青空文庫アーカイブ

半七捕物帳
新カチカチ山
岡本綺堂

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)新《しん》カチカチ山《やま》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)浅井|因幡守《いなばのかみ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)見物がわっ[#「わっ」に傍点]と唸りました。
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     一

 明治二十六年の十一月なかばの宵である。わたしは例によって半七老人を訪問すると、老人はきのう歌舞伎座を見物したと云った。
「木挽町《こびきちょう》はなかなか景気がようござんしたよ。御承知でしょうが、中幕は光秀の馬盥《ばだらい》から愛宕《あたご》までで、団十郎の光秀はいつもの渋いところを抜きにして大芝居でした。愛宕の幕切れに三宝を踏み砕いて、網襦袢の肌脱ぎになって、刀をかついで大見得を切った時には、小屋いっぱいの見物がわっ[#「わっ」に傍点]と唸りました。取り分けてわたくしなぞは昔者《むかしもの》ですから、ああいう芝居を見せられると、総身《そうみ》がぞくぞくして来て、思わず成田屋ァと呶鳴りましたよ。あはははは」
「まったく評判がいいようですね」
「あれで評判が悪くちゃあ仕方がありません。今度の光秀だけは是非一度見て置くことですよ」
 老人の芝居好きは今始まったことではない。わたしのような若い者がこの老人に嫌われないのも、こいつは芝居好きで少しは話せるというのが一つの原因になっているらしい。したがって老人と向かい合った場合、芝居話のお相手をするのは覚悟の上であるから、わたしも一緒になって頻りに歌舞伎座の噂をしていると、老人は又こんなことを云い出した。
「今度の木挽町には訥升《とつしょう》が出ますよ。助高屋高助のせがれで以前は源平と云っていましたが、大阪から帰って来て、光秀の妹と矢口渡《やぐちのわたし》のお舟を勤めています。三、四年見ないうちに、すっかり大人びて、矢口のお舟なぞはなかなかよくしていました。いや、矢口と云えば、あの神霊矢口渡という芝居にあるようなことは勿論嘘でしょうが、矢口渡の船頭が足利方にたのまれて、渡し舟の底をくり抜いて、新田《にった》義興《よしおき》の主従を川へ沈めたというのは本当なんでしょうね」
「そりゃあ本当でしょう。太平記にも出ていますから……」
「子供の話にある、カチカチ山の狸の土舟《つちぶね》というわけですね。その矢口渡に似たような事件があるんですが……。恐らく太平記か芝居から思い付いたんじゃないでしょうか」
「矢口渡に似たような事件……。それにはあなたもお係り合いになったんですか」
「かかり合いましたよ」
 こうなると、芝居の方は二の次になって、わたしは袂に忍ばせている手帳をさぐり出すことになった。狡《ずる》いと云えば狡いが、なんでも斯ういう機会を狙って、老人のむかし話を手繰《たぐ》り出さなければならないのである。それは相手の方でも万々察しているらしい。
「はは、いつもの閻魔帳が出ましたね。これだからあなたの前じゃあうっかり[#「うっかり」に傍点]した話は出来ない」
 老人は笑いながら話し始めた。
「文久元年一月末のことと御承知下さい。ほんとうを云うと、この年は二月二十八日に文久と改元のお触れが出たのですから、一月はまだ万延二年のわけですが……。その頃、京橋の築地、かの本願寺のそばに浅井|因幡守《いなばのかみ》という旗本屋敷がありました。三千石の寄合《よりあい》で、まず歴々の身分です。深川の砂村に抱え屋敷、即ち下《しも》屋敷がありまして、主人をはじめ家族の者が折りおりに遊びに行くことになっていました。そこで一月の末、なんでも二十六七日頃だと覚えています。この年は正月早々からとかくに雨の多い春でしたが、二十二三日からからり[#「からり」に傍点]と晴れて、暖い梅見日和がつづいたので、浅井の屋敷では主人の因幡守が妾のお早と娘のお春を連れて、砂村の下屋敷へ梅見に出かけることになりました。因幡守は四十一歳、お早は二十四歳、お春は十五……ちょっとお断わり申して置きますが、このお春というお嬢さまはお早の妾腹ではなく、お蘭という奥さまの子で、奥さまはそれほどの容貌《きりょう》よしでもなかったが、その腹に生まれたお春は京人形のように可愛らしい、おとなしやかなお嬢さまであったそうです。
 そこで主人側は因幡守、お早、お春の三人、それにお付きの女中が三人、供の侍が三人、中間が四人でしたが、船が狭いので侍や中間は陸《おか》を廻り、主人側三人と女中三人は船で行きました。船宿《ふなやど》は築地南小田原|町《ちょう》の三河屋で、屋根船の船頭は千太という者でした。無事に砂村へ行き着いて、一日を梅見に暮らして、ゆう七ツ(午後四時)頃に下屋敷を出て、もとの船に乗って帰る途中、ここに一場の椿事|出来《しゅったい》に及びました」
「矢口渡ですか」
「そうです、そうです。矢口渡か、カチカチ山です」と、老人はうなずいた。「わたくしは現場に居合わせたわけでもありませんから、見て来たようなお話は出来ませんが、帰る時も前と同様に、供の男たちは徒歩《かち》で陸を帰り、主人側三人と女中三人は船で帰ることになって、船頭の千太が船を漕いで、小名木《おなぎ》川をのぼって行きました。御承知の通り、深川は川の多いところですが、この時は小名木川の川筋から高橋、万年橋を越えて、大川筋へ出ました。ここは新大橋と永代橋のあいだで、大川の末は海につづいている。その川中まで漕ぎ出した頃に、どうしたものか、屋根船の底から水が沁み込んで来ました。女中たちが見つけて騒ぎ出す、主人もおどろく、船頭も驚いてあらためると、船底の穴から水が湧き込んで来るんです。慌てて有り合わせた物を栓にさしたが、どうも巧く行かない。ふだんならば此の辺に何かの船が通る筈ですが、あいにく夕方でほかの船も見えない。そのうちに水はだんだんに増して来て、大きくもない屋根船は沈みかかる。船頭は大きい声で助け船を呼ぶ。女中たちも必死になって呼び立てる。それを聞きつけて、佐賀|町《ちょう》の河岸《かし》から米屋の船が二艘ばかり救いに出て来ましたが、もう間に合わない。あれあれと云ううちに、船はとうとう沈んでしまいました」
 文久元年といえば、今から三十余年の昔話であるが、その惨事を聞かされて、わたしは思わず顔をしかめた。
「誰も助からなかったんですか」
「船頭は泳ぎを知っているから、いざというときに川へ飛び込んで助かりましたが、因幡守という人は水心《みずごころ》がなかったと見えて沈みました。ほかは女ばかりですから、妾のお早、娘のお春を始めとして、三人の女中もみんな流されてしまいました。さあ大騒ぎになって、すぐに築地の屋敷へ知らせてやる。屋敷からも大勢が駈けつけて、幾艘の船を出して死骸の引き揚げにかかりましたが、もう日が暮れて、水の上が暗いので、捜索もなかなか思うように行かない。それでも因幡守とお早と女中二人、あわせて四人の死骸を探り当てましたが、娘のお春と女中のお信《のぶ》、この二人のゆくえは知れませんでした。
 浅井の屋敷ではもちろん相当の金を使ったのでしょう。関係者一同に固く口止めをして、その船に乗っていたのは妾と娘と女中ばかりで、主人の因幡守は駕籠で帰った為に無事であったと云い触らしました。それから四、五日後に因幡守は急病頓死の届けを出して、当年十七歳の嫡子小太郎がとどこおりなく家督を相続しました。こういうことは、屋敷の方で何かのぼろを出さない限り、上《かみ》では知らぬ振りをしているのが其の当時の習いでしたから、すべてが無事に済みました。しかし済まないのは、その船の詮議です。たとい主人の因幡守が乗っていないとしても、三千石の旗本の娘と妾と三人の女中を沈めた一件ですから、災難だとばかりは云っていられません。どうして船底から水が漏ったのか、一応の詮議をしなければならないのですが、船頭の千太は後難を恐れたとみえて、船宿の三河屋へ一旦帰りながら、その晩のうちに何処へか姿を隠してしまいました。
 こういう場合に逃げ隠れをすると、かえって本人の不為《ふため》になるばかりか、主人の三河屋にも迷惑をかける事になる。千太が姿を晦《くら》ました為に、三河屋はいろいろの吟味をうけて、大迷惑をしました。考えようによっては、主人が知恵をつけて千太を逃がしたようにも疑われますから、猶更むずかしい事になりました。というのが、だんだん調べてみると、この一件が唯の災難でなく、そこには何か入り組んだ秘密があるらしく思われたからです。
 たくさんの旗本屋敷のうちには随分いろいろのごたごたがあります。しかし身分が身分ですから、まあ大抵のことは大目《おおめ》に見ているんですが、今度の一件は三千石の大家《たいけ》の当主が死んでいるんですから、上《かみ》でも捨て置かれません。家督相続の問題はひとまず無事に聞き届けて置いて、それから内密に事件の真相を探索することになりました。まかり間違えば、三千石の浅井の家は家督相続が取り消されて、さらに取り潰しにならないとも限らないのですから、その時代としては容易ならない事件とも云えるのです。
 そのお荷物をわたくしが背負わされました。役目だから仕方が無いようなものの、町方《まちかた》と違って屋敷方の詮議は面倒で困ります、町屋《まちや》ならば遠慮なしに踏み込んで詮議も出来ますが、武家屋敷の門内へは迂濶《うかつ》にひと足も踏み込むことは出来ません。殊にわれわれのような商売の者は、剣もほろろ[#「ほろろ」に傍点]に追い払われるに決まっていますから、いわゆる盲の垣のぞきで、外から覗くだけで内輪の様子はちっとも判りません。これには全く閉口です」
「今でも華族の家庭の事なぞは調べにくいのですから、昔は猶更そうでしたろうね」
「見す見す武家の屋敷内に大きい賭場が開けているのを知っていても、町方の者が踏み込むことの出来ない時代ですから、大きい旗本屋敷に関係の事件なぞは、自由に手も足も出ません。それでも何とかしなけりゃあならないから、出来るだけは働きましたよ。まあ、お聴き下さい」

     二

 文久元年二月なかばの曇った朝である。浅井一家の人々がこの世の名残《なごり》に眺めた砂村の下屋敷の梅も、きのうきょうは大かた散り尽くしたであろう、春の彼岸を眼のまえに控えて、なま暖い風が吹き出した。
 八丁堀同心、拝郷弥兵衛の屋敷の小座敷で、主人の拝郷と半七とが額《ひたい》をあつめるように摺り寄ってささやいていた。
「いいか、牛込水道|町《ちょう》の堀田庄五郎、二千三百石、これは浅井因幡守の叔父だ。それから京橋南飯田|町《まち》の須藤民之助、八百石、これは因幡の弟で、須藤の屋敷へ養子に貰われて行ったのだ。ほかに親類縁者も相当にあるが、堀田と須藤、この二軒が近しい親類になっているので、それから町方へ内密の探索を頼んで来ている。深川浄心寺脇の菅野大八郎、二千八百石、これは因幡の奥方お蘭の里方《さとかた》で、ここからも内密に頼んで来ている。殊に菅野の申し込みは手きびしい。万一それがために浅井の屋敷に瑕《きず》が付いても構わない。是非ともその実証を突き留めて、いよいよ不慮の災難と決まればよし、もし又なにかの機関《からくり》でもあったようならば、係り合いの者一同を容赦なく召捕ってくれと云うのだ。まかり間違えば浅井の屋敷は潰れる。それを承知でどしどしやってくれと云うのだから大変だ。どうもいい加減に打っちゃっては置かれねえ事になった。半七、しっかりやってくれ」
「まったく打っちゃっては置かれません」と、半七も云った。「武家屋敷の奥のことは判りませんが、この一件以来、浅井の奥さまは半気違いのようになっているそうです」
「無理もねえ。妾はともあれ、亭主と娘を一度になくしてしまったのだから、大抵の女はぼっ[#「ぼっ」に傍点]とする筈だ」と、拝郷も同情するように云った。「里方の菅野からは用人を使によこしたのだが、その用人の話によると、浅井の奥方のお蘭というのは今年三十七で、小太郎とお春のおふくろだ。亭主の因幡は若い時から評判の美男で、お蘭はどこかで因幡を見染めて、いろいろに手をまわして縁談を纒めたのだと云うから、惚れた亭主だ。それも病気ならば格別、こんな災難で殺しちゃあ容易に諦めが付くめえ。屋敷に瑕が付いてもいいから、その実証を突き留めてくれというのも、お蘭が云い出した事らしい。それを取り次いで、里方からこっちへ頼んで来たものと察しられる。なにしろ斯《こ》ういう仕事は、相手が屋敷だから困るな」
「大困りです」と、半七は溜息《ためいき》をついた。「まさかに奥さまに逢うわけにも行かず、しかし向うから頼んで来たくらいですから、堀田と須藤と菅野、この三軒の屋敷の用人は逢ってくれるでしょう」
「そりゃあ逢ってくれるに相違ねえ。だが、浅井の屋敷へは迂濶に顔を見せるなよ。その屋敷内に係り合いの奴があって、おれ達が探索していることを覚られると拙《まず》いからな」
「そうです。まあ、遠廻しにそろそろやりましょう」
「といって、あんまり気長でも困る」と、拝郷は笑った。「そこは程よくやってくれ」
「その船はお調べになりましたか」
「おれが立ち合ったのじゃあねえが、同役の井上が調べに行って、船は三河屋の前の河岸《かし》に繋がせてある筈だ。大事の証拠物だから、この一件の落着《らくぢゃく》するまでは、めったに手を着けさせることは出来ねえ。どうせ縁起の悪い船だ。まさかに手入れをして使うわけにも行くめえから、片が付いたら焼き捨ててしまうのだろうが、まあ、それまでは大事に囲って置かなければならねえ」
「じゃあ、まあ、三河屋へ行って、その船を見てまいりましょう。又なにかいい知恵が出るかも知れません」
「三河屋へ行っても、あんまり嚇《おど》かすなよ」と、拝郷はまた笑った。「この間からいろいろの調べを受けて、亭主も蒼くなってふるえているようだからな」
「はい、決して暴っぽいことは致しません」
 半七も笑いながら別れた。表へ出ると、なま暖い風がやはり吹いている。どうも雨になりそうだと思いながら、半七はすぐに築地の三河屋へ足をむけた。三河屋はここらでも旧い船宿で、亭主の清吉とはまんざら知らない顔でもないので、半七は気軽に表から声をかけた。
「おい、親方はいるかえ」
 船宿といっても、ここは網船や釣舟も出す家《うち》であるから、余りにしゃれた構えでもなかった。若い船頭が軒さきの柳の下に突っ立って、ぼんやりと空をながめていたが、半七を見て慌てて会釈《えしゃく》した。
「やあ、親分。いらっしゃい」
 それは船頭の金八であった。
「おい、金八」と、半七は笑いながら云った。「今度は飛んだ時化《しけ》を食ったな」
「まったく飛んだ時化を食いました。あの日はわっしの出番でしたが、千太がおれに代らせてくれと云って、自分が出て行くと、あの始末。お蔭でわっしは災難を逃がれましたが、千太を身代りにしたようで何だか気が済みませんよ」
「それじゃあ、おめえの出番を千太が買って出たのか。そうして千太のゆくえは知れねえのか」
「あいつは泳ぎますから、無事に揚がって来て、一旦は家《うち》に帰ったのですが、あとが面倒だと思ったのでしょう、いつの間にか姿をかくしてしまったので、親方も困っていますよ」
「千太の家《うち》はどこだ」
「深川の大島|町《ちょう》、石置場の近所ですが、おやじが去年死んだので、世帯《しょたい》を畳んでしまいました」
「浅井の屋敷で死んだ者は、殿さまと……」
「いいえ、殿さまは……」
「まあ隠すな。おれはみんな知っている。お妾とお嬢さまと女中三人、そのなかでお嬢さまと女中ひとりが揚がらねえのだね」
「そうです。お嬢さまとお信という女中が見付かりません。もうあげ汐《しお》という時刻だのに、やっぱり沖の方へ持って行かれたと見えます。そのお信というのは家《うち》の親方の姪ですから、家でも気をつけて探しているのですが……」
「じゃあ、お信という女中はここの家の姪か」と、半七はすこし考えさせられた。
 金八の話によると、お信は親方の妹の娘で、早く両親に死に別れて、七つの年からここの家に引き取られていたが、浅井の屋敷は永年の旦那筋である関係から、行儀見習いのために其の屋敷へ奉公に上げることになった。それはお信が十五の春で、あしかけ七年を無事に勤めて、彼女も今年は二十一になる。去年あたりから暇を取らせようという話もあったが、お信はもう少し長年《ちょうねん》したいと云い張って、今年まで奉公をつづけているうちに、こんな事件が出来《しゅったい》したのである。こうと知ったら、無理にも暇を取らせるのであったと、親方夫婦は悔んでいる。きょうまでゆくえの知れない以上はもう死んだものに決まっているのだが、それでも死骸を見ない以上はまだなんだか未練があるので、おかみさんは今日も浅草の観音さまへ御神籤《おみくじ》を取りに行った。親方はかぜを引いたと云って奥に寝ているとのことであった。
「お信というのはどんな女だ、容貌《きりょう》はいいのか。馬鹿か、怜悧《りこう》か」と、半七は訊《き》いた。
「容貌は悪い方じゃありません。十人並よりちっといい方でしょうね。人間もなかなかしっかりしているようです」と、金八は答えた。「ここの家にゃあ子供がないので、お信さんに婿でも取らせるつもりらしかったのですが、こうなっちゃあ仕様がありません。親方もおかみさんもがっかり[#「がっかり」に傍点]していますよ」
「そりゃあ気の毒だな。そこで、お信はなぜ暇を取るのを忌《いや》だと云うのだ」
「よくは知りませんが、屋敷の奥さまが大そう眼をかけて下さるそうで、あんないいお屋敷は無いと始終云っていましたから、そんなことで暇を取る気になれなかったのでしょう。まったくあの屋敷の方々《かたがた》はみんないい人で、若殿さまは優しいかたですし、お嬢さまもおとなしいかたですからね」
「そんなにいい人揃いか」
「みんないい人ですよ。それに若殿さまはここらでも評判の綺麗なかたで、去年元服をなさいましたが、前髪の時分にゃあ忠臣蔵の力弥《りきや》か二十四孝の勝頼《かつより》を見るようで、ここから船にお乗りなさる時は、往来の女が立ちどまって眺めているくらいでした」
「そういう若殿さまがいるので、お信も暇が取れなかったのだろう」と、半七は笑った。「そこで、金八、きょうは御用で来たのだ。一件の船というのを見せてくれ」
「船はそこに繋いであります」
 金八は先に立って河岸に出ると、かの屋根船も杭《くい》につながれていた。折りからの引き汐で、海に近いここらの川水は低く、岸のあたりは乾いていた。小さい桟橋を降りて、二人は船のそばに立った。
「おれは素人《しろうと》でわからねえが、どうして水が漏ったのだろう。やっぱり底が傷《いた》んでいたのかな」と、半七は云った。
「さあ」と、金八は首をかしげた。「船が古くなって、底が傷んだのだろうというのですがね。成程、古くはなっているが、水が漏るほどの事はありませんよ。親方はうっかり[#「うっかり」に傍点]した事をしゃべるなと云うので、わっしは黙っていますがね。どうもこりゃあ誰かが仕事をしたのだろうと思うのですが……」
「どんな仕事をしたのだ」
「誰かが抉《えぐ》ったのですよ。醤油樽の呑口のようにはなっていねえが、船底の少し腐れかかっている所を、むしったように毀《こわ》して置いて、いい加減に埋め木でもして置いたのでしょう」
「そんなことは素人に出来る筈がねえ。千太の野郎がやったのかな。浅井の人たちを砂村へ送りつけて、その帰るのを待っているあいだに、千太が何か仕事をしたのだろう。それで野郎、逃亡《ふけ》たのだな」
 気のせいか、船は亡骸《なきがら》のように横たわっている。その船の中へ潜《もぐ》り込んで、半七は隅々までひと通りあらためると、果たして金八の云う通りであった。調べの役人らが出張った以上、これが判らない筈はない。おそらく事件を内分に済ませるために、浅井の屋敷から手をまわして、役人らをうまく抱き込んで、船底の破損ということに片付けてしまったのであろうと、半七は想像した。それは此の時代にしばしばある習いで、さのみ珍らしいとも思われなかったが、ここに一つの不審がある。事件を秘密に葬るつもりならば、浅井の奥さまや親類たちが町方へ手をまわして、事件の真相を突き留めてくれと云うのが理窟に合わない。一方に秘密主義を取りながら、一方には藪を叩いて蛇を出すようなことをするのはどういうわけかと、半七は又かんがえた。
 或いは屋敷内や親類じゅうの議論が二つに分かれているのではないか。一方は家名を傷つけるのを憚《はばか》って、何事も秘密に葬るがよいと云い、一方は飽くまでも其の正体を確かめて、その罪人を探し出すがよいと云う。要するに、何事もお家《いえ》には換えられぬという弱気筋と、たとい家をほろぼしても屹《きっ》と善悪邪正を糺《ただ》せという強気筋とが二派に分かれて、こういう結果を生み出したのでは無いか。いずれにもせよ、自分は役目として、探るだけのことは探らなければならないと、半七は思った。
「おかみさんは留守、親方は寝ているというのを無理に引き摺り起こすのもよくねえ。きょうはこれで帰るとしよう」
 半七は岸へあがって金八に別れた。
「親分。傘を持って行きませんか。なんだかぼろ[#「ぼろ」に傍点]付いてきましたぜ」
「おめえのうちの傘には印《しるし》が付いているだろうから、何かの邪魔だ。まあ、たいしたこともあるめえ。このまま行こう」
 なま暖い風は湿《しめ》りを帯びて、軒の柳に細かい雨がはらはら[#「はらはら」に傍点]と降っかけて来た。半七は手拭をかぶって歩き出した。

     三

 浅井因幡守の屋敷は本願寺のわきで、南小田原町から眼と鼻の間にあるので、半七はすぐにその屋敷へゆき着いた。雨はだんだんに強くなって来たので、彼は雨宿りをするようなふうをして、隣り屋敷の門前に立った。
 船底の機関《からくり》は千太の仕業らしいが、千太自身がそんなことを企らむ筈がない、恐らく誰かに頼まれたのであろう。千太を探し出して引っぱたけば、泥を吐かせてしまうのであるが、どこに隠れているか容易に判りそうもない。妾のお早に子供でもあればお家騒動とも思われるが、お早に子供は無い。本妻には男と女の子がある。しかもみんないい人であると云う。それではお家騒動が芽をふきそうもない。
 そんな事をいろいろ考えながら、半七は半時ほども其処に立ち暮らしたが、浅井の屋敷からは犬の児一匹も出て来なかった。そのうちに雨はますます降りしきるので、半七もさすがに根負《こんま》けがして、丁度通りかかった空《から》駕籠をよび留めて、ひとまず神田の家へ帰った。
 日が暮れると、子分の幸次郎が来た。
「とうとう降り出しました」
「ことしはどうも降り年らしい。きょうも降られて、中途で帰って来た」
「どこへ行きました」
「築地へ廻った」
 きょうの一件を聞かされて、幸次郎は熱心に耳を傾けていた。
「親分。その一件なら、わっしも少し聞き込んだことがあります。御承知の通り、あの辺には屋敷が多いので、わっしも大部屋の奴らを相当に知っていますが、この間からいろいろの噂を聞いていますが、噂という奴はどうも取り留めのないもので……。だが、親分。ここに一つ面白いことがあります。こりゃあ聞き捨てにならねえと思うのですが……」
「聞き捨てにならねえ……。どんなことだ」
「あの一件の当日、主人の因幡という人は陸《おか》を帰る筈だったそうです。こういうことになるせいか、因幡という人は船が嫌いで、いつも砂村へ行く時には、片道は船、片道は陸と決まっているので、当日も船で行って、陸を帰るという筈だったのを、どういう都合か、帰りも船ということになって、あんな災難に出逢った……。運が悪いと云えば、まあそれ迄のことですが、何か又そこに理窟がないとも云えませんね。陸を帰れば無事に済んだものを、その日にかぎって船に乗って、その日に限って船が沈む……」
「むむ。運が悪いというほかに、なにかの仔細が無いとも云えねえな」
「それだから、わっしの鑑定はまあこうですね」と、幸次郎は少しく声を低めた。「だれが細工をしたのか知らねえが、恐らく主人を殺すつもりはなかった……。主人はいつもの通りに陸を帰ると思っていたところが、どうしてか船で帰ることになったので、云わば飛ばっちりの災難を受けたような形かと思われますね。女中三人は勿論そば杖でしょうから、そうなると妾のお早か、お嬢さまのお春か、その一人が目指されることになります。年の行かねえお嬢さまが殺されそうにも思われねえから、目指す相手はまあお早でしょうね」
「そうすると、細工人は奥さまか」と、半七は半信半疑の眉をよせた。
「まあ、そんなことらしいようですね。お早というのも評判の悪くない女ですが、なんと云っても本妻と妾、そこには人の知らない角《つの》突き合いもあろうと云うものです。奥さまが半気違いのようになって自分の屋敷に瑕が付いても構わないから、本当のことを調べあげてくれなぞと云うのも、自分のうしろ暗いのを隠そうとする為かも知れませんからね」
「心にもない亭主殺し……。それはまあそれとして、娘殺しはどうする。いくら妾が憎いと云っても、我が生みの娘まで道連れにさせることはあるめえ。なんとかして妾ひとりを殺す法もあろうじゃあねえか」
「いや、そこには又相当の理窟があります。お嬢さまのお春というのはお人形のように可愛らしい娘で、気立ても大変おとなしいのですが、どういうわけか子供のときから妾のお早によく狎《なつ》いて、お早も我が子のように可愛がっていたと云うことです。ねえ、親分。これはわっしの推量だが、奥さまの眼から見たら、お早は自分に子供が無いので、お春を手なずけて我が子のようにして、奥さまに張り合おうという料簡だろうと思われるじゃあありませんか。そうなると、我が子でもお春は可愛くない。いっそお早と一緒に沈めてしまえと、むごい料簡にならないとも限りますまい」
「いろいろ理窟をつけて考えたな」と、半七はほほえんだ。「それもまんざら無理じゃあねえ。女は案外におそろしい料簡を起こすものだ。そこで先ず奥さまの細工とすると、奥さまが直々《じきじき》に船頭に頼みゃあしめえ。誰か橋渡しをする奴がある筈だが……」
「それは女中のお信でしょう」
「むむ、船宿の姪か。そうするとお信は生きているな」
「船宿にいて、小田原町の河岸に育った女ですから、ちっとは水ごころがあるのでしょう。陸へ這いあがって、どっかに隠れているのだろうと思います」
「そんなことが無いとも云えねえ」
 大阪屋花鳥の二代目かと、半七は口のうちでつぶやいた。しかも花鳥の一件とは違って、これはなかなか面倒の仕事である。たとい万事が幸次郎の鑑定通りとしても、それは当て推量に過ぎないのであるから、動かぬ証拠を押さえなければならない。
「こうなると、どうしてもお信と千太のゆくえを探し出さなけりゃあならねえ。おめえ一人じゃあ手が廻るめえから、亀か庄太に手伝って貰え。おれは妾の宿《やど》へ行ってみようと思うが、お早はどこの生まれだ」
「浅井の屋敷へ出入りの植木屋の娘だとかいうことですが、宿はどこだか知りません。なに、そりゃあすぐに判りますから、あしたにでも調べて来ます」
 幸次郎は請け合って帰った。雨はひと晩降りつづけて、明くる朝はうららかに晴れた。
「こりゃあ拾い物だ」と、半七は窓から表の往来をながめた。気の早い彼岸《ひがん》桜はもう咲き出しそうな日和《ひより》である。御用でなくても、こういう朝には何処へか出て見たいように思われたが、お早の宿が判らないので無闇に踏み出すことも出来ない。半七は落ち着かない心持で半日を無駄に暮らして、幸次郎の報告を待ちわびていると、午頃になって彼は駈けつけた。
「どうも遅くなって済みません。近所の屋敷の奴を二、三人たずねたのですが、あいにくどいつも留守で手間取りました。だが、すっかり判りました。浅井の妾の親許は小梅の植木屋の長五郎、家《うち》は業平《なりひら》橋の少し先だそうです」
「よし、判った。それじゃあ俺はすぐに小梅へ行って来る。ゆうべも云う通り、おめえは誰かの加勢を頼んで、お信と千太のゆくえを探してくれ。ひょっとすると、築地の三河屋へ忍んで来ねえとも限らねえから、あすこへも眼を放すな」
 云い聞かせて、半七は早々に家を出た。吾妻橋を渡って中の郷へさしかかると、その当時のここらは田舎である。町屋《まちや》というのは名ばかりで百姓家が多い。時にしもた[#「しもた」に傍点]家があるかと思えば、それは「梅暦」の丹次郎の佗び住居のような家ばかりである。ふだんから往来の少ない土地であるから、雨あがりのぬかるみは深い。半七も覚悟して日和下駄を穿《は》いて来たが、その下駄も泥に埋められて自由に歩かれないくらいである。
 それをどうにか通り越して、南蔵院という寺の前から、森川|伊豆守《いずのかみ》の屋敷の辻番所を横に見て、業平橋を渡ってゆくと、そこらは一面の田畑で、そのあいだに百姓家と植木屋がある。長五郎の家をたずねるとすぐに知れた。
 大きい旗本屋敷に出入り場もあり、娘を浅井の屋敷に勤めさせて相当の手当てを貰っている為であろう、長五郎の家はここらでも目立つほど大きい構えで、広い植木溜めにはたくさんの樹木が青々とおい茂っていた。門口《かどぐち》には目じるしのような柳の大木が栽《う》えてあって、まばらな四目垣《よつめがき》の外には小さい溝川《どぶがわ》が流れていた。その土橋を渡って内へはいると、鶏がのどかそうに時を作っているばかりで、家内はしんかんと鎮まっていた。
 不幸後まだ間もないのであるから、それも無理はないと思いながら、半七は入口らしい方を探してゆくと、南向きの縁さきへ出た。ここにも見上げるような椿の大木が、紅いつぼみをおびただしく孕《はら》ませていた。
「御免なさい」
 二、三度呼ばせて、奥からようよう出て来たのは、四十五六の女房であった。これがお早の母であろうと想像しながら、半七は丁寧に会釈《えしゃく》した。
「実はわたくしは築地の浅井さまへ多年お出入りを致して居ります建具屋でございますが……。このたびは何とも申し上げようもない次第で……。早速お悔《くや》みに出る筈でございましたが、かぜを引いて小半月も寝込んでしまいまして、ついつい延引いたしました」
 用意して来た線香の箱に香奠《こうでん》の紙包みを添えて出すと、女房は嬉しそうに、気の毒そうに受け取って、これも丁寧に礼を述べた。いかに多年の出入りでも、特別の関係がない限りは、妾の親許まで悔みに来る者はない。正直らしい女房は、建具屋と名乗って来た男の厚意をよろこんで、早速に内へ招じ入れた。半七は奥へ通って仏壇に焼香して、ふたたび元の縁さきへ戻って来ると、女房は茶や煙草盆の用意をしていた。彼女は果たしてお早の母のお富であった。
「悪いときには悪いもので、親類うちに又不幸がありまして、親父はゆうべから戻りません」
 遠方を来たのであるから、まあゆっくり休んで行けと、お富は云った。どう見ても、悪意の無さそうな女である。引き留められたのを幸いに、半七は坐り込んで煙草を吸いはじめると、浅草寺《せんそうじ》の八ツ(午後二時)の鐘がきこえた。

     四

 半七とお富と、初対面の二人のあいだに変った話題はない。殊に今の場合であるから、話は当然かの一件をくり返すことになって、娘をうしなった母の眼からは、また今さらに新らしい涙が湧いた。お富の話によると、亭主の長五郎も正直な職人|気質《かたぎ》の人物であるらしく、娘は多年御恩を受けた殿さまのお供をしたのであるから、死んでも悔むことは無いと云っている。又、それに就いて、お屋敷の御迷惑になるような事は決して口外してはならないと、女房らをも堅く戒めているとのことであった。
「親方の御料簡はよく判っています」と、半七も同情するように云った。「しかし世間の口はうるさいもので、今度の一件に就いてもいろいろの噂を立てる者がありますよ」
「どんなことを云って居ります」と、お富は眼をふきながら訊《き》いた。
「実は……。お前さん達の前じゃあ云いにくい事ですが……」と、半七は渋りながら答えた。「誰かが船底へ細工をして……」
「やっぱりそんなことを云って居りますか」
「お部屋さまを沈めようとした……」
 云いかけて相手の顔色を窺うと、お富は黙って考えていた。
「そんなことを云っちゃあなんですが……。どこのお屋敷でも、奥さまとお部屋さまとは折り合いのよくないもので……」
「あれ、お前さん。飛んでもない」と、お富はたしなめるように云った。「それじゃあ奥さまが何か細工をして、内の娘を沈めたとでも云うのですかえ。そりゃあ違います、大違いです。お屋敷の奥さまに限って決して決して、そんな事をなさるような方《かた》じゃありません。奥さまはまことに結構なお方で、それはわたしが請け合います。一体お前さんはそんなことを誰に聞いたのです」
 激しい権幕で詰問されて、半七も少しく返事に困った。
「いや、奥さまに限ったわけじゃあありませんが、お屋敷には大勢《おおぜい》の男もいる、女もいる。その大勢のうちには自然こちらの娘さんと仲の悪い者も無いとは云えません。何かのことで娘さんを恨んでいる者も無いとは限りませんから……」
「そりゃあ恨まれているかも知れませんが……」
 何か思いあたることでもあるらしい口ぶりに、半七は透かさず訊き返した。
「世の中には外道《げどう》の逆《さか》恨みと云って、自分の悪いのを棚にあげて、人を恨む者もありますからね。何かそんな心あたりでもありますかえ」
 お富はまた黙ってしまった。この夫婦は自分でも云う通り、屋敷の迷惑になることは決して口外しまいと決めているらしい。その堅い口を明かせるには、自分も頭巾《ずきん》をぬいで正体を現わすのほかはないと半七は思った。
 そこで、彼は自分の身もとを明かした。しかもこれは町方から進んで詮議するのではない。奥さまや親類の諸屋敷から頼まれたのであることを詳しく説明して聞かせると、お富の態度も少し変って来た。
「そういうわけだから、なんでも正直に云ってくれねえじゃあ困る」と、半七は諭《さと》すように云った。「おめえは奥さまは結構な方だと云うが、今のところ、その奥さまが一番疑われているのだ。奥さまの為を思うならば、知っているだけの事をみんな云うがいいじゃあねえか。おれも男だ。屋敷の迷惑になるような事は決して他言しねえから、おれだけに云うと思って話してくれ」
「でも、確かな証拠もないことは……」と、お富はまだ躊躇しているらしかった。
「いや、おめえの云ったことをすぐに証拠にするわけじゃあねえ。ただ心得のために聞いて置くだけのことだ。おめえの娘は此の頃ここへ訪ねて来たかえ」
「去年の暮れにまいりました」
「ひとりで来たのか」
「お信という女中を連れて来ました」
「お信はどんな女だ」
「容貌《きりょう》の悪くない、なかなかしっかり者のようです」
 それは船頭の金八の話と符合していたが、お富がお信という女に好意を持っていないらしいのは、その口ぶりで察せられた。
「自分の供に連れて来るようじゃあ、おめえの娘の気に入りなんだね」
「別に気に入りというわけでもございません。お屋敷内では話すことの出来ない内証話があるので、きょうの供に連れて来たのだと申しまして、奥で暫く差し向かいで話して居りました」
「どんな話をしていたか判らなかったかね」
「わたくし共はあちらへ遠慮して居りましたので、二人とも小さな声でひそひそと話し合って居りましたので、どんな話をしていたのか一向に判りませんでした」
「帰る時はどんな様子だった」
「二人とも顔色がよくないようで……。取り分けてお信は真蒼《まっさお》な顔をして居りました」
「娘はそれっきり来ねえのだね」
「春になっては一度も参りません。去年の暮れに顔を見せましたのが一生の別れでございます」と、お富はまた泣き出した。
 お早とお信が、ここでどんな密談を遂げたのか。この二人はそもそも敵か味方か。帰るときに二人の顔色が悪かったのはどういうわけか。それは容易に解き難い謎であるので、半七もさすがに思案に悩んだ。
「その日はまあそれとして、その前に娘から何か聞き込んだことは無かったかえ」と、半七はまた訊いた。
「いえ、お屋敷内のことに就きましては、娘は別になんにも申しませんでした」
 この時、突然、奥の襖をあけて、五十前後の男が姿をあらわした。
「いらっしゃいまし。わたくしは植木屋の長五郎でございます」と、彼は半七の前に手をついて丁寧に会釈した。「親類に不幸がございまして、昨晩から手伝いに参って居りまして、只今ちょいと帰って参りました」
 彼はさっきから戻って来て、女房と半七との問答を偸《ぬす》み聴いていたらしかった。それを察して、半七は向き直った。
「今もおかみさんと話していたところだが、今度の一件について何か入り組んだ訳がありそうだが……」
「それに就きまして、親分さん。もう斯《こ》うなれば正直に申し上げますが……」
 あちらへ行けと眼で知らされて、お富は不安そうに立ち去ると、そのうしろ姿を見送って、長五郎はささやくように云い出した。
「こんなことを女房に云って聞かせますと、余計な心配も致しますし、女は口の軽いもので又どんなおしゃべりをしないとも限りませんから、実は女房にも隠して居りましたが、去年の十月、娘が寺参りながらここへ参りました時に、女房はちょうど留守でございまして、わたくしと差し向かいで暫く話して帰りましたが、その時に娘の口からちらり[#「ちらり」に傍点]と聞いたことがございますので……」
「むむ」と、半七も思わずひと膝乗り出した。「どんなことを聞かされたね」
「別に取り留めた事でもないのですが……」と、長五郎はまた躊躇した。
「ここでおめえが何を云おうとも、おれはみんな聞き流しにする。おめえは勿論、屋敷へも決して迷惑はかけねえ。遠慮無しに話してくれ」と、半七は催促するように云った。
「はい」
「いつまでも焦《じ》らしていちゃあいけねえ。おれだって洒落《しゃれ》や冗談に訊《き》いているのじゃあねえから、そのつもりで返事をしてくれ」
 半七もやや焦れて来た。
 云おうとして云い得ないように、長五郎はいつまでも渋っていた。

     五

 その明くる日の朝、幸次郎が半七の家《うち》へ忙がしそうにはいって来た。
「お早うございます[#「ございます」は底本では「こざいます」]。早速ですが、ゆうべちっと変なことがありましてね」
「なんだ。馬鹿に早えな」
 顔を洗ったばかりの半七が茶の間の長火鉢の前に坐り直すと、幸次郎は直ぐに話し始めた。
「実は庄太と手分けをして、わっしは築地の三河屋の近所に張り込んでいると、ゆうべのかれこれ四ツ(午後十時)頃でしたろう。あの船宿から頬かむりをして出て行く奴がある。小半町ばかり尾《つ》けて行って、本願寺橋の袂でだしぬけに『おい、兄《あに》い』と声をかけると、そいつはびっくりしたように振り返る。よく見ると、まんざら知らねえ奴でもねえ、深川の寅という野郎で……」
「深川の寅……。どんな奴だ」
「やっぱり船頭で、大島|町《ちょう》の石置場の傍にいる寅吉という奴です。船頭といっても、博奕が半商売で、一つ間違えば伝馬町《てんまちょう》[#「伝馬町《てんまちょう》」は底本では「伝馬町《でんまちょう》」]へくらい込むような奴で……。そいつが三河屋から出て来たから、こりゃあ詮議物だと思って、いろいろに膏《あぶら》を絞ってみたのですが、友達の千太をたずねて来たと云うばかりで、ほかにはなんにも云わねえのです。千太は居たかと訊くと、このあいだから姿を隠しているので、三河屋でも探していると云うのです。なんの用で千太をたずねて来たと云うと、例の一件以来、大島町の方へも顔も見せねえので、どうしているのかと案じて来たと云うのです。いつまで押し問答をしていても果てしがねえから、一旦はそのまま放してやりましたが、あとでよくよく考えると、千太をたずねて来たと云うのは嘘で、実は千太の使に来たのじゃあねえかとも思うのですが……」
「そうすると、寅という奴は千太の居所《いどこ》を知っているわけだな」
「そうです。いっそ挙げてしまいましょうか」
「まあ、急《せ》くな」と、半七は制した。「迂濶に寅の野郎を引き挙げると、肝腎の千太が風をくらって、どこかへ飛ばねえとも限らねえ。まあ、当分はそのままにして置いて、出這入りを見張っていろ」
「ようがす」
 幸次郎は引き受けて帰った。半七はそれから牛込の堀田、京橋の須藤、深川の菅野の屋敷をまわって用人らに内密の面会を求めたが、或いは用人が留守だといい、或いは面会は出来ぬといい、この事は八丁堀役人の方へ申し入れてあるから、訊きたい事があるならばそれに訊いてくれ、当屋敷で直接の対談は断わると云い、いずれも申し合わせたように門前払いである。それでは取り付く島がない。自分の方から頼んで置きながら何のことだと、半七は肚《はら》のうちで舌打ちしたが、武家屋敷の仕事は大抵こんなものだと覚悟しているので、小梅の長五郎から聞き出した一種の秘密を唯一《ゆいいつ》の材料にして、ひそかに探索を進めて行くのほかは無かった。
 こんなわけで、とかくに仕事が捗取《はかど》らず、半七らを苛々《いらいら》させていると、それから十日ばかりの間に、二つの事件が出来《しゅったい》して、更に彼等を苛立たせた。その一つは二月二十三日の朝、かの深川の寅吉という船頭が何者にか殺害されたことである。浄心寺のうしろは山本町で、その山本町から三好町の材木置場へ通うところに小さな橋がある。寅吉の死骸はその橋の下に浮かんでいたが、右の肩先からうしろ袈裟《げさ》に斬られているのを見ると、その相手は恐らく武士《さむらい》で、うしろから一刀に斬り倒して、死骸を河へ投げ落としたのであろうと察せられた。
 検視の上、このごろ流行る辻斬りの仕業《しわざ》であろうということになったが、辻斬りをする者がその死骸をわざわざ河のなかへ投げ込んでゆく筈がない。幸次郎の報告によって、その下手人が誰であるかを半七は大かた推量していた。寅吉の出入りを尾けていた幸次郎は、彼が何処をどう歩いて、何者に斬られたかを窃《ひそ》かに見とどけたのであった。下手人は物蔭に窺っている幸次郎のすがたを見て、一目散に逃げてしまった。
 次は二月二十八日の朝、築地南小田原町の河岸《かし》に心中の男女の死骸が発見された。それは彼《か》の三河屋の前の河岸につないである屋根船のなかの出来事で、その船は浅井の屋敷の人々を沈めたという因縁つきの物である。浅井の一件が落着《らくぢゃく》次第、当然焼き捨てらるべき船のなかで、更に第二の悲劇が演ぜられたのは、いわゆる呪いの船とでも云うべきであろうか。
 しかもこの心中は噂ばかりで、その実際を見とどけた者は少なかった。その噂を聞き伝えて見物人が寄り集まって来る頃には、二つの死骸はすでに取り片付けられて、形見の船が春雨《はるさめ》に濡れているばかりであった。
「心中は綺麗な若いお武家と、若い女だ」
 それを見た者は云い触らした。男は十七八の美しい武士で、女は二十歳《はたち》前後の、武家奉公でもしていたらしい風俗である。二人は船のなかに座を占めて、男は脇差で先ず女を刺し殺し、自分も咽喉《のど》を掻き切って死んでいた。
 そのうちに、又こんな噂をする者もあらわれた。
「男は近所の浅井さまの御子息らしい。女は三河屋のお信だ」
 前にも云う通り、二つの死骸は早くも取り片付けられてしまったので、それらの事も結局は噂ばかりに留まったが、その噂の嘘でないことを半七は知っていた。
「おい、幸。飛んでもねえ事になってしまったな」
「まったく驚きました。お信を早く探し出せば、こんな事にゃあならなかったのですが……」と、幸次郎も残念そうに云った。
「それに浅井の屋敷もよくねえ。今じゃあ家督を相続している小太郎という人が、二、三日前から家出しているのを黙っていることはねえ。八丁堀の旦那衆の方へ内々で沙汰をして置いてくれりゃあ、なんとか用心の仕様もあったものを……。そうは云うものの、それからそれへと悪い事つづきで、屋敷の方でも面目ねえから、旦那方へは沙汰無しで、内々そのゆくえを探していたのだろうが……。もうこの上は仕方がねえ。三千石の屋敷も潰《つぶ》れる」
「潰れるでしょうね」
「先代の主人の水死は不時の災難としても、又ぞろこの始末だ。所詮《しょせん》助かる見込みはあるめえよ」と、半七は嘆息した。「考えてみると、おれも悪かった。このあいだ小梅の長五郎の話を聴いた時に、すぐに旦那に知らせて置けばよかった。そうしたら、旦那の方から浅井の屋敷へ内通して、若主人の出入りを厳重に見張らせたかも知れねえ。お屋敷のお名前にもかかわる事だから、決して他言してくれるなと長五郎に泣いて頼まれたので、おれもなんだか可哀そうになって、今まで口を結んでいたのが却っていけなかったようだ。この商売は涙もろくちゃあいけねえな」
「近頃こんなドジを組んだことはありません。そこで、親分。これからどうします」
「まだこれで幕にゃあならねえ。お信が生きていた以上は、千太もどこから這い出して来るか判らねえ」
「それじゃあ、やっぱり深川を見張っていますか」
「まあ、そうだ。寅吉の家《うち》の近所を見張っているほかはあるめえ」
 寅吉は独り者であるから、家族について調べるという術《すべ》もない。近所の者が集まって投げ込み同様の葬式を済ませたので、その家は空店《あきだな》になったままである。それを知らずに、千太が忍んで来ることが無いとも云えない。それを目あてに張り込んでいるのである。
「おめえと庄太は気長に深川の番をしていてくれ」と、半七は云った。「あいつも亦ばっさり[#「ばっさり」に傍点]やられてしまった日にゃあ玉無しだ」
 幸次郎を出してやった後、半七は又しばらく考えていた。武家屋敷に係り合いの仕事は元来面倒であるとは云いながら、今度の一件は万事が喰い違いの形で、とかくに後手《ごて》になったのは残念でならない。浅井の屋敷に瑕が付いても構わないから、事件の正体を突きとめてくれと、奥さまは半気ちがいになって頼んだそうであるが、その屋敷も所詮潰れるのであろう。思えば奥さまは気の毒である。せめてはその望み通りに、この事件の顛末を明らかにして、奥さまに一種の満足をあたえるのが自分の役目であると、半七は思った。
 そのうちに、彼は何事かを思いついて、ふらりと神田の家を出た。二十八日の宵である。きょうの春雨も其の頃には晴れたが、紗《しゃ》のような薄い靄《もや》が朦朧《もうろう》と立ち籠めて、行く先は暗かった。大通りの店の灯《ひ》も水のなかに沈んでいるように見えた。半七はその靄に包まれながら、築地の方角にむかった。
 南小田原町へ辿り着いて、船宿の三河屋を表から覗くと、今夜は軒の行燈をおろして、商売を休んでいるらしかった。隣りの竹倉という船宿で訊くと、お信の死骸は検視が済むや否や、すぐに下谷|稲荷町《いなりちょう》の女房の里方へ運んで、今夜はそこで内々の通夜《つや》をするらしく、三河屋の家内はみな下谷へ出て行って、亭主の清吉ひとりが留守番をしているとの事であった。
 半七は再び三河屋の店さきに立って声をかけると、奥から亭主が出て来た。清吉はもう四十以上の頑丈そうな男で、半七を見て、仔細らしく顔をしかめたが、又すぐに打ち解けて挨拶した。
「親分でございましたか。まあ、どうぞこちらへ……」
「どうも悪いことが続いて、お気の毒だね」と、半七は店さきに腰をおろした。「そこで清吉。今夜は御用で来たのだから、そのつもりで返事をしてくれ」
 清吉は形をあらためて、無言でうなずいた。
「早速だが、おめえに訊きてえことがある。姪のお信は先月の一件以来、小ひと月のあいだ何処に忍んでいたのだね」
「存じません」と、清吉ははっきり[#「はっきり」に傍点]と答えた。「実は何処から出て来たのかと、わたくしも不思議に思っている位でございます。小ひと月も便りがありませんので、死骸は遠い沖へ流されてしまって、もう此の世にはいないものと諦めて居りましたのに、それが不意に出て来まして、しかもここの河岸であんな事を仕出来《しでか》しまして……。なんだか夢のようでございます」
「まったく悪い夢だ。実はおれも可怪《おか》しな夢を見たよ」と、半七は笑った。
「へえ」
「その夢を話して聞かそうか」
「へえ」
 なにを云うのかと、清吉は相手の顔をながめていると、半七はやはり笑いながら話しつづけた。
「なにしろ夢の話だから、辻褄《つじつま》は合わねえかも知れねえ。まあ、聴いてくれ。ここに大きい屋敷があって、本妻の奥さまとお部屋のお妾がある。奥さまも良い人で、お妾も良い人だ。これじゃあ御家騒動のおこりそうな筈がねえ。ところが、ここに一つ困ったことは、その奥さまの腹に生まれた嫡子の若殿さまというのが素晴らしい美男だ。どこでもいい男には女難がある。奥さまにお付きの女中がその若殿さまに惚れてしまった。昔から云う通り、恋に上下の隔てはねえ。女は夢中になって若殿さまにこすり[#「こすり」に傍点]付いて、とうとう出来合ってしまったという訳だ。どうで本妻になれる筈はねえが、こうなった以上、せめてはお部屋さまにでもなって、若殿さまのそばを一生離れまいという……。こりゃあ無理もねえことだが、さてそれがむずかしい。勿論お妾だから、身分の詮議は要らねえようなものだが、女は男よりも年上で、おまけになかなかのしっかり[#「しっかり」に傍点]者で、まかり間違えば御家騒動でも起こしそうな代物《しろもの》だ。そんな女を若殿さまに押し付けて善いか悪いか。こうなると、ちっと事面倒になるじゃあねえか。ねえ、そうだろう」
 云いかけて清吉の眼色を窺うと、彼はそれを避けるように眼を伏せた。年の割には白髪《しらが》の多い小鬢のおくれ毛が、薄暗い行燈のひかりの前にふるえていた。
「燈台|下《もと》暗しという譬えもある。まして大きい屋敷内だから、若殿さまと女中との一件を誰もまだ感付いた者がねえ。殿さまも奥さまも御存じ無しだ。ところが、悪いことは出来ねえもので、それをどうしてか若けえお嬢さまに見付けられた。すると、このお嬢さまが又、生みの親の奥さまよりも不思議にお妾の方に狎《なつ》いていたので、それをそっとお妾に教えたのだ。お妾もすぐにそれを奥さまか用人にでも耳打ちして、なんとか取り計らえばよかったのだが、自分ひとりの胸に納めて置いて、誰にも知らさずに穏便に済まそうと考えた。お妾はもちろん悪意じゃあねえ、若殿さまに瑕を付けめえという忠義の料簡から出たことだが、その忠義が仇《あだ》となって飛んだことになってしまった。というのが、去年の暮れに、お妾は自分の親もとへ歳暮《せいぼ》の礼に行った。その時にかの女中を供に連れて出て、こっそりと意見をした。若殿さまのことは思い切って、来年の三月の出代りには無事にお暇を頂いて宿へ下がってくれ、と因果を含めて頼むように云い聞かせた。それも屋敷の為、当人たちの為を思ったことだが、女中の方はもう眼が眩《くら》んでいるから、そんな意見は耳にはいらねえばかりか、却って其の人を恨むようにもなった。お妾が余計な忠義立てをして、無理に自分たちの仲を裂くのだと一途《いちず》に思い込んで……。おい、清吉。おれの夢はここらで醒めたのだが、その先はおめえがよく知っている筈だ。今度はおめえの夢の話を聞かせて貰おうじゃあねえか。おめえの話も長そうだ。おれは一服吸いながら聞くぜ」
 半七は腰から筒ざしの煙草入れを取り出して、しずかに煙草を吸いつけると、清吉はやがて崩れるように両手をついて平伏した。
「親分、恐れ入りました。ひとりの姪が可愛いばっかりに……。お察しください」
「それはおれも察している。おめえが悪い人間でねえことは世間の評判で知っている。それにしても、仕事があんまり暴《あら》っぽいぜ。いくらおめえ達の商売でも、カチカチ山の狸の土舟のようなことをして、殿さまを始め大勢の人を沈めて……」
「仰しゃられるまでも無く、わたくしも今では後悔して居ります。どうしてあんな大胆なことをしたかと、我れながら恐ろしい位でございます。たった一人の姪が泣いて頼みますので……。ふいと魔がさして飛んでもない心得違いを致しまして……。なんとも申し訳がございません」
 汗か涙か、清吉の蒼い顔は一面に湿《ぬ》れていた。

     六

「なかなか入り組んだ話ですね」と、私はここまで聞かされてひと息ついた。
「さあ、入り組んでいるようですが、筋は真っ直ぐです」と、半七老人は笑った。「ここまでお話しすれば、あなた方にも大抵お判りでしょう」
「まだ判らないことがたくさんありますよ。これまでのお話によると、そのお信という女が自分の恋の邪魔になるお早という妾を殺そうとして、叔父の清吉を口説《くど》いて船底に機関《からくり》を仕掛けたというわけですね。かたきの片割れだから、お嬢さまも一緒に沈めてしまう……」
「殿さまを殺す気はなかったが、あいにく其の日に限って、殿さまも船で帰ったので、云わば傍杖《そばづえ》の災難に出逢ったのですよ。運の悪いときは仕方のないものです」
「お信は大阪屋花鳥の二代目ですね」
「そうです。子供のときから築地の河岸《かし》に育ったので、相当に水心《みずごころ》があったと見えます。こんにちでは海水浴が流行《はや》って、綺麗な女がみんなぼちゃぼちゃ[#「ぼちゃぼちゃ」に傍点]やりますが、江戸時代には漁師の娘ならば知らず、普通の女で泳ぎの出来るのは少なかったのです。花鳥もお信も泳ぎを知らなかったら、悪いことを思い付かなかったかも知れません」
「そこで千太という船頭はどうしました」
「それには又お話があります」と、老人は説明した。「千太は親方の指図だから忌《いや》とは云われません。もちろん相当の金轡《かねぐつわ》を喰《は》まされたんでしょう。ともかくもこの役目を引き受けて、浅井の人たちを砂村の下屋敷へ送り付けて、その帰りを待っているあいだに船底をくり抜いて置いたんです。いざというときに自分は泳いで逃げ、一旦は三河屋へ帰ったんですが、いろいろの詮議を受けると面倒だというので、親方の指図で姿を隠してしまったんです」
「そうして、どこに隠れていたんです」
「友達の寅吉の家へ逃げ込んで、戸棚のなかに隠れていたそうです。寅吉も悪い奴で、万事を承知で千太をかくまい、千太の使だと云って時々に三河屋へ無心に出かけていたんですが、この寅吉を斬った者がよく判りません。寅吉の出入りを尾《つ》けていた幸次郎の話によると、寅吉が山本町の橋の袂へ来かかった時に覆面の侍が足早に追って来て、一刀に斬り倒したのだそうで、恐らく菅野の屋敷の者だろうと云うんです。菅野は前にも申した通り、浅井の奥さまの里方で深川の浄心寺わきに屋敷を持っている。そこへ今度の一件を種にして、寅吉は何か強請《ゆすり》がましい事でも云いに行ったらしい。屋敷の方でも面倒だと思って、一旦は幾らか握らせて帰して、あとから尾《つ》けて行ってばっさり[#「ばっさり」に傍点]……。わたくしは門前払いを喰っただけでしたが、寅吉は命を取られてしまいました。なにしろ寅吉が殺《や》られてしまったので、千太はどうすることも出来ない。よんどころなく其処を逃げ出して、それからそれへと友達のところを転げ歩いていたんですが、どこでも係り合いを恐れて長くは泊めてくれない。そのうちに親方の清吉がわたくしの手に挙げられたという噂を聞いて、もう逃げ負《おお》せられないと覚悟したのでしょう。自分で尋常に名乗って出ましたが、吟味中に牢死しました」
「お信は清吉の女房の里に隠れていたんですか」
「お信は岸へ泳ぎ着いて、濡れた着物の始末をして、自分だけ助かったつもりにして屋敷へ帰る筈だったんですが……。それが俄かに気が変ったのは、船がいよいよ沈むという時に、お妾のお早がただ一言《ひとこと》『信』と云って、怖い眼をして睨んだそうです。さては覚られたかと思うと、お信は急におそろしくなって、夢中で岸までは泳ぎ着きながらも、もう再び屋敷へ戻る気になれなくなったということです。暫く何処にか隠れていて、暗くなるのを待って下谷の稲荷町、すなわち清吉の女房の里へ尋ねて行って、そこに五、六日隠まって貰って、それから又こっそりと築地の三河屋へ戻って来て、その二階に忍んでいたんです。わたくしが最初に三河屋へ出張って、船頭の金八を詮議していた時、お信は二階に隠れていたわけです、が、その儘うっかり帰って来たのはわたくしの油断でした。
 そこで、お信がどうして浅井の若殿さまを誘い出したのか、それは清吉も知らない。若殿さまは唯だしぬけに尋ねて来たのだと云っていましたが、何かの手だてを用いて呼び出したに相違ないと思われます。若殿さまは三河屋の二階に泊まって、その夜のうちにお信と一緒にぬけ出して、例の屋根船のなかで心中したんですが、清吉はそれをちっとも知らなかったと云う。これも甚だ怪しいと思われます。第一、若殿さまを自分の家に泊めるという法はない。その屋敷はすぐ近所にあるんですから、夜が更《ふ》けても送り帰すのが当然であるのに、平気で自分の二階に泊まらせて、こんな事を仕出来《しでか》したのは、重々申し訳のない次第です。浅井の屋敷では二日前に家出したと云い、清吉はその晩に来たと云い、その申し口が符合しないんですが、或いは二日前から三河屋に忍ばせて置いたのかも知れません。
 それらのことを考えると、お信はしょせん自分の望みは叶わないと覚悟して、叔父の清吉と相談の上で、若殿さまを冥途《めいど》の道連れにしたらしい。清吉も姪が可愛さに、若殿さまを二階に忍ばせて、十分に名残《なごり》を惜しませた上で、二人を心中に出してやったんだろうと思われます。船の一件が露顕すれば、清吉もお信もどうで無い命、殊にお信はしっかり者だけに執念深い。それに魅《み》こまれた若殿さまはお気の毒のようですが、この人は女に惚れられるような美男に生まれ付いただけに、体も弱く、気も弱い質《たち》で、年もまだ十七、無事に家督を相続したものの、親や妹には不意に死に別れ、お信はゆくえ知れず、唯ぼんやりとしているところへ、死んだと思ったお信が突然にあらわれて来て、それにいろいろ口説かれたので、ついふらふらと死ぬ気になったんでしょう。今更のことじゃあないが、女に惚れられると恐ろしい。若殿さまがお信という女に惚れられた為に、これほどの大事件が出来《しゅったい》して、三千石の家は見ごとに潰れてしまいました」
「お嬢さまの死骸はとうとう揚がらなかったんですか」と、わたしは最後に訊《き》いた。
「いや、そのお春というお嬢さまは……」と、老人は悼《いた》ましそうに顔をしかめた。「何処をどう流れて行ったのか知れませんが、房州の沖で見付かりました。これは後に聞いたことですが、房州の漁師が沖へ出て、大きな鮫を生け捕って来て、その腹を裂いてみると、若い女の死骸がころげ出た。その時には何者か判らなかったんですが、着物や持ち物が証拠になって、その女は浅井のお嬢さまだということが知れたそうです。揃いも揃って何という運の悪いことか、まったくお話になりません。浅井の奥さまのお蘭という人は里方の菅野家へ戻りましたが、亭主は水死、息子は心中、娘は右の始末ですから、いよいよ半気違いのようになってしまって、それから間もなく死んだということです。三河屋の清吉も千太と同様、吟味中に牢死しました」



底本:「時代推理小説 半七捕物帳(五)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年10月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
1999年4月11日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


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