青空文庫アーカイブ

小熊秀雄全集-9
詩集(8)流民詩集1
小熊秀雄

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 二十年も、そのもつと前に、自分は詩を書き初めたとき、こんな念願をたてたものであつた、それは一生の間に自分の身長だけの高さの、詩集の冊数をもちたいものだといふことであつた。またその頃は、若く生命の燃焼ともいふべきものが旺盛であつたから、眼にふれるもの、心にふれるもの、みんな詩になりさうで、身長位の高さに詩集がもてさうな気もしたのである。
 ところで現在その慾望は果されたらうか。自分は今度の詩集発行を加へて、三冊目で当年四十三歳になつてしまつた。その詩集の高さは、身長どころか、ようやく足のクルブシを越へたにすぎない。詩人の中では自分は多作の方だがこの分では一生の間に、膝頭の高さまでにも達しないでしまふだらうと思ふ。今度の詩集に就ても、特別な選択を加へて、外見的にももうすこし、良い詩を集めることができたのだが、さういふ選択がいかに悪いことであるかといふことを感じたので、何にもかも洗ひざらひ収めることにした。
 この詩集は、選ばれた良い詩を読者に読んでもらうのではなくて、やつぱり良い詩も、悪い詩も、みんな読んでもらつて、人間小熊を理解してもらうことが一番正しいと思つたのでさうした。
 この詩集は頁の始めの方は極く最近の作であつて、後にゆくほど昔のものになつてゐる。大体昭和十二年始めから現在までのものである。
 だから若い読者は、後の方から読んでもらつて、年代的に自分の心の発展、推移といふものに触れてほしい。そこには若い正義感や、若気の過失や、いろいろのものがあるだらうと信じてゐる。
 そして年を老つた読者は、第一頁から読みすすめて、若さの性質といふものがどんな風に変るものかといふことを理解していただきたい。
 そして自分は、なんてまあ近頃の詩が、温順な、温和なものになつたかといふことを、自分でびつくりしてゐるほどだし、これから後にも決して乱暴な詩をつくるのが自分の目的でないといふことも反省してゐる。
 これは自分で発見したことであるが、この詩集をまとめてみると、その詩の中にいかに『夜』を歌つた詩が多いかに気づいて、それは日本といふ現実が、私の心の城廓の周囲を、いかに深い夜のやうな状態でとりかこんでゐたかといふことが回顧される。しかし自分は、独断とヱゴイズムでその暗黒の中を切抜けてきたなどとは思つてゐない。自分の心の城は崩れたのである。しかもそれはもつとも自然な状態に於て崩壊したやうに思はれる。

(入力者注)
底本には中野重治による「序」が掲載されている。ここではそこに引用されている小熊秀雄自身による序を独立させて収録した。

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通信詩集


馬の糞茸

なつかしい馬の糞茸よ
お前は今頃どうしてゐる
馬の寝息で心をふるはせ
馬小屋の隅で
ふしぎに馬にもふまれず
たつしやにくらしてゐるか、
春だものみんな心をふるはしてゐるだらう
お前の友だちの土筆はどうした
ひよろひよろした奴であつたが
気だては風にも裂けるほどの
優しい奴であつたが、
蝶々は相変らず飛んでゐるか、
なつかしい馬の糞茸よ
僕は都会にきて
心がなまくらになつたよ
靴をみがくことと
コオヒイをのむことを覚えたきり
なんの取柄もない人間となつた
馬小屋から馬をひきだすとき
奴は強い鼻息を
私の胸にふつかけたものだ
都会では私の、胸のあたりに鼻息を
ふつかけにやつてくるものは
悪い女にきまつてゐるよ
こ奴は私の胸にしがみついて
――あんた支那そばををごつて頂戴、だと
卑しい卑しい白粉臭い都会
私は田舎の土の匂ひがなつかしい、


ふくらふ

私の梟は
かなしみの中に
とぢこめられて眠ることができない
ばたばたと樹から樹へとぶ
そして唄ふ
――オー、オ、オ、オ、
  生れねばよウ
  オ、オ、オ、オ、オーイ。
私のふくらふは
恐怖を愛し
疑惑を楽しんでゐる
夜の巫女だ
曾つては予言者であつたが
いまはずつとたれより
いたいたしい心で祈る巫女だ
私のふくらふは
すべての眠りの中で
憎しみを歌ひ
すべてのものの夢の間に
撒きちらす魔法の粉のやうに
醒めても去らない
痳痺を撒く、
私のふくらふは
ふりまくものをもつてゐる
それは夜の間に歌ふといふことだ、


不眠症

私の太陽よ
お前は暁になることを
ぐづぐづしてゐるぞ
私のまんじりともしない眼は
月の光りにも劣らず
夜通し光つてゐる
夜の周囲のものは
ほゝゑんでゐるものはひとつもない
私の心もまたニコリとも笑はない
私は夜毎考へ
考へ疲れることを知らない
人々の不幸に就いて
また自分の不幸に就いて
ずいぶん長い間考へてきた

ながい、ながい夜、
微笑するものもない夜、
声たてるものもない夜、
窒息的な夜、
時計の針はてんで動かない夜
おムツが濡れて泣き叫ぶ赤児と
それをあやす母親の声が
きこえてすぐやんでしまふ
白い乳をゆすぶりながら
きまつた時間に
ガラガラと通つてゆく牛乳車
太陽よ、その頃お前はやうやく
うす桃色の光りで
窓のカーテンを染めだす
暁になることがなんと遅いことだらう
まつてゐるのは私ばかりでは
ないであらうに


春の歌

虫共はうごき始めた
乾いた土に列をつくつてゐる
私はそれをみると胸がつまつてくる
ヤキモチが焼ける
立派な目的のために
こいつらが歩いてゐるのだと思ふと――、
春がやつてきたのだ
昆虫も寒さから開放され
結核菌が殖えて
星の光りもにぶく
菫の花も咲く
春がやつてきたのだ。
小さな虫共の行手に指をたててみる
彼等は私の指を避けて通る
彼等は紳士的だ
おどろくほど沈着いてゐて
彼は彼の行手のために
行列を切断しない
私はそこに小さなものの
精神の鎖をみつけた
人間はどこで誰とつながつてゐるだらう
俺達人間は春を享楽できない
昆虫や草花に権利は引き渡してしまつた
精神は粗雑な何事も印刷出来ない
悪い紙のやうにペラペラだ
どうしてデリケートな春を
心に映しだすことができやう
勝手にホザク安いラッパのやうに
不平を呟やいて
それだけのことで終りだ
春も終りだ
もちろん夏も素通りだ。


新ドンキホーテ

若い跳ねまわる仔馬、
青春時代の勇気、
それを誰が引継いでくれるだらうか、
勇気のやり場は
街にはない、
若いくせにノラリクラリとした
思索がある、
街の若い仔馬は
精力のやり場にこまつてゐる
女馬は強い匂ひハッカ草を
たてがみにさして跳ねてゆく
男馬がちかづくと
女馬はうるさいといつて
後脚で蹴る。

ああ、ちかごろは日増に
滑稽な出来事が殖えてきた
そこで私が芝居気を出し
ドンキホーテを気取つて
動揺の多い街の中で
槍をふりまはす
槍は空をきつて
わが勇気は地に落ちる
だが私は信じなければならない、
それが芝居であるといふことを
忘れてはならない、
槍をふりまはすことも
敵にきつてかかることも
敵を切り倒すことも
敵にきられることも
すべては千年の後には
をかしな物語りであつたことがわかる
一九四〇年代の若い青年は
勇気のやり場に困つて
クラゲの三杯酢で一杯のんで
女給の脛に喰ひついたといふ
物語りも記録にのこるだらう
すべては順調だ

平野は涯もなく
風車は嘲ける
見よ、行手に白い羊の大群
ドンキホーテの
馬の鼻づらの向ふところに行手あり
ドンキホーテの手に
武器のある間は敵がある
進め
進め
青春の勇気を労費せよ。


偽態

あなたの青春
あなたの若さよ
いらだつてはいけない
おののく心を押へるには
ぬるま湯でのむ
カルモチン
ベロナール
眠気は恋も忘れてしまふ
男の真実は八百屋に売つてゐる
おのぞみのものを
お選び下さい
大根でも八ツ頭でも
私のいふことに嘘が多く
眼くらめく言葉の綾、
こゝと思へば
またあちら
私の真実はつひに貴女に捕へられず
私はむなしく
貴女に偽態の詩人といはれてしまつた
あゝ、情けない
情けない
私は個人主義者で御座います、
自分を救ふことが
私にとつて第一の事業で
それがすんだら、他人のために物語りをする
私は第一の事業は終りました
いまは物語りの真最中です
偽態とおもはれるものは
人々がのぞくために着てゐる
特別製の
私のマントであるかもしれない
でもあんまり
内輪はのぞかないで下さい、
偽態結構、
虚言結構、
私は路を知つてゐる
それは私が傷ついた路だ

地下鉄

デパートの地下室の
生け洲の中の
鯉のものうい動きを
煙草を吸ひながらみてゐる
私は前後左右を
たくさんの人にとり囲まれてゐる
この人たちはかならず
買物にきてゐる人でもない
私と同じに鯉をながめたり
噴水の水玉のあがるのをみてゐたりして
ぼんやりと時を労費してゐる
カナリヤの夫婦がキスをしてゐれば
靴下をはかない女の人も通つてゆく
私はそれからフラフラと
地下鉄に降りてゆく
不潔な煙筒に
入りこんだやうな不快感、
粉砕するやうな
音響をたてゝ
突入してくる電車、
眼を射る実験室的な
青い落下光線
幽霊が手で押して締めてゐる
ドアーヱンヂン、
赤子のやうに鳴る警笛、
ぼんやりと立つ
私はたいへん疲れてゐるやうだ
一九四〇年代の倦怠であらう
闘はざる勇士にも
ときには疲労も
襲つてくるであらう


夜の十字路

喜びいさんで節電す
明るさよりも
暗さに馴れる
国民の心がけ
ネオンは消され
夜の街
人々の享楽も影をひそめ
影のみ日増に濃くなる
うろつくものは
人か影か
陥ちこむ穴
地下鉄電車の入り口
ふいに砕けて眼を射るのは
電車のスパーク
青はよし
ニヒリストの心
ピイと口笛吹いて
私は呼んだ
私の子犬を、
私の影のかたまりを――




女は言葉で追ひつめて
男を自殺させる
力をもつてゐる
しかし男はなかなか
死なないだけなのだ
死にかはるものに
混乱といふものもある
私は運命のかなしさを
知り始めてから
愛をいつも屈折のある
むづかしい表情や心をもつた人に
求めようとする
私は傷つき易く
治ることが遅い心をもつてゐる
女よ、男をからかはないでくれ
距離をおいて軽蔑されるために
向ひ合つて座つてゐるやうな時間は
実に耐へがたい
雨が降つてゐる
彼女はやつて来ないだらう
私は雨の中をみてゐる
硝子戸越しに
外套をきた人の影が
痩せた動物のやうに
肥えた動物のやうに
細くなつたり太くなつたり
近づいたり、遠ざかつたりして
影は消えてしまふ
待つとも待たないとも
言ふことのできない焦だち
机の上には心を落ちつかせる色をしてゐる
ヱリカ、アポレリアの花、


類人猿

私は人間になりきれない
類人猿の悩みがある
私は人間になりきれない
いや――私は人間になつてやらない
もし環境でも変つたら
人間にならう
それまでは私は
狂ふやうに歩く
眠つてゐても窺つてゐる
叫んでゐても考へてゐる
泣いてゐても笑つてゐる
すべてが敏感だし、
環境だけが
私を猿の苦しみから救つてくれるだらう
どんな環境か――、
そんなことはちよつといへない、
そのときまでは救ひきれない
私は走りまはる
私は一切を愛する
私は悪女のやうな深情をもつてゐる
そして人間よりも活動的だ
そして何ものをも
自然から奪つたものは
自然へかへさない


黒い月

私は郊外をあるいた
月があまりに強く光つてゐて
月がかへつて黒く見えて
あたりが白く見えた
物語りめいた
黒い月など
みつけてしまつた
貧富の明暗
ビアズレイの画のやうな
白と黒との世界
世の中は黒い月をみつけるほど
なんでも逆になつてしまつた
恋とは失恋するために――
一生懸命になることだし
生命を縮めるために
生きてゆかうとしてゐる
黒い月が光るので
あたりが白くなる
印度人は白い服を着る
お前が黒い服を着たなら
却つて色が白く見えるのに
黒い月が光るので
なにもかも世の中が逆になつた


今日の仕事は

酒に水が割られなかつたとき
私といふ国民の傍に
ほんとうの酒があつたとき
私は飲むことを忘れなかつた
いまは忠実な国民として
全く禁酒してゐる
をかしなことには
酒をのんでゐたときよりも
はるかに痳痺的となつた
いつも頭の芯が熱してゐて
朝の新聞も頭に入らない
何やら政治的花形が
叫んでゐるやうだが
うるさいばかりだ
けさもまた民間飛行機がとんでゆく
あゝ、人生が二重にうるさくなつてきた
物語りは地上だけで
沢山なのに――
さて今日の仕事は
炭をさがしにゆくことか


反省の中で成熟する

吾が友よ
私等若さに就いて反省する日の
なんと暗い沈みがちなことだらう
だがこのことを怖れるにはあたらない
ただ生きるのだ
働くものも、徒食するものも
いまは全く平等な不幸の中にゐるのだから
良心と呼ばれ、正義と呼ばれるものも
いまはただ生きぬくといふことで
証明されるのだから
若い反省の糸は
死へはつながれてゐない
ただ無反省な死のみが
地球の廃滅を早めるだけだ
無反省な死――ヨーロッパの出来事がそれだ、

吾が友よ
毎朝暦をめくり給へ
ときには女の子にも心を動かし
たまには美しい天でも仰ぎ給へ
それからカツレツでも喰へ
すべて若さは反省の中で成熟する
時は若い力によって遮断され
知恵は新しく登場をするだらう


人生の青二才

生き抜くことの難かしさに
なげかはしい心で
思ひわずらふことよさう
私の最愛の友よ
私はそれよりも死を手招くことで
一日を生きのびようと思ふ
そして死が迎へにやつてきたら
お前を招いた覚えがないとうそぶかう

楽しい我々の人生よ
これほどまでに精神を砂利のやうにされて
それでゐて君と僕とが突立つてゐることに
ほんとうの意義のあることを感じ合はう
犢をたらふく喰つた瞬間の勇気をもつて
蕃人のやうに喧嘩を売りにゆかう
我々はまだ人生の青二才だ、
がまんのならない一秒間のために
元気を出せ


世界の力

どこへ行つても
新しいと言はれる人間に逢つてみても
少しも私の眼には新しいとも
ちがつた物体にも見えない
とほりすぎる猫の姿態を
すばやく眼にとめることがあつても
馬鹿ヅラをした人間の顔は
私の頭のどこにも印象されない
おそろしく珍らしいものの
なくなつた地球となつたものだ
道徳も古びて修理がきかず
愛するとはなんぞや――、
それは袂別を怖れることで精一杯だ
真理とは――、
それはおたがひが勝手に
ハンカチをそれにひたせば満足できる
十二色の染壺のやうなものだ、
インキ瓶とはなにか――、
それは硝子の器である、
そして詩とはなにか――、
詩とは鼻の落ちた人間のつくるものなら
呼吸するたびに心がふるへるものだらう
あゝ、馬よりも退屈な小説家
いたづらに鼻を鳴らす詩人、
真理を語り、道徳をとき、
交友を鼠算で殖やしつくる生活よ、
心熱ければアイスクリームをのみ
心ふるへれば外套を着る
一切が便利になつた
平凡を愛する世界の怖ろしい力よ、


乾杯

千里も向ふに汚ない唾をひつかけてやるために
若い妖精の群をつくる必要がある
思ひなやむな
暁の葉がこぼした
いつてきの露を地が吸つた
洗濯シャボンも使はぬのに
自然はいつもあんなにきれいだ

人間は心を洗ふ手はもたないが
心を洗ふ心はおたがひにもつてゐる筈だ
葉がこぼしたものを土が吸つたやうに
君の渡した美しいもので私は顔を洗ひたい
自然の子としての人間の力を祝福して
ある共同的なもののために
けふは乾杯しよう


夜の霊

粘り気の多い暗さの夜の中で
酔ひは私の心と眼をはつきりさせる
人の心の奥底にただよふ
かよわい優しいものが
ただ月のかがやきに掩はれて
私の酔つた心にうつらない
どこの家なみにも
夜を素直な生活の一日の終りと
たやすく運命を定めた人々の
寝息にも似た静かな話し声
ただこゝに酔ひと怒りとに
永遠を信じ、未来を信じ、
あすの日はたやすく敵にあけわたす城を
はげしくこばむ人々も絶えはしない
信ぜよ、夜の暗さの中に
眼をかがやかし冴えたる心をもつて
明日をまつ夜の霊のあることを


月下逍遙

夜露にぬれた路をとをつた
月は高くのぼり
孤独な丸さをもつて
人間界との距離をつくらうと
懸命な狡猾さで光り
その月は幾代も前から伝はる柩のやうで
すこしの新鮮味も感じない
私はその時かう思つた、
私は私の生活を一番よく知つてゐる、
神聖なものではない
醜い藁でつくられた巣のやうな生活
窓から月をながめるときも
純粋にはみることができない
打算的な眼光がそれに加はつた
この世には純粋無垢などといふものはない
それでも私はそれに近い生活をのぞんでゐる
混乱と苦痛との幾日
月夜はつづき
私はのべつまくなしに
人間の死といふことを考へつづけながら
夜となれば郊外を逍遥[*「逍遥」は原文では「ぎょうにんべん+尚、ぎょうにんべん+羊」]する
光つた道路よ
混睡状態にある私は
平坦な路も
坂を登るやうな心の苦痛で
路いつぱいに照してゐる月に
腹いつぱいの悪態を吐いてみる
おゝ、月よ、光つた道路よ
友よ、
いつさいのものよ、私をゆるしてくれ。


私の楽器の調子は

半生は満足するほど敗けたから
残りの半生を満腹するほど勝ちたい
ふるさとでの少年時代は
一日中、草の葉のゆれるのをみて暮した、
人間はなんにも語つてくれなかつた
波が終日私にさゝやいた
淋しい生活ををくつた
私がこんなに多弁な理由がわかるだらう
愛にも飢えてゐたから
いや愛するといふ方法を知らなかつた
私は復讐戦にはいりたい
敗北者たちの泣ごとは
私の周囲に鳴る鈴のやうに
快感を覚えても決して苦痛ではない
智識がどんなに私にとつてワナであつたか
学問がどんなに私の足を挟んで
前に倒したか
私はそれを知つてゐる
私の望んでゐたもの――、
それはどんなに無内容にみえても
新しい現実の基礎となるものを求めた
他人が私の詩を無内容だとか、
単純だとかいつて批難してきた、
それらの批難者も、詩人も、批評家も
いまは一人も影を見せない、
私の詩は将に詩ではない
殊にあの人達の理解の中での
詩であつてはたまらない
私の陽気も、強情も、
私の快活も、多弁も、
もつとも低級な意味で
本質的であれと思ふばかりだ、
私は待つてゐる
古い人間ではない
古い智識や、古い学問ではない
待つてゐるのは新しい人だ
私は確信をもつて歌ひ
生活をつづける
私の詩は新しい人に理解されるだらう。
泣虫共はただ一瞬の流れの上の
木の葉のやうに過ぎ去るだらう
私の楽器は
古い人達の楽器とは調子が合はない、


夜の小川

あゝ、人生の味といふものは
なんて舌の上に絶えずたまるものだらう
私は幾度コクリと嚥みこんだかしれない
いくら嚥みこんでも
いつもこ奴は舌の上に這ひあがつてくる、
自分の舌を自分で噛むほどの
愚かしい生活をつづけながら
命のあるかぎり
生きねばならないといふことは
どういふことだらう
桜草や三色菫はまだ咲かないのか、
冬のさくばくとした土の色からは
春の気配などはお世辞にも感じられない
ただ雲の流れは早く
人の死ぬことが度々あつて
私は朝の新聞の黒枠を見ると
いつも思はずニヤリと笑ふ
咆えるより能のない犬が
けふも空地で咆えてゐる
こ奴がもし咆えるかはりに
火を噴く動物であつたら
千匹も飼つてをいて
東に向けて放してやるのに
新聞でみるとバクチ打が屋根からとびをりて
腰の骨を折つてつかまつた
政変があるとか無いとか
花屋の娘はきまつて花のやうに
首をかしげて店番をしてゐるし
しづかな波の打ちよせるところには
かならず小さな形の揃つた
貝殻がうちあげられてゐる
米買ひに十軒あるき
炭買ひに十軒あるき
よく疲労してよく眠る
靴下は穴があくし
カラーは汚れるし
書籍はろくなものが出版されない
馬は徴発されるし
大学の教師の放逐と
学生のカフェー通ひ
あゝ、うるさきことの数々、
もし日没といふものがなかつたならば
これらのもの、これらの出来事も
夜の眠りといふ救ひをもつて
幾時間かを化石にすることがなかつたなら
人生などといふ脆いものは
一日ぶつかり合ふことで
粉微塵に砕けてしまふだらう
救ひのない地球の上を
高い悲しげな声で走りまはるものは風だ
泣きはらした眼のやうな色で月が出て
夜つぴて樹が口笛をふきまくる
これらの自然の奴等だけが
人間のやることを何にもかにも認めやがるのだ、
意地の悪い女が
襦子の襟巻をかけてボンヤリ見てゐるやうに
突立つてゐる黒い森、闇の衝立、
砂糖の水のやうに甘くながれてゐる夜の小川
人間の世界を取り囲んでゐる自然の奴等は
滅びることの不安をもたない冷酷さで
ただ沈黙を守つてゐる。


約束しないのに

冬がやつてきた
だが木炭がない煉炭がないで
市民はみんな寒がつてゐる
でもあきらめよう
とにかくかうして
季節がくると冬がやつてきてくれたのだから、
僕の郷里ではもつと寒い
冬には雄鶏のトサカが寒さで
こゞえて無くなつてしまふこともあるのだ
それでも奴は春がやつてくると
大きな声で歌ふことを忘れないのだから
勇気を出せよ、
雄鶏よ、私の可愛いインキ壺よ、
ひねくれた隣の女中よ
そこいら辺りのすべての人間よ、
約束しないのに
すべてがやつて来るといふこともあるのだから
なんてすばらしいことだ
約束しないのに
思ひがけないことが
やつてくるといふことがあると
いふことを信じよう。


気取屋の詩人に

君にとつては人生は、
温突《オンドル》の上のやうなものだ
いつもポカポカ暖かい
君等はいゝ星の下に生れ
いゝ身分で詩を書いてゐる
人生至るところに
ベッドありと
すぐに温かいところを
みつけてもぐりこむ

僕を饒舌遊戯
乱作詩人だと罵つた
もつとも僕は食事中でも詩を書く
ところで君たちは
あまりに寡作主義にすぎる
マスクをかけた歌うたひ
きゝとりがたいことを
ゴモゴモ口の中でいふ
一年にかぞへる位おつくりになる
つまり小鳥のやうに
ちよつぴり召しあがつて
ちよつぴりお垂しになる
僕たちは働く詩人だ
たくさん喰つて
太い糞をするよ
君は――男のくせに
女形のやうに容子ぶつて
原稿紙にむかふ
月経(つきのもの)でも
あつたやうに
二十八日目に
一篇おつくりになる


苦痛は愛されてゐる

彼等はほんとうに
人生を辛いと思つてゐるのか、
深刻らしい顔をしてゐるが、
みたまへ彼等はまだ靴を履いてあるいてゐる
ポーランドの子供ははだしで逃げたのに――、
しかも彼等の靴は鳴るのだ
そして足はこの皮をもつて保護されてゐる
頭を見給へ
帽子がのつてゐる
胸を見給へ
ヒラヒラするネクタイが
舌のやうに風を舐めてゐる
何にもかにも彼等には残つてゐる
そして苦痛だと叫ぶ権利も残つてゐる、
すべてを失つたものだけが
現実が辛いとか
人生が苦痛だとか言へるのだ、
しかし彼等はすべてを所有してゐる
彼等の周囲には
怪しげな苦痛がのこつてゐて
そつと彼が腰掛けると
下から忍びあがつて何時の間にか
膝の上にあがつて主人に可愛がられるのだ

彼等の苦痛とは
猫よりももつと静かで
狡猾と温かい膝の上で
愛されてゐていい代物だ
しかも猫のやうに彼等の苦痛は表裏がある
生活の上では享楽的で、
文章や言葉の上でだけ人生の苦痛を説く
何が辛いのだ
何が苦しいのだ
すべての苦痛はよき酔ひである
失はれてゆく血を自覚したものだけが
真の苦痛を叫び
それを訴へる。


義足のやうな恋

愛はどんなにあわただしく
義足で駈けるやうに
ちぐはぐでも
調和された長さで走るやうに
動揺の中を駈けぬけるものだ
愛とは
若い時代、
若い年齢、
はかない花弁の散る一瞬間のやうに
空漠とした中に
茎だけが残されるやうなものであつても
青春の通過しなければならない義務を
果すやうな勇ましさでたちむかふ
なんといふおかしなことだ、
深刻に語ることの、
意義のふかさは
愛の言葉の中で
証明される最大のものだから
じぐざぐと走る義足のやうな恋。


都会の歩道

とびとびに赤いボタンを
ならべたやうな花、
緑色の外套を
ひつかぶつたやうな野、
私の眼の底の
春の大地はなつかしい、
その思ひ出も
いまはきれぎれになつた、
都会の灰色の物蔭で
不良児のやうに
陽の光りををづをづと
建物の間から盗み見てゐる、
こはばつた靴で
かたい歩道をあるくとき
一足ごとに
優しい心は打ちつけられ
良くないたくらみを起こさせる、
農夫も見ず
牛も見ず
牛は耳の下にツノがあるのか
ツノの下に耳があるのか忘れてしまつた、
鋤の格好も忘れ、
鎌を磨ぐことも忘れた、
都会はどこへ行つても
心に反撥する堅い路、
懶く物を考へ
いそがしく走り
かなしく酒に酔ふところ、
村のやうに
黄色い穂がさわがず、
ボロのやうな人々の心がさわぐところだ。

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愚鈍詩集


病気

大馬鹿者が病気となれば
一日中寝台に寝てゐる
手萎ひ、足萎ひ
起きることができない
ハラワタは比較的順調なれば
食慾は徒らにすすむ
細りもせず
肥えもせず
健康でもない
さりとて病人でもない
大馬鹿者はとにかく
こゝまで生存してきた
雑炊をつくり
それに鶏卵を放つて喰ひ
むなしく一羽の雛つ子が
誕生するのを拒否してしまふ
茶の葉をせんじて飲み
熱いといつては癇[#やまいだれの中は「間」]癪を起して
茶碗を傍になげとばす
カミソリをもつて髯をそる
手元甚だ危ふし
崇高な哲理を考へようとすれば
アクビがでゝくる
所詮、横つ腹のキルクの栓を抜けば
君も僕も糞尿飛びだす体なり
あゝ、崇高なる
一切のもの
価値なし
雑炊のごとしか。


乱酔

遊蕩児のやうに
卑しい情歌を歌ふ
スリ、悪漢のやうに
指を動かしてものを握る
握ればすぐ放し
捕らへれば砕いてしまふ
あゝ、大馬鹿者の乱酔は
さびしさ限りなし、
怒つて電信柱に突貫すれば
電信柱は少しも妥協しない
押しあひ、へしあひ、引き分けとなる
しばし街燈の
仄かな光のもとに睨み合ふ
やがて呵々大笑して
大馬鹿者、電信柱に
頬づりをして袂別する

夜更の街をうろつく
羞恥をいれた袋を忘れた男が
それを探しまわるやうに
街から街、露路から露路の暗がりを
恥外聞もわすれて
着物の胸をはだけてさまよひあるく
光りを求めて
光りそこになし、
まもなく『おでん』屋の時計
短針、十二時を指し
長針、ゴトリと音して
一気に三十分まはる
あゝ、時は
青春の羞恥を
彼方の空にはこび去つたか――、

大馬鹿者、悲しんで泣けども
涙一滴もでず
怒つてみても腹立たず
笑へども、おかしくない
闇には蜘蛛の巣の
階段がつくられてある
酔ひ心持ふらふらと
天にむかつてそれをのぼる。


失恋

月は物欲しさうに
街を照らす
私は何んにも欲しくない
お寺と墓場と空地のまんなかを
私はたつた一人で帰つてゆく
私は物の影を愛し
しきりに物の実体を憎みだした
古今無類の悪傾向に陥てゐる
すべてを追ふことを中止しよう
捉へ難い影を追ふ楽しみにひたるとき
きつと悪い運命がやつてくるだらう
銃よ、鳴れ、激しく、高く、
どこかで一発撃つてくれ
私は私の立つてゐる位置を
その銃の音で知ることが出来やうから
銃の鳴つた方向に
いつさんに走つてゆく
撃たれるために
走つてゆく鹿のやうに――、
足も軽々と
心も躍らせて
月をあざけり
街を黙殺しながら
私は猟師の
ところに走つて行かう


ステッキ

心にわだかまりがあれば心臓病だ
頭に沈滞あれば脳病だ
地がゆらげば地震なり
天が騒げば暴風雨なり
――人間、自然を超えて
果して理想ありや、喝、
あゝ、病患と悦楽は
わが坩堝の中に
水銀と水のやうに反撥し合ふ
水銀が右に行かうとすれば
水がそれをはばむ
水、左にゆかうとすれば
水銀がこれを嘲弄する
あゝ、釦の穴ほどの
小さな私の人生観に
彼女が糸を通してしまつて
いまは全く身を通り抜ける何ものもない

曾つてはこの一つの釦の穴ほどの
小さな人生の覗き眼鏡には
さまざまな現象が映つたものだ
ある日は、はげしい夕焼が
鮭の腸わたの血の色よりも赤く
海の上を過ぎたものだ
いまは全く暗い、
いまはぼんやりと街の街燈をながめ
ぶつぶつと呟やきながら
加へたり引いたり掛けたり
おのれの運命の区分に時を費やす
なぐさみと真実とを行き来する
泥酔の瞬間は楽しい、
手にしたステッキは
舗道をたたきて割れたり
ステッキを地に振れば危ぶなし
天に投げれば更にあぶなし
空間に捧げもてば疲れる、
まゝよとステッキを投げとばして
冷めたいアスファルトの上に坐りこむ
そのときステッキは、
すつくと立ちあがつて
泥酔の主人を見捨てゝ
深夜の舗道を
コツコツと足を鳴らして去つてゆく。


墓場

大馬鹿者墓場の中に
まよひ込む
一つの墓には
イエスの十字架きざまれ
一つの墓は崩れかゝつてゐる
もう一つの墓大理石鋭どく磨かれて
大馬鹿者の顔がうつる
そこには影のやうに
女の顔もうつつてゐる
墓はあるものは欠け、あるものは崩れ
しだいに忘却の土の中に沈んでゆく
新しい墓の前には
しきみの葉を挿し
線香の煙立ちのぼる

大馬鹿者、墓の林の中を女と散歩す、
心はいさゝかも鬼とはなれず
青春の蕩児のやうに
枯葉を蹴飛ばしながら
新しき運命のために
手さぐりでゆく盲人の散歩のごとし
一つの墓石をはぎ起せば
そこに幸福に通ずる道もあらう、
あゝ、しかし今は
幸福と不幸との境目に立つて
静かに時の到るのを待つばかり
雲足は早く
風は冷めたく
墓場に添ふ石垣の傍で
ルンペン達が焚いてる炭俵の火の
仲間にいれてもらふ
手をかざし、焔を靴をもつて蹴る
――人生に暖きものは、火か、
恋愛の尽きたるところに墓あり
墓の尽きたるところに火ありか
大馬鹿者墓場を出で、
その感がふかい。


駅構内

どんなにいそいだとて
道はいそがれない
先づ落着いて
ゆつくり歩るく
私の散歩は行手よりも
あたり見ること忙がしく
とかく鬱陶しい旅でござる
夕暮れともなれば
鐘が鳴る
一つの鐘を中心に
六つの鐘の音が入り乱れる
トンカン トンカン
トンカン トンカン
あゝ その鐘の音をきくのはたまらない
崖の上から見下ろした
暗がりの駅構内
穀類の俵をはこぶ労働者
線路に突入する
貨物列車には
なつかしや豚共
押し合ひへし合ひ
到着せり。


デッサン

大馬鹿者、画家の仲間にまぢつて
デッサンなるものを描いてみる
女、素裸で立ち
何の変哲もなし
前を向き、後を向き、横を向く、
ひざを立て
ひざを下ろす
刻々に姿態を変化させる
これを称してクロッキイといふ

画家達、眼をつりあげ
唾をのみ下し
あわただしく紙を
サラサラと鳴らす、
大馬鹿者つくづくと
女の肉体の中心をみる
そこに臍あり
臍とは肉体の
永久のほころびの如し
子供のころ
こゝのゴマといふものを取り出して噛み
ほのかにわが肉体の味を始めて知つたことがある
大馬鹿者つくづくと
モデルのほころびを眺め
感極まる、
画家たち眼を怒らし
鉛筆をかみ
あわただしく
かくて百千の女を
描けども
天国は
遂に来らず

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哀憐詩集


黒い洋傘

争ひもなく一日はすぎた
夜は雨の中を
黒いこうもり傘をさして街に出た
路の上の水の上を
瞬き走る街の光りもなまめかしく
足元の流れの中にちらちらする、

目標もなくただ熱心に雨の街をさまよふ
哀れな自分を黒い洋傘の中にみつけた
しつかりと雨にぬれまいとして肩をすぼめ
とほくに強い視線をはなしながら
暗黒から幸福を探らうとしたとき
瞬間の雨の音のなんといふ激しさ、

心の船はまだ沈まないのか
さからふもの、私の彼方にあるもの
お前波よ、私の船をもち運ぶだけで
お前は、遂に私を沈めることができなかつた、
雨の日も、嵐の日も、晴れた日も、
私の船は、ただ熱心に漂泊する
私の心のさすらひは
いかなる相手も沈めることができない、
私の静かな呼吸よ、

地球に落ちてくる雨、
小さな心を防ぐ、大きな洋傘、
豪雨の中に
しばらくは茫然とたちつくして
私は雨の糸にとりかこまれた、
あたゝかい肉体、
生きるものゝ、さまよふ場所の
なんといふ無限の広さだらう
暗黒の空の背後には
星を実らした樹の林があるにちがひない
それを信じることは、私のもの
黒い洋傘の中は、私のもの、


交叉点

私は他人のためにも自分のためにも不安になつてゐる、
すべての人々は生命の延長と
死の接近との交叉点にたつてゐる
それは一つの肉体で
二つのものを果たさなければならない悩みだ、

立ち去らない不安
それは立ち去らない生命のことだ、
まだやつてこない悲しみと
喜びのために焦らだつのだ、
人々の肉体とそれを取巻く外界との
意地の悪い物理的な圧力の争ひを
けふも私は街でみたのだ、
私はそれをみて頭痛を病んで街をさまよつた
吸引の強いポンプが
人々の肉体と心から水分のことごとくを掻きだし
そのはげしい高い響を
省線ガードの傍で
夜となく昼となく
スチームハンマーのやうに聞いた、

いまは残されたものは生命だけだ、
それをもち運ぶものは肉体であつた、
取り去ることのできない生命の凝結、
さらば私よ、いつかは滅べ
時が生みだした私生子よ、
お前人間の肉体と生命よ、


地球の中にもう一つ私の地球がある

私は地獄に陥ちたのだと
人々に噂されてゐる
ほんとうだ私は救ひ難い奴だ、
救ひ難いところへもグングンと這入りこむ
私は乱暴で、奇怪な、感情をもつてゐる
私はそしてあらあらしい風のやうな呼吸をする。
だが、さまよふ私の心は誰も知らない
私は野原を行くが、
自然の野の中に、もうひとつ私の野をもつてゐる、
私は町をあるくが、
人々の町の外に、もうひとつ私の町をもつてゐる、
あゝ、地球の中にもうひとつの私の地球をもつてゐる、
人々は私の孤独を、私の地獄と呼んでゐる
近よりがたい敬遠と
引き離された距離に私は立つてゐる、
人々は私を悪魔のやうに嫌がる
地球の中に地球がある、
人々の愛の中にではなく、
人々の愛の外に、私の愛がある、


寝台の歌

生きるといふことがどんなことか
繰り返し考へてみた
だが結極《ママ》はわからない
現在――、だけが生きることだらう、
過去――そんなものは信じたくない、
僕の過去は自分が踏み荒し
他人にも踏みあらされてしまつた、
未来――そんなものはない、
「未来」といふ言葉が残つてゐるだけだ、
眠つてゐる間も生きてゐた
そんなことは少しも嬉しくない
眠りから死へ――、
そのまゝつづいても何とも思はぬ
ふと眼がさめる
爽やかな朝だ、
すべてが新しくまるで生まれた許りのやうだ、
無精に赤ん坊のやうに
本能的になり我儘になる、

そして夜が来た
僕は寝台にはいつたところだ、
僕の慾望は一日のうちに赤ん坊から年寄までの
感情生活をやつてしまひたい
それですべてが終るのだ、
あすの窓が明るくならなくても構はぬ
僕の寝台よ、
お前は眠りから真すぐに死へ墜ちないのか、

だが暁の寝台は四つの脚を
さわがしく音たてゝ
またもや僕を眼覚めさせるだらう。


心の敷物

いまも呪咀と罵りの
いつぱいはいつたトランクを引つさげて
私は寝床をぬけだして
朝の街の中に走りだした
生の中にもちこんだ赤い死の色
私の眼は死に光り
生きてゐるにぶい感能のない通行人や
電車の中の愚鈍な眼の人々に
その私の視線をつめたくをくる、
彼等の眼を蘇生させることは空しい
そして私は一日中街をかけまはつて
疲れて寝床に帰つてきてその中にもぐる
自由にふるまへ私のいのちよ、
朝と夜との間によりそれはないのだから、
飢えたら自分で自分の舌をしやぶるのだ、
漂泊の精神、
建物と建物との間を
自然の陰影を悲しみながら通過する
一日中かけまはる心の敷物、
帰りにはズタズタに擦り切れて
血にまみれた旗印、
ばたばたと斃れてゐる私の無数の死骸、


納屋の中の青春

あゝ冬はいやだつた
青春はコールタールを塗つたくられた
汚れたワイシャツを着た私達の人生が
納屋の中のやうな貧しい家で
おたがひの心も肉体も
ガバガバと鳴つて暮らした、
いま漸く春がきて、
しかも習慣的に――、
沖からは塩気を含んだ風を岸におくつてきた、
体はそのためにしめつて
私達は始めて人心地になつた、

人生に冷めたいものは冬と墓石だけで
人間の心は温いものと思つてゐたのに
冬の間――、冷めたかつたのは人間の心であつた
墓よりも冬よりも冷めたく
月よりも、秋よりも淋しい奴、お前人生よ、
春が来て私をちよつと許り私を嬉しがらせたとき
なまぬるい風が、街では病人を死へ運び去つた。


夜の群

人間とは救ひ難い者をも愛さねばならないのか
愚眛な動作で調子を合せて手の指を鳴らすナンセンス野郎も
金歯をむきだしにして笑ひ楽しんでゐる女も
壮観極りないほど鯨飲鯨食する徒も
燕尾服の前をはだけて立小便をしてゐる
胸に白薔薇を挿した泥酔漢も
よちよちと子供に手を引かれて
猥歌をうたひあるく職業乞食も
左翼ファンも文学青年も
ジレッタント学生、守銭奴の爺も
とろけた眼をしてゐる男色家も
これらのすべての者を愛する義務と
力とは誰がもつてゐるのか?
これらの悲しい愚かしい群は毎夜街をさまよふ
しかも彼等は何者をも怖れず
心の喜捨をも乞はず
強い独り語で満足してゐる
これら愚昧の徒は日増に街にあふれ
しづかに陥没するやうに夜となつた地球の
くらい階段にぞろぞろと降りてくる、
高遠な理想家、道徳家、政治家も
しばらくは呆然としてこれらの徒の
なすがまゝにそれをみてゐる
敷きのべられた夜を
足音も荒々しく心も散漫に
傾斜した街を彼等は降りてゆく
いまは道徳も何の説得力をもたない
この救ひ難い群を誰が救ふのか?


窓硝子

夜の寒い部屋の中で火もなく
ただ生きてゐる心をしつかりと
支へてゐる肉体だけが坐つてゐる
硝子窓にじつと呪はしい眼をおしつけて
戸外の暮れも押しせまつた街をみてゐる
喧騒もなく景品つきの騒ぎもなく装飾もなく
じりじりと新しい歳にくい入らうとしてゐる
戦争もまだ止まない
避けがたいものは避けてはならない――と
強い声がラヂオで吐《ママ》鳴つてゐる
やさしい猫が窓際にやつてきて
向ふ側から硝子戸に体をすりよせ
内側の私に媚びたやうな格好をする
少しも私が嬉しがらないことを知らない
彼女が熱心に笑ふそのやうにも
尻尾で猫はしきりに硝子を
はたはたといつまでも叩いてゐたが
急にすべてをさとつたやうに
また柔順な皮をするりと脱いで
野獣のやうな性格をちよつと見せて
閃めくやうに窓の下に落ちてみえなくなつた
光らない昼のネオンを
裏側からみることのできる
こゝの裏街の雑ぜんとした私の二階住居
罵しる詩を書く自由を自分のものにしてゐなければ
私は到底かうしたところに住むに堪へ難いだらう
自由はいつの場合もとかく塵芥の中で眼を光らしてゐる
幾人かの不遇なものゝために
生と死との間に自由を与へてゐるだらう
私もまたその間をさまよふのだ
冷めたい凍つた窓硝子に
顔を寄せ十二月の街を見おろす


幸福と退屈

ふしぎな時代に生れ合したものだ
その幸福さをしみじみと感じよう
人間と蛆と心中をするこの時代を感謝しよう
我々は生活の中で学びとつた沈黙の表情で
にやにやと笑つてすごさう
私は意地汚なく生きぬけるだけ
生きようとしてゐるものだ
火の歯車のなかに突入しようとする心を
じつと堪へて街を見る
白き千の箱、どれひとつ涙なくしては眼に映らぬ
退屈な奴はその退屈の長さだけ
キネマ館の周囲をとりまいてゐる
都会の哀愁は夕暮の靄にしづかに沈みただよふ
心躍らぬ奴は赤と白との玉を玉突屋の台の上で
ころがして遊びくらしたらいゝ
世紀を押し倒す力なく
ただ麻雀のパイは勇ましく倒れる

歯を抜かれた不快に似た不安が
永遠につづくかぎり
この酒のほろ酔ひも楽しいかぎり
まつたく何ものを怨むことはないが
まだ歯医者をにくむことは辛うじて残されてゐる


運命偶感

まだすり切れてゐない
私の運命よ
だがさういつまでも新しくはあるまい
次ぎの運命の引き継ぎのために
のこされた精神は
こゝらで石炭殻のやうになることを
私は怖れる
過去は打撃の多い
苦しみの多い生活であつた
運命を満腹さしてくれた
お前の行為に謝する
そして私の愛する民衆の愚眛と
聡明な時の流れに敬意を表する


詩人と秘密

秘密は沢山だ、散文家にまかせてをけ
彼等が秘密を保つこと大きければ
大きいほど大きな仕事ができるから――。
私は詩人だ秘密は大嫌ひ
現実から秘密を発見し
それを披露して人々に嫌な顔をさせたい
だが、すべての詩人は嘘吐きめだ、
まだまだ秘密の公開が足りない
君は真実の歌をさらけ出さない
散文家の大きな嘘は認めてやらう
小さな嘘は笑つてやらう
詩人の嘘は大小に拘はらず認められない
私は小さな嘘吐き共とたゝかふために
生活の上でも、
思想の上でもこんなに苦しんでゐる
馬鹿々々しいスタイリスト詩人共
日本にこれまでよき詩がないのは
君等が嘘でかためたニカワのやうに
立派に観念を固めるからだ
私のふるへる心臓をどうするのだ
どうしてこれを他人が押へようとするのか、
いまこそ知らせてやれ
いかに詩人とは生活が滑稽で
語ることがをかしくて
道化者のやうであるかを知らしてやれ
さて詩人の生活をものの二時間も語つてやれ
最初は面白がつて聞いてゐた奴等も
しだいに憂鬱な顔になるだらうから
秘密をさらけ出す詩人の性情は
すべてに憎まれるか迷惑がられる
それを怖れるな
大きな秘密を発見して
それを大きな考への下に披露してしまへ。


耳鳴りの歌

私の耳の中では
ソバカラを鳴らすやうな
少しのしめり気もない乾ききつて
鉄砲をうちあふやうな音がきこえた
私は心で呟やく、あゝ、まだ戦争がつゞいてゐるのだと
とてつもない大きな大砲の音がひびく
ほんとうの戦争よりも激しい
貧困とたゝかふ者もある
そして夜がやつてくると
どしんどしんと窓は何ものかに
叩きつけられて一晩中眠れないのだ

やさしい秋の木の葉も見えない
都会の裏街の窓の中の生活
ときをり月が建物の
屋根と屋根との、わずかな空間を
見せてならないものを見せるやうに
しみつたれて光つて走りすぎる
煤煙と痰と埃りの中の人々の生活も
これ以上つづくであらうか
愛といふ言葉も使ひ古された
憎しみといふ言葉も使ひ忘れた
生きてゐるといふことも
死んでゆくといふことも忘れた。
ただ人はゆるやかな雲の下で
はげしく生活し狂ひまはつてゐる。

私の詩人だけは
夜、眠る権利をもつてはいけない
不当な幸福を求めてはならないのだ
夜は呪ひ、昼は笑ふのだ
カラカラと鳴るソバカラの
耳鳴りをきゝながら
あゝまだ戦争は野原でも生活の中でも
つづいてゐるのだと思ふ。
そのことは怖れない
人民にとつて「時間」は味方だから
人と時とはすべてを解決するのだらう。


霧の夜

濃い霧は
私をうつとりとさせてしまつた
一間先も見えない
そこで私は一歩一歩前へあるいた
すこしづつ前方が見えてきて
あつちこつちで
ざわざわと人の立ち騒ぐ気配がした
しかし霧は濃く
人の姿はなかなか現はれない
なんと寂しいことだらう
しだいに襲つてきた霧は
すつかりと私をとりかこんで
わづかの空間をのこしたきり
私は正しくものごとを考へ
正しくものを視透す場所を
誰か他の者の手によつて
計画的にせばめられてゆくとしたら
それは恐ろしいことにちがひない
人々と心の連絡も切れてしまひ
そして霧の中で
むなしく行きちがひになつてしまふ
いまはじつと立ちすくんで
晴れてゆくのを待つてゐる
霧よ
晴れてゆけ
とほく轟と汽車のとほるひゞきが
一層私を不安にする。


大人とは何だらう

わたしの年齢は立派になつた
背丈ものびきつてしまつた
怖ろしいことと
辛いこととは
すべての人々と同じやうに私にも配分された
でもわたしはわからない
大人とは一体なんだらうと
もし私の鼻が喜んでくれるなら
鬚をたてゝみたい
もし私の唇が許可してくれたら
全部を語らずにいつも控へ目にしやべりたい
わたしはそれが出来ない
つくり声や、相手とのかけひきや、威厳の道具を
鼻の下にたくはへてをくことが
大人の世界に住む資格であつたら
わたしは永久に大人の仲間に入れない
わたしは大人のくせに
大人の仲間に入つてキョトンとしてゐる
勝手の分らないことが多いのだ、
思想の老熟などが
人生に価値あるものなら
わたしは明日にも腰をまげ
ごほんごほんと咳をしてみせる
一夜に老いてみせることも出来る
若い友達は
わたしをいつも仲間に迎へてくれる
だからわたしは
額に人工的なシワをつくつてをれない
たるんだ眼玉や、たるんだ声で
わかい精神を語れない
大人とは一体なんだらう、
死ぬ間際まで私はそれが判らないでしまふだらう。


旅行者

青年は眼ばかり若々しくて
体は生活で、さんざんに汚れてゐる
若い人生の旅行者よ。
僕は君とゝもに
若い手足のはたらきを
どれだけ果したか、
また果しつつあるかを反省してみよう。
風は雲をふり払つた、
だが依然として雲は湧きあがり
空から尽きようともしない
雲は風にいどみかゝつてゐる
君は自然の争ふさまや
悠久なありさまも忘れたのか
もし君が夜の墓石の上に枕をもちだし
夜つぴて星を数へてみたとしたら
明日は――きつと鳶になつてもいゝと思ふだらう
私はいまこゝに青年期のながさを打ち樹て
不老不死の精神に奉仕しようと思ふ、
若い旅行者は、
きのふ何処から出発してきて
けふ何処まで着いたか、
青春の歩みをもつて
太陽と月との着実な歩みに答へねばならない。
若い旅行者よ、
君の健脚のそのやうにも
君の思想を前進させよ。


嫌な夜

ざわざわと風が吹く
吊り下つた電燈は絶えず動く
遠く犬が鳴く
不安な胸騒ぎがする
沈着で禍などをすつかり忘れた
肥満した人間が酒をのんでゐるだらう
おどおどとして正直に
忙しさうに路をゆく人もゐるだらう
寝床をひんめくるやうに
地球の上から夜をひんめくつたら
優しい心を夜襲しようとして
狼の群が山の頂きに吠えてゐるだらう
ぐうたらな思策家が思はせぶりなペンに
インキをひたしてゐるだらう
なんて嫌な夜が続くのだらう
文学も、政治も、映画も、
みんな嫌な夜の中で案が煉られ
明るい昼の時間にもちだされる
ざわざわとした落ち着きのない
塹壕の中で立ち乍ら眠つてゐるやうに
すべての人々は嫌な夜を
不安な休息にもならない眠りをつづけてゐる
怒りをとろかす眠りを
うけいれる位なら
私は死ぬまで一睡もしないで狂つた方がいい
めざめてゐる昼の時間のために
良い妹のやうな夜であつたらいい
だが悪辣な女か、獰猛な猫のやうに
人々の心に噛みつくために
よつぴて人々の心の中を騒ぎまはる
夜よ、お前はかつてのやうに
暁を待つてゐる純情な夜ではなくなつたのか。


白樺の樹の幹を巡つた頃

誰かいま私に泣けといつた
白樺の樹の下で
幼い心が幹の根元を
三度巡つたときからそれを覚えた
草原には牛や小羊が
雲のやうに身をより添はして
いつも忙がしく柵を出たり入つたりしてゐたのに
私の小屋の扉は
いちにちぢゆう閉られたきりで
父親も母親も帰つてこなかつた
夕焼は小羊達を美しいカーテンで
飾るやうにして小屋の中に追ひやつたのに
ランプもついてゐない私の小屋の
恐ろしいくらやみが幼ない私を迎へた
百姓の暮らしの
孤独の中に放されてゐる子供は
樺の樹の幹を巡ることに
孤独を憎む悲しみの数を重ねた
いまでも愛とはすべてのものが
小羊のやうに
寄り添ふことではないのかと思つてゐる
いまでも人間とは小羊のやうに
体の温かいものではないかと思つてゐる
大人になつても泣けるといふことは
みな昔樺の樹を巡つたせいだ


鉄の魔女

しづかな嘘か、或は計画された情熱で
魔女をのせた車は足音を忍ばせて走る
人影はながく、土の上の車の軋りは
いつまでもいつまでも列をつゞける
辺りに眼もくばらずに
悲劇の法則を辷るやうに――、
こゝは曾つて平和であつた
こゝろよいクッションであつた
いま寝台の弾機は壊れてしまひ
デコボコの路に
ところどころ穴があいて水が溜つてゐる

一夜にして野はベッドの覆ひを
激しい風と火とで縦糸《たていと》を舞ひあげて
あとには赤い横糸《よこいと》ばかり、
こゝで夜、車はとまり、人は眠る、
地上に眠むるものゝ背は痛み
寝返りをうつたびに
風は怒りの声を耳の傍でさゝやく
土が眠るものを冷めたく庇護するとき
心は眠るものを熱く愛す、
こゝに放逐者が寝息をたてゝゐる、
白々しい怒号によつて
人々は再び暁を迎へ、出発する、
鉄の魔女を乗せた車を
人々は守りながら
汗をかきつゝすゝむ、
魔女は車の上で地団駄ふんで
指さす方に車を進ませやうとしてゐる、
哀れな従者を従へて
自由を泥《どろ》に射《う》ちこむために
真黒い情熱的な叫びをあげつゝ
眼の前の丘陵を目ざしてすゝむ。


私と犬とは待つてゐた

ものゝ響いてくるのを
きくことは楽しい
夜は改札口で
私はレールが鳴るのをきゝながら
ぼんやりと人々の乗り降りするのをみてゐた、
一匹の小犬がゐて
そはそはと歩るきながら
降りてくる主人を待つてゐるやうであつた
ながい時間はたつたが
私も犬もそこを去らない
私はたしかに何ものかゞ
やつてくるのを待つてゐるやうだ、
青い信号燈が赤くかはつたり
赤いのが白くなつたり
くりかへす
でも私の待つてゐるものは来ない
これは汽車にのつて
やつてくるものではないからだらう、
ことによつたら汽車のとまつたときに
やつてくるものかも知れない、
――さあ帰つて眠らう
私は傍をふりかへると
おかしなことには
小犬は眼を真赤にして
待つてゐる主人が来ないので泣いてゐるのだ
私は犬の求めるもののためにも、
滑稽で純情なこ奴のためにも、
不幸は早く去つて
幸福が早く来るやうに
ねがつてやつた


自然偶感

風はしつきりなしに硝子戸をうちたゝく
雲は人々の生活の
頭上を走りまはる
花の開いたのは
花が怒つたときであつた
彼女は甘い蜜を蝶に引き渡すために
花を開きなどはしなかつた
蝶! あついは泥棒でしかない

水は下流にむかつて
その喜びに似た白い泡立ちをたてる
その泡立の痕跡はすばやくて捉へがたい
通りすぎるものよ
開くものよ
流されるものよ
閉ぢるものよ
人は街に群れ、
ひそひそと語る
森は騒ぐ
花開く怒り
水流れる喜び
悠久として真実は
騒がしい捉へ難い早さで走つてゆく。


生活の支柱

暁は山と山との間へ色づいた雲を
茜色にひろげる
あなたと私との激しい生活の中から
堪へ難い苦しみを
ひとつひとつはぎとり
精神の暁を
わたしはいま眼の前にみた
茜色のつよい喜びを感じてゐる
愛する人よ
春の聡明な色彩は日増しに美しく
生活の谷間からのぼつてくる。
苦しみをかくまでにも秩序立て
悩み苦しむ方法を
私達はどこから学んできたのだらう
過渡期の愛の新しい苦しみが
前方に私達を待つてゐるが
その新しい苦しみの性質を
生活の途上で我々は知りつくす
愛の大きな優位性をもつだらう。


馬の胴体の中で考へてゐたい

おゝ私のふるさとの馬よ
お前の傍のゆりかごの中で
私は言葉を覚えた
すべての村民と同じだけの言葉を
村をでゝきて、私は詩人になつた
ところで言葉が、たくさん必要となつた
人民の言ひ現はせない
言葉をたくさん、たくさん知つて
人民の意志の代弁者たらんとした
のろのろとした戦車のやうな言葉から
すばらしい稲妻のやうな言葉まで
言葉の自由は私のものだ
誰の所有《もの》でもない
突然大泥棒奴に、
――静かにしろ
声を立てるな――
と私は鼻先に短刀をつきつけられた、
かつてあのやうに強く語つた私が
勇敢と力とを失つて
しだいに沈黙勝にならうとしてゐる
私は生れながらの唖でなかつたのを
むしろ不幸に思ひだした
もう人間の姿も嫌になつた
ふるさとの馬よ
お前の胴体の中で
じつと考へこんでゐたくなつたよ
『自由』といふたつた二語も
満足にしやべらして貰へない位なら
凍つた夜、
馬よ、お前のやうに
鼻から白い呼吸を吐きに
わたしは寒い郷里にかへりたくなつたよ


銀河

私は窓をひらいて夜の空をみた
そして心に叫んだ
――おゝ空よ私を救へよ、と
とほくの銀河の美しい光沢よ
私はお前に乗りたい
心の重い、にぶい、動きのとれない
救ひのない悲しい心をお前に乗せたい
きのふお前は私の願ひをきいてくれた
きのふお前は私のところに
光りをとゞけてくれた
夜であつた
私はお前の光りにふれた
なんてお前の手は柔かかつたのだらう

星の光り
ただお前は私のところに届いただけで
高いところまでは引きあげてはくれない、
私の心はお前とつれだつてならんだが
なんと鉛より重い肉体の重さは地を離れず
叫ぶ苦痛は心ではなかつた
心におき忘れられた
肉体の絶え入るやうな哀訴であつた

銀河よ、
ついにお前は私を
とほくのせ去つてはくれないのか
かなしい自由は残されてゐる
たつた一つの地上の自由であるのか
他にもつと果され得る願ひや
幸福の生活があるのか
自由とはついに地上にあるものなのか
そのことに疑ひぶかい日がつづき
肉体はだんだんと重くなり
心はしきりに溶け流れさらうとする
あゝ、生活よ
地上の苦痛の帯よ


底本:「新版・小熊秀雄全集第4巻」創樹社
   1991(平成3)年4月10日第1刷
入力:浜野智
校正:八巻美恵
1998年8月10日公開
1999年8月28日修正
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