現傾向などが、長い人生の參考や、暗示や動力になるのです。此點において、私の考へる文學の目的に大なり小なり叶うて來るのです。
文學の目的は、私はかう申します。人間生活の暗示を將來して、普遍化を早める事です。此が、私の考へる文學の普遍性で、同時に、文學價値判斷の目安なのです。だから、結局、日記や傳記によつて、文學作品が註釋せられて、作者の實力が知られると言ふのは、抑文學者として哀れな事で、作品其物に、人間共有の拂ひがたい雲を吸ひよせる樣な、當來の世態の暗示を漂はしてゐる文學でなくてはならないのです。
芥川さんなどは若木の盛りと言ふ最中に、鴎外の幽靈のつき纏ひから遁れることが出來ないで、花の如く散つて行かれました。今一人、此人のお手本にしてゐたことのある漱石居士などの方が、私の言ふ樣な文學に近づきかけて居ました。整正を以てすべての目安とする、我が國の文學者には喜ばれぬ樣ですが、漱石晩年の作の方が遙かに、將來力を見せてゐます。麻の葉や、つくね芋の山水を崩した樣な文人畫や、詩賦をひねくつて居た日常生活よりも高い藝術生活が、漱石居士の作品には、見えかけてゐました。此人の實生活は、存外概念化してゐましたが、やつぱり鴎外博士とは違ひました。あの捨て身から生れて來た將來力をいふ人のないのは遺憾です。
さて明治前の文學者に、人間生活の暗示を見せた作家があつたでせうか。私は、最過去各時代の文學に厚薄なく愛著を持つ者ですが、どうにも「ある」を言ひきる勇氣はありません。
紫式部――私は、此一人をば信じませんが――は、時代煩悶を作者の心の上の事實にして居ますが、後者の内に移すだけの描寫力を缺いて居ました。だから、露はな現實の問題すら、おもしろをかしく讀み通させました。でも、菊池寛さんの代表したていま[#「ていま」に傍線]文學よりひどい事をするのです。兄君の心弱い、惡意のない美點を利用して、いろ/\に自分の利益を計つたり、其愛もない息女を娶つて莫大な富を併せたり、妻――紫上は夜床|避《サ》りの年齡に達した――と例のない程、長い共住みを續けて、奉謝生活の願ひを却けたり、若盛りの罪業の現報を見ながら尚、無意思に近い若妻を苦しめたり、殆、手を降さんばかりにして、其敵たる若い親族を死なしめたりしてゐる。
梗概的に知られて來た源氏の性格よりは、作者の表現意力の方が遙かに高い。源氏讀みには、かうした源氏の姿がすきになれなかつたのである。其まゝに曲解を續けて來たのだ。だから晩年になつて、源氏は外面上の整ひや調ひを失ふと同時に、貴族社會の欲望と意力を以て表現してゐる。とりすましてゐる美しい雛の御殿の夢ばかりは、書いて居なかつた。
此點から見ると、更科日記の著者などは、鑑賞に於て、氣分に沁みつく力と根強さとは、ずつと上にあります。
光源氏の晩年――若い頃の、後世の源氏讀みの人々から同感せられ易い、情の深い、行き屆いた心遣ひなどは、唯感傷的な作者の好みで、私にはおもしろくありません。從つて文學的にも嗜まない物です――の心境生活の隱れた隈の多いあたりの描寫になると、すき[#「すき」に傍点]になれずには居られません。隨分憎むべき所業をしてゐます。
源氏學者は、すどほりに見て居ますが、ずゐぶん力は優つて居ても、結局さうした時代の姿を見透す事の出來ない、神經衰弱の文學耽醉者だつたに過ぎない。
私は、晩年の源氏と、其邊の物語の文がすきである。從つて、此の書けた人が若し女性だつたら、恐しい人だと思ふ。すき[#「すき」に傍点]といふより、畏敬すべき人だと考へる。だが、私はかう言ふ上ずりの記述者は、隱者階級の男だと信じてゐる。
短い文學では、殊に哲學や主義や、態度の意識が、文學動機を濁らせるものだ。歌にしよう、よい歌を作り上げようといふ意圖のなかつた僧家の歌に、ほんの稀々ながら、とびぬけてすき[#「すき」に傍点]になれる物がある。將來力のある、暗示を持つた、誘惑を含んだ作物が、出來るのも無理はない。文學意識が出ると、西行の大部分の歌の如き、「法師くさい」物になる。だが西行も、もの忘れをした樣になつて周圍を見※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]した樣な歌には、よい物が可なりあつて、すき[#「すき」に傍点]にならせられる。
時は溯るが、曾根好忠の作物などに、どうしても嫌ひになれぬものゝ多いのは、瞬間の捨て身の心境に適した文學樣式に誂へ向きの人だつたからであらう。
底本:「折口信夫全集 廿七卷」
1968(昭和43)年1月25日発行
初出:「日本文學講座 第十卷」
1927(昭和2)年10月
※底本の題名の下に書かれている「昭和二年十月「日本文學講座」第十卷」はファイル末の「初出」欄に移しました。
入力:高柳典子
校正:多羅尾伴内
2003年12月27日作成
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