青空文庫アーカイブ

玉藻の前
岡本綺堂

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)白銀《しろがね》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)烏帽子|折《お》りの子であった。

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)ま[#「ま」に傍点]よ
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清水詣《きよみずもう》で

    一

「ほう、よい月じゃ。まるで白銀《しろがね》の鏡を磨《と》ぎすましたような」
 あらん限りの感嘆のことばを、昔から言いふるしたこの一句に言い尽くしたというように、男は晴れやかな眉をあげて、あしたは十三夜という九月なかばのあざやかな月を仰いだ。男は今夜の齢《よわい》よりも三つばかりも余計に指を折ったらしい年頃で、まだ一人前の男のかずには入らない少年であった。彼はむろん烏帽子《えぼし》をかぶっていなかった。黒い髪をむすんでうしろに垂れて、浅黄《あさぎ》無地に大小の巴《ともえ》を染め出した麻の筒袖に、土器《かわらけ》色の短い切袴《きりばかま》をはいていた。夜目にはその着ている物の色目もはっきりとは知れなかったが、筒袖も袴も洗いざらしのように色がさめて、袴の裾は皺《しわ》だらけに巻くれあがっていた。
 そのわびしい服装《みなり》に引きかえて、この少年は今夜の月に照らされても恥ずかしくないほどの立派な男らしい顔をもっていた。彼に玉子色の小袖を着せて、うす紅梅の児水干《ちごすいかん》をきせて、漢竹の楊条《ようじょう》を腰にささせたらば、あわれ何若丸とか名乗る山門の児《ちご》として悪僧ばらが渇仰随喜《かつごうずいき》の的《まと》にもなりそうな美しく勇ましい児ぶりであった。しかし今の彼のさびしい腰のまわりには楊条もなかった。小《ちい》さ刀《がたな》も見えなかった。彼は素足に薄いきたない藁草履《わらぞうり》をはいていた。
「ほんによい月じゃ」
 彼に口をあわせるように答えたのは、彼と同年か一つぐらいも年下かと思われる少女で、この物語の進行をいそぐ必要上、今くわしくその顔かたちなどを説明している余裕がない。ここでは唯、彼女が道連れの少年よりも更に美しく輝いた気高い顔をもっていて、陸奥《みちのく》の信夫摺《しのぶず》りのような模様を白く染め出した薄萌黄《うすもえぎ》地の小振袖を着て、やはり素足に藁草履をはいていたというだけを、記《しる》すにとどめて置きたい。
 少年と少女とは、清水《きよみず》の坂に立って、今夜の月を仰いでいるのであった。京の夜露はもうしっとりと降《お》りてきて、肌の薄い二人は寒そうに小さい肩を擦り合ってあるき出した。今から七百六十年も前の都は、たとい王城の地といっても、今の人たちの想像以上に寂しいものであったらしい。ことにこの戊辰《つちのえたつ》の久安《きゅうあん》四年には、禁裏に火の災《わざわ》いがあった。談山《たんざん》の鎌足公《かまたりこう》の木像が自然に裂けて毀《こわ》れた。夏の間にはおそろしい疫病がはやった。冬に近づくに連れて盗賊が多くなった。さしもに栄えた平安朝時代も、今では末の末の代になって、なんとはなしに世の乱れという怖れが諸人の胸に芽を吹いてきた。前に挙げたもろもろの災いは、何かのおそろしい前兆であるらしく都の人びとをおびやかした。
 そのなかでも盗賊の多いというのが覿面《てきめん》におそろしいので、この頃は都大路《みやこおおじ》にも宵から往来が絶えてしまった。まして片隅に寄ったこの清水堂《きよみずどう》のあたりは、昼間はともあれ、秋の薄い日があわただしく暮れて、京の町々の灯がまばらに薄黄色く見おろされる頃になると、笠の影も草履の音も吹き消されたように消えてしまって、よくよくの信心者でも、ここまで夜詣りの足を遠く運んで来る者はなかった。
 その寂しい夜の坂路を、二人はたよりなげにたどって来るのであった。月のひかりは高い梢にささえられて、二人の小さい姿はときどきに薄暗い蔭に隠された。両側の高藪《たかやぶ》は人をおどすように不意にざわざわと鳴って、どこかで狐の呼ぶ声もきこえた。
「のう、藻《みくず》」
「おお、千枝《ちえ》ま[#「ま」に傍点]よ」
 男と女とはたがいにその名を呼びかわした。藻は少女の名で、千枝松は少年の名であった。用があって呼んだのではない、あまりの寂しさに堪えかねて、ただ訳もなしに人を呼んだのである。二人はまた黙ってあるいた。
「観音さまの御利益《ごりやく》があろうかのう」と、藻はおぼつかなげに溜息をついた。
「無うでか、御利益がのうでか」と、千枝松はすぐに答えた。「み仏を疑うてはならぬと、叔母御が明け暮れに言うておらるる。わしも観音さまを信仰すればこそ、こうしてお前と毎夜連れ立って来るのじゃ」
「それでも父《とと》さまはこの春、この清水詣でに来たときに、三年坂で苔《こけ》にすべって転んだのがもとで、それからどっと床に就くようにならしゃれた。三年坂でころんだものは、三年生きぬと聞いている」と、藻の声はうるんでいた。
 邪魔な梢の多いところを出離れたので、月はまた明かるい光りを二人の上に投げた。玉のような藻の頬には糸を引いた涙が白くひかっていた。千枝松は又すぐに打ち消した。
「三年坂というのは嘘じゃ。ありゃ産寧坂というのじゃ。ころんだとて、つまずいたとて、はは、何があろうかい」
 むぞうさに言い破られて、藻はまた口を結んでしまった。二人は山科《やましな》の方をさして夜の野路を急いで行った。いったんは男らしく強そうに言ったものの、少年の胸の奥にも三年坂の不安が微かに宿っていた。
「お前の父御《ててご》の病気も長いことじゃ。きょうでもう幾日になるかのう」と、彼は歩きながら訊いた。
「もうやがて半年じゃ。どうなることやら、心細いでのう」
「医師《くすし》はなんと言わしゃれた」
「貧に暮らす者の悲しさは、医師もこの頃は碌《ろく》ろくに見舞うて下さらぬ」と、藻は袖を眼にあてた。「まだそればかりでない。父さまが長のわずらいで、家《うち》じゅうのあるほどの物はもうみんな売り尽くしてしもうた。秋はもう末になる。北山しぐれがやがて降り出すようになったら、わたしら親子は凍《こご》えて死ぬか。飢えて死ぬか。それを思うと、ほんに悲しい。きのうも隣りの陶器師《すえものつくり》の婆どのが見えられて、いっそ江口《えぐち》とやらの遊女に身を沈めてはどうじゃ。煩《わずろ》うている父御ひとりを心安う過ごさせることも出来ようぞと、親切にいうて下されたが……」
「陶器師の婆めがそのようなことを教えたか」と、千枝松は驚きと憤りとに、声をふるわせた。「して、お前はなんと言うた」
「なんとも言いはせぬ。ただ黙って聴いていたばかりじゃ」
「重ねてそのようなことを言うたら、すぐわしに知らしてくれ、あの婆《ばば》めが店さきへ石塊《いしくれ》なと打ち込んで、新しい壺の三つ四つも微塵《みじん》に打ち砕いてくるるわ」
 罵《ののし》る権幕があまりに激しいので、藻はなにやら心もとなくなった。彼女はなだめるように男に言った。
「わたしらの難儀を見かねて、あの婆どのは親切に言うてくれたのじゃ」
「なにが親切か」と、千枝松は冷笑《あざわら》った。「あの疫病《やくびょう》婆め。ひとの難儀に付け込んでいろいろの悪巧みをしおるのじゃ。世間でいうに嘘はない。ほんに疫病よりも怖ろしい婆じゃ。あんな奴の言うこと、善いにつけ、悪いにつけ、なんでも一切《いっさい》取り合うてはならぬぞ」
 兄が妹をさとすようにませた口吻《くちぶり》で言い聞かせると、藻はおとなしく聴いていた。千枝松はまだ胸が晴れないらしく、自分が知っている限りの軽蔑や呪詛《のろい》のことばを並べ立てて、自分たちの家《うち》へ帰り着くまで、憎い、憎い、陶器師の疫病婆を罵りつづけていた。
 秋の宵はまだ戌《いぬ》の刻(午後八時)をすぎて間もないのに、山科《やましな》の村は明かるい月の下に眠っていた。どこの家《いえ》からも灯のかげは洩れていなかった。大きい柿の木の下に藻は立ちどまった。
「あすの晩も誘いに来るぞよ」と、千枝松はやさしく言った。
「きっと誘いに来てくだされ」
「おお、受け合うた」
 ふた足ばかり行きかけて、千枝松はまた立ち戻って来た。
「途《みち》みちも言うた通りじゃ。疫病婆めが何を言おうとも、必ず取り合うてはならぬぞよ。よいか、よいか」
 小声に力をこめて彼は幾たびも念を押すと、藻は無言でうなずいて、柿の木の下から狭い庭口へ消えるように姿をかくした。彼女が我が家へはいるのを見とどけて、千枝松はぬき足をして隣りの陶器師の門《かど》に立った。年寄り夫婦は早く寝付いてしまったらしく、内には物の音もきこえなかった。彼は作り声をして呶鳴った。
「愛宕《あたご》の天狗の使いじゃ。戸をあけい」
 表の戸を破れるばかりに二、三度たたいて、千枝松は一目散に逃げ出した。

    二

「あれ、鴉《からす》めがまた来おりました」
 あくる朝は美しく晴れて、大海のようにひろく碧《あお》い空の下に、柿のこずえが高く突き出していた。その紅い実をうかがって来る鴉のむれを、藻は竹縁《ちくえん》に出て追っていた。
「はは、鴉めがまた来おったか。憎い奴のう。が、とても追い尽くせるものでもあるまい。捨てて置け」と、父の行綱は皺だらけになった紙衾《かみぶすま》を少し掻いやりながら、蘆《あし》の穂綿のうすい蒲団の上に起き直った。
「千枝ま[#「ま」に傍点]が見えたら鳥おどしなと作って貰いましょ」
「それもよかろうよ」と、父は狭い庭いっぱいの朝日をまぶしそうに仰ぎながらほほえんだ。「夜はもう火桶《ひおけ》が欲しいほどじゃが、昼はさすがに暖かい。孝行なそなたが夜ごとの清水詣で、止めても止まるまいと思うて、心のままにさせて置くが、これからの夜はだんだん寒くなる。露も深くなる。風邪ひかぬように気をつけてくれよ。夏から秋、秋から冬の変わり目はとかく病人の身体にようないものじゃ。いっそ冬になり切ってしもうたら、おれも起きられるようになろうも知れぬ。あまり案じてたもるなよ。おれの手足がすこやかになったら、太刀の柄《つか》巻きしても、雀弓《すずめゆみ》の矢を矧《は》いでも、親子ふたりの口すぎには事欠くまい。はは、今すこしの辛抱じゃ」
「あい」
 柿のこずえには大きい鴉が狡猾《こうかつ》そうな眼をひからせて、尖ったくちばしを振り立てながら枝から枝へと飛び渡っていたが、藻はもう手をあげて追おうともしなかった。彼女は父の前に手をついて、おとなしくうつむいていた。くずれかかった竹縁の下では昼でもこおろぎが鳴いていた。
 父の行綱は今こそこんなにやつれ果てているが、七年前は坂部庄司蔵人行綱《さかべのしょうじくらんどゆきつな》と呼ばれて、院の北面《ほくめん》を仕《つこ》うまつる武士であった。ある日のゆうぐれ、清涼殿のきざはしの下に一匹の狐があらわれたのを関白殿がごろうじて、あれ射止めよと仰せられたので、そこに居あわせた行綱はすぐに弓矢をとって追いかけたが、一の矢はあえなくも射損じた。慌てて二の矢を射出そうとすると、どうしたのか弓弦《ゆづる》がふつりと切れた。狐はむろん逃げてしまった。当の獲物を射損じたばかりか、事に臨《のぞ》んで弓弦が切れたのは平生《ひごろ》の不用意も思いやらるるとあって、彼は勅勘《ちょっかん》の身となった。彼は御忠節を忘れるような人間ではなかった。武士のたしなみを怠るような男でもなかった。こうなるのも彼が一生の不運で、行綱は妻と娘とを連れて、この頃では京の田舎という山科郷《やましなごう》の片はずれに隠れて、わびしい浪人生活を送ることになった。
 彼の不運を慰めるはずの妻は、それから半年あまりの後に夫と娘とを振り捨ててあの世へ行ってしまった。まだ男盛りの行綱は二度の妻を迎えようともしないで、不自由な男やもめの手ひとつで幼い娘の藻を可愛がって育てた。美しい顔をもって生まれた藻は心までが美しかった。自分にもう出世の望みのない父は、どうしても自分の後つぎに取りすがるよりほかはないので、行綱は老後の楽しい夢を胸に描きながら、ひたすらに娘の生長を待っていた。藻はことし十四になった。
 その年の春に、行綱は娘を連れて清水の観音詣でに行った。その時にいわゆる三年坂でつまずいたのがもとで、彼は三月の末から病いの床に横たわる身の上になった。夏が過ぎ、秋が来ても、彼はやはり枕と薬とに親しんでいるので、孝行な藻の苦労は絶えなかった。貧と病いとにさいなまれている父を救うがために、彼女はふだんから信仰する観音さまへ三七日《さんしちにち》の夜まいりを思い立って、八月の末から夜露を踏んで毎晩清水へかよった。京も荒れて、盗賊の多いこの頃の秋の夜に、乙女《おとめ》ひとりの夜道は心もとないと父も最初はしきりにとめたが、藻はどうしても肯《き》かなかった。彼女は父の病いを癒したい一心に、おそろしい夜道を遠くかよいつづけた。
 しかし一七日《いちしちにち》の後には、藻に頼もしい道連れができた。それはかの千枝松で、彼は烏帽子|折《お》りの子であった。これも早くふた親にわかれた不運な孤児《みなしご》で、やはり烏帽子折りを生業《なりわい》としている叔父叔母のところへ引き取られて、ことし十五になった。叔父の大六は店あきないをしているのでない。京伏見から大津のあたりを毎日めぐり歩いて、呼び込まれた家《うち》の烏帽子を折っているのであった。したがって家にいる日は少ないので、千枝松は叔母と二人で毎日さびしく留守番をしていた。村こそ違え、同じ山科郷に住んでいるので、彼はいつか一つ違いの藻と親しくなって、ほかの子供たちには眼をくれないで、二人はいつも仲好く遊んだ。
「藻と千枝ま[#「ま」に傍点]は女夫《めおと》じゃ」
 ほかの子供たちが妬《ねた》んでからかうと、千枝松はいつでも真っ赤になって怒った。
「はて、言うものには言わして置いたがよい。わたしも父さまの病いが癒ったら、お前の叔母さまのところへ烏帽子を折り習いに行きたい」と、藻は言った。
「おお、叔母御でのうてもわしが教えてやる。横さびでも風折《かざお》りでも、わしはみんな知っている。来年になったら、わしも叔父御と連れ立ってあきないに出るのじゃ」と、千枝松は誇るように言った。
 千枝松は烏帽子折りの職人になるのである。藻もその烏帽子を折り習いたいという。そこにどういう意味があるのか、確かに理解していないまでも、千枝松の若い胸には微かに触れるものがあった。彼はいよいよ藻と親しくなった。その藻の父が長くわずらっているので、彼は自分の父を案じるように毎日見舞いに来た。そうして、藻が清水へ夜詣りにゆくことを一七日の後に初めて知って、彼はいつになく怨んで怒った。
「なぜわしに隠していた。幼い女ひとりが夜道《よみち》して何かのあやまちがあったらどうするぞ。わしも今夜から一緒にゆく」
 彼は叔母の許しをうけて、それから藻と毎夜一緒に連れ立って行った。強そうな顔をしていても、千枝松はまだ十五の少年である。盗賊や鬼はおろか、山犬に出逢っても果たして十分に警護の役目を勤めおおせるかどうだか、よそ目には頗《すこぶ》る不安に思われたが、藻に取っては世にも頼もしい、心《こころ》丈夫な道連れであった。彼女は千枝松が毎晩誘いに来るのを楽しんで待っていた。千枝松もきっと約束の時刻をたがえずに来て、二人は聞き覚えの普門品《ふもんぼん》を誦《ず》しながら清水へかよった。
 その藻をそそのかして、江口の遊女になれと勧めた陶器師の婆は、たとい善意にもしろ、悪意にもしろ、千枝松の眼から見れば確かに憎い仇であった。彼が口をきわめて罵るのも無理はなかった。戸をたたいて嚇《おど》した位では、なかなか腹が癒《い》えなかった。彼はその晩自分の家へ逃げて帰っても、まだ苛《いら》いらしてよく眠られなかった。よもやとは思うものの、どうも安心ができないので、彼はあくる朝、叔父があきないに出るのを見送って、すぐにとなり村の藻の家へたずねて来た。
 来ると、彼はまず隣りの陶器師の店をのぞいた。店の小さい窯《かま》の前には人の善さそうな陶器師の翁《おきな》が萎《な》えな烏帽子をかぶって、少し猫背に身をかがめて、小さい莚の上で何か壺のようなものを一心につくねていた。日よけに半分垂れたすだれの外には、自然に生えたらしい一本の野菊がひょろひょろと高く伸びて、白い秋の蝶が疲れたようにその周《まわ》りをたよたよと飛びめぐっていた。婆は奥のうす暗いところで麻を績《う》んでいた。
「爺《じい》さま。よい天気じゃな」
 千枝松はわざと声をかけると、翁は手をやすめて振り向いた。そうして、白い長い眉を皺めながらにこにこ笑った。
「おお、となり村の千枝ま[#「ま」に傍点]か。ほんによい秋日和《あきびより》じゃよ。秋も末になると、いつも雨の多いものじゃが、ことしは日和つづきで仕合わせじゃ。わしらのあきないも降ってはどうもならぬ」
「そうであろうのう」と、千枝松は翁の手に持っている壺をながめていた。婆は憎いが、この翁にむかっては彼は喧嘩を売るわけにはいかなかった。それでも彼はおどすように声をひそめて訊いた。
「この頃ここらへ天狗が出るという。ほんかな」
「なんの」と、翁はまた笑った。「ここらに住んでいる者はみんな善い人ばかりじゃ。悪い者は一人もない。天狗さまのお祟《たた》りを受けよう筈がないわ。ははははは。鬼の天狗のというても、大抵は人間のいたずらじゃ。ゆうべもわしの家の戸をたたいて、天狗じゃとおどかした奴があった」
「ほんに悪いことをする奴じゃ」と、婆も奥から声をかけた。「今度またいたずらをしおったら、すぐに追い掛けて捉《とら》まえて、あの鎌で向こう脛を薙《な》いでくるるわ」
「天狗がつかまるかな」と、千枝松はあざけるように笑った。
「はて、天狗じゃない、人間じゃというに……。和郎《わろ》もそのいたずら者を見つけたら、教えてくりゃれ」と、婆は睨むような白い眼をして言った。
 千枝松はすこし薄気味悪くなって、もしや自分のいたずらということを覚《さと》られたのではないかとも思った。しかし彼は弱味を見せまいとして、またあざ笑った。
「天狗でも人間でも、こちらで悪いことさえせにゃなんの祟りもいたずらもせまいよ」
「わしらがなんの悪いことをした」と、婆は膝を立て直した。
 おお、悪いことをした。となりの娘を遊女に売ろうとした――と、千枝松は負けずに言おうとしたが、さすがに躊躇した。
「悪いことせにゃ、それでよい。悪いことをすると、今夜にも天狗がつかみに来ようぞ」
 こう言い捨てて、彼はここの店さきをつい[#「つい」に傍点]と出ると、出逢いがしらに赤とんぼうが彼の鼻の先きをかすめて通った。彼は忌《いま》いましそうに顔を皺めながら、隣りの家の門《かど》に立つと、柿の梢がまず眼にはいった。「しッしッ」と、彼は足もとにある土くれを拾って鴉を逐った。その声を聞きつけて、藻は縁さきへ出た。
「千枝ま[#「ま」に傍点]か」
 二人はなつかしそうに向き合った。さっきの白い蝶が千枝松の裾にからんで来たらしく、二人の間にひらひらと舞った。

    三

 行綱の病気を見舞ったあとで、千枝松と藻とは手をひかれて近所の小川のふちに立った。今夜は十三夜で、月に供える薄《すすき》を刈りに出たのであった。
 幅は三|間《げん》に足らない狭い川であったが、音もなしに冷《ひや》びやと流れてゆく水の上には、水と同じような空の色が碧《あお》く映って、秋の雲の白い影も時どきにゆらめいて流れた。低い堤は去年の出水《でみず》に崩れてしまって、その後に手入れをすることもなかったので、水と陸《おか》との間にははっきりした境もなくなったが、そこには秋になると薄や蘆が高く伸びるので、水と人とはこの草むらを挟んで別々にかよっていた。それでも蟹を拾う子供や、小鮒《こぶな》をすくう人たちが、水と陸とのあいだの通路を作るために、薄や蘆を押し倒して、ところどころに狭い路を踏み固めてあるので、二人もその路をさぐって水のきわまで行き着いた。そこには根こぎになって倒れている柳の大木のあることを二人は知っていた。
「水は美しゅう澄んでいるな」
 二人はその柳の幹に腰をかけて、爪さき近く流れている秋の水をじっと眺めた。半分は水にひたされている大きい石のおもてが秋の日影にきらきらと光って、石の裾には蓼《たで》の花が紅く濡れて流れかかっていた。川のむこうには黍《きび》の畑が広くつづいて、その畑と岸とのあいだの広い往来を大津牛が柴車をひいてのろのろと通った。時どきに鵙《もず》も啼いて通った。
「わしは歌を詠《よ》めぬのがくやしい」
 千枝松が突然に言い出したので、藻は美しい眼を丸くした。
「歌が詠めたらどうするのじゃ」
「このような晴れやかな景色を見ても、わしにはなんとも歌うことが出来ぬ。藻、お前は歌を詠むのじゃな」
「父《とと》さまに習うたけれど、わたしも不器用な生まれで、ようは詠まれぬ。はて、詠まれいでも大事ない。歌など詠んで面白そうに暮らすのは、上臈《じょうろう》や公家《くげ》殿上人《てんじょうびと》のすることじゃ」
「それもそうじゃな」と、千枝松は笑った。「実はゆうべ家へ帰ったら、叔父御が京の町からこのようなことを聞いて来たというて話しゃれた。先日関白殿のお歌の会に『独り寝の別れ』というむずかしい題が出た。独り寝に別れのあろう筈がない。こりゃ昔から例《ためし》のない難題じゃというて、さすがの殿上人も頭を悩まされたそうなが、どう思案しても工夫が付かないで、一人も満足な歌を詠み出したものがなかった。この上は広い都に住むほどの者、商人《あきうど》でも職人でも百姓でも身分はかまわぬ。よき歌を作って奉《たてまつ》るものには莫大の御褒美を下さるると、御歌所《おうたどころ》の大納言のもとから御沙汰があったそうな。そこで叔父御が言わしゃるには、おれも長年烏帽子こそ折れ、腰折れすらも得《え》詠《よ》まれぬは何《なん》ぼう無念じゃ。こういう折りによい歌作って差し上げたら、一生安楽に過ごされようものをと、笑いながらも悔んでいられた」
「ほう、そんなことは初めて聞いた」と、藻も眉をよせた。「なるほど、独り寝の別れ、こりゃおかしい。どんな名人上手でも、世にためしのないことは詠まれまい。ほんに晦日《みそか》の月というのと同じことじゃ」
「水の底で火を焚くというのと同じことじゃ」
「木にのぼって魚を捕るというのと同じことじゃ」
 二人は顔をみあわせて、子供らしく一度に笑い出した。その笑い声を打ち消すように、どこやらの寺の鐘が秋の空に高くひびいてうなり出した。
「おお、もう午《ひる》じゃ」
 藻がまずおどろいて起《た》った。千枝松もつづいて起った。二人は慌ててそこらの薄を折り取って、ひとたばずつ手に持って帰った。千枝松は藻と門《かど》で別れる時にまた訊いた。
「けさは隣りの婆が見えなんだか」
 藻は誰も来ないと言った。それでもまだなんだか不安なので、千枝松は帰るときに陶器師の店を又のぞくと、翁はさっきと同じところに屈《かが》んで、同じような姿勢で一心に壺をつくねていた。婆の姿は見えなかった。

 風のない秋の日は静かに暮れて、薄い夕霧が山科《やましな》の村々に低く迷ったかと思うと、それが又だんだんに明るく晴れて、千枝松がゆうべ褒めたような冴えた月が、今夜もつめたい白い影を高く浮かべた。藻が門《かど》の柿の葉は霜が降ったように白く光っていた。
「藻よ。今夜はすこし遅うなった。堪忍しや」
 千枝松は息を切って駈けて来て、垣の外から声をかけたが内にはなんの返事もなかった。彼は急いで二、三度呼びつづけると、ようように行綱の返事がきこえた。藻は小半※[#「※」は「日へんに向」、読みは「とき」、22-12]《こはんとき》も前に家を出たというのであった。
「ほう、おくれた」
 千枝松はすぐにまた駈け出した。その頃の山科から清水へかよう路には田畑が多いので、明るい月の下に五|町《ちょう》八町はひと目に見渡されたが、そこには藻はおろか、野良犬一匹のさまよう影も見えなかった。千枝松はいよいよ急《せ》いてまっしぐらに駈けた。駈けて、駈けて、とうとう清水までひと息にゆき着いたが、堂の前にも小さい女の拝んでいるうしろ姿はみえなかった。念のために伸びあがって覗くと、うす暗い堂の奥には黄色い灯が微かにゆらめいて、堂守《どうもり》の老僧が居睡りをしていた。千枝松は僧をよび起こして、たった今ここへ十四、五の娘が参詣に来なかったかと訊いた。
 僧は耳が疎《うと》いらしい。幾度も聞き直した上で笑いながら言った。
「日が暮れてから誰が拝みに来ようぞ。この頃は世のなかが閙《さわ》がしいでな」
 半分聞かないで、千枝松は引っ返してまた駈け出した。言い知れない不安が胸いっぱいに湧いてきて、彼は夢中で坂を駈け降りた。往くも復《かえ》るもひとすじ道であるから、途中で行き違いになろう筈はない。こう思うと、彼の不安はいよいよ募ってきた。彼はもう堪《た》まらなくなって、大きい声で女の名を呼びながら駈けた。
「藻よ。藻よ」
 彼の足音に驚かされたのか、路ばたの梢から寝鳥《ねとり》が二、三羽ばたばたと飛び立った。人間の声はどこからも響いてこなかった。夢中で駈けつづけて、長い田圃路《たんぼみち》の真ん中まで来た時には、彼の足もさすがに疲れてすくんで、もう倒れそうになってきたので、彼は路ばたの地蔵尊《じぞうそん》の前にべったり坐って、大きい息をしばらく吐いていた。そうして、見るともなしに見あげると、澄んだ大空には月のひかりが皎々《こうこう》と冴えて、見渡すかぎりの広い田畑も薄黒い森も、そのあいだにまばらに見える人家の低い屋根も、霜の光りとでもいいそうな銀色の靄《もや》の下に包まれていた。汗の乾かない襟のあたりには夜の寒さが水のように沁みてきた。
 狐の啼く声が遠くきこえた。
「狐にだまされたのかな」と、千枝松はかんがえた。さもなければ盗人《ぬすびと》にさらわれたのである。藻のような美しい乙女《おとめ》が日暮れて一人歩きをするというのは、自分から求めて盗人の網に入るようなものである。千枝松はぞっとした。
 狐か、盗人か、千枝松もその判断に迷っているうちに、ふとかの陶器師のことが胸に泛《う》かんできた。あの婆め、とうとう藻をそそのかして江口《えぐち》とやらへ誘い出したのではあるまいかと、彼は急に跳《おど》りあがって又一散に駈け出した。藻の門《かど》の柿の木を見た頃には、彼はもう疲れて歩かれなくなった。
「藻よ。戻ったか」
 垣の外から声をかけると、今度はすぐに行綱の返事がきこえた。今夜は娘の帰りが遅いので、自分も案じている。おまえは途中で逢わなかったかと言った。千枝松は自分も逢わなかったと口早に答えて、すぐに隣りの陶器師の戸をあらく叩いた。
「また天狗のいたずら者が来おったそうな」
 内では翁《おきな》の笑う声がきこえた。千枝松は急《せ》いて呶鳴った。
「天狗でない。千枝ま[#「ま」に傍点]じゃ」
「千枝ま[#「ま」に傍点]が今頃なにしに来た」と、今度は婆が叱るように訊いた。
「婆に逢いたい。あけてくれ」
「日が暮れてからうるさい。用があるならあす出直して来やれ」
 千枝松はいよいよ焦《じ》れた。彼は返事の代りに表の戸を力まかせに続けて叩いた。
「ええ、そうぞうしい和郎《わろ》じゃ」
 口小言《くちこごと》をいいながら婆は起きて来て、明るい月のまえに寝ぼけた顔を突き出すと、待ち構えていた千枝松は蝗《いなご》のように飛びかかって婆の胸倉を引っ掴んだ。
「言え。となりの藻をどこへやった」
「なんの、阿呆らしい。藻の詮議なら隣りへ行きゃれ。ここへ来るのは門《かど》ちがいじゃ」
「いや、おのれが知っている筈じゃ。やい、婆め。おのれは藻をそそのかして江口の遊女に売ったであろうが……。まっすぐに言え」と、千枝松は掴んだ手に力をこめて強く小突《こづ》いた。
「ええ、おのれ途方もない言いがかりをしおる。ゆうべのいたずらも大方おのれであろう。爺さま、早う来てこやつを挫《ひし》いでくだされ」と、婆はよろめきながら哮《たけ》った。
 翁も寝床から這《は》い出して来た。熱い息をふいて哮り立っている二人を引き分けて、だんだんにその話をきくと、彼も長い眉を子細らしく皺めた。
「こりゃおかしい。ふだんから孝行者の藻が親を捨てて姿を隠そう筈がない。こりゃ大方は盗人か狐のわざじゃ。盗人ではそこらにうかうかしていようとも思えぬが、狐ならばその巣を食っているところも大方は知れている。千枝ま[#「ま」に傍点]よ、わしと一緒に来やれ」
「よさっしゃれ」と、婆は例の白い眼をして言った。「子供じゃと思うても、藻ももう十四じゃ。どんな狐が付いていようも知れぬ。正直にそこらを探し廻って骨折り損じゃあるまいか」
 千枝松はまたむっとした。しかしここで争っているのは無益だと賢くも思い直して、彼は無理無体に翁を表へ引っ張り出した。
「爺さま。狐の穴はどこじゃ」
「まあ、急《せ》くな。野良狐めが巣を食っているところはこのあたりにたくさんある。まず手近の森から探してみようよ」
 翁は内へ引っ返して小さい鎌と鉈《なた》とを持ち出して来た。畜生めらをおどすには何か得物《えもの》がなくてはならぬと、彼はその鉈を千枝松にわたして、自分は鎌を腰に挟んだ。そうして、田圃を隔てた向こうの小さい森を指さした。
「お前も知っていよう。あの森のあたりで時どきに狐火が飛ぶわ」
「ほんにそうじゃ」
 二人は向こうの森へ急いで行った。落葉や枯草を踏みにじって、そこらを隈なく猟《あさ》りあるいたが、藻の姿は見付からなかった。二人はそこを見捨てて、さらにその次の丘へ急いだ。千枝松は喉《のど》の嗄《か》れるほどに藻の名を呼びながら歩いたが、声は遠い森に木谺《こだま》するばかりで、どこからも人の返事はきこえなかった。それからそれへと一|※[#「※」は「日へんに向」、読みは「とき」、26-16]《とき》ほども猟りつくして、二人はがっかりしてしまった。気がついて振り返ると、どこをどう歩いたか、二人は山科郷のうちの小野という所に迷って来ていた。ここは小野小町《おののこまち》の旧蹟だと伝えられて、小町の水という清水が湧いていた。二人はその冷たい清水をすくって、息もつかずに続けて飲んだ。
「千枝ま[#「ま」に傍点]よ。夜が更けた。もう戻ろう。しょせん今夜のことには行くまい」と、翁は寒そうに肩をすくめながら言った。
「じゃが、もう少し探してみたい。爺さま、ここらに狐の穴はないか」
「はて、執念《しゅうね》い和郎じゃ。そうよのう」
 少し考えていたが、翁は口のまわりを拭きながらうなずいた。
「おお、ある、ある。なんでもこの小町の水から西の方に、大きい杉の木の繁った森があって、そこにも狐が棲んでいるという噂じゃ。しかし迂闊にそこへ案内はならぬ。はて、なぜというて、その森の奥には、百年千年の遠い昔に、いずこの誰を埋めたとも知れぬ大きい古塚がある。その塚のぬしが祟《たた》りをなすと言い伝えて、誰も近寄ったものがないのじゃ」
「そりゃ塚のぬしが祟るのでのうて、狐が禍《わざわ》いをなすのであろう」と、千枝松は言った。
「どちらにしても、祟りがあると聞いてはおそろしいぞ」と、翁はさとすように言った。
「いや、おそろしゅうても構わぬ。わしは念晴らしに、その森の奥を探ってみる」
 千枝松は鉈をとり直して駈け出した。


独《ひと》り寝《ね》の別《わか》れ

    一

 止めても止まりそうもないと見て、陶器師の翁《おきな》はおぼつかなげに少年のあとを慕って行った。二人は幽怪な伝説を包んでいる杉の森の前に立った。
 杉の古木は枝をかわして、昼でも暗そうに掩いかぶさっているが、森の奥はさのみ深くもないらしく、うしろは小高い丘につづいていた。千枝松は鉈を手にして猶予なく木立ちの間をくぐって行こうとするのを翁はまた引き止めた。
「これ、悪いことは言わぬ。昔から魔所のように恐れられているところへ、夜ふけに押して行こうとは余りに大胆じゃ。やめい、やめい」
「いや、やめられぬ。爺さまがおそろしくば、わし一人でゆく」
 つかまれた腕を振り放して、彼は藻の名を呼びながら森のなかへ狂うように跳り込んで行った。翁は困った顔をして少しく躊躇していたが、さすがにこの少年一人を見殺しにもできまいと、彼も一生の勇気を振るい起こしたらしく、腰から光る鎌をぬき取って、これも千枝松のあとから続いた。森の中は外から想像するほどに暗くもなかった。杉の葉をすべって来る十三夜の月の光りが薄く洩れているので、手探りながらもどうにかこうにか見当はついた。多年人間が踏み込んだことがないので、腐った落葉がうず高く積もって、二人の足は湿《しめ》った土のなかへ気味の悪いようにずぶずぶと吸い込まれるので、二人は立ち木にすがって沼を渡るように歩いた。
「千枝ま[#「ま」に傍点]よ、ありゃなんじゃ」
 翁がそっとささやくと、千枝松も思わず立ちすくんだ。これが恐らくあの古塚というのであろう。ひときわ大きい杉の根本に高さ五、六尺ばかりかと思われる土饅頭《どまんじゅう》のようなものが横たわっていて、その塚のあたりに鬼火のような青い冷たい光りが微かに燃えているのであった。
「なんであろう」と、千枝松もささやいた。言い知れぬ恐れのほかに、一種の好奇心も手伝って、彼はその怪しい光りを頼りに、木の根に沿うて犬のようにそっと這って行った。と思うと、彼はたちまちに声をあげた。
「おお、藻じゃ。ここにいた」
「そこにいたか」と、翁も思わず声をあげて、木の根につまずきながら探り寄った。
 藻は古塚の下に眠るように横たわっていた。鬼火のように青く光っているのは、彼女が枕にしている一つの髑髏《されこうべ》であった。藻はむかしから人間のはいったことのないという森の奥に隠れ、髑髏を枕にして古塚の下に眠っているのであった。この奇怪なありさまに二人はまたぞっとしたが、千枝松はもう怖ろしいよりも嬉しい方が胸いっぱいで、前後も忘れて女の枕もとへ這い寄った。彼は藻の手をつかんで叫んだ。
「藻よ、千枝ま[#「ま」に傍点]じゃ。藻よ」
 翁も声をそろえて呼んだ。呼ばれて藻はふらふらと立ち上がったが、彼女はまだ夢みる人のようにうっとりとして、千枝松の腕に他愛なく倚《よ》りかかっているのを、二人は介抱しながら森の外へ連れ出した。明るい月の下に立って、藻はよみがえったようにほっと長い息をついた。
「どうじゃ。心持に変わることはないか」
「どうしてこんなところに迷いこんだのじゃ」
 千枝松と翁は代るがわるにきいたが、藻は夢のようでなんにも知らないといった。今夜はいつもよりも千枝ま[#「ま」に傍点]の誘いに来るのが遅いので、彼女は一人で家を出て清水の方へ足を運んだ。それまでは確かに覚えているが、それから先きは夢うつつで何処《どこ》をどう歩いたのか、どうしてこの森の奥へ迷い込んだのか、どうしてここに寝ていたのか、自分にもちっとも判らないとのことであった。
「やっぱり野良狐めのいたずらじゃ」と、翁はうなずいた。「しかしまあ無事でめでたい。父御もさぞ案じていらりょう。さあ、早う戻らっしゃれ」
 夜はもう更《ふ》けていた。三人は自分の影を踏みながら黙ってあるいた。陶器師の翁は自分の家の前で二人に別れた。千枝松は隣りの門口まで藻を送って行って又ささやいた。
「これに懲りてこの後は一人で夜歩きをせまいぞ。あすの晩もわしが誘いにゆくまで、きっと待っていやれ。よいか」
 念を押して別れようとして、千枝松は女が左の手に抱えている或る物をふと見付けた。それは彼女が枕にしていた古い髑髏で、月の前に蒼白く光っていた。千枝松はぎょっとして叱るように言った。
「なんじゃ、そんなものを……。気味が悪いとは思わぬか。抛《ほう》ってしまえ。捨ててしまえ」
 藻は返事もしないで、その髑髏を大事そうに抱えたままで、つい[#「つい」に傍点]と内へはいってしまった。千枝松は呆れてそのうしろ影を見送っていた。そうして、狐がまだ彼女を離れないのではないかとも疑った。
 その晩に、千枝松は不思議な夢をみた。
 第一の夢の世界は鉄もとろけるような熱い国であった。そこには人の衣《きぬ》を染めるような濃緑の草や木が高く生《お》い茂っていて、限りもないほどに広い花園には、人間の血よりも紅《あか》い芥子《けし》の花や、鬼の顔よりも大きい百合の花が、うずたかく重なり合って一面に咲きみだれていた。花は紅ばかりでない、紫も白も黒も黄も灼《や》けるような強い日光にただれて、見るから毒々しい色を噴き出していた。その花の根にはおそろしい毒蛇の群れが紅い舌を吐いて遊んでいた。
「ここはどこであろう」
 千枝松は驚異の眼をみはって唯ぼんやりと眺めていると、一種異様の音楽がどこからか響いて来た。京の或る分限者《ぶげんしゃ》が山科の寺で法会《ほうえ》を営《いとな》んだときに、大勢の尊い僧たちが本堂にあつまって経を誦《ず》した。その時に彼は寺の庭にまぎれ込んでその音楽に聞き惚れて、なんとも言われない荘厳の感に打たれたことがあったが、今聞いている音楽のひびきも幾らかそれに似ていて、しかも人の魂をとろかすような妖麗なものであった。彼は酔ったような心持で、その楽《がく》の音《ね》の流れて来る方をそっと窺うと、日本《にっぽん》の長柄《ながえ》の唐傘《からかさ》に似て、その縁《へり》へ青や白の涼しげな瓔珞《ようらく》を長く垂れたものを、四人の痩せた男がめいめいに高くささげて来た。男はみな跣足《はだし》で、薄い鼠色の着物をきて、胸のあたりを露《あら》わに見せていた。それにつづいて、水色のうすものを着た八人の女が唐団扇《とううちわ》のようなものを捧げて来た。その次に小山のような巨大《おおき》い獣《けもの》がゆるぎ出して来た。千枝松は寺の懸け絵で見たことがあるので、それが象という天竺《てんじく》の獣であることを直ぐに覚った。象は雪のように白かった。
 象の背中には欄干《てすり》の付いた輿《こし》のようなものを乗せていた。輿の上には男と女が乗っていた。象のあとからも大勢の男や女がつづいて来た。まわりの男も女もみな黒い肌を見せているのに、輿に乗っている女の色だけが象よりも白いので、千枝松も思わず眼をつけると、女はその白い胸や腕を誇るように露《あら》わして、肌も透き通るような薄くれないの羅衣《うすもの》を着ていた。千枝松はその顔をのぞいて、忽《たちま》ちあっと叫ぼうとして息を呑み込んだ。象の上の女は確かにかの藻であった。
 さらによく視ると、女は藻よりも六、七歳も年上であるらしく思われた。彼女は藻のような無邪気らしい乙女でなかった。しかしその顔かたちは藻とちっとも違わなかった。どう見直してもやはり藻そのままであった。
「藻よ」と、彼は声をかけて見たくなった。もしそのまわりに大勢の人の眼がなかったら、彼は大きい象の背中に飛びあがって、女の白い腕に縋《すが》り付いたかもしれなかった。しかし藻に似た女はこちらを見向きもしないで、なにか笑いながらそばの男にささやくと、男は草の葉で編んだ冠《かんむり》のようなものを傾けて高く笑った。
 空の色は火のように焼けていた。その燃えるような紅い空の下で音楽の響きが更に調子を高めると、花のかげから無数の毒蛇がつながって現われて来て、楽の音につれて一度にぬっと鎌首《かまくび》をあげた。そうしてそれがだんだんに大きい輪を作って、さながら踊りだしたように糾《よ》れたり縺《もつ》れたりして狂った。千枝松はいよいよ息をつめて眺めていると、更にひとむれの男や女がここへ追い立てられて来た。男も女も赤裸で、ふとい鉄の鎖でむごたらしくつながれていた。
 この囚人《めしうど》はおよそ十人ばかりであろう。そのあとから二、三十人の男が片袒《かたはだ》ぬぎで長い鉄の笞《むち》をふるって追い立てて来た。恐怖におののいている囚人はみな一斉に象の前にひざまずくと、女は上からみおろして冷《ひや》やかに笑った。その涼しい眼には一種の殺気を帯びて物凄かった。千枝松も身を固くして窺っていると、女は低い声で何か指図した。鉄の笞を持っていた男どもはすぐに飛びかかって、かの囚人らを片っ端から蹴倒すと、男も女も仰《のけ》ざまに横ざまに転げまわって無数の毒蛇の輪の中へ――
 もうその先きを見とどける勇気はないので、千枝松は思わず眼をふさいで逃げ出した。そのうしろには藻に似た女の華やかな笑い声ばかりが高くきこえた。千枝松は夢のように駈けてゆくと、誰か知らないがその肩を叩く者があった。はっとおびえて眼をあくと、高い棕梠《しゅろ》の葉の下に一人の老僧が立っていた。
「お前はあの象の上に乗っている白い女を識《し》っているのか」
 あまりに怖ろしいので、千枝松は識らないと答えた。老僧は静かに言った。
「それを識ったらお前も命はないと思え。ここは天竺という国で、女と一緒に象に乗っている男は斑足太子《はんそくたいし》というのじゃ。女の名は華陽《かよう》夫人、よく覚えておけ。あの女は世にたぐいなく美しゅう見えるが、あれは人間ではない。十万年に一度あらわるる怖ろしい化生《けしょう》の者じゃ。この天竺の仏法をほろぼして、大千《だいせん》世界を魔界の暗闇に堕《おと》そうと企《くわだ》つる悪魔の精じゃ。まずその手始めとして斑足太子をたぶらかし、天地|開闢《かいびゃく》以来ほとんどそのためしを聞かぬ悪虐をほしいままにしている。今お前が見せられたのはその百分の一にも足らぬ。現にきのうは一日のうちに千人の首を斬って、大きい首塚を建てた。しかし彼女《かれ》が神通自在でも、邪は正にかたぬ。まして天竺は仏の国じゃ。やがて仏法の威徳によって悪魔のほろぶる時節は来る。決して恐るることはない。しかし、いつまでもここに永居《ながい》してはお前のためにならぬ。早く行け。早う帰れ」
 僧は千枝松の手を取って門の外へ押しやると、くろがねの大きい扉《とびら》は音もなしに閉じてしまった。千枝松は魂が抜けたように唯うっとりと突《つ》っ立っていた。しかし幾らかんがえ直しても、かの華陽夫人とかいう美しい女は、自分と仲の好い藻に相違ないらしく思われた。化生の者でもよい。悪魔の精でも構わない。もう一度かの花園へ入り込んで、白い象の上に乗っている白い女の顔をよそながら見たいと思った。
 彼はくろがねの扉を力まかせに叩いた。拳《こぶし》の骨は砕けるように痛んで、彼ははっと眼をさました。しかし彼はこのおそろしい夢の記憶を繰《く》り返すには余りに頭が疲れていた。彼は枕に顔を押し付けてまたすやすやと眠ってしまった。

    二

 第二の夢の世界は、前の天竺よりはずっと北へ偏寄《かたよ》っているらしく、大陸の寒い風にまき上げられる一面の砂煙りが、うす暗い空をさらに黄色く陰《くも》らせていた。宏大な宮殿がその渦巻く砂のなかに高くそびえていた。
 宮殿は南にむかって建てられているらしく、上がり口には高い階段《きざはし》があって、階段の上にも下にも白い石だたみを敷きつめて、上には錦の大きい帳《とばり》を垂れていた。ところどころに朱く塗った太い円い柱が立っていて、柱には鳳凰《ほうおう》や龍や虎のたぐいが金や銀や朱や碧や紫やいろいろの濃い彩色《さいしき》を施して、生きたもののようにあざやかに彫《ほ》られてあった。折りまわした長い欄干《てすり》は珠《たま》のように光っていた。千枝松はぬき足をして高い階段の下に怖るおそる立った。階段の下には彼のほかに大勢の唐人《とうじん》が控えていた。
「しっ」
 人を叱るような声がどこからともなくおごそかに聞こえて、錦の帳は左右に開いてするすると巻き上げられた。正面の高いところには、錦の冠をいただいて黄色い袍《ほう》を着た男が酒に酔ったような顔をして、珠をちりばめた榻《とう》に腰をかけていた。これが唐人の王様であろうと千枝松は推量した。王のそばには紅の錦の裳《すそ》を長く曳いて、竜宮の乙姫《おとひめ》さまかと思われる美しい女が女王のような驕慢な態度でおなじく珠の榻に倚りかかっていた。千枝松は伸び上がってまたおどろいた。その美しい女はやはりあの藻をそのままであった。
「酒はなぜ遅い。肉を持って来ぬか」と王は大きい声で叱るように呶鳴った。
 藻に似た女は妖艶なひとみを王の赤い顔にそそいで高く笑いこけた。笑うのも無理はない、王の前には大きい酒の甕《かめ》が幾つも並んでいて、どの甕にも緑の酒があふれ出しそうに満《なみ》なみと盛ってあった。珠や玳瑁《たいまい》で作られた大きい盤の上には、魚の鰭《ひれ》や獣の股《もも》が山のように積まれてあった。長夜の宴に酔っている王の眼には、酒の池も肉の林ももうはっきりとは見分けがつかないらしかった。家来どもも侍女らもただ黙って頭をたれていた。
 そのうちに藻に似た女が何かささやくと、王は他愛なく笑ってうなずいた。家来の唐人はすぐに王の前に召し出されて何か命令された。家来はかしこまって退いたかと思うと、やがて大きい油壺を重そうに荷《にな》って来た。千枝松は今まで気がつかなかったが、このとき初めて階段の下の一方に太いあかがねの柱が立っているのを見つけ出した。大勢の家来が寄って、その柱にどろどろした油をしたたかに塗り始めると、ほかの家来どもはたくさんの柴を運んで来て、柱の下の大きい坑《あな》の底へ山のように積み込んだ。二、三人が松明《たいまつ》のようなものを持って来て、またその中へ投げ込んだ。ある者は油をそそぎ込んだ。
「寒いので焚火をするのか知らぬ」と、千枝松は思った。しかし彼の想像はすぐにはずれた。
 柴はやがて燃え上がったらしい。地獄の底から紅蓮《ぐれん》の焔を噴くように、真っ赤な火のかたまりが坑いっぱいになって炎々と高くあがると、その凄まじい火の光りがあかがねの柱に映って、あたりの人びとの眉や鬢《びん》を鬼のように赤く染めた。遠くから覗いている千枝松の頬までが焦《こ》げるように熱くなってきた。火が十分燃えあがるのを見とどけて、藻に似た女は持っている唐団扇をたかく挙げると、それを合図に耳もつぶすような銅鑼《どら》の音が響いた。千枝松はまたびっくりして振り向くと、鬚《ひげ》の長い男と色の白い女とが階段の下へ牽き出されて来た。かれらも天竺の囚人のように、赤裸の両手を鉄の鎖につながれていた。
 千枝松はぞっとした。銅鑼の音はまた烈しく鳴りひびいて、二人の犠牲《いけにえ》は銅の柱のそばへ押しやられた。千枝松は初めて覚った。油を塗った柱に倚りかかった二人は、忽ちにからだを滑らせて地獄の火坑にころげ墜ちるのであろう。彼はもう堪まらなくなって眼をとじようとすると、階段の下に忙がわしい靴の音がきこえた。
 今ここへ駈け込んで来た人は、身の長《たけ》およそ七尺もあろうかと思われる赭《あか》ら顔の大男で、黄牛《あめうし》の皮鎧に真っ黒な鉄の兜をかぶって、手には大きい鉞《まさかり》を持っていた。彼は暴れ馬のように跳って柱のそばへ近寄ったかと思うと、大きい手をひろげて二人の犠牲を抱き止めた。それをさえぎろうとした家来の二、三人はたちまち彼のために火の坑へ蹴込まれてしまった。彼は裂けるばかりに瞋恚《いかり》のまなじりをあげて、霹靂《はたたがみ》の落ちかかるように叫んだ。
「雷震《らいしん》ここにあり。妖魔亡びよ」
 鉞をとり直して階段を登ろうとすると、女は金鈴を振り立てるような凛とした声で叱った。大勢の家来どもは剣をぬいて雷震を取り囲んだ。坑の火はますます盛んに燃えあがって、広い宮殿をこがすばかりに紅く照らした。その猛火を背景にして、無数の剣のひかりは秋のすすきのように乱れた。雷震の鉞は大きい月のように、その叢《むら》すすきのあいだを見えつ隠れつしてひらめいた。
 藻に似た女は王にささやいてしずかに席を起った。千枝松はそっとあとをつけてゆくと、二人は手をとって高い台《うてな》へ登って行った。二人のあとをつけて来たのは千枝松ばかりでなく、鎧兜を着けた大勢の唐人どもが弓や矛《ほこ》を持って集まって来て、台のまわりを忽ち幾重《いくえ》にも取りまいた。そのなかで大将らしいのは、白い鬢髯《びんひげ》を鶴の毛のように長く垂れた老人であった。千枝松は老人のそばへ行ってこわごわ訊いた。
「ここはなんという所でござります。お前はなんというお人でござります」
 ここは唐土《もろこし》で、自分は周《しゅう》の武王《ぶおう》の軍師で太公望《たいこうぼう》という者であると彼は名乗った。そうして、更にこういうことを説明して聞かせた。
「今この国の政治《まつりごと》を執っている殷《いん》の紂王《ちゅうおう》は妲己《だっき》という妖女にたぶらかされて、夜も昼も淫楽にふける。まだそればかりか、妲己のすすめに従って、炮烙《ほうらく》の刑という世におそろしい刑罰を作り出した。お前も先刻《さっき》からここにいたならば、おそらくその刑罰を眼《ま》のあたりに見たであろう。いや、まだそのほかにも、妲己の残虐は言い尽くせぬほどある。生きた男を捕らえて釜うでにする。姙《はら》み女の腹を割《さ》く。鬼女とも悪魔とも譬えようもない極悪《ごくあく》非道の罪業《ざいごう》をかさねて、それを日々の快楽《けらく》としている。このままに捨て置いたら、万民は野に悲しんで世は暗黒の底に沈むばかりじゃ。わが武王これを見るに堪えかねて、四百余州《しひゃくよしゅう》の諸侯伯をあつめ、紂王をほろぼし、妲己を屠《ほふ》って世をむかしの明るみにかえし、あわせて万民の悩みを救おうとせらるるのじゃ。紂王はいかに悪虐の暴君というても、しょせんは唯の人間じゃ。これを亡ぼすのは、さのみむずかしいとは思わぬが、ただ恐るべきはかの妲己という妖女で、彼女《かれ》の本性は千万年の劫《こう》を経《へ》た金毛《きんもう》白面《はくめん》の狐じゃ。もし誤ってこの妖魔を走らしたら、かさねて世界の禍いをなすは知れてある」
 そのことばのいまだ終わらぬうちに、高い台《うてな》の上から黄色い煙りがうず巻いて噴き出した。老人は煙りを仰いで舌打ちをした。
「さては火をかけて自滅と見ゆるぞ。暴君の滅亡は自然の命数《めいすう》じゃが、油断してかの妖魔を取り逃がすな。雷震はおらぬか。煙りのなかへ駈け入って早く妖魔を誅戮《ちゅうりく》せよ」
 かの大まさかりを掻い込んで、雷震はどこからか現われた。彼はどよめいている唐人どもを掻き退けて、兜の上に降りかかる火の粉《こ》の雨をくぐりながら、台の上へまっしぐらに駈けあがって行った。老人は気づかわしそうに台をみあげた。千枝松も手に汗を握って同じく高い空を仰いでいると、台の上からは幾すじの黄色い煙りが大きい龍のようにのたうって流れ出した。その煙りのなかから、藻に似た女の顔が白くかがやいて見えた。
「射よ」と老人は鞭《むち》をあげて指図した。
 無数の征矢《そや》は煙りを目がけて飛んだ。女は下界《げかい》をみおろして冷笑《あざわら》うように、高く高く宙を舞って行った。千枝松はおそろしかった。それと同時に、言い知れない悲しさが胸に迫ってきて、彼は思わず声をあげて泣いた。
 不思議な夢はこれで醒めた。

 あくる朝になっても千枝松は寝床を離れることが出来なかった。ゆうべ不思議な夢におそわれたせいか、彼は悪寒《さむけ》がして頭が痛んだ。叔父や叔母は夜露にあたって冷えたのであろうと言った。叔母は薬を煎《せん》じてくれた。千枝松はその薬湯《やくとう》をすすったばかりで、粥《かゆ》も喉には通らなかった。
「藻はどうしたか」
 彼はしきりにそれを案じていながらも、意地の悪い病いにおさえ付けられて、いくらもがいても起きることが出来なかった。叔母も起きてはならないと戒《いまし》めた。それから五日ばかりの間、彼は病いの床に封じ込められて、藻の身の上にも、世間の上にも、どんな事件が起こっているか、なんにも知らなかった。

    三

 碧《あお》い空は静かに高く澄んでいるが、その高い空から急に冬らしい尖った風が吹きおろして来て、柳の影はきのうにくらべると俄に痩せたように見えた。大納言|師道《もろみち》卿の屋形《やかた》の築地《ついじ》の外にも、その柳の葉が白く散っていた。
 ひとりの美しい乙女《おとめ》が屋形の四足門《よつあしもん》の前に立って案内を乞うた。
「山科郷にわびしゅう暮らす藻《みくず》という賤《しず》の女《め》でござります。殿にお目見得《めみえ》を願いとうて参じました」
 取次ぎの青侍《あおざむらい》は卑しむような眼をして、この貧しげな乙女の姿をじろりと睨《ね》めた。しかもその睨めた眼はだんだんにとろけて、彼は息をのんで乙女の美しい顔を穴のあく程に見つめていた。藻はかさねて言った。
「承りますれば、関白さまの御沙汰として、独り寝の別れというお歌を召さるるとやら。不束《ふつつか》ながらわたくしも腰折れ一首詠み出《い》でましたれば、御覧に入《い》りょうと存じまして……」
 彼女は恥ずかしそうに少しく顔を染めた。青侍は我に返ったようにうなずいた。
「おお、そうじゃ。関白殿下の御沙汰によって、当屋形の大納言殿には独り寝の別れという歌を広く世間から召し募らるる。そなたもその歌を奉ろうとか。奇特《きどく》のことじゃ。しばらく待て」
 もう一度美しい乙女の顔をのぞいて、彼は奥へはいった。柳の葉が乙女の上に又はらはらと降りかかって来た。しばらく待たせて青侍は再び出て来て優しく言った。
「殿が逢おうと仰《おっ》しゃる。子細《しさい》ない、すぐに通れ」
 案内されて、藻は奥の書院めいたひと間へ通された。どこからか柔かい香《こう》の匂いが流れて来て、在所《ざいしょ》育ちの藻はおのずと行儀を正さなければならなかった。あるじの大納言師道卿は彼女と親しく向かい合って坐った。敷島の道には上下の隔てもないという優しい公家気質《くげかたぎ》から、大納言はこの賤の女にむかっても物柔らかに会釈《えしゃく》した。
「聞けば独り寝の別れの歌を披露しようとて参ったとか。堂上《どうじょう》でも地下《じげ》でも身分は論ぜぬ。ただ良《よ》い歌を奉ればよいのじゃ。名は藻とか聞いたが、父母《ちちはは》はいずこの何という者じゃな」
「父は……」と、言いかけて藻はすこしためらった。
 しばらく待っていても次の句が容易に出て来ないので、師道は催促するように訊いた。
「身分は論ぜぬと申しながら、いらぬ詮議をするかとも思おうが、これは関白殿下の御覧に入るる歌じゃ。一応は詠人《よみびと》の身分を詮議し置かないでは、わしの役目が立たぬ。父は誰であれ、母は何者であれ、恥ずるに及ばぬ。憚るにおよばぬ。ただ、正直に名乗ってくるればよいのじゃ」
「母はもうこの世におりませぬ。父の名をあからさまに申し上げませいでは、歌の御披露はかないませぬか」と藻は聞き返した。
「かなわぬと申すではないが、まずおのれの身分を名乗って、それから改めて披露を頼むというがひと通りの筋道じゃ。父の名は申されぬか」
「はい」
「なぜ言われぬ。不思議じゃのう」と、師道はほほえんだ。「ははあ、聞こえた。父の名をさきに申し立てて、もしその歌が無下《むげ》に拙《つたな》いときには、家《いえ》の恥辱になると思うてか。年端《としは》のゆかぬ女子《おなご》としては無理もない遠慮じゃ。よい、よい。さらばわしも今は詮議すまい。何者の子とも知れぬ藻という女子を相手にして、その歌というのを見て取らそう。料紙《りょうし》か短冊《たんざく》にでもしたためてまいったか」
「いえ、料紙も短冊も持参いたしませぬ」と、藻は恥ずかしそうに答えた。
 師道はすぐに硯や料紙のたぐいを運ばせた。この歌を広く世に募られてから、大納言の手もとへは毎日幾十枚の色紙や短冊がうずたかく積まれる。さすがは都、これほどの詠みびとが隠れているかと面白く思うにつけても、心に叶うような歌は一首も見いだされなかった。人の顔かたちを見て、もとよりその歌の高下《こうげ》を判ずるわけにはいかないが、この乙女の世にたぐいなき顔かたちと、そのさかしげな物の言い振りとを併せて考えると、師道の胸には一種の興味が湧いてきた。世にかくれたる才女が突然ここに現われて来て、自分を驚かすのではないかとも思われた。彼はじっと眼を据《す》えて、乙女の筆のなめらかに走るのを見つめていた。
「お恥ずかしゅうござります」
 藻は料紙をささげて、大納言の前に手をついた。師道は待ち兼ねたように読んだ。
  夜や更《ふ》けぬ 閨《ねや》のともしびいつか消えて わが影にさへ別れてしかも
「ほう」と、彼は思わず感嘆の息をついて、料紙のおもてと乙女の顔とを等分に見くらべていた。想像は事実となって、隠れたる才女が果たして彼を驚かしに来たのであった。
「おお、あっぱれじゃ。見事じゃ。ひとり寝の別れという難題をこれ程に詠みいだす者は、都はおろか、日本じゅうにもあるまい。まことによう仕《つか》まつった。奇特のことじゃ。関白殿下にも定めて御満足であろう。世は末世《まっせ》となっても、敷島の道はまだ衰えぬかと思うと、われらも嬉しい」
 師道は幾たびか繰り返してその歌を読んだ。文字のあともあざやかであった。かれは感に堪えてしばらくは涙ぐんでいた。それにつけても彼はこの才女の身の上を知りたかった。
「今も聞く通りじゃ。これほどの歌は又とあるまい。すぐに関白殿下に御披露申さねばならぬが、さてその時にこの詠みびとは何者じゃと問われたら、わしは何と申してよかろう。もうこの上は隠すにも及ぶまい。いずこの誰の子か、正直に明かしてくりゃれ」
「どうでも申さねばなりませぬか」と、藻は思い煩らうように言った。「身分の御詮議《ごせんぎ》がむずかしゅうござりまするなら、詠みびと知らずとなされて下さりませ」
「それもそうじゃが、なぜ親の名をいわれぬかのう」
「申し上げられませぬ。わたくしはこれでお暇《いとま》申し上げまする」
 言い切って、藻はしとやかに座を起《た》った。その凛とした威に打たれたように、大納言は無理に引き留めることも出来なかった。彼はこの美しい不思議な乙女のうしろ姿を夢のように見送っていたが、急に心づいて青侍を呼んだ。
「あの乙女のあとをつけて、いずこの何者か見とどけてまいれ」
 青侍を出してやって、師道は再び料紙を手に取って眺めた。容貌《きりょう》といい、手蹟《しゅせき》といい、これほどの乙女が地下《じげ》の者の胤《たね》であろう筈がない。あるいは然るべき人の姫ともあろう者が、このようないたずらをして興《きょう》じているのか。但しは鬼か狐か狸か。彼もその判断に迷っていると、日の暮れる頃になって青侍が疲れたような顔をして戻って来た。
「殿。あの乙女の宿は知れました」
「おお、見とどけて参ったか」
「京の東、山科郷の者でござりました。あたりの者に問いましたら、父はそのむかし北面の武士で坂部庄司なにがしとか申す者じゃと教えてくれました」
「北面の武士で坂部なにがし……」と、大納言は眼をとじて考えていたが、やがて思い出したように膝を打った。「おお、それじゃ。坂部庄司蔵人行綱……確かにそれじゃ。彼は大床《おおゆか》の階段《きざはし》の下で狐を射損じたために勅勘《ちょっかん》の身となった。その後いずこに忍んでいるとも聞かなんだが、さては山科に隠れていて、藻は彼の娘であったか。親にも生まれまさった子を持って、彼はあっぱれの果報者《かほうもの》じゃ」
 藻が父の名をつつんだ子細もそれで判った。勅勘の身を憚ったのである。父が教えたか、娘が自分に思いついたか、そのつつましやかな心根を大納言はゆかしくも又あわれにも思った。彼はその夜すぐに関白|忠通《ただみち》卿の屋形に伺候《しこう》して、世にめずらしい才女の現われたことを報告すると、関白もその歌を読みくだして感嘆の声をあげた。
 あらためて註するまでもないが、源の俊顕《としあきら》の歿後は和歌の道もだんだん衰えてきたのを、再び昔の盛りにかえそうと努めたのは、この忠通卿である。久安《きゅうあん》百首はこの時代の産物で、男には俊成《しゅんぜい》がある。清輔《きよすけ》がある。隆季《たかすえ》がある。女には堀川がある。安芸《あき》がある。小大進《こだいしん》がある。国歌はあたかも再興の全盛時代であった。その時代の名ある歌人すらもみな詠み悩んだ「独り寝のわかれ」の難題を、名も知らぬ賤の乙女がこう易《やす》やすと詠み出したのであるから、関白や大納言が驚歎の舌をまいたのも無理はなかった。
「父は勅勘の身ともあれ、娘には子細あるまい。予が逢いたい。すぐに召せ」と、忠通は言った。
 関白家のさむらい織部清治《おりべきよはる》はあくる日すぐに山科郷へゆき向かって、坂部行綱の侘び住居《ずまい》をたずねた。思いも寄らぬ使者をうけて、行綱もおどろいた。彼は娘が大納言の屋形へ推参《すいさん》したことをちっとも知らなかったのであった。その頃の女のたしなみとして、行綱は娘にも和歌を教えた。しかしそれが当代の殿上人を驚かすほどの名誉の歌人になっていようとは夢にも知らなかった。彼は驚いてまた喜んだ。彼は父に無断で大納言の屋形に推参した娘の大胆を叱るよりも、それほどの才女を我が子にもったという親の誇りに満ちていた。
「折角のお召し、身に余ってかたじけのうはござりますけれど……」
 言いかけて彼はすこしためらった。貧と病いとに呪われている彼は、関白殿下の御前《ごぜん》にわが子を差し出すほどの準備がなかった。いかに磨かぬ珠だといっても、この寒空にむかって肌薄な萌黄地の小振袖一重で差し出すのは、自分の恥ばかりでない、貴人《あてびと》に対して礼儀を欠いているという懸念《けねん》もあった。使者もそれを察していた。清治は殿よりの下され物だといって、美しい染め絹の大《おお》振袖ひとかさねを行綱の前に置いた。
「重々の御恩、お礼の申し上げようもござりませぬ」
 行綱はその賜わり物を押し頂いて喜んだ。使者に急《せ》き立てられて、藻はすぐに身仕度をした。門の柿の木の下には清治の供が二人控えていた。いたずら者の大鴉《おおがらす》もきょうは少し様子が違うと思ったのか、紅い柿の実を遠く眺めているばかりで迂闊に近寄って来なかった。
「御前、よろしゅうお取りなしをお願い申す」と、行綱は縁端《えんばた》までいざり出て言った。
「心得申した。いざ参られい」
 藻のあとさきを囲んで、清治と下人《げにん》らが門《かど》を出ようとするところへ、千枝松が来た。彼はまだ病みあがりの蒼い顔をして、枯枝を杖にして草履をひきずりながら辿《たど》って来た。彼は藻をひと目見てあっと驚いたが、そばには立派な侍が物々しい顔をして警固しているので、彼はむやみに声をかけることも出来なかった。となりの陶器師の店の前に突っ立って、彼は見違えるように美しくなった藻の姿を呆れたように眺めていると、陶器師の翁も婆も眼を丸くしてすだれのあいだから窺っていた。
 藻はそれらに眼もくれないように、形を正して真っ直ぐにあるいて行った。千枝松はもう堪まらなくなって声をかけた。
「藻よ。どこへ行く」
 彼女は振り向きもしなかった。一種の不安と不満とが胸にみなぎってきて、千枝松は前後のかんがえもなしに女のそばへ駈け寄った。
「これ、藻。どこへゆく」と、彼はまた訊いた。
「ええ、邪魔するな。退け、のけ」
 清治は扇で払いのけた。勿論、強く打つほどの気でもなかったのであろうが、手のはずみでその扇が千枝松の頬にはた[#「はた」に傍点]とあたった。かれは赫《かっ》となって思わず杖をとり直したが、清治の怖い眼に睨まれてすくんでしまった。藻は知らぬ顔をして悠々とゆき過ぎた。


塚《つか》の祟《たた》り

    一

「おお、入道《にゅうどう》よ。ようぞ見えられた」
 関白忠通卿はいつもの優しい笑顔を見せて、今ここへはいって来たひと癖ありそうな小作《こづく》りの痩《やせ》法師を迎えた。法師は少納言|通憲《みちのり》入道|信西《しんぜい》であった。当代無双の宏才博識として朝野《ちょうや》に尊崇されているこの古《ふる》入道に対しては、関白も相当の会釈をしなければならなかった。ことに学問を好む忠通は日頃から信西を師匠のようにも敬《うやま》っていた。
「きょうは藻という世にもめずらしい乙女がまいる筈じゃ。入道もよい折柄《おりから》にまいられた。一度対面してその鑑定をたのみ申したい」と、忠通はまた笑った。
「藻という乙女……。それは何者でござるな」と、信西もその険しい眉をやわらげてほほえんだ。
「これ見られい。この歌の詠みびとじゃ」
 関白の座敷としては、割合に倹素で、忠通の座右《ざゆう》には料紙硯と少しばかりの調度が置かれてあるばかりであった。忠通は一枚の料紙をとり出して入道の前に置くと、信西はその歌を読みかえして、長い息をついた。
「なにさまよう仕《つか》まつったのう。ひとり寝の別れという難題をこれほどに詠みいだすものは、世におそらく二人とはござるまい。して、その乙女は何者でござるな。身はうき草の根をたえて、水のまにまに流れてゆく、藻とは哀れに優しい名じゃ」と、彼は再びその料紙を手にとり上げて、見とれるように眺めていた。
 それがさきに勅勘を蒙った坂部庄司蔵人行綱の娘であると言い聞かされて、信西はまた眉を皺めた。彼は蔵人行綱の名を記憶していなかった。自分の記憶に残っていないくらいであるから、行綱の人物も大抵知れてあるように思われた。その行綱がこれほどの才女を生み出したというのは、世にも珍しいことである。彼もその藻という乙女をひと目見たいと思った。
「では、その乙女をきょう召されましたか」
「大納言のことばによれば、世にたぐいないかとも思わるるほどの美しい乙女じゃそうな。一度逢うて見たいと思うて、きょう呼び寄せた。もうやがて参るであろうよ」
 幾分か優柔という批難こそあれ、忠通は当代の殿上人《てんじょうびと》のうちでも気品の高い、心ばえの清らかな、まことに天下の宰相《さいしょう》として恥ずかしからぬ人物であった。彼は色を好まなかった。年ももう四十に近い。美しい乙女ということばが彼の口から出ても、それが何のけしからぬ意味をも含んでいないことは相手にもよく判っていた。客もあるじも十六夜《いざよい》の月を待つような、風流なのびやかな、さりとて一種の待ちわびしいような心持で、その美しい乙女のあらわれて来るのを待っていた。
「藻が伺候つかまつりました。すぐに召されまするか」
 織部清治は来客の手前を憚って、主人の顔色をうかがいながらそっと訊くと、忠通はすぐに通せと言った。やがて清治に案内されて、藻は庭さきにはいって来た。
 ここは北の対屋《たいのや》の東の庭であった。午《ひる》すぎの明るい日は建物の大きい影を斜めに地に落として、その影のとどかない築山のすそには薄紅い幾株かの楓《もみじ》が低く繁って、暮れゆく秋を春日絵《かすがえ》のようにいろどっていた。藻はその背景の前に小さくうずくまって、うやうやしく土に手をついた。
「いや、苦しゅうない。これへ召しのぼせて藁蓐《わらうだ》をあたえい」と、忠通はあごで招いた。
 清治は心得て、藻を縁にのぼらせた。そうして藁の円座を敷かせようとしたが、藻は辞退して板縁の上に行儀よくかしこまった。
「予は忠通じゃ。そちは前《さき》の蔵人坂部庄司の娘、藻と申すか」と、忠通は向き直って声をかけた。
「仰せの通り、坂部行綱のむすめ藻、初めてお目見得つかまつりまする」
 彼女は謹んで答えると、信西も軽く会釈した。
「わしは少納言信西じゃ」
「遠慮はない。おもてをあげて見せい」
 関白に再び声をかけられて、藻はしずかに頭をあげた。彼女の顔は白い玉のように輝いていた。彼女の眉は若い柳の葉よりも細く優しくみえた。彼女の眼は慈悲深い観音のそれよりもやわらかく清げに見えた。その尊げな顔、その優しげなかたち、これが果たして人間の胤《たね》であろうかと、色を好まない忠通も思わず驚歎の息をのんで、この端麗なる乙女の顔かたちをのぞき込むように眺めていた。六十に近い信西入道も我にもあらで素絹《そけん》の襟をかき合わせた。
「年は幾つじゃ」と忠通はまた訊いた。
「十四歳に相成りまする」
「ほう、十四になるか。才ある生まれだけに、年よりまして見ゆる。歌は幾つの頃から誰に習うた」
 この問いに対して、藻はあきらかに答えた。自分は字音《じおん》仮名づかいを父に習ったばかりで、これまで定まった師匠に就いて学んだことはない。いわば我流でお恥ずかしいと言った。その偽らない、誇りげのない態度が、いよいよ忠通の心をひいた。彼は更に打ち解けて言った。
「なにびとも詠み悩んだ独り寝の別れの難題を、よう仕まつった者には相当の褒美を取らそうと、忠通かねて約束してある。そちには何を取らそうぞ。金《かね》か絹か、調度のたぐいか、なんなりとも望め」
 藻の涙は染め絹の袖にはらはらとこぼれた。
「ありがたい仰せ。つたない腰折れをさばかりに御賞美下されまして、なんなりとも望めとある、そのおなさけに縋《すが》って、藻一生のお願いを憚りなく申し上げてもよろしゅうござりましょうか」
「おお、よい、よい。包まずに申せ」と、忠通は興《きょう》ありげにうなずいた。
「父行綱が御赦免《ごしゃめん》を……」
 言いかけて、彼女は恐るおそる縁の上に平伏した。忠通と信西とは眼をみあわせた。忠通の声はすこしく陰《くも》った。
「優しいことを申すよのう。恩賞として父の赦免を願うか」
 この願いは二様《によう》の意味で忠通のこころを動かした。第一は乙女の孝心に感じさせられたのと、もう一つには自分の過去に対する微かな悔み心を誘い出されたのとであった。北面《ほくめん》の行綱に狐を射よと命じたのは自分である。行綱が仕損じた場合に、ひどく気色《けしき》を損じたのも自分である。勅勘とはいえ、そのとき自分に彼を申しなだめてやる心があれば、行綱はおそらく家の職を剥がれずとも、済んだのであろう。勿論、彼にも落度はあるが、さまでに厳しい仕置きをせずともよかったものをと、その当時にもいささか悔む心のきざしたのを、年月《としつき》の経つにつれて忘れてしまった。それが今度の歌から誘い出されて、北面行綱の名が忠通の胸によみがえった。まして自分の眼の前には、美しい乙女が泣いて父の赦免を訴えているではないか。忠通もおのずと涙ぐまれた。
「そちの父は勅勘の身じゃ。忠通の一存でとこうの返答はならぬが、その孝心にめでて願いの趣きは聞いて置く。時節を待て」
 この時代、関白殿下から直接にこういうお詞《ことば》がかかれば、遅かれ速かれ願意のつらぬくのは知れているので、藻は涙を収めてありがたくお礼を申し上げた。御前の首尾のよいのを見とどけて、清治は藻に退出をうながした。
「また召そうも知れぬ。その折りには重ねてまいれよ」
 忠通は当座の引出物《ひきでもの》として、うるわしい色紙短冊と、紅葉《もみじ》がさねの薄葉《うすよう》とを手ずから与えた。そうして、この後ともに敷島の道に出精《しゅっせい》せよと言い聞かせた。藻はその品々を押しいただいて、清治に伴われて元の庭口からしずかに退出した。
「さかしい乙女じゃ、やさしい乙女じゃ。独り寝の歌をささげたも、身の誉れを求むる心でない。父の赦免を願おうためか。さりとは哀れにいじらしい」と、忠通は彼女のうしろ姿をいつまでも見送って再び感歎の溜息を洩らした。
 信西は黙っていた。定めてなんとか相槌《あいづち》を打つことと思いのほか、相手は固く口を結んでいるので、忠通はすこし張り合い抜けの気味であった。彼は信西の返事を催促するように、また言った。
「あれほどの乙女を草の家《や》に朽ちさするはいとおしい。眉目形《みめかたち》といい、心ばえといい、世にたぐいなく見ゆるものを……。のう、入道。あれをわが屋形に迎い取って教え育て、ゆくゆくは宮仕えをもさしょうと思うが、どうであろうな」
 信西は眼をとじて黙っていた。彼の険しい眉は急に縮んだかと思われるように迫ってひそんで、ひろい額《ひたい》には一本の深い皺を織り込ませていた。彼が大事に臨んで思案に能《あた》わぬ時に、いつもこうした物凄い人相を現わすことを忠通もよく知っていた。知っているだけに、なんだか不思議にも不安にも思われた。
「入道。どうかおしやれたか」
 重ねて呼びかけられて、信西は初めて眼をひらいたが、何者をか畏《おそ》るるようにその眼を再び皺めて、しばらくは空《くう》をにらんでいた。そうして、呻《うめ》くようにただひと言いった。
「不思議じゃのう」
 それは藻が屋形の四足門を送り出された頃であった。

    二

 千枝松は自分の家へいったん帰って、日のかたむく頃にまた出直して来た。彼は藻が見違えるような美しい衣《きぬ》を着て、見馴れない侍に連れてゆかれるのを見て、驚いて怪しんでその子細を聞きただそうとしたが、藻は彼には眼もくれないで行き過ぎてしまった。侍は扇で彼を打った。くやしいと悲しいとが一つになって、彼の眼にはしずくが宿った。彼は藻のひと群れのうしろ姿が遠くなるまで見送っていたが、それからすぐに藻の家へ行った。藻が関白の屋形へ召されたことを父の行綱から聞かされて、彼もようやく安心したが、屋形へ召されてからさてどうしたか、彼の胸にはやはり一種の不安が消えないので、家《うち》へ帰っても落ち着いていられなかった。
「病みあがりじゃ。もう日が暮るるにどこへゆく」と、叔母が叱るのをうしろに聞き流して、千枝松はそっと家をぬけ出した。
 もう申《さる》の刻を過ぎたのであろう。綿のような秋の雲は、まだその裳《もすそ》を夕日に紅く染めていたが、そこらの木蔭からは夕暮れの色がもうにじみ出してきて、うすら寒い秋風が路ばたのすすきの穂を白くゆすっていた。千枝松はけさとおなじように枯枝を杖にしてたどって来ると、陶器師の翁は門《かど》に立って高い空をみあげていた。
「千枝ま[#「ま」に傍点]よ。また来たか。藻はまだ戻るまいぞ」と、翁は笑いながら言った。
「まだ戻らぬか」と、千枝松は失望したように翁の顔を見つめた。「関白殿の屋形へ召されて、今頃まで何をしているのかのう」
「ここから京の上《かみ》まで女子の往き戻りじゃ。それだけでも相当のひまはかかろう。どうでも藻に逢いたくば、内へはいって待っていやれ。暮れるとだんだん寒うなるわ」
 翁は両手をうしろに組みあわせながら、くさめを一つして簾《すだれ》のなかへ潜《くぐ》ってはいった。千枝松も黙って付いてはいると、婆は柴を炉にくべていた。
「病みあがりに朝晩出あるいて、叔母御がなんにも叱らぬかよ」と、婆はけむそうな眼をして言った。「おまえも藻にはきつい執心《しゅうしん》じゃが、末は女夫《めおと》になる約束でもしたのかの」
 千枝松の顔は今燃え上がった柴の火に照らされて紅《あか》くなった。彼は煙りを避けるように眼を伏せて黙っていた。
「そりゃ銘々の勝手じゃで、わしらの構うたことではないが、お前知っていやるか。この頃の藻の様子がどうも日頃とは違うている。現にこのあいだの夜もお前や爺さまにあれほどの世話を焼かせて、その明くる朝ゆき逢うても碌々に会釈もせぬ。今までのおとなしい素直な娘とはまるで人が違うたような。のう、爺さま」
 人の好い翁は隣りの娘の讒訴《ざんそ》をもう聞き飽きたらしい。ただ黙ってにやにや笑っていた。その罪のない笑顔と、意地悪そうな婆の皺づらとを見くらべながら、千枝松はやはり黙って聞いていると、婆は更に唇をそらせて、そのまだらな歯をむき出した。
「まだそればかりでない。わしは不思議なことを見た。おとといの宵に隣り村まで酒買いにゆくと、そこの川べりの薄《すすき》や蘆《あし》が茂ったなかに、藻が一人で立っていた。立っているだけなら別に子細もないが、片手に髑髏《されこうべ》を持って、なにやら頭の上にかざしてでもいるような。わしも薄気味が悪うなって、そっとぬき足をして通り過ぎた」
 その髑髏はかの古塚から抱えてきたものに相違ないと千枝松はすぐに覚ったが、藻がいつまでもそれを大切に抱えていて、なぜそんな怪しい真似をしていたのか、それは彼にも判らなかった。
「わしもその後しばらく藻に逢わぬが、毎晩そのようなことをしているのであろうか」と、千枝松は心もとなげに婆に訊いた。
「わしも知らぬ。わしの見たのはただ一度じゃ。なぜそのようなことをしていたのか、お前逢うたらきいてお見やれ」
「はは、なんのむずかしく詮議することがあろうか」と、翁は急に笑い出した。「宵の薄暗がりで婆めが何か見違えたのじゃ。さもなくば、人の見ぬ頃をはかって、そこらの川へ捨てに行ったのであろう。髑髏を額にかざして冠《かんむり》にもなるまいに。ははははは」
 むぞうさに言い消されて、婆は躍気《やっき》となった。彼女は手真似をまぜてその時のありさまを詳しく説明した。その間に彼は幾たびか柴の煙りにむせた。
「なんの、わしが見違えてよいものか。藻はたしかに髑髏を頭に頂いていたのじゃ」
「こりゃじい様のいう通り、なにかの見違えではあるまいかのう」と、千枝松は不得心らしい顔をして側から喙《くち》をいれた。
 左右に敵を引き受けて、婆はいよいよ口を尖らせた。
「はて、お前らは見もせいで何を言うのじゃ。わしはその場へ通りあわせて、二つの眼でたしかにそれを見とどけたのじゃ」
「見たというても老いの眼じゃ。その魚《さかな》のような白い眼ではのう」と、千枝松はあざ笑った。
「なんじゃ、さかなの眼じゃ」と、婆は膝を立て直した。「これでもわしの眼は見透しじゃ。お前らのような明盲と一つになろうかい」
「なにが明きめくらじゃ」と、千枝松も居直った。
「そんならわしを、さかなの眼となぜ言やった」
「そのように見ゆるから言うたのじゃ」
 二人が喧嘩腰になって口から泡をふこうとするのを、翁は又かというように笑いながらしずめた。
「はて、もうよい、もうよい。隣りの娘が髑髏を頂こうと、抱えようと、わしらになんの係り合いもないことじゃ。角目《つのめ》立って争うほどのこともないわ。千枝ま[#「ま」に傍点]はとかくに婆めと仲がようないぞ。二人を突きあわせて置いては騒々しくてならぬ。千枝ま[#「ま」に傍点]はもう帰って、あしたまた出直して来やれ」
「そうじゃ。爺さまがこんな阿呆を誘い入れたのが悪い」と、婆は焚火越しに睨んだ。「ここはわしらの家じゃ。お前を置くことはならぬ。早う帰ってくりゃれ」
「おお、帰らいでか。わしがことを阿呆とよう言うたな。おのれこそ阿呆の疫病婆じゃ」
 呶鳴り散らして、千枝松はそこをつい[#「つい」に傍点]と出ると、外はもう暮れていた。その薄暗いなかに女の顔がほの白く浮かんで見えた。女は小声で彼の名を呼んだ。
「千枝ま[#「ま」に傍点]」
 それは藻であった。千枝松はころげるように駈け寄った。
「おお、藻。戻ったか」
「お前、隣りの家で何かいさかいでもしていたのか。阿呆の、疫病のと、そのような憎て口は言わぬものじゃ」
「じゃというて、あの婆め。何かにつけてお前のことを悪う言う。ほんにほんに憎い奴じゃ。今もお前が髑髏を頭に乗せていたの何のと、見て来たように言い触らしてわしをなぶろうとしいる」と、千枝松はうしろを見返って罵るように言った。
 藻は案外におちついた声で言った。
「あの婆どのもお前がいうように悪い人でもない。わたしが髑髏を持っているところを、婆どのは確かに見たのであろう。その訳はこうじゃ。このあいだの晩、わたしが枕にしていた白い髑髏はどこの誰の形見か知らぬが、わたしの身に触れたというも何かの因縁《いんねん》じゃ。回向《えこう》してやりたいと思うて持ち帰って、仏壇にそっと祀って置いたを父《とと》さまにいつか見付けられて、このような穢《けが》れたものを家《うち》へ置いてはならぬ。もとのところへ戻して来いと叱られたが、あの森へは怖ろしゅうて二度とは行かれぬ。おまえに頼もうと思うても、あいにくにお前は見えぬ。よんどころなしにあの川べりへ持って行って普門品《ふもんぼん》を唱《とな》えて沈めて来た。となりの婆どのは丁度そこへ通りあわせて、わたしが髑髏を押し頂いているところを見たのであろう。訳を知らぬ人が見たら不思議に思うも無理はない。婆どのはお前をなぶろうとしたのではない。ほんのことを正直に話したのじゃ」
「そうかのう」
 千枝松もはじめてうなずいた。藻が薄暗い川べりに立って髑髏をかざしていた子細も、これで判った。陶器師の婆が根もないことを言い触らしたのでないという証拠もあがった。彼は一時の腹立ちまぎれに喧嘩を売って、人のよいじいさまの気を痛めたことを少し悔むようになってきた。
「それからきょうは関白殿の屋形へ召されて、御前《ごぜん》の首尾はどうであった」
「首尾は上々《じょうじょう》じゃ」と、藻は誇るように言った。「色紙やら短冊やらいろいろの引出物をくだされた。帰りも侍衆が送って来てくれたが、侍衆の話では、わたしをお屋形へ御奉公に召さりょうも知れぬと……」
「なんじゃ、御奉公に召さるると……。して、その時はどうするつもりじゃ」と、千枝松はあわただしく訊いた。
「どうするというて……。ありがたくお受けするまでじゃ。もしそうなれば思いも寄らぬ身の出世じゃと、父《とと》さまも喜んでいやしゃれた」
 秋の宵闇は二人を押し包んで、女の白い顔ももう見えなくなった。その暗い中から彼女の顔色を読もうとして、千枝松は梟《ふくろう》のように大きい眼をみはった。
「お受けする……。関白殿の屋形へまいるか。お宮仕えは一生の奉公と聞いておる。それほどで無うても、三年や五年でお暇《いとま》は下されまいに、お前はいつここへ戻って来るつもりじゃ」
「それはわたしにも判らぬ。三年か五年か、八年か十年か、一生か」と、藻は平気で答えた。
 それでは約束が違うと言いたいのを、千枝松はじっと噛み殺して、しばらく黙っていた。勿論、二人のあいだに表向きの約束はない。行く末はどうするということを、藻の口からあらわに言い出したこともない。父の行綱も娘をお前にやろうと言ったことはない。しょせんは言わず語らずのうちに千枝松が自分ぎめをしていたに過ぎないのである。この場合、彼は藻にむかって正面からその違約を責める権利はなかった。しかし彼は悲しかった。口惜しかった。腹立たしかった。どう考えても藻を宮仕えに出してやりたくなかった。
「その身の出世というても、出世するばかりが人間の果報でもあるまいぞ。奉公などやめにしやれ」と彼は率直に言った。
 藻はなんにも言わなかった。
「いやか。どうでも関白殿の屋形へまいるのか」と、千枝松は畳みかけて言った。「わしの叔母御のところへ来て烏帽子を折り習いたいというたは嘘か。お前はわしに偽《いつわ》ったか」
 彼はこの問題をとらえて来て、女の違約を責める材料にしようと試みたが、それは手もなく跳ね返された。
「そりゃ御奉公しようとも思わぬ昔のことじゃ」
「その昔を忘れては済むまい」
 暗いなかでは女の顔色を窺うことはできないので、千枝松はじれて藻の手をつかんだ。そうして隣りの陶器師の門までひいてゆくと、炉の火はまばらな簾を薄紅く洩れて、女の顔が再び白く浮き出した。千枝松はその顔をのぞき込んで言った。
「これほど言うてもお前はきかぬか。わしの頼みを聞いてくれぬか。のう、藻。わしは来年は男になって、烏帽子折りの商売《あきない》をするのじゃ。わしが腕かぎり働いたら、お前たち親子の暮らしには事欠かすまい。宮仕えなどして何になる。結局は地下《じげ》で暮らすのが安楽じゃ。第一おまえが奉公に出たら、病気の父御《ててご》はなんとなる。誰が介抱すると思うぞ。わが身の出世ばかりを願うて、親を忘れては不孝じゃぞ」
 第一の抗議で失敗した彼は、さらに孝行の二字を控え綱にして、女の心をひき戻そうとあせったが、それもすぐに切り放された。
「わたしが奉公するとなれば、父《とと》さまの御勘気も免《ゆ》るる。殿に願うて良い医師《くすし》を頼むことも出来る。なんのそれが不孝であろうぞ」
 千枝松はあとの句を継ぐことが出来なくなった。
 藻は勝ち誇ったように笑った。
「おまえとも久しい馴染みであったが、もうこれがお別れになろうも知れぬ。今もお前が言うた通り、来年は男になって、叔父さまや叔母さまに孝行しなされ」
 彼女は幽霊のように元の闇に消えてしまった。

    三

 千枝松はその晩眠らずに考えた。
「陶器師の婆の言うたに嘘はない。藻はむかしの藻でない。まるで生まれ変わった人のような」
 あしたはもう一度たずねて行って、今度はなんといって口説き伏せようかと、彼は疲れ切った神経をいよいよ尖らせて、秋の夜長をもだえ明かした。あかつきの鶏の啼く頃から彼は又もや熱がたかくなった。
「それお見やれ。しかと癒り切らぬ間《ま》にうかうかと夜歩きをするからじゃ」と、彼は叔母から又叱られた。叔父からも命知らずめと叱られた。
 そうして、四日ばかりは外出を厳しく戒められた。
 いかにあせっても、千枝松は動くことが出来なかった。四日目の朝には気分が少し快くなったので、叔母が買物に出た留守を狙って、彼は竹の杖にすがって家を這い出した。三、四日のうちに今年の秋も急に老《ふ》けて、畑の蜀黍《もろこし》もみな刈り取られてしまったので、そこらの野づらが果てしもなく遠く見渡された。千枝松は世界が俄に広くなったように思った。そうして、晴ればれしいというよりも、なんだか頼りないような悲しい思いに涙ぐまれた。彼は重い草履を引きずってとぼとぼと歩いて来た。
 藻の門《かど》の柿の梢がようように眼にはいったと思う頃に、彼は陶器師の翁に逢った。翁は野菊の枝を手に持って、寂しそうに俯《うつ》向き勝ちに歩いていた。ふたりは田圃路のまん中で向かい合った。
「じいさま。どこへゆく」
 挨拶なしで行き違うわけにもいかないので、千枝松の方からまず声をかけると、翁はゆがんだ烏帽子を押し直しながら、いつもの通りに笑っていたが、その頤《あご》には少し痩せがみえた。
「これじゃ。婆の墓参りじゃ」と、彼は手に持っている紅い花を見せた。
「婆どのが死んだか」と、千枝松もさすがに驚かされた。「いつ死なしゃれた。急病か」
「おお、丁度おまえが来て、いさかいをして帰った晩じゃ」
 その夜ふけにそっと戸を叩いた者がある。婆はいつもの寝坊に似合わず、すぐに起きて戸をあけた。外には誰が立っていたのか知らないが、彼女はそのままするり[#「するり」に傍点]と表へ出て行って、夜の明けるまで帰って来なかった。翁も不思議に思って近所に聞き合わせたが、なにぶんにも夜更けのことで誰も知っている者はなかった。だんだんあさり尽くした揚げ句に、翁はふと過日《かじつ》の杉の森を思いついて、念のために森の奥へはいってみると、婆は藻と同じようにかの古塚の下に倒れていた。しかし彼女は何者にか喉を啖《く》い破られていて、とてもその魂を呼びかえすすべはなかった。葬いは近所の人たちの手を借りて、その明くる日の夕方にとどこおりなく済ませたと、翁も顔をくもらせながら話した。
 千枝松も眉を寄せて、この奇怪な物語に耳をかたむけていると、翁はまた言った。
「わしの考えでは、それもみんな古塚の祟りじゃ。わしらがあの森の奥へむざと踏み込んだので、その祟りがわしの身にはかからいで、婆の上に落ちかかって来たのじゃ。婆めは塚のぬしにひき寄せられて、あの森の奥に屍《しかばね》をさらすようになったのであろう。千枝ま[#「ま」に傍点]よ、お前もまんざら係り合いがないでもない。婆めはあの丘の裾に埋めてある。暇があったら一度はその墓を拝んでやってくれ。生きている間は仇同士のようにしていても、死ねば仏じゃ。どうぞ回向《えこう》を頼むぞよ」
 こう言っているうちに、翁はだんだんにふだんの笑顔にかえった。しかし千枝松は笑っていられなかった。俄に物の祟りということが怖ろしくなってきて、さらでも寒い朝風に吹きさらされながら彼は鳥肌の身をすくめた。
「それは気の毒じゃ。わしもきっと拝みにゆく」
 翁に別れてふた足三足行きかかると、彼はあとから呼び戻された。
「千枝ま[#「ま」に傍点]よ。まだ言い残したことがある。藻《みくず》はもう家にいぬぞよ」
 千枝松の顔色は変わった。翁は戻って来て気の毒そうに言った。
「婆めの弔いのときには藻も来て手伝うてくれたが、その明くる日に、都から又お使いが来たそうで、すぐに御奉公にあがることに決まって、きのうの午頃《ひるごろ》にいそいそして出て行ったよ」
 渡り鳥が二人の頭の上を高くむらがって通ったので、翁は思わず空をみあげた。千枝松は俯向いてくちびるを噛んでいた。
「詳しいことは庄司どのにきいてお見やれ。婆がいなくなったので寂しゅうてならぬ。わしが家へも相変わらず遊びに来てくれよ」
 千枝松はうなずいて別れた。
 仇のように憎んでいた疫病婆でも、その死を聞けばさすがに悲しかった。その奇怪な死にざまは更に怖ろしかった。しかし今の千枝松に取っては、婆の死も塚の祟りももう問題ではなかった。彼は半分夢中で藻の家へ急いでゆくと、行綱は蒲団の上に起き直っていた。
「おお、いつも見舞うてくれてかたじけない」と、行綱はいつになく晴れやかな眼をして言った。「そなたと仲好しであった藻は、関白殿の屋形へ召されて行った。わしもまだ起き臥しも自由でない身の上で、介抱の娘を手放してはいささか難儀じゃと思うたが、第一にはあれの出世にもなること、ひいてはわしの仕合わせにもなることじゃで、思い切って出してやった。行く末のことは判らぬが、一度御奉公に召されたからは五年十年では戻られまい。そなたも藻とは久しい馴染みじゃ。娘の出世を祝うてくりゃれ」
 千枝松はもう返事が出なかった。聞くだけのことを聞いてしまって、彼はすぐに外へ出ると、門の柿の梢には鴉のついばみ残した大きい実が真っ紅にただれて熟して、その腐った葉が時どきにはらはらと落ちていた。彼は陰った眼をあげてその梢をみあげているうちに、熱い涙が頬を伝って流れ出した。
 藻は自分を捨てて奉公に出てしまった。五年十年、あるいはもう一生戻らないかもしれない。それを思うと、彼はむやみに悲しくなった。来年から一人前の男になって烏帽子折りのあきないに出るという楽しみも、藻というものがあればこそで、その藻が鳥のように飛んで行ってしまって、再び自分の籠《かご》には戻らないと決まった以上、自分はこの後になにを楽しみに働く。なにを目あてに生きてゆく。千枝松はこの世界が俄に暗黒になったように感ずると同時に、まだほんとうに癒り切らない病いの熱がまた募ってきた。彼の総身《そうみ》は火に灼《や》かれるように熱くなった。彼は息苦しいほどに喉がかわいてきたので、隣りの陶器師のうちへ転げ込んで一杯の水を飲もうとしたが、翁の留守を知っているので、さすがに遠慮した。彼は杖を力にして近所の川べりへさまよって行った。
 ここは藻と一緒にたびたび遊びに来た所である。このあいだも十三夜のすすきを折りに来た所である。二人が睦まじくならんで腰をかけた大きい柳はそのままに横たわって、秋の水は音もなしに白く流れている。千枝松は水のきわに這い寄って、冷たい水を両手にすくってしたたかに飲んだが、総身はいよいよ燃えるようにほてって、眼がくらみそうに頭がしんしんと痛んで来た。彼はもう立って歩くことが出来なくなったので、杖をそこに捨ててしまった。蟹のように這ってあるいて、枯れた蘆やすすきの叢《むら》をくぐって、ともかく往来まで顔を出したが、彼はまた考えた。
「もういっそ、死んだがましじゃ」
 藻を失った悲しみと病いにさいなまるる苦しみを忘れるために、いっそこの水の底へ沈んでしまおうと、彼は咄嗟《とっさ》のあいだに覚悟をきめた。彼は再び水のきわへ這い戻って、蒼ざめた顔を水に映した一刹那に、うしろからその腰のあたりを引っ掴んで不意にひき戻した者があった。
「これ、待て」
 それは下部《しもべ》らしい小男であった。くずれた堤の上にはその主人らしい男が立っていた。もう争うほどの力もない千枝松は、子供につかまれた狗《いぬ》ころのように堤のきわまでずるずると曳き摺られて行った。
「お前はそこに何をしている」と、主人らしい男は彼に徐《しず》かに訊いた。男は三十七、八でもあろう。水青の清らかな狩衣《かりぎぬ》に白い奴袴《ぬばかま》をはいて、立《たて》烏帽子をかぶって、見るから尊げな人柄であった。彼は鼻の下に薄い髭をたくわえていた。優しいながらもどこやらに犯し難《がた》い威をもった彼の眼のひかりに打たれて、千枝松は土に手をついた。
「見れば顔色もようない」と、男は重ねて言った。「おまえは怪異《あやかし》に憑《つ》かれて命をうしなうという相《そう》が見ゆる。あぶないことじゃ」
「殿のおたずねじゃ。つつまず言え。おのれ入水《じゅすい》の覚悟であろうが……」と、下部は叱るように言った。
「わしは播磨守泰親《はりまのかみやすちか》じゃ。何者の子か知らぬが、おまえの命を救うてやりたい。死ぬる子細をつぶさに申せ」
 泰親の名を聴いて、千枝松もおもわず頭をあげて、自分の前に立っているその人の顔を恐るおそる仰いで視た。播磨守泰親は陰陽博士《おんようはかせ》安倍晴明《あべのせいめい》が六代の孫で、天文|亀卜《きぼく》算術の長《おさ》として日本国に隠れのない名家である。その人の口からお前には怪異が憑いていると占われて、千枝松はいよいよ怖ろしくなった。
 彼は泰親の前で何事もいつわらずに語った。泰親は眼をとじてしばらく勘考《かんこう》していたが、やがて又|徐《しず》かに言った。
「その藻とやらいう女子《おなご》の住み家はいずこじゃ。案内せい」
 泰親はなにやら薬をとり出してくれた。それを飲むと千枝松は俄に神気《しんき》がさわやかになった。彼は下部にたすけられて行綱の家の前までたどってゆくと、泰親は立ち停まって家のまわりを見廻した。それから更に眉を皺めて家の上を高く見あげた。
「凶宅《きょうたく》じゃ」
 柿の梢にはいつもの大きい鴉が啼いていた。


花《はな》の宴《うたげ》

    一

 それから年のこよみが四たび変わって、仁平《にんぺい》二年の春が来た。
 この三、四年は疫病神《やくびょうがみ》もどこへか封じ込められて、そのあらぶる手を人間の上に加えなかった。ややもすれば神輿《じんよ》を振り立てて暴れ出す延暦寺の山法師どもも、この頃はおとなしく斎《とき》の味噌汁をすすって経を読んでいるらしい。長巻《ながまき》のひかりも高足駄の音も都の人の夢を驚かさなかった。検非違使《けびいし》の吟味が厳しいので盗賊の噂も絶えた。火事も少なかった。嵐もなかった。この世の乱れも近づいたようにおびえていた平安朝末期の人の心もいつか弛《ゆる》んで、再び昔ののびやかな気分にかえると、そのゆるんだ魂《たま》の緒《お》を更にゆるめるように、ことしの春はうららかに晴れた日がつづいた。野にも山にも桜をかざして群れ遊ぶ人が多いので、浮かれた蝶はその衣《きぬ》の香を追うに忙しかった。
 関白忠通卿が桂の里の山荘でも、三月のなかばに花の宴《うたげ》が催された。氏《うじ》の長《おさ》という忠通卿の饗宴に洩れるのは一代の恥辱であると言い囃《はや》されて、世にあるほどの殿上人は競ってここに群れ集まった。濡るるとも花の蔭にてという風流の案内であったが、春の神もこの晴れがましい宴《うたげ》の莚《むしろ》を飾ろうとして、この日は朝から美しい日の光りが天にも地にも満ちていた。
 風流の道にたましいを打ち込んで、華美《はで》がましいことを余り好まなかった忠通も、おととし初めて氏《うじ》の長者《ちょうじゃ》と定められてからおのずと心も驕《おご》って来た。世の太平にも馴れて来た。この当時の殿上人が錦を誇る紅葉《もみじ》のなかで、彼は飾りなき松の一樹と見られていたのが、いつか時雨《しぐれ》に染められて、彼もまた次第に華美を好むように移り変わって来た。もう一つには藤原氏の長者という大いなる威勢をひとに示そうとする政略の意味も幾分かまじって、きょうの饗宴は彼として実に未曽有《みぞう》の豪奢を極めたものであった。かねてこうと大かたは想像して来た賓客《まろうど》たちも、予想を裏切らるるばかりの善美の饗応《もてなし》には、そのやわらかい胆《きも》をひしがれた。あるじは得意であった。客もむろん満足であった。
 思い思いに寄りつどって色紙や短冊に筆を染める者もあった。管絃《かんげん》の楽《がく》を奏する者もあった。当日の賓客は男ばかりではこちたくて興《きょう》が薄いというので、なにがしの女房たちや、なにがしの姫たちもみな華やかなよそおいを凝らして、その莚に列《つら》なっていた。その美しい衣の色や、袖の香や、楽の音《ね》や、それもこれも一つになって、あぶるように暖かい春のひかりの下に溶けて流れて、花も蝶も鶯も色をうしない声をひそめるばかりであった。
 これもその美しい絵巻物のなかから抜け出して来た一人であろう。縹色《はないろ》の新しい直衣《のうし》を着た若い公家《くげ》が春風に酔いを醒ませているらしく、水にただよう花の影をみおろしながら汀《みぎわ》の白い石の上に立っていると、うしろからそっと声をかけた者があった。男は振り向いて立烏帽子のひたいを押し直した。
「玉藻《たまも》の前《まえ》。きょうはいろいろの御款待《おんもてなし》、なにかと御苦労でござった」
 若い公家は左少弁兼輔《さしょうべんかねすけ》であった。色の白い、髯《ひげ》の薄い優雅の男振りで、詩文もつたなくない、歌も巧みであった。そのほかに絵もすこしばかり描いた。笛もよく吹いた。当代の殿上人のうちでも風流男《みやびおとこ》の誉れをうたわれて、なんの局《つぼね》、なんの女房としばしばあだし名を立てられるのを、ひとにも羨《うらや》まれ、彼自身も誇らしく考えていた。
 その風流男の前に立って恥じらう風情もなしに心易げに物をいう女子《おなご》は、人間の色も恋もとうに忘れ果てた古《ふる》女房か、但しは色も風情も彼に劣らぬという自信をもった風流乙女《みやびおとめ》か、二つのうちの一つでなければならなかった。彼と向き合っている女子は確かに後の方の資格を完全にそなえていた。
「なんの御会釈《ごえしゃく》に及びましょう。おんもてなしはわたくしどもの役目、何事も不行届きで申し訳がござりませぬ。この頃の春の日の暮るるにはまだ間《ひま》もござりましょう。あちらの亭《ちん》へお越しなされて、今すこし杯をお過ごしなされてはいかが。わたくし御案内を仕まつります」
「いや、折角ながら杯はもう御免くだされ。先刻からいこう酔いくずれて、みだりがましい姿を人びとに見せまいと、この木蔭《こかげ》まで逃げてまいったほどじゃ」と、兼輔は扇を額《ひたい》にかざしながらほほえんだ。
「と申さるるは嘘で、誰やらとここで出逢う約束と見えました。そういうことなら、わたくし何時《いつ》までもここにいて、お前がたの邪魔しますぞ」と、女も扇を口にあてて軽く笑った。
「これは迷惑。われらには左様な心当ては少しもござらぬ。唯ここにさまよい暮らして、物いわぬ花のかげを眺めているばかりじゃ。おなぶりなさるな」
 まじめらしく言い訳する男の顔を、女はやはり笑いながらじっと見入っていた。遠い亭座敷から笛の声がゆるく流れて来て、吹くともない春風にほろほろと零《こぼ》れて落ちる桜の花びらが、女の鬢《びん》の上に白く宿った。
 女は玉藻の前であった。坂部庄司蔵人行綱の娘の藻が関白忠通卿の屋形に召し出されて、侍女《こしもと》の一人に加えられたのは、彼女が十四の秋であった。当代の賢女と言い囃されていた忠通の奥方は、それから間もなくにわかに死んだ。忠通もその後無妻であったので、美しいが上にさかしい藻は主人《あるじ》の卿の寵愛を一身にあつめて、ことし十八の花の春をむかえた。奉公の後も忠通はむかしのままに藻という名を呼ばせていたが、玉のように清らかな彼女のかんばせは早くも若公家ばらの眼をひいて、誰が言い出したともなしに、彼女の名の上には玉という字がかぶらせられた。それがだんだんに言い慣わされて、あるじの忠通すらも今では彼女を玉藻と呼ぶようになった。才色たぐいなきこの乙女を自分の屋形にたくわえてあるということが、あるじの一種の誇りとなって、客のあるごとに忠通は玉藻を給仕に召した。かりそめの物詣でや遊山《ゆさん》にもかならず玉藻を供に連れて出た。忠通がこの頃ようやく華美の風に染みて来たのも玉藻を近づけてから後のことであった。
 玉藻が外から帰って来ると、長い袂はいつも重くなっていた。その袂へ人知れずに投げ込まれたかずかずの文《ふみ》や歌には、いずれもあこがれた男どもの魂がこもっていたが、玉藻は一度も返しをしなかった。それでも根気よくまつわって来る者が多いので、彼女の袂はきょうもよほど重くなっているらしかった。それを察して、今度は兼輔の方からなぶるように言った。
「のう、玉藻の前。きょうはお身の袂も定めて重いことでござろう。身投げするものは袂に小石を拾うて入るるとかいうが、お身のように重い袂を持っている者が迂闊にこの流れに陥《おちい》ったら、なかなか浮かびあがられまい。気をつけたがようござるぞ」
 精いっぱい軽口《かるくち》のつもりで彼は自分から笑ってかかると、玉藻も堪えられないように、扇で顔をかくしながら言った。
「そりゃお身さま御自身のことじゃ。わたくしのような端下者《はしたもの》が何でそのような……。現在の証拠はお身さまこそ、さっきから人待ち顔にここに忍んでござるでないか」
 今度は別に言い訳をしようともしないで、兼輔は唯にやにやと笑っていた。実をいうと、彼もそういう心構えがないでもない。自分ほどの者がまどいを離れて、こうして一人でさまよっているからには、誰か慕い寄って来る女があるに相違ないと、誰をあてともなしに待ち網を張っているところへ、思いのほかの美しい人魚が近寄って来たのであった。彼はどうしてこの獲物を押さえようかとひそかに工夫を練っていた。
「うたがいも人にこそよれ、兼輔はさような浮かれた魂を抱えた男でござらぬ。そういうお身はなにしにここへ参られた。われらこそここにおってはお邪魔であろうに……。ほんにそうじゃ。お身が先刻あちらの亭へゆけと言われたは、その謎か。それを悟らで、うかうかと長居したは、われらの不粋《ぶすい》じゃ。ゆるしてくだされ」
 相手の心をさぐるつもりであろう。彼は笑いにまぎらせて徐《しず》かにここを立ち去ろうとすると、その袂はいつか白い手につかまれていた。
「お身さま、御卑怯じゃ」
 兼輔は相手の心をはかりかねて、黙って立ち停まった。
「殿上人のうちでも、風流の名の高いお身さまじゃ。女子《おなご》をなぶるは常のことと思うてもいらりょうが、もしここに浅はかな一途《いちず》な女子があって、なぶらるるとは知らいで思いつめたら、お身さまそれをどうなされまする」
「われらは正直者、ひとをなぶった覚えはござらぬ」と、兼輔は眼で笑いながら空うそぶいた。
「いや、無いとは言わせませぬ。お身さま、これを御存じないか」
 玉藻は丁寧に畳んだ短冊をふところから探り出して、男の眼の前につきつけた。嬉しいと、さすがに恥ずかしいとが一つになって、兼輔は顔の色をすこし染めた。
「お身さまは御卑怯と言うたが無理か。この歌の返しを申し上げようとて人目を忍んでまいったものを、お身さまはむごく突き放して逃ぎょうとか」
 妖艶な瞳《ひとみ》のひかりに射られて、兼輔は肉も骨も一度にとろけるように感じた。玉藻は笑いながらその短冊を再び自分のふところに収めると、若い公家の魂もそれと一緒に、女のふところへ吸い込まれてしまった。

    二

「お身さまの叔父御は法性寺《ほっしょうじ》の隆秀阿闍梨《りゅうしゅうあじゃり》でおわすそうな。世にも誉れの高い碩学《せきがく》の聖《ひじり》、わたくしも一度お目見得して、眼《ま》のあたりに教化《きょうげ》を受けたい。お身さま御案内してくださらぬか」と、玉藻は思い入ったように言った。それは、彼女の口から恋歌の返しを兼輔の耳にそっとささやいた後であった。
「ほう、法性寺の叔父にお身はまだ一度も逢われぬか」と、兼輔はすこし不思議そうな顔をした。
 法性寺は誰も知る通り、関白家|建立《こんりゅう》の寺である。忠通卿の尊崇なおざりでないことは兼輔もかねて知っていた。その寺の尊い阿闍梨に、玉藻が一度も顔をあわせていないというのは、なんだか理屈に合わないようにも思われた。
「阿闍梨は女子《おなご》がきついお嫌いそうな」と、玉藻はそれを説明するように寂しくほほえんだ。
 甥の兼輔とは違って、叔父の隆秀阿闍梨は戒律堅固の高僧であった。彼は得度《とくど》しがたき悪魔として女人《にょにん》を憎んでいるらしく、いかなる貴人《あてびと》の奥方や姫君に対しても、彼は膝をまじえて語るのを好まなかった。忠通もそれをよく知っているので、法性寺詣でのときに限って、決して女子を伴って行ったことはなかった。寵愛の玉藻の望みでも、法性寺の供だけは一度も許されなかった。兼輔もそこに気がついて苦笑いした。
「はは、叔父のかたくなは今に始まったことでござらぬ。われらも顔さえ見せれば何かと叱られて、むずかしい説法を小半※[#「※」は「日へんに向」、読みは「とき」、78-6]《こはんとき》も聞かさるる。うかと美しい女子など引き合わせたら、また何を言わりょうやら。しかしほかならぬお身の頼みじゃ。ちっとぐらい叱られても苦しゅうござらぬ。なんどきなりとも案内して、叔父の阿闍梨に逢わせ申そうよ」と、彼は事もなげに受け合った。
「八歳の龍女が当下《とうげ》に成仏したことは提婆品《だいばぼん》にも説かれてあります。いかに罪業《ざいごう》のふかい女子の身とて、尊い阿闍梨の教化を受けましたら、現世《げんせ》はともあれ、せめて来世《らいせ》は心安かろうにと、唯そればかりを念じておりまする」と、玉藻の声はすこしく陰った。
 いたましく打ちしおれたような玉藻のすがたが、兼輔の眼には更に一段のあでやかさを加えたようにも見られた。彼が好んで口ずさむ白楽天の長恨歌の「梨花一枝春帯雨《りかいっしはるあめをおぶ》」というのは、まさしくこの趣であろうとも思われた。彼は慰めるように又言った。
「はて、われらの約束にいつわりはござらぬ。あすでもあさってでも、かならず一緒に連れ立って参る。文のたよりさえ遣《よこ》されたら、なんどきでもすぐに誘いにまいる。叔父が頑固になんと言おうとも、われらがきっとその前に連れ出して引き合わしてみしょう」
 頼もしそうな誓いを聞いて、玉藻は嬉しそうにうなずいた。二人はひたと身をよせて更に何事をかささやき合おうとするところへ、木の間伝いにここへ近寄って来る足音がきこえた。兼輔はすこし慌てて見かえると、その人は三十をまだ越えたばかりの痩形の男で、顔の色はやや蒼白いが、この頃の殿上人には稀に見る精悍の気がその鋭い眼の底にあふれていた。彼はわざと拗《す》ねたのであろう、きょうの華やかな宴の莚に浄衣《じょうえ》めいた白の直衣《のうし》を着て、同じく白い奴袴《ぬばかま》をはいていた。
 彼はきょうのあるじの忠通の弟で、宇治の左大臣|頼長《よりなが》であった。彼は師の信西入道をも驚かすほどの博学で、和歌に心を寄せる兄の忠通を常に文弱と罵っているほどに、抑えがたい覇気と野心とに充《み》ち満ちている人物であった。この人にじろりと鋭い一瞥《いちべつ》を呉れられて、兼輔はなんだか薄気味悪くなって来た。ことに場合が場合であるので、彼はいよいよ度を失って、肌の背には冷汗がにじんだ。
「ほう、左少弁はこれにいたか」と、頼長はその怖い眼には不似合いな柔かい声で言った。
 それでもこちらはやはり落ち着いていられなかった。彼は酒の酔いを醒ますためにこの川端へ降りていたことを言い訳がましく答えると、頼長はあざ笑うような眼をして黙って聞いていた。なんだか居心の悪い兼輔は、玉藻と眼をみあわせて早々にそこを逃げて行ってしまった。頼長はまだそこに立っている玉藻には眼もくれないで、薄むらさきの霞のうちに暮れかかる春の夕空を静かに打ち仰いでいた。嵐が少し吹き出したとみえて、花の吹雪が彼の白い立ち姿をつつんで落ちた。
「左大臣殿」と、玉藻はしとやかに声をかけた。
「なんじゃ」と、頼長も静かに見かえった。
「嵐が誘うてまいりました」
「花もここ二、三日が命《いのち》じゃのう。お身は兼輔とここで何を語ろうていた」と、頼長は笑いながら訊いた。
「歌物語など致しておりました」
「恋歌の講釈か」と、彼はまたあざ笑うような眼をした。
「はい。恋の取り持ちを頼もうかと……」
 こうしたなまぬるい恋ばなしを好まない頼長も、この美麗な才女に対してあまりに情《すげ》ない返事も出来ないので、いい加減に取り合わせて言った。
「お身ほどの者でも、人を頼まいでは恋はならぬか。恋はなかなかにむずかしいものじゃな」
「身にあまる望みでござりますれば……」
 玉藻は遣《や》る瀬ないように低い溜息をついて、頼長の顔をそっとのぞいた。人を蠱惑《こわく》せねばやまないような情け深い女の眼のひかりに魅せられて、頼長の魂は思わずゆらめいた。
「ほう、身にあまる望みとか。これはいよいよむずかしゅう見ゆるぞ。兼輔ひとりの力に及ばずば、頼長も共どもに助力してお身が恋をかなえてやりたい。相手は誰じゃ。明かされぬか」
「お身さまの前では申し上げられませぬ」と、玉藻は藤紫の小袿《こうちぎ》の袖で切《せつ》ない胸をかかえるように俯向いた。嵐は桜の梢をゆすって通った。
「予が前では言われぬか。頼長は兼輔ほどに頼もしい男でないと見積もられたか。さりとは心外じゃ」と、頼長はいよいよ興《きょう》にふけったように高く笑った。
 藤むらさきの袖の蔭から白い顔はまた現われた。彼女は媚びるように低くささやいた。
「頼もしいと見らるるも、頼もしからぬと見らるるも、お身さまのお心一つでござりまする」
「はて、謎《なぞ》なぞのようなことは言わぬものじゃ。いかようにすれば頼長は世に頼もしい男とならるるのじゃ。打ち付けに言え、あらわに申せ」
「申しましょうか」と、玉藻はすこしためらう風情を見せたが、やがて思い切ったように言った。「関白の殿のおん身内、才学は世にかくれのない御仁《ごじん》……。桜さくらの仇めいて艶《あで》なるなかに、梨の花のように白う清げに見ゆるおん方……。もうその上は申されぬ。お察し下さりませ」
 頼長は夢から醒めたように眼を見据えて、その秀《ひい》でたる眉をすこし皺めたが、忽ちに肩をそらせてあざ笑った。
「おお、判った。して、お身はその恋の取り持ちをたしかに兼輔に頼んだか」
「まだ打ち明けては頼まぬ間に……」
「頼長がまいって邪魔したか、それは結句仕合わせじゃ。兼輔はおろか、関白殿、信西入道、あらゆる人びとのなかだちでも、この恋は所詮《しょせん》ならぬと思え」
「なりませぬか」
「ならぬ、ならぬ。お身たちが恋を語るには兼輔などの柔弱者《にゅうじゃくもの》がよい相手じゃ」
 言い捨てて立ち去ろうとする頼長のゆく手をさえぎって、玉藻は突き当たるばかりに彼の胸のあたりへ我が身をもたせかけた。
「じゃによって、身にあまる望みと申したではござりませぬか」と、彼女は怨《えん》ずるように泣き声をふるわせた。
「身にあまるというても程のあるものじゃ」と、頼長はあざけるように笑った。「天下を望むよりも大きい恋じゃ。しょせん成らぬのは知れてあるわ」
 自分の胸のあたりへ蛇のように纒《まと》いかかっている女の長い黒髪を無雑作《むぞうさ》に押しのけて、頼長は沓《くつ》を早めてあなたの亭《ちん》の方へ行ってしまった。
 玉藻はきこえよがしに声を立てて桜の幹に倚《よ》りかかって泣き崩おれたが、もうその人の影が遠くなったのを覚ったときに、彼女は俄に空を仰いで物凄い笑みを洩らした。その顔の上にはらはらと降りかかって来る花びらを、彼女はうるさそうに扇で払いながら、これも座敷の方へ静かに立ち去ろうとした。春の日ももう暮れて、長い渡り廊をつたって女房どもや青侍たちが運んでゆく薄紅《うすあか》い灯の影が、木の間がくれに揺れながら通った。
「おお、玉藻の御。これにござったか」
 織部清治は主人の言い付けで先刻から玉藻のありかを探していたのであった。同じ屋形に奉公の身ではあるが、玉藻は殿のあつい御寵愛を蒙って、息女のない忠通はさながら彼女を我が娘のようにもいとしがっていられるのであるから、清治も彼女に対しては、分外《ぶんがい》の敬意を払わなければならなかった。玉藻は自分の顔を見られるのを恐れるようにうつむいて立ち停まった。
「先刻から殿がおたずねでござる。早うあれへお越しなされ」と、清治は促《うなが》すように重ねて言った。
「わたしはいやじゃ。ゆるしてくだされ」と、玉藻は両袖で顔を掩ったままで、いつまでもそこに立ちすくんでいた。
 その素振りが怪しいので清治は近寄って子細をただすと、その返事は泣き声で報いられた。玉藻は心持が悪いからもう座敷へは出ない。人びとの群れから遠く離れたあなたの亭《ちん》へ行ってしばらく休息していたいというのであった。清治はいよいよ心配して、すぐに医師《くすし》を呼ぼうかといったが、玉藻はそれもいやだと断わって、なんでもいいから人の目に触れないところへ行って、苦しい胸を休めていたいと言った。清治もそのままでは捨て置かれないので、主人のもとへ引っ返して行ってその次第をささやくと、忠通も眉を寄せた。
「ついぞないこと。どうしたものじゃ」
 彼は席を起って清治と一緒に玉藻の隠れ場所をたずねると、彼女は奥まった亭の薄暗いなかに俯伏しているのを発見した。
「心地がようないと聞いたが、どうじゃな」と、忠通は立ち寄って、彼女の肩越しにうしろから覗こうとして驚いた。玉藻は床に顔をおしつけるばかり身を投げ伏して、嗚咽《おえつ》の声をもらしているのであった。清治も驚いた。主《しゅう》と家来とは顔をみあわせて暫く黙っていた。
「はは、こりゃ誰やらになぶられたな」と、忠通はほほえんだ。
 昼からの饗宴で、ひとも我もみな酔うている。花と酒とに浮かされた若公家ばらのうちには、たそがれの薄暗がりにまぎれて彼女の袂《たもと》をひいた者もあろう、彼女の黒髪をなぶった者もあろう。それがけしからぬいたずらとしても、楚王《そおう》が纓《えい》を絶った故事も思いあわされて、きょうの場合には主人の忠通もそれを深く咎めたくなかった。清治もそこに気がつくと、今までの不安は一度に消えて、これもにやにやと笑い出した。
「なんの、珍しゅうもない。そんなことを一いち詮議立てしたら、今夜はそこらに幾人の科人《とがにん》ができようも知れぬ」と、平安朝時代の家人《けにん》は肚《はら》のなかで呟いた。
 唐土の桃李園の風流になぞらえて、きょうは燭をとって夜も遊ぶというかねての計画であるので、どの座敷でも燈火《ともしび》が昼のようにともされた。春の一日をたわむれ暮らしても、まだ歓楽の興をむさぼり足らない人びとは、酔いくずれて眠りこけるか、疲れ切って倒れるか、それまでは夜を昼についで浮かれ狂うつもりであろう。朗詠《ろうえい》や催馬楽《さいばら》の濁った声もきこえた。若い女の華やかな笑い声もひびいた。その騒がしい春の夜のなま暖かい空気のなかに、桜の花ばかりは黙って静かに散った。
「さあ、来やれ。そちがおらいでは座敷がさびしい。玉藻の前はきょうの団欒《まどい》の花じゃと皆も言うている。夜の灯に照り映えたら、その美しい顔が一段と光りかがやいて見えようぞ。来やれ、来やれ。あの賑わしい方へ……」
 手を取らぬばかりに引き立てられて、玉藻は泣き顔をおさえながら立ち上がった。忠通と清治とはその前後を囲んで、うす暗い渡り廊を静かにあゆんで行った。おぼろ月が今宵はとりわけて霞んでいるらしく、軒に近い花のこずえも唯ぼんやりと薄白く仰がれた。

    三

 あかりの運ばれるのを合図に、頼長は席を起って帰った。気を置かれる人が立ち去ったので、若い人たちはいよいよ調子づいてきた。とりわけて左少弁兼輔はほっとした。脛《すね》に疵《きず》持つ彼は、頼長になにやら睨まれているような気がして、なるべくその傍へは寄り付かぬように努めていたが、もう誰に憚ることもない。玉藻のありかをもう一度たずねて、さっき言い残した話のかずかずを語りつづけようと、彼は酔いにまぎらせてよろよろと座を起った。
「あれ、あぶない」
 酔いをたすける風をして、若い女房たちが左右から付きまつわって来るのを、彼はいつになくうるさそうに押しのけて、おぼろ月夜の庭さきへ迷い出たが、どこの木蔭にもそれらしい人の影は見えなかった。彼は餌をあさる狐のように、木《こ》の間《ま》をくぐって他の亭座敷をうろうろと覗いてあるいたが、どこの灯の下にも玉藻の輝いた顔は見つけ出されなかった。彼は失望して元の座敷へ戻ると、女房たちは待ちかねたように再び彼を取りまいた。
 ここが一番広い座敷で、きょうの賓客《まろうど》のおもな者は大抵ここに席を占めていた。兼輔も藁褥《わらうだ》の上に引き据えられて又もや酒をしいられた。酒量の強いのを誇っている彼も、昼からの酒が胸いっぱいになって、さすがに頭が重くなってきたので、彼は憚りもなく自分のそばにいる若い女房の膝を枕にして、小声で朗詠を謡っていた。兼輔ばかりでない、一座はもう乱れに乱れて、そこらには座に堪えやらないような若い男たちもだんだんにふえてきた。縁さきへ出て手持ち無沙汰に月を仰いでいるのは、もう春の盛りを過ぎて額ぎわのさびしい古女房たちばかりで、眉の匂やかな若い女たちは、思い思いに男の介抱に忙しかった。時どきに広い座敷もゆらぐような笑い声がどっと起こった。
「信西入道はきょうは見えぬそうな」と、ひとりの若い公家が思い出したように言った。「あの古《ふる》入道、このようなまどいに加わるは嫌いじゃで、所労というて不参じゃよ」
「宇治の左大臣殿ももう戻られたとやら」と、その枕もとになまめかしく膝をくずしている若い女房が、鬢《びん》のおくれ毛を掻き上げながら言った。
「あの御仁《ごじん》もこのような席へは余り近寄られぬ方じゃが、きょうは兄の殿への義理で、暮れ方までは辛抱せられた。左大臣どのも信西入道も我らには苦手じゃ。あの鋭い眼でじっと睨まれると、なにやら薄気味悪うなって身がすくむようじゃ。ははははは」
 また一人の男が高く笑い出すと、兼輔はだるそうな眼をして半分起き直った。
「ほんにそうじゃ。さっきも……」
 と言いかけて彼はまた俄に口をつぐんだ。妬みぶかい男や女が大勢|列《なら》んでいるところで、うかつに先刻の秘密は明かされないと思った。まだ寄るべも定まらない池の玉藻を、あっぱれ自分の手にかき寄せたという強い誇りが彼の胸に満ちていながらも、さすがにまだそれを発表する時機ではないと、彼は無理に奥歯で噛み殺していた。
「さっきもどうなされた。お身さまも何か叱られたか、睨まれたか」と、彼に膝枕をかしていた女が、薄い麻紙で口紅をぬぐいながら訊いた。
「いや、別に何事もなかったが、庭先きでふとすれ違うたので、早々に逃げて来た」と、兼輔は笑いにまぎらせた。
 そう言いながらも気にかかるので、彼は伸び上がって座敷の隅々を見渡したが、玉藻らしい女の影はやはりどこにも見えなかった。彼はまた一種の不安を感じはじめた。何者かが彼女を小蔭へ誘い出して、自分と同じように恋歌の返しを迫っているのではないかとも疑われた。彼はもう一度庭へ出てみたくなったので、いい加減に座をはずして立とうとすると、あいにくにその鼻のさきへ一人の大男が瓶子《へいし》と土器《かわらけ》とを両手に持って来た。
「左少弁、どこへゆく。実雅《さねまさ》の杯じゃ。受けてたもれ」
 彼はそこにどっかと坐った。彼は少将実雅という酒の上のよくない男であった。兼輔は迷惑そうに頭《かぶり》を振った。
「もうかなわぬ。免《ゆる》してたもれ」
「そりゃ卑怯じゃぞ」と、実雅は無理に土器を突きつけた。「お身この酒を飲まぬとあらば、その罰としてわしがこの瓶子を飲みほすあいだに、歌百首を詠み出してお見やれ」
「いや、歌も詩も五も六ない。この通りに酔うては、唯もう免せ、ゆるせ」と、兼輔はわざとおどけた身振りをして蛙のように床へ手をついた。
「ほう、実雅の前で詫ぶるというか。まだそればかりでは免されぬ。お身、ここで、白状せい」
 兼輔はひやりとした。その慌てたような顔をじっと睨みつけて、実雅はのけぞるばかり胸を突き出してあざ笑った。
「どうじゃ、白状せぬか。お身は先程あの川端で誰と何を語ろうていた。それを真っ直ぐに言うまいか」
 兼輔はいよいようろたえた。彼は笑い出したいような嬉しさを感じながらも、一方にはくすぐられるような苦しさをも覚えた。いっそ言おうか言うまいかと迷いながら、彼は相手を焦《じ》らすように空うそぶいた。
「そりゃ人違いであろう。われらは昼間からこの座を一寸も動いたことはござらぬ」
「いや、そりゃ嘘じゃ」
 女房たちは三方から彼を取りまいて、口をそろえて燕《つばめ》のようにさえずった。
「昼間は勿論のこと、日が暮れてからも庭先きをうろうろと……。現に今もここをぬけ出そうとせられたところじゃ」
「それ見い」と、実雅は鼻の下の薄い髭をこすって又睨んだ。「それでもお身にうしろ暗いことがないというか」
「いかに責められても、知らぬことは知らぬのじゃ」と、兼輔は笑いながら席をはずして立とうとすると、女房たちの白い手は右ひだりから彼の袂や裳《もすそ》にからみついた。
「いや、逃がさぬ、今度はわたしたちが詮議する。さあ、誰と語ろうてござった。それを聞こう。それを打ち明けられい」
 妬み半分と面白半分とで、女たちは鉄漿黒《かねぐろ》の口々から甲高《かんだか》の声々をいよいよ姦《かしま》しくほとばしらせた。かれらは兼輔の晴れの直衣をあたら揉み苦茶にするほどに、袖や袂を遠慮なしに掴んで小突きまわして、さあ白状しろと責めさいなんだ。女の袖に焚きしめた香の匂いや、髪の匂いや油の匂いや、それが一緒に乱れて流れて、女の匂いに馴れていた兼輔ももうむせ返りそうになってきた。
 彼が眼鼻を一つにして苦しんでいるのを、実雅はいよいよ妬《ねた》げに睨んでいたが、ふと気がついたように庭先きへ眼をやった。
「ほう。えらい嵐になった」
 まことに凄まじい嵐であった。おぼろ月はそれに吹き消されたように光りを隠して、闇をゆるがすような嵐の音がどうどうと聞こえた。花に嵐は珍しくないが、これまた疾風《はやて》のような怖ろしい勢いで、山じゅうの桜を一度に落とそうとするらしかった。鞍馬の天狗倒しがここまで吹き寄せかとも思われて、座敷じゅうの笑い声は俄にやんだ。女たちは顔を掩って俯伏した。嵐は座敷の内へもどっと吹き込んで、あらん限りのともし灯を奪ってゆくように、片端からみな打ち消してしまった。
 真っ暗ななかで男たちは息をのんだ。女たちはおもわず泣き声をあげた。外の嵐はまだ吹きつづけて、黒い雲のひとかたまりが家根の上へ低く舞いさがってきた。人間の限りない歓楽を天狗が妬んで、人も家も一緒につかんで眼の前の谷底へ投げ込もうとするのではないかとも恐れられた。そのなかでも心のきいた老人は呼んだ。
「ともかくも燈火《あかし》を早う。灯をともせ」
 その声は嵐に吹き消されて遠くきこえなかった。給仕に侍《はべ》っている関白家の家来も、女も、あまりの怖ろしさに席を動くことが出来なかった。なにがしの大将、なにがしの少将も、この物凄い敵の前には言い甲斐もなく怖れ伏してしまった。実雅も勿論その一人であった。
「おびただしい嵐じゃのう」
 忠通は表の闇を透かし視てつぶやいた。彼は玉藻を連れて丁度今ここへ出て来たのであった。清治も袖で烏帽子をおさえながら不安らしく言った。
「まことに怖ろしい嵐でござりまする。どこもかしこも真の闇になり申した」
「暗うてはどうもならぬ。早う燈火《あかし》を持て」
「はあ」
 清治はうけたまわって引っ返そうとすると、またひとしきり強い嵐が足をすくうように吹き寄せて来て、彼は野分《のわき》になぎ伏せられたすすきのように両膝を折って倒れた。忠通も危うく倒れかかって、扇で顔を掩いながら苛《いら》だった。
「燈火を……燈火を……。早うせい」
 この途端に座敷は月夜のように明るくなった。時ならぬ稲妻かと見ると、その光りはいつまでも消えなかった。忠通が倚りかかっている襖《ふすま》の絵も、そこらに取り散らしてある杯盤《はいばん》の数かずも、おどろいて眺めている人びとの衣の色も、皆あざやかに映し出された。
 闇を照らすこの不思議のひかりは、玉藻のからだからほとばしったのであった。彼女は後光《ごこう》を背負う仏陀のように、赫灼《かくしゃく》たる光明にあたりを輝かして立っていた。


法性寺《ほっしょうじ》

    一

「ふむう。頼長めが……。確《しか》と左様なことを申したか」
 関白忠通は二日酔いらしい蒼ざめたひたいの上に蒼い筋を太くうねらせて、扇を膝にきっと突き立てたままで、自分の眼の前に泣き伏している艶女《たおやめ》の訴えをじっと聞き済ましていた。花の宴《うたげ》のあくる日で、ゆうべから酔いこけた賓客《まろうど》たちも日の高い頃にだんだん退散して、あるじの軽いしわぶきも遠い亭まできこえるほどに、広い別荘のうちもひっそりと静まっていた。すさまじい夜嵐の名残りで、庭は見渡すかぎり一面に白い花びらを散り敷いていた。
「神ほとけも見そなわせ、わたくし誓って偽りは申し上げませぬ」と、玉藻は涙ぐんだ美しい眼をあげて、主人の顔色をぬすむようにうかがった。
「日ごろから器量自慢の頼長めじゃ。それほどのこと言い兼ねまい」
 忠通はわざと落ち着いた声で言った。しかもその語尾は抑え切れない憤恚《いかり》にふるえているのが、玉藻にはよく判っているらしかった。二人の話はしばらく途切れた。
 忠通もゆうべはこの別荘に酔い伏して、賓客たちが大方退散した頃にようように重い頭を起こしたのであった。酔いのまだ醒めない彼は、玉藻の給仕で少しばかりの粥をすすって、香炉に匂いの高い香をたかせて、その匂いを快《こころよ》く嗅ぎながら再びうとうとと夢心地になろうとする時、彼は玉藻にその夢を揺すられて、思いも寄らない訴えを聞かされた。それは花の宴もたけなわなるきのうの夕方の出来事で、玉藻が川端に立って散り浮く花をながめていると、そこへ主人の弟の左大臣頼長が来た。彼は酔っているらしく見えなかったが、玉藻をとらえてざれごとを二つ三つ言った。相手は主人の弟で、殿上でも当時ならぶ方のない頼長である。さすがに情《すげ》なく突き放して逃げるわけにもいかないので、玉藻もよいほどにあしらっていると、頼長はいよいよ図に乗って、ほとんど手籠めにも仕兼ねまじいほどのみだらな振舞いに及んだ。
「それだけならば、わたくし一人のこと、どのようにも堪忍もなりまするが……」と、玉藻は口惜し涙をすすり込むようにして訴えた。
 彼女に対して無礼を働いたばかりでなく、頼長は誇り顔《が》に、こんなことを口走ったというのである。兄の忠通は天下の宰相たるべき器《うつわ》でない。彼は単に一個の柔弱な歌詠みに過ぎない。今でこそ氏《うじ》の長者などと誇っているが、やがてはこの頼長に蹴落とされて、天下の権勢を奪わるるのは知れてある。彼の建立《こんりゅう》した法性寺は、彼自身が最後のかくれ家であろう。そのように影のうすい兄忠通に奉仕していて何となる。立ち寄らば大樹の蔭という諺もあるに、なぜおれの心に従わぬぞ。兄を見捨てよ、おれに靡《なび》けと、頼長は聞くに堪えないような侮蔑と呪詛《じゅそ》とを兄の上に投げ付けて、しいて玉藻を自分の手にもぎ取ろうとしたのであった。
 仲のよい兄弟のあいだでも、これだけの訴えを聞けば決していい心持はしない。まして忠通と頼長とはその性格の相違から、うわべはともあれ、内心はたがいに睦まじい仲ではなかった。頼長が兄を文弱と軽しめていることは、忠通の耳に薄々洩れきこえていた。自分が氏の長者となったに就いては、器量自慢の頼長が或いは妬んでいるかもしれないという邪推もあった。きのうの饗宴にもすねたような風をみせて、碌々に興も尽くさずに中座したということも、忠通としては面白くなかった。それらの事情が畳まっているところへ、寵愛の玉藻からこの訴えを聞いたのである。忠通はもうそれを疑う余地はなかった。
「憎い奴」
 彼は腹のなかで弟を罵った。酔いの醒めない頭はぐらぐらして、烏帽子を着ているに堪えないほどに重くなってきた。現在の兄を蹴落としておのれがその位に押し直ろうとする、それが免しがたい第一の罪である。兄が寵愛の女を奪っておのれが心のままにしようとする、それが免しがたい第二の罪である。自体が温和な人でも、この憤りをおさえるのは余程むずかしそうに思われるのに、ましてこの頃はだんだんに志がおごって、疳癖《かんぺき》の募ってきたのが著しく眼に立つ折柄《おりから》である。忠通の胸は憤怒《ふんぬ》に焼けただれた。しかし彼が現在の位地《いち》として、さすがに一人の侍女《こしもと》の訴えを楯にして表向きに頼長を取りひしぐわけにもいかないのを知っているので、彼はあふるるばかりの無念をこらえて、しばらく時節を待つよりほかはなかった。
 やがて彼は玉藻をなだめるように言った。
「頼長めの憎いは重々じゃが、氏の長者ともあるべき我々が兄弟《けいてい》墻《かき》にせめぐは頼長のきこえが忌々《いまいま》しい。そちをなぶったも酒席の戯れじゃと思うて堪忍せい。予もしばらくはこらえて、彼が本心を見届けようぞ」
 玉藻をなだめるのは彼自身をなだめるのである。忠通はしいて寂しい笑顔をつくって、うつむいている女の黒髪を眺めていた。
「わたくしの堪忍はどのようにも致しまする。ただ、左大臣殿が、かりにも上《かみ》を凌ぐようなおん企てを懐かせられまするようなれば……」
「いや、その懸念は無用じゃ。彼は予を文弱と侮っているとか申すが、忠通は藤原氏の長者じゃ。忠通は関白じゃ。彼らがいかにあせり狂うたとて、予を傾けようなどとは及ばぬことじゃ。なんの彼らが……」
 忠通は調子のはずれた神経的の声を立てた。そうして、鬢《びん》の毛でも掻きむしりたいように、両手で烏帽子のふちをおさえて頭を二、三度強くふった。その神経のだんだんに昂奮して来るのを、玉藻はいたましそうな眼をしてそっと窺っていたが、いつかその眼から白いしずくがはらはらとこぼれてきた。
「はて、なにを泣く。まだ堪忍がならぬか」と、忠通は彼女の涙に眼をつけて叱るように言った。
「唯今も申す通り、わたくしの堪忍はどのようにも致しまするが……」
「もう言うな。予のことは予に思案がある。その懸念には及ばぬことじゃ」
 顔の色はいよいよ蒼ざめて、忠通の眼の奥には決心の光りがひらめいた。
「但しこのことを余人に洩らすなよ」
「はあ」
 二人は再び眼をみあわせた。ゆうべに引き替えて、きょうはそより[#「そより」に傍点]とも風の吹かない日であった。散り残った花が時どきに静かに落ちて、どこやらで鶯の声がきこえた。
 その日の午《ひる》過ぎに、忠通は桂の里から屋形へ帰った。きのうの接待に疲れたといって、彼は人払いをしてひと間に引き籠っていたが、点燈《ひともし》ごろになって少納言信西を召された。大方はいつもの歌物語であろうと気を許して、信西入道はゆるゆると支度して伺候すると、忠通は待ちかねたように彼を呼び入れて出逢った。入道がきのうの不参の詫びをしているのを耳にも入れないで、忠通は唐突《とうとつ》に言い出した。
「早速じゃが、入道。頼長はこの頃もお身のもとへ出入りするかな」
「折りおりに見られまする」
「学問はいよいよ上達するか」
「驚くばかりの御上達で、この頃ではいずれが師匠やら弟子やら、信西|甚《はなは》だ面目もござりませぬ」
 信西はすこしゆがんだ唇をほどいて[#底本では「ほどいで」と誤記]ほほえんだが、聴く人はにっこりともしなかった。
「調達《ちょうだ》は八万蔵をそらんじながら遂に奈落に堕《お》ちたという。いかに学問ばかり秀《ひい》でようとも、根本のこころざしが邪道《よこしま》にねじけておっては詮ない。かえって学問が身の禍いをなす例《ためし》もある。予が見るところでは弟の頼長もそれじゃ。彼がお身のもとへ参ったら、この上に学問無用と意見おしやれ」
 善悪にかかわらず、うかつに返事をしないのが信西の癖であった。彼は今夜もしばらく黙って考えているので、忠通はすこし急《せ》いた。
「弟子を見ることは師に如《し》かずといえば、彼の人となりはお身も大かた存じておろう。彼は才智に慢ずる癖がある。この上に学問させたら、彼はいよいよ才学に誇って、果ては天魔《てんま》に魅《みい》られて何事を仕いだそうも知れまい。学問はやめいと言うてくれ。しかと頼んだぞ」
 実をいえば、信西も頼長に対してそういう懸念がないでもなかった。才学非凡で、しかも精悍《せいかん》の気に満ちている頼長の前途を、彼もすこしく不安に感じているのであった。この意味に於いては、彼も忠通の意見に一致していた。しかし今夜の忠通の口吻《くちぶり》は、弟の行く末を思う親身の温かい人情から溢れ出たらしく聞こえなかった。
 兄弟の不和――それから出発して来た兄の憤恚《いかり》であるらしいことを、古入道の信西は早くも看《み》て取った。
「仰せ一いち御道理《ごもっとも》にうけたまわり申した。それがしよりもよくよく御意見申そうなれど、あれほど御執心の学問をやめいとは……」
「申されぬか」
 相手は眼を薄くとじたままで、やはり否とも応ともはっきりとした返事をあたえないので、忠通はいよいよ焦《じ》れ出して、彼が天魔に魅《みい》られているという現在の証拠を相手の前に叩き付けようとした。
「入道はまだ知るまい。頼長はこの兄を押し傾けようと内々に巧《たく》んでいるのじゃ」
「よもや左様な儀は……」と、信西はすぐに打ち消した。
「いや、証人がある。彼が口から確かに言うたのじゃ」
 余人に洩らすなと口止めをしたのを忘れたように、忠通自身がその秘密をあばいた。
「その証人は……」
 相手のおちついているのが、忠通には小面《こづら》が憎いように見えた。
「証人は玉藻じゃ。彼はきのう玉藻に猥りがましゅう戯れて、あまつさえそのようなことを憚りもなしに口走ったのじゃ」
「ほう、玉藻が……」
 信西のひとみは忠通と同じように鋭く晃《ひか》った。

    二

 それから二日経って、玉藻のもとへ左少弁兼輔の使いが来た。彼はこのあいだの約束を果たすために、あすは法性寺へ誘いあわせて詣ろうというのであった。玉藻は承知の返し文《ぶみ》をかいた。そのあくる日、彼女は主人の許しを受けて、兼輔と一緒に法性寺へ参詣した。
 その日は薄く陰っていて、眠たいような空の下に大きい寺の甍《いらか》が高く聳えていた。門をくぐると、長い石だたみのところどころに白い花がこぼれて、二、三羽の鳩がその花びらをついばむようにあさっていた。
 叔父と甥との打ち解けた間柄であるので、兼輔はすぐに奥の書院へ通されて、隆秀阿闍梨とむかい合って坐った。阿闍梨はもう六十に近い老僧で、関白家建立のお寺のあるじには不似合いの質素な姿であったが、高徳の聖《ひじり》と一代に尊崇されるだけの威厳がどこやらに備わって、打ち解けた仲でも兼輔の頭はおのずと下がった。
「左少弁どの、久しゅう逢わなんだが、変わることものうてまずは重畳《ちょうじょう》じゃ。きょうは一人かな」
「いや」と、言いかけて兼輔は少し口ごもった。
「連れがあるか」と、阿闍梨は俄に気がついたように甥の顔をきっと見た。「お身のつれは女子《おなご》でないか」
 星をさされて、兼輔はいよいよ怯《ひる》んだが、叔父にいやな顔をされるのはもとより覚悟の上であるので、彼はかくさず答えた。
「余人でもござりませぬ。関白殿|御内《みうち》に御奉公する、玉藻という女子でござりまする」
 関白殿をかさに被《き》て、彼はかたくなな叔父をおさえつけようとしたが、それは手もなく刎ね返されてしまった。
「たとい御内の御仁《ごじん》であろうとも、わしは女子に逢わぬことに決めている。対面はならぬと伝えてくりゃれ。それは関白殿にもよう御存じの筈じゃ」
 ふだんはともあれ、きょうの兼輔はそれでおめおめと引き退がるわけにはいかなかった。かれは玉藻に教えられた提婆品《だいばぼん》を説いた。八歳の龍女|当下《とうげ》に成仏の例《ためし》をひいて、たとい罪業のふかい女人《にょにん》にもあれ、その厚い信仰にめでて、一度は対面して親しく教化をあたえて貰いたいと、しきりに繰り返して頼んだ。しかし叔父は石のように固かった。
「いかに口賢《くちさかし》う言うても、ならぬと思え。面会無用じゃとその女子に言え」
「叔父さまはその女子を御存じない故に、世間の女子と一つに見て蛇《じゃ》のようにも忌み嫌わるるが、かの玉藻と申すは……」
「いや、聞かいでも大方は知っている。世にも稀なる才女じゃそうな。才女でも賢女でも我らの眼から見たら所詮《しょせん》は唯の女子とかわりはない。逢うても益ない。逢わぬが優《ま》しじゃ」
 なんと言っても強情に取り合わないので、兼輔も持て余した。今更となって自分の安受け合いを後悔した彼は、玉藻にあわせる顔がないと思った。といって、この頑固《かたくな》な叔父を説き伏せるのは、なかなか容易なことではないので、彼も途方にくれて窃《ひそ》かに溜息をついていると、遠い入口に待たせてあるはずの玉藻がいつの間にここまで入り込んで来たのか、板縁伝いにするりと長い裳《もすそ》をひいて出た。
 兼輔はすこし驚いた。阿闍梨は眼を据えて、今ここへ立ち現われた艶女《たおやめ》の姿をじっと見つめていると、玉藻はうやうやしくそこに平伏した。
「はじめてお目見得つかまつりまする」
 老僧は会釈もしなかった。彼はしずかに数珠を爪繰っていた。
「委細は左少弁殿からお願い申し上げた通りで、あまりに罪業《ざいごう》の深い女子の身、未来がおそろしゅうてなりませぬ。自他平等のみ仏の教えにいつわりなくば、何とぞお救いくださりませ」と、玉藻は哀れみを乞うように訴えた。
 彼女は物詣でのためにきょうは殊更に清らかに粧《つく》っていた。紅や白粉《おしろい》もわざと淡《うす》くしていた。しかもそれが却って彼女の艶色を増して、玉のような面《おもて》はいよいよその光りを添えて見られた。堪えられぬ人間の悲しみを優しいまなじりにあつめたように、彼女はその眼をうるませて阿闍梨の顔色を忍びやかに窺ったときに、老僧の魂《たま》の緒《お》も思わずゆらいだ。彼は生ける天女のようなこの女人を、無下《むげ》に叱って追い返すに忍びなくなった。
「お身、それほどにも教化を受けたいと望まるるのか」と、阿闍梨は声をやわらげて言った。
 玉藻は無言で手をあわせた。彼女の白い手首にも水晶の数珠が光っていた。
「して、これまでに経文《きょうもん》など読誦《どくじゅ》せられたこともござるかな」と、阿闍梨はまた訊いた。
 もとより何のわきまえのない身ではあるが、これまで経文の片端ぐらいは覗いたこともあると、玉藻は臆せずに答えた。阿闍梨は試みに二つ三つの問いを出してみると、彼女は一いち淀みなしに答えた。さらに奥深く問い進んでゆくと、彼女の答えはいよいよ鮮かになった。いかに執心といっても所詮《しょせん》は女子である。殊に見るところが年も若い。自分たちが五十六十になるまでの苦しい修業を積んで、ようようにこのごろ会得《えとく》した教理をいつの間にどうして易《やす》やすと覚ったのか。阿闍梨は彼女を菩薩の再来ではないかとまでに驚き怪しんだ。世にはこうした女子もある。今までいちずに女人を卑しみ、憎み、嫌っていたのは、自分の狭い眼《まなこ》であったことを、阿闍梨はきょうという今日つくづく覚って、おもわず長い溜息をついた。
「さるにてもお身、何人《なんぴと》に就いてこれほどの修業を積まれしぞ」
 玉藻は幼いころから父に教えられて経文を読み習った。それから清水寺の或る僧に就いて少しばかりは学んだ。そのほかには、別にこうという修業を積んだこともなくてお恥ずかしいと言った。
「わたくしのような修業のあさい者にも、ひじりの教えをうけたまわることがなりましょうか」
「なる、なる」と、阿闍梨は幾たびかうなずいた。「たとい女人ともあれ、お身ほどの御仁なら我ら求めても法を説き聞かせたい。御奉公の暇々《ひまひま》にはたずねて参られい」
 思いのほかに叔父の機嫌が直ったので、そばに聴いている兼輔もほっとした。彼はこれほどの才女を叔父に紹介したということに就いて一種の誇りを覚えた。それと同時に、日ごろ頑固《かたくな》な叔父の鼻を捻《ね》じ折ったような一種の愉快をも感じた。彼は口の上の薄い髭を撫でながらほくそえんだ。
「叔父上、今からはこのみ寺にも女人禁制の掟《おきて》が解かれましょうな」
「それは人による」と、阿闍梨もほほえんだ。「これほどの女人がほかにあろうか」
 言いかけて、彼は玉藻と眼をみあわせると、血の枯れた老僧の指先はおのずとふるえて、数珠はさらさらと音するばかりに揺れた。玉藻の顔色にばかり眼をつけていた兼輔はそれに気がつかないらしかった。
「では、かさねて参ります。かならずお逢いくだりませ」
 又の日を約束して、玉藻は阿闍梨の前を退がった。兼輔も一緒に立った。阿闍梨は縁まで出ていつまでも見送っていたが、枯木のような彼は急に若やいだ心持になって、総身の血汐が沸くように感じられた。彼は燃えるような眼をあげて夢ごころに陰った空を仰いでいると、なま暖かい春風が法衣《ころも》をそよそよと吹いた。何とは知らず、彼は幾たびか溜息をついて、酔ったような足どりで本堂の方へゆくと、昼でも薄暗い須弥壇《しゅみだん》の奥には蝋燭の火が微かにゆらめいて、香の煙りがそこともなしに立ち迷っていた。その神秘的の空気のうちに、阿闍梨はだまって坐った。
 彼はいつものように観音経を誦《ず》し出そうとしたが、不思議に喉《のど》が押し詰まったようで、唱え馴れた経文がどうしても口に出なかった。胸は怪しくとどろいてきた。ふと見上げると、正面の阿弥陀如来の尊いお顔がいつの間にか玉藻のあでやかなる笑顔と変わっていた。阿闍梨は物に憑《つ》かれたようにわなわなと顫《ふる》え出した。彼はもう堪まらなくなって、物狂おしいほどの大きい声で弟子の僧たちを呼びあつめた。
「すこし子細がある。お身たち一度に声をそろえて高らかに観音経を唱えてくりゃれ」
 大勢の僧は行儀よく居並んだ。読経《どきょう》の高い声は一斉に起こった。数珠の音もさらさらと響いた。それに誘い出されて、阿闍梨も共に声を張り上げようとしたが、彼の舌はやはりもつれて自由に動かなかった。彼の胸は不思議に高い浪を打った。
「蝋燭を増せ。香を焚け」
 彼は苦しい声を振り絞ってまた叫んだ。蝋燭の数は増されて、須弥壇《しゅみだん》はかがやくばかりに明るくなった。阿弥陀如来の尊像はくすぶるばかりの香りの煙りにつつまれた。その渦まく煙りのなかに浮き出している円満|具足《ぐそく》のおん顔容《かんばせ》は、やはり玉藻の笑顔であった。阿闍梨は数珠を投げすてて跳り上がりたいほどに苛《いら》いらしてきた。彼のひたいからは膏汗《あぶらあせ》がたらたら流れた。
「銅鑼《どら》を打て。鐃鉢《にょうばち》を鳴らせ」
 いろいろの手段によって漲《みなぎ》り起こる妄想を打ち消そうとあせったが、それもこれも無駄であった。あせればあせるほど、彼の道心《どうしん》をとろかすような強い強い業火《ごうか》は胸いっぱいに燃え拡がって、玉藻のすがたは阿闍梨の眼先きを離れなかった。日ごろ嘲り笑っていた志賀寺《しがでら》の上人《しょうにん》の執着も、今や我が身の上となったかと思うと、阿闍梨はあまりの浅ましさと情けなさに涙がこぼれた。庭の上にも阿闍梨の涙とおなじような雨がほろほろと降ってきた。
 彼は法衣《ころも》の袖に涙を払って、もう一度恐る恐るみあげると、如来のお顔はやはり美しい玉藻であった。一代の名僧の尊い魂はこうして無残にとろけていった。

    三

「きょうはきついお世話でござりました」
 法性寺の門を出ると、玉藻は兼輔に言った。兼輔もきょうの首尾を嬉しく思った。
「頑固《かたくな》な叔父御もお身に逢うてはかなわぬ。まして初めから魂のやわらかい我らじゃ。察しておくりゃれ」
 彼は玉藻に肩をすり寄せて、女の髪の匂いを嗅《か》ぐように顔を差しのぞいてささやくと、玉藻は顔をすこし赤らめてほほえんだ。
「又そのようなことを言うてはお弄《なぶ》りなさるか。その日の風にまかせて、きょうは東へ、あすは西へ、大路《おおじ》の柳のように靡《なび》いてゆく、そのやわらかい魂が心もとない。なにがしの局《つぼね》、なにがしの姫君と、そこにも此処にも仇《あだ》し名を流してあるく浮かれ男《お》のお身さまと、末おぼつかない恋をして、わが身の果ては何となろうやら」
「なんの、なんの」と、男は小声に力をこめて言った。「むかしは昔、今は今じゃ。兼輔の恋人はもうお身ひとりと決めた。鴨川の水がさかさに流るる法もあれ、お身とわれらとは尽未来《じんみらい》じゃ」
「それが定《じょう》ならばどのように嬉しかろう。その嬉しさにつけても又一つの心がかりは、数ならぬわたくしゆえにお身さまに由《よし》ない禍いを着《き》しょうかと……」
「由ない禍い……。とはなんじゃ」
 玉藻は黙ってうつむいていると、兼輔はやや得意らしく又訊いた。
「お身と恋すれば他《ひと》の妬《ねた》みを受くる……それは我らも覚悟の前じゃ。諸人に妬まるるほどで無うては恋の仕甲斐がないともいうものじゃ。妬まるるは兼輔の誉《ほま》れであろうよ。それがために禍いを受くるも本望……と我らはそれほどまでに思うている。恋には命も捨てぬものかは」
「そりゃお身の言わるる通りじゃ」と、玉藻は低い溜息をついた。「じゃというて、お身さまに禍いの影が蛇のように付きまとうているのを、どうしてそのままに見ていらりょう」
「じゃによって訊いている。その禍いの影とはなんじゃ。禍いの源はいずこの誰じゃ」
「少将どのじゃ」
「実雅《さねまさ》か」と、兼輔は眼をみはった。
 少将実雅はかねて自分に恋していたと玉藻は語った。恋歌《こいか》も艶書《えんしょ》も千束《ちつか》にあまるほどであったが、玉藻はどうしてもその返しをしないので、実雅はしまいにこういう恐ろしいことを言って彼女をおびやかした。自分の恋を叶えぬのはよい。その代りにもしお身が他の男と恋したのを見つけたが最後、かならずその男を生けては置かぬ。実雅は彼と刺し違えても死んで見するぞと言った。殿上人とはいえ、彼は代々武人である。殊にいちずの気性であるから、それほどのこともしかねまい。自分が兼輔のために恐れているのはその禍いであると、玉藻は声をひそめて話した。
 そう言われると思い当たることがないでもない。現に関白殿の花の宴《うたげ》のゆうべに、彼は自分と玉藻との語らいをぬすみ聴いていたらしく、それを白状せよと迫って土器《かわらけ》をしい付けた。そのとき彼はなにげなく笑っていたが、その笑みの底には刃《やいば》を含んでいたかもしれない。こっちの返事次第で或いは刺し違える料簡であったかもしれない。こう思うと、兼輔は俄にぞっとした。気の弱い彼は、もう実雅に胸倉をとられて、氷のような刃を突き付けられたようにも感じられた。
 二人はしばらく黙って、九条の河原を北にむかって辿ってゆくと、うす暗い空をいよいよ暗く見せるような糺《ただす》の森が、眼のさきに遠く横たわっていた。聖護院《しょうごいん》の森ももう夏らしい若葉の黒い影に掩われていた。ほととぎすでも啼《な》きそうなという心で、二人は空へ眼をやると、その眉の上に細かい雨のしずくが音もなしに落ちてきた。
「ほう、降ってきたか」
 兼輔は牛車《ぎっしゃ》に乗って来なかったのを悔んだ。恋しい女と連れ立ってゆく物詣《ものもう》でには、かえって供のない方が打ち寛《くつろ》いでよいとも思ったので、きょうはわざと徒歩《かち》で来たのであるが、この俄雨に逢って彼はすこし当惑した。自分はともあれ、玉藻を濡らしたくないと思ったので、彼は扇をかざしながらあたりを見まわした。
「しばらく此処《ここ》に待たれい。強く降らぬ間に笠を求めてまいる」
 河原の柳の下蔭に玉藻をたたずませて置いて、彼は人家のある方へ小走りに急いで行った。雨の糸はだんだんに繁くなって、彼の踏んでゆく白い石の色も変わってきた。玉藻は薄い被衣《かつぎ》を深くかぶって、濡れた柳の葉にその細い肩のあたりを弄《なぶ》らせながら立っていると、これも俄雨に追われたのであろう。立烏帽子のひたいに直衣《のうし》の袖をかざしながら急ぎ足にここを通り過ぎる人があった。彼は柳のかげに佇《たたず》んでいる女の顔を横眼に見ると、ひき戻されたように俄に立ち停まった。
 玉藻もその人と顔をみあわせた。彼は千枝松であった。しばらく見ないうちに彼はもう立派な男になって、その男らしい顔がいよいよ男らしくなっていた。彼が昔の烏帽子折りでないことは、その清げな扮装《いでたち》を見てもすぐに覚られた。
 しかし千枝松は黙って立っていた。玉藻も黙って眼を見合っていた。
「藻でないか」と、しばらくして男は声をかけながら近寄った。
 藻と千枝松は四年振りでめぐり逢ったのである。勿論、男の方では女の消息をみな知っていた。関白どのに召されて寵愛を一身にあつめて、玉藻の前と世の人びとに持て囃《はや》されていることは、彼の耳にも眼にも触れていた。しかもこうして顔を突きあわせて、親しく物を言いかけるのは実に四年目であった。怨めしいと懐かしいとが一つにもつれ合って、かれは容易にことばも出なかったのである。
 むかしの我が名を呼びかけられても、玉藻は返事もしなかった。千枝松はまたひと足進み寄って言った。
「玉藻の前と今ではお言やるそうな。幼な馴染みの千枝松をよもや忘れはせられまいが……」
「久しゅう逢いませぬ」と、玉藻もよんどころなしに答えた。
「お身の出世は蔭ながら聞いている。果報《かほう》めでたいことじゃ」
 めでたいという詞《ことば》の裏には一種の怨みを含んでいるらしいのを、相手は覚らないように軽くほほえんだ。
「ほほ、羨まるるほどの果報でもござらぬ。お前がむかしの意見も思い当たった。上《うえ》つかたの御奉公もなかなか辛い苦しいもの、察してくだされ。して、こなたはやはり叔父御と一つに暮らしていやるのか」
「いや、わしは烏帽子折りの職人をやめて、日本じゅうに隠れのないお人のお弟子になった」と、千枝松は誇るように答えた。
「そのお師匠さまはなんというお人じゃ」
「陰陽師《おんみょうじ》の播磨守泰親どのじゃ」
「おお、安倍泰親《あべのやすちか》どのか」
 玉藻の顔色はさっと変わったが、忽ちもとにました柔らかい笑顔にかえった。
「それは仕合わせなこと。おまえは堅い生まれ付きじゃで、よいお師匠をもたれたら、行く末の出世は見るようじゃ。して、お前も男になって、今もむかしの名を呼ばれてござるのか」
「千枝松という名はあまりに稚《おさな》げじゃと仰せられて、お師匠さまが千枝太郎と呼びかえて下された。しかも泰親の一字を分けて、元服の朝から泰清《やすきよ》と呼ばるるのじゃ」
「千枝太郎泰清……ほんに立派な名乗じゃ。名もかわれば人柄も変わって、むかしの千枝ま[#「ま」に傍点]とは思われぬ」と、玉藻もさすがに懐かしそうに、むかしの友達の大人びた姿を眺めていた。
 藻に捨てられた悲しみと、病いにさいなまるる苦しみとに堪えかねて、千枝松は若い命を水の底に沈めようとしたのであったが、運の強い彼は通りかかった泰親に救われた。泰親は彼を憫れんだ。ことに彼の慧《さか》しげなのを見て、泰親は叔父夫婦にも子細をうちあけて、彼を自分の弟子として取り立ててみたいと言った。都はおろか、日本《にっぽん》じゅうに隠れのない、名家の弟子のかずに入ることは身のほまれであると、千枝松は涙をながして喜んだ。叔父たちにも異存はなかった。
 禍いが却って福となった烏帽子折りの少年は、それから泰親の門に入って、天文を習った。卜占《うらない》を学んだ。さすがは泰親の眼識《めがね》ほどあって、年にも優《ま》して彼の上達は実に目ざましいもので、明けてようよう十九の彼は、ほかの故参の弟子どもを乗り越えて、やがては安倍晴明以来の秘法という悪魔|調伏《ちょうぶく》の祈りをも伝えらるるほどになった。彼は泰親が秘蔵弟子の一人であった。
 それほどの事情を詳しく知らないまでも、むかしの千枝ま[#「ま」に傍点]が今は千枝太郎泰清と名乗っていることが、玉藻に取っては意外の新発見であるらしかった。彼女はこの昔の友に対して、過去の罪を悔むような打ちしおれた気色《けしき》をみせた。
「のう、千枝太郎どの。お前はさぞ昔の藻を憎い奴と思うでござろうのう。わたしもまだその頃は幼な心の失《う》せいで、お宮仕えの、御奉公のと唯ひと筋にあこがれて、お前を振り捨てて都へ上《のぼ》ったが、くどくも言う通り御奉公は辛い切《せつ》ないもの、山科の田舎で気ままに暮らした昔が思い出されて、今更しみじみ懐かしい。お前とてもそうであろう。泰親殿は気むずかしい、弟子たちの躾《しつ》けかたもきびしいお人じゃと聞いている。朝夕の奉公に定めて辛いことも数《かず》かずあろう。出世の、果報のと羨まれても、それがなんの身の楽になることか。おたがいに辛いうき世じゃ」
 昔を忍ぶようにしみじみと託《かこ》たれて、千枝太郎もなんだか寂しい心持になった。女に対する年ごろの積もる怨みは次第に消えて、彼はいつかその人を憫れむようになって来た。彼はもう執念深く彼女を責める気にもなれなかった。
「父御《ててご》はあの明くる年に死なれたそうな」と、彼は声を沈ませて言った。
「おお、御奉公に出た明くる年の春の末じゃ。関白殿のお指図で典薬頭《てんやくのかみ》が方剤《ほうざい》を尽くして、いろいろにいたわって下されたが、人の命数は是非ないものでのう」と、玉藻も今更のように眼をうるませた。
「お師匠さまが山科の家の門《かど》に立って、これは凶宅じゃ、住む人の命は保《も》つまいと言われたが、その卜占《うらない》はたしかにあたった」
「お師匠さまはそのように申されたか」と、玉藻の瞳はまた動いたが、やがて感嘆の太息《といき》をついた。「卜占に嘘はない。お師匠さまは神のようなお人じゃ」
「それは世にも隠れのないことじゃ。四年このかた、わしもおそばに仕えて何もかも知っているが、お師匠さまが空を見て雨ふるといえばきっと降る。風ふくといえばきっと吹く。あつい襖を隔てて他人《ひと》のすること一から十まで言い当てらるる。お師匠さまが白紙《しらかみ》を切って、印をむすんで庭に投げられたら、大きい蟆《ひき》めがその紙に押しつぶされて死んでしもうた」
 玉藻はおそろしそうに身をすくめた。
 しだれた柳の葉は川風にさっとなびいて、雨のしずくをはらはらと振り落とすのを、千枝太郎は袖で払いながら又言った。
「現にきょうもじゃ。お師匠さまは雨具の用意してゆけと言われたを、近い路じゃと油断して、そのままに出て来ると直ぐにこれじゃ。ほんに思えばおそろしい」
「お前もその怖ろしい人にならるるのか」と、玉藻はあやぶむように男の顔をじっと見つめた。
「おそろしいのでない。まことに尊いのじゃ。わしもせいぜい修業して、せめてはお師匠さまの一の弟子になろうと念じている」
「それもよかろう。じゃが……」
 玉藻はなにか言い出そうとして、ふと向こうを見やると、二つの笠を持った兼輔が河原づたいに横しぶきのなかを駈けて来た。
「おお、わたしの連れが笠を借りて戻った。千枝太郎殿、また逢いましょうぞ」
 言う間《ひま》に兼輔はもう近づいた。柳の雨に濡れて立つ美女を前にして、若い公家と若い陰陽師とは妬ましそうに眼をみあわせた。


采女《うねめ》

    一

 千枝太郎泰清は柳の雨にぬれて帰った。播磨守泰親の屋敷は土御門《つちみかど》にあって、先祖の安倍晴明以来ここに年久しく住んでいた。
「唯今戻りました」
「ほう、いこう濡れて来た。笠を持たずにまいったな」と、泰親は自分の前に頭をさげた若い弟子の烏帽子をみおろしながらほほえんだ。
「おことばにそむいて笠を用意せずに出ました」と、千枝太郎は恐れ入ったように再び頭をさげた。
「いや、懲《こ》るるのも修業の一つじゃよ」
 事もなげに又笑った泰親の優しげな眼の色は見るみる陰った。彼は扇を膝に突き立てて、弟子の顔を睨むように見つめた。
「お身は途中で誰に行き逢うた」
 千枝太郎はぎょっとした。しかも何事にも見透しの眼を持っている、神のような師匠の前で、彼はいつわりを言うべきすべを知らなかった。彼は河原で玉藻の藻《みくず》に偶然出逢ったことを正直に白状すると、泰親は低い溜息をついた。
「わしもそう見た。お身は再び怪異《あやかし》に憑かれたぞ。心《こころ》せい」
 言い知れない恐怖におそわれて、千枝太郎は息をつめて身を固くしていると、泰親はあわれむように、また諭《さと》すように言い聞かせた。
「お身はあやかしに一度|憑《つ》かれて、危うく命を亡《うしな》おうとしたことを今も忘れはせまい。その後は一心に修業を積んで、年こそ若けれ、ゆくゆくは泰親の一の弟子とも頼もしゅう思うていたに、きょうは俄にお身の相好《そうごう》が変わって見ゆる。みだりに嚇《おど》かすと思うなよ。お身のおもてには死の相がありありと現われているとは知らぬか。お身をいとしいと思えばこそ、泰親かねて存ずる旨をひそかに言うて聞かすが、誓って他言無用じゃぞ」
 くれぐれも念を押しておいて、泰親は日ごろ自分の胸にたくわえている一種の秘密を打ち明けた。それはかの玉藻の身の上であった。泰親はさきに山科の玉藻の住家を凶宅とうらなって、それからだんだん注意していると、玉藻という艶女《たおやめ》は形こそ美しい人間であれ、その魂には怖ろしいあやかしが宿っている。悪魔が彼女の体内に隠れ棲んでいる。それを知らずに、関白殿は彼女を身近う召し出されて、並なみならぬ寵愛を加えられている。その禍いが関白殿の一身一家にとどまれば未《ま》だしものことであるが、悪魔の望みは更にそれよりも大きい。それからそれへと禍いの種をまき散らして、やがてはこの日本を魔界の暗黒に堕《おと》そうと企てているのである。――こう話してきて、泰親は一段とその声をおごそかにした。
「お身に心せいというのはこのことじゃ。広い都にかの女性《にょしょう》を唯者《ただもの》でないと覚っているものは、この泰親のほかにまだ一人ある。それは少納言の信西入道殿じゃ。かの御仁《ごじん》も天文人相に詳しいので、とかくに彼女《かれ》を疑うて、さきの日わしに行き逢うた折りにもひそかに囁かれたことがある。関白殿はもうかれに魂を奪われていれば、とても一応や二応の御意見で肯《き》かりょうとも思われぬが、唯ひとつの頼みは弟御の左大臣殿じゃ。信西入道からかの殿に申し勧めて、玉藻をまず関白殿の屋形から遠ざけ、さてその上で悪魔調伏の秘法を行ない、とこしえに禍いの種を八万奈落の底に封じ籠めてしまわねばならぬ。その折柄《おりから》にお身がうかうかと再びその悪魔に近づいて、なにかの秘密を覚られたら我われの苦心も水の泡じゃ。悪魔は人間よりも賢い。それと覚ったら又どのような手だてをめぐらそうも知れぬ。きょうは自然のめぐりあいで、まことに余儀ない破目《はめ》であるが、これを機縁に再び彼女《かれ》と親しゅうするなど夢にもならぬことじゃと思え。この教えに背いたらお身の命はかならず亡ぶる。きっと忘れまいぞ」
「ありがたい御教訓、胆《きも》にこたえて決して忘れませぬ」と、千枝太郎は尊い師匠の前で立派に誓った。
「わかったかな」と、泰親はまだ危ぶむような眼をしていた。
「判りました」
 半分は夢のような心持で、千枝太郎は師匠の前を退がった。自分の部屋へ戻って、彼は机の前に坐ったが、あまりに思いも付かない話をだしぬけに聴かされたので、彼の頭は恐怖と驚異とに混乱してしまった。あの可愛らしい藻、あの美しい玉藻、それに怖ろしい悪魔のたましいが宿っているなどとは、どう考えても信じられない不思議であった。いかに神のようなお師匠さまの眼にも何かの陰翳《くもり》が懸かっているのではあるまいかと、彼も一度は疑った。
 しかし、だんだん考え詰めているうちに、いろいろの記憶が彼の胸によみがえってきた。藻はゆくえをくらまして、昔から祟りがあると伝えられている古塚の下に眠っていたこともある。陶器師の婆の話によれば、藻は白い髑髏《されこうべ》をひたいにかざして暗い川端に立っていたこともあるという。しかもそれを話した婆は、やはり古塚のほとりで怪しい死に方をしていた。またそればかりでない。近い頃にも関白殿の花の宴《うたげ》に、玉藻のからだから不思議の光りを放って暗い夜を照らしたという噂もある。それやこれやを取り集めて考えると、玉藻が普通の人間ではないらしいという判断も、決して拠りどころのない空想ではなかった。
「かりにもお師匠さまを疑うたのはわしの迷いであった。玉藻は悪魔じゃ。いつぞやの夢に見た天竺、唐土の魔女もやはり玉藻の化身《けしん》に相違あるまい」
 そう気がつくと、千枝太郎は急に身の毛がよだつほどに怖ろしくなった。彼は屋敷に召し使われている女子《おなご》から鏡を借りて来て、自分の顔をつくづくと映してみた。彼は幾たびか眼を据えて透かして視たが、自分の若々しい顔の上から死相を見いだすことは出来なかった。かれは溜息と共に鏡を投げ出した。
「陰陽師、身の上知らずとはこれじゃ」
 それにつけても師の泰親は万人にすぐれて偉い、尊い人であると、彼は今更のように感心した。信西入道も偉いと思った。彼は自分の学問未熟を恥ずると共に、師匠や信西を尊敬するの念がいよいよ深くなった。こうした尊い師匠に救われて、親しくその教えをうけているおのれは、いかに幸いであるかということも、しみじみと考えさせられた。
「なんでもお師匠さまのお指図通りにすればよいのじゃ」と、今の彼はこう素直に考えるよりほかはなかった。
 実をいえば、さっき河原で玉藻に別れるときに、女はそこへ来あわせた若い公家《くげ》の手前を憚って、口ではなんにも言わなかったが、その美しい眼が明らかに語っていた。それは近いうちに又逢おうという心であることを千枝太郎は早くも覚った。彼もおなじ心を眼で答えて別れた。しかし今となっては、もうそんなことを考えるさえも怖ろしかった。自分はその一刹那から再び怪異《あやかし》に憑かれたのであった。彼はこれから一七日《いちしちにち》の間、斎戒《さいかい》して妖邪の気を払わなければならないと思った。
 自分にはお師匠さまという者が付いている――こう思うと、彼は又俄に心強くもなった。未熟な自分の力ではとてもその妖魔に打ち勝つことは覚束ないが、お師匠さまの力を仮りればかならず打ち勝つことが出来る。お師匠さまもまたそれに苦心していられるのであるから、及ばずながらも自分はお師匠さまに力を添えて、ともどもに悪魔調伏に一心を凝らさなければならない。悪魔がほろぶれば自分ひとりの命が救われるなどという小さい事ではない、この日本の国を魔界の暗闇から救うことも出来るのである。彼は一生の勇気を一度に振るい起こして、悪魔と向かい合って闘わなければならないと、強い、強い、健気《けなげ》な雄々しい決心をかためた。彼はその夜の更けるまで机に正しく坐って、一心不乱に安倍晴明以来の伝書の巻を読んだ。
 それから十日《とおか》ほど経って、泰親は外から帰ってくると、そっと千枝太郎を奥へ呼んだ。
「法性寺の阿闍梨も気が狂うたそうな」
 阿闍梨もという言葉に深い意味が含まれているらしく聞こえたので、千枝太郎は又ぞっとして師匠の顔をみあげると、泰親はさらに説明した。
「思うても怖ろしいことじゃ。お身が河原で玉藻にめぐり逢うたのは、彼女《かれ》が法性寺詣での戻り路であった。左少弁兼輔の案内で、阿闍梨は玉藻に面会せられた。それから後は何とやらん様子が変わって、よそ目には物に憑かれたとも、物に狂うたとも見ゆるとやら。余人はその子細を覚らいで、ただただ不思議のことのように驚き怪しんでいるが、泰親の観るところでは、これもかの悪魔のなす業《わざ》じゃ。まず日本の仏法を亡ぼさんがために碩学高徳の聖僧《ひじり》の魂に食い入って、その道念を掻き乱そうと企てたのであろう。それを知らいで、うかうかとかれの手引きをした左少弁殿も、その行く末はどうあろうのう」
 さきの日、河原で出逢った若い公家が左少弁兼輔であることを、千枝太郎は初めて知った。その当時、彼は一種の妬みの眼を以《も》ってその人を見ていたのであるが、今となっては、彼は憫《あわ》れみの眼を以ってその人を見なければならないようになった。
「しかし、恐るるには及ばぬ。泰親はよい時に生まれあわせた。わしの力で悪魔を取り鎮めて、世の暗闇を救うことが出来れば、末代までも家の誉《ほま》れじゃ」
 泰親は、力強い声で言った。

    二

「阿闍梨も気が狂うたそうな」
 丁度それと同じ頃に、おなじ詞《ことば》が関白の屋形にある玉藻の口からも洩れた。彼女は兼輔の文《ふみ》によってそれを知ったらしく、その文を繰り返して見入っていた。文は阿闍梨の病気のことを報らせて、自分は今夜その見舞いに法性寺へ参ろうと思うが、お身も一緒にまいらぬかという誘いの文句であった。
 阿闍梨と兼輔とは叔父甥の親しい仲である。それが唯ならぬ病いに悩んでいると聞いたらば、何を差しおいても直ぐに見舞うべき筈であるのに、わざわざ女子《おなご》を誘ってゆく。しかも夜を択んでゆく。兼輔の本心が叔父の病気見舞いでないことは見え透いていたが、玉藻は躊躇せずに承知の返事をかいた。しかし若い男がたびたび誘いに来られては、主人の手前、余人の思惑、自分もまことに心苦しいから、四条の河原で待ち合わせてくれと言ってやった。
 日の暮れるのを待って、玉藻は屋形を忍んで出た。暦はもう卯月《うづき》に入って、昼間から雨気《あまけ》を含んだ暗い宵であった。その昔、一条戻り橋にあらわれたという鬼女《きじょ》のように、彼女は薄絹の被衣《かつぎ》を眉深《まぶか》にかぶって、屋形の四足門からまだ半町とは踏み出さないうちに、暗い木の蔭から一人の大きい男が衝《つ》と出て来て、渡辺の綱のように彼女の腕をしっかりと掴んだ。
「あれ」
 振り放そうともがいても、男はなかなかその手をゆるめなかった。彼は小声に力をこめて言った。
「騒がれな、玉藻の前。暗うても声に覚えがござろう。われらは実雅じゃ」
「おお。少将どのか」と、玉藻はほっとしたらしかった。「わたくしは又、鬼か盗人かと思うて……」
「その鬼よりも怖ろしいかもしれぬぞ」と、実雅は暗いなかであざ笑った。「お身はこの宵にどこへ参らるる」
 玉藻は立ちすくんで黙っていた。
「法性寺詣でか、兼輔と連れ舞うて……。はは、何をおどろく。お身たちのすること為《な》すこと、この実雅の耳へはみな筒抜けじゃ。われらが今宵、大納言|師道《もろみち》卿の屋形へ歌物語を聴きにまいろうと存じて、四条のほとりへ来かかると、兼輔めが人待ち顔にたたずんでいる。何してじゃと問えば、これから法性寺へ叔父御の見舞いにゆくという。その慌てた口ぶりがどうやら胡乱《うろん》に思われたので、五、六間も行き過ぎて又見返ると、彼はまだ行きもやらじに立ち明かしている。さてはここに連れの人を待ち合わせているのかと思うと、すぐに覚ったは玉藻の御《ご》、お身のことじゃ。それから足を早めてここの門前へ来て、さっきから出入りを窺うていたとは知らぬか。さあ真っ直ぐに言え、白状せられい」と、実雅ははずむらしい息を努めて押し鎮めて、女の細い腕を揺すぶりながら訊いた。
「そう知られては隠しても詮《せん》ないこと。まこと今宵は左少弁殿と言いあわせて、法性寺詣でに忍び出たに相違ござりませぬ」
「むむ。相違ないか」と、大きいからだをふるわせて実雅は唸った。「お身は先月も兼輔めと連れ立って法性寺へまいったというが、確かにそうか」
 それも嘘ではないと玉藻は答えた。しかしそれは隆秀阿闍梨の教化をうけたいために兼輔の案内を頼んだので、ほかには別に子細はないと言ったが、実雅は素直にそれは肯《き》き入れなかった。現にこのあいだの花の宴《うたげ》にも、自分は彼と玉藻との密会を遠目に見ている。今更そんなあさはかな拵え事で、自分を欺くことはできまいと又あざ笑った。
「就《つ》いては、少将実雅があらためてお身に訊きたいことがある。お身が実雅の恋をきかぬ以上、あだし男に心をかよわすことはならぬ。もしその約束を破ったら、その男を生けては置かぬと……」
「それもよう覚えております」
 実雅の手にすがって、玉藻はさめざめと泣き出した。もうこうなれば何もかも白状するが、実は兼輔に迫られて、自分は彼の恋をいれたのである。勿論、そのときに実雅との約束を楯にして、彼女は必死に断わったのであるが、兼輔はどうしても承知しないで、実雅のような愚か者がなんと言おうとも恐るるには及ばぬ。彼が執念深くぐずぐず言ったら、自分がきっと引き受けて二度とは口を明かせぬようにして見せる。なんの、食《く》らい肥りの貧乏公家が何事をなし得ようぞと、彼はさんざんに実雅を罵って、無理無体に彼女を自分の物にしてしまった。思えば女子は弱いもの、その当座は身も世もあられぬほどに悔み悲しんだが、今となってはもうどうすることも出来ないので、彼が誘うままに今夜もうろうろと屋形をぬけ出して来たのである。さぞ憎かろうが、どうぞ堪忍してくれと玉藻は泣いて訴えた。
「それは定《じょう》か、いつわりないか」と、実雅は苛《いら》いらしながら念を押した。
「なんのいつわりを言いましょう。神かけて……」
「よし。思案がある」
 玉藻を突き放して実雅は暗い大路を暴れ馬のように駈けて行った。大きい身体をゆすりながら大股に駈けるのであるから、四条の河原まで行き着いた頃には、ほとんど口も利かれないくらいに息が疲れていたが、それでも柳の下にたたずんでいる人の影を透かし視たときに、彼は喉が裂けるほどの大きい声を振り立てた。
「兼輔、まだそこにか」
 また引っ返して来たのかと、兼輔は肚《はら》のなかで舌打ちした。そうして、暗いのを幸いに、黙ってそこをすり抜けて行こうとすると、水明かりで早くもそれと認めた実雅は、これも無言で駈けつけて、彼が直衣の袖を力任せにぐい[#「ぐい」に傍点]と曳いた。たとい平安時代の殿上人にもせよ、実雅はともかくも武人の少将である、しかも力自慢の大男である。その大男に強くひかれて、孱細《かぼそ》い左少弁は意気地もなくへなへなとそこに引き据えられた。
「やい、兼輔。関白殿の花の宴《うたげ》の夜に、おのれひねり潰してくれようと思うていたが、あいにくの嵐に邪魔されて、そのままに助けて置いたをありがたいとも思わずに、女にむかって人もなげなる広言を吐き散らしたそうな。やい、食らい肥りの貧乏公家とは誰がことじゃ。おれの前で、もう一度確かに言え」
「そりゃ無体の詮議じゃ。われら夢にもさようなことを……」と、兼輔はあわてて打ち消そうとするのを、哮《たけ》り立った実雅は耳にもかけないで、嵩《かさ》にかかって又呶鳴った。
「ええ、なにが無体……。おのれは舌がやわらかなるままに、口から出るに任せてさまざまの雑言《ぞうごん》をならべ、この実雅を塵《ちり》あくたのように言いおとしめたことを、おれはみな知っている。ええ、今さら卑怯に言い抜けようとして、おれには確かな証人があるぞ」
「そのような喚讒《かんざん》を誰が言うた」
「おお、玉藻が言うた。おのれは今宵も無理無体に玉藻をここへ誘い出して、法性寺へ行こうでな。憎い奴め」
 実雅の拳《こぶし》は兼輔の頬を二つ三つ続けて打った。大力に打たれた兼輔は悲しい声をあげて、子供につかまれた子猫のように、相手の膝の下をくぐって逃げようと這いまわるのを、実雅は足をあげて鞠《まり》のように蹴倒した。こうした散ざんの手籠めに逢って、兼輔もさすがに無念であった。もう一つには、このまま彼の手に囚《とら》われていたら、果てはむごたらしいなぶり殺しに逢おうも知れまいという怖れもまじって、彼は足もとに転げている河原の小石をさぐり取って、相手の顔と思うあたりへ三つ四つ投げ付けた。そのうろたえる隙《すき》をみて、彼は飛び起きて逃げようとするのを、実雅はすぐに追い掛けて再びその襟髪を掴んだ。
 嫉妬と憤怒《ふんぬ》にのぼせているところへ、小石の痛い眼つぶしを食わされて、実雅はまったく眼がくらんでしまった。彼は再び恋のかたきを蹴倒して、腰に佩《は》いている衛府《えふ》の太刀に手をかけたかと思うと、闇にきらめいた切っ先は兼輔の烏帽子をはた[#「はた」に傍点]と打ち落として、その小鬢《こびん》を斜めにかすった。
「わッ、人殺しじゃ」
 その声の消えないうちに、二度目の太刀さきは兼輔の頸のあたりを横に払ったので、彼は息もせずにそこにぐたりと倒れた。実雅は片足でそれを二、三度揺り動かしてみたが、兼輔は石のように転《まろ》ばったままで、再び身動きをしそうもなかった。
「はは、もろい奴じゃ。おのれその醜態《ざま》で、実雅の悪口いうたか」
 彼は勝利の満足をおぼえると同時に、一種の不安と後悔とが急に湧き出して来た。死人に口なしでなんとでも言い訳は出来るようなものの、かりにも左少弁たる人を河原で暗撃《やみう》ちにしたとあっては、後日の詮議が面倒である。憎い奴ではあるが、さすがに殺すまでにも及ばなかったとも悔まれた。今夜の河原は闇である。この闇にまぎれて逸早《いちはや》くここを立ち退いてしまえば、相手は殺され損で、誰にも詮議はかかるまいと思うと、実雅は俄にあとさきが見られて、あわてて血刀を兼輔の袖でぬぐってそっと鞘《さや》に収めようとすると、うしろからその肩を軽く叩く者があった。ぎょっとして振り返ると、自分のそばには玉藻が立っていた。凄いほどに白い彼女の笑顔は、暗い中にもありありと浮き出して見えた。
「見事になされました」
 相手があまりにも落ち着き払っているので、実雅はすこし気味が悪くなって、無言のままで突っ立っていると、玉藻は重ねて言った。
「かたきを仕留められたのは男の面目、見事にも立派にも見えまするが、これからのちを何とせられまする。相手を殺して卑怯にも逃げられますまい」
 星をさされて、実雅は又ぎょっとした。彼は太刀を鞘に収めるすべも知らないように、唯ぼんやりと立っていた。
「お身さまも男じゃ、少将どのじゃ。仇の亡骸《なきがら》を枕にして見事に自害なされませ」と、玉藻は命令するように言った。
 この怖ろしい宣告を受けて、実雅は我にかえった。しかし彼はその命令に服従する気にはなれなかった。どうで自分の物にならない女ならば、いっそここであわせて玉藻を殺して、後日《ごにち》の口をふさぐ方が利益であると、彼は咄嗟のあいだに思案を決めた。彼はなにか言おうとするように見せかけて、玉藻のそばへひと足|摺《す》り寄ると同時に、手に持っている太刀を颯《さっ》とひらめかせると、刃《やいば》は空《くう》を切って玉藻の姿は忽ち消えた。おどろいて見廻すと、玉藻は彼の左に肩をならべて笑いながら立っていた。
 実雅はまた横に払った。その刃もおなじく空を切って、玉藻は更に彼の右に立っていた。彼は焦《じ》れて右を切った。左を切った。うしろを払った。前を薙《な》いだ。彼は独楽《こま》のようにそこらをくるくると廻って、夢中で手あたり次第に切り払ったが、一度も手ごたえはなかった。焦れて狂って、跳り上がって、彼は暗い河原を東西に駈けまわって、果ては狂い疲れてそこにばったり倒れた。倒れるはずみに彼は自分の刃で自分の胸を深く貫いてしまった。
 鴨川の水はむせぶように流れていた。暗い河原にひざまずいて、まだ温かい彼の生血《なまち》を吸う者があった。

    三

 左少弁兼輔と少将実雅とが四条の河原で怪しい死にざまをしたということが、忽ち京じゅうの大きい噂となった。勿論、誰もその事実を知った者はないが、二つの死骸の疵口《きずぐち》から考えると、実雅がまず兼輔を切り殺して、自分はその場から少し距れた川下へ行って自害したものらしく思われた。
 下手人も倶《とも》に亡びた以上、別に詮議の仕様もないのであるが、実雅は武人で宇治の左大臣頼長に愛せられていた。兼輔はむしろ関白忠通の昵懇《じっこん》であった。その関係からいろいろの浮説《ふせつ》が生み出されて、実雅と兼輔との刃傷事件は単に本人同士の意趣ではなく、忠通、頼長兄弟の意趣から導かれたかのように言い囃す者も出来た。頼長は別に気にも留めなかったが、この頃いちじるしく神経質になった兄の忠通は、そのままに聞き流していることが出来なかった。彼は厳重に実雅が刃傷の子細を吟味させたが、確かな証拠はとうとう挙がらなかった。
 証拠が挙がらないので、自然立ち消えになってしまったが、忠通の胸は安らかでなかった。殊に実雅の方から仕掛けて兼輔を殺したらしいのが猶《なお》なお不快であった。つまり頼長の味方が自分の味方を倒したのである。忠通はそれが何となく面白くなかった。彼は弟から戦いを挑《いど》まれたようにも感じられた。この上はせめてもの心やりと、二つには自分の威勢を示すために、忠通は兼輔の三七日法会《さんしちにちほうえ》を法性寺で盛大に営むことになった。
 この時代の習いで法性寺の内に墓地はなかったが、法会は寺内で行なわれた。殊にこの寺は関白の建立《こんりゅう》で、それをあずかる隆秀阿闍梨は兼輔が俗縁の叔父であるから、忠通が彼の法会をここで営むのは誰が眼にもふさわしいことであった。しかしここに一つの懸念は、当日の大導師たるべき阿闍梨その人がこのあいだから物に憑かれたように怪しゅう狂い乱れているという噂であった。
「阿闍梨の容態はどうあろう。見てまいれ」
 主人の言い付けで、織部清治は法性寺へ出向いてみると、阿闍梨はその怨念が鼠になったとか伝えられる昔の三井寺の頼豪《らいごう》のように、おどろおどろしい長髪の姿で寝床の上に坐っていた。清治の口上を聴いて、彼は謹んでうなずいた。
「かずならぬ甥めが後世《ごせ》安楽のために、関白殿が施主《せしゅ》となって大法要を催さるるとは、御芳志は海山《うみやま》、それがしお礼の申し上げようもござらぬ。たとい如何ほどの重病たりとも、当日の導師の務めは拙僧かならず相勤め申す。この趣《おもむき》、殿下へよろしくお取次ぎを……」
 見たところは痛ましくやつれているが、その応対にすこしも変わった節は見えないので、清治はまず安心した。すぐに屋形へ戻ってその通りを報告すると、忠通も眉を開いた。
「それほどに申すからは子細はあるまい。当日の用意万端怠るな」
 やがてその当日が来た。時の関白殿が施主となって営まるる大法要というのであるから、仏の兼輔に親しいも疎《うと》いもみな袂をつらねて法性寺の御堂《みどう》にあつまった。門前は人と車とで押し合うほどであった。その綺羅《きら》びやかな、そうして壮厳な仏事のありさまをよそながら拝もうとして、四方から群がって来た都の老幼男女も、門前を埋めるばかりにひしひしと詰めよせていた。四月も末に近い白昼《まひる》の日は、このたとえ難い混雑の上を一面に照らして、男の額にも女の眉にも汗がにじんだ。
「ほう、えらい群集《ぐんじゅ》じゃ」と、一人の若者が半ば開いた扇をかざしながらつぶやくと、その声に気がついたように一人の翁が肩を捻じ向けた。
「おお、千枝ま[#「ま」に傍点]でないか。久しいな」
 それは山科郷の陶器師《すえものつくり》の翁《おきな》であった。
 声をかけられて千枝太郎もなつかしそうに摺り寄った。
「翁よ。ほんに久しいな」
 よい相手を見付けたというように、翁も摺り寄ってささやいた。
「お身、藻を見やったか」
「藻……。藻がきょうもここへ見えたか」
「おお、半刻ほども前に、見事な御所車に乗って来た。おれは車を降りるところを遠目に覗いたが、今は玉藻と名が変わっているとやら……。名も変われば人も変わって、顔も姿も光りかがやくばかりの美しさ、おれは天人か乙姫さまかと思うたよ。偉い出世じゃ。いくら昔馴染みでも、もうおれたちはそばへも寄り付かれまい。ははははは」と、翁はむかしとちっとも変わらない、人の善さそうな笑顔をみせた。
 藻――それは千枝太郎に取って、堪え難いように懐かしい、しかも身ぶるいするほどに怖ろしい名であった。彼女は果たして魔性の者であろうか。千枝太郎は明かるい日の下で、もう一度彼女の正体を確かに見とどけたいと思った。
「きょうの法会はなんどきに果つるかのう」と、彼は独りごとのように言った。
「申《さる》の刻じゃと聞いている」と、翁は言った。「諸人が退散するまでにはまだ一刻余りもあろうよ」
 言ううちに、前の方に詰め寄せていた人々は、物に追われたように俄に崩れて動き出した。その人なだれに押されて、突きやられて、翁と千枝太郎は別れ別れになってしまった。法会は中途で急に終わって、参列の諸人が一度に退散するために、先払いの雑色《ぞうしき》どもが門前の群集《ぐんじゅ》を追い立てるのであった。
 法会はなぜ中途で終わったのか。千枝太郎は逢う人ごとに訊いてみたが、誰にも確かなことは判らなかった。しかし衆僧をあつめて読経の最中に、大導師の阿闍梨がなにを見たのか、急に顔の色を変えて額《ひたい》に玉の汗をながして、数珠の緒を切って投げ出して、壇からころげ落ちたというのが事実であるらしかった。
「魔性のわざじゃ」
 千枝太郎も顔の色をかえて早々に逃げ帰った。阿闍梨はなにを見て俄に取り乱したのか、おそらく参列の人びとのうちにかの玉藻の妖艶な姿を見いだして、その道心が怪しく乱れ始めたのであろう。生きながら魔道へ引き摺られてゆく阿闍梨の浅ましい宿業《しゅくごう》を悼むと共に、千枝太郎は自分のお師匠さまの眼力の高く尊いのをいよいよ感嘆した。
 しかしこれを察したのは千枝太郎の師弟ばかりで、余人の眼にはこの秘密が映らなかった。高徳のひじりが物狂《ものぐる》おしゅうなったのは、天狗の魔障《ましょう》ではあるまいかなどと、ひたすらに恐れられた。そうして、それが日の本の仏法の衰えを示すかのように、口さがない京わらんべは言いはやすので、忠通はいよいよ安からぬことに思った。なまじいのことを企てて、かえって自分の威厳を傷つけたように口惜しく思われた。彼は眼にみえない敵に取り囲まれて、四方からだんだんに圧迫されるような苦しみをおぼえて、その神経はいよいよ尖って来た。この頃の彼は好きな和歌を忘れたように捨ててしまった。政務もとかくに怠り勝ちで、はては所労と称して引き籠った。
 ことしの夏は都の空にほととぎすの声は聞こえなかったが、五月雨《さみだれ》はいつもの夏よりも多かった。五月に入ってからは殆んど小やみなしに毎日じめじめと降りつづいて、若葉の緑も腐って流れるかと思うばかりに濡れ朽ちてしまった。垂れこめている忠通の頭はくろがねの冠《かんむり》をいただいたように重かった。そうして、むやみに癇がたかぶって、訳もなしにいらいらした。夜もおちおちとは眠られなかった。このままに日を重ねたらば、自分も法性寺の阿闍梨の二の舞いになるのではあるまいかと、自分ながら危ぶまれるようになった。
 家来も侍女共も主人の機嫌が悪いので、みなはらはらしていた。お気に入りの織部清治も毎日叱られつづけていた。ことに彼はさきの日、法性寺へ使いに立ったときに、阿闍梨の容態を確《しか》と見とどけて来なかったがために、大切の法要をさんざんの結果に終わらせたというので、いよいよ主人の機嫌を損じた。そのなかで寵愛のちっとも衰えないのはかの玉藻ひとりで、主人の機嫌がむずかしくなればなるほど、彼女は主人のそばに欠くべからざる人間となって、忠通が朝夕の介抱や給仕はすべて彼女ひとりが承っていた。
「よう降ることじゃ」
 忠通は暮れかかる庭の雨を眺めながら、滅入《めい》るような溜息をついた。
「ほんによう降り続くことでござりまする。河原ももう一面に浸されたとか聞きました」と、玉藻もうっとうしそうに美しい眉を皺めて言った。
「また出水《でみず》か。うるさいことじゃ。出水のあとは大かた疫病《えやみ》であろう。出水、疫病、それにつづいて盗賊、世がまた昔に戻ったか。太平の春は短いものじゃ」
 天下の宰相としてこの苦労は無理ではなかった。二人はまた黙っていると、庭の若葉はだんだんに暗い影につつまれて、溢れるばかりに漲《みなぎ》った池のほとりで蛙がそうぞうしく鳴き出した。
「ああ、世の中がうるそうなった。わしもお暇《いとま》を願うて、いっそ出家|遁世《とんせい》しようか」と、忠通はまた溜息をついた。
「御出家……」と、玉藻は聞き咎めるように言った。「殿が御出家なされたら、あとは誰が代《かわ》らせられまする」
「頼長かな」
「そうなりましたら、左大臣殿は思う壺でござりましょう。現に殿がお引き籠りの後は、かのお人がなにもかも一人で取り仕切って、殿上を我が物顔に押し廻していらるるとやら。今ですらその通り、殿が御隠居遊ばされたら、その後の御威勢は思いやられまする」
「彼のことじゃ。さもあろうよ」と、忠通は苦笑いした。
 その笑いの底には、おさえ難い不満が忍んでいた。日頃からややもすれば兄を凌ごうとする頼長めが、おれの引き籠っているのを幸いに、冠をのけぞらして殿上を我が物顔にのさばり歩く。その驕慢の態度が眼にみえるように思われて、忠通は急にいまいましくなってきた。うかつに遁世して、多年の権力を彼にやみやみ奪われるのは如何にも残念で堪まらないように思われてきた。
「さりとて、わしはこの通りの所労じゃ。頼長が兄に代って何かの切り盛《も》りをするも是非があるまい。余の公家《くげ》ばらは彼の鼻息を窺うばかりで、一人も彼に張り合うほどのものは殿上にあるまいよ」と、忠通は憤るように言った。勢いに付くが世の習いであることを、彼はしみじみと感じた。
 その果敢《はか》ないような顔をじっと見あげて、玉藻はそっと言い出した。
「就きましては、わたくしお願いがござりまするが……」
「あらためてなんの願いじゃ」
「殿の御推挙で采女《うねめ》に召さるるように……」
「ほう、お宮仕えが致したいと申すか」
 忠通はすこし考えた。玉藻ほどの才と美とを具《そな》えていれば、采女の御奉公を望むも無理はない。その昔の小野小町《おののこまち》とてもおそらく彼女には及ぶまい。実は忠通にもかねてその下心《したごころ》があったのであるが、自分の傍《そば》を手放すのが惜しさに、自然|延引《えんいん》して今日《こんにち》まで打ち過ぎていたのである。この際、本人の望むがままに、玉藻を殿上の采女に召させて、彼女の力をかりて頼長めの鼻をくじかせてやろうかとも考えた。忠通も女のひそめる力というものを能《よ》く識《し》っていた。
「望みとあれば、推挙すまいものでもないが……。頼長めが何かと邪魔しようも知れぬぞ」と、忠通はさびしく笑った。
「いえ、その左大臣殿と見事に張り合うて見せます」
「頼長と張り合うか」
「わたくしが殿上に召されましたら、左大臣殿とて……」と、言いさして彼女は、ほほと軽く笑った。
 これはあながちに自讃でない。玉藻ほどの才女ならば、ひそめるその力を利用して、頼長めを殿上から蹴《け》落とすことが出来るかもしれないと、忠通は頼もしく思った。


雨乞《あまご》い

    一

 あくる朝、大納言|師道《もろみち》は関白の屋形に召された。師道は雨を冒《おか》して来た。
「きのうも今日も降りつづいて、さりとは侘《わび》しいことでござる。殿には御機嫌いかがおわします」と、師道はねんごろに関白の容態をたずねた。
「とかくに勝《すぐ》れないでのう」と、忠通は烏帽子のひたいを重そうに押さえた。「きょうわざわざ召したはほかでもない。お身と忠通とは年ごろの馴染みじゃ。打ちあけて少しく申し談じたい儀があって……。近う寄られい」
 それは玉藻を采女に推薦《すいせん》する内儀であった。師道にももちろん異存はなかった。
「至極《しごく》の儀、わたくしも然るびょう存じ申す。当時関白殿下の御威勢を以って、彼女《かれ》を采女にすすめ奉るに、誰も故障申し立つべきようもござりますまい」
「いや、そこじゃて」と、忠通は悩ましげに頭《かしら》をかたむけた。「お身の言わるる通り、忠通の威勢を以って彼女《かれ》を申し勧むるに、なんの故障はない筈じゃが、高き木は風に傷めらるるとやらで、この頃の忠通には眼にみえぬ敵が多い。いや、ひがみでない、忠通はたしかにそう見ておる。就いては玉藻の儀も何かとさえぎって邪魔するやからがないとも限らぬ。まず第一には弟の頼長めじゃ。次には信西入道、彼もこのごろは弟めの襟もとに付いて、ややもすれば予に楯を突こうとする、けしからぬ古入道じゃ。まだそのほかにも数え立てたら幾人もあろう。うわべはさりげのう見せかけて、心の底には忠通を押し傾けようと企んでいるやからが、殿上には充ち満ちておる。お身はまだ知らぬか」
 忠通と頼長、この兄弟の不和は師道も薄うす知らないでもなかったが、忠通の敵が殿上に充ち満ちているなどとはちっとも思い寄らないことで、それは恐らく彼のひがみであろうと思った。自体関白の様子は昔とよほど変わっている。質素な人物がだんだんに驕奢に長じてきた。温厚な人物がだんだん疳癖《かんぺき》の強いわがままな性質に変わってきた。殊にこの頃は病いに垂れ籠めているので、疳癖はいよいよ昂《たか》ぶって、あらぬことにも心を狂わすのであろう。それに逆らっては好くないと考えたので、師道は素直に彼の言うことを聴いていた。
「それじゃに因《よ》って、玉藻の儀もこの忠通の口から申しいづると、きっと邪魔するやからがある。就いては大納言、お身から好《よ》いように申し立ててはたもるまいか。お身は初めて玉藻を見いだした御仁じゃ。そのお身から申し勧むるに於いては、誰も表立ってさえぎる者もあるまい。どうじゃ。頼まれておくりゃれぬか」と、忠通は重ねて言った。
 時の関白藤原忠通卿が詞《ことば》をさげて頼むのである。師道はこれに対して故障をいうべきようもなかった。まして、自分は年来その恩顧《おんこ》を受けている。玉藻を彼に推薦したのも自分である。これらの関係上、師道はどうしてもこの頼みを断わるわけにはいかない破目になっているので、彼はやはり素直に承知した。
「御懇《ぎょこん》の御意《ぎょい》、委細心得申した。あすにも参内《さんだい》して、万事よろしゅう執奏《しっそう》の儀を……」
「おお、取り計ろうてたもるか」と、忠通は子供のように身体をゆすって喜んだ。
 いろいろの打ち合わせをして、師道はやがて関白の前をさがると、入れ代って玉藻が召し出された。忠通は笑《え》ましげに彼女に言い聞かせた。
「万事は大納言が受け合うてくれた。心安う思え」
「ありがとうござりまする」と、玉藻も晴れやかな眼をして会釈した。
 雨はその日の夕方からひとしきり降りやんで、鼠色の雲が一枚ずつ剥《は》げてゆくように明るくなった。その明るい大空の上には赤い星が三つ四つ光っていた。この時代の習いで、亥《い》の刻頃(午後十時)には広い屋形の内もみな寝静まって、庭の植え込みでは時どきに若葉のしずくのこぼれ落ちる音がきこえた。今夜は蛙も鳴かなかった。
 女《め》の童《わらわ》の小雪というのが眼をさまして厠《かわや》へ立った。彼女は紙燭《しそく》をともして長い廊下を伝ってゆくと、紙燭の火は風もないのにふっと消えた。それと同時に暗い行く手に明るい光りが浮き出して、七、八|間《けん》ほど先きを静かに動いてゆくのを見たので、年の若い小雪はぎょっとして立ちすくんだ。光りのぬしは女であった。女は長い袴の裳《すそ》をひいて、廊下を静かに歩んでゆく。そのうしろ姿が玉藻によく似ていると思ううちに、廊下の隅にある一枚の雨戸が音もなしにするりと明いて、女の姿は消えるように庭へぬけ出した。小雪は一種の好奇心にうながされて、これも足音をぬすんでそのあとからそっと庭に降り立つと、玉藻に似た姿は植え込みの間をくぐって行って、奥庭の大きい池の汀《みぎわ》にすっくと立った。
 池は年を経て、その水は蒼黒く淀んでいるのが、この頃の雨に嵩《かさ》を増して、濁った暗い色が汀までひたひたと押し寄せていた。あやめや、かきつばたはその濁った波に沈んで、わずかに藻《も》の花だけが薄白く浮かんでいるのが、星明かりにぼんやりと見えた。女はまず北に向かって一つの大きい星を拝した。ほかの星の赤いなかに、その星一つは優れて大きく金色《こんじき》に輝いていた。それは北斗七星というのであろうと小雪は思った。
 女はその星をしばらく拝していたが、やがて向きを変えて池の汀にひざまずいた。彼女は左の手で長い袂をおさえながら、夜目にも白い右の手をのばして池の玉藻をすくっているらしかった。好奇心はいよいよ募って、女の童は息もせずに見つめていると、女はやがてその青い藻を手の上にすくいあげて、しずくも払わずに自分の頭の上に押し頂いた。
 藻をかつぐのは狐である――こういう言い伝えを彼女は知っていたので、小雪は俄に怖ろしくなった。すくんだ足を引き摺りながらそっと引っ返そうとした時に、女のひかりは吹き消したように消えた。
「小雪か」と、暗いなかで女の涼しい声がきこえた。それは確かに玉藻の声であった。
 女の童はもうおびえて、声も出なかった。ただ身を固くしてそこにうずくまっていると、玉藻はするすると寄って来て、彼女の細い腕をつかんだ。
「おまえ見たか」
 女の童はやはり黙ってすくんでいた。
「隠さずに言や。なにを見た」
「なんにも……見ませぬ」
 彼女はふるえながら答えたが、もう遅かった。女の童の小さいからだは、蛇に呑まれようとする蛙のように手足をひろげたまま固くなってしまった。その正体のない女の童を地の上にまろばして、玉藻はまずその黒い髪の匂いを嗅いだ。豊かな頬の肉をねぶった。
 このとき、鬼火のような小さい松明《たいまつ》の光りが植え込みのあいだからひらめいて、だんだんにこちらへ近寄って来た。それは織部清治で、彼は宵と夜なかと夜あけとの三度に、屋形の庭じゅうを見廻るのが役目であった。
 彼は暗いなかで、犬が水を飲むような異様なひびきを聞いたので、ぬき足をしてここへ忍んで来た。そうして、その正体を見定めようとして松明をあげると、その火は水を掛けられたように消えてしまった。しかしその一刹那に、そこに這いかがまっている人が玉藻であるらしいことを、彼は早くも認めた。
「玉藻の御《ご》か」と、清治は声をかけると、あたりは急に明るくなった。その光りは花の宴《うたげ》のゆうべに、玉藻の身から輝いたのと同じように見えた。
 それより更に清治の眼をおどろかしたのは、その光りに照らし出されたこの場のむごたらしい光景であった。女の童の小雪は死んだきりぎりすのように、手も足もばらばらになってそこに倒れていた。玉藻の口には生《なま》なましい血が染みていた。もうこうなると、相手の玉藻はまさに鬼女である。清治はすぐに太刀に手をかけたが、その手はしびれて働かなかった。
 玉藻はその冷艶なおもてに物凄い笑みを洩らした。怪しい光りは再び消えて、暗いなかで男の唸る声がきこえた。
「望みを遂ぐる時節も近づいたと思うたら、丁度幸い男と女の生贄《いけにえ》を手に入れた」
 男の唸り声も玉藻の声もそれぎりで聞こえなくなった。
 夜があけてから、清治と女の童との浅ましい亡骸《なきがら》が古池の水に浮かんでいるのを見いだされた。しかも二人がどうしてこんな無惨な死にざまをしたのか、誰にも判らなかった。
 兼輔の死に次いで、こんな奇怪な事件が再び出来《しゅったい》したので、忠通の神経はいよいよ傷つけられた。殊に今度はそれが自分の屋形の内に起こったので、彼は言い知れない恐怖と不安とに囚われた。彼は三度の食事すらも快く喉へは通らないようになってきた。
 それから四日ほど過ぎて、大納言師道が来た。彼の報告はさらに忠通の心を狂わせる種であった。玉藻を采女に申し勧める一条は、果たして左大臣頼長から強硬なる抗議が出た。信西入道も反対であった。彼らの反対は師道も内々予期していたので、[#底本では読点が句点]彼もなんとかしてその敵を押し伏せようと試みたが、何をいうにも正面の敵は頼長である。しかも博学宏才の信西入道がその加勢に付いているので、師道はとても彼らと対抗することは出来なかった。結局さんざんに言いまくられて、彼は面目を失って退出した。
「彼らは何故《なにゆえ》ならぬという。素性が卑しいと申すのか」と、忠通は唇を咬みながら訊いた。
「いや、そればかりではござりませぬ。玉藻という女性《にょしょう》に就いては落意しがたき廉々《かどかど》があるとか申されまして……」と、師道もすこしあいまいに答えた。「あのような女性を召されては天下《てんが》の乱れにもなろうと信西入道が申されました」
「なんの、天下の乱れ……。おのれらこそこの忠通を押し倒して、天下を乱そうと巧《たく》んでいるのじゃ」
 忠通は拳《こぶし》を握って、跳り上がらんばかりに無念の身をもだえた。

    二

 師道が早々に帰ったあとで、忠通はすぐに玉藻を呼んだ。彼は燃えるような息を吐きながら、今聞いた顛末《てんまつ》を物語った。
「もう堪忍も容赦もならぬ。衛府《えふ》の侍どもを召しあつめて、宇治へ差し向けようと思う」
「宇治へ……」と、玉藻は眉をよせた。
「おお、頼長めを誅伐するのじゃ。氏《うじ》の長者を許され、関白の職におる忠通に敵対するやからは謀叛人も同様じゃ。弟とて容赦はない。すぐに人数を向けて攻め亡ぼすまでのことじゃ。信西入道も憎いやつ、今までは我が師と敬うていれば付け上がって、謀叛人の方人《かたうど》となって我に刃向かうからは、彼めも最早《もはや》ゆるされぬ。頼長と時を同じゅうして誅伐する。かれら二人をほろぼせば、その余の徒党は頭のない蛇も同様で、よも何事をも仕得《しえ》まいぞ。侍を呼べ、すぐに呼べ」と、忠通はまなじりを裂いて哮《たけ》った。
「御立腹重々お察し申しまするが、まずお鎮まりくださりませ」
 玉藻はさえぎってとめた。今この場合に衛府の侍どもを召されても、かれらが素直に左大臣誅伐の命令に応じて動くかどうかわからない。左大臣の野心はとうに見え透いているものの、これぞと取り立てていうほどの証拠もないのであるから、迂闊にここで事を起こすと、理を以って非に陥るおそれがないでもない。衛府の者どものうちに左大臣や信西入道に心をかよわす者があって、早くもそれを敵に注進されたら、あの精悍な頼長と老獪《ろうかい》な信西とが合体《がったい》して何事を仕向けるかもしれない。あるいは機先を制して、むこうから逆寄《さかよ》せに押しかけて来るかもしれない。下世話《げせわ》のことわざにもある通り、急《せ》いては事を仕損ずる。しょせんは彼らを誅伐するにしても、今しばらく堪忍しておもむろに時機を待つ方が安全であろうと、彼女は賢《さか》しげに忠告した。
 それも一応理屈はあった。殊にそれが玉藻の意見であるので、忠通も渋《しぶ》しぶながら納得したので、彼女はほっとしたような顔をしてそこを起《た》った。
 その日の午過ぎに玉藻は被衣《かつぎ》を深くして屋形を忍んで出た。清治と女の童の死んだ晩から、さみだれ空はぬぐったように晴れつづいて、俄に夏らしい強い日に照らされた京の町には、もう軽い砂が舞い立っていた。柳のかげには牛をつないで休んでいる人が見えた。玉藻は姉小路の信西入道の屋形をたずねた。
 門をはいると、大きい槐《えんじゅ》の梢に蝉が鳴いていた。車溜りのそばには一人の若い男がたたずんで、その蝉の声を聴いているらしく見えた。男は千枝太郎であった。
「千枝太郎どの」
 玉藻に呼ばれて、千枝太郎は振り向いた。
「おお、玉藻……」と、彼はすこしく眉を動かしたが、さりげなく会釈した。「晴れたら俄に暑うなった。お身には河原で逢うたぎりじゃが、変わることもないか」
「お前にも変わることはありませぬか」と、玉藻はなつかしそうに言った。「その後にはよい折りがのうて、逢うこともならなかった。して、今はなにしにここへ……。お師匠さまのお供してか」
 千枝太郎はうなずいた。彼は明るい夏の日の前で玉藻とむかい合って、きょうこそはその正体をよく見届けようと思ったのである。地に黒く映っている玉藻の影は、やはり普通の女の姿であった。千枝太郎は更に女の顔をじっと視つめると、玉藻は少し羞《は》じらうように顔をかしげて、斜めに男の眼のうちをうかがった。
「お師匠さまはなんの御用じゃ」
「わしは知らぬ」と、千枝太郎は情《すげ》なく言った。
 梢の蝉は鳴きつづけていた。二人はしばらく黙っていた。
「お前には一度逢うて、しみじみ話したいこともあるが、よい折りはないものか」と、玉藻はひと足すり寄って訊いた。
 懐かしげな、恋しげな、情けの深そうな女の眼をじっと見ているうちに、千枝太郎の胸はなんとなくほてってきた。彼女は果たして魔性《ましょう》の者であろうか。年の若い千枝太郎は師匠の教えを少し疑うようにもなってきた。それでも彼は迂闊に油断しなかった。
「お師匠さまは厳しいで、御用のほかには滅多に外へは出られぬ。それはわしばかりでない。ほかの弟子たちも皆それじゃで是非がない」
「ほんにそうであろうのう」と、玉藻は低い溜息を洩らした。「それでも忍んで出られぬことはあるまいに、たった一度じゃ、逢うて下されぬか。むかしの藻《みくず》じゃ、憎うはあるまい。それともお前、ほかに親しい女子《おなご》でも出来たのか。もう昔の藻を何とも思わぬのか。このあいだも言うた通り、人の身の行く末は知れぬものじゃ。山科の里に一緒に育って、おまえは烏帽子折りの職人になる。わたしも烏帽子を折り習うて……。思えばそれもたがいに幼い同士の夢であった」
 千枝太郎の眼の前には、その幼い夢の絵巻物が美しく拡げられた。山科の里の森や川や、それを背景にして仲よく遊んでいた二人の姿も、まぼろしのように浮かび出した。彼はうっとりとして玉藻の顔を今更のように見つめた。そうして、何事をか言おうとするとき、奥から一人の侍が出て来た。
 侍は胡乱《うろん》らしく玉藻をじろじろ眺めているので、玉藻は丁寧に会釈して、主人の入道に取次ぎを頼むと、侍は更に彼女の顔を睨むように見て、すぐに内へ引っ返して行った。
「あれは右衛門尉成景《うえもんのじょうなりかげ》というお人じゃ」と、千枝太郎は彼のうしろ姿を見送って教えた。
「見るから逞《たくま》しそうな。さすがは少納言殿のお内に侍《さむら》う人ほどある」と、玉藻はうなずいて、さてまた語り出した。
「のう、千枝太郎どの。くどくも言うようじゃが、お前どうでもわたしに逢うのはいやか。今宵にはかぎらぬ、あすでもあさってでも……。関白殿のお屋形へまいって、玉藻に逢おうと言うてくれたら、わたしはきっと首尾して出る。これ、どうでもいやか。どうでも応《おう》とは言われぬか」
 彼女はくれないの唇を男の耳にすりつけて囁《ささや》いた。
 女のうす絹に焚きこめた甘いような香の匂いは千枝太郎のからだを夢のように押し包んで、若い陰陽師の血は俄に沸き上がった。強い夏の日を仰ぐ彼の眼はくらくらと眩《くら》んできて、彼は真っ直ぐに立っているに堪えられないように、思わず女の腕にもたれかかると、玉藻はほほえみながら彼を軽くかかえてやった。そうして又、甘えるようにささやいた。
「さりとは情のこわい人じゃ。むかしの藻を忘れてか」
 邪魔なところへ右衛門尉成景が再び出て来た。彼は玉藻に向かっておごそかに言った。
「主人の少納言、あいにくの客来《きゃくらい》でござれば、御対面はかなわぬとの儀にござる。失礼は御免、早々にお帰りあれ」
「それは残り多いこと」と、玉藻は相手の無礼を咎《とが》めもせずにあでやかに笑った。「お客は播磨守殿とやら。大切の御用談でござろうか」
「主人と閑室にての差し向かい、いかようの用談やら我々すこしも存じ申さぬ」と、成景はにべ[#「にべ」に傍点]なく言った。
 それでも玉藻は素直に立ち去らなかった。自分は是非とも入道殿にひと目逢って密々に申し入れたい大切の用事があるから、お客の邪魔にならないように別間でしばらくお逢いを願いたいと押し返して言った。成景はなんとかして主人に逢わせまいと考えているらしく、いろいろに詞《ことば》をかまえて追い払おうとしたが、玉藻はなかなか動きそうもないので、彼もとうとう根《こん》負けがして又もや奥へ引っ返したかと思うと、今度はすぐに出て来て、玉藻を内へ案内した。
 千枝太郎はもとの一人になって、えんじゅの青い影の下に立っていた。彼はもう半分は夢のようで、なにを考える力もなかった。青い葉をゆする南風がそよそよと彼の袂を吹きなびかせて、鈴を振るような蝉の声がにぶい耳にもこころよく聞こえた。
 しばらくして玉藻は成景に送られて出て来た。彼女の口元には豊かな笑みが浮かんでいた。成景の見る前、もうなにも言っている間《ひま》もないので、彼女はただ千枝太郎に目礼して別れた。そのうしろ影が門の外へ消えてゆくのを見送って、千枝太郎はなんだか物足らないような寂しい心持になって、糸にひかれたようにふらふらと樹の下を離れた。そうして、彼女を追うように同じく門の外へ出ると、まだ五、六間とはゆき過ぎない玉藻がけたたましく叫んだ。
「あれ、誰か来て……。助けてくだされ」
 その声におどろかされて、きっと見ると、痩せさらばえた一人の老僧が片手に竹の杖を持って、片手に玉藻の袂をしかと掴んでいた。僧は物に狂っているらしい。鼠の法衣《ころも》は裂けて汚れて、片足には草履をはいて片足は跣足《はだし》であった。千枝太郎はすぐに駈け寄って二人のあいだへ割ってはいった。
「おお、千枝太郎どの。ようぞ来てくだされた。この御僧《ごそう》は物に狂うたそうな。不意にわたしを捉えてどこへか連れて行こうとする。どうぞ助けてくだされ」と、玉藻は悩める顔を袖に掩いながら言った。
「御坊《ごぼう》。いかに狂えばとて、女人《にょにん》をとらえてなんの狼藉……」と、千枝太郎は叱るように言った。「静まられい、ここ放されい」
 僧はなんにも言わなかった。白い鬚《ひげ》がまだらに伸びて、頬骨の悼《いた》ましく尖った顔に、窪《くぼ》んだ眼ばかりを爛々《らんらん》とひからせて、彼は玉藻の白い襟もとをじっと見つめていた。相手が執念深いので、千枝太郎はいよいよ急《せ》いた。
「ええ、退《の》かれいというに……。ええ、放されい。放さぬか」
 彼は相手の痩せた腕をつかんで、力まかせに引き放そうとしたが、命のあらんかぎりと掴んでいるらしい僧の手は容易に解けなかった。血気の若者は焦《じ》れてあせって、折れるばかりにその手を捻じ曲げて、無理にようよう引き放して、突きやると、力の尽きた老僧は枯木のようにばったり倒れた。玉藻はそれを見向きもしないで、急ぎ足に立ち去った。
 僧は這い起きて又追おうとするのを、千枝太郎は又抱き止めた。僧は熱い息をふいて身をもがいているところへ、四、五人の若い僧が汗みどろになって追って来た。
「おお、ここにじゃ。どなたか知らぬが、かたじけのうござる」
 彼らは千枝太郎に礼をいって、まだ哮《たけ》り狂っている老僧を宙にかつぐように連れて行った。狂える老僧は法性寺の阿闍梨《あじゃり》であった。

    三

 法性寺の阿闍梨がその夜、寺内の池に身を沈めて果てたということを聞いたときに、千枝太郎は又ぞっとした。高僧は玉藻の蠱惑《こわく》に魅《み》せられて、狂い死にの浅ましい終わりを遂げたのであろう。きのう信西入道の屋形で彼女に囁《ささや》かれた甘いことばも、今は悪魔の囁きのように思われて、千枝太郎はややもすれば魔道へ引き入れられそうな自分の危うい運命を恐れた。
「きのう、かの玉藻に逢うたか」と、播磨守泰親は若い弟子に訊いた。
 千枝太郎は彼女に出逢ったことを正直に打ち明けると、泰親の眉はまた皺められた。
「くどうも言うようじゃが、心《こころ》せい。お身の行く末いかにも心許《こころもと》ないぞ。玉藻はきのう少納言入道の屋形へまいって、別室で入道に対面し、世におそろしいことを密々に訴えたそうじゃ。関白殿が俄に人数を召されて、宇治の左大臣と少納言入道とを一ッ時に誅伐せらるるお催しがあると申すのじゃ。入道殿ほどの御仁《ごじん》がそのような讒口《ざんこう》を真《ま》に受けらるる筈はなし、且《かつ》は日頃から疑いの眼を向けている玉藻の訴えじゃで、まずよいほどに会釈して追い返されたそうなが、こちらへ来てそれほどのことを言う奴、あちらへ参っても又どのような讒口を巧《たく》もうやら。返すがえすも怖ろしい。しょせん彼女《かれ》めはさまざまに手を換え品をかえて、人間に禍いの種をまき、果ては天下の乱れを惹《ひ》き起こそうとするにきわまった。まだそればかりでない。かれは関白殿をそそのかして、采女に召さりょうという大望を起こしたという。勿論、左大臣殿にさえぎられて、いったんは沙汰やみになったと申すが、かれのごとき魔性の者が万一、殿上に召さるるなどの事あっては、わが日の本は暗闇じゃ」
 もうどうしても猶予は出来ないので、信西入道と相談の上で、自分はきょうから身を浄《きよ》めて七十日の祈祷《いのり》を行なうことにきめた。左大臣頼長ももちろん同意である。由来、かかる魔性の者はその目の前で祈り伏せて、すぐに正体を見あらわすのが秘法の極意《ごくい》ではあるが、関白殿御寵愛の女子を呼び出して、その目の前で悪魔調伏の祈祷を試みるというわけにもいかないので、七十日の間、自分の居間に降魔《ごうま》の壇を築いて、蔭ながら彼女を祈り伏せる決心である。それには自分のほかに四人の弟子がいる。お前もその一人に加える筈であるから、あっぱれ一心をぬきん出て怠りなく仕まつれと、彼は千枝太郎にこまごまと言い聞かせた。
「かしこまりました」と、千枝太郎は自分の重い責任を感じながら直ぐに承知した。
「泰親に取っては一生に一度の大事の祈祷じゃ。身命をなげうって仕まつる。お身たちも命を惜しまず、精《せい》かぎり根《こん》限り祈りつづけよ。われわれ五人のうち、一人たりとも心のゆるむものあらば、修法《しゅほう》は決して成就せぬものと思え。胸にきざんで忘るるな」
 播磨守泰親は決死の覚悟でこの大事に当たろうというのである。千枝太郎のほかに、三人のすぐれた弟子も交るがわるに呼び出されて、同じく師匠の大決心を言い聞かされた。弟子たちはみな涙ぐまれるような心持で、神のように尊い師の前に頭《かしら》をさげた。一種悲壮な空気が安倍晴明の子孫の家にみなぎった。
 一時は鴨川が溢《あふ》れるかとも危ぶまれた今年のさみだれも、五月の末から俄に晴れつづいて、六月にも七月にも一滴の雨がなかった。火のような雲が空を飛んで、焼けるような強い日が朝から晩まで照りつけた。それに焦《こが》された都の土は大地震のあとのように白く裂けてしまった。鴨川の水も底を見せるほどに痩せて枯れて、死んだ魚は白い腹を河原にさらしていた。大路《おおじ》の柳はぐたり[#「ぐたり」に傍点]と葉をたれて、広い京の町に燕《つばめ》一羽の飛ぶ影もみえなかった。それが京ばかりでなく、近郷近国《きんごうきんごく》いずれもこの大旱《おおひでり》に虐《しいた》げられて、田畑にあるほどの青い物はみな立ち枯れになってしまった。
 あらゆる神社仏閣で雨乞いの祈祷が行なわれた。このままにひでりが打ち続いたならば、草木ばかりでなく、人間もやがて蒸し殺されてしまうかもしれないと悲しまれた。八月になっても雨雲の影さえ動かなかった。
「えらい暑さじゃ。総身《そうみ》がゆでらるるような」
 薄い藍《あい》色の大空を仰いで、関白忠通は唸るような溜息をついた。さらでも病み疲れている彼が、このごろの暑さに毎日さいなまれているのであるから、骨も肉も半分は溶けたようで、もう生きている心持はなかった。こうした嬲《なぶ》り殺しに逢うほどならば、いっそひと思いに死んだ方がましであるようにも思われた。まして彼の胸にはさまざまの不満や不快の種が充《み》ち満ちている。さりとて今となっては出家遁世して、自分の地位や権力を見すみす頼長に横領されるのも無念であった。
 彼は今、玉藻がむいてくれた瓜《うり》の露をすこしばかりすすって、死にかかった蛇のように蒲莚《がまむしろ》の上に蜿《のた》打っていた。それを慰めるのは玉藻がいつもの優しい声であった。
「ほんに何というお暑さやら。天竺は知らず、日本にこのような夏があろうとは……。もう六十日あまりも降りませぬ」
「ここやかしこで雨乞いの祈祷《いのり》も、噂ばかりでなんの奇特《きどく》も見えぬ。世も末になったのう」と、忠通も力なげに再び溜息をついた。
「神ほとけに奇特がないと仰せられまするか」
「論より証拠じゃ。いかに祈ってもひと粒の雨さえ落ちぬわ」
「それは神ほとけに奇特が無いのでない。人の誠が足らぬからかと存じまする」
「それもあろうか」と、忠通はうなずいた。「弟が兄をかたむけようと企て、味方が敵になる世の中じゃ。人に誠の薄いのも是非ないか」
 玉藻は忠通をあおいでいる唐団扇《とううちわ》の手を休めて、しばらく考えているらしかったが、あらためて主人の前に手をついた。
「唯今も仰せられました通り、あらゆる神社仏閣の雨乞いが少しも効験《しるし》のないと申すは、世も末になったかのように思われて、神ほとけの御威光も薄らぐと存じられまする。さりとは余りに勿体ないこと。就きましては、不束《ふつつか》ながらこの玉藻に雨乞いの祈祷をお許しくださりませぬか」
 小野小町は神泉苑《しんせんえん》で雨を祈った。自分に誠の心があらば神も仏もかならず納受《のうじゅ》させらるるに相違ないと彼女は言った。なるほどそんな道理もあろうと忠通も思った。この玉藻ならばむかしの小町に勝るとも劣るまい。彼女の誠心《まごころ》が天に通じて、果たして雨を呼ぶことができれば世の幸いで、万人の苦を救うことも出来るのである。もう一つには、ここで彼女にそれだけの奇特を示させて置けば、かの采女の問題もやすやす解決して、頼長でも信西でももう故障をいう余地はない。玉藻も立ちどころに殿上に召されて、やがては予定の通りに頼長や信西の一派を蹴落とすことも出来る。こう思うと、忠通の弱った魂はよみがえったように活気づいて、彼は俄に起き直った。
「おお、殊勝な願いじゃ。忠通が許す。早くその祈祷《いのり》をはじめい」
「では、一七日《いちしちにち》のあいだ身を浄めまして、加茂の河原に壇を築かせ、雨乞いの祈祷を試みまする」
 玉藻が雨乞いの祈祷は関白家から触れ出された。その式はなるべく壮厳《そうごん》を旨として、堂上堂下の者どもすべて参列せよとのことであった。雑人《ぞうにん》どもの争擾《そうじょう》を防ぐために、衛府の侍は申すにおよばず、源平の武士もことごとく河原をいましめと言い渡された。その日は八月八日と定められた。
「ほう、さりとは不思議。あたかも七十日の満願の当日じゃ」と、泰親はうなずいた。
 彼はすぐに信西入道のもとへ使いを走らせて、自分たちも当日は河原へ出て祈りたいと言った。眼《ま》のあたりに魔性の者を祈り伏せるには、願うてもなき好機会であると彼は思った。
 信西も同意であった。彼は頼長と打ちあわせて、こちらも表向きは雨乞いの祈祷と言い立て、おなじ河原で祈りくらべをさせることに決めた。一日を二つに分けて、あかつきの卯《う》の刻(午前六時)から午《うま》の刻(十二時)までの半日を泰親の祈祷と定め、午の刻から酉《とり》の刻(午後六時)までの半日を玉藻の祈祷と定め、いずれに奇特があるかを試《ため》さするというのであった。
「又しても彼らが楯を突くか」と、忠通は焦《じ》れて怒った。
 しかし玉藻は別に騒ぎもしなかった。祈り比べをするというのは却《かえ》って幸いである。どちらに奇特があるかを万人の見る前でためしたいと言った。
「して、万一わたくしの勝ちとなりましたら、相手の播磨守どのはどうなりましょう」
「むろん流罪《るざい》じゃ。陰陽《おんよう》の家《いえ》へ生まれてこの祈りを仕損じたら、安倍の家のほろぶるは当然じゃ」と、忠通は罵るように言った。
「お気の毒じゃが、是非がござりませぬ」
 彼女は自分の勝を信ずるように言った。
 忠通も彼女に勝たせたかった。相手の泰親はともかくも、この勝ち負けは結局自分と頼長一派との運定めであるように思われた。彼は苛《いら》いらした心持でその日を待っていた。
 八月八日はやはり朝から晴れ渡っていた。赤い雲すらも今日はもう灼《や》け尽くしたのであろう、大きい空は遠い海をみるようにただ一面に薄青かった。
 河原の祈祷はまず泰親から始められた。


犬《いぬ》の群《む》れ

    一

 祈祷《いのり》の壇は神々《こうごう》しいものであった。
 壇の上には新しい荒莚を敷きつめて、四隅には笹竹をたて、その笹竹の梢には清らかな注連縄《しめなわ》を張りまわしてあった。又その四隅には白木の三宝《さんぼう》を据えて、三宝の上にはもろもろの玉串《たまぐし》が供えられてあった。壇にのぼる者は五人で、白、黒、青、黄、赤の五色《ごしき》に象《かたど》った浄衣《じょうえ》を着けていた。千枝太郎泰清は青の浄衣を着けて、おなじ色の麻の幣《へい》をささげて、南にむかって坐っていた。ほかの三人は黒と赤と黄の浄衣を身にまとって、おのおのその服と同じ色の幣をとって、北と東と西とに向かって坐った。
 安倍播磨守泰親は白の浄衣に白の幣をささげて、壇のまん中に坐っていた。彼は北に向かっていた。この頃の強い日に乾き切って、河原の石も土もみな真っ白に光っている中に、彼の姿は又一段すぐれて白く見られた。
 雨乞いの祈祷は巳《み》の刻(午前十時)を過ぎても何の効験《しるし》も見えなかった。壇のまわりには北面《ほくめん》の侍どもが弓矢をとって物々しく控えていた。左大臣頼長を始めとして、あらゆる殿上人《てんじょうびと》はいずれも衣冠《いかん》を正しくして列《なら》んでいた。岸の両側の大路小路も見物の群れで埋められていた。これらの幾千の人びとはいずれも額に汗をにじませながら、白く灼けている空を不安らしく眺めていたが、空は面憎《つらにく》いほど鎮まり返って、鳥一羽の飛ぶ影すらも見えなかった。
「やがてふた※[#「※」は「日へんに向」、読みは「とき」、157-6]《とき》にもなろうに、雲一つ動きそうにも見えぬではないか」
「祈祷は午の刻までじゃという。それまで待たいでは奇特の有無はわかるまいぞ」
 こんなささやきが見物の口々から洩れた。あまたの殿上人の汗ばんだ眉のあいだに、不安の皺がだんだんに深くなってきた。しかし頼長は騒がなかった。泰親がきょうの祈祷の趣意は雨乞いではない。玉藻の前に対する悪魔調伏の祈祷である。頼長や信西の側からいえば、雨の降ると降らぬとは問題でない。泰親はもともと雨を祈っているのでないことを承知している彼らは、雨の降らないのをむしろ当然に思っているくらいであった。
 泰親も四人の弟子もきょうの空と同じように鎮まり返って祈りつづけていた。彼らはまじろぎもしなかった。風のない壇の上に五色の幣はそよりとも動かなかった。河原一面の日に照らされながら、公家も侍も息をつめて控えていた。
 やがて午の刻が来た。岸の上で一度に洩らす失望の溜息が夕立のように聞こえ出した。
「もう詮《せん》ない、時刻が来た」
「いかに神《かみ》がみを頼んでも、降らぬ雨は降らぬに決まったか」
「いや、まだ力を落とすまい。午を過ぎたら玉藻の前の祈りじゃというぞ」
「播磨守殿すらにも及ばぬものを、女子《おなご》の力でどうあろうかのう」
「かの御《ご》は知恵も容貌《きりょう》も世にすぐれたお人で、やがては采女に召さりょうも知れぬという噂がある。その祈祷じゃ。神も感応ましまそうも知れまい」
 噂のぬしは午の刻を合図に、その優艶な姿を河原にあらわした。玉藻もきょうは晴れやかに扮装《いでた》っていた。彼女は漆《うるし》のような髪をうしろに長くたれて、日にかがやく黄金《こがね》の釵子《さいし》を平びたいにかざしていた。五つ衣《ぎぬ》の上衣《うわぎ》は青海波《せいがいは》に色鳥の美しい彩色《つくりえ》を置いたのを着て、又その上には薄萌黄《うすもえぎ》地に濃緑《こみどり》の玉藻をぬい出した唐衣《からごろも》をかさねていた。彼女は更に紅打《べにう》ちの袴をはいて、白地に薄い黄と青とで蘭菊の影をまぼろしのように染め出した大きい裳《も》を長く曳いていた。あっぱれ采女のよそおいである。頼長はそれをひと目見て、彼女の僭上《せんじょう》を責めるよりも、こうした仰々《ぎょうぎょう》しい姿にいでたたせた兄忠通の非常識に対して十二分の憤懣《いきどおり》を感じた。
 しかし今はそれを論議している場合でないので、頼長も信西も黙ってその成り行きをうかがっていると、玉藻は関白家の侍どもに護られて、しずかに壇のそばへ歩み寄ったかと思うと、彼女はたちまち顔色を変えた。彼女はなんにも言わずにそのまま引っ返そうとした。
「玉藻の御《ご》、お待ちゃれ」
 泰親は壇の上から声をかけた。これを耳にもかけない様子で、玉藻はあくまでも引っ返して行こうとするらしいので、堪えかねて頼長も呼び止めた。
「玉藻、なぜ戻る。午の刻からはお身の祈祷《いのり》でないか」
 玉藻はしずかに見返った。その美しいまなじりには少しく瞋恚《いかり》を含んでいるらしかった。
「きょうの祈祷は雨乞いでござりませぬ。調伏《ちょうぶく》の祈祷とみました。呪詛諸毒薬《じゅそしょどくやく》、還着於本人《げんぢゃくおほんにん》と、み仏も説かれてある。そのような怖ろしい場所へ立ち寄るなどと思いも寄らぬことでござりまする」
 檜扇《ひおうぎ》に白いおもてをかくして立ち去ろうとする彼女を、泰親はかさねて呼び返した。
「さてはお身、この泰親の祈祷を調伏と見られたか。して、その祈らるる当の相手を誰と見られた」
「問うまでもないこと。雨乞いならば八大《はちだい》龍王を頼みまいらすべきに、壇の四方に幣《ぬさ》をささげて、南に男山《おとこやま》の正《しょう》八幡大菩薩、北には加茂大明神、天満天神、西東には稲荷、祇園、松尾、大原野の神々を勧請《かんじょう》し奉ること、まさしく国家鎮護悪魔調伏の祈祷と見ました。して、その祈らるる当の相手はこの玉藻でござりましょう」
 彼女の声は凜として河原にひびいた。泰親はすぐに打ち返して言った。
「それを御存じならば、なぜこの壇にうしろを見せらるるぞ。泰親の祈祷がそれほどに怖ろしゅうござるか」
 玉藻は檜扇で口を掩いながら軽く笑った。
「わたくしが怖ろしいと申したのは、そのように呪詛調伏《じゅそちょうぶく》を巧らむ、人のこころが怖ろしいと申したのでござりまする。この身になんの陰りもない玉藻が、なんでお身たちの祈祷を恐れましょうぞ」
 その恐れげのない証拠を眼《ま》のあたりに見せようとするのであろう。彼女は長い裳をするすると曳いて壇の前まで進み寄って来た。泰親は白い幣をとり直してまた言った。
「まずお身に問うことがござる。さきの夜、関白殿が花の宴《うたげ》のみぎりに、身の内より怪しき光りを放って嵐の闇を照らした者があるとか承る。神明仏陀《しんめいぶつだ》ならば知らず、凡夫《ぼんぷ》の身より光明を放つということ、泰親いまだその例《ためし》を存ぜぬが、玉藻の御はなんと思わるるぞ」
 玉藻はその無智をあざけるように、唇に薄い笑みをうかべた。
「播磨守殿ともあるべきお人が、それほどのことを御存じないか。そのむかしの光明《こうみょう》皇后、衣通《そとおり》姫、これらの尊き人びとを、お身は人間にあらずと見らるるか。但しは魔性の者と申さるるか」
 これらの人びとは現実に不思議を見せたのではないと泰親は言った。前者はその徳の輝きを仰いで光明と申したのである。後者《こうしゃ》はその肌の清らかなのを形容して衣通と呼んだのである。いかなる尊い人間でも、身の内から光りを放って夜を昼にするなどというためしのあるべき筈がない。もしこの世にそのような人間があるとすれば、それは仏陀の権化《ごんげ》か、但しは妖魔の化生《けしょう》であると、彼は鋭く言い切った。
「では、この玉藻を妖魔の化生と見られまするか。それに相違ござりませぬか」と、玉藻は眉も動かさずに言った。「さりとは興《きょう》がることを承るもの。この上はとこうの論は無益じゃ。お身たちはまずその壇を退《の》かれい」
「お身はここへ登ると言うか」
「おお、登りまする。お身たちが調伏の壇の上までも、恐れげもなしに踏み登るというが、玉藻の身に陰りのない第一の証拠じゃ。午の刻を過ぎたらもうお身に用はない筈。わたくしが代って祈りまする。退かれい、退かれい。退かれませ」
 彼女は命令するようにおごそかに言い渡した。そうして、檜扇を把《と》り直してしずしずと祈祷の壇上にのぼって行った。道理に責められて、泰親も席を譲らないわけにはいかなくなった。彼はよんどころなしに壇を降りると、その白い影につづいて、青も赤も黄も黒もだんだんに退いて、五つ衣に唐衣を着た美しい女が入れ代って壇上のあるじとなった。彼女は顋《あご》で差し招くと、供の侍は麻の幣《しで》をかけた榊《さかき》の枝を白木の三宝に乗せて、うやうやしく捧げ出して来た。玉藻はしずかにその枝を把って、眼をとじて祈り始めた。
 泰親は灼《や》けた小石にひざまずいて、息をのんで彼女の祈祷を見つめていた。頼長も手に汗を握って窺っていた。玉藻がなんの悩める体《てい》もなしに、調伏の壇へ易《やす》やすと踏みのぼったということが、すでに泰親の敗北を意味しているのであった。この上に万一彼女が祈祷の奇特があらわれて、ひと粒の雨でも落ちたが最後、泰親は彼女の前にひざまずいてその罪を詫びなければなるまい。頼長も信西も気が気でなかった。
 未《ひつじ》の刻(午後二時)をすこし過ぎた頃、比叡《ひえ》の頂上に蹴鞠《けまり》ほどの小さい黒雲が浮かび出した。と思う間もなしに、それが幔幕《まんまく》のようにだんだん大きく拡がって、白い大空が鼠色に濁ってきた。まぶしい日の光りが吹き消されたように暗くなった。
「わあ、天狗じゃ」
 岸の上では群衆《ぐんじゅ》が俄にどよめいた。天狗か何か知らないが、化鳥《けちょう》がつばさを張ったようなひとむらの黒雲が今度は男山《おとこやま》の方から湧き出して、飛んでゆくように日の前を掠《かす》めて通ったのである。その雲が通り過ぎると、下界は再び薄明るくなったが、空の鼠色はもう剥げなかった。
「雨たびたまえ。八大龍王」
 玉藻が榊の枝をひたいにかざして、左に右に三度振ると、白い麻はすすきのように乱れて、黄金《こがね》の釵子《さいし》をはらはらと撲《う》った。
「や、雨じゃ」
 岸の上では一度に叫んだ。湿気を含んだ冷たい風が壇の四隅の笹竹を撓《たわわ》にゆすって、暗い空の上から大粒の雨がつぶてのように落ちてきた。
「八大龍王、感応《かんのう》あらせたまえ」
 玉藻はすっくと起ちあがって再び叫んだ。ひたいの釵子は斜めに傾きかかって、黒い長い髪はおどろに振り乱されていた。その蒼白い顔を照らすように、大きい稲妻が壇の上を裂けて走った。
「雨じゃ、雨じゃ」
 警固の侍までが空を仰いで声をあげた。瀧のような大雨は天《あま》の河《かわ》を切って落としたようにどっと降ってきた。

    二

 甘露《かんろ》のような雨はその夜のふけるまで降り通したので、天の恵みをよろこぶ声ごえは洛中洛外に溢れた。彼らは天の恵みを感謝すると共に、玉藻の徳の宏大無量を讃美した。彼らばかりではない。忠通は小おどりして喜んだ。
「見い、あいつら。これほどの奇特を見せられても、まだまだ玉藻を敵とするか。この忠通を侮るか。はは、小気味のよいことじゃ」
 実際、これに対して玉藻の敵も息をひそめないわけにはいかなかった。頼長も信西もなんとも声を立てることが出来なくなった。とりわけ面目を失ったのは泰親である。彼は公《おおやけ》の沙汰を待たないで、自分から門を閉じて蟄居《ちっきょ》した。
 泰親はもともと雨を祈ったのではない。したがって玉藻との祈祷くらべに不覚を取ったというのではないが、悪魔調伏は秘密の法で、表向きは雨乞いの祈祷である以上、泰親が半日の祈祷にはなんの効験《しるし》もなかったのに、それに入れ代った玉藻は一※[#「※」は「日へんに向」、読みは「とき」、163-16]《いっとき》の後にあれほどの大雨を呼び起こしたのであるから、表向きはどうしても彼の負けである。安倍晴明六代の孫は祖先を恥ずかしめたのである。彼は謹《つつし》んで罪を待つよりほかはなかった。弟子も無論に師匠と共に謹慎していた。泰親は自分の居間に閉じ籠ったままで、誰とも口をきかなかった。
 その明くる日は晴れていたが、きのうの雨に洗われた大空は、俄に一里も高くなって、その高い空から秋らしい風がそよそよと吹きおろしてきた。縁に近い梧《きり》の葉が一、二枚、音もなしに寂しく落ちるのを、泰親はじっと眺めていると、千枝太郎はぬき足をして燈台をそっと運んで来た。きょうももういつの間にか暮れかかっていた。
「千枝太郎、きょうは朝から誰も見えぬか」
「誰も見えませぬ」
「関白殿よりお使いもないか」
「はい」
 千枝太郎は伏し目になって師匠の顔色をうかがうと、燈台の灯に照らされた泰親の顔は水のように蒼かった。
「大切の祈祷を仕損じた泰親じゃ。重ければ流罪《るざい》、軽くとも家《いえ》の職を奪わるる。その御沙汰がきょうにもあるべき筈じゃに、今になんのお使いもないは……」と、泰親は頭《かしら》をかたむけた。「人は何ともいえ、雨乞いの勝ち負けなど論にも及ばぬ。ただ無念なは我が秘法の敢《あ》えなくも破れたことじゃ。七十日の祈りもしっかい空《くう》となって、悪魔が調伏の壇にのぼって勝鬨《かちどき》をあぐるとは、しょせん泰親の法もすたった。上《かみ》に申し訳がない、先祖に申し訳がない。左大臣殿や少納言殿にも申し訳がない。この上はただ慎《つつし》んで罪を待つよりほかはないのじゃが、いかに思い返しても唯このままに手をつかねて、悪魔の暴《あら》ぶるをおめおめ見物するのは、国のため、世のため、人のため、なんぼう忍ばれぬことじゃ。泰親を卑怯と思うな。未練と思うな。泰親の命は疾《と》くに投げ出してある。しかしもう七十日無事でいて、命のあらんかぎり二度の祈祷をしてみたい。就いては千枝太郎、折り入って頼みたいことがある。頼まれてくれぬか」
 師匠の眼の底には強い決心の光りがひらめいていた。千枝太郎はその光りに打たれたように頭を下げた。
「いかようのお役目でも、わたくしきっと承りまする」
「まずは過分《かぶん》じゃ。幸いに日も暮れた。いま一※[#「※」は「日へんに向」、読みは「とき」、165-10]ほどしたら屋敷をぬけ出して、少納言殿屋敷までそっと走ってくりゃれ」
 千枝太郎は心得顔にうなずくと、泰親はさらに声を忍ばせて言った。その用向きはほかでもない、信西入道の袖にすがって更に七十日の猶予を頼もうとするのである。家の職を奪われ、あるいは遠流《おんる》の身となっては、再び悪魔調伏の祈祷を試むる便宜《よすが》もない。関白殿からなんの沙汰もないうちに、なんとかして自分の罪を申しなだめて、二度の祈祷を試むるだけの期間をあたえて貰いたい。その七十日を過ぎてもやはり効験《しるし》がなかったらば、流罪はおろか、死罪獄門も厭わない。勿論、それは信西入道の一存で取り計らうわけにもいくまいが、入道から更に左大臣頼長に訴えて、この願意を聞き済ましてくれるように何分尽力して貰いたい。自分は謹慎の身の上でみだりに門外へ出ることが出来ないから、おまえが今夜忍んでこの使いを果たしてくれというのであった。
 千枝太郎は即座に承知した。
「委細心得ました。仰せの通りに仕まつりまする」
 彼は立派に受け合って師匠の前を退がった。一度の祈祷を仕損じても、さらに二度の祈祷を心がける師匠の強い決心に、千枝太郎は感激した。もう一つには、数《かず》ある弟子たちのうちでこの大切の使いを自分に頼まれたということが、彼に取っては一生の面目のようにも思われた。たとい信西入道がなんと言おうとも、かならず取りすがってこの役目を果たして来なければならないと、彼ははりつめた心持で夜の来るのを待っていた。
 都の寺《てら》でらの鐘が戌《いぬ》の刻(午後八時)を告げるのを待ち侘びて、千枝太郎は土御門《つちみかど》の屋敷を忍んで出ると、八月九日の月は霜を置いたように彼の袖を白く照らした。
「千枝太郎どの。千枝ま[#「ま」に傍点]」
 柳のかげから女の声がきこえた。それは彼が信西入道の屋敷の前まで行き着いた時であった。その声には確かに聞き覚えがあるので、彼は大地に釘づけになったように一旦は立ちすくんだが、聞かない顔をして一生懸命に歩き出そうとすると、その直衣《のうし》の袂はいつか白い手に掴まれていた。
「千枝太郎どの、なぜ逃げる。つれない人じゃ」
「いや、わしは急ぎの用がある」
 振り切ろうとしても玉藻は放さなかった。
「なんの用かは知らぬが、お前たちは慎みの身の上じゃ。勝手に夜歩きなどしても苦しゅうないか」
 千枝太郎は行き詰まった。勿論、まだ表向きには謹慎も蟄居も申し渡されてはいないのであるが、この場合に謹慎は当然のことである。その身の上で勝手に夜歩きをする。ひとに見咎められては申し訳がない。彼もしばらく黙って突っ立っていた。
「それ、お見やれ」と、玉藻はほほえんだ。「おまえは今夜このお屋敷へなにしに参られた。お師匠さまのお使いか」
 千枝太郎はやはり黙っていた。
「ほほ、言わいでも大抵知れている。そう思うて、わたしはさっきからここにお前を待っていた。一度は首尾して逢うてくれと、このあいだもあれほど頼んだに、お前はきょうまで素知らぬ顔をしている。それほどにわたしが憎いか。但しはお師匠さまと同じように、あくまでもわたしを魔性の者のように疑うているのか。お師匠さまはともあれ、山科の里で子供のときから一緒に育ったお前が、なんでわたしを疑うぞ。論より証拠はきのうの祈祷《いのり》じゃ。お前たちもお師匠さまと一つになって、悪魔調伏の祈祷をせられたが、あっぱれその効験《しるし》が見えましたか。もともと悪魔でもないわたしを百日千日祈ればとて呪えばとて、なんのしるしがあるものか、積もって見ても知らるることじゃ。関白殿は殊のほかの御立腹で、泰親はいうに及ばず、祈祷の壇にのぼった者は、一人も残さずに遠い鬼界ケ島《きかいがしま》へ流せと仰せられたを、わたしが縋ってなだめ申したは、お前という者がいとしいからじゃ。お師匠さまはわたしに取っては仇じゃが、そのお弟子のお前はいとしい。あけても暮れても硫黄《いおう》の煙りを噴くという怖ろしい鬼界ケ島、そのような処へお前をやらりょうか。のう、千枝ま[#「ま」に傍点]。わたしがこれほどの心づくしを、お前は哀れとも思わぬか、嬉しいとも思わぬか。ほんにほんに、むごい人、つれない人、憎い人、わたしは口惜しゅうて涙も出ぬ。察してくだされ」
 彼女は千枝太郎の胸に顔をすり付けて、遣《や》る瀬ないように身もだえして泣いた。男は女を抱《かか》えたままで、明るい月の下に黙って立っていた。
 関白殿から今までなんの沙汰もなかったのは、玉藻が内からさえぎっていたのであることを、千枝太郎は今初めて覚った。名を聞くさえも恐ろしい鬼界ケ島へ遠流――年の若い彼はさすがにぞっとした。それを救われたのは玉藻の情けであることを考えると、千枝太郎も情《すげ》なく彼女を突き放すことも出来なくなった。
 玉藻は果たして魔性の女であろうか――この疑いが又もや彼の胸に芽をふいた。彼はもとより師匠を信じていた。しかも玉藻のいう通り、彼女が果たして魔性の者であるならば、日本一というお師匠さまが七十日の間も肝胆を砕いた必死の祈祷に、その正体をあらわさぬということはあるまい。彼女は恐るる色もなしに調伏の壇に登ったのである。それを悪魔の勝利と見るのが正しいのであろうか。あるいは悪魔でもない者を悪魔として無益の祈祷をつづけていたこちらの眼違いであろうか。こう思うと、彼の胸は急に暗闇《くらやみ》になった。彼は自分の抱えている女を、どう処置していいか判らなくなってきた。
「お前はまだわたしを疑うているのか。いや、お前ばかりでなく、お師匠さまもきっとわたしを疑うているに相違あるまい。播磨守殿は情のこわい人と聞く。おそらくこれには懲りもせで、二度の祈祷など巧《たく》まるることであろう。二度が三度でもわたしは厭わぬが、そのような罪をかさねて、身の行く末は何となることやら、思いやるだに悼ましい。お師匠さまが大事じゃと思うなら、お前からよく意見して、もうさっぱりと思い切らせてはどうであろう。それともお前までがいつまでもお師匠さまの味方して、わたしを悪魔と呪う気か」
 玉藻は男の腕に手をかけて、怨めしそうに彼をみあげた。その眼には白い露がきらきらと光っていた。

    三

 いかに玉藻に口説かれても、千枝太郎は師匠の使命を果たさなければならない破目《はめ》になっていた。無益の祈祷を幾たびもつづけて、罪に罪をかさねるのは悼ましいことの限りであるが、今更そんな諫言を肯《き》くようなお師匠さまでないことは、彼にもよく判っていた。諫言を肯かないばかりでなく、あるいは心の弱い者として自分に勘当を申し渡されるかもしれない。千枝太郎はそれも怖ろしかった。
 第一の問題は、玉藻が果たして魔性の者であるか無いかということで、それを確かに見きわめた上でなければ、あとへもさきへも踏み出すことが出来ないのであるが、今の千枝太郎は不幸にして、それを見定めるだけの大きい強い眼をもっていなかった。彼は師匠を信じながらも、師匠を疑おうとした。玉藻を疑っていながらも、玉藻を信じようとした。こうした悲しい矛盾に責められて、彼はもう自分の立ち場が判らなくなってきた。
 相手もその苦しみを察しているらしく、眼をふさぎながら徐《しず》かに言った。
「お前の切《せつ》ない破目もわたしはよく察している。二度の祈祷をするもせぬも、しょせんはお師匠さまの心ひとつじゃ。又それを仕損じて、どのような怖ろしい罪科に陥ちようとも、しょせんはお師匠さまの自業自得《じごうじとく》じゃ。わたしはお前のお師匠さまに恨みこそあれ、恩もない、義理もない、由縁《ゆかり》もない。あの人がどうなろうとも構わぬが、唯くれぐれも案じらるるはお前のことじゃ。おまえはそもそもお師匠さまが大切か、わたしがいとしいか、それを聞きたい。お前の性根《しょうね》を確かに知りたい。それを正直に言うてくだされ」
 その正直な返事をすることが、千枝太郎に取っては一生に一度の難儀であった。彼は自分自身にもそれが確かに判っていないのである。玉藻はしばらくその返事をうかがっていたが、相手は唯うつむいて土に映る二人の黒い影を眺めているばかりであるので、彼女はやがて低い溜息をつきながら言った。
「お前はどうでもお師匠さまの味方と見た。この上はもうなんにも言うまい。お師匠さまと一つになって、わたしを祈るとも呪うとも勝手にしなされ。じゃが、千枝ま[#「ま」に傍点]。わたしはあくまでもお前をいとしいものに思うている。お師匠さまにどのような禍いが降りかかっても、お前ばかりはきっと助けたいと念じている。それだけのことはよく覚えていてくだされ」
 こう言い切って、彼女は明るい月をみあげた。きのうの稲妻に照らされた悽愴《ものすご》い顔とは違って、今夜の月を浴びた彼女の清らかな神々《こうごう》しいおもてには、月の精が宿っているかとも思われた。千枝太郎に師匠を疑う心がまた起こった。しかも別れてゆく女をさすがに抑留《ひきと》める気にもなれなかったので、彼はなんだか残り惜しいような心持でそのうしろ影を見送っていたが、やがて思い切って信西の屋敷の門をくぐった時には、彼の両袖は夜露にしっとりとしめっていた。
 信西入道はすぐに逢ってくれた。千枝太郎が師匠の口上を取次ぐと、信西は案外にこころよく承知した。
「おお、さもあろうよ。一度は仕損じても、身命をなげうって二度の祈祷を心がくる――泰親としてはさもあるべきことじゃ。信西もそうありたいと願うていた。左大臣殿もおそらく同じ心であろう。あすにも直ぐに宇治へまいって、播磨守の願意は確かにそれがしが取次いでやる。さものうてもこのたびの仕損じに就いて、播磨守一人に罪を負わすは我々も甚だ快《こころよ》うないことじゃで、なんとか穏便《おんびん》の沙汰をと工夫しておったる折りからじゃ。彼が二度の祈祷を願うとあれば猶更のこと、なんとかして彼を救わねばなるまい。して、関白殿よりは今になんの沙汰もないか」
「なんの御沙汰もござりませぬ」
「それは重畳《ちょうじょう》。関白殿も本来は賢い御仁じゃで、無道の御沙汰もあるまいと存ずるが、なにをいうても今は悪魔に魅《みい》られているので、いかようの御沙汰もあろうかと、それがしも内《ない》ない懸念しておったが、今になんの御沙汰もなくば、存外穏便に済もうも知れぬ。いずれにしても信西が引き受けた。播磨守にも安心せいと伝えてくりゃれ」
 関白殿からなんの御沙汰もないのは、かの玉藻の取りなしであることを知っていたが、千枝太郎は、この人の前でもそれを明白《あらわ》に言うのを憚った。彼はうやうやしく礼をいって、信西の屋敷を出ると、月はいよいよ明るくなって、路ばたになびく柳の葉も一いちかぞえられる程であった。
 姉小路を出て、高倉の辻へさしかかると、ゆき先きで犬のほえる声がきこえた。気にも留めずに歩いてゆくと、犬の声はそこにもここにも聞こえた。それは唯ならぬ唸り声であった。
「盗賊かな」と、千枝太郎はあるきながら考えた。
 しかし彼は逞《たくま》しい若者である。賊の一人くらいは取りひしいで呉れようという息込みで、わざと大股に辻のまん中へ進んでゆくと、犬の声はだんだんに近くなった。一匹でない、四方八方から群がって来て、何者をか取り巻いているらしかった。
 見ると眼の前には一人の女が立ちすくんでいた。被衣《かつぎ》を深くして、しかもこちらを背にして立っているので、その顔はもとより判らなかったが、それが玉藻であるらしいことは直ぐに千枝太郎の胸に泛《う》かんだ。彼女はまだここらをさまよっていたらしく、あまたの犬は牙《きば》をむき出して彼女を遠巻きにしているのであった。犬のなかには熊のように大きいのもあった。虎のように哮《たけ》っているのもあった。しかしかれらは、なんの武器をも持たない女ひとりを噛み倒すほどの勇気もないらしく、唯すさまじい唸り声をあげて、いたずらに地上に映る女の影に吠えているばかりであった。
 孱弱《かよわ》い女子《おなご》が群がる犬に取り巻かれている。それが見ず識らずの人であっても見過ごすことは出来ないのに、まして相手は玉藻であるらしいので、千枝太郎の胸は跳《おど》った。彼はまず路ばたの小石を拾って真っ先に進んでいる犬の二、三匹を目がけてばらばらと打ち付けながら、つかつかと駈け寄って女を囲った。それでも犬はなかなか怯《ひる》まないらしく、一、二間さがったままでまだ執念ぶかく吠えつづけているので、千枝太郎もじれた。しかし彼も扇のほかに何物をも持っていないので、そこらに転がっている小石や、土くれのたぐいを手あたり次第に拾って投げた。手近へ飛びかかって来る敵を扇で打ち払った。
 犬の声があまりに激しいので、宵寝の都人《みやこびと》も夢をおどろかされたらしい。路ばたの小さい商人店《あきうどみせ》では細目に戸をあけた。それが盗賊でない、犬のいたずらであると知ったときに、そこらの家から二、三人の男が棒切れを持って出て来た。彼らは千枝太郎に加勢して、むらがる犬どもを叩きのけてくれた。敵がだんだんに多くなったので、犬もとうとう追い散らされてしまった。
「かたじけのうござる」
 千枝太郎は加勢の人たちに礼をいって、自分の囲っている女を見かえると、女はいつか自分のうしろを離れて、ある家の軒下の暗いかげに身を寄せていた。千枝太郎は彼女に声をかけた。
「さぞ怖ろしゅうござったろう。犬どもはみな追い払うた。心安うおぼされい」
 女は黙って軒下からすう[#「すう」に傍点]と出て来た。彼女はまだ被衣を深くしているのを、千枝太郎は月明かりで覗きながら訊いた。
「玉藻でないか」
 言いかけて彼はぎょっとした。被衣を洩れた女の顔は譬えようもないほどに悽愴《ものすご》いものであった。彼女の眼は怪しくさか吊って火のように燃えていた。彼女の口は獣《けもの》のように尖っていた。千枝太郎は再び眼を据えてよく視ると、それは一時のまぼろしで、月に照らされた女の顔はやはり美しい玉藻に相違なかった。
「犬に取り巻かるるは怖ろしいものじゃ。男でも難儀することがある。別に怪我もなかったか」と、彼は摺り寄って又きいた。
 玉藻はやはり黙っていた。異常の恐怖に囚われて、彼女はまだ息も出ないらしかった。千枝太郎は加勢の人に頼んで、家《うち》から水を持って来てもらった。その水をのんで、玉藻はようよう我に返ったらしく見えたが、それでもただ黙礼するばかりで、ひと言も口へは出なかった。人びとに挨拶して別れて、千枝太郎は玉藻を送って行った。
「お前にはいろいろ恩になりました」と、玉藻は途中で初めて言い出した。「先度《せんど》も物に狂うた法師にとらわれて、ほとほと難儀しているところを、お前に救うてもろうたに、今夜もまた……。とりわけて今夜の怖ろしさ、わたしは生きている心地もなかった」
「関白殿のお屋形には犬を飼うておられぬか」
「わたしは犬が大嫌いじゃで、殿に願うて一匹も残さず追い払うてしもうた」
「犬もおとなしければ可愛いものじゃが、群がって来て人を噛もうとする、そのような野良犬は憎いものじゃよ」と、千枝太郎も言った。
「わたしがこのように夜歩きして、犬に悩まされたなどということを、誰にも言うて下さるな」と、玉藻は頼むように言った。
「おお、誰にも言うまい。このようなことがひとに知れたら、わしも叱らるるわ」
「お師匠さまにか」
 千枝太郎はだまって月を仰いでいた。
「思えば不思議なものじゃ」と、玉藻は溜息をついた。「こうしてお前と親しゅうなりながら、お前のお師匠さまはわたしを仇のように呪うているお人、そのお弟子なりゃお前とわたしも仇同士、二人の行く末はどうなろうかのう」
 千枝太郎も引き入れられるような寂しい心持になった。玉藻はまた言った。
「くどくも言うようじゃが、お前のお師匠さまは遅かれ速《はや》かれ破滅の身の上じゃ。宇治の左大臣殿がいかほど贔屓《ひいき》せられても、理を非にまぐることは出来ない。そのまきぞえを受けぬように能《よ》く心しなされ」
 関白の屋形の門前で二人は別れた。千枝太郎が師匠の家へ戻り着いた頃には、夜もよほど更けていた。泰親はまだ眠らずに待っていたので、千枝太郎はすぐに師匠の前へ出て、今夜の使いの結果を報告すると、泰親は笑《え》ましげにうなずいた。
「少納言の御芳志は海山《うみやま》じゃ。泰親もよみがえったような心地がする。お身も大事の使いを果たしてくれて、いこう大儀であった」
 こう言ううちに、泰親の眉がだんだん陰ってきたのを、若い弟子はちっとも気がつかなかった。彼は師匠に褒められたのを誇りとして、自分の部屋へしずかに引き退がった。玉藻に就いて考えたいことがたくさんあったが、今夜の彼はあまりに疲れていたので、枕に就くとすぐに安らかに眠ってしまった。
 しかしその安らかな夢がさめると、彼は不意の落雷に驚かされたのである。夜があけると、彼は師匠の前に呼び出されて、突然に破門《はもん》を申し渡された。
「行く末の見込みある若者じゃと思うて、わしもこれまでいろいろに丹精してみたが、お身は執念《しゅうね》く怪異《あやかし》に憑《つ》かれている。お身のおもてに現われた死相はどうでも離れぬ。こう言うと、おのれの罪をひとにまぶし付くるようで甚だ心苦しいことではあるが、泰親が今度の祈祷を仕損じたも、五色にかたどった五人のうちにお身をまじえた為ではないかと疑わるる節《ふし》もある。かたがた、いつまでもここにおっては、泰親のためにもようない。お身のためには殊にようない。いったんは叔父のもとへ立ち戻って昔の烏帽子折りになって見やれ。そうして、つつがなく一年二年を送って、その禍いが去ったとみえたらば、再びもとの弟子師匠じゃ。憎うて勘当するのではない。しょせんはお身が可愛いからじゃ。むごい師匠と恨むまいぞ」
 噛んでふくめるように言い聞かせて、泰親は幾らかの金をつつんで呉れた。千枝太郎はただ夢のようで、なんと言い返してよいかを知らなかった。彼はおのずと涙ぐまれた。


烏帽子折《えぼしおり》

    一

「おとといのこと、頼長も近頃心外に存じ申すよ。泰親が一生に一度の祈祷《いのり》、よも仕損じはあるまいと頼もしゅう存じておったに、あの通りの体《てい》たらく……いや、さんざんじゃ」
 堪えぬ憤りの声に失望の溜息をまぜて、頼長は自分と向かい合っている信西入道のおちつき顔を睨むように見つめた。信西はゆうべ泰親の使いの口上を受け取って、けさは早朝から宇治の左大臣頼長をたずねたのである。泰親がおとといの失敗に対して、頼長の怒りのおびただしいことは信西も大方推量していたが、その気色《けしき》の想像以上にすさまじいのを見て、彼もさすがに少しく躊躇した。しかしそのままに口を結んでは帰られないので、彼は朽葉《くちば》色の直衣の袖をかきあわせながら徐《しず》かに言い出した。
「その儀に就きましては、泰親もいこう無念に存じて、いかようのお咎めを受きょうとも是非ないと申しております」
「勿論のことじゃ。彼めが家の職を剥《は》ぎとって、遠国《おんごく》へ流罪申し付きょうと思うている。泰親にもそれほどの覚悟はあろう。たとい頼長が捨て置いても、兄の関白殿が免《ゆる》さりょう筈がない。まして兄のそばには、かの玉藻が付いている。しょせんは逃れぬ彼の運じゃ」と、頼長は罵るように言った。
「実は昨夜、泰親の使いとして、弟子の一人がそれがしの許《もと》へ忍んでまいりました」
「赦免の訴えか」
「いや、今一度、降魔の祈祷《いのり》を……」
「むむ」と、頼長は烏帽子をかたむけた。「して、入道にはなんとお見やる」
「それがしの愚意を申そうならば、泰親の訴えを聞こしめされ、繰り返して今一度、七十日の秘密の祈祷を……」
 泰親の不覚は重々であるが、さりとて今この都はおろか、日本国じゅうを見渡しても、この役目を勤めるものは彼のほかにない。彼も今度の不覚を恥じて、定めて懸命の秘法を凝らすに相違あるまいと考えられるから、枉《ま》げてもう一度、彼の願意を聴きとどけてやりたい。さてその上で、どうでも成らぬものは成らぬとあきらめて、さらに工夫の仕様もあろう。ともかくももう一度は――と、信西は根気よく繰り返して説いた。
 忙しそうにまばたきしながら、頼長はその長ながしい説明をじっと聴き澄ましていたが、やがて覚ったようにうなずいた。
「よい。泰親が願意、聴きとどけて取らせ申そう。但《ただ》しこれを仕損じたら彼は重罪じゃ。それらのことも入道より彼にとくと申し含《ふく》められい」
「早速の御|聴許《ちょうきょ》、それがしも共どもにお礼申し上げまする」と、信西も眉を開いて、うやうやしく会釈した。
 この問題はまずこれで一段落ちついたので、頼長と信西とは打ち解けていつもの学問の話に移った。そのうちに頼長は少し声を低めてこんなことを言った。
「入道、兄弟《けいてい》牆《かき》にせめげども、外その侮りを禦《ふせ》ぐという。今や稀代の悪魔がこの日本に禍いして、世を暗闇の底におとそうとする危急の時節に、兄はとかくに弟を妬んで、ややもすれば敵対の色目を見する。浅ましいことじゃ」
「それも関白殿のたましいに、悪魔めが食い入ったがためかとも存じ申す。われわれがとこう申すは恐れあれど、殿下この頃の御行状は……」
「それ、そのことじゃよ」と、頼長は待ちかねたようにひと膝乗り出した。「あらためて一いち申さずともお身もみな知っていよう。むかしとは違うて驕《おご》りには耽《ふけ》らるる、我が威には募《つの》らるる、あれが天下の宰相たるべき行状であろうか。兄上が今の心をあらためぬかぎりは、たとい玉藻一人を打ち亡ぼしても、やがて第二の玉藻が現わりょうも知れまい。国家まさに亡びんとする時は、かならず妖※[#「※」は上左上「屮」上左下「阜―十」上右「辛」下「子」、読みは「げつ」、180-16]《ようげつ》ありと申すはまさしくこの事じゃ。天下を治むる宰相にその器量なくして、国家まさに亡びんとすればこそ、もろもろの妖異も出て来るのじゃ。しょせんは妖魔が現われて国を傾くるのでない、国がすでに傾かんとすればこそ妖魔が現わるるのじゃと、この頼長は批判する。入道の意見はどうであろうな」
 信西は黙って頼長の顔をながめていた。この返答は容易にできないと彼は思った。なるほど頼長の意見にも一応の道理はある。むしろそれが正しい批判であるかもしれない。しかもその返事次第で、彼はどうでも頼長の味方に引き入れられなければならないことを考えると、迂闊にここで自分の意見を発表するのを躊躇したのであった。
 頼長は玉藻をほろぼすと同時に、兄の忠通をも亡ぼそうとするのである。それは今の口吻《くちぶり》に因《よ》っても確かに判る。頼長の議論からいえば、妖魔その物はそもそもの末で、その妖魔を呼び起こした根本の罪人はほかにある。その罪人は兄の関白である。たといいったんは玉藻をほろぼしても、兄がそのままに世に立っていては、やがて第二の玉藻が出現するに相違ないというのである。どう考えても、信西はその返答に困った。
 彼はもとより頼長に親しんでいた。その才学にも舌を巻いていた。しかし彼はそれがために、頼長の兄に対して敵意をもつわけにはいかなかった。彼は頼長に対すると同じように、その兄に対しても同様の親しみをもっていた。大きくいえばそれが天下《てんが》のためである。二つにはそれが自分のためであるとも思っていた。現在のところ、彼がもっぱら頼長の方に傾いているらしく見えるのは、悪魔を退治するがためである。玉藻をほろぼすがためである。頼長と忠通との不和を醸《かも》しなすがためではない。この点に於いて、彼は頼長とその立ち場を異《こと》にしているのであるから、今の議論をうかつに賛成することは出来ない。いったん賛成した以上、頼長と合体して忠通に敵対しなければならない破目になるのは見え透いているので、彼はそれを恐れた。古入道の彼としては、むしろそれを愚かしいとも思った。
 色紙短尺に歌を書くよりほかには能のない、又は※[#「※」は「糸へんに委」、182-4]《おいかけ》をつけて胡※[#「※」は上「竹かんむり」下左「金」下右「祿―示」、182-4]《やなぐい》を負うのほかには芸のない、青公家《あおくげ》ばらや生官人《なまかんにん》どもとは違って、少納言入道信西は博学宏才を以って世に認められている。殊更に党を組み、ひとにおもねって、自分の地位にかじり付いている必要はない。忠通が勝っても、頼長が勝っても、あるいはこの兄弟が相討ちになっても、自分の地位は容易に動かないものと彼はみずから信じていた。
 こうした強い自信をもっている彼の眼から観れば、どちらの味方をして働くのも無用の努力であるように思われた。彼はなるべく事なかれ主義を取って頼長と忠通とのあいだを弥縫《びほう》するか、もしそれが出来そうもないと見きわめた暁《あかつき》にはそっと手を引いて、両方の争いを遠く見物しているのが、最も賢い、最も安全の処世法であるように思われた。しかしこの場合、結局黙っては済まされないとみて、老獪《ろうかい》の彼は巧みに逃げを打った。
「さりながらその禍いがすでにあらわれましたる以上は、まずそれを鎮むる工夫が先きでござりまする。その禍いを見て諸人が悔いあらたむれば天下はおのずから泰平、二度の禍いのあらわりょう筈はござりませぬ」
「それもそうじゃな」と、頼長は渋《しぶ》しぶうなずいた。彼も差しあたってはそれを言い破るほどの理屈をもっていないらしかった。
 二人はしばらく詞《ことば》が途切れた。秋草を画いた几帳《きちょう》が昼の風に軽くゆれて、縁さきに置いてある美しい蒔絵《まきえ》の虫籠できりぎりすがひと声鳴いた。
「殿。ただいま戻りました」
 年頃は三十二、三の、これも主人とおなじような鋭い眼をもった小ざかしげな侍が、縁さきに行儀よくうずくまった。
「ほう、兵衛か。近う寄れ」
 頼長にあごで招かれて、藤内兵衛遠光《とうないひょうえとおみつ》は烏帽子のひたいをあげた。彼は信西入道を仰ぎ見て、更にうやうやしく式代《しきだい》した。
「どうじゃ。洛中洛外に眼に立つほどの事どももないか」と、頼長はしずかに訊いた。
 遠光は頼長が腹心の侍で、宇治と京とのあいだを絶えず往来して、およそ眼に入るもの、聞こゆるもの、大小となく主人に一いち報告する一種の物聞《ものぎ》きの役目を勤めていた。頼長は彼の報告によって、居ながらに世のありさまを詳しく知っているのであった。
「玉藻の御《ご》があすは三井寺《みいでら》参詣とうけたまわりました」
「玉藻が三井寺に参詣するか」
 頼長と信西とは眼をみあわせた。
「山門《さんもん》と三井寺とは年来の確執じゃ。その三井寺に参詣して法師ばらを唆《そその》かし、世の乱れを起こそうとてか」と、頼長は何事も見透かしたようにあざ笑った。「さりながらこれは大事じゃ。山門の荒法師も手をつかねて観てもいるまい。又しても山門と三井寺の闘諍《とうじょう》、思えば思えば浅ましさの極みじゃ」
 叡山《えいざん》と三井寺の不和は多年の宿題で、戒壇建立の争いのためには三井寺の頼豪阿闍梨《らいごうあじゃり》が憤死して、その悪霊が鼠になったとさえ伝えられている。その三井寺へ魔女の玉藻が参詣して、いかなる禍いの種を播《ま》こうとするのか。
 しょせんは三井寺の僧徒を煽動して叡山に敵対させ、かれらを執念く啖《く》い合わせて、仏法の乱れ、あわせて王法の乱れを惹き起こす巧みであろう。こう思うと、信西の嶮しい眉も食い入るばかりに顰《ひそ》んできた。
「彼女《かれ》の悪業、いやが上に募ってまいっては、いよいよ油断がなり申さぬ」
「そうじゃ。まだこの上に何事をたくもうも知れぬ」と、頼長も奴袴《ぬばかま》の膝を強く掴んだ。「のう、入道。この上は重ねて七十日の祈祷《いのり》などおめおめと待ってはいられまい。泰親にもその旨を申し含めて、早急にかれめを祈り伏する手だてが肝要であろうぞ」
 この点に就いては、信西も勿論、同意であった。
「仰せごもっとも、それがしも肝胆を砕いて、一日も早く妖魔をほろぼす手だてを案じ申そうよ」

    二

 八月十一日は晴れていた。それでも先日の大雨以来、明るい日の色も俄に秋らしくなって、藍《あい》を浮かべたような湖《みずうみ》の上を吹き渡って来る昼の風も、たもと涼しくなった。
 青糸毛《あおいとげ》の牛車《くるま》が三井寺の門前にしずかに停まると、それより先きに紫糸毛の牛車が繋がれていた。あとから来た青糸毛のうしろに、黒塗りの鷺足の榻《しい》が据えられて、うしろ簾《すだれ》がさやさやと巻きあげられると、内から玉藻の白い顔があらわれた。折りからそよそよと吹いて来る秋風に袴の緋を軽くなびかせて、彼女は牛車からしなやかに降り立つと、門前にたたずんでいた一人の侍がつかつかと歩み寄って来た。侍は藤内兵衛遠光であった。
「お身は三井寺御参詣か」と、遠光は会釈しながら訊いた。
 玉藻の供の侍には遠光を見識っている者どももあった。関白家御代参として玉藻が参詣を彼らが答えると、遠光は苦《にが》い顔をして言った。
「唯今は宇治の左大臣殿御参詣でござる。誰人《たれびと》にもあれ、山門の内へ罷《まか》り通ること暫く御遠慮めされ」
 ゆく手をさえぎられて、玉藻の供もむっとした。この青糸毛が眼に入らぬかというように、かれらは牛車を見かえって答えた。
「唯今も申す通り、これは関白殿御代参でござるぞ。邪魔せられまい」
 そっちの糸毛ばかりをひけらかして、こっちの紫糸毛が見えぬかというように、遠光も自分の牛車をあごで示しながら言った。
「関白殿の御牛車《みくるま》と申されても、それは代参、殊に女性《にょしょう》じゃ。しばらくの御遠慮苦しゅうござるまい」
 口でおだやかに言いながらも、すわといわば相手の轅《ながえ》を引っ掴んで押し戻しそうな勢いで、遠光は牛車の前に立ちはだかっていた。
 紫糸毛の牛車のそばには、遠光のほかに逞しい侍が七、八人も控えていて、肉に食い入るほどに烏帽子の緒をかたく引き締めたあごをそらせて、こっちをきっと睨みつめていた。中にはその手をもう太刀の柄《つか》がしらにかけている者もあった。そのていが最初から喧嘩腰である。人数は対等でも、玉藻の供は相手ほどに精《え》り抜いた侍どもではなかった。不意にこの喧嘩を売り掛けられて、彼らはすこしく怯《ひる》んだ。
 それにつけても、当人の玉藻がなんと言い出すかと、敵も味方も眼をあつめてその顔色をうかがっていると、玉藻はやがてしずかに言った。
「ほほ、これは異《い》なことを承りまする。御代参とあれば関白家も同じこと、弟御《おとうとご》の左大臣どのから遠慮のお指図を受きょう筈はござりませぬ」
 彼女は供の侍を見かえって、一緒に来いと扇でまねいた。招かれて彼らはそのあとに続こうとするのを、遠光はあくまでもさえぎった。
「なり申さぬ。われわれここを固めている間は、ひと足も門内へは……」
「ならぬと言わるるか」
「くどいこと。なり申さぬ」
「どうでもならぬか」と、玉藻もすこし気色《けしき》ばんだ。
 遠光はもう返事もしないで、相手の瞳《ひとみ》を一心に睨んでいると、玉藻はなんと感じたか俄に扇でそのおもてを隠しながら高く笑った。彼女は眉をあげて山門の方をあざけるように見返りながら、再びしずしずと牛車の※[#「※」は「車へんに非」、187-7]《はこ》にはいって、そうして、牛車を戻せと低い声で命令すると、牛はやがてのそのそと動き出して、轅《ながえ》は京の方角へむかって行った。
 と思うと、白羽の矢が一つ飛んで来て、青糸毛の車蓋《やかた》をかすめてすぎた。その響きにおどろかされて供の侍どもはあっと見かえると、二の矢がつづいて飛んで来て、その黒い羽は後廂《うしろびさし》の青いふさを打ち落として通った。
「や、遠矢《とおや》じゃ。さりとは狼藉……」
 立ちさわぐ侍どもを玉藻は簾のなかから制して、牛車の大きい輪は京をさして徐《しず》かに軋《きし》って行った。その青い影のだんだんに遠くなるのを見送りながら、山門のかげから頼長が出て来た。あとに続いて弓矢を持った二人の侍があらわれて、いずれも残念そうに唇を噛んでいた。玉藻がきょうの参詣を知って、頼長は先き廻りをして先刻からここに待ち受けていたのである。遠光は主人の内意をうけて、わざと玉藻のゆく手をさえぎって無理無体に喧嘩を仕かけ、関白家の供のものを追っ払った上で、玉藻をここで討ち果たしてしまおうという心組《こころぐ》みであった。頼長のそばには藤内太郎、藤内次郎という屈竟《くっきょう》の射手《いて》が付き添うていて、手にあまると見たらばすぐに射倒そうと、弓に矢をつがえて待ち構えていた。頼長は勿論、射手の二人も山門のかげに身を忍ばせていたのであるが、早くも玉藻に覚られたらしい。彼女はこちらの裏をかくようにあざけりの笑みをくれて、徐《しず》かにここを立ち去った。この機会を取り逃してはならぬと、頼長の指図で二人はすぐ牛車のうしろから射かけたが、二人ながら不思議に仕損じた。あわてて二の矢をつがえようとすると、弓弦《ゆづる》は切れた。牛車はそれを笑うように、輪の音を高く軋らせながら行き過ぎてしまった。
 眼《ま》のあたりにこのおそろしい神通力を見せられて、射手の二人も遠光も息をのんで立ちすくんでいた。頼長は一人で苛《いら》いらしていたが、驚きと恐れとに脅《おびや》かされている家来どもをいかに叱り励ましても、しょせんはその効はあるまいと思われた。
「悪魔めをこの山門内に踏み入れさせなんだが、せめてもの事じゃ」
 こうあきらめて頼長も宇治へ帰った。さきの雨乞いといい、きょうの待ち伏せといい、一度ならず二度までも仕損じた彼は、さすがに胸が落ち着かなかった。彼も悪魔の復讐を気づかって、その夜から宿直《とのい》の侍の数を増してひそかに用心していたが、直接には別になんの禍いもなかった。しかし、玉藻は決してそれを無事に済まそうとはしなかった。彼女は京へ帰って、三井寺の一条を忠通に逐一訴えた。
「予の代参というそちに対して山門内に通さぬと申し、あまつさえこちらがおとなしゅう戻ろうとするのをうしろから遠矢を射かくるなど、言語道断の狼藉じゃ。頼長め、いよいよ気が狂うたと見ゆる。もう一刻も捨て置かれぬ。おのれ、おのれ、兄の足もとに踏みにじって、宇治の屋形を草原にしてみしょうぞ」と、忠通は自分も狂ったように罵った。
「ではござりましょうが、今しばらくの御勘弁を……」
「又しても止むるか。仇を庇《かぼ》うか……」
「庇うのではござりませぬ。たといかの人びとが如何ようにわたくしどもを亡ぼそうと巧《たく》まれましても、邪は正に勝たずの例《ためし》で、正しいものには必ず神ほとけの守りがござります。現にさきの日の雨乞いを御覧なされませ。われに誠の心があれば、神も仏も奇特を見せられまする」
「さればとてもう堪忍の緒が切れた。堪忍にも慈悲にも程度《ほど》がある。頼長と忠通とは前《さき》の世からのかたき同士であろう。弟を仆《たお》すか、兄が仆るるか、しょせん二人が列《なら》んでゆくことは出来ぬ定めじゃ」
「では、どうでも左大臣どの御誅伐でござりまするか」と、玉藻は不安らしく訊いた。
「勿論のことじゃ」
「して、お味方は……」
 この問題に出遇って、忠通はいつも行き詰まるのであった。この夏の引き籠り以来、自分の味方のだんだんに遠ざかって行くのは、見舞いの人の数が日増しに減るのを見てもよく判っていた。背《そむ》いた味方はみな頼長の傘の下にあつまるのであろう。それを思うだけでも、忠通の胸は沸き返った。
「きのうの味方もきょうの仇《かたき》、頼もしゅうない世の中じゃ。忠通が頼長誅伐を触れ出しても、味方にまいる者は少ないかのう」と、彼はこの世を呪うように物凄い溜息を長くついた。
 きのうの味方がきょうの仇と変わる世の中だけに、また都合の好いこともあると、玉藻は慰めるように言った。そういう人間が多いだけに、いったんこっちの羽振りがよくなれば、昨日のかたきは又すぐ今日の味方に早変わりをするのである。正直のところ、現在の殿上人に骨のある人間は極めて少ない。信西入道とても日和見《ひよりみ》の横着者である。つまりがなんらかの方法でかの頼長の鼻をくじいてさえしまえば、余の人びとは手の裏をかえしたようにこちらの味方になるのは見え透いている。なにも仰々しく誅伐の誅戮のと騒ぎ立てるには及ばないのであると、彼女は事もなげに説き明かした。
「就きましては、かの采女《うねめ》に召されますること、いかがでござりましょうか」
「その儀ならば懸念すな。今度こそはかならず成就じゃ」と、忠通は得意らしい笑みを洩らした。
 先度は頼長や信西の故障に出遇《であ》って、結局はうやむやのうちに葬られたのであるが、今度はそうはならない。玉藻が雨乞いの奇特をあらわしたことは雲の上までもきこえ渡っている筈である。その玉藻を推薦するのになんの故障があろう。たとい彼らがあくまでも強情を張ったところで、その理屈はもう通らない。彼らの理屈を蹴散らすだけの立派な理屈がこちらにもある。頼もしくもない味方を無理に駆り集めて、頼長らをほろぼそうとあせり狂うよりも、一人の玉藻を采女にすすめて、その力で敵を押したおす方が安全で且《か》つ有効であるらしいと、忠通もまた思い返した。
「予が受け合うた。大納言など頼んでいては埒があかぬ。近日のうちに、忠通が病気を押して昇殿する。とこうの故障を申し立つる者があったら、予が直きじきに言い伏せて見する。はは、今度こそ……今度こそはじゃ」
 忠通は気味の悪いような声を出して、のけぞりながら高く笑った。玉藻のひとみも怪しくかがやいた。

    三

「ほう、千枝ま[#「ま」に傍点]よ。いつ戻ったぞ」
 陶器師《すえものつくり》の翁《おきな》は笑いながら見返った。彼は手づくりの壺《つぼ》をすこし片寄せながら、狭い仕事場の入口に千枝太郎を招き入れた。
「この頃は家《うち》に戻っているとかいう噂を聞いたが、なぜ早う訪ねて来てはくれぬ。婆めは死ぬ。隣りの藻の家は引っ越してしもうて馴染みの薄い人が移って来る。ここらでも四年五年といううちには、住む人がだんだんに移り変わって、むかし馴染みの減るのが寂しい。して、お前はなぜお師匠さまの屋敷から戻って来た。都の奉公はつらいかの」
 千枝太郎は黙って、すだれの隙き間からさし込む秋の日が仕事場のぬれた土を白っぽく照らしているのを眺めていたが、やがて沈んだ声で言った。
「わしはお師匠さまから勘当《かんどう》された」
「勘当……」と、翁も白い眉に浪を打たせた。「なんぞ過失《あやまち》でもおしやったか」
「お師匠さまのおそばにいてはわしのためにならぬ。家《うち》へ帰れと仰せられた」
「なぜかのう」と、翁は再び首をかしげた。「じゃが、お師匠さまがそう言わるれば、それも是非ない。して、これからはどうおしやる。叔父御も次第に年が寄って、この頃は思うように稼業もならぬと言うていた。お前の戻って来たは丁度幸いかもしれぬ。若い者はせいぜい働いて、叔父御や叔母御に孝行おしやれ。のう」
「おお、わしもそのつもりでこの頃は稼ぎに出る。あれを見やれ」
 彼は表を指さすと、門口《かどぐち》に烏帽子折りの荷がおろしてあった。翁はうなずいた。
「おお、よい、よい。昔の千枝ま[#「ま」に傍点]とは違うて、今では立派な若い男じゃ。まして子供の時から習いおぼえた職もある。怠らず稼いだら不自由はせぬ筈じゃ」
 物に屈託しない翁は心から打ち解けたような笑顔を見せて、昔の千枝ま[#「ま」に傍点]と懐かしそうに話していた。千枝太郎もなつかしそうな眼をして家の中を見まわすと、今向かい合っている小さい窯《かま》も、奥に切ってある大きい炉《ろ》も、落ちかかっているように傾いた棚も、すべて昔のさまとちっとも変わっていなかった。秋の日を浴びている翁の寂《さ》びたひたいにも皺の数が殖えていないらしかった。物静かな山科郷の陶器師の家には、月日の移り変わりというものがないようにも思われた。それにひきかえて、久安四年から仁平二年――この足かけ五年のあいだに、自分の身の上はどう変わったか。千枝太郎は振り返って考えた。
 叔父の職を見習って、烏帽子折りになるはずの彼は、藻《みくず》に振り放されたのが動機となって、日本に隠れのない陰陽博士の弟子となった。そうして、師匠にも可愛がられた。自分が未来の出世も眼に見えるようであった。その幸いも長くは続かないで、この三月に偶然かの玉藻にめぐり逢ってから、今まで消えかかっていた思いの火が再び胸に燃えあがった。師匠にも諭《さと》され、自分も戒めて、魔性の疑いある彼女と努めて遠ざかろうと試みたが、その因縁は不思議にからみ付いて、幾たびか彼女にめぐり逢う機会が偶然に作られた。そのたびごとに怪しく掻き乱される自分の心を危うくも取り留めようとしながら、所詮《しょせん》はひと足ずつに彼女の方へ引き寄せられて行くらしいのを、神のような師匠の眼に観破られて、彼はついに慈悲の勘当を言い渡された。今さら詫びても肯き入れる師匠でないのを知っているので、彼はすごすごとそこを立ち退いて昔の山科の家に戻った。
 戻ってみると、叔父や叔母の老いの衰えが今さらのように彼の眼についた。千枝太郎は悲しくなった。師匠の勘当をうけて来た甥を叔父や叔母はさのみ叱りもしないで、かえって懐かしそうに迎えてくれたので、彼はいよいよ涙ぐまれた。足かけ五年のあいだ、師匠の教えをうけた学問はありながら、勘当された今の身の上では、それを表向きの職として世に立つことは出来ない。さりとてもう一人前の若い者が、手を袖にして叔父や叔母の厄介にもなっていられないので、差しあたっては昔の烏帽子折りに立ちかえって、ちっとでも叔父の手助けをしたいと彼は思った。叔父も喜んで承知した。千枝太郎はその以来、叔父と一緒に商売《あきない》に出ることもある。自分ひとりで出ることもある。こうしてもう小ひと月を送っているうちに、彼もだんだんに仕事に馴れて来て、朝に家《うち》を出て暮れ方に戻れば、きっと幾らかの銭を持って来るので、年をとった叔父や叔母はよい稼ぎ人の戻ったのを、むしろ喜んでいるくらいであった。
 これがおれの運かもしれない。せめてこうしているあいだに精ぜい働いて、叔父や叔母に孝行を尽くそうと、彼もこの頃ではあきらめた。師匠のこと、玉藻のこと、それが胸いっぱいに支《つか》えているのを、彼は努めて忘れようとしていた。
 きょうもそれをうっかりと考えていると、翁は日影がだんだん映《さ》しこんで来るのにまぶしくなったらしい。だるそうに立ちあがって入口の蒲《がま》すだれをおろした。
「千枝ま[#「ま」に傍点]よ。なにを思案している。叔父御や叔母御もお前が戻ったので喜んでいよう。むかし馴染みが帰って来てわしも嬉しい。これからは今までのように遊びに来ておくりゃれ。よいか。あれ、お見やれ。となりの門《かど》の柿の実は年ごとに粒が大きくなって、この秋も定めて美事に熟《う》れることであろうよ」
「そうであろうのう」
 ここの門《かど》に立った時に、千枝太郎もすぐに隣りの梢を仰いだのであった。実がまだ青いので、そこに大きい鴉《からす》の影はみえなかったが、彼は藻と一緒になってその梢の憎らしい鴉を逐《お》った秋を思い出さずにはいられなかった。今も翁からそれを言い出されて、彼は蒲すだれの外をのぞきながら低い溜息を洩らした。
「月日のたつのは早いものじゃのう」
「ほんとに早い。婆めが死んでからもう四年目になる」と、翁はすこし寂しそうな顔をして言った。
 自分と仲悪の婆の死――それが藻と何かの因縁があるらしく考えられるので、千枝太郎は何げなく翁に訊いた。
「婆どのが死んで四年目になるか。婆どのはあのような怪しい死にざまをして、今にその子細は判らぬかの」
 その後になんの不思議もなかったかという問いに対して、翁はこう答えた。
「さあ、不思議というほどのことは……。いや、たった一度あった。おお、たしか去年の秋……やはり丁度今頃のことじゃと覚えている。お前も識っているであろう。この村の弥五六という男……。あの男が暗い夜に、小町の水の近所を通ると、ここらには珍しい美しい上臈《じょうろう》が闇のなかを一人でたどってゆく。いや、不思議なことには、その女のからだから薄い光りがさして、遠くからでもその姿がぼんやりと浮いて見えたそうな。弥五六もあまりの不思議にそっと後をつけてゆくと、女の姿はあの古塚の森の奥へ消えるように隠れてしもうた」
 千枝太郎は息をつめて聴いていた。
「弥五六もぞっとして逃げて帰った。あくる日近所の者にその話をすると、皆もただ不思議じゃと言うばかりで、その子細は誰にも判らなんだ。すると、その晩のことじゃ。弥五六は急に死んでしもうた。丁度わしの婆と同じように、喉を喰い裂かれて……」
「その上臈はどんな顔かたちであったかな」と、千枝太郎は忙がわしく訊いた。
「それは知らぬ。わしが見たのでない、唯その話を人から聞いたまでじゃ」と、翁はおちつき顔に答えた。「しかしわしの考えでは、それが古塚のぬしであろうも知れぬ。うかと出逢うたが弥五六の不運じゃ。それに懲りてこの頃では、日が暮れてからあの森の近所を通り過ぎるものは一人もないようになった」
「不思議じゃのう」
「不思議というよりも怖ろしい。お前も心してその祟りに逢わぬようにおしやれ。婆や弥五六がよい手本じゃ」
 その上臈がもしや玉藻ではないかという疑いが、千枝太郎の胸にふと湧き出した。果たしてそうならば、藻は塚のぬしに祟《たた》られて、その魂《たましい》はもう入れ替わっているのである。たといその形はむかしの藻でも、今の玉藻の魂には悪魔が宿っているのである。彼はその疑いを解くためにこれから毎晩その森のあたりに徘徊して、怪しい上臈の姿を見とどけたいと思った。そうして、それを一つの手柄にして、彼は師匠の勘当をゆるされようと考えたのであった。
 翁との話はここらで打ち切って、千枝太郎は早々にここを出た。出る時に、彼は再び隣りの柿の梢をみあげると、その高い枝は青い大空を支えているように大きく拡がって、ところどころにはもう薄紅い光沢《つや》をもった木の実が大きい鈴のように生《な》っていた。幼い藻の顔と臈たけた玉藻の顔とが一つになって、彼の眼さきを稲妻のようにひらめいて通った。
「あきないが遅うなる」
 千枝太郎は京の方角へ足を向けた。
 むかしの相弟子や知りびとに顔をあわせるのがさすがに辛《つら》いので、彼はこれまで京の町へは商売《あきない》に出なかったが、商売はどうでも京の町にかぎると叔父からも教えられ、自分もそう覚《さと》ったので、きょうは思い切って繁華な町の方へ急いで行った。その目算は案外に狂って、顔馴染みのない若い職人をどこでも呼び込んでくれないので、彼はひどく失望した。一日根気よく呼びあるいても、彼は京の町で一文も稼ぐことは出来なかった。
 九月はじめの秋の日は吹き消すようにあわただしく暮れかかって、うすら寒い西山おろしが麻の帷子《かたびら》にそよそよと沁みて来たので、千枝太郎はいよいよ心寂しくなった。こうと知ったら京の町まちへ恥がましい顔をさらして歩くのではなかったものをと悔やみながら、疲れた足を引き摺ってとぼとぼと戻ろうとすると、六条の橋の袂で呼び止められた。
「烏帽子折りか。頼みたい」
 振り返ると、それはもう六十に近い、人品のよい武士で、引立《ひきたて》烏帽子をかぶって、萌黄と茶との片身替わりの直垂《ひたたれ》を着て、長い太刀を佩《は》いていた。彼は白い口髯の下から坂東声《ばんどうごえ》で言った。
「それがしはこのごろ上《のぼ》った者じゃで、都の案内はよう存ぜぬが、見るところ烏帽子折りであろう。頼まれてくれぬか」
「心得ました」
 そこですぐに荷をおろすと、武士は一人の家来を見かえって、その烏帽子が折れたら受け取って来いと言い付けて、自分はそのままに行き過ぎてしまった。
「手もとは暗うはないかな」と、あとに残された家来は千枝太郎の手もとを覗きながら言った。
「いえ、烏帽子一つ折るほどの間《ひま》はござりましょう」と、千枝太郎は手を働かせながら答えた。
「して、お前さま方は坂東の衆でござりまするか」
「おお、相模《さがみ》の者じゃよ」と、家来は立ちはだかったままで誇るように言った。「それがしの御主人は三浦介《みうらのすけ》殿じゃ」
「三浦介殿……。では衣笠《きぬがさ》の三浦介殿でござりますな」
「よう存じておる。唯今まいられたのがその三浦介殿じゃ」
 烏帽子のあつらえ手は相州《そうしゅう》衣笠の城主で三浦介源|義明《よしあきら》であることを家来は説明した。三浦介は上総介《かずさのすけ》平広常と共に京都の守護として、このごろ坂東から召しのぼられたのであった。
「そのような武将の冠《かぶ》り物を折りまするは、わたくしの職の誉《ほま》れでござりまする」と、千枝太郎は追従《ついしょう》でもないらしく言った。
「そう存じたら、念を入れて仕まつれ」と、家来は直垂《ひたたれ》の袖で鼻をこすった。
 坂東武者も初の上洛に錦を飾って来たとみえて、その直垂には藍の匂いがまだ新しいようであった。


三浦《みうら》の娘《むすめ》

    一

 そのときに三浦の家来はこういうことをも自慢そうに話した。
 主人三浦介の孫娘に衣笠《きぬがさ》というのがある。自分の代々住んでいる城の名を呼ばせるくらいであるから、その寵愛はいうまでもない。ことし十六で相模一国にならぶかたもない美女である。祖父の義明がこのたびの上洛について、可愛い孫娘にも一度は都の手振りをみせて置きたいという慈愛から、遠い旅をさせて一緒に連れて来たが、なるほど花の都にもあれほどの美女は少ない。自分も主人の供をして、毎日洛中洛外を見物してあるいているが、衣笠殿ほどの美しい女子《おなご》に殆んど出逢ったことがない。当時都で噂の高い玉藻の御《ご》というのはどんな人か知らないが、おそらくそれにも劣るまいとのことであった。
 田舎侍の主人自慢はめずらしくない。しかしその話を半分に聴いても、三浦の孫娘がすぐれた美女であるらしいことは千枝太郎にも想像された。年の若い烏帽子折りはその美しい相模おんなを一度見たいような浮かれ心にもなった。
「三浦殿の御家来衆は大勢《おおぜい》でござりまするか」と、彼は訊いた。
「上下二十人で、ほかに衣笠殿と附き添いの侍女《こしもと》が二人じゃ」
「二十人の御家来衆とあれば、烏帽子の御用もござりましょう。して、お宿は……」
「七条じゃ。時どきに来て見やれ」
「その折りにはよろしく願いまする」
 千枝太郎は彼と約束して別れた。家へ帰ってきょうの話をすると、あきないに馴れた叔父の大六は言った。
「そりゃ誰とても同じことで、顔馴染みのうすいあいだは商売も薄いものじゃ。これを飽きずに堪えねば、職人も商人《あきうど》も世は渡られぬ。まして三浦介殿が家来の衆と顔馴染みになったは仕合わせじゃ。坂東の衆は気前がよい。ぬけ目なくその宿所へ立ち廻って、ひとかどの得意先きにせねばならぬぞ」
 古塚のことも気にかかりながら、きょうは京じゅうを一日あるき廻って、千枝太郎もさすがに疲れたので、そのまま寝てしまった。あくる日は早く起きて京の町へ出た。
 七条へ行って、三浦の宿所を探していると、きのうの家来に丁度出逢った。家来はきのうと違った直垂を着ていた。千枝太郎は馴れなれしく話しかけて、彼の名が小源二《こげんじ》ということまでも聞いてしまった。
「失礼ながら、お前は服装《みなり》に似合わぬ、烏帽子の折りざまが田舎びているような。わたくしが都風に折って進ぜましょう」
 彼は新しい烏帽子を折ってやった。そうして、その価《あたい》を受け取らなかった。その代りにお前の宿へ案内して、ほかの人たちの仕事を頼まれるように口添えをしてくれと相談すると、小源二はこころよく受け合った。
「では、一緒に来やれ。屋敷はすぐそこじゃ」
 誰やらの空き屋敷を仮りの宿所にあてているらしく、構えの大きい割には屋敷の内もひどく荒れて、うす暗い庭には秋草がおどろに乱れてそよいでいた。遠侍《とおざむらい》らしいところに、七、八人の家来が武者あぐらを掻いていた。小源二は千枝太郎を彼らに引き合わせて、再び表へ出て行った。
 主人は留守で、用のない家来どもは退屈しているらしく、千枝太郎を相手にして京の名所や風俗の噂などを聴いた。そのなかには烏帽子をあつらえる者もあった。千枝太郎は仕事をしながら一生懸命に彼らの機嫌を取っていると、正直な坂東の男どもは馴染みのうすい烏帽子折りをひどく信用してしまって、何もかも打ち明けて話した。そのうちに衣笠の噂も出た。
「その娘御《むすめご》は世に美しいお方じゃそうに承りました。きょうもお宿でござりまするか」と、千枝太郎は訊いた。
「おお、奥にござるよ」と、一人が言った。「どうじゃ、そちも奥へまいってお目見得せぬか。女儀《にょぎ》のことじゃで毎日出歩きもならぬ。さりとて初めてのお上《のぼ》りじゃで別に親しい友達もない。侍女《こしもと》どもばかりを相手にして、毎日退屈そうに送っていらるるは見るも気の毒じゃ。そちが参って都のめずらしいお話などお聞かせ申したらお慰みにもなろうに……」
 それは千枝太郎が待ち設《もう》けているところであったので、彼は是非お目通りが願いたいと頼むと、家来の一人は奥へ立って行ったが、やがて一人の侍女らしい女を連れて来て、彼女の案内で庭口へまわれと言った。その案内に連れて、千枝太郎は草ぶかい庭伝いに奥の方へ進んでゆくと、昼でも薄暗い座敷のなかに、神々《こうごう》しいように美しい若い女が坐っていた。そのそばに一人の侍女が控えていた。
「烏帽子折りを連れてまいりました」と、千枝太郎を案内して来た侍女は言った。
 彼女は千枝太郎を庭さきに残して、自分だけは縁にのぼって主人のそばに行儀よく坐った。
「初めてお目通り仕まつりまする」
 千枝太郎は、草に手をつきながらそっと見あげると、正面に坐っている若い女――無論それが三浦の孫娘の衣笠であろう――年こそ少し若いが、その顔かたちはかの玉藻に生き写しであった。彼はあっ[#「あっ」に傍点]と言おうとする息をのみ込みながら、少し伸び上がって無遠慮にその顔をじっと覗き込むと、女の顔は不思議なほど玉藻によく似ているので、彼はなんだか薄気味悪くなって来た。化生《けしょう》の物がこの空き屋敷の奥にかくれ住んでいて、自分をたぶらかすのではないかとも疑われた。
 白昼《まひる》の秋の日は荒れた草むらを薄白く照らして、赤い蜻蛉《とんぼう》が二つ三つ飛んでいる。それを横眼にみながら彼は黙って俯向いていると、侍女どもは交るがわるに京の名所などを訊いた。
 彼を呼び込んだのは主人の娘の料簡ではなく、侍女どもが自分の退屈しのぎに京の男と話して見たさに、娘をそそのかして呼ばせたものらしい。娘は始終つつましやかに黙って聴いていた。それが千枝太郎には物足らなかった。彼は玉藻によく似たその娘の口から何かの詞《ことば》を聴き出したいと念じていたが、口の軽い侍女どもばかりに物をいわせて、娘の結んだ口はなかなかほぐれなかった。それでも彼が渡辺の綱に腕を斬られたという戻橋《もどりばし》の鬼女の話をした時に、娘の美しい眉は少しひそめられた。
「そのような不思議がまことにあったかのう」
 それは若い女にあり勝ちの恐怖の弱い声ではなかった。優しいなかにも一種の勇気を含んでいるような、冴え渡った声であった。千枝太郎は驚かされたように再びその顔をじっと見あげると、この衣笠という娘の顔かたちが玉藻によく似ているとはいうものの、その艶色におのずから相違が見いだされた。玉藻は妖麗《ようれい》であった。衣笠は端麗《たんれい》であった。千枝太郎はこの相違を比較して考えた。そうして、今までは玉藻のほかに殆んど女というものに眼をくれたことがなかった彼の若い魂が、眼に見えない糸にひかれて衣笠の方へだんだん吸い寄せられて行った。
「いろいろの話を聴いて面白かった。あすも又来やれ」と、侍女どもは言った。
「あすもまた御機嫌伺いにあがりまする」
 一※[#「※」は「日へんに向」、読みは「とき」、205-1]《いっとき》ほどの後に千枝太郎は暇乞いをして帰った。それから京の町をひとめぐりしたが、きょうも都の人はちっとも彼に商売《あきない》をさせてくれなかった。それでも三浦の屋敷で幾らかの仕事をしたのに満足して、彼は軽い心持で山科へ戻った。
 あくる日も早く起きて、千枝太郎は京へ行った。そうして、真っ直ぐに三浦の屋敷をたずねると、彼は小源二から意外の話を聞かされた。衣笠はゆうべ物怪《もののけ》に襲われたというのであった。
「おれはその場に居合わせたのではないが、侍女どもの話はこうじゃ」と、小源二は烏帽子の緒を締め直しながらささやいた。「きのうの夕暮れじゃ。衣笠どのが端《はし》近う出て虫の音に聞き惚れていらるると、庭の秋草の茂みから煙りのように物の影があらわれた。見るみるうちに、それが美しい上臈の姿になって、檜扇《ひおうぎ》におもてをかくしながら涼しげな声でこう言った。お身は京に長くとどまっていたら必ず禍いがある。早う故郷へ戻られいと……。しかし衣笠どのは気丈の生まれじゃで、眼も動かさずにじっとその怪しい物を見ていらるると、上臈はまた言った。わらわの申すことを用いねば命はないぞ、その期《ご》に及んで後悔おしやるなと、言うかと思うと、その檜扇の蔭から怖ろしい……人か幽霊か鬼か獣《けもの》か判らぬような、世に悽愴《ものすご》い変化《へんげ》のおもてが……。侍女どもはさすがにあっ[#「あっ」に傍点]とおびえて思わず顔を掩って俯伏してしまったが、衣笠どのはあくまでも気丈じゃ、懐ろ刀に手をかけて寄らば討とうと睨みつめていらるると、怪しい上臈はあざけるように、ほほと軽く笑いながら、再び草むらへ消えるように隠れてしまった。大殿《おおとの》にはそれを聞こしめされて、この古屋敷は変化《へんげ》の住み家《か》とみゆるぞ、とく狩り出せよとの下知にまかせて、われわれ一同が松明《たいまつ》振り照らして、床下から庭の隅《すみ》ずみまで隈なくあさり尽くしたが、鼬《いたち》一匹の影すらも見付からなんだ。思えば不思議なことよのう。気の弱い侍女どもばかりでなく、衣笠どのの眼にまでも、ありありと見えたとあるからは、臆病者のうろたえた空目《そらめ》とばかりも言われまいよ」
 夢のような心持で、千枝太郎はこの話を聴いていると、小源二はまた言った。
「就いては大殿のお使いで、おれはけさ早う土御門《つちみかど》へ行って、安倍泰親殿の屋敷をたずねた」
「おお、土御門へ行かれたか。して、播磨守殿はなんと占《うらな》われた」と、千枝太郎は訊いた。
「播磨守殿は慎みの折柄《おりから》じゃとて、直きじきの対面はかなわなんだが、弟子の取次ぎでこれだけのことを教えてくれた。御息女には怪異《あやかし》がついている。三七日《さんしちにち》のあいだは外出は勿論、何者にも御対面無用とのことじゃ。右様《みぎよう》の次第じゃで、見識らぬ者どもは当分御門内へ入るるなと大殿からも申し渡された。気の毒じゃが、そちも当分は出入りするな」
 千枝太郎は失望した。さりとて何を争うことも出来ないので、すごすごと別れてここを立ち去ると、青糸毛の牛車《ぎっしゃ》がこの屋敷の門前をしずかに軋《きし》らせて通った。彼がそれとすれ違ったときに、物見のすだれが少し掲げられて、女の白い顔がちらりと見えた。その顔が玉藻であるらしく思われたので、千枝太郎はひと足戻って覗こうとする途端に、すだれは音もなしにおろされてしまった。
 強い妬みに燃えているような女の物凄い眼の光りだけが、千枝太郎の記憶に残った。

    二

 小源二から聴かされた不思議な話を、千枝太郎は途《みち》みち考えながら歩いた。衣笠に逢えなかったという失望もあった。その怪しい上臈が何者であろうかという疑いもあった。疑いはまずかの玉藻の上に置かれた。
 三浦の門前で出逢った牛車《ぎっしゃ》のぬしは、どうも玉藻であるらしく思われた。たとい玉藻であるとしても、往来で人に逢うのは不思議でない。しかしそれが偶然のめぐりあいではないように千枝太郎には疑われた。その疑いをだんだん押し拡げていくと、ゆうべ衣笠をおびやかした怪しい上臈も、もしや玉藻ではないかという結論に到着した。
 それにしても、玉藻はなぜ三浦の娘をおびやかそうとしたのか。しかも小源二の物語から想像すると、彼女の振舞いはどうしても尋常《ただ》の人間ではないらしい。彼はさきの夜、犬の群れに取り囲まれた時の玉藻のおそろしい顔を思い出した。きのうの朝、陶器師の翁から聴かされた古塚参詣の怪しい女の姿を思い泛《う》かべた。これらの事実を綜合してかんがえると、かの古塚のあたりにさまよっている女も、三浦の屋敷に入り込んだ女も、すべて玉藻ではあるまいかとも思われた。彼はその実否《じっぷ》を確かめるために、今夜こそは小町の水の近所へ忍んで、怪しい光りを放っていく女の正体を見定めようと決心した。
 きょうも思わしいあきないもなしに、彼はいつもより早く帰った。そうして、夜の更けるのを待って、かの古い塚をつつんだ大きい杉の森の近所へ忍んで行った。雨気を含んだ暗い夜で、低い空の闇を破って啼いていく五位鷺《ごいさぎ》の声がどこやらで聞こえた。彼はふた※[#「※」は「日へんに向」、読みは「とき」、208-2]《とき》ほどもそこに立ち迷って、自分の眼をさえぎる何物かのあらわれるのを待っていたが、その夜はなんの獲物《えもの》もなしに帰った。
 あくる日、彼はかさねて京へ出て、三浦の屋敷の門前に立った。衣笠がその後の様子を知りたいので、彼は根《こん》よく門前にさまよっていると、顔を知っている家来の一人が出て来た。よび止めてそっと訊くと、その後には何の怪異《あやかし》もない。衣笠も無事である。三浦介はそのあやかしを鎮めるために蟇目《ひきめ》の法を行なっているとのことであった。それを聞いて千枝太郎はすこし安心したが、衣笠に逢えないで帰るのがやはり心さびしかった。彼は何物にか引き止められるような心持で、門前に暫くたたずんでいた。
 思い切ってそこを立ち去った彼は、さらに土御門の方角へ足を向けた。きのうの小源二の話で、師の泰親の無事であることが判ると共に、彼は俄に師匠がなつかしくなって、直きじきの対面は許されずとも、せめてよそながら屋敷の姿を窺って来たいと思い立ったのである。彼は屋敷の前に近づいて、忍ぶように内を覗くと、軒に張り渡された注連縄《しめなわ》が秋風に寂しくゆらいで、見おぼえのある大きい桐の葉が蝕《むし》ばんだように枯れて乾いて、折りおりにかさこそ[#「かさこそ」に傍点]と鳴っていた。それを仰いでいるうちに、言い知れない悲しさと懐かしさとが胸いっぱいになって、彼の眼はおのずとうるんできた。彼は思わず土にひざまずいて、よそながら師匠に無沙汰の罪を詫びていると、その頭の上で不意に彼の名を呼ぶ者があった。おどろいて振り仰ぐと、それは兄弟子の泰忠《やすただ》であった。
「お身がもとの烏帽子折りになったということは、よそながら聴いていた。どうじゃ、変わることはないか」
 久し振りで兄弟子の優しい声を聴いて、千枝太郎はいよいよ悲しくなった。彼はにじみ出す涙を両袖で拭きながら答えた。
「お身も変わることが無うて何よりじゃ。御勘当の身では何をすべきようもないので、よんどころなしに旧《もと》のなりわい、むかしの朋輩《ほうばい》に顔を見らるるも恥ずかしい。して、お師匠さまはどうしてござる」
「その後も悪魔の調伏に心を砕《くだ》いて、夜も碌々にお眠りなさらぬ」と、泰忠も声をくもらせて言った。「それに付けても口惜しいのは、悪魔のいよいよはびこることじゃ。お身はまだ知らぬか、玉藻はいよいよ采女《うねめ》に召さるるというぞ」
 さきごろ関白忠通から正式に玉藻を采女に推薦した。それに対して、頼長は相変わらず強硬に反対したが、忠通は頑として肯《き》かなかった。何分にもこの前とは違って玉藻は雨乞いの奇特《きどく》を世に示して、その名はもう雲の上までも聞こえている。相手にはそういう強味がある上に、頼長が唯一《ゆいいつ》の味方と頼む信西入道がなぜか今度は不得要領で、木にも付かず草にも付かぬというあいまいの態度を取っているので、味方はいよいよ影が薄い。蔭では兄の文弱を日ごろ罵り卑しめている頼長も、さすがに殿上で顔を向き合わせては、有る甲斐なしに兄を言い破るわけにもいかない。もうひとつには、玉藻の三井寺詣でを待ち受けて、遠矢に掛けようとした事も忠通に知られている。そういう事情がいろいろからんでいるので、彼は肚《はら》の中では苛《いら》いらしながらも、正面の論戦ではどうも思うように闘うことが出来ない。かたがた殿上の形勢は相手方の勝利にかたむいて、玉藻はいよいよ采女に召さるることに決まるらしいと、泰忠は残念そうに話した。
「もうこの上はお師匠さまの力一つじゃと、左大臣どのも仰せらるる。お師匠さまも昼夜の祈祷に、やがて精も根も尽き果てらりょうかと案じらるるほどじゃ。我らとても同様の苦労、察しておくりゃれ」と、泰忠は蒼ざめた唇をゆがめながら言った。
「そりゃ容易ならぬことじゃ」と、千枝太郎もはらわたから絞り出すような溜息をついた。「それに就いてわしも思い当たることがある。子細はこうじゃ」
 彼は兄弟子の耳に口をよせて、かの古塚のことや三浦の屋敷のことをささやくと、泰忠は眼をみはりながら聴いていた。
「むむ、よいことを教えてくれた。三浦のことはお師匠さまもわれわれも承知じゃが、古塚の怪異《あやかし》はまだ聞かぬ。よい、よい、きっとお師匠さまに申し上ぐる。お身もこれを功に御勘当が赦《ゆる》さりょうも知れぬ。この上にも心をつけて働いておくりゃれ。頼んだぞ」
 兄弟子から鋭《するど》く励まされて、千枝太郎のしおれた魂も俄に勇んだ。彼はきっとその怪異を探り出すことを泰忠に誓って別れた。彼はもう悠々と京の町などをうろついてはいられないので、山科の家へ急いで帰った。
「きょうもくたびれ儲けか」と、なんにも知らない叔母は笑っていた。「したが、そのうちにはおのずとなりわいの道も覚えて来る。必ず倦きてはならぬぞよ」
 気のよい叔母は彼の不働きを責めようともしないので、千枝太郎は幾らか気安く思った。そうして今夜こそは自分の務めを果たさなければならないと、張りつめた心を抱えて夜の更《ふ》けるのを待っていたが、どうも落ち着いてはいられないので、彼はゆうべよりも早く家を出て、陶器師の翁をたずねた。
「翁《おきな》よ。少し頼みがある。わしを小町の水の森へ案内してくれぬか。身内から光りを放った女が通り過ぎたというのはどのあたりか、案内して教えてくれ」
 途方もないと言うように、翁はしばらく黙って相手の顔を見つめていたが、やがて思い出したようにその手をゆるく振った。
「ならぬことじゃ。くどくもいう通り、塚の祟りがおそろしいとは思わぬか」
「いや、それを見とどけたらわしも出世する。翁にも莫大の御褒美を貰うてやる。どうじゃ、それでも頼まれてくれぬか」
「はて、出世も御褒美も命があっての上のことじゃ。ましてわしも人づてに聞いたばかりで、詳しいことはなんにも知らねば、いくら頼まれてもその案内が出来ようぞ。どんな出世になるか知らぬが、お身もやめい。あのような所へは行くものではないぞ」
 いくら強請《せが》んでも動きそうもないので、千枝太郎もあきらめてそこを出た。今夜は薄い月が行く手を照らして、もう木枯らしとでもいいそうな寒い風が時どきに木の葉を吹きまいて通った。千枝太郎はその風にさからって森の方へ急いで行った。大きい杉のかげに身を寄せて、彼はゆうべと同じようにふた※[#「※」は「日へんに向」、読みは「とき」、212-5]《とき》ほども待ち暮らしたが、折りおりに落葉のころげてゆく音ばかりで、土の上には犬一匹も通らなかった。
「今夜も無駄か」
 彼は失望してもう引っ返そうかと思っている時に、京の方角から牛車の軋《きし》る音がぎいぎいと遠くきこえた。木蔭からそっと首をのばして窺うと、牛飼いもない一|輌《りょう》の大きい車が牛のひくままにこちらへ徐《しず》かにきしって来た。薄い月は高い車蓋《やかた》を斜めにぼんやりと照らしているばかりで、低く這って来る牛の影も、月に背いた車の片側も、遠くからはっきりとは見えないので、さながら牛のない片輪車が自然に揺らめいて来るかとも怪しまれた。千枝太郎は身を固くして、この怪しい車の音に耳を澄ましていた。
 車はだんだんに近づいて、棟の金物《かなもの》の薄くきらめくのも見えるほどになった時に、もう待ち切れなくなった千枝太郎は木のうしろから衝《つ》とあらわれて、覚束ない月の光りでその車の正体を見届けようとすると、不思議に車の轅《ながえ》は向きをかえた。かれを追う牛飼いもないのに、牛はおとなしく向き直って、元来た京の方へのろのろと歩んで行くのであった。千枝太郎はおどろいた。驚くと共に彼の疑いはいよいよ募って、なんの分別もなしに車のあとを追った。歩みの遅い牛の尻へ彼はすぐに追い付いて、右の轅に取り付きながら前すだれを無遠慮にさっと引きめくると、薄い月は車のなかへ夢のように流れ込んで、床《とこ》にすわっている女の顔を微かに照らした。
 その顔をひと目見て千枝太郎は立ちすくんだ。車のぬしは三浦の孫娘の衣笠であった。衣笠が今頃ただ一人でどうしてこんな所へ来たのか。千枝太郎は自分の眼を疑うように、呆れてしばらく眺めていると、すだれはおのずからさらりと落ちて、車は再びゆるぎ出した。
「わらわに恋するなど及ばぬことじゃ。思い切れ。思い切らぬと命がないぞ」
 すだれのなかでは朗《ほがら》かな声で言った。

    三

 なんの祈願《ねがい》か、なんの呪詛《のろい》か。殊に外出を封じられている衣笠が、この夜ふけに一人の供をも連れないで何処《いずこ》へ行くつもりであったろう。千枝太郎にはとてもその想像が付かなかった。さらに不思議なのは、その車が彼の姿をみると俄に向きを変えてしまったことである。もう一つ彼をおびやかしたのは、すだれのうちから響いた女の声であった。
 わらわに恋するなど及ばぬこと――それが強い意味を含んで千枝太郎の胸にこたえた。恋か何か知らないが、彼は初めて衣笠の名を聞いたときから――初めて衣笠の顔を見た時から――彼の心はその方へ怪しく引き寄せられてゆくように思われた。彼の心は知らずしらずに妖麗の玉藻を離れて、端麗の衣笠の方へ移っていった。その秘密、彼自身すらもまだはっきりとは意識していない内心の秘密を車のぬしはとうに見破っているらしい。一種の羞恥心と恐怖心とがひとつになって、千枝太郎はもうその車を追いかける勇気を失った。彼は石のように突っ立って、だんだんに遠ざかっていく車の黒い影をいたずらに見送っていた。
 車のぬしは確かに衣笠であろうか。あるいは自分の見損じで、彼女はやはり玉藻ではあるまいか。衣笠の顔と玉藻の顔と、衣笠の声と玉藻の声と、それが一つにこぐらかって、混乱した千枝太郎の頭にはもうその区別が付かなくなってきた。どう考えても衣笠が今頃ここへ来る筈がない。それがやはり玉藻であるらしく思われてきたので、彼はもう一度その正体を見極めたくなって、大胆に再びそのあとを追おうとすると、彼の踏み出した足はたちまち引き戻された。何者にか、その袖をしっかりと掴まれているのであった。
「千枝太郎、待ちゃれ」
 それが師匠の声であることは、この場合にもすぐに覚えられたので、彼はあわてて捻じ向くと、自分の袖を掴んでいるのは兄弟子の泰忠であった。そのそばには播磨守泰親も立っていた。
「千枝太郎。あっぱれの働きをしてくれた」と、泰親は自分の足もとにひざまずいている弟子をみおろしながら言った。「もう追うには及ばぬ。正体はたしかに見とどけた。お身の訴えを泰忠から聴いて、泰親自身で様子を探りにまいった。よう教えてくれた。かたじけないぞ。これで正体もみな判った」
 師匠はひどく満足したらしい口吻《くちぶり》であるが、弟子にはそれがよく判らなかった。千枝太郎は怖るおそる訊いた。
「して、あの車のぬしは何者でござりましょう」
「お身の眼にはなんと見えた。あれは紛《まぎ》れもない玉藻じゃ」
「玉藻でござりましょうか」
「彼女《かれ》でのうて誰と見た。三浦の娘などと思うたら大きな僻目《ひがめ》じゃ」と、泰親は意味ありげにほほえんだ。
 千枝太郎は再びおびやかされた。師匠も自分の胸の奥を見透かしているらしいので、彼は重い石に圧《お》し付けられたように、頭をたれたまま小さくうずくまっていた。
「もう夜が更《ふ》けた」と、泰親は陰った月の陰を仰いだ。「わしはすぐに屋敷へ帰る。千枝太郎も一緒に来やれ」
 改めてなんの言い渡しはなくとも、これで彼の勘当はゆるされたのである。千枝太郎はよみがえったように喜んで、泰忠と一緒に師匠の供をして京へ帰った。帰るとすぐに、泰親はこの二人のほかに優れた弟子の二人を奥へ呼び入れた。いずれも河原の祈祷に幣《へい》をささげた者どもである。師匠は四人の弟子たちに言い聞かせた。
「千枝太郎の訴えで何もかもよく判った。かの古塚へ夜な夜な詣る怪しの女はまさしく玉藻に極わまった。察するところ、かの古塚のぬしが藻《みくず》という乙女《おとめ》の体内に宿って、世に禍いをなすのであろう。就いては泰親の存ずる旨あれば、夜があけたら宇治の左大臣殿にその旨を申し立て、かの古塚のまわりに調伏の壇を築いて、かさねて降魔の祈祷を試むるであろう。鳥を逐わんとすればまずその巣を灼《や》くというのはこの事じゃ。今度こそは大事の祈祷であるぞ。ゆめゆめ油断すまいぞ」
 有明けのともしびに照らされた師匠の顔は、物凄いほどに神々《こうごう》しいものであった。昼夜を分かたぬ連日の祈祷に痩せ衰えた彼の顔も、今度は輝くばかりに光っていた。四人の弟子も感激して師匠の前を引き退がったが、泰親の居間には明るい灯があかつきまで消えなかった。
 弟子たちは自分の部屋へ戻ってうとうとしたかと思うと、忽ちに師匠の声がきこえた。
「もう夜が明けたぞ。泰忠は早く支度して宇治へまいれ。早う行け」
「心得ました」
 泰忠はすぐに跳ね起きて屋敷を出て行った。いつもならばこの使いは自分に言い付けられるものをと、千枝太郎は羨ましいような心持で門《かど》まで見送って出た。東がすこし白んだばかりで、深い霧の影が大地を埋めているなかを、泰忠が力強く踏みしめて歩んでいくのが、いかにも勇ましく頼もしく思われて、千枝太郎も一種の緊張した気分になった。
 この時代の人が京から宇治まで徒歩《かち》で往き戻りするのであるから、帰りの遅いのは判り切っているので、千枝太郎は彼の戻って来るまで山科へ一度帰りたいと思った。
「ゆうべ出たぎりで、叔父や叔母も定めて案じておりましょう。昼のうちに立ち帰って、この次第を語り聞かせとう存じまするが……」と、彼は師匠の前に出て願った。
「もっとものことじゃ。叔父叔母にもよう断わってまいれ」
 師匠の許しをうけて、千枝太郎は土御門の屋敷を出た。その途中で彼は又、あらぬ迷いが湧いて来た。自分もいったんはそう疑い、師匠は確かにそう言い切ったのであるが、車のぬしは果たしてかの玉藻であろうか。自分の見た女の顔はどうも衣笠に似ているらしく、殊にその身内からはなんの光りも放っていなかった。勿論、この場合には、自分の目よりも師匠の明らかな眼を信じなければならないと思いながらも、彼はまだ消えやらない疑いを解くために、その足を七条の方角へ向けた。
 三浦の屋敷へ行って、家来に逢ってきくと、やはりきのうと同じ返事で、その後なんにも変わったことはないと言った。
「娘御はゆうべ何処《いずこ》へかお忍びではござりませぬか」と、千枝太郎はそれとなく探りを入れてみた。
「なんの、お慎みの折柄じゃ。まして夜陰《やいん》にどこへお越しなさりょうぞ」と、家来は初めから問題にもしないように答えた。
 これを聞いて千枝太郎も安心した。もう疑うまでもない。車のぬしを衣笠と見たのは自分の僻目《ひがめ》で、彼女はやはり玉藻であったに相違ない。それにしては、わらわに恋するなど及ばぬこと――この一句の意味がよく判らなかった。玉藻は自分の方から一度首尾して逢うてくれとたびたび迫り寄って来るのでないか。それがまことの恋であるかないかは別問題として、思い切らねば命を取るとまで言い放すのは余りにおそろしい。千枝太郎はいろいろにその問題をかんがえた。
 三浦の屋敷にあらわれた怪しい上臈は、衣笠にむかって早く故郷へ帰れと言った。ゆうべの怪しい女は、自分にむかって恋を思い切れと言った。それとこれを綴りあわせて考えると、玉藻は自分の心が衣笠の方へひかれていくのを妬んで、いろいろの手だてを以って彼女を嚇《おど》し、あわせて自分を嚇そうとするのであろう。ゆうべも衣笠の姿を自分に見せて、衣笠の口真似をして自分を嚇したのであろう。
 こうだんだんに煎じつめて来ると、玉藻はどう考えても魔性の者である。もう寸分も疑う余地はないのである。千枝太郎はあらん限りの勇気を奮い起こして、師匠と共におそろしい悪魔をほろぼさなければならないと決心した。彼は男らしい眉をあげて、高く晴れた大空を仰ぎながら、けさの泰忠と同じように大地を力強く踏みしめながら歩いた。
 叔父はあきないに出て留守であった。叔母に逢って、勘当の赦《ゆ》りたわけを手短かに話して、千枝太郎はすぐに京へ引っ返して来た。土御門の屋敷へ帰ると、泰忠はもう先きに戻っていた。彼は宇治へゆく途中の頼長に逢って、ひとつ牛車に乗せられて来たのであった。
「いよいよあすはかの古塚にむかって最後の祈祷を行なうことに決めた。左大臣殿は塚を発《あば》けと申さるる。それもよかろう。いずれにしてもあすは大事じゃ。怠るな」と、泰親はかさねておごそかに言い渡した。「千枝太郎、お身は今度の功によって、祈祷の数に加えてやるぞ」
 千枝太郎は涙にむせんで師匠の恩を感謝した。その夜なかに彼は怪しい夢を見た。
 場所はどこだか判らないが、彼は三浦の孫娘と連れ立って広い草原をあるいていた。そこには野菊や桔梗《ききょう》が咲き乱れて、秋の蝶がひらひらと舞っていた。二人は手を把《と》って睦まじくあるいて来ると、草の中には陥穽《おとしあな》でもあったらしい。衣笠のすがたは忽ち消えるように沈んでしまった。と思うと、入れ替わって玉藻の形がありありと現われた。
「三浦の娘に心を移そうとしてもそれは成らぬ。おまえと藻《みくず》とは前《さき》の世からの約束がある。いかにわたしを仇《かたき》にしようと思うても、所詮《しょせん》むすび付いた羈絆《きずな》は離れぬ。今別れても再びめぐりあう時節があろう。これを覚えていてくだされ」
 彼女は草の奥にある大きい怪しい形の石を指さして消えた。千枝太郎の夢もさめた。夜があけると、彼は急に胸苦しくなって、湯も米も喉へは通らないように思われた。しかしきょうは大事の日であるので、彼は努めて早く起きて、ほかの弟子たちと一緒にきょうの祈祷の仕度に取りかかった。謹慎《つつしみ》の身である泰親が、白昼《まひる》の京の町を押し歩くということは憚りがあるので、彼は頼長から差し廻された牛車に乗って、四方のすだれを垂れて忍びやかに屋敷を出た。ほかの弟子たちは笠を深くしてそのあとについて行った。
 頼長の指図をうけて、源氏の侍どもはかの森のまわりを厳重に取り囲んでいた。そのなかには三浦介義明も木蘭地《もくらんじ》の直垂《ひたたれ》に紺糸の下腹巻をして、中黒藤《なかぐろとう》の弓を持って控えていた。三浦の党は上洛以来きょうが初めての勤めであるので、彼も家来どもも勇気が満ちていた。千枝太郎に折らせた新しい烏帽子の緒を固く引きしめて、小源二も大きい長巻《ながまき》を引きそばめていた。
 この物々しい警固のなかを分けて、泰親の群れは昼でも薄暗い森の奥へはいった。邪魔になる立ち木は武士どもに伐り倒されて、そこには祈祷の壇が築かれた。陰った秋の空は低くたれて、森には鳥一羽の鳴く声もきこえなかった。
 壇に登ったのは河原の祈祷とおなじように四人であった。彼らはやはり五色《ごしき》に象《かたど》った浄衣《じょうえ》をつけていた。泰親の姿は白かった。落葉に埋められた円い古塚を前にして、祈祷は午《うま》の刻(正午十二時)から始められたが、それが息もつかずに夜まで続いたので、そこらには篝火《かがりび》が焚かれた。木の間へ忍び込む夜風にその火がゆれなびいて、五色の影を時どきに暗く隠すかと思うと、又明かるく浮き出させるのも物凄かった。警固の人びとも草も木も息をひそめて、このすさまじい祈祷の結果をうかがっているらしかったが、夜の亥《い》の刻(午後十時)を過ぎた頃に、梢をゆする夜風がひとしきり烈しく吹いて通ったかと思うと、今まで黙っていた古塚が地震《ないふる》ようにゆらゆらと揺るぎ出した。
 この時である。壇のまん中に坐っていた泰親は忽ち起《た》ち上がって、ひたいにかざしていた白い幣を高くささげながら、塚を目がけて礑《はた》と投げつけると、大きい塚はひと揺れ烈しくゆれて、柘榴《ざくろ》を截《た》ち割ったように真っ二つに裂けた。


殺生石《せっしょうせき》

    一

 その夜であった。
 関白の屋形には大勢の女房たちがあつまって、玉藻の前を中心に歌の莚《むしろ》が開かれていた。あしたは十三夜という今夜の月は白い真玉《またま》のように輝いて、さすがに広いこの屋形も小さく沈んで見えるばかりに、秋の夜の大空は千里の果てまでも高く澄んで拡がっていた。
 今夜の題は「月不宿《つきやどらず》」というのであった。この難題には当代の歌詠みと知られた堀川や安芸や小大進《こだいしん》の才女たちも、うつむいた白い頸《うなじ》を見せて、当座の思案に打ち傾いていた。一座はしわぶきの声もなくて、鳴き弱ったこおろぎが真垣《まがき》の裾に悲しくむせんでいるのが微かに聞こえるばかりであった。その沈黙は玉藻が溜息の声に破られた。
「おもえば思うほど、これは難題じゃ」
「ほんにそうでござりまする」と、堀川もその声に応じて、案じ悩んだ顔をあげた。「関白殿もむごいお人じゃ。これほどの難題にわたくしどもを苦しめようとは……」
「さりとてこうなれば女子《おなご》の意地じゃ。どうなりともして詠み出さいではのう」と、安芸もひたいを皺めながら言った。
 縁さきで忽ちに笑う声がきこえた。
「はは、予をむごいと言うか。久安百首にも選まれたほどの人びとが、これほどのことを詠み煩ろうては後《のち》の世の聞こえもあろうぞ」
 女たちは今ここへはいって来た人にむかって、その星のような眼を一度にあつめた。人はあるじの忠通であった。忠通は半※[#「※」は「日へんに向」、読みは「とき」、222-8]《はんとき》ほども前にこの難題を女たちの前に提出して置いて、しばらく自分の居間へ立ち戻っていたが、もうよい頃と思って又出直して来ると、どの人の色紙にも短尺にも筆のあとは見えなかったので、彼はたまらないほどに興《きょう》あるもののようにそり返って笑った。
「玉藻はどうじゃ」
「わたくしにも成りませぬ」と、玉藻は面《おも》はゆげに答えた。
「玉藻の御《ご》にも成らぬほどのもの、わたくしどもにどうして成りましょうぞ」と、堀川はあぐね果てたように言った。
「玉藻にならぬとて、お身たちにならぬとも限るまいに、そりゃ卑怯じゃぞ」と、忠通はまた笑った。
 しかし忠通の心の奥にはつつみ切れない満足と誇りとが忍んでいた。この女たちはみな玉藻よりも先輩で、早くから才名を知られている者どもである。したがって、玉藻に対する一種の妬みから、今日まで余り打ち解けて彼女と交わる者はなかった。それが玉藻の雨乞い以来、殊に今度いよいよ采女に召さるることに決定してから、誰も彼も争って彼女の影を慕い寄って来る。勢いに付くが世の習いとは承知していながら、忠通は決してかれらを卑しむ心にはなれなかった。彼は努めてそれを善意に解釈して、あらゆる才女もいよいよ我《が》を折って、玉藻の裳《もすそ》をささげに来たものと認めようとしていた。その意味から、今夜の歌の莚も玉藻を主人として催させたものであったが、どの女房たちも遅滞《ちたい》なしに集まって来て、いずれも年の若い玉藻に敬意を表しているのを見ると、忠通はこの頃におぼえない愉快と満足とを感じた。この夏以来の気鬱《きうつ》も一度に晴れて、彼の胸は今夜の大空のように明るく澄み渡ってきた。
「玉藻、どうじゃ。みなもあれほどに言うているぞ、お身がまずその短尺に初筆《しょふで》をつけいでは……。予が披講する。早う書け」
 玉藻はやはり打ち傾いていたが、やがて低い声で上《かみ》の句を口ずさんだ。
  宿すべき池は落葉に埋もれて――
 これだけ言って彼女は急に呼吸《いき》をのみ込んだ。彼女は逆吊るばかりに眼じりをあげて、衝《つ》と起ち上がって縁さきへするすると出ると、今までは気がつかなかったが、明るい月は俄に陰って、重い大空はこの世を圧《お》しつぶそうとするかのように暗く低く掩いかかって来た。難題を出して得意でいた人も、この難題に屈託していた人たちも、今更のように眼を働かせて陰った大空と暗い広庭とを眺めた。虫も声をひそめたようにその鳴く音を立てなかった。
 玉藻はまじろぎもしないで、だんだんに圧《お》し懸かって来るような暗い空をきっと睨みつめていると、忠通も端《はし》近く出て、ただならぬ夜の気配をおなじく窺っていた。
「ほう、やがて夜嵐でも吹き出しそうな。この春の花の宴《うたげ》のゆうべにも、このような怪しい空の色を見たよ」
 彼の予言は外《はず》れなかった。弱い稲妻が彼の直衣《のうし》の袂を青白く染めて走ったかと思うと、庭じゅうの草や木を一度にゆすって、おびただしい嵐がどっと吹き巻いて来た。大きい屋形は地震《ないふる》ようにぐらぐらと揺れるので、忠通は危うく倒れかかって玉藻の手をとった。
「物怪《もののけ》の仕業であろうも知れぬ。端《はし》近う出ていて過失《あやまち》すな」
 引き立てられて、玉藻はよろめきながら元の座に戻った。しかも彼女は何物をか恐れるように、蒼ざめた顔を両袖に埋めてそこに俯伏してしまった。夜嵐はひとしきりでやんだらしい。それでも暗い空はいよいよ落ちかかって来て、なにかの怪異《あやかし》がこの屋形の棟の上に襲って来るかとも怪しまれた。
「侍やある。早うまいれ」と、忠通は高い声で呼び立てた。
 宿直《とのい》の侍どもは庭伝いにばらばらと駈けあつまって来た。そのなかでも近ごろ筑紫から召しのぼされた熊武という強力《ごうりき》の侍が、大きい鉞《まさかり》を掻い込んで庭さきにうずくまったのが眼に立った。
「すさまじい夜のさまじゃ、警固怠るな」と、忠通は言った。
 女たちは身を固くしてひとつ所に寄りこぞって、誰も声を出す者はなかった。それをおびやかす稲妻がまた走って、座敷の燈火《ともしび》を奪うようにあたりを明るくさせた。と思うと、言い知れない一種の怪しい匂い、たとえば女の黒髪を燃やしたような怪しい匂いが、どこからともなしに湧き出して、無言の人びとの鼻に沁みた。
「あ、玉藻の御《ご》は……」と、熊武は床の下から伸び上がって叫んだ。
 玉藻は毒薬を飲んだように身を顫《ふる》わせているのであった。彼女の長い髪は幾千匹のくちなわが怒ったように逆立《さかだ》って乱れ狂っていた。忠通もおどろいて声をかけた。
「玉藻。さのみ恐るるな。予もこれにおる。強力の者どももそこらに控えているぞ」
 彼女はなんとも答えなかった。いや、答えることが出来ないのかもしれなかった。彼女は骨も肉も焼けただれていくかとばかりに、さも苦しげに身をもがいて、再び顔をもたげようともしなかった。
「玉藻、玉藻」と、忠通はまた叫んだ。
 夜嵐が又どっと吹きおろして来て、座敷の燈火も侍どもの松明《たいまつ》も一度に打ち消されたかと思うと、玉藻の苦しみ悶《もだ》えている身のうちから怪しい光りがほとばしって輝いた。それは花の宴《うたげ》の夕にみせられた不思議とちっとも変わらなかった。その光りのなかに玉藻はすくっと起ち上がった。おどろに乱れた髪のあいだから現われた彼女の顔の悽愴《ものすご》さ――忠通は思わずぞっとして眼を伏せると、彼女はしなやかな肩に大きい波を打たせて、燃えるようなほの白い息を吐きながら、あたりを凄まじく睨《ね》めまわして縁さきへよろよろとよろめき出た。筑紫育ちの熊武はまさしく彼女を魔性の者と見て、猶予なく鉞を取り直して縁のあがり段に片足踏みかけると、その一刹那である。彼を盲にするような強い稲妻が颯《さっ》とひらめいて来て、彼のすがたは鷲に掴まれた温《ぬく》め鳥のように宙に高く引き挙げられた。
 世はむかしの常闇《とこやみ》にかえったかと思われるばかりに真っ暗になって、大地は霹靂《はたたがみ》に撃たれたようにめりめりと震動した。忠通も眼がくらんで俯伏した。女たちは息が詰まって気を失った。侍どもも顔を掩って地に伏していると、黒い雲の上から庭さきへ真っ逆さまに投げ落とされたのはかの熊武の亡骸《なきがら》であった。その身体は両股のあいだから二つに引き裂かれていた。
 この怪異におびやかされた人たちが初めて生き返ったように息をついたのは、それから小半※[#「※」は「日へんに向」、読みは「とき」、226-12]の後であった。松明は再び照らされて、熊武のおそろしい死骸を諸人の前に晒《さら》したときに、気の弱い女たちは再び気を失ったのもあった。忠通も暫くは声も出なかった。玉藻の姿はどこへか消え失せてしまった。
「宇治の左大臣殿お使いでござる」
 早馬で屋形の門前へ乗り付けたのは、頼長の家来の藤内兵衛遠光であった。彼は玉藻の様子を見とどけるために、山科からすぐに都へ馳せ付けたのである。彼は忠通の前に召し出されて、きょうの祈祷の結果を報告すると、重ねがさねの怪異におどろかされて、忠通も大息をついた。
「ほう、その古塚は二つに裂けたか。して、塚の底には何物が埋められてあったぞ」
「人の骨、鏡、剣、曲玉《まがたま》のたぐい、それらはひとつも見付かりませぬ。ただひとつ素焼の壺があらわれました」と、遠光は説明した。
「素焼の壺……」
「打ち砕いて検《あらた》めましたら、そのなかにはひとたばの長い黒髪が秘めてござりました」
「女子《おなご》のか」
「勿論のことでござりまする。泰親はその黒髪を火に焼いて、さらに秘密の祈祷を試みました」
「ほう、それか」と、忠通は思い当たったようにうなずいた。「その黒髪の焼け失《う》すると共に、玉藻の形も消え失せたのであろうよ」
 そのときには雲もだんだんに剥げて来て、陰った大空には秋の星が二つ三つきらめき出していた。

    二

 玉藻のゆくえは無論に判らなかった。おそらく彼女は熊武を引っ掴んで虚空《こくう》遥かに飛び去ったのであろう。いずれにしても魔女は姿を隠したのであるから、頼長の一党は勝鬨をあげて祝った。安倍泰親は妖魔を退散せしめた稀代の功によって従三位《じゅさんみ》に叙せられた。
「泰親もこれで務めを果たしたわ」
 彼は初めて鏡にむかって、俄に鬢鬚《びんひげ》の白くなったのに驚いた。しかも彼に取っては一代の面目、末代の名誉である。今まで閉じられた屋敷の門は、そのあしたから大きく開かれて、祝儀の人びとが門前に群がって来た。
 その賑《にぎ》にぎしい屋敷の内に只ひとり打ち沈んでいる若い男があった。それは千枝太郎泰清である。彼は当日の朝から俄に胸苦しいのを努めて、祈祷の供に加わった。祈祷が終わると、彼はもう魂がぬけたように疲れ果ててしまった。あくる日もやはり胸がいっぱいに塞がっているようで、湯も喉へは通らなかった。
「張りつめた気がゆるんだせいじゃ。おちついて少し休息せい」と、兄弟子の泰忠が親切にいたわってくれた。
 張り詰めた気がゆるむ――どうもそればかりではないらしく、彼自身には思われてならなかった。
 悪魔が形を消した――それは勿論、喜ばしいことに相違なかったが、それと同時に藻《みくず》という美しい女の形がこの世界から全く消え失せてしまったということが、千枝太郎には悲しく思われた。こうなると、たとい悪魔の精を宿しているにもせよ、藻という女の姿をもう少しこの世にとどめて置きたかった。彼は俄に藻が恋しくなった。世の禍いを鎮めるためとはいいながら、彼は古塚の秘密をみだりに兄弟子に口走ったのを今さら悔むような気にもなった。それは愚かであると知りながらも、彼はやはり藻が恋しかった。その形を仮りていた玉藻が恋しかった。
 この埒《らち》もない心の悩みを癒すために、彼は三浦の娘をたずねようと思い立った。祈祷から三日目の午《ひる》すぎに、千枝太郎は七条へ忍んで行って三浦の宿所の門前に立つと、彼は小源二から思いも寄らない報告をうけ取った。
「お身はまだ知らぬか。衣笠どのはおとといの夜にむなしくなられた」
「衣笠どのが亡《う》せられた……」
 千枝太郎は声も出ないほどに驚いた。小源二の話によると、祈祷の夜の亥《い》の刻ごろ、泰親がかの黒髪を火に燃やしたと恰《あたか》もおなじ頃に、彼女はにわかにこの世を去ったというのであった。屋敷じゅうの男どもはみな主人の供をして山科郷へと向かっていた留守であるから、詳しいことは確かにわからないが、そのときかの怪しい上臈が再び庭さきに姿をあらわしたと侍女《こしもと》どもはささやいていた。
「じゃによって、われらが案ずるには、かの玉藻めが殿様のお留守を窺って、衣笠殿に祟ったのではあるまいか。彼女《かれ》めが正体をあらわして飛び去るときに、憎いと思うものをとり殺していく。それはさもありげなことじゃが、なぜそれほどに衣笠どのに執念《しゅうね》く禍いするか、それが判らぬ。殿様|以《も》ってのほかの御愁傷で、よその見る目もおいたわしい。こうと知らば大切の孫娘をわざわざ都までは連れまいものをとのお悔みも、さらさら御無理とも思われぬよ」と、小源二もさすがに鼻をつまらせて語った。
 千枝太郎は新しい悲しみに囚《とら》われた。玉藻がなぜ衣笠の命を奪って行ったか、それは誰にも判ろう筈はないが、彼には思い当たることがないでもなかった。玉藻のおそろしい妬み――それが禍いのもとであるらしく思われてならなかった。三浦介が孫娘を連れて来たのを悔むとは又違った意味で、彼は三浦の宿所へ出入りしたのをしきりに悔んだ。彼は祈祷の前夜の怪しい夢を今更のように思い出した。
「思えばほんにおいたわしいことじゃ」と、千枝太郎もうるんだ眼瞼《まぶた》をしばたたいた。「方がたの御心中もお察し申す。われらがお悔み申し上ぐると、三浦の殿にもよろしゅうお取次ぎ下され」
 小源二にわかれて、彼は暗い心持で土御門の屋敷に帰った。それでも日を経るにしたがって、彼の元気もだんだんに回復して来た。師匠やほかの弟子たちの晴れやかな顔を見ていると、彼の結ぼれたような胸もおのずと開けて来た。
 十日ほどの後に、彼は師匠の許しを得て山科へゆくと、叔父も叔母も彼の手柄を喜んでくれた。それと同時に、彼はここでも思いも寄らない話を聞かされた。
「お前の久しい馴染みであった陶器師《すえものつくり》の翁《おきな》が俄に死んだよ」と、叔父は気の毒そうにささやいた。
「おお、あの翁が死んだかよ」と、千枝太郎はまた驚かされた。
「丁度あの祈祷の明くる朝であった。いつも早起きのあの翁が日の高うなるまで戸をあけぬのを不審がって、近所のものが隙きまからそっと覗いてみたら、翁は紙衾《かみぶすま》から半身這い出して、両手に空《くう》をつかんだままで……。ああ、善《い》い人であったがのう」
「ほんに善い人であったがのう」と、千枝太郎はおおむ返しに言って、深い溜息をついた。
 古塚へ夜まいりの女をみたという弥五六は、何物にか喉を食い裂かれて死んだ。それを千枝太郎に教えた陶器師の翁も三浦の孫娘とおなじ夜に死んだ。それらを一いち思いあわせると、彼は一種の強い恐怖におそわれた。玉藻という女を中心にして、いろいろの悲哀と恐怖とが再び千枝太郎の胸に重い石を置いた。彼は翁の墓にひと束の草花をそなえて帰った。
 あくる月のはじめである。
 野州《やしゅう》の那須の住人那須八郎|宗重《むねしげ》から早馬で都へ注進して来た。それは九月のなかばから白面《はくめん》金毛《きんもう》九尾《きゅうび》の狐が那須の篠原《しのはら》にあらわれて、往来の旅びとを取り啖《くら》うは勿論、あたりの在家《ざいけ》をおびやかして見あたり次第に人畜を屠《ほふ》り尽くすので、宗重は早速に自分の人数を駆りあつめて幾たびか狐狩りを催したが、神通自在の妖獣はここに隠れかしこに現われて、どうしても彼らの手には負えないので、結局それを上聞《じょうぶん》に達するというのであった。頼長はすぐに泰親を召して占わせると、その金毛九尾の妖獣はまさしく玉藻の姿であることが判った。玉藻は東国へ飛び去って、那須野《なすの》ケ原をその隠れ家としているのであった。
「おそらく宗重一人の力では及び申すまい。それがしは都にあって再び調伏をこころみ申す間、源平両家の武士のうちより然るべき者どもを東国へ下され、宗重に力をあわせて悪獣退治のおん計らい然るびょう存じまする」と、泰親は申し上げた。
 玉藻の正体があらわれてから、関白忠通は世間に面目を失った。大納言師道も病気と申し立てて官職を辞した。殊に忠通は魔性の者にたぶらかされて、彼女を采女に申し勧めたのであるから、その責任はいよいよ重大であった。彼も関白の職を去って桂の里の山荘に引き籠ることになった。
 したがって当時の殿上は頼長の支配である。頼長は泰親の意見を容《い》れて、源平両家の武士のうちから然るべきものをすぐり出そうとしていると、それを洩れ聞いて、第一に願い出たのは三浦介義明であった。
 三浦は東国の生まれである。老年ではあるが、弓矢のわざにも長《た》けている。殊に彼は最愛の孫娘を悪魔の手に奪われている。それらの事情をかんがえて、殿上の議論も彼を選むことに一致した。頼長は彼一人に命ずるつもりであったが、源平両家がならび立っている以上、源氏の三浦に対して平家からも相当の武士一人を選み出さなければ権衡をうしなうという議論が勝ちを占めて、平家からは上総介広常を選むことになった。広常はまだ二十九歳で、これも東国の生まれであった。
 三浦、上総の両介はすぐに支度を整えて東国に走《は》せ下った。泰親はかさねて屋敷のうちに調伏の壇をしつらえた。泰忠その他の弟子たちも壇にのぼる人になった。千枝太郎も無論その一人に加えられたが、彼は不思議に魂がゆるんで、どうしても今までのような張り詰めた気分になれなかった。彼は日々のおごそかな祈祷に倦《う》んで来た。
 十月もやがて終わりに近い日である。
 都には今年の冬が俄に押し寄せたように、陰った底寒い日が幾日もつづいて、けさはめずらしく青々とした空をみせたかと思うと、どこからか忽ちにしぐれ雲を運び出して、大粒の霰《あられ》がはらはらと落ちて来た。那須の篠原に狩り暮らしている三浦、上総の籠手《こて》の上にも、こうした霰がたばしっているかと千枝太郎は遠く思いやった。そうして、やがては彼らの矢じりに貫かれなければならない玉藻の運命をも思いやった。こうした考えに心を迷わせている間に、彼の祈祷はおのずとおろそかになった。その怠りがすぐに師匠の眼についた。
「千枝太郎。きょうは大事の日じゃ。おのれはならぬ。さがれ」
 泰親は激しく彼を叱りつけて、祈祷の壇から追い落とした。そうして泰藤という他の弟子に代らせた。
 その日の未《ひつじ》の刻(午後二時)である。泰親は四人の弟子たちから青、黄、赤、黒の幣《へい》を取りあつめ、自分の持っていた白い幣と一つにたばねて、壇を降って縁さきに出た。折りから音を立てて降って来た霰のなかに、彼は東国の空を仰いで五色の幣を一度に投げあげると、四つの幣は宙を舞って元の庭に落ちたが、唯ひとつの白い幣はさながら白い鳥の飛ぶように、高い空をどこまでも走って行った。
 泰親は跳りあがってそのゆくえを見送った。
「あの幣の落つるところに妖魔は確かに封じられた」
 あたかもこの日のこの時刻である。三浦と上総とは霰のなかで那須の篠原を狩り立てて、金毛の狐を射倒したのであった。三浦の黒い矢は狐の頸筋を射た。上総の白い矢は狐の脇腹を射た。その注進はわずかに五日の後、早馬を以って都に伝えられた。
 播磨守泰親は再び面目を施した。しかし重ねがさねの心労で、彼はその後|十日《とおか》ばかりは病いの床についた。その間のある夕に、千枝太郎は看病の枕もとをぬけ出して行くえが知れなかった。病いが癒えてから泰親はそれを知って、溜息をつきながら弟子たちに言い聞かせた。
「彼はおそらく那須野へさまよって行ったのであろう。所詮かれの面《おもて》にあやかしの相は消えぬ。救おうとしても救われまい。これも逃れぬ宿世《すくせ》の業《ごう》じゃ」
 弟子たちももう彼のゆくえを探そうとはしなかった。

    三

「その狐は顔だけが雪のように白うて、胴体や四足の毛は黄金《こがね》のように輝いて、しかもその尾は九つに裂けていたそうな」
 四十前後の旅びとは額《ひたい》を皺めて怖ろしそうに語った。それを黙って聴いている若い旅びとは千枝太郎であった。それを語っている旅びとは陸奥《みちのく》から戻って来た金売《かねう》りの商人《あきうど》であった。大きい利根川の水もこの頃は冬に痩せて、限りもない河原の石が青い空の下に白く光っていた。ふたりの旅人はその石に腰をかけて、白昼《まひる》の暖かい日影を背に負いながら並び合っていた。
「それほどの狐であったら、容易に狩り出されそうもないものじゃに……」と、千枝太郎は独り言のように言った。
「なんでも七日あまりはその隠れ場所も知れなんだが、朝から折りおりに陰って大きい霰が降って来た日の午《ひる》過ぎじゃ」と、金売りの商人は語りつづけた。「どこからとも知れずに一本の白い幣束《へいそく》が宙を飛んで来て、薄《すすき》むらの深いところに落ちたかと思うと、人も馬も吹き倒すような怖ろしい風がどっと吹き出して、その薄むらの奥からかの狐があらわれた。それを三浦と上総の両介どのが追いすがって、犬追《いぬお》う物《もの》のようにして射倒されたということじゃが、その執念は怖ろしい。その弓に射られて倒れたかと思うと、その狐の形はたちまちに大きい石になったそうな」
「石になった」と、千枝太郎は眼をみはった。
「おお、不思議な形の石になった」と、旅商人はうなずいた。「いや、そればかりでない。その石のほとりに近寄るものは忽ちに眼が眩《ま》うて倒れる。獣もすぐに斃《たお》れる。空飛ぶ鳥ですらも、その上を通れば死んで落つる」
「それは定《じょう》か。まことの事か」
「なんでいつわりを言おうぞ。わしはあの地を通り過ぎて、土地の人から詳しゅう聞いて来たのじゃ。石は殺生石《せっしょうせき》と恐れられて、誰も近寄ろうとはせぬほどに、そのあたりには人の死屍《しかばね》や、獣《けもの》の骨や鳥の翅《つばさ》や、それがうず高く積み重なって、まるで怖ろしい墓場の有様じゃという。お身も陸奥へ旅するならば、心して那須野ケ原を通られい。忘れてもその殺生石のほとりへ近寄ってはならぬぞ」
「そのような怖ろしい話はわしも初めて聞いた」と、千枝太郎は深い考えに沈みながら言った。「では、その石に魂が残っているのかのう」
「おそろしい執念が宿っているのじゃ。どの人も皆そう言うている。旅に馴れたわしですらもその話を聞くと身の毛がよだって、わき眼も振らずに駈けぬけて通って来た。お身たちは年が若いで、物珍しさにその殺生石のそばへなど迂闊に近寄ろうも知れぬが、それは命が二つある人のすることじゃ。わしの意見を忘れまいぞ」
 その親切な意見も耳に沁みないように、千枝太郎は大きい眼をかがやかして川むこうの空を眺めていた。師匠の泰親が見透した通り、彼は都の屋敷をぬけ出して、この東国まで遥々とさまよい下ったのであった。なんのためにここまでたずねて来たか。彼は玉藻が魔女であることをよく知っていた。彼はもうそれを疑う余地はなかった。異国から飛び渡った金毛九尾の悪獣が藻という乙女のからだを仮りて、世に禍いをなそうとしたのを、師匠の泰親に祈り伏せられて、三浦と上総とに射留められたのである。それをいっさい承知していながらも、彼はやはり昔の藻が恋しかった。今の玉藻が慕わしかった。
 魔女でもよい。悪獣でもよい。せめて死に場所を一度たずねてみたい。――こうした思いに堪え切れないで、彼は師匠の家をとうとう迷い出た。寂しいひとり旅の日数も積もって、茅萱《ちかや》の繁った武蔵の里をゆき尽くして、利根の河原にたどり着いたときに、彼は陸奥から帰る金売りの商人《あきうど》に遇って那須野の怪しい物語を聞かされたのであった。しかし彼の心はその奇怪に驚かされるよりも、むしろ一種の心強い感じに支配されていた。玉藻はむなしくほろび失せても、その魂は石に宿って生けるように残っている。それが事実である以上、彼は果てしも知れない那須野ケ原にさまよって、そことも分からない玉藻の死に場所をあさり歩くには及ばない。彼女の魂のありかは確かにそこと見きわめられたのである。千枝太郎はわざわざたずねて来た甲斐があったように嬉しく感じた。
「いろいろのお心添え、かたじけのうござった」
 彼はここで都へ帰る商人にわかれた。そうして再び北へむかって急いで行った。それから幾日の後に野州の土を踏んで、土地の人にきいてみると、殺生石のうわさは嘘でなかった。彼はわざと真夜中を選んで、那須野の奥へ忍んで行った。
 十一月なかばの夜も更けて、見果てもない那須の篠原には雪のように深い霜がおりていた。物凄いほど高く冴え渡った冬の月が、その霜に埋められた枯れすすきを無数の折れた剣《つるぎ》のようにきらめかせているばかりで、そこには鳥の啼く声も聞こえなかった。獣の迷う影も見えなかった。野州から陸奥《みちのく》につづく大きい平原は、大きい夜の底に墓場のように静かに眠っていた。
 事実に於いて、そこは怖ろしい墓場であった。金売りの商人が話した通りに、原の奥には大きい奇怪な石が横たわって、そのあたりには無数の骨や羽が累々《るいるい》と積みかさなっていた。千枝太郎は笠の檐《のき》も隠されるほど高い枯れすすきを泳ぐように掻きわけて、そこらにうず高い骸骨の山を踏み越えながら、ようようのことで石と向かい合って立った。風のない夜で、彼を取り巻いているすすきも茅萱もそよりとも動かなかった。石も動かなかった。
 千枝太郎は玉藻のたましいを宿したその石を月明かりでしばらく眺めていた。彼は玉藻のために後世《ごせ》を祈ろうとも思っていなかった。畜生にむかって菩提心をおこせと勧めようとも思っていなかった。彼はただ、藻《みくず》と玉藻《たまも》とを一つにあつめたその魔女が恋しいのである。石をじっと見つめている彼の眼からは、とどめ難い涙がはらはらとこぼれ、彼は堪まらなくなって、石にむかって呼んだ。
「藻よ、玉藻よ、千枝太郎じゃ」
 石は彼の思いなしか、それに応《こた》えるように、ゆらゆらと揺るぎ始めた。彼はつづけて呼んでみた。
「藻よ。玉藻よ……。千枝太郎がたずねて来たぞ」
 石は又ゆらめいた。そうして、ひとりの艶《あで》やかな上臈《じょうろう》の立ち姿がまぼろしのように浮き出て来た。柳の五つ衣《ぎぬ》にくれないの袴をはいて、唐衣《からごろも》をかさねた彼女の姿は、見おぼえのある玉藻であった。
「千枝太郎どの、ようぞ訪ねて来てくだされた。そのこころざしの嬉しさに、再び昔の形を見せまする」
 寒月に照らされた彼女は、むかしのように光り輝いていた。千枝太郎は夢心地で走り寄ろうとするのを、彼女は檜扇で払い退《の》けるようにさえぎった。
「それほどのこころざしがあるならば、なぜ今までにわたしの親切を仇《あだ》にして、お師匠さまの味方をせられた。又いっときなりとも三浦の娘に心を移された。それが憎い、怨めしい。今更なんぼう恋しゅう思われても、お前とわたしとの間には大きい関が据《す》えられた。寄ろうとしても寄られませぬぞ」
「それはわしの過失《あやまち》じゃ。免《ゆる》してたもれ」と、千枝太郎は枯草の霜に身をなげ伏して泣いた。「今までお身を疑うたはわしの過失じゃ。お身を恐れたは猶更のあやまちじゃ。魔女でも鬼女でも畜生でも、なつかしいと思うたら疑わぬ筈、恋しいと思うたら恐れぬ筈。それを疑い、それを恐れて、仇に月日を過ごしたばかりか、お師匠さまに味方してお身をかたきと呪うたは、千枝太郎が一生のあやまちじゃ。この通りに詫びる。こらえてたもれ」
 彼は早く悪魔の味方にならなかったことを今更に悔やんだ。悪魔と恋して、悪魔の味方になって、悪魔と倶《とも》にほろびるのがむしろ自分の本望であったものをと、彼は膝に折り敷いた枯草を掻きむしって遣る瀬もない悔恨の涙にむせんだ。その熱い涙の玉の光るのを、玉藻はじっと眺めていたが、やがて優しい声で言った。
「お前はそれほどにわたしが恋しいか。人間を捨ててもわたしと一緒に棲みたいか」
「おお、一緒に棲むところあれば、魔道へでも地獄へでもきっとゆく」と、彼は堪えられない情熱に燃える眼を輝かして言った。
 玉藻は美しく笑った。彼女はしずかに扇をあげて、自分の前にひざまずいている男を招いた。

 ひとりの若い旅びとが殺生石を枕にして倒れているのを、幾日かの後に発見した者があった。その旅びとは微笑を含みながら平和の永い眠りに就いているらしかった。しかし怖ろしい墓場へ踏み込んで、その亡骸《なきがら》を取り片付ける者もなかったので、彼はそのままにいつまでも捨てて置かれた。そのうちに寒い冬が奥州の北から押し寄せて来て、那須野ケ原も一面の雪の底に埋められた。
 あくる年の春が来て、殺生石は雪の底から再びその奇怪な形をだんだんに現わしたが、旅びとの姿はもう見えなかった。彼は融《と》ける雪と共に消えてしまったのかもしれない。
 それから十年も経たないうちに、都には二度の大きい禍いが起こって、みやこは焚かれた。大勢の人は草を薙ぐように斬り殺された。保元《ほうげん》と平治《へいじ》の乱である。しかも古来の歴史家は、この両度の大乱の暗いかげに魔女の呪詛《のろい》の付きまつわっていることを見逃しているらしい。玉藻をほろぼした頼長は保元の乱の張本人となって、ぬしの知れない流れ矢に射られた。
 信西入道はあくまでも狡獪《こうかい》なる態度を取って、前度の乱にはつつがなく逃れたが、後の平治の乱には彼が正面の敵と目指された。彼は逃れない運命を観じて、みずから土の中に生き埋めとなったのを、再び敵に掘り出されて、その老いたる法師首を獄門にかけられた。
 玉藻のかたきは、こうしてみなむごたらしく亡ぼされてしまった。忠通は法性寺にかくれて剃髪した。泰親だけは無事に子孫繁昌した。
 那須野の殺生石が玄翁《げんのう》和尚の一|喝《かつ》によって砕かれたのは、それから百年の後であったと伝えられている。



底本:「修禅寺物語」光文社文庫、光文社
   1992(平成4)年3月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
2000年3月30日公開
2002年1月18日修正
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