青空文庫アーカイブ
半七捕物帳
熊の死骸
岡本綺堂
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)上《かみ》の御用
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一旦|躊躇《ちゅうちょ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)ごうごう[#「ごうごう」に傍点]
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一
神信心という話の出たときに、半七老人は云った。
「むかしの岡っ引などというものは、みんな神まいりや仏まいりをしたものです。上《かみ》の御用とはいいながら、大勢の人間に縄をかけては後生《ごしょう》が思われる。それで少しでも暇があれば、神仏へ参詣する。勿論それに相違ないのですが、二つにはそれもやっぱり商売の種で、何かのことを聞き出すために、諸人の寄りあつまる所へ努めて顔出しをしていたのです。わたくしなどもそのお仲間で、年を取った今日《こんにち》よりも却《かえ》って若いときの方が信心参りをしたものです。いや、その信心に関係のあることではないのですが、弘化二年正月の二十四日、きょうは亀戸《かめいど》の鷽替《うそか》えだというので、午《ひる》少し前から神田三河町の家を出て、亀戸の天神様へおまいりに出かけました。そうすると、昼の八ツ(午後二時)過ぎに、青山の権太原《ごんだわら》……今はいつの間にか権田原という字に変っているようです……の武家屋敷から火事が始まったんです。この日は朝から強い北風で、江戸中の砂や小砂利を一度に吹き飛ばすというような物騒な日に、あいにくとまた紅い風が吹き出したのだから堪まりません。忽ちにそれからそれへと燃えひろがる始末。しかし初めのうちは亀戸の方でもよくは判らず、どこか山の手の方角に火事があるそうだくらいの噂だったのですが、ともかくもこの大風に燃え出した火はなかなか容易に鎮まる気づかいはないと思ったので、亀戸からすぐに引っ返して来たのは夕七ツ半(午後五時)を過ぎた頃でしたが、もうその頃には青山から麻布の空が一面に真紅《まっか》になっていました。三田《みた》の魚籃《ぎょらん》の近所に知り人《びと》があるので、丁度そこに居あわせた松吉という子分をつれて、すぐにまた芝の方面へ急いで行くと、ここに一つの事件が出来《しゅったい》したんです」
前にもいう通り、この火事は青山の権太原から始まって、その近所一円を焼き払った上に、更に麻布へ飛んで一本松から鳥居坂、六本木、竜土の辺を焼き尽して、芝の三田から二本榎、伊皿子、高輪《たかなわ》まで燃えぬけて、夜の戌《いぬ》の刻(午後八時)を過ぎる頃にようよう鎮まった。今日の時間にすれば僅かに六時間くらいのことであったが、何分にも火の足がはやかったので、焼亡の町数は百二十六ヵ町という大火になってしまって、半七が三田へ駈けつけた頃には、知り人の家などはもう疾《と》うに灰になっていて、その立退《たちの》き先も知れないという始末であるので、江戸の火事に馴れ切っている彼も呆気《あっけ》に取られた。
「馬鹿に火の手が早く廻ったな。やい、松。これじゃあしようがねえ。今度は高輪へ行け」
「伊豆屋へ見舞に行くんですか」と、松吉は云った。
「この分じゃあ、見舞の挨拶ぐらいじゃ済むめえ。火の粉をかぶって働かなけりゃあなるめえよ」
高輪の伊豆屋弥平はおなじ仲間であるから、半七はそこへ見舞にゆく積りで、更に高輪の方角へ駈けぬけてゆくと、日はもうすっかり暮れ切って、暗やみの空の下に真っ紅な火の海が一面にごうごう[#「ごうごう」に傍点]と沸きあがっていた。ふたりは濡れ手拭に顔をつつんで、尻端折《しりはしょ》りの足袋はだしで、ともかくも高輪の大通りまで出て来たが、もうその先は一と足も進むことが出来なくなった。
なにぶんにも風の勢いが強いので、飛び火はそれからそれへと燃え拡がって、うしろが焼けていたかと思ううちに、二、三町先がもういつの間にか燃えているので、前後をつつまれて逃げ場をうしなった類焼者は、風と火に追いやられて海辺の方へよんどころなく逃げあつまると、その頭の上には火の粉が容赦なく降りかかって来るので、ここでも逃げ惑って海のなかへ転げ落ちたものが幾百人と伝えられている。
こうした怖ろしい阿鼻叫喚《あびきょうかん》のまん中へ飛び込んだ二人は、いくら物馴れていてもさすがに面喰らって、あとへも先へも行かれなくなった。うっかりしていれば自分らの眉へも火が付きそうなので、ふたりは火の粉の雨をくぐりながら、互いの名を呼んだ。
「松。気をつけろよ」
「親分。とてもいけませんぜ。伊豆屋まで行き着くのは命懸けだ。第一、これから行ったって間に合いませんぜ」
「そうかも知れねえ」と、半七は云った。「間に合っても合わねえでも、折角来たもんだから、ともかくもそこまで行き着きてえと思っているんだが、どうもむずかしそうだな」
「怪我でもすると詰まらねえ。もういい加減にしましょうよ。伊豆屋の見舞なら、これから家《うち》へ引っ返して握り飯の支度でもさせた方がようござんす。どうせ消《し》めった後でなけりゃあ行かれやしません」
そういううちにも、なだれ[#「なだれ」に傍点]を打って逃げ迷ってくる半狂乱の人々に押されて揉《も》まれて、二人も幾たびか突き顛《こか》されそうになった。火は大通りまで燃え出して、その熱い息が二人を蒸して来たので、半七ももうあきらめるよりほかはなかった。
「じゃあ、松。もう帰ろうよ」
「帰りましょう」と、松吉もすぐに同意した。「ぐずぐずしていて煙《けむ》にまかれでもした日にゃあ助からねえ」
ふたりは方向を換えようとして本芝《ほんしば》の方へ振り向く途端に、わっ[#「わっ」に傍点]という叫びがまた俄かに激しくなって、逃げ惑う人なだれが二人を押し倒すように頽《くず》れて来た。
「親分。あぶのうがすぜ」
「てめえもしっかりしろ」
群集に揉まれて、ふたりは四、五間も押し戻されたかと思うときに、大きい獣《けもの》が自分たちのそばに来ていることを発見した。昼よりも紅い火に照らされて、混雑の中でその正体がすぐに判った。それは大きい熊であった。どこから飛び出して来たのか知らないが、彼もおそらくこの火に追われて、人間と一緒に逃げ場をさがしているのであろう。しかし人間に取っては怖ろしい道連れであるので、猛火に焼かれようとして逃げ惑っている人たちは、更にこの猛獣の出現におびやかされた。むかしの合戦に火牛《かぎゅう》の計略を用いたとかいうことは軍書や軍談で知っているが、いま眼《ま》のあたりに火の粉を浴びた荒熊の哮《たけ》り狂っている姿を見せられた時には、どの人も異常の恐怖に襲われて、悲鳴をあげながら逃げ迷った。
熊もいたずらに人をおびやかすために出て来たのではない。火を恐るる彼は殆ど死に物狂いの勢いで、どこからか逃げ出して来たらしく、もちろん人間に咬《か》みつく余裕はなかったが、それでも時々起ちあがって、自分のゆく先の邪魔になる人々をその強い手で殴《はた》き倒した。殴かれた者はもう起きることは出来ないで、あとから駈けて来る者にむごたらしく踏みにじられた。火事場の混雑はこの猛獣の出現のために、更に一層の恐怖と混雑とを加えた。
「あぶねえ、あぶねえ」と、半七は誰に注意するともなしに思わず叫んだ。
「あぶねえ、あぶねえ。熊だ、熊だ」と、松吉も一緒にわめいた。
「熊だ、熊だ」と、大勢も逃げながら叫んだ。
丁度そのときに十七八の若い娘が下女らしい女に手をひかれながら、混雑のなかをくぐりぬけて来て、どううろたえたか恰《あたか》もかの熊のゆく先へ迷って出たので、怒れる熊は人のように突っ立ちあがって、邪魔になる其の娘を引っ掴《つか》もうとした。その危うい一刹那に、ひとりの若い男が横合いから転《ころ》がるように飛び出して来て、いきなり熊の胴腹へ組み付いた。かれは幾らかの心得があるとみえて、自分の頭を熊の月の輪あたりにしっかり押し付けて、両手で熊の前足を掴んでしまった。しかも熊の強い力で振り飛ばされては堪まらない。かれは大地に手ひどく叩き付けられた。
それは実に一瞬間の出来事であったが、かれが身を楯《たて》にして熊をさえぎっているひまに、娘も下女も危難を逃がれた。そればかりでなく、熊は何者かに真っ向を斬られた。つづいてその急所という月の輪を斬られた。それは二人の武士の仕業《しわざ》で、いずれも刀を抜きひらめかしていた。かれらは熊の斃《たお》れたのを見とどけて、そのまま何処へか立ち退いてしまった。
「このふたりは西国《さいこく》の或る藩中の父子《おやこ》連れだそうです」と、半七老人はここで註を入れた。「後にそのことが聞えたので、殿様から御褒美《ごほうび》が出たといいます。なんという人達だか、その名は伝わっていませんが、永代橋の落ちた時に刀を抜いて振りまわしたのと同じような手柄ですね」
二
熊は殺されてしまったが、それをさえぎろうとした彼《か》の若い男はそこに倒れたままで、なかなか起きあがりそうにも見えなかった。打っちゃって置けば、大勢に踏み殺されてしまうかも知れないので、半七はすぐに駈け寄ってかれを抱き起すと、松吉も寄って来て、ともかくも彼を混雑のなかから救い出した。
「親分。どこへ担《かつ》ぎ込みましょう」
この騒ぎの中でどうすることも出来ないので、かれを松吉に負わせて、半七はそのゆく先を払いながら、どうにかこうにか混雑の火事場からだんだんに遠ざかって、本芝から金杉《かなすぎ》へ出ると、ここらは風上であるから世間もさのみ騒がしくなかった。ここまで来れば大丈夫だと思ったので、二人はそこの自身番に怪我人をかつぎ込んで、まずほっ[#「ほっ」に傍点]と息をついた。
「どなたでございますか。どうも有難うございます」と、松吉の背中から卸《おろ》された男は礼を云った。
挨拶が出来るほどならば大したことはあるまいと安心して、半七は自身番の男どもと一緒に彼を介抱すると、男は熊に殴《はた》かれたために左の腕を傷《いた》めているらしかったが、そのほかにひどい怪我もなかった。自身番から近所の医者を迎えに行っている間に、かれは自分の身許《みもと》を明かした。彼は加賀生まれの勘蔵というもので、三年前から田町《たまち》の車湯という湯屋の三助をしていると云った。
「家は焼けたのかえ」と、半七は訊いた。
「さあ、たしかには判りませんが、なにしろ火の粉が一面にかぶって来たので、あわてて逃げ出してまいりました」
「熊に出っくわした娘は主人の娘かえ」
「いいえ。一軒|隔《お》いて隣りの備前屋という生薬屋《きぐすりや》の娘さんでございます」と、勘蔵は答えた。「わたくしが人込みのなかを逃げて来る途中、丁度あすこで出合ったもんですから、前後の考えもなしに飛び出して、いやどうもあぶない目に逢いましてございます」
「だが、いいことをした」と、半七は褒めるように云った。「お前だからまあその位のことで済んだが、あんな孱細《かぼそ》い娘っ子が荒熊に取っ捉《つか》まって見ねえ。どんな大怪我をするか判ったもんじゃあねえ。備前屋も定めて有難がることだろうよ。あの娘はなんという子だえ」
「お絹さんといって、備前屋のひとり娘でございます」
「備前屋は古い暖簾《のれん》だ。そこのひとり娘が熊に傷《や》られるところを助けて貰ったんだから、向うじゃあどんなに恩に被《き》てもいいわけだ」
こんなことを云っているうちに、医者が来た。医者は勘蔵の痛みどころを診察して、左の肩の骨を痛めているらしいから、なかなか手軽には癒《なお》るまいと云った。しかし命に別状のないことは医者も受け合ったので、半七はあとの始末を自身番にたのんで帰った。
あくる朝、半七は再び松吉をつれて高輪へ見舞にゆくと、伊豆屋の家は果たして焼け落ちていた。その立退《たちの》き先をたずねて、それから三田の魚籃《ぎょらん》の知り人の立退き先をも見舞って、帰り路に半七はゆうべの勘蔵のことを云い出した。あれからどうしたかと噂をしながら、ふたりは田町へ行ってみると、車湯も備前屋も本芝寄りであったので、どっちも幸いに焼け残っていた。半七は先ず車湯をたずねて、勘蔵のことを女房にきくと、彼は自身番で医者の手当てをうけて、左の腕をまいて帰って来たが、痛みはなかなか去らないので、ゆうべからそのまま寝ているとのことであった。
「備前屋から見舞にでも来たかえ」と、半七はかさねて訊いた。
「いいえ。一度もたずねて来ないんです」と、湯屋の女房は不平らしく訴えた。「ねえ、おまえさん。備前屋もあんまりじゃありませんか。あんな大きな屋台骨をしていながら、自分の家《うち》のひとり娘を助けて貰った、云わば命の親の勘蔵のところへ一度も見舞によこさないというのは、あんまり義理も人情も知らない仕方じゃありませんか」
それは勘蔵に対する不義理不人情ばかりでなく、主人の自分に対しても礼儀を知らない仕方ではあるまいかと女房は憤った。それも畢竟《ひっきょう》はこっちが女主人であると思って、備前屋ではおそらく馬鹿にしているのであろうという、女らしい偏執《ひがみ》まじりの愚痴《ぐち》も出た。その偏執や愚痴は別としても、備前屋が今まで素知らぬ顔をしているのは確かに不義理であると半七も思った。
「しかし、備前屋じゃあどさくさ[#「どさくさ」に傍点]まぎれで、まだその事をよく知らねえんじゃねえか」
「なに、知らないことがあるもんですか」と、女房は鉄漿《おはぐろ》の歯をむき出した。「備前屋の小僧もちゃんとそう云っているんですもの。家のお絹さんは熊に啖《く》われようとするところを、ここの勘蔵さんに助けられたと……。奉公人もみんな知っているくらいですから、主人が知らない筈はありません。だいいち女中だって一緒にいたんじゃありませんか」
「それもそうだな」と、半七は松吉と顔を見あわせた。「なにしろ勘蔵は気の毒だ。おれが行って備前屋に話してやろう。ちょっくら癒《なお》る怪我じゃあねえというから、なんとか掛け合って療治代ぐらい貰ってやらなけりゃあ、当人も可哀そうだし、ここの家でも困るだろう」
「何分よろしく願います。ですけれども、あの備前屋は町内でも名代《なだい》の因業屋《いんごうや》なんですから」
「吝《けち》でも因業でも理窟は理窟だ」と、松吉も口を尖《とが》らした。「そんなのを打っちゃって置くと癖になる。ねえ、親分。これから押し掛けて行って因縁をつけてやろうじゃありませんか」
「無理に因縁をつけるにも及ばねえが、ひと通りの筋道を立てて掛け合ってみよう」
その足で備前屋へ行くと、家のなかはまだ一向片付いていないらしく、ゆうべ持ち出したままの家財道具が店いっぱいに積み重ねられて、ほこりと薬の匂いが眼鼻にしみた。その混雑の最中にこんな掛け合いをするのも拙《まず》いと思ったが、半七はそこらに立ち働いている店の者をよんで、主人は家にいるかと訊《き》くと、主人夫婦と娘とは橋場《はしば》の親類の方へ立ち退いているとのことであった。そんなら番頭に逢わせてくれと云うと、四十ばかりの男が片襷《かただすき》の手拭をはずしながら出て来た。
「てまえが番頭の四郎兵衛でございます」
こっちの身分をあかした上で、半七はゆうべの熊の一件を話した。ここの娘のあやういところを車湯の勘蔵が自分のからだを楯にして救ったのは事実で、自分とこの松吉が確かな証人である。命に別状はないが、勘蔵の傷は重い。多寡《たか》が湯屋の三助で、長い療治は随分難儀なことであろうと思いやられるから、主人とも相談してなんとか面倒を見てやるようにしてやってはどうであろう。勿論これは表向きの御用ごとではないが、自分もそれに係り合った関係上、まんざら知らない顔もしていられないから折り入って頼みに来たのであると、半七はおとなしく云い出すと、四郎兵衛はすこし考えていた。
「いえ、勘蔵が怪我をしたということはわたくしも聞いて居ります。見舞にでも行ってやろうと思いながら、なにしろこちらも御覧の通りの始末だもんですから、まだ其の儘になっているようなわけでございます。そのことに就きまして、勘蔵がお前さんに何かお願い申したのでございますか」
「別に頼まれたわけじゃあねえが、あんまり可哀そうだから何とかしてやって貰いたいと思うんだが、番頭さん、どうですね」
「判りました」と、四郎兵衛おとなしく答えた。「いずれ主人とも相談しまして、なんとか致しましょう。そう致しますと、勘蔵から別にお願い申した訳ではございませんのですね」
いやに念を押すとは思ったが、半七はどこまでも頼まれたのではないと云い切って別れた。
「変な奴ですね。いやに念を押すじゃありませんか。勘蔵が頼めばどうだというんでしょう」と、松吉は表へ出てからささやいた。
「むむ、どうであんなところの番頭なんていうものは、判らねえ獣物《けだもの》が多いもんだ」と、半七は笑っていた。「いや獣物といえば、あの熊はどうなったろう。侍は叩っ切ったままで行ってしまったんだが、その死骸はどうしたろう。犬や猫とは違うんだから、むやみに取り捨ててもしまわねえだろうが、誰が持って行ったかしら。品川辺の奴らかな」
「そうでしょうね」と、松吉もうなずいた。「品川とばかりは限らねえ。世間には慾の深けえ奴が多いから、何かの金にする積りで、どさくさ[#「どさくさ」に傍点]まぎれに引っ担《かつ》いで行ったかも知れませんよ。一体あの熊はどこから出て来たのでしょうね」
「それは判らねえ。江戸のまん中にむやみに熊なんぞが棲《す》んでいる訳のものじゃあねえ。どこかの香具師《やし》の家にでも飼ってある奴が、火におどろいて飛び出したんだろう。伊豆屋でさっき聞いたんじゃあ、あの熊のために二十人からも怪我をしたそうだ。こんな噂はとかく大きくなるもんだが、話半分に聞いても十人ぐらいは飛んだ災難にあったらしい。馬鹿なことがあるもんだ」
その日はそれで帰ったが、熊の噂はだんだんに高くなった。それは麻布の古川《ふるかわ》の近所に住んでいる熊の膏薬屋が店の看板代りに飼って置いたものであることが判った。膏薬屋は親父とむすめの二人暮しで、自分の子のようにその熊を可愛がっていたが、火事の騒ぎで逃がしたのであった。店は焼かれる。看板の熊には逃げられる。おまけにその熊が大勢の人を傷つけたというので、父娘《おやこ》は後難を恐れて、どこへか影をかくしたと伝えられた。
しかしその熊の死骸はどうなったか判らなかった。
三
それから二、三日の後に、備前屋では車湯の勘蔵に十両の見舞金を贈ったということを半七は聞いた。
夫婦や娘たちは橋場の親類から戻って来たが、娘のお絹は火事の騒ぎにあまり驚かされたので、その以来はどうも気分が悪いと云って床《とこ》に就いている。そうして、ときどき熱の加減か囈言《うわごと》のように、「あれ、熊が来た」などと口走るので、家内の者も心配しているとのことであった。その時代では大金という十両の見舞金を貰って、療治がよく行き届いたせいか、勘蔵の腕の痛みどころもだんだんに快《よ》くなるという噂を聞いて、半七も蔭ながら喜んでいた。
そのうちに今年の春もあわただしく過ぎて、初鰹《はつがつお》を売る四月になった。その月の晴れた日に勘蔵が新らしい袷を着て、干菓子の折《おり》を持って、神田三河町の半七の家へ先ごろの礼を云いに来た。
「どうだね、もうすっかりいいかえ」と、半七は訊いた。
「ありがとうございます。お庇《かげ》さまで、もうすっかりと癒《なお》りました。その節はいろいろ御心配をかけまして恐れ入りました。おかみさんもくれぐれも宜しく申してくれと云って居りました」
「なにしろ、早く癒ってよかった」と、半七も嬉しそうに云った。「時に備前屋の娘はどうしたね。その後病み付いているとかいう噂だが……」
「そうでございます。一時は何だかぶらぶらしていて、ときどきに熊が出るとか云って騒ぐので、親たちも困っていたそうでございます。備前屋は店の大きい割合に奥が狭いので、もう一度、橋場の離れ座敷を借りて、そこでゆっくり養生させようかなどと云っていたそうですが、この頃は大分《だいぶ》いいとか云いますから、どうなりますか」
「なるほど、そりゃあ困ったね」と、半七は眉をよせた。「折角お前に助けて貰っても、あとがそれじゃあ何にもならねえ。しかし、そういう病気じゃあむやみに薬を飲んでもいけねえ。どこか閑静なところへ行って、ゆっくりと気を落ち着けていたら、自然に癒るだろうよ」
「そうかも知れません」
勘蔵はくり返して礼を云って帰った。最初から深くも気に留めていなかったので、備前屋の娘の噂もいつか半七の記憶から消え失せてしまった。その月末《つきずえ》に、半七は三田の方角へ行ったついでに高輪の伊豆屋へ久し振りでたずねると、焼けた家は新らしく建て直ったが、主人の弥平は風邪がもとで寝込んでいた。かれは半七の顔を見てよろこんだ。
「やあ、三河町。いいところへ来てくれた。実は少し御用ごとがあるんだが、なにしろこの始末で動きが取れねえ。といって、若けえ奴らにばかりまかせて置くのも不安心だと思っていたところだが、どうだろう。おれの代りに采配《さいはい》を振って、若けえ奴らを追い廻してくれめえか」
「そこで、その御用というのはどんな筋だね」
「田町の備前屋という生薬屋の娘が殺されたのだ」
「備前屋の娘が殺された……」と、半七もすこし驚かされた。「そこで、その相手は誰だか判らねえのか」
弥平の説明によると、備前屋のお絹の死骸は高輪の海端に横たわっていたのであった。海へ投げ込むつもりで引き摺ってゆくと、あたかもそこへ人でも通り合わせたので、あわてて其の儘に捨てて行ったらしい。かれは鋭い刃物で胸を抉《えぐ》られていた。この頃までぶらぶら病いのようなありさまで、毎日寝たり起きたりしていた彼女《かれ》が、床を揚げてからまだ幾日にもならないのに、どうして夜なかに家をぬけ出したのか。そうして、何者に殺されたのか。もちろん誰にも想像は付かなかった。
「ところが、お前に見せるものがある」と、弥平は蒲団《ふとん》の下から紙につつんだものを出した。「これを先ず鑑定してもれえてえ」
「獣物《けだもの》らしいな」と、半七はその紙包みをあけて見て云った。「犬や猫じゃ無さそうだ。なんの毛だろう」
このあいだの熊が半七の胸にふと浮かんだ。その獣の毛が五、六本、死んだ娘の右の手につかまれていたというのを聞いて、彼はしばらく考えていた。
「それは子分の彦の野郎が、何かの手がかりになるだろうというので、検視の来る前に死骸の手からそっと取って来たんだ。あいつはなかなか敏捷《すばし》っこい奴よ。どうだい、三河町。なにかのお役に立ちそうなもんじゃあねえか」
「むむ、こりゃあ大手柄だ。これを手がかりに何とか工夫《くふう》してみよう」
彦八という若い手先は親分の枕もとへ呼び付けられて、半七の前で、備前屋の娘の死状《しにざま》をもう一度くわしく話せと云われた。弥平のいう通り、かれはなかなか敏捷っこそうな男で、その報告はすこぶる要領を得ていたが、なにぶんにも自分が現場を見とどけていないので、半七にはなんだかくすぐったく感じられた。しかし備前屋の娘の手に残っていた獣《けもの》の毛が確かに熊の毛であるらしいことが少なからぬ興味をひいた。彼はここで午飯の馳走になって、彦八をつれて伊豆屋を出た。
「親分、なにぶん御指図を願います」と、彦八は如才《じょさい》なく云った。
「いや、ここらはお前たちの縄張り内で、おれは一向のぼんくら[#「ぼんくら」に傍点]だ。まあ、よろしく頼むぜ」
差し当りどこへ行こうかと思ったが、半七は先ず備前屋をたずねて、なにかの手がかりを探り出そうと、田町の方角へ急いでゆくと、途中で二十五六の男にすれ違った。男は彦八に挨拶して通りすぎた。
「あの野郎はどこの奴だえ」と、半七は彦八に小声で訊いた。
「六三郎といって、小博奕を打っているやくざ[#「やくざ」に傍点]な野郎ですよ」
「六三郎……粋《いき》な名前だな。その六三郎にお園《その》が用があると云って牽引《しょぴ》いて来てくれ。いや、冗談じゃねえ。御用だ」
御用と聞いて、彦八はすぐに駈け戻って、六三郎を引っ張って来た。四月の末になってもまだ満足に移りかえが出来ないらしく、かれは汚れた女物の袷を着ていた。けちな野郎だと多寡をくくって、半七はいきなり嚇《おど》し付けた。
「やい、六。てめえ、ふてえことをしやがったな。真っ直ぐに白状しろ」
「へえ、なんでございます」
「ええ、白らばっくれるな、てめえの襟っ首にぶらさがっているのはなんだ。千手観音の上這《うわば》いじゃあるめえ。よく見ろ」
六三郎の襟には何かの黒い毛が二本ほど引っかかっていた。彦八も初めて気がついてよく見ると、それは備前屋の娘の手に残っていたのと同じ物であった。それを発見すると、彦八は俄かに眼をひからせて彼の腕を引っ掴んだ。
「なるほど、親分の眼は捷《はえ》え。さあ、野郎、神妙に申し立てろ」
「まあ、待て」と、半七は制した。「なんぼこんな野郎でも往来で詮議《せんぎ》もなるめえ。やっぱり自身番へ連れて行け」
ふたりに引っ立てられて、六三郎は近所の自身番へゆくと、年の若い彦八はすぐに呶鳴《どな》った。
「この親分は三河町の半七さんだ。うちの親分が寝ているんで、きょうは名代《みょうだい》に出て来てくんなすったんだが、うちの親分より些《ち》っと手荒いからそう思え。てめえの襟っ首にぶら下がっているものに、親分の不審がかかっているんだ。さあ、何もかも正直に云ってしまえ。辻番の老爺《おやじ》だって、もうむく[#「むく」に傍点]犬を抱いて寝る時候じゃあねえのに、なんだって手前のからだに獣物《けだもの》の毛がくっ付いているのか、わけを云え」
「てめえの襟についているのは熊の毛に違げえねえ」と、半七も云った。「もう面倒だから長い台詞《せりふ》は云わねえ。てめえは備前屋のお絹という娘を殺したろう。物取りか、遺恨か、拐引《かどわかし》か、それを云え」
調べる者と調べられる者と、はじめから役者の格が違うので、六三郎は意気地もなく恐れ入ってしまった。
「こうなれば何もかもありていに申し上げますが、備前屋の娘はわたくしが殺したんじゃございませんから、どうぞ御慈悲を願います。いえ、嘘をつくと思召《おぼしめ》すかも知れませんが、まったく不思議な話なんです」
ことしの正月、かれは博奕《ばくち》にすっかり負けてしまって、表へも出られないような始末になって、狭い裏店《うらだな》に猫火鉢をかかえてくすぶっていると、かの大火事が起った。着のみ着のままの彼はそれを待っていたように表へ飛び出して、どさくさ[#「どさくさ」に傍点]まぎれの火事場泥坊を思い立ったが、あまりに風と火とが烈《はげ》しいので、彼も思うような仕事が出来なかった。いたずらに火の粉に追われながら混雑の中をうろ付いていると、どこからか荒熊が暴れ出して来たので、かれはいよいよ面喰らった。しかもその熊がふたりの侍に退治されたのを見とどけて先ず安心したところへ、かねて顔を識《し》っている車力《しゃりき》の百助というのが来合わせたので、二人はすぐに相談して、その熊の死骸を引っかついで逃げた。熊の胆《い》と熊の皮とは高い値であるということを、彼等はふだんから聞いていたからであった。
二人はともかくも其の熊を六三郎の家へかつぎ込んだが、素人《しろうと》の彼等はそれをどう処分していいかを知らなかった。二日ばかりは縁の下に隠して置いて、百助はそれを自分の知っている皮屋に売り込もうとしたが、相手は足もとを見て無法に廉《やす》く値切り倒したので、ふたりは怒って破談にしてしまった。さりとて生物《なまもの》をいつまでも打っちゃって置くわけにも行かないので、今度は品川から伝吉という男を呼んで来て、儲けは三人が三つ割にする約束で、夜ふけに熊の死骸を高輪の裏山へ運び出した。生皮をあつかうのはむずかしい仕事であるが、伝吉は少しくその心得があるので、焚き火の前でどうにかこうにかその腹を割《さ》いて其の皮を剥《は》いだ。しかし肝腎《かんじん》の熊の胆《い》がどれであるか判らないので、三人は当惑した。腹を截《た》ち割ったら知れるだろうぐらいに多寡をくくっていた彼等は、今更のように途方にくれた。
そこで三人は相談を仕直して、更にもう一人の味方をこしらえることにした。それは彼《か》の備前屋の番頭の四郎兵衛で、かれは大きい薬種屋の番頭であるから熊の胆の鑑別が付くに相違ない。彼をこっちの味方に誘い込んで、かれの口からその主人にうまく売り込んで貰おうということになって、三人は穴を掘って一と先ず熊の死骸を埋めた。剥いだ生皮は自分の方で鞣《なめ》してやると云って、伝吉が持って帰った。二度目の相談はそれと決まったものの、馴染《なじみ》のうすい四郎兵衛を呼び出して、だしぬけにこんな相談を持ちかける訳にも行かないので、六三郎は車湯の勘蔵にその橋渡しを頼もうと思いついた。
勘蔵は四郎兵衛と同国者で、かれは四郎兵衛を頼って江戸へ出て来て、その世話で近所の車湯へ住み込んだのである。その関係から彼は今でも、何かにつけて四郎兵衛の世話になっているらしい。殊にかれは備前屋の娘を救うために大怪我までしているのであるから、熊の一件とは逃がれられない因縁もある。かたがた彼から話し込んで貰うのが便利であると考えて、六三郎はあくる日すぐに勘蔵をたずねてゆくと、かれは痛む腕をかかえて寝ていた。備前屋へ熊の胆を売り込む相談について、かれは一旦|躊躇《ちゅうちょ》したが、結局その仲間入りをすることになって、いずれ自分が起きられるようになったならば番頭に話してみようと受け合った。しかし、こっちはなま物をかかえているのであるから、なるたけ早く相談を持ち込んでくれと掛け合っているところへ、あたかもかの番頭の四郎兵衛が主人の使で勘蔵を見舞に来たので、その枕辺《まくらべ》ですぐにその相談をはじめると、相当の値段ならば引き取ってもいいと四郎兵衛は云った。
その晩、六三郎は四郎兵衛を高輪の裏山へ案内して、熊を埋めたところへ忍んでゆくと、ゆうべ新らしく掘った土は更に何者にか掘り返されたらしい跡がみえるので、かれは一種の不安に襲われた。あわてて其の土を掘ってみると、生々《なまなま》しい熊の死骸は元のまま埋められていたが、その腹のなかに肝腎の胆が無いということを四郎兵衛から云い聞かされて、六三郎も驚いた。何者かが彼等より先に死骸を掘り出して、熊の胆を盗み去ったのであろうという説明を聞かされて、彼はいよいよ驚いてがっかり[#「がっかり」に傍点]した。四郎兵衛も失望したような顔をして帰った。六三郎もその盗人の疑いを品川の伝吉と車力の百助とにかけて、すぐに二人を詮議したが、彼等はなんにも知らないと云った。いくら、真《ま》っ紅《か》になって云い合っても、所詮は水掛け論で果てしが付かなかった。かれら三人の所得は伝吉の手に渡された熊の皮一枚に過ぎないことになってしまった。
四
六三郎が伝吉と百助とを疑うと同時に、ふたりの方でもまた六三郎を疑っているので、彼等のあいだには自然に仲間割れが出来た。伝吉はかの生皮を鞣《なめ》してしまったが、なんとか理窟をつけていて、素直にそれをこっちへ渡そうとしないので、六三郎は腹を立てた。熊の皮一枚が一体いくらの価をもっているものか、六三郎もよく知らなかったが、ともかくも折角の獲物を彼等ふたりに着服《ちゃくふく》されるのは、あまりに忌々《いまいま》しいと思ったので、かれは車力の百助のところへ度々催促に行って、しまいには腹立ちまぎれに喧嘩をして帰った。すると、ゆうべになって彼《か》の百助は熊の皮を持って六三郎の家へたずねて来た。
皮はこの通りに鞣したが、こっちには何分にも売り口がないから、この皮をそっちで引き取って、自分たち二人には骨折り賃として三両の金をくれと百助は云った。そんな金を持っている筈も無し、またそんな金を払う理窟もないと六三郎は剣もほろろ[#「ほろろ」に傍点]に跳《は》ねつけた。結局ここで二度の喧嘩になると、百助も腹立ちまぎれに、そんならこの皮を証拠にして貴様の罪を訴えてやると毛皮を引っかかえて飛び出した。訴えれば彼も同罪である。よもやそんな無鉄砲な真似はしまいと思いながらも、根がそれほど大胆者でない六三郎はなんとなく不安心にもなって、彼のあとからつづいて飛び出した。高輪の海辺で追い付いて、かれは百助を引き戻そうとすると、百助はおそらく嚇し半分であろう、無理に振り切って行こうとするので、ふたりは夜の海辺で掴みあいを始めた。なにしろ証拠物の毛皮を取り戻してしまおうとあせって、六三郎はかれの手から一旦それを奪い取ると、百助がまた取り返した。取ったり取られたりして争っているうちに、二人は毛皮をそこへほうり出して死に身のむしり合いになった。
こうして、ふたりが夢中でむしり合っている最中に、うしろの方で突然に女の悲鳴がつづけて聞えたので、彼等もびっくりして見かえると、ひとりの女がそこに倒れていた。喧嘩もしばらく中止になって、ふたりはともかくもその女を引き起そうとすると、彼女はあたかも彼《か》の毛皮の上に倒れていて、おそらく苦痛のためであろう、片手は熊の毛を強くつかんでいた。更によく見ると、その女の胸のあたりには温かい生血《なまち》が流れ出しているらしいので、二人はまた驚かされた。百助は後難を恐れて先ず逃げ出した。六三郎も一緒に逃げかけたが、なにかの証拠になるのを恐れて又あわただしく引っ返して来て、女の手からその毛皮をもぎ取って逃げた。
お絹と六三郎と熊の毛との関係はこれで判ったが、お絹を殺した下手人《げしゅにん》は判らなかった。六三郎はまったく知らないと云い切った。その申し立てに詐《いつわ》りがありそうにも見えないので、六三郎は単に火事場かせぎとして大番屋《おおばんや》へ送られた。血に染《し》みた毛皮は六三郎の家の縁の下から発見された。
「さて、どいつがお絹を殺したか」と、半七もかんがえた。
ともかくも備前屋へ行って声をかけると、番頭の四郎兵衛は蒼ざめた顔をして出て来た。半七は先ず娘の悔みを云ってから、かれの家出や下手人に就いて何か心当りはないかと訊《き》くと、四郎兵衛は一向に心あたりがないと答えた。しかし彼の何だかおどおどしているような、落ちつかない眼の色が半七の注意をひいた。
「ここの店には内《うち》風呂があるんですか」と、半七はまた訊いた。
「ございます。店の者は車湯へまいりますが、奥では内風呂にはいります」
「この頃に風呂の傷《いた》んだことはありませんかえ」
「よく御存じで……」と、四郎兵衛は相手の顔をみた。「風呂が古いもんですから、ときどきに損じまして困ります。昨年の暮にも一度損じまして、それから四、五日前にもまた損じましたが、出入りの大工がまだ来てくれないので困って居ります」
「風呂が傷んでいる間は、奥の人たちも車湯へ行くんでしょうね」
「はい。よんどころなく町内の銭湯《せんとう》へまいります」
これだけのことを確かめて、半七は更に車湯へ行った。釜前に働いている勘蔵をよび出して、かれは小声で云った。
「おい、この間はありがとう。ときに少し用があるから、そこまで一緒に来てくれ」
「へえ。どちらへ……」
「どこでもいい。当分は帰られねえかも知れねえから、おかみさんに暇乞《いとまご》いでもして行け」
勘蔵の顔色はたちまち灰のようになった。半七に引っ立てられて自身番へゆく途中も、かれの足は殆ど地に付かなかった。彼はときどきに眼をあげて青空をじっと眺めていた。
「このあいだお前に貰った干菓子《ひがし》も綺麗だったが、備前屋の娘も綺麗だったな」と、半七は歩きながら云った。
勘蔵は黙っていた。
「あの娘には情夫《いろ》でもあるかえ」
「存じません」
「知らねえことがあるもんか」と、半七はあざ笑った。「橋場《はしば》の親類の家《うち》にいるじゃあねえか。熊が出るなんて詰まらねえ囈言《うわごと》を云って、娘はもう一度橋場へやって貰おうという算段だろう。火事が取り持つ縁とは、とんだ八百屋お七だ。自分の家へ火をつけねえのが見付け物よ。又その味方になる振りをして誘い出す奴も誘い出す奴だ」
勘蔵はやはり黙ってうつむいていた。
「去年の暮に、備前屋の内風呂が傷んだので、娘はおまえの湯へ来たそうだな」と、半七はまた笑った。「そのときにお前が背中を流してやったか。容貌《きりょう》は好し、年ごろの箱入り娘の肌ざわりはまた格別だからな。とんでもねえ粂《くめ》の仙人が出来上がったものだ。なるほど命賭けで荒熊にむしり付くのも無理はねえ。折角助けた娘は橋場へ行っているあいだに、向うで男が出来てしまった。家へ帰ってもやっぱり橋場が恋しいので、仮病《けびょう》をつかって熊が出るなんて騒いでいる。しかしその計略がうまく運ばないので、娘もひとりで焦《じ》れ込んでいるうちに、内風呂がまた傷んだ。ねえ、そうだろう。そこで又お前の湯へやってくると、粂の仙人が背中をこすりながら旨い相談を持ちかけた。わたくしが橋場へ御案内しましょうかとか何とか親切振って云ったもんだから、若けえ娘はあと先みずに欺されて、ゆうべそっと家をぬけ出すと、外に待っていた奴があって……。それから先はおれも知らねえ。おい、勘蔵。おれにばかりしゃべらせて、なぜ黙っているんだ。前座《ぜんざ》はこのくらいで引きさがるから、あとは真打《しんうち》に頼もうじゃあねえか」
背中をぽんと叩かれて、勘蔵はあぶなく倒れかかった。
「ここまで漕ぎ付ければ、この話も大抵おしまいです」と、半七老人はひと息ついた。「勘蔵の白状によると、前の年の暮に備前屋の娘の綺麗な肌をみたときには、まだどうしようというほどの煩悩《ぼんのう》も起らなかったのですが、火事の後片付けの済むまで娘は橋場の親類へ立ち退いているうちに、そこの店の若い者と出来合ってしまった。なんにも知らない親たちは娘の仮病を心配して、もう一度橋場へやろうかと云っていたが、やっぱり其の儘になっていると、店の者のうちに何処からどうして聞き出したのか橋場の一件を知っている者があって、それが男湯へ来た時に勘蔵にうっかり[#「うっかり」に傍点]しゃべったので、勘蔵は急に気を悪くした。そこへちょうど風呂がまた毀《こわ》れて、娘が車湯へはいりに来たので、勘蔵はもうたまらなくなって、その背中を流しながらうまく誘い出したんです」
「娘はひとりで女湯へ来たんですか」と、わたしは訊《き》いた。
「いいえ、一人じゃありません。女中が一緒に付いて来たんですが、こいつが柘榴口《ざくろぐち》の中で町内の人と何かおしゃべりをしている間に、勘蔵がこっそりと娘の耳へ吹き込んでしまったんです。娘ももうちっと仮病をつかっていれば、なんにも間違いはなかったのかも知れませんが、陽気もだんだん暑くなって来るので、もう我慢が出来なくなって、うっかり車湯へ出て行ったのが運の尽きです。橋場へ案内してやると嘘をついて、夜ふけに娘を誘い出して、勘蔵は品川にいる自分の友達の家へ連れ込もうとしたんですが、橋場と品川ではまるで方角が違うので、なんぼ世間知らずの娘でも少し変に思ったらしく、途中でぐずぐず云い出したので、勘蔵もだんだんじれ込んで、無理無体に娘を引き摺って行こうとすると、娘はいよいよ怖くなって、声をあげて逃げ出すという始末。いや、こうなるとおそろしいもので、勘蔵はもう逆上《のぼ》せてしまったんです。もし云うことを聞かないときには嚇《おど》かして手籠めにする積りで、隠して持っていた小刀をいきなり抜いて、いっそひと思いにと娘の胸をえぐってしまった。勿論、自分も一緒に死ぬ気であったが、そこへ六三郎と百助が駈けて来たので、急に怖くなって逃げ出したというわけです」
「そこで、その熊の胆を盗み出したのは誰だか判らないのですか」と、わたしは又訊いた。
「この方のお話をすると長くなりますから、手っ取り早く申し上げると、熊の死骸を掘り出して熊の胆を盗んだ奴は、備前屋の番頭の四郎兵衛でした。昼間のうちに六三郎から死骸を埋めた場所を聞いて置いたので、日の暮れるのを待って忍んで行って、ひと足さきにその熊の胆を占《せし》めてしまったのです。いや、どうも悪い奴で……。それが露顕して、四郎兵衛もとうとう召し捕られましたが、品川の伝吉という奴だけはどこへか姿をかくしてしまいました。吟味の上で、勘蔵は無論に獄門、六三郎と百助と四郎兵衛は三人同罪ということになりました。今と違って、火事場どろぼうは重い処刑になるんですが、盗んだ品が箪笥《たんす》長持や夜具|蒲団《ふとん》のたぐいでなく、なにしろ熊の死骸というのですから、罪も大変に軽くなって、たしか追放ぐらいで落着《らくぢゃく》したように聞いています」
底本:「時代推理小説 半七捕物帳(三)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年5月20日初版1刷発行
1997(平成9)年5月15日11刷発行
※旺文社文庫版を元に入力し、光文社文庫版に合わせて校正した。この過程で確認した、両者の相違を示す。
・四郎兵衛おとなしく答えた。[#旺文社文庫版「四郎兵衛もおとなしく答えた。」]
・小博奕を打っているやくざな野郎[#旺文社文庫版「小博奕を打っているやくざ野郎」]
入力:網迫
校正:おのしげひこ
2000年7月6日公開
2004年2月29日修正
青空文庫作成ファイル:
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