青空文庫アーカイブ

半七捕物帳
十五夜御用心
岡本綺堂

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)虚無僧《こむそう》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)本所|押上《おしあげ》村

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(例)※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]
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     一

 私はかつて「虚無僧《こむそう》」という二幕の戯曲をかいて、歌舞伎座で上演されたことがある。その虚無僧の宗規や生活については、わたし自身も多少は調べたが、大体はそのむかし半七老人から話して聞かされたことが土台になっているのであった。
 虚無僧の話をするついでに、半七老人は虚無僧と普通の僧とに絡《から》んだ一場の探偵物語を聞かせてくれたことがある。老人は先ず本所|押上《おしあげ》村について説明した。
「この頃は押上町とか向島押上町とかいろいろに分かれたようですが、江戸時代はすべて押上村で、柳島と小梅のあいだに広がって、なかなか大きい村でした。押上の大雲寺といえば、江戸でも有名な浄土宗の寺で、猿若《さるわか》の中村勘三郎代々の墓があるせいか、ここには市村羽左衛門とか瀬川菊之丞とかいったような名優の墓がたくさんありました。その隣りの最教寺は日蓮宗で、ここの宝物には蒙古退治の曼荼羅《まんだら》があるというので有名でした。これからお話をするのは、そんな有名な寺ではなく、竜濤寺《りゅうとうじ》……名前はひどく勿体らしいのですが、いやもう荒れ果てた小さい古寺で、一時は無住になっていたというくらいですから、大抵お察しが付くでしょう。その古寺へ四、五年前から二人の出家がはいり込んで来て、住職は全達、納所《なっしょ》は全真、この二人が先ず居すわることになりました。勿論、貧乏寺で碌々に檀家もないのですから、住職も納所もそこらを托鉢《たくはつ》に出歩いたりして、どうにか寺を持っていたらしい。ところが、ここに一つの不思議な事件が出来《しゅったい》したのです」

 嘉永六年七月には徳川|家慶《いえよし》が薨去《こうきょ》したので、七月二十二日から五十日間の鳴物《なりもの》停止《ちょうじ》を命ぜられた。鳴物停止は歌舞音曲のたぐいを禁ずるに過ぎないのであるが、それに伴って多人数の集合すること、遊楽めいたこと等は、すべて遠慮するのが其の時代の習慣であったので、さし当り七月二十六夜の月待ちには高台や海岸に群集する者もなかった。翌月の十五夜も月見の宴などは一切遠慮で、江戸の町に芒《すすき》を売る声もきこえなかった。
「いい月だなあ」
 ひとり言を云いながら、路ばたに立って今夜の明月を仰いでいたのは、押上村の農家のせがれ元八であった。元八はことし二十一で、小博奕なども打つという噂のある道楽者だけに、今夜の月を自分の家でおとなしく眺めていることも出来ず、これから何処へ遊びに行こうかなどと考えながら、ほろよい機嫌でここらの田圃路《たんぼみち》をうろ付いていると、浅黄の手拭に顔をつつんだ一人の女に出逢った。
「あの、ちょいと伺いますが、神明様はこの辺でございましょうか」と、女は訊《き》いた。
「神明様……。徳住寺のかえ」と、元八は月あかりに女の顔をのぞきながら答えた。「徳住寺へ行くなら、あと戻りだ」
「行き過ぎましたか」
「むむ、行き過ぎたね」と、元八はまた答えた。「これから半町ほどもあと戻りをして、往来へ出たら右へ曲がるのだ」
「ありがとうございます」
 女は会釈《えしゃく》して引っ返して行った。手ぬぐいに顔を包んでいながらも、それが年の若い色白の女であることを元八は認めたので、暫くたたずんで彼女のうしろ姿を見送っていた。
「ここらで見馴れねえ女だ。狐が化かしにでも来たのじゃあねえかな」
 化かす積りならば、そのまま無事に立ち去る筈もあるまいと思うに付けて、ほろよい機嫌の道楽者は俄かに一種のいたずらっ気を兆《きざ》した。彼は藁草履《わらぞうり》の足音をぬすみながら、小走りに女のあとを追ってゆくと、女はそんなことには気が付かないらしく、これも夜露を踏む草履の音を忍ばせるように、俯向き勝ちに辿って行った。月が明るいので見失う虞《おそ》れはないと、元八も最初はわざと遠く距《はな》れていたが、往来へ近づくに従って彼は足を早めた。もう三、四間というところまで追い着くと、女もさすがに気がついて振り返った。
 覚られたと知って、元八はすぐに声をかけた。
「姐さん、姐さん。神明さまへ行く途中には、暗い森があって物騒だ。おれがそこまで一緒に行ってやろう」
 なんと返事をしたらいいかと、女は少し躊躇している間《ひま》に、元八は駈け足で近寄った。彼は若い女にこすり付いて云った。
「さあ、おれが送ってやろう。ここらには悪い奴もいる、悪い狐もいる。土地の者が付いていねえとどんな間違いが起るかも知れねえ」
 まずこう嚇して置いて、彼は無理に送り狼になろうとすると、女は別に拒《こば》みもしないで、黙って彼に送られて行った。その途中、元八が何か馴れ馴れしく話しかけても、殆んど唖のように黙りつづけているのを見ると、彼女がこの不安な親切者を悦んでいないのは明白であった。それでも元八は執拗《しつこ》く絡み付いて行くうちに、やがて田圃路を通りぬけて、二人はやや広い往来へ出た。それを右へ切れて更に半町ほども行くと、元八の云った通り、路端に小さい雑木《ぞうき》の森が見いだされた。
「姐さん。この森を抜けた方が近道だ」
 彼は女の手をつかんで、薄暗い木立《こだち》の奥へ引き摺り込もうとすると、女は無言で振り払った。元八はひき戻して、再びその手を掴んだ。
「おい、姐さん。そんなに強情を張るもんじゃあねえ。まあ、素直におれの云うことを……」
 その言葉が終らないうちに、彼の襟髪は何者にか掴まれていた。はっ[#「はっ」に傍点]と驚いて見かえる間もなく、彼は冷たい土の上に手ひどく投げ付けられた。いよいよ驚いた彼は、顔をしかめて這い起きながら見あげると、その眼の前には虚無僧すがたの男が突っ立っていた。自分を投げた男ばかりでなく、ほかにも猶ひとりの虚無僧が女を囲うように附き添っていた。
 相手は二人で、しかもそれが虚無僧である以上、相当に武芸の心得があるかも知れないと思うと、元八は俄に気怯《きおく》れがして、彼らに敵対する気力もなかった。虚無僧は無言で立っていたが、天蓋の笠越しに屹《きっ》とこちらを睨んでいるらしいので、元八はいよいよおびえた。彼はからだの泥を払いながら、これも無言ですごすごと立ち去るのほかはなかった。
 七、八間ほども引っ返して、元八はそっと見かえると、虚無僧らの姿も女のすがたも、もうそこらに見えなかった。彼らは森のなかへ入り込んだらしかった。
「あいつらは道連れかな」と、元八は立ちどまって考えた。折角つけて行った女を横合いから奪われて、おまけに手ひどく投げ付けられて、彼はくやしくてならなかった。勿論、正面から手出しは出来ないのであるが、さりとて此の儘おめおめと別れてしまうのも何だか残念である。あの女は一体何者であるのか、彼女と虚無僧らとどういう関係があるのか、それを探り知りたいような一種の好奇心も手伝って、元八は又そっとあと戻りをした。森と云っても、木立に過ぎないような浅い森である。土地の勝手をよく知っている元八は、続いてその森のなかへ踏み込んで行くと、三人はもう出ぬけていた。
「足の早い奴らだ」
 元八も足を早めて、うす暗い森を出ぬけると、その行く手に男二人と女ひとりのうしろ影が明るい月に照らされて見えた。彼らは神明の社《やしろ》のある徳住寺の方角へむかって行くらしい。若い女と虚無僧とが今頃どうして神明の社へ詣るのかと、元八の好奇心はますます募ったが、何分にも月のひかりに妨げられて、彼は三人に近寄ることが出来なかった。もし覚られたら、又どんな目を逢うかも知れないという恐れがあるので、彼は半町ほどの距離を置いて、見え隠れに慕ってゆくと、三人は途中から更に爪先《つまさき》をかえて、徳住寺から少し距《はな》れた古寺の門前に足を止めた。
 寺はかの竜濤寺であった。

     二

 その翌日から竜濤寺の住職と納所が托鉢《たくはつ》に出る姿を見るものが無かった。しかも碌々に檀家もない寺であるから、村の者らもさのみに気にも留めずにいたが、あれから四日目の朝、近所のお鎌という婆さんが墓まいりに行って、寺内の古井戸の水を汲もうとする時、彼女は恐ろしいものを発見した。
 お鎌は蒼くなって表へ逃げ出した。そうして、近所へ触れて歩いたので、村の者らも早速に駈け着けると、竜濤寺の古井戸から人間の死屍《しかばね》が続々と発見された。住職の全達と納所の全真、そのほかに虚無僧すがたの男二人、あわせて四人の亡骸《なきがら》が引き揚げられて、秋の日に晒されたのを見た時には、どの人もみな顔色を変えた。
 この急報におどろかされて、村役人も駈けつけた。他の村人も集まって来た。四人の死骸を一度に発見したなどというのは、この村は勿論、江戸の市内にもめったに聞いたことのない椿事であるから、人々はいたずらに慌て騒ぐばかりであったが、それでも型の如く届け出て、型のごとくに検視を受けた。
 僧ふたりの亡骸は住職と納所に相違なかったが、ほかの二人の虚無僧は何者であるか判らなかった。虚無僧である以上、普化宗《ふけしゅう》本寺の取名印《しゅめいいん》、すなわち竹名《ちくめい》を許されたという証印の書き物を所持している筈であるが、彼らは、尺八、天蓋、袈裟などの宗具のほかには、何物も所持していなかった。懐剣や紙入れのたぐいも身に着けていなかった。したがって、彼らがまことの虚無僧であるか、偽虚無僧であるか、それすらも判然《はっきり》しなかった。一人は四十前後で、左の肩のはずれに小さい疵の痕があった。他の一人は二十七八歳で、色の白い、人品のよい男であった。その面《おも》ざしの何処やら似ているのを見ると、あるいは兄弟か叔父甥などでは無いかという説もあったが、これとても一部の人々の想像に過ぎなかった。
 更に不思議というべきは、この四人の死骸に一カ所の疵の痕も見いだされないことであった。縊《くび》られたような形跡もなかった。さりとて水を嚥《の》んでいるようにも見えなかった。他人が殺して古井戸に投げ込んだのか、何かの仔細で四人が同時に身を投げて自殺したのか、それは誰にも容易に解けない謎であった。
「なにか騒々しいことが出来《しゅったい》したそうで……。御迷惑でございましょう」
 神田三河町の半七が子分の松吉をつれて、押上村の甚右衛門の店さきに立った。甚右衛門はその昔、御法度《ごはっと》の賽ころを掴んで二十人あまりの若い者を頤《あご》で追い廻していた男であるが、取る年と共にすっかりと堅気《かたぎ》になって、女房の名前で営んでいた緑屋という小料理屋を本業に、まず不自由もなく暮らしているのであった。
 白髪頭《しらがあたま》の甚右衛門は帳場から顔を出して、笑いながら挨拶した。
「やあ、三河町、めずらしいな。まあ、あがんなせえ。松さんも一緒だね。御苦労、御苦労。おまえさん達が繋がって来た筋は大抵わかっている。まったく騒々しくって、どうもいけねえ」
 そのうちに愛想《あいそ》のいい女房も出て来て、二人は二階の小座敷へ案内された。
「どうです、相変らず御繁昌のようですね」と、半七も笑いながら訊《き》いた。
「お蔭でどうにか店を張っているが、なにしろ御停止《ごちょうじ》の五十日が明けねえうちは、まあ商売休みも同然だ。そこで、早速だが、おまえさん達は竜濤寺の一件で出張って来なすったんだろうが、あいつはちっと難物だね」と、甚右衛門は顔をしかめた。
「わたし達の縄張りの内の仕事じゃあありませんが、なにしろ事件が大きいから、ひと通りは調べて来いと、御寺社の方から声がかかったものですから、何がなんだか夢中で飛び出して来ました。いずれ名主さんのところへ顔出しをする積りですが、それよりもまあ緑屋さんへ早く挨拶に行って、なにかの指図を受けた方がよかろうというので、取りあえずお邪魔に来たようなわけで……」
 まだ何か云おうとする半七を、甚右衛門は大きい手をあげて制した。
「いけねえ、いけねえ。相変わらず如才《じょさい》ねえことを云って、ひとを煽《おだ》てちゃあいけねえ。堅気になってもう十年、めっきり老い込んでしまった甚右衛門が、売り出しのお前さん達に何の指図が出来るもんか。だが、よく尋ねて来てくんなすった。まあ、ゆっくりおしなせえ。一|杯《ぺえ》やりながら何かの相談をしようじゃあねえか」
 今は堅気になっていても押上の甚右衛門、ここらでは相当に顔の売れている男である。その顔を立てて真っ先に尋ねて来た半七に対して、彼も大いに厚意を示さなければならなかった。江戸のお客の口には合うまいがと云い訳をしながら、彼は女房や女中たちに指図して、すぐに酒肴を運び出させた。
「竜濤寺の一件は大抵知っていなさるだろうね」と、甚右衛門は猪口《ちょこ》をさしながら訊《き》いた。
「よく知りません。なんでも出家が二人、虚無僧が二人、古井戸のなかで死んでいたそうで……」と、半七は答えた。
「そうだ、そうだ」と、甚右衛門はうなずいた。「詰まりはそれだけのことで、ほかにはなんにも手がかりはねえ。からだに疵のねえのを見ると、自分たちで身を投げたようにも思われるが、坊主と虚無僧の心中でもあるめえ。ここらじゃあ専《もっぱ》ら仇討という噂を立てているが、それもどうだかな」
「かたき討……」
「相手が虚無僧だけに、芝居や講釈から割り出して、かたき討なぞという噂も出るのだ。仇ふたりが出家に姿をかえて、あの古寺に忍んでいるところへ、虚無僧ふたりが尋ねて来て、親か兄弟のかたき討、いざ尋常に勝負勝負の果てが、双方相討ちになったのだろうというのだが……。それにしても、四人の死骸がどうして井戸から出て来たのか、その理窟が呑み込めねえ、第一、どの死骸にも疵のねえのが不思議だ」
「その寺には金《かね》でもありますかえ」
「ここらでも名代《なだい》の貧乏寺さ。いくら近眼《ちかめ》の泥坊だって、あの寺へ物取りにはいるような間抜けはあるめえ。万一物取りにはいったにしても、坊主も虚無僧もみんな屈竟《くっきょう》の男揃いだ。たとい寝込みを狙われたにしても、揃いも揃ってぶち殺されて、片っ端から井戸へ抛《ほう》り込まれてしまうというのは、ちっと受け取りかねる話じゃあねえか」
「その虚無僧は、前から寺に泊まっていたんですかえ」
「今までは住職と納所《なっしょ》ばかりだ。そこへ何処からか虚無僧二人が舞い込んで来て、一緒に死んでいたんだから、何がどうしたのか判らねえ」
「ふうむ」と半七は、猪口をおいて考えていた。松吉も眼をひからせながら、黙って聴いていた。
「それに就いて少し話がある」
 云いかけて甚右衛門は眼で知らせると、酌に出ていた女中はこころえて、早々に座を起って行った。その足音が梯子段の下に消えるのを聞きすまして、彼はひと膝ゆすり出た。
「死骸の見付けられたのはきのうの朝のことだが、虚無僧はその四日前の十五夜の晩から泊まり込んでいたらしい。それを知っている者は、ここらにたった一人あるんだが、うっかりした事をしゃべって飛んだ係り合いになっちゃいけねえと思って、黙って口を拭《ぬぐ》っているのだ。そいつの話によると、ほかに一人の若けえ女が付いていたそうだ」
「若けえ女……」と、半七と松吉は思わず顔をみあわせた。
「むむ、若けえ女だ」と、甚右衛門はほほえんだ。「ところが、その若けえ女だけは死んでいねえ。おもしれえじゃねえか」
 なるほど面白いと半七も思った。その女の身許を突き留めれば、もつれた糸はだんだんに解けるに相違ない。それを知っているたった一人の男というのは、この村の元八であると甚右衛門は話した。
「元八というのは、ここの家《うち》へも始終遊びに来る奴で、ゆうべも私のところへ来て、実は十五夜の晩にこうこういうことがあったと、内証で話して聞かせたのだ」

     三

 気の毒なほどの馳走になって、女中たちに幾らかの祝儀をやって、半七と松吉が緑屋を出たのは昼の八ツ(午後二時)を少し過ぎた頃であった。
「緑屋の爺さんのお扱いがいいので、思いのほかに油を売ってしまった。これから本気になって稼がなけりゃあならねえ」と、半七はあるきながら云った。
「真っ直ぐにその竜濤寺というのへ行ってみますかえ」と、松吉は訊《き》いた。
「いや、まあ、名主のところへ顔を出して置こう。それでねえと、なにかの時に都合の悪いことがある」
 二人は名主の家をたずねて、寺社方の御用で来たことを一応とどけて置いた。ここでも事件のひと通りを聞かされたが、別にこれぞという手がかりも見いだされなかった。
「これから現場へ踏み込んでみたいのですが、誰か案内して貰えますまいか」
 名主の家では承知して、作男《さくおとこ》の友吉という若い男を貸してくれた。ここから竜濤寺までは少し距《はな》れているので、その途中でも半七はいろいろのことを案内者に訊《き》いた。
「一番はじめに死骸を見付けたというお鎌婆さんは、どんな人間だね。正直かえ」
「正直者という程でもねえかも知れねえが、これまで別に悪い噂も聞かねえようですよ」と、友吉は答えた。
「若いときには品川辺に住んでいたそうですが、十五六年も前からここへ引っ込んで来て、小さい荒物屋をやっています。三年前に亭主が死んだ時、自分の寺は遠くて困るというので、あの竜濤寺に埋めて貰って、墓まいりに始終行っていたのですよ」
「婆さんは幾つだね」
「五十七八か、まあ六十ぐらいだろうね。子供はねえので、亭主に別れてからは、孀婦《やもめ》で暮らしていたのです」
「家《うち》はどこだね」
「徳住寺……。神明様のあるお寺だが……。その寺のすぐそばですよ」
「その婆さんは本当に子供はねえのかね」と、半七は念を押した。
「よそにいるかも知れねえが、家にはいねえ。自分は子供も親類もねえと云っていますよ」
 十五夜の月の下にさまよっていた若い女は、元八にむかって神明様のありかを尋ねたということを、半七は甚右衛門の話で知っていた。その女とお鎌婆さんとの間に、何か因縁があるのでは無いかと、半七はふと思い付いた。たとい実の子はなくとも、親類の娘か、知り合いの女か、それがお鎌をたずねて来るようなことが無いとも限らないと、彼は思った。それにしても、他人《ひと》に道を尋ねるようでは、初めてお鎌の家をさがしに来たのかも知れないと、彼は又かんがえた。そのうちに、三人は竜濤寺の門前に行き着いた。
「成程、ひどい荒れ寺だな」と、松吉は傾きかかった門を見あげながら云った。「これじゃあ何かの怪談もありそうだ」
 門内にはそのむかし雷火に打たれたという松の大木がそのままに横たわって、古い石甃《いしだたみ》は秋草に埋められていた。昼でも虫の声がみだれて聞えた。いかに貧乏寺といいながら、ともかくも住僧がある以上、よくもこんなに住み荒らしたものだと思いながら、半七は草を踏みわけて進んでゆくと、死骸の見いだされた古井戸はそれであると、友吉は庫裏《くり》の前を指さして教えた。大きい百日紅《さるすべり》の下にある石の井筒には、一面に湿《しめ》っぽい苔がむしていた。今度の騒ぎで荒らされたと見えて、そこらの草はさんざんに踏み散らされていた。
 半七も松吉も井戸をのぞいた。日をさえぎる百日紅の影に掩われて、暗い古井戸の底は更に薄暗かった。井戸はなかなか大きいので、四人の死骸を沈めるのに仔細はないと思われた。友吉に案内させて、半七らは更に墓場を見まわると、そこらの大樹の下に二、三カ所、新らしく掘り返したような跡が見いだされた。半七は身をかがめて窺うと、本堂の縁の下にも同じような跡が見えた。
「むやみに掘りゃあがったな」
「そうですね」と、松吉も仔細らしく首をかしげていた。
 三人はそれから本堂にのぼると、狭いながらも正面には型のごとくに須弥壇《しゅみだん》が設けられて、ひと通りの仏具は整っていた。しかもそこらは埃《ほこり》だらけで、大きい鼠が人の足音におどろいて逃げ去った。
「仏さま、御免ください。少々お邪魔をいたします」
 こう云って、半七は仏前の香炉、花瓶、そのほかの仏具を一々|検《あらた》めたが、やがて小声で松吉に云った。
「おい。見ろ。埃だらけの仏具に新らしい指のあとが残っている。ゆうべか今朝あたり、ここらを掻きまわした奴があるに相違ねえ」
 半七はそこにある木魚《もくぎょ》を叩いてみた。
「この寺じゃあ木魚を叩きますかえ」と、彼は友吉に訊《き》いた。
 木魚を叩くか叩かないか、それはよく知らないと友吉は答えた。半七は再び木魚をたたいた。
「和尚の居間はどこだね」
「こっちですよ」
 友吉は先に立って行きかかると、半七もふた足三足ゆき掛けたが、また小戻りして松吉にささやいた。
「おい、松。その木魚には仕掛けがある。あっちへ行っている間《ひま》に調べて置け」
 無言でうなずく松吉をそこに残して、半七は友吉のあとを追ってゆくと、破れ襖は明け放されたままで、住職の居間という六畳敷のひと間が眼の前にあらわれた。半七は先ず押入れをあけると、内には寝道具と一つの古葛籠《ふるつづら》があった。葛籠には錠が卸してなかった。
「ちょいと手を借してくんねえ」
 友吉に手伝わさせて、半七は押入れから寝道具をひき出してみると、枕は坊主枕一つと木枕二つ、掛蒲団と敷蒲団も三、四人分を貯えてあるらしかった。大きい古蚊帳も引んまるめたように畳んであった。
 松吉はそっと来て声をかけた。
「親分……」
 なにかの発見をしたらしい眼色を覚って、半七は友吉を見かえった。
「おめえはちょっとの間、玄関の方へでも行って待っていてくれねえか。邪魔にするわけでもねえが、御用で調べ物をする時に、他人《ひと》が傍にいちゃあ困ることがある」
 友吉はおとなしく立ち去った。それを見送って、二人はもとの本堂へ引っ返すと、松吉はかの木魚を指さした。
「親分はさすがに眼が利いているね」
「眼が利いているのじゃあねえ、耳が利いているのだ。あの木魚の音がどうも唯でねえと思った。それで、どうした」
「この通り……」と、松吉は笑いながら木魚に手をかけてもたげると、木魚には底蓋《そこぶた》があった。
「なるほど。考えやがったな」と、半七も笑った。
 木魚の内が空になっているのは普通であるが、これは別に底蓋を作って、その上に被《かぶ》せるように仕掛けてあった。ただ見れば有り触れた木魚であるが、その口から何物かを※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]《さ》し込めば、底蓋の上に落ちて自由に取り出すことが出来るようになっている。現に小さい結び文《ぶみ》が落ちていた。
 半七はその結び文をあけて見ると、女文字で「十五や御ようじん」と書いてあった。十五夜御用心――それは十五夜に於ける異変を予告するようにも見られた。
「なんの為にこんな仕掛けをして置いたのかな」と、松吉は木魚をながめた。「密書を投げ込む為かね」
「まあ、そうだろう。今も寝道具を調べたら、白粉や油の匂いがする。ここには女文字の文《ふみ》がある。なにしろ、この一件には女の詮議が肝腎だ。案内の男に云いつけて、まず荒物屋のお鎌という女を呼んでみよう。いや、あの男がぼんやりしていて、相手を逃がしてしまうと詰まらねえ。おめえも一緒に行って、女をここへ連れて来てくれ。おい、それからな……」と、半七は何事かをささやいた。
「あい、ようがす。だが、お前さん一人ぼっちでこんな所にいて……。なにが出て来るか判りませんぜ」
「はは、大丈夫だ。いくら古寺でも、まっ昼間から化け猫が出ても来ねえだろう。出てくるのは鼠か藪っ蚊か。まあ、そんなものだろうよ」
「ちげえねえ。じゃあ、行って来ます」
 松吉は縁さきから庭に降りて、表の玄関口へまわったかと思うと、やがて聞き慣れない男の声がきこえるので、半七は暫く耳を澄ましていたが、ふと思い当ることがあったので、続いて表へ出て見ると、そこには松吉と案内者の友吉のほかに、小作りの若い男が立っていた。
「おめえは元八じゃねえか」と、半七はだしぬけに声をかけた。
「へえ」と、男は恐れるように答えた。
「そうか。実はおめえにも逢いてえと思っていたのだ。おい、松。ここには構わずに、おめえ達は早く行って来てくれ」
 二人を表へ追いやって、半七はおどおどしている元八を住職の居間へ連れ込んだ。元八はもう相手の身分を承知しているらしく、なんとなく落ち着かないような顔をして、半七の眼色をうかがっていた。
「おめえはここへ何しに来たのだ」と、半七は先ず訊《き》いた。
 元八は黙っていた。
「おれ達のあとを尾《つ》けて来たのか。緑屋の爺さんから何か聞いたので、あとを尾けて来たのだろう。それともこの寺に何か探し物でもあるのか。おめえも小博奕の一つも打つ男だそうだから、人の前で物が云えねえ程のおとなしい人間でもあるめえ。はっきりと返事をしてくれ」
 元八はやはり黙っていた。
「じゃあ、まあ、その詮議はあと廻しにして、これから俺の訊くことに応えてくれ」半七は重ねて云った。「緑屋の爺さんの話を聞くと、おめえは十五夜の晩に田圃《たんぼ》をあるいていると、頬かむりをした若い女に逢って、それを神明さまの近所まで送って行く途中で、おめえがその女に悪ふざけをした。そこへ二人の虚無僧が出て来て、おめえはひどい目に逢わされた。話の筋はまあそうだね。それからおめえは三人のあとを付けて行くと、三人はこの寺へはいった……。そこで、おめえはどうした」
「帰りました」と、元八は低い声で答えた。
「寺へはいるのを見届けただけで、すぐに帰ったのかえ」
「帰りました」と、元八は又答えた。
「真っ直ぐに帰ったかえ。確かに帰ったかえ」と、半七は相手の顔を睨むように見た。「緑屋の爺さんは欺されても、おれは欺されねえ。おめえは何処までも三人のあとを尾《つ》けて、この寺のなかまではいり込んだろう。隠すと、おめえの為にならねえぜ。正直に云え。それから何か立ち聴きでもしたか」
「まったく直ぐに帰りましたので……。あとの事は知りません」
「こいつ、道楽者のくせにあっさりしねえ野郎だな。やい、元八。てめえはあのお鎌という婆さんから鼻薬を貰って、口を拭《ぬぐ》っているのだろう。くどくも云うようだが、緑屋の爺さんと此の半七とは相手が違うぞ。その積りで返事をしろ」
 頭から嚇されて、元八は蒼くなった。半七は衝《つ》っと寄って、その片腕をつかんだ。
「さあ、野郎。この腕に縄が掛かるか、掛からねえかの分かれ道だ。返事をしろよ。返事をしねえかよ」
 掴んだ腕をゆすぶられて、元八はいよいよふるえた。
「親分の仰しゃる通り、実は三人のあとを尾けて……」
「寺のなかまではいり込んだな。それからどうした」
「三人は案内も無しに上がり込みました」
「坊主はいたのか」
「住職、納所もいました。三人は住職の居間へ通って……」
「この六畳だな」
「そうです。住職も納所も虚無僧も女も、みんな一緒に寄り集まって、ここで酒を飲み始めました」
「おめえはそれを何処で覗いていた」
「庭から廻って、あの大きい芭蕉の蔭で……。すると、だしぬけに袂を掴んで引っ張る奴があるので、驚いて振り返ると……」
「お鎌婆さんか」と、半七は笑った。
「お鎌はわたしをむやみに引き摺って、表の玄関の方まで連れ出して、わたしの手に一|歩《ぶ》の金を握らせて、さあ早く出て行け、ぐずぐずしているとお前の命が無いというので……。わたしも何だか気味がわるくなって、忽々《そうそう》に逃げて帰りました」
「おめえはお鎌と心安くしているのか」
「別に心安いというわけでもありませんが、あの婆さんは小金を持っているので、時々ちっとぐれえの小遣いを借りることもあるのです。いえ、なに、借り倒すなんていう事は出来ません。あの婆さん、なかなか厳重ですから……」
 云いかけて、元八は眼口《めくち》を撲つ藪蚊を袖で払った。一生懸命の場合でも、ここらの名物の藪蚊には彼も辟易《へきえき》したらしい。半七も群がって来る藪蚊を防ぐ術《すべ》がなかった。

     四

「そこで、話はあと戻りをするが、おめえは何でおれ達のあとを尾けて来たのだ」と、半七は訊《き》いた。
 それに就いて、元八はこう答えた。彼はさっき、緑屋の近所を通りかかると、店の女中たちに送られて出る二人の客のすがたを見た。元八も道楽者であるだけに、この二人を唯の客ではないらしいと鑑定して、女中にそっとたずねると、彼らは三河町の半七とその子分であるという。それを聞くと、彼は俄かに一種の不安に襲われて、亭主の甚右衛門に相談するひまも無く、すぐに半七らのあとを追って、影のように付け廻していたのである。但し、自分はお鎌から一歩の金を貰っただけで、ほかには何の係り合いも無いと弁解した。
「おめえは其の後にお鎌に逢ったか」と、半七は又|訊《き》いた。
「ここの井戸から四人の死骸が揚がったという評判を聞いて、わたしもすぐに駈け着けてみると、お鎌も来ていました。なにしろ最初に死骸を見付けた本人ですから、名主さん達からいろいろのことを訊かれていましたが、わたしは何だか気が咎めるので、なるたけ後の方へ引きさがって、遠くから覗いていました。その時ぎりでお鎌に逢ったことはありません」
「死骸を見つけたのは、十五夜から四日目だというじゃあねえか。そのあいだに、一度もお鎌に逢わなかったのか」
「逢いませんでした」
 この時、庭口から松吉が大急ぎで帰って来た。八月の秋の日はまだ暑いので、彼は襟もとの汗をふきながら云った。
「親分、お鎌はいませんよ」
「家《うち》にいねえのか」
「荒物屋の店は空明《がらあ》きで、何処へ出て行ったのか近所の者も知らねえと云うのです。なにしろ、こっちの方も気になるので、案内の男だけを見張りに残して置いて、わっしは一旦引っ返して来たのですが、どうしましょう」
「どうにも仕方があるめえ」と、半七は舌打ちした。「下司《げす》の知恵はあとから出る。こうと知ったら早くあの婆を引き挙げればよかった。そこで、頼んだ物を持って来たか」
「店へはいって探してみたら、毎日の売り揚げを付けて置く小さい帳面がありました。これじゃあ役に立ちませんか」と、松吉はふところから藁半紙の帳面を出してみせた。
「むむ。なんでもいい」
 半七はその帳面を受け取って、かの結び文の「十五や御ようじん」と引き合わせると、松吉も縁へ這いあがって覗き込んだ。
「成程、似ているようですね」
「似ているじゃねえ。確かに同筆だ。この寺へはいろいろの奴らが寄り集まって来て、その置手紙を木魚の口へ投げ込んで置いて、なにかの打ち合わせをすることになっているらしい、そこまでは先ず判ったが、さてこの十五夜御用心……。誰に用心しろと云うのかな」
 云いかけて、又なにか思い出したように、半七は向き直った。
「おい、元八。おめえはその芭蕉のかげで立ち聴きをしていて、なんにも話し声は聞えなかったか」
「声が低いので、よく聴き取れませんでした。ただ一度、全真という納所坊主がこの縁側から月をながめて、ああいい月だ、諏訪《すわ》神社の祭礼《まつり》ももう直ぐだなと云うと、住職の全達が笑いながら、諏訪の祭りが見たければ直ぐ出て行け、十月までには間に合うだろうと云って、みんなが大きい声で笑っていました」
「諏訪の祭り……信州かな」と、松吉は口を出した。
「いや、信州の諏訪は十月じゃあるめえ」と、半七は打ち消した。「十月の祭りならば、長崎の諏訪だろう。九州一の祭りで、たいそう立派だそうだ。そんな話を誰かに聞いたことがあるようだ。むむ、長崎か……長崎か……」
 長崎を口のうちで繰り返した後に、半七は証拠の結び文と売揚げ帳をふところへ押し込んだ。
「いつまでここに罠《わな》をかけていても、化け猫や狐が安々と掛かって来そうもねえ。ともかくも一旦引き揚げて緑屋へ行くとしよう」
「荒物屋の方はどうしますね」と、松吉は訊《き》いた。
「あの男にばかり任かしちゃあ置かれねえ。おめえも行って気長に張り込んでいろ。俺もいずれ後から行く。元八はいつまた呼ぶかも知れねえから、家《うち》へ帰っておとなしくしていろよ。決して外へ出ちゃならねえぞ」
 元八は幾たびか頭を下げて、逃げるように出て行った。半七も松吉もつづいて出た。
「あの野郎はどうでした。妙におこ[#「おこ」に傍点]付いているじゃありませんか」と、松吉は小声で云った。
「道楽者と云ったところで、安い野郎だ。あいつ案外の正直者だから、なにかの囮《おとり》になるかも知れねえ。まあ、当分は放し飼いだ」
 途中で松吉に別れて、半七は再び緑屋の門《かど》に立った。
「又お邪魔に出ました。日の暮れるまで往来に突っ立ってもいられねえから、軒下を借りに来ました。どうぞ構わねえで置いて下さい」
 勿論それはひと通りの挨拶で、緑屋でも構わずに捨てて置く筈はなかった。半七は愛想よく迎えられて再び二階の小座敷へ通されると、甚右衛門もあとから上がって来た。
「どうだね。お前さんの眼利きは……。たいてい見当は付いたかね」
「おさき真っ暗で眼も鼻も利きません」と、半七は笑った。「なにしろ日が暮れてから、もう一度出直して見たいと思います」
「じゃあ、ゆっくり休んで行きなせえ。古寺へ化け物の詮議に行くのは、やっぱり夜の仕事だろうな」と、甚右衛門も笑った。「そこで、どうだね。元八の奴を呼びにやろうか」
「元八は来ましたよ」
「寺へか。お前さん達のあとを尾けて……。はは、馬鹿野郎め、定めし嚇かされたろうな」
「嚇かしもしねえが、ちっとばかり口を取って置きましたよ。そこで、ちょいと伺いたいのですが、ここらに長崎者はいませんかね」
「長崎者……。そんな遠国《おんごく》の者は住んでいねえようだが……。いや、ある、ある。この近所で荒物屋をしているお鎌という女……。それ、さっきも話した通り、古井戸の死骸を最初に見つけ出した女だ。長崎だかどうだか確かには知らねえが、なんでも遠い九州の生まれだと聞いたようだ。それがどうかしたのかえ」
「いや、どうということもねえのですが、そのお鎌というのが影を隠したらしいので……。お前さんも知っていなさるか知らねえが、元八は十五夜の晩に、あの寺でお鎌から一歩貰ったそうですよ」
「へええ」と、甚右衛門は眼を丸くした。「あの野郎、おれには隠していやあがったが、そんな事があったのかえ。してみると、あいつもいよいよ係り合いは抜けねえ。お鎌という女も唯は置かれねえ奴らしいな」
「そうでしょうね」と、半七は煙草を吸いながら考えていた。
 秋の日もやがて暮れかかって、再び酒と肴が持ち出されたが、半七は酒を辞退して夕飯を食った。その箸をおいて茶を飲んでいる処へ、松吉が詰まらなそうな顔をして帰って来て、お鎌はいまだに姿をみせないと云った。恐らく再び帰らないのであろうと、半七は想像した。
「おれもそうだろうと思った。おめえもここで夕飯の御馳走になれ。仕事はこれからだ」
 裏の田圃に秋の蛙《かわず》が啼き出して、夜風が冷々《ひえびえ》と身にしみて来た頃に、半七と松吉は身支度をして緑屋を出た。
「松、しっかりしろよ。さっきも云う通り、今夜の怪物は化け猫に古狐だ。引っ掻かれねえように用心しろ」と、半七は笑いながら先に立った。
 竜濤寺に行き着いて、二人は暗い本堂のまん中に坐り込んだ。あいにくに宵闇の頃であるのが、二人に取っても都合がいいようでもあり、悪いようでもあった。半刻《はんとき》ほども黙って坐っていると、藪蚊が四方から物凄いほどに唸って来た。
「ひどい蚊だね」と、松吉は左右の袖を払いながら云った。「これじゃあ遣り切れねえ」
「ひる間でさえもあの通りだ。夜は蚊責めと覚悟しなけりゃあならねえ」と、半七は云った。「まあ、我慢しろ。蚊ばかりじゃあねえ、今に化け物が出るだろう」
 蚊の声、虫の声、古寺の闇はいよいよ深くなって屋根の上を五位鷺《ごいさぎ》が鳴いて通った。二人は根気よく坐り込んで、夜のふけるのを待っていたが、やがて四ツ(午後十時)に近い頃までも彼らを驚かすような化け物は出なかった。松吉は少し待ちくたびれたようにささやいた。
「親分。化け物はまだ来ねえかね」
「秋の夜は長《な》げえ。化け物の来るのは丑満《うしみつ》と決まっていらあ」
「まったく秋の夜は長げえ。ここらで一服吸ってもいいかね」
「いけねえ。燧石《ひうち》の火は禁物《きんもつ》だ」
「いやに暗い晩だね」
「暗いから火は禁物だというのだ」
 その暗い夜を照らすような稲妻《いなづま》が、軒さきを掠《かす》めて弱く光った。稲妻は秋の癖である。それは不思議でもなかったが、別に半七らをおどろかしたのは、二人が控えている本堂の庭さきに一人の女がたたずんでいる事であった。女は縁に近寄って、首をのばして内を窺っているらしく、稲妻に照らされた顔は蒼白く見られた。
 いつの間に忍んで来たのか知らないが、自分らの眼のさきに怪しい女の顔がだしぬけに浮き出したので、二人とも思わずぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]とする間《ひま》もなく、稲妻は消えて元の闇となった。化け物はいよいよ現われたのである。半七はすぐに起って、暗い庭さきに飛び降りた。
 これと同時に、かの古井戸あたりでも何か飛び込んだような水の音がきこえた。半七は暗い中で声をかけた。
「松。井戸の方へ廻ってみろ」
 稲妻はまた光った。怪しい大きい人は芭蕉の蔭にかくれて、手には匕首《あいくち》のような物を持っているらしかった。

     五

「お話は先ずこのくらいにして置きましょう」と、半七老人は云った。「どうです。大抵はお判りになりましたか」
「まだ判りません」と、私は自分の神経の鈍《にぶ》いのを恥じるように答えた。「その女は無論つかまえたんでしょうね」
「女ですか。ひとりは捉まえたが、一人は逃がしてしまいましたよ」
「じゃあ二人ですか」
「ひとりは匕首を持っていた女……。そいつは刃物を振りまわして、私に斬ってかかって来ましたが、こっちも商売ですから、空手でどうにか捻じ伏せてしまいました。もう一人の女……例の古井戸の方へ忍んで来た奴は、松吉を突き退けて逃げたんです。なにしろ真っ暗闇ですからね」
「井戸へ飛び込んだのは誰なんです」
「飛び込んだのじゃあない、投げ込んだのですよ。男の死骸を……」
「男の死骸……」
「元八という奴の死骸です」
「元八も殺されたんですか」
「可哀そうに殺されました」
「一体その女たちは何者です」と、わたしは訊《き》いた。
「ひとりはおまんという女で、若いように見えても二十六でした。もう一人は例のお鎌という女で、こいつは年に似合わない頑丈な婆さんでした」と、老人は説明した。「そこで、あなたも大抵お察しでしょうが、竜濤寺という古寺は悪い奴らの隠れ家で……。芝居や草双紙にもよくありますが、とかく古寺なんていうものは、山賊なんぞの棲家《すみか》になるもので、この寺も暫く無住のあき寺になっているうちに、悪い奴らが巣を作ってしまったんです。しかしいつまでも空寺にして置くと、何時《いつ》ほかの住僧がはいり込まないとも限らないから、いっそ自分たちが占領してしまう方がいいというので、全達と全真、この二人が住職と納所に化けて住み込むことになったんです。どっちも田舎の坊主あがりで、お経の読み方や木魚の叩き方ぐらいは知っていたそうですが、なにしろ二人とも喰わせ者で、世間を誤魔化すために殊勝らしく鉦《かね》なんぞをちんちん鳴らして、近所を托鉢に歩いていたというわけです」
「じゃあ、虚無僧ふたりも偽物ですね」
「勿論これも偽虚無僧、芝居ならば忠臣蔵の本蔵とか毛谷《けや》村のお園《その》とかいう所です。御承知でもありましょうが、坊主や虚無僧は寺社奉行の支配で、町方《まちかた》では迂濶に手を着けることが出来ないのですから、そこを見込んで思い思いに化けたんでしょう。こいつらは徒党を組んで、大きい町人や旗本屋敷をあらし廻って、相当に纏まった仕事をしていたらしいんです。この一件の一と月ほど前に東両国の質屋へ押込みにはいった二人組がありましたが、その晩は蒸し暑いので、ひとりの奴が覆面を取って顔の汗を拭くと、それが坊主頭であったので、店の者は又おどろいたということです。私はその話を聞いて、この頃ここらに坊主あたまの悪い奴らが立ち廻っていることを知っていたので、竜濤寺の坊主共も或いはそんな仲間じゃあないかと、まず第一に思い付いたんです。
 そこで、古井戸の死骸ですが、出家二人と虚無僧二人が、一度に身投げをするのもおかしい。おまけに、その死骸が水を嚥《の》んでいなかったと云いますから、身投げでは無いように思われます。しかし他人が殺して投げ込んだのならば、からだに何かの疵あとが残っていなければならない。たとい毒殺にしても、やっぱり何かの痕が残って、検視の役人たちにも知れる筈です。他人が殺して、なんにも跡方が残らないのは、睡り薬のほかは無いということを、私はかねて医者から聞いていました。睡り薬というのはモルヒネです。今日ではどうだか知りませんが、江戸時代の検視では睡り薬で死んだのを鑑定することは出来なかったようです。しかしその睡り薬というものが其の時代には容易に手に入らない。かの四人は、何者にか睡り薬を飲まされて、古井戸へ投げ込まれたのじゃあ無いかと、私も最初から疑っていたんですが、さてその薬の出所がわからない。そのうちに、元八の口からこんなことを聞きました。さっきもお話し申した通り、納所坊主が諏訪の祭りの噂をしたというんです。それが信州の諏訪でなく、長崎の諏訪らしいので、私は気が付きました。さてはこいつらの仲間のうちに、長崎に関係のある奴がまじっている。長崎ならば、異国の商船が絶えず出入りをしている土地ですから、モルヒネの睡り薬を手に入れることが出来る。そこで、緑屋の爺さんに訊いてみると、荒物屋のお鎌は九州の生まれだというので、いよいよ長崎に縁のあることが判りました」
「そこで、そのお鎌というのはどういう人間なんですか」と、私もいよいよ興味をそそられて訊いた。
「お鎌は果たして長崎の人間でした。死んだ亭主の名は徳之助と云って、二十年ほども前から夫婦連れで国を出て、何かの縁を頼って、初めは江戸の品川に草鞋《わらじ》をぬぎ、それから山の手辺を流れ渡って最後にこの押上村におちついて、十五六年も無事に暮らしていたんです。生まれ故郷を遠く離れて、なぜ江戸三界へ出て来たのか、それはよく判らないんですが、なにか良くない事をして、江戸へ逃げて来たんだろうと思われます。こう云えば、まず大抵は想像が付くでしょうが、長崎の祭りを恋しがった全真という納所は、お鎌の夫婦に由縁《ゆかり》のある者で、実はお鎌の甥にあたるんです。全真は子どもの時から長崎在の小さい寺へ小僧にやられていたんですが、これも何かのしくじりがあったんでしょう、五、六年前から国を飛び出して、叔母のお鎌をたずねて来る途中、東海道の三島の宿から全達と道連れになって、一緒に江戸へ出て来たんです。その道中のことはよく判りませんが、江戸へ着いた頃には二人とも、もう相当の悪者になっていたようです。この二人が竜濤寺の空寺に巣を作るようになったのも、お鎌に教えられたんでしょう。そのうちに、お鎌の亭主の徳之助が死んだので、死骸を竜濤寺へ葬って、その墓参りにかこつけてお鎌は始終出這入りをしていたんです。そんなわけですから、お鎌はみんなの悪事を承知しているどころか、そいつらが盗んで来た品物を択り分けて、賍品買《けいずかい》や湯灌場買《ゆかんばかい》なぞに売り捌いていたんですが、近所の者は誰も気がつかなかったと見えます」
「虚無僧は何者です。やっぱり長崎の生まれですか」
「いや、これは長崎じゃありません。二人とも北国筋の浪人だと云っていたそうですが、本当の身許はわかりません。ひと通りの武芸は出来たようですから、ともかくも大小をさした人間の果てには相違ありますまい。二人は兄弟でもなく、叔父甥でもなく、ひとりは石田、ひとりは水野と云っていたそうですが、もちろん偽名でしょう。どこでどう知り合いになったのかも知りませんが、石田と水野も竜濤寺の仲間入りをして、前にも云ったように、大きい町人や旗本屋敷を荒らし廻っていたんです。そうして幾年のあいだは、うまく世間の眼を晦ましているうちに、ここに一つの捫著《もんちゃく》が起りました」
「おまんという女の一件ですか」
「あなたも若いだけに、そういう方へはすぐに神経が働きますね」と、老人は笑った。「お察しのごとく、そのおまんが捫著の種で……。こいつは長崎の女郎あがりで、十九の年に大阪の商人に請け出されて行ったそうですが、間もなく店の若い者と一緒に駈け落ちをして、途中で捨てたのか捨てられたのか、ともかくも自分ひとりで江戸へ出て来て、それから妾奉公や、いろいろのことをやっていたんです。何でも雪のふる日に、本所の番場辺へ行く途中、多田の薬師の前で俄かに癪が起って悩んでいるところへ、虚無僧の石田が通りかかって介抱して、自分の隠れ家の竜濤寺へ連れ込んだと云うんですが、いずれ女の方から持ち掛けたか、男の方から誘いかけたか、何かの理窟があるんでしょう。ところが、このおまんという奴は女郎あがりの腕の凄い女で、石田と水野と全達と全真の四人をみんな巧く丸め込んで、自分がこの四人組の大将分のようになってしまったんです。こうなると、男は意気地がありませんね。ははははは。しかしおまんは竜濤寺に同居しないで、深川の方に妾宅風のしゃれた暮らしをして、うわべは囲い者かなんぞのように見せかけて、時々に寺へ通って来ていたんです。
 それだけなら未だよかったんですが、四人のなかでは全真が一番若い。ことし二十五で、おまんよりも一つ年下です。殊に双方が同国の長崎というんですから、おまんは誰よりも全真を余計に可愛がるような素振りが見える。それが他の三人には面白くない。その嫉妬《やきもち》喧嘩から仲間割れが出来て、おまんは全真を連れて何処へか立ち去るという。それを全達が仲裁して、一旦は無事に納まったんですが、全達とても内心は面白くない一人ですから、結局は石田や水野と心をあわせて、十五夜の晩に月見の小酒盛を催し、酔った振りをして喧嘩を吹っかけて、その場で全真を殺してしまう。おまんが飽くまでも全真を庇うようならば、これも一緒に殺すよりほかは無いということに相談を決めたんです。こういう奴らでも色恋の恨みは恐ろしい、三人は我が身の破滅になるとも知らずに十五夜の来るのを待っていると、どうしてかお鎌の婆さんがその秘密を覚ったんです。
 お鎌も人情で、自分の甥は可愛いのですから、そのことをそっと知らせてやろうと思って、十五夜の昼に竜濤寺へ来てみると、おまんもいない、男四人もいない、そこで、かの十五夜御用心を書いて木魚の口へ押し込んで置いたというわけです。今日《こんにち》で云えば、この木魚は郵便ポストのようなもので、誰もいない時は此のポストへ結び文を押し込んで置いて、なにかの打ち合わせをする約束になっていたんです。なかなか用心深く考えたもんですよ。
 しかしその木魚のポストを誰が明けるか判らない。全真かおまんが明ければいいが、他の三人が明けることになって、折角の結び文が他人の手に渡ってしまっては、御用心が御用心にならない。お鎌も内々それを心配していると、その日が暮れてから、おまんが深川から通って来て、なにかの用でお鎌の店へも寄ったので、お鎌はこれ幸いと思って、十五夜御用心の一件をおまんにささやくと、おまんも薄々それを察していたので、万事はあたしに任かせて置きなさいと云って帰った。その帰り途《みち》で元八に出逢ったので、おまんはわざと白らばっくれて、神明様はどこですなどと訊いたんです」
「元八はおまんを知らなかったんですね」
「坊主たちは格別、おまんと虚無僧二人はよほど出這入りに気をつけていたと見えて……尤も今と違って人家はまばらで、あたりには田や畑が多いんですから……近所の者もよくは知らなかったそうです。元八も知らないで化かされた。まったく悪い狐です。その狐に執拗《しつこ》く絡み付いて来るので、おまんも内心持て余しているところへ、丁度に石田と水野の虚無僧が来あわせて、元八は忽ちずでんどうという始末。それから、おまんと虚無僧の三人連れは、元八にあとを尾《つ》けられたとも知らず竜濤寺へ帰って、全達、全真と五人一座でいよいよ月見の酒宴をはじめると、どの人にも酔いが廻って、喧嘩を仕掛ける筈の石田が先ず倒れる、つづいて全達が倒れる、次に全真が倒れる、最後に水野が倒れる、小栗判官の芝居じゃあないが、将棋倒しにばたばたという事になってしまったんです。
 これにはおまんも驚いた。というのは、例の睡り薬の一件で……。おまんは喧嘩の先手を打って、全達と石田と水野の三人に睡り薬を飲ませる積りで、その計略は成就したんですが、どうした間違いか全真にも飲ませてしまって、これも将棋倒しのお仲間入りをしたので、おまんもはっ[#「はっ」に傍点]と思ったが今更どうにもならない。そこへお鎌も様子をうかがいに来たので、二人は相談の上で四人の死骸を順々に抱え出して古井戸へ沈めることにした。しかし、いつまでも其の儘にしても置かれないので、それから四日目にお鎌が偶然見付け出したような振りをして、俄かに騒ぎ始めたというわけです」
「木魚のポストは誰も明けなかったんですね」
「誰も明けなかったと見えます、御用心がなんの役にも立たないで、こんな騒ぎになってしまったので、おまんもお鎌ももう忘れていたんでしょう。私が乗り込んだ五日目まで、結び文はちゃんと残っていました」
 これで事件の真相は明白になったが、まだ判らないのは二人の女が其の後も古寺へ出入りして、かの元八をも同じ井戸に葬ったことである。それに就いて、半七老人は更に説明を付け加えた。
「睡り薬の手違いで、こんなことになった以上、おまんもお鎌も思い切りよく別れてしまえばよかったんですが、二人にはまだ未練がある。四人がこれまでに盗んだ金や、右から左に処分することの出来ないような金目の品々が、寺の何処にか隠してあるに相違ないというので、二人は人目に付かないように忍び込んで、墓場や床下を掘ってみたり、須弥壇《しゅみだん》を掻き廻してみたり、心あたりの場所を一々探していたが、それがどうも見付からない。そこへ私たちが乗り込んで来たので、眼の捷《はや》いお鎌はすぐに自分の店をぬけ出して、事の成り行きをうかがっていると、元八がドジを組んで私たちに調べられることになった。一旦は無事に帰されたものの、油断していると元八のような奴は何をしゃべるか判らない。殊に十五夜の晩に、一歩の金をつかませたという秘密もあるので、お鎌はおまんと相談して、元八を何処へか呼び出して、例の睡り薬を一服盛ってしまったんです。大方おまんが色仕掛けか何かで、凄い腕を揮ったんでしょう。決して外へ出ちゃあならないと、私が元八に堅く云い聞かせて置いたのに、うっかり誘い出されたと見えます。その死骸を近所の川へでも投げ込んでしまえばいいのに、同じ寺の古井戸へ運んで来たのが二人の女の運の尽きで、忽ちわたし達の網に引っかかったんです。こいつらに限らず、犯罪者というものはとかく同じことを繰り返す癖があるので、それがいつでも露顕の端緒になる。まったく不思議なものです」
「元八の死骸は誰が運んで来たんです。女たちの手には負えないでしょう」
「元八は小柄の男で、お鎌は頑丈な女ですから、自分が負って行ったということになっているんですが、実際はどうでしょうかね。緑屋の甚右衛門は堅気になっていますが、昔の子分のうちには今でもぶらぶらしているやくざがいる。そんな奴が幾らかの鼻楽を貰って、お鎌に手を貸してたんじゃあないかとも思われますが、甚右衛門の顔に免じて、そこはまあ有耶無耶《うやむや》にしてしまいました」
「おまんはあなたに捉まって……。それから、お鎌はどうしました」
「一旦は逃げましたが、五、六日の後に深川の木賃宿《きちんやど》で挙げられました。お鎌は竜濤寺に隠してある金に未練が残っていて、ほとぼりの冷めた頃に又さがしに行く積りであったそうです。悪党のくせに、よくよく思い切りの悪い奴で、そこがやっぱり女ですね」
「問題の睡り薬は、どっちの女が持っていたんです」
 と、私は最後に訊《き》いた。
「いや、それがおかしいので……」
 と、老人は笑った。
「おまんはお鎌から受け取ったと云い、お鎌はおまんから受け取ったと云い、両方で押し合いをしているんです。もうこうなった以上は、誰が持って居ようとも、罪科に重い軽いは無いわけですが、それでもお互いに強情を張って、しまいまで素直に白状しませんでした。しかし私の鑑定では、おまんが持っていたんでしょうね」



底本:「時代推理小説 半七捕物帳(四)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年8月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:湯地光弘
1999年12月30日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
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