青空文庫アーカイブ
半七捕物帳
雷獣と蛇
岡本綺堂
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)薄縁《うすべり》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)浅草|三好町《みよしちょう》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、底本のページと行数)
(例)あれ[#「あれ」に傍点]という間も
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一
八月はじめの朝、わたしが赤坂へたずねてゆくと、半七老人は縁側に薄縁《うすべり》をしいて、新聞を読んでいた。
狭い庭にはゆうべの雨のあとが乾かないで、白と薄むらさきと柿色とをまぜ栽《う》えにした朝顔ふた鉢と、まだ葉の伸びない雁来紅《はげいとう》の一と鉢とが、つい鼻さきに生き生きと美しく湿《ぬ》れていた。
「ゆうべは強い雷でしたね。あなたは雷がお嫌いだというからお察し申していましたよ。小さくなっていましたかい」と半七老人は笑っていた。「しかし昔にくらべると、近来は雷が鳴らなくなりましたね。だんだんと東京近所も開けてくるせいでしょう。昔はよく雷の鳴ったもんですよ。どうかすると、毎日のように夕だちが降って、そのたんびにきっとごろごろぴかりと来るんですから、雷の嫌いな人間はまったく往生《おうじょう》でした。それに、この頃は昔のような夕立が滅多《めった》に降りません。このごろの夕立は、空の色がだんだんにおかしくなって、もう降るだろうと用心しているところへ降ってくるのが多いので、いよいよ大粒がばらばら落ちてくるまでには小一時《こいっとき》ぐらいの猶予はあります。昔の夕立はそうでないのが多い。今まで焼けつくように日がかんかん照っているかと思うと、忽ちに何処からか黒い雲が湧き出して来て、あれ[#「あれ」に傍点]という間も無しにざっと降ってくる。しかもそれが瓶《かめ》をぶちまけるように降り出して、すぐに、ごろごろぴかりと来るんだからたまりません。往来をあるいているものは不意をくらって、そこらの軒下へ駈け込む。芝居や小説でも御承知でしょう。この雨やどりという奴が又いろいろの事件の発端《ほったん》になるんですね。はははははは。しかし又、その夕立のきびきびしていることは、今云うように土砂ぶりに降ってくるかと思うと、すぐにそれが通り過ぎて、元のように日が出る、涼しい風が吹いてくる、蝉が鳴き出すというようなわけでしたが、どうも此の頃の夕立は降るまえが忌《いや》に蒸《む》して、あがり際《ぎわ》がはっきりしないから、降っても一向に涼しくなりません。やっぱり雷が鳴らないせいかも知れませんね」
老人は雷の少ないのを物足らなく感じているらしく、この頃のようではどうも夏らしくない、時々はゆうべのように威勢よく鳴って貰いたいなどと云って、わたしのような弱虫をおびやかした。それから引いて、老人は雷獣の噂をはじめた。
「日光なんぞの山のなかに棲んでいるのは当りまえでしょうが、江戸時代には町なかへも雷獣があらわれて、それをつかまえたという話はたびたびありました。明治になってからも、下谷に雷が落ちたときに、雷獣を見つけて捉まえたということを聞きました。これもその雷獣のお話ですよ」
慶応元年六月十五日の夜は、江戸に大風雨《おおあらし》があって、深川あたりは高潮《たかしお》におそわれた。近在にも出水《でみず》がみなぎって溺死《できし》人がたくさん出来た。そのおそろしい噂がまだ消えないうちに、同じ月の二十三日の夜には又もや大雨が降り出した。今度は幸いに風を伴わなかったが、その代りにすさまじい雷が鳴りひびいて、江戸市中の幾ヵ所に落ちかかった。
そのなかで、浅草|三好町《みよしちょう》の雷が尾張屋という米屋の蔵前に落ちて、お朝という今年十九の娘を殺した。重吉という若い男は一旦気絶したが、これは医師の手当てをうけて蘇生した。変死のうちでも、雷死は検視をしないことになっているので、お朝の死骸はあくる日のゆう方、今戸《いまど》の菩提寺《ぼだいじ》へ送られて式《かた》のごとく葬られた。
落雷で震死するのはさのみ珍らしいことでもないのは、それに対して検視の役人が出張しないのをみても判る。この事件も単に不幸なる娘の死にとどまって、何事もなく済んだのであるが、尾張屋の落雷に就いてこんな噂が伝えられた。
「あの雷の落ちたときには、大きい雷獣が駈けまわっていたそうだ」
落雷の時には雷獣が一緒に落ちて来て、襖障子や柱などを掻き破ってゆくということは、その時代の人々に信じられていた。その雷獣を見たのはおかん[#「かん」に傍点]という下女であった。かれは宇都宮在の生まれで、子供のときから日光附近の大雷に馴れているので、ほかの人々ほどには雷を恐れなかったらしい。勿論、落雷の刹那には、両手で自分の耳をおさえて、女中部屋にうつ伏していたのであるが、蔵のまえが俄かに昼のようにあかるくなって、そこに落雷したことを知った時に、かれは誰よりも先にその場所へかけ付けると、まず彼女の眼にはいったのは、一匹の怪しい獣《けもの》がそこらを駈けまわっていたことであった。獣は稲妻のように忽ちその影を消してしまって、あとに残されたのは若い男と女とが正体もなく倒れている姿であった。おかんは声をあげて、家《うち》じゅうの人を呼びあつめた。
おかんのほかに誰もその正体を見とどけた者はなかったが、尾張屋の人々もその雷獣の話を信じた。近所の人々も怪しまなかった。雷獣の噂はそれからそれへと伝えられたが、町《ちょう》役人たちもそれを疑わなかった。雷獣のゆくえは勿論わからなかった。
お朝の二七日《にしちにち》は七月七日であったが、その日はあたかも七夕《たなばた》の夜にあたるというので、六日の逮夜《たいや》に尾張屋の主人喜左衛門は親類共と寺まいりに行った。重吉も一緒に行った。かれはお朝と運命を倶《とも》にすべくして無事に助かった幸運の男であった。参詣がすんで、七ツ(午後四時)過ぎに寺を出る頃から、空の色が俄かにあやしく黒ずんで来たので、この町内へはいる頃から大粒の雨がばらばらと落ちて来た。あわてて店へ逃げ込む途端に、大きい稲妻が一つ光った。つづいて雷が鳴り出した。
「早く雨戸をしめろ」
喜左衛門は指図して、家じゅうの雨戸を厳重に閉めさせた。このあいだの出来事から雷というものに対する恐怖心の一段と強くなっている尾張屋の者どもは、総がかりで、雨戸をしめた。障子をしめた。蚊帳《かや》を吊った。線香をとぼした。雷に対する防備を手落ちなく整えた頃には、雷雨がだんだんに烈しくなって来て、厳重にしめ切った雨戸の隙き間からも強い稲妻がたびたび流れ込んで、人々のおびえている魂をいよいよおびえさせた。暮れ六ツ頃から雨は土砂ぶりになった。雷はこの近所へ二、三ヵ所も落ちたらしかった。人々は自分たちの部屋に閉じ籠って、蚊帳のなかに小さくなっていずれも生きた心地もなかった。
雷雨は五ツ(午後八時)過ぎにようやく止んだ。それで人々もほっ[#「ほっ」に傍点]と息をついて、しめ切った雨戸などを明けはじめると、さらに又思いもよらない椿事《ちんじ》の出来《しゅったい》しているのに驚かされた。先度とおなじ蔵のまえに、かの重吉が死んでいるのであった。かれの顔や手先は所嫌わずに掻きむしられていた。
かれも雷獣に襲われたらしかった。今度は尾張屋に落雷しなかったが、近所に落ちた雷獣がここへ飛び込んで来たのかも知れないという説もあった。このあいだの事件のあった矢先であるので、重吉の死は雷獣の仕業であると決められてしまった。
神田三河町の半七は、子分の庄太からこの報告をうけて首をかしげた。
「天災といえば仕方もねえが、そう立てつづけて一軒の家《うち》に祟《たた》るのもおかしいな。その重吉というのはどんな男だ」
「主人の遠縁のもので、日光辺の生まれだそうです。年は二十一で、五、六年まえから尾張屋の厄介になってやっぱり店の仕事を手伝っているんですが、どっちかというと孱弱《かよわ》い方で、米屋のような力仕事には不向きなので、遊び半分にぶらぶらしているようでした」
「尾張屋には死んだ娘と主人のほかに誰がいる」と、半七は又|訊《き》いた。
庄太の説明によると、尾張屋は近所でも内福という噂を立てられているが、その家族は多くない。女房のおむつは先年世を去って、ほんとうの家族というのは主人の喜左衛門と娘のお朝の二人だけである。ほかには彼の遠縁の重吉と、下女のおかんと、米|搗《つ》きが二人と小僧が一人と、あわせて一家七人暮らしであるが、喜左衛門は手堅く商売をしているので、世間の評判も悪くない。娘のお朝も先ず十人並の娘で、これまでに悪い噂もなかった。なにしろ親ひとり子ひとりの尾張屋で、その跡取り娘をうしなった喜左衛門のかなしみはひと通りでない。ほかから養子をするか、それともかの重吉をひきあげて相続人にするか、それもまだ決まらないうちに重吉もまた死んでしまったのは、かさねがさねの不幸であった。
「そこで、尾張屋の親類のうちに誰か婿にでもなりそうな奴があるのか」と、半七はまた訊いた。
「さあ、そこまでは知りません」と、庄太は頭をかいた。
「じゃあ、すぐにそれを調べてくれ」
「ようがす」
庄太はうけ合って帰った。
それから三日ほど経って、庄太は再びたずねて来て、尾張屋の親類一門はみな子供に縁のうすい方で、どこにもよそへやるような男の子はない。ただ本所|松倉町《まつくらちょう》に商売をしている三河屋に二人の娘があるので、あるいはその妹娘を尾張屋へくれることになるかも知れないと報告した。
「そこで、その三河屋というのはどんな奴だ」と、半七は訊いた。
三河屋は夫婦ともに揃っているが、これも近所では評判のいい家《うち》であると庄太は云った。殊にこの家は尾張屋よりも身代が大きいので、妹娘には婿を取って分家させる筈になっているのであるから、果たして素直《すなお》に尾張屋へくれるかどうだか判らないとのことであった。
「そうか」と、半七はうなずいた。「じゃあ、三河屋へ手をつけるにも及ぶめえ。すぐに尾張屋のおかんという女を引き挙げろ」
「尾張屋の女中を引きあげるのですかえ」
「むむ。あの女がどうも胡乱《うろん》だ。年は幾つで、どんな女だ」
「おかんは二十三で、五年まえから奉公しているんだそうですが、ちっとも江戸の水にしみねえ女で、どうみても山出しですよ」
「おかんは日光、重吉は宇都宮、おなじ国者《くにもの》だな。女は二十三、男は二十一。よし、わかった。おれも一緒に行く。すぐにその女を番屋へ連れて来てくれ」
二
尾張屋のおかんは町内の自身番へよび出されて、半七の吟味をうけた。かれは庄太の報告の通り、見るから田舎者らしい。小太りに肥《ふと》った女であるが、容貌《きりょう》もまんざら悪くはない。殊に色白の質《たち》であるので、二十三という年よりも若くみえた。ふだんから無口の女であるということであったが、殊にこの場合、かれは極めて神妙にして、いかなる問いに対しても努めてことば寡《すく》なに答えていた。
「六月二十三日の晩、尾張屋の娘が雷火にうたれた時、おまえが一番さきに見つけたのだな」
「はい」
「その時に、雷獣のかけ廻るのを確かに見たか」
「はい」
「女の癖に、どうして一番さきに駈け付けた」
「土蔵のまえが急にぱっと明るくなりまして、かみなり様がお下《お》りになったようでしたから、なにか間違いでもないかと存じまして……」
「で、行ってみたらどうした」
「お朝さんと重吉さんが倒れていました」
「倒れているところに、なんにも落ちていなかったか」
「気がつきませんでした」
「鼠捕り粉がこぼれていなかったか」と、半七は訊いた。
「いいえ、存じません」
「おかん」と、半七は詞《ことば》をすこしやわらげた。「おまえは重吉をどう思っている」
おかんは黙っていた。
「重吉が可愛くなかったか」と、半七はほほえんだ。「おまえは給金を幾らほど溜めている」
おかんはやはり黙っていたが、半七に催促されて、小声で答えた。
「五両ばかり溜めて居ります」
「五両じゃあ、国へ帰っても夫婦になれめえな」
彼女はまた黙ってしまったが、その俯向《うつむ》いている鬢《びん》の毛の微かにそよいでいるのが、半七の眼についた。
「おい、おかん。もうこうなったら、何もかも正直に申し立ててお上《かみ》の慈悲をねがえ。おまえと重吉とはおなじ国者だ。それが一つ屋根の下に毎日一緒に暮らしていれば、おたがいに気も合い、話も合って、若い者同士がいろいろの約束をするのも無理はねえ。だが、男という奴は気の多いもので、おまえというものを袖にして、いつか尾張屋の娘とも仲よくなって、さぞ口惜《くや》しかったろう。おれも察しるよ」
おかんはやはり俯向いていた。
「ところが、おれに少し判らねえ事があるから教えてくれ」と、半七は云った。「尾張屋の娘はなぜ鼠捕り粉を買ったのだ。ひとりで死ぬつもりか、心中《しんじゅう》かえ。おい、黙っていちゃあいけねえ。それに因っておまえの罪の重い軽いも決まるのだ。はっきり云ってくれ。どの道おまえは無事に主人の家《うち》へ帰られる身の上じゃあねえ。くどいようだが、正直に申し立てて御慈悲を願うがいいぜ」
「どうしても家へは帰れないのでございましょうか」と、おかんは蒼ざめた顔をあげた。
「知れたことさ。重吉という男ひとりを殺して置いて、無事に帰される筈がねえじゃねえか」
おかんは泣き伏してしまった。
雷獣事件はこれで解決した。
万事が半七の鑑定通りであった。重吉はおかんと夫婦約束をしていながら、さらに尾張屋のお朝とも親しくなった。それを知って、おかんは火のように怒って、恋のかたきのお朝を殺してしまうとまで狂い立つのを、重吉はひそかに宥《なだ》めているうちに、お朝はいつか妊娠したらしいので、重吉はいよいよ困った。その秘密をまた知って、おかんは嫉妬の焔《ほむら》をいよいよ燃《も》した。世間しらずのお朝は、いたずらの罰が忽ち下されたのに驚いて、自分のからだの始末を泣いて重吉に相談した。おかんもかげへまわって男の薄情をはげしく責め立てた。
お朝には泣かれ、おかんには責められ、板挟みになってさんざん苦しんだ重吉は、途方にくれた自棄《やけ》半分の無分別から、お朝を説きつけて、一緒に死ぬことになった。お朝は素直に男のいうことを肯《き》いて、近所の薬屋から鼠捕り粉を買って来た。それは六月二十三日の朝であった。今夜、いよいよ死ぬという約束で、影のうすい男と女とは長い日のくれるのを待っていると、宵からの雨がやがて恐ろしい大風雨《おおあらし》になった。
死に急ぎをしている若い二人にとっては、この大風雨はむしろ仕合わせであるようにも思われた。女はまず約束の場所へ出てゆくと、男もあとから忍んで行った。折りからの風雨で、ほかの人達は気がつかなかったが、男のうしろにはおかんが影のように付きまとっていた。かれは絶えず男の行動を監視しているので、すぐそのあとをつけてゆくと、お朝と重吉とは蔵のまえで出逢った。
暗い物影にかくれて、おかんはそっと窺っていると、危うく消えかかる手燭を下に置いて、お朝はまず鼠捕り粉の半分ほどを一と息に飲んだ。そうして、ふるえる手先でその飲み残りの袋を男に渡そうとしたので、おかんはあわてて飛び出そうとする時、あたりは火のように明るい世界になった。おかんは夢中で小膝をついて、両手で自分の耳を掩いながら、しっかりと目を閉じてしまった。
毒薬をのんだお朝は雷にうたれた。これから毒薬を飲もうとした重吉は気をうしなって倒れた。もとより偶然の出来事ではあるが、雷はあたかも心中の場所に落ちて来て、しょせん死ぬべき女を殺し、まさに死のうとする男を救ったのであった。その驚きのなかにも、おかんは憎い二人の屍《しかばね》のうえに心中の浮名を立たせたくなかった。彼女はそれすらも妬《ねた》ましかったので、そこらに落ちている鼠捕り粉の袋を手早く隠してしまった。それから家内の人々を呼んで、この恐ろしい出来事を報告した。
雷に撃たれた二人がこの時どうしてそこにいたかということが、まず問題とされなければならなかったが、奥の便所へ通うには蔵の前を通らなければならないように出来ているので、お朝がここに倒れていたのは便所へ行く途中であったらしく思われた。重吉は蔵のなかへ何か取り出しに行ったのであろうと想像された。
憎い女が突然この世から消えてしまって、男ばかりが生き残ったのは、おかんに取ってはこの上もない好都合であった。かみなりは彼女に守護神ともいうべきであった。しかし彼女はやはり不運を逃がれることは出来なかった。お朝の死についで起ったのは相続人の問題で、重吉がその候補者のうちで最も有力の一人であるらしいので、おかんは又もや気を揉みはじめた。重吉が尾張屋の相続人となってしまえば、おそらく奉公人の自分をこの店の嫁にしないであろう。かりに重吉が承知したとしても、世間の手前、喜左衛門が承知しないであろう。こう思うと、かれは又新しい苦労をしなければならなかった。
そのうちに其の話はだんだん進行するらしい形跡がみえて、二七日の前日におかんが松倉町の三河屋へ使にゆくと、そこでもそんな噂を聞かされたので、彼女はもう落ち着いていられなくなった。寺まいりの当日、主人や重吉が今戸へ行った留守に、おかんはいろいろに思案した。かれはとうとう思案をきめて、重吉の帰りを待った。
重吉らが帰ってくる頃から又もや雷雨になった。この出来事におびえて、家内の者どもが縮みあがっている隙をみて、おかんは重吉を蔵のまえに連れ込んだ。かれは男にむかって、相続人のきまらないうちに自分と一緒に逃げてくれと迫ったが、重吉は肯《き》かなかった。そればかりでなく、自分はお朝の菩提のために一生|独身《ひとりみ》でいるつもりであるから、おまえも思い切ってくれと云い出したので、おかんは狂気のようになって、男の変心を責めた。そうして、もし自分のいうことを肯いてくれなければ、お朝が毒薬をのんだ秘密を主人に訴えると嚇《おど》したが、男はやはり動かなかった。訴えるならば訴えてよい。自分は心中の片相手として殺されてもいいと云った。
「それほど死にたくば殺してやる」
おかんは赫《かっ》となって男の喉をしめた。在所《ざいしょ》生まれで、ふだんから小力《こぢから》のある彼女が、半狂乱の力任せに絞めつけたので、孱弱《かよわ》い男はそのままに息がとまってしまった。男がどうしても肯かなければ、かれを殺して自分も身をなげて死ぬと、おかんはかねて覚悟していたのであるが、その場になると彼女は俄かに気おくれがした。わが眼のまえに倒れている男の死骸をながめながら、彼女はぼんやり考えていると、雷の音は又ひとしきり凄まじくなって、今夜もここから遠くないところに落ちたらしく、大地もゆれるように震動した。その一刹那にかれは何事をか思いついて、死んでいる男の顔や手先を爪で引っかいた。
「おかんは死罪になりました」と、半七老人はわたしに話した。「今日《こんにち》でしたら情状酌量にもなったのでしょうが、その時代ではどうもそう行きませんでした。それも自訴でもしたら格別、男の顔を引っかいて雷獣の仕業らしく見せるなんていう狂言をこしらえて、自分は素知らぬ顔をしていたんですから、罪はいよいよ重くなったわけです。問題の雷獣は、おかんの白状によると、最初の時にはほんとうに見たというのです。二度目の時にはそれから思いついて、重吉の顔や手さきを掻きむしったのだといいます。勿論、善いことじゃありませんが、かんがえてみると可哀そうで、おかんがいよいよ死罪と聞いたときには、私もなんだか忌《いや》な心持がしましたよ」
「可哀そうも可哀そうですが、女というものは恐ろしいもんですね」
「まったく恐ろしい。あなたなんぞは若いから気をおつけなさい。いや、恐ろしいの何のと云っても、今のおかんという女なんぞは、そこに自然と憐れみも出ますけれど、なかには、まだ肩揚げもおりない癖に、ずいぶん生《い》けっ太《ぷと》い奴がありますからね。まあ、お聴きなさい、こんな奴もありますよ」
云いかけて老人は笑いながら私の顔を見た。
「あなたは甘酒はどうです」
「子供のときに飲んだきりですが……」と、わたしも笑った。
「あれは江戸の夏のものですよ。固練《かたね》りのいいのを貰ったのがあります。息つぎに一杯あっためさせますから、あなたもお附き合いなさい」
「久し振りで御馳走になりましょう」
三
あま酒で元気をつけて、半七老人は団扇《うちわ》の手を働かせながら又話し出した。
「あれはたしか文久三年とおぼえています。なんでも六月の末でした。新宿の新屋敷……と云っても、今の若い方々は御存知ないかも知れませんが、今日《こんにち》の千駄ヶ谷の一部を俗に新屋敷と唱えまして、新屋敷六軒町、黒鍬町《くろくわちょう》、仲町通りなどという町名がありました。いつの時代にか新らしい屋敷町として開かれたので、新屋敷という名が出来たのでしょう。その辺には大名の下屋敷、旗本屋敷、そのほかにも小さい御家人《ごけにん》の屋敷がたくさんありまして、そのあいだには町屋《まちや》もまじっていましたが、一方には田や畑が広くつづいていて、いかにも場末らしい寂しいところでした。
前にも申す通り、六月末の夕方、その仲町通りの空《あき》屋敷の塀外に人立ちがした。というのは、そこに不思議なものを見付けたからで、何十匹という蛇がからみ合ってとぐろをまいて、地面から小一尺もうず高く盛りあがっている。勿論、ここらで蛇や蛙をみるのは珍らしくないので、一匹や二匹|蜿《のた》くっているのならば、誰もそのままに見過ごしてしまうんですが、何分にもたくさんの蛇が一つにあつまって、盛りあがるようにとぐろをまいているんですから、よほど変っています。そこで、通りがかりの人が始めは一人立ち、ふたり立ち、又それを聞きつたえて近所の屋敷や町屋からもだんだん見物人が出て来たので、その蛇のまわりには忽ち二三十人も集まったんですが、ただそれを取りまいて見物しているばかり、どうする者もありませんでした。
『そのとぐろのなかには玉がある』
こんなことを云う者もありました。たくさんの蛇がうず高く盛りあがって大きい輪をつくっているのは蛇こしき[#「こしき」に傍点]とかいって、そのなかには、珍らしい玉がかくれていると、昔の人たちは云ったものです。で、今もそのとぐろを巻いているなかには、おそらく宝玉があるだろうという噂が立ったものですが、誰も思い切ってその蛇に手をつける者がない。たくさんの蛇はちっとも動かないで、眠ったように絡《から》み合っているばかりですが、誰がみても気味のいいものじゃありません。武家屋敷の中間《ちゅうげん》などのうちには、生きた蛇を食うというような乱暴者もあるんですが、なにしろ斯《こ》うたくさんの蛇がうず高く盛りあがっていては、さすがに気味を悪がって唯ながめているばかり。そのうちに夏の日も暮れかかって、天竜寺の暮れ六ツがきこえる頃、そこへ一人の若い娘が来ました。
娘は十四五で、武家育ちであるらしいことは其の風俗ですぐに判ったんですが、大勢の人をかきわけて、その蛇のそばへ寄ったかと思うと、みんなの口から思わずあっ[#「あっ」に傍点]という声が出た。それは無理もありません。その若い娘は単衣《ひとえ》の右の袖をまくりあげて、真っ白な細い手を蛇のとぐろのまん中へぐっと突っ込んだとお思いなさい。まだ十四五の小娘ですから、手の先どころじゃない、二の腕のあたりまでするすると這入って……。気の弱いものは見ただけでも慄然《ぞっ》として、眼を塞いでしまいたい位ですが、娘は平気でその白い腕を蛇のとぐろのなかへ入れてしばらく探りまわしているようでしたが、やがて何か掴《つか》み出したので、息を殺して見ていた人たちは又わやわやと騒ぎ出して、娘の手に持っているものを寄りあつまって覗いてみると、それはひと束《たば》の真っ黒な切髪で、たしかに若い女の髪の毛に相違ないので、大勢は又あっ[#「あっ」に傍点]と云う。それを耳にもかけないような風で、娘はその切髪を持ったままで何処へか行ってしまいました。
大勢はそれに気を呑まれた形で、ただ黙ってその娘のうしろ姿をながめているばかりでした。いくら武家の娘だと云って、まだ十四か十五の小娘が蛇のあつまっているなかへ腕を突っ込んで、平気でなにか掴み出して行く。その度胸のいいのにみんな舌を巻いて、一体あれはどこの家の娘さんだろうと云ったが、誰も確かに知っているものがない。又あの切髪は誰のだろうと云ったが、それも判らない。みんなもその評定《ひょうじょう》に気をとられている間に、たくさんの蛇はどこへか消えてしまったように影も形もみえなくなったので、みんな又おどろいたが、もうその頃はそこらも薄暗くなって来たので、よく判らない。多分そこらの溝へでも這入ってしまったか、空《あき》屋敷の庭へでも這い込んだろうということになって、見物人は次第に散ってしまったのですが、なにしろ、それが蛇と小娘と切髪と、不思議な三題|噺《ばなし》が出来あがっているので、その晩のうちにその噂が新宿から青山の方まで一面にひろまってしまいました。
『その娘は何者だろう。その娘とその切髪とどういう因縁があるのだろう』
こうした噂が繰り返されて、それに又いろいろの想像説も加わって、見て来たような作り話を吹聴《ふいちょう》する者もある。一体その空屋敷というのは、以前は内藤右之助という三百石取りの旗本が住んでいたのですが、二年ほど前から小石川の茗荷谷《みょうがだに》の方へ屋敷換えになって、今では誰も住んでいないので、門のなかは荒れ放題、玄関さきまで夏草が茫々と生いしげっているというありさま。……昔は方々にこういう空屋敷があって、化け物屋敷だなどと云われたものです。……その門前にあたかもこんな事件が出来《しゅったい》したので、猶更《なおさら》いろいろの風説が高くなって、なにかその屋敷にも関係があるように云い触らすものが出て来たので、町奉行所の方も捨てて置かれなくなって、一応その詮議をしようかと云っていると、ここに又一つの事件が出来《しゅったい》したんです。
その事件は次の日の夜のうちに起ったのでしょう。仲町通りのあき屋敷の門前、丁度かの蛇がとぐろをまいていたあたりに一人の娘が倒れているのを、暁方《あけがた》になって見つけ出したので、近所ではまた大騒ぎになりました。しかもその娘は一昨日《おととい》のゆう方、そこで蛇のとぐろのなかへ手を突っ込んだ武家娘に相違ないというので、騒ぎはいよいよ大きくなりました。娘は刃物で左の胸と右の脇腹を突かれて、血まぶれになって死んでいる。それだけでも随分大騒ぎになりそうなところへ、おまけに例の一件が絡《から》んでいるんですから、みんな不思議がるのも無理はありません。
こうなると、いよいよ捨てては置かれなくなって、町奉行所でも探索をはじめることになりました。その役目を云い付かったのはわたくしで、善八という子分をつれて、すぐに新屋敷へ出かけました。大木戸|外《そと》の事件ですけれど、事柄がすこし変っているので、特に町方《まちかた》から選み出されたようなわけで、わたくしも役目のほかに幾らかの面白味も手伝って、すぐにそこへ出張って行って、まず近所の人たちに聞きあわせると、前に云った通りの始末で、娘は何者だか判らないで、まだ誰にも引き渡すことが出来ないということでした」
あたまの上の風鈴が忙がしく鳴り出したので、半七老人は檐《のき》をみあげた。
「おや、風が出ましたね。空の色も悪くなって来た。又ゆうべの出直しかも知れませんね。はは、大丈夫。この頃は滅多にゆうべのような雷は鳴りませんよ。なに、雷獣でも出て来たら、二人で取っ捉《つか》まえて金儲けをしまさあ。はははははは。だが、まあ、こっちへ引っ越しましょう。だしぬけにざっと来るかも知れませんから」
わたしも手伝って、座蒲団や煙草盆を畳の上に運び込んだ。
四
「これでいい」と、老人は又おちついて話し出した。
「わたくしは先ず辻番へ行って、そこに引き取られている娘の死骸をみせて貰いました。それからだんだんと訊《き》いてみると、その蛇の一件の最中に、油断して紙入れや莨入《たばこい》れを掏《す》り取られた者もあるという。それで先ず大体の見当はつきましたが、蛇と切髪の方がまだよく判りません。蛇はともかくも、その切髪の理窟が呑み込めないので、わたくしは不図《ふと》かんがえて、この近所で蛇捕りを商売にしている者を探しました。蛇《じゃ》の道は蛇《へび》というのはまったく此の事かも知れませんね。ははははは。子分の善八がそこらを駈けまわって、新宿の裏に住んでいる九助という蛇捕りを探し出しました。蛇や蝮《まむし》を捕るのを商売にする男で、それを連れて来て詮議すると、九助はわけも無く白状しました。
九助は商売で、前に云った蛇の道は蛇の一件ですから、この空屋敷が草深くなっていて、この頃は蛇がたくさんに棲んでいることを知っていたんですが、たとい空家になっていても、ともかくも表門裏門を閉め切ってある武家屋敷へむやみに踏み込むわけにも行かないので、何とかして蛇を表へ釣り出す工夫《くふう》をかんがえて、ひと束の髪の毛をつかんでその屋敷へ出かけて行ったんです。嘘かほんとうか知りませんが、女の髪の毛を焼くと其の油の臭いを嗅ぎつけて蛇が寄ってくるという伝説があるので、九助は塀の外で髪の毛を焼きはじめると、塀の中から大小の蛇がぞろぞろと出て来た。それはこっちの思う壷なんですが、なにしろたくさんの蛇が塀の下を、くぐったり、塀の上を登ったりして、果てしも無しにぞろぞろと繋がって出てくるので、さすがの九助もびっくりして、いくら商売でも気味が悪くなって来て、燃えさしの髪の毛をほうり出して一目散に逃げてしまったそうです。九助の話によると、そこら一面が蛇にうずめられて、往来が川のようになってしまったといいますが、怖いと思う眼で見たんだから的《あて》にはなりません。
そういうわけで、九助もあとの事は知らないんですが、往来の人たちが見つけた時には、それほどの蛇もいなかったそうです。それでもたくさんの蛇がその髪の毛を取りまいて、うず高くなるほどに盛りあがっていたのは、みんなも見たということですから、まあ間違いはないでしょう。そこで、その娘とそれを殺した奴との探索ですが、これはすぐに判りまして、二日ほど経ってから、おもよとお大という二人の若い女を渋谷で引き挙げました。殺されたのはおとくという女で、おもよとお大がその下手人《げしゅにん》でした」
風はひとしきり吹き過ぎて、風鈴の音はまた鎮まった。老人は檐《のき》の方へ眼をやって、「又あつくなる」と、独り言のように云った。
「暑くなりそうですね」と、わたしも云った。
「ええ、降りそこなってしまいましたから……。このあとはきっと蒸《む》します。かないません」
「そこで、その女たちは何者です。まったく武家の娘なんですか」
「なに、みんな小商人《こあきんど》や職人の娘で、おとくは十四五の小娘につくっていましたが、実はかぞえ年の十七で、あとの二人も同じ年頃でした。こいつらは今日《こんにち》でいう不良少女で、肩揚げのおりないうちに自分たちの親の家を飛び出して、同気相求むる三人が一つ仲間になって、万引や巾着切《きんちゃっき》りや板の間稼ぎなどをやっていたんですが、下町《したまち》の方でだんだんに人の眼について来たので、このごろは武家の娘らしい姿に化けて、専ら山の手の方を荒しあるいていたんです。ところで、その当日、三人が連れ立って新屋敷を通りかかると、例の蛇の一件で大勢の人があつまっている。三人もそれを覗いているうちに、お大が小声でこんなことを云い出したそうです。
『どんな玉が這入っているか知らないが、あの蛇の中へ手を突っ込むことは出来まいね』
『なに、訳《わけ》はないよ』と、おとくは平気で笑っていた。
『おまえさん、きっと出来るかえ』と、お大とおもよが念を押すと、おとくはきっと出来ると強情を張ったので、いわば行きがかりの意地ずくで、もしお前がほんとうにあの蛇のなかへ手を突っ込んで見せたらば、おまえをあたし達の仲間の姐御《あねご》にすると二人が云い出すと、おとくはすぐに出て行って、平気で蛇のとぐろのなかへ手を突っ込んで、例の切髪をつかみ出したので、なんにも知らない見物人は勿論、仲間の二人は流石《さすが》にびっくりしたんですが、人に覚《さと》られないようにみんな分かれ分かれにそこを立ち去ったので、誰も三人連れとは気がつかなかったんです。しかし見物人が蛇の方に気をとられている油断を見すまして、三人ながらそれぞれに巾着切りを働いていたというんですから、抜け目のないこと驚きます。
おとくは掴み出した切髪を途中の川へ捨ててしまって、そこで自分の手を洗って、さてそれから二人にむかって、さあ約束通りにこれから自分を姐御にするかと云い出すと、おもよとお大は忌《いや》だと云う。それでは約束が違うと云う。不良少女三人はさんざん口ぎたなく云い合いながら、その晩はまず無事に帰ったんですが、あくる日も又それで喧嘩をはじめて、おとくがそんならお前も蛇を掴んでみろ、いくら口惜《くや》しがってもあたしの真似は出来まいと云うと、こっちの二人も行きがかりで、何の、あたし達だって掴んでみせると云う。なにしろお転婆《てんば》同士だから堪まりません。三人はその晩、また出直してあの空屋敷の門前へ忍んで来たんですが、きのうの蛇は勿論いる筈はないので、そんならこの屋敷の庭へ忍び込んで、見つけ次第に蛇をつかまえるということになって、三人はどこから這入ろうかと窺っているうちに、お大はおとくの隙をみて、隠して持っていた匕首《あいくち》を不意にその乳の下へ突っ込むと、いつの間にか云い合わせてあったとみえて、おもよも一緒に匕首をぬいて、これもおとくの脇腹へ突き立てたので、おとくはそのまま倒れてしまいました。その息の絶えたのを見とどけて、おもよとお大はそっと逃げ出したんですが、場末のさびしい屋敷町で、殊に夜ふけのことですから、誰もそれを知らなかったと見えます。
二人がおとくを殺したのは別に深い理窟もないんです。どう考えても蛇をつかむのはいやだ。といって、おとくを姐御として尊敬するのも口惜《くや》しい。唯それだけのことで相手を殺す気になったので、年頃の女たちですけれども別に意趣遺恨は籠っていなかったようです。
こういうわけで、この事件は別にむずかしい探索というほどのこともありませんでした。山の手の人たちは知らないでしょうけれども、わたくしは前からこのおとくという奴に目をつけていましたが、まだ年の行かない小娘だからと思って、まあ大目《おおめ》に見逃がして置いてやると、こんな飛んでもない騒ぎを仕出来《しでか》してしまったんです。それですから、辻番でその死骸をみせられた時に、わたくしは一と目でその身もとを覚って、すぐにその同類を探させたので、訳なしに埒《らち》が明きました。三人の隠れ家は渋谷のおさん婆という女の家でした。この婆がまた悪い奴で、表向きは駄菓子屋をしていながら、この娘三人を引き摺り込んで、盗んで来た品物をほかへ捌《さば》いてやって、中途でうまい汁を吸っていることが露顕したので、これも一緒に召し捕られました。一体ここらは昔から蛇なんぞの多いところでしたが、この一件以来、その空屋敷を蛇屋敷と云い出して、明治になるまで誰も住んでいなかったようです」
老人の話が済んだ頃から、空はだんだんに薄明るくなって来たが、風は死んだように吹かなくなった。風通しのいいのを自慢にしているこの六畳の座敷も息苦しいように蒸し暑くなって、遠い空では時々に雷の音も低くきこえたが、ここへは夕立を運んで来そうにも見えなかった。
「こいつあ降りません。ただ蒸《む》すばかりですよ」と、老人は顔をしかめたが、やがて又笑い出した。「これじゃあ金儲けも出来ませんね」
成程これでは雷獣も飛び込んで来そうも無かった。
底本:「時代推理小説 半七捕物帳(三)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年5月20日初版1刷発行
1997(平成9)年5月15日11刷発行
※旺文社文庫版を元に入力し、光文社文庫版に合わせて校正した。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:網迫
校正:藤田禎宏
2000年8月22日公開
2004年3月1日修正
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